約 8,780 件
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/869.html
1. 在野右翼の登場~アジアの革命支援(孫文の中華革命・アギナルドの比国独立・B.ボースの印度独立etc.) (1) 頭山満 (1855-1944)と玄洋社(1881結成-1946解散) 頭山は福岡藩士の子で、西郷傘下の矯志会で学んだが西南戦争中は萩の乱に連座して入獄しており死を免れた。出獄後に民権・国権伸張運動に加わり、政治結社玄洋社を結成し、東亜連帯による欧米列強の排除・アジア諸国の独立を信念として晩年まで精力的に活動した。 (2) 内田良平 (1874-1937)と黒龍会(1901結成-1931改組) 内田も福岡藩士の子で、玄洋社幹部であった叔父平岡浩太郎の影響を受けて右翼運動に加わり、大陸雄飛の為の組織として黒竜会を結成。孫文らの辛亥革命では最強の戦力となって革命に貢献したが、孫文の満州割譲の盟約の撤回にあい、満州独立論に転じた。 2. 経済恐慌と右翼思想の軍部への浸透 (1) 大川周明 (1886-1957)と5.15事件(1932.5.15) 頭山・内田は思想家である前に活動家であったが、大川周明は国家社会主義(大資本家による経済搾取の排除・政党政治の打破)とアジア主義(アジア諸民族との連携と日本の主導による有色人種の解放・西洋文明との決別)を思想として唱え、1930年前後の経済恐慌期に貧しい農村出身者の多い軍部に強い影響力を及ぼした。1932年には大川の日本改造案の実行を企てた一部の海軍将校と愛郷塾(農本的国家主義者の結社)塾生らが5.15事件(犬養毅首相を射殺したクーデター事件)を起こして、政党内閣制を崩壊させた。 (2) 北一輝 (1883-1937)と2.26事件(1936.2.26) 北一輝は佐渡の出身で初め幸徳秋水・堺利彦の社会主義運動に関心を持っていたが、大陸浪人の宮崎滔天らと知り合い、内田良平・孫文らの中華革命運動に参加。『日本改造法案大綱』を発刊(1923)してアジア主義と国家改造論を唱え、陸軍青年将校に強い影響力を及ぼした。1937年に2.26事件(国家改造を目指す皇道派将校が1500人余りの部隊を率いて首相官邸などを襲撃、斉藤実内相・高橋是清蔵相などを射殺したクーデター事件)が発生すると反乱将校達の理論的首謀者として検挙され刑死した。 3. 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召 (日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学 (日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語を『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智 (浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され 、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 4. 思想統制の開始~マルクス主義への対抗イデオロギーとして (1) 天皇機関説事件 (1935)と国体明徴運動 上杉慎吉博士の天皇主権説に対抗して、美濃部達吉博士が唱えた天皇機関説は1920年前後の大正デモクラシー期には学界の通説となっていたが、1930年代の経済恐慌期に国家主義的な右翼思想が勢力を増すと、右翼団体の過激派が天皇機関説を「不敬」として美濃部博士を襲撃し重傷を負わせる事件が発生(天皇機関説テロ事件)。国会でも美濃部博士の説を攻撃する議員が現れ、さらに政府に対して「国体明徴」(統治権の主体は天皇にあることを明示すること)を要求する動きが発生し、政府はこれを呑んで美濃部博士の天皇機関説は破棄され、博士は貴族院議員を辞職、天皇機関説を述べた著書3冊は発禁処分とされた。 (2) 『国体の本義』刊行(1937) 1930年前後に上に述べたような右翼思想が提唱され伸張した背景には、①経済恐慌の進行、という要因の他に、その経済恐慌による貧困を解決する思想としてマルクス主義思想が急速に知識人・学生層に拡散しており、②それに対抗するイデオロギーとして(頭に天皇を頂くだけで、中身は実は殆ど同じの)国家社会主義的な思想が必要だった、という現実からの要因があった。そうしたマルクス主義思想への対抗イデオロギーとしての日本国家の公定の国家観を示すガイドラインとして、1937年には『国体の本義』が刊行された。 5. 支那事変と国家総動員体制~全体主義化の進行 (1) 近衛文麿内閣 (1937-38,1940-41)と新体制運動 1936年の2.26事件のあと、広田弘毅・林銑十郎内閣と続いたが、いずれも陸軍・海軍・財界・政党人の意見調整に失敗し内閣崩壊。元老・西園寺の推薦の下に、各界の期待を担って近衛文麿内閣が発足し、難局に当たることになった。(第一次近衛内閣)近衛内閣は発足してまもなく後に支那事変の勃発に見舞われ、戦線不拡大方針を声明しながらも、ズルズルと大陸内部への戦争に引きずり込まれ、1938.12の汪兆銘(中国国民党左派で蒋介石のライバル)の重慶脱出を契機に総辞職した平沼騏一郎・阿部信行・米内光政各々の短期内閣が続く期間に、近衛は、陸相・海相・外相候補を私邸に招いて方針を調整し(荻窪会談)、1940年7月第二次近衛内閣を組閣。政治・経済の全体主義化を進めて非常時乗り切りを図ったが、支那事変の解決の目処は立てられず、米英蘭の経済封鎖を招いて日米破局に至った。 (2) 国家総動員法成立・東亜新秩序声明(1938) 1937年から38年にかけて支那事変が始まると、近衛内閣は国家総動員法を成立させて国内の経済統制に着手せざるを得なくなった(経済の全体主義化)。近衛内閣は更に欧米列強のブロック経済圏に対抗して、日満支3国による東亜ブロック(東亜新秩序)建設を声明した。 (3) 大政翼賛会 結成(1940) 政党政治は1932年の5.15事件を経て、36年の2.26事件を持って機能をほぼ停止し形骸化していたが、国家総動員体制の非常時において、更に一国一党の翼賛政治が望ましいとする近衛首相の提言に従い、各党は解散して大政翼賛会に集結した(政治の全体主義化)。 (4) 企画院 ・昭和研究会 ~革新官僚 の暗躍 近衛内閣の新体制運動を具体的に企画するブレインとして尾崎秀実・蝋山政道・三木清・風見章・和田博雄・勝間田清一ら昭和研究会に集った革新官僚が台頭し、企画院を拠点として総合的な国策企画に当たったが、その実態は尾崎・蝋山・和田・勝間田に代表される国家主義者に偽装した左翼社会主義者の暗躍であった。1941年4月には企画院に対して財界・右翼から赤化思想を疑う声が挙がり、翌年1-4月に和田・勝間田など17名が検挙されるに至った(企画院事件)なお近衛のブレインの尾崎秀実はソ連のスパイ・ゾルゲと通じた工作員であり、尾崎に近い西園寺公一(元老・西園寺公望の孫)も工作員の可能性が高く、近衛の日支和平工作・日米交渉妥結を妨害したとみられる。 6. 敗戦と右翼運動の壊滅~現在まで (1) 赤尾敏 (1899-1990)と大日本愛国党 (1951-) 赤尾は愛知県出身で先ず社会主義に目覚めて東京の左翼運動に参加したが、仲間の裏切りに遭い検挙され、釈放後に右翼国家主義者に転向した。1942年の翼賛選挙で衆議院に当選。戦後に公職追放され、その解除後に大日本愛国党を結党(1951)し、東京銀座で一貫して反共反ソを訴える街頭演説を行って戦後の右翼活動家の代表的存在となった。 (2) エセ右翼団体 の暗躍 GHQの命令により、頭山満系の玄洋社・内田良平の黒竜会の流れを引く大日本生産党などの伝統的な在野右翼結社は解散させられ、右翼運動は壊滅した。そうした状況の中で、朝鮮右翼・同和系右翼が進出(右翼運動を乗っ取り)、愛国者のイメージ・ダウンを狙いとする下品な街宣活動を常態化させ一般国民に「右翼=基地外」という認識を刷り込んでいる(現状では、右翼団体構成員の約3割が朝鮮系、約6割が同和系 (左メニュー上部の動画参照))。本来の右翼は国粋主義にも係わらず、明治神宮や靖国神社、果ては皇室行事まで妨害するエセ右翼、中国や北朝鮮・朝鮮総連がピンチになると自作自演の異常な抗議活動を行い「日本人=加害者」というイメージを刷り込む御用右翼まで登場している。 (3) 維新政党新風 と「行動する保守」運動の登場(2007-) 上に述べたように戦前/戦後を通じて伝統的な右翼は「アジア主義(アジア諸民族との連携による排欧米主義)」を色濃く打ち出しており、それが戦後の朝鮮系による右翼乗っ取りにも繋がったのだが、近年「アジア主義との決別」を宣言する新しい右翼運動 が登場、中共のチベット弾圧に対する抗議活動や朝日新聞など反日メディアに対する糾弾、外国人参政権問題・不法滞在外国人問題の告発・一般国民への啓蒙活動などに大きな役割を果たしており、今後の動向が注目される。 人物やキーワード紹介として主にwikipediaをリンクしていますが、一般にwikipediaの内容は歴史問題の説明に関しては教科書的な自虐史観に偏っていることにご注意下さい。(関係する事件の発生日時や人物名などについては正確であり、また参考となる膨大な情報が詰まっているので、研究用として敢えてリンクしています) 参考リンク:日本の右翼
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/292.html
大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。 ~ 文部省刊『国体の本義』(昭和12年(1937)5月) <目次> ■1.戦後日本の国家論不在◆1.国家の基軸・国民のアイディンティティーの確立に向けて ◆2.戦前の「国体論」を再検討する ■2.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ■3.『国体の本義』(昭和12年(1937年)5月、文部省刊)◆1.『国体の本義』全文URL ◆2.『国体の本義』の内容 ◆3.『国体の本義』の論旨と、西洋近代思想の対応関係 ◆4.『国体の本義』原文 ■4.『臣民の道』(昭和16年(1941年)8月、文部省教学局刊)◆1.『臣民の道』全文URL ◆2.『臣民の道』の内容 ◆3.『臣民の道』原文 ■5.小まとめ◆1.『国体の本義』と『臣民の道』の内容の異同(再掲) ◆2.日本主義とアジア主義◇1.現在流通している「日本主義」の説明と、『国体の本義』 ◇2.現在流通している「アジア主義」の説明と、『臣民の道』 ◇3.保守思想・革新思想との関係 ■6.参考図書◆1.『国体の本義』を理解するための図書 ◆2.『臣民の道』を理解するための図書 ◆3.日本主義・アジア主義を理解するための図書 ■7.ご意見、情報提供 ■1.戦後日本の国家論不在 ◆1.国家の基軸・国民のアイディンティティーの確立に向けて 戦後日本においては、民間から散発的な日本人論は出るのだが、国家論となると殆どタブーの扱いとなってしまっていることが夙に指摘されている。 しかし、戦前の日本では「国体」という言葉の意味内容を巡って喧々諤々の議論、時には政争までもが行われていたのであり、今や戦後長く日本を覆ってきた自虐史観から解放されつつある我々は、日本国家の基軸・日本国民たるアイディンティティーの再確立のために、この戦前の国体論の成果の検討に進むべき時であると思う。 ◆2.戦前の「国体論」を再検討する ◇1.現在流通している「国体」の定義 【国体】こく-たい広辞苑 ①[漢書(成帝紀)「通達国体」]国家の状態。くにがら。くにぶり。②[漢書(王莽伝上)「以明国体」]国家の体面。国の体裁。折りたく柴の木(中)「-にしかるべからず」③主権または統治権の所在により区別した国家体制。「-の護持」 【国体】こく-たいブリタニカ国際大百科事典 一般的には国柄や国風を意味し、この用例は漢籍や古代日本にも見られる。しかし中国や西洋に対して日本の優越を示す根拠として、国生み神話に基づく天皇の神聖性とその君臨の持続性を内容とする意味で用いられるのは、19世紀以降 水戸学に始まる。維新以後も、一般の論説のほか、教育勅語や新聞紙条例、治安維持法などの法令にも国家体制の正当性を示す言葉として登場するが、意味内容は明確ではない。またその使用には論争性が当初から伴われ、福沢諭吉や加藤弘之ら明治初期の啓蒙思想家からの批判や、明治末期から大正期の穂積八束の憲法解釈に対する美濃部達吉の批判が代表的なものである。昭和初期には左翼勢力や美濃部の天皇機関説に代表されるリベラルへの弾圧の根拠としてその神話的解釈が一層強調され、その傾向は国体明徴や文部省の『国体の本義』に頂点をみる。敗戦および新憲法制定を通じて、統治の正当性根拠としての役割は終焉した。 補足説明 このように、「国体」は明治維新以降、日本国家の正統性を示す言葉として頻繁に用いられたが、その意味内容が必ずしも明確ではなかったため、昭和初期に美濃部達吉(憲法学者)の天皇機関説を巡って「国体明徴」問題(1935年)が起こり、その結果1937年になってようやく文部省よりその公定解釈を示す冊子『国体の本義』が刊行された。 ◇2.現在流通している『国体の本義』の説明 【国体の本義】こくたい-の-ほんぎ広辞苑 1937年文部省が発行した国民教化のための出版物。記紀神話にもとづき国体の尊厳、天皇への絶対的服従を説き、社会主義・共産主義・民主主義・個人主義・自由主義を排撃。 【国体の本義】こくたいのほんぎブリタニカ国際大百科事典 文部省編。1937年5月刊行。35年頃から高まった「国体明徴」「教学刷新」の意義を明らかにし、その精神を国民に徹底させることを企図した。神話と古典に依拠して、国史の諸過程を「肇国の精神の顕現」としてとらえるとともに、西洋近代思想を激しく排撃している。45年占領軍により『臣民の道』とともに発売禁止となったが、49年にはアメリカでJ.ガントレットの英訳が刊行され、今日にいたるまで研究材料とされている。 補足説明 結論から先に言うと、上記の説明は、『国体の本義』の内容説明としては歪曲された完全に間違ったものである。但し、大東亜戦争開戦の僅か4ヶ月前の昭和16年(1941)8月に『国体の本義』の実践編・注解編との触れ込みで文部省教学局(文部省の外局)から刊行された『臣民の道』の内容説明と置き換えると、凡そ正しい説明になる。つまり、戦時体制下で刊行され戦争目的を肯定し国民の戦意を高揚させるための時局論的色彩の強い『臣民の道』の内容を、国体の公定解説書として刊行された『国体の本義』に故意に投影した説明となっているのだが、戦後長く『国体の本義』に関して、そして「国体」論自体に対して、こうした歪曲された内容説明が流通し続けてきた。 当ページは、 ① 昭和10年代に政府の公定「国体」解説書として刊行された2つの冊子『国体の本義』及び『臣民の道』の実際の内容を紹介し、その異同を解説する、と共に、 ② これらの異同の背景を為す政治的変動及び、それらを思想的に準備しあるいは理論づけた民間の国体論に関しても説明すること、更には ③ 『国体の本義』で示された思想評価と西洋保守思想の対応関係を確認すること、を目的とする。 ■2.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ※サイズが合わない場合はこちらをクリック ■3.『国体の本義』(昭和12年(1937年)5月、文部省刊) ◆1.『国体の本義』全文URL http //www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html 『国体の本義』(文部省)は、戦後まもなく発禁処分となり再刊もされなかったのでamazon出品の中古品は5,000~8,000円台と高額であるが、現在はネットで全文を読むことが出来るようになった。なお、2009年末に産経新聞出版から刊行された佐藤優氏著『日本国家の真髄』(月刊誌『正論』に2008年10月~2009年9月まで掲載分を単行本化)に『国体の本義』の全文が掲載されており、かつ難語や引用の和歌・詔勅の現代語抄訳が完備され、佐藤氏の秀逸な内容解説が為されているので、佐藤氏の展開する持論(日本国憲法擁護や、大川周明・北一輝の擁護、新自由主義への一方的な反対etc.)に対する違和感を割り引いても非常にお勧めである。値段も高くない。 ◆2.『国体の本義』の内容 佐藤優氏によれば、「『国体の本義』は、欧米のキリスト教文化圏の人々にも理解できる記述をしている。西欧思想、哲学の伝統を踏まえた上で書かれた水準の高い思想書である。このレベルの思想を理解していれば、二十一世紀の日本人が、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、ロシア人、中国人などと議論しても、決して負けることはない。」 また、新田均氏によれば、「『国体の本義』の編纂過程で、編纂委員の一人であった和辻哲郎から「特に根本的規定等に於て現代の日本インテリゲンチャを納得せしめる様論述し得るか否かは相当重大なる問題と存候、この点特にご配慮願上候」といった意見が表明された」等、当時の日本を代表する学識者の意見を広く聴取して内容が練り上げられている、とのことであり、私見でもやはり、なかなか文句の付けようのない内容であると思う。 ※サイズが合わない場合はこちらをクリック。 ◆3.『国体の本義』の論旨と、西洋近代思想の対応関係 さらには、意外なことだが、西洋保守主義(バークの伝統保守主義、及びハイエク・ポパーらの新保守主義)による啓蒙思想批判との対応関係において、『国体の本義』が批判し、または評価している内容が、そのまま「啓蒙思想の主流たる大陸合理論(=批判)」「啓蒙思想の傍流たるイギリス経験論(=評価)」に対応しているという注目すべき結果が得られた。 『国体の本義』の刊行時点(1937年5月)では、ハイエク・ポパー・バーリン等の思想はまだ殆ど発表されていなかったはずであり、『国体の本義』編纂グループは独自にハイエク・ポパーらが第二次世界大戦末期及び戦後に指摘した内容と大部分で重なる、的を射た西洋思想(啓蒙思想)批判に到達していたことになる。 さらには、『国体の本義』の内容を読み進めれば分かるはずだが、そこでは、①アトム的個人主義と並んで、②共産主義・社会主義・無政府主義、そして③ナチス・ファッショの全体主義・偏狭的民族主義までも、鋭く批判されており、ここでもハイエク・ポパーらの西洋思想批判が先取りされている。 ※なお、個人主義・自由主義・合理主義に関してのまとめページ 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 国家解体思想の正体 ◆4.『国体の本義』原文 ◇1.目次 国 体 の 本 義 一、本書は国体を明徴にし、国民精神を涵養振作すべき刻下の急務に鑑みて編纂した。 一、我が国体は宏大深遠であつて、本書の叙述がよくその真義を尽くし得ないことを懼れる。 一、本書に於ける古事記、日本書紀の引用文は、主として古訓古事記、日本書紀通釈の訓に従ひ、又神々の御名は主として日本書紀によつた。 目 次 緒言(1) ※数字は何ページ目を示す 第一 大日本国体(9) 一、肇国(9) 二、聖徳(21) 三、臣節(32) 四、和と「まこと」(50) 第二 国史に於ける国体の顕現(63) 一、国史を一貫する精神(63) 二、国土と国民生活(85) 三、国民性(91) 四、祭祀と道徳(101) 五、国民文化(114) 六、政治・経済・軍事(126) 結語(143) ◇2.緒言 ↓本文はここをクリックして表示 +... 現代日本と思想問題 我が国は、今や国運頗る盛んに、海外発展のいきほひ著しく、前途弥々多望な時に際会してゐる。産業は隆盛に、国防は威力を加へ、生活は豊富となり、文化の発展は諸方面に著しいものがある。夙に支那・印度に由来する東洋文化は、我が国に輸入せられて、惟神(かむながら)の国体に醇化せられ、更に明治・大正以来、欧米近代文化の輸入によつて諸種の文物は顕著な発達を遂げた。文物・制度の整備せる、学術の一大進歩をなせる、思想・文化の多彩を極むる、万葉歌人をして今日にあらしめば、再び「御民(みたみ)吾(われ)生ける験(しるし)あり天地(あめつち)の栄ゆる時にあへらく念(おも)へば」と謳ふであらう。明治維新の鴻業により、旧来の陋習を破り、封建的束縛を去つて、国民はよくその志を途げ、その分を竭くし、爾来七十年、以て今日の盛事を見るに至つた。 併しながらこの盛事は、静かにこれを省みるに、実に安穏平静のそれに非ずして、内に外に波瀾万丈、発展の前途に幾多の困難を蔵し、隆盛の内面に混乱をつつんでゐる。即ち国体の本義は、動もすれば透徹せず、学問・教育・政治・経済その他国民生活の各方面に幾多の欠陥を有し、伸びんとする力と混乱の因とは錯綜表裏し、燦然たる文化は内に薫蕕(くんいう)を併せつゝみ、こゝに種々の困難な問題を生じてゐる。今や我が国は、一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影相共に現れた感がある。併しながら、これ飽くまで発展の機であり、進歩の時である。我等は、よく現下内外の真相を把握し、拠つて進むべき道を明らかにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、弥々国運の伸展に貢献するところがなければならぬ。 現今我が国の思想上・社会上の諸弊は、明治以降余りにも急激に多種多様な欧米の文物・制度・学術を輸入したために、動もすれば、本を忘れて末に趨り、厳正な批判を欠き、徹底した醇化をなし得なかつた結果である。抑々我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。これらの思想の根柢をなす世界観・人生観は、歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に於て個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面に於て国家や民放を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。従つてそこには歴史的全体より孤立して、抽象化せられた個々独立の人間とその集合とが重視せられる。かゝる世界観・人生観を基とする政治学説・社会学説・道徳学説・教育学説等が、一方に於て我が国の諸種の改革に貢献すると共に、他方に於て深く広くその影響を我が国本来の思想・文化に与へた。 我国の啓蒙運動に於ては、先づ仏蘭西啓蒙期の政治哲学たる自由民権思想を始め、英米の議会政治思想や実利主義・功利主義、独逸の国権思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廃にその力を発揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に広く時代の風潮をなし、政治・経済・思想・風習等を動かし、所謂欧化主義時代を現出した。然るにこれに対して伝統復帰の運動が起つた。それは国粋保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現れであつた。蓋し極端な欧化は、我が国の伝統を傷つけ、歴史の内面を流れる国民的精神を萎靡せしめる惧れがあつたからである。かくて欧化主義と国粋保存主義との対立を来し、思想は昏迷に陥り、国民は、内、伝統に従ふべきか、外、新思想に就くべきかに悩んだ。然るに、明治二十三年「教育ニ関スル勅語」の渙発せられるに至つて、国民は皇祖皇宗の肇国樹徳の聖業とその履践すべき大道とを覚り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに欧米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この国体に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。即ち西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟の下に実証主義及び自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、又続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起し、国体に関する根本的自覚を喚起するに至つた。 国体の自覚 抑々社会主義・無政府主義・共産主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その発現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする欧米に於ても、共産主義に対しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄てんとして、全体主義・国民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの擡頭ともなつた。即ち個人主義の行詰りは、欧米に於ても我が国に於ても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を将来してゐるといふことが出来る。久しく個人主義の下にその社会・国家を発達せしめた欧米が、今日の行詰りを如何に打開するかの問題は暫く措き、我が国に関する限り、真に我が国独自の立場に還り、万古不易の国体を闡明し、一切の追随を排して、よく本来の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々欧米文化の摂取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聡明にして宏量なる新日本を建設すべきである。即ち今日我が国民の思想の相剋、生活の動揺、文化の混乱は、我等国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の本義を体得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。こゝに我等の重大なる世界史的使命がある。乃ち「国体の本義」を編纂して、肇国の由来を詳にし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て国民の自覚と努力とを促す所以である。 ◇3.第一 大日本国体 ※省略 ◇4.第二 国史に於ける国体の顕現 ※省略 ◇5.結語 ↓本文はここをクリックして表示 +... 我等は、以上我が国体の本義とその国史に顕現する姿とを考察して来た。今や我等皇国臣民は、現下の諸問題に対して如何なる覚悟と態度とをもつべきであらうか。惟ふに、先づ努むべきは、国体の本義に基づいて諸問題の起因をなす外来文化を醇化し、新日本文化を創造するの事業である。 我が国に輸入せられた各種の外来思想は、支那・印度・欧米の民族性や歴史性に由来する点に於て、それらの国々に於ては当然のものであつたにしても、特殊な国体をもつ我が国に於ては、それが我が国体に適するか否かが先づ厳正に批判検討せられねばならぬ。即ちこの自覚とそれに伴ふ醇化とによつて、始めて我が国として特色ある新文化の創造が期し得られる。 西洋思想の特質 抑々西洋思想は、その源をギリシヤ思想に発してゐる。ギリシヤ思想は、主知的精神を基調とするものであり、合理的・客観的・観想的なることを特徴とする。そこには、都市を中心として文化が創造せられ、人類史上稀に見る哲学・芸術等を遺したのであるが、末期に至つてはその思想及び生活に於て、漸次に個人主義的傾向を生じた。而してローマは、このギリシヤ思想を法律・政治その他の実際的方面に継承し発展せしめると同時に、超国家的なキリスト教を採用した。欧米諸国の近世思想は、一面にはギリシヤ思想を復活し、中世期の宗教的圧迫と封建的専制とに反抗し、個人の解放、その自由の獲得を主張し、天国を地上に将来せんとする意図に発足したものであり、他面には、中世期の超国家的な普遍性と真理性とを尊重する思想を継承し、而もこれを地上の実証に求めんとするところから出発した。これがため自然科学を発達せしめると共に、教育・学問・政治・経済等の各方面に於て、個人主義・自由主義・合理主義を主流として、そこに世界史的に特色ある近代文化の著しい発展を齎した。 抑々人間は現実的の存在であると共に永遠なるものに連なる歴史的存在である。又、我であると同時に同胞たる存在である。即ち国民精神により歴史に基づいてその存在が規定せられる。これが人間存在の根本性格である。この具体的な国民としての存在を失はず、そのまゝ個人として存在するところに深い意義が見出される。然るに、個人主義的な人間解釈は、個人たる一面のみを抽象して、その国民性と歴史性とを無視する。従つて全体性・具体性を失ひ、人間存立の真実を逸脱し、その理論は現実より遊離して、種々の誤つた傾向に趨る。こゝに個人主義・自由主義乃至その発展たる種々の思想の根本的なる過誤がある。今や西洋諸国に於ては、この誤謬を自覚し、而してこれを超克するために種々の思想や運動が起つた。併しながら、これらも畢竟個人の単なる集合を以て団体或は階級とするか、乃至は抽象的の国家を観念するに終るのであつて、かくの如きは誤謬に代ふるに誤謬を以てするに止まり、決して真実の打開解決ではない。 東洋思想の特質 我が国に輸入せられた支那思想は、主として儒教と老荘思想とであつた。儒教は実践的な道として優れた内容をもち、頻る価値ある教である。而して孝を以て教の根本としてゐるが、それは支那に於て家族を中心として道が立てられてゐるからである。この孝は実行的な特色をもつてゐるが、我が国の如く忠孝一本の国家的道徳として完成せられてゐない。家族的道徳を以て国家的道徳の基礎とし、忠臣は孝子の門より出づるともいつてゐるが、支那には易姓革命・禅譲放伐が行はれてゐるから、その忠孝は歴史的・具体的な永遠の国家の道徳とはなり得ない。老荘は、人為を捨てて自然に帰り、無為を以て化する境涯を理想とし、結局その道は文化を否定する抽象的のものとなり、具体的な歴史的基礎の上に立たずして個人主義に陥つた。その末流は所謂竹林の七賢の如く、世間を離れて孤独を守らうとする傾向を示し、清談独善の徒となつた。要するに儒教も老荘思想も、歴史的に発展する具体的国家の基礎をもたざる点に於て、個人主義的傾向に陥るものといへる。併しながら、それらが我が国に摂取せられるに及んでは、個人主義的・革命的要素は脱落し、殊に儒教は我が国体に醇化せられて日本儒教の建設となり、我が国民道徳の発達に寄与することが大であつた。 印度に於ける仏教は、行的・直観的な方面もあるが、観想的・非現実的な民族性から創造せられたものであつて、冥想的・非歴史的・超国家的なものである。然るに我が国に摂取せられるに及んでは、国民精神に醇化せられ、現実的・具体的な性格を得て、国本培養に貢献するところが多かつたのである。 新日本文化の創造 これを要するに、西洋の学問や思想の長所が分析的・知的であるに対して、東洋の学問・思想は、直観的・行的なることを特色とする。それは民族と歴史との相違から起る必然的傾向であるが、これを我が国の精神・思想並びに生活と比較する時は、尚そこに大なる根本的の差異を認めざるを得ない。我が国は、従来支那思想・印度思想等を輸入し、よくこれを摂取醇化して皇道の羽翼とし、国体に基づく独自の文化を建設し得たのである。明治維新以来、西洋文化は滔々として流入し、著しく我が国運の隆昌に貢献するところがあつたが、その個人主義的性格は、我が国民生活の各方面に亙つて種々の弊害を醸し、思想の動揺を生ずるに至つた。併しながら、今やこの西洋思想を我が国体に基づいて醇化し、以て宏大なる新日本文化を建設し、これを契機として国家的大発展をなすべき時に際会してゐる。 西洋文化の摂取醇化に当つては、先づ西洋の文物・思想の本質を究明することを必要とする。これなくしては、国体の明徴は現実を離れた抽象的のものとなるであらう。西洋近代文化の顕著なる特色は、実証性を基とする自然科学及びその結果たる物質文化の華かな発達にある。更に精神科学の方面に於ても、その精密性と論理的組織性とが見られ、特色ある文化を形成してゐる。我が国は益々これらの諸学を輸入して、文化の向上、国家の発展を期せねばならぬ。併しながらこれらの学的体系・方法及び技術は、西洋に於ける民族・歴史・風土の特性より来る西洋独自の人生観・世界観によつて裏附けられてゐる。それ故に、我が国にこれを輸入するに際しては、十分この点に留意し、深くその本質を徹見し、透徹した見識の下によくその長所を採用し短所を捨てなければならぬ。 諸般の刷新 明治以来の我が国の傾向を見るに、或は伝統精神を棄てて全く西洋思想に没入したものがあり、或は歴史的な信念を維持しながら、而も西洋の学術理論に関して十分な批判を加へず、そのまゝこれを踏襲して二元的な思想に陥り、而もこれを意識せざるものがある。又著しく西洋思想の影響を受けた知識階級と、一般のものとは相当な思想的懸隔を来してゐる。かくて、かゝる情態から種々の困難な問題が発生した。嘗て流行した共産主義運動、或は最近に於ける天皇機関説の問題の如きが、往々にして一部の学者・知識階級の問題であつた如きは、よくこの間の消息を物語つてゐる。今や共産主義は衰頽し、機関説が打破せられたやうに見えても、それはまだ決して根本的に解決せられてはゐない。各方面に於ける西洋思想の本質の究明とその国体による醇化とが、今一段の進展を見ざる限り、真の成果を挙げる事は困難であらう。 惟ふに西洋の思想・学問について、一般に極端なるもの、例へば共産主義・無政府主義の如きは、何人も容易に我が国体と相容れぬものであることに気づくのであるが、極端ならざるもの、例へば民主主義・自由主義等については、果してそれが我が国体と合致するや否やについては多くの注意を払はない。抑々如何にして近代西洋思想が民主主義・社会主義・共産主義・無政府主義等を生んだかを考察するに、先に述べた如く、そこにはすべての思想の基礎となつてゐる歴史的背景があり、而もその根柢には個人主義的人生観があることを知るのである。西洋近代文化の根本性格は、個人を以て絶対独立自存の存在とし、一切の文化はこの個人の充実に存し、個人が一切価値の創造者・決定者であるとするところにある。従つて個人の主観的思考を重んじ、個人の脳裡に描くところの観念によつてのみ国家を考へ、諸般の制度を企画し、理論を構成せんとする。かくして作られた西洋の国家学説・政治思想は、多くは、国家を以て、個人を生み、個人を超えた主体的な存在とせず、個人の利益保護、幸福増進の手段と考へ、自由・平等・独立の個人を中心とする生活原理の表現となつた。従つて、恣な自由解放のみを求め、奉仕といふ道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義が発生した。而してこの個人主義とこれに伴ふ抽象的思想の発展するところ、必然に具体的・歴史的な国家生活は抽象的論理の蔭に見失はれ、いづれの国家も国民も一様に国家一般乃至人間一般として考へられ、具体的な各国家及びその特性よりも、寧ろ世界一体の国際社会、世界全体に通ずる普遍的理論の如きものが重んぜられ、遂には国際法が国法よりも高次の規範であり、高き価値をもち、国法は寧ろこれに従属するものとするが如き誤つた考すら発生するに至るのである。 個人の自由なる営利活動の結果に対して、国家の繁栄を期待するところに、西洋に於ける近代自由主義経済の濫觴がある。西洋に発達した近代の産業組織が我が国に輸入せられた場合も、国利民福といふ精神が強く人心を支配してゐた間は、個人の溌剌たる自由活動は著しく国富の増進に寄与し得たのであるけれども、その後、個人主義・自由主義思想の普及と共に、漸く経済運営に於て利己主義が公然正当化せられるが如き傾向を馴致するに至つた。この傾向は貧富の懸隔の問題を発生せしめ、遂に階級的対立闘争の思想を生ぜしめる原因となつたが、更に共産主義の侵入するや、経済を以て政治・道徳その他百般の文化の根本と見ると共に、階級闘争を通じてのみ理想的社会を実現し得ると考ふるが如き妄想を生ぜしめた。利己主義や階級闘争が我が国体に反することは説くまでもない。皇運扶翼の精神の下に、国民各々が進んで生業に競ひ励み、各人の活動が統一せられ、秩序づけられるところに於てこそ、国利と民福とは一如となつて、健全なる国民経済が進展し得るのである。 教育についても亦同様である。明治維新以後、我が国は進歩した欧米諸国の教育を参酌して、教育制度・教授内容等の整備に努め、又自然科学はもとより精神諸科学の方面に於ても大いに西洋の学術を輸入し、以て我が国学問の進歩と国民教育の普及とを図つて来た。五箇条の御誓文を奉体して旧来の陋習を破り、智識を世界に求めた進取の精神は、この方面にも亦長足の進歩を促し、その成果は極めて大なるものがあつた。併しそれと同時に個人主義思想の浸潤によつて、学問も教育も動もすれば普遍的真理といふが如き、抽象的なもののみを目標として、理智のみの世界、歴史と具体的生活とを離れた世界に趨らんとし、智育も徳育も知らず識らず抽象化せられた人間の自由、個人の完成を目的とする傾向を生ずるに至つた。それと同時に又それらの学問・教育が、分化し専門化して漸く綜合統一を欠き、具体性を失ふに至つた。この傾向を是正するには、我が国教育の淵源たる国体の真義を明らかにし、個人主義思想と抽象的思考との清算に努力するの外はない。 かくの如く、教育・学問・政治・経済等の諸分野に亙つて浸潤してゐる西洋近代思想の帰するところは、結局個人主義である。而して個人主義文化が個人の価値を自覚せしめ、個人能力の発揚を促したことは、その功績といはねばならぬ。併しながら西洋の現実が示す如く、個人主義は、畢竟個人と個人、乃至は階級間の対立を惹起せしめ、国家生活・社会生活の中に幾多の問題と動揺とを醸成せしめる。今や西洋に於ても、個人主義を是正するため幾多の運動が現れてゐる。所謂市民的個人主義に対する階級的個人主義たる社会主義・共産主義もこれであり、又国家主養・民族主義たる最近の所謂ファッショ・ナチス等の思想・運動もこれである。 併し我が国に於て真に個人主義の齎した欠陥を是正し、その行詰りを打開するには、西洋の社会主義乃至抽象的全体主義等をそのまゝ輸入して、その思想・企画等を模倣せんとしたり、或は機械的に西洋文化を排除することを以てしては全く不可能である。 我等の使命 今や我が国民の使命は、国体を基として西洋文化を摂取醇化し、以て新しき日本文化を創造し、進んで世界文化の進展に貢献するにある。我が国は夙に支那・印度の文化を輸入し、而もよく独自な創造と発展とをなし遂げた。これ正に我が国体の深遠宏大の致すところであつて、これを承け継ぐ国民の歴史的使命はまことに重大である。現下国体明徴の声は極めて高いのであるが、それは必ず西洋の思想・文化の醇化を契機としてなさるべきであつて、これなくしては国体の明徴は現実と遊離する抽象的のものとなり易い。即ち西洋思想の摂取醇化と国体の明徴とは相離るべからざる関係にある。 世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。 ■4.『臣民の道』(昭和16年(1941年)8月、文部省教学局刊) ◆1.『臣民の道』全文URL http //binder.gozaru.jp/shinmin0.htm 『臣民の道(文部省教学局)』は、戦後まもなく発禁処分となったオリジナル版の他に、2000年に左翼系の出版社から復刻版が刊行されている。復刻版の方は「国体、八紘一宇、報恩感謝。これが戦前の皇国史観教育です。是か、非か―ご自身の目と心で、ご判断下さい。」という内容解説が付されている。どちらもamazon出品の中古品で4,000~5,000円台と高額である。現在は『臣民の道』もネットで全文を読むことができる。 ◆2.『臣民の道』の内容 第二次近衛政権の策定した基本国策要綱(1940.8)に基づき進められた東亜新秩序構想、さらに、 日独伊三国同盟(1940.9)結成・日本の枢軸国参加による日米開戦の接近を意識した総力戦体制の要請 に応える国民教化策の一環として文部省外局として設置の教学局が編纂した『臣民の道』は、『国体の本義』とは正反対に、 (1) 個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義といった西洋思想のほぼ全面的な否定・拒絶 (2) 一方で、ナチズム/ファシズムへの共感表明 (3) アジア的普遍主義(汎アジア主義)の強調 (4) 英米を始めとする欧米支配の旧秩序の破壊と、日本など枢軸国の主導する新秩序の樹立 が強く謳われ、その実現のために (5) 天皇への絶対随順(「臣民の道」の実践) が要求される構成となっている。 ※サイズが合わない場合はこちらをクリック。 ◆3.『臣民の道』原文 ◇1.目次 序言 第一章 世界新秩序の建設 一、世界史の轉換 二、新秩序の建設 三、國防國家體制の確立 第二章 國體と臣民の道 一、國體 二、臣民の道 三、祖先の遺風 第三章 臣民の道の實踐 一、皇國臣民としての修練 二、國民生活 結語 ◇2.序言 ↓本文はここをクリックして表示 +... 皇國臣民の道は、國體に淵源し、天壤無窮の皇運を扶翼し奉るにある。それは抽象的規範にあらずして、歴史的なる日常實踐の道であり、國民のあらゆる生活・活動は、すべてこれ偏に皇基を振起し奉ることに歸するのである。 顧みれば明治維新以來、我が國は廣く知識を世界に求め、よく國運進展の根基に培つて來たのであるが、歐米文化の流入に伴なひ、個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義等の影響を受け、ややもすれば我が古來の國風に悖り、父祖傳來の美風を損なふの弊を免れ得なかつた。滿洲事變發生し、更に支那事變起こるに及んで、國民??は次第に昂揚して來つたが、なお未だ國民生活の全般に亙つて、國體の本義、皇國臣民としての自覺が徹底してゐるとはいひ難きものがある。ともすれば、國體の尊厳を知りながらそれが單なる觀念に止まり、生活の實際に具現せられざるものあるは深く憂ふべきである。かくては、我が國民生活の各般に於いて根強く浸潤せる歐米思想の弊を芟除し、眞に皇運扶翼の擧國體制を確立して、曠古の大業の完遂を期することは困難である。ここに於いて、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする皇國臣民の道を昂揚實踐することこそ、當面の急務であるといはねばならぬ。 ◇3.第一章 世界新秩序の建設 ▲1.世界史の転換 ↓本文はここをクリックして表示 +... 近世初期以來數百年に亙つて、世界人類を個人主義・自由主義・唯物主義等の支配下に置いた舊秩序は、いまや崩壞の一途を辿り、未曾有の世界的變動の中に、新秩序の建設は刻々に進行してゐる。この世界新秩序の意義を明確にするためには、先ず世界近世史に就いてその大要を瞥見しなければならぬ。 近世史は一言にしていへば、歐洲に於ける統一國家の形成と、これらの間に於ける植民地獲得のための爭覇戰との展開である。即ち近世初期にアメリカ大陸が發見せられ、それに引き續いて歐洲諸國民は支那・インド等の遥かなる東亞の地へも、大洋の波を凌いで盛んに來航することとなつた。而してその全世界への進出は、やがて政治的・經濟的・文化的に世界を支配する端緒となり、彼らは世界をさながら自己のものの如く見なし、傍若無人の行動を當然のことのやうに考へるに至つた。 この侵略を歐洲以外の諸國はただ深い眠りの中に迎へた。南北アメリカもアフリカも、オーストラリヤも印度も、武力を背景とする強壓と、宗?を手段とする巧妙なる政策とによつて、瞬く間に彼らの手中に歸した。阿片戰爭によつてその弱體を暴露した支那もまた、忽ちにして彼らの蠶食の地と化するに及んだ。我が國は、室町時代末より安土桃山時代にかけて、先ずポルトガル・イスパニア等の來航に接し、後に鎖國政策によつて一時の静安を得たけれども、幕末に至りイギリス・フランス・アメリカ・ロシヤ等の來航漸く繁きに會し、?洲の地もまた安からざるものがあつた。 元來歐洲諸國民の世界進出は冒險的興味の伴つたものであつたとはいへ、主として飽くなき物質的欲望に導かれたものである。彼らは先住民を殺戮し、或ひはこれを奴隷とし、その地を奪つて植民地となし、天與の資源は擧げて本國に持ち返り、或ひは交易によつて巨利を博した。されば彼らの侵略は世界の至る所に於いて天人共に許さざる暴擧を敢へてし、悲慘事を繰り返したのである。アメリカ-インディアンはいかなる取り扱ひを受けたか。アフリカの黒人は如何。彼らは白人の奴隷として狩り集められ、アメリカ大陸に於いて牛馬同様の勞役に從事せしめられたのである。このことは大東亞共榮圏内に於ける諸地方の被征服過程と現状とに就いて見ても、思い半ばに過ぎざるものがあらう。而して西暦十八世紀末より十九世紀にかけての歐洲に於ける産業革命は、彼等の世界支配の勢いを劃期的に飛躍せしめたことはいふまでもない。機械の發明による工業の發達は、夥しい原料を要求すると共に、その莫大な製品を売り捌く海外市場を必要とした。彼らは愈々盛んに原料の獲得と製品のはけ口とを植民地に求めた。やがて勢いの趨くところ、彼ら同志の間に熾烈なる植民地爭奪や貿易競爭が起こり、かくして弱肉強食の戰いを繰り返したのである。近世に於けるイスパニヤ・ポルトガル・オランダ・イギリス・フランス等の間の戰爭や勢力消長史は、海外侵略と密接な關係のないものはない。かかる弱肉強食的世界情勢の形成は、やがてその矛盾を擴大し、ついに西暦1914年の世界大戰の勃興を見ることとなつた。 世界大戰は、獨佛間の歴史的仇敵關係も與つてはいるが、主として英獨の制海權の爭奪、經濟制覇の鬪爭がその原因となつてゐる。而して戰爭の結果戰敗國ドイツは徹底的重壓を加へられて滅亡の淵に逐はれ、英佛米の獨占的世界支配が愈々強化せられた。民族自決の美名の下に弱小國家が戰後の歐洲地圖を彩つたけれども、それ等は要するに英佛米の世界制覇の堡壘たる役割りを擔ふものであつた。所謂正義人道はただ彼等の利己的立場を正當化する手段に過ぎなかつたのである。 近世初期以來西洋文明の基調をなした思想は、個人主義・自由主義・唯物主義等である。この思想は弱肉強食の正當視、享樂的欲望の際限なき助長、高度物質生活の追及となり、植民地獲得及び貿易競爭を愈々刺戟し、これが因となり果となつて世界を修羅道に陥れ、世界大戰といふ自壞作用となつて現れたのである。されば大戰後彼等の間からも西洋文明沒落の叫びが起こつたのは、當然のことといはねばならぬ。英佛米等があらゆる手段方法を講じて現状維持に狂奔し、また共産主義の如き徹底的なる唯物主義に立脚して階級鬪爭による社會革命を企圖する運動が熾烈となつた一方では、ナチス主義・ファッショ主義の勃興を見るに至つた。この獨伊に於ける新しい民族主義・全體主義の原理は、個人主義・自由主義等の幣を打開し匡救せんとしたものである。而して共に東洋文化・東洋??に對して多大の關心を示してゐることは、西洋文明の將來、ひいては新文化創造の動向を示唆するものとして注目すべきことである。 かくて世界史の轉換は舊秩序世界の崩壞を必然の歸趨たらしむるに至つた。ここに我が國は道義による世界新秩序の建設の端を開いたのである。 ▲2.新秩序の建設 ↓本文はここをクリックして表示 +... 滿洲事變は、久しく抑壓せられていた我が國家的生命の激發である。この事變を契機として、我が國は列強監視の中に、道義的世界の創造。新秩序建設の第一歩を踏み出した。蓋しこれ悠遠にして崇高なる我が肇國の??の顯現であり、世界史的使命に基づく國家的生命の已むに已まれぬ發動であつた。 我が國の地位は明治三十七八年戰役によつて一躍世界的となつた。この戰役は、ロシヤの東亞進攻態勢によつて獨立を脅威せられた我が國が、擧國一致、眞に國運を賭して立つた自衛のための戰いであつたが、その世界史的意義は極めて重大であつた。即ち歐洲の大強國帝政ロシヤが東洋支配の最後の一線に於いて、渺たる東海の一島國とのみ見られていた日本のために、圖らずも手強い反撃に遭い、歐米勢力の世界支配の體制はここに一轉するの兆しを示すに至つた。而して我が國の勝利は、全世界の耳目を慫動し、ひいては歐米の勢力下に慴伏を餘儀なくせられていた亞細亞諸國の覺醒を促し、獨立運動の氣運を喚起することとなつた。かくて印度をはじめ、トルコ・アラビヤ・泰・安南その他の諸國は歐米の羈絆を脱せんとの希望に燃え、支那の新しい民族運動にも強い刺戟となつた。かかる澎湃たる亞細亞の覺醒の氣運の中に我が國民は東亞の安定を確保することが日本の使命であり、東亞諸地方を解放することは、懸かつて日本の努力にあることを痛切に自覺したのである。 我が國は明治維新以來、開國進取の國是の下に鋭意西洋文物の摂取に努めその間多少の波瀾があつたとはいへ、よくこれ等の長を採つて國運進展の根基に培い、營々として國力充實に邁進して來たのである。殊に明治二十七八年竝びに三十七八年戰役に於いて國威を海外に宣揚し、更に世界大戰を經て世界の強大國に躍進した。諸般の文物制度は顯著なる發達を遂げ、?育の普及、學術の進歩、産業の發達、國防の充實等、あらゆる方面に於いてその面目を一新し、ここに我が國は名實共に東亞の安定勢力たるの地位を確立するに至つた。 かかる我が國運の隆々たる發展伸張は、東亞の天地を併呑せんとする歐米諸國をして深く嫉視せしめ、その對策として彼等は、我が國に對して或ひは經濟的壓迫を加へ、或ひは思想的攪亂を企て、或ひは外交的孤立を策し、以つて我が國力の伸張を挫かんとした。このことは同時に東亞をしてその自主性を喪失せしめ、永遠に彼等の傀儡たらしめんとするものに外ならない。 世界大戰の歸結たる所謂ベルサイユ體制は、戰敗國ドイツに徹底的重壓を加へると共に、英佛米による世界支配を強化せんとするものであつたといふことが出來る。而してベルサイユ條約成立後、國際聯盟を中心とする彼等の對日攻勢は愈々執拗となり、大正十年より翌十一年に亙るワシントン會議に於いては、國運の進展に必須の推進力たる軍備の削減を意圖して、主力艦の噸數に於ける比率を定めることによつて、我が海軍力に對する彼等の優位を確保せんとした。それのみならず、四國條約によつて太平洋上の島嶼の安全保障に名を藉りて我が國防を脅かし、また九國條約によつて支那に對する彼等の權?を擁護し、かつ我が大陸への發展を妨げんと企てた。彼らはこれに飽くことなく、更に昭和五年のロンドン會議に於いては補助艦艇の比率をも制限し、我が海軍力を英米に對して絶對的劣位に釘付けせんとした。これ我が國が東亞勃興の推進力としての地位に躍進するを阻まんとせるものに外ならない。またこれに前後してアメリカは、我が海外移民の入國を制限または禁止する等の處置に出でた。かく諸方面に於いて、我が國の發展を阻止せんとする策謀が續けられたのである。 かかる太平洋を周る諸情勢の逼迫につれて、東亞に於ける我が國の立場も急迫せる事態に直面することとなつた。即ち支那は歐米諸國の對日壓迫の勢いを利用してその經濟的支援を得、またソ聯との接近を圖り、かつ我が國力を過小に評価して日本與し易しとなし、同胞の血と肉とによつて確立せられた滿洲に於ける地位を蹂躙して、我が生命線を脅かすに至つた。かくて昭和六年九月、滿洲事變の勃發をみたのである。 世界史は滿洲事變を以つて新しき頁を書き始められた。世界の視聴は東洋の一角に集まり、英米勢力を中心とする國際聯盟はあらゆる手段を弄して妨害に乘り出した。併しながら我が國の堅き決意は、滿蒙三千萬民衆の運命を擔つて事變の完遂に邁進し、昭和七年には滿洲國の輝かしい誕生となつたのである。而して滿洲國は王道樂土・民族協和を理想として逐年迅速かつ健全に生長を續け、日滿一體の實愈々鞏固なるものがある。 多民族の搾取と犧牲とによつてその繁榮を續けんとする歐米諸國は、滿洲建國によつて大な脅威を感じ、國際聯盟を利用して飽くまで我が國に不當の制裁を加へんと狂奔した。所謂リットン報告書は専らそのための準備であり、聯盟は道義的世界を顯現せんとする我が意圖を蹂躙せんとした。ここに於いて我が國は遂に意を決し、昭和八年三月、國際聯盟を脱退するに至つたのである。國際聯盟脱退に關する詔書には、 今次滿洲國ノ新興ニ當リ帝國ハ其ノ獨立ヲ尊重シ健全ナル發達ヲ促スヲ以テ東亞ノ禍根ヲ除キ世界ノ平和ヲ保ツノ基ナリト為ス然ルニ不幸ニシテ聯盟ノ所見之ト背馳スルモノアリ朕乃チ政府ヲシテ慎重審議遂ニ聯盟ヲ離脱スルノ措置ヲ採ラシムルニ至レリ と仰せられてある。國際聯盟は畢竟名を世界の公論に藉りて、英佛等の世界大戰によつて獲得せる利權を護り、その現状を維持せんとする機關に堕し了はつたのである。我が國はかかる桎梏を敢然として摧破した。而も我が國の決意と武威とは、彼等をして何らの制裁にも出づること能はざらしめた。我が國が脱退するや、聯盟の正體は世界に暴露せられ、ドイツも同年秋に我が跡を追うて脱退し、後れてイタリヤもまたエチオピヤ問題に機を捉らへて脱退の通告を發し、國際聯盟は全く虚名のものとなつた。かくして我が國は昭和六年の秋以來、世界維新の陣頭に巨歩を進め來つてゐる。 我が國は滿洲國と協力して日滿一體の實を擧げてゐるが、東亞全般の新秩序を建設するには、支那との心からなる提携協力を必要とする。蓋し日滿支が一體となつてこの理想の實現に邁往してこそ、東洋の平和は確立せられ、ひいては世界の平和にも寄與し得るのである。北清事變以來擡頭し來つた支那の民族運動は、明治三十七八年戰役以來の我が國の目覺しき躍進に刺戟せられて急激に高まつたが、それは歐米の搾取と暴壓との桎梏を打破し、半植民地的地位を脱出して、大東亞共榮圏の一翼としての新しき支那の建設に向かふべきであつた。然るにその運動は、日支提携による東亞の自主的確立を欲せざる歐米諸國竝びにコミンテルンの畫策に乘ぜられ、却つてこれ等勢力に依存することとなり了はつた。かくして不幸にも根本方針を誤つた一部指導者は、抗日救國の名の下に一般民衆に對して多年に亙り執拗に抗日?育を施し、ここに排日侮日の風潮は全支に瀰漫し、滿洲事變を經て日支の國交は愈々危機に瀕するに至つた。 昭和十二年七月、蘆溝橋に發した日支衝突事件に際しては、我が國は東亞の安寧のため、現地解決、不擴大方針を以つて臨み、隠忍自重して彼の反省を待つたのである。然るに支那は飽くまで我が實力を過小に評価し、背後の勢力を恃みとして、遂に全面的衝突にまで導いた。かくて硝煙は大陸の野を蔽い、亞細亞にとつて悲しむべき事態が展開せられるに至つたのであるが、事ここに及んでは我が國は事變の徹底的解決を期し、新東亞建設の上に課せられた嚴肅なる皇國の使命の達成に一路邁進しなければならぬ。天皇陛下には、ここに深く御軫念あらせられ、支那事變一周年に當たり下賜せられたる勅語に、 惟フニ今ニシテ積年ノ禍根ヲ斷ツニ非ズムバ東亞ノ安定永久ニ得テ望ムベカラザル日支ノ提攜ヲ堅クシ以テ共榮ノ實ヲ擧グルハ是レ洵ニ世界平和ノ確立ニ寄與スル所以ナリ と昭示し給ひ、國民の向かふべきところを諭し給ふた。まことに支那事變の目的は支那の蒙を啓き、日支の提携を堅くし、共存共榮の實を擧げ、以つて東亞の新秩序を建設し、世界平和の確立に寄與せんとするにある。 事變始まつて既に五星霜、御稜威の下この大なる使命を負うて、忠勇なる皇軍將兵は、嚴寒を冒し、酷熱を凌ぎ、陸に海に空に奮戰力鬪して赫々たる武勲を輝かし、また銃後の國民は擧國一體よく奉公のまことを致してゐるのである。而して支那には既に新政權確立し、新しき支那の建設は漸くその緒に就いた。即ち昭和十五年十一月、南京の國民政府との間に日華基本條約竝びに附屬議定書の正式調印を見た。これによれば兩國政府は、「兩國相互ニ其ノ本然ノ特質ヲ尊重シ東亞ニ於テ道義ニ基ク新秩序ヲ建設スルノ共同ノ理想ノ下ニ善隣トシテ緊密ニ相提携シ以テ東亞ニ於ケル恆久的平和ヲ確立シ之ヲ核心トシテ世界全般ノ平和ニ貢獻センコトヲ希望」するものであり、これがために兩國は政治・外交・?育・宣傳・交易等諸般に亙り相互に兩國間の好誼を破壞するが如き措置及び原因を撤廢し、かつ將來もこれを禁絶すると共に、政治・經濟・文化等各般於いて互助敦睦の手段を講ずべき旨を協定したのである。同時にまた日滿華三國共同宣言が發表せられ、相互の主權及び領土の尊重、互惠を基調とする三國間の一般提携、特に善隣友好・共同防共・經濟提携の實を擧げること、及びそのために必要なる一切の手段を講ずること等が宣言せられた。 これより前、昭和十五年九月、日獨伊三國の間に條約が締結せられるに當り、天皇陛下には詔書を渙發あらせられ、 大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ實ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ而シテ今ヤ世局ハ其ノ騒亂底止スル所ヲ知ラズ人類ノ蒙ルベキ禍患亦將ニ測ルベカラザルモノアラントス朕ハ禍亂の戡定平和ノ克復ノ一日モ速カナランコトニ軫念極メテ切ナリ乃チ政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩國トノ提攜協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見タルハ朕ノ深く懌ブ所ナリ惟フニ萬邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンゼシムルハ曠古ノ大業ニシテ前途甚ダ遼遠ナリ爾臣民?々國體ノ觀念ヲ明徴ニシ深ク謀リ遠ク慮リ協心戮力非常ノ時局ヲ克服シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼セヨ と宣はせられた。日本の世界史的使命は實にこの聖旨に拜して昭らかである。而してこの條約の根本??は、その前文の冒頭に見る如く、萬邦をして各々その所を得しむるを以つて恆久平和の先決條件とするところにある。ここに我が國の東亞に於ける指導的地位は愈々不拔のものとなり、八紘を掩いて宇となす我が肇國の??こそ、世界新秩序建設の基本理念たるべきことが愈々明確になつたのである。 支那事變は、これを世界史的に見れば、我が國による道義的世界建設の途上に於ける一段階である。世界永遠の平和を確保すべき新秩序の建設は、支那事變の處理を一階梯として達成せられる。從つて、支那事變は、蒋介石政權の打倒を以つて終はるべきものではない。我が國としては、支那を誤らしめた東亞に於ける歐米勢力の禍根を芟除し、大東亞共榮圏の一環としての新しき支那の建設に協力し、東亞竝びに世界が道義的に一つに結ばれるまでは、堅忍不拔の努力を必要とする。日獨伊三國條約の締結も、世界平和の克服を目的とするものに外ならない。この意味に於いて、我が國は二重三重の責務を世界に對して負うてゐるのである。即ち政治的には歐米の東洋侵略によつて植民地化せられた大東亞共榮圏内の諸地方を助けて、彼等の支配より脱却せしめ、經濟的には歐米の搾取を根絶して、共存共榮の圓滑なる自給自足經濟體制を確立し、文化的には歐米文化への追隨を改めて東洋文化を興隆し、正しき世界文化の創造に貢獻しなければならぬ。東洋は既に數百年に亙つて破壞せられて來た。その復興が既に容易の業ではない。更に新秩序を確立し新文化を創造するには、非常の困難が伴ふことは必然である。この困難を克服してこそ、眞に萬邦協和し、萬民各々その所を得るに至るべき道義的世界の確立に寄與し得る。まことに國史を一貫して具現せられ來つた肇國の??は、さきに滿洲事變、更にまた支那事變を契機として世界史轉換の上に大なる展開を示すに至つたのである。 ▲3.国防国家体制の確立 ↓本文はここをクリックして表示 +... 世界新秩序の建設は、漸くその第一歩を踏み出したのみである。現状維持の自由主義的民主主義國家の一群は、これに對して相結んで必死の妨害を試みてをり、またその諸植民地は、彼等の術策により未だ歐米依存の迷夢から醒めきれぬ。まことに大業の前途はなお遼遠であつて、その行路は決して坦々たるものではない。あまねく世界人類をその堵に安んぜしめんとする我が國の責務は、尋常一様の覺悟を以つてしては到底果たすことが出來ぬ。この難局を突破するためには、國内の諸組織や機構も速やかに更新強化せられねばならない。これ國内新體制の確立が要望せられる所以である。 我が國は、近くは明治維新に際し擧國一致の體制を整へて外敵の侵攻を斥け、爾來國力を充實して富國強兵の實を擧げ、明治二十七八年竝びに三十七八年戰役の國難をも克服することが出來た。併しながら明治以來歐米文物の輸入に急なる餘り、ややもすれば本を忘れて末に趨り、我が古來の國風に悖るが如き餘弊を胎すに至つた。かくて明治三十七八年戰役は一般民心の弛緩を來たし、殊に世界大戰は未曾有の好景氣を齎して軽佻奢侈の風が瀰漫し、個人主義・自由主義・功利主義等の病弊が顯著となり、この間隙に乘じて赤化思想の流入もあり、時に我が國體の本義、肇國の??を没却するものも出づるに至つた。綱紀の弛緩、思想の動搖、國防の輕視等、各方面に憂ふべき状態を呈したのである。偶々大正十二年九月、關東大地震が起こつたが、この災害も國民の反省と戒愼とを促すには足らなかつた。この時、國民??作興に關する勅語を下賜あらせられた聖慮の程、ただただ恐懼に堪へぬ次第である。日本??に還れとの痛烈なる叫びが國民の間から起こり來つたのは恰もこの頃からである。 やがて滿洲事變が勃發し、一般國民も緊迫せる四圍の情勢に目覺めて來た。更に支那事變の發生を見るに及び、國内體制も時局の推移に伴つて漸次革新せられ來つたのである。併しながら國民各層に深く浸潤せる弊習は俄かに拂拭すべからざるものがあり、事變初期に於いては國民の多くはかくまで大規模の戰ひなるとは考へず、まして世界史的意義に就いては認識を欠くものが少なくなかつた。然れども時局の進展は、我が國の使命の重大なるを明瞭ならしむると共に、國民を擧げて一國の偸安をも許さざる未曾有の難局に直面せるを覺らしむるに至つたのである。今後如何なる事態が發生するにしても、これに對し擧國一體となつて敢然その難に當るべき十分の覺悟と萬全の準備とを整へ、いかなる試煉にも堪へて飽くまで不動の國是の貫徹に邁進しなければならぬ。即ち政治・經濟・分化・?育等國民生活のあらゆる領域に亙り、眞に擧國一致の體制を確立するすることこそ國家の焦眉の急務である。 凡そ國防は國家の存立上必須の要件である。國防なき國家の如きは空想の世界のことに屬する。國防の完全なると否とは實に國家存亡の岐かれるところであり、これを忘れて國家の生成發展は到底望むべくもない。されば新體制確立の具體的目標は、高度國防國家體制の整備にあり、國家總力戰體制の強化にある。 もと國防は武力戰に對する軍備を意味してゐた。少なくとも世界大戰に至るまでは、各國共にこの古い國防觀念に立脚して、軍備の充實を以つて直ちに國防の強化と考へ、戰爭は武力戰に終始したのである。然るに世界大戰が進行するに從つて兵器・弾藥・軍需資材等の甚だしき消耗は國内生産力の擴充を促して、戰線と銃後とが緊密に結合すると共に、外交戰・經濟戰・思想戰・科學戰等が武力戰と一體となり、あらゆる國家活動が直接戰爭に參加することとなつた。かくて戰爭は國家總力戰であり、戰線と銃後との別なく、國民全部が戰爭に從事してゐることを如實に感ぜしめたのである。總力戰體制に立脚するにあらざれば眞の勝利を獲ることは出來ない。たとひ武力戰に勝を制するとも經濟戰・思想戰等に敗北するならば、結局戰敗の苦汁を嘗めなければならぬ。その好例はこれを世界大戰に於けるドイツに見るのである。 戰爭の本質が武力戰から總力戰へと變化し來たるに伴ない、戰時と平時との境も明らかでなくなつた。世界が平和を謳歌してゐる時にも、その背後には各國の間に經濟戰・思想戰等熾烈なる鬪爭が續けられてゐる。平常より國家國民の總力が國家目的に集結統合せられ、最高度の機能を發揮し得るが如くに組織運營せられてゐるのでなければ、弋を執らずして既に敗退してゐるのである。若し國家の諸機構が支離滅裂となり、政治的には黨派が互ひに相剋對立し、經濟的にはその運營が個人の恣意と自由競爭とに放任せられて國家目的から遠ざかり、文化的にも學術・芸能・諸施設等がほとんど國家に貢獻するところなく更に國體に背き國民の志氣を頽廢せしめるが如き思想の横行するままに委ねられてゐるならば、國家とは名のみである。今次のドイツの目覺しき活躍は、決して高度性能の機械化軍備の威力のみよるものではない。平時にあつてそれを支へ、それを動かしてゐる旺盛なる國民??と國民の熱烈なる國防への協力との賜なのである。換言すれば、よく擧國一致して國内諸般の體制を統一的に組織運營し、平時戰時を一貫して總力戰體制を充實し來つたによるものである。 今次歐洲大戰以來列強は競つて總力戰體制を採り、その強化に努めてゐる。英米等の民主主義國家も高度國防國家體制の整備を急いでいる。我が國は大東亞共榮圏の指導者として、また根本的には世界を道義的に再建すべき使命に鑑み、速やかに總力戰體制を完備し、以つて我が國是の遂行に邁進しなければならぬ。紀元二千六百年の紀元の佳節に當たり發せられた詔書には、 爾臣民宜シク思ヲ?武天皇ノ創業ニ聘セ皇國の宏遠ニシテ皇謨ノ雄深ナルヲ念ヒ和衷戮力?々國體ノ?華ヲ發揮シ以テ時難ノ克服ヲ致シ以テ國威ノ昂揚ニ勗メ祖宗ノ?靈ニ對ヘンコトヲ期スベシ と諭し給ふてゐる。而して我が國の總力戰體制強化の目的は、偏に皇運を扶翼し奉るところにあり、それは全國民がその分に応じ各々臣民の道を實踐することによつて達せられる。ソ聯は共産主義による世界制覇を目的とし、階級的獨裁による強權の行使を手段としてゐる。ドイツは血と土との民族主義原理に立つて、アングロ-サクソンの世界支配、ドイツ壓迫の現状を打破し、民族生存權の主張に重點をおき、そのためにナチス黨の獨裁に對する國民の信頼と服從とを徹底せしめ、全體主義を採用してゐるのである。イタリヤは大ローマ帝國の再現を理想とし、方法に於いてはドイツと異なるところなく、ファッショ黨の獨裁的全體主義に立脚してゐる。これ等に對し我が國は肇國以來、萬世一系の天皇の御統治の下に、皇恩は萬民に洽く、眞に一國一家の大和の中に生成發展を遂げて來たのであり、政治・經濟・文化・軍事その他百般の機構は如何に分化しても、すべては天皇に歸一し、御稜威によつて生かされ來つたのである。我が國家の理想は八紘を掩いて宇となす肇國の??の世界的顯現にある。我が國の如く崇高なる世界史的使命を擔つてゐる國はない。されば新體制を樹立し國防國家體制を確立するといふも、一に我が國體の本義に基づき、固有の國家體制を生かして萬民輔翼の我が國本然の姿に還り、以つて我が國力の運用を萬全ならしめ、その總力の發揮に遺憾なきを期することに外ならぬ。もとより制度や組織・方法・技術等は虚心坦懷に他の長を採るとしても、核心は飽くまで本來の面目に反省し、その發揚に努るにある。 ◇4.第二章 国体と臣民の道 ▲1.国体 ※省略 ▲2.臣民の道 ※省略 ▲3.祖先の遺風 ※省略 ◇5.第三章 臣民の道の実践 ▲1.皇国臣民としての修練 ※省略 ▲2.国民生活 ※省略 ◇6.結語 ↓本文はここをクリックして表示 +... 世界の歴史は變轉して止むことなく、諸國家の隆替興亡は常なき有様である。ひとり我が國のみ、肇國以來萬世一系の天皇の御稜威の下、臣民はよく忠によく孝に奉公のまことを致し、ひたすら發展を續け隆昌を重ねて今日に及んだ。而して今や我が國は、世界史上空前の深刻激烈なる動亂の間に處して未曾有の大業を完遂すべき秋に際會してゐる。まこと支那事變こそは、我が肇國の理想を東亞に布き、進んでこれを四海に普くせんとする聖業であり、一億國民の責務は實に尋常一様のものではない。即ちよく皇國の使命を達成し、新秩序を確立するは前途なほ遼遠といふべく、今後更に幾多の障碍に遭遇することあるべきは、もとより覺悟せねばならぬ。 今こそ我等皇國臣民は、よろしく國體の本義に徹し、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする國民道?を振起し、よく世界の情勢を洞察し、不撓不屈、堅忍持久の確固たる決意を持して臣民の道を實踐し、以つて光輝ある皇國日本の赫奕たる大義を世界に光被せしめなければならぬ。 ■5.小まとめ 以上から、昭和10年代に文部省から刊行された2冊の公定「国体」解説書の比較を通して、当時の日本を巡る2つの思想潮流(日本主義とアジア主義)の対応関係、時期による両者の政治的な優劣関係をまとめる方向に進めればよいと考える。 また、『国体の本義』の内容の読解を糸口として、戦前の日本に存在した「日本型保守主義」の中核的内実を見出し得ると考える。 ◆1.『国体の本義』と『臣民の道』の内容の異同(再掲) ※サイズが合わない場合はこちらをクリック ◆2.日本主義とアジア主義 ◇1.現在流通している「日本主義」の説明と、『国体の本義』 【日本主義】 にほん・しゅぎ(ブリタニカ国際大百科事典) 明治から第二次世界大戦敗戦まで における 欧化主義・民主主義・社会主義などに反対 し、 日本古来の伝統や国粋を擁護しようとした思想や運動 をいう。一定の思想体系をなしていたとはいえず、論者により内容が相違する。明治 の支配層が推し進めた 欧化主義への反発 として三宅雪嶺や高山樗牛らによって唱えられ、政治的には 欧米協調主義への反対、国権や対外的強硬策の強調 となって現れた。大正や昭和 になって日本の資本主義の高度化が階級対立を激化させ、 社会主義やマルクス主義が流入 すると、これら諸思想の 対抗イデオロギー として機能し、 天皇を中心とする皇道や国体思想を強調 した。(cf.神国思想) ◎補足説明 「日本主義」という用語は、上記の説明の様に、先ず ① 明治期の国粋主義・ナショナリズム的思想傾向(明治期の日本主義)と、 ② 昭和初期の社会主義・マルクス主義等への対抗思想(昭和期の日本主義) の時期的に異なる二つのケースを区別しなければならない。 更に、昭和初期には、「日本主義」という言葉が、現在の「民主主義」「自由主義」「保守主義」などの言葉のように通俗化してしまって、 ただ単に日本の文化や歴史を誉めそやしたり、他国・他民族に対する優位性を主張したりする傾向 をも、幅広く「日本主義」と呼び習わしていたので、例えば大川周明など明らかなアジア主義者も、日本を賞賛していることから、やはり「日本主義者」に数える場合がある。 しかし、本ページで用いる「日本主義」は、その意味をもっと狭く 「日本を、支那など東アジア諸文明とは別個の、一国一文明の国・民族と考え、その独自性を重視する立場」 と捉えている。 つまり「アジア主義」と対比される意味での、「純正-日本主義」である。 『国体の本義』は、?昭和初期の社会主義・マルクス主義等への対抗思想(昭和期の日本主義)、として文部省によって編纂・刊行された「純正-日本主義」の立場に立つ公定「国体」解説書である。 ◇2.現在流通している「アジア主義」の説明と、『臣民の道』 【大アジア主義】だい・アジア・しゅぎ Pan-Asianism (ブリタニカ国際大百科事典) 欧米列強のアジア侵略に抵抗するため、アジア諸民族は日本を盟主として団結すべきであるという考え方。明治初期以来、種々の視角から展開された。植木枝盛は自由平等の原理に基づきアジア諸民族が全く平等な立場で連帯すべきことを説き、樽井藤吉や大井健太郎は、アジア諸国が欧米列強に対抗するために連合する必要があり、日本はアジア諸国の民主化を援助すべき使命があると説いた。明治20年代になると、大アジア主義は明治政府の大陸侵略政策を隠蔽する役割をもつようになった。1901年に設立された黒龍会の綱領にもみられるように、その後の大アジア主義は天皇主義とともに、多くの右翼団体の主要なスローガンとされ、これに基づいて満蒙獲得を企図する政府・軍部の政策が推進された。日本人の大アジア主義的発想は、第二次世界大戦前・戦中の「大東亜共栄圏」構想を支えた。 【大東亜共栄圏】だい・とうあ・きょうえい・けん(ブリタニカ国際大百科事典) 第二次世界大戦を背景に1940年第二次近衛内閣以降45年敗戦まで唱えられた日本の対アジア政策構想。その建設は「大東亜戦争」の目的とされた。東条英機の表現によれば、大東亜共栄圏建設の根本方針は、「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」しようとすることにあった。しかし実際は、東アジアにおける日本の軍事的・政治的・経済的支配の正当化を試みたものに他ならなかったといえる。第一次近衛内閣当時の「東亜新秩序」は日本・満州・中国を含むものに過ぎなかったが、南進論が強まるにつれて、インド・オセアニアにいたる大東亜共栄圏構想に拡大された。大東亜省の設置と大東亜会議の開催は、このような方針の具体化に他ならない。 ◎補足説明 「アジア主義」・「大アジア主義」という用語も、また意味が広いが、 本ページでは、これを、Pan-Asianism(汎アジア主義)つまり、 アジア全般あるいは東アジア(インド文明圏を含むか否かで更に分かれる)地域を、西洋文明と根本的に対立する地域・文明圏(東洋文明)と一括して捉え、アジア(あるいは東アジア)の諸民族は、日本を盟主として団結し、欧米列強の植民地支配を打倒せよ、と呼びかける政治的・思想的立場 と捉えている。 こうした立場は、幕末期の攘夷運動に既にその萌芽が見られ、明治期の西郷隆盛の征韓論(西郷の持論は、韓国・支那と盟約を結んで欧米列強を排除することにあったが、それが歪曲されて韓国侵略を目的とする「征韓論」と呼ばれ続けている)、その影響を受けた頭山満・内田良平ら在野右翼による辛亥革命への援助、更に昭和期に入って、大川周明の東西文明対抗史観に基づく『大日本二千六百年史』その他の著書の刊行などによって民間に広く流布していたが、英米との協調を重視する政界・経済界の中枢からは警戒されていた。 しかし、1930年代の不況と世界経済のブロック化の進展に押された石原莞爾の満州国建設、さらに近衛政権下で勃発した支那事変の泥沼化によって、日本が東アジアへの軍事的関与から抜け出せなくなり、支那を援助する英米との戦争が避け難くなった状況下で、日本の戦争目的を肯定するイデオロギーとして、遂にこの「汎アジア主義」が日本政府によって援用されるに至った。 『臣民の道』は、そうした日本の戦争目的を肯定し、来るべき英米との総力戦への国民の参加・動員を求めた政治的パンフレットである。 ◇3.保守思想・革新思想との関係 下図に示す様に、日本主義は保守主義思想と、またアジア主義は革新主義思想と各々親和性が高いと思われる。(なお図の説明は、保守主義とは何か を参照) ※サイズが合わない場合はこちらをクリック ■6.参考図書 ◆1.『国体の本義』を理解するための図書 佐藤優氏著『日本国家の真髄』(月刊誌『正論』に2008年10月~2009年9月まで掲載分を単行本化)佐藤優氏に関しては、産経新聞出版の『正論』から、新左翼の『情況』まで幅広く執筆活動を行っており、右派系雑誌では「大東亜戦争」、左派系雑誌では「太平洋戦争」などと左右の読者で巧みに用語や説明を使い分ける器用さが気になるが、大変に博識であり、かつ愛国的な人物であることは間違いないと思う。ただ、私見では、佐藤氏は元々の左翼思想(マルクス主義への強い関心と共鳴)から外務省時代に次第にナショナリズムに目覚めて、所謂「両翼(nationalism + socialism = national socialism すなわち国民社会主義)」的な立場に発展したタイプと思われ、それが大川周明や北一輝に対する佐藤氏の肯定的評価に反映されていると思う。しかし、保守主義とは、「両翼(右翼+左翼の融合形)」では決してないのであり、その点は確りと留意すべきだと考える。(参考)保守主義とは何か予め指摘しておくと、上記のように日本主義かアジア主義か、という観点から見ると、大川周明への強い共鳴に端的に現れるように佐藤優氏は国家改造主義者であり、戦前の革新右翼(アジア主義者)に近く、それゆえに若干奇妙な解釈が入る場合もある(例えば『国体の本義』は「君民共治」を明文でもって否認しているにも関わらず、佐藤氏は日本国憲法の国民主権を擁護する立場からこれを屈折して解釈している)のだが、それにも関わらず『国体の本義』の内容が強い説得力を持っていることが重要である。革新右翼に近い国家改造主義の佐藤優氏すら絶賛する内容であれば、当然に現在の私たち普通の日本人にとっても十分に通じる内容と考える。「国体」を語ろうとする者には必読の図書である。 ◆2.『臣民の道』を理解するための図書 佐藤優氏著『日米開戦の真実』東西文明対抗史観に基づき、日本を盟主とする東洋世界と英米に代表される西洋文明の必然的な衝突、そして日本の持つ東亜解放の使命、を大東亜戦争戦争開戦直後にNHKラジオ放送で冷静かつ論理的に説いて好評を博した大川周明の『米英東亜侵略史』を、大川に共鳴する佐藤優氏が解説。私自身はこの立場にはかなり批判的(大川の様に東西文明の必然的対立を煽ると、今度はそれが欧米側の黄禍論を刺激して「東西文明の対決」が自己実現してしまうため)だが、汎アジア主義の内在的論理を掴む上で非常に参考になった。 ◆3.日本主義・アジア主義を理解するための図書 竹内好 (著)『日本とアジア』先ずアジア主義の総合的理解のためにお勧めの本。著者・竹内好(たけうち・よしみ)氏は戦後の左翼論壇をリードした進歩的文化人の一人であり、その主張の要旨は「太平洋戦争(大東亜戦争)は、?英米との間では通常の帝国主義戦争であり日本が一方的に罪を負う必要はないが、?中国との間では明白に日本の侵略戦争であり、日本は中国に未来永劫に渡って謝罪し続けなければならない」とすることに尽きる。同書は「中国の近代と日本の近代」(1948年)、「近代の超克」(1959年)、「方法としてのアジア」(1961年)など竹内氏の戦後まもなくから1960年代までの主要な著作が集められており、毛沢東の大躍進政策の絶賛・中共と違って徹底的な思想革命・国家改造に進めない日本への苛立ちなど現代の目から見て、ある意味で新鮮?な戦後左翼(中共シンパの戦後のアジア主義者)の論調が愉しめるお得な一冊でもある。明治以降のアジア主義を概括的にまとめた評論や、北一輝や近衛文麿の支那との関わりについての評論も参考になる。 井上義和 (著) 2008.6刊日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜前記のように「日本主義」という用語には種々の意味合いがあるが、昭和初期にマルクス主義を始めとする西洋近代思想の圧倒的な思想的影響に歯止めを掛け、日本本来の国体を明徴すべきとした「純正-日本主義」の立場を最も端的かつ自覚的に示して政治的行動に至った日本主義者の系譜を実証的に追った貴重な一冊。amazon書評も参照。 ■7.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/lidia/pages/18.html
工学言語論で述べたとおり、最小限主義的哲学言語には欠点が複数存在する。 最小限主義的哲学言語の問題点は次のとおりである。 そもそも社会的な需要がない 語彙数と音素数が2でない時点で最小限主義を放棄している 語彙数をどこまで増やさないかというチキンレースでしかない 運用効率と学習効率のバランスをどこで取るかという調整作業に終始している どこが最良のバランスかというのは個人個人によって異なる主観的なものであるため、いずれの最小限主義的哲学言語も万人の満足を得られない いくら語彙数を少なくしたところで、概念の数が減るわけではない。覚えねばならない概念数は自然言語の学習と変わりない 多義語が多く、解釈が人によって異なるリスクが高く、意思疎通がきちんとできないリスクが高い これを踏まえて結論を述べると、制作においても学習においても、最小限主義的哲学言語のレーゾンデートルには合理性がない。 よってリディア語は最小限主義的哲学言語にしない。 語彙数を減らしても概念数が減るわけではないので、最小限主義的哲学言語にする意味がない。
https://w.atwiki.jp/shu-katsu/pages/80.html
元スレ→【最後の】内定辞退スレ 30社目【決断】 2 名前:就職戦線異状名無しさん[] 投稿日:2007/01/25(木) 21 35 02 過去スレ読めない人はにくちゃんねるで「内定辞退」で検索を。 http //makimo.to/2ch/index.html 【内定辞退関係FAQ】 ~内定辞退にいたるまで編~ Q.第一志望がまだ選考中なのに滑り止めから承諾書の提出を求められました →A.とりあえず承諾書を出してしまいましょう。後で辞退すれば大丈夫です。 Q.承諾書を出してしまいましたが辞退できますか? →A.できます。承諾書は出しても出さなくても同じです。 Q.推薦書を出してしまいましたが辞退できますか? →A.できますが、迷惑がかかります。 Q.辞退はいつまでにした方がいいですか? →A.早ければ早いほどいいです。入社予定日まで2週間前を切ると面倒になるので気をつけましょう。 Q.電話したら呼び出されました。行かなければならないですか? →A.行って誠心誠意お詫びした方がいいですが、チキンなら理由をつけて断りましょう。 Q.コミュニケーション能力0なので電話する勇気がありません。 →A.どうしても電話できないなら、手紙を送りましょう。 Q.辞退の手紙は内容証明にしなければいけませんか? →A.挑発的なのであまりお奨めできません。裁判にでもならない限り無意味です 3 名前:就職戦線異状名無しさん[] 投稿日:2007/01/25(木) 21 37 13 ~人事との対決からその後まで編~ Q.人事に法律の話をされて脅されましたが本当に大丈夫ですか? →A.大丈夫です。民法627条に「無期限の雇用契約の解除は2週間前までに申し入れればおk」と書いてあります。 よく分からなかったら就職課や弁護士に相談すると言ってその場は逃げましょう。 Q.辞退の際には行く会社を答えなければなりませんか? →A.断固答えない、業界名で勘弁してもらう、素直に答えるのいずれかにしましょう。嘘はいけません。 Q.辞退すると裏で手を回して他社の内定も取り消しになるというのは本当ですか? →A.ウソです。企業もそんなリスクは冒しません。 Q.内定辞退で訴えられることはありますか? →A.法的には損害賠償責任が生じる場合もありますが、それでも訴えられた例は皆無です。 Q.内定辞退の取り消しはできますか? →A.普通はありえませんが相談してみましょう。入社後の立場が悪くてもブラックよりマシです。 Q.辞退のときにカレーやコーヒーが飛んでくるというのは本当ですか? →A.知りません。 Q.本当にカレーやコーヒーが飛んできましたがどうしたらいいですか? →A.音声や写真などをうpするといいでしょう。就職板の神になれます。 参考サイト「入社辞退の伝え方」 http //allabout.co.jp/career/careerknowhow/closeup/CU20030604A/ 内定辞退関連サイト 【All About 内定辞退・内定後の悩み!】 ttp //allabout.co.jp/career/collegegradcareer/subject/msub_refuse.htm 【内定に関するマナー『内定-辞退の手紙の書き方』】 ttp //www.job-japan.info/ge/manner/m020.html 【リクナビNEXT 内定・入社編】 ttp //rikunabi-next.yahoo.co.jp/03/n_gimon/n_gimon_06.html 【リクナビNEXT 転職Q A】(社会人向けですが参考になります) ttp //rikunabi-next.yahoo.co.jp/qa/04/nyusya_01.html 【入社辞退の伝え方】 ttp //allabout.co.jp/career/careerknowhow/closeup/CU20030604A/index3.htm 4 名前:就職戦線異状名無しさん[sage] 投稿日:2007/01/25(木) 21 38 04 承諾書、誓約書の類を提出してあっても、辞退の可否には影響しない。 承諾書、誓約書の類を提出してなくても、口頭で承諾した時点で内定は成立している。 万が一(億が一)裁判になっても、賠償責任が生じるのは「入社受け入れにかかる実費」のみ。 採寸~発注済みの制服代とか。 選考経費は辞退の有無に関わらず企業が負担すべきものであり、支給された交通費を返還する必要はない。 契約社員など有期の雇用契約は2週間ルールの適用外。 法律で認められた「辞退(→契約解除)」と違い、「ブッチ(→契約違反)」は非常に重い責任が生じるので、 自分の辞退がきちんと受け入れられていない可能性がある場合はしっかり確認すること。 All Aboutは人事寄りで学生の実情が軽視されているだけでなく、法的な面も怪しい部分が多いので要注意。 2週間前を切っても辞退の申し入れはできるが、その場合は4月1日に入社した直後に退社(or解雇)したことに されても文句は言えない。 (期間の定めのない雇用の解約の申入れ) 民法第627条1項 当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、 いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、 解約の申入れの日から2週間を経過することによって終了する。 内定は判例で雇用契約とされている。 民法627条により、雇用契約は解約通知をしてから2週間で解約になる。 だから、2週間前までに解約通知をすれば働き出す前に解約できる。 前日に解約通知をしてもその効力が発生するのは2週間後なので、その間は雇用契約が生きている。 だから会社は自己都合で解雇することになる。 5 名前:就職戦線異状名無しさん[] 投稿日:2007/01/25(木) 21 38 47 辞退のポイント 内定辞退(=労働契約の解除)はルール(2週間前に通知)さえ守れば法的には問題ない。 入社そのものをやめるなら契約上の始期にあたる4/1の2週間前までに通知すればよい。 ただ、承諾書や面接で「御社で働きたい」と言っている以上、結果的に嘘をついたことは間違いない。 よって道義的責任として(=人として)自分の非は認めるべきだし、極力迷惑をかけないようにする必要もある。 できるだけ早く →受け入れ準備が進まないうちに/補充しやすいうちに 理由を明確に →人事担当者が上司に説明しやすい/翌年度以降の参考になる (自分の都合を主張し過ぎず)ひたすら謝る →結果的に騙したことになった以上、非は自分にある のが辞退のポイント。 断るときの理由例 御社より規模の大きいところに内定を貰った。 両親が病気をして実家から通えるところしか無理になったので。 やりたいことが他に見つかったので他社に行きます。 もっと就職活動を続けたい、キープしてると御社に迷惑だから今の時点でお断りします。 内定者懇談会・OB訪問等を通じて、ちょっと想像と違うな、と思ったので。 他社と迷っていたが、誓約書を出してからでは断りづらいので、今の時点でお断りしておきます(誓約書未提出限定)。 6 名前:就職戦線異状名無しさん[sage] 投稿日:2007/01/25(木) 21 39 34 電話での辞退例 1 プルプルルプルルル ガチャ 人事「はい、****会社の採用担当の**です」 ( ´ω`)「 ****大学の*****だお」 人事「あ、はい。おはようございます」 ( ´ω`)「おはようだお」 ( ´ω`)「大変申し訳ないのですが、内定を辞退したいお」 人事「・・・・そうですか。 a)優しい会社の場合 人事「分かりました。頑張ってください」 ( ´ω`)「お手数おかけしてごめんなさいだお・・・ (心が痛むお・・・)」ガチャ b)普通の会社の場合 人事「そうですか。差し支えなければ、内定先の業界名とか企業名とか 教えていただけますか」 ( ´ω`)「2ちゃん商事だお・・・」 人事「分かりました。連絡ありがとうございました」 ( ´ω`)「はい、すみませんだお・・・」ガチャ 7 名前:就職戦線異状名無しさん[sage] 投稿日:2007/01/25(木) 21 40 17 電話での辞退例 続き c)承諾書出しててしかもちょっと怖い場合 人事「そうですか。しかし先日書面で内定のご意思をいただいているので、 こちらとしても困るんですよねー・・・」 ( ´ω`)「ごめんだお」 人事「内定先の企業はどこですか?」 ( ´ω`)「○○業界だお・・・」 人事「企業名は?」 ( ´ω`)「(うう・・・)2ちゃん商事だお」 人事「そうですか。書面で内定を了承いただいていますので、 辞退ということでしたら当社に来ていただきたいのですが」 ( ´ω`)「(怖いお!!)ごめんだお、時間がないお」 人事「そうですか・・・それでは今後の対応含め、折り返しお電話差し上げます」 ( ´ω`)「(怖すぎだお・・・)わかったお、ごめんだお」ガチャ 8 名前:就職戦線異状名無しさん[sage] 投稿日:2007/01/25(木) 21 41 03 メールの辞退例 ○○大学 ×× ××です。 この度は私に内定を頂き、誠に有り難うございます。 予想を大幅に上回る内定数に家族一同大変光栄に思っております。 一方で、非常に残念ではございますが、就職予定数を上回り、 抽選させせて頂くことになりました。 内定企業につきまして抽選させて頂きました結果、 貴意に添いかねる結果となりました。 折角の内定にお応えできませんが、ご了承下さいますようお願い申し上げます。 末筆ながら、△△ 株式会社さまのますますのご発展と、 事業のご成功を心よりお祈り申し上げます。
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/572.html
マスコミによる世論誘導の偏向報道が発覚した事件の正体 吉永みち子 「我々も支持率を下げないで辛抱して支えている」 | これは椿事件の再来である。 テレビ朝日の放送法違反の証拠映像です(テレ朝が動画を削除しまくって隠蔽中)。 テレビ局は民主党の応援団として、国民を洗脳する放送を続けていたことが判明。 当サイトの指摘が事実であった動かぬ証拠です。 27日、テレビ朝日の番組内で「鳩山首相が本会議中に扇子にサインしていた」というニュースが報じられた。 その中で、コメンテーターの作家・吉永みち子氏が以下のように発言した。 「今までも、国会はいろんな角度から撮られているこがわかってる。こういうことをしたら映るかも しれないという、そういう予測がつかないもんかなと。手先のことしか考えなくなっちゃうのかと思うと やはりね。ささいなことなんだけども、こういう姿勢がね、この大変なときにね、 一生懸命、我々も支持率を下げないでね、辛抱して支えてるのに、何なんだよと。 そういうことになってしまうんで。ささいなことのようだけど、重なるとボディーブローのように聞いてくる」 <目次> ■放送法 第三条の二 "偏向報道の禁止" ■椿事件 解説動画 ■椿事件とは、テレビ朝日による放送法違反事件である ■ここまで来たか、麻生太郎前総理を潰す工作 ■安倍晋三元首相も、偏向報道の被害者 ■愛国議員が指摘する偏向報道 ■民主党とマスコミの癒着(1)マスコミに「民主党が有利になる偏向報道をしろ」と依頼 (2)民主党が大手マスコミを軽井沢ゴルフと鳩山邸で接待 (3)自民党は叩くけど、民主党は守る ■フライデー襲撃事件を忘れたマスコミ ■マスコミの世論誘導で、日本はどうなったか? ■ブログランキング応援クリック ■ 放送法 第三条の二 "偏向報道の禁止" 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、 次の各号の定めるところによらなければならない。 一 公安及び善良な風俗を害しないこと。 二 政治的に公平であること。 三 報道は事実をまげないですること。 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。 ■椿事件 解説動画 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5602822 いまだからこそ『椿事件』を掘り起こしてみる (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) ■椿事件とは、テレビ朝日による放送法違反事件である | 椿事件 - wikipedia 1993年9月21日、民間放送連盟の「放送番組調査会」の会合の中で、 テレビ朝日報道局長の椿貞良が、総選挙時の局の報道姿勢に関して 「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。 今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、 なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」 との方針で局内をまとめたという趣旨の発言を行う。 日本の放送史上で初めて、放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討された事件である。 <ソース> 平成5年10月25日 第128回国会 政治改革に関する調査特別委員会 第8号 (国立国会図書館 公式サイト) | 椿事件と全く同じことが、今現在まさに起こっている。 詳しくは次項以降に記述されている。 ■ここまで来たか、麻生太郎前総理を潰す工作 【動画】 政権交代詐欺の共犯者を暴いてみた | 「自分は人気がない首相だったが、何をやってもまともに報道されずイライラすることも多かった。 在任中の印象ではなく、どう日本の国益に貢献する仕事をしたかが大事だと思っている」森元首相の弁です。 インターネットで政治を調べていけば、麻生さんだけでなく、森さん、小泉さん、安倍さんといった歴代首相の印象もガラリと変わります。 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5558690 『椿事件』現麻生内閣に当てはめてみる (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) | 反日マスコミ・民主党・公明党・自民党内の反日勢力によって、麻生内閣を潰す偏向・捏造工作が激化。 反日勢力にとって愛国・保守議員の代表格である麻生太郎は目障りで仕方がない存在。 反日マスコミは麻生太郎の実績を隠し、偏向報道で印象を悪くしている。 再び日本国民はマスコミに騙され、内閣支持率は下落中。 | <詳細> 麻生太郎潰しの正体 ←麻生内閣の支持率を下げる偏向・捏造報道の手口を暴露。 テレビが隠す麻生太郎 ←マスコミが報じない麻生太郎の仕事ぶり。反日記者とのやり取りをノーカット。 麻生政権の実績 ←麻生内閣の実績をリスト化。コピペに最適。 麻生太郎の真実 ←麻生太郎の生き様。 日本前向新聞 (外部リンク) ←麻生太郎の実績や日本を明るくするニュースを更新するブログ ★お勧め★ ■安倍晋三元首相も、偏向報道の被害者 http //www.nicovideo.jp/watch/nm4946352 安倍晋三 【安倍政権崩壊の真実】 (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) | 反日マスコミは、「戦後レジームからの脱却」を掲げた愛国議員、安倍晋三を偏向報道で攻撃した。 その結果、実績は取り上げられず、ネガティブキャンペーンのみを受けることになった。 そして消えた年金問題が浮上。 この責任は民主党の支持母体である自治労にあるが、 マスコミは安倍晋三の責任であるかのように捏造。 マスコミに踊らされた日本国民は、自らの手で安倍政権を崩壊させた。 <詳細> 安倍晋三の真実 年金問題の正体 自治労の正体 民主党の正体 ■愛国議員が指摘する偏向報道 西川京子議員が語る 真実の報道をしない今のメディア | 超人大陸(平成21年2月2日号)より転載。 西川京子議員(自民党)の指摘は完全に正論だと思います。 ■民主党とマスコミの癒着 | 民主党とマスコミの癒着と思われる裏づけは山ほど存在します。 (1)マスコミに「民主党が有利になる偏向報道をしろ」と依頼 | 小沢代表「国民の支持を背景にして強力な政策を実行する政権・内閣が望ましい」(民主党公式ホームページ) (省略) 政府の対応では駄目だということであれば、 民主党政権のキャンペーンを大々的にするべきときだと記者にも求め、 民主党ならば「必ず建て直してみせる」と力強く語った。 放送法では「政治的に中立でなければならない」という決まりがありますが、 そんなものお構いなしで偏向報道しろ、と堂々とアピールしています。 (2)民主党が大手マスコミを軽井沢ゴルフと鳩山邸で接待 | 軽井沢1泊ゴルフコンペ付きーー民主党のマスコミ接待リスト出回る 政権交代なくして政治の浄化などあり得ないと思っている本紙は、民主党に期待している。 だから、本当はこんなリストは紹介したくないのだが、どうせ表面化は時間の問題だろうから、 あえて公表することにした。今年5月の連休中、民主党の中堅国会議員8名が、 ただ同然で大手マスコミ等5名を軽井沢のゴルフコンペに招いた件だ。現地では 政治評論家の森田実氏と、起訴休職外務省事務官・佐藤優氏の講演も行われたという。 いくら民主党が期待されているとはいえ、ただ同然はマズイし、それに何の抵抗もなく出かける マスコミ側も同罪。これでは自民党の腐敗は批判できない。その道義的責任は免れないのではないか。 少し前、山田洋行のマスコミ接待疑惑が浮上したが、取材対象相手とは節度あるつきあいをするのが鉄則。 この件を問われて、「何か問題でも!?」と本気で答えた社の幹部がいたが、 その感覚麻痺がすでにマスコミ人として終わっている(以下にその2枚の資料添付)。 http //straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2008/10/post-0306.html 5/5に、軽井沢プリンスホテルに集合して、森田実の講演と佐藤優の講演、で、鳩山邸で懇親会だって・・・ ~~~~~~~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~~~~ 4/18現在のFAXでこれだから、たぶん5月6日(火)のコンペでは、参加者増えてただろうね。 民主党議員 小沢鋭仁、奥村展三、中井治、古賀一成、津田弥太郎、加賀谷健、工藤堅太郎、松野頼久 マスコミ関係者 ****様 NHK野党クラブ担当 ←公共放送のNHKまで接待受けてる! ****様 日本テレビ野党クラブ担当 ****様 朝日新聞野党クラブ担当 ****様 テレビ朝日野党クラブ担当 上杉隆 元衆議院議員秘書 (3)自民党は叩くけど、民主党は守る | 民主党・山岡国対委員長が失言がしても、マスコミは叩かない | 反日マスコミ(マスゴミ)の偏向報道というものは上の動画の例からも良く分かります。 中山前国交相の日教組批判は叩くにもかかわらず、民主党議員の「麻生・中山支持者はナチス」発言は叩きません。 【関連】日教組の正体 | その他には 民主党と反日マスコミの癒着?と民主党の正体をご覧になればさらによく分かります。 ■フライデー襲撃事件を忘れたマスコミ ビートたけし FRIDAY襲撃事件 ⇒ Dailymotion版 | <掲載日>2009.09.02 偏向かまびすしい報道の結果、 ついに当サイトが懸念した、民主党政権が誕生する事態に陥ってしまいました。 安倍晋三氏も、麻生太郎氏も偏向報道の餌食となりました。 過去にマスコミの暴走によって、暴力事件にまで発展したケースがあります。驕る平家は久しからず。 このフライデー襲撃事件は昔話ではありますが、未来図でもあります。 【関連】 フライデー襲撃事件の正体 反日主義者の精神構造 マスコミに潰された者 詳しくはフライデー襲撃事件の正体をご覧ください。 ■マスコミの世論誘導で、日本はどうなったか? 鳩山不況の実態 鳩山由紀夫と麻生太郎の違い ■ブログランキング応援クリック | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/459.html
マスコミによる世論誘導の偏向報道が発覚した事件の正体 吉永みち子 「我々も支持率を下げないで辛抱して支えている」 | これは椿事件の再来である。 テレビ朝日の放送法違反の証拠映像です(テレ朝が動画を削除しまくって隠蔽中)。 テレビ局は民主党の応援団として、国民を洗脳する放送を続けていたことが判明。 当サイトの指摘が事実であった動かぬ証拠です。 27日、テレビ朝日の番組内で「鳩山首相が本会議中に扇子にサインしていた」というニュースが報じられた。 その中で、コメンテーターの作家・吉永みち子氏が以下のように発言した。 「今までも、国会はいろんな角度から撮られているこがわかってる。こういうことをしたら映るかも しれないという、そういう予測がつかないもんかなと。手先のことしか考えなくなっちゃうのかと思うと やはりね。ささいなことなんだけども、こういう姿勢がね、この大変なときにね、 一生懸命、我々も支持率を下げないでね、辛抱して支えてるのに、何なんだよと。 そういうことになってしまうんで。ささいなことのようだけど、重なるとボディーブローのように聞いてくる」 <目次> ■放送法 第三条の二 "偏向報道の禁止" ■椿事件 解説動画 ■椿事件とは、テレビ朝日による放送法違反事件である ■ここまで来たか、麻生太郎前総理を潰す工作 ■安倍晋三元首相も、偏向報道の被害者 ■愛国議員が指摘する偏向報道 ■民主党とマスコミの癒着(1)マスコミに「民主党が有利になる偏向報道をしろ」と依頼 (2)民主党が大手マスコミを軽井沢ゴルフと鳩山邸で接待 (3)自民党は叩くけど、民主党は守る ■フライデー襲撃事件を忘れたマスコミ ■マスコミの世論誘導で、日本はどうなったか? ■ブログランキング応援クリック ■放送法 第三条の二 "偏向報道の禁止" 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、 次の各号の定めるところによらなければならない。 一 公安及び善良な風俗を害しないこと。 二 政治的に公平であること。 三 報道は事実をまげないですること。 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。 ■椿事件 解説動画 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5602822いまだからこそ『椿事件』を掘り起こしてみる (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) ■椿事件とは、テレビ朝日による放送法違反事件である | 椿事件 - wikipedia 1993年9月21日、民間放送連盟の「放送番組調査会」の会合の中で、 テレビ朝日報道局長の椿貞良が、総選挙時の局の報道姿勢に関して 「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。 今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、 なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」 との方針で局内をまとめたという趣旨の発言を行う。 日本の放送史上で初めて、放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討された事件である。 <ソース> 平成5年10月25日 第128回国会 政治改革に関する調査特別委員会 第8号 (国立国会図書館 公式サイト) | 椿事件と全く同じことが、今現在まさに起こっている。 詳しくは次項以降に記述されている。 ■ここまで来たか、麻生太郎前総理を潰す工作 【動画】政権交代詐欺の共犯者を暴いてみた | 「自分は人気がない首相だったが、何をやってもまともに報道されずイライラすることも多かった。 在任中の印象ではなく、どう日本の国益に貢献する仕事をしたかが大事だと思っている」森元首相の弁です。 インターネットで政治を調べていけば、麻生さんだけでなく、森さん、小泉さん、安倍さんといった歴代首相の印象もガラリと変わります。 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5558690『椿事件』現麻生内閣に当てはめてみる (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) | 反日マスコミ・民主党・公明党・自民党内の反日勢力によって、麻生内閣を潰す偏向・捏造工作が激化。 反日勢力にとって愛国・保守議員の代表格である麻生太郎は目障りで仕方がない存在。 反日マスコミは麻生太郎の実績を隠し、偏向報道で印象を悪くしている。 再び日本国民はマスコミに騙され、内閣支持率は下落中。 | <詳細> 麻生太郎潰しの正体 ←麻生内閣の支持率を下げる偏向・捏造報道の手口を暴露。 テレビが隠す麻生太郎 ←マスコミが報じない麻生太郎の仕事ぶり。反日記者とのやり取りをノーカット。 麻生政権の実績 ←麻生内閣の実績をリスト化。コピペに最適。 麻生太郎の真実 ←麻生太郎の生き様。 日本前向新聞 (外部リンク) ←麻生太郎の実績や日本を明るくするニュースを更新するブログ ★お勧め★ ■安倍晋三元首相も、偏向報道の被害者 http //www.nicovideo.jp/watch/nm4946352安倍晋三 【安倍政権崩壊の真実】 (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) | 反日マスコミは、「戦後レジームからの脱却」を掲げた愛国議員、安倍晋三を偏向報道で攻撃した。 その結果、実績は取り上げられず、ネガティブキャンペーンのみを受けることになった。 そして消えた年金問題が浮上。 この責任は民主党の支持母体である自治労にあるが、 マスコミは安倍晋三の責任であるかのように捏造。 マスコミに踊らされた日本国民は、自らの手で安倍政権を崩壊させた。 <詳細> 安倍晋三の真実 年金問題の正体 自治労の正体 民主党の正体 ■愛国議員が指摘する偏向報道 西川京子議員が語る 真実の報道をしない今のメディア | 超人大陸(平成21年2月2日号)より転載。 西川京子議員(自民党)の指摘は完全に正論だと思います。 ■民主党とマスコミの癒着 | 民主党とマスコミの癒着と思われる裏づけは山ほど存在します。 (1)マスコミに「民主党が有利になる偏向報道をしろ」と依頼 | 小沢代表「国民の支持を背景にして強力な政策を実行する政権・内閣が望ましい」(民主党公式ホームページ) (省略) 政府の対応では駄目だということであれば、 民主党政権のキャンペーンを大々的にするべきときだと記者にも求め、 民主党ならば「必ず建て直してみせる」と力強く語った。 放送法では「政治的に中立でなければならない」という決まりがありますが、 そんなものお構いなしで偏向報道しろ、と堂々とアピールしています。 (2)民主党が大手マスコミを軽井沢ゴルフと鳩山邸で接待 | 軽井沢1泊ゴルフコンペ付きーー民主党のマスコミ接待リスト出回る 政権交代なくして政治の浄化などあり得ないと思っている本紙は、民主党に期待している。 だから、本当はこんなリストは紹介したくないのだが、どうせ表面化は時間の問題だろうから、 あえて公表することにした。今年5月の連休中、民主党の中堅国会議員8名が、 ただ同然で大手マスコミ等5名を軽井沢のゴルフコンペに招いた件だ。現地では 政治評論家の森田実氏と、起訴休職外務省事務官・佐藤優氏の講演も行われたという。 いくら民主党が期待されているとはいえ、ただ同然はマズイし、それに何の抵抗もなく出かける マスコミ側も同罪。これでは自民党の腐敗は批判できない。その道義的責任は免れないのではないか。 少し前、山田洋行のマスコミ接待疑惑が浮上したが、取材対象相手とは節度あるつきあいをするのが鉄則。 この件を問われて、「何か問題でも!?」と本気で答えた社の幹部がいたが、 その感覚麻痺がすでにマスコミ人として終わっている(以下にその2枚の資料添付)。 http //straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2008/10/post-0306.html 5/5に、軽井沢プリンスホテルに集合して、森田実の講演と佐藤優の講演、で、鳩山邸で懇親会だって・・・ ~~~~~~~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~~~~ 4/18現在のFAXでこれだから、たぶん5月6日(火)のコンペでは、参加者増えてただろうね。 民主党議員 小沢鋭仁、奥村展三、中井治、古賀一成、津田弥太郎、加賀谷健、工藤堅太郎、松野頼久 マスコミ関係者 ****様 NHK野党クラブ担当 ←公共放送のNHKまで接待受けてる! ****様 日本テレビ野党クラブ担当 ****様 朝日新聞野党クラブ担当 ****様 テレビ朝日野党クラブ担当 上杉隆 元衆議院議員秘書 (3)自民党は叩くけど、民主党は守る | 民主党・山岡国対委員長が失言がしても、マスコミは叩かない | 反日マスコミ(マスゴミ)の偏向報道というものは上の動画の例からも良く分かります。 中山前国交相の日教組批判は叩くにもかかわらず、民主党議員の「麻生・中山支持者はナチス」発言は叩きません。 【関連】日教組の正体 | その他には 民主党と反日マスコミの癒着と民主党の正体をご覧になればさらによく分かります。 ■フライデー襲撃事件を忘れたマスコミ ビートたけし FRIDAY襲撃事件 ⇒Dailymotion版 | <掲載日>2009.09.02 偏向かまびすしい報道の結果、 ついに当サイトが懸念した、民主党政権が誕生する事態に陥ってしまいました。 安倍晋三氏も、麻生太郎氏も偏向報道の餌食となりました。 過去にマスコミの暴走によって、暴力事件にまで発展したケースがあります。このフライデー襲撃事件は昔話ではありますが、未来図でもあります。 【関連】 フライデー襲撃事件の正体 反日主義者の精神構造 マスコミに潰された者 詳しくはフライデー襲撃事件の正体をご覧ください。 ■マスコミの世論誘導で、日本はどうなったか? 鳩山不況の実態 鳩山由紀夫と麻生太郎の違い ■ブログランキング応援クリック | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/34542.html
【検索用 らっかんしゅきてきしこうろん 登録タグ 2013年 VOCALOID だだ とりっちょ ら りつ ドジっP 初音ミク 曲 曲ら 蘇我りんたろう】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:りつ 作曲:だだ 編曲:だだ イラスト:よねしゃっく(ドジっP) 動画:とりっちょ ミックス:蘇我りんたろう 唄:初音ミクAppend 曲紹介 曲名:『楽観主義的思考論』(らっかんしゅぎてきしこうろん) だだ氏の23作目。 気づけば2015年の大みそかですね 来年もよろしくお願いします 歌詞 (piaproより転載) 大根役者は今日も四角い箱の庭夢を見る いつかは主役にナルシズム的エゴ嵌まり込む 神様お願い他人任せならば簡単で それでまた端で来ない出番を待ち続けてる あー、僕がいなくては朝日も昇らない 楽観主義シナプス ホラ信じれば叶うのです! 机上空論の設計図ならこのとおり? 昨日の今頃同じことを思ってました 明日になったらまた繰り返し 三文役者は疾うに何も出来ないこと分かってた けれど知らん振り過大評価の海浸ってる 道化にもなれず平々凡な顔作っては 誰か認めてよなんて我侭だけご立派ね あー、僕がいなくても朝日は昇るのに 悲観主義ドーパミン 所詮被害妄想なのです! 日進月歩で少し重要性度を上げとけば? 昨日の今頃気がついて悔やんでました 明日になってもまた繰り返し? あぁ、僕がいなくとも地球は回るしね 楽観主義シナプス 所詮皆その程度です! 日進月歩で君はほんの少し進んでるの? 昨日の今頃思い返せば寝てました(笑) 後ろ向き思考は捨ててしまおう サヨナラ 背中向けた舞台の幕が落ちても 何故なら 振り返らずこのまま歩くから それなら いっそのこと華やかな愛をあげよう 明日の今頃には世界に花束を コメント 好きな曲です。 -- 名無しさん (2016-09-20 22 28 03) 僕がいなくとも世界は回るしねってとこ、共感です! -- かのん (2016-09-21 12 50 42) 名前 コメント コメントを書き込む際の注意 コメント欄は匿名で使用できる性質上、荒れやすいので、 以下の条件に該当するようなコメントは削除されることがあります。 コメントする際は、絶対に目を通してください。 暴力的、または卑猥な表現・差別用語(Wiki利用者に著しく不快感を与えるような表現) 特定の個人・団体の宣伝または批判 (曲紹介ページにおいて)歌詞の独自解釈を展開するコメント、いわゆる“解釈コメ” 長すぎるコメント 『歌ってみた』系動画や、歌い手に関する話題 「カラオケで歌えた」「学校で流れた」などの曲に直接関係しない、本来日記に書くようなコメント カラオケ化、カラオケ配信等の話題 同一人物によると判断される連続・大量コメント Wikiの保守管理は有志によって行われています。 Wikiを気持ちよく利用するためにも、上記の注意事項は守って頂くようにお願いします。
https://w.atwiki.jp/vermili/pages/347.html
発言者:アシュレイ・ホライゾン 対象者:ケルベロス 己の比翼である煌翼(ヘリオス)を失い、定められた末路へと堕ちていく蝋翼(イカロス)の逆襲を告げる言葉。 己が比翼であるヘリオスを止める事も出来ず、守りたいと誓った少女が己のために戦い劣勢となっているのをもはやただ眺めていることしか出来なくなったアッシュ。 ケルベロスの助力を得てレインがアッシュのために自らの身さえ犠牲にして対抗しようとするものの、相手は光の亡者であるヘリオス、ギルベルト、ダインスレイフの三人。 如何にレインが自分以外の誰か(アッシュ)のためにと覚醒を遂げようとも、それに対抗して覚醒してくるのが光の亡者共。 一対一ならともかく滅奏の相性差を有効に使えない状況では劣勢は如何ともし難く、せめて後一人ほんの少し誰かの力が必要だとケルベロスが祈った刹那 溶け堕ちていく定めだった蝋翼が再起を果たす。まるであの日の誓いを今度こそ果たそうとしているかのように。 そしてかつては憎悪と共に刃を交えたケルベロスに向かって吠える 「今の俺が負け犬なら────力を貸せよ、闇の冥狼!吟遊詩人の詩をくれッ」 だからこそケルベロスもまたかつて光の奴隷であった、罪業に囚われた敗者に対して応える 「みなまで言うな、お前の嘆きが必要だ!」 絶望的な状況からの新旧主人公の共闘の成立、流れ出す前作主人公の逆転劇を告げる銀狼の刃も合間って非常に熱いシーンとなっている。 本当に、格好よかったぞ -- 名無しさん (2017-02-03 22 10 12) 何気に2人の共闘自体はここが初めてなんだな -- 名無しさん (2017-02-03 22 16 07) 力が欲しいなら、くれてやる感 -- 名無しさん (2017-02-03 23 56 23) 駄目狼「ゴメン。お前勝ち組だから無理www」 -- 名無しさん (2017-02-04 00 50 35) 一切躊躇いもせずに自分を犠牲にしていくナギサちゃんの健気さと、それを救う為にノリノリで共闘しているアッシュとケルさんが好き -- 名無しさん (2017-02-04 00 53 04) ↑アッシュとケルベロスめっちゃ仲良しじゃねぇかと思った -- 名無しさん (2017-02-04 01 04 52) 砕け散れェェェェッ! -- 名無しさん (2017-02-04 01 10 30) 負け犬と言ってゼファーでもルシードでもなく、ウラヌスが来てたら吹く -- 名無しさん (2017-02-04 01 24 54) 超新星 狂い哭け、末路に堕ちた蝋翼よ・滅奏之型ってグランドじゃ覚醒あるから影薄いのがちょっともったいないよね -- 名無しさん (2017-02-04 03 50 34) 今までの不仲が嘘のように息が合っていたよなあ -- 名無しさん (2017-02-04 09 22 28) 嫁(娘)を助ける為に協力する旦那と父親の図 -- 名無しさん (2017-02-05 00 44 19) アッシュ「殺人讃歌の歌をくれ!」マルス「ok」 -- 名無しさん (2017-02-06 23 13 22) ケルベロスが愉快なイマジンに見える今日この頃 -- 名無しさん (2017-02-21 01 28 06) アッシュ「今の俺が負け犬なら、力を貸せよ闇の冥狼!!」ケルちゃん「え?嫌だよ?だってお前は勝ち組じゃん。何だよ幼馴染みハーレムって、こっちは四六時中最強アマツに狙われてるんだぜ?それに比べりゃお前が負け犬?笑わせるなよこのムッツリが」 -- 名無しさん (2017-02-21 07 39 02) ↑ホンネのケルちゃんじゃねえかw -- 名無しさん (2017-02-21 07 51 03) 精鋭部隊の副隊長まで上り詰めた人がなんか言ってる -- 名無しさん (2017-02-21 08 36 45) 端から見ればあのダメ人間も超勝ち組だからな…… 大虐殺以降もかわいい義妹と二人暮らしだし -- 名無しさん (2017-02-21 09 09 14) 可愛い義妹と神秘的なロリと暮らして、国の最高権力者のアマツからベタ惚れされているゼファーさんという超絶勝ち組 -- 名無しさん (2017-02-21 10 59 59) でもレイン√で分身の狼さんが愚痴ってたみたいに、自分や周囲の人間に付きまとう社会的責任とか道義的責任とかで気後れしちゃって自棄起こしそうになっちゃう人だから… -- 名無しさん (2017-02-21 11 11 07) てか起こした(天秤皆殺し) -- 名無しさん (2017-02-21 11 12 37) めっちゃ暗殺向きの能力の資質と痛いの辛いの永遠にとんでけーな本人の趣向が悪い方向に噛み合って、結局軍人向けじゃない人間である -- 名無しさん (2017-02-21 12 17 21) 交渉官という本人の資質と性格に合った職に就いたアッシュと、チトセネキのパシリというやっぱり荒事担当じゃね?な場所に置かれたゼファーさん -- 名無しさん (2017-02-21 14 42 15) 逆に聞くがゼファーさんの性格と資質にあった職って何よ -- 名無しさん (2017-02-21 14 59 58) ↑ホストなんてどうだろう? -- 名無しさん (2017-02-21 15 01 23) ↑2ヒモとか・・・ -- 名無しさん (2017-02-21 15 02 09) ない。というかゼファーさんはもう人間に向いてない -- 名無しさん (2017-02-21 15 02 23) ↑酷いなwww -- 名無しさん (2017-02-21 15 03 38) ↑2ゼファー「!!!??」 -- 名無しさん (2017-02-21 15 05 56) ↑オカン「でも貴方、特異点で過ごした時期が一番パラダイスだったとか寝言をほざいていたわよね」 -- 名無しさん (2017-02-21 15 07 36) 餓狼「その辺り、kwsk」 -- 名無しさん (2017-02-21 15 08 48) ???「哀れでならん。直視に耐えん」???「死が満ちる、死を満たせ、死を杯へと注ぐのだ」???「至高の光はその上に照り輝いて降りるだろう」???「故に恋人よ、枯れ落ちろ。死骸を晒せ」 -- 名無しさん (2017-02-21 16 13 44) ↑グラズヘイムから客人キター -- 名無しさん (2017-02-21 16 40 56) ゼファーさんは夜間警備員とか向いてるんじゃないかな 能力使えば見回り要らないし -- 名無しさん (2017-05-15 12 38 21) 死に体にも関わらず幼馴染助ける為に戦場に飛び込んでくるアッシュくんマジいい男 -- 名無しさん (2017-05-30 20 45 29) ↑2 侵入者を察知したらゼファーさんが逃げそう… -- 名無しさん (2017-05-30 20 55 39) ゼファー「あ?侵入者?ったくめんどくせえな。いったい誰がーーー」チトセ「私だ」ゼファー「」 -- 名無しさん (2017-05-30 20 58 55) ↑いつも食われるゼファーさんほんとかわいそう -- 名無しさん (2017-05-31 08 50 21) ↑ し、視察と激励に来ただけかもしれないし…… -- 名無しさん (2017-05-31 08 51 34) ↑チトセ「ふむ、ちゃんと任を果たしてるようで何よりだ。ほら褒美だ、我が身体を貪るがいい、狼よ!」 -- 名無しさん (2017-05-31 09 51 35) 巨乳美人からの申し出なのに、褒美ではなく罰ゲームにしか思えねえ... -- 名無しさん (2017-05-31 10 06 38) 緋弾で言ってた狼は犬に成れず、犬は狼になれないを地で往く男ゼファー -- 名無しさん (2017-05-31 15 30 30) アシュレイ「あれ、ゼファーから電話だ。たしか夜間警備中だったはずだけど……」 -- 名無しさん (2017-05-31 20 21 41) アシュレイ「はい、アシュレイだけど『アシュレイィィィ!!助けてくれ、獣に犯されーーー』サヨナラ」(ピッ) -- 名無しさん (2017-05-31 20 23 29) その後うにゃうにゃ甘えてくる子犬とイチャイチャするアッシュくん -- 名無しさん (2017-06-01 00 54 21) 子犬(太ももが眩しくてブルマが似合ってとても前向きな子) -- 名無しさん (2017-06-01 11 32 25) そして猛犬に貪られるゼファー -- 名無しさん (2017-06-01 12 52 12) ↑2ブルマナギサちゃんか...いい... -- 名無しさん (2017-06-01 13 08 50) ブルマのチトセネキ?どこかのアスリートですかね -- 名無しさん (2017-06-01 13 28 20) 絶対体育倉庫であん馬してるよ -- 名無しさん (2017-06-01 13 47 00) 力を貸せよ→お前の嘆きが必要だとか熱すぎる -- 名無しさん (2017-10-22 16 23 41) 夜間警備員。ゼファーとケルベロスの二人制。ちょくちょく片方が餓狼に貪られるため、その時は片方がフォローに回る。 -- 名無しさん (2017-10-23 22 24 18) ↑その二人じゃフォローに回ったところでまとめて食われるだけじゃねえかなぁ -- 名無しさん (2017-10-23 23 16 43) おいおい何を言っているんだ?常に両方為す術もなく食われてるじゃないか -- 名無しさん (2017-10-23 23 17 28) 自分の身体を生け贄にして猛獣を止める…まさに警備員の鏡だな() -- 名無しさん (2017-10-24 07 29 08) 大丈夫。夜な夜な響く悲鳴で夜は誰も近寄らないから -- 名無しさん (2017-10-24 14 33 11) それはもう怪談か何かにされるんじゃないだろうか…? -- 名無しさん (2017-10-24 20 42 20) ゼファーさんが怪談作ってる頃、アッシュはナギサちゃんを哭かせてるんだろうなぁ... -- 名無しさん (2017-10-24 21 15 22) この直前の「ケルベロォォォオスッ!!」熱すぎて好きだわ -- 名無しさん (2019-05-31 21 09 21) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nihonnkiki/pages/63.html
マスコミによる世論誘導の偏向報道が発覚した事件の正体 吉永みち子 「我々も支持率を下げないで辛抱して支えている」 | これは椿事件の再来である。 テレビ朝日の放送法違反の証拠映像です(テレ朝が動画を削除しまくって隠蔽中)。 テレビ局は民主党の応援団として、国民を洗脳する放送を続けていたことが判明。 当サイトの指摘が事実であった動かぬ証拠です。 27日、テレビ朝日の番組内で「鳩山首相が本会議中に扇子にサインしていた」というニュースが報じられた。 その中で、コメンテーターの作家・吉永みち子氏が以下のように発言した。 「今までも、国会はいろんな角度から撮られているこがわかってる。こういうことをしたら映るかも しれないという、そういう予測がつかないもんかなと。手先のことしか考えなくなっちゃうのかと思うと やはりね。ささいなことなんだけども、こういう姿勢がね、この大変なときにね、 一生懸命、我々も支持率を下げないでね、辛抱して支えてるのに、何なんだよと。 そういうことになってしまうんで。ささいなことのようだけど、重なるとボディーブローのように聞いてくる」 <目次> ■放送法 第三条の二 "偏向報道の禁止" ■椿事件 解説動画 ■椿事件とは、テレビ朝日による放送法違反事件である ■ここまで来たか、麻生太郎前総理を潰す工作 ■安倍晋三元首相も、偏向報道の被害者 ■愛国議員が指摘する偏向報道 ■民主党とマスコミの癒着(1)マスコミに「民主党が有利になる偏向報道をしろ」と依頼 (2)民主党が大手マスコミを軽井沢ゴルフと鳩山邸で接待 (3)自民党は叩くけど、民主党は守る ■フライデー襲撃事件を忘れたマスコミ ■マスコミの世論誘導で、日本はどうなったか? ■放送法 第三条の二 "偏向報道の禁止" 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、 次の各号の定めるところによらなければならない。 一 公安及び善良な風俗を害しないこと。 二 政治的に公平であること。 三 報道は事実をまげないですること。 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。 ■椿事件 解説動画 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5602822いまだからこそ『椿事件』を掘り起こしてみる (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) ■椿事件とは、テレビ朝日による放送法違反事件である | 椿事件 - wikipedia 1993年9月21日、民間放送連盟の「放送番組調査会」の会合の中で、 テレビ朝日報道局長の椿貞良が、総選挙時の局の報道姿勢に関して 「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。 今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、 なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」 との方針で局内をまとめたという趣旨の発言を行う。 日本の放送史上で初めて、放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討された事件である。 <ソース> 平成5年10月25日 第128回国会 政治改革に関する調査特別委員会 第8号 (国立国会図書館 公式サイト) | 椿事件と全く同じことが、今現在まさに起こっている。 詳しくは次項以降に記述されている。 ■ここまで来たか、麻生太郎前総理を潰す工作 【動画】政権交代詐欺の共犯者を暴いてみた | 「自分は人気がない首相だったが、何をやってもまともに報道されずイライラすることも多かった。 在任中の印象ではなく、どう日本の国益に貢献する仕事をしたかが大事だと思っている」森元首相の弁です。 インターネットで政治を調べていけば、麻生さんだけでなく、森さん、小泉さん、安倍さんといった歴代首相の印象もガラリと変わります。 http //www.nicovideo.jp/watch/sm5558690『椿事件』現麻生内閣に当てはめてみる (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) | 反日マスコミ・民主党・公明党・自民党内の反日勢力によって、麻生内閣を潰す偏向・捏造工作が激化。 反日勢力にとって愛国・保守議員の代表格である麻生太郎は目障りで仕方がない存在。 反日マスコミは麻生太郎の実績を隠し、偏向報道で印象を悪くしている。 再び日本国民はマスコミに騙され、内閣支持率は下落中。 | <詳細> 麻生太郎潰しの正体 ←麻生内閣の支持率を下げる偏向・捏造報道の手口を暴露。 テレビが隠す麻生太郎 ←マスコミが報じない麻生太郎の仕事ぶり。反日記者とのやり取りをノーカット。 麻生政権の実績 ←麻生内閣の実績をリスト化。コピペに最適。 麻生太郎の真実 ←麻生太郎の生き様。 日本前向新聞(外部リンク) ←麻生太郎の実績や日本を明るくするニュースを更新するブログ ★お勧め★ ■安倍晋三元首相も、偏向報道の被害者 http //www.nicovideo.jp/watch/nm4946352安倍晋三 【安倍政権崩壊の真実】 (コメントを消して動画を見る場合は、右隅のヒヨコのマークをクリックしてください。) | 反日マスコミは、「戦後レジームからの脱却」を掲げた愛国議員、安倍晋三を偏向報道で攻撃した。 その結果、実績は取り上げられず、ネガティブキャンペーンのみを受けることになった。 そして消えた年金問題が浮上。 この責任は民主党の支持母体である自治労にあるが、 マスコミは安倍晋三の責任であるかのように捏造。 マスコミに踊らされた日本国民は、自らの手で安倍政権を崩壊させた。 <詳細> 安倍晋三の真実 年金問題の正体 自治労の正体 民主党の正体 ■愛国議員が指摘する偏向報道 西川京子議員が語る 真実の報道をしない今のメディア | 超人大陸(平成21年2月2日号)より転載。 西川京子議員(自民党)の指摘は完全に正論だと思います。 ■民主党とマスコミの癒着 | 民主党とマスコミの癒着と思われる裏づけは山ほど存在します。 (1)マスコミに「民主党が有利になる偏向報道をしろ」と依頼 | 小沢代表「国民の支持を背景にして強力な政策を実行する政権・内閣が望ましい」(民主党公式ホームページ) (省略) 政府の対応では駄目だということであれば、 民主党政権のキャンペーンを大々的にするべきときだと記者にも求め、 民主党ならば「必ず建て直してみせる」と力強く語った。 放送法では「政治的に中立でなければならない」という決まりがありますが、 そんなものお構いなしで偏向報道しろ、と堂々とアピールしています。 (2)民主党が大手マスコミを軽井沢ゴルフと鳩山邸で接待 | 軽井沢1泊ゴルフコンペ付きーー民主党のマスコミ接待リスト出回る 政権交代なくして政治の浄化などあり得ないと思っている本紙は、民主党に期待している。 だから、本当はこんなリストは紹介したくないのだが、どうせ表面化は時間の問題だろうから、 あえて公表することにした。今年5月の連休中、民主党の中堅国会議員8名が、 ただ同然で大手マスコミ等5名を軽井沢のゴルフコンペに招いた件だ。現地では 政治評論家の森田実氏と、起訴休職外務省事務官・佐藤優氏の講演も行われたという。 いくら民主党が期待されているとはいえ、ただ同然はマズイし、それに何の抵抗もなく出かける マスコミ側も同罪。これでは自民党の腐敗は批判できない。その道義的責任は免れないのではないか。 少し前、山田洋行のマスコミ接待疑惑が浮上したが、取材対象相手とは節度あるつきあいをするのが鉄則。 この件を問われて、「何か問題でも!?」と本気で答えた社の幹部がいたが、 その感覚麻痺がすでにマスコミ人として終わっている(以下にその2枚の資料添付)。 http //straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2008/10/post-0306.html 5/5に、軽井沢プリンスホテルに集合して、森田実の講演と佐藤優の講演、で、鳩山邸で懇親会だって・・・ ~~~~~~~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~~~~ 4/18現在のFAXでこれだから、たぶん5月6日(火)のコンペでは、参加者増えてただろうね。 民主党議員 小沢鋭仁、奥村展三、中井治、古賀一成、津田弥太郎、加賀谷健、工藤堅太郎、松野頼久 マスコミ関係者 ****様 NHK野党クラブ担当 ←公共放送のNHKまで接待受けてる! ****様 日本テレビ野党クラブ担当 ****様 朝日新聞野党クラブ担当 ****様 テレビ朝日野党クラブ担当 上杉隆 元衆議院議員秘書 (3)自民党は叩くけど、民主党は守る | 民主党・山岡国対委員長が失言がしても、マスコミは叩かない | 反日マスコミ(マスゴミ)の偏向報道というものは上の動画の例からも良く分かります。 中山前国交相の日教組批判は叩くにもかかわらず、民主党議員の「麻生・中山支持者はナチス」発言は叩きません。 【関連】日教組の正体 | その他には 民主党と反日マスコミの癒着と民主党の正体をご覧になればさらによく分かります。 ■フライデー襲撃事件を忘れたマスコミ ビートたけし FRIDAY襲撃事件 ⇒Dailymotion版 | <掲載日>2009.09.02 偏向かまびすしい報道の結果、 ついに当サイトが懸念した、民主党政権が誕生する事態に陥ってしまいました。 安倍晋三氏も、麻生太郎氏も偏向報道の餌食となりました。 過去にマスコミの暴走によって、暴力事件にまで発展したケースがあります。驕る平家は久しからず。 このフライデー襲撃事件は昔話ではありますが、未来図でもあります。 【関連】 フライデー襲撃事件の正体 反日主義者の精神構造 マスコミに潰された者 詳しくはフライデー襲撃事件の正体をご覧ください。 ■マスコミの世論誘導で、日本はどうなったか? 鳩山不況の実態 鳩山由紀夫と麻生太郎の違い
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1668.html
改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。 ~ 文部省刊『国体の本義』(昭和12年(1937)5月) <目次> ■1.戦後日本の国家論不在◆1.国家の基軸・国民のアイディンティティーの確立に向けて ◆2.戦前の「国体論」を再検討する ■2.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ■3.『国体の本義』(昭和12年(1937年)5月、文部省刊)◆1.『国体の本義』全文URL ◆2.『国体の本義』の内容 ◆3.『国体の本義』の論旨と、西洋近代思想の対応関係 ◆4.『国体の本義』原文 ■4.『臣民の道』(昭和16年(1941年)8月、文部省教学局刊)◆1.『臣民の道』全文URL ◆2.『臣民の道』の内容 ◆3.『臣民の道』原文 ■5.小まとめ◆1.『国体の本義』と『臣民の道』の内容の異同(再掲) ◆2.日本主義とアジア主義◇1.現在流通している「日本主義」の説明と、『国体の本義』 ◇2.現在流通している「アジア主義」の説明と、『臣民の道』 ◇3.保守思想・革新思想との関係 ■6.参考図書◆1.『国体の本義』を理解するための図書 ◆2.『臣民の道』を理解するための図書 ◆3.日本主義・アジア主義を理解するための図書 ■7.ご意見、情報提供 ■1.戦後日本の国家論不在 ◆1.国家の基軸・国民のアイディンティティーの確立に向けて 戦後日本においては、民間から散発的な日本人論は出るのだが、国家論となると殆どタブーの扱いとなってしまっていることが夙に指摘されている。 しかし、戦前の日本では「国体」という言葉の意味内容を巡って喧々諤々の議論、時には政争までもが行われていたのであり、今や戦後長く日本を覆ってきた自虐史観から解放されつつある我々は、日本国家の基軸・日本国民たるアイディンティティーの再確立のために、この戦前の国体論の成果の検討に進むべき時であると思う。 ◆2.戦前の「国体論」を再検討する ◇1.現在流通している「国体」の定義 【国体】 こく-たい広辞苑 ①[漢書(成帝紀)「通達国体」]国家の状態。くにがら。くにぶり。②[漢書(王莽伝上)「以明国体」]国家の体面。国の体裁。折りたく柴の木(中)「-にしかるべからず」③主権または統治権の所在により区別した国家体制。「-の護持」 【国体】 こく-たいブリタニカ国際大百科事典 一般的には国柄や国風を意味し、この用例は漢籍や古代日本にも見られる。しかし中国や西洋に対して日本の優越を示す根拠として、国生み神話に基づく天皇の神聖性とその君臨の持続性を内容とする意味で用いられるのは、19世紀以降 水戸学に始まる。維新以後も、一般の論説のほか、教育勅語や新聞紙条例、治安維持法などの法令にも国家体制の正当性を示す言葉として登場するが、意味内容は明確ではない。またその使用には論争性が当初から伴われ、福沢諭吉や加藤弘之ら明治初期の啓蒙思想家からの批判や、明治末期から大正期の穂積八束の憲法解釈に対する美濃部達吉の批判が代表的なものである。昭和初期には左翼勢力や美濃部の天皇機関説に代表されるリベラルへの弾圧の根拠としてその神話的解釈が一層強調され、その傾向は国体明徴や文部省の『国体の本義』に頂点をみる。敗戦および新憲法制定を通じて、統治の正当性根拠としての役割は終焉した。 補足説明 このように、「国体」は明治維新以降、日本国家の正統性を示す言葉として頻繁に用いられたが、その意味内容が必ずしも明確ではなかったため、昭和初期に美濃部達吉(憲法学者)の天皇機関説を巡って「国体明徴」問題(1935年)が起こり、その結果1937年になってようやく文部省よりその公定解釈を示す冊子『国体の本義』が刊行された。 ◇2.現在流通している『国体の本義』の説明 【国体の本義】 こくたい-の-ほんぎ広辞苑 1937年文部省が発行した国民教化のための出版物。記紀神話にもとづき国体の尊厳、天皇への絶対的服従を説き、社会主義・共産主義・民主主義・個人主義・自由主義を排撃。 【国体の本義】 こくたいのほんぎブリタニカ国際大百科事典 文部省編。1937年5月刊行。35年頃から高まった「国体明徴」「教学刷新」の意義を明らかにし、その精神を国民に徹底させることを企図した。神話と古典に依拠して、国史の諸過程を「肇国の精神の顕現」としてとらえるとともに、西洋近代思想を激しく排撃している。45年占領軍により『臣民の道』とともに発売禁止となったが、49年にはアメリカでJ.ガントレットの英訳が刊行され、今日にいたるまで研究材料とされている。 補足説明 結論から先に言うと、上記の説明は、『国体の本義』の内容説明としては歪曲された完全に間違ったものである。但し、大東亜戦争開戦の僅か4ヶ月前の昭和16年(1941)8月に『国体の本義』の実践編・注解編との触れ込みで文部省教学局(文部省の外局)から刊行された『臣民の道』の内容説明と置き換えると、凡そ正しい説明になる。つまり、戦時体制下で刊行され戦争目的を肯定し国民の戦意を高揚させるための時局論的色彩の強い『臣民の道』の内容を、国体の公定解説書として刊行された『国体の本義』に故意に投影した説明となっているのだが、戦後長く『国体の本義』に関して、そして「国体」論自体に対して、こうした歪曲された内容説明が流通し続けてきた。 当ページは、 ① 昭和10年代に政府の公定「国体」解説書として刊行された2つの冊子『国体の本義』及び『臣民の道』の実際の内容を紹介し、その異同を解説する、と共に、 ② これらの異同の背景を為す政治的変動及び、それらを思想的に準備しあるいは理論づけた民間の国体論に関しても説明すること、更には ③ 『国体の本義』で示された思想評価と西洋保守思想の対応関係を確認すること、を目的とする。 ■2.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ※サイズが合わない場合はこちら をクリック ■3.『国体の本義 』(昭和12年(1937年)5月、文部省刊) ◆1.『国体の本義』全文URL http //www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html 『国体の本義』(文部省) は、戦後まもなく発禁処分となり再刊もされなかったのでamazon出品の中古品は5,000~8,000円台と高額であるが、現在はネット で全文を読むことが出来るようになった。なお、2009年末に産経新聞出版から刊行された佐藤優氏著『日本国家の真髄』 (月刊誌『正論』に2008年10月~2009年9月まで掲載分を単行本化)に『国体の本義』の全文が掲載されており、かつ難語や引用の和歌・詔勅の現代語抄訳が完備され、佐藤氏の秀逸な内容解説が為されているので、佐藤氏の展開する持論(日本国憲法擁護や、大川周明・北一輝の擁護、新自由主義への一方的な反対etc.)に対する違和感を割り引いても非常にお勧めである。値段も高くない。 ◆2.『国体の本義』の内容 佐藤優氏によれば、「『国体の本義』は、欧米のキリスト教文化圏の人々にも理解できる記述をしている。西欧思想、哲学の伝統を踏まえた上で書かれた水準の高い思想書である。このレベルの思想を理解していれば、二十一世紀の日本人が、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、ロシア人、中国人などと議論しても、決して負けることはない。」 また、新田均氏によれば、「『国体の本義』の編纂過程で、編纂委員の一人であった和辻哲郎から「特に根本的規定等に於て現代の日本インテリゲンチャを納得せしめる様論述し得るか否かは相当重大なる問題と存候、この点特にご配慮願上候」といった意見が表明された」等、当時の日本を代表する学識者の意見を広く聴取して内容が練り上げられている、とのことであり、私見でもやはり、なかなか文句の付けようのない内容であると思う。 ※サイズが合わない場合はこちら をクリック。 ◆3.『国体の本義』の論旨と、西洋近代思想の対応関係 さらには、意外なことだが、西洋保守主義(バークの伝統保守主義、及びハイエク・ポパーらの新保守主義)による啓蒙思想批判との対応関係において、『国体の本義』が批判し、または評価している内容が、そのまま「啓蒙思想の主流たる大陸合理論(=批判)」「啓蒙思想の傍流たるイギリス経験論(=評価)」に対応しているという注目すべき結果が得られた。 『国体の本義』の刊行時点(1937年5月)では、ハイエク・ポパー・バーリン等の思想はまだ殆ど発表されていなかったはずであり、『国体の本義』編纂グループは独自にハイエク・ポパーらが第二次世界大戦末期及び戦後に指摘した内容と大部分で重なる、的を射た西洋思想(啓蒙思想)批判に到達していたことになる。 さらには、『国体の本義』の内容を読み進めれば分かるはずだが、そこでは、①アトム的個人主義と並んで、②共産主義・社会主義・無政府主義、そして③ナチス・ファッショの全体主義・偏狭的民族主義までも、鋭く批判されており、ここでもハイエク・ポパーらの西洋思想批判が先取りされている。 ※なお、個人主義・自由主義・合理主義に関してのまとめページ 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 国家解体思想の正体 ◆4.『国体の本義』原文 ◇1.目次 国 体 の 本 義 一、本書は国体を明徴にし、国民精神を涵養振作すべき刻下の急務に鑑みて編纂した。 一、我が国体は宏大深遠であつて、本書の叙述がよくその真義を尽くし得ないことを懼れる。 一、本書に於ける古事記、日本書紀の引用文は、主として古訓古事記、日本書紀通釈の訓に従ひ、又神々の御名は主として日本書紀によつた。 目 次 緒言(1) ※数字は何ページ目を示す 第一 大日本国体(9) 一、肇国(9) 二、聖徳(21) 三、臣節(32) 四、和と「まこと」(50) 第二 国史に於ける国体の顕現(63) 一、国史を一貫する精神(63) 二、国土と国民生活(85) 三、国民性(91) 四、祭祀と道徳(101) 五、国民文化(114) 六、政治・経済・軍事(126) 結語(143) ◇2.緒言 ↓本文はここをクリックして表示 + ... 現代日本と思想問題 我が国は、今や国運頗る盛んに、海外発展のいきほひ著しく、前途弥々多望な時に際会してゐる。産業は隆盛に、国防は威力を加へ、生活は豊富となり、文化の発展は諸方面に著しいものがある。夙に支那・印度に由来する東洋文化は、我が国に輸入せられて、惟神(かむながら)の国体に醇化せられ、更に明治・大正以来、欧米近代文化の輸入によつて諸種の文物は顕著な発達を遂げた。文物・制度の整備せる、学術の一大進歩をなせる、思想・文化の多彩を極むる、万葉歌人をして今日にあらしめば、再び「御民(みたみ)吾(われ)生ける験(しるし)あり天地(あめつち)の栄ゆる時にあへらく念(おも)へば」と謳ふであらう。明治維新の鴻業により、旧来の陋習を破り、封建的束縛を去つて、国民はよくその志を途げ、その分を竭くし、爾来七十年、以て今日の盛事を見るに至つた。 併しながらこの盛事は、静かにこれを省みるに、実に安穏平静のそれに非ずして、内に外に波瀾万丈、発展の前途に幾多の困難を蔵し、隆盛の内面に混乱をつつんでゐる。即ち国体の本義は、動もすれば透徹せず、学問・教育・政治・経済その他国民生活の各方面に幾多の欠陥を有し、伸びんとする力と混乱の因とは錯綜表裏し、燦然たる文化は内に薫蕕(くんいう)を併せつゝみ、こゝに種々の困難な問題を生じてゐる。今や我が国は、一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影相共に現れた感がある。併しながら、これ飽くまで発展の機であり、進歩の時である。我等は、よく現下内外の真相を把握し、拠つて進むべき道を明らかにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、弥々国運の伸展に貢献するところがなければならぬ。 現今我が国の思想上・社会上の諸弊は、明治以降余りにも急激に多種多様な欧米の文物・制度・学術を輸入したために、動もすれば、本を忘れて末に趨り、厳正な批判を欠き、徹底した醇化をなし得なかつた結果である。抑々我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。これらの思想の根柢をなす世界観・人生観は、歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に於て個人に至高の価値を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面に於て国家や民放を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。従つてそこには歴史的全体より孤立して、抽象化せられた個々独立の人間とその集合とが重視せられる。かゝる世界観・人生観を基とする政治学説・社会学説・道徳学説・教育学説等が、一方に於て我が国の諸種の改革に貢献すると共に、他方に於て深く広くその影響を我が国本来の思想・文化に与へた。 我国の啓蒙運動に於ては、先づ仏蘭西啓蒙期の政治哲学たる自由民権思想を始め、英米の議会政治思想や実利主義・功利主義、独逸の国権思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廃にその力を発揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に広く時代の風潮をなし、政治・経済・思想・風習等を動かし、所謂欧化主義時代を現出した。然るにこれに対して伝統復帰の運動が起つた。それは国粋保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現れであつた。蓋し極端な欧化は、我が国の伝統を傷つけ、歴史の内面を流れる国民的精神を萎靡せしめる惧れがあつたからである。かくて欧化主義と国粋保存主義との対立を来し、思想は昏迷に陥り、国民は、内、伝統に従ふべきか、外、新思想に就くべきかに悩んだ。然るに、明治二十三年「教育ニ関スル勅語」の渙発せられるに至つて、国民は皇祖皇宗の肇国樹徳の聖業とその履践すべき大道とを覚り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに欧米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この国体に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。即ち西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟の下に実証主義及び自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、又続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起し、国体に関する根本的自覚を喚起するに至つた。 国体の自覚 抑々社会主義・無政府主義・共産主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その発現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする欧米に於ても、共産主義に対しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄てんとして、全体主義・国民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの擡頭ともなつた。即ち個人主義の行詰りは、欧米に於ても我が国に於ても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を将来してゐるといふことが出来る。久しく個人主義の下にその社会・国家を発達せしめた欧米が、今日の行詰りを如何に打開するかの問題は暫く措き、我が国に関する限り、真に我が国独自の立場に還り、万古不易の国体を闡明し、一切の追随を排して、よく本来の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々欧米文化の摂取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聡明にして宏量なる新日本を建設すべきである。即ち今日我が国民の思想の相剋、生活の動揺、文化の混乱は、我等国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の本義を体得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。こゝに我等の重大なる世界史的使命がある。乃ち「国体の本義」を編纂して、肇国の由来を詳にし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て国民の自覚と努力とを促す所以である。 ◇3.第一 大日本国体 ※省略 ◇4.第二 国史に於ける国体の顕現 ※省略 ◇5.結語 ↓本文はここをクリックして表示 + ... 我等は、以上我が国体の本義とその国史に顕現する姿とを考察して来た。今や我等皇国臣民は、現下の諸問題に対して如何なる覚悟と態度とをもつべきであらうか。惟ふに、先づ努むべきは、国体の本義に基づいて諸問題の起因をなす外来文化を醇化し、新日本文化を創造するの事業である。 我が国に輸入せられた各種の外来思想は、支那・印度・欧米の民族性や歴史性に由来する点に於て、それらの国々に於ては当然のものであつたにしても、特殊な国体をもつ我が国に於ては、それが我が国体に適するか否かが先づ厳正に批判検討せられねばならぬ。即ちこの自覚とそれに伴ふ醇化とによつて、始めて我が国として特色ある新文化の創造が期し得られる。 西洋思想の特質 抑々西洋思想は、その源をギリシヤ思想に発してゐる。ギリシヤ思想は、主知的精神を基調とするものであり、合理的・客観的・観想的なることを特徴とする。そこには、都市を中心として文化が創造せられ、人類史上稀に見る哲学・芸術等を遺したのであるが、末期に至つてはその思想及び生活に於て、漸次に個人主義的傾向を生じた。而してローマは、このギリシヤ思想を法律・政治その他の実際的方面に継承し発展せしめると同時に、超国家的なキリスト教を採用した。欧米諸国の近世思想は、一面にはギリシヤ思想を復活し、中世期の宗教的圧迫と封建的専制とに反抗し、個人の解放、その自由の獲得を主張し、天国を地上に将来せんとする意図に発足したものであり、他面には、中世期の超国家的な普遍性と真理性とを尊重する思想を継承し、而もこれを地上の実証に求めんとするところから出発した。これがため自然科学を発達せしめると共に、教育・学問・政治・経済等の各方面に於て、個人主義・自由主義・合理主義を主流として、そこに世界史的に特色ある近代文化の著しい発展を齎した。 抑々人間は現実的の存在であると共に永遠なるものに連なる歴史的存在である。又、我であると同時に同胞たる存在である。即ち国民精神により歴史に基づいてその存在が規定せられる。これが人間存在の根本性格である。この具体的な国民としての存在を失はず、そのまゝ個人として存在するところに深い意義が見出される。然るに、個人主義的な人間解釈は、個人たる一面のみを抽象して、その国民性と歴史性とを無視する。従つて全体性・具体性を失ひ、人間存立の真実を逸脱し、その理論は現実より遊離して、種々の誤つた傾向に趨る。こゝに個人主義・自由主義乃至その発展たる種々の思想の根本的なる過誤がある。今や西洋諸国に於ては、この誤謬を自覚し、而してこれを超克するために種々の思想や運動が起つた。併しながら、これらも畢竟個人の単なる集合を以て団体或は階級とするか、乃至は抽象的の国家を観念するに終るのであつて、かくの如きは誤謬に代ふるに誤謬を以てするに止まり、決して真実の打開解決ではない。 東洋思想の特質 我が国に輸入せられた支那思想は、主として儒教と老荘思想とであつた。儒教は実践的な道として優れた内容をもち、頻る価値ある教である。而して孝を以て教の根本としてゐるが、それは支那に於て家族を中心として道が立てられてゐるからである。この孝は実行的な特色をもつてゐるが、我が国の如く忠孝一本の国家的道徳として完成せられてゐない。家族的道徳を以て国家的道徳の基礎とし、忠臣は孝子の門より出づるともいつてゐるが、支那には易姓革命・禅譲放伐が行はれてゐるから、その忠孝は歴史的・具体的な永遠の国家の道徳とはなり得ない。老荘は、人為を捨てて自然に帰り、無為を以て化する境涯を理想とし、結局その道は文化を否定する抽象的のものとなり、具体的な歴史的基礎の上に立たずして個人主義に陥つた。その末流は所謂竹林の七賢の如く、世間を離れて孤独を守らうとする傾向を示し、清談独善の徒となつた。要するに儒教も老荘思想も、歴史的に発展する具体的国家の基礎をもたざる点に於て、個人主義的傾向に陥るものといへる。併しながら、それらが我が国に摂取せられるに及んでは、個人主義的・革命的要素は脱落し、殊に儒教は我が国体に醇化せられて日本儒教の建設となり、我が国民道徳の発達に寄与することが大であつた。 印度に於ける仏教は、行的・直観的な方面もあるが、観想的・非現実的な民族性から創造せられたものであつて、冥想的・非歴史的・超国家的なものである。然るに我が国に摂取せられるに及んでは、国民精神に醇化せられ、現実的・具体的な性格を得て、国本培養に貢献するところが多かつたのである。 新日本文化の創造 これを要するに、西洋の学問や思想の長所が分析的・知的であるに対して、東洋の学問・思想は、直観的・行的なることを特色とする。それは民族と歴史との相違から起る必然的傾向であるが、これを我が国の精神・思想並びに生活と比較する時は、尚そこに大なる根本的の差異を認めざるを得ない。我が国は、従来支那思想・印度思想等を輸入し、よくこれを摂取醇化して皇道の羽翼とし、国体に基づく独自の文化を建設し得たのである。明治維新以来、西洋文化は滔々として流入し、著しく我が国運の隆昌に貢献するところがあつたが、その個人主義的性格は、我が国民生活の各方面に亙つて種々の弊害を醸し、思想の動揺を生ずるに至つた。併しながら、今やこの西洋思想を我が国体に基づいて醇化し、以て宏大なる新日本文化を建設し、これを契機として国家的大発展をなすべき時に際会してゐる。 西洋文化の摂取醇化に当つては、先づ西洋の文物・思想の本質を究明することを必要とする。これなくしては、国体の明徴は現実を離れた抽象的のものとなるであらう。西洋近代文化の顕著なる特色は、実証性を基とする自然科学及びその結果たる物質文化の華かな発達にある。更に精神科学の方面に於ても、その精密性と論理的組織性とが見られ、特色ある文化を形成してゐる。我が国は益々これらの諸学を輸入して、文化の向上、国家の発展を期せねばならぬ。併しながらこれらの学的体系・方法及び技術は、西洋に於ける民族・歴史・風土の特性より来る西洋独自の人生観・世界観によつて裏附けられてゐる。それ故に、我が国にこれを輸入するに際しては、十分この点に留意し、深くその本質を徹見し、透徹した見識の下によくその長所を採用し短所を捨てなければならぬ。 諸般の刷新 明治以来の我が国の傾向を見るに、或は伝統精神を棄てて全く西洋思想に没入したものがあり、或は歴史的な信念を維持しながら、而も西洋の学術理論に関して十分な批判を加へず、そのまゝこれを踏襲して二元的な思想に陥り、而もこれを意識せざるものがある。又著しく西洋思想の影響を受けた知識階級と、一般のものとは相当な思想的懸隔を来してゐる。かくて、かゝる情態から種々の困難な問題が発生した。嘗て流行した共産主義運動、或は最近に於ける天皇機関説の問題の如きが、往々にして一部の学者・知識階級の問題であつた如きは、よくこの間の消息を物語つてゐる。今や共産主義は衰頽し、機関説が打破せられたやうに見えても、それはまだ決して根本的に解決せられてはゐない。各方面に於ける西洋思想の本質の究明とその国体による醇化とが、今一段の進展を見ざる限り、真の成果を挙げる事は困難であらう。 惟ふに西洋の思想・学問について、一般に極端なるもの、例へば共産主義・無政府主義の如きは、何人も容易に我が国体と相容れぬものであることに気づくのであるが、極端ならざるもの、例へば民主主義・自由主義等については、果してそれが我が国体と合致するや否やについては多くの注意を払はない。抑々如何にして近代西洋思想が民主主義・社会主義・共産主義・無政府主義等を生んだかを考察するに、先に述べた如く、そこにはすべての思想の基礎となつてゐる歴史的背景があり、而もその根柢には個人主義的人生観があることを知るのである。西洋近代文化の根本性格は、個人を以て絶対独立自存の存在とし、一切の文化はこの個人の充実に存し、個人が一切価値の創造者・決定者であるとするところにある。従つて個人の主観的思考を重んじ、個人の脳裡に描くところの観念によつてのみ国家を考へ、諸般の制度を企画し、理論を構成せんとする。かくして作られた西洋の国家学説・政治思想は、多くは、国家を以て、個人を生み、個人を超えた主体的な存在とせず、個人の利益保護、幸福増進の手段と考へ、自由・平等・独立の個人を中心とする生活原理の表現となつた。従つて、恣な自由解放のみを求め、奉仕といふ道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義が発生した。而してこの個人主義とこれに伴ふ抽象的思想の発展するところ、必然に具体的・歴史的な国家生活は抽象的論理の蔭に見失はれ、いづれの国家も国民も一様に国家一般乃至人間一般として考へられ、具体的な各国家及びその特性よりも、寧ろ世界一体の国際社会、世界全体に通ずる普遍的理論の如きものが重んぜられ、遂には国際法が国法よりも高次の規範であり、高き価値をもち、国法は寧ろこれに従属するものとするが如き誤つた考すら発生するに至るのである。 個人の自由なる営利活動の結果に対して、国家の繁栄を期待するところに、西洋に於ける近代自由主義経済の濫觴がある。西洋に発達した近代の産業組織が我が国に輸入せられた場合も、国利民福といふ精神が強く人心を支配してゐた間は、個人の溌剌たる自由活動は著しく国富の増進に寄与し得たのであるけれども、その後、個人主義・自由主義思想の普及と共に、漸く経済運営に於て利己主義が公然正当化せられるが如き傾向を馴致するに至つた。この傾向は貧富の懸隔の問題を発生せしめ、遂に階級的対立闘争の思想を生ぜしめる原因となつたが、更に共産主義の侵入するや、経済を以て政治・道徳その他百般の文化の根本と見ると共に、階級闘争を通じてのみ理想的社会を実現し得ると考ふるが如き妄想を生ぜしめた。利己主義や階級闘争が我が国体に反することは説くまでもない。皇運扶翼の精神の下に、国民各々が進んで生業に競ひ励み、各人の活動が統一せられ、秩序づけられるところに於てこそ、国利と民福とは一如となつて、健全なる国民経済が進展し得るのである。 教育についても亦同様である。明治維新以後、我が国は進歩した欧米諸国の教育を参酌して、教育制度・教授内容等の整備に努め、又自然科学はもとより精神諸科学の方面に於ても大いに西洋の学術を輸入し、以て我が国学問の進歩と国民教育の普及とを図つて来た。五箇条の御誓文を奉体して旧来の陋習を破り、智識を世界に求めた進取の精神は、この方面にも亦長足の進歩を促し、その成果は極めて大なるものがあつた。併しそれと同時に個人主義思想の浸潤によつて、学問も教育も動もすれば普遍的真理といふが如き、抽象的なもののみを目標として、理智のみの世界、歴史と具体的生活とを離れた世界に趨らんとし、智育も徳育も知らず識らず抽象化せられた人間の自由、個人の完成を目的とする傾向を生ずるに至つた。それと同時に又それらの学問・教育が、分化し専門化して漸く綜合統一を欠き、具体性を失ふに至つた。この傾向を是正するには、我が国教育の淵源たる国体の真義を明らかにし、個人主義思想と抽象的思考との清算に努力するの外はない。 かくの如く、教育・学問・政治・経済等の諸分野に亙つて浸潤してゐる西洋近代思想の帰するところは、結局個人主義である。而して個人主義文化が個人の価値を自覚せしめ、個人能力の発揚を促したことは、その功績といはねばならぬ。併しながら西洋の現実が示す如く、個人主義は、畢竟個人と個人、乃至は階級間の対立を惹起せしめ、国家生活・社会生活の中に幾多の問題と動揺とを醸成せしめる。今や西洋に於ても、個人主義を是正するため幾多の運動が現れてゐる。所謂市民的個人主義に対する階級的個人主義たる社会主義・共産主義もこれであり、又国家主養・民族主義たる最近の所謂ファッショ・ナチス等の思想・運動もこれである。 併し我が国に於て真に個人主義の齎した欠陥を是正し、その行詰りを打開するには、西洋の社会主義乃至抽象的全体主義等をそのまゝ輸入して、その思想・企画等を模倣せんとしたり、或は機械的に西洋文化を排除することを以てしては全く不可能である。 我等の使命 今や我が国民の使命は、国体を基として西洋文化を摂取醇化し、以て新しき日本文化を創造し、進んで世界文化の進展に貢献するにある。我が国は夙に支那・印度の文化を輸入し、而もよく独自な創造と発展とをなし遂げた。これ正に我が国体の深遠宏大の致すところであつて、これを承け継ぐ国民の歴史的使命はまことに重大である。現下国体明徴の声は極めて高いのであるが、それは必ず西洋の思想・文化の醇化を契機としてなさるべきであつて、これなくしては国体の明徴は現実と遊離する抽象的のものとなり易い。即ち西洋思想の摂取醇化と国体の明徴とは相離るべからざる関係にある。 世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。 ■4.『臣民の道 』(昭和16年(1941年)8月、文部省教学局刊) ◆1.『臣民の道』全文URL http //binder.gozaru.jp/shinmin0.htm 『臣民の道(文部省教学局)』は、戦後まもなく発禁処分となったオリジナル版 の他に、2000年に左翼系の出版社から復刻版 が刊行されている。復刻版の方は「国体、八紘一宇、報恩感謝。これが戦前の皇国史観教育です。是か、非か―ご自身の目と心で、ご判断下さい。」という内容解説が付されている。どちらもamazon出品の中古品で4,000~5,000円台と高額である。現在は『臣民の道』もネット で全文を読むことができる。 ◆2.『臣民の道』の内容 第二次近衛政権の策定した基本国策要綱(1940.8)に基づき進められた東亜新秩序構想、さらに、 日独伊三国同盟(1940.9)結成・日本の枢軸国参加による日米開戦の接近を意識した総力戦体制の要請 に応える国民教化策の一環として文部省外局として設置の教学局が編纂した『臣民の道』は、『国体の本義』とは正反対に、 (1) 個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義といった西洋思想のほぼ全面的な否定・拒絶 (2) 一方で、ナチズム/ファシズムへの共感表明 (3) アジア的普遍主義(汎アジア主義)の強調 (4) 英米を始めとする欧米支配の旧秩序の破壊と、日本など枢軸国の主導する新秩序の樹立 が強く謳われ、その実現のために (5) 天皇への絶対随順(「臣民の道」の実践) が要求される構成となっている。 ※サイズが合わない場合はこちら をクリック。 ◆3.『臣民の道』原文 ◇1.目次 序言 第一章 世界新秩序の建設 一、世界史の轉換 二、新秩序の建設 三、國防國家體制の確立 第二章 國體と臣民の道 一、國體 二、臣民の道 三、祖先の遺風 第三章 臣民の道の實踐 一、皇國臣民としての修練 二、國民生活 結語 ◇2.序言 ↓本文はここをクリックして表示 + ... 皇國臣民の道は、國體に淵源し、天壤無窮の皇運を扶翼し奉るにある。それは抽象的規範にあらずして、歴史的なる日常實踐の道であり、國民のあらゆる生活・活動は、すべてこれ偏に皇基を振起し奉ることに歸するのである。 顧みれば明治維新以來、我が國は廣く知識を世界に求め、よく國運進展の根基に培つて來たのであるが、歐米文化の流入に伴なひ、個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義等の影響を受け、ややもすれば我が古來の國風に悖り、父祖傳來の美風を損なふの弊を免れ得なかつた。滿洲事變發生し、更に支那事變起こるに及んで、國民精神は次第に昂揚して來つたが、なお未だ國民生活の全般に亙つて、國體の本義、皇國臣民としての自覺が徹底してゐるとはいひ難きものがある。ともすれば、國體の尊厳を知りながらそれが單なる觀念に止まり、生活の實際に具現せられざるものあるは深く憂ふべきである。かくては、我が國民生活の各般に於いて根強く浸潤せる歐米思想の弊を芟除し、眞に皇運扶翼の擧國體制を確立して、曠古の大業の完遂を期することは困難である。ここに於いて、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする皇國臣民の道を昂揚實踐することこそ、當面の急務であるといはねばならぬ。 ◇3.第一章 世界新秩序の建設 ▲1.世界史の転換 ↓本文はここをクリックして表示 + ... 近世初期以來數百年に亙つて、世界人類を個人主義・自由主義・唯物主義等の支配下に置いた舊秩序は、いまや崩壞の一途を辿り、未曾有の世界的變動の中に、新秩序の建設は刻々に進行してゐる。この世界新秩序の意義を明確にするためには、先ず世界近世史に就いてその大要を瞥見しなければならぬ。 近世史は一言にしていへば、歐洲に於ける統一國家の形成と、これらの間に於ける植民地獲得のための爭覇戰との展開である。即ち近世初期にアメリカ大陸が發見せられ、それに引き續いて歐洲諸國民は支那・インド等の遥かなる東亞の地へも、大洋の波を凌いで盛んに來航することとなつた。而してその全世界への進出は、やがて政治的・經濟的・文化的に世界を支配する端緒となり、彼らは世界をさながら自己のものの如く見なし、傍若無人の行動を當然のことのやうに考へるに至つた。 この侵略を歐洲以外の諸國はただ深い眠りの中に迎へた。南北アメリカもアフリカも、オーストラリヤも印度も、武力を背景とする強壓と、宗敎を手段とする巧妙なる政策とによつて、瞬く間に彼らの手中に歸した。阿片戰爭によつてその弱體を暴露した支那もまた、忽ちにして彼らの蠶食の地と化するに及んだ。我が國は、室町時代末より安土桃山時代にかけて、先ずポルトガル・イスパニア等の來航に接し、後に鎖國政策によつて一時の静安を得たけれども、幕末に至りイギリス・フランス・アメリカ・ロシヤ等の來航漸く繁きに會し、神洲の地もまた安からざるものがあつた。 元來歐洲諸國民の世界進出は冒險的興味の伴つたものであつたとはいへ、主として飽くなき物質的欲望に導かれたものである。彼らは先住民を殺戮し、或ひはこれを奴隷とし、その地を奪つて植民地となし、天與の資源は擧げて本國に持ち返り、或ひは交易によつて巨利を博した。されば彼らの侵略は世界の至る所に於いて天人共に許さざる暴擧を敢へてし、悲慘事を繰り返したのである。アメリカ-インディアンはいかなる取り扱ひを受けたか。アフリカの黒人は如何。彼らは白人の奴隷として狩り集められ、アメリカ大陸に於いて牛馬同様の勞役に從事せしめられたのである。このことは大東亞共榮圏内に於ける諸地方の被征服過程と現状とに就いて見ても、思い半ばに過ぎざるものがあらう。而して西暦十八世紀末より十九世紀にかけての歐洲に於ける産業革命は、彼等の世界支配の勢いを劃期的に飛躍せしめたことはいふまでもない。機械の發明による工業の發達は、夥しい原料を要求すると共に、その莫大な製品を売り捌く海外市場を必要とした。彼らは愈々盛んに原料の獲得と製品のはけ口とを植民地に求めた。やがて勢いの趨くところ、彼ら同志の間に熾烈なる植民地爭奪や貿易競爭が起こり、かくして弱肉強食の戰いを繰り返したのである。近世に於けるイスパニヤ・ポルトガル・オランダ・イギリス・フランス等の間の戰爭や勢力消長史は、海外侵略と密接な關係のないものはない。かかる弱肉強食的世界情勢の形成は、やがてその矛盾を擴大し、ついに西暦1914年の世界大戰の勃興を見ることとなつた。 世界大戰は、獨佛間の歴史的仇敵關係も與つてはいるが、主として英獨の制海權の爭奪、經濟制覇の鬪爭がその原因となつてゐる。而して戰爭の結果戰敗國ドイツは徹底的重壓を加へられて滅亡の淵に逐はれ、英佛米の獨占的世界支配が愈々強化せられた。民族自決の美名の下に弱小國家が戰後の歐洲地圖を彩つたけれども、それ等は要するに英佛米の世界制覇の堡壘たる役割りを擔ふものであつた。所謂正義人道はただ彼等の利己的立場を正當化する手段に過ぎなかつたのである。 近世初期以來西洋文明の基調をなした思想は、個人主義・自由主義・唯物主義等である。この思想は弱肉強食の正當視、享樂的欲望の際限なき助長、高度物質生活の追及となり、植民地獲得及び貿易競爭を愈々刺戟し、これが因となり果となつて世界を修羅道に陥れ、世界大戰といふ自壞作用となつて現れたのである。されば大戰後彼等の間からも西洋文明沒落の叫びが起こつたのは、當然のことといはねばならぬ。英佛米等があらゆる手段方法を講じて現状維持に狂奔し、また共産主義の如き徹底的なる唯物主義に立脚して階級鬪爭による社會革命を企圖する運動が熾烈となつた一方では、ナチス主義・ファッショ主義の勃興を見るに至つた。この獨伊に於ける新しい民族主義・全體主義の原理は、個人主義・自由主義等の幣を打開し匡救せんとしたものである。而して共に東洋文化・東洋精神に對して多大の關心を示してゐることは、西洋文明の將來、ひいては新文化創造の動向を示唆するものとして注目すべきことである。 かくて世界史の轉換は舊秩序世界の崩壞を必然の歸趨たらしむるに至つた。ここに我が國は道義による世界新秩序の建設の端を開いたのである。 ▲2.新秩序の建設 ↓本文はここをクリックして表示 + ... 滿洲事變は、久しく抑壓せられていた我が國家的生命の激發である。この事變を契機として、我が國は列強監視の中に、道義的世界の創造。新秩序建設の第一歩を踏み出した。蓋しこれ悠遠にして崇高なる我が肇國の精神の顯現であり、世界史的使命に基づく國家的生命の已むに已まれぬ發動であつた。 我が國の地位は明治三十七八年戰役によつて一躍世界的となつた。この戰役は、ロシヤの東亞進攻態勢によつて獨立を脅威せられた我が國が、擧國一致、眞に國運を賭して立つた自衛のための戰いであつたが、その世界史的意義は極めて重大であつた。即ち歐洲の大強國帝政ロシヤが東洋支配の最後の一線に於いて、渺たる東海の一島國とのみ見られていた日本のために、圖らずも手強い反撃に遭い、歐米勢力の世界支配の體制はここに一轉するの兆しを示すに至つた。而して我が國の勝利は、全世界の耳目を慫動し、ひいては歐米の勢力下に慴伏を餘儀なくせられていた亞細亞諸國の覺醒を促し、獨立運動の氣運を喚起することとなつた。かくて印度をはじめ、トルコ・アラビヤ・泰・安南その他の諸國は歐米の羈絆を脱せんとの希望に燃え、支那の新しい民族運動にも強い刺戟となつた。かかる澎湃たる亞細亞の覺醒の氣運の中に我が國民は東亞の安定を確保することが日本の使命であり、東亞諸地方を解放することは、懸かつて日本の努力にあることを痛切に自覺したのである。 我が國は明治維新以來、開國進取の國是の下に鋭意西洋文物の摂取に努めその間多少の波瀾があつたとはいへ、よくこれ等の長を採つて國運進展の根基に培い、營々として國力充實に邁進して來たのである。殊に明治二十七八年竝びに三十七八年戰役に於いて國威を海外に宣揚し、更に世界大戰を經て世界の強大國に躍進した。諸般の文物制度は顯著なる發達を遂げ、敎育の普及、學術の進歩、産業の發達、國防の充實等、あらゆる方面に於いてその面目を一新し、ここに我が國は名實共に東亞の安定勢力たるの地位を確立するに至つた。 かかる我が國運の隆々たる發展伸張は、東亞の天地を併呑せんとする歐米諸國をして深く嫉視せしめ、その對策として彼等は、我が國に對して或ひは經濟的壓迫を加へ、或ひは思想的攪亂を企て、或ひは外交的孤立を策し、以つて我が國力の伸張を挫かんとした。このことは同時に東亞をしてその自主性を喪失せしめ、永遠に彼等の傀儡たらしめんとするものに外ならない。 世界大戰の歸結たる所謂ベルサイユ體制は、戰敗國ドイツに徹底的重壓を加へると共に、英佛米による世界支配を強化せんとするものであつたといふことが出來る。而してベルサイユ條約成立後、國際聯盟を中心とする彼等の對日攻勢は愈々執拗となり、大正十年より翌十一年に亙るワシントン會議に於いては、國運の進展に必須の推進力たる軍備の削減を意圖して、主力艦の噸數に於ける比率を定めることによつて、我が海軍力に對する彼等の優位を確保せんとした。それのみならず、四國條約によつて太平洋上の島嶼の安全保障に名を藉りて我が國防を脅かし、また九國條約によつて支那に對する彼等の權益を擁護し、かつ我が大陸への發展を妨げんと企てた。彼らはこれに飽くことなく、更に昭和五年のロンドン會議に於いては補助艦艇の比率をも制限し、我が海軍力を英米に對して絶對的劣位に釘付けせんとした。これ我が國が東亞勃興の推進力としての地位に躍進するを阻まんとせるものに外ならない。またこれに前後してアメリカは、我が海外移民の入國を制限または禁止する等の處置に出でた。かく諸方面に於いて、我が國の發展を阻止せんとする策謀が續けられたのである。 かかる太平洋を周る諸情勢の逼迫につれて、東亞に於ける我が國の立場も急迫せる事態に直面することとなつた。即ち支那は歐米諸國の對日壓迫の勢いを利用してその經濟的支援を得、またソ聯との接近を圖り、かつ我が國力を過小に評価して日本與し易しとなし、同胞の血と肉とによつて確立せられた滿洲に於ける地位を蹂躙して、我が生命線を脅かすに至つた。かくて昭和六年九月、滿洲事變の勃發をみたのである。 世界史は滿洲事變を以つて新しき頁を書き始められた。世界の視聴は東洋の一角に集まり、英米勢力を中心とする國際聯盟はあらゆる手段を弄して妨害に乘り出した。併しながら我が國の堅き決意は、滿蒙三千萬民衆の運命を擔つて事變の完遂に邁進し、昭和七年には滿洲國の輝かしい誕生となつたのである。而して滿洲國は王道樂土・民族協和を理想として逐年迅速かつ健全に生長を續け、日滿一體の實愈々鞏固なるものがある。 多民族の搾取と犧牲とによつてその繁榮を續けんとする歐米諸國は、滿洲建國によつて大な脅威を感じ、國際聯盟を利用して飽くまで我が國に不當の制裁を加へんと狂奔した。所謂リットン報告書は専らそのための準備であり、聯盟は道義的世界を顯現せんとする我が意圖を蹂躙せんとした。ここに於いて我が國は遂に意を決し、昭和八年三月、國際聯盟を脱退するに至つたのである。國際聯盟脱退に關する詔書には、 今次滿洲國ノ新興ニ當リ帝國ハ其ノ獨立ヲ尊重シ健全ナル發達ヲ促スヲ以テ東亞ノ禍根ヲ除キ世界ノ平和ヲ保ツノ基ナリト為ス然ルニ不幸ニシテ聯盟ノ所見之ト背馳スルモノアリ朕乃チ政府ヲシテ慎重審議遂ニ聯盟ヲ離脱スルノ措置ヲ採ラシムルニ至レリ と仰せられてある。國際聯盟は畢竟名を世界の公論に藉りて、英佛等の世界大戰によつて獲得せる利權を護り、その現状を維持せんとする機關に堕し了はつたのである。我が國はかかる桎梏を敢然として摧破した。而も我が國の決意と武威とは、彼等をして何らの制裁にも出づること能はざらしめた。我が國が脱退するや、聯盟の正體は世界に暴露せられ、ドイツも同年秋に我が跡を追うて脱退し、後れてイタリヤもまたエチオピヤ問題に機を捉らへて脱退の通告を發し、國際聯盟は全く虚名のものとなつた。かくして我が國は昭和六年の秋以來、世界維新の陣頭に巨歩を進め來つてゐる。 我が國は滿洲國と協力して日滿一體の實を擧げてゐるが、東亞全般の新秩序を建設するには、支那との心からなる提携協力を必要とする。蓋し日滿支が一體となつてこの理想の實現に邁往してこそ、東洋の平和は確立せられ、ひいては世界の平和にも寄與し得るのである。北清事變以來擡頭し來つた支那の民族運動は、明治三十七八年戰役以來の我が國の目覺しき躍進に刺戟せられて急激に高まつたが、それは歐米の搾取と暴壓との桎梏を打破し、半植民地的地位を脱出して、大東亞共榮圏の一翼としての新しき支那の建設に向かふべきであつた。然るにその運動は、日支提携による東亞の自主的確立を欲せざる歐米諸國竝びにコミンテルンの畫策に乘ぜられ、却つてこれ等勢力に依存することとなり了はつた。かくして不幸にも根本方針を誤つた一部指導者は、抗日救國の名の下に一般民衆に對して多年に亙り執拗に抗日敎育を施し、ここに排日侮日の風潮は全支に瀰漫し、滿洲事變を經て日支の國交は愈々危機に瀕するに至つた。 昭和十二年七月、蘆溝橋に發した日支衝突事件に際しては、我が國は東亞の安寧のため、現地解決、不擴大方針を以つて臨み、隠忍自重して彼の反省を待つたのである。然るに支那は飽くまで我が實力を過小に評価し、背後の勢力を恃みとして、遂に全面的衝突にまで導いた。かくて硝煙は大陸の野を蔽い、亞細亞にとつて悲しむべき事態が展開せられるに至つたのであるが、事ここに及んでは我が國は事變の徹底的解決を期し、新東亞建設の上に課せられた嚴肅なる皇國の使命の達成に一路邁進しなければならぬ。天皇陛下には、ここに深く御軫念あらせられ、支那事變一周年に當たり下賜せられたる勅語に、 惟フニ今ニシテ積年ノ禍根ヲ斷ツニ非ズムバ東亞ノ安定永久ニ得テ望ムベカラザル日支ノ提攜ヲ堅クシ以テ共榮ノ實ヲ擧グルハ是レ洵ニ世界平和ノ確立ニ寄與スル所以ナリ と昭示し給ひ、國民の向かふべきところを諭し給ふた。まことに支那事變の目的は支那の蒙を啓き、日支の提携を堅くし、共存共榮の實を擧げ、以つて東亞の新秩序を建設し、世界平和の確立に寄與せんとするにある。 事變始まつて既に五星霜、御稜威の下この大なる使命を負うて、忠勇なる皇軍將兵は、嚴寒を冒し、酷熱を凌ぎ、陸に海に空に奮戰力鬪して赫々たる武勲を輝かし、また銃後の國民は擧國一體よく奉公のまことを致してゐるのである。而して支那には既に新政權確立し、新しき支那の建設は漸くその緒に就いた。即ち昭和十五年十一月、南京の國民政府との間に日華基本條約竝びに附屬議定書の正式調印を見た。これによれば兩國政府は、「兩國相互ニ其ノ本然ノ特質ヲ尊重シ東亞ニ於テ道義ニ基ク新秩序ヲ建設スルノ共同ノ理想ノ下ニ善隣トシテ緊密ニ相提携シ以テ東亞ニ於ケル恆久的平和ヲ確立シ之ヲ核心トシテ世界全般ノ平和ニ貢獻センコトヲ希望」するものであり、これがために兩國は政治・外交・敎育・宣傳・交易等諸般に亙り相互に兩國間の好誼を破壞するが如き措置及び原因を撤廢し、かつ將來もこれを禁絶すると共に、政治・經濟・文化等各般於いて互助敦睦の手段を講ずべき旨を協定したのである。同時にまた日滿華三國共同宣言が發表せられ、相互の主權及び領土の尊重、互惠を基調とする三國間の一般提携、特に善隣友好・共同防共・經濟提携の實を擧げること、及びそのために必要なる一切の手段を講ずること等が宣言せられた。 これより前、昭和十五年九月、日獨伊三國の間に條約が締結せられるに當り、天皇陛下には詔書を渙發あらせられ、 大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ實ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ而シテ今ヤ世局ハ其ノ騒亂底止スル所ヲ知ラズ人類ノ蒙ルベキ禍患亦將ニ測ルベカラザルモノアラントス朕ハ禍亂の戡定平和ノ克復ノ一日モ速カナランコトニ軫念極メテ切ナリ乃チ政府ニ命ジテ帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊兩國トノ提攜協力ヲ議セシメ茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見タルハ朕ノ深く懌ブ所ナリ惟フニ萬邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンゼシムルハ曠古ノ大業ニシテ前途甚ダ遼遠ナリ爾臣民益々國體ノ觀念ヲ明徴ニシ深ク謀リ遠ク慮リ協心戮力非常ノ時局ヲ克服シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼セヨ と宣はせられた。日本の世界史的使命は實にこの聖旨に拜して昭らかである。而してこの條約の根本精神は、その前文の冒頭に見る如く、萬邦をして各々その所を得しむるを以つて恆久平和の先決條件とするところにある。ここに我が國の東亞に於ける指導的地位は愈々不拔のものとなり、八紘を掩いて宇となす我が肇國の精神こそ、世界新秩序建設の基本理念たるべきことが愈々明確になつたのである。 支那事變は、これを世界史的に見れば、我が國による道義的世界建設の途上に於ける一段階である。世界永遠の平和を確保すべき新秩序の建設は、支那事變の處理を一階梯として達成せられる。從つて、支那事變は、蒋介石政權の打倒を以つて終はるべきものではない。我が國としては、支那を誤らしめた東亞に於ける歐米勢力の禍根を芟除し、大東亞共榮圏の一環としての新しき支那の建設に協力し、東亞竝びに世界が道義的に一つに結ばれるまでは、堅忍不拔の努力を必要とする。日獨伊三國條約の締結も、世界平和の克服を目的とするものに外ならない。この意味に於いて、我が國は二重三重の責務を世界に對して負うてゐるのである。即ち政治的には歐米の東洋侵略によつて植民地化せられた大東亞共榮圏内の諸地方を助けて、彼等の支配より脱却せしめ、經濟的には歐米の搾取を根絶して、共存共榮の圓滑なる自給自足經濟體制を確立し、文化的には歐米文化への追隨を改めて東洋文化を興隆し、正しき世界文化の創造に貢獻しなければならぬ。東洋は既に數百年に亙つて破壞せられて來た。その復興が既に容易の業ではない。更に新秩序を確立し新文化を創造するには、非常の困難が伴ふことは必然である。この困難を克服してこそ、眞に萬邦協和し、萬民各々その所を得るに至るべき道義的世界の確立に寄與し得る。まことに國史を一貫して具現せられ來つた肇國の精神は、さきに滿洲事變、更にまた支那事變を契機として世界史轉換の上に大なる展開を示すに至つたのである。 ▲3.国防国家体制の確立 ↓本文はここをクリックして表示 + ... 世界新秩序の建設は、漸くその第一歩を踏み出したのみである。現状維持の自由主義的民主主義國家の一群は、これに對して相結んで必死の妨害を試みてをり、またその諸植民地は、彼等の術策により未だ歐米依存の迷夢から醒めきれぬ。まことに大業の前途はなお遼遠であつて、その行路は決して坦々たるものではない。あまねく世界人類をその堵に安んぜしめんとする我が國の責務は、尋常一様の覺悟を以つてしては到底果たすことが出來ぬ。この難局を突破するためには、國内の諸組織や機構も速やかに更新強化せられねばならない。これ國内新體制の確立が要望せられる所以である。 我が國は、近くは明治維新に際し擧國一致の體制を整へて外敵の侵攻を斥け、爾來國力を充實して富國強兵の實を擧げ、明治二十七八年竝びに三十七八年戰役の國難をも克服することが出來た。併しながら明治以來歐米文物の輸入に急なる餘り、ややもすれば本を忘れて末に趨り、我が古來の國風に悖るが如き餘弊を胎すに至つた。かくて明治三十七八年戰役は一般民心の弛緩を來たし、殊に世界大戰は未曾有の好景氣を齎して軽佻奢侈の風が瀰漫し、個人主義・自由主義・功利主義等の病弊が顯著となり、この間隙に乘じて赤化思想の流入もあり、時に我が國體の本義、肇國の精神を没却するものも出づるに至つた。綱紀の弛緩、思想の動搖、國防の輕視等、各方面に憂ふべき状態を呈したのである。偶々大正十二年九月、關東大地震が起こつたが、この災害も國民の反省と戒愼とを促すには足らなかつた。この時、國民精神作興に關する勅語を下賜あらせられた聖慮の程、ただただ恐懼に堪へぬ次第である。日本精神に還れとの痛烈なる叫びが國民の間から起こり來つたのは恰もこの頃からである。 やがて滿洲事變が勃發し、一般國民も緊迫せる四圍の情勢に目覺めて來た。更に支那事變の發生を見るに及び、國内體制も時局の推移に伴つて漸次革新せられ來つたのである。併しながら國民各層に深く浸潤せる弊習は俄かに拂拭すべからざるものがあり、事變初期に於いては國民の多くはかくまで大規模の戰ひなるとは考へず、まして世界史的意義に就いては認識を欠くものが少なくなかつた。然れども時局の進展は、我が國の使命の重大なるを明瞭ならしむると共に、國民を擧げて一國の偸安をも許さざる未曾有の難局に直面せるを覺らしむるに至つたのである。今後如何なる事態が發生するにしても、これに對し擧國一體となつて敢然その難に當るべき十分の覺悟と萬全の準備とを整へ、いかなる試煉にも堪へて飽くまで不動の國是の貫徹に邁進しなければならぬ。即ち政治・經濟・分化・敎育等國民生活のあらゆる領域に亙り、眞に擧國一致の體制を確立するすることこそ國家の焦眉の急務である。 凡そ國防は國家の存立上必須の要件である。國防なき國家の如きは空想の世界のことに屬する。國防の完全なると否とは實に國家存亡の岐かれるところであり、これを忘れて國家の生成發展は到底望むべくもない。されば新體制確立の具體的目標は、高度國防國家體制の整備にあり、國家總力戰體制の強化にある。 もと國防は武力戰に對する軍備を意味してゐた。少なくとも世界大戰に至るまでは、各國共にこの古い國防觀念に立脚して、軍備の充實を以つて直ちに國防の強化と考へ、戰爭は武力戰に終始したのである。然るに世界大戰が進行するに從つて兵器・弾藥・軍需資材等の甚だしき消耗は國内生産力の擴充を促して、戰線と銃後とが緊密に結合すると共に、外交戰・經濟戰・思想戰・科學戰等が武力戰と一體となり、あらゆる國家活動が直接戰爭に參加することとなつた。かくて戰爭は國家總力戰であり、戰線と銃後との別なく、國民全部が戰爭に從事してゐることを如實に感ぜしめたのである。總力戰體制に立脚するにあらざれば眞の勝利を獲ることは出來ない。たとひ武力戰に勝を制するとも經濟戰・思想戰等に敗北するならば、結局戰敗の苦汁を嘗めなければならぬ。その好例はこれを世界大戰に於けるドイツに見るのである。 戰爭の本質が武力戰から總力戰へと變化し來たるに伴ない、戰時と平時との境も明らかでなくなつた。世界が平和を謳歌してゐる時にも、その背後には各國の間に經濟戰・思想戰等熾烈なる鬪爭が續けられてゐる。平常より國家國民の總力が國家目的に集結統合せられ、最高度の機能を發揮し得るが如くに組織運營せられてゐるのでなければ、弋を執らずして既に敗退してゐるのである。若し國家の諸機構が支離滅裂となり、政治的には黨派が互ひに相剋對立し、經濟的にはその運營が個人の恣意と自由競爭とに放任せられて國家目的から遠ざかり、文化的にも學術・芸能・諸施設等がほとんど國家に貢獻するところなく更に國體に背き國民の志氣を頽廢せしめるが如き思想の横行するままに委ねられてゐるならば、國家とは名のみである。今次のドイツの目覺しき活躍は、決して高度性能の機械化軍備の威力のみよるものではない。平時にあつてそれを支へ、それを動かしてゐる旺盛なる國民精神と國民の熱烈なる國防への協力との賜なのである。換言すれば、よく擧國一致して國内諸般の體制を統一的に組織運營し、平時戰時を一貫して總力戰體制を充實し來つたによるものである。 今次歐洲大戰以來列強は競つて總力戰體制を採り、その強化に努めてゐる。英米等の民主主義國家も高度國防國家體制の整備を急いでいる。我が國は大東亞共榮圏の指導者として、また根本的には世界を道義的に再建すべき使命に鑑み、速やかに總力戰體制を完備し、以つて我が國是の遂行に邁進しなければならぬ。紀元二千六百年の紀元の佳節に當たり發せられた詔書には、 爾臣民宜シク思ヲ神武天皇ノ創業ニ聘セ皇國の宏遠ニシテ皇謨ノ雄深ナルヲ念ヒ和衷戮力益々國體ノ精華ヲ發揮シ以テ時難ノ克服ヲ致シ以テ國威ノ昂揚ニ勗メ祖宗ノ神靈ニ對ヘンコトヲ期スベシ と諭し給ふてゐる。而して我が國の總力戰體制強化の目的は、偏に皇運を扶翼し奉るところにあり、それは全國民がその分に応じ各々臣民の道を實踐することによつて達せられる。ソ聯は共産主義による世界制覇を目的とし、階級的獨裁による強權の行使を手段としてゐる。ドイツは血と土との民族主義原理に立つて、アングロ-サクソンの世界支配、ドイツ壓迫の現状を打破し、民族生存權の主張に重點をおき、そのためにナチス黨の獨裁に對する國民の信頼と服從とを徹底せしめ、全體主義を採用してゐるのである。イタリヤは大ローマ帝國の再現を理想とし、方法に於いてはドイツと異なるところなく、ファッショ黨の獨裁的全體主義に立脚してゐる。これ等に對し我が國は肇國以來、萬世一系の天皇の御統治の下に、皇恩は萬民に洽く、眞に一國一家の大和の中に生成發展を遂げて來たのであり、政治・經濟・文化・軍事その他百般の機構は如何に分化しても、すべては天皇に歸一し、御稜威によつて生かされ來つたのである。我が國家の理想は八紘を掩いて宇となす肇國の精神の世界的顯現にある。我が國の如く崇高なる世界史的使命を擔つてゐる國はない。されば新體制を樹立し國防國家體制を確立するといふも、一に我が國體の本義に基づき、固有の國家體制を生かして萬民輔翼の我が國本然の姿に還り、以つて我が國力の運用を萬全ならしめ、その總力の發揮に遺憾なきを期することに外ならぬ。もとより制度や組織・方法・技術等は虚心坦懷に他の長を採るとしても、核心は飽くまで本來の面目に反省し、その發揚に努るにある。 ◇4.第二章 国体と臣民の道 ▲1.国体 ※省略 ▲2.臣民の道 ※省略 ▲3.祖先の遺風 ※省略 ◇5.第三章 臣民の道の実践 ▲1.皇国臣民としての修練 ※省略 ▲2.国民生活 ※省略 ◇6.結語 ↓本文はここをクリックして表示 + ... 世界の歴史は變轉して止むことなく、諸國家の隆替興亡は常なき有様である。ひとり我が國のみ、肇國以來萬世一系の天皇の御稜威の下、臣民はよく忠によく孝に奉公のまことを致し、ひたすら發展を續け隆昌を重ねて今日に及んだ。而して今や我が國は、世界史上空前の深刻激烈なる動亂の間に處して未曾有の大業を完遂すべき秋に際會してゐる。まこと支那事變こそは、我が肇國の理想を東亞に布き、進んでこれを四海に普くせんとする聖業であり、一億國民の責務は實に尋常一様のものではない。即ちよく皇國の使命を達成し、新秩序を確立するは前途なほ遼遠といふべく、今後更に幾多の障碍に遭遇することあるべきは、もとより覺悟せねばならぬ。 今こそ我等皇國臣民は、よろしく國體の本義に徹し、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする國民道德を振起し、よく世界の情勢を洞察し、不撓不屈、堅忍持久の確固たる決意を持して臣民の道を實踐し、以つて光輝ある皇國日本の赫奕たる大義を世界に光被せしめなければならぬ。 ■5.小まとめ 以上から、昭和10年代に文部省から刊行された2冊の公定「国体」解説書の比較を通して、当時の日本を巡る2つの思想潮流(日本主義とアジア主義)の対応関係、時期による両者の政治的な優劣関係をまとめる方向に進めればよいと考える。 また、『国体の本義』の内容の読解を糸口として、戦前の日本に存在した「日本型保守主義」の中核的内実を見出し得ると考える。 ◆1.『国体の本義』と『臣民の道』の内容の異同(再掲) ※サイズが合わない場合はこちら をクリック ◆2.日本主義とアジア主義 ◇1.現在流通している「日本主義」の説明と、『国体の本義』 【日本主義】 にほん・しゅぎ(ブリタニカ国際大百科事典) 明治から第二次世界大戦敗戦まで における 欧化主義・民主主義・社会主義などに反対 し、 日本古来の伝統や国粋を擁護しようとした思想や運動 をいう。一定の思想体系をなしていたとはいえず、論者により内容が相違する。明治 の支配層が推し進めた 欧化主義への反発 として三宅雪嶺や高山樗牛らによって唱えられ、政治的には 欧米協調主義への反対、国権や対外的強硬策の強調 となって現れた。大正や昭和 になって日本の資本主義の高度化が階級対立を激化させ、 社会主義やマルクス主義が流入 すると、これら諸思想の 対抗イデオロギー として機能し、 天皇を中心とする皇道や国体思想を強調 した。(cf.神国思想) ◎補足説明 「日本主義」という用語は、上記の説明の様に、先ず ① 明治期の国粋主義・ナショナリズム的思想傾向(明治期の日本主義)と、 ② 昭和初期の社会主義・マルクス主義等への対抗思想(昭和期の日本主義) の時期的に異なる二つのケースを区別しなければならない。 更に、昭和初期には、「日本主義」という言葉が、現在の「民主主義」「自由主義」「保守主義」などの言葉のように通俗化してしまって、 ただ単に日本の文化や歴史を誉めそやしたり、他国・他民族に対する優位性を主張したりする傾向 をも、幅広く「日本主義」と呼び習わしていたので、例えば大川周明など明らかなアジア主義者も、日本を賞賛していることから、やはり「日本主義者」に数える場合がある。 しかし、本ページで用いる「日本主義」は、その意味をもっと狭く 「日本を、支那など東アジア諸文明とは別個の、一国一文明の国・民族と考え、その独自性を重視する立場」 と捉えている。 つまり「アジア主義」と対比される意味での、「純正-日本主義」である。 『国体の本義』は、?昭和初期の社会主義・マルクス主義等への対抗思想(昭和期の日本主義)、として文部省によって編纂・刊行された「純正-日本主義」の立場に立つ公定「国体」解説書である。 ◇2.現在流通している「アジア主義」の説明と、『臣民の道』 【大アジア主義】だい・アジア・しゅぎ Pan-Asianism (ブリタニカ国際大百科事典) 欧米列強のアジア侵略に抵抗するため、アジア諸民族は日本を盟主として団結すべきであるという考え方。明治初期以来、種々の視角から展開された。植木枝盛は自由平等の原理に基づきアジア諸民族が全く平等な立場で連帯すべきことを説き、樽井藤吉や大井健太郎は、アジア諸国が欧米列強に対抗するために連合する必要があり、日本はアジア諸国の民主化を援助すべき使命があると説いた。明治20年代になると、大アジア主義は明治政府の大陸侵略政策を隠蔽する役割をもつようになった。1901年に設立された黒龍会の綱領にもみられるように、その後の大アジア主義は天皇主義とともに、多くの右翼団体の主要なスローガンとされ、これに基づいて満蒙獲得を企図する政府・軍部の政策が推進された。日本人の大アジア主義的発想は、第二次世界大戦前・戦中の「大東亜共栄圏」構想を支えた。 【大東亜共栄圏】だい・とうあ・きょうえい・けん(ブリタニカ国際大百科事典) 第二次世界大戦を背景に1940年第二次近衛内閣以降45年敗戦まで唱えられた日本の対アジア政策構想。その建設は「大東亜戦争」の目的とされた。東条英機の表現によれば、大東亜共栄圏建設の根本方針は、「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」しようとすることにあった。しかし実際は、東アジアにおける日本の軍事的・政治的・経済的支配の正当化を試みたものに他ならなかったといえる。第一次近衛内閣当時の「東亜新秩序」は日本・満州・中国を含むものに過ぎなかったが、南進論が強まるにつれて、インド・オセアニアにいたる大東亜共栄圏構想に拡大された。大東亜省の設置と大東亜会議の開催は、このような方針の具体化に他ならない。 ◎補足説明 「アジア主義」・「大アジア主義」という用語も、また意味が広いが、 本ページでは、これを、Pan-Asianism(汎アジア主義)つまり、 アジア全般あるいは東アジア(インド文明圏を含むか否かで更に分かれる)地域を、西洋文明と根本的に対立する地域・文明圏(東洋文明)と一括して捉え、アジア(あるいは東アジア)の諸民族は、日本を盟主として団結し、欧米列強の植民地支配を打倒せよ、と呼びかける政治的・思想的立場 と捉えている。 こうした立場は、幕末期の攘夷運動に既にその萌芽が見られ、明治期の西郷隆盛の征韓論(西郷の持論は、韓国・支那と盟約を結んで欧米列強を排除することにあったが、それが歪曲されて韓国侵略を目的とする「征韓論」と呼ばれ続けている)、その影響を受けた頭山満・内田良平ら在野右翼による辛亥革命への援助、更に昭和期に入って、大川周明の東西文明対抗史観に基づく『大日本二千六百年史』その他の著書の刊行などによって民間に広く流布していたが、英米との協調を重視する政界・経済界の中枢からは警戒されていた。 しかし、1930年代の不況と世界経済のブロック化の進展に押された石原莞爾の満州国建設、さらに近衛政権下で勃発した支那事変の泥沼化によって、日本が東アジアへの軍事的関与から抜け出せなくなり、支那を援助する英米との戦争が避け難くなった状況下で、日本の戦争目的を肯定するイデオロギーとして、遂にこの「汎アジア主義」が日本政府によって援用されるに至った。 『臣民の道』は、そうした日本の戦争目的を肯定し、来るべき英米との総力戦への国民の参加・動員を求めた政治的パンフレットである。 ◇3.保守思想・革新思想との関係 下図に示す様に、日本主義は保守主義思想と、またアジア主義は革新主義思想と各々親和性が高いと思われる。(なお図の説明は、保守主義とは何か を参照) ※サイズが合わない場合はこちら をクリック ■6.参考図書 ◆1.『国体の本義』を理解するための図書 佐藤優氏著『日本国家の真髄』 (月刊誌『正論』に2008年10月~2009年9月まで掲載分を単行本化)佐藤優氏に関しては、産経新聞出版の『正論』から、新左翼の『情況』まで幅広く執筆活動を行っており、右派系雑誌では「大東亜戦争」、左派系雑誌では「太平洋戦争」などと左右の読者で巧みに用語や説明を使い分ける器用さが気になるが、大変に博識であり、かつ愛国的な人物であることは間違いないと思う。ただ、私見では、佐藤氏は元々の左翼思想(マルクス主義への強い関心と共鳴)から外務省時代に次第にナショナリズムに目覚めて、所謂「両翼(nationalism + socialism = national socialism すなわち国民社会主義)」的な立場に発展したタイプと思われ、それが大川周明や北一輝に対する佐藤氏の肯定的評価に反映されていると思う。しかし、保守主義とは、「両翼(右翼+左翼の融合形)」では決してないのであり、その点は確りと留意すべきだと考える。(参考)保守主義とは何か予め指摘しておくと、上記のように日本主義かアジア主義か、という観点から見ると、大川周明への強い共鳴に端的に現れるように佐藤優氏は国家改造主義者であり、戦前の革新右翼(アジア主義者)に近く、それゆえに若干奇妙な解釈が入る場合もある(例えば『国体の本義』は「君民共治」を明文でもって否認しているにも関わらず、佐藤氏は日本国憲法の国民主権を擁護する立場からこれを屈折して解釈している)のだが、それにも関わらず『国体の本義』の内容が強い説得力を持っていることが重要である。革新右翼に近い国家改造主義の佐藤優氏すら絶賛する内容であれば、当然に現在の私たち普通の日本人にとっても十分に通じる内容と考える。「国体」を語ろうとする者には必読の図書である。 ◆2.『臣民の道』を理解するための図書 佐藤優氏著『日米開戦の真実』 東西文明対抗史観に基づき、日本を盟主とする東洋世界と英米に代表される西洋文明の必然的な衝突、そして日本の持つ東亜解放の使命、を大東亜戦争戦争開戦直後にNHKラジオ放送で冷静かつ論理的に説いて好評を博した大川周明の『米英東亜侵略史』を、大川に共鳴する佐藤優氏が解説。私自身はこの立場にはかなり批判的(大川の様に東西文明の必然的対立を煽ると、今度はそれが欧米側の黄禍論を刺激して「東西文明の対決」が自己実現してしまうため)だが、汎アジア主義の内在的論理を掴む上で非常に参考になった。 ◆3.日本主義・アジア主義を理解するための図書 竹内好 (著)『日本とアジア』 先ずアジア主義の総合的理解のためにお勧めの本。著者・竹内好(たけうち・よしみ)氏は戦後の左翼論壇をリードした進歩的文化人の一人であり、その主張の要旨は「太平洋戦争(大東亜戦争)は、?英米との間では通常の帝国主義戦争であり日本が一方的に罪を負う必要はないが、?中国との間では明白に日本の侵略戦争であり、日本は中国に未来永劫に渡って謝罪し続けなければならない」とすることに尽きる。同書は「中国の近代と日本の近代」(1948年)、「近代の超克」(1959年)、「方法としてのアジア」(1961年)など竹内氏の戦後まもなくから1960年代までの主要な著作が集められており、毛沢東の大躍進政策の絶賛・中共と違って徹底的な思想革命・国家改造に進めない日本への苛立ちなど現代の目から見て、ある意味で新鮮?な戦後左翼(中共シンパの戦後のアジア主義者)の論調が愉しめるお得な一冊でもある。明治以降のアジア主義を概括的にまとめた評論や、北一輝や近衛文麿の支那との関わりについての評論も参考になる。 井上義和 (著) 2008.6刊日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 前記のように「日本主義」という用語には種々の意味合いがあるが、昭和初期にマルクス主義を始めとする西洋近代思想の圧倒的な思想的影響に歯止めを掛け、日本本来の国体を明徴すべきとした「純正-日本主義」の立場を最も端的かつ自覚的に示して政治的行動に至った日本主義者の系譜を実証的に追った貴重な一冊。amazon書評も参照。 ■7.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック + ... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ