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国旗 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (画像の名前) 情報 国家 黒イ山連合国 略号 BME 国王 ??? 大佐 ゆっくりM.SEKI 人口 約3000万人 軍備 陸軍 +... 多段式TNTミサイル 地対艦TNT連射砲 Flan s戦車隊 Flan s銃精鋭歩兵隊 通称「RedGunner」 海軍 +... 巡洋艦「暁」 空軍 +... ハリボテ空軍 爆撃機 迅雷 戦闘機 幽海 所属・締結同盟 特になし 同盟国 その他リンク ニコニコ動画マイリスト ニコニコ静画クリップ YouTubeチャンネル コメント #comment同盟国 、募集しています
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登録日:2011/06/15 Wed 04 32 42 更新日:2023/08/16 Wed 11 57 44NEW! 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 アメリカ イギリス キタユメ フランス ヘタリア ロシア 中国 協調性(笑) 竹林 竹林2号機 誰?も覚えてあげて下さい 連合 連合ファイブ 連合国 \Entente Powers/ ここでは、『Axis Powers ヘタリア』に登場する『連合国』の国々について説明する。 アメリカ CV 小西克幸 『つまり、俺がHEROだ☆』 金髪・青眼・アホ毛・メガネが特徴。アホ毛はナンタケット、眼鏡はテキサスを表す。 好きなものはハンバーガーとシェイク等ジャンクフードやアイス。 キャラソンでも歌いながらむっちゃむっちゃする。 最初フィンランドに発見されたが、イギリス・フランス間で取り合いになってイギリスの元で育てられた。 イギリスが育てたので味覚がえらいことになっている。 あと、作る料理が食欲失うくらいカラフル。 イギリスのユニコーンや妖精は見えないが、友達が宇宙人。 連合国の中心的存在。だがゴーイングマイウェイでフリーダムでいい加減な性格の為、頼られてる節はあまりないようだ。 イギリス CV 杉山紀彰 『ばかぁ!!』『黙れ』『却下』 少しはねた金髪に、≡ ≡←のような眉毛が特徴。眉毛は「イギリスの紳士的な何か」。 性格は皮肉屋で意地っ張り。でも仲良くなると世話焼きたがる。 元ヤンで海賊時代はかなり暴れ回っていた。その名残で今も口が悪い。今は(変態という名の)紳士の国として有名だが、典型的なツンデレ。 料理が壊滅的に苦手で、スコーンを作るとダークマターのような状態になってしまう。その腕はあのプロイセンが生死の境を彷徨わせる程度。 もちろん味覚音痴だが、紅茶(だけ)はおいしいと評判である。 アメリカに銃を突きつけられたり、香港の育て方で中国になじられたり等、どうも「育成力薄くね?」とフランスに言われたりしている。 幽霊や妖精やユニコーンはお友達。 フランスとは腐れ縁。 酒癖が悪く、酔うと脱ぎだす。 一応四兄弟の末っ子で、兄はスコットランド・ウェールズ・北アイルランド…なので厳密に言うと実はいつものイギリスは「イングランド」と言える。長らく兄貴は姿を見せなかったが、『ヘタリア World☆stars』405話で初登場した。 兄弟の順番は話し合いで最近決めたらしく、イギリスがスコットランド達に兄の立場を譲るという『大いなる譲歩』をした結果、イギリスが末っ子という事になったらしい。 因みにアニメの人気投票第2位。中の人は後にイタリアの中の人の部下になった。 フランス CV 小野坂昌也 『結婚…してくれないか……』 ゆるくウェーブのかかった金髪に、薄く生えたヒゲが特徴。 主要メンバーの中でも歳上な方の為か時々、「世界のお兄さん」を自称することも。 芸術や美味しい料理を愛し、兎に角美しいものが好き。美しければ老若男女なんでもイケる。 漁夫の利で良い思いをすることが多い。 意外と戦いは苦手。でもあのお方やあの子がいた頃は強かった。 作中トップクラスの変態として描かれることが多く、彼への「変態」は、誉め言葉のようなもの。その極みは、全裸(ただし股間は薔薇で隠してある)。 イギリスとは仲が悪く、よく喧嘩している(顔は好みだとか…)。だが財政難に苦しんでいた時何を血迷ったか結婚(合併)を迫ったりもした。 国歌がえげつない。 ロシア CV 高戸靖広 『仲良くなれないこは要らないよね?』 こんな顔→(^J^) 連合国の中でも一番大柄で、マフラーを巻いている。 純真な素朴さ・子供っぽさと残酷さが入り混じった威圧感を出す青年。笑顔でバルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)に圧力をかける等腹黒い。 怒らせすると「コルコルコルコル…」と言いながら威圧感が大幅にあがるので注意。 姉はウクライナ、妹はベラルーシ。 ウクライナはドジっ子なくせに腹黒いところがあり、ベラルーシは事あるごとにロシアに結婚を迫る。 ドアノブをもぎとりできた穴から覗き込んで「兄さん結婚結婚結婚結婚結婚…」と呟く様はホラー以外のなにものでもない。その時、ロシアはマジ泣きした。 ウォッカと向日葵が好き。 夢は暖かい日差しのなかで向日葵に囲まれて暮らすこと。 ※本編的の時代的にはソ連と呼ばれるべきだが、作者の判断によりロシアとなっている。 中国 CV 甲斐田ゆき 『今日も連合国は平和ある。』 長髪を一つ結びにしたヘアスタイル、声も少々高めで初見だけで性別を判断するのは難しいが、男性である。 一人称は「我(わたし)」。 「~ある」「~よろし」等、漫画の中国人によくある口調で話す。 ただしイギリスには阿片戦争での恨みがある為語尾が「あへん」になる。 日本同様見た目は若いが、4000年もの時を過ごしてきたおじいさん。もはや仙人。兄貴風吹かすもあまり相手にされてない。 美人画等は巧いが動物のキャラクターを描かせるとどっかで見たことあるのになってしまう。いい例がシナティちゃん。 ※シナティちゃん…ニヒルな笑みを浮かべるキティちゃん。 料理と拳法が得意だが、歳の為か身体はボキボキ。 カナダ CV 小西克幸 「誰?」 『カナダだよ!!』 アメリカの義理の兄弟で、アメリカにそっくり。育ての親であるイギリスですらよく間違える。 アメリカと同じく金髪青眼・メガネ・アホ毛が特徴。髪質はフランス曰く自分譲りらしい。 性格は穏やか、のんびり屋(ただし本人はのんびりしているつもりはない)、とアメリカとはまるで正反対。 地味にできる子で基本どの国とも仲良くやっている。どこぞのヒーローは見習うべきである。 白熊のクマ二郎さんと一緒に暮らしているのに、クマ二郎が名前を覚えない為しょっちゅう「誰?」「カナダだよ!」というやりとりをしている。 アニメ1話でやっていたイギリスとフランスの喧嘩は、中の人達のアドリブになっている。 [∂]ω[∂] そこの君!追記・修正よろしく頼むよ!因みに、反対意見は認めないぞ☆ △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 中国、台湾と同じ人でびっくりした。詳しくはドラマCDで! -- 名無しさん (2014-08-07 02 36 03) フランス、小野坂さん似合うだろうなっておもってたら本当に小野坂さんになって超びっくりした -- 名無しさん (2014-12-24 17 28 41) 名前 コメント
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ノールパット連合国 概要 北オルガ地方にあるラインハンメル皇国、リンツ国、ソイドニカ国が集まったもの。 象徴的君主として1人の王を持ち、各州にある程度の権限を持った議会が設置されている。 一時はポドクリシニア連邦側と友好関係を築き、先の大戦で共闘する等が見れたものの、今日では以前より国交のあったノストガレア合衆国との関係を取り戻している。 尚戦後はノストガレア合衆国の支援の元、核武装を行い、核保有国としてNOCTO内における権力を確立していった。 比較的大国とは言えない領土であるが、良質な木材を活かした高級家具や天然ガス、小火器の輸出といった豊富な収入源を持ち、軍の整備も行き渡っているとされる。 またその軍備は多くが侵攻作戦に対応する海兵隊への比重が大きく、戦艦も1隻ながら対地射撃として現役に留まっている。 地理(国土 地図中番号83番) 「Linehammer(ラインハンメル)州」「Linz(リンツ)州」「Soidnica(ソイドニカ州)」の3つの州から成る。 ラインハンメル州カナンポートに首都を置き、王室も同市にある。 都市は現在ラインハンメル州及びリンツ州に多く、ソイドニカ州は海軍及び海兵隊、海軍航空隊の基地が置かれる等軍事産業に重きを置いている。 歴史 元は1651年頃に3国へと分裂した「Albiland(アルビランド)王国」が有る。 分裂の後、1773年にそれらラインハンメル、リンツ、ソイドニカの三国が当時のソイドニカ国グリーン・ヒルにて締結した連合。 ラインハンメル州カナンポートに有る王を中心に政治が行われていたが、数年で首相を選出する立憲君主制へと変更された。 軍事としては重工業国であったリンツを中心に発展し、現在に至るまで就役した海軍艦艇の殆どがリンツ州で建造されている。 また1793年からはソイドニカ州より天然ガスの利用が模索され、1817年からは天然ガスの輸出を主とした貿易を展開した。 世界大戦 世界大戦直前、世界恐慌の混乱に乗じて晩年より活動を激しくしていたITO側国家と親密な関係を持つ共産党が台頭。国民の熱烈な歓声に包まれた共産政権はその一方で王族や貴族から地位を剥奪する等、従来の連合国の体制の崩壊を図り軍備にも偏りが生じた。 これと同時に共産政権はITO側国家の軍の上陸を受け入れ、事実上の占領を取らせる事となった。 世界大戦の発生の際には北部連合軍が共産政権から命令された武装解除に従わず、「自由ノールパット連合軍」としてノストガレア合衆国らと共に徹底抗戦に転じた。 武装解除に従った北部以外の連合国軍は、現ITO国家の兵器援助も若干受けつつ共産圏の軍に編入されて戦闘を繰り広げたものの、大戦の終結と同時に国内の共産党が解体に追い込まれた。 戦後 戦後はノストガレア合衆国を拠点に国内の反共地下組織や自由ノールパット連合軍に援助を行っていた非公式の"ノールパット亡命政府"を母体とした資本主義者らが代わって国家のトップに立ち、自然な流れでNOCTO側国家となり、1833年のNOCTO締結に立ち会った国の一つとなった。 また大戦中に共産ノールパット軍に供与されたITO国家製の生産設備を流用した生産体制を敷いており、現在使われる兵器の設計思想やベースとなった物などにその面影が見られる。 軍事 アナンプス洋を挟んでITOと睨み合うという地理上、北オルガ大陸東沿岸国を目標としたノストガレア合衆国主導の「東の盾戦略」により兵器援助や資金援助が行われており、その効果もあってか比較的強大な軍備を整えている。 海軍とほぼ同時に設立された海兵隊は海軍との強い協力を前提に作られた組織で、近代海軍創設の父とされるユゼフ・ポニトフスキは「この上なく高い火力を持つ船舶で地上を無防備な状態にし、大勢の海兵隊員で上陸・速度のある侵攻」を唱えた。 このポトニフスキの思想は現在の海軍及び海兵隊にも受け継がれており、ミサイルが開発された今日の海軍では海戦をミサイルのみでも行える事を前提に大口径砲の搭載や戦艦の改修・配備等、沿岸の掃射・海兵隊の上陸を第一とする考えへと変化している。 またリンツ州にある王立特技兵訓練学校においてはJTAC(統合末端攻撃統制官)の育成を行っており、国外の兵員含め年に何人もの優秀なJTAC資格取得者を生み出している。 なお本国は他国と比較しても特殊部隊が多い国に分類されており、NOCTO諸国を巻き込んだ紛争への対処やITO側国家への破壊工作/対策に注力しているほか、戦闘救難/捜索任務を専門とした部隊も設立されており、1日以内に世界中どこへでも向かう事ができると言われる。 数多くの歴史ある部隊は王国時代に設立されたものも多く、現在それらはロイヤル・ガードと通称され精鋭部隊として訓練・運用されている。 王族を象徴とする国柄、とくに海兵隊(Ziemnocjant)は他国からはRoyal Marineないしそれに該当する現地語の「Królewski Ziemncojant,クレウスキ・ジエノージャント」として知られる。 採用兵器のリスト等含む詳細はノールパット連合国-軍事詳細へ 外交 NOCTO加盟国とは概ね良好な友好関係を築いている。 中でもアスタマリー国とはViscaria型等に使われるSagittarius System Mk.9を共同開発といった、技術面での交流が非常に多く見られる。 対するITO加盟国との関係は最悪とも言え、歴史上"裏切り者"とも取れる事からITO加盟国から敵視されているケースが殆どであり、アナンプス洋を挟んでITO加盟国と隣同士である事からも緊張状態に陥る事が度々ある。 ただしNOCTO加盟国とは良好な関係と云えど、WW1においては共産の旗を掲げて戦争を行ってきた事から地域によってはあまり良い状況ではないケースもある。 それらから発展した愛国心を仰ぐような運動も国内で度々見られているが、近年は沈静化しつつある。 なお、国民は他国からの輸入製品よりも自国製の物品を優先して購入・使用する傾向にある。 しかし重工業化が進んだ当時では周辺国家の工業に少なからず影響は与えていたため決して低い地位の国ではなく、更に国連事務総長として本国の外相が選出されている。 また戦後発生した紛争等に介入する例が多く、大きな例では海兵隊の派遣や特殊部隊を使用した撹乱工作及びテロ組織の幹部暗殺等、非正規戦においては世界に影響を与えている。 貿易 大戦前の重工業化時代における交易の名残も含めて周辺国との貿易を展開しており、特に国内における世界大戦後の急速な国産兵器開発に合わせて航空機や小火器を中心に輸出を行っている。 また、Soidnica州の豊富に入手できる石油も収入源の一つとなっており、経済面で十分な利益を得ている国となっている。 更に全土の森のうち6割を占める広大な針葉樹林からも良質な木材が入手可能で、これを活かした手芸品や家具なども建国当初からの重要な収入源となった。 企業 Linz construction navale(リンツ コンストラクション ナーバル) Linz州に有る国内最大かつ最古の造船所。多くの国内向け艦船を建造する。 Gilbart Arms Factory(ギルバート アームズ ファクトリー) Linz州に本社を置く軍需企業。Raven HC.3を始めとした兵器の他、国内の殆どの砲弾・ミサイル等の設計/製造を執り行う。 またNaantali社はGilbart Arms Factoryからの独立企業であり、この2企業は密接な関係にある。 Kharkovski AeroTech(ハリコフスキ エアロテック) Soidnica州Kharkov市に本社を構える航空機メーカー。先の第一次大戦から現在に至るまで航空機を生産していたが、現在ヘリコプター分野に関してはGilbart社に譲っている状況である。 S.O Ciechanov Armory(S.O.チェハノフ造兵廠) Soidnica州Ciechanov市に有る国営の小火器メーカー。ノールパット連合結成前から同市にあるコンヴリーグ・アーモリーを母体としており、WW1勃発前に国営化されてからは国内向けのほぼ全ての小火器を製造している。 また国内軍のみならず国外に輸出する事を視野に入れた火器開発も行っており、いくつかの製品はノストガレア合衆国にも採用される程の実績を持つ。 治安 治安はほぼ全地域が非常に良いものと言え、近年の急速な自動車の発達により交通事故が発生する点以外では安全に生活を営む事ができると評されている。 また民間人による銃器の所有も免許制で認められているが、厳しい審査と多数の報告義務から所持しないという国民も少なくない。 一方で貧富の差が激しい地区も多々あり、犯罪の温床だけでなくテロリストの潜伏までをも許してしまっている一面もある。 政治 省庁としては下記の通り。 内務省、外務省、財務省、法務省、農業振興省、経済省、労働政策省、国民科学・教育省、保健省、国有財産省、観光省 が有る。 詳細は割愛するが、海軍・海兵隊・海軍航空隊・沿岸警備隊・空挺軍団・RSCGは内務省(MSW)が総括している。 近年は紛争への対応能力を向上させるための近代化に回す予算が作られており、1835年以降は従来より国防予算が増加傾向にある。 また軍の近代化に併せて警察組織へと軍の装備が回されており、同時に国内における警察の武力強化を行っている。 なお現在の首相(スタニスワフ・ポニャトフスキ)は共産主義が国内で台頭してから反共活動を行ってきた人物の血族。 文化・産業 本州(Linz,Linehammer)とSoidnica州の有るWincheski島では文化にいくらかの違いが見えるものの、食文化や衣装等と言った文化は概ね同じである。 Wincheski島では早くから工業化が進んだためか島の各所に生産工場が建てられており、大戦後にGilbart Arms FactoryがLinz州に生まれるまでは国内の航空機は殆どWincheski島の工場で賄われた。 国内を筆頭する軍需企業であるGAFは航空機からミサイルシステム、艦砲や戦車等幅広い製品開発を行っており、国内に配備される兵器は大半が国産のものとなっている。
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第2次世界大戦のヨーロッパ戦線において連合軍が独逸軍から鹵獲した銃器を恒常的に使用し続ける事は許可されていたのですか? destroyers-dealって何ですか? アルゼンチンは第2次世界大戦に参戦したのでしょうか。 大戦中、日本機はコードネームをつけられていましたが艦艇、車輌は敵からどのような呼ばれ方をしていたのでしょうか。 二次大戦時に英仏ポで結ばれていた条約名と、その内容を教えて下さい。 第二次大戦時のオランダとかベルギーの主力ライフルとか使っている砲とかを教えてください。 第二次世界大戦ですが、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、日本、中国以外の国はどこで何してたんでしょうか? 日本やドイツの敗戦時など国家が武装解除された場合残った兵器はほぼスクラップにされてしまいました WW2の連合国の対ソ援助ルートで、太平洋ルートは有効に機能していたのでしょうか? 第二次世界大戦では共にドイツと戦ったロシアとアメリカはなぜに今無茶苦茶仲悪いんですか? 第二次世界大戦終結時、米英軍の膨大な余剰兵器はどうなったのでしょうか? 第二次世界大戦で共に戦ったソ連とアメリカは戦後長く対立しましたが WWⅡで、イギリス海軍は妙に簡単に陸上機を艦載機化していますが、当時のレシプロ機なら容易かったのでしょうか? 二次大戦中連合国の指導者が色々なところで会談していますがどうやって移動したのでしょうか? WW2で、大西洋の戦いの後の話を聞かないフィリップ・ヴァイアン提督について知りたいのですが 連合軍はノルマンディーから上陸したわけですが、ベルギー・オランダあたりからの上陸は考えてなかったのでしょうか? プライベートライアン見て思ったのですが、なぜノルマンディに上陸する前に空爆しなかったのですか? 第2次世界大戦中,日本やドイツは工場の熟練工を徴兵したため兵器の生産に支障がでましたが,ソビエトやイギリスなどではそのような事は無かったのでしょうか? 第2次世界大戦前後にポーランド人が大量のドイツ人を虐殺したのは事実ですか? 第2次世界大戦時なぜフランスはドイツに敗れたのですか? フランスがドイツに負けた要因は単なるマジノ線を迂回されただけでしょうか? 第2次世界大戦時ベネズエラは1945年の宣戦布告以前、国交断絶以外にアメリカとの軍事同盟、土地の貸し出しのようなことはやってましたか? フランスのシトロエン社は第2次世界大戦中、特に兵器を作ってないようなのですが、当時から大企業だったシトロエン社にフランスは戦車等の開発は委託しなかったのでしょうか? 第2次世界大戦時、ケビルやダカール、カサブランカで米英軍と交戦したフランス軍兵士は、戦後何かお咎めはあったのでしょうか? 1940年代のトルコの軍事力はどうだったんでしょうか? ヨシップ・ブロズ・チトーは、第2次世界大戦前後、41年にパルチザンを始める前くらいは何をやってたのでしょうか?? 1935年の仏ソ相互援助条約は、相互不可侵以外にも軍事的な面を含んでいるんでしょうか? 第2次世界大戦のときに英仏がナチスに対抗できなかったのは、反戦主義的なムードでチェンバレンが宥和政策を続けていたからですか? 第2次世界大戦のときフランスは優秀な戦車を保有していたのになぜドイツ軍に負けたのでしょうか? 第2次大戦勃発時及び独占領期のノルウェー、デンマークの海軍編成をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて頂きたいのですが。 ベルギーには他国のようにファシスト団体はあったのですか? インドやニュージーランド、南アフリカの海軍ってどんなだったのかな? 英連邦チャーチル首相は軍人じゃないのになんで軍服姿なんですか? 「若い人が写真を撮る時によくやる二本指のいわゆるピース・サインは、 英国海軍は旧式となった艦船を新型に更新させる前に、第二次大戦に突入せざるをえなかった? 「有史以来、人類の闘争の場面において、これほど多くの人間が、これほど少ない人間に、これほど多くの恩を蒙ったことはない」 英国にとって植民地は戦争遂行上,役に立ったの? 英印軍の戦力ってどのくらいのものだったのでしょうか? 第二次大戦前、オーストラリアには軍用機工場や戦車工場、海軍工廠(造船所)などはあったのでしょうか? WW1やWW2の時、オーストラリアや南アフリカはイギリスに対して参戦義務を持っていたのでしょうか。 英国の海軍力はPacific theatreよりもEuropean theatreの方が比重が多いですよね? イギリスは貴族の人が率先して最前線に出たというのは本当ですか? イギリスがワシントン海軍軍縮条約明け直後に急いで戦艦の起工をしたのはなぜ? WWⅡ時にチャーチル首相が着用していた軍服の階級や位置付けを教えてください。 なんでイギリス軍はスピットファイアの艦上型だけではなくF6Fも多用したんでしょうか? チャーチルは日本の参戦を防ぐためにどうしたか? 大戦中のイギリスでは道路標識を外したというのは本当ですか? 大戦中の英軍には、カチューシャやネーベルベルファー、カリオペのような対地ロケット発射兵器はなかったんですか? 大戦時の英海軍の編制について インド帝国軍は植民地軍ではないでしょうか。 英軍のインド人将校が、白人の部下を配下に置くことはあったんですか? 英空軍は大量の爆撃機でドイツを廃墟にしましたが、戦後、余った爆撃機はどうなったのですか? 第2次世界大戦中、英国は服地節約のためにスカートを短くしろという法を作ったって、事実なの? チャーチルって文官の首相のはずなのに、なんで軍服を着用してたの? 大戦時の英軍機の命名規則を教えて下さい。 第2次世界大戦のヨーロッパ戦線において連合軍が独逸軍から鹵獲した銃器を恒常的に使用し続ける事は許可されていたのですか? 許可はされていないが員数外の兵器として使用されることはよくあった。 特に北アフリカでのイタリア軍装備を英軍が使ってたとか、 欧州戦線でドイツ軍が使っていた銃器類を米軍が使っていたなどの例は枚挙にいとまがない。 (24 眠い人 ◆ikaJHtf2) destroyers-dealって何ですか? 1940年9月に米英間で結ばれた協定で、 アメリカがイギリスから8海軍基地を租借し、そのかわりイギリスに旧式駆逐艦 50隻供与を同意するものだったはず。 詳細はこちら。 http //en.wikipedia.org/wiki/Destroyers_for_Bases_Agreement (41 111) アルゼンチンは第2次世界大戦に参戦したのでしょうか。 当時のArgentinaは枢軸国、連合国双方への羊毛、牛肉、小麦の輸出で、 多大な利益を上げ、現在では考えられないほど、有数の金持ち国でした。 で、飛行機、戦車、艦船などの国産化を行っています。 (大戦後はクルト・タンクとかエミール・ドヴォアチンを招いて、ジェット戦闘機まで 試作してたりします) Argentinaは1945.3.27に枢軸国への宣戦布告を行っています。 但し、幾分はアリバイ的な参戦ですから、ブラジルのように軍の派遣まで至っていません。 (44 眠い人 ◆ikaJHtf2) 大戦中、日本機はコードネームをつけられていましたが艦艇、車輌は敵からどのような呼ばれ方をしていたのでしょうか。 艦艇については基本的にコードネーム等は無いみたい。 捕獲車両や捕獲武器は確かMナンバーが振られており、航空機のような 正式なコードネームは米軍が作成した「日本陸軍便覧」にも記述なし。 おそらく無いと思う。 ただ、兵器によっては"knee mortar"みたいな愛称は有る。 (66 87) フネについては名称が分かればそれで呼んでた。 現代のソ連/ロシア/中国の艦艇みたいにコードネームをつけると言うことは なかったようだ。 (66 88) 二次大戦時に英仏ポで結ばれていた条約名と、その内容を教えて下さい。 あれは三国同盟レベルなのか、それとももっと低い物なんでしょうか? それと、あれは戦争をふっかけたときにも使えますか? 仏ポーランドとの間には、仏とポーランドの間で軍事 同盟(1921)、英国とポーランドの間に相互援助条約(1939)が締結され、1939年 には、英仏によるポーランド保全宣言が為されています。 従って、仏との間は三国同盟レベルのもの、英国との間には初期の英米関係の ようなものと言えるのではないでしょうか。 更に保全宣言自体は、ソ連頼みで、ソ連軍をポーランドに引き入れて、ポーランド 軍と共同で独軍と戦わせることに主眼が置かれていました。 しかし、ポーランドが自国領内をソ連軍が通過することを拒否したため、頓挫しています。 (68 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 1938年8月24日に結ばれたポーランド援助条約の事だと思います。 これに基づいて英仏はドイツに宣戦布告したんじゃなかったかな。 (68 596) 第二次大戦時のオランダとかベルギーの主力ライフルとか使っている砲とかを教えてください。 (拳銃) ブローニングM1922が主力です。 (小銃) ベルギーはM1935カービンで、他に第一次大戦中のM1916も使っていたと記憶 しています。 FNで生産された国産ライフル銃ですが、モーゼルM1895の影響を受けています。 オランダはオーストリアが開発したモーゼル系のM1895マンリッヒャーライフルを ライセンス生産して使っています。 (機関銃) ベルギーはブローニングのBARを採用していました。 オランダは、オーストリア製のシュワルツローゼ1907/12重機関銃を使用しています。 (対戦車砲) オランダはラインメタルのPak35/36を使用していました。 ベルギーは47mmのM1931対戦車砲を750門使用しています。 (装甲車両) ベルギーは英国製T-13系列のタンケッテを260両余。 このうち、対戦車自走砲型が210両でした。 他に、ヴィッカース軽戦車T-15を42両、ルノーADG1軽戦車を12両。 オランダは貧弱で、スウェーデン製のランズベルグL-180/181装甲車24両、 英国製カーデンロイドを5両保有しているに過ぎません。 (77 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第二次世界大戦ですが、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、日本、中国以外の国はどこで何してたんでしょうか? 日本の敗戦が濃厚になったあたりで 日本へ宣戦布告した国が多々あります 日本と直接利害関係のない国もあったようです (79 259) 日本やドイツの敗戦時など国家が武装解除された場合残った兵器はほぼスクラップにされてしまいました なぜスクラップにしてしまったのでしょうか? 簡単に言えば、戦争が終わったのだから余剰兵器を抱え込んでいても意味が無いからですよ。 自分達の兵器体系にあわない敵国の兵器を装備するのはあまりにも非合理的ですし。 もっとも、兵器不足に苦しんでいた共産党軍や海軍の戦力が低下していたソ連軍などは 武装解除で引き渡された日本やドイツの兵器を活用しています。 賠償艦として分配された艦ですが、簡単な性能調査をした後はほとんどスクラップか 沈没処分、もしくは標的艦として沈んでいます。 生き残って引き渡された国で活躍した艦は有名な「雪風」(中:丹陽)やドイツの 独軽巡洋艦ニュルンベルグ(ソ:アドミラル・マカロフ)、 伊戦艦ジュリオ・チェザーレ(ソ:ノヴォロシースク)などがあります。 (96 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) WW2の連合国の対ソ援助ルートで、太平洋ルートは有効に機能していたのでしょうか? 最盛期には物資の半分近くが通ったそうです。 追加しますと、1941年に日ソ不可侵条約を締結していますから、 日本としてはソ連船籍であれば中立国ですから、 例え積荷が対独戦に使われることが確実であっても手出しできないことになります。 (98 401) 第二次世界大戦では共にドイツと戦ったロシアとアメリカはなぜに今無茶苦茶仲悪いんですか? 今はそんなに仲が悪いわけではない。 冷戦期(60年代から80年代末あたり)の「一歩間違えれば世界が終わる」ってな 雰囲気と比べればフレンドリーと言ってもいい位。 取りあえず、厨房か工房なら歴史の教科書の現代史の部分を一通り読んでみることを勧めとく。 (99 610) 610氏の言うとおりで、現在のロシアとアメリカはそれほど深刻な対立の種を 抱えてはいません。 対立が目立つようになったのは、第二次世界大戦が連合国の勝利で終わることが ほぼ確実になったころですが、これは、ごく簡単に言うと、枢軸国を打倒したあとの 世界秩序の再編成について考え方に相違があったためです。 あとは、自分で勉強することですかね。 (99 612) もともと資本主義のアメリカと社会主義のソ連が仲良かったはずはない。 ただ共通の敵(ナチス・ドイツ)がいたので戦略上手を組んだだけ。 敵がいなくなれば本来の対立関係に戻る。 (99 614) まず戦前、社会主義国となったソ連は、列強を自負する国とは、およそ対立しています。 列強諸国は、ソ連の社会主義革命が成功して、自国にも社会主義が浸透してしまうのを嫌ったのです。 つまり元々仲が悪かったのです。 では何故ともにドイツと戦ったかと言えば、「敵の敵は味方」と言い回しを知ってますか? 要するに仲の悪い者同士でも、第三者から同時期に喧嘩を売られたら、手を組んで戦いましょうって感じかな。 大戦後に仲が悪くなったと言うより、共通の敵が居なくなって、また元に戻った訳です。 現在の情勢は省きます。 (99 627) 第二次世界大戦終結時、米英軍の膨大な余剰兵器はどうなったのでしょうか? スクラップ、射撃訓練の標的、民間や博物館に払い下げ、他国に輸出 同盟国に給与などなど使い道はいくらでもあります (100 530) スクラップや同盟国に供与はガイシュツなので詳細は省きます。 特殊な例はレンドリース品の処分ですね。 旧式化して米国から返さなくて良いとされたのですが、使い続けると買い取りになるので、 海に投棄したり、野営地に放置して捨てています。 廃材にすらしなければ、使用中の損耗扱いになるからです。 また、面白い例では、米が大量のシャーマン戦車を、 砲身の根本に横穴を空けただけで屑鉄としてイスラエルに売り渡した例があります。 鉄管をかぶせただけで再生したそうですが、政治的な意図があったかは判りません。 (100 580) 第二次世界大戦で共に戦ったソ連とアメリカは戦後長く対立しましたが イデオロギー的に相容れないと判っているのなら大規模な対ソ援助を行わなければよかったのではありませんか。 アメリカは、ドイツとソ連のどちらがマシかを考え、 「ナチよりコミーの方がマシだ」と決心し、援助をしたのです。 ソ連の代金踏み倒しは、予想の内ではないでしょうか。 (106 943) フランス降伏後のヨーロッパを考えてください、 ソビエトが潰れればナチスドイツはユーラシアを平定しそうな勢いで、 後顧の憂い無く米英と対峙出来る恐れがありました。 そして米英が、ヨーロッパに上陸して戦う体制を作るには時間も必要でした。 対ソ援助は、あの反共のチャーチルさえ賛成せざるをえない、緊急な問題だったのです。 (106 945) 根本的に勘違いしてるのでは? ソ連参戦を望んだのはイギリス。 これは、敵の敵は味方と言う発想。 対して、当時のアメリカは孤立主義の国であり、世界の覇を争う気などは無かった。 戦中、アメリカ発の援助物資の内、レンドリース品については初めから「条件付き無償」であり、 踏み倒すのとはちょっと違うのでは無いだろうか。 (戦争が終結したら返品か廃棄しなくてはならなかったが、 アメリカが返品を望まなかったので、廃棄が必須となっていた。) (106 950) WWⅡで、イギリス海軍は妙に簡単に陸上機を艦載機化していますが、当時のレシプロ機なら容易かったのでしょうか? WW2の直前まで、英海軍航空隊は独立しておらず、空軍の1セクションだったから。 恐ろしいことに、空母の艦長は母艦航空隊の指揮が執れないとか、逆に航空隊の 士官が空母乗組の水兵に命令を出せないとか、とんでもない制度だったのです。 当然、開発予算や何かも、陸上から作戦する、空軍本体に優先的に割り当て。 (113 173) 二次大戦中連合国の指導者が色々なところで会談していますがどうやって移動したのでしょうか? ニューファンドランドで米英首脳が会談した時は、Rooseveltは重巡洋艦(Augusta)、 Churchillは戦艦(Prince Of Wales)で移動しています。 その後、ChurchillはC-54Bを使用し、大戦末期にAvro Yorkに乗換、Rooseveltは、 C-54C("Sacred Cow"号、専用エレベータを持つ)を使用して会談に向かっています。 また、英国で連合国の首脳会議が行なわれた時、ソ連のMorotov外相は、 自国製のPe-8大型爆撃機でロンドンに向かっています。 (115 眠い人 ◆gQikaJHtf2) モロトフはソ連から爆撃機で移動とありますが、かなり北を回ったということなのでしょうか? ちょっと訂正。 Pe-8の飛行は、MoscowからWashingtonで、帰途にScotlandに寄ったものでした。 1942年5月19日~6月13日に掛けて、Pe-8の66号機(と言われています)が、行なっています。 この時の経路は、Moscow→Murmansk→Tealing→Prestwick→Reykyavik→Washingtonです。 帰りも同じ経路を通ってますが、Scotlandに寄っているようです。 (115 眠い人 ◆gQikaJHtf2) WW2で、大西洋の戦いの後の話を聞かないフィリップ・ヴァイアン提督について知りたいのですが イギリス太平洋艦隊に所属して対日戦に参加していたんです。 (118 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 連合軍はノルマンディーから上陸したわけですが、ベルギー・オランダあたりからの上陸は考えてなかったのでしょうか? 補給を考えてロッテルダムやアントワープとかの港湾設備がある地方からのほうが良いように見えるのですが…… まず、その辺に上陸するには海を長距離(っていっても対した距離じゃないけど)越えてく 必要がある。 それに、デンマーク海峡から北海南部までは引きこもり状態だとはいえまだまだ ドイツ海軍の勢力圏内だから、完璧な制海権を必要とする大規模上陸には困難が 伴う。 なによりオランダは国全体が湿地と低地で、運河と沼だらけだから上陸したあと 大部隊が纏まって行動するのが困難だし、フランス北部からベルギーにかけては ドイツが上陸を想定して警戒している。 奇襲上陸が可能で上陸後の部隊展開も容易、制海権がほぼ完璧におさえられる場所、 というとノルマンディーが最適だった訳。 ちなみにドイツ軍がそう考えているであろうことを予測して、ノルマンディ上陸の 前にはカレー~ベルギー北海岸のどこかに上陸する計画である、っていう偽情報が ありとあらゆる手段で流された。 パットン将軍はこの偽上陸計画の「総司令官」とされて実際にはありもしない作戦の ために各地を奔走した(偽情報をらしく見せかけるため)。 (461 603) 英本土から離れすぎなので、たどり着くまでに見つかる可能性が高い。 港湾施設があるところは当然のことながら防備が厚く、道路網も発達しているので兵力を集中させやすい。 つまり自殺行為。 敵の最も手薄なところを狙うのは基本中の基本。 港湾を占領するのはその後でいい。 ノルマンディの場合は「港がなければ持ってくればいいじゃない」ということで、マルベリーという巨大な埠頭を持って行って海岸沖に設置した。 (461 604) プライベートライアン見て思ったのですが、なぜノルマンディに上陸する前に空爆しなかったのですか? ノルマンディの海岸地帯のうち、「プライベートライアン」の舞台になっている「オマハ海岸」 (オマハはコードネームで本来の地名ではない)だけは事前の防衛強化策でトーチカ等が整備されていたのに、 当日の朝爆撃した爆撃機部隊が先導機(爆撃する目標を後続の部隊全体に指示する役)が目標を取り違えて 海岸ではなく海岸から陸地に進んだところにある予備陣地(海岸が陥落したら撤退してそこで第2時防衛線を張る)を 爆撃目標に指示し、爆撃部隊はそこに爆弾を落とした。 そのため海岸陣地はほぼ無傷で、艦砲射撃も少し離れたところにある砲台を恐れて艦が海岸へあまり接近 出来なかったので大した効果がなかった。 なので、最も防備の堅い所に真正面から上陸作戦仕掛けたのであんなことに。 (488 773) 第2次世界大戦中,日本やドイツは工場の熟練工を徴兵したため兵器の生産に支障がでましたが,ソビエトやイギリスなどではそのような事は無かったのでしょうか? 人口に対する兵役人員の割合から、第2次世界大戦におけるソ連とアメリカ、イギリスは軍需生産、 および市民生活に支障が出るギリギリの線まで動員を行っており、特にソ連では場合によっては深刻な状態に陥ったようです。 イギリスは動員した本国兵士が比較的少数であったため、これを補うために大量の植民地兵を投入していました。 それでも熟練を要しない単純労働では労働力が不足し、各国で、女性の登用が盛んに行われたようです。 つまり、動員力ぎりぎりまで兵を投入した連合国に対抗するため、 枢軸側は動員力を超えて兵を集めざるを得なかった、ということになるかと思います。 (214 641) 第2次世界大戦前後にポーランド人が大量のドイツ人を虐殺したのは事実ですか? 開戦後ならドイツ系住民の虐殺はあった。 詳しい数字は忘れたが、H・ヘーネの「髑髏の結社」にポーランド側の調査結果とポーランド 降伏後のドイツの調査結果からの被害者数があった。 (329 894) 第2次世界大戦時なぜフランスはドイツに敗れたのですか? 攻勢のポイントはわからなくとも、いつかドイツが東から攻めてくると言うのは可能性として十分検討すべき問題であった訳ですから。 前線に配置した主力が遊兵と化しても戦略予備と志願兵を活用して縦深陣を敷き出血を強いれば、勝てないにせよ負けはしなかったと思うのです フランスはドイツとの国境地帯に要塞を築き(有名なマジノ線)、ここでドイツ軍を 食い止めているうちに戦略予備を集結させて一気に反撃する計画だったが、ドイツ軍は マジノ線を無視して迂回して来た上、鉄道網と道路網を爆撃で破壊されまくって戦略予備の 移動も集結もままならなかった。 だからと言ってマジノ線に配置した主力を動かすこともできず(そんなことしたら空いた 国境線からドイツ軍の続陣がなだれ込んでくる)、結局北部配置の部隊でかろうじて集結に 成功した部隊だけがドイツと戦っていた。 縦深陣を敷くような兵力の余裕がなく、総司令部は戦況をよく把握できていない上に通信網が 潰されたので戦略規模での指示が出せず、戦略的戦闘は事実上不可能になっていた。 (479 582) 仮に志願兵が集められたとしても、使い物になる前に正規軍の主力がダンケルクで消滅してるのでどうしようもありません。 戦略予備がなかったから突破された後どうしようもなくなったし。 「俺ならこうした」は後知恵にすぎず、そうできなかったのにはそれなりの訳があるということをまず知ってください。 (479 581) 毎回薦めるが「電撃戦という幻」を読むといい まぁドイツの現地指揮官が暴走するとは誰も予想できなかったし フランスの将軍たちは想定外の事態にすばやく対応する訓練を受けてなくて ただ呆然としている間に勝機を失った (479 598) フランスがドイツに負けた要因は単なるマジノ線を迂回されただけでしょうか? ドイツは第1次世界大戦で失敗した作戦を第2次世界大戦またやったのになぜ第2次世界大戦では成功したのでしょうか? そもそも、WW1のシュリーフェン・プラン(を変形した小モルトケの作戦計画)と WW2の黄色の場合(元ネタはマンシュタイン計画)は別物 単純化すると、WW1で主攻だった北翼は陽動になり、 主力はアルデンヌからセダンへと突破して敵部隊を分断することを狙っていた (旋回方向が逆になったと言えば分かりやすいかもしれない) あとフランス軍が、ドイツ軍の進撃速度に対応できず、後方の総司令部に 情報がすばやく届かず、予備兵力の投入が遅れ兵力が各個撃破されたから。 (558 762) 総司令部とはどこの総司令部ですか? 総参謀長ガムランの司令部だろ。 情報が遅れるというか、フランス軍は総司令部に無線を置いておらず 指令もバイク便で行なっていたため、前線に伝わる頃には戦闘はとっくに終わって前線は数十キロ進んでいたということが普通だった。 電撃戦でなく、WW1のように塹壕戦主体ならそれでもやっていけたかもしれない。 もっともフランス軍はガムランに限らないが。 ウンチージェ将軍によれば、ジョルジュの北東方面軍司令部は 防衛の要であったムーズ川線が崩壊する際に前線に何の支援も指示もしなかったとのこと。 ウンチージェの方から指示を仰いでも忘れているのか全く返答が無く、 直接ジョルジュに会いにいって話せば、「君が最善と思う事をやりたまえ」とだけ言われたとのこと。 全く仕事をしてない。 そして英派遣軍司令部はスダン地区防衛のため、英本国から大規模な航空兵力の増援を出すと決定したが ジョルジュは「現有兵力だけで十分守りきれる」という声明を発表して断った。 その声明を出したその日のうちにスダンが抜かれて仏軍が全面壊走に移っていくことになったわけで、 前線の状況なんて全く分かってなかったということ。 (558 771) 第2次世界大戦時ベネズエラは1945年の宣戦布告以前、国交断絶以外にアメリカとの軍事同盟、土地の貸し出しのようなことはやってましたか? 大西洋憲章への参加(1943.2.13)以外は何もしてません。 軍事同盟も締結していませんし、ましてや土地の貸与なんぞは全くしていません。 一応、宣戦布告自体は、1942年と可成り早いですけどね。 (342 眠い人 ◆gQikaJHtf2) フランスのシトロエン社は第2次世界大戦中、特に兵器を作ってないようなのですが、当時から大企業だったシトロエン社にフランスは戦車等の開発は委託しなかったのでしょうか? シトロエンには戦車開発の技術などはありませんでした しかし、履帯など足回りに関してはフランス随一の能力を持っており 主にソミュア社に協力する形で戦車開発に協力しています S35の足回りなどもシトロエンの技術協力の賜物です (576 474) 第2次世界大戦時、ケビルやダカール、カサブランカで米英軍と交戦したフランス軍兵士は、戦後何かお咎めはあったのでしょうか? ヴィシーらと同じように国家(=自由フランス)への裏切り行為として責められたりしたのでしょうか。 あくまでヴィシーフランス政府の命令で戦っただけだし、北アフリカのヴィシー政府軍は連合軍との講和後は自由フランスの貴重な戦力となったのでお咎めなし。 国内のヴィシー軍は、連合軍の北アフリカ上陸後に解体されてるし。 戦後裁判にかけられたのはヴィシー政府の要人やフランス人ファシストなどドイツに積極的に協力した連中。 (337 46) 積極的な対独協力をした訳ではありませんし、その後は自由フランス軍への参加をしていますので、 帳消しです。 ついでに、Vichyでも県知事レベルなんかはお咎めなしが殆どですし。 (337 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 1940年代のトルコの軍事力はどうだったんでしょうか? 陸軍は、第1次世界大戦からの流れで主にドイツ製の兵器を用いていました。 小銃はモーゼルKar98a/bを主体に、対空砲はFlak18/36/37系列の88mm砲と Flak36/37の37mm砲、野砲は75mmのleFK18、105mmのleFH18、重砲は150mmの K39、歩兵砲には150mmのslG33、山砲に75mmのGebK15、迫撃砲だけはストーク ブランの81mm迫撃砲を用いています。 戦車は、ソ連から購入したBT2、英国のMk.VIB、フランスのルノーR35を主力としており、 1943年の駆け込み供与で、III号戦車とIV号戦車H型がドイツから供給されました。 戦後は、英国や米国から供与された兵器体系へと転換されていっていますが、1940年代 末までドイツ製兵器は利用されていました。 海軍は、弩級巡洋戦艦Yavuz Sultan Selim、巡洋艦Medijidieh、Hamidiehで、前者は機雷 敷設艦として用いられていました。 駆逐艦はイタリア製のKocatepe級2隻、Tinaztepe級2隻、英国H級のGayret級3隻、潜水艦 はBirindci Inonu級Uボートもどき(ドイツで設計されオランダで建造)2隻、フランス製Dumlupynar、 Sakarya、Uボートの試作艦であるGur、TypeIXAのUボートであるAy級3隻と英国U級のBurec Reis が1隻あり、魚雷艇としてMASが2隻、機雷敷設艦2隻、掃海艇2隻、MTBんど英国製の高速艇7隻 などがあります。 他に潜水艦1隻はドイツに接収され、同じく潜水艦4隻が英国に接収されて3隻が戦没し、1隻だけが 引き渡されました。 1946年に英国からBathurst級哨戒艇4隻、1947年に米国からAuk級沿岸掃海艇が8隻、1948年以後、 米国からGleaves級駆逐艦が2隻、Balao級潜水艦3隻が引き渡され、旧来の艦艇を置き換えていきます。 空軍は、開戦前にPZL P.24Cを40機以上、He-111F-1が30機、G-5が5機、Martin139Wが20機、 BlenheimMk.Iが30機、Vultee V-11GB攻撃機40機、練習機がFocke-Wolf Fw-58、Gotha Go-145、 Curtis-Wright CW-22、Miles Hawk Mk.III、輸送機がDe Havilland DH84/89、General Aircraft ST-18、 飛行艇には、Super marine Southampton、Warlusなど総計370機を保有していました。 その後、フランスからMorane-Saulnier M.S.406を45機、英国からHawker Hurricane Mk.Iを15機、Mk.IIb/IIcを14機、 Supermarine SpitfireMk.Iaが3機とVbが100機、Curtiss TomahawkMk.IIB、Bristol BlenheimMk.IV/Vを18機、 Beaufort、Beaufighter、Fairy Battleが29機、Airspeed Oxford、米国からMartin Baltimore、Consolidated B-24Dが 供給されています。 ドイツからはFw-190Aが供給されただけで、He-111の部品は英国から撃墜機の部品を取って使用しています。 国産機は、Nuri-Demiragと言う会社が、NuD36練習機とNuD38輸送機を製作し、トルコ航空連盟が設立した 工場で、ドイツとソ連製Gliderがライセンス生産されました。 他に、Miles HawkIIIは100機がライセンス生産され、THK2練習機25機、THK5輸送機が10機生産されています。 戦後は、Fw-190とSpitfire、B-24、Beaufighterなどを主力機としていましたが、余剰となったP-47D-25などが 供与されたのを皮切りに、徐々に米国兵器体系になっていきました。 (601 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ヨシップ・ブロズ・チトーは、第2次世界大戦前後、41年にパルチザンを始める前くらいは何をやってたのでしょうか?? ヨシップ・ブロズ氏は小学校卒業後錠前職人に奉公に出され、冶金工としてオーストリア=ハンガリー 国内を転々とする。 徴兵されて第1次世界大戦に参加したが反戦運動に参加して収監。 釈放後従軍した戦闘で部隊ごとロシアの捕虜になり、捕虜収容所で革命運動に参加して逮捕-脱走 を繰り返した後赤軍に参加。最終的にはソビエト共産党に加入が認められる。 終戦後帰国して1920年ユーゴスラビア共産党に入党し以後共産党員として活動。 1934年にはヒラの党員から政治局員に昇格。 ちなみに「チトー(Tito)」というのは党員時代の渾名。 人になにか頼むときよく 「そこのお前、アレを頼む」 「アレってなんですかアレって」 「アレだよ!」 「アレ で判る訳ないでしょ!」 という会話を繰り広げていたので、お前(Ti)と アレ(To)をくっつけて作られた。 (626 175) チトーが政治局員になった時は丁度スペイン内戦にコミンテルンが各国から積極的に 義勇兵を募集して送り込んでいたので、上層部はそれの支援に忙しく、チトーは ユーゴ国内の共産党の組織化を主に担任した。 尚「ユーゴ共産党」だけど国内は官憲の弾圧が厳しすぎてマトモな活動ができない ので、ユーゴ共産党の本部はウィーンにあった。 チトーはそんな中で珍しくウィーンとクロアチア、ユーゴを行き来して地元との連絡、 調整役として活躍している。 それで大きな功績を上げたチトーは中央に推薦されてモスクワのコミンテルンに派遣 されて活動することになった。 これは有能なチトーを遠ざける狙いもあったと思われる。 その後、ユーゴ共産党の幹部はスペインへの義勇兵派遣でドジを踏んだ(ずさんな移動 計画から当局に義勇兵が大量に逮捕される)り、スターリンに粛清された勢力と親しく していたりしたためにまとめて粛清されてしまい、地味だが重要なポジションにいて 現場仕事を担当していたチトーが臨時のユーゴ共産党書記長の座についた。 チトーはその後密かに帰国してコミンテルンとユーゴ共産党国内各支部の間に当局の目を 避けた連絡網を構築することに尽力し、地下組織のネットワーク化に努力した。 帰国後はずっと地下活動をしていた…けれども何度も国内と国外を行き来しているし、 本人の回想にも「結構普通にま昼間から買い物に出歩いたりしてたけどね」なんて書いて あったりする。 あと、チトーはクロアチア時代に何度も逮捕歴があるが、ユーゴの公安警察は お役所仕事でよくありがちのことに地区ごとの横の繋がりが薄く、功を焦って 「自分の身内以外には情報を流さない」ので何度も逮捕されたクロアチア以外 では意外と顔を知られておらず、クロアチア以外、ベオグラードなどでは公安 警察の捜査官でも存在をよく知らないものが多かったという。 なのでユーゴ共産党の書記長になってからの方が活動はむしろ楽であったらしい。 (626 182,183) 1935年の仏ソ相互援助条約は、相互不可侵以外にも軍事的な面を含んでいるんでしょうか? ドイツのフランス侵攻時にソ連がフランスを支援した形跡が無いのですが、1940年までにはこの条約は破棄されていたのでしょうか? ググっても本調べてもラインラント進駐の名目的な理由、という程度しか書いていなくて詳細が全く判らないのです… 当然、軍事協力を行っています。 例えば、エンジンについては、MikulinがGnome-Rhone K.14 Mistral Major空冷星形エンジンを 1930年代初頭に輸入して、M-85エンジンを制作していますし、同じく、1934年にHispano-Suiza 12Yを Licence生産した後、Klimovの手に因って改造され、LaGG-3やPe-2のエンジンに使用されています。 また、後者に搭載されていたHispanoの20mm機関砲は、ソ連の手によって改造され、ShVAK機関砲と なって大量生産されました。 戦車の技術などでも協力していましたし(ただ、実質はItalyの方が大きかった)、ソ連の戦艦を稼働させ るための部品を供給(旧ロシア帝国の戦艦は、白軍崩壊後、ビゼルタで解体されていた)しています。 逆に、ソ連からは原材料の供給を得ていたりする訳です。 で、そもそも、ソ連としては、西欧列強がロカルノ条約を締結したので、この締約国が協力してソ連に攻め込む のではないか、と言う危惧があり、1929年にソ連の西部から南部に掛けての国境を確保すべく、モスクワ東方 協定と言うのを、バルト三国、Poland、Rumania、Turkey、Persiaとの間に締結します。 しかし、東方国境が不安定なために、そのモスクワ東方協定を強化するために西欧列強と不可侵条約を締結 する様に政策を転換します。 一方、Franceでは、1934年に右翼の扇動で、従来の左寄り政策を行っていた急進社会党内閣が倒れ、Daladierが 短命内閣を組閣した後、右翼寄りの挙国一致内閣が誕生しますが、今度は左翼の逆襲が始まり、社会党、共産党、 そして急進社会党が協定を結んで、1936年に人民戦線が誕生します。 Franceは1934~36年に掛けて一時的に右にぶれますが、その前にソ連と誼を結んでいた訳で。 しかも、隣に物騒な国が誕生したので、安全保障上ソ連との友好関係が重視された、と。 しかし、1936年の総選挙で誕生した人民戦線内閣は、国民を満足させる政策を行わなかったので、忽ち支持が低下し、 また、粛清の発覚、ソ連を批判した出版物がベストセラーになるなど、1年で瓦解し、後を次いだ急進社会党内閣も、 資本の流出が止まらないため、経済政策の破綻で、1938年に内閣を投げ出します。 で、結果的に、ソ連との縁が切れ、反共を明確化し、最終的に1939年の第2次世界大戦勃発によるポーランド分割、その後の バルト諸国、Finlandへの恫喝で、Franceは、ソ連と断交寸前まで行き、ソ連との相互援助条約も破棄されました。 (301 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第2次世界大戦のときに英仏がナチスに対抗できなかったのは、反戦主義的なムードでチェンバレンが宥和政策を続けていたからですか? 純軍事的に見ても、フランス軍の組織システムは明瞭性に欠けていた。 総司令官から戦闘部隊に至るまでの序列と命令系統は、混乱状態にあった。 しかも、上級指令部でさえ、無線通信機器やテレックスなどの現代的な 連絡用装備に欠く有様で、一部では高級将校が半日かけて、 自動車で行き来することで、ようやくと指揮系統が守られていた。 さらに、軍と軍との境界線の継ぎ目に2線級部隊が割り当てられていたり、 戦役の焦点とも言うべき戦闘が行なわれた、セダンの防御割り当ては、 『電撃戦という幻』の付録の地図を見る限り、 まるでジグソーパズルのように防戦区域の割り当てが複雑怪奇な様相を帯びていたり…。 とにかく、上から下まで、まったく合理性を欠く組織原理の中で、動いていたのがフランス軍。 国内の平和主義とか、反戦主義がなくとも、多少はマシという程度だっただろう。 (679 406) 英国について言えば、19世紀初頭からすでに英国経済は下り坂にさしかかっており、 ボーア戦争での醜態と負担に加えて、第1次世界大戦の戦費、軍の消耗で完全に勢力を失っていた。 このため、閉鎖主義的な方針を採らざるを得ず、スペイン戦争でも傍観者に留まることにした。 一方、共産主義革命は英国にも影響を及ぼしており、不況下、階級主義社会の英国では 労働者階級が共産主義に走ることを怖れていた。そこに、共産主義の輸出国、ソ連と 戦ってくれるというナチスドイツが登場したわけで、内心不安を抱きつつも、共産主義の抑止を ある程度期待してもいた。そもそも、上記の事情で、積極的に動く余裕はなかった。 結局、第2次世界大戦で英国は破産してしまったから、英国に侵略の危険が及ぶことさえなければ、 傍観が正解だったのかも知れない。短期的には。 (679 system ◆systemVXQ2) 第2次世界大戦のときフランスは優秀な戦車を保有していたのになぜドイツ軍に負けたのでしょうか? 戦車を戦線に薄くばら撒いて盾として使おうとした。 ドイツは戦車部隊を集中させて槍として用い、戦線の一番薄いところを突破して後方に進出させ敵を無力化した。 「電撃戦という幻」に 「戦争前、ドイツもフランスも3000両の戦車を持っていた。 ドイツは1000両の戦車で3つの部隊を作ったが、フランスは3両の戦車を1000の部隊に配置した。」 というフランス軍の将校の言葉が紹介されている。 (282 722) 第2次大戦勃発時及び独占領期のノルウェー、デンマークの海軍編成をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて頂きたいのですが。 ■Norway海軍 海防戦艦 Norge級2隻(1940.4.9にZ21/22の雷撃で撃沈) Haarfagre級2隻(ドイツに接収され、防空艦となり、1945年3月擱座) 駆逐艦 Draug級3隻(Draugは1940.4.10英国に脱出するも艦の状態が悪く除籍、 Trollはドイツに引渡、1945年返還。Garmは1940年4月26日爆撃で焼失。) Aalesund級2隻(未成) 魚雷艇 Snoegg級3隻(いずれもドイツ艦となり、Snoegg以外は沈没。なお、Steggは空爆で沈没したものを浮揚して再使用) Teist級3隻(2隻が自沈、座礁、Kjellのみドイツ艦となり、返還) Ravn級5隻(3隻が自沈、2隻が捕獲され、後に返還) Hval級5隻(1隻撃沈、3隻は事故、自沈、2隻が捕獲され、返還) Hvas級4隻(全艦捕獲、4隻とも返還) Varg級5隻(2隻自沈、3隻捕獲、返還) Sleipner級3隻(Aegerのみ1940.4.9に撃沈。2隻は1940年に英国に脱出) Odin級3隻(全艦捕獲後、ドイツ艦として使用。全艦返還) 潜水艦 A級3隻(1隻座礁、2隻自沈) B級6隻(1隻英国に脱出、2隻自沈、3隻ドイツが鹵獲、うち1隻は1942年除籍) 旧式スループ(漁業保護艦)2隻(1940.4に相次いで撃沈) Fridtjof Nansen(1940.11.8座礁) Nordkap級2隻(未成) 機雷敷設艦 Froeya(1940.4.13擱座) Gloman(降伏後、ドイツに引渡、1隻は1944年に撃沈) Olav Tryggvason(降伏後、ドイツに引渡、1945年に撃沈) 掃海艇 Otra級2隻(建造中に捕獲) ■Denmark海軍 海防戦艦 Niels Juel(1943.8.29座礁後、ドイツに引渡され、1945.5.3撃沈、1952解体) Peder Skram(1943.8.29自沈。ドイツにより浮揚後、1945.4撃沈、1949解体) 水雷艇 Najaden級2隻(1943年竣工するも艤装を遅らせ、1947年まで完成せず。) Draken級3隻(1941.2.5ドイツに引渡、Drakenは1945.5.14触雷沈没、残りは全艦返還) Glenten級3隻(1941.1.21ドイツに引渡、全艦返還。) 魚雷艇 Springeren級10隻(1940年除籍1隻、1943.8.29自沈3隻、座礁1隻、5隻鹵獲され、45年返還。) Hvalrossen(1943.8.29自沈) 潜水艦、潜水艇 Rota級3隻(1943.8.29全艦自沈) Aegir級3隻(1940年除籍3隻) Daphne級2隻(1943.8.29全艦自沈) Havmanden級4隻(1943.8.29全艦自沈) 機雷敷設艦 Sixtus、Kvintus、Lossen(1943.8.29全艦自沈後、浮揚され、ドイツにて使用) Lindormen(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、後に返還) 掃海艇 Soebjornen級6隻(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、後に返還) 漁業保護艦 Hvidbjornen(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、後に返還) Ingolf(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、不明) Hejmdal(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、後に返還) Freja(1943.8.29自沈後浮揚され、ドイツにて使用し、後に返還) 小型哨戒艇P1級38隻、K1級18隻のうち、後者の9隻はスウェーデンに逃走。 (103 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ベルギーには他国のようにファシスト団体はあったのですか? ベルギーについてはフラマン語圏(オランダ系)、ワロン語圏(フランス語圏)それぞれに、 「フランデレン国民同盟(VNV)」、「レックス党(王キリスト運動)」 というファシスト政党があった。 このうちレックス党はSS義勇突撃旅団「ワロニエン」(後に第28SS義勇擲弾兵師団「ワロニエン」が編制されている。 この部隊は青年部指導者レオン・デグレル(またはドグレル)のもとで東部戦線で終戦直前まで勇戦しており、 デグレルは騎士十字章を授与されている。 ドイツにはオランダとベルギーを統合したディーチェランドという傀儡国家を創設する計画があったらしい。 これによってワロン人が少数民族となることを阻止するため、発言力の強化を図ってデグレルは戦争に参加したという説がある。 デグレルは戦後スペインに亡命、その地で死亡した。 (105 21) インドやニュージーランド、南アフリカの海軍ってどんなだったのかな? たしかインドの掃海艇が日本の仮装巡洋艦と戦っていたよね。 Royal Indian Navyは、第二次大戦当時Sir Geoffrey Miles少将が司令官で、1000名の士官と10000名の兵員から成る。 Sloopが7隻。 Cauvery/Kistna(Yarrow建造1943年竣工の1,470t級)、Godavari/Narbada(Thornycroft建造1942~43年竣工の1,340t級)、 Jumna/Sutlej(Denny建造1940年竣工の1,300t級)、Hindustan(Swan Hunter建造1930年竣工の1,190t級) Frigateが5隻 Neza、Kukri、Tir(1942年竣工の1,460t級)Dhanush、Shamsher(1943年竣工の1,370t級) Corvetteが2隻 Assam、Mahratta(1943年竣工の980tで花級) 艦隊掃海艇が16隻 Konkan、Orissa、Rajputana(1941~42年竣工656t)、Baluchistan、Kathiawar、Carnatic、 Khyber、Kumaon、Rohilkhand(1942年竣工660t)、Bengal、Bombay、Madras(1942年竣工650t)、 Bihar、Deccan、Malwa、Oudh(1942年竣工650t) 測量艦 Investigator(1924年竣工旧電纜敷設艦) Trawlerは6隻。 Amritsar、Calcutta、Cochin、Lucknow、Nasik、Rampur(1941~44年竣工545t) 小型掃海艇が6隻と哨戒艇(HDML)が8隻。 ついでに、Kenya Zanzibarには、Rosalind(1941年竣工545t)という掃海艇と、 Ndovu、Alhathariと言う旧曳船改造の哨戒艇があった。 Royal New Zealand Navyは、第二次大戦当時Sir Bernard Fleyberg中将が司令官で、2200名の兵員から成る。 軽巡洋艦が2隻。 Black PrinceとBellonaはいずれも1942年竣工で、5700t。 Corvetteは花級が2隻。 ArabisとArbutusが1943~44年竣工。 Trawlerは数が多く10隻。 Kiwi、Tui(1941年竣工600t)、Hautaru、Hinau、Manuka、Rimu(1941~43年竣工で625t)、 Inchkeith、Killegray、Sanda、Scrba(1941年竣工560t) 哨戒艇(HDML)が6隻。 South Africa Naval Forcesは、J.Galgleish代将で863名。 Frigateは3隻。 いずれも旧英国のLoch級で1944年竣工のGood Hope、Transvaal、Natal(1400t)。 哨戒艇(HDML)は200隻。 機雷管制艇が1隻。 これは、ドイツの拿捕トローラーPolarisを転用したSprindrift(926t)。 防材敷設艇2隻、英国のBar級に範を取っており、Barcross、Barbrake(1944年竣工)があった。 (WWIIのマイナーな軍について語るスレ 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 英連邦 チャーチル首相は軍人じゃないのになんで軍服姿なんですか? 一種の予備役兵(Oxfordshire Yeomanry)として名誉大佐の階級を持っていたようです。 (57 261) 「若い人が写真を撮る時によくやる二本指のいわゆるピース・サインは、 実は広島と長崎に落とされた二発の原爆を意味しているのだという説がある」 というのを某所で読みましたが、本当でしょうか? チャーチル ピースサイン でぐぐってみてください。 (98 747) イングランドの自由農民からなる長弓兵が 「俺の指はまだ切られていないぜ」と挑発したのが始め 当時捕虜となった長弓兵は指を切られたため 指が残っている(まだ撃てる)と挑発するのがあのサインの初めである。 てのは、手の甲を相手に見せる2本指の方です。 (98 749) 英国海軍は旧式となった艦船を新型に更新させる前に、第二次大戦に突入せざるをえなかった? 欧州戦線でイギリス海軍がドイツ海軍とイタリア海軍に対して優位だったのは、 戦艦の保有数の差と、なによりドイツとイタリアの海軍戦略が適当に過ぎた為。 ドイツは海軍拡張(というか、再建)計画の途中で戦争が始まっちゃったので主力艦が 全く揃っていなかったし、イタリアはそもそもマジメに戦争をする気がなかった。 そういう意味では、「互角以上の戦い」をしていたのはドイツ海軍(イタリアは微妙・・・)の側であって、 イギリス海軍はドイツの潜水艦に手を焼いたことと、艦船整備に手間取った事、 イニシアチブを枢軸側に握られっぱなしだった事を除けば、開戦から終戦まで一貫して優位に立っていた。 艦船だけで言えば、アメリカの援助もあったとは言えイギリスが自前で建造した艦船だけでも、 ドイツとイタリアが建造した艦船の何十倍にも上る。 そもそも国力が段違いだったのです(同時期の日本とアメリカほどじゃないけれど)。 あと、欧州戦線では空母はあんまり海軍同士の戦闘では活躍してません。 欧州は天候不順が多く、航空機の作戦行動に支障をきたすことが多かったのと、 なにより連合国の側しか空母を持っていないので、空母同士の戦闘が発生しなかったためです。 それでもイギリス海軍は、イタリア海軍の泊地を艦載機で攻撃して、 艦隊をほぼ全滅させる戦果を上げたりしていますが(タラント急襲) (103 446) 日本と英国とでは、巡洋艦の兵器としての位置付けが違っていた。 日本海軍は巡洋艦を、艦隊決戦の為の主力艦を補う補助兵力と位置付けていたのに比して、 英国海軍は植民地警護の為のツールとして運用していた。 だから日本は重巡洋艦重視で、居住性を無視してまで重装備を詰め込んだのに対し、 軽巡洋艦の更新は殆んど手付かずだったが、英国は居住性、巡航性を重視した軽巡洋艦を 重点的に更新していった。 (103 450) 「有史以来、人類の闘争の場面において、これほど多くの人間が、これほど少ない人間に、これほど多くの恩を蒙ったことはない」 “Never in the field of human conflict was so much owed by so many toso few” (ウィンストン・チャーチル, Aug 20th 1940) 少ない人間とは誰のことですか? 英空軍の戦闘機軍団のパイロットのこと (111 188) RAFのおかげで国が守られた (111 189) 多くの人間とは、ロンドン市民のことなのですね。 多くの人間=大英帝国の全国民 (111 191) 英国にとって植民地は戦争遂行上,役に立ったの? 日本にとってはかなりの予算を台湾・朝鮮・満州につぎ込み結局は費用対効果は分からずじまいだったが、 むしろ最大の植民地(+連邦)を保有していた英国にとっては、最大の利益をもたらしていたのは事実 両大戦で英国が辛くも持ちこたえられたのは、植民地があってこそ。 間違っても、レーダー・スピットファイア・・・などと言う無かれ 特にインド帝国は、第一次大戦では兵員135万人・戦費2億5千ポンド、物資8千万ポンドをつぎ込み。 第二次大戦に至っては、兵員265万人・戦費12億ポンドをインドから搾り取りとった。 (もし、第2次対戦が起こらなかったら 65) 英印軍の戦力ってどのくらいのものだったのでしょうか? 戦前の数値ですが、インド軍は総兵力166,600名、うち、英国人部隊は58,529名で、 英人部隊としては、4個歩兵師団と騎兵5個旅団。 インド海軍は、スループ1隻+追加2隻、測量艦1隻程度。 インド空軍は、兵力2,300名で航空機200機(うち、戦闘機7個中隊、直協飛行隊4個、爆撃飛行隊4個、輸送爆撃隊1個) (343 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第二次大戦前、オーストラリアには軍用機工場や戦車工場、海軍工廠(造船所)などはあったのでしょうか? まず、軍用機についてですが、国営企業としては1936年にCommonwealthが設立され ています。 これは、政府が提議した航空工業の自主独立計画に基づくもので、この会社は、 航空審議会の技術委員会によって選定された、North American NA-16(T-6の前身) 系のNA-33高等練習機をWirrawayとして1939年から生産を始めました。 その生産の他、国産初等練習機Wackettを同時期に開発、太平洋戦争に突入してからは、 Wackettのコンポーネントを用いた戦闘機Boomerangを開発しますが、本格的な軍用機、 爆撃機のWoomeraと、戦闘機のCA-15は米国からの輸入機とその国産化(1944年から Mustang Mk.20/21(CA-17/18)をKnockdownまたはLicense生産したもの)の充足に依って 中止となりました。 また、この会社はPratt & WhitneyエンジンのLicense生産も行っています。 民間会社としては、1927年にDe Havilland Aircraft Proprietary,Ltd.、つまり、De Havillandの 豪州支社が設立されており、同社の各種機体を生産・豪州向け改造をしていました。 例えば、D.H.91 Moss Minor初等練習機、D.H.82 Tiger Moss初等練習機、Mosquito爆撃機 などです。 このうち、Tiger Mossについては、南アフリカ、南ローデシアの訓練基地に送られています。 また、自社製エンジンのLicense生産も行っています。 主なところはこんなところ。 蛇足ですが、Beaufort爆撃機は、国内の400以下の下請工場で部品を作り、これを3つの州に ある鉄道工場で組立て、Melbourne、Sydneyの工場で最終組立を行っており、これらは、 Beaufort Division of the Department of Aircraft Productionが統制していました。 戦車工場はありませんが、自動車工場としては、General Motors-Holdens Ltd.がMelbourne、 Sydney、Brisbane、Adelaide、Perthに工場を持ち、Ford Motor Company of Australia Pty Ltd. は、Melbourne、Victoriaに工場を持っていました。 他に、Chrysler Australia Ltd.がAdelaideに、International Harvester Company of Australia Pty Ltd. がMelbourneに工場を持っており、各種軍用車両の組立を行っています。 これらの軍用車両の供給は主にカナダ、米国から行われており、これらの工場はその部品を組み立てる 感じです。 造船所もありますが海軍工廠は無かった筈。 Cockatoo Docks & Enginieerling Co.Ltdが駆逐艦以下の艦艇を建造できる造船所だったか、と 記憶しています。 (210 眠い人 ◆gQikaJHtf2) WW1やWW2の時、オーストラリアや南アフリカはイギリスに対して参戦義務を持っていたのでしょうか。 それとも自発的に参戦したのでしょうか。 あくまでも自治領としての扱いです。 なので、参戦義務があります。 (339 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 英国の海軍力はPacific theatreよりもEuropean theatreの方が比重が多いですよね? 英国の主な戦域の想定は、本国周辺(対ドイツ・フランス)>地中海(対イタリア・フランス)>>(越えられない壁)>>>支那艦隊(対日本)です。 例えば、第二次大戦勃発時、戦艦の隻数で言えば、本国艦隊が7隻(+巡洋戦艦2隻)、地中海艦隊が3隻に対し、支那艦隊は無し。 空母の隻数は、本国艦隊4隻に対し、地中海艦隊1隻、支那艦隊1隻です。 支那艦隊は、空母1隻の他、重巡3隻と軽巡1隻、駆逐艦15隻、潜水艦15隻しかありません。 これに、豪州海軍の重巡2隻、軽巡3隻、駆逐艦5隻、ニュージーランド海軍の軽巡2隻、東インド艦隊の軽巡3隻を加えても、日本の戦力に全然 対抗できない訳で。 (320 眠い人@風邪っぴき ◆gQikaJHtf2) イギリスは貴族の人が率先して最前線に出たというのは本当ですか? ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の責務) イギリスはすごいよ。 WW2では、貴族士官の死傷率は平民士官の二倍以上だったとか。 なんでかってーと、貴族は軍司令部に政治力をつかって圧力をかけるんだよ。 「オレの部隊をもっと激戦地に送ってくれ!」 って。 戦後、ろくに戦わなかった部隊にいたなんてことがバレると 一族の恥になるし、逆に戦争でどれだけの戦死者を出したか、 が一族の自慢になるんですよ。 貴族というものが「戦争で死ぬため」に平時は高い地位にいるということを 連中はよく判ってるです。 (~~フォークランド紛争 215,244) イギリスがワシントン海軍軍縮条約明け直後に急いで戦艦の起工をしたのはなぜ? 日米と異なりイギリスにとっては ロンドン条約の戦艦建造制限(ワシントン条約を5年延長)を受けなかった仏・伊と ドイッチュラント級に続いて再軍備宣言によりシャルンホルスト級の建造をスタートした独の三国間で すでに建艦競争が勃発していたため、一刻も早くこれら新戦艦に互する艦を必要としていたがためです。 軍拡競争を心配とか言うレベルの話ではなく、イギリスの目の前ですでに建艦競争はどんどんエスカレートしていたのです。 そんな中、イギリスは1937年まで指をくわえて傍観せざるを得ない立場にいたわけで、その危機感たるや日米の比ではありません。 (632 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) 1929年 ドイッチュラント(独)起工 1931年 A・シェーア(独)起工 1932年 ダンケルク(仏)、A・G・シュペー(独)起工 1933年 ドイッチュラント(独)就役 1934年 A・シェーア(独)就役 ストラスブール(仏)、ヴィットリオ・ヴェネト(伊)、リットリオ(伊)、シャルンホルスト(独)、グナイゼナウ(独)起工 1935年 リシュリュー(仏)起工 1936年 ビスマルク(独)、ティルピッツ(独)起工 A・G・シュペー(独)就役 1937年 KGⅤ(英)、PoW(英)起工 ダンケルク(仏)就役 コンテ・ディ・カブール(伊)、ジュリオ・チェザーレ(伊)再就役 1938年 ストラスブール(仏)、グナイゼナウ(独)就役 1939年 ジャンバール(仏)起工 シャルンホルスト(独)就役 1940年 KGⅤ(英)、リシュリュー(仏)、ヴィットリオ・ヴェネト(伊)、リットリオ(伊)、ビスマルク(独)就役 カイオ・ドゥイリオ(伊)、アンドレア・ドリア(伊)再就役 こりゃイギリスが焦るわけだ・・・ (632 277) WWⅡ時にチャーチル首相が着用していた軍服の階級や位置付けを教えてください。 チャーチルはイギリス陸軍名誉大佐(騎兵科)です。 この階級は終身なので陸軍大佐の軍服を着用しています、納得していただけましたか? (299 10) なんでイギリス軍はスピットファイアの艦上型だけではなくF6Fも多用したんでしょうか? フルマーやシーグラディエーターやシーハリケーンは性能不足、シーファイアは着艦事故多発。 最初から艦上機として作られたアメリカ製戦闘機であるF4F、F4U、F6Fの方が実用的だった。 あと戦争に間に合った英海軍艦上戦闘機に、ズバぬけて高速な機体はない。 (652 462) チャーチルは日本の参戦を防ぐためにどうしたか? 説明。 「戦時下のチャーチル 1939年9月のヒットラーのポーランド侵攻とともに、チャーチルはチェンバレン内閣の海軍大臣として復帰し、 1940年5月にドイツ軍がオランダ・ベルギー侵攻を開始した時に首相に就任する。 マジノ線が陥落してフランス軍が崩壊直前となったので、 チャーチルはフランスに急遽飛んでフランス首脳と会談しているが、 帰国した当日に予定通り日本大使館での重光葵大使主催の午餐会に夫妻で出席している。 このことでもわかる通り、チャーチルの最大関心事の一つは日本の参戦を防ぐことだった。 重光はチャーチルの行動に感激し、翌1941年前半にかけて日英関係の改善のための努力を尽くした。 チャーチルが首相に就任したての英国の対日政策は、中国への援助物資輸送用のビルマルート閉鎖に応じたり、 日本への船舶建造発注案を検討したりと、かなり柔軟なものだった。 しかし1940年7月の第2次近衛内閣で松岡洋右外相によって日独提携が進められ、 9月に日独伊三国同盟が結ばれてからは平和への機会が失われてしまったと関さんは指摘する。 1941年になってもチャーチルは日本を参戦から思いとどまらせるために、 重光と頻繁に会い、ドイツ・ソ連を訪問した松岡宛にレターを書いたり、レターを松岡が握りつぶさないようにコピーを近衛に届けたりした。 ところが松岡はドイツ・ソ連出張後、極端なドイツびいきとなり、帰国後の天皇への報告会では、 天皇にドイツに買収されたのではないかと思われたくらいで、チャーチルのレターにまともに対応する気はなかった。 そのレターは事前に米国国務省と内容をすりあわせたもので、次のような呼びかけとなっている。 ☆ドイツが本当に英国侵攻が可能なのか見極めるのが日本の国益にかなうのではないか? ☆米英連合軍はヨーロッパでドイツと戦い、日本にも立ち向かうのが可能ではないか? ☆イタリアはドイツにとって負担ではないのか? ☆米英の鉄鋼生産量は合計9,000万トン、これに対して日本は700万トンで単独では戦うのは不十分ではないのか? 今から思えば、チャーチルの呼びかけは当然の内容であり、誰もが米英相手の戦争など無謀の極だと思うだろう。 日本の近衛内閣は無責任で、結局内閣を投げ出し東条英機内閣への道を開いた。近衛の責任は極めて重いと関さんは指摘する。 重光は結局1941年6月に離任し、その直後の7月には日本軍が仏印進駐で米英諸国との対立が決定的となった。 チャーチルが愛した日本 (PHP新書 513)を参照ください。 http //atamanisutto.livedoor.biz/archives/51019923.html (664 霞ヶ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I) 大戦中のイギリスでは道路標識を外したというのは本当ですか? イギリス全土で、危機がすぐそこに迫っているという意識が高まっていた。 海岸の守りに有刺鉄線が張られ、トーチカが置かれた。 侵入者を惑わすために、国中で道路標識が撤去された。 参考図書。 エニグマ・コードを解読せよ [単行本] マイケル パターソン (著), 137ページ。第3章 1940年 運命の年 (669 霞ケ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I) 大戦中の英軍には、カチューシャやネーベルベルファー、カリオペのような対地ロケット発射兵器はなかったんですか? 化学戦部で開発された射程3,600mの5inロケットが開発されましたが、化学戦用の 弾頭なので、使用する訳にいかず、通常弾頭(焼夷剤、榴弾)を改めて開発し、これ を6連装ロケット発射機から発射する形を取っています。 これを上陸用舟艇に載っけて、上陸支援用に使用していましたが、陸上用には改めて、 射程を伸ばした型が開発され、Land Mattressとして30連装発射機が2輪の台車に乗せ られて用いられました。 この改良型は後に東南アジア戦線でも用いられ、16連装発射機が開発されました。 また、60ポンドの半徹甲弾で、対空用3インチロケット弾のモーターを用いた単発で一人 で持ち運びの出来る簡便なものが開発されています。 (283 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 大戦時の英海軍の編制について 世界中に配備された艦隊の中で『フリート』と呼ばれたのは本国艦隊と地中海艦隊のみで、 それ以外の東洋艦隊などは『ステーション』と呼ばれたと言うのは本当でしょうか? 本国艦隊と地中海艦隊は、伝統的な英仏対立などの過程で形成されたもので、 本国と地中海ならそれなりに連絡が取れ、本国海軍幕僚本部との統制下にあり ました。 ステーションは英国の海上貿易の保護、権益防衛、奴隷貿易取締、測量・海図作成、 砲艦外交と言った目的に対応するため、軍艦を派遣して駐屯し、石炭を補給する拠点 として設置されたものです。 インド、中国方面のそれは、特に植民地防備のために形成されたもので、19世紀でも 半ばまでは本国からの戦力は派遣されていないか、されても非常に少ないものでした。 これは、喜望峰周りだと、本国とインドとの間の連絡に2年かかることに起因します。 このため、インド経営については、インド総督府と外務省(後に植民地省)に権限が 委ねられ、海軍幕僚本部は殆ど前面に出ていません。 基地についても、出来る限り本国に頼らず自活すべしと言うのが大前提で、しかも、 海軍は前面に出ず、東インド会社がこれを設置します。 しかし、それなりに利益を出さないと設置しても意味が無く、ペナンではステーション 経営に失敗してこれを放棄し、また、セイロンのトリンコマリーについても、初期の 経営に失敗して、小規模の工廠一つに縮小しています。 ペナンの代わりに設置したのが、シンガポールで、これは経営が成功し、以後、香港と インドを結ぶ交通の要衝になっていきます。 (143 眠い人 ◆gQikaJHtf2) インド帝国軍は植民地軍ではないでしょうか。 植民地軍は本国軍と別個の指揮系統を有していたと聞いています。 英国軍の場合、正規軍は、英国本国軍、インド帝国軍、ビルマ軍から構成されています。 つまり、正規軍を構成する軍の一つと言えるでしょうね。 但し、インド帝国軍、ビルマ軍の将校は、国王任命の将校と副王任命将校の二つに分けられ、 前者は、正規軍の正規の教育を受けた将校、後者は下士官から叩き上げた将校で、少し性格 が違うので注意する必要があります。 (234 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 英軍のインド人将校が、白人の部下を配下に置くことはあったんですか? インド人の将校には二種類ありました。 一つは、インド帝国皇帝(つまり、英国国王)から任命された将校と、もう一つはイン ド副王から任命された、副王任命将校で、これはジェムダル→スブダル→スブダ ル・メイジャーと階級が上がります。 前者は、正規の教育を経た英国の将校という位置づけなので、インド人将校が英国人 兵士を指揮することは十分可能です。 後者は、どちらかというと叩き上げのインド人下士官兵から選抜されたもので、スブダル・ メイジャーになると、インド人下士官兵に関するあらゆる問題について、英国人連隊長に 助言を行うのが役目で、英国人兵士に対する権限はありませんでしたが、下士官から 選抜される将校だけに、経験が豊富なため、インド人、英国人双方から尊敬されていま した。 なお、ビルマ軍の場合は、これが総督任命将校と言う名称になっています。 (200 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 英空軍は大量の爆撃機でドイツを廃墟にしましたが、戦後、余った爆撃機はどうなったのですか? 戦後、Lancasterは軍用機として英空軍籍に止まり、英連邦でそのまま軍務に就いたもの、 Argentinaで爆撃機として余生を送ったものもあります。 また、一部は輸送機に改造して軍で活動し、また、民間に放出されました。 それらが、ベルリン大空輸の際、活躍しています。 それ以外の大部分は解体されました。 Lancasterの場合、1946年にBritish South American Airwaysが6機、南アメリカ路線で運行していますし、 50年代まで7機のLancasterが民間に(うち、1機はイタリアで)放出されています。 もう一つ、その発達改造型Avro 691は、Trance Canada Airlineが1機を改造し、BOACは32機を改造して、豪州、 ニュージーランドと言った戦前のエンパイアボートの路線や南アメリカ線に投入されました。 1946年には更に12機が完成し、7機が英国、5機はイタリアのAlitaliaに引き渡されています。 また、Halifaxも同様に、民間改造型が作られ、BOACがアフリカ線に投入しました。 その後、London Aero Motor Serviceが6機購入して生鮮食品輸送に活躍しています。 最終的に数十機のHalifaxが貨物輸送機として使用され、ベルリン空輸では41機が投入され ました。 変わったところでは、1950年9月20日にDaily Expressが主催したエア・レースに"Air Voyager" (G-AKEC)と言う機体が参加し、平均速度450km/hで24位に入っていたりします。 解体するぐらいなら売ればいいと思うんですが んと、一応、Argentinaには100機以上輸出されたりしてるんですがね。 蛇足です。 Short Stirlingは輸送機バージョンとしてMk.Vが160機改造され、人員輸送に使用されました。 これらはVickers Wellingtonに代わって、1945年から任に就き、英国~欧州~北アフリカ~イラク~インド の路線を運行していました。 兵員輸送では、英国と中東を結ぶ路線を運行し、1946年3月まで、中東~インド線に就航していました。 Handley-Page Halifaxについては、爆撃機型は自由フランス空軍に引き渡されていたので、その解放後も かの国で爆撃機として一時使用されていました。 また、戦後は、G.R.VIがCoastal Commandで哨戒機として使用され、最後の部隊は1952年までGibraltarで 使用していました。 このほか、空挺部隊輸送用に改造されたA.VII、A.IXも300機程度生産されて戦後まで使用されています。 A.VII、A.IXは中東(特にパレスチナ)、インドで1946年末まで使用されました。 1945年からは、Halifax C.VIIIが改造で出現しています。 これは100機が改造され、各地で輸送任務に使用されました。 Lancasterは爆撃機として、CanberraやLincolnが充足する1950年3月まで第一線の爆撃機として 使用され、Coastal Commandで、Liberatorの返還後、その後継哨戒機として使用されています。 こちらは、Shucl;etonやNeptuneが充足されるまで使用され、1954年に第一線を退き、最後の機体は、 1956年10月まで使用されました。 もう一つ重要な改造型は偵察機であり、1946年から1952年10月まで、西アフリカ、中央アフリカ、 東アフリカ各地の測量任務に就いていました。 これは、1953年12月まで使用されています。 (206 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第2次世界大戦中、英国は服地節約のためにスカートを短くしろという法を作ったって、事実なの? http //japanese.joins.com/article/107/141107.html?servcode=400§code=400 長さというより、生地の量です。スカートに2.5ヤード以上の生地を使用することは禁じられました。 また、スカートに付けるプリーツの数も制限されました。絹のストッキングも禁止されています。 男性用も袖口のプリーツが禁止され、ズボンのサイズにも制限が付くなどの規制が行われました。 衣服自体が切符制となり、入手できる数も規制されました。 詳しくは、British utility scheme WWII などでググられると良いでしょう。 (705 system ◆systemVXQ2) チャーチルって文官の首相のはずなのに、なんで軍服を着用してたの? チャーチルは空軍から名誉准将、陸軍からは騎兵連隊の名誉連隊長という地位をもらっていたので 部隊を訪問する時などには制服を好んで着ることが多かった。 本人も元軍人だし、第一次大戦時にガリポリの失敗で海軍大臣をやめた後陸軍の将校として前線に 行ったりする軍隊大好きおじさんだったってこともあるけど。 ノルマンディ上陸作戦の当日にもまだ戦闘中なのにフランスに上陸したいと言い出して周囲を困らせたりしてる。 http //en.wikipedia.org/wiki/Honours_of_Winston_Churchill#Other_honours (720 362) 大戦時の英軍機の命名規則を教えて下さい。 1932年の英国空軍軍用機命名法 戦闘機…速度、活動および攻撃的なことを表す、一般的な言葉。 昼間爆撃機…猫科を除く動物。 直協機…古典に使われた言葉。 夜間爆撃機…大英帝国の内陸部の町あるいは、RAFに関係する町名 多用途機…英国の歴史的な名前 輸送機…大英帝国の普通の町名または港町の名前 飛行艇…大英帝国の沿岸の町又は港町名 海軍戦闘機…神話の名前 海軍戦闘偵察機…海鳥の名前 海軍雷撃機…大洋、海、河口の名前 海軍観測機…海の動物名 練習機…授業を表す言葉又は教育に関する地名 なお、第二次大戦に際して航空機生産の管轄が軍需省から航空機生産省に変わったため、命名基準が若干変わり、 爆撃機…大英帝国の内陸部の町あるいは英国史に関連した地名 多用途機、雷撃機、汎用偵察機…英国の歴史的な地名 練習機、標的曳航機…授業を表す言葉又は空軍の練習機基地を除く教育関係の地名 グライダー…歴史的な軍事指導者名 なお、海軍機については、命名権が海軍省に移っている。 (しょうもない知識を披露するスレ8 眠い人 ◆gQikaJHtf2)
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国名 歴史 政治機構 内政 外政 軍事 地理 経済 社会 交通 国民 文化 出身者 国名 スーパーハローワーク商業連合国 略称は『SHW』 歴史 甲皇国、アルフヘイム、その他色々な国の亡命者などが集まって作り上げた港町がその発展の始まりとされる。[1] 政治 機構 複数の企業の集合体で構成される社団国家である。 機構としては、いわゆる事業部制組織の形を採っており[1]、「大社長」と呼ばれる独任制の元首が強大な政治的権限を有している。 内政 国家の枠組みに囚われない経済活動を方針としつつ[1]、 経済の主体たる企業が所謂国営企業に相当する体系であることと、大社長が強大な権限を有すること、 同時に私有財産を認めていることから、実質的には無政府資本主義よりも国家社会主義ないし権威主義的性格がうかがわれる。 ただしリバタリアニズム的政治方針を掲げ、貧富の差が存在している[3]事からすると、福祉政策には拒絶的である蓋然性が高い。 早い話が「金儲けの得意な北朝鮮」が近い。余談であるが「国家=経済組織とすることを否定」「社会福祉・社会保障に熱心」という点で、同じ独裁国家でもナチスドイツとは正反対である。 また国家説明の機構図には行政機関(≒本社スタッフに相当する統括部門)などは見られないが、「副社長」なる存在が居る[2][4]事から、機構図には記載されていない統括組織が存在するのではないかと思われる。 外政 「国というものの実は大きな会社」[1]の説明の示す通り、金品と制海権を対価に他国の領海管理を請け負う[2]など 対外的には自由市場無政府主義的な立場を取っている。 軍事 地理 経済 社会 交通 国民 文化 出身者 スーパーハローワーク商業連合国出身者の一覧 [1]3大国家説明(スーパーハローワーク商業連合国) [2]ミシュガルド開拓序盤の頃のSHW [3]ジャフ・マラー [4]デスク・ワーク
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安全保障理事会に於いて可決された決議を掲載する。 目次 目次 安保理一号決議 安保理二号決議 安保理三号決議 安保理第四号決議 安保理第五号決議 安保理第六号決議 安保理第七号決議 安保理第八号決議 安保理第九号決議 安保理第十号決議 安保理第11号決議 安保理第12号決議 安保理第十三号決議 安保理第十四号決議 連合国安保理第十五号決議 連合国安保理第十六号決議 連合国安保理第十七号決議 連合国安保理第十八号決議 安保理一号決議 安全保障理事会は連合国憲章に基づき、連合国加盟国の要請に応じ、安保理議長国が召集する。安保理議長国は、安保理理事国の持ちまわり制とし、その順序は国名画数順とする。(大和民国,中華民國,印度伊斯蘭帝国、法蘭斯王国、奥斯曼帝国) 安保理二号決議 安全保障理事会は、第一次世界大戦後の軍事力趨勢を調査並びに占領政策の円滑な決定を目的とし、連合国軍事参謀委員会を組織、参謀委員長に印回帝国軍ジョワハルラール・アイバク将軍、政治委員に中華民國軍林衛国将軍をそれぞれ任命する。 安保理三号決議 連合国安全保障理事会は、第一次世界大戦旧枢軸諸国を、連合国が旧枢軸諸国と個別に講和条約を締結するまでの期間、それぞれ以下の国家が占領統治する旨決定する。なお、共同占領対象国の占領政策は、本安全保障理事会参謀委員会に於いて決定される。 ポーランド;(本土:中華民國 ウクライナ地域:コーカサス連邦) ルヴァナ=メキシコ人民民主主義連邦:朝鮮民国 イタリア共和国:共同占領(但しヴェネツィア及びシチリア島はオスマン帝国軍によって単独占領される) 桔梗国及びユニオン王国連合:大和民国 オーストリア帝国:オスマン帝国 イベリア民主主義国:(ポルトガル:フランス王国 スペイン:オスマン帝国) ギリシャ帝国:共同占領 フィンランド民主共和国:共同占領 ブリテン及びアイルランド地域:インド(但しウェールズ地方はオスマン、アイルランド地方はアイスランド共和国によってそれぞれ単独占領される) 安保理第四号決議 連合国安全保障理事会は連合国憲章第二十八条に基づき、国際法院裁判官に、以下の者を任命する。裁判長は案件ごとに所属国漢字画数順で持ち回りとする。 田代正志(大和民国)呂志明(中華民國)メンドーナ・ナッメ(印回帝国) 安保理第五号決議 連合国安全保障理事会は、第一次世界大戦に於いて連合国側で参戦した国家の連合国加盟を無条件で承認する。 安保理第六号決議 連合国安全保障理事会は、オーストラリア共和国の連合国加盟を批准する。 安保理第七号決議 連合国安全保障理事会は、キャンベリック連邦の連合国加盟を批准する。 安保理第八号決議 連合国安全保障理事会は、モスクワ講和条約を批准する。 安保理第九号決議 連合国安全保障理事会は、ギリシャ帝国政府の連合国加盟を批准する。 安保理第十号決議 連合国安全保障理事会は、赤森小王国の連合国加盟を批准する。 安保理第11号決議 連合国安全保障理事会は、神奈川条約を批准し、以って戦争状態の終了を確認する。 安保理第12号決議 連合国安全保障理事会は、フィラディリア合衆国の連合国加盟を批准する。 安保理第十三号決議 連合国安全保障理事会は、ケルゲレン共和国及びその同盟国とスカンディナヴィア共和国連邦間の即時停戦を勧告、停戦成立後速やかに事実関係を確認し、連合国憲章に基づき適切に処理する旨決議する。 安保理第十四号決議 一、ケルゲレンによるスカンジナビア並びギャロンドに対するテロ行為疑惑は、連合国安全保障理事会参謀委員会による厳正なる調査の結果、まったくの誤認であった事が判明、連合国安全保障理事会はここに、ケルゲレン共和国の潔白を一致保証する旨決議する。 二、ケルゲレン共和国が受けたテロ攻撃は、連合国安全保障理事会参謀委員会による厳正なる調査の結果、スカンディナビア共和国連邦による、国家テロであったことが判明、したがって連合国安全保障理事会は、ケルゲレン共和国軍によるスカンディナヴィア共和国連邦に対する軍事行動を、自衛権の行使と認定、これを肯定する旨決議する。 三、連合国安全保障理事会は、スカンディナヴィア共和国連邦によるケルゲレン共和国に対するテロ行為並びに、スカンディナヴィア共和国連邦によるスリジャヤワルダナプラコッテ講和条約の不履行が、国際社会の平和と安定を破壊するものであると認め、実力を以ってスカンディナヴィア共和国連邦の武装力量を排除すべく、スカンディナヴィア共和国連邦に対する武力制裁並びに連合国軍の編成を決議する。 連合国安保理第十五号決議 連合国安全保障理事会は、現在印回帝国が領有しているカレリア地域を含むロシア地域の統治を、中華民國政府に委任する。 連合国安保理第十六号決議 連合国安全保障理事会は、ビルマ地域の統治を印回帝国政府に委任する。 連合国安保理第十七号決議 連合国安全保障理事会は、オーストリア地域の統治をオスマン帝国政府に委任する。 連合国安保理第十八号決議 連合国安全保障理事会は、連合国が国際社会唯一の全世界的国際機関であることを確認し、この原則に反対する如何なる形式の組織もこれを容認しない。 文責 連合国事務総長 テラワ・ロース
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きゃらくたー アメリカ連合国(CSA) #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 1861年2月4日、北部の圧政に耐えかねたサウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州はアメリカ合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成した。 4月12日、アメリカ連合国は独立を脅かすサムター要塞に攻撃を開始した。いわゆる南北戦争の始まりである。 その後、4つの州(バージニア州、アーカンソー州、テネシー州およびノースカロライナ州)が南部に加盟。 1865年、奮闘むなしくアメリカ連合国は北部に併合された。 {But,The South will rise again!! }; {To arms!To arms!And conquer peace for Dixie!! }; 工業力 □□□□□□□□□□ 不明 技術力 □□□□□□□□□□ 不明 陸軍力 □□□□□□□□□□ 不明 海軍力 □□□□□□□□□□ 不明 空軍力 □□□□□□□□□□ 不明 登場キャラクター #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 コンフィ・ハリー・バード・サザンクロス 「立候補してません!」 史実では南部の民主党員。バージニア州選出アメリカ合衆国上院議員 であり、以前はヴァージニア州知事であった。 1960年の大統領選挙では立候補してなかったのにも関わらず南部民主党員の支持を集めた。 のんびりしている、典型的なサザン・ベル。 でかでかと南部連合海軍旗が描かれたピックアップの車(*1)を運転し、トレーラーハウス(*2)に住んでいる。 しょっちゅう場所を動かすので住所不定。 毎週日曜日は教会に必ず行くタイプ。 #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 アーサー・カトリーナ・ロング 「南部の女は義理堅いんだよ。」 民主党員でルイジアナ州知事。 家族にアメリカ至上最大のポピュリストがいるがそのことを口に出すと怒られる。 どうやら仲が悪いらしい。 #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 クローディア・A・スワンソン 「ヤンキーはぺちゃぱいよねぇ・・・」 史実では花梨の元で海軍参謀長として働いていた。 花梨のことを「ペチャパイ」と陰で哂っていた。 南部人であり南軍服を着用している。そのため北部出身者からは顰蹙を買うことも・・・ #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 ネリー・ベッドフォード・フォレスト 「フォレストお姉さん、参上よ。」 KKK(きたない・くさい・きもちわるい)運動を主催した南部連合軍中将ネイサン・フォレストの曾孫。 史実では合衆国軍に入り初めは騎兵、続いて航空兵となり、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空軍の将軍になった。 アメリカでWW2において一番早く戦死した将軍。 自らを森 三世(*3)お姉さんと名乗っている。 年齢はぎりぎり20代前半らしい。
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サイラン連合国 +目次 登場作品リンク 関連リンク関連項目 類似項目 登場作品 リンク 山間部に位置する、大陸では大国に入る部類の国で、別名「サイラン公国」。 しかし、近年は周囲をとりまく厳しい自然と鎖国的な文化のせいで、発展と維持が難しくなっており、軍拡主義によって国を発展させていこうという“軍国派”と周囲の国々との協調姿勢によって国を発展させていこうとする“調和派”の二派によって、政治が二分されている状態に陥っている。 ▲ 関連リンク 関連項目 ニーズヘッグ アスベル・ラント ソフィ シェリア・バーンズ ▲ 類似項目 ▲
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概要 ヴォルカニア連合国は、大陸中部の火山・山脈地帯を擁する国家である。 北東にシリウス王国、東にグラーディア国、南にレジリアス国と国境を接する。 7つの州によって形成される連邦制をとり、国家元首に大統領を戴く。 総人口は約9000万人。 特色 活発な火山活動による地熱と石炭、石油、鉄鉱、銅鉱など多様かつ豊富な鉱物資源を武器に台頭してきた新興国であり、他の国に比べて纏まった国家としての歴史は浅いものの、急速な発展を遂げている。他国に先んじて内燃機関や飛行機械、電子技術の実用化に成功するなど工業面での発達が著しく、高度に機械化、組織化された陸・空軍を擁する強大な軍事国家としての面も持ち合わせている。 歴史 ヴォルカニアでは痩せた土壌が広がっている関係で農業はあまり盛んではなかったため、他の地で食糧の大量生産が可能になる以前は小さな集落があちこちに散在する程度で周辺国には見向きもされない土地柄であった。このように長らく「壁」としてしか認知されてこなかったこの地域に転機が訪れたのが、グラーディアからの大規模な入植である。農業技術の革新によって食糧事情に余裕ができたことから、多数の入植者がこの地に根を下ろすことになった。その後約1世紀もの間、この地はグラーディアの植民地であり続けたが、差別的な税率設定や自治権の拡大要求に対する苛烈な取締りに対する反発から、今から約半世紀程前にグラーディアからの独立を宣言する事になる。当然、これをグラーディアが承認するはずもなく、この宣言より約5年もの間、この二国の間では激烈な独立戦争が繰り広げられる事になる。最終的にこの戦争は領土を守りきったヴォルカニアの勝利に終わり、現在の形に収まる事となった。 外交関係 独立戦争の直後はグラーディア=ヴォルカニア間の外交関係も当然再着火寸前の険悪な物であったものの、現在では割りと良好な関係を築き上げている。ただ建国時の経緯から現在でも仮想敵の第一位はグラーディアであり、独立戦争の秘密裏の支援を受けたことや共にグラーディアの圧力に晒されている歴史的経緯からブリザディア、シリウス、ガーランドとは4カ国間での安全保障条約を結んでおり、万一いずれかの国がグラーディアに攻撃を受けた場合は残りの3国が後ろから刺すという半ば包囲網のような外交環境が出来上がっている。 政体 政体は自由民主主義を基にした共和制をとっており、国内の7つの州には大幅な自治権が認められているため、中央政府の力は他国と比べるとやや弱めである。また、歴史が浅いにも拘らず貴族制度が導入されているのが特徴的で、これは独立戦争時に際立った戦果を上げた者に対する叙勲が切っ掛けである。彼らは他の国の貴族と違い、自らの領地は持たないものの国内での一定の特権(年金等)が認められており、また独立戦争の記憶もまだ新しい事から人々の尊敬を集めている。 主な民族 主な構成種族は、グラーディアの植民地であった事もあって多岐にわたるが、先住民族である炎や地面、岩タイプの種族が特に多くなっている。 軍事 陸海空の基本的な三軍を要しており、陸、空軍力に関しては隣国であるグラーディアの三分の二程度を保有しており、安全保証条約を結んでいる三国のうちのいずれか一国を加えれば拮抗以上に持っていける規模である。ヴォルカニアに置いては「同盟国一国を加えてグラーディアと拮抗させる」というのが軍事力の最低限の目標となっている。但し、海軍に関しては仮想敵国であるグラーディアが遥か遠くになる上に、ヴォルカニアの海岸線自体も短い物であるが故に、規模も比較的抑えられており非常に偏りのある構成になっている。 主な都市 スコリア…ヴォルカニアの首都 ニューセントラ…最初の植民都市にしてヴォルカニア最大の都市 オノンドーガ…先住民の時代に立てられた都市。この国では最古の都市 関連 ブリューナク家…ヴォルカニア貴族のひとつ プロミネンス家…ヴォルカニア貴族のひとつ。実業家の一門 バニングウェル家…ヴォルカニア貴族のひとつ。格闘家の一門 プロミネンス社…産業コングロマリット。本社が首都スコリアにある シャモの里襲撃事件…12年前に起きた大量殺人事件。犯人は現在も逃走中。
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ユン・ガソル連合国 解説 ラウルバーシュ大陸の中原東部に存在する国家。 王都はロンテグリフ。 帝政への移行に反対したメルキア貴族の多くが亡命した国であり、手土産として魔導技術が持ち込まれた事で飛躍的に発展した。 重工業が目覚しい発展をみせており、その高い工業力を兵器の生産に傾け、大型弩砲や投石機、攻城櫓など多彩な対人・対物兵器を完備している。 一方で発展の代償として環境汚染と公害が深刻な問題となっている。 ザフハ部族国とは友好関係にあり、アンナローツェ王国を牽制する為に同盟を結んでいる。 過去の経緯もあってメルキア帝国とは長く敵対関係にあったが、センタクス領との戦いに敗れた後はその支配下に組み込まれた。 雑感・考察 王都以外の主要な都市はアルスレイム、ゴガレン、バルシュハイネ。 軍事施設としては鋼塊の門、絶界の砦が存在する。 発売順の関係上仕方が無いのだが、戦女神Ⅱでは一切触れられない為にその後どうなったかは不明。 名前