約 2,629 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2712.html
注意点 協議の結果、みんなの新武将の項目は別サイトに移転しています。 https //wikiwiki.jp/sansinb/ 今後はこちらの利用をお願いします。
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2716.html
移転完了てす -- (名無しさん) 2014-03-31 01 53 14 信長は忠勝より強いんだね -- (名無しさん) 2014-03-31 10 32 41 逆に本多忠勝の武勇は結構イメージ先行しているような・・・・・ 大軍に単騎で突っ込んでる逸話はあるけどそれは謙信や信長もやってるし 信憑性はかなりアレだが武功夜話だと加藤清正と一騎打ちしてあわや敗れるところを 秀吉に助けてもらったというのもある。首級を取った記録も見当たらない。 まあ能力値は最終的に個人の差配になるから一桁数値を是正する気にはならんけど -- (名無しさん) 2014-03-31 11 32 41 わろえない -- (p) 2014-04-02 01 00 38 今の日本の悪しき風潮だよな。英雄英傑を評価せず、チョイ役や脇役を過剰に持ち上げる 光武帝ほどじゃなくてもいいが、少しは正当な評価が広がってほしいもんだ。 真田や宗茂の評価を見ると特にそう思えてならんね -- (名無しさん) 2014-04-06 00 03 49 てめえ個人のイカレた評価なんぞ知ったことか。 少しは過去のテメエの評価に対するドン引きコメントの数々を よくよく吟味して出直してきやがれ。 -- (名無しさん) 2014-04-06 00 15 30 具体的な根拠もなく、逸話の知らない人間のドン引きねぇ・・・・ 「一騎打ちで呂布が劉備三兄弟に互角以上に戦ったとかありえないw」 「長坂で張飛が大喝で敵を退けたとか嘘だろw」って言ってるようなもんなんだけど その辺理解してるのかなそういう人は -- (名無しさん) 2014-04-06 00 27 11 編集合戦になるのを防ぐため、 万人が少しでも納得しやすい能力値を心がけ、 多少の前後はあっても大きく逸脱しないこと。 最初の作成者にはある程度の敬意を払うこと。 編集を行う場合はまずコメントをして意見を聞くこと。 暗黙のルールです。 あなたには全てが欠けている。 あなたもまずはみんなに聞いてみるべきでしたね。 「信長の武力を99にしたいけどどう思う」とね。 賛同者は何年待っても一人も現れなかったでしょうけど。 -- (作成例をよく読むように) 2014-04-06 02 09 33 万人が納得するっていうけど、最初の作成者は高武力高能力だったのに 勝手に他の編集者が一存で能力下げまくっていたから、変更しただけにすぎないんだけど だから俺はそれを戻しているだけで、文句を言う人間がまず下げる根拠を明示すべき。 ちなみに俺がこれをやっているのは信長以外の武将もそうなので、別に贔屓の引き倒しでやっているわけではない。 逆に聞くが、ここにいる人間は呂布や項羽の武力が70だったらおかしいと思わないのかね? 信長の例でいえば、彼より武勇伝が多い日本人なんて、それこそ素戔嗚や日本武尊くらいしかいないのだが 何を根拠に武力が70台なのか、これは秀吉の能力にも同じことが言えるけど -- (名無しさん) 2014-04-06 10 26 32 そもそも、編集合戦を防ぐというが、俺はわざわざそうならないように 他の人物も調べて参考値を載せて、ちゃんと更新の体を成してやっているのだが 他の人間はなんだね?ただ能力値にケチをつけて、自分の好き嫌いで人物を評価しているだけじゃないのか? 一例を挙げれば、このページで明智光秀、織田信雄、織田信孝を作ったのは俺だが ご丁寧に勝手に能力値を変更している。しかもなんら根拠は明示せずに。 編集合戦を防ぎたいのなら、下げている人間がその根拠を言うべき 俺は作った全ての人物に、逸話や根拠を組み立てて作成している。 -- (名無しさん) 2014-04-06 10 34 44 私が知る限り一番初期の信長の能力値は、 96 70 97 91 99だ。これの根拠は作成者が太閤立志伝Ⅴの織田信長を そのまま反映したもので、このサイトが発足して後最も長く存在して いたものだ。近年になって多少の前後はしたものの信長の武力が90を 超えたことは一度もなかった。それはこのゲームをプレイする人間にとって 最も親しみやすい信長の野望などコーエーが設定した能力値の範囲を超過することがなかったからだ。 それが最近になってから信長含む三傑の能力値が突然インフレを起こした。 まったく同時期に日本の新武将全体に何者かのテコ入れが入った。 例えば源義経の武力も99にされている。 戦国時代以外の新武将はほぼ私が作成したものだが、 それを根拠も示さずに変更しているのはあなただろう? その件についてなんかコメントありましたっけ? 突然の如く、私も逸話や根拠(通説によるイメージ、大陸との若干な補正、ゲームバランス) 能力値を反映させているのだが、自分は他人の意志などまったく顧みもしないで 好き勝手やってる癖に他人には自分の意志を尊重してほしいとは、まったく都合のいい話だ。 その上、編集合戦が起きる原因は他者が勝手に編集することだと言うか。 発売直後から存在し、作成者を尊重して誰も編集の手を入れなかった日本武尊や厩戸皇子 まで身勝手に変更しておきながらよく言う。 -- (作成例をよく読むように) 2014-04-06 14 58 08 能力値のインフレを全部俺のせいにされても困る 日本武尊の数値が両方100にしたのは俺だが、これは 若干30歳で日本の西征、東征を行い、最期は神と戦うその生涯を考慮したもの 神話の人物だし項羽や呂布も神とは戦っていないので、上限の100まであげたにすぎない。 源義経の99も一の谷の戦いが史実では壮絶な兵力差をひっくり返したことが由来であり これは正史だと壮絶な活躍をして演義でその活躍が抑えられた張遼と同じ。 少なくとも「俺」は、能力を是正する際に必ずその元となった逸話を併記している。 戦国時代以外の新武将はほぼ私が作成したものだが 嘘はやめた方がいい。俺は別に戦国だけが好きなわけじゃないから あらゆる時代の人物を作っているが徳川慶喜や足利義満などは自分が作っている。 他人が作った人物まで起源主張して変更するなというのは如何にも浅ましくなかろうか? -- (名無しさん) 2014-04-06 15 31 37 ぶっちゃけこのページいらなくね? 信長の野望か太閤立志伝から持ってくりゃいいし -- (名無しさん) 2014-04-06 17 19 08 以前からそう言う話だったし、意義なし。 -- (名無しさん) 2014-04-06 17 30 28 信長の野望からそのまま持ってくるとなると 全てのページが対象になるからお流れになったんだよ。 日本武尊や源平、足利北条に新撰組や維新勢 消える人間が多すぎるから取りやめになった。 -- (名無しさん) 2014-04-06 17 50 50 いやいや いらないってのはまるごと必要ないってことだから 持ってくるってのは自分で新武将作るときって意味じゃないかな? -- (名無しさん) 2014-04-06 19 25 47 全ての人物がいらないというなら、それこそみんなの新武将の項目自体いらないだろう。 時間は滅茶苦茶かかるがWikiで全て調べて自分で能力付ければいい。 でも、そうなるとここで議論するより「みんなの新武将」全体で議論すべきだろうね。 -- (名無しさん) 2014-04-06 19 43 51 この近世の(信長・秀吉・家康の)三傑(と一部)以外はまあ盛ってるが納得できる許容範囲 やっぱり有名どころは高くしたいのかね・・・ 三人とも武力-20でいいと思います -- (名無しさん) 2014-04-07 13 11 30 武力が随分過小評価されやすいな まあここいらで根拠を示しておこう 三国志の武力根拠となる「一騎打ち」だけど 戦国武将でこれをやって敵を破った人間はわずか4人しかいない。(調べた限りでは) 山中幸盛、吉川元春、立花宗茂、そして織田信長。 とくに信長は貴重な総大将討ち取りをやっている。 ちなみに武芸者として知られる本多忠勝ですら一騎打ちで敵を破ったことはなく 真柄直隆相手に数合討ちあって引き分けている(この後真柄は匂坂三兄弟or青木一重に討たれる) 武功夜話はどこまで信用していいかわからんが、加藤清正は忠勝を討ち取る寸前までいってるのでもっと上げてもいいかもしれない というか前々から思っていたんだが三国志で武力70~60台って陸遜レベルだろう 陸遜が最前線に出て味方を鼓舞して敵と切り結んでいたか? -- (名無しさん) 2014-04-07 13 42 52 日本には剣豪属性がありますから 一騎打ち補正が設定できないので単純に武力値でバランスをとるしかないと思うのですが・・・ -- (名無しさん) 2014-04-07 13 58 58 剣豪だからってそのまま武力に反映するのもどうかと 例えば足利義輝のように、死の間際に敵兵を斬りまくったとかなら 武力に反映されやすいと思いますが、そうでないならそこまで反映する必要があるのでしょうか? 彼らは剣術に優れていたというだけで、戦場での武勇とはまた別問題ではないでしょうか? 例えるならそうですね、黄忠や夏侯淵は弓術に優れていたとありますけど、別に彼らが武力1位というわけではない感じでしょうか -- (名無しさん) 2014-04-07 14 40 34 まあ演義の設定ですけど -- (名無しさん) 2014-04-07 14 41 51 個人的な武力として(三傑)この値は疑問符が付くが・部隊もしくは軍団の殲滅力と考えるとまぁ納得できなくもない しかしあくまで武力の根拠を「一騎打ち」と前提としているから 剣豪属性(塚原卜伝・上泉信綱とか太閤立志伝で剣豪札を所持してる)方々よりは(武力は)劣ると思われる だから信長なり秀吉なり家康なりの武力を一騎打ち基準にするか殲滅力基準にするかを話し合えばいいと思う もしくは「一騎打ち補正あり」と書くようにするか -- (名無しさん) 2014-04-07 17 49 55 剣豪組はアイテム所持で補えるんじゃないかな? 自分はアイテム作ってそれ持たせたりしてる。 適正は全てCにすればそこまで武力高くても強くはならないよ。 -- (名無しさん) 2014-04-07 18 46 33 典韋さんみたいなイメージかな?槍に関してはみんなAぐらいありそうだけど… -- (名無しさん) 2014-04-07 20 15 44 インフレインフレと言われているが、 本家中国史も結構盛られているところあるから、 別にいいんじゃないかな -- (名無しさん) 2014-04-08 02 18 04 松尾芭蕉どっちかてと詩想じゃないの? -- (名無しさん) 2014-04-09 19 07 33 ↑追加しました 運搬は消したけど必要なら追加お願いします -- (名無しさん) 2014-04-09 19 40 03 2014-04-09 19 40 03さんありがとうございます 芭蕉というか俳句は詩のイメージがあったので -- (名無しさん) 2014-04-10 05 25 59 長谷川秀一の兵科適性を変更しましたが これは変更ではなく誤植訂正(変更前の適正は団忠正と全く同じ)であり 編集合戦を誘発するものではありません -- (名無しさん) 2014-04-12 01 58 01 のでご了承ください -- (名無しさん) 2014-04-12 01 58 50 史料、軍記、講談。全てを統合したら化け物数値になってもおかしくないね。特に秀吉は。 -- (名無しさん) 2014-04-19 06 23 09 ここにはないけど上杉謙信とかも凄そう -- (名無しさん) 2014-04-19 06 29 02 あと、が抜けてた -- (名無しさん) 2014-04-19 06 29 26 ちょっとしたことですが、なぜお濃の方は斉藤なのにおねの方は豊臣なのでしょう?おねの方は浅野では? -- (名無しさん) 2014-04-19 07 28 35 おねの方は秀吉と一緒に朝廷から「豊臣」の氏を貰ったからでしょうか? あとは・・・有名だから?浅野、木下でもいいんじゃないですかね -- (名無しさん) 2014-04-19 07 39 29 ↑なるほどそういうことですか。有難うございます。 -- (名無しさん) 2014-04-28 11 13 57 能力値変更による編集合戦誘発危機のため、記事を差し戻し 追加武将や候補特技は全てそのまま追加しております -- (みんなの新武将コメント欄をよく見るように) 2014-04-30 04 15 54 話題に上がりやすい3人の最新作「信長の野望・創造」での能力値 (統率・武勇・知略・政治) 織田信長 99 87 94 100 豊臣秀吉 94 78 97 99 徳川家康 99 86 90 94 -- (参考になれば) 2014-04-30 05 18 56 むしろ創造まで比較的行われてた信長の野望過大過小武将談義も参考にしてほしいところだ個人的には 徹底した史料逸話考証はあそこが群を抜いていた。過大評価の武将の理由づけに引用されまくった結果 「秀吉の前では全ての武将が過大」と言う名言も生まれている。 三国志も似たような談義あったな昔は -- (名無しさん) 2014-04-30 07 47 46 あらためて見ると信長の性能がヤバイね。 能力値こそ3人の天下人の中で一番低いが、 無駄がない配分で加えて候補特技が鬼。 三国志・戦国時代の英雄は逸話多いから、 特技の候補になってくるものも多いだろうしね。 諸葛亮も鬼門、神算、能吏どれもあいそうだし -- (名無しさん) 2014-05-02 20 11 34 まあ個人の作成例だし、多少はね -- (名無しさん) 2014-05-03 23 29 25 登録する側としては特技は多ければ多い方が嬉しい。 自分的に特技一つだと差別化考えにくいと思ってる。 あくまで個人的感想だけど、一つがいいなら選べばいいし 大は小を兼ねるってやつですな -- (名無しさん) 2014-05-03 23 45 16 アイテム持たせるとき 蘭奢待≒玉璽としてますが茶器類は書物類でしょうか玉璽or銅雀類でしょうか・・・? -- (名無しさん) 2014-05-08 15 10 59 茶器はたくさんあるし書物類でしょうね -- (名無しさん) 2014-05-09 11 00 35 やっぱりそう思われますかご意見ありがとうございます2014-05-08 15 10 59書いたもの -- (名無しさん) 2014-05-09 22 21 09 豊臣秀吉は、兵糧攻めによる攻城戦を得意としていたということで、兵器Sにしてます。後は特に不安はありません。 -- (名無しさん) 2014-05-14 23 07 41 LR違反が行われていたため、以前の記事に差し戻しました 編集合戦を誘発するので、能力値の変更は禁止されています -- (みんなの新武将注意点をよく読むように) 2014-05-28 00 52 51 理由がある場合はコメント欄などで説明を -- (みんなの新武将注意点をよく読むように) 2014-05-28 00 57 00 天下人三人の能力値がギャグかと思ったぐらい高いな 特に武力がおかしい、信長武力99とか人を切ったことがないという説もある秀吉が88とか意味不明 -- (名無しさん) 2014-07-25 13 03 49 コメントを読んでいただけると解ると思いますが 武力の設定基準は「部隊を率いたときの殲滅力」を基準としています -- (名無しさん) 2014-07-25 13 09 50 虎狩りの逸話がある孫権 部隊長として多くの戦いで前線を担った劉備 自らの武勇に関しても逸話が多い曹操など 三国志の英雄ですら武力の逸話が多いのに 戦国の英雄は武力の逸話がないと思うのもおかしな話よ 桶狭間で先陣切った家康、数多くの要所の戦いを担った秀吉 自ら先陣をきって敵を倒し続けた信長。どれも申し分ない -- (名無しさん) 2014-07-25 13 17 52 後漢の名皇帝である光武帝も滅茶苦茶強かったらしいですし、 概して動乱期の君主は強さを舐められすぎている感はありますね・・・・・。 劉邦みたいな、人徳で人を惹きつける君主は特例中の特例ですし。 -- (名無しさん) 2014-07-25 13 32 27 別のページに間違って打ってしまったでここでもう一度書かせてもらうと信長は馬場信春の兵千に対して一万で挑んで負けたり寡兵の浅井に押されまくったりしているし秀吉個人では人を殺したことがない説もあるし指揮官としては寡兵の鬼吉川に戦いを挑めず友軍を見捨てている あの能力では生涯無敗でもなければおかしい数値だが三英雄は常勝不敗というほど戦術家としては安定しているとは言えないよ なのに本物の常勝将軍の白起や韓信と比べて統率武力合計が互角以上はねえ あくまで三国志11のサイトである以上は日本トップクラスの傑物である3英雄は三国志トップクラスの傑物である曹操あたりと比較して能力を調整すべきだと思うけど圧倒的に総合値で引き離してはいくらなんでも個人の贔屓が過ぎるよう写るよ まあ曹操や信長は個人的には80台はあってもいいとは思うけど個人のイメージが大多数にそぐわない能力をつけてそれを説得できていないのに押し通すのはマナーとしてどうかと -- (名無しさん) 2014-07-25 15 07 55 三方ヶ原でボコボコにされた家康はともかく 信長と秀吉ってほぼ常勝無敗に近い戦績でしょ 味方について日の浅い友軍を見捨てたとか逆に損害を防いだ戦略眼を 褒められる逸話だし、例示された戦いも全て防衛戦で、守りきれている以上辛勝の類。 はっきり言うけど徐栄や張繍や孫権に負けた曹操じゃ比較にならんよ -- (名無しさん) 2014-07-25 15 29 43 最終的には個人の裁量なのよねぇ 史実重視か、イメージ重視か -- (名無しさん) 2014-07-25 16 38 33 ↑↑ 秀吉の戦略判断は正しいと思ったし褒めるべきなのは同意だよ、ただこのサイトの能力を持つ秀吉なら吉川をあっさりねじふせて友軍を救っただろうなという話、兵力差があっても大勝を収めるほどの自信と戦術能力差が無いと思ったから避けたのではないの? 秀吉は野戦の殲滅力という点では自軍よりはるかに多い兵力を相手に戦術的または政略的に勝利した戦いは自分の知る限りでは無いし、それに比べるとは信長と家康はなんどかある 大軍を飢えさせたことがない分大軍の運用は3英雄一だと思うけど戦術では寡兵の家康に戦術面で敗北しているし唐入りは失敗しているしで白起に匹敵する軍事能力はちょっとねえ 所で家康を下げている所を見ると関西方面の人?なら納得だわ -- (名無しさん) 2014-07-25 17 25 43 いや地方で能力の上げ下げはないだろう三傑は全員(関東・関西に関係のない)、東海・甲信越地方出身なのに… それに一騎打ちも三国志・戦国の両方とも数が少ないのだから 「武力≒一騎打ちの強さのみを基準」は前提として誤ってないか? -- (名無しさん) 2014-07-25 17 57 28 秀吉は10倍の浅井軍を破った箕浦合戦があるし 家康の三方ヶ原に相当する戦いはない そもそも上月城は尼子が撤退命令違反しただけ 唐入りはそもそも秀吉指揮じゃない -- (名無しさん) 2014-07-25 18 32 47 ↑↑いや地方によって武将を贔屓や偏見でさげる輩は絶対いる、あのNHKドラマ天地人の家康はどうしようもないほど小物で子悪党だったが脚本家は家康の人気が下がって満足的な発言あったが生まれはやはりというか大阪だった 以前ある掲示板で3英雄で最強は秀吉じゃーと大暴れした人の話をまるで聞かない秀吉信者は副アカがばれてアカウント停止になったんだけどそいつも関西出だと言ってた 正直言うと野望シリーズでいつも三英雄能力値最下位の秀吉を総合値一位にしている所をみると秀吉を持ち上げたいが為に信長の武力を不自然にあげたのでは?と勘繰ってしまうんだな 関西人っていつも歴史論になると秀吉を持ち上げようとするからなー -- (名無しさん) 2014-07-26 00 18 39 さすがに関西人を貶める発言は控えていただきたい 一部を全体の総意のように述べるのも 地域で能力に格差を持たせているのだ という発言もここでは場違いだろう? そもそも関西人が編集したかどうかも確かでないのに憶測でその地域の人々を貶めてはいけない -- (名無しさん) 2014-07-26 05 01 24 ついでに義理と野望も能力値に表記をしてください -- (名無しさん) 2014-07-26 05 43 13 呆れた話だな。 よそはよそ、ここはここだし よそのサイトで気に入らない人間がいたから暴れるとか問題外。 そんなつまらん理由で能力値にケチをつける人間がいるから 能力値変更NGになったんじゃないのか? つうか、総合能力値を細かく見ると 秀吉は晩年に魅力が41も下がるし、 信長が維持、家康が晩成と安定感のある成長スタイルに 対して秀吉は普通だし、兵科適正が一番優れているのは信長 ちゃんと核となる天下人を時代のナンバーワンになるように 信長秀吉家康をうまーく調整されていると思うけどな -- (名無しさん) 2014-07-26 06 53 58 ↑×2 義理・野望表完成させておきました -- (名無しさん) 2014-07-26 08 03 38 ありがとうございます ただ信長は裏切ったことはないそうなので義理4にしていただけないでしょうか? 2014-07-26 05 43 13 -- (名無しさん) 2014-07-26 08 20 04 ↑ 斯波とか北畠とか。あと織田信光の暗殺も信長の仕業だという話もありますよ 4だとちょっと高いかなと。 -- (名無しさん) 2014-07-26 08 43 33 でもよく考えたらあれ説止まりでしたっけ・・・ 曖昧なので4にしておきますね -- (名無しさん) 2014-07-26 08 47 21 ありがとうございます 2014-07-26 05 43 13 -- (名無しさん) 2014-07-26 10 54 41 「関西人っていつも歴史論になると秀吉を持ち上げようとするからな」 世の三国志マニアが中国籍になった瞬間である -- (名無しさん) 2014-07-27 17 53 54 ちょっといいですか? 滝川一益と織田信雄の水軍適正が低い気がします。 この2人は伊勢という水軍・海賊に近い場所に領地がありますし、実際に水軍で戦功もあげています。特に滝川は鉄甲船の製造者でもあるんですが -- (名無しさん) 2014-07-28 10 06 24 ↑ 確認の上、訂正しておきました -- (名無しさん) 2014-07-28 10 14 52 迅速な対応ありがとうございます。 -- (名無しさん) 2014-07-28 10 16 56 いくら何でも、黒田官兵衛より知力の高い近衛前久はおかしいだろう。 -- (名無しさん) 2014-07-29 10 20 57 朝廷黒幕説取ってるんじゃないの? -- (名無しさん) 2014-07-29 11 33 49 天下人3人武力高すぎじゃないか… -- (名無しさん) 2014-08-07 03 33 40 わざとやってんのか? もうその議論はとっくに終わった -- (名無しさん) 2014-08-07 06 35 12 まあまあ 一時史料たる書状に信長公記、天正記、当代記、三河物語の一代記、 他にも信長記、太閤記、徳川実記などなど 三人に関する史料はたくさんありますから どこがどうおかしいか、ちゃんと言ってくれるでしょう。 -- (名無しさん) 2014-08-07 07 41 15 注意点 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 抜粋 -- (名無しさん) 2014-08-07 08 04 14 私見を言えば、信長の武勇伝は馬超に近い 敵を果敢に討ち果たし、敵大将たる曹操、今川義元を追い詰めた 武名一つで劉璋、朝倉と勢力一つ崩壊させたのも被る。 逆に知略はちょっと低いような・・・・・でも誤差範囲か -- (名無しさん) 2014-08-07 14 20 50 この講談とかなんとかいったい何なの? めっちゃ滑稽なんですけどwww 努力の方向性がおかしいwww そもそも講談読んだ認識も個人の裁量だし、 やってることが不毛すぎるしwww -- (名無しさん) 2014-08-10 01 08 50 能力値下げろ下げろ言って荒らす人間がいるからな -- (名無しさん) 2014-08-10 09 35 28 まあいいや、半兵衛以外は不毛だし消しておくか -- (名無しさん) 2014-08-10 09 56 23 というわけで作成者自らの手で消しました。 半兵衛の場合は境遇も展開も何から何まで全部変わるので残しました ご迷惑おかけしました -- (名無しさん) 2014-08-10 10 05 46 「本多正信」頼みます。 家康との相互親愛が望ましい 「深謀or百出」(久秀の評と三河武士の評をポジティブに解釈) あと知力と政治は出奔前と後(本能寺で帰参)と考え「開眼か晩成・長」でお願いします -- (名無しさん) 2014-08-12 13 03 12 ↑ 作成しておきました。 -- (名無しさん) 2014-08-12 16 08 00 ありがとうございます 2014-08-12 13 03 12です -- (名無しさん) 2014-08-12 18 23 17 つーかマイナーな武将多すぎないか・・・坂井政尚とかいて毛利北条武田がいないとか・・・自分で勝手に作ったしいいけどさ。これだけ言いたかった -- (名無しさん) 2014-08-19 06 15 36 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2731.html 毛利や武田はこっちやで -- (名無しさん) 2014-08-19 07 56 20 残念だけどここ、能力変更禁止なのよね -- (注意点をよく読むように) 2014-08-19 08 04 08 荒れる原因になる編集合戦は勘弁 -- (名無しさん) 2014-08-19 11 33 28 前田利家のところに※で一つ追加を 「一説に稲生の戦いので隻眼になったとも言われている」 と作成時に逸話を生かしたりする人もいると思うで、お願いいたします -- (名無しさん) 2014-08-19 16 42 22 ↑ 反映しました -- (名無しさん) 2014-08-19 18 14 17 感謝いたします。2014-08-19 16 42 22です -- (名無しさん) 2014-08-19 18 45 42 ↑6 まじだったありがとう。戦国武将の能力・特技について語り合う場所ってどっかあるの? -- (名無しさん) 2014-08-19 23 14 34 ↑ 能力議論は荒れるのでなくなった 特技ならまだいけるんじゃないか? -- (名無しさん) 2014-08-20 04 55 55 本日作成した織田秀信の一部の能力値が、コピペ元である織田信行の能力のままになってしまってました 能力変更ではなく誤記訂正です、申し訳ありません。 -- (作成者) 2014-09-01 17 38 15 親愛・嫌悪関係についてですが 本多忠勝と榊原康政は本多正信を嫌悪でお願いします。 また本多正信と徳川家康は「相互親愛」関係がよろしいと思います反映を お願いいたします -- (名無しさん) 2014-09-02 11 40 50 ↑ 主な人間関係の項目で対応させました -- (名無しさん) 2014-09-02 12 10 18 対応、感謝いたします 2014-09-02 11 40 50です -- (名無しさん) 2014-09-02 13 03 48 織田厨くっさ -- (名無しさん) 2014-10-12 07 21 10 久々に聞いたそのフレーズ どこぞの実名漏れの人かな? -- (名無しさん) 2014-10-12 07 25 49 本家信長の野望の能力が気に入らないからって三國志にまで出張ってくんなや 本家にすらいないマイナー武将知ってる自慢かよ -- (長谷川亮太) 2014-10-12 11 46 29 この項目は随分前からあったけどな。 こういうのって本当にゲームやってない奴が言うんだな -- (名無しさん) 2014-10-12 20 57 34 あと実名漏れの方はそっちの人じゃないから 勝手に人の名前使ってやるなよ -- (名無しさん) 2014-10-12 20 58 23 作った俺が言うのもなんだが流石に菅屋斎藤クラスを無名扱いするのはちょっとな。三国志の馬良、賀斉、董昭クラスの認知度はあるよ。 -- (名無しさん) 2014-10-12 21 32 29 三国志じゃだぁ~れも作らねぇような日本の戦国武将作って気持ちよくなってる自慰猿がまぁ~たなんか盛ってるぜ。ああ気持ち悪、気持ち悪。 そもそも三国志11の武力は一騎討ちの強さに設定されてるのに、ここの武力は違うとかそのおかしなご当地ルールはどっから来たんだよ。そんなもんがまかり通るなら陳慶之なんか魔神になってるわ。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 12 25 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1598.html#id_eaa35867 「三国志11の武力は一騎討ちの強さに設定されてる」って随分またザル理論の荒らし君だな。 それはあくまで参考の一つにすぎない。大体三国志でも演義含めて一騎打ちしたことない武将のほうが多いじゃないかw 曹操や劉備は一騎打ちしてないから武力は0なのかね荒らし君w -- (名無しさん) 2014-10-13 09 34 01 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 もう一度言いますが新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 能力値の変更、人物やページの削除、能力値の議論など、荒れるような行為は絶対に慎んでください。 ここはあなただけのページではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 47 03 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 47 33 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 47 55 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 48 31 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 49 00 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 49 38 もう一度言いますが新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 50 04 能力値の変更、人物やページの削除、能力値の議論など、荒れるような行為は絶対に慎んでください。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 50 34 ここはあなただけのページではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 50 55 以上、ローカルルールを転記 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 51 14 知ってる、知ってる 君が編集しまくってここが荒れて、信長は忠勝より一騎討ちが強いんですかーとか数多くの人に突っ込まれてた時期に、いきなり誰さんがもとあったルール編集してそんなの設定してたよね。随分、誰かさんに都合がいいルールが出来上がったなーって思ったもん。 それにしても折角の三連休なのに今日も君はここにいるの? 俺、今からゴルフなんで、君とは付き合ってられないけど、君はこの板だけが友達だから寂しくないよね。それじゃ。 -- (名無しさん) 2014-10-13 10 13 23 煽る前にせめてニュースか外の様子くらい見ろよなあ・・・・ -- (名無しさん) 2014-10-13 10 31 50 くっそわろたw こいつ俺が今のルールに反対している事も知らないんだなw そしてゴルフに行くからwwwwうんうん 今日は良いゴルフ日和だと思うよw 日本全国大雨で台風19号まで来てるから、実に打ちっぱなし日和だねw -- (名無しさん) 2014-10-13 10 39 24 煽りあいはNG -- (名無しさん) 2014-10-13 11 22 13 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 13 57 20 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 -- (名無しさん) 2014-10-13 13 57 50 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 -- (名無しさん) 2014-10-13 13 58 23 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 -- (名無しさん) 2014-10-13 13 59 07 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 -- (名無しさん) 2014-10-13 13 59 43 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 もう一度言いますが新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 能力値の変更、人物やページの削除、能力値の議論など、荒れるような行為は絶対に慎んでください。 ここはあなただけのページではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 14 06 27 以上、みんなの新武将注意点をよく読むように -- (名無しさん) 2014-10-13 14 07 23 あと、煽りあいはNG -- (名無しさん) 2014-10-13 14 07 46 以下、正常進行 -- (名無しさん) 2014-10-13 14 08 09 そういえばこの注意点って誰が作ったんだ? 話聞いてる限り例の人ではないようだが。 -- (名無しさん) 2014-10-23 05 11 50 つうか、まず俺にこのルールを作る「メリット」がない。(多分例の人ってのはまた例によって俺だろうから言っておく) これは、少し考えればわかると思うけど、当時は編集合戦が半ば「黙認」されていた。 唐や後漢のように、有名どころだと問題視されていたようだが、ちょっとそれがズレてしまうと完全放置。 マイナーな時代、マイナーな国だと、武将データの削除すらお咎め無しという状況で、実際日本の維新三傑とか、朝鮮の人物あたりは1回削除されてる。 で、話を戻すと、俺はこういう状況に対して、正直さしてなんとも思ってなかった。 「消されたら、また載せればいい」「変えられたら、また変えればいい」というのが、当時の俺の考え方だし、 消されて、何も行動を起こさないということは、逆に作った人もそれ自体に嫌な気持ちを持っていなかったのだろう、と言うのが俺の考え。 そして、当時はルールなんて気休めだったから、俺と同じような考えを持っていた奴は山ほどいただろう。 だから俺自身は「こんなルールいらないんじゃないか」ってずっと思ってるし、 実際見たところいらないって考えてる人もいるようだ。ただ、それと同じ、あるいはそれ以上に 「こういうルールが必要だ」と思ったり、議論の類をうんざりだと思ってる人が多いってことだろうよ。 -- (名無しさん) 2014-10-23 05 49 04 そうか。 まああった方がいいかもな -- (名無しさん) 2014-10-23 06 15 28 竹中半兵衛の性格は豪胆の方が似合うような気がするのは 私だけでしょうか? -- (名無しさん) 2014-11-01 15 19 01 ルールもなにも、一般常識で判断してくれればいいだけなんだよな。自分だけのサイトじゃないんだから勝手に編集だのはダメに決まってるのになぁ。 -- (名無しさん) 2014-11-01 18 51 24 ↑ まあ、暗黙の了解はあくまで「暗黙」ですからね・・・「俺はそんなの思ってないから」って考える余地を残す、という点では、ルールを厳にしておくのは悪く無いと思う ↑↑ 追加で入れておきました -- (名無しさん) 2014-11-01 18 57 09 ↑ ありがとうございます -- (名無しさん) 2014-11-02 05 51 31 あの、更新されてるのは解っているのですが、数が多すぎてどこが変化してるのかわからないです 何とか小分けして頂けないでしょうか? -- (名無しさん) 2014-12-26 01 19 18 数に関しては問題ないと思うけど、勢力ごとの区分がないのがわかりづらくなる感じかな。 ただ若干ややこしくなるんだよね織田豊臣徳川は。 -- (名無しさん) 2014-12-26 01 30 59 例えば豊臣秀長は「豊臣」ってつくけど「織田家臣」に分類されるし 石川数正は「徳川」家臣だけど、後々「豊臣」家臣になったりもする 池田輝政に至っては「織田」「豊臣」「徳川」全部に仕えてるし、 織田豊臣徳川がひっくるめられてるのはこういう理由だと思う。 世代や年代で括るほうがいいのかな・・・? -- (名無しさん) 2014-12-26 01 37 28 光秀がパネェ… -- (名無しさん) 2015-01-13 01 22 46 また能力変えてるアホがいるのか これ同じ奴っぽいな信孝の変え方見てると -- (名無しさん) 2015-01-13 08 00 40 ↑ 並み居る英傑が能力上昇されてる中で秀吉が下げられまくっているところを見ると、 このコメント欄の上の方にある「秀吉を持ち上げるのは関西人だけ。関西人は歴史観がなっていない。天地人の作者もそうだった。 俺の大好きな家康様を小悪党に書きやがってくぁwせdrftgyふじこlp」って言ってる奴じゃないか? ぶっちゃけ天地人の秀吉って歴代最悪とは言わないまでも(栄えある歴代最悪はシエの秀吉) 主人公の兼続にやり込められて謝罪したり、ヘコヘコして陰気なだけの歴代でもかなり酷い扱いの秀吉なんだよな。 役者的にも家康は松方弘樹なのに秀吉は笹野高史で、失礼だけど役者としての格もどう見ても家康が上だし(なぜか利家や輝元も大御所役者がやってるが) あのドラマを見て「秀吉は持ち上げられまくっている」って言い出すって何か別のものを見間違えてるとしか思えんな。 -- (名無しさん) 2015-01-13 08 27 07 誰がやってるかはどうでもいいけどこの期に及んで編集合戦誘発とか、どうせローカルルールない頃には好き勝手に能力値変更して問題起こしても屁とも思ってないような連中であるのが容易に想像つくから、編集合戦廃絶のためにも復元安定だな -- (名無しさん) 2015-01-13 09 18 51 明智光秀は論客もアリだとおもう。 室町幕府や朝廷との折衝役もしていたし。 -- (名無しさん) 2015-01-14 04 13 24 ↑ 入れておきました -- (名無しさん) 2015-01-14 07 52 00 初めてココに来たけど信長や家康らの能力…爆笑。 統率や武力や知力が三国志の世界で90台もあり覇王特技もないない爆笑。 信長と謙信好きの俺だがこれは酷い、こ成した奴、幼稚低脳。 三国志の世界に登場となる場合は信長の武力は80以下が妥当。 統率も曹燥や孫策を上回らないだろう。 三国志と信長の野望は別だから三国志の世界では三国志に合わせた能力にしなければだし三国志は一騎打ちが存在するから尚更に信長の武力は三国志の猛将豪傑らより高い値になる事はない。 こういう馬鹿げた能力は個人のPKで作ってくれ。 色々な方が見る上の作成の場合は三国志基準で考えてもらいたい。 逆に信長の野望に三国志の人物が登場する場合は同じく信長の野望の世界に合わせた武力ではなく戦闘力になる。 そもそも日本の戦国時代の作成は必要無いし。 -- (名無しさん) 2015-01-18 16 31 24 ↑まぁガンバレ、人生こんなトゲのあること書きさえしなければ良いことあるよ。 鈴木孫一なのですが特技に「射手」を兵器適正Sでお願いいたします。 -- (名無しさん) 2015-01-18 17 59 23 張繍に敗北し孫権に負けて劉備に漢中ぶんどられた曹操や 所詮王朗や劉繇ごときしか倒せなかった孫策を統率高いと言われてもなw その基準なら秀吉や家康の統率は100越えちゃうだろ^^; -- (名無しさん) 2015-01-19 01 18 59 定期的に荒らそうとする奴がいるけど やっぱこのページを消したい君なのか? -- (名無しさん) 2015-01-19 01 32 22 ↑後漢の光武帝や唐の李世民と一緒で、有名な人は色んな人間が知ってるから、多分それで色々言いたくなるんだろう。 昔は編集合戦になってたけど、編集禁止がルール設定されてしまった。だからコメント欄で爆発させて帰るんだろうね。 とりあえず荒れそうな気配も漂ってるし、コメント欄また流しておきます。 ↑↑↑ 追加しておきます。 -- (名無しさん) 2015-01-19 01 45 51 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 46 34 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 46 57 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 47 25 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 47 51 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 48 15 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 48 38 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 49 10 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 49 28 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 49 45 以下、通常進行で -- (名無しさん) 2015-01-19 01 50 10 おつです しかしどこのページも最近あまりいい流れになりませんな もう冬休み終わったはずなんだけども -- (名無しさん) 2015-01-19 01 59 14 「信長の野望があるから戦国時代はいらない」ってたまに聞くけど、あの作品って「信長の一代記」みたいな扱いだから当てはまらないと思うんだが。愛好者ならわかると思うけど、つい最近まで清洲会議以降のシナリオすらなく、関ヶ原合戦がレアシナリオ扱いされていたゲームだぜ? -- (名無しさん) 2015-01-19 02 25 28 まあPC版とPS版じゃ一概には言えないけどな -- (名無しさん) 2015-01-19 02 34 10 2015-01-19 01 45 51さん追加ありがとうございます。 -- (名無しさん) 2015-01-19 07 27 19 ↑↑↑特技とかあるし不必要にはならんでしょ。 ページ制限があるわけでもないし。 -- (名無しさん) 2015-01-26 03 36 19 実際に登録しない人からすればいらないのは当然だ。 肯定意見より否定意見の方が強くなるのは世の常 -- (名無しさん) 2015-01-27 06 29 32 コメント欄みたら荒れまくってるから菅沼君が来てたのかと思った -- (名無しさん) 2015-01-28 10 05 09 ↑ 彼がいたらこんなところではすまないだろうwww 信長や秀吉の能力はオール50未満、信玄の能力をオール100にするくらいはやるんじゃないか? -- (名無しさん) 2015-01-29 01 04 39 現編集前ってなんだこれ? 必要もないのに能力値いくつもいらないよ -- (名無しさん) 2015-02-03 04 21 34 最初はマスクデータとか三国志のデータかと思ったけど、そうでもなさそうですね。作成理由もわからないので、違う部分だけ反映して残しておき、後は全て削除しておきます。 -- (名無しさん) 2015-02-03 04 46 40 三傑だけなのを見ると荒らしともとられかねない。現行の武将に変更なり追加なりを加えるのなら書き込んで提案してからにしてほしい -- (名無しさん) 2015-02-03 19 08 20 コメントがないところを見るとただの荒らしか?とりあえず復元しておく。 荒らしじゃないならコメント欄で何か言えるはずだよな -- (名無しさん) 2015-02-03 19 15 41 後漢のページでも能力値に文句言ってる奴がいたけど、同一人物なのかな。 -- (名無しさん) 2015-02-03 19 57 15 ↑2 修正、感謝いたします -- (名無しさん) 2015-02-03 20 03 20 そもそも武力なんて公式でも 馬超 (武力97)● ○ 閻行 (武力84)だったり、 実際に戦ったことない武将同士(例えば関興と華雄など)に数字の優劣がついてたりしてかなりいい加減だからな。 一騎打ち補正を考えると 呂布 、 関羽 、 張飛 、 馬超 、 趙雲 、 許褚 、 黄忠 あたりは 公式としても別格で扱いたいのだろうが(実際一騎打ち補正こみで武力100overになる)、 それ以外は完全イメージ論で概算はともかく、正確な数値を決めるのもかなり不毛なところはある。 要するに公式ですらそんな扱いの数字を厳格にするのは不毛ということだな。 -- (名無しさん) 2015-02-06 08 08 52 ↑ そういえば後漢の光武帝も最後まで揉めたのは武力だったね。 -- (名無しさん) 2015-02-06 16 31 21 やっぱりただの荒らしか 懲りない奴だね~wwww -- (名無しさん) 2015-02-10 09 49 34 ん?なんで列伝まで差し戻されているんだ? 織田高長の母親が身分の低い出身であることは確かだが 放浪したのはそれが原因じゃなくて西軍についた兄貴の秀雄が改易されたからのはずだが? -- (名無しさん) 2015-02-15 04 52 41 信長の槍適正、秀吉・家康の兵器適正はSにすべきでは? 信長は精鋭馬廻りに長い槍を持たせて精強にしたという逸話ありますし、 秀吉や家康は最新兵器を細かく導入して天下統一に導いていますし。 考慮お願いします。 -- (名無しさん) 2015-02-19 00 35 35 ↑反映させておきました -- (名無しさん) 2015-02-19 01 27 51 ありがとうございます。 -- (名無しさん) 2015-02-19 10 19 23 ↑×6 というか、コーエー三国志の意図を汲んでやれば、全体的にインフレ傾向になるんだよ。コーエー三国志の武力ナンバーワンは大体呂布だけど、呂布の武勇伝は「三国志演義」というフィクション、講談出典がほとんど(正史でも強かったが)。だが「呂布の武勇伝はほとんど講談だから能力下げろ」という人はほとんどいない。フィクションであるはずの劉備三義兄弟と一騎打ちで、苦もなく三義兄弟をあしらうのが呂布だ、とコーエー三国志では根付いている。「その事柄は史実かフィクションか?」というよりも、逸話があればとにかく評価に結びつけるのがコーエー三国志基準。これが基なんだから、そらインフレするよ。 -- (名無しさん) 2015-02-26 11 37 35 多すぎてどこが変化したのかわからない… -- (名無しさん) 2015-03-03 06 10 00 ↑ 編集履歴でちゃちゃっと見れるぜ。 青字が追加、赤字が削除部分になりまっす -- (名無しさん) 2015-03-04 04 39 38 みんなの新武将で一番多いのは多分 後漢末~三国 の126人かな。ここ越えるようだと分割した方がいいかもしれないね -- (名無しさん) 2015-03-04 05 02 56 2015-03-04 04 39 38さん確認できました ありがとうございます -- (名無しさん) 2015-03-05 02 15 36 微妙に弄くられてるな…解りにくいところも -- (名無しさん) 2015-03-26 13 03 07 信長・秀吉・家康の列伝だけど、制限の250字以内に収まるよう修正するべきでは? あと、現編集前って何? 元の数値を併記しておけば、武将の能力値を編集してもよいということ? -- (名無しさん) 2015-03-26 17 36 01 むしろこうすることで「元の数値を併記しておけば、武将の能力値を編集してもよい」と謂う既成事実を作ろうとしているような気がするが… 考えすぎだろうか -- (名無しさん) 2015-03-26 21 35 04 どうしても「ぼくのかんがえたのうりょくち」をゴリ押ししたいんだろうねぇこの手のタイプは もうゴリ押しできるタイミングは終わってるのにww とりあえず注意事項作った人はGJ、俺も協力するわ -- (名無しさん) 2015-03-27 03 35 13 2015-03-26 21 35 04 氏 いやあそれは揉めるようになるのが目に見えてるっすから無理でしょうなあ。 今必死にゴリ押ししている奴の能力値が認められたとすると、 次は俺も俺もと書き出す人が出てきて、有名人物には5個10個と能力値がつくことになる。 んで後は「この能力はアテにならない」だの「これが一番正しい」だのまた以前の荒れ具合に逆戻りw -- (名無しさん) 2015-03-27 03 38 47 御手数ですが相性を提案したいのですが 織田信長を曹操と同じ25あたり(改革者?の曹操準拠)で豊臣秀吉・徳川家康が25~50くらいの間(曹勢力準拠)で寺社・将軍(義昭など)勢力が75~100(劉備~袁紹)ぐらいでどうでしょうか? 豊臣・徳川は寺社勢力(本願寺)に対して柔軟(二虎競食とも言いますが)な対応をしていますし相性が近くてもいいのかもしれません。 松永久秀など(梟雄勢)は110~0~15あたりで 相性を設定すれば、嫌悪・親愛関係だけでは表せない微妙な感じも出せると思うのですが… 何とか設定をお願いできないでしょうか…(三英雄+顕如だけでも良いので…) -- (名無しさん) 2015-03-27 23 07 16 若年ver.や晩年ver.の能力値って本当に必要なのかな? 本家のゲームでは、晩年に耄碌した孫権も能力値は一つだけだし、 そもそも経年による能力値の変化は成長期というシステムで表現されているんだから、 新武将作成例もそれに合わせた方がよいと思うけど -- (名無しさん) 2015-03-28 01 00 57 晩年などで分けるパターンがついたのは 朱元璋 が最初じゃなかったかな? 呉の 孫権 も晩年で設定された能力があるし 一応みんなの新武将では一部成長システムで反映できない能力変化も書いてあるってところじゃないかな? 実際プレイする上では無理に反映する必要もないわけだしね。 -- (名無しさん) 2015-03-28 02 17 52 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1793.html -- (名無しさん) 2015-03-31 04 46 02 ゲーム中では使用不可能なデータをいつまでも載せておくのはどうかと思ったので、 勝手ながら織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の列伝を制限の250字以内に添削しました。 文章の大意が変わらないよう、注意して添削したつもりですが、もし添削後の文章に不満がある場合は、 遠慮なく制限の250字以内で書き換えてください。 -- (名無しさん) 2015-05-07 12 58 02 250字以上の登録武将が他にもいたので 一旦、列伝を全て元に戻し、新武将TOPページに注釈を付け加える形と致しました http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/126.html -- (名無しさん) 2015-05-08 08 30 16 つーか後漢勢力もそうだけど、ここの三英傑も普通に能力高過ぎなんだよな。どう考えてもおかしい、全能力5くらい下げれば妥当な感じだわ。 信長の武力とかも自分で敵の大将を討ち取ったことが強調されてるが、実際はあくまで数百人規模の小競り合いの話だしな。賊徒ですら数万の中国とは訳が違う。 -- (名無しさん) 2015-05-19 02 03 12 一応言っておくと三国時代の中国は日本の戦国時代より総人口少ないぞ。 賊徒で数万というのも信長と戦った伊勢長島の豪族門徒連中が2万から3万いたと言われてる。 この時代日本の兵力が潤沢だったのは常識だぞ? なんせ兵農分離さえまともにされてなかったら一般庶民でも武具や武器を持って戦争に出た時代だからね -- (名無しさん) 2015-05-19 02 33 26 ↑↑ 後漢とここを一緒にしてはいかんだろ 後漢が問題視されてるのは ・対抗勢力である新、群雄連中に比べ、後漢の武将連中が著しく強いこと ・モンゴル、唐といった世界屈指の王朝より強い陣容を兼ね備えていること ・光武帝をはじめ、君主家臣ともにインフレを起こし、他の時代を圧倒していること この3点が主な要因なわけだが、ここの場合は ・織田、豊臣、徳川の対抗勢力がいずれも強力(武田、上杉、北条、毛利、三好、島津など) ・天下を取った英雄や、地方を制圧した大名の能力は高いが、家臣は総じて抑えめ。 ・日本の他の時代の武将と比べても、一方的に勝っているわけではない。 となるから、後漢と同一視することはできないと思うのだが。 -- (名無しさん) 2015-05-19 02 59 08 ↑3 自分で作成する際に能力値を自由に設定すれば良いと思います 一応 「基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 」 御留意下さい。 -- (名無しさん) 2015-05-19 22 38 53 ↑3それは普通に知ってる、オレが言ってるのは製作者らしき人が凄い主張してる 敵大将を手ずから討ち取ったっていう部分に関しての兵力なんだが。 実際中国志で史書に残ってる戦いで数百程度の小競り合いとか殆どねーし それと同列扱いして信長の武力スゲーってのはおかしいだろ。 ↑2後漢も問題だが、ここの三英傑も十分以上に問題だろ。それこそ世界帝国でもなんでもねーのに 他のページの君主と比べて明らかに能力値が違うしな。項羽より統武の合計値が高い信長とか、知政が 合計199の秀吉と家康とか、インフレ以外の何だってんだ?世界史に残るような作戦をしたことも無きゃ 世界史に残るような政策を立てたわけでもねーし。 -- (名無しさん) 2015-05-23 23 26 21 一応 「基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 」 コピペ -- (名無しさん) 2015-05-24 00 20 20 例え糞みたいな能力値でもこれで固定された以上どうしようもない 諦めろ -- (名無しさん) 2015-05-24 02 10 54 むしろ世界史の知名度基準なら信長秀吉家康はむしろ残ってる方じゃん 家康の江戸幕府250年の礎は唐と並んで高く評価されてるし 秀吉は平民階層から日本の王(≠天皇家)になった偉業は世界でも認知度が高い 信長は銃火器の大量運用や桶狭間合戦が後世日本でも模倣に扱われてたし中国でも為政者英傑と同一視されてるやん。 ていうか「他のページの君主とくらべて明らかに能力が違う」の「他のページの君主」って誰だ? 後漢の光武帝、前燕の慕容恪、唐の李世民、ヨーロッパのカエサル、ナポレオン、バヤジット、中東のティムール 日本でも天武天皇あたりは三傑に匹敵する能力を持っているし、三傑だけがグチグチ言われる理由が俺にはわからんな。 これでまさかとは思うが世界史で知名度0の武将出して「こいつらより高いムキー」とか言うのはやめてくれよ? -- (名無しさん) 2015-05-24 09 56 25 ↑×4 『兵力比(2倍、3倍など)』ならまだしも、「兵力数」で統率決まるとかそっちの方がおかしい。冷静に考えてくれ。それなら歴戦の英傑より今の内閣総理大臣や大統領の方が統率高くなる。 -- (名無しさん) 2015-05-24 10 56 45 日本勢だけだけど現時点の「みんなの新武将」能力95まで書き出してみた(複数ある武将は高い方で判断、初期値) ・統率 100 日本武尊 *99 豊臣秀吉 *98 織田信長 *97 源義経 *96 徳川家康 大村益次郎 大山巌 石原莞爾 *95 大海人皇子 足利義満 武田信玄 上杉謙信 島津家久 ・武力 100 日本武尊 源義仲 関太郎吉 *99 織田信長 源義経 *98 平教経 上杉謙信 真田幸村 松林永吉 *97 源為朝 島津義弘 *96 戸次道雪 *95 山県昌景 大石種次 ・知力 100 一休宗純 豊臣秀吉 関孝和 *99 毛利元就 徳川家康 竹中半兵衛 平賀源内 *98 足利義満 武田信玄 *97 北条義時 松平信綱 陸奥宗光 *96 藤原不比等 黒田官兵衛 *95 大海人皇子 北条実時 近衛前久 大村益次郎 岩倉具視 ・政治 100 徳川家康 *99 藤原道長 足利義満 豊臣秀吉 *98 厩戸王 北条氏康 徳川秀忠 *97 藤原不比等 伊藤博文 陸奥宗光 *96 大海人皇子 源頼朝 織田信長 丹羽長秀 松平信綱 上杉鷹山 大久保利通 *95 該当者なし (*94で北条義時、石田三成、高橋是清らがいる。) ・95以上の能力保有数(1つを除く) 4つ 該当者なし 3つ 大海人皇子 足利義満 織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 2つ 日本武尊 藤原不比等 源義経 武田信玄 上杉謙信 松平信綱 大村益次郎 陸奥宗光 -- (名無しさん) 2015-05-24 13 24 01 一応 「基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 」 -- (名無しさん) 2015-05-24 21 06 52 豊臣秀吉ですが太閤検地を反映して「徴収」を追加できないでしょうか -- (名無しさん) 2015-08-21 21 08 39 秀吉含め、一部武将に史実反映して追加しておきました。 -- (名無しさん) 2015-08-22 05 08 53 2015-08-21 21 08 39です ありがとうございました -- (名無しさん) 2015-08-22 21 01 45 ↑×11 随分前の投稿に返信するのもなんだが、戦国時代の日本って当時の世界の純粋軍事力で見れば相当強い方じゃないか? 100年近くにわたって常時戦争して、民衆まで参加していたほどの練度があり、 侵略をちらつかせていたスペインやポルトガルが手を出せず、逆に宣教師が日本の状況を本国に逐一送って警戒しているくらいだ。 朝鮮、明との戦いも失敗には終わったが、あれも兵糧の問題と秀吉の死による影響が大だし、 流石に文化圏や戦い方、時代も違うので正確な差を比較することは難しいが、あの時代はむしろ日本は数ある強国の1つだったと思う。 -- (名無しさん) 2015-09-29 05 25 07 ↑ 自分は 2015-05-23 23 26 21 のコメントを書いた者ではないけど、 当時の世界の純粋軍事力で見れば相当強い方じゃないか? 純軍事的に見ると、日本は火器のバリエーションが少ないこと、特に大型の火砲がほとんど存在しない点が気になる。 ウルバンの巨砲を擁していたオスマン帝国や、大砲に将軍号を与えるほど大型火器を重視していた明と比べると、 火器の装備に偏りがあるように思う。 主力火器である火縄銃も、当時のヨーロッパのそれに比べると小型で、扱いやすさという点では有利だけど、 有効射程距離はヨーロッパのそれの三分の二とされているから、射撃戦になると不利だろう。 また、海軍力という点では、明らかにヨーロッパに劣る。 日本の安宅船の大砲が三門から五門に対し、スペインやイングランドのガレオン船の大砲は三十門から五十門。 防御に優れた鉄甲船でも、この火力の差は覆せないだろう。 100年近くにわたって常時戦争して、 当時の地球に平和な国なんて存在しない。 イタリアではスペイン・神聖ローマとフランスが、イングランドやローマ教皇やオスマン帝国まで巻き込んで六十年も戦争していたし、 ネーデルラントではスペインからの独立戦争が八十年も続いた。 北欧ではデンマークとスウェーデンが角逐を繰り返し、東欧ではロシアのイヴァン雷帝がポーランドやスウェーデンと衝突し、 地中海ではヴェネツィア共和国とオスマン帝国が制海権を争い、大西洋ではスペインの海洋覇権にイングランドが戦いを挑み、 フランスではカトリックとプロテスタントが四十年も内戦を起こし、明では華中と華南の沿岸部が後期倭寇との戦いで鉄火場と化していた。 要するに、戦争経験という点では、どこの国の軍隊も相当な経験を積んでいた。常時戦争していたことは強みにはならないと思う。 侵略をちらつかせていたスペインやポルトガルが手を出せず、 ヨーロッパでの戦争で財政が傾きかけていた当時のスペインに、日本に遠征するだけの余力が残されていたとは思えない。 ポルトガルはポルトガルで、十六世紀半ばの時点で既に植民地の拡張が国力の限界を超えていたから、日本への侵攻は無理だと思う。 朝鮮、明との戦いも失敗には終わったが、あれも兵糧の問題と秀吉の死による影響が大だし、 戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る。軍事力を論じる上で、兵站を軽視するのはどうかと思う。 -- (名無しさん) 2015-09-29 18 49 44 ↑の続き あの時代はむしろ日本は数ある強国の1つだったと思う。 色々と反論したけど、何だかんだで当時の日本が強国の一つであることは確かだと思う。 少なくとも、マヤやインカの軍隊よりは遥かに強いし、戦場を日本列島に限定すれば、ヨーロッパの軍隊にも負けないだろう。 ただ、性質が尖りすぎているから、海外の戦場で戦うとなると、強みを活かせない相手や場面が多いと思う。 -- (名無しさん) 2015-09-29 18 52 10 大体納得できるが兵糧問題は正直どこもついて回る問題だからなんとも 特に雪原地の焦土作戦は現代の軍隊すら苦戦しかねん 当時の朝鮮は寒冷地で不毛地帯、これに当てはまる。 まあ日本は総じて防衛戦向きだろうな。 ただなんだかんだ、技術力がモノを言うから、 大帝国相手でも時代が違えばそりゃ勝てる。 -- (名無しさん) 2015-09-30 18 33 56 ↑ 防衛戦向きというより、日本向きという方が正しいと思う。 当時の日本は世界有数の農業大国だから、日本の感覚で海外へ攻め込むと、どこを攻めても兵糧不足に陥る。 それを防ぐには現地の食糧生産力に合わせて兵力を絞るしかないけど、 今度は銃の性能の遅れ・砲兵の不在・騎兵の槍の短さ等の弱点を兵数でカバー出来なくなる。 その結果、戦国時代の日本軍は、日本で戦えば最強クラスだけど、 海を渡ると朝鮮も取れない(勿論、明の援軍がなければ取れていたとは思う)、という地域密着型の軍隊になる。 -- (名無しさん) 2015-10-01 19 08 53 ナポレオンがロシアで壊滅したのと同じ理由。ただし日本の方がまだ軽微 と解釈も可能 -- (名無しさん) 2015-10-06 15 42 35 そりゃロシアと朝鮮じゃ焦土作戦の規模が違うからな 自国民を何百万人も死なせたロシアの焦土作戦を、朝鮮と一緒には出来んわ -- (名無しさん) 2015-10-07 00 13 17 朝鮮の場合は焦土作戦というよりもともと不毛地帯だった感が強い 焦土するまでもなく補給的な意味で利用価値のあるものがほとんどなかった。 焦土作戦は基本的に、実行側に益があり、される側に益を与えないようにするためのものだが 唐入りの際の場合は、朝鮮側も食糧難に苦しんで前半の頃は反乱が多発していた。明も莫大な負担があったことを考えると 単純に厭戦気運が蔓延したのが原因の気もするなあ。秀吉が計画していたその後の遠征が、秀吉の死であっさり覆ったあたり -- (名無しさん) 2015-10-07 01 45 25 鉄板・銅板の安宅船を反映させるためにそれに関連した人物に「藤甲」などの特技を追加してみました。実際の「藤甲」は陸上でも機能してしまうので、使うかどうかはおこのみでお願いします。 -- (名無しさん) 2015-10-16 20 54 21 ↑焙烙や火矢に強いはずが弱くなるから逆のような気が -- (名無しさん) 2015-10-23 16 43 39 火神とのセットで火矢を防げれば完璧だったね・・・ そこらへんは改造で補えるのかな? -- (名無しさん) 2015-10-24 03 38 44 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2736.html 朝廷・本願寺などをこちらに移しました。コメント欄を反映して 織田・豊臣・徳川の繋がりはそのままにしてあります -- (名無しさん) 2016-02-15 01 27 20 柴田勝家の槍戟適正低くないですかね? なぜCやBなのかよくわからないです 瓶割り柴田の逸話は考慮されてますか? -- (名無しさん) 2016-03-11 15 41 40 変更しておきました -- (名無しさん) 2016-03-11 16 18 37 ありがとうございます -- (名無しさん) 2016-03-11 16 43 17 もう増えすぎて変更点が認識しにくいので何かしら有効な分類をした方が良いかと思われます -- (名無しさん) 2016-04-02 18 08 44 これ以上有効な分類分けは難しいので今のところ他のページでバランス取ってます 例えば「元武田家臣でのちに徳川家臣になった人物」などのようなケースはできる限り ここに入らず武田家臣としてカウントする、などですね ここの項目は一応これ以上増えないようにしております http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2731.html http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2736.html -- (名無しさん) 2016-04-03 03 35 14 史実で装備していた武器がある場合は推奨武器として明記してはいかがでしょうか? 「蜻蛉切(本多忠勝)」「瓶通し(酒井忠次)」「片鎌鑓(加藤清正)」「人間無骨(森長可)」 「日ノ本号(多すぎるので略)」 キリがないかもですが…… -- (名無しさん) 2016-04-03 18 02 19 どうしても多くなってしまうのでそこら辺は各自で調べてもらう方がいいと思います。 全部の武器を載せると最悪1人が複数持つ展開もありますし、この辺はあくまで参考でしょう。 -- (名無しさん) 2016-04-03 22 02 35 加藤清正は近年の研究だと、石田三成と同様の典型的な吏僚で、大将としてのデビューは朝鮮出兵だったらしい。 -- (名無しさん) 2016-08-07 11 53 13 堀秀政や福富秀勝のような側近馬廻りってとこだろう -- (名無しさん) 2016-08-08 11 48 34 一応 自然死=病死 不自然死=切腹・刑死・討死 での登録を推奨 ただし一部の「戦傷が元の病死」などは個人の判断で 相性も個人の判断でいいと思われるが基準として「賊(専横者など)=1」「名族(袁氏だがこの場合足利か?)=100」が考えられる 今回の場合、松永久秀などを基準の1と考えるといいかもしれない -- (名無しさん) 2016-09-23 12 31 09 個人的なイメージとして1は織田信長だと思うんだけどなあ 001:織田信長 015:斎藤道三 030:徳川家康 045:毛利元就 065:今川義元 075:武田信玄 095:本願寺顕如 100:足利義昭 110:朝倉義景 125:上杉謙信 130:浅井長政 140:明智光秀 145:豊臣秀吉 -- (名無しさん) 2016-09-23 23 35 10 まあ最終的には各人のお好きに -- (名無しさん) 2016-09-23 23 44 33 凄く亀コメントになるんだけど、上でいにしえ武将との比較を挙げている方がいるが いにしえ武将は三国志11と最新作(三国志13)で結構変わっていることに注意してほしい 例をあげれば岳飛は三国志11だと統95武91知78だが 三国志13では統99武91知86と計10の能力値が上昇している ちなみに項籍(項羽)は三国志11だと統94武100だが13では統率が98まで上がった。 本編でも曹操が統率上がっているなど強化もあるので あまり三国志11のみに捉われた能力観は避けた方がいい まあ最終的には個人個人で決めるものだけども -- (名無しさん) 2016-11-04 02 29 15 雑な考察だが爵位・官位の設定について 日本の官位制と中華における官位(爵位)制は別物だが一応は準拠できるので、あくまで考察における推奨ということで 日本 ○○守(一国に関する統治権を有する) 中華 州牧 従五位~五位相当は州牧にしておき六位程度は州刺史とするとバランスがとれるか? 官位名が近しい大将軍と○近衛大将が同等としこれを基準として考えるならば 中納言などの従三位は近衛大将と同等であるため同じく大将軍と出来る(大司馬としてもいいと思われる) 今回の三国志では爵位として「丞相」が存在しないので従二位以上の内・右・左の大臣は公位に当てはめることができる 日本の最高位は天皇でありこれは皇帝と同じとできるので史実では明正天皇(徳川家出身)のみであり三英傑でも王位が限界であると思われる。(秀吉=日本国王(外交責任者)) つまり 三英傑(君主)の官位を爵位で表すと最高位はそれぞれ 信長(右大臣)=公 秀吉(関白)=王 家康(征夷大将軍)=王 と表せる これを変遷でまとめると 織田信長 尾張守(州牧)→弾正少忠(?)→弾正大弼(羽林~五官)→参議(大将軍?)→右近衛大将(大将軍or大司馬)→内大臣(公)→右大臣(公)→隠居 羽柴秀吉 筑前守(州牧)→左近衛衛少将(州牧?)→権大納言(大将軍)→内大臣(公)→太政大臣(王?) 徳川家康 三河守(州牧)→右近衛権少将→左近衛権中将(五官?)→参議(大将軍)→左近衛大将(大将軍or大司馬)→内大臣(公)→征夷大将軍(王?) とすることができる 部下の官位について基準となるのは織田軍となる、これは主な武将が四方に散らばっているために設定しやすいためである 以下の通り信長(公)の場合 柴田勝家(北陸司令官)=鎮北将軍 羽柴秀吉(中国司令官)=鎮西将軍 滝川一益(関東司令官)=鎮東将軍 丹羽長秀(四国司令官(補佐)=鎮南将軍 明智光秀(徳川家康の饗応役を行った)=太常・太僕・尚書令・大鴻臚 あたりか が妥当と思われる(親族衆を除くばあい) なお、あくまで個人が勝手に記したものなので基準とするかどうかは個人の裁量でお願いします -- (名無しさん) 2016-12-28 18 56 11 日本 ○○守(一国に関する統治権を有する) 中華 州牧 職能や雅称から考えると、国司や守護は太守(爵位なし)、もしくは州刺史が妥当ではないかな? 州牧に相当する官位は、正確には朝廷の官位ではなく室町幕府の役職になるけど、関東管領や九州探題だと思う。 官位名が近しい大将軍と○近衛大将が同等とし 大将軍は軍の総司令官で、政治の実権を握ることもしばしばあったから、武家政権の最高指導者である征夷大将軍に相当すると思う。 今回の三国志では爵位として「丞相」が存在しないので従二位以上の内・右・左の大臣は公位に当てはめることができる 日本では太政大臣、左大臣、右大臣(または左大臣、右大臣、内大臣)を三公と呼んでいたそうだから、 これを後漢の三公(爵位の場合は大司馬)に当て嵌めた方が自然だと思う。 -- (名無しさん) 2016-12-29 23 59 38 2016-12-28 18 56 11です。 日本の公卿を出すと官位上ややこしくなりますが、日本の大将軍の場合は皇族や三位以上の公卿が便宜上呼称される場合なども含まれるので、便宜上で同官位の三位を叙任された方々をあてはめました。書かなかったことで混乱させてしまい申し訳ない 三公はおっしゃられる通り左大臣・右大臣・内大臣です、 しかし日本においては帝、天皇が皇帝の立ち位置であり、臣下の三英傑が至れる地位の最高が王であると謂う基準でこの考察を成り立たせました。 その結果として実際の官位とのズレが生じることとなりました。その点に関してはもう少しうまい解釈があったのではと思います。 あくまで個人の独断と考察で成り立っていますので個人の裁量で変更して頂いても大丈夫です。ご指摘ありがとうございました。 州牧と州刺史に関しては直轄で支配している国(この場合、尾張)がその支配者の支配地域であると認められた織田信長のケースなどの場合は 同等の官位であったとしても意味合いは異なります。たとえば筑前守の秀吉と三河守の家康では 同等の官位でも正当な支配者と官位名だけとでは意味合いが異なり官位の中で差が出てくることとなります。これに準拠するならば秀吉は州刺史となり 家康は州牧となりさらにややこしいことになるので一律に ○○守=州牧 としました さらに下位の六位を名乗った大名もおりこれらに配慮する形で設定しました。 これも個人の判断なので個々人で変更改良されても問題ありません -- (名無しさん) 2016-12-31 00 56 50 王=天下人と捉えるなら、信長秀吉家康は全員◯王でいいと思う。 他にも日本では平清盛、源頼朝、足利義満などが信長と同等の官位を得ている 彼らは全員天下人と捉えられており、これは信長も同様である。 (逆に、畿内の覇者である三好長慶は明確に『天下人ではない』扱いで、官位も筑前守が最高。相模守が最高だった執権北条氏と同ランクである。) -- (名無しさん) 2016-12-31 01 36 18 王=天下人と捉えるなら、信長秀吉家康は全員◯王でいいと思う。 他にも日本では平清盛、源頼朝、足利義満などが信長と同等の官位を得ている 彼らは全員天下人と捉えられており、これは信長も同様である。 (逆に、畿内の覇者である三好長慶は明確に『天下人ではない』扱いで、官位も筑前守が最高。相模守が最高だった執権北条氏と同ランクである。) しかるにこれらを考慮すると 従二位以上~ (王) 太政大臣、関白、左大臣、右大臣など 従三位以上~ (公) 内大臣、権大納言、権中納言など 従四位以上~ (将軍) 検非違使別当、蔵人頭など 従五位以上~ (州牧) 国司、鎮守府将軍など 日本史の人物に照らし合わせるとこうなる 従二位以上~ (王) 藤原道長 平清盛 源頼朝 足利義満 織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 従三位以上~ (公) 前田利家 上杉景勝 毛利輝元 宇喜多秀家 小早川隆景 足利義昭 織田信雄 織田秀信 徳川家康(秀吉家臣時) 伊達政宗(家康家臣時) いわゆる武家清華家など 従四位以上~ (将軍) 北条義時 北条政村 細川頼之 斯波義将 今川氏親 細川政元 三好長慶 松永久秀 従五位以上~ (州牧) 北条氏康 上杉謙信 長宗我部元親 宇喜多直家 真田昌幸 本多忠勝 柴田勝家 明智光秀 -- (名無しさん) 2016-12-31 01 36 42 ↑~↑3 あくまでも個人の考えだけど、 日本においては帝、天皇が皇帝の立ち位置であり、臣下の三英傑が至れる地位の最高が王であると謂う基準でこの考察を成り立たせました。 王=天下人と捉えるなら、信長秀吉家康は全員◯王でいいと思う。 自分は三英傑が至れる最高の地位は公か大司馬だと思う。 まず第一に、後漢で王の地位を与えられたのは、基本的に皇室出身の諸侯と外国の君主だけなので、 外交責任者や天下人を王に設定するのは三国志の「王」の観念に合わない。 第二に、大司馬の上に設定されている公という地位は、本来は殷王朝と周王朝の子孫にだけ与えられる称号で、 それ以外の人間で公の称号を与えられたのは、前漢後漢を通じて王莽と曹操の二人しかいない。 つまり、公以上の地位になるということは、帝位簒奪や帝位自称の前段階であり、「臣下」の域を越えているのではないかと思われる。 逆に言えば、特別な家系の人間であれば、臣下の域を越えることなく公の称号を得られるので、 藤原氏だけがなれる関白と、源氏だけがなれる征夷大将軍は、公に相当すると解釈できるかも知れない。 以上の二点から、日本人武将で王に設定すべきは、一部の親王と歴代琉球国王、あとは平将門と阿弖流爲くらいで、 織田信長は大司馬、豊臣秀吉と徳川家康は公に設定するのが妥当ではないかと思う。 さらに下位の六位を名乗った大名もおりこれらに配慮する形で設定しました。 太守という地位は、後漢の官僚制度では上から三番目のランクに入れられているけど、ゲーム中では爵位なしとされている。 上から三番目でさえ爵位なしなのだから、国司より下の官位は爵位なしでよい気がする。 あくまで個人の独断と考察で成り立っていますので個人の裁量で変更して頂いても大丈夫です。 最後は個々人の判断に任されるべきとは自分も思うけど、↑5で「推奨」という言葉が使われていたので、 それなら異論があることを伝えた方がよいかなと思い、僭越ながら意見を述べさせてもらいました。 -- (↑4) 2016-12-31 19 23 38 いやでも平将門が家康秀吉より上かと言われたら微妙じゃないか? 平将門が領有していた勢力は贔屓目に見ても関東一円くらいで これは三英傑誰と比較しても非常に劣る。これで将門が朝廷の有力者であるというなら まだしも、勝手に新皇自称しているだけにすぎないし、国の体制から外れたものを王というなら 九戸政実や榎本武揚すら王になってしまうのでは? >>公以上の地位になるということは、帝位簒奪や帝位自称の前段階であり、「臣下」の域を越えている そう考えるなら、尚更織田信長は王に該当するのではないかな? 日本で天皇を滅ぼそうとしたという説があるのは、足利義満と織田信長の2人だけ。 それぞれの論調にも一定の理があり、史観的にもふさわしいと思う 逆に豊臣秀吉や徳川家康は公でもいいと思うが・・・ -- (名無しさん) 2016-12-31 22 33 24 ↑ あくまでもこれは一個人の考えであるということを、改めて強調した上でコメントさせてもらうけど、 平将門が家康秀吉より上かと言われたら微妙じゃないか? この場合の「上」は単に偉いという意味ではなく、「天皇の地位を脅かす」という意味が含まれるので、 あくまでも個人の感覚になるけど、平将門が秀吉たちより「上」でも違和感は無い。 これで将門が朝廷の有力者であるというなら まだしも、勝手に新皇自称しているだけにすぎないし、 劉備や孫権も勝手に皇帝を自称しているけど、 ゲーム中では皇帝に設定されているので、勝手に自称しているだけでも特に問題は無いと思う。 国の体制から外れたものを王というなら 九戸政実や榎本武揚すら王になってしまうのでは? 九戸政実や榎本武揚は、王や皇帝に類する称号を自称したわけではないから、彼らは王にはならない。 そう考えるなら、尚更織田信長は王に該当するのではないかな? 日本で天皇を滅ぼそうとしたという説があるのは、足利義満と織田信長の2人だけ。 右大臣は特別な家系の人間しかなれない地位ではないし、足利義満は征夷大将軍になれる家系に生まれていた。 義満と信長が裏で何を企んでいたにせよ、表向きの地位は既存の秩序から逸脱してはいないから、王莽や曹操と一緒には出来ないと思う。 -- (↑2) 2017-01-01 11 18 15 王莽はともかく曹操ってそれこそ「表向きの地位は既存の秩序から逸脱してはいない」存在じゃないん? 曹操がやったこと考慮したら足利義満や織田信長と大差あるとは思えんが・・・ 両方とも天皇を一存で譲位させようと考えていた説もあるし、尚更曹操と差があるとは思えないが。 あと、榎本武揚は一応蝦夷共和国の総裁についている。独立国家ではないが、平将門と同等のことはやっているよ -- (名無しさん) 2017-01-02 00 28 38 ↑ 君はそんなに義満や信長を不忠者にしたいのかw という冗談はさておき、 王莽はともかく曹操ってそれこそ「表向きの地位は既存の秩序から逸脱してはいない」存在じゃないん? ↑4で書いたように、後漢では公という称号は殷王朝と周王朝の子孫にしか与えられない。 しかし、曹操は公になる資格が無いにも関わらず、自らの権勢を背景に公の位を得た。 これは明らかに既存の秩序から逸脱しており、事実、曹操の腹心の荀彧は曹操が公になることに強く反対している。 あと、榎本武揚は一応蝦夷共和国の総裁についている。独立国家ではないが、平将門と同等のことはやっているよ 総裁という名称は、幕末では江戸幕府の役職名に使われていた。 蝦夷共和国の指導者層が旧幕臣で構成されていたことを考えると、江戸幕府的な意味で総裁という名称を使用していた可能性が高いと思う。 -- (↑2) 2017-01-03 13 59 51 不忠かどうかってのは議論のわかれるところだけど そういう説がある以上無視はできないと思うのよね。 荒唐無稽な説ならまだしも、一応の根拠があるし、史学者の中でも見解はわれている まあ、あくまで個人的な感想としてね。 -- (名無しさん) 2017-01-03 23 42 32 過去作の三国志では公は名誉職みたいな立ち位置になっていましたね、そう考えるとまた考え方が変わってくるかもしれませんが -- (名無しさん) 2017-01-04 18 43 32 ↑2 もしかして、こちらの主張を誤解してない? 自分は「特別な家系の人間以外が公や王になるのは、臣下の一線を越えている」とは書いたけど、 「帝位簒奪を企んだ人間は公や王に設定すべき」とは書いていない。 自分が「特別な家系の人間以外が公や王になるのは~」と書いたのは、 あくまでも「どういう基準で日本の官位をゲーム中の爵位に当て嵌めるか」という問題に対する個人的な解答の一部で、 「官位や称号を基にしてゲーム中の爵位を決める」ということを前提に答えを導き出している。 だから、↑5で触れたように、義満と信長が裏で何を企んでいたとしても、それ自体は爵位の設定に影響しない。 -- (↑3) 2017-01-04 19 20 35 何の提案もなしに成長素質が変更されてるのは一寸いかんよ、事後承諾でもいいから「○○に追加しました」と書いておく方がいい -- (名無しさん) 2017-03-01 07 10 05 素質に関してはまだルール決まってなかったなそういえば 一応「削除」に関しては適正や特技とかでも問答無用でアウトだけど 候補を追加するのは現状特に問題がない状況 (能力値のマスクデータそのものに関しては編集合戦が過去に起きたのでアウトだが) -- (名無しさん) 2017-03-02 22 46 11 織田信長は建勲神社の主祭神なので「神将」も特技候補に追加をお願いいたします -- (名無しさん) 2017-04-22 14 09 59 ……信長ってあんなかんじだったけか? -- (名無しさん) 2017-04-23 07 07 37 とりあえず神将を追加しておきました。ついでに能力値も戻しておきました 複数能力値の扱いを見たところ、暫定的な措置と言うのが注意点にありました https //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2712.html#id_83ba7f76 ので、以下の処置を行います ・ 若年Verで登録されていた能力値を、親愛、特技の差分のみ能力値の方に反映し、削除 ・ コメント欄に一度提起し、その旨を補足へと告知 ※若年(19歳以前)Ver. |統率|武力|知力|政治|魅力|特技|槍兵|戟兵|弩兵|騎兵|兵器|水軍|生年|没年|親愛|性格|音声|口調|素質|義理|野望| |88|93|82|86|80|疾走・強奪・駆逐|S|A|S|S|S|B|1534|1582|平手政秀、など|剛胆or冷静|冷静or剛胆|豪放or剛胆|維持・長or開眼|4/5|5/5| 暫定的に許可されていたもう1つの能力値です -- (名無しさん) 2017-04-24 00 23 51 https //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2719.html 人数調整のため、御三家の3人(義直、頼宣、頼房)を江戸時代に移転しました -- (名無しさん) 2017-05-14 23 47 24 徳川秀忠→豊臣寧々は親愛じゃないのか 豊臣家の人質になったときに丁重に扱われたのを恩義に感じて、 将軍になった後も近くに行くことがあれば毎回訪ねてるし、加増も行ってるし -- (名無しさん) 2017-07-30 12 58 31 加筆しておきました。ついでに秀康にも親愛関係をつけました -- (名無しさん) 2017-08-01 05 24 49 https //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2719.html 人数調整のため、一部の武将をそのままこちらに移転しました。 具体的には当項目で扱っていた時代のうち「大坂の陣」に絡む武将 (秀頼など)は江戸時代の項目に移しています。 説明文はそのままにしてあります。 -- (名無しさん) 2017-08-01 06 17 35 堺屋太一は朱元璋は 信長、秀吉、家康を足したような遥かにスケールの大きい英雄だと 言ったというが、このサイトの能力値では三傑の誰にも及ばないという 一種のギャグだな。 -- (名無しさん) 2018-02-03 01 26 43 初期に作られた武将は「三國志に登場する武将の能力を越えてはいけない」という謎ルールがあった 朱元璋はその名残り。日本でも平清盛とかやたら低かった。三英傑も特に秀吉は 凄く低かったんだが、創造発売してから能力上がってる。 恐らくだが設定当時の烈風伝、嵐世記の秀吉が低かったのでその流れが今の世相に合わなくなったのが原因。 ちなみに最新作大志での豊臣秀吉は織田信長、武田信玄に次ぐ総合3位。 -- (名無しさん) 2018-02-03 11 49 44 失敬、群雄集結にしか登場しない北条早雲が厳密には1位 ただし、ここしか登場しない上Ifシナリオ -- (名無しさん) 2018-02-03 11 51 15 三国志シリーズに登場する日本武将は大体ノブヤボより 弱体化しているし、その名残じゃね。 チンギスハーンシリーズなんかその傾向がさらに顕著だし、 最初に能力値を設定したのは訓練されたコーエー民だったんだろうさ。 まあ国土にして日本の25倍の面積を有する中国大陸の英雄と、 小さな日本の英雄のスケールが同一に評価できないというのはよくわかる。 -- (名無しさん) 2018-02-04 18 04 50 国土より問題は人口だよ。いくら領土が広くても人口が少なければ国力として大したものじゃない。 それに、日本の英雄は中華に比べてショボいから矮小化すべきという理屈では 中華を文字通り統一した朱元璋が低く見積もられている理由を説明できないだろう。 華北の統一しかできなかった曹操(公式)より、中華統一の朱元璋の方が低いというのは誰が見てもおかしい 司馬炎のような、周りが勝手にやってくれたおかげで統一君主の名誉に預かれたわけでもない。 訓練されたコーエー民ではなく、ただ三国志が偏執的に好きだっただけだろう。 -- (名無しさん) 2018-02-06 14 35 47 朱元璋の場合は、コーエー民やら偏執やらがどうこうという話ではなく、統一後の大粛清が能力査定に響いている気がする。 粛清や弾圧をした人は、現代の民主的な価値観の下では低く評価されがちだし、 特に朱元璋の粛清は、靖難の変での建文帝の敗因の一つに挙げられることもあるからね。 個人的には、朱元璋に粛清された功臣が生きて建文帝の下にいたとしても、 秀吉死後の豊臣政権で武功派と吏僚派が対立したように、方孝孺らと対立したと思うけどね。 -- (名無しさん) 2018-02-06 21 34 53 朱元璋自身、信長秀吉家康を足したと言えば聞こえはいいが、 悪い部分も全て足してるようなところもあるからな 100段階で能力をつける難しさではあるだろうな。 -- (名無しさん) 2018-02-07 16 58 08 逸話などを参考に信長と秀吉だけですが話術札候補を追加いたしました その他の武将に追加など出来ましたらよろしくお願いいたします -- (名無しさん) 2020-02-12 10 50 24 最近いきなり後漢のページに妙な変更や追加が行われると思ったら、このアホみたいな三英傑を作成したのと同一人物とはな。 -- (名無しさん) 2021-05-19 02 38 16 随分劉秀の統率100武力98知力100政治97魅力100に拘ってるようだけど、ここは随分前から能力値変更禁止だよ -- (名無しさん) 2021-05-19 02 41 18 ちなみに三国志11時代から劉秀の能力値ってずーっと荒れっぱなしなんだけど、本人降臨じゃないよね?w -- (名無しさん) 2021-05-19 02 43 58 自分が先に98、92、90、100、100に変更しておいて、よく平気でそんなことを言えるね。 -- (名無しさん) 2021-05-19 02 46 31 それじゃあもとに戻せばいいじゃない。元の数値はいくつだったの? まさか495なんて数字はついてないよねw -- (名無しさん) 2021-05-19 02 47 29 https //wikiwiki.jp/shinbusyou/%E5%BE%8C%E6%BC%A2# と思ったけど思い出したら荒らしがわいた時にログ取ったんだった -- (名無しさん) 2021-05-19 02 48 56 ほい、戻したぞ -- (名無しさん) 2021-05-19 02 51 26 自分が最初にルール違反をしておいて自治厨気取りとかサイコパスかな? -- (名無しさん) 2021-05-19 02 54 40 https //wikiwiki.jp/shinbusyou/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%BB%E8%BF%91%E4%B8%96#l09a40e4 ここのデータは昔からこのままだ いつ変わったかは知らん つかデータと違う数字出して他のページも更新しておいてよく言えたもんだ 三国志14の劉秀もクソ高い数字出てたがあれもおまえか?w -- (名無しさん) 2021-05-19 02 56 17 いや、後漢のページについて言ってるんだが。 -- (名無しさん) 2021-05-19 03 00 52 知らんよ。俺は最初に見たときに495に変わってたから元の数値であろう数字に変えただけ それが元の数字じゃなくて弄られた数字だって言われたからログ引っこ抜いて元の数字に変えた、それだけ。 ここの三英傑の数値も三国志14で見直されて基本は信長の野望などのゲームの数字引っ張ってくるようになったから 変えてもいいんだけど、変えたら変えたでまた面倒だからな。劉秀の三国志14のページも信長の野望のデータ持っていったら なぜかすぐにそれより高い能力値に変えられていたからな、なぜか -- (名無しさん) 2021-05-19 03 04 16 まあ14の方はいろんな能力値を併記する方針になったから今更とやかく言う気はないが -- (名無しさん) 2021-05-19 03 06 48 https //w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1173.html 他の武将もじみーに変わっていたのでログにより差し戻し https //wikiwiki.jp/shinbusyou/%E5%BE%8C%E6%BC%A2 このログは2019年7月から一切動いていないデータ -- (名無しさん) 2021-05-19 03 52 14
https://w.atwiki.jp/genchika/pages/12.html
過去の国一覧です。 あ アトラティノス王国
https://w.atwiki.jp/genchika/pages/13.html
名産物の一覧です。
https://w.atwiki.jp/genchika/pages/10.html
戦争の一覧です。 あ
https://w.atwiki.jp/genchika/pages/11.html
国一覧です。 あ
https://w.atwiki.jp/genchika/pages/15.html
アトラティノス王国とは過去に存在した王国である。 アトラティノス王国atratinos royaucum 476年~665年 人口 500年=250万人 国名 聖なるアトラティノスの王国 説明 アトラティノス王国とは過去に存在した王国である。 国名 聖なるアトラティノス王国はアトラティノス語でholyucum atratinos royacumである 王 工事中。
https://w.atwiki.jp/sjua/pages/26.html
北海道 開陽丸遺跡・北海道檜山郡江差町。1868年沈没。 上ノ国漁港遺跡・北海道檜山郡上ノ国町。陶磁器ほか。 松前町海岸 青森県 陸奥湾脇野沢沖・青森県むつ市。越後徳利・波佐見焼徳利(幕末〜明治)。 秋田県 山形県 温海町沖・山形県鶴岡市温海町。珠洲焼中壷。 新潟県 名立町沖タラバ・新潟県上越市名立区。珠洲焼甕・壷・鉢など。 柏崎市沖・新潟県柏崎市。珠洲焼甕・壷など。 寺泊沖(含佐渡近海)・新潟県長岡市。弥生土器・土師器・須恵器・珠洲焼甕・壷・鉢など。 岩船町沖(含粟島近海)・新潟県村上市・岩船郡粟島浦村。珠洲焼甕・壷など。 高浜海岸・新潟県柏崎市。近世~近現代陶磁器片など。 井鼻海岸・新潟県三島郡出雲崎町。近世~近現代陶磁器片など。 富山県 岩瀬沖・富山県富山市。矢穴の石(富山市埋蔵文化財センター蔵)。 石川県 飯田海岸・石川県珠洲市飯田町。珠洲焼、伊万里焼。桝谷秀一氏採集品。 鉢ヶ崎海岸・石川県珠洲市。珠洲焼片、伊万里焼片。 引砂海岸・石川県珠洲市。珠洲焼片、伊万里焼片。 高波海岸・石川県珠洲市。珠洲焼片、伊万里焼片。 飯田町沖・石川県珠洲市。珠洲焼中壷。 川浦海岸・石川県珠洲市川浦町。伊万里焼、河崎倫代氏採集品。 大島海岸・石川県志賀町。故室矢幹夫氏(元志賀町史編さん室長)採集品。 寺島沖・石川県七尾市。土師器・縄文土器。 和倉沖・石川県七尾市。珠洲焼小壷。 能登島沖・石川県七尾市。木造船(詳細不明) 中居沖・石川県鳳至郡穴水町。珠洲焼中壷。 輪島市沖・石川県輪島市。珠洲焼中壷。 大沢沖・石川県輪島市。タイ灰陶。 小木沖・石川県鳳至郡能登町。珠洲焼中壷。 宇出津沖・石川県鳳至郡能登町。珠洲焼。 福井県 玄達瀬・福井県坂井市三国町。越前焼大甕、擂鉢。稲川・中川氏採集品。 三里浜・福井県福井市。近世~近現代の染付片など。 難波江海岸・福井県高浜町。波佐見碗など。 京都府 砂方海岸・京都府京丹後市。近世~近現代陶磁器片など。 大島海岸・京都府宮津市。近世~近現代陶磁器片など。 日置海岸・京都府宮津市。近世~近現代陶磁器片など。 田井海岸・京都府宮津市。近世~近現代陶磁器片など。 栗田海岸・京都府宮津市。近世~近現代陶磁器片など。 兵庫県 切浜海岸・兵庫県豊岡市。近世~近現代陶磁器片など。 鳥取県 島根県 沖泊・島根県大田市温泉津町。肥前磁器。 山口県 福岡県 芦屋沖海底遺跡・福岡県芦屋町・岡垣町沖。有田焼、志田焼ほか。 岡垣海岸・福岡県岡垣町。肥前陶磁、中国磁器ほか。 玄界島海底遺跡・福岡県福岡市玄界島。唐津焼・中国磁器。 佐賀県 烏帽子島沖。中国青磁・白磁・壷・銅銭など。 池尻海底遺跡・佐賀県東松浦郡玄海町。肥前磁器(19世紀) 領海外 舳倉島沖。有田焼(1670-1700)(黒部市美術館蔵)。
https://w.atwiki.jp/junkers/pages/2.html
メニュー トップページ プラグイン紹介 メニュー メニュー2 序 章 近世薬師信仰史研究の視角 一 薬師信仰と研究史 日本宗教史上、薬師如来に対する信仰は歴史的にはやい。その様相を示すいくつかの事例を挙げれば、大和法隆寺の金堂薬師像は、遅くとも七世紀半ばまでの造像であることが確認されているのをはじめ 、天武天皇九年(六八〇年)には皇后不予のため薬師仏造立の発願をうけ薬師寺が建立 、また皇族の病気平癒を目的とした薬師像の造像とともに、薬師悔過法 が実施されるようになったことなどがその代表的事例である 。その後、孝謙朝には、鎮護国家思想に基づき国分寺・国分尼寺が建立されるが、五来重氏は「大部分の国分寺は薬師如来像を本尊とし、多くの国分尼寺は観世音菩薩像を本尊とした」と推定し、前者について「薬師悔過本尊とする目的があった」と指摘している 。また、平安時代には、教王護国寺(東寺)金堂や比叡山根本中堂などの本尊として薬師如来が祀られた。仁明朝には、疫病流行という社会状況に対応して、薬師悔過法や般若経の転読などが行われたという 。 しかし密教の流入を機に、これまでの薬師信仰は変容をみせる。西尾正仁氏はその理由として、①密教の世界観を示す金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅には薬師の座すべき位置がないこと、そして②平安中期以降、病の病因として、政争に敗れた人々の死霊など、物怪の存在が意識されるようになり、不動調伏法をはじめとする加持祈祷が重要視されるようになったことを指摘している 。この頃、天台宗中興の祖である良源(九一二~九八五)により七仏薬師法が完成され、それ以降、主に安産祈願の修法として、また台密の五箇大法の一つとして展開した。また、京中の諸寺院で盛んになる修正会の修法として薬師悔過法が執り行なわれるようになったという 。このように古代薬師信仰は、変容しつつも貴族社会に影響しつづけた信仰の一つであった。この頃の民衆における薬師信仰の様相については、史料が不足しているため不明な点が多い。 中世になると、行基の造像伝承をもつ薬師仏が流布するようになる。このことが、薬師信仰の民衆化する要因ととらえられている 。第二章で検討する『峰相記』 には、ほとんど薬師霊場がみられない中で「船越山・楽々山・棚原山・弥高山・光明山・藤尾山等ハ行基菩薩建立、皆薬師本尊ノ寺門也」と明記されている。行基と薬師の関係を語る初見は、鎌倉前期頃の仏教説話集である『古今著聞集』 である。これを要約すると、行基が摂津国有馬に向う途中に同国武庫の山中で倒れていた病者を救った。その病者は生身の薬師如来であり、「温泉行者」と名乗りその姿を消した。そこで行基はその姿を像に刻み、昆陽寺(現兵庫県伊丹市)を建立したというものである。この説話は、第二部で取り上げる近世薬師説話『瑞応塵露集』 においても説かれている。 そもそも薬師信仰史研究は、他の諸信仰史研究に比して盛んではない。個別寺院史を描く際にその場に祀られる薬師仏が、主として美術史的に分析されることはあっても、薬師信仰そのものを分析対象にしたものはほとんどみられない。しかしそうした中でも、奈良仏教における仏教文化のあり方について、仏教史研究の立場から薬師信仰を問題にする根本誠二氏の研究 、また近年、古代・中世の薬師信仰の変容を文献的に考察し、主に行基伝承を共有する集団の動向と薬師信仰に着目した西尾正仁氏の研究 がみられる。両氏をはじめとする成果から古代・中世の薬師信仰の展開を概観すると、古代において薬師如来は、一方では病気平癒の現世利益の仏という側面と、他方、鎮護国家の仏という側面との二面が古代社会において重要視されたと評価されている。西尾氏は薬師信仰を単なる除病安楽の信仰だけではないという立場に立脚し、古代国家鎮護の信仰的性格を詳細に分析し、国家レベルの信仰から民衆信仰としての薬師信仰への変貌の様相を描いている。しかし、天皇の病気治しや異国調伏などの国家仏教的薬師信仰を基軸とする展開、また行基伝承との関わりにおいて薬師信仰の民衆化の過程に着目しながらも、密教世界における薬師仏の居所のあり方や諸方面に影響を与えた浄土教・阿弥陀信仰の展開を機として薬師信仰の役割が変容したという状況論に注目するあまりに、ついには薬師信仰が病気治しの現世利益信仰という側面だけが強調され、受け入れられていくという論理展開を示すことになっている印象が棄てがたい。やはり日本人の精神生活史として、今一度、病気治しの現世利益信仰としての薬師信仰評価をめぐる本質的問題は、再考の余地があるといわざるを得ない。 さて、薬師信仰と民衆との関わりについては、中世以降にはっきりしはじめるものの、民衆の薬師信仰は、古代から今日まで連綿と続いている民衆信仰の一つであると思われる。 地域住民による薬師堂の管理・維持の様子は、はやく平安初期頃の『日本霊異記』 にみえている。 (前略)子に手を控か使めて、其堂に迄り、薬師佛の像に向ひて、眼を願ひて曰く、我が命一つを惜しむに非ず、我が子の命を惜しむなり、一旦に二人の命を亡さむ、願わくは我に眼を賜へ、と、檀越見矜ミテ、戸を開きて裏に入れ、像の面に向ひて、称礼せしむ(後略) とある。もとよりこの話は、盲目の女性が京の蓼原堂の薬師に祈願して目が開いたという病気平癒譚であるが、ここで注目すべきは、その女性のために檀越が薬師堂の扉を開けているということである。これは、平安初期頃において地域住民による薬師堂の管理・維持の様子があったらしいことを示している。また『康富記』 には 仍自園城寺押寄于因幡堂、可打毀僧坊等之由風聞之間、此間侍所〈一色兵部并/小舎人雑色等〉、勢并近辺之町人等大勢、昼夜警護因幡堂云々 とみえ、京の平等寺因幡薬師の危機に対して大勢の町衆が因幡堂を守っている。さらに享保年間に成立した播磨国明石郡 の地誌『金波斜陽』 の「山田村」の項にも 薬師堂 境内東西五間南北七間 村支配 とみえており、近世においても、地域に住む村人たちによって薬師堂が管理・維持されていたことをあらわしている。 『金波斜陽』によると、明石地域内六十六ヶ所の村々には、薬師堂が確認され、薬師仏が祀られていたことがわかる。このことから近世明石郡において、地域住民の薬師仏に対する祈願と信仰が、脈々と流れていたことをうかがい知られるのである。つまり同地域にみえる薬師堂での祭祀は、近世民衆の日常生活における精神的拠り所の一つとして確立していた状況を示しているといえよう。そうするとその祭祀の内容が問題となるが、近世民衆の薬師仏への祈願内容を点検するかぎり、その特徴は、「治病」のほか、「産育」・「延命」を目的とした現世利益的なものがその中心であったということに気づくのである。 このような薬師信仰の信仰実態と本質を理解するのは、容易な作業ではない。それは全国的に莫大な数の薬師祭祀の痕跡が見出されることと、その薬師祭祀の内容が必ずしも『薬師瑠璃光如来本願功徳経』をはじめとする仏典に根拠がない宗教的行為(かわらけ投・耳石奉納など)を伴うことが多いからである。このような薬師信仰にかかる複雑な民俗現象を検証するうえにおいて、有益な分析方法は、五来重氏の提唱した宗教民俗学的方法であろう。五来重氏は、「庶民仏教というものは表層文化として受容された仏教の基層に、この国土に土着の、そしてこの民族に固有の宗教体系をもっていた」 と指摘したうえで、民衆の薬師信仰というのは、①山中他界観による祖霊信仰・山岳宗教と関係する薬師信仰(山の薬師)、そして②黄泉の国から寄り来る神の信仰という海洋宗教に帰することのできる薬師信仰(海の薬師)の存在を明らかにした 。これは、霊山霊場の多くや海岸部に薬師仏が祀られる宗教的要因として重要な指摘であり、五来重編『薬師信仰』には、「山の薬師と海の薬師」論をメルクマールとする薬師信仰研究として「地域」を多分に意識した論考が収められている。薬師信仰とは何かという問いに答えるには、こうした方法と、地域的分析によらなければ理解することが出来ないのである。 本論文では、以上のような方法論的問題を承知した上で、さらに発展的な議論を試みたいと思う。「近世薬師信仰史」を問題にする理由は、従来、研究史的に近世薬師信仰史が問題化されていないということだけではない。日本人の宗教観念と精神生活を考える上で、薬師信仰と病気治しの現世利益信仰とが歴史的にどの様に関わり、「病」と宗教の問題自体がいかに今日に連続しているのかという問題の歴史的契機を「近世」に遡り考察を試みる意図から成り立っている。 今日、人々の病気治しの問題は、その方策の多くが厚生労働省と医療機関、医師、医療関連企業、そして製薬会社などに委ねられている。ここに介在する現代的問題は、一部の産・学・官の癒着による重大な薬害問題の発生や過重労働にともなう医療ミスをはじめ、医学の進歩と相反する現象である。そもそも国家が人々の「病」の問題に介入するのはいつからなのか、また、今日の「新々宗教」に連続する問題の一つとして、薬事法が成立していない時期の「薬」と医療は、宗教とどのような関わりがあったのかなどについて、注意深く検討すべきではないだろうか。 先行研究によると、近世民衆の薬師信仰が衰微し現状に至った要因の一つとして、医薬文化の隆盛(医学の技術的進歩や民衆間での薬の流通・受容などをさす)という社会状況があげられている 。つまり、近世以降、治病という領域で、薬師如来と同様の機能を有している医薬文化・技術の発展にともない、薬師信仰は衰退したということであろう。このような指摘を受けて、医学史・薬学史などの立場による研究成果をみてみると、近世における売薬業者の数、製薬の値段、売薬の効目、製薬技術、薬種問屋の組織などの分析から、医薬文化の隆盛状況が実証され、確かに近世初期から中期頃が民衆レベルでの医薬文化の萌芽・成熟期として位置付けられている 。確かに、今日における医療の場面からでは、医薬文化の隆盛という社会状況が優越し、薬師信仰にみられる治病祈願が淘汰されてしまったかのようにみえる。しかし、薬師信仰の本質と歴史的展開を分析するうえでは、薬師仏の功徳(果)と医薬がもたらす効能(果)は共通するが、両者が密接に結びついていた時代を踏まえた宗教的構造論を抜きにして、その関係を根拠とするのは注意が必要であろう。 近世民衆の日常生活における精神的拠り所であった薬師堂の多くは、近年、地域開発にともない移転祭祀されることもなく、その姿を消し、わずかに残ったものも地域住民に顧みられることがほとんどないという状況である。このことが医療技術の発達と関わっていることは否めない。しかし、近世における売薬や加持祈祷などの事例をみるうえでは、少なくとも前近代において、人々の「病」の問題の多くは宗教的に解決されていたと考えられる。 以上の問題関心から、本論文は、次に掲げる諸問題の分析に即して「近世薬師信仰史」を明らかにしたいと思う。 一 本論の構成と問題意識 本論文では、大きく二部に分割して、地域的薬師信仰、薬師信仰の勧化本に関わる考察を中心に、近世的薬師信仰の展開について、それぞれの問題点を分析し、日本近世における薬師信仰の諸相と本質を明らかにする。もとより歴史的考察では、近世的薬師信仰の議論を踏まえた上で地域的問題へと展開するべきである。しかし本論文は、主に民衆信仰としての薬師信仰を問題にして、その内容は千篇一律ながら地域的に特徴的な信仰形態を読み直し、従来、ほとんど議論されていない近世的薬師信仰の問題へと展開することにより、薬師信仰の本質を先鋭化するという方法をとっている。 第一部の「薬師信仰の地域的展開」では、まず第一章で、高野一栄『薬師霊場記』(貞享三年)、湛澄『薬師如来利益抄』(元禄八年)を主たる分析対象として、両書の史料的性格を踏まえ、近世都市の薬師霊場の問題として、主に都市京都の七仏薬師・十二薬師霊場について、その所在を確認した上で、それらの霊場における「巡礼」に注目し、近世都市の薬師信仰を分析する。 第二章では、播磨地域の薬師信仰を取り上げる。ここでは地域的問題として法道仙人伝承と薬師信仰の関わりに特色を見出し、近世畿内地域の薬師信仰の一例として、近世民衆の薬師信仰のあり方を考察したい。 第三章では、奥羽地域の薬師信仰を問題にする。その理由は、「薬師神社」なる名称の神社が東北地方に集中的に存在することからである。「薬師神社」が近世文書に現れることは例外を除いてほとんどない。その意味でこの名称そのものの議論は、近代以降における問題である。しかし名称にみえる問題は、「ヤクシ」という仏教的名称を冠した神社が成立しえた信仰の背景を問題化し、地域的問題として取り上げなければならない。従来、「薬師神社」が積極的に取り上げられたことがない研究状況を受け、まずその事例確認を踏まえたうえで、その諸問題は修験道との関わりに注意しながら考察を加え、主に庄内地域における「薬師神社」への改称問題を中心に分析を試みる。 第二部「近世的薬師信仰と勧化本研究」では、ひろく現象面や思想的側面にも注意を払い、薬師信仰の近世的性格を明らかにする。五来重編著『薬師信仰』は、民衆宗教の本質を探ることを意図して薬師信仰を取り上げ、宗教民俗学的立場からその分析を行った研究が豊富に集められた論集である。そしてそれは、今日でも重要性を失うものではなく、本論でも五来氏の掲げたテーゼに則って諸問題を分析している。しかし、五来氏の薬師信仰分析は、その信仰における宗教的本質(基層信仰)を明らかにしたものではあるが、近世における薬師信仰の特徴やその背後関係についてはあまり明らかにされていないので、「近世的」なる躍動感が伝わってこないといわざるをえない。そこで本論文における近世的社会現象としては、出版文化の隆盛に注目する。中世までは大量生産が可能な版本は寺院版に限られていたが、近世には書肆が成立し、商業出版が開始された 。そんな中で仏教書物は生産・再生産され、勧化本の類の書物も盛んに編まれた。薬師仏の霊験を説く勧化本も例外なく成立したが、観音や地蔵などの他の諸仏に比べ数量的に微少であるが、近世的薬師信仰を考察するうえで、かかる勧化本は通俗性が備わっている点で一級史料として評価でき、ここから多角的な論点を導くことができる。本論文で重視する薬師信仰の勧化本は、『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』である。 そこでまず第二部第一章では、享保期に成立する『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』の書誌的分析をおこないたい。両書は、和泉国大鳥郡真言律宗神鳳寺末安楽寺住持の超海通性によって編まれた薬師信仰の勧化本である。このことを踏まえたうえで、その論法にみる主張と特徴を、そして民衆信仰における「滅罪」の論理が反映されている文言を摘出し、近世民衆の薬師信仰の実態と本質論に言及したい。 一方、第二部第二章では、『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』が製作された背景を問題にする。なぜ享保期にこれらの薬師信仰を主題にした書物が成立するのかという問いの前提として、筆者である超海通性という人物とその周辺に関する問題が提起される。今日、超海は全く不明な人物であり、神鳳寺や近世律宗についてもよく知られていないことが多く、近世仏教史研究では大きく遅れている分野である。それゆえに両書から近世薬師信仰の様相を解明してゆくうえで、まず成立の背景や意図を詳しく分析する必要があった。そこで本章では、以上の目的から、近世真言律宗史の一側面として、特に神鳳寺の展開に注目し、超海通性の編纂環境を明らかにしたいと思う。 補論Ⅰは、近世薬師信仰を解明する手がかりとなる論考ではないが、第二部第一章、第二章でとりあげた超海通性の『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』に記された内容に対して、批判が加えられている事実、すなわち両書における記述内容の信憑性に関わる問題を分析する一方、近世「略縁起」の意味を問うものである。超海は『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』の中で三河国鳳来寺の薬師仏の霊験について記述しているが、その中で鳳来寺開山を「理趣仙人」と記している。この「理趣仙人」という記述に対して、鳳来寺松高院住持「善慧尋得」は、『掃塵夜話』という附録を合綴した『三河国鳳来寺略縁起』を発行した。その中で超海通性を名指しで批判し、「理趣仙人」の表記が「利修仙人」であることを主張する。この問題は、近世鳳来寺一山組織が天台系僧坊と真言系僧坊との共存状況であったことや、近世社会における縁起言説の管理の問題をはじめとする諸問題を含んでいる。その意味で、第二部で明らかにしようとする本来の目的から離れるが、超海の著作がいかに近世社会へ影響を及ぼしていたのか、という問題を傍証する論考という点で、本論文では第二部に補論として組み込んだ。 さらに、補論Ⅱとして「近世京都の民衆信仰―清水寺慈心院と随求菩薩信仰―」を加えた。この論考も近世薬師信仰の問題と直接関わらないが、超海通性の著作の一つに『随求菩薩感応伝』があり、『薬師如来瑞応伝』・『瑞応塵露集』に通底する問題意識を読み込むことを目的に補論として組み込んだ。ここでは、近世中期に復興される洛東清水寺慈心院に関係する議論、そしてそもそも勧化本や霊験記の類に記される人名や地名は実在し、霊験そのものの発生はともかく、信仰に関わった人物が実在したことの例証とする分析を加えた。超海著作の性格や成立背景を明らかにするうえで、関連する素材の一つであり、本論文に関係する議論である。 最後に第二部第三章では、近世の医薬文化と薬師信仰の関係について注目し、世俗的医薬処置と諸病平癒の現世利益信仰としての薬師信仰との関わりについて具体的に分析したい。そして近世的問題として家康が東照大権現として神格化され、その本地仏として薬師如来が設定されたことの持つ意味について、民衆信仰として土着した薬師信仰を政治的イデオロギーに転換したことはもとより、政治支配権力が民衆の「病」の問題に介入する時に、薬師信仰を内部に取り込まねばならなかった思想的構造から、当該期の薬師信仰の本質を明らかにしようとするものである。 本論文は以上の各章の問題関心から構成されている。全体を通覧すれば、薬師信仰史に通底する本質と役割を歴史的に明らかにするために、宗教民俗学的に滅罪信仰の一つとして薬師信仰の位置付けを試みる目的と、近世薬師信仰の機能と文化史的展開を、民衆信仰が多様化する時代性の中でとらえようとするのが本論の特徴である。しかし個々の議論はさらなる精密な検討を要するものが多く、その意味で本論文は、展望論としての初歩段階的論考の集合体にとどまっている。それでも現世利益信仰としてのみ評価される傾向が強い薬師信仰のもたらした諸現象が、実は日本仏教史、ひいては日本宗教史の展開過程と精神生活文化史をより鮮明にあぶり出すことにおいて有効な論点であることを示唆できるのではないかと思われる。 なお本論文では、引用する史料を含めて人権に関わる用語を多数使用し、また「難病」=「業病(過去世の業の報いによる病)」という認識を強調している箇所がある。人権問題の正しい理解の上に立ちながらも、論を進める上では史料にみえる用語をそのまま使用し、精神生活史研究の課題の一つとして論じていることを断っておきたい。また文中に部分引用する『薬師如来利益鈔』、『薬師如来瑞応伝』、『瑞応塵露集』などは、原本にはルビが施されているが、本論では省略した部分もある。影印を資料編に綴ったので適宜参照されたい。 序 章―註 伊東史朗『薬師如来像』(文化庁、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館監修『日本の美術 七』、至文堂、一九八六年七月、二五頁)によれば、大和法隆寺金堂薬師像光背の銘文の真偽性そのものは疑問視されているものの、その像容から止利仏師の一派の手によったものであると推定されることから、遅くても七世紀半ばまでの造像であることが確認されているという。 『日本書紀』天武天皇九年(六八〇)十一月癸未条(増補新訂国史大系『日本書紀後篇』所収)に「皇后體不豫。則為皇后誓願之。初興薬師寺。」とみえている。 五来氏は、「山の薬師・海の薬師」(民衆宗教史叢書第十二巻 五来重編『薬師信仰』所収、一九八六年、雄山閣)(三十六頁)で、「悔過は、天下国家の人民や信者に代って苦行し、それらの人々の罪や穢れを滅ぼすのが目的」であると指摘している。すなわち「滅罪の代受苦が悔過」であるという。修験「悔過」行には、「観音悔過」や「十一面悔過」、また「吉祥天悔過」などがあり、「薬師悔過」もその一つであるという。 薬師悔過法の初見は『続日本紀』天平十七年(七四五)癸酉条(増補新訂国史大系『続日本紀前篇』所収)の記載で、「又令ム京師畿内ノ諸寺及ヒ諸ノ名山ノ浄処ヲシテ行ハ薬師悔過之法ヲ。」とみえている。 五来重「薬師信仰総論‐薬師如来と庶民信仰‐」(民衆宗教史叢書第十二巻 五来重編『薬師信仰』所収、一九八六年、雄山閣) 西尾正仁『薬師信仰‐護国の仏から温泉の仏へ‐』(御影史学研究会、民俗学叢書十三、二〇〇〇年、岩田書院)。 前掲、西尾論文〈註6〉。 久下隆史『村落祭祀と芸能』(一九八九年、名著出版) 前掲、伊東〈註1〉、西尾、論文〈註6〉など。 本論で検討する『峰相記』(成立は、室町初期頃)は、『兵庫県史』本を底本とする。 橘成季編『古今著聞集』巻二第三話。 『瑞應塵露集』(巻三の四)(成立は享保十五(一七三〇)年、著者は宝林山安楽寺の真言僧超海通性、大谷大学図書館蔵)については、本論第二部で詳しく検討する。 根本誠二「行基と薬師信仰」(根本誠二・宮城洋一郎編『奈良仏教の地方的展開』所収、二〇〇二年二月、岩田書院)。 前掲、西尾論文〈註6〉。 『日本霊異記』「二つ目盲ひたる女人、薬師佛の木像に帰敬して、現に眼を明くこと得る縁 第十一」(下巻十一話、日本古典文学大系本、岩波書店) (前略)使子控手 迄于其堂 向薬師佛像 願眼而曰 非惜我命一 惜我子命 一旦已(「亡」カ)二人之命也 願我賜眼 檀越見矜 開戸入裏 向像之面 以令称禮(後略) 『康富記』応永二十五(一四一八)年七月二十六日条(『増補史料大成康富記一』所収)。 現在の神戸市垂水区(一部)・西区・明石市をさす。ここ数年来、同地域は明石海峡大橋建設に伴う新道建設や宅地造成(ニュータウン計画)などの開発が盛んである。 本論で用いる『金波斜陽』は、京都大学文学部図書館蔵本を底本とする。著者、成立年ともに『金波斜陽』には明記されていない。しかし内容を検討すると、享保年間の記録が多いことからこの頃の成立と推定される。また著者については、享保年間に成立した大井毎高編『明石記』に、この『金波斜陽』と美濃郡の地誌『玉彩光分』が再録されており、明石城下の住人、長野恒臣の著であることがわかる。(日本歴史地名大系『兵庫県の地名Ⅱ』「史料解題」、一一四四頁、平凡社) 前掲、五来論文「薬師信仰総論‐薬師信仰と庶民信仰‐」〈註5〉 前掲、五来論文「山の薬師・海の薬師」〈註3〉 豊島修「都市の薬師信仰‐大阪を中心として‐」、大森惠子「因幡薬師と山陰地方の薬師信仰」(民衆宗教史叢書第十二巻 五来重編『薬師信仰』所収、一九八六年、雄山閣)では、薬師信仰の衰退に医療が関わったことを指摘している。豊島氏は、信仰衰退の時期を「近代以後」(三八〇頁)とみており近世的問題とはしていないので、近世医薬との関わりは不明であるが、大森氏は特にその時期を定めず、「医学や薬学・医療技術の発達に伴い、今日では薬師如来に病気平癒を祈願するより、医療機関で治療を受けたほうが賢明と、人々は思うようになった。その結果、因幡薬師(平等寺)や座光寺に寄せられた信仰や祈願内容は、諸病平癒から安産や種々な「福」を求める傾向に、変化していったと考えられる」としている。この解釈では、本論第二部第三章で触れるように、近世にすでに医療が民間に展開する状況、また近世においてすでに安産や富裕を祈願する事例がみられることを鑑みれば、医薬文化発展と薬師信仰の衰退が近世に端を発しているということになる。 吉岡信『近世日本薬業史研究』(一九八九年、薬事日報社) 長友千代治『江戸時代の書物と読書』(二〇〇一年、東京堂出版) リンク @wiki @wikiご利用ガイド 他のサービス 無料ホームページ作成 無料ブログ作成 無料掲示板レンタル 2ch型掲示板レンタル お絵かきレンタル ここを編集
https://w.atwiki.jp/keika_shobo/pages/42.html
キャラクター名 本田桂花(ほんだ けいか) 能力値 数値 消費CP プレイヤー名 NPC 体力 8 -15CP 種族・性別 本の虫・女 敏捷力 12 +20CP 身長 158cm 知力 18 +125CP 体重 16kg 生命力 13/73 +30CP 年齢 30歳 CP小計 +160CP 基本致傷力 振り 1D+1 基本移動力 突き 1D-3 行動順 キック 1D-1 荷重レベル 受動防御 防護点 受け なし 止め なし よけ 6.25 その他 なし 有利な特徴 消費CP 妖怪基本セット +100CP 冷静沈着 +10CP お洒落 +5CP 記憶力Lv2 +40CP 財産/富裕 +40CP 一意専心 +5CP 我が家/商店・妖怪も含み条件付き人払い効果あり +55CP 一意専心 +5CP CP小計 +260CP 不利な特徴 獲得CP 癖 獲得CP 愛好症/書籍 -15CP パソコンが嫌い ―1CP 義務感/読書好きの人間 -5CP 電子妖怪は苦手 ―1CP 保守的 -10CP ライトノベルは小説ではないと思っている ―1CP 近視 -5CP でも読む ―1CP 誠実 -10CP 持って回った言い回しをする ―1CP CP小計 -50CP 人間に対する態度 消費CP 興味 -15CP 技能 消費CP レベル 学業 1CP 20Lv 文学 2CP 20Lv 調査 1CP 20Lv 神秘学 1CP 20Lv 原子物理学 4CP 20Lv 妖科学 4CP 20Lv 心理学 2CP 20Lv 哲学 2CP 20Lv 人類学 2CP 20Lv 犯罪学 2CP 20Lv 心理学 2CP 20Lv 動物学 2CP 20Lv 植物学 2CP 20Lv 遺伝学 4CP 20Lv 化学 2CP 20Lv 歴史 2CP 20Lv 考古学 2CP 20Lv 言語学 2CP 20Lv 気象学 2CP 20Lv 物理学 2CP 20Lv 惑星学/地球型惑星 1CP 20Lv 惑星学/岩と氷の惑星 1CP 20Lv 惑星学/ガスジャイアント 1CP 20Lv 惑星学/劣悪な環境 1CP 20Lv 暗号解析 2CP 20Lv 農業 2CP 20Lv 天文学 2CP 20Lv 地質学 2CP 20Lv 生理学 2CP 20Lv 生態学 2CP 20Lv 生化学 2CP 20Lv 数学 2CP 20Lv 経済学 2CP 20Lv 情報分析 2CP 19Lv 建築 1CP 20Lv 英語 0.5CP 20Lv フランス語 0.5CP 20Lv スペイン語 0.5CP 20Lv 中国語 0.5CP 20Lv 韓国語 0.5CP 20Lv ポルトガル語 0.5CP 20Lv アラビア語 0.5CP 20Lv ヒンズー語 0.5CP 20Lv スワヒリ語 0.5CP 20Lv タガログ語 0.5CP 20Lv ヘブライ語 0.5CP 20Lv ラテン語 0.5CP 20Lv ロシア語 0.5CP 20Lv イタリア語 0.5CP 20Lv ギリシャ語 0.5CP 20Lv ドイツ語 0.5CP 20Lv 古日本語 0.5CP 20Lv 古英語 0.5CP 20Lv 古代エジプト語 0.5CP 20Lv 家事 0.5CP 18Lv 日本語 0CP 20Lv CP小計 78CP 妖力 レベル 増強/限定 消費CP 追加HP Lv60 30CP 防護点 Lv9 36CP 人間変身 15CP 美醜 怪奇 5CP 集合体 Lv4 妖怪時のみ、喰らいつき不可(-50%) 40CP 浮遊移動 妖怪時のみ(-30%) 14CP 命名 5CP 妖怪知識/日本(古代) 5CP 妖怪知識/日本(中世) 5CP 妖怪知識/日本(近世) 5CP 妖怪知識/日本(現代) 5CP 妖怪知識/東アジア(古代) 5CP 妖怪知識/東アジア(中世) 5CP 妖怪知識/東アジア(近世) 5CP 妖怪知識/東アジア(現代) 5CP 妖怪知識/オセアニア(古代) 5CP 妖怪知識/オセアニア(中世) 5CP 妖怪知識/オセアニア(近世) 5CP 妖怪知識/オセアニア(現代) 5CP 妖怪知識/東南アジア(古代) 5CP 妖怪知識/東南アジア(中世) 5CP 妖怪知識/東南アジア(近世) 5CP 妖怪知識/東南アジア(現代) 5CP 妖怪知識/南アジア(古代) 5CP 妖怪知識/南アジア(中世) 5CP 妖怪知識/南アジア(近世) 5CP 妖怪知識/南アジア(現代) 5CP 妖怪知識/中近東(古代) 5CP 妖怪知識/中近東(中世) 5CP 妖怪知識/中近東(近世) 5CP 妖怪知識/中近東(現代) 5CP 妖怪知識/ロシア(古代) 5CP 妖怪知識/ロシア(中世) 5CP 妖怪知識/ロシア(近世) 5CP 妖怪知識/ロシア(現代) 5CP 妖怪知識/東欧(古代) 5CP 妖怪知識/東欧(中世) 5CP 妖怪知識/東欧(近世) 5CP 妖怪知識/東欧(現代) 5CP 妖怪知識/南欧(古代) 5CP 妖怪知識/南欧(中世) 5CP 妖怪知識/南欧(近世) 5CP 妖怪知識/南欧(現代) 5CP 妖怪知識/北欧(古代) 5CP 妖怪知識/北欧(中世) 5CP 妖怪知識/北欧(近世) 5CP 妖怪知識/北欧(現代) 5CP 妖怪知識/西欧(古代) 5CP 妖怪知識/西欧(中世) 5CP 妖怪知識/西欧(近世) 5CP 妖怪知識/西欧(現代) 5CP 妖怪知識/ブリテン島(古代) 5CP 妖怪知識/ブリテン島(中世) 5CP 妖怪知識/ブリテン島(近世) 5CP 妖怪知識/ブリテン島(現代) 5CP 妖怪知識/アフリカ(古代) 5CP 妖怪知識/アフリカ(中世) 5CP 妖怪知識/アフリカ(近世) 5CP 妖怪知識/アフリカ(現代) 5CP 妖怪知識/北米(古代) 5CP 妖怪知識/北米(中世) 5CP 妖怪知識/北米(近世) 5CP 妖怪知識/北米(現代) 5CP 妖怪知識/南米(古代) 5CP 妖怪知識/南米(中世) 5CP 妖怪知識/南米(近世) 5CP 妖怪知識/南米(現代) 5CP 妖怪知識/中米(古代) 5CP 妖怪知識/中米(中世) 5CP 妖怪知識/中米(近世) 5CP 妖怪知識/中米(現代) 5CP 妖怪知識/オーストラリア(古代) 5CP 妖怪知識/オーストラリア(中世) 5CP 妖怪知識/オーストラリア(近世) 5CP 妖怪知識/オーストラリア(現代) 5CP 紙の体 9CP CP小計 498CP 弱点 レベル 増強/限定 消費CP 依存/読書/1時間ごと 妖力/妖術が使えなくなる -15CP 弱み/炎 Lv4 -40CP CP小計 -55CP 妖術 威力レベル 増強/限定 消費CP 精度レベル 消費CP 修復 Lv2 [来歴探知]不要、本のみ(+0%) 10CP 18Lv 2CP 来歴探知 Lv10 本のみ、余分に時間Lv2(-50%) 25CP 18Lv 2CP 情報探知 Lv4 対文字、余分に時間Lv1、電子データには無効(-30%) 14CP 17Lv 1CP 物体覚醒 Lv10 本のみ、接触のみ(-50%) 15CP 18Lv 2CP 物品探知 Lv12 本のみ、充電が必用/15秒(-50%) 30CP 18Lv 2CP 物品取り寄せ Lv12 本のみ、充電が必用/15秒(-50%) 18CP 18Lv 2CP CP小計 112CP 11CP 攻撃 判定値 ダメージ 長さ 効果 備考 未使用CP 5CP CP総計 1000CP 設定/コメント 古書店兼喫茶店 桂花書房 の店主です。正体は「本の虫」ですがその本来の姿を見た者は誰もいません。外見は30代前半の女性です。常に冷静沈着で落ちついた物腰で話をします。 彼女は決して書店から出ることはなく、ほぼ1日中本を読んですごしています。PCを呼びつけて人間を助けるよう言いつけることはありますが、彼女は書店から外に出ることが出来ないため、積極的にPCを手助けすることはありません。 戦闘能力は全くありませんが、古今東西あらゆる物事に関して知識を蓄えています。中でも妖怪に関する知識には特に秀でています。PC達が探索に行き詰ったなら、その知識を借りてみるのも良いかもしれません。