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『ここだけ魔法戦記』の世界へようこそ! このwikiは"IDで魔法戦記"の流れを汲むコンマゲームです。 その日のIDと書き込んだ際のコンマの数字に翻弄されながら、 プレイヤー・キャラクター(PC)達は時には未踏の地に踏み込み、悪党どもに戦いを挑み、魔法や剣、祈りをもって怪物どもを打ち倒していきます。 彼らの行く末が路傍に哀れな骸を晒すことになるのか、それともまだ見ぬ新天地を見つけ、栄光を手にするのか。 それは全てあなたの判断とダイスだけが知っています。 ここだけ魔法戦記について 『IDで魔法戦記』というPBBBS(*1)の流れを汲むRPGです。 その日のIDで自分のできる事(魔法の属性や戦士の技術)を決め、コンマの出目(ダイス)でイベントや戦闘をこなしていきます。 「とりあえずやってみたい」という人は遊び方に沿ってPCを作成してください。 現在のロール場所 http //ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1369556114/l50 IDで魔法戦記について 大本である『IDで魔法戦記』に興味のある方は、以下の避難所を覗いてみてください。 http //yy71.60.kg/magicwar/ なお、大本の『IDで魔法戦記』は、現在週末にVIPにて本スレをたてて行っています。 本スレがたった場合は、このスレにも告知が掲載されます。 このゲームがダイスとの戦いだとすれば、『IDで魔法戦記』は物語の紡ぎ合いといっても良いでしょう。 興味がある方は、ぜひ『IDで魔法戦記』にも参加してください。 背景 200年ほど前のことだ。人と魔族という反目し合う二つの種族は、大陸を二分する国家を作り上げていた。 戦火は大陸中を巻き込み、力無い者達は草木を薙ぐように蹂躙されていた。 暗澹たる空気が世界を覆う中、大陸北西部の小さな村で武装蜂起が起こった。 当時の乱れた情勢を鑑みれば、誰も気に留めないほどの小さな出来事だった。 しかし、その蜂起を率いていた人物は多大なカリスマ性を持ち、圧倒的不利と思われた状況を次々とひっくり返していった。 やがて小さな村で小さな武装蜂起を率いたその青年は世界の戦いへと身を投ずることになる。 人間領、魔族領の区別無く、次々と領地を傘下に納めていくその手腕。 そして、自領土になった者達への善政は、戦いに疲弊していた民衆にとってはまさに救いだった。 彼の起こした蜂起は連鎖反応を引き起こし、爆発的に大陸中へと広まって行く。 度重なる自国内の武装蜂起に戦いを続けることが難しくなった両大国は講和条約を締結。 この戦いを終結に導いた英雄は讃えられ、彼が参加に収めた土地はそのまま領地として統括することとなった。 こうして聖魔大戦と呼ばれた戦いは英雄の活躍によって幕を閉じた。 それから百数十年は何事も無く過ぎていった。 大戦の英雄はすでに亡く、武力での衝突は技術の競争や植民地戦争へと成り代わっていった。 三大国は、それぞれ西方、北方、南方へと開拓を開始する。 煌びやかな甲冑に身を包み、鋭い穂先を意気揚々と掲げて出発した開拓団は、しかし誰も帰っては来なかった。 たった一人、大陸西方に位置する、かの英雄が作り上げた国では一人の男が帰還していた。 身を包んでいたはずの真鍮の鎧は無残に溶け、鋭かった槍は途中から折れ、ただの棒となっていた。 男は駆けつけた治療師の手当ても虚しく死亡した。 帰還した彼の担いでいた袋の中から、彼の物と思われる日記が発見された。 新天地へ到達してからの周囲の状況が事細かに記されたその日記は、読んだ者に衝撃を与えた。 全く知られていない土地、気候、生態系、そして古代の財宝と資源。 男の日記の最後は殴り書きでこう記されていた。 『ここでは全てが混沌で、だからここでは全ての望みが叶う』 錯乱者のたわ言だと一笑に伏す者が多い中、一握りの者達は未踏の地へと赴いていった。 まだ見ぬ財宝を、心躍る冒険を、多くの栄光を求めて旅立った彼らを人は【探索者】と呼んだ。 世界観 『ここだけ魔法戦記』の世界は中近世のヨーロッパの生活水準を基盤としています。 しかし、この世界では魔法が発達し、当然のことながらそれを追求する学問や技術も発達しています。 主な舞台となる「フロンティア」では、何かの不思議な力によってこの魔法の素養が常にたゆたっています。 このため、日によって扱える魔法は刻々と変化していきます。 13の属性に分けられたどの魔法が使えるのかは、その日によってランダムに変わり、 昨日までは歴戦の勇者だった者が今日は村人にも劣る凡夫となることも珍しくありません。 合計: - 今日: - 昨日: - 以下広告
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Nobusionary ←戻る ↑Nobusionaryトップ↑ 進む→ き き (名)希望のこと。特にドロップアイテムの獲得希望(ロット)を指して用いられることが多い。「2き」だと、上から2番目のドロップアイテムを獲得希望していることを指す。 き【帰】 (名)陰陽師の技能帰還の術のこと。リレミト、とも。 きい【紀伊】 (固名)近世日本の行政区分の一。国府は雑賀郷。現在の和歌山県に当たる。デフォルトでは雑賀衆が統治している。参照 きこり【木こり】 (名)日々伐採に勤しむ侍のこと。二刀流で斧を持つと非常に雰囲気が出る。神職も伐採が使用できる職業だが、あまり呼ばれない。 きそがわ【木曽川】 (固名)伊勢の長島東部を流れる川。大雨が降ると、並走する揖斐川・長良川とともにすぐ氾濫してしまうため、周囲に住む人々は、川と川の間の中州に「輪中」と呼ばれる輪っかのような堤防を作った。木下籐吉郎は、木曽川のほとりに一夜にして砦を建設し、織田家の美濃攻めの足がかりとした。実際は信濃を源流とし、尾張と美濃の国境沿いを流れるのだが、本ゲームではそこは再現されていない。 きつね【狐】 (名)?敵NPCの種類の一。しばしば愛玩の対象となる。 ?神職の技能稲荷祝詞のこと。この技能を使用すると狐に変身できるためこう呼ばれる。 きてん【起点】 (名)連携?を行う際の準備動作を行う人、またはその準備動作を指す。「連携の起点」とも。戦闘前にあらかじめ、もしくは戦闘中に宣言して決めておくのが一般的。 キノコハウス (固名)駿河にある屋敷。そのなかの敵NPC「茸爺」の容姿が強烈なインパクトを与えたため、こう呼ばれるようになった。ちなみにキノコハウスといってもキノ○オなどは出ないのであしからず。参照 きゃくしょう【客将】 (名)滅亡勢力PCが一時的に健在の同盟国へ移籍した状態となること、またはその状態になったPC。 知行や身分が保証された状態で所属勢力を替えることができる。ただし、仕官日数が0になることと、門外不出アイテムは消去されることに注意。(受けているクエストも消えるらしい。)客将となる際には仕官日数などの条件はないが、戻る際には仕官日数が30日経過するか、元の国で復興戦が発生のどちらかの条件が必要である。 キャップ (名)各ステータスや技能のダメージに設けられている限界値。依存する能力をあげてもダメージがかわらないことがあるのはこのため。 奇門遁甲など、技能によって特別にキャップをはずすことが可能な場合もある。 キャンプ (名)POP時間の長いボスを狩る時に湧くのを待つこと。四神(正確には、青龍・白虎・朱雀)や、叢クエの戦闘、八雷神などで行われることがある。なお、これを行っている人、はキャンパーと呼ばれる。過去には竜の涙目的で、青龍に張り付いている徒党を指していたこともある。 きょうつうアカウント【共通アカウント】 (名)同じ市民IDにPS2版とWin版両方の製品版アカウントが登録されている場合、両者のアカウントをこう呼ぶ。 信Onは、PS2版アカウントではPS2からのみ、Win版ではパソコンからしかログインできないが、共通アカウントはPS2、パソコンの両方からログインできる。 なお、片方の課金が切れていても、もう片方が生きていれば、そのアカウントは両方からログインが可能。アカウントの項も参照のこと。 きよすどうめい【清洲同盟】 (名)織田家と徳川家が同盟状態であること。史実に倣ってそのように呼ばれる。 きょてん【拠点】 (名)成仏した際に送られる町。本人情報で確認できる。勢力に所属している場合は、自国及び同盟国の町に入った際に更新される。浪人の場合、中立都市を含め、全ての町に入った際に更新される。 ギルド (名)?同職業の人々が集まる寄合所。ここで仕事やその他手続きを行うことができる。→寄合所? ?仲のいい友人らが集まって個人的に作られたチームや派閥。コンピュータに作為的に決められる部隊とは意味合いが異なる。グループ・チームなどとも言われる。ほとんどの場合はギルド内部にリーダーや役職が(意味のあるなしにかかわらず)決められており、主催のイベントなどを行ったりする。私設ギルド私設会話の登場によって私設ギルドの結成は加速した。 きわみ【極み】 (略)鍛冶屋の技能鎧の極み、鎧の極み・改の略称。ボス戦での必須技能。なお、最近ではこれを使わない攻略法が開発され、大名戦などで使用されている(12・15パッチにより使用不能)。「きわみん」とも。
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日本 か行の妖怪 河童(かっぱ) 河童とは、日本の妖怪である。 概要 表題の名称は、元々関東の方言。似たような妖怪は、北海道のコマヒキから鹿児島のガラッパまで、ほぼ日本全国に伝えられる水の妖怪で、淡水域の他、海に出るという伝承も存在する。 呼称による分類 地方により異なる呼び名は、川の子供系のもの(カッパ)、馬を引くといった行動系のもの(コマヒキ)、猿系のもの(エンコウ)、水の霊を示す古い系統のもの(メドチ)、カメ系のもの(ガメ)、獺系のもの(カワソ)、特定の信仰に因んだもの(祇園坊主)、鳴き声とされるものに因んだもの(ヒョウズンボ)、身体的特徴に因んだもの(サンボン)などに分かれる。 分類について、古くは柳田國男の、 aカワ(*1)と子供を付けた者と、b神を表すもので、後者が先であるとするものから、 a水神系 b子供を強調する系 c動物系 dその他、1異なった信仰を指すもの(ヒョウスベ、祇園坊主等)、2体の特徴を指すもの(サンボン、テガワラなど)などとする村田健司(*2)説、 人身(子供が強調される)系、動物系、水神系、妖怪系とする石川純一郎説(*3)、 川わっぱ系、川タロウ系、川坊主系、川の殿系、エンコウ系、その他系とする説(*4) 子供を強調するもの、神系、生物系、属性や鳴き声によるものとする瀬下いずみ説 (*5)などがある。 ヒョースベ或いはヒョウズンボと呼ばれるものについて、石川純一郎は鳥とするが、柳田は、ひょんひょん鳴く冬鳥の声を「水の霊が自らの名を名乗った」如く聴いた人がいた可能性があると指摘(*6)し、村田健司によれば、このカッパは兵主部と呼ばれる中国由来の神と関連する可能性がある(*7)。 また、系統が違う水虎という中国の河童を日本で使う例もある。 歴史 初出は「獺が年経て化けたもの」とする辞書『下学集』(文安元年・1444)であり、それより一世紀以上後のものであるが、『日葡辞書』の例が、それに次いで古いと思われる。 本草系の書では獺・亀に由来するという説が多いが、民間伝承では子供・猿の姿をしているとされる事が多く、どうも単に動物を擬人化した「だけ」のものではないらしい。 古くは『日本霊異記』に、「小子(ちいさこ)」の姿をした雷神が大力の子供を授けてくれたという話があり、『今昔物語集』では満濃池の竜王が「小童」の姿で天狗に攫われていた僧侶を救出している。 また記録の中にも、平経高(1180~1255)の日記『平戸記』に、寛元三年(1245)正月12日に落ちた雷が「小法師」となって大勢の人間の眼前で内裏の方角へ駆けていったという話がある。 何かの「精」は小さな姿で出現する事が多いが、中でも水神・雷神は小人の姿で現れる事が多く、竜の矮小化された姿が河童だと言えなくも無い。一寸法師・瓜子姫や、江戸時代になって記録に現れた桃太郎なども、水神の申し子であろうという(*8)。 近世になると絵画にその姿を現す事も多くなるが、現在よく知られている「頭に皿、背中に甲羅」といった爬虫類的な容姿の定着は、この時代に始まったらしく、『利根川図志』に全身毛むくじゃらな「河童」が描かれているのは、ほとんど例外的なものとなっている。 好きなものは胡瓜、茄子で、嫌いなものは鉄・水に沈まない瓢箪・鹿の角・仏前に奉げた飯を食べた人間など。命を救ってやったりすると、御礼に疵を治す妙薬の製法・食べると若返る卵・いくらでも酒の出て来る徳利等をくれる。 害を為した話の中で、一番多いものが人馬を水中に引きずり込んで、肛門から尻子玉を抜くというもの。尤も、これを書いている人間aが聞いた限りでは、単に「ハラワタを抜く」という話であった。あと南方熊楠によれば、水辺で遊ぶもの或いは水に入ったものを強姦、厳密には肛門へ突っ込むと言われる。これは、水死体が、いかにもけつを掘られたように結腸の末たn、えぇい肛門の孔だ、がくぱぁっとしているので、そこからの連想だというのが定説である。なので南方熊楠によれば河童の1名「ゴンゴー」は男性同性愛者を指す「金剛」との関係が疑われるという。 時に変身したり、人に憑いて悩ます事もある。 昭和30年代までは全国各地で語られていたが、川辺や海辺がコンクリートで固められ、川や海で泳ぎ、生活の場とする人々も減って、ほとんど聞かれなくなった。 主な河童 ガラッパ ガワイロ ガワッパ ガワロ 岸涯小僧 水虎 禰々子 ハントゥ・カタック 兵主部 無三殿さん 山童 主な文献
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古錦国は国の一つである。 なお国家として瓦解している。(過疎過ぎるから) 国号 古錦国 通称 古錦 略称 古錦 英称 Furunishiki 元首 福島ゆかり 国旗 概要 通貨 古錦ドル(2022年3月14日時点で1古錦ドル=92円) 公用語 大和語、古錦語 歴史 近世 第一次和錦戦争(1682) 雲級群島を獲得 第二次和錦戦争(1701) 凛賓山脈まで後退 第三次和錦戦争(1718) 当時の首都、寛府陥落。植民地化 現代 独立(1982) なんか国際的な脱植民地化の流れを受けしれっと大和帝国から独立した。 国歌 古錦国歌 〜ああ偉大なる古錦〜 (抜刀隊行進曲のメロディー) 一、 我らが祖国 古錦 つりなき響き 永遠に 偉大な国の英雄は 古今無双の豪傑で これに従う兵は 共に勇猛果敢な士 鬼神に恥じぬ雄ありて 国に歯向かう反逆を 起こししものをその剣で 一刀両断平定だ 敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に 祖国の土を踏み締めて 偉大な国を守るべし 二、 士として出づる身の誉 敵を滅し守るべし 帰りを望むる君が為 人に遅れて恥かくな 祖国の風と武士の その身を守る魂の 誇りにかけて斃すべし 国に歯向かう逆賊を 敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に 祖国の土を踏み締めて 偉大な国を守るべし 新錦 古錦をリニューアル的な感じで名前変えて再出発しようみたいなもの。発案者が面倒くさくなったらしく無かったことにした。 軍備 陸軍 軍備 ロザリア共和国(未作成)製自動小銃380艇 ロザリア共和国製狙撃銃60艇 オソロシア製T-00戦車12輌 蒼海国製20式分隊支援火器100艇 ライセンス生産無印T1戦車15輌 M-01(未作成)ローレンス戦車380輌 AR-01(未作成)デグリャチェフライフル520艇 AR-02(未作成)ロングライフル128600艇AR-02-R通常型106800 AR-02-C短銃身型12800 AR-02-S狙撃銃型10000 HG-01(未作成)-A-45ACPハンドガン124800丁 一式携帯対戦車誘導弾(未作成)280発 一式装甲車(未作成)260両 一式装甲車改210両 二式装甲車(未作成)190両 二式装甲車改140両 一式自走142mm砲120両 SH-01(未作成)偵察ヘリコプター34機 MH-01(未作成)汎用ヘリコプター40機 海軍 蒼海国製掃海艇2隻 蒼海国製輸送艇8隻 蒼海国製車両貨物輸送艦4隻 蒼海国製艦隊随伴輸送艦4隻 蒼海国製小型フリゲート6隻 蒼海国製大型フリゲート4隻 蒼海国製ミサイル艇20隻 アンドロメダ級ミサイルコルベット(未作成)8隻A-01アンドロメダ A-02アドリアティック A-03アルバート A-04アドマイラー A-05アブセイル A-06アフィニティ A-07アニックス A-08オーサレス バービカン級ミサイルコルベット(未作成)6隻B-01バービカン B-02バクトリアンキャメル B-03バルカローレ B-04ブレニアック B-05ベネディクト B-06ブロンコ カリバー級フリゲート(未作成)6隻C-01カリバー C-02チックウィード C-03コンフェッション C-04カルデサック C-05カルダモン C-06キャットニップ エーデルヴァイス級巡洋艦2隻E-01エーデルヴァイス(未作成)SH-01偵察ヘリコプター艦上型1機 MH-01汎用ヘリコプター艦上型1機 E-02アイスベルク(未作成)SH-01偵察ヘリコプター艦上型1機 MH-01汎用ヘリコプター艦上型1機 ファンテイル級防空駆逐艦3隻F-01ファンテイルMH-01汎用ヘリコプター艦上型1機 F-02ファイアダンプMH-01汎用ヘリコプター艦上型1機 F-03フェアグラウンドMH-01汎用ヘリコプター艦上型1機 ゼラニウム級軽空母2隻G-01ゼラニウム(未作成)DF-01防空戦闘機(未作成)12機 零式制空軽戦闘機(未作成)26機 G-02グランズウェル(未作成)DF-01防空戦闘機14機 零式制空軽戦闘機26機 ハンガーオン級駆逐艦(未作成)4隻H-01ハンガーオン H-02ヘプタゴン H-03ハリヤード H-04アナリフィック ジャーヘッド級補給艦(未作成)2隻J-01ジャーヘッド J-02ジョン・ドゥ J-03ジョナサン・ジョースター J-04ジェーン・ドゥ J-05ユンカース J-06ジャスティス カーネル級強襲揚陸艦1隻(赤城型強襲揚陸艦)K-01カーネル 空軍 オソロシア製K-K戦闘機(未作成)15機 DF-01防空戦闘機(未作成)180機 零式制空軽戦闘機(未作成)80機 二式攻撃戦闘機120機 C-01(未作成)軽輸送機12機 C-02(未作成)大型輸送機6機
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書名 ホモセクシャルの世界史 書誌情報 出版社(叢書・シリーズ名)文春文庫 発行年月日2008年8月10日 版型 造本データ ページ数 文庫判 並製 623ページ 定価952円 装丁 異版 ホモセクシャルの世界史(初版単行本) 目次 プロローグ 世界史の中の封印されたタブー 12サイレント・シン(語られざる罪) 12 ホモセクシャルの誕生 17 人間の絆と友愛 24 第一部 古代から十九世紀まで 近代以前第一章 同性愛の起源 31古代社会における同性愛の役割 32 第二章 ギリシアの愛 39英雄アキレウスとギリシアの愛 40 ソクラテスの饗宴に見る少年愛 49 ローマ帝国の悪徳 67 第三章 ローマからキリスト教世界へ 77ソドムの”悪徳” アウグスティヌスの『告白』 78 中世の理想 教師と生徒の恋愛関係 84 十二世紀 修道院における〈愛〉の復活 89 中世後期 テンプル騎士団への弾圧 95 第四章 ルネサンス 107禁じられた友情崇拝 エラスムスの青春 108 告発されたレオナルド・ダ・ヴィンチ 111 快楽と禁欲の狭間で ミケランジェロ 114 ”ソドマ”と呼ばれた画家 118 バロック芸術の官能 カラヴァッジオ 120 第五章 ヨーロッパの近世 123パリ・ファッションの先駆け アンリ三世 124 女性嫌いのルイ十三世 127 オルレアン公フィリップの三角関係 131 英国の同性愛文化の開花 135 愛の迷路 シェイクスピアの『ソネット集』 138 ジェームズ一世の手紙 140 フランシス・ベーコンと情報院の兄アントニー 144 スキャンダル攻撃の幕開け ウィリアム三世 148 十八世紀英仏の光と闇 151 ゴシックの愛 英国貴族の大陸旅行(グランド・ツアー) 153 フリードリヒ大王とヴォルテール 161 十八世紀から十九世紀 刑法上の扱いの過渡期 167 第六章 十九世紀 171バイロンの華麗なる遍歴 172 帝国主義と南アフリカ・コネクション 182 〈ラウンド・テーブル〉の母胎 ”ミルナー幼稚園” 196 美から政治にいたるオックスフォード運動 201 天上の精神愛〈ウラニズム〉 218 オスカー・ワイルドをめぐる友愛と裏切り 220 〈ボヘミア〉の台頭 ランボーとヴェルレーヌ 236 デカダンスのプリンス ロベール・ド・モンテスキュー伯爵 242 ホモセクシャルの夢の島 カプリの誘惑 250 ヌード写真のパイオニア グローデン男爵のシチリア島 258 ゲルマン男性同盟 262 第一次世界大戦の引き金となったオイレンブルク事件 271 第二部 二十世紀 性の世紀罪から病への過渡期 292 第七章 ブルームズベリー・グループ 301ブルームズベリー・グループの成り立ち 302 友愛と裏切りの人生 リトン・ストレイチー 308 インドへの道 E・M・フォースター 325 巨大な闇へのおののき D・H・ロレンス 331 第八章 バレエ・リュス・コネクション 339ホモカルチャーの先駆け ディアギレフのバレエ・リュス 340 告白と植民地への愛 アンドレ・ジッド 367 愛する者への讃歌 ジャン・コクトー 374 第九章 太陽の子ら――二つの大戦の間 381一九二〇年代の輝き ブライト・ヤング・ピープル 382 天才数学者 アラン・チューリング 405 第十章 同性愛の政治学(ポリティクス)――第二次世界大戦期前後 411MI5の陰謀? ジェレミー・ソープ事件 412 労働者階級への愛と左翼思想 アントニー・ブラント事件 416 ドイツの三つの死――人間の中の二つの方向 トーマス・マン 422 ナチの同性愛 ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』 428 反ナチ運動の背景 ルートヴィヒ二世 431 第十一章 アメリカに移住した作家たち 437ニューヨークのオーデン 438 テクノロジーの幻想都市 ハリウッドのハックスリ 443 東洋の精神世界へ カリフォルニアのイシャウッド 448 第十二章 アメリカのクローゼット・システム 455三つの権力構造による囲い込み 456 ハリウッド・バビロン 458 最初の世界的スター ルドルフ・ヴァレンチノ 462 『風と共に去りぬ』の裏側に 464 『マイ・フェア・レディ』のジョージ・キューカー 476 心は女へ、身体は男に タイロン・パワー 481 英国紳士風二枚目 ケーリー・グラント 486 エイズによる死の波及 ロック・ハドソン 492 ハリウッドの現在 496 第十三章 二十世紀のニューヨーク 497クローゼット神話の崩壊 498 ゲイの若者たちの出会いの場 YMCA 506 ボヘミアンの解放区 グリニッチ・ヴィレジ 510 ゲイの王国 黒人街のハーレム 517 前衛芸術の先駆者 ヴィレジの二人の画家 521 既成のモラルからの脱却 ビート・ジェネレーション 528 過渡期の一九四〇年代 535 〈ホモ狩り〉の五〇年代 544 ゲイ運動が台頭した六〇年代 550 ゲイ文化が花開く七〇年代 558 エイズをめぐる連帯 八〇年代 565 クローゼットを出た九〇年代 570 エピローグ そして二十一世紀 575 あとがき 580 参考文献 583 図版クレジット 595 索引 623 あとがきより 主な初出 書き下ろし 補記 ホモセクシャルの世界史
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辞書 品詞 解説 例文 漢字 日本国語大辞典 助詞 〘格助〙(現在では「え」と発音する) 体言を受け、それが下の用言に対して連用修飾になることを示す。→語誌(1)。① 移動性の動作の目標を示す。古くは「遠くへ」の気持を含む。→語誌(2)。 ※古事記(712)下・歌謡「沖へには 小舟連(つら)らく くろざやの まさづ子吾妹(わぎも) 国幣(ヘ)下らす」※土左(935頃)承平四年一二月二七日「都へと思ふをものの悲しきはかへらぬ人のあればなりけり」 ② 動作・作用の帰着点を示す。→語誌(3)。 ※源氏(1001‐14頃)横笛「対へ渡り給ぬれば、のどやかに御物語などきこえておはする程に、日暮れかかりぬ」※宇治拾遺(1221頃)九「ここにやどりたる人の、〈略〉いぬるが、あすここへ帰りつかんずれば」 ③ 動作・作用のおよぶ対象・方向を示す。→語誌(3)。 ※源氏(1001‐14頃)須磨「二条院へたてまつり給」br※平家(13C前)一二「鎌倉殿より公家へ申されたりければ」 ④ 物を移動させるときの帰着点を示す。→語誌(4)。 ※延慶本平家(1309‐10)三本「水をだにも喉へ入給はず」※徒然草(1331頃)一〇六「聖の馬を堀へ落してげり」 ⑤ 動作の結果を示す。 ※寛永刊本蒙求抄(1529頃)一「皆手下へなったぞ」 [語誌](1)語源は、「古事記‐下・歌謡」の「大和幣(ヘ)に行くは誰が夫隠津(こもりづ)の下よ延(は)へつつ行くは誰が夫」、「万葉‐三六四〇」の「都辺(へ)に行かむ舟もが刈り薦の乱れて思ふこと告げ遣らむ」のような「あたり」を意味する名詞「へ」にあり、上代には名詞か助詞か判別し難いものもあるが、次の例はまだ名詞と考えられる。「書紀‐欽明二三年七月・歌謡」の「韓国の城の上に立ちて大葉子は領巾(ひれ)振らすも大和陛(ヘ)向きて」、「万葉‐七二」の「玉藻刈る沖敝(ヘ)は漕がじしきたへの枕のあたり忘れかねつも」など。なお宣命や訓点語には用いられず、中古以後の和歌にも極めて少ないが、これも格助詞「へ」の成立が新しく、口頭語的であったためであろう。(2)①の用法は、上代および中古前期では、言語主体の現在地点から遠く離れた場所に向かって移行する場合にだけ用いられ、「遠くへ」という気持を担っていると考えられるが、院政期以後その気持が薄れ、「ここへ」「こなたへ」など、自分の近くへの移動の場合にも用いられるようになる。(3)②③の用法が盛んに用いられるのは中世以降である。但し、中古にもその早い例が僅かながら見られる。(4)④の用法は中世に現われ、近世以後は豊富に用いられる。(5)助詞「へ」は時代とともに①から④へとその用法を拡大し、勢力を増し、現代では同用法の「に」をしのぐに至っている。 広辞苑 助詞 (格助詞)(名詞「辺」から助詞化した語。現代語の発音はエ)①移動性の動作・作用の向かって進む目標地点・方向を示す。…の方に。…に向かって。 万葉集5「 天 (あめ)―行かば汝がまにまに」。今昔物語集1「一年に三度必ず我許―来たれ」。「台風は東―進路を変えた」 ②移動性の動作・作用が帰着する所を示す。…に。 平家物語(延慶本)「湯水をだにのど―入れ給はねば」。徒然草「仁和寺―帰りて」。浮世風呂2「竹の皮―包んで帰る人は」。「目的の地―たどり着く」「みぞ―はまる」「首―かじりつく」 ③動作・作用の働きかける相手を示す。 平家物語(延慶本)「此の次第を鎌倉殿―申さではいかに」。「母―頼む」 ④(「…ところへ」の形で)事の起こった場面を、差し迫ったの意を含めて示す。 「風呂に入ったところ―電話がかかる」 大言海 天爾遠波 〔 方 (ヘ)ノ意ト通フナラム〕第一類ノ天爾波、 方向 (ムキ)ヲ示スモノ。(地位ヲ云フにト別ツ) 欽明紀、廿三年七月「 韓國 (カラクニ)ノ、 城 (キ)ノ 上 (ヘ)ニ、立チテ、大葉子ハ、 領巾 (ヒレ)振ラスモ、 日本 (ヤマト) 陛 (ヘ)向キテ」萬葉集、五 七 長歌「 天弊 (アメヘ)行カバ、汝ガマニマニ、ツチナラバ、大君イマス」同、廿 五十二 「大君ノ、ミコトカシコミ、於保ノ浦ヲ、 背向 (ソガヒ)ニ見ツツ、都 敝 (ヘ)ノボル」「後へ遣ル」前へ押ス」奧へ深シ」西へ長シ」 検索用附箋:助詞 附箋:助詞
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・八兵衛(24歳) 水戸黄門の風車の弥七のモデルである、常陸国の義賊松ノ草小八兵衛の先祖という設定。 松之草小八兵衛は盗賊の頭目であったが改心し、水戸光圀の忍びとして暗躍したとされる。 好む人物:中島勝延 苦手な人物:富、鶴 嫌いな事:食糧が尽きる ・中島勝延(18歳) 信州の生まれ。茶屋四郎次郎の父(中島宗延)の従兄弟という設定。 好む人物:八兵衛 苦手な人物:荒井円次郎、馬江守敦 嫌いな事:?? ・弓(15歳) ただただギャルっぽさを出したかった。品川のお嬢。 好む人物:荒井円次郎 苦手な人物:松、工藤祐長 嫌いな事:?? ・愚信(29歳) 浄土真宗僧 各地を放浪。まじめな動機で関東へ。 好む人物:馬江守敦 苦手な人物:鶴、文左衛門 嫌いな事:?? ・馬江守敦(40歳) 好む人物:愚信 苦手な人物:阿国、中島勝延 嫌いな事:?? ・和田平太(24歳) 自分の罪にさいなまれつつ関東を流浪する地侍。 好む人物:田代三喜 苦手な人物:阿国、佐々木留伊 嫌いな事:?? ・鶴(22歳) 運がないと嘆く富津の娘。 好む人物:富 苦手な人物:八兵衛、愚信 嫌いな事:?? ・松(17歳) 西よりやってきた武家の子女。おしろいフェイス。 好む人物:佐々木留伊 苦手な人物:田代三喜、弓 嫌いな事:?? ・荒井円次郎(22歳) 土肥氏末裔を称する。アライェ… 好む人物:弓 苦手な人物:中島勝延、佐々木留伊 嫌いな事:?? ・文左衛門(47歳) ベテラン足軽頭 好む人物:阿国 苦手な人物:愚信、工藤祐長 嫌いな事:?? ・阿国(45歳) 出雲阿国と関係があるのかは不明。小田の生まれらしい。奇跡の45歳。 好む人物:文左衛門 苦手な人物:馬江守敦、和田平太 嫌いな事:食糧が尽きる ・田代三喜(36歳) 近世医学の祖、医聖と仰がれた田代三喜の名を継いだ息子という設定。 好む人物:和田平太 苦手な人物:松、白井浄三 嫌いな事:?? ・佐々木留伊(27歳) 江戸初期の美人女武芸者がモデル。家を継がせる自分より強い婿を探している。 結婚後は烏山で旦那と乗馬を楽しみたいそうです。 好む人物:松 苦手な人物:和田平太、荒井円次郎 嫌いな事:?? ・工藤祐長(23歳) 信虎に父を殺されて関東を放浪していた。のちに晴信に呼び戻され内藤家の名跡を継ぐ。内藤昌豊。 好む人物:白井浄三 苦手な人物:文左衛門、弓 嫌いな事:?? ・白井浄三(63歳) 臼井城で上杉謙信を破った軍師 千葉の白井氏という説もあるが出自不明 今孔明 好む人物:工藤祐長 苦手な人物:田代三喜、富 嫌いな事:?? ・富(18歳) 好む人物:鶴 苦手な人物:白井浄三、八兵衛 嫌いな事:?? ・塚原ト伝(56歳) 若い頃は鹿島家に仕え活躍、39度の合戦、19度の真剣勝負に臨みながら一度も負傷しなかったとされている。 退役後も兵法家として全国に名を馳せる。 鹿島での隠居生活に嫌気がさしていた時に主人公と出会い、行動を共にする。 年の為腕は衰えており、普段は飄々とした人柄だが、 一度剣を抜くと宗厳が惚れ惚れするような立ち回りを見せる。 好む人物:柳生宗厳 苦手な人物:与平、一休沢庵 嫌いな事:?? ・与平(44歳) 弱虫で卑怯で間抜けでケチだが憎めない足柄村の百姓。 旅籠で寝ている間に米を盗まれて困り果てていた所を主人公に助けてもらう。 落ち武者狩りで手に入れた立派な槍を持っているが、装備出来ない。 モデルは七人の侍に登場する百姓、与平。 好む人物:一休沢庵 苦手な人物:塚原ト伝、柳生宗厳 嫌いな事:?? ・一休沢庵(42歳) 一休宗純の孫を自称。酒と女が大好き。寺社の仕事で関東へ来ていた。 僧でありながら大変な歌の才能を持っており、一流歌人や貴族達とも交流を持つ。 印字打ちも得意。 好む人物:与平 苦手な人物:塚原ト伝、柳生宗厳 嫌いな事:?? ・柳生宗厳(15歳) 機内大和国の生まれだが元服して間もなく、荒くれ者の多い坂東へはるばる武者修行に来ていた。 剣術に対する向上心が人一倍強い。 偶然主人公が賊を倒す所を見かけ、半ば強引に主人公の隊に加わろうとする。 性格は七人の侍の一人、勝四郎を参考にした。 好む人物:塚原ト伝 苦手な人物:与平、一休沢庵 嫌いな事:??
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日本国語大辞典 名詞 (後世「あこ」とも)自分の子をしたしんでいう語。わが子。 ※続日本紀‐天平宝字三年(759)六月一六日・宣命「太政(おほきまつりごと)の始めは、人の心未だ定まらずありしかば、吾子(あご)をして皇太子(ひつぎのみこ)と定めて」※火の島(1939)〈中村草田男〉「万緑の中や吾子の歯生え初むる」 吾子 代名詞 ① 対称。下位者に親愛の意を表わす。 ※書紀(720)神武即位前・歌謡「阿誤(アゴ)よ 阿誤(アゴ)よ 細螺(しただみ)の い這ひ廻(もとほ)り 撃ちてし止まむ」※源氏(1001‐14頃)空蝉「あこはらうたけれど、つらきゆかりにこそえ思ひはつまじけれ」 ② (「あこ」と清音) 自称。中世から近世にかけて幼児が用いた。 ※天正本節用集(1590)「児 アコ、小児之自称也」※咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)下「ちごの曰く『そなたの何と御にらみ候ても、あこが心には吉光の脇差よりもたのもしひ』」 辞書 品詞 解説 例文 漢字 広辞苑 名詞 (古くはアゴ)①わが子。多くは直接呼びかけていう。 万葉集13「如何なるや人の子ゆゑそ通はすも―」 吾子 ② 目下 (めした)の近親者、あるいは童男・童女などを親しみをもって指し、また呼びかけていう語。 万葉集19「この―を 韓国 (からくに)へ遣る」。源氏物語帚木「さりとも―はわが子にてあれよ」 ③中世以後、小児の自称。 醒睡笑「―にさのみ 科 (とが)はないぞや、ただとろろを睨め」 大言海 名詞 〔 吾子 (アゴ)ヨリ移リタルモノ、後ニハ、 若子 (ワコ)ト云フ、今世、小兒ヲ 坊 (バウ)ト呼ビ、小兒、亦、自稱シテ、坊ト云フ、乳母ヲ云フハ、小兒ヲ育ツルヨリ移リタルナルベシ、あこ 乳母 (メノト)ノ意ナルカ〕(一)童男、童女ノ稱。 源、二、帚木 四十七 「あこハ、我ガ子ニテヲアレヨ、云云、コノ子ヲマツハシタマヒテ、云云、 親 (オヤ)メキテアツカヒタマフ」細流抄「あこトハ、小君ヲサシテ宣フ」(源 氏君 (ノ)ノ、小君ヲ呼ビシナリ)催馬樂、田中井戶「田中ノ 井處 (ヰド)ニ、光レル 田水葱 (タナギ)、摘メ摘メ、 安己女 (アコメ)、田中ノ 小安己女 (コアコメ)」七十一番歌合(文安)五番、機織女ノ詞「あこヨウ、 管 (クダ)持テ 來 (コ)ヨ」俚言集覽、あこ「土佐安藝郡ノ土人、隣家ノ小兒、或ハ丁穉ナドヲ呼ベルニ、あこヨあこヨト云フトゾ」 阿子 (二)童男ノ名トモシタリ。 梅城錄(群書類從、神祇部、二十)「惟昔化 レ 兒、菅氏家、云云、兒曰 二 阿呼 一 」注「小字」(菅原道眞)倭訓栞、あこ「菅原系圖ニ、菅公ノ幼名、阿兒ト書ケリ、云云、源氏物語ノ抄ニ、貫之ガ童名、內敎坊ノあこくそト云ヘリ」(接尾語ノこそヲ見ヨ)大鏡、中、道隆「殿ノ御童名ハ、阿古君ゾカシ」(藤原隆家)著聞集、二、釋敎「吏部王記曰、昔本元興寺僧、有 二 童子 一 、名 二 阿古 一 、少而聰悟」今鏡、中、旅寐の床、大納言宗通「あこ麻呂ノ大納言トゾ 聞 (キコ)エ侍リ」 (三) 乳母 (メノト)ノ稱。 倭訓栞、あこ「菅家ノ幼キ時、 詠 (ヨ)ミタマフ歌トテ、家集ニ「梅ノ花、 紅 (ベニ)ノ色ニモ、似タルカナ、あこガ顏ニモ、ツクベカリケリ」大鏡、上、三條院「一品ノ宮(皇女)ノ、昇ラセタマヘリケルニ、辨ノ 乳母 (メノト)ノ、御供ニ候フガ、 刺櫛 (サシグシ)ヲ左ニササレタリケレバ、あこヨ、ナド櫛は惡シク刺シタルゾ、トコソ仰セラレケレ」(さしぐしノ條ヲ見ヨ)倭訓栞、あこ「後小松院ノ御淸所ニ、おあこアリ、一休和尙ハ、あこガ腹ナリト云ヘリ」( 御淸 (オキヨ) 所 (ドコロ)ハ、 御廚子 (ミヅシ) 所 (ドコロ)ナリ)南留別志(荻生徂徠)「あこトハ、 乳母 (ウバ)ノ事也、上總 國一 (ノ)宮ト云フ所ハ、あこなし御曹司ノ城ナリト云フ、千葉介ガ、乳母ニ生マセタル子ナリ、なすトハ、生ムト云フ事也」 大言海では、濁音は別の見出し語の扱い。「あご(吾子)」を参照。 検索用附箋:名詞名称 検索用附箋:代名詞一人称二人称 附箋:一人称 二人称 代名詞 名称 名詞
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... < _ / >.. /.. /.. ´ \ \ /.. /.. `ヽ ヽ ヽ. /. /. 丶 .丶 '., /. /. / '; ', ', ,'. ,'. /. | l ', ',. l l ,'. l | l ', l l ,'. l | | i | | l l l i! l i! i! | | l l i! | i! i ;イ i! i! i! | l l l i! ! / /_,/,,/-ナi! i! | l i!ト ト ̄Τエメ| ; // ナ´ / /=/',,,i! i! | ヾヽ \! ヾ"¨i `、| ;イ//' /彡1 ;i i! i! | | ヽ 弌 j,!' ! `゚ー--' i! i! | | ハ  ̄ i! i! | | .. , i! i! | | 丶 _ イ i! | | 个 ` / .i! i! i | i! | `ヽ イ i! i! l イ ! l| l l i `T _,i! i! トノ!' |' |l ! l| |i'r( 'ー‐  ̄ i! l i!| ノ! l ! | |ヽト、|`^ i i! /! ;イ|l/ |_| | |!‐-、 _,.-‐ ´I_ _ ノ| /ノ'ノ |' \ /.. ヾ、! Y´ /' >一 ⌒ /. l ノ. 107スレ目(86日目)にポケセンの食堂で遭遇。 相席をお願いしたが、「ここは私が取った場所。だから私のモノ。だから譲る気はない」と拒否された。 どうやら「自分のモノ」に対する執着が非常に強い娘のようだ。 その場で別れたため、お互いにまだ名前を知らない。 カモのメタ情報では「因みに有珠さんは当スレでは天然な子です。それを踏まえて会話をしましょう」と言われている。 127スレ目(168日目)、ノモセシティ豊穣祭バトルで情報収集を行った際、出場者の一人として挙げられていた。 凄く珍しい「劔冑」というポケモンを使い、他に魔術に関連したポケモンを使うと情報にあった。 127スレ目(170日目)、豊穣祭バトル予選第二試合で桂花と当たり、敗北。 試合終了後にポケモンが同じ劔冑の「匂い」を感じ取り、やる夫に話しかけてきた。 最近世を騒がせている劔冑使いと誤認したようで、こちらが反論する暇を与えぬまま一方的に敵対心を向けて去っていった(好感度-20)。 どうやら半年ほど前、劔冑使いに家を焼かれたらしい。 132スレ目(179日目)、ノモセシティの公園で星奈たちと遊んでいた(&告白されていた)やる夫を発見。 一緒にいた人型ポケモンらしき女性(香奈枝)と共に追跡を開始した。 その様子は護衛で隠れていたトリエラたちに監視されており、姫柊雪菜に説得されWT拠点まで連れてこられた。 やる夫の村正を犯人と断定していたが、本人を出して説明させたところ、有珠が家を焼かれた当時に村正は化石となっている時期であったため、不在証明(アリバイ)が成立。 情報をすり合わせたところ、匂いこそ同じだが、犯人は銀色で女王蟻をモチーフにした劔冑であったためようやく納得してもらえた。 村正と綾弥一条によると、それは村正の母である「二世村正」ではないかという。 真相を知った後一人で銀河団相手に特攻しようとしたが、さすがに香奈枝に止められた。 実は家が焼け落ちた後かろうじて持ち出した資産も底を突きかけており、銀行の貸金庫の鍵も暗証番号も忘れてしまっている。 バトルの腕を買われてやる夫から黒の騎士団に勧誘(※実質的な保護)され、同行することを承諾した。 143スレ目(213日目)、銀星号についての手がかりを聞いて飛び出して行こうとしたが、やる夫に制止される。 香奈枝が描いた絵による外見と自分が戦った時の能力を教え、やる夫がソノオの花畑へ行く時に同行することとなった。 145スレ目(218日目)、ソノオの花畑にあるプリキュアの里で発生した事件の解決に参加。 犯人である銀星号こと二世村正と湊斗光を捕えた後、自分の家を吹っ飛ばした件について詰問したい意思を明らかにした。 ポケセンに帰還後、お仕置きを受けた後の光と対面した途端に初手土下座で迎えられ、毒気を抜かれてしまう。償いに家の瓦礫を片付ける手伝いをさせることを命じて、手打ちとした。 瓦礫の中に埋もれている保険の書類と通帳さえ見つかれば、何とかなる目途が立っているらしい(メタ情報)。 146スレ目(219日目)、光と二世村正を伴い家の瓦礫の撤去に出かけていった(結果は未確認)。
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吉宗直轄の西洋研究と天文暦算 みたいな人たちの経歴 年表 享保 元 1716 二月、寺内平八郎「垜疊招差新術」 享保 二 1717 参府和蘭商館長にAstrolabium の用法に就いて質問に来た人がある。【岩崎克己「前野蘭化」p93-p106】【明治前日本天文史】 長崎奉行、アストロラビウムを出嶋に送り、その使用法を問う(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 「括要算法第三難角法演段図抄」に「関流末学葆真斎松永良弼」とある 享保 三 1718 参府和蘭商館長、天上の質問を受く(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 建部賢弘(1664-1739)、この頃、天文の事について下問ある。 荒木村英(1640-1718)、没する 享保 四 1719 建部賢弘、日本国総図の不備を正すことを命じられる。 中根元圭(1662-1733)、『新撰古暦便覧』刊行 西川如見(1648-1724)、天文御用として江戸に召さる(先民伝、徳川実記)【明治前日本天文史】 参府和蘭商館長(ワーヘマンス)、天文学者二名の訪問を受け、質疑あり【岩崎克己「前野蘭化」p93-p106】【明治前日本天文史】 また、新井白石が商館長を訪れる。 享保 五 1720 建部賢弘、妙見山などの測量を行う 禁書の令が緩められる。 渋川敬尹、暦作を停め天文の学精研するよう命ぜられる(徳川実紀 第5編) 「〇廿四日天文方澁川右門敬尹に。飼豊次郎久一と相はかりて。暦を進呈すべしと命ぜらる。これ去年つくる事を停められて。もはら天文の精研すべしとありしを。こたびからは命ぜらるゝなり。」 西川如見、「書暦象俗解」刊行【明治前日本天文史】 享保 六 1721 中根元圭、吉宗に召され江戸に来る。 七月二四日、渋川右門敬尹と猪飼豊次郎久一に暦を進呈すべしと命ぜられる(徳川実紀 第5編) 享保 七 1722 建部賢弘、『辰刻愚考』 建部賢弘、『綴術算経』 (arc sin x)^2の展開式 一二月六日、猪飼豊次郎、北本所御貯御材木方会所付近に二百坪の屋敷を拝領。寺社奉行支配とある。(東京市史稿20) 幕府、和蘭商館に望遠鏡を注文す(出嶋蘭館日誌) 享保 九 1724 正月二八日、山路主住、松前主馬組御徒へ召し出される。(21) 建部賢弘、『目力分量愚考』 西川如見歿、年七七(九月)(先民伝)【明治前日本天文史】 享保一〇 1725 建部賢弘、『歳周考』 享保一一 1726 建部賢弘、『暦算全書』の訳述を申し渡される。 中根元圭、暦算全書の訓訳を命じられる 享保一二 1727 中根元圭、『没滅俗解』 六月一二日、渋川六蔵、天文方になる 建部賢弘、カピタンを訪問。深見久太夫が天文・暦法に就いて質問した。【「前野蘭化」】 建部賢弘、江戸近郊測量の事により賞を賜う(徳川実記)【明治前日本天文史】 徳川吉宗、参府和蘭商館長の時計を見ん事を求む(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 享保一三 1728 五月、中根元圭、舶来之暦算全書點訓并八線表著述を仰付られる 十一月十日、褒美、白銀三枚を賜る【[[『日本財政経済史料 第二訂』】 享保一四 1729 山路之徽,生まれる 享保一五 1730 建部賢弘、御留守番 久留島喜内、内藤氏に仕える 享保一七 1732 中根元圭、出府被二仰付一 【『日本財政経済史料 第二訂』】 五月 十日 豆州下田太陽高低測量御用被二仰付一候旨、御側衆有馬兵庫頭(氏倫)、加納遠江守(久通)、巨勢縫殿頭被二申渡一(三人共、吉宗側近) 【『日本財政経済史料』】 五月十五日 御手大工両人御傳馬被二下置一、彼地罷越御用相勤 五月 晦日 帰府 一二月一一日、中根元圭『日月高測』を吉宗に提出 建部賢弘、御広敷の用人 幸田親盈(1692-1758)、「八線儀術意」 千葉歳胤(1713-1789)、江戸に出る? 松永安右衛門、内藤氏に仕える。 大島喜侍、「演段数品述」 享保十八 1733 二月 太陽高低測量算術之書献上仕 【『日本財政経済史料』】 二月二日、山路主住、支配勘定になる 二月七日 右爲二御褒美一金貳枚被二下置一候旨御小姓田沼主殿頭申渡頂戴仕 【『日本財政経済史料』】 三月五日 御暇被二下置一上京仕 【『日本財政経済史料』】 九月二日 中根元圭、病死仕候 【『日本財政経済史料』】 建部賢弘、勤めを辞す この頃の、天文方及び西洋研究グループ(暦班)??? 渋川則休 天文方 猪飼豊次郎 後、天文方 深見久太夫 暦、博物担当 はじめ儒者、後に書物奉行 建部賢弘(-1739) 松永良弼(-1744)、久留島義太(1690頃-1757) 中根元圭(-1733) 中根彦循、山路主住(*1724-)、山路之徽(*1748-) 幸田親盈(*1713-)、今井兼庭(*1739-)、幸田親平(*1731-)、千葉歳胤(*1732-) 西川如見(-1724) 盧草拙(-1729)、西川正休(後に天文方) 佐々木文次郎(*1750-) 磯永孫四郎 (*1747-) 浅井村右衛門(*1748-) 享保一九年 1734 和蘭時計工渡来(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 幸田親盈『推積年日法術及類法』 享保二〇年 1735 書物奉行深見久太夫、参府和蘭人を訪い、天文に関して質疑す【「前野蘭化」】【明治前日本天文史】 元文 元 1736 猪飼豊次郎、天文方になる。百俵十人扶持 深見久太夫が参府蘭人に、和蘭暦法・月の運行・講星の排列・日蝕月蝕の理由等に就いて質問した。【「前野蘭化」】【明治前日本天文史】 暦を作る和蘭人一名の派遣を蘭本国に求む(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 和蘭時計工アントニー、クロイト渡来す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 通詞今村元右衛門、和蘭商館に至り将軍に提出すべき四分儀を求む(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 在府長崎奉行、その所有する四分儀の用法を参府蘭人に質す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 松永良弼「割円十分標」 元文 二 1737 深見久太夫、参府蘭人に天文の事を質問す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 元文 三 1738 深見久太夫、参府蘭人に暦法・新月満月の理・潮の満干等に就いて質問した。【「前野蘭化」】【明治前日本天文史】 元文 四 1739 建部賢弘、没する 八月十三日、山路主住、御留守居瀧川播磨守組小普請入りを命ぜられる 中根元圭、天文図解発揮刊行 入江脩敬「探玄算法」 松永良弼「方円算経」 sinx、cosx などの展開式 元文の頃 徳川吉宗、長崎の工人に命じ、自鳴鐘を製せしむ(徳川実記) 寛保 元 1741 西川忠次郎、江戸城内で暦術測量御用【近世日本天文学史】 西川正休、吹上御苑に召され観測に従事す(徳川実記) 一二月二四日、猪飼豊次郎、没する 入江脩敬、江戸から大阪に移る 山路、松永の「垜疊招差新術」訂写 寛保 三 1743 渋川六蔵と猪飼豊次郎、彗星出現に対して天文占を出す(※松山市史料集 第7巻 (近世編 6)、※岩邑年代記 3、※南魚沼 (新潟県文化財調査年報 ; 第15)){猪飼は元年に亡くなっている??} 深見久太夫外一名、参府蘭人に彗星その他の天體に就いて質問した。(出島蘭館日誌)【明治前日本天文史】 延享 元 1744 長崎奉行、人をして出嶋蘭館に天文暦法の事を問わしむ(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 徳川吉宗、天文台を江戸神田に建て、自ら製する所の簡天儀を以って之に備う(徳川実記) 八月 九日 西川忠次郎「暦算全書・割円八線之表」を借りる(書物方年代記(1) 廷享三年~宝暦十年) 八月廿三日、西川忠次郎「西洋暦経」を借りる(書物方年代記(1)) 松永良弼、没する 延享 二 1745 北島見信、長崎奉行所天文方となる(長崎年表)【明治前日本天文史】 西川正休、参府蘭人に天文の事を質す(出島藺館日誌)【明治前日本天文史】 【前野蘭化】 延享 三 1746 八月二九日 西川忠次郎「西洋暦経」を返却(書物方年代記(1)) 九月 二日 西川忠次郎、「暦算全書・内二冊割円八線之表」を返却(書物方年代記(1)) 九月二八日 渋川六蔵、改暦について尋ねられるが、独力では難しい旨を回答 一〇月 朔日 西川忠次郎、渋川六蔵、改暦について尋ねられる 一〇月 六日 渋川六蔵、改暦について返答 一〇月十四日 西川忠次郎に貞享補暦ノ命アリ。同日、渋川六蔵に改暦の命あり。七人扶持 神田佐久間町に司天臺を築く。簡天儀その他の測器を移し、西川、渋川に掌らしむ 延享 四 1747 西川忠次郎、卯年正月二十日天文方被仰付新規御切米二百俵被下 磯永孫四郎、西川の門人として改暦に従事することになる。 「乾隆十三年の時憲暦」【117暦方諸向往来日記 86】 寛延 元 1748 八月二九日、山路弥左衛門、浅井村右衛門、正休の補佐する。山路ははじめ猪飼の門人 山路主住、渋川六蔵、西川忠次郎の補暦之御用手伝 三人扶持(45) 山路主住、山路之徽、この頃、阿蘭陀人に会う(和蘭緒言) 五月十二日、渋川六蔵・西川忠次郎が「暦算全書、西洋暦経、明史稿」を借りる。(書物方年代記(1)) 閏十月二四日、左之御書物土佐守殿より只今差出候様被仰下即刻差出之「割円八線之表、割円八線互求法、割円勾股八線之表」(書物方年代記(1)) 「寛延元年の紅毛暦」【117暦方諸向往来日記 86】 「乾隆十三年の時憲暦」【117暦方諸向往来日記 86】 寛延 ニ 1749 山路主住、五人扶持 二月二〇日 西川忠次郎が借りた書物のうち「明史稿」を二一日に返却したいと申し出る 七月二七日 伝奏と土御門泰邦が対談。改暦の先例について、関東に書状を送ることになる。 十一月 五日 今度改暦被仰出候ニ付渋川六蔵同様上京仕測量御用相勤可申旨松平宮内少輔殿御書付ヲ以被仰渡 一一月二一日 新暦のことについて、渋川、西川より問い合わせがあると、所司代からの申し出あり 和蘭通詞、和蘭暦本を出嶋蘭館に持参、日月食の事を質す(出島蘭館日誌)【明治前日本天文史】 入江脩敬、有馬頼僮に召し抱えられ、山鹿流の軍学,天学算術師範を勤める。 「寛延ニ年の紅毛暦」【117暦方諸向往来日記 宝暦八年六月廿七日、土御門泰邦から渋川・山路への書状】 「乾隆十四年の時憲暦」