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201 :名無しさん@ピンキー:2014/03/18(火) 19 51 50.23 ID 7sHA+xlw 諸君 私はビスマルクが好きだ 諸君 私はビスマルクが好きだ 諸君 私はビスマルクが大好きだ 実物の容姿が好きだ 艤装が好きだ 設計思想が好きだ 艦歴が好きだ 艦娘の容姿が好きだ 絶対領域が好きだ 大盛り胸部装甲が好きだ サラサラな金髪ロングが好きだ 台詞が好きだ バルト海で スカゲラク海峡で デンマーク海峡で ブレスト沖で 鎮守府で 鎮守府海域で 北方で 南方で 西方で 南西諸島で この世界で展開するありとあらゆるビスマルクが大好きだ 砲身をならべた主砲の一斉発射が轟音と共に敵艦を吹き飛ばすのが好きだ 鎮守府近海に配備された敵駆逐をクリティカルで轟沈した時など心がおどる 機銃手の操る各種機関砲が敵航空機を追い散らすのが好きだ 悲鳴を上げて 沈みゆく敵艦隊から一隻残ったヲ級をきっちり倒した時など胸がすくような気持ちだった 出力を上げた新機関が敵の戦列を引き離すのが好きだ 興奮状態の提督が既に秘書艦にしたビスマルクを何度も何度もつんつんしている様など感動すら覚える 露出度が大差ない中破絵が史実の轟沈寸前の姿を再現している様などはもうたまらない 手持無沙汰の提督達が 放置時に放たれる様式美レベルのテンプレツンデレに ばたばたと萌え倒されるのも最高だ 哀れなロイヤルネイビーが 老朽化した巡洋戦艦で健気にも立ち上がってきたのを 4番主砲塔(ドーラ)含む38.1センチ砲弾が船殻ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える 英国の大艦隊に滅茶苦茶にされるのが好きだ 必死に守るはずだったビスマルクが蹂躙され資材が消費され枯渇していく様はとてもとても悲しいものだ MVP獲得時のドヤァな台詞が好きだ 英軍攻撃機(ソードフィッシュ)に追いまわされ 害虫の様に海面を這い回るのは屈辱の極みだ 諸君 私はビスマルクを 超弩級戦艦のビスマルクを望んでいる 諸君 私に付き従うクリークスマリーネ(ドイツ海軍)諸君 君達は一体 何を望んでいる? 更なるビスマルク級(ティルピッツ実装)を望むか? 情け容赦のない 天使の様な時報を望むか? 要求レベルの高みを尽くし 三千世界の資材を食らう 嵐の様な改二を望むか? 建造!建造!建造! よろしい ならば建造だ 我々は満身の祈りをこめて今まさにポチッとする建造開始ボタンだ だがこの暗い工廠の底で海外艦実装アナウンスから 堪え続けてきた我々に ただの建造では もはや足りない!! 大型建造を!! 一心不乱の大型建造を!! 我らはわずかに空きドック2個に満たぬ零細工廠にすぎない だが諸君は一騎当千の建艦技術者だと私は信仰している ならば我らは 諸君と私で全ドック解放と1人の妖精さん集団となる 潜水艦をオリョールの彼方へと追いやり資材をため込んだ連中に吐き出させよう 資材を突っ込んでお祈りをさせ05 00 00でMNBを思い出させよう 連中に射幸心を思い出させてやる 連中に当たりの喜びを思い出させてやる 注ぎ続けた愛の果てには 国際ケッコンカッコカリも夢ではないということを思い出させてやる 一千人の妖精さんのバーナーで新造艦を炙り尽くしてやる 「最後の資材 艦隊司令官より秘書艦Z1へ」 第二次ビスマルク建造作戦 状況を開始せよ 征くぞ 諸君 カッとなってやった 正直ビスマルクよりシャルンホルスト級の方が好きだが反省はしていない ヒラコー先生はビスマルク実装されたら初孫のように優遇するとか言ってたがお迎えできたのだろうか
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Story ID i+4hsbp0O 氏(113th take) 諸君、私はロックが好きだ 諸君、私はロックが好きだ 諸君、私はロックが大好きだ ロックンロールが好きだ パンクロックが好きだ ハードロックが好きだ ブルースロックが好きだ ガレージロックが好きだ ミクスチャーロックが好きだ サイケデリックロックが好きだ プログレッシブロックが好きだ 平原で、街道で、塹壕で、草原で、凍土で、砂漠で、海上で、空中で、泥中で、湿原で この地上で行われる ありとあらゆるロック活動が大好きだ 高々と積み上げたマーシャルアンプの前で 神掛かり的なパフォーマンスを魅せるのが好きだ 一心不乱にギターを壊す様を見ていると心が踊る ジミ・ヘンドリックスがストラトキャスターに火をつけた時など感動すら覚える シド・ヴィシャスが弾けないベースで観客を殴るのが好きだ カート・コバーンが気が狂ったように機材を壊している様などもうたまらない リッチー・ブラックモアとジョン・ロードのソロ合戦など絶頂すら覚える 諸君、私に付き従うバンドメンバー諸君 君達は一体何を望んでいる? 更なるライヴを望むか? 情け容赦ない、糞の様なライヴを望むか? 鉄風雷火の限りを尽くし、三千世界の鴉を殺す 嵐の様なライヴを望むか? (ガガガガ ガガガガッ) 「ライヴ!ライヴ!ライヴ!」 よろしい、ならばロックンロールだ 我々は満身の力を込め今まさにふりおろさんとする握り拳だ 我々を忘却の彼方へ追いやり 眠りこけている連中を叩き起こそう 髪の毛をつかんで引きずりおろし 眼をあけて思い出させよう 連中にロックの味を思い出させてやる 連中に我々のギターの音を思い出させてやる 天と血のはざまには やつらの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる 七人のロックバンドで 世界を燃やし尽くしてやる 「ローゼンメイデン、バンドリーダーより全スタッフへ」 武道館公演の幕を上げよ 征くぞ、諸君 短編連作SS保管庫へ
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158 :名無し募集中。。。:2012/06/07(木) 20 59 10.23 0 1/3 生田少佐の演説 諸君 私は新垣ぱんつが好きだ 諸君 私は新垣ぱんつが好きだ 諸君 私は新垣ぱんつが大好きだ レースが好きだ リボンが好きだ フリルが好きだ 白ぱんが好きだ 黒ぱんが好きだ 桃ぱんが好きだ 縞模様が好きだ 花模様が好きだ 勝負用が好きだ 平原で 街道で 塹壕で 草原で 凍土で 砂漠で 海上で 空中で 泥中で 湿原で この地上で見られるありとあらゆる新垣ぱんつが大好きだ MCで並んだ新垣さんのお尻をお辞儀と共に舐め回す様に見るのが好きだ 空中高くジャンプした新垣さんが私の前でぱんちらした時など心がおどる 卒業セレモニーで愛の言葉を新垣さんにぶつけるのが好きだ 悲鳴を上げて逃げ回る新垣さんを後ろから羽交締めにした時など胸がすくような気持ちだった 上下をそろえた新垣さんの下着を蹂躙するのが好きだ 恐慌状態の私が既に匂いの無い下着を何度も何度も嗅いでいる様など感動すら覚える 159 :名無し募集中。。。:2012/06/07(木) 20 59 58.12 0 2/3 娘愛主義の新垣さんを私の部屋で吊し上げていく様などはもうたまらない 泣き叫ぶ新垣さんが私の奪い取ったぱんつとともに 金切り声を上げる私にばたばたと押し倒されるのも最高だ 哀れな新垣さんが勝負ぱんつで健気にも立ち上がってきたのを 80cm空気砲のナマタスペシャルが勝負ぱんつを木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える 田中さんに寝取られ新垣さんが滅茶苦茶にされるのが好きだ 必死に守るはずだった新垣さんが蹂躙されぱんつを奪われていく様はとてもとても悲しいものだ 躓いた新垣さんに押し潰されて踏まれるのが好きだ 新垣さんに追いまわされ害虫の様に地べたを這い回るのは愉悦の極みだ 諸君 私はぱんつ戦争を 地獄のようなぱんつ戦争を望んでいる 諸君 私に付き従う大隊戦友諸君 君達は一体何を望んでいる? 更なるぱんつ戦争を望むか? 情け容赦のない糞の様なぱんつ戦争を望むか? 鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか? 『ぱんつ! ぱんつ! ぱんつ!』 よろしい ならばぱんつ戦争だ 160 :名無し募集中。。。:2012/06/07(木) 21 01 03.33 0 3/3 我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ だがこの暗い闇の底で半世紀もの間耐え続けてきた我々にただのぱんつ戦争ではもはや足りない!! ぱんつ大戦争を!! 一心不乱のぱんつ大戦争を!! 我らはわずかに一個大隊 千人に満たぬ敗残兵に過ぎない だが諸君は一騎当千のぱんつハンターだと私は信仰している ならば我らは諸君と私で総兵力100万と1人の軍集団となる 我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている新垣さんを叩き起こそう ほっぺたを触ってつつき倒し眼を開けさせ思い出させよう 新垣さんにナマタの味を思い出させてやる 新垣さんにあの夜の出来事を思い出させてやる 天と地のはざまには新垣さんの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる 一千人のナマタの戦闘団で新垣ぱんつを奪い尽くしてやる 全フラッペン 発動開始 機関ナマタ・コマチ・エリナ 始動 離床!! 全ワイヤー 全索引線 解除 「最後の大隊 大隊指揮官より 全空中艦隊へ」 目標 日本本土 新垣家上空!! 第二次ぱんつ作戦 状況を開始せよ 征くぞ 諸君
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「諸君 私は貧乳が好きだ」 「諸君 私は貧乳が好きだ」 「諸君 私は貧乳が大好きだ」 「名護屋川鈴蘭が好きだ。ヴィゼータが好きだ。北大路美奈子が好きだ。リップルラップルが好きだ。闇野ノアレが好きだ。エリーゼ社長が好きだ。エルシアが好きだ。セリアーナが好きだ。そんな女性ばっか書く林トモアキが好きだ」 「海で川で 温泉で浴衣で 薄着で水着で プールでグラビアで この地上に存在するありとあらゆる貧乳が大好きだ」 「いい大人になって、背中と胸の区別がつかないような体型が好きだ。何年ぶりで会った従妹の胸に、中学以降の成長が見られないときなど心がおどる」 「わび、さびを体現する大和撫子の胸が好きだ。出張の移動中、たまたま買ったヤンジャンのグラビアがナイ胸だったときなど胸がすくような気持ちだった」 「メインヒロインが貧乳のギャルゲーが好きだ。体型にコンプレックスをもって卑屈な台詞を口にする様など感動すら覚える」 「背が高いのにまな板という、すらりとした様などはもうたまらない。運動に適したスポーティなシルエットも最高だ」 「お・り・が・みの4巻のカラーページでヴィゼータの胸がほとんど膨らんでいないという事実を発見した時など絶頂すら覚えた」 「総帥の逆鱗に触れて滅茶苦茶にされるのが好きだ。戦闘城塞マスラヲが漫画化され、浅井蓮次の手によって鈴蘭や美奈子に谷間が描かれていく様はとてもとても悲しいものだ」 「壁のような胸に押し潰されて殲滅されるのが好きだ。物を知らぬ連中からロリのそしりを受けるのは屈辱の極みだ 」 「諸君 私は貧乳を 平原の様な貧乳を望んでいる」 「諸君 私に付き従う同志諸君。君達は一体 何を望んでいる?」 「更なる貧乳を望むか?」 「情け容赦のない まな板の様な胸を望むか?」 「重力・運動・加齢、その他あらゆる弾圧に耐える至高の貧乳を望むか?」 「 貧乳!! 貧乳!! 貧乳!! 」 「よろしい。ならば貧乳だ」 「我々は貧弱な鎌で、巨乳ブームという名の怪物に立ち向かおうとする蟷螂にすぎん。 だが、長い年月を社会的弱者の地位に堪え続けてきた我々に ただの貧乳では もはや足りない!!」 「大貧乳を!! 一心不乱の大貧乳を!!」 「我らは時代に乗れなかった好事家。千人に満たぬ狂人の群れにすぎない。だが諸君は 一騎当千の古参兵と私は信仰している。 ならば我らは 諸君と私で総兵力100万と1人の軍集団となる」 「我々を忘却の彼方へと追いやり、巨乳キャラばかり生産してる業界を叩き起こそう。 胸ぐら掴んで叩きのめし、この世の真理を思い知らせてやろう。 連中に、わびさびの精神を思い出させてやる。 連中に、我々の思想を思い出させてやる。 天と地のはざまには 巨乳ブームなどでは到達できない優しさががあることを思い出させてやる」 「一千人の貧乳好きの戦闘団で 世界を埋め尽くしてやる」
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諸君 私はフラクラが好きだ 諸君 私はフラクラが好きだ 諸君 私はフラクラが大好きだ スルーが好きだ 気付かぬ振りが好きだ 誤魔化しが好きだ 韜晦が好きだ 鈍感面が好きだ シカトが好きだ 叩き折るのが好きだ 無かった事にするのが好きだ ちょっと過激な破壊が好きだ 学校で 部室で 通学路で グラウンドで 公園で 駅前で 喫茶店で 商店街で マンションの一室で あらゆるところで実行されるフラクラが好きだ ツンデレヒロインが立てたフラグが撃沈されるのが好きだ 何でアイツはあんなに鈍いのかしらと考えているのを想像するときなど心が躍る 無表情な宇宙人読書娘を翻弄するのが好きだ 淡い想いから立ったフラグを叩き折るときなど胸がすく思いだった 元気な先輩が今ひとつのところで押しが弱いためチャンスを逃すのが好きだ 小さなフラグを踏み潰すほどに立ててくれるところなど感動すら覚える それでもみんなアプローチをかける努力を惜しまない様などもうたまらない あからさまな強行的手段に出ても全力でスルーできた時も最高だ 中三の時の知人に一年振りに会ったというのに冷淡に返し、 親友を自称する僕っ娘が立てたフラグを折ることに成功したときなど絶頂すら覚える 麗しき未来人のフラグをバキバキに折ってしまうのが好きだ 設定上からしてハッピーエンドが絶対にあり得ないのはとてもとても悲しいものだ 健気な妹の友人はイラストすら未だに出ていないという状況が好きだ 圧し折るフラグがあまりに少ないのは屈辱の極みだ 諸君 我らはフラクラの フラグの壮絶な撃滅を望んでいる 諸君 このスレに定住するフラクラ好きたる諸君 君達はいったいなにを望んでいる? さらなるフラグクラッシュを望むか? 情け容赦のない絶望的なフラクラを望むか? 老若男女の全てにおいて大小問わずあらゆるフラグを殺す自然災害の如きフラクラを望むか? 『フラグ! ぶっ壊せ! フラグ!』 よろしい フラクラ最高だよフラクラ
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目次 1.日本 2.天皇 3.政治 4.文化 5.歴史 6.天照大御神 (1987年10月29日の神示) 1.日本 さて、本章では、われわれにとって最も大切な国、日本ということに関して、さまざまな話をしてゆきたいと思う。 まず、古米より、この日本という国は、「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ国」といわれてきた。また、「美し国」「大和(やまと)の国」「麗(うるわ)しき国」といわれてきた。これらの言葉は、決してこれが自分のところのみをよしとする、我田引水的な考え方ではないのである。それぞれの国には、それぞれの国の霊域というものがあり、その国独特の霊域に生じた文化というものもあるのである。したがって、我らは実在界にあって、日本という国に、このような特色ある文化を現出せしめたということに、大いなる誇りを感ずるものである。さすれば日本という国は、一体いかなる目的を持ち、いかなる特色を持った国といえようか。このことについて話をしてみたいと思うのである。 日本という国は、今、地球というこの大きな霊的磁場の中にあって、特段の光を放っている国である。それは過去のなかにおいてもそうした時期が多かったけれども、特に今時代においては、日本という国に光が、今、満ちてきておるのである。 なにゆえに光が満ちてきておるか。それは、今、神々という神々が、この日本の国に対し関心を持ち、日本の国のために、力を尽くさんとしておるからである。それぞれの地域に住む神々は、それぞれの地域の発展のために、尽くしてきたのであるが、やはり、時代時代というものはあり、その国が世界の中心として栄えるべき時代はあるのだ。 今や世界の宗数的中心は、インドも、中国も、そしてヨーロッパも、アメリカも、またイスラエルの地も、中心と言いきれるだけの実力もなければ、霊的な香りもないと思う。今、世界の宗数的な中心は、すなわちこれ、日本である。日本という国である。この日の出(い)ずる国、日の昇る国において、大いなる精神の波が押し寄せ、大いなる精神革命の息吹が今、始まろうとしておるのだ。大いなる胎動が始まろうとしておるのだ。 それは一体何かというと、我らがこの三千年の長きにわたって、日本という国に溜(た)めきたったこの文化のエネルギーが、この神の栄光の蓄えが、今、一挙にこの三次元の地上に噴出し、そして、その大いなるエネルギーの波が、全世界を覆わんとしてきておるのである。 我らはこうした時代の出現に際して、今まで努力せしことを誇りに思う。今まで全力を尽くしてこの国を、よき国にせんとして努力してきたことをこそ、うれしく思う。我らの努力により、日本という国を、日本という民族を、ひとつの単一なる、すばらしい国家として育て上げてきたことに対し、大いなる安らぎと、誇りと、希望と、自信と、揺るぎない信念を感ずるものである。また、これは大いなる成功感をも秘めているものである。我らはこうして麗(うるわ)しき国を創ってきたことを、そして世界の中に、日本という奇跡の国が存在することをうれしく思うものである。 諸君は、この日本という国に生まれた以上、この国をさらに麗しき国とするために努力せよ。さらに美しき国とするために努力せよ。さらにすばらしき国となるために努力せよ。さらに文化の香り高い国となるために努力せよ。それが、諸君に与えられた義務ではないであろうか。 諸君はかつて、異境の地に生まれたこともあったかもしれぬ。しかしながら、かつて他国に生まれたとしても、今世においてこの日本という国を選んで生まれてきたということは、諸君はこの国をよしと思って出てきたのである。この国を麗しき国と思って出てきたのである。また神々も、諸君がこの国に住まうことをよしとされたのである。すべてがよしと思ってこの国に幸(さきは)えておるのである。幸(さいわ)いを共有しておるのである。幸いを実践しておるのである。さらば諸君よ、されば諸君よ、諸君らはこの幸福の源(みなもと)となれ。まず、日本の国を麗しき国とせよ。日本の国を幸福の国とせよ。日本の国をユートピアの国とせよ。それが諸君らの、まず第一義的なる努力であろう。 他国をユートピアにしていくことも、また大きな仕事かもしれぬ。しかし、他国にはまた、他国の論理があり、考え方もあろう。他国の人びとの自治もあろう。他国の人びとの努力もあろう。さすれば諸君はまず、自国をすばらしいものとしてゆけ。それは決して、偏狭な自国主義、あるいは自分中心の考え方ではないのである。それぞれの人間は、自らの国を立派なものにする義務を負っておるのだ。それは、それぞれの人間が、自らの家庭を立派にする義務を負っているのと同じである。そして自らの家庭を立派にするのと同じように、自らの心の内を立派にする義務を負っているのと同じである。まず自分から始めていくということが、ユートピアの原点であるということを忘れてはならない。 2.天皇 諸君は今、新たな日本国憲法というものによって、天皇制度というのが、ひじょうに改変されたことを知っておるであろう。明治憲法下においては、天皇陛下というものは、これは君主であり、支配者であり、そして、統治者でもあった。しかし、現憲法においては、天皇は単なる象徴にしかすぎない。一国の象徴であり、一国の精神的な集まりの中心、そういうことになっておると思う。このことに対して、私(わたくし)の考えを述べてみたいと思う。 天皇制というものは、さまざまな変遷を経てきておる。まあ、百代も二百代もの天皇が連綿と続いておるといわれておる。そして、神武天皇以来、さまざまな天皇があったといわれている。その定かな歴史は、しかし現在には伝わってはおらぬ。主として、奈良時代において、そうした国史が編纂(へんさん)されたのであるが、その時には、充分な資料もなく、さまざまなまちがいも多く、また、いい伝えによる伝説の集大成という点が多かったと思う。 神武という天皇が、本当にいたわけではない。しかし、その神武天皇というのにあたるのが、この天之御中主である。本来は私である。本来は、神武天皇といわれておる、その人格に相当するのが、実は私である。私が、今から二千八百年近い昔、南九州において、朝廷を創った。それ以前にも、さまざまな豪族としての、そうした王家の伝統はあったけれども、その当時に、巨大な一つの支配国家を創ったのが私である。 ところが、時代が下るにつれて、天之御中主というのは、日本の神の中では宇宙の根本神というふうにいわれた。そして、実在したそうした天之御中主の姿が、神武天皇というような形で、いわれておるのである。そして、神武天皇という言葉でいわれておる内容には、天之御中主と、日本武尊(やまとたけるのみこと)を合体させたようなものがある。私自身は、東征をしたわけでもなんでもない。けれども、のちの日本武尊伝説と合体されて、そういう神武天皇の話となっておるようである。 ただ、今、ここで明らかにする必要があることは、初代の天皇がだれであり、五代目がだれであり、十代目がだれである、そうしたことではないということだ。大切なことは、そうした古代、今から三千年近い昔に王朝を創った者の歴史が、連綿と現代まで続いておるということである。その間、たくさんの変遷があった。けれども、その中に、一本の一つの歴史的な、歴史を貫く、霊的な糸というものがあったということ、これは事実である。 それは、私が日本の国においては、結局のところ天地創造の神と同じく、同じ使命を果たしたということである。ユダヤの地にあっては、我はおそらくは、アブラハムのようなものであったかもしれぬ。あるいは、アブラハム以前の万能の神といわれる、ヤーヴェや、あるいはアラーの神のような存在であったかもしれぬ。まあ、諸外国のことは詳しくは申せぬ。ただ、我が時代において、最初の精神的支柱が日本の国に打ち立てられたということは、これはまぎれもない事実である。 そして、我(われ)が最初に打ち立てた支柱は、これは、宗教的中心であり、また、政治的中心でもあるという柱であった。神の心に近い者が国を治めるというのが、天皇家の原点であったということである。したがって、天皇家の原点は、光の天使の歴史であり、また実際、歴史上にも数多くの光の天使が、天皇家のなかに生まれたことも事実である。これをひとつひとつ論証していこうとは思わぬが、歴史のなかに、名を残した多くの天皇の中には、我(われ)らの世界から送り込んできた光の天使も数多くいたということである。 それは、仏教において、宗祖がさまざまな法を継いでいったように、キリスト教において、教皇が法を継いでいったように、また、イスラム教の中において、さまざまな支配者が続いていったように、この日本という国の中において、宗教と政治の融合的見地から、そうした光の天使が数多く降りていって、そして、時代が下ってくるとまた、新たな偉大な人を送り出していったという、そうした歴史があったのである。 したがって、ここ三千年における日本の国の歴史の計画は、この天皇家、これを中心に構築されてきたのである。これが、我らが実在界での、約束ごとでもあり、また、計画でもあったということだ。その間、地上においてはさまざまな政争があり、政権も替わってきたけれども、天皇家というものは連綿として続いてきた。それは、高天原(たかまがはら)より、この地上に降ろしたる、神の出張所としての役割があったからである。神の出城(でじろ)としての役割があったからである。 そうして数千年続いた歴史である。これに対して過去の日本人は、いずれも畏敬の念を持ってきたのである。それは、我が国を創った神々への畏敬の念と同じものであったと思う。そうした精神的なるものが、国を治めるということが、日本の政治の伝統でもあったのである。 さて、翻(ひるがえ)って考えてみるに、天皇は人間宣言をし、現行憲法の中においては、天皇は国体の象徴であるということになっておる。そして象徴的行為以外の国事行為はすることができぬということになっておる。これは、私の立場から見れば、ひじょうに嘆かわしいものであると思う。 ただ、我々が今、実在界にあって思うことは、これから必要とされる時代、これから必要とされる国の運営の方法、これから必要とされる政治の手法は、すなわち、真理というものを政治の中に持ち込んでゆかねばならんということだ。これだけを私ははっきりと言っておかねばならん。天皇制を葬り去るのも結構であるが、そうであるならば、天皇制に替わるものを打ち立てねばならん。我はそのように思う。 今、民主主義とか、いろいろなことで呼ばれておるような、多数決の原理が通用しておるが、これは決して、普遍的な真理ではないということを知らねばならんと思う。このことに関して、次節でさらに話を進めてゆきたい。 3.政治 天皇の話をして、さらに政治の話へと入ってゆきたいと思う。今の日本人は、国の教育思想、あるいは、教科書による精神的統一によって、民主主義というものをひじょうにすばらしいもののように考えておるようである。しかし、その民主主義として語られておることの内容は、わずかここ百年、二百年の間に起きてきた思想の一つの運動にしかすぎない。これを決して普遍的なものと思ってはならん。現代の政治を貫く原理としての民主主義は、その根本において、最大多数の意見を聞くということであろうと思う。しかし、この原理は、決して普遍的なるものではないということだ。 霊界においても、さまざまな次元構造があるということは、あなた方も学んでおることであろう。その中には、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元というような、世界構造があることも知っておるであろう。これで最大多数の意見を聞けばどうなるかということを考えてみられたい。人口としては四次元の人数がいちばん多いのである。さらに、五次元、六次元、そして頂点に登るほど人間は少なくなっている。高級霊ほど数は少なくなっておるのである。 こうした世界構造を前提にして、この地上の生き方を考えてみると、最大多数の意見を聞くということは、四次元的支配原理が地上に働くということである。地上が混乱しておる原因は、多数決の原理でもって、政治を運営しているというところにその根本がある。ここに大きな誤りがあることを、あなた方は知らねばならない。多数決は必ずしも最善の原理ではないのだ。それは、本当の意味での支配ということを、統治ということを知らない人たちのやることなのである。 今、地獄に堕ちる人も数多いと聞いておる。場合によっては、五割を超えて、六割、七割ともいわれている。それが現代のあり方ともいえようか。そうした心不調和な人びとの最大多数でもって、政(まつりごと)を決めた時に、国政を牛耳(ぎゅうじ)った時に、一体どのようになるかということを考えてみなければならない。それは、この地上において、四次元的なる世界が単に展開するだけではなく、もっとはっきりと言うならば、地獄図が地上に展開されるということではないのか。 戦後のデモクラシーが、日本に持ちきたらしたものは何か。考えてみなさい。それは、アメリカ的な数の論理であり、そしてまた、権利の主張ではなかったか。世の中を見てみよ。男女同権、それは結構でもあろうか。一人ひとりが主権者、その考えも結構かもしれない。しかし、言葉のその甘美な響きのみに、惑わされてはならない。一人ひとりが主権者であるとはどういうことか。一人ひとりが神の子であるという理由ならそれはよい。それは正しい論理であろう。しかし、一人ひとりが主権者であるということが、一人ひとりが自我のままに生きてよいということなら、これはまちがっているということだ。現代の民主主義は、欲望の民主主義であり、自我の多数決による民主主義ではないのか。こうしたことに対して、大いなるメスを入れねばならんと思う。これに代わるべき原理が、もう一度摸索されねばならぬ時代が来ておると、私は感じるのである。 さすれば伝統的な日本の支配原理でもあり、また、孔子などを中心として中国を支配してきた、長幼(ちょうよう)、歳をとっておるか、若いかという、年功序列の制度をもってよしとするか否か。これも日本の政治や、あるいは経済、社会、これらの仕組みにおいて、年功序列ということも幅をきかしておるであろう。この年功序列ということは、ごく自然に決まった順番を重視するということであり、この世に争いをなくすという意味では、意味はあったと思う。これが、多数決の競争原理に対置するべき概念としての自然の序列、安定という考え方であったかもしれぬ。 ただ、この考えにも問題はあることは事実である。それは、人間は、生年月日によって偉しとはされないからである。何をもって、その人より二年前に生まれた人が、その人の次の年に生まれた人より上に立つという理由があるであろうか。白髪(しらが)の数であるか。顔の皺(しわ)の数であるか。腰の曲がり方であるか。そうしたことでもっては、この原理は解明することはできないと思う。 数の多数決、そして年齢の長幼の序、これらは、ごくごく単純なる思考を有せる人びとの受け入れるところとはなったかもしれぬが、しかしながら、本当の意味での実相世界を展開し、反映しておるとはいえぬ。 本当のこの世の原理も、この世が秩序と、そして、進歩とを組み合わせたものであるためには、やはり実相界の原理を、実相世界の原理をこそとり入れねばならんと思う。実相世界の原理とは何であるか。すなわち、霊的に悟っておる者が、他の者を指導する世界である。この原理に例外はないのである。悟っておるものが、まだ悟っておらぬ者を指導するということが、神の創られた世界の原理なのである。 さすれば、この原理を地上にも導入すべきではないだろうか。それを地上に導入すれば、いかなる現象が起きるであろうか。それはこういうことになるであろうと私は考える。より徳高き人が、未だ徳の発達せざる者を指導する。そういう世界が求められてきておるのだと思う。今、政治家を選ぶ時に、この人は徳の高い人だから選ぶというようなことがあるであろうか。今、たとえば、企業の中において、出世の基準をはかる時に、この人は徳高き人だから出世させるということがあるであろうか。そうした価値の考え方が、失われて久しいのではないであろうか。 日本人はもっともっとこの徳ということ、すなわち人望といってもいい、多くの人びとの信望といってもいい、尊敬といってもいい、仰ぎ見る感情といってもいい、こうした高貴なる感情というものをもう一度、考え直さねばならん。多くの人びとから信望を集めうる人であってこそ、初めて世の中が治まるのである。それは年齢だけで治まるものではない。それは多数決で治まるものでもない。お金で治まるものでもない。学歴でもない。それは徳の力である。 もっともっと、この徳の力というものを、これを実在化する論理を諸君は学ばねばならん。徳というものは現にあるのだ。徳とは何か。すなわち、人をして尊敬せしめるような何かである。すなわち、神近さを感じさせるようなものである。その人の持っておるものが、神の性質に近いということだ。あたかも、神の代理として地上に出ておるような人。そういう人びとが、地上の他の人びとを指導して、初めてこの世の中はよくなってゆくのだ。 したがって、これからの世界を、あるいは、これからの日本を変えてゆくためには、変革してゆくためには、この徳の原理というものをもっともっと学ばねばならん。もっともっと多くの人の口にのぼってよいのだ。あの方は徳のある人だが、あの人はまだ徳が発達していない。徳をつけるためにはどのように修行してゆけばよいのか。こうしたことをもっともっと地上の人間は学ばねばならんと思う。そして、徳ということに関して、目が肥えてこなければいけない。そうではない知名度であるとか、そうしたことでもって、人をより分けておるようでは意味がない。 そうしてみれば、現在の日本の国会議員などは、直ちに辞職せねばならん人が数多くいるはずである。この徳というものを持っておるかどうかという基準でふるいにかけた時に、数多くの人が、そのふるいから落ちているのではないのか。それでよいのである。人をして従わしめるだけの、それだけの信望のない人たち、それだけの徳力のない人たちは、政治の世界から手を引くがよい。それが自分のためともなり、他の人のためともなるのである。 その徳望とは何か。ひとつにはやはり、より多くの人びとの幸せを自分の幸せと同一視する能力といえると思う。多くの人びとの幸せを自分の幸せと感じうる能力である。これを徳というのだ。一人でも多くの人びとを幸せにするということをもって、自分の誇りとする。これを徳というのだ。その人の生き方を見て、他の人びとが自然に感化される。これをもって徳というのだ。 したがって、現在の日本の憲法における政教分離の原則というのは、根本からまちがっている。これは根本的にまちがっておって、やがて改変せねばならんと私は思う。その政教分離の原則の中には、宗教というものは悪しきもの、政治を惑わすもの、政治を利用するもの、こうした考え方があると思う。そうであってはならんのである。政治というものをそれほどこの世的なるものにしてはならんのである。政治というものは政(まつりごと)と言う。政(まつりごと)は、神より命じられた者による政であるのだ。本当の意味の宗教家がおれば、政治家は不要である。こうした原理をもうひとつ考えてみる必要があると、私はそのように思う。 決して現在のように学歴社会であるとか、あるいは派閥の政治であってよいわけではない。そうしたものであってはいけない。やはり、きら星のごとく輝くような人たちが宰相(さいしょう)となり、政治家となってゆかねばならんのである。 そうであるならば、もっともっと徳のある人が選ばれてゆくような、そうした土壌を養わねばならん。投票というような紙切れで選ばれるよりは、むしろ徳のある人が推薦(すいせん)されて、互選されて決まってゆくぐらいでよい。そうした方向というものを、もう一度摸索してみなさい。 4.文化 さて、政治についてさまざまな角度から述べてきたが、文化ということに関しても話をしておこうと思う。文化というものは結局、魂の豊かさを意味する。魂を豊かならしめるもの、そうした人間的産物、業績、生産物、これを文化と呼ぶのだ。すなわち、魂を豊かにするために、人びとがあみ出した工夫である。これを文化というのだ。人びとの知恵の集大成をもって文化というのだ。さすれば、文化を高めるために、人びとはもっともっと励まねばならないと思う。 この文化を高めるということに関して、今ひとつその阻害原因となっておるものが、貨幣経済であろうと私は思う。こうした貨幣経済の原理から、現在では株式会社という制度が作られ、利潤の追求をもって、会社の目的としておるはずである。株式会社の目的は、利潤の追求であるはずである。そして、社員の仕事の目的は、その利潤の分配にあずかることであるとなっておる。どうしてこんな発想が出てきたのか。もう一度考えてみられたい。そこに何かのまちがいがあるのではないか。 人間は地上に、知恵ある者となるために生まれてきておるのである。そして自らの生み出した知恵によって、より多くの人びとを潤し、より多くの人びとを豊かにし、より多くの人びとを幸せにするために生まれてきておるのである。今後、こうした目的を会社の目的とし、定款(ていかん)とするような会社の存在は、だんだんに廃止されてゆかねばならんと思う。それぞれの会社において、社是として、社則として、第一に、いかに文化を高めるために自分たちが貢献しておるかということを考えてゆかねばならんと思う。それが本当である。より多くの利益を上げておる会社が優良会社といわれている。こんなことでどうして基本的な倫理感覚が育つであろうか。 より高度の目的のために、より高い文化のために、活動しておる会社であってこそ、初めて世の人びとの尊敬を受けてよいのである。そうした会社こそが、存在の意義があるのである。そして多くの人びとの称賛の的(まと)となってよいのである。なぜその目的の高貴さを競おうとせんのか。なぜその精神の高邁(こうまい)さを競おうとせんのか。なぜ利潤の額だけを競おうとするのか。こうしたことの中に、我は大いなる不満を感ずるものである。 会社というものの中において、人びとはその生涯の大半を送ってゆくのである。ならばこそ、その会社の活動方針において、文化の香りを高く掲げよ。そうでなければ、人間に本当の帰属意識というものは生まれない。より高次なるものに奉仕するのが魂の目的であるのだ。これを知らねばならんと思う。 こうした企業人の話をしてきたけれども、企業人以外の世界においても、人びとはさまざまな生活の営みをしておるであろう。それは、商売人が然りであり、また農業をする人が然り、漁業をする人が然りであろうと思う。彼らにも言おう。彼らの活動そのものが、文化を担うということは少ないかもしれぬ。しかし、そうした基本的なる産業に携(たずさ)わっている人たちは、その余力(よりょく)でもって文化交流のために尽くさねばならん。そうした使命があるということを知れ。 基本的な仕事というのはある。それらもまた、多くの人びとのためになることである。農業をする人がいなくなればどうなるか。漁業をする人がいなくなればどうなるか。また、建設工事をする人がいなくなればどうなるであろうか。こうしたことは、ごくごく基本的なる仕事である。そうした基礎的なる仕事も大切にせよ。しかしながら、それだけでもって満足はするな。汝らは余力をもって、日本の国の文化を高めるために活躍せよ。余力をもって、人びとを啓発せよ。そして、余力をもって人びとを啓発する前に、自らを啓発せよ。自らを啓発して、ますます磨いてゆけ。 諸君らの職業が高貴なるものでないからといって、それでなぜ諸君の、諸君らの人格が低卑なるものだといわれてよいのであろうか。そうであってはならん。職業において高い価値を与えられていなければいないほど、心において高貴なれ。心において高邁(こうまい)なれ。心において崇高なれ。そうした精神が必要である。諸君らも文化の担い手として、旗手として、何らかの大きな貢献をしようとせよ。そうした大いなる自覚こそが、新たな道を開いてゆくのである。こうした自覚を決して忘れてはならない。 5.歴史 さて、政治ということ、文化ということ、これらを語ってきた。そこで私は、さらに歴史ということに関して話をしてみたいと思う。それぞれの民族には、それぞれの歴史がある。その歴史のなかには、魂の故郷(ふるさと)があるのである。諸君らはこの魂の故郷を大切にせねばならん。 歴史のなかには、過去この国に生きた人びとの、さまざまな喜びや悲しみ、幸せや苦しみ、そうしたものが流れておるのである。そして、彼らの苦闘の歴史がそのなかに刻まれておるのである。彼らの努力の跡を思え。自らが自らの当然の生活をしておることを当り前と思ってはならん。諸君が通勤電車に乗れるのは、これは当り前であるのか。諸君がマンション住まいができることが、当り前であるのか。諸君が飛行機に乗れることが、これが当り前であるのか。諸君が新幹線に乗れることが、当り前であるのか。諸君が船に乗れることが、これが当り前であるのか。諸君らは常づね、与えられているものの大切さを考えてみねばならん。 諸君らは何の気なく服を着、何の気なくズボンをはき、何の気なくスカートをはいておるであろう。諸君らのうち、ただ一人でも、それらのものを自分だけの力でもって作れる者がいるか。自分だけで背広を作れる者がいるか。自分だけでズボンを作ることができる人がいるか。自分だけでベルトを作ることができる人がいるか。自分だけで靴を作ることができる人がいるか。自分の力だけで、自動車を作ることができる人がいるか。 こうして考えてみると、現在諸君らが恩恵をこうむっておる文化的な遺産、この諸君らの幸せを保障しているものは、すべて諸君らの先人たちの努力の賜物とはいえないであろうか。諸君らはそれらに対して、いくら感謝してもしてもし尽くすことがないのではないのか。 諸君は、日本人が、全国が統一されて平和に暮らしておるのをもって、当然としておるかもしれぬが、ほんの百年前には日本統一のための戦争があったのである。諸君はそのことを知っておるか。日本を統一するために、幾多の血が流れたことを知っておるか。優れた人たちが、骨と化していったことを知っておるであろうか。そして、日本が統一される、その何百年か前には、それぞれの藩が確立するために覇を競っておったことを諸君らは知っておるか。そのために幾多の血が流れたことを知っておるか。諸君らは、過去の人びとの流した、血と涙と汗を、当然のことと思ってはならん。彼らはみな、この地上をユートピアにするために努力してきたのである。そして、自らがユートピアを手に入れることなく、この地上を去って行った人たちなのである。諸君たちの現在の幸せは、そうした多くの先輩たちの努力の賜物なのである。諸君らは一日に一回、そうした人類の歴史というものを思え。また、日本の歴史というものを思え。そして、どれだけ多くのことを、諸君らは先人たちに負っているかということを思え。 自分の一日をふり返る人は多いであろう。そして、自分の思いと行ないを反省している人はいるであろう。しかしながら、諸君らが当然と思って享受しているこの権利が、本当に当然なものであるかどうかということを、もう一度諸君は検討しようと思ったことがあるか。諸君らがロビンソン・クルーソーのように、離れ小島に一人生まれたとして、現在のような境遇を味わうことができたであろうか。それをもう一度考えてみられたい。 どれだけ多くの、何万、何十万、何百万、何億、何十億、そうした数の人たちが、現在の諸君を創るために努力して来たかということを、諸君らは深く深く考えてみなければならんと私は思う。 それは、諸君らが享受している便益ということにおいてもそうであるけれども、諸君らの肉体ということにおいてもそうだ。諸君らが地上に出るためには、必ず両親というものがいたのである。その両親にも両親がいたのである。その両親にもまた両親がいたのである。さすれば、諸君らの肉体というものは、何千年、何万年、何十万年、何百万年と、たどってもたどっても元があったのである。その中の、その子孫の、あるいは先祖の枝の中において、どの一本が欠けておったとしても、どの枝の一本が欠けておって、片親がどれか欠けておったとしても、諸君らの現在の存在はないのである。 たとえば今、タイムマシンにでも乗って一万年前の世界に還ったとしよう。そして、諸君らの肉体先祖がそこにいたとしよう。そのご両親が、その夫婦が結婚しなければ諸君の現在はないのである。その片方が死んでしまっていれば、諸君はなかったのである。さすれば、諸君の肉体の中には、諸君の血液の中には、そうした過去、何万、何十万、何百万という人びとの、連綿とした、そうした努力の歴史があったということを知れ。今から五千年前の人も、一万年前の人も、肉体生命を維持するために努力をしてきたのである。その日の糧を得るために努力をし、そして、心の安らぎを求めてきたのである。そして彼らの生命活動の営みのおかげで、諸君らの現在の肉体があるのである。こうした先祖たちの努力によって、現在自分が生かされておるということを知れ。感謝せねばならん。深い感謝をせねばならん。 諸君らは、魂だけがすべてであって、肉体はすべてではないというふうに考えるかもしれぬ。あるいは肉体のみがすべてであると考えるかもしれん。まあ、どちらの考えも偏ったものであると思う。魂は魂として、永年の転生輪廻をくり返しておるけれども、この肉体舟というものも、決して粗末にしてよいものでもないのである。それは、その中には、無限の人間の歴史が刻まれておるからである。諸君はこうした神秘を考えたことがあるであろうか。 それは、魚類が一時的に産卵と称して、何万もの卵を産むこととは違っているのである。魚類が何万も、あるいは何億もの卵を産卵し、偶然にそのうちのいくらかが育っていくのとは違うのである。人間が育つには二十年の時間がかかっておるのである。諸君の両親も、そのまた両親も、その両親も、その二十年という長い月日をかけて、子供たちを育ててきたのである。それだけ手塩に掛けてつくってきたのである。そうした家族の流れ、歴史というのがあったのである。そうしたことに関して無限の感謝が必要ではないであろうか。 諸君は現在ある文化が当然と思ってはいけないと同様に、現在ある肉体も当然と思ってはいけない。その肉体があるためには、一万年前の、十万年前の、百万年前の諸君の先祖たちの営みがあったということを知らねばならん。努力があったということを知らねばならん。そういう歴史があったのである。そうしたことを、深く深くふり返らねばならん。それは人間としての義務であり、人生の原点でもあるのだ。 この日本にいる一億二千万人の人口のなかで、だれが一体そうしたことを毎日考えているであろうか。当然のごとく朝起き、当然のごとく一日を過ぎ、当然のごとく就寝しておる。これが毎日毎日ではないであろうか。その文化的遺産が当然かどうか、その肉体的生命が当然かどうか、これをもっともっと、深く深く深く、考えてみねばいかんのではないか。こうしたことについて私は今、諸君らの注意を深く喚起しておきたいと思うのである。 6.天照大御神 さて、本章を閉じるにあたって、天照大御神ということに関して話をしておきたいと思う。日本では昔から、天照大御神が主宰神であり、日本の中心神であるようにいわれてきたと思う。他の民族の神話を手繰(たぐ)ってみても、歴史を見てみても、女性がその中心であったということはひじょうに珍しい場合であろうと思う。しかし、天照大御神という人間、あるいは女性といってもよい、こうした霊格を持った高級神霊といってもよい、そういう方の存在が、今から二千数百年前にあったのであるけれども、その威光が現在まで続いてきておるということを、日本人はひとつの誇りとせねばならん。そして、日本の女性はまた、それを誇りと思わねばならんと思う。 なぜ女性の存在が精神的支柱になりえたのかということを、私は語っておきたいと思う。それは、日本という国の特色に、ひじょうに関係があるからである。 人類をいくつかの民族としてとらえてみるならば、男性的なる民族と、女性的なる民族というのがあるのである。男性的なる民族というものは外交を主とし、そして、さまざまなる画期的な試み、前進ということをもってよしとしている。しかし女性的なる民族というものがある。それは、和というものを大切にする精神である。調和ということだ。すべてを暖かく包み込む優しさ、これが女性的なるものの特徴である。 天照大御神という高級神霊が、この日本神道のなかにおいて中心的神霊の一往として据えられた本当の理由は、この日本の国というものを、麗しい調和のとれた、和のある国とせんがために選ばれたのである。この国の国民(くにたみ)は過去、本当は争いというものを好まなかったのである。「和をもって尊しとせよ」という聖徳太子の言葉は、この天照大御神のお心そのものであるのである。 そのためには神への信仰ということが、何にもまして大切であったということも知らねばならん。神という存在を考えなければ、人間は我(われ)が我(われ)がという気持になるのである。自分が偉い偉いと思う気持ちの根本には、神の不在があるのである。神がいない国であるからこそ、神を信じない人間であるからこそ、優劣を競いどちらが優れておる、どちらが偉いということでもって争いが起きるのである。大いなる神への帰依ということを根本に信じておるならば、そうした人間心の争いがいかほどつまらないものであるかということが、身にしみてわかるのである。 すなわち、天照大御神というものは包み込む大いなる海のごとき心の、精神の象徴であるということだ。また、美しさの象徴でもあるということだ。美の究極にあるものは何であるか。それは調和ではないだろうか。美の究極にあるものは何か。それは均整ではないだろうか。調和と均整、釣り合いがとれた美しさ、こうしたものを人びとは感ずるのではないであろうか。然り、そのとおりである。 さすれば諸君は、人生の途上において、自らの心の帰依するものを持たねばならん。諸君らの心は何に対して帰依するのか、何に対して敬虔(けいけん)なる心を持つのか。何に対して畏(おそ)れを持つのか。何に対して畏怖を感ずるのか。人間は畏れということ、神仏に対する畏敬の念ということを忘れた時から転落が始まってきたのである。自分が自分がという方向に動き、それぞれが一票の値打ちを持つ自我人間になった時に、人間の転落は最後の段階まで来ているといってよい。そんなものであってはいけない。 諸君よ。地上の人間たちよ。畏れということを知りなさい。大いなるものの前に平伏(ひれふ)すという気持ちを知りなさい。それを知るということが、大いなる第一歩であるのだ。諸君らはいくら謙虚にしても謙虚にしても、まだまだ謙虚さは足りない。本当の意味で、偉大なる神霊と、地上に肉を持つ人間との距離はわかっていないのである。そして、神を引きずり降ろし、神を人間以下のものにまで引きずり降ろしておるのが、諸君らの現代の科学であり、諸君らの現代の思想ではないのか。そしてあまつさえ、「神は人間の想像の産物である」などと言っておる。あるいは、「神は死んだ」と言う哲学者がいる。こうした馬鹿なことを言い、人間は自らが主体者であるとうぬぼれて、増上慢になったこうした思いを起こした時に、地上の地獄が始まったのである。 諸君よ、私は繰(く)り返し繰(く)り返し諸君に言っておく。大いなるものへの畏(おそ)れ、畏(かしこ)みということを忘れるな。大いなるものへの帰依ということを忘れるな。それが謙遜になるということであり、慎しく生きるということでもあるのだ。諸君らの人生は、ほんのささやかなものであるということを知れ。傲慢(ごうまん)になってはいけない。大いなるものへの畏れと、謙譲の美徳を持て。無限の力を持っているものに対して、有限の力を持っておるものの卑小さを知れ。それを知った時に、初めて自我の思いが消えてゆくのだ。そして、ひとつひとつの水の粒子のごとく、大いなる川の水を創るために協力し合って流れてゆくことができるのだ。水の粒子ひとつひとつが、自分の個性を主張し合っておっては、水というものも、川というものも成り立ってゆかんであろう。大いなる川という流れの中に帰依することによって、水の粒子は豊かに幸せに流れていっておるのである。決して水の粒子ひとつが、浮き上がって飛び回ることをもってよしとはせんのである。 諸君よ、大いなるものに帰依せよ。そして、神の自己実現としての、川の流れの中にある自分というものの美しさを知れ。他を害さず、そしてどこまでも自らを伸ばしてゆく努力こそが、だいじなのであるということを知りなさい。 私は再度、再度言おう。諸君よ、心の中に神を持て。そしてその内なる神というものは、結局のところ優しく、美しく、調和のとれた神であるということを、そして、それは伝統的に我が国において崇拝の的でもあった、天照大御神に対する信仰でもあるということを知りなさい。神を失った時に、神を見失った時に、諸君らの堕落があったということを知れ。謙虚さの美徳は、大いなる畏れを感じるということだ。自分を超えたるものの存在を知るということだ。超越した存在を知るということだ。この畏(おそ)れ、畏(かしこ)みということを忘れるな。この畏怖(いふ)ということを忘れるな。これもまた、諸君らの大いなる魂の糧となるであろう。 神々は、高天原(たかまがはら)に確かに集(つど)いたもうのである。高天原という言葉はもう古いかもしれぬが、高級霊界においては、日本では日本の神々、高級神霊たちが集っておるのである。そして彼らは、この日本の国というものをどのようにすばらしい国にするかということのために、日夜心血を注いでおるのである。その努力を想う時に、おまえたちは傲慢になってはならん。不遜になってはならん。常に精神統一をして、神の心を伺(うかが)うような謙虚な自分であれ。神の心に適(かな)ったような自己実現をしてゆく自分であれ。そうした思いを忘れてはならん。この日本の国に神々が集いて、諸君らを幸せにするために、常に神評定(かみひょうじょう)をしているということを忘れてはならん。そして、大いなる帰依を忘れてはならん。心に天照大御神をいつも抱き、そして、健全なる精神でもって生きてゆけ。その時に、限りなく美しく、限りなく輝いている諸君らの未来が開けてくるであろう。以上である。
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大生板で劇空間ペナントレース制覇!! 高学歴イケメンリア充劇ペナ廃人どもの社交場 現行スレ 大生板で劇空間ペナントレース制覇!!~第23期~ http //yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/campus/1316014548/ 避難所 大生板で劇空間ペナントレース制覇!!~第2期~@避難所 http //www.milkcafe.net/test/read.cgi/campus/1295371942/ 新規参加者の増加・定着を目的としています 過去スレからタメになりそうなレスを抽出・まとめていくつもりです 戦績の記録もできれば どなたでも勝手に編集しちゃってください(アカウント daisei-gekipena、パスワード daisei) 諸君 私は連勝が好きだ 諸君 私は連勝が好きだ 諸君 私は連勝が大好きだ 打撃戦が好きだ 投手戦が好きだ 開幕戦が好きだ 最終戦が好きだ 交流戦が好きだ 攻防戦が好きだ 消化戦が好きだ 延長戦が好きだ 総力戦が好きだ 東京で 埼玉で 仙台で 広島で 福岡で 大阪で 千葉で 横浜で 名古屋で 北海道で この球場で行われる ありとあらゆる連勝行動が大好きだ クリーンナップにならべられた主砲の一斉射撃が 轟音と共に敵投手陣を吹き飛ばすのが好きだ 2アウトからの四球で出たランナーが 次の打者のホームランで帰ってきた時など心がおどる 四番の一振りで敵先発を粉砕するのが好きだ 悲鳴を上げて 火消しのマウンドに飛び出してきた中継ぎ陣を 怒涛の連打でなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった 走力を7にそろえた打線の内野安打が 敵の守備陣を翻弄するのが好きだ 恐慌状態の容赦なし持ちが 既に息絶えた敵投手から 何度も何度も打ちまくる様など感動すら覚える 敗北主義の先発陣を好調の中継ぎと入れ替えていく様などはもうたまらない 泣き叫ぶ相手野手陣が 私の降り下ろした手の平とともに 金切り声を上げるバットに エラーを重ねていくのも最高だ 哀れな敗戦処理達が残念な能力で健気にも立ち上がってきたのを 超重量打線の打者一巡の猛攻で木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える 打撃型に投手陣を滅茶苦茶にされるのが好きだ 必死に積み上げてきた貯金が巻き戻しで消えていく様は とてもとても悲しいものだ 守備型の投手力に押し潰されて殲滅されるのが好きだ カモにしていた新規チームに追い越され 害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ 諸君 私は連勝を 地獄の様な連勝を望んでいる 諸君 私に付き従うチームメイト諸君 君達は一体 何を望んでいる? 更なる連勝を望むか? 情け容赦のない 糞の様な連勝を望むか? 鉄風雷火の限りを尽くし 三千世界の鴉を殺す 嵐の様な連勝を望むか? 「連勝!! 連勝!! 連勝!!」 よろしい ならば連勝だ 我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ だが全試合消化後4日間もの間 堪え続けてきた我々に ただの連勝では もはや足りない!! 大連勝を!! 一心不乱の大連勝を!! 我らはわずかに1チーム 30人に満たぬ敗残兵にすぎない だが諸君は 一騎当千の古強者だと私は信仰している ならば我らは 諸君と私で総兵力440ptと得能50ptの野球チームとなる 我々を二部の彼方へと追いやり 眠りこけている連中を叩き起こそう 髪の毛をつかんで二部へと引きずり降ろし 眼を開けさせ思い出させよう 連中に連敗の味を思い出させてやる 連中に我々のバットの音を思い出させてやる 天と地のはざまには 奴らのパラでは思いもよらない事があることを思い出させてやる 22人の戦闘団で 一部を燃やし尽くしてやる 征くぞ 諸君 アクセスカウンタ 今日 - 合計 -
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諸君 私はレジアイスが好きだ 諸君 私はレジアイスが好きだ 諸君 私はレジアイスが大好きだ れいとうビームが好きだ ふぶきが好きだ ゆきなだれが好きだ 10まんボルトが好きだ ドわすれが好きだ じしんが好きだ ねむるが好きだ でんじはが好きだ きあいだまが好きだ 10まんを エアスラを ポンプを はかいこうせんを サイキネを シャドボを れいビーを あくのはどうを りゅうせいぐんを リーフストームを この地上で行われる ありとあらゆる特殊技を受けるのが大好きだ せんせいのツメを発動したアイスのれいとうビームが 轟音と共に敵を凍らせるのが好きだ ヤチェのみを持ったボーマンダが れいビーでばらばらになった時など心がおどる 狙いすましたカウンターが 相手の目論見を破壊するのが好きだ 悲鳴を上げて めいそうを積んできた敵を ドわすれで嘲笑う時など胸がすくような気持ちだった 物理特化の大爆発が 敵の戦列を蹂躙するのが好きだ ひょうざんのいせきでレポートを書いたトレーナーが マスターボールを 何度も何度も投げている様など感動すら覚える でんじほうを喰らった敵が麻痺して動けない様などはもうたまらない 嬉々として出てきた炎が あまごいに泣き叫ぶともに めざパ(水)の前に ばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ 哀れな抵抗者達が 弱点をつける技で健気にも立ち上がってきたのを ひかりにこなによる回避が 最後の希望を木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える 筋肉のばくれつパンチに滅茶苦茶にされるのが好きだ 必死に積んだはずだったアイスが蹂躙され いちげきひっさつされていく様は とてもとても悲しいものだ もうかヤタピの火力の前に押し潰されて殲滅されるのが好きだ ランターンに追いまわされ PPが切れてわるあがきをするのは屈辱の極みだ 諸君 私はレジアイスを 天使の様なレジアイスを望んでいる 諸君 私に付き従うトレーナー諸君 君達は一体 何を望んでいる? 更なるかわいさを望むか? 情け容赦のない ドS要素を望むか? 傍若無人の限りを尽くし 毎朝窓から起こしに来る 幼馴染要素を望むか? 「一撃!!一撃!!一撃!!」 よろしい ならばぜったいれいどだ レジアイスはつぶらな瞳を持ち透き通るような肌を持っているヒロインだ だがこの暗い遺跡の中で半世紀もの間 捕まえ続けてきた我々に ただのレジアイスでは もはや足りない!! レジアイスを!! 一撃持ちのレジアイスを!! 我らはわずかに一個大隊 千人に満たぬ少数派にすぎない だが諸君は その思いで世界を動かせると私は信仰している ならば我らは 諸君と私でレジアイスがヒロインとなる 我々を忘却の彼方へと追いやり 眠りこけている連中を叩き起こそう 髪の毛をつかんで引きずり降ろし 眼を開けさせ思い出させよう 連中に凍って動けない味を思い出させてやる 連中に我々のレジアイスを思い出させてやる 粉と急所のはざまには 奴らの確率論では思いもよらない事があることを思い出させてやる 一千人のレジアイスの戦闘団で 世界を萌やし尽くしてやる 名前 コメント すべてのコメントを見る
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「ある神話の背景」の研究 WAC版 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index 曽野綾子 書籍本文は公開してません 新版まえがき(引用者注)まえがきは、著者あるいは編集者から何の注釈も無いが、平成18年のWAC版になって初めて付けられた。 沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 index一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 後記次のものを資料として・・・・ 解説 石川水穂 分析ツール香盤表 『ある神話の背景』連載版との異同(非公開) (引用者注)WAC版には小見出しはついてないが、諸君連載版でのリードから「 」を、私からの要点を▼で記し、indexとした。一切の敬称を略す。 一 (『諸君』1971年10月号に相応) 一 (1)P11~16 「島との出会い ― 夢の中でのこと」 ▼曽野綾子の夢想 一 (2)P16~25 「告発」 ▼赤松告発書の数々 一 (3)P25~32 「A大尉はやってきた」 ▼1970.3赤松訪沖騒動 一 (4)P33~40 「私は命令していない ― 発掘された神話」 ▼島民の反応と赤松・連下記者会見 二 (『諸君』1971年11月号に相応) 二 (1)P40~49 「赤松隊集まる ― 降伏か服従か」 ▼1970.9.17ホテルちくば、赤松部隊の報告会 二 (2)P49~65 「赤松神話の発生」 ▼『鉄の暴風』『戦争の様相』『渡嘉敷島の戦闘概要』比較 二 (3)P65~73 「手袋は投げられた ― 鹿のいた谷 ― ここが私の死んだところです」 ▼谷本『陣中日誌』に従って“玉砕場”をたずねる 三 (『諸君』1971年12月号に相応) 三 (1)P74~81 「南下 ― この島にも住民がいた ― 後からきた部隊」 ▼海上挺進第三戦隊か渡嘉敷島に到着するまで 三 (2)P82~89 「一昨日は残念でごわした」 ▼赤松10・10空襲を体験する 三 (3)P89~94 「かりそめの休暇」 ▼ボヤキの赤松と女子青年隊長 三 (4)P94~100 「潮騒」 ▼基地大隊の転出、陣地構築、2月の兵棋演習 四 (『諸君』1972年1月号に相応) 四 (1)P101~111 「爆撃始まる ― 夕暮れの集合ラッパ ― もし状況有利ならざるときは」 ▼3.23空爆から3.25転進命令受領まで 四 (2)P111~125 「貴様逃げる気か ― 兵たちのゼネスト ― もう少し寝かせてくれ ― 夜明けの麦畑」 ▼船舶団長との確執、出発中止と自沈、そしてニシ山への撤退 五 (『諸君』1972年2月号に相応) 五 (1)P126~135 「豪雨の夜 ― 地下壕はなかった」 ▼複廓陣地についた赤松部隊 五 (2)P135~155 「玉砕場につく ― 誰言うともなく荷をとく ― 住民なだれ込む ― あそことはどこか」 ▼玉砕場についた住民たち、古波蔵村長インタビュー 六 (『諸君』1972年3月号に相応) 六 (1)P155~165 「阿波連の白砂 ― 愛をもって殺した ― 生きていたかった十二歳」 ▼富野稔元少尉、金城つる子、東恩納政吉の体験 六 (2)P165~177 「何もかも夢のよう ― 私は死んでるかね ― 不発の手榴弾 ― 天の鎌」 ▼満月の浜、四人の女性たちの回想 七 (『諸君』1972年4月号に相応) 七 (1)P177~194 「怖いから死んだ ― どうぞ殺して下さい ― 自殺に関するさまざまな考察」 ▼ 七 (2)P194~203 「家族はなぜ死んだ ― 飢えと恐怖 ― 日本人の処刑」 ▼ 八 (『諸君』1972年5月号に相応) 八 (1)P204~210 「一日七十五グラム ― 飯盒の中の鼠 ― 食わず、決して食わぬ」 ▼ 八 (2)P210~219 「民は豚、軍は牛 ― 山羊ウジ料理 ― カルディアスの板」 ▼ 八 (3)P219~227 「君等は死んでくれ」 ▼ 九 (『諸君』1972年6月号に相応) 九 (1)P228~237「陸軍刑法の適用 ― 丹前つけて足袋はいて」 ▼住民処刑と陸軍刑法、大城訓導は狂人だった 九 (2)P238~250「死ぬか帰ってくれ ― 本当の終戦 ― 河童に尻を抜かれたようだった ― 悲しい風景」 ▼二人の少年の処刑、降伏勧告文を持ってきた村民二人の処刑 十 (『諸君』1972年7月号に相応) 十 (1)P250~256「日章旗と白旗と」 ▼ 十 (2)P256~263「米軍遊泳許可条件 ― 敵と味方とどちらが怖い ― 「肉がたれ下がるほど太った」隊長 ― 大命発せらる」 ▼ 十 (3)P264~275「静かに唯茫然、戦い既に終わる」 ▼ 十一 (『諸君』1972年8月号に相応) 十一 (1)P275~285「陣地内にはモミもあり女もいた ― 守るべき国民は誰だったか ― 戦争責任問題委員会 ― 商人としての人格」 ▼ 十一 (2)P285~296「二つの責任 ― 自らに刃を向ける」 ▼ 十一 (3)P296~302「告発するものとされるもの」 ▼ 十二 (『諸君』1972年9月号に相応) 十二 (1)P302~326「二つの外国語は無理だ ― 狼が子羊とともに ― 草を食んでいた時代 ― 報告の文章の論理性 ― アメリカ兵の涙 ― 象徴の一市井人」 ▼ 後記 次のものを資料として・・・・ 解説 石川水穂 分析ツール 香盤表 『ある神話の背景』連載版との異同(非公開) 「ある神話の背景」の研究 15年戦争資料庫
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よろしい ならば戦争だ 諸君 私は戦争が好きだ 諸君 私は戦争が大好きだ 殲滅戦が好きだ 電撃戦が好きだ 打撃戦が好きだ 防衛戦が好きだ 包囲戦が好きだ 突破戦が好きだ 退却戦が好きだ 掃討戦が好きだ 撤退戦が好きだ 平原で 街道で 塹壕で 草原で 凍土で 砂漠で 海上で 空中で 泥中で 湿原で この地上で行われるありとあらゆる戦争行動が大好きだ 戦列をならべた砲兵の一斉発射が轟音と共に敵陣を吹き飛ばすのが好きだ 空中高く放り上げられた敵兵が効力射でばらばらになった時など心がおどる アハトアハト 戦車兵の操るティーゲルの88mmが敵戦車を撃破するのが好きだ 悲鳴を上げて燃えさかる戦車から飛び出してきた敵兵をMGでなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった 銃剣先をそろえた歩兵の横隊が敵の戦列を蹂躙するのが好きだ 恐慌状態の新兵が既に息絶えた敵兵を何度も何度も刺突している様など感動すら覚える 敗北主義の逃亡兵達を街灯上に吊るし上げていく様などはもうたまらない 泣き叫ぶ捕虜達が私の振り下ろした手の平とともに金切り声を上げるシュマイザーにばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ レジスタンス ドーラ 哀れな抵抗者達が雑多な小火器で健気にも立ち上がってきたのを80cm列車砲の4.8t榴爆弾が都市区画ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える 露助の機甲師団に滅茶苦茶にされるのが好きだ 必死に守るはずだった村々が蹂躙され女子供が犯され殺されていく様はとてもとても悲しいものだ 英米の物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ 英米攻撃機(ヤーボ)に追いまわされ害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ 諸君 私は戦争を地獄の様な戦争を望んでいる 諸君 私に付き従う大隊戦友諸君 君達は一体何を望んでいる? 更なる戦争を望むか? 情け容赦のない糞の様な戦争を望むか? 鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか? クリーク クリーク クリーク 『戦争! 戦争! 戦争!』 クリーク よろしい ならば戦争だ 我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ だがこの暗い闇の底で半世紀もの間堪え続けてきた我々にただの戦争ではもはや足りない!! 大戦争を!! 一心不乱の大戦争を!! 我らはわずかに一個大隊 千人に満たぬ敗残兵に過ぎない だが諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している ならば我らは諸君と私で総力100万と1人の軍集団となる 我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている連中を叩き起こそう 髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ思い出させよう 連中に恐怖の味を思い出させてやる 連中に我々の軍靴の音を思い出させてやる 天と地のはざまには奴らの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる 一千人の吸血鬼の戦闘団(カンプグルッペ)で 世界を燃やし尽くしてやる 全フラッペン 発動開始 旗艦デクス・ウキス・マキーネ 始動 離床!! 全ワイヤー 全索引線 解除 「最後の大隊 大隊指揮官より 全空中艦隊へ」 目標 英国本土 ロンドン首都上空!! 第二次ゼーレヴェー(あしか)作戦 状況を開始せよ 征くぞ 諸君