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aval /// / 哲学 \ 17 seren klel ridia sid avel \ 哲学 \ 2 哲学者→avalan \ [ ansiel ] \ 哲学者 \ [ ova ] \ aval tran 高尚な哲学 \ fel-et aval 哲学に目覚める \ mart-e aval 哲学を論じる \ lad-e aval. fol-e aval 哲学を打ち立てる \ sono-e aval e nos 自分の哲学を実践する \ lad-in aval e nos 己の哲学を持つ \
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ルート研究所の構成 ルート研究所とはで示したように、研究所は以下のようなシンプルなアーキテクチャに基づき構成されています。 もちろんこのパースペクティブ自体が一種俯瞰的な視点であって、キュビズム的視点ではありません。 普遍性を論じられないことがあたりまえとなった現代において、パースペクティブの是非を論じることはナンセンスであり、むしろ特定のパースペクティブを決定すること、そのうえでの交流しかありえないことを意識し認識することが研究所のアーキテクチャを決定する前提となっています。 ルート研究所の利用方法 各研究員は各々の研究室(サイト)を別に持ちます。 各研究員の発表の場としてディスカッションサイトを持ちます。 各研究員、訪問者の交流の場としてコミュニティサイトを持ちます。
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12月5日 ピラミッドを三角のキングのように論じる人がいるんだけど、あれは、ほら、上から見ると四角なんだな。知ってた?はっはっはっ、どの面下げてキングだよって思うだろ?まあ、ピラミッドがよく頑張ってるのは認めないこともないけどな。どこから見ても三角なんて…なかなかできることでないもんな。普段のきみはどうだろう。上から見ると、案外と三角かな? A はい、三角です 30 B いいえ、丸です 19
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文学ノート 概論 文学理論 ロシア・フォルマリズム ロシア・フォルマリズムとは1915年に創設されたモスクワの言語学サークルと、その翌年に創設された詩的言語研究協会に所属していた文学者たちの文学運動である。この運動は文学に含まれる意味のない言葉の言語音に独自の価値を見出す文学理論を構築している。ヴィクトル・シクロフスキーは『散文の理論』の中で芸術を「イメージによる思考」と表現し、そのことで非日常化を意味する「異化」をもたらすことを目指す。異化は普段の生活で省略してしまう無価値な知覚を取り戻すことを目的とした非日常的な知覚の過程の体験である。またシクロフスキーは文学を支配する法則を研究するためにプロットとストーリーの研究を試みる。文学作品は基本的にストーリーの流れとして読解されるが、シクロフスキーはプロットこそが本質的には重要であり、その主題を展開する上での段階的構成に注目する必要を主張した。 マルクス主義 文学理論においてマルクス主義の理論は文学を歴史的条件から考察する特徴がある。『マルクス主義と文芸批評』の著者イーグルトンはマルクス主義が人間の社会とその社会を変革するための活動についての理論であり、それは人間が搾取や圧制から自分自身を解放することを物語っていると論じる。イーグルトンはマルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキー、アルチュセールの研究を参照しながら、文学という芸術作品がイデオロギーの影響を受けながらも固有の性質を持つものと考える。そして文学作品の自律性として文学的形式の歴史的背景が影響力を発揮することを指摘する。そしてイーグルトンは作家を生産者として捉え、芸術が社会的実践であり、必ずそれは党派性によって左右されると考える。これは消費者である読者についても同様の論法があり、読解とはそのような作家のイデオロギー的な生産物をイデオロギー的に解釈することに他ならないと論じる。 構造主義 ソシュールの功績である構造主義の言語理論は言語活動、言語体、そして発話という三つの側面から言語を研究する視点を確立した。つまり社会で了解されている言語の体系的な約束事を指す言語体、そして個々人が言語体の下で実際に発信する行為である発話、そして言語を成立させる約束ごとと約束にのっとった行為の二つにより行なわれる言語による伝達表現を言語活動と呼んだ。バルトはソシュールの言語理論を参照しながら『零度のエクリチュール』において社会制度としての言語体の中における作家の書き方、エクリチュールの概念を導入する。エクリチュールの地平をなす言語体が確立される以前の時代の作家は何も意識していなかったが、国語が成立してからは言語体は公式に定められ、エクリチュールのモデルも権力の下に置かれてしまったと指摘する。バルトの見解では、これは近代国民国家の成立によりブルジョワ的エクリチュールの勝利と呼べる。しかし現代において社会階級の分裂が進むにつれてもはやエクリチュールのモデルはなくなり、各人が自分自身のエクリチュールを選び取ることが求められていると考えられている。 神話的批評 神話とは伝統的な信仰形態と現在の価値観を結びつけながら将来の文化的願望を達成する物語である。あらゆる民族はいくつかの原型を用いて神話を構成しており、ウィールライトによればそれは父なる天、母なる大地、光、血などの象徴は世界各地で反復されて表れていることを報告している。例えば水、創造の神秘、生と死、浄化と贖罪、豊穣と成長の象徴として表れ、ユングは水を最も一般的な無意識の象徴としている。そこから派生して海は精神的神秘、再生、永遠、無意識とかかわり、河は洗礼、時の流れ、生命循環、神の顕現とかかわる。同様に太陽は創造的エネルギー、意識、父性原理、時間の流れを表し、朝日は創造と誕生、落日は死を意味することがある。原型的女性、恐ろしい女、心の通い合う異性、賢者、楽園、樹、砂漠、色彩など数多くの象徴が存在する。いずれの象徴も創造、永遠、そして英雄と密接な関連を持ち、さまざまな文脈で意味を担っている。ランクは中でも英雄について着目して研究しており、標準的英雄伝説について次のように論じる。まず英雄は王の嫡子であり、出生に先立ち障害に直面し、妊娠中に誕生を警告する予言があり、川などに流されて捨てられる。その後に動物や身分の低い人々に育てられ、成長して両親が権力者だと知るか父の仇を討つことで嫡子として認められ、最終的に地位を回復する。 ポスト構造主義 デリダは『グラマトロジーについて』の中でヨーロッパの形而上学の前提である存在の概念を分析し、話し言葉であるパロールと書き言葉であるエクリチュールについて、パロールのほうがより強く存在の概念と結びついていたと論じる。またド・マンはすべてのテクストが修辞学的な要素を持っており、意味や解釈よりも修辞学的に考える必要があると論じる。このような論者の見解はいずれもポスト構造主義の特徴を共有している。それは文学作品というテクストに唯一かつ固有の意味が存在すると考えるのではなく、作家の特権的な地位は確からしくないと考える見解である。 バルト『零度のエクリチュール』 トドロフ『デカメロンの文法』 ジュネット『物語のデュスクール』 シクロフスキー『散文の理論』 バフチン『ドストエフスキーの創作方法の諸問題』 プロップ『昔話の形態学』 フライ『批評の解剖』 ラカン『エクリ』 イーグルトン『マルクス主義と文芸批評』 ジェイムソン『政治的無意識』 ベンヤミン『複製技術の時代における芸術作品』 ヤウス『挑発としての文学史』 フィッシュ『このクラスにテクストはありますか』 デリダ『グラマトロジーについて』 ド・マン『盲目と明察』 カラー『ディコンストラクション』 クリステヴァ『恐怖の権力』 ショーウォーター『女性自身の文学』 グリーンブラット『ルネサンスの自己成型』 文学史 作品一覧 百年の孤独 『百年の孤独』(1967年)マルケス:マコンドを舞台としたブエンディア一族の開拓から没落までの興亡の歴史。 背景 ガブリエル・ガルシア・マルケスはコロンビアの文学者。ボゴタ大学法科中退。新聞記者を経て映画製作に携わり、『百年の孤独』以外にも『族長の秋』、『予告された殺人の記録』などを発表して1982年にノーベル文学賞を受賞。 内容 失われた時を求めて 『失われた時を求めて』マルセル・プルースト:無意識的記憶を思い返しながら自分の半生をマルセルの物語。 カラマーゾフの兄弟 『カラマーゾフの兄弟』フョードル・M・ドストエフスキー:フョードル殺害事件の裁判をめぐる三兄弟の物語。 ドン・キホーテ 『ドン・キホーテ』ミゲル・デ・セルバンテス:騎士道に目覚めたドン・キホーテの冒険の物語。 『城』フランツ・カフカ 『罪と罰』フョードル・M・ドストエフスキー 『白鯨』ハーマン・メルヴィル 『アンナ・カレーニナ』レフ・N・トルストイ 『審判』フランツ・カフカ 『悪霊』フョードル・M・ドストエフスキー 『嵐が丘』エミリー・ブロンテ 『戦争と平和』レフ・N・トルストイ 『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ 『ユリシーズ』ジェイムズ・ジョイス 『赤と黒』スタンダール 『魔の山』トーマス・マン 『異邦人』アルベール・カミュ 『白痴』フョードル・M・ドストエフスキー 『レ・ミゼラブル』ヴィクトル・ユゴー 『ハックルベリー・フィンの冒険』マーク・トウェイン 『冷血』トルーマン・カポーティ 『嘔吐』ジャン=ポール・サルトル 『ボヴァリー夫人』ギャスターヴ・フローベール 『夜の果てへの旅』ルイ=フェルディナン・セリーヌ 『ガープの世界』ジョン・アーヴィング 『グレート・ギャツビー』F・スコット・フィッツジェラルド 『巨匠とマルガリータ』ミハイル・A・ブルガーコフ 『パルムの僧院』スタンダール 『千夜一夜物語』- 『高慢と偏見』ジェーン・オースティン 『トリストラム・シャンディ』ロレンス・スターン 『ライ麦畑でつかまえて』J・D・サリンジャー 『ガリヴァー旅行記』ジョナサン・スウィフト 『デイヴィッド・コパフィールド』チャールズ・ディケンズ 『ブリキの太鼓』ギュンター・グラス 『ジャン・クリストフ』ロマン・ロラン 『響きと怒り』ウィリアム・フォークナー 『紅楼夢』曹雪芹・高蘭墅 『チボー家の人々』ロジェ・マルタン・デュ・ガール 『アレクサンドリア四重奏』ロレンス・ダレル 『ホテル・ニューハンプシャー』ジョン・アーヴィング 『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ 『モンテ・クリスト伯』アレクサンドル・デュマ 『変身』フランツ・カフカ 『冬の夜ひとりの旅人が』イタロ・カルヴィーノ 『ジェーン・エア』シャーロット・ブロンテ 『八月の光』ウィリアム・フォークナー 『マルテの手記』ライナー・マリーア・リルケ 『木のぼり男爵』イタロ・カルヴィーノ 『日はまた昇る』アーネスト・ヘミングウェイ
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作文対策 作文と書いているが、実際は小論文であるということは公務員試験でよくある話。小論文を書けと言われて作文を書くと大減点だが、作文を書けと言われて小論文を書いても問題はない。つまりするべきは小論文対策である。 政策型論文 日本政府や世界の課題について行政組織はどのような取り組みを行う必要があるかを論じるものである。 時事ネタを仕入れていなければならず、現在その府省が行っている政策も把握しておく必要がある。 行政組織型論文 国や地方公共団体の組織のあり方について論じるものである。 法整備や国民との関わりについて検討しておく必要がある。 自己作文型論文 受験者自身についてこれから公務員としてどうありたいか、どう考えているかを論じるものである。○○省で働くにあたっての心がけ、心構えを答えよなど。 職務経験論文 業務経験論文とも呼ばれる。自己作文型に近いが小論文としては一番特殊と言える。 今の自分の職務を説明し、その職務で得た事とそれに関わる成功失敗事例、そして公務員としてどう活かしていくかを論じるものである。 職務中に発生した問題点をどのようにして解決したか、それをどう行政事務に応用するかが問われる。 各府省別対策 統一試験(係員級) 第1回統一試験の課題は「誠実であることについて思うこと」0時間50分、作文用紙は600字相当横書きで、裏面(白紙)も記載可だった。本用紙は切り取り線で上下に分割できるようになっていて、上部に氏名と受験番号・試験区分・試験地を記入し、下部に本文のみを記入するようになっていた。下部に題名・氏名・受験番号・試験区分・試験地などは記入してはいけないため注意する事。 厚生労働省個別試験(主任級) 厚生労働行政について課題を1つ挙げ、解決策についてあなたの考えを述べなさい。400字原稿用紙3枚縦書き、募集要項では400字~1000字程度だったが、実際は1000字以上1200字以下。1時間30分。 財務省個別試験(係員級) 財務省でどのような貢献がしたいか。職務経験のある方は、その内容を踏まえて記載してください。400字以上1000字程度。事前提出。 特許庁(係長級) 特許庁に採用された場合、特許庁職員としてどのように貢献できると考えるか、ご自身のこれまでの職務経験や専門性・能力について言及しつつ、具体的に説明してください。2000字以内。事前提出。 防衛省 内部部局(係長級) 職務経験等に関する論文であり、政策の企画等に必要な能力を有しているか判断するための筆記試験 →作文系、字数制限なし、「防衛省職員として働くにあたっての心構えについて記述せよ」「防衛省職員として挑戦したいことについて記述せよ」 海上幕僚監部(係長級) 職務経験等に関する論文であり、政策の企画等に必要な能力を有しているか判断するための筆記試験。1時間0分。 →業務経験論文800字以下 航空幕僚監部(係長級) 未実施 職務経験等に関する論文であり、政策の企画等に必要な能力を有しているか判断するための筆記試験 内閣官房 内閣広報室(係長級) 文章による表現力、課題に対する理解力などについての筆記選考を行います。400字以上1000字程度。配布様式は200字原稿用紙7枚縦書き。 →政府広報、サーバ管理、災害時対応など課題論文。 内閣衛星情報センター(係長級) 未実施 文章による表現力、課題に対する理解力などについての筆記選考を行います。400字以上1000字程度。 共通的な対策 課題の目星をつける 健常者向けの試験であれば過去問が役に立つのだが、障害者向け試験は始まったばかりであり、各府省ともに難易度をつかみかねている。 そのため、統一試験では抽象的な課題であり個別採用ではガッツリした課題が出てきている。また、経験者採用と位置づける府省は職務経験論文として、「今までの職務経歴から○○行政にどう活かすか」という課題がでると想定できる。 受験する府省の出している白書・青書を読む 図書館で読める物もあれば、Kindleで0円の物もある。各府省のホームページで無料公開している物もある。とにかくその府省の今までの政策と今後の方針が載っているものなのでこれを読まないのはもったいない。 受験する府省のホームページを読む これも同上。一般国民に向けたサイトであり、比較的読みやすく伝わりやすく考えている(はず)。 受験する府省に関連するキーワードを抽出する 例えば厚生労働省ならば働き方改革だとか超高齢社会だとかが抽出できる。 自分の職務経歴からその府省で使えそうなポイントを探す 職務経歴論文ではここが重要 小論文の形式に沿ってプロットを書き出す ここで間違っても作文のように起承転結で考えてはいけない 課題の定義、背景、問題点の提示、解決策の提示、(実例など論理補強)、結論という流れになる。 結論、定義、反例の提示、反例に対する反論、結論の再掲、まとめでも可。 職務経験論文では、経歴の紹介、具体的な業務例・改善例・成功例、公務員として○○行政にどう活かしたいかの3部構成になる。 必ず問題文で何を問われているかを確認し、それに対する回答を明確にすること。 グラフや表が提示されているならば、文中でそれら全てに触れること。 結論部分に自分が公務員としてどうしたいかという決意表明を持ってくることはよくある。無理矢理な文章展開にならないように気をつけよう。 文字数を想定して草稿を書く 問題文に文字数が明記されている場合は、それを厳守しなければならない。膨らませていい部分は解決策の部分だけである。結論を引き延ばすと「字数稼ぎだな」ということがもろバレになる。 1000字「程度」であれば±10%~±20%は許容範囲。 1000字「以内」であれば80%~100%が許容範囲。オーバーすると失格の可能性大。 400字以上1000字程度であれば、「1000字程度」を意識しよう。400字未満だと失格。 字数制限がない場合、回答用紙の80%~120%程度で書くようにすれば問題ない。 文字数は試験時間と想定難易度からある程度類推することができる。例えば統一試験は50分600字程度だが、厚労省独自(主任級)は90分1000字程度である。東京都特別区の経験者採用では1400字、特許庁独自(係長級)は時間無制限2000字。 出題者に対してケンカを売るな まさに字の通り。 大学入試の小論文なら目新しい発想が必要だが、公務員試験ではそんなことは問われない。既存政策の組み合わせとか、国外事例の引用でいい。 名前 コメント
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現代若者については様々なことが語られており、「フリーター」、「ニート」、「おたく」といった新奇なキーワードが生み出されている。あまりに多くのことが語られ、混乱を覚えるほどである。その一例を挙げると、2007年元日より、朝日新聞紙上で「ロスト・ジェネレーション」と題した特集が組まれており、そこでは若者の生活がいろいろな側面から描かれているが、まとまった見解は示されていない[*1]。本論文では、現代若者についての一つのまとまった特徴を描き出すことを目指す。 ここで本論文で扱う対象を明確にしておく。場所については、日本に限定して話を進める。とはいえ本論文での議論が他の地域と全く関係がないわけではないだろう。時代については、「現代」の目安を示しておく。本論でも触れるが、バブルの崩壊や、冷戦構造の解体が時代の転換点となっているので、およそ1990年以降を現代とする。「現代若者」はその時代に、職業や愛情に関して大きな決定をするであろう若者であった人たちのことであるので、若者の上限を30歳と仮に決めるなら、現代若者の上限は、2007年現在で47歳までの人となる。下限は特に定めない。これはかなり広くとった場合であり、現代若者の中心は、25~35歳くらいである。先に挙げた朝日新聞での「ロストジェネレーション」はこの25~35歳の世代を指している。もちろん、この基準はあくまでも目安である。 また、本論文では単に「若者」としたが、主に男性を想定している。ジェンダーの視点を取り入れるべきではあるが、筆者の手には負いきれず、今後の課題とする。 現代社会がどれほど複雑になってきているように見えようとも、人々がそこで生活していることを思い起こすなら、人間の営みはそれほど大きくは変化していないことに気づくだろう。おそらくいつの時代であっても職業生活と愛情生活が人生における重大な問題であることに変わりはない。とりわけ若者の間ではそうである。先ほど挙げたキーワードもそれら二つの領域に関わっている。 第1部では職業生活と愛情生活とに二分して、現代若者の様相について論じる。 職業生活を論じる第1章では、「フリーター」や「ニート」といった新しい言葉の定義を確認する作業を通して、制度上仕方のない失業がいまだ大きな問題であることを確認する。それにもかかわらず若者の意識の変化によって全てを説明しようとする言説が根強い。それは各種の自由化によって努力の可能性が広がったためだと推測できる。 愛情生活を論じる第2章は「おたく」から話を進める。「おたく」の既存の定義は本論で確認するが、本論文では「おたく」を「虚構のキャラクターを愛する人々」と定義する。「萌え」という言葉を最近よく耳にするようになり、その言葉については日本文化の現れであるなど言われたりするが、単純に虚構のキャラクターへの愛情を表しているのではないだろうか。「おたく」をこのように定義すると、そこからこぼれ落ちるものが多々あるだろう。しかし、現代の「おたく」と呼ばれる人々にとって、この「虚構のキャラクターを愛する」という側面は非常に大きいと思われる。このように「おたく」を定義すると、その特徴は一般に「おたく」とされる人たちだけに関係するのではなく、多くの人にも関わる。というのも、実在の人物を愛する際も、一人でその人のことを思い浮かべている姿を想像すればわかるように、「虚構のキャラクターを愛する」という側面があるからである。こうした側面は、本論文での定義に従い、「おたく」的であると言える。 「おたく」たちの虚構のキャラクターへの愛情は、現実世界における愛情生活での不具合を補うものではないだろうか。というのも、現代では、当人同士の同意があれば何をしてもよいという「親密性パラダイム」が極めて優勢になってきているからである。逆に言うと、相手の同意を獲得できないと何もできない。しかし、社会制度で恋愛が妨げられているわけではなく、努力の余地があるので、恋愛ができないということは本人の責任にされがちなのである。 つまり、現代若者は、あらゆる可能性に開かれているがために絶えざる努力が要請され、うまくいかない場合は当人の自己責任ということにされるという状態にあるのである。別の言い方をすると、あらゆる可能性を実現し、自己決定をできるような「強い主体」が想定されているのである。 ここで「強い主体」について説明しておこう。金子勝は「強い個人」について次のように述べている。 「強い」あるいは「弱い」という概念は、個人の性格を表しているのではない。もちろん、よく使用される社会的強者か弱者かという分類でもない。理論の出発点として仮定される人間像に、どれだけ高い負荷がかけられているか否かという意味である。「高い負荷をかける」とは、現実の人間の行為として、持続的に取ることのできない現実離れした仮定を置くということだ。つまり高い負荷に耐えられる人間を「強い個人」、そうでない人間を「弱い個人」と考えるのである。(金子 1999 1-2) 金子はそのうえで、経済学の新古典派理論が前提としている、利益を合理的に計算でき、他人に関わりなく自己利益の最大化を追求できるという人間像は、「強い個人の仮定」であるとしている(金子 1999 12)。本論文での「強い主体」という概念は、金子の言う「強い個人」とほぼ同義である。ただし、金子は「強い個人」に「弱い個人」を対置させ、あくまでも他者から区別された個人という枠組みを維持するのに対し、本論文では「個人」という用語を採用せずに、そもそも「主体」には他者性が深く刻み込まれていると主張する。 第2部ではこの「強い主体」をめぐる議論を展開し、そのようなものは存在しないと主張する。 第3章では、対象を現代若者に限らずに、自己決定にまつわる事柄を考察する。自己決定にまつわる問題は医療や生殖の分野でしばしば語られるのだが、そこでは「強い主体」の想定が生み出す問題が先鋭化している。人間は「強い主体」ではなく、本来的に他者性が深く関わっていると考えればそれらの問題は解決する。 ここまでは社会学的な議論であった。第4章では、人間主体にいかに他者性が入り込んでいるかを精神分析の観点から論じる。精神分析が誕生するきっかけとなった神経症患者は、当時すでに支配的であった「強い主体」という想定の反証であると考えることができる。その神経症の治療から出発し、無意識の概念を一般化してゆく精神分析は、そもそも「強い主体」という前提に反対していたのではないだろうか。精神分析の創始者であるジークムント・フロイト(Sigmund Freud)、及び彼の理論を発展させたジャック・マリー・ラカン(Jacques Marie Lacan)の双方とも、「強い主体」を否定している。主体には他者性が深く入り込んでいるのである。ラカンの用語を使ってもう少し詳しく言うなら、小文字と大文字の二種類の他者が関わっている。その二種類の他者を、精神分析理論における、欲求、要求、欲望、欲動との関連で論じる。 最後に結論として、現代では、大文字の他者が見えづらくなっているのではないかという仮説を提起する。大文字の他者が見えづらくなっているために、「強い主体」の想定が広がっていると説明できる。しかし、それでも大文字の他者は消えてしまうことはないのである。大文字の他者などとは関わらない「強い主体」の想定と、それでも大文字の他者が存在するという実情との間で、「フリーター」、「ニート」、「おたく」といった現象が出現しているのではないだろうか。 [*1] ここでの「ロストジェネレーション」は、25~35歳を指している。特集の各日の見出しは次の通り。 さまよう2000万人(『朝日新聞』2007.1.1朝刊) 世直し世代 地方議員めざす(『朝日新聞』2007.1.3朝刊) 仮面世代 就職難の果て…(『朝日新聞』2007.1.4朝刊) 自分探し世代 終わりなき異国の旅(『朝日新聞』2007.1.5朝刊) 消耗世代 何も残らない(『朝日新聞』2007.1.6朝刊) 起業世代 ネット黎明期(『朝日新聞』2007.1.7朝刊) 難婚世代 合わないなら1人で(『朝日新聞』2007.1.8朝刊) 愛国世代 信頼できぬ会社・政治(『朝日新聞』2007.1.9朝刊) 脱レール世代 自分試しへ(『朝日新聞』2007.1.10朝刊) まじめ世代 気づけば、うつ(『朝日新聞』2007.1.11朝刊) 創造世代 権威に背向け僕らの生き方(『朝日新聞』2007.1.12朝刊)
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世界の約半分は、一神教の文明、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の影響下にあります。 この3つの宗教は、実はユダヤ教から枝分かれしたものであり、同一の神(エホバ、イスラム的にはアラー)を信仰しています。 日本・中国・インドなどは、多神教文明の影響下にあるといっていいでしょうが、こちらでは宗教は、わりと扱いが緩い。 でも、一神教文明では、宗教の話題は実にシビアな問題をはらみ、うかつに論じることができません。 そのせいもあって、妙にねじくれたわかりにくいテーマが多々あります。 カナンの地はどこにあったか 普遍宗教としてのユダヤ教
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(吉田) ①M&Aにはどんな類型があるか知っておく。 (『MARR』は一読すべき) ②詳細を知る為に、松村勝弘『企業価値向上のためのファイナンス入門』中央経済社,2007年,第7章,を読む。 ③以下、推薦文献を読む。 金児昭『M&Aで会社を強くする』日経ビジネス人文庫,2005年 渡辺・井上・佐山『M&Aとガバナンス』中央経済社,2005年 内閣府経済社会総合研究所M&A研究会 http //www.esri.go.jp/jp/mer/kenkyukai/ M&A専門誌マール『MARR』レコフ 「特集 買収無残」『日経ビジネス』2007年5月7月号 ※なお、趣旨文には、中小企業におけるM&Aがあげてあるが、これを通常の大企業のM&Aと一緒にして論じるのは無理であろう。これだけを論じたものに分林靖博『中小企業のためのM&A徹底活用法』PHP研究所,2002年,がある。
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編集 許劭は、後漢後期の人物。許子将という字が著名。人を論じることを好み、数々の人材を評価して世に送り出して名声を博した。 郷党の人物を品定めして序列づけ、月初に公表する「月旦評」が知られる。 情報 許劭 姓氏 許 名 劭 字 子将 本貫地 汝南郡平輿県 家柄 平輿許氏 父 母 誕生 幼年評 少(おさな)くして名節(たか){峻]く、人倫を好み、賞識する所多し。 起家 郡功曹 官歴 終官 爵位 評 死去 享年 追贈 諡号 廟号 号,渾名 死後評 子 事跡 年表 所属項目(タグ) 人物 後漢 人物 後漢末 出身 平輿県 出身 汝南郡 平輿許氏 月旦評 関連項目・人物 「許劭」をタグに含むページは1つもありません。 編集 -
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ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで Gary S. Becker(ゲーリー・S. ベッカー)、Guity Nashat Becker(ギティ・N. ベッカー) (訳)鞍谷 雅敏、岡田 滋行 内容(「MARC」データベースより) アメリカ経済躍進の基礎である「経済的な考え方」の本質をとらえ、市場社会を生き抜くための発想が身につくエッセイ。日常生活の経済的・社会的な側面についてノーベル経済学賞受賞者がわかりやすく論じる。 買ったけど殆ど読んでないです。ネームバリューだけで買っちゃいけませんな。 詳細 単行本 341ページ 出版社 東洋経済新報社 (1998/09) ISBN-10 4492312501 ISBN-13 978-4492312506 発売日: 1998/09 商品の寸法 19 x 13.4 x 2.6 cm