約 452 件
https://w.atwiki.jp/smmr/pages/362.html
No. 名称ランク 区分 戦場時間 敵軍総大将 報酬金 勝利条件敗北条件特殊目標 勝利報酬特殊報酬 入手素材 編集 箱 雑兵・兵器 武将 編集 1 野盗の罠 依頼 華北30分 山賊山賊親分 100G 総大将の撃破プレイヤー死亡3回3分以内に開門 古紙の札黒炭 編集 ☆ 備考 編集 2 逃げた武将たち 依頼 華北30分 呂布軍- 200G 全武将の撃破プレイヤー死亡3回妖蝶の撃破 星砂にごり油 編集 ☆ 備考 編集 3 黄巾賊撃退戦 合戦 苑城30分 黄巾賊張梁 100G 張梁の撃破プレイヤー死亡3回50人撃破 大地の魂真珠 竹材*1木綿布*2麻紐*1古紙の札*1大地の魂*1 白蝋木(黄巾兵長(弓))白蝋木(親衛隊(弓))短刃のかけら(黄巾兵(剣))長刃のかけら(黄巾兵(槍))長刃のかけら(黄巾兵長(槍))長刃のかけら(親衛隊(槍))広刃のかけら(親衛隊(槍))古い棒(親衛隊(弓)) 黒炭(程遠志)牛のなめし皮(程遠志)にごり油(張曼成)幽州の湧き水(張曼成)月光石(張梁)活力の札(張梁) 編集 ☆ 備考 編集 4 失われた荷 依頼 華北30分 黄巾賊なし 200G 目標地点への到達プレイヤー死亡3回50人撃破 庶民の書ニカワ 編集 ☆ 備考 編集 5 黄巾砦攻防戦 合戦 洛陽30分 黄巾賊張宝 200G 張宝の撃破プレイヤー死亡3回武装拠点の全破壊 黒曜石砂金 編集 ☆ 備考 編集 6 白昼の奇襲 依頼 中原10分 黄巾賊波才 200G 波才の撃破プレイヤー死亡3回馬元義の撃破 麻紐幽州の湧き水 編集 ★ 備考 編集 7 黄巾の乱 合戦 広宗30分 黄巾賊張角 400G 張角の撃破プレイヤー死亡3回張梁・張宝の撃破黄天雷の全破壊 竹材鷹の像太陽石 編集 ★ 備考 編集
https://w.atwiki.jp/gamemusicbest100/pages/3183.html
三國志II 機種:PC88,PC98,MSX2,X1,FMT,X68k,FC,SFC,MD,Win,PS,GBC,WS,iアプリ,Vアプリ,EZアプリ,iOS,Android 作曲者:向谷実 開発元:光栄 発売元:光栄 発売年:1989年(PC88版) 概要 「三國志」シリーズの第2作目。システムの完成度が高まりシリーズの土台となった。 本作をベースにしたGBC版『三國志 ゲームボーイ版2』、モバイルアプリ版『Mobile 三國志2』も発売された。 『三国志ツクール』にもBGMが流用されており、『三國志 ゲームボーイ版』のBGMは本作のものがベースになっている。 本作の作曲はフュージョンバンド・カシオペアのキーボーディスト、向谷実氏。向谷氏は次作の『III』も作曲を担当した。 原曲は全体的にゆったりしたものが多く、戦争の曲がややコミカル。 「貂蝉の舞」は使用されている歴史イベントにセクシャルな表現が含まれているため、機種によってはオミットされている。 収録曲 No.(SW) No.(Win) 曲名(PC88版) 曲名(SFC版) 曲名(サウンドウェア) 備考 順位 01 OP オープニング オープニング オープニング~黎明~ 02 02 初期設定 初期設定 序章 シナリオ選択 04 06 列強諸国 メイン・テーマ ユーザー君主メインテーマ 列強諸国 メイン周縁(14国、15国、37国~41国) 11 列強諸国 戦争テーマ ユーザー君主戦争テーマ 戦争周縁(14国、15国、37国~41国) 09 05 呉 メイン・テーマ 呉メインテーマ 呉のテーマ メイン揚州・荊州(19国~28国) 10 呉 戦争テーマ 呉戦争テーマ 戦争揚州・荊州(19国~28国) 07 07 華北諸国 メイン・テーマ その他の君主メインテーマ 華北諸国 メイン河北(1国~7国) 12 華北諸国 戦争テーマ その他の君主戦争テーマ 戦争河北(1国~7国) 05 敗退 戦争敗退 敗戦 戦争敗北Win版ではジングルで流れる 08 15 後継者選択 後継者選択 君主陣没 君主死亡 12 14 死亡 故国の終焉 ゲームオーバー 03 04 蜀 メイン・テーマ 蜀メインテーマ 蜀のテーマ メイン益州(29国~36国) 09 蜀 戦争テーマ 蜀戦争テーマ 戦争益州(29国~36国) 06 17 外交の使者 外交の使者 使臣来訪 使者来訪 10 18 婚姻 婚姻 婚姻の儀 11 16 貂蝉の舞 貂蝉の舞 美女連環の計 13 03 魏 メイン・テーマ 魏メインテーマ 魏のテーマ メイン中原(8国~13国、16国~18国) 08 魏 戦争テーマ 魏戦争テーマ 戦争中原(8国~13国、16国~18国) 14 勝利 戦争勝利 征戦 戦争勝利Win版ではジングルで流れる 15 13 統一のファンファーレ 乱世統一 ED エンディング エンディング グレードアップ・ヴァージョン・メドレー 「オープニング」「魏 メイン・テーマ」「魏 戦争テーマ」「華北諸国 メイン・テーマ」「華北諸国 戦争テーマ」「敗退」「外交の使者」「後継者選択」「エンディング」のアレンジメドレー ファミコンヴァージョン・メドレー 「オープニング」「列強諸国 戦争テーマ」「呉 戦争テーマ」「蜀 戦争テーマ」「華北諸国 戦争テーマ」「魏 メイン・テーマ」「エンディング」のFC版メドレー サウンドトラック 三國志II アレンジ音源によるサウンドウェア。一部がWin版とPS版の音源に使われている。 光栄オリジナルBGM集Vol.3 三國志II/維新の嵐 PC88版のFM音源+グレードアップ・ヴァージョン・メドレー。『維新の嵐』のFM音源と合わせて収録。 光栄サウンドウェア・スペシャルサンプラー サウンドウェアから「オープニング~黎明~」と「蜀のテーマ」を収録。 THE BEST OF KOEI Vol.2 サウンドウェアから「列強諸国」「オープニング~黎明~」「呉のテーマ」「貂蝉の舞」「魏のテーマ」「乱世統一」の6曲を収録。 光栄オリジナルBGM集 Vol.5 スーパー信長の野望・武将風雲録/スーパー三國志II SFC版『スーパー三國志II』のゲーム音源+ファミコンヴァージョン・メドレー。『スーパー信長の野望・武将風雲録』のゲーム音源と合わせて収録。 光栄ベスト・オブ・ベスト 三國志 究極音盤 サウンドウェアから「蜀のテーマ」「貂蝉の舞」「呉のテーマ」「華北諸国」「君主陣没」「故国の終焉」「オープニング~黎明~」の7曲を収録。 KOEI ENDING COLLECTION サウンドウェアから「乱世統一」を収録。 三國志歴代サウンドトラックCD 「三國志」30周年記念歴代タイトル全集 同梱 Disc2にサウンドウェア音源を収録。 「三國志」30周年記念コンサートCD 三國志13 with パワーアップキット TREASURE BOX 同梱 『三國志13 with パワーアップキット』記念版の特典。神奈川フィルハーモニー管弦楽団と向谷実氏の演奏による「オープニング~黎明~」と「呉のテーマ」を収録。
https://w.atwiki.jp/smmr/pages/18.html
編集/ 簡易編集 No. 名称ランク 区分 戦場時間 敵軍総大将 報酬金 勝利条件敗北条件特殊目標 勝利報酬特殊報酬 入手素材 箱 雑兵・兵器 武将 1 野盗の罠 依頼 華北30分 山賊山賊親分 100G 総大将の撃破プレイヤー死亡3回3分以内に開門 古紙の札黒炭 ☆ 備考 2 逃げた武将たち 依頼 華北30分 呂布軍- 200G 全武将の撃破プレイヤー死亡3回妖蝶の撃破 星砂にごり油 ☆ 備考 3 黄巾賊撃退戦 合戦 苑城30分 黄巾賊張梁 100G 張梁の撃破プレイヤー死亡3回50人撃破 大地の魂真珠 竹材*1木綿布*2麻紐*1古紙の札*1大地の魂*1 白蝋木(黄巾兵長(弓))白蝋木(親衛隊(弓))短刃のかけら(黄巾兵(剣))長刃のかけら(黄巾兵(槍))長刃のかけら(黄巾兵長(槍))長刃のかけら(親衛隊(槍))広刃のかけら(親衛隊(槍))古い棒(親衛隊(弓)) 黒炭(程遠志)牛のなめし皮(程遠志)にごり油(張曼成)幽州の湧き水(張曼成)月光石(張梁)活力の札(張梁) ☆ 備考 4 失われた荷 依頼 華北30分 黄巾賊なし 200G 目標地点への到達プレイヤー死亡3回50人撃破 庶民の書ニカワ ☆ 備考 5 黄巾砦攻防戦 合戦 洛陽30分 黄巾賊張宝 200G 張宝の撃破プレイヤー死亡3回武装拠点の全破壊 黒曜石砂金 ☆ 備考 6 白昼の奇襲 依頼 中原10分 黄巾賊波才 200G 波才の撃破プレイヤー死亡3回馬元義の撃破 麻紐幽州の湧き水 ★ 備考 7 黄巾の乱 合戦 広宗30分 黄巾賊張角 400G 張角の撃破プレイヤー死亡3回張梁・張宝の撃破黄天雷の全破壊 竹材鷹の像太陽石 ★ 備考 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/wikirace/pages/35.html
番外編・ジャニーズ 日本の人気アイドルである。 ジャニーズのタレントを分類する。 弥生系 赤西仁 形質が北方系黄色人種の一派であることは間違いない。 森田剛 弥生人の典型。 中居正広 弥生に少しマレー系が入った形質である。 二宮和也 典型的とも思える弥生人。 亀梨和也 典型的とも思える弥生人。 相葉雅紀 弥生人。 小山慶一郎 弥生であるが朝鮮半島の形質が強く出ている。 中国東北部(華北) 草彅剛 もう少し背が高ければ典型である。顔立ちは文句なしの華北。 東山紀之 文句なしの華北。 中国南東部(華南) 国分太一 文句なしの華南。ここまで華南の形質が出ている日本人は珍しい。 大野智 文句なしの華南。 櫻井翔 華南。顔立ち、体型が華南そのもの。 山田涼介 華南。縄文の遺伝子も強く入っていると思われる。 稲垣吾郎 華南。縄文の遺伝子も強く入っていると思われる。 渋谷すばる 華南。縄文。分類が難しい形質である。 増田貴久 ベトナムにも多い華南顔。典型的な顔である。 縄文系 加藤成亮 縄文。若干、北方系が入っていると思われる。 手越祐也 ほぼ縄文。マレー系も入っていると思われる。 岡田准一 ほぼ縄文。鼻の形はコーカソイドのようにも見える。 田中聖 縄文。 植草克秀 縄文。 横山裕 顔が細い。縄文とするに無理があるか。 マレー系 城島茂 ここまでマレー系の形質を持った日本人がいることに驚きである。 松岡昌宏 体型はマレー系とは程遠いが顔がマレー系。体型は北方系の黄色人種。 山下智久 マレー系。 松本潤 マレー系と思われる。 錦戸亮 典型的なマレー系と思われる。子どもの頃の写真をみると、マレー系ではないかも知れないとも思う。 木村拓哉 典型的なマレー系と思われる。 ポリネシア系 香取慎吾 ポリネシアともマレーともつかぬ形質である。あの明るい性格、体型がポリネシアの性質ではある。 コーカソイドの形質を持つ人物 長瀬智也 鼻以外、まるでアフガニスタン人のような形質。鼻だけは黄色人種。ポリネシア系かも知れませんが。
https://w.atwiki.jp/qqr2/pages/33.html
家族系統 日本人プレイヤーが立ち上げたクランを紹介します。 日本人も多いので、一緒にできる友達を探したい方は家族長に声をかけてみましょう。 (詳しくは公式QQスレッドを参照) 広東サーバー Sound Killer 上海サーバー sanctuary 華北サーバー クラン名「CutieAngel」 女性オンリーの家族です。 クラン名「花鳥風月」 トップページからログインした状態で「加入」を押すと 文字化けしたポップアップが出ると思われますが、それで申請は通っています。 家長(もしくは同等の権限を持つ人)に承諾してもらえれば、家族の一員です。 日本人プレイヤーリスト プレイしてる名前とサーバーです。 サーバー QQ名 日本名 備考 上海 【Ciel】 しー 上海家族の族長 〃 【bokutan】 bokutan 広東 Ceciltan Cecil 華北 绫夢 りつ 綾は簡体字 名前載せても良いぞという方はご一報下さい。 管理人ゲームチューID→「理津」
https://w.atwiki.jp/stampcatalog/pages/468.html
https://w.atwiki.jp/stampcatalog/pages/471.html
https://w.atwiki.jp/stampcatalog/pages/469.html
https://w.atwiki.jp/smmr/pages/363.html
No. 名称ランク 区分 戦場時間 敵軍総大将 報酬金 勝利条件敗北条件特殊目標 勝利報酬特殊報酬 入手素材 編集 箱 雑兵・兵器 武将 編集 1 街の開放 依頼 河内30分 董卓軍牛輔 300G 牛輔の撃破プレイヤー死亡3回山賊の全滅 木綿布月光石 編集 ★ 備考 編集 2 黄巾の残党 依頼 華北30分 黄巾賊- 300G 敵拠点の全制圧プレイヤー死亡3回妖蝶の撃破 竹材琥珀 編集 ★ 備考 編集 3 紫の津波 依頼 華北30分 董卓軍胡軫 400G 董卓軍の全滅プレイヤー死亡3回無傷で10人撃破 猛獣の魂白炭 編集 ★☆ 備考 編集 4 隠れた侵入者 依頼 長安30分 董卓軍徐栄 400G 徐栄の撃破プレイヤー死亡3回伏兵を一度で看破する 小霊石霊水 編集 ★☆ 備考 編集 5 汜水関の戦い 合戦 汜水関30分 董卓軍華雄 300G 汜水関の突破プレイヤー死亡3回7分以内に華雄を撃破李儒の計略の阻止 孔雀石牛のなめし革活力の札 編集 ★ 備考 編集 6 虎牢関の戦い 合戦 虎牢関30分 董卓軍呂布 500G 虎牢関の突破プレイヤー死亡3回呂布の撃破 純白の札生命石 編集 ★☆ 備考 編集 7 洛陽の戦い 合戦 虎牢関30分 董卓軍董卓 500G 董卓の撃破プレイヤー死亡3回5分以内にクリア計略兵の全滅 熱砂の紅玉孔雀の羽黒真珠 編集 ★☆ 備考 編集 8 郿城の戦い 合戦 長安30分 董卓軍董卓 600G 董卓の撃破プレイヤー死亡3回天禄の撃破 匠の書翡翠 編集 ★★ 備考 編集
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1546.html
統合幕僚学校・高級幹部課程講義案 「『昭和の戦争』について」 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長) 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない 第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 第一節 「抗日民族統一戦線結成の提唱」=一九三五=昭和十年 満州事変の終結からニ年経った一九三五=昭和十年七月、モスクワで開催のコミンテルン第七回大会は、「反ファシズム統一戦線・人民戦線路線」を採択した(公安庁『国際共産主義の沿革と現状』、カワカミ五九―六〇頁)。それは、「ソ連が資本主義列国を単独で打倒すことは到底不可能である。目下の急務は、アジア正面の敵日本帝国、そしてヨーロッパ正面の敵ドイツ帝国を撃破することだが、この二国は強力でソ連の手に負えない。従って、日独を欺くためには宥和政策を以てし、彼らを安心せしめ(ドイツとの不可侵条約《一九三九年》並びに日本との中立条約《一九四一年》)、日本を支那と米英、ドイツを英仏と戦わせて、漁夫の利を占める」という戦略を建てたのである。日米は支那大陸でその権益を巡り、長い間冷戦(静かな戦争)を展開していたから、ズバリの戦略と言えよう(コミンテルン資料)。 コミンテルン決議を受けて支那共産党中央は、同三五年八月一日に「抗日民族統一戦線結成」=八・一宣言を支那全土に発した。東京でゾルゲと尾崎秀実が、日支を激突させ、最終的には支那を支援する米英と日本を激突させる謀略工作を開始したのは、前年昭和九年の初夏であった。この年十月七日、広田弘毅外相(岡田内閣=同内閣は翌年二月の事件に遭遇)は、蒋作賓駐日支那大使と会談、日華提携の前提条件(1)排日運動の停止、(2)満州国の黙認、(3)共同防共=赤化防止政府を提示(広田三原則)したところ、支那大使は概ね同意した。しかるに蒋介石は戦後の回顧録『秘録』(十一巻、七〇―七二頁)で、広田三原則に同意した覚えは無い、広田が勝手に「支那も賛同した」と公表したのだ、我々は否定していた、と述べた。だが、「東京裁判」で日本を悪者に仕立てるために辻褄を合わせる虚偽の証言である。支那人は明白な史料が残っていても平気で嘘をつく、南京大虐殺三十万人なぞは平気の平左の嘘八百である。 第二節 華北分離工作への支那の抵抗――民族統一戦線結成工作の進展とその背景 三五=昭和十年十月下旬、毛沢東の紅軍主力は、陝西省北部に到着した。(支那共産党史は、「英雄的大長征」と言っているが要するに逃避行であり、その間に凄惨なる内ゲバが続いて毛沢東がヘゲモニーを掌握)。この敗残集団である共産党を一挙殲滅せんと蒋介石は、西北剿共総司令部を西安に設置、自らが総司令、副指令に張学良を任命した。だが、張学良は乗り気でなく、寧ろ親の敵、満州掠奪の敵と恨みを重ねていて、「抗日救国」を提唱する共産党との連携を密かに進めていた。いや、寧ろ共産党側が張学良を丸め込んだのである。張学良にはコミンテルンから指令が出ていて軍資金と兵器の供与を受けていた。 さて、満洲建国以後、支那の反発は益々強まり、日支間に小競り合いが絶えない。そこで、我邦は支那本部と満洲の間(華北)に緩衝地帯を形成しようと本腰を入れた(注・冀察政務委員会成立=委員長宋哲元。宋は華北省主席を兼ねた。また三六=昭和十一年四月一七日には華北治安維持に支那駐屯軍《通称、天津軍》を現在の千七百から五千七百に増強している)。これは「華北分離工作」と言われた(注・「華北処理要綱」という華北五省の自治強化政策案を政府が作成したのは一九三六=昭和十一年一月十三日)。満洲に支那の内戦が直接波及するのを防止するのが、我邦の意図であった。 しかるに、国民党や支那共産党筋は、日本帝国主義は満洲掠奪だけでは飽き足らず、華北侵略・支那本部侵略を目指している証拠だと騒ぎ立て、それを受けて十二月九日(十二・九運動)、北平の学生らが「抗日救国」「華北分離工作反対」の大々的な示威運動を実行、運動は全国各都市に波及した。十二月十九日、支那共産党中央は「抗日民族統一戦線結成策」を決定した。年が明けて三六=昭和十一年正月、蒋介石は、「未だ外交的手段による失権回復は絶望的ではないが、時が来たれば抗日に立ち上がる事も有り得る」と演説した。 このように情勢が目まぐるしく変転する中、二月から三月にかけて山西省方面の軍閥と戦闘中で劣勢だった毛沢東は、五月五日、周囲の状況を読んで突如今まで掲げていた「反蒋」のスローガンを「連蒋」に切り替えた(五・五通電)。八月二十五日、支那共産党中央は、公式に「反蒋・反国民党」の看板を下ろして、「共同抗日・建設民主共和国・回復国共合作」を表明したのである(八月書簡)。蒋介石の共産党掃滅作戦を思い止まらせようとの戦術転換だった。支那の激しい反日運動を米国の民主党系メディアも熱心に支援した。 第三節 西安事件――東アジア情勢の重大な曲がり角 歴史というものは実に複雑怪奇なものである。大陸政策のギクシャクに激しい危機感を持った日本内地の陸軍青年将校の政府転覆のクーデタ未遂事件=(一九三六=昭和十一年)二・二六事件が起こった。これが支那の強硬な対日姿勢を一層促す作用を果たしたのは当然である。日本に敵対する諸勢力は、日本の政治状況の極度な不安定、内部分裂の兆候であると読んだのであろうし、それが「抗日運動」を超えて「抗日戦争」へとその意欲を高めた筈である。ソ連・コミンテルンそして支那共産党は間違いなく「抗日戦争」の確信犯であった。これに対し、蒋介石は未だに「抗日戦争」には半信半疑ながらも、共産党殲滅作戦をまず完遂しようとの決意は動いていなかった。 共産党側が盛んに国共合作復活のサインを出し続けたのに対し、蒋介石は、この年の晩秋、北西剿共軍副指令張学良に全面攻撃を指令、十二月四日、督戦のため西安に乗り込み、副指令張学良および揚虎城らに共産軍攻撃を強化して三ヶ月以内に共産党を殲滅せよと厳命した。張学良が剿共作戦に不熱心だったからである。これが、再度のしかも共産党主導の国共合作への流れを促したのである。既に指摘したように張学良は、ソ連・コミンテルンや支那共産党と通謀していた。剿共作戦を中止して国共合作を回復し、「抗日戦争」に立ち上がろうと決意していた。ここに張学良の一世一代の大芝居が突発する。西安事件である。この事件は東アジア情勢の大転換点だ。事態の推移を時系列で確認しよう。 (1)一九三六(昭和十一)年十二月四日、総司令蒋介石、督戦に飛行機で西安に到着。この日から、張学良は剿共作戦を停止して国共合作を復活し「共同抗日」に立ち上がろうと蒋を説得し続けた。だが、蒋は頑なにそれを拒否して剿共作戦の即時強力実行を命令する。十二日、張学良は叛乱に踏み切る。陝西綏西司令揚虎城と共謀し、蒋を軟禁した。 (2)その日、示し合わせたように延安から周恩来が西安に飛来。蒋との折衝にかかる。毛沢東指導の延安共産党本部は、「蒋介石誅殺」を決議した。 (3)時を移さず、モスクワからスターリンの支那共産党宛電報が達した。「蒋介石を即時釈放せよ、さもなくんば貴党とは関係を断絶する」と言う厳命だった。蒋介石を人民裁判にかけて死刑に処し、西北抗日防衛政府を樹立する積りでいた毛沢東は、当時の力関係と従来の支配=服従関係からスターリンの命令に屈服せざるを得なかった。この時、延安は勿論西安でも「蒋介石処刑論」が圧倒的だったと言う。毛沢東はスターリンの厳命に接して地団太を踏んで悔しがったと言う。 (4)監禁された蒋介石と周恩来=中共からおよそ六項目の条件を呑まされた(田中正明『朝日・中国の嘘』一一一頁)。監禁二週間目の二十五日、蒋は釈放され、無事南京に帰還した。年が明けて一九三七=昭和十二年正月六日、蒋介石は剿共作戦を中止して西北剿共司令部を廃止した。二七年四月の蒋介石の反共クーデタ以来約十年の国共内戦は停止された。これでスターリンの東アジア戦略=日本帝国主義と蒋介石を激突させる戦略は軌道に乗ったと共に、支那共産党は殲滅の危機から脱出したのである。そして、西安事件の次に遣って来たのが盧溝橋事件である。 第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か? 一九三七(昭和十二)年正月二一日、帝国議会の施政方針演説で広田弘毅首相は、「所謂コミンテルンの危険性は近来益々増大の兆候あり」と述べた。だが、政変となり、二月二日 林銑十郎内閣が成立。二月十日、支那共産党は、国共合作・共産革命の武装蜂起停止・土地革命停止、そして紅軍の国民革命軍への合流を国民党に提案したのである。 六月四日、第一次近衛文麿内閣が成立した。 七月七日、北京郊外の盧溝橋で日支両軍衝突事件が突発した。二十二時四十分、支那側から発砲。この事件そのものは今までも多発していた日支両軍の小競り合いだったので、日本政府は、現地解決そして不拡大方針で臨んだ(今井武夫『支那事変の回想』一頁。臼井『日中戦争』三十三―三十六頁)。 だが、日本の姿勢とは逆に、八日、中共中央委員会「徹底抗日」通電した。 九日、蒋介石政府は、大掛かりな動員令を発令した(カワカミ『シナ大陸の真相』一四三、一四八頁)。 十日、埼玉大和田海軍受信所、北京米国海軍武官からワシントン海軍作戦司令部宛暗号電報を傍受した。それは「第二九軍宗哲元麾下の一部不穏分子は現地協定にあきたらず今夜七時を期し日本軍に対し攻撃を開始することあるべし」とあった(初代海軍軍令部直属攻撃受信所所長和智恒蔵少佐(後、大佐)の東京裁判での宣誓口供書)。 十一日「午後八時、特務機関長松井太九郎大佐と張自忠との間に二九軍代表の遺憾の意表明、支那軍の盧溝橋からの撤退、抗日団体の取締徹底を期待した現地協定(松井―秦徳純)」が成立した。東京ではこの日午前の五相会議において、支那軍の謝罪、将来の保障を求めるための威力顕示のための派兵も已むなしと陸軍三個師団の動員を内定した。しかし、支那駐屯軍から現地停戦協定が成立した旨の報告が入ったので、軍部は一応盧溝橋事件の解決と認め、内地師団に対する動員下令計画を見合わせた。丁度この頃、支那共産党宛コミンテルン指令の骨子「日支全面戦争に導け」。 支那共産党が、国共合作宣言を公表したのは七月十五日、蘆溝橋事件の一週間後のことだ。 十七日、蒋介石と周恩来の廬山談話(四原則の声明)があり、蒋介石「対日抗戦準備」「最後の関頭に立向かう」応戦声明を発表した。 十九日までに、蒋介石軍は三十個師団(約二十万)も北支に集結、内約八万を北京周辺に配備。この日、南京政府は、この事件に関する地域レベルでの決着は一切認めない、東京は南京と交渉しなければならない、ときっぱり日本に通報してきた。つまり、現地協定拒否の表明である。 二十日、支那第三十七師の部隊は、盧溝橋付近で日本軍に対する攻撃を再開。 二十一日、蒋介石総統は南京で戦争会議開催、日本に対して戦争の手段に訴えると公式採択したのである。 第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間 (1)日本は戦争を望んでいなかった。 (2)東京裁判で中華民国側は、華北に日本軍が侵略したのが原因だと言い張ったが、北平に駐屯していた通称天津軍は一九〇一=明治三四年七月、列国一一ヵ国が支那政府と締結した「北京議定書」に基づき、支那の首都の治安維持のための条約に基づく駐屯だった。 (3)様々な史料で明らかなように、日支両軍衝突を挑発したのは支那側で有り、それは支那共産党の謀略部隊による挑発であった。 (4)盧溝橋事件以後の三週間、日本側は、四度停戦協定を結んだが、支那軍は悉くこの停戦協定を破った。 (5)この三週間、日本側は動員令を出すのを控えたが、蒋介石(南京)政府は即座に動員令を発した。 (6)この三週間に支那軍は二十五万の兵員を北支に結集したが、日本は事件の平和的交渉を通じて解決しようと必死に努力した。 我邦は明らかに和平を強く希望していた。しかし、支那の応答は、七月二五日の廊坊(天津―北平間に所在)事件、七月二六日の広安門事件、そして七月二十九日の通州事件であった。特に通州では冀東政府保安隊が日本人民間人およそ二百人を大虐殺する惨酷な事件だ。次いで一万人の日本民間人が居住している天津日本租界が襲撃された。打ち続く残虐な事件の後を追って、八月九日、上海国際租界で日本海軍士官大山中尉・水兵殺害事件突発。ついで起こったのが、八月十三日の第二次上海事変である。 上海事変に関して指摘すべきは、蒋介石軍は第一次上海事変の後に国際間で取り結ばれた協定=上海停戦協定を踏み躙る軍事行動だった。しかも、英・米・仏は国際法を踏み躙る蒋介石に好意的だった。九月二日、日本政府は、『北支事変』を『支那事変』と改称し日支軍事衝突のこれ以上の拡大を防ごうとした。だが、九月二十二日、南京政府と支那共産党は同時に『国共合作』・『民族統一戦線結成』を宣言して、徹底抗戦の構えを見せたのである。上海の支那軍の妄動を制圧すべく、中支那軍は南京を制圧したのである。参謀本部と現地軍との間に作戦を巡る見解の相違が生じたこと、中支方面軍司令官松井石根が有る意味で最大の貧乏くじを引かされたことをもっと明らかにする必要がある。 日本軍国主義が昭和初年に立てた大陸侵略、世界征服の「共同謀議」から必然的に発展した侵略戦争が支那事変だったと『東京裁判』は断案した。しかし、この判決が、如何に歴史の事実を無視した、歪曲された「昭和の戦争」論であるかを大凡示すことが出来たと考える。カール・カワカミは言う「日本人の忍耐力は実に驚嘆に値する」と(一五四頁)。 統合幕僚学校・高級幹部課程講義案