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澧王惲 790頃-820 中唐の宗室。憲宗の二子。生母不詳。初名は李寛。貞元二十一年(805)同安郡王となり、元和元年(806)澧王に封ぜられた。恵昭太子が薨じると、吐突承璀が皇太子に立てるよう議したが、憲宗は穆宗を太子とした。憲宗が崩ずると殺害された。子に東陽郡王李漢、安陸郡王李源、臨安郡王李演がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。 列伝 『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 憲宗二十子 澧王惲 『旧唐書』巻一百七十五 列伝第一百二十五 憲宗至昭宗諸子 憲宗二十子 澧王惲 外部リンク 維基百科,自由的百科全書 李惲 (澧王)(中文)
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名稱:錢易 伺服器及顏色:6服綠類型:文 性別:男 生命值:417 武力:41 智力:23 防禦:10 敏捷:44 運勢:82 敘述:錢易(968年~1026年),字希白、寶月,號慧照大師,臨安(今屬浙江)人。吳越工錢鑼、吳越王錢?之後,吳越王錢倧子,錢昆弟,錢惟渲之從弟。淳化三年(992年)舉進士,因繳卷過早,被主考官以為輕率,不被承認。卻因此名躁一時,蘇易簡認為他有李白之才。真宗鹹平二年(999年)以榜眼及第,授濠州團練推官、光祿寺丞,官至翰林學士,字畫均佳,“自畫十六羅漢,極古怪。 ”尤其擅長書寫丈余大型行草條幅。著有《金閨瀛洲西垣制集》、《洞微誌》等,今僅存《南部新書》。
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名稱:袁韶 伺服器及顏色:5服藍類型:文 性別:男 生命值:580 武力:36 智力:33 防禦:15 敏捷:47 運勢:106 敘述:淳熙十四年登進士第。嘉泰年間,任吳江縣丞。任上重新定立戶籍、徭役制度,與蘇師旦對立。後遷桐廬知縣,任上上書免除了桐廬不必要的石料之征,受當 地百姓愛戴。嘉定四年,召為太常寺主簿,桐廬百姓夾道歡送,直送至富陽。曾任右司郎官,接待陪同金國來使,不失國格。任臨安府尹近十年,擅於處理復雜案 件,平反很多冤假錯案,百姓稱他作“佛子”。紹定元年,任參知政事,參與國家機務。持胡夢昱無罪。曾任浙西制置使,向史彌遠舉薦崔福。端平初年,授宮觀 官,逝世時年77,贈少傅、太師,封越國公。
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名稱:李心傳 伺服器及顏色:5服綠類型:文 性別:男 生命值:406 武力:31 智力:21 防禦:11 敏捷:43 運勢:88 敘述:李心傳(1167年—1240年),字微之、伯微,世稱秀嚴先生。隆州(四川)井研人。十四歲隨父李舜臣居於臨安(今浙江杭州),舜臣博通古今,時 任宗正寺(管天子宗族事)主簿,李心傳有機會閱讀官藏史書。三十歲進士不第,遂絕意於仕途,專心從事史學研究,又仿李燾的《續資治通鑒長編》體例,編成 《建炎以來系年要錄》二百卷,記述了建炎元年(1127年)至紹興三十二年(1162年)共三十六年的史事,尤詳於嶽飛事。晚年由崔與之等人薦為史館校 勘,專修《中興四朝帝紀》,書未寫成,官至工部侍郎。著有《建炎以來朝野雜記》、《丁醜三禮辨》、《西陲泰定錄》等書。
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董昌 846-896 唐末の武将・叛将・藩鎮・群雄。大越羅平皇帝(在位895-896)。杭州臨安の人。はじめ土団軍(民間防衛隊)に籍を置き、軍功によって石鏡鎮の将となり、中和三年(883)杭州刺史路審中の任地を妨害して自ら刺史となり、劉漢宏を破って、義勝軍節度使・検校尚書右僕射に任じられた。朝廷に貢納をあつくしたため、検校太尉・同中書門下平章事(宰相)を拝命し、隴西郡王に封じられた。当初善政をしいたが、次第に苛政となり、自らの生祠をつくり、判決や任用をサイコロで決めるなど横暴を極めた。ついに乾寧二年(895)に皇帝に即位し、国号を大越羅平とし、自らを聖人と称し、順天と改元した。鎮海節度使の銭鏐が皇帝即位を責めて攻撃の姿勢をみせると、部下に罪をなすりつけて逃れようとして、その部下を銭鏐のもとに送りつけたが、通用するはずもなく、銭鏐の攻撃を受けた。楊行密の救援を受けたものの、銭鏐の将軍顧全武の猛攻を受けてついに捕らえられ、一族もろとも処刑された。『新唐書』に伝がある。 列伝 『新唐書』巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 董昌 外部リンク 董昌(大越羅平皇帝)_百度百科(中文) https //baike.baidu.hk/item/%E8%91%A3%E6%98%8C/17782
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詞の萌芽 《楽府詩集・近代曲辞》:宋:郭茂倩:専門詩人の作;定型詩 《雲謡集》:敦煌で発見された:民間作者の作;長短句 詩余:詩の余技 白居易・元稹・韋応物・劉禹錫・王建 晩唐から五代の詞人 花間派 《花間集》:後蜀:趙崇祚:18家500首 温庭筠:官界に容れられず:遊里での男女の情態を艶麗な色彩感で歌った。 李璟:南唐中主 李煜:南唐後主 馮延巳:李璟の宰相 北宋 婉約派 柳永:南唐出身:科挙のため汴京に出るが酒色に溺れて落第を重ねる。:艶情、旅情客愁:慢詞:俗語を頻繁に用いた 豪放派 蘇軾:東坡:懐古・憂世・詠懐・送別:「詩で詩を作った」 婉約派 周邦彦:慢詞:叙情・叙景:柳永より典雅な措辞で、古典の詩句を採り入れた。 南宋 徽宗が金に捉われ、首都を汴京から臨安に移す。 政界では主戦論と和平論が鋭く対立。 豪放派 辛棄疾:山東:稼軒体:愛国詩人:「論で詞を作った」:憂世・人生論 金との講和が成立 婉約派 姜キ・史達祖 詞の衰退 専門詞人の台頭→文学に関与する層の縮小。 元による宋の滅亡。 元代には「散曲」という口語を多用する歌唱文学が登場した。 清代まで詞の歴史には長い空白がつづく。 《詞源》:張炎:詞の理論的研究書 《絶妙好詞》:周密
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尭 暦の作成 舜 夏 禹 治水 桀王 殷 湯王 紂王 周 鎬京 武王 洛邑 平王 秦 咸陽 政 郡県制施行 度量衡、文字、貨幣統一 言論、思想統制 阿房宮建設 前209 陳勝・呉広の乱 前漢 長安 劉邦 前200 白登山の戦い 郡国制施行 景帝 呉、楚、他五諸侯 前154 呉楚七国の乱 武帝 張騫 前139 哀帝 前7 限田法 新 王莽 農民 18 赤眉の乱 後漢 洛陽 劉秀/光武帝 劉宏/霊帝 張角 184 黄巾の乱 劉協/献帝 曹操 196 屯田制 魏 曹丕 蜀 成都 劉備 呉 建業 孫権 西晋 司馬炎 280 占田・課田制 東晋 建康 司馬睿 宗 劉裕 斉 蕭道成 梁 蕭衍 陳 陳覇先 北魏 平城 拓跋珪 太武帝 洛陽 孝文帝 496 西魏 長安大興城長安 宇文泰 東魏 鄴 高歓 北周 宇文覚 北斉 高洋 隋 楊堅 煬帝 唐 李淵 李世民 高宗 中宗 周 則天武后 唐 北宋南宋 開封 臨安 元 明 清 北京 ヌルハチ ヌルハチ 1619 サルフの戦い 明軍撃破 八旗設立 ホンタイジ 李自成 1631 李自成の乱 ホンタイジ 理藩院設置 順治帝 1644 北京入城 李自成の乱平定 呉三桂の先導 辮髪令発布 康熙帝 鄭成功 1661 呉三桂 1673 三藩の乱 康熙帝 1683 1689 ネルチンスク条約 典礼問題 地丁銀施行 公行設立
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銭鏐 852-932 唐末の武将・藩鎮・群雄。五代十国、呉越の初代国王(在位907-932)。杭州臨安の人。字は具美。諡は武粛王。廟号は太祖。唐初の功臣銭九隴八代の孫と自称するも不明である。若くして私塩の密売にしたがい、任侠無頼の徒となり、875年石鏡鎮の董昌の副将に任命された。それ以後、王仙芝の残党および黄巣軍を撃退、また、浙江東道の劉漢宏を殺し、杭州八都の支持をうけ、887年杭州刺史にすすんだ。同年鎮海軍(浙西)内部の反乱を平定、銭氏一族と八都の都将を部将官僚に任じ、893年鎮海軍節度使に昇格した。楊行密・孫儒と潤・常・蘇3州の帰属をめぐって争い、潤・常2州を失った。895年皇帝位についた威勝軍(浙東)節度使董昌の暴挙を討ち、翌年鎮海鎮東(浙東)両軍節度使を兼任、呉国の基礎をかためた。902年配下の武勇都の反乱にあったが907年朱全忠によって呉越国王に封ぜられ、これによって名実ともに呉越国が成立した。932年没するまで、概して中原諸王朝と友好関係をむすび、強敵南唐を牽制した。いちじ後唐の枢密使安重誨との間が悪く、国王名を除かれたこともある。なお在任中に、杭州城を修理増築し(現在の杭州城はその遺跡)、また銭塘江の堤防や水利事業をおこし、国内を豊かにしたが、奢侈にながれた面も少なくなかった。 参考文献 『アジア歴史事典5』(平凡社、1960年)
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王妃となった幼馴染みのチエンチエンと再会したチャオアルとバオ。 二人は部屋に通され、チエンチエンにこの数年の出来事を伝える。 チエンチエンは、ことにロンがフォンという愛する人に出会えたことに感動すると、バオに促され嫁いだ時の様子を語る。織姫の祈り DVD チエンチエンが蒙古へ嫁いだその夜、寝所に現れたエルデ王は、想像とは異なり、とても紳士的で優しい人物だった。 チエンチエンの口に合うよう漢人の料理人に食事を作らせ、また、望郷の思いを満たせるようにとパオの中に江南様式の部屋まで用意していた。外科風雲 DVD エルデ王は、漢人の文化を好み、漢字もかけるため、蒙古人に嫁いだとは思えなかったと笑う。 臨安に赴任したのも、チエンチエンのためにエルデ王が自ら希望したのだという。 チャオアルとバオは、優しい王に嫁いだチェンチェンがとても幸せに暮らしていることを知り、安堵する。 チエンチエンから額王府にやって来た用件を聞かれたチャオアルは、村の畑が接収され、牛や馬の放牧地にされた田畑は荒れ放題だと訴える。云巅之上 DVD なんとかエルデ王に口利きして欲しいと頼むチャオアルにチエンチエンは、王は大都にいてしばらく戻らないと言い、接収は大ハーンが決めたことで、王妃と言えども国家の問題には口を出せないと難色を示す。 それでも食い下がるチャオアルとバオ。チエンチエンはその熱意に負けて、話してみると約束する。 三人は、元に接収された錦繍坊に出かけることにする。織姫の祈り DVD 額王府の庭に出ると、そこにはエルデ王が育てていると言う美しい花々が並ぶ。 チエンチエンは、王が珍しいツバキ[撕破美人臉(シハビジンケン)]という品種を探していると話すと、チャオアルとバオは[美人の顔に傷]とは変わった名前だと笑う。
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南方藩鎮 勢力解説 記述無し 初期メンバー 名前 クラス 身分 Lv 備考 明儼 南宋明光鎧兵 マスター 15 松坡 緑営騎兵 宿将 15 良臣 尸解仙 宿将 15 国瑞 地侍 宿将 15 初期情勢 難易度:高 領地:臨安 上海 総収入:11375(ノーマル) 軍資金:30000 ユニット数:96 同盟 無し 宿敵 大華夏帝国 信 信(北部軍) 一般雇用可能な兵科 東方雷鳴歩兵系 塩賊系 倭寇系 シナリオ1からの変更点 大華夏帝国に旅順を奪われ、タメルラーノ・信との同盟も終了と、四面楚歌の状態に陥っている。 序論 三方向に敵を抱える、きわめて危険な情勢からのスタート。信と大華夏間は宿敵であるため、その両者が共闘してくることはないが、タメルラーノが攻撃を主導し、信と大華夏が援軍で参戦してくるという可能性は充分ある。そうなったらそう簡単には勝てないので、素直にやり直すべき。 一般雇用は幸い召喚の塩賊と、特殊警察になると化ける倭寇と恵まれるが回復要員、騎兵ともに人材しかいないため優秀ではあるが数が少ない。 雷鳴歩兵は耐性のため大華夏帝国の兵科相手の場合火炎放射器以外には極めて有利ではあるが八旗騎兵に技術で劣るため毒であっさり落ちることも多いので過信は禁物。 注意したいのは、大華夏(及び西方藩鎮)が吸収できないことである。先に信や皇女率いる信北部軍を倒している場合は別だが。 以下、周辺勢力のプレイヤー集中攻撃のためタメルラーノとの同盟が不可能であるハード以上という前提で記述する。 攻略考察 進路は三方向、すなわち信・タメル・大華夏とあるが、タメルラーノ、大華夏のどちらかを攻める前提で記述する。 同時侵攻、もしくは信を攻略できるプレイヤーにとって攻略情報は不要だろう。 タメルラーノ攻撃 信、タメルラーノをあえて先手にするという前提で話を進める。 まず信が上海の初期戦力を見てそれに対応する形で兵力を配置する。つまり人材などを集中してこないのだ。 そのためタージマハル攻撃軍の被害を減らすことができる。さらにタージマハルにも人材が配備されにくくなる。 自軍の編成は倭寇を中心に。軍の半分は倭寇でいいだろう。 配置が終わると戦闘が始まる2ターン目。タメルラーノと場合によっては信が攻めてくるので撃退しレベル上げ。一般中心なので苦戦はしないだろう。 そしてタージマハル攻略戦。タージマハル攻撃時は倭寇に若干の被害を出してもいいので城壁周辺の敵を煙玉で状態異常にしてから後退して奇襲、無力化しつつ雷鳴歩兵の真空斬りなどで攻撃する。この際に敵に雷鳴歩兵が多い場合は被害を抑えるために倭寇の奇襲をメイン火力にしよう。良臣のプレートバインドとキュアオールで防御施設を無力化しつつ攻略。 しっかりレベルが上がっていれば勝てるはず。勝てない場合はしかたがないので次のターン(ここで信の総攻撃を受け主力が大きな被害を受けかねない!)にがんばろう。 タージマハルを落としてしまえば後はタメルラーノを吸収するのみ。大華夏相手に臨安を維持していた場合その戦力はタメルラーノの速やかな吸収のために臨安を放棄させて主力に加えよう。後はタージマハルで信の猛攻、特に日向の怪力線に注意しつつ大華夏を攻略しよう。南下は戦線が伸びやすいのでおすすめしない。 大華夏攻撃 信、タメルラーノ、大華夏が先手、信北部軍が後手の前提で話を進める。 雇用兵科は召喚による壁が作りやすい塩賊をある程度とメイン火力雷鳴歩兵を中心に。上海は初期戦力でもある程度なんとかなるので心配なら象兵対策に雷鳴やら塩賊を雇っておけばまず陥落はしない。 時を同じくして大華夏も攻めてくるが主力である武漢三都からの軍勢と戦う場合の戦術は攻めの一手である。 まず戦闘開始と同時に召喚を行う。塩賊の召喚を多少残してもいいがほぼ全力で召喚する。そして召喚部隊に紛れつつ強化に夢中の大華夏軍に召喚壁に隠れつつ松坡の投擲で火炎放射(場合によっては梨花槍兵を混乱させて)を撃破しつつ真空斬りで前衛を狩り尽くす。塩賊は追いつけないだろうがのんびり強化をしててもらおう。 召喚壁とプレートバインドによって攻撃をしっかり遮断していればあっさり勝てるだろう。敵の編成は前衛偏重なので両翼から八旗騎兵に襲われることがあるのでそこだけは注意。 こちらのターン。お好みで旅順か武漢三都を攻略する。旅順の場合立て直した大華夏に一度攻撃させてから反撃し武漢三都を、武漢三都の場合信が旅順をとっているので制圧は困難(信が南方藩鎮より後手、信北部軍より先手の場合旅順は空になるので落としやすいが2ターン目に日向などを含めた総攻撃を受ける。海上で召喚獣と後衛を分断し、倭寇や塩賊の召喚で押し切ることで思いの外簡単に撃退可能。) どっちにせよ武漢三都(と旅順)で信を迎撃しつつ大華夏を攻略していくことになる。信北部軍に信本軍が援軍を送ることがあるのでそれだけは多少注意が必要だがレベルが上がっていれば並行してタメルラーノ攻撃も可能だし運が良ければ顔無し人材からの雇用連鎖で大華夏を吸収することも可能。序盤こそタメルラーノよりキツイが軌道に乗れば一気に拡大できるので拡大している間に信、ETPC、愚者の三方向同時攻撃の対策を考えておこう。 コメント欄 いろいろと詰んでる勢力なように感じるが、さて。 -- 名無しさん (2013-05-12 18 19 25) 倭寇がいる分西方よりマシというべきか、地理とチート人材の不在分西方よりひどいというべきか… -- 名無しさん (2013-05-12 19 48 49) とりあえずこうりゃくしてみた。 -- 名無しさん (2013-05-20 20 55 58) ↑すげぇ・・・ -- 名無しさん (2013-05-20 21 18 21) ↑いや、割と精神論依存の部分と、半DD廃人の記述なんでw -- かいたひと (2013-05-20 23 01 55) どうせ籠城するなら、むしろ武漢三都をとってこもったほうが楽だと思う。大華夏はタメルほどには砲兵を持ってこないし、旅順の隣に位置するので、その気になれば旅順でレベル上げもできる。 -- 名無しさん (2013-05-21 17 59 59) 武漢だと三共闘されるし、タメルの分断吸収も信の分断も遅れるしで戦略的に劣る。もちろん、戦術に長けてて可能ならばその方が収入は多いから悪くはないけど -- かいたひと (2013-05-21 20 18 53) 三共闘って?信とタメルと大華夏が同時ってこと? -- 名無しさん (2013-05-21 20 50 25) 武漢とはいったものの、自分は初手旅順安定だった。タメルの援軍が3ターン目以降ボーナスでしかない自分はやはり廃人か…。 -- 名無しさん (2013-05-21 21 14 38) 廃人でなくともタメルは餌だろう。初手旅順攻略可能は凄いと思うが、火炎放射器が無ければ相性的に雷鳴無双で落とせそうだな。 -- 名無しさん (2013-05-21 21 32 51) 状況と配置と行動順による。大華夏は主力人材を武漢に置きがちで旅順には一般兵しかいないことが多い。というか人材を固めがちなので、逆に旅順に人材が集中しているなら武漢を落とす。それに被害なしで勝つ必要はない。国瑞隊さえ無事に育ってれば、ほかが全滅でもいいはず。狙撃&奇襲無双はおいしいですよ。 -- ↑ (2013-05-21 21 50 58) 自分は、初手で田島春を落とせなかったが旅順はいけた(DD)。攻略法って色々あるなとおもった。 -- ↑ (2013-05-21 21 55 27) あと、大華夏>信北部軍>南方藩鎮>信という順番(左が先手)だと、旅順陥落イベントが起きて超手薄になった旅順をいただくということもできる。 -- 連投すいません (2013-05-21 21 58 46) 読みにくいしタージマハルとってレベル上げて周辺勢力を併呑しようまで要約できる内容だしいろいろ書き換えちゃっていいかな? -- 名無しさん (2013-05-24 00 28 15) ↑一向に構わないっす。白紙ページを埋めるのが目的で、研究なしに攻略した雑多な考察なんで -- かいたひと (2013-05-24 17 31 30) いろいろ書き換えてみた。信を攻めるのは相当な実力が必要……というか無理だった。久秀が頑張ってくれればあるいは。 -- 名無しさん (2013-05-25 13 05 38) 名前 コメント