約 1,708 件
https://w.atwiki.jp/pam-iwate/pages/2033.html
出羽三山神社 出羽三山とは、羽黒山・月山・湯殿山の総称で、崇峻天皇の御子である蜂子皇子の開山である。 皇子は、蘇我氏の難を避け、海路を経て出羽の国に入られた。 そして三本足の霊烏の導くままに羽黒山に入り難行苦行の末、羽黒権現の御示現を拝し、羽黒山頂に羽黒山寂光寺を建立して権現に奉仕したという。 次いで皇子は、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山に勧進して羽黒三所大権現と称した。 〈出羽三山神社公式サイトより引用〉 出羽三山神社 〒997−0292 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7番地 TEL:0235−62−2355(社務所) FAX:0235−62−2352(社務所) パンフレット ※画像をクリックするとパンフレットが開きます。 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 ホームページ http //www.dewasanzan.jp/ 〈ブログ〉 ひとり旅。 http //blogs.yahoo.co.jp/shi_zuppe/5931242.html 自然深き修験道の聖地 〜 出羽三山神社 http //blogs.yahoo.co.jp/mako0763/26469500.html 山形 「奥の細道」漫遊記ー⑨ http //blogs.yahoo.co.jp/rhje63/20820421.html 語り尽くせぬ有難み「湯殿山御身体」 http //blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/44222837.html 出羽三山の旅(NO4) http //blogs.yahoo.co.jp/reitoro101/37157923.html 出羽三山神社〜〜〜 http //blogs.yahoo.co.jp/ryjyc497/26837370.html 山形県・・・出羽三山に詣でました http //blogs.yahoo.co.jp/hodaka56/59834682.html 酒田から羽黒山へ http //blogs.yahoo.co.jp/racetrack0123/59843716.html 羽黒山に行って来ました(2) http //blogs.yahoo.co.jp/acsakai3/32861220.html 下山後、羽黒山神社に行きました http //blogs.yahoo.co.jp/tabinidete/16079298.html 羽黒山に行ってきました。 http //blogs.yahoo.co.jp/nkknw532/33097530.html 山形県 羽黒山 出羽三山神社の三神合祭殿は必見です! http //blogs.yahoo.co.jp/greenfinger20072000/33464358.html 松の勧進が始まりました http //blogs.yahoo.co.jp/kqkpc197/30872131.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /
https://w.atwiki.jp/dcd10/pages/388.html
【種別】 登場人物・出演俳優 (ゲスト出演俳優) 【名前】 北村栄基 【よみがな】 きたむら えいき 【役名】 羽黒レン 【登場話】 第6話、第7話 【主な出演作品】 不明 【関連サイト】(外部リンク) 【関連するページ】 仮面ライダーナイト 登場人物・出演俳優 第6話 第7話 羽黒レン 龍騎の世界
https://w.atwiki.jp/pam-iwate/pages/2047.html
宮下坊 日本海に面する山形県の庄内地方、羽黒派古修験道の聖地でもある出羽三山の里の羽黒町手向(とうげ)にある宿坊です。 出羽三山に参拝される講中のお客さまは勿論のことですが、一般のお客さまにも広くご利用戴いております。また、近年は出羽三山の主峰である月山へ登拝(月山登山)されるお客さまにも大変なご好評を戴いており、当方でも充分な体制を整えております。 〈宮下坊公式サイトより引用〉 宮下坊 〒997−0211 山形県鶴岡市羽黒町手向223番地 TEL:0235−62−2371 FAX: パンフレット ※画像をクリックするとパンフレットが開きます。 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 ホームページ http //www.syukubou.jp/index.htm 〈ブログ〉 出羽三山 研修旅行 http //blogs.yahoo.co.jp/sendai_ono7/60141753.html ☆月山・夏山登山(1)八合目レストハウス→弥陀ヶ原 http //blogs.yahoo.co.jp/kenta_o26/60087638.html 1200年の歴史街道・出羽の古道『六十里越街道』 http //blogs.yahoo.co.jp/cyaucyau31/32411636.html 「出羽三山参り」 http //blogs.yahoo.co.jp/hirohdxlh883/50743897.html 庄内観光 〜出羽三山〜 http //blogs.yahoo.co.jp/qmwtn275/29969259.html 羽黒山正善院黄金堂と出羽三山...。 http //blogs.yahoo.co.jp/taidouboutakashi/21481782.html 羽黒山・五重の塔は迫力があります!! http //blogs.yahoo.co.jp/dewa55t/1357369.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /
https://w.atwiki.jp/shuinn/pages/4571.html
土浦大師不動尊 大聖寺 茨城県土浦市、土浦大師不動尊・大聖寺の御朱印「羽黒不動尊」です。 羽黒権現の御朱印です。こちらは月替わりの御朱印となっています。 地蔵菩薩の御朱印です。こちらも月替わりの御朱印です。 龍神様の御朱印です。 ★この寺院にはオリジナル御朱印帳があります。 ★住所 茨城県土浦市永国203 -
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/455.html
陸奥国 大沼郡 橋爪組 本郷(ほんかう)村 大日本地誌大系第32巻 174コマ目 府城の西南に当り行程2里。 家数95軒、東西5町50間・南北41間。 東の端より北に折て陶師の居所あり。家数27軒、東西30間・南北2町。 共に下野街道を挟み東は山に傍(そ)ひ三方田圃(たんぼ)なり。 東は山を隔て会津郡南青木組に隣り界域分明ならず。 西1町6間大八郷村の界に至る。その村は未申(南西)に当り4町30間余。 南2町33間本郡南青木組大石村の端村柳窪の地に界ふ。大石村は辰巳(南東)に当り21町40間。 北2町8間会津郡本組上荒井村の界に至る。その村まで9町余。 また寅(東北東)の方1町会津郡上荒井新田村の界に至る。その村まで2町30間余。 永禄4年(1561年)葦名盛氏この地に城を築きしとき、三日町・高田町・六日町などいう所ありて、この村も町と称し市場にて繁栄せし所なり。葦名氏黒川の本城(今の若松なり)に移りしとき商家も黒川に移る。今府下の本郷町・六日町・三日町はここより移るという。 西端に一里塚あり。 この村は昔より駅所なりしが、蒲生氏の時この駅をやめ府下より火玉村(今の福永村なり)の駅に継へき旨ありてより今に然り。その時の文書あり。左に録す。 以上 南山通御荷物上り候を其地にておろし候儀 迷惑の由聞屆候向後は氷玉迄當町の者 通し候様にと申付候間可得其意者也 岡半兵衛尉 十二月十九日 重政(花押) 町野左近助 繁口(花押) 本郷町肝煎中 端村 三日町(みつかまち) 本村より辰巳(南東)の方7町にあり。 家数18軒、東西1町・南北2町。 山間に住す。 西に田圃あり。 盛氏城築の時商家ありし所という。 船場(ふなは) 本村より卯辰(東~東南東の間)の方16町、向羽黒山の東麓にあり。 家数3軒、東西21間・南北28間。 東は鶴沼川に臨み南は菜圃(さいほ)なり。 昔南青木組一堰村の通路鶴沼川に舟渡ありし時、船小屋を設し所なりという。 山川 鶴沼川(つるぬまかわ)(大川) 俗に大川という。 本郡南青木組大石村の方より来り、端村船場の東を過ぎ向羽黒山の東麓に傍ひ、北に流るること10町余会津郡本組上米塚村の界に入る。 広1町余。 大堀(おほほり) 村西にあり。 広3間計。 南、田畝の間の谷地より出る。 水あつまりてこの川となり、東より西に流れ北に折れまた西に転じ、高倉山の北麓を回り大八郷村の地を過ぎ火玉川に入る。 この村の境内を流るること9町計。 清水 村の卯辰(東~東南東の間)の方3町、向羽黒山の下にあり。 土人姥懐清水(うはかふところしみず)という。 周5尺余。 父に乏しき婦人この水を飲めば験ありとぞ。 原野 北原(きたのはら) 向羽黒山の北麓にあり。 東西6町・南北3町余の芝原なり。 葦名氏この山に城築し時は士屋敷・商家などありしという。今は追鳥狩場とし、隔年に家士を合し騎歩の隊列を分ち雉子山鳥の類を負追取らしむ。 この所の南は山に傍ひ、北は平野に向い、東西は青松繁陰し鶴沼川の流れに近く、境地頗(すこぶ)る佳なり。 土産 陶器 文禄2年(1593年)蒲生氏卿城郭修理の時屋瓦を造らしめしとて、播磨国より石川久左衛門というものとその他3人の瓦工を招き南青木組小田村にて瓦を製せしむ。その色黒かりしゆえ黒瓦と名く。その後上杉・蒲生・加藤氏の時に至ても専らこれを作る。当家封に就いて後も分て本村と小田村と両所にて造出さしむ。 その頃美濃国瀬戸の産、水野源左衛門というもの仙道長沼に在て陶器を作りしに、正保2年(1645年)この地に来りしを留めて月俸を与えここにおき数品の陶器を製造せしむ。いくほどなく源左衛門死ければ、弟の瀬戸右衛門というものを再び長沼より招き源左衛門が家を相続せしむ。子孫今にあり。世々底に巴の形ある茶碗を作り家伝とす。 その後陶工年を逐て輩出し、本村の東続きに屋をならべて集まり住し諸の陶器を作る。その制なおいまだ精巧ならずといえども本郷焼とて甚民用に便あり。 また瓦は別に役所を設けて造らしむ。小田村にて焼初し黒瓦は質脆く凍雪に堪ざるをもて、承應の頃(1652年~1655年)より赤き色の瓦を本焼にす。黒瓦に比すれば堅固にて久きに堪え凍雪に破れず。 水利 本郷堰 村より14町丑寅(北東)の方向羽黒山の北麓にて鶴沼川を引き、田地の養水とし上荒井村の境内に注ぐ。 思鑿堰(おもひほりせき) 本郷堰を引く所より北の方1町計にてまた鶴沼川を引き、上米塚村の界に注ぐ。多く会津郡中荒井組諸村の田畝を潤す故(ゆえ)土人中荒井堰ともいう。 神社 宗像神社 祭神 宗像神? 相殿 諏訪神 山神 明神 鎮座 神護景雲年中(767年~770年)? 村東14町計向羽黒山の半腹にあり。 相伝う。神護景雲年中(767年~770年)筑前国宗像大宮司の支族何某というものこの国に来り、南青木組花坂村に住しこの神を祭しに、信託に依てこの所に移し祭るという。 暦年久遠にして履歴の詳なることを伝えず。 社頭もやや衰廃せしを寛文中(1661年~1673年)再興し、毎年6月21日祭禮あり。 永禄の頃(1558年~1570年)葦名氏この山上に城築せしとき出丸あり。この社あるゆえ俗に弁天曲輪と称す。 また奇岩壁立し東は鶴沼川の流れに臨むゆえ、岩崎山とも弁天山とも称すれども実は向羽黒山の支峯なり。 本社は数丈の岩上にあり。山腰を伝てここに至る。三面に欄干を設く。 首を回せべ北に平野ひらけ、東南は鶴沼の長流山下を繞(めぐ)り、府城及び所々の村落みな眼下一望の中にあり。山中躑躅(つつじ)多くまた松樹繁陰して清風の響絶ることなく閑寂賞するに堪たり。その外四時の美景その変態のうるはしきこと誠に限りなき詠(なが)めなり。されば騒人墨客(そうじんぼっかく)登躋して風物を賞観し、城跡を尋て懐古の情を催さざるものなし。 鳥居拝殿あり。 神職 宗像出雲 当社の草創せし祠官は宗像氏なれども、年代久遠にしてその名を伝えず。 寛文の頃(1661年~1673年)は小林多門というもの神職を勤む。 天和3年(1683年)に多門土津神社の昇殿役となりしかば、秋山玄蕃勝直というもの代て神職となる。勝直3世の孫明盛子なくして、若狭尚清というものを養子とす。即当社を草創せし宗像氏の後裔にて、今の出雲清地が祖父なりという。清地初め秋山氏を称せしが後請て本姓に復す。 羽黒神社 祭神 羽黒権現? 鎮座 天平年中(729年~749年)? 村東7町計向羽黒山北の小峰にあり。 石階を登ること170余級。登眺の佳称すべし。 縁起に、昔天平の頃(729年~749年)行基この国に来り南青木組湯本村東光寺を草創し羽黒権現を勧請す。当社の神像も行基の作の霊像にて中頃この山の頂上に鎮座あり。 永禄4年(1561年)葦名氏城築のとき今の地に移し崇敬浅からず。 社頭壮麗を極め神官社僧も多かりしに、天正17年(1589年)葦名氏亡て後殿宇廃毀(はいき)せり。 近世村民力を勠(あわ)せて僅かに再興す。 鳥居拝殿あり。 舊事雑考。 暦應2年(1339年)の記に、羽黒権現飯田嶋に移りたもう。飯田嶋は南青木組一堰の端村本羽黒のことなり。その後慶永の始(1394年~)にやこの山の頂上に移して即この山を今羽黒という。飯田嶋はその旧跡ゆえ今羽黒というのに対して本羽黒と称せしよりいつとなく飯田島の名は失いしなるべしと。また應永21年(1414年)の記に、塔寺村八幡宮長帳に因り今羽黒治部卿と書し細註に今羽黒は岩崎向羽黒なるべしとあり。 今本社の東麓の山間に楽人屋敷・神楽所なりという菜圃の字に遺れり。 末社 稲荷神社 本社の前にあり。 別当 寶珠寺 村中にあり。 羽黒山と號す。湯本村東光寺の門徒天台宗なり。 開基詳ならず。 昔は羽黒神社の南山中にあり。永禄の頃(1558年~1570年)この所に移せり。 古は東光寺の僧来て神事を相けしが、永禄の頃(1558年~1570年)より専ら当寺にて執行すという。 本尊十一面観音客殿に安ず。 聖天堂 客殿の東にあり。 塗籠なり。 寶物 假面 3枚。 一は猿田彦神面。 一は翁面。 一は癩疾の形を摹す。 共に古物なり。 相伝う。何の頃にか葦名氏悪疾に罹り、平癒祈願のため假面12枚を納む。今3枚のみ遺れりとぞ。 寺院 圓通寺 村中にあり。 白鳳山と號す。永禄元年(1558年)学心という僧開基す。 府下五之町高巖寺の末寺浄土宗なり。 本尊三尊弥陀客殿に安ず。 寶物 馬画 1幅。元信筆という。 常勝寺 端村三日町にあり。 天正13年(1585年)常勝という僧ここ来り庵室を結び浄土真宗の教えを奉し常勝坊と号し府下西名子屋町西蓮寺の末山なりしが、その後京師西本願寺の直末となり寺號をゆるさるるという。 弥陀を本尊とし客殿に安ず。 太子堂 客殿の辰巳(南東)の方にあり。 観音堂 村東2町30間向羽黒山西北の小峯にあり。 建立の年代しれず。 縁日4月8日なり。この日近村の農民馬を牽来り堂の4邊を馳回る。見物多し。 圓通寺司なり。 岩窟虚空蔵 端村船場の戌亥(北西)の方4町計向羽黒山の東面半腹にあり。 高6尺・深3間計・畳10畳余をしくべし。 虚空蔵の木像を安置す。 常勝寺これを司る。 古蹟 向羽黒山城趾 ※国立公文書館「新編会津風土記72」より 村東にあり。 昔頂上に羽黒権現の祠ありて湯本村の羽黒山と相向えるをもて向羽黒山と名く。また今羽黒ともいいしとぞ。(羽黒権現の条下と照らし見るべし)。 葦名修理大夫盛氏、その子盛興に家を譲り永禄4年(1561年)経営の事を剏(はじ)め数年の後城築の功成りてここに隠居し、止々齋と號せしとぞ。天正3年(1575年)6月盛興早世しければ、盛氏再び黒川に帰住しこの城を廃す。 東は石壁峙ち鶴沼川を擁し西北は平野に臨み南は衆山連なり出、その状陰山なればとて城築の時南の麓を切通し((さんみゃく)){山脉}を絶ち陽山とせしという。 周廻1里余。 北の麓より頂上まで4町計本丸の跡あり。東西20間・南北10間。 その北に下りて二ノ丸趾あり。東西30間・南北17間。 (三ノ丸もありしといえどもその跡今詳ならず) 共に空隍(からほり)を回らし往々石垣の趾存し旧礎もなお遺れり。 また東の半腹に出丸の趾あり(今宗像神社のある所。土人弁天曲輪と称するものこれなり)。 その外馬場蹟或は眤近諸士の宅趾とて、山間に平地多し。 二ノ丸の西に9尺四方ほどの池のごときあり。今は埋みて谷地となれり。土人は古井と称し城ありし時の用水にて、千人の渇を療せしという。今は草木繁茂し地形詳なるを知るべからず、といえども昔のかたみにや縦横に経路あり。 眺望も佳景にて満山躑躅(つつじ)多く、花時躋攀(せいはん)して勝を探るもの少なからず。 また山の北峯より木葉石を出す。石理木葉のごとし。わりれ見れば中にも同紋あり硯に作るべし。 東の中腹に岩あり七千夜叉佛と称す。その面に佛體ありて石理のごとく時として見るものありという。奇怪な事なれども久しく言い伝えしことなればここに注す。 永禄中(1558年~1570年)覚成という僧の撰える岩館銘というものあり。その文煩冗(はんじょう)禄するに堪えざるものながら、古世の著作なれば左に出す(※略) 大運時蹟 村北にあり。 天文元年(1532年)越後国村上大榮寺の僧冥察というもの来て開基し岩松山と號し曹洞宗なりしが、元禄3年(1690年)故ありて廃す。 Google Map岩崎山弁天神社(水神神社) 羽黒山神社 圓通寺 常勝寺 向羽黒山城跡 向羽黒山城 二の丸跡 向羽黒山城 二の曲輪跡 会津本郷せと市 大山祗神社(山の神神社) 廣瀬神社
https://w.atwiki.jp/kancolle_ero/pages/128.html
前回の話 3-3-A 「て、提督いらっしゃいませんか……」 二度目のノックで返答でも執務室からの返答は無かった。 セミロングボブの頭がしょぼんと下を向く。 「こ、こんな事で挫けちゃ、ダメ。別のところを探そう!」 いつもの羽黒ならここで諦めてしまうところだ。 だが、今日の羽黒は違う。 「応援してくれた軽空母の皆さんの為にも頑張らなきゃ」 そう思い背筋を伸ばしバスケットを再び握りしめる。 仲間思いの真面目なこの艦娘は自らの事よりも仲間の事を思うと力が出るのだ。 踵を返して提督の自室に向かおうとした、その時。 「は、羽黒か?、えっ、そこにぃ、ごほんごほん、いいぞぉ、んっ、はいれぇ」 どこか間の抜けた提督の声が中から聞こえた。 声の具合に疑問符を浮かべながらも兎に角、目標を補足することができた。 「索敵成功、コレヨリワレ突撃ス」 と小声で言いながら羽黒はドアを押す。 ガチャリと開いたドアの向こうには、正面のデスクに着いた提督がこちらを見て微笑んでいた。 その笑顔はぎこちなく、暑さ故のものとは違う汗が額から出ている事に羽黒は気付かない。 「あの、失礼します。お仕事中、申し訳ありません」 「いや、大体仕事は片付いてるから、大丈夫だよ」 椅子に座って両肘をついた腕の上に顎を載せて提督はにこやかに羽黒を見上げた。 「休日までお仕事で大変ですね」 「んんっ、ま、まあ、慣れてるし、くぅん、それで、何かな?」 時折びくびくと体を小刻みに痙攣させる提督。 原因は机の舌にいや、下にある。いや、いる。 提督の股間にはショートカットの髪が未だに挟まっていた。 -別に隠れる必要も無かったかも。 そう思いながらも、口は提督の肉棒をほうばったままだ。 しばらくぶりに口にしたペニスを離してしまうのが勿体無かった。 普段の妙高なら赤面するだろうが、今日の彼女は妹同様、餓狼の本性をむき出しにしていた。 大きく頭を動かすことが出来ないため喉奥まで咥えこんだ陰茎を口内で味わう。 元気の無くなりつつある肉棒に間断なく緩い刺激を与え所々力を入れて口全体で愛撫する。 薄板の向こう側の羽黒は提督の奇妙な様子に気づいた風も無い。 頬を上気させ視線を迷わせながら、ちらりちらりと提督の顔を見ようとする。 「あ、あの……クッキー焼いてきました」 そう言って大事に抱えていたバスケットを提督の前に突き出した。 バスケットの中には黄金色をした焼き菓子が並んでいる。 「お、お仕事中でも、その、食べられるかなって、思って…」 3-3-B 「これ、羽黒が作ってくれたのか?」 鎮守府に着任してからその腕を振るう事は少なくなったが、提督は料理が好きなのだ。 その事実を知ってているのは鳳翔や五月雨といった古参の艦娘達に限られていたが。 クッキーが辛党の自分に合わせたレシピで作られたものである事が一目でわかった。 「は、はい……鳳翔さんに手伝ってもらって……その、おいしくなかったらごめんなさい!」 「いや、美味いに決まってる。料理は、初めてか?」 「は、はい。その形とか揃わなくて……でも、精一杯頑張りました!」 「そうか……羽黒、ありがと、なふぅっ」 いつもの調子で立ち上がり、羽黒の頭を撫でようとした提督の腰が半砕けになる。 妙高がここぞとばかりにぞろりとカリ首を舐め回したのだ。 -もー、私を忘れないでください……羽黒の顔見ておちんちんおっきくして! むくれながらもペロペロと丹念に肉棒を舐め続ける。 提督が羽黒を特別に思っている事は薄々判っている。 そして、羽黒も提督の事を一人の男として慕っているのも間違いない。 普段の妙高なら一も二も無く祝福するところだが、今はどうにも腹が立つ。 同時に妹に隠れて、最愛の男の不浄の器官に口淫する背徳感に妙高は酔い始めていた。 「へっ?提督、どうかしましたか?」 「い、いや、なんれもない、ごほん、何でもない」 咳払いするふりをしながら、目線で妙高を咎める。 上目づかいで視線を合わせた妙高の淫靡な眼差しに提督は抗戦を諦めた。 -ならば、転進するまで。 戦場でのそれと同じように彼は武人らしく果断即決した。 下半身は丸裸で男性器を美人に咥えこまれてはいたが、とにかく決断した。 「そうだな、ちょっと喉が渇いたかな」 「あ、そうですね、焼き菓子にはお茶ですね、私、淹れてきます!」 くるりと180度回頭を決めて、羽黒が執務室を飛び出していった。 「……おい、妙高。悪戯が過ぎるぞ」 「ぷはぁ、だって、提督があまりに羽黒と嬉しそうに話すから」 珍しく頬を膨らませて妙高が抗議する。 そっと提督の手が妙高の頭を撫でる。 -ずるい、この手は優しくて心地よくて、ずるい……。 そう妙高は思うのだが、この手のひらの幸福感にいつも騙されてしまう。 しばらく妙高の目を見ながら頭を撫でていた提督は優しく言った。 「妙高……その、はしたないが、ちょっと苦しい」 照れ笑いをしながら頬をかく男に妙高は降参することにした。 そっとペニスを両手に取り亀頭をペロリと一舐めする。 「では、提督、追撃戦に移行しますよ」 3-4-A 「んっむ、んぅっ……ちゅる、ちゅるぅぅ……んむ、んむ」 執務室に淫靡な水音とくぐもった声が響く。 「ん、すご……ぃ、ぐっ……」 眉根を寄せ、苦痛とも快楽ともつかないため息をもらす提督の股間で、ショートカットが上下している。 艦娘のふっくらとした唇に赤黒く膨れ上がった肉棒が咥えられている。 「ちゅるぅ……んんっ、んぅ……ちゅば、ちゅばちゅば……ふぅん」 口内でカリ首の周りを舌で舐りながら唇で竿を締め付ける。 くっきりとした太い眉を八の字にして妙高型の長女、妙高は一心に口淫を続ける。 「んちゅっ、んぅ……ぷぁっ、ふふふ、提督。羽黒に見つかりそうで興奮しました?」 まるで娼婦のような妖しい笑みを浮かべながら妙高はペニスから口を離した。 とろりと唾液でぬらぬらと光る肉棒と唇の間に先走りと唾液の混じった銀の橋がかかる。 「否定はしない。そういう妙高だって、んっ」 「ぴちゅっちゅぅ、否定はしません、すごく興奮してます」 鈴口に口づけ、最大限に勃起した怒張を優しくしごきながら妙高は微笑んだ。 人差し指と親指で作った輪がしゅっしゅっと肉棒を滑る。 白手袋が二人の体液で淫靡なシミに濡れていく。 「あっ、ぐっ、こんなに激しいのは、初めてじゃ、ない、かっ、ん」 滑らかな白手袋の感覚とその中にある掌の柔らかさに提督は歯を食いしばる。 怒張を擦りながら上目づかいに見上げる朱の射した艦娘の笑顔が途轍もなく淫乱に見える。 「ふふふ、だって久しぶり何ですもの。がまんできなくて、あむ、んふぅちゅぷぅ」 -ああ、久しぶりの提督のオチンチン……んんっ、美味しい……。 そのまま上目づかいにペニスを頬張る。 舌全体をペニスに絡ませ硬さと温度を堪能する。 ジュンと股間がうずく。 そのまま左手を伸ばして既に熱を持って潤んでいる秘裂をなぞる。 くちゅ、くちゅり、と口元から聞こえてくるものとは違った水音が提督の耳にも聞こえる。 薄目を開ければ懸命に己の肉棒を砲張りながら、女陰を弄る妙高の痴態が飛び込んでくる。 肉棒に絡みつく熱さと相まって提督の脳が快楽に蕩けていく。 快楽に支配される脳の片隅で提督は自己嫌悪していた。 戦闘の恐怖、興奮、あるいは愛欲から彼の体を求めてくる艦娘達は複数いる。 彼自身にも経験のあることだ。 戦闘で血を見た後、特に仲間の血を見た後、顔を埋められる胸がある。 情けない話だが、男にとって心の拮抗を保つには最良の手段だ。 海軍は男女関係に関してよく言えばほのぼのと考えている。 港に帰ればなじみの料亭があり港ごと茶屋ごとに女がいる士官も珍しくなかった。 提督自身、若いころはそれ相応に遊びもしたし真剣に付き合った相手もいた。 今となっては苦かったり甘かったりする青春だ。 だが、今の相手は遊女では無い。艦娘達だ。 伝統に都合よく甘える形になってしまっている。 複数の艦娘と関係を持っていることは正直、ばつが悪い気もする。 公私の区別をつけるために自分からは誘わないのも狡猾なやり方に思えてくる。 艦娘達は軍艦や駆逐艦ではあるが、年頃の娘でもある。 自分のことを上司や指揮官以上に父親や兄のように思ってくることも仕方がない。 更には恋人や愛人として求めてくる娘も多い。 その思いをいいことに彼女達で性欲を満たしている自分に嫌悪しつつも抗えない自分の下半身のだらしなさが恨めしい。 3-4-B 「んっんふぅ、んく、ちゅぱっ……ダメですよ。難しいこと考えちゃ」 少し元気の無くなったペニスの先を舌で舐りながら妙高は口を尖らせる。 普段から真面目で優しい姉といった雰囲気の妙高は男女の秘め事でもいわゆる「年上のお姉さん」のように振る舞う。 だが、今の妙高は愛する男の肉棒の虜になったメスそのものだった。 男のペニスを頬張りなら自らの女陰を弄る。 人差し指と薬指の腹で押し潰すように女芯を刺激するとびりびりと痺れる様な快感が頭に響く。 グリグリとクリトリスを弄りながら、口は提督の肉棒を貪るように舐めしゃぶる。 「れろぉ、ちゅぅっ、今は、んちゅぅ、私だけの司令官さんなんですから、ちゅぷぅ」 「うわっ、妙高っ、そこは」 「ちゅぷ、れろぉ…んっんっんっんっ……ちゅぷるぅぅ、んふぅ」 妙高はペニスにしゃぶりつくと亀頭とカリ裏を中心に舌を絡み付ける。 真っ赤に膨張した先端に唾液をたっぷりと乗せてゆっくり優しく舐める。 先走りの塩気と鼻孔に広がる性臭が妙高を興奮させる。 -美味しぃ、おつゆおいしい、ああ、もっともっとぉ…。 クリトリスを刺激するだけでは物足りず秘裂に二本の指を挿入する。 「あぶぅっ、んんんんんんん~、はぁぅぅぅ、んあむ、んっんっっ」 指を入れた瞬間、ぶるりと背筋が震える。 軽いエクスタシーを感じながら指をくの字に曲げ、自身のツボを突く。 ざらついた粘膜を擦るたびに背筋を電流が駆け上がり頭が白くなっていく。 粘ついた愛液は白手袋をずぶ濡れにして執務室に水たまりを作っていく。 自身の限界が近いことを感じた妙高はラストスパートに入る。 「ちゅぅぅぅ……ぷはぁぅ、はぁはぁはぁ、うふふ、もう降参してくださいね……あむぅ」 「ぐっ、やばい……あぁ、妙高っ、ダメだっ、すごっぃ」 提督の抗議を無視して妙高は舌づかいは激しく繊細に快感のツボをついていく。 カリ裏に沿って舌先を何度も往復させる。 少し残っていた恥垢が根こそぎ取られていく。 きれいになったカリからエラの部分をペロペロと舐めあげる。 舐めあげながらも頭を前後に動かして口腔粘膜全体で肉棒をしごき上げる。 じゅぽっじゅぽっといやらしい音が二人の耳朶を打つ。 カウパー液と己の唾液が混じったものが口端から溢れるが気にも留めず妙高は口淫を続ける。 やわやわと玉袋を揉み睾丸の感触を楽しむ。 指と口で愛しい男の性器全体を堪能している自分がとてつもなくいやらしい。 3-4-C 脳はピンク色の靄に包まれ、ペニスをしゃぶること事態が自身の快楽に直結していく。 愛液が更に噴き出し既に下着が用をなさないのがわかる。 左手で弄ばれている提督の陰嚢の中で睾丸がググッと動いた。 -ふふ、タマタマが上がってる。提督、もうイキそう。 完全に性に蕩けた頭で妙高は戦局が最終局面を迎えたことを悟る。 「んぶぅっぷはぁっ……提督、このままお口に、ね…」 「はぁはぁ、妙高……うん、お前の口の中でイキたい」 提督が自分の欲求に素直に従った事で彼女は勝利を確信した。 -はしたなくてもいい、私は提督が、好き。彼のすべてが好き。 全身全霊を込めて妙高はペニスをしゃぶる。 じんわりと薄い精液が滲み、肉棒が更に硬度を増す。 ペニスの昂ぶりに合わせて、舌が、唇が、激しく蠢く。 「れろぉれろぉ……ちゅぷちゅぷちゅぷ…んぅんぅんぅ……」 「うわっ、み妙高。出すよっ」 コクリと小さくうなづいた妙高が舌を情熱的にペニスに絡めた瞬間。 どぴゅっどぴゅっ、と妙高の口内を白濁のマグマが迸った。 口腔粘膜を叩き暴れまわる肉棒の感触すら強烈な快感になる。 知らず知らずに膣内に埋没してい二本の指が自身のウィークポイントを突く。 「んぐぅ、んんん、うぶぅぅ、ふぅぅぅぅぅぅぅぅん!!」 全身を泡立つような快感が走り、秘孔から派手に愛液が飛び散る。 硬直した背筋がビクビクと痙攣する。 痙攣しながらも妙高は男の吐き出したものをゴクリゴクリと嚥下していく。 喉に絡まりながら滑り落ちる精液の熱さが心地よい。 そのまま妙高はぐったりと床に落ちた。 ポロリと口から提督の陰茎がこぼれる。 「……はぁはぁはぁ……妙高…大丈夫かい?」 そう言って提督は失神した艦娘を抱き上げ自身が座っていた椅子に腰かけさせる。 心なしか満足そうな顔で失神している妙高の前髪をすいてやり頬に口づける。 -いつもありがとう……こんなロクデナシに付き合ってくれて。 そう呟いて照れ隠しに頭をかいた。 彼と艦娘の関係はつまりはそういう事なのかもしれない。 … …… ……… 「ああ、随分遅くなっちゃった!」 英国式のティーセット一式を載せたワゴンを押しながら、羽黒は慎重になしうる限りの速さで提督執務室に急行している。 『いつか金剛お姉さまがご帰還になられたときに』と比叡が用意していたものを借りたのだ。 本格的なティーセットだけに扱いも難しく、おまけに比叡自体はまるで使い方を知らず、結局、飛鷹姉妹の客船仕込の知識を借りてようやく準備できたのだ。 「提督。遅くなりました!」 ノックもせず羽黒は執務室に飛び込んだ。 微妙な臭いと微かな息遣いが執務室に漂う。 扉の正面に鎮座する提督の椅子にぐったりと何故かちょっと微笑みながら伸びている姉、妙高。 その前で下半身裸の男が苦笑いで頭をかいている。 羽黒が目の前にある情景を理解するのに数瞬の時間が必要だった。 へっ?、と男-提督が振り返ると妙にてかてかとした男性器がぶらりと揺れた。 好むと好まざるを問わず戦場で鍛えた目が筒状のものを追ってしまう。 「ダメ……」 「いやっ、羽黒、これは、そのだなっ」 「…隠して…隠してぇぇぇ!」
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/32.html
四 伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波神社の考證 延喜式神名帳にある田川郡伊弖波ノ神社は羽黒山であるとの説は盛んであつて、羽黒山の記録にも伊弖波神社の額があつたとまで云つてゐる。先づこの神社の羽黒山であるや否やを考證する前に、伊弖波なる名稱の意義を檢討する必要がある。伊弖波は出羽の假名であつて何れもイデハと訓んだ。出羽なる名稱の始めて文獻に見えたのは、續日本紀和銅元年九月越後國言新建[#二]出羽郡[#一]許[#レ]之とあるのが始めてゞ、其後記紀には出羽郡の名稱は屡々見えるが、伊弖波神社の名稱は和銅元年後二百十九年を經て延喜式に始めて見えた。伊弖波又出羽の語源については古來郷土史家によりて屡々論述されたことであつて、一は鷹の羽を産出した所、二は越後より北方に出た「出て端《は》し」の義とする二説に歸する。第一説は享保九年小寺信正の著庄内物語、寶暦十二年進藤重記の著出羽風土略記の説であつて古來最も有力視されてゐる。 (莊内物語) 小寺信正著 [#ここから4字下げ、地から1字上げ、折り返して6字下げ] 一、出羽國大泉庄田川飽海兩郡を庄内といふ事 小寺文責〈○信正〉按するに 出羽國古來イツハと訓す 國中より矢の羽を産する故名付 今は羽を出す事少し 庄内にもたま/\は有るといへども、松前より渡るもの多し [#ここで字下げ終わり] (出羽風土略記) 進藤重記著 [#ここから4字下げ、地から1字上げ] 神學類聚抄卷四卷ニ云 風土記ニ允恭帝の世 此國以鷲羽爲貢故號出羽 一ニ云此國白ス陸奧出ツ羽猶端 不知孰是云々出羽の辨出羽郡の下に注す 白陸奧出羽猶端と云説不可用 國名風土記ニ云 彼國中に平賀鷹千嶋抔いふに 鷲會して住也とあり 近代まで鷲鷹を土人の 待たる所 又鷹を奉りし事末文に記傳る [#ここで字下げ終わり] (同書) [#ここから4字下げ、地から1字上げ] 風土記を見るに 出羽といふは鷲鷹の羽を貢しそめたる村里より出たる名と見へたり 扨羽を貢しける始は 廿代允恭帝の御宇也 世を經て四十三代元明天皇和銅元年に郡名とは成れり [#ここで字下げ終わり] 以上の二人は莊内人であつて、中央の著書である諸國名義考、謠曲捨葉抄葛城職原私考なとも鷹羽説であるが、何れも前記の小寺進藤の著書に據つたのである。以上の二説について私見を試みるに、出羽を越後より突出た出て端しとする説は、地形上海中に突出せる半島とも異なり該當せぬ無理な説である。次に鷹の羽説は允恭天皇の御世に鷹羽を貢としたことは正史に無いことで、且つ慶雲和銅の出羽夷征前約三百餘年に蝦夷地より鷹羽を貢進する筈が無い。又出羽を羽を出たすと訓むは漢文であつて、之をイデハと訓むことは我國の古語に無いことである。延喜式の伊弖波は此地方の古語であるを、漢字を假りて出羽としたもので漢字の意義は無いことゝ思ふ。然らば伊弖波の意義は何んであるかは不明であるが、蝦夷語であらうかと思ふ。國郡名は多く同地の地名より附與せらる。和銅六年五月二日朝廷諸國に令して國郡郷の名を好字に書き改めさせ、其後延喜式民部にも諸國の郡里等の名は二字の嘉名に改めさせたのであれば、伊弖波は土語であつたのを漢字の音を借りて出羽としたものである。 次に栗田寛博士の説では四道將軍大彦命の弟太忍信命の子孫|出庭《イデハ》氏は、伊弖波神社の地名から出た氏であると云つてゐる。 (新撰姓氏録考證) [#ここから3字下げ] 出庭臣《イデハノオミ》孝元天皇|皇子彦太忍信命《ミコヒコフトオシノマコトノ》之後也 [#ここから4字下げ、地から1字上げ] 出庭は神名式に出羽國田川郡伊弖波神社とある地にて 是より出し氏なるべし 出羽國は和銅五年九月に陸奧越後を割て置れし國名なれば いかゝとも云ふべけれと 國を置しは和銅にこそあれ 伊弖波神社はそれより古くありて 國號も神號より起りしなるべし 崇神天皇の御世既く大毘古命父子をして北陸東山をことむけしめたまひしかば 其御由縁によりて大毘古の弟彦太忍信命の子孫をして出庭臣と任したまひて 其地方を治めしめむも知るべからす この氏人は東大寺正倉院文書天平五年右京三條三坊手寶帳に 戸主出庭徳麻呂男出庭人麻呂 出庭|家足女《ノイヘタリノメ》出庭|御比賣《ノミヒメ》 出庭|小黒女《ノヲクロメ》 出庭|眞黒女《ノマクロメ》 弟出庭|小虫《ノコムシ》 男《コ》出庭|君麻呂《ノキミマロ》 出庭ノ※[#「糸+原」、上p19-13]麻呂(※[#「糸+原」、上p19-13]は縁または綜の誤か)女《メ》出庭ノ橘女 小蟲※[#「女+弟」、第3水準1-15-82]出庭刀自賣女紀朝臣蟲女(こは紀氏の族なるを以て紀氏に養はれしものとみゆ 出庭臣の紀氏族なる證とすべし)妹出庭家蟲女 姑出庭麻須賣とある 未た中務史生出庭臣て麻呂とみえたれは この族は多く大和の京に住しなるべし [#ここで字下げ終わり] 此説によれば伊弖波神社は和銅年間より古くありて、和銅より約八百年前の崇神天皇十年 四道將軍の大彦命の北陸東山の夷征の時に大彦命の弟太忍信命の子孫を出庭臣に任して出羽を治めしめたかも知れない。それで出庭を姓とすることゝなつたであらう。伊弖波神社は古くより此地の神で、出庭の姓も國郡名も神社名よりできたのである。之について私見を述べんに、出羽郡は後ちの田川郡・飽海郡を合せた一地域であつて、後ちに戸口増加するに及んで二郡に分けたらしい。大彦命の夷征は北陸より會津に至りて父子相會つたから會津といふ地名ができたのであれば、命は出羽には進入しなかつたことは明かである。會津より置賜・最上より雄勝地方に至る仙道筋は進撃したかも知れぬが、置賜・最上(村山を含む)地方は此時は陸奧である。出羽地方が大彦命又は弟彦太忍信命の夷征あつて子孫を出庭臣に任じて治めしめたならば、出羽郡又は出羽國が數百年前に既に在つたことである。然るに越後より此地方の夷征あつたのは大化以後の慶雲和銅年間であつて、和銅元年始めて出羽郡を置き、同五年に始めて出羽國を置いた。此前に夷征あるべき筈が無い。隨つて夷征以前に伊弖波神社あるべき理由無く、又鷹羽を貢とした筈も無い、只此地方がイデハといふ地名で多分夷語であらう。之を出羽又出庭なる漢字の音を借りて好字又は嘉名に書いた。大彦命の子孫は長く越後に留まりて阿部氏とも稱したので「イデハ」に至りて出庭臣に任じたものもありそうなことである。「イデハ」を出羽とも出庭とも書いたのであれば出羽の鷹羽を産した説は信ぜられぬことで漢字の意義は無いのである。 延喜式の伊弖波神社は羽黒神社であるや否やは解決至難のことで、先づ古人の諸説を揚げて根據の所在を探つて見る。 (莊内物語) 一伊底波神社 [#ここから3字下げ、地から1字上げ] 在所しれず又一説に羽黒山大權現也と云實否をしらず 土俗云百年巳前迄は羽黒本堂の額イデハノ神社と有しといへり 信正案するに東鑑義經記の類其外野史等に羽黒と稱してイテハノ神社といふ事なし 是又據をしらず [#ここで字下げ終わり] (出羽風土略記) [#ここから3字下げ、地から1字上げ] 延喜式神名帳に田川郡伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波神社とあるは是なり 羽黒山の寺家より出たる羽源記三山雅集等の諸説を合せて考るに、祭神玉依姫命にして 景行天皇廿一年六月十五日始めて皇野に祠り 其後阿久谷と云所に鎭座し 後世に至り今の大堂に移る (中略) 由利郡龜田の領繋村に伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波の神社を勸請したる所あり 是又今は羽黒權現とも云 中古羽黒山伏彼地ニ下り繋村の社家を宿として 近郷ニ牛王の卷數を引 六百八十七年前承保元年に下たる山伏所勞と成りしに 後は九死一生の大病と成りて醫術を盡して祈りければ 不日ニ平癒せり 至誠感神の事を仰き謝禮の爲持下りたる牛王の板木を社家に附與して 羽黒山伏の代々引來る所の牛王の旦那は向後社家より牛王の卷數を引て初穗を收納すべきよし誓約之 其趣の後證として牛王板木に裏書せり 數百年を經けれは前後の文字は皆虫喰となり 爲謝禮如是承保元年出羽神社と云文字のみ今わつかに殘れり 神號の下には山伏の名有けるとぞ (下略) [#ここで字下げ終わり] 出羽風土略記の著者進藤重記は吹浦兩所宮の祠官にして、強固なる神道家にして、同地神宮寺僧徒と對抗して讓らざるを以て、吹浦を追放された中に著はしたのが此書である。依て羽黒を伊弖波神社であると力説してゐるが、其根據は薄弱にして之を以て伊弖波神社説を肯定することはできぬ。神道家は神道に傾き、佛教家は佛教に傾き、互に他を排除するのが常であれば、兩家の記録は容易に信ずることできぬ所以である。莊内藩士杉山宜袁の説は妥當であるが不明説である。 (莊内事跡考) 杉山宜袁著 [#ここから3字下げ、地から1字上げ] 伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波の神社は羽黒なりと云事ハ 國人の古くより云繼たる事なり 小寺信正〈享保の頃の人なり〉云百年はかり以前迄伊底波神社と云額羽黒本社に掛しよし 土人の語れりなといふのみにて 凡て據なし 又羽黒一山にては伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波神社と云事を嫌ひぬれハ羽源記三山雅集なとにも 其事見へす 義經記辨慶の詞に羽黒權現の御正体觀音のおはしますにと有ハ 此社の觀音と成給へたるも久しき事なり。古は禰宜抔も有しをいつしか絶て今は僅に藤嶋村抔に下社人殘なるのみなれハ 神社の云傳へもなきなり。進藤和泉ハ風土略記に云 由利郡龜田領に繋村といふに、羽黒を勸請の社有 伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波の神社なりとて禰宜守るなり〈齋藤豊前といふとそ〉此社に有牛王板木ののいと古く朽虫喰ミて 前後の文字はたしかならぬと 承保之出羽神社といふもしかすかに殘りたると云なり (中略) 出羽の神社の名ありしにや 凡て據はなけれと人の云事を記して後の考を待のみ [#ここで字下げ終わり] 之を要するに延喜式の田川郡伊弖波神社を羽黒山とするには確固たる資料が無いこと歸着する。然らば田川郡内に伊弖波神社と認めらるべき神社は有るかといふに一切之に該當する所が無いのである。故を以て羽黒修驗等は伊弖波神社を羽黒と爲さんとするもの、或は羽黒を伊弖波神社と爲すことを喜ばぬ時代もあつたやうだ。拾塊集に九頭龍王著[#二][#(ハレ)]油良涯窟[#一]白[#二]伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波神[#一]とあるは後者であつて、西田川郡由良の白山嶋の洞窟を伊※[#「氏/一」、第3水準1-86-47]波神とした。依て伊弖波神社の位置は不明の外無いが、その祭神はイデハの國土を神としたものであらう。 [#改ページ]
https://w.atwiki.jp/mochi_shrine/pages/84.html
社名 所在地 参拝日 備考 斜里神社 北海道斜里郡斜里町本町44番地2 2015年9月17日 御朱印はありません。とのことでした。 西奈彌羽黒神社 新潟県村上市羽黒町6―16 2016年9月9日 御朱印はありません。とのことでした。 何と言うか・・・。あんまり言いたくはないけれど、どちらも感じが悪かったです…。 (二の句も聞かずに無いとだけ吐き捨てて戸を閉めて去っていく感じだったので・・・。)
https://w.atwiki.jp/meidaibungei/pages/64.html
(ページ内通し番号・投稿日時・作者名・タイトル) 1 2006年01月19日(木)23時37分 逢風 シュークリームの唄(三部作) 2 2006年01月24日(火)11時32分 鴉羽黒 フィクションg(雪と詩と破裂音) 3 2006年01月25日(水)02時05分 鴉羽黒 フィクションh(傘とマフラーと十字傷) 4 2006年01月25日(水)14時59分26秒 Κ 断片小説集 2 5 2006年01月27日(金)12時11分 テンシャン山脈 しゅーくりーむ たべたいなあ 6 2006年01月27日(金)18時04分 Κ 「読み」の国通信 もしくは 単なる独り言 7 2006年01月31日(火)22時14分 藤枝りあん 彼がびしょぬれになった理由(ワケ) 「陽介の奇妙な日記外伝」 8 2006年02月01日(水)17時25分 藤枝りあん 食いモンの恨みは恐ろしい 「陽介の奇妙な日記外伝」 9 2006年02月04日(土)22時26分 テンシャン山脈 日常の終わり 10 2006年02月20日(月)16時58分 月組 終電の後発列車 33~ 11 2006年02月25日(土)03時12分 穂永秋琴 キノコ勇者外篇・北の英雄、または文体演習 12 2006年03月04日(土)00時18分 藤枝りあん キノコ勇者外伝・北の英雄 13 2006年03月26日(日)00時19分 元月組 晴れた日は柄の長い傘を持って 43~ 14 2006年03月27日(月)01時53分 藤枝りあん 題未定(キノコ勇者外伝) 15 2006年03月29日(水)16時21分 鶴田(仮) カール(詩) 16 2006年04月14日(金)07時05分 テンシャン山脈 白い花 17 2006年04月18日(火)15時10分 きんぴらごぼー ヴァージンロード 18 2006年04月18日(火)23時14分 エーミール receiving your mail 19 2006年04月19日(水)18時45分 虚楽士(略) 個性論 20 2006年04月26日(水)16時49分 Κ 再UP! 「皮膚病怖い」 21 2006年04月29日(土)23時18分 鴉羽黒 フィクションijk(コーヒーショップ・チェーン) 22 2006年04月30日(日)00時08分 鴉羽黒 コーヒーショップ・チェーンver.B 23 2006年04月30日(日)00時45分 鴉羽黒 フィクションa to l 24 2006年05月01日(月)13時12分 ばーねっと ソラオイビト 前編 25 2006年05月02日(火)16時52分 一影 客席にて 26 2006年05月02日(火)22時57分 一角天馬 Uー1(Ultimet―One) 27 2006年05月04日(木)22時22分 穂永秋琴 2006年5月2日 28 2006年05月07日(日)01時16分 如仁 掌編三つ 29 2006年05月09日(火)21時30分 一角天馬 それは全体は赤くて白くてそれでいて一部はどちらかというと黒く青く丸みをおびた三角形であり立方体の突起物があり水玉模様のストライプで・・・ 30 2006年05月09日(火)22時34分 逢風 「チーズケーキとホットコーヒーを」
https://w.atwiki.jp/pam-iwate/pages/2046.html
やまぶし温泉 ゆぽか 大広間は約70畳の広さがあり、予約無しで、ご利用いただけます。 家族風呂付休憩室(6畳)はご家族や友人同士などでゆっくりくつろげます。 売店では、羽黒の特産品や民芸品、、お菓子や漬物、、冷たい飲み物などを多数取り揃えております。 〈やまぶし温泉 ゆぽか公式サイトより引用〉 やまぶし温泉 ゆぽか 〒 山形県鶴岡市羽黒町後田字谷地田188番地 TEL:0235−62−4855 FAX: パンフレット ※画像をクリックするとパンフレットが開きます。 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 ホームページ http //www16.ocn.ne.jp/~yupoka/ 〈ブログ〉 あったまります♪ http //blogs.yahoo.co.jp/mam5055kg/61169568.html 温海さくらマラソン http //blogs.yahoo.co.jp/gonta199688/26145240.html やまぶし温泉『ゆぽか』 http //blogs.yahoo.co.jp/mikikanoruki/17778631.html 羽黒山(神社)観光・・・その2 http //blogs.yahoo.co.jp/okusan2005/41213586.html やまぶし温泉ゆぽか(鶴岡市・旧羽黒町) http //blogs.yahoo.co.jp/nonpiry/24564956.html やまぶし温泉ゆぽか http //blogs.yahoo.co.jp/gfsts119/11828749.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 《周辺情報》 〈ブログ2〉 #blogsearch /