約 103,416 件
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/2181.html
新日本科学 本店:鹿児島市宮之浦町2438番地 【商号履歴】 株式会社新日本科学(1974年7月~) 株式会社日本ドッグセンター(1973年5月18日~) 【株式上場履歴】 <東証1部>2008年3月11日~ <東証マザーズ>2004年3月8日~2008年3月10日(1部指定) 【筆頭株主】 株式会社永田コーポレーション 【連結子会社等】 (連結子会社) SNBL U.S.A., Ltd. 米国ワシントン州 100.00% 新日本科学(亜州)有限公司 中華人民共和国香港特別行政区 100.00% 肇慶創薬生物科技有限公司 中華人民共和国広東省高要市 100.00% SHIN NIPPON BIOMEDICAL LABORATORIES (CAMBODIA) LIMITED カンボジア王国プノンペン市 100.00% ANGKOR PRIMATES CENTER INC. カンボジア王国プノンペン市 100.00% TIAN HU (CAMBODIA) ANIMAL BREEDING RESEARCH CENTER Ltd. カンボジア王国プノンペン市 67.00% 美西生物科技(上海)有限公司 中華人民共和国上海市 100.00% Shin Nippon Biomedical Laboratories India Private Limited インド共和国カルナタカ州 100.00% ㈱新日本科学臨床薬理研究所 鹿児島県鹿児島市 100.00% SNBL Clinical Pharmacology Center, Inc. 米国メリーランド州 100.00% University Medicines International, LLC. 米国メリーランド州 50.00% SNBL Nature㈱ 鹿児島県鹿児島市 100.00% ㈱CLINICAL STUDY SUPPORT 愛知県名古屋市千種区 75.00% Translational Research㈱ 鹿児島県鹿児島市 100.00% ㈱ナノ・ソリューション 東京都中央区 100.00% ㈱バイオアクティス 鹿児島県鹿児島市 92.00% ㈱グリフィンバイオテック 鹿児島県鹿児島市 81.63% RKE㈱ 鹿児島県鹿児島市 86.67% ㈱キラルジェン 鹿児島県鹿児島市 100.00% Translational Research USA,Inc. 米国マサチューセッツ州 100.00% Ruika Therapeutics,Inc. 米国メリーランド州 85.00% SNBL Europe, Ltd. 英国ウェストヨークシャー州 100.00% 福澤科技(嘉興)有限公司 中華人民共和国浙江省嘉興市 77.77% (持分法適用関連会社) Genkey, Ltd. 英国サリー州 40.00% 【沿革】 当社の前身である南日本ドッグセンターは、昭和32年4月に鹿児島県鹿児島市に創業してビーグル犬の繁殖・改良に着手しておりましたが、その後、昭和35年9月には安全性試験(前臨床試験)の受託を開始し、昭和48年5月には株式会社に組織変更して商号も株式会社日本ドッグセンターに変更いたしました。 昭和48年5月 株式会社日本ドッグセンター(本店所在地 鹿児島県鹿児島市、資本金3百万円)を設立 昭和49年7月 商号を株式会社新日本科学に変更 昭和52年3月 東京都中野区に東京研究所を設立 昭和55年5月 鹿児島県鹿児島郡吉田町に安全性試験研究管理棟を新設し、併せて本社を同所に移転 昭和56年4月 東京研究所を東京支社に改組し、東京都中央区に移転 昭和58年4月 GLP(Good Laboratory Practice)「医薬品の安全性に関する非臨床試験の実施の基準」が施行されたことに伴い、GLP対応の安全性試験開始 昭和63年4月 米国の営業及び情報収集拠点として米国支社を米国メリーランド州に開設 平成元年4月 関西地区の営業拠点として大阪支社を大阪市淀川区に開設 平成2年4月 欧州の営業及び情報収集拠点として英国支社を英国西ヨークシャー州に開設 平成3年7月 米国支社をSNBL U.S.A., Ltd. (現 連結子会社)として分社 平成3年7月 英国支社をSNBL Europe, Ltd. (現 連結子会社)として分社 平成8年9月 東京支社を東京都港区に移転 平成8年10月 大阪支社を大阪市中央区に移転 平成8年11月 霊長類保定器具の国際特許取得(平成8年12月に日本での特許取得) 平成10年8月 和歌山県海南市に分析及び薬物動態試験を行う薬物代謝分析センターを新設 平成11年6月 臨床開発事業本部(現 臨床事業部)を東京支社と大阪支社に新設し、CRO(Contract Research Organization)事業を開始 平成11年8月 SNBL U.S.A., Ltd.を米国ワシントン州に移転し、安全性研究所を新設 平成12年1月 鹿児島県鹿児島市に株式会社新日本科学臨床薬理研究所 (現 連結子会社)を設立し、SMO(Site Management Organization)事業を開始 平成12年6月 株式会社ディーディーエス研究所 (現 連結子会社)を買収し、新規投与経路の開発着手 平成13年10月 株式会社新日本科学臨床薬理研究所が、営業地域拡大のため神戸市中央区に神戸事業所を開設 平成14年3月 輸入検疫のための検査場所として、安全性研究所(鹿児島)敷地内の検疫施設が農林水産大臣指定を取得 平成14年6月 株式会社グリフィンバイオテック(現 連結子会社)を設立し、ゲノム解析業務を開始 平成14年8月 株式会社ナノ・ソリューション(現 連結子会社)を株式交換により完全子会社とし、プロテオミクス関連業務を開始 平成14年11月 株式会社ディーディーエス研究所の商号をTranslational Research株式会社(鹿児島県鹿児島郡吉田町)に変更 平成15年1月 東京支社を東京本社に改称し、併せて東京都千代田区に移転。鹿児島本社を鹿児島本店に改称 平成15年8月 中国での事業統括会社として、香港に新医科学開発(香港)有限公司 (現 連結子会社)を設立 平成16年3月 東京証券取引所マザーズ市場へ上場 平成16年5月 株式会社新日本科学臨床薬理研究所を兵庫県神戸市へ本店移転 平成16年6月 Translational Research株式会社及び株式会社ナノ・ソリューションを東京都千代田区へ本店移転 平成16年10月 米国における臨床(第Ⅰ相)試験受託を主要目的として米国メリーランド州にSNBL Clinical Pharmacology Center, Inc. (現 連結子会社)を設立 平成16年11月 鹿児島県鹿児島地区の市町村合併のため、株式会社新日本科学、RKE株式会社、株式会社グリフィンバイオテックの住所表記を鹿児島県鹿児島市宮之浦町へ変更。米国マサチューセッツ州にTranslational Research USA, Inc. (現 連結子会社)を設立。新医科学開発(香港)有限公司の商号を新日本科学(亜州)有限公司へ変更 平成17年10月 米国メリーランド州立大学ボルチモア校内にSNBL Clinical Pharmacology Center, Inc.の臨床試験施設を開設 平成17年12月 安全性研究所(鹿児島本店)の新試験棟落成 平成18年 4月 株式会社新日本科学臨床薬理研究所の本店を鹿児島県鹿児島市に移転し、併せて大阪市中央区に大阪本社を開設 平成19年 1月 東京本社を東京都中央区に移転 平成19年10月 インドカルナタカ州にShin Nippon Biomedical Laboratories India Private Limited (現 連結子会社)を設立 平成19年10月 米国メリーランド州にRuika Therapeutics,Inc. (現 連結子会社)を設立 平成19年11月 中国上海市に美西生物科技(上海)有限公司 (現 連結子会社)を設立 平成20年3月 東京証券取引所市場第一部へ市場変更
https://w.atwiki.jp/2012utr133/pages/38.html
7/21(土) 7/23(月)に提出となっている宇宙科学のレポートをアップロードしました。 7/18(月) シケプリをアップロードしました。講義ノート、スライドと併用してください。 6/10(日) 6/11(月)に提出となっている宇宙科学のレポートをアップロードしました。
https://w.atwiki.jp/hachimanjinja/pages/1179.html
ここは科学研究会。 遺跡を科学の力で発掘・解読しようとしている会 なのだそうだ・・・ 遺跡研究所と共同らしい・・・ 所長と会長が同一人物だからなぁ・・・ 会長 六芒星 副会長 会員 入りたい人は↓へ 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/omf-game/pages/1216.html
分類 金属 Grade 60 売却価格 23 科学を極めたものに授けられる証 用途 必要素材 錬金術師解放 科学の極意x10 明鏡の心x10 異界の原木x50 蒸留水x80 錬金術士の証x3 グロー:300000 入手方法 冒険 『錬金術師』解放の試練
https://w.atwiki.jp/nvlu09/pages/29.html
問題集 内科学に関する訂正を書き込んでください。 11/25 P162-問20-5の解説の表 リンパ球増加症の左の欄 Ⅲ、副腎皮質機能亢進症→副腎皮質機能低下症 に訂正してください。 P163 骨髄異形成症候群の概要の2行目 急性骨髄性白血病(ALL)→(AML) に訂正してください。後続の文のALLも同様に訂正してください。 P166-問20-8 aの解説 急性リンパ球性白血病→急性骨髄性白血病 に訂正してください。 10/26 p50~p51 肺動脈契入圧→肺動脈楔入圧 10/23 P252-問30-26 『W-③』は心臓の超音波像(右傍胸骨左室長軸像)。 →『W-③』は心臓の超音波像(左室短軸像:Mモード)。 P265『図W-③』 → 図の差し替え『下の図』 拡張末期心室中隔壁厚:6.1mm 拡張末期左室後壁厚:10.6mm 拡張末期左室内径:8.8mm 収縮末期左室内径:2.1mm 10/15 P161-問20-5 解答:⑤ → ③ に訂正してください。 10/10 P151-問19-4 選択肢 ①a,b,c → ①a,b,d に訂正してください。 P152-問19-5 選択肢③、④が同じなので、④b,d → ④b,e に訂正してください。 すみませんでした。
https://w.atwiki.jp/koujouryakuti/pages/17.html
多忙な政務 政務で獲得できる資源が激増 鍛錬1 戦闘で武将が獲得できる経験値が50%増加 兵種レベルアップ1 兵種がレベル2に上昇、戦闘力が上昇、兵士募集消費が増加 諫言 建築レベルアップ時、政務イベントを獲得できる確率が上昇 兵招集1 武将は3つ多く陣形の兵招集が可能(1列多く兵を増やす) 統帥力1 1人多く武将を募集できる 線香と蝋燭の祭祀 金貨祭祀効果が50%追加上昇 強壮 武将の攻撃、防御、兵力が全て上昇 市場交易1 この科学技術を獲得後、市場の回数が30分に1回回復 倉庫建設 資源区の倉庫上限が20%上昇 勇敢 武将戦法ダメージが10%増加 兵種レベルアップ2 兵種がレベル3に上昇、戦闘力が上昇、兵士募集消費が増加 多忙な政務 政務で獲得できる資源が50%増加 兵招集2武将はさらに3つ多く陣形の兵招集が可能(1列多く兵を増やす) 挑戦1 功労ボーナス受取上限を上げる。ボーナスレベル2の功労宝箱 五穀豊穣 ジャストボーナス量が上昇 功労強化1 功労ランキングボーナスで精鉄を獲得できる 秘技 赤色以上の上級スキルが最高レベルで同じ場合、秘技が開放される 出世運 官職は鉱山生産量を増加できる 兵種レベルアップ3 兵種がレベル4に上昇、戦闘力が上昇、兵士募集消費が増加 募集 募兵速度が20%増加 挑戦2功労ボーナス受取上限を上げる。ボーナスレベル3の功労宝箱 自動戦術 戦闘中に最適な戦術を自動で選択可能 強靭 部隊の戦法に対する防御が5%増加 攻城功労 応援、攻撃補助、城占領で相応の功労が獲得できる 倉庫建設 資源の上限が20%増加 献策 文官の枠を1つ追加 挑戦3功労ボーナス受取上限を上げる。ボーナスレベル4の功労宝箱 借兵強化1 金貨で借兵する場合、主将は追加の経験値を獲得できる 統帥力2もう1人多く武将を募集できる 国戦号令 集団軍と征召令を使用できる 世界シナリオ1 イージー世界シナリオを開放、完了すると大量の経験値を獲得できる 順調 闇市での1回の取引量が激増 戦場清掃1 攻城功労は毎ポイント50の主将経験値で、1日の上限は50万経験値 錬磨1 主将が獲得する国戦経験値が50%増加 自動国戦 武将が目標の城に向けて占領するまで自動で派兵し、30分間続く 精鉄市場 市場に精鉄資源が出現 功労強化2 科学技術レベルアップ後、功労ランキングから経験値を獲得できる 装備セット 装備セットを合成できる 方術隠者1 世界で方術隠者が出現する、無料で借兵回数を獲得できます。 挑戦4 功労ボーナス受取上限を上げる。ボーナスレベル5の功労宝箱 功労強化3 功労ランキングボーナスで精鉄生産量が50%上昇 借兵強化2 金貨で借兵する場合、主将は追加の経験値を獲得できる 世界シナリオ2 ノーマル世界シナリオを開放、完了すると大量の経験値を獲得できる 機敏1 敵軍のLv1のわな回数を消費し、わなの影響を受けない 戦場清掃2 攻城功労は毎ポイント100の主将経験値で、1日の上限は100万経験値
https://w.atwiki.jp/kannzaki/pages/90.html
元ミスコリアのハーバード大生、女性生命科学者賞受賞 クム・ナナ 元ミスコリア・真で、ハーバード大生物学科に進学し話題となったクム・ナナ(25)が、女性生命科学者賞を受賞した。 ロレアル・コリアは7日、クム・ナナに「韓国ロレアル‐ユネスコ女性生命科学振興賞(FWIS)」特別賞を授与した。 FWISを共同主催する女性生命技術科学フォーラムは、クム・ナナを選んだ理由として「芸能界を含め華やかな有名人としての道ではなく、科学者という茨の道を選んだことが、多くの女性科学者たちに勇気を与えたこと」を挙げた。FWIS大賞の受賞者は20日の授賞式で発表される。 クム・ナナは慶北大学医学部1年に在学していた2002年、ミスコリア・真に選ばれ、その後ハーバード大学に進学した。なお、クム・ナナは賞金全額を社会福祉団体に寄付するという。 イ・ヨンワン記者 朝鮮日報/朝鮮日報JNS http //www.chosunonline.com/article/20070610000013 生命科学と性差 坂東昌子 (愛知大学) いつの時代も自然の法則を客観的に把握することが、行動の指針をきめる第一歩であることは 間違いありません。そして、今、人類の築いてきた科学の成果が、社会のあり方と密接なつなが りのある時代になりました。特に、バイオテクノロジーの発展は、人間の生活をその誕生から死 に至るまでコントロールしはじめました。 今までの「生む性としての女性」という常識も、核家族中心の家庭の在り方も、大きく変革さ せられる時を迎えています。生命の尊厳や男女のありかたにもかかわって私たちの価値観に鋭い 問いを投げかけています。 こういう時代には、悠久の生命の歴史に目を向けて、性の起源や家族の起源を、宇宙進化、地 球の誕生と生命の発生、そして生物の進化のなかで見直すことが大切です。自然の営みの中から、 私たちはたくさんのことを学ぶことができるし、そこから、人類の未来を展望することができる でしょう。 そこで、どうしてこの世には男と女がいて、子供を産み育てる家庭が定着したのかに思いをい たし、その意味を探ってみたいと思います。 1 バイオテクノロジーと性の意味 人工受精、体外受精、精子バンク、凍結受精卵、代理母、クローン技術 ヒトゲノム 出生前診断、遺伝子診断、遺伝子治療 二十一世紀の予測 --- リー・シルバーの描く未来 2010年 ボストン 2050年 シアトル 2350年 アメリカの新聞記事 2 生物の進化からまなぶ ダーウィンの疑問:性の起源 ゾウリムシ、大腸菌、ミジンコ 有性生殖と進化:環境の変化、ウィルス防御、多様性の保証 遺伝子と多様性:遺伝子ですべてが決まるか?性差と環境 進化遺伝学からの教訓:作物家畜の品種改良、選抜限界(木村資生) 3 性差と脳の構造 脳の四層構造:植物脳、爬虫類脳、大脳周辺系、大脳皮質 右脳と左脳:機能の分化 知性(実用脳ー攻撃性、計画性、緻密性)と感性(遊び、休養、芸術) 右脳と生活の豊かさ:女らしさ?? 女性と科学 「沈黙の春」レイチェル・カーソン、「奪われし未来」シーア・コルボーン 住居と生活学:田中恒子、中島明子、生命科学:柳沢桂子、中村桂子 女性と学会 国際比較:欧米先進国、社会主義国、発展途上国、そして日本 女性の脳とモンテギューのネオテニー論 4 家庭の定義 家族の起源(モルガン(1818-1881):性を媒介とする男女の関わり方) 群婚、対偶婚、単婚、核家族 父権制:一夫一婦制、男性が排他的に女性と子供を支配する制度 家庭の4つの機能:性、生殖、教育、経済 産業の発達と専門的諸制度の確立による家庭機能の縮小 衣食の調達の社会化による家庭外機能の増加 家庭の役割(主婦の仕事?):家事、育児、介護 新婚期、育児期、教育期、排出期、脱親期、孤老期 近親婚の防止の役割(?) 5 家庭の役割 Food and Shelter:ハーロウ.H.F 信頼関係の樹立、不安や恐怖の解消機能 猿の話:環境変動に対して積極的行動、適応能力 「人間の場合は食べ物だけでなく社会的、文化的、シェルターが必要」 6 家庭の変遷 社会化の波:育児、教育の社会化、食品工業、外食産業、 次は生殖と出産か? 女性のライフサイクルと家庭:長寿命、少子化、核家族、社会的進出 バイオテクノロジーの発展:生殖産業 米国のベビーM 事件、日本の東京事件(1998 年)大阪事件(1998年): 7 未来の家庭像 家族の法的定義:日本では親子関係と婚姻関係のみ、相続を通じて定義 知性体:目的を持つ活動ができる人間の行為、大脳皮質 豊かな社会へ:感性と理性のバランス、原始社会での脳と豊かな社会の脳 生命の質:求心型から遠心型へ:多様性と個性の時代
https://w.atwiki.jp/www-iris/pages/1464.html
【エリア名】 科学省エリア 【読み方】 かがくしょうえりあ 【分類】 インターネットエリア 【登場作品】 『3』『5』 【BGM】 NETWORK IS SPREADING (エグゼ3) Network Space (エグゼ5) 【詳細】 科学省に対応したインターネットエリア。「3」と「5」に登場する。 『3』では青い道と黄色いメインストリートが特徴。エリアが2までしかない。 電脳メトロの駅はエリア2にあり、科学省スクエアも近くにあるためメインストリートがかなり短め。 エリア2には飼育ウイルスの1種、チャマッシュ系もいる。 エリア1は上の段と下の段で分かれており、それぞれエリア2の別々のルートと通じている。 また、エリア1には4枚のテトラゲートの奥に怪物のデータが封じ込められている。 公共の場所であるインターネット上に置いておくのはどうかと思うが、結局後に科学省の火災の影響で警備が薄くなっていた隙に乗じてデータが盗まれ、犯人はウラインターネットに通じる穴を開け逃走した。言わんこっちゃない。 亡霊ナビは、エリア1にビーストマンV2がいる。V3はこのエリアには出てこない。 『5』ではオラン島エリアと連なるエリアとして登場。 作中ではクラウドマンに占領されてしまい、オラン島エリアを解放したら侵入することになる。 科学省は光正と直接かかわってくるエリアだからか、ふるいたんまつの電脳を封じている古いセキュリティキューブや、過去の科学省のデータが保存されたパストビジョンなどが存在している。 亡霊ナビは、エリア3にクラウドマンが、エリア4にナパームマン/トマホークマンが出現する。
https://w.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/67.html
※全く就活とは関係ないですが、ちょこっとためになるかなと思って文字興ししてみました。今後も似たようなことをやるかもしれません。 元ネタ はじめに ゲーム脳 水に「ありがとう」と言葉を掛けると なぜ人はニセ科学を信じるのか おわりに 元ネタ 大阪大学・菊池誠教授 YouTube - 視点・論点「まん延するニセ科学」 http //www.youtube.com/watch?v=9LNRYsyWgEY はじめに みなさんは「ニセ科学」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。これは「見かけは科学のようだけれども実は科学的とはとても言えないもの」のことで、疑似科学やエセ科学とも呼ばれます。 そんなものがどこにあるんだ、とお思いの方も、例として、血液型性格判断やマイナスイオンやゲルマニウムブレスレットなどの名前を挙げれば、ああそういうもものことか、と納得されるかもしれません。それとも、かえって「えっ」と驚かれるでしょうか。 例えばみなさんもよくご存じのように、「マイナスイオンは健康に良い」と盛んに言われ、ひと頃は大手家電メーカーもこぞって製品を売り出すほどのブームになりました。マイナスイオン製品がよく売れたのは、もちろんマイナスイオンの健康効果に科学的な裏付けがあると信じた人が多かったからでしょう。テレビや雑誌などでも頻繁に取り上げられましたから、それを疑えという方が無理な話かもしれません。 しかし、実はマイナスイオンが体に良いという科学的根拠はほぼないと言ってよいのです。あのブームは全くの空騒ぎでした。大手メーカーまでがなぜその空騒ぎに乗ってしまったのか、きちんと検証しておく必要があります。 今はゲルマニウムを使った製品に人気が出てきているようです。しかし、実のところゲルマニウムを身につけたところで、せいぜいお守り程度の効果しか期待できません。 今、こうした科学のようで科学でない、ニセ科学がまん延しています。こういったニセ科学の中に、しつけや道徳に関わる物があります。その話をしたいと思います。 ゲーム脳 よく知られている例の一つは、「テレビゲームをしすぎると脳の機能が壊れる」という、いわゆる「ゲーム脳」説です。しかし、この説に科学的に信頼しうる根拠はないのです。その意味でこれもまた、ニセ科学です。 もちろん、どんなゲームにもそれなりの物語性がありますから、人格形成に影響することはあるでしょう。しかし、それだけなら小説やテレビドラマなどでも同じです。脳の機能が壊れるかどうかとは、全く別の話なのです。 ところが、この説は教育関係者に広く受け入れられています。全国各地で教育委員会やPTA主催の講演会が開かれているようです。もちろん、子供がゲームばかりするので困っているという親は多いでしょうし、学校の先生もそういう風潮を何とかしたいと思っているのでしょう。そういう皆さんにとって、ゲーム脳説が一見、福音に思えたことは分かりますが、科学的な根拠のないものに飛びついても仕方がありません。 そもそもゲームのし過ぎを何とかしたいというのは科学の問題ではなく、しつけの問題だったはずです。子供が四六時中ゲームをして困ると考えるなら、やめるようにきちんと指導すべきでしょう。しつけの根拠を科学に求めようとしてはいけません。 水に「ありがとう」と言葉を掛けると もう一つ、今度は水にまつわる奇妙な説を紹介しましょう。水に「ありがとう」と言葉を掛けると綺麗な結晶ができ、「バカヤロウ」と言葉を掛けると綺麗な結晶ができない、というのです。 水の結晶というのは氷のことですから、これは言葉の善し悪しが氷の形に影響を与えるという主張です。しかし、もちろんそんな馬鹿なことはありません。水はただの物質です。言葉を聞く耳も、文字を読む目もなければ、言葉の意味を感じる心もありません。水が言葉に影響されるなど、いい大人が信じるような話ではなかったはずです。 ところが、これが広く信じられています。「ありがとう」は水にも分かるほど良い言葉だ、と言われるとそれだけで良い話だと思いこんでしまう人は意外に多いらしいです。この説がいくつもの小学校で道徳の授業に使われていることが問題になっています。言葉遣いを教えるのに格好の教材と思われたようです。しかし、本当にそうでしょうか。この授業はたくさんの問題をはらんでいます。 まず第一に、明らかに科学的に誤っています。理科離れや、学力低下が言われる今、道徳だからといってここまで非科学的な話を事実であるかのように教えていいはずがありません。 しかしそれ以上に問題なのは、言葉遣いを、物質のふるまいに求めようとしていることです。言葉は人間同士のコミュニケーションの手段ですから、その使い方はあくまでも人間が自分の頭で考えなくてはならないはずです。「ありがとう」はどんな状況下でも良い言葉なのか。それを考えてみれば、この話のおかしさは分かるはずです。 ゲーム脳がしつけの根拠を科学に求めるものだったのと同様、ここでは道徳の根拠を自然科学に求めようとしています。それは科学に対して多く求め過ぎです。しつけも道徳も人間が自分の頭で考えなくてはならないことであって、自然科学に教わるものではないはずです。 なぜ人はニセ科学を信じるのか さて、ニセ科学が受け入れられるのは、科学に見えるからです。つまり、ニセ科学を信じる人たちは科学が嫌いなのでも科学に不信を抱いてるのでもない。むしろ、科学を信頼しているからこそ信じるわけです。例えばマイナスイオンがブームになったのは、「プラスは体に悪く、マイナスは体に良い」という説明を多くの人が科学的知識として受け入れたからです。 しかし仮に、科学者に「マイナスのイオンは体に良いのですか」と尋ねてみても、そのような単純な二分法では答えてくれないはずです。「マイナスのイオンといっても色々あるので、中には体に良いものも悪いものもあるでしょうし、体に良いといっても摂り過ぎれば何か悪いことも起きるでしょうしブツブツブツブツ・・・」とまあ歯切れの悪い答えしか返ってこないでしょう。それが科学的な誠実さだからしようがないのです。 ところがニセ科学は断言してくれます。「マイナスは良い」と言ったら良いし、「プラスは悪い」と言ったら悪いのです。また、ゲームをし過ぎるとなぜよくないのかと言えば、脳が壊れるからです。「ありがとう」は水が綺麗な結晶をつくるから良い言葉なのです。 このように、ニセ科学は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りのよさは、本当の科学に決して期待できないものです。しかし、パブリックイメージとしての科学はむしろこれらなのかもしれません。科学とは、様々な問題に対して曖昧さなく白黒はっきり付けるもの。科学にはそういうイメージが浸透しているのではないでしょうか。そうだとするとニセ科学は科学よりも科学らしく見えているのかもしれません。 おわりに 確かに、何でもかんでも単純な二分法で割り切れるなら簡単でしょう。しかし、残念ながら世界はそれほど単純にはできていません。単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが重要だったはずです。 そして、それを考えるのが本来の合理的思考であり、科学的思考なのです。二分法は思考停止に他なりません。ニセ科学に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で結論だけを求める風潮が社会にまん延しつつあるように思えます。そうではなく、私たちは合理的な思考のプロセス、それを大事にすべきなのです。
https://w.atwiki.jp/galileodiscorsi/pages/12.html
のべアクセス数 - 人 コメント入力欄を作ってみました。書き込み情報,感想などどうぞ。 -- yokkun (2008-04-28 01 23 49) ゴルフボールとピンポン玉の落下…私もやってみました(書き込み)。 -- yokkun (2008-05-01 20 31 48) コーヒーブレイクに落下実験の写真をアップしました。 -- yokkun (2008-05-09 22 49 02) 写真、見事に落下途中をとらえていますね。1.5mくらい落ちていますから落下後0.5sくらいですか、シャッターチャンスがばっちりでしたね。 -- Leon (2008-05-12 10 02 43) 連写で何回か撮ったのですが,ようやくそれらしいものが撮れました。 -- yokkun (2008-05-12 15 19 05) Leonさんの紹介されたドレイクの分析は納得できるものですね。他の著書を見ても,ガリレオは根源的な部分で論敵をコテンパンに叩きのめすのが常であるように見えます。 -- yokkun (2008-05-26 23 45 26) yokkunさん、原書ダウンロードの貼り付けありがとうございます。こういうサービスもあるんですね。イタリア語読めないので、御利益を受けられないのが悔しい。 -- Leon (2008-05-27 14 30 29) 第1部前半は、アリストテレスに対する反論で有名な部分ですが、今回読んでみて自らの落下法則を展開する後半の方がすばらしいなと感じます。第1部全体では何が書いてあるのか、つくづく読めないのが残念です。 -- Leon (2008-05-27 14 36 49) 名前 コメント 目次 サグレード[1] シンプリーチョ[2] サルヴィアーティ[3] シンプリーチョ[4] サグレード[5] サルヴィアーティ[6] シンプリーチョ[7] サルヴィアーティ[8] シンプリーチョ[9] サルヴィアーティ[10] シンプリーチョ[11] サルヴィアーティ[12] シンプリーチョ[13] サルヴィアーティ[14] シンプリーチョ[15] サルヴィアーティ[16] サグレード[1] 物体の透入可能性を否定する点では、私も逍遙学派の哲学者たちと全く同じです。真空の否定に関しては、アリストテレスが真空に反対して行った証明についての評価とともに、サルヴィアーティさん、彼に対するあなたの反論をよく聞きたいと思います。シンプリーチョさんがかの哲学者〔アリストテレス〕の証明を詳細に説明してくださるでしょう。そしてサルヴィアーティさん、あなたがそれに返答してください。[1] 「透入可能性」と「逍遙学派の哲学者たち」の意味が分かりません。(上浜4/12) 透入可能性=penetrazione について 英語では、penetration 貫通、浸透 penetrable 貫通・浸透できる 不可入性、不可透入性=impenetrability の方がよく使われているようです。 http //www.juen.ac.jp/scien/morikawa_base/atommoltheory.html によれば、 「複数の物質は,同時刻,同一場所に存在しえないこと,これを物質の相互不可侵性,あるいはもっと簡単に,不可入性とよぶ。」(一般哲学用語としての説明) 「逍遥学派」によれば、これと真空の否定はセットになっていて、物質どうしは重なり合うこともなければ、すきま=真空をつくることもないとされるのだと思います。(yokkun 4/15) 「逍遥学派」=アリストテレス学派について http //www.takamatsu-u.ac.jp/library/06_gakunaisyupan/kiyo/no37/no37takano.pdf によれば、 「アリストテレス(BC384-322)は晩年になって,アポロン・リケイオン神殿のかたわらに哲学の学校を建てた。学校の名は神殿にちなんでLykeionという。energia, symposion など多くの言葉とともに,この言葉は英,仏,独語にそれぞれ lyceum, lyc催e, Lyzeumとして残っている。アリストテレスは,Lykeionの回廊(Peripatos)を歩きながら講義をしたり思索にふけったので,この学派を逍遙学派(Peripatos, peripatecian)という。」とあります。(yokkun 4/15) よく分かりました。(上浜4/15) シンプリーチョ[2] 私が覚えている限りでは、アリストテレスが反論しているのは、真空がなければ運動は起こりえないと主張し、運動に不可欠なものとして真空を持ち出してきた古代のある人々に対してです。この見解に対してアリストテレスは、逆に(以下でわかるように)運動が起こることから、真空の存在が否定できることを証明しています。そこで彼は次のように議論を進めています。彼はまず二つの仮定をします。一つは同一の媒質中を運動する重さの異なる可動体に関するもので、もう一つは異なる媒質中を運動する同一の可動体に関するものです。第一の場合については、重さの異なる可動体は同一の媒質中を異なる速さで運動し、その速さ相互の比は重さ相互の比に等しいと仮定しています。したがって、たとえば他方より10倍重い可動体は10倍速く運動することになります。もう一つの仮定においては、異なる媒質中での同一の可動体の速さ相互の比は、媒質の濃密さあるいは比重相互の比の逆比であるとしています。それ故、たとえば水の濃密さが空気のそれよりも10倍大きいとするならば、空気中の速さは水中の速さよりも10倍大きくなると主張しています。そしてこの第二の仮定から、彼は次のようにして証明を導き出します。〔物質で〕充満した媒質がどんなに希薄であっても、真空の希薄さは媒質の〔有限な〕希薄さとは無限に隔たっていますから、すべての可動体は、〔物質で〕充満した任意の媒質中ではある〔有限な〕時間内にある〔有限な〕距離を運動するとしても、真空中では一瞬のうちに運動せねばならないでしょう。しかし一瞬のうちに運動を行うことは不可能です。したがって真空中の存在は運動のために不可能になります。[2] 岩波科学映画「物はどのように落ちるか1」には以下のような説明が出てきます。 アリストテレスは、地面に沿って動く物体の観察から、物体の速さは動かすものと動かされるものの関係で決まると捉え、(速さ)=定数*(動かす力)/(物体の重さ)と考えた。 落下物体では動かすものを(物体の重さ)、動かされるものを(媒質の密度)と考え、(速さ)=定数*(物体の重さ)/(媒質の密度)とした。 これによって、速さは重さに比例する、ということになるようです。(Leon4/13) 岩波科学映画「物はどのように落ちるか1」をどこでご覧になった?(上浜4/15) 仮説社で扱っているようですね。ほしいなあ・・・。(yokkun4/16) → http //www.kasetu.co.jp/goods/default_08.asp 今度お出でのときご覧下さい。(Leon4/16) 「真空の存在は運動のために不可能になる」に至るこの部分は「ぼくらはガリレオ」に載っていましたね。(Leon4/17) 私も「ぼくらはガリレオ」を読み返してみました。この「ぼくらはガリレオ」は、この読書会にとって、よい参考書の一つですね。(上浜4/17) サルヴィアーティ[3] この議論は特定の立場の人に対するもののように思われます。すなわち、真空を運動にとって不可欠なものとして要請している人々に対するのものです。したがって、仮に私がその議論を決定的なものとして認め、さらに真空中では運動は起こらないことを認めたとしても、運動に関係なく絶対的なものとしてとらえられている真空の存在が否定されるわけではありません。しかしアリストテレスの証明がどれだけ有効であるかをより明らかにするために、〔真空の存在を認めた〕古代の人々がそのとき答えられたはずのことを考えてみましょう。するとアリストテレスの〔二つの〕仮定に対して反論し、両方とも否定することができるように私には思われるのです。第一の仮定については、アリストテレスは、一方が他方よりも10倍重い二つの石をたとえば100ブラッチョ(約60m)の高さから同じ瞬間に落下させると、大きい方が地面に着くときに他方は10ブラッチョ(約6m)も落下していないほどの両者の速さが違うということが本当かどうかを実験したことがないのではないかと、私は大いに疑問に思っています。[3] シンプリーチョ[4] しかし彼は〔自分自身で〕実験したことを明らかにしており、それは彼の言葉からわかります。なぜなら、彼は「より重い物体が・・・・・・するのを我々は見ている」と述べているのですから。この「見ている」という言葉は、このことについて実験をしたことを表しています。[4] サグレード[5] しかしシンプリーチョさん、私はこのことを試してみましたからあなたに請け合いますが、100リップラ(約34kg)や200リップラ(約68kg)あるいはそれ以上の重さの大砲の弾は、200ブラッチョ(約120m)の高さから落下したときでも、半リップラ(約170g)の重さのマスケット銃の弾よりただの1パルモ(約0.30m)さえも先にならないのです。[5] 200あるいは400倍も重さの違うものを120mも落下させて30cmも違わない、というこの数字は果たして妥当なのでしょうか?(Leon4/13) 直感ではまず妥当とは思えないですね。さすがに68kgや120mは無理としても、実際やってみたいものです。また、空気抵抗を理論的に計算したいところ。ひとまず宿題ですか。(yokkun4/16) 授業開きで、ゴルフボール(46g)とピンポン玉(2.7g)を2mほどの高さから同時に落とす実験をやりました。実験前の予想では、アリストテレス派が84人、ガリレオ派が34人でした。(上浜4/17) 私もならってやってみました。数はかぞえませんでしたが,どっちが速い?ときいたので,ガリレオ派はあまりいませんでした。教卓の上に立って3m近く落としました。ゴルフボールが少しだけ速く感じましたが,両手で同時落下させるとき重いほうが指のひっかかりがなくスムーズにスタートすることも影響しているように思いました。ちなみに,物理部の新入生をつかまえて3階の準備室のベランダから落としてみると,数十cm~1m程度差があるように感じました。これもまた落とすタイミングが難しく,精度のよい実験のためには同時落下に工夫の必要を感じました。(yokkun 5/1) サルヴィアーティ[6] 他に実験をしなくても、同一の物質からなる可動体、つまりアリストテレスが述べている可動体の場合には、重い物体がそれより軽い他の物体よりも速く運動するということが正しくないことを、簡単で決定的な証明によってはっきりと示すことができます。そこでシンプリーチョさん、私にお答え下さい。各々の重い落下物体には自然本性によって定められたある速さがあり、それを速くしたり遅くしたりするためには強制力を用いるか、何らかの障害でそれを阻むしかないということをあなたは認めますか。[6] シンプリーチョ[7] 同一の可動体が同一の媒質中で自然本性によって定められたある一定の速さを持ち、新たなインペトゥスが与えられなければ加速され得ず、また何らかの障害によって遅らせられるのでなければ減速され得ないということは、疑うことができません。[7] [2]では言っていない「自然本性によって定められたある一定の速さをもつ」がここにあります。落体の運動は等速度運動だと述べています。(Leon4/18) 落下が等速度運動でないことは,ガリレオは十分認識しているはずですから,ここは次のように読み取りたいと思うのですがどうでしょう。すなわち「一定の」は時間変化における一定ではなく,その「可動体」に固有のと読み取ってみたいのです。正確にいえば,同一時刻で比較した落体の速さ(落下距離?)は条件が同じ(同一の可動体で同一の媒質)であれば同じ(一定)ですよ・・・といっているのだと解釈したいです。私たちもよく「どんな物体も真空中では同じ速さで落ちる」といいますよね。ですから,ここの「加速」もまた時間的な速度変化のことではないと理解したいと思いますがどうですか?すると,[14]の「槍」がここでいうインペトゥスの比喩に当たると考えられます。(yokkun 4/18) ちなみに原書には「ある一定の」にあたる単語はなく,"natura determinata velocita"とあるだけでした(p.63)。(yokkun 4/18) 原著をふまえてのご指摘ありがとうございます。確かに「一定の」を等速度運動と読むのは勇み足かもしれません。しかし、前述の映画では、アリストテレスの2つの誤りとして、「速さが重さに比例」「だんだん速くなることの見落とし」があげられています。アリストテレスの運動論まではあたっていませんが。(Leon4/22) このあたりの表現を見ると,明らかにガリレオは速さを「同時刻の落下距離」すなわち「早さ」としてのみ比較していますね。等加速度運動であることを認めた上においては,数学的に「平均の速さ」を比較することと同等です。「瞬間の速さ」すなわち微分速度の概念がどれほど自覚されていたか不明です。わかりやすさのために回避しているか,もしくは必要を感じていないのかも。そのへんは後の方でもう少しはっきりするのかもしれません。少なくとも速度概念を現在のような明瞭に限定された定義のもとには使用していない,ということを念頭において読んでみたらどうでしょうか?(yokkun 4/20) 「プロジェクト物理」には、ガリレオは落体の速さが時間に比例すると仮定し、その平均の速さに時間を乗じて落下距離が時間の二乗に比例するの確認した、とあったかと思います。時間に比例する「速さ」となると、「瞬間の」速さに近いイメージがあるような気もしますが。いずれにしてもこれらは斜面の実験のあたりの話でしょう。斜面の実験に向けて、このあとどう話が展開していくのか待ち遠しいところです。(Leon4/22) 今読み返してみると,上のLeonさんとの議論はちょっとすれちがっていたようでした。私が舌足らずだったのですが,「自然本性によって定められた」速さというサルヴィアーティの念押しは,シンプリーチョに落下は等速運動だとの誤謬を語らせたわけではなく,両者の共通の土台として同一物体なら同一の速さ(時間的に一定であるかどうかはここでは問わない)という落下の再現性を確認したのではないかと私は思ったのでした。これを認可しないと以下の矛盾へと追い込む前提がくずれますね。サルヴィアーティ(ガリレオ)は,物体が「自然本性によって定められた」速さをもつとの前提を否定する背理法をとっているわけではなく,この前提を両者共通の認識として確認した上で,「落下速度の比は重さの比」とする仮定を否定する背理法にもっていっているのではないでしょうか?(yokkun 4/27) ここ数日探してみたのですがプロジェクト物理にも、アリストテレスが落下運動を等速度とみていた、という指摘は見あたりません。あらためて読み返してみると、yokkunさんのご指摘の通り[7]は単に[6]への同意です。新しいことを指摘しているわけではないと読むべきですね。「自然本性によって定められたある一定の速さ」は「ある量の速さ」とでも捉えればよいのでしょう。(Leon4/27) サルヴィアーティ[8] それでは明らかに、二つの可動体があり、両者の本来の速さが異なっている場合には、遅いものと速いものを結びあわせると、速いほうは遅い方によって部分的に減速され、遅い方は速いほうによって部分的に加速されることになります。あなたもこの見解に関しては私に同意するでしょうね。[8] これが,背理法によって矛盾を引き起こす仮定=「複数の可動体において本来の速さは同一である…の否定」の部分でしょうか。(yokkun 4/27) シンプリーチョ[9] 疑いなくそのようなことが起こるはずだと思います。[9] サルヴィアーティ[10] しかしこのことが本当であり、そして大きい石がたとえば8の度合いの速さで、小さい石が4の度合いの速さで運動するということも本当であるならば、そこで両者を結び合わせると、一緒になったものは8の度合いよりも小さな速さで運動するでしょう。しかし二つの石を結び合わせると、8の度合いの速さで運動していた最初の石よりも大きな石になります。それ故、このよりいっそう大きな石が、それよりも小さな石よりも遅く運動することになります。これはあなたの仮定に反しています。これで、重い可動体が軽い可動体よりも速く運動すると仮定することから、私がどのようにして重いもののほうが遅く運動するという結論を出したかがおわかりになったでしょう。 [10] ガリレオの思考実験の真骨頂ですね。アルキメデスのてこの原理や浮力の原理を彷彿とさせます。ガリレオは実験科学の先駆ともいわれ,確かに斜面上の落下など重要な実験もしていますが,むしろ思考実験を多用しており,論理的な証明でこと足れりとする弱点もあるような気がします(むろん,時計すらない時代的制約の中でできる実験が限られていることが要因です)。ところでこの思考実験,論理的には納得させられますが,力学的にはどうなのでしょう? 力の概念がもやーっとした中で何が先験的で自明な前提となっているか? その辺が気になっています。(yokkun 4/17) 「プロジェクト物理」で初めて読んだとき、感動したのを覚えています。しかし今改めて読むと、シンプリーチョがはめられているような?気がするのは私だけですか。この論理の最初の布石は、シンプリーチョ[2]の二つの仮定でしょう。一つめの仮定の「落下速度の比は重さの比」に加えて、[7]でさらに「落下速度は質量で決まる等速運動だ」と発言させ(られ)ています。[9]で念押しされて、これらに対する反論です。(Leon4/18) 次のように現代的(?)に解釈してみたのですが…(yokkun 4/27)[公理1] 自由落下する物体の速さ(同時刻の瞬間の速さまたは同時間の平均の速さ)は,「自然本性」に関する関数である。 v=v(m) v 速さ,m 「自然本性」を表す物体の定数(ここでは質量をさすと考える) [公理2] 物体A,Bの単独で運動する速さがAの方が大きいとすれば,両者が連結して運動するときBはAから力を受けて加速し,またAはその反作用を受けて減速するためにA+Bの総体は中間の速さで運動する。 v_A v_B ⇒ v_A v_(A+B) v_B [仮 定] 自由落下する物体の速さは,「自然本性」=質量に対する単調増加関数(または単調減少関数としても同じ)である。→「自由落下する物体の速さはその質量にかかわらず等しい」の否定([公理1]を前提とする) M m ⇒ v(M) v(m) [公理2]により,v(M) v(m) ⇒ v(M) v(M+m) v(m) しかるに,再び[仮定]により v(M+m) v(M) でなければならない。これは矛盾である。 背理法により「自由落下する物体の速さはその質量にかかわらず等しい」ことが証明された。 [公理1]→[6]、[公理2]→[8]、[仮定]以下の内容が[10]ですか、最後のオチは[16]と見ることもできますね。[6][8]の内容はシンプリーチョ[2]を念押ししたものであり、この時点で論争の敗北は運命づけられていますね。(Leon4/27) 何度読んでもこの部分、ガリレオの攻撃的な姿勢を感じます。ドレイクは、ガリレオがなぜ自然哲学者たちに憎悪されたかとして以下のように書いています。「ガリレオがアリストテレスの所説と矛盾する事実を指摘するのであれば、哲学者たちもガリレオを許しただろうが、まるきり自己撞着に陥ることをガリレオが暴露するのは支持できなかった。ガリレオがやったことはそれであり、彼の議論によって、重さに比例した速度で物体が落下する宇宙に我々が生きていないというよりも、そもそもそういう宇宙が存在できないことが明らかにされた。物理法則がわれわれのものと異なっても、アリストテレスの法則から自己矛盾が出てきてはならなかった。つまり、法則が地上での実際の測定と単に合わないだけのことでなければならなかった。ガリレオがいかに議論を展開したか、なぜそれによってアリストテレスとその追随者たちが馬鹿に見えたか、を見るのは興味深いことである。」(Leon5/25) シンプリーチョ[11] 私は混乱してしまいました。というのは、やはり私も、大きな石に小さな石を付け加えると、小さな石は大きな石に重さを付け加えると思いますが、しかし重さを付け加えることによって、速さを付け加えるかあるいは少なくとも速さを減らさないということが、どうして起こり得ないのかわからないのです。[11] 役回りとはいえ、やんぬるかな!シンプリーチョ・・・(Leon4/18) サルヴィアーティ[12] シンプリーチョさん、あなたはここでもまた別の誤りを犯していますよ。小さい石が大きい石に重さを付け加えるというのは正しくないのですから。[12] シンプリーチョ[13] おや、私には全く理解できません。[13] 遅く落ちようとする小さい石は、速く落ちようとする重い石にブレーキをかけることはあっても、重い石を加速することはできないはず、といわれているんだよ!ガンバレ!(Leon4/18) サルヴィアーティ[14] 私があなたに、あなたがとらわれている多義性の誤りを気づかせれば、おわかりになるでしょう。そこでまず、運動している重い物体と静止している同一の物体とは区別せねばならないことに注意してください。天秤にかけた大きな石は、石をもう一つその上にのせると重さを増しますし、糸巻き棒一巻き分の麻くずを加えても、6オンチャ(約180g)なり10オンチャ(約300g)なりその麻くずの重さぶんだけ重くなります。しかし麻くずが結びつけられた石を高いところから自由に落下させると、運動中に麻くずが石の重さを増してその運動を速めるはずだと思いますか、それとも麻くずが部分的に石を押し止めるはたらきをしてその運動を遅くすると思いますか。我々は、重いものを背負ってそれが行おうとする運動に逆らおうとすると肩に重さを感じます。しかしその重いものが自然に落下するのと同じ速さでもしも我々が降りていくならば、一体どのようにして我々は上から圧迫され、重さを受けると思いますか。これは、あなたが追いかける速さと同じかあるいはそれより大きな速さであなたの前を駆けていく人を、槍で傷つけようとするようなものだと思いませんか。そこで自由な自然落下においては小さな石は大きな石に重みをかけず、その結果、静止の時のように大きな石の重さを増しはしないという結論になります。[14] 「多義性」の意味が分かりません。(上浜4/17) 原書p.64の"equiuoco"="equivoco"=「多義性の誤り」と訳しているようです。 英語の"equivocal"=「両方の意味にとれる,あいまいな」や,"equivocation"=「ことばのごまかし」に通じると思われます。推測ですが,ここではシンプリーチョが陥った,どちらも正しく思えるような混乱を表現しているのではないでしょうか?(yokkun 4/17) ここの論理展開は,本質的に自由落下系の無重力を表現していますね。相対性原理にも関係する重要な観点が記述されていると思います。(yokkun 4/18) 同感です。「重いものを背負って落下すると、肩に重さを感じない。」こういうことにガリレオは気づいていたんですね。[8]の反証です。これはやってみるとおもしろそうな実験ですね。[10]を発展させた発言ですが、槍のたとえがよくわかりません。(Leon4/18) 「槍」は「圧迫」「重さ」「重み」と表現されている,現在われわれが明確に認識・定義している力に相当するものをたとえているのでしょう。正確には下の物体が上の物体から受ける抗力ということになるのでしょうか。それぞれ落下させたときにB(上)がA(下)の速さを上まわることがなければ,同時に落下させたときにBがAを押す(「槍」でつっつく)ことはできないだろうというわけですね。(yokkun 4/18) 「投げる槍」を想像してしまいました。了解しました。(Leon4/18) シンプリーチョ[15] しかし大きな石を小さな石の上に置いたらどうなりますか。[15] サルヴィアーティ[16] もし大きな石の運動のほうが速いならば、小さな石の重さを増すでしょう。ところでもし小さな石のほうが遅いならば、大きな石の速さを部分的に遅くし、その結果二つの石を一緒にしたものは、大きな石よりも大きいのにそれよりも遅く運動することになることがすでに結論されています。これはあなたの仮定に反しています。そこで大きな可動体も小さな可動体も、種に固有の重さ〔la gravita in spezie〕〔すなわち比重〕が同じであるならば、等しい速さで運動すると結論しましょう。〔Ⅷ, pp.105-109〕[16] これは、「落体の速度は密度に比例する」とした有名なガリレオの誤りの部分でしょうか。(Leon4/22) ひとまず,少なくとも密度の等しい物体は等しい速さで運動する…と条件を絞ったのだとも解釈できますね。いずれ真空中では密度が異なってもすべての物体が等しい速さを持つという結論に発展する土台をすえたとも考えられます。(yokkun 4/24) 蛇足ですが、ここで「等しい速さ」はいうまでもなく「同じ速さ」の意味です。"pari velocita"=equal velocity(原書p.65)(yokkun 4/27) ここで突然「種に固有の重さが同じであるならば」と言い始めたようですが、とりあえずこう言って、以下に続く比重の話題(後半)に誘導しているようです。(Leon4/27) ページの先頭に戻る