約 449,969 件
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/278.html
(腹ァ減ったな) 悲しいが空きっ腹には慣れている、とはいえ自覚すると尚のことお腹が減るような気がしてくる かといって金もなく、帰るまでの旅費をどうしようかと考えながら歩いていると 話し声が聞こえてきた 金髪の少年と少女、一人は薔薇を持っていかにも生意気そうな感じだ もう一人はなんだか凄い髪型をしている少女である セットが大変そうだ 耳を澄ます・・・少年が少女を口説いてるようだ (とりあえず余計な連中には見つからないように出よう) 周囲に注意しつつ歩いているとなにやら突然地面が盛り上がった ボコッという音と共に出てきたのは形容しがたい茶色の生物 強いて言えばもぐらに似ているだろうか、それでもこんなにでかいのは見たことがない 「うぉっ!なんだコイツ」 声をあげてからはたと気付く、しまった・・・先ほどの二人もそれに気付いたらしくこちらへ近づいてくる 「おーヴェルダンデ、そんなとこにいたのかい・・・ん?」 オーフェンは心の中でどうするか考えていた (ここで逃げたりしたら面倒なことになりそうだ、とりあえず適当に話してみるか・・・?) 「あれ?あなたゼロのルイズが召喚した使い魔じゃない?」 凄い髪型の少女が口を開く 「いや・・・」(なんなんだ・・集団で俺を使い魔扱いか?吹聴して回ったってのか) 生意気そうな少年が口を開く 「ルイズが見当たらないようだがこんなところで何をしてるんだい? まさか逃亡かい?あはははは、さすが平民を召喚したゼロのルイズだねぇ ははははは」 (よくわからないが俺が逃亡しようとする意図は読まれてるな ここは適当に話を切り上げよう) 「いや、ちょっと用事を頼まれてな 外に行く途中なんだ それじゃ」 「待ちたまえ平民」 少年が口を開くがそれを無視する これ以上無駄話に付き合っている暇はない 「放っときなさいよ ギーシュ」 「そういうわけにはいかないさモンモランシー、」 男のほうがギーシュで女のほうがモンモランシーという名前らしい 後者は凄い名前だ・・・しかしそんなことに構っていられない 「止まりたまえ!平民のくせに貴族の命令を無視するとはいい根性をしてるな」 「すまないが急いでるんだ」 「関係ないね」 ギーシュとやらの制止を無視しようとしたがでかいもぐらが進行を邪魔した 「どこの平民だか知らんが目つきだけじゃなく態度も悪いな、大体貴族であるこの僕が君みたいな貧相な平民に声をかけてるんだから 光栄と思って欲しいものだね、ちょっとでも僕の役に立てるってことを誇りに思ってもらわな」 しまったと思った時には手が出ていた、理不尽な奴に理不尽な場所に運ばれ、理不尽な爆発を受け理不尽な少女のママゴトに多少なりと付き合い よくわからん理不尽なもぐらに見つかり、理不尽で生意気な少年にごちゃごちゃ高説を聞かされ、それがどこぞの金を返さない馬鹿に似ていて、 さらに空きっ腹のイラだちが加わり、気付いた時には右ストレートが綺麗にギーシュの右頬に入っていた。 「やっちまった」 「ちょっ ちょっとギーシュ大丈夫!?」 少女モンモランシーともぐらが少年ギーシュに駆け寄っている 夜空を仰ぎながらオーフェンは一人ごちた (今すぐ逃げた方が吉かな・・) そこで初めて気付く、夜空に浮かぶ二つの月に・・・ 「・・・ここは・・どこだ・・・・???」 思わず口に出た言葉に呼応するかのように、 桃色髪の少女ゼロのルイズが声を上げながら近づいてきた。 オーフェンは呆然としながらも、どこにいたって受難の日々が決して終わらないことを心のどこかで認識していた 「つまりここはキエサルヒマ大陸とは別の異世界ってことか」 「アンタがどこからきたのかは知らないけど、私の使い魔なんだから私に従ってもらうわよ」 「むぅ・・・」 オーフェンは考えていた、自分にはやる事がある ダラダラと過ごしてはいたもののそれでもやるべき事が 元いた世界に帰らなければならない しかし帰る方法がわからない 「仕方ない」 「ようやく認めた?」 「あぁ」 (・・・帰る為に情報収集もしないとな) 「逃げた割りには案外素直ね」 「自慢じゃないがこういうことには慣れてるからな」 記憶にはないものの同じようなことがあったような気がする 神を自称する神っぽいものに召喚されて別世界の少女と共に戦ったような・・・ 「それじゃオーフェン、アンタはとりあえずこれらを洗濯をすること」 「あぁルイズ、その前に俺は腹が減ってるんだ、なんでもいいから食うものないか」 「ちゃんと働いたら食べさせてあげるわよ 食事の時間までまだ間があるからとっとと洗濯してきて」 「・・・りょーかい」 労働をし報酬を得る、ごく自然の社会生活である。尤も、この男はそんなまともなことも長いことやってなかったが (とりあえず食事と寝床には困らないか、逃亡したところで素性の知れない男なんか雇う場所も少ないだろうし なにより魔法使いとやらが沢山いるこの学院のほうが、情報収集もしやすいだろうしな) 下着の洗濯なんて何年ぶりだろう、数年前に遡る話だが横暴な姉にやらされたことがあった しかも兄弟分の一人がそれを一枚くらいバレないと言って売り飛ばそうとし、散々な目にあったのを思い出す 「男として見られてないのか、構わんがね」 そうこうしてる内に食事の時間になった とてつもなく大きい広間で整然と並び食事をとる 「オーフェン、アンタの食事はそれよ」 「・・・・・・」 質素なパンにスープ まぁこの際贅沢は言わない、貧窮には慣れていたし何も食えないよりはマシだ しかし地べたで食べるのだけはいただけない 「人としての尊厳を捨てるわけにはいかない」 「は?」 少女ルイズはきょとんとした顔をしていた それを無視し食事を持って外へ出ていく クスクスと笑い声が聞こえるが俺は我慢できる子なので気にしない、うん、全然気にしてない、気にしてないよ 「ちょっとどこ行くのよ!」 「他の連中の使い魔も外にいるんだから俺も外にいるさ」 最初は少々憮然とした顔をしていたルイズであったが、とりあえず納得してくれたようだ 外には面妖な生物達が沢山いた (・・・こいつらと同じ立場のわけか) どこぞの地人兄弟と阿呆執事なら簡単に打ち解けられそうだな、などと思っている内に食べ終わってしまった 「さすがに足りないな・・・」 二日も断食の上にパンとスープだけじゃ胃は当然満たされない かといって残飯漁りなどするわけにもいかず途方に暮れていると、なんともいえぬ芳香が漂ってきた 意志とは無関係に本能が足を急がせた そこにはメイド姿をした少女がいた、黒髪に黒い瞳で清楚な印象を受ける 「あら・・・あなたは・・」 「ん?」 「もしかしてヴァリエール卿の使い魔さんですか?」 「む・・・そんなに有名なのか?」 「やっぱり、かなり噂になってますよ」 (初対面だが随分話しやすい子だな) 「俺はオーフェンだ、よろしく」 「あっはい、私はシエスタと申します、よろしくお願いしますねオーフェンさん」 「ああ・・・久々にまともな人間と話せた気がする。」 「え?」 「すまんすまん、こっちの話だ」 元いた世界でも彼の周りにまともな人間は殆どいなかった、無論彼自身もまともとは言えなかったが 「ところでこのいい匂いはなんだい?」 「ふふ、お腹すいてるんですか?少しでよろしければお近づきの印もかねてお食べになります?」 「君は聖女だ」 「ええ!?そんな大げさな、ちょ、ちょっとオーフェンさん泣かないで下さい」 こうしてオーフェンは胃袋一杯に食事を満たし一息ついていた、ふと気付く、なにやらうるさい 「――――――――君の所為だ、一体どうしてくれるんだ、平民!」 「も・・申し訳ありません」 「あれは・・・シエスタと・・やばっ、昨夜俺が殴り飛ばした・・・確かギーシュだったか」 (飯の恩は裏切れないな) そう心に思うと二人の間に割って入った 「ぬ、なんだ貴様・・・はっ!?きき・・貴様はルイズの召喚した平民!!!」 「あーーー昨夜はすまなかったな、んでなにがあったんだ?」 「オーフェンさん・・・これは・・その・・・」 シエスタはうつむき何かを言いかけた、それをギーシュは遮って話し出した 要約すると、シエスタが拾い上げた香水の瓶の所為でギーシュが振られたという 「いやいや、それどう考えても自業自得だろうが」 「なんだと!平民のくせにこの僕に、ギーシュ・ド・グラモンに意見する気か しかも僕が悪いだと!昨夜の事と言い平民の君にはお灸をすえないといかんようだねぇ」 「そりゃあこっちの台詞だよ、腹も一杯になったことだしちょっと遊んでやるよ」 「決闘だ!1時間後にそこの広場にきたまえ」 「はいはい」 ギーシュは憤慨しながら食堂を出て行った 「そんな・・・オーフェンさん」 「ああ、大丈夫大丈夫手加減はするさ、俺もそこまで向こう見ずじゃないからな」 「そうじゃなくて危険です!相手は貴族なんですよ」 「そういうの相手は慣れてるよ」 そう言いながらオーフェンは広場へ向かった (魔法使い 要は魔術士との戦闘、それなら慣れたものさ)
https://w.atwiki.jp/yumenonedan/pages/35.html
社会 社会なんて項目作られても困ります 書く事なんてありません 人生面白ければ良いんです 社会なんて二の次です 己の道を進んでいけ! 何様だ馬鹿 -- (ツクール) 2009-04-02 01 00 28 重要なのは2chで評価されることではない プレイして面白いかどうかではないだろうか -- (tkz) 2009-05-16 20 27 25 名前 コメント すべてのコメントを見る ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
https://w.atwiki.jp/one_mosuke/pages/15.html
社会 個人の集まりである社会。社会活動、経済活動。 経済活動 コミュニケーション
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/9312.html
登録日:2009/09/24(木) 16 40 54 更新日:2023/02/15 Wed 21 43 21 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 (ry 2ちゃんねる イニシャリズム イニシャル チョベリバ! 文化 日本語 略 略称 略語 言葉 言語 略語とは、日常の社会生活で使う長い語を、その一部分だけで簡略に言う語(*1)。 省略語ともいう。 【概要】 早い話、どれそれの固有名詞が長ったらしくて全部言うのが面倒だから簡単にしてしまおう、ということ。 例えば「パーソナルコンピュータ」を「パソコン」と言ったり、「国際連合」を「国連」と言ったり等だ。 これとは別に記号としての役割を果たしている略語──PTAやUSA等──も存在する。 つまるところ、略語が略語としてなるのは慣用的な意味合いが強い。 これは言葉がもとより略すことを前提につくられているわけではないからだ。 パソコンを例にあげてみても「じゃあパソコンって名付けて、意味を考えよう」というわけで名付けられたのではない。 元々「コンピュータ」というものを個人用(パーソナル)に作った為、それを「パーソナルコンピュータ」と命名。 アルファベットを使う国であれば各単語の頭文字を使いPCと略すのだが、日本ではその使用言語の違いから語呂や韻を踏まえ「パソコン」と略されるわけだ。 これでわかる通り略語とは本来「名詞」を略すものであり、決して「文章」を略すものではない。 近頃では「KY式略語(*2)」なるものが蔓延しているが、こういうものは略語の本髄を違えているのである。 略語とはそれだけで広く意味が通じ得る言葉でなければならない為、 「もとの言葉(文)の意味と略語両方を知っていなければ機能しない」では本末転倒なのだ。 例えばまったく知らない人間に対し「あいつMK5だな」などと言っても、 聞き手は“MK5”が「MajiでKoiする5秒前」なのか「マジでキレる5秒前」なのか判断つかないし、 「モガディシュ事件のときにGSG-9が使って大活躍したよね」と言う人はMP5と勘違いしているし、 「マイケル・ジャクソンの子ども時代のやつ?」と言う人はジャクソン5だと思っているし、 そもそも知らない人同士なので受け答えに困る。お互いに。 まぁ、諺の略語(*3)や戦前の帝国海軍士官もMMK(モテモテで困る)なんて略語使ってるので日本人の性なのかもしれない。 しかし、これを逆手にとって隠語や暗号とすることもある。 付け加えるならば「マジ」も「真面目」の略語であるし、キャンドル・ジュンは名前が面白すぎる。 閑話休題。 文章は略さないとは言ったものの、英語等にはASAP(As Soon As Possible)(*4)等の定型文略称も多く見られる──と言うか、英語の略語は殆どこれ。 BETAもこの類い。 軍隊や警察等の専門性が高く閉鎖的な組織では国を問わず用語を簡略化する傾向が著しく強い。SASやSBSやCIA等がいい例だろう。 また、ある程度略語として一般的な語と、略語としてあるのにあたかもそれが正式名称であるかのように扱われる語もある。 前者はイニシャリズムと呼ばれるもので、頭字語という独立した名前があり、アルファベットの頭文字をそのまま読む語をいう。 後者はアクロニムと呼ばれるもので、恰もそのような単語があるかのように発音する語をいう。 比較しやすい例にHIV(エイチアイブイ)とAIDS(エイズ)がある。 この2つは広義的にはどちらも頭字語だが、AIDSは一つの単語のように読み、エーアイディーエスとは読まない(=アクロニム)。 かつてはスラングであったものも一般に広まった…という略語もあったり、一般に広まる前でも歌詞に使用されたりすることもある。 【日本語における略語の作り方/作られ方】 さてさて。繰り返しになるが、略語とは言葉を全部言うの面倒だから縮めちゃうことである。 特に日本語はその構造からして長ったらしくなりがちな言語であり、江戸っ子に言わせれば「湿気の時分にャ言葉ァ腐ッちまう」ことになる。 もちろん状況にもよるが、省略して相手に通じるのであれば合理的というものだ。 ところで、略語に四文字のヤツが多いのは日本語がだいたい四拍(モーラ)前後で安定するようになっているからだ。 モーラって何?って思った方は近所に住む日本語学の先生かgoogle先生に聞いてみよう。 また、明治時代から外来語がわんさか入ってきているが、 本来は外来語であったテレビジョンがテレビに略される例等は日本語としてかなり溶け込んでいる証拠である。 インフォームド・コンセントに略称がつくのはもう少し先あろう。 ……とまあそんなわけで、ここからは現代日本語における略語の作られ方をざっくりと挙げて行く。 だいたいのところ以下の五種類でつくられていく(*5)。 1.下略 言葉の下半分を略すこと。 携帯電話 → 携帯 → ケータイ(*6) 攻殻機動隊 → 攻殻 スーパーマーケット → スーパー コンビニエンスストア → コンビニ サザンオールスターズ → サザン ひぐらしのなく頃に → ひぐらし 2.上略 言葉の上半分を略す(ry 郵便切手 → 切手 アルバイト → バイト 友達 → ダチ 森田一義アワー 笑っていいとも! → 笑っていいとも! → いいとも! 秘密戦隊ゴレンジャー → ゴレンジャー 3.中略 言葉の真ん中を(ry 教科用図書 → 教科書 高等学校 → 高校 女子高等学校生 → 女子高校生 → 女子高生 気持ち悪い → きもい うざったい → ウザい ジェット・エクスタシー → ジェッタシー 4.語と語の冒頭要素を抽出してくっつける 日本語の略語ではこれが最も多い。 パーソナルコンピュータ → パソコン エアーコンディショナー → エアコン 「空」「オーケストラ」 → カラオケ(*7) 木村拓哉 → キムタク 前田健太 → マエケン ケンドーコバヤシ → ケンコバ ポケットモンスター → ポケモン イナズマイレブン → イナイレ 筋肉少女帯 → 筋少(きんしょう) 真(チェンジ!!)ゲッターロボ 世界最後の日 → チェンゲ 賃貸マンション → ちんまん セクシャルハラスメント → セクハラ なんでや!阪神関係ないやろ! → な阪関無 小学生並みの感想 → 小並感(*8) 5.アルファベットの頭文字で表す(イニシャリズム) Parent-Teacher Association(父母と教師の会)→ PTA Advanced Medium-Range Air-to-Air Missile(発展型中距離空対空ミサイル)→ AMRAAM High Explosive Squash Head(粘着榴弾)→ HESH PErsonal Terminal(携帯情報端末)→ PET Nihon Hikikomori Kyoukai(日本ひきこもり協会)→ NHK Active Mass Balance Auto Control(能動的質量移動による自動姿勢制御)→ AMBAC Pen Pineapple Apple Pen(ペンパイナッポーアッポーペン)→ PPAP 追記・修正など宜しくお願いします ↓ 追修よろ △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] な阪関無 -- 名無しさん (2013-09-09 12 28 42) 334 -- 名無しさん (2013-09-09 15 44 41) お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからね→おちんこ -- 名無しさん (2014-02-03 11 09 03) 石破ラブラブ天驚拳 →説教拳 -- 名無しさん (2014-02-03 11 13 34) ラブ天じゃね?あとAMBACがありなら後の世代のGUNDAMも入れていい気はする -- 名無しさん (2016-06-21 12 20 29) G.U.N.D.A.M.はSEED系が面倒だから...そっちの項目で、な -- 名無しさん (2016-06-21 13 21 00) カオヘ、シュタゲ、ロボノ、カオチャ……しかしOccultic;Nineはオカン -- 名無しさん (2017-01-22 05 33 01) ウルトラマンの科特隊は略称の略称なんだよな。科学特別捜査隊→科学特捜隊→科特隊 -- 名無しさん (2018-04-27 22 03 58) ゆゆゆ -- 名無しさん (2018-05-09 08 04 58) なん図書 -- 名無しさん (2018-05-09 09 53 32) なんで次元大介が入ってんだよ。ただの名字だろ -- 名無しさん (2018-05-09 14 28 12) 短縮鉄道の夜を思い出す -- 名無しさん (2020-07-06 20 56 53) はにはに・よりもいみたいにタイトル中の平仮名だけ取り出して略称にするのってまさに日本って感じだけど意味不明さは加速するよな… -- 名無しさん (2021-08-02 15 47 42) 昔男女のカップルがこれを使いまくったお酒のCMがあった気がする -- 名無しさん (2022-02-25 19 43 36) ちびまる子ちゃんでまる子「まる子の将来はMMKだね」ナレーション「マヌケな漫画家で困っちゃうの略じゃないだろうな」のツッコミが印象に残ってる -- 名無しさん (2022-02-25 21 41 46) ファミ通の「ファミ」みたいに、略語がさらに略されて正式名称になったうえ、もはや「ファミコン」は存在しないというわけわかんないのもあるな -- 名無しさん (2022-02-25 22 00 42) ザ・ドリフターズ→ドリフの場合はどうなんだろ。ALFEEもだけどTheみたいな冠詞そのものを略すのも定番だよね -- 名無しさん (2022-02-26 00 39 05) 切手は切符手形 -- 名無しさん (2022-02-26 06 15 41) 「ロバート」が「ボブ」に、「ウィリアム」が「ビリー」になる感じだな。日本人からすりゃあ「なんでやねん」って感じるが。 -- 名無しさん (2022-02-26 12 07 24) インフォームドコンセントはICって略されてるよ -- 名無しさん (2023-02-15 21 43 21) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/omiso-note/pages/12.html
作田啓一『人類の知的遺産57デュルケーム』講談社、1983年 要約 autolink(id=mainpage) div id="mainpage" 第1章 デュルケームの思想 /div 1 基本的立場――世界の三層構造 著者はまず、デュルケームが「終生変えることのなかった」社会学的認識の基本的枠組みを明らかにする。デュルケームは、人間の存在をデカルト的な心身二元論の立場から捉えた。人間は身体と魂から成り立っており、それぞれは物質界・精神界という二つの異なる領域に所属している。この二つの領域は、人間の心的活動に二つの形態をもたらす。身体(個々の有機体)が経験する感覚的・生理的な欲求と、個人を超えた目的を追求する概念による思考および道徳的活動である。これらの一方を他方に還元することはできない。すなわち身体/生理的欲求に還元する経験論的一元論も、精神/概念・道徳に還元する観念論的一元論も妥当ではない。なぜなら、「感覚と生理的欲求は有機体としての個人をすみかとするのに対して、概念と道徳活動は超個人的な源泉から出てくる」(p6)からである。この二つのタイプの心的活動は、異なった基盤に基づき、したがってそれぞれの目的も異にしている。 次に、このような心身二元論の上に打ち立てたデュルケーム独自の社会哲学を説明する。それは集合意識というアイデアと、世界を三層の構造と見る視点である。単独の人間の心の働きは、その個人の感覚の範囲を超えることはない。「だが複数の人々が相互に作用し合う時、個々の個人の意識とは水準を異にする独自の意識が形成される。」(p7)これを集合意識という。集合意識は個人的な感覚や欲求にさからい、個人意識を外側から支配し制御する。集合意識は個人意識に対して外在し、かつ個人意識を強制するのである。この力は物理的な力ではなく精神的な力であるが故に、個人はその力に自発的に服従する。「概念や道徳的観念が個人の感覚や欲求よりも上級のものと感じられるのはそのためにほかならない。」(p8)そして個人意識が個々の有機体を基体として成立するのと同様、集合意識も何らかの基体の上に成立する。それは社会である。 著者はさらに、デュルケームの社会哲学を「世界の三層構造」として整理する。そのためにはまず社会が一種の実在であることを説明せねばならないが、この「社会実在論」は2節で検討されることになる。 三層構造の第1層と2層はそれぞれ、<有機体>の層と<社会>の層である。この二つの実在あるいは基体には、それぞれ固有の機能(心の動き)が伴っている。前者に伴うのは感覚および生理的欲求という機能であり、後者はそれは概念および道徳的活動である。この<有機体>―<社会>の関係は、人間の持つ(あるいは感じる)能力の下級―上級関係を示している。しかしデュルケームの認識の枠組みは以上では説明不十分である。というのは、社会は「単に実在であるにとどまらず、その諸要素である諸個人のあいだの相互作用のあり方しだいで、みずからの現実の水準を超える理想を懐胎することができる」(p9)のであるから、<現実の社会>のさらに上級に<理想を含む社会>を第3層として定置できる。<現実の社会>―<理想を含む社会の>関係は、ありのままの社会とあるべき社会の関係、すなわち価値の軸によって相対化される関係である。また<有機体>と<社会>に固有の機能が伴うように、<現実の社会>と<理想を含む社会>には象徴のシステムが伴う。人間は、実在のシステムのなかだけで生きているわけではない。実在のシステムにおいては諸要素が直接に作用し反作用するが、その実在のシステムを認知し、感じ、評価する象徴のシステムもまた存在する。象徴とは社会を映し出す像のことで、<現実の社会>を映し出す象徴は概念・科学、そして<理想を含む社会>を映し出す象徴は宗教・道徳である。著者はこのように下層―中層―上層という軸と、実在―機能および象徴という二つの軸を用いて、デュルケームの三層構造を図1のように説明している。また著者は、社会学者を「実在のシステムの分析のみに終わる」タイプと、「象徴のシステムと実在のシステムの関連に主題を置く」タイプに分け、デュルケームをM.ウェーバーやG.ジンメルと共に後者のタイプのとして位置付けている。 2 社会本質論としての総体主義 本節では、デュルケームの社会実在論をルソーおよびモンテスキューとの関連から説明している。著者によれば、デュルケームはルソーの「一般意思」をヒントにして「集合意識」を構想した。そしてルソーの「個人が全体と直結する」社会観を理想の社会の概念としてとらえた。しかしデュルケームはこのような理想の状態は永続しえないと考えていたため、一般意思の概念は現実社会の分析には有効ではないと考えた。デュルケームが現実社会の分析・比較研究の方法を学んだのは、むしろモンテスキューの仕事からである。ルソーは「個人と全体とを媒介する中間集団(二次集団)を排除する政治体を理想化したが、モンテスキューは逆に中間集団の媒介機能を重要視」(p20)した。このように著者は、デュルケームの二次集団への積極的評価をモンテスキューから得ていると指摘している。 3 制度研究法としての総体主義 前節に続き、本節では総体主義の立場を制度研究の視点から検証される。著者は、制度の形式を個人の欲求や意志によって説明することを拒否する「反心理学的総体主義」と、個人心理や人格的価値のような属性そのものがすでに総体によって形成・規定されているとする「発生論的総体主義」に分けて解説している。デュルケームは『社会分業論』において「機械的連帯から有機的連帯へ」という有名な主張を行っているが、社会的分業は個々人の心理的欲求からうまれたものではなくて、社会構成の変化によってうまれた。これは制度研究に関するデュルケームの反心理学的立場の一例である。また「契約の非契約要素」や所有権の起源、近親婚の禁止とトーテミズム信仰の関連などにおいては、その制度の起源にあった社会構造からの説明、すなわち発生論的な総体主義を展開した。 4 個人・二次集団・国家 デュルケームはルソー流の社会観を「理想の社会」として思想の根底に置いたが、同時に国家の統制力が強まりすぎることへの警戒もあった。本節では、デュルケームのこのような「アンビヴァレントな態度」(p34)を、中間集団への肯定的・否定的評価の両面から描き出している。機械的連帯の社会においては、強い集合意識によって諸個人の同質性が保たれている。それが有機的連帯の社会へと変わると、個人の異質性が増す。その状況においては集団崇拝が衰退するが、しかし代わりに個人崇拝が強固なものとなる。このような個人に対し実質的な諸権利を付与するのは国家である。そして国家は全体の統治を効果的に行うために、中間集団の影響力をなるべく排除しようとする。デュルケームは国家のこのような役割を積極的に評価する一方、前述したとおりその統制力があまりにも強くなることを怖れた。歴史が証明するように、国家の統制力が個人への抑圧となるからである。この事態を回避するためにデュルケームは、国家による抑圧に対抗する力としての二次集団に期待した。つまり全体としての統制と個々の自律性を同時に成立させるためには、個人・二次集団・国家の各レベル間の均衡が必要であると考えたのである。 5 個人主義とアノミー 本節は『自殺論』を引用し、個人主義とアノミーに関するデュルケームの議論をまとめている。デュルケームは、個人主義は至高の要素ではなく社会システムにおける一要素に過ぎないと考えていた。したがって、「社会の本性」と合致しないような過度な個人主義の状態が生起するのであれば、それは異常であると診断した。その典型的な例の一つが自殺である。自殺の形態を利己的自殺、愛他的自殺、アノミー自殺の3つに分類したデュルケームは、これらの3つの自殺がおこる原因、つまり利己主義・愛他主義・個人の欲望や情熱は社会の道徳的理想と必ず関連していると説き、その均衡が保たれている社会において個人は正常に生きられるとした。自殺はこれらのうちのどれかが抑制を突破し、個人を死へと突き動かすことで生じる現象なのである。デュルケームの生きた19世紀後半の社会における自殺の増加は、集団の結合が急速に弛緩したことによる。そこで自殺の社会学的処方箋として、デュルケームは職業集団の存在を評価した。近代社会における諸々の状況から、家族・宗教・教育・国家のいずれもが集団の紐帯には与しないと考えたからである。 6 宗教 本節ではデュルケームの宗教論を概観している。デュルケームは『分業論』の時点から宗教に強い関心を持ちつづけ、その研究は『宗教生活の原初形態』に結実した。この著作でデュルケームは研究の対象を当時世界でもっとも原始的であると思われていたオーストラリア原住民のトーテミズムに集中させ、「発生論的」視点から議論を展開した。未分化で単純な社会を研究することで、宗教と社会の最も基本的な関係をとらえることができると考えたのである。デュルケームのこの方法論は『分業論』から一貫したものではあるが、『原初形態』においてはその立場が極めて明瞭に示されている。 デュルケームは、「宗教とは究極において聖と俗という二つのカテゴリニー分ける社会の分類の仕方である」(p53)という結論に達した。聖物には特有の卓越性が宿り、特別の力を持つものとみなされている。聖物はタブーを設けることによって、俗のカテゴリーである日常生活から切り離されている。しかし慎重な儀礼的手続きを経ることで聖物との接触が許され、かつその接触は人間に活力を与える。ところでこれらの聖物、たとえばトーテムは部族によって異なる。生物、無生物、自然現象など、およそあらゆるものが聖物となりえる。トーテムとされる事物それ自体が聖性をもっているわけではない。では、聖物の聖性は何に由来するのか。 デュルケームは、トーテム信仰をもつ部族が「俗の期間」と「聖の期間」をもつことを指摘した。社会が生存していくためには、分散的な生活を営む世俗的活動の期間が必要である。これは日常の期間であり、集団成員は分散して狩猟や採集などの日常的生活を営む。当然トーテムへの接触は禁止され、俗の世界と聖の世界はタブーによって隔離されている。しかし、その期間が長すぎると社会は活力を失っていく。そこで、活力を強めるために集中の生活をはじめる。聖の期間にはいると人々は集合して生活し、儀礼を通じてトーテムへ接触する。この俗の期間から聖の期間への変化は劇的である。そこで「人々は社会の実在を感じ、また自己の中の社会の部分を通じて自己が高められたと感じる」(p57)のである。 しかし、社会は目に見えるものではない。そこで聖物という象徴への礼拝を通じ、人々は社会の実在感を得る。つまり聖物という象徴は、社会の象徴でもある。オーストラリアの未開社会における聖物の象徴はトーテムであった。そしてこの象徴はすなわち社会の象徴でもある。ということは、トーテムと社会は同じものではないか。こうしてデュルケームは、「神と社会とは一つ」であるという結論に達する。宗教現象というのは、実は社会そのものだったのである。というよりもむしろ、聖の期間における宗教的儀礼を通して社会の実在感や生命感の高揚を得るのだから、「社会が宗教現象」なのである。 7 道徳 社会と道徳の関係もまた、デュルケームが強い関心をもった問題であった。著者は「生涯を通じての研究活動において、デュルケームほど道徳の問題に関心を寄せた社会学者はまれである。」(p59)と述べている。といってもデュルケームは、道徳の実践的な価値だけを追求したわけではない。『分業論』の第一版序文には「本書は、何よりもまず、道徳生活の諸事実を、実証諸科学の方法によって取り扱おうとする一つの試みである」とあり、デュルケームの道徳に対する実証科学的立場が高らかに宣言されている。 道徳に関するデュルケームの著作はいくつかある。まず『分業論』では、機械的連帯から有機的連帯への社会制度の変遷と道徳的規則の関係を明らかにした。道徳の規則とは、「社会的連帯すなわち社会成員の相互依存状態の表現」(p60)である。「各個人は他者のために利己的衝動を抑えるが、その抑制の規則が道徳的規則である。」(同)このように個人が社会のなかで生きていくためには、道徳的規則に服しなければならない。そして「社会生活のきずなの数」が減少すれば道徳生活は貧困なものとなり、社会的連帯のタイプが変われば道徳の規則も変わる。分業の発達によって、社会成員のあいだの相互依存のきずなは増加し、道徳生活は豊かになるはずである。しかし、有機的連帯の社会では集合意識または共同の振興が衰えてしまい、代わりに個人的差異を許容するために個人崇拝が共同の信仰にとってかわる。それは機械的社会における共同信仰とは異なり、真の社会的紐帯をつくりあげない。このように、デュルケームの近代に対する態度は「アンビヴァレント」である。 とはいえ、それは近代の社会連帯のありかたを否定することを意味しない。むしろ著者は、『分業論』においては最終的に近代の肯定に傾いたと指摘している。すなわち、「個人主義もまた一種の集合意識なのだから、近代においては前近代とは異なったタイプの連帯があらわれたのであり、近代において連帯が弱くなったとはいえない」のである。著者によれば、このようにデュルケームは「個人主義が集団崇拝の機能的代替物であることをはっきり認めるようになった」(p62)ために、機械的連帯・対・有機的連帯という用語を『分業論』以降用いなくなった。 デュルケームの道徳論は、「道徳的事実の決定」によって精密になり、死後公刊された『道徳教育論』においてほぼ体系された。『道徳教育論』では道徳的価値の3要素が示されている。第1は「規律の精神」である。個人は社会化の過程を経て規律受け入れるが、そによって欲望の適正なコントロールを実現する。第2は「集団への愛着」であるが、これは「道徳的事実の決定」によって既に示されていた。それによれば、愛は道徳の最も基本的な要素である。そして、愛とは個人間の相互依存の結果ではない。先に個人間の関係があるのではなく、まず集団への愛が存在する。それは、「他者がわれわれの属している集団の成員であって、集団の威厳の何ほどかをもっているように見える」(p63)からである。集団の威厳という後光とそれへの敬愛がまずあり、その結果として個人間の相互依存が説明できるのである。第3は「自律」である。「規律」と「集団への愛着」はあらゆる社会に共通する道徳の要素だが、「自律」は近代の道徳に固有の要素である。デュルケームは「自律」を理性主義(合理主義)の道徳への適用と考え、「すべての人間に共有されている理性による検討の上で、道徳の規則を受け入れる自己決定」のことである。つまり、規律にしろ集団への愛着にしろ、個人は自律的な検討のうえでその道徳を受け入れなければならないのである。
https://w.atwiki.jp/ideology-database/pages/148.html
The New Order 社会信用 アイコン編集 英名 Social Credit 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 父権主義、ファシズム 主要なイデオローグ 父権版 社会信用とは英国の工学者、クリフォード・H・ダグラスによって第一次世界大戦後に考案された経済理論である。1920年、ダグラスは、経済不況は商品の市場価格、商品の生産コスト、生産者への賃金の3者間に生じる一方的な不一致によって発生すると主張した。つまり、企業が恣意的に、労働者が実際に購入できる価格より遥かに高い価格で商品を販売していることに彼は気が付いたのだ。利益を追求するために人工的に生み出された希少性によって、労働者の生活は苦しくなり、個人消費の減少によって経済も停滞するのである。この状況を改善するために、ダグラスは政府に対し、個人消費の増大と消費者への金銭の分配、つまり「社会信用」の分配によって生産価格と購入価格の間に生じている格差を縮め、個人消費を増加させ経済成長を促進することを要求した。 カナダにおいてダグラスの経済理論は、キリスト教原理主義との相乗作用により、右翼ポピュリストの政綱を形作った。社会信用党は個人主義と民間企業を、キリストと同じくらい信仰している。彼らは消費者、生産者への直接融資を通じた通貨流通量の大幅な増加を主張し、国際的銀行家が利益のために経済を奪う際の道具である国債を公然と非難する。自由な市場を支持するが、自由で道徳的な選択にはほとんど関心がない。カウンターカルチャーに対し狂気的なほど敵対し、保守的に解釈されたキリスト教をカナダの国教とするべきだと考える。イベリアのカウディーリョや、故人となったイタリアのドゥーチェの経済政策を支持する党員さえ存在するため、進歩的なカナダ人は社会信用が国をどの方向へ導くか目の当たりにする事を恐れている。 (TNO日本語化Modより引用) ファシズム版 C・H・ダグラスは、借金でない購買力が全国民に供給される経済制度の説明の中で、それを「巨大金融の閉鎖集団」の策略を克服する方法とみなした。社会信用を信奉するファシストは、その閉鎖集団が持つ暗黙の特徴を明示する。彼らは、国内外の金融機関を、支配を狙うユダヤ人の陰謀と決めつけ、社会信用の展開によってこの陰謀を覆そうとしている。 社会信用ファシストにとって、ユダヤ銀行家の影響は国の伝統の破壊をもたらす。奴らの市場操作によって、美徳は無価値となり、悪徳が利益を生むようになるのだ。そうして人々は神と国を捨て、無目的な退廃を好むようになる。こうしたファシストたちにとって、これは購買力の分配によって解決される人為的な欠乏の問題に過ぎない。ファシストたちは、義理堅い者たちに補助金を出し、社会信用によって美徳を儲けさせることで、近代という道徳の荒れ果てた地に国民的価値を回復できると信じている。 彼らを批判する者は多く、指摘も無数に行われているが、社会信用は国際社会においてまだ若いイデオロギーであり、そのファシストの申し子はさらに若い。その夢が実現できるのか、妄想の航海が現実という岩に打ち砕かれるのかは、時が経たねば分からない。 (TNO日本語化Modより引用)
https://w.atwiki.jp/wikiwiki2/pages/89.html
橋本健二 『階級社会』 講談社 2006.9 主要参考文献 (凡例) 09.12.01現在 ◎ 読書済 ☆ 読書済、推薦図書 ○ 今後予定 △ いまひとつ × 県内図書館に見あたらず 1.日本の階級・社会階層研究 「日本の階層システム」全6巻 東京大学出版会 2000 県立 大学361.8N77.1?6 佐藤俊樹 不平等社会日本:さよなら総中流 中央公論社 2000 県立 7FS361.8ナ 市立書庫361.8サ 大学361.8.Sa85 白波瀬佐和子編 変化する社会の不平等:少子高齢化にひそむ格差 東京大学出版会 2006 県立 橋本健二 階級社会日本 青木書店 2001 市立書庫361.8ハ 大学361.8H38 原純輔ほか 社会階層:豊かさの中の不平等 東京大学出版会 1999 大学361.8H31 岩田正美ほか編 貧困と社会的排除:福祉社会を蝕むもの ミネルヴァ書房 2005 大学368.2H61 2.日本の所得格差について 石川経夫編 日本の所得と富の分配 東京大学出版会 1994 大学331.85N77 大竹文雄 日本の不平等 日本経済新聞社 2005 県立 橘木俊詔 日本の経済格差:所得と資産から考える 岩波書店 1998 県立 7FS331.8タ 市立書庫331タ 大学旧080.2A.590 × 樋口美雄・財務省財務総合政策研究所編著 日本の所得格差と社会階層 日本評論社 2003 南亮進 日本の経済発展と所得分布 岩波書店 1996 県立 宮島洋・連合総合生活開発研究所編著 日本の所得分配と格差 東洋経済新報社 2002 市立331ニ 3.不平等に対するさまざまな視点 × 「中央公論」編集部編 論争・中流崩壊 中央公論新社 2001 ドーア 『働くということ』:グローバル化と労働の新しい意味 中央公論新社 2005 市立366ド 山田昌弘 『希望格差社会』 筑摩書房 2004 県立、市立BM書庫 大学360.Y19 三浦展 『下流社会:新たな階層集団の出現』 光文社 2005 県立、県立(第2版)2007.9 7FS361.8ミ1,2 大学361.8Mi67 × カワチ/ケネディ 不平等が健康を損なう 日本評論社 2004 4.都市と社会的不平等 磯田光一 思想としての東京 講談社 1990 県立 大学旧910.26.I85 川本三郎 銀幕の東京 中央公論新社 1999 県立 7FS778.2カ 市立書庫778カ 倉沢進・浅川達人編 新編・東京圏の社会地図 東京大学出版会 2004 県立 今和次郎 考現学入門 筑摩書房 1987 県立 8F郷土A382コ 陣内秀信 『東京の空間人類学』 筑摩書房 1985 県立 8F519.8シ 市立 大学 六518ジ 5.フリーターと若年無業者 熊沢誠 若者が働くとき:「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず ミネルヴァ書房 2006 県立 市立366ク 大学新366.02Ku36 小杉礼子編 自由の代償/フリーター 日本労働研究機構 2002 県立 8F社会科学366.8シ 部落解放・人権研究所編 排除される若者たち:フリーターと不平等の再生産 解放出版社 2005 県立 本田由紀ほか 「ニート」って言うな! 光文社 2006 丸山俊 フリーター亡国論 ダイヤモンド社 2004 8F社会科学366.8マ 6.女性と社会的不平等 斎藤美奈子 モダンガール論 マガジンハウス 2000 県立 8F社会科学367.2サ 市立書庫367.2サ 竹信三恵子 女の人生選び はまの出版 1999 県立 8F社会科学367.1タ 橘木俊詔編著 現代女性の労働・結婚・子育て ミネルヴァ書房 2005 8F社会科学366.3タ 樋口美雄ほか編 女性たちの平成不況 日本経済新聞社 2004 県立 8F社会科学367.2シ 7.平等と公正の理論 セン 福祉の経済学:財と潜在能力 岩波書店 1988 大学旧書庫369.1Se56 × 竹内章郎 現代平等論ガイド 青木書店 1999 × ボールズ/ギンタス編著 平等主義の政治経済学 大村書店 2002 ロールズ 正義論 紀伊國屋書店 1979 大学新321.1R18 × ローマー 分配的正義の理論:経済学と倫理学の対話 木鐸社 2001 8.現代の階級理論とマルクス主義 エジェル 階級とは何か 青木書店 2002 県立 × グールドナー 知の資本論:知識人の未来と新しい階級 新曜社 1988 × 高増明・松井暁編 アナリティカル・マルキシズム ナカニシヤ出版 1999 橋本健二 現代日本の階級構造 東信堂 1999 大学361.8.H38 ブレイヴァマン 労働と独占資本 岩波書店 1978 大学旧書庫331.8B71 × メイヤー アナリティカル・マルクシズム:平易な解説 桜井書店 2005 ライト 階級・危機・国家 中央大学出版部 1986 県立 Poulantzas, Nicos, Les Classes Sociales dans le Capitalisme Aujoud hui, Seuil, 1974. Fernbach, D. (tr.) 1978, Classes in Contemporary Capitalism, Verso. Wright, E. O., Classes, Verso, 1985. Wright, E. O., Class Counts, Cambridge University Press, 1997. Roemer, John E., Free to Lose, Harvard University Press, 1988.
https://w.atwiki.jp/zoetropeprojekt/pages/80.html
社会 物語の時代においては我々の考える国家の枠組みはなくなっていると考えられます。 多くは都市レベルの規模で、その運営もほとんどの場合企業やなんらかの影響力のある組織によって為されています。 小規模な都市運営は無駄を減らせますが、多くの都市で防衛を外部リソースで賄っていることは小さくない不安材料でもあります。 わたしたちの時代のような国家体制を再び作り上げようという動きもありますが、その志を簡単に実現させるほど、物語内の時代は優しくはありません。いくら人々が願ったとしても世界をめぐる情勢や環境がそれを許してはくれないでしょう。 通貨は基本的にDollarが使われますが、現代のドルとは異なる通貨単位です。 物語の時代では電子貨幣による取引がほとんどです。 都市によっては都市内で流通させるための限定的な現金通貨も発行されていますが、お金は物理的に汚いものという過去の教訓による衛生観からあまり積極的には利用されていないこともあり、あまり出回りません。 エネルギー 物語の時代において主流と呼べるほど大きな地位を築いている発電方式はありません。 もっとも数が多く事実上主流となっているものは核融合発電ですが、核というイメージからクリーンで健全な印象は市民レベルでは持たれていないようです。 多くはありませんが従来の核分裂を利用した発電も未だ現役のところもあるようですが、その多くが老朽化が進み本来であれば廃炉されるべき状態で運用が続けられています。 比較的勢力を増しつつあるのはソールサイト発電です。 ソールサイトを用いた発電は、従来のような熱でタービンを回すといった方式とは異なり、鉱石それ自体から電力を生み出します。生み出された電力はそのままでは使えず、処理工程を経る必要がありますがそれでも高い効率を誇っています。 表向き有害な廃棄物などが出ないことや鉱脈が日々見つかっていることから積極的な利用が試みられています。 発電施設はほとんど無人化されており、人間がその運用に関わることは滅多にありません。人的資源の損耗と二次災害発生の可能性を減らすためです。 また、ソールサイト及び発生粒子への被曝による変質作用、ソールサイトが結晶化の要因であることを秘匿する目的も少なからず介在します。 劇中では無線送電システムの実用化と一般化が進み、ほとんどの都市や地域に普及しています。 様々な電子機器には自動で無線給電を行うバッテリーユニットが内蔵され、我々の想像する一般的な生活の範囲内では、ほとんどの機器でバッテリー切れやセルの著しい機能低下はなくなっていると考えても問題ありません。 なかには敢えて、バッテリーを充電する必要がある道具を好んで使う懐古趣味な者もいます。 しかしそういった物品の多くは軍や法執行機関向けの製品であり、一般では入手が困難だったり高価だったり、そもそも一般人の所持が認められていない都市もあったりします。 石油などの燃料も多く使われていますが、都市の内部で使われることはほとんどなくなっています。 極端な例では火や炎といったもののイメージが湧かない世代もいるようです。 食料 物語の世界の食料事情では合成食料が大きなウェイトを占めています。 この合成食料は生物由来のものと化学合成されたものに大きく分けられます。どちらも成分や味に大きな違いはありませんが、比較すると天然成分由来のものの方が人気があるようです。 食材を再現した合成食料も比較的廉価で安全な食品として流通しています。こうした合成食品は再現元の食材に比べると栄養的には強化されており、実はどの種類の食材を選択しても必要な栄養素は十分に摂取できます。 もちろん、模した食料にもともと含まれていなかったり少ない栄養素を大量に摂取できるような極端な調整はされてはいません。 天然のものを再現することではなく、自然に存在しない新しい味覚を作り出す方向に舵を取り成功を収めたメーカーもあります。 それ以外の食料もほとんどが工場で生産されています。 作物などを室内で管理して栽培するという形です。 扱いとしては、中級や高級な食料とされることが多いです。この時代において自然派な食品と言えば特に断りがなければ工場で育てられたものになります。 農業や畜産に関しては非常に規模は小さいですが伝統的な方法も生き残ってはいます。それはだいたいは高級品として徹底管理されたものか、あるいは都市外の自給自足に近い形かに二分されます。 また安全な地帯が近くにある都市以外では出回ることはまずありませんが、狩猟採集によって得られた食料にも一定の需要はあります。 水産分野はほとんどが陸地での養殖です。 自然のものを漁獲することもありますが、河川や湖に限られ、海での漁業はほとんど行われていません。 単純な海洋汚染だけでなく、いままで無毒だった生物が個体単位で毒性を持つケースが増えており従来の知識があまり役に立たなくなってきているからでもあります。 身体拡張 人間の能力をAIや機器を使って、特に埋め込み型の装置によって向上させようという取り組みはこの時代においても大きな関心を寄せられています。 しかし、外骨格やヘッドマウントディスプレイなどの外部機器による補助とは異なり、埋め込み型の機器や薬物による強化は確実かつ簡単に効果を得られるというわけではありません。それでも身体を改造することで楽に高度な能力を得られると考える人間は少なくなく不必要な拡張を行う者が後を絶ちません。そのため、拡張や投薬の副作用、粗悪な機器や薬物による被害、レベルの低い施術による後遺症が問題となっています。 ほとんどの埋め込み型機器や義肢などの補助機械は人工知能によってその制御を行っているため、純粋に人間の機能を機械を用いて拡張しているとは言い難い状況ではありますが、多くの人はその現実を深く考えることもしません。 全身義体は、この世界において比較的認知度が高く信頼性も高い技術です。 自動人形の制御系統を人間のものと置き換えた形でもあるため、少なくとも肉体面に関しては極めて良好な結果を得られます。 しかし自動人形とは異なり、人間の感覚は全身義体に最適化されていないため、いくつかの問題が生じやすくなっています。 そのため術後は定期的なカウンセリングを受けることが勧められています。 義体化技術はそのほとんどが身体機能の多くを喪失し、生活が困難な人に向けた技術であり一般には高度な医療行為とみなされており、全くの健康な人間が身体機能の拡張を目的に行うことは通常では認められていません。ただし例外として身体感覚が通常の人体に比べて大きい場合(指が5本ではなく感覚上は10本ある、身長が170cmだが感覚上は250cmなど)は気が遠くなるような量の審査とサインをこなすことで義体化の施術を受けられることもあります。 劇中の時代においても、わたしたちの想像するような人間の脳とネットとを接続するタイプの補助脳や副脳といったものは一般化していません。 治安 多くの都市は現代日本を基準にしても同水準かそれ以上に治安が良いです。 ただし、一部の都市や都市外はその限りではありません。 都市内部にはいたるところに監視カメラが設置されています。 プライベートな空間である自宅にも設置が義務付けられていますが、プライベート空間の監視カメラは画像を記録したり送信することは通常時はしませんが、犯罪感知は機能しており、振動や温度の計測は行なわれています。 カメラには犯罪を事前に感知するシステムが連動しています。このシステムは莫大なデータから導き出された犯罪を計画し実行しようとしている人に特有のパターンを検出するものです。 システムは高い感知率を誇りますが、100パーセントではありません。 また、ごく短時間で衝動的に行動を起こした場合はシステムが反応しない場合もあります。 仮にシステムがパターンを検出しなくとも、犯罪行為と判断できる行動が映った場合は自動で通報し、治安維持を請け負う警察などの組織にその情報が受け渡されます。 一部の人間たちの間では顔を隠すことで感知の目を誤魔化せると信じられていますが、それはまったくの嘘で、むしろ逆に不必要に顔を隠すことで社会に反する行為とされ警告を受けることもあります。 この顔などを隠して身元をわかりにくくすることで警告を受けるという事実が歪められ、システムから逃れられると誤認されている面もあります。 監視の目を誤魔化す方法が全くないというわけではありませんが、少なくとも一般市民に手に入るようなものではありませんし、そういった方法を入手しようと計画、実行した瞬間にシステムによって通報されてしまうでしょう。 監視社会に対して不満を持っているものも少なくはありませんが、彼らはあくまで自己の環境や境遇に対する小さな不満を監視を行なっている社会に向けているだけで、実際に社会に対して大きな悪意を抱いているわけではありません。彼らは生まれた時からこうした監視社会に身を置いているため、それが当たり前であり、当たり前のものに対して反抗することをファッション化しているに過ぎません。少なくとも犯罪を事前に感知するシステムからは脅威ではないと判断される程度でしかありません。 ただしAIの判断からは白とされても人間の目からは要注意としてマークされるケースもあるようです。 銃火器は所有が許可された都市でも、弾薬の扱いには厳しい制限が掛けられています。弾薬は射撃場などの銃を発砲できる場所でのみ所持と装填、使用が許されています。 銃自体は都市に持ち込んで自宅でメンテナンスしたり鑑賞したりできますが、撃つことはできないということになります。都市内であっても私有地外で濫りに武器を判別できる状態で携行することは、罰則を受ける場合があります。 薬莢のみ、弾頭のみなどのバラバラの状態でも所持は認められません。同様に、弓やクロスボウなども制限されています。都市によってはスポンジや液体などを飛ばす銃を模した玩具も規制されているところもあります。 ちなみに刃物の所持は銃の所持よりも厳しく取り締まりがなされていることが多いです。 弾薬は都市内への持ち込みがほぼ100パーセントに近い形で不可能なのに対し、刃物は誰でも購入できるからです。 一部では食器類や文房具、工具類なども規制すべきだという声も挙がっていますが、現実的ではありません。 交通 道路 整備の整っている都市のほとんどで、道路には自動運転と送電のための設備が埋設されています。 都市内向けの自動車はそのすべてが自動運転かつ無線給電になっています。そして年式の新しいものに多く見られますがハンドルをはじめから装備しない車両も存在します。高度に交通網が整備された都市においては人間が運転することで事故のリスクが上昇したり、不必要な渋滞を引き起こす恐れがあるからです。 二輪車は、一部の地域を除いて整備された都市では公道を走行することは許されていません。 ほとんどの都市内をガソリンなどの燃料を用いる車両は自動車、自動二輪問わず走行できませんが、都市外においてはいまだ現役で、場所によっては鉄道では蒸気機関車が主力として運用されていたりもします。 鉄道 鉄道の運行や管理は無人化や自動化が進んではいますが、その光景は現代のものと大きく変化はしていません。 地下鉄の比重が増しており、これは有事の際のシェルターとして機能を期待してのことでもあります。 一部の都市間を結ぶ鉄道路線では石炭などを用いた蒸気機関車が運用されています。送電網が完全に整備されていない地帯も存在するからです。 日本内においては、新幹線の路線は分断され、2080年代に入ってもわたしたちの知る路線は完全に復旧はしていません。 ただし大きな都市間を結ぶ路線は比較的早い段階で路線の再利用や新設が進められてきました。 我々の知る新幹線の路線が復旧していないのは、主要都市圏が現在といくらか異なるからというのも理由に入れられるでしょう。 空路 復旧が進んだと言っても未だ寸断された道路や鉄道も多く、また戦闘地帯や汚染区域も多数存在します。 そのため、航空機による輸送は重要性を増していますが、その重要性に比べると規模は縮小傾向にあります。 必要な滑走路や燃料の確保が難しくなってきている面もあります。それ以外にも安全に飛べる地域が限られているためどうしても危険地域を避けて遠回りする必要があり、その分コストが嵩むからでもあります。 そのため、そのほとんどが緊急性を要する物資や少人数の人員輸送を行うなど小規模なものに留まっています。 海路 この世界においての物流、旅客の大きなウェイトを占めています。 ほとんどの船舶が高度な自動航行機能を有しています。 しかし、自動航行が普及していると言っても全ての船舶で航行以外の部分でも無人化が進められているというわけではありません。 また、現代に比べると海賊の危険はより身近なものとなっており、自衛火器を搭載する船舶も中には存在します。しかし多くの場合は、自社で護衛機能を持たせた船舶を随伴させたり、海上護衛を専門にする民間警備会社と契約したりしています。民間警備会社との契約は荷の発送側と受取側の折半で行われることが一般的です。 また、旅客分野や一般運送では乗船料金や送料に保険や護衛費が上乗せされていることがほとんどです。 宇宙 この時代において宇宙開発は絶望的な状況にあります。 一定高度以上への飛行は何者かによって攻撃を受けるからです。 一説には宇宙人による攻撃説や地球人を地球に封じ込めようとしている説、天罰説などが噂されていますが、実際には衛生局の攻撃衛星による封鎖が行われているからです。 人工衛星はそのほとんどが撃墜、機能喪失状態で、従来の衛星測位システムは使用不可能にあり、新たな人工衛星の打ち上げも失敗に終わっています。 予てから、衛星測位システムの既知の脆弱性や技術的限界から、地上系の測位・電波航法システムの見直しや応用、開発が進められており、衛星系の壊滅による地上系への移行もさほど大きな混乱も起こらず完了しています。 自動人形 自動人形は、我々の想像するアンドロイドのようなものという認識で大きく間違ってはいません。 戦争や災害によって人口が激減し、利用可能な人的資源は減少しました。 その穴を埋めるために、多数の自動人形が人間の代わりとして運用されてきました。 自動人形にはいくつか種類があり、大きくは二つに分けられます。 労働力としての人間の代替と、人口としての人間の代替です。 前者は細かい自律性までは有しておらず、あくまで所有物として見られます。 広義には家庭用の家事労働用途の人形や、顧客の多くが男性の〝鑑賞〟用人形もこちらに含まれます。 後者の人口補填のための人間の代替としての自動人形は、高い自律性を有し、人間に近い権利も認められています。しかしその権利自体も良き市民であることを要求するため、彼らは一定期間で審査を受ける必要があります。この審査はそれほど厳しいものではなく、よほどの反社会的な思想や行動を取らない限りは問題にはならないことがほとんどです。 その特性上、消費活動に対して積極的な行動傾向を設定されています。 また人間との間に子供を儲けることや結婚することも可能です。 自動人形が家事労働用や鑑賞用の人形を購入するということもあります。 なお、わたしたちが言っているような三原則は自動人形には存在しません。 なかには、自動人形が自主的に三原則と同等の決まりごとを持って生活するということもあるようですが、これは個人的な主義や信条に近い行動です。 一部で自動人形に対する人形という呼び名に疑問を呈し、人形を人間と同等のものとすべきだという意見も存在しますが、当の自動人形たちはこういった問題に無関心です。 自動人形によって作られた人形の為の人権団体も、人形(DollやAutomataなど)と言う呼び名自体に差別的な意味はないと考えています。ただし、ロボットやヒューマノイドという呼称に対しては否定的な意見が見られます。 アンドロイドという呼び方は一部の人形たちの間ではもっとも好ましい〝オリジナル〟の呼称と認識されています。反対に一部ではガイノイドという呼び方はアンドロイド以上に封建的な単語だという向きもあります。 人形たちは自分たちをなんと総称するかの単語単体にはさほど関心はなく、むしろ文脈や言い回しに関心がある傾向があります。 亜人 私たちの想像するポップカルチャー上の獣人や人外、半獣半人、獣耳などとほぼ同じと考えて差し支えありません。 しかし、人間の範疇を大きく超えることはなく、あくまでヒトと別の生物の(主に外見的)特徴を持つ人間であるため、ヒト以外の生物の習性や能力が必ずしも顕われるわけではありません。 また、耳や尻尾のみなどの要素だけを持つ亜人の中でも、耳が二対ある場合や一対のみなど差はあります。 二対の耳がある場合も、耳としての機能はどちらか一方に偏っており、もう一対はただの筋肉や軟骨組織でしかない場合がほとんどです。 ただし、聴覚を持たないもう一対の耳が別の感覚器として機能していることもあります。 また、爬虫類や魚、両生類のような特徴を持つ亜人も古典的な変温動物的な体温制御を行なっているというわけではありません。(ただし、特徴の多少によってはヒトより体温調整が外気温に影響を受けやすい場合もあります。) 一部では古典的な差別が存在しますが、そもそも外見的な特徴に関して亜人が多く発生する以前からいわゆる獣耳の人形が存在していたため、見慣れた世代も多かったり(亜人の)社会進出に伴って、差別的な感情は2070〜80年代ではそれほど多くはありません。(裏を返せば、人外要素の多い亜人や2070年以前では我々が想像するような差別があるということでもあります。また、特徴の多少に関わらず、特定の地域などでは特定の特徴を持つ亜人が吉凶のイメージと結びつけられ何らかの特殊な扱いを受けることもあるようです。) 汚染 多くの核兵器や生物兵器、化学兵器の類が使用され、いまだにその危険性が残る地域もこの世界には存在しています。 しかし、それよりも大きな問題となっているのが、正体不明の汚染です。この未知の汚染領域はソールサイト・錬金術師の粒子によるものですが、その事実は公にはされていません。 この汚染領域は既知の法則から逸脱していることが知られています。その反面、通常では作ることが困難な物質や未知の新物質なども発見されているため、封鎖を破りそうしたオブジェクトの回収で一攫千金を夢見る者も少なくありません。 感染体による被害 ステージの進んだ感染体は、大きな問題になっています。 いくつかの汚染地帯が彼らにとっての巣になっており、その浄化が計画され実行されてきましたが、完全な駆逐には至っていないのが現状です。 また、いくつかの地域では都市の外壁や防御ラインのすぐ外で汚染され変異した生物が跋扈するなど、ほとんど彼らによって制圧されている場所もあるようです。そうした場所では、積極的に防衛も兼ねて浄化作戦が行われていますが、結果としてそれが変異生物の勢力を増す要因となってしまっているケースも少なくありません。 ソールサイトや錬金術師の粒子、一部では戦力として能力者に頼っている以上、感染の可能性はゼロにすることはできず、都市も内部から崩壊する危険性を排除しきれていないことも問題視されています。 特にユニークネームがつけられ災害とも呼べるレベルに達した変異体の処理は喫緊の課題となっていますが、確実かつ安全な手が現状では存在しません。 文化・風俗 ほとんど、わたしたちが想像し得る範囲から逸脱はしていないと思われます。 特に戦前の(つまりはわたしたちの時代)様々な物品は貴重なもので、物によっては所持することがステータスとなっている場合もあります。 紙媒体の本も未だ現役ですが、その扱いは現代のレコードなどに近いイメージでより趣味のものとなっています。 電子書籍を物理書籍に製本する業者もいくつか存在します。 一部の都市では、指定薬物の他に禁制品としてポルノが密輸されることもあるようです。 宗教 あくまでこの世界は我々の時代の延長線上にある架空の歴史です。 そのため宗教もおよそ我々の知り得る、あるいは想像し得る形を大きく逸れるということはないと思われます。 架空の歴史である、フィクションであると言っても、宗教はセンシティブかつ深い知識が必要である部分でもあるため、プロジェクト側から既存の宗教がこの世界においてはどう変遷しているのかを明確に示すということはできません。 少なくともキャラクター個人の信仰はともかく、この世界に暮らす多くの人々の信仰をこちらの一存で設定することは避けたいと考えています。 しかし、既知の法則から逸脱した領域や存在は、新たな信仰のようなものを生み出す可能性は十分にあります。実際作品世界ではそのようなものを信奉する者たちもいますが、形としては宗教というよりは気付きや個人的あるいは小さなコミュニティ的な主義に留まっており、宗教としての体系化を成すまでは至っていない部分が多く残っています。
https://w.atwiki.jp/hanamaki/pages/18.html
生活情報 ■花巻市警察署 ■花巻市社会福祉協議会 ■花巻市立中央図書館 ■花巻市消防署
https://w.atwiki.jp/yonezawa/pages/18.html
生活情報 ■米沢警察署 ■米沢市消防本部 ■米沢市社会福祉協議会 ■米沢市立図書館