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新田義貞の刀剣塚 (日野・下永谷) bgsound むかし,港南区には,鎌倉に向かうおもな道が,いくつかあって,鎌倉幕府が滅んだ時のお話が,たくさん伝えられています。 「陣ケ台」のお話。 桜道を登って日野公園墓地に入ると,正面の方にこんもりとした古墳のようにも見える土盛りがあります。このあたりを陣ケ台と言います。江戸時代の書物にも,むかしここに,戦のために陣をしいたことがあると書かれています。 きっと,敵の矢をふせぐための,小高い土盛りのようなものを築いたと思われます。 そこで,鎌倉に向かおうとする新田の軍と鎌倉を守る側とがぶつかり,激しい戦いがあったと伝えられています。 そのあとで,鎌倉方は,新田の軍に敗れました。その時にキズを負った鎌倉方のさむらいが,たくさん逃げて来たそうです。 そして,陣ケ台にいた新田のさむらい達に,はとんど殺されてしまったそうです。死体は,このあたりに散乱することになりましたので,このままではいけないと,村人は考えて,敵味方の区別なく埋めて供養したそうです。 日野公園墓地の入口には,そうした鎌倉時代のさむらいが今でもねむっているのかも知れませんね。 あわれな最後を遂げた人たちの魂が,無念のあまりに,うらみの心がつのって,村にたたりをもたらすのではないかと考えたからでしょう。 むかしの人たちは,悲しい死を遂げた人の魂は,成仏せずに村の中をさまようと考えていましたので,血に染まった刀や鎧も,に葬り皆で供養しました。 もう一つ「刀剣塚」のお話。 下永谷に,地蔵院という寺の跡があります。新田義貞が鎌倉を攻めた時に,戦死した人たちや刀などを埋め,供養したという塚です。 戦にまきこまれて,多くの人たちがなくなりました。亡きがらと共に刀なども葬られ,供養したという塚があって,刀剣塚と呼ばれていました。 りっぱな刀剣塚がいくつか建てられていたのですが,いつしか失われて,言い伝えだけが残っています。
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港南歴史協議会規約 第1条(名称) この会は 港南歴史協議会(以下「会」)という。 第2条(目的) この会は港南区を中心とする周辺を含む地域の歴史・文化を調べ、 互いの情報を交換し、地域の人達へ広く伝え、これら歴史・文化財の記録・保存活動を推進し、地域文化の発展に協力することを目的とする。 第3条(活動) この会は前条の目的を達成するために、下記の活動を行なう。 第1項 地域の歴史・文化に関する「情報交換の場」を設定する。 第2項 地域の歴史・文化を伝える(伝承)ことを支援する活動。 第3項 地域の歴史・文化を記録し、保存する活動の推進。 第4項 地域の歴史・文化を理解するための体験指導を支援する活動。 第5項 地域に埋蔵されている歴史・文化を見つけ出す(発掘)活動。 第4条(構成) この会は主として 地域歴史・文化財に関心を持つ地域の有志ボラ ンティア、及び 地域歴史愛好団体の代表等により、構成する。 第5条(役員と役割) 会には次の役員を置き、その役割は次の通りとする。 ○会長 1名 会長は会を代表し会務を統括する。 ○副会長 2名 副会長は会長を補佐し、会長に事故ある時は、その役割を代行する。 ○事務局 1名 事務局は会運営を円滑に進める為の 記録、会計、広報、渉外を務める。 第6条(任期) 役員の任期は1年とする、但し再任は之を妨げないものとする。 第7条(会議) 会議は会長が召集し、議長を務める。 毎月、定例会を開催し、第2条の目的に沿った お互いの活動について話し合いを行う。 第8条(経費) 本会の経費は会費、助成金、その他をもって之に当てる。 第9条(事務局) 本会の連絡窓口として、事務局を事務局長宅におく。 ―附則― この規約は平成20年4月1日より施行する。
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旅に出された厄除地蔵 (日野) そのむかし、この港南の山あいに住む人々が、魚を口にできるのは、鎌倉から魚売りがやって来る時だけでした。 魚売りは、新鮮な魚といっしょに、町での出来事や、他の村であった事など楽しい話を、たくさんもってきました。ですから村人はいつも、この魚売りが来るのを、心待ちにしていました。 ある日のことです。小坪道にさしかかった魚売りは、追いはぎにあい殺されてしまいました。家族を残して、離れた土地で命を絶たれるのは、とてもくやしかったことでしょう。 村人たちは、この魚売りの死をたいへん悲しみ、自分たちも生活が苦しいのに、わずかずつのお金を集めて、お地蔵さまを建て、魚売りの霊を慰めようとしました。 折りしも、そのころは日照りが続き、お米が実らない年が続きました。村人たちは、このお地蔵さまを、「厄除地蔵」と呼び、しだいに心のささえとするようになりました。 ところが、新しい時代の流れが・・・。小坪の周辺にも家が建ち、道路ができ、すっかり古いものは姿を消すようになりました。 ずっと人々を見守り続けてきた厄除地蔵も生い茂った草の中で、ポツンと忘れ去られていました。 それどころか、すっかりじゃまにされた厄除地蔵は、両脇の小さな二体のお地蔵さまといっしょに、追い出されることになりました。 この日から、引き取り手のない厄除地蔵の悲しい旅がはじまりました。その居場所は古いお寺のあとや、公園脇、さらには空地などと六回も変わらなければなりませんでした。 旅に出されていた厄除地蔵は、いまだにもとの所にもどっていません。いつになったら、ふるさと小坪に帰れるのでしょうね。 さて、日野の鎌倉街道ぞいの、もと浄岸寺のあった場所に、八体のお地蔵さまが、仲良く並んでいます。地蔵は、六体で一組というのが普通ですから、ふしぎな数といえます。 実はそのうちの二体は、前には厄除地蔵の両脇にあった小さなお地蔵さまがここにうつされたものです。 この脇地蔵にとっては、きっと往来の激しい街道を見守るのに、ここがいちばん落ち着ける場所だったのでしょうね。
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火の上を歩く人たち (日野) bgsound 村に見なれぬ白い衣装を身にまとった人たちがおとずれました。真っ黒に日焼けした、いかめしいその姿を、子どもたちが、親のかげからのぞいています。 「てんぐさまみたいだ・・・・・・」 「あの人たち、だれ?あそこで何してるの」 子どもたちが、ふしぎに思っているうちに、村の小高いところにある山王社の前に、土がこんもりと盛られた場所が作られたのです。 「今からここに、『ごま』という火をたきます」 てんぐさまのようなその人たちは、そう言うと、獣の遠ぼえのような、ほら貝を吹き鳴らし始めます。そして、太鼓をたたき、太い声で呪文を唱えながら、火をおこしました。 何が起こるのだろうと、と、子どもたちはみじろぎもせずに見つめています。 「あーっ」 「おとうちゃん、火の上を歩いているよっ」 とりまいて見ていた村人たちは、おどろく子どもたちに教えます。 「この村のいやなことを、みんなおっぱらう、おまじないなんだと」 「火はな、悪いことを焼きつくし、清らかにしてくれる、と言っとられる」 そう言いながら、大人たちだって、もちろんびっくりしていたのです。なにしろ、一心に呪文を唱えながら、熱そうな顔もせずに、火の上をはだしで歩くのですから。 そしてさらに、こう言われました。 「これを火渡りの行(ぎょう)といいます。さあ、みなさんもどうぞ。この村にも、あなた方一人ひとりにも、悪いことが起こりませんように」 親たちはどうするだろうと、子どもたちは息をのんで見守るのでした。 -むかしむかし、仏教が伝えられるのに、大事な役目をした道があります。道ぞいのお寺には、立派な仏像も作られました。その一つが、日野の光明寺にも納められています。光明寺が管理していた山王社でも、このような出来事があったのです。てんぐさまのように見えた人たちとは、その古い道を使って、あちこち修行をして歩いていたやまぶしでした。 山には山の、家には家の、火には火の神がいると信じていた村人たちは、おそるおそる、その火の上を渡り、村の安全と幸福を願ったに違いありません。
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榎戸の水”問答”(港南台) bgsound 日野や港南台が、武蔵国とよばれていたころのお話です。 武蔵と相模の国境線は、国や村の境であると同時に、水を分ける大切な境でもありました。このころのくらしの大部分は、農業によって支えられていました。そして、その農業とは「お米を作ること」でしたから、人々にとって水は、いのちを守ることと同じくらい大切なものでした。 武蔵と相模の境にある円海山は、武蔵にとっても、相模にとっても、大切な山でした。それほど高くない山なのですが、海に近いために、雨がよくふり、しかも、その雨をためる水ガメのような役目を持っていて、多くの川の水源地になっています。 むかしは、どこの海に流れ込むかということでその水はどこの水かということをきめていました。ですから、今は港南区になっていますが、野庭や永谷の村はもともと、相模国の村だったのです。なぜなら、野庭から流れる野庭川や馬洗川は、柏尾川に合流して、相模湾に流れ込んでいるからです。 港南台の榎戸に、”問答”という所がありました。その地名は、日野川の水源をめぐつて、武蔵や相模の村人が集まって、水の利用の仕方や順番について、話し合った場所だというふうに伝えられています。 また、水の神様である「弁天様」をまつる「巳待講」という集まりを作りました。これは巳(へびのこと)の日に集まってするおまつりの会のことで、弁天様のお使いが蛇であったこと、また、水源地は湿地でもあり、蛇、マムシが多いことなどから、水源地を守っているとされた、蛇を信仰の対象としたのです。 日野の金井村と小菅ヶ谷との境にあった水源地には、その「巳待供養塔」が建てられていて、道しるべの役目をも持っていました。 日でりや洪水になれば、その年のお米はできません。特に日でりが続き、雨の全くふらない年には、わずかな小川の水が、貴重な「いのちの水」になって、はげしい争いがおきます。ですから、そういうことにならないように、村人たちがしっかりと話し合い、きちんとしたきまりを作っておく必要があったのです。
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馬を洗った尼将軍 (上永谷) むかし、江戸時代の終りのころのお話です。 ある日、突然、浦賀沖に、アメリカの軍艦がやってきました。 日本人が、よその国へ行ったり、外国人が来たりしてはいけなかった時代でした。 港から離れていた村人たちは、のんびりと畑仕事をしていました。 子どもたちも、よく親の手伝いをしていましたが、暇をみつけては、野山をかけまわりうさぎを追いかけたり、木の上に登ったり、次から次へと遊びを考えだしては、仕事の合間に遊んでいました。 きょうも、小高い山の木のてっぺんに登って、はるか遠くをながめていた子どもたちが、竹づつをのぞくと、真黒い、みたこともない船が、丸い輪の中に現れたのでした。 びっくりした子どもたちは、それぞれ、すっとんで家に帰りましたが、家には誰もいません。じいちゃん、ばあちゃん、親たちまでが、庄屋の家の庭先に集まつて、ワイワイガヤガヤさわいでいたのです。 浦賀では、一日中半鐘が鳴っているとか、真黒い大きな船が煙りをはいては、ボー、ボーと大きな音をだしているというのです。 目をつりあげ、口をぎゅつと結んだ武士が、馬にむちをあてては、西へ東へ、血そうを変えながら走らせているとか、街道沿いの人たちは、家の中にかくれて、息をつめてなりゆきを見守っているとか、杉田村へ野菜を売りにいってきたじいさんが、まるで見てきたかのように、まくしたてていました。 金沢の小柴沖まで、黒船が入ってきていると聞くと、戦になるかも知れないと、おびえながらも、黒船を一目見ようと村人たちは、すっかり、お祭り気分になってしまいました。 「さあさあ、仕事さ、かたづけて、見にいくぞ!お前たちも、早よう、手伝えよー」 上大岡の真光寺の高台が、見晴らしも良く絶好の見物場所になったのでした。 一人、二人、また一人と、うわさをききつけた近隣の村人たちで、あれよ、あれよという間に、人だかりができました。 そのうち、おだんごや、お茶を売る者までが現れて、いっそうにぎやかになりました。黒船がいた八日間、この高台は、黒船見物の人々でにぎわったそうです。
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旅にだされた厄除け地蔵 (日野) bgsound そのむかし、この港南の山あいに住む人々が、魚を口にできるのは、鎌倉から魚売りがやって来る時だけでした。 魚売りは、新鮮な魚といっしょに、町での出来事や、他の村であった事など楽しい話を、たくさんもってきました。ですから村人はいつも、この魚売りが来るのを、心待ちにしていました。 ある日のことです。小坪道にさしかかった魚売りは、追いはぎにあい殺されてしまいました。家族を残して、離れた土地で命を絶たれるのは、とてもくやしかったことでしょう。 村人たちは、この魚売りの死をたいへん悲しみ、自分たちも生活が苦しいのに、わずかずつのお金を集めて、お地蔵さまを建て、魚売りの霊を慰めようとしました。 折りしも、そのころは日照りが続き、お米が実らない年が続きました。村人たちは、このお地蔵さまを、「厄除地蔵」と呼び、しだいに心のささえとするようになりました。 ところが、新しい時代の流れが・・・。小坪の周辺にも家が建ち、道路ができ、すっかり古いものは姿を消すようになりました。 ずっと人々を見守り続けてきた厄除地蔵も生い茂った草の中で、ポツンと忘れ去られていました。 それどころか、すっかりじゃまにされた厄除地蔵は、両脇の小さな二体のお地蔵さまといっしょに、追い出されることになりました。 この日から、引き取り手のない厄除地蔵の悲しい旅がはじまりました。その居場所は古いお寺のあとや、公園脇、さらには空地などと六回も変わらなければなりませんでした。 旅に出されていた厄除地蔵は、いまだにもとの所にもどっていません。いつになったら、ふるさと小坪に帰れるのでしょうね。 さて、日野の鎌倉街道ぞいの、もと浄岸寺のあった場所に、八体のお地蔵さまが、仲良く並んでいます。地蔵は、六体で一組というのが普通ですから、ふしぎな数といえます。 実はそのうちの二体は、前には厄除地蔵の両脇にあった小さなお地蔵さまがここにうつされたものです。 この脇地蔵にとっては、きっと往来の激しい街道を見守るのに、ここがいちばん落ち着ける場所だったのでしょうね。
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*港南歴史協議会の活動報告 1.歴史講座 ☆ 児童向け港南の郷土史 港南の古写真スライドショ-「港南の昔にタイムスリップ~おじいさんが語る昭和~」を開催しました ○ 日 時:平成23年8月21日(日)午前10時~11時30分 ○ 会 場:港南図書館 会議室 ○ 語り部:港南歴史協議会のさん、 詳しくは下記の8月22日(月)神奈川新聞をご覧ください 写真で知る郷土 9月8日(木)タウンニュ-ス(港南区版)にも掲載されました 過去にタイムスリップ ☆「芹が谷の歴史」講座を開催しました。 ○ 日 時:平成23年6月25日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 会議室 ○ 講 師:大平力蔵 平戸・永谷川水愛護会会長 ○ 語り部:平井忠八さん、森 喜八さん、山本邦法さん、 ☆「港南の近世を語る」歴史講座を開催しました。 ○ 日 時:平成23年2月26日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 2階 会議室 『港南の先駆者と遺宝』刊行を記念し歴史講座を行いました。 (1)挨拶・刊行経緯説明・・・・・・・・・・ 馬 場 久 雄 会 長 (2) 「港南の先駆者と遺宝」について・・・・著者:伊 藤 武 (3) 久保村は昌平校の天領だった・・・・・ 山 本 邦 法 自性院住職 (4) 永野の高札・・・・・・・・・・・・ 亀 野 哲 也 貞昌院副住職 (5)『港南の近世を語る』座談会・・・ 司 会 北 見 繁 男 さん 森 喜 八 さん他平 井 忠 八 さん、 橋 下 賢 明 さん、寺 田 伊佐武 さん、山 本 邦 法 さん 詳しくは、下記の亀野さんのブログをご覧下さい。 「港南の近世を語る」歴史講座 ☆ 区民企画講座「こうなんの歴史:芹が谷の歴史」を開催致しました。 日 時:平成23年2月19日(土)10時~12時 会 場:港南台タウンカフェ 講 師:大平力蔵さん(平戸・永谷川水辺愛護会会長) 昔は武蔵の国、相模の国の国境で、現在は南区・戸塚区・港南区の区境のこの地には、神社・仏閣もなく、昔の字名「芹が谷」が昭和42年に町名として採用されました。 昭和4年に現在の神奈川県立精神医療センタ-「芹香園」が昭和11年には国立南横浜病院「浩風園」が開院し、昭和45年には県立こども医療センタ-と大規模医療施設が建てられています。 その芹が谷も昭和21年頃の写真では現在の景観とは程遠い、広々とした里山の風情でした。その国立南横浜病院「浩風園」は3年前に廃院となりました。 ☆ 日野ケ丘町内会で郷土日野の歴史出前講座を行いました。 ◇ 日 時:平成23年1月22日(土)10時~12時 ◇ 会 場:日野ケ丘住宅町内会館 ◇ プログラム:・郷土日野の歴史 : 遠 藤 吉 隆 さん : 1時間 ・日野小学校を中心とした保管古写真のスライドショ-:1時間 ☆ 区民企画講座「こうなんの歴史:日野の歴史」を開催致しました。 日 時:平成23年1月15日(土)10時~12時 会 場:港南台タウンカフェ 講 師:遠藤吉隆さん(港南歴史散策の会) ☆ 平成22年度、第5回「こうなんの歴史講座」を開催いたしました。 テ-マ:貞昌院に伝わる「天神おみくじの」 日 時:平成22年12月18日(土)10時~12時 場 所:貞昌院 客殿 講 師:亀野哲也 貞昌院副住職 さん 詳しくは、下記の 貞昌院亀野さんのHPをご覧下さい。 区民企画講座2010@貞昌院 天神おみくじ ☆「こうなんの大戦中の秘められた記憶を語る座談会」を開催しました。 ○ 日 時:平成22年11月27日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 2階会議室 第一部:こうなんの大戦中の記憶を語る座談会 パネラ-:平 井 忠 八さん (永野地域)、武 内 文 衛さん (日下地区)、橋 下 賢 明さん (野庭地域) 司 会 : 北 見 繁 男さん (日下地区) の皆さんで行いました。 第二部:横浜刑務所にまつわる戦争秘話:長谷川敏雄さん ・横浜刑務所にある戦争秘話の碑 ・海軍から南方諸島に受刑者派遣要請 ・図南報告隊(青隊)悲劇のトラック島(春島)へ 詳しくは、下記のHPをご覧下さい。 横浜刑務所にまつわる戦争秘話 ☆『こうなん歴史散策』刊行記念講演を開催しました。 ○ 日 時:平成22年9月5日(日)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 2階 会議室 (1)挨拶・刊行経緯説明・・・・・・・・・・ 馬 場 会 長 (10分) 「港南歴史散策の会」の活動と案内書刊行の目的、意義 (2)散策で見つけた港南区の歴史標識・・・・ 深 谷 代 表 (60分) 歴史痕跡を示す標識から見た港南区の歴史 - 休 憩 - (3)『こうなん歴史散策』コラムについて・・・ 遠 藤 吉 隆 (30分) 神社から見た港南区の歴史物語 ☆「こうなんの昔を語る座談会」を開催しました。 港南歴史協議会では「こうなんの歴史アルバム」の発刊を記念して、 「こうなんの昔を語る」座談会を定員50名一杯の区民の皆さんをお迎えして行いました。 ○ 日 時:平成22年5月29日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 2階会議室 パネラ-:平 井 忠 八さん (永野地域) 森 喜 八さん (下永谷地区) 橋 下 賢 明さん (野庭地域) 山野井 正郎さん (上大岡地区) 寺田 伊佐武さん (日野地区) 北 見 繁 男さん (日下地区) 司 会 : 馬 場 久 雄 の皆さんで行いました。 当日の模様は6月10日(木)「タウンニュ-ス」に詳しく掲載されました。 郷土史座談会 .pdf ☆ 第4回こうなん歴史講座「港南区に鉄道が走るまで」を開催いたしました。 ○ 日 時:平成22年2月27日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 2階 会議室 ○ 講 師:長谷川 敏雄さん(地図編集工房) この講座の主な内容は下記のHPをご覧下さい。 東海道線は 当初、大岡川沿いに通る予定だった! 今回も、大勢の方々のご参加により、満員の盛況でした。 郷土史講座が定着してきた感があります。平成22年度も港南図書館のご理解により、3ケ月毎に、年4回の定期的な開催を計画をしています。 今後とも、皆様方のご参加を宣しくお願い致します。 ☆ 区民企画講座「こうなんの歴史:「明治創立の学舎のあゆみ」」を開催しました。 日 時:平成21年12月19日(土)午前10時~12時 会 場:上永谷 貞昌院 客殿 講 師:貞昌院 亀野哲也 副住職、平井忠八さん 「港南の歴史」を「学校の歴史」の観点から顧みた新鮮味ある講座でした。 永野の昔の景観を高浜虚子「武蔵野探勝」から見た事もリアリティさがありました。 永野の戦時中の様子を亀野寛量先生の日記・記録から見る事に加え、平井さんの体験談もあり、一層リアリティさが増しました。 今後、平井忠八さんの様な古老の方々の「記憶」を「記録」に残す活動に努めたいと思います。 講座について、詳しくは 下記の亀野さんのHPをご覧下さい。 明治創立の学舎のあゆみ 高浜虚子一行の永谷村探勝 上永谷地区に残る屋号 太平洋戦争空襲~終戦 ☆「こうなんの歴史アルバム」出版 へ向けて 今年は港南区誕生40周年を迎えました。 港南歴史協議会では、港南区内にある明治時代開校の4小学校に保管されている「古写真」をデジタル化し、現在このHPの上へ掲載をしていますが、これらの写真を元に、港南区内の歴史秘話を加えて、来年(平成22年)春頃「こうなん歴史アルバム」の発行へ向けて、現在編集作業を行っています。 その模様が、亀野さんの下記のHPの上で紹介をされましたので、ご報告いたします。 「こうなん歴史アルバム編集会議」 ☆第3回歴史講座「港南の街道の歴史」を開催しました 日 時:平成21年11月28日(土)午後2時~4時 会 場:港南図書館 2F 会議室 講 師:遠 藤 吉 隆さん(港南歴史散策の会) 講演の要旨は下記の資料をご参照下さい。 鎌倉道 ☆第2回目 日野小学校古写真のスライドショ-を行いました 日 時:平成21年12月1日(火)午後6時30分から 会 場:日野町内会館 日野町内会役員や日野小学校学援隊の皆さんに、第2回目の日野小学校古写真のスライドショ-を行いました。 明治6年開校の伝統ある小学校ですので、地域の皆さんとの間に強い絆があり、古写真の中にも地域の人達の生活の跡を感じます。 ☆第5回区民企画講座「大久保地域の歴史話」 を行いました 日 時:平成21年11月21日(土)10時~12時 場 所:港南台タウンカフェ 講 師:自性院 住職 山本邦法さん 大久保地区には50年前まで「久保池」があり、そこでは地域の子供達が泳いだり、釣りをして楽しみました。 この写真は昭和31年4月に久保池の畔の桜並木をバックに撮影をした写真で、当時小学3年と1年の姉妹の方には、この写真を公開した事がご縁で、自性院の山本住職さんのご紹介で、先日お会いをし、当時の大変懐かしいお話を伺いました。 ☆第1回:映像で見る港南の景観を開催しました 港南歴史協議会では区制40周年を祝って、懐かしい昔の写真をスライドとビデオで紹介する催しを下記の日時に開催しました。 ○日 時:第1回:平成21年10月11日(日)午後2時~4時:区内小学校4校の古写真のスライドショ- ○会 場:港南図書館 2F会議室 今回は明治時代に開校の日野、永野、日下、桜岡の4小学校に保管されている古写真約500枚の中より、約150枚を選んでのスライドショ-でした。 これらの写真は、このHPにも掲載されています。(右側のメニュ-欄の中で「古写真」の項目の中の各小学校のペ-ジの中に掲載されています。) ☆第2回:「お母さんが伝えるふるさと下野庭」のビデオ上映を行いました ○日 時:第2回:平成21年10月18日(日)午後2時~4時:「お母さんが伝えるふるさと下野庭」ビデオ上映 ○会 場:港南図書館 2F会議室 「お母さんが伝えるふるさと下野庭」は今から22年前に朝生靖子さん、二瓶三千枝さん、松本きよさん達が、街の古老の人達からの「ききがたり」として出版致しました。 それを元にビデオ作成をされた作品(60分+15分+15分)3本を上映致しました。 又、亀野さんが撮影をされた「丸山台住宅地開発以前の永野地域の景観と地域の人達の生活環境の様子」ビデオ(15分)も同時上映し、当日特別参加して頂きました大正生まれの永野地域の古老のお一人である平井忠八さんを囲んで、お話も伺いました。 ○当日の報告は亀野さんの下記のブログをご覧下さい。 「お母さんが伝えるふるさと下野庭」 ☆開港150周年記念講座「横浜港の七不思議」 テ-マ:「横浜港の七不思議」 日 時:平成21年8月29日(土)10時~12時 会 場:港南図書館 2階会議室 講 師:田中祥夫 氏 講座の詳細は、下記の亀野さんのブログをご参照願います。 横浜港の七不思議講演会 1894年に現在の大桟橋(旧称「メリケン波止場」「鉄桟橋」)が出来たのは、米国から下関事件(1864年)の賠償金が返還され、それが原資となったと言われていますが、その返還に至る過程で大変なキッカケとなり、尽くされた人がグラント将軍(後に米国大統領になられた)であったとの事です。 その間の経緯は下記の日本経済新聞の記事をご覧下さい。 2002.05.30.横浜港の父、グラント将軍 YD0018b7.pdf 今日の講義の中で「象の鼻」の名称は、横浜市立図書館所蔵の「横浜村井近傍之図」によると、既に横浜開港以前に「象が鼻」との名称で別の地名として、使われていたとの事です。 開港直前安政5年の横浜.pdf ☆第3回 区民企画講座「こうなんの歴史」を開催致しました。 テ-マ:東海道線は当初、鎌倉街道を通る計画だった! 日 時:平成21年9月19日(土)10時~12時 会 場:港南台タウンカフェ 東海道線開通に至る間の秘話をご紹介いたします。 何故、保土ヶ谷、戸塚ル-トへ変更になったのか? 当初は、何故、東海道線は開通当初、桜木町でスイチバックをしていたのか? その謎ついての歴史的な背景のお話しです。 東海道線は鎌倉街道を通る計画だった ☆第2回区民企画講座「こうなんの歴史」を開催しました。 テ-マ :永谷天満宮の昔ばなし 日 時 平成21年6月20日午前10時~12時 会 場 港南台タウンカフェ 講 師 永谷天満宮 松本正良宮司 永谷天満宮公式HP 丑年大天神祭 夏越の大祓い 2.歴史散策 ☆ 第5回「歩いて巡る港南の歴史」の街歩き案内を行いました。 ○ 日 時:平成23年8月16日(火)午前9時30分~12時 ○ 主 催:港南地区センタ- ○ 案内役:馬場久雄、深谷臣功、遠藤吉隆、 ○ 散策地域:日野中央公園から春日神社、徳恩寺、南稜高校 ☆ 第2回「歩いて見て学ぶ港南の歴史」散策の会の街歩き案内を行いました。 ○ 日 時:平成23年5月17日(火)午前9時30分~12時 ○ 主 催:港南地区センタ- ○ 案内役:馬場久雄、深谷臣功、遠藤吉隆、 今回は、港南地区センタ-を出発して、桜道から天照大神宮を経て、笹下川の川島の堰脇を通り、再び環状2号線の上の「笹下中央公園」「雑色・杉本遺跡」から、打越交叉点に至る笹下の丘陵地帯を巡りました。 ☆「歩いて見て学ぶ港南の歴史」散策の会の街歩き案内を行いました。 ○ 日 時:平成23年4月19日(火)午前10時~12時 ○ 主 催:港南地区センタ- ○ 案内役:馬場久雄、深谷臣功、遠藤吉隆、 ☆ 金沢区一期会(金沢文学散歩の会)の皆さんを上大岡地域の歴史散歩にご案内致しました。 ○ 日 時:平成23年4月8日(金)午前9時30分~12時30分 ○ コ-ス:・9時30分~10時30分:上大岡東地域の散策 ・10時30分~11時30分:上大岡コミュニティハウスにて、上大岡の今昔スライドショ-で上大岡の歴史を紹介: ・11時30分~12時30分:上大岡西地域の散策 丁度、桜が満開の時期でした。神奈川県戦没者慰霊堂にて記念撮影を致しました。 ☆平成22年度第4回「こうなんの歴史講座」を開催しました。 テ-マ:「松ヶ崎古墳とふじやま公園の見学」 日 時:平成22年11月20日(土)10時~12時 場 所:港南台タウンカフェ(集合)→松ケ崎古墳→ふじやま公園 案内ガイド:寺田宏子さん(歴史に学ぶ港南台の会) 特別ガイド:馬場久雄先生(港南歴史協議会会長) *「松ヶ崎古墳」については、下記のペ-ジをご覧下さい。 松ヶ崎横穴古墳群の現状 ☆平成22年度第2回「こうなんの歴史講座」を開催しました。 テ-マ:「日下小学校資料館見学と日下・打越地域の歴史散策」 日 時:平成22年9月18日(土)10時~12時 場 所:日下小学校 資料会(集合)→成就院(笹下城跡)→東福寺→笹下中央公園(北見掃部の墓)→川島の取水堰→久良岐郡役場跡 案内ガイド:北見繁男さん(日下小学校資料館長)他楽遊クラブの皆さん 3.写 真 展 ☆ (第6回)こうなんの昔 写真展を行いました。 ◇ 日 時:平成23年6月7日(火)~6月26日(日) ◇ 会 場:港南図書館2階会議室入口壁面 今回は区民の方々から寄せられました区内各地が開発される以前の貴重な景観写真の中より、10枚を掲載致しました。 ☆ (第5回)こうなんの昔 写真展を行いました。 ◇ 日 時:平成23年2月22日(火)~3月21日(月) ◇ 会 場:港南図書館2階会議室入口壁面 今回も、港南区内で明治時代に開校をした日野・永野・日下・桜岡の4小学校保管写真中より、区内各地域の写真10枚を掲載致しました。 ☆ (第4回)こうなんの昔 写真展を行っています。 ◇ 日 時:11月16日(火)~12月20日(月) ◇ 会 場:港南図書館2階会議室入口壁面 今回も、港南区内で明治時代に開校をした日野・永野・日下・桜岡の4小学校保管写真中より、区内各地域の写真10枚を掲載致しました。 ☆ (第3回)こうなんの昔 写真展を行いました。 ◇ 日 時:平成22年8月17日(火)~9月20日(月) ◇ 会 場:港南図書館2階会議室入口壁面 今回も、港南区内で明治時代に開校をした日野・永野・日下・桜岡の4小学校保管写真中より、区内各地域の写真10枚を掲載致しました。 ☆ こうなんの昔 写真展を行っています ◇ 日 時:平成22年5月7日(金)~5月31日(月) ◇ 会 場:港南図書館2階会議室入口壁面 昭和30年代の「港南区内の景観写真」を中心に10枚掲載致しました。 ☆「港南の昔、写真展」を行いました。 期 間:平成21年10月19日(月)~11月23日(月) 港南区作成「港南区誕生後の歴史」でした。 期 間 平成21年9月24日(木)~10月18日(日) 区内小学校の古写真の中から10点を選んでの写真展でした。 4.学校支援 ☆ 永谷小学校創立36周年記念式典に応援参加しました。 ◇ 日 時:平成23年5月2日(月)午前9時から9時30分 ・永谷天神囃子:午前9時~9時15分 昔は、この地域周辺は永谷天満宮の氏子で、毎年お正月には永谷天神囃子が各世帯を回っていました。この地に伝わる伝統郷土芸能を目の当たりにした大変楽しい一時でした。 ・永谷の昔、景観写真スライドショ-:午前9時15分~9時30分 今から40年前の永谷小学校建設予定地付近の下永谷周辺の景観写真です。 現在では、正面を環状2号線も通って、住宅地化してしまい、この里山の景観も懐かしい想いでになりました。 ☆上大岡小学校の郷土史授業をお手伝いいたしました 日 時:平成22年2月9日(火)午後1時30分~3時30分 場 所:上大岡小学校図書室 対 象:上大岡小学校 6年1組の皆さん 講 師:港南歴史協議会有志5名 上大岡小学校6年生の皆さんが上大岡の郷土史を調査する中で生まれた疑問について、5つのグル-プに分かれてお応えを致しました。 生徒の皆さんは街の中で見る事の出来る郷土の歴史の痕跡の中に、数多くの疑問点を探し出しておりました。参加した私達も身近な郷土史を改めて学ぶ機会を教えられました。 5.地域支援 ☆ 金井町内会で郷土史出前講座を開催いたしました。 ◇ 日 時:平成23年4月30日(土)午後1時30分~3時30分 ◇ 会 場:金井町内会館 ◇ プログラム:・わが郷土 日野の歴史 : 遠 藤 吉 隆 さん ・永谷天神囃子(動画):野 沢 耕 治 さん ☆ 大多良稲荷講が行われました。 ・日 時:平成23年2月6日(日)午前11時 ・場 所:日野南二丁目六番地 大多良稲荷の位置 .pdf ・由 緒:下記の日野第2町内会「郷土のしおり」(昭和51年3月刊)をご覧下さい。 大多良稲荷講チラシ改 .pdf 日野の大多良地域に昔から伝わるお稲荷さんです。この場所は昭和38年頃金井住宅地として、宅地造成がされました。その際に、当時の金井地域の人達が、僅かの土地(約5坪)を確保し、それ以降も毎年、正月には幟旗を立て、2月の初稲荷(初うま)の際もお祭りを継続して参りました。 今年は、2月の第一日曜日2月6日(日)、午前11時より春日神社より松本宮司を迎えて、神事を行いました。 日野地域の氏神様:春日神社に対して、永年の間「大多良稲荷」には氏子会の人達は、何か事ある毎にお参りをして、見守って頂いている金井地域の人達にとっての産土の神様です。 大多良稲荷タウンニュ-ス .pdf ☆ こうなんの昔スライドショーを行っています。 ◇ 日 時:平成22年4月21日(水)2時30分~3時30分 5月11日(火)2時30分~3時30分 6月 6日(日)2時30分~3時30分 ◇ 会 場:港南中央ケアプラザ ○地域ケアプラザ:デーサービスでの反響: ・高齢者の皆さんに大変好評です。 ・高齢者の皆さんが自分達の昔を思い出し、脳の活性化になります。 ・参加者同士で、会話が弾みます。お互いを知る機会作りになります。 ・新しい発見・出会いももあります。 (96歳の老人が林大学頭の「書」を持参されました。 その人のお婆さんが笹下の丘から黒船を見ていたとの事です。) ☆ 日下楽遊クラブの皆さんと交流会を行いました ◇ 日 時:平成22年5月18日(火)13時~15時 ◇ 会 場:日下地域ケアプラザ ◇ プログラム:・港南の景観スライドショー:45分 ・長谷川敏雄:「横浜・横須賀との狭間に揺れた笹下の歴史秘話」:1時間15分 -「関の栄枯盛衰」 -「刑務所と海軍との関係」 鉄道黎明期に於ける街道筋栄枯盛衰の話! ○地域出張・出前型スライドショー、郷土史講座の反響 ・地域出張型は、地域情報を得る為に効果的です。 ・港南区へ新たに居住された方々も、昔の写真を見ることにより、「こうなんの昔」へ関心が生まれます。 ☆ 日野住宅地自治会で郷土史出前講座を開催いたしました。 ◇ 日 時:平成22年4月25日(日)13時30分~16時 ◇ 会 場:日野住宅地自治会館 ◇ プログラム:・日野小学校を中心とした保管古写真のスライドショ-:1時間 ・東海道線は鎌倉街道を通る計画だった:長谷川 敏雄さん:約45分 ・港南区内の武相国境について:亀野 哲也さん:約30分 詳しくは、下記の亀野さんのHPをご覧下さい。 日野住宅自治会館で出張講座 ☆小学校古写真を活用してのスライドショ- 日 時 平成21年7月3日午後2時30分~3時30分 会 場 東永谷ケアプラザ 昔の「街の景観」写真が投影される毎に、ご自分の若かりし頃を思い出し、古の記憶が蘇り、昔を懐かしみ大変に喜んで頂きました。 これからも、港南区民協議会の皆さんと連携をして、各地域のシルバ-会や地域ケアプラザのご要望に合わせて、各地域の相応しい「古写真のスライドショ-」を行ってまいります。 6.出版活動 ☆「こうなんの歴史アルバム」を発売しました。 明治時代に開校した港南区内の4小学校(日野、永野、日下、桜岡)に保管されていた古写真を元に、港南区内の歴史秘話を盛り込んだ「こうなんの歴史アルバム」を発行しました。 お蔭様で完売をいたしました。有難うございました。 横濱No30Book Review .pdf 神奈川新聞こうなんの歴史アルバム.pdf 郷土史座談会 当日の模様は、下記の亀野さんのHPブログをご覧下さい。 歴史アルバム発行に向けて 7.調査・保存活動 ☆ 松ヶ崎古墳の調査を行いました。 ◇ 日 時:平成23年1月24日(月)9時30分~11時30分 ◇ 会 場:旧港南台高校南面崖下 (港南台9丁目,栄区若竹町隣接地) 埋蔵文化財センタ-の方々のご指導の下に「港南の歴史」記載の松ヶ崎古墳(南面横穴墓)に加えて、その後多くの方々から、西面にに存在をする横穴墓について、ご指摘を頂き、現況確認調査を行いました。 確かに、南面の他、西面にも横穴墓を確認致しました。 今後は、横穴墓の表記の頭に「南面」「西面」を付け、「南面1号墓」「西面2号墓」の様な呼称と致します。 今回確認できましたのは、西面4号墓、西面5号墓、南面1号墓、南面2号墓、南面5号墓でした。 当日の詳細報告は下記の亀野さんのHPブログをご覧下さい。 松ヶ崎古墳現地調査 松ヶ崎古墳について、詳しくは下記の亀野さんのHPブログをご覧下さい。 松ヶ崎横穴古墳群の現状 更に詳しい報告は、下記の亀野さんのHPブログをご覧下さい。 松ヶ崎横穴古墳群への私見 ☆横浜市地域文化財登録候補の推薦 ☆丸山台自治会所有の「横浜道の堅牢地神塔(道標)」が今年度の「横浜市地域文化財」に登録されました 平成21年度横浜市文化財指定・登録 明治4年に建立された横浜道の道標です。 左側は既に横浜市地域有形民俗文化財に登録されている「旧馬洗橋庚申塔道標石碑」です。今回で、丸山台自治会館の敷地内で保管されている石碑では2件目になります。 堅牢地神塔 丸山台のふるさと → 丸山台の石碑 → 堅牢地神塔 ☆ 港南歴史協議会は平成21年度の「横浜市地域文化財登録候補」として次の2件を推薦致しました。 1. 丸山台自治会所有の「横浜道の堅牢地神塔(道標)」 横浜道堅牢地神塔の保管.pdf 横浜市地域文化財登録候補推薦書横浜道の堅牢地神塔.pdf 堅牢地神塔 丸山台のふるさと → 丸山台の石碑 → 堅牢地神塔 2.「歴史に学ぶ港南台の会」から推薦、旧港南台高校の敷地内にある「松ケ崎古墳」 横浜市地域文化財登録候補推薦書松ヶ崎古墳.pdf 現在の松ケ崎古墳です。 8.そ の 他 ☆「埋蔵文化財展-地面の下にはナニかある」を開催しました。 -港南・南区の遺跡展- ○ 日 時:平成23年7月15日(金)~7月26日(火)午前10時~午後7時 ○ 会 場:港南区民文化センタ-「ひまわりの郷」ギャラリ-(ウイング上大岡4階) ○ 主 催:横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センタ- ○ 共 催:横浜市教育委員会 ○ 後 援:港南区役所・南区役所 ○ 協 力:神奈川県埋蔵文化財センタ-、NPO法人港南歴史協議会 ○ 入場 無 料 詳しくは、下記の亀野さんのブログをご覧下さい。 地面の下にナニかある 地面の下にナニかある-港南・南区の遺跡展 ☆ もう一つの「横浜刑務所南方派遣殉難者慰霊碑」を参拝いたしました。 日 時 平成22年7月1日 こうなんの歴史の中で、一般公開の陰に隠れた歴史として、横浜刑務所関係者が第2次大戦中にサイパン(テニアン)島やトラック島へ空港建設等に派遣され、戦火の中で亡くなられた記録がありました。 横浜刑務所の中にある2つの「顕彰碑」の他に日野公園墓地の中にもう一つの「横浜刑務所南方派遣殉難者慰霊碑」がある事を知り、参拝を致しました。 詳しくは、下記の亀野さんのHPをご覧下さい。 横浜刑務所南方派遣殉難者慰霊碑 横浜刑務所とテニアン北飛行場 この間の経緯については、下記の北海道新聞にも掲載されています。 合わせて、是非 ご覧下さい。 テニアン 平和の島を求めて 第2次世界大戦中に私達の身近で起こった歴史秘話(悲話)です。 ☆ 永野土曜塾の活動が表彰を受けました 永野土曜塾の活動-児童へ郷土の歴史・文化を伝達する体験学習の場の設営-が、日本生命財団より「生き生きシニア地域貢献活動」として、表彰を受けました。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/101.html
室の木と富士塚 (港南)」 bgsound みなさんは、葦という植物を知っていますか。水辺に生える多年草で、茎はすだれなどの材料になり、別名をよしともいいます。そのむかし、日野川はよく氾濫し、河原はよしでおおわれていました。これが、鎌倉街道にある「吉原」という地名の由来です。 区役所から、南高校の方に坂をのぼって行くと、相武山小学校につきあたります。その辺りは武蔵国と相模国の境で、「室の木」が植えられていました。 「室の木」は、ねずともいわれ、高い木で冬でも緑の葉をつけているため、目印になったようです。今は、その木はありませんが、地名として、坂やバス停、また、公園や幼椎園の名前に使われています。 吉原村の北のはずれの一番高いところ、すなわち、室の木の近くには、富士塚がありました。富士塚には、富士浅間宮と彫られた、石の供養塔が置かれていました。上部には、仏さまが、下部には、二匹の猿が、向きあって手を合わせている姿が彫られています。これは、とても珍しいものだそうです。 江戸時代には、厳しい身分制度があり、農民は重い年貢に苦しみました。また、大雨が降ると日野川はすぐにあふれて、田畑を流し、あすの食べ物にも困りました。そして、疫病がはやって大勢の人がなくなり、悲しみに暮れました。 それらを支える信仰として、富士山に登る人が多くいました。白装束を身につけて、富士塚に旅の安全を祈願してから出かけました。また、富士山まで行かれない人は、この富士塚を拝んで、そのかわりとしました。昔は、村と村、国と国との境に、よそから悪霊が入らないようにするために、このような石塔や石仏を建立し、また樹木などを植えて境や道標の役目をもたせていました。 また、疫病などを境で塞ぐ「塞の神」や、旅の道中の安全を守る「道祖神」もよくまつられています。相模の国だった永谷には、男と女の神様が仲良く並んだ姿を石に刻んだ、珍しい道祖神塔がまつられています。 近年、富士塚は住宅地になり、石塔は日野二丁目五十四番の、小高く木の茂っているところに移されました。 ----
https://w.atwiki.jp/nanikaworld/pages/58.html
NPO法人 東京都新宿区山吹町362 みどりビル 2F 理事長大西連 設立 2001年5月17日 法人格取得 2003年4月1日 (東京都認証日 2003年3月25日) 認定NPO法人の資格取得 認定NPO法人の取得 2014年9月1日 通知番号(26生都地第800号) 有効期間(2014年9月1日から2019年8月31日) 理事(理事長)大西連 理事(副理事長)池座剛 理事(副理事長)松山晶 理事黒岩あずさ 監事岩田鐵夫 監事石井宏明 事務局長加藤歩 2020年7月1日現在 参加ネットワーク ■特定非営利活動法人ホームレス支援全国ネットワーク 正会員 ■東日本大震災支援全国ネットワーク 会員 ■社会福祉法人東京都社会福祉協議会 情報連絡会員 ■特定非営利活動法人シーズ・市民活動を支える制度を作る会 認定NPO法人振興会 会員