約 250,032 件
https://w.atwiki.jp/orikyara3rd/pages/44.html
作者:邪魔イカ 【名前】井ノ本 透伊(いのもと すい) 【性別】生物学的には女。口調や外見、仕草などから男に間違われる(本人も特に気にしていない)。 【年】アラ還(アラウンド還暦)だが、戸籍上なので正確な年齢は不明。 【性格】探求心がかなり強い。飄々としていて掴みどころが無く、結はこの人にだいぶ振り回されている。 【飛ばされる前の生活状況】都内の地下に住む研究者。「この世の全ての謎を解き明かす」と豪語し、地下のラボで科学から地学やら歴史学やら果てはオカルトまで様々な研究に明け暮れていた。 【飛ばされて持った能力or武器】足技。あと命中率はあまり無いが投げナイフ。特に足技は人の頭くらいなら一発で蹴り砕く。 【その他】一人称は『俺』。 正気を失う(精神的ショックを受ける)と発狂する。 体力は無いわけでは無いが、地下生活が長いせいか日光に弱い。 身体が若いのは、不老不死の研究で作った成長抑制剤の実験のため。 三人の中で唯一(クトゥルフ的)魔術の知識がある。 邪魔イカ企画キャラ三人について
https://w.atwiki.jp/mei2012/pages/30.html
時間割コード 開講期 曜・限 科目区分 科目名 教員名 対象学部 授業プリ 本試 再試 教科書販売 20120022136 Ⅱ期 火1 文系基礎科目 歴史学 山本 直人 農学部 情報文化学部(自然) 医学部 理学部 none none none 4863270259 20120022137 Ⅱ期 火1 文系基礎科目 文学 塩村 耕 農学部 情報文化学部(自然) 医学部 理学部 none none none 400331641X 20120022138 Ⅱ期 火1 文系基礎科目 日本国憲法 増沢 陽子 農学部 情報文化学部(自然) 医学部 理学部 none none none 4385321876 20120022139 Ⅱ期 火1 文系基礎科目 経済学B 小堀 聡 農学部 情報文化学部(自然) 医学部 理学部 none none none 4061591223 20120022141 Ⅱ期 火1 文系基礎科目 比較文化論 小川 正廣 農学部 情報文化学部(自然) 医学部 理学部 none none none 4061493531 20120022142 Ⅱ期 火1 文系基礎科目 統計学 中野 牧子 農学部 情報文化学部(自然) 医学部 理学部 none none none 4641183198 20120022143 Ⅱ期 火1 文系基礎科目 日本国憲法 菅原 真 農学部 情報文化学部(自然) 医学部 理学部 none none none 4589033356
https://w.atwiki.jp/leaders0union/pages/24.html
教育学は、教育に関する研究、または教育という事象を研究する学問。 教育学は、基本的には、よりよく生きることのできる人間を育成する活動という研究対象によって定義され、研究方法によって定義される学問ではない。教育学は、哲学・歴史学・社会学・心理学・法学・行政学・経営学などの諸学問を基礎に据え、あるいは応用することで、さらなる発展と新しい視点を獲得して来たと言える。そのため、ときに個の「学」としての堅牢さが不十分であるとか、学問のアイデンティティーが未完成であるとかという指摘を受けることがある。例えば、哲学教育や心理学教育といった教育体系は成立し得るが、教育学に関する教育体系としての教育学教育や、或いは教育学に関する教育を学問的に考究する教育学教育学などのような学問の成立にまでは至っていない。 一方、このアイデンティティーが未完成な状態の中にこそ、教育学の特質を見いだそうとする捉え方もある。教育学では、教育という媒介項をもとに学際的知見を成立させることも可能である。このような学際性こそが教育学の特徴的な個性であり、教育の現象を論じるためには不可欠な態度であるとも言える。古来より、どのような社会にも教育は不可欠であり、教育に関する専門的知見は常に必要となる。その限りで教育学は不滅の学問である。もっとも、不滅の学問として単に学問的な伝統を維持することが重要なのではなく、必要に応えるべく高度な知的生産や探求の継続が求められる。 「教育学の研究課題」 教育学の研究課題には、次のようなものが含まれる。 教育という活動及びそれに関連する学び・学習などの行為。 教育の対象たる人間のあり方、またその心理や行動。 教育に関わる価値理念・概念。 教育に関わる社会環境、社会制度(教育制度)、法令(教育法)・政策(教育政策)。 教育に用いられる施設(教育施設)や用具。 教育する側の人間(親・教師など)。 教育の技法(教授法)。 教育に関わる以上の歴史(教育史)。 教育学そのものの目的・方法・歴史(教育学方法論・教育研究法・教育学史)。 「教育学の各分野」 「基礎・理論」 教育心理学 (心理学系) 教育哲学 (哲学系) 教育史学 (歴史学系) 教育人間学 (人間学系) 教育思想 (思想論系) 教育社会学 (社会学系) 比較教育学(国際学系) 国際教育学 (国際学系) 教育法学 (法学・行政学系) 教育制度論 (行政学・社会学系) 教育行政学 (行政学・政治学系) 教育経済学 (経済学系) 教育財政論 (財政学系) 教育人類学 (人類学系) 生涯学習論 (学習学系) 「方法・技術 」 教授学 教材論 教育方法学 教育課程論 教育評価論 (心理学系) 教育工学 (技術系) 教育メディア学 (メディア学系) 教育情報学 (情報学系) 「現場・実践」 教育実践学 臨床教育学 教育相談論 (心理学系) 学校教育論 教育経営学 (経営学系) 学校経営学 (経営学系) 教師教育学 教員養成論 学校心理学 (心理学系) 教育医学 (医学系) 「教科教育学」 国語科教育学 書写教育学 数学科教育学 算数科教育学 生活科教育学 社会科教育学 公民科教育学 地理歴史科教育学 地理科教育学 歴史科教育学 理科教育学 物理科教育学 化学科教育学 生物科教育学 地学科教育学 外国語科教育学 英語科教育学 ドイツ語科教育学 フランス語科教育学 中国語科教育学 韓国語科教育学 保健体育科教育学 保健科教育学 体育科教育学 芸術科教育学 音楽科教育学 器楽合奏教育学 図画工作科教育学 美術科教育学 工芸科教育学 書道科教育学 技術科教育学 家庭科教育学 情報科教育学 農業科教育学 工業科教育学 商業科教育学 水産科教育学 看護科教育学 福祉科教育学 宗教科教育学 道徳教育学 特別活動教育学 自立教科教育学 自立活動教育学 「教育段階別等」 幼児教育学 初等教育論 中等教育論 高等教育論 特別支援教育学 「個別領域」 技術教育学 産業教育学 科学教育論 (自然科学系) 医学教育論 (医学系) 環境教育論 (環境学系) 情報教育論 (情報学系) 音楽教育学 (音楽学系) 道徳教育論 (倫理学系) 人権教育論 (法社会学系) 国際理解教育論 (開発学系) 「社会教育」 社会教育学 公民館学 博物館学 博物館情報学 図書館学 図書館情報学 キャリア教育学 職業教育論 「家庭教育」 家庭教育学 保育学 教職教養
https://w.atwiki.jp/hinatakokoro/pages/22.html
NHK BSでやってたギリシア彫刻の新発見。 あの大理石の彫刻や建造物にはもともと色がついて、 元はエジプトの影響を受けて作られたものだったというもの。 最近別の番組でエジプト新王国時代のスフィンクス修復の際にも 着色が施されていたということが分かったとか。 今までそういうものだと思っていた事柄が新たな技術や見方によって 覆されたり・解釈が変わったり・もしかしたらより真実に近づいたり。 そんな変化の瞬間て善し悪しはあれどもちょっとした感動を 味わうことができます。 私は過去に歴史学を勉強を勉強していました。 だからこういう新事実の発見!とか歴史(解釈)が変わった!という 瞬間にはいつも感動を味わっています。 自分のやってきた過去に対しても、新たな見方や解釈での振り返りは これまで以上に自分の過去に対して意味を与え、これからに活かせる きっかけを与えてくれることもあるでしょう。 逆にこれからのこと(夢)を見つけてこれまでの自分の過去に 意味を持たせることも出来るんじゃないかと思います。 おもしろい人生を過ごすには、自分自身の過去との対話って 時にすごい重要なことなんだろうな。 そしてそれを行うための時間とタイミングが大事なんだろうな。
https://w.atwiki.jp/wiki7_hos/pages/16.html
コバヤシーン 495355_56.jpg プロフィール ツッコミ こばやしあつし(中央) 埼玉県出身 ボケ すずきたかひろ (左) 愛知県出身 ボケ おぐらたかし (右) 岡山県出身 歴史 2003年6月~こばやしのコンビ「青春エポック」、すずき・おぐら「SCENE」として活動開始。 2003年11月22日 法政大学学園祭にて初舞台。SCENEとこばやしで「コバヤシーン」結成。 2004年4月 こばやしのコンビ「青春エポック」解散。 2004年6月 HOSライブにて二度目の舞台。アンケートで1位を獲得。早くも天狗。 2004年8月 WCN大学対抗ライブにHOS代表として出場。天狗だからすべる。 2004年10月 M1グランプリ2004出場。1回戦落ち 2004年10月 King Of Free出場。1回戦落ち 2005年3月 WCN大学対抗ライブ 完敗 2005年6月 ワタナベエンターテインメントのネタ見せに参加。全然ダメ。 2005年8月 大学お笑い日本一決定戦 優勝 2005年10月 M1グランプリ2005 1回戦突破 2005年12月 King Of Free2005 優勝 2005年12月 活動休止。就職活動中。 ネタ一覧 コント「合コンの練習」 コント「歴史学研究会」 コント「太木数子占い」 漫才「結婚式スピーチ」 コント「CATS」 コント「泥棒」 コント「訪問販売」 コント「恋愛塾」 漫才「GAP」 漫才「不良・先生」 アタック使用曲一覧
https://w.atwiki.jp/akaituki/pages/75.html
・・・フランドル(仏:Flandre)は、旧フランドル伯領を中心とする、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域。中世に毛織物業を中心に商業、経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄した。 「フランドル」という呼び方は、元々フランス語から由来されている地域名である。日本では英語由来のフランダース(Flanders)もよく使用され、歴史学では古くからのオランダ語の発音に基づくフランデレンもしくはフランデルン(Vlaanderen)も使用される。ドイツ語ではフランダーンもしくはフランデアン(Flandern)である。 「wikipedia フランドルより抜粋」 フランドル地方の商業発展・人材育成を主目的とした商人集団を作ろう という目的の元 ネーデルランドの本拠地「アムステルダム」 フランスの本拠地「マルセイユ」 の二箇所を拠点として活動をする商会を設立しました!(2009 7/14) が、世知辛い世の中で人が集まりません。 故に、蘭国移民局の支援を受けて 移民局内に開発研究室を設立いたしました 来たれ若人よ、共に交易を極めん! フランドル一帯を主交易の場とするべく ネーデルラントにおける交易・生産商人の育成を目指します。
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/436.html
伝説 中国に伝わる神話。盤古による天地開闢で世界は始まった。女媧が泥をこねてつくったものが人類のはじまりだと語られている。伏羲は、黄帝・神農などのように古代世界においてさまざまな文化をはじめてつくった存在として語られる。三皇五帝の時代を加えると、紀元前3000年頃にさかのぼることになる。 神話伝説時代(盤古・女媧・伏羲と三皇五帝)に続き、夏、殷、周の王朝が続き、秦に至る。 マルティニによる理論 1658年、マルティノ・マルティニ(1614年-1661年)が『中国古代史』を出版すると、大きな論争が巻き起こった。マルティニは中国に渡ったイタリア人のイエズス会士で、多くの中国情報をもたらした。 「ヨーロッパで初めて出版された、最も信頼に足る中国史」と評されたマルティニの『中国古代史』は、伏羲を最古の歴史的実在として認め、以下の三皇五帝・夏・殷・周などの諸王朝を事実として紹介した。そして堯の時代に起こった大きな洪水がノアの大洪水だったと定め、その年号を紀元前2349年と計算した。しかしこの考えでは大洪水以前に五人の王が存在したことになってしまう。 マルティニは、中国の伝説に紀元前3000年頃に別の大洪水が起こったという点に着目し、七十人訳聖書を採用しこの洪水をノアの大洪水に当てはめれば問題を回避できることを指摘した。しかし彼はここで考察を止めず、伏羲以前の中国の状況を想像した。君主が生まれるからには社会的人間集団が存在しなければならず、そこに至るには記録されない歴史が刻まれているはずである。そしてマルティニは、古代中国にはノアの大洪水以前に人間が居住していたという結論に至った。 イエズス会は布教において、現地の歴史や習慣を学び取りながら、時に妥協を交えた活動を行った。しかしマルティニの結論は普遍史の否定に繋がるもので、この点からもマルティニは中国文明の支持者となり、圧倒的な中国史の前に傾倒せざるを得なかったものと推測される。そしてこの態度はイエズス会派だけではなく、アウグスティノ派であるメンドーサやラーサの例を始めとして多くの宣教師が、ヨーロッパ諸氏族史のような空想的な部分を含まず、時に天文学的観測結果を伴いもする中国史の正しさを認めた。 ホルンの理論 中国史を巡る論争に対し、オランダのライデン大学歴史学教授のゲオルク・ホルンは、ひとつの解決策を1666年執筆の書『ノアの箱舟』で提案した。彼は、アイルランドの司教ジェームズ・アッシャーが纏めた年代学(アッシャーの年表)に基づいて大洪水を紀元前4004年とした。その上で、堯の時代の中国で起こった大洪水を同じ出来事を指す、すなわち創世記と古代中国史が同じ史実を伝えていると考えた。そして聖書の家父長たちと中国神話の王たちは同一人物を指していると解釈した。 聖書上の人物 中国史の人物 その根拠 アダム 伏羲 ともに土から生まれたとされている カイン 神農 ともに農業の祖とされる エノク 黄帝 ともに神によって不死とされた ノア 堯 ともに洪水の時に生きた ホルンの創世記と古代中国史同一論は多くの追随者を生んだ。 このように中国の古さの問題は、中国史に疑念が挟まれるのではなく、聖書側に解釈が加えられ対応が試みられるという点でアッシリアやエジプトのそれと異なる展開を見せた。さらにはヘブライ語版と七十人訳聖書の正当性を主張する根拠に中国史が用いられるなどの逆転現象さえ見られる中、普遍史にとって深刻な難問として突き刺さりつつ、解決を見ぬまま時代が過ぎることとなった。 ヴォルテールの聖書否定 ボルテールは『歴史哲学』の中で、中国については、世界最古の年代記が途切れずに続いている(52章)と述べ、地球全域を覆うような大災害は中国に及ばなかった(18章)と、普遍史批判となる論述を取る。 ヨハン・クリストフ・ガッテラー 1785年の著作『世界史』から、ガッテラーは大きな転換を図った。題から「普遍史」という単語を除いた通り、彼の世界史記述は普遍史からの脱却を果たした。歴史の初期について、『普遍史序説』と同様にアダムからモーセまでを取り上げているが、これを「セトを租とする大種族の一派、ノア家すなわちヘブライ人の伝説」として扱った。すなわち、大洪水は事実としても、それはあくまでインダス川上流で起こった局地的な事件でしかなく、他の地域には多くの人間や動物が生きていたと考えた。これに伴い、聖書中の事件が起こった年度も見直しを施した。そして時代区分も変更した。『普遍史序説』の4段階から、文化史の観点を基礎に6段階に改訂したが、この考察の中にはモーセやソクラテスの他に孔子やゾロアスターなども加え、聖書が対象とした世界と中国など記述されない世界とを同等に扱っている。 そして4冊目の『世界史試論』では、よもや普遍史的枠組みは創世紀元の使用とアダムからニムロドまでを記した部分 にしか見られない。しかもそれは、全861ページの大書の中でたった2ページが宛がわれたに止まり、それも「伝説的歴史」という扱いに過ぎない。同書の記載は、中国や日本、アラビアやインドなどアジア全域の歴史を含んだ、啓蒙主義的または社会史的評論が行われている。ガッテラー自身は敬虔なキリスト教徒であり、4冊目の著作でも少々残滓が見られるが、よもや普遍史を放棄せざるを得ないところまで来てしまっていたことを表す。彼は、キリスト教の内側から普遍史を自己否定する役目を担った人物となった。
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/48.html
トップページ>東アジア・東洋>東洋史学研究 『東洋史学研究』80, 2002.10 論文 李成九「漢武帝時期の皇帝儀礼:太一祀・明堂・封禅の二重性についての検討」 李錫炫「宋代隷属民の労働形態:家内労働を中心に」 呉金成「1607年の南昌教案と紳士」 崔韶子「中国から見た西洋:伝統時代を中心に」 兪長根「近代中国における国家権力と宗教」 朴敬石「南京国民政府救災行政の近代的変貌と民間義賑:救済水災委員会と民間義賑の関係を中心に」 南基鶴「中世日本の外交と戦争:モンゴルの日本侵略を素材に」 『東洋史学研究』79, 2002.7 論文 徐栄教「羅唐戦争と吐蕃」 金澔「唐前期皇帝侍奉機構殿中省」 李平来「『アルタン・ハーン法典』研究」 李銀子「義和団運動以後の山東、1901-1910:省当局の対民政策を中心に」 鄭址鎬「伝統中国合夥の債務負担に関する商事慣行:近代法律との衝突を中心に」 車雄煥「沈鈞儒と憲政問題」 『東洋史学研究』78, 2002.4 論文 朴俸住「郭店楚簡の君臣論とその楚国史的意味」 李承律「郭店楚簡『唐虞之道』の「尊賢」思想と先秦儒国の尚賢論」 崔徳卿「『斉民要術』の高麗豆普及と韓半島の農作法についての一考察」 李玠奭「郝和尚拔都(1204-1252)伝記資料の中の1240年代大蒙古国中央権力の残影」 河世鳳「模型の帝国:1935年台湾博覧会に表象されたアジア」 崔秉旭「19世紀中盤南部ベトナムの対外交易とベトナム商人層の成長」 『東洋史学研究』77, 2002.1 論文 金正烈「西周の異姓諸侯封建について:西周支配体制の一面」 崔宰栄「唐前期三府の政策とその性格:唐朝の京畿強化策と関連して」 鄭淳模「隋唐時期寺院統制と賜額」 鄭惠仲「山西票号の帳簿に表れた支店経営の特徴:1906年日昇昌山西票号支店帳簿の分析を中心に」 孫承会「1920年代河南治安行政の紊乱と「土匪世界」の形成」 朴薫「幕末水戸藩における封書の政治的登場とその役割:「討議政治」の形成と関連して」 『東洋史学研究』76, 2001.10 論文 尹在碩「秦代の物勒工名と漆器銘文」 李啓命「姚秦政権と漢化政策」 金裕哲「梁陳時代嶺南統治と種族問題:「俚」の性格を中心に」 丁載勲「ウイグル遊牧帝国(744-840)の崩壊と遊牧世界の再編」 金栄済「浮梁から橋梁へ:宋代江南の橋梁建設を景観変化の一面」 金誠賛「太平天国平均理念の展開とその近代的変貌:「天朝田畝制度」平均論の「資政新篇」に対する影響」 姜明喜「閻錫山政権時期金融通貨の改革と統制」 『東洋史学研究』75, 2001.7 論文 金慶浩「漢代河西地域豪族の形成とその性格」 鄭哲雄「清代湖北省西部と陜西省南部環境変化の比較研究」 金裕利「清末書院の学堂改編と近代学制の成立過程」 李丙仁「国民政府の労働政策と上海労働界」 姜抮亜「1930年代広東省の輸入米課税論争と南京政府」 『東洋史学研究』74, 2001.4 論文 方香淑「漢代の政策決定過程」 陸貞任「宋代養子の財産継承権」 朴元熇「明代中期の徽州商人方用彬:ハーバード燕京図書館所蔵の「方用彬書札」を通じて」 呉金成「明清時代河口鎮居民の存在様態」 李俊甲「清中・後期四川三費局の設立と運営:「慣行」の秩序から「章程」の秩序へ」 田炯権「清末民国期湖南の米穀市場と商品流通」 柳鏞泰「国民会議運動の新しい展開:革命武力と国民の結合」 先学回顧 金衡鍾「故閔斗基先生の学問的業績」 『東洋史学研究』73, 2001.1 論文 裵真永「西周前期燕国の成立と姫燕文化の形成」 李明和「春秋時代呉国の覇権に関する分析」 鄭炳俊「隋唐時代の廷杖と士人の反発」 李錫炫「宋代隷属民の成立と身分性格」 劉仁善「前近代ベトナム人の歴史認識:黎文体と呉士連を中心に」 宋堯厚「嘉慶期の邪教対策についての一考察:清茶門教の処理を中心に」 研究動向 朴秀哲「織豊政権の寺社支配について:研究動向と課題」 『東洋史学研究』72, 2000.10 論文 李成珪「漢武帝の西域遠征・封禅・黄河治水と禹・西王母神話」 金成奎「宋代東アジアにおける賓礼の成立とその性格」 徐仁範「明中期捐納制について:捐納額の地域差とその比重等を中心に」 李啓煌「織田信長政権末期天皇の政治的地位」 田寅甲「1930年代上海労働者社会と同郷・同業網:上海国民党政権の労働政策と関連して」 池賢婌「北平市の中学男女分校令(1935年)実施を通じて見た賢母良妻教育」 『東洋史学研究』71, 2000.7 論文 金宗變「唐・五代幕職官の任用方式と役割」 崔煕在「光緒初(1875-1885)の鴉片問題論議と禁烟運動」 元智研「1910・20年代日本内務官僚の社会認識形成過程」 文明基「中日戦争初期(1937-39)汪精衛派の和平運動と和平理論」 『東洋史学研究』70, 2000.4 論文 朴永哲「出土資料を通じて見た中世中国の死後世界と罪の観念」 曺永憲「明代塩運法の変化と揚州塩商:徽商と山陝商の力学関係の変化を中心に」 孫承会「河南紅槍会と地域社会:「会・匪世界」の成立と関連して」 金鉉球「百済の加耶進出に関する一考察」 朴昔順「日本古代国家における「化」の概念」 崔秉旭「19世紀前半(1823-1847)ベトナムの東南アジア官船貿易」 『東洋史学研究』69, 2000.1 論文 閔厚基「戦国秦の爵制研究:爵制における官僚制への移行を中心に」 金秉駿「漢代の節日と地方統治:伏日と臘日を中心に」 朴漢済「五胡赫連夏国の都城統萬城の選址とその構造:胡族国家の都城経営方式」 朴基水「清代仏山の手工業・商業発展と市鎮の拡大」 李永玉「アヘン戦争時期道光帝のアヘン政策」 金宗郁「フランス植民支配下のベトナム私的土地所有:河東省(Hà Ðông)米池社(Mễ Trì)の事例」 『東洋史学研究』68, 1999.10 論文 李俊甲「清中期四川嘓嚕の活動と地方治安:士・客共存と関連して」 林相範「陳独秀の国民国家論:新文化運動時期を中心に」 李在鈴「南京国民政府(1927-1937)の言論管理実態と言論界の対応」 丁載勲「ウイグル初期(744-755)「九姓回紇」の部族構成:「トクズ・オグズ(Toquz Oruz)」問題の再検討」 金浩東「ミールザー・ハイダル(Mîrzâ Haydar、1500-1551)と『ラシド史』(Târîkh-i rashîdî)」 함동주「戦後日本の歴史学と民族問題:占領期(1945-1952)を中心に」 『東洋史学研究』67, 1999.7 論文 李晟遠「古代中国の刑罰観念と肉刑:「非人化」観念を中心に」 裵京漢「上海・南京地域の初期(1911-1913)韓人亡命者と辛亥革命」 李丙仁「南京国民政府の上海商人団体統合とその性格:武昌起義・討袁運動への参与と孫文・革命派人士との交流を中心に」 鄭文祥「国共合作以前上海中国社会主義青年団の青年運動模索とその実相」 河世鳳「1910-30年代東アジア市場における大阪製品対東京製品」 『東洋史学研究』66, 1999.4 論文 沈載勲「商末周初山西省の勢力版図を通じて見た晋国封建の新しい理解」 林炳徳「秦・漢時期の城旦春と漢文帝の刑法改革」 池培善「皇甫真について」 양종국「北宋初の実力者晋王趙光義と帝位継承問題」 李瑾明「南宋時代福建一帯の海賊と地域社会」 車惠媛「清初考課制度の性格変化:巡按御史の廃止を前後して」 박선영「満州省委解体を通じて見た中共とコミンテルン」 『東洋史学研究』65, 1999.1 論文 権仁溶「明末清初徽州の丈量単位の啚正:里甲制との関連を中心に」 金誠賛「太平天国「天京」民間社会再編の実状と「百姓条例」」 曺秉漢「康有為の初期ユートピア観念と中西文化認識:近代改革イデオロギーの探索」 閔斗基「万宝山事件(1931)と韓国言論と対応:相異する民族主義的視角」 朴正絃「1930年代江南の地主-小作関係」 崔碩莞「日本政府の東アジア秩序再編政策と清日戦争」 『東洋史学研究』64, 1998.10 論文 曺永禄「近世東亜三国の伝統社会に関する比較史的考察:崔溥の『漂海録』と日訳『唐土行程記』を中心に」 김희교「「滅洋」から「反米」へ:民衆説話(narratives)から見た清末民衆社会Ⅰ」 구범진「ジェンクス(Jenks)の幣制改革案(1904)と清末の幣制問題」 林相範「5・4運動時期までの陳独秀の暮らしと思想:近代的個人観の出現」 姜京洛「1920-30年代農産物商品化と華北農村」 丁載勲「ウイグルの北庭地域進出とエディズ・ウイグル(Ediz Uyghurs、795-840)の成立」 『東洋史学研究』63, 1998.7 論文 李錫炫「宋代雇傭奴婢の登場と奴婢観の変化」 権仁溶「明末徽州の土地丈量と里甲制:祁門県「謝氏紛争」を中心に」 李銀子「1861-1863年山東西部八卦教反乱と地域社会」 金衡鍾「清末地方自治の成立と地方紳士層:江蘇省における自治準備過程」 朴羊信「明治中期「国民主義」の政治観と世界認識:陸羯南の政治思想」 河政植「1530年済州漂着琉球民送還の意義」 『東洋史学研究』62, 1998.4 論文 池培善「東晋と前燕の関係について:前燕慕容廆在位時を中心に」 李俊甲「明清時代四川社会の連続性に関する一考察:「屠蜀」から清中期まで土着人の活動と存在形態を中心に」 宋美玲「清代軍機処の確立過程(1726-1737)」 車瓊愛「1900年前後列強の対中国政策」 林相範「国民革命期共産党北京支部の連合戦線形成」 田寅甲「1920年代上海労働者社会と地縁網の機能:都市社会適応機制としての同郷帮口」 『東洋史学研究』61, 1998.1 論文 朴永哲「獬豸考:中国における神判の向方」 徐銀美「北宋前期東南茶専売の運営方式と茶の積滞問題」 朴志焄「南宋考宗代隆興和議と和戦論」 朴敬石「南京国民政府の税収政策と財政基盤の樹立:釐金・統稅政策を中心に」 李在碩「大化前代の大臣制」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140
https://w.atwiki.jp/f_go/pages/3165.html
最後のセリフ雷帝なの?お茶目なところもあるのか? - 名無しさん (2018-04-11 20 23 07) アポでちょっと出てきたあれだろうか - 名無しさん (2018-04-11 20 24 47) 雷帝が世界中から本を集めて保管してたんだけど、雷帝が死んだ時に忽然と姿を消した。っていう伝説がある - 名無しさん (2018-04-13 19 00 46) ググったら謎に包まれた世界の図書館10選とかあったわ - 名無しさん (2018-04-16 20 27 59) 考古学は石器とかの遺物の研究が主で、文献研究が主なのが普通の歴史学だから、この場合、考古学者はおかしくね? - 名無しさん (2018-04-24 19 00 40) おかしい。考古学の勘違いの最たるものだわな。 - 名無しさん (2018-05-16 19 30 03) 指摘したら修正されそうではある - 名無しさん (2018-06-01 05 32 33) 一応古来よりって事は歴史的価値のある本も含まれてると考えられるが… - 名無しさん (2018-08-22 04 44 45) 歴史に消えた図書館というwktk案件 - 名無しさん (2018-09-09 19 07 53) FGOQで朕のドロップが史実では失われた伝国璽だったけど、これも異聞帯なら現存していたという意味なのかも。 - 名無しさん (2019-07-01 14 21 57)
https://w.atwiki.jp/kyuukon/pages/23.html
【達成値14~】(シグナス/リコリス) ◆1ヶ月前後前に、オランのチャ・ザ司祭スアーマル師の養女となった美少女。 ブルーグリーンの瞳と、プラチナブロンドの髪をしているという。 見た目は15~18歳くらいだが、ハーフ・エルフではないか?という噂もある。 ◆ふだんはチャ・ザ神殿内で尼僧服に身を包み、スアーマル師の傍に仕えつつ、オランでの暮らしや「司祭の娘」として必要なことを学ぶ日々を送っているそうだ。 ただし、ほかの神殿関係者や信者と接することはかなり少ないらしい。 【達成値16~】(シグナス/リコリス) ◆彼女の元には連日、礼法や歴史学、文学といった「上流階級の子女が学ぶべき課程」の家庭教師が招かれているのだが、そこでの授業内容は、なぜか緘口令が敷かれているらしい。 そのため、神殿の一部では「実は相当に高貴な身分の子女なのではないか?」とか、「何らかの『政略結婚』を行うため、ひそかに育成していた養女の最後の仕上げにかかっているのではないか?」とかいった、ミステリアスな噂も飛び交っているようだ。