約 28,525 件
https://w.atwiki.jp/notsearch/pages/369.html
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 死を見なくても死ぬ。 死を見ても死ぬ。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 そして、その死の前には、お金は無効だし、恋愛も無効だし、それから社会的地位も無効だし、権力も無効だし、一切のものが無効であると。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんなに人間が頑張ったとしても、人生は僅か80年である。 この80年の人生を、既に私たちは20年・30年・40年とつぶしている。 残りの60年・50年・40年を、どう生きるか。 ネ、そして三悪趣に転生するのか、あるいは、人間・憤怒天・戯忘天といった高い世界へ転生し、楽を長い間にわたって享受するのか。これは、あなた方が選択する道だといえるでしょう。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 死の前には、財産も無効だし、権力も無効だし、あるいは、愛著しているもの全ても苦しみであると。 もちろん、この現実の生活、これよりもっと大切なもの、それは、「死を越える」ということがあります。つまり、人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなにこの世で大金持ちになろうとも、事業を成功させようともとも、愛し合おうとも、死という、その死の境目によって、苦しまなければならないという事実があります。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに大金持ちであっても、あるいはどんなに愛する人がそこにいたとしても、多くの人に賞賛される人であったとしても、必ず死にます。ところが私たちは、その死について、考えた事もないし、あるいは、それに対して対応する何らかの方法を実践もしない。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんなにお金があろうとも、どんなに夫婦関係が楽しかろうとも、どんなに子供が優秀であろうとも、どんなに権力を有していようとも、人は必ず死にます。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 そして死だけではなく、病、あるいは老い、これも避けることはできない。 この、避けることの出来ないものに対して、目をつむるのではなく、しっかりと見つめ、どのようにしたら、病を克服し、老いを克服し、死を克服できるのかと。それを説いているのが、真理なのです。 人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。 この日本仏教において生だけを見つめさせ、生において、つまり生きるっていうことにおいての幸福だけを説きます。しかし、この生きる期間はあまりにも短すぎる。そしてあまりにもはかなすぎる。 わたしたちのターゲットはこの世だけではなく死、死を境とした来生をしっかりと見つめ、それを超え、確信をもって輪廻転生したいものです。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんな権力を有している者でも、この世で、いかなる満足を味わったものでも、あるいは、多くの人に賞賛された人でも、愛する対象がいて、その愛する対象と戯れ、そして、別れたくないと考えたとしても、死は必ずやって来ます。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんなに大金持ちであっても、どんなに権力を有していても、どんなに周りから賞賛されていても、どんなに愛する対象といっしょに生活していたとしても、人は必ず死にます。そして、死を前にした場合、どんな大国の王でも、あるいは、多くのものを支配している者でも、あるいは、どんな大金持ちでも、その死に対しては、その権力やお金は一切無効です。 人は必ず死ぬものである。 私の周りにいるもの、全ては死ぬものである。 生命を持つもの全ては死ぬものである。 これは正しい。 よって私は、死の体験をする。 これから死の体験をする。 これから死の体験をする。 これから死の体験をする。 これから死の体験をする。 そして私は死の体験をするように努力しよう。 私は死の体験をするように精進しよう。 私は死の体験をするように勇猛に精進しよう。 この「死の体験」は、私の心を喜ばしてくれる。 この「死の体験」は、私の心を喜ばしてくれる。 なぜならば、人は必ず死ぬものであるから、その死ぬ前に、それを体験することは、私に、死の恐怖を取り除いてくれる。死の苦しみを取り除いてくれる。死のショックの苦しみを取り除いてくれる。よってこれは喜ばしいことである。大変、喜ばしいことである。 そして、死の恐怖を投げ捨てた、死のショックの苦痛を投げ捨てた、私の心と体は軽快になる。私の心と体は軽快になる。 この死の瞑想は、私の心と体を軽快にしてくれる。 この死の瞑想は、私の心と体を軽快にしてくれる。 私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。 私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。 私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。 これによって、この人間の世界、人生に、遠離(おんり)し、離貪(りとん)し、そして滅尽し、喜捨することができる。 そして私は、死の恐怖を投げ捨てよう。 死のショックからくる苦痛を投げ捨てよう。 この法をお説きになったシヴァ大神及び諸仏に感謝の意を表して オウム アー フーム ヴァジラ ナマ シヴァ ヤ ヴァジラ ナマ ブッダ ヤ ヴァジラ ナマ グル ヤ ヴァジラ ナマ サティアン ヤ ヴァジラ ナマ タントラヴァジラヤーナ ヤマ ニヤマ ヤ 私がなぜ皆さんに対して、「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに高い地位についていても、あるいはどんなに大金持ちであったとしても、あるいはどんなに愛するものがそこに存在していたとしても、それは無価値になるんだ」と言っているのは、「この現象界を正しく生きなさいよ」と。この現象界を正しく見つめなさいよ」と。そうすることによってのみ、私たちは、この世、そして来世というものを、正しく渡ることが出来るわけである。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 そして、本当の愛とは、本当の哀れみとは、衆生が流転するその流転において悪趣に堕ちる事を防ぐ事である。 もし、あなた方の周りに、「この人は絶対悪趣に堕ちる」という人が分かっていたとしたら、それは、力ずくでも救済しなさい。 それが本当の愛である。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんなに大金持ちであったとしても、あるいはどんなに権力があったとしても、どんなに高い地位についていたとしても、あるいはどんなに異性にモテたとしても、必ず人は死ぬ。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 同じように、たとえばいくら若くても、必ず年をとらなければならないし、あるいはここにいくら愛する人が存在していたとしても、それから別れる時の苦しみというものは、耐え難いものである。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 それと同じように、私たちには「老い」もあるし、あるいは「病」もあるし、あるいは「苦しい生存」--たとえば地獄や動物や低級霊域といった苦しい生存も存在しているんだということを認識すべきである。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 同じように、人は必ず老い、そして病む。 そして、もっとも重要な事は、人は生まれるという事だ。 ここで皆さんはこう考えるかもしれない。 「生まれるということは喜びだから、良いことではないか」と。 果たしてそうかな? つまり生まれるということは、その前に死んでいるんだという事。 そして、どこへ生まれるか分からないんだということ。 この二つの恐怖があると。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 そして、今生において、今為してることの結果は、既に、現れるのだということを、理解してほしい。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 老いについても同じだし、病についても同じである。 そして、死後、どこへでも分からない、風のかぜによって、私たちは押し流され、流転し続けなければならない。これをコントロールできるかどうか、それこそが第一であり、次にコントロールしたその世界で、頓着することなく、苦悩の破壊が出来るかどうか、これが第二である。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 その、死の避けられない問題の対して、どのようにアプローチするのか。確かに賢いものは、「今まで誰も、死後存在しない」と言い切った人がいるかもしれないが、経験した人はいない。ということで、「insurance」、つまり保険のつもりで、修行するだろう。賢くない人は、修行というものは、何を意味しているか理解できず、まだ、漠然とした「死」の感覚にとらわれながらも、今をいかに楽しむかということを奔走するがために、なかなか修行せず、そして「死」というものを境に苦しむ筈である。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 私たちは、愛著、迷妄、あるいは貪りといったといった要素の対象を、一切来世に持ち越すことは出来ない。ただ持ち越せるのは、そのとき残してきたものに対する愛著や、或いは貪りや、或いは迷妄といった心の要素だけである。そしてその心の要素は、私たちを低い世界へと転生させる。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 これは何を意味するか。これはハルマゲドンで死のうと、天命が終わり死のうと、死は死であると。よって、死の準備を早く行っておくことは、何よりも賢い、智慧ある者の態度であることを認識すべきである。 いいね。(弟子達:ハイ。) 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 そして、特に今の日本の自衛隊のように、全く力のない軍事力を有している国は、相手から攻められたとき、まず悲惨な状態になるであろう。そして、第二次世界大戦の二の舞と。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 その死をコントロールできるのは、真理の体現者と、そして、真理の体現、これを目指しているものたちだけである。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんなに逃げても死ぬ。そして現世の楽しみに現をぬかせばぬかすほど、苦しみは増大する。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 いくら権力を得たものも死ぬんだ。 高位高官に登ったものも死ぬんだ。 大金持ちになったものも死ぬ。 そして、真の聖者は、その「死」を乗り越え、克服する。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 いくら大金持ちであっても、あるいは多くの恋人をもったとしても、あるいはこの地球全体の権力を手中に収めたとしても、その「死」を避けることが出来ない。 しかし、人間は、生命というものが永遠であるろいう錯覚に陥り、そして、そのために、現世の選択を誤ってしまう。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 死の前には、いかなる喜びも無効だし、死の前には、いかなる物質も無効だし、死の前には、いかなる名誉・地位、そして異性との交わりも無効である。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 その「死」を知らない全ての衆生に哀れみの心を持ち、しっかりと、修行を続けていきたいと思う。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 死を前にして、恋愛が有効だろうか。 死を前にして、物質が有効であろうか。 死を前にして、お金持ちになることが有効であろうか。 死を前にして、権力を得ることが有効であろうか。 一切無効である。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 そして、真の勇者、真の智慧ある者のみが、その死にうち勝つことができると。 私がなぜ近頃、「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。」という言葉を言ってるかと言うと、あなた方の価値観を転倒させるために、あなた方の価値観を破壊させるために、「死」というものをもってくるしかないんだね。 だって、必ず人間は死ぬでしょ? どうだ? 永遠に生き続ける魂がありますか? もし、永遠に生き続けることができるなら、この世の財産、あるいはその他の、もろもろのこの世で肯定されているものというものっていうのは、あなた方に利益を与える。 しかしあなた方は必ず死ぬんだと。もし、その死というものを前提とするならば、その利益は、すべて、ちょうど、氷で出来たお城みたいなもんであると。ネ。 氷点下の時には、その氷は安定しているかのように見えると。しかし、それが5度・10度・20度--で100度になっちゃうと、もうその水分すら残らず全て蒸発してしまうと。これがあなた方の、この現世の全ての価値であると。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 無知なる者は、死を見ない。しかし死は存在している。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんなに大金持ちでも、あるいはどんなに異性にモテる男性や女性であったとしても、あるいはいくら愛し合ってる夫婦であったとしても、あるいはどんなに高い地位へ昇ったとしても、人は必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 死を見なくても死ぬ。 死を見ても死ぬ。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 この死を避けることは、たとえ天皇であろうとも、たとえ総理大臣であろうとも、あるいは三井や三菱の大富豪であろうとも、あるいは異性にモテモテのタレントであろうとも、誰も避ける事ができない。あるいは真面目に生きようとも不真面目に生きようとも、その「死」を避けることができない。 そして、その死に対して、多くの準備を行い、死を知り、経験し、確実な転生をする事こそ、私たちがこの短い70年・80年といった人生を、与えられた最高の生き方であると、私は考えます。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 そして、その死の前には、お金は無効だし、恋愛も無効だし、それから社会的地位も無効だし、権力も無効だし、一切のものが無効であると。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんなに人間が頑張ったとしても、人生は僅か80年である。 この、80年の人生を、既に私たちは20年・30年・40年とつぶしている。 残りの60年・50年・40年を、どう生きるか。 え? そして三悪趣に転生するのか、あるいは、人間・憤怒天・戯忘天といった高い世界へ転生し、楽を長い間にわたって享受するのか。これは、あなた方が選択する道だといえるでしょう。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 死の前には、財産も無効だし、権力も無効だし、あるいは、愛著しているもの全ても苦しみであると。 もちろん、この現実の生活、これよりもっと大切なもの、それは、「死を越える」ということがあります。つまり、人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなにこの世で大金持ちになろうとも、事業を成功させようともとも、愛し合おうとも、死という、その死の境目によって、苦しまなければならないという事実があります。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに大金持ちであっても、あるいはどんなに愛する者がそこにいたとしても、多くの人に賞賛される人であったとしても、必ず死にます。ところが私たちは、その死について、考えた事もないし、あるいは、それに対して対応する何らかの方法を実践もしない。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんなにお金があろうとも、どんなに夫婦関係が楽しかろうとも、どんなに子供が優秀であろうとも、どんなに権力を有していようとも、人は必ず死にます。 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 そして死だけではなく、病、あるいは老い、これも避けることはできない。 この、避けることの出来ないものに対して、目をつむるのではなく、しっかりと見つめ、どのようにしたら、病を克服し、老いを克服し、死を克服できるのかと。それを説いているのが、真理なのです。
https://w.atwiki.jp/c21coterie/pages/140.html
調印式シーン 書きかけ こうして、ガルドで歴史的といわれる軍事調印が行われ、悪魔軍のガルドにおける政権の承認が行われ悪魔軍は権力基盤を固めた。 警察官たちの深い苦悩 悪魔軍の支配地域では、政権交代に伴う混乱をほとんどの行政組織が乗り切ったのに対し、混乱していたのは警察や自警団だった。 問題となったのは悪魔軍による治安維持活動の要請だった。 民衆を監視し悪魔軍に対して批判的な活動を取り締まり、強制労働の徴発に人を出せというのだ。 これは、ガルドの警察には受け入れがたいことだった。 ガルドの警察は、平時において野盗や犯罪を取り締まり、戦時下においては軍隊崩れによる略奪や後方における騙し討ちなど卑怯なふるまいをした兵士を取り締まり、民衆を戦争の災禍から守るのが一般的な仕事だった。 ガルドの歴代権力者は文化的にも同一だったので、警察による治安維持活動もこれら民衆の敵だけを相手にすることで組織的独立を保持ししてきた経緯がある。 権力交代に伴う多少の粛清や上層部の入れ替えはあっても、その中立と仕事内容から警察組織そのものは存続しえたのである。 護民官としての長い伝統と誇りを持ってきた彼らに悪魔軍の命令は受け入れがたいことだった。 だが、反発するわけにもいかない。 悪魔軍からの見せしめをくうのは予測できることである。 警察と軍では武力が違う、真正面からぶつかれば相手にならない。 かといって悪魔軍に協力するわけにもいかなかった。 仮に悪魔軍に協力したとしよう。 もしハインリヒが負ければ、警官はそのまま悪魔軍の圧政の手先となってしまう。 逆にハインリヒが勝利し、領土を取り戻せば警察は悪魔軍の圧政を手助けたした罪で民衆から告発されるだろう。 警察では悪魔軍から次々とくる役人や左官クラスを相手に、もてなしをして時間を稼ぎつつも、意見の調整が合わず混乱を極めていた。 警察署内では誰それが突然姿を消したのは悪魔軍の無言の見せしめ、上司が突然降格されたのは悪魔軍に逆らったからだという流言飛語が飛び交っている。 その混乱の中、一人の警官が立ちあがる。 以下書きかけ VSギガンダム ハインリヒの同盟会議 C21同人小説 堀江伸一
https://w.atwiki.jp/detective-conan4869/pages/195.html
「烏丸蓮耶」とは名探偵コナン「集められた名探偵!工藤新一vs怪盗キッド」の登場人物で「黒の組織」の黒幕 【人物】本編から約半世紀前に謎の死を遂げた噂されている大富豪。享年99歳。江戸時代後期天保~明治生まれ。 長く伸びた髪と鷲鼻が特徴で、肥満体型で杖をついている。しかしシルエットでしか登場していないので素顔は不明である。カラスらしき鳥をペットとして飼っていたようで、イメージの中ではその鳥を左肩に乗せていた。 ちなみにトレードマークであるカラスは自身の紋章にもなっている。生前は鈴木財閥をも上回る世界屈指の大富豪。莫大な量の財産を所有する名の知れた大資産家で江戸時代日本最大財閥で日本で最も古くから続く烏丸家の2代目当主。自身の戦前は不明、戦後は日本復興に多大な功績を残すと共に巨財と絶対的な権力を築き上げ、国家を闇から牛耳り戦後の日本を裏から支配し、歴史を陰から操っていた戦後日本の黒幕として君臨していた「昭和の怪物」。その威光には歴代の首相さえ跪く。日本の財閥大企業「烏丸グループ」の総帥。筆頭株主で代表取締役会長でもあり、日本のみならず世界経済にも影響力を及ぼすほど。かつては日本の政界や都庁や経済界や法曹界や官公庁や金融機関・金融会社や医療機関・大病院や不動産業にも多大な影響を及ぼしており、都庁の東京都知事にも影響力がある。日本の裏社会を牛耳っていた裏社会の帝王。その影響力は死後半世紀経っているはずの現代でも日本の政財界や各業界や反社会的勢力、さらには海外の政財界や世界の裏社会に及ぶほど強大で、巨大な国際的犯罪組織・通称「黒の組織」を一代で築いた組織の絶対的権力者で、組織内ではボスとして構成員達から通称「あの方」と呼ばれており、黒の組織関連の影の力も健在。静岡県伊豆半島の伊東市の奥野ダムから2km以上離れた、長野県松本市の山奥の稲香村には母親から受け継いだ西洋館(別荘)「黄昏の館」を所有していた。この別荘にあるものは、扉、床、手すり、食器、チェスの駒からトランプにいたるまですべて彼の特注品であり、そのどれも烏丸家のカラスをあしらった家紋のような紋章が刻まれている。40年前に起こった考古学者監禁大量殺人事件も彼の権力で揉み消されている。
https://w.atwiki.jp/syumitowatch/pages/109.html
・ジャーナリストの有田芳生氏が、ツイッターで小沢問題について言及。 ---以下、引用--- 三井環さんが出所。あの異常な逮捕も検察権力の横暴の極み。いままた同じ雰囲気あり。 週刊朝日の山口一臣編集長と会話。テーマは検察権力の横暴。 真偽不明のリーク情報で操作される世論。政権時代をも破壊しようとの流れに抗しなければ。 しかしブログやツイッター世界では多くが検察に批判的。世論の二重構造が生まれている。 ---以上--- http //twitter.com/aritayoshifu/status/7894428380 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どこの平行世界の話? 人気ブログランキング(政治ブログランキング)における検察、小沢一郎支持状況http //members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/data_26.html#SHIZIhttp //members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/Shizi100119-1.JPG ブログランキング上位30位におけるポイントの割合 検察支持 84.6% 小沢支持 15.4% 圧倒的にブログ世論は圧倒的に検察支持ですが
https://w.atwiki.jp/df_another/pages/178.html
レナクト ヴァリーより南、中央に大きく存在する「レナクト海」の名でも知られる、水の都レナクト。海産業が盛んであり、レナクト海の運搬技術、船舶製作などが面に産業の特色として挙げられる。レナクト海には海賊が存在する。海賊といっても、自警団としての面と、本来の意味での海賊がおり、レナクト国は自警団としての意味合いが強く、レナクト海最大勢力の「グレイトアックス」と主に協力している。また、ヴァリー戦役に於いて、最初に戦乱に巻き込まれた国でもあり、輝きの夜の舞台となった国でもある為、神の特性として機運に恵まれていないのだろうと考えている学者も多い。現在の国王はレナクス。レナクスにはレニという妹がおり、彼女も神霊術を扱えるが、政治に適正や関心が無い為に、主にレナクスが権力の大部分を握っている。なお、こう記述したが、権力争いなどは特に起こっていない。役割分担である。 -- GOGH (2006-10-28 14 59 01) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/cro-chro/pages/1212.html
生没年:770~841(享年71歳)誕生日:人馬の月8日所在:アルフレーン教国・シュワイツェンクラス:神官系使用武器:神聖術肩書き/通称:東方教皇 ファラ教東方教会の最後の教皇。 東方教皇の権力はアルフレーン教国の教帝と二分していたが、徐々に東方教皇の権力が弱体化していた。そこで勢力の巻き返しを図るために兵力を集め始めた。 教帝スヴェン=グリューゲルは、この事態に警告を発したが、ペーテルは聞き入れなかった、そんな中、836年にブレーテンの戦いが起こり、宗教内乱に発展した。 内乱の間、ペーテルは本拠地であるシュワイツェンで指令を出していたが、840年には教帝軍にシュワイツェンに迫られ、リパニーの戦いで指揮官である司祭マッティーナが処刑されると、敗北を認めた。 そして、東方教会の大権を教帝スヴェン=グリューゲルに委譲した。 その後、シュワイツェンへの隠遁を決めるが、教皇権が教帝に移行した10日後に2人の侍従トランメジーノとカチェアと共に不審死を遂げた。 所有AF:
https://w.atwiki.jp/vavavavava2/pages/15.html
正式名称は《銀の王国》ウィルドネア。 その昔、今はウィルドネアと呼ばれる土地には無数の国家が存在した。 中でも力を持っていた王国が《金の王国》エルドア、ついで《銀の王国》ウィルドネアであった。 エルドアは戦力、文明共にウィルドネアのはるか先を行っていたがあるとき状況は一変する。 ウィルドネアの支配していた北島《星の墜ちた島》にて四つの特殊な生命が発見された。 のちに《神族》と呼ばれるその四つはウィルドネアの国王ジョンによって保護され、まもなくして四人の超自然的事象を引き起こす《無法》の存在を確認。 ジョンは当時の宰相にして呪術師だったヨシュアと結託し四人を神、《神族》として祭り上げ政治的権力を持たせた。 当初は《神族》の政治的権力も強くはなかったが、《無法》の存在を神の奇蹟と信じた民衆により《神族》は最終的に王を超える存在となった。 ウィルドネアは《神族》の政治により徐々に国力を蓄え、そしてエルドアを超える国力を手に入れ、エルドアへ攻撃を開始する。 数日にしてウィルドネアはエルドアの首都を陥落させ、エルドア王はダキムへ亡命。その後の所在はわかっていない。 エルドア侵略の勢いのまま北西地域以外をウィルドネアは征服。ジギー・ロケットマンら反ウィルドネア組織の抵抗などもありながら長い時間をかけて侵略を成功させた。 この快進撃のままウィルドネアはダキム、そしてミョウジョウにまで手を伸ばし、のちに百年戦争と呼ばれる戦争を引き起こした。 戦後は1の王と12の貴族による伝統的な政治が再開されるものの、貴族の権力は圧倒的に強くなっていく。 軍隊としては三国で最大の常備軍、騎士団をもち、現在ではおもに国内の治安維持にあてられている。戦時中、統率のとれた騎兵はウィルドネア最大の武器だったものの近年、徐々にその連携の精度が落ちつつある。 宗教面に関しては敬虔な一神教をしいていたものの、《神族》の登場。そしてそれを協会側が認めてしまったために宗教は瓦解。風習面は民衆の中にいくつか残ってはいるもののおおらかなものとなっており、現在では一部の貴族のみが信仰している。
https://w.atwiki.jp/jap0/pages/71.html
①中国の状況 隋(589~)→唐(618~):都は長安、法律は律令 ②飛鳥前半:蘇我氏&聖徳太子の時代 ・蘇我氏(豪族の一族) →仏教受け入れ→物部氏と対立 ・聖徳太子 →推古天皇の摂政に。蘇我氏と一緒に政治する →冠位十二階、十七条の憲法、遣隋使(小野妹子) ③飛鳥後半:天智天皇・天武天皇の時代 ・大化の改新:中大兄皇子・中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼす → 公地公民・班田収授法 ・白村江の戦い → 大宰府・防人をおく 天智天皇即位 ・壬申の乱:大海人皇子(弟)vs大友皇子(子) →天武天皇即位、律令国家めざす ・大宝律令 ①について →今後、日本が中国からいろんなことを学び、 それによって日本の体制がつくられていく。 だから中国のことを知っておく必要がある。 ②について 冠位十二階 →能力や地位に応じて位を12個にわける 十七条の憲法 →条文がよく出る 遣隋使 →「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」 →天子=天が政治を任せた相手=当時の皇帝の言い方。 →中国からすれば、天子=皇帝に日本が従っているという感覚 →それなのに日本は自分のことを「天子」と言っている →日本は、中国と対等であることを示した 法隆寺建立 →仏教を広めるため →寺はもともと仏教の開祖である釈迦の墓だった。釈迦の墓を大切にしようして、寺を建立しました ③について 白村江の戦い 1)高句麗が強大化 2)新羅が唐と手を組み、高句麗に対抗 3)高句麗を倒す前に、一番弱い百済を滅ぼそうとした→滅びた 4)百済は日本に助けてもらおうとした 【寺が出てくる理由】 ①聖徳太子のころは、本格的な支配というよりかは 仏教の考え方にしたがった(寺はもともと仏教の開祖である釈迦の墓だったのです。釈迦の墓を大切にしようして、寺を建立しました)。 ②時代を経ると、全国に仏教を広めるための道具として、寺を利用したのです。それが、7世紀中頃以降の話です。そうして、寺の権力が強くなったとさ。 ※大化の改新のときに、仏教を広めようとするために、古墳を作ることを禁止したルールを作った。 (理由) 理由は古墳と寺の役割が似ているからです。共通点は①墓だったこと②古墳は権力者の墓だったため、寺と共通性があったのです。 自分の広めたいものと役割が似ているものが存在すると、広めたいものが広めにくくなります。 そこで、古墳を作ることを中止にすることで、寺院の権力が高まったのです。 【神社が出てくる理由】 ①日本はもともとアニミズム信仰だったのです。 ②時代を経るにしたがってアニミズム信仰が拡大化した結果生まれたものが神社です。 飛鳥時代を一言でまとめるなら 「中国の制度を真似て、中央集権体制の確立を目指す時代」。 豪族たちが争っていて国がまとまらない… →天皇を中心に国をまとめたい=統一国家をつくりたい(→聖徳太子の基本方針) →中央集権的な国家を作る必要 →ちょうど栄えている中国からいろいろ学ぼう(→遣隋使) →中国の「律令」を真似しよう →中央にいる貴族の権力を高めるために、農民から税をとる仕組み →農民の負担が増し、不満が表れるのが奈良時代
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/3632.html
最近のお勧め記事 / 最近のお勧め記事【分類版】 / 世界を言葉で検索 ☆ 菅内閣総理大臣年頭記者会見 「首相官邸ホームページ」より 会見動画および質疑全文あり ■ 菅総理の年頭会見にオブジエクション! 「金杉文夫のリョーガン・マーケット(竜頷市場) 」より ・菅総理のこの発言ですが、実は元旦に公邸で開いた新年会の場で今回の発言に結びつくような“覚悟”を語っていたことも、昨日明らかになっています。それはこんな言葉です。 「今年の目標は権力を掌握することだ」と。 なにっ!? 権力を掌握するって、総理大臣よりも権力を持っている人間が他にいるのか? それよりも、今現在、菅さんは総理大臣としての権力を掌握していないのか? ■ 「菅首相年頭会見」とか。 「黄昏て“爺放談”」より ・「・・・・国民の皆さんにも痛みを分かち合っていただくことがとてもできません。」 「痛みを分かちあう」ってなんですか(`・ω・´) いや、「国民の皆さんにも」ってなんですかヽ(`Д´)ノ ■ 1月10日「国民の生活が第一のデモ 」(東京・乃木坂・都立青山公園出発)のお知らせ 「ライジング・サン(甦る日本)」より ・みなさんの中には菅直人の年頭演説及び記者会見の内容をご覧になられた方も多いと思うが、TVだけの内容では報道されていない部分もあるかと思いますので、岩上安身氏のツイートから主なものを転載する。 ・私はこのままいけば、本当に日本各地で国民の暴動や永田町を取り囲んだ巨大デモに発展する恐れがあるのではないかとも感じている。 ★ 菅首相「念頭には解散の『か』の字もない」 「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」より ★ 首相年頭会見―本気ならば応援しよう 「asahi.com」より ・まずは「その意気や良し」としておこう。今度こそ、ぶれず、ひるまず、掲げた目標をやり遂げてほしい。 ★ 【主張】首相年頭会見 言葉通り実行してみせよ 「msn.産経ニュース」より ・小沢氏が強制起訴された段階では、離党や議員辞職など出処進退の判断を促すとの見解も示した。問題を放置したままでは「国民に痛みを分かち合ってもらうことはできない」という認識は、極めて妥当といえる。 ■ 首相年頭会見 “菅さんにつける薬はなかった” 「田中龍作ジャーナル」より ・菅直人首相の年頭記者会見は、お屠蘇気分も吹き飛ぶほど質が悪くレベルの低い内容だった。話せば話すほどこの人物の認識のなさがさらけ出された。 ---------- ■ 質が悪くレベルの低い首相年頭会見 「来栖宥子★午後のアダージォ」より ・菅氏は、最後の足掻きをしているように見える。新年会では、一国の総理が僅か50人の訪問客しか得られなかった。事実上の決着はついてしまっている。それが分かっていながら、足掻かないではいられない。 ---------- ■ 菅総理の下品な年頭会見!!言葉が”神”であることを知ろうとしない、下賎ゆえか!! 「渡邉正次郎 NewsToday」より ・正月早々、筆者は菅伸子氏に「総理は言葉が粗雑すぎる。“言葉が神”です」とFAXした。 ---------- ■ ひどい仮免首相の年頭会見 「出版営業員ブログ」より ・北海道新聞の山下という記者の「小沢一郎の政倫審出席、さらに証人喚問を」促すような質問には、今さらながら、わたしの北海道新聞購読中止は正しかったと自画自賛(笑い)しました。 .
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1391.html
<目次> 主権(sovereignty) 統治権、国権 国民主権、人民主権、主権在民、君主主権 議会主権、議会における国王(女王) 国家主権、国家法人説、天皇機関説 憲法制定権力(制憲権) 社会契約説(social contract theory) 主権(sovereignty) しゅけん【主権】 日本語版ブリタニカ 元来、「至高性」を指す観念で、フランス国王が、①一方ではローマ皇帝および教皇に対し、②他方では封建領主に対し、独立最高の存在であることを示すものとして登場し、その後、近代国家の形成と発展の過程で、各種の政治的背景において、実に様々な意味合いで用いられることになるが、今日、実定法上も用いられる主権観念として重要と思われるのは、次の3つである。 (1) 国権ないし統治権自体の意味での主権「日本国の主権は、本州・・・に局限せらるべし」とするポツダム宣言8項がその例で、ここでは①国民および②国土を支配する権利、というほどの意味である。 (2) 国権の属性としての最高独立性の意味での主権日本国憲法前文第3段に、「自国の主権を維持し」とあるのが、その例である。 (3) 国家統治のあり方を終局的に決定しうる①権威ないし②力の意味での主権国民主権とか君主主権とかいわれる場合の主権観念がそれで、日本国憲法前文1段および1条にいう主権が、その例である。 しゅ-けん【主権】 広辞苑> ① その国家自身の意思によるほか、他国の支配に服さない統治権力。国家構成の要素で、最高・独立・絶対の権力。統治権。 ② 国家の政治のあり方を最終的に決める権利。 「国民-」 sovereignty 新英和 1. a 主権、統治権(dominion) b 君主[元首]であること 2. 主権国、独立国(sovereign state) 3. 《廃》a 非常に優れていること、優秀(excellent)b (薬の)特効 ※以下、英語圏の辞典/辞書の定義・説明 sovereignty BRIT In political theory, the ultimate authority ①in the decision-making process of the state and ②in the maintenance of order.In 16th-century France Jean Bodin used the concept of sovereignty to bolster the power of the king over his feudal loads, heralding the transition from Feudalism to Nationalism.By the end of the 18th century, the concept of the Social Contract led to the idea of popular sovereignty, or sovereignty of the people, through an organized government.①The Hague Conventions, ②the Geneva Conventions, and ③the United Nations all have restricted the actions of sovereign countries in the international area, as has International Law. (翻訳)政治理論において、①国家の意思決定プロセス、および、②秩序の維持、に関する究極の権威。16世紀フランスで、ジャン・ボーダンが、封建諸侯に優越する国王権力を補強するために、この概念を使用し、それは封建制から国民国家体制への変革を促した。18世紀の末までに、社会契約という概念が、組織された政府を通じた人民主権(popular sovereignty)ないし主権在民(sovereignty of the people)という観念を導き出した。①ハーグ会議、②ジュネーヴ会議、③国際連合、は全て、国際法が存在する国際分野において、主権国家の行動を制限するものである。 sovereignty ODE [mass noun] supreme power or authority ・the authority of a state to govern itself or another state [count noun] a self-governing state (翻訳) [物質名詞] 至高権ないし最高権威ある国家(state)が、自国または他の国家を統治する権威 [可算名詞] 自治国(独立国) sovereignty Collins ◆N-UNCOUNT Sovereignty is the power that a country has to govern ①itself or ②another country or state. (翻訳) 不可算名詞 ソブリンティーとは、あるcountry(地理的な意味での国家)が、①それ自身、あるいは、②他のcountry(地理的な意味での国家)やstate(政治的な意味での国家)、を統治する権能をいう。 統治権、国権 とうち-けん【統治権】 広辞苑 国家を統治する権力。国土・国民を支配する権利。主権。 とうちけん【統治権】 日本語版ブリタニカ ①最高の権威、または、②国家の主権、と同義または類似の概念であるが、国家・政府・独立・民主主義などと関連して政治学や国際法において最も論争の多い言葉である。日本では、統治権の概念は、明治憲法に使用されており、第4条によれば、天皇は統治権の総覧者であった。16世紀にフランスのJ.ボーダンは統治権を絶対的で非制約的な概念として捉えた。しかし、統治権の性格は、民主的な政府形態に伴い、次第に、①支配階級と②統治者に対する重要な制約を課するものへと変化を遂げ、また、一国の政府のためよりも、世界平和を目標に行使されるようになった。 こっ-けん【国権】 広辞苑 国家の権力。国家の支配・統治権。 こっ-けん【国権】 明鏡国語辞典 国家が国民を支配し統治する権力。国家権力。「-を発動する」 こっ-けん【国権】 研究社和英 sovereignty; a sovereign right; the right to rule; the authority[power] of the state; state power. 国民主権、人民主権、主権在民、君主主権 こくみんしゅけん【国民主権】popular sovereignty 日本語版ブリタニカ 主権は国民にある、とする憲法原理。国家の統治のあり方を究極的に決定する、①権威、ないし、②力、が国民にあるとし、国民主権と全く同じ意味で、人民主権ということもあるが、後者には限定された特殊な用法もある。君主主権に相対する。日本国憲法前文1段および1条は、国民主権に立脚することを明らかにしている。 もっとも、国民主権の具体的意味の理解については一様ではなく、大別して、 (1) 国民主権とは、国家の意志力を構成する最高の機関意思が国民にあることを意味し、それは憲法によって定まる、と解する説(※注:最高機関意思説)と、 (2) 国民が憲法の制定者であることを意味する、とする説(憲法制定権力説)とに分れる。基本的には、(2)後者の立場に立つ場合であっても、さらに、 (2)-a 主権者たる国民は、観念的統一体としての国民で、主権がそのような国民にある、ということを意味する、というように解する説(※注:ナシオン主権説)と、 (2)-b 主権の権力的契機を重視し、主権は個々の人民が分有し、人民自らがそれを行使するところに本質がある、とする人民主権説(※注:プープル主権説)とに分れる。 じんみん-しゅけん【人民主権】 広辞苑 主権が人民に帰属すること。また、その主権。国民主権。 じんみん-しゅけん【人民主権】 日本語版ブリタニカ ⇒国民主権(※注:国民主権の項目参照) しゅけん-ざいみん【主権在民】 広辞苑 主権が国民に存すること。明治憲法では主権が天皇にあったが(主権在君)、日本国憲法では国民にある。 くんしゅしゅけん【君主主権】 日本語版ブリタニカ 主権は君主にある、とする国家原理で、国家の統治のあり方を究極的に決定する、①権威、ないし、②力、が君主にあることを意味する。もとは君主のもつ権力の至高性・絶対性を意味した。人民主権(⇒国民主権)に相対する。絶対主義を支えた概念であり、いわゆる王権神授説や、旧憲法下での天皇制もその一つであった。 popular sovereignty ランダムハウス英和 1. 国民主権、人民主権、主権在民 2. 《米史》住民主権:南北戦争以前、Stephen A. Douglas などによって提唱された原則;准州の住民は、奴隷制度の採否に関して、連邦政府の干渉を受けず住民自身が決定するというもの[1848.米語] popular sovereignty ジーニアス英和 (1) 国民主権、主権在民; (2) 《米史》州権優越《南北戦争前の米国で特に奴隷州を維持するか否かについては、連邦政府の介入を認めず各州の内部問題であるとする主張;《米》squatter sovereignty ともいう》 ※以下、英語圏の辞典/辞書の定義・説明 popular sovereignty BRIT Political doctrine that allowed the settlers of U. S. federal territories to decide whether to enter the Union as free or slave states.It was applied by Sen. Stephen A. Douglas as a means to reach a compromise through passage of the Kansas-Nebraska Act.Critics of the doctrine called it "squatter sovereignty."The resulting violence between pro- and antislavery factions (see Bleeding Kansa) showed its failure as a workable compromise.See also Dred Scott Decision. (翻訳)自由州または奴隷州として連邦に加入する決定を、合衆国連邦領の入植者達が行なうことを許容する政治的ドクトリン。それはカンザス-ネブラスカ法可決のための妥協に到達する手段として、スチーブン・A・ダグラス上院議員によって提唱された。このドクトリンへの批判者は、「不法入植者主権」と呼んだ。奴隷制肯定派と反対派の間の暴力的結末(カンザス流血事件を見よ)は、このドクトリンが有効な妥協策として失敗だったことを示している。ドレッド・スコット判決も参照。 議会主権、議会における国王(女王) ぎかいしゅけん【議会主権】sovereignty of parliament 日本語版ブリタニカ 議会は法的には如何なる内容の法律も制定・改廃できる、という原理。18世紀のイギリスで確立された。イギリスは議会の行動を規制する根本規範としての成文憲法を持たないため、議会が制定した法律の効力を審査できる機関が存在しないことから、議会の権限の至上性が認められた。「男を女にし、女を男にする以外、何でもできる」という言葉は、議会主権のもつ意味を最も端的に捉えている。このような議会主権の考え方は、国民代表を前提とする議会制民主主義の定着とともに一般化され、国会における議会の最高機関性は、いずれの国でも憲法上謳われるに至っている。しかし、政治的にみた場合、民主主義のもとでは、主権は国民にあり、その点において議会主権も制約を受けるのは当然のことである。 キング・イン・パーリアメント King in parliament 日本語版ブリタニカ イギリス憲法上の用語で、立法権は国王に付与されていることを言い表わしている。現在は女王の統治下であるので、“Queen in parliament”という。 (1) イギリスには立法を担当するものとして、上・下両院から成る議会があるが、法的には議会は国王によって召集され、また停会や解散を命じられる。いわば、議会の活動は、国王の意思に左右されている。 (2) また、議会を通過した法律案も、国王の裁可なくしては法律とならない。 従って、国王は立法部の不可欠の構成要素となっている、といわなければならない。このことを、「議会における王」と表現する。 国家主権、国家法人説、天皇機関説 こっかしゅけん【国家主権】 日本語版ブリタニカ 国家が領域内においてもつ排他的支配権のことであって、単に主権ともいわれるものであるが、主権という用語が多義的であるのに伴って、この国家主権も種々に解される。 (1) 一つは、ある国家が他の国家の権力のもとになく、対外的に独立しているとき、すなわち、その国家が主権国家であるとき、その国家を主権国家足らしめる力、をいう場合である。 (2) 他は、対内的に国家の最高の力としての主権が、①君主にあるのでもなく、また、②国民にあるのでもなく、③国家そのものにある、とされるとき、それをいう場合である。これは、国家法人説にみることができる。なお、この国家法人説における国家主権は、独特の意味内容を持っている。すなわち、この学説は、①君主主権と、②人民主権、とを妥協させるため、主権の保持者は人格としての国家にある、と主張して、③国家主権という概念を創り出したからである。 こっか-ほうじん-せつ【国家法人説】 広辞苑 国家を統治権の主体たる公法人である、とする説。19世紀にドイツのアルブレヒト(W. E. Albrecht 1800-76)、ゲルバー(K. F. W. von Gerber 1823-91)らが首唱。日本では天皇機関説として有名。 こっかほうじんせつ【国家法人説】 日本語版ブリタニカ 国家理論の一つ。国家は単一の団体であって、法律関係の主体になる法人である、とする説。おもに、ドイツの外見的立憲君主制のもとで主張された。この説を代表するG. イェリネックは、 (1) 国家は法的には、①権利主体か、②権利客体か、あるいは、③権利関係か、のいずれかでなければならない、 (2) そして、そのうちでは、①権利主体とみるのが、唯一の正当な説であり、国家は法人格を有する、とみなし、 (3) 国家機関を通して団体意思を形成し、統治行動を行う、とした。 それは、 1 絶対君主の権力装置としての国家を否定し、 2 君主は国家に含まれる、とすることにより、君主と人民との対立を回避し、立憲君主制のイデオロギーとして機能した。特に日本では、天皇機関説として問題とされた。 てんのう-きかん-せつ【天皇機関説】 広辞苑 明治憲法の解釈として、 (1) 国家の統治権は天皇にある、とする説に対して、 (2) 統治権は法人である国家に属し、天皇はその最高機関である、とする学説。 一木喜徳郎、美濃部達吉らが唱えたが、1935年に国体明徴問題がおこり、国体に反する学説とされた。 てんのうきかんせつ【天皇機関説】 日本語版ブリタニカ 美濃部達吉によって主張された学説で、国家を統治権の主体とし、天皇は国家の一機関に過ぎない、とする明治憲法の解釈のこと。上杉慎吉らの天皇主権説に対して、大正デモクラシー以後、学界・政界で一時支配的な地位にあった。しかし、満州事変以後、軍部・官僚・右翼団体が、天皇機関説を国体に反する反逆思想である、として攻撃したため政治問題化した。これが、1935年のいわゆる国体明徴運動である。当時、貴族院議員であった美濃部は、議会で弁明を求められ、反論を明らかにしたが、衆議院議員江藤源九郎は彼を不敬罪で告発し、政府でも陸海軍大臣の圧力に押され、『憲法撮要』など美濃部の3著を発禁とした。こうして美濃部自身も貴族院議員を辞任し、天皇機関説は政治的に葬られた。 憲法制定権力(制憲権) けんぽうせいていけんりょく【憲法制定権力】pouvoir constituant;Die verfassungsgebende(※注:constituent power) 日本語版ブリタニカ 憲法を創出する権力であって、憲法はもちろん、如何なる実定法によっても拘束されない超法規的・実体的な根源的権力。既存の憲法を前提とし、それによって設けられるもの、とは区別される。 しかし、憲法制定の手続が実定法に拘束されるかどうかは、意見の分かれるところである。国民主権を建前とする近代国家における憲法制定権力は、国民自身である。この発想は、シェイエスの『第三身分とは何か』にみえ、国民を憲法制定権力の主体とする革命憲法制定の理論的主柱として、絶大な影響を及ぼした。20世紀になり、C. シュミットは、この観念を用い、①憲法改正手続のもつ合法性に、②国家形態を変更する主権者の正当性を対置した。 社会契約説(social contract theory) しゃかい-けいやくせつ【社会契約説】(cotract social フランス) 広辞苑 17~18世紀に西欧で有力であった政治・社会理論。国家の起源を自由で平等な個人相互の自発的な契約に求め、それによって政治権力の正統性を説明しようとする。ホッブズ・ロック・ルソーらの説。日本では中江兆民らが紹介。民約説。契約説。⇒自然状態、⇒社会有機体説 しゃかいけいやくせつ【社会契約説】social contract theory 日本語版ブリタニカ 個人間の契約によって政治社会が成立したとする政治学説。政治社会を自然的に成立したとみる考え方に対して、人為的につくられたとする点に特質がある。 1 契約説自体は社会を便宜的製作物とみなしてきたギリシアのソフィストの思想に萌芽的にみられ、中世の法学者によって支配-服従契約の名のもとに使用されたこともある。だがそこでは、秩序は自然的に実在しているという見方のもとに支配関係を解釈する原理にとどまっていた。 2 政治社会を構成する原理として積極的に提示されたのは、伝統的秩序が崩れ始めた17~18世紀においてである。社会契約説は近代自然主義の影響を受けて政治社会の成立を始原的な個体にまで分解して探求しようとした近代の「自然法」学と結合し、政治社会形成の根拠として援用されることになった。その際、自由・平等な個人を政治の主体とし、この主体が政治社会をつくりだすことを論証した。そして究極的には、抵抗権の裏打ちによって近代革命を指導する原理ともなったのである。もっとも、大陸自然法学においてはなお解釈の原理であったのに対し、イギリスの自然法論においては積極的な構成原理として展開された。 もとよりその説には論者によって差異があり、 (1) ホッブズは絶対主義を生むものとし、 (2) J.ロックにおいては委託の原理として近代の議会主義と権力の制限の理論的背景となった。 (3) さらにフランスでこの両者を継承したルソーの場合は、この説の背景にあった個人主義的色彩をとどめながら、同時に集団を重視する方向に大きな変化をみることになった。 その後社会契約説は19世紀に至って、歴史主義によって批判されるとともに事実や規範を峻別する批判哲学によって単なる仮説に過ぎないと批判されたが、J.ロールズやノージックの影響で1970年代以降再び脚光を浴びるようになった。 しゃかいけいやくろん【社会契約論】 Du contrat social, ou principes du droit politique 日本語版ブリタニカ フランスの哲学者J.-J.ルソーの著作。1758年書き始められ、61年完成し翌年出版されたルソーの政治論の主著である。著者は封建制度の隷属的人間関係を強く批判し、人間の基本的自由を指摘することから始めて、自由な人間が全員一致の約束によって形成する理想的な国家形態を主張した。この書は政治論であるが、このような政体によって初めて道徳は成り立ちうるとの倫理観と不可分であって、主権者である人民の国家への奉仕が強く求められており、そこから全体主義的解釈も生まれた。『社会契約論』はフランス革命に多大の影響を与えたが、日本では1882年中江兆民によって『民約訳解』として漢訳さえ(第2編第6章まで)、自由民権運動に大きな影響を及ぼした。 ※以下、英語圏の辞典/辞書の定義・説明 social contract BRIT Actual or hypothetical compact between the ruled and their rulers.The original inspiration for the notion may derive from the biblical covenant between God and Abraham, but it is most closely associated with the writtings of Thomas Hobbes, John Locke, and Jean-Jacques Rousseau. (1) Hobbes argued that the absokute power of the sovereign is justified by a hypothetical social contract in which the people agree to obey him in all matters in return for a guarantee of peace and security, which they lack in the warlike "state of nature" posited to exist before the contract is made. (2) Locke believed that rulers also were obliged to protect private property and the right to freedom of thought, speech, and worship. (3) Rousseau held that in the state of nature people are unwarlike but also undeveloped in reasoning and morality; in surrendeing their individual freedom, they acquire political libety and civil rights within a system of laws based on the "general will" of the governed. The idea of the social contract influenced the shapers of the American Revolution and the French Revolution and the Constitutions that followed them. (翻訳)治者(the ruler)と被治者(the ruled)の間の現実的あるいは仮想的な契約。 この観念の起源となる着想は、神とアブラハムとの間の聖書にある誓約から派生したものと思われる。しかし、それはトーマス・ホッブズ、ジョン・ロック、ジャン-ジャック・ルソーの著作と最も緊密に結びついている。 (1) ホッブズは、主権の絶対的権力は仮想的な社会契約によって正当化される、と論じた。そこでは人々は、契約が為される以前に存在すると措定されている“自然状態(state of nature)”の中では欠落している平和と安全の保証と引き換えに、主権者に全面的に服従することに合意する。 (2) ロックは、治者(the ruler)はまた私有財産と思想・言論・信仰の自由を保護する義務を負っていると信じていた。 (3) ルソーは、自然状態では人々は好戦的ではないが理性と道徳が未発達であり、個人的自由を放棄することによって彼らは被統治者(the governed)の“一般意思(general will)”に基づく法制度の中で政治的自由と市民的権利を獲得する、と考えた。 社会契約の理念は、アメリカ革命やフランス革命の担い手達、そしてそれらに続いた成文憲法の作成者達に影響を与えた。 social contract (also social compact) ODE an implicit agreement among the members of a society to cooperate for social benefits, for example by sacrificing some individual freedom for state protection.Theories of a social contract became popular in the 16th, 17th, and 18th centuries among theorists such as Thomas Hobbes, John Locke, and Jean-Jacques Rousseau, as a mean of explaining the origin of government and the obligations of subjects (翻訳)例えば、国家を守るために幾つかの個人的な自由を犠牲にすることによって、社会の諸便益のために協同する、ある社会の構成員の間の暗黙の契約のこと。社会契約の理論は、トーマス・ホッブズやジョン・ロックやジャン-ジャック・ルソーといった理論家達の間で、①政府の起源と、②被服従者の義務を説明する方法として有名になった。 ※BRIT(Britannica Concise Encyclopedia)、ODE(Oxford Dictionary of English)、Collins(Collins Cobuild Advanced Dictionary of English)