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見てほしい六道輪廻 鳳双刀 六道輪廻 輪廻はねぇ、観賞用って聞いたのぉ!だからぁ……見て見てぇ♪ (プレイヤー) うわっ、どうしたの輪廻ちゃん?この距離だと逆に見難いんだけど (プレイヤー) そもそも、なんで僕が輪廻ちゃんを見る話に? 鳳双刀 六道輪廻 この前、狐が言ってたのぉ、聞いたのぉ!狐がぁ、輪廻は観賞用ってぇ、言ってたのぉ! 鳳双刀 六道輪廻 だから見て欲しいのぉ、輪廻は観賞用なのぉ、見て、見てぇ♪ (プレイヤー) いつもの僕じゃない僕の発言だけど、直接言われると結構心に来る物があるなぁ…… 鳳双刀 六道輪廻 輪廻、殺すの好きだけどぉ、殺す以外の事もぉ。たくさん好きになったのぉ! 鳳双刀 六道輪廻 狐とかぁ、狐以外の狐とかぁ、狐じゃないのとかがねぇ、たくさん!教えてくれるのぉ! (プレイヤー) うっ、なおさら心に来る物が…… 鳳双刀 六道輪廻 だからぁ、狐達が困ったらぁ、輪廻……もっとねぇ、本気を出してやるんだぁ♪ 鳳双刀 六道輪廻 だからぁ、今の輪廻は観賞なのぉ、狐、もっと輪廻を観賞してぇ、してしてぇ♪ 次へ 一覧に戻る
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古椿の精-人を惑わす怪木- 基本情報 フレーバーテキスト 未進化 + ++ 最終 セリフ集 参加イベント 参加ログインストーリー エキストラコンテンツ 基本情報 古椿の精 古椿の精+ 古椿の精++ [狂惑]古椿の精 能力値 能力値 能力値 能力値 スキル 誘引の声 関連家臣 [一緒に扱わないで] 人面樹 フレーバーテキスト 未進化 老いた椿の木に宿る精霊。若く女の姿を装い人をたぶらかすことがあると言われている。ある行商人が道中ふと気づくと女が横を歩いており、話しかけると耳元で囁きその者の命を奪った。横道で毒々しく咲いている椿の木から現れたとも言われている「貴方がほしいわ、貴方の養分がね......」 + ある者は夜深くに寺社の近くで悲しげな泣き声聞いたという。翌日その寺社で不幸があり、境内には椿の花がはかなげに落ちていた。以降もその寺社では声のする度に凶事があり、椿の花が落ちている事から兆候を告げる「夜泣き椿」とも言われ恐れられていた「貴方の命捧げて下さる?苦しくはないのよ」 ++ 老いた椿の木に宿る古椿の精は火の玉に化けることもあるという。火の玉は彷徨い、やがて養分としての命を求め対象へと近づくのであった。その火の玉を見てしまった者は体が硬直し、逃げることは許されない「逃がさないわよ、その養分は私のもの」 最終 椿の花の落ちる様子は人の死を連想させることから、落ちる椿の花は従来不吉なものとされている。その由来の通り古椿の精は若い女の姿を装い、自らの花の中に対象者を取り込む。その花が散った時、その者の吸収が完全に完了となるのであった「貴方は私の中でずっと生きるの。抵抗しては駄目よ」 セリフ集 マイページ(未進化) この飢えを満たせるのは誰かしら威勢のいい子は嫌いじゃないわ(プレイヤー)さえよければいつでも捧げていいのよお腹が空いたわね マイページ(中途進化) マイページ(最終進化) この飢えを満たせるのは(プレイヤー)だけかしら養分以外のものを探さないといけないわね威勢のいい子は嫌いじゃないわ(プレイヤー)は満たして下さる?自分で動いて目的のものを得ないと駄目ね待っていても何もやってこないわ欲しいものはなんとしても手に入れるの(プレイヤー)はどうやって養分を手に入れてるの?もしかして(プレイヤー)が私の養分かしら私は(プレイヤー)の養分になれるかしら バトル開始 進軍時 じっとしてなさい。すぐ終わるわ大人しく出来ないなら知らないわよ私に抵抗するの?元気ね後が怖くないのかしら? 参加イベント 三狐争乱-巨兵撃退- 参加ログインストーリー [[]] エキストラコンテンツ +...
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《横暴なる輪廻の独裁》 横暴なる輪廻の独裁 R 水/闇/自然文明 (8) 呪文 ■マナゾーンに置く時、このカードはタップして置く。 ■このターンの終わりまで、自分のアートマンの「リンネ」能力によって山札のクリーチャーを選ぶ時、好きなコストのクリーチャーを選んでもよい。 フレーバー:「横暴?違う、貴様等の貧弱なチカラを有効に使ってやってるのだ!」---独裁の輪廻アーディーシャ 作成者:エウブレウス コメント:「リンネ」能力のコスト規制を発動ターンのみ無効化する呪文。フレーバー通り「小さな能力」が有効活用され「巨大なクリーチャー」に化ける様は見ていて壮観の極みでしょうね。フレーバーにも出てきた《独裁の輪廻アーディーシャ》と併用すれば、「リンネ」を持たないアートマンにも効果を適用することができる。 収録セット DMO-27 「輪廻編 第3弾 神力超越(ゴッド・オーバー)」 参考 [[]]
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仏教において迷いあるものが輪廻する6種類の迷いある世界。 輪廻は空間的事象、死後に趣く世界ではない。 心の状態として捉えられ、天道界に趣けば心の状態が天道のような状態、地獄界に趣けば心の状態が地獄のような状態であるとされる。 一部には、天狗などこの輪廻の道から外れたものを俗に外道(魔縁)という。こともあるが仏教全体の共通概念ではない。 六つの世界のうち地獄・餓鬼・畜生を三悪趣(三悪道、三悪、三途)と呼び、 これに対し修羅・人間・天道までを三善趣と呼ぶ。 四悪、五趣などごちゃっとしているがその辺は仏教地獄にて。 初期仏教では修羅は天部に含まれており、地獄・餓鬼・畜生・人間・天道のみで五趣としていた。 ということで五趣の方が六道より古い。 大乗仏教になってから天部から修羅が派生して六道となった。 なんかまとめて五趣六道と呼ぶ。 天道 天人が住まう世界。 天人は人間よりも優れた存在とされている。 寿命はめっちゃ長く、苦しみも人間道に比べてほとんどない。 また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごせる。 しかし煩悩から解き放たれていない上に仏教に出会うこともないので解脱(悟ること)も出来ない。 天人が死を迎えるときは5つの変化が現れ、これを五衰(天人五衰)と呼ぶ。 体が垢に塗れて悪臭を放ちはじめ、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなって頭の上の花が萎む。 人間道 人間が住まう世界。 四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもある。 また、唯一自力で仏教に出会える世界。解脱し仏になることもできるという救いもある。 修羅道 阿修羅の住まう世界。 修羅は終始戦い争う。 苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく苦しみは自らに帰結する。 畜生道 牛馬など畜生の住まう世界。 ほとんど本能ばかりで生きている。 使役されなされるがままという点から、自力で仏の教えを得ることの出来ない状態の為救いの少ない世界。 餓鬼道 餓鬼の住まう世界。 餓鬼は腹が膨れた姿の鬼。 食べ物を口に入れようとすると火となり餓えと渇きに悩まされる。 他人を慮らなかったせいで餓鬼になった例がある。 旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。 地獄道 罪を償わせるための世界。 詳細は仏教地獄へ。
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現代に至るまでインド人の人生観に強い影響を及ぼしている「輪廻」と「業」 の思想も、王族の者によって婆羅門に伝授されるという形式で、ウパニシャッドにはじめてあらわれる。 プラヴァーハナ・シャイヴァリ王が、ウッダーラカに教える「ニ道五火説」がそれである。 輪廻の思想がふくまれるのは、「神の道」と「祖霊の道」の区別を説明するニ道説の部分である。 ニ道説によると、死んで火葬された者は、定めに従って、光の道か闇の道を経て月に至る。 光の道を行った者は、月からさらに不死の世界におもむくが、 闇の道を行った者は、雨となって再び地上へもどってくる。 前者が「神の道」とよばれ、後者が「祖霊の道」で輪廻説の原型をなすのである。 この輪廻説には、水を世界の原質とする考え方がうかがわれる。 水は雨として地上に降り、植物に吸収されて養分となり、 それを食べた人間の精子となり、母胎にはいって人間として生まれる。 人間は死ぬと前述の家庭で月におもむく。 月は水をたたえておく容器で、水が充満すると雨として降らせるので欠ける。 この考え方は、その起源が婆羅門思想圏以外にあったのかもしれない。 しかしそれが婆羅門の伝統のなかへ摂取されたとき、素朴な表象は次第に消えて、 アートマンの哲学と結びついていくのである。 『リグ・ヴェーダ』では、人は死ぬと最初の死者ヤマのいる天上の楽土に行くと 考えられていた。 そこは緑影深く、清らかな泉が湧き、光明に満ちた世界であり、 死者はそこで神々や祖霊たちとともに歓楽する。しかしこの天上界でも 再び死ぬのではないかという危惧がやがて芽生え、 「再死」を克服する方法が考えられた。それを説明するのが、 ブラーフマナの祭式解釈学であった。 他方、個体における不死の探求がおこり、アートマンが考察の中心的な位置を占めるようになった。 水の表象に結びついていた素朴な「輪廻」説は、不死のアートマンの思想と結合する。 人が死ぬと、その肉体は自然現象のなかに解消するが、 不死のアートマンはそこから出ていって、 あたかも草の葉の先端に達した青虫が次の葉に移るように、次の身体に移っていく とヤージニャヴァルキヤは説明している。 輪廻の説に密接に関係しているのが、 人間は自らなした行為の善悪に応じて、その果報をうけるという「業」の思想である。 業(カルマ)=行為の余カ-輪廻をひきおこす力 この思想も、素行の悪い者は犬か豚になるという、素朴な民間信仰であったのかもしれない。 しかし、ヤージニャヴァルキヤの哲学において、それはアートマン論と結合される。 アートマンは、人の行為に従ってそれに応じたものとなる。 善行の者は善人となり、悪行の者は悪人となる。 そしてアートマンが体から出て行くとき、彼の「業」はそのあとに市が立っていくと説かれる。 「輪廻」の説も「業」の思想も、ウパニシャッドのなかではまだ十分成熟したとはいえない。 しかし後代の哲学書はの学説の基盤は、ここに確立されたのである。 ウパニシャッド等置・同一化への道 ブラフマンとアートマン(梵我一如) ヤージニャヴァルキアの哲学 ウッダーラカの「有」の哲学 輪廻と業 王族(クシヤトリヤ)が説く哲学
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《廻転する輪廻の水滴》 廻転する輪廻の水滴 C 水文明 (5) 呪文 ■バトルゾーンにあるクリーチャーを1体選び、持ち主の手札に戻す。 ■リンネ2-この呪文を唱えた時、バトルゾーンにある自分のアートマンを1体選び、破壊してもよい。そうした場合、自分の山札を見る。その中からコスト2のクリーチャーを1体選び、タップしてバトルゾーンに出す。その後、山札をシャッフルする。 フレーバー:たった一滴の水の粒から、無限の輪廻が始まった。 作成者:エウブレウス コメント:「リンネ」を持つ呪文。呪文であるがゆえの速攻性の高さはあるが、呼べるクリーチャーが小さい。さらに、場にクリーチャーがいないと唱えることすら出来ず、「リンネ」が使えなければ《スパイラル・チャージャー》の完全下位互換となる。この呪文の「リンネ」を使用するには、この呪文のバウンス効果を解決した後で、「チャージャー」などと同じタイミングで自分のアートマンを1体破壊します。フレーバーは、この呪文の「リンネ」で《輪廻の俄か雨ユディアーリ》やDMO-28の《水滴の輪廻ネプトゥヌ》を呼ぶ事を意識して作りました。 収録セット DMO-27 「輪廻編 第3弾 神力超越(ゴッド・オーバー)」 参考 [[]]
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DMO-28 「輪廻編 第4弾 天元解脱(マスター・ワールド)」 HC(ヒーローズ・カード)は10種。 新能力「回帰??」登場。 ストーリー 新しい登場人物 《》?? 《》?? 《》?? 《》?? 収録カード スーパーレア全5種 《神滅大河エクスキュード・ソドム》 《奇跡の輪廻ヘリオス》 《梵-〔終わりし世界の彼方に住む竜〕》 《真龍神ボルヴァクト~天空~》(シークレットHC:勇気) 《梵-〔時〕》 ベリーレア全5種 《ビクトリー・ゲート》 《大蛇之神ウロボロ》 《エノシクトン・ザ・クエイカー》 《聖霊龍騎ギガル》 《諸行無常なる鎧亜の対価》 レア全15種 《白雷神シルヴァ》 《エンジェル・ウィング》(HC:希) 《水晶と記憶の城壁》 《底神ワープ》 《逆之永久》 《暗神シャドウ》 《魔爵獣敗ヴァンデッド・イビル》(HC:) 《星龍の伝説》 《悲哀と破壊の恋歌》 《聖霊龍騎ブレイヴォルター》(HC:勇気) 《奇跡と終焉の印》 《怠惰と快活の試練》 《輪廻の喰獣樹グラトニア》 《極選城アンビバレンス》 《星龍アメイジング・アース》 アンコモン全15種 《悪魔聖霊デスティーノ》 《回想と追憶の壁》 《逆光の輪廻プラズマティ》 《湖底の輪廻レクラリア》 《アクア・アマテラス》 《優美早葬》 《大いなる鎧亜の大地》 《孤独の輪廻ロークシャリー》 《刈り取る者ボーン・チョーカー》 《暴擲の輪廻トムシービャ》 《輪廻の火焔タイガラシャン》 《スーパー炎獄フレーム》 《昏恵の輪廻ガネイジュ》 《ドッキリ・マジック》 《賢樹龍聖サンクチュア》(HC:光莉)修整案あり コモン全20種 《細光の輪廻クルタカン》 《猛菌護聖アゾリウス》 《悪魔聖霊オルゾフ》 《智聖輪廻テリジェラクゥ》 《水滴の輪廻ネプトゥヌ》 《腐敗猛菌ディミーア》 《爆裂大河イゼット》 《魅智輪廻モーリョガ》 《黒点の輪廻ヘリオクテー》 《腐敗剣兵ラクドス》 《大地悪魔ゴルガリ》 《烈魅輪廻ヴィオレーバ》 《灯火の輪廻ルーカナーラ》 《剛勇剣兵グルール》 《爆裂聖霊ボロス》 《恵烈輪廻サトゥルネーラ》 《萌芽の輪廻バブーシャ》 《剛勇護聖セレズニア》 《大地大河シミック》 《恵聖輪廻ティアムトラ》 参考 輪廻編?? エキスパンションリスト
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wheel_L.jpg 問い 転生(再生誕)スレ1 7 :*神も仏も名無しさん mailto sage *:2008/11/08(土) 12 04 52 ID 4c9cUuc/ 日本語の使用法の問題になるが、「転生」、「再生」、「後生」、「後有」、「次の生」、 は同じ意味、同じことを言っていると考えてもいいのだろうか? 特に、スレタイに用いられている「転生」という語は、その一般的語義・印象として、 仏教内で用いるのにふさわしいのだろうか?(チベット密教系は一先ず措く) 個人的には、『仮に、仏教がその教義内に「来世」を想定していた(採りいれていた)としても』 それは「転生」ではないのではないか、と思ったりしている。 転生(再生誕)スレ1 8 :*5*:2008/11/08(土) 12 23 23 ID HD5yxLNL まず、この輪廻転生がどのようなものであるのか、というところから論じて いく必要があるとおもいますが、この思想は 「死後の存在を肯定し、死後においても現在の自己となんらかの関連性を もつ存在を認める。転生、いわゆる、生まれ変わり信じ、現世での行いが 来世へ影響をおよぼす。(業、カルマ)」 一般的な概念としては、このようなもので良いと思われます。 このような思想がいつごろ成立したかと言いますと、釈迦以前にインドの 土着思想として広く信じられていました。この思想は初めはアーリヤ文化 の担い手であるバラモン階層にあったものではなく、土着思想を非アーリヤ 民族の王族階層が取り入れ、それをバラモン教が吸収していき、(五火説、 二道説)教義としていったようです。(ウパニシャッド) そして、そのような中で釈迦が生まれ、仏教をきづいていくわけですが、 まず認識しておかなければいけないのは、釈迦の在世当時のインドでは この輪廻転生思想は常識、当たり前のこと、これを否定すれば会話のなり たたない異常者とみなされてしまうくらい普遍的な思想だったということで す。 転生(再生誕)スレ1 100 :神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 09 55 42 ID qeS8aKHX いままでの議論を私なりにまとめてみます。 まずもって 「(業報)輪廻思想は原始仏典において確実に前提とされていますよ。 だれもそれを否定していない」 だそうです。()をつけたのは解釈が異なるためで、これはデンパさんと思われる人の説。 さすがに原始仏典に「輪廻」の語は無いという人はいない。 次に仏教において「輪廻」は苦であり、厭うべきもの解脱すべきものとされ その意味では「否定的」に見られても「肯定的」に見られることは無い。 これも共通認識。 まして、「輪廻」が「真理」であり「事実」であると主張する人もいない。 しかし、なにを勘違いしてか「検証」「実証」と叫ぶ輩も後を絶たない。 問題は「輪廻」という語の解釈です。 次に「輪廻」の解釈をめぐって ①業報輪廻・・・今日行ったわるいことは、明日かそれ以降に報いがある。 人間存在とはそのように業の積み重ねによって苦しむ性質のものである。 *ここで順後次受が説かれていない点がミソ ②輪廻転生・・・・ 業報を死後の生まれ変わりに求める。 (282 神も仏も名無しさん [sage] Date 2007/10/31(水) 14 03 21 ID K2u3Mk10) この二つに分ける説(デンパさんたち)と、分けない説(私もそう)があります。 前者において ①業報輪廻は「生死」とも読みかえておられます。 「生死とは生老病死の四苦をまとめていったことであって、 生まれ変わり死に変わりではありません」デンパ説? しかし、そのように「生死」を限定する典拠は未だ提示されていません。 更に②を「生死輪廻」「生死流転」と読み変える人もいます。 この場合の「生死」は上記の「生死」とは異なるようです。 転生(再生誕)スレ1 101 :神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 09 58 44 ID qeS8aKHX そして、この二つを分ける典拠、原典の提示を求めると 日本の学者がそのように区別していることをあげ、終には 「根拠は必要ありませんね。 輪廻は経典や論書に現れる言葉、輪廻転生は表れない だから、この両者は違うものとして取り扱わなければならない。 よく理解できませんが・・・、結局「根拠」はないようです。 その一方でデンパさん?は(A)「仏典には生死輪廻はあっても、輪廻転生はありません」 と 断言しています。生死輪廻がいわゆる輪廻転生なんですが・・・ どうやら、仏典で説かれる「輪廻」は①のみで②では無いという主張のようです。 また②を否定する理由として、 ブッタは「形而上」を取り扱わなかったことをあげていますが、扱ったか否かで論争中です。 その一方で(B)「輪廻転生を主張することに対する批判ですよ。 同じく、輪廻転生は無いと主張するひとも批判しますがね。」 との主張もあり同一人物なのかどうか? あきらかに矛盾してます。 転生(再生誕)スレ1 102 :神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 09 59 09 ID qeS8aKHX また 「私の言う前提とは「執着を否定するために採用された輪廻思想」と言う意味です。 つまり、当時の宿命論的な業報輪廻について(の執着を)否定するために前提として採用され、 否定されたということです」 ともデンパさんは述べます。 「宿命論的な業報輪廻」とは「前世においてこういうことをしたから、今の状態がある」とい うことでしょう。 するとそれは「彼らの意味するところの②輪廻転生」ということになり(A)と矛盾します。 結局「輪廻への執着を否定する」とは「解脱」「厭離」と意味するところは 同じであり「輪廻」がどのようなものであれ「関知しない」彼らの用語で 「捨て置く」ということのようです。 つまり「毒矢の喩え」あるいは「如来の後有」を 「衆生一般の後有」と解し、「無記」であるという主張です (後者の理由が正しくないことはすでに述べられています)。 否定されるべきものは「執着」ということでしょうか。 結論としていわゆる輪廻否定派「輪廻」の定義にぶれが見られるうえ、 ①と②に分け②を否定したり否定しなかったりと、 各者に違いが見られますが、 「毒矢の喩え」の態度は私も大いに肯うところです。 ただ 「毒矢の喩え」を「輪廻」に適応すれば 「輪廻の有無」ではなく「輪廻のプロセス」が捨て置かれるべき ものとも解釈できますが・・・ 虚空は存在する しかしその辺際は問わない・・・のように。 転生(再生誕)スレ1 105 :神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 10 41 27 ID VwGgTiZl 100-102 よくまとめていただきました。 有難う御座います。 >ブッタは「形而上」を取り扱わなかったことをあげていますが、扱ったか否かで論争中です。 以前にも申し上げましたが、 そもそも「形而上」「形而下」という概念がインド哲学、仏教にはない。 ゆえに、「仏陀は「形而上」の問題を取り扱わなかった」という主張は成り立たない。 もし、「形而上の問題を扱わなかったと仮定する」と解脱や涅槃、菩提は形而上の問題ではないのか? 形而上の問題ではなければ、輪廻の場合と同じようにそれらを実証しなければならない。 しかし、輪廻を否定するものも、それらが有ると無批判に主張する。 答え 転生(再生誕)スレ1 10 :*神も仏も名無しさん*:2008/11/08(土) 12 56 46 ID x1EPflHm まず認識しておかなければいけないのは、釈迦の在世当時のインドでは この輪廻転生思想は常識、当たり前のこと、 はい、わたしもそのような理解にあります。 しかし、これについてさえも全く異なる見解もあるということを知り、 とても驚かされています。 「仏教、ジャイナ教などで見られるような輪廻転生の概念はVeda聖典の時代でなかったのです。 (Orthodox)正統派(主流)のVeda伝統(Brahmanic or Vedic traditionと言います。)と違った (hetorodox)異統派の宗教思想のなかでのみ輪廻の思考が見えます。 仏典でも、Jaina聖典でも ごく当たり前の思想として輪廻のことが語られています。 仏典では六師外道だと名付けられている六人の中に三人が、輪廻・業の思想に自分の解釈をし ています。ですから輪廻の話は正統派のVeda伝統の課題ではなく異統派の宗教家の課題です。」 「文献の設立年代から考えて見ると仏教思想の後になるのです。とにかくバラモン人が輪廻転 生を信じていたと釈迦尊が知らなかったのです。バラモン教に驚くほど詳しい釈迦尊が知らなかった ということは何を意味しますか?当時ではバラモン人の思想の中で輪廻転生なんかは発展してい なかったということです。」 (輪廻の解釈について/輪廻の理念-日本テーラワーダ仏教協会) http //www.j-theravada.net/qa/qahp22.html 根拠 反論 名前 コメント