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江崎孝氏による転写物 http //blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/9c9d509c28d9face63237e388e44e681 チェック用 週刊新潮記事お持ちの方は、誤記指摘意見、書き込んでください 『週刊新潮』 2009年7月16日号 日本ルネッサンス・拡大版 第370回 「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」 櫻井よしこ 「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」引用者ひとこと 「軍令」「軍命」・・・言葉の怪かし (pre-) 「沖縄の人々の責任」 「掲載拒否」 取材対象を黙殺 江崎さんに差し上げたコメント 誤記指摘、意見 引用者ひとこと 江崎孝氏は、週刊新潮発売後1週間たって櫻井よしこ氏の記事全文をブログに載せた。江崎氏はすでに7/9にその紹介文を載せているが、そこでは、櫻井よしこ氏が書いてないことまで「書いてある」と「予告」する、そんなミステリーまで起きている。 http //keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-74.html http //blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/ed1b1161069f39b5ff333f0848ed21b3 江崎孝氏の「沖縄情報戦」での役回りには飛びぬけた興味がもたれるが、まずは櫻井氏の文章の吟味に入りたい。・・・江崎氏の労多き転写作業に謝意を表するとともに、やむを得ず起きたであろう誤植をチェックしたいと考える。そうしないと、櫻井よしこ氏の誤謬も明らかにし難いからだ。 「軍令」「軍命」・・・言葉の怪かし 江崎氏は櫻井氏の文章を転記するにあたって、櫻井氏が「軍命」と書いたものを殆ど全て「軍令」と誤記している。「ぐんめい」と「ぐんれい」では仮名漢字変換の入力が明らかに違うのだから、これはご自分の脳の記憶領域に「軍命」という概念を「軍令」と刷り込んだ、江崎さんならではの思い込みを反映しているのであろうか? それとも、単にOCR(光学式文字読取装置)の図形パターン認識の誤りに過ぎないのか? ともあれ「軍命が有ったのか無かったのか?」を問うとき、軍命否定派は「集団自決の前日または当日に隊長からの直接命令」が有ったのか無かったのか? と条件を限定する(軍命A)。条件を限定すれば、軍命を否定するのに有利であるからだろう。 対して軍命を肯定する人々は、「集団自決の前日または当日に隊長からの直接命令」というふうには「軍命」を限定してはいない。軍が住民に対する既定の指導方針として「玉砕」を指示していれば、米軍上陸によってその指導方針が自動的に発令される。渡嘉敷島では北山避難命令を「玉砕命令」と受け取り、来るべきものが来たと受け取った住民も多い。また事前の手榴弾の配布は、こうした既定の「玉砕」命令を実行させる号令として受け取られた。こうした状況を総合して「軍命」ありと理解しているのである(軍命B)。 軍命否定派は、この「軍命」という言葉の使い方に関するAとBの違いを、作為的に曖昧にする。限定的な「軍命A」だけを否定し「軍命B」を実証的に否定する努力はしない。「軍命A」だけを否定して、あとは「言葉」の印象操作、読者の頭の中での概念混同によって、「軍命Bも否定した」という怪かしを作り上げるのである。 この「軍命」という言葉の怪かし操作。・・・・限定の仕方はすこし違うが、限定したものを否定して全体を否定したことにしてしまう同様のトリックを、大阪高裁の第2審判決がキッパリと分析していたことを思い出した。 http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1476.html 「沖縄「集団自決」控訴審判決の要旨」の「判断の大要」の(2)参照 (引用者注)※アンダーラインは、脱落の補充 (pre-) 沖縄戦での悲劇、集団自決。そこに運命軍命はなかった、と訴えた沖縄のドキュメンタリー作家らの言論を地元メディアは黙殺した。意見表明さえ許されない沖縄の言論封鎖社会の実態とは、果たして如何なるものなのかジャーナリストの櫻井よし子氏がレポートする。 沖縄で生まれ育った上原正稔氏は、長年、沖縄戦を取材してきた。戦争という極限状態は、個々の人間の真の姿を否応なく剥き出だし剥き出しにする。醜さとともに、至高の美しさも見せてくれる。その人間模様に魅せられて、上原氏は、ドキュメンタリー作家として戦時下の人間の行動を追ってきた。 沖縄戦の悲惨さが目立つ際立つ理由のひとつは、日本軍が住民を守るどころか足手まといとして突き放し、死に追いやったとされてきたことだ。米軍上陸を目前にした1945年3月、日本軍が住民に命じたとされる集団自決である。 “集団自決の軍令軍命”を最初に報じたのが『鉄の暴風』だ。50年に朝日新聞から、後沖縄タイムスから出版されている。ノーベル文学賞の大江健三郎の氏は同署書を基に『沖縄ノート』を著し、集団自決は軍令軍命だったとした。 沖縄生まれの上原氏は、軍令軍命は当然あったと信じていたが、取材を通して軍令軍命はなかったと突き止め、衝撃を受けた。氏は07年沖縄の有力紙『琉球新報』での連載「パンドラの箱を開ける時、沖縄戦の記録」でそのことを取り上げようとした。すると、信じ難いことに「新報の方針に反する」として掲載を拒否され連載は中断されたのだ。 異論を封じる琉球新報をはじめ、沖縄のメディアの異常さについて、氏は、小さな文芸誌『うらそえ文芸』第14号(09年5月肝刊)の星雅彦編集長(77)との対談で詳細に語った。続いて両氏は6月9日、記者会見も行った。 沖縄出身の言論人が、公式に記者会見で集団自決軍令軍命説を否定したのは初めてだ。それだけでも報道する価値はある。だが、地元の2大紙、琉球新報と沖縄タイムスは完全に無視した。両氏の記者会見開催までの経過を辿ると、沖縄のメディアが抱える欠陥とその偏向体質が見えてくる。 7月2日、両氏に那覇市内で会った。上原氏は沖縄の人間にとって、集団自決軍令軍命説は「生まれたてのヒナ鳥が最初に見たものを母親と思い込む刷り込みのようなもの」だと語った。 「私は今66歳、沖縄に生まれてアメリカ統治下で育ちました。ロングセラーを続ける『鉄の暴風』で刷り込まれた沖縄戦の印象は長年私の中に残っていました。集団自決の軍令軍命は、当たり前のこととして、あったと。何の疑いも抱かなかった。曽野綾子さんが(73年に)『ある神話の背景』を発表して、軍令軍命はなかったことを詳述したときも、そんな話が本当に成り立つわけがないというくらいにしか、読めなかった」 氏の沖縄戦の取材は80年代から始まり、83年には「1フィート運動」を立ち上げた。 「沖縄戦に関するアメリカの映像資料などを収集し、戦争の実態を伝えていく運動です。わずか5ヶ月で1000万円が集まりました。しかし、金目当てで活動に参加する人々の醜さも見た。反戦・平和運動とはこんなものかと嫌気が差しました」 (引用者注)沖縄の「1フィート運動」は、81年国際軍縮年に向けての核廃絶運動「10フィート運動」を真似た沖縄版である。どちらも集めた募金によって、米国公文書館から米軍が撮影した記録フィルムを買い付ける、という共通性がある。 氏は自分を反戦・平和の闘士と誤解してほしくないと強調する。戦争で人間が試され、千差万別の究極の物語が生まれる。その間人間の姿に興味があると語る。 沖縄戦の取材を深めた氏は、85年、沖縄タイムスに「沖縄日誌」を150回にわたって連載した。 「戦時中のニューヨクニューヨーク・タイムスの報道に興味を持ち米国の公文書館などで資料を読み漁り、沖縄に紹介したのです。統治当時、僕はまだ、集団自決は軍令軍命だという前提に立っていました」 変化は突然やってきた、氏自身が渡嘉敷島を訪れたときだ。同島では住民300人以上が赤松喜次郎大尉の命令で集団自決をしたとされていた。曽野綾子氏が丹念な取材で軍令軍命説を覆したのも渡嘉敷島でのことだ。 「僕はグレンという米軍人の手記の内容を確認するために渡嘉敷に渡ったのです。そこで当時のことを知る数少ない生き残りの金城武則武徳さんと大城良平さんらから「軍令軍命などなかった」と聞いた。心底、驚いた。 大城良平さんは自分の奥さんが自決しているんです。赤松大尉を問い詰めた大城さんは、住民を死なせるので機関銃を貸してくれと村の指導者が言ってきたが赤松大尉が断ったことを知ったそうです。僕の先入観は真っ向から否定され、崩れていきました」 (引用者注)上原正稔氏が金城武徳氏や大城良平氏に会って心変わりしたという年時期が明記されていない。それまで「軍命説」を信じていたものが、その信念を逆転させるに至ったのにはよほどの根拠があったと思われるが、上記の記述はそれを説明しきれてはいない。大城良平氏の手記は既に「沖縄県史10巻」1973年に掲載されていたのだし、金城武徳氏の「渡嘉敷村史」掲載手記を読めば、1945年3月26日~27日に北山(ニシヤマ)に避難した村民達は、命令が「避難命令」ではないことを感じたという描写がある。上原正稔氏の信念の転回、その原因は事実探求の結果というものではなく何か別のものだったかもしれない。「住民を死なせるので機関銃を貸してくれと村の指導者が言ってきたが赤松大尉が断った」これが赤松氏の真実だったとすれば、彼はなぜ「村民が結集していることすら知らなかった」という手記(1971『潮』)を書いたのだろうか? どちらかが明確なウソである。上原氏が赤松元隊長の信奉者と現在自認するからには、こうした赤松氏の矛盾多き言動をどう解釈すべきか十分に説明する必要があるだろう。 (キー坊さん)「大城良平さんは自分の奥さんが自決しているんです。」 ・・・この上原正稔の発言は問題です。「自決未遂」を言いたかったかも知れないが、大城良平の奥さんは、金城つるこの父親に頭殴られたが、一命を取り止めているのです。(『集団自決の真実』p160)・・・この辺に、上原正稔のジャーナリストとしての資質を疑わせるものがあります。 「沖縄の人々の責任」 実は上原氏は、このときの取材の成果を96年1月1日から同25日まで琉球新報で報じている。連載「沖縄戦ショウダウン」には、赤松隊長の副官だった知念朝睦氏の言葉が、次のように引用されている。 「赤松さんは自決命令を出してない、私は副官として隊長の側にいて、隊長をよく知っている。尊敬している。嘘の報道をしている新聞や書物は読む気もしない。赤松さんが気の毒だ」 (引用者注)知念朝睦氏は、赤松隊長の副官の一人だが、赤松氏の傍にずっといたわけではないことは、1970年に編纂された「陣中日誌」でも明らかだし、大阪地裁での「知念証人質問」でも明らかになった。知念氏が現認してないからといって、必ずしも「命令」の存在が否定できるわけではない。 運命軍命を否定した上原報道は意外にも、96年当時、なんの非難も受けなかった。 「むしろ反応は上々でした。担当記者もよく調べたと言ってくれたほどです。けれど、人間は忘れてしまう。その後、大江氏に対する裁判が始まり、教科書の集団自決記述が問題になり、運命軍命の有無が殊更話題になりました。そして、私は琉球新報の記者から再び沖縄戦の連載を持ちかけられました」 (引用者注)櫻井氏の奇妙奇天烈な文章である。まるで、琉球新報が裁判が始まった後、上原氏に「軍命」の有無についての論評を書くように依頼したかのようである。どうして櫻井氏ら右派の論客は、このような見え透いたトリックを使うのだろうか? きっと、自分達の支持者を馬鹿にしているのだろう、トリックには気づくまいと。 大江氏の裁判とは、座間味島で集団自決を命じたとされる梅澤祐梅澤裕元少佐らが、「沖縄ノート」の著者の大江氏らを名誉毀損で訴えた裁判のことだ。05年に提訴された同裁判は、大阪高裁が「元戦隊長らが直接住民に命じたかどうか判断できない」とする一方で、名誉毀損は認めない判決を下し、現在、最高裁に上告中だ。 上原氏は先の取材で、島の元住民(引用者注)元巡査、比喜喜順比嘉喜順氏から「赤松さんは人間の鏡鑑。我々住民のために、一人で泥を被り、一切弁明することなくこの世を去った。赤松さんのご家族のためにも、本当のことを世間に知らせてください」と頼まれた。事実を知った今、赤松氏や梅澤梅澤氏を悪者に仕立て上げた沖縄の人々の責任は重いと上原氏は感じている。真実を明らかにして、両氏の名誉を回復し、謝罪すべきだと考えている。そんな思いもあって、上原氏は新たな連載の誘いを受け入れた。 (引用者注)任地に赴いた軍人を住民とは言わないのと同様に、巡査を住民というのは不適切です。 氏は96年の連載で取り上げた集団自決軍令軍命説を否定する記事も再度書くつもりだ。だと、あらかじめ琉球新報側に説明し、連載のタイトルを「パンドラの箱を開ける時」と決めた。連載は07年5月26日に始まり、第1章は6月16日に終わった。第2章は翌週の6月19日から始まるはずだった。 「ところが、6月18日、琉球新報に行くと、担当の若い記者がとても怖い顔で、『上に来い』と。5階に行くと、別の3名の記者がいて、『これ(第3章第2章の記事)はストップする』と言うのです。理由をきくと『新報の方針に反する』『96年の沖縄戦ショウダウンと同じじゃないか』と難癖をつけて拒むのです」 上原氏は、記者が週末に上京していたことを思い出した。「大江裁判」が継続中であり、記者は否定したが、彼が大江氏にあって相談した可能性があると推測した。琉球新報との話し合いは1時間を越えた。上原氏は4人に吊るし上げらたと感じた感じて言った。 「こんなことでは連載は続けられない。第2章を載せないのなら、他の章も含めて連載を止めぞる」るぞ」。 記者が言った。 「ああ構わんよ」 上原氏が振り返る。 「薄ら笑いを浮かべ、僕を見下すような視線でした。ここまでくれば売り言葉に買い言葉。僕はすぐに記者会見を開くと言った」 だが、翌日、記者が再度、接触してきた。 「上司の当時の編集局長にうまく折り合いをつけるように言われたのでしょう。彼は僕の長年の友人です。彼から、記者会見だけは止めてくれ・・・・・と頼まれ、僕は渋々、承諾したのです」 (引用者注)どっちにしても、琉球新報の期待と、上原正稔氏の隠していた思惑とが、ずれてきたことは確かなようだ。しかしそれは、双方の関係であって、一方的に論じて良いものではない。 「掲載拒否」 丁度同じ時期に「うらそえ文芸」の編集長の星氏も似たような経験をした。 「上原さんの連載中断の約ひと月後、私も琉球新報から原稿掲載を断られました。集団自決軍令軍命説を否定する内容です。文化部の部長から『今回は掲載できない』と言われました。理由は『今回今の状況にあわない』というそれだけぢしたでした」 星氏は沖縄県の文化協会会長、県立芸術大学理事長、国立劇場おきなわの理事をつとめる人物だ。そのような人物が、今、軍令軍命はなかったと公に発言しているのだ。 「私の場合は、なぜ、今まで公に発言しなかったのかと問われるべきかもしれません。なぜなら、もう40年も前沖縄の本土復帰の前から軍令軍命説に疑問を抱いていたからです。1960年代末に、『沖縄県史第9巻』の執筆を依頼され、沖縄戦の実地調査で『鉄の暴風』に出てくる地域にも足を運びました。そして発見したのは『鉄の・・・・・』の多くの間違いでした。地名、日付。極めつけは集団自決を命じたとされる梅澤隊長が朝鮮人の慰安婦と一緒に死んだと書いていた。周知のように、梅澤さんは今もご健在です。梅澤さんが軍令軍命を下したと証言した宮城初枝さんにも会いました。けれど様子がおかしい。梅澤さんのことを問うと口を噤むのです。そのときから私は軍令軍命を疑い始めたのです。 星氏は、或る日、『鉄の・・・』の取材者として活躍した大田良博氏に尋ねた。 「梅澤さんは死んだと書いてあるが、まだ、生きている、おかしいぞ」 「まあ。そんなところもあるねぇ」と太田市大田氏は苦笑いして、口を噤んだという。 「私は長い間明確な発言を控えてきました。おだやかな表現で問題提起しただけです。にもかかわらず、琉球新報は掲載拒否です」。 一方、連載中断で上原氏の言論を封鎖した琉球新報は上原氏に新しい接触を試みていた。中断から4ヶ月後、先の編集局長直々に、連載開始を依頼したのだ。但し、集団自決は軍令軍命ではないと書かないという条件が、口頭で、伝えられた。 「僕はそこで突っぱねてもよかった。けれど、連載は数年間ということだった。僕の側にも伝えたい物語がたくさんあった。いつか真実を書くチャンスもあると期待した。また連載再開の道筋をつけた編集局長をこれ以上傷つけたくない思いもあった」 (引用者注)この経緯は、櫻井氏が引用する琉球新報のコメント通りだったということだ。<一連の関係について問うと、琉球新報は、上原氏の連載を一方的に中止したことはない、星氏の寄稿の不採用も本人納得のことで、集団自決 法 報道はこれまでの「蓄積」と「裏付け」に基づいていると回答した>。上原氏も担当者との話し合いで双方納得づくだった。 (続く) http //blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/254b56e51fd15c0fb68f000b354d16f0 こうして07年10月16日、「パンドラ・・・」は再会された。だが、連載は数年どころか1年も経たずしてまたもや突然、終わった。「もう終わり」と告げられた氏は最終章の執筆に入った。 「僕は最終章でどうしても集団自決は軍令軍命ではなかったことを伝えたかった。一話完結。それでも編集者は書き換えを要求し僕は突っぱねた。琉球新報は社長を含めて協議したそうです。結論は、ボツ。ですから、連載は形としては終わっていない。最終回なら末尾に、<おわり>と記されますが、いつものように<火曜――土曜に連載>となっています」 こうした経過の末に、両氏は今年6月9日の記者会見に臨んだのだ。 (引用者注)上記のように双方納得づくのことを、上原氏が勝手に破棄しようとしたので、連載が中断したに過ぎない、と解するべきである。 取材対象を黙殺 それにしても、96年に上原氏の「軍令軍命はなかった」という記事を報じた琉球新報が今なぜ軍令軍命否定の報道を否定するのか。上原氏が語る。 「05年夏に始まった大江、岩波裁判、07年に問題となった教科書検定問題で、沖縄タイムスと琉球新報は、一貫して軍令軍命はあったとという論調で報じています。それで私の記事を載せるのは具合が悪いと考えたのではないか。彼らの主張の根拠の完全な否定ですから」 これでは琉球新報は、自説を通すためには事実さえも握りつぶす新聞だと言われても仕方がないだろう。 (引用者注)新聞にしても雑誌にしても、寄稿文の掲載は筆者と編集者の協議と同意による。合意事項を破った筆者が横車を押して良い、という理屈は成り立たない。<事実さえも握りつぶす>これは、櫻井よしこ氏がまるでプロレス応援団のように叫んでみた、だけのこと。上原氏の言説は<事実>でないものも多い。 「琉球新報も沖縄タイムスも、黙殺が得意技です。僕らの異論がなかったかのようにしようとしています」 と上原氏。星氏も彼らの陰湿な「黙殺」を感じている。 (引用者注)執筆者があたかも紙面を私物化できるような横車の押し方に、あきれているのではないでしょうか 「私はこの三十数年来、琉球新報で3ヶ月に1回『美術月報』を執筆してきました。ところが先の論文を巡って対立したあと、暫くたった去年3月、突然、『美術月報』の執筆から外されました・外されました。例の論文掲載を拒否した文化部部長が『星さんの文章は難しいから』と言ってきました」 沖縄のメディアの異論黙殺は本来なら取材すべき対象にまで及ぶ。大江裁判で原告の梅澤氏側の代理人を努める松本藤一弁護士が語る。 「沖縄タイムスと琉球新報は、大江氏と岩波書店を訴えた我々の裁判に関して、ひたすら我々の主張を否定するかのような報道をしてきました。しかし、提訴以来4年、彼らは一度も我々を取材していません」 松本弁護士は、沖縄のメディアはアメリカの統治下で日本離反政策の報道規制に慣れてしまったために、今も、日本を批判する言論が身についてしまったとのではないかと分析する。 集団自決の真実が余りにも無視され、不条理が横行する背景にメディアの問題があるのは明らかだ。 上原氏が、最後に、非常に言いにくいことだがと前置きして、援護金の問題について語った。 「集団自決の遺族の一部も援護金を貰っています。両深両親や親族を手にかけて、軍令軍命だと主張し、戦後、億単位のお金を受け取っている。こんな話、恥ずかしくて世界に通用しないですよ」 氏の言う「億単位」とは、定められた支給額のうち最高額の年額196万6800円に、戦後の年数を掛け合わせたものだろう。 援護金が遺族の生活の一助となっていることを誰よりのも知っていたのが今は亡き赤松氏だった。氏は、すべての不条理に関して一言も弁明せず亡くなった。梅澤氏も沖縄の人々には心底、同情している。 (引用者注)「家族同士のいたましい殺し合い」という集団自決悲惨を味わった人々を中傷し貶めて、個人攻撃の端緒を切ったのは、星、上原両氏の「記者会見」だった。中傷攻撃は小林よしのりが引き継ぎSAPIOで増幅した。星、上原両氏にその責任をとる自覚があるかどうか、今後とも注目しよう。 メディアの役割はこうした事柄を事実に沿って報道することだ。だが、現実に上原氏や星氏は言論の場から排除され、活躍の場を奪われつつある。 一連の関係について問うと、琉球新報は、上原氏の連載を一方的に中止したことはない、星氏の寄稿の不採用も本人納得のことで、集団自決法報道はこれまでの「蓄積」と「裏付け」に基づいていると回答した。 沖縄タイムスは「検討中です」と、わずか一行の回答だった。この種の言論封殺が沖縄の未来に影を落とすのだ。 (完) 江崎さんに差し上げたコメント http //blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/254b56 エッセイの書き起こし有難うございました (ni0615) 2009-07-17 22 20 41 狼魔人さん こんばんは 櫻井よしこさんエッセイの書き起こし有難うございました。おかげさまで櫻井よしこさんの文章を読むことができました。 読んだ限りでは、星、上原両氏の「軍命なかった」論の根拠は、大きな説得力を持つものでもなかったのが、少々期待はずれでした。 これは、櫻井よしこさんの「集団自決」についての勉強不足のせいで、お二人の根本が伝わらなかった為なのか、それとも、ご当人であるお二人自身に問題があるのかは、今のところ判断できません。 これからの星、上原両氏の言説は、とりわけ注目したいと思います。 ところで、星さんにしても上原さんにしても、タイムスおよび新報を中心とした沖縄論壇によって育てられ方たちなのですね。 その方々が、育ての親と違う考えをもつに至った。そういう時は普通、育ての親とは違う版元に原稿を売り込に行くのですよね。 それはごく自然ななりゆきで言論封殺でもなんでもありません。お二人はきっとこれから、「正論」とか「WILL」とかに発表する機会も増えるでしょう。新聞ならば、沖縄にも立派な支局がある産経新聞に論文を発表すればいいでしょう。 ところで、 産経新聞に「軍命」存在説の論文が載ったことは在りませんよね。「正論」や「WILL」にも。これも言論封殺全体主義なのでしょうか? そうはいいませんよね。 もしかすると単純に、産経新聞が沖縄でがんばってないか、がんばっても力が及ばないか、・・・という問題なのかもしれません。 誤記指摘、意見 名前 コメント すべてのコメントを見る キー坊さん ありがとうございます。 「軍令」とあるは、全部「軍命」 転記ミス4ヶ所 ご指摘反映させますので、再点検もお願いします。 大城良平の奥さんは、金城つるこの父親に頭殴られたが、一命を取り止めているのです これは注記として挿入させていただきます。 -- (ni0615) 2009-07-18 09 27 00 狼魔人の転載に「軍令」とあるは、全部「軍命」の間違いですね。 その他、私が見つけた転記ミス4ヶ所を順に書いてみました。 沖縄戦での悲劇、集団自決。そこに運(軍)命はなかった、・・・沖縄戦の悲惨さが目(際)立つ理由のひとつは、 ・・・島の元住人、比喜(嘉)喜順氏から「赤松さんは人間の鏡。 ・・・突然、「美術月報」の執筆から外されました・(。)例の論文掲載を ・・・尚、転記ミスに関することでないですが、>「大城良平さんは自分の奥さんが自決しているんです。」 この上原正稔の発言は問題です。「自決未遂」を言いたかったかも知れないが、大城良平の奥さんは、金城つるこの父親に頭殴られたが、一命を取り止めているのです。(『集団自決の真実』p160) この辺に、上原正稔のジャーナリストとしての資質を疑わせるものがあります。 -- (キー坊) 2009-07-18 09 20 25 沖縄戦資料index
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平成21年6月15日【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・後半 <目次> 1.集団自決「軍命令は創作」初証言 元琉球政府の照屋昇雄さん(平成18年8月) 2.沖縄抗議集会に11万人も参加したのか(平成19年9月) 3.「沖縄戦集団自決命令問題」に立ちはだかる「バカの壁」 4.関連動画:小林よしのり『沖縄論』(宮台氏・萱野氏との鼎談) 5.抗議集会を冷ややかに見ていた沖縄県民も多い 6.沖縄左翼活動家が「軍命令はなかった」と事実認める(平成21年6月) 7.沖縄の最悪の反戦平和活動家は北朝鮮と繋がっている 8.関連ブログ 9.沖縄教科書検定の撤回を求める集会のTV報道(保存庫) その他動画 1.集団自決「軍命令は創作」初証言 元琉球政府の照屋昇雄さん(平成18年8月) (産経2006/8/27) 「集団自決」削除抗議と沖縄サヨク1 of 2 「集団自決」削除抗議と沖縄サヨク2 of 2 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英) ◇ 【用語解説】渡嘉敷島の集団自決 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。 【用語解説】戦傷病者戦没者遺族等援護法 日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。 ◇ ≪「大尉は自ら十字架背負った」≫ 「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。 赤松元大尉は昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として渡嘉敷島に赴任した。任務は120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った米艦船への体当たり攻撃。ところが、20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまった。 戦傷病者戦没者遺族等援護法では、日本軍の命令での行動中に死傷した、沖縄やサイパンの一般住民は「戦闘参加者」として準軍属として扱うことになっている。厚生労働省によると、集団自決も、軍の命令なら戦闘参加者にあたるという。 照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。 こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省(当時)は32年5月、集団自決した島民を「戦闘参加者」として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。 ただ、赤松元大尉の思いは、歴史の流れのなかで踏みにじられてきた。 45年3月、集団自決慰霊祭出席のため渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため、慰霊祭に出席できなかった。中学の教科書ではいまだに「『集団自決』を強制されたりした人々もあった」「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)、「なかには、強制されて集団自決した人もいた」(清水書院)と記述されている。 渡嘉敷村によると、集団自決で亡くなったと確認されているのは315人。平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に建てられた碑には、「軍命令」とは一切刻まれていない。渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だという。村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った恩賜の銀時計も飾られている。 同村の担当者は「命令があったかどうかは、いろいろな問題があるので、はっきりとは言えない。しかし、命令があったという人に実際に確認するとあやふやなことが多いのは事実。島民としては、『命令はなかった』というのが、本当のところではないか」と話した。 今回の照屋さんの証言について、「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟を支援する会」の松本藤一弁護士は「虚偽の自決命令がなぜ広がったのか長らく疑問だったが、援護法申請のためであったことが明らかになった。決定的な事実だ。赤松隊長の同意については初めて聞く話なので、さらに調査したい」とコメント。昨年、匿名を条件に照屋さんから話を聞いていた自由主義史観研究会の代表、藤岡信勝拓殖大教授は「名前を明かしたら沖縄では生きていけないと口止めされていたが、今回全面的に証言することを決断されたことに感動している。また一つ歴史の真実が明らかになったことを喜びたい」と話している。 照屋さんは、CS放送「日本文化チャンネル桜」でも同様の内容を証言。その様子は同社ホームページで視聴することができる。(下の動画参照) 「軍命令はなかった」4-3(H19.4.5) 軍命令は創作!沖縄集団自決 ◇ ≪「真実はっきりさせようと思った≫ 照屋昇雄さんへの一問一答は次の通り。 --なぜ今になって当時のことを話すことにしたのか 「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」 --当時の立場は 「琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員の立場にあった。以前は新聞記者をしていたが、政府関係者から『援護法ができて、軍人関係の調査を行うからこないか』と言われ審査委員になった。私は、島民にアンケートを出したり、直接聞き取り調査を行うことで、援護法の適用を受ける資格があるかどうかを調べた」 --渡嘉敷ではどれぐらい聞き取り調査をしたのか 「1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた」 --その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか 「1人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」 --ではなぜ集団自決をしたのか 「民間人から召集して作った防衛隊の隊員には手榴(しゅりゅう)弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、1人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣の島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」 --集団自決を軍命令とした経緯は 「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた」 --赤松元大尉の反応は 「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」 「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った」 --住民は、このことを知っていたのか 「住民は分かっていた。だから、どんな人が来ても(真相は)絶対言わなかった」 --あらためて、なぜ、今証言するのか 「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」 <産経新聞> ■沖縄集団自決 軍命令の虚構まとめ ・集団自決を命じる軍の命令書、公文書等が一通も出てこない。 ・『鉄の暴風』の執筆者は現地取材をしていない。 ・那覇で証言の聞き取りをしたが、その証言者は渡嘉敷島の住民ではなく「渡嘉敷島の住民から話を聞いた人」だった。 ・『鉄の暴風』が発売されたときは、GHQの情報統制下だった。 ・GHQは日本にWGIP(“War Guilt Information Program戦争の罪悪感を日本人に植えつけるための宣伝計画)をやった。 ・『沖縄ノート』の著者、大江健三郎氏も現地取材を一度も行っていない。 ・伝聞だけで赤松大尉を悪逆非道の人物として報道し、著書に描いたことが判明している。 ・昭和32年に初めて現地住民が集団自決命令を証言した。 ・その年に戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立し、その後厚生省援護局の聞き取りが行われた。 ・そのとき初めて現地住民が「日本軍による集団自決命令があった」と証言した。 ・ちなみに、集団自決が軍命令の場合、軍属の遺族としてもらえる遺族年金は年額196万2500円。 ・子供だけでなく孫にも受給資格があり、戦後62年経った今でも支給され続けている。 ・約3000人の沖縄県民がこの恩給を受けており、本土復帰後35年間で一人あたり約7000万円を手にしている。 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った① 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った② 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った③ 日本文化チャンネル桜防人の道 今日の自衛隊 -10月12日号ゲスト:皆本義博(元陸軍海上挺進第3戦隊中隊長・陸軍海上挺進第3戦隊戦友会会長)沖縄戦での集団自決をめぐる「沖縄集団自決冤罪訴訟」や教科書記述をめぐる様々な動きについて、"あの時"渦中の渡嘉敷島で戦った皆本氏をスタジオにお招きし、現地証言者のVTRを見ながらお話をお聞きします。 2.沖縄抗議集会に11万人も参加したのか(平成19年9月) 【沖縄】なぜ2万人が11万人になるのか元共産党員が暴露 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1307900 (コメントを非表示にする場合は、右隅のヒヨコマークをクリック)左の動画をご覧ください。要約すると、-熊本大学の学生が航空写真を拡大して、人数を一人一人数えたところ、1万3037人だった。-ところが集会主催団体の人数の計算方法は、集会に参加した各政治団体が個別に発表した人数を足し算する方法だった。-この方法では、一人の人間が、○○党・××の会という複数の団体に所属していたら、一人の同じ人間が複数勘定される。そのせいで11万人になった。 自由主義史観研究所 公式ホームページ 教科書が教えない歴史 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!① せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!②動画 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!③勝利の一瞬 嘘つき左翼の破綻 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!④真実への検証・曾野綾子・テイケイ高花会長 反日議員を落選させる会 文部省前 左翼プロ市民と激突!① 反日議員を落選させる会 文部省前 左翼プロ市民と激突!② よーめんのブログ 左翼・在日・極左・お花畑が大同団結!ここに極まる! 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末① 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末② 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末③ 日本文化チャンネル桜防人の道 今日の自衛隊 -10月15日号ゲスト:奥 茂治(南西諸島安全保障研究所 副理事長)沖縄集団自決に「軍命令」があったとする言説や主張を巡る様々な動きについて、現地の情勢に詳しい氏にお聞きします 議論に負けた沖縄タイムス某記者、コソコソ船に乗り逃げ ■普通の国にしたいだけなのだ(totopapa氏ブログ) 九月二十九日の沖縄県民集会の参加者数十一万人の報道におびえて、福田首相、渡海文科相は高校教科書の検定の修正を事実上容認した。実際の数字については色々の説は出たが、警備会社の「テイケイ」が航空写真を拡大して綿密に数えた所、一八、一七九人とのことである。これは、昭和五十七年、高校教科書の検定で「侵略を進出に書き換えさせた」というマスコミの誤報の元に、当時の宮沢官房長官が「近隣諸国条項」を発表したことにも類似している。 沖縄集団自決問題とは、昭和二十年三月末に米軍が沖縄に上陸した時、沖縄本島の南西に位置する座間味島で一七二名、渡嘉敷島で三一五名の住民が集団自決したといわれることである。 これが問題となったのは占領中の厳しい言論統制下で、沖縄タイムスが「日本軍により集団自決が強制された」と記し、昭和二十五年に「鉄の暴風」として出版した事に始まる。この裏には米軍の占領政策である「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の沖縄版である「ニミッツ布告」がある。即ち沖縄住民の恨みを米軍から日本軍に振り向けるために、住民自決を軍の命令によるものと宣伝したのである。これも原爆投下、日本の主要都市爆撃による一般住民虐殺という米軍の戦争犯罪を糊塗するために、エドガー・スノーの「アジアの戦争」を読んだマッカーサーが「南京大虐殺」を極東国際軍事裁判で宣伝したことと同様である。 3.「沖縄戦集団自決命令問題」に立ちはだかる「バカの壁」 ウチナンチュー(沖縄県人)が知らない、太平洋戦争(大東亜戦争)での沖縄 沖縄は今も英霊に守られている(沖縄県民斯ク戦ヘリ内) まずは上記リンク・「新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論 (単行本)」を参照。沖縄の真実が盛り込まれています。 沖縄県は太平洋戦争(大東亜戦争)において戦場となった地です。 戦後間もなく沖縄県はアメリカの配下にありました。その当時の沖縄県の学校は日本のことを正しく教えていました。しかし本土復帰とともに一転、日本の悪口を言いたい放題になってしまいました。これにより、ヤマトンチュー(大和人)とウチナンチュー(沖縄人)との間で分断が発生してしまいました。これはとても空恐ろしいことです。これがこの戦争における認識に大きな差を生んでしまったのです。そこに赤い勢力がうまく入り込んでしまったものですから、世にも恐ろしいことです。(瀬長は共産主義者だ日本のために尽くした愛国者である。必ずしも共産主義が進んでるとはいいにくい) 考えても見てください。たとえば大阪の学校で東京の悪口を言いたい放題やって、大阪人が東京人を徹底的に憎み放題となったらどうでしょうか?これを考えるにつけ、このような分断が発生することは国の乱れのもとです。日本は地政学的に見てこういう分断が発生することは、主権侵害につながるもとです。実際インド・パキスタンの間で、カシミールをめぐってもめているわきで、中国がアクサイチンを分捕ったのです。 そこに民主党が沖縄に対して「一国二制度」を提唱しています。先述のとおり分断=主権侵害という特殊な地政学が発生しているところへこんな制度を作ることは、実質「沖縄を中国に売り飛ばす法案」となってしまうのです。幸い上記リンクに掲載されている論文を発表した沖縄人少年が現れたことは、分断を生み出した「バカの壁」をぶち破る第一歩と言えましょう。ぜひ当サイトに沖縄に関する情報をどしどし盛り込んでいただきたいものです。 4.関連動画:小林よしのり『沖縄論』(宮台氏・萱野氏との鼎談) 左翼イデオロギーに感染していった在日コリアンと沖縄 <推奨図書>新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論 (単行本) 【右翼と左翼】小林よしのり 現在の沖縄 【右翼と左翼】小林よしのり 沖縄論について ※動画のコメント欄にあるが、小林よしのり氏も「米軍基地の78%は沖縄にある」などの間違った情報をまだ信じ込んでいるので注意(下の「基地78%は大嘘、沖縄の実態」参照) ※また、小林よしのり氏・宮台真司氏の立場はいわゆる「反米保守」であり、昨年の参院選で安倍首相を大敗させ、結果的に福田売国政権誕生に一役買ったことに留意が必要。 【沖縄の空気】小林よしのり氏招聘のその後-高里洋介氏に聞く 小林よしのり氏を沖縄に招聘したために、職場などで理不尽な逆風に遭われたという高里洋介氏に、沖縄の言語空間や社会の現状についてお聞きします。左翼ファシズムが跋扈する沖縄 5.抗議集会を冷ややかに見ていた沖縄県民も多い 【集団自決】9.29教科書検定撤回を求める県民大会1.(沖縄県民の掲示板より) 1 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 01 36 ID GSqXhNmk 知事までも出席するという来月29日の県民大会について語りましょう。 因みに当初は「23日・糸満」の予定でしたが、「29日・宜野湾」に変更する方針となりました。 2 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 13 55 ID oT.PFCpY 知事も大変ダナァ 3 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 20 46 ID 8aZCy4M2 かなりショボイ集会になると容易に想像出来てしまう。 4 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 21 15 ID yoi5H7cI 俺の予想 「県民は実はそこまで興味は無い」 =29日は、実行委員会の予想を大きく下回る人の少なさになるものと思われ。 少女暴行事件の時は、「基地うんぬん」じゃなくて、それ以前にショッキングすぎる事件だったし、「親として」「一県民として」思うところがあったし他人事じゃなかったのであんだけ集まった。 だけど、その集会は、バカが国旗燃やしたりとか、勝手な声明文を読んだりだとかで、左翼とかが全共闘時代よろしくで自己満足に酔ってるだけで、集まった県民に対して何のフォローも無く解散した感じだったので「肩透かし」をくらった感じで帰った人も多かったと思う。 あれを覚えてるヤツは間違いなく来ないね。 5 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 08 59 30 ID cK2JkAKk まぁ、お得意の水増し主催者発表でお茶を濁し、各テレビ局が協力して放映! バカアナがヒステリックに的外れなコメントをして終了! 6 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 12 52 46 ID SDdVqUB. 結局、テレビ用なんだよな。 そんなスポット映像のためにわざわざ集まるかっつーの。 「行かざるをえない空気」を作ってる事のほうがむしろ軍国時代みたいで違和感を感じるのだが。 「行かない」という選択肢も尊重してくれる社会に戻してくれ。 知事も大変ね・・・ 7 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 13 22 47 ID CccHQPHw こう何か起きるたびに何度も県民大会を開催すると、 重要性というか、重みがなくなるような気がする・・・ ああ、またか。みたいな、軽い扱いに。 8 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 18 44 33 ID 8aZCy4M2 今日の昼頃、県庁周辺で毎日・シュプレヒコールをあげてる市役所・県庁の組合員が 「日曜の県民集会を成功させよう!」と叫んでいたが・・・ それに続けて「安保条約破棄!」とか叫んでた。 こんな連中と一緒じゃ、与党が参加を渋るのは仕方が無いね。 続き 2.、3.、4.、5.、6.、7.、8.、9.、10.、11.、12. 6.沖縄左翼活動家が「軍命令はなかった」と事実認める(平成21年6月) 【直言極言】沖縄集団自決・動き始めた沖縄の言論界 「住民に自決を強いた『軍命令』はなかった」と、決定的な証言や検証を元にチャンネル 桜でもたびたび取り上げてきた沖縄集団自決問題。現地・沖縄では今なお、『鉄の暴風』 『沖縄ノート』の内容が真実とされているが、その空気に抗うかのように、『うらそえ文 藝』編集長・星雅彦氏と、「1フィート運動」創始者でもある上原正稔氏が、地道な取材 や調査の結果、「軍命令はなかった」と勇気ある主張を明らかにした会見の模様をお送り します。沖縄二紙の開き直り 記者会見の動画(狼魔人日記) 【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・前半 【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・後半 7.沖縄の最悪の反戦平和活動家は北朝鮮と繋がっている 狼魔人日記:分裂!沖縄平和運動が 全駐労が今回脱退した沖縄平和運動センターの方が、実にいかがわしい政治色を感じる。 率直に言ってここは平和運動の名を借りた、左翼革命運動団体である。 あの日教組と似た性格の売国組織である。 このセンターに関係する人間は北朝鮮とのつながりも深い。 例えば平良研一沖縄キムジョンイル著作研究会会長(沖縄大教授)、 有銘政夫沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議議長、 佐久川政一沖縄主体思想研究会会長、島袋宗康参院議員、 米盛裕二沖縄大教授、下地玄栄・同、 仲宗根義一沖縄平和運動センター事務局長、金城睦弁護士など 沖縄の左翼運動のそうそうたるメンバーがいる。 これらのメンバーはキム総書記推戴1周年、朝鮮民主主義人民共和国創建50周年で祝賀宴にも参加している。 さらにこのセンターは北朝鮮の利権擁護とその民族的関係者の多い社民党主導の団体でもある。 センター議長の崎山嗣幸も社民党県会議員である。 そういえば元沖縄県知事で現参院議員の大田昌秀も社民党の議員であり、かつての知事時代には百何十名もの北朝鮮ファンを率いて、ピョンヤンに詣でていた。この人もセンターとかかわりが深い。 さらに沖縄平和運動センターの支持団体は、自治労、沖教祖それに沖縄タイムス、琉球新報などとくれば、この団体の素性はおのずと明らかだろう。 沖縄県の反戦平和活動家は北朝鮮の工作員である。 実情を見るとそう思われても仕方のない言動の人たちばかりである。 また未確認だが沖縄には成りすましの在日朝鮮人が多数入り込んでいるという。 彼らは通名(日本人名)を自由に幾通りにも使えるので、沖縄では地域特有の通名、例えば金城、島袋、儀間、平良・・・などを名乗るという。 また朝鮮総連のHPでは沖縄支部は福岡県となっているが、実際には沖縄県内にあり、 牧志○丁目にある城○共○住宅に朝鮮総連の秘密の支部があるという。 なぜ沖縄支部を秘密扱いにせねばならないのか? 沖縄平和運動センターとそれに関係する人びと、さらに北朝鮮とのつながり。朝鮮総連の非公開・疑惑の沖縄支部の存在など、何かきな臭いものを感じないだろうか。 しかし沖縄は日本の縮図ではないかと時々思う。政界からマスゴミに平和団体などがほぼ中国、朝鮮に支配されているような気がするのは私の考えすぎ、被害妄想なのだろうか・・・・・・・ 8.関連ブログ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 狼魔人日記 9.沖縄教科書検定の撤回を求める集会のTV報道(保存庫) +... NHK総合071001沖縄教科書検定の撤回を求める集会11万の参加と表現(本当は2万) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685512CmHa3F3P NHK総合071016沖縄教科書検定問題 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685605ZSQPk6rB NHK総合071101高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685532etYCbBhp NHK総合071101高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請2 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685542dJhdqqeM NHK総合071102高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685555Cjk2pPD2 NHK総合071224高校の教科書日本軍関与記述削除から再修正に http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685563jdR2DEEd NHK総合071226高校の教科書日本軍関与記述2 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685573tz3Xtbdk TBS 070420(イブニングニュース)安部首相VS管代表教科書検定沖縄戦をめぐり対立 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20217701tPK4Z5CA TBS 070929教科書検定沖縄で11万人反対集会(本当は2万くらい) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685618tdAnszJQ TBS 071007(サンデーモーニング)沖縄教科書検定問題 TBS 071207-1100沖縄の集団自決歴史教科書問題で文部省軍強制の断定的資料は無し TBS 071226(イブニングニュース)沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v206856242pr6nhq4 TBS 071226-2254沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(ニュース23) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685650DeQQ7FMw TBS 071227沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(朝ズバ) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685667HXfs7fw8 TBS 071227(イブニングニュース)沖縄戦の集団自決に関する歴史教科書検定問題教科書執筆者抗議 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685664KFMMAB7m TBS 071230沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(サンデーモーニング) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v206857423nQcMSzm テレ朝 071001(報道ステーション)歴史教科書検定で沖縄に11万人のデモ報道 テレ朝071004(報道ステーション)沖縄教科書検定集会古館「仮に2万人だったとして、なにがいけないんですかねぇ」との発言 テレ朝 071015(報道ステーション)沖縄教科書検定沖縄代表団「検定撤回」要求 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20176284tnGzwKSf# 検定撤回要求者(公明党 遠山清彦)(民主党 川内博史)(沖縄県議 比嘉京子)(自民党 仲里利信) 検定撤回反対の集会も(新しい歴史教科書を作る会)11万人県民大会について言及、藤岡会長「政治介入だ」と批判 テレ朝 080328(報道ステーション)大江健三郎沖縄ノート訴訟集団自決大阪地裁軍の関与を認定 Online Videos by Veoh.com その他動画 『日本軍の強制による集団自決はあった!』証言 沖縄集団自決 旧日本兵の証言 NHK 沖縄 慰霊の日特集「“集団自決” 戦後64年の告白~沖縄・渡嘉敷-20090622 オークラ出版 反日マスコミの真実2010 ページ118や 小林よしのり ゴーマニズム宣言 「集団自決」NHK捏造番組(サピオ2009 7/22号)など参照 日テレ 080818NNNドキュメント08証言集団自決を語り継ぐ沖縄戦(頭欠け) Online Videos by Veoh.com 【関連】沖縄米軍基地問題 社民党の正体
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悪魔城ドラキュラ 蒼月の十字架 機種:NDS 作曲者:山根ミチル、木村雅彦、渡辺愉香 開発元:コナミ 発売元:コナミ 発売年:2005年 概要 「悪魔城ドラキュラ」シリーズ、ニンテンドーDSでの第一作目。 『暁月の円舞曲』の続編にあたる。 収録曲(サウンドトラック順) 曲名 作・編曲者 補足 順位 蒼月の十字架 木村雅彦 タイトルデモムービー 束の間の安らぎ 山根ミチル ヨーコの店 翳りある記憶 木村雅彦 データロード画面 魔の誘い 木村雅彦 序盤ボス戦 漆黒の進攻 木村雅彦 地図から消えた村 冬・雪・氷75位NDS140位一面140位 装具の話 木村雅彦 ハマーの店 ドラキュラの涙 木村雅彦 魔導研究棟 暗雲 木村雅彦 セリア関連イベント 黒の戦慄 木村雅彦 ボス登場デモ プラチナ色の月夜 木村雅彦 狂乱の花園 懺悔の後に 木村雅彦 黒の礼拝堂 緋の闘魂 山根ミチル 魔王候補(ドミトリー、ダリオ)戦 妖魔迎賓館 山根ミチル 妖魔迎賓館 闇の響き 木村雅彦 会話イベント 罪人の塔 渡辺愉香 罪人の塔 闇夜の激突 木村雅彦 中盤ボス戦 第7回916位第8回924位掘り出し91位NDS45位 呪縛の時計塔 山根ミチル 呪縛の時計塔 地下冥府 山根ミチル 地下冥府 VAMPIRE KILLER 木村雅彦 沈黙の遺跡出典:悪魔城ドラキュラ 悪魔城最上階 山根ミチル 悪魔城最上階 NDS279位 闇凛の大扉 山根ミチル 後半ボス戦 地下室のメロディー 木村雅彦 裁きの坑道出典:悪魔城ドラキュラ(AC):時計台の恐怖曲名は制作側のミス 深淵 山根ミチル 深淵 尖白の闘志 山根ミチル ラストボス戦サントラではゲームオーバー曲と合わせて1曲 ゲームオーバー 山根ミチル ゲームオーバー BEGINNING 木村雅彦 地図から消えた村(ユリウスモード)出典:悪魔城伝説 BLOODY TEARS 木村雅彦 黒の礼拝堂(ユリウスモード)出典:ドラキュラII 呪いの封印 幻想的舞曲 木村雅彦 ラストボス戦(ユリウスモード)出典:悪魔城ドラキュラX 血の輪廻 戦いの後に~蒼の回想~ 山根ミチル グッドエンディング 終曲~透深月夜~ 山根ミチル スタッフロール 琥珀の原風景 山根ミチル ボーナストラックゲーム未収録曲 サウンドトラック キャッスルヴァニア 暁月の円舞曲 悪魔城ドラキュラ 蒼月の十字架 オリジナルサウンドトラック Castlevania 暁月の円舞曲 悪魔城ドラキュラ 蒼月の十字架 オリジナルサウンドトラック ダウンロード配信
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1985年 試合結果一覧(下に行くほど古くなります) 1985年全日本学生馬術大会(昭和60年11月3日~in世田谷区JRA馬事公苑) 西日本学生馬術大会(昭和60年8月6~12日in綾馬事公苑) ふるさと国体記念南九州(昭和60年7月20,21日in綾馬事公苑) 全日本学生選手権(昭和60年7月5日in世田谷区JRA馬事公苑) 西日本学生選手権(昭和60年6月1,2日in佐賀) 県体(昭和60年5月26日in綾馬事公苑) 春期西日本学生馬術大会(昭和60年3月30,31日in佐賀) 佐賀県馬術場開設記念試合(昭和60年3月24日in佐賀) 知事杯・議長杯(昭和60年3月17日in宮崎競馬場) 四大戦(昭和60年3月10日in熊本) 新春馬術大会(昭和60年1月27日in宮崎競馬場) 1985年 全日本学生馬術大会(昭和60年11月3日~in世田谷区JRA馬事公苑) 中障害 順位 選手名 馬名 23位 長島 隆樹 オオミセンプウ 29位 松尾 修輔 エイティコール 40位 児島 雅彦 ラガーバンケット E 上甲 正志 クレイダーマン 学生賞典 順位 選手名 馬名 29位 児島 雅彦 コルチカム 3-DAY-EVENT 順位 選手名 馬名 23位 野添 伸樹 シンプルグリーン 28位 松尾 修輔 エイティコール E 上甲 正志 クレイダーマン 西日本学生馬術大会(昭和60年8月6~12日in綾馬事公苑) 学生賞典 順位 選手名 馬名 1位 児島 雅彦 コルチカム 第三級馬場 順位 選手名 馬名 2位 上甲 正志 クレイダーマン 8位 松尾 修輔 エイティコール 14位 長島 隆樹 ミスターユー 24位 児島 雅彦 ラガーバンケット 新人 順位 選手名 馬名 3位 岡田 美千保 ジョーハリバトラ E 小堀 あんぬ シンプルグリーン 女子 順位 選手名 馬名 6位 小堀 あんぬ シンプルグリーン E 岡田 美千保 ジョーハリバトラ 小障害A 順位 選手名 馬名 3位 長島 隆樹 ミスターユー 5位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 小障害B 順位 選手名 馬名 1位 浜崎 伸一 シンプルグリーン 4位 上甲 正志 クレイダーマン 5位 長島 隆樹 オオミセンプウ 6位 松尾 修輔 エイティコール 8位 児島 雅彦 ラガーバンケット 17位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 中障害 順位 選手名 馬名 4位 長島 隆樹 オオミセンプウ 5位 松尾 修輔 エイティコール 6位 児島 雅彦 ラガーバンケット 9位 上甲 正志 クレイダーマン 11位 浜崎 伸一 シンプルグリーン E 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 3-DAY-EVENT 順位 選手名 馬名 4位 長島 隆樹 ミスターユー 7位 松尾 修輔 エイティコール 10位 児玉 雅彦 ラガーバンケット 11位 上甲 正志 クレイダーマン 12位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ E 浜崎 伸一 シンプルグリーン ふるさと国体記念南九州(昭和60年7月20,21日in綾馬事公苑) 小障害 順位 選手名 馬名 6位 上甲 正志 クレイダーマン 10位 長島 隆樹 ミスターユー 11位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 22位 児島 雅彦 ラガーバンケット 24位 松尾 修輔 エイティコール 婦人 順位 選手名 馬名 2位 岡田 美千保 ジョーハリバトラ 中障害 順位 選手名 馬名 7位 松尾 修輔 エイティコール 8位 児島 雅彦 ラガーバンケット 21位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 全日本学生選手権(昭和60年7月5日in世田谷区JRA馬事公苑) 選手権 順位 選手名 馬名 - 児島 雅彦 相模桜 - 松尾 修輔 明洋 西日本学生選手権(昭和60年6月1,2日in佐賀) 男子 部班 順位 選手名 馬名 - 松尾 修輔 カワチプリンス - 児島 雅彦 天嶺 男子 準決勝 順位 選手名 馬名 - 松尾・児島 摺墨 男子 決勝馬場 順位 選手名 馬名 - 松尾・児島 コルチカム 男子 決勝障害 順位 選手名 馬名 - 松尾・児島 サザンクロス 女子 部班 順位 選手名 馬名 - 岡田 美千保 ゴールドロック - 小堀 あんぬ サザンクロス 女子 準決勝 順位 選手名 馬名 - 岡田 美千保 汪城 新人障害 予選 順位 選手名 馬名 - 長島 隆樹 摺墨 - 児島 雅彦 鵬城 新人障害 決勝 順位 選手名 馬名 - 長島 隆樹 スーパージャンボ - 児島 雅彦 福怜 県体(昭和60年5月26日in綾馬事公苑) 小障害 順位 選手名 馬名 2位 長島 隆樹 オオミセンプウ 7位 松尾 修輔 エイティコール 8位 上甲 正志 クレイダーマン E 児島 雅彦 ラガーバンケット E 岡田 美千保 ジョーハリバトラ E 小堀 あんぬ シンプルグリーン 中障害 順位 選手名 馬名 4位 松尾 修輔 エイティコール 7位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 8位 浜崎 伸一 シンプルグリーン E 上甲 正志 クレイダーマン E 児島 雅彦 ラガーバンケット 春期西日本学生馬術大会(昭和60年3月30,31日in佐賀) 第三級馬場 順位 選手名 馬名 1位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 7位 松尾 修輔 エイティコール 8位 上甲 正志 クレイダーマン 14位 児島 雅彦 ラガーバンケット 総合馬場 順位 選手名 馬名 1位 上甲 正志 クレイダーマン 6位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 9位 松尾 修輔 エイティコール E 児島 雅彦 ラガーバンケット ハンティング 順位 選手名 馬名 1位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 4位 松尾 修輔 エイティコール E 児島 雅彦 ラガーバンケット 新人 順位 選手名 馬名 1位 長島 隆樹 ジョーハリバトラ 6位 児島 雅彦 ラガーバンケット 小障害A 順位 選手名 馬名 3位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 4位 松尾 修輔 エイティコール 6位 浜崎 伸一 シンプルグリーン 中障害B 順位 選手名 馬名 2位 児島 雅彦 ラガーバンケット 4位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 5位 上甲 正志 クレイダーマン 10位 松尾 修輔 エイティコール 佐賀県馬術場開設記念試合(昭和60年3月24日in佐賀) 新馬 順位 選手名 馬名 - 松尾 修輔 エイティコール 新人 順位 選手名 馬名 - 長島 隆樹 ジョーハリバトラ - 上甲 正志 クレイダーマン 内国産 順位 選手名 馬名 - 児島 雅彦 ラガーバンケット - 松尾 修輔 エイティコール - 浜崎 伸一 シンプルグリーン - 浜崎 伸一 ジョーハリバトラ - 上甲 正志 クレイダーマン 中障害 順位 選手名 馬名 E 児島 雅彦 ラガーバンケット 知事杯・議長杯(昭和60年3月17日in宮崎競馬場) 小障害 順位 選手名 馬名 4位 上甲 正志 クレイダーマン 6位 浜崎 伸一 ミスターユー 6位 伊東 成己 クレイダーマン 中障害 順位 選手名 馬名 2位 野添 伸樹 ジョーハリバトラ 4位 浜崎 伸一 シンプルグリーン 5位 児島 雅彦 ラガーバンケット 四大戦(昭和60年3月10日in熊本) 予選 順位 選手名 馬名 - 松尾 修輔 鵬城 - 上甲 正志 汪城 決勝 順位 選手名 馬名 - 松尾 修輔 憐城 - 上甲 正志 捷城 - 長島 隆樹 麗城 - 児島 雅彦 聖城 新春馬術大会(昭和60年1月27日in宮崎競馬場) 小障害 順位 選手名 馬名 OP 浜崎 伸一 シンプルグリーン 3位 浜崎 伸一 ミスターユー 6位 松尾 修輔 エイティコール E 上甲 正志 スプリンググレイ E 長島 隆樹 ポーツネル 中障害 順位 選手名 馬名 6位 児島 雅彦 ラガーバンケット 11位 浜崎 伸一 シンプルグリーン E 野添 伸樹 ポーツネル E 上甲 正志 スプリンググレイ
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幻想水滸伝IV 機種:PS2 作曲者:木村雅彦, coba(小林靖宏), 三浦憲和, 山根ミチル 開発・発売元:コナミ 発売年:2004年 概要 「幻想水滸伝」シリーズの第4作目。今作から声優によるキャラクターボイスが実装された。 『幻想水滸伝』の150年前の世界を描いた作品。群島諸国という島国が舞台。 今作の直接的な続編として『Rhapsodia』が発売されている。 また、パチスロ『幻想水滸伝』としてリメイク(?)された。 前作までに使用された、東野美紀と谷口博史の作曲した楽曲が使われている。 オープニングの「La Mer」はアコーディオニストとして有名なcoba氏が作曲・演奏している。 (幻想水滸伝ナンバリングタイトル 前作:幻想水滸伝III 次作:幻想水滸伝V) 収録曲 曲名 作・編曲者 補足 順位 La Mer 小林靖宏 第12回686位夏26位第2回オープニング254位 新たなる旅立ち~始まりのテーマ~[ネームエントリーBGM] 原曲:東野美紀編:木村雅彦 出航 [オープニングスタッフロールBGM] 木村雅彦 上陸 [ラズリルBGM] 木村雅彦 突入1 [戦闘突入時ジングル1] 木村雅彦 戦闘 [通常戦闘BGM] 木村雅彦 勝利のテーマ [戦闘結果表示BGM] 原曲:東野美紀編:木村雅彦 騎士の習い [ラズリル騎士団BGM] 木村雅彦 祭りの夜 [ラズリルBGM:祭りイベント] 木村雅彦 愁いの舟行 [ワールドマップBGM:小舟] 山根ミチル 巻返し [緊迫BGM1] 木村雅彦 大海原の戦1 [海戦BGM1] 三浦憲和 静かな島で [無人島BGM] 木村雅彦 話の続き [イベント会話BGM2] 木村雅彦 無人島の夜 [無人島BGM:夜間] 木村雅彦 潮騒の残響 [無人島BGM:洞窟] 木村雅彦 突入2 [戦闘突入時ジングル2] 木村雅彦 強敵出現 [中ボス戦闘BGM] 三浦憲和 波頭をかき分けて [ワールドマップBGM:物語前半] 木村雅彦 アジトのテーマ [海賊島BGM] 木村雅彦 確かな出会い [エレノアの庵BGM] 木村雅彦 南風 [オベル王国BGM] 三浦憲和 継承の意味 [オベル王国:宮殿BGM] 木村雅彦 時を止めて [オベル王国:遺跡BGM] 木村雅彦 本拠地その1 [本拠地:物語前半BGM] 木村雅彦 オレンジ色の景色 [ミドルポートBGM] 木村雅彦 ラインバッハテーマ 原曲:谷口博史編:山根ミチル 懐かしいあの人 [イベント会話1] 木村雅彦 隠された攻防 [ミドルポートBGM:地下ダンジョン] 山根ミチル モノクロム・エピソード [イルヤ島BGM] 木村雅彦 モノクロム・エピソード~瓦礫の中から~[イルヤ島BGM:崩壊した街] 木村雅彦 スタートアップ [ミニゲーム説明BGM] 三浦憲和 単純がゆえ奥深し [ミニゲームBGM:コインゲーム] 三浦憲和 ぶっつけろ!やっつけろ! [ミニゲームBGM:コマ] 三浦憲和 猫並みにすごいぜ! [ミニゲームBGM:ねずみ] 三浦憲和 ファンファーレ [勝ちジングル] 三浦憲和 がっくり [負けジングル] 三浦憲和 本拠地その2 [本拠地BGM:物語後半] 木村雅彦 輝ける海よ!空よ! [ワールドマップBGM:物語後半] 山根ミチル 大海原の戦2 [海戦BGM2] 三浦憲和 忍び寄る影 [緊迫2] 木村雅彦 丘をのぼって [ネイ島BGM] 木村雅彦 ネコの里 [ネコボルトBGM] 木村雅彦 宿命の対決 [一騎討ち戦闘BGM] 三浦憲和 青磁の海 [ナ・ナル島BGM] 木村雅彦 華麗なる大剣使い [ミツバ戦BGM] 三浦憲和 魅惑の紋章師 [ジーンのテーマ] 山根ミチル シーサイド・スプリング [モルド島BGM] 木村雅彦 悔悛の唄 [懺悔イベントBGM] 山根ミチル 神様ありがとう [懺悔ジングル] 木村雅彦 Let's go try! [イベントBGM:福引き] 山根ミチル 紋章を宿せし札 [ミニゲームBGM:カードゲーム] 三浦憲和 リタポン [ミニゲームBGM:リタポン!) 三浦憲和 旅のダイス使い [ミニゲームBGM:ダイスゲーム] 三浦憲和 トレジャーハント [ミニゲームBGM:宝探し] 三浦憲和 名もなき島の風景 [名無しの島BGM] 山根ミチル 迫りくる脅威 [緊迫BGM3] 三浦憲和 作戦会議 [イベントBGM:作戦会議中] 木村雅彦 断崖のメロディー [エルイール要塞BGM] 木村雅彦 オルゴール [イベントBGM] 木村雅彦 邪悪なる者との決戦 [最終戦闘BGM] 三浦憲和 エピローグ~108星のために~ [108星その後] 山根ミチル 深蒼の回想終曲 [スタッフロールBGM] 原曲:東野美紀編:山根ミチル 幻想の世界へ(エンディング) 原曲:東野美紀編:小林靖宏 激突! 再び [ミントきのこ戦BGM1] 三浦憲和 勝利の予感 [ミントきのこ戦BGM2] 三浦憲和 罰の紋章 木村雅彦 第3回207位第4回219位 サウンドトラック 幻想水滸伝IV オリジナルサウンドトラック
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平成21年6月15日【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・後半 <目次> 1.集団自決「軍命令は創作」初証言 元琉球政府の照屋昇雄さん(平成18年8月) 2.沖縄抗議集会に11万人も参加したのか(平成19年9月) 3.「沖縄戦集団自決命令問題」に立ちはだかる「バカの壁」 4.関連動画:小林よしのり『沖縄論』(宮台氏・萱野氏との鼎談) 5.抗議集会を冷ややかに見ていた沖縄県民も多い 6.沖縄左翼活動家が「軍命令はなかった」と事実認める(平成21年6月) 7.沖縄の最悪の反戦平和活動家は北朝鮮と繋がっている 8.関連ブログ 9.沖縄教科書検定の撤回を求める集会のTV報道(保存庫) その他動画 1.集団自決「軍命令は創作」初証言 元琉球政府の照屋昇雄さん(平成18年8月) (産経2006/8/27 ) 「集団自決」削除抗議と沖縄サヨク1 of 2 「集団自決」削除抗議と沖縄サヨク2 of 2 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店) では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋) で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英) ◇ 【用語解説】渡嘉敷島の集団自決 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。 【用語解説】戦傷病者戦没者遺族等援護法 日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。 ◇ ≪「大尉は自ら十字架背負った」≫ 「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。 赤松元大尉は昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として渡嘉敷島に赴任した。任務は120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った米艦船への体当たり攻撃。ところが、20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまった。 戦傷病者戦没者遺族等援護法では、日本軍の命令での行動中に死傷した、沖縄やサイパンの一般住民は「戦闘参加者」として準軍属として扱うことになっている。厚生労働省によると、集団自決も、軍の命令なら戦闘参加者にあたるという。 照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。 こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省(当時)は32年5月、集団自決した島民を「戦闘参加者」として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。 ただ、赤松元大尉の思いは、歴史の流れのなかで踏みにじられてきた。 45年3月、集団自決慰霊祭出席のため渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため、慰霊祭に出席できなかった。中学の教科書ではいまだに「『集団自決』を強制されたりした人々もあった」「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)、「なかには、強制されて集団自決した人もいた」(清水書院)と記述されている。 渡嘉敷村によると、集団自決で亡くなったと確認されているのは315人。平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に建てられた碑には、「軍命令」とは一切刻まれていない。渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だという。村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った恩賜の銀時計も飾られている。 同村の担当者は「命令があったかどうかは、いろいろな問題があるので、はっきりとは言えない。しかし、命令があったという人に実際に確認するとあやふやなことが多いのは事実。島民としては、『命令はなかった』というのが、本当のところではないか」と話した。 今回の照屋さんの証言について、「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟を支援する会」の松本藤一弁護士は「虚偽の自決命令がなぜ広がったのか長らく疑問だったが、援護法申請のためであったことが明らかになった。決定的な事実だ。赤松隊長の同意については初めて聞く話なので、さらに調査したい」とコメント。昨年、匿名を条件に照屋さんから話を聞いていた自由主義史観研究会の代表、藤岡信勝拓殖大教授は「名前を明かしたら沖縄では生きていけないと口止めされていたが、今回全面的に証言することを決断されたことに感動している。また一つ歴史の真実が明らかになったことを喜びたい」と話している。 照屋さんは、CS放送「日本文化チャンネル桜」でも同様の内容を証言。その様子は同社ホームページで視聴することができる。(下の動画参照) 「軍命令はなかった」4-3(H19.4.5) 軍命令は創作!沖縄集団自決 ◇ ≪「真実はっきりさせようと思った≫ 照屋昇雄さんへの一問一答は次の通り。 --なぜ今になって当時のことを話すことにしたのか 「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」 --当時の立場は 「琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員の立場にあった。以前は新聞記者をしていたが、政府関係者から『援護法ができて、軍人関係の調査を行うからこないか』と言われ審査委員になった。私は、島民にアンケートを出したり、直接聞き取り調査を行うことで、援護法の適用を受ける資格があるかどうかを調べた」 --渡嘉敷ではどれぐらい聞き取り調査をしたのか 「1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた」 --その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか 「1人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」 --ではなぜ集団自決をしたのか 「民間人から召集して作った防衛隊の隊員には手榴(しゅりゅう)弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、1人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣の島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」 --集団自決を軍命令とした経緯は 「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた」 --赤松元大尉の反応は 「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」 「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った」 --住民は、このことを知っていたのか 「住民は分かっていた。だから、どんな人が来ても(真相は)絶対言わなかった」 --あらためて、なぜ、今証言するのか 「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」 <産経新聞> ■沖縄集団自決 軍命令の虚構まとめ ・集団自決を命じる軍の命令書、公文書等が一通も出てこない。 ・『鉄の暴風』の執筆者は現地取材をしていない。 ・那覇で証言の聞き取りをしたが、その証言者は渡嘉敷島の住民ではなく「渡嘉敷島の住民から話を聞いた人」だった。 ・『鉄の暴風』が発売されたときは、GHQの情報統制下だった。 ・GHQは日本にWGIP (“War Guilt Information Program戦争の罪悪感を日本人に植えつけるための宣伝計画)をやった。 ・『沖縄ノート』の著者、大江健三郎氏も現地取材を一度も行っていない。 ・伝聞だけで赤松大尉を悪逆非道の人物として報道し、著書に描いたことが判明している。 ・昭和32年に初めて現地住民が集団自決命令を証言した。 ・その年に戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立し、その後厚生省援護局の聞き取りが行われた。 ・そのとき初めて現地住民が「日本軍による集団自決命令があった」と証言した。 ・ちなみに、集団自決が軍命令の場合、軍属の遺族としてもらえる遺族年金は年額196万2500円。 ・子供だけでなく孫にも受給資格があり、戦後62年経った今でも支給され続けている。 ・約3000人の沖縄県民がこの恩給を受けており、本土復帰後35年間で一人あたり約7000万円を手にしている。 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った① 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った② 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った③ 日本文化チャンネル桜防人の道 今日の自衛隊 -10月12日号ゲスト:皆本義博(元陸軍海上挺進第3戦隊中隊長・陸軍海上挺進第3戦隊戦友会会長)沖縄戦での集団自決をめぐる「沖縄集団自決冤罪訴訟」や教科書記述をめぐる様々な動きについて、"あの時"渦中の渡嘉敷島で戦った皆本氏をスタジオにお招きし、現地証言者のVTRを見ながらお話をお聞きします。 2.沖縄抗議集会に11万人も参加したのか(平成19年9月) 【沖縄】なぜ2万人が11万人になるのか元共産党員が暴露 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1307900 (コメントを非表示にする場合は、右隅のヒヨコマークをクリック)左の動画をご覧ください。要約すると、-熊本大学の学生が航空写真を拡大して、人数を一人一人数えたところ、1万3037人だった。-ところが集会主催団体の人数の計算方法は、集会に参加した各政治団体が個別に発表した人数を足し算する方法だった。-この方法では、一人の人間が、○○党・××の会という複数の団体に所属していたら、一人の同じ人間が複数勘定される。そのせいで11万人になった。 自由主義史観研究所 公式ホームページ 教科書が教えない歴史 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!① せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!②動画 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!③勝利の一瞬 嘘つき左翼の破綻 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!④真実への検証・曾野綾子・テイケイ高花会長 反日議員を落選させる会 文部省前 左翼プロ市民と激突!① 反日議員を落選させる会 文部省前 左翼プロ市民と激突!② よーめんのブログ 左翼・在日・極左・お花畑が大同団結!ここに極まる! 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末① 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末② 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末③ 日本文化チャンネル桜防人の道 今日の自衛隊 -10月15日号ゲスト:奥 茂治(南西諸島安全保障研究所 副理事長)沖縄集団自決に「軍命令」があったとする言説や主張を巡る様々な動きについて、現地の情勢に詳しい氏にお聞きします 議論に負けた沖縄タイムス某記者、コソコソ船に乗り逃げ ■普通の国にしたいだけなのだ(totopapa氏ブログ) 九月二十九日の沖縄県民集会の参加者数十一万人の報道におびえて、福田首相、渡海文科相は高校教科書の検定の修正を事実上容認した。実際の数字については色々の説は出たが、警備会社の「テイケイ」が航空写真を拡大して綿密に数えた所、一八、一七九人とのことである。これは、昭和五十七年、高校教科書の検定で「侵略を進出に書き換えさせた」というマスコミの誤報の元に、当時の宮沢官房長官が「近隣諸国条項」を発表したことにも類似している。 沖縄集団自決問題とは、昭和二十年三月末に米軍が沖縄に上陸した時、沖縄本島の南西に位置する座間味島で一七二名、渡嘉敷島で三一五名の住民が集団自決したといわれることである。 これが問題となったのは占領中の厳しい言論統制下で、沖縄タイムスが「日本軍により集団自決が強制された」と記し、昭和二十五年に「鉄の暴風」として出版した事に始まる。この裏には米軍の占領政策である「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の沖縄版である「ニミッツ布告」 がある。即ち沖縄住民の恨みを米軍から日本軍に振り向けるために、住民自決を軍の命令によるものと宣伝したのである。これも原爆投下、日本の主要都市爆撃による一般住民虐殺という米軍の戦争犯罪を糊塗するために、エドガー・スノーの「アジアの戦争」を読んだマッカーサーが「南京大虐殺」を極東国際軍事裁判で宣伝したことと同様である。 3.「沖縄戦集団自決命令問題」に立ちはだかる「バカの壁」 ウチナンチュー(沖縄県人)が知らない、太平洋戦争(大東亜戦争)での沖縄 沖縄は今も英霊に守られている (沖縄県民斯ク戦ヘリ 内) まずは上記リンク・「新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論 (単行本)」を参照。沖縄の真実が盛り込まれています。 沖縄県は太平洋戦争(大東亜戦争)において戦場となった地です。 戦後間もなく沖縄県はアメリカの配下にありました。その当時の沖縄県の学校は日本のことを正しく教えていました。しかし本土復帰とともに一転、日本の悪口を言いたい放題になってしまいました。これにより、ヤマトンチュー(大和人)とウチナンチュー(沖縄人)との間で分断が発生してしまいました。これはとても空恐ろしいことです。これがこの戦争における認識に大きな差を生んでしまったのです。そこに赤い勢力がうまく入り込んでしまったものですから、世にも恐ろしいことです。(瀬長は共産主義者だ日本のために尽くした愛国者である。必ずしも共産主義が進んでるとはいいにくい) 考えても見てください。たとえば大阪の学校で東京の悪口を言いたい放題やって、大阪人が東京人を徹底的に憎み放題となったらどうでしょうか?これを考えるにつけ、このような分断が発生することは国の乱れのもとです。日本は地政学的に見てこういう分断が発生することは、主権侵害につながるもとです。実際インド・パキスタンの間で、カシミールをめぐってもめているわきで、中国がアクサイチンを分捕ったのです。 そこに民主党が沖縄に対して「一国二制度」を提唱しています。先述のとおり分断=主権侵害という特殊な地政学が発生しているところへこんな制度を作ることは、実質「沖縄を中国に売り飛ばす法案」となってしまうのです。幸い上記リンクに掲載されている論文を発表した沖縄人少年が現れたことは、分断を生み出した「バカの壁」をぶち破る第一歩と言えましょう。ぜひ当サイトに沖縄に関する情報をどしどし盛り込んでいただきたいものです。 4.関連動画:小林よしのり『沖縄論』(宮台氏・萱野氏との鼎談) 左翼イデオロギーに感染していった在日コリアンと沖縄 <推奨図書>新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論 (単行本) 【右翼と左翼】小林よしのり 現在の沖縄 【右翼と左翼】小林よしのり 沖縄論について ※動画のコメント欄にあるが、小林よしのり氏も「米軍基地の78%は沖縄にある」などの間違った情報をまだ信じ込んでいるので注意(下の「基地78%は大嘘、沖縄の実態」参照) ※また、小林よしのり氏・宮台真司氏の立場はいわゆる「反米保守」 であり、昨年の参院選で安倍首相を大敗させ、結果的に福田売国政権誕生に一役買ったことに留意が必要。 【沖縄の空気】小林よしのり氏招聘のその後-高里洋介氏に聞く 小林よしのり氏を沖縄に招聘したために、職場などで理不尽な逆風に遭われたという高里洋介氏に、沖縄の言語空間や社会の現状についてお聞きします。左翼ファシズムが跋扈する沖縄 5.抗議集会を冷ややかに見ていた沖縄県民も多い 【集団自決】9.29教科書検定撤回を求める県民大会1.(沖縄県民の掲示板より) 1 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 01 36 ID GSqXhNmk 知事までも出席するという来月29日の県民大会について語りましょう。 因みに当初は「23日・糸満」の予定でしたが、「29日・宜野湾」に変更する方針となりました。 2 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 13 55 ID oT.PFCpY 知事も大変ダナァ 3 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 20 46 ID 8aZCy4M2 かなりショボイ集会になると容易に想像出来てしまう。 4 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 21 15 ID yoi5H7cI 俺の予想 「県民は実はそこまで興味は無い」 =29日は、実行委員会の予想を大きく下回る人の少なさになるものと思われ。 少女暴行事件の時は、「基地うんぬん」じゃなくて、それ以前にショッキングすぎる事件だったし、「親として」「一県民として」思うところがあったし他人事じゃなかったのであんだけ集まった。 だけど、その集会は、バカが国旗燃やしたりとか、勝手な声明文を読んだりだとかで、左翼とかが全共闘時代よろしくで自己満足に酔ってるだけで、集まった県民に対して何のフォローも無く解散した感じだったので「肩透かし」をくらった感じで帰った人も多かったと思う。 あれを覚えてるヤツは間違いなく来ないね。 5 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 08 59 30 ID cK2JkAKk まぁ、お得意の水増し主催者発表でお茶を濁し、各テレビ局が協力して放映! バカアナがヒステリックに的外れなコメントをして終了! 6 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 12 52 46 ID SDdVqUB. 結局、テレビ用なんだよな。 そんなスポット映像のためにわざわざ集まるかっつーの。 「行かざるをえない空気」を作ってる事のほうがむしろ軍国時代みたいで違和感を感じるのだが。 「行かない」という選択肢も尊重してくれる社会に戻してくれ。 知事も大変ね・・・ 7 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 13 22 47 ID CccHQPHw こう何か起きるたびに何度も県民大会を開催すると、 重要性というか、重みがなくなるような気がする・・・ ああ、またか。みたいな、軽い扱いに。 8 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 18 44 33 ID 8aZCy4M2 今日の昼頃、県庁周辺で毎日・シュプレヒコールをあげてる市役所・県庁の組合員が 「日曜の県民集会を成功させよう!」と叫んでいたが・・・ それに続けて「安保条約破棄!」とか叫んでた。 こんな連中と一緒じゃ、与党が参加を渋るのは仕方が無いね。 続き 2. 、3. 、4. 、5. 、6. 、7. 、8. 、9. 、10. 、11. 、12. 6.沖縄左翼活動家が「軍命令はなかった」と事実認める(平成21年6月) 【直言極言】沖縄集団自決・動き始めた沖縄の言論界 「住民に自決を強いた『軍命令』はなかった」と、決定的な証言や検証を元にチャンネル 桜でもたびたび取り上げてきた沖縄集団自決問題。現地・沖縄では今なお、『鉄の暴風』 『沖縄ノート』の内容が真実とされているが、その空気に抗うかのように、『うらそえ文 藝』編集長・星雅彦氏と、「1フィート運動」創始者でもある上原正稔氏が、地道な取材 や調査の結果、「軍命令はなかった」と勇気ある主張を明らかにした会見の模様をお送り します。沖縄二紙の開き直り 記者会見の動画(狼魔人日記) 【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・前半 【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・後半 7.沖縄の最悪の反戦平和活動家は北朝鮮と繋がっている 狼魔人日記:分裂!沖縄平和運動が 全駐労が今回脱退した沖縄平和運動センターの方が、実にいかがわしい政治色を感じる。 率直に言ってここは平和運動の名を借りた、左翼革命運動団体である。 あの日教組と似た性格の売国組織である。 このセンターに関係する人間は北朝鮮とのつながりも深い。 例えば平良研一沖縄キムジョンイル著作研究会会長(沖縄大教授)、 有銘政夫沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議議長、 佐久川政一沖縄主体思想研究会会長、島袋宗康参院議員、 米盛裕二沖縄大教授、下地玄栄・同、 仲宗根義一沖縄平和運動センター事務局長、金城睦弁護士など 沖縄の左翼運動のそうそうたるメンバーがいる。 これらのメンバーはキム総書記推戴1周年、朝鮮民主主義人民共和国創建50周年で祝賀宴にも参加している。 さらにこのセンターは北朝鮮の利権擁護とその民族的関係者の多い社民党主導の団体でもある。 センター議長の崎山嗣幸も社民党県会議員である。 そういえば元沖縄県知事で現参院議員の大田昌秀も社民党の議員であり、かつての知事時代には百何十名もの北朝鮮ファンを率いて、ピョンヤンに詣でていた。この人もセンターとかかわりが深い。 さらに沖縄平和運動センターの支持団体は、自治労、沖教祖それに沖縄タイムス、琉球新報などとくれば、この団体の素性はおのずと明らかだろう。 沖縄県の反戦平和活動家は北朝鮮の工作員である。 実情を見るとそう思われても仕方のない言動の人たちばかりである。 また未確認だが沖縄には成りすましの在日朝鮮人が多数入り込んでいるという。 彼らは通名(日本人名)を自由に幾通りにも使えるので、沖縄では地域特有の通名、例えば金城、島袋、儀間、平良・・・などを名乗るという。 また朝鮮総連のHPでは沖縄支部は福岡県となっているが、実際には沖縄県内にあり、 牧志○丁目にある城○共○住宅に朝鮮総連の秘密の支部があるという。 なぜ沖縄支部を秘密扱いにせねばならないのか? 沖縄平和運動センターとそれに関係する人びと、さらに北朝鮮とのつながり。朝鮮総連の非公開・疑惑の沖縄支部の存在など、何かきな臭いものを感じないだろうか。 しかし沖縄は日本の縮図ではないかと時々思う。政界からマスゴミに平和団体などがほぼ中国、朝鮮に支配されているような気がするのは私の考えすぎ、被害妄想なのだろうか・・・・・・・ 8.関連ブログ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 狼魔人日記 9.沖縄教科書検定の撤回を求める集会のTV報道(保存庫) +... NHK総合071001沖縄教科書検定の撤回を求める集会11万の参加と表現(本当は2万) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685512CmHa3F3P NHK総合071016沖縄教科書検定問題 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685605ZSQPk6rB NHK総合071101高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685532etYCbBhp NHK総合071101高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請2 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685542dJhdqqeM NHK総合071102高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685555Cjk2pPD2 NHK総合071224高校の教科書日本軍関与記述削除から再修正に http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685563jdR2DEEd NHK総合071226高校の教科書日本軍関与記述2 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685573tz3Xtbdk TBS 070420(イブニングニュース)安部首相VS管代表教科書検定沖縄戦をめぐり対立 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20217701tPK4Z5CA TBS 070929教科書検定沖縄で11万人反対集会(本当は2万くらい) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685618tdAnszJQ TBS 071007(サンデーモーニング)沖縄教科書検定問題 TBS 071207-1100沖縄の集団自決歴史教科書問題で文部省軍強制の断定的資料は無し TBS 071226(イブニングニュース)沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v206856242pr6nhq4 TBS 071226-2254沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(ニュース23) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685650DeQQ7FMw TBS 071227沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(朝ズバ) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685667HXfs7fw8 TBS 071227(イブニングニュース)沖縄戦の集団自決に関する歴史教科書検定問題教科書執筆者抗議 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685664KFMMAB7m TBS 071230沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(サンデーモーニング) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v206857423nQcMSzm テレ朝 071001(報道ステーション)歴史教科書検定で沖縄に11万人のデモ報道 テレ朝071004(報道ステーション)沖縄教科書検定集会古館「仮に2万人だったとして、なにがいけないんですかねぇ」との発言 テレ朝 071015(報道ステーション)沖縄教科書検定沖縄代表団「検定撤回」要求 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20176284tnGzwKSf# 検定撤回要求者(公明党 遠山清彦)(民主党 川内博史)(沖縄県議 比嘉京子)(自民党 仲里利信) 検定撤回反対の集会も(新しい歴史教科書を作る会)11万人県民大会について言及、藤岡会長「政治介入だ」と批判 テレ朝 080328(報道ステーション)大江健三郎沖縄ノート訴訟集団自決大阪地裁軍の関与を認定 Online Videos by Veoh.com その他動画 『日本軍の強制による集団自決はあった!』証言 沖縄集団自決 旧日本兵の証言 NHK 沖縄 慰霊の日特集「“集団自決” 戦後64年の告白~沖縄・渡嘉敷-20090622 オークラ出版 反日マスコミの真実2010 ページ118や 小林よしのり ゴーマニズム宣言 「集団自決」NHK捏造番組(サピオ2009 7/22号)など参照 日テレ 080818NNNドキュメント08証言集団自決を語り継ぐ沖縄戦(頭欠け) Online Videos by Veoh.com 【関連】沖縄米軍基地問題 社民党の正体 ■ブログランキング応援クリック | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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平成21年6月15日【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・後半 <目次> 1.集団自決「軍命令は創作」初証言 元琉球政府の照屋昇雄さん(平成18年8月) 2.沖縄抗議集会に11万人も参加したのか(平成19年9月) 3.「沖縄戦集団自決命令問題」に立ちはだかる「バカの壁」 4.関連動画:小林よしのり『沖縄論』(宮台氏・萱野氏との鼎談) 5.抗議集会を冷ややかに見ていた沖縄県民も多い 6.沖縄左翼活動家が「軍命令はなかった」と事実認める(平成21年6月) 7.沖縄の最悪の反戦平和活動家は北朝鮮と繋がっている 8.関連ブログ 9.沖縄教科書検定の撤回を求める集会のTV報道(保存庫) その他動画 1.集団自決「軍命令は創作」初証言 元琉球政府の照屋昇雄さん(平成18年8月) (産経2006/8/27) 「集団自決」削除抗議と沖縄サヨク1 of 2 「集団自決」削除抗議と沖縄サヨク2 of 2 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英) ◇ 【用語解説】渡嘉敷島の集団自決 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。 【用語解説】戦傷病者戦没者遺族等援護法 日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。 ◇ ≪「大尉は自ら十字架背負った」≫ 「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。 赤松元大尉は昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として渡嘉敷島に赴任した。任務は120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った米艦船への体当たり攻撃。ところが、20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまった。 戦傷病者戦没者遺族等援護法では、日本軍の命令での行動中に死傷した、沖縄やサイパンの一般住民は「戦闘参加者」として準軍属として扱うことになっている。厚生労働省によると、集団自決も、軍の命令なら戦闘参加者にあたるという。 照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。 こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省(当時)は32年5月、集団自決した島民を「戦闘参加者」として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。 ただ、赤松元大尉の思いは、歴史の流れのなかで踏みにじられてきた。 45年3月、集団自決慰霊祭出席のため渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため、慰霊祭に出席できなかった。中学の教科書ではいまだに「『集団自決』を強制されたりした人々もあった」「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)、「なかには、強制されて集団自決した人もいた」(清水書院)と記述されている。 渡嘉敷村によると、集団自決で亡くなったと確認されているのは315人。平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に建てられた碑には、「軍命令」とは一切刻まれていない。渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だという。村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った恩賜の銀時計も飾られている。 同村の担当者は「命令があったかどうかは、いろいろな問題があるので、はっきりとは言えない。しかし、命令があったという人に実際に確認するとあやふやなことが多いのは事実。島民としては、『命令はなかった』というのが、本当のところではないか」と話した。 今回の照屋さんの証言について、「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟を支援する会」の松本藤一弁護士は「虚偽の自決命令がなぜ広がったのか長らく疑問だったが、援護法申請のためであったことが明らかになった。決定的な事実だ。赤松隊長の同意については初めて聞く話なので、さらに調査したい」とコメント。昨年、匿名を条件に照屋さんから話を聞いていた自由主義史観研究会の代表、藤岡信勝拓殖大教授は「名前を明かしたら沖縄では生きていけないと口止めされていたが、今回全面的に証言することを決断されたことに感動している。また一つ歴史の真実が明らかになったことを喜びたい」と話している。 照屋さんは、CS放送「日本文化チャンネル桜」でも同様の内容を証言。その様子は同社ホームページで視聴することができる。(下の動画参照) 「軍命令はなかった」4-3(H19.4.5) 軍命令は創作!沖縄集団自決 ◇ ≪「真実はっきりさせようと思った≫ 照屋昇雄さんへの一問一答は次の通り。 --なぜ今になって当時のことを話すことにしたのか 「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」 --当時の立場は 「琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員の立場にあった。以前は新聞記者をしていたが、政府関係者から『援護法ができて、軍人関係の調査を行うからこないか』と言われ審査委員になった。私は、島民にアンケートを出したり、直接聞き取り調査を行うことで、援護法の適用を受ける資格があるかどうかを調べた」 --渡嘉敷ではどれぐらい聞き取り調査をしたのか 「1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた」 --その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか 「1人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」 --ではなぜ集団自決をしたのか 「民間人から召集して作った防衛隊の隊員には手榴(しゅりゅう)弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、1人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣の島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」 --集団自決を軍命令とした経緯は 「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた」 --赤松元大尉の反応は 「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」 「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った」 --住民は、このことを知っていたのか 「住民は分かっていた。だから、どんな人が来ても(真相は)絶対言わなかった」 --あらためて、なぜ、今証言するのか 「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」 <産経新聞> ■沖縄集団自決 軍命令の虚構まとめ ・集団自決を命じる軍の命令書、公文書等が一通も出てこない。 ・『鉄の暴風』の執筆者は現地取材をしていない。 ・那覇で証言の聞き取りをしたが、その証言者は渡嘉敷島の住民ではなく「渡嘉敷島の住民から話を聞いた人」だった。 ・『鉄の暴風』が発売されたときは、GHQの情報統制下だった。 ・GHQは日本にWGIP(“War Guilt Information Program戦争の罪悪感を日本人に植えつけるための宣伝計画)をやった。 ・『沖縄ノート』の著者、大江健三郎氏も現地取材を一度も行っていない。 ・伝聞だけで赤松大尉を悪逆非道の人物として報道し、著書に描いたことが判明している。 ・昭和32年に初めて現地住民が集団自決命令を証言した。 ・その年に戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立し、その後厚生省援護局の聞き取りが行われた。 ・そのとき初めて現地住民が「日本軍による集団自決命令があった」と証言した。 ・ちなみに、集団自決が軍命令の場合、軍属の遺族としてもらえる遺族年金は年額196万2500円。 ・子供だけでなく孫にも受給資格があり、戦後62年経った今でも支給され続けている。 ・約3000人の沖縄県民がこの恩給を受けており、本土復帰後35年間で一人あたり約7000万円を手にしている。 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った① 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った② 体験者が語る集団自決の真実―沖縄県民は潔く戦った③ 日本文化チャンネル桜防人の道 今日の自衛隊 -10月12日号ゲスト:皆本義博(元陸軍海上挺進第3戦隊中隊長・陸軍海上挺進第3戦隊戦友会会長)沖縄戦での集団自決をめぐる「沖縄集団自決冤罪訴訟」や教科書記述をめぐる様々な動きについて、"あの時"渦中の渡嘉敷島で戦った皆本氏をスタジオにお招きし、現地証言者のVTRを見ながらお話をお聞きします。 2.沖縄抗議集会に11万人も参加したのか(平成19年9月) 【沖縄】なぜ2万人が11万人になるのか元共産党員が暴露 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1307900 (コメントを非表示にする場合は、右隅のヒヨコマークをクリック)左の動画をご覧ください。要約すると、-熊本大学の学生が航空写真を拡大して、人数を一人一人数えたところ、1万3037人だった。-ところが集会主催団体の人数の計算方法は、集会に参加した各政治団体が個別に発表した人数を足し算する方法だった。-この方法では、一人の人間が、○○党・××の会という複数の団体に所属していたら、一人の同じ人間が複数勘定される。そのせいで11万人になった。 自由主義史観研究所 公式ホームページ 教科書が教えない歴史 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!① せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!②動画 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!③勝利の一瞬 嘘つき左翼の破綻 せと弘幸BIOG「日本よ何処へ」 「文科省前で左翼プロ市民」と対決!④真実への検証・曾野綾子・テイケイ高花会長 反日議員を落選させる会 文部省前 左翼プロ市民と激突!① 反日議員を落選させる会 文部省前 左翼プロ市民と激突!② よーめんのブログ 左翼・在日・極左・お花畑が大同団結!ここに極まる! 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末① 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末② 「軍命令」はなかった! 沖縄「集団自決」をめぐる顛末③ 日本文化チャンネル桜防人の道 今日の自衛隊 -10月15日号ゲスト:奥 茂治(南西諸島安全保障研究所 副理事長)沖縄集団自決に「軍命令」があったとする言説や主張を巡る様々な動きについて、現地の情勢に詳しい氏にお聞きします 議論に負けた沖縄タイムス某記者、コソコソ船に乗り逃げ ■普通の国にしたいだけなのだ(totopapa氏ブログ) 九月二十九日の沖縄県民集会の参加者数十一万人の報道におびえて、福田首相、渡海文科相は高校教科書の検定の修正を事実上容認した。実際の数字については色々の説は出たが、警備会社の「テイケイ」が航空写真を拡大して綿密に数えた所、一八、一七九人とのことである。これは、昭和五十七年、高校教科書の検定で「侵略を進出に書き換えさせた」というマスコミの誤報の元に、当時の宮沢官房長官が「近隣諸国条項」を発表したことにも類似している。 沖縄集団自決問題とは、昭和二十年三月末に米軍が沖縄に上陸した時、沖縄本島の南西に位置する座間味島で一七二名、渡嘉敷島で三一五名の住民が集団自決したといわれることである。 これが問題となったのは占領中の厳しい言論統制下で、沖縄タイムスが「日本軍により集団自決が強制された」と記し、昭和二十五年に「鉄の暴風」として出版した事に始まる。この裏には米軍の占領政策である「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の沖縄版である「ニミッツ布告」がある。即ち沖縄住民の恨みを米軍から日本軍に振り向けるために、住民自決を軍の命令によるものと宣伝したのである。これも原爆投下、日本の主要都市爆撃による一般住民虐殺という米軍の戦争犯罪を糊塗するために、エドガー・スノーの「アジアの戦争」を読んだマッカーサーが「南京大虐殺」を極東国際軍事裁判で宣伝したことと同様である。 3.「沖縄戦集団自決命令問題」に立ちはだかる「バカの壁」 ウチナンチュー(沖縄県人)が知らない、太平洋戦争(大東亜戦争)での沖縄 沖縄は今も英霊に守られている(沖縄県民斯ク戦ヘリ内) まずは上記リンク・「新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論 (単行本)」を参照。沖縄の真実が盛り込まれています。 沖縄県は太平洋戦争(大東亜戦争)において戦場となった地です。 戦後間もなく沖縄県はアメリカの配下にありました。その当時の沖縄県の学校は日本のことを正しく教えていました。しかし本土復帰とともに一転、日本の悪口を言いたい放題になってしまいました。これにより、ヤマトンチュー(大和人)とウチナンチュー(沖縄人)との間で分断が発生してしまいました。これはとても空恐ろしいことです。これがこの戦争における認識に大きな差を生んでしまったのです。そこに赤い勢力がうまく入り込んでしまったものですから、世にも恐ろしいことです。(瀬長は共産主義者だ日本のために尽くした愛国者である。必ずしも共産主義が進んでるとはいいにくい) 考えても見てください。たとえば大阪の学校で東京の悪口を言いたい放題やって、大阪人が東京人を徹底的に憎み放題となったらどうでしょうか?これを考えるにつけ、このような分断が発生することは国の乱れのもとです。日本は地政学的に見てこういう分断が発生することは、主権侵害につながるもとです。実際インド・パキスタンの間で、カシミールをめぐってもめているわきで、中国がアクサイチンを分捕ったのです。 そこに民主党が沖縄に対して「一国二制度」を提唱しています。先述のとおり分断=主権侵害という特殊な地政学が発生しているところへこんな制度を作ることは、実質「沖縄を中国に売り飛ばす法案」となってしまうのです。幸い上記リンクに掲載されている論文を発表した沖縄人少年が現れたことは、分断を生み出した「バカの壁」をぶち破る第一歩と言えましょう。ぜひ当サイトに沖縄に関する情報をどしどし盛り込んでいただきたいものです。 4.関連動画:小林よしのり『沖縄論』(宮台氏・萱野氏との鼎談) 左翼イデオロギーに感染していった在日コリアンと沖縄 <推奨図書>新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論 (単行本) 【右翼と左翼】小林よしのり 現在の沖縄 【右翼と左翼】小林よしのり 沖縄論について ※動画のコメント欄にあるが、小林よしのり氏も「米軍基地の78%は沖縄にある」などの間違った情報をまだ信じ込んでいるので注意(下の「基地78%は大嘘、沖縄の実態」参照) ※また、小林よしのり氏・宮台真司氏の立場はいわゆる「反米保守」であり、昨年の参院選で安倍首相を大敗させ、結果的に福田売国政権誕生に一役買ったことに留意が必要。 【沖縄の空気】小林よしのり氏招聘のその後-高里洋介氏に聞く 小林よしのり氏を沖縄に招聘したために、職場などで理不尽な逆風に遭われたという高里洋介氏に、沖縄の言語空間や社会の現状についてお聞きします。左翼ファシズムが跋扈する沖縄 5.抗議集会を冷ややかに見ていた沖縄県民も多い 【集団自決】9.29教科書検定撤回を求める県民大会1.(沖縄県民の掲示板より) 1 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 01 36 ID GSqXhNmk 知事までも出席するという来月29日の県民大会について語りましょう。 因みに当初は「23日・糸満」の予定でしたが、「29日・宜野湾」に変更する方針となりました。 2 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 13 55 ID oT.PFCpY 知事も大変ダナァ 3 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 20 46 ID 8aZCy4M2 かなりショボイ集会になると容易に想像出来てしまう。 4 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 01 21 15 ID yoi5H7cI 俺の予想 「県民は実はそこまで興味は無い」 =29日は、実行委員会の予想を大きく下回る人の少なさになるものと思われ。 少女暴行事件の時は、「基地うんぬん」じゃなくて、それ以前にショッキングすぎる事件だったし、「親として」「一県民として」思うところがあったし他人事じゃなかったのであんだけ集まった。 だけど、その集会は、バカが国旗燃やしたりとか、勝手な声明文を読んだりだとかで、左翼とかが全共闘時代よろしくで自己満足に酔ってるだけで、集まった県民に対して何のフォローも無く解散した感じだったので「肩透かし」をくらった感じで帰った人も多かったと思う。 あれを覚えてるヤツは間違いなく来ないね。 5 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 08 59 30 ID cK2JkAKk まぁ、お得意の水増し主催者発表でお茶を濁し、各テレビ局が協力して放映! バカアナがヒステリックに的外れなコメントをして終了! 6 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 12 52 46 ID SDdVqUB. 結局、テレビ用なんだよな。 そんなスポット映像のためにわざわざ集まるかっつーの。 「行かざるをえない空気」を作ってる事のほうがむしろ軍国時代みたいで違和感を感じるのだが。 「行かない」という選択肢も尊重してくれる社会に戻してくれ。 知事も大変ね・・・ 7 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 13 22 47 ID CccHQPHw こう何か起きるたびに何度も県民大会を開催すると、 重要性というか、重みがなくなるような気がする・・・ ああ、またか。みたいな、軽い扱いに。 8 名前: ちゅらさん 投稿日: 2007/08/24(金) 18 44 33 ID 8aZCy4M2 今日の昼頃、県庁周辺で毎日・シュプレヒコールをあげてる市役所・県庁の組合員が 「日曜の県民集会を成功させよう!」と叫んでいたが・・・ それに続けて「安保条約破棄!」とか叫んでた。 こんな連中と一緒じゃ、与党が参加を渋るのは仕方が無いね。 続き 2.、3.、4.、5.、6.、7.、8.、9.、10.、11.、12. 6.沖縄左翼活動家が「軍命令はなかった」と事実認める(平成21年6月) 【直言極言】沖縄集団自決・動き始めた沖縄の言論界 「住民に自決を強いた『軍命令』はなかった」と、決定的な証言や検証を元にチャンネル 桜でもたびたび取り上げてきた沖縄集団自決問題。現地・沖縄では今なお、『鉄の暴風』 『沖縄ノート』の内容が真実とされているが、その空気に抗うかのように、『うらそえ文 藝』編集長・星雅彦氏と、「1フィート運動」創始者でもある上原正稔氏が、地道な取材 や調査の結果、「軍命令はなかった」と勇気ある主張を明らかにした会見の模様をお送り します。沖縄二紙の開き直り 記者会見の動画(狼魔人日記) 【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・前半 【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・後半 7.沖縄の最悪の反戦平和活動家は北朝鮮と繋がっている 狼魔人日記:分裂!沖縄平和運動が 全駐労が今回脱退した沖縄平和運動センターの方が、実にいかがわしい政治色を感じる。 率直に言ってここは平和運動の名を借りた、左翼革命運動団体である。 あの日教組と似た性格の売国組織である。 このセンターに関係する人間は北朝鮮とのつながりも深い。 例えば平良研一沖縄キムジョンイル著作研究会会長(沖縄大教授)、 有銘政夫沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議議長、 佐久川政一沖縄主体思想研究会会長、島袋宗康参院議員、 米盛裕二沖縄大教授、下地玄栄・同、 仲宗根義一沖縄平和運動センター事務局長、金城睦弁護士など 沖縄の左翼運動のそうそうたるメンバーがいる。 これらのメンバーはキム総書記推戴1周年、朝鮮民主主義人民共和国創建50周年で祝賀宴にも参加している。 さらにこのセンターは北朝鮮の利権擁護とその民族的関係者の多い社民党主導の団体でもある。 センター議長の崎山嗣幸も社民党県会議員である。 そういえば元沖縄県知事で現参院議員の大田昌秀も社民党の議員であり、かつての知事時代には百何十名もの北朝鮮ファンを率いて、ピョンヤンに詣でていた。この人もセンターとかかわりが深い。 さらに沖縄平和運動センターの支持団体は、自治労、沖教祖それに沖縄タイムス、琉球新報などとくれば、この団体の素性はおのずと明らかだろう。 沖縄県の反戦平和活動家は北朝鮮の工作員である。 実情を見るとそう思われても仕方のない言動の人たちばかりである。 また未確認だが沖縄には成りすましの在日朝鮮人が多数入り込んでいるという。 彼らは通名(日本人名)を自由に幾通りにも使えるので、沖縄では地域特有の通名、例えば金城、島袋、儀間、平良・・・などを名乗るという。 また朝鮮総連のHPでは沖縄支部は福岡県となっているが、実際には沖縄県内にあり、 牧志○丁目にある城○共○住宅に朝鮮総連の秘密の支部があるという。 なぜ沖縄支部を秘密扱いにせねばならないのか? 沖縄平和運動センターとそれに関係する人びと、さらに北朝鮮とのつながり。朝鮮総連の非公開・疑惑の沖縄支部の存在など、何かきな臭いものを感じないだろうか。 しかし沖縄は日本の縮図ではないかと時々思う。政界からマスゴミに平和団体などがほぼ中国、朝鮮に支配されているような気がするのは私の考えすぎ、被害妄想なのだろうか・・・・・・・ 8.関連ブログ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 狼魔人日記 9.沖縄教科書検定の撤回を求める集会のTV報道(保存庫) +... NHK総合071001沖縄教科書検定の撤回を求める集会11万の参加と表現(本当は2万) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685512CmHa3F3P NHK総合071016沖縄教科書検定問題 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685605ZSQPk6rB NHK総合071101高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685532etYCbBhp NHK総合071101高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請2 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685542dJhdqqeM NHK総合071102高校の教科書日本軍関与記述復活求め訂正申請 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685555Cjk2pPD2 NHK総合071224高校の教科書日本軍関与記述削除から再修正に http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685563jdR2DEEd NHK総合071226高校の教科書日本軍関与記述2 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685573tz3Xtbdk TBS 070420(イブニングニュース)安部首相VS管代表教科書検定沖縄戦をめぐり対立 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20217701tPK4Z5CA TBS 070929教科書検定沖縄で11万人反対集会(本当は2万くらい) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685618tdAnszJQ TBS 071007(サンデーモーニング)沖縄教科書検定問題 TBS 071207-1100沖縄の集団自決歴史教科書問題で文部省軍強制の断定的資料は無し TBS 071226(イブニングニュース)沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v206856242pr6nhq4 TBS 071226-2254沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(ニュース23) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685650DeQQ7FMw TBS 071227沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(朝ズバ) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685667HXfs7fw8 TBS 071227(イブニングニュース)沖縄戦の集団自決に関する歴史教科書検定問題教科書執筆者抗議 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20685664KFMMAB7m TBS 071230沖縄集団自決で日本軍が強制したとの表現は無いが軍の関与は認められる(サンデーモーニング) http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v206857423nQcMSzm テレ朝 071001(報道ステーション)歴史教科書検定で沖縄に11万人のデモ報道 テレ朝071004(報道ステーション)沖縄教科書検定集会古館「仮に2万人だったとして、なにがいけないんですかねぇ」との発言 テレ朝 071015(報道ステーション)沖縄教科書検定沖縄代表団「検定撤回」要求 http //www.veoh.com/browse/videos/category/news/watch/v20176284tnGzwKSf# 検定撤回要求者(公明党 遠山清彦)(民主党 川内博史)(沖縄県議 比嘉京子)(自民党 仲里利信) 検定撤回反対の集会も(新しい歴史教科書を作る会)11万人県民大会について言及、藤岡会長「政治介入だ」と批判 テレ朝 080328(報道ステーション)大江健三郎沖縄ノート訴訟集団自決大阪地裁軍の関与を認定 Online Videos by Veoh.com その他動画 『日本軍の強制による集団自決はあった!』証言 沖縄集団自決 旧日本兵の証言 NHK 沖縄 慰霊の日特集「“集団自決” 戦後64年の告白~沖縄・渡嘉敷-20090622 オークラ出版 反日マスコミの真実2010 ページ118や 小林よしのり ゴーマニズム宣言 「集団自決」NHK捏造番組(サピオ2009 7/22号)など参照 日テレ 080818NNNドキュメント08証言集団自決を語り継ぐ沖縄戦(頭欠け) Online Videos by Veoh.com 【関連】沖縄米軍基地問題 社民党の正体 ■ブログランキング応援クリック | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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1988年 試合結果一覧(下に行くほど古くなります) 1988年全日本学生馬術大会 夏期西日本学生馬術競技会 1988年 全日本学生馬術大会 中障害飛越競技(2回走行) 順位 選手名 馬名 減点 51位 鉄本 兼治 エイティコール - 児島 雅彦 ラガーバンケット E - 平田 洋一 オオミセンプウ E 3―DAY―EVENT 順位 選手名 馬名 18位 児島 雅彦 タケノヒエン 24位 鉄本 兼治 エイティコール 夏期西日本学生馬術競技会 第3級馬場馬術 順位 選手名 馬名 9位 鉄本 兼治 エイティコール 16位 太田 安佐子 タケノヒエン 小障害飛越競技 順位 選手名 馬名 減点 1位 太田 安佐子 タケノヒエン - 平田 洋一 オオミセンプウ E 中障害飛越競技(2回走行) 順位 選手名 馬名 減点 1位 児島 雅彦 ラガーバンケット 2位 児島 雅彦 タケノヒエン - 平田 洋一 オオミセンプウ E - 鉄本 兼治 エイティコール E 3―DAY―EVENT 順位 選手名 馬名 調教減点 耐久減点 余力減点 1位 児島 雅彦 タケノヒエン 2位 児島 雅彦 ラガーバンケット 4位 鉄本 兼治 エイティコール 団体総合成績 順位 大学名 1位 宮崎大学