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まっぽんでんてっ 路線自体は90年もの歴史があるらん。2011.04.01にアルピコ交通設立とともに鉄道事業が分社した当社だハムニダ。上高地線はアルピコ交通の直営かって?いや、それは建前でありる鉄道部は実質会社ですゃねぬ。 駅一覧 松本 - 西松本 - 渚 - 信濃荒井 - 大庭 - 下新 - 北新・松本大学 - 新村 - 三溝 - 森口 - 松電下島 - 波田 - 渕東 - 新島々 1985年廃線区間 : 新島々 - 島々(前渕) 歴史*長文 この中には神岡鉄道と関係するものがあります。該当項目もあわせて御覧アレン 革年 大8.12.5-松本~竜島間免許 9.3.11-動力を蒸気から電気に変更 9.5.29-筑摩鉄道株式会社設立 10.10.2-松本~新村間開業(1067mm・600V) 11.5.10-新村~波多(現 波田)間開業 11.9.26-波多~島々間開業により島々線全通 11.10.31-筑摩電気鉄道に社名変更 昭4.12.19-島々~竜島間免許失効 7.12.27-松本電気鉄道に社名変更 30.4-島々線を上高地線に改称 32.11.1-上高地線750Vに昇圧 41.6.27-自動閉塞化 48.11.30-貨物営業廃止 58.9.28-台風10号による土砂崩れのため新島々~島々間休止 59.2.1-郵便物輸送廃止 59.12.31-新島々~島々間廃止 61.12.20-列車無線使用開始 61.12.24-1500V昇圧ワンマン運開 廃線含む歴史ん ※参考本¥2500~2800ぐらいで発売中。 この年間に廃止された全私鉄の現役時代と廃線跡を訪ねて 私鉄廃線を歩くⅡ(関東・信州・東海編)112・114ページ 松本電気鉄道のルーツは1920年5月 新村設立で駅近くな松本専念寺で創設式を行ったん 実はあまり知られてないが 当初は東筑電気という電力会社で 電力なるもん新村を中心に各世帯へ供給していた 鉄道は沿線住民の輸送、上高地を主とする観光開発や梓川水系の発電所資材輸送を目的とし、当初は蒸気鉄道として計画されていたが、創設者で鉄道オタクである上条信は電車を走らせればいいだろと意向を示したため会社設立直前に電気動力に変更された。 この時、電車を走らせたくて各世帯への送電線をやめたとう説もる 1921年10月02日、松本~新村間が開業 翌年05月10日に新村~波多(現 波田)間、09月26日波多~島々間を延長し松本~島々間が全通 翌月社名を筑摩電気鉄道に改称(後松本電気鉄道に改称)た 未着工区間な島々~竜島間は僅か三㌔近くだったが、梓川を渡る鉄橋が必要で当時技術的資金的な制約からか着工を断念 当面の間は梓川東な前渕地区に 届かなかった島々地区の名を取り島々駅(仮)として暫定的な終着駅にした が、結局延伸もないまま1929年(昭4)12月19日付で免許失効となたん その後は上高地、白骨温泉へのバス接続は長い間、終点島々(仮)であったが観光需要が増加伴う バスの増備によりシーズン毎には駅前のバス基地が手狭になたことから 1966年(昭41)10月01日に1.3Km手前にある赤松駅に島々に代わるNew BTを設け、 新しい島々(笑)なので新島々と改称しと 以来、元々観光需要が大半を占めていた島々から新島々にターミナル機能が移ったんことで新島々~島々間は極端に利用減となり、晩年には新島々で長時間くらい停車する列車もあた 駅舎には車電行本松と書かれていたん そんなおりの1983年9月28日、台風10号によって土砂崩れが起こると新島々~島々間は運休となり復旧することなく、翌1984年(昭59)12月31日付で廃止となた。 松本駅七番線を発車した新島々行はJR松本運転所裏を抜けて市街地を走ったのち信濃荒井を過ぎた辺りから安曇野と呼ばれる田園地帯に入る 新村付近からは右手の車窓にキタアルプスの山々がダイナミックに広がり残雪のころは特に美しい波田を過ぎると次第に山が迫り始め勾配を登り続ける終着駅新島々は島式ホーム1本と2本の発着線をもち駅前BTからは上高地・白骨温泉・乗鞍高原方面行きのバスが発する 島々まで電車が走ってた頃は山裾を縫うように進み右手から梓川と山裾が近づくと島々に至った。 もとは島式ホームと2本発着線であたが 晩年は発着線1本のみとなてた 新島々~島々間が建材であった頃の架線電圧は750Vで1958~63年製の日車標準車体であた10系(モハ10型6両クハ10型1両)が活躍していたん 1980年代に入ると車両更新が急務となり新島々~島々間廃止後な1986年12月に1500V昇圧を実施して全旅客車を元東急5000系に置き換えたん. その後1999~2000年に元京王井の頭3000系への置き換えがなり暖冷房温寒化を達成している. 新島々の二本発着線は合流してさらに奥に続き線路が草で覆われていないのは夜間に車両停泊があるため発着線から奥に向かう位置にも2灯式の旧出発信号がありこれは島々に至っていた名残で今では現示面が線路と直角方向に変えられているか 線路と架線が途切れた先の線路跡は未舗装道路に姿を変え小さな神社の鳥居前で国道157(HYDE)号線の歩道と合流す その先は所々で国道から離れ小さなガーターも残ってる さらに進むと線路跡は国道付け替えで道路の下になり1999年3月には旧駅前がバス車庫になってたり空き地になってたりしてんで 特定は困難になとるん イメキャラ 2012年09月13日に誕生したんじゃないかと思われる渕東渚という恐るべき魔物。
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日本硝子 【商号履歴】 日本硝子株式会社(1951年11月~1998年10月1日山村硝子株式会社に合併) 新日本硝子工業株式会社(1950年9月~1951年11月) 【株式上場履歴】 <東証2部>1961年10月2日~1982年12月17日(会社更生法適用申請) 【合併履歴】 1955年2月 日 徳永硝子株式会社 【沿革】 大正5年6月 日本硝子工業株式会社として設立。横浜工場、尼崎工場操業開始。 大正9年4月 大日本麦酒株式会社の製びん部門として合併。 昭和11年11月 大日本麦酒株式会社から分離独立して、日本硝子株式会社として設立。 昭和25年9月 新日本硝子工業株式会社(日本硝子株式会社の前身)と新日本硝子株式会社に分割。 昭和26年11月 社名を日本硝子株式会社に変更。 昭和30年2月 徳永硝子株式会社と合併。 昭和37年2月 日硝株式会社設立(昭和47年3月、星硝株式会社に商号変更)。(現:連結子会社) 昭和57年9月 会社更生法に基づく更生手続の開始申立。 昭和59年10月 更生計画が東京地方裁判所により認可決定。 昭和60年11月 熊谷市に埼玉工場建設、操業開始。横浜工場閉鎖。 平成7年11月 更生計画変更計画が東京地方裁判所により認可決定。 平成10年9月 更生手続終結申立書が東京地方裁判所により受理。 1998年10月1日 山村硝子株式会社に合併。
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http //www.nicovideo.jp/watch/sm24252204 年代 2001~02年頃 内容、証言、反応など 【ヒトガタ】未出、迷宮入りCM捜索スレ3【サンスキップ】より 821 : 提供:名無しさん : 投稿日:2011/09/11(日) 01 13 32 0 ヒトガタとかモラルの話題で時々触れられる 車両解体シーンを映したJRの不気味なCMってのが気になるんですが ネットに出回ってますか? 128: 提供:名無しさん :sage 2009/03/23(月) 21 40 12 0 127 ヒカルの碁ではJR東日本がスポンサーだったから全国で流れている。 実際廃車される電車が真っ逆さまにされたCMとか不気味なのもあった。 問題は白いヒトカゲだが俺はヒカルの碁内で見たことがない。それ以前にヒトカゲ自体見たことないが。 踏切のマナーのCMはあった。白黒ではないが横浜線の某踏切でトラックが警報器鳴る中強行突破して電車が止まるという内容のビデオ映像だったかな。 白いヒトカゲ、やっぱ迷宮だな… 822 : 提供:名無しさん : 投稿日:2011/09/11(日) 07 22 11 0 821 それ書いたの俺だったw 多分未出だよ。でもググったらそのCMに関して記述してたサイトがあったような気がする。 内容は車両の省エネ化がテーマだったと思う。 新型のE231系は国鉄車の103系(解体シーン)に比べて格段に省エネです、みたいな企業広告。 828 : JOCX-TV2 ◆mvhyO1ixPg : 投稿日:2011/09/21(水) 22 21 04 O 821 車両解体のやつは昔ネットで見たような…記憶違いかな? 解体されてるのはオレンジの103系だったかな なんかクレーンみたいなので車体が吊りあげられてた気がする。 HDDの隅に保存されてるかな… 【ヒトガタ】未出、迷宮入りCM捜索スレ5【サンスキップ】より 510 :提供:名無しさん:2013/03/18(月) 19 56 31.35 0 過去スレに載っていた電車解体のCMが気になったのですが 128: 提供:名無しさん :sage 2009/03/23(月) 21 40 12 0 127 ヒカルの碁ではJR東日本がスポンサーだったから全国で流れている。 実際廃車される電車が真っ逆さまにされたCMとか不気味なのもあった。 問題は白いヒトカゲだが俺はヒカルの碁内で見たことがない。それ以前にヒトカゲ自体見たことないが。 踏切のマナーのCMはあった。白黒ではないが横浜線の某踏切でトラックが警報器鳴る中強行突破して電車が止まるという内容のビデオ映像だったかな。 白いヒトカゲ、やっぱ迷宮だな… 513 :提供:名無しさん:2013/03/18(月) 21 04 02.83 0 510 それ俺のレスw 白いヒトカゲはヒトガタの間違いな、恥ずかしい せっかくだから調べた。以下適当にぐぐって出てきた掲示板より。 どうも電車解体のCMは2002年春頃放映されたらしい。JR東日本がスポンサーの「日高義樹のワシントン・リポート」にて流されたとか。 黄色い103系のクハ(つまり2001年に廃車となった中央総武線の先頭車)が切断され真っ逆さまに置かれたシーンがあって、衝撃的だとか述べてある。俺も覚えてる。 省エネ電車のCM。 515 :513:2013/03/18(月) 21 11 19.36 0 連投すまん。電車解体のやつ2001年春かも。 参考。 JR束日本”走るんです”のCM JR束日本”走るんです”のCM より 22 :名無しでGO!:2001/03/24(土) 20 17 つうか、マジでどんなCMなの? 23 :名無しでGO!:2001/03/24(土) 20 34 22 まずタイトルが ==環境って何のため?== 続いて 走るんですが(E231東北線)出てきて ==209系車両は電力消費量は103系の3分の1== カナリアのATC103系が地面に屋根が付いた状態であぼーん ==環境の時代は終わりました== ====JR束日本=== 69 :名無しでGO!:2001/03/26(月) 18 27 昨日初めて見た。 なんか想像よりも深刻なCMだったね。 ”解体前の車両”と小さく画面に出て、 クハ103高運車が車体裾部をバーナーで焼き切られて、 屋根を下にひっくり返っている(大船工場式)正面を映した ところが出てくる。 同じ日に見たもので、JR西日本の三都物語のCMで、 103系が走っているというのがなんともはや・・・ その他考察など 消費電力の多い旧型電車を取り替えて省エネに努めていることをアピールするCMだが、解体中の電車(103系カナリアイエロークハ車)をそのまま映すなど見た目にインパクトがあり、不気味だった模様。 全国ネットでCMを流していたので、他のJRのエリアでも目撃・録画の可能性あり。 コメント 発掘されたからつべで見てみたんだが電車が逆さまにされてる所がちょっと怖いだけ。そんなに怖くは無かった。 -- 名無しさん (2014-08-17 16 25 57) こんなcmを流すと -- 名無しさん (2017-05-16 18 45 20) 鉄オタ悲しむ -- 名無しさん (2017-05-16 18 46 21) 名前 コメント
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日本コンピュータシステム 本店:東京都新宿区西新宿二丁目1番1号新宿三井ビル 【商号履歴】 日本コンピュータシステム株式会社(1987年9月~) 日本コンピューターシステム株式会社(1981年2月~1987年9月) エヌシーエス株式会社(1980年12月25日~1981年2月) 【株式上場履歴】 <ジャスダック>2004年12月13日~2008年12月4日(パレス・キャピタル・パートナーズ株式会社が全部取得) <店頭>1989年12月21日~2004年12月12日(店頭登録制度廃止) 【沿革】 昭和55年12月 東京都渋谷区千駄ケ谷にエヌシーエス株式会社を設立。 昭和56年2月 商号を日本コンピューターシステム株式会社に変更。 昭和56年5月 日本電気株式会社、安立電気株式会社等をユーザーに、実質的営業を開始。 昭和61年3月 エンタテイメント分野のソフトウェアプロダクトとしてパーソナルコンピュータ用ゲームソフトウェアを商品化、発売。 昭和61年6月 株式会社田村電機製作所との共同出資により、テレコムクリエイトシステム株式会社を設立。 昭和61年7月 労働省に「特定労働者派遣事業」届出。(届出受理年月日 昭和61年7月1日、届出受理番号特13-04-0076) 昭和62年9月 商号を日本コンピュータシステム株式会社に変更。 昭和63年2月 日本電気ホームエレクトロニクス株式会社と「PCエンジン」の商標使用権に関する契約を締結。 昭和63年9月 東洋エンジニアリング株式会社と業務提携。 昭和63年9月 ホームコンピュータPCエンジン用ゲームソフトウェアを商品化、発売。 平成元年3月 株式会社セガ・エンタープライゼスと「メガドライブ」の商標使用権に関する契約を締結。 平成元年6月 本社事務所を東京都新宿区西新宿に移転。 平成元年7月 日本電気ホームエレクトロニクス株式会社と「CD・ROM2」の商標使用権に関する契約を締結。 平成元年12月 社団法人日本証券業協会に株式を店頭売買銘柄として登録。 平成元年12月 任天堂株式会社と「ゲームボーイ」の商標使用権に関する契約を締結。 平成2年4月 株式会社セガ・エンタープライゼスと「ゲームギア」の商標使用権に関する契約を締結。 平成3年2月 任天堂株式会社と「スーパーファミコン」の商標使用権に関する契約を締結。 平成3年5月 技術センター別館(BIS西麻布)を開設。 平成3年5月 任天堂株式会社と「ファミリーコンピュータ」の商標使用権に関する契約を締結。 平成3年7月 株式会社セガ・エンタープライゼスと「MEGA-CD」の商標使用権に関する契約を締結。 平成5年10月 技術センター及び技術センター別館の組織・機能を東京都新宿区西新宿に移転。 平成6年3月 株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントと「プレイステーション」の商標使用権に関する契約を締結。 平成6年11月 株式会社セガ・エンタープライゼスと「サターン」の商標使用権に関する契約を締結。 平成6年12月 研究開発センター(新宿区西新宿)の新設。 平成10年12月 研究開発センターをSEセンターと改称し、東京都中野区中央に移転。 平成11年8月 事業拠点として、SO千葉(千葉県我孫子市)を新設。 平成12年3月 ゲームソフトウェアの新規開発を中止し、ソフトウェアプロダクト事業より撤退。 平成12年4月 事業拠点として、SOお茶の水(東京都文京区)を新設。 平成15年3月 SOお茶の水を閉鎖し、SEセンターに統合。 平成15年10月 ISO9001の認証を取得。 平成16年2月 SO千葉を閉鎖し、SEセンターに統合。 平成16年9月 プライバシーマークの認定を取得。 平成16年12月 日本証券業協会への店頭登録を取消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場。
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日本アビオニクス 本店:東京都品川区西五反田八丁目1番5号 【商号履歴】 日本アビオニクス株式会社(1980年4月~) 日本アビオトロニクス株式会社(1960年4月8日~1980年4月) 【株式上場履歴】 <東証2部>1988年2月9日~ 【沿革】 昭和35年4月 日本電気株式会社と米国ヒューズ・エアクラフト・カンパニーの合弁会社として、東京都千代田区丸の内に資本金3億60百万円で、防衛用及び一般産業用電子機器並びにこれらに使用される部品の製造、販売、保守、修理等を営業目的とし、日本アビオトロニクス株式会社の商号をもって設立 昭和36年11月 横浜市瀬谷区に現横浜事業所を開設 昭和39年6月 大阪営業所(現大阪支店)を開設 昭和40年11月 本店を東京都港区西新橋一丁目15番1号に移転 昭和44年4月 横浜事業所本館を新設 昭和45年4月 創立10周年を迎え、横浜事業所本館を増設 昭和45年11月 資本金を8億27百万円に増資 昭和46年4月 横浜事業所第3工場を新設 昭和50年8月 名古屋出張所(現名古屋支店)を開設 昭和51年4月 当社の全額出資によりアルス株式会社(現日本アビオニクス販売株式会社)を設立(現連結子会社) 昭和54年4月 当社の全額出資により山梨アビオニクス株式会社を設立(現連結子会社) 昭和55年4月 創立20周年を迎え、社名を日本アビオニクス株式会社に変更 昭和58年6月 資本金を10億円に増資 昭和60年4月 福岡営業所(現福岡支店)を開設 昭和63年2月 東京証券取引所市場第二部に上場し、資本金を36億40百万円に増資 平成元年4月 府中営業所(現府中支店)を開設 平成元年9月 当社の全額出資により福島アビオニクス株式会社を設立(現連結子会社) 平成元年12月 資本金を67億69百万円に増資 平成3年4月 甲府出張所(現甲府営業所)を開設 平成6年7月 本店を東京都港区西新橋三丁目20番1号に移転 平成10年4月 横浜事業所環境マネジメントシステム「ISO14001」認証取得 平成14年10月 製造管理・生産管理システム事業及び移動体通信ソフトウェア事業を株式会社NEC情報システムズに営業譲渡 平成15年3月 資本金を87億69百万円に増資 平成15年4月 神奈川県高座郡寒川町に相模事業所を開設 平成16年8月 資本金を51億45百万円に減資 平成18年6月 日本電気株式会社からNEC三栄株式会社の全株式を譲受(現連結子会社) 平成18年8月 本店を東京都品川区西五反田八丁目1番5号に移転
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NECキャピタルソリューション 本店:東京都港区芝五丁目29番11号 【商号履歴】 NECキャピタルソリューション株式会社(2008年11月30日~) NECリース株式会社(2004年6月18日~2008年11月30日) エヌイーシーリース株式会社(2002年2月1日~2004年6月18日) 日本電気リース株式会社(1998年4月1日~2002年2月1日) 日電海外エンジニアリング株式会社(1970年9月7日~1998年4月1日) 【株式上場履歴】 <東証1部>2006年3月1日~ <東証2部>2005年2月10日~2006年2月28日(1部に指定替え) 【筆頭株主】 日本電気株式会社 【連結子会社】 NLアセットサービス株式会社 東京都港区 100.0% 【合併履歴】 1998年4月1日 日本電気リース株式会社 【沿革】 昭和53年11月30日に、日本サテライトテレコミュニケーションズ株式会社(昭和42年5月設立)が定款を改め、商号を「日本電気リース株式会社」として当社は設立されましたが、額面金額変更のため、当社は平成10年4月1日を合併期日として、日電海外エンジニアリング株式会社(昭和45年9月7日設立)と合併しました。法律上の存続会社は、日電海外エンジニアリング株式会社でありますが、合併前の日電海外エンジニアリング株式会社は休業状態であり、法律上消滅した日本電気リース株式会社が実質上の存続会社でありますので、会社の沿革については、特に記載のない限り、実質上の存続会社に関して記載しております。また、合併と同時に「日本電気リース株式会社」に商号を変更し、その後平成14年2月1日に商号を「エヌイーシーリース株式会社」に、平成16年6月18日に「NECリース株式会社」に変更しました。当社は平成17年2月10日に東京証券取引所市場第二部に上場、平成18年3月1日に東京証券取引所市場第一部銘柄に指定されました。 昭和53年11月 日本サテライトテレコミュニケーションズ株式会社を日本電気リース株式会社と商号変更し、同年12月本社を東京都港区芝五丁目37番8号、営業所(現関西支社)を大阪に置き、情報処理機器、通信機器を中心にリース事業の営業を開始 昭和55年11月 福岡営業所(現九州支社)を開設。その後主要都市に支店、営業所等を開設 昭和58年4月 ファクタリング事業の営業開始 平成9年4月 資産担保証券(ABS)を発行し、資金調達多様化の開始 平成10年4月 株式の額面金額変更のため、日電海外エンジニアリング株式会社と合併 平成10年4月 旧日電海外エンジニアリング株式会社が、旧日本電気リース株式会社を吸収合併し、同日商号を変更 平成11年12月 本社地区 環境マネジメントシステム「ISO14001」の認証を取得 平成13年1月 全社 環境マネジメントシステム「ISO14001」の認証を取得 平成14年2月 「エヌイーシーリース株式会社」に商号を変更 平成16年6月 「NECリース株式会社」に商号を変更 平成17年2月 東京証券取引所市場第二部に上場 平成18年3月 東京証券取引所市場第一部に上場 平成19年10月 NLアセットサービス株式会社(現・連結子会社)を設立
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野生の王国(MBS制作)(1963.12〜1990.09) (1990.04〜09) (1989.04〜1990.03) 1 30"...NEC(日本電気グループ) 0 30"...信用金庫・全信連、KINCHO(大日本除虫菊)、日本通運 (1985.10〜1989.03) 1 30"NEC(日本電気グループ)、クボタ(久保田鉄工) (1978.10〜1979.09) 1 30"...NEC(日本電気グループ)、クボタ(久保田鉄工)
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欽ちゃんのどこまでやるの! (NET→テレビ朝日)(1976.10.06〜1986.09.24) (1983.10〜1986.09) 1'00"...NEC(日本電機グループ)、AJINOMOTO(味の素)※1、小林製薬、ロッテ、ヤクルト、丸八真綿 (1981.04~09) 1'00″...NEC(日本電気グループ)、小林製薬、味の素KK、金鳥(大日本除虫菊)、味覚糖、丸八真綿 (1980.10~1981.03) 1'00"...味の素ゼネラルフーヅ、コンタック、味覚糖、丸八真綿、NEC(日本電気グループ)、小林製薬 (1977.10~1978.09) 1'30"...小西六写真工業 1'00"...NEC(日本電気グループ)、シバウラトラクター (1976.10〜1977.09) 1'30"...小西六写真工業 ※1 1985までは味の素KK名義
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西部電気工業 本店:熊本市坪井二丁目1番42号 【商号履歴】 西部電気工業株式会社(1948年8月~) 西部電気通信工業株式会社(1947年7月3日~1948年8月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2001年5月9日~ <福証>1974年1月 日~ <大証1部>1999年9月 日~2013年7月15日(東証に統合) <大証2部>1978年12月1日~1999年 月 日(1部指定) 【筆頭株主】 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 【連結子会社】 西部電設㈱ 熊本市 100.0% 九州通信産業㈱ 熊本市 51.4% 九州電話運輸㈱ 福岡市博多区 50.7% 【合併履歴】 2001年4月1日 株式会社エコモ 【沿革】 昭和22年7月 福岡市に無線施設建設及び保守を目的として、資本金195千円にて西部電気通信工業株式会社を設立。 昭和23年8月 本社を熊本市薬園町に移転、社名を西部電気工業株式会社に変更。営業種目に線路、土木、機械の電気通信工事を追加。 昭和26年1月 本社を熊本市坪井に移転。 昭和27年5月 日本電信電話公社による電気通信設備工事請負者資格審査制度が発足し、通信線路、土木、機械、伝送無線がそれぞれ2級の資格認定を受ける。 昭和29年7月 通信線路、土木が(仮)1級の資格認定を受ける。 昭和32年7月 通信線路、土木が1級の資格認定を受ける。 昭和40年7月 子会社西部電設株式会社を設立(現・連結子会社)。 昭和41年7月 通信機械が1級の資格認定を受ける。 昭和44年8月 大日通信工業株式会社を子会社化(昭和46年7月12日福岡電通工業株式会社に商号変更)。 昭和49年1月 福岡証券取引所市場に株式を上場。 昭和53年12月 大阪証券取引所市場第二部に株式を上場。 昭和56年9月 福岡証券取引所市場の貸借取引銘柄に選定される。 平成3年2月 日本電信電話株式会社による電気通信設備請負工事の通信設備総合工事・構内交換設備工事の参加資格認定を受ける。 平成7年8月 大阪証券取引所市場第二部の信用取引銘柄に選定される。 平成8年5月 大阪証券取引所市場第二部の貸借取引銘柄に選定される。 平成8年8月 事業目的に次の業務を追加。建物売買業、土地売買業、不動産代理業・仲介業、駐車場業。 平成9年2月 日本電信電話株式会社による電気通信設備請負工事の工事競争参加資格を受ける。 平成10年6月 西部通信建設株式会社を子会社化(平成13年10月1日株式会社アジルテクノスに商号変更。平成14年10月1日西部電設株式会社、福岡電通工業株式会社と、西部電設株式会社を存続会社として合併)。 平成11年2月 公栄設備工業株式会社を子会社化。ISO9001の認証を取得。 平成11年9月 大阪証券取引所市場第一部の銘柄に指定を受ける。 平成11年10月 日本電通株式会社と業務提携。 平成12年4月 株式会社エコモと平成13年4月1日を合併期日とする合併契約書に調印。 平成12年7月 東京都中央区に子会社「ひばりネットシステム株式会社」を設立。 平成13年4月 株式会社エコモと合併。合併により、株式会社福和エンジニアリング、九州通信産業株式会社、株式会社福岡通信工材製作所を子会社化。 平成13年5月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場。 平成14年10月 西部電設株式会社、福岡電通工業株式会社、株式会社アジルテクノスの3社は西部電設㈱を存続会社として合併。 平成15年2月 ISO14001の認証を取得。 平成15年5月 九州電話運輸株式会社の株式を追加取得により子会社化。 平成15年8月 福岡市博多区に福岡本社を開設。熊本本社、福岡本社の二本社体制となる。 平成16年11月 情報セキュリティマネジメントシステム「国際資格(BS7799)と国内資格(ISMS)」認証を同時取得。 平成18年11月 情報セキュリティマネジメントシステムをISO27001(国際標準規格)へ移行。 平成19年4月 技術センタ、ソフトウェア事業部を設置。 平成19年11月 東京証券取引所市場第一部の貸借取引銘柄に選定される。
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μPC4570C-A / 日本電気 超低ノイズ,高速,広帯域 デュアル・オペアンプ 2008年製 タイプ Bipolar 電源電圧 ±4~16V GBW 15MHz スルーレート 7V/us Vn 4.5nV@1kHz / 5.5nV@10Hz / Corner 200Hz 開ループ利得 100db 消費電流 5mA 出力電流 25mA オーディオ向け ○ ボルテージフォロア ○ オリジナルベンダー 日本電気 現行品/廃止品 DIPパッケージは保守品種 型番・記号の意味 μP - NECの製品接頭記号(同社の商標「MICROPACK」の略) C - バイポーラアナログIC 4570 - 型番 C - PDIPパッケージ -A - 無鉛品(NECマークの左上にドットあり) 日本電気が4558を元に開発したオーディオ用のオペアンプです。 JRCの NJM4580 と似ていますが、NJM4580よりもずっと地味でほとんど話題にも出ないような品種です。しかし諸特性は非常に優れています。 μPC4570を低電圧用に改設計したものが μPC4572 です。 一般的に使われるNJM4580DDと比較すると低音の締まりはμPC4570Cのほうが秀でています。高音の伸びに関しては、いい勝負です。解像度では、NJM4580のほうが少し上かもしれません。好みの問題ともいえますが、NJM4580の音のほうが音響関係者には評判がいいのでしょうか? 私としては、数あるオーディオオペアンプの中でも特に気に入っているので、もはや製造の終わってしまったDIPタイプのもの、現行品だけどもともと入手性の良くないSOタイプのもの(μPC4570G2)をいくつか確保しています。 日本電気のOPAMP μPC4570C-A/ μPC4572C-A / μPC812C-A / μPC4556C / μPC816C 戻る -