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〈記念講演〉グローバリズムと心性操作 佐々木賢 心性とは態度や習性や感情の動き方の癖をいう。心性は地域や民族や時代によって変わる。近代に始まった教育も一つの心性になっている。近代以前には、徒弟や修業や見習いの習慣はあるが、資格をもった教師が生徒に資格を与える教育概念はなかった。 教育が始まって以来、為政者は教育を使って心性を操作することに熱心だった。フロイドの甥である、アメリカの学者のバーネイスは著書『プロパガンダ』(1928年、未翻訳) で、「民主主義とは、為政者の意図を民衆が自ら進んで行うようにする方法だ」と説いた。心性操作の元祖である。 現代の心性操作には様々なものがあるが、ここで取り上げるのは2006年から2007年に話題となった教育問題の内、教育基本法改定、未履修、いじめ、教育再生会議第一次報告の4つの中の心性操作を取り上げる。 小学校六年生の女児が同級生を刺殺した事件、証券取引法違反でライブドアの堀江の逮捕、親殺しや子殺しの事件が起きた時、安倍総理は「だから、教育基本法を改正しなくてはいけない」と述べた。教基法改正の目的が心性操作であることが分かる。 高校で公立20%強、私立40%強の生徒が指導要領の必修単位を未履修のままだった。その時点で指導要領は法律ではなかった。ところがマスコミも大学も文科省も教委も、二人の校長は自殺してまで「法律違反は遺憾」と述べた。国が教育内容を規定する方向に、心性操作されていたのだ。 いじめは人間関係そのものだ。だが多くの人は「教育によっていじめが無くせる」という前提でものを言っている。教育心性がしみ通っているからだ。教育再生会議の提言は心性操作に満ちている。いじめへの「毅然たる態度」や、教師や学校の評価、学力向上等、現実にできそうもないことを提言するのは、心性操作が目的だからだ。 ささき・けん 日本社会臨床学会運営委員、神奈川県高校教育会館教育研究所代表。著書に『怠学の研究』『資格を取る前に読む本』(三一書房)、『教育という謎』『親と教師が少し楽になる本』(北斗出版)などがある。『現代思想』07年4月号や『熊本日日新聞』連載コラム「教育時評」などで、拙文を読んでいただければ幸いである。なお、上記演題と関わって、「教育私企業化」社会臨床雑誌14巻1号(2006.4)、「06秋の合宿学習会・グローバリズムと教育私企業化」の発題(社会臨床雑誌14巻3号(2007.3))がある。
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日本社会運動内面史 山崎今朝彌 日本亡国の兆 蓋し『日本亡国』は『日本建国』と一題一系の予定であつたが天の使命たる頁調節の都合で中途断絶の止むなきに至つた。茲に題号を改元して新に国を創める所以である。実は莫迦莫迦しくて厭になつたが今更仕方がない。 僕の日本主義と悪戯とは両立し得る。僕は日本が自ら日本を亡さんとする趣旨を以て頻りに私刑殺人を奨励し、直接行動を煽動し、明かに新聞紙法に違反するといふ廉で、動かすべからざる証拠として同紙六月二十五日の一号、七月二十四日の三十一号、八月二十二日の六十号を添へて、事実上の社長たる被告小川平吉を、司法大臣としての小川平吉殿へ告発し以て、復た再び将に来るべき状態を予言し聊か先見の明を誇らんと企てた。がしかし、先方が余りに早まつて見事に大臣の椅子を辷り落ち、告訴も只の告訴となり皮肉と逆意と、興味と痛快味とがなくなつたから潔よく止めにした。法律の権威と秩序の維持のためなら、真面目に其れを商売にして居る筈の検事局があり、単に先見の明を誇りたい為めなら、疳作集や創作集に詳かなる通り曩に東京の各警察署を告訴修業で一巡し既に早く今日の暴力時代を先見し、亀戸事件では一書を時の平沼司法大臣に与へて其重大事件を予言したので沢山だ。 一体僕は何の為めに誰も問題になんかして居らない日本新聞の事なんかコンナに長く書いたのだらふ、自分ながら訳が判らなくなつた。思ふに僕は、日本新聞の社会主義者、新人会、学生連合等の攻撃や大庭柯公君などに関する記事はホン二嘘八の記事で、全く甲と乙との人を混同し今と昔との時代を錯誤し、少しも当てになつたものではないが、大庭君の問題に就ては何時か好い時期に何か書いて見たいと思つて居り、今は其時期であると思ふから、此機会に少しく論じて見よう、就ては其序文として先づ日本新聞に其れに関する出鱈目記事が載つてるといふ事を書かう、と云ふにあつたらしいが、遂い癖が出て横道へ横道へと外れ出したのである。 大庭事件の真相 大庭事件の真相は幾つもあるが、大正十四年十一月一日発行の『解放』第四巻第二号に載つた、関係者たる田口運蔵、高尾平兵衛、富永宗四郎等諸君の真相が一番真相に近い真相であらふ。 故意の位偶然、朝日新聞から(今十月四日の午後九時)電話で、大庭君は堺山川氏等の使嗾で露国に殺され、其真相を調査するために大庭柯公虐殺真相調査会なるものが出来、明日、長谷川如是閑、大山郁夫、山崎今朝彌外三十名の委員がコツプ大使へ談判に出かけると云ふ通信があつたが本当かと問合せがあつた。此間も同一のラヂオ・ニユースがあつたと聞いた。調査会の趣旨目的には反対もなく、多少及相当の好意好感を有する者でも、こう悪戯が無茶になれば贔負の仕様もなくなる、惜しいものだが困つたものである。 日本の同志が打電して大庭君を殺させたいといふ風説は早くからあつたが、もし之れを信ずる者があつたら、其れは余り正直でも利口でもない人達である。強いて弁護する訳ではないが、却てオー・ケー・デペンダブルと打電して大庭柯公君信用し得べしと利かせ、改造社の会見では直接即時釈放を厳談した事など自分自身既に知つてるではないか。極端に恐懼心配し過ぎた事実こそあれ、君悪しかれと不為を計つた者のない事は誰にでも保証出来る。 日本新聞が久保田某の談として発表した、当時在露の日本人共産主義者が挙つて大庭君を陥穽したのだとの記事も、大庭、荒畑、鈴木茂三郎君、及其他の米国党諸君が当時、時を同ふして在露したといふ出鱈目自体でも其価値は充分正当に評価出来る。荒畑君が初めて入露したは大正十二年三月中旬後である事は其筋が公文書判決で保証する処であるのに、大庭君は其以前大正十一年十二月二十四日頃イカデンブルグ辺から同年十二月十八日にモスクワ監獄から追放され明年一月末には日本へ着けるだらうとの手紙を在莫の和田軌一郎君に宛てて出した儘永遠に行衛不明となつて居る。其当時鈴木、田口、真庭、野中、二階堂其他の諸君等は明かに其処には居らなかつた。 僕は尚又和田、渡邊、高尾、高瀬清君等が当時熱心に大庭君の釈放運動をした事も聞かされて居る。一時パツと立つた勢力争ひ、女の争ひ等の噂は、其後煙の如く霞の如く杳として消息が消へて無くなつたのでも其れが全くの虚報だつたといふ事が略推測出来る。 高尾君の直話、荒畑君の文意、佐野学君の口吻、和田、富永其他総ての露国党諸君の談に拠れば、独り田口君の弁護あるに拘はらず、どうも片山潜君の尽力に少し遺憾が多かつたように見へる。併し之れは全く皮相の見で、よく露国、片山、大庭の三角関係を洞察すれば当然止むを得ない事である。僕は此点では飽くまで公平なるセンシビーキだ。日本に於ては四面楚歌の中に堅く議会政策を奉じ、少しく進んでは日本フエビアン協会を発企し、米国に在てトロツキーと交はるや稍ボルセヴイーキとなり、入露しては直ちに熱心なるレニンストとなつた片山君、僕は此の老片山に於て初めて、大勢を達観して総て之に順応し、特殊性を看破して悉く之を利用し、終始一貫よく天職を全ふして常に方向を変転し、一旦決するや遅疑する処なく直に実行に移る処の、真個偉大の職業的×××と典型的オポチユニストとを見出す。由来革命家と日和見とは実に日本紙一枚の差、否洋紙其ものの表裏である。質がよくなればなる程其差は全く無くなる。(新知識は振廻したいものである、が危なつかしいものである、僕は此節紙の事がわかる様になつたと威張つて居る。)此職業的×××家は大庭君を全く知らない、特に片山君は日本在世中より極端に知識階級を中間階級、女郎階級と称して擯斥した。此人に大庭君を信用しなかつた責任を帰せしむるは頗る本末転倒の感がある。勿論片山君が当時露国に於て有てる絶対の地位を利用して大庭君を保証したら、総ての解決は困難でなかつたらふが、今も云ふ通り其大庭君を片山君が実際知らないのだから仕方がない。片山君計りでない、僕は当時在露の日本人に対して少しでも大庭君釈放運動の緩慢を責める者があつたら、其人は地震当時の社会運動家の、逃避退亡を責める無理残酷を為す者であると断言する。現に高尾君も渡邊君も、あれだけの事をするにも生命がけで、下手にすると生きて帰れるかどうか疑問であつたと語つた。 片山君は一旦提出した釈放請願書を撤回したらしいと云つた者もある、僕は其れが事実だとしても少しも片山君を責めない、色々言はれて一旦出して見たものの、よくよく聞いて見れば判然分らないとなれば又撤回しても仕方がない。斯ふ解釈して始めて僕には、片山君が大庭君の入牢を秘くした事、片山君は実は渋々だつたと高尾君の云つた事、大庭君がカザンへ視察に行た留守に田口君が高瀬君や和田君に、大庭はもう帰れぬかも知れぬと謎をかけたといふ事、田口君吉原君が大庭君を試験したとの事等、何も彼も少しの不思議も非難もなく、よく諒解出来る。 職業心理に支配され又もや便々と長い弁護論に終つたが、要するに大庭君の死に就ては大庭君自身と露国の外には何人にも責任はないといふ当り前の決論に漸く到達したのである。 僕は大庭君の事に就て露国に対して大なる不平と不服を有つものである。しかし多くの人とは其不服の要領が異ふ。僕は大庭君がスパイの嫌疑を受けたのも、拘禁されたのも、殺されたのも止むを得ないと思ふ。(大庭君の死因は今でも明かでない。釈放後帰国の途中餓死したといふ者、久保田某の如く監獄を引張り廻されてる中に窮死したと云ふ者、他の多くの反革命者と同時に序に殺られたと云ふ者、其他色々あるが兎に角今死んでる事は僕が今生きてる事より余程確かである。)露国だからマダよかつた、もし之れが外の国なら、革命どころか地震があつてさへ、日本人処か×××××人が、一人や二人処か、千人萬人位殺されたかも知れない。それでも僕は地震の際に多くの無辜の人が横死されたのもダンダンと諦めさせられた。只どうしても諦められないのは政府、当局が嘘を吐き、事を秘くし、知らぬ存ぜぬ、そんな事は無いと、どこ迄も我を押し無理を通した事である。凡そ世に正義の大看板を掲げて一の悪事を隠蔽するに十の詐欺を敢行する事程人の癪に障るものはない。資本家でもスパイでも苟くも頼まれさへすれば之れを弁護する程の弁護士と雖も、恰かもブルジヨア国家其ものの如く口に同志、カムレード、ハムサラダと賞美しながら、腹に外国人だ日本人だとバカにして、知らぬ存ずる、あつちだこつちだ、今出した、と何時までも事件を行衛不明にするはマダしも、断乎として洒々しく人の念仏を馬耳東風する者の弁護は出来まい。 大庭君の殺られたのが大正十一年十二月末から翌年一月中である事は間違ひあるまい、誰が知らなくとも、今日は出さぬ、明日出すと高尾君等を欺ましたチエツカは知つてる。イクラ困乱のロシアでも其事は一、二ケ月後には政府にも知れる。同時に遅蒔ながら日本の同志からもブツブツ云つて来た。時間が潰れて却て面倒だから一ソ、ザツクバランに話して了つたがよいと提案した人もあつたが、今少し待てば都合のよい口実も出来、先方もツイ忘れて了ふ、其れに毎日矢の催促を受ける訳でも、運動に支障を生ずる訳でもない、在露の日本人なんか、オドスもダマスも問題でない、其道を以てすれば君子も欺ける、況んや日本人の同志なんかは、といふ説が圧倒的多数で勝を占めた。其中ヨツフエの渡日となり、熱心の釈放運動も台頭し、歴史的必然のボロもソロソロ出た。此処いらでは誰が考へても謝罪り処で、謝罪つて仕舞つた後の気持の晴々しさは矢鱈に味へるものではないが、其れは貧乏人の云ふ事で、支配階級や貴族階級に属する人々に分かる事ではない。在日のヨツフエは在露の如く、剣もホロロの挨拶も出来ず、何でもオーライ即時の釈放、逃げて仕舞へばコツチのものだと、得手に帆を揚げスタコラスタコラ、後は野となれ山となれ、尻でも喰への大馬鹿野郎で、馬鹿を見たのは随喜の涙を澪した日本人、舌を出したは露国とヨツフエ。筆の綾は多少あるにせよ、此事実に大した誤りはない。あつたら代は御貰い申さぬ。 僕は露国が日本人を、特に同志を、舐めてる事を憤慨するよりは寧ろ其馬鹿つたらしい事に呆れざるを得ない。何んでもない事ではないか、事実有りの儘に報告すれば其れでよいではないか、悪い処は謝罪れば其れで済むではないか、済んで仕舞つた事を謝罪つて勘弁しないなら、勘弁しない者が悪いのたが、間違つた事をしながら強情を張つて謝罪らないのは人をバカにしてるからだ、呆れた馬鹿のする事でも矢張り腹が立つ。もし機会が無かつたなど云ふなら尚更人を馬鹿にしてる。ロスタ通信良し、新聞記者良し、ステートメント良し、此つちからは行く、彼つちからはくる、アントノーフも来た、ヨツフエも来た、大使も来た。機会は前に千百回もあり、今後は毎日刻々にある。 僕は此事に就て大庭君の親友である長谷川如是閑大山郁夫両君の説を聞きたい。僕だつて若し露国から弁護料でも貰つたなら、其時は心から本当に弁護理論が出て来よう、又真の雄弁金の雄弁も守らふ。日本に於ては古来之れがマルクスの原理となつて居る。しかし大山、長谷川諸君が沈黙するは如何なる我等の傾向批判に基くか。所謂共産党の諸君に対してはセメテ露国になりと、少しの危険もなく又犠牲の払はずに出来た真相の発表を為さしめ得なかつた事に極力遺憾の意を表する。若しスカシ屁は音がしないから臭くないといふ論なら、其れは間違つてゐる。怨敵評議会、日本共産党、第三インテルの三角関係を極論公表して左傾分子の排斥を専業とする総同盟の諸君、特に赤松克麿君に対しては、露国の踊つ子や役者や飛行家を特に歓迎する科学的日本主義の根拠を問ふ。進め一派の大庭柯公虐殺真相調査会に対しては、真相の発表を御願して若し許可されなかつたらドウする積りかを聞きたい。其呆れさ加減に於ては寧ろ露国に一歩を譲らぬ。(十四年十月十日校了) <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『解放』(解放社)第4巻2号174頁(大正14年(1925年)11月1日発行)>
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●日本社会の閉塞 ラインナップ 0822 渋谷駅近くで通行人2人刺されけが 79歳の女を逮捕 [朝日] 0819 横暴患者に大学病院苦悩、昨年は暴力430件暴言990件 [読売] 0629 「生活苦」世帯は56・2%、4年連続で過去最高 [読売] 93歳亡父を庭に埋めた母子逮捕「年金止まると困る」 [読売] 謎の集団生活、就職試験面接会場で同居女性が次々誘う [読売] 不正論文 国内で疑惑相次いで発覚、罰則科す方針 文科省 [毎日] “偽乗客"の女に逮捕状 見舞金詐取、未遂含め50人 [共同] 母親毒殺未遂:パソコンの日記で「実験」ほのめかす [毎日] 自殺免責期間:2年を3年に延長 生保大手各社 [毎日] どうしていいか分からず…病死父の遺体を1年以上放置 [読売] 0822 渋谷駅近くで通行人2人刺されけが 79歳の女を逮捕 [朝日] 2008年8月22日23時36分 22日午後6時50分ごろ、東京都渋谷区の渋谷駅で女性が刺された、と110番通報があった。東急百貨店東横店付近で、通行人の20代の女性2人が刃物で刺されるなどし、救急車で病院に運ばれた。警視庁は、近くにいた女が事件への関与を認めたため、殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。 渋谷署によると、女は自称住所不定、無職北川初子容疑者(79)。「今週初めに施設を飛びだし、ぶらぶらしていた。金もなくなり、事件を起こせば警察が何とかしてくれるだろうと思った」と供述しているという。所持金は約6500円だった。 URL http //www.asahi.com/national/update/0822/TKY200808220298.html 0819 横暴患者に大学病院苦悩、昨年は暴力430件暴言990件 [読売] 全国の大学病院で、昨年1年間に医師、看護師が患者や家族から暴力を受けたケースは、少なくとも約430件あることが、読売新聞の調査で明らかになった。 理不尽なクレームや暴言も約990件確認された。病気によるストレスや不安が引き金となったケースも含まれているが、待ち時間に不満を募らせて暴力に及ぶなど、患者側のモラルが問われる事例が多い。 回答した病院の約7割が警察OBの配置などの対策に乗り出しており、「院内暴力」の深刻さが浮かび上がった。 調査は、先月から今月にかけ、47都道府県にある79の大学病院を対象に行い、59病院から回答があった。このうち、何らかの暴力あるいは暴言があったと回答した病院は54にのぼる。暴力の件数は約430件、暴言・クレームは約990件。暴力が10件以上確認されたのは6病院、暴言・クレームが50件以上あったのは5病院だった。 「クレームはここ2年間で倍増した」(大阪大医学部付属病院)など、暴力や暴言・クレームが増加しているという回答は、33病院に達した。ただ、こうした件数や事例を記録に残していない病院もあり、今回の調査結果は、「氷山の一角」の可能性が高い。 暴力の具体例では、入院手続きの時間外に訪れた軽いけがの男性に、医師が「ベッドの空きがないので明日来てほしい」と告げたところ、缶コーヒーを投げつけられ、注意すると顔を殴られて、顔面を骨折したケースがあった。入院患者から「言葉遣いが気に入らない」という理由で足に花瓶を投げられた看護師もいた。 けがを負う病院職員は少なくないが、「病気を抱えて弱い立場にいる患者と争うことはできるだけ避けたい」という意識から、警察に届け出ない場合も多いという。 暴言・クレームでは、複数の患者がいたために、すぐに診療を受けられなかった患者の家族が、「待ち時間が長い」と腹を立てて壁をけったり、暴言を吐いたりした。検査後に異常がなかったことがわかると、患者から検査費用の支払いを拒まれた病院もあった。 精神疾患や重い病気で心理的に追い詰められた患者が、暴力や暴言に走ってしまった事例もある。しかし、多くの病院は、それ以外の患者や家族による理不尽な行為に悩んでおり、「(一部の患者から)ホテル並みのサービスを要求され、苦慮している」(慶応大病院)との声が上がっている。 具体的な対策をとっている病院は44にのぼり、警察OBを職員に雇い、患者への応対に当たらせている病院は21、暴力行為を想定した対応マニュアルを作成した病院は10あった。院内暴力を早期に発見・通報するため、監視カメラや非常警報ベルを病棟に設置する病院もあった。 (2007年8月19日3時4分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20070819it01.htm?from=top 0629 「生活苦」世帯は56・2%、4年連続で過去最高 [読売] 「生活が苦しい」と感じている世帯が全体の56・2%を占め、4年連続で過去最高を更新したことが、厚生労働省が28日発表した2005年国民生活基礎調査で分かった。 特に、18歳未満の児童がいる子育て世帯は60・1%が「苦しい」と回答した。 04年の各世帯の平均所得は前年比7000円増の580万4000円。前年比がプラスに転じたのは8年ぶりだ。 しかし、所得格差の程度を示す「ジニ係数」(1に近いほど格差が大きい)は前年比0・0117増の0・3999で、計算を始めた92年以降で最高となった。さらに、全世帯を所得順に20%ずつ5グループに分類したところ、上位2グループの平均所得は前年より約14万~22万円増加したが、下位3グループは約7万~13万円減少した。 所得格差が拡大している可能性について、厚労省は「今回の調査結果だけでは何とも言えない。長期的な分析が必要」としている。 (2006年6月28日20時34分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20060628i112.htm 93歳亡父を庭に埋めた母子逮捕「年金止まると困る」 [読売] 死亡した父親の遺体を自宅の庭に埋めたとして、香川県警さぬき署は5日、高松市牟礼町大町、アルバイト槙塚(まきづか)文雄(59)と母の富美子(85)両容疑者を死体遺棄容疑で逮捕した。 槙塚容疑者は「葬式を出す金がなく、年金が受給されなくなると困るので母親と一緒に死体を隠した」と供述している。 調べでは、2人は昨年9月上旬、父親の文太郎さん(93)が死亡した後、庭に深さ約30センチの穴を掘り、遺体を埋めて遺棄した疑い。 槙塚容疑者は文太郎さんの長男で、富美子容疑者と3人暮らし。親類から文太郎さんの姿が見えないと相談を受けた署員が、庭に土の色が異なる場所があるのに気づき、掘り起こして白骨遺体を発見した。 槙塚容疑者は、文太郎さんの死後、4か月分の年金計約100万円を受け取っており、「父は衰弱して死んだ。年金は飲食代などに充てた」と供述している。 (2006年2月5日20時10分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20060205i203.htm 謎の集団生活、就職試験面接会場で同居女性が次々誘う [読売] 東京都東大和市の民家で行われている不自然な集団生活を断った20歳の女性が脅された事件で、脅迫容疑で逮捕された自称・元占い師の渋谷博仁容疑者(57)は、同居している女性を使って、新たな同居女性を次々と増やした疑いのあることが26日、警視庁捜査1課の調べなどでわかった。 同居女性が、就職試験の面接会場で出会った女性を、「いい占い師がいる」と民家に誘うなどした後、渋谷容疑者が女性の恐怖心をあおりながら、同居を迫ったといい、同課で実態解明を進めている。 同課の調べや関係者の証言によると、渋谷容疑者と集団生活を送っている女性11人のうちの1人は2000年ごろ、就職試験の面接会場で、渋谷容疑者と集団生活を送っている女性から、「占いに詳しい男性がいる」などと誘われ、集団生活に加わった。別の女性も2001年末ごろ、同様に就職試験の面接会場で女性と仲良くなったことをきっかけに、同居を始めたという。 また、渋谷容疑者は、占いの助手を募集する新聞の折り込み広告も出して、女性を民家に誘い入れていたという。 (2006年1月27日3時30分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20060127i501.htm 不正論文 国内で疑惑相次いで発覚、罰則科す方針 文科省 [毎日] 著名な科学誌に掲載された論文について、国内で不正疑惑が相次いで発覚したことを受け、文部科学省は28日、07年度から「競争的研究資金」の応募資格停止など、罰則を科す方針を決めた。このため年明けに開催される科学技術・学術審議会で、不正論文に関する各大学・研究機関の内部調査を監督する特別委員会を設置する。 国内では昨年、理化学研究所の研究者が、米医学誌に掲載された論文の画像を改ざんしたことが発覚し、研究者が退職。今年5月には大阪大医学部で医学分野の論文に不正疑惑が持ち上がり、大学側が真偽を調べている。多比良教授の不正疑惑の発覚は9月だった。 競争的研究資金は、研究者からアイデアを公募し、審査して研究費を配分する研究資金のこと。来年度政府予算案で約4500億円に達する。 競争的研究資金については不正経理があった場合、応募資格を停止するなど政府レベルでの指針を定めているが、不正論文は研究者の所属する各機関内の処分にとどまっていた。同省は科学技術振興のためには、研究資金を増額するだけでなく、不正論文について厳格に対応することが必要と判断した。 新設する特別委は、各機関の内部調査を踏まえて罰則を適用するか否かを検討する。【永山悦子】 毎日新聞 2005年12月29日 3時00分 (最終更新時間 12月29日 4時23分) URL http //www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051229k0000m040162000c.html “偽乗客"の女に逮捕状 見舞金詐取、未遂含め50人 [共同] 兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、事故を起こした快速電車の乗客を装ってJR西日本から見舞金など約10万円をだまし取ったとして、兵庫県警捜査2課と尼崎東署は28日までに、詐欺容疑で50代の無職女=別の罪で服役中=の逮捕状を取った。同日中に逮捕する。 事故を捜査する尼崎東署捜査本部が負傷者からの事情聴取を重ねる過程で、未遂を含めた“偽乗客”が約50人いたことが判明。うち29人が見舞金などをだまし取り、発覚後も弁済に応じていないことも分かった。休業補償やタクシー代など計約200万円をだまし取ったケースもあり、捜査2課は特に悪質な約10人について順次、立件する方針。 URL http //flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM PG=STORY NGID=soci NWID=2005112801000353 母親毒殺未遂:パソコンの日記で「実験」ほのめかす [毎日] 静岡県伊豆の国市の県立高校1年の女子生徒(16)が母親(47)に劇薬のタリウムを飲ませたとして殺人未遂容疑で逮捕された事件で、少女がパソコンでつけた日記に、タリウムを与えたことを「実験」とほのめかす記述があったことが3日、分かった。これまで家族間のトラブルなどは確認されておらず、県警はタリウムの効果を試すため、母親に摂取させた可能性もあるとみて、慎重に捜査している。 調べでは、自宅から押収された少女のパソコンの中に「死なないように薬を与えなければならない」などの記述があることが判明した。パソコンには母親の病状が詳細に書かれ、病室の母親や母親の心電図を写した写真も見つかった。また、少女は家族らを毒殺し、症状の経過を記録した英国のグレアム・ヤングに傾倒していた。これらのことから、県警は母親を使った「実験」の可能性もあるとみている。 また、パソコンの日記には病室でコップを洗うふりをして、タリウムをコップの内側に塗ったという記述も見つかった。母親は入院後に体調を悪化させており、入院中もタリウムを飲まされた可能性もあるとして、県警は病院の医師からも事情を聴いている。 少女は今年8月中旬、「化学部の実験で使う」として自宅近くの薬局でタリウムを購入したことが分かっている。他に購入ルートがないかも調べている。【古関俊樹、鈴木英世】 毎日新聞 2005年11月4日 3時00分 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20051104k0000m040111000c.html 自殺免責期間:2年を3年に延長 生保大手各社 [毎日] 生命保険の契約後、一定期間内に契約者が自殺した場合、生保会社が保険金を支払わない「自殺免責」について、大手各社が相次いで2年から3年に延長していたことが3日、明らかになった。自殺して保険金を受け取り借金返済などに充てるケースが増えているとの指摘があるうえ、自殺者急増で保険金支払いが想定を大きく超える可能性が出てきたためだ。ただ、遺族に大きな不利益が生じるにもかかわらず期間延長は十分に周知されておらず、免責期間の根拠などを説明するよう求める声が強まっている。【坂井隆之】 ◇「自殺抑止」が目的? 実際は支払い急増 大手生保各社の自殺免責期間は、99年ごろまで1年で共通していた。00年前後から、各社は相次いで免責期間を延長、国内各社は2年を免責期間に設定した。ところが、同時期にアメリカンファミリー生命保険など外資系は免責期間を3年に延長。自殺者が急増する中、外資系と国内勢の間で保険金の支払額に大きな差が生じる可能性が出始めていた。 このため、明治安田生命保険、住友生命保険、日本生命保険など国内勢も04年以降、免責期間を3年に再延長。第一生命保険も10月から3年に延長、各社の免責期間はほぼ横並びになった。ただ、各社とも免責期間延長前の契約者については、2年のまま据え置く。 免責期間延長について、各社は自殺者数が98年以降3万人を上回るなど社会問題化していることを背景に、「保険金が簡単に支払われることが、自殺を助長している可能性がある」(第一生命)と指摘。免責期間延長は、自殺抑止が目的との考えを強調する。 ただ、自殺急増で保険金支払いが増加していることも、免責期間延長の大きな理由とみられる。ある大手生保では、過去10年で自殺に対する死亡保険金支払額が1・5倍以上に急増。総支払額に占める自殺への保険金支払額の割合も10%を超えたという。 04年3月には、数億円規模の保険金自殺をめぐる訴訟で「明らかに保険金目的の自殺であっても免責期間経過後であれば支払いを拒否できない」との最高裁の判断が示された。このため、生保各社は「巨額の請求を防ぎ、保険金支払いを抑制するには免責期間を延長するしかない」(大手生保幹部)と判断している。 自殺免責など契約者にとっての「不利益条項」は、各社とも契約書とは別に書面で説明している。ただ、各社とも2年から3年への延長は特に発表しておらず、約款でも3年に延長したことは注意喚起していない。 生保に詳しい慶応大学商学部の深尾光洋教授は「契約者間の公平性確保や自殺抑止のための対策は必要」としながらも「契約者に不利益な条項だけに、募集時の十分な説明が不可欠。うつ病などが原因で自殺した場合には『病死扱い』として支払いに応じるなど、運用面での配慮も必要だ」と指摘している。 毎日新聞 2005年10月4日 3時00分 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051004k0000m020151000c.html どうしていいか分からず…病死父の遺体を1年以上放置 [読売] 病死した父親の遺体を自宅で1年以上放置していたとして、警視庁世田谷署は17日、東京都世田谷区野沢、無職佐藤義之容疑者(38)を死体遺棄の疑いで逮捕した。 調べによると、佐藤容疑者は昨年6月ごろ、同居していた父親の博さん(当時71歳)が自宅で病死したのに、区役所に死亡届なども出さず、自宅に遺棄した疑い。 博さんの行方が分からなくなったことを不審に思った親族が同署に相談。同署員が佐藤容疑者宅を訪れたところ、1階で、布団の上に横たわっていた博さんの遺体を発見した。遺体は腐敗が進んでいたが、外傷などは見当たらなかった。 調べに対し、佐藤容疑者は「どうしていいか分からず、そのままにしていた」などと話しているという。 (2005年8月18日11時55分 読売新聞) TITLE どうしていいか分からず…病死父の遺体を1年以上放置 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞) DATE 2005/08/19 09 22 URL http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20050818i406.htm
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2ちゃんねる ● 不良債権問題の解決はヤクザの殲滅から ● 【社会】 国籍法改正での懸念、現実に 不正認知で子供に日本国籍、中国人逮捕…服役男性の名前悪用 ● 【国内】西松建設前社長を起訴 香港などからの裏金で、 与野党首脳らへの違法献金は引きつづき捜査(02-10) ● 【元次官ら連続殺傷】 厚労省幹部ら 「何故狙われるのか見当つかない」「事件と仕事は関係ないと思う」「2人は恨まれる筋合い無い」 ● 【国内】「対馬が危ない」韓国、不動産相次ぎ買収:ちらつく中国の影(10/21) ● 【社会】 経団連、「日本への移民受け入れ・定住」提言。人口減対策で…一方で労働条件の悪化や治安の悪化懸念も ■ 【税制】所得税など日本の最高税率、世界4位の高さ 民間調査[09/02/02] ● 【社会】「これまでありがとう」…人材派遣会社を解雇された男性(27)、ホームから特急に飛び込み死亡 - 埼玉 ● 【社会】「お前アイヌだろ。気持ち悪い」「あそこの家はアイヌなんだよ」…今なお消えぬ格差、「血」隠す苦悩-北海道 ● 【社会】 「屈辱と寒さで涙が…」 派遣切り無情…妻と離婚、50歳元教師はホームレス同然 ● 【司法】 「裁判員をやりたくないから、名簿から名前を消して欲しい」といった苦情も、コールセンターへの問い合わせ相次ぐ ■ 【社会】「今こそ本当の意味で日本が国家になる時」 - 櫻井よしこ氏 実況中… 2008.10.31- ■ 【コラム】「年収1億円」から「ハローワーク通い」に転落:外資系金融マンの大リストラが始まった(SAPIO) [08/10/20] 実況中… 2008.10.20- ■ 23ch.info ⇒【論説】 「日本に移民1000万人?移民大国が抱える問題を無視しすぎ。スパイ防止法もない日本では危険」…ドイツ在住日本人作家★2-5 ■ 23ch.info ⇒【政治】 「移民を1000万人も入れたら、日本人は職場を全部奪われる」…自民・与謝野氏、「移民受け入れ構想」批判★2-4 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ■ 【社会】 「創価学会」と「中国」を批判する犯行声明文、報道機関に届く…徳島・「創価学会」「日中友好協会」連続爆発事件 過去ログ 2008.10.15-15 ■ 【社会】 「創価学会」と「中国」を批判する犯行声明文、報道機関に届く…徳島・「創価学会」「日中友好協会」連続爆発事件★2 実況中… 2008.10.15- ■ ネトウヨの特徴を挙げていくスレ 実況中… 2008.7.30- ■ 「諸君」「正論」「WiLL」「嫌韓流」等に洗脳される馬鹿 6 実況中… 2008.9.12- ■ 【長崎県】 「対馬も危ない!!」 韓国が竹島(島根県)に続き領有権を主張 実況中… 2008.8.30- ■ 【京都】朴聖烈容疑者の暴力が支配した「監獄」、親の悩みに付け込むフリースクール虐待事件…一部メディアでは「江波戸」姓で報道[9/23] 実況中… 2008.9.23- ■ 【福岡・男児殺害】 トイレで「お母さんは学校に来てくれない」と子供に責められ、殺意抱く…病気がちの容疑者★3 実況中… 2008.9.23- .
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日本社会党 戦前期の日本社会党といえば、一般的には堺利彦らによる政党のことであるが、ここで紹介するのは山崎今朝弥を主幹者として結党された1人政党の日本社会党である。 内務省警保局『特別要視察人状勢一斑第四』「第三款結社、第二章現ニ存在セルモノ」には、 「名称・・日本社会党 組織年月日・・大正二年二月四日 事務所・・東京市京橋区銀座二丁目 主幹者・・山崎今朝弥」 とある。 この日本社会党の「社則」は、 「第一条 名称ヲ日本社会党トス 第二条 目的は憲政ヲ促進シ普通選挙ノ実行ヲ期スルニアリ 第三条 以上」 (以上、上記同資料、同箇所より引用。) という人を食ったものである。 当局も、上記同資料で「右ハ主幹者山崎今朝弥平素ノ行動ヨリ察スルニ単ニ同人カ当局ニ煩累ヲ及ホサントスルノ目的ヲ以テ届出ヲ為シタルモノノ如ク組織当初ヨリ毫モ結社ノ実体ヲ存セス従テ何等ノ行動ニ出テタルコトナク全ク有名無実ノ状態ニ在ルモノ」と推測している。 なお、森長英三郎氏は『「党則」とすべきを「社則」としたのも一種の韜晦であろう。』としている(森長英三郎『山崎今朝弥-ある社会主義弁護士の人間像』(紀伊國屋新書、1972年)108頁)。確かに、上記『特別要視察人状勢一斑第四』に掲載されている他の政党は「党則」としている。しかし、治安警察法第1条には、主幹者は「社名、社則、事務所及其ノ主幹者ノ氏名」を「届出ツヘシ」とあるから、「社則」とした山崎が正しい。この点は、いかにも弁護士らしいというべきか。 結社届出以降、この「日本社会党」は継続して当局の監視対象となっていたようである。内務省警保局文書から、日本社会党についての記述を抜粋してみた。 「日本社会党ノ組織 山崎今朝弥主幹者トナリ大正二年二月四日「日本社会党」ト称スル政社ヲ組織セリ其ノ目的トセル所ハ憲政ヲ促進シ普通選挙ノ実行ヲ期スト云フニアルモ組織当初ヨリ何等活動シタルコトナク全ク有名無実ノ状態ニ在り」 (『特別要視察人状勢一斑第四』第五款行動、第一章東京ノ部、第三節時々ノ行動(18)より引用。) 「主義ニ関係ヲ有スト認メラルル結社トシテハ其ノ後新ニ組織セラレタルモノナク従テ其ノ現存セルモノハ第四編第三款第二章ニ掲クル「日本社会党」ノミナルモ同党ハ依然トシテ何等ノ行動ニ出テクルコトナク有名無実ノ状態ヲ持続セリ」 (『特別要視察人状勢一斑第五』第三款結社より引用) 「本人カ大正二年二月四日組織ノ届出ヲ為シ居レル彼ノ「日本社会党」(第四編第三款第二章参照)ハ依然トシテ有名無実ノ状態ニ在ルモ堺利彦カ選挙運動ニ際シ「日本社会党有志」ナル文字ヲ用ヰタルハ((A)ノ部参照)蓋シ該党ノ名義ヲ利用セルモノナラン歟」 (『特別要視察人状勢第七』第四各地ニ於ケル要視察人最近ノ言動、(イ)内地在住者、(1)東京、(K)より引用。) 「△山崎カ大正二年二月四日組織ノ届出ヲ為シ居レル「日本社会党」(第七編一三丁裏面五行以下参照)ハ依然トシテ有名無実ノ状態ニ在リ」 (『特別要視察人状勢一斑第八』第四各地ニ於ケル要視察人最近ノ言動、(イ)内地在住者、(1)東京、(I)より引用。) 「本期間ニ於ケル団体状勢ハ政社トシテ甲号山崎今朝弥ヲ主幹トスル日本社会党(大正二年二月四日届出)及甲号宮武外骨同厚田正二等ノ組織セル民本党(大正八年二月六日届出)ノ二アルモ何レモ其ノ名目ヲ存スルニ止マリ全然行動ノ記スヘキモノナク」 (『特別要視察人状勢調』(三)集団関係より引用。)
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日本社会主義運動壹面史 山崎今朝彌 古田大次郎君刑死秘譚 ○ 古田君! 噫古田君!! 古田君! これで後の句が続かない。お通夜の猥談、念仏の屁は百も承知しながら、僕は古田君の事となると冗談一つ云へないような気がして困る。中浜哲君の長持が許可になり、江口君の随筆が来たなら、僕は威張つて黙つて居るのだが、布施君の随評とN先生の創作だけでは、デヂケートが聞いて呆れるヂアーナリズムと、又々非難攻撃の的とならふから何か書かねばなるまい。とは云へ休日は今日で終り明日からは裁判もあり校正も出る。偖何を書いたものだらふ。 処へ文戦飛び込んだ、披いて見ると久さんの追懐で堺君がヨイ例を示して呉れてる。占めた! ヨシ僕も之れで行く、古来古田君の手紙を終り迄読んで損をした者は一人もない。併し手紙は八月号と十月号の解放にも多く載り、又方々の新聞にも出た。ソレに久さんのも、古田君のも、今後必らず多くのアナクサイツクの雑誌に出る。だから其辺も篤と考慮に加へてなるべく簡単にする。しかし之れを終りまで辛抱出来ぬ読者は後でキツト後悔する。僕でも読んでる中に幾度も泣いた。 ○ 先日は、態々面会に来て下さつて誠に有りがたふ御座いました。その後も相変らず無事でゐますから、御安心下さい。僕のことに関しては、最早弁護の余地もありますまいし、弁護して戴くのも、一寸卑怯の様な気がするのですが、何分僕一人ではなし、外の諸君は、まだまだ望みがあるのだからよろしく御尽力下さい。僕の陳述にも、随分ヘマもありましたが、なれない奴が、飛んだ馬鹿正直をやつた位にお笑ひ下さい。どうせやるなら、大袈裟に賑やかに景気よくやろうではありませんか、又、手紙書きます(一三、一二、一七) ○ 先日は有り難ふございました。諸君のお蔭で非常に愉快にここの生活が送る事が出来まして、私は何と諸君に感謝していいのか分りません。元々私は淋しがりやで、その上随分気の弱い男なのですから、一人ポツンとここに置かれたら、どんなに苦しむ事か、想像しただけで恐ろしくなる位です。それを私は諸君によつて救はれました。本統に感謝する言とてない位です。 私は今、全てに感謝したいと思ひます。私は裁判官や監獄の人達に対して少しの憎悪も覚えません。私は人を憎むだけの資格のある人間ではないのです。人間は全て許さなければならないと思ひます。そこにほんとうの血と涙が湧くのではないかと思ひます。涙で人を許すものもあります。しかし、さうして人を許すと共に、熱い血汐で人を清める事こそ、より人を愛する所以ではないかと思ひます。が、私は自分のした事が、これより以上に正しい事はないものであるとは信じません。私は真理の不変を信じないからです。(一四、四、一八) ○ 飛んだ失体をして終ひました。この月の初め、貴下の雑誌へ原稿二枚を書いて、御挨拶と一緒に封筒でお送りしたのですが、僕はそれが届いた事と計りに思つて今日迄御無沙汰してゐたのです。さうしましたら、昨日お役人が見えまして、あの手紙は少々カン心出来ない点がある故、裁判所へお伺ひをたてた所、罷りならぬといふ御詫宣があつたから、遺憾ながら、あれは紙屑籠へ押送するとの事でした。もつと早く聞かせてくれれば好いのに、裁判所もいろいろ忙しいのださうです。そんな訳で今日迄何の御挨拶もせずにゐました。不悪お許し下さい。 お蔭で身体も相変らずです。近頃、又、ヒゲを蓄えました。今度の公判迄には立派なものとなるだらうと思ひます。夏の監獄は大分面白いですね。蚊帳もハラレ、簾もかけられました。蚤や南京虫の諸君が、晩になると、ゾロゾロ訪問して来ます。朝、よく真赤に赤化した南京虫が、意気揚々と柱を伝はつて自分の巣へ凱旋して行くのを見ます。無邪気な恰好は殺すにも忍びません。 外へ出ると、クローバーの花が淋しく咲いてゐます。之を見るのが僕の慰さめです。まるで穏者のやうな感じを受けてゐます。又、夏草がスクスクと勢好く延びてゐます。その色、その姿、僕は堪らなく郊外の夏が恋しくなります。 相変らずボツボツ世迷言を書いてゐます。近頃は、心が少し呆然として、平静といふのか空虚と言ふのか何となく呆然して終つて愚図愚図に日を暮してゐます。 和田君も丈夫なやうですが、あの法廷で僕に対して述べた言葉が僕には今でも耳に残つてゐて忘れられません。僕も和田君と一緒に死ねたら好いと思ひます。 (一四、七、一六)(第一回公判五月廿一日第二回六月一六日) ○ 先日は矢鱈、可成り暑くなりましたね。外の連中は暑い暑いで騒いでゐるが愚な事です。夏は暑いものにきまつてゐますもの。大分菊が大きくなりました。が仲々花はつけますまい。この節、道傍にカタバミの小さな黄色い花が咲いてゐました。可愛いい花です。外に望みはないが、せめてかうした草花を部屋の中に飾るのを許してくれたらと思ひます。 近頃、僕は妙に人間といふものが厭になりました。人が厭はしくなれば誰でも、自ら自然といふものを愛さずには居られなくなるのですが、その気持が今、僕によく解ります。けれども、この考への独善的な無責任な事を僕は恥ぢます。その上、僕はまだ人間の心に宿つてゐる純真さを信せずにはゐられません。そのために僕は、絶望的なニヒリストにも、頽廃的なニヒリストにも、又隠遁的なニヒリストにもなれないのです。 今度は、没収されないやうな、それでゐて面白い物を書きませう。 大阪の連中も変りないやうですね。随分長い間不自由な思ひをさせて本当に気の毒です。僕の幸福は、皆あの人達のお蔭です。それでゐて、僕は随分エゴイスチツクな考へで今生活してゐるのが恥づかしい次第です。人の痛さは三年でも堪えると言ひますが、こんな事を思ふにつけて僕は生きてる事が苦痛でなりません。(一四、七、二三) ○ 泥棒には泥棒の道徳がある、と冷笑する人は勝手に冷笑せよ。しかし僕は今、古田君は死ぬまで大阪の人達の事を、大阪の人達は又自分の事より古田君の事を心配して居た事を思出して泣く。(第三回公判六月二十七日、検事論告、布施弁護士弁論) ○ 貴下のなさつた弁論について、一寸感想を述べて見たいと思ひます。正直に言へば、ああした弁論は、して貰ひたくなかつたのですが、しかし弁護といふものに重きを置かれた、貴下の心も、僕によく解ります。ですから感謝こそすれ不満は少しも持つてゐませぬ。只僕達の事件に於て、ああした弁論が、どれだけ刑の量定に影響するか、殆んど無いと言つていいでせう。して見れば、無くもがなとも思へます。 貴下の「僕がここに二、三年もゐたら、仏教信者になるだろう。」と言はれた言葉は、大変僕の胸に響きました。さうお考へになるのは尤もです。参考書を読めば、大体僕の今のああした気持が解るでせう。ああした気持と言ふのは、僕は一般の宗教について殆んど智識を持たぬが、僕の知る範囲での仏教、虚無、寂寥遁世、静寂さうした気分に漲つた仏教、それに対して、ほのかな愛着憧憬、を持つてる事です。これ迄の僕も、意識はしなかつたが、同じさうした憧憬がないではなかつた。今の僕は、たしかにこれ迄より淋しい心を持つてゐます。だから、尚、仏教の静かな落付いた、一面から言へば消極的な所に、あるなつかしみを抱くのです。これが、このまま進んで行つたら、或ひは貴下の言はれる通り仏教信者になるかも知れない。自分では、僕は、既成宗教の全てに慊きたらぬから、信者になるやうな事は薄々ない積りではゐる。又、なつてはならぬと思つてはゐる。しかし弱い心の僕だから如何なるか解らない。貴下が心配されてゐるのも無理ではないのです。 しかし、僕は思ふ、僕の×××××は一つの宗教であると。僕は、宗教的な信念で、自分の×××××に努力してゐたし、又、今もしてゐる積りです。そして、これ以外に、僕の生きる道はないと信じてる。だが、僕は弱い人間だから、この困難は淋しい道を辿るのは容易でなかつた。いつも、自分を鞭ちながら、からくも進んで来たのです。無理に無理をつづけたから、勢ひ破綻は出来たろう、しかし、僕は、この破綻を利己的な意味で以て恐れて×××××の道を廻避する事はしたくない。僕だつて、いつ迄呉下の旧阿蒙でもゐない、若し、今、僕が社会に出られたら、新しい道は充分開け得る積りです。しかし、僕はそれよりも、このまま死んで終ひたい。その方が、僕の心も安らかだし、最後も全ふされる。とは言へ、今僕が、死を怖れ、寂寥を感じてゐるのは事実である。だから、真実に僕を知り愛してくれる人は、弱い僕に勇気を与へて欲しい。僕は、今が一番好い死に時だと知つてる。その僕を安らかに死なせて欲しい。それが僕に一番うれしい事なのです。若し、親同胞が淋しく思ふのだつたら、僕のこの心をよく説明して納得させて貰ひたい。その方が、生命を助けて貰ふより、如何程うれしいか知れない。捕はれてから僕は、淋しい事もあつたが、うれしい事もある。いつも、いつも悲観して計りゐはしません。どうか、死の名誉と喜びを、親同胞に伝へて欲しい。これが僕の哀心よりのお願ひである。大阪の方はよろしく御頼みします。(一四、八、一九)(第四回公判八月十五日、山崎弁論、九月十日言渡と決定) ○ 『N先生』を同封します。『解放』へ載せて下さい。突込んだものを書けば削られよいものを書けば取られ、これより外仕方ありません。許して下さい。此次は少し長いものを書きませう。判決もすぐですね、もう覚悟は出来ました。喜んで死を待つています。(一四、九、二) (『N先生』は恐らく古田君唯一の創作ではないだらふか、解放十四年の十二月号に載つてる) ○ 死刑の宣告があつた所で別に、これと言つた感想もない。吹くのではないが、大いに喜んでゐる。恐ろしい気持も何もしない。ただ何となく、夢の内にひたつてゐるやうな気がする。 初めから覚悟してゐた計りでなく、死刑でなかつたら今迄言つた事考へた事がまるで無駄になつて終ふ、又、外の人にも死刑を触れてゐたのが、嘘になつて恥づかしい気をしなくてはならぬ。そんな事もなく、多年の希望が達せられたのはうれしい。 和田君が一緒に来てくれないのは、残念だが仕方がない。村木君が今日迄ゐたら、如何なに喜んだか、返らぬ事だが、愚痴が出る。 先づこれで僕の一生の仕事も済んだ。後は安らかな往生を待つ計り。縊られる迄、後幾日か幾十日か知れないが、ユツクリ本も読もうし物も書かう。刑場に引かれる間際迄、この筆を絶つ事をすまい。別れの時には是非一度、内の同志に会はせて貰はうと思つてる。 (九月十日午後二時記、速達) ○ この十八日から愈々本物の死刑囚となりすまし、相も変らず悠々と呑気に生命の洗濯をしてゐます。身体も矢つ張り丈夫。中には随分僕を見くびつて「夜、眠れるかい?」なんて失礼な事を聞くものも-中村弁護士はこの前そんな事を聞いたつけ-あるが、憚り乍ら僕には、もうチト勇気があります。夜なぞ、今迄よりかよく眠れる。暁方迄グツスリ寝込んで終ふ。だが正直なところ、寝覚めの時は可成り淋しい。一日一日とちぢまつてゆく生命が眼の前に見えるやうで、何とも言へぬ淋しさに捉はれる。しかし、その外の時は淋しい事なぞ殆んどない気の弱い男なんだが、環境のお蔭で、これでも随分強くなつたのでせう。まあ、心配しないでゐて下さい。 写真も十八日に撮りました。和田君とも十分計り話しました。妹達とは会ひません。相変らず下らぬ感想を、執念深くボツボツ書いてゐます。 それから、貴下にお詫びしておかねばならぬ事がある。あなたが弁護人控訴をしやうとした真意を知らなかつたので、僕は一時、詰らぬ真似をすると思つた事がありました。詳と前以て伺つておけば今迄も、そんな事はなかつたでせうに、何分単純な人間ですから、人の心を洞察する事が出来ず、ついムカツ腹をたてるのです。お許し下さい。 大阪の人達のお世話をよろしくお願ひしておきます。僕の後始末もよろしくお願ひします。いつやられる生命か解りませぬ故、ここに改めて感謝の言葉を申しておきます。(一四、九、二五) ○ こう長くなる積りはなかつた。大半捨てて大半削る予定であつたが、独りでドレニも感心し、捨てる事も削る事も出来なくなつた。初めは一つ一つ注釈を加へる予定であつたが、スキもない程連絡と緊張とがある手紙であつた。しかし今又此手紙の後半を読むと、更に再び涙を新にする。自分にも其理由は分らない。控訴は本人の意思に任かせろ、無期より死刑がよいに極つてると云ふて、誰も弁護人控訴に賛成する者は無かつたが、僕は、其れは他人の生命を賭けて自分の道楽をやつてる者ではないかと心配した。で、九月十五日面会の節、真言空言ゴチヤ混ぜで、俺に任せろ一任しろとダマして見たが聴かなかつた。嘘だから何を云つた僕は忘れて仕舞つたが、古田君はよく覚へて居つたのだらふ。之れが又僕には涙の種だ。和田君は任せても差支ないような口吻で、結局古田君が控訴するならといふ事になつたが、古田君は一流の理由で頑として応じなかつた。今考へれば或は僕が一ツ被告本人の意思や世間の非難なんかは之れを無視し、独りで弁護人の権利を実行して一刀両断にやるべきだつたかも知れなかつた。しかし僕だつて其れ程の勇気と親切が有る訳でもなし、又控訴が其れ程被告本人に利益と名誉を与へるものでもなし、或は今迄通りが恰度よかつたのかも知れない。何が何だか薩張り判らないが、何だか僕には切なかつた思と、惜かつた悔みとだけが今でも残つてる。 ○ 昨日、布施さんと会ひました。近い内ださうですね。僕のは。この秋の内に片づけて貰ひたいと始終思つてゐます。十一月頃が一番好い。菊も咲かうし、コスモスも咲かう、七草も盛りたらう。 斯した沢山の花にかこまれて僕は死にたい。冬になつては余り荒涼としてゐて殺風景過ぎる。如何考へても秋が一番好い。どうやら思ひ通りにその時に死ねさうだ。とまア、独りで喜んでゐるんですが、こんな工合で大変気楽にしてゐますから安心して遠慮しないで、ドシドシ会ひに来て下さい。気の毒だなアなんと思つて、会ひに来てくれないと、返つて僕は怨みます。面白く世間話でもしやうぢやありませんか。その方が面倒がなくていい。それから、いつか見せてやると云つた、貴下の本、生きてる内に一寸拝見させて下さい。今は、なるたけ軽い本が好い。重苦しい固いのは見る気がしない。悪い癖なんだが、どうも仕方がないから困る。 僕の今の気持でも書いてお見せしやうかと思つたんだが、それも億劫だ、かう云ふと、矢張り気が滅入つてるんぢやないかとでも疑はれるかも知れないが、それは。何と云つたつて、外の人種とは気持が違ふ。しかし、悲観したり、煩悶したりするやうな事は少しもない故、御心配無用。やつておきたい仕事もどうやら片づいたし、何時、お迎へが来ても心残りはありません。この前、一寸その下稽古をしましたね。一度稽古をしておくと、本当の時大変楽なやうな気がします。お蔭で大分いい経験になりました。 大阪の方は如何してゐるか。久さんはどこで何をしてゐるか。もういつ迄もいつ迄も会へないのかと思ふと淋しい。しかし、かうなるのが僕達の運命だらう。大阪の方の裁判、ここの控訴、二つともよろしくお願ひします。死んだ後の始末もよろしく頼みます。(一四、一〇、八) ○ 遺言書を除いては之れが僕の受取つた最後のものである。古田君は僕の最初の-さうして恐らく最後の-死刑囚である。九月十日の判決言渡には僕も立会ふたが、其時は僕も古田君の首を締める一人であるように慄へた。其後は悲観極端意気消沈、もう弁護も諦める。僕は其事を古田君に書いて尚気の毒で怖ろしくて面会に行きにくいと附け加へた。僕が此の呼出状で岩佐作太郎君と駆付けたは十一日の日曜日であつたが、時間に後れて会へなかつた。十二日に都合があつて十三日に近藤憲二君と一所に面会した。古田君が殺られた夢を見たと云ふて飛んで来た加藤一夫君か面会して居た。大阪の死刑囚諸君からも古田君が殺られないか、夢見が悪いと其二三日前に云ふて来た。布施君も前日ソンな話をして居た。其他内の倉地君も古田君の殺られた夢を初めて見たと歎いた。古田君独りが呑気千萬、人の事の様の話振りだつた。が手紙の通り十一月を期待して居たやうだつた。二三日中では困る様な話もあつた。僕も何んとなく切迫の気勢を知つては居たが、まだまだと力づけて置いた。別れを惜しみ話が長くなり、皆に面会に来てくれるようにとの伝言はあつたが、死を怖れ生命を惜む様子はなかつた。僕が『地震憲兵火事巡査』を差入れた時所長に、若し古田君一生の願と云ふ此本を見せなければ、古田君はキツト化けて出ると手紙を書いた、と話したら、古田君は大笑化けて出る様な事も云はなかつた。古田君からは細々と遺稿出版、墓地葬式(僕も公然葬式でも出来る様な話をした)及び死ぬ稽古をした時の話などあつて、かれこれ二時間もかかつた。恐らく之れが古田君と人間との最後の会談であつたらう。(一四、一一、一) ○ 校正中に江口君から、古田君を目の当り見る様な原稿を送つてくれたから、僕の書いた『判決の頒布禁止と福田大将』とは組置にする。古田君等の判決は全文が法律新聞に載たのだが、すぐ禁止となつた。 面会に行く誰でもが古田君から、死ぬに好いのは十月か十一月ですね、と相談しかけられて返答に困つた。 愈々古田君が化けて出ないと極まれば僕は刑務所長宛で差入た本の取戻訴訟を起す。死ぬ人が一生の願といふのに見せないなんて。(十一月十日校了) <以上は、本文部分は山崎今朝弥氏、手紙部分は古田大次郎氏(1925年没)が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『解放』(解放社)第4巻3号96頁(大正14年(1925年)12月1日発行)>
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障害者自立支援法の国会通過、介護保険法「改正」など、社会福祉基礎構造改革と称して、今後、高齢者、知的障害者、精神障害者、身体障害者等を一体化していく動きが見えてきます。この問題に関わって、福祉の貧困化を助長するという批判、障害者当事者間でも一律に扱う事への批判、福祉の民営化に伴う問題点などが出ています。社会臨床学会では、これまで、障害者と健常者を分けてさらに障害者内を序列化していく方向性などに疑問を投げかけてきました。今回のシンポジウムでは、伊藤周平さん、島村聡さん、次田健作さんの3人から発題をいただきながら、この社会福祉基礎構造改革の諸相にわたって、さまざまな問題提起をすることを目的としていきたいと思っています。 伊藤周平さんには、全体としての社会福祉基礎構造改革の問題点を整理、指摘していただき、島村聡さんには、那覇市における基礎構造改革の社会福祉への影響、その現状と今後の問題点などを行政の立場からご発題いただきます。そして、次田健作さんには、福祉制度の両義性とそこからの自由というテーマを、地域の中で障害者の暮らしに関わってこられた経験から提起していただきたい、と思っています。 戸恒香苗・三輪寿二(司会) 社会福祉基礎構造改革の問題点 伊藤周平(鹿児島大学法科大学院) 伊藤さんは、社会保障論や社会政策論の研究者として、高齢者介護福祉制度、支援費制度、障害者自立支援法といった、昨今の日本の「社会福祉基礎構造改革」の流れを全体的な視野から、一貫して批判的に論じてこられた。また、旧労働省にお勤めの経歴もあるので行政的な考え方や事情にも通じておられる。 今回のシンポジウムでは、現在進められている「社会福祉基礎構造改革」について、財政的な論点なども含めながら縦横に切開し、その問題点を整理して下さるだろう、と期待している。 (文責 三輪寿二) 基礎構造改革が市町村に与えている影響 〜高齢者・障害者の福祉現場から〜 島村聡(那覇市役所) 那覇市は沖縄県南部に位置する人口約31.5万人の県庁所在地である。沖縄のトロピカルなイメージとは異なり人口密度7700人の超過密都市であり、主要機能のほとんどが集中してきたため、商店や医療機関などの生活関連施設は老朽化が進み、ドーナツ化現象が顕著。観光が唯一の基幹的産業である。 高齢者・障害者福祉行政は県都としての誇りに懸けて国が求めてきた補助メニューをほとんどすべて実施してきた。長期に亘る革新市政が発展させ、保守系である現在の翁長市政も毎年予算を上乗せしている。これにより一般会計予算に民生費の占める割合は毎年逓増しているが、多くは義務的な扶助費であり選択的経費によるオリジナル事業は年々低く抑えられている。いわゆる横出し上乗せ事業もほとんど実施ができない厳しい財政運営である。 福祉行政を担当している者として最低限度の生活保障が精一杯の状況は何とかしたかった。使えるものは何でも使った。市営住宅をグループホームにし、医療機関で重度障害者デイサービスを行った。公園の管理棟は知的障害者の作業所とし、消防署の跡利用は自閉症相談センターとした。すべて民間に開放であり規制緩和は後からついてくる。 三位一体改革の前では「直営はご法度」の雰囲気はどこの行政にも流れているが、今回の介護保険法の改正に合わせて示された地域包括支援センターの運営に関しては迷いなく直営を選択し、介護保険料を約900円引き下げた。その理由とサービス依存体質からの脱却戦略について話す。 「福祉」制度の両義性とそこからの自由をめぐって 次田健作(大谷女子大学) 自立支援法が国会を通過する前後から、この制度について議論しまともに対峙する動きよりも、むしろ何か浮き足立ってじたばたする動きが目立ってきたように思う。行政の説明会に出かけても、一応の話が終わってから、具体的な質問が始まると、「まだ分からない」「決まっていない」と返ってくるばかりで、会場は苛立ちと不安で締めくくられるのが決まった風景になっている。 「制度は個人の幸せを決めない。制度は私たちが自由に試行錯誤する土俵をつくるのだ」と言った人がいたが、逆に、制度は私たちから自由を奪い、試行錯誤を許さず、土俵そのものを狭く限定してしまうものでもある。とりわけ「福祉」の制度は、この二つの側面のせめぎあいを常に内に抱えながら、これまでもその実行の過程でさまざまな矛盾を生み出してきた。しかし、今回の制度改革は、露骨な政府の意図を背景に、あまりにも後者に重点を移してそのバランスを大きく崩すものである。 狭められる土俵を問題にしながら、その土俵にいかに適応したらいいのかというジタバタがしだいに大きくなっていく。土俵から落ちないようにジタバタすればするほど、そこに乗っている人々のエネルギーは確実に落ちていくように思われる。そんなことなら、土俵際まで追い込まれながらも、ここから降りることを模索してジタバタするほうが力も元気も出てこないか。ふとそう漏らすと、もっと現実を見ろ、とまた土俵の内側にひきこまれる。 地域の小中学校に介護員制度が導入された昔の話から、障害児の高校入学をめぐる最近の大阪の自立支援校制度の導入などを素材に、制度をめぐる両義性の問題を考える一方、26年間、地域の障害児とそのおとうちゃん、おかあちゃんたちとやってきたジタバタの面白さとしんどさが、ここにきて、先が見えないのは変わらなくても、何か追い込まれたジタバタに感じられるのはどうしてなのかも考えたい。 もう一つ付け加えるなら、20年近く前に発足した「地域ユニオン」の組合員の一人として、最近多くなった福祉労働者の相談事例と、それにかかわるやりきれなさについても触れてみたいと思っている。
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〈シンポジウムI〉生命操作の現在を検証する はじめに 現在、日本において、1997年に成立した臓器移植法では、「本人意思の尊重」原則が大きなブロックになって脳死・臓器移植が一向に普及していない。特に、小児臓器移植を禁じている法の限界に直面して、改善策が迫られている。これが臓器移植法の「見直し・改正」を主張する側の言い分だが、このような見方でよいのかについては、さらに検証を重ねていく必要がある。ここには、死なしてよい生命と生かさなくてはならない生命の格差問題があるし、「死の自己決定権」でよいのかという問いかけ等々がある。 さらに、特に21世紀に入ってから、かしましく論じられるようになったことに、「延命医療の中止」問題と尊厳死の倫理化・合法化問題がある。この背景には、医療費抑制という国家的・社会的要請や「少子高齢化社会=危機的な社会」というキャンペーンやがある。これらの社会的要請や自己決定権的思考のなかで広く表現されてきた、普段に暮らす人々の「尊厳死」願望も、ひるがえって、これらの動きを下支えしているように思える。 臓器移植にしても尊厳死にしても、これらを推進する社会的要請と論理は、一見、太くなりつつあるようだが、それに抗して、いまなお、問題提起的、歯止め的発言は繰り返されているし、社会臨床学会も、その一端を担ってきた。 一方、移植医療を超えて再生医療へという流れは、移植医療を推進する側からも、そして、移殖医療には慎重な立場を取る側からも、歓迎されている。昨今のマスコミは、再生医療に関わる研究と発見を、実用化の可能性や現状とともに、明るいニュースとして報じ続けている。再生医療には移植医療と同様な問題はないのか、再生医療特有の課題や問題は何なのか、この際、じっくり考えあいたいと願っている。 司会者たちは、以上のような認識と問題意識を持っているが、これから紹介する三人のシンポジスト、古賀典夫さん、高石伸人さん、堂前雅史さんからは、「生命操作の現在を検証する」ために、それぞれの切り口で、鋭くもリアルな問いを提出していただけるものと期待している。 (シンポジウムI司会 篠原睦治、三輪寿二) 発題1 臓器移植法「改正」・尊厳死法の現在と問題 古賀典夫 一昨年、国会に議員立法で「脳死」を一般的な人の死とする「臓器移植法」改悪案が上程された。その後も継続審議の手続きが取られ、現在に至っている。その国会の「脳死」を巡る議論の中では、「意識の喪失が人の死である」という趣旨の発言が行われるようになっている。健康保険の診療報酬には、「脳死」とされる人からの臓器移植が組み込まれ、遺伝子診断も組み込まれた。 昨年5月26日には、関係閣僚も出席する「社会保障の在り方に関する懇談会」が医療費抑制の観点から「尊厳死・安楽死」の推進を明確に打ち出した。そして、国会議員の中では、「尊厳死法案」が検討されている。医療現場での人工呼吸器の取り外し問題などを契機にしながら、「尊厳死」推進のキャンペーンも行われている。 これらと同時並行で進められてきた政府・与党の政策が「介護保険法」の改悪、「障害者自立支援法」制定、医療制度改悪だった。金を持たない者はますます福祉や医療が受けられない状況が強められると共に、「働けない者」「人の手を借りずに生活できない者」をますます切り捨てていこうとする方向が強められてきた。他方、こうした政策への反撃も展開されている。 こうした優生政策や能力主義による選別は、国を縛る憲法から民衆を縛り戦争へ動員する憲法へと変える動きとも一体であると思う。 こうした動きを具体的におさえながら、どうやってこれらに立ち向かっていくのかを考え提起してみたいと思う。 こが・のりお 脳死・臓器移植に反対する市民会議世話人、「怒っているぞ、障害者切捨て全国ネットワーク」メンバー。論文に「最近の「尊厳死・安楽死」推進の動きとその批判」社会臨床雑誌12巻3号(2005年)、「なぜ、障害者自立支援法に反対するか」同誌13巻3号(2006年)など。 発題2 少子高齢化社会と介護保険・尊厳死 高石伸人 大学の教員をしながら、筑豊の自宅で「障害」をもつ人を含む友人たちと一緒に、自認可の「虫の家」というフリースペースを運営していて、今年21年目を迎えました。17年前にはダウン症の息子を授かりました。教員になってから、半分はノルマを果たす必要からいくつかの論文を書きました。テーマは、ハンセン病、臓器移植、社協論、仏教と福祉について等です。今は、いじめ・自殺や子ども虐待のことを調べていて、水俣病事件についても少し考えてみたいと思っています。 さて、今回の総会で問題提起を仰せつかり、「少子高齢化社会と介護保険・尊厳死」という課題で手打ちしたのですが、今はまだ上の空で思考回路の整理ができていません。ただ、子ども問題を調べる中でも考えさせられたのですが、少子高齢化社会というのは、子どもたちがたくさんの大人たちに囲まれて、眼差しを注がれている社会なのだということです。その点で、子どもたちは息苦しいだろうなと直感します。しかも、「少子高齢化社会=少子vs多数の高齢者」という負担の構図を意図的にばら撒いて相互牽制を煽り、所得の再分配という原則から国民の目を逸らさせようとしている、そんなふうにも思われます。何せ、数の少ない子どもたちに、迷惑で負担のかかる「介護」の必要なたくさんの高齢者を養ってもらわないといけないわけですから、稀少な人的資源として「健やか」に育っていただかねばなりません。もちろん、高齢者たちにも「応益」の負担と、「要介護認定」予備軍には予防のための筋トレを課して、陰に陽に自立に向けた努力を強いながら、しかし、やがて訪れる「見苦しい老い」に、徐々に向き合ってもらいます。そのうえで、家族や社会や国家に迷惑をかけるくらいなら、いっそ「美しく死にたい」という自己決定の花道を用意しようとしている。まあ、漠然とそんな勘繰りに頭をめぐらせているところです。 たかいし・のぶと 九州龍谷短期大学勤務。論文に「証言:『らい予防法』を生きて」九州龍谷短期大学紀要第45号(1999年)、「閉塞する死—『商品化社会』の精神に関する一考察」九州龍谷短期大学紀要第46号(2000年)など。なお、第6回総会(和光大学)の分科会「老いと介護をめぐって」(社会臨床雑誌6巻3号)でも、同様なテーマで論じている。 発題3 脳死・臓器移植から再生医療への現在と問題 堂前雅史 幹細胞や前駆細胞を用いた再生医療は、適合性や臓器不足などの問題を抱えている臓器移植に代わりうるものとして注目を浴びつつある。中でも万能細胞といわれる胚性幹細胞は、クローン技術と結びつけることによって免疫拒絶反応を生じない再生医療への道を開くと期待されていたが、捏造問題のようなスキャンダルを生み出し、これらの分野における研究者間・企業間の熾烈な競争の表れとして見ることができよう。こうした技術についてはしばしばクローン技術やES細胞を用いる研究が注目されるが、他にも様々な展開が見られ実用化されつつある。今回は、再生医療の研究の現状について私が知り考えたことを申し上げ、先端生命科学・医療研究をめぐる社会問題についての議論の材料としていただければ幸いである。 私のもともとの専門は動物のホルモンと行動の関係を探ることだったが、遺伝子と行動の関係を考えたのがきっかけで、GMO、BSE、クローン技術など科学と社会の関係について考えるようになった。現在は都市部における自然保護の問題を考えている。 どうまえ・まさし 和光大学現代人間学部身体環境共生学科勤務。今回のテーマに関連する論文として、「市場は『種の壁』を開く─『狂牛病』、クローン豚、そして生物進化」『アソシエ』No.9(2002年)、「生命科学技術と私たちの社会─クローン技術を例に」『和光大学人間関係学部紀要』No.6(2002年)、「遺伝子組み換え作物の生態系への影響をめぐる論争」『アソシエ』No.7(2001年)、「クローン人間と『“ヒトラー”の遺伝子』」『現代思想』Vol.26-11(1998年、廣野喜幸と共著)、「『同性愛の遺伝子』をめぐって」『情況』1996年11月号など。
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篠原睦治(和光大学) なんとも大仰なタイトルである。しかも、「記念講演」とまで銘打っている。気恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。総会実行委員長、加藤さんの要請なので、と弁解させていただく。 1964年夏、アメリカでは臨床心理学で学位を取ろうとする者に一年間義務付けられている「心理学インターンシップ」に参加するために、ニュージャーシー州に旅立った。精神薄弱児の収容施設、州立精神病院で、心理テストの訓練を受けた。精神分析の盛んなところだったが、行動療法も台頭していて、それぞれの専門家たちは、ぼくらの前で相手を批判しながら、ぼくらを煽っていた。明くる年、すでに影響を受けていた児童精神科医で非行研究者、R. ジェンキンスのところへ馳せ参じ、少年院にこもりながら、非行研究をした。帰りには、イスラエル・キブツに立ち寄って、集団主義保育・教育のなかの親子関係と性格形成の様子を調べた。ぼくの最初の本は『キブツの子どもたち』である。 1966年秋、東京に戻ると、日本臨床心理学会が生まれていて、丁度、総会中だった。ぼくは、カウンセリングや非行研究ですでに指導を受けていて、アメリカ留学の道を開いて下さった水島恵一先生に、その会場で帰国の挨拶をした。先生の嬉しそうな顔をいまでも思い出す。 先生を囲んで、ぼくらは東京臨床心理研究会を始めた。ぼくらは、先生から自らカウンセリングを受けつつ、カウンセリングと心理テストの研究会・講習会を始めた。プロとしての資質を高め、やがては、臨床心理士の資格をつくっていかなくてはならないと考えていた。ここで、ぼくは、ロールシャッハ研究者、片口安史先生の信頼を得ながら、ロールシャッハ・テストを教えるクラスを担当した。 しかし、臨床心理研究者・心理臨床家としての上昇への道は長続きしなかった。心理テスト・カウンセリングをしながら、「分ける」ことの告発を受け出すし、「内面を覗く」ことの後ろめたさを体験していく。といって、もはや、この世界から縁を切ることはできなくなっていた。こうして、「される」側に学び「される」側とともに、臨床心理学・心理臨床の批判的検証の、長い共同の旅が始まった。 いま、ぼくは、70年代当初からだが「どの子も地域の学校へ」と願い主張して子供問題研究会の活動に参加している。90年代当初発足の「脳死・臓器移植に反対する市民会議」の世話人をしている。そして、やはり70年代当初からだが、臨床心理士の資格・専門性を批判しながら、臨床心理学会の学会改革運動に参加し、その延長上で、現在、社会臨床学会活動に参加している。 そして、今も、臨床心理学にからみあらがっている。職場では、「臨床心理学」「心理学思想史」「心理学の社会史」などを担当してきた。 当日は、「昔」と「今」をもう少し丁寧に述べながら、「昔」から「今」へと移り変わる話を、恥ずかしながら個人史的に話させていただこうと思っている。聴いていただければ幸いである。
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〈シンポジウムII〉教育とグローバリズム はじめに 今回のシンポジウムIIは、佐々木賢氏の記念講演「グローバリズムと心性操作」と連動している。グローバリズムという言葉が日本で時代のトレンドのように使われ始めたのは、1996年あたりかららしいが、ここ1年ほどの間に「格差」や「ワーキングプア」といった現実を通して、新たな時代を切り拓くと喧伝された「規制緩和」や「官から民へ」というグローバリズムの戦略が、実際には何をもたらしたかが、多くの人の目にはっきりと見えるようになったと思う。 こうした状況を踏まえて、今回は三人の発題者の方に、それぞれの関心領域とグローバリズムとの関わりを語っていただくことになっている。 小沢牧子氏は、臨床心理家としての体験を踏まえて、心理主義化する社会を鋭く批判されてきたが、今回は政治・経済の問題も射程に入れて、グローバリズムと愛国心の関連について思索を深められている。グローバリズムとナショナリズムは表裏一体なのだという説に、どのような新たな視座が加わるか、とても楽しみである。 中島浩籌氏には、今急速に人々の間に浸透する「自己実現」という概念と、グローバリズムの関わりについて話していただく。近代個人主義の自己確立と「自己実現」はどう違うのか、ある人々には抑圧としかならない「自己実現」とはどういうものか……興味は尽きない。 学校選択の自由、バウチャー制度、教員にも成果主義を、事務室業務は外注で……とグローバリズムは教育のシステムに浸透しつつあるが、それだけではない。もっと直接的に現場の児童生徒の日常のあり方に深い影響を与えつつあるのではないか、現場の実践を踏まえつつ、岡崎勝氏に語っていただく。 三人のお話が佐々木賢氏の講演と連動しつつ、どんな展開を見せるか、司会としても楽しみにしている。 (シンポジウムII司会 原田牧雄、林延哉) 発題1 グローバリゼーションと愛国心教育はなぜ親密か 小沢牧子 経済・政治にくわしいわけでもないのに、とんだ難題を自分で自分に吹っかけてしまったものだと悩んでいる。でも経済・政治をぬきにして教育だけを考えるなどということはそもそもできないことなのだから、ここを考える機会として、ふたつの問題提起をしてみたい。ひとつはタイトルそのものへの仮説、もうひとつは具体的に、学校に使用圧力がかけられている『心のノート』と人権教育読本『にんげん』の対比についてである。 一つ目だが、グローバリゼーションと愛国心の関係を自分なりに、人が住んでいる家の比喩でとらえると、こんな感じがする。これまでは高い塀をたてて外からかんたんに人が入って来られないようにしていたが、「規制緩和」「政府機能の縮小」「市場原理の徹底」などが進んで、自由に人が出入り出来るように塀を低い垣根に変えた。そして実際に人やモノがさかんに出入りする。すると家と外の境界があいまいになって、不安になる。家族が家意識を強め結束して家をきちんと守り、安全・防犯対策も充実させてもめごとが起きたら公認された暴力を使う準備をする。つまり家の再編成をする。そして家族にも、家への忠誠を求める。「合法的な暴力を独占するのが国家」は萱野稔人さん(政治哲学)の言葉だが、国家は将来の暴力実行者として、当然子どもたちを視野に入れている。そこで新自由主義と愛国心教育のテキスト『心のノート』も登場する。 そこで二つ目の問題提起になるが、大阪を中心として学校でもう40年近く使われてきた『人権教育読本・にんげん』というテキストがある。『心のノート』と同時期に改訂された新シリーズは、『心のノート』と大きさも厚さも学年編成の仕方も偶然同じだが、内容は正反対で、障害者問題をふくめ、反差別・反戦の姿勢を貫いている。ところがこの『にんげん』の評判は、当の大阪では子どもたちをふくめあまりよくないらしい。理由は「暗い」。暗いとは何のことだろう、と考え込む昨今である。そう言えば『心のノート』は、「せなかをぴんとのばしてすすんでいこう。もっとすてきなあなたをみつけよう」と、「明るい」のだ。行く先はきびしい。 おざわ・まきこ 社会臨床学会運営委員、和光大学オープンカレッジ講師、『「心の専門家」はいらない』(洋泉社)、『心理学は子どもの味方か?』(古今社)など。 発題2 自己実現の教育とグローバル化・心理主義化 中島浩籌 80年代なかばの臨時教育審議会答申以降、自己実現の教育という理念が急速に広まってきた。ネオリベラリズム的な思考の浸透もあって、サービスとしての教育、自己実現、自立という言葉が飛び交っている。いったい、この背景には何があるのだろうか。グローバリズムの進展という現象がかかわっていることは間違いない。福祉国家という理念の衰退に経済のグローバル化が関係しているということはよく知られている。その隙間にネオリベラリズムが台頭し、自己実現、自己責任、自立という言葉が広がってきた。ただ「自己実現」という言葉は60年代から徐々に浸透しているものでもあり、グローバリズムだけの問題には還元できないだろう。心理主義もまたグローバル化の中で広がってきている。しかしこれもまたグローバリズムより歴史は長い。グローバル化と自己実現の教育・心理主義化の関係をどう考えていけばよいのだろうか。 その点をシンポジウムで考えていければと思っている。自己実現、自立という理念は長い間大切なものとして考えられてきた。しかし今日、「ニート」や「不登校」の人たちだけでなく、多くの人々にとってこの言葉は圧力となってきている。今こそ、この言葉の理念を考え直す時なのではないだろうか。この点についても考えていきたい。 なかじま・ひろかず 法政大学・河合塾COSMO講師、『逃げ出した教師の学校論』(労働経済社)、『カウンセリング・幻想と現実 上巻 理論と社会』(社会臨床学会編 分担執筆 現代書館)、『心を商品化する社会』(小沢牧子と共著 洋泉社)など。 発題3 グローバリズムマシーンとしての学校教育 岡崎勝 名古屋市で公立小学校の教員を31年間もやってきたわりには、学校の現場があまり分かっていないなあと、ときどき落ち込むことがある。でも、「分かる」ということは、とても難しいことで、子どもに「二ケタの割り算」を教えているときだって、本当によく分かっている子は少ない。それに、「慣れ」は分かることを忌諱する。自転車に乗れるようになった子どもに、「なぜ、乗れるかというと……」などと説明する必要はないし、そんな説明は拒絶されるだろう。 私が、学校教育がグローバルな世界を形成するときのツールなんだといっても、そりゃあそうでしょう!という人もおおぜいいるはずだ。今回は、学校教育の中で実際に起きている日常的なことから、世界のグローバリズムを支えていく、あるいは共犯関係を構成するような教育の権力を論じてみたい。 もともと教育のグローバリゼーションは、高速情報社会による格差を使った「権力の占有」である。また教育は、差別化された「文化資本」を駆使しながら権力構造を構築する。たとえば、東京ほどではないけれど、お受験(小学校六年生が有名中学、あるいは無名中学に進学)する子どもが名古屋にもたくさんいる。彼らは、なぜ中学校を受験するのか?「将来医者になりたい……」とか、まあ、色々言うが、本当のところはどうなのだろう?あえて、ジモ中へ行かないのはなぜか? 学歴? 出世? キャリアを目指して? 違うんだなあ。もちろん、そういう子どもや親もいるかもしれない。でも私がみてきた多くの子供達は、「なんとなく」が圧倒的に多い。確固とした理由や目的なんかないのだ。親たちによる意志であり、それは差別化された教育商品を消費することで、不良債権的な「子ども」への投資行為であり、有用性を誇示したり、安全な養育(つまり低リスク)をするためなのだ。 教育は、自己エネルギーを投下したり、時間を消費したり、おまけにお金をしっかり使っても、絶対に否定されない。そんな「価値ある行為」とされている。教育の絶対的価値は、グローバリゼーションには、欠くことのできないツールであり、学校教育は有効なグローバルマシーンなのだ。 おかざき・まさる 名古屋市小学校教員、『おそい・はやい』編集人、『ちいさい・おおきい』編集委員、編著『がっこう百科』(以上、ジャパン・マシニスト)、著書『学校再発見!』(岩波書店)など。