約 4,647,386 件
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/477.html
(先頭■をクリックすればアンカーに、資料名をクリックすれば資料概要に飛びます) 1 軍慰安所の設置■ 恤兵金ノ処分二関スル件〔閣譲決定](昭7・7・19)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・4・11~20)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・4・21~30)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・5・1~10)(未作成) ■ 北支那並満州国視察報告[工兵第4大隊中隊長](昭9・3)(未作成) ■ 昭和十一年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締[在上海総領事館讐祭署沿革誌二依ル】(昭10)(未作成) ■ 昭和十三年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締並ニ租界当局ノ私娼取締状況 [在上海総領事館讐祭署沿革誌二依ル】(昭13)(未作成) ■ 支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策[陸軍省副官](昭15・9・19)(未作成) ■ 昭和一七年四月陸軍々人軍属犯罪表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭17)(未作成) ■ 昭和一七年四月陸軍々人軍属非行表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭17)(未作成) ■ 軍人ノ変死ニ関スル件報告[第3飛行師団司令部](昭和17)(未作成) ■ 戦場生活ニ於ケル特異現象ト其対策[早尾乕雄](昭14・6)(未作成) ■ 軍人軍隊ノ対住民行為ニ関スル注意ノ件[北支那方面軍参謀長](昭13.6.27)(未作成) ■ 状況報告[独立攻城重砲兵第2大隊長](昭13・1・20)(未作成) ■ 慰安所ノ状況【波集団司令部](昭14.4)(未作成) ■ 第二軍状況概要[第2軍司令部(中支武漢地区)](昭13・12・10)(未作成) 1 軍慰安所の設置 ■ 恤兵金ノ処分二関スル件〔閣譲決定](昭7・7・19)(未作成) 満州事変が昭和6年(1931年)にはじまったが、満州の日本軍は最初は軍が専用し、軍が管理する「慰安所」といったものをもっていなかったようだ。国立公文書館所蔵の閣議決定の資料の中に昭和7年7月18日の陸海軍大臣提案の「恤兵金ノ処分二関スル件」がある。そこには、民間から出征兵士によせられた355万4408円の使い道が報告され、「慰安施設ノ為現金ニテ直送シタルモノ」というような表現がある(4巻、147-148頁)。しかし、「慰安」という言葉自体がこのときはのちの時期のような意味をもっていなかった。 ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・4・11~20)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・4・21~30)(未作成) ■ 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・5・1~10)(未作成) 個別部隊の資料では、混成第14旅団司令部の『衛生業務旬報』昭和8年(1933年)4月中旬分をみると、旅団司令部のあった平泉には、 内鮮人娼妓三八名入リ来リ開業スルニ付キ(同、170頁) とあって、「慰安所」なるものはない。吉見義明氏は資料の中にある「防疫及衛生施設」(同、178頁)という言葉に注目して、これが「慰安所」だとしているが(*1)、これは旬報のたんなる見出しにすぎない。軍はこれらの娼妓に対して軍医に性病の検査をさせている。その実施要領は「混成第十四旅団芸娼妓酌婦健康診断実施要領」と題されている(同、187頁)。検査のべ人員が38人のところ、日本人が3人、朝鮮人が35人で、圧倒的に朝鮮人が多いことがわかる(同、170頁)。 ■ 北支那並満州国視察報告[工兵第4大隊中隊長](昭9・3)(未作成) 昭和9年(1934年)に工兵第4大隊中隊長の塩見久吉大尉が北支と満州を視察して報告を提出している。その中に次のような一節がある。 慰安法ヲ講スルコトハ駐満部隊ニ於テ最モ緊要ナリ折角守備ニ討伐ニ重大使命ヲ果シテ帰営セルモ之ニ対スル物質的慰安ナク待ツモノハ廃屋ノ如キ古兵営ノミニテハ軍心弛ミ易ク荒ミ易カラスヤ(同、239頁)。 この表現はここにはいまだ軍慰安所のようなものは存在していなかったことをうかがわせる。 ■ 昭和十一年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締[在上海総領事館讐祭署沿革誌二依ル】(昭10)(未作成) ■ 昭和十三年中ニ於ケル在留邦人ノ特種婦女ノ状況及其ノ取締並ニ租界当局ノ私娼取締状況 [在上海総領事館讐祭署沿革誌二依ル】(昭13)(未作成) しかし、すでに確認されているように、昭和7年(1932年)第1次上海事変によって戦火が拡大された上海には、すでに軍慰安所ができていた。この地に派遺された日本海軍陸戦隊が「海軍慰安所」を設置したのが軍慰安所の最初のものであった。『在上海総領事館警察署沿革誌』に見える昭和13年の「在留邦人特種婦女」の状況、取り締まりにかんする記述によれば、以下の通りである。 昭和七年上海事変勃発ト共二我ガ軍隊ノ当地駐屯増員二依リ此等兵士ノ慰安機関ノー助トシテ海軍慰安所(事実上ノ貸席)ヲ設置シ現在二至リタル(1巻、449頁)。 昭和7年末になると海軍慰安所は17になっていた。これが昭和9年には14に減ったが(同、433頁)、昭和11年(1936年)末になると、「海軍慰安所タル料理店」は3軒とされている。「料理店」とは「酌婦」を置いて客に買春させる施設のことであるが、その総数は10軒、うち7軒が海軍下士官専用、のこり3軒が居留邦人を相手にするものであったというから、海軍慰安所が3軒、海軍下士官用のものがさらに4軒、その他の居留邦人相手のものが3軒ということになる。このとき「酌婦」の数は131名、うち内地人は102名、朝鮮人が29名であった(同、436頁)。ここでは日本人が多い。一般に兵士を相手とする店には陸戦隊員及び領事館警察官吏が立ち会って、毎週2回性病検査をした。海軍慰安所については、 海軍側トモ協調取締ヲ厳ニシ且新規開業ヲ許サザルコトトセリ(同、437頁) とある。 昭和12年(1937年)に日中戦争がはじまると、上海には大量の日本軍部隊が上陸した。「慰安所」業者たちは一時戦火をのがれて、日本国内に避難したが、その年11月頃には元に戻ってきた。昭和13年12月末日で海軍慰安所は7軒、貸席全体は11軒、「酌婦」総数は191名、うち日本人171名、朝鱒人20名であった。軒数の比例で海軍慰安所にいた慰安婦数を推測すると、148人となる。この他に「陸軍慰安所」があり、そこには「臨時酌婦約300名がいたとある(同、450頁)。「陸軍慰安所」1軒あたりの慰安婦数を上海の貸席の平均17.4人としてみれば、陸軍慰安所の数は17軒程度ということになり、海軍慰安所とあわせると、24軒ということになる。このときの上海の「慰安婦」総数は海軍、陸軍あわせて、約450人と推測される。 ■ 支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策[陸軍省副官](昭15・9・19)(未作成) このように上海に軍慰安所をっくったのは上海派遺軍参謀副長岡村寧次、同高級参謀岡部直三郎だとされている。既存の研究によれば、岡村らの動機は占領地で頻発した中国人女性に対する日本軍人によるレイプ事件によって、中国人の反日感情がさらに強まることを恐れて、防止策をとらねばならないとしたところにあった(*2)。そのことについては、陸軍省副官川原直一が昭和15年(1940年)9月19日に関係軍部隊に送った文書「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」にも、次のようにある。 事変勃発以来ノ実情二徴スルニ赫々タル武勲ノ反面ニ掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等皇軍タルノ本質ニ反スル幾多ノ犯行ヲ生シ為ニ聖戦ニ対スル内外ノ嫌悪反感ヲ招来シ聖戦目的ノ達成ヲ困難ナラシメアルハ遺憾トスル所ナリ 支那事変勃発ヨリ昭和十四年末ニ至ル間ニ軍法会議二於テ処刑セラレシ者ハ掠奪、同強姦致死傷四二○、強姦、同致死傷三一二、賭博四九四ニ達シアリ 兵営(宿舎)ニ於ケル起居ノ設備ヲ適切ニシ慰安ノ諸施設ニ留意スルヲ必要トス特ニ性的慰安所ヨリ受クル兵ノ精神的影響ハ最モ率直深刻ニシテ之カ指導監督ノ適否ハ志気ノ振興、軍紀ノ維持、犯罪及性病ノ予防等ニ影響スル所大ナルヲ思ハサルヘカラス」(2巻、49,50,53頁)。 これはすでに注目されている有名な資料だが、日中戦争開始の1937年7月から1939年末までの1年5ヶ月の間に強姦致死の罪によって軍法会議で裁かれ有罪判決を受けた日本軍将兵の数が732人であるとの記述が重要である。 ■ 昭和一七年四月陸軍々人軍属犯罪表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭17)(未作成) ■ 昭和一七年四月陸軍々人軍属非行表[中支那派遣憲兵隊司令部](昭17)(未作成) ■ 軍人ノ変死ニ関スル件報告[第3飛行師団司令部](昭和17)(未作成) 『資料集成』には、軍人の犯罪非行にかんする資料として、中支那派遺軍憲兵隊司令部が作成した「陸軍々人軍属非行表」の昭和16年11月、12月、昭和17年2月、4月分、「陸軍々人軍属犯罪表」昭和16年12月、昭和17年1月、2月、4月分が含まれているが、慰安所、慰安婦にかかわる非行、犯罪の記述だけを切り取った資料であり、強姦事件に関する記述はとられていない。個別事件の報告の中に、昭和17年7月18日酔って深夜慰安所に行ったところ閉門していたので、帰途中国人の家に押し入り、15歳の少女を強姦した上等兵(第3飛行師団所属)が同家からの訴えで逮捕され、7月27日軍法会議にかけられ、懲役3年、一等兵への降等に処せられたことが見える(2巻、200-201頁)。慰安所行きと中国人女性への強姦とを同じレベルでとらえている兵がいることが分かるケースである。 ■ 戦場生活ニ於ケル特異現象ト其対策[早尾乕雄](昭14・6)(未作成) ところで日本陸軍の陸軍刑法には強姦致死罪は規定されていたが、強姦自体を罰する規定はなかったため、強姦罪は一般刑法上の犯罪として処罰されていた。普通刑法では法定刑の範囲が狭く、訴追は被害者の告訴を必要としたので、戦時の強姦をとりしまるには適当でなく、殺人をともなわない強姦は見逃されることも多かった、、陸軍刑法に強姦罪の規定が設けられ、これを非親告罪としたのはようやく昭和17年(1942年)の改正によってである(*3)。したがって日中戦争開始後、軍法会議にかけられた732人は日本兵の中国での強姦件数の中では、氷山の一角であった。上海事変に従軍した早尾乕雄軍医大尉が昭和14年(1939年)にまとめた文書「戦場ニ於ケル特殊現象ト其対策」もすでに有名な資料だが、そこにも次のようにある. 検挙サレタ者コソ不幸ナンデ蔭ニハドレ程アルカ解ラヌト思フ。憲兵ノ活躍ノナカツタ頃デ而モ支那兵ニヨリ荒サレズ殆ンド抵抗モナク日本兵ノ通過ニマカセタ市町村アタリハ支那人モ逃ゲズニ多ク居ツタカラ相当二被害ガアツタトイフ。加之部隊長ハ兵ノ元気ヲツクルニ却ツテ必要トシ見テ知ラヌ振リニ過シタノサヘアツタ位デアル(同、66-67頁) 早尾軍医大尉は、強姦の防止のために慰安所が設けられたが、それでも強姦事件はとまらなかったと述べている。 出征者ニ対シテ性欲ヲ長ク抑制セシメルコトハ自然二支那婦人ニ対シテ暴行スルコトヽナロウト兵站ハ気ヲキカセ中支ニモ早速ニ慰安所ヲ開設シタ。其ノ主要ナル目的ハ性ノ満足ニヨリ将兵ノ気分ヲ和ゲ皇軍ノ威厳ヲ傷ケル強姦ヲ防グノニアツタ。慰安所ノ急設ハ確カニ其ノ目的ノ一部ハ達セラレタ。然シアノ多数ノ将兵ニ対シテ慰安所ノ女ノ数ハ問題ニナラヌ。…地方的ニハ強姦ノ数ハ相当ニアリ亦前線ニモ是ヲ多ク見ル 日本ノ軍人ハ何故ニ此ノ様ニ性欲ノ上ニ理性ガ保テナイカト私ハ大陸上陸ト共ニ直チニ痛嘆シ戦場生活一ヶ年ヲ通ジテ終始痛感シタ。然シ軍当局ハ敢テ是ヲ不思議トセズ更ニ此ノ方面ニ対スル訓戒ハ耳ニシタ事ガナイ(同、66,72頁) ■ 軍人軍隊ノ対住民行為ニ関スル注意ノ件[北支那方面軍参謀長](昭13.6.27)(未作成) この事態を前にして、軍の上層部は事態を憂慮し、軍紀を厳正に保つことを命ずるとともに、強姦事件をふせぐために軍慰安所の設置を推進したのである。岡村の部下として上海の慰安所設置に働いた岡部直三郎が北支那方面軍参謀長として1938年(昭和13年)6月27日に出した名高い通牒がある。あらためてその一部分を引用する。文中「性的慰安ノ設備」とは軍慰安所のことである。 諸情報ニヨルニ、…強烈ナル反日意識ヲ激成セシメシ原因ハ各所二於ケル日本軍人ノ強姦事件カ全般ニ伝播シ実ニ予想外ノ深刻ナル反日感情ヲ醸成セルニ在リト謂フ 部下統率ノ責ニアル者ハ国軍国家ノ為メ泣テ馬謖を斬リ他人ヲシテ戒心セシメ再ヒ斯ル行為ノ発生ヲ絶滅スルヲ要ス 軍人個人ノ行為ヲ厳重取締ルト共ニ、一面成ルヘク速ニ性的慰安ノ設備ヲ整へ、設備ノ無キタメ不本意乍ラ禁ヲ侵ス者無カラシムルヲ緊要トス この通牒が各部隊に送られ、受けとめられたさまは、歩兵第9旅団陣中日誌やなどに書き写されている(*4)ところからうかがえる(同、23-26,32-36頁)。後者では、 本次事変ハ大日本国民ニ課セラレタル天ノ試錬ニシテ軍ハ既ニ幾多光輝アル戦績ヲ収メ得タリト難敵ノ死命ヲ制シ能ク聖戦ノ目的ヲ達成シ得ルト否トハ寧ロ懸リテ今後作戦ニ存ス という第2軍司令官稔彦王の訓示の次に書きこまれている。 ■ 状況報告[独立攻城重砲兵第2大隊長](昭13・1・20)(未作成) したがって、軍慰安所なるものは、日本軍の歴史の特定の段階で生まれたものであり、一般の業者が自らの営業として軍の駐屯地へ来て開いた「料理店」、「貸席」とは異なり、軍が必要とし、軍の判断で設置した施設であることは間違いない。上海の西の常州方面に向かう独立攻城重砲兵第2大隊本部の昭和12年12月の陣中日誌によると、 慰安設備ハ兵站ノ経営スルモノ及軍直部隊ノ経営スルモノノニヶ所アリテ定日ニ幹部引率ノ許ニ概ネー隊約一時間ノ配当ナリ(同、228頁) とある。兵站部と軍直部隊、すなわち大隊本部がそれぞれ慰安所を経営していることがわかる。 ■ 慰安所ノ状況【波集団司令部](昭14.4)(未作成) のちに広東の波集団(*5)司令部の「戦時旬報」昭和14年4月中旬分には次のようにある。 慰安所ハ所管警備隊長及憲兵隊監督ノ下ニ警備地区内将校以下ノ為開業セシメアリ 近来各種慰安設備(食堂、カフェー、料理屋、其他)ノ増加ト共ニ軍慰安所ハ逐次衰微ノ徴アリ 現在従業婦女ノ数ハ概ネ千名内外ニシテ軍ニ於テ統制セルモノ約八五○名、各部隊郷土ヨリ呼ヒタルモノ約一五○名ト推定ス(同、39-40頁) これによると、軍慰安所は、警備隊、憲兵隊の監督のもとに、すなわち波集団司令部の統制のもとに警備地区内において業者に開業させたものであるが、憲兵のいないところで各部隊が郷土から業者と女性を呼んで開業させている慰安所もあるようである。 ■ 第二軍状況概要[第2軍司令部(中支武漢地区)](昭13・12・10)(未作成) 中支武漢地区を制圧した第2軍の昭和13年12月10日付け「第二軍状況概要」によれば、漢口及び漢陽の警備について述べた箇所で、 外出ハ警備第一主義ニ基キ当分ノ間引率外出、慰安所出人ノ為ノ外出以外之ヲ認メス慰安所ハ十一月二十五日ヨリ之ヲ開設シ切符制度ニヨリ混雑ヲ防止シ以テ皇軍ノ面目ヲ維持スルコトニ努メツツアリテ概ネ所期ノ目的ヲ達シアルモノト信ス(同、302頁) とある。 軍が直轄経営するといっても、実際の経営主体は民間業者であった。軍が業者に依託して、女性を調達してもらい、軍の監督のもと開設させるという形が普遍的であった。このような軍直営の慰安所の他に、軍が民間業者の施設を慰安所に指定し、軍専用慰安所とする場合もあった。 原注(1)吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書、1995年、19頁。 原注(2)同上、16-17頁。吉見義明・林博史編『共同研究日本軍慰安婦』大月書店、1995年、16頁。典拠は、稲葉正夫編『岡村寧次大将資料』上巻(戦場回想篇)、原書房、I970年、302貫。『岡部直三郎大将の日記』芙蓉書房、1982年、23頁。 原注(3)陸軍省軍務局長「大東亜戦争間軍法会議処刑掠奪強姦等犯罪事例ニ関スル件」、別冊「日本軍ノ軍紀粛正ニ就テ」、昭和20年10月3日、永井均篇『戦争犯罪調査資料』東出版株式会社、1995年、210-212頁。 歩兵第9旅団陣中日誌と歩兵第41連隊陣中日誌に転記されている 原注(4)政府発表では南支23軍となっているが、吉見氏の考証で南支21軍とされている。吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店、1992年、214頁。
https://w.atwiki.jp/peaceonpeace/pages/357.html
http //japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/08/20070308000012.html 日本の安倍晋三首相は第2次世界大戦当時、韓半島(朝鮮半島)や中国から従軍慰安婦が動員された際に強制性があったかどうかを再調査する方針、と共同通信が8日報じた。 共同通信は、政府・与党の複数の関係者の話として、旧日本軍による従軍慰安婦動員の強制性を認めた「河野談話」の前提となる事実関係について、安倍首相は再調査する方向で検討している、と伝えた。 関係者によると、再調査は歴史学者などの有識者機関に依頼する方向で検討されているという。 このような再調査について、同通信は「日本政府が前回の調査を実施して以来14年が経過しており、“新たな資料や証言”が出てきたため、従軍慰安婦動員の強制性に対する追加の検証が必要になったとの判断によるもの」と説明している。 しかし、安倍首相が「河野談話」を基本的に継承するとしている状況で再調査が行われれば、調査結果によっては談話修正につながる可能性も否定することができず、場合によっては韓国や中国などの関連国が反発する可能性もある、と同通信は強調した。 こうした中、自民党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は9日、従軍慰安婦問題の再調査などを求める提言を安倍首相に提出する方針だ。 これに先立ち安倍首相は今月5日、従軍慰安婦問題で旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していないと主張し、波紋を呼んでいた。 NEWSIS/朝鮮日報JNS
https://w.atwiki.jp/09033121/pages/12.html
ぶっちゃけ相性次第です 題名にも書いてある通り、騙りにおいて信用が取れるかどうかは村や共有との相性次第です。 が、それでも…少なからず信用を取りやすい立ち回りはあります。基本的な話になりますが下記に列挙します。 結果貼りが早い事(特に2死体や死体なしの日でも) →早いと真狼目、遅いと狂目に見られることが多いですかね…。まあ早くて基本的に損はないです。 但し銃殺対応に自信が無い場合はあえて普段から結果貼りを遅らせておいて逃げ道を作るのも可 個人を特定でき、短すぎない理由である事 →たまに長文理由を嫌う人はいますが、基本的にそこそこ以上の文量で個人を特定できる理由の方が信用は上がります。 理由の作り方を考える事 →引用文で文章を稼いだり、ありきたりな文章(発言を抑えてる人外だと思った 等)は騙りに見られます。あくまでも真占いであるような視点で占い理由を書いてみましょう。真占いは最初に理由を考えてから対象を占いますが、騙りはどうしても占う対象を先に決めてから理由をこじつけて作ることが多く、理由の作り方に乖離が生じる事が多くなります。 囲いがない事が村視点でも明らかな事 →但し無囲いに拘り過ぎると身を滅ぼすので、囲う場面ではキッチリ囲いましょう 昼間に黙らない事 →結果と理由だけ貼って黙ってる占い師は信用されない事が多いです。喋るとぼろが出やすい人以外は基本的に考察でも交えつつ昼間もそれなりに喋ってる方が護衛は奪いやすいと思います。 白い場所に●を打たない事 →「白い」と言うこと自体主観でしかありませんが、まあ…信用勝負をする場合●を打つ場所はしっかりと選びましょう。但しあからさまに吊るべき場所に●を打つのもいけません。 噛み筋と発言を一致させない事 →たとえば3-1で対抗2人が初心者気味の中、翌日霊能噛んで自分だけバリバリ分かってますよ強い占い師ですよアピしてると「霊能噛むのこいつくらいだろww」とばれます。あえて発言レベルを下げる事も大事です。 口調とキャラを終始一貫させる事 →口調やキャラを無理やり作ろうとして途中で綻ぶのは大体騙りですからね…。 噛みあわせは極力減らす事 →大体1試合に1回は使用せざるを得ない事が殆どですが、2回以上は厳しいですね。 (対抗が強そうな占いの場合)こっちもガチ主張で推す 自分視点だけでなく村視点で考えてる事をアピール、「俺狼ならここは噛みあわせる場面」「そこに●とかグレコン的な観点で絶対に撃たない」等と真正面から迎え撃ちましょう。相手が強い場合変に初心者騙りしようとすると負けます。
https://w.atwiki.jp/peas/pages/93.html
オランダ王国Kingdom of the Netherlands 地域 ヨーロッパ 首都 アムステルダム 独立年月 ─ 面積 4万2千K㎡ 人口 1,640万人 主要言語 オランダ語 通貨 ユーロ オランダ近隣の地図へ オランダ広域の地図へ ヨーロッパの一覧へ アジア、北米、中南米、オセアニア、中東、アフリカ、世界メニュー このページを編集 ( - )
https://w.atwiki.jp/d_renkon/pages/13.html
レンコンの観光方面における展開 イメージに根を伸ばすハスの花 東国人の間では一般的に食品として認識されているレンコンではあるが、実はそれ以外の民族の文化において、食用にされている地域がそれほど多いという訳ではない。植物種としてのレンコン、つまりハスは、むしろその花の美しさこそが、古代より広く各地の文化の中にイメージとして浸透している。泥の中から立ち上がり、水面にその美しい花を映すハスは、汚れを寄せ付けない清廉さや、南国の楽園の象徴として、またたくさんの種からは豊かさの象徴として、長く信仰の対象ともされてきた植物である。そのイメージは、穴が空いた見た目から「先を見通す」として縁起の良い食べ物とされたり、ロータス効果と呼ばれる葉の自浄構造の科学的研究が進められるなどというように、人々の生活の色々な側面に深く浸透しているという特徴にも現れていると言えるだろう。 将来への課題 演習場での「発見」のドラマ、農業博覧会やタケモンでの宣伝など、農産物としては比較的華々しくその名前を語られる満天星国のレンコンではあるが、この作物の商品化推進には、満天星国という新しく誕生した気候風土に適応するための栽培方法の研究と共に、もう一つの問題が存在していた。それは、帝國の農産業共通の問題、作物の生産過剰による価格低迷という大きな課題である。この問題に対抗するため、農産物が十把一からげに同じ種類の作物として扱われるのではなく、その品質の高さや特徴別に、いわゆるブランドとして個別の名前を認識させようという動きは、農業博覧会などを通して徐々にニューワールドに広まりつつあった。 新しい藩国の牽引役として このようなブランド化対策として、ただのレンコンなのではなく、「満天星国のレンコン」として認識されるための動きが求められた。これに対して満天星国では、観光方面での勢いに乗って、さらに藩国の事情に則した対応策が取られることとなった。合併によって藩国内に複数の民族文化が存在することを、逆に利用し、レンコンを食用農産物としてだけでなく、観光向けのイメージ優先商品としても様々なバリエーションを開拓するという試みが行われたのだ。 広がるレンコンのバリエーション 長く厳しい冬を耐える北国人の文化では、常夏の南国とは正に楽園そのものである。このようなイメージの具象化として、温泉テーマパーク「モリスパ!」周辺の温泉や地熱を利用した観光温室での、ハスの花の観賞を目的としたレンコン栽培が実現した。これは既存観光施設の梃入れと共に、食用レンコンの品質向上研究の促進にも効果があるものと期待され、さらには観賞用に新しい色や形を持った美しい花の改良品種や、手軽に室内で栽培できるよう小型化した観葉植物などへと発展を見せている。また新しいお土産もの向け商品としても、レンコンから取れるでん粉を使った和菓子、絹よりも柔らかいと言われる稀少な繊維を利用した織物など、他では見られないような商品の開発が続けられているところである。それは藩国合併とそれに続く民族対立という混乱を乗り越え、未来へと続く新しい花を育てようとする試みでもあるのかもしれない。
https://w.atwiki.jp/airport2000/pages/106.html
仁川 Incheon (ICN) 仁川国際空港(IATA:ICN - ICAO:RKSI) 民間、民、海抜7㍍、滑走路2(3750/60,3200/50) 37.468889,126.450278 国内線 大邱 ――――大韓航空 釜山 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 済州 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 北朝鮮 平壌 ――――高麗航空(チャーター) ――――大韓航空(チャーター) ――――アシアナ航空(チャーター) 日本 新千歳 ――――大韓航空 旭川 ――――アシアナ航空 釧路 ――――大韓航空 函館 ――――大韓航空 青森 ――――大韓航空 秋田 ――――大韓航空 仙台 ――――アシアナ航空 福島 ――――アシアナ航空 成田 ――――日本航空 ――――全日本空輸 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ――――MIATモンゴル航空 ――――ノースウエスト航空 ――――ユナイテッド航空 ――――スカイマークエアラインズ(チャーター) 中部 ――――日本航空 ――――全日本空輸 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 新潟 ――――大韓航空 小松 ――――大韓航空 関西 ――――日本航空 ――――全日本空輸 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ――――スカイマークエアラインズ(チャーター) 富山 ――――アシアナ航空 岡山 ――――大韓航空 広島 ――――アシアナ航空 米子 ――――アシアナ航空 松山 ――――アシアナ航空 高松 ――――アシアナ航空 福岡 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 長崎 ――――大韓航空 大分 ――――大韓航空 熊本 ――――アシアナ航空 宮崎 ――――アシアナ航空 鹿児島 ――――大韓航空 那覇 ――――アシアナ航空 中国 北京 ――――エアチャイナ ――――中国南方航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 上海浦東 ――――中国東方航空 ――――中国南方航空 ――――上海航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ――――カタール航空 アモイ ――――アモイ航空 ――――大韓航空 威海 ――――山東航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ウルムチ ――――大韓航空 延吉 ――――中国南方航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 煙台 ――――中国東方航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 海口 ――――中国南方航空 ――――海南航空 貴陽 ――――エアチャイナ 杭州 ――――エアチャイナ ――――アシアナ航空 昆明 ――――中国東方航空 ――――大韓航空 桂林 ――――アシアナ航空 広州 ――――中国南方航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 済南 ――――山東航空 ――――大韓航空 三亜 ――――中国東方航空 ――――海南航空 ――――大韓航空 重慶 ――――エアチャイナ ――――アシアナ航空 深圳 ――――深圳航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 瀋陽 ――――中国南方航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 西安 ――――中国東方航空 ――――アシアナ航空 成都 ――――エアチャイナ ――――四川航空 ――――アシアナ航空 大連 ――――エアチャイナ ――――中国南方航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 長沙 ――――中国東方航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 長春 ――――中国南方航空 ――――アシアナ航空 青島 ――――エアチャイナ ――――中国東方航空 ――――山東航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 天津 ――――エアチャイナ ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 南京 ――――中国東方航空 ――――アシアナ航空 寧波 ――――中国東方航空 ハルビン ――――中国南方航空 ――――アシアナ航空 武漢 ――――大韓航空 福州 ――――アモイ航空 フフホト ――――大韓航空 牡丹江 ――――中国南方航空 ――――アシアナ航空 鹽城 ――――中国東方航空 香港 ――――キャセイパシフィック ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ――――タイ国際航空 ――――エアインディア マカオ ――――エアマカオ 台湾 台北 ――――チャイナエアライン ――――エバー航空 ――――キャセイパシフィック ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ――――タイ国際航空 ――――トランスアジア航空(チャーター) 台中 ――――マンダリン航空 高雄 ――――ユニエア ――――ファーイースタンエアトランスポート モンゴル ウランバートル ――――MIATモンゴル航空 ――――大韓航空 カンボジア プノンペン ――――ロイヤルクメール航空 ――――アシアナ航空 シェムリアップ ――――PMTエア ――――アシアナ航空 ――――アンコールエアウェイズ(チャーター) インドネシア ジャカルタ ――――ガルーダインドネシア航空 ――――大韓航空 ――――ライアンエア(チャーター) デンパサール ――――ガルーダインドネシア航空 ――――大韓航空 マレーシア クアラルンプール ――――マレーシア航空 ――――大韓航空 ペナン ――――大韓航空 ランカウイ ――――大韓航空 コタキナバル ――――マレーシア航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 フィリピン マニラ ――――フィリピン航空 ――――エアフィリピン ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ――――セブパシフィック マニラ・クラーク ――――アシアナ航空 セブ ――――フィリピン航空 ――――エアフィリピン ――――セブパシフィック ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 カリボ ――――アジアンスピリット シンガポール シンガポール ――――シンガポール航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 タイ バンコク・スワンナプーム ――――タイ国際航空 ――――オリエントタイ航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ――――ウラジオストク航空 チェンマイ ――――オリエントタイ航空(チャーター) ウタパオ ――――大韓航空 プーケット ――――オリエントタイ航空(チャーター) ――――アシアナ航空 ベトナム ハノイ ――――ベトナム航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ホーチミン市 ――――ベトナム航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ミャンマー ヤンゴン ――――ミャンマー国際航空 ――――エアバガン インド ニューデリー ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 デリー ――――エアインディア ――――ジェットライト ムンバイ ――――エアインディア ――――大韓航空 ネパール カトマンズ ――――大韓航空 イラン テヘラン・メヘラーバード ――――イランエア アラブ首長国連邦 ドバイ ――――エミレーツ航空 ――――大韓航空 ヨルダン アンマン ――――大韓航空 カタール ドーハ ――――カタール航空 イスラエル テルアビブ ――――大韓航空(2008~) ロシア モスクワ・シェレメーチエボ ――――アエロフロート ――――大韓航空 サンクトペテルブルク ――――ロッシヤ ――――大韓航空 クラスノヤルスク ――――クラスエア イルクーツク ――――ロッシヤ ――――大韓航空 ノボシビルスク ――――S7航空 ハバロフスク ――――ダラビア航空 ――――アシアナ航空 ウラジオストク ――――ウラジオストク航空 ユジノサハリンスク ――――SAT航空 ――――アシアナ航空 カザフスタン アルマトイ ――――エアアスタナ ――――アシアナ航空 ウズベキスタン タシケント ――――ウズベキスタン航空 ――――アシアナ航空 キルギス ビシケク ――――キルギスタン航空 イギリス ロンドン・ヒースロー ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 フランス パリ・シャルルドゴール ――――エールフランス ――――大韓航空 ヌーメア ――――エアカリン ドイツ フランクフルト ――――ルフトハンザドイツ航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ミュンヘン ――――ルフトハンザドイツ航空 オーストリア ウィーン ――――大韓航空 スイス チューリヒ ――――大韓航空 イタリア ローマ・フィウミチーノ ――――大韓航空 オランダ アムステルダム ――――KLMオランダ航空 ――――大韓航空 フィンランド ヘルシンキ ――――フィンエア スペイン マドリード ――――大韓航空 トルコ イスタンブール・アタチュルク ――――トルコ航空 ――――大韓航空 チェコ プラハ ――――大韓航空 オーストラリア シドニー ――――カンタス ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 メルボルン ――――大韓航空 ブリスベン ――――カンタス ――――大韓航空 ケアンズ ――――大韓航空 ニュージーランド オークランド ――――大韓航空 パラオ パラオ ――――アシアナ航空(チャーター) フィジー ナンディ ――――エアパシフィック ――――大韓航空 米国 アトランタ ――――デルタ航空 ――――大韓航空 サンフランシスコ ――――ユナイテッド航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ――――シンガポール航空 シアトル・タコマ ――――ノースウエスト航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 シカゴ・オヘア ――――ユナイテッド航空 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ダラス・フォートワース ――――大韓航空 ニューヨーク・JFK ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ホノルル ――――大韓航空 ラスベガス ――――大韓航空 ロサンゼルス ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ワシントン・ダレス ――――大韓航空 グアム ――――大韓航空 ――――コンチネンタルミクロネシア航空(チャーター) サイパン ――――アシアナ航空 カナダ トロント・ピアソン ――――エアカナダ ――――大韓航空 バンクーバー ――――エアカナダ ――――大韓航空 ――――シンガポール航空 カルガリー ――――大韓航空 エジプト カイロ ――――大韓航空 南アフリカ ヨハネスブルク ――――大韓航空 【アエロフロート】 【エアアスタナ】 【エアバガン】 【エアカリン】 【エアカナダ】 【エアチャイナ】 【エールフランス】 【エアインディア】 【エアマカオ】 【全日本空輸】 【エアパシフィック】 【エアフィリピン】 【アジアンスピリット】 【アシアナ航空】 【キャセイパシフィック】 【セブパシフィック】 【チャイナエアライン】 【マンダリン航空】 【中国東方航空】 【中国南方航空】 【ダラビア航空】 【デルタ航空】 【エミレーツ航空】 【エバー航空】 【ユニエア】 【ファーイースタンエアトランスポート】 【フィンエア】 【ガルーダインドネシア航空】 【海南航空】 【イランエア】 【日本航空】 【ジェットライト】 【KLMオランダ航空】 【大韓航空】 【クラスエア】 【キルギスタン航空】 【ルフトハンザドイツ航空】 【マレーシア航空】 【MIATモンゴル航空】 【ミャンマー国際航空】 【ノースウエスト航空】 【オリエントタイ航空】 【フィリピン航空】 【PMTエア】 【カタール航空】 【ロッシヤ】 【ロイヤルクメール航空】 【SAT航空】 【山東航空】 【上海航空】 【深セン航空】 【四川航空】 【シンガポール航空】 【S7航空】 【タイ国際航空】 【トルコ航空】 【ユナイテッド航空】 【ウズベキスタン航空】 【ベトナム航空】 【ウラジオストク航空】 【アモイ航空】 【高麗航空】 【アンコールエアウェイズ】 【コンチネンタルミクロネシア航空】 【ライアンエア】 【カンタス】 【トランスアジア航空】 【スカイマークエアラインズ】
https://w.atwiki.jp/airport2000/pages/23.html
関西国際空港(IATA:KIX - ICAO:RJBB) 民間、民、海抜0㍍、滑走路2(4000/?,3500/?) 34.435832,135.244403 国内線 新千歳 ――――全日本空輸 ――――日本航空 釧路 ――――日本航空 旭川 ――――日本航空 女満別 ――――日本航空 ――――全日本空輸 帯広 ――――日本航空 稚内 ――――全日本空輸 函館 ――――全日本空輸 ――――日本航空 青森 ――――日本航空 秋田 ――――日本航空 福島 ――――日本航空 東京 ――――日本航空 ――――全日本空輸 ――――スターフライヤー 松山 ――――全日本空輸 福岡 ――――全日本空輸 ――――日本航空 北九州 ――――スターフライヤー 五島福江 ――――全日本空輸 宮崎 ――――全日本空輸 鹿児島 ――――全日本空輸 那覇 ――――日本航空 ――――全日本空輸 ――――日本トランスオーシャン航空 宮古 ――――全日本空輸 石垣 ――――全日本空輸 ――――日本トランスオーシャン航空 韓国 仁川 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ――――日本航空 ――――全日本空輸 釜山 ――――大韓航空 ――――アシアナ航空 ――――日本航空 済州 ――――大韓航空 中国 北京 ――――エアチャイナ ――――中国東方航空 ――――日本航空 ――――全日本空輸 上海浦東 ――――エアチャイナ ――――中国東方航空 ――――上海航空 ――――日本航空 ――――全日本空輸 瀋陽 ――――中国南方航空 ――――全日本空輸 青島 ――――中国東方航空 ――――日本航空 ――――全日本空輸 大連 ――――エアチャイナ ――――中国南方航空 ――――日本航空 ――――全日本空輸 杭州 ――――アモイ航空 ――――日本航空 ――――全日本空輸 広州 ――――中国南方航空 ――――日本航空 ハルビン ――――中国南方航空 アモイ ――――アモイ航空 ――――全日本空輸 南京 ――――中国東方航空 昆明 ――――中国東方航空 煙台 ――――中国東方航空 海口 ――――海南航空 香港 ――――日本航空 ――――全日本空輸 ――――キャセイパシフィック ――――エアインディア 台湾 台北 ――――エバー航空 ――――キャセイパシフィック ――――日本アジア航空 ――――ノースウエスト航空 モンゴル ウランバートル ――――MIATモンゴル航空 ベトナム ハノイ ――――日本航空 ホーチミン市 ――――ベトナム航空 インドネシア ジャカルタ ――――ガルーダインドネシア デンパサール ――――ガルーダインドネシア ――――日本航空 マレーシア クアラルンプール ――――マレーシア航空 ――――日本航空 コタキナバル ――――マレーシア航空 フィリピン マニラ ――――フィリピン航空 ――――タイ国際航空 シンガポール シンガポール ――――シンガポール航空 ――――日本航空 タイ バンコク・スワンナプーム ――――タイ国際航空 ――――シンガポール航空 ――――日本航空 プーケット ――――タイ国際航空 ネパール カトマンズ ――――ネパール航空 インド デリー ――――エアインディア ムンバイ ――――エアインディア アラブ首長国連邦 ドバイ ――――エミレーツ航空 カタール ドーハ ――――カタール航空 ウズベキスタン タシケント ――――ウズベキスタン航空 英国 ロンドン・ヒースロー ――――日本航空 フランス パリ・シャルルドゴール ――――エールフランス ヌーメア ――――エアカレドニアインターナショナル パペーテ ――――エアタヒチヌイ ドイツ フランクフルト ――――ルフトハンザドイツ航空 イタリア ミラノ・マルペンサ ――――アリタリア オランダ アムステルダム ――――KLMオランダ航空 フィンランド ヘルシンキ ――――フィンエア トルコ イスタンブール・アタチュルク ――――トルコ航空 オーストラリア シドニー ――――ジェットスター航空 ブリスベン ――――ジェットスター航空 ニュージーランド オークランド ――――エアニュージーランド クライストチャーチ ――――エアニュージーランド 米国 サンフランシスコ ――――ユナイテッド航空 デトロイト ――――ノースウエスト航空 ホノルル ――――ノースウエスト航空 ――――ユナイテッド航空 ――――JALウェイズ グアム ――――ノースウエスト航空 ――――コンチネンタルミクロネシア航空 ――――JALウェイズ ――――全日本空輸 サイパン ――――コンチネンタルミクロネシア航空 ――――ノースウエスト航空 ――――日本航空 カナダ バンクーバー ――――エアカナダ エジプト カイロ ――――エジプト航空 <北> 【エアカナダ】 【エアタヒチヌイ】 【アリタリア】 【全日本空輸】 【アシアナ航空】 【キャセイパシフィック】 【中国南方航空】 【エバー航空】 【フィンエア】 【ガルーダインドネシア】 【KLMオランダ航空】 【大韓航空】 【マレーシア航空】 【MIATモンゴル航空】 【ネパール航空】 【ノースウエスト航空】 【カタール航空】 【上海航空】 【トルコ航空】 【ユナイテッド航空】 【ウズベキスタン航空】 <南> 【エアカレドニアインターナショナル】 【エアチャイナ】 【エールフランス】 【エアインディア】 【エアニュージーランド】 【コンチネンタルミクロネシア航空】 【中国東方航空】 【エジプト航空】 【エミレーツ航空】 【海南航空】 【日本航空】 【JALウェイズ】 【日本アジア航空】 【ルフトハンザドイツ航空】 【フィリピン航空】 【ジェットスター航空】 【シンガポール航空】 【タイ国際航空】 【ベトナム航空】 【アモイ航空】 <国内線> 【全日本空輸】 【日本航空】 【日本トランスオーシャン航空】 【スターフライヤー】
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/667.html
リケン 本店:東京都千代田区九段北一丁目13番5号 【商号履歴】 株式会社リケン(1979年10月~) 理研ピストンリング工業株式会社(1950年8月~1979年10月) 理研柏崎ピストンリング工業株式会社(1949年12月1日~1950年8月) 【株式上場履歴】 <東証1部>1952年5月1日~ <大証1部>1957年6月20日~2003年3月5日(上場廃止申請) <新証>1952年4月4日~ 年 月 日(廃止) 【合併履歴】 1953年5月 日 理研鋳鉄株式会社 【沿革】 昭和2年11月 理化学興業㈱(当社の前身)設立、日本で初めて実用ピストンリングの製造を開始。 昭和9年3月 理化学興業㈱は柏崎工場を分離し、理研ピストンリング㈱を設立。 昭和13年10月 社名を理研重工業㈱に改称。 昭和16年8月 社名を理研工業㈱に改称。 昭和24年12月 企業再建整備法に基づき理研柏崎ピストンリング工業㈱として新発足(本社中央区日本橋通三丁目5番地)。資本金2千万円。 昭和25年8月 社名を理研ピストンリング工業㈱に改称。 昭和27年5月 東京証券取引所に上場。 昭和28年1月 本社を中央区日本橋本石町に移転。 昭和28年5月 理研鋳鉄㈱を合併。資本金1億2千万円。 昭和35年4月 本社を港区西新橋に移転。 昭和36年9月 東京証券取引所第一部上場銘柄。 昭和43年6月 永豊グループ(台湾)と合弁で、台湾でのピストンリング、シリンダーライナー、シリンダーブロック等の製造及び販売のため、台湾理研工業股份有限公司を設立。 昭和45年12月 ルーカスファーネスディベロップメント社(英国)とルーカス式焼却炉の技術提携。 昭和48年12月 サイアム・モータース社(タイ)と合弁で、タイにおけるピストンリングの製造、販売のため、サイアムリケン社をバンコク市(タイ)に設立。 昭和49年2月 米国におけるピストンリング等の販売のため米国イリノイ州にリケンオブアメリカ社を設立。 昭和50年9月 明和産業㈱、インドネシア現地資本との合弁にて、可鍛鋳鉄製品生産のため、スラバヤ市(インドネシア)にP.T.スリ・リケン・ヴィグナ・インドネシア(現P.T.パカルティリケンインドネシア)を設立。 昭和51年10月 本社を千代田区九段北に移転。 昭和54年10月 社名を株式会社リケンに改称。 昭和58年7月 欧州におけるピストンリング等の販売のためデュッセルドルフ市(ドイツ)にユーロリケン社を設立。 昭和63年1月 忠南紡績㈱と合弁で、韓国でのピストンリングの製造、販売のため、大韓理研㈱を大田市(韓国)に設立。 平成元年6月 シールドパワー社(米国)と合弁で、米国でのピストンリング製造、販売のためアライドリング社を設立。 平成6年10月 TPM優秀賞第一類受賞。 平成9年9月 ピストンリング部門でISO9001認証取得。 平成10年10月 TPM優秀継続賞第一類受賞。 平成11年8月 デーナアルバラス社(ブラジル)へVWブラジル用ピストンリングの技術援助。 平成12年5月 デーナ社(米国)とピストンリング事業のグローバル提携覚書調印。 平成13年3月 柏崎・熊谷両事業所でISO14001認証取得(平成14年3月 認証範囲を本社・営業地区及び主な国内関係会社に拡大)。 平成15年2月 海外営業部アジア営業室の下部組織として、ジャカルタ駐在員事務所設立。 平成16年1月 中国におけるピストンリング等の製造、販売のため理研汽車配件(武漢)有限公司を湖北省(中国)に設立。 平成16年10月 ピストンリング部門と精機部品部熊谷製造部でISO/TS16949認証取得。(その前後に国内外主要関係会社で認証取得。)
https://w.atwiki.jp/strategic-gvg/pages/13.html
★☆目次☆★ 戦略〔strategy〕とはなんぞや?① 準備同盟で行うこと ギルド内で行うこと ② 計画交戦規定 戦場の特定 時間と場所 補給 PT編成 PT内での役割分担 ③ 運用メンバーのモチベーション管理 メンバーの出欠管理 指揮系統 戦略〔strategy〕とはなんぞや? goo辞書から引用 長期的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法。戦略の具体的遂行である戦術とは区別される。 辞書でかかれている通り、準備・計画・運用を考案・実行していくことが【戦略】となります。 そして大切なポイントとして、付け加えると戦略的優位は、一時的な戦術的勝利で覆すことは出来ないということ。 とは言うものの、実際ROの中で何を準備・計画・運用すればいいの?って言いたくなりますが。 そういっていても話しは始まらないので、辞書に書いて有る通り、準備・計画・運用という3つの 側面から考えていくことにします。 ① 準備 準備と一言で言ってもやらなければならないことは山ほどありますよね。 どちらかというと中長期視点を持って話をしていきます。 以下に挙げる内容は総指揮やギルド幹部にいる人なら思い悩んだ経験があるかと思います。 ざっと上げると・・・・。 同盟で行うこと 目的・目標の決定 目的・目標については必須とは言いませんが、無いと同盟やメンバーの維持が 出来ないと思います。 指揮伝達手段の構築 指揮伝達手段の構築。これは同盟数および人数が多いと必ず必要になります。 特にGv中は刻一刻と状況が変化する為、迅速な報告・連絡が出来るかが、 勝利への近道ともいえます。 Gvにおける意識・認識合わせ 意識・認識合わせ、これも重要ですね。以下に目的・目標が一致していたとしても、 そこに至る道筋が違えば、やはり同盟・メンバが離反してしまうでしょう。 ギルド内で行うこと メンバー集めとメンバのLv上げ メンバ集め・メンバのLv上げは戦略として重要な『数』と『質』の調達。 『数』がいても『質』が無ければ烏合の衆となり、『質』が有っても『数』がいなけば すぐに押しつぶされてしまいます。 不足職の育成 メンバ集めと平行して、不足職の育成はGvギルド運営を行っていく上では、常に課題になる と思います。特に雷鳥・教授・Gvリンカなど育成困難な職もいる為、ギルド内での育成も 大切な戦略といえるでしょう。 ギルドLv上げ いわずと知れたギルドスキル【緊急招集】(通称:EMC)を取得するのは戦略的・戦術的にも 幅を持たせることが出来ます。取得できるなら取得することを推奨します。 また、【ギルド拡張】や【ガーディアン強化】、【カプラ雇用】なども十分意味のあるスキルです。 これらを取得していくことも戦略的優位を築く為には必要になると思います。 軍資金・資産集め 戦略を考える上で必ず必須となるのが兵糧。 腹がすいては戦が出来ぬ。昔から言われる言葉ですが、ROのGvでも同じことが言えます。 特に阿修羅モンク・チャンプに使用されるSP回復剤。ADSで使用されるアシッド・ファイアーボトル。 名声システムで使われるようになった、白スリムポーションなど、資金的に圧迫するものが 多く出てきています。 それにBOTのせいで砦宝の売上下落といったマイナス要因も出始めており、いかに大人数の所帯を維持するか 頭を悩ます方もいると思います。 これら消耗品をいつでも使えるようにする為の軍資金を備蓄する為に、砦を二つ取るという戦略的行動も、 ここ最近良く見られます。 ② 計画 ★☆目次☆★ 戦略〔strategy〕とはなんぞや?① 準備同盟で行うこと ギルド内で行うこと ② 計画交戦規定 戦場の特定 時間と場所 補給 PT編成 PT内での役割分担 ③ 運用メンバーのモチベーション管理 メンバーの出欠管理 指揮系統 準備はどちらかというと中長期的な部分が多いですが、計画は次回以降どのように戦っていくのか?という どちらかというと、直近以降の戦い全般に渡って考える内容になります。 交戦規定 交戦規定とは、「こういうときに、こういった行動を取ろう」とあらかじめ決めておく事。 実際の軍隊では、もう少し細かく「こういう時には、こういった手順で、何を使うか」と規定しています。 ◆◇ 参考 ◇◆ WIKIPedia Baldur廃スレまとめ では、実際のGvで良く言われる交戦規定をピックアップしてみると。。 防衛中に良くある交戦規定ハイド・クローク対策に『ルアフ』『サイト』を使う 無詠唱対策に、WIZ地帯へLPを引く WP付近にロキを配置する ロキの出口には前衛を置く。 火力を上げる為に、ブラギをWIZ地帯に置く ゴス鎧の敵が来て、凍ったら阿修羅以外さわらない 攻め中に良くある交戦規定基本行動を『共闘』『排除』のどちらかにする。 共闘時に敵から攻撃を受けたら、反撃に出る。 ER防衛時はロキを狙う。 等々、上げればいくらでも出てくるかと思います。 なぜ、このような事を決めておくのか???? 一言で言えば 突然来た事象にいち早く行動を起こすこと!です。 良くあるのが、ギルドチャット・PTチャット・IRCなどでメンバーから指揮へ 「次はどうするの?!」「共闘なのに攻撃された!」と連絡が飛び交うときが多々有ると思います。 そういった時に毎回指示を飛ばし伝達していたのでは、全員へ指示が伝わる時にはかなりの損害を被るでしょう。 少しでも迅速な行動を!という部分をやりやすくする為にも、いくつか交戦規定を作っていくと大変楽になると思います。 戦場の特定 交戦規定と近いものではありますが、敵と対峙する際に「どこで戦うか」は非常に重要になります。 戦術的にその時々の変化に対応して戦場の特定を行うことも必要ではありますが、 自分たちの戦力・癖・構成などを考慮し、どのような場所で戦うのがもっとも効率的かを事前に決めておくことで、 戦略的優位を築くことが出来ると考えます。 時間と場所 この「時間と場所」について、どのように考えているのでしょうか? 『どこで戦うか』という空間軸と対になる『いつ戦うか』という時間軸に対しても事前に計画することは必要だと思います。 たとえば、序盤・中盤・終盤で同じ場所で戦っていたとしても、序盤なら腕試しですむところが終盤では砦獲得を想定した、 必死の攻防になる場合が多々あるでしょう。 このように時間的フェーズを意識して、それに合わせた行動計画を立てることにより、事前に行動を予測・準備していくことで 次の戦場で余裕を持った戦いが出来るのではないでしょうか? 補給 戦争における補給路の確保というのは、戦略的に最も重要な部分になります。 通常、リアルの戦争であれば補給路を断つことは戦略的・戦術的にみても重要な方法であり、 自軍の立場を有利にさせるものです。 HP・SP回復剤や各色ジェムストーン、水晶の欠片、罠、各ボトルなどGv中では多くの消耗品を使用します。 しかし、重量の制限があるため大量に持ち運ぶことも出来ないので、何度か補給をしなければなりません。 さて、ROのGv中で言う補給というと、通常消耗品については「カプラ倉庫」か商人系のカートの中身。 武具が破壊された場合は、各精錬所にいる「修理工」・またはBS・WSの修理スキル等。 戦闘で死んだときの復帰人員(人員補充)が上げられます。 消耗品補給 特に防衛時、砦を保有しカプラ雇用をしている場合は砦内での補給が可能になります。ただし、カプラさんの所に行ける 前提が有ればですが。。。。もしくは、ベースキャンプに戻って補給というのも良くある話しです。 そして、もう一つの補給方法。商人系のカート。最近ではクリエが重要職として上げられている関係上、 補給要員としてクリエがいます。 攻めについては、ベースへ戻ったときにカプラさんで補給が容易に出来るため、そこまで重要視することでも無いのですが、 あまりに補給がおおいような戦いでは、逆に戦力の分散・戦線の冗長といった問題を発生させてしまいます。 いつどのように補給するかタイミングを事前に計画しておくことも大切な戦略となります。 人員補充 これについては、『EMC』が有るため非常にスムーズに出来始めていると思われます。。。ヨ、タブン。 攻めの時の死に戻りなどについては、戦術的な側面もあるので特に、ここで考察はしませんが、 死に戻りの際、どのように復帰させるかを事前に計画し遊兵を作らない努力も必要になります。 PT編成 事前計画の中で一番気を使うのがPT編成です。 ただ単に騎士だけのPTを構築したとしても、回復役もいなければ、サポート役もいない状態で突撃させることとなり 本来持っている力以下のことしか出来ないと思います。 支援を欠けるプリーストを入れ、一緒に突撃し敵の行動に制限を与える為の雷鳥セットを入れたり、 いろいろな事を想定して編成する必要があります。 逆に管理のしやすさで作成する方法もあり、V型、A型、後衛というステータスタイプに分けて編成する方法もあります。 どのような編成を行うかは各ギルド・同盟の癖・性質・得手不得手・装備状況を理解した上で編成することをお勧めします。 例をあげると、ゴスを着ているキャラがいるのに、同じPTにバードがいたら。。。凍りますよね。 編成ひとつで戦術の幅も変わるので、同盟・ギルドメンバーと多く会話をして編成することをお勧めします。 PT内での役割分担 意外と話ることが少ないのですが、PT編成されたあとの役割分担は非常に重要です。 誰が何をいつやるかという、交戦規定(準備の章でも上げましたが)を決めることになります。 PTメンバはそろっているのにやっていることがバラバラでは、烏合の衆になってしまいます。 PTメンバ間で相談の場を作り、何をしていくかを事前に準備・計画することも大切な戦略です。 ③ 運用 ★☆目次☆★ 戦略〔strategy〕とはなんぞや?① 準備同盟で行うこと ギルド内で行うこと ② 計画交戦規定 戦場の特定 時間と場所 補給 PT編成 PT内での役割分担 ③ 運用メンバーのモチベーション管理 メンバーの出欠管理 指揮系統 準備・計画はメンバ全員に関わる部分が多いのですが、この運用はどちらかというと同盟・ギルドの幹部が気にしていく 内容が多くあります。特に管理面についてどのように運営・運用するかが問われる為、間接的に戦闘に関わる部分が 多くあります。 メンバーのモチベーション管理 同盟・ギルドを維持する上でも重要なモチベーション管理ですが、なかなか簡単には行かない部分が多いところでもあります。 そもそも何の為にGvをやるのか、そういった目的・目標や意義。これらが不明確ではやる気も起きません。 『たかが遊びじゃないか』と言われる内容ですが、やっぱり遊ぶにも『何をして』遊ぶかっていうもの大切。 じゃ、何をすればいいのという核心に入ると、戦闘を楽しいものに変えてしまうことです。 一人よがりの楽しさではなく、仲間と共に遊ぶという楽しみを見つけることで、より楽しさを増すことが出来るのではないでしょうか? 『どうやって?』と聞かれると筆者が答えるなら『より強い相手との戦闘をすること』と、答えます。 自分たちの弱点・欠点を知り、それを改善していこうと動くときが一番メンバー間の会話が増えてモチベーションも 上がっていくと思います。 メンバーの出欠管理 これは、PT編成する為に必須とも言える運用管理項目です。 事前に誰が出席するかを知ることで編成が可能となり、Gv開始直前の慌ただしさが随分軽減されます。 指揮系統 直接的にGvGに関係する要因として、この指揮系統が上げられます。 指揮からの指示・伝達を明確に伝えてメンバ全体の動きを統一させることは、GvGをやる上では必要不可欠です。 かといってどのように指揮の伝達を行うかと言う部分については、もはやGvGを行っているギルド・同盟であれば 有る程度のシステムが有ると思います。 たとえばIRC・ギルチャ・PTチャット・ボイスチャットなどがそれに当たるかと思います。
https://w.atwiki.jp/sumatora/pages/3.html
更新履歴 取得中です。