約 4,647,793 件
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/562.html
ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 従軍慰安婦とは何か… 従軍慰安婦とは何か…《引用者註》「従軍慰安婦」という言葉について 君たち世代というより、戦後生まれ、つまり一九四五年(昭和〔以後Sと表記〕20年)以降生まれの人たちに従軍慰安婦などという言葉は初めて聞く言葉だろうが、従軍とは戦地(戦場)におもむく、もしくはおもむかされることだ。ではそれにつづく慰安婦とは何かとなるとこの説明を君たちにするのは少し難しい。広く使われている"広辞苑〃には「戦地の将兵を慰安する女性」とし、さらに慰安に「なぐさめて心を安らかしなにすること」の説明がついている、が、はっきりいって"支那事変1)"(日中戦争)の初期から一九四五年の敗戦まで戦地において将兵の性的欲望を処理させるため日本軍が考え組織し戦地へ送りこんだ戦場売春婦のことだ。 1)支那事変(しなじへん) 日中戦争の日本側の呼び方。一九三七年七月七日北京西郊外永定河の盧溝橋付近で、日本軍が夜間演習終了時に数発の射撃音があり、たまたま一名の兵士が不在(用便中)だったため主力部隊が出動し中国軍と衝突した盧溝橋事件に端を発した日中戦争のこと。当初、北支事変と称したが、八月十三日に上海で日中両軍が衝突し、全面戦争に拡大するのに伴って、支那事変と改称した。 《引用者註》「従軍慰安婦」という言葉について 「従軍慰安婦」という言葉は、千田夏光氏が「従軍した慰安婦」という意味で1973年にその著作の題名に初めて使ったものです。15年戦争の最中には慰安婦たちは、「従軍慰安婦」と呼ばれたわけではありません。 しかし、「従軍慰安婦」という言葉がなかったからといって、「従軍した慰安婦」は居なかったというのは、明らかなまやかしです。 言葉は一人歩きします。「従軍慰安婦」という言葉に対する攻撃も一人歩きします。そうなると、言葉の定義を巡っての無用な誤解が、人と人との相互理解を妨げてしまいます。⇒http //ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20070426 FAQ目次
https://w.atwiki.jp/mengubahdunia/pages/8.html
動画(youtube) @wikiのwikiモードでは #video(動画のURL) と入力することで、動画を貼り付けることが出来ます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_209_ja.html また動画のURLはYoutubeのURLをご利用ください。 =>http //www.youtube.com/ たとえば、#video(http //youtube.com/watch?v=kTV1CcS53JQ)と入力すると以下のように表示されます。
https://w.atwiki.jp/jidai/pages/199.html
作者 葉室麟 時代 江戸時代 主人公 長崎屋 ジャンル 捕物帳 書籍情報 単行本 早川書房 全1巻 オランダ宿の娘(2010年3月19日) 文庫化 ハヤカワ文庫JA 全1巻 オランダ宿の娘(2012年4月6日)
https://w.atwiki.jp/sumatora/pages/10.html
関連スレッド 関連スレッドありましたら、コメントで情報提供よろしくお願いします。 2chスレッド検索 http //gulab.ruitomo.com/~gulab/s.cgi?k=%83X%83%7D%83g%83%89 o=r -- 名無しさん (2005-03-29 02 15 55) スマトラ島付近でM7・5 被害の有無などは不明 http //live14.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1112028476/l100 -- 名無しさん (2005-03-29 02 16 03) インド洋地震総合1 http //live18.2ch.net/test/read.cgi/eq/1112028124/ -- 名無しさん (2005-03-29 02 16 16) ニュース速報+ スマトラ島で大地震 http //news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1112028678/l100 -- 名無しさん (2005-03-29 02 29 24) ニュース速報 031 スマトラ沖でマグニチュード8の地震 http //news19.2ch.net/test/read.cgi/news/1112028807/l100 -- 名無しさん (2005-03-29 02 29 43) 東アジアnews+ 008 【スマトラ沖地震】邦人死者33人に[03/25] http //news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1111738149/l100 -- 名無しさん (2005-03-29 02 30 19) ニュース二軍+ スマトラ沖で大地震。津波発生のおそれ。[3/29]http //live14.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1112028507/l100 -- 名無しさん (2005-03-29 02 33 32) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/8652564/pages/80.html
MTG.2 オランダ大会 開催日:2009年9月29日 オープニングファイト(3分×3R・延長2R) モーリス・ベルガー vs ビジャ・ノクタス オープニングファイト2(3分×3R・延長2R) ハフィド・カゴリ vs ザヒ・グム オープニングファイト3(3分×3R・延長2R) ビタリー・フェルネンコ vs パトリシア・ピマーマン リザーブファイト1(3分×3R・延長1R) ウラジミール"ビッグフット"シウバ vs ルーカス・ロシュラ リザーブファイト2(3分×3R・延長1R) ラチッド・バルヴァヌ vs マゴメド・アリストフ MTG.2 オランダ大会トーナメント準々決勝(3分×3R・延長1R) セルゲイ・ジオザラス vs ニコラス・ブリゾア MTG.2 オランダ大会トーナメント準々決勝(3分×3R・延長1R) サリム・ダルメシアス vs ファビオ・ランドリュー MTG.2 オランダ大会トーナメント準々決勝(3分×3R・延長1R) ウェンデル・フローリン vs グレゴリー・スロミラー MTG.2 オランダ大会トーナメント準々決勝(3分×3R・延長1R) モハメド・グランレオ vs アティラ・スラバニス MTG.2 オランダ大会・MTGヘビー級王者決定トーナメント・リザーブファイト(3分×3R・延長1R) アレクセイ・シャナハン vs イスメル・セダ MTG.2 オランダ大会・MTGヘビー級王者決定トーナメント準決勝(3分×3R・延長1R) サリ・ハロム・イルミッジ vs ニカ・カリス・エリフルト MTG.2 オランダ大会・MTGヘビー級王者決定トーナメント準決勝(3分×3R・延長1R) ヨハン・グレゴール vs クリージア・ザリドフ MTG.2 オランダ大会 メインイベント(3分×3R・延長2R) ハレナ・ソーレイマン vs ハキーム・オリンダス 最もレベルが高い地区予選として知られる、このオランダトーナメント。 トーナメントはブリゾア、ジオザラス、ランドリュー、スロミラー、グランレオに加えてMTG OKTAGON 2トーナメント優勝のフローリン、そしてMTG ColliZionトーナメントを優勝したスラバニスとダルメシアスを加えた8人で争われる。 トーナメント優勝候補はグランレオとされているが、毎年波乱の多いオランダ大会。何が起きるかは当日にならないと分からないだろう。 そしてMTG初のヘビー級王者を決定するべく、4人の強豪が世界各国から集められて組まれた!その中には現MTGベスト4のイルミッジも含まれ、彼以外の選手がヘビー級王者となれば開幕戦へ出場が可能になる。 そして今回そのヘビー級王者決定トーナメントで旋風を巻き起こすとされているのが、驚異的な勝率とKO率で海外を騒がれているルクセンブルグ出身の超強豪グレゴールだ。 あのハリベルが太鼓判を押し、その数々の猛者たちの脚を破壊した芸術的なローキックは今大会で炸裂するか。ここまで新星が悉く古参ファイターに敗れる中、彼こそはと期待したい所。 メインイベントでは現ベスト8ファイターのソーレイマンが、モータリアの強豪ハキーム・オリンダスを迎え撃つ。 オリンダスはMTG未参戦のファイターの中で最も注目されていると言っても過言ではないだろう、その一発で相手を地獄に落とすハイキックと槍のようなストレートを武器に30戦27勝19KOという素晴らしい戦績を残している。 昔からハイキックによるKO負けが多いソーレイマンにとって、今回の敵は一瞬も油断のできない相手になるのは間違いない。 波乱の多いオランダ大会、今回はどんな波乱が待っているのだろうか。(大会一覧)
https://w.atwiki.jp/detoxjapan/pages/41.html
Template 単一の出典 ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(“War Guilt Information Program”、略称“WGIP”、ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム江藤1989では「インフォーメーション」と長音符が一つ多い。又はウォー・ギルト・プログラム或はウォー・ギルト・インフォメーション、戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)とは、大東亜戦争(太平洋戦争)後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領管理政策として行われた政治宣伝。文芸評論家の江藤淳が著書『閉された言語空間』(文藝春秋・平成元年(1989年))においてこうした政治宣伝が政策として行われたと主張した。この名称は江藤の発言を後進達が次々に引いているものだが、GHQの内部文書に基づいたものだと江藤は主張している。 概要 Template 和暦2月6日付、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」との表題の文書がCI E(民間情報教育局)からG-2(CIS・参謀第2部民間諜報局)宛てに発せられた、冒頭に「CIS局長と、CI E局長、およびその代理者間の最近の会談にもとづき、民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で、開始しかつこれまでに影響を及ぼして来た民間情報活動の概要を提出するものである。」江藤1989、225頁。。 ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムについて江藤は、その嚆矢である太平洋戰爭史という宣伝文書を「日本の「軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」と分析 ref name= Eto1999-p223 江藤1989、233頁。。また、「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」とも指摘している ref name= Eto1999-p223 / 。 また、「「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである」としている ref name= Eto1999-p223 / 。 “WGIP”を主に担当したのはGHQの民間情報教育局 (CIE) で、“WGIP”の内容はすべてCIEの機能に含まれている ref name= GHQ183 GHQ/USAFPAC(米太平洋陸軍総司令部) 一般命令第183号(1945年9月22日付)「民間情報教育局の設置」 ref name= GHQ4 GHQ/SCAP 一般命令第4号(1945年10月2日付)「民間情報教育局の設置」。当初はCIEに“War Guilt Anti-Millitarist”(これまで「戦犯・反軍国主義」と訳されてきた) ref name= 児玉 児玉三夫訳『日本の教育-連合国軍占領政策資料』(明星大学出版部、1983年、ISBN 9784895490597) ref name= NHK NHK放送文化調査研究所放送情報調査部編『GHQ文書による占領期放送史年表(昭和20年8月15日~12月31日)』(1987年)、あるいは“War Guilt Criminal” ref name= 有山96 有山輝雄『占領期メディア史研究』1996年、柏書房、ISBN 9784760113460という名称の下部組織(後に「課」)が置かれていた(1945年11月の組織改編で消滅)。 “WGIP”は「何を伝えさせるか」という積極的な政策であり、検閲などのような「何を伝えさせないか」という消極的な政策と表裏一体の関係であり、後者の例としてプレスコードが代表的である。昭和21年(1946年)11月末にすでに「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」として「SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判」など30項目に及ぶ検閲指針がまとめられていたことが、米国立公文書館分室所在の資料によって明らかである江藤1989、203-207頁。。プランゲ文庫保存のタイプコピーには、多少の違いがあるが同様の検閲指針として具体的内容が挙げられている。詳細はプレスコードを参照のこと。 経緯 昭和20年(1945年)9月22日の降伏後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針で米国はマッカーサーに対し「日本国国民ニ対シテハ其ノ現在及将来ノ苦境招来ニ関シ陸海軍指導者及其ノ協力者ガ為シタル役割ヲ徹底的ニ知ラシムル為一切ノ努力ガ為サルベシ」文語体と指令した。 GHQは同10月2日、一般命令第四号に於いて「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」と勧告した江藤1989、226頁。。 米国政府は連合国軍最高司令官に対し11月3日、日本占領及び管理のための降伏後における初期の基本的指令を発し「貴官は、適当な方法をもって、日本人民の全階層に対しその敗北の事実を明瞭にしなければならない。彼らの苦痛と敗北は、日本の不法にして無責任な侵略行為によってもたらされたものであるということ、また日本人の生活と諸制度から軍国主義が除去されたとき初めて日本は国際社会へ参加することが許されるものであるということを彼らに対して認識させなければならない。彼らが他国民の権利と日本の国際義務を尊重する非軍国主義的で民主主義的な日本を発展させるものと期待されているということを彼らに知らせなければならない。貴官は、日本の軍事占領は、連合国の利益のため行われるものであり、日本の侵略能力と戦力を破壊するため、また日本に禍をもたらした軍国主義と軍国主義的諸制度を除去するために必要なものであるということを明瞭にしてやらなければならない。(下略)」と命令した。保阪正康『日本解体 「真相箱」に見るアメリカGHQの洗脳工作』扶桑社文庫、平成16年ISBN 4594047947 同12月8日、GHQは新聞社に対し用紙を特配し、日本軍の残虐行為を強調した「太平洋戰爭史」を連載させた。その前書は次の文言で始まる。「日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙に遑(いとま)がないほどであるが、そのうち幾分かは既に公表されてゐるものの、その多くは未だ白日の下に曝されてをらず、時のたつに従つて次々に動かすことの出来ぬ明瞭な資料によつて発表されて行くことにならう。(下略)」仮名遣いは出典のママ。()内はルビ。 ref name= 正仮名 歴史的仮名遣(正仮名) ref name= 江藤 江藤1989 それと平行し、GHQは翌9日からNHKのラジオを利用して「眞相はかうだ」の放送を開始した。番組はその後、「眞相箱」等へ名称や体裁を変えつつ続行された。昭和23年(1948年)以降番組は民間情報教育局 (CIE) の指示によりキャンペーンを行うインフォメーション・アワーへと変った。 ref name= 櫻井 / 昭和20年(1945年)12月15日、GHQは神道指令を発すると共に、以後検閲によって大東亜戦争という文言を強制的に全て太平洋戦争へと書換えさせ言論を統制した。 昭和20年当時、米軍検閲官が開封した私信(江藤は「戦地にいる肉親への郵便」かという)は次のような文言で埋めつくされていた。 「突然のことなので驚いております。政府がいくら最悪の事態になったといっても、聖戦完遂を誓った以上は犬死はしたくありません。敵は人道主義、国際主義などと唱えていますが、日本人に対してしたあの所業はどうでしょうか。数知れぬ戦争犠牲者のことを思ってほしいと思います。憎しみを感じないわけにはいきません」(8月16日付) 「大東亜戦争がみじめな結末を迎えたのは御承知の通りです。通学の途中にも、他の場所でも、あの憎い米兵の姿を見かけなければならなくなりました。今日の午後には、米兵が何人か学校の近くの床屋にはいっていました。/米兵は学校にもやって来て、教室を見まわって行きました。何ていやな奴等でしょう! ぼくたち子供ですら、怒りを感じます。戦死した兵隊さんがこの光景を見たら、どんな気持がするでしょうか」(9月29日付) 江藤は、「ここで注目すべきは、当時の日本人が戦争と敗戦の悲惨さをもたらしたのが、自らの「邪悪」さとは考えていなかったという事実である。/「数知れぬ戦争犠牲者は、日本の「邪悪」さの故に生れたのではなく、「敵」、つまり米軍の殺戮と破壊の結果生れたのである。「憎しみ」を感ずべき相手は日本政府や日本軍であるよりは、先ずもって当の殺戮者、破壊者でなくてはならない。当時の日本人は、ごく順当にこう考えていた。」と指摘した江藤1989、137-8頁。。 GHQ文書(月報)には敗戦直後の様子が記されていた。「占領軍が東京入したとき、日本人の間に戦争贖罪意識は全くといっていいほど存在しなかった。(略)日本の敗北は単に産業と科学の劣性と原爆のゆえであるという信念が行きわたっていた」産経新聞平成17年12月20日Template 出典無効 こうした日本人の国民感情はその後もしばらく続き、CIEの文書はG-2(CIS)隷下の民間検閲支隊 (CCD) の情報によれば昭和23年になっても「依然として日本人の心に、占領者の望むようなかたちで「ウォー・ギルト」が定着してなかった」有力な証拠であると江藤は指摘する江藤1989、228頁。。 また、このプログラムが以後正確に東京裁判などの節目々々の時期に合わせて展開していった事実は看過できないとも指摘する ref name= 江藤 / 。 東京裁判で東條英機による陳述があったその2箇月後、民間情報教育局 (CIE) は世論の動向に関して次のような分析を行っている。「一部日本人の中には(中略)東條は確信を持つて主張した、彼の勇気を日本国民は称賛すべきだとする感情が高まつてゐる。これは、東條を処刑する段になると東條の殉教といふところまで拡大する恐れがある。」「広島における原子爆弾の使用を『残虐行為』と見做す・・・最近の傾向」 ref name= 正仮名 / (昭和23年(1948年)3月3日附CIE局長宛覚書) こうした国民の機運の醸成に対しCIE局長は6月19日、民間諜報局 (CIS) の同意を得た上で、プログラムに第三段階を加える手筈を整え、情報宣伝に於ける対抗処置を取った。勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪めたもの』 実例 昭和20年(1945年)12月8日から、「太平洋戦争史」を全国の新聞に掲載させた。 ref name= 江藤 / 「太平洋戦争史」は新聞連載終了後、中屋健弌訳で翌年高山書院から刊行された(発行日は4月5日と6月10日の2回)。 昭和20年(1945年)12月15日 - GHQ、覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ニ関スル件」(いわゆる「神道指令」) ref name= 神道 覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ニ関スル件」(1945年12月15日、SCAPIN-448、CIE発出)によって、公文書で「大東亜戦争」という用語の使用を禁止。 昭和20年(1945年)12月31日 - GHQ、覚書「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」 ref name= 覚書 覚書「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」(1945年12月31日、SCAPIN-519、CIE発出)によって、修身・国史・地理の授業停止と教科書の回収、教科書の改訂を指令。 昭和21年(1946年)1月11日 - 文部省、修身・日本歴史・地理停止に関するGHQ指令について通達 ref name= 通達 学制百年史 資料編 年表(文部科学省)。1975年、文部省編・帝国地方行政学会発行より載録。。 昭和21年(1946年)2月12日 - 文部省、修身・国史・地理教科書の回収について通達 ref name= 通達 / 。 昭和21年(1946年)4月9日 - 文部省、国史教科書の代用教材として『太平洋戦争史』を購入、利用するよう通達 ref name= 提要 文部省編『終戦教育事務処理提要 第3集』(1949年/復刻版は国書刊行会、1997年、ISBN 9784336039002) ref name= 木村 木村泰夫編『埼玉終戦教育資料 公文書集録』(1967年)。 昭和20年(1945年)12月9日から、『眞相はかうだ』をラジオで放送させた。 『眞相はかうだ』は番組名を変えながら、昭和23年(1948年)1月まで続けられた ref name= 江藤 / ref name= 櫻井 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「眞相箱」の呪縛を解く ―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた―』小学館。 極東国際軍事裁判 ref name= 江藤 / 昭和24年(1949年)2月、長崎の鐘にマニラの悲劇を特別附録として挿入させる。 論評など 『産経新聞』は次のように論じている。 占領期に連合国軍総司令部 (GHQ) が実施した「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は、今も形を変えて教育現場に生き続けている。~(中略)~文芸評論家の江藤淳は著書『閉された言語空間』の中で次のように書いている。 ~「いったんこの(GHQの)検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、(中略)日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、また同時にいつ何時でも国際的検閲の脅威に曝され得る」~ 6年前に自死した江藤の「予言」は、不幸にも現実のものとなろうとしている ref name= 自縛4 「戦後六十年 歴史の自縛(4)」『産経新聞』2005年8月5日付Template 出典無効。 高橋史朗明星大教授は、「東京裁判が倫理的に正当であることを示すとともに、侵略戦争を行った日本国民の責任を明確にし戦争贖罪意識を植えつけることであり、いわば日本人への『マインドコントロール計画』だった」と論じている ref name= 自縛3 「戦後六十年 歴史の自縛(3)」『産経新聞』2005年8月4日付Template 出典無効。一方、有山輝雄は『閉された言語空間』の新刊紹介で、第一次資料によって占領軍の検閲を明らかにした先駆的研究であるとしながらも「著者の主張に結びつけるための強引な資料解釈も随所に見受けられる。また、占領軍の検閲に様々な悪の根源を押しつける悪玉善玉史観になっているが、これは現在の政治状況・思想状況への著者の戦術なのであろう」と評した ref name= 有山90 有山輝雄「江藤淳著『閉ざされた言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』 」『史學雜誌』99巻3号(平成2年(1990年)3月)Template 出典無効。 シカゴ・サン紙の特派員だったマーク・ゲインは、「眞相はかうだ」のリハーサルをNHKのスタジオで見学した際、ラジオ放送や新聞の続き物について「私が困惑するのは、その政治性である」と批判した産経新聞平成17年(2005年)12月22日Template 出典無効。 山本武利早稲田大学教授は江藤の占領研究について、占領軍の検閲方針を示した第一次資料をGHQ関係資料によって検証した先駆的な仕事であると評価した『諸君!』平成16年1月号Template 出典無効。 日本基督教団の手束正昭牧師は、2007年 - 2009年のキリスト教系月刊誌『ハーザー』の連載記事で、大東亜戦争における日本悪玉論はウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの洗脳によるものであるとの見解を発表し、日本悪玉論が日本の宣教を妨げると主張している。 脚注 Template 脚注ヘルプ Template Reflist 参考文献 江藤淳『閉された言語空間-占領軍の検閲と戦後日本』文藝春秋 、平成元年(1989年)ISBN 9784163435206(初出『諸君!』1982-1986年。後に文春文庫、平成6年(1994年)ISBN 9784167366087) 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「眞相箱」の呪縛を解く-戦後日本人の歴史観はこうして歪められた-』小学館文庫、平成14年(2002年)ISBN 4094028862 勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争―米軍占領下の検閲が歪めたもの』明成社、平成17年(2005年)ISBN 4944219377 関連項目 陰謀論 洗脳 情報操作 心理戦 東京裁判史観 極東国際軍事裁判 プロパガンダ 民間検閲支隊 プレスコード 言論統制 自己検閲 日本における検閲 3S政策 焼け跡世代 連合国軍占領下の日本 大東亜戦争 タブー 外部リンク 坪内隆彦「占領期の言論統制関連文献」 統合参謀本部「日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する降伏後における初期基本的指令」(JCS1380/15=SWNCC52/7) - 国立国会図書館 GHQ/SCAP Records, Civil Information and Education Section (CIE), 国立国会図書館 Template デフォルトソート うおきるといんふおめえしよんふろくらむ 中見出し
https://w.atwiki.jp/fepdeta/pages/28.html
10/10 から開催中 ◆概要 FEP外伝:ネシア編 アパルカ王子ネシアによる波乱万丈逃亡劇です。 全5章ぐらいで大陸の一部を駆け抜けます。 第一章 舞台:アパルカ国内(終了) 第二章 舞台:レヴァリー山脈(終了) 第三章 舞台:ジオネール国内隠れ里付近!遅刻参加可能 第四章 舞台:国境の川 第五章 舞台:港町 告知 【FEP】物語開始前ネシアスーパーダイジェスト ■参加用必須タグ FEP 【FEP 外伝】 ネシア編 以下、告知画像より抜粋 ◆勢力 王子軍を自軍として、 レオンフォード軍、賊、暗殺者なんかが敵軍になります。 その多首を突っ込めそうとあらばお好きな勢力でどうぞご参加ください。 ネシアに協力する方も、敵対する方も、外伝全てに参加できますし 途中で抜けることもできます。 各章のMAPボスはユウコフが適当に作るつもりですが、 是非ボスを作りたい!MAPボスとして参加したい!という方は メッセージなどでお気軽にご一報ください。 ◆参加要綱 本外伝に関する作品には必ず以下のタグを付けてください。 【FEP 外伝】 ネシア編 参加キャラクターをまとめますので、 参加作品のキャプションで参加表明をお願い致します。 例)参加 ネシア 外伝1章から←この程度で構いません 外伝から参加キャラクターが離脱する場合は、 離脱時の作品のキャプション、もしくは作品がなければ次章告知イラストのコメント欄 (5章であれば外伝終了告知イラスト)で離脱した事を表記してください。 例)迷子により離脱 アイリス 外伝5章終了時←理由はなくても構いませんがあれば表に記載いたします。 ※離脱表明がない場合は死亡していない限り、外伝終了後も王子軍に同行と判断してしまいます。 その場合が本編参加がネシアの王女軍との合流と同時になってしまいますのでご注意を。 一章 第1章を超かけ足で振り返る 二章 三章
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/27.html
ハロルド・J・ティンパーリ(Harold John Timperley、中国表記 田伯烈、1898年 - 1954年)は、オーストラリアバンベリー出身のジャーナリスト。 略歴 ハロルド・ジョン・ティンパーリー(Harold John Timperley)は、1898年6月22日、 ウェスタン・オーストラリア、バンベリーで生まれる。幼くしてパースに移った。1914年、18歳のときデイリー・テレグラフ紙のレポーターとなったが、同年、第一次世界大戦に徴兵され、フランスとベルギーに従軍。1919年に帰国後、前職に戻るが、1921年に香港の新聞社に勤務するために中国に渡る。 1924年、北平(1924-1936年)に移りクリスチャン・サイエンス・モニター、APなど様々な新聞の特派員となった。1928年からマンチェスター・ガーディアン紙の特派員となる。1934年からASIA誌の顧問編集者となる。ティンパーリーはハロルドという名前を嫌いティム(Tim)と呼ばれていた。記事の著者名には H. J. Timperley という名前を使っている。 1936年5月頃、上海に事務所を移し、1年間マンチェスター・ガーディアン紙の専従特派員となるが、1937年5月にAP特派員として南京へ移動した。 1937年8月28日、鉄道部の広報誌 The Quaterly Review of Chinese Railway の編集をしていたエリザベス・J・チェインバースと南京の英国大使館で結婚した。9月初めに上海に移りフランス租界のアパートに据を構えた。第二次上海事変に際し、上海国際赤十字の副主席で難民委員会委員長であったフランス人神父ジャキノの設立した南市安全区に関与し、20万人以上の中国市民の保護に貢献した。 1937年、ティンパーリは、12月13日の南京陥落とその後の日本軍占領時に起きた南京大虐殺に際し、南京城内の安全区委員会のメンバーであったジョージ・フィッチ、マイナー・シール・ベイツからの報告や安全区委員会文書、その他各地の日本軍の暴行に関する報告や記事などをまとめ、『WHAT WAR MEANS』(戦争とは何か)を編集した。 1938年4月初めに上海からロンドンに向い、7月に『WHAT WAR MEANS』を刊行した その後、米国を旅行した後、マンチェスター・ガーディアン紙やASIA誌を辞し、1939年3月頃、重慶に入った。 1939年(4月?)-1943年3月、ティンパーリーは中国国民党の中央宣伝部(Ministry of Information)顧問となる。(俗説のように、「盧溝橋事件直後」ではない) その後、1943年-1945年まで、連合国(United Nations)のInformation Officeに勤務。 第二次世界大戦後、ティンパーリーは国連の様々な機関の役職についた。1946年、前年に開設されたばかりのUNRRAの上海事務所に勤務した。 インドネシアとオランダの紛争が深刻化すると、その仲介のために国連安全保障理事会は、インドネシアに対する仲裁委員会を設置した。ティンパーリーは事務方責任者として会議に参加した。 1948年10月に任期を終えたティンパーリーは、その後パリの国際連合教育科学文化機関事務所に勤務した。 1950年、仲裁委員会を通してインドネシアに信頼されていたティンパーリーは国際連合教育科学文化機関を辞して、インドネシア外務省の技術的な指導をするためにジャカルタへ渡った。 1951年、熱帯病に冒され、イギリス へ「帰国」した。その後、まもなくして英国クエーカーの団体である、リリジャス・ソサエティー・オブ・フレンズ(Religious Socierty of Friends)に接し、メンバーとして受け入れられた。 1952年に、ビクター・ゴランツがマンチェスター・ガーディアンへ宛てた手紙がきっかけとなり、War on Want (貧困への戦い)という団体が設立された。ティンパーリーはその初期の指導者として働き、1954年5月に開かれた最初の会議を組織した。 1954年11月25日、滞在先のベッドで意識不明のところを発見され、 イングランドクックフィールドの病院に救急車で搬送されたが、翌26日に死亡した。享年56であった。 著作 What War Means The Japanese Terror in China, London, Victor Gollancz Ltd,1938. (レフト・ブック・クラブ版と一般向版の2種がある) The Japanese Terror in China, New York, Modern Age Books, 1938. Japan A World Problem, New York, The John Day Company, 1942. Australia and the Australians, New York, Oxford University Press, 1942 Some Contrast Between China and Japan in The Light of History /10 page leaflet, London, The China Society, publication date unknown. The War on Want /5 page leaflet, London, Gledhill Ballinger Ltd., 1953 What War Means翻訳書: 中国語訳=由楊明訳『外人目睹中之日軍暴行』漢口民国出版社、1938年7月 日本語訳=訳者不明『外国人の見た日本軍の暴行』(中国語訳からの重訳、1938-1941年に軍関係者によって出版されたものと推定される) フランス語訳=MM.l Abbe Gripekoven et M.Harfort, Ce Que Signifie la Guerre , Belgioue,1940(推定),Amities Chinoises 日本語訳=洞富雄編『日中戦争史資料 9』河出書房新社、1973年(昭和48年) 『WHAT WAR MEANS』に関する議論 「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(台北・党史館所蔵)という1941年に作成された文書は、国際宣伝処が『外国人目睹之日軍暴行』( What War Means の中国語書名)を宣伝書として編集印刷したとしている。(東中野修道『南京「虐殺」研究の最前線・平成十五年版』p.265-6)また、鈴木明著『新南京大虐殺のまぼろし』(飛鳥新社)にて初めてティンパーリが中華民国政府顧問の秘密宣伝員である事が暴露され、続いて北村稔著『「南京事件」の探求』(春秋新書)にて国際宣伝処処長曽虚白の回想記『曽虚白自伝(上集)』に「ティンパーリーとスマイスに金を払って目撃者として二冊の本を書いてもらった」記されていることから、これら資料の背後には国際宣伝処が関与していた事を示唆している。(『「南京事件」の探究』p.43-4) また「中国社会科学院近代史研究所翻訳室編『近代来華外国人名辞典』(1981年)」には、ティンパーリーについて「1937年盧溝橋事件後、国民党により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」と明記されている。 一方、渡辺久志は、曽虚白がティンパーリーを日本軍占領下の南京にいたとする誤りを前提として語っていることなどを指摘、この証言には問題があるとする。また、曽虚白はティンパーリーが当時、中央宣伝部と関係あったとしていないとして渡辺は北村説に疑問を投げかけている。(『季刊 中帰連』21号 2002・夏, p.69-72) また、井上久志は「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」(中国第二歴史档案館所蔵)に「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」とあり、曽虚白の回想記の「二冊の本を書いてもらった」という記述は誤りとしている。(『現代歴史学と南京事件』p.249) 関連項目 南京大虐殺論争 参考文献 「新「南京大虐殺」のまぼろし」鈴木明 飛鳥新書 「「南京事件」の探求」北村稔 文春新書 「アンチヤマトイズムスを止めよ!」竹本忠雄 日本政策研究センター 渡辺久志「求めているのは実像か虚像か」(『中帰連』第21号、2002年夏号) 笠原十九司・吉田裕編『現代歴史学と南京事件』柏書房、2006年 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年2月16日 (土) 00 18。
https://w.atwiki.jp/erayasai/pages/139.html
eraシリーズにおいて、CSVを使うことは避けられないがそのときの注意点を理解している範囲で記してみる。なお実際にこうなるかどうかはしっかりと各自検証してもらいたいし、間違いなどの指摘や修正および増補などは大歓迎する。eramakerおよびEmuera対象でEmueraの場合は最新私家版を一応の基準としている。eramaker2は仕組みが違うので対象外である。 eraにおけるCSVファイルはテキストファイルである eramakerにおける注意点ラストをしっかり改行する。 小数の数値の取り扱い TALENTに関しては内部に数値を放り込めない。 MARK(刻印),JUEL(宝珠)はChara**.CSVで設定できない。 文字定義ができない 基礎や能力や経験や相性などの数値を省略したら0と解釈する。 Train.csvにおける上限はCOM定義次第 Emueraにおける注意点小数の数値の取り扱い RELATIONにおいて文字定義ができない 基礎や能力や経験や相性などの数値を省略したら1と解釈する。 Train.csvにおける下限は0上限は999がデフォルト eraにおけるCSVファイルはテキストファイルである eramaker(Emuera)においてのCSVファイルの中身はコンマで区切られたテキストファイルに他ならない。よって編集するときはEXCELなどの表計算ソフトを使うよりはサクラエディタなどのテキスト編集ソフトを使ってもらいたい。そうでないと、余計な区切りや整形をしてしまってeramaker(Emuera)側が読み込めないCSVになってしまうこともありうる。 eramakerにおける注意点 ラストをしっかり改行する。 CSVファイルにおいても最終行はしっかり改行してほしい。改行されていない行はeramakerは読み込まないのでなかったものとして扱われるのであるから。 小数の数値の取り扱い eramakerにおいては、小数の数値は整数に丸めて解釈される。すなわち、 0.1,ばか というCSVがある場合、これは0が「ばか」であるということである。0.1が「ばか」ということではもちろんないので注意すること。 TALENTに関しては内部に数値を放り込めない。 eramakerにおいて、Chara**.CSVによる設定を行うときに以下の通りにすると、 素質,1,2 これは、このキャラが最初にADDCHARAされたときのTALENT 1には[1]が代入された状態となる。つまり、上のCSVにおける「2」は無視されてしまうのに注意すること。 MARK(刻印),JUEL(宝珠)はChara**.CSVで設定できない。 eramakerにおいては、Chara**.CSVにより初期刻印や初期宝珠の設定をおこなうことはできないことに注意すること。 文字定義ができない eramakerにおいては文字による定義をChara**.CSVで使うのは不可能である。すなわち、 素質,処女 能力,殺人技能,2 経験,臨死経験,5 刻印,天災刻印,1 という感じでの文字による定義はeramakerは理解できない。 基礎や能力や経験や相性などの数値を省略したら0と解釈する。 eramakerにおいては、必要な数値を省略した場合はそれを0と解釈する。たとえば、 基礎,0 能力,1 経験,2 相性,1 とした場合には、BASE 0もABL 1もTALENT 2もRELATION このキャラ 1もみんな「0」として解釈することに注意すること。 Train.csvにおける上限はCOM定義次第 eramakerにおいて調教コマンドとなるべきTrain.csvにおける番号の定義に999より大きな値を使ってもいい。ただし対応するCOM***関数が定義されていること。本当の上限は数値変数の上限である。 一方、負の値を設定しても動作するし、調教においては表示もされるがこちらはそこでその調教を選んでも何もしないことに注意。COM***関数の存在とは関係なくである。 Emueraにおける注意点 小数の数値の取り扱い Emueraにおいては、小数の数値がある行は無視される。すなわち、 0.1,ばか というCSVがある場合、Emueraではなにも定義しない。 RELATIONにおいて文字定義ができない Emueraにおいては通常、文字による定義がChara**.CSVにおいても可能である。すなわち、 素質,処女 能力,殺人技能,2 経験,臨死経験,5 刻印,天災刻印,1 という感じで文字による定義が可能である(もちろん、それぞれ Talent.CSVやAbl.CSVやExp.CSVやMark.CSVなどで定義しないといけない) ところが、RELATIONにかんしては、そういうことができない。つまり、 相性,霊夢,120 という表記は無理である。これは、NOとCharaの名前の対応をEmueraが読み込む前にChara**.CSVを読み込んでいるからである。 基礎や能力や経験や相性などの数値を省略したら1と解釈する。 Emueraにおいては、必要な数値を省略した場合はそれを1と解釈する。たとえば、 基礎,0 能力,1 経験,2 相性,1 とした場合には、BASE 0もABL 1もTALENT 2もRELATION このキャラ 1もみんな「1」として解釈することに注意すること。 Train.csvにおける下限は0上限は999がデフォルト Emueraにおいて調教コマンドとなるべきTrain.csvにおける番号の定義の範囲は通常0~999までである。ただし、VariableSize.csvにより上限を変更することができる。一方下限は0であり負の値は使用できない。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/480.html
今日の訪問者 - 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話1993.8.4 平成5年8月4日 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(1)へ 従軍慰安婦問題政府資料を読むhomeへ