約 4,648,167 件
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/501.html
3.渡航手続き関係資料が示すもの ■をクリック→この稿の該当個所へ 資料名をクリック→資料の概要(予定)へ 3.渡航手続き関係資料が示すもの■ 不良分子ノ渡支取締方ニ関スル件[外務次官](昭和12・8・31) ■ 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) ■ 渡支邦人暫定処理取扱方針中領事館瞥察署ノ証明書発給範囲ニ関スル件[警務部第三課](昭15)(未作成) ■ 「渡支邦人暫定処理ノ件」打合事項[不明](昭15)(未作成) ■ 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) ■ 南洋方面占領地ニ於ケル慰安所開設ニ関スル件[台湾総督麻外事部長](昭17.1.10)(未作成) ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【台湾軍司令官〕(昭17・3・12)(未作成) ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【陸軍省副官〕(昭17・3・16)(未作成) ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【台湾軍参謀長〕(昭17・3・16)(未作成) ■ 心理戦作戦班報告書(Japanese Prisoner of War Informatron Report) 49号(未作成) ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) 日本から中国、さらに南方への人の移動を考える時に、渡航手続が必要である。『資料集成』にはこの関係の資料が多く含まれており、有益である。 ■ 不良分子ノ渡支取締方ニ関スル件[外務次官](昭和12・8・31) ■ 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) 日本人の中国への渡航には昭和12年まで旅券が不要であった。日中戦争開始後、「不良分子ノ渡支取締」のために、渡航希望者はかならず所轄警察署長より身分証明書をうるか、正式の旅券をうるかしなけれぱならないとの外務次官通牒が昭和12年8月31日に出された(1巻、3-5頁)。それ以後2年8ヶ月のうちに中国へ渡航した者の数は59万人にも達したので、昭和15年(1940年)5月7日政府は支那渡航は当分中止とするとの閣議決定を出した。その決定はその趣旨を発表した外務省の発表文によって知られていたが*1、この決定の実施について出された要領手続が数次にわたり訂正されたのち、あらたな取扱要領が翌16年8月に決定されたさい、警保局長より閣議決定、当初の取扱方針、あらたな敢扱要領があわせて通達された。国立公文書館に所蔵されていた資料の中にこの昭和16年(194I年)8月16日の通牒が発見された(4巻、7-26頁)。 まず当初の閣議決定に付されたr取扱方針」には、「特ニ支那渡航ヲ要スルモノニ対シテハ」特例で渡航を認めることが書かれており、「定住又ハ現地勤務ノ為渡支セントスル者」が挙げられていた。行先地の領事館警察の証印のある文書、または在支軍の発給した身分証明書、または呼寄証明書を有することが必要資格であった(同、11頁)。 ■ 渡支邦人暫定処理取扱方針中領事館瞥察署ノ証明書発給範囲ニ関スル件[警務部第三課](昭15)(未作成) ■ 「渡支邦人暫定処理ノ件」打合事項[不明](昭15)(未作成) ■ 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) 15年中に出された警務部第3課の文書では、この範疇に入る者のうち、 特殊婦女(芸妓、酌婦、女給、軍慰安所雇傭員其ノ他)ハ原則トシテ証明書ヲ発給セサルコト とあり、5月20日現在の「雇傭者数」を基準として、「欠員補充ノ為呼寄ヲ要スル場合二限リ」認めるとしていた(1巻、138頁)。内務省では、中国では1940年にはすでに新しい「慰安婦」の調達は望まれていないと判断していたのかも知れない。しかし、それは一時のことで、その後調達が必要になったと考えられ、15年の終わりに近いあたりで作成されたとみられる「『渡支邦人暫定処理ノ件』打合事項」という文書には、「特殊婦女」は「定住ノタメ」ということで処理せよとの書き込みがあった(同、141頁)。さて16年8月の「取扱要領」では、渡支身分証明書を発給する12項目の1つに 本邦ニ於テ婦女(芸妓、酌婦、女給等)雇入ノ為一時帰国シタル在支接客営業者ニ対シ与ヘラレタル在支帝国領事館警察署発給ノ証明書ニ雇入員数ヲ明記セル場合其ノ員数二相当スル被傭婦女 があげられた(4巻、15頁)。このときは一時の抑制方針が廃され、軍慰安所に女性を送ることを可能にする手続がととのえられたのである。 ■ 南洋方面占領地ニ於ケル慰安所開設ニ関スル件[台湾総督麻外事部長](昭17.1.10)(未作成) この昭和16年(1941年)12月8日、太平洋戦争がはじまると、日本軍は香港、シンガボール、フィリピン、ビルマ、インドネシアに攻め込んだ。南方に占領地が拡大していった。そこにも軍慰安所が設置された。この新しい局面での南方占領地の慰安所への女性の確保については、新しい方式がとられた。昭和17年1月10日台湾総督府外事部長が東郷茂徳外務大臣に問い合わせを行った。 「南洋方面占領地ニ於テ軍側ノ要求ニ依リ慰安所開設ノ為渡航セントスル者(従業者ヲ含ム)ノ取扱振リニ関シ何分ノ御指示相煩度シ」(1巻、163頁)。 外務大臣は1月14日付けで回答した。 此ノ種渡航者ニ対シテハ{旅券ヲ発給スルコトハ面白カラザルニ付}軍ノ証明書ニ依リ{軍用船ニテ}渡航セシメラレ度シ とある。このうち{ }の中に入れた部分は抹消された部分である。吉見氏はこの資料から外務省がこの種の渡航に関わらないことになり、管轄権が軍に帰属することになったとの結論を出しているが*2、外務省が関わらなくなるということの意味は、内務省と警察が関わらないということであり、警保局が支那渡航婦女について出していた条件が消えることを意味したのである。南方占領地への慰安婦の派遺はまったく軍にゆだねられ、それまでのコントロールは完全にはずされたことがわかる。 ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【台湾軍司令官〕(昭17・3・12)(未作成) ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【陸軍省副官〕(昭17・3・16)(未作成) 昭和17年2月末ないし3月はじめに、南方総軍から、ボルネオ行き 慰安土人五○名為シ得ル限リ派遣方 の要請が台湾軍司令官にあった。そこで陸密電第623号に基づき、台湾軍司令官の命令により、憲兵が調査して、3人の経営者を選定した。2人は愛媛県と高知県出身の日本人、1人は朝鮮人であった。この3人の渡航認可が3月12日付けで台湾軍司令官から陸軍大臣に求められた(2巻、203-204頁)。これに対して、大臣副官より3月16日陸亜密電188号をもって大臣の認可が返事された(同、205-206頁)。 つまり業者の渡航の許可が求められているだけで、台湾先住民、高砂族の女性50名の渡航には陸軍省の許可は必要とされていないことがわかる。台湾軍の承認だけで、以前のような県知事発行の渡支身分証明書発給のような手続なしに、彼女たちは送り出されていると考えられる。そういうことを定めたのが陸密電第623号ではなかろうか。3人の業者は50人の女性を獲得したが、その方法はどのようなものであったろうか、それにも台湾軍が何らかの便宜をはからった可能性は大である。 ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【台湾軍参謀長〕(昭17・3・16)(未作成) さて台湾から50人の一行が出発し、ボルネオに到着してみると、現地での実情からすれば、人員も不足であり、かつ 稼業ニ堪ヘザル者等ヲ生ズル 結果となった。なお20名の追加が必要とされ、「引率者」と言われる業者1名が部隊発給の呼寄認可証をもって台湾にもどった。そこで6月13日、 慰安婦二十名増派諒承相成度 また 将来此ノ種少数ノ補充交代増員等必要ヲ生ズル場合ニハ右ノ如ク適宜処理シ度予メ諒承アリ度 との願いが台湾軍参謀長から陸軍大臣副官あてに打電された(同、207-208頁)。これに対する返事は発見されていないが、それは認められ、以後は本省に伺いをたてなくてもよいとなったと思われる。 ■ 心理戦作戦班報告書(Japanese Prisoner of War Informatron Report) 49号(未作成) ビルマ・ミッチーナー資料A ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) ビルマ・ミッチーナー資料B この一連の資料はきわめて重要なものである。南方地域への慰安婦の派遺が現地軍の句令部より台湾軍司令部に「土人」と指定して派遣をもとめているということは、同じように現地箪司令部より朝鮮軍司令部に朝鮮人女性を慰安婦として派遣するように要請がなされたことを容易に想像させる。この点で重要なのは、米軍資料の中にあろビルマのミッチーナーでの慰安所経営者及び慰安婦の尋問にもとづく報告である。日本人捕虜尋問報告第49号(5巻、203-209頁、これをAとよぶ)は慰安婦20名の尋間報告であり、SEAT1C尋間時報第2号(そのやや省略した引用が同、151-153頁にある、これをBとよぶ)は慰安所経営者夫婦の尋間報告である*3。これらによると、1942年(昭和17年)5月に日本軍が占領したビルマにおける「慰安サーヴィス」のための女性を募集するために、軍の依頼を受けた業者が朝鮮にやってきた(A)。しかし、この業者は独立して女性を募集したのでなく、京城の陸軍司令部が業者にビルマヘ慰安婦を連れていくことを打診したのに応じたものである(B)。当然にビルマ方面軍ないし南方軍総司令部からの直接の正式要請が朝鮮軍司令部に対してあったと考えるのが、さきの台湾軍への要請と考え合わせて自然である。だから、この業者もふくめて、朝鮮軍司令部、おそらく台湾と同じく憲兵司令部が業者を選定したと考えられる。最終的に朝鮮から出発した朝鮮人女性は703名であったので、ビルマ方面軍から700名以上規模の派遺要請があったと見るのが自然である。またボルネオヘの50人、20人の派遺について台湾軍参謀長から陸軍省に伺いが出されているのをみれば、この700人以上の派遺についても朝鮮軍参謀長から陸軍省に伺いが出されたのは当然のことであり、陸軍大臣の認可をえた旨を副官が朝鮮軍参謀長に打電しているはずである。 朝鮮軍は業者を選定し、募集を行わせたのであるが、そのさい昭和13年の日本国内での募集にさいして警保局がつけたような条件がないことは明らかである。京城で料理店を経営していた夫婦が憲兵司令部の打診に応じて、この仕事を引き受け、22人の朝鮮人女性を勧誘した。資料Bによると、彼らは両親に 300円から1000円を払って、買い取った、 娘達は彼らの「単独の財産」になったと言っているが、これは前渡し金で縛ったということであろう。年齢は19歳以上であったと陳述しているが、女性たちの陳述では、彼によって募集された朝鮮人女性の募集時の年齢は17歳1名、18歳3名、19歳7名、20歳が1名、23歳以上が8名である。12名が21歳以下である。 では、「慰安婦」をもとめていることを明瞭に説明することはなされただろうか。女性たちの供述に基づく資料Aによると、次のようにある。 この『役務』の性格は明示されなかったが、病院に傷病兵を見舞い、包帯をまいてやり、一般に兵士たちを幸福にしてやることにかかわる仕事だとうけとられた。これらの業者たちがもちいた勧誘の説明は多くの金銭が手に入り、家族の負債を返済する好機だとか、楽な仕事だし、新しい土地シンガポールで新しい生活の見込みがあるなどであった。このような偽りの説明に基づいて、多くの娘たちが海外の仕事に応募し、数百円の前渡し金を受け取った(5巻、203頁) 業者にこのように欺かれたと言っているのだが、朝鮮軍司令部が明瞭に慰安婦の仕事を説明するよう指導していなければ、このいわゆる「就職詐歎」に対しても軍の責任は免れない。もしも朝鮮軍司令部が承知の上で、慰安婦にするということを隠したまま、業者に21歳以下の娘を募集させたのなら、これは軍も関与した欺蹴による募集であり、合意によらざる強制であるということになる。このあたりは断定する資料がない。 朝鮮軍司令部は渡航手続きをおこない、客船をチャーターして輸送するまでした。台湾軍の例からして、703人の朝鮮人の女性については、渡航身分証明書などは出されていないであろう。数量としての扱いである。7月10日釜山から4000トンの客船に乗って、703人の朝鮮人女性と90人ほどの日本人男女の一行が出発した。船は7隻の船団を組んで進んだ。台湾に寄港したさい、22人のシンガボール行きの女性が乗り込んだ。あるいはボルネオ行きの追加の20人かもしれない。シンガボールで一行は別の船に乗り換え、8月20日ラングーンに入港した。ラングーンで20人から30人のグルーブごとに引率者がついて、ビルマの各地へ赴いたのである(資料B)。 この一行の中にいたことを証言しているのは大邱出身の文玉珠ハルモニである。彼女は1940年、16歳の時に憲兵によびとめられて、満州の東安省に連れて行かれて、慰安婦にされ、翌年逃げ帰ってのち、キーセンとなっていた。1942年東安省で慰安婦であった仲間の女性から、南方の日本軍の食堂で働こうと誘われて、釜山へ行き、約束の旅館に入ると、朝鮮人の業者マツモトがいた。彼のもとに、大邱から来た17人が集まったのである。その中に東安省で慰安婦であった仲問が5人いた。彼女は7月10日釜山から出航した総勢は150人から200人ほどだったといい、703人とは食い違いを見せている。船も6000トンほどの貨物船だというが、7隻の船団を組んだという点は一致している。文玉珠ハルモニと東安省の仲間も慰安婦になるという説明は受けていなかったのだが、大邱組の他の娘たちはまったく知らされていなかったと述べている*4。文玉珠ハルモニの証言は、文書資料とほぼ合致しており、1942年7月10日釜山出航組の場合、業者が慰安婦の募集だと説明しないままである場合が多いことを裏付けている。 太平洋戦争期の朝鮮、台湾からの慰安婦の調達は、朝鮮軍、台湾軍が主体となって、憲兵が業者を選定して、募集させ、軍用船で送り出したのである。 :原注(6)吉見『従軍慰安婦』、65-66頁。吉見・林編、前掲書、22頁。 :原注(6)吉見『従軍慰安婦』、65-66頁。吉見・林編、前掲書、22頁。 :原注(7)この資料については、本論集の浅野豊美論文をみてほしい。 :原注(8)文玉珠『ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』梨の木舎、1996年、45-57頁。なお朝鮮人慰安婦の送り出しについての業者の活動については、尹明淑「日中戦争期における朝鮮人軍隊慰安婦の形成」、『朝鮮史研究会論文集』32号、1994年10月、104-109頁をみてほしい。 和田論文index
https://w.atwiki.jp/jin-ja/pages/32.html
このページはhttp //article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-19_49398からの引用です トップページ ニュース 社説・コラム 写真・動画 エンタメ 特集 お得情報 新聞購読のお申し込み 日付別の記事一覧 朝刊の記事 ワールド通信員ネット ひと 社説 大弦小弦 写真・動画の一覧 沖縄タイムスフォトギャラリー ライブカメラ 釣り 沖縄タイムスの本 イベント 世界レシピ旅 FC琉球 琉球キングス NIE(教育に新聞を) ビューティ 47CLUB 2013年 平成25年 5/26(日) 旧暦 4月17日 友引 日の出:05 39 日の入:19 15 月齢:15.7 文字サイズ 最新ニュース 政治 経済 社会・くらし スポーツ 文化・芸能 地域 全国・国際 「謝罪すべきだ」元慰安婦、橋下氏を批判 Tweet 橋下徹氏らの発言に対し、テーブルを叩いて抗議の意志を示す金福童さん(中)=18日午後、西原町・沖縄キリスト教学院大学シャローム会館 [画像を拡大] 社会 2013年5月19日 09時30分 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が「慰安婦は必要だった」などと発言したことをめぐり、来沖した韓国人元従軍慰安婦の金福童(キムボクトン)さん(87)は18日、「必要だったと言うだけで、(謝罪など)何もしないのは人間ではない」と述べ、慰安婦の必要性を認めながら政治家として謝罪しない橋下氏の態度を非人道的と断じた。慰安婦問題での自説や差別的発言を繰り返す橋下氏を強く批判した。金さんは24日、橋下氏と面会予定。 金さんは19日宜野湾市海浜公園屋外劇場で開かれる「5・15くらしを守る県民大会」に出席するため初来県。18日は西原町内で学生たちとの交流集会に参加した。その後、記者会見で橋下発言についての見解を求められ答えた。 金さんは、橋下氏の発言は、日本が国策として従軍慰安婦制度を用いたと証言しているのに等しいとの見解を示し「日本には必要だったというなら、その真実を明らかにし、正しく解決し謝罪すべきだ」と述べた。橋下氏に対しては「必要なら、自分の娘を(慰安婦として)送ることができるのか」とも憤った。 「慰安婦の強制連行の証拠はない」と橋下氏が主張していることには「ここに本人がいるのに、どうして証拠がないと言うのか。私がここに生きている。それ以上の証拠がいったいどこにあるのか」と強い口調で語った。 終戦間際には戦地の病院で看護に従事させられたことにも触れ、「日本の慰安婦を隠すため私たちは看護婦に仕立てあげられた。日本兵の手術には私たちの血を使い輸血までさせられた。当時の写真もあり、強制連行の証拠が無いとは言えない」と慰安婦の処遇に国が深く関わっていたことを証言した。 金さんは14歳のころ旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と言われて連行され台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシアなど前線地で8年間、22歳になるまで慰安婦として従軍させられた。 有料携帯サイト「ワラモバ」では、PCサイトにはない解説記事やスポーツ速報を掲載しています。» 詳しくはこちらから 関連するニュース 朝刊 金秀グループ増収増益 リゾート・小売順調(2013年05月25日 10 20) 南城市のNPO、マスコットの名前募集(2013年05月25日 10 16) 糸満小3年生、ウェークさばきで伝統学ぶ(2013年05月25日 10 14) 新聞活用で学力つける 島尻地区教連(2013年05月25日 10 12) 稲嶺氏27日出馬表明 名護市長選(2013年05月25日 10 09) 4・28式典 国会議員出席3割足らず(2013年05月25日 10 09) 携帯・PHS県内普及率97・5%(2013年05月25日 10 08) タコ漁9月から制限へ(2013年05月25日 10 08) ご自慢の品盛況 お~りと~り石垣島(2013年05月25日 10 07) 嘉手納より南の跡地利用協、28日発足(2013年05月25日 10 05) 社会・くらし 新聞活用で学力つける 島尻地区教連(2013年05月25日 10 12) ご自慢の品盛況 お~りと~り石垣島(2013年05月25日 10 07) 久米島の台風禍サンゴ、急回復(2013年05月25日 10 05) 那覇の小学校で結核67人感染(2013年05月25日 10 04) 県助産師会、南大東に助産師派遣(2013年05月25日 09 57) 「野菜が全滅」冠水で作物に打撃 糸満(2013年05月25日 09 44) 那覇市内の小学校で結核集団感染66人(2013年05月24日 20 04) 尖閣周辺に中国船3隻 23日連続(2013年05月24日 15 46) 「お~りと~り石垣島」フェア開幕 タイムスビル(2013年05月24日 12 00) 西表・石垣の原風景 きょうから写真展(2013年05月24日 10 00) « 最新のニュースを読む 写真と動画でみるニュース [一覧する] 記事検索・RSS サイトマップ 沖縄県内のニュースランキング 24時間1週間 那覇の小学校で結核67人感染... 社説[元「慰安婦」証言]「私の存在... 社説[ハーグ条約加盟]子どもの利益... 那覇市内の小学校で結核集団感染66... [大弦小弦]日銀が5カ月連続で景気... [大弦小弦]都内の行きつけの居酒屋... 「謝罪すべきだ」元慰安婦、橋下氏を... [認可外園の防音]国は対策を急ぐべ... 4・28式典 国会議員出席3割足ら... 橋下氏、風俗活用発言の撤回明言... 「謝罪すべきだ」元慰安婦、橋下氏を... 社説[普天間自民公約]沖縄の声を受... 社説[元「慰安婦」証言]「私の存在... 社説[生活保護法改正]申請萎縮が懸... 社説[原子力規制委報告]政策転換を... 橋下氏発言:姉妹都市関係に悪影響... 社説[沖縄版・成長戦略]アジアの成... 那覇市内の小学校で結核集団感染66... 社説[橋下氏発言]人権感覚に重大な... 本島中南部に大雨、洪水警報... お問い合わせ窓口 | 会社概要 | タイムスの本 | タイムスのイベント | 読者センター | 記事データベース | 記事・写真転載 | 読者局から | モバイル | 47NEWS参加社一覧 北海道新聞 | 室蘭民報 | 河北新報 東奥日報 | デーリー東北 | 秋田魁新報 | 山形新聞 | 岩手日報 | 福島民報 | 福島民友新聞 | 産業経済新聞 | 日本経済新聞 | ジャパンタイムズ | 下野新聞 | 茨城新聞 | 上毛新聞 | 千葉日報 | 神奈川新聞 | 埼玉新聞 | 山梨日日新聞 | 信濃毎日新聞 | 新潟日報 | 中日新聞 | 中部経済新聞 | 伊勢新聞 | 静岡新聞 | 岐阜新聞 | 北日本新聞 | 北國新聞 | 福井新聞 | 京都新聞 | 神戸新聞 | 奈良新聞 | 紀伊民報 | 山陽新聞 | 中国新聞 | 日本海新聞 | 山口新聞 | 山陰中央新報 | 四国新聞 | 愛媛新聞 | 徳島新聞 | 高知新聞 | 西日本新聞 | 大分合同新聞 | 宮崎日日新聞 | 長崎新聞 | 佐賀新聞 | 熊本日日新聞 | 南日本新聞 | 沖縄タイムス | 琉球新報 | 共同通信 Copyright © 2009 Okinawa Times All rights Reserved サイト内の記事・写真・データ・その他の著作権は沖縄タイムス社が所有・管理しています。許可なく複写・転載することを固くお断りします。
https://w.atwiki.jp/souhei_world/pages/1829.html
[禁忌の地]調査報告 聖華暦759年 6月 我々、自由都市同盟考古学研究会6名は、今年2月にようやく許可が下り、準備を進め、ついに、ついに、禁忌の地へと脚を踏み入れた。 護衛兼案内役としてロドスで冒険者3名、傭兵5名を雇い入れ、一路、東を目指してひた進む。 1日目 特に何も無し。すでに発掘され尽くした遺跡の残骸ばかりが目に付いた。 魔獣も鋼魔獣も出現せず、なんだか肩透かしを食った感じだ。 2日目 フラップ・スナークと立て続けに3回遭遇した。 縄張りが密集していたのか? しかし、全て傭兵達が片付けてくれた。高い金を払っているのだ。それくらいは当然してくれねば困るというものだ。 その日の夜更にナイトストーカーに襲われた。 一人が負傷したが、傷は大した事は無かった。だが改めて、ここが決して安全圏などでは無いと認識させられた。 私も気を引き締めねば… 3日目 機兵の残骸と、鋼魔獣の残骸を見つけた。痛み具合から言って、1〜2年程度は経っている感じだ。 いよいよ冒険者達も傭兵達も警戒を厳しくしている。 この日はそれ以外の発見は無し。 4日目 傭兵達が砲撃を受けた。 レールガンの直撃を受けて、あっという間に3機の機兵がスクラップになった。 クジャクが2台、姿を表す。 残った機兵からの集中砲火を受け、2台ともガラクタと化した。 仲間内から、これ以上は危険だから引き返そうと言う者も出始めた。 馬鹿な、まだ何も発見出来て無いんだぞ。 ここで引き返したら、無駄な経費を浪費したと馬鹿にされてしまう。 その日、我々は揉めたが、なんとか前進する事に決まった。 だが、仕方がないが次に危険と判断されたら引き返す事となった。 5日目 やったぞ。 WARESの移動要塞の残骸だ。 とは言っても、外殻の一部分だけで、他は見当たらない。 旧大戦後に持ち去られたか、鋼魔獣達が回収していったのかはわからない。 しかし、このオーパーツを持ち帰れば、幾分かは成果があったと、無駄では無かったと言える。 我々は、この外殻を掘り起こし、持ち帰る事にした。 作業は大変だったが、夕刻までにどうにか掘り出す事が出来た。 機兵一機が抱える程の大きさなのが幸いだ。 明日はこれを持って帰路につく事となった。 6日目 またしても鋼魔獣から襲撃された! 今度はシュトルッツォが3台だ。護衛の傭兵と冒険者が一人ずつ犠牲となった。 機兵は後3機…うち1機は大切なオーパーツを抱えていて、戦闘なんかさせられない。 我々、調査隊員も従機に武器持たせてを自衛をせざるを得ないとは… 7日目、8日目 奇跡的に魔獣、鋼魔獣とは遭遇しなかった。 我々は運が良い。このまま何事も無く安全圏にたどり着ける事を願う。 9日目 ティールテイルの群に遭遇し、当然のように襲われた。 小型で数が多い為、機兵2機では対処出来ず、我々にも飛び掛かってきた。 調査隊の皆もパニックになりながらも必死に逃げた。 逃げた先に待っていたのはネコグモ、それも重機関砲を装備した対人掃討型だった。それが4台。 もう駄目だ……そう思った時だ。 ネコグモが重機関砲を斉射。ティールテイルが次々と仕留められていく。 どうなっている? 事態が良く飲み込みないまま、ティールテイルは掃討され、ネコグモは我々には目もくれずに移動して行った。 助かった。 その時に思い出した。過去にネコグモが魔獣に襲われた冒険者を助けたという報告が挙がっていた事を。 眉唾だと思っていた事が、自分達の危機で実証された訳だ。 これも、今回の調査の成果として、報告書に記しておこう。
https://w.atwiki.jp/doc_exam2007/
今日の来訪者 - 2007年5月作成のサイトなので、各所にリンクエラーがあります。 ビルマ従軍慰安婦に関する米軍尋問調書 目次 ビルマ従軍慰安婦に関する米軍尋問調書Documents ごあいさつ 報 5/27 リンク 「慰安所はどこにあったか」(図をクリックすると拡大) 「慰安所はどこにあったか(ビルマ)」(図をクリックすると拡大) ミートキーナ=ミッチナ 当時の朝鮮内報道の一例(図をクリックすると拡大) Documents ATIS調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー(内容)ビルマ・ミッチナ軍慰安所楼主などの尋問報告 心理作戦班捕虜尋問報告49号(内容)ビルマ・ミッチナ朝鮮人慰安婦などの尋問報告 日本軍従軍慰安婦に関する最近の研究成果 JWRC, 17 April, 2007(予定) (試訳)ワシントンポスト2007年7月18日「日本政府、第二次大戦時の性奴隷に関する決議案に反対して、米国下院に通牒を発す」 (試訳)ロイター2007年7月18日「合衆国議員は日本性奴隷に関する7月30日の表決に注目している」 ごあいさつ さいきん、英文歴史史料の取り扱いが怪しくなっています。いちどWEB上で怪しげな翻訳が出回ってしまうと、それを訂正するのは容易なことではありません。そこで私たちは英文史料の翻訳・紹介は英語に堪能な専門家についつい任せてしまいたくなります。 しかしそこにもまた落し穴があります。専門家と称する人が勝手なトリミング、付け加え、ズラシなどを行うと、それがそのまま真実として固定されてしまいます。 ある新聞社が外国通信社の英文記事を紹介するにあたって、そこにない文言を書き加えて、ワシントン発「新事実」として日本に送ってきたことは、記憶に新しいことです。幸い元の英文記事をWEB上に見つけた人がいまして、捏造はすぐに指摘されました。 そんな状況がありますので、英文史料の要約などがセンセーショナルに発表されたら、老若男女、英語が得意であるか得意でないかになどにとらわれず、誰もが自分で吟味しなくてはならない、今日このごろです。 そんなわけで、みんなが知恵を持ち寄って、英文史料を正しく読む試みをしようということになりました。(2007/5/24,ni0615) と思ったのは間違いではないのですが、同じようなことを考えていろいろと研究発表をしている先人たちがWEBにはいっぱいいることに気づいて、じつはてんてこ舞でサイトの更新が進みません。(2007/5/29,ni0615) 追記2014.9.22 古森さん「歴史ロンダリング」(その1) 古森さん「歴史ロンダリング」(その2) 古森さん「歴史ロンダリング」(その3) 報 5/27 産経新聞古森義久記者が、ブログのコメント欄で、5月6日付け記事に続いて5月12日付けの記事について、事実上のウソを認めました。『米軍資料』は新発見でもなんでもなく、吉見義明『従軍慰安婦資料集』(大月書店1992/11/27 isbn 4272520253)に収録されていたもの(下記)そのものでした。別バージョンですらありません。http //komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/171421/ 東南アジア翻訳尋問センター 心理戦 尋問報告 第二号 South-East Asia Translation and Interrogation Center,Psychol ogical Warfare Interrogation Bulletin,No.2(11/30/1944) リンク 従軍慰安婦問題を論じる 掲示板 資料・リンクなど http //ianhu.g.hatena.ne.jp/ .
https://w.atwiki.jp/j2e_wiki/pages/15.html
慰安婦 英語 Comfort Women 日本語 慰安婦 吉見義明 英語 Yoshiaki Yoshimi 日本語 吉見義明 日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷 英語 Women's International War Crimes Tribunal on Japan's Military Sexual Slavery 日本語 日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷 THE FACTS(ザ・ファクツ) 英語 該当なし 日本語 The Facts 戦後補償問題
https://w.atwiki.jp/hisnet/pages/13.html
ロシアでは必要以上の閉鎖性はもはやなく、文書館アクセスも一定の基準で可能である。 30年経過した歴史文書を公開するなどのルールは特にない。 もともと各省庁、共産党、地方政府などがそれぞれ文書館を持ち、目録で整理されており、ソ連の時代にも特定の歴史学者が利用し発表していた(後述する論文集『文書は反駁する』など)。 それぞれ利用許可の度合、使いやすさが異なる。 GARF(国立アーカイブ):雑多なものや、個人寄贈(接収)文書などがある。公文書の写しがあることもあるし、皇帝の私信がまとまってあったりもする。紹介状があれば即日利用可。注文して2~3日後にマイクロフィルムや現物文書が見られる。コピーは標準で3週間後だが、頼めばそれなりに早くなるらしい。 RGASPI(社会政治史アーカイブ):ソ連共産党の文書。比較的利用しやすい。 RGVIA(陸軍歴史アーカイブ):ロシア帝国陸軍。 AVPRI(ロシア帝国外交文書館)、AVPRF(ロシア連邦外交文書館):申請から3ヶ月で許可が出て、1年間有効。コピーは「技術的理由」(理由はいわないという意味)で不可になった。 国防省:厳しいらしい。 FSB:ほぼ無理。ただしFSBアカデミーの学者がたまに引用して論文を出したりする。 ロシア帝国海軍アーカイブ:ペテルブルク。 RGIA(国家歴史アーカイブ):ペテルブルク。工事が終了し開館記念式典はやったが、それから3年近く、ごく最近まで、一般利用者は入れない状態が続いた。 イルクーツク州国立アーカイブ:イルクーツク。東シベリア総督などの文書。 極東国立アーカイブ その他、旧ソ連の共和国にもソ連国家に関するアーカイブがあることに留意すべきである。 バルト三国でソ連に関する文書がいろいろ見られるときく。 (ロシア帝国のロシア語公刊文献はヘルシンキが最も使いやすいらしい。) また、チェコの文書館で、日本人共産主義者に関する情報が出てきたとも聞いた。 中国関係史料
https://w.atwiki.jp/matsumura0ma/pages/32.html
まだないよ
https://w.atwiki.jp/jpcl/pages/113.html
隔月で発行されている国際交流専門誌「をちこち」の紹介ページ。 をちこち 第21号(2008年2月・3月号) 特集 世界の「国民的女優」 特集 世界の「国民的女優」 日本/高度経済成長期の日本人に勇気を与えた吉永小百合 藤井淑禎 インドで開かれた「消失点――日本の現代美術」国ではなく個による共有可能な地平の発見へ 金井直 パーソン● 日系アメリカ人として映画『硫黄島からの手紙』の脚本を執筆したアイリス・ヤマシタさん ロッテルダムのさくら丸 テッサ・モーリス-スズキ 翻訳家育成をとおして日本文化の紹介者を育てる―しずおか世界翻訳コンクールの挑戦 田村充正 日本に残ったアジアの絵画技法をモンゴルに伝える 田渕俊夫 2006年海外日本語教育機関調査「海外での日本語学習者300万人に迫る」 をちこち 第22号(2008年4月・5月号)特集 遠くて近いブラジル 特集 遠くて近い ブラジル グローバル時代のブラジルと日本、そして日系ブラジル人 中牧弘允×井上章一×イシカワ・エウニセ・アケミ 鳥居大国、盆踊り、soba、サンバ―ブラジル日系社会を理解するための4つのキーワード 深沢正雪 「日本人街」から「東洋街」へ変貌するサンパウロのリベルダーデ地区 森 幸一 在日ブラジル人は限りなく身近な隣人である―日本社会における貢献と課題 アンジェロ・イシ 日伯現代美術展 日本とブラジルの現代美術作家38名が集合!「ライフがフォームになるとき」 長谷川祐子 パーソン● 日本の文化や社会現象を取材に訪れたブラジルの人気作家マルセロ・カルネイロ・ダ・クーニャ・モレラ氏 美しいものを感じようとする心―インドで俳句を考える 宮下惠美子 法善寺横町で見つけた日本 李鋭 をちこち 第23号―国際交流がつなぐ彼方と此方 特集 翻訳がつくる日本語 特集 翻訳がつくる日本語 人間は言語が違っていても同じことに惹きつけられる ロジャー・パルバース 「輸入翻訳大国」「無断翻訳大国」という誤解を解く 宮田 昇 ユジノサハリンスクの日本 テッサ・モーリス-スズキ 予想を超えたアニメへの情熱―アラブ3カ国でアニメ制作を教える― 川口典孝×角南一城 『ひらく・つなぐ・つくる 日本語教育の現場』報告 日本語研修にかかわる人々が育んだ関西国際センターの10年 上田和子 「ジャパンクール」に世界はなぜ熱狂するのか ラファエル・マルカダル 「海外における日系企業による社会貢献活動調査」より 日系企業が海外で企業市民として活動していくために 富岡順一 ベトナム日本文化交流センター・オープン 日本生まれの「木」がベトナムの「土」で育つ 安藤一生 をちこち 第24号(2008年8月・9月号)特集 変わりゆくインドネシア 特集 変わりゆくインドネシア ジャワ島中部の震災を契機に人や文化が交流し始めた 佐久間 新 日本で働くインドネシア人とともに生きるために 奥島美夏 日本のアーティストがインドネシアと出会ったら KITA!! Japanese Artists Meets Indonesia パーソン●日本語教師研修のためにインドネシアから来日した アリアニ・ナルワストゥジャティさん 日本との最初のかかわり テッサ・モーリス-スズキ 日常を感じ取った日本訪問の2週間 J・M・クッツェー氏の再来日に寄せて 解説・田尻芳樹 アジアの漫画100点が国際理解教育の教材になった「マンガジア」 大島 幸 をちこち 第25号(2008年10月・11月号) 特集 世界を結ぶアート 特集 世界を結ぶアート 横浜は欧米への輸出陶磁器の一大生産地だった 佐々木登美子 初めて味わう和菓子に日本文化を知る 山口研二 アートに起きている出来事を国内外へいかに伝えるか ―「日豪アートフォーラム」から― 原 久子 をちこち(遠近)*4 をちこち(遠近)*6
https://w.atwiki.jp/shindungeon/pages/395.html
💎宝箱を発見した! ✅開錠判定(7)を行うことができる。 ・成功→ アイテムを獲得。 《地の霊石》 ★★素材/重量3/価値300G 🔂使用効果(消耗):冒険者1名を対象として使用できる。 この日、対象者の装備品に地属性を2つ付与する。 その後、《空の霊石》を1つ獲得。 - 小金井あゆみ (2021-07-25 00 07 02) 🆚戦闘 ★ニードルアイビー(植物) ・HP:9 ・攻撃力:7 ・弱点:炎氷闇+2 ・獲得:1EXP/8G - 射手 (2021-07-06 12 19 13) 🌐☆雨:自分のAPを-3 💎宝箱を発見した! ✅開錠判定(7)を行うことができる。 ・成功→ アイテムを獲得。 《風音の笛》 ★★楽器/重量5/価値450G 風属性 🔽装備効果:戦闘以外の冒険日、AP+2 - neko (2021-07-01 00 11 25) 🆚戦闘 ★★キャニオンホーク(動物/飛行) ・HP:11 ・攻撃力:8 ・弱点:雷風闇+2 ・獲得:2EXP/15G ⚡【飛翔】(防御) 弓を装備していない冒険者は、このエネミーに対して雷・風属性以外の通常攻撃を行えない。 先制攻撃時、このスキルは無効となる。 💎戦闘に勝利した場合、アイテムを獲得。 《猛禽の爪飾り》 ★★装飾品/重量2/価値250G 🔽装備効果:短剣・弓装備時、攻撃力+1。 - 花穂 (2021-06-25 19 54 28) 📜ミニクエスト ★★怪我をした冒険者と出会った! ・目標:この冒険に対して自分のHPが合計10以上回復する効果を受けることで達成。 💰報酬:50G/2EXP/名声1 - 大鉈を抱えた少女 (2021-06-25 07 50 38) 🆚戦闘 ★★ゴブリンシーフ(人間) ・HP:13 ・攻撃力:6 ・弱点:聖+1 ・獲得:2EXP/22G ⚡【盗み】(結末) この戦闘に勝利できなかった場合、500Gを失う。 足りない場合は、所持する中で最も価値の高いアイテムを代わりに失う。 ⚡【逃走】(結末) 一度に6以上のダメージを与えられなかった場合、このエネミーに勝利できない。 - 大鉈を抱えた少女 (2021-06-25 07 48 07) 💣罠 ★★吊り橋が落下した! 💥罠判定(8)を行わなければならない。 ・失敗→8ダメージを受け、このダンジョンの進行度を-1する。 ・成功→ 2EXPを獲得。 - 花穂 (2021-06-23 08 01 08) 💎宝箱を発見した! ✅開錠判定(8)を行うことができる。 ・成功→ アイテムを獲得。 《バトルスタッフ》 ★★杖/重量15/価値600G 攻撃力+2/防御力+1 - ラジ (2021-06-23 00 51 09) 🔍調査 ★薬草の自生地を発見した。 ✅調査判定(8)を行うことができる。 ・成功→《薬草》を1つ獲得。 達成値10以上の場合、2つ獲得。 《薬草》 ★素材/重量2/価値20G 🔂使用効果(消耗):自分の冒険で使用できる。 自分のHPを 3 回復する。 - ラジ (2021-06-21 00 03 11) 🌐通常 🆚戦闘 ★★ゴブリンアーチャー(人間) ・HP:13 ・攻撃力:4 ・弱点:聖+1 ・獲得:2EXP/16G ⚡【弓矢】(攻撃/遠隔) 5ダメージを受ける。 先制攻撃時、このスキルは無効となる。 - ラジ (2021-06-20 01 28 28) 🆚戦闘 ★キバムササビ(動物/飛行) ・HP:8 ・攻撃力:6 ・弱点:炎雷風闇+2 ・獲得:1EXP/11G ⚡【滑空】(防御) このエネミーに対しては冒険者一人につき1回しかダメージを与えられない。 風属性ダメージを与えた場合、このスキルは無効となる。 - ラジ (2021-06-19 00 29 14) 💎宝箱を発見した! ✅開錠判定(7)を行うことができる。 ・成功→ アイテムを獲得。 《旅人のマント》 ★装飾品/重量12/価値250G 🔽装備効果:自分は環境「雨」「酸雨」「星雨」の効果を受けない。 - カヤ (2021-06-18 00 14 08) 💎宝箱を発見した! ✅開錠判定(6)を行うことができる。 ・成功→ アイテムを獲得。 《鉛》 ★素材/金属/重量4/価値70G - カヤ (2021-06-17 00 41 17) 💎宝箱を発見した! ✅開錠判定(6)を行うことができる。 ・成功→ アイテムを獲得。 《青銅》 ★素材/金属/重量3/価値50G - ラジ (2021-06-17 00 06 46) カヤ - 🆚戦闘 🔷先制攻撃!🔷 ★★コボルド(人間) ・HP:11 ・攻撃力:7 ・弱点:炎+1 ・獲得:2EXP/15G ⚡【投石】(攻撃/遠隔) 4ダメージを受ける。 💎戦闘に勝利した場合、アイテムを獲得。 《コボルドダガー》 ★★短剣/重量6/価値270G 攻撃力+1 🔽装備効果:自分が行う〔共闘攻撃〕時の通常攻撃で与えるダメージを+1 (2021-06-13 14 44 16) カヤ - 💣罠 ★★毒矢の罠だ! 💥罠判定(7)を行わなければならない。 ・失敗→(毒)最大HPを-5する。 ・成功→ 2EXPを獲得。 (2021-06-13 14 40 56) ≪薬草の山≫の調査報告はこちらへお願い致します。 -- (冒険者ギルド) 2021-05-25 15 32 27
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/4926.html
104: 陣龍 :2017/10/24(火) 14 59 19 94 『ムルデカ』 戦後のインドネシアにて制作された、太平洋戦争とオランダ独立戦争の日々を描いた戦争映画である。日本の実力派俳優も 複数出演しているが大多数は演劇の経験が少ない純インドネシア人で構成されておりながら、余りにも迫真かつ鬼気迫る 演技によってアカデミー賞にノミネートされる程の傑作映画となった。尚、この映画に関してはオランダでは過去の植民地時代を 描いていた事から極めて不評で有り、又日本が好意的に描写されている事にも不快感を抱いた少数の国々ではワーストクラスの 興行成績であったが『旧植民地人の有色人種が旧宗主国の白人軍隊を叩き潰す』と言う後半の内容が中東等の反白人感情が 有る国家や、追い詰められてからの逆転劇を好むアメリカ等ではかなり好評で有った。 概要 映画での前半は主に太平洋戦争中の日本軍の統治や、伝説的となった連合艦隊とアメリカ太平洋艦隊との激闘を、比較的平穏で有ったインドネシアがどういった風に見ていたかと言う内容になっている。主人公は日本軍が組織したインドネシア軍の養成組織に所属している若き軍人で有り、副主人公としては同じく若手の日本人の軍人が付いている。 日本軍の宣伝として次々と沈められる白人の軍艦の姿に始め歓喜するも、全く減らない戦果報告や少しずつ押し込められ始める状況に対して疑念を、そして日本の戦争継続の為にある程度の武器弾薬と交換とは言えそれでも多量の資源を持っていかれる事に対するインドネシア人からの不信感と恐怖心。現地の事を何一つ分からず知ろうともせずに無責任に抑圧や収奪による資源獲得を言い出す本土の無能と現地インドネシア人からの視線の二つに板挟みになるインドネシア在中の日本軍の様子が前半では描かれており、所謂官僚であったり中間管理職と言った大人が共感しやすい内容が多めに含まれている。 後半では、日本の敗戦による戦略環境の激変と、それまで多数画面内に見えていた日本兵の消失、そして脱走兵となりながらもインドネシア独立の為に残留した少数の日本兵と共に、軍組織としては基礎が出来上がったばかりのインドネシア軍によるオランダ軍相手の独立戦争が描かれている。このパートでは、主人公の若手インドネシア軍人に対してわざわざ日本軍の武器弾薬貯蔵庫の鍵や保管場所を教えた末に『見張りは立てないが絶対武器はとるんじゃないぞ』と言ったり、見張りが居てもインドネシア軍人が見えたらわざとらしい演技で貯蔵庫から離れていく日本兵等、現代にも伝わるエピソードが散りばめられており、また最大の山場でもあるオランダ東洋艦隊の強奪戦でも歴史考察に忠実過ぎて『現実味が無い』と苦笑される事も有った。 つまり戦後世界ではこうか!分かりません!(割腹)