約 4,648,175 件
https://w.atwiki.jp/matsumura0ma/pages/36.html
よしのうち たなか よしかな ひろた 1000字ver
https://w.atwiki.jp/tmushajin/pages/88.html
田井みのり 在学期間 修士(2019-2020)博士(2021-) 連絡先:taiminori251@gmail.com 関心テーマ 音楽、演奏家、音楽のエンパワメント 関心地域 日本、アジア 現地調査 研究業績 論文 【学位論文】 「死と音楽ー現代日本における音楽葬の付置」(修士学位論文) 報告書 書評 佐本英規著 『森の中のレコーディングスタジオ−混淆する音楽と周縁からのグローバリゼーション』(掲載予定) 国内雑誌 「音に表れる気持ち」『人文学報』2019年度 学会・口頭発表 「音楽と公共実践に関する―考察-インドネシア・スラバヤの事例から」音楽人類学研究会 2019年度 「音楽によるエンパワメントに関する文献研究」東京都立大学・首都大学東京社会人類学研究会2019年度 文化人類学会博士論文・修士論文発表会 2021年度 東アジア人類学研究会2021年度 東洋音楽学会2021年度 音楽人類学研究会2021年度 Anthropology of Japan in Japan Annual Meeting August 2021年度国際学会 駿河台日本社会文化研究会2021年度 その他 JASCA関東地区懇談会- 第2回定例研究会「孤独と共在:音楽の「つながり」を再考する」企画委員としての参加 受賞・研究助成 東京都立大学社会人類学研究奨励賞(最優秀修士論文賞)「死と音楽ー現代日本における音楽葬の付置」 渡邊基金調査研究旅費支援採択「インドネシアにおけるNPOの音楽を介した慈善活動への参与観察と分析」2019年度
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6571.html
809: トゥ!ヘァ! :2020/11/08(日) 18 07 22 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp スパロボクロス 融合惑星 γ(パトレイバー)世界の東南アジア事情 ここはγ世界と名付けられたパトレイバーの世界。 ユーラシア大陸ではユージアが欧州にてNATOとロシア相手に熾烈な独立戦争を仕掛け、極東では柘植の躍動により日本がぐだぐだしている最中。 同時期の東南アジアの情勢についてご紹介しよう。 欧州や中東でユージアと現地軍がドンパチしており、日本は警察と自衛隊が睨み合い、南シナ海でユージアのアジア艦隊と米太平洋艦隊が睨み合っている最中。 では陸地の方は銅だったかというと、こちらはユージア側が有利であった。 インドシナ半島ではタイとベトナムが意地を張っていたが、それ以外の国々は全てユージア連邦に参加を表明していた。 マレーシア、シンガポール、ブルネイは未だ中立もしくはアメリカ寄りの姿勢を打ち出していたが、肝心のインドネシアがどうみてもユージア側へ傾いているのは明白だったため、オーストラリアからの援軍は絶望的。 更に南シナ海で米艦隊が足止めされている関係上米側に付いたフィリピンと台湾からの援軍も期待できずタイとベトナムは孤立状態であった。 最も欧州側の戦闘に集中したいユージア連邦上層部はアジアでは戦力を動かさず、精々にら意味合いに終始していたため、大規模な衝突は起きていなかったが。 これはインドや中国の上層部も理解しており、何より彼等も無暗に戦線を増やそうとは考えていなかった。 とは言え状況はタイとベトナムが孤立しているのも事実。既に両国をどう救出するかというよりも、両国がいつまで耐えられるかを予測する事態へと推移していた。 このままいけば日本で柘植の事件が起こり、連合がユージアに詰問状を飛ばす頃にはインドシナ半島は遠からずユージアの手中に入っていたかもしれない。 少なくともインドネシアまでは味方に付けられたはずであった。 だが、ここで予想打にしていないことが起きる。一部の現地中国軍による暴走である。 主に陸軍の南部閥が勝手に行動を開始。ベトナムとタイへと攻め込みだしたのだ。 これに慌てたのが当の中国自身。旧中国政府及び空海軍、また現在欧州に派遣されている陸軍主流派の部隊からは寝耳に水であった。 何故一部が暴走しだしたかと言えば、簡単に言えば点数稼ぎである。 非主流派であった彼等はここで得点を稼いでおけば、ユージア連邦内で主流派に劣らない影響力を確保できると考えたのである。 そんな非主流派こと南部閥の部隊の攻撃はどうなったかというと普通に足止めくらっていた。 元々国境付近に目を光らせていたベトナム軍は猛烈に抵抗していたし、タイを攻撃するためにミャンマーとラオスを“勝ってに”越境した部隊は当のミャンマー及びラオスの陸軍と戦闘状態であった。 当のミャンマーとラオスからすれば、いきなりフル武装の中国軍やってきて、「お前らは今から俺達の指揮下に入れ。そしてタイに攻めこめ」と言い出したのである。 そりゃ反発するし、そんなことに従うこともなかった。 結局現場の指揮官同士が言い争いになり、中国軍側が無理矢理ラオス・ミャンマー側の指揮官を拘束。 これに起こった現地の両国部隊が指揮官を取り戻せと越境してきた中国軍と衝突する事態となった。 この状況に南シナ海封鎖に参加している中国海軍は困惑の色を隠せずにいた。 現地中国陸軍からは支援要請が飛んでいるが、陸軍首脳部及び旧中国上層部、海軍上層部またユージアの連邦政府からも支援するな!現状維持!の命令が打診されていた。 当の艦隊内でも支援するべき、無視するべきで意見が割れるなど混乱が発生し始めていた。 その隙を見逃さなかった米艦隊は読闇に紛れ、海軍と海兵隊特殊部隊をベトナム沿岸に送り届けることに成功。 ベトナムに辿り着いた海軍 海兵隊の特殊部隊は現地ベトナム軍の援護を開始。攻め込んできていた南部閥中国軍の撃退に成功した。 810: トゥ!ヘァ! :2020/11/08(日) 18 07 57 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp 同時期ミャンマー及びラオスでは衝突が泥沼化。既にタイやベトナムそっちのけで現地軍と南部閥軍の衝突が続き、侵攻作戦どころではない有様となった。 この状況に業を煮やしたユージア連邦政府は現地の主流派中国軍とインド軍に現地に待機させていた予備部隊の投入を命令。 南部閥軍支配地域及び、ミャンマー、ラオス、ベトナム国境付近で暴れ続ける南部閥軍の鎮圧を開始した。 結果だけ言えば南部軍の兵士の殆どは抵抗らしい抵抗を見せず投降した。 南部閥のお偉いさんはやる気に満ち溢れていても、無理矢理参加させられた一般兵の士気は左程高くなかったためである。 その後は間髪入れず柘植事件の発生と連合の介入による停戦が発生。 インドシナ半島統一はならず、それどころか戦闘の結果を見てインドネシアはユージア寄りから改めて完全な中立を表明。 ユージアにもISAFにもすり寄る面倒な蝙蝠外交を開始するなど、東南アジアにおける戦略が崩れ、ユージア政府は頭を悩ますこととなる。 中国は今回の問題を大きく取り上げられ面子が失墜。ユージア連邦内における影響力を大きく削がれることとなる。 ミャンマーとラオスは改めて中国への不信感を募らせてしまい、現地の連携に陰りが見える始末に。 代わりと言ってはなんだが、ユージア連邦政府こと中央は厄介だった中国閥へ大きな枷を付けることに成功。 特に海軍と空軍においては完全にユージア連邦軍直下へと編入させることに成功している。 更にミャンマーとラオスに関しても中央が直接支援を行ったことにより態度が軟化。強まった中国への不信感とは逆に両国の親ユージア姿勢を強めることに成功した。 全体で見れば東南アジア制圧戦略は崩れたが、中央政府による内部統制を強めることに成功している。 対して米国側はベトナムとおまけにタイ、マレーシアの死守に成功。 ギリギリながらも東南アジアでの面目を保つことに成功した。 インドネシアは先述の通り、ユージア寄りの態度からユージア、ISAF両方に通じる中立へと移行した。 両勢力からの評判は芳しくないが、立地が立地なので大きく批判できずにいるのが現状である。 柘植事件後のことにも話しておこう。 取りあえず半端な形に終わった東南アジア情勢であるが、その後は日本に居座る連合勢のおかげで比較的平穏な時期を過ごすこととなる。 だが中立を表明するインドネシアを中心に旧式のレイバーやASを使った犯罪が増加。 ユージア、ISAFの別なくこれらへの対処に追われることとなる。 ヴォルガーラ戦役時にはそれぞれの陣営が協力して対処することとなったのだが、ユージア、ISAF両陣営から嫌われていたインドネシアは後回しされる羽目となり、無事国土が侵略生物と無人機だらけになったとさ。 なおその後は国土解放だの、侵略生物掃討だの大義名分のもとでインドネシア全土が爆撃されたり、地下の巣が爆破されたり、全国で市街戦や森林戦が繰り広げられたりなどとても酷いことになったそうな。 811: トゥ!ヘァ! :2020/11/08(日) 18 08 32 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp 〇説明 〇アジア情勢一覧 東南アジア ユージア陣営:ラオス、カンボジア、ミャンマー ISAF(米露)陣営:タイ、ベトナム、フィリピン、マレーシア、シンガポール、ブルネイ 中立:インドネシア 追記 オセアニアのオーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアはISAF陣営 南アジアのインド、スリランカ、モルディブ、バングラディシュ、ブータン、ネパール、パキスタンなどはユージア陣営。 東アジア ユージア陣営:中国、北朝鮮、韓国 ISAF陣営:台湾 特殊:日本は柘植事件以降三分割中。 米軍占領下の西日本政府、ユークトバニア(フルメタソ連)占領下の東日本政府、一応の自治が許されている関東政府の三つ。 一応は西日本政府はISAF加盟国。関東政府は加盟はしていないがISAF寄り。 東日本もISAFへの加盟はしていないが好意的。 将来的に統合日本となった場合はISAFへと加盟予定。 中国 ユージア加盟後はインドと並んで連邦内の大勢力として影響力を確保していたが、今回の一部陸軍暴走によって面子と影響力が大幅に低下してしまった。 空軍と海軍は完全にユージア中央政府に取り込まれてしまい、陸軍に関しても同僚の暴走を止められなかったとして面子が潰れている。 このため独立戦争後の中国陸軍内では大規模な粛清騒ぎが発生している。 最も今回の一件を差し引いてもユージア連邦内の大国という地位は変わっておらず、以前総合的な影響力は強いままである。 なお中国がヘマしたため、相対的にだが、インドの地位が上昇するなどインドからすれば棚ぼたである。 現在のユージアでは戦争で強いリーダーシップと戦闘力を発揮したユージア中央政府をトップに次点失点のなかったインドが続き、第三位に依然強力な中国が続く形となっている。 812: トゥ!ヘァ! :2020/11/08(日) 18 09 04 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp インドネシア ユージア戦争(独立戦争やら建国戦争やら色々な呼ばれ方がある)中にはユージア寄りの中立を表明。 事前の密約ではインドシナ半島の統一がなり次第、インドネシアもユージアへ加盟する予定であった。 しかし一部中国軍の暴走による米特殊部隊のベトナムへの到達やらを見て予定を変更。 ユージアともISAFとも付かず離れずな中立を表明した。 このことに事前の密約を反故にされたユージアは苛立たしく感じたが、実際アジアには未だ中国やインドといった連邦内に強い影響力を持つ派閥が残っているため、下手に情勢を乱すべきではないと理性的に怒りを鎮めている。 対するISAF側では戦時中は散々米艦隊の邪魔をしておいて、戦後になってから突然掌を返してきたため、インドネシアへは強い不信感を抱いている。 最もインドネシアが完全に敵対するとタイとベトナム、マレーシアなどの孤立が深刻化するため、現在は嫌々ながらも中立表明を認めている。 このように両勢力に嫌われながらも立地を生かして絶妙な蝙蝠を行っているインドネシアであるが、それ故にアジア中からならず者が集まっており、旧式のレイバーやASを使った犯罪が問題化している。 これらの犯罪グループはインドネシア国内に拠点を設けながらもインドシナ半島やオセアニア、フィリピンなどでも活動しており、ユージアやISAFの間でも小さくない問題となっている。 しかし連中の根倉はインドネシアにあり、インドネシアへの介入は新たな争いの呼び水になるため中々本格的な捜査ができずいるためユージア、ISAF両陣営で更なる不満がたまることとなる。 当のインドネシアも他人事ではないため、必死に国内の犯罪組織の摘発などを進めているが、インドネシア特有の多民族問題や宗教問題にも飛び火しており、根本的な解決には程遠いのが現状である。 本文にもあったようにヴォルガーラ襲来時は両勢力とも自国のことを優先したため、どこも助けてくれず敢え無く怪物と機械の国となってしまった。 旧インドネシア領を改めて両国が平定した後は国土を適当に分割して両勢力の領土に組み込まれることとなった。 813: トゥ!ヘァ! :2020/11/08(日) 18 09 52 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp 投下終了です 前に少し話した東南アジア情勢を。 インドネシア君には丁度いいので色々な意味で犠牲になってもらいました。
https://w.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1528.html
インドネシア バワン・プティ(Bawang Putih) インドネシアにおけるシンデレラのような継子いじめ譚に登場する女性。 参考文献 松野明久『インドネシアのむかし話』29, 156頁 シャルル・ペロー/和佐田道子『CINDERELLA シンデレラ』51頁 山室静『世界のシンデレラ物語』235頁 小沢俊夫『世界の民話10 アジア〔II〕 ベトナム/タイ/インドネシア』264頁
https://w.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1837.html
インドネシア デウィ・スリ(Dewi Sri) インドネシアにおける田んぼや稲の女神。 参考文献 百瀬侑子『インドネシア民話の世界 民話をとおして知るインドネシア』175頁 地球の歩き方編集室『改訂版 バリ島ウブド 楽園の散歩道』126頁 松岡享子『子どもに語る アジアの昔話2』29, 182頁 福岡まどか『ジャワの芸能ワヤン その物語世界』188頁 平藤喜久子『世界の神様 解剖図鑑』63頁 百瀬侑子/渡辺政憲『続インドネシア民話の旅 小学生からおとなまで』93, 127頁 ブルーガイド編集部『わがまま歩き9 バリ島』282, 289頁
https://w.atwiki.jp/destry/pages/61.html
従軍慰安婦問題 戦時中日本軍が朝鮮人女性を性奴隷を目的に強制的に従軍させたといわれる問題だが、史実として慰安婦は実在していたが従軍慰安婦は朝日新聞のお家芸である捏造記事である事が明らかになっている。 そのため現在では従軍は取り外され慰安婦問題と言われてる。 問題点 慰安婦とは早い話が売春婦の事であり、売春婦が今でもお金を払ってた旧日本軍に謝罪と賠償を求めている。 そして、民主党・社民党・公明党・共産党が売春婦に謝罪と賠償する事を生きがいとしてるので困ってます。
https://w.atwiki.jp/shintouroku/pages/347.html
Rangdaランダ妖魔インドネシア----------出典----------ヒンドゥー教(バリ) ランダは、バリを中心としたヒンドゥー教圏に伝わる鬼女で、聖獣バロンと対立する存在。 顔は真っ赤で、眼がぎょろりと飛び出し、前歯が剥き出しで、舌はへそまで伸び、ぼさぼさの髪は地に届く。 ランダは「悪の権化」と伝えられており、魔術を扱う女性が、人を憎んで悪の道に落ちた時にランダになるといわれている。 左右の手で魔術を扱う。左手は黒魔術で、様々な姿に変身し、憑依し、病気を撒き散らし、人を呪ったり魅了したりする。また、悪霊レヤックを使い魔とする。右手は白魔術で、元人間だったせいか、ランダの心の奥底には「良心」が眠っている。他人の施しを受けたときに良心が目覚め、治癒の能力が発揮される。
https://w.atwiki.jp/yugio/pages/17146.html
未界域調査報告(OCG) 通常魔法 このカード名の(1)(2)の効果はそれぞれ1ターンに1度しか使用できない。 (1):自分フィールドの「未界域」モンスター1体とフィールドのモンスター1体を対象として発動できる。 そのモンスターを持ち主の手札に戻す。 (2):このカードが墓地に存在する場合、手札から「未界域」モンスター1体を捨てて発動できる。 このカードを[[デッキ]]の一番下に戻す。 その後、自分はデッキから1枚ドローする。 バウンス 墓地再利用 手札増強 未界域補助 魔法
https://w.atwiki.jp/hptrade/pages/52.html
インドネシア支配下の東ティモールを描いた1990年のドキュメンタリー「Shadows over East Timor」(オーストラリア)が観られます。 劇映画Baliboの原型となった映像も。 ▼クリックするとご覧になれます。 ※英語のサイトです。 http //www.cultureunplugged.com/documentary/watch-online/play/3771/The-Shadow-Over-East-Timor *
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/501.html
3.渡航手続き関係資料が示すもの ■をクリック→この稿の該当個所へ 資料名をクリック→資料の概要(予定)へ 3.渡航手続き関係資料が示すもの■ 不良分子ノ渡支取締方ニ関スル件[外務次官](昭和12・8・31) ■ 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) ■ 渡支邦人暫定処理取扱方針中領事館瞥察署ノ証明書発給範囲ニ関スル件[警務部第三課](昭15)(未作成) ■ 「渡支邦人暫定処理ノ件」打合事項[不明](昭15)(未作成) ■ 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) ■ 南洋方面占領地ニ於ケル慰安所開設ニ関スル件[台湾総督麻外事部長](昭17.1.10)(未作成) ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【台湾軍司令官〕(昭17・3・12)(未作成) ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【陸軍省副官〕(昭17・3・16)(未作成) ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【台湾軍参謀長〕(昭17・3・16)(未作成) ■ 心理戦作戦班報告書(Japanese Prisoner of War Informatron Report) 49号(未作成) ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) 日本から中国、さらに南方への人の移動を考える時に、渡航手続が必要である。『資料集成』にはこの関係の資料が多く含まれており、有益である。 ■ 不良分子ノ渡支取締方ニ関スル件[外務次官](昭和12・8・31) ■ 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) 日本人の中国への渡航には昭和12年まで旅券が不要であった。日中戦争開始後、「不良分子ノ渡支取締」のために、渡航希望者はかならず所轄警察署長より身分証明書をうるか、正式の旅券をうるかしなけれぱならないとの外務次官通牒が昭和12年8月31日に出された(1巻、3-5頁)。それ以後2年8ヶ月のうちに中国へ渡航した者の数は59万人にも達したので、昭和15年(1940年)5月7日政府は支那渡航は当分中止とするとの閣議決定を出した。その決定はその趣旨を発表した外務省の発表文によって知られていたが*1、この決定の実施について出された要領手続が数次にわたり訂正されたのち、あらたな取扱要領が翌16年8月に決定されたさい、警保局長より閣議決定、当初の取扱方針、あらたな敢扱要領があわせて通達された。国立公文書館に所蔵されていた資料の中にこの昭和16年(194I年)8月16日の通牒が発見された(4巻、7-26頁)。 まず当初の閣議決定に付されたr取扱方針」には、「特ニ支那渡航ヲ要スルモノニ対シテハ」特例で渡航を認めることが書かれており、「定住又ハ現地勤務ノ為渡支セントスル者」が挙げられていた。行先地の領事館警察の証印のある文書、または在支軍の発給した身分証明書、または呼寄証明書を有することが必要資格であった(同、11頁)。 ■ 渡支邦人暫定処理取扱方針中領事館瞥察署ノ証明書発給範囲ニ関スル件[警務部第三課](昭15)(未作成) ■ 「渡支邦人暫定処理ノ件」打合事項[不明](昭15)(未作成) ■ 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) 15年中に出された警務部第3課の文書では、この範疇に入る者のうち、 特殊婦女(芸妓、酌婦、女給、軍慰安所雇傭員其ノ他)ハ原則トシテ証明書ヲ発給セサルコト とあり、5月20日現在の「雇傭者数」を基準として、「欠員補充ノ為呼寄ヲ要スル場合二限リ」認めるとしていた(1巻、138頁)。内務省では、中国では1940年にはすでに新しい「慰安婦」の調達は望まれていないと判断していたのかも知れない。しかし、それは一時のことで、その後調達が必要になったと考えられ、15年の終わりに近いあたりで作成されたとみられる「『渡支邦人暫定処理ノ件』打合事項」という文書には、「特殊婦女」は「定住ノタメ」ということで処理せよとの書き込みがあった(同、141頁)。さて16年8月の「取扱要領」では、渡支身分証明書を発給する12項目の1つに 本邦ニ於テ婦女(芸妓、酌婦、女給等)雇入ノ為一時帰国シタル在支接客営業者ニ対シ与ヘラレタル在支帝国領事館警察署発給ノ証明書ニ雇入員数ヲ明記セル場合其ノ員数二相当スル被傭婦女 があげられた(4巻、15頁)。このときは一時の抑制方針が廃され、軍慰安所に女性を送ることを可能にする手続がととのえられたのである。 ■ 南洋方面占領地ニ於ケル慰安所開設ニ関スル件[台湾総督麻外事部長](昭17.1.10)(未作成) この昭和16年(1941年)12月8日、太平洋戦争がはじまると、日本軍は香港、シンガボール、フィリピン、ビルマ、インドネシアに攻め込んだ。南方に占領地が拡大していった。そこにも軍慰安所が設置された。この新しい局面での南方占領地の慰安所への女性の確保については、新しい方式がとられた。昭和17年1月10日台湾総督府外事部長が東郷茂徳外務大臣に問い合わせを行った。 「南洋方面占領地ニ於テ軍側ノ要求ニ依リ慰安所開設ノ為渡航セントスル者(従業者ヲ含ム)ノ取扱振リニ関シ何分ノ御指示相煩度シ」(1巻、163頁)。 外務大臣は1月14日付けで回答した。 此ノ種渡航者ニ対シテハ{旅券ヲ発給スルコトハ面白カラザルニ付}軍ノ証明書ニ依リ{軍用船ニテ}渡航セシメラレ度シ とある。このうち{ }の中に入れた部分は抹消された部分である。吉見氏はこの資料から外務省がこの種の渡航に関わらないことになり、管轄権が軍に帰属することになったとの結論を出しているが*2、外務省が関わらなくなるということの意味は、内務省と警察が関わらないということであり、警保局が支那渡航婦女について出していた条件が消えることを意味したのである。南方占領地への慰安婦の派遺はまったく軍にゆだねられ、それまでのコントロールは完全にはずされたことがわかる。 ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【台湾軍司令官〕(昭17・3・12)(未作成) ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【陸軍省副官〕(昭17・3・16)(未作成) 昭和17年2月末ないし3月はじめに、南方総軍から、ボルネオ行き 慰安土人五○名為シ得ル限リ派遣方 の要請が台湾軍司令官にあった。そこで陸密電第623号に基づき、台湾軍司令官の命令により、憲兵が調査して、3人の経営者を選定した。2人は愛媛県と高知県出身の日本人、1人は朝鮮人であった。この3人の渡航認可が3月12日付けで台湾軍司令官から陸軍大臣に求められた(2巻、203-204頁)。これに対して、大臣副官より3月16日陸亜密電188号をもって大臣の認可が返事された(同、205-206頁)。 つまり業者の渡航の許可が求められているだけで、台湾先住民、高砂族の女性50名の渡航には陸軍省の許可は必要とされていないことがわかる。台湾軍の承認だけで、以前のような県知事発行の渡支身分証明書発給のような手続なしに、彼女たちは送り出されていると考えられる。そういうことを定めたのが陸密電第623号ではなかろうか。3人の業者は50人の女性を獲得したが、その方法はどのようなものであったろうか、それにも台湾軍が何らかの便宜をはからった可能性は大である。 ■ 南方派遺渡航者ニ関スル件【台湾軍参謀長〕(昭17・3・16)(未作成) さて台湾から50人の一行が出発し、ボルネオに到着してみると、現地での実情からすれば、人員も不足であり、かつ 稼業ニ堪ヘザル者等ヲ生ズル 結果となった。なお20名の追加が必要とされ、「引率者」と言われる業者1名が部隊発給の呼寄認可証をもって台湾にもどった。そこで6月13日、 慰安婦二十名増派諒承相成度 また 将来此ノ種少数ノ補充交代増員等必要ヲ生ズル場合ニハ右ノ如ク適宜処理シ度予メ諒承アリ度 との願いが台湾軍参謀長から陸軍大臣副官あてに打電された(同、207-208頁)。これに対する返事は発見されていないが、それは認められ、以後は本省に伺いをたてなくてもよいとなったと思われる。 ■ 心理戦作戦班報告書(Japanese Prisoner of War Informatron Report) 49号(未作成) ビルマ・ミッチーナー資料A ■ 調査報告書(Research Report) № 120(1)(未作成) ビルマ・ミッチーナー資料B この一連の資料はきわめて重要なものである。南方地域への慰安婦の派遺が現地軍の句令部より台湾軍司令部に「土人」と指定して派遣をもとめているということは、同じように現地箪司令部より朝鮮軍司令部に朝鮮人女性を慰安婦として派遣するように要請がなされたことを容易に想像させる。この点で重要なのは、米軍資料の中にあろビルマのミッチーナーでの慰安所経営者及び慰安婦の尋問にもとづく報告である。日本人捕虜尋問報告第49号(5巻、203-209頁、これをAとよぶ)は慰安婦20名の尋間報告であり、SEAT1C尋間時報第2号(そのやや省略した引用が同、151-153頁にある、これをBとよぶ)は慰安所経営者夫婦の尋間報告である*3。これらによると、1942年(昭和17年)5月に日本軍が占領したビルマにおける「慰安サーヴィス」のための女性を募集するために、軍の依頼を受けた業者が朝鮮にやってきた(A)。しかし、この業者は独立して女性を募集したのでなく、京城の陸軍司令部が業者にビルマヘ慰安婦を連れていくことを打診したのに応じたものである(B)。当然にビルマ方面軍ないし南方軍総司令部からの直接の正式要請が朝鮮軍司令部に対してあったと考えるのが、さきの台湾軍への要請と考え合わせて自然である。だから、この業者もふくめて、朝鮮軍司令部、おそらく台湾と同じく憲兵司令部が業者を選定したと考えられる。最終的に朝鮮から出発した朝鮮人女性は703名であったので、ビルマ方面軍から700名以上規模の派遺要請があったと見るのが自然である。またボルネオヘの50人、20人の派遺について台湾軍参謀長から陸軍省に伺いが出されているのをみれば、この700人以上の派遺についても朝鮮軍参謀長から陸軍省に伺いが出されたのは当然のことであり、陸軍大臣の認可をえた旨を副官が朝鮮軍参謀長に打電しているはずである。 朝鮮軍は業者を選定し、募集を行わせたのであるが、そのさい昭和13年の日本国内での募集にさいして警保局がつけたような条件がないことは明らかである。京城で料理店を経営していた夫婦が憲兵司令部の打診に応じて、この仕事を引き受け、22人の朝鮮人女性を勧誘した。資料Bによると、彼らは両親に 300円から1000円を払って、買い取った、 娘達は彼らの「単独の財産」になったと言っているが、これは前渡し金で縛ったということであろう。年齢は19歳以上であったと陳述しているが、女性たちの陳述では、彼によって募集された朝鮮人女性の募集時の年齢は17歳1名、18歳3名、19歳7名、20歳が1名、23歳以上が8名である。12名が21歳以下である。 では、「慰安婦」をもとめていることを明瞭に説明することはなされただろうか。女性たちの供述に基づく資料Aによると、次のようにある。 この『役務』の性格は明示されなかったが、病院に傷病兵を見舞い、包帯をまいてやり、一般に兵士たちを幸福にしてやることにかかわる仕事だとうけとられた。これらの業者たちがもちいた勧誘の説明は多くの金銭が手に入り、家族の負債を返済する好機だとか、楽な仕事だし、新しい土地シンガポールで新しい生活の見込みがあるなどであった。このような偽りの説明に基づいて、多くの娘たちが海外の仕事に応募し、数百円の前渡し金を受け取った(5巻、203頁) 業者にこのように欺かれたと言っているのだが、朝鮮軍司令部が明瞭に慰安婦の仕事を説明するよう指導していなければ、このいわゆる「就職詐歎」に対しても軍の責任は免れない。もしも朝鮮軍司令部が承知の上で、慰安婦にするということを隠したまま、業者に21歳以下の娘を募集させたのなら、これは軍も関与した欺蹴による募集であり、合意によらざる強制であるということになる。このあたりは断定する資料がない。 朝鮮軍司令部は渡航手続きをおこない、客船をチャーターして輸送するまでした。台湾軍の例からして、703人の朝鮮人の女性については、渡航身分証明書などは出されていないであろう。数量としての扱いである。7月10日釜山から4000トンの客船に乗って、703人の朝鮮人女性と90人ほどの日本人男女の一行が出発した。船は7隻の船団を組んで進んだ。台湾に寄港したさい、22人のシンガボール行きの女性が乗り込んだ。あるいはボルネオ行きの追加の20人かもしれない。シンガボールで一行は別の船に乗り換え、8月20日ラングーンに入港した。ラングーンで20人から30人のグルーブごとに引率者がついて、ビルマの各地へ赴いたのである(資料B)。 この一行の中にいたことを証言しているのは大邱出身の文玉珠ハルモニである。彼女は1940年、16歳の時に憲兵によびとめられて、満州の東安省に連れて行かれて、慰安婦にされ、翌年逃げ帰ってのち、キーセンとなっていた。1942年東安省で慰安婦であった仲間の女性から、南方の日本軍の食堂で働こうと誘われて、釜山へ行き、約束の旅館に入ると、朝鮮人の業者マツモトがいた。彼のもとに、大邱から来た17人が集まったのである。その中に東安省で慰安婦であった仲問が5人いた。彼女は7月10日釜山から出航した総勢は150人から200人ほどだったといい、703人とは食い違いを見せている。船も6000トンほどの貨物船だというが、7隻の船団を組んだという点は一致している。文玉珠ハルモニと東安省の仲間も慰安婦になるという説明は受けていなかったのだが、大邱組の他の娘たちはまったく知らされていなかったと述べている*4。文玉珠ハルモニの証言は、文書資料とほぼ合致しており、1942年7月10日釜山出航組の場合、業者が慰安婦の募集だと説明しないままである場合が多いことを裏付けている。 太平洋戦争期の朝鮮、台湾からの慰安婦の調達は、朝鮮軍、台湾軍が主体となって、憲兵が業者を選定して、募集させ、軍用船で送り出したのである。 :原注(6)吉見『従軍慰安婦』、65-66頁。吉見・林編、前掲書、22頁。 :原注(6)吉見『従軍慰安婦』、65-66頁。吉見・林編、前掲書、22頁。 :原注(7)この資料については、本論集の浅野豊美論文をみてほしい。 :原注(8)文玉珠『ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』梨の木舎、1996年、45-57頁。なお朝鮮人慰安婦の送り出しについての業者の活動については、尹明淑「日中戦争期における朝鮮人軍隊慰安婦の形成」、『朝鮮史研究会論文集』32号、1994年10月、104-109頁をみてほしい。 和田論文index