約 26,890 件
https://w.atwiki.jp/naianakikaku/pages/1141.html
名前:井白 京子 性別:女 年齢:23歳 容姿:黒髪ロング 色白美人さん 性格:おっとり 所属:ポリトワルサーカス団 衣装担当 能力:「蝙蝠の悪夢」 死因…幼いころ、夏祭りに出かけたとき親とはぐれてしまい、人影のない公園にたどり着きそこを住処にしていた蝙蝠たちに食い殺された。 詳細…常に、跳ね返ってきた音を視覚として捉えたり、体を蝙蝠の群に変えることができる。 また、背中に羽を生やしたり、牙が鋭くなり何でも噛み砕くことができたりする。 備考:盲目。あまり人を怒ったりしないが、一回怒らすとものすごく怖い目にあう。 手先が器用で手芸が趣味。 制作者:キャスケット 過去話:no data 収録場所 時系列241~270 その他いかせのごれ関係者
https://w.atwiki.jp/ymeconomy/pages/346.html
QMA6 文系学問 ページ1 / 画像問題 ジャンル 問題文 ○ × 歴史 次のアメリカ独立13州のうち、イギリス人が最初の入植を始めた「ニューイングランド」に当たる州を全て選びなさい コネチカット州 ロードアイランド州 マサチューセッツ州 歴史 次のうち、1985年に起きた出来事を全て選びなさい 日航ジャンボ機の墜落 プラザ合意 ハレー彗星が接近 歴史 次のうち、かつて存在したハワイ王国の王様を全て選びなさい カメハメハ大王 ポマレ王 ツポウ王 歴史 次のうち、フランス皇帝ナポレオン1世の妻だった女性を全て選びなさい ジョゼフィーヌ エリザ・ボナパルト マリア・ヴァレフスカ 歴史 次のうち、漢の劉邦の腹心として働き「漢の三傑」と称された人物を全て選びなさい 蕭何 韓信 英布 歴史 次のうち、紀元前の出来事を全て選びなさい アルキメデスが浮力を発見 「ピタゴラスの定理」発見 トレミーが48星座を設定 歴史 次のうち、江戸時代に「江戸四宿」と呼ばれた宿場町を全て選びなさい 内藤新宿 品川 渋谷 歴史 次のうち、幕末に日本が「安政五ヶ国条約」を結んだ国を全て選びなさい オランダ アメリカ ポルトガル 戦国時代 次のうち、「三好三人衆」に数えられた戦国武将を全て選びなさい 三好政康 三好長逸 三好義継 戦国時代 次のうち、「茶湯の三大宗匠」と称された戦国時代の茶人を全て選びなさい 津田宗及 千利休 今井宗久 古田織部 戦国時代 次のうち、1582年に織田信長の後継問題などが話し合われた「清州会議」の参加者を全て選びなさい 豊臣秀吉 池田恒興 丹羽長秀 滝川一益 織田信孝 戦国時代 次のうち、下克上の典型とされ「戦国三梟雄」のひとりにも数えられる武将を全て選びなさい 斎藤道三 斎藤義龍 明智光秀 戦国時代 次のうち、関ヶ原の戦いで西軍から東軍へ寝返った大名を全て選びなさい 朽木元綱 小西行長 長宗我部盛親 戦国時代 次のうち、合戦で戦死したとされる戦国武将を全て選びなさい 斎藤道三 上杉謙信 加藤清正 戦国時代 次のうち、織田信長の寵愛を受けた森蘭丸の兄弟を全て選びなさい 森長可 森坊丸 森力丸 戦国時代 次のうち、天正遣欧少年使節が謁見したローマ教皇を全て選びなさい シクストゥス5世 グレゴリウス13世 ピウス4世 戦国時代 次のうち、豊臣秀吉に仕えた軍師を全て選びなさい 竹中半兵衛 黒田官兵衛 山本勘助 蜂須賀正勝 文学・美術 次のうち、「中国四大奇書」の1つに数えられる文学作品を全て選びなさい 『西遊記』 『三国志演義』 『金瓶梅』 文学・美術 次のうち、アメリカの作家スコット・フィッツジェラルドの小説を全て選びなさい 『夜はやさし』 『長距離ランナーの孤独』 『重力の虹』 文学・美術 次のうち、アメリカの作家を全て選びなさい フォークナー ディケンズ ジェームズ・ジョイス 文学・美術 次のうち、イタリアの作家を全て選びなさい ボッカチオ タヌンツィオ ピランデロ 文学・美術 次のうち、シェークスピアの戯曲『リア王』に登場するリア王の娘を全て選びなさい リーガン ゴネリル イリーナ 文学・美術 次のうち、ドイツの作家を全て選びなさい トマス・マン ゲーテ ラーゲルレーヴ 文学・美術 次のうち、ニューヨークにある美術館を全て選びなさい フリック・コレクション ゲティ・センター ナショナル・ギャラリー 文学・美術 次のうち、フランスの作家バルザックの小説を全て選びなさい 『谷間の百合』 『ゴリオ爺さん』 『従妹ベット』 文学・美術 次のうち、ロシアの作家ゴーリキーの作品を全て選びなさい 『母』 『カラマーゾフの兄弟』 『アンナ・カレーニナ』 文学・美術 次のうち、井伏鱒二の小説を全て選びなさい 『本日休診』 『漂民宇三郎』 『楢山節考』 文学・美術 次のうち、画家を全て選びなさい モーリス・ユトリロ スタンダール メーテルリンク 文学・美術 次のうち、主人公が日本人である小説を全て選びなさい 『カインの末裔』 『坊っちゃん』 『ノルウェイの森』 文学・美術 次のうち、昭和初期に「四S」と称された俳人を全て選びなさい 高野素十 山口青邨 山口素堂 文学・美術 次のうち、川端康成の小説を全て選びなさい 『伊豆の踊子』 『古都』 『羅生門』 文学・美術 次のうち、第二次世界大戦終了後に描かれた小説を全て選びなさい 野坂昭如『火垂るの墓』 織田作之助『夫婦善哉』 堀辰雄『風立ちぬ』 文学・美術 次のうち、尾崎紅葉の小説を全て選びなさい 『伽羅枕』 『多情多恨』 『暗夜行路』 文学・美術 次のうち、本名ではない作家を全て選びなさい 幸田露伴 三島由紀夫 武者小路実篤 文学・美術 次の現在の県のうち、松尾芭蕉が『奥の細道』の中で句を詠んだ場所があるものを全て選びなさい 岩手県 東京都 栃木県 群馬県 その他 次のうち、「きりぎりす」と読む当て字・熟字訓を全て選びなさい 螽斯 蟋蟀 壁蝨 その他 次のうち、「瓢」という漢字の読み方を全て選びなさい ひさご まさご へちま その他 次のうち、「幼い」という意味の古語を全て選びなさい いとけなし いはけなし ゆくりなし その他 次のうち、アラビア語に由来する単語を全て選びなさい アルコール オルゴール カステラ その他 次のうち、各国の言語で「左」という意味がある言葉を全て選びなさい リンク レヒト ドロワット その他 次のうち、口語の助動詞「れる」「られる」の用法にあるものを全て選びなさい 自発 受身 婉曲 その他 次のうち、文化審議会・国語分科会が2007年に発表した「敬語の指針」に含まれている敬語の種類を全て選びなさい 丁寧語 尊敬語 美化語 その他 次の故事成語のうち、その由来となるエピソードに猿が登場するものを全て選びなさい 朝三暮四 断腸の思い 鼎の軽重を問う 江戸時代 次のうち、「知恵伊豆」と呼ばれた江戸時代の老中・松平信綱が関わった出来事を全て選びなさい 「明暦の大火」後の江戸復興 「享保の大飢饉」後の復興 「大塩平八郎の乱」の鎮圧 方広寺の鐘銘問題 江戸時代 次のうち、寛政の改革でとられた政策を全て選びなさい 七分金積立 人返しの法 目安箱の設置 上米制 江戸時代 次のうち、享保の改革でとられた政策を全て選びなさい 目安箱の設置 七分金積立 株仲間の解散 囲米の制 江戸時代 次のうち、近松門左衛門が原作を書いた歌舞伎作品を全て選びなさい 『曽根崎心中』『国性爺合戦』『冥土の飛脚』『女殺油地獄』 『勧進帳』 『義経千本桜』 『三人吉三』 江戸時代 次のうち、江戸時代に「縁切寺」と呼ばれた尼寺を全て選びなさい 満徳寺 東慶寺 寛永寺 増上寺 護国寺 豪徳寺 浅草寺 江戸時代 次のうち、江戸時代に「寛永の三筆」と謳われた人物を全て選びなさい 近衛信尹 本阿弥光悦 司馬江漢 浦上玉堂 江戸時代 次のうち、江戸時代に大坂で活躍した商人を全て選びなさい 鴻池善右衛門 淀屋辰五郎 奈良屋茂左衛門 三井高利 江戸時代 次のうち、江戸時代に南町奉行を務めた人物を全て選びなさい 鳥居耀蔵 水野忠邦 新井白石 堀田正俊 江戸時代 次のうち、江戸時代に幕府や諸藩が重視し「四木」と呼ばれた商品作物を全て選びなさい 漆 桑 楮 紅花 藍 綿 麻 江戸時代 次のうち、江戸時代の出来事を全て選びなさい 禁門の変 蛮社の獄 安政の大獄 慶安の変 寺田屋事件 霜月騒動 応天門の変 西南戦争 江戸時代 次のうち、東京の寛永寺に葬られた徳川将軍を全て選びなさい 徳川綱吉 徳川吉宗 徳川家綱 徳川家斉 徳川家定 徳川家茂 徳川家康 徳川家宣 江戸時代 次のうち、東京の増上寺に葬られた徳川将軍を全て選びなさい 徳川家継 徳川家慶 徳川綱吉 徳川家康 江戸時代 次のうち、幕末に組織された彰義隊の隊員を全て選びなさい 天野八郎 本多敏三郎 渋沢成一郎 谷三十郎 藤堂平助 武田観柳斎 鈴木三樹三郎 江戸時代 次のうち、幕末の江戸に道場を開き三剣士とうたわれた剣豪を全て選びなさい 桃井春蔵 齋藤弥九郎 千葉周作 山岡鉄舟 藤田東湖 江戸時代 次のうち、幼名が「竹千代」だった江戸幕府の将軍を全て選びなさい 徳川家光 徳川家綱 徳川家康 徳川綱吉 江戸時代 次の元号のうち、江戸時代に使われたものを全て選びなさい 慶安 万延 文久 天暦 江戸時代 次の幕末の志士のうち、薩摩藩出身の人物を全て選びなさい 桐野利秋 小松帯刀 調所広郷 有村次左衛門 奈良原喜左衛門 田中新兵衛 高杉晋作 岩崎弥太郎 平野国臣 横井小楠 大村益次郎 久坂玄瑞 安島帯刀 江戸時代 次の幕末の志士のうち、土佐藩出身人物を全て選びなさい 板垣退助 坂本龍馬 岩崎弥太郎 後藤象二郎 吉田東洋 武市瑞山 岡田以蔵 佐久間象山 伊藤博文 西郷隆盛 江戸時代 次の幕末の人物のうち、長州藩出身の人物を全て選びなさい 久坂玄瑞 玉木文之進 大村益次郎 三浦梧楼 白石正一郎 平野国臣 吉田東洋 橋本左内 江戸時代 次のうち、江戸時代の「三大やっちゃば」に数えられた大規模な青物市場があった場所を全て選びなさい 駒込 神田 千住 京橋 浜町
https://w.atwiki.jp/ymeconomy/pages/234.html
1671年に伊達藩で起きたお家騒動「伊達騒動」のことを、その時の年号から「○○事件」という? →かんぶん 幕末の学者・藤田東湖の四男で1864年に起きた天狗党の乱の中心人物だったのは藤田○○○? →こしろう 吉良義央が一夜で作らせたことから「一夜堤」の別名がある愛知県吉良町の堤防は○○堤? →こがね 相楽総三が隊長を務めた組織で新政府軍に裏切られ、偽官軍として処刑されたのは○○隊? →せきほう 江戸時代に江戸の水道の源となった2大上水といえば○○上水? →かんだ,たまがわ 現在の年末の大掃除に相当する江戸時代の正月を迎える前に行った行事は「○払い」? →すす 江戸後期の1863年に但馬国で平野国臣らの尊王攘夷派が挙兵した事件は「○○の変」? →いくの 江戸時代の牢獄において囚人たちを取り仕切っていたリーダーを○○○という? →ろうなぬし 江戸時代の国学者・契沖が著した『万葉集』の注釈書は『万葉○○○』? →だいしょうき 江戸時代の層、安楽庵策伝が書いた、落語の元になったという民話集の題名は『○○○』? →せいすいしょう 「嘉永朋党事件」ともいう幕末に薩摩藩で起きたお家騒動は「お○○騒動」? →ゆら 江戸時代初期に対馬藩で起きたお家騒動「柳川一件」に名を残す対馬藩の家老は柳川○○? →しげおき 1730年に大坂に開設された当時日本最大の米の取引所は○○米会所? →どうじま 岩木山と浅間山の噴火が引き金になって起きた江戸時代の三大飢饉の一つは「○○の大飢饉」? →てんめい 岡山県にあるJR西日本伯備線の駅、方谷駅にその名を残す幕末の陽明学者は○○方谷? →やまだ 江戸時代、徳川将軍直属の旗本の数を称して、俗に「旗本○万騎」といった? →はち 幕末に初代京都守護職に任命された会津藩藩主は松平○○? →かたもり 幕末に起きた戊辰戦争で官軍の東征大総督を務めた人物は有栖川宮○○親王? →たるひと 江戸時代の有名な町奴の頭領、幡随院長兵衛を、1657年に殺害した人物は○○十郎左衛門? →みずの 江戸時代後期に出没し大名屋敷から窃盗を重ねた有名な義賊は「鼠小僧○○○」? →じろきち 江戸幕府第7代将軍・徳川家継の生母で、側用人・間部詮房との仲を噂されたのは○○院? →げっこう 安政の大獄の時の老中で、赤鬼と呼ばれた大老・井伊直弼に対し青鬼と呼ばれたのは間部○○? →あきかつ 明暦の大火の死者を弔うため建立された東京の寺で、鼠小僧次郎吉の墓があるのは○○○? →えこういん 1788年に刊行され発禁処分となった、江戸時代の陽明学者・熊沢蕃山の著書は『大学○○』? →わくもん 江戸時代の貨幣の単位で1両の4分の1を1としたのは「○」? →ぶ └江戸時代の貨幣の単位で1両の4分の1を1としたのは分ですが、1両の16分の1を1としたのは「○」? →しゅ 江戸時代、老中の支配下で大名の監察に当たった役職は大○○? →めつけ 別名を「振袖火事」という1657年に起きた火事を、その時の年号から「○○の大火」という? →めいれき 江戸時代の老中・田沼意次が初代藩主を務めた、現在の静岡県にあった藩は○○藩? →さがら 江戸時代の町火消が、火事の時に屋根の上で振り回して矢印とした竿の頭に飾りをつけたものは○? →まとい 江戸時代、山脇東洋が著した日本最初の解剖書の名前は『○○』? →ぞうし 江戸時代の酉の市で有名となり「本酉」と呼ばれた、東京都足立区の神社は○○神社? →おおとり 江戸前期の下総国印旛郡公津村の百姓で、将軍・家綱に減税を直訴して処刑されたのは○○惣五郎? →さくら 国宝の智積院障壁画や東京国立博物館所蔵の『松林図』で有名な江戸初期の画家は○○○○○? →はせがわとうはく 江戸末期に近吾堂や尾張屋などが作成した、携帯用折り畳み地図のことを「江戸○○図」という? →きりえ 失明のハンデを乗り越えて『群書類従』を編集した江戸時代の国学者は○保己一? →はなわ 「江戸落語の祖」と呼ばれる江戸時代前期の落語家は○○武左衛門? →しかの 安藤広重の絵にも描かれている吉原に行く途中の隅田川岸にあった有名な松は「○○の松」? →しゅび 水戸藩の浪士による1860年の桜田門外の変で、唯一の薩摩藩士だったのは○○次左衛門? →ありむら 国宝の『色絵藤花文茶壷』や『色絵雉子香炉』で有名な江戸時代の陶芸家は野々村○○? →にんせい 北斎や歌麿、写楽等の作品を手がけた、江戸時代の有名な出版人の名前は○○重三郎? →つたや 奥平源八が父の仇・奥平隼人を討った、江戸時代の有名な事件は「○○○坂の仇討ち」? →じょうるり 参勤交代の緩和、京都守護職の新設など、1862年に江戸幕府で行われた改革は「○○の改革」? →ぶんきゅう 江戸時代に林子平が海防の重要性を論じた著書は『海国○○』? →へいだん 本石町にあった時の鐘が保存されている、東京日本橋小伝馬町の公園は○○公園? →じっし 1863年に清河八郎を中心に結成された組織で、のちの新撰組の母体となったのは「○○組」? →ろうし 江戸時代中期に、当時の将軍徳川吉宗の御落胤を騙り、処刑されたのは○○○改行? →てんいちぼう 町民の暮らしを描いた作品『浮世風呂』『浮世床』で有名な江戸時代の作家は○○○○? →しきていさんば 江戸時代の有名な侠客・清水次郎長の本名は○○長五郎? →やまもと └江戸時代の有名な侠客・清水次郎長の本名は山本長五郎ですが、国定忠治の本名は○○忠次郎? →ながおか 江戸時代初期に起こった鍋島騒動で、お家断絶となったのは○○○家? →りゅうぞうじ 戊辰戦争の際に会津藩の白虎隊が自害した、福島県会津若松市の山は○○山? →いいもり 1858年に孝明天皇が水戸藩に勅書を送った事件で、安政の大獄の引き金となったのは○○の密勅? →ぼご 1861年に土佐藩の武市半平太が尊王攘夷を掲げて結成した政治組織は「土佐○○党」? →きんのう 1701年に父の敵・赤堀源五右衛門を討ち取った「亀山の仇討ち」で有名な兄弟は○○兄弟? →いしい 伊達正宗による1613年の慶長遣欧使節で、正使を務めた宣教師はルイス・○○○? →ソテロ 遠国奉行の中で唯一大名が就任したのは○○奉行? →ふしみ 江戸時代前期の儒学者・山崎闇斎が開いた神道は「○○神道」? →すいか 江戸時代に初めて発行された小判を、その時の年号から○○小判という? →けいちょう 戦国武将・松永久秀の子孫である江戸時代の儒学者で、弟子に木下順庵がいるのは松永○○? →しゃくご,せきご 江戸時代に新井白石がオランダ人宣教師シドッチを尋問した内容を記した書物は『西洋○○』? →きぶん 後陽成天皇が退位するきっかけとなった、1609年に起きた宮中女官の密通事件は「○○事件」? →いのくま 江戸時代に富くじで有名だった谷中感応寺の現在の名称は護国山尊重院○○○? →てんのうじ 江戸時代に雪国の生活や雪について鈴木牧之が書いた著書の題名は『○○○○』? →ほくえつせっぷ 人物画『鷹見泉石像』で有名な渡辺崋山が、江戸時代後期に家老を務めたのは○○藩? →たはら 江戸時代後期に吉原などで派手に遊んだ、桂川甫周など18人の遊び人を「十八○○」といった? →だいつう 著書に『寝惚先生文集』がある別名を四方赤良といった江戸時代の狂歌師は○○○○? →おおたなんぼ 江戸の三美人の一人に数えられた笠森お仙が働いていた、笠森稲荷の門の前にあった茶屋は○○? →かぎや 江戸時代に「首切り浅右衛門」と呼ばれた、幕府の死刑執行人の名前は○○浅右衛門? →やまだ 江戸時代の時間の数え方は一日の昼と夜をそれぞれ○等分していた? →6 1806年に幕府が出した、外国船に対して燃料や飲料水の給与を認める法令は「○○給与令」? →しんすい
https://w.atwiki.jp/wanisita/pages/1962.html
問題文 解答 補足 3代将軍・徳川家光の時代に義務付けられた、諸大名を江戸と領地に1年おきに居住させた制度は? 参勤交代 1787年、本居宣長が紀伊藩主の徳川治貞に提出した政治経済論のタイトルは? 秘本玉くしげ 1789年に現在の北海道東部で松前藩の商人への不満をもつアイヌが起こした事件の名前は「○○○○○○○○の戦い」? クナシリ・メナシ 1797年に幕府直轄となった江戸の湯島にあった学校は? 昌平坂学問所 1807年の択捉島でロシアに捕らえられた商人で、シベリアで天然痘を予防する種痘法を身に付け帰国後日本に広めたのは? 中川五郎治 1842年に水野忠邦が発布した遭難した外国船に対して焚き火や水の助けを認めた法令を何という? 天保の薪水給与令 1856年に日本を訪れたアメリカの外交官ハリスが乗って来た軍艦の名前は? サンジャシント号 1858年に日米修好通商条約締結の勅許打診を巡り、岩倉具視らが起こした公家による抗議行動を○○○○○○○○事件という? 廷臣八十八卿列参 1860年に江戸幕府が発布した特定の品目について必ず江戸の問屋を経由するよう定めた貿易統制のための法令は? 五品江戸廻送令 2016年に、83年ぶりに発見された江戸時代中期の画家・伊藤若冲の傑作は? 孔雀鳳凰図 「長崎新令」とも呼ばれる江戸時代の長崎貿易における金銀流出を抑えるため、1715年に出された法令を何という? 海舶互市新例 安房の国の名門・里見家の再興を目指して8人の武士が戦う江戸時代の作家・滝沢馬琴が28年かけて完成させた小説は? 南総里見八犬伝 伊能忠敬が作製し、没後に完成した、日本初の実測地図は? 大日本沿海輿地全図 江戸・日本橋から京都・三条大橋までの五十三の宿場を描いた江戸時代の画家・安藤広重の代表作は? 東海道五十三次 江戸時代、天保の飢饉をきっかけに大坂で乱を起こした幕府の元役人は誰? 大塩平八郎 江戸時代中期の地理学者長久保赤水が作成した日本初の経緯線入りの地図は「○○○○○○○○全図」? 改正日本輿地路程 江戸時代に『廊花扇之観世水』や『文武二道万石通』などの作品を書いた、本名を「平沢常富」という戯作者は? 朋誠堂喜三ニ 江戸時代に多く見られた客から手間賃を取ってタバコの葉を刻む職人のことを何と呼んだ? ちんこきり 江戸時代に大阪の枚方地方で停船しようとする三十石船に近づいて、飲食物を販売していた小舟のことを何といった? くらわんか舟 江戸時代に笑話文学集『醒睡笑』を成立させた僧侶でそれが現在の落語の原型になったと伝えられるのは? 安楽庵策伝 江戸時代の画家・俵屋宗達が金箔の上に2体の鬼神を描いた美術作品は? 風神雷神図屏風 江戸時代の後期に『日本誌』の翻訳の中で「鎖国」という言葉を初めて使った蘭学者は? 志筑忠雄 江戸時代の儒学者、尾藤ニ洲や室鳩巣の墓があることで知られる東京都文京区にある墓地は? 大塚先儒墓所 江戸時代の政治家・新井白石が自身の体験をまとめて著した自伝的随筆の題名は? 折たく柴の記 江戸時代の探検家・近藤重蔵が択捉島に立てた標柱に書かれていた文字は? 大日本恵土呂府 江戸時代の北方探検のきっかけとなった工藤平助の著書は? 赤蝦夷風説考 江戸時代の俳人・山口素堂の有名な俳句は「目には青葉○○○○○○○○」? 山ほととぎす初鰹 江戸中期、享保の改革で旗本・御家人の救済のために発布された、借金問題を当事者の話し合いで解決させた法令は? 相対済令 江戸幕府が1615年に制定した朝廷・公家を統制するための法令を何という? 禁中並公家諸法度 江戸幕府が開かれて以来出されてきた法令を集めて徳川吉宗が編纂させた法令集を何という? 御触書寛保集成 江戸幕府が諸大名を統制するために作った法令を何という? 武家諸法度 江戸幕府のキリスト教禁止令に対し、表向きだけ信仰を棄てた信徒たちのことを何という? 隠れキリシタン 大坂の役の口実となった「方広寺鐘銘事件」の原因である8文字の鐘銘とは「国家安康、○○○○」? 君臣豊楽 大阪の陣に祭し徳川家康がイギリスから購入したことでも知られる、ヨーロッパで開発された大砲は○○○○○砲? カルバリン 織田信長や徳川家康の囲碁の師匠でもあった江戸時代の囲碁の名手は? 本因坊算砂 お墓にもこの名前が刻まれてる江戸時代の画家・葛飾北斎が晩年に名乗っていた名前は? 画狂老人卍 怪談としてもおなじみの『仮名手本忠臣蔵』の外伝として鶴屋南北が著した歌舞伎は? 東海道四谷怪談 歌舞伎でも有名な浅草の花川戸に住んで町奴の頭領となった江戸時代初期の侠客は? 幡随院長兵衛 勘定奉行の下に置かれた江戸幕府の職名で俗に「八州廻り」で呼ばれていたのは? 関東取締出役 慣用句「猫の手も借りたい」の語源としても知られる近松門左衛門の晩年である亨保9年に上映された浄瑠璃は? 関八州繋馬 義理の弟・渡辺数馬とともに河合又五郎に対する仇討ちを果たした、伊賀出身の剣客は? 荒木又右衛門 空気銃など多岐に渡る発明を行った江戸時代の鉄砲鍛冶で自作の反射望遠鏡で詳細な天体観測の記録を残したのは? 国友一貫斎 戯作本『東海道中膝栗毛』を書いた江戸時代の作家は? 十返舎一九 子の義堅は水戸光圀に仕えドラマ『水戸黄門』の登場人物・「兵庫」のモデルになったという戦国武将・最上義光の四男は? 山野辺義忠 里見浩太朗、瑳川哲朗らが出演していた、1974年に放映を開始したTV時代劇は? 大江戸捜査網 主人公の金兵衛が栗餅屋で居眠りして見た夢を綴った江戸時代に恋川春町が書いた黄表紙の傑作は? 金々先生栄花夢 将軍・徳川吉宗の命により編纂が始まった上下巻から成る江戸幕府の基本法典といえば? 公事方御定書 白浪五人男が稲瀬川で勢揃いする場面が有名な江戸時代に河竹黙阿弥が書いた狂言の演目は? 青砥稿花紅彩画 杉田玄白が書いた医学書『解体新書』の挿絵を描いた江戸時代の画家は? 小田野直武 田沼意次の後任の老中・松平定信を皮肉った江戸時代の狂歌は「○○○○○○○○○耐えかねて濁れる元の田沼恋しき」? 白河のあまり清きに 町人の成功談や苦労話などお金を題材にした話が書かれた江戸時代の作家・井原西鶴の代表作は? 日本永代蔵 通算254勝10敗という圧倒的な成績を残した江戸時代の力士は? 雷電為右衛門 天皇をうやまう思想と外国勢力を追い払う思想が結びついた反江戸幕府運動は? 尊王攘夷運動 東京の「八重洲」という地名の由来になっている1600年、豊後に漂着したオランダの航海士といえば? ヤン・ヨーステン 徳川吉宗のご落胤を称した山伏が世間を騒がせた江戸中期の出来事のことを何という? 天一坊事件 日光東照宮の修理で巨万の富を築いた江戸時代の深川の材木商は? 奈良屋茂左衛門 幕末に来日し、第2代フランス駐日公使を務めた人物で、幕府にフランス式の近代軍制を導入したことで知られるのは誰? レオン・ロッシュ 版元の鳶屋重三郎と組んで江戸三座の役者絵など約140点の錦絵を残した江戸時代の浮世絵師は? 東洲斎写楽 美青年の丹次郎や芸者の米八、仇吉らが登場する、江戸時代の戯作者・為永春水の代表作である人情本のタイトルは 春色梅児誉美 暴風雨のなか江戸に紀州ミカンを運び巨利を得たといわれる紀伊出身の豪商といえば誰? 紀伊国屋文左衛門 本姓は杉木という沼田城主・真田信利の横暴を江戸幕府へ命と引き換えに訴え出た上野国の義民は? 礫茂左衛門 町奴の頭領・幡随院長兵衛を殺害した、歌舞伎で有名な江戸時代の旗本は? 水野十郎左衛門 松尾芭蕉が『奥の細道』の終着地・大垣で詠んだ句は「○○○○○○○○○秋ぞ」? 蛤の二見に別れ行く 松平定信の寛政の改革を揶揄しているとして、江戸幕府から圧力を受けた、江戸時代の戯作者恋川春町の遺作となった作品は? 鸚鵡返文武二道 山田風太郎の『魔界転生』では黒幕として登場する島原の乱の指導者の1人で、オランダに渡りキリシタンとなった人物は? 森宗意軒 吉田神道の優位性を確立し社領の売買禁止などを定めた1665年に江戸幕府が出した神社を統率するための法令は? 諸社禰宜神主法度 両軍20万近い兵力が激突し真田幸村が討死にした大阪夏の陣の最後に行われた激戦は○○○○○○の戦い? 天王寺・岡山
https://w.atwiki.jp/kaiseimaru/pages/365.html
享保から元文年表 正徳 三 1713 六月十八日 幸田親盈、小十人となる。采地武蔵国埼玉郡のうち百五十石 正徳 四 1714 中根元圭 「皇和通暦」刊行 享保 元 1716 家継没、吉宗、将軍になる。 德川吉宗、建部賢弘及び中根元圭を召して曆法を問う(徳川実記) 二月、寺内平八郎(松永良弼)『垜疊招差新術』 松永良弼『精要算法及精極算法』 享保 二 1717 参府和蘭商館長にAstrolabium の用法に就いて質問に来た人がある。【岩崎克己「前野蘭化」p93-p106】【明治前日本天文史】 長崎奉行、アストロラビウムを出嶋に送り、その使用法を問う(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 松永良弼『括要算法難解図抄』 享保 三 1718 正月より六年の内、日々立表訓景ありて測午儀を吹上御苑中制せらる。【好書故事卷四十二】 二月十五日月食、建部賢弘吹上御苑にて測る(月食實測第二稿) 参府和蘭商館長、天上の質問を受く(出嶋蘭館日誌) 幕府令して暦本の私製板行を禁ず (享保集成) (徳川実記) 建部賢弘(1664-1739)、この頃、天文の事について下問ある。 猪飼豊次郎( -1741)、五人扶持 深見有隣、儒者になる 享保 四 1719 建部賢弘、日本国総図の不備を正すことを命じられる。 中根元圭(1662-1733)『新撰古暦便覧』刊行 七月、西川如見(1648-1724)、天文御用として江戸に召さる(先民伝、徳川実記)【明治前日本天文史】 参府和蘭商館長(ワーヘマンス)、天文学者二名の訪問を受け、質疑あり【岩崎克己「前野蘭化」p93-p106】【明治前日本天文史】 また、新井白石が商館長を訪れる。 西川如見『十二宮歌抄』刊行【明治前日本天文史】 西川如見『天文教導倭歌(序)』【明治前日本天文史】 享保 五 1720 徳川吉宗、禁書の令を緩む(好書故事) 建部賢弘、 天文数学に就き数年吉宗の顧問に預るを以て賞を賜う(徳川実記) 建部賢弘、妙見山などの測量を行う 西川如見『書暦象俗解』刊行【明治前日本天文史】 建部賢弘、黄赤道立成を作って中根元圭に授く。(不休綴術第九) 享保 六 1721 二月十一日、賢弘二丸の留守居となる 中根元圭、吉宗に召される 四月十三日、大島喜侍没。明石名勝古事談 享保の初年 徳川吉宗、雨量を測定せしむ(徳川実記) 享保 七 1722 建部賢弘、『辰刻愚考』『綴術算経』 一二月六日、猪飼豊次郎、北本所御貯御材木方会所付近に二百坪の屋敷を拝領。寺社奉行支配とある。(東京市史稿20) 幕府、和蘭商館に望遠鏡を注文す(出嶋蘭館日誌) 深見有隣、長崎へ行く 享保 八 1723 建部賢弘の国絵図完成する 享保 九 1724 正月二八日、山路主住、松前主馬組御徒へ召し出される。(21) 建部賢弘『目力分量愚考』 西川如見歿、年七七(九月)(先民伝)【明治前日本天文史】 享保一〇 1725 建部賢弘『歳周考』 大島芝蘭『推新暦経剪定朔之一例』 建部賢弘、諸国地図を製せしにより賞を賜う(徳川実記) 享保一一 1726 十一月五日、紅葉山文庫『暦算全書』を受入、同日貸出。 暦算全書舶載、徳川吉宗、中根元圭をして訓訳せしむ (好書故事、徳川実記) 西川如見『運気指南後編』刊行【明治前日本天文史】 松永良弼『断連総術』 享保十二 1727 十月廿六日、紅葉山文庫『割円八線之表、附刻板之手本』を受入 中根元圭『没滅俗解』 建部賢弘、カピタンを訪問。深見久太夫が天文・暦法に就いて質問した。【「前野蘭化」】 建部賢弘、江戸近郊測量の事により賞を賜う(徳川実記)【明治前日本天文史】 徳川吉宗、参府和蘭商館長の時計を見ん事を求む(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 大島喜侍『時計考』 深見有隣、長崎から戻る 享保一三 1728 中根元圭『暦算全書』に訓点を施す。 三月十七日、紅葉山文庫に『割円勾股八線之表、割円八線互求法』を受入 十二月九日、建部賢弘、中根元圭、暦書の事を掌るにより賞を賜う(徳川実記) 蜂屋定章『円理発起』 享保一四 1729 山路之徽,生まれる 建部賢弘、賞を賜う(徳川実記) 中根彦循『開法盈朒術』 松永良弼『立円率解』 享保一五 1730 建部賢弘、御留守番 西川正休『訓点天経或問』刊、『大略天学名目鈔』を附録とす【明治前日本天文史】 久留島喜内、内藤氏に十人扶持で仕える 享保十六 1731 十一月二十五日、幸田親平が小十人に列する 享保一七 1732 建部賢弘、御広敷の用人 一二月一一日、中根元圭『日月高測』を吉宗に提出 幸田親盈(1692-1758)『八線儀術意』 千葉歳胤(1713-1789)、江戸に出る? 松永良弼、内藤政樹家に六両三人扶持で仕官 大島喜侍『演段数品述』 松永良弼、内藤家に仕官 松永良弼『宿曜算法諺解及び四余算法諺解』 中根元圭、吉宗の命により伊豆下田及び江戸深川において日出の時限及び最高高度を測る 享保一八 1733 『暦算全書』の訓訳成り、紅葉山文庫に収む(好書故事、徳川実記) 中根元圭、割円八線表を訳す(好書故事(徳川実記) 建部賢弘、勤めを辞する(徳川実記) 二月二日、山路主住、支配勘定になる 中根元圭没する、年七二 八月十六日、幸田親平、田安の近習番となり、後勘定奉行に轉ず。 五月十六日、紅葉山文庫『新写暦算全書、新写暦算全書序、新写割円八線之表』を受入、『暦算全書、割円八線之表』の返却 八月朔日、紅葉山文庫『唐書』の貸出 享保十九 1734 四月八日、紅葉山文庫『回々暦、西洋暦、時憲暦、授時暦』の受入 十一月丗日、紅葉山文庫『聖寿万年暦、万年暦備考、律暦融通』の受入 幸田親盈、『推積年日法術及類法』『授時暦正解』 和蘭時計工渡来(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 深見久太夫、書物奉行になる 享保二〇年 1735 書物奉行深見久太夫、参府和蘭人を訪い、天文に関して質疑す【「前野蘭化」】【明治前日本天文史】 西川忠次郎、天文御用年々銀子被下 松永良弼、『天経或問発揮』『天学名目鈔正誤』 松永良弼、七両四人扶持 四月三日、紅葉山文庫『晋書、隋書』の貸出 元文 元 1736 四月十七日、紅葉山文庫『津逮秘書』の貸出 十月朔日、紅葉山文庫『西洋暦経、奇器図説など』の貸出 十一月三十日、紅葉山文庫『西洋暦経、奇器図説など』の返却 猪飼豊次郎、天文方となる(天文方代々記)。百俵十人扶持 松永良弼、『天経或問発揮』刊行 深見久太夫が参府蘭人に、和蘭暦法・月の運行・講星の排列・日蝕月蝕の理由等に就いて質問した。【「前野蘭化」】【明治前日本天文史】 暦を作る和蘭人一名の派遣を蘭本国に求む(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 和蘭時計工アントニー、クロイト渡来す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 通詞今村元右衛門、和蘭商館に至り将軍に提出すべき四分儀を求む(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 在府長崎奉行、その所有する四分儀の用法を参府蘭人に質す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 元文 二 1737 深見久太夫、参府蘭人に天文の事を質問す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 北島見信、紅毛天地二図賛説成る (同書巻末記)【明治前日本天文史】 六月十一日、幸田親盈、組頭になる 元文 三 1738 深見久太夫、参府蘭人に暦法・新月満月の理・潮の満干等に就いて質問した。【「前野蘭化」】【明治前日本天文史】 五月三十日『西洋暦経』の返却(渋谷和泉守) 元文 四 1739 七月、建部賢弘、没する年七六 八月十三日、山路主住、御留守居瀧川播磨守組小普請入りを命ぜられる 十二月十二日、紅葉山文庫『暦算全書』の貸出 十二月十八日、紅葉山文庫『割円八線之表、割円八線之表、割円八線互求法、割円勾股八線之表』の貸出 中根元圭、天文図解発揮刊行 入江脩敬『探玄算法』 松永良弼『方円算経』 円周率50位 元文の頃 徳川吉宗、長崎の工人に命じ、自鳴鐘を製せしむ(徳川実記) この頃の、天文方及び西洋研究グループ? 渋川則休 天文方 猪飼豊次郎 後、天文方 深見久太夫 儒者、享保十九年より書物奉行 建部賢弘 寄合 松永良弼、久留島義太 幸田親平、今井広庭 蜂屋定章 小姓 西川如見 アドバイザー(西洋事情担当) 盧草拙 西川正休 後に天文方、 中根元圭 アドバイザー(暦算、翻訳担当)中根彦循、入江脩敬 幸田親盈 小十人。 千葉歳胤 山路主住 山路之徽 佐々木文次郎 磯永孫四郎 浅井村右衛門 Note(日食の予報に失敗するまで)
https://w.atwiki.jp/jap0/pages/68.html
このページでは、歴史の全体像をつかむことを目的に、 ①全時代の図解 ②歴史の法則 を載せています。 全時代の図解 膨大な歴史の知識事項を、すべて図解することができれば、 それは受験生にとってどれほどプラスになることか。 そう思ったきっかけは、一問同心さんという社会科の先生の以下のツイートです。 https //twitter.com/itimondousin/status/1124800489898401792 このページでは、全時代を図解することを目標に、 ひたすら歴史の流れを図解しています。 もちろん、図解が無理な時代もあります。そこはカットしています。 執筆者募集中! ■古代文明 メソポタミア文明 エジプト文明 インダス文明 中国①(殷・周) ギリシャ 中国②(秦・漢) ローマ ■弥生 『漢書』(100あまり) 『後漢書』(奴国) 『魏志』倭人伝(邪馬台国) ■飛鳥① 前半 聖徳太子が摂政に | 冠位十二階 十七条の憲法 遣隋使 | 聖徳太子死す ■飛鳥② 後半 大化の改新 白村江の戦い→新羅の統一 壬申の乱 大宝律令 ■奈良 平城京遷都 墾田永年私財法 ■平安 平安京遷都 蝦夷征伐 遣唐使廃止 平将門の乱 藤原純友の乱 院政開始 保元の乱 平治の乱 壇ノ浦の戦い ■鎌倉 守護・地頭 鎌倉幕府成立 ↓ 承久の乱(時政) 御成敗式目(義時) 元寇(時宗) →徳政令 ↓ 鎌倉幕府滅亡 ■室町 建武の新政 室町幕府成立 南北朝統一 勘合貿易開始 応仁の乱 室町幕府滅亡 ■安土桃山 鉄砲伝来 キリスト教伝来 ↓ 桶狭間の戦い 長篠の戦い ↓ 太閤検地 刀狩 ■中世ヨーロッパ キリスト教成立 → ユダヤ教発展 キリスト教が広まる→カトリック教会 ローマ教皇 イスラム教成立 十字軍 ルネサンス 大航海時代 コロンブス バスコ=ダ=ガマ マゼラン一行 宗教改革 ザビエル来日 スペイン人の海外進出→アステカ王国×、インカ帝国× ■近代ヨーロッパ イギリス(17世紀) ピューリタン革命 名誉革命→権利の章典 産業革命→資本主義 →インド進出→インド大反乱 アメリカ(18世紀) 独立戦争→独立宣言 南北戦争→奴隷解放宣言 フランス(18世紀) フランス革命→人権宣言→ナポレオンが活躍 ■江戸① 鎖国 江戸幕府成立 ←関ヶ原の戦い 朱印船貿易開始 | 禁教令 ↓ 大坂冬の陣 →大坂夏の陣 武家諸法度 スペイン船来航× 朱印船貿易× 参勤交代 島原・天草一揆 ポルトガル船来航禁止 シャクシャインの戦い ■江戸② 改革期 徳川綱吉 新井白石 徳川吉宗 田沼意次 松平定信 外国船打払令 大塩の乱 | └蛮社の獄 ↓←アヘン戦争→南京条約 水野忠邦 天保の薪水給与令 ■江戸③ 幕末期 ペリー来航 日米和親条約 日米修好通商条約 安政の大獄 桜田門外の変 大政奉還 ↓ 戊辰戦争 王政復古の大号令 ■明治① 明治維新 大政奉還 王政復古の大号令 ↓ 版籍奉還 解放令 岩倉使節団出発 日清修好条規 廃藩置県 →琉球王国を琉球藩に 学制・富岡製糸場 | 徴兵令・地租改正 | 岩倉使節団帰国 | 台湾出兵→| | 樺太・千島交換条約 江華島事件 ↓ 日朝修好条規←――――┘ 沖縄県設置 西南戦争 ■明治② 自由民権運動 民選議院設立建白書 国会期成同盟 国会開設の勅諭 自由党結党 立憲改進党 内閣制度 ↓ 大日本帝国憲法 ↓ 帝国議会 足尾銅山鉱毒事件 ■明治③ 日清・日露 ノルマントン号事件→日英通商航海条約(領事裁判権×) 甲午農民戦争 日清戦争 下関条約┐ 三国干渉 | 義和団事件 ↓ 八幡製鉄所 日英同盟 日露戦争 ┌―ポーツマス条約 韓国統監府 日比谷焼き討ち事件 韓国併合 大逆事件 └朝鮮総督府 辛亥革命 関税自主権× 中華民国 └清滅亡 ■大正① 第1次世界大戦 サラエボ事件 第1次世界大戦開始 ↓ 二十一ヶ条の要求 ロシア革命 ↓ ベルサイユ条約 ↓ 三・一独立運動 ↓ 五・四運動 ↓ 国際連盟 ワシントン会議 ■大正② 戦後の社会運動と文化 新婦人協会、第1回メーデー 日本労働総同盟 日本農民組合・日本共産党・全国水平社 関東大震災 ラジオ放送 ■大正③ 大正デモクラシー 大日本帝国憲法 帝国議会 第1次護憲運動 ※吉野作造、美濃部達吉 原敬の政党内閣 ←米騒動←シベリア出兵←ロシア革命 第2次護憲運動 →治安維持法・普通選挙法 ■昭和① 満州事変&日中戦争 金融恐慌 世界恐慌 →昭和恐慌 柳条湖事件(→満州事変) 「満州国」建国 五・一五事件 国際連盟脱退 二・二六事件 盧溝橋事件(→日中戦争) 国家総動員法 大政翼賛会 ■昭和② 第二次世界大戦 △オーストリア全土・チェコストバキア一部併合 △独ソ不可侵条約 ◎ポーランド侵攻 △英仏宣戦布告 △フランス降伏 ○日独伊三国同盟 ○日ソ中立条約 △独ソ戦 △インドシナ侵攻 ○大西洋憲章 ◎マレー半島・真珠湾攻撃 △日米開戦 ○ミッドウェー海戦 △イタリア降伏 △サイパン島陥落 ○ヤルタ会談 △東京大空襲 △ドイツ降伏 △沖縄戦 △ポツダム宣言拒否 △広島に原爆 △ソ連参戦 △長崎に原爆 ○ポツダム宣言受諾→玉音放送 ■現代(昭和後半~現代) 国際連合発足 民主化政策:婦人参政権、労働組合法、労働基準法、農地改革、財閥解体、教育基本法、日本国憲法施行 世界人権宣言 中華人民共和国成立 北大西洋条約機構 朝鮮戦争 サンフランシスコ平和条約(日本の独立)&日米安全保障条約(米軍基地設置) 第五福竜丸事件 55年体制開始 アジア・アフリカ会議、 ワルシャワ条約機構 日本の国連加盟&日ソ共同宣言 アフリカの年 ベルリンの壁 キューバ危機 東海道新幹線開通&東京オリンピック 日韓基本条約 ベトナム戦争激化 国際人権規約 公害対策基本法 環境庁 非核三原則 政減反政策 日中共同宣言 沖縄復帰国連人間環境会議(@スウェーデン) 第4次中東戦争⇒第一次石油危機⇒高度経済成長の終焉 日中平和友好条約 プラザ合意 男女雇用機会均等法 ベルリンの壁崩壊 マルタ会談 消費税導入(3%) 子どもの権利条約 東西ドイツ統一 ソ連解体 → ユーゴスラビア紛争、 湾岸戦争 オレンジ・牛肉の輸入自由化 PKO協力法 国連環境開発会議 NAFTA 環環境基本法 EU 製造物責任法 世界貿易機関(WTO) 地球温暖化防止京都会議 消費税が5%に 男女共同参画社会基本法 同時多発テロ 循環型社会形成推進基本法 消費者契約法 環境省 アフガニスタン攻撃 日朝首脳会談 イラク戦争 → 有事法制関連三法 消費者基本法 リーマンショック(世界的な金融危機) 裁判員制度 消費者庁 民主党が第1党に 消費税が8%に 集団的自衛権 歴史の公式 歴史では、同じような出来事が何度も繰り返されるため、 どの時代にも使える「法則」のようなものを作ることができます。 それらをまとめてみました。 そして、実際にどの時代のどの場面でその法則を適用させればいいのかわかるように、具体例も付記しておきました。 ものが少ないと、価値・価格は上がる(希少価値の原則) ①江戸時代における綱吉の改革(インフレ) ②江戸時代における打ちこわし 「(米を買い占めた商人に対して)米をよこせ!」 ③大正時代における米騒動 国内の政策&外交は文化に影響を与える 物資の流通 税金をとられると、人は反発する。 ①奈良時代における農民の負担 ②平安時代における寄進 ③江戸時代における百姓一揆 →どれも、「税金・年貢を払いたくない」という思いから生じた事象。 「不作で米の価格がUP」すると、人は不満をもつ。 ①江戸時代における百姓一揆 ②大正時代における米騒動 軍事はお金と兵士数と武器 石高=面積×収穫高 産業における生産から販売までの流れ ①原材料をGET(栽培する/輸入してまかなう) + ②人手を集める(相手を働かせる(やる気にさせる)) ↓ ③製品を加工する ↓ ④大量の完成品を運搬 馬借を利用 ↓ ⑤大量に販売する 京都で販売 (儲かったお金を機械の費用などに費やし、より合理化) (例1) ①桑→芋虫に食べさせる→糸をはかせる→生糸 ②人を集める ③生糸をつむぐ→西陣織 ④馬借(馬のほうが早い)を利用 ⑤京都で販売 (例2) ①鉄 ②求人募集 所得倍増計画 ③鉄製品をテレビ・冷蔵庫などに加工 ④高速道路を利用 ⑤都市部で販売 テレビで宣伝 新しい制度が出来上がると、それまでの制度は崩壊する (例)太閤検地→土地制度が根本的に変化→荘園制度が崩壊する。 税制度の根本原理=①収入の確保+②支配力の強化 →大事なのは②! →「税金を払え」と言われ、払うことで、被支配者に「支配されているんだ」ということを実感させる →支配が長続きする(反発されない/言うことを聞かせやすい) 米商人の動き ①代官(武士)が、百姓から米を奪う ②幕府が分配する→(1)武士の収入 (2)商品としての流通、金融業・年貢の換金 ③商人が販売する。→①米が多いなら、安くなるため、大量に売れて儲かる。 ②米が少ないなら、高くなるため、買う人が少なく、商人がもうからない→商人が打ちこわし 支配の流れ ①戦争:軍事力・経済力を用いて統一することが目的 ②統一 → 支配しやすいように制度をつくる(身分制度、刑罰制度、税制度など) 制度に従ってもらうためには軍事力や経済力(税金)が必要 ↓民衆が不満をもち… ③滅亡 ← 別の勢力が統一 or 分立状態が続いてその後①に戻る ※日本の時代区分を、上記の観点から見直してみよう! 〈原始〉誰も支配していない時代 〈古代〉統一国家が出来上がった時代(②) 〈中世〉分立していった時代(③) 〈近世〉再び統一国家が出来上がった時代(②) 〈近代〉西洋的な要素も加わりながら、統一国家が出来上がった時代(②) 〈現代〉近代の価値観から解放されて、多様な価値観が生じた時代
https://w.atwiki.jp/qma5kentei/pages/378.html
Q 1629年に創建された、柴又帝釈天の通称で有名な東京都葛飾区にあるお寺は経栄山○○寺? A だいきょう(題経) Q 1671年に伊達藩で起きたお家騒動「伊達騒動」のことを、その時の年号から「○○事件」という? A かんぶん(寛文) Q 1696年の吉原百人斬り事件で佐野次郎左衛門が惚れた挙句に殺した吉原の遊女は○○? A やつはし(八橋) Q 1705年、贅沢な振る舞いが理由で幕府に家財を没収され、大坂から追放された商人は○○辰五郎? A よどや(淀屋) Q 1730年に大坂に開設された当時日本最大の米の取引所は○○米会所? A どうじま(堂島) Q 1796年に伊勢の遊郭で医者が起こした殺傷事件を元にした歌舞伎は『伊勢音頭○○○』? A こいのねたば(恋寝刃) Q 1818年に幕府が発表した江戸の範囲を示したものを「○○絵図」という? A しゅびき(朱引) Q 1858年に孝明天皇が水戸藩に勅書を送った事件で、安政の大獄の引き金となったのは○○の密勅? A ぼご(戊午) Q 1863年に清河八郎を中心に結成された組織で、後の新撰組の母体となったのは「○○組」? A ろうし(浪士) Q 「江戸落語の祖」と呼ばれる江戸時代前期の落語家は○○武左衛門? A しかの(鹿野) Q 安藤広重の絵にも描かれている吉原に行く途中の隅田川岸にあった有名な松は「○○の松」? A しゅび(首尾) Q 安政の大獄の時の老中で、赤鬼と呼ばれた大老・井伊直弼に対し青鬼と呼ばれたのは間部○○? A あきかつ(詮勝) Q 岩木山と浅間山の噴火が引き金になって起きた江戸時代の三大飢饉のひとつは「○○の大飢饉」? A てんめい(天明) Q 討ち入りで有名な赤穂浪士のうち大石姓だったのは大石内蔵助、大石主税と大石○○○○信清? A せざえもん(瀬左衛門) Q 江戸後期の1863年に但馬国で平野国臣らの尊皇攘夷派が挙兵した事件は「○○の変」? A いくの(生野) Q 江戸時代に「首切り浅右衛門」と呼ばれた幕府の死刑執行人の名前は○○浅右衛門? A やまだ(山田) Q 江戸時代に、自炊に使う燃料代程度の賃料で旅人が宿泊できた粗末な宿を「○○宿」といった? A きちん(木賃) Q 江戸時代に行われた、現在の宝くじの起源といわれるものは「○くじ」? A とみ(富) Q 江戸時代に最後に大老を務めた人物は○○○○? A さかいただしげ(酒井忠績) Q 江戸時代に寺社の建設費や修理費を集めるために行われた相撲を「○○相撲」という? A かんじん(勧進) Q 江戸時代に関所を通るために必要だった書類のことを通行○○という? A てがた(手形) Q 江戸時代に富くじで有名だった谷中感応寺の現在の名称は護国山尊重院○○○? A てんのうじ(天王寺) Q 江戸時代に始めて発行された小判を、その時の年号から○○小判という? A けいちょう(慶長) (上問分岐)では、江戸時代最後に発行された小判を、その時の年号から○○小判という? A まんえん(万延) Q 江戸時代には富くじが行われた通称を「目黒不動」という東京都目黒区のお寺は○○○? A りゅうせんじ(瀧泉寺) Q 江戸時代に犯罪者の自立支援施設、人足寄場が設置された場所は江戸の○○島? A いしかわ(石川) Q 江戸時代によく見かけたことから江戸名物といわれたものは「伊勢屋、稲荷に○○○」? A いぬのふん Q 江戸時代の貨幣の単位で1両の4分の1を1としたのは○? A ぶ(分) Q 江戸時代の国学者・契沖が著した「万葉集」の注釈本は「万葉○○○」? A だいしょうき(代匠記) Q 江戸時代の三大改革で享保の改革をおこなったのは徳川○○? A よしむね(吉宗) (上問分岐)寛政の改革をおこなったのは松平○○? A さだのぶ(定信) Q 江戸時代の時間の数え方は一日の昼と夜をそれぞれ○等分していた? A 6 Q 江戸時代の儒学者山崎闇斎が開いた神道は「○○神道」? A すいか(垂加) Q 江戸時代の町火消し「いろは四十八組」の組名に使われなかったひらがなを1つ答えなさい A へ/ひ/ら/ん Q 江戸時代の町火消が、火事の時に屋根の上で振り回して目印とした竿の頭に飾りを付けたものは○? A まとい(纏) Q 江戸時代の有名な侠客清水次郎長の本名は○○長五郎? A やまもと(山本) (上問分岐)国定忠治の本名は○○忠次郎? A ながおか(長岡) Q 江戸時代の有名な町奴の頭領幡随院長兵衛を、1657年に殺害した人物は○○十郎左衛門? A みずの(水野) Q 江戸時代の牢獄において囚人たちを取り仕切っていたリーダーを○○○といった? A ろうなぬし(牢名主) Q 江戸時代の老中・田沼意次が初代藩主を務めた、現在の静岡県にあった藩は○○藩? A さがら(相良) Q 江戸時代後期に吉原などで派手に遊んだ、桂川甫周など18人の遊び人を「十八○○」といった? A だいつう(大通) Q 江戸時代後期に出没し大名屋敷から窃盗を重ねた有名な義賊は「鼠小僧○○○」? A じろきち(次郎吉) Q 江戸時代初期に起こった鍋島騒動で、お家断絶となったのは○○○家? A りゅうぞうじ(龍造寺) Q 江戸時代初期に対馬藩で起きたお家騒動「柳川一件」に名を残す対馬藩の家老は柳川○○? A しげおき(調興) Q 江戸時代中期に、当時の将軍徳川吉宗の御落胤を騙り、処刑されたのは○○○改行? A てんいちぼう(天一坊) Q 江戸の三美人の一人に数えられた笠森お仙が働いていた、笠森稲荷の門の前にあった茶屋は○○? A かぎや(鍵屋) Q 江戸幕府第6代将軍・徳川家宣の正室で、家宣の死後、家宣の側室月光院と対立したのは○○院? A てんえい(天英) Q 江戸末期に近吾堂や尾張屋などが作成した、携帯用折り畳み地図のことを「江戸○○図」という? A きりえ(切絵) Q 岡山県にあるJR西日本伯備線の駅、方谷駅にその名を残す幕末の陽明学者は○○方谷? A やまだ(山田) Q 奥平源八が父の仇・奥平隼人を討った、江戸時代の有名な事件は「○○○坂の仇討ち」? A じょうるり(浄瑠璃) Q 外国船の来航に危機感を募らせた江戸幕府が1856年に設置した武芸訓練機関の名前は○○所? A こうぶ(講武) Q 歌舞伎でおなじみ白浪五人男の日本駄右衛門のモデルになった江戸時代の盗賊は日本○○○? A ざえもん(佐衛門) Q 現代のレンタルショップにあたる江戸時代の職業で、山本一力の小説の題名にもあるのは○○屋? A そんりょう(損料) Q 国宝の『色絵藤花文茶壺』『色絵雉子香炉』で有名な江戸時代の陶芸家は野々村○○? A にんせい(仁清) Q 後陽成天皇が退位するきっかけとなった、1609年に起きた宮中女官の密通事件は「○○事件」? A いのくま(猪熊) Q 参勤交代の緩和、京都守護職の新設など、1862年に江戸幕府で行われた改革は「○○の改革」? A ぶんきゅう(文久) Q 失明のハンデを乗り越えて『群書類従』を編集した江戸時代の国学者は○保己一? A はなわ(塙) Q 戦国武将・松永久秀の子孫である江戸時代の儒学者で、弟子に木下順庵がいるのは松永○○? A せきご(尺五) Q 全身麻酔薬の「通仙散」を用いた日本初の麻酔手術をおこなった江戸時代の医師は○○清洲? A はなおか(華岡) Q 代表的な学者に林羅山や新井白石がいる、江戸幕府が官学として保護した儒学は○○学? A しゅし(朱子) Q 著書に『寝惚先生文集』がある別名を四方赤良といった江戸時代の狂歌師は○○○○? A おおたなんぼ(大田南畝) Q 天一坊や丸橋忠弥などの罪人が処刑された、江戸時代の有名な刑場は「○○○刑場」? A すずがもり(鈴ヶ森) Q 東京都墨田区向島にある寺院で江戸時代に考案されたという桜餅で有名なのは○○寺? A ちょうめい(長明) Q 幕末に江戸市中警護のため渋沢成一郎や天野八郎が結成した組織は○○隊? A しょうぎ(彰義) Q 幕末における戊辰戦争の口火を切った戦いは○○・伏見の戦い? A とば(鳥羽) (上問分岐)最後の戦いとなったのは北海道における○○戦争? A はこだて(箱館) Q 幕末の学者・藤田東湖の四男で1864年に起きた天狗党の乱の中心人物だったのは藤田○○○? A こしろう(小四郎) Q 幕末の勤皇の志士たちに影響を与えた著書『靖献遺言』で有名な江戸時代の儒学者は○○○○? A あさみけいさい(浅見絅斎) Q 戊辰戦争の際に会津藩の白虎隊が自害した、福島県会津若松市の山は○○山? A いいもり(飯盛) Q 明暦の大火の死者を弔うため建立された東京の寺で、鼠小僧次郎吉の墓があるのは○○○? A えこういん(回向院) Q 吉田松陰などが死刑となった1858年に江戸幕府がおこなった弾圧事件は「○○の大獄」? A あんせい(安政)
https://w.atwiki.jp/siroishi/pages/24.html
白石市の記事を含むブログ ■ハニーな日常 http //yaplog.jp/kur0mi2d0/ ■桜坂劇場公式ブログ http //sakuratoku.ti-da.net/ ■続・雨ニモマケズ風ニモマケズ http //blog.canpan.info/coco/
https://w.atwiki.jp/shiroishiunesco/pages/4.html
ようこそ! 白石ユネスコ協会です! 2月5日(日)は、新春パーティーでした! 2月の旧暦の正月に合わせて、今年も、ユネスコ協会の会員だけではなく、日本語学校の生徒さんも加わって、国際色豊かな、とてもにぎやかなパーティーとなりました。いつもの白石風お雑煮もおいしかったね! お問い合わせは白石市中央公民館(0224-26-2453)まで! その他の活動内容を紹介します! 日本語教室 主に在白・在仙南外国人の方々と学ぶ「日本語教室」です。 月数回、日曜日の午前中に、白石市中央公民館で行っています。 講師は白石ユネスコ協会の会員がボランティアでやっています。 お子様連れでも大丈夫!託児室も用意しています! お手伝いしてくださる方も募集しています! 全国大会への参加 全国47都道府県で持ち回りで行う全国大会。 来年度(2006年)は岩手県の花巻市で開催されます。 交流会 秋にバスをチャーターしていろんな所へ出かけて交流を深めています。やっぱり日本語教室の生徒さんも一緒です。今年は仙台で環境に関するイベントに参加しました! 東北ブロック研究大会への参加 東北6県持ち回りで、ユネスコ活動についての講演会や分科会を行っています。 昨年度(2004年)には白石で開催しました! 今年度(2005年)は大船渡での大会に参加してきました。 この他、総会、月1回の例会も行っています。
https://w.atwiki.jp/eos-gin/pages/19.html
※注意事項 元号表記は西暦を補足するが、月日は旧暦のまま。 ※注意事項 生年について直接の資料は無いが(没年-死亡年齢+1(数え年の調整))で算出した。 ※注意事項 出典は幕府史料>藩史料>地域史料>その他の順で優先する。 ※注意事項 兄弟、子息など、改名などで判らず重複する可能性はある。 ※注意事項 現代語訳の間違い誤記等の存在は否定できない。 石谷政信(いしがや まさのぶ)(新訂寛政重修諸家譜) 【呼称】十右衛門尉(寛永諸家系図伝)、十右衛門(新訂寛政重修諸家譜)、十右ェ門(石ヶ谷家家系図) 【生年】天文14年(1545年)(逆算) 【没年】元和5年6月5日(1619年)(寛永諸家系図伝)、元和5年10月8日(1619年)(新訂寛政重修諸家譜) 【寿命】75歳(寛永諸家系図伝) 【知行】200石(武蔵国多摩郡)(新訂寛政重修諸家譜) 【官位】 【役職】 【属性】徳川家康の配下、徳川秀忠の配下、旗本(新訂寛政重修諸家譜) 【実父】石谷政清(新訂寛政重修諸家譜) 【実母】 【義父】 【妻室】 【後妻】 【兄弟】入澤行重、呑説、石谷政信、石谷清定、桑原與三右衛門の妻、石谷清重、乗松彌次右衛門の妻、井伊掃部頭家臣小野田小一郎の妻、桑原政重(新訂寛政重修諸家譜)、高天神城城主小笠原与八郎の妻(石ヶ谷家家系図) 【子息】戸塚作右衛門忠之の妻、喜左衛門、石谷政勝、小野田小一郎為一、小野久兵衛の妻、十兵衛、武嶋市郎兵衛茂正の妻(新訂寛政重修諸家譜) 【養子】 【法名】良完(寛永諸家系図伝)、良石(新訂寛政重修諸家譜)、良古(干城録) 【略歴】 遠江国で生まれる。(干城録) 元亀2年3月10日(1571年)、石谷政清、石谷清定(五郎大夫)とともに徳川家康に仕えた。(新訂寛政重修諸家譜) 天正18年(1590年)、徳川家康の関東移封に従い、武蔵国多摩郡に領地200石を賜った。(新訂寛政重修諸家譜) 慶長10年2月(1605年)、徳川秀忠に仕えた。(新訂寛政重修諸家譜) 【備考】 石谷政信の子孫は代々雲松山泉龍寺を菩提寺とした。(新訂寛政重修諸家譜) 小野田小一郎為一は小野田小一郎為躬と同一人物として記載される。(侍中由緒帳) 石谷政勝(いしがや まさかつ)(新訂寛政重修諸家譜) 【呼称】市右衛門(新訂寛政重修諸家譜)、市右衛門尉(寛永諸家系図伝) 【生年】天正12年(1584年)(逆算) 【没年】寛文3年9月8日(1663年)(新訂寛政重修諸家譜) 【寿命】80歳(新訂寛政重修諸家譜) 【知行】500石(武蔵国幡羅郡200石、下野国都賀郡300石)(新訂寛政重修諸家譜) 【官位】 【役職】小姓組番士、大番、御裏門番頭(新訂寛政重修諸家譜) 【属性】旗本(新訂寛政重修諸家譜) 【実父】石谷政信(新訂寛政重修諸家譜) 【実母】 【義父】 【妻室】青木五左衛門高頼の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【後妻】 【兄弟】戸塚作右衛門忠之の妻、喜左衛門、石谷政勝、小野田小一郎為一、小野久兵衛の妻、十兵衛、武嶋市郎兵衛茂正の妻(新訂寛政重修諸家譜) 【子息】石谷成勝、春日佐次右衛門家定の妻、三空(新訂寛政重修諸家譜) 【養子】 【法名】不絶(新訂寛政重修諸家譜) 【略歴】 遠江国で生まれる。(干城録) 慶長6年(1601年)、徳川秀忠に拝謁し、小姓組番士となる。(新訂寛政重修諸家譜) 慶長7年(1602年)、武蔵国幡羅郡に領地200石を賜る。(新訂寛政重修諸家譜) 慶長11年11月(10月)(1606年)、大番となる。(干城録) 元和9年(1623年)、徳川家光の日光社参及び上洛に従った。(新訂寛政重修諸家譜) 廩米100俵を加増される。(新訂寛政重修諸家譜) 寛永10年2月7日(1633年)、200石の加増を賜る。先に賜った廩米100俵を改めて下野国都賀郡に300石を賜り、合計500石の領地となる。(新訂寛政重修諸家譜) 寛永18年3月29日(1641年)、御裏門番頭となる。(新訂寛政重修諸家譜) 万治元年6月1日(1658年)、職を辞去した。(新訂寛政重修諸家譜) 【備考】 石谷成勝(いしがや なりかつ)(新訂寛政重修諸家譜) 【呼称】頼信、兵四郎、市右衛門(新訂寛政重修諸家譜) 【生年】元和6年(1620年)(逆算) 【没年】貞享4年4月28日(1687年)(新訂寛政重修諸家譜) 【寿命】68歳(新訂寛政重修諸家譜) 【知行】 【官位】布衣(新訂寛政重修諸家譜) 【役職】大番、新番、新番?組頭、納戸頭、小普請(新訂寛政重修諸家譜) 【属性】旗本(新訂寛政重修諸家譜) 【実父】石谷政勝(新訂寛政重修諸家譜) 【実母】青木五左衛門高頼の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【義父】 【妻室】 【後妻】 【兄弟】石谷成勝、春日佐次右衛門家定の妻、三空(新訂寛政重修諸家譜) 【子息】 【養子】石谷清長(石谷清亮の2男)(新訂寛政重修諸家譜) 【法名】可信(新訂寛政重修諸家譜) 【略歴】 武蔵国江戸で生まれる。(寛永諸家系図伝) 寛永7年6月10日(1630年)、徳川家光に御目見。(新訂寛政重修諸家譜) 寛永13年12月27日(1637年)、大番となる。(新訂寛政重修諸家譜) 寛永14年1月(1637年)、大番となる。(寛永諸家系図伝) 承応元年(1652年)、二ノ丸で石谷成勝の水泳が台覧され、時服を賜った。(新訂寛政重修諸家譜) 万治元年7月19日(1658年)、新番となる。(新訂寛政重修諸家譜) 寛文3年4月(1663年)、徳川家綱の日光社参に従った。(新訂寛政重修諸家譜) 寛文3年12月11日(1664年)、父である石谷政勝の家督相続。(新訂寛政重修諸家譜) 寛文4年9月30日(1664年)、組頭となる。(新訂寛政重修諸家譜) 寛文4年12月25日(1665年)、廩米200俵を加増された。(新訂寛政重修諸家譜) 延宝元年4月3日(1673年)、納戸頭となる。(新訂寛政重修諸家譜) 延宝元年12月28日(1674年)、布衣の着用を許された。(新訂寛政重修諸家譜) 天和元年8月7日(1681年)職を辞し、小普請となった。(新訂寛政重修諸家譜) 【備考】 三空(新訂寛政重修諸家譜) 【呼称】十助(新訂寛政重修諸家譜) 【生年】 【没年】 【寿命】 【知行】 【官位】 【役職】 【属性】徳川綱吉の配下、出家(新訂寛政重修諸家譜) 【実父】石谷政勝(新訂寛政重修諸家譜) 【実母】 【義父】 【妻室】 【後妻】 【兄弟】石谷成勝、春日佐次右衛門家定の妻、三空(新訂寛政重修諸家譜) 【子息】 【養子】 【法名】 【略歴】 神田の館において徳川綱吉に仕える。(新訂寛政重修諸家譜) 病を得た為職を辞して出家し、下野国平井村の草庵に閑居した。(新訂寛政重修諸家譜) 【備考】 神田の館で徳川綱吉に仕えたという事は、徳川綱吉が神田に移った明暦3年(1657年)~二ノ丸に入った延宝8年(1680年)頃の事であろう。この期間、徳川綱吉の館林藩主時代があるので、館林藩士であったのかも知れない。(図書助論考) 石谷清長(いしがや きよなが)(新訂寛政重修諸家譜) 【呼称】孫四郎、市右衛門(新訂寛政重修諸家譜) 【生年】慶安元年(1648年)(逆算) 【没年】宝永元年1月6日(1704年)(新訂寛政重修諸家譜) 【寿命】57歳(新訂寛政重修諸家譜) 【知行】700石(武蔵国埼玉郡200石?)(新訂寛政重修諸家譜) 【官位】 【役職】書院番(新訂寛政重修諸家譜) 【属性】旗本(新訂寛政重修諸家譜) 【実父】石谷清亮(新訂寛政重修諸家譜) 【実母】中山勘解由直定の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【義父】石谷成勝(新訂寛政重修諸家譜) 【妻室】久松太左衛門定久の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【後妻】 【兄弟】高木忠右衛門定清の妻、五味藤九郎豊旨の妻、石谷清信、石谷清長、十兵衛清宗(新訂寛政重修諸家譜) 【子息】石谷清夤(新訂寛政重修諸家譜) 【養子】石谷清定 (兵四郎)(久松太郎左衛門定矩の2男)、石谷清定の妻(石谷清信の娘)(新訂寛政重修諸家譜) 【法名】祥山(新訂寛政重修諸家譜) 【略歴】 元禄元年7月12日(1688年)、石谷成勝の養子として家督相続。(新訂寛政重修諸家譜) 元禄元年11月23日(1688年)、徳川綱吉に御目見。(新訂寛政重修諸家譜) 元禄2年4月29日(1689年)、書院番となる。(新訂寛政重修諸家譜) 元禄10年7月26日(1697年)、廩米200俵を改め武蔵国埼玉郡に領地を賜り、合計で700石を領有した。(新訂寛政重修諸家譜) 【備考】 石谷清定 (兵四郎)(いしがや きよさだ)(新訂寛政重修諸家譜) 【呼称】兵四郎(新訂寛政重修諸家譜) 【生年】延宝8年(1680年)(逆算) 【没年】宝永元年10月8日(1704年)(新訂寛政重修諸家譜) 【寿命】25歳(新訂寛政重修諸家譜) 【知行】 【官位】 【役職】 【属性】旗本(新訂寛政重修諸家譜) 【実父】久松太郎左衛門定矩(新訂寛政重修諸家譜) 【実母】加藤丑之助吉次(新訂寛政重修諸家譜) 【義父】石谷清長(新訂寛政重修諸家譜) 【妻室】石谷清長の養女(石谷清信の娘)(新訂寛政重修諸家譜) 【後妻】 【兄弟】石谷清定 (兵四郎)(久松太郎左衛門定矩の2男)、石谷清定の妻(石谷清信の娘)(義妹)、石谷清夤(義弟)(新訂寛政重修諸家譜) 【子息】市三郎(新訂寛政重修諸家譜) 【養子】石谷清夤(石谷清長の2男)(新訂寛政重修諸家譜) 【法名】玄透(新訂寛政重修諸家譜) 【略歴】 元禄14年9月15日(1701年)、徳川綱吉に御目見。(新訂寛政重修諸家譜) 宝永元年2月27日(1704年)、養父石谷清長の家督相続。(新訂寛政重修諸家譜) 【備考】 石谷清長の養女の父は、同族で1100石旗本の石谷清信。石谷清定 (兵四郎)の死後は実家に帰った。(新訂寛政重修諸家譜) 石谷清夤(いしがや きよのぶ)(新訂寛政重修諸家譜) 【呼称】十助(新訂寛政重修諸家譜) 【生年】元禄15年(1702年)(逆算) 【没年】宝暦元年閏6月11日(1751年)(新訂寛政重修諸家譜) 【寿命】50歳(新訂寛政重修諸家譜) 【知行】 【官位】布衣(新訂寛政重修諸家譜) 【役職】書院番番士、西ノ丸御徒頭(新訂寛政重修諸家譜) 【属性】旗本(新訂寛政重修諸家譜) 【実父】石谷清長(新訂寛政重修諸家譜) 【実母】久松太左衛門定久の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【義父】石谷清定 (兵四郎)(新訂寛政重修諸家譜) 【妻室】新井白石の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【後妻】 【兄弟】石谷清定 (兵四郎)(久松太郎左衛門定矩の2男)(義兄)、石谷清定の妻(石谷清信の娘)(義姉)、石谷清夤(義弟)、市三郎(石谷清定 (兵四郎)の長男)(義弟?)(新訂寛政重修諸家譜) 【子息】石谷清盈、銕次郎、女子、石谷清馨(石谷清候の養子となる)、兵三郎、石谷清茂、石谷清憐(兄の石谷清馨の養子となる)(新訂寛政重修諸家譜) 【養子】 【法名】淨雄(新訂寛政重修諸家譜) 【略歴】 宝永2年2月19日(1705年)、4歳の時に養父となる石谷清定 (兵四郎)の家督相続。(新訂寛政重修諸家譜) 享保4年10月18日(1719年)、書院番番士となる。(新訂寛政重修諸家譜) 享保12年10月(1727年)、徳川吉宗の日光社参の際に大宿割を務めた。(新訂寛政重修諸家譜) 享保19年7月1日(1734年)、西ノ丸御徒頭となる。(新訂寛政重修諸家譜) 享保19年12月18日(1735年)、布衣を許される。(新訂寛政重修諸家譜) 享保20年閏3月29日(1735年)、徳川家重が浅草辺に鷹狩りに行った際、勢子への指揮が悪いと咎められて、同僚青木与兵衛信裕と供に拝謁禁止処分となった。(新訂寛政重修諸家譜) 享保20年5月1日(1735年)に処分を解かれた。(新訂寛政重修諸家譜) 【備考】 石谷清盈(いしがや きよみつ)(新訂寛政重修諸家譜) 【呼称】助太郎(新訂寛政重修諸家譜) 【生年】享保8年(1723年)(逆算) 【没年】明和3年9月15日(1766年)(新訂寛政重修諸家譜) 【寿命】44歳(新訂寛政重修諸家譜) 【知行】 【官位】 【役職】書院番番士(新訂寛政重修諸家譜) 【属性】旗本(新訂寛政重修諸家譜) 【実父】石谷清夤(新訂寛政重修諸家譜) 【実母】新井白石の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【義父】 【妻室】武田長春院信郷の養女(新訂寛政重修諸家譜) 【後妻】村上縫殿助正道の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【兄弟】石谷清盈、銕次郎、女子、石谷清馨(石谷清候の養子となる)、兵三郎、石谷清茂、石谷清憐(兄の石谷清馨の養子となる)(新訂寛政重修諸家譜) 【子息】 【養子】石谷清茂(新訂寛政重修諸家譜) 【法名】良憐(新訂寛政重修諸家譜) 【略歴】 元文2年9月18日(1737年)、徳川吉宗に御目見。(新訂寛政重修諸家譜) 元文2年9月27日(1737年)、徳川家治がはじめて山王社に詣でる時に、騎兵として従った。(新訂寛政重修諸家譜) 宝暦元年9月3日(1751年)、父の石谷清夤の家督相続。(新訂寛政重修諸家譜) 宝暦2年9月10日(1752年)、書院番番士となった。(新訂寛政重修諸家譜) 【備考】 山王社へ付き従った時期は、『新訂寛政重修諸家譜』の記載を見ると年月が書いておらず日のみのため、恐らく前述の元文2年9月のことだと思われるが、それは徳川家治が生まれた年に当たるので、生まれた直後に参拝する場所なのか解らず疑問を残す。(図書助論考) 石谷清茂(いしがや きよしげ)(新訂寛政重修諸家譜) 【呼称】市十郎、市右衛門(新訂寛政重修諸家譜) 【生年】元文3年(1738年)(逆算) 【没年】寛政10年5月24日(1798年)(新訂寛政重修諸家譜) 【寿命】61歳(新訂寛政重修諸家譜) 【知行】 【官位】布衣、従五位下肥前守(新訂寛政重修諸家譜) 【役職】書院番番士、諸道具奉行、御徒頭、御徒頭、西ノ丸目付、目付、禁裏附、御持筒頭(新訂寛政重修諸家譜) 【属性】旗本(新訂寛政重修諸家譜) 【実父】石谷清夤(新訂寛政重修諸家譜) 【実母】 【義父】石谷清盈(新訂寛政重修諸家譜) 【妻室】松波平右衛門正英の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【後妻】 【兄弟】石谷清盈、銕次郎、女子、石谷清馨(石谷清候の養子となる)、兵三郎、石谷清茂、石谷清憐(兄の石谷清馨の養子となる)(新訂寛政重修諸家譜) 【子息】女子、石谷清順、林之助清廣、女子(新訂寛政重修諸家譜) 【養子】 【法名】義寛(新訂寛政重修諸家譜) 【略歴】 石谷清夤の5男として生まれる。(新訂寛政重修諸家譜) 明和3年12月3日(1767年)、兄の石谷清盈の家督相続。(新訂寛政重修諸家譜) 明和3年12月21日(1767年)、徳川家治に御目見。(新訂寛政重修諸家譜) 明和4年2月20日(1767年)、書院番番士となる。(新訂寛政重修諸家譜) 安永5年4月(1776年)、徳川家治の日光社参の際に諸道具奉行を務める。(新訂寛政重修諸家譜) 安永6年4月21日(1777年)、御徒頭となる。(新訂寛政重修諸家譜) 安永6年12月18日(1778年)、布衣を許される。(新訂寛政重修諸家譜) 天明8年10月19日(1788年)、西ノ丸目付となる。(新訂寛政重修諸家譜) 寛政元年9月7日(1789年)、目付となる。(新訂寛政重修諸家譜) 寛政3年5月11日(1791年)、禁裏附に移る。(新訂寛政重修諸家譜) 寛政3年7月11日(1791年)、従五位下肥前守に叙任される。(新訂寛政重修諸家譜) 寛政9年9月19日(1797年)、御持筒頭となった。(新訂寛政重修諸家譜) 【備考】 石谷清順(いしがや きよのぶ)(新訂寛政重修諸家譜) 【呼称】三蔵(新訂寛政重修諸家譜)、石谷隼人(寛政譜以降旗本家百科事典) 【生年】天明2年(1782年)(逆算) 【没年】 【寿命】 【知行】700石(新訂寛政重修諸家譜) 【官位】 【役職】小普請(新訂寛政重修諸家譜)、小納戸、西ノ丸小納戸(寛政譜以降旗本家百科事典) 【属性】旗本(新訂寛政重修諸家譜) 【実父】石谷清茂(新訂寛政重修諸家譜) 【実母】松波平右衛門正英の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【義父】 【妻室】有田播磨守貞勝の娘(新訂寛政重修諸家譜) 【後妻】 【兄弟】女子、石谷清順、林之助清廣、女子(新訂寛政重修諸家譜) 【子息】 【養子】 【法名】 【略歴】 寛政10年3月15日(1798年)、徳川家斉に御目見。(新訂寛政重修諸家譜) 寛政10年8月3日(1798年)、17歳の時に父である石谷清茂の家督相続。小普請に入った。(新訂寛政重修諸家譜) 寛政11年5月22日(1799年)、小納戸となる。(寛政譜以降旗本家百科事典) 文化2年11月5日(1805年)、西ノ丸小納戸となる。(寛政譜以降旗本家百科事典) 【備考】 『寛政譜以降旗本家百科事典』では石谷清順の後は石谷錬蔵の記載になっているが、石谷錬蔵の父(または義父)は石谷織之丞となっているため、石谷清順と石谷錬蔵の血縁関係は不明である。(図書助論考) 石谷練蔵(いしがや れんぞう)(寛政譜以降旗本家百科事典) 【呼称】清通(石田家資料) 【生年】 【没年】 【寿命】 【知行】700石(寛政譜以降旗本家百科事典) 【官位】 【役職】小普請大島支配(寛政譜以降旗本家百科事典) 【属性】旗本(寛政譜以降旗本家百科事典) 【実父】?石谷織之丞(寛政譜以降旗本家百科事典) 【実母】 【義父】 【妻室】 【後妻】 【兄弟】 【子息】石谷房之丞(寛政譜以降旗本家百科事典) 【養子】 【法名】 【略歴】 安政元年?(1855年)、小普請大島支配の記載がある。(寛政譜以降旗本家百科事典) 【備考】 『寛政譜以降旗本家百科事典』では石谷清順の後は石谷錬蔵の記載になっているが、石谷錬蔵の父(または義父)は石谷織之丞となっているため、石谷清順と石谷錬蔵の血縁関係は不明である。(図書助論考) 石谷房之丞(いしがや ふさのじょう)(寛政譜以降旗本家百科事典) 【呼称】清(石田家資料) 【生年】 【没年】 【寿命】 【知行】700石(寛政譜以降旗本家百科事典) 【官位】 【役職】 【属性】旗本(寛政譜以降旗本家百科事典) 【実父】石谷錬蔵(寛政譜以降旗本家百科事典) 【実母】 【義父】 【妻室】 【後妻】 【兄弟】 【子息】享三(石田家資料) 【養子】 【法名】 【略歴】 【備考】 祖父が石谷織之丞、父が石谷錬蔵と記載されている。(寛政譜以降旗本家百科事典) 戻る