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https://w.atwiki.jp/shinsen/pages/8210.html
#ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 浅井家 藤堂高虎 とうどう たかとら レベル 55 7体 職業 陰陽師 合戦陣配置 浅井家・左後詰主将 戦闘開始時台詞 構成 名前 職種 レベル 初期付与 使用技 藤堂高虎 懐剣陰 55 ▲ 狂風、迅雷、術法剣、全体麻痺、蘇生・壱、後光、武運長久 浅井精兵 一刀侍 50 一所懸命 国友上級鍛治 鉄砲鍛 50 三段撃ち、陽動 伊吹山山伏 懐剣薬 50 防御呪詛・参、全体治療・参、蘇生・壱 竹生島神官 宝剣神主 50 神風、神雷、嵐撃・参、詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃の韻・参、神の加護・参 甲賀中忍 一刀忍 50 神力両断・改、瞬殺閃、手裏剣乱射、水遁の術・極、土遁の術・極 徳勝寺高僧 懐剣僧 50 後光、完全回復、全体完全回復、仁王立ち、因果応報、冥護結界・弐 特徴・詳細 撃破すると宮部継潤、赤尾清綱を弱体化 安養寺氏種、宮部継潤撃破で最大5体まで弱体化 部隊アイテム 城普請心得 ドロップアイテム 小谷城普請絵図 武将列伝 与吉、与右衛門、佐渡守、和泉守 父・藤堂源助虎高 室・一色修理大夫女、越前守連久(高連)女 子・藤堂高次、高重 養子・藤堂(丹羽)高吉 藤堂氏は、近江源氏の支流という説と、藤原氏の支流という説があるが、高虎自身は土豪の出身であり、足利時代、藤堂氏の祖である三河守景盛が将軍家に仕えて、近江国数村の領主となり、藤堂という名はここから興っている。 弘治2年(1556)、浅井長政に仕えていた藤堂源助虎高の次男として、近江国犬上郡藤堂村に生まれる。幼少の頃から並外れて力が強く、大柄であったと言い、8〜9歳の頃には大人の風格があり「勇力豪強士気壮武」と評された。 元亀元年(1570)、13歳(一説には15歳)の時に父と同じく長政に仕官し、姉川合戦に出陣している。初陣にして大手柄であったので、長政から賞賛されたと伝えられている。元亀3年(1572)に阿閉貞征に仕えた後、浅井氏が滅亡したため浪人したとも、その前に同僚の山本という侍と喧嘩をして殺してしまったから浅井氏を飛び出したとも言われるが、浅井家の滅亡後は、高島郡を支配する磯野員昌、織田信長の甥にあたる津田信澄と各家を歴任。信澄の許では丹波攻めにて名のある武将を討ち取る功を立て、母衣を許された。が、80石からの恩賞による石高加増が無いことに腹を立てて出奔。 天正4年(1576)に秀吉の弟、豊臣秀長に300石で拾われ、中国攻め、賤ヶ岳の戦いや小牧長久手の戦い、九州征伐や四国征伐にも従軍し、着実に戦功を上げていった。中でも中国攻めの一つ・播磨三木城攻略で「中国一の大力」と呼ばれた賀古六郎右衛門を討ち取る功で3000石を加増されるなど頭角を現し、1587年の九州征伐の後、紀伊国内で2万石を得る。また、1591年に秀長が没すると、その養子・秀保の後見人となって小田原征伐でも功を立てて大名に加えられ、正五位下、佐渡守に任じられた。 朝鮮征伐(文禄の役)でも活躍は目覚しく、秀保の代理として、水軍の李舜臣らと戦ったが、文禄4年(1595)、秀保が大和十津川で若くして溺死すると、責任を感じた高虎は高野山に登り、剃髪する。これを秀吉が呼び戻し、宇和島城7万石を与えている。この頃より高虎の築城の手腕が発揮され、宇和島城やこの後の今治の築城も名を知られている。 秀吉に仕えて再度、朝鮮に渡った折(慶長の役)には、巨済島における海戦で、元均率いる朝鮮水軍を殲滅し、日本水軍としてはじめて勝利。秀吉より感状を得て、伊予板島に8万石を与えられた。この間の秀吉の衰弱を見て、次の天下人は五大老筆頭の徳川家康であると見越して、急速に家康に接近した。 慶長3年(1598)8月、秀吉没後の対立にあっては予定通り家康方につき、活躍する。同年、秀吉に禁じられていた無断婚姻を家康が勝手に行ったので、石田三成らが彼を大坂城に呼んで訊問し、もし反抗的な態度を取ったら即座に討ち取ろうという計画を立てていたのだが、これを察知した高虎が家康に密告をしたのだ。他にも江戸に弟の正高を人質として送るなど、徳川家に対して献身的に尽くす。 慶長5年(1600)に五奉行の石田三成らが毛利輝元を擁立して挙兵すると、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属し、西軍の大谷吉継の軍と戦う。この一連の行動により「風見鶏」などと揶揄されてはいるが、その甲斐あって合戦後、伊予今治20万石という、それまでの倍の領地を得る。また、江戸城改築などにも功があり、最終的には津(伊賀・伊勢8郡)藩22万石に加増された。他にも二条城の修築などで力を発揮し、慶長13年(1608)には豊臣家への抑えとして伊勢・津22万石に転封される。津に移封された高虎は伊賀上野と津城の改修をし、豊臣軍に備えた。 それ以後、高虎は家康を生涯の主として徹底的に尽くす。ある時、家康の病気見舞いに訪れた高虎に、『宗派が違うのであの世では会えない』と言うと、すぐに家康の宗派の天台宗に改宗している。外様大名にありながら側近として遇されるほど、家康の信頼はとても厚かった。 慶長20年(1615)の大坂の陣においては徳川方として大坂城へと参陣するも、この大坂の陣では、高虎は受難続きだった。ある日、徳川軍の陣中に迷いこんだ豊臣軍の兵が捕らえられるということが起こった。その兵がなんと豊臣秀頼から高虎宛てになっている手紙を持っており、「両将軍を大坂まで呼びよせたのは手柄であった。約束した功を立てれば望みのものを与えよう」というものだった。これはもちろん豊臣家の策略で、これを見抜いた家康が、「やくたいもないこと」と信じず何事もなく終わっている。だが、その他にも冬の陣では真田丸の攻撃に参加し、真田幸村らに散々に打ち負かされ(真田丸の攻防)、夏の陣では長宗我部盛親軍を撃破するも大損害を与えられる(八尾の戦い)という目に遭っている。しかし、その苦労が実を結び、大坂城が落城したのちに32万石に加増され、従四位下・右少将に叙せられる。元和2年(1616)に家康が亡くなる際に先陣となるように命じられた。 なお、高虎は築城技術や算術、外交に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などの築城で知られる(この他に、伏見、和歌山、大坂、淀、郡山、膳所 (ぜぜ)、名古屋など、築城のみならず都市計画にまで才能を発揮している)。高虎の築城は石垣を高く積み上げることに特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。晩年は眼病を患って失明し、寛永7年(1630)10月5日、名言『精粗の判断は上が決せられる」を残して、75歳の生涯を閉じた。 法名・寒松院殿道賢高山権大僧都、津市寿町の寒松院に葬られた。 [出世] 紀州遠征・四国征伐の功で天正13年(1585)には1万石に出世。この頃から故郷の甲良大工を指揮して屋敷造営や築城を担当するようになる。九州征伐で死闘の末に島津軍を破った戦功で家中筆頭の紀伊粉河2万石までになった。主君・秀長没後は、養子の秀俊(秀保)の後見人となる。文禄の役に秀俊名代として出陣し、船奉行を務めたが、文禄4年(1595)に秀俊が没して主家が無嗣断絶すると、剃髪して高野山に隠棲。ところが、高虎の才を惜しんだ豊臣秀吉が「首に縄を付けてでも連れて来い」と呼び付け、伊予板島7万石の大名として復活する。慶長の役では水軍として活躍。減封される大名が多い中、秀吉に「手柄の段無類」と1万石を加増される。ちなみに秀吉死去による日本軍撤退の際には徳川家康の指名で現地からの収容役に任じられてる(ただし島津義弘の活躍で結局中止)。 [転身] 秀吉没後の時代を先読みした高虎は、いち早く家康に接近。自ら諜報役として働き、情報分析に努め家康の危急を度々救った。慶長4年(1599)、弟・正高を人質として江戸に送る。また、福島正則らに手を貸して石田三成を失脚させた。関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦い、伊予今治20万石に加増。次いで、同10年(1605)に伊勢・津24万3000石に転封される。今治城はそのまま藤堂家の管轄に置かれたから、伊勢伊賀と伊予の離れた国主を任されたことになる。伊賀の忍者を召し抱え、家康の内意で有事の際の居城として伊賀上野城を大改修。当時最高の30mの高石垣を誇る堅城に仕立て上げて、大坂に備えている。この後起こる大坂夏の陣の直前に家康が「万一の時はそち(高虎)と上野で枕を並べて討ち死にし、秀忠は彦根でもう一戦やらせよう」と言った逸話がある。 [準譜代へ] 大坂の陣には徳川軍として参戦。江戸・駿府の幕閣に次いで参謀に加えられた。敵の偵察も受け負う。冬の陣では大和口先鋒大将を務めた後に城南の谷町口と対峙するが、真田丸の攻防戦・谷町口の攻防戦に大敗する。しかし夏の陣でも井伊直孝(井伊直政の子息)とともに河内口先鋒を任され、八尾の戦いにて敵首788を挙げて長宗我部盛親を破る。天王寺・岡山の戦いでは秀忠麾下の前備となって敵首207を挙げた。戦後5万石を加増されるとともに従四位下・右少将に昇格する(家康は初め20万石を加増しようとしたが本多正信に止められた逸話がある)。家康からの信頼は高く「天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝」「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から動かしてはならない」などの遺言は数多い。高虎も期待に応え、歴代将軍の良き相談相手となって幕藩体制の完成、朝廷との交渉など貢献した。元和3年(1617)3万石の加増で32万3千石となる。晩年眼病を煩い登城が困難になったが、家光は城内に真っすぐな廊下「藤堂廊下」を作ってやった。寛永7年(1630)死去。全身満身創痍で手の指も一部無くなっていた。日光東照宮には南光坊天海とともに高虎像が家康像の隣に並べられた。 [名築城家] また、高虎は近世城郭の名築城家としても著名である。自身の居城では、粉河・宇和島・大洲・今治・津・伊賀上野。普請奉行役では、赤木・和歌山・大和郡山・聚楽第・伏見(豊臣時代)・膳所 (ぜぜ)・伏見(徳川時代)・二条・丹波篠山・丹波亀山・江戸・駿府・名古屋・淀・大坂(徳川時代)など多数参加。城の縄張・城下町の設計を担当したことも多々あったという。ついでながら、家康廟として高名な日光東照宮の建立さえも高虎が携わっている。 [補足] 大坂の陣では負け運に取り付かれたのか、負けが多い。身長は約190cm、体重が110余kgあったとか(一応、現在の有名人では巨人の清原と同じくらいになる)。若い頃は短気で、同僚を斬って解雇された事があった。裏切者との評価が目立つが、「忠臣二君に仕えず」は、江戸時代に本格化した思想。戦国では勢いのある者に転身する方が絶対主流だった(厳密には一度も高虎は裏切りをしていないのだが・・・)。また、秀吉が惜しみ、家康が全幅の信頼を寄せる程の人物。世渡りだけの出世ではないだろう。意外な事は大正時代、高虎が赤十字の見本となった事である。なんでも、大坂の陣での敵味方の供養を目的に南禅寺に山門を寄進した行いからだそうで、従来のイメージとは遠いものがある様な気がする。敵を保護、助命した話も割とあったり名言集みたいなものを見ると、どうにも小物には思えないのである・・・。 情報募集中! 名前 コメント
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[真]藤堂高虎 [真]藤堂高虎 ★★★ (3) No:332編集 属性 騎馬 兵力(50) 908 兵力(200) 3629 コスト 5 攻撃(50) 45 攻撃(200) 177 シリーズ 真 防御(50) 60 防御(200) 238 兵法効果 騎馬の攻撃と防御が微上昇。 計略 保身:一定確率で兵力が回復。計略レベルに応じて発動確率と効果が上がる。 入手方法 絆ガチャ 名前 コメント
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icon_hero_060.png 藤堂高虎(とうどうたかとら) † レアリティ:Ecard_hero_up_1060.png兵科 攻城系コスト:2.5 体力:100攻:140知:8移:11歩防:150近防:150遠防:150騎防:150No.1060初期スキル:攻城防御 Lv.1攻城系の兵士と武将の防御力が上昇する レアリティ:Dcard_hero_up_2060.png兵科 攻城系コスト:2 体力:100攻:154知:9移:12歩防:158近防:158遠防:158騎防:158No.2060初期スキル:攻城防御 Lv.2攻城系の兵士と武将の防御力が上昇する レアリティ:Ccard_hero_up_3060.png兵科 攻城系コスト:2.5 体力:100攻:161知:9移:12歩防:173近防:165遠防:165騎防:165No.3060初期スキル:攻城防御・改 Lv.1攻城系の兵士と武将の防御力が大幅に上昇する レアリティ:Bcard_hero_up_4060.png兵科 攻城系コスト:2.5 体力:100攻:189知:9移:12歩防:188近防:188遠防:188騎防:188No.4060初期スキル:攻城防御・改 Lv.1攻城系の兵士と武将の防御力が大幅に上昇する レアリティ:Acard_hero_up_5060.png兵科 攻城系コスト:3 体力:100攻:277知:14移:13歩防:360近防:293遠防:293騎防:293No.5060初期スキル:攻城防御・改 Lv.2攻城系の兵士と武将の防御力が大幅に上昇する コメント
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[闘]藤堂高虎 [闘]藤堂高虎 ★★★★★ (5) No:360編集 属性 槍 兵力(50) 678 兵力(200) 2712 コスト 24 攻撃(50) 43 攻撃(200) 170 シリーズ 闘 防御(50) 51 防御(200) 203 兵法効果 槍の計略発動確率が微上昇。 計略 警護:低確率でダメージが減少。計略レベルに応じて発動確率と効果が上がる。 入手方法 一撃必殺 敵陣突破 名前 コメント
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#ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 浅井家 藤堂高虎 とうどう たかとら レベル 55 7体 職業 陰陽師 合戦陣配置 浅井家・左後詰主将 戦闘開始時台詞 構成 名前 職種 レベル 初期付与 使用技 藤堂高虎 懐剣陰 55 ▲ 狂風、迅雷、術法剣、全体麻痺、蘇生・壱、後光、武運長久 浅井精兵 一刀侍 50 一所懸命 国友上級鍛治 鉄砲鍛 50 三段撃ち、陽動 伊吹山山伏 懐剣薬 50 防御呪詛・参、全体治療・参、蘇生・壱 竹生島神官 宝剣神主 50 神風、神雷、嵐撃・参、詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃の韻・参、神の加護・参 甲賀中忍 一刀忍 50 神力両断・改、瞬殺閃、手裏剣乱射、水遁の術・極、土遁の術・極 徳勝寺高僧 懐剣僧 50 後光、完全回復、全体完全回復、仁王立ち、因果応報、冥護結界・弐 特徴・詳細 撃破すると宮部継潤、赤尾清綱を弱体化 安養寺氏種、宮部継潤撃破で最大5体まで弱体化 部隊アイテム 城普請心得 ドロップアイテム 小谷城普請絵図 武将列伝 与吉、与右衛門、佐渡守、和泉守 父・藤堂源助虎高 室・一色修理大夫女、越前守連久(高連)女 子・藤堂高次、高重 養子・藤堂(丹羽)高吉 藤堂氏は、近江源氏の支流という説と、藤原氏の支流という説があるが、高虎自身は土豪の出身であり、足利時代、藤堂氏の祖である三河守景盛が将軍家に仕えて、近江国数村の領主となり、藤堂という名はここから興っている。 弘治2年(1556)、浅井長政に仕えていた藤堂源助虎高の次男として、近江国犬上郡藤堂村に生まれる。幼少の頃から並外れて力が強く、大柄であったと言い、8〜9歳の頃には大人の風格があり「勇力豪強士気壮武」と評された。 元亀元年(1570)、13歳(一説には15歳)の時に父と同じく長政に仕官し、姉川合戦に出陣している。初陣にして大手柄であったので、長政から賞賛されたと伝えられている。元亀3年(1572)に阿閉貞征に仕えた後、浅井氏が滅亡したため浪人したとも、その前に同僚の山本という侍と喧嘩をして殺してしまったから浅井氏を飛び出したとも言われるが、浅井家の滅亡後は、高島郡を支配する磯野員昌、織田信長の甥にあたる津田信澄と各家を歴任。信澄の許では丹波攻めにて名のある武将を討ち取る功を立て、母衣を許された。が、80石からの恩賞による石高加増が無いことに腹を立てて出奔。 天正4年(1576)に秀吉の弟、豊臣秀長に300石で拾われ、中国攻め、賤ヶ岳の戦いや小牧長久手の戦い、九州征伐や四国征伐にも従軍し、着実に戦功を上げていった。中でも中国攻めの一つ・播磨三木城攻略で「中国一の大力」と呼ばれた賀古六郎右衛門を討ち取る功で3000石を加増されるなど頭角を現し、1587年の九州征伐の後、紀伊国内で2万石を得る。また、1591年に秀長が没すると、その養子・秀保の後見人となって小田原征伐でも功を立てて大名に加えられ、正五位下、佐渡守に任じられた。 朝鮮征伐(文禄の役)でも活躍は目覚しく、秀保の代理として、水軍の李舜臣らと戦ったが、文禄4年(1595)、秀保が大和十津川で若くして溺死すると、責任を感じた高虎は高野山に登り、剃髪する。これを秀吉が呼び戻し、宇和島城7万石を与えている。この頃より高虎の築城の手腕が発揮され、宇和島城やこの後の今治の築城も名を知られている。 秀吉に仕えて再度、朝鮮に渡った折(慶長の役)には、巨済島における海戦で、元均率いる朝鮮水軍を殲滅し、日本水軍としてはじめて勝利。秀吉より感状を得て、伊予板島に8万石を与えられた。この間の秀吉の衰弱を見て、次の天下人は五大老筆頭の徳川家康であると見越して、急速に家康に接近した。 慶長3年(1598)8月、秀吉没後の対立にあっては予定通り家康方につき、活躍する。同年、秀吉に禁じられていた無断婚姻を家康が勝手に行ったので、石田三成らが彼を大坂城に呼んで訊問し、もし反抗的な態度を取ったら即座に討ち取ろうという計画を立てていたのだが、これを察知した高虎が家康に密告をしたのだ。他にも江戸に弟の正高を人質として送るなど、徳川家に対して献身的に尽くす。 慶長5年(1600)に五奉行の石田三成らが毛利輝元を擁立して挙兵すると、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属し、西軍の大谷吉継の軍と戦う。この一連の行動により「風見鶏」などと揶揄されてはいるが、その甲斐あって合戦後、伊予今治20万石という、それまでの倍の領地を得る。また、江戸城改築などにも功があり、最終的には津(伊賀・伊勢8郡)藩22万石に加増された。他にも二条城の修築などで力を発揮し、慶長13年(1608)には豊臣家への抑えとして伊勢・津22万石に転封される。津に移封された高虎は伊賀上野と津城の改修をし、豊臣軍に備えた。 それ以後、高虎は家康を生涯の主として徹底的に尽くす。ある時、家康の病気見舞いに訪れた高虎に、『宗派が違うのであの世では会えない』と言うと、すぐに家康の宗派の天台宗に改宗している。外様大名にありながら側近として遇されるほど、家康の信頼はとても厚かった。 慶長20年(1615)の大坂の陣においては徳川方として大坂城へと参陣するも、この大坂の陣では、高虎は受難続きだった。ある日、徳川軍の陣中に迷いこんだ豊臣軍の兵が捕らえられるということが起こった。その兵がなんと豊臣秀頼から高虎宛てになっている手紙を持っており、「両将軍を大坂まで呼びよせたのは手柄であった。約束した功を立てれば望みのものを与えよう」というものだった。これはもちろん豊臣家の策略で、これを見抜いた家康が、「やくたいもないこと」と信じず何事もなく終わっている。だが、その他にも冬の陣では真田丸の攻撃に参加し、真田幸村らに散々に打ち負かされ(真田丸の攻防)、夏の陣では長宗我部盛親軍を撃破するも大損害を与えられる(八尾の戦い)という目に遭っている。しかし、その苦労が実を結び、大坂城が落城したのちに32万石に加増され、従四位下・右少将に叙せられる。元和2年(1616)に家康が亡くなる際に先陣となるように命じられた。 なお、高虎は築城技術や算術、外交に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などの築城で知られる(この他に、伏見、和歌山、大坂、淀、郡山、膳所 (ぜぜ)、名古屋など、築城のみならず都市計画にまで才能を発揮している)。高虎の築城は石垣を高く積み上げることに特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。晩年は眼病を患って失明し、寛永7年(1630)10月5日、名言『精粗の判断は上が決せられる」を残して、75歳の生涯を閉じた。 法名・寒松院殿道賢高山権大僧都、津市寿町の寒松院に葬られた。 [出世] 紀州遠征・四国征伐の功で天正13年(1585)には1万石に出世。この頃から故郷の甲良大工を指揮して屋敷造営や築城を担当するようになる。九州征伐で死闘の末に島津軍を破った戦功で家中筆頭の紀伊粉河2万石までになった。主君・秀長没後は、養子の秀俊(秀保)の後見人となる。文禄の役に秀俊名代として出陣し、船奉行を務めたが、文禄4年(1595)に秀俊が没して主家が無嗣断絶すると、剃髪して高野山に隠棲。ところが、高虎の才を惜しんだ豊臣秀吉が「首に縄を付けてでも連れて来い」と呼び付け、伊予板島7万石の大名として復活する。慶長の役では水軍として活躍。減封される大名が多い中、秀吉に「手柄の段無類」と1万石を加増される。ちなみに秀吉死去による日本軍撤退の際には徳川家康の指名で現地からの収容役に任じられてる(ただし島津義弘の活躍で結局中止)。 [転身] 秀吉没後の時代を先読みした高虎は、いち早く家康に接近。自ら諜報役として働き、情報分析に努め家康の危急を度々救った。慶長4年(1599)、弟・正高を人質として江戸に送る。また、福島正則らに手を貸して石田三成を失脚させた。関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦い、伊予今治20万石に加増。次いで、同10年(1605)に伊勢・津24万3000石に転封される。今治城はそのまま藤堂家の管轄に置かれたから、伊勢伊賀と伊予の離れた国主を任されたことになる。伊賀の忍者を召し抱え、家康の内意で有事の際の居城として伊賀上野城を大改修。当時最高の30mの高石垣を誇る堅城に仕立て上げて、大坂に備えている。この後起こる大坂夏の陣の直前に家康が「万一の時はそち(高虎)と上野で枕を並べて討ち死にし、秀忠は彦根でもう一戦やらせよう」と言った逸話がある。 [準譜代へ] 大坂の陣には徳川軍として参戦。江戸・駿府の幕閣に次いで参謀に加えられた。敵の偵察も受け負う。冬の陣では大和口先鋒大将を務めた後に城南の谷町口と対峙するが、真田丸の攻防戦・谷町口の攻防戦に大敗する。しかし夏の陣でも井伊直孝(井伊直政の子息)とともに河内口先鋒を任され、八尾の戦いにて敵首788を挙げて長宗我部盛親を破る。天王寺・岡山の戦いでは秀忠麾下の前備となって敵首207を挙げた。戦後5万石を加増されるとともに従四位下・右少将に昇格する(家康は初め20万石を加増しようとしたが本多正信に止められた逸話がある)。家康からの信頼は高く「天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝」「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から動かしてはならない」などの遺言は数多い。高虎も期待に応え、歴代将軍の良き相談相手となって幕藩体制の完成、朝廷との交渉など貢献した。元和3年(1617)3万石の加増で32万3千石となる。晩年眼病を煩い登城が困難になったが、家光は城内に真っすぐな廊下「藤堂廊下」を作ってやった。寛永7年(1630)死去。全身満身創痍で手の指も一部無くなっていた。日光東照宮には南光坊天海とともに高虎像が家康像の隣に並べられた。 [名築城家] また、高虎は近世城郭の名築城家としても著名である。自身の居城では、粉河・宇和島・大洲・今治・津・伊賀上野。普請奉行役では、赤木・和歌山・大和郡山・聚楽第・伏見(豊臣時代)・膳所 (ぜぜ)・伏見(徳川時代)・二条・丹波篠山・丹波亀山・江戸・駿府・名古屋・淀・大坂(徳川時代)など多数参加。城の縄張・城下町の設計を担当したことも多々あったという。ついでながら、家康廟として高名な日光東照宮の建立さえも高虎が携わっている。 [補足] 大坂の陣では負け運に取り付かれたのか、負けが多い。身長は約190cm、体重が110余kgあったとか(一応、現在の有名人では巨人の清原と同じくらいになる)。若い頃は短気で、同僚を斬って解雇された事があった。裏切者との評価が目立つが、「忠臣二君に仕えず」は、江戸時代に本格化した思想。戦国では勢いのある者に転身する方が絶対主流だった(厳密には一度も高虎は裏切りをしていないのだが・・・)。また、秀吉が惜しみ、家康が全幅の信頼を寄せる程の人物。世渡りだけの出世ではないだろう。意外な事は大正時代、高虎が赤十字の見本となった事である。なんでも、大坂の陣での敵味方の供養を目的に南禅寺に山門を寄進した行いからだそうで、従来のイメージとは遠いものがある様な気がする。敵を保護、助命した話も割とあったり名言集みたいなものを見ると、どうにも小物には思えないのである・・・。 情報募集中! 名前 コメント
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戦国無双知恵比べ(味方連合軍) 出現条件 戦前・戦後イベント・ムービー 勝敗条件 武将データ ミッション アイテム配置 シナリオ攻略情報金ミッション情報 出現条件 10/11配信DLC 戦前・戦後イベント・ムービー 前・後 イベント名 選択肢 友好度上下 武将 戦前 願いのかなう海 選択肢なし ── ── 戦後 海の主 全問正解した ── ── ダメだった ── ── 嘘を答える ── ── 勝敗条件 制限時間 60分 勝利条件 全ミッション終了時点で4つ以上のミッションの成功シナリオ攻略情報参照 敗北条件 プレイヤーいずれかの敗走 武将データ 味方連合軍 備考 敵連合軍 取得品 備考 加藤清正 プレイヤー 武器購入 ランダム 「自慢の逸品」開始時に出現 福島正則 シナリオ受信 ランダム 竹中半兵衛 合戦 ランダム マルチプレイ ランダム 攻撃力 ランダム 「合成しよう・壱」開始時に出現 防御力 ランダム 体力 ランダム 馬術 ランダム 友情 ランダム 「義の力!」開始時に出現 不屈 ランダム 鬼人 ランダム どれでもない ランダム 河童御守 ランダム 「体力が上がります」開始時に出現 日輪胴 ランダム 天照珠 金 烈空晶 ランダム レア武器 ランダム 「ご褒美はこれ!」開始時に出現 どれでもない ランダム お金 ランダム 装備アイテム 巻物 小田原討伐 アイテム 「竜の進む道」開始時に出現 人取橋の戦い 武器 長谷堂の戦い 巻物 葛西大崎一揆 武器 2ndマーク ランダム 「公式です」開始時に出現 星マーク ランダム タイトルロゴ アイテム 藤堂高虎の顔 ランダム 藤堂高虎の首 ランダム 「高虎の顔あたり」開始時に出現 藤堂高虎の耳 武器 藤堂高虎の目 ランダム 藤堂高虎の肩 ランダム 影技 ランダム 「一度やるとくせになる」開始時に出現 連技 ランダム 戦技 ランダム 練技 ランダム 味方の生存数 ランダム 「戦いぶり烈風のごとく」開始時に出現 どれでもない ランダム 集めた金額 ランダム 敵の撃破数 ランダム 毛利元就 般若湯又は回復 「分からないと、お説教!」開始時に出現 ねね 武器 真田幸村 般若湯又は回復 長宗我部元親 般若湯又は回復 馬術 ランダム 「合成しよう・弐」開始時に出現 練技増加 ランダム 間接攻撃 巻物 防御力 ランダム 1500 ランダム 「勲功を求めて」開始時に出現 500 ランダム 1000 ランダム どれでもない 巻物 どれでもない ランダム 「蘭の武器はいずこ」開始時に出現 金ヶ崎撤退戦 ランダム 京洛傾奇の乱 アイテム 本能寺の変 ランダム 真田信之 般若湯又は回復 「攻撃系な武将達」開始時に出現 吉川元春 武器 朝比奈泰朝 般若湯又は回復 谷忠澄 武器 中央砦 武器 「大谷はどこから?」開始時に出現 北砦 ランダム 南東砦 ランダム どれでもない ランダム 本多忠勝 般若湯又は回復 ミッション4つクリアできなかった場合に出現 前田慶次 般若湯又は回復 島津義弘 般若湯又は回復 柴田勝家 般若湯又は回復 ミッション ※答えを見たい時は反転して下さい。 No. 名称 難易度 内容 ボーナス条件 ボーナス 備考 1 自慢の逸品 ★☆☆☆☆ すれちがい通信でできることは? 1分以内に成功 金 答え:武器購入 2 合成しよう・壱 ★☆☆☆☆ 軍配団扇を合成すると付与できる能力は? 1分以内に成功 金 答え:攻撃力 3 義の力! ★☆☆☆☆ 真田幸村、直江兼続、石田三成が協力して出せる戦技は? 1分以内に成功 金 答え:不屈 4 体力が上がります ★☆☆☆☆ 装備スロット3に装備可能な装備アイテムは? 1分以内に成功 金 答え:天照珠 5 ご褒美はこれ! ★☆☆☆☆ 猛将演武をクリアしたときのご褒美は? 1分以内に成功 金 答え:装備アイテム 6 竜の進む道 ★★★★☆ 伊達の章に出てくる合戦順に撃破せよ! 1分以内に成功 アイテム 答え:人取橋、小田原、葛西大崎一揆、長谷堂の順 7 公式です ★☆☆☆☆ 開発チームから公式で配信される武器につくマークは? 1分以内に成功 金 答え:タイトルロゴ 8 高虎の顔あたり ★★★★★ 戦歴の難易度☆の左から4、上から2のパネルにあるものは? 1分以内に成功 武器 答え:藤堂高虎の耳 9 一度やるとくせになる ★☆☆☆☆ 守備頭の盾を瞬時に壊せる技名は? 1分以内に成功 金 答え:影技 10 戦いぶり烈風のごとく ★☆☆☆☆ 猛将演武の烈風で競うことは? 1分以内に成功 金 答え:敵の撃破数 11 分からないと、お説教! ★☆☆☆☆ 外伝「有岡城の戦い」の出現条件となる章は? 1分以内に成功 金 答え:ねね 12 合成しよう・弐 ★★★☆☆ 大蛇籠手を合成すると付与できる能力は? 1分以内に成功 巻物 答え:馬術、間接攻撃 13 勲功を求めて ★☆☆☆☆ 大巻物で獲得できる勲功は? 1分以内に成功 巻物 答え:どれでもない 14 蘭の武器はいずこ ★☆☆☆☆ 森蘭丸の第二レア武器を獲得できる合戦名は? 1分以内に成功 金 答え:京洛傾奇の乱 15 攻撃系な武将達 ★★★★☆ 戦技猛攻を持つ武将は? 1分以内に成功 アイテム 答え:吉川元春、谷忠澄 16 大谷はどこから? ★★★★★ 忍城の戦い(北条軍)で大谷吉継が出現する砦は? 1分以内に成功 武器 答え:中央砦 アイテム配置 No. アイテム種類 場所 シナリオ攻略情報 マップ全体が完全に4分割されている4択クイズ形式のシナリオ。 ミッションはランダムでNo.1~8、No.9~16のいずれか一方のみが発生する。 ミッション7つ中4つ以上を失敗し勝利条件を満たせなかった場合、 マップ全体が濃い赤ゾーンに変わり、本多忠勝・前田慶次・島津義弘・柴田勝家が出現、 勝利条件が上記4武将の撃破に変更される 金ミッション情報 条件 7問全て正解 詳細情報 移動も少なく、時間制限も関係ないと思われるため すべて解答できれば問題ない。
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[将]藤堂高虎 [将]藤堂高虎 ★★★★ (4) No:81編集 属性 調略 兵力(50) 5645 兵力(200) 22580 コスト 12 攻撃(50) 464 攻撃(200) 559 シリーズ 将 防御(50) 33 防御(200) 132 兵法効果 こいこい時、全員の攻撃が大上昇。 計略 三つ餅:低確率で兵力が回復。計略レベルに応じて発動確率と効果が上がる。 入手方法 レア武将ガチャ イベントガチャ 名前 コメント
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炎[変節姫]藤堂高虎 (ハイノーマル) 炎[変節姫]藤堂高虎+ (ハイノーマル) 炎[変節姫]藤堂高虎++ (ハイノーマル) 炎[不義不忠の女傑]藤堂高虎 (レア) imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 攻1300 防1510 戦力13 攻1560 防1812 戦力13 攻1820 防2114 戦力13 攻2340 防2718 戦力13 スキル:紅蓮槍衾効果:炎属性の防御 小アップ -現実主義に生きる女傑-「主君を次々に変えるのは、無節操と言うけどね。アンタ、無能な主君に仕えたコトあるの?ただツライだけの毎日なのよ!?」 -現実主義に生きる女傑-「主君を次々に変えるのは、無節操と言うけどね。無能な主君に仕えてたら、乱世で生き残ることなんてできないのよ!」 -現実主義に生きる女傑-「主君を次々に変えるのは、無節操と言うけどね。乱世を生き抜くため、頑張ってんの!とやかく言う奴は叩っ斬るわッ!」 -現実主義に生きる女傑-「やっぱり、アンタも私が仕えるべき主君ではないのよね…。これ以上仕えても先がないから、見限らせてもらうわ!」 売却価格 3,150貫 売却価格 4,725貫 売却価格 6,300貫 売却価格 9,450貫 [比良城主]佐々成政 ← 戻る → [鳴海城主]佐久間信盛
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登場シナリオ(プレイヤー) 松永久秀の乱 松永久秀の乱・改 賤ヶ岳の戦い 小牧長久手の戦い 関ヶ原の戦い
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戦国無双4-Ⅱ 以下すべて見たくない人は開けないようにしてください +武将一覧 武将一覧 タイプはアクションタイプ 武将名 タイプ 真田幸村 チャージ攻撃 前田慶次 チャージ攻撃 織田信長 特殊技 明智光秀 神速攻撃 石川五右衛門 チャージ攻撃 上杉謙信 通常攻撃 お市 チャージ攻撃 阿国 チャージ攻撃 くのいち 神速攻撃 雑賀孫市 チャージ攻撃 武田信玄 特殊技 伊達政宗 神速攻撃 濃姫 特殊技 服部半蔵 神速攻撃 森蘭丸 チャージ攻撃 豊臣秀吉 通常攻撃 今川義元 チャージ攻撃 本多忠勝 チャージ攻撃 稲姫 特殊技 徳川家康 通常攻撃 石田三成 特殊技 浅井長政 通常攻撃 島左近 特殊技 島津義弘 通常攻撃 立花誾千代 神速攻撃 直江兼続 特殊技 ねね 神速攻撃 風魔小太郎 神速攻撃 宮本武蔵 チャージ攻撃 前田利家 通常攻撃 長宗我部元親 チャージ攻撃 ガラシャ 特殊技 佐々木小次郎 通常攻撃 柴田勝家 チャージ攻撃 加藤清正 神速攻撃 黒田官兵衛 特殊技 立花宗茂 通常攻撃 甲斐姫 通常攻撃 北条氏康 通常攻撃 竹中半兵衛 神速攻撃 毛利元就 特殊技 綾御前 通常攻撃 福島正則 チャージ攻撃 藤堂高虎 通常攻撃 井伊直虎 神速攻撃 柳生宗矩 チャージ攻撃 真田信之 神速攻撃 大谷吉継 神速攻撃 松永久秀 特殊技 片倉小十郎 特殊技 上杉景勝 チャージ攻撃 小早川隆景 通常攻撃 小少将 神速攻撃 島津豊久 チャージ攻撃 早川殿 特殊技 井伊直政 神速攻撃 上へ +無限城・本館 無限城・本館 開始階層・通行料 開始階層 通行料 1階 0 11階 1000 31階 3000 51階 5000 81階 8000 到達報酬 到達階層 内容 5階 上階に進むとき体力が5%回復する 10階 11階から開始できるようになる 20階 上階に進むとき制限時間がさらに10秒追加される 30階 31階から開始できるようになる 40階 戦利品の所持上限が2個増える 50階 51階から開始できるようになる 60階 上階に進むとき体力が5%回復する 70階 戦利品の所持上限が2個増える 80階 81階から開始できるようになる 90階 上階に進むとき制限時間がさらに20秒追加される 100階 戦利品の所持上限が6個増える 上へ +無限城・別館 無限城・別館 ステージ S A B 猛将の間 2000人撃破 1500人撃破 1000人撃破 黄金の間 10000両獲得 7000両獲得 3000両獲得 疾風の間 1分30秒 2分30秒 3分 死線の間 1500人撃破 1200人撃破 1000人撃破 上へ レア武器 DLC