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KTKバム(sm22555012) 00 00 PONPONPON 04 05 The Beast. 07 09 千本桜 11 14 小夜子 15 25 嗚呼、素晴らしきニャン生 19 07 告白予行練習 21 48 こちら、幸福安心委員会です。 26 20 繰り返し一粒 30 30 My Self 35 35 箱庭の少女 41 06 色は匂えど 散りぬるを 44 48 BadApple! 48 26 IF 53 27 え?あぁ、そう。 56 42 キャットフード 61 31 アイロニ 65 42 如月アテンション 69 46 レンラクマダー? 74 47 ダブルラリアット 78 16 ココロ ポジ子ファンタジア☆.mp4(sm26444791) 00 00 magnet 04 01 マリオネットシンドローム 07 54 心臓デモクラシー 11 49 インビジブル 15 23 東京電脳探偵団 18 29 いーあるふぁんくらぶ
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改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください 「法の支配」が「立法者の支配」と化するとき、少なくとも原則として、人類史上先例のない「法の名において」の圧制への道が開かれる。 ~ G.サルトーリ(アメリカの政治学者) 『デモクラシーの理論』(1965年) 通常は「民主主義」と翻訳されるデモクラシー(democracy)の真実を考察するページ <目次> ■1.デモクラシーとは何か◆藤井厳喜(国際政治学者)WEBサイト 第01講「デモクラシーとは何だろう?」 ◆辞書による説明 ◆自由主義思想家による説明 ■2.政体分類と政体変遷論◆古代ギリシャ・ローマの政体論 ◆政体変遷の実例 ■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立◆混合政体の実例 ◆古代ローマの混合政体 ◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) ◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) ◆なぜ混合政体が安定するのか? ■4.立憲政体の普及◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 ◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 ◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) ■5.大衆デモクラシーの発展と脅威◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 ◆無制限デモクラシーは全体主義に至る ◆なぜ我々は騙されるのか? ◆「国民主権」の誤用:「誰が支配するか」ではなく「いかに専制を防ぐか」 ■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある◆真の憲法(国憲、国体)とは何か ◆真の憲法(国憲・国体)の再叙述=自主憲法制定 ■7.参考図書 ■8.ご意見、情報提供 ■1.デモクラシーとは何か ◆藤井厳喜(国際政治学者)WEBサイト 第01講「デモクラシーとは何だろう?」 http //www.nicovideo.jp/watch/sm9721169 藤井厳喜アカデミー【国民の為の政治学】第01講「デモクラシーとは何だろう?」(平成22年2月12日) (コメントを消す場合は、画面にカーソルを当て右隅のマークをクリックしてください。) http //www.nicovideo.jp/watch/sm9721520 藤井厳喜アカデミー【国民の為の政治学】第01講「デモクラシーとは何だろう?」特別補足篇 (コメントを消す場合は、画面にカーソルを当て右隅のマークをクリックしてください。) ◆辞書による説明 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(democracyの項)より全文翻訳 最高権力が一般民衆(the people)に帰属しており、彼らが、 1 直接的に、または、 2 通常は定期的な自由選挙に係る代議制度を通して間接的に、最高権力を行使する政治形態(form of government)。 直接民主政体(direct democracy)においては、公衆(the public)は政治に直接参加する(例として、①古代ギリシャの幾つかの都市国家、②ニュー・イングランドの幾つかのタウン・ミーティング、③近代スイスのカントン)。 今日の殆どのデモクラシーは代議制である。代議制民主政体(representative democrasy)は、欧州中世期から啓蒙期を通して発展した理念と制度によって、そしてアメリカとフランスの革命において大きく興起した。 デモクラシーは今日では、①普通選挙、②公職を巡る競争、③言論と出版の自由、④法の支配、を当然に含意するものとなっている。 デモクラシー(民主政体) 1 直接デモクラシー 古代ギリシャの幾つかの都市国家(アテネなど)、スイスのカントン(小郡) の2つの形態 2 間接デモクラシー(代議制デモクラシー) 近代以降の殆どの国民国家(nation state)で採用されているデモクラシー (2) オックスフォード英語事典(democracyの項)より抜粋翻訳 ・全人口集団または一国家の全有資格者による政体(a system of government:政治形態)であって、典型的には選出された代議員を通して行われる。 語源(ギリシャ語) democratia ← demos(=the people:一般民衆) + -cratia(=power, rule 権力、支配)⇒「一般民衆による権力、支配」 (3) コウビルド英語事典(democracyの項)より全文翻訳 1 ・デモクラシー(democracy)とは、人々(people)が投票によって自身の支配者を選出する政体(a system of government)である。 2 ・デモクラシー(a democracy)とは、一般民衆(the people)が投票によって自身の政府を選出する国家(a country)である。 3 ・デモクラシー(democracy)とは、組織や企業やグループを運営する制度(a system)であって、各々のメンバーは投票と諸決定への参加の資格が付与されている。 ◆自由主義思想家による説明 (1) J.F.スティーブン(英国コモン・ロー学者、王座裁判所判事)『自由、平等、友愛』(1873) 「我々は、支配者を打倒する代わりに、頭数を数えることで力を試すことに同意している。…勝利を得るのは、最も賢明な人々の側ではなく、当分の間、優越的な力(疑いもなく、叡智がその中の一要素である)を、最大多数の積極的共感を支持に取り付ける事によって示す側にある。少数派は譲歩するが、それは、間違っていると確信するからではなく、少数派だと確信するからである。」 (2) K.R.ポパー(オーストリア出身でナチス支配期に英国に帰化した科学哲学者)『開かれた社会とその敵』(1945) 「・・・というのは二つの主要なタイプの政府が区別されるかも知れないからである 1 第一のタイプは、血を流すことなく-例えば総選挙によって-排除することの出来る政府から成る。即ち①社会制度は統治者が被統治者によって追い払われる手段を提供し、②社会的伝統はこれらの制度が権力を握っている人々によって容易に破棄されないことを保証する。 2 第二のタイプは、被統治者が革命の成功による以外-即ち大抵の場合、全く-排除することの出来ない政府から成る。 私は「民主政体(democracy)」という用語を第一のタイプの政府、また「専制政体(autocracy)」や「独裁政体(tyranny)」という用語を第二のタイプに対する速記表現として提案する。これは伝統的な語法に一致すると思われる。」 (3) L.ミーゼス(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者)『人間行為論』(1949) 「国内の平和のために、自由主義は民主政体的政府(democratic government)を目指す。それゆえ、民主政体(democracy)は革命的制度ではない。それどころか、それは革命や内乱を防ぐまさしく手段なのである。民主政体(democracy)は、政治を多数者の意思に平和的に適合させるための手段を提供する。」 (4) F.A.ハイエク(オーストリア出身でナチス支配期にイギリスに帰化した経済学者・法哲学者・政治思想家)『法と立法と自由(第3巻):自由人の政治的秩序』(1979) 「政治的理想を表現する大部分の用語の宿命であると思われるが、「デモクラシー」はその用語の本来の意味とはほとんど関係のない様々な事柄を記述するために使われてきたし、今でも、実際に意味されるものが「平等(equality)」であるところで、しばしば使われている。 1 厳密に言えば、それは、政府の裁決を決定するための方法、ないしは手続きに関係するのであって 2 政府の何らかの実質的な善、あるいは狙い(例えば一種の物質的平等)に関係するものでも、非政府組織(例えば教育・医療・軍事あるいは商業に関する組織)に合理的に適用できる方法でもない。これらの誤用はいずれも「デモクラシー」という言葉からあらゆる明確な意味を奪っている。」 「デモクラシーは、専制支配(autocracy)から我々を保護する唯一のもの(例え、その現行形態においては確かなものでないにしても)であるために、固守するに値する理想である、ということである。」「今までに発見された平和的な政権交代の唯一の方法として、それは消極的な価値ではあるが、最高の価値の一つである。それは疫病に対する予防策に匹敵する。」 (5) J.A.シュンペーター(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者、但し自由主義より社会主義的傾向が強い)『資本主義、社会主義、デモクラシー』(1942) 「デモクラシーは一つの政治的な方法である。即ちデモクラシーは、政治的-立法的・行政的な-決定に到達するためのある型の制度的装置であって、従って、一定の歴史的条件下で、それが生み出すどんな結果にも関係なく、それ自体では目的となり得ないものである。」 ■2.政体分類と政体変遷論 ◆古代ギリシャ・ローマの政体論 古代ギリシャ/ローマ世界において、プラトン/アリストテレス/ポリュビオスといった哲人・歴史家が様々な政体の分類と変転原因を研究しています。 (1)支配者の数、と、(2)統治の状態(良好か堕落しているか)の2つの基準に着目した彼らの分類は、近代以降の各国の政体変動の分析にも大いに参考になります。 ただし後述のように、これらの分類には、近代の国民国家が革命・内乱・戦争の末にようやく確立した(3)「権威と権力の分離」や「権力分立」という政体安定化のための重要要素の観点が欠落していることに留意して下さい。 支配者の数 一人 少数 構成員全員 良好な形態 ①君主政体(monarchy) ②貴族政体(aristocracy) ③民主政体(democracy) 堕落した形態 ⑥僭主政体(tyranny) ⑤寡頭政体(oligarchy) ④衆愚政体(mobocracy) ※僭主(せんしゅ)とは、武力や大衆扇動などの非合法的な手段で支配者に成り上がった者をいい、統治の正統性を持つ君主と区別されます。 これらの政体間の変遷について様々な順序が考えられました。 例えば、プラトンは『国家』において、①完全国家(君主政体)⇒②名誉政体(貴族政体)⇒⑤寡頭政体(富裕層の支配)⇒③民主政体(自由すなわち無法の支配)⇒⑥僭主政体 …という順序で国家は一直線に堕落していくと考えました。 また、ポリュビオスは『歴史』において、①君主政体⇒⑥世襲により僭主政体に堕落⇒②貴族政体⇒⑤寡頭政体に堕落⇒③民主政体⇒④衆愚政体に堕落⇒再度①君主政体に戻る ・・・という順序で政体が循環すると考えました(政体循環論)。 こうした古代ギリシャ及びローマ世界の実経験に学んだ哲人・歴史家たちの研究は、以下のようにまとめられ、この認識が近代に至るまで長く統治者や知識人にとって政治に関する常識とされました。 (1) 良臣や賢者に支えられて理想の名君が統治する①君主政体が最良の政体(政治形態)である。 (2) 無知・無責任・強欲な貧民が大勢を占める一般民衆が政治を取り仕切る③民主政体は早晩、④衆愚政治に堕落する。 (3) ④衆愚政治の混乱の中から、大衆扇動に長けた人物が出て権力を奪取し、最悪の⑥僭主政体が出現する。 ◆政体変遷の実例 上記の古代ギリシャ・ローマの政体分類と政体変遷論を実例に当て嵌めて考察します。 国家 ①君主政体(monarchy) ③民主政体(democracy) ④衆愚政体(mobocracy) ⑥僭主政体(tyranny) その後 (1) 古代アテネ 王国 共和国 ペロポネソス戦争敗戦後三十僭主制 民主政体回復するも弱体化→マケドニア王国に服属 (2) 古代ローマ 王国 共和国 第一回三頭政治→カエサル(シーザー)独裁→第二回三頭政治 オクタヴィアヌスの統一→元首制を採用した安定的な帝政へ (3) 17世紀イギリス 王国(前期スチュワート朝) 長期議会の支配(名目上は王国) 共和国(残部議会) 共和国(護国卿O.クロムウェル独裁) クロムウェル死後息子R.クロムウェルが後継するも無能のため無政府状態に陥る→王政復古(後期スチュワート朝)→名誉革命(立憲君主政体確立) (4) 18世紀フランス 王国(前期ブルボン朝) 国民議会の支配(名目上は王国) 第一共和政(国民公会の支配→ジャコバン独裁→総裁政府) ナポレオン独裁(統領政府→第一帝政へ) ナポレオン戦争で敗北→王政復古(後期ブルボン朝)→七月王政(オルレアン朝) (5) 19世紀フランス 王国(オルレアン朝) 第二共和政 ルイ・ナポレオン独裁(共和国大統領→第二帝政へ) 普仏戦争で敗北→第三共和政でようやく安定 (6) 20世紀ドイツ 第二帝国 ワイマール共和国 ナチス独裁(第三帝国) 第二次大戦で敗北→西側のみ連邦共和国となり安定 (7) 20世紀ロシア 帝国(ロマノフ朝) 臨時政府(ケレンスキー首班) ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)…共産党一党独裁(レーニン→スターリン) 第二次大戦で勢力拡大→国内の圧政と長期の米ソ冷戦で疲弊→解体 (8) 20世紀中国 帝国(清朝) 中華民国…袁世凱独裁→軍閥割拠→蒋介石(国民党政府)独裁→国共内戦 中華人民共和国…共産党一党独裁(毛沢東→鄧小平) 共産党独裁は現在も継続 ■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立 上記の政体分類のうち良好な形態である、①君主政体、②貴族政体、③民主政体、の3つの各々の長所を組み合わせることにより、安定的で有能な政体が生まれることが、次第に経験的に認識されるようになりました。(混合政体mixed government) こうした混合政体では、各機関の権力の妥当する範囲や相互関係を調整するための合意が、慣習あるいは成文として明示され、各機関がそれを遵守することによって政体の安定性が担保されます。 分立された各機関の権力が、不文あるいは成文の国憲に拘束され、相互に抑制することにより権力の独占や濫用が防止される政体を立憲政体(constitutional government)といいます。 ◆混合政体の実例 国家 ①君主政体の要素 ②貴族政体の要素 ③民主政体の要素 (1) 古代ローマ(共和政) ①´コンスル(執政官) ②´元老院 ③´平民会・・・護民官を選任 (2) 古代ローマ(帝政) ①皇帝 ②´元老院(名目的) ③´平民会(名目的)・・・護民官(名目的)を選任 (3) イギリス ①国王 ②貴族院(上院) ③庶民院(下院)・・・首相を事実上選任 (4) アメリカ ①´大統領 ②´元老院(上院) ③代議院(下院) (5) フランス ①´大統領 ②´元老院(上院) ③国民議会(下院)・・・首相を選任 (6) ドイツ ①´大統領(名目的) ②´連邦参議院 ③連邦議会(下院)・・・首相を選任 (7) 日本(明治憲法下) ①天皇 ②貴族院 ③衆議院…首相を選任(1924-32) (8) 日本(現憲法下) ①天皇 ②´参議院 ③衆議院・・・首相を選任 ※①´は擬似君主的な要素、②´は擬似貴族的な要素 説明 権威と権力を保持 権威のみ保持 権力のみ保持 ◆古代ローマの混合政体 ギリシャ出身で共和制ローマの将軍小スキピオの家庭教師を務めた歴史家ポリュビオスは、ローマの共和政体が、①2名のコンスル(執政官)+②貴族階級の元老院+③平民階級の平民会および彼らの代表である2名の護民官、という君主政体・貴族政体・民主政体の3要素を複合しており、カルタゴやマケドニアなどのライバル国に比較して、はるかに安定的かつ有効に機能していることを指摘しました。 共和制ローマは、その後の領域拡大と経済発展による社会の複雑化に対して、従来の任期1年・2名という弱体なコンスル制では対処できなくなり、元老院を中心とする閥族派(スゥラ)と平民派(マリウス)の抗争(衆愚制)、軍事力や財力を背景にした有力政治家による三頭政治(寡頭制)やカエサル独裁(僭主制)の時期を経て、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスによる武力統一に至ります。 オクタヴィアヌスはローマ市民の感情に配慮して元老院の権威を尊重し、元老院から「第一の市民」(プリンケプス=元首)という称号を授けられて実質的にローマに帝政を敷くことになります。この元老院に代表される共和制の精神を加味した専制的ではない帝政を元首制(プリンキパトス)といい、アメリカ合衆国の政体(大統領+元老院+代議院)はこれを模して設計されるなど近代の政治制度にも大きな影響を及ぼしています。 その後ローマでは、ネロ・カリギュラなどの暴君も一時出ましたが、元老院の権威を受けて帝国を統治する五賢帝と呼ばれる名君が輩出して帝国は大いに繁栄しました。 ◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) 16世紀後半のエリザベス女王の統治下で大いに国力の伸張したイングランドは、女王に後継者がいなかったため縁戚のスコットランド国王を新国王に迎え入れました。 ところがカトリック教徒(スコットランドはカトリック国)であった新国王側は、新教徒(イングランド国教会や清教徒)に宗教的圧迫を加えたので、国王と議会が衝突し、清教徒であるO.クロムウェル率いる鉄騎兵が勇戦した議会側が勝利を収めました(清教徒革命)。 O.クロムウェルは国内の混乱を武力収拾すると、国王を処刑し、共和政(コモンウェルス)を樹立しました(護国卿政権)。 彼の死後、後を継いだR.クロムウェルは政治的に無能で、一時的に無政府状態に陥ったために、貴族など有力者は、大陸に亡命政権を立てていた王室に帰還を求めました(王政復古(1660))。 しかしカトリック教徒の国王側が、宗教政策で再度国民を圧迫したため、議会のトーリー・ホイッグ両党が連名でオランダに嫁いでいた新教徒のメアリー王女と夫のオレンジ公オランダ総督ウィリアムに『権利章典』の承認と引き換えに王位を差し出して、旧教徒の国王一家を追放しました(名誉革命)。 その後、メアリー女王の妹であるアン女王が即位した時期に、フランスに亡命していたカトリックの旧王一族の復位を避けるため、王位継承者を新教徒に限定する『王位継承法』が定められ、その規定に従って、アン女王没後に、ドイツから新教徒のハノーバー公が王位に迎え入れられました。(なおアン女王の時代に、イングランドとスコットランドが統一して連合王国(U.K.=イギリス)が誕生しています。) ドイツ生まれの新国王ジョージ1世は、英語が話せず閣議を主催できなかったために、ホイッグ党の指導者であったウォルポールがこれを代行し、議会の有力党の党首が国政を執る責任内閣制が生まれました。 こうして、イギリスにおいて「国王は君臨すれども統治せず」という政治原則、つまり、①権威(Authority)を体現する国王と、②権力(Power)を保持する議会という「権威と権力の分離」が確立されました。 国王と議会は、ともに『マグナ・カルタ』『権利請願』『権利章典』『王位継承法』などの成文法典や慣習化された不文律を含む国憲(constitution)を遵守し、国王のみならず、議会もまた「絶対無制限の権力」を行使することは許されません。 国王・議会・司法官が共に“法”(制定法ではなくコモン・ロー(慣習法たる祖法))に拘束され、 議会といえども無制限の権力を行使しえない原則を『法の支配』(rule of law)といい、 このように『法の支配』の下にある制限された君主政体を『立憲君主政体』といいます。 18世紀のイギリス法学者ブラックストーンは大著『イギリス法釈義』を著わして、「法の支配」の原則を定式化しました。 また19世紀後半に活躍したジャーナリストのウォルター・バジョットは『イギリス憲政論』を著わして、「権威(政府の尊厳的部分)と権力(政府の実用的部分)」が分離され安定的に運用されているイギリス政体を明瞭な筆致で分析・描写しました。 ブラックストーンの著作は、アメリカ合衆国の建設者たちに大いに参考にされ、バジョットの著作は明治憲法の制定に関わる論議に参考にされました。 ところが、バジョットの後に出た憲法学者のA.V.ダイシーは、主著『憲法序説』で、イギリス憲法の特徴を、①法の支配、②議会主権、③憲法慣習律、の3つであると定式化し、本来は、①法の支配と両立しないはずの、②議会主権(議会が最高権力を持つ)という説が流布したまま現在に至っています。 ◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) 1783年にイギリスから正式に独立を承認されたアメリカ東部13邦では、法制度の整備・運用に当たって、前述したブラックストーンの『イギリス法釈義』が大いに参考にされましたが、実体が曖昧な不文憲法ではなく、明文憲法を採択して政府の権限を明確化することが、分立した各邦との権限の境界を明確にする必要から強く求められ、世界最初の近代的成文憲法である「アメリカ合衆国憲法」が起草されて、各邦が激論の末に順次これを批准して、1788年にアメリカ合衆国が建国されました。 イギリス国王の権威から離れたアメリカでは、イギリス式の厳格な「権威と権力の分離」方式は困難でしたが、ローマ帝国の元首制や、ルネサンス期イタリアの共和国の国政を参考に、①国家元首たる大統領(擬似国王的な存在)、②元老院(Senate:上院、各州等分の議席配分で擬似貴族院的な存在)、③代議院(House of Representatives:下院、人口に比例して各州に議席を割り当てる平民院的な存在)の3機関を分立させ、①大統領、②元老院に権力と共に一定の権威を付与する方式を採用しました。 それと共に、違憲立法審査権を持つ強力な、④司法裁判所を設置して、特に議会の立法権を制約する仕組みを設け、行政(大統領府)・立法(議会)・司法(裁判所)、の三権が互にチェック バランスを行う厳格な三権分立方式を採用しました。 アメリカ式の成文憲法によって国政を規律する方式を『立憲主義』(constitutionalism)といい、 立憲主義に基づく民主政体を『立憲民主政体』といいます。 このように厳密には、イギリスは立憲君主政体(constitutional monarchy)であり、アメリカ合衆国は立憲民主政体(constitutional democracy)なのですが、イギリスにおいても、政府(立法および行政)の実権は選挙を通して一般民衆に保持されていると見なしうるので、これを民主的政府あるいは民主的政治(democratic government)と呼ぶ今日の用例が発生しました。 ◆なぜ混合政体が安定するのか? アメリカ型の厳格な権力分立が機能している場合を除いて、一般に権威と権力が未分離な前近代的政体においては、権力者による専制支配に陥りやすく、これを取り除くには、革命やクーデターによるしか方法がない。これに対して、 権威と権力が分離されている政体では、権力の所在が移動しても、 権威が不動であるために、政治的混乱に陥る危険が回避される。 つまり不動の権威の存在が、伝統と相まって、暴力によらない民主的な(=頭数を数えて行う)権力の交代を保障する。 現代においても多くのアジア・アフリカの新興諸国、最近までのラテン-アメリカ諸国が政治的に不安定なのは、①国内に伝統的な政治的権威の担い手が存在せず、②権力者の専制支配に陥りがちで、③それゆえに、アメリカ型の厳格な権力分立制度の確立も不可能だからである。 ■4.立憲政体の普及 欧州諸国は、安定的で有能な立憲政体を確立するまでに、各々数十年単位の混乱を経験することになりました。 こうした混乱のあとで出現した立憲政体は、次の3パターンに分類できます。 (1)権威と権力が明確に分離されたイギリス型の立憲君主政体(権力分立は不徹底) (2)厳格な権力分立によりCHECK BALANCEを機能させるアメリカ型の立憲民主政体 (3)上記の折衷型で、名目的な大統領と責任内閣制を採用した立憲民主政体 ◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 国家 混乱の開始 混乱のピーク 混乱の収束 混乱期間 混乱後に採用された政体 イギリス 清教徒革命(1640-49) クロムウェル独裁(1653-59) 名誉革命(1688) 49年間 イギリス型 フランス フランス大革命(1789-99) ジャコバン独裁(1793-94) 第三共和制発足(1871) 82年間 折衷型 ドイツ ドイツ革命・敗戦(1918) ナチス独裁(1933-45) ドイツ連邦共和国発足(1949) 32年間 折衷型 ロシア ロシア革命(1917) スターリン個人独裁(1924-53) ソ連邦崩壊・ロシア独立(1991) 74年間 アメリカ型 ◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 欧州諸国は、近代において各々、数十年規模の国内の混乱や戦争の経験を通じて、ようやくイギリス型の「権威と権力の分離」やアメリカ型の「厳格な三権分立」に保障された安定した立憲政体にたどり着いたのであるが、日本においては既に古代から、権威(天皇)と権力(蘇我氏・藤原氏など)の分離の伝統が自生しており、ことに中世期以降は、天皇(および公家)は専ら権威のみを保持し、権力は武士階級が保有するという二重構造が定着した。 幕末に欧米列強の脅威が高まると、従来の幕藩体制では有効な対処が出来ず、折から高まっていた尊皇攘夷の思想潮流に押し流される形で、徳川政権は、専ら権威のみを保持していた朝廷に対して、政治権力の返還を願い出るに至った(大政奉還)。 朝廷は、これを受け入れて王政復古の大号令を発したが、その直後に朝廷の実権を握る倒幕派公家が長州・薩摩など西国雄藩と図って、徳川家に将軍職のみならずその広大な領地の返還と内大臣職の辞官をも要求する挙に出たため、倒幕派と佐幕派の武力抗争が勃発した(戊辰戦争)。 しかしながら、緒戦の鳥羽伏見の戦で敗北した徳川家は朝廷の権威に対して恭順の態度に出たために、戊辰戦争は幕府と朝廷および薩長など西国雄藩の全面戦争とはならず、なお薩長の政権奪取の方式に不満を覚える佐幕派と討伐軍との局所的な武力抗争に留まり、まもなく薩長と公家が中核を占める維新政権が確立された。 ◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) 戊辰戦争で、江戸城開城の行われる1ヶ月前の1867年3月、京都において明治天皇が皇祖皇宗の神霊に誓う形式で、維新政権の基本方針を示した「五箇条のご誓文 」が宣布された。 そのご誓文は第一条に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と明記されており、維新政権においては、従来の武士階級による権力の独占ではなく、広く国民から意見を集めて国家の方針を決定することが示された。 五箇条御誓文(慶応4年(明治元年)3月14日) 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ 以降、この第一条を根拠に、国民各層の意見を求める具体的な制度の導入が官民双方から熱心に検討されるようになり、板垣退助らの自由民権運動(1874年以降)、国会開設の詔勅(1881)を経て、大日本帝国憲法発布(1889)、大日本帝国憲法施行・第一回衆議院選挙(1890)に至って、日本にも混合政体と代議制デモクラシーを備えた立憲政体が確立された。 薩長藩閥は、憲法制定当初はなお超然内閣(議会の動向とは独立した内閣)を主張する者が多かったが、まもなく円滑な政治運営のために議会と協調し多数派を獲得する方針に転換し、のちには議会で多数を占める党派から首相を選出する英国型の政治運営方式(「憲政の常道」と呼ばれる)が導入されるに至った(1924-32まで)。 代議制に関しては、なお当初は財産による制限により国民の中に占める有権者の割合が低かったが、国力の上昇とともに有権者の範囲は徐々に拡大されていき、大正期に入ると第二次護憲運動の成果によりついに男子普通選挙権が実現する運びとなった(1925年以降)。 このように戦前の日本には、当時の欧米諸国と全く遜色のない議会制デモクラシーが営まれていたのである。 ■5.大衆デモクラシーの発展と脅威 上記のように欧米や日本では、近代の国民国家の政体は、①混合政体を、不文または成文憲法によって保障する立憲政体として徐々に確立されていった。 その中で、混合政体のうち特に権力を代表する部分である民主政体部分は、古代ギリシャにおけるような直接デモクラシーではなく、有資格者が投票により選任する代議制デモクラシー(間接デモクラシー)として発展してきた。 有権者の範囲は、当初はどの国家も一定の財産などを前提とした一般民衆の中の限られた部分に過ぎなかったが、近代化が進み一般国民の間に政治的権利を求める動きが高まるに従って、段階的に有権者の範囲が拡大され、やがて一定年齢以上の国民に一律に投票権を付与する制度(普通選挙制度)が普及していった。 こうして成立した民主政体部分が肥大化した政治体制を、俗に大衆デモクラシー(mass democracy)という。 大衆デモクラシーは、立憲政体を生み出した当初の思想家たちが危惧したように、デモクラシーのモボクラシー化(衆愚政体化)の危険をもたらした。 君主政体・貴族政体・民主政体の混合した安定した政体として確立された近代の立憲政体が、その民主政体部分の肥大化によって、古代ギリシャ・ローマ時代からのセオリー(理論)どおりに、衆愚政治に接近していってしまう事態に至ったのである。 ◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 真正デモクラシー 衆愚政治(モボクラシー) 権力の制限 多数者の同意を得た権力であっても“法”(一般ルール)に従う必要がある。⇒制限された政府権力(自由と共存) 多数者の賛同を得た権力は無制限である⇒全能の政府権力(自由を圧殺=全体主義化) 憲法との関係 成文憲法は、憲法自体の規定により改訂できる。しかしその場合でも、真の憲法(constitution:国憲、国体)に違反する内容を定めることは出来ない 憲法(成文憲法)は、その時々の多数派の意向により自由に改訂できる。なお民衆の意思が全てに優先するので、成文憲法を超える真の憲法(国憲、国体)といったものは認められない(人定法主義) 立法権との関係 立法府が定めた法律であっても、司法府によって違憲(“法”(一般ルール)違反)とされる場合がある(司法府による違憲立法審査権の行使) 立法府が定めたものが法である。多数派の同意を得た立法府は無制限に法を定めうる。 思想的背景 英米法の伝統、イギリス経験論の伝統 大陸法の伝統、大陸合理論の伝統 ◆無制限デモクラシーは全体主義に至る 「政府が行うことは全て、多数者の同意を必要とする」というデモクラシーの原則は、「多数者の賛同があれば政府は無制限に権力を行使しうる」ということを決して意味しない。この両者は完全に別物である。 しかし、近代の歴史の教える所によれば、ことに20世紀の歴史では、有力な扇動者が「権力はもはや人民の手中にあるのだから、人民の権力を制限する必要はない」と訴えて、この主張が現実に実行に移された事例が幾つもある(人民主権論)。 こうして、デモクラシーはモボクラシー(衆愚政治)を経て、全体主義(totalitarianism)という新たな専制支配(autocracy)・独裁政治(tyranny)に変容する。 ◆なぜ我々は騙されるのか? 我々が、扇動者の悪魔の囁きにだまされてしまうのは、一つには「デモクラシーが(その来歴から見て)単なる手段(制度)であって目的ではない事」を理解し損ねるからである。 例えば日本語においては、「民主主義」という訳語自体が一つの誤解の元、あるいはトリックとなっている。 democracy は -ism(主義・思想)ではなく -cracy(制度)である。 このページの一番上に示した辞書による説明を見ても明らかなとおり、democracy は a system of government(政治あるいは政府の一制度)に過ぎず、日本語に訳す場合は「民主政体」「民主政治」が正しい。「民主主義」という言葉は日本語として既に定着はしているが、明らかな誤訳である。 ※もし「民主主義」(国家の主権が人民にあり、人民が主体となって全体の幸福・利益を図ることを目的とする主義・思想)という訳語を使うならば、それは democratism という余り使われない単語に対して使うのが正しい。 デモクラシーという制度は、それ自体が何か目的を持っているわけではないが、それが平和的な権力交代を可能にするほぼ唯一の政治的方法であり、その効用が高いために近代以降に世界の国々に順次普及していった制度である。 上に述べたような全体主義者によって詐称されたデモクラシー(人民民主主義)ではなく、真正のデモクラシーを採用する国々は、国民の大部分が①意見の形成と、②形成された意見の実現に向けて自発的に参加する事が期待できるので、短期はそうでなくとも、中長期的に見ると、小数のエリートが大多数の無力の人民の指導をする体制の国々に比較して、明らかに良好な政治的・経済的また文化的な成果を達成することが可能となるのである。 但し、歴史に明らかなとおり、デモクラシー(民主政体)は、扇動に弱いという弱点を抱えている。特に外部からの強い意図(イデオロギー)を持った誘導工作に弱いことが実証されている。 これを克服するためには、国民一人一人の情報識別能力の向上が必須であるが、一般に何時の時代・どのような地域をとっても、それは困難なことのようである。 ◆「国民主権」の誤用:「誰が支配するか」ではなく「いかに専制を防ぐか」 「誰が支配するか」という主権論は、ブルボン朝フランス王国のような「君主主権」を主張する者に対抗する上で一定の意味はあったであろうが、現代では「国民主権」(あるいは「人民主権」)つまり「国民全員(人民全員)が主権者である」と声高に唱えることに、果たしてどれだけ意味があるのだろうか? 「国民全員が主権者である」という言葉が、全体主義者によって「国民が同意したことは無制限に実行されてよい」という誘導に利用されていないだろうか? 「国民全員が主権者である」という言葉は、国民へのご機嫌取り的な含意を取り除けば、実質的には「何も言っていない」のと同じではないだろうか? 政治において、まず第一に考えるべきことは、「悪い政治」(専制支配)が出現する可能性を あらかじめ取り除く制度的な仕組みを整えておくことである。(制度的抑制) 「デモクラシー」が「民主主義」と誤訳され、それが一種のスローガン化(価値・目的化)している所では、この大事な視点が見失われがちである。 我々はむしろ「デモクラシー」を、それが平和的な権力移動を可能にするほぼ唯一の方法として基本的には評価しながらも、常に「衆愚政治(モボクラシー)」に堕落し易いものとして警戒し、それを防止する制度的仕組みを真剣に考案する必要がある。 ■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある ここで真正デモクラシーのあり方を再度確認しよう。 真正デモクラシーでは、権力は“法”(=一般ルール)によって制約される。 この原則を“法の支配”という。 なお、ここでいう“法”とは立法府の定める「法律」ではなくて、「真の憲法、国憲、国体」である。 ◆真の憲法(国憲、国体)とは何か 戦後教育を受けた我々にとって、憲法といえば成文憲法しか思い浮かばず、それが国家の唯一最高の法規だと多くの人が信じこんでいるが、戦前においては、そのようなことは決してなかったのである。 例えば、戦前において、「国体」という言葉の解釈を巡って激論が交わされたが、この「国体」という概念は、明治憲法の制定に先立って存在すると見なされ、明治憲法は国体を部分的に明文化したものである、という建前が取られていた。 戦後においても、例えば、日本国憲法第九条は、明確に軍隊の保有を禁止しているが、最高裁判所の憲法判断は「自衛隊は合憲」である。 最高裁判所の判決理由では、憲法の文言の一部を拡張解釈して「自衛隊は合憲」の結論を導出しているが、憲法がもし今ある成文憲法だけだとすれば、どう憲法を読んでも「自衛隊は明らかに武力を保有しているため違憲」という判断にしかならないはずである。 それでも自衛隊が合憲となるのは、成文憲法である日本国憲法より上位に“真の憲法=国憲・国体”が存在し、それが日本国民の当然の権利として、武力の保持を認めている(つまり現行憲法は、真の憲法=国憲・国体に違反している)と解釈するのが真っ当なあり方である。 こうした真の憲法=国憲・国体が、たとえ有権者の多数の賛同を得ても、立法府や行政府には、無制限の権力を行使して国民の自由を圧殺する権限は認められない、という一般ルールを定めている、と見なすのが、真正デモクラシーである。 真正デモクラシーは、“法”(一般ルール)に拘束され、無制限の権力を決して認めない。 この“法”を憲法(国憲・国体)という。この場合の憲法は成文憲法とは限らない。 ◆真の憲法(国憲・国体)の再叙述=自主憲法制定 明治憲法は、五箇条のご誓文(1867)宣布より23年の歳月をかけて、最終的に伊藤博文・井上馨・金子堅太郎・伊東巳代治の四名により編纂され1889年に発布された。 この間、国民各層から多様な民間試案が発表され、喧々諤々の激論が交わされた。 今の教科書では、明治憲法はプロイセン憲法を真似ただけの外見的立憲主義の非民主的憲法などと教わるが、これは全くの歪曲である。 上記4名の中で、伊藤博文はアメリカ憲法の注釈書『ザ・フェデラリスト』を終始参考にして憲法注釈に取り組んだことが知られており、金子堅太郎はイギリス保守思想の代表者エドマンド・バークの著作を部分訳ながら本邦初訳したことで知られる親英米派である。 伊藤博文が統一間もないドイツおよびオーストリアに憲法取調べに出向いて学んだのは、憲法の条文ではなくて、憲法を編纂する上での心構えである。すなわち「憲法は自国の歴史・伝統が体現されたものでなくてはならぬ」という歴史法学の方法論である。 こうして熟慮の末に日本の歴史・伝統を踏まえて編纂されたのが明治憲法であり、当時の日本は堂々の自主憲法を制定したのである。 もちろん明治憲法が、日本的な立憲体制と真正デモクラシーを制度的に保障する仕組みに欠けていたのは事実である。だが、それは明治憲法の欠陥というよりは時代的な制約であろうし、昭和初期の世界的な激動の中で立憲政体が機能不全に陥ったのは何も日本だけではないのである。 戦後まもなくに、GHQ作成原文を翻訳して作った日本国憲法には、当然ながら日本の歴史・伝統への考慮はない。日本の真の憲法(国憲・国体)を汲んでいないのである。(加えて、日本の安全保障への考慮すらない亡国憲法である。) 明治の先達に倣って、①日本の歴史・伝統を踏まえ、②真正デモクラシーの制度的保障を備えた、自主憲法を制定するために国民各層が目覚めることが必要である。 ■7.参考図書 『法と立法と自由』(全3巻)F.A.ハイエク著(1971-79) 第一部:ルールと秩序第二部:社会正義の幻想第三部:自由人の政治的秩序 【関連】 リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 保守主義とは何か 国家解体思想の正体 日本国憲法改正問題(上級編) 明治憲法の真実 ■8.ご意見、情報提供 ページ内容向上のためのご意見・情報提供を歓迎します。 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 今度の参院選は我が国の大衆デモクラシーの衆愚度合いが問われる選挙になるものと覚悟せざるを得ない。内容的にまだまだ粗いと思うが、そうした衆愚政治の問題を考えていくために当ページをとりあえず作成しました。 -- ページ作成者 (2010-06-14 21 54 07) 凄く良いページですね -- 名無しさん (2010-12-03 17 21 44) 「自衛隊は合憲」とはいつのどの判例でしょうか? 詳しく知りたいのですが……。 -- 名無しさん (2011-10-04 21 52 40) 「民主主義」や「人権」を -- 名無しさん (2012-01-01 01 48 29) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。 -- 名無しさん (2012-01-01 01 49 58) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」 -- 名無しさん (2012-01-01 01 52 23) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」と「立法(Legislation )」を峻別し、立法権(国会)を法の支配に服せしめることが求められていると思います -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 55 13) コメントが重複しました。申し訳ありません。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 56 47) 民主主義への批判として全体主義を持ってくるのは適切ではないと思うなあ。 確かに民主主義は時として全体主義に堕する。しかしじゃあ民主主義以外の政体なら全体主義に陥らないかっつーとそんなことはないし。 例えば戦前の日本は明らかに「混合政体」であり「無制限のデモクラシー」ではなかったけど、全体主義に陥ったわけで。 後、民主主義を掣肘するものとして「国体」を持ってくるのもどうだろう? 成文憲法の方が内容が具体的で明確な分良いと思うけど。成文憲法に欠陥があるなら改正すればいいし。 -- 名無しさん (2013-10-14 17 07 55)朝鮮半島や中国大陸は、それで国家自体が何度も180度変化し、興亡が繰り返された歴史事実もあります。よい伝統を成分化するのが「憲法」の成り立ちであり、人定法主義に基づく成分憲法が日本国憲法なわけです(恐らく筆者自体は不文憲法がいいと言っている訳でなく、慣習法の成分化をすべきという点で成分憲法を評価しているのではないでしょうか?) - 名無しさん 2016-02-17 21 44 03 以下は最新コメント表示 今度の参院選は我が国の大衆デモクラシーの衆愚度合いが問われる選挙になるものと覚悟せざるを得ない。内容的にまだまだ粗いと思うが、そうした衆愚政治の問題を考えていくために当ページをとりあえず作成しました。 -- ページ作成者 (2010-06-14 21 54 07) 凄く良いページですね -- 名無しさん (2010-12-03 17 21 44) 「自衛隊は合憲」とはいつのどの判例でしょうか? 詳しく知りたいのですが……。 -- 名無しさん (2011-10-04 21 52 40) 「民主主義」や「人権」を -- 名無しさん (2012-01-01 01 48 29) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。 -- 名無しさん (2012-01-01 01 49 58) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」 -- 名無しさん (2012-01-01 01 52 23) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」と「立法(Legislation )」を峻別し、立法権(国会)を法の支配に服せしめることが求められていると思います -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 55 13) コメントが重複しました。申し訳ありません。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 56 47) 民主主義への批判として全体主義を持ってくるのは適切ではないと思うなあ。 確かに民主主義は時として全体主義に堕する。しかしじゃあ民主主義以外の政体なら全体主義に陥らないかっつーとそんなことはないし。 例えば戦前の日本は明らかに「混合政体」であり「無制限のデモクラシー」ではなかったけど、全体主義に陥ったわけで。 後、民主主義を掣肘するものとして「国体」を持ってくるのもどうだろう? 成文憲法の方が内容が具体的で明確な分良いと思うけど。成文憲法に欠陥があるなら改正すればいいし。 -- 名無しさん (2013-10-14 17 07 55)朝鮮半島や中国大陸は、それで国家自体が何度も180度変化し、興亡が繰り返された歴史事実もあります。よい伝統を成分化するのが「憲法」の成り立ちであり、人定法主義に基づく成分憲法が日本国憲法なわけです(恐らく筆者自体は不文憲法がいいと言っている訳でなく、慣習法の成分化をすべきという点で成分憲法を評価しているのではないでしょうか?) - 名無しさん 2016-02-17 21 44 03 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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「法の支配」が「立法者の支配」と化するとき、少なくとも原則として、人類史上先例のない「法の名において」の圧制への道が開かれる。 ~ G.サルトーリ(アメリカの政治学者) 『デモクラシーの理論』(1965年) 通常は「民主主義」と翻訳されるデモクラシー(democracy)の真実を考察するページ <目次> ■1.デモクラシーとは何か◆藤井厳喜(国際政治学者)WEBサイト 第01講「デモクラシーとは何だろう?」 ◆辞書による説明 ◆自由主義思想家による説明 ■2.政体分類と政体変遷論◆古代ギリシャ・ローマの政体論 ◆政体変遷の実例 ■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立◆混合政体の実例 ◆古代ローマの混合政体 ◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) ◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) ◆なぜ混合政体が安定するのか? ■4.立憲政体の普及◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 ◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 ◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) ■5.大衆デモクラシーの発展と脅威◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 ◆無制限デモクラシーは全体主義に至る ◆なぜ我々は騙されるのか? ◆「国民主権」の誤用:「誰が支配するか」ではなく「いかに専制を防ぐか」 ■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある◆真の憲法(国憲、国体)とは何か ◆真の憲法(国憲・国体)の再叙述=自主憲法制定 ■7.参考図書 ■8.ご意見、情報提供 ■1.デモクラシーとは何か ◆藤井厳喜(国際政治学者)WEBサイト 第01講「デモクラシーとは何だろう?」 http //www.nicovideo.jp/watch/sm9721169 藤井厳喜アカデミー【国民の為の政治学】第01講「デモクラシーとは何だろう?」(平成22年2月12日) (コメントを消す場合は、画面にカーソルを当て右隅のマークをクリックしてください。) http //www.nicovideo.jp/watch/sm9721520 藤井厳喜アカデミー【国民の為の政治学】第01講「デモクラシーとは何だろう?」特別補足篇 (コメントを消す場合は、画面にカーソルを当て右隅のマークをクリックしてください。) ◆辞書による説明 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(democracyの項)より全文翻訳 最高権力が一般民衆(the people)に帰属しており、彼らが、 1 直接的に、または、 2 通常は定期的な自由選挙に係る代議制度を通して間接的に、最高権力を行使する政治形態(form of government)。 直接民主政体(direct democracy)においては、公衆(the public)は政治に直接参加する(例として、①古代ギリシャの幾つかの都市国家、②ニュー・イングランドの幾つかのタウン・ミーティング、③近代スイスのカントン)。 今日の殆どのデモクラシーは代議制である。代議制民主政体(representative democrasy)は、欧州中世期から啓蒙期を通して発展した理念と制度によって、そしてアメリカとフランスの革命において大きく興起した。 デモクラシーは今日では、①普通選挙、②公職を巡る競争、③言論と出版の自由、④法の支配、を当然に含意するものとなっている。 デモクラシー(民主政体) 1 直接デモクラシー 古代ギリシャの幾つかの都市国家(アテネなど)、スイスのカントン(小郡) の2つの形態 2 間接デモクラシー(代議制デモクラシー) 近代以降の殆どの国民国家(nation state)で採用されているデモクラシー (2) オックスフォード英語事典(democracyの項)より抜粋翻訳 ・全人口集団または一国家の全有資格者による政体(a system of government:政治形態)であって、典型的には選出された代議員を通して行われる。 語源(ギリシャ語) democratia ← demos(=the people:一般民衆) + -cratia(=power, rule 権力、支配)⇒「一般民衆による権力、支配」 (3) コウビルド英語事典(democracyの項)より全文翻訳 1 ・デモクラシー(democracy)とは、人々(people)が投票によって自身の支配者を選出する政体(a system of government)である。 2 ・デモクラシー(a democracy)とは、一般民衆(the people)が投票によって自身の政府を選出する国家(a country)である。 3 ・デモクラシー(democracy)とは、組織や企業やグループを運営する制度(a system)であって、各々のメンバーは投票と諸決定への参加の資格が付与されている。 ◆自由主義思想家による説明 (1) J.F.スティーブン(英国コモン・ロー学者、王座裁判所判事)『自由、平等、友愛』(1873) 「我々は、支配者を打倒する代わりに、頭数を数えることで力を試すことに同意している。…勝利を得るのは、最も賢明な人々の側ではなく、当分の間、優越的な力(疑いもなく、叡智がその中の一要素である)を、最大多数の積極的共感を支持に取り付ける事によって示す側にある。少数派は譲歩するが、それは、間違っていると確信するからではなく、少数派だと確信するからである。」 (2) K.R.ポパー(オーストリア出身でナチス支配期に英国に帰化した科学哲学者)『開かれた社会とその敵』(1945) 「・・・というのは二つの主要なタイプの政府が区別されるかも知れないからである 1 第一のタイプは、血を流すことなく-例えば総選挙によって-排除することの出来る政府から成る。即ち①社会制度は統治者が被統治者によって追い払われる手段を提供し、②社会的伝統はこれらの制度が権力を握っている人々によって容易に破棄されないことを保証する。 2 第二のタイプは、被統治者が革命の成功による以外-即ち大抵の場合、全く-排除することの出来ない政府から成る。 私は「民主政体(democracy)」という用語を第一のタイプの政府、また「専制政体(autocracy)」や「独裁政体(tyranny)」という用語を第二のタイプに対する速記表現として提案する。これは伝統的な語法に一致すると思われる。」 (3) L.ミーゼス(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者)『人間行為論』(1949) 「国内の平和のために、自由主義は民主政体的政府(democratic government)を目指す。それゆえ、民主政体(democracy)は革命的制度ではない。それどころか、それは革命や内乱を防ぐまさしく手段なのである。民主政体(democracy)は、政治を多数者の意思に平和的に適合させるための手段を提供する。」 (4) F.A.ハイエク(オーストリア出身でナチス支配期にイギリスに帰化した経済学者・法哲学者・政治思想家)『法と立法と自由(第3巻):自由人の政治的秩序』(1979) 「政治的理想を表現する大部分の用語の宿命であると思われるが、「デモクラシー」はその用語の本来の意味とはほとんど関係のない様々な事柄を記述するために使われてきたし、今でも、実際に意味されるものが「平等(equality)」であるところで、しばしば使われている。 1 厳密に言えば、それは、政府の裁決を決定するための方法、ないしは手続きに関係するのであって 2 政府の何らかの実質的な善、あるいは狙い(例えば一種の物質的平等)に関係するものでも、非政府組織(例えば教育・医療・軍事あるいは商業に関する組織)に合理的に適用できる方法でもない。これらの誤用はいずれも「デモクラシー」という言葉からあらゆる明確な意味を奪っている。」 「デモクラシーは、専制支配(autocracy)から我々を保護する唯一のもの(例え、その現行形態においては確かなものでないにしても)であるために、固守するに値する理想である、ということである。」「今までに発見された平和的な政権交代の唯一の方法として、それは消極的な価値ではあるが、最高の価値の一つである。それは疫病に対する予防策に匹敵する。」 (5) J.A.シュンペーター(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者、但し自由主義より社会主義的傾向が強い)『資本主義、社会主義、デモクラシー』(1942) 「デモクラシーは一つの政治的な方法である。即ちデモクラシーは、政治的-立法的・行政的な-決定に到達するためのある型の制度的装置であって、従って、一定の歴史的条件下で、それが生み出すどんな結果にも関係なく、それ自体では目的となり得ないものである。」 ■2.政体分類と政体変遷論 ◆古代ギリシャ・ローマの政体論 古代ギリシャ/ローマ世界において、プラトン/アリストテレス/ポリュビオスといった哲人・歴史家が様々な政体の分類と変転原因を研究しています。 (1)支配者の数、と、(2)統治の状態(良好か堕落しているか)の2つの基準に着目した彼らの分類は、近代以降の各国の政体変動の分析にも大いに参考になります。 ただし後述のように、これらの分類には、近代の国民国家が革命・内乱・戦争の末にようやく確立した(3)「権威と権力の分離」や「権力分立」という政体安定化のための重要要素の観点が欠落していることに留意して下さい。 支配者の数 一人 少数 構成員全員 良好な形態 ①君主政体(monarchy) ②貴族政体(aristocracy) ③民主政体(democracy) 堕落した形態 ⑥僭主政体(tyranny) ⑤寡頭政体(oligarchy) ④衆愚政体(mobocracy) ※僭主(せんしゅ)とは、武力や大衆扇動などの非合法的な手段で支配者に成り上がった者をいい、統治の正統性を持つ君主と区別されます。 これらの政体間の変遷について様々な順序が考えられました。 例えば、プラトンは『国家』において、①完全国家(君主政体)⇒②名誉政体(貴族政体)⇒⑤寡頭政体(富裕層の支配)⇒③民主政体(自由すなわち無法の支配)⇒⑥僭主政体 …という順序で国家は一直線に堕落していくと考えました。 また、ポリュビオスは『歴史』において、①君主政体⇒⑥世襲により僭主政体に堕落⇒②貴族政体⇒⑤寡頭政体に堕落⇒③民主政体⇒④衆愚政体に堕落⇒再度①君主政体に戻る ・・・という順序で政体が循環すると考えました(政体循環論)。 こうした古代ギリシャ及びローマ世界の実経験に学んだ哲人・歴史家たちの研究は、以下のようにまとめられ、この認識が近代に至るまで長く統治者や知識人にとって政治に関する常識とされました。 (1) 良臣や賢者に支えられて理想の名君が統治する①君主政体が最良の政体(政治形態)である。 (2) 無知・無責任・強欲な貧民が大勢を占める一般民衆が政治を取り仕切る③民主政体は早晩、④衆愚政治に堕落する。 (3) ④衆愚政治の混乱の中から、大衆扇動に長けた人物が出て権力を奪取し、最悪の⑥僭主政体が出現する。 ◆政体変遷の実例 上記の古代ギリシャ・ローマの政体分類と政体変遷論を実例に当て嵌めて考察します。 国家 ①君主政体(monarchy) ③民主政体(democracy) ④衆愚政体(mobocracy) ⑥僭主政体(tyranny) その後 (1) 古代アテネ 王国 共和国 ペロポネソス戦争敗戦後三十僭主制 民主政体回復するも弱体化→マケドニア王国に服属 (2) 古代ローマ 王国 共和国 第一回三頭政治→カエサル(シーザー)独裁→第二回三頭政治 オクタヴィアヌスの統一→元首制を採用した安定的な帝政へ (3) 17世紀イギリス 王国(前期スチュワート朝) 長期議会の支配(名目上は王国) 共和国(残部議会) 共和国(護国卿O.クロムウェル独裁) クロムウェル死後息子R.クロムウェルが後継するも無能のため無政府状態に陥る→王政復古(後期スチュワート朝)→名誉革命(立憲君主政体確立) (4) 18世紀フランス 王国(前期ブルボン朝) 国民議会の支配(名目上は王国) 第一共和政(国民公会の支配→ジャコバン独裁→総裁政府) ナポレオン独裁(統領政府→第一帝政へ) ナポレオン戦争で敗北→王政復古(後期ブルボン朝)→七月王政(オルレアン朝) (5) 19世紀フランス 王国(オルレアン朝) 第二共和政 ルイ・ナポレオン独裁(共和国大統領→第二帝政へ) 普仏戦争で敗北→第三共和政でようやく安定 (6) 20世紀ドイツ 第二帝国 ワイマール共和国 ナチス独裁(第三帝国) 第二次大戦で敗北→西側のみ連邦共和国となり安定 (7) 20世紀ロシア 帝国(ロマノフ朝) 臨時政府(ケレンスキー首班) ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)…共産党一党独裁(レーニン→スターリン) 第二次大戦で勢力拡大→国内の圧政と長期の米ソ冷戦で疲弊→解体 (8) 20世紀中国 帝国(清朝) 中華民国…袁世凱独裁→軍閥割拠→蒋介石(国民党政府)独裁→国共内戦 中華人民共和国…共産党一党独裁(毛沢東→鄧小平) 共産党独裁は現在も継続 ■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立 上記の政体分類のうち良好な形態である、①君主政体、②貴族政体、③民主政体、の3つの各々の長所を組み合わせることにより、安定的で有能な政体が生まれることが、次第に経験的に認識されるようになりました。(混合政体mixed government) こうした混合政体では、各機関の権力の妥当する範囲や相互関係を調整するための合意が、慣習あるいは成文として明示され、各機関がそれを遵守することによって政体の安定性が担保されます。 分立された各機関の権力が、不文あるいは成文の国憲に拘束され、相互に抑制することにより権力の独占や濫用が防止される政体を立憲政体(constitutional government)といいます。 ◆混合政体の実例 国家 ①君主政体の要素 ②貴族政体の要素 ③民主政体の要素 (1) 古代ローマ(共和政) ①´コンスル(執政官) ②´元老院 ③´平民会・・・護民官を選任 (2) 古代ローマ(帝政) ①皇帝 ②´元老院(名目的) ③´平民会(名目的)・・・護民官(名目的)を選任 (3) イギリス ①国王 ②貴族院(上院) ③庶民院(下院)・・・首相を事実上選任 (4) アメリカ ①´大統領 ②´元老院(上院) ③代議院(下院) (5) フランス ①´大統領 ②´元老院(上院) ③国民議会(下院)・・・首相を選任 (6) ドイツ ①´大統領(名目的) ②´連邦参議院 ③連邦議会(下院)・・・首相を選任 (7) 日本(明治憲法下) ①天皇 ②貴族院 ③衆議院…首相を選任(1924-32) (8) 日本(現憲法下) ①天皇 ②´参議院 ③衆議院・・・首相を選任 ※①´は擬似君主的な要素、②´は擬似貴族的な要素 説明 権威と権力を保持 権威のみ保持 権力のみ保持 ◆古代ローマの混合政体 ギリシャ出身で共和制ローマの将軍小スキピオの家庭教師を務めた歴史家ポリュビオスは、ローマの共和政体が、①2名のコンスル(執政官)+②貴族階級の元老院+③平民階級の平民会および彼らの代表である2名の護民官、という君主政体・貴族政体・民主政体の3要素を複合しており、カルタゴやマケドニアなどのライバル国に比較して、はるかに安定的かつ有効に機能していることを指摘しました。 共和制ローマは、その後の領域拡大と経済発展による社会の複雑化に対して、従来の任期1年・2名という弱体なコンスル制では対処できなくなり、元老院を中心とする閥族派(スゥラ)と平民派(マリウス)の抗争(衆愚制)、軍事力や財力を背景にした有力政治家による三頭政治(寡頭制)やカエサル独裁(僭主制)の時期を経て、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスによる武力統一に至ります。 オクタヴィアヌスはローマ市民の感情に配慮して元老院の権威を尊重し、元老院から「第一の市民」(プリンケプス=元首)という称号を授けられて実質的にローマに帝政を敷くことになります。この元老院に代表される共和制の精神を加味した専制的ではない帝政を元首制(プリンキパトス)といい、アメリカ合衆国の政体(大統領+元老院+代議院)はこれを模して設計されるなど近代の政治制度にも大きな影響を及ぼしています。 その後ローマでは、ネロ・カリギュラなどの暴君も一時出ましたが、元老院の権威を受けて帝国を統治する五賢帝と呼ばれる名君が輩出して帝国は大いに繁栄しました。 ◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) 16世紀後半のエリザベス女王の統治下で大いに国力の伸張したイングランドは、女王に後継者がいなかったため縁戚のスコットランド国王を新国王に迎え入れました。 ところがカトリック教徒(スコットランドはカトリック国)であった新国王側は、新教徒(イングランド国教会や清教徒)に宗教的圧迫を加えたので、国王と議会が衝突し、清教徒であるO.クロムウェル率いる鉄騎兵が勇戦した議会側が勝利を収めました(清教徒革命)。 O.クロムウェルは国内の混乱を武力収拾すると、国王を処刑し、共和政(コモンウェルス)を樹立しました(護国卿政権)。 彼の死後、後を継いだR.クロムウェルは政治的に無能で、一時的に無政府状態に陥ったために、貴族など有力者は、大陸に亡命政権を立てていた王室に帰還を求めました(王政復古(1660))。 しかしカトリック教徒の国王側が、宗教政策で再度国民を圧迫したため、議会のトーリー・ホイッグ両党が連名でオランダに嫁いでいた新教徒のメアリー王女と夫のオレンジ公オランダ総督ウィリアムに『権利章典』の承認と引き換えに王位を差し出して、旧教徒の国王一家を追放しました(名誉革命)。 その後、メアリー女王の妹であるアン女王が即位した時期に、フランスに亡命していたカトリックの旧王一族の復位を避けるため、王位継承者を新教徒に限定する『王位継承法』が定められ、その規定に従って、アン女王没後に、ドイツから新教徒のハノーバー公が王位に迎え入れられました。(なおアン女王の時代に、イングランドとスコットランドが統一して連合王国(U.K.=イギリス)が誕生しています。) ドイツ生まれの新国王ジョージ1世は、英語が話せず閣議を主催できなかったために、ホイッグ党の指導者であったウォルポールがこれを代行し、議会の有力党の党首が国政を執る責任内閣制が生まれました。 こうして、イギリスにおいて「国王は君臨すれども統治せず」という政治原則、つまり、①権威(Authority)を体現する国王と、②権力(Power)を保持する議会という「権威と権力の分離」が確立されました。 国王と議会は、ともに『マグナ・カルタ』『権利請願』『権利章典』『王位継承法』などの成文法典や慣習化された不文律を含む国憲(constitution)を遵守し、国王のみならず、議会もまた「絶対無制限の権力」を行使することは許されません。 国王・議会・司法官が共に“法”(制定法ではなくコモン・ロー(慣習法たる祖法))に拘束され、 議会といえども無制限の権力を行使しえない原則を『法の支配』(rule of law)といい、 このように『法の支配』の下にある制限された君主政体を『立憲君主政体』といいます。 18世紀のイギリス法学者ブラックストーンは大著『イギリス法釈義』を著わして、「法の支配」の原則を定式化しました。 また19世紀後半に活躍したジャーナリストのウォルター・バジョットは『イギリス憲政論』を著わして、「権威(政府の尊厳的部分)と権力(政府の実用的部分)」が分離され安定的に運用されているイギリス政体を明瞭な筆致で分析・描写しました。 ブラックストーンの著作は、アメリカ合衆国の建設者たちに大いに参考にされ、バジョットの著作は明治憲法の制定に関わる論議に参考にされました。 ところが、バジョットの後に出た憲法学者のA.V.ダイシーは、主著『憲法序説』で、イギリス憲法の特徴を、①法の支配、②議会主権、③憲法慣習律、の3つであると定式化し、本来は、①法の支配と両立しないはずの、②議会主権(議会が最高権力を持つ)という説が流布したまま現在に至っています。 ◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) 1783年にイギリスから正式に独立を承認されたアメリカ東部13邦では、法制度の整備・運用に当たって、前述したブラックストーンの『イギリス法釈義』が大いに参考にされましたが、実体が曖昧な不文憲法ではなく、明文憲法を採択して政府の権限を明確化することが、分立した各邦との権限の境界を明確にする必要から強く求められ、世界最初の近代的成文憲法である「アメリカ合衆国憲法」が起草されて、各邦が激論の末に順次これを批准して、1788年にアメリカ合衆国が建国されました。 イギリス国王の権威から離れたアメリカでは、イギリス式の厳格な「権威と権力の分離」方式は困難でしたが、ローマ帝国の元首制や、ルネサンス期イタリアの共和国の国政を参考に、①国家元首たる大統領(擬似国王的な存在)、②元老院(Senate:上院、各州等分の議席配分で擬似貴族院的な存在)、③代議院(House of Representatives:下院、人口に比例して各州に議席を割り当てる平民院的な存在)の3機関を分立させ、①大統領、②元老院に権力と共に一定の権威を付与する方式を採用しました。 それと共に、違憲立法審査権を持つ強力な、④司法裁判所を設置して、特に議会の立法権を制約する仕組みを設け、行政(大統領府)・立法(議会)・司法(裁判所)、の三権が互にチェック バランスを行う厳格な三権分立方式を採用しました。 アメリカ式の成文憲法によって国政を規律する方式を『立憲主義』(constitutionalism)といい、 立憲主義に基づく民主政体を『立憲民主政体』といいます。 このように厳密には、イギリスは立憲君主政体(constitutional monarchy)であり、アメリカ合衆国は立憲民主政体(constitutional democracy)なのですが、イギリスにおいても、政府(立法および行政)の実権は選挙を通して一般民衆に保持されていると見なしうるので、これを民主的政府あるいは民主的政治(democratic government)と呼ぶ今日の用例が発生しました。 ◆なぜ混合政体が安定するのか? アメリカ型の厳格な権力分立が機能している場合を除いて、一般に権威と権力が未分離な前近代的政体においては、権力者による専制支配に陥りやすく、これを取り除くには、革命やクーデターによるしか方法がない。これに対して、 権威と権力が分離されている政体では、権力の所在が移動しても、 権威が不動であるために、政治的混乱に陥る危険が回避される。 つまり不動の権威の存在が、伝統と相まって、暴力によらない民主的な(=頭数を数えて行う)権力の交代を保障する。 現代においても多くのアジア・アフリカの新興諸国、最近までのラテン-アメリカ諸国が政治的に不安定なのは、①国内に伝統的な政治的権威の担い手が存在せず、②権力者の専制支配に陥りがちで、③それゆえに、アメリカ型の厳格な権力分立制度の確立も不可能だからである。 ■4.立憲政体の普及 欧州諸国は、安定的で有能な立憲政体を確立するまでに、各々数十年単位の混乱を経験することになりました。 こうした混乱のあとで出現した立憲政体は、次の3パターンに分類できます。 (1)権威と権力が明確に分離されたイギリス型の立憲君主政体(権力分立は不徹底) (2)厳格な権力分立によりCHECK BALANCEを機能させるアメリカ型の立憲民主政体 (3)上記の折衷型で、名目的な大統領と責任内閣制を採用した立憲民主政体 ◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 国家 混乱の開始 混乱のピーク 混乱の収束 混乱期間 混乱後に採用された政体 イギリス 清教徒革命(1640-49) クロムウェル独裁(1653-59) 名誉革命(1688) 49年間 イギリス型 フランス フランス大革命(1789-99) ジャコバン独裁(1793-94) 第三共和制発足(1871) 82年間 折衷型 ドイツ ドイツ革命・敗戦(1918) ナチス独裁(1933-45) ドイツ連邦共和国発足(1949) 32年間 折衷型 ロシア ロシア革命(1917) スターリン個人独裁(1924-53) ソ連邦崩壊・ロシア独立(1991) 74年間 アメリカ型 ◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 欧州諸国は、近代において各々、数十年規模の国内の混乱や戦争の経験を通じて、ようやくイギリス型の「権威と権力の分離」やアメリカ型の「厳格な三権分立」に保障された安定した立憲政体にたどり着いたのであるが、日本においては既に古代から、権威(天皇)と権力(蘇我氏・藤原氏など)の分離の伝統が自生しており、ことに中世期以降は、天皇(および公家)は専ら権威のみを保持し、権力は武士階級が保有するという二重構造が定着した。 幕末に欧米列強の脅威が高まると、従来の幕藩体制では有効な対処が出来ず、折から高まっていた尊皇攘夷の思想潮流に押し流される形で、徳川政権は、専ら権威のみを保持していた朝廷に対して、政治権力の返還を願い出るに至った(大政奉還)。 朝廷は、これを受け入れて王政復古の大号令を発したが、その直後に朝廷の実権を握る倒幕派公家が長州・薩摩など西国雄藩と図って、徳川家に将軍職のみならずその広大な領地の返還と内大臣職の辞官をも要求する挙に出たため、倒幕派と佐幕派の武力抗争が勃発した(戊辰戦争)。 しかしながら、緒戦の鳥羽伏見の戦で敗北した徳川家は朝廷の権威に対して恭順の態度に出たために、戊辰戦争は幕府と朝廷および薩長など西国雄藩の全面戦争とはならず、なお薩長の政権奪取の方式に不満を覚える佐幕派と討伐軍との局所的な武力抗争に留まり、まもなく薩長と公家が中核を占める維新政権が確立された。 ◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) 戊辰戦争で、江戸城開城の行われる1ヶ月前の1867年3月、京都において明治天皇が皇祖皇宗の神霊に誓う形式で、維新政権の基本方針を示した「五箇条のご誓文」が宣布された。 そのご誓文は第一条に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と明記されており、維新政権においては、従来の武士階級による権力の独占ではなく、広く国民から意見を集めて国家の方針を決定することが示された。 五箇条御誓文(慶応4年(明治元年)3月14日) 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ 以降、この第一条を根拠に、国民各層の意見を求める具体的な制度の導入が官民双方から熱心に検討されるようになり、板垣退助らの自由民権運動(1874年以降)、国会開設の詔勅(1881)を経て、大日本帝国憲法発布(1889)、大日本帝国憲法施行・第一回衆議院選挙(1890)に至って、日本にも混合政体と代議制デモクラシーを備えた立憲政体が確立された。 薩長藩閥は、憲法制定当初はなお超然内閣(議会の動向とは独立した内閣)を主張する者が多かったが、まもなく円滑な政治運営のために議会と協調し多数派を獲得する方針に転換し、のちには議会で多数を占める党派から首相を選出する英国型の政治運営方式(「憲政の常道」と呼ばれる)が導入されるに至った(1924-32まで)。 代議制に関しては、なお当初は財産による制限により国民の中に占める有権者の割合が低かったが、国力の上昇とともに有権者の範囲は徐々に拡大されていき、大正期に入ると第二次護憲運動の成果によりついに男子普通選挙権が実現する運びとなった(1925年以降)。 このように戦前の日本には、当時の欧米諸国と全く遜色のない議会制デモクラシーが営まれていたのである。 ■5.大衆デモクラシーの発展と脅威 上記のように欧米や日本では、近代の国民国家の政体は、①混合政体を、不文または成文憲法によって保障する立憲政体として徐々に確立されていった。 その中で、混合政体のうち特に権力を代表する部分である民主政体部分は、古代ギリシャにおけるような直接デモクラシーではなく、有資格者が投票により選任する代議制デモクラシー(間接デモクラシー)として発展してきた。 有権者の範囲は、当初はどの国家も一定の財産などを前提とした一般民衆の中の限られた部分に過ぎなかったが、近代化が進み一般国民の間に政治的権利を求める動きが高まるに従って、段階的に有権者の範囲が拡大され、やがて一定年齢以上の国民に一律に投票権を付与する制度(普通選挙制度)が普及していった。 こうして成立した民主政体部分が肥大化した政治体制を、俗に大衆デモクラシー(mass democracy)という。 大衆デモクラシーは、立憲政体を生み出した当初の思想家たちが危惧したように、デモクラシーのモボクラシー化(衆愚政体化)の危険をもたらした。 君主政体・貴族政体・民主政体の混合した安定した政体として確立された近代の立憲政体が、その民主政体部分の肥大化によって、古代ギリシャ・ローマ時代からのセオリー(理論)どおりに、衆愚政治に接近していってしまう事態に至ったのである。 ◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 真正デモクラシー 衆愚政治(モボクラシー) 権力の制限 多数者の同意を得た権力であっても“法”(一般ルール)に従う必要がある。⇒制限された政府権力(自由と共存) 多数者の賛同を得た権力は無制限である⇒全能の政府権力(自由を圧殺=全体主義化) 憲法との関係 成文憲法は、憲法自体の規定により改訂できる。しかしその場合でも、真の憲法(constitution:国憲、国体)に違反する内容を定めることは出来ない 憲法(成文憲法)は、その時々の多数派の意向により自由に改訂できる。なお民衆の意思が全てに優先するので、成文憲法を超える真の憲法(国憲、国体)といったものは認められない(人定法主義) 立法権との関係 立法府が定めた法律であっても、司法府によって違憲(“法”(一般ルール)違反)とされる場合がある(司法府による違憲立法審査権の行使) 立法府が定めたものが法である。多数派の同意を得た立法府は無制限に法を定めうる。 思想的背景 英米法の伝統、イギリス経験論の伝統 大陸法の伝統、大陸合理論の伝統 ◆無制限デモクラシーは全体主義に至る 「政府が行うことは全て、多数者の同意を必要とする」というデモクラシーの原則は、「多数者の賛同があれば政府は無制限に権力を行使しうる」ということを決して意味しない。この両者は完全に別物である。 しかし、近代の歴史の教える所によれば、ことに20世紀の歴史では、有力な扇動者が「権力はもはや人民の手中にあるのだから、人民の権力を制限する必要はない」と訴えて、この主張が現実に実行に移された事例が幾つもある(人民主権論)。 こうして、デモクラシーはモボクラシー(衆愚政治)を経て、全体主義(totalitarianism)という新たな専制支配(autocracy)・独裁政治(tyranny)に変容する。 ◆なぜ我々は騙されるのか? 我々が、扇動者の悪魔の囁きにだまされてしまうのは、一つには「デモクラシーが(その来歴から見て)単なる手段(制度)であって目的ではない事」を理解し損ねるからである。 例えば日本語においては、「民主主義」という訳語自体が一つの誤解の元、あるいはトリックとなっている。 democracy は -ism(主義・思想)ではなく -cracy(制度)である。 このページの一番上に示した辞書による説明を見ても明らかなとおり、democracy は a system of government(政治あるいは政府の一制度)に過ぎず、日本語に訳す場合は「民主政体」「民主政治」が正しい。「民主主義」という言葉は日本語として既に定着はしているが、明らかな誤訳である。 ※もし「民主主義」(国家の主権が人民にあり、人民が主体となって全体の幸福・利益を図ることを目的とする主義・思想)という訳語を使うならば、それは democratism という余り使われない単語に対して使うのが正しい。 デモクラシーという制度は、それ自体が何か目的を持っているわけではないが、それが平和的な権力交代を可能にするほぼ唯一の政治的方法であり、その効用が高いために近代以降に世界の国々に順次普及していった制度である。 上に述べたような全体主義者によって詐称されたデモクラシー(人民民主主義)ではなく、真正のデモクラシーを採用する国々は、国民の大部分が①意見の形成と、②形成された意見の実現に向けて自発的に参加する事が期待できるので、短期はそうでなくとも、中長期的に見ると、小数のエリートが大多数の無力の人民の指導をする体制の国々に比較して、明らかに良好な政治的・経済的また文化的な成果を達成することが可能となるのである。 但し、歴史に明らかなとおり、デモクラシー(民主政体)は、扇動に弱いという弱点を抱えている。特に外部からの強い意図(イデオロギー)を持った誘導工作に弱いことが実証されている。 これを克服するためには、国民一人一人の情報識別能力の向上が必須であるが、一般に何時の時代・どのような地域をとっても、それは困難なことのようである。 ◆「国民主権」の誤用:「誰が支配するか」ではなく「いかに専制を防ぐか」 「誰が支配するか」という主権論は、ブルボン朝フランス王国のような「君主主権」を主張する者に対抗する上で一定の意味はあったであろうが、現代では「国民主権」(あるいは「人民主権」)つまり「国民全員(人民全員)が主権者である」と声高に唱えることに、果たしてどれだけ意味があるのだろうか? 「国民全員が主権者である」という言葉が、全体主義者によって「国民が同意したことは無制限に実行されてよい」という誘導に利用されていないだろうか? 「国民全員が主権者である」という言葉は、国民へのご機嫌取り的な含意を取り除けば、実質的には「何も言っていない」のと同じではないだろうか? 政治において、まず第一に考えるべきことは、「悪い政治」(専制支配)が出現する可能性を あらかじめ取り除く制度的な仕組みを整えておくことである。(制度的抑制) 「デモクラシー」が「民主主義」と誤訳され、それが一種のスローガン化(価値・目的化)している所では、この大事な視点が見失われがちである。 我々はむしろ「デモクラシー」を、それが平和的な権力移動を可能にするほぼ唯一の方法として基本的には評価しながらも、常に「衆愚政治(モボクラシー)」に堕落し易いものとして警戒し、それを防止する制度的仕組みを真剣に考案する必要がある。 ■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある ここで真正デモクラシーのあり方を再度確認しよう。 真正デモクラシーでは、権力は“法”(=一般ルール)によって制約される。 この原則を“法の支配”という。 なお、ここでいう“法”とは立法府の定める「法律」ではなくて、「真の憲法、国憲、国体」である。 ◆真の憲法(国憲、国体)とは何か 戦後教育を受けた我々にとって、憲法といえば成文憲法しか思い浮かばず、それが国家の唯一最高の法規だと多くの人が信じこんでいるが、戦前においては、そのようなことは決してなかったのである。 例えば、戦前において、「国体」という言葉の解釈を巡って激論が交わされたが、この「国体」という概念は、明治憲法の制定に先立って存在すると見なされ、明治憲法は国体を部分的に明文化したものである、という建前が取られていた。 戦後においても、例えば、日本国憲法第九条は、明確に軍隊の保有を禁止しているが、最高裁判所の憲法判断は「自衛隊は合憲」である。 最高裁判所の判決理由では、憲法の文言の一部を拡張解釈して「自衛隊は合憲」の結論を導出しているが、憲法がもし今ある成文憲法だけだとすれば、どう憲法を読んでも「自衛隊は明らかに武力を保有しているため違憲」という判断にしかならないはずである。 それでも自衛隊が合憲となるのは、成文憲法である日本国憲法より上位に“真の憲法=国憲・国体”が存在し、それが日本国民の当然の権利として、武力の保持を認めている(つまり現行憲法は、真の憲法=国憲・国体に違反している)と解釈するのが真っ当なあり方である。 こうした真の憲法=国憲・国体が、たとえ有権者の多数の賛同を得ても、立法府や行政府には、無制限の権力を行使して国民の自由を圧殺する権限は認められない、という一般ルールを定めている、と見なすのが、真正デモクラシーである。 真正デモクラシーは、“法”(一般ルール)に拘束され、無制限の権力を決して認めない。 この“法”を憲法(国憲・国体)という。この場合の憲法は成文憲法とは限らない。 ◆真の憲法(国憲・国体)の再叙述=自主憲法制定 明治憲法は、五箇条のご誓文(1867)宣布より23年の歳月をかけて、最終的に伊藤博文・井上馨・金子堅太郎・伊東巳代治の四名により編纂され1889年に発布された。 この間、国民各層から多様な民間試案が発表され、喧々諤々の激論が交わされた。 今の教科書では、明治憲法はプロイセン憲法を真似ただけの外見的立憲主義の非民主的憲法などと教わるが、これは全くの歪曲である。 上記4名の中で、伊藤博文はアメリカ憲法の注釈書『ザ・フェデラリスト』を終始参考にして憲法注釈に取り組んだことが知られており、金子堅太郎はイギリス保守思想の代表者エドマンド・バークの著作を部分訳ながら本邦初訳したことで知られる親英米派である。 伊藤博文が統一間もないドイツおよびオーストリアに憲法取調べに出向いて学んだのは、憲法の条文ではなくて、憲法を編纂する上での心構えである。すなわち「憲法は自国の歴史・伝統が体現されたものでなくてはならぬ」という歴史法学の方法論である。 こうして熟慮の末に日本の歴史・伝統を踏まえて編纂されたのが明治憲法であり、当時の日本は堂々の自主憲法を制定したのである。 もちろん明治憲法が、日本的な立憲体制と真正デモクラシーを制度的に保障する仕組みに欠けていたのは事実である。だが、それは明治憲法の欠陥というよりは時代的な制約であろうし、昭和初期の世界的な激動の中で立憲政体が機能不全に陥ったのは何も日本だけではないのである。 戦後まもなくに、GHQ作成原文を翻訳して作った日本国憲法には、当然ながら日本の歴史・伝統への考慮はない。日本の真の憲法(国憲・国体)を汲んでいないのである。(加えて、日本の安全保障への考慮すらない亡国憲法である。) 明治の先達に倣って、①日本の歴史・伝統を踏まえ、②真正デモクラシーの制度的保障を備えた、自主憲法を制定するために国民各層が目覚めることが必要である。 ■7.参考図書 『法と立法と自由』(全3巻)F.A.ハイエク著(1971-79)第一部:ルールと秩序第二部:社会正義の幻想第三部:自由人の政治的秩序 【関連】 リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 保守主義とは何か 国家解体思想の正体 日本国憲法改正問題(上級編) 明治憲法の真実 ■8.ご意見、情報提供 ページ内容向上のためのご意見・情報提供を歓迎します。 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 今度の参院選は我が国の大衆デモクラシーの衆愚度合いが問われる選挙になるものと覚悟せざるを得ない。内容的にまだまだ粗いと思うが、そうした衆愚政治の問題を考えていくために当ページをとりあえず作成しました。 -- ページ作成者 (2010-06-14 21 54 07) 凄く良いページですね -- 名無しさん (2010-12-03 17 21 44) 「自衛隊は合憲」とはいつのどの判例でしょうか? 詳しく知りたいのですが……。 -- 名無しさん (2011-10-04 21 52 40) 「民主主義」や「人権」を -- 名無しさん (2012-01-01 01 48 29) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。 -- 名無しさん (2012-01-01 01 49 58) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」 -- 名無しさん (2012-01-01 01 52 23) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」と「立法(Legislation )」を峻別し、立法権(国会)を法の支配に服せしめることが求められていると思います -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 55 13) コメントが重複しました。申し訳ありません。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 56 47) 民主主義への批判として全体主義を持ってくるのは適切ではないと思うなあ。 確かに民主主義は時として全体主義に堕する。しかしじゃあ民主主義以外の政体なら全体主義に陥らないかっつーとそんなことはないし。 例えば戦前の日本は明らかに「混合政体」であり「無制限のデモクラシー」ではなかったけど、全体主義に陥ったわけで。 後、民主主義を掣肘するものとして「国体」を持ってくるのもどうだろう? 成文憲法の方が内容が具体的で明確な分良いと思うけど。成文憲法に欠陥があるなら改正すればいいし。 -- 名無しさん (2013-10-14 17 07 55)朝鮮半島や中国大陸は、それで国家自体が何度も180度変化し、興亡が繰り返された歴史事実もあります。よい伝統を成分化するのが「憲法」の成り立ちであり、人定法主義に基づく成分憲法が日本国憲法なわけです(恐らく筆者自体は不文憲法がいいと言っている訳でなく、慣習法の成分化をすべきという点で成分憲法を評価しているのではないでしょうか?) - 名無しさん 2016-02-17 21 44 03 以下は最新コメント表示 今度の参院選は我が国の大衆デモクラシーの衆愚度合いが問われる選挙になるものと覚悟せざるを得ない。内容的にまだまだ粗いと思うが、そうした衆愚政治の問題を考えていくために当ページをとりあえず作成しました。 -- ページ作成者 (2010-06-14 21 54 07) 凄く良いページですね -- 名無しさん (2010-12-03 17 21 44) 「自衛隊は合憲」とはいつのどの判例でしょうか? 詳しく知りたいのですが……。 -- 名無しさん (2011-10-04 21 52 40) 「民主主義」や「人権」を -- 名無しさん (2012-01-01 01 48 29) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。 -- 名無しさん (2012-01-01 01 49 58) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」 -- 名無しさん (2012-01-01 01 52 23) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」と「立法(Legislation )」を峻別し、立法権(国会)を法の支配に服せしめることが求められていると思います -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 55 13) コメントが重複しました。申し訳ありません。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 56 47) 民主主義への批判として全体主義を持ってくるのは適切ではないと思うなあ。 確かに民主主義は時として全体主義に堕する。しかしじゃあ民主主義以外の政体なら全体主義に陥らないかっつーとそんなことはないし。 例えば戦前の日本は明らかに「混合政体」であり「無制限のデモクラシー」ではなかったけど、全体主義に陥ったわけで。 後、民主主義を掣肘するものとして「国体」を持ってくるのもどうだろう? 成文憲法の方が内容が具体的で明確な分良いと思うけど。成文憲法に欠陥があるなら改正すればいいし。 -- 名無しさん (2013-10-14 17 07 55)朝鮮半島や中国大陸は、それで国家自体が何度も180度変化し、興亡が繰り返された歴史事実もあります。よい伝統を成分化するのが「憲法」の成り立ちであり、人定法主義に基づく成分憲法が日本国憲法なわけです(恐らく筆者自体は不文憲法がいいと言っている訳でなく、慣習法の成分化をすべきという点で成分憲法を評価しているのではないでしょうか?) - 名無しさん 2016-02-17 21 44 03 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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「法の支配」が「立法者の支配」と化するとき、少なくとも原則として、人類史上先例のない「法の名において」の圧制への道が開かれる。 ~ G.サルトーリ(アメリカの政治学者) 『デモクラシーの理論』(1965年) 通常は「民主主義」と翻訳されるデモクラシー(democracy)の真実を考察するページ <目次> ■1.デモクラシーとは何か◆藤井厳喜(国際政治学者)WEBサイト 第01講「デモクラシーとは何だろう?」 ◆辞書による説明 ◆自由主義思想家による説明 ■2.政体分類と政体変遷論◆古代ギリシャ・ローマの政体論 ◆政体変遷の実例 ■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立◆混合政体の実例 ◆古代ローマの混合政体 ◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) ◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) ◆なぜ混合政体が安定するのか? ■4.立憲政体の普及◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 ◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 ◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) ■5.大衆デモクラシーの発展と脅威◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 ◆無制限デモクラシーは全体主義に至る ◆なぜ我々は騙されるのか? ◆「国民主権」の誤用:「誰が支配するか」ではなく「いかに専制を防ぐか」 ■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある◆真の憲法(国憲、国体)とは何か ◆真の憲法(国憲・国体)の再叙述=自主憲法制定 ■7.参考図書 ■8.ご意見、情報提供 ■1.デモクラシーとは何か ◆ 藤井厳喜(国際政治学者)WEBサイト 第01講「デモクラシーとは何だろう?」 http //www.nicovideo.jp/watch/sm9721169 藤井厳喜アカデミー【国民の為の政治学】第01講「デモクラシーとは何だろう?」(平成22年2月12日) (コメントを消す場合は、画面にカーソルを当て右隅のマークをクリックしてください。) http //www.nicovideo.jp/watch/sm9721520 藤井厳喜アカデミー【国民の為の政治学】第01講「デモクラシーとは何だろう?」特別補足篇 (コメントを消す場合は、画面にカーソルを当て右隅のマークをクリックしてください。) ◆辞書による説明 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(democracyの項)より全文翻訳 最高権力が一般民衆(the people)に帰属しており、彼らが、 1 直接的に、または、 2 通常は定期的な自由選挙に係る代議制度を通して間接的に、最高権力を行使する政治形態(form of government)。 直接民主政体(direct democracy)においては、公衆(the public)は政治に直接参加する(例として、①古代ギリシャの幾つかの都市国家、②ニュー・イングランドの幾つかのタウン・ミーティング、③近代スイスのカントン)。 今日の殆どのデモクラシーは代議制である。代議制民主政体(representative democrasy)は、欧州中世期から啓蒙期を通して発展した理念と制度によって、そしてアメリカとフランスの革命において大きく興起した。 デモクラシーは今日では、①普通選挙、②公職を巡る競争、③言論と出版の自由、④法の支配、を当然に含意するものとなっている。 デモクラシー(民主政体) 1 直接デモクラシー 古代ギリシャの幾つかの都市国家(アテネなど)、スイスのカントン(小郡) の2つの形態 2 間接デモクラシー(代議制デモクラシー) 近代以降の殆どの国民国家(nation state)で採用されているデモクラシー (2) オックスフォード英語事典(democracyの項)より抜粋翻訳 ・全人口集団または一国家の全有資格者による政体(a system of government:政治形態)であって、典型的には選出された代議員を通して行われる。 語源(ギリシャ語) democratia ← demos(=the people:一般民衆) + -cratia(=power, rule 権力、支配)⇒「一般民衆による権力、支配」 (3) コウビルド英語事典(democracyの項)より全文翻訳 1 ・デモクラシー(democracy)とは、人々(people)が投票によって自身の支配者を選出する政体(a system of government)である。 2 ・デモクラシー(a democracy)とは、一般民衆(the people)が投票によって自身の政府を選出する国家(a country)である。 3 ・デモクラシー(democracy)とは、組織や企業やグループを運営する制度(a system)であって、各々のメンバーは投票と諸決定への参加の資格が付与されている。 ◆自由主義思想家による説明 (1) J.F.スティーブン(英国コモン・ロー学者、王座裁判所判事)『自由、平等、友愛』(1873) 「我々は、支配者を打倒する代わりに、頭数を数えることで力を試すことに同意している。…勝利を得るのは、最も賢明な人々の側ではなく、当分の間、優越的な力(疑いもなく、叡智がその中の一要素である)を、最大多数の積極的共感を支持に取り付ける事によって示す側にある。少数派は譲歩するが、それは、間違っていると確信するからではなく、少数派だと確信するからである。」 (2) K.R.ポパー(オーストリア出身でナチス支配期に英国に帰化した科学哲学者)『開かれた社会とその敵』(1945) 「・・・というのは二つの主要なタイプの政府が区別されるかも知れないからである 1 第一のタイプは、血を流すことなく-例えば総選挙によって-排除することの出来る政府から成る。即ち①社会制度は統治者が被統治者によって追い払われる手段を提供し、②社会的伝統はこれらの制度が権力を握っている人々によって容易に破棄されないことを保証する。 2 第二のタイプは、被統治者が革命の成功による以外-即ち大抵の場合、全く-排除することの出来ない政府から成る。 私は「民主政体(democracy)」という用語を第一のタイプの政府、また「専制政体(autocracy)」や「独裁政体(tyranny)」という用語を第二のタイプに対する速記表現として提案する。これは伝統的な語法に一致すると思われる。」 (3) L.ミーゼス(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者)『人間行為論』(1949) 「国内の平和のために、自由主義は民主政体的政府(democratic government)を目指す。それゆえ、民主政体(democracy)は革命的制度ではない。それどころか、それは革命や内乱を防ぐまさしく手段なのである。民主政体(democracy)は、政治を多数者の意思に平和的に適合させるための手段を提供する。」 (4) F.A.ハイエク(オーストリア出身でナチス支配期にイギリスに帰化した経済学者・法哲学者・政治思想家)『法と立法と自由(第3巻):自由人の政治的秩序』(1979) 「政治的理想を表現する大部分の用語の宿命であると思われるが、「デモクラシー」はその用語の本来の意味とはほとんど関係のない様々な事柄を記述するために使われてきたし、今でも、実際に意味されるものが「平等(equality)」であるところで、しばしば使われている。 1 厳密に言えば、それは、政府の裁決を決定するための方法、ないしは手続きに関係するのであって 2 政府の何らかの実質的な善、あるいは狙い(例えば一種の物質的平等)に関係するものでも、非政府組織(例えば教育・医療・軍事あるいは商業に関する組織)に合理的に適用できる方法でもない。これらの誤用はいずれも「デモクラシー」という言葉からあらゆる明確な意味を奪っている。」 「デモクラシーは、専制支配(autocracy)から我々を保護する唯一のもの(例え、その現行形態においては確かなものでないにしても)であるために、固守するに値する理想である、ということである。」「今までに発見された平和的な政権交代の唯一の方法として、それは消極的な価値ではあるが、最高の価値の一つである。それは疫病に対する予防策に匹敵する。」 (5) J.A.シュンペーター(オーストリア出身でナチス支配期にアメリカに帰化した経済学者、但し自由主義より社会主義的傾向が強い)『資本主義、社会主義、デモクラシー』(1942) 「デモクラシーは一つの政治的な方法である。即ちデモクラシーは、政治的-立法的・行政的な-決定に到達するためのある型の制度的装置であって、従って、一定の歴史的条件下で、それが生み出すどんな結果にも関係なく、それ自体では目的となり得ないものである。」 ■2.政体分類と政体変遷論 ◆古代ギリシャ・ローマの政体論 古代ギリシャ/ローマ世界において、プラトン/アリストテレス/ポリュビオスといった哲人・歴史家が様々な政体の分類と変転原因を研究しています。 (1)支配者の数、と、(2)統治の状態(良好か堕落しているか)の2つの基準に着目した彼らの分類は、近代以降の各国の政体変動の分析にも大いに参考になります。 ただし後述のように、これらの分類には、近代の国民国家が革命・内乱・戦争の末にようやく確立した(3)「権威と権力の分離」や「権力分立」という政体安定化のための重要要素の観点が欠落していることに留意して下さい。 支配者の数 一人 少数 構成員全員 良好な形態 ①君主政体(monarchy) ②貴族政体(aristocracy) ③民主政体(democracy) 堕落した形態 ⑥僭主政体(tyranny) ⑤寡頭政体(oligarchy) ④衆愚政体(mobocracy) ※僭主(せんしゅ)とは、武力や大衆扇動などの非合法的な手段で支配者に成り上がった者をいい、統治の正統性を持つ君主と区別されます。 これらの政体間の変遷について様々な順序が考えられました。 例えば、プラトンは『国家』において、①完全国家(君主政体)⇒②名誉政体(貴族政体)⇒⑤寡頭政体(富裕層の支配)⇒③民主政体(自由すなわち無法の支配)⇒⑥僭主政体 …という順序で国家は一直線に堕落していくと考えました。 また、ポリュビオスは『歴史』において、①君主政体⇒⑥世襲により僭主政体に堕落⇒②貴族政体⇒⑤寡頭政体に堕落⇒③民主政体⇒④衆愚政体に堕落⇒再度①君主政体に戻る ・・・という順序で政体が循環すると考えました(政体循環論)。 こうした古代ギリシャ及びローマ世界の実経験に学んだ哲人・歴史家たちの研究は、以下のようにまとめられ、この認識が近代に至るまで長く統治者や知識人にとって政治に関する常識とされました。 (1) 良臣や賢者に支えられて理想の名君が統治する①君主政体が最良の政体(政治形態)である。 (2) 無知・無責任・強欲な貧民が大勢を占める一般民衆が政治を取り仕切る③民主政体は早晩、④衆愚政治に堕落する。 (3) ④衆愚政治の混乱の中から、大衆扇動に長けた人物が出て権力を奪取し、最悪の⑥僭主政体が出現する。 ◆政体変遷の実例 上記の古代ギリシャ・ローマの政体分類と政体変遷論を実例に当て嵌めて考察します。 国家 ①君主政体(monarchy) ③民主政体(democracy) ④衆愚政体(mobocracy) ⑥僭主政体(tyranny) その後 (1) 古代アテネ 王国 共和国 ペロポネソス戦争敗戦後三十僭主制 民主政体回復するも弱体化→マケドニア王国に服属 (2) 古代ローマ 王国 共和国 第一回三頭政治→カエサル(シーザー)独裁→第二回三頭政治 オクタヴィアヌスの統一→元首制を採用した安定的な帝政へ (3) 17世紀イギリス 王国(前期スチュワート朝) 長期議会の支配(名目上は王国) 共和国(残部議会) 共和国(護国卿O.クロムウェル独裁) クロムウェル死後息子R.クロムウェルが後継するも無能のため無政府状態に陥る→王政復古(後期スチュワート朝)→名誉革命(立憲君主政体確立) (4) 18世紀フランス 王国(前期ブルボン朝) 国民議会の支配(名目上は王国) 第一共和政(国民公会の支配→ジャコバン独裁→総裁政府) ナポレオン独裁(統領政府→第一帝政へ) ナポレオン戦争で敗北→王政復古(後期ブルボン朝)→七月王政(オルレアン朝) (5) 19世紀フランス 王国(オルレアン朝) 第二共和政 ルイ・ナポレオン独裁(共和国大統領→第二帝政へ) 普仏戦争で敗北→第三共和政でようやく安定 (6) 20世紀ドイツ 第二帝国 ワイマール共和国 ナチス独裁(第三帝国) 第二次大戦で敗北→西側のみ連邦共和国となり安定 (7) 20世紀ロシア 帝国(ロマノフ朝) 臨時政府(ケレンスキー首班) ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)…共産党一党独裁(レーニン→スターリン) 第二次大戦で勢力拡大→国内の圧政と長期の米ソ冷戦で疲弊→解体 (8) 20世紀中国 帝国(清朝) 中華民国…袁世凱独裁→軍閥割拠→蒋介石(国民党政府)独裁→国共内戦 中華人民共和国…共産党一党独裁(毛沢東→鄧小平) 共産党独裁は現在も継続 ■3.立憲政体(“法の支配”の下にある混合政体)の確立 上記の政体分類のうち良好な形態である、①君主政体、②貴族政体、③民主政体、の3つの各々の長所を組み合わせることにより、安定的で有能な政体が生まれることが、次第に経験的に認識されるようになりました。(混合政体mixed government) こうした混合政体では、各機関の権力の妥当する範囲や相互関係を調整するための合意が、慣習あるいは成文として明示され、各機関がそれを遵守することによって政体の安定性が担保されます。 分立された各機関の権力が、不文あるいは成文の国憲に拘束され、相互に抑制することにより権力の独占や濫用が防止される政体を立憲政体(constitutional government)といいます。 ◆混合政体の実例 国家 ①君主政体の要素 ②貴族政体の要素 ③民主政体の要素 (1) 古代ローマ(共和政) ①´コンスル(執政官) ②´元老院 ③´平民会・・・護民官を選任 (2) 古代ローマ(帝政) ①皇帝 ②´元老院(名目的) ③´平民会(名目的)・・・護民官(名目的)を選任 (3) イギリス ①国王 ②貴族院(上院) ③庶民院(下院)・・・首相を事実上選任 (4) アメリカ ①´大統領 ②´元老院(上院) ③代議院(下院) (5) フランス ①´大統領 ②´元老院(上院) ③国民議会(下院)・・・首相を選任 (6) ドイツ ①´大統領(名目的) ②´連邦参議院 ③連邦議会(下院)・・・首相を選任 (7) 日本(明治憲法下) ①天皇 ②貴族院 ③衆議院…首相を選任(1924-32) (8) 日本(現憲法下) ①天皇 ②´参議院 ③衆議院・・・首相を選任 ※①´は擬似君主的な要素、②´は擬似貴族的な要素 説明 権威と権力を保持 権威のみ保持 権力のみ保持 ◆古代ローマの混合政体 ギリシャ出身で共和制ローマの将軍小スキピオの家庭教師を務めた歴史家ポリュビオスは、ローマの共和政体が、①2名のコンスル(執政官)+②貴族階級の元老院+③平民階級の平民会および彼らの代表である2名の護民官、という君主政体・貴族政体・民主政体の3要素を複合しており、カルタゴやマケドニアなどのライバル国に比較して、はるかに安定的かつ有効に機能していることを指摘しました。 共和制ローマは、その後の領域拡大と経済発展による社会の複雑化に対して、従来の任期1年・2名という弱体なコンスル制では対処できなくなり、元老院を中心とする閥族派(スゥラ)と平民派(マリウス)の抗争(衆愚制)、軍事力や財力を背景にした有力政治家による三頭政治(寡頭制)やカエサル独裁(僭主制)の時期を経て、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスによる武力統一に至ります。 オクタヴィアヌスはローマ市民の感情に配慮して元老院の権威を尊重し、元老院から「第一の市民」(プリンケプス=元首)という称号を授けられて実質的にローマに帝政を敷くことになります。この元老院に代表される共和制の精神を加味した専制的ではない帝政を元首制(プリンキパトス)といい、アメリカ合衆国の政体(大統領+元老院+代議院)はこれを模して設計されるなど近代の政治制度にも大きな影響を及ぼしています。 その後ローマでは、ネロ・カリギュラなどの暴君も一時出ましたが、元老院の権威を受けて帝国を統治する五賢帝と呼ばれる名君が輩出して帝国は大いに繁栄しました。 ◆イギリスの立憲君主制の確立(権威と権力の分離型) 16世紀後半のエリザベス女王の統治下で大いに国力の伸張したイングランドは、女王に後継者がいなかったため縁戚のスコットランド国王を新国王に迎え入れました。 ところがカトリック教徒(スコットランドはカトリック国)であった新国王側は、新教徒(イングランド国教会や清教徒)に宗教的圧迫を加えたので、国王と議会が衝突し、清教徒であるO.クロムウェル率いる鉄騎兵が勇戦した議会側が勝利を収めました(清教徒革命)。 O.クロムウェルは国内の混乱を武力収拾すると、国王を処刑し、共和政(コモンウェルス)を樹立しました(護国卿政権)。 彼の死後、後を継いだR.クロムウェルは政治的に無能で、一時的に無政府状態に陥ったために、貴族など有力者は、大陸に亡命政権を立てていた王室に帰還を求めました(王政復古(1660))。 しかしカトリック教徒の国王側が、宗教政策で再度国民を圧迫したため、議会のトーリー・ホイッグ両党が連名でオランダに嫁いでいた新教徒のメアリー王女と夫のオレンジ公オランダ総督ウィリアムに『権利章典』の承認と引き換えに王位を差し出して、旧教徒の国王一家を追放しました(名誉革命)。 その後、メアリー女王の妹であるアン女王が即位した時期に、フランスに亡命していたカトリックの旧王一族の復位を避けるため、王位継承者を新教徒に限定する『王位継承法』が定められ、その規定に従って、アン女王没後に、ドイツから新教徒のハノーバー公が王位に迎え入れられました。(なおアン女王の時代に、イングランドとスコットランドが統一して連合王国(U.K.=イギリス)が誕生しています。) ドイツ生まれの新国王ジョージ1世は、英語が話せず閣議を主催できなかったために、ホイッグ党の指導者であったウォルポールがこれを代行し、議会の有力党の党首が国政を執る責任内閣制が生まれました。 こうして、イギリスにおいて「国王は君臨すれども統治せず」という政治原則、つまり、①権威(Authority)を体現する国王と、②権力(Power)を保持する議会という「権威と権力の分離」が確立されました。 国王と議会は、ともに『マグナ・カルタ』『権利請願』『権利章典』『王位継承法』などの成文法典や慣習化された不文律を含む国憲(constitution)を遵守し、国王のみならず、議会もまた「絶対無制限の権力」を行使することは許されません。 国王・議会・司法官が共に“法”(制定法ではなくコモン・ロー(慣習法たる祖法))に拘束され、 議会といえども無制限の権力を行使しえない原則を『法の支配』(rule of law)といい、 このように『法の支配』の下にある制限された君主政体を『立憲君主政体』といいます。 18世紀のイギリス法学者ブラックストーンは大著『イギリス法釈義』を著わして、「法の支配」の原則を定式化しました。 また19世紀後半に活躍したジャーナリストのウォルター・バジョットは『イギリス憲政論』を著わして、「権威(政府の尊厳的部分)と権力(政府の実用的部分)」が分離され安定的に運用されているイギリス政体を明瞭な筆致で分析・描写しました。 ブラックストーンの著作は、アメリカ合衆国の建設者たちに大いに参考にされ、バジョットの著作は明治憲法の制定に関わる論議に参考にされました。 ところが、バジョットの後に出た憲法学者のA.V.ダイシーは、主著『憲法序説』で、イギリス憲法の特徴を、①法の支配、②議会主権、③憲法慣習律、の3つであると定式化し、本来は、①法の支配と両立しないはずの、②議会主権(議会が最高権力を持つ)という説が流布したまま現在に至っています。 ◆アメリカ合衆国の立憲政体の確立(厳格な三権分立型) 1783年にイギリスから正式に独立を承認されたアメリカ東部13邦では、法制度の整備・運用に当たって、前述したブラックストーンの『イギリス法釈義』が大いに参考にされましたが、実体が曖昧な不文憲法ではなく、明文憲法を採択して政府の権限を明確化することが、分立した各邦との権限の境界を明確にする必要から強く求められ、世界最初の近代的成文憲法である「アメリカ合衆国憲法」が起草されて、各邦が激論の末に順次これを批准して、1788年にアメリカ合衆国が建国されました。 イギリス国王の権威から離れたアメリカでは、イギリス式の厳格な「権威と権力の分離」方式は困難でしたが、ローマ帝国の元首制や、ルネサンス期イタリアの共和国の国政を参考に、①国家元首たる大統領(擬似国王的な存在)、②元老院(Senate:上院、各州等分の議席配分で擬似貴族院的な存在)、③代議院(House of Representatives:下院、人口に比例して各州に議席を割り当てる平民院的な存在)の3機関を分立させ、①大統領、②元老院に権力と共に一定の権威を付与する方式を採用しました。 それと共に、違憲立法審査権を持つ強力な、④司法裁判所を設置して、特に議会の立法権を制約する仕組みを設け、行政(大統領府)・立法(議会)・司法(裁判所)、の三権が互にチェック バランスを行う厳格な三権分立方式を採用しました。 アメリカ式の成文憲法によって国政を規律する方式を『立憲主義』(constitutionalism)といい、 立憲主義に基づく民主政体を『立憲民主政体』といいます。 このように厳密には、イギリスは立憲君主政体(constitutional monarchy)であり、アメリカ合衆国は立憲民主政体(constitutional democracy)なのですが、イギリスにおいても、政府(立法および行政)の実権は選挙を通して一般民衆に保持されていると見なしうるので、これを民主的政府あるいは民主的政治(democratic government)と呼ぶ今日の用例が発生しました。 ◆なぜ混合政体が安定するのか? アメリカ型の厳格な権力分立が機能している場合を除いて、一般に権威と権力が未分離な前近代的政体においては、権力者による専制支配に陥りやすく、これを取り除くには、革命やクーデターによるしか方法がない。これに対して、 権威と権力が分離されている政体では、権力の所在が移動しても、 権威が不動であるために、政治的混乱に陥る危険が回避される。 つまり不動の権威の存在が、伝統と相まって、暴力によらない民主的な(=頭数を数えて行う)権力の交代を保障する。 現代においても多くのアジア・アフリカの新興諸国、最近までのラテン-アメリカ諸国が政治的に不安定なのは、①国内に伝統的な政治的権威の担い手が存在せず、②権力者の専制支配に陥りがちで、③それゆえに、アメリカ型の厳格な権力分立制度の確立も不可能だからである。 ■4.立憲政体の普及 欧州諸国は、安定的で有能な立憲政体を確立するまでに、各々数十年単位の混乱を経験することになりました。 こうした混乱のあとで出現した立憲政体は、次の3パターンに分類できます。 (1)権威と権力が明確に分離されたイギリス型の立憲君主政体(権力分立は不徹底) (2)厳格な権力分立によりCHECK BALANCEを機能させるアメリカ型の立憲民主政体 (3)上記の折衷型で、名目的な大統領と責任内閣制を採用した立憲民主政体 ◆欧州諸国における混乱~立憲政体確立までの経緯 国家 混乱の開始 混乱のピーク 混乱の収束 混乱期間 混乱後に採用された政体 イギリス 清教徒革命(1640-49) クロムウェル独裁(1653-59) 名誉革命(1688) 49年間 イギリス型 フランス フランス大革命(1789-99) ジャコバン独裁(1793-94) 第三共和制発足(1871) 82年間 折衷型 ドイツ ドイツ革命・敗戦(1918) ナチス独裁(1933-45) ドイツ連邦共和国発足(1949) 32年間 折衷型 ロシア ロシア革命(1917) スターリン個人独裁(1924-53) ソ連邦崩壊・ロシア独立(1991) 74年間 アメリカ型 ◆権威と権力の分離の伝統が確立していた日本 欧州諸国は、近代において各々、数十年規模の国内の混乱や戦争の経験を通じて、ようやくイギリス型の「権威と権力の分離」やアメリカ型の「厳格な三権分立」に保障された安定した立憲政体にたどり着いたのであるが、日本においては既に古代から、権威(天皇)と権力(蘇我氏・藤原氏など)の分離の伝統が自生しており、ことに中世期以降は、天皇(および公家)は専ら権威のみを保持し、権力は武士階級が保有するという二重構造が定着した。 幕末に欧米列強の脅威が高まると、従来の幕藩体制では有効な対処が出来ず、折から高まっていた尊皇攘夷の思想潮流に押し流される形で、徳川政権は、専ら権威のみを保持していた朝廷に対して、政治権力の返還を願い出るに至った(大政奉還)。 朝廷は、これを受け入れて王政復古の大号令を発したが、その直後に朝廷の実権を握る倒幕派公家が長州・薩摩など西国雄藩と図って、徳川家に将軍職のみならずその広大な領地の返還と内大臣職の辞官をも要求する挙に出たため、倒幕派と佐幕派の武力抗争が勃発した(戊辰戦争)。 しかしながら、緒戦の鳥羽伏見の戦で敗北した徳川家は朝廷の権威に対して恭順の態度に出たために、戊辰戦争は幕府と朝廷および薩長など西国雄藩の全面戦争とはならず、なお薩長の政権奪取の方式に不満を覚える佐幕派と討伐軍との局所的な武力抗争に留まり、まもなく薩長と公家が中核を占める維新政権が確立された。 ◆日本の立憲政体の確立(五箇条ご誓文~明治憲法制定) 戊辰戦争で、江戸城開城の行われる1ヶ月前の1867年3月、京都において明治天皇が皇祖皇宗の神霊に誓う形式で、維新政権の基本方針を示した「 五箇条のご誓文 」が宣布された。 そのご誓文は第一条に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と明記されており、維新政権においては、従来の武士階級による権力の独占ではなく、広く国民から意見を集めて国家の方針を決定することが示された。 五箇条御誓文(慶応4年(明治元年)3月14日) 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ 以降、この第一条を根拠に、国民各層の意見を求める具体的な制度の導入が官民双方から熱心に検討されるようになり、板垣退助らの自由民権運動(1874年以降)、国会開設の詔勅(1881)を経て、大日本帝国憲法発布(1889)、大日本帝国憲法施行・第一回衆議院選挙(1890)に至って、日本にも混合政体と代議制デモクラシーを備えた立憲政体が確立された。 薩長藩閥は、憲法制定当初はなお超然内閣(議会の動向とは独立した内閣)を主張する者が多かったが、まもなく円滑な政治運営のために議会と協調し多数派を獲得する方針に転換し、のちには議会で多数を占める党派から首相を選出する英国型の政治運営方式(「憲政の常道」と呼ばれる)が導入されるに至った(1924-32まで)。 代議制に関しては、なお当初は財産による制限により国民の中に占める有権者の割合が低かったが、国力の上昇とともに有権者の範囲は徐々に拡大されていき、大正期に入ると第二次護憲運動の成果によりついに男子普通選挙権が実現する運びとなった(1925年以降)。 このように戦前の日本には、当時の欧米諸国と全く遜色のない議会制デモクラシーが営まれていたのである。 ■5.大衆デモクラシーの発展と脅威 上記のように欧米や日本では、近代の国民国家の政体は、①混合政体を、不文または成文憲法によって保障する立憲政体として徐々に確立されていった。 その中で、混合政体のうち特に権力を代表する部分である民主政体部分は、古代ギリシャにおけるような直接デモクラシーではなく、有資格者が投票により選任する代議制デモクラシー(間接デモクラシー)として発展してきた。 有権者の範囲は、当初はどの国家も一定の財産などを前提とした一般民衆の中の限られた部分に過ぎなかったが、近代化が進み一般国民の間に政治的権利を求める動きが高まるに従って、段階的に有権者の範囲が拡大され、やがて一定年齢以上の国民に一律に投票権を付与する制度(普通選挙制度)が普及していった。 こうして成立した民主政体部分が肥大化した政治体制を、俗に大衆デモクラシー(mass democracy)という。 大衆デモクラシーは、立憲政体を生み出した当初の思想家たちが危惧したように、デモクラシーのモボクラシー化(衆愚政体化)の危険をもたらした。 君主政体・貴族政体・民主政体の混合した安定した政体として確立された近代の立憲政体が、その民主政体部分の肥大化によって、古代ギリシャ・ローマ時代からのセオリー(理論)どおりに、衆愚政治に接近していってしまう事態に至ったのである。 ◆真正デモクラシーと衆愚政治(モボクラシー)の比較 真正デモクラシー 衆愚政治(モボクラシー) 権力の制限 多数者の同意を得た権力であっても“法”(一般ルール)に従う必要がある。⇒制限された政府権力(自由と共存) 多数者の賛同を得た権力は無制限である⇒全能の政府権力(自由を圧殺=全体主義化) 憲法との関係 成文憲法は、憲法自体の規定により改訂できる。しかしその場合でも、真の憲法(constitution:国憲、国体)に違反する内容を定めることは出来ない 憲法(成文憲法)は、その時々の多数派の意向により自由に改訂できる。なお民衆の意思が全てに優先するので、成文憲法を超える真の憲法(国憲、国体)といったものは認められない(人定法主義) 立法権との関係 立法府が定めた法律であっても、司法府によって違憲(“法”(一般ルール)違反)とされる場合がある(司法府による違憲立法審査権の行使) 立法府が定めたものが法である。多数派の同意を得た立法府は無制限に法を定めうる。 思想的背景 英米法の伝統、イギリス経験論の伝統 大陸法の伝統、大陸合理論の伝統 ◆無制限デモクラシーは全体主義に至る 「政府が行うことは全て、多数者の同意を必要とする」というデモクラシーの原則は、「多数者の賛同があれば政府は無制限に権力を行使しうる」ということを決して意味しない。この両者は完全に別物である。 しかし、近代の歴史の教える所によれば、ことに20世紀の歴史では、有力な扇動者が「権力はもはや人民の手中にあるのだから、人民の権力を制限する必要はない」と訴えて、この主張が現実に実行に移された事例が幾つもある(人民主権論)。 こうして、デモクラシーはモボクラシー(衆愚政治)を経て、全体主義(totalitarianism)という新たな専制支配(autocracy)・独裁政治(tyranny)に変容する。 ◆なぜ我々は騙されるのか? 我々が、扇動者の悪魔の囁きにだまされてしまうのは、一つには「デモクラシーが(その来歴から見て)単なる手段(制度)であって目的ではない事」を理解し損ねるからである。 例えば日本語においては、「民主主義」という訳語自体が一つの誤解の元、あるいはトリックとなっている。 democracy は -ism(主義・思想)ではなく -cracy(制度)である。 このページの一番上に示した辞書による説明を見ても明らかなとおり、democracy は a system of government(政治あるいは政府の一制度)に過ぎず、日本語に訳す場合は「民主政体」「民主政治」が正しい。「民主主義」という言葉は日本語として既に定着はしているが、明らかな誤訳である。 ※もし「民主主義」(国家の主権が人民にあり、人民が主体となって全体の幸福・利益を図ることを目的とする主義・思想)という訳語を使うならば、それは democratism という余り使われない単語に対して使うのが正しい。 デモクラシーという制度は、それ自体が何か目的を持っているわけではないが、それが平和的な権力交代を可能にするほぼ唯一の政治的方法であり、その効用が高いために近代以降に世界の国々に順次普及していった制度である。 上に述べたような全体主義者によって詐称されたデモクラシー(人民民主主義)ではなく、真正のデモクラシーを採用する国々は、国民の大部分が①意見の形成と、②形成された意見の実現に向けて自発的に参加する事が期待できるので、短期はそうでなくとも、中長期的に見ると、小数のエリートが大多数の無力の人民の指導をする体制の国々に比較して、明らかに良好な政治的・経済的また文化的な成果を達成することが可能となるのである。 但し、歴史に明らかなとおり、デモクラシー(民主政体)は、扇動に弱いという弱点を抱えている。特に外部からの強い意図(イデオロギー)を持った誘導工作に弱いことが実証されている。 これを克服するためには、国民一人一人の情報識別能力の向上が必須であるが、一般に何時の時代・どのような地域をとっても、それは困難なことのようである。 ◆「国民主権」の誤用:「誰が支配するか」ではなく「いかに専制を防ぐか」 「誰が支配するか」という主権論は、ブルボン朝フランス王国のような「君主主権」を主張する者に対抗する上で一定の意味はあったであろうが、現代では「国民主権」(あるいは「人民主権」)つまり「国民全員(人民全員)が主権者である」と声高に唱えることに、果たしてどれだけ意味があるのだろうか? 「国民全員が主権者である」という言葉が、全体主義者によって「国民が同意したことは無制限に実行されてよい」という誘導に利用されていないだろうか? 「国民全員が主権者である」という言葉は、国民へのご機嫌取り的な含意を取り除けば、実質的には「何も言っていない」のと同じではないだろうか? 政治において、まず第一に考えるべきことは、「悪い政治」(専制支配)が出現する可能性を あらかじめ取り除く制度的な仕組みを整えておくことである。(制度的抑制) 「デモクラシー」が「民主主義」と誤訳され、それが一種のスローガン化(価値・目的化)している所では、この大事な視点が見失われがちである。 我々はむしろ「デモクラシー」を、それが平和的な権力移動を可能にするほぼ唯一の方法として基本的には評価しながらも、常に「衆愚政治(モボクラシー)」に堕落し易いものとして警戒し、それを防止する制度的仕組みを真剣に考案する必要がある。 ■6.真正デモクラシーでは権力は“法の支配”の下にある ここで真正デモクラシーのあり方を再度確認しよう。 真正デモクラシーでは、権力は“法”(=一般ルール)によって制約される。 この原則を“法の支配”という。 なお、ここでいう“法”とは立法府の定める「法律」ではなくて、「真の憲法、国憲、国体」である。 ◆真の憲法(国憲、国体)とは何か 戦後教育を受けた我々にとって、憲法といえば成文憲法しか思い浮かばず、それが国家の唯一最高の法規だと多くの人が信じこんでいるが、戦前においては、そのようなことは決してなかったのである。 例えば、戦前において、「国体」という言葉の解釈を巡って激論が交わされたが、この「国体」という概念は、明治憲法の制定に先立って存在すると見なされ、明治憲法は国体を部分的に明文化したものである、という建前が取られていた。 戦後においても、例えば、日本国憲法第九条は、明確に軍隊の保有を禁止しているが、最高裁判所の憲法判断は「自衛隊は合憲」である。 最高裁判所の判決理由では、憲法の文言の一部を拡張解釈して「自衛隊は合憲」の結論を導出しているが、憲法がもし今ある成文憲法だけだとすれば、どう憲法を読んでも「自衛隊は明らかに武力を保有しているため違憲」という判断にしかならないはずである。 それでも自衛隊が合憲となるのは、成文憲法である日本国憲法より上位に“真の憲法=国憲・国体”が存在し、それが日本国民の当然の権利として、武力の保持を認めている(つまり現行憲法は、真の憲法=国憲・国体に違反している)と解釈するのが真っ当なあり方である。 こうした真の憲法=国憲・国体が、たとえ有権者の多数の賛同を得ても、立法府や行政府には、無制限の権力を行使して国民の自由を圧殺する権限は認められない、という一般ルールを定めている、と見なすのが、真正デモクラシーである。 真正デモクラシーは、“法”(一般ルール)に拘束され、無制限の権力を決して認めない。 この“法”を憲法(国憲・国体)という。この場合の憲法は成文憲法とは限らない。 ◆真の憲法(国憲・国体)の再叙述=自主憲法制定 明治憲法は、五箇条のご誓文(1867)宣布より23年の歳月をかけて、最終的に伊藤博文・井上馨・金子堅太郎・伊東巳代治の四名により編纂され1889年に発布された。 この間、国民各層から多様な民間試案が発表され、喧々諤々の激論が交わされた。 今の教科書では、明治憲法はプロイセン憲法を真似ただけの外見的立憲主義の非民主的憲法などと教わるが、これは全くの歪曲である。 上記4名の中で、伊藤博文はアメリカ憲法の注釈書『ザ・フェデラリスト』を終始参考にして憲法注釈に取り組んだことが知られており、金子堅太郎はイギリス保守思想の代表者エドマンド・バークの著作を部分訳ながら本邦初訳したことで知られる親英米派である。 伊藤博文が統一間もないドイツおよびオーストリアに憲法取調べに出向いて学んだのは、憲法の条文ではなくて、憲法を編纂する上での心構えである。すなわち「憲法は自国の歴史・伝統が体現されたものでなくてはならぬ」という歴史法学の方法論である。 こうして熟慮の末に日本の歴史・伝統を踏まえて編纂されたのが明治憲法であり、当時の日本は堂々の自主憲法を制定したのである。 もちろん明治憲法が、日本的な立憲体制と真正デモクラシーを制度的に保障する仕組みに欠けていたのは事実である。だが、それは明治憲法の欠陥というよりは時代的な制約であろうし、昭和初期の世界的な激動の中で立憲政体が機能不全に陥ったのは何も日本だけではないのである。 戦後まもなくに、GHQ作成原文を翻訳して作った日本国憲法には、当然ながら日本の歴史・伝統への考慮はない。日本の真の憲法(国憲・国体)を汲んでいないのである。(加えて、日本の安全保障への考慮すらない亡国憲法である。) 明治の先達に倣って、①日本の歴史・伝統を踏まえ、②真正デモクラシーの制度的保障を備えた、自主憲法を制定するために国民各層が目覚めることが必要である。 ■7.参考図書 『法と立法と自由』(全3巻)F.A.ハイエク著(1971-79) 第一部:ルールと秩序第二部:社会正義の幻想第三部:自由人の政治的秩序 【関連】 リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 保守主義とは何か 国家解体思想の正体 日本国憲法改正問題(上級編) 明治憲法の真実 ■8.ご意見、情報提供 ページ内容向上のためのご意見・情報提供を歓迎します。 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 今度の参院選は我が国の大衆デモクラシーの衆愚度合いが問われる選挙になるものと覚悟せざるを得ない。内容的にまだまだ粗いと思うが、そうした衆愚政治の問題を考えていくために当ページをとりあえず作成しました。 -- ページ作成者 (2010-06-14 21 54 07) 凄く良いページですね -- 名無しさん (2010-12-03 17 21 44) 「自衛隊は合憲」とはいつのどの判例でしょうか? 詳しく知りたいのですが……。 -- 名無しさん (2011-10-04 21 52 40) 「民主主義」や「人権」を -- 名無しさん (2012-01-01 01 48 29) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。 -- 名無しさん (2012-01-01 01 49 58) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」 -- 名無しさん (2012-01-01 01 52 23) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」と「立法(Legislation )」を峻別し、立法権(国会)を法の支配に服せしめることが求められていると思います -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 55 13) コメントが重複しました。申し訳ありません。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 56 47) 民主主義への批判として全体主義を持ってくるのは適切ではないと思うなあ。 確かに民主主義は時として全体主義に堕する。しかしじゃあ民主主義以外の政体なら全体主義に陥らないかっつーとそんなことはないし。 例えば戦前の日本は明らかに「混合政体」であり「無制限のデモクラシー」ではなかったけど、全体主義に陥ったわけで。 後、民主主義を掣肘するものとして「国体」を持ってくるのもどうだろう? 成文憲法の方が内容が具体的で明確な分良いと思うけど。成文憲法に欠陥があるなら改正すればいいし。 -- 名無しさん (2013-10-14 17 07 55)朝鮮半島や中国大陸は、それで国家自体が何度も180度変化し、興亡が繰り返された歴史事実もあります。よい伝統を成分化するのが「憲法」の成り立ちであり、人定法主義に基づく成分憲法が日本国憲法なわけです(恐らく筆者自体は不文憲法がいいと言っている訳でなく、慣習法の成分化をすべきという点で成分憲法を評価しているのではないでしょうか?) - 名無しさん 2016-02-17 21 44 03 以下は最新コメント表示 今度の参院選は我が国の大衆デモクラシーの衆愚度合いが問われる選挙になるものと覚悟せざるを得ない。内容的にまだまだ粗いと思うが、そうした衆愚政治の問題を考えていくために当ページをとりあえず作成しました。 -- ページ作成者 (2010-06-14 21 54 07) 凄く良いページですね -- 名無しさん (2010-12-03 17 21 44) 「自衛隊は合憲」とはいつのどの判例でしょうか? 詳しく知りたいのですが……。 -- 名無しさん (2011-10-04 21 52 40) 「民主主義」や「人権」を -- 名無しさん (2012-01-01 01 48 29) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。 -- 名無しさん (2012-01-01 01 49 58) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」 -- 名無しさん (2012-01-01 01 52 23) 「民主主義」や「人権」を盲信せず、法の支配を真剣に考えることが大事だと思います。日本の現状は残念ながら「衆愚制」であると言わざるを得ないように思います。「法(Law)」と「立法(Legislation )」を峻別し、立法権(国会)を法の支配に服せしめることが求められていると思います -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 55 13) コメントが重複しました。申し訳ありません。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-01 01 56 47) 民主主義への批判として全体主義を持ってくるのは適切ではないと思うなあ。 確かに民主主義は時として全体主義に堕する。しかしじゃあ民主主義以外の政体なら全体主義に陥らないかっつーとそんなことはないし。 例えば戦前の日本は明らかに「混合政体」であり「無制限のデモクラシー」ではなかったけど、全体主義に陥ったわけで。 後、民主主義を掣肘するものとして「国体」を持ってくるのもどうだろう? 成文憲法の方が内容が具体的で明確な分良いと思うけど。成文憲法に欠陥があるなら改正すればいいし。 -- 名無しさん (2013-10-14 17 07 55)朝鮮半島や中国大陸は、それで国家自体が何度も180度変化し、興亡が繰り返された歴史事実もあります。よい伝統を成分化するのが「憲法」の成り立ちであり、人定法主義に基づく成分憲法が日本国憲法なわけです(恐らく筆者自体は不文憲法がいいと言っている訳でなく、慣習法の成分化をすべきという点で成分憲法を評価しているのではないでしょうか?) - 名無しさん 2016-02-17 21 44 03 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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CD情報 CD名 リリース日 アーティスト 松下が二次元に恋をする15の理由 2015.01.21 松下 http //exittunes.com/detail/qwce-00418.html Track No. 曲名 アーティスト 演奏時間 01 愛迷エレジー DECO*27 02 +♂(プラス男子) ギガ 03 ショットガン・ラヴァーズ のぼる↑ 04 心臓デモクラシー みきとP 05 WAVE niki 06 渋谷801 デッドボールP 07 トランキライザーの哀情 スズム 08 キリトリセン 40mP 09 breezing up あにー(TaNaBaTa) 10 ダヴィンチの告白 666 11 Go↓Go↑Girls&Boys! 松下 feat.Sota wac 12 テロル Neru 13 EveR ∞ LastinG ∞ NighT ひとしずく×やま△ 14 ラズベリー*モンスター Gom 15 shiningray -ver.petals- 164 16 ケッペキショウ すこっぷ Tr.16は通常盤のみ収録
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lv87902751 18 52~ 01 sm6405907 KAITOの生放送ジングル(25秒) / 02 sm16647004 【KAITO】 七色世界 【オリジナル曲】 / カイミュP 03 sm17373010 【KAITO】心臓デモクラシー【ゼロイチカバー】 / 04 sm15278385 【KAITO・猫村いろは】 回路=A 【オリジナル】 / 同時P 05 sm16964360 【MMD】 FREELY_TOMORROW 【KAITO・穂歌ソラカバー】 / 06 sm17378978 【KAITO】まるくなる【カバー】 / 07 sm17107224 【KAITO】「千本桜」【カバー曲】 / 深夜P 08 sm10074828 【KAITO】歩きたくなる径【カバー】 / 鋤P ← part1168 | part1169 | part1170 → 曲順・抜け等、ミスありましたら修正お願いします。 編集方法がよくわからないようでしたら、以下に記入ください。気付き次第修正します。 名前 コメント
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「政策を立案するのは少数の者のみであるが、それを判断することは我々全てが出来るのである」 ~ ペリクレスによる戦士葬送演説(トゥキディディス『戦史』より) リベラル・デモクラシー(“自由”に価値を置く“民主制”)を如何に守るか <目次> ■1.初めに ■2.政治的スタンスと政治体制 ■3.政治体制の説明◆1.リベラル・デモクラシー(自由民主制、自由民主政体、自由民主政治) ◆2.全体主義体制(totalitarian regime) ◆3.権威主義体制(authoritarian regime) ■4.日本の政治体制◆1.現行憲法:前文第一段の内容(基本理念) ◆2.現行憲法の問題点 ◆3.前文第一段の評価と展望 ■5.「国民主権」から「法の支配」へ◆1.「国民主権」では「自由」を保障できない ◆2.「法の支配」が「自由」を守る ◆3.法と権利の本質に関する2つの考え方 ◆4.大陸法の「国民主権」原理ではなく英米法の「法の支配」理念の正確な把握が必要である ■6.用語集、関連ページ ■7.ご意見、情報提供 ■1.初めに 「自由」を最優先に守るべき価値とする「民主政体」を「リベラル・デモクラシー(liberal democracy 自由民主制、自由民主政体)」という。 日本・アメリカ合衆国・英国・ドイツなど現在の先進諸国の政体(政治体制)は、いずれもリベラル・デモクラシーである。 しかし世界には、リベラル・デモクラシー(自由民主制)以外の国も多くあり、またリベラル・デモクラシーから全体主義体制や権威主義体制に転落していった過去を持つ国々も幾つもある(戦前の我が国も決して例外ではない)。 このページでは、様々な政治体制の分類を手始めに、私達が常識だと思っている「国民主権」原理の内実、そして「法の支配」理念の正確な意味を考えいく。 ■2.政治的スタンスと政治体制 ※サイズが合わない場合はこちらをクリック ※詳しくは 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 参照。 ■3.政治体制の説明 ◆1.リベラル・デモクラシー(自由民主制、自由民主政体、自由民主政治) (1) 英語版 wikipedia(liberal democracy wikiの項)より定義部分のみ翻訳 ※ブリタニカ百科事典には項目なしのためwikipediaで代用 自由民主制(liberal democracy)は(ブルジョア民主制(bourgeois democracy)あるいは立憲民主制(constitutional democracy))は代議制民主制(代表制デモクラシー representative democracy)の一般的な形態である。 自由民主制の原則によれば、①選挙は自由で公平であるべきであり、②政治的プロセスは競争的であるべきである。政治的多元性(政治的複数性 political pluralism)は通常、複数の明瞭に区別された諸政党の存在によって同定される。 自由民主制は様々な憲法形態をとることが可能である。それはアメリカ・ブラジル・インド・ドイツのような①連邦共和国(federal republic)が可能であり、また英国・日本・カナダ・スペインのような②立憲君主国(constitutional monarchy)が可能である。 それ(自由民主制)はまた、①大統領制(predidential system アメリカ・ブラジル)、②議会制(paliamentary system = Westminster system 英国と共同体諸国 UK and commonwealth countries)、あるいは③混成・半大統領制(hybrid, semi-presidential system フランス・ロシア)が可能である。 ※オックスフォード英語辞典・コリンズ-コウビルド英語辞典にも liberal democracy の項目なし。 「自由」を最優先に守るべき価値とする「民主政体」を「リベラル・デモクラシー(liberal democracy 自由民主制、自由民主政体)」という。 日本・英国などは「政体」という意味では、厳密には「立憲君主政体(constitutional monarcy 立憲君主制)」であるが、その政治権力の所在・運用の実質に照らして「デモクラシー(民主政治)」が行われている、と言ってよい。 なお、スウェーデン・ノルウェー・デンマークの北欧3ヶ国は、立憲君主制に加えて、「リベラル(自由主義的)」ではなく「ソーシャル(社会主義的)」な価値をより重視して長年国家を運営しており、共和制で同様な国家運営をしているフィンランド・アイスランドを加えたこの北欧5ヶ国は「ソーシャル・デモクラシー(社会民主制、社会主義的民主政体)」と表現する方が適切、とする見解もある(但し social democracy は政体よりも政治的イデオロギーを現す言葉として用いられるのが常なので、代わりにこれら北欧諸国の政治体制を表す言葉として Scandinavian wealfare model あるいは Nordic model が用いられるようである)。 ※これに対して、「自由」に価値を置かず、「民主政体(民主制)」でもない政治体制の国も世界には沢山ある。 ◆2.全体主義体制(totalitarian regime) (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(totalitarianismの項)より全文翻訳 市民生活の全領域を国家の権威の下に置く政府の形態(Form of government)であって、唯一のカリスマ的な指導者を究極的な権威とするもの。 この言葉は1920年代初期にベニト・ムッソリーニによって鋳造されたが、全体主義は全歴史・全世界を通して存在してきた(例えば支那の秦王朝)。 全体主義は既成の全ての政治機構や全ての古い法的・社会的伝統を、通常高度に重点的な国家の必要に合致する新しいものに取り替える点で、独裁制(dictatorship)や権威主義(authoritarianism)と区別される。 大規模で組織的な暴力が合法化され得る。警察は法や規則の制約なしに活動する。国家目標の追求はこの様な政府の唯一の思想的基礎である一方で、そうした目標の追行過程は決して一般に知らされない。ハンナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)はこの主題の標準的著作である。 (2) オックスフォード英語事典(totaritarianの項)より抜粋翻訳 1 中央集権的で独裁的であり、国家に対する完全な服従を要求する政治システムに関するもの。 2 全体主義的な政治システムを唱導する人物 (3) コウビルド英語事典(totalitarianの項)より全文翻訳 1 全体主義的政治システムとは、唯一の政党が全てをコントロールし一切の反対党を許さないものである。 2 全体主義者とは、全体主義的政治理念あるいはシステムを支持する人物である。 共産党・労働党などが一党独裁する中国・北朝鮮・キューバなど共産主義国がその一つの典型であり、これを「全体主義的独裁政体(totalitarian tyranny)」と呼ぶ。 これらの国は「人民民主主義(people s democracy)」という偽物のデモクラシーを称する場合がある(totalitalian democracy とも言う)。 ◆3.権威主義体制(authoritarian regime) (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(authoritarianismの項)より全文翻訳 権威への無制限の服従の原理であって、個人の思想や行動の自由に反するもの。 政治的システムとしての権威主義は反民主的(anti-democratic)であり、政治的権力は被統治者に対して何ら憲法上の責務を負わない単一の指導者または少数エリートに集中される。 権威主義的政府は通常、①指針となるイデオロギーを欠くこと、②社会的機構に幾らかの複数性を許容すること、③国民的な目標の追求に全人口を投入する権力を欠いていること、④相対的に予測可能な制限の範囲で権力を行使すること、から全体主義とは区別される。 絶対主義(Absolutism)、独裁制(Dictatorship)を参照せよ。 (2) オックスフォード英語事典(authoritarianの項)より抜粋翻訳 1 個人の自由を犠牲にして、権威に対する厳格な服従を志向し強制すること 2 他人の意思や意見への関心が欠けていることを示すこと。独断的な。 3 権威主義的な人物 (3) コウビルド英語事典(authoritarianの項)より全文翻訳 1 貴方が、ある人物や組織が権威主義であると描写する場合、貴方は、彼らが人々が自身で物事を決定することを許容せず全てのことをコンロトールすることに批判的であることを意味する。 2 オーソリタリアンとは権威主義的な人物である。 ロシアやエジプト、シンガポールのようにデモクラシーの外観は備えているが、事実上一つの党派や個人が独裁的な権力を握っている「権威主義的体制(authoritarian regime)」を取る国々は、いわゆる第三世界(アジア・アフリカ・ラテンアメリカなど)の国々に非常に多く、シンガポールのように経済的には先進国と対等な地位を築いた国にもそうした実例は多い。 ※次に、日本の政治体制を憲法の規定から確認する。 ■4.日本の政治体制 ◆1.現行憲法:前文第一段の内容(基本理念) 現行憲法の前文第一段は、「自由」に価値を置き、「代表制デモクラシー」を採用することを宣言している。 前文第一段 内容 関連ページ 日本国民は、 正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、 代表制デモクラシー デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る われらとわれらの子孫のために、 諸国民との協和による成果と、 国際協調主義 わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、 自由主義 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 政府の行為によって 自虐史観 戦後レジームの正体 再び戦争の惨禍が起ることのないやうに決意し、 非戦主義 ここに主権が国民に存することを宣言し、 国民主権 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 この憲法を確定する。 立憲主義 「法の支配(rule of law)」とは何か 立憲主義とは何か ※なお、憲法問題の全般的な解説ページ⇒日本国憲法改正問題(上級編)も参照 ◆2.現行憲法の問題点 ここで予め現行憲法の問題点を指摘すると、 (1) 現行憲法は昭和天皇の裁可によって辛うじて正統性を付与されているものの、その制定過程に重大な瑕疵があったことは否めない。 (2) 内容面でも、現行憲法は、日本の歴史・伝統を無視あるいは蔑視し、事実に反する一方的な贖罪意識を日本人に刷り込みかねない誤った文理解釈を招く文章を幾つも含むばかりか、文言のうえで明らかに日本国民の基本的な自存自衛の権利を蔑ろにし、国家共同体を解体に導きかねない憲法解釈(左翼的憲法解釈)の横行を長年に渡って助長し続けている。 (3) 従って現行憲法は、 1 現行憲法第96条の改正手続きによるか、 2 破棄宣言し明治憲法下の体制に形式上一旦戻した上で明治憲法の改正手続きによって改正するか、といった手続き面に関わらず、内容的には、特に原理・原則面に踏み込んだ抜本的な変更を行う必要がある(ただし統治機構や権利章典の個別の条項については現行憲法典のものをそのまま維持することが妥当なものも多い)。 (4) なお、現在の緊張した東アジアの国際状況下では、特に憲法九条限定の部分改正について他の条項に先駆けての緊急対応を要すると思われる。 以上を踏まえた上で、前文第一段に示された現行憲法の基本理念について、その当否を論じる。 ◆3.前文第一段の評価と展望 (1) 「自由」を最高の価値とし「代表制デモクラシー」を採用すること、つまり「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を維持することに全く異存はない。但し現行憲法では文言上曖昧となっている「立憲主義」について、日本の歴史・伝統に照らして「立憲君主政体(立憲君主制)」であることを明確に規定すべきである。 (2) 「自虐史観」に基づく「非戦主義」の規定は、所謂「奴隷の平和(主義)」であり、日本国民の正当な自存自衛の権利に違反するため、全面的に排除する必要がある。 (3) 「国際協調主義」は日本国の正当な権利が保証される限りにおいて意味を持つのであり、事実に基づかない贖罪意識により日本国が一方的に譲歩させられること(所謂「土下座外交」)を誘発するような規定は排除されるべきである。 (4) 現行憲法では無制限的な「国民主権」を強調する解釈が横行しているが、既に「デモクラシー(民衆による政治)」が過剰に行き渡った現在の状況で安易な「国民主権」の強調は、デモクラシーのモボクラシー(衆愚政治)化を助長するだけである(⇒ デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る 参照)。更に「国民主権」は「自由」という最高の価値とも実は両立し難い要注意語であって、「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を正しく保証すぺく「国民主権」の語自体もその具体的意味を確定しつつ慎重に排除していく必要がある。(⇒政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価参照) ■5.「国民主権」から「法の支配」へ ◆1.「国民主権」では「自由」を保障できない 「国民主権」あるいは「人民主権」(以降併せて「主権在民」論と呼ぶ)の概念は、欧州大陸の絶対君主の唱えた「君主主権」に対抗して登場した。 (1) 「君主主権」では、 君主の恣意的な命令が「法」となり、臣民の「自由」は理屈の上では無制限に奪われる。 (2) 「主権在民」論では、 君主の恣意的な命令こそ排除されるものの、“主権者”である全ての国民(ないし人民)の意思が一致するわけではないので、結局、比較的多数派の意思が「法」となって、比較的少数派の意思を圧殺することになる。つまりこの場合でも比較的少数派の「自由」は理屈の上ではやはり無制限に奪われる。 これを防ぐ一つの有力な方法は、何人も奪われぬ「自由」の領域、即ち「多数派であっても変更不可能な自由の領域」を予め憲法典に明記して置くこと、であり、日本国憲法もこの方法に従って多数の基本権が列挙されている(基本権カタログ)。 しかしながら、この方法は「法=主権者の意志・命令」という構造である以上、主権者がたとえ君主から国民(ないし人民)に代わろうと、そうした「主権者」が自らの意思を押し通す誘惑・危険から逃れられない。即ち、 「法=主権者の意思・命令」 であれば、 憲法典自体が主権者の恣意的な構築物であるのだから、 主権者は、 ①不都合な条文を勝手に改変したり、②憲法典そのものを停止宣言することによって、 幾らでも少数派の憲法上保障された権利・自由を奪えることになってしまうのである。 以上述べた「法=主権者の意思・命令」説は、デカルト以来主にフランス・ドイツなど欧州大陸で発展した所謂「大陸合理論」と東ローマ帝国のユスティニアヌス法典に起源を持つ「大陸法」の伝統からの帰結である。 ⇒ 大陸合理論・イギリス経験論については 国家解体思想の正体 参照 ◆2.「法の支配」が「自由」を守る これに対して英国では、中世期のマグナ・カルタに代表されるゲルマン祖法から自生的に発展した慣習法こそ真の法である、とする伝統、すなわち「法=歴史的に形成された自生的秩序」であり、意図せざる人為の産物(=ノモス)である、とする観念が育った。 この所謂「イギリス経験論」あるいは「英米法」の考え方によれば、 “法”を定める“主権者”なる者は存在せず、 “法”は気の遠くなるほど長い年月をかけて無数の先人達の叡智と経験の積み重ねの中から徐々に“発見”されてきたものであり、 それゆえに確実な権威を持つものであって、 何人であろうと(君主であろうと議会の多数派であろうと)勝手に改変することは許されない、とされた。 このような「国王といえども神と法の下にある」状態を「法の支配」(rule of law)と呼ぶ。(★注1) すなわち英米法の伝統では、恣意的に法を改変できる“主権者”なるものは存在せず、強いて言えば「“法”が王様」即ち「“法”主権」である。(★注2) ※この場合の“法(law)”とは、君主の定める「勅令(imperial(royal) ordinance)」や、議会の定める「法律(legislation)」とは区別される、世代を重ねて歴史的に形成された不文の慣習法を指し、一方制定法は、こうした慣習法を明確化するための補完的存在となる。 「自由」を保障するのは、こうした全ての人に差別なく適用され、世代を超えて遵守される、自生的な慣習法に起源を持つ一般ルールである。 (★注1)なお、現代の英米法理論では「法の支配」を「正義の一般ルール」と限定して捉える見解が主流となっているため、「王といえども神と法の下にある」とする伝統的な意味での「法の支配」を「広義の法の支配」ないし「ノモスの支配(ノモクラシー)」と呼ぶのが妥当である。(⇒「法の支配(rule of law)」とは何か参照) (★注2)ちなみに「国民主権」ないし「主権在民」の英訳とされる popular sovereignty をブリタニカ百科事典で引くと popular sovereignty (南北戦争以前に)アメリカの連邦保有地の入植者達に、自由州または奴隷州としてユニオンに加盟する決定を下すことを許容した政策(以下省略) とだけ記載されており、「国民主権」「主権在民」という意味は一切見当たらない。 またオックスフォード英語辞典やコリンズ-コウビルド英語辞典には popular sovereignty という言葉がそもそも登録されていない。 すなわち、英米圏では、かってフランス・ドイツなど欧州大陸諸国で強調され、日本の憲法学で現在でも過剰に強調されている popular sovereignty(国民主権)なる概念自体が、存在していないのである(※詳しくは⇒中川八洋『国民の憲法改正』抜粋参照) ※ここで英米法と大陸法の、法と権利に関する考え方の違いを対比し整理しておく。 ◆3.法と権利の本質に関する2つの考え方 歴史主義・伝統主義 (英米法) 反歴史主義・リセット主義 (大陸法) 権利の本質 人間は長い歴史を通じて、社会の中で試行錯誤を繰り返しながら、社会的叡智の結晶として歴史的権利を「慣習」という形で個別に見出してきた、とする立場 人間は自然状態において、生来的に自然権(natural right)を有していたが、社会契約(social contract)を結んで自然権を一部または全部放棄し、人定法(実定法:positive law)を定めた、とする立場 法の本質 法は特定の共同体の中で人々の社会的ルールとして自生した(特定の人物の意思によらずに時間をかけて次第に生成されてきた)(法=社会的ルール説)(★注3)⇒この立場は、真の法=ノモス(個別の共同体毎に自生的に発展してきた人為的ではあるが特定の意思によらざる法)とする見解と親和的である。 法はそれを作成した主権者の意思であり命令である(法=主権者意思[命令]説)(★注1、★注2)⇒この立場には、①真の法=理性から演繹された自然法(フュシス)とする近代的自然法論、および、②真の法など存在せず主権者の意思・命令としての人為法があるのみとする純然たる法実証主義、の2通りの見解がある。 誰が法を作るのか 法は幾世代にも渡る無数の人々の叡智が積み重ねられて自生的に発展したもの(経験主義、批判的合理主義)⇒「法は“発見”するもの」⇒制憲権(憲法制定権力)を否認(特定時点の世代の人々が制定できるのは原則として「憲法典(形式憲法)」迄であって、「国制(実質憲法)」は世代を重ねて徐々に確立されていくものに過ぎない) 法は主権者の委任を受けた立法者(エリート)が合理的に設計するもの(設計主義的合理主義)⇒「法は“主権者”が作るもの」⇒制憲権(憲法制定権力)を肯定(特定時点の世代の人々は「憲法典(形式憲法)」のみならず「国制(実質憲法)」をも意図的に確立することが可能である) 補足 共同体毎に個別的→共同体に固有の「国民の権利」と「一般的自由」の二元論と親和的価値多元的・相対主義的、帰納的、保守主義・自由主義・非形而上学的な分析哲学と親和的法の支配ないし立憲主義と順接 全人類に普遍的→共同体や歴史的経緯を超える普遍的な人権イデオロギーと親和的絶対主義的(但し価値一元的な傾向と価値相対主義的な傾向との両面がある)演繹的、急進主義・全体主義・形而上学的な観念論哲学と親和的国民主権や法治主義と順接 実例 英国の不文憲法が典型例。またアメリカ憲法は意外にも独立宣言にあった社会契約説的な色彩を極力消した形で制定され歴史主義の立場に基づいて運用されてきた。大日本帝国憲法(明治憲法)も日本の歴史的伝統を重んじる形で当時としては最大限に熟慮を重ねて制定された フランスの数々の憲法、ドイツのワイマール憲法が典型例。日本国憲法は前文で「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とロックの社会契約説的な制定理由を明記しており、残念ながら形式上この範疇に入る(GHQ草案翻訳憲法)※但し“解釈”により日本の歴史・伝統を過剰に毀損しない慎重な運用が為されてきた 主な提唱者 コーク、ブラックストーン、バーク、ハミルトンなお第二次大戦後の代表的論者は、ハイエク、ハート ホッブズ、ロック、ルソーなお第二次大戦後の代表的論者は、ロールズ、ノージック (★注1)「法=主権者意思[命令]説」は、主権者を誰と見なすかによって以下に分類される。 ① 君主主権 君主一人が主権者。(1)社会契約説以前の王権神授説や、(2)ホッブズの社会契約説が代表例。 ② 人民主権 君主以外の人民 people が主権者であり人民は各々主権を分有し人民自らがそれを行使する(=プープル主権説)。ルソーの社会契約説が代表例。 ③ 国民主権 君主を含めて国民全員が主権者(但し左翼の多い日本の憲法学者には「君主は国民に含めない」として、実質的に人民主権と同一とする者が多い)。なお国民主権の具体的意味については、(1)最高機関意思説と、(2)制憲権(憲法制定権力)説が対立しており、さらに(2)は、 1 ナシオン主権説と 2 プープル主権説に分かれる(プープル主権説は実質的に②人民主権説)。一般的に国民主権という場合は、 1 ナシオン主権説(観念的統一体としての国民が制憲権を保有するとする説)を指す。 ④ 議会主権 英国の憲法学者A.V.ダイシーの用語で、正確には「議会における国王/女王(the king/queen in parliament)」を主権者とする。君主主権や国民主権の語を避けるために考え出された理論 ⑤ 国家主権 帝政時代のドイツで、君主を含む「国家」が主権者であるとして君主主権や国民主権の語を避けた理論。戦前の日本の美濃部達吉(憲法学者)の天皇機関説もこの説の一種である ⇒教科書は、戦後の日本は「国民主権」だが、戦前の日本は「君主主権」の絶対主義国家だった、とする刷り込みを行っている。しかし実の所は、大日本帝国憲法(明治憲法)は制定時において明確に歴史主義の立場を取っており、そもそも「xx主権」という立場(法=主権者命令説)ではなかった。強いて言えば ⑥ “法”主権 つまり「法の支配」・・・歴史的に形成された統治に関する慣習法(=国体法 constitutional law)及びそれを可能な範囲で実定化した憲法典(constitutional code)が天皇をも含めた国家の全構成員を拘束するという立場だった。 ⇒なお、大正デモクラシー期には、ドイツ法学の「⑤国家主権説」を直輸入した美濃部達吉の「天皇機関説」が通説となり、それがさらに天皇機関説事件によっていわゆる①君主主権説に転換したのは昭和10年(1935年)以降の僅か10年間である。 (★注2)「法=主権者意思[命令]説」は、法を特定の立法者/思想家の価値観(例:カントやヘーゲルのドイツ観念論的法思想や自然法論・人権論)あるいは政治イデオロギー(例:マルクス主義やナチス期ドイツ思想)に還元してしまう危険が高く、全体主義への接近を許してしまう。 ※以下、「法=主権者意思[命令]説」の法体系モデル。 ※図が見づらい場合⇒こちらを参照 ※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。) (★注3)「法=社会的ルール説」は20世紀初頭に英米圏で発展した分析哲学の成果を受けて、1960年以降にイギリスの法理学者H. L. A. ハートによって提唱され、現在では英米圏の法理論の圧倒的なパラダイムとなっている法の捉え方である。 ※以下、「法=社会的ルール説」の法体系モデル。また阪本昌成『憲法理論Ⅰ』第二章 国制と法の理論も参照。 ※サイズが画面に合わない場合はこちら及びこちらをクリック願います。 ※上記のように、ハートの法=社会的ルール説は、現実の法現象について詳細で明晰な分析モデルを提供しており、特定の価値観・政治的イデオロギーに基づく概念ピラミッドに過ぎない法=主権者意思[命令]説の法体系モデルを、その説得力において大幅に凌駕している。 ※なお、自由を巡る西洋思想の二つの潮流について詳しくは ⇒ 国家解体思想の正体 参照 ※(補足説明)ハートの法=社会的ルール説のいう「ルール(rule)」という用語は、図にあるように、①事実(外的視点からの捉え方)と②規範(内的視点からの捉え方)の二重構造(=観測者から見れば①事実(社会的事実)だが、法共同体の構成員から見れば②規範だ、という③第3のカテゴリー)になっている、という独特の意味で使用されており、①事実と②規範を峻別する方法二元論(ケルゼンら新カント学派の方法論)と大きく異なっている点に注意(→こうした①事実でもあり②規範でもある③第3のカテゴリーの導入によって、ハート理論は「単なる①事実(=認識)から、なぜ②規範(=価値判断)が生まれるのか」という難問のクリアを図っている)。 ◆4.大陸法の「国民主権」原理ではなく英米法の「法の支配」理念の正確な把握が必要である (1) かってフランスがルソーの革命思想に燃えるジャコバン党の恐怖政治に覆われたとき、強烈な反撃の狼煙を上げたのは英国だった。 (2) ナチス・ドイツが欧州大陸を席巻したとき、ただ一国で踏みとどまってヒトラーの自滅を誘ったのも英国であり、最終的にこれを壊滅させたのは米国だった。 (3) ソ連との持久戦に耐えて遂にこれを崩壊に導いたのは、サッチャー&レーガンの英・米同盟だった。 これまでに世界を襲った恐怖政治と全体主義の脅威から、三度までも「自由」と「デモクラシー」を守ったのは、結局のところイギリスであり、(日本人にとっては些か不本意ではあるが)アメリカであったのは、おそらく偶然ではないはずである。 結局、「リベラル・デモクラシー」は英米法の伝統の中で発展してきた政治体制であり、 フランス・ドイツで発展した大陸法の「国民主権」あるいは「人民主権」といった「法=主権者意思・命令」説、理性からの演繹による自然法論あるいはその裏返しとしてのケルゼン流の純然たる法実証主義(人定法一元論)では、これを安定的に維持するのは難しい、というのが歴史の教訓である。 従って我々としては、明治以来継授してきた大陸法の主権在民論/制憲権論の弊害をまず正確に認識した上で、英米法の「法の支配」理念の正しい理解に努め、それを日本に固有の法体系に無理なく接合していく必要がある。 にも関わらず、中川八洋氏(筑波大学名誉教授)によれば、英米法の「法の支配」理念を正しく理解している憲法学者は、ほぼ皆無(既に高齢の英米法学者・伊藤正巳氏くらい)との事である。 確かに戦後日本の憲法学の通説となっている故・芦部信喜(宮沢俊義の弟子であり東大憲法学の代表学者=左翼)の『憲法 第5版』からは、芦部氏がルソーの人民主権論にシンパシーを寄せ、英米法の「法の支配」の原理を「人権の観念と固く結びつくもの」と(おそらく意図的に)曲解している様子しか伺えない。 ※参考ページ⇒よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) また芦部説に次ぐ有力説である佐藤幸治(大石義雄の弟子であり京大憲法学の代表学者=中間派)の『憲法 第三版』は、「法の支配」に関連してハイエクの「ノモスとテシス論」や「ノモスの主権論」を一通り説明するなどルソー主義の芦部氏よりも幾分マトモではあるものの、ベースになる思想がロックの社会契約論(つまり「国民主権」論)であるために、結局は、英米法の本流である「法の支配」(国民主権=制憲権=社会契約論の否定)とは相容れない立場にしか立っていない。 この点に関して、保守主義(伝統保守・旧保守)ではなくリベラル右派(新保守)のスタンスではあるが阪本昌成氏(憲法学者)の「国民主権・法の支配」論が非常に参考になるので、当ページからさらに深く理解したい方は、後述の■6.用語集・関連ページ欄に進まれることを願う。 ■6.用語集、関連ページ 憲法問題の全般的な解説ページ 日本国憲法改正問題(上級編) 関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等 憲法論のガイドライン 憲法論の二段構造:①実質憲法(=法価値論)と、②形式憲法(=法解釈論) 「法の支配」と国民主権 「法の支配(rule of law)」とは何か 阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第一部 第8章 国民主権あるいは憲法制定権力 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第七章 国民主権と憲法制定権力 芦部信喜・佐藤幸治・阪本昌成・中川八洋etc.の「国民主権論」比較・評価 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 ■7.ご意見、情報提供 ページ内容向上のためのご意見・情報提供を歓迎します。 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 『国民主権』は『ルソー主義』であり『共産主義』であり全面否定しなければならない -- 名無しさん (2011-01-12 10 54 28) 『国民主権』論には『ナシオン主権論』と『プープル主権論』の2つがありルソーが唱えたのは『プープル主権論』である -- 名無しさん (2011-01-17 14 22 17) http //www.47news.jp/CN/201012/CN2010122901000218.html -- 名無しさん (2011-01-28 15 15 58) 阪本昌成教授の著書「法の支配~オーストリア学派の自由論と国家論~」がよいと思います -- 名無しさん (2011-12-16 01 45 25) 私はデモクラシーとは一種の精神安定剤だと思っています。デモクラシーを平和的な(血を見ない)政権交代の手段として評価し守っていくべきではありますが、それ自体を目的としてとらえ、人民主権論に走れば、必然的に全体主義を招来することを我々は歴史から学ぶことができます。適量の服用は気持ちを落ち着かせても、飲みすぎれば発狂する向精神薬と非常に似ていると思うのは私だけでしょうか。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-09 04 48 15) ◆4についてなんだけど、ヒトラー失脚はソ連と米に喧嘩売ったせいだと思う 不利になった英は何としてでも米を戦争に引き込もうと躍起になっていたし、結果論だが英がヒトラーに譲歩したことが原因ともいわれる。共産主義の悪しきところは蛮行、危険思想だからと決めつけるのは良くない、自由を捨てることが堕落だとしても、自由を追求した結果も堕落、貧富の差が激しく不道徳な結果が起こっているのにそれに何も感じないなんて社会おかしい 英米的法の支配に対する批判も少し欲しい。基礎としてそちらを主軸とするべきという主張はいいと思うけど、良い面だけを教えられると信用していいのかと不安になる。 自分で様々な立場の本読むのが一番いいかもなんですが - 名無しさん 2015-11-14 01 28 18 上の高校生?のコメントを参照してみてください。その為の情報収集だと思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 16 38 続きです。恐らく記事作成主の言いたいことは、英米法で主流とされる「法の支配」の理解がどうなのかという点であって、自由の追求云々は言及しないに尽きたのではないかと思われます。法の支配を「英米法のまま」で導入すれば、それこそ日本の國体法に沿うわけがありませんから、日本法体系式の「法の支配」が必要不可欠となるわけです。その例が大日本帝国憲法であり、児嶋惟謙に始まる司法権の独立に沿う形が歴史上見られたものではないかと個人的には思いますね。つまり、法の支配は「良き慣習と伝統」が前提条件にありますから、慣習法が国民生活に沿わなければ、法の支配が機能しにくいことになるのではないでしょうか。批判は書籍等を見ると案外多いものですが、日本式にはどうか?を何度も自問自答して考えるようにすれば、記事作成主の言いたいこともわからなくないと思います(あくまで私見ですが)。 - 名無しさん 2016-02-17 21 28 57 ふと思い出したので、何度も失礼いたしますが付け足します。共産主義の悪しき~の件で、キリスト教が悪しき~という話を誰かがしていた覚えがあります。沿う考えますと、名無しさんの考えも一理あると思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 32 35 以下は最新コメント表示 『国民主権』は『ルソー主義』であり『共産主義』であり全面否定しなければならない -- 名無しさん (2011-01-12 10 54 28) 『国民主権』論には『ナシオン主権論』と『プープル主権論』の2つがありルソーが唱えたのは『プープル主権論』である -- 名無しさん (2011-01-17 14 22 17) http //www.47news.jp/CN/201012/CN2010122901000218.html -- 名無しさん (2011-01-28 15 15 58) 阪本昌成教授の著書「法の支配~オーストリア学派の自由論と国家論~」がよいと思います -- 名無しさん (2011-12-16 01 45 25) 私はデモクラシーとは一種の精神安定剤だと思っています。デモクラシーを平和的な(血を見ない)政権交代の手段として評価し守っていくべきではありますが、それ自体を目的としてとらえ、人民主権論に走れば、必然的に全体主義を招来することを我々は歴史から学ぶことができます。適量の服用は気持ちを落ち着かせても、飲みすぎれば発狂する向精神薬と非常に似ていると思うのは私だけでしょうか。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-09 04 48 15) ◆4についてなんだけど、ヒトラー失脚はソ連と米に喧嘩売ったせいだと思う 不利になった英は何としてでも米を戦争に引き込もうと躍起になっていたし、結果論だが英がヒトラーに譲歩したことが原因ともいわれる。共産主義の悪しきところは蛮行、危険思想だからと決めつけるのは良くない、自由を捨てることが堕落だとしても、自由を追求した結果も堕落、貧富の差が激しく不道徳な結果が起こっているのにそれに何も感じないなんて社会おかしい 英米的法の支配に対する批判も少し欲しい。基礎としてそちらを主軸とするべきという主張はいいと思うけど、良い面だけを教えられると信用していいのかと不安になる。 自分で様々な立場の本読むのが一番いいかもなんですが - 名無しさん 2015-11-14 01 28 18 上の高校生?のコメントを参照してみてください。その為の情報収集だと思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 16 38 続きです。恐らく記事作成主の言いたいことは、英米法で主流とされる「法の支配」の理解がどうなのかという点であって、自由の追求云々は言及しないに尽きたのではないかと思われます。法の支配を「英米法のまま」で導入すれば、それこそ日本の國体法に沿うわけがありませんから、日本法体系式の「法の支配」が必要不可欠となるわけです。その例が大日本帝国憲法であり、児嶋惟謙に始まる司法権の独立に沿う形が歴史上見られたものではないかと個人的には思いますね。つまり、法の支配は「良き慣習と伝統」が前提条件にありますから、慣習法が国民生活に沿わなければ、法の支配が機能しにくいことになるのではないでしょうか。批判は書籍等を見ると案外多いものですが、日本式にはどうか?を何度も自問自答して考えるようにすれば、記事作成主の言いたいこともわからなくないと思います(あくまで私見ですが)。 - 名無しさん 2016-02-17 21 28 57 ふと思い出したので、何度も失礼いたしますが付け足します。共産主義の悪しき~の件で、キリスト教が悪しき~という話を誰かがしていた覚えがあります。沿う考えますと、名無しさんの考えも一理あると思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 32 35 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください 「政策を立案するのは少数の者のみであるが、それを判断することは我々全てが出来るのである」 ~ ペリクレスによる戦士葬送演説(トゥキディディス『戦史』より) リベラル・デモクラシー(“自由”に価値を置く“民主制”)を如何に守るか <目次> ■1.初めに ■2.政治的スタンスと政治体制 ■3.政治体制の説明◆1.リベラル・デモクラシー(自由民主制、自由民主政体、自由民主政治) ◆2.全体主義体制(totalitarian regime) ◆3.権威主義体制(authoritarian regime) ■4.日本の政治体制◆1.現行憲法:前文第一段の内容(基本理念) ◆2.現行憲法の問題点 ◆3.前文第一段の評価と展望 ■5.「国民主権」から「法の支配」へ◆1.「国民主権」では「自由」を保障できない ◆2.「法の支配」が「自由」を守る ◆3.法と権利の本質に関する2つの考え方 ◆4.大陸法の「国民主権」原理ではなく英米法の「法の支配」理念の正確な把握が必要である ■6.用語集、関連ページ ■7.ご意見、情報提供 ■1.初めに 「自由」を最優先に守るべき価値とする「民主政体」を「リベラル・デモクラシー(liberal democracy 自由民主制、自由民主政体)」という。 日本・アメリカ合衆国・英国・ドイツなど現在の先進諸国の政体(政治体制)は、いずれもリベラル・デモクラシーである。 しかし世界には、リベラル・デモクラシー(自由民主制)以外の国も多くあり、またリベラル・デモクラシーから全体主義体制や権威主義体制に転落していった過去を持つ国々も幾つもある(戦前の我が国も決して例外ではない)。 このページでは、様々な政治体制の分類を手始めに、私達が常識だと思っている「国民主権」原理の内実、そして「法の支配」理念の正確な意味を考えいく。 ■2.政治的スタンスと政治体制 -... ※サイズが合わない場合はこちら をクリック ※詳しくは 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 参照。 ■3.政治体制の説明 ◆1.リベラル・デモクラシー(自由民主制、自由民主政体、自由民主政治) (1) 英語版 wikipedia(liberal democracy wiki の項)より定義部分のみ翻訳 ※ブリタニカ百科事典には項目なしのためwikipediaで代用 自由民主制(liberal democracy)は(ブルジョア民主制(bourgeois democracy)あるいは立憲民主制(constitutional democracy))は代議制民主制(代表制デモクラシー representative democracy)の一般的な形態である。 自由民主制の原則によれば、①選挙は自由で公平であるべきであり、②政治的プロセスは競争的であるべきである。政治的多元性(政治的複数性 political pluralism)は通常、複数の明瞭に区別された諸政党の存在によって同定される。 自由民主制は様々な憲法形態をとることが可能である。それはアメリカ・ブラジル・インド・ドイツのような①連邦共和国(federal republic)が可能であり、また英国・日本・カナダ・スペインのような②立憲君主国(constitutional monarchy)が可能である。 それ(自由民主制)はまた、①大統領制(predidential system アメリカ・ブラジル)、②議会制(paliamentary system = Westminster system 英国と共同体諸国 UK and commonwealth countries)、あるいは③混成・半大統領制(hybrid, semi-presidential system フランス・ロシア)が可能である。 ※オックスフォード英語辞典・コリンズ-コウビルド英語辞典にも liberal democracy の項目なし。 「自由」を最優先に守るべき価値とする「民主政体」を「リベラル・デモクラシー(liberal democracy 自由民主制、自由民主政体)」という。 日本・英国などは「政体」という意味では、厳密には「立憲君主政体(constitutional monarcy 立憲君主制)」であるが、その政治権力の所在・運用の実質に照らして「デモクラシー(民主政治)」が行われている、と言ってよい。 なお、スウェーデン・ノルウェー・デンマークの北欧3ヶ国は、立憲君主制に加えて、「リベラル(自由主義的)」ではなく「ソーシャル(社会主義的)」な価値をより重視して長年国家を運営しており、共和制で同様な国家運営をしているフィンランド・アイスランドを加えたこの北欧5ヶ国は「ソーシャル・デモクラシー(社会民主制、社会主義的民主政体)」と表現する方が適切、とする見解もある(但し social democracy は政体よりも政治的イデオロギーを現す言葉として用いられるのが常なので、代わりにこれら北欧諸国の政治体制を表す言葉として Scandinavian wealfare model あるいは Nordic model が用いられるようである)。 ※これに対して、「自由」に価値を置かず、「民主政体(民主制)」でもない政治体制の国も世界には沢山ある。 ◆2.全体主義体制(totalitarian regime) (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(totalitarianismの項)より全文翻訳 市民生活の全領域を国家の権威の下に置く政府の形態(Form of government)であって、唯一のカリスマ的な指導者を究極的な権威とするもの。 この言葉は1920年代初期にベニト・ムッソリーニによって鋳造されたが、全体主義は全歴史・全世界を通して存在してきた(例えば支那の秦王朝)。 全体主義は既成の全ての政治機構や全ての古い法的・社会的伝統を、通常高度に重点的な国家の必要に合致する新しいものに取り替える点で、独裁制(dictatorship)や権威主義(authoritarianism)と区別される。 大規模で組織的な暴力が合法化され得る。警察は法や規則の制約なしに活動する。国家目標の追求はこの様な政府の唯一の思想的基礎である一方で、そうした目標の追行過程は決して一般に知らされない。ハンナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)はこの主題の標準的著作である。 (2) オックスフォード英語事典(totaritarianの項)より抜粋翻訳 1 中央集権的で独裁的であり、国家に対する完全な服従を要求する政治システムに関するもの。 2 全体主義的な政治システムを唱導する人物 (3) コウビルド英語事典(totalitarianの項)より全文翻訳 1 全体主義的政治システムとは、唯一の政党が全てをコントロールし一切の反対党を許さないものである。 2 全体主義者とは、全体主義的政治理念あるいはシステムを支持する人物である。 共産党・労働党などが一党独裁する中国・北朝鮮・キューバなど共産主義国がその一つの典型であり、これを「全体主義的独裁政体(totalitarian tyranny)」と呼ぶ。 これらの国は「人民民主主義(people s democracy)」という偽物のデモクラシーを称する場合がある(totalitalian democracy とも言う)。 ◆3.権威主義体制(authoritarian regime) (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(authoritarianismの項)より全文翻訳 権威への無制限の服従の原理であって、個人の思想や行動の自由に反するもの。 政治的システムとしての権威主義は反民主的(anti-democratic)であり、政治的権力は被統治者に対して何ら憲法上の責務を負わない単一の指導者または少数エリートに集中される。 権威主義的政府は通常、①指針となるイデオロギーを欠くこと、②社会的機構に幾らかの複数性を許容すること、③国民的な目標の追求に全人口を投入する権力を欠いていること、④相対的に予測可能な制限の範囲で権力を行使すること、から全体主義とは区別される。 絶対主義(Absolutism)、独裁制(Dictatorship)を参照せよ。 (2) オックスフォード英語事典(authoritarianの項)より抜粋翻訳 1 個人の自由を犠牲にして、権威に対する厳格な服従を志向し強制すること 2 他人の意思や意見への関心が欠けていることを示すこと。独断的な。 3 権威主義的な人物 (3) コウビルド英語事典(authoritarianの項)より全文翻訳 1 貴方が、ある人物や組織が権威主義であると描写する場合、貴方は、彼らが人々が自身で物事を決定することを許容せず全てのことをコンロトールすることに批判的であることを意味する。 2 オーソリタリアンとは権威主義的な人物である。 ロシアやエジプト、シンガポールのようにデモクラシーの外観は備えているが、事実上一つの党派や個人が独裁的な権力を握っている「権威主義的体制(authoritarian regime)」を取る国々は、いわゆる第三世界(アジア・アフリカ・ラテンアメリカなど)の国々に非常に多く、シンガポールのように経済的には先進国と対等な地位を築いた国にもそうした実例は多い。 ※次に、日本の政治体制を憲法の規定から確認する。 ■4.日本の政治体制 ◆1.現行憲法:前文第一段の内容(基本理念) 現行憲法の前文第一段は、「自由」に価値を置き、「代表制デモクラシー」を採用することを宣言している。 前文第一段 内容 関連ページ 日本国民は、 正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、 代表制デモクラシー デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る われらとわれらの子孫のために、 諸国民との協和による成果と、 国際協調主義 わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、 自由主義 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 政府の行為によって 自虐史観 戦後レジームの正体 再び戦争の惨禍が起ることのないやうに決意し、 非戦主義 ここに主権が国民に存することを宣言し、 国民主権 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 この憲法を確定する。 立憲主義 「法の支配(rule of law)」とは何か 立憲主義とは何か ※なお、憲法問題の全般的な解説ページ⇒日本国憲法改正問題(上級編)も参照 ◆2.現行憲法の問題点 ここで予め現行憲法の問題点を指摘すると、 (1) 現行憲法は昭和天皇の裁可によって辛うじて正統性を付与されているものの、その制定過程に重大な瑕疵があったことは否めない。 (2) 内容面でも、現行憲法は、日本の歴史・伝統を無視あるいは蔑視し、事実に反する一方的な贖罪意識を日本人に刷り込みかねない誤った文理解釈を招く文章を幾つも含むばかりか、文言のうえで明らかに日本国民の基本的な自存自衛の権利を蔑ろにし、国家共同体を解体に導きかねない憲法解釈(左翼的憲法解釈)の横行を長年に渡って助長し続けている。 (3) 従って現行憲法は、 1 現行憲法第96条の改正手続きによるか、 2 破棄宣言し明治憲法下の体制に形式上一旦戻した上で明治憲法の改正手続きによって改正するか、といった手続き面に関わらず、内容的には、特に原理・原則面に踏み込んだ抜本的な変更を行う必要がある(ただし統治機構や権利章典の個別の条項については現行憲法典のものをそのまま維持することが妥当なものも多い)。 (4) なお、現在の緊張した東アジアの国際状況下では、特に憲法九条限定の部分改正について他の条項に先駆けての緊急対応を要すると思われる。 以上を踏まえた上で、前文第一段に示された現行憲法の基本理念について、その当否を論じる。 ◆3.前文第一段の評価と展望 (1) 「自由」を最高の価値とし「代表制デモクラシー」を採用すること、つまり「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を維持することに全く異存はない。但し現行憲法では文言上曖昧となっている「立憲主義」について、日本の歴史・伝統に照らして「立憲君主政体(立憲君主制)」であることを明確に規定すべきである。 (2) 「自虐史観」に基づく「非戦主義」の規定は、所謂「奴隷の平和(主義)」であり、日本国民の正当な自存自衛の権利に違反するため、全面的に排除する必要がある。 (3) 「国際協調主義」は日本国の正当な権利が保証される限りにおいて意味を持つのであり、事実に基づかない贖罪意識により日本国が一方的に譲歩させられること(所謂「土下座外交」)を誘発するような規定は排除されるべきである。 (4) 現行憲法では無制限的な「国民主権」を強調する解釈が横行しているが、既に「デモクラシー(民衆による政治)」が過剰に行き渡った現在の状況で安易な「国民主権」の強調は、デモクラシーのモボクラシー(衆愚政治)化を助長するだけである(⇒ デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る 参照)。更に「国民主権」は「自由」という最高の価値とも実は両立し難い要注意語であって、「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を正しく保証すぺく「国民主権」の語自体もその具体的意味を確定しつつ慎重に排除していく必要がある。(⇒政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価参照) ■5.「国民主権」から「法の支配」へ ◆1.「国民主権」では「自由」を保障できない 「国民主権」あるいは「人民主権」(以降併せて「主権在民」論と呼ぶ)の概念は、欧州大陸の絶対君主の唱えた「君主主権」に対抗して登場した。 (1) 「君主主権」では、 君主の恣意的な命令が「法」となり、臣民の「自由」は理屈の上では無制限に奪われる。 (2) 「主権在民」論では、 君主の恣意的な命令こそ排除されるものの、“主権者”である全ての国民(ないし人民)の意思が一致するわけではないので、結局、比較的多数派の意思が「法」となって、比較的少数派の意思を圧殺することになる。つまりこの場合でも比較的少数派の「自由」は理屈の上ではやはり無制限に奪われる。 これを防ぐ一つの有力な方法は、何人も奪われぬ「自由」の領域、即ち「多数派であっても変更不可能な自由の領域」を予め憲法典に明記して置くこと、であり、日本国憲法もこの方法に従って多数の基本権が列挙されている(基本権カタログ)。 しかしながら、この方法は「法=主権者の意志・命令」という構造である以上、主権者がたとえ君主から国民(ないし人民)に代わろうと、そうした「主権者」が自らの意思を押し通す誘惑・危険から逃れられない。即ち、 「法=主権者の意思・命令」 であれば、 憲法典自体が主権者の恣意的な構築物であるのだから、 主権者は、 ①不都合な条文を勝手に改変したり、②憲法典そのものを停止宣言することによって、 幾らでも少数派の憲法上保障された権利・自由を奪えることになってしまうのである。 以上述べた「法=主権者の意思・命令」説は、デカルト以来主にフランス・ドイツなど欧州大陸で発展した所謂「大陸合理論」と東ローマ帝国のユスティニアヌス法典に起源を持つ「大陸法」の伝統からの帰結である。 ⇒ 大陸合理論・イギリス経験論については 国家解体思想の正体 参照 ◆2.「法の支配」が「自由」を守る これに対して英国では、中世期のマグナ・カルタに代表されるゲルマン祖法から自生的に発展した慣習法こそ真の法である、とする伝統、すなわち「法=歴史的に形成された自生的秩序」であり、意図せざる人為の産物(=ノモス)である、とする観念が育った。 この所謂「イギリス経験論」あるいは「英米法」の考え方によれば、 “法”を定める“主権者”なる者は存在せず、 “法”は気の遠くなるほど長い年月をかけて無数の先人達の叡智と経験の積み重ねの中から徐々に“発見”されてきたものであり、 それゆえに確実な権威を持つものであって、 何人であろうと(君主であろうと議会の多数派であろうと)勝手に改変することは許されない、とされた。 このような「国王といえども神と法の下にある」状態を「法の支配」(rule of law)と呼ぶ。(★注1) すなわち英米法の伝統では、恣意的に法を改変できる“主権者”なるものは存在せず、強いて言えば「“法”が王様」即ち「“法”主権」である。(★注2) ※この場合の“法(law)”とは、君主の定める「勅令(imperial(royal) ordinance)」や、議会の定める「法律(legislation)」とは区別される、世代を重ねて歴史的に形成された不文の慣習法を指し、一方制定法は、こうした慣習法を明確化するための補完的存在となる。 「自由」を保障するのは、こうした全ての人に差別なく適用され、世代を超えて遵守される、自生的な慣習法に起源を持つ一般ルールである。 (★注1)なお、現代の英米法理論では「法の支配」を「正義の一般ルール」と限定して捉える見解が主流となっているため、「王といえども神と法の下にある」とする伝統的な意味での「法の支配」を「広義の法の支配」ないし「ノモスの支配(ノモクラシー)」と呼ぶのが妥当である。(⇒「法の支配(rule of law)」とは何か参照) (★注2)ちなみに「国民主権」ないし「主権在民」の英訳とされる popular sovereignty をブリタニカ百科事典で引くと popular sovereignty (南北戦争以前に)アメリカの連邦保有地の入植者達に、自由州または奴隷州としてユニオンに加盟する決定を下すことを許容した政策(以下省略) とだけ記載されており、「国民主権」「主権在民」という意味は一切見当たらない。 またオックスフォード英語辞典やコリンズ-コウビルド英語辞典には popular sovereignty という言葉がそもそも登録されていない。 すなわち、英米圏では、かってフランス・ドイツなど欧州大陸諸国で強調され、日本の憲法学で現在でも過剰に強調されている popular sovereignty(国民主権)なる概念自体が、存在していないのである(※詳しくは⇒中川八洋『国民の憲法改正』抜粋参照) ※ここで英米法と大陸法の、法と権利に関する考え方の違いを対比し整理しておく。 ◆3.法と権利の本質に関する2つの考え方 歴史主義・伝統主義 (英米法) 反歴史主義・リセット主義 (大陸法) 権利の本質 人間は長い歴史を通じて、社会の中で試行錯誤を繰り返しながら、社会的叡智の結晶として歴史的権利を「慣習」という形で個別に見出してきた、とする立場 人間は自然状態において、生来的に自然権(natural right)を有していたが、社会契約(social contract)を結んで自然権を一部または全部放棄し、人定法(実定法:positive law)を定めた、とする立場 法の本質 法は特定の共同体の中で人々の社会的ルールとして自生した(特定の人物の意思によらずに時間をかけて次第に生成されてきた)(法=社会的ルール説)(★注3)⇒この立場は、真の法=ノモス(個別の共同体毎に自生的に発展してきた人為的ではあるが特定の意思によらざる法)とする見解と親和的である。 法はそれを作成した主権者の意思であり命令である(法=主権者意思[命令]説)(★注1、★注2)⇒この立場には、①真の法=理性から演繹された自然法(フュシス)とする近代的自然法論、および、②真の法など存在せず主権者の意思・命令としての人為法があるのみとする純然たる法実証主義、の2通りの見解がある。 誰が法を作るのか 法は幾世代にも渡る無数の人々の叡智が積み重ねられて自生的に発展したもの(経験主義、批判的合理主義)⇒「法は“発見”するもの」⇒制憲権(憲法制定権力)を否認(特定時点の世代の人々が制定できるのは原則として「憲法典(形式憲法)」迄であって、「国制(実質憲法)」は世代を重ねて徐々に確立されていくものに過ぎない) 法は主権者の委任を受けた立法者(エリート)が合理的に設計するもの(設計主義的合理主義)⇒「法は“主権者”が作るもの」⇒制憲権(憲法制定権力)を肯定(特定時点の世代の人々は「憲法典(形式憲法)」のみならず「国制(実質憲法)」をも意図的に確立することが可能である) 補足 共同体毎に個別的→共同体に固有の「国民の権利」と「一般的自由」の二元論と親和的価値多元的・相対主義的、帰納的、保守主義・自由主義・非形而上学的な分析哲学と親和的法の支配ないし立憲主義と順接 全人類に普遍的→共同体や歴史的経緯を超える普遍的な人権イデオロギーと親和的絶対主義的(但し価値一元的な傾向と価値相対主義的な傾向との両面がある)演繹的、急進主義・全体主義・形而上学的な観念論哲学と親和的国民主権や法治主義と順接 実例 英国の不文憲法が典型例。またアメリカ憲法は意外にも独立宣言にあった社会契約説的な色彩を極力消した形で制定され歴史主義の立場に基づいて運用されてきた。大日本帝国憲法(明治憲法)も日本の歴史的伝統を重んじる形で当時としては最大限に熟慮を重ねて制定された フランスの数々の憲法、ドイツのワイマール憲法が典型例。日本国憲法は前文で「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とロックの社会契約説的な制定理由を明記しており、残念ながら形式上この範疇に入る(GHQ草案翻訳憲法)※但し“解釈”により日本の歴史・伝統を過剰に毀損しない慎重な運用が為されてきた 主な提唱者 コーク、ブラックストーン、バーク、ハミルトンなお第二次大戦後の代表的論者は、ハイエク、ハート ホッブズ、ロック、ルソーなお第二次大戦後の代表的論者は、ロールズ、ノージック (★注1)「法=主権者意思[命令]説」は、主権者を誰と見なすかによって以下に分類される。 ① 君主主権 君主一人が主権者。(1)社会契約説以前の王権神授説や、(2)ホッブズの社会契約説が代表例。 ② 人民主権 君主以外の人民 people が主権者であり人民は各々主権を分有し人民自らがそれを行使する(=プープル主権説)。ルソーの社会契約説が代表例。 ③ 国民主権 君主を含めて国民全員が主権者(但し左翼の多い日本の憲法学者には「君主は国民に含めない」として、実質的に人民主権と同一とする者が多い)。なお国民主権の具体的意味については、(1)最高機関意思説と、(2)制憲権(憲法制定権力)説が対立しており、さらに(2)は、 1 ナシオン主権説と 2 プープル主権説に分かれる(プープル主権説は実質的に②人民主権説)。一般的に国民主権という場合は、 1 ナシオン主権説(観念的統一体としての国民が制憲権を保有するとする説)を指す。 ④ 議会主権 英国の憲法学者A.V.ダイシーの用語で、正確には「議会における国王/女王(the king/queen in parliament)」を主権者とする。君主主権や国民主権の語を避けるために考え出された理論 ⑤ 国家主権 帝政時代のドイツで、君主を含む「国家」が主権者であるとして君主主権や国民主権の語を避けた理論。戦前の日本の美濃部達吉(憲法学者)の天皇機関説もこの説の一種である ⇒教科書は、戦後の日本は「国民主権」だが、戦前の日本は「君主主権」の絶対主義国家だった、とする刷り込みを行っている。しかし実の所は、大日本帝国憲法(明治憲法)は制定時において明確に歴史主義の立場を取っており、そもそも「xx主権」という立場(法=主権者命令説)ではなかった。強いて言えば ⑥ “法”主権 つまり「法の支配」・・・歴史的に形成された統治に関する慣習法(=国体法 constitutional law)及びそれを可能な範囲で実定化した憲法典(constitutional code)が天皇をも含めた国家の全構成員を拘束するという立場だった。 ⇒なお、大正デモクラシー期には、ドイツ法学の「⑤国家主権説」を直輸入した美濃部達吉の「天皇機関説」が通説となり、それがさらに天皇機関説事件によっていわゆる①君主主権説に転換したのは昭和10年(1935年)以降の僅か10年間である。 (★注2)「法=主権者意思[命令]説」は、法を特定の立法者/思想家の価値観(例:カントやヘーゲルのドイツ観念論的法思想や自然法論・人権論)あるいは政治イデオロギー(例:マルクス主義やナチス期ドイツ思想)に還元してしまう危険が高く、全体主義への接近を許してしまう。 ※以下、「法=主権者意思[命令]説」の法体系モデル。 ※図が見づらい場合⇒こちら を参照 ※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。) (★注3)「法=社会的ルール説」は20世紀初頭に英米圏で発展した分析哲学の成果を受けて、1960年以降にイギリスの法理学者H. L. A. ハートによって提唱され、現在では英米圏の法理論の圧倒的なパラダイムとなっている法の捉え方である。 ※以下、「法=社会的ルール説」の法体系モデル。また阪本昌成『憲法理論Ⅰ』第二章 国制と法の理論も参照。 ※サイズが画面に合わない場合はこちら 及びこちら をクリック願います。 ※上記のように、ハートの法=社会的ルール説は、現実の法現象について詳細で明晰な分析モデルを提供しており、特定の価値観・政治的イデオロギーに基づく概念ピラミッドに過ぎない法=主権者意思[命令]説の法体系モデルを、その説得力において大幅に凌駕している。 ※なお、自由を巡る西洋思想の二つの潮流について詳しくは ⇒ 国家解体思想の正体 参照 ※(補足説明)ハートの法=社会的ルール説のいう「ルール(rule)」という用語は、図にあるように、①事実(外的視点からの捉え方)と②規範(内的視点からの捉え方)の二重構造(=観測者から見れば①事実(社会的事実)だが、法共同体の構成員から見れば②規範だ、という③第3のカテゴリー)になっている、という独特の意味で使用されており、①事実と②規範を峻別する方法二元論(ケルゼンら新カント学派の方法論)と大きく異なっている点に注意(→こうした①事実でもあり②規範でもある③第3のカテゴリーの導入によって、ハート理論は「単なる①事実(=認識)から、なぜ②規範(=価値判断)が生まれるのか」という難問のクリアを図っている)。 ◆4.大陸法の「国民主権」原理ではなく英米法の「法の支配」理念の正確な把握が必要である (1) かってフランスがルソーの革命思想に燃えるジャコバン党の恐怖政治に覆われたとき、強烈な反撃の狼煙を上げたのは英国だった。 (2) ナチス・ドイツが欧州大陸を席巻したとき、ただ一国で踏みとどまってヒトラーの自滅を誘ったのも英国であり、最終的にこれを壊滅させたのは米国だった。 (3) ソ連との持久戦に耐えて遂にこれを崩壊に導いたのは、サッチャー&レーガンの英・米同盟だった。 これまでに世界を襲った恐怖政治と全体主義の脅威から、三度までも「自由」と「デモクラシー」を守ったのは、結局のところイギリスであり、(日本人にとっては些か不本意ではあるが)アメリカであったのは、おそらく偶然ではないはずである。 結局、「リベラル・デモクラシー」は英米法の伝統の中で発展してきた政治体制であり、 フランス・ドイツで発展した大陸法の「国民主権」あるいは「人民主権」といった「法=主権者意思・命令」説、理性からの演繹による自然法論あるいはその裏返しとしてのケルゼン流の純然たる法実証主義(人定法一元論)では、これを安定的に維持するのは難しい、というのが歴史の教訓である。 従って我々としては、明治以来継授してきた大陸法の主権在民論/制憲権論の弊害をまず正確に認識した上で、英米法の「法の支配」理念の正しい理解に努め、それを日本に固有の法体系に無理なく接合していく必要がある。 にも関わらず、中川八洋氏(筑波大学名誉教授)によれば、英米法の「法の支配」理念を正しく理解している憲法学者は、ほぼ皆無(既に高齢の英米法学者・伊藤正巳氏くらい)との事である。 確かに戦後日本の憲法学の通説となっている故・芦部信喜(宮沢俊義の弟子であり東大憲法学の代表学者=左翼)の『憲法 第5版』からは、芦部氏がルソーの人民主権論にシンパシーを寄せ、英米法の「法の支配」の原理を「人権の観念と固く結びつくもの」と(おそらく意図的に)曲解している様子しか伺えない。 ※参考ページ⇒よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) また芦部説に次ぐ有力説である佐藤幸治(大石義雄の弟子であり京大憲法学の代表学者=中間派)の『憲法 第三版』は、「法の支配」に関連してハイエクの「ノモスとテシス論」や「ノモスの主権論」を一通り説明するなどルソー主義の芦部氏よりも幾分マトモではあるものの、ベースになる思想がロックの社会契約論(つまり「国民主権」論)であるために、結局は、英米法の本流である「法の支配」(国民主権=制憲権=社会契約論の否定)とは相容れない立場にしか立っていない。 この点に関して、保守主義(伝統保守・旧保守)ではなくリベラル右派(新保守)のスタンスではあるが阪本昌成氏(憲法学者)の「国民主権・法の支配」論が非常に参考になるので、当ページからさらに深く理解したい方は、後述の■6.用語集・関連ページ欄に進まれることを願う。 ■6.用語集、関連ページ 憲法問題の全般的な解説ページ 日本国憲法改正問題(上級編) 関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等 憲法論のガイドライン 憲法論の二段構造:①実質憲法(=法価値論)と、②形式憲法(=法解釈論) 「法の支配」と国民主権 「法の支配(rule of law)」とは何か 阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第一部 第8章 国民主権あるいは憲法制定権力 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第七章 国民主権と憲法制定権力 芦部信喜・佐藤幸治・阪本昌成・中川八洋etc.の「国民主権論」比較・評価 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 ■7.ご意見、情報提供 ページ内容向上のためのご意見・情報提供を歓迎します。 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 『国民主権』は『ルソー主義』であり『共産主義』であり全面否定しなければならない -- 名無しさん (2011-01-12 10 54 28) 『国民主権』論には『ナシオン主権論』と『プープル主権論』の2つがありルソーが唱えたのは『プープル主権論』である -- 名無しさん (2011-01-17 14 22 17) http //www.47news.jp/CN/201012/CN2010122901000218.html -- 名無しさん (2011-01-28 15 15 58) 阪本昌成教授の著書「法の支配~オーストリア学派の自由論と国家論~」がよいと思います -- 名無しさん (2011-12-16 01 45 25) 私はデモクラシーとは一種の精神安定剤だと思っています。デモクラシーを平和的な(血を見ない)政権交代の手段として評価し守っていくべきではありますが、それ自体を目的としてとらえ、人民主権論に走れば、必然的に全体主義を招来することを我々は歴史から学ぶことができます。適量の服用は気持ちを落ち着かせても、飲みすぎれば発狂する向精神薬と非常に似ていると思うのは私だけでしょうか。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-09 04 48 15) ◆4についてなんだけど、ヒトラー失脚はソ連と米に喧嘩売ったせいだと思う 不利になった英は何としてでも米を戦争に引き込もうと躍起になっていたし、結果論だが英がヒトラーに譲歩したことが原因ともいわれる。共産主義の悪しきところは蛮行、危険思想だからと決めつけるのは良くない、自由を捨てることが堕落だとしても、自由を追求した結果も堕落、貧富の差が激しく不道徳な結果が起こっているのにそれに何も感じないなんて社会おかしい 英米的法の支配に対する批判も少し欲しい。基礎としてそちらを主軸とするべきという主張はいいと思うけど、良い面だけを教えられると信用していいのかと不安になる。 自分で様々な立場の本読むのが一番いいかもなんですが - 名無しさん 2015-11-14 01 28 18 上の高校生?のコメントを参照してみてください。その為の情報収集だと思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 16 38 続きです。恐らく記事作成主の言いたいことは、英米法で主流とされる「法の支配」の理解がどうなのかという点であって、自由の追求云々は言及しないに尽きたのではないかと思われます。法の支配を「英米法のまま」で導入すれば、それこそ日本の國体法に沿うわけがありませんから、日本法体系式の「法の支配」が必要不可欠となるわけです。その例が大日本帝国憲法であり、児嶋惟謙に始まる司法権の独立に沿う形が歴史上見られたものではないかと個人的には思いますね。つまり、法の支配は「良き慣習と伝統」が前提条件にありますから、慣習法が国民生活に沿わなければ、法の支配が機能しにくいことになるのではないでしょうか。批判は書籍等を見ると案外多いものですが、日本式にはどうか?を何度も自問自答して考えるようにすれば、記事作成主の言いたいこともわからなくないと思います(あくまで私見ですが)。 - 名無しさん 2016-02-17 21 28 57 ふと思い出したので、何度も失礼いたしますが付け足します。共産主義の悪しき~の件で、キリスト教が悪しき~という話を誰かがしていた覚えがあります。沿う考えますと、名無しさんの考えも一理あると思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 32 35 以下は最新コメント表示 『国民主権』は『ルソー主義』であり『共産主義』であり全面否定しなければならない -- 名無しさん (2011-01-12 10 54 28) 『国民主権』論には『ナシオン主権論』と『プープル主権論』の2つがありルソーが唱えたのは『プープル主権論』である -- 名無しさん (2011-01-17 14 22 17) http //www.47news.jp/CN/201012/CN2010122901000218.html -- 名無しさん (2011-01-28 15 15 58) 阪本昌成教授の著書「法の支配~オーストリア学派の自由論と国家論~」がよいと思います -- 名無しさん (2011-12-16 01 45 25) 私はデモクラシーとは一種の精神安定剤だと思っています。デモクラシーを平和的な(血を見ない)政権交代の手段として評価し守っていくべきではありますが、それ自体を目的としてとらえ、人民主権論に走れば、必然的に全体主義を招来することを我々は歴史から学ぶことができます。適量の服用は気持ちを落ち着かせても、飲みすぎれば発狂する向精神薬と非常に似ていると思うのは私だけでしょうか。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-09 04 48 15) ◆4についてなんだけど、ヒトラー失脚はソ連と米に喧嘩売ったせいだと思う 不利になった英は何としてでも米を戦争に引き込もうと躍起になっていたし、結果論だが英がヒトラーに譲歩したことが原因ともいわれる。共産主義の悪しきところは蛮行、危険思想だからと決めつけるのは良くない、自由を捨てることが堕落だとしても、自由を追求した結果も堕落、貧富の差が激しく不道徳な結果が起こっているのにそれに何も感じないなんて社会おかしい 英米的法の支配に対する批判も少し欲しい。基礎としてそちらを主軸とするべきという主張はいいと思うけど、良い面だけを教えられると信用していいのかと不安になる。 自分で様々な立場の本読むのが一番いいかもなんですが - 名無しさん 2015-11-14 01 28 18 上の高校生?のコメントを参照してみてください。その為の情報収集だと思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 16 38 続きです。恐らく記事作成主の言いたいことは、英米法で主流とされる「法の支配」の理解がどうなのかという点であって、自由の追求云々は言及しないに尽きたのではないかと思われます。法の支配を「英米法のまま」で導入すれば、それこそ日本の國体法に沿うわけがありませんから、日本法体系式の「法の支配」が必要不可欠となるわけです。その例が大日本帝国憲法であり、児嶋惟謙に始まる司法権の独立に沿う形が歴史上見られたものではないかと個人的には思いますね。つまり、法の支配は「良き慣習と伝統」が前提条件にありますから、慣習法が国民生活に沿わなければ、法の支配が機能しにくいことになるのではないでしょうか。批判は書籍等を見ると案外多いものですが、日本式にはどうか?を何度も自問自答して考えるようにすれば、記事作成主の言いたいこともわからなくないと思います(あくまで私見ですが)。 - 名無しさん 2016-02-17 21 28 57 ふと思い出したので、何度も失礼いたしますが付け足します。共産主義の悪しき~の件で、キリスト教が悪しき~という話を誰かがしていた覚えがあります。沿う考えますと、名無しさんの考えも一理あると思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 32 35 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください 「政策を立案するのは少数の者のみであるが、それを判断することは我々全てが出来るのである」 ~ ペリクレスによる戦士葬送演説(トゥキディディス『戦史』より) リベラル・デモクラシー(“自由”に価値を置く“民主制”)を如何に守るか <目次> ■1.初めに ■2.政治的スタンスと政治体制 ■3.政治体制の説明◆1.リベラル・デモクラシー(自由民主制、自由民主政体、自由民主政治) ◆2.全体主義体制(totalitarian regime) ◆3.権威主義体制(authoritarian regime) ■4.日本の政治体制◆1.現行憲法:前文第一段の内容(基本理念) ◆2.現行憲法の問題点 ◆3.前文第一段の評価と展望 ■5.「国民主権」から「法の支配」へ◆1.「国民主権」では「自由」を保障できない ◆2.「法の支配」が「自由」を守る ◆3.法と権利の本質に関する2つの考え方 ◆4.大陸法の「国民主権」原理ではなく英米法の「法の支配」理念の正確な把握が必要である ■6.用語集、関連ページ ■7.ご意見、情報提供 ■1.初めに 「自由」を最優先に守るべき価値とする「民主政体」を「リベラル・デモクラシー(liberal democracy 自由民主制、自由民主政体)」という。 日本・アメリカ合衆国・英国・ドイツなど現在の先進諸国の政体(政治体制)は、いずれもリベラル・デモクラシーである。 しかし世界には、リベラル・デモクラシー(自由民主制)以外の国も多くあり、またリベラル・デモクラシーから全体主義体制や権威主義体制に転落していった過去を持つ国々も幾つもある(戦前の我が国も決して例外ではない)。 このページでは、様々な政治体制の分類を手始めに、私達が常識だと思っている「国民主権」原理の内実、そして「法の支配」理念の正確な意味を考えいく。 ■2.政治的スタンスと政治体制 -... ※サイズが合わない場合はこちら をクリック ※詳しくは 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 参照。 ■3.政治体制の説明 ◆1.リベラル・デモクラシー(自由民主制、自由民主政体、自由民主政治) (1) 英語版 wikipedia(liberal democracy wiki の項)より定義部分のみ翻訳 ※ブリタニカ百科事典には項目なしのためwikipediaで代用 自由民主制(liberal democracy)は(ブルジョア民主制(bourgeois democracy)あるいは立憲民主制(constitutional democracy))は代議制民主制(代表制デモクラシー representative democracy)の一般的な形態である。 自由民主制の原則によれば、①選挙は自由で公平であるべきであり、②政治的プロセスは競争的であるべきである。政治的多元性(政治的複数性 political pluralism)は通常、複数の明瞭に区別された諸政党の存在によって同定される。 自由民主制は様々な憲法形態をとることが可能である。それはアメリカ・ブラジル・インド・ドイツのような①連邦共和国(federal republic)が可能であり、また英国・日本・カナダ・スペインのような②立憲君主国(constitutional monarchy)が可能である。 それ(自由民主制)はまた、①大統領制(predidential system アメリカ・ブラジル)、②議会制(paliamentary system = Westminster system 英国と共同体諸国 UK and commonwealth countries)、あるいは③混成・半大統領制(hybrid, semi-presidential system フランス・ロシア)が可能である。 ※オックスフォード英語辞典・コリンズ-コウビルド英語辞典にも liberal democracy の項目なし。 「自由」を最優先に守るべき価値とする「民主政体」を「リベラル・デモクラシー(liberal democracy 自由民主制、自由民主政体)」という。 日本・英国などは「政体」という意味では、厳密には「立憲君主政体(constitutional monarcy 立憲君主制)」であるが、その政治権力の所在・運用の実質に照らして「デモクラシー(民主政治)」が行われている、と言ってよい。 なお、スウェーデン・ノルウェー・デンマークの北欧3ヶ国は、立憲君主制に加えて、「リベラル(自由主義的)」ではなく「ソーシャル(社会主義的)」な価値をより重視して長年国家を運営しており、共和制で同様な国家運営をしているフィンランド・アイスランドを加えたこの北欧5ヶ国は「ソーシャル・デモクラシー(社会民主制、社会主義的民主政体)」と表現する方が適切、とする見解もある(但し social democracy は政体よりも政治的イデオロギーを現す言葉として用いられるのが常なので、代わりにこれら北欧諸国の政治体制を表す言葉として Scandinavian wealfare model あるいは Nordic model が用いられるようである)。 ※これに対して、「自由」に価値を置かず、「民主政体(民主制)」でもない政治体制の国も世界には沢山ある。 ◆2.全体主義体制(totalitarian regime) (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(totalitarianismの項)より全文翻訳 市民生活の全領域を国家の権威の下に置く政府の形態(Form of government)であって、唯一のカリスマ的な指導者を究極的な権威とするもの。 この言葉は1920年代初期にベニト・ムッソリーニによって鋳造されたが、全体主義は全歴史・全世界を通して存在してきた(例えば支那の秦王朝)。 全体主義は既成の全ての政治機構や全ての古い法的・社会的伝統を、通常高度に重点的な国家の必要に合致する新しいものに取り替える点で、独裁制(dictatorship)や権威主義(authoritarianism)と区別される。 大規模で組織的な暴力が合法化され得る。警察は法や規則の制約なしに活動する。国家目標の追求はこの様な政府の唯一の思想的基礎である一方で、そうした目標の追行過程は決して一般に知らされない。ハンナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)はこの主題の標準的著作である。 (2) オックスフォード英語事典(totaritarianの項)より抜粋翻訳 1 中央集権的で独裁的であり、国家に対する完全な服従を要求する政治システムに関するもの。 2 全体主義的な政治システムを唱導する人物 (3) コウビルド英語事典(totalitarianの項)より全文翻訳 1 全体主義的政治システムとは、唯一の政党が全てをコントロールし一切の反対党を許さないものである。 2 全体主義者とは、全体主義的政治理念あるいはシステムを支持する人物である。 共産党・労働党などが一党独裁する中国・北朝鮮・キューバなど共産主義国がその一つの典型であり、これを「全体主義的独裁政体(totalitarian tyranny)」と呼ぶ。 これらの国は「人民民主主義(people s democracy)」という偽物のデモクラシーを称する場合がある(totalitalian democracy とも言う)。 ◆3.権威主義体制(authoritarian regime) (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(authoritarianismの項)より全文翻訳 権威への無制限の服従の原理であって、個人の思想や行動の自由に反するもの。 政治的システムとしての権威主義は反民主的(anti-democratic)であり、政治的権力は被統治者に対して何ら憲法上の責務を負わない単一の指導者または少数エリートに集中される。 権威主義的政府は通常、①指針となるイデオロギーを欠くこと、②社会的機構に幾らかの複数性を許容すること、③国民的な目標の追求に全人口を投入する権力を欠いていること、④相対的に予測可能な制限の範囲で権力を行使すること、から全体主義とは区別される。 絶対主義(Absolutism)、独裁制(Dictatorship)を参照せよ。 (2) オックスフォード英語事典(authoritarianの項)より抜粋翻訳 1 個人の自由を犠牲にして、権威に対する厳格な服従を志向し強制すること 2 他人の意思や意見への関心が欠けていることを示すこと。独断的な。 3 権威主義的な人物 (3) コウビルド英語事典(authoritarianの項)より全文翻訳 1 貴方が、ある人物や組織が権威主義であると描写する場合、貴方は、彼らが人々が自身で物事を決定することを許容せず全てのことをコンロトールすることに批判的であることを意味する。 2 オーソリタリアンとは権威主義的な人物である。 ロシアやエジプト、シンガポールのようにデモクラシーの外観は備えているが、事実上一つの党派や個人が独裁的な権力を握っている「権威主義的体制(authoritarian regime)」を取る国々は、いわゆる第三世界(アジア・アフリカ・ラテンアメリカなど)の国々に非常に多く、シンガポールのように経済的には先進国と対等な地位を築いた国にもそうした実例は多い。 ※次に、日本の政治体制を憲法の規定から確認する。 ■4.日本の政治体制 ◆1.現行憲法:前文第一段の内容(基本理念) 現行憲法の前文第一段は、「自由」に価値を置き、「代表制デモクラシー」を採用することを宣言している。 前文第一段 内容 関連ページ 日本国民は、 正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、 代表制デモクラシー デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る われらとわれらの子孫のために、 諸国民との協和による成果と、 国際協調主義 わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、 自由主義 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 政府の行為によって 自虐史観 戦後レジームの正体 再び戦争の惨禍が起ることのないやうに決意し、 非戦主義 ここに主権が国民に存することを宣言し、 国民主権 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 この憲法を確定する。 立憲主義 「法の支配(rule of law)」とは何か 立憲主義とは何か ※なお、憲法問題の全般的な解説ページ⇒日本国憲法改正問題(上級編)も参照 ◆2.現行憲法の問題点 ここで予め現行憲法の問題点を指摘すると、 (1) 現行憲法は昭和天皇の裁可によって辛うじて正統性を付与されているものの、その制定過程に重大な瑕疵があったことは否めない。 (2) 内容面でも、現行憲法は、日本の歴史・伝統を無視あるいは蔑視し、事実に反する一方的な贖罪意識を日本人に刷り込みかねない誤った文理解釈を招く文章を幾つも含むばかりか、文言のうえで明らかに日本国民の基本的な自存自衛の権利を蔑ろにし、国家共同体を解体に導きかねない憲法解釈(左翼的憲法解釈)の横行を長年に渡って助長し続けている。 (3) 従って現行憲法は、 1 現行憲法第96条の改正手続きによるか、 2 破棄宣言し明治憲法下の体制に形式上一旦戻した上で明治憲法の改正手続きによって改正するか、といった手続き面に関わらず、内容的には、特に原理・原則面に踏み込んだ抜本的な変更を行う必要がある(ただし統治機構や権利章典の個別の条項については現行憲法典のものをそのまま維持することが妥当なものも多い)。 (4) なお、現在の緊張した東アジアの国際状況下では、特に憲法九条限定の部分改正について他の条項に先駆けての緊急対応を要すると思われる。 以上を踏まえた上で、前文第一段に示された現行憲法の基本理念について、その当否を論じる。 ◆3.前文第一段の評価と展望 (1) 「自由」を最高の価値とし「代表制デモクラシー」を採用すること、つまり「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を維持することに全く異存はない。但し現行憲法では文言上曖昧となっている「立憲主義」について、日本の歴史・伝統に照らして「立憲君主政体(立憲君主制)」であることを明確に規定すべきである。 (2) 「自虐史観」に基づく「非戦主義」の規定は、所謂「奴隷の平和(主義)」であり、日本国民の正当な自存自衛の権利に違反するため、全面的に排除する必要がある。 (3) 「国際協調主義」は日本国の正当な権利が保証される限りにおいて意味を持つのであり、事実に基づかない贖罪意識により日本国が一方的に譲歩させられること(所謂「土下座外交」)を誘発するような規定は排除されるべきである。 (4) 現行憲法では無制限的な「国民主権」を強調する解釈が横行しているが、既に「デモクラシー(民衆による政治)」が過剰に行き渡った現在の状況で安易な「国民主権」の強調は、デモクラシーのモボクラシー(衆愚政治)化を助長するだけである(⇒ デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る 参照)。更に「国民主権」は「自由」という最高の価値とも実は両立し難い要注意語であって、「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を正しく保証すぺく「国民主権」の語自体もその具体的意味を確定しつつ慎重に排除していく必要がある。(⇒政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価参照) ■5.「国民主権」から「法の支配」へ ◆1.「国民主権」では「自由」を保障できない 「国民主権」あるいは「人民主権」(以降併せて「主権在民」論と呼ぶ)の概念は、欧州大陸の絶対君主の唱えた「君主主権」に対抗して登場した。 (1) 「君主主権」では、 君主の恣意的な命令が「法」となり、臣民の「自由」は理屈の上では無制限に奪われる。 (2) 「主権在民」論では、 君主の恣意的な命令こそ排除されるものの、“主権者”である全ての国民(ないし人民)の意思が一致するわけではないので、結局、比較的多数派の意思が「法」となって、比較的少数派の意思を圧殺することになる。つまりこの場合でも比較的少数派の「自由」は理屈の上ではやはり無制限に奪われる。 これを防ぐ一つの有力な方法は、何人も奪われぬ「自由」の領域、即ち「多数派であっても変更不可能な自由の領域」を予め憲法典に明記して置くこと、であり、日本国憲法もこの方法に従って多数の基本権が列挙されている(基本権カタログ)。 しかしながら、この方法は「法=主権者の意志・命令」という構造である以上、主権者がたとえ君主から国民(ないし人民)に代わろうと、そうした「主権者」が自らの意思を押し通す誘惑・危険から逃れられない。即ち、 「法=主権者の意思・命令」 であれば、 憲法典自体が主権者の恣意的な構築物であるのだから、 主権者は、 ①不都合な条文を勝手に改変したり、②憲法典そのものを停止宣言することによって、 幾らでも少数派の憲法上保障された権利・自由を奪えることになってしまうのである。 以上述べた「法=主権者の意思・命令」説は、デカルト以来主にフランス・ドイツなど欧州大陸で発展した所謂「大陸合理論」と東ローマ帝国のユスティニアヌス法典に起源を持つ「大陸法」の伝統からの帰結である。 ⇒ 大陸合理論・イギリス経験論については 国家解体思想の正体 参照 ◆2.「法の支配」が「自由」を守る これに対して英国では、中世期のマグナ・カルタに代表されるゲルマン祖法から自生的に発展した慣習法こそ真の法である、とする伝統、すなわち「法=歴史的に形成された自生的秩序」であり、意図せざる人為の産物(=ノモス)である、とする観念が育った。 この所謂「イギリス経験論」あるいは「英米法」の考え方によれば、 “法”を定める“主権者”なる者は存在せず、 “法”は気の遠くなるほど長い年月をかけて無数の先人達の叡智と経験の積み重ねの中から徐々に“発見”されてきたものであり、 それゆえに確実な権威を持つものであって、 何人であろうと(君主であろうと議会の多数派であろうと)勝手に改変することは許されない、とされた。 このような「国王といえども神と法の下にある」状態を「法の支配」(rule of law)と呼ぶ。(★注1) すなわち英米法の伝統では、恣意的に法を改変できる“主権者”なるものは存在せず、強いて言えば「“法”が王様」即ち「“法”主権」である。(★注2) ※この場合の“法(law)”とは、君主の定める「勅令(imperial(royal) ordinance)」や、議会の定める「法律(legislation)」とは区別される、世代を重ねて歴史的に形成された不文の慣習法を指し、一方制定法は、こうした慣習法を明確化するための補完的存在となる。 「自由」を保障するのは、こうした全ての人に差別なく適用され、世代を超えて遵守される、自生的な慣習法に起源を持つ一般ルールである。 (★注1)なお、現代の英米法理論では「法の支配」を「正義の一般ルール」と限定して捉える見解が主流となっているため、「王といえども神と法の下にある」とする伝統的な意味での「法の支配」を「広義の法の支配」ないし「ノモスの支配(ノモクラシー)」と呼ぶのが妥当である。(⇒「法の支配(rule of law)」とは何か参照) (★注2)ちなみに「国民主権」ないし「主権在民」の英訳とされる popular sovereignty をブリタニカ百科事典で引くと popular sovereignty (南北戦争以前に)アメリカの連邦保有地の入植者達に、自由州または奴隷州としてユニオンに加盟する決定を下すことを許容した政策(以下省略) とだけ記載されており、「国民主権」「主権在民」という意味は一切見当たらない。 またオックスフォード英語辞典やコリンズ-コウビルド英語辞典には popular sovereignty という言葉がそもそも登録されていない。 すなわち、英米圏では、かってフランス・ドイツなど欧州大陸諸国で強調され、日本の憲法学で現在でも過剰に強調されている popular sovereignty(国民主権)なる概念自体が、存在していないのである(※詳しくは⇒中川八洋『国民の憲法改正』抜粋参照) ※ここで英米法と大陸法の、法と権利に関する考え方の違いを対比し整理しておく。 ◆3.法と権利の本質に関する2つの考え方 歴史主義・伝統主義 (英米法) 反歴史主義・リセット主義 (大陸法) 権利の本質 人間は長い歴史を通じて、社会の中で試行錯誤を繰り返しながら、社会的叡智の結晶として歴史的権利を「慣習」という形で個別に見出してきた、とする立場 人間は自然状態において、生来的に自然権(natural right)を有していたが、社会契約(social contract)を結んで自然権を一部または全部放棄し、人定法(実定法:positive law)を定めた、とする立場 法の本質 法は特定の共同体の中で人々の社会的ルールとして自生した(特定の人物の意思によらずに時間をかけて次第に生成されてきた)(法=社会的ルール説)(★注3)⇒この立場は、真の法=ノモス(個別の共同体毎に自生的に発展してきた人為的ではあるが特定の意思によらざる法)とする見解と親和的である。 法はそれを作成した主権者の意思であり命令である(法=主権者意思[命令]説)(★注1、★注2)⇒この立場には、①真の法=理性から演繹された自然法(フュシス)とする近代的自然法論、および、②真の法など存在せず主権者の意思・命令としての人為法があるのみとする純然たる法実証主義、の2通りの見解がある。 誰が法を作るのか 法は幾世代にも渡る無数の人々の叡智が積み重ねられて自生的に発展したもの(経験主義、批判的合理主義)⇒「法は“発見”するもの」⇒制憲権(憲法制定権力)を否認(特定時点の世代の人々が制定できるのは原則として「憲法典(形式憲法)」迄であって、「国制(実質憲法)」は世代を重ねて徐々に確立されていくものに過ぎない) 法は主権者の委任を受けた立法者(エリート)が合理的に設計するもの(設計主義的合理主義)⇒「法は“主権者”が作るもの」⇒制憲権(憲法制定権力)を肯定(特定時点の世代の人々は「憲法典(形式憲法)」のみならず「国制(実質憲法)」をも意図的に確立することが可能である) 補足 共同体毎に個別的→共同体に固有の「国民の権利」と「一般的自由」の二元論と親和的価値多元的・相対主義的、帰納的、保守主義・自由主義・非形而上学的な分析哲学と親和的法の支配ないし立憲主義と順接 全人類に普遍的→共同体や歴史的経緯を超える普遍的な人権イデオロギーと親和的絶対主義的(但し価値一元的な傾向と価値相対主義的な傾向との両面がある)演繹的、急進主義・全体主義・形而上学的な観念論哲学と親和的国民主権や法治主義と順接 実例 英国の不文憲法が典型例。またアメリカ憲法は意外にも独立宣言にあった社会契約説的な色彩を極力消した形で制定され歴史主義の立場に基づいて運用されてきた。大日本帝国憲法(明治憲法)も日本の歴史的伝統を重んじる形で当時としては最大限に熟慮を重ねて制定された フランスの数々の憲法、ドイツのワイマール憲法が典型例。日本国憲法は前文で「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とロックの社会契約説的な制定理由を明記しており、残念ながら形式上この範疇に入る(GHQ草案翻訳憲法)※但し“解釈”により日本の歴史・伝統を過剰に毀損しない慎重な運用が為されてきた 主な提唱者 コーク、ブラックストーン、バーク、ハミルトンなお第二次大戦後の代表的論者は、ハイエク、ハート ホッブズ、ロック、ルソーなお第二次大戦後の代表的論者は、ロールズ、ノージック (★注1)「法=主権者意思[命令]説」は、主権者を誰と見なすかによって以下に分類される。 ① 君主主権 君主一人が主権者。(1)社会契約説以前の王権神授説や、(2)ホッブズの社会契約説が代表例。 ② 人民主権 君主以外の人民 people が主権者であり人民は各々主権を分有し人民自らがそれを行使する(=プープル主権説)。ルソーの社会契約説が代表例。 ③ 国民主権 君主を含めて国民全員が主権者(但し左翼の多い日本の憲法学者には「君主は国民に含めない」として、実質的に人民主権と同一とする者が多い)。なお国民主権の具体的意味については、(1)最高機関意思説と、(2)制憲権(憲法制定権力)説が対立しており、さらに(2)は、 1 ナシオン主権説と 2 プープル主権説に分かれる(プープル主権説は実質的に②人民主権説)。一般的に国民主権という場合は、 1 ナシオン主権説(観念的統一体としての国民が制憲権を保有するとする説)を指す。 ④ 議会主権 英国の憲法学者A.V.ダイシーの用語で、正確には「議会における国王/女王(the king/queen in parliament)」を主権者とする。君主主権や国民主権の語を避けるために考え出された理論 ⑤ 国家主権 帝政時代のドイツで、君主を含む「国家」が主権者であるとして君主主権や国民主権の語を避けた理論。戦前の日本の美濃部達吉(憲法学者)の天皇機関説もこの説の一種である ⇒教科書は、戦後の日本は「国民主権」だが、戦前の日本は「君主主権」の絶対主義国家だった、とする刷り込みを行っている。しかし実の所は、大日本帝国憲法(明治憲法)は制定時において明確に歴史主義の立場を取っており、そもそも「xx主権」という立場(法=主権者命令説)ではなかった。強いて言えば ⑥ “法”主権 つまり「法の支配」・・・歴史的に形成された統治に関する慣習法(=国体法 constitutional law)及びそれを可能な範囲で実定化した憲法典(constitutional code)が天皇をも含めた国家の全構成員を拘束するという立場だった。 ⇒なお、大正デモクラシー期には、ドイツ法学の「⑤国家主権説」を直輸入した美濃部達吉の「天皇機関説」が通説となり、それがさらに天皇機関説事件によっていわゆる①君主主権説に転換したのは昭和10年(1935年)以降の僅か10年間である。 (★注2)「法=主権者意思[命令]説」は、法を特定の立法者/思想家の価値観(例:カントやヘーゲルのドイツ観念論的法思想や自然法論・人権論)あるいは政治イデオロギー(例:マルクス主義やナチス期ドイツ思想)に還元してしまう危険が高く、全体主義への接近を許してしまう。 ※以下、「法=主権者意思[命令]説」の法体系モデル。 ※図が見づらい場合⇒こちら を参照 ※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。) (★注3)「法=社会的ルール説」は20世紀初頭に英米圏で発展した分析哲学の成果を受けて、1960年以降にイギリスの法理学者H. L. A. ハートによって提唱され、現在では英米圏の法理論の圧倒的なパラダイムとなっている法の捉え方である。 ※以下、「法=社会的ルール説」の法体系モデル。また阪本昌成『憲法理論Ⅰ』第二章 国制と法の理論も参照。 ※サイズが画面に合わない場合はこちら 及びこちら をクリック願います。 ※上記のように、ハートの法=社会的ルール説は、現実の法現象について詳細で明晰な分析モデルを提供しており、特定の価値観・政治的イデオロギーに基づく概念ピラミッドに過ぎない法=主権者意思[命令]説の法体系モデルを、その説得力において大幅に凌駕している。 ※なお、自由を巡る西洋思想の二つの潮流について詳しくは ⇒ 国家解体思想の正体 参照 ※(補足説明)ハートの法=社会的ルール説のいう「ルール(rule)」という用語は、図にあるように、①事実(外的視点からの捉え方)と②規範(内的視点からの捉え方)の二重構造(=観測者から見れば①事実(社会的事実)だが、法共同体の構成員から見れば②規範だ、という③第3のカテゴリー)になっている、という独特の意味で使用されており、①事実と②規範を峻別する方法二元論(ケルゼンら新カント学派の方法論)と大きく異なっている点に注意(→こうした①事実でもあり②規範でもある③第3のカテゴリーの導入によって、ハート理論は「単なる①事実(=認識)から、なぜ②規範(=価値判断)が生まれるのか」という難問のクリアを図っている)。 ◆4.大陸法の「国民主権」原理ではなく英米法の「法の支配」理念の正確な把握が必要である (1) かってフランスがルソーの革命思想に燃えるジャコバン党の恐怖政治に覆われたとき、強烈な反撃の狼煙を上げたのは英国だった。 (2) ナチス・ドイツが欧州大陸を席巻したとき、ただ一国で踏みとどまってヒトラーの自滅を誘ったのも英国であり、最終的にこれを壊滅させたのは米国だった。 (3) ソ連との持久戦に耐えて遂にこれを崩壊に導いたのは、サッチャー&レーガンの英・米同盟だった。 これまでに世界を襲った恐怖政治と全体主義の脅威から、三度までも「自由」と「デモクラシー」を守ったのは、結局のところイギリスであり、(日本人にとっては些か不本意ではあるが)アメリカであったのは、おそらく偶然ではないはずである。 結局、「リベラル・デモクラシー」は英米法の伝統の中で発展してきた政治体制であり、 フランス・ドイツで発展した大陸法の「国民主権」あるいは「人民主権」といった「法=主権者意思・命令」説、理性からの演繹による自然法論あるいはその裏返しとしてのケルゼン流の純然たる法実証主義(人定法一元論)では、これを安定的に維持するのは難しい、というのが歴史の教訓である。 従って我々としては、明治以来継授してきた大陸法の主権在民論/制憲権論の弊害をまず正確に認識した上で、英米法の「法の支配」理念の正しい理解に努め、それを日本に固有の法体系に無理なく接合していく必要がある。 にも関わらず、中川八洋氏(筑波大学名誉教授)によれば、英米法の「法の支配」理念を正しく理解している憲法学者は、ほぼ皆無(既に高齢の英米法学者・伊藤正巳氏くらい)との事である。 確かに戦後日本の憲法学の通説となっている故・芦部信喜(宮沢俊義の弟子であり東大憲法学の代表学者=左翼)の『憲法 第5版』からは、芦部氏がルソーの人民主権論にシンパシーを寄せ、英米法の「法の支配」の原理を「人権の観念と固く結びつくもの」と(おそらく意図的に)曲解している様子しか伺えない。 ※参考ページ⇒よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) また芦部説に次ぐ有力説である佐藤幸治(大石義雄の弟子であり京大憲法学の代表学者=中間派)の『憲法 第三版』は、「法の支配」に関連してハイエクの「ノモスとテシス論」や「ノモスの主権論」を一通り説明するなどルソー主義の芦部氏よりも幾分マトモではあるものの、ベースになる思想がロックの社会契約論(つまり「国民主権」論)であるために、結局は、英米法の本流である「法の支配」(国民主権=制憲権=社会契約論の否定)とは相容れない立場にしか立っていない。 この点に関して、保守主義(伝統保守・旧保守)ではなくリベラル右派(新保守)のスタンスではあるが阪本昌成氏(憲法学者)の「国民主権・法の支配」論が非常に参考になるので、当ページからさらに深く理解したい方は、後述の■6.用語集・関連ページ欄に進まれることを願う。 ■6.用語集、関連ページ 憲法問題の全般的な解説ページ 日本国憲法改正問題(上級編) 関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等 憲法論のガイドライン 憲法論の二段構造:①実質憲法(=法価値論)と、②形式憲法(=法解釈論) 「法の支配」と国民主権 「法の支配(rule of law)」とは何か 阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第一部 第8章 国民主権あるいは憲法制定権力 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第七章 国民主権と憲法制定権力 芦部信喜・佐藤幸治・阪本昌成・中川八洋etc.の「国民主権論」比較・評価 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 ■7.ご意見、情報提供 ページ内容向上のためのご意見・情報提供を歓迎します。 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 『国民主権』は『ルソー主義』であり『共産主義』であり全面否定しなければならない -- 名無しさん (2011-01-12 10 54 28) 『国民主権』論には『ナシオン主権論』と『プープル主権論』の2つがありルソーが唱えたのは『プープル主権論』である -- 名無しさん (2011-01-17 14 22 17) http //www.47news.jp/CN/201012/CN2010122901000218.html -- 名無しさん (2011-01-28 15 15 58) 阪本昌成教授の著書「法の支配~オーストリア学派の自由論と国家論~」がよいと思います -- 名無しさん (2011-12-16 01 45 25) 私はデモクラシーとは一種の精神安定剤だと思っています。デモクラシーを平和的な(血を見ない)政権交代の手段として評価し守っていくべきではありますが、それ自体を目的としてとらえ、人民主権論に走れば、必然的に全体主義を招来することを我々は歴史から学ぶことができます。適量の服用は気持ちを落ち着かせても、飲みすぎれば発狂する向精神薬と非常に似ていると思うのは私だけでしょうか。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-09 04 48 15) ◆4についてなんだけど、ヒトラー失脚はソ連と米に喧嘩売ったせいだと思う 不利になった英は何としてでも米を戦争に引き込もうと躍起になっていたし、結果論だが英がヒトラーに譲歩したことが原因ともいわれる。共産主義の悪しきところは蛮行、危険思想だからと決めつけるのは良くない、自由を捨てることが堕落だとしても、自由を追求した結果も堕落、貧富の差が激しく不道徳な結果が起こっているのにそれに何も感じないなんて社会おかしい 英米的法の支配に対する批判も少し欲しい。基礎としてそちらを主軸とするべきという主張はいいと思うけど、良い面だけを教えられると信用していいのかと不安になる。 自分で様々な立場の本読むのが一番いいかもなんですが - 名無しさん 2015-11-14 01 28 18 上の高校生?のコメントを参照してみてください。その為の情報収集だと思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 16 38 続きです。恐らく記事作成主の言いたいことは、英米法で主流とされる「法の支配」の理解がどうなのかという点であって、自由の追求云々は言及しないに尽きたのではないかと思われます。法の支配を「英米法のまま」で導入すれば、それこそ日本の國体法に沿うわけがありませんから、日本法体系式の「法の支配」が必要不可欠となるわけです。その例が大日本帝国憲法であり、児嶋惟謙に始まる司法権の独立に沿う形が歴史上見られたものではないかと個人的には思いますね。つまり、法の支配は「良き慣習と伝統」が前提条件にありますから、慣習法が国民生活に沿わなければ、法の支配が機能しにくいことになるのではないでしょうか。批判は書籍等を見ると案外多いものですが、日本式にはどうか?を何度も自問自答して考えるようにすれば、記事作成主の言いたいこともわからなくないと思います(あくまで私見ですが)。 - 名無しさん 2016-02-17 21 28 57 ふと思い出したので、何度も失礼いたしますが付け足します。共産主義の悪しき~の件で、キリスト教が悪しき~という話を誰かがしていた覚えがあります。沿う考えますと、名無しさんの考えも一理あると思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 32 35 以下は最新コメント表示 『国民主権』は『ルソー主義』であり『共産主義』であり全面否定しなければならない -- 名無しさん (2011-01-12 10 54 28) 『国民主権』論には『ナシオン主権論』と『プープル主権論』の2つがありルソーが唱えたのは『プープル主権論』である -- 名無しさん (2011-01-17 14 22 17) http //www.47news.jp/CN/201012/CN2010122901000218.html -- 名無しさん (2011-01-28 15 15 58) 阪本昌成教授の著書「法の支配~オーストリア学派の自由論と国家論~」がよいと思います -- 名無しさん (2011-12-16 01 45 25) 私はデモクラシーとは一種の精神安定剤だと思っています。デモクラシーを平和的な(血を見ない)政権交代の手段として評価し守っていくべきではありますが、それ自体を目的としてとらえ、人民主権論に走れば、必然的に全体主義を招来することを我々は歴史から学ぶことができます。適量の服用は気持ちを落ち着かせても、飲みすぎれば発狂する向精神薬と非常に似ていると思うのは私だけでしょうか。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-09 04 48 15) ◆4についてなんだけど、ヒトラー失脚はソ連と米に喧嘩売ったせいだと思う 不利になった英は何としてでも米を戦争に引き込もうと躍起になっていたし、結果論だが英がヒトラーに譲歩したことが原因ともいわれる。共産主義の悪しきところは蛮行、危険思想だからと決めつけるのは良くない、自由を捨てることが堕落だとしても、自由を追求した結果も堕落、貧富の差が激しく不道徳な結果が起こっているのにそれに何も感じないなんて社会おかしい 英米的法の支配に対する批判も少し欲しい。基礎としてそちらを主軸とするべきという主張はいいと思うけど、良い面だけを教えられると信用していいのかと不安になる。 自分で様々な立場の本読むのが一番いいかもなんですが - 名無しさん 2015-11-14 01 28 18 上の高校生?のコメントを参照してみてください。その為の情報収集だと思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 16 38 続きです。恐らく記事作成主の言いたいことは、英米法で主流とされる「法の支配」の理解がどうなのかという点であって、自由の追求云々は言及しないに尽きたのではないかと思われます。法の支配を「英米法のまま」で導入すれば、それこそ日本の國体法に沿うわけがありませんから、日本法体系式の「法の支配」が必要不可欠となるわけです。その例が大日本帝国憲法であり、児嶋惟謙に始まる司法権の独立に沿う形が歴史上見られたものではないかと個人的には思いますね。つまり、法の支配は「良き慣習と伝統」が前提条件にありますから、慣習法が国民生活に沿わなければ、法の支配が機能しにくいことになるのではないでしょうか。批判は書籍等を見ると案外多いものですが、日本式にはどうか?を何度も自問自答して考えるようにすれば、記事作成主の言いたいこともわからなくないと思います(あくまで私見ですが)。 - 名無しさん 2016-02-17 21 28 57 ふと思い出したので、何度も失礼いたしますが付け足します。共産主義の悪しき~の件で、キリスト教が悪しき~という話を誰かがしていた覚えがあります。沿う考えますと、名無しさんの考えも一理あると思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 32 35 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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「政策を立案するのは少数の者のみであるが、それを判断することは我々全てが出来るのである」 ~ ペリクレスによる戦士葬送演説(トゥキディディス『戦史』より) リベラル・デモクラシー(“自由”に価値を置く“民主制”)を如何に守るか <目次> ■1.初めに ■2.政治的スタンスと政治体制 ■3.政治体制の説明◆1.リベラル・デモクラシー(自由民主制、自由民主政体、自由民主政治) ◆2.全体主義体制(totalitarian regime) ◆3.権威主義体制(authoritarian regime) ■4.日本の政治体制◆1.現行憲法:前文第一段の内容(基本理念) ◆2.現行憲法の問題点 ◆3.前文第一段の評価と展望 ■5.「国民主権」から「法の支配」へ◆1.「国民主権」では「自由」を保障できない ◆2.「法の支配」が「自由」を守る ◆3.法と権利の本質に関する2つの考え方 ◆4.大陸法の「国民主権」原理ではなく英米法の「法の支配」理念の正確な把握が必要である ■6.用語集、関連ページ ■7.ご意見、情報提供 ■1.初めに 「自由」を最優先に守るべき価値とする「民主政体」を「リベラル・デモクラシー(liberal democracy 自由民主制、自由民主政体)」という。 日本・アメリカ合衆国・英国・ドイツなど現在の先進諸国の政体(政治体制)は、いずれもリベラル・デモクラシーである。 しかし世界には、リベラル・デモクラシー(自由民主制)以外の国も多くあり、またリベラル・デモクラシーから全体主義体制や権威主義体制に転落していった過去を持つ国々も幾つもある(戦前の我が国も決して例外ではない)。 このページでは、様々な政治体制の分類を手始めに、私達が常識だと思っている「国民主権」原理の内実、そして「法の支配」理念の正確な意味を考えいく。 ■2.政治的スタンスと政治体制 -... ※サイズが合わない場合は こちら をクリック ※詳しくは 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 参照。 ■3.政治体制の説明 ◆1.リベラル・デモクラシー(自由民主制、自由民主政体、自由民主政治) (1) 英語版 wikipedia(liberal democracy wiki の項)より定義部分のみ翻訳 ※ブリタニカ百科事典には項目なしのためwikipediaで代用 自由民主制(liberal democracy)は(ブルジョア民主制(bourgeois democracy)あるいは立憲民主制(constitutional democracy))は代議制民主制(代表制デモクラシー representative democracy)の一般的な形態である。 自由民主制の原則によれば、①選挙は自由で公平であるべきであり、②政治的プロセスは競争的であるべきである。政治的多元性(政治的複数性 political pluralism)は通常、複数の明瞭に区別された諸政党の存在によって同定される。 自由民主制は様々な憲法形態をとることが可能である。それはアメリカ・ブラジル・インド・ドイツのような①連邦共和国(federal republic)が可能であり、また英国・日本・カナダ・スペインのような②立憲君主国(constitutional monarchy)が可能である。 それ(自由民主制)はまた、①大統領制(predidential system アメリカ・ブラジル)、②議会制(paliamentary system = Westminster system 英国と共同体諸国 UK and commonwealth countries)、あるいは③混成・半大統領制(hybrid, semi-presidential system フランス・ロシア)が可能である。 ※オックスフォード英語辞典・コリンズ-コウビルド英語辞典にも liberal democracy の項目なし。 「自由」を最優先に守るべき価値とする「民主政体」を「リベラル・デモクラシー(liberal democracy 自由民主制、自由民主政体)」という。 日本・英国などは「政体」という意味では、厳密には「立憲君主政体(constitutional monarcy 立憲君主制)」であるが、その政治権力の所在・運用の実質に照らして「デモクラシー(民主政治)」が行われている、と言ってよい。 なお、スウェーデン・ノルウェー・デンマークの北欧3ヶ国は、立憲君主制に加えて、「リベラル(自由主義的)」ではなく「ソーシャル(社会主義的)」な価値をより重視して長年国家を運営しており、共和制で同様な国家運営をしているフィンランド・アイスランドを加えたこの北欧5ヶ国は「ソーシャル・デモクラシー(社会民主制、社会主義的民主政体)」と表現する方が適切、とする見解もある(但し social democracy は政体よりも政治的イデオロギーを現す言葉として用いられるのが常なので、代わりにこれら北欧諸国の政治体制を表す言葉として Scandinavian wealfare model あるいは Nordic model が用いられるようである)。 ※これに対して、「自由」に価値を置かず、「民主政体(民主制)」でもない政治体制の国も世界には沢山ある。 ◆2.全体主義体制(totalitarian regime) (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(totalitarianismの項)より全文翻訳 市民生活の全領域を国家の権威の下に置く政府の形態(Form of government)であって、唯一のカリスマ的な指導者を究極的な権威とするもの。 この言葉は1920年代初期にベニト・ムッソリーニによって鋳造されたが、全体主義は全歴史・全世界を通して存在してきた(例えば支那の秦王朝)。 全体主義は既成の全ての政治機構や全ての古い法的・社会的伝統を、通常高度に重点的な国家の必要に合致する新しいものに取り替える点で、独裁制(dictatorship)や権威主義(authoritarianism)と区別される。 大規模で組織的な暴力が合法化され得る。警察は法や規則の制約なしに活動する。国家目標の追求はこの様な政府の唯一の思想的基礎である一方で、そうした目標の追行過程は決して一般に知らされない。ハンナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)はこの主題の標準的著作である。 (2) オックスフォード英語事典(totaritarianの項)より抜粋翻訳 1 中央集権的で独裁的であり、国家に対する完全な服従を要求する政治システムに関するもの。 2 全体主義的な政治システムを唱導する人物 (3) コウビルド英語事典(totalitarianの項)より全文翻訳 1 全体主義的政治システムとは、唯一の政党が全てをコントロールし一切の反対党を許さないものである。 2 全体主義者とは、全体主義的政治理念あるいはシステムを支持する人物である。 共産党・労働党などが一党独裁する中国・北朝鮮・キューバなど共産主義国がその一つの典型であり、これを「全体主義的独裁政体(totalitarian tyranny)」と呼ぶ。 これらの国は「人民民主主義(people s democracy)」という偽物のデモクラシーを称する場合がある(totalitalian democracy とも言う)。 ◆3.権威主義体制(authoritarian regime) (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(authoritarianismの項)より全文翻訳 権威への無制限の服従の原理であって、個人の思想や行動の自由に反するもの。 政治的システムとしての権威主義は反民主的(anti-democratic)であり、政治的権力は被統治者に対して何ら憲法上の責務を負わない単一の指導者または少数エリートに集中される。 権威主義的政府は通常、①指針となるイデオロギーを欠くこと、②社会的機構に幾らかの複数性を許容すること、③国民的な目標の追求に全人口を投入する権力を欠いていること、④相対的に予測可能な制限の範囲で権力を行使すること、から全体主義とは区別される。 絶対主義(Absolutism)、独裁制(Dictatorship)を参照せよ。 (2) オックスフォード英語事典(authoritarianの項)より抜粋翻訳 1 個人の自由を犠牲にして、権威に対する厳格な服従を志向し強制すること 2 他人の意思や意見への関心が欠けていることを示すこと。独断的な。 3 権威主義的な人物 (3) コウビルド英語事典(authoritarianの項)より全文翻訳 1 貴方が、ある人物や組織が権威主義であると描写する場合、貴方は、彼らが人々が自身で物事を決定することを許容せず全てのことをコンロトールすることに批判的であることを意味する。 2 オーソリタリアンとは権威主義的な人物である。 ロシアやエジプト、シンガポールのようにデモクラシーの外観は備えているが、事実上一つの党派や個人が独裁的な権力を握っている「権威主義的体制(authoritarian regime)」を取る国々は、いわゆる第三世界(アジア・アフリカ・ラテンアメリカなど)の国々に非常に多く、シンガポールのように経済的には先進国と対等な地位を築いた国にもそうした実例は多い。 ※次に、日本の政治体制を憲法の規定から確認する。 ■4.日本の政治体制 ◆1.現行憲法:前文第一段の内容(基本理念) 現行憲法の前文第一段は、「自由」に価値を置き、「代表制デモクラシー」を採用することを宣言している。 前文第一段 内容 関連ページ 日本国民は、 正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、 代表制デモクラシー デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る われらとわれらの子孫のために、 諸国民との協和による成果と、 国際協調主義 わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、 自由主義 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 政府の行為によって 自虐史観 戦後レジームの正体 再び戦争の惨禍が起ることのないやうに決意し、 非戦主義 ここに主権が国民に存することを宣言し、 国民主権 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 この憲法を確定する。 立憲主義 「法の支配(rule of law)」とは何か 立憲主義とは何か ※なお、憲法問題の全般的な解説ページ⇒日本国憲法改正問題(上級編)も参照 ◆2.現行憲法の問題点 ここで予め現行憲法の問題点を指摘すると、 (1) 現行憲法は昭和天皇の裁可によって辛うじて正統性を付与されているものの、その制定過程に重大な瑕疵があったことは否めない。 (2) 内容面でも、現行憲法は、日本の歴史・伝統を無視あるいは蔑視し、事実に反する一方的な贖罪意識を日本人に刷り込みかねない誤った文理解釈を招く文章を幾つも含むばかりか、文言のうえで明らかに日本国民の基本的な自存自衛の権利を蔑ろにし、国家共同体を解体に導きかねない憲法解釈(左翼的憲法解釈)の横行を長年に渡って助長し続けている。 (3) 従って現行憲法は、 1 現行憲法第96条の改正手続きによるか、 2 破棄宣言し明治憲法下の体制に形式上一旦戻した上で明治憲法の改正手続きによって改正するか、といった手続き面に関わらず、内容的には、特に原理・原則面に踏み込んだ抜本的な変更を行う必要がある(ただし統治機構や権利章典の個別の条項については現行憲法典のものをそのまま維持することが妥当なものも多い)。 (4) なお、現在の緊張した東アジアの国際状況下では、特に憲法九条限定の部分改正について他の条項に先駆けての緊急対応を要すると思われる。 以上を踏まえた上で、前文第一段に示された現行憲法の基本理念について、その当否を論じる。 ◆3.前文第一段の評価と展望 (1) 「自由」を最高の価値とし「代表制デモクラシー」を採用すること、つまり「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を維持することに全く異存はない。但し現行憲法では文言上曖昧となっている「立憲主義」について、日本の歴史・伝統に照らして「立憲君主政体(立憲君主制)」であることを明確に規定すべきである。 (2) 「自虐史観」に基づく「非戦主義」の規定は、所謂「奴隷の平和(主義)」であり、日本国民の正当な自存自衛の権利に違反するため、全面的に排除する必要がある。 (3) 「国際協調主義」は日本国の正当な権利が保証される限りにおいて意味を持つのであり、事実に基づかない贖罪意識により日本国が一方的に譲歩させられること(所謂「土下座外交」)を誘発するような規定は排除されるべきである。 (4) 現行憲法では無制限的な「国民主権」を強調する解釈が横行しているが、既に「デモクラシー(民衆による政治)」が過剰に行き渡った現在の状況で安易な「国民主権」の強調は、デモクラシーのモボクラシー(衆愚政治)化を助長するだけである(⇒ デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る 参照)。更に「国民主権」は「自由」という最高の価値とも実は両立し難い要注意語であって、「リベラル・デモクラシー(自由民主制)」を正しく保証すぺく「国民主権」の語自体もその具体的意味を確定しつつ慎重に排除していく必要がある。(⇒政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価参照) ■5.「国民主権」から「法の支配」へ ◆1.「国民主権」では「自由」を保障できない 「国民主権」あるいは「人民主権」(以降併せて「主権在民」論と呼ぶ)の概念は、欧州大陸の絶対君主の唱えた「君主主権」に対抗して登場した。 (1) 「君主主権」では、 君主の恣意的な命令が「法」となり、臣民の「自由」は理屈の上では無制限に奪われる。 (2) 「主権在民」論では、 君主の恣意的な命令こそ排除されるものの、“主権者”である全ての国民(ないし人民)の意思が一致するわけではないので、結局、比較的多数派の意思が「法」となって、比較的少数派の意思を圧殺することになる。つまりこの場合でも比較的少数派の「自由」は理屈の上ではやはり無制限に奪われる。 これを防ぐ一つの有力な方法は、何人も奪われぬ「自由」の領域、即ち「多数派であっても変更不可能な自由の領域」を予め憲法典に明記して置くこと、であり、日本国憲法もこの方法に従って多数の基本権が列挙されている(基本権カタログ)。 しかしながら、この方法は「法=主権者の意志・命令」という構造である以上、主権者がたとえ君主から国民(ないし人民)に代わろうと、そうした「主権者」が自らの意思を押し通す誘惑・危険から逃れられない。即ち、 「法=主権者の意思・命令」 であれば、 憲法典自体が主権者の恣意的な構築物であるのだから、 主権者は、 ①不都合な条文を勝手に改変したり、②憲法典そのものを停止宣言することによって、 幾らでも少数派の憲法上保障された権利・自由を奪えることになってしまうのである。 以上述べた「法=主権者の意思・命令」説は、デカルト以来主にフランス・ドイツなど欧州大陸で発展した所謂「大陸合理論」と東ローマ帝国のユスティニアヌス法典に起源を持つ「大陸法」の伝統からの帰結である。 ⇒ 大陸合理論・イギリス経験論については 国家解体思想の正体 参照 ◆2.「法の支配」が「自由」を守る これに対して英国では、中世期のマグナ・カルタに代表されるゲルマン祖法から自生的に発展した慣習法こそ真の法である、とする伝統、すなわち「法=歴史的に形成された自生的秩序」であり、意図せざる人為の産物(=ノモス)である、とする観念が育った。 この所謂「イギリス経験論」あるいは「英米法」の考え方によれば、 “法”を定める“主権者”なる者は存在せず、 “法”は気の遠くなるほど長い年月をかけて無数の先人達の叡智と経験の積み重ねの中から徐々に“発見”されてきたものであり、 それゆえに確実な権威を持つものであって、 何人であろうと(君主であろうと議会の多数派であろうと)勝手に改変することは許されない、とされた。 このような「国王といえども神と法の下にある」状態を「法の支配」(rule of law)と呼ぶ。(★注1) すなわち英米法の伝統では、恣意的に法を改変できる“主権者”なるものは存在せず、強いて言えば「“法”が王様」即ち「“法”主権」である。(★注2) ※この場合の“法(law)”とは、君主の定める「勅令(imperial(royal) ordinance)」や、議会の定める「法律(legislation)」とは区別される、世代を重ねて歴史的に形成された不文の慣習法を指し、一方制定法は、こうした慣習法を明確化するための補完的存在となる。 「自由」を保障するのは、こうした全ての人に差別なく適用され、世代を超えて遵守される、自生的な慣習法に起源を持つ一般ルールである。 (★注1)なお、現代の英米法理論では「法の支配」を「正義の一般ルール」と限定して捉える見解が主流となっているため、「王といえども神と法の下にある」とする伝統的な意味での「法の支配」を「広義の法の支配」ないし「ノモスの支配(ノモクラシー)」と呼ぶのが妥当である。(⇒「法の支配(rule of law)」とは何か参照) (★注2)ちなみに「国民主権」ないし「主権在民」の英訳とされる popular sovereignty をブリタニカ百科事典で引くと popular sovereignty (南北戦争以前に)アメリカの連邦保有地の入植者達に、自由州または奴隷州としてユニオンに加盟する決定を下すことを許容した政策(以下省略) とだけ記載されており、「国民主権」「主権在民」という意味は一切見当たらない。 またオックスフォード英語辞典やコリンズ-コウビルド英語辞典には popular sovereignty という言葉がそもそも登録されていない。 すなわち、英米圏では、かってフランス・ドイツなど欧州大陸諸国で強調され、日本の憲法学で現在でも過剰に強調されている popular sovereignty(国民主権)なる概念自体が、存在していないのである(※詳しくは⇒中川八洋『国民の憲法改正』抜粋参照) ※ここで英米法と大陸法の、法と権利に関する考え方の違いを対比し整理しておく。 ◆3.法と権利の本質に関する2つの考え方 歴史主義・伝統主義 (英米法) 反歴史主義・リセット主義 (大陸法) 権利の本質 人間は長い歴史を通じて、社会の中で試行錯誤を繰り返しながら、社会的叡智の結晶として歴史的権利を「慣習」という形で個別に見出してきた、とする立場 人間は自然状態において、生来的に自然権(natural right)を有していたが、社会契約(social contract)を結んで自然権を一部または全部放棄し、人定法(実定法:positive law)を定めた、とする立場 法の本質 法は特定の共同体の中で人々の社会的ルールとして自生した(特定の人物の意思によらずに時間をかけて次第に生成されてきた)(法=社会的ルール説)(★注3)⇒この立場は、真の法=ノモス(個別の共同体毎に自生的に発展してきた人為的ではあるが特定の意思によらざる法)とする見解と親和的である。 法はそれを作成した主権者の意思であり命令である(法=主権者意思[命令]説)(★注1、★注2)⇒この立場には、①真の法=理性から演繹された自然法(フュシス)とする近代的自然法論、および、②真の法など存在せず主権者の意思・命令としての人為法があるのみとする純然たる法実証主義、の2通りの見解がある。 誰が法を作るのか 法は幾世代にも渡る無数の人々の叡智が積み重ねられて自生的に発展したもの(経験主義、批判的合理主義)⇒「法は“発見”するもの」⇒制憲権(憲法制定権力)を否認(特定時点の世代の人々が制定できるのは原則として「憲法典(形式憲法)」迄であって、「国制(実質憲法)」は世代を重ねて徐々に確立されていくものに過ぎない) 法は主権者の委任を受けた立法者(エリート)が合理的に設計するもの(設計主義的合理主義)⇒「法は“主権者”が作るもの」⇒制憲権(憲法制定権力)を肯定(特定時点の世代の人々は「憲法典(形式憲法)」のみならず「国制(実質憲法)」をも意図的に確立することが可能である) 補足 共同体毎に個別的→共同体に固有の「国民の権利」と「一般的自由」の二元論と親和的価値多元的・相対主義的、帰納的、保守主義・自由主義・非形而上学的な分析哲学と親和的法の支配ないし立憲主義と順接 全人類に普遍的→共同体や歴史的経緯を超える普遍的な人権イデオロギーと親和的絶対主義的(但し価値一元的な傾向と価値相対主義的な傾向との両面がある)演繹的、急進主義・全体主義・形而上学的な観念論哲学と親和的国民主権や法治主義と順接 実例 英国の不文憲法が典型例。またアメリカ憲法は意外にも独立宣言にあった社会契約説的な色彩を極力消した形で制定され歴史主義の立場に基づいて運用されてきた。大日本帝国憲法(明治憲法)も日本の歴史的伝統を重んじる形で当時としては最大限に熟慮を重ねて制定された フランスの数々の憲法、ドイツのワイマール憲法が典型例。日本国憲法は前文で「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とロックの社会契約説的な制定理由を明記しており、残念ながら形式上この範疇に入る(GHQ草案翻訳憲法)※但し“解釈”により日本の歴史・伝統を過剰に毀損しない慎重な運用が為されてきた 主な提唱者 コーク、ブラックストーン、バーク、ハミルトンなお第二次大戦後の代表的論者は、ハイエク、ハート ホッブズ、ロック、ルソーなお第二次大戦後の代表的論者は、ロールズ、ノージック (★注1)「法=主権者意思[命令]説」は、主権者を誰と見なすかによって以下に分類される。 ① 君主主権 君主一人が主権者。(1)社会契約説以前の王権神授説や、(2)ホッブズの社会契約説が代表例。 ② 人民主権 君主以外の人民 people が主権者であり人民は各々主権を分有し人民自らがそれを行使する(=プープル主権説)。ルソーの社会契約説が代表例。 ③ 国民主権 君主を含めて国民全員が主権者(但し左翼の多い日本の憲法学者には「君主は国民に含めない」として、実質的に人民主権と同一とする者が多い)。なお国民主権の具体的意味については、(1)最高機関意思説と、(2)制憲権(憲法制定権力)説が対立しており、さらに(2)は、 1 ナシオン主権説と 2 プープル主権説に分かれる(プープル主権説は実質的に②人民主権説)。一般的に国民主権という場合は、 1 ナシオン主権説(観念的統一体としての国民が制憲権を保有するとする説)を指す。 ④ 議会主権 英国の憲法学者A.V.ダイシーの用語で、正確には「議会における国王/女王(the king/queen in parliament)」を主権者とする。君主主権や国民主権の語を避けるために考え出された理論 ⑤ 国家主権 帝政時代のドイツで、君主を含む「国家」が主権者であるとして君主主権や国民主権の語を避けた理論。戦前の日本の美濃部達吉(憲法学者)の天皇機関説もこの説の一種である ⇒教科書は、戦後の日本は「国民主権」だが、戦前の日本は「君主主権」の絶対主義国家だった、とする刷り込みを行っている。しかし実の所は、大日本帝国憲法(明治憲法)は制定時において明確に歴史主義の立場を取っており、そもそも「xx主権」という立場(法=主権者命令説)ではなかった。強いて言えば ⑥ “法”主権 つまり「法の支配」・・・歴史的に形成された統治に関する慣習法(=国体法 constitutional law)及びそれを可能な範囲で実定化した憲法典(constitutional code)が天皇をも含めた国家の全構成員を拘束するという立場だった。 ⇒なお、大正デモクラシー期には、ドイツ法学の「⑤国家主権説」を直輸入した美濃部達吉の「天皇機関説」が通説となり、それがさらに天皇機関説事件によっていわゆる①君主主権説に転換したのは昭和10年(1935年)以降の僅か10年間である。 (★注2)「法=主権者意思[命令]説」は、法を特定の立法者/思想家の価値観(例:カントやヘーゲルのドイツ観念論的法思想や自然法論・人権論)あるいは政治イデオロギー(例:マルクス主義やナチス期ドイツ思想)に還元してしまう危険が高く、全体主義への接近を許してしまう。 ※以下、「法=主権者意思[命令]説」の法体系モデル。 ※図が見づらい場合⇒ こちら を参照 ※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。) (★注3)「法=社会的ルール説」は20世紀初頭に英米圏で発展した分析哲学の成果を受けて、1960年以降にイギリスの法理学者H. L. A. ハートによって提唱され、現在では英米圏の法理論の圧倒的なパラダイムとなっている法の捉え方である。 ※以下、「法=社会的ルール説」の法体系モデル。また阪本昌成『憲法理論Ⅰ』第二章 国制と法の理論も参照。 ※サイズが画面に合わない場合は こちら 及び こちら をクリック願います。 ※上記のように、ハートの法=社会的ルール説は、現実の法現象について詳細で明晰な分析モデルを提供しており、特定の価値観・政治的イデオロギーに基づく概念ピラミッドに過ぎない法=主権者意思[命令]説の法体系モデルを、その説得力において大幅に凌駕している。 ※なお、自由を巡る西洋思想の二つの潮流について詳しくは ⇒ 国家解体思想の正体 参照 ※(補足説明)ハートの法=社会的ルール説のいう「ルール(rule)」という用語は、図にあるように、①事実(外的視点からの捉え方)と②規範(内的視点からの捉え方)の二重構造(=観測者から見れば①事実(社会的事実)だが、法共同体の構成員から見れば②規範だ、という③第3のカテゴリー)になっている、という独特の意味で使用されており、①事実と②規範を峻別する方法二元論(ケルゼンら新カント学派の方法論)と大きく異なっている点に注意(→こうした①事実でもあり②規範でもある③第3のカテゴリーの導入によって、ハート理論は「単なる①事実(=認識)から、なぜ②規範(=価値判断)が生まれるのか」という難問のクリアを図っている)。 ◆4.大陸法の「国民主権」原理ではなく英米法の「法の支配」理念の正確な把握が必要である (1) かってフランスがルソーの革命思想に燃えるジャコバン党の恐怖政治に覆われたとき、強烈な反撃の狼煙を上げたのは英国だった。 (2) ナチス・ドイツが欧州大陸を席巻したとき、ただ一国で踏みとどまってヒトラーの自滅を誘ったのも英国であり、最終的にこれを壊滅させたのは米国だった。 (3) ソ連との持久戦に耐えて遂にこれを崩壊に導いたのは、サッチャー&レーガンの英・米同盟だった。 これまでに世界を襲った恐怖政治と全体主義の脅威から、三度までも「自由」と「デモクラシー」を守ったのは、結局のところイギリスであり、(日本人にとっては些か不本意ではあるが)アメリカであったのは、おそらく偶然ではないはずである。 結局、「リベラル・デモクラシー」は英米法の伝統の中で発展してきた政治体制であり、 フランス・ドイツで発展した大陸法の「国民主権」あるいは「人民主権」といった「法=主権者意思・命令」説、理性からの演繹による自然法論あるいはその裏返しとしてのケルゼン流の純然たる法実証主義(人定法一元論)では、これを安定的に維持するのは難しい、というのが歴史の教訓である。 従って我々としては、明治以来継授してきた大陸法の主権在民論/制憲権論の弊害をまず正確に認識した上で、英米法の「法の支配」理念の正しい理解に努め、それを日本に固有の法体系に無理なく接合していく必要がある。 にも関わらず、中川八洋氏(筑波大学名誉教授)によれば、英米法の「法の支配」理念を正しく理解している憲法学者は、ほぼ皆無(既に高齢の英米法学者・伊藤正巳氏くらい)との事である。 確かに戦後日本の憲法学の通説となっている故・芦部信喜(宮沢俊義の弟子であり東大憲法学の代表学者=左翼)の『憲法 第5版』からは、芦部氏がルソーの人民主権論にシンパシーを寄せ、英米法の「法の支配」の原理を「人権の観念と固く結びつくもの」と(おそらく意図的に)曲解している様子しか伺えない。 ※参考ページ⇒よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) また芦部説に次ぐ有力説である佐藤幸治(大石義雄の弟子であり京大憲法学の代表学者=中間派)の『憲法 第三版』は、「法の支配」に関連してハイエクの「ノモスとテシス論」や「ノモスの主権論」を一通り説明するなどルソー主義の芦部氏よりも幾分マトモではあるものの、ベースになる思想がロックの社会契約論(つまり「国民主権」論)であるために、結局は、英米法の本流である「法の支配」(国民主権=制憲権=社会契約論の否定)とは相容れない立場にしか立っていない。 この点に関して、保守主義(伝統保守・旧保守)ではなくリベラル右派(新保守)のスタンスではあるが阪本昌成氏(憲法学者)の「国民主権・法の支配」論が非常に参考になるので、当ページからさらに深く理解したい方は、後述の■6.用語集・関連ページ欄に進まれることを願う。 ■6.用語集、関連ページ 憲法問題の全般的な解説ページ 日本国憲法改正問題(上級編) 関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等 憲法論のガイドライン 憲法論の二段構造:①実質憲法(=法価値論)と、②形式憲法(=法解釈論) 「法の支配」と国民主権 「法の支配(rule of law)」とは何か 阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第一部 第8章 国民主権あるいは憲法制定権力 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第七章 国民主権と憲法制定権力 芦部信喜・佐藤幸治・阪本昌成・中川八洋etc.の「国民主権論」比較・評価 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 ■7.ご意見、情報提供 ページ内容向上のためのご意見・情報提供を歓迎します。 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 『国民主権』は『ルソー主義』であり『共産主義』であり全面否定しなければならない -- 名無しさん (2011-01-12 10 54 28) 『国民主権』論には『ナシオン主権論』と『プープル主権論』の2つがありルソーが唱えたのは『プープル主権論』である -- 名無しさん (2011-01-17 14 22 17) http //www.47news.jp/CN/201012/CN2010122901000218.html -- 名無しさん (2011-01-28 15 15 58) 阪本昌成教授の著書「法の支配~オーストリア学派の自由論と国家論~」がよいと思います -- 名無しさん (2011-12-16 01 45 25) 私はデモクラシーとは一種の精神安定剤だと思っています。デモクラシーを平和的な(血を見ない)政権交代の手段として評価し守っていくべきではありますが、それ自体を目的としてとらえ、人民主権論に走れば、必然的に全体主義を招来することを我々は歴史から学ぶことができます。適量の服用は気持ちを落ち着かせても、飲みすぎれば発狂する向精神薬と非常に似ていると思うのは私だけでしょうか。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-09 04 48 15) ◆4についてなんだけど、ヒトラー失脚はソ連と米に喧嘩売ったせいだと思う 不利になった英は何としてでも米を戦争に引き込もうと躍起になっていたし、結果論だが英がヒトラーに譲歩したことが原因ともいわれる。共産主義の悪しきところは蛮行、危険思想だからと決めつけるのは良くない、自由を捨てることが堕落だとしても、自由を追求した結果も堕落、貧富の差が激しく不道徳な結果が起こっているのにそれに何も感じないなんて社会おかしい 英米的法の支配に対する批判も少し欲しい。基礎としてそちらを主軸とするべきという主張はいいと思うけど、良い面だけを教えられると信用していいのかと不安になる。 自分で様々な立場の本読むのが一番いいかもなんですが - 名無しさん 2015-11-14 01 28 18 上の高校生?のコメントを参照してみてください。その為の情報収集だと思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 16 38 続きです。恐らく記事作成主の言いたいことは、英米法で主流とされる「法の支配」の理解がどうなのかという点であって、自由の追求云々は言及しないに尽きたのではないかと思われます。法の支配を「英米法のまま」で導入すれば、それこそ日本の國体法に沿うわけがありませんから、日本法体系式の「法の支配」が必要不可欠となるわけです。その例が大日本帝国憲法であり、児嶋惟謙に始まる司法権の独立に沿う形が歴史上見られたものではないかと個人的には思いますね。つまり、法の支配は「良き慣習と伝統」が前提条件にありますから、慣習法が国民生活に沿わなければ、法の支配が機能しにくいことになるのではないでしょうか。批判は書籍等を見ると案外多いものですが、日本式にはどうか?を何度も自問自答して考えるようにすれば、記事作成主の言いたいこともわからなくないと思います(あくまで私見ですが)。 - 名無しさん 2016-02-17 21 28 57 ふと思い出したので、何度も失礼いたしますが付け足します。共産主義の悪しき~の件で、キリスト教が悪しき~という話を誰かがしていた覚えがあります。沿う考えますと、名無しさんの考えも一理あると思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 32 35 以下は最新コメント表示 『国民主権』は『ルソー主義』であり『共産主義』であり全面否定しなければならない -- 名無しさん (2011-01-12 10 54 28) 『国民主権』論には『ナシオン主権論』と『プープル主権論』の2つがありルソーが唱えたのは『プープル主権論』である -- 名無しさん (2011-01-17 14 22 17) http //www.47news.jp/CN/201012/CN2010122901000218.html -- 名無しさん (2011-01-28 15 15 58) 阪本昌成教授の著書「法の支配~オーストリア学派の自由論と国家論~」がよいと思います -- 名無しさん (2011-12-16 01 45 25) 私はデモクラシーとは一種の精神安定剤だと思っています。デモクラシーを平和的な(血を見ない)政権交代の手段として評価し守っていくべきではありますが、それ自体を目的としてとらえ、人民主権論に走れば、必然的に全体主義を招来することを我々は歴史から学ぶことができます。適量の服用は気持ちを落ち着かせても、飲みすぎれば発狂する向精神薬と非常に似ていると思うのは私だけでしょうか。 -- 政治家志望の一高校生 (2012-01-09 04 48 15) ◆4についてなんだけど、ヒトラー失脚はソ連と米に喧嘩売ったせいだと思う 不利になった英は何としてでも米を戦争に引き込もうと躍起になっていたし、結果論だが英がヒトラーに譲歩したことが原因ともいわれる。共産主義の悪しきところは蛮行、危険思想だからと決めつけるのは良くない、自由を捨てることが堕落だとしても、自由を追求した結果も堕落、貧富の差が激しく不道徳な結果が起こっているのにそれに何も感じないなんて社会おかしい 英米的法の支配に対する批判も少し欲しい。基礎としてそちらを主軸とするべきという主張はいいと思うけど、良い面だけを教えられると信用していいのかと不安になる。 自分で様々な立場の本読むのが一番いいかもなんですが - 名無しさん 2015-11-14 01 28 18 上の高校生?のコメントを参照してみてください。その為の情報収集だと思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 16 38 続きです。恐らく記事作成主の言いたいことは、英米法で主流とされる「法の支配」の理解がどうなのかという点であって、自由の追求云々は言及しないに尽きたのではないかと思われます。法の支配を「英米法のまま」で導入すれば、それこそ日本の國体法に沿うわけがありませんから、日本法体系式の「法の支配」が必要不可欠となるわけです。その例が大日本帝国憲法であり、児嶋惟謙に始まる司法権の独立に沿う形が歴史上見られたものではないかと個人的には思いますね。つまり、法の支配は「良き慣習と伝統」が前提条件にありますから、慣習法が国民生活に沿わなければ、法の支配が機能しにくいことになるのではないでしょうか。批判は書籍等を見ると案外多いものですが、日本式にはどうか?を何度も自問自答して考えるようにすれば、記事作成主の言いたいこともわからなくないと思います(あくまで私見ですが)。 - 名無しさん 2016-02-17 21 28 57 ふと思い出したので、何度も失礼いたしますが付け足します。共産主義の悪しき~の件で、キリスト教が悪しき~という話を誰かがしていた覚えがあります。沿う考えますと、名無しさんの考えも一理あると思います。 - 名無しさん 2016-02-17 21 32 35 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ