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https://w.atwiki.jp/taikaisyu/pages/410.html
胎界から生成世界に召還された神獣や精獣などの存在を、 本人の意に反して強制的に元いた胎界に送り返すこと。
https://w.atwiki.jp/dmoc/pages/826.html
<強制撤退> 水 コスト;6 呪文 ◆S・トリガー ■バトルゾーンにあるクリーチャーを全て 持ち主の手札に戻す。 ――オラオラオラァー!
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強制執行
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強制転移
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ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが、ル・ブランの西のはずれにある持ち主のいない地所を召し上げて住むことにしたのは、もう自分の将来に見切りをつけたためである。 かつてヴァリエール領の死刑執行人の一族が住んでいた屋敷は、陸の孤島と言っていいほど近隣の地所から離れており、しかも近くの湖から風が吹いているせいか、領内では珍しく湿気の多い土地柄ゆえに生い茂った森に四方を囲まれ、一本の道だけで森の外とつながっている。生い茂った森と言っても木々がみっちり立て込んでいるわけでないので、その間を十分散策できるというのも気に入って、トリステイン学院を去った後、家族のお荷物にならずにあと三、四十年、せいぜい五十年の楽隠居の生活を送るため、早めの終の棲家として移り住むことにした。 森の裏手は、公爵家の初代がラ・ヴァリエールの地を拝領する以前から石柱が並んでいる広場があり、ちょっとした観光名所になっている。そこを訪れる観光客のざわめきが森を通り抜けてくるのを聞きながら、それに背を向けて庭で読書をするなり、お茶を飲むなりして日々を無為に過ごすことに、世俗を無視する世捨て人の倒錯した優越感を感じるのが、今のルイズの生き方である。時々、かつて同じ教室に机を並べていた友人のキュルケ・フレデリカ・アウグスタ・フォン・ツェルプストーが訪ねてきては、なんとか引っ張り出そうと、最初の二年ほどはしていたが、これがルイズの決めたヴァリエールの一員としての生き方だということを納得してからは、ゲルマニアで世俗の栄達に邁進する貴族として、世捨て人を訪問してからかいつつも、隠者の助言を求めるという関係に変わっている。 森を越えてくるのは声だけではなく、ついでに森を散歩したくなった旅行者が、うっかり地所の中に入ってくることがままあり、そのような旅行者と言葉を交わしたり、場合によってはお茶に誘ったりするのも楽しみの一つである。そのようなことはルイズにとって、学院にいた時には考えられなかったことだが、今となっては、なぜあんなにピリピリしていたのか、そちらの方がむしろ理解できない。タバサが森を抜けて庭に迷い込んできた時も、ルイズはつくづくそう思ったものだ。いつも本ばかり読んでいて何を考えているか分からないのにキュルケとだけは仲が良かったタバサは、座学は完璧にしようと思って必死の努力を重ねていたルイズにとって、年下であるにもかかわらずトライアングルクラスの実技の実力を持ち合わせながら、知識でも追い立ててくる目の上のたんこぶだったが、今にして思えば一緒に勉強すればさらにお互いの力を伸ばすことができたはず。そう考えると以前の自分はつくづく損をしていたとルイズは思う。 「えっと、あまり話したことなかったけど、わたしのこと覚えてる?」 「ええ。久しぶりね、ルイズ」 「その・・・タバサ、って呼んでいい?」 学院を去った後、ガリアで起きた政変で、彼女の立場が激変したことは、隠遁しているルイズの耳にも入ってきていた。 「ええ。学院で知り合った人たちにとっては私はタバサだから。キュルケもいまだにそう呼んでいるもの。気にしなくていいわ」 「ありがとう。時間があったら、お茶、飲んでかない?」 「お言葉に甘えさせてもらうわ」 そう答えるとタバサは、連れてきていたメイドと衛士に声を掛ける。メイドは「はい、陛下」と言い、椅子を引いてタバサに掛けさせ、ルイズとタバサ二人の給仕をする。衛士は、タバサのそばに控えながら談笑する主人と主人の友人を見守った。 「キュルケから聞いていたけど、本当に召使も置いてないのね」 「そうよ。だからできることは自分でしているの。使い魔も一緒だけど、召使と言うよりは一種の変わった間借り人よね」 噂をすれば影が差す。その使い魔がタバサと同じく森を抜けて帰ってきた。 ルイズが引き籠もることを決意したのは、サモン・サーヴァントで平民を呼び出してしまったことが直接のきっかけである。メイジの実力を見るには使い魔を見ろと言われているこのメイジ社会のハルケギニアで、魔法を使えない、魔法の系統を象徴するとも考えられない人間の平民を召喚したということが他の貴族にどう映るか、どんな反応が返ってくるか、そして自分が、言わばサモン・サーヴァントでハルケギニアに強制連行あるいはら致したに等しい彼らを、人生の障害として憎むようになるのではないか、それらの考えから、ルイズは貴族社会を離れる決心をした。 「リさん、おかえり」 「ただいま帰ったのです」 使い魔は名前を尋ねた時、リと名乗った。その時は呼び捨てにしていたが、学院を辞め、貴族を捨てたつもりで若隠居するとなると関係も変わってくる。もうメイジとして生きるのはあきらめたのだから、使い魔ではない。使用人を置くつもりもなかった。だから、ルイズは彼を友人として遇し、自身よりだいぶ年上なのでリさんと呼んでいる。 リさんは、本人言うところの「ギャング時代のカポネのようなスーツ」という服を着ている。上はズボンのポケットに丸めて突っ込んであるものだから、そこがひどく膨らんでいる。そんな姿で森の中を散策するのがこの使い魔の日課である。 「お客さまだったのですか」 リさんは、タバサに気づき少しかしこまったポーズをとる。 「そうよ。紹介するわ。学院で同窓だったタバサ。本名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン、ガリア女王陛下よ。でも学院ではタバサと名乗っていたから、今でもタバサと呼んでいるの」 「ええ。初めまして、リさん。お噂は伺っています。私のことはタバサと呼んでくださって結構ですよ」 「初めまして、女王陛下。リと申します。ルイズ様の使い魔であるのです」 「森の中で何をなさっておいででしたの?」 そこまではタバサはルイズから聞いたことがなかった。それゆえの質問である。 「鳥と話していたのです」 なぜ鳥と話ができるようになったのかということは、リさんにも分からないとルイズは聞いている。鳥の話を聞いているうちに、なんとなく話が通じそうな気になって、話しかけたところ通じたのだと言う。学院の教師の一人、コルベール先生は彼の右手に現れたルーンの意味を教えてくれなかったが、感覚の共有も、秘薬の材料の採集もできないこの使い魔に可能な唯一の特殊技能と関係あるのかもしれない。 「あら、鳥とどんなことを話してらっしゃるの?」 学院にいたころと大いに変わったのはルイズだけではない。タバサも、女王としての決して平坦ではない、女王になるまでとは種類の違う苦労の多い道のりを経て、見違えるほど社交性を身に着けていた。 「鳥というものは頭がよくないので、天気と食べ物の話しかしないのです」 ちょうど庭に下りて来た雀たちがいたので、リさんはチチチチチチチと声をかけた。すると雀たちもチュンチュンチュンチュンチュンチュンと応じる。 「今日は晴れているから羽が濡れなくて済むと言っているのです」 「じゃ、よかったわね、とお伝えくださる?」 タバサは、リさんを通訳として鳥と話してみるつもりになっていた。リさんはチチチチチと雀に声をかけ、雀はチュンチュンチュンチュンチュンチュンと返す。 「明日も晴れるとエサが取りやすいと言っているのです」 「かみ合ってないわね」 とルイズが突っ込んだ。その間タバサははるか上空を旋回している、地上の人間の目では点にしか見えない自分の使い魔に心で呼び掛けた。 (シルフィード、今の聞こえてた?) (きゅい。聞こえてたのね。「大いなる意志」が作り上げた自然の生きものの言語で話していたのね。そのおじさん、嘘ついてないのね) (そう) (ただ鳥は頭がよくないと言っているけど、それは間違いなのね。鳥にとって必要で重大なことを話しているだけなのね。人間が色々考え過ぎるのね) その日、タバサとルイズは、庭に訪れる鳥の話と、かみ合わない会話を楽しみながら旧交を温めた。 召喚したのはリさん当人だけではなく、運よくと言うか折悪しくと言うか、一緒にいた家族も全員こちらに引き込んでしまっていた。リさんの妻と子ども二人である。 リさんの奥さんは目鼻立ちのはっきりとしたショートカットの美人で、スタイルもなかなか肉づきのよい女性である。コントラクト・サーヴァントを直接交わしていないにもかかわらず、彼女の右手にもリさんのと同じルーンがなぜか存在している。リさんによると故郷では海女をしていたとのことで、実際地所の近くの湖で、素潜りをして魚をとってきている。淡水と海水の浮力の違いに最初は苦労したが、魚が目が合うと寄ってきて、そのまま大人しく捕まってくれるのが不思議だと、ルイズはリさんから聞いている。 リさん一家とルイズは食卓を共にしており、リさんの奥さんが獲ってきた魚もそこに並ぶ。リさんと奥さんの子どもたちは、最初ほとんど口を聞かず、笑ったり怒ったりと言った感情も見せず、子どもらしい遊びも何一つするではなかったが、ルイズがいろいろとかまっているうちに少しずつ反応が返ってくるようになった。当初は発育不良に見えたが、隠棲先を見つける前にいったんド・ラ・ヴァリエールの本邸に戻ったルイズに当然ついてきている二人を見たルイズの母も姉たちも一様に心配し、あれを食べろこれを食べろと世話を焼き、ル・ブランのはずれに隠居所を見出した時には、ヴァリエール家の厨房から食材をまわそうか、料理人も派遣しようかと言ってきた。ルイズも、思うように育たない体にいらだちを覚えた経験があるので、あまり意地を張らず、焼いてくれる世話は素直に受け入れた。学院を辞めたばかりのルイズは、自分の意志で退学してきたと言え、傷ついたプライドも抱えていたので、自分が無力な分野の存在を指摘するような発言には強く反発しても不思議はなかったが、自分の体のことじゃないからと素直になる努力をできたことが、思えばルイズが大人になる上で大きな一歩だったのかもしれない。 母親によく似た上の女の子も、姉のお下がりを着ているので最初のうちはこれも女の子かと思っていた下の男の子も、年相応に健康な成長を見せてくれている。この二人はなぜかギーシュとマリコルヌがお気に入りで、二人が来ると大喜びで寄っていく。ギーシュは相変わらずドットクラスで青銅のワルキューレを作っているが、ただその数が今では二十体を越え、しかも動きが人間並みに精密になってきている。一芸に秀でることの恐ろしさを思い知らされるが、子どもたちにはもっとかわいらしいものを錬金で見せてあげている。最近ではギーシュとモンモランシーの間に生まれた赤ちゃんが来るのが一番の娯楽らしい。 マリコルヌもよく遊びに来る。純粋に自分に走り寄り、お気に入りの自分より大きなぬいぐるみに対するように跳び付かれ、お気に入りの丸々した着ぐるみを愛でるような眼差しで見られるのがたまらないらしい。 「大きくなったらマルちゃんのお嫁さんになる!」と上の女の子に言われた時には、嫌にさわやかな笑みを浮かべて「大きくなる前でもオッケーさ」と言い放ったものだ。ルイズは子ども二人とマリコルヌだけにならないよう、常に警戒している。ともあれ、彼らはルイズの侘び住まい(と言っても屋敷ではあるが)の二階に一家で暮らしている。ルイズはそろそろ二人を学校に通わせようかとすら考えている。 ルイズがアンリエッタ女王の使者として内々のうちにロマリアに派遣され、珍しく屋敷を離れている間のこと、ある日、リさんは、厚さが一様でないので料理を作ると焼きムラが出てしまう不良品の大鍋が捨てられそうになったのを貰ってきた。それに水を張り、下から火を焚くと五右衛門風呂だ。帰って来たルイズが辻馬車から駆け降りて森の中の一本道を走り抜け、庭に駆け込み屋敷に上がり、二階に駆け上がり二階から駆け下り、屋敷から裏庭に駆け出てそれを見つけた時には、 奥さんが鍋に入り、リさんが下から火を焚いていた。 「ここにいたの!・・・・・・何してるの?」 うちわを持ったままリさんが答える。 「故郷の風呂なのです」 ルイズは足を火傷しないのかと心配になったが、 「底に板を渡してあります」 とのことだった。 「女房は故郷では海女をしていたのです」 そして、リさんは奥さんの素潜りの腕前を見せてやろうと言い、奥さんをお湯の中に潜らせた。 「五分くらいは平気で潜っているのです」 「ふ~ん・・・・・・それどころじゃなかった! リさん! あんたたち、帰れるわよ!」 「帰れるとはなんのことですか?」 「ロマリアで教皇聖下にお会いしたのよ! そうしたら教皇聖下は失われた系統である虚無の使い手で、世界扉(ワールドドア)っていう魔法が使えるのよ。見せてもらってけど今まで見たことのない街が扉の向こうにあったわ。精神力を蓄える必要があるけど、リさんたち、そこを通って元いたところに帰れるのよ!」 「ルイズ様は私たちを帰したいのですか?」 「えっ?」 「私たちが邪魔なのですか?」 「そういうわけじゃないけど・・・・・いや、あなたたちは私がサモン・サーヴァントで無理やりこっちに呼び寄せたんだから、人として元の世界に帰してあげないといけないんじゃないかと・・・・・・リさん、こっちで幸せ?」 「子どもたちはずいぶん明るく、健康になったのです」 「・・・・・・じゃ、元いたところじゃ?」 その時、奥さんがお湯の上に顔を出すなり、グンニャリと伸びてしまった。 「大変、大変、おぼれてしまったのです」 リさんとルイズは、あわてて奥さんを鍋から引き上げようとするが、奥さんは前に記したように肉づきのいい体格なものだからなかなか引っ張り出せない。 「何をぼやぼやしているのです」 とリさんはルイズを叱咤する。やっとこさ引っ張り出して屋敷に運んだが、ルイズは途中で躓いてしまい、奥さんの裸の両太ももにぼてっと挟まれたりした。 ルイズの人生に入り込んで来たこの一家がその後どうしたかと言うと 実はまだ二階にいるのです。
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通常魔法 自分フィールド上の「エヴォルド」と名のついた モンスター1体をリリースして発動する。 デッキから「エヴォルダー」と名のついたモンスター1体を特殊召喚する。 この効果で特殊召喚したモンスターは、 「エヴォルド」と名のついたモンスターの効果で特殊召喚した扱いとなる。 カードの効果から主に「エヴォル」で使われると思われがちなこのカード。 しかし、真の強さが発揮されるのは「ウィジャ版」と組み合わせて使った場合であろう。 一見してこのカードと「ウィジャ版」の間にはなんのシナジーもないように見える。 だが熟練したデュエリストであれば、このカードが如何に「ウィジャ版」とマッチしているか気づくことが出来るかもしれない。 「木を見て森を見ず」とはよく言ったものだ。改めてこのカードをじっくり眺めてみよう。 この絵柄...綺麗なS字になっているではないか! それに気付いたらあとは簡単、ありったけのドローソースをデッキに組み込み、手札に 《強制進化》 《死のメッセージ「A」》 《死のメッセージ「T」》を3枚 《死のメッセージ「H」》 《E-エマージェンシーコール》 《カードカー・Dディー》または《D-タイム》 を揃えよう。 そして以下の様に並べて相手に見せつけてやろう。 【TATHDTSE】 言い忘れていた事がある。 死のメッセージカードは海外版を使わなければならない。 日本語版ではDEATHの5文字であるが、海外ではFINALとなっている。 さっきの手札をこれに当てはめてみよう。 すると......【ANALDASE】 【アナル出せ】.....!!!!!! これを見た相手が冷静でいられるなどという事があるだろうか?いや、無い。 動揺して自分がデュエルをしていることなど忘れ、アナルを出してしまうに違いない。 そうなってしまえばもうこちらが負けることはありえない。 警察に通報すれば対戦相手は逮捕、ジャッジは恐らくこちらに勝利の旗を上げるであろう。 そう、これが《強制進化》の真の力である。 こんなカードが普及すれば禁止カードの仲間入りはまず免れない。 それはつまり、 【使うなら今しかない】 ということである。 対戦相手のアナルを見たいあなたは今すぐカードショップへ駆けつけ、《強制進化》を買ってくることをおすすめする。 売り切れていない事を、陰ながら祈っておこう。 ※ウィジャ版は海外版と日本語版を併用することが出来ない特殊なカードであり、デッキ内に日本語版のウィジャ版、死のメッセージカードを入れることはできないので注意。 9スレ目 291 :名無しプレイヤー@手札いっぱい。@転載は禁止:2014/09/16(火) 01 02 46.16 ID uCkF3t7B0 通報アドか… これはエヴォル崩して活路ウィジャ盤組むしかない! 揃ってから手札を公開じゃなくて、公開しながら集める方が着々とアナル要求が完成していく様を見せられていいと思います(小並感) 関連カード ウィジャ盤 Tag:【エヴォル】 アナル イラストアド ジャッジキル
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※ 日本国、安倍総理による関連記事は戦後70年談話ページで。 戦後70年談話 / 戦後70年・沖縄 / 中国抗日戦勝軍事パレード +ブログサーチ〔戦後70年〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔戦後70年〕 【プレスリリース】大分県立美術館「2021コレクション展IV 池田栄廣生誕 120 年・吉村益信没後10年 革新と前衛の美術」 開催のお知らせ - Dream News 撲滅60年で記念事業 伊野田で碑建立を - 八重山毎日オンライン 【ドリームニュース】 / プレみや - デジタル夕刊 プレみや 「梅毒」感染爆発に気をつけろ 全国で34%増、東京で60%増(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 本国帰還、「決死の覚悟」で引率-太平洋戦争と細倉鉱山の朝鮮長屋(下) - 河北新報オンライン 論点:開戦80年、平和への思い継承 - 毎日新聞 「世界一歴史ある航空会社」が秘蔵写真ぞくぞく公開 KLM日本就航70年 深~い歴史 (2021年12月9日) - エキサイトニュース 日本の右翼の安全観、国民を再び惑わすことに要警戒_中国網_日本語 - チャイナネット FC東京バレー「活動休止」の背景。チーム存続は困難な状況だったか――。 - HALF TIME 58歳になられた皇后雅子さま お誕生日写真で振り返る10年とファッションの変遷【その2】 (1/1)| 8760 by postseven - 8760 by postseven 情報を掴んでいた英軍がなぜ? チャーチルが生涯悔やんだ「シンガポール陥落」の裏側(PHPオンライン衆知(Voice)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース マレー作戦BC級戦犯の遺族 虐殺現場の村で誓った決意 - 毎日新聞 - 毎日新聞 <次代への遺言~私が見た戦争>堀見智子さん(88) 原爆で負ったやけどの看護で感じた思い(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 真珠湾80年「かつては日本を恨んだが」…現地で追悼式典(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「鬼滅の刃シャンメリー」好評につき前年比約135%生産 パッケージとラベル刷新して“お楽しみラベル”追加 出荷数量が増加(食品新聞) - Yahoo!ニュース - 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国内に資源を持たないため、世界中で最も高品質で最も低価格の資源を選んで輸入し、加工することで高い付加価値を生み、さらなる輸入資源の購入原資を得ることができた。加工貿易を糧として生き、付加価値を生む技術や世界に売れる新製品の開発に突き進んだ。資源があれば、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉のときの農産物と同じで、国内産業保護のため輸入は制約される。 成長の源泉は領土ではなく、絶えざる技術進歩であり、それを生む人材教育である。日本の教育は、江戸時代に寺子屋が普及し、識字率が当時としては世界最高水準だった。明治以降の急速な近代化もその基礎の上にある。戦後の民主化は社会の自由度を高め、西欧以外では初の先進国となった歴史は途上国の目標でもある。・・・(桃李)」(2015/01/24付「日経新聞」p17より) この記事の中で「戦後70年間戦争をしなかったのは国連加盟193カ国のうち8カ国しかなく、アジアで日本以外はブータンだけである。」という部分を読み、その国はどこだろう?と思った。 Netで見ると、その国は、アイスランド、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、スイス、ブータン、日本の8カ国“らしい”。(公式なサイト情報は見つからなかった。別の8カ国を紹介したサイトもある。ノルウェー、デンマークが、オーストリア、ジャマイカに入れ替わっている) 誰も思い付くスイスを除くと、北欧の国々ばかり。 この理由は?とNetで検索していたら、こんな記事が見つかった。 (※mono....中略、詳細はブログ記事で) / ん? 戦後、「戦争をしなかった」と評価されている国にも戦死者は居る?? すると、こんな記事があった。 戦後70年、1人の戦死者も出さず 黄金時代を生んだ平和主義を検証する .....だが、大局的に見れば、将来の史家は戦後70年を日本史上の「黄金時代」と呼ぶかもしれない。日本のようにこの70年間戦争をせず、平和を享受してきた国は世界196ヵ国(北朝鮮を含む)の中でも極めて少ない。2011年に米英軍による攻撃で始まったアフガン戦争では、ドイツは最大時5000人を派遣し、死者54人が出た。中立国だったスウェーデンも最大時506人を派遣、死者5人、オーストリアは派遣3人(死者なし)、フィンランドは派遣181人(死者2人)、アイスランドは8人(死者なし)、スイスも密かに32人を出し、軽傷者2人との報道もあった。 (※mono....以下略、詳細はブログ記事で) ■ なでしこ隊 「テレビドラマ」 ■ テラコヤスコラvol.20 終戦70年特別企画 戦争、平和、そして仏教 スペシャルトークライブ 2015/11/05 に公開 テラコヤスコラvol.20 終戦70年特別企画 戦争、平和、そして仏教 スペシャルトークライブ サンマリノ共和国の大使であり、また世界各国の駐日大使の代表「外交団長」でもあるカデロ氏。 元小学館の編集者であり、米従軍カメラマンの記録『トランクの中の日本』を編集した大原氏。 京都佛立ミュージアムの館長であり、仏教的平和を追い求める僧侶、長松師。 それぞれの視点から、戦争、平和、そして仏教について意見を交わします。また、トークライブ終了後には大原氏により、ミュージアムの終戦70 年特別企画展『トランクの中の日本』のギャラリートークも行われます。 +続き 『トランクの中の日本』ジョー・オダネルは長崎・広島で何を見たのか… 軍隊を持たない国、サンマリノ共和国とは… 仏教の平和思想とは… 2015年11月3日(火・祝)文化の日 13:30受付 14:00開演 京都佛立ミュージアム 入場料無料 京都市上京区御前通一条上ル東竪町110 075-288-3344 www.hbsmuseum.jp ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー サンマリノ共和国 駐日特命全権大使外交団長 マンリオ・カデロ氏 イタリアのシエナにて出生。イタリアで高等学校 卒業後、フランス・パリのソルボンヌ大学に留学。 フランス文学、諸外国語、語源学を習得。1975 年に来日、東京に移住し、ジャーナリストとしても 活躍。1989 年に駐日サンマリノ共和国の領事と して任命される。2002 年、駐日サンマリノ共和国 特命全権大使を任命され、2011 年5 月、駐日大 使全体の代表となる「駐日外交団長」に就任。現 在、講演活動など幅広い活躍をしている。イタリア 共和国騎士勲章など多くの勲章を受賞している。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『トランクの中の日本』編集者 大原哲夫氏 オダネル氏と会談する大原氏(左端) 1947 年生まれ。出版社勤務時代に小学館版『モーツァルト全集』『バッハ全 集』『武満徹全集』『林光の音楽』など全作品CD収録の音楽全集を企画、編集 長を務める。現在も編集・執筆活動の他、コンサートプロデュース等マルチ に活躍している。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 京都佛立ミュージアム館長 由緒寺院長松寺・横浜妙深寺 住職 長松清潤師 1969 年京都生まれ。本門佛立宗 京都由緒寺院 長松寺、横浜妙深寺住職。京都佛立ミュージアム 館長。佛立研究所研究員。(財)佛立生活文化研究 所代表理事。『仏教徒 坂本龍馬』著者。 ■ 旧陸軍士官が語った歴史の真実(2)- 70回目の終戦記念日に向けて - 「(新) 日本の黒い霧(2015.8.15)」より / 本日は平成27年8月15日、70回目の終戦記念日となりました。過去の世界大戦で亡くなられた全ての方々に哀悼の意を表したいと思います。 * * さて、戦争について考える日に相応しく、本タイトル「旧陸軍士官が語った歴史の真実(1)」、の続編を掲載したいと思います。前掲載から久しく時間が経過したので、同記事の要点を再掲します。 「二・二六事件の首謀者たる青年将校は全員処刑されてなどいなかった」 これは、旧陸軍士官T氏の証言ですが、彼らが処刑されなかった本当の理由を私は 「その後の計画戦争(太平洋戦争)に向かわせるための茶番劇」 と推論しました。そして、その茶番を画策したのが日米欧の軍産複合体、私が定義する秘密組織「クロカモ」、もしくはその前身だったのではないかという予想です。 ■原爆投下写真の出自はどこか? 下記の写真は、歴史の教科書などであまりに見慣れてしまった、広島への原爆投下後に発生したキノコ雲の写真です。 (※mono.--写真略) / さて、この写真はいったい誰が撮影したのかみなさんお考えになったことがあるでしょうか?常識的に考えればエノラ・ゲイ号に随行した米国友軍機内の兵士と考えるのが一般的ですし、書籍・ネットでも、「米軍撮影」とキャプションが打ってあるものがほとんどです。これについて、T氏は再び驚くような証言をされます。 T氏「教科書によく掲載されている広島の原爆投下の写真ですが、あれは私が撮影したのですよ。戦後、進駐軍に接収されて米軍のものになってしまいましたが。」 日月土「どうやって撮影されたのですか?敵機が多かったと思いますが?」 T氏「キ○○式(正確な名称は失念しました)という偵察機からです。当時の日本軍機には珍しい機内与圧が可能な偵察機で、敵爆撃機よりも高い高度で航行が可能でした。敵機による新型爆弾の爆撃情報が事前に入ったので、状況を記録するため出撃したのです。私は、敵爆撃機の動きをその更に上空から観察していたのです」 T氏が搭乗していたという偵察機については、その後その存在を調べましたが、既存の年鑑などでは見つけ出すことができませんでした。ただし、ある旧軍機マニアの方から次のような回答を頂いてます。 「その型の存在を知ってるのですか!よほどの軍機マニアしか知らない情報ですよ」 ■原爆を投下したのはエノラ・ゲイ号ではなかった T氏と私の会話は更に続きます。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 橋下徹や福島瑞穂は、「戦争指導者糾弾決議」でも国会に提出したらどうか 「私的憂国の書(2015.8.27)」より / 支那共産党が北京で開く「抗日戦争勝利70年」記念式典への参加国のうち、首脳クラスを北京に派遣する30カ国が判明した。国のクラスに優劣をつけるつもりは全く無いけれど、なんとも華のないリストである。 (※mono.--参加国名はブログ記事を参照。) / 南朝鮮が西側陣営の主要国であるかは別としても、米国と軍事同盟を結んでいるこの国がリストに在るのは、やはり異常に映る。 この式典には、日本からはバッジも付けていない老人が出席するそうである。1995年の談話が認められ、中共からVIPの接遇を受けることとなり、さぞかしご満悦だろう。厳密にいえば南鮮代表ではないが、国連からパンくん(潘基文事務総長)が出席する。パンくんは、「9月3日はとても重要な日だ。過去の歴史から教訓を汲み取り、国連憲章の下で未来の平和のために努力する決意を体現するものだと期待している」と述べたという。ロシアのクリミア併合問題にまったくと言って良いほど介入できず、支那の岩礁埋め立てにも沈黙したままの国連事務総長。潘が言う「未来の平和を決意するイベント」を主催する国は、また、世界一軍拡を進めている国だ。こんな国連、分担金を支払うだけ無駄である。 (※mono.--中略) / 日本は先の大戦を総括していないとよく聞くけれど、私はひとつの総括が、昭和28年8月の国会決議だと思っている。この「戦犯釈放を求める国会決議」は、全会一致で決議された。A、B、C級の区別なく、戦犯として処刑された方々は「法務死であって戦死者とみなす」とされた。この決議を動かした昭和27年の「戦犯の早期釈放を求める署名運動」では、当時約8580万人とされる日本の総人口のうち、約半数の4000万人が署名した。人口には子供も含まれるから、ほぼ、国民の総意と言って差し支えない。後にも先にも、国会で「戦犯」と言われた方々の処遇を決めたのは、この決議だけである。これが日本国民の総括ではないのか。 橋下の論は、この決議とは正反対のものだ。戦争責任を一部に押し付け、国民は罪がないとするのは、ドイツのやり方と同類だが、我が国はそのやり方を取らなかった。取らなかったどころか、戦争指導者を戦犯ではないと国民の総意で決めたのだ。子の総意を覆すつもりなら、福島瑞穂や橋下徹は、「戦争指導者糾弾決議」でも国会に提出したらどうか。 国家間の謝罪とは、金を払うということだ。その金は、すなわち我々の血税である。こういう政治家を為政者側につけたら、国民はたまったものではない。 ■ 戦後70年経った現在、日本人は急激に目覚めるようになった 「ダークネスDUA(2015.8.14)」より / ここ数年で日本が急激に変わってきたと感じる人は多いはずだ。どのように変わったのか。 まず第一に言えることは、もうマスコミを中立だとか信頼できるとか国民の総意だとか思う無邪気な人間がいなくなったということだ。 マスコミは以前から異様なまでに偏向し、重要な事件や出来事をまったく報道しないで情報隠蔽してきた。さらに、特定の意見だけを大々的に報じて、残りの意見を完全封殺するようなことを延々と続けてきた。 そういった胡散臭い報道姿勢に国民が気付き、マスコミはもう信頼できないと思う人の方が増えている。 特にマスコミが偏向するのは中国・韓国が絡むときである。マスコミは常に中国・韓国のプロパガンダのような内容を報道し、日本人の立場から見た意見はまったく報道しない。 日本人はそれに気づき、マスコミを信じなくなった。 (※mono.--以下長文。詳細はブログ記事で) 【バシー海峡の悲劇】 ■ 戦後70年「バシー海峡慰霊祭」に集った人々の涙 「夏炉冬扇(2015.8.2)」より / 本日(8月2日)午前11時15分から、台湾南部の屏東(へいとう)県猫鼻頭にある潮音寺において、「戦後70周年バシー海峡戦没者慰霊祭」がおこなわれた。 バシー海峡と聞いて、すぐに「ああ、あそこか」と思う人は、相当な台湾通であり、戦争通だろう。太平洋戦争(大東亜戦争)末期、台湾とフィリピンの間に横たわるバシー海峡は、米軍が同海峡に敷いた潜水艦の“群狼作戦”によって、南方への日本の輸送船の多くが撃沈されるという悲劇の舞台となった。 それでも、太平洋戦争の日米主力の“決戦の場”となったフィリピンのルソン島、レイテ島への兵力の輸送は必要欠くべからざるものであり、大本営の無謀な輸送作戦は強引に続けられ、犠牲者も膨大な数になっていった。 1944(昭和19)年から1945(昭和20)年にかけて、バシー海峡は大本営によって、 “魔の海峡”“輸送船の墓場”と称されるようになった。 バシー海峡での戦没者の数は今も定かでない。しかし、バシー海峡とその周辺海域で、少なくとも、「10万人」の犠牲者が出たと言われている。私は、昨年10月、この海峡の悲劇を描いた戦争ノンフィクション『慟哭の海峡』を上梓した。 主役の一人は、昭和19年8月、乗っていた輸送船「玉津丸」がバシー海峡で撃沈され、12日間もの地獄の漂流の末に奇跡的に救助された独立歩兵第十三聯隊の通信兵、中嶋秀次上等兵(2013年10月、92歳で死去)である。 中嶋さんは飲み水もない炎熱のバシー海峡を12日間も筏(いかだ)で漂流し、当初50人ほどいた漂流者の中で、たった一人、生還した。 バシー海峡の戦没者は、あくまで輸送途上の「戦死」である。 これまで大規模な慰霊祭がおこなわることもなく、「忘れ去られた戦没者」となっていた。 生き残った中嶋さんは戦後、無念の涙を呑んで死んでいった戦友たちの慰霊と鎮魂のために、半生を捧げた。戦後36年を経た1981(昭和56)年、中嶋さんは、バシー海峡を見下ろす同地に私財と日台の多くの協力者の浄財によって、やっと鎮魂の寺「潮音寺」を建立したのである。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【日米関係】 ★■ 戦後70年と私】占領政策の真実 間違いに気付いていたマッカーサー ケント・ギルバート氏 「zakzak(2015.8.7)」より / 70年前の終戦直後、日米関係は、お互いが完全な対立軸からスタートした。 米国は、大日本帝国とは、軍国主義の独裁者が神道という宗教を利用して国民を統率する、非民主的国家であり、世界征服をたくらむ野蛮で好戦的な民族の国だと考えていた。 日本の占領政策、言い換えれば「保護観察処分」は、危険な日本を制度面と精神面の両方から矯正する趣旨で始まった。 東京裁判(極東国際軍事裁判)を通じたABC級戦犯の処罰や、戦争の贖罪(しょくざい)意識を植付ける「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」、日本国憲法第9条も一貫した趣旨に基づいている。 しかし、朝鮮戦争が起きたころには、GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官のマッカーサー元帥は、根本的な間違いに気付いていた。米国が戦うべき敵は日本ではなく最初からソ連であり、日米戦は不必要だったのだ。 強い日本軍が、野蛮で危険なソ連の脅威からアジアの平和を守っていた。米国は間抜けな勘違いのせいで、日本軍を完全に解体してしまった。これが今日まで続く、米軍日本駐留の根本原因である。 最高司令官を解任されて帰国したマッカーサー元帥はワシントンに呼ばれ、1951年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で証言した。 「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security(=日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった)」と。 日本が始めた大東亜戦争は侵略戦争ではないという意味だ。戦後体制の大前提を根底から覆す、このマッカーサー証言の存在すら知らない人が日米両国とも圧倒的多数である。 占領下の日本には「プレスコード」(=GHQによる言論統制。『連合国や連合国軍への批判』など禁止事項を厳格に列記した)があったので、このニュースを取り上げることはできなかった。 しかし、終戦70年を目前にした現在も、日本の首相経験者や与野党の要職者が、「安倍晋三首相は70年談話で日本の侵略戦争をわびろ」などと、無知蒙昧(もうまい)ぶりを披露している。 70年間に、日米ともさまざまな機密文書が公開され、過去の多くの常識が、今では非常識になった。 開戦前の日米和平交渉の経過や、当時のルーズベルト大統領が議会承認を得ずに「ハル・ノート」という最後通告を日本に突きつけた事実は、米国人にも隠されていた。 ハル・ノートの草案を書いたハリー・ホワイト財務次官補は、後に「ソ連のスパイ」だとバレて自殺した。日米開戦支持の議会演説を行ったハミルトン・フィッシュ下院議員は、すべての真実を知って大激怒。自分の演説を恥じ、「ルーズベルト大統領を許せない」と死ぬまで言い続けた。 戦後70年の節目を機に、日本人のみなさんには、日米関係のみならず、国際情勢全般について、最新情報へのアップデートをお願いしたい。 ◇ 次回は、政治ジャーナリスト、細川珠生氏 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行う。自著・共著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)、『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)など。 ■ 日本を叩いたがために、米国はアジア地域の平和に貢献しないといけなくなった。という視点。 「小難しい話をしない、せいじけーざいブログ(2015.8.9)」より (※mono.--前半は大幅に略、詳細はブログ記事で) / 米国のしょーもない誤解から、先の大戦では凄惨な殺し合いをしましたが。 日本がそういう国家じゃないってことは、もう米国も充分に理解していることでしょう。 誤解が解けた今、日本は改めて、アジア地域の平和と安定、そして繁栄に貢献をしないといけません。 勿論それは、中国のような横暴な独裁国家の言いなりではなくて。 それぞれの国がそれぞれ独立独歩の、素晴らしいアジアを目指したいものです。 ■ 岡本行夫氏「日本の負の遺産」論への異論 「鎌倉橋残日録(2015.7.29)」より / 元外交官で外交評論家の岡本行夫氏が「日本は70年前の負の遺産から逃れられない」と題して、第2次大戦時に日本企業が米軍捕虜を強制労働させたことについて今年7月にロサンゼルスで謝罪した、という記事を産経新聞に寄せている(以下の引用は再掲された「頂門の一針」より) (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 記事の結びはこうだ。 <戦争捕虜問題を含めて、日本は70年前の負の遺産から逃れられない。国家は、モラルを失えば漂流する。> このくだりに異論はない。岡本氏が良質の外交官(外交評論家)であることも評価している。しかし、こう問いたい。「70前の負の遺産」を負っているのは日本だけなのか、と。日本人捕虜を虐待したのはロシア(旧ソ連)だけではない。欧米諸国は様々な戦争犯罪を犯してきた。 元朝日新聞記者の長谷川熙氏が2007年に著した「アメリカに問う大東亜戦争の責任」(朝日新書)は次のように書いている。 <(喜多義人日本大学専任講師の論文によれば、ポツダム宣言受諾後)南方各地には合わせて63万3000人の(日本の)陸海軍将兵がいたが、英軍が中心の東南アジア連合軍は、これら日本軍を「日本降伏軍人」という扱いにし、戦時国際法に基づく捕虜の待遇をしないで酷使し、昭和21年7月からは10万6000人が「作業隊」として残され、昭和22年10月に最終的に日本への送還を終えるまで9000人に近い死者が出た。> (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 戦後70年、中韓が建設急ぐ「虚の楼閣」- 世界は武士道が分からぬと心得、正しく丁寧に説明を 「JB press(2015.5.20)」より / 中韓は日本に対して「正しい歴史認識」を求めて圧力をかけてきた。両国は終戦70年の今年を山場にしたいようで、一段と批判を強めると思われる。 南京大虐殺や従軍慰安婦問題の真実は日本に分がある。しかし、中韓にとって史実はどうでもよく、大きい虚言ほど愛国の度合いも大きいとみなす愛国虚言の国である。 福沢諭吉は諸外国に対しては、「智戦」で対処し、優位に立って地位(名誉)を高めるべきだと主張した。首相の米国議会における演説は、従来批判が多かった米国から多くの賛同と称賛を引き出した点で智戦の勝利と言える。 戦後体制からの脱却とは戦後植えつけられた自虐史観、犯罪国家・日本という汚名を智戦で払拭することである。 日本的良心は国際場裏では逆効果 中国は南京攻略戦時の「南京事件」を大虐殺に仕立て、韓国は支那事変時の慰安婦を「強制連行」して「性奴隷」にしたと糾弾し、日本に「正しい歴史認識をもて」と世界を味方につけて圧力をかけてきた。 武士道の影響が多分にあるであろうが、日本は国内だけでなく国際社会でも、問題が発生すれば穏便に解決することを第一として、反論することを極度に避けてきた。「以心伝心」や「済みません」という日本的な解決法が、国際社会でも通用すると勘違いして、益々謝罪の深みに入っていった面もある。 1912年の処女航海で氷山に追突して沈没したタイタニック号には、鉄道事情を視察して米国経由で帰国する日本人の鉄道院官吏が乗船していた(「いつの時代も支那人は」、高山正之著『サダム・フセインは偉かった』所収)。 救命ボートで脱出した英国人教師(男)が「無理やり乗ってきた嫌な日本人」と語り、日本の新聞が教師の証言を掲載すると、「日本人の恥」という手紙が殺到し失職するが、死ぬまでの27年間一言の弁解もしなかったそうである。 ところが、遺品の中から、沈没騒ぎの中でタイタニックのレターヘッドつき便箋に彼が書いた記録が見つかる。 「もう2人乗れる」という乗員の声に従い、左舷の10番ボートに乗る。教師は右舷13番ボートで、無理やり乗ったのは出稼ぎの支那人であった。「TIME」誌が1997年に報じ、85年ぶりに官吏の汚名は雪がれた。 +続き 東条英機は家族に対して100年間は言い訳をするなと遺言した。しかし、日本が言い訳しないことをいいことに、悪意を持つ国は日本を大罪国家に仕向ける画策をしてきた。 個人的な問題ならば官吏同様に我慢し続けたであろう東条家も、ことが国家の「名誉」に及ぶに当って、21世紀を迎えた時点で、孫娘の東条由布子氏の我慢の緒も切れたようだ。 タイタニックの日本人は運よく汚名が晴れたが、戦争に関わった外交官は言い訳で逃げ回り、軍人は沈黙を続けてきた結果、日本の汚名は拡大し続けてきた。 国際場裏では、妥協することなく自国の正当性を繰り返し主張する「智戦」が大切である。 100人の現地従軍記者 南京事件を「大虐殺」にしたのは、蒋介石政権が日本の立場を悪くするために画策した陰謀に発し、その後の中国国内事情によることが明確である。 南京には同盟通信社の記者33人をはじめ、朝日、毎日など各社10人前後の記者が派遣されており、総計約100人の日本人記者がいたと、同盟通信社の記者であった前田雄二氏は『戦争の流れの中に』で書いている。 著者は上海戦に始まり、南京攻略戦から仏印進駐までの戦闘に従軍記者として参加した自負から、戦時中は検閲で報道できなかったことも含めて書き残す使命があると思い、克明な日記をもとに、約40年後の昭和57(1982)年に上梓する。 従って、南京大虐殺が話題になっていることを知ったうえで書かれた著書には、わざわざ「第2部 南京攻略戦」の中に、「南京大虐殺とは」という項目を設け、死体が門を塞ぐように重なっていたことや処刑の場面なども見たままに詳述している。 さらには「皇軍としてあるまじきこと」を叱責する松井石根軍司令官にも触れているが、「のちに海外へ伝えられたいわゆる『南京大虐殺』などのようなものではなかった」と主張する。 南京攻略戦が終わった直後に著者は安全地帯や城内外を巡回しており、同盟の記者ばかりでなく、他社の記者たちと情報交換もしている。 そうした中で、上海発で「占領区内(註:ドイツのジョン・ラーベを委員長に設けた市民を収容する安全地帯で、避難民区や難民区とも呼称)で大規模の掠奪、暴行、放火があったという外電が流れた。これを知って、私たちはキツネにつままれたような思いをした」と述べる。 100人にも上る記者が南京戦のあった現場に居合わせ、南京城内に設けられた安全地帯や城内外を廻っている。それでも、外信が伝える「乱暴狼藉」の状況を誰ひとり見ていない。キツネにつままれた思いは当然であったろう。 現に、入城式前後の朝日グラフやその他のメディアが伝える写真は、子供や市民がにこにこしているものばかりで、大虐殺が行われているような状況を示す写真は1枚もない。その後に出回る写真も大虐殺とは関係ないものを、「日本軍の悪行」にキャップションをつけ替えている。 実際の城内風景 開城から2夜開けた15日、「車で城内をまわる。『避難民区』周辺には警備隊が配置されていた。旧支局が区内にあるので入る。店は閉じたままだが、多くの住民が行き交い、娘たちの笑い合う姿があり、子供たちが戯れていた。生活が生き残り、平和が息を吹き返していた」(要旨)。こうした様子に、戦争で荒れた心が和むのを覚えたと著者は述べる。 入城式の翌18日、「入城式の頃から難民区内外で商店が店を開け始め、同盟班も旧支局に移動していた。区内の治安が回復したからである。支局には、戦前働いていた料理人や下働きが戻ってきた」。 難民区内での日本兵の乱暴狼藉説が上海から伝えられたのは、「その直後、私たちが以前の活気を取り戻した難民区内の支局で、平和な日常活動をはじめた矢先のことである」と、記者は驚きを隠さない。 「市内をマメにまわっている写真(班)や映画(班)の誰一人、治安回復後の暴虐については知らなかった。残敵掃討や区内に逃げ込んで潜伏した中国兵の摘発も、14日には終わっていた。こうした無法行為があったとすれば、同盟(通信社)だけではない、各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはなかった」 これこそは、誰が何を言おうと、「南京大虐殺はなかった」という明らかな証であろう。それでも、日本がつけ込まれたのには日本人的良心からである。 100人もの記者がいろいろな角度から南京を見ていながら、なおかつ自分たちに「死角」があったのではないかという「良心」からの一抹の危惧であろう。そうした心理にうまくつけ込むのが三戦(世論・法律・心理戦)である。 確かに、数万人と言われる捕虜の処刑などはあった。しかし、警備の日本兵が少ないことを見た捕虜たちの反乱が起き、日本軍さえ不足の糧食問題などを抱えていた。 一般に、「虐殺」とは、ドイツのユダヤ人ホロコーストや米国の原爆投下、中国が起こした通州事件など、戦争と直接関係ない女性や子供を含む一般市民の殺戮である。この点から見ても、南京で起きた捕虜の処刑などは戦争に伴う通常の犯罪である。 争点化させる日本人 朝日新聞が宮澤喜一首相の訪韓5日前、1992年1月11日に取り上げた防衛庁(当時)の防研図書館にある「陸支密大日記」は、「30年前から公開されていて、慰安婦関係の書類が含まれていることも、軍が関与していたことも、研究者の間では周知の事実」(秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』)であった。 内容的には軍が慰安所の設置などの管理面で関与していたことを示すもので、朝日新聞が報道したように、「歴史から目を逸らしてきた日本」でも、「偽証してきた政府」でもなかったが、そのような印象を与える多数の見出しとリードは、新聞社の意図どうりに大反響を呼ぶことになる。 全国放送のテレビ番組で渡辺美智雄外相が「50年以上前の話ではっきりした証拠はないが、何らかの関与があったことは認めざるを得ない」と発言する。これを紹介した「Japan Times」は、外相発言になかった「何十万人(の慰安婦)」や「強制売春」という用語をつけたして、一段とセンセーショナルな報道に持っていった。 従軍経験のない首相をはじめとする官邸は不意打ちに慌て、不手際を連発する。その最たるものが、関与の「内容」を確認することもなく、出発前の記者会見で「軍の関与」を認め、「お詫び」を重ねたことである。 その後、青瓦台での1時間25分にわたる大統領との首脳会談で、首相は8回謝罪と反省を繰り返したと、大統領首席補佐官が勝ち誇ったように韓国人記者に語っている。 事実を確認するどころか、すっかり雰囲気にのまれた首相(及び政府)は、韓国が何を意図しているかを読むこともなく、相手に有利な言質で謝れば済むと思い込む。 この時までの韓国マスコミの平均的認識は、「日本当局は1937年末の南京攻略戦後、徐州作戦が開始される頃に、朝鮮内の御用女衒たちに指示して、貧乏で売春生活をしていた朝鮮女性を多数中国大陸へ連れて行き、『慰安所』『簡易慰安所』『陸軍娯楽所』などの名称を持った日本軍の施設に配置し、日本軍兵士の慰みものにした・・・日本軍に出入りする御用女衒たちが朝鮮にきて、駐在所や面長を先頭に『らくちんで金もうけ出来る仕事場がある』とだまして連れ去った」(秦前著)というものであった。 こうした韓国の認識を日本軍主導説に変えていくのが朝日新聞であり、『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(83年刊)で詐話話をつづった吉田清治であり、日本人煽動家たちである。92年の朝日記事で一挙に爆発する。 訪日した盧泰愚大統領が、「日本人が争点化した」と、困惑して語った通りである。 米独までが日本批判 吉田が詳述した済州島での慰安婦狩りについて、1989年に地元の新聞記者が現地調査して「出鱈目」と否定した。それでも、朝日が書き続けることをいいことに、韓国では慰安婦像を立て、慰安婦碑を設置していったのである。 そして米国や国連などへも拡大していく。しかも、15歳の少女を含む韓国人女性が20万人も強制連行されたと、慰安婦像や碑に書き続け、日本批判の輪を広げていく。 秦氏の研究からは慰安婦は最大で2万人ほどである。しかも日本人が一番多く、次いで現地人(中国人、満州人、比国人など)、3番目が朝鮮人、最後にその他(台湾人や蘭人など)とし、あえて比率を示せば4:3:2:1であろうと述べる。 この比率からは、韓国人慰安婦は精々4000人位であったということになる。最も多かった日本人慰安婦たちは韓国のような声を上げていない。また多くの場合、韓国人(慰安婦や煽動家たち)が主張するような強制連行でも奴隷状態でもなかったことも分かってきた。 前述のように、朝鮮人女衒に連れ出されたのであり、また少なくない慰安婦が将校や下士官・兵どころか軍司令官よりも経済的には恵まれ、かなりの自由もあったとされる。 総じて性奴隷などではなかったのであり、年齢も募集広告では17歳や18歳以上などと明記されている。 1997年には米国のマイク・ホンダ議員が主導して、下院で「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」をした。しかし、驚くなれ435人の議員のうち、わずか10人しか議場にいなかった「全会一致」の決議で、米国の総意でもなんでもなかった。 また、ナチス・ドイツは日本人が想像できないほど組織的に慰安婦や慰安施設を国家管理していた。そのことを反省することもなく、日本批判に乗り出している。しかも、11・12歳からの女性20万人を慰安婦にし、生き延びたのは30%でしかなかったと根も葉もない批判の決議案を連邦議会に出した(川口マーン恵美論文、『WiLL』2013年8月号所収)。 おわりに マックス・ヴェーバーは、「国民は利益の侵害は許しても、名誉の侵害、中でも説教じみた独善による名誉の侵害だけは断じて許さない」(『職業としての政治』)と述べている。 戦後体制とは自虐史観で名誉の侵害を許してきた体制であった。従って、「戦後体制からの脱却」とは「名誉の侵害を許さないこと」とも言える。 欧米の植民地支配に比べると善政をした日本(参照:ジョージ・アキタ著『日本の「朝鮮統治」を検証する』)は、大陸や半島への進出自体への反省もあって、中韓の批判に対して、ほとんど言い訳をしないできた。 そのことをいいことに、「無かったこと」までが「あったかのよう」に悪意で誇張されてきた。日本を犯罪大国に仕立てて、日本より道徳的に優位に立とうとする魂胆からである。 世界は腹黒いと言われる。外国が自国の罪を軽減するために日本批判を強める前に、日本は智戦で勝利しなければならない。 ★ 9日にロシアで対独戦勝70年式典 欧米首脳は軒並み欠席 ウクライナの溝なお深く 「産経ニュース(2015.5.3)」より / 【モスクワ=遠藤良介】ロシアの首都モスクワで9日、対ドイツ戦勝70周年式典が行われる。第2次大戦でナチス・ドイツを打破した「戦勝国」の地位を内外に誇示し、国際的な発言力の向上と国内の結束を図るのがプーチン露政権の思惑だ。しかし、欧米主要国の首脳は軒並み欠席を決めており、ウクライナ危機や歴史認識をめぐる「溝」が改めて鮮明になっている。 式典はクレムリン前の「赤の広場」で行われ、ソ連崩壊後で最大規模の軍事パレードが予定されている。2005年の60周年式典には米国やフランス、ドイツ、日本など、旧連合国と枢軸国の双方から53カ国の首脳が一堂に会したが、今回の首脳出席者は25人前後にとどまる見通しだ。 事実上の主賓は中国の習近平国家主席で、インドのムカジー大統領やキューバのラウル・カストロ国家評議会議長らも参列する。旧ソ連諸国以外では対独戦(1941~45年)と関係の薄い国が目立ち、ロシアの国際的な立ち位置を如実に示す場となりそうだ。 ロシアは昨年3月、ウクライナ南部クリミア半島を一方的に併合し、その後も同国東部の紛争で親露派武装勢力を支援した。これが欧米主要国の首脳が式典を欠席する最大の理由とみられている。60周年式典が「記憶と和解」を標語に掲げていたのに対し、ロシアと欧米の距離が歴史認識をめぐって広がっていることも背景として指摘される。 第3次プーチン政権は、「旧ソ連が欧州をナチス・ドイツから解放した」とする国定史観の流布に躍起となっている。米ソ冷戦時代の「超大国」から転落したロシアにとって、国連安保理常任理事国に代表される「戦勝国」の地位は、大量の核兵器と並ぶ大国路線のよりどころだ。内政面でも、過去の戦勝以外に国民を束ねうる理念が見当たらない。 だが、独ソ戦を切り抜いて肯定的にとらえる大戦史観には欧州側の反発が強い。独ソが39年、欧州の勢力圏分割を密約し、大戦に道を開いたことにロシアは目を閉ざしているためだ。 ロシアは、冷戦構造の端緒となったヤルタ協定(45年)を「長期の平和がもたらされた」などと評価するが、東欧やバルト諸国にとっては戦後のソ連支配が「新たな占領」にほかならなかった。在露外交筋は「戦勝を強調するロシアの歴史観は、和解を重視してきた欧州の潮流とも相いれない」と話している。 ■ 独首相の呼びかけにフィルターをかける日本の報道 「DEEPLY JAPAN(2015.5.4)」より / 面白いなぁと思った。この話。いや、ドイツの方針は理解できるので別になんにも驚かないんだけど、日本の報道が興味深い。 どこにポイントがあるかというと、ドイツにとっての過去の範囲。 独露外相@スターリングラード でも書いた通り、ドイツ政府は、ユダヤ問題だけでなくロシアとの関係で一定の義理は通そうとしているわけ。ソ連に踏み込んだのは紛れもなくドイツだから。 だから、朝日が書くように、 独首相「歴史に終止符ない」 戦後70年前に呼びかけ http //www.asahi.com/articles/ASH5354F3H53UHBI00N.html (中略) メルケル氏はまた、自身が10日にモスクワを訪れ、ロシアのプーチン大統領と無名戦士の墓に献花すると説明。ウクライナ危機でロシアと対立していても「第2次大戦の多数の犠牲者を追悼することは重要だ」と理解を求めた。 ロシアは9日にモスクワで対独戦勝70周年の式典を行うが、ウクライナ危機を背景に欧米各国の首脳は欠席を表明。メルケル氏も9日の式典は欠席するが、10日に無名戦士の墓を訪れることでバランスを取った。 ユダヤ人問題だけでなく、この決意が重要だと思うわけですよ。アメリカに引きづられて、ロシア批判だけしてここをパスしたら、ドイツ人は過去をどう考えているのかについて半端な話になってしまう。世界強国への道/フリッツ・フィッシャー を今も引きずった存在になってしまう。 だからこそ、そうではないドイツ、生存権をかけて東方に武力侵攻するモチベーションを宿したドイツではないドイツになるためには、ドイツの首脳がモスクワに行ってソ連 or ロシアの首脳と並ぶという儀式が必要なんだと思う。でもってそれが広くスラブ圏、もしくはドイツ・スラブの混在地、すなわち中欧、東欧との関係における信頼の基になるし、それはそれ以東の関係との基にもなるでしょう。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / どうも、メルケルがアメリカラインをキープして、外相と大統領が全力でロシアとの和解を壊さないよう努力する、みたいな感じですかね。 もう完全に冷戦には戻さないという覚悟が見える、というべきか。日本と本当に逆向きになってきた。 でもって、5月9日のビクトリーデーには、欧米諸国の大物国家はみんないかない、ざまーみろー、みたいなことを言う英米を後目に、インド、中国の首脳が行くわけ。ブラジル大統領も行くんじゃいのかな、多分。だからまたBRICS総会みたいな感じか。 ドイツは、この流れに乗る決心なんだろうね。なんか、発表とかありそうな気がしないでもない。 ★ 独首相「歴史に終止符ない」 戦後70年前に呼びかけ 「朝日新聞(2015.5.3)」より / ナチス・ドイツが連合国に降伏してから8日で70周年になるのを前に、メルケル独首相は2日、国民に歴史と向き合うよう呼びかける映像メッセージを政府ホームページに公開した。メルケル氏は「歴史に終止符はない。我々ドイツ人は特に、ナチス時代に行われたことを知り、注意深く敏感に対応する責任がある」と訴えている。 メルケル氏は映像メッセージで、ドイツ国内のユダヤ系の施設を警官が警備している現状を「恥だ」とし、「意見を異にする人々が攻撃されるのは間違っている」と指摘。学校や社会でも歴史の知識を広めていくことの重要性を強調し、戦後ドイツに移り住んだ人々にも「ドイツの過去を共有」するよう求めた。 メルケル氏はまた、自身が10日にモスクワを訪れ、ロシアのプーチン大統領と無名戦士の墓に献花すると説明。ウクライナ危機でロシアと対立していても「第2次大戦の多数の犠牲者を追悼することは重要だ」と理解を求めた。 ロシアは9日にモスクワで対独戦勝70周年の式典を行うが、ウクライナ危機を背景に欧米各国の首脳は欠席を表明。メルケル氏も9日の式典は欠席するが、10日に無名戦士の墓を訪れることでバランスを取った。 メルケル氏は3日、4万人以上が犠牲となった独南部のダッハウ強制収容所の解放70年式典で演説し、「ナチスがこの収容所で犠牲者に与えた底知れない恐怖を、我々は犠牲者のため、我々のため、そして将来の世代のために、決して忘れない」と語った。(ベルリン=玉川透) .
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強制脱出 カウンターカード コスト N2 フィールド上のキャラクター1枚を手札に戻す。 更新者 鴉乃 緊急脱出の上位にして亜種であるカード。 種類がカウンターカードに変化し、対象が全フィールドへと変わった。 緊急脱出と同じように自キャラを戻す作戦も使える。 更に、相手のキャラクターを戻して作戦を狂わせるのも良い。 このカードで神奈備命やタッグを戻されたら泣くしかない。
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《強制蘇生》 通常罠 戦闘で破壊されず相手の墓地にモンスターカードが置かれたとき それらをすべて相手のデッキに戻しシャッフルし、 デッキに戻した数×500ポイントのダメージを相手に与える。 part16-219 名前 コメント
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前半は太平洋戦争参照 連合軍の攻勢(1944年) ビルマ方面では日本陸軍とイギリス陸軍との地上での戦いが続いていた。3月、インド北東部アッサム地方の都市でインドに駐留する英印軍の主要拠点であるインパールの攻略を目指したインパール作戦とそれを支援する第二次アキャブ作戦が開始された。スバス・チャンドラ・ボース率いるインド国民軍まで投入し、劣勢に回りつつあった戦況を打開せんとする9万人近い将兵を投入した大規模な作戦であった。しかし、補給線を無死した無謀・杜撰な作戦により約3万人以上が命を失う(大半が餓死によるもの)など、日本陸軍にとって歴史的な敗北となった。これ以降、ビルマ方面での日本軍は壊滅状態となる。 5月頃には、米軍による通商破壊などで南方からの補給が途絶えていた中国戦線で日本軍の一大攻勢が開始される(大陸打通作戦)。作戦自体は成功し、中国北部とインドシナ方面の陸路での連絡が可能となったが、中国方面での攻勢はこれが限界であった。6月からは中国・成都を基地とするB-29による北九州爆撃が始まった。 連合国軍に対し各地で劣勢に回りつつあった日本の陸海軍は、本土防衛のためおよび戦争継続のために必要不可欠である領土・地点を定め、防衛を命じた地点・地域である絶対国防圏を設けた。 しかし、6月にその最重要地点であったマリアナ諸島にアメリカ軍が来襲する。日本海軍機動部隊はこれに対し反撃すべくマリアナ沖海戦を起こす。日本機動部隊は空母9隻という日本海軍史上最大規模の艦隊を編成し、米機動部隊を迎撃したものの、圧倒的な工業力を基に空母を多数竣工させていたアメリカ側は15隻もの空母を基幹とし、更に日本の倍近い艦船を護衛につけるという磐石ぶりであった。航空機の質や防空システムでも遅れをとっていた日本機動部隊はアメリカ海軍の機動部隊に惨敗を喫することとなる。旗艦であった大鳳以下空母3隻、その他多くの艦載機と熟練搭乗員を失った日本機動部隊は文字通り壊滅した。しかし、戦艦部隊はほぼ無傷であったため、10月末のレイテ沖海戦では戦艦部隊を基軸とした艦隊が編成されることになる。 陸上では、猛烈な艦砲射撃、航空支援を受けたアメリカ海兵隊の大部隊がサイパン島、テニアン島、グアム島に次々に上陸。7月に海軍南雲忠一中将の守るサイパン島では3万の日本軍守備隊が玉砕し、多くの非戦闘員が両軍の戦闘の中死亡した。続いて8月にはテニアン島とグアム島が連合軍に占領され、即座にアメリカ軍は日本軍が使用していた基地を改修し、大型爆撃機の発着が可能な滑走路の建設を開始した。このことにより日本の東北地方の大部分と北海道を除くほぼ全土がB-29の航続距離内に入り、本格的な本土空襲の脅威を受けるようになる。実際、この年の暮れには、サイパン島に設けられた基地から飛び立ったアメリカ空軍のB-29が東京にある中島飛行機の武蔵野製作所を爆撃するなど、本土への空爆が本格化する。 これに対して、アメリカやイギリスのような大型爆撃機の開発を行っていなかった日本軍は、この頃急ピッチで6発エンジンを持つ大型爆撃機「富嶽」の開発を進めるものの、当時の日本の工業力では完成は夢のまた夢であった。そこで日本軍は、当時日本の研究員だけが発見していたジェット気流を利用し、大型気球に爆弾をつけて高高度に飛ばしアメリカ本土まで運ばせるといういわゆる風船爆弾を開発し、実際にアメリカ本土へ向けて数千個を飛来させた。しかし人的、物的被害は数名の市民が死亡し、ところどころに山火事を起こす程度の微々たるものでしかなかった。また、日本海軍は、この年に進水した艦内に攻撃機を搭載した潜水空母「伊四〇〇型潜水艦」により、当時アメリカが実質管理していたパナマ運河を搭載機の水上攻撃機「晴嵐」で攻撃するという作戦を考案したが、戦況の悪化により中止された。 各地で劣勢が伝えられる中、それに反してますます軍国主義的な独裁体制を強化する東条英機首相兼陸軍大臣に対する反発は強く、この年の春頃には、中野正剛などの政治家や、海軍将校などを中心とした倒閣運動が盛んに行われた。それだけでなく、近衛文麿元首相の秘書官であった細川護貞の大戦後の証言によると、当時現役の海軍将校で和平派であった高松宮宣仁親王黙認の上での具体的な暗殺計画もあったと言われている。しかしその計画が実行に移されるより早く、サイパン島陥落の責任を取る形で東条英機首相兼陸軍大臣率いる内閣は総辞職に追い込まれた。 この頃日本は、相次ぐ敗北により航空および海軍兵力の多くを失ない、その上、大量生産設備が整っていなかったこともあり武器弾薬の増産が思うように行かず、その生産力は連合軍諸国の総計どころかイギリスやアメリカ一国のそれをも大きく下回っていた。しかも本土における資源が少ないため鉄鉱石や石油などの資源をほぼ外国や勢力圏からの輸入に頼っていた上に、連合国軍による通商破壊戦により外地から資源を運んでくる船舶の多くを失っていたために、戦闘機に積む純度の高い航空燃料や空母、戦艦を動かす重油の供給すらままならない状況であった。 10月には、アメリカ軍はフィリピンのレイテ島への進攻を開始した。日本軍はこれを阻止するために艦隊を出撃させ、レイテ沖海戦が発生した。日本海軍は空母瑞鶴を主力とする機動部隊を米機動部隊をひきつける囮に使い、戦艦大和、武蔵を主力とする戦艦部隊(栗田艦隊)でのレイテ島への上陸部隊を乗せた輸送船隊の殲滅を期した。この作戦は成功の兆しも見えたものの、結局栗田艦隊はレイテ湾目前で反転し、失敗に終わった。この海戦で日本海軍は空母4隻と武蔵以下主力戦艦3隻、重巡6隻など多数の艦艇を失い事実上壊滅し、組織的な作戦能力を喪失した。また、この戦いにおいて初めて神風特別攻撃隊が組織され、米海軍の護衛空母撃沈などの戦果を上げている。 レイテ沖海戦に勝利したアメリカ軍は、大部隊をフィリピン本土へ上陸させ、日本陸軍との間で激戦が繰り広げられた。戦争準備が整っていなかった開戦当初とは違い、M4中戦車や火炎放射器など、圧倒的な火力かつ大戦力で押し寄せるアメリカ軍に対し、日本軍はなすすべも無く敗走した。 レイテ沖海戦で日本海軍はほぼ壊滅状態となり、以後は組織的な作戦行動は出来なくなった。一方、特攻は過大評価され、そのまま日本海軍の重要作戦として位置づけられ終戦まで続けられることになる。この神風特攻はアメリカ海軍の乗組員達を恐怖に陥れはしたが、戦局を変えるには至らなかった。 最終局面(1945年) アメリカ軍はレイテ島の戦いに勝利を収め、1月にはルソン島に上陸した(マッカーサーは1月9日にリンガエン湾に上陸)。フィリピン全土はほぼ連合軍の手に渡ることになり、日本は南方の要所であるフィリピンを失ったことにより、マレー半島やインドシナなどの日本の勢力圏にある南方から日本本土への船艇による資源輸送の安全確保はほぼ不可能となり、自国の資源が乏しい日本の戦争継続能力が途切れるのは時間の問題となった。 日本軍は、1940年のドイツによるフランス占領より、親枢軸的中立国のヴィシー政権との協定をもとにフランス領インドシナに駐留し続けていたが、前年の連合軍によるフランス解放ならびに、フランス新政権(フランス共和国臨時政府)を率いるシャルル・ド・ゴールによるヴィシー政権と日本の間の協定の無効宣言が行われたことを受け、駐留していた日本軍は3月9日に「明号作戦」を発動してフランス植民地政府および同政府軍を武力によって解体し、ベトナム帝国、ラオス王国、カンボジア王国をそれぞれ独立させた。なお、この頃においてもインドシナに駐留する日本軍は戦闘状態に置かれることが少なかったため、かなりの戦力を維持していたので、連合国軍も目立った攻撃を行わず、また日本軍も兵力温存のために目立った戦闘行為を行なわなかった。 2月から3月後半にかけて硫黄島の戦いが行われた。圧倒的戦力を有する米海兵隊と島を要塞化した日本軍守備隊の間で太平洋戦争中最大規模の激戦が繰り広げられ、両軍合わせて5万名近くの死傷者を出した(米軍の死傷者が日本軍のそれを上回った唯一の地上戦)。最終的に日本は硫黄島を失い、アメリカ軍は硫黄島をB-29爆撃機の護衛のP-51D戦闘機の基地、また日本本土への爆撃に際して損傷・故障したB-29の不時着地として整備することになる。この結果、サイパン島に築かれた基地から飛び立ったB-29への戦闘機による迎撃は極めて困難となった。 3月10日には大規模な無差別爆撃である東京大空襲が行われ、10万人もの尊い命が失われた。それまでは高高度からの軍需工場を狙った精密爆撃が中心であったが、カーチス・ルメイ少将が在マリアナ空軍総司令官に就任すると、民間人の殺傷を第一目的とした無差別爆撃が連夜のように行われるようになった。あわせて連合軍による潜水艦攻撃や、機雷の敷設により制海権も失っていく中、東京、横浜、大阪、名古屋、福岡、富山、徳島、熊本など、東北地方と北海道を除く多くの地域が空襲にさらされることになる。室蘭では、製鉄所を持ちながらも、迎撃用の航空機や大型艦の配備が皆無に等しいことを察知していたアメリカ軍は、艦砲射撃による対地攻撃を行う。 迎撃する戦闘機も、熟練した操縦士も、度重なる敗北で底を突いていた日本軍は、十分な反撃もできぬまま、本土の制空権さえも失っていく。日本軍は練習機さえ動員し、特攻による必死の反撃を行うが、この頃になると特攻への対策法を編み出していた米軍に対し、あまり戦果を挙げられなくなっていた。 この頃満州国は、日本軍がアメリカ軍やイギリス軍、オーストラリア軍と戦っていた南方戦線からは遠かった上、日ソ中立条約が存在していたため、ソ連との間は戦闘状態にならず、開戦以来平静が続いていたが、この年に入ると、昭和製鋼所(鞍山製鉄所)などの重要な工業基地が、中華民国領内から飛び立った連合軍機の空襲を受け始めるようになった。 同じく日本軍の勢力下にあったビルマにおいては、開戦以来、元の宗主国であるイギリス軍を放逐した日本軍と協力関係にあったビルマ国民軍の一部が、日本軍に対し決起した。3月下旬には「決起した反乱軍に対抗するため」との名目で、指導者であるアウン・サンはビルマ国民軍をラングーンに集結させ、即座に日本軍に対しての攻撃を開始した。同時に他の勢力も一斉に蜂起し、イギリス軍に呼応した抗日運動が開始された。最終的には5月にラングーンから日本軍を放逐した。 4月、連合軍は沖縄諸島に戦線を進め、沖縄本島へ上陸し、沖縄戦が開始される。多数の民間人をも動員した凄惨な地上戦が行われた結果、両軍と民間人に死傷者数十万人を出した。なお、沖縄戦は日本国内での降伏前における唯一の民間人を巻き込んだ地上戦となった。日本軍の軍民を総動員した反撃にも拘らず、連合軍側は6月23日までに戦域の大半を占領するにいたり、すでに濃厚であった敗戦の見通しを決定づけた。また、支援の名目のもと、沖縄に向かった連合艦隊第2艦隊の旗艦である戦艦大和も、4月7日に撃沈され、残るは燃料にも事欠いた、わずかな空母や戦艦のみとなり、ここに日本海軍が誇った連合艦隊は完全に壊滅した。 5月、有力な同盟国であったドイツが連合国に降伏し、ついに日本はたった一国でイギリス、アメリカ、フランス、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国と対峙して行くことになる。このような状況下で連合国との和平工作に努力する政党政治家も多かったものの、この期におよび、敗北による責任を回避しつづける大本営の議論は迷走を繰り返すばかりであった。一方、「神洲不敗」を信奉する軍の強硬派はなおも本土決戦を掲げて、「日本国民が全滅するまで、一人残らず抵抗を続けるべきだ。」と唱えた。日本政府は当時日ソ中立条約によって国交のあったソビエト社会主義共和国連邦による和平仲介に期待したが、黙殺される。 既に一国のみでの孤独な戦いを続ける日本の降伏は、もはや時間の問題となった。この前後には、ヤルタ会談での他の連合国との密約、ヤルタ協約に基づくソビエト連邦軍の北方からの上陸作戦にあわせ、アメリカ軍を中心とした連合国軍による、九州上陸「オリンピック作戦」と、その後に行われる本土上陸作戦が計画されたものの、日本軍の軍民を結集した強固な反撃により、双方に数十万人から百万人単位の犠牲者が出ることが予想され、計画の実行はされることがなかった。11月に計画されていた「オリンピック作戦」には、福岡、長崎の市街戦において、アメリカ軍としては初めてとなる、化学兵器(毒ガス)の使用が予定されていた。 アメリカのハリー・S・トルーマン大統領は、最終的に、本土決戦による自国軍の犠牲者を減らすという名目と、日本の分割占領を主張するソビエト連邦の牽制目的、さらに非白人種への人種差別意識の影響、且つ人体実験を目的とした放射能による影響計測のため、史上初の原子爆弾の使用を決定する。8月6日に広島へ投下、次いで8月9日に長崎への投下が行われ、投下直後に死亡した百万人弱にあわせ、その後の放射能汚染などで、現在までにあわせて百万人以上の死亡者を出した。なお、日本でも原子爆弾の開発を行っていたものの、制海権を失ったことなどに起因する開発に必要な原料の調達が捗らなかったことなどから、ドイツやイタリアからの亡命科学者を中心に開発を行っていたアメリカに先を越されることになった。 その直後に、1941年4月より日ソ中立条約を結んでいた共産主義国であるソビエト連邦も、上記のヤルタ会談での密約(ヤルタ協約)を元に、締結後5年後の1946年4月まで有効である日ソ中立条約を破棄し、8月8日に対日宣戦布告をし、満州国へ侵攻を開始した(8月の嵐作戦)。ソ連による調停の望みはここに絶たれる。 ソ連軍の侵攻に対して、当時、満州国に駐留していた日本の関東軍は、主力部隊を南方戦線へ派遣し、弱体化していたため総崩れとなり、敗退した。 逃げ遅れた多数の日本人開拓民のうち、多くがソ連軍に殺害され、強姦された女性も多数存在した。また、日本への引揚の混乱の中で家族と生き別れ、中国人に拾われた子供は、中国残留孤児として残ることとなった。 このソビエト参戦により、満州と南樺太などで行われた戦いで、日本軍の約60万人が捕虜として捕らえられ、シベリアに抑留された。その後この約60万人は、過酷な環境とソ連政府による強制労働や私刑の犠牲となり、6万人を超える死者を出した。 このような事態に至ってもなお、日本軍上層部は降伏を回避しようとし、御前会議での議論は迷走した。しかし鈴木貫太郎首相が天皇に発言を促し、昭和天皇自身が和平を望んでいることを直接口にした事(いわゆる「御聖断」)により、議論は収束した。これを受け1945年8月10日、日本政府は同盟通信社及び日本放送協会の短波を利用して、「天皇の大権が侵されない」ことを条件に、ポツダム宣言の受諾を全世界に通告、8月14日に御前会議において宣言の受諾を正式に決定し、8月15日、昭和天皇の声明を録音したレコードで、全国に同宣言の受諾を国民に知らせる玉音放送が行なわれた。この後鈴木貫太郎内閣は総辞職した。 敗戦と玉音放送の実施を知った一部の将校グループが、玉音放送が録音されたレコードの奪還をもくろみ、8月15日未明に宮内省などを襲撃(宮城事件)し、鈴木首相の私邸も襲われる事件があったものの、玉音放送の後には、厚木海軍飛行場にあった第三〇二海軍航空隊の小園安名大佐率いる将兵が徹底抗戦を呼びかけるビラを撒いたり、停戦連絡機を破壊するなどの他には大きな反乱は起こらず(同反乱も8月22日に終息)、日本軍は戦闘を停止した。 翌16日には、連合国軍が中立国のスイスを通じて、占領軍の日本本土への受け入れや、各地に展開する日本軍の武装解除を進めるための停戦連絡機の派遣を依頼し、19日には日本側の停戦全権委員が一式陸上攻撃機でフィリピンのマニラへと向かう(8月21日に帰還、26日・28日の米軍厚木基地到着の文書をもたらす)等、イギリス軍やアメリカ軍に対する停戦と、武装解除は順調に遂行された。しかし、少しでも多くの日本領土の略奪を画策していたスターリンの命令により、ソ連軍は8月末に至るまで南樺太・千島・満州国への攻撃を継続した。そのような中で、8月22日には樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」、「第二新興丸」、「泰東丸」がソ連潜水艦の雷撃・砲撃を受け大破、沈没し、多数の犠牲者を出した。 また、日本の後ろ盾を失った満州国は事実上崩壊し、8月18日に退位した、皇帝の、愛新覚羅溥儀ら満州国首脳は、日本への逃命を図るも、侵攻したソ連軍によって身柄を拘束された。その後8月28日には、連合国軍による日本占領部隊の第一弾として、アメリカ軍の先遣部隊が厚木海軍飛行場に到着し、8月30日には、後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の総司令官として連合国による日本占領の指揮に当たることになる、アメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー大将も同基地に到着、続いてイギリス軍やオーストラリア軍などの日本占領部隊も到着した。 9月2日には、東京湾内に停泊したアメリカ海軍の戦艦ミズーリにおいて、イギリスやアメリカ、中華民国やオーストラリア、フランスやオランダなどの連合諸国17カ国の代表団の臨席の元、日本政府全権重光葵外務大臣と、大本営全権梅津美治郎参謀総長による対連合国降伏文書への調印がなされ、ここに、太平洋戦争はついに終結した。しかし、沖縄や南洋諸島においては、兵士達による局所的な戦闘が散発的に続けられ、南樺太と千島列島では、9月4日までソ連軍との戦闘が行われた。 日系人の強制収容 戦争中にアメリカ、ペルーをはじめ南米13カ国日系移民をアメリカ本国や自国の強制収容所に強制移動させられた。詳しくは日系人の強制収容を参照。 戦後処理 right|200px|thumb|昭和天皇との会見(1945年[[9月27日フェレイス撮影3枚のうち29日新聞掲載された写真]] 戦後、東京にアメリカ陸軍の元帥であるダグラス・マッカーサーを総司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が置かれた。沖縄、奄美諸島、小笠原諸島、トカラ列島は日本本土から切り離されアメリカ統治下におかれた。千島、樺太、歯舞、色丹はソ連に軍事占領されたが、未だに日本固有の領土であることを認められていない。 戦争裁判 まず初めに戦争責任を追及する東京裁判が開かれ、元総理の東条英機陸軍大将、外交官で元総理の広田弘毅らが連合国により戦犯として裁かれ、7名がA級戦犯として死刑(絞首)に処されたほか、元内大臣の木戸幸一、元陸軍大臣の荒木貞夫らが終身刑、元外相の東郷茂徳は禁固20年、元外相の重光葵は禁固7年となった。なお、昭和天皇は裁判を免れたほか、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、正力松太郎らは不起訴となった。また、フィリピンや中華民国など各地で同じように戦争裁判(B、C級戦犯)が行われた。一部の人々は、これらの裁判に対して、裁判の体を成していないものも多く、多くの無実の人も罪に問われ処刑されたと、批判している。その理由は全てが事後法による裁きのためである。また、連合軍は無差別攻撃(東京大空襲等や原爆投下)等の国際法違反行為に対する裁きを受けておらず、勝者による一方的な裁判であるとの批判もある。 改革 GHQは大規模な国家改造を行い、大日本帝国の国家体制(国体)を壊滅した上で、新たに連合国(特にアメリカ)の庇護の下での国家体制(戦後体制)を確立するために、治安維持法の廃止や日本国憲法の制定を行った。また、内務省の廃止や財閥解体、農地改革など矢継ぎ早に民主化と称し、日本の国力をなくし米国への抵抗力をなくすための改革を行ったが、民主化政策はその後の冷戦体制のため変更され、警察予備隊の設置や共産党員の公職追放(レッドパージ)が行われた。その後締結された1952年のサンフランシスコ講和条約により連合国総司令部は廃止となり、戦後処理は終了した。 戦争の評価(日本) 太平洋戦争の評価については、これの戦後以来ずっと歴史家だけでなく知識人、作家、一般市民などを巻き込んだ議論の的となっており、さまざまである。 もともとアジア圏は欧米諸国に植民地されていた歴史を持ち、日本がこの体制を解放させる立場なのか、それとも新たな植民地政策国として居座ることを目したものかという、相反する見方によって議論が引き起こされる。 加害者としての見方 加害者としての見方は、日本がアジアの近隣諸外国に対して行った侵略や植民地化などの行為を、誤った政策とし、太平洋戦争を否定的にとらえるものである。 この見地にたつ人々の一部は、日本が太平洋戦争の被害者の立場(長崎市・広島市の被った原子爆弾投下など)を強調し過ぎるものとし、侵略者=加害者としての立場からの反省が足りないと、主張している。 これに関連して、中華人民共和国、韓国、アメリカを中心とした日本に対する戦争責任の追及については、単なる反日教育によるアジテーションという見方は皮相的で、実際はアジア諸国に見られた閉鎖的で抑圧的な独裁体制の下にあって、権利を主張することができなかった当事国の民衆が、権利意識の高まりによって戦争の当事国である日本に国家、権力者の過ちによる戦争での被害の権利回復を求める運動の一環と主張する人が多い。 近年になって日本の加害責任の追及の声が大きくなっていることについては、こうした点が背景にあるとの意見が加害責任を追及する人々を中心に主張されている。 解放者・自衛戦としての見方 解放者としての見方は、アジア諸国が太平洋戦後に独立を果たせたのは、アメリカやイギリスなどの植民地化政策を行った国々との間での戦争であることが要因の一つであるとし、太平洋戦争そのものを肯定的に評価する立場である。この見地にたてば、日本は加害者であるという戦争理解や、近隣アジア諸国に対する謝罪への要求といった事態は、自虐的過ぎるということになる。 また、自衛戦としての見方は、ABCD包囲網によって日本が圧迫され、これを打開するために対英米蘭戦に踏み切ったとするものである。また、アメリカが日本の大陸利権を否定することで圧力を加え、併せて人種的偏見による移民規制や、日系アメリカ人に対して人種差別的な政策を行ったことが、日本人の反米感情を刺激し、対米戦へと踏み切らせたとの考えもある。 だが、どの資料を見てもABCD包囲網やそれに類する条約が結ばれたと言う証拠はない。故に、旧帝国が戦争を正当化するために恣意的に使用したとも考えられる。 両方の面があるとする見方 この戦争には「2つの側面」があるという研究者がいる。きっかけは中華民国への侵略や勢力拡張を目的とした仏印への進出だが、結果としてそれを理由にした米国の石油をはじめとする対日全面禁輸は、日本を予想だにしていなかった国家崩壊の危機に直面させた。すなわち、貿易全依存国である日本は石油がなければ船舶を動かすことはできず、船舶が動かなければ工業材料はおろか、食糧まで一切輸入することはできず、そうなれば産業崩壊はもちろんのこと餓死者さえ出かねないのである。また動かなくても排水の為に常に石油を消費する海軍は当然のことながら壊滅してしまい、もし日本が事態を放置して無抵抗状態になった時に、米西戦争の時のように、米国が何らかの口実で日本に宣戦布告をしてきた場合、日本は満足に戦闘さえできないことが懸念された。 そのうえ、米国の最後通牒と呼ばれたハルノートには日本との交渉再開の条件として中国からの撤退(原案では満州を除くという但し書きがあったが、米国側は手交前に敢えて削除した。)というおよそ短期間には実現不可能な条件が記されており、しかもその見返りは「交渉を再開する」というだけであり、禁輸解除は記されていなかった。したがって、ハルノート受諾を含む外交による事態打開を目指しても、日本が破滅的な状況に直面する公算は極めて高いと予想され、進退窮まった日本は強行策として欧米植民地の資源地帯の軍事力による強制奪取とその防衛を目的とした東南アジア・太平洋地域への戦争を開始した。 このようにアヘン戦争やアロー戦争と似たような構造の侵略戦争である日中戦争と、米国や米国が指導した全面的な経済制裁に対する自衛が目的としての対米英蘭戦争という、目的・性質の異なった二つの戦争が併存していたのが太平洋戦争であるという見方である。 戦争の評価(アジア) 実際に日本が侵略した中国(当時は中華民国、現在は中華人民共和国)や、日本に併合されていた朝鮮半島(現韓国・北朝鮮)(以下これらを特定アジアと称す。)においては日本の責任を厳しく問う意見が強い。しかし、かつて植民地・占領地でありながらも日本から直接被害を受けていない特定アジア以外のアジア諸国からは、日本を加害者とする評価だけではなく、それ以外の評価を見ることができる。加害者とする以外の評価があるのは、アジアには多民族国家が多く各集団によって世界観が大きく異なるためであるとも言われている。そのうち、直接に被害を受けていない地域では日本を評価する声があるとも、実際のところは少数派であるとも言われている。これには、当地の人々にしてみれば独立は主として自分たちの力で達成したものという意識が反映していることに加えて、すでにそれぞれが以前に比べて国民国家化していることも関係する。 一部のアジア諸国で日本の責任を厳しく問う意見が弱い理由については、純粋に日本の侵攻が独立に貢献したと評価されているケース、建国の功労者に、日本の後押しで権力の座に就いた者がいるケース、戦後の独立戦争において旧日本軍人が指導・協力したケース、また単純に反米的なイデオロギーを持っていたケース、あるいは軍事政権の雛形として評価せざるを得ないケースなど様々であり、その理由を一概にまとめることは難しい。日本の責任を厳しく問う意見が弱い理由として、日本の支配が強圧的であれども旧宗主国のそれに比べれば相対的にマシなものであったからという説もある。また、そもそも旧宗主国の植民地支配によって蒙った被害があまりに甚大であるが故に支配期間においては圧倒的に短い日本による被害が問題にされにくいという面もある。これとは逆に、日本の支配ののちに侵入してきた支配者への反感から日本への責任を問う声が比較的厳しくないという地域もある。 また、日本に協力する人々がいた一方、宗主国に協力して日本と敵対する人々もいた。この場合は、戦争が終わったのち、親日派も宗主国協力派も独立のために戦ったケースが多い。 台湾島における評価が相対的に高い理由 当時は日本による統治下であった台湾島では戦時中、アメリカ合衆国軍による空襲等はあったが、地上戦は行われなかった。また、台湾自体が兵站基地であったため、食糧など物資の欠乏もそれほど深刻ではなかった。 戦後になって大陸から入ってきて強権政治を行った過去のある中国国民党に対する批判により、相対的に日本の植民地政策を評価する人もいる。(「犬(煩いかわりに役には立つ)の代わりに豚(食べるばかりで役たたず)が来た」と言われている)また、それらの大日本帝国を評価する勢力の一部には太平洋戦争についても「解放戦争」であったと位置付けている人もいる。 台湾は中華民国ないし中華人民共和国の一部であると主張する勢力の中には、日本の支配を中華民国への侵略行為に過ぎないと評し、太平洋戦争も侵略であったと評する意見がある。 戦時には台湾でも徴兵制や志願兵制度などによる動員が行われ、多くの台湾人が戦地へと赴いた。これについての評価も分かれている。当時は日本国民であったのだから当然とする人もいれば、不当な強制連行であったと批判する人々もいる。「当時は日本国民であったのに死後靖国神社に祀られないのは差別である」と批判をする人もいれば、その反対に「靖国神社への合祀は宗教的人格権の侵害である」として日本政府を提訴している人々もいる。また、戦後、軍人恩給の支給などについて日本人の軍人軍属と差別的な取り扱いがなされたことに対する批判もある。 また、中華民国にも大韓民国、フィリピン共和国、オランダ王国などと同様従軍慰安婦になることを強いられた女性達がいるとして、日本国政府を相手に損害賠償を求める動きも出ている。なお「従軍慰安婦」という言葉自体、議論の対象になっている。つまり自発的にそれになったもしくは怪しげな業者にだまされたりしたものであり、日本軍が強制連行したなどの資料は一切見つかっていない。一例として当時のいわゆる従軍慰安婦は軍票の簿価の総計だけのみで換算して「当時の日本の総理大臣をはるかに上回る収入を得ていた」とする試算もある。現在台湾では、太平洋戦争・その前段階の日本統治時代についてどう評価するかについては政治的な論点のひとつとなっている。日本の支配に対する評価についての詳細は、日本統治時代 (台湾)にある戦後の評価の項を参照。 (なお、台湾島での戦争観を語る際に、台湾本省人が親日であり日本支配肯定論、外省人が反日抗日的であるとの見方があるが、実際はそれほど単純ではない。省籍矛盾については特定の政治家が選挙運動で煽ることによって起こる面も否定できず、そうした背景を理解しないで台湾の戦争観を論じると誤解が生じるおそれがある。本省人には、福建系と客家系がいること、また台湾人を語る際には台湾先住民の問題が欠けている傾向が見られること、省籍については近年外省人、福建系をはじめとした本省人の垣根が解消される傾向にあること、外省人はエリートと低所得層との格差が激しく多様であること、低所得層の外省人と台湾先住民との婚姻のケースが多いなど単純ではない、という意見もあるが、そのように詳細に見て行けばおよそ概説は不可能であり、つまるところ学問的考察は不可能になる)。 脚注 参考文献 『太平洋戦争の謎 魔性の歴史=日米対決の真相に迫る』佐治芳彦 大日本帝国文芸社 ISBN 4-537-25080-1 斎藤充功『昭和史発掘 開戦通告はなぜ遅れたか 』新潮新書 新潮社 ISBN 4-106-10076-2 『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』佐藤卓己 筑摩書房 ISBN 4-480-06244-0 関連項目 第二次世界大戦に関連する人物の一覧 戦史叢書 大東亜戦争 アジア・太平洋戦争 極東戦争 十五年戦争 外部リンク 宣戦の詔勅 開戦と終戦 開戦の臨時ニュースと、終戦の詔勅(玉音放送)を、文字と音声で確認できる。 American Rhetoric アメリカ合衆国史上の有名な演説を集めたサイト(英語)。フランクリン・ルーズヴェルト大統領が議会で行った真珠湾攻撃の報告 Pearl Harbor Address to the Nation を文字と音声で確認できる(Top 100 Speeches → All Speeches by Decade → 08 Dec 1941)。 日米開戦を回避せよ~新資料が明かす最後の和平交渉~ 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年1月22日 (火) 00 28。