約 165,735 件
https://w.atwiki.jp/gundamfamily/pages/2366.html
190 名前:通常の名無しさんの3倍 :2009/05/27(水) 08 40 10 ID ??? ジュドー「倉庫でなんか売れるもんないか探してたらこんなん見つけたぜ」 ウッソ「ビデオテープ? 古いですね……ハードコア……?」 ジュドー「きとアムロ兄さん辺りが隠してたやつだぜ 見てみよう」 ストーカー『赤コーナーに威風堂々入場するのはッ! コロニアン・ハードコア・プロレスリングの雄ッ!!! リビングレジェンドッ! デッギーン! ザッ! グッレェェェェェイトゥ!!!!』 『デーギーン! デーギーンッ! デーギーンーッ!!!』 ストーカー『対するは白銀の如き肉体の煌き! コロニーの新星! 流星の貴公子! デキィィィィムッ!! バートンンンッ!!!!』 『デーキーム! デーキームッ! デーキームーッ!!!!』 ジュドー「……確かにハードコアだったけどさあ……」 ドモン「ああ? 懐かしいの見てるな これ名勝負だったんだぜ」 アムロ「現役最後辺りの試合だったはずだが、今見てもすごい筋肉してるなあ……」 ウッソ「なんかリアクションに困るコメントしないで下さいよ……」 191 名前:通常の名無しさんの3倍 :2009/05/27(水) 09 05 40 ID ??? ラッセ「そう、幼少の頃始めて生で見た試合が、 デギン・ザ・グレートの引退試合だった。 あの試合が、俺の一生を決めたといっても過言じゃねえ」 イアン「また変な風にキャラが立ったなあ、お前」
https://w.atwiki.jp/battler/pages/3558.html
人物 俺ンジ?は元々、ゲーム(東方)ばっかやっているヒッキーだったが ある日夢の中で兎が「pcでバトルロイヤルRってゐうのがあってね、そこに行けばみょんを貰えるんだよ!」 という声がした気がして、バトルロイヤルRに参加したが、 みょんは貰えなかったのである。 =俺ンジ?はう詐欺に騙されてしまったのである。 しかし、一度バトロイに参加してみると家にいるよりも楽しい!スリルが味わえると、 バトロイの世界に引きずり込まれて行くのである。 ※みょんを手に入れると同じみょんを欲しがっているオレンジっていう変な奴に横取りされる!と警戒している。 プロフィール(オレンジのとは違います。) 推定年齢 31歳 職業 嫁 みょん 100m 9.41 握力平均 21 現在は作者のキャラが増えてきたため引退。 しかし、何かある時にまた・・・・現れるかもしれない。。 俺ンジ?「からの~?」 オレンジ「…復活でう。おめでとうございます!」 通常時能力 体 17 攻 8 防 26 速 49 名詞 「ドガガガ!!」 「ヘーイ!!」 「ぎょぎょぎょ!!」 「たらぁぁぁぁぁぁこスパゲッッッッッッッッゥッッテイイ!!」 「勝ったらみょんと婚約するんだ!」 「あばよ!!」 「ちょwwwそこまでマジになるなってww(死)」 最高トータル勝利数 最高9回(登録日 2009/08/17 19 08) 最高連勝数 最高?回 貼り忘れた写真館にて 第118シーズントータル勝利数ランキング 優勝(8勝) 俺ンジ?の引退試合
https://w.atwiki.jp/kibou-kyudo-club/pages/22.html
部活紹介 ここでは希望ヶ丘高校弓道部を紹介しています。 活動内容 基本的に週五日(定休…木曜・日曜・休日・テスト休み・雨の日等) 毎日ひたすら射込みます。夏まで(基本的に審査を受けるまで)は一年生の指導などもやっています。また、夏休みにはキャンプや合宿をやります。 部員(2010年度版) 1年生(参拾漆代) 男子 7人 女子 6人 2年生(参拾陸代) 男子 5人 女子 9人 3年生(参拾伍代) 男子 10人 女子 5人 大勢で活動してます! 中学の元部活は運動部、文化部どちらもいます。皆初心者から始めました。 活動場所 学校の隅っこでやっています。隅っこで道に面しているので、たまにおじさんやおばさんが見学しにくることも。屋根がないので雨の日に練習ができないのが難点…。 弓道部年間予定 4月・・・県民大会 5月・・・春季大会、高校総体(3年引退試合)、新歓コンパ 6月・・・OB・OG戦、記念祭、昇段審査 7月・・・キャンプ 8月・・・青少年錬成会、平沼戦、昇段審査、校内合宿、道場練(常盤) 9月・・・無指定審査 (1年) 10月・・・新人戦(1年試合デビュー) 11月・・・神奈川大会、横浜地区大会 (自由参加)、昇段審査、修学旅行(2年) 12月・・・ 1月・・・平沼戦 2月・・・昇段審査 3月・・・平沼戦、卒業式、追い出しコンパ 希望ヶ丘高校 弓道部
https://w.atwiki.jp/elvis/pages/724.html
21世紀を疾走する魂 UWFの後継者 1969年12月17日生。岡山県出身。 今もなお、UWFの精神を頑なに守り続けるプロレスラー/格闘家。総合格闘技ジム・U-FILE CAMP.COMの主催者。 2003年にはU-STYLEというプロレス団体を設立する一方、PRIDEグランプリ開幕戦では吉田秀彦相手に大健闘するなど、プロレス、格闘技両面で存在感をアピールしている。 第二次UWF、UWFインターナショナル、リングスと闘いの場を移しながら、独自の格闘美学に基づいたファイトを展開し人気を博す。 95年12月にはK1のリングでパトリック・スミスと対戦。一瞬のヒールホールドで一本勝ちを収める。96年からはリングスを主戦場に活躍し、97年にはイリューヒン・ミーシャ、前田日明を破り、初代リングス無差別級王者となる。 前田日明引退後はリングスのエースとして、数々の強豪と激闘を展開。99~00年に行われた『リングスKOK1999』ではデイブ・メネー、ヘンゾ・グレイシーなどの強豪を破りベスト4の成績を収める。 しかし、2001年にリングスを電撃退団。その後の去就が注目されていたが、満を持して、PRIDEに参戦。 「UWFの遺伝子を継ぐ者」として、高田延彦引退試合の対戦相手もつとめる PRIDE?オフィシャルサイトより
https://w.atwiki.jp/kingsaru/pages/94.html
ベンチのみんな、そしてKING TAKUも興奮を抑えきれない。 だが大喜びしても拓真はすぐに切り換える。 拓真「まだまだこれからだぞ!!! 気を引き締めろ!!!」 選手権の時のシゲのようにチームを落ち着ける。 KING SARUの頃はよく先制で調子に乗り、逆転され、負けたことが多々あるので、最終戦にして同じ過ちは繰り返したくなかった。 やはりその後のXの逆襲は凄まじかった。 プロレベルのパスワークからは華麗さと同時に、この試合に対する情熱がうかがえた。 それは拓真の喜びをも生んでいた。 プロレベルのチームが拓真の引退試合のためにここまで本気で取り組んでくれていることがただ嬉しかったのだ。 そして、試合は依然Xペース。 速いパスワークに拓真の体力がついていかない。 拓真は一度ベンチに下がった。 するとその直後、素早いつなぎから失点。 今までなんとか耐えていたKING TAKUだったが、ついにゴールを破られ、落胆の色を隠せない。 察し、すぐさまチームを鼓舞する。 新藤監督「切り換えろ!! これからだぞ!!」 しかし、プロレベルを相手にするということはそんなに甘くはない。 またしてもすぐに同じような展開で2失点。 チームが崩壊しかけている。 若き頃の苦い記憶が蘇る。 1-3 観客は大喜びだ。 それ以上の失点はなんとか防ぎ、前半終了の笛に助けられた。
https://w.atwiki.jp/timeout/pages/13.html
□□ちょっとホームページのほう調子悪いんで、これからはこっちにアップしていくことにします(・∀・)ノリ□□ Officialな飲み会の記録 ←→ Unofficialな飲み会の記録 new!!2007-6-9,10 合宿 その2(2日目) その1(1日目) new!!2007-6-1,2,3 学祭 その5(打ち上げ) その4(本番2) その3(本番1) その2(準備日) その1(準備) 2007-5-28 練習(紅白戦) 写真ありがと♪ 2007-5-24 試合VS J 写真ありがと〜♪ 2007-5-22 練習(紅白戦) ケーコちゃん、写真ありがとん♪ 2007-5-14 試合VSキャッツ またまた写真ありがとん♪てかあの時間内に135枚撮るとかすごいな!!1枚/分以上wこれからもよろしく!! 2007-5-9 試合VS J きょん、写真サンキュ♪ 2007-4-27 新歓飲み ひろふみ、写真サンキュ♪♪ new!!2007-3-20 引退試合 ケーコちゃん写真サンクス♫ 2007-3-16 マネお疲れ会 おたけ、写真サンクス(σ´□`)σ・・・・…━━━━☆ズキューン!! 2007-2-2 追いコン かっち、写真グッジョブ☆(ゝω・)vキャピ 2007-1-18〜21 スノボ かっち、写真グッジョブ(σ ̄ー ̄)σ 2006-12-15〜17 スノボ 尾畑、写真グッジョブ(〇´ー`〇) 2006-11-3〜5 学祭 参考:http //timeoutbaseball.web.fc2.com/PHOTO2.htm new!!2006年夏合宿 ケーコちゃん、写真ありがと♪
https://w.atwiki.jp/hmmarimo/pages/224.html
1955年 川上哲治(巨人) 言わずと知れた「打撃の神様」または赤バットを使っていたので「赤バットの川上」と呼ばれた。 通算成績 打率.313 HR181 打点1319 盗塁80 1955年 中西太(西鉄) 53年に推定190mの特大HRを放つなど、数々の打撃伝説を持った強打者。 通算成績 打率.307 HR244 打点785 盗塁142 1963年 長嶋茂雄(巨人) 「ミスター」として国民的に親しまれた。引退での名スピーチは今も色あせない。 通算成績 打率.305 HR444 打点1522 盗塁190 1964年 王貞治(巨人) HR世界記録保持者であることはあまりに有名。監督としても素晴らしい成績を残している。 通算成績 打率.301 HR868 打点2170 盗塁84 1965年 野村克也(南海>ロッテ>西武) 打者、捕手、監督のいずれも一流である。世界初であるクイック投法を開発した。 通算成績 打率.277 HR657 打点1988 盗塁117 1970年 張本勲(東映>巨人>ロッテ) 歴代2位の通算3085安打を放った「安打製造機」。首位打者7回はイチローと並ぶ日本記録である。 通算成績 打率.319 HR504 打点1676 盗塁319 1970年 大杉勝男(東映>ヤクルト) 「月に向かって打て」とコーチの助言で強打者として覚醒。引退試合でのスピーチはプロ野球史に残る名スピーチのひとつ。 通算成績 打率.287 HR486 打点1507 盗塁32 戻る
https://w.atwiki.jp/d-sen/pages/224.html
2008年ドラフト2巡目指名 投手 岐阜城北高 右投左打 子供の頃はサッカーに夢中であったが、父親の強い願いを受け野球を始める。 高2の時夏の県大会準決勝でノーノーを達成するなど成長し、ファンであった地元球団へ。 高校3年間伊藤を見てきたトレーナーさん曰く「話をする時は絶対背筋を伸ばして顔を見て話す選手。トレーニングはまじめ。こっちが言わないととめられない。さぼることを知らない。」 渡された背番号「18」からは首脳陣の期待をうかがい知ることができる。 2009年9月30日、巨人戦にてプロ初登板。絵に描いたようなフレッシュなお披露目にD専民はwktkの渦に引き込まれた。自己最速となる149kmをマークし、15球で1イニング無安打無失点に抑えた。この日は立浪の引退試合という事もあり、新しい時代の到来を予感させた。 プロ一年目のオフ、「立浪選手に感謝する会」イベントに、父親と一般客席に混じり参加していた所をD専民に目撃される。 プロ2年目、4月4日の阪神戦に登板し、8回1失点で初勝利を挙げる。尚、中日で10代での先発しての勝利は今中慎二以来らしい。尚、先発という条件を除くと、長峰昌司以来。 今日のにゃんこ 伊藤さんちのピーチちゃん
https://w.atwiki.jp/salice_hutter/pages/132.html
奥井 まりあ(Maria Okui) 女子プロレスアカデミーAlice1期生。 ドラゴン・ドリーム、ザ・ビーナスの素顔。 ニックネームのパープルビューピルは紫(式部 京子)の弟子を意味する。 プロレスセンスはAliceイチと称され、入団当時から式部 京子の後継者と呼ばれた天才。 数多くの対外戦に出場し、数多くの顔を持ち、数多くのユニットの設立と話題を振りまいたトリックスター。 スタイルは小柄ながら類まれなる背筋力でキックと飛び技を得意とする。 Alice時代は派手な技を好んで使っていたが、腹部の古傷の影響もあり徐々にクラシカルな技に傾倒していった。 40歳の誕生日に開催した"S"Alice126th初日で引退試合を行ない、同時に S Alice代表取締役社長に就任した。 夫はMadHatterのクリス・デプス。 プロフィール ニックネーム:パープルビューピル 出身国:日本 身長:158cm 体重:60kg 生年月日:1981/01/16 必殺技:ブレードキック 初出場:Alice3rd.(Alice) 経歴:Alice-Darkness-FrancesConnection-Whiteness-Alice-Whiteness-W.A.-Superior 主なタイトル: AliceCup58th シングルトーナメント優勝 第12代タッグ王座 第24代パシフィック王座
https://w.atwiki.jp/yakultsen/pages/33.html
河端龍 kwbt。 もう残り少ない1998年ドラフト組みの生き残り。牧谷と同期。 登場曲は神宮に来てくれる子供達のために、という理由だったか、名探偵コナン。なんていい人・・・ 「また全力で投げられますように」に全俺が泣いた 投球前の動作があまりにも長い。 2008.9.27のファーム最終戦で6回の表に3番手として復活登板。1回を被安打3,得意のフォークボールで奪三振1,与四球2の3失点も、やくせん民は復活に大歓喜した。 しかし10.1、ついに現役引退を発表。「けがもあったが、優勝を経験できて、とてもいい野球人生だった」と…。 引退試合となった2008.10.12の横浜最終戦で6回2番手に2005.8.19以来の登板。1/3を奪三振1の無安打無失点で締めくくった。 引退セレモニーでは「球団関係者の皆さま、ファンの皆さま、このような機会をいただいて、ありがとうございます。本当に感謝しています。皆さまのおかげで、ボクにはぜいたくすぎる思い出、ボクにはぜいたくすぎるいい野球人生が送れました。本当にありがとうございました」と…(ノ_ 。) 2008.10.18付スポニチが、球団広報に転身することが濃厚と報道され、10.27付の大本営で2009年1月よりチーム付広報に就任することを発表。引退セレモニーの挨拶の滑舌の悪さが広報で大丈夫か心配だが、これまでチームに貢献してくれた彼に、引き続き応援するやくせん民は多いことだろう。 これからファンのいろいろな意見に対する実現とチーム(球団)の「顔」として、ファンに愛される球団実現へ頑張ってほしいものです。