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オーブ連合首長国 ロゴス壊滅後、ロード・ジブリールが亡命し、そのことからザフトの武力介入を受け、ウナト・セイラン以下主要閣僚が戦死。その混乱の最中、軍部とアスハ派のクーデターにより、事実上、カガリ・ユラ・アスハを頂点とする軍事独裁国家となる。 種死終了直後、プラント併合宣言をおこない、世界統一連合政府の母体となる新たな世界規模の組織「統一連合」の枠組みを提唱した。 全国家が加盟した後、組織は「統一地球圏連合」へと変化し、より良い平和を求めようと、統一国家樹立を目指し、提唱国であるオーブがまず主権返上し以後の世界の中心となる。 人口は約3500万人程度(狭いけど人口爆発している日本を参考に) スカンジナビア王国 北欧の中立国、この時代では珍しい王政を敷いている国。 ブレイクザワールド事件後、世界安全保証条約機構に加盟し地球連合の加盟国となったが、秘密裏にオーブからカガリ代表を拉致し逃亡したAAを匿っていた。 シーゲル・クラインの故郷でもあり、筋金入りの親オーブ国家。 統一連合加盟はCE74、5月。国外テロで外相を失った。 CE77、7月、スカンジナビア王国、主権返上する意向を示し。国民は歓喜と熱狂でこれを支持。 レジスタンスの活動は皆無といっていいほど治安は安定している。 人口は1800万人程度(ノルウェー+スウェーデン+フィンランド合計) ユーラシア連邦 ヨーロッパ大陸とシベリアからなる国家。首都ブリュッセル。大西洋連邦にライバル心を抱く国家。 ジブラルタルを占拠されたり、北アフリカで「砂漠の虎」アンドリュー・バルトフェルドにボコられたりとロクなことがない。 先の大戦で疲弊し、それ以降は大西洋連邦と蜜月関係にある。 ブレイクザワールド事件により、ローマ等各都市が壊滅的打撃を受け、さらにデストロイによる攻撃で東側のモスクワやベルリンまでも壊滅してしまっている。 地球連合が同盟参加国のユーラシア連邦を襲った理由としては、ザフトの支援を受けた東地域のレジスタンス活動が活発化し、それの鎮圧を大西洋連邦(BC支配下)に応援要請したため、デストロイが送り込まれたという説がある。 種死終了時もっとも混乱が続いている地域であった。 現在のユーラシア連邦打倒のため、東ユーラシア地域にて、東ユーラシア共和国が樹立。 東西に分かれて内乱をおこなったため、国力は低下していった。 東ユーラシア共和国(ガルナハン地域含む)は各地域を併合しながら、過去の歴史に言う「鉄のカーテン」地図上まで勢力を伸ばす。 CE75、4月頃から旧PGはユーラシア連邦地域でその姿を見ることができた。 CE75、5月東ユーラシア共和国は統一連合への参加を表明。 旧PGや紛争解決に乗り込んできたオーブ軍との連携もあり、最終的にはユーラシア連邦は、東西に分かれることとなった。また同月末、あまりに頼りない政府に西ユーラシア連邦内部で不満の声が募り西ユーラシア連邦政府に対しクーデターがおき、政府は打倒される。 西ユーラシア暫定政府樹立。 再出発をちかった。 CE75、7月西ユーラシア新政府、統一連合へと加盟。 が、CE75、9月、世界の平和を恒久的なものにしようと統一地球圏連合政府樹立。主権返上が議題となる。 これから西ユーラシアを復興させようと、独立を勝ち取った西ユーラシア新政府の反応は特に過激であった。 東ユーラシア共和国も想いは同じであったが、最初に激発した西の動きを鑑み、議会では擁護しながら今後の指針にしようと静観している。 10月、西ユーラシアの脱退は決定的となり、度重なる会談も意味をもたなかった。 CE75、11月、西ユーラシア新政府は、世界平和への道を乱すものとして打倒され、その地域は、統一地球圏連合政府の直轄地となる。 この動きをみて、東ユーラシア共和国は、ただちに独立を宣言するのは、西の二の舞になると考え、表面的には親統一地球圏連合よりの態度をみせる。が主権返上に関しては基本的に拒否。もしするならばと相手が呑むはずもない条件を提示しながら抵抗していく。 CE77、10月、今度は北半球が記録的な冷夏となり、またも食糧危機に陥る。 6月の南半球の食料危機にあわせ統一地球圏連合政府は再び食料プラントをフル稼働させ乗り切ろうとしたが、追いつかずに多数の餓死者が出る。特に東ユーラシア地域が深刻で、ここだけで飢え、感染症などで100万人以上が死亡。北半球全体で200万人以上が死亡した とされる(統一政府推計。後の史家の計算によると500万人が死亡したとも)。 これにより、統一地球圏連合政府に対して各国で表立って、また裏で、軍備拡張に予算を費やし、生活福祉に予算の投入が足りなかったことに対する不満がでる。 リヴァイブの本拠であるガルナハンは東ユーラシア共和国にある。 ガルナハン地域は、一時協力したとはいえ、独立地域としての地位を望み、レジスタンス活動を再開させる。だが、政府に独立を約束させたとしてもその上には統一地球圏連合政府。これをもとの統一連合、主権返上などとふざけたことを言い出す前の組織にまで弱体化させなければ、独立など無意味。 東ユーラシア共和国政府の思惑、レジスタンスの思惑、また主権返上にて世界の統一を、平和を実現しようとする統一地球圏連合政府。 それぞれの思惑をかかえながら、Revivalは開始される。 ガルナハンの人口は約826万人(アゼルバイジャンと仮定して) 東ユーラシアは約3億7000万人程度(ロシア方面&鉄カーテンで計算) 西ユーラシアは約4億7000万人程度(EU国家郡を合計して&鉄カーテンで計算) 大西洋連邦 北米大陸及びブリテン島・アイルランド・グリーンランドからなる国家。首都ワシントン。 地球連合の盟主的存在。 開戦直後、親ザフトを表明した南アメリカ合衆国を武力制圧。 先の大戦において月面のダイダロス&アルザッヘル基地、アイスランドのヘブンズベース、更には2度目の大戦で再建した月基地と大統領を失うなど甚大な被害を受けた。 死亡した大統領の公約はプラントを含めた地球圏統一国家設立だったららしい。 そのため、ロゴスやBCを排除しようとしていた感もある。 ユニウス7落下後にはケベック、フィラデルフィアが壊滅している。 世界の中心としてその影響力をいかんなく発揮してきたが、2度の大戦後、オーブが世界の主導権をにぎろうとしていることに危機感を感じ、CE74、8月オーブに対して宣戦布告を行い、戦争をしかける。 が、オーブ軍に勝つことはできず、内部でクーデターが起き、CE74、11月講和成立。 CE75、6月に行われた統一連合参加の是非を問う選挙にて、僅差で加盟賛成が可決され、7月加盟。 ヨーロッパ、カナダ閥(エターナリストが中心)とアメリカ閥(今の地位に不満有り)の政争が激しくなっている。 旧BC系の人間を中心としたレジスタンスがアメリカ側で台頭し始めている。 一度、主権返上案がでるが、国内ではCE78、7月の大統領選挙で、エターナリストではない大統領が選ばれる。 以後の統一地球圏連合政府議会では、様々な法案や決定に異議を唱える国家となっていく。 人口は約4億6600万人 南アメリカ合衆国 ユニウス条約の発効で戦前の状態に国境線が戻されることとなり、 大西洋連邦から脱却、主権を回復した。 発言権はさほど無いが、豊かな資源を持つためか重要視されている。 元からさほど安定した地域でないせいか、最近はレジスタンスによるテロが頻発している。 取り締まりもなかなか進んでいないがこれは統一連合のやり方をかつての大西洋と同一視している住民が多く、 公安に非協力的であるからだろうか。 大統領は親統一連合だが一説によると政府内にもこれらのテロを黙認する勢力は多いといわれる。 またCE77、3月、南アメリカの対テロ特殊部隊隊長エドワード=ハレルソン少佐、部下十数名を連れレジスタンスに身を投じている。 人口は約4億300万人 東アジア共和国 先の大戦では上海が壊滅したが、ユーラシアや大西洋に比べれば大した被害ではなかった。 当面は国土復興に追われており、他の連合諸国と共にプラントへ宣戦布告後沈黙を保っていたがギルバートによるロゴス打倒宣言に呼応し、ジブラルタルのザフト軍に合流。 ロゴス打倒を名目にザフトと共闘関係となる一方で、オーブアスハ派と何らかの関係があるらしい。 CE74、12月統一連合加盟。 復興自体に力を入れていた為かレジスタンス活動はあまり無く、少数民族の独立運動家によるテロが 年に数回あるかないかという平和さである。 昔からのアスハとのパイプがあるが、発言力は大したものではなく、 そこに不満を抱いている。親統一連合ではあるが、この点が不安要素と言えるだろう。 人口は約17億8600万人 大洋州連合 オセアニア一帯からなる国家。首都ウェリントン。親プラント国家。 停戦後においても地球上におけるプラント最大の戦略的パートナーであり、 ブレイクザワールド事件後も他国が世界安全保障条約加盟を決断するのと対照的に親プラント路線を貫いている。 オーストラリアのカーペンタリア湾付近にあると思われる最重要拠点 「カーペンタリア基地」もこの大洋州連合内に存在する。 統一連合参加は初期のCE74、5月。 オーブと近いこともあり、CE77、6月に主権返上案が提出され、9月に国民投票が実施。 58%の賛成を得て、11月に主権返上。統一地球圏連合政府下の直属領となる。 だが58%の賛成という微妙な数字は反対派が動き出すきっかけとなるかもしれない。 人口は約2100万人 赤道連合 東南アジア諸国からなる連合国家、先の大戦では中立であったが、今次大戦では連合側に加盟している。 しかしながら、先の大戦では連合兵が、NJ発掘作業に地元民を徴用し、 今次大戦でも基地建設に民間人を 強制徴用するなど連合に対し地元民の評価はかなり悪い。 とは言うものの、歴史的に内戦が多い地域でもあり、一概に反連合、親連合とは言えない所もある。 連合の勢力は疲弊し、プラントは併合され、そしてCE74、5月再び内乱が起きる。 CE75年の最初辺りから旧PGが赤道連合内部各地を移動しながらで、NGO活動開始。 非戦闘地域を回り人々の楽しみになればとコンサートを開き、また内乱自体に介入はしないものの非戦闘員に危害が加えられそうになれば、PGを使い内乱軍を叩き返した。 各地で救難活動を行いながら、慰安コンサートを開き、危害を加えるものは排除するラクスに、人々は平和の歌姫としての信仰を集めていった。 CE75、3月内乱終了。だが、国内は内戦後でぼろぼろであり、政府も各地域を押さえきれないと判断したのか、自国内で圧倒的な人気を誇るラクスにすがろうと、CE75、10月主権返上を申し入み、受理され、統一地球圏連合直轄地となる。 もともと内乱も多く、そしてラクスの支持派ではない地域、組織がテロ行為をおこなっており直轄領地ではテロ行為が多いが、全体から見れば小数ではある。 人口は16億4600万人程度 ムスリム共同体(正式には汎ムスリム会議?) アラビア半島、小アジア、パキスタン、中央アジアの旧イスラム圏からなる国家。 こちらも種終了時のユニウス条約締結後に、ユーラシア連邦より脱退。主権を回復している。 最大の外交カードであった石油、精神的支柱のイスラム教を失ったため今日では影の薄い存在。 そのためか先の大戦ではまったくと言っていいほど被害を受けずに済んだ。 弱小国ではあるがプライドは高く、プラントを併合したオーブに対しては快く思っていないようである。 世界が統一連合へと次々と参加していく中で、あくまで参加するだけだという立場を崩さずCE75、2月統一連合参加。 主権返上には、強硬に反対している。 それどころか国民は統一連合入りさえ潔しとしておらず、 それゆえかレジスタンス活動が激しい地域の一つとなっている。 また、他の地域へレジスタンタス活動へと向かう傭兵、組織も多数あるようである。 人口は約3億6300万人程度 アフリカ共同体 前々回の大戦期に南アフリカ統一機構により併合されたアフリカ大陸の国家。 ユニウス条約によって、アフリカ共同体として主権回復。 先の大戦ではアフリカにおける親プラント勢力。 しかしC・E73年時点では弱体化し、勢力はモロッコやダカール周辺のみでジブラルタルのザフト軍による抑止力により 辛うじて体制を保っている状況であった。 メサイヤ終戦後は敵対している南アフリカ統一機構に再び併合されないようにCE74、5月統一連合参加。 政府の議員たちは、徐々に統一地球圏連合政府へ傾倒していき、平和の利権へ尻尾をふるようになり、自国内をおろそかにしていく。 CE77、1月頃から、レジスタンス活動は活発になっていく。 極貧地域も多く、一部の富を持つもの(政府関係者)、持たざるもの(レジスタンス)の 確執は激しく、主権返上を政府が考えているようでもあり、国内地域の平安は程遠い地域である。 人口は約3億7700万人 南アフリカ統一機構 アフリカ南部の国々による統一国家。首都はナイロビ。 前々回大戦期アフリカ共同体を取り入れ、アフリカ連合となるも、 ユニウス条約によって再び分断する。もともとアフリカ共同体とは中が悪い。 CE75、1月統一連合加盟。 主権返上に関しては、善処する、検討中である、世論を聞いているところであるとのらりくらりとかわしている。 北に比べレジスタンス活動はほとんどないが、これは自国内の安定を意味しているのか。それとも別の思惑で国家が動いているのだろうか。 人口は4億700万人程度 アメノミハシラ Revival独自設定で、オーブの条約加盟時期に、独立国家となる。 種死終了時ではコロニーを修復中(ヘリオポリスにしてみた)。 CE75、4月、旧ヘリオポリスを改修したコロニー「イザナギ」が、アメノミハシラの手によって 完成する。また同時に世界を平和へと導く組織であろうと統一連合への参加を表明する。 国家としてはとても小さいが、技術力は世界規模で秀でている。 統一地球圏連合政府、ラクスの動きを観察し、この政体は危険と判断している。 主権返上に関しては、オーブの勝手で独立させておいて、いまさら帰ってこいとは虫のいい話と相手にしていない。統一政府も元オーブの属国ということで強くでることができない。 表向きには参加しながら態度の硬い国家というだけであるが、裏では豊富な技術力財政をたくみに利用しながら各地のレジスタンス支援も行っている。 ミナとライヒはキツネとタヌキの化かしあい合戦真っ最中である。 人口は約35万人程度 プラント 種死終了直後、ラクス派のクーデターにより、議会が効力を失い、オーブに併合される。 戦乱に疲れ、厭戦気分が高まっていたプラント市民はそれを受け入れる。 だが、デュランダル議長を信じ戦っていた兵士や、議長支持の勢力の動向が気になる。 CE78、1月プラント駐留の宇宙第二艦隊の一部が叛乱。統一連合軍宇宙軍との交戦状態に陥る。 2月初旬、反乱軍、宇宙第二艦隊撃破。 2月中旬、反乱軍、宇宙軍第一艦隊、第三艦隊との決戦に敗れ全滅。 また、野に下ったザフト兵の中には、各地のレジスタンスに参加しているもの、また宇宙で海賊をしている輩もいるようである。 人口約4600万人 ブルーコスモス 世界がロゴス打倒に動き、コーディネーターとナチュラルの種族対立は収まっていった。 盟主も死亡し、ロゴスもなくなり、組織としては存続できなくなった。 ただ、個人の感情としてBCよりの考えをもつ人間は、これからもいることであろう。 大西洋連邦内部のレジスタンス組織、また各地のレジスタンス組織のなかにはBCの考え方に共鳴して活動しているものも存在する。
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登録日:2015/12/13 Sun 15 23 20 更新日:2023/11/16 Thu 14 48 04NEW! 所要時間:約 11 分で読めます ▽タグ一覧 いまのアンタがいちばんみにくいぜ! アニヲタ神様シリーズ アフロディテ アフロディーテ オリュンポス十二神 ギリシャ神話 ビッチ ヴィーナス 万能者 世界皇帝 勲章称号マニア 半分不死 大元帥(空軍) 女皇 女神 性別両方説 恋愛 愛 愛の神 愛欲 無敵 番外 純粋 美神 自称大皇帝 被造物にして設計者 見習い菩薩 赤い月の解放者 ■アフロディテ 「アフロディテ」はギリシャ神話に登場して来る女神。 ローマ神話ではヴィーナス(金星)と習合……と云うか異名とされた。 寧ろ、現在ではそっちの名前の方が馴染み深い位である。 女神と云えば誰もが思い浮かべる愛と官能の女神であり、美の女神の代名詞として数々の創作のモチーフともなって来た。 因みに、元々のヴィーナス(ヴェヌス)は美の女神なんかではなく菜園の女神だったそうな。 「吸収しようとした相手を呑み込むなんてさすがはギリシャ文化だぜ!凄ェ!」 ギリシャの神々は日本語表記では本来の発音や長母音を省略されて表記、自動変換される場合が多いのだが、彼女はちゃんと「アフロディーテ」や「アプロディテ」等とも変換される。 主神格であるオリュンポス十二神の一柱ではあるが、彼女のみは最高神ゼウスと、その眷属の血統ではない。 よく知られた誕生譚としては、去勢された後に海に棄てられたウラノス(天)の性器の泡(男汁)から誕生した、とされる物がある。 恐らくは人気の高さからオリュンポスに数えられたのだろうが、誕生譚と矛盾する為か、キプロス島に流れ着いた後に足下から生命が溢れ出す様を讃えた季節の女神達(ホラ)に保護されて天上界に導かれ、そこでゼウスの養女になった等と書かれている。 ※ゼウスの実の娘とする神話もあるがマイナーな説である。 アフロディテとは「泡から生じた者」の意であり、彼女が初めて陸地に降り立った場所にして、信仰の中心地であるキプロス島にちなみ、キュプロゲネス、キュプリス(キプロス生まれの女神)の異名も付けられている。 この他、『神統記』によればアプロゲネス(泡から生まれた)、キュテレイア(キュテア生まれ)、ピロンメイデス(陰部から生まれた)等の呼び名も捧げられている。 類い希な美しさを持つ彼女にはエロス(愛)とヒメロス(欲)が付き従ったと云う。 エロスは後にアフロディテの従者として定着した後に幼児神へと姿を変えられ、彼女の息子ともされる様になった。 エロス「他の神さん連中より年いっとる言うとったんは嘘じゃあ。今後はアフロディテ様のせがれっちゅう事でよろしゅう頼むわぁ(ダミ声)」 配偶神は鍛冶神ヘパイストス。 ヘパイストスが「ヘラの解放を条件に」天上界に迎え入れられた際に望んだのがアフロディテとの結婚であり、それをゼウスに許されたともされる(ヘラが苦し紛れに約束したとも)。 しかし、美の女神に対して不具の神では釣り合いが取れないとでも考えられたのか、神話では基本的に不仲と云うかアフロディテがヘパイストスを馬鹿にしている構図で描かれていしまっている場合が多い。 アフロディテが愛人とするのが美形や美少年ばかりなのも意図的なものを感じてしまう。 最も長く関係を持った愛人は軍神アレス。 彼は前述の様に“アフロディテの息子とされてから”のエロスの父親とされている。 また、愛と美の女神と呼ばれてはいるもののアフロディテが司るのは“根源的な愛”であり、従者のエロスの様に能動的に対象に愛欲を掻き立てさせる力は無いとも言われる。 アフロディテの神話に纏わる“それら”の要素は、実は彼女ではなく従者のエロスとヒメロスの働きだと云うのだ。 ※能動的に働くのは魅惑的な肢体と自慢の美貌で相手の性欲を掻き立てて自分のベッドに誘う場合のみである。 これと同じく、アレスも戦を司るとされつつも他人の為に勝利を呼び込んだりする働きとは基本的に無縁であり、ここから「神として他者に与えたり、何かを生み出す資質に欠けた似た者同士」と呼ばれる場合もある。 ただし、これは出身地差別を受けたアレス同様に、オリュンポスに組み込まれた際に本来の彼女が持っていた多産や豊穣、戦勝や航海の守護…etc.といった属性が他の女神とシェアされたり取られてしまった為と考えられている。 ……こうした事情からか、神話だけ見ると直接的な愛に飢えたビッチ女神みたいな扱われ方をされてしまっている。 トロイア戦争の伝説で発端となった「パリスの審判」でも、ヘラとアテナを抑えて美女神No.1に選ばれている辺りは、さすがは美を司る女神様である。 ※パリスが景品のヘレネ(世界一の美女)に釣られただけだろ……とかは絶対に言ってはいけない。 【出自】 元来は東方から渡って来た古代オリエントの春(意味深)の女神で、お馴染みのリリス系統に属する生殖と豊穣を司る大地母神であった。 古くは古代バビロニアと同様に神殿に豊穣の密儀を司る神聖娼婦(男女どっちも揃ってた)が住み、主神のアフロディテ(リリム)はその守護者でもあったらしい。 また、アフロディテには航海を守護する女神としての属性もあったが、これも、矢張りリリン系統の地中海地域の女神であるアシュタルテ等と共通した要素である。 四方を海で囲まれたキプロスでは海の安全が何よりも大事であったのであろう。 ……こうした信仰の起源や形態は、ギリシャ神話だけで見ても同じくオリュンポスの系統に組み込まれたアルテミスやアテナ、ペルセポネ…etc.と、リリン系統に属する、或いは属性の共通から習合したと思われる女神はかなりの数にのぼり、この事が逆にアフロディテが仕事を奪われる結果に繋がったとも考えられる。 【神話】 特に知られるのが美少年アドニスとの悲恋。 まあ、母親(スミュルナ)にまで遡る発端はアフロディテ自身とされてしまっているのが如何にもギリシャ的悲劇ではあるのだが(インガオホー)。 キプロス王キニュラス(またはアッシリア王テイアス)にはスミュルナ(ミュラ)と云う美しい娘が居たが、彼女が自分を拝むのに積極的で無い事に腹を立てたアフロディテはエロスに命じて、彼女が父親に恋をする様に仕向けた。 ※または王か王妃が娘の美しさを神にも優ると豪語した為ともされる。 ※基本的に煽り耐性がないのがギリシャ神話の神々なので仕方がない。 スミュルナは自分が狂ってしまったと思い自殺を考えるまでに思い悩むが乳母に止められる。 王女の胸の内を聞いた乳母は策を講じて王女を別の女性に仕立てて王の寝室に送り込む事にする。 ここから、王女は父親の部屋に12日間も通う事になる。 バレずに済んだのは乳母が王に部屋を暗くしておくように言い付けて居た為とも、酔うと泥の様に眠る王と夢現の中で交わった為、とも記されている。 古代なのに処女姫の逆レ○プ展開とか流石はギリシャ神話。 ……しかし、破局は突然にやって来た。 連日の逢瀬に違和感を感じた王は灯りを付け、自分の伏床に通っていた女の正体が娘である事を知ったのである。 激昂した王はスミュルナを手に掛けようとするが、絶望の内に逃げ出した王女は、逃げに逃げて逃げた後に、アラビアの南(サバの地)に辿り着くと命の尽きる直前に自分に宿っていた子供のみを助ける様に神々に懇願。 これを聞き入れた神々はスミュルナを没薬(ミルラ)の木に変えた。 彼女の息子アドニスは月満ちた後に、その木の裂け目から生まれたのだ云う(出産の女神エイレイテュイアが木に触れたら生まれたという説も)。 自分の起こした悲劇に責任を感じていたともされるが、アドニスを引き取る事にしていたアフロディテは、美しい少年を見た途端に虜となってしまう(エロスの仕業ともされる)。 そして、アドニスが他の誰の誘惑にも晒されないように箱に入れると、最も誘惑の種のないであろう冥府の女王ペルセポネに預ける事にした。 アテナといい、何故にみんな箱に入れたがる。 ……しかし、そこはペルセポネもオリュンポスの子(?)。 好奇心に負けて箱を開けると、彼女までもがアドニスの虜になってしまった。 やがて、スゥイートホーム(愛の育成部屋)の準備を整えたアフロディテはペルセポネに箱の返還を求めるがペルセポネは応じず喧嘩になる。 ペルセポネ「アドニスはわたしのものよ」 アフロディテ「ちきしょう!」 埒が開かない事を危惧したゼウスは要請に応じて1年を1/3ずつアフロディテと暮らす→ペルセポネと暮らす→一人で暮らす……と定めた。 ……しかし、せっかくの決定も役には立たなかった。 アドニスは山野を駈け巡る狩人の資質がある少年だったのだが、ある日獰猛な巨大猪に遭遇。 これを追うも、逆に猪に殺されてしまったのだ。 この猪の正体については密かに嫉妬していたハデスとされる事もあるものの、普通は性格やら行動やら何となくやりそうじゃね?と云う風潮から、アフロディテの愛人のアレスとされている。 そして、死んだアドニスの流した血から真っ赤なアネモネが。 愛しい人の死を悼み女神が流した涙からは深紅の薔薇が生まれたのだと云う……。 この他にもアドニスに関わる誕生譚は存在しているが、これはアドニスの神話が勿論、史実などではなくて古代オリエントから伝わった「冥府下り」の“かなり”大胆なアレンジの為。 いずれはキプロス島に広大なダンジョンみたいな洞窟や蚊の巨大育成施設が出現するのは間違いない事であろう。 【その他】 この他の神話としてはアレスと激しく前後している所を晒し者にされた神話も有名だが間男の当該項目を参照。 また、ギリシャの神々は揃いも揃って色ボ…ゲフンゲフン、恋多き事で知られるが、実はその原因はアフロディテにあると云う。 彼女の被害者は、上記のスミュルナ、エロスの妻プシュケ、ハデス・ペルセポネ夫婦(とデメテル)、暁の女神エオス、太陽神ヘリオスなど多岐に渡る。 最高神ゼウスすらもが、無自覚に力を発揮するアフロディテにより散々に人間の女を愛させられたが、アフロディテはそうして皆に愛欲を掻き立てては、時として悲劇をも生んでいたのに、そうした行いを傲慢にも鼻に掛けていた。 そこで、ゼウスはアフロディテにも人間へ愛情を抱く様に仕向け(ゼウスは天の理を支配しているので実は何でも出来る)、アンキセスを相手に選んだ。 ※アンキセスはトロイア王家の流れを汲む高貴な血筋で姿も美しい男子であった……罰になってないな。 アンキセスに一目で恋に落ちたアフロディテは人間の娘に化けて近づき子供を宿した。 ※人間の女が神の子を生むのは名誉だが、女神が人間の子を生むのは恥……だと云うのが罰の理由だったのだが、流石は愛の女神、正体がバレても動じない。 ちなみにトロイア戦争の武将には女神を母に持つ者が結構いる。帰り道で女神を現地妻にして孕ませた奴もいる。 ゼウス「!?」 それどころか「女神を妊娠させたとか吹聴すると天罰で雷が降るから言わないでね」と忠告する程の余裕ぶりである。 この時に生まれたのがトロイア戦争でトロイア側の援軍ダルダノイの総大将を務めたアイネイアスと言われている。 この後のアンキセスの運命については諸説があるが(アフロディテを食った事を自慢して天罰を喰らい不具になったともされる)、トロイア敗戦の後にアフロディテの導きにより親子でローマに逃れ、その血は後にカエサルを輩出したユリウス家の祖となったとされている。 ……勝ち組ですね。 追記修正は生きとし生けるものからの愛情を獲得してからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 中学までずっとアフロの神様だと思ってたわ -- 名無しさん (2015-12-13 18 40 05) 出たなビッチ女神 -- 名無しさん (2015-12-13 18 43 56) とりあえず、なんで彼岸島の連中が時折混じってんだよw -- 名無しさん (2015-12-13 19 25 15) アフロディティの足音 -- 名無しさん (2015-12-13 19 53 39) 結局、この人って何人人間の子供産んでんの? で、父親は何人? -- 名無しさん (2016-03-06 18 33 20) この人にあなたの子供産んであげると言われたら、何人が「うん」って言うだろうか。 -- 名無しさん (2016-03-17 18 49 13) ↑目にした時点でメロメロにされるから選択権は無いと思う。寧ろ、そう言わせるだけの価値が自分にあるかどうかってレベルの話かと。 -- 名無しさん (2016-03-17 19 39 03) 父親が誰か特定出来るだけマシなのかね、この人......人?女神か。 -- 名無しさん (2016-04-04 16 47 34) アドニスを殺した猪の正体はアルテミスという説もある(この2人仲が悪い) -- 名無しさん (2016-05-14 12 48 44) 現在も男を食い続けてたりして...... -- 名無しさん (2016-10-06 17 43 48) 解釈だとアレスとの浮気暴露後にヘパイストスと別れることになって、その時またポセイドンが仲介に入っている。アフロディーテはそのお礼にワンナイトラブしてあげたそうだ -- (2016-11-12 22 15 56) この人で童貞卒業したら、ほかの女で勃たなくなりそうな気がする......。 -- 名無しさん (2016-11-19 16 36 24) アレスが実際200mってことはアフロも他の神々もそんだけあるのか、そりゃ人間なんてゴキブリ程度にしか・・・なのに何で交わえるのか -- 名無しさん (2017-01-02 21 43 15) 本人の知らぬ所で不細工との結婚を決められたのはまあ同情する。ヘパ本人ですら「できるか?できねーだろ?」とヘラに言うために名前を出しただけだし。 -- 名無しさん (2019-05-18 07 50 29) 違反コメントとそれにかかるコメントを削除 -- 名無しさん (2019-05-21 15 54 02) 息子の一人はトロイアの生き残りを連れてローマの祖となったトロイア王族のアイネイアースだったり、その子孫がローマ建国の王ロームルスだったり、かのカエサルの生家が属するユリウス氏族はアイネイアースの息子の子孫を称してたり……。厳密にはローマのウェヌス神と同一視されて崇められたとはいえローマ人にはえらく重要視されてるようで -- 名無しさん (2021-08-14 22 26 57) ペルセポネ「アドニスはわたしのものよ」 アフロディテ「ちきしょう!」←さすがギリシャの女神さまだ、やっぱり違うなあ。 -- 名無しさん (2021-11-17 19 05 01) 2chでよく見るようなムチュコタンLOVEな姑的面があって、息子エロスの嫁をイビり倒したらしいな -- 名無しさん (2022-01-06 20 03 13) ↑途中送信しちゃった 結局嫁のプシュケは壮絶な嫁イビリを乗り越えて恋人の愛を守る女神になって、エロスとの間に快楽の女神ヘドネを設けたらしいけど。 -- 名無しさん (2022-01-06 20 06 39) 仮にも女神だから、人間だったらヤリまくって父親不明になりそうなもんでも、腹の中の子供の父親がわかるんだろうかね -- 名無しさん (2022-01-06 20 37 26) 愛の女神さま一人勝ち、最高神は美女に甘すぎる -- 名無しさん (2022-01-06 20 48 34) ↑ だってゼウスだぜ? 一晩お相手するから不問にしてね~っていえばね... -- 名無しさん (2022-01-06 22 22 30) 何気にいざきよいところもあるんだよねこの女神 負けを認めたら相手の要望を飲むし -- 名無しさん (2022-11-18 03 48 16) 愛と恋を司る女神さま。なので愛を否定する人間(一生純潔でいたい)には罰を与えることがある。 -- 名無しさん (2022-12-10 08 26 48) 武力こそないが胆力はそうとうなものがある。さすが愛の女神さま -- 名無しさん (2023-01-13 17 48 31) オリュンポス十二神の中でクレイトスさんからの粛清を免れた唯一の神 -- 名無しさん (2023-01-13 17 53 08) エロス様が子供になったのはいいんだけどヒメロス様はどうなのかしら -- 名無しさん (2023-07-15 19 54 54) タンホイザーの事はないのか? -- 名無しさん (2023-11-16 14 48 04) 名前 コメント
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チーム、組織、種族の名称(マーベル) リンクの利便性を考慮してカタカナ表記メインにします。 [編集] 英数、AtoZ A-Force 女性だけのスーパーヒロインチーム。 A.I.M. 世界征服を目論む科学者集団。 B.A.D. Girls, Inc. 元サーペントソサエティーの女性3人のフリーランス傭兵チーム G.I.R.L.(Genius In action Research Labs)「行動する天才たちの研究所」。ワスプ(ナディア)が「世界を変える天才女子」を集めてつくったチーム。 NEW X-MEN 若手ミュータントの選抜チーム。 O-Force X-Statixの二番煎じヒーローチーム O*N*E (the Office of National Emergency) 政府の機関 S.H.I.E.L.D. 国連傘下の諜報機関 S.P.E.A.R. 中国の特殊諜報機関 S.W.O.R.D. 宇宙からの脅威に備える機関 TVA(Time Variance Authority) 時間変異取締局。いわゆるタイムパトロール的な組織。 UCWF 超人プロレス団体 U-Foes 宇宙線を浴びて能力を得た四人組のスーパーヴィラン U-MEN ミュータントの変異部位を狙う狂信者集団 H.A.M.M.E.R. S.H.I.E.L.D.の実権を握ったノーマン・オズボーンが再編して名称変更 X-Corporation X-コーポレーション。世界規模で支部が展開するミュータントの保護施設。 X-Factor X-Force(X-フォース)危険な任務を担当するミュータントの強襲チーム X-Statix 富と名声を得るためメディアで活動するミュータントヒーローチーム X-MEN ミュータントと人類の共存を目指すヒーローチーム X-MENトレーニング・スクワッド ゾーンによる攻撃の後再建されたエグゼビア学園内の訓練・育成グループ 50音順 ア行ーナ行 アセンダンツ(Ascendants) 中国のヒーローチーム アナイアレーターズ(Annihilators) コスモが結成した「銀河最強のチーム」 アベンジャーズ(Avengers)マーベルヒーローのオールスターチーム アベンジャーズ・アカデミー(Avengers Academy) 特殊能力を持つ少年少女の教育施設 アベンジャーズ・ユニティ・ディビジョン(Avengers Unity Division) アベンジャーズにミュータントを加えた別働隊。いわゆるアンキャニー・アベンジャーズ。 アベンジャーズ・レジスタンス (Avengers Resistance) アポカリプス・ツインズ(Apocalypse Twins):アポカリプスを継承する双子の男女 アルケマックス(Alchemax) リズ・アラン率いる化学企業 アルファフライト(Alpha Flight) カナダのスーパーヒーローチーム イモータル・ウェポンズ(Immortal Weapons)アイアン・フィストを含む天界七都市の戦士たち。 イルミナティ(Illuminati) スーパーヒーローチームのリーダーたちが集まる秘密結社。 インテリジェンシア(Intelligencia) 頭脳派ヴィランの秘密組織 インヒューマンズ(Inhumans) それぞれが個別の特殊能力を持つ宇宙種族 インベーダーズ(Invaders) 第二次世界大戦中に活躍したヒーローによる連合軍特殊部隊。 インペリアル・ガード(Imperial Guard) シーアー帝国の精鋭部隊 インヘリターズ(Inheritors):クモのトーテムを捕食する一族 ウエストコースト・アベンジャーズ (West Coast Avengers) 西海岸を拠点とするアベンジャー第2チーム(構想) ウエストコースト・アベンジャーズ(再結成) (West Coast Avengers) ケイト・ビショップが再結成したウエストコースト・アベンジャーズ ウォーバウンド (Warbound) ハルクが惑星サカールで結成した異星人たちのチーム ウォリアーズ・スリー(Warriors Three) アスガルドの三銃士。 エージェンツ・オブ・アトラス(Agents of Atlas) 1950年代の架空のヒーローチームを基にしたチーム エクスカリバー (Excalibur) 英国ロンドンで結成されたキャプテン・ブリテンをリーダーとするチーム。欧州・異次元を舞台とした エグゼビア高等学院 (Xavier Institute for Higher Learning) 恵まれし子らの学園の新たな呼び名。 エターナルズ(Eternals) 太古に生み出された不死の種族 エミッサリーズ・オブ・イビル (EMISSARIESOFEVIL) エンフォーサーズ (Enforcers)スパイダーマンの敵として登場した犯罪者グループ オメガ・ギャング (Omega gang)キッド・オメガが組織した、ミュータント・ギャング。 オメガ・フライト (Omega Flight):アルファフライトに対抗、あるいは代替するチーム。 ガーズメン(Guardsmen):特殊装備を身につけた看守・警備員たち。 ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー(Guardians of the Galaxy) 銀河を守る主に地球外生命体たちのチーム。 ガーデナーズ(Gardeners):生命を創り出す種族 ガスリー家 (Guthries) キャノンボール、ハスクらの家族。あまりに多いので別立てにします。 カバル (Cabal) 各界を代表するスーパーヴィランたちの秘密結社。 キャンプ・ハモンド(Camp Hammond) グラップラーズ(Grapplers)女子プロレスラーチームで、ヴィランに転身するものが多い。 クリー(Kree)宇宙に強大な帝国を築く戦闘国家。 グレート・レイクス・アベンジャーズ(Great Lakes Avengers) 通称G.L.a.。ウィスコンシンで勝手にアベンジャーズの名前を使って結成したヒーローチーム。 クローク&ダガー(Cloak Dagger) 闇と光の力をもつ男女の二人組。 コタティ(Cotati) 惑星ハラをクリーと二分していた原住民で植物型の知的生命体。クリーによって滅ぼされた。 サーカス・オブ・クライム(Circus of Crime) サーカスで地方を周りながら犯罪を繰り返すヴィラン集団。 サーペント・ソサエティ(Serpent Society) ヘビ系ヴィランの犯罪企業 サンダーボルツ「ヴィランが更生してヒーローになった」というコンセプトのチーム シーアー(Shi'ar)宇宙三大帝国の1つ。 シークレット・アベンジャーズ(Secret Avengers) シークレット・ウォリアーズ(Secret Warriors) ジーン・グレイ学園 (The Jean Grey School For Higher Learning) ジェネレーションX(Generation X)プロフェッサーXが指導しなかった若年チーム ジェネレーションX(2017)(Generation X(2017))X-MenとともにジェネレーションXが復活 シニスター・シックス (Sinister Six) スパイダーマンの敵が集結したヴィランチーム シャドウ・イニシアティブ(Shadow Initiative) ショーグン・ウォリアーズ(SHOGUNWARRIORS) 新チャールズ・エグゼビア学園(New Charles Xavier School for Mutants) 人類最高会議(Human High Council) エイジ・オブ・アポカリプス(THE AGE OF APOCALYPSE)に登場する、非ミュータントの通常人が生存を賭けて戦う組織 スクラル(skrull)変身能力を持つ異星人。 スクラル・キル・クルー (Skrull Kill Crue) スクワードロン・スプリーム(Squadron Supreme) DCのジャスティス・リーグに似た、異次元人中心のチーム スタージャマーズ(Starjammers) シーアー帝国皇帝ディケンの圧制に抵抗する宇宙海賊 ストレンジ・アカデミー(Strange Academy):ドクター・ストレンジが開校した魔法使いのための学校 スリンガーズ(Slingers):かつてスパイダーマン使用していたコスチュームを流用したヒーローたちのチーム ゾディアック(Zodiac):星座にちなんだ名前を幹部たちが名乗る犯罪者組織 ダークX-MEN(Dark X-MEN)ノーマン・オズボーンが編成したX-MEN ダーク・アベンジャーズ(Dark Avengers)ノーマン・オズボーンが編成したアベンジャーズ ダメージ・コントロール(Damage Control)ヒーローとヴィランの戦いによって破壊された建築物を復旧させる企業。 チャンピオンズ(Champions) お互い戦い合う大人たちに叛旗を翻した未成年チーム。 チャンピオンズ・オブ・ザンダー(Champions of Xandar):ザンダーで結成された「宇宙の勇者たち」のチーム。 チャンピオンズ・オブ・ロサンゼルス(Champions of Los Angeles) 初めて西海岸を基盤としたチーム。 超人活動委員会(Commission on Superhuman Activities) アメリカ政府下の超人監督組織。 ティーン・ブリゲイド(teen Brigade) リック・ジョーンズなど十代の少年たちの集団。 ディヴィアンツ(Deviants) 太古に生み出された悪魔伝説の元となった種族。 ディフェンダーズ(Defenders):Dr.ストレンジが集めた「非チーム」。 デス・スロウズ(Death-Throws):ジャグラーたちが集まった犯罪者集団。 ドーラ・ミラージュ(Dora Milaje) 女性だけで構成されたブラックパンサーの親衛隊 トゥルー・ビリーバーズ (True Believers) 隠された真実を暴きだし、ブログで公開する四人組 ニューアベンジャーズ(New Avengers) 再結成されたアベンジャーズ ニューウォリアーズ (New Warriors) 若手能力者たちのヒーローチーム ニューミュータンツ(New Mutants) 若いミュータントたちのチーム ネクスト・アベンジャーズ(Next Avengers) アベンジャーズの子どもたちで結成した未来のチーム ノヴァ・コァ(Nova Corps) 宇宙の平和を守る警察組織 ハ行ーワ行 パーカー・インダストリーズ(Parker Industries):ピーター・パーカーがCEOを務めていた企業 バドゥーン(Badoon) 好戦的な二足歩行のは虫類種族。 パワー・パック(Power Pack) 最年少のお子様ヒーローチーム、大人の指導者がいない珍しいチームである。 パワー・ブローカー社(Power Broker, Inc.):通常の人間を強化し能力を与える企業。 ザ・ハンド:日本発祥の暗殺者集団。 ヒーローズ・フォー・ハイアー(Heroes for Hire):雇われヒーローチーム。 ビヨンダーズ (Beyonders) ユニバースの外側に存在する超越的存在。 ビッグ・ヒーロー6(Big Hero 6) 日本初のヒーローチーム ヒドラ(Hydra):第二次世界大戦中にドイツと日本によって設立された悪の組織。 ピューリファイアーズ (the Purifiers) ウィリアム・ストライカーを信望し、ミュータント根絶を目論む狂信者たち。 ファクター・スリー(Factor Three) X-Men初期のヴィランチーム。 ファシリティ(The Facility) X-23を生み出した研究所。 ファンタスティック・フォー(Fantastic Four) フィフティ・ステイト・イニシアティブ(Fifty State Initiative) フェニックス・ファイブ(Phoenix Five) フェニックスフォースの力を手に入れた5人のミュータント。 フェミゾンズ(Femizons) 女性上位主義者のスーペリアが集めた女性だけのヴィラン・チーム フォー・ホースメン(Four Horsemen):アポカリプスに仕える四騎士。 フォース・ワークス(Force Works):ウエストコースト・アベンジャーズ解体後にアイアンマンをリーダーとして結成されたチーム。 フューチャー・ファウンデーション(Future Foundation) Mr.ファンタスティック発案の出自にとらわれない若者たちによる組織。 ザ・プライド(The Pride) ランナウェイズの両親たちで、サンフランシスコを影から牛耳る犯罪組織。 ブラザーフッド・オブ・イビル・ミュータンツ (the Brotherhood of Evil Mutants)初めて登場した悪のミュータントチーム ブラック・オーダー(Black Order) サノス配下の強力な将軍たち。 フリーダム・フォース(Freedom Force) ミスティークのブラザーフッドが政府のエージェントとなったチーム。 ペット・アベンジャーズ(Pet Avengers) ヒーローゆかりの動物たちが結成したヒーローチーム。 ヘッドメン(Headmen) 「頭」に特徴のある四人組ヴィラン ヘルファイア・アカデミー(Hellfire Academy) ヘルファイア・クラブのミュータント・ヴィラン養成学校 ヘルファイア・クラブ(Hellfire Club)X-MENの宿敵で秘密結社。 ヘリオンズ(Hellions) ヘルファイアクラブの若手ミュータント養成機関。および、後に同じ名を名乗った別のチーム マイティ・アベンジャーズ (Mighty Avengers) マジア(Maggia):犯罪組織 マスターズ・オブ・エビル(Masters of Evil):主にアベンジャーズと対立するヴィラン集団 マスターズ・オブ・サイレンス(Masters of Silence):サムライ風の暗殺者3人組 マローダーズ(Marauders):ミスターシニスターが組織した虐殺部隊 ミッドナイト・サンズ(Midnight Sons):悪魔と戦うために集まったチーム 恵まれし子らの学園(Xavier's School for Gifted Youngsters) ミュータントのための学校。X-MEN発足時の本拠地。 モーロックス(Morlocks)ニューヨークの地下などに住むはぐれミュータント集団 ヤングアベンジャーズ(Young Avengers) 突如ニューヨークに現れたアベンジャーズに似た十代のヒーローたち ユーロ・トラッシュ(Euro-Trash) X-Statixと敵対した暗殺チーム。 ユーロフォース(Euroforce) ヨーロッパのヒーローチーム。 ユニバーサル・チャーチ・オブ・トゥルース(Universal Church of Truth)銀河に90億人の信者を持つ巨大宗教組織。 ライフ財団 (Life Foundation) ヴェノムと敵対した組織 ラヴァメン (Lava Men) 地底に住む溶岩人間たち ラクシャ (Raksha) マドリプールでヴィジランテ活動をするミュータント忍者集団。 ランナウェイズ(Runaways)両親がヴィランだと知り、逃げ出した十代の少年少女。 リーヴァーズ(Reavers) サイボーグの傭兵部隊 リヴァイアサン(Leviathan) 旧ソ連、ロシアのスパイ組織 ルミナルス(luminals)ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシーのライバルヒーローチーム。 レッキング・クルー(Wrecking Crew)解体屋をテーマにしたヴィラン レンジャーズ(Rangers) 50・ステイト・イニシアティブでのテキサス州担当だが、元々古くから存在したチーム。 ロナーズ(Loners)子ども時代を奪われたと感じている若年ヒーローの相互カウンセリング組織 [編集]
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基本情報(E)Empires追加要素 紹介 攻撃方法 武将解説・性能考察武将解説 性能考察 武器データ基本性能 名称等の説明・故事来歴 技能考察 (II)技能盤 衣装 コメント欄 基本情報 名前 藤堂高虎(とうどうたかとら) 二つ名 冷徹なる氷刃 アクションタイプ 通常攻撃タイプ 使用条件(通常版) 近畿の章:「観音寺城の戦い」クリア (II)使用条件(4-II) 最初から使用可能 (S)使用条件(真田丸) 第三章:「野田福島の戦い(真田丸)」クリア 推奨メイン対象 (E)お市・徳川家康・(E)石田三成・浅井長政・(E)加藤清正・大谷吉継 推奨パートナー対象 (E)お市・徳川家康・浅井長政・(E)加藤清正・大谷吉継 声優 松風雅也 無双奥義文字 凍 秘奥義・皆伝文字 兇 公式動画 『戦国無双4』藤堂高虎 (E)Empires追加要素 生没年 1556-1630 登場年 1571 采配 7 智謀 8 政治 8 政略 全城普請 炮烙兵急襲・弐 戦場策 炮烙兵急襲・弐 紹介 近江・浅井家に仕えたのち、徳川家康のもとに参じる。低い身分からのし上がった実力者で、生き残るためには手段を選ばない切れ者。しかし心の奥底には、大切な主君や友への熱い思いが押し込められている。 攻撃方法 武器 細剣 通常攻撃 細剣(レイピアに近い)での物理攻撃。振りが非常に速い(今作最速クラス)上に横に振る攻撃が多く、細剣と言っても範囲はそれ程狭くない(奥に広い)。 N1~3 細剣を斜めに2回、横に1回振って前方を攻撃。癖もなく扱いやすい。 N4~7 細剣を斜めに2回振り、2回前方を突く。突きも十分奥に広いリーチ性能。 N8~11 横に振って斬り進む。 N12 くるっと1回転して横に斬る。 チャージ攻撃 氷塊を伴う攻撃が多いため、広い範囲を攻撃できる。広く前方を攻撃するC4、C8、横や周囲に広いC7、C9など。ガードを弾く技も多く、非常に強力。 C2 細剣で打ち上げる。あまり範囲は広くないので使いどころは皆無。 C3 細剣の柄で突く。こちらもあまり範囲は広くない。気絶攻撃。特殊技を使うと、敵が凍るのでやはりあまり出番はない...かも。 C4 氷塊を伴って前方を突く。右に一回転して初登場時のような青い衝撃波ではなく氷塊を発射。先端を爆発させる。そのため範囲がそこそこ。主力。ガード弾き効果有り。なお、発射時と爆発時で2ヒットする。 C5 地中から氷塊を出現させ、敵を突き上げる。わりと扱いやすい。 C6 氷塊を伴って前方を3回突く。全3ヒットし、最終段に気絶効果ありなのでこちらも主力になりうる。3回攻撃出来るのはやはり嬉しい。修羅などが入るとダメージがエグいことに。 C7 前方に踏み込み、大きめの氷塊を3つ落とす。主力。ガード不能かつ前方のかなり広い範囲を攻撃できる。密接の敵には当たらないことがあるが、これも修羅が入るとエグいダメージに。。 C8 細剣を地面に突くと同時に、長射程の氷塊を発生させる。セーピング効果あり。とにかく奥に攻撃できる。かなり威力も高い。 C9 細剣を逆X字に計6回振り回し、くるりと回って自分中心に巨大な氷塊(方陣に近い)を発生させる。主力。細剣での攻撃部分はガード不能で高火力・広範囲。そのまま氷塊で攻撃可能。特殊技を使用して、凍牙で固めておくと、氷塊が2ヒットする。 神速攻撃 比較的素早く横にも範囲が広い攻撃で、隙はあまりない。衝撃波による攻撃が主で性能はとても良い。 S1~3 2方向への氷塊攻撃・真空波攻撃を交互に行いつつ、前進する。 S4~5 同上。 S6 周囲に氷を降らせる。範囲は充分。コンボ稼ぎにも使える。 神速強攻撃 出が早いうえ、長距離系・広範囲系ともに揃っているのでかなり万能。 SS2 細剣で切り上げる。氷は伴わない。 SS3 地面を突き、長射程に氷塊を発生させる。氷塊はそこでしばらく留まり、滞留中に触れた相手はのけぞる。 SS4 SS2と同じ。 SS5 SS3と同じ。 SS6 自身を中心に巨大な氷塊を発生させ、神速攻撃で巻き込んでいない敵をも大きく吹き飛ばす。広く周囲攻撃。 ジャンプ攻撃 細剣を横に振るう。 ジャンプチャージ 細剣で地面を突く。 騎乗攻撃 標準的な性能(通常攻撃が速い彼にとっては遅く感じるが。)だが、特殊技が解除されるという致命的な欠点がある。(II)(E)4-II以降は彼のみ馬上でも特殊技が有効になるよう修正された。 R1~3 右側を斬る。 R4~7 同上。 R8 高速の三連突き。 RC2 打ち上げ技。 RC3 強く串刺し。気絶効果あり。 RC4 氷塊を発生させる。 無双奥義 無双奥義(前半) C4と同じモーションで移動しながら攻撃。 無双奥義(後半) 「これで終わりだ!」氷塊を前方地面から5回発生させて攻撃。 無双秘奥義 前半の移動攻撃回数が増加。紅蓮属性も追加。 無双奥義・皆伝 「くたばり損ないが!……消えて無くなれ!」その場で飛び上がって前方広範囲に氷塊を無数に飛ばした後、〆にこれまた広範囲に氷塊を発生させる。手数も多く威力も高いが、開始時に高虎の目の前にいる敵には当たりづらいため、少し距離を空けると良い。 特殊技 「とくと見よ!」無双奥義を発動可能な時、全ての攻撃に凍牙属性が付く。また、説明には無いがその他の武器の属性も全ての攻撃に付与される、凶悪なバランスブレイカー。このため、武器の余った技能枠には属性を入れられるだけ入れておくとよい。場合によっては連打ゲーになる。 影技 高速で突進する。 殺陣 C6のように氷を伴って突いた後に真空波を3回飛ばし、後ろに跳びながらもう1回、さらに〆の一突きをおみまいする。 無双極意 「失せろぉ!」全ての攻撃に凍牙属性が付く。 武将解説・性能考察 武将解説 幾度も主君を変え世渡りしたことで知られる武将。 また、築城の名手として知られ、よく清正と比べられる。伊勢津藩初代藩主。 近江国の没落した武家に生まれ、農民と殆ど変わらない生活をしていたが、 足軽として浅井長政に仕えて以降、武功を重ねた。 幾度も君主を変え、己の実力のみで大名にまで昇りつめた叩き上げの猛者であり、 豊臣秀吉に負けず劣らずの立身出世を果たした苦労人。 江戸幕府下では外様大名でありながら、要所尾張の隣国・伊勢津藩を任され、譜代大名さながらに重用された。 戦国無双シリーズでは、真田幸村と対を成すキャラとして『Chronicle 2nd』より参戦。 はじめは幸村同様死をも厭わなかったが、長政とお市に諭されて以降、 幸村とは対照的に生きて忠を尽くすようになる。 己のため手段を選ばない冷徹な切れ者として描かれる一方、君主や友への熱い思いを心の奥底に持つ人物。 特に没落の身から取り立ててもらった長政への忠節は絶対的で、長政の死後も長政との夢を追い続ける。 生死への価値観のほか、彼を象徴する道具である「三尺手拭」もお市から授かったもの(*1)であり、 高虎のルーツはすべて浅井家にあるといった描写がシリーズを通じてなされている。 なお、戦国無双4における彼にはコーエー独自の設定・解釈が多い。 大谷吉継の墓を建てたのは事実だが、史実では浅井家からの同僚ではなく、特別仲が良かった訳ではない。同じ近江出身であることや墓のエピソードを拡大解釈したのだろう。 小牧長久手の戦いの時点で既に家康に仕え大谷吉継と敵対しているが、史実では羽柴軍として家康と敵対しており、秀吉が没したあと家康に仕えている。本作では本来の主君・豊臣秀長(秀吉の実弟)との描写が全くないため、少し誤解を招きかねない場面があるのに注意(*2)。 (II)4-IIでは「忠節の章」の主人公として活躍。 通常版では大谷との関係ばかりが取り沙汰されたが、今回は長政亡き後の放浪時代が主に描かれる。 信長の甥である津田信澄や、彼の本来の主君というべき秀吉の実弟・豊臣秀長との描写が一気に増え、 これに伴い、通常版の史実とは離れた設定の多くが修正される運びとなった。 (E)Empiresでの扱いは史実通りだが、彼が浅井家時代のシナリオは基本シナリオには存在せず、 関ヶ原以降は独立大名へと出世する。 このため、全体的に家臣としては豊臣家時代に活躍するため、その印象も強くなる。 戦闘力は安定して高いため、どの状態でも活躍可能なのは強みである。 政略面では、やはり築城家だけあり采配7と全城普請が優秀。 智謀8と炮烙兵急襲・弐も即戦力になる内容であり、立身出世や忠臣扱いも余裕の域であろう。 人間関係では、彼の旧主であり恩人でもある豊臣秀長が固有武将に昇格。 正室の久芳院も姫武将となった。 また、4-IIで扱われたお市や加藤清正(彼とは東軍繋がりでもある)との関係や、 石田三成への特別会話も追加。 関係の補強により、通常版における特殊な創作関係が幾分か薄められている。 「ほざくな! 貴様の意地が 奴らを殺したのだ。貴様の意地が茶々様を…」 (S)真田丸では、ヒロインの茶々が浅井家の出だけあり、 自軍側、敵軍側の双方を転々としつつも長期に亘って出番がある。 とは言え、史実通りに秀長没後は徳川方に移るため、互いの扱いに難儀する場面が目立つ。 また、大坂の陣では伊達政宗と並び、東軍・幕府軍の両翼として幸村と対峙。 本来のダークヒーロー・裏の幸村というべき立場が色濃く描かれている。 尤も、そのために重氏や内記の仇としての「汚名」も得てしまったが。 性能考察 今作では攻撃のスピードが2倍近くの速さになり、通常攻撃の振りが早さが特徴的となった。 通常攻撃が多段攻撃のような速さなので、通常攻撃→影技のループで十分通用する。 振りが早すぎてチャージ攻撃が出しにくいが、チャージはC4・C6・C7・C9が主力。 間接攻撃に近い神速攻撃も、雑兵掃討の戦力になる。 それ以上に重要なのは、主君の長政譲りの強力な特殊技。 凍牙属性が固定で発揮されるのみならず、他の属性も発揮されるという凄まじい内容。 属性が揃った武器一つで、連打ゲーになるほどの潜在能力を秘めた武将と言える。 武器データ 基本性能 武器名 攻撃力 備考 大兼光 35 (N)凍刃月讀 124(44) 猛攻4 勇猛5 神撃5 迅閃5 闘魂4 凍牙5 収集4 克己5攻撃技能の充実ぶりの他、凍牙があるため特殊技が順調に強化される。収集Lv4で稼ぎもそれなりに出来る。 (N)雹神興雲龍王 144(44) 猛攻5 破天4 真髄4 堅忍5 閃光5 凍牙5 快進5 克己5快進で無双ゲージを回収し、閃光と修羅家宝の特殊技で突撃すべし。鍔の部分に大きく六花をあしらった、ネタ色の濃い武器である。 (II)凍刃月讀・凍牙 93(44) 凍牙86 金剛81 体力84 攻撃87 敏捷81 無双増加78 攻撃範囲80 間接攻撃76修羅以外の必要技能は揃っており、凍牙と金剛の効果で防御面にも優れる。攻撃速度がないのは残念だが、他のキャラよりはフォローが利く。 (II)雹神興雲龍王・閃光 93(44) 閃光59 紅蓮55 体力62 防御63 練技増加61 攻撃速度60 間接攻撃55 運64凍牙が無い時点で実用には厳しいが、運と攻撃速度があるため回収作業には向く。 (II)雹神興雲龍王・凍牙 93(44) 凍牙99 烈空85 体力84 攻撃91 防御88 練技増加81 攻撃範囲82 間接攻撃86凍牙カンストを始め総合力に秀でるが、他の属性は烈空しかないので特殊技との不整合は否めない。高虎も、双剣エディットと同じく属性完備の汎用レア強化を主眼としたい。 (S)大兼光 15~35 (S)凍刃月讀 265(44) 凍牙88 金剛81 攻撃強化87 攻撃範囲80 間接攻撃78 神撃86 真髄86 迅閃83全体的に、重要技能の抜けが目立つ印象。4-II時代同様、強力な武器を鍛工した方がよい。 (S)雹神興雲龍王 272(44) 閃光91 紅蓮84 攻撃強化90 攻撃速度85 間接攻撃84 勇猛87 心眼83 明鏡89攻撃速度こそ増えたが、閃光と心眼の相性が良くないほか、肝心の凍牙すらない。作中の活躍とは対照的に、武器面では不遇である。 名称等の説明・故事来歴 大兼光 クロニクル2nd(初登場)からの高虎の武器の名前。 大兼光は実在する刀・備前長船兼光(直江兼続の愛刀とは別)の別名で元々は秀吉の所有物であったが、 秀吉の死後に藤堂高虎へ譲られ、さらに高虎から徳川家に伝えられたとされる。 凍刃月讀 日本神話に登場する神・月讀命(ツクヨミ)から。 月讀命は伊坐那岐(イザナギ)によって生み出された神の一柱で、天照大神の弟、素戔嗚尊の兄といわれる。 ただし、男性神か女性神かは議論が分かれている。 また、その役割についても、月を神格化した神とする説の他、歴を司るとする説、時を司るとする説など意見が分かれている。 真田幸村のレア武器名が「炎槍素戔嗚」であることからも、武器名も彼と関連する対照的なものとなっているのが分かる。 雹神興雲龍王 「雹神」は日本ではこう呼ばれる神はいないが、中国の伝説に雹神(ハクシン)という名の雹を降らせる神が登場する。 「興雲」は雲が沸きたつさま。 「龍王」は龍や龍神の別呼称で、由来としては仏教の八大龍王や道教の四海龍王などが考えられる。 ちなみに、龍が現れる時には雲が沸きたったり嵐が巻き起こったりすると言われ、雹が降る際も当然雲が沸き起こっているので、 「雹神」「興雲」「龍王」はそれぞれが関連している名前であるといえる。 技能考察 技能名 相性 備考 猛攻 ◎ まぁ基本だな。手数の多い俺にはさらに重要になる。家康「高虎やわしのような通常攻撃タイプは攻撃力に依存するゆえにな。」 風撃 ◎ 振りの速い俺の通常攻撃と相性がいい。C9の剣の部分にもしっかりと乗るぞ。 勇猛 ○ 集団戦向けな俺の性能には合いそうだな。だが、そこまで優先するものでもなさそうだ。 波撃 ◎ 氷塊を使った攻撃は扱いやすい攻撃が多い。これを付ければ、さらに功を重ねられそうだ。 神撃 ○ 無双奥義はやや扱いにくい。皆伝の威力が上がるのはいいかも知れんがな。 破天 △ 通常攻撃主体なら浮かせ続けやすいが…属性を考えれば優先するほどでもないだろう。 迅閃 ○ 神速攻撃の性能の良さも考えると、高難度になればなるほど便利だろうな。 明鏡 ○ 出来れば克己と共につけたいところだ。それ以外なら優先する必要はなさそうだぞ。 真髄 ○ 明鏡と同じだ。克己と共につけ、俺の力を見せてやる! 怒髪 ◎ 属性の乗った特殊技は俺の生命線。ゲージは一刻も早く回収しないとな。 堅守 ○ あればいいだろうが、なくて困ることもなさそうだぞ。 不動 ○ 後ろ側が隙になりやすい俺のチャージ攻撃とは好相性だ。 滅流 × 吉継「高虎。これで敵の流れを止めろ」いや、吉継、お前は敵が属性攻撃をしてきたところを見たことがあるのか…? 波断 △ その場に留まって攻撃するチャージが多いのでな。だが長射程のチャージ攻撃もあるからそれほど優先することもないだろう。 堅忍 ◎ これは高難度ほど光る属性だな。確実に耐えて仕留めてやる! 不抜 × 生きて忠を尽くすのが武士のあるべき姿だ。簡単に死ぬような立ち回りをするんじゃない。 背水 × 闘志 △ お前の戦い方に合わせ、敵の攻撃をどう回避するか考えるといい。 闘魂 △ 再臨 ○ 潔く死ぬわけにはいかないからな。とはいえ追い詰められるような立ち回りは避けたいところだ。 俊敏 ○ 特殊技は馬上では使えんのでな。長政「某と事情は一緒だな!」 破竹 ◎ 神速攻撃との相性がとてもいいな。この俺を簡単に破れると思うなよ!秀長「戦いつつ回復もできる。正に一石二鳥だな!」 快進 ○ 同じく相性はいいが、破竹の方を優先すべきだ。 覚醒 △ くっ……微妙だな。あって困ることはないのだが…… 騎戦 × 忠勝殿のように有用な騎乗攻撃を持っていないものでな。 練騎 × 手ぬぐいを馬鹿にされること以上に、この技能の存在に腹が立つ……! 薬活 ○ 携帯道具に乗るため、味方の敗走を防ぐという意味では心強いだろう。 騎神 ◎ ちょっとした移動の時に、錬技を回復できるのはかなり便利だ。 霊験 ○ 持っている道具や家宝次第だな。克己と共にあれば、それに越したことはないが。 克己 ◎ 功を重ねるに打ってつけの技能と言えるだろう。これで終わりだ! 属性技能については、属性の頁を参照。 回収用技能四種は全員同一の効果なので割愛。 (II)技能盤 特徴 備考 横菱・八分型 開始位置は上。 衣装 名称 入手方法 備考・特徴 通常衣装 初期搭載 戦国無双4 (E)追加衣装 DLC 浴衣。 コメント欄 この掲示板はツリー方式です。レスをする時は、レスをしたい記事の先頭をクリックして選択してから書き込んで下さい。 それをしないとツリー表示されず、新規投稿になってしまいます。他の人が不快になる様な投稿は控えましょう。質問は質問掲示板で行いましょう。 C4で牽制してからのC7狙いかな。氷で安全圏から牽制できるからどういう戦い方しても有利に進められるくらいには強いキャラかと。 - 名無しさん 2016-11-10 00 24 13 真田丸では一貫してヒール役に徹してたように見える。夏の陣でのセリフを聞く感じ、高虎は高虎で結構つらい思いしてたんだろうなぁって思う - 名無しさん 2017-02-24 00 01 02 武器集めのために武将のレベル上げしてる時に触ってみたが強すぎる。これはバランスブレイカーと言われても仕方ないね。 - 名無しさん 2017-04-09 05 44 48 九州攻めで急に博打について語りだすのは、史実がもとになってるんだね。こういうの好きだわ。 - 名無しさん 2017-08-15 22 31 10 ほんとは小谷陥落前に織田についてるっていうね - 名無しさん (2021-02-06 03 03 35) 名前 全てのコメントを見る
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登録日:2016/10/28 Fri 08 03 46 更新日:2023/06/11 Sun 14 30 22NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 ギリシャ神話 コレー ハデス ハデスの嫁 プロセルピナ ペルセポネ ヨモツヘグイ 三相女神 乙女 冥っ子 冥府 冥府の女王 冥界 四季 地母神 娘 柘榴 死と再生 水仙 ■ペルセポネ 「ペルセポネ」は、ギリシャ神話に登場する女神。 冥府の女王として知られている。 象徴は水仙、柘榴、蝙蝠。 一般的には主神ゼウスと大地母神デメテルの娘だが、ギリシャ神話が確立する以前の神話ではポセイドンとデメテルの娘ともされていた。 「コレー(乙女)」という名前で呼ばれることもあり、冥府の女王として冥府にいる時の彼女を「ペルセポネ」、地上に戻っている時の彼女を「コレー」とそれぞれ呼ぶという説明も残る。 なおローマ神話では「プロセルピナ」と呼ばれ、春をもたらす農耕の女神として扱われている。 「ゼウスの娘の中で最も高貴」とまでゼウス自身に評される程に強大で有力な神性ではあるが、夫のハデスと同様に、死を忌避する古代宗教の観点からかオリュンポス十二神には数えられていない。 反面、母のデメテルと共に女神の死と再生に纏わる「エリウシス密儀」の主神としても知られており、 古代オリエントから伝播したと考えられる大地の女神の暗黒面を示す神性の一側面であると分析されている。 ※「エリウシス密儀」等の詳細に関しては“デメテル”の項目を参照。 【出自】 前述の様に父神はゼウス、母神はデメテル。 ギリシャ神話では色々と神話を纏めたり、面白おかしく信仰上の縁起が脚色されたりした結果、 デメテルがゼウスの姉とされているために姉弟相姦で生まれた娘となってしまっている。 ……一応解説すると、これはギリシャ神話が統一の後に大神ゼウスを中心に神系譜が再構築されていった事実を示しており、 ギリシャの支配に伴い迎え入れられた新たなる秩序(ゼウス)の下にアッティカの有力な氏神であったデメテルが組み入れられた事を意味している。 現在知られているギリシャの信仰の基本となっている「神統記」あたりだと“伏床に入り”と、女神との聖婚を伝える慎ましい描写となっているが、 後の下世話な脚色をされたギリシャ神話だと、姉(妹)の豊満な肢体に欲情したゼウスにレ○プされた事にされた。 ゼ「なんでや!?」 なお、ペルセポネはデメテルの娘とされているが、神話研究の場では“同じ女神の別の名前”とも考えられている。 これは、ギリシャではデメテルに至る古代オリエントから続く大地母神の神話の系譜がペルセポネにも見られるためで、この事からデメテル信仰から零れ落ちた属性が娘神のペルセポネとして分けられたと推察できるからである。 「神統記」以後のギリシャ神話成立以前の古代ギリシャの神話では、ポセイドンとデメテルの娘であるデスポイナとも同一視されていたが、これも上記と同じ理由で以前にはポセイドンが同地の主神の地位にある神だったから。 つまり、ギリシャ神話に於けるポセイドンはゼウスの支配の確立に伴い多くの属性を奪われた“閑な神”(*1)だったと言える。 天界のNo.2とされつつも妙に海皇様がdisられている印象があるのも、そんなところから来ているのかもしれない。 因みに、ポセイドンにもデメテルを○イプしたとされる神話がある。しかもお互いに馬に化けた状態で。 その辺の神話についても当人達の項目にどうぞ。 【ペルセポネ神話】 ペルセポネに纏わる神話として特に有名なのが、ギリシャに於ける四季の誕生と絡めて伝えられる、冥府の王ハデスとの婚姻の神話である。 例のごとく、神話によって面白おかしく脚色されてしまっているが大筋は以下の通り。 ある日の事、ゼウスは弟である冥府の王ハデスからコレー(ペルセポネ)を見初めたので花嫁として戴きたい、との相談を受ける。(*2) 建前上は三界の統治を分けあったとはいえ、特に貧乏クジを引かされてしまったといえる兄弟神の相談を受け、 ゼウスは母親であるデメテルに婚姻を赦して貰えるかどうか伺いを立てにいく……が、娘絶対溺愛するウーマンたる彼女には素気無く断られてしまう。 血肉を分けあった肉親同士の子供を叔父が欲しがっている異常を止めようとした訳ではなく、 単に娘と別れるのを嫌がったからとか、ハデスが暗い冥府の神だったから……と語られる場合が多い。 デメテルに断られて困ったゼウスは、コレーが母親から離れたところをハデスに拐わせるという一計を案じる。 なお、誘拐はゼウスの提案という説もあれば、痺れを切らしたハデスが独断で行ったとする説もあるが、 後述のように天の理であるゼウスが略奪を認めてしまっているので、どちらにせよ同罪である。 そして、決行の日。 ニンフ達と共に花摘に出掛けていたコレーは、一際美しい水仙の花を見つけて近寄ったが、これこそが冥府の王の罠だった。 突如として黒い馬(黄金の戦車とも)に乗り大地を割って出現したハデスは、そのままコレーを拐って冥府へと連れ去ってしまったのだ。 さて、一瞬のうちに姿が見えなくなったコレーの行方をデメテルは聞いて回るが、余りに一瞬すぎて誰も目撃していなかった。 彼女は次に月と暗闇の女神ヘカテーを頼り、その松明を手に暗闇の片隅まで探すが、娘の行方は杳として掴めなかった。 このまま完全犯罪成立か……と思われていた所に、ヘカテーは「かくなる上は太陽神ヘリオスに訊ねましょう」と助言する。 はたせるかな本物の太陽神ヘリオスは白昼堂々行われた誘拐劇を目の当たりにしており、デメテルの詰問に応じて見たままのことを伝えた。 ハデスが娘を拐った事を知ったデメテルは、日(ヘリオス)と月(ヘカテー)を伴いゼウスに抗議に行く。 これに関しては、誘拐がゼウスの差し金だと看破していた説の他にも、ヘリオスに告げ口された説、当のハデス以外には冥府に力が届く神が最高神くらいしかいないため、直々に罰を与えてもらおうとした説などなどがある。 しかし、前述の様にゼウスはこれを却下したばかりか、「冥府の王たるハデスなら夫として不足はあるまい?」として開き直り懐柔にかかる。 これにショックを受けたデメテルはゼウスの決定を覆せないならと、腹いせに大地の女神としての仕事を放棄してオリュンポスから去ってしまう。 彼女が消えた事により、光は届かなくなり、水が弱まり、生気が枯れた大地からは実りも消えてしまう。 流石に焦ったゼウスは、いつもの様に伝令にヘルメスを立てると、地の果てで老婆に姿を変えて隠遁していたデメテルの説得にかかるが、 彼女は「娘を戻さなければ人間なんかどうなってもいい」とまで言うではないか。 人間からの貢ぎ物が無ければ神も困る、と云うことで、ゼウスは今度はヘルメスを冥府に送り、ハデスに事情を話してコレーを戻すように命じる。 そもそもゼウスの提案でコレーを誘拐したのに今更地上に戻せ、とは矛盾もここに極まれりというほかない。 だが、さしものハデスも最高神の決定は覆せないため、渋々その命令に従うしかなかった。 しかし、ここで彼は一計を案じ、コレーに地上に帰る前に冥府の果物である柘榴を一口でも食べていくように薦める。 これまで丁重にもてなされつつも、そもそも望んで冥府に来たわけではないこともあって頑なにハデスの誘いを断っていたコレーだが、地上に戻して貰えるという気の緩みや空腹もあってか、柘榴を一かじりしてしまった(*3)。 だが、冥府の食べ物を口にしてしまった者は、その分だけ冥府の住人になってしまう。(*4) 地上に戻った娘を喜んで迎えにいったデメテルだが、そこで娘が柘榴を4粒(*5)食べていた事を知る。 こうして、コレーは地上に戻ることはできたものの、柘榴の実を食べた分の期間だけは冥府に入り、その間はハデスの妃である「ペルセポネ」として過ごす事になってしまった。 そして、コレーが「ペルセポネ」となっている間は、デメテルは隠遁していた時のように豊穣の女神の仕事を投げ出して嘆き悲しむため、作物などは実らなくなり、これが“冬”の始まりとなった……という。(*6) ちなみに、拐われてからしばらくの間はハデスを拒絶していたペルセポネだが、婚姻を受け入れてからは仲の良い夫婦となり、 彼女の冥府の女王としての威厳を伝える神話や、後述のように夫に独占欲を見せる逸話も伝わっている。……神って。 ※余談だが、この時のデメテルが嘆き悲しむ様子を星座にしたのが乙女座。 なんでコレー(乙女)が居るのに母親の方、と思わないでもないが、母娘が元は一人の女神であると言われている事も関係しているのかもしれない。 【その他の神話】 ペルセポネに纏わる他の神話として有名なのが、ニンフのメントーに纏わる神話と悲劇の美少年アドニスに纏わる神話である。 メントーの悲劇に関してよく知られているのは、ハデスが地上に棲むニンフであるメントーに懸想して、 これに嫉妬したペルセポネがメントーを打ちのめした上に香草であるミントに変えてしまったという神話である。 ……一方、神話の順番が入れ替わっている場合もあり、元々は冥府を流れるコキュートスのニンフであるメントーこそがハデスの愛人で、そこに妻としてやって来たペルセポネをメントーが罵った事でペルセポネ、またはその母親であるデメテルの怒りを買い、ミントに変えられてしまったというパターンも伝えられる。 此方のパターンはデメテル母娘の悲劇性が薄れるためか、あまり採用されていない印象である。 ハ「そんなに僕を悪役にしたいのか……」 また、前述のように婚姻してからは夫となったハデスを慕っているペルセポネだが、珍しく浮気心を出した事もあり、 その相手がアフロディテと取り合った、アッシリア王女スミュルナが父王との不貞の末に生んだ美少年アドニスである。 アドニスに関してはアフロディテの項目に詳しい。 この神話では、二人の女神の美少年の所有を巡る争いを見かねたゼウスが仲裁に入り、一年の1/3ずつをペルセポネとアフロディテが分け、残りの1/3をアドニスの自由にさせる事を決定しているが、 嫉妬したハデス、またはアレスが大猪に化身してアドニスを襲い殺してしまったと云う。 この時にアドニスが流した血がアネモネの花になり、 嘆き悲しむアフロディテが溢した涙が薔薇を紅く染めて、薔薇は赤い花も咲かせるようになった……とも語られている。 何となくペルセポネ神話に似ているのも当然で、デメテル母娘の四季の神話と同様に、この神話も古代メソポタミアで誕生してギリシャにも伝わった“冥府下り”神話のパターンの一つと分析されているからである。 ちなみに、実はアフロディテもまたデメテル母娘と同じ起源を持つ女神と考えられている。 こうしたルーツが上記のアドニスに纏わる神話やセイレーンの異聞(*7)へと繋がったとも考えられる。 この他、冥府の女王としての仕事ぶりを伝える神話として、プシュケーやシーシュポスを冥府で助けた話や、ディオニュソスの母であるセメレを救い出した神話に於いて名前が登場する場合がある。 【余談】 項目の通り、ペルセポネとはこの女神の冥府による呼び名であるが名の意味には諸説がある。 冥府の女王らしく「光を破壊する者」や「破壊する者」。 それとは逆に「目も眩む光」とする記述もある。 追記・修正はヨモツヘグイしてからお願いします、 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 所詮ギリシアの女神か -- 名無しさん (2016-10-28 09 19 53) ハデスを尻に敷く話はないのか? -- 名無しさん (2016-10-28 10 44 43) ギリシャ女神の中では、ヘスティアさんに続き、常識神な印象......。アフロディテとかヘラさんがアレなせいなのもあって、相対的に見えるだけかもしれないけど。 -- 名無しさん (2016-10-28 10 59 55) 聖闘士星矢に出てきたら夫であるハーデスを盲信するだけの悪役女キャラとして出てきそうだ(パンドラがそれっぽいけど)。 -- 名無しさん (2016-10-28 17 20 26) pixivなどでは、箱入り乙女的な外見に書かれていることが多い。パズドラでは、巨乳で黒髪のお姉さんだったけど。 -- 名無しさん (2016-10-28 17 25 54) なんだかんだ冥府のナンバー2というポジション -- 名無しさん (2016-10-28 17 52 49) 結婚までのプロセスはギリシャ神話だけど、夫婦仲の良さを見る限り、幸せな結婚だったのかなと思う、ほかと比べて浮気しないし、真面目だし、愛妻家だし......。デメテル母ちゃんが拗ねてそうだけどさ。ヘラさんは無言になってそうだけどさ。 -- 名無しさん (2016-10-28 18 04 06) とりあえず、ハデスさん本当につくづく貧乏くじだよなぁ… -- 名無しさん (2016-10-28 20 06 33) ↑ペルセポネがハデスちゃん大好きになっても冬のせいで死者の数増えるっぽいから、折角会えたのに仕事増えるからなあ…まあ長兄の運命とも言えるかもしれない。ゼウスとポセイドンだと冥府収まらんし -- 名無しさん (2016-10-28 20 12 30) ↑ハデス夫妻は冥府が賑わうと嬉しいらしいからいいじゃない。 -- 名無しさん (2016-10-28 20 57 35) カンピオーネって作品だと春と冬を司り回復能力と猛吹雪、冥府落としが使えたりする -- 名無しさん (2016-10-28 22 30 04) ↑3 むしろ、アスクレピオスの医療の腕が高すぎてハデス「冥界に人が来なさすぎてヤバい」ってゼウスに相談してたレベルだし、仕事が増えるのはむしろ割と歓迎するんじゃないかな -- 名無しさん (2016-10-28 23 00 17) ↑実際生き物が一定のバランスで生まれて死なないとバランスが悪くなるよね、食糧事情とか高齢化社会とか。トロイア戦争も実は増えすぎた人間を減らすためにゼウスが計画した説もあるし -- 名無しさん (2016-10-29 00 03 41) メガテンだと美人だが真ん中からバックリ割れてる -- 名無しさん (2016-10-29 00 27 47) 近代の創作においては大抵は物憂げだったり物静かな少女~女性の姿で描かれる(ある意味悲劇のヒロインなので) ただし、場所によっては鉄拳女番長になったりする場合も -- 名無しさん (2016-10-30 23 01 40) 冬の間は冥界にいるって制度は傍から見ればひどいかもしれないけど、ペルセポネ自身からすれば大好きなお母さんと愛する夫といるだけだから何のデメリットもない制度なんだよな。ちなみにペルセポネという名前はハデスから贈られたもの -- (2016-11-12 21 41 55) ギリシャ神話解説漫画ではハデスに対してツンデレになってた -- 名無しさん (2016-11-12 22 08 46) アドニスのエピソード、ハデス主犯説採用すると死ぬと冥府来ちゃうからむしろ嫁のために殺したことになってしまうしなあ。そしてハデスは死を早める方にルールを捻じ曲げた事例はないと。やっぱ考えにくいわな。 -- 名無しさん (2020-05-30 22 18 04) 夫婦仲はいいが、冥界は死後の世界なのでどんなに夫婦仲がよくてもお盛んでも絶対に子どもは作れないという呪われた定めにある -- 名無しさん (2021-06-11 19 47 38) 冥府はヘルメス様以外はなかなか会いに行けないからデメテル様もあせったのだろう。 -- 名無しさん (2021-12-10 11 53 12) ゴッド・オブ・ウォーやアサシンクリードオデッセイなどの洋ゲーでは大人の事情に振り回され続けた憎しみと鬱憤から大暴走する英国王室みたいなキャラとして描かれている。 というか、「勝手に結婚させられたけど、旦那は良い人だしいっか」みたいな物分かりの良すぎる女性キャラとしての解釈はむしろ日本的で浮いてる。 -- 名無しさん (2022-10-28 06 43 52) ↑日本だと昔なら親が全部決めました結婚式で初めて相手の顔見ましたは珍しくなかったからね。でもギリシャ神話の女神と考えると気性が激しくてもおかしくないのか… -- 名無しさん (2022-10-28 07 05 51) 配偶者運はトップクラスにいい女神 -- 名無しさん (2022-11-18 03 44 06) ハデス様が見初められた女神なのでとても「イイ女」なんだろう。 -- 名無しさん (2022-12-07 21 12 40) 名前 コメント
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登録日:2015/11/22 Sun 10 54 57 更新日:2023/12/18 Mon 20 18 50NEW! 所要時間:約 12 分で読めます ▽タグ一覧 そっくりさんだらけ アッカド アニヲタ悪魔シリーズ アニヲタ神様シリーズ ウガリット ウガリット神話 シュメール バアル バビロニア バビロン ベル ベルゼブブ メソポタミア神話 全能神 堕とされた神 天空神 嵐神 悪魔 神 雷神 風評被害 魔王 「バアル」或いは「ベル」は古代オリエントに於ける最高位の神格。 古くからシュメールで信仰されていたと思しき神性が後にメソポタミアの支配者となったセム語系民族(*1)の信仰に組み込まれていったと考えられている(*2)。 元来はセム系言語で「王」や「主」を指す一般名詞であり、シュメール-アッカド神話を継承したバビロニアの主神マルドゥクも「ベル」の名で呼ばれている(*3)。 狭義では古代カナン(*4)に根付いていたウガリット神話の主神。 同地に侵入した海洋民族ペリシテ人の信仰にも取り入れられていたりする等、広い地域での信仰を獲得していた。 バアルの名は聖書にも登場するが、長らくキリスト教社会では旧世界の記憶として忘れ去られていた(*5)。 ウガリット神話の実態や、既に知られていたエジプトやギリシャ神話との関連性が明らかになって来たのはシリア北部で粘土版が発見された20世紀以降(*6)である。 これにより、同地域で発生したユダヤ教や、以降の一神教の展開の系譜も更に詳細となっていった。 地域毎に多少の違いがあり、土着の神話と習合して変化もしているが多くは天候を支配する天空神にして、雷を操る英雄神とされる。 農耕民族の場合は自然神の要素が加わる場合もあり、これらの要素は民族や地域により主神とは別の神に属性が分散されている場合もある。 これらの神話の伝播、累計神話は世界中に見られるが、ここではバビロニアとウガリット神話での概要を記す。 ※異説も多いのであくまでも一例です。 バビロニア ■マルドゥク(ベル) バビロニアの最高神。 シュメールから引き継がれた翻訳増補編集版「ギルガメシュ叙事詩」と並ぶバビロニア文学「エヌマ・エリシュ(*7)」にて語られる創造神にして英雄神。 かの「ハムラビ法典」はマルドゥクから下賜されたと記述されている。 DQN気質の祖父(天空神アヌ)と父(創造神エア)が調子に乗って騒ぎ回った挙げ句(?)に自分達を生んだ原初の二柱の神(*8)に戦いを挑もうと企てた。 それにキレた男神のアプスー(淡水)は制裁を加えようとするが、もう一柱にして妻である女神ティアマト(海水)は夫を諫め、アプスーもそれに従ったことから子等との戦いは回避されたかに見えた。 しかし、全知の神でもあるエアは耳聡くそれを知ると、隙を突いてアプスーを殺害してしまった。 アプスーの持つ主神の証たる「恐るべき光輝」を剥ぎ取り、自らが水の神(創造神)として妻のダムキナと共にアプスーの淡水に移ると、そこで息子マルドゥクを得たと云う。 続いてエアの快挙に調子に乗った神々は、母であるティアマトにも攻撃を開始。 これには流石のティアマトも怒り(そりゃそうだ)、自らの身を恐ろしい怪物に変えると共に七頭蛇、凶暴竜、毒蛇、炎竜、頭蠍尾獣、海の怪物、狂獅子、蠍人間、嵐の魔物、獣人、魚人間…と云った異形の怪物を生み出し、息子にして二番目の夫ともされるキングーなる神を司令官に据えて神々との戦いに挑んだ。 怒り狂う大海の化身たる母神の余りの迫力には仕掛けた側である神々も怯え、逃げ惑うばかりであったが、唯一人マルドゥクのみはティアマトの軍勢に立ち向かい、最終的には原初の母であるティアマトを殺して身を二つに引き裂いた(*9)。 その肉体により天地が創られ、余ったパーツで世界を構成する月や太陽、川や霧が創られたのだと云う。 この後、新たな世界で生きる神々の代役にして奉仕種族たる人間も創造されたが、その素材は主犯キングーの血液であり、それ故に人間は生まれながらに罪を抱えているのだとも云う。 この原罪の思想は後のキリスト教にまで共通して引き継がれていった。 尚、バビロニア(神々の門)とはマルドゥクの統治する王国の意である。 マルドゥクは古くからシュメールにも存在したとされる神ではあるが、元々はバビロンの都市の守護神に過ぎず、それがバビロンの隆盛と共に創世神話が上書きされて最高神にまで上り詰めたらしい(*10)。 アッカド神話は多少の名称の違いやアレンジこそあるものの基本的な構造はシュメールと共通している。 マルドゥク(或いはエンリル)は後の支配民族であるアッシリア人にも信仰されたらしく、その威勢は後の旧約聖書「エレミヤ書」で呪詛の様な文言を吐かれている事からも窺える。 【関連する神性】 ■アプスー ■ティアマト 各々、淡水と海水の意であり、原典にはそうした記述は見られないものの、現代では共に龍神として扱われたりする。 アプスーは川や地下水、ティアマトは海の象徴。 水源は降雨量の少ない砂漠の地域では生命の源であり、それ故に古代オリエントでは水が生命の象徴として扱われている。 水源の神の要素は、後の地母神の系譜の女神の属性としても組み込まれていった。 ■アン(アヌ) 天の神。 一応は最高神だが、遡ったシュメールですら記録に残っている段階では既に「閑な神」と成り果てていた。 ■エンリル(エッリル) 大気の神。 当時の最高神。 属性の多くはマルドゥクに引き継がれた。 「ギルガメシュ叙事詩」では特に理由も無く洪水を起こして世界を滅亡させた事で知られる。 西セム語系文化=地中海東岸地域の主神バアルと同一の神と見なされている模様。 ■エンキ(エア) 淡水の神。 故に創造の神でもある。 両肩からチグリス、ユーフラテス川が生じている姿で描かれている。 シュメールでは彼がアブズー(淡水、深淵)と呼ばれている。 洪水神話でウトナピシュティムを助けた事から人間に優しい神とされる一方、神としては眉を顰める様な神話も残る。 ■ドゥムジ(タンムズ) イナンナの夫とも愛人ともされる羊飼い。 元来は植物神であり、アッカドのタンムズの姿の方が原型に近いと思われる。 ウガリットではバアルの属性に組み込まれ、ギリシャ神話では美少年アドニスの神話の原型になった。 ウガリット ■バアル(ハダド) 古代カナン(地中海東岸)の主神。 創造神エルの息子であり、彼から主権を与えられた(奪った)若き王にして稲妻を操る英雄神。 豊穣を司る雨神、植物神でもあり、アナトとの関係を含めてシュメールのドゥムジと共通する要素も持つ。 同じくエルの息子である竜神ヤムや死の神モト、挙げ句には父神の筈のエル自身との対立が語られているが、これは元来は他地域(シュメール)の神であったバアルが信仰に入る中で生じた民族や、階級間の対立と混乱が反映されているのでは?と見られている。 古代オリエント(小アジア~エジプト)には同様の特徴を持つ神性が非常に多く、ギリシャや北欧…etc.にも影響が見られる。 バアルとはセム系言語で「王」を指す一般名詞であり、固有の神名としてはハダド(雷鳴)の名があるが、バアルの名が広まり過ぎたのか余り知られてはいなかった。 この名は、矢張りアッカド神話に見られる雷神アダドと同じである。 バアルは後のユダヤ/キリスト教では悪魔(ベルゼブブ、バエル…etc.)の名として伝えられているが、これはユダヤの信仰する「神」の出自が関係しているのかも知れない。 他地域にも伝わったと考えられているシュメール系神話には大河の氾濫を描いた洪水神話、自然災害の象徴たる悪竜退治、冥府下りと不作の時期の到来、死からの再生、英雄神への鍛冶神からの武器の譲渡…etc.の神話がある。 海の民ペリシテ人の信仰でも主神格として迎え入れられており、彼らの信奉するダゴン(植物神、或いは水神)の息子とされている。 「ダガン(穀物)の息子」はウガリットでもそう称されており、バアルが外来神である事を暗に示され続けていたとも考えられている。 【関連する神性】 ■エール(イルウ) 粘土版文書に見られるウガリット神話の父神。 バアルの父神とされる。名はセム系言語で「神」を指し、語源は失伝しているが「上」や「力」を意味していたと予想されている。 ウガリット神話内では偉大なる最高神である一方、バアルを素直に認めず兄弟喧嘩をけしかける黒幕としても書かれる。ギリシア神話だと地母神ガイアのような立ち位置だろうか。 バアルが死んだ際には豊穣神の死によって生じた荒れた大地や乾いた渓流を見て驚愕し、バアルを殺すべきではなかったと反省するようになる。 その他アナトに脅迫され渋々人間の王子アクハトの殺害を許したり、二人の女に『夜明け』と『夕暮れ』を孕ませたり等の神話が残っている。 エルと言う名前のこともありヤハウェ(エロヒム、エル=シャダイ)信仰の原型としても研究されている。 ヤハウェ自体はバアル信仰やその他様々なカナン宗教の影響が見られる為、一概にはエールが起源であるとは言えないが、最高神としての厳格な態度には共通点が見受けられる。 ■アシェラト(アーシラト) 粘土版文書に見られるウガリット神話の母神。 バアルの母神とされる。ウガリット神話内では生命力を司る太母として扱われており、エールとの間に70人の子供を産んだとされる。 バアルが自分の屋敷を建てる際には彼女に許可を取りに行った。またケレト王が捧げ物の契約を忘れた際には彼に重病の呪いを掛けたこともある。 聖書内で使用される『アシェラ』の文言はアシェラトのイスラエル地域での変化と考えられる。 現在ウガリット神話はその大部分をシリア北西のラスシャムラのウガリット遺跡から見つかった『ラスシャムラ刻文』に求められるが、前述の通りこの刻文強いては遺跡自体が見つかったのが20世紀に入ってからの話である。 その為古い資料ではアナトやアシェラトを、聖書で多用され悪魔化したことにより有名になっていたアスタルトの表記ゆれや変化形と捉えている事が多い。 ■アナト バアルの妹であり、妻ともされる女神。 シュメールのイナンナ女神が起源と考えられており、アッカドのイシュタル、同地域のアスタルトと同一視される。 起源を等しくするアセト(イシス)の居るエジプトにもバアルと共に組み込まれた時期がある事からも信仰の広さが窺える。 創造神エルの娘にして妻とされるが、後の神話では常にバアルに味方しているお兄ちゃん大好きっ娘。 基本的には豊穣を司る慈愛の女神とされるが、恐るべき殺戮者としての側面を持ち、バアルが死の神モトに殺害された際には残酷な手段によりモトに報復している(*11)。 死せるバアルの復活に関わる事から再生の象徴でもある(*12)。 神殿が無いと嘆くバアルの為に武力を盾にエルを脅した事まである。 上記の様にオリエントでは聖なる動物として牡牛がよく登場し、神がその姿で信仰される場合もあるが、アナトは牡牛化したバアルと交わる際には牝牛の姿を取って応じたと云う……古代極まってんな。 また、神格化された後の聖母マリア像は、これら地中海全域に伝播したイナンナ女神に帰属する女神の系譜の神話が集約されており、後代にはマリアを航海の女神とする信仰までが生まれた。 後のキリスト教では奇跡の喧伝の為に処女は純潔と同義とされたが、本来の処女は純潔に限らず若く健全な乙女を意味する語でもあり、妻にして母でもある女神にも適用されていた。 ■アスタルト(アスタルテ) アスタルトも同じくバアルの姉妹にして妻であり、航海を守護する海の女神とされる。ギリシア神話に登場する金星と愛の女神アプロディテの原型とも呼べる。 ウガリット神話内では海との関連からか前半のヤムとの戦いの文書での出番が多い。しかし後半になるとめっきり出番が欠如する。 ウガリット以南の地域はアナトよりもアスタルトのほうが信仰に厚く、バアル及びバアルと同一視される主神の妃として人気が高い。 アナトは清純のイメージが強いが、アスタルトは奔放でキリスト教の大悪魔アスタロトの直接の原型となった。 エジプトにヒクソス(*13)が流入してきた際にバアル・アスタルト・アナトと言ったカナアンの信仰もエジプトに入り込んだ。 ■ヤム=ナハル(リタン) ウガリットの川と海を司る神でありバアルの兄の一人にして最初のライバル。ヤムは『海』、ナハルは『川』を意味する。ゼブル=ヤムなら『海の王子』と言ったところか。 サフォンの神々の集会にて神々からはバアルが王として擁立されたが、最高神にして最大の権力者である父神エールだけはヤムを擁立した為争いとなった。 エールの庇護を盾にして神々や人間達に圧政や重税を敷こうとするが、エジプト方向から来る叡智と鍛冶の神コシャル・ハシスの創り出した二本の棍棒(言わずもがな雷神バアルの持つ武器なので雷霆である) 『追放』<ヤグルシ>と『駆逐』<アイムール>を持ったバアルに胸と額を打ち砕かれ息絶える。 リタンはその名を聖書に登場するリヴァイアサンと同起源とする竜神であり、ヤムの従者か或いはヤムの化身として考えられている。他にもタンニンと言った同種の龍が出てくる、がやはりアナトに倒される。 混沌や自然災害の象徴と考えられており、それを秩序たるバアル(雨)が征する構図を顕していると考えられている(*14)。 ■モト(モート) ウガリットの死と乾季を司る神でありバアルの兄の一人にして最大のライバル。モートは『死』を意味する。 ウガリット神話内での冥府<ホロン>の支配者であり、兄弟であるヤムがバアルに倒された際にエールが次に彼を擁立した。木属性のバアルに水属性のナハルがやられたので火属性のモートで対抗。 バアルを言葉巧みに自分の領域である冥府に拉致して力を発揮出来ない状態にして殺害した(恐怖で屈服させたとも)。 バアルが消えた地上からは豊穣が去り、大地は砂漠化したと云う(*15)。 前述の様にアナトの報復を受けて殺害されるが、バアルが復活するとモトも復活する。乾季と雨季は永久に繰り返すということだ。 二神は再び争い、最終的に太陽女神シャプシュの仲裁により敗北を認めバアルを王として認めたとされるが、作物の採れなくなる時期とはバアルがモトの冥府に呑み込まれて屈辱の時を過ごしている期間と一致すると考えられていた(*16)。 同様の神話は各地に残り、花婿(男神)を花嫁(女神)が救い出す物語として伝えられていった。 エジプトのウシル(オシリス)神話と構図が共通している。 ■シャプシュ ウガリットの司法を司る太陽女神である。名前は『太陽』を意味し、アッカド神話のシャマシュと同語源である。 アッカド神話のシャマシュとは違い女神として登場する。同じく太陽女神を信仰するフルリ人の影響だろうか? ウガリットは陸路からヒッタイトやメソポタミア、海路からエジプトやキプロス等に繋がるフェニキア交易の中継拠点である為、様々な民族や信仰が入り込んできている。 シャプシュはバアルの戦いの文書では後半モートとの戦いで名前が出るようになる。太陽と乾季、太陽と冥界の切っても切れない関係があるようだ。 モートによって地の裏側の冥界に隠されたバアルの死体をアナトの為に探してきたり、エールの命によってバアルとモートの戦いを仲裁したりする。 シャマシュやその他様々な太陽神と同じく司法を担当していると捉えられる。お天道さまが見てるということだ。太陽は偉大である。 追記修正は古代文字を解読しながらお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 神様世界じゃキリスト教の被害者No.1 -- (2015-11-22 13 59 41) バアルだけでなく、ベルゼブブやベルフェゴールも被害者。 -- 名無しさん (2015-11-22 14 39 46) ↑そのベルゼブブやベルフェゴールのルーツという説があるのがバアルなのだ。 -- 名無しさん (2015-11-22 20 40 21) スパロボZシリーズでもお馴染み -- 名無しさん (2015-11-30 10 56 45) バアルの威光が拡大したのかアシェラもバアルの妃とする記述があったっけか。そりゃあ、エル(4文字)も恨むわ。 -- 名無しさん (2016-04-06 13 02 05) 超今更だけど「ガッシュ・ベル」の「ベル」ってひょっとしてそういうことだったん……? -- 名無しさん (2020-06-20 06 20 10) ↑×6 とは言ってもユダヤ教が頑なかつ攻撃的になったのって所謂バビロン捕囚が主な原因なんで、キリスト教がアレってのを前提にしたとしてもバビロニアの神々の悪魔化被害は「お前らが生んだモンスターだろうが」って面もあるんだけどな。 -- 名無しさん (2021-12-14 22 17 45) バアルのようなもの -- 名無しさん (2023-04-13 17 30 54) キリスト教が積極的に悪魔扱いした異教の神って実は殆どバアル関連の神々だけだし、その原因は民族対立と言うかむしろ当時はバアル信仰側がユダヤ・キリスト教を弾圧や迫害してたからってのもあるのでユダヤ・キリスト教の被害者扱いはちょっと違うわな -- 名無しさん (2023-11-21 22 31 06) 名前 コメント
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Template 日本の歴史? 明治維新(めいじいしん)とは、江戸幕府による幕藩体制から、明治政府による倒幕運動および天皇親政体制の転換と、それに伴う一連の戦争(戊辰戦争)・改革をいう。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・教育・外交・宗教政策など多岐に及び、日本をアジアで最初の西洋的国家体制を有する近代国家へと変貌させた。 概要 開始時期については諸説あるが、狭義では明治改元に当たる1868年10月23日(旧9月8日)となる。しかし一般的にはその前年にあたる1867年(慶応3年)の大政奉還、王政復古以降の改革を指すことが多い(日本の歴史学界における明治維新研究では、前段階である江戸幕府崩壊期(天保の改革あるいは黒船来航以後)も研究対象とされるが、本項目では維新体制が整う以前の政治状況については「幕末」の項であつかうものとする)。終了時期についても、廃藩置県の断行(1872年)、西南戦争の終結(1877年)、内閣制度の発足(1885年)、立憲体制の確立(1889年)までとするなど諸説ある。 この期間の政府(一般的には1868年1月3日(慶応3年12月9日)の王政復古以後に成立した政権『歴史学事典 12王と国家』(弘文堂、2005年 ISBN 4335210434)「維新政権」(松尾正人)より。)を特に「明治政府(めいじせいふ)」「新政府(しんせいふ)」「維新政府(いしんせいふ)」などと呼称することが多い。主に旧薩摩藩・長州藩および一部の公家による専制政治として実行されたため「藩閥政府」と揶揄されることもあるが、中級官僚以上でも旧親藩・旧幕臣などから採用された者も少なくなく、一概に一部雄藩のみが主導したともいえない。なお、「明治維新」という語が一般に流布したのは昭和以降Template 要出典?で、当時の人々からは主に大政奉還と廃藩置県を指して「御一新」と呼ばれていた。 短期間の内に西欧列強に比肩する国家を築き上げたことは諸外国からは奇跡と見られ、とくにアジア諸国にとって近代革命の模範となった。この革命の象徴となり、アジア初の本格的立憲君主となった明治天皇について、諸外国では日本以上に高く評価されることもある。 五箇条の御誓文 Template main? 江戸幕府による大政奉還を受け、王政復古によって発足した明治新政府の方針は、天皇親政(旧来の幕府・摂関などの廃止)を基本とし、諸外国(主に欧米列強国を指す)に追いつくための改革を模索することであった。その方針は、翌1868年の五箇条の御誓文で具体的に明文化されることになる。合議体制、官民一体での国家形成、旧習の打破、世界列国と伍する実力の涵養などである。 また、この目的を達するための具体的なスローガンとして「富国強兵」「殖産興業」が頻用された。 改革の内容 中央行政 形式的には、明治維新は律令制の復活劇でもあった。幕藩体制の崩壊に伴い、中央集権国家の確立を急ぐ必要があった新政府は、律令制を範とした名称を復活させた(例:太政官、大蔵省など。ただし、当然のことながら実態は律令制のそれとはかなり異なる)。 王政復古の大号令において、幕府や摂政・関白の廃止と天皇親政が定められ、天皇の下に総裁・議定・参与の三職からなる官制が施行されたが、明治天皇はまだ年少であるため(実際天皇親政は建前であった)、それを補佐する体制がすぐに必要となった。そこで、明治元年閏4月21日、政体書が公布され(政体書体制)、さらに翌年、律令制の二官八省を模した二官六省制が発足する。具体的な行政機構としては、太政官と神祇官を置き、太政官の下に各省を置く律令制が模写されたものの、その後も民部省から工部省が分離したり、刑部省から司法省への改組など幾多の改変を必要とし、安定しなかった。また立法府である左院(のち元老院)・右院や地方官会議なども設置・廃止が繰り返された。明治中央官制の改革は明治17年(1885年)の内閣制度発足をもってようやく安定する。 また、立法府に関しては木戸孝允らが明治初年から議会開設を唱えていたが、議会制度を発足させるためには、官制改革・民度・国民教育などが未成熟であり、時期尚早であったため、大久保利通を中心に「有司専制」と呼ばれる薩長藩閥による官僚を中心とした改革体制が維持された。しかし、自由民権運動の高まりや、諸制度の整備による改革の成熟などもあり、1881年に「国会開設の詔」が出され、同時に議会制度の前提として伊藤博文らによる憲法制定の動きが本格化し、憲法審議のため枢密院が設置された。1889年に大日本帝国憲法が公布、翌年帝国議会が発足し、アジアでは初の本格的な立憲君主制・議会制民主主義国家が完成した(正確にはオスマン帝国のタンジマート改革における1876年ミドハト憲法公布がアジア初の立憲制ではあるが、同国は直後に君主専制に回帰している)。 また、首都については、当初京都では旧弊が多いとして、大阪遷都論が大久保利通を中心として唱えられた。しかし京都から都を移してしまうことには反対が多く、江戸城の開城もあり、江戸を東京とすることで落ちついた(→東京奠都の項目を参照)。明治天皇の2度の東京行幸により太政官も東京に移され、東京が事実上の首都と見なされるようになった。 地方行政 明治政府の地方行政としては、徳川家を駿府藩に移封し、京都・長崎・函館を政府直轄の「府」とした以外は、原則として以前の藩体制が維持されていた。しかし、富国強兵を目的とする近代国家建設を推進するためには、中央集権化による政府の地方支配強化は是非とも必要なことであった。 まず、明治2年の版籍奉還で旧藩主が自発的に版(土地)・籍(人民)を天皇に返上し、改めて知藩事に任命することで、藩地と領主の分離が図られ、重要地や旧幕府直轄地に置かれた府・県とともに「府藩県体制」となる。しかし、中央集権化を進め、改革を全国的に網羅する必要があることから、藩の存在は邪魔となり、また藩側でも財政の逼迫が続いたことから自発的に廃藩を申し出る藩が相次いだ。1871年8月29日(旧7月14日)に、薩摩・長州藩出身の指導者により廃藩置県が実施され、府県制度が設置され(当初は3府302県、直後に整理され3府72県)、中央政府から知事を派遣する制度が実施された。これにおいては、令制国の地名を用いなかったために、都市名が府県名となった所も少なくない。薩摩藩の島津久光が不満を述べた以外は目立った反撥はなく(すでに中央軍制が整い、個別の藩が対抗しにくくなっていたこと、藩財政が危機的状況に陥り、知藩事の手に負えなくなったこと、旧藩主が華族として身分・財産が保証されること、などが理由とされる)、国家の支配体制がこのように電撃的、かつ画期的に改変されたのは明治維新における奇跡とも言える。 なお、旧幕府時代、名目上は独立国でありながら実質上薩摩藩の支配下にあった琉球王国に関しては、廃藩置県の際に「琉球藩」が設置されて日本国家内に取り込まれることとなり、1879年(明治12年)に「沖縄県」として正式に県に編入された(この間の経緯は一般に「琉球処分」と称される。旧琉球国王の尚氏も旧藩主と同様、華族となった)。(→沖縄県の歴史) 諸制度の改革 廃藩置県と太政官制の改革を経て中央集権体制が整ったことで、ようやく旧幕府時代の制度を改革する準備が整った。ほぼ同時に宮中の改革も行われ、旧来の宮中職や女官は廃され、士族を中心とした侍従らが明治天皇を武断的な改革君主にふさわしい天皇に養育することとなった。幕末期には病弱であった明治天皇も、士族による養育のためか健康も回復し、西洋的立憲君主としての心得も学び、「明治国家」の元首としてふさわしい存在になっていく。特に憲法制定過程における枢密院審議においては、そのすべてに臨御し、また国会開設前後の立憲政治未成熟期に首相が頻繁に辞任・交代した際も、政局の調停者として重要な役割を担った。 身分制度については、江戸幕府下の「士農工商」の別を廃止し、旧武士階級を士族、それ以外を平民とし、「四民平等」を謳う一方、旧公家・大名や一部僧侶などを新たに「華族」として特権的階級とすると同時に、宮内省の支配の下に置くことになった。 また、維新政府は西洋の諸制度を研究するため岩倉具視を正使、大久保利通・木戸孝允・伊藤博文らを副使とする使節団を欧米へ派遣するが、「留守政府」とよばれた日本残留組の西郷隆盛・井上馨・大隈重信・板垣退助・江藤新平・大木喬任らの手によって、次々と改革は進んでいった。 主な改革としては、学制改革、地租改正、徴兵令、太陽暦の採用、司法制度の整備、断髪令、などがある。ただし、これらの改革は急激に行われたため矛盾も少なくなく、士族や農民の不満を招いたため、後の征韓論につながったとも言われる。欧米使節から帰国した岩倉や大久保が征韓論を退け、さらに大久保の下に内務省が設立されたことで諸改革の整理が行われることになる。 また、これと同時期に民間でも行われた文明開化の動き、肉食の普及や鉄道の開通などとも相まって、新時代「明治」の雰囲気が醸成されていった。 経済産業分野では、富国強兵・殖産興業のスローガンの下、富岡製糸場を初めとする官営工場が作られるなど、政府主導の産業育成が始まり、西洋式工業技術が導入された。また金融制度でも旧幕府時代の貨幣制度を改めて、通貨単位として「円」を導入(1871年。新貨条例を参照)、また国立銀行条例による国立銀行(ナショナルバンク)を経て、通貨発行権を独占する中央銀行としての日本銀行設立(1882年)など、資本主義的金融制度の整備も行われた。また流通分野では、郵便制度・電信網の整備、鉄道および船舶運輸(民間の郵便汽船三菱会社と国策会社の共同運輸会社の競合を経て日本郵船会社)などの整備が行われた。これらの資本活動には、職を失った代わりに秩禄を得た華族の資産による投資活動も背景にあった。 このような改革には積極的に西洋文明の先進制度が取り入れられ、その過程で、「お雇い外国人」と呼ばれる外国人が、技術指導、教育分野、官制・軍制整備など様々な分野で雇用され、近代国家建設を助けた。 宗教 宗教的には、祭政一致の古代に復す改革であったから、1867年(慶応3年)旧暦正月17日に制定された職制には神祇を七科の筆頭に置き、3月 (旧暦)には神仏分離令が布かれた。神仏分離令により、当時の復古的機運は仏教でさえも外来の宗教という点で廃仏毀釈として弾圧される時代であった。ただし、神仏分離令の主旨は仏教の排斥ではなく、江戸時代までの神仏習合による仏教と神道の混交から両者を分離することであった。また、キリスト教(耶蘇教)は、新政府によって引き続き厳禁された。キリスト教の指導者の総数140人は、萩(66人)、津和野(28人)、福山(20人)に分けて強制的に移住させた。 その後、明治2年(1869年)12月7日には、信者約3,000人を、金沢以下10藩に分散移住させた。しかし、明治4年(1871年)旧11月、岩倉具視特命全権大使一行が欧米各国を歴訪した折、耶蘇教禁止令が各国の非難を浴びて、条約改正の交渉上障碍になるとの報告により、明治5年(1872年)に大蔵大輔の職にあった井上馨は、長崎府庁在任時に関わった事から、明治5年正月に教徒赦免の建議をした。 神道国教化政策との絡みやキリスト教を解禁しても直ちに欧米が条約改正には応じないとする懐疑的な姿勢から来る、政府内の保守派の反対のみばかりでなく、宗教界や一般民衆からも『邪宗門』解禁に反対する声が強く紛糾したものの、明治6年(1873年)2月24日禁制の高札を除去し、その旨を各国に通告した。各藩に移住させられた教徒は帰村させ、ようやく終結した。 外交政策 新政府にとって、最大の目標は欧米列強に追いつくことであり、そのためにも旧幕府時代に締結された不平等条約の改正が急務とされた。上記の岩倉使節団は西欧諸制度の調査も目的であったが、条約改正のための下準備という面もあり、実際交渉も準備されたが、日本を近代国家と見なしていない欧米諸国からは相手にされず、まだ時期尚早であった。そのため、欧化政策など日本が西洋と対等たらんとする様々な政策が行われたが、条約改正自体は半世紀におよぶ不断の努力を必要とした(→条約改正)。 一方、不平等条約の失敗を鑑とした政府は、アジア諸国に対しては、平等以上の立場を確保することを旨とした。清との間には1871年対等条約である日清修好条規が締結される。1874年には台湾における宮古島民殺害事件をきっかけに台湾出兵が行われ、両国の間で台湾・沖縄の帰属が決定されることになった。 李氏朝鮮との間では国書受け入れを巡って紛争が起こり、1873年政府を二分する論争(いわゆる征韓論)となったが、1876年に起きた江華島事件を契機として日朝修好条規(江華島条約)を締結し、朝鮮を自主国として認め、開国させるに至る。 また、ロシア帝国との間では1875年に、千島樺太交換条約が締結され、それまで日露雑居地とされた樺太および千島列島における日露国境が確定した。 改革の影響など 明治維新の諸改革は、新たな制度で生じた矛盾をいくらか孕みながらも、おおむね成功を収め、短期間で立憲制度を達成し、富国強兵が推進された。その評価は日清戦争・日露戦争における勝利により飛躍的に高まり、諸外国からも感嘆・驚異の目で見られるようになった。特にアジア諸国では明治維新を模範として改革や独立運動を行おうとする動きが盛んになる。孫文も日本亡命時には『明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である』との言葉を犬養毅へ送っている『孫文選集(第三巻)』社会思想社、1989、 ISBN 4390602802 。ただし、その多くは明治維新が行政制度のみならず教育・産業・金融などを含めた総合的な改革であったという本質への理解には及ばず、形だけの改革や一部いいとこ取りの「上からの改革」に終始したため、成功に至った例は少ない。朝鮮における壬午事変・甲申政変や清の戊戌の変法の失敗、長続きしなかったイランのイラン立憲革命やロシア帝国のヴィッテ改革・ストルイピン改革などが典型である(朝鮮の改革運動については「金玉均」など、清の改革については「光緒帝」「黄遵憲」なども参照のこと)。一定の成功を収めた例としては、パラグアイのカルロス・アントニオ・ロペス大統領による改革、タイ王国のチャクリー改革、トルコのアタテュルク主義、エジプトのエジプト革命、メキシコのベニート・フアレス改革が挙げられる。 明治維新は欧米列強に抑圧されたアジア諸国にとって近代化革命の模範ともなったが、やがて日本自身が列強側の国家として、帝国主義的な領土・権益獲得の立場となったことから、かえって反発を呼ぶことにもなり、中国や朝鮮における反日運動の元ともなった。しかし、逆の見方をすれば、日本は明治維新によって列強と化した事により、アジア諸国では数少ない植民地にならなかった国となったのである。 一方、ほとんどのアジア諸国で挫折ないし不可能だった近代化革命が、なぜ日本においてのみ成功したのかについても近年研究が盛んとなっている。維新成功の背景として、その前段階たる江戸時代における日本人の労働生産性・教育水準・遵法意識の高さや、近世においてすでに近代的科学(合理)精神を受け入れる素地・教養が準備されていたことなども要因と考えられ、江戸時代の再評価のきっかけにもなっている。 脚注 関連項目 大政奉還 王政復古 (日本) 戊辰戦争 五箇条の御誓文 五榜の掲示 廃仏毀釈 華族 四民平等 明治六年政変 版籍奉還 廃藩置県 お雇い外国人 富国強兵 殖産興業 学制 地租改正 条約改正 新撰組 戸籍 東京奠都 太陽暦への改暦 脱亜入欧 保守革命 維新 昭和維新 外部リンク 明治維新と新政府 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月22日 (土) 19 37。
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(6)漢文の試験について 島田氏 多くの受験者は地方の独学受験者であるが、この科は相当参考書も多いから、文部省指定の書目をばこれ等の参考書によって勉強したら相当学力もつくと思う。そこで漢文研究の根本ともいうべきは、四書を熟読玩味し殆んど暗記するまでに徹底させることだ。これは支那の文学・哲学の根本になっている。 復文の研究には児島さんの漢文典の概念をしっかり入れて置いて、四書を書き下したものを原文に依って練習したら先ずよかろう。 設問の準備としては、支那の歴史の概念を捉えて、支那文学・哲学を研究する順序がよいと思う。それは問題の表面に表われるものは、主として文学・哲学といったものであるが、時の観念からそれ等を歴史に結び付けることが順序でなければならぬからだ。受験者の大きな欠点は、歴史の概念に乏しい点にある。之は人に教える上に於ても必要な知識なのだから、十分注意されたいものである。 最後に口述試験の注意にもなろうから言うて置くが、正直に而も明瞭に考えるが得策である。例えば何々を知っているかと聞いて見ると、嘗て読んだこともなく知らぬことをば、如何にも知って居るかの如く答えるものがある。併し委員の方では、其の辺のことは大抵知って居るので、之を胡麻化そうとしても徒労であるばかりでなく、その人の成績の上にも人格の上にも関係することだから、男らしく知らざることを知らずと答える方が遥かによいのである。それから受験者の答えが曖昧だから正確の方へ導いて行く為「こうだろう」と問い返すと、受験者の方ではこれは反対の事を言っているのだろうと変にとって「否」と答えるものがある。委員の方では落第させようとして受験者のあら捜しをするのではなく、全く受験者の立場に同情して、出来るだけ救済して上げようとする考から、不審の点を正したり或る時は救い舟を出したりなどして居る。実際地方の受験者が予備に通って本試験に上京して落ちるのは残念であろう。子を思う親の心である。時に落第にするも孔明涙をふるってするので、之はどうすることも出来ないのである。 【八】最近出題の傾向 各方面から出題傾向の研究を行って見たいと思う。 1.漢文解釈予備試験出題の傾向 書名 大学 中庸 論語 孟子 十八史略 八家文 史記 小学 唐詩選 古文真宝 回 (年度) 26(大正元) 〇 〇 〇 〇 27(二年) 〇 〇 〇 〇 28(三年) 〇 〇 〇 29(四年) 〇 〇 〇 〇 〇 30(五年) 〇 〇 〇 〇 31(六年) 〇 〇 〇 〇 〇 32(七年) 〇 〇 〇 〇 〇 33(八年) 〇 〇 〇 〇 34(九年) 〇 〇 〇 35(十年) 〇 〇 〇 〇 36(十一年) 〇 〇 〇 〇 37(十一年) 〇 〇 〇 〇 〇 38(十二年) 〇 〇 〇 〇 〇 39(十二年) 〇 〇 〇 〇 40(十三年) 〇 〇 〇 〇 41(十三年) 〇 〇 〇 〇 42(十四年) 〇 〇 〇 〇 〇 43(十四年) 〇 〇 〇 〇 〇 44(昭和元) 〇 〇 〇 〇 〇 45(元) 〇 〇 〇 〇 〇 〇 47(二年) 〇 〇 〇 49(三年) 〇 〇 〇 〇 〇 51(四年) 〇 〇 〇 〇 〇 〇 53(五年) 〇 〇 〇 〇 〇 55(六年) 〇 〇 〇 2.漢文解釈本試験出題の傾向 書名 左伝 八家文 史記 韓非子 古文真宝 支那時文 中庸 大学 ●論語 〇孟子 回 (年度) 26(大正元) 〇 〇 〇 27(二年) 〇 〇 〇 28(三年) 〇 〇 〇 29(四年) 〇 〇 〇 30(五年) 〇 〇 〇 31(六年) 〇 〇 〇 〇 32(七年) 〇 〇 〇 〇 33(八年) 〇 〇 〇 34(九年) 〇 〇 〇 35(十年) 〇 〇 〇 36(十一年) 〇 〇 〇 37(十一年) 〇 〇 〇 38(十二年) 〇 〇 〇 39(十二年) 〇 〇 〇 40(十三年) 〇 〇 ● 41(十三年) 〇 〇 42(十四年) 〇 〇 〇 〇 43(十四年) 〇 〇 〇 44(昭和元) 〇 〇 45(元) 〇 〇 〇 47(二年) 〇 〇 〇 49(三年) 〇 〇 〇 51(四年) 〇 〇 〇 〇 53(五年) 〇 〇 〇 55(六年) 3.口述試験出題の例 書名 論語 孟子 大学 中庸 回 (年度) 51回(昭和四) 〇 〇 〇 49回(三) 〇 〇 〇 これは一二の実例を示しただけで分るから、これだけにして置く。最近ずっと四書集註から出て居る。 4.復文出題の傾向 書名 大学 中庸 論語 孟子 八家文 回 (年度) 53(昭和五年) 〇 51(四年) 〇 49(三年) 〇 47(二年) 〇 45(元年) 〇 〇 44(元年) 〇 〇 43(大正十四年) 〇 〇 〇 42(十四年) 〇 〇 以上の、(1)(2)(3)をよく観察して見て次の表が出来上がる。最近10ヶ年のもの。 書名 予備試験 本試験 口述試験 復文 計 大学 2 1 ● 3 中庸 2 ● 2 論語 10 1 ● 3 14 孟子 7 3 ● 9 19 十八史略 5 5 八家文 4 5 1 10 史記 0 小学 2 2 唐詩選 15 15 古文真宝 1 1 左伝 9 9 韓非子 3 3 口述試験問題が手許に無いので正確な数が出ないが大体の見当だけはつくと思う。論語と唐詩選の数は出題回数で無くて、問題数によって計算した。 〇予備試験に必ず出る書 唐詩選 孟 子 論 語 欠かさず出るもの 十八史略 八 家 文 殆んど毎回出るもの 大学 中庸 次に出るもの。 小 学 古文真宝 割合が少い 〇本試験に出るもの 支那時文 これは一回も欠かさず出る。 左 伝 本試験の中心となるもの。最も多く出る。 韓 非 子 左伝に次ぐ中心書。 八家文 史 記 欠かさず出るもの 論語 孟子 最近よく出される 〇口述試験に出るもの 先ず四書集註で独占の形である。恐らく当分はこのままで進むものと思う。即ち白文を読み、講義するのを主眼とするのである。 〇各書の出る個所 〔唐詩選〕 全巻に亙って出されて居るが、古詩の中の長いものは出されない。絶句は矢張り一番多い。 五言古詩…3 七言古詩…1 五言律…6 五言排率…1 七言率…7 五言絶句…5 七言絶句…16 この中で同一の詩が二回出題されたのも相当あるから、出された回数にすると多い。 最近十二年間の傾向を見ると、 回 五言古詩 七言古詩 五言律 五言排律 七言率 五言絶句 七言絶句 38 観猟 度桑乾 39 登古鄴城 40 岳陽楼 41 罷相作 従軍行 42 春夜落城、憶兄弟 43 懐張子房 44 兗州城 45 詠史 度桑乾 47 和賈至 49 三閭廟 与廬員外 51 赴北庭秋下荊門 53 逢侠者 塞下曲 これで見ると最近の傾向は七言絶句と五言絶句とから各一題苑出されているのが普通の様である。時には受験者の裏をかいて、七言率や五言律から出すこともあるが、それ等は却って平易なものである。(昭和六年には七言絶句から二題出た) 〔四書〕 全部から出る。而してよく見ると篇によって数回出たのや出ない処もある。けれどもこれは厚薄なしに万遍なく研究し、復習の時に、よく出そうな処をやるとよいと思う。 最近十ヶ年を調べて見ると、 回 (年度) 大学 中庸 論語 孟子 40(大正十三年) 小人間居 尽心上 41(十三年) 雍也 42(十四年) 堯舜師天下 尽心 43(十四年) 〇 〇 〇 44(昭和元年) 君子専徳情 〇 〇 45(元年) 〇 〇 47(二年) 離婁下 49(三年) 子路問 憲問 51(四年) 公冶長・衛霊公 万草下 53(五年) 泰伯 〇 何にしても本書は予備の中心書である。 〔十八史略〕 よく読んで人名地名などを知って置くことである。これが分らぬでは基礎がないと言うことになる。全部の通読は望ましいがさてそんな余裕もあるまい。 最近出題傾向を調べると、 (44) 昭和元年 李沆為相時 ( ) (47) 二年 隗囂 (光武紀) (49) 三年 孝章皇帝 (東漢孝章紀) (51) 四年 曹彬 (宋太祖紀) (53) 五年 唐荘皇帝 (唐荘宗皇帝) 初巻の方から余り出たことがない。大抵中頃以後が多く出題される。先ず漢以後だ。それかと言って初めの方も忽に出来ない。日本の古事記に相当する部分も支那を知る為に必要だから。 〔唐宋八家文〕 予備にも本試にも漢文にも至る処に出題される。程度が丁度文検受験者位に格恰の書である。同じ文が三回も繰り返されたなどがあり、二回目は珍しく無い位である。 最近の出題傾向を一つ調べて見よう。 回 (年度) 蘇軾 蘇轍 欧陽修 王安石 40(大正十三年) 決雍蔽 41(十三年) 九曲亭記 43(十四年) 李氏山房… 上梅直… 尽心 44(昭和元年) 蘇氏文集序 45(元年) (赤壁賦) 無沮善 47(二年) 敦教化 49(三年) 上仁宋皇帝 51(四年) 送除無党 53(五年) 答呉克秀才 蘇軾のものが最近一番多く出されている。43回の如きは予試にも本試にも共に蘇軾のものが出された。 次は欧陽修となって居るが、柳宗元、韓愈も従前は多く出題されたのである。 赤壁賦は古文真宝の方であるが作者が同じであるから参考までに括弧して入れたのである。 〔史記〕 勿論列伝だけでよいが、項羽の処は見て置く方がよいと思う。最近は余り出されないが見て置くことは必要だ。 〔小学〕 41回・42回と続けざまに出題されて、小学の必要を思わせたが、又でなくなった。善行、嘉言などから出て居る。 〔古文真宝〕 八家文の重複するものもあり、余り回数多くは出ないが、名篇を集めて居るのだから読んで面白い。 大体以上は予備試験に主として出るものであったが、以下本試にのみ出題される左伝韓非子に就いて述べてみよう。 〔左伝〕 何回も繰り返す通り漢文科本試験は本書の十分なる読解力養成のみにて事足る位のもので、中心書中の中心書である。 毎回欠かさず出される。最近の様子を見ると、 (40回) 大正十三年 昭公三年 (41回) 大正十三年 昭公五年 (42回) 大正十四年 僖公九年 (43回) 大正十四年 僖公二十七年 (44回) 昭和元年 昭公八年 (47回) 昭和二年 僖公四年 (49回) 昭和三年 昭公二十年 (51回) 昭和四年 宣公十五年 これまでの出題は昭公と僖公とからばかり出題されて殆んど交互に出される有様であったが、51回には宣公から出された。 今各篇回数を第1回から調べて見ると、 隠公…1 荘公…1 閔公…0 僖公…7 文公…1 宣公…1 成公…3 襄公…8 昭公…8 定公…0 哀公…0 となる。昭公・襄公・僖公などは最も注意して熟読反復すべきであろう。 〔韓非子〕 左伝の出題されない時にはきっと出される位、重要なるものである。 31回から八回程連続的に出題され毎回欠かさなかったが、最近少し出る率が少なくなって居る。而し近くその反動で又連続的に出されるものと思われる。 解老、孤憤、外儲説右上、顕学、外儲説、六反、姦劫弑臣、外儲説、孤憤。 31回以後の出題個所を列記したのであるが、これから観察しても外儲説3、孤憤1、其他1宛であるが名高い個所から出題されている。 その他、説難、難言、難勢、五蠧、心度、安危、説林などは名高いが、全部読むとよい。 5.設問出題の傾向 回 (年度) 予備試験 本試験 39(十二年) 頼義の日本外史、張載の西銘 イ、許愼、鄭玄 ロ、本朝文粋 靖献遺言 40(十三年) 曹操父子の事跡、知行合一 イ、中唐の誠 ロ、宋濂、高啓 41(十三年) 蒙求、井田 一、朱陸学派の異同 二、方苞(望渓)、王士禎(漁洋) 42(十四年) 三綱五常、四六文 一、漢初ノ黄老 二、桐城派ノ文章 43(十四年) 濂洛関閩ノ学、建安ノ七子 一、楊子法言ト文中子 二、絶律排律古詩ノ形式上ノ区別 44(昭和元) 三体詩、古文真宝、訓詁学ト性理学 一、刑名学 二、文学史上ニ於ケル司馬光 45(元) 小学及近思録、淮南子、文中子 孔頴達、朱彝尊、駢儷文 47(二年) 格物致知、呂氏春秋、文心彫龍 孔子ノ仁ト墨翟ノ兼愛トノ異同、建安ノ文学 49(三年) 柳宗元、新井白石 風雅頌、説文 51(四年) 孝経、資治通鑑、文献通考 董仲舒、初唐四傑 漢文科としての設問は支那哲学史、支那文学史、国文学史などから出題される。上述の表で分る様に予備試験には、我が国の漢学者、漢書等に就いて時々出ることもあるが、多くは支那の、著書、学者、儒学上の術語、哲学等に就いて出される。本試験は多く支那のものばかりである。 最近のものを表示すると、 予備試験 本試験 人名 19 15 書名 13 4 術語 8 6 井田の如きは政治に関しての事であるが、その当時の社会を知るにはこれ位の事を知って置く必要があると言うことになるのであろう。此処に術語と書いたが、寧ろ哲学思想の説明とした方がよいかも知れぬ。しかし大体の見当はこの数字からつくと思う。 6.作文出題の傾向 本試験の漢作文の課題のみを列挙する。最近のものから既往へ遡って行くことにする。 迎教育勅語渙発四十年恭書所蔵(53回) 見利思義説(51回) 恭観今上即位図書感(49回) 仁者有勇説(47回) 過則勿憚改説(45回) 忠恕説(44回) 有文事者必有武備説(43回) 智仁勇説(42回) 読韓非子(41回) 君子不器説(40回) 剛健説(39回) 温故知新説(38回) 大勇説(37回) 論語などのなかにあって名高く誰でも知って居る様な言葉が題となる。41回・49回は別として其他は同一である。儒学張りにカンカンの堅い文章を作って復文して漢文にすればよい。 最近の傾向は時事問題を取り入れる様になって来た。即ち御大典の秋には今上即位図云々が出、勅語渙発四十年にはそれに関したものが出る類である。 【九】口述試験の研究 1 口述試験 私の漢文科を受験した時には、二百五十余名が本試を受けて、口述試験に残った者は僅か六十三名であった様に記憶して居る。その口述試験にも無事通過したものは五十名で十三名程は瀬戸際で脊負い投げを喰った。思い諦め様にも諦められなかったであろうと思う。斯う考えて来ると口述試験は総仕上げと言うことになるから、一層重要性を帯びて来る訳である。口述試験研究の忽諸に附すべからざるは自明の理である。 而しそれをよく仔細に観察するならば三種の段階のあることに気づくだろう。 (1)筆記試験が上々で口述の成績如何に関係せず合格の確定して居る者。 (2)筆記試験が中位であるが口述の成績に依って合否の確定する者。 (3)筆記試験が不出来であったが、口述試験の成績が非常によくば救われるもの。 この中言わずと知れた(2)(3)に相当する者は全力を傾注してこの難関突破を試みるべきである。だからと言って二日や三日で口述試験の準備が出来る筈がない。前以て十分の注意を払って置くべきだ。譬え(1)に該当するものでも、よいのに越したことはない。散々味噌をつけたら発表までの幾日かを煩悶懊悩で送らねばならぬことになる。 2 口述試験の準備 最近の出題傾向で述べた様に、近年は殆んど毎年連続的に四書集註から出題される。それで試験委員の談話中にもあった様に、その白文の問題を約十分間位の下読の後は、委員の前に出て、読み且つ講義させられる訳であるから、集註の何処から出されても十分講義の出来る様になって置くことが必要だ。 四書集註は委しく言えば、 大学章句、中庸章句、論語集註、孟子集註、 のことである。宋の大儒朱熹の著であって参考書としては、四書集註(上海本)などはよい。白文で出題されるものと全く同じものであるから。 而し手に入り易いこと、研究に便なることから言えば、 漢文大系本 四書 簡野道明氏著補註 学庸章句 〃 論語集註 〃 孟子集註 が手に入り易く見易い訳である。 3 口述試験に対しての注意 知らぬことは知らぬでよいから曖昧な答をしてはならない。真実の自分の力を見て頂く心算でなければならぬ。胡麻化そうとしても天下の学者を対手にして仲々胡麻化し終せるものではない。 言語は明晰に出来るだけ丁重な言葉を使う様に注意せなければならぬ。 4 口述試験の実際 二三受験者の実記を拝借しよう。私の時のことは朧気にしか記憶がないので生々しいものの方が役に立つと思われるから。 〇 二十一日再び上京した。 例の宿に着いて、明日国語の口述に出るのだと言う方と話して居ると、其の日漢文の口述に出た方が試験場から帰って来られた。 問題は論語の註であった。学政篇(「為政篇」の誤り?)の 孟武伯問孝子曰父母唯其疾之憂 武伯懿子之子名彘言父母愛子之心無所不至唯恐其有疾病常以為憂也人子体此而以父母之心為心則凡所以守其身者自不容於不謹矣豈不可以為孝乎旧説人子能使父母不以其陷於不義為憂而獨以其疾為憂乃可謂孝亦通 で不容於不謹が読み得ないで困ったと語られた。 いよいよ二十二日、口述試験の日である。七時に神田の店を出て試験場たる高等師範学校に向った。電車の中でやがて来ん口述受験の実際を想像しながら、試験場に着いて見るともう既に七八名の受験者が来て居た。 漢文大系の註を読んでいる者、簡野先生の論語集註を読んで居る者、全くの試験気分である。段々と受験者が集った。全部で二十六七人も居たであろう。中に婦人が二人見えた。何れも二十一歳と言う方。やがて時間が来ると試験監督が来て、受験者の各に受験願書が渡された。 抽籤で受験順が定められた。暫くすると一番が呼び出された。 「少し控目にして呉れ。君が余り出来がよいと後の我々が大いに困るから。」 「一番は必ず合格だから、安心して不出来にやって呉れ」などと揶揄半分の言葉に送られて一番が出て行った。 二番三番四番と順々に呼び出されて、遂に自分の番が来た。 グッとドアを押して内に入った。見ると検定委員の先生が二人並んで居られる。二人とも何れが誰か分らぬ。一礼して願書を一人の先生に差し出した。 検定委員の先生の前に出る前に十五分間準備室で問題の下調べをさせられる。下調べと言っても何も参考書もある訳ではない。読めるか否か質問されそうな箇所の答え方位を考えるに過ぎない。 問題は論語である。公冶長篇である。 宰予昼寝子曰朽木不可雕也糞土之牆不可朽也於予與何誅 范氏曰君子之於学惟日孜孜斃而後已惟恐其不及也宰予昼寝自棄孰甚焉故夫子責之胡氏曰宰予不能以志帥気居然而倦是宴安之気勝儆戒之志惰也古之聖賢未嘗不以懈惰荒寧為懼勤勵不息自彊此孔子所以深責宰予也 読みだけは通ったが如何なる質問をされるか不安でたまらぬ。范氏とは誰か胡氏とは誰か詳かでない。 「それを読んで御覧なさい。」 と一人の先生が言われた。 始めから終りまで調子よく音に抑揚をつけて一回読んだ。読み返りにも成績の如何は関係する筈だと常に考えて居たので、下調べの際此の点に十分注意して準備して置いた。読方に誤りは無かったと見えて読み直しを命ぜられなかった。 「講義して御覧。」 と言われて、文字通り講義した。 これから一問一答。 「『以志帥気』を今一回詳しく講義しなさい。」 講義する。 「今講義中に志気之帥という語が出たが、それは何にあるか。」 「孟子にあります。」 「志と気との関係を言って御覧。」 長々しく説明したが、自分ながら徹底した説明ではないと思った。 「気のつく語を挙げて御覧。」 「気象、勝気、陽気、元気、活気。」 「ここの気はその元気に当ると思えばよい。」と教えて下さった。 「宴安の気とはどういうことか。」 説明する。 「自強不息という語を何かで読んだことがあるか。」 「戊申詔書にあります。」 「何から出た語か。」 「易にあると言うことですが、よく調べて見たことはありません。」 「よく読めました。もうよろしいです。」 といわれて立上がって一礼して室を出た。(牧羊生) 〇 口述は十二月二十二日に大塚の高師で行われました。私は第三日でした。当時の手記がありますのでそのまま次に掲載いたします。 宰予昼寝子曰朽木不可雕也糞土之牆不可朽也於予與何誅 范氏曰君子之於学惟日孜孜斃而後已惟恐其不及也宰予昼寝自棄孰甚焉故夫子責之胡氏曰宰予不能以志帥気居然而倦是宴安之気勝儆戒之志惰也古之聖賢未嘗不以懈惰荒寧為懼勤励不息自彊此孔子所以深責宰予也 〇「読んで下さい。」 「ハイ。」 〇「註の処だけ解釈して下さい。」 「ハイ。」 〇「あなたは古之聖賢云々の所を、為懼から返って読みましたが、それでは後の続工合変ではありませんか…そして勤励やまずんば自ら強しと読んだようですが、自ら強しとはどんなことですか。」 「学問が深くなって自身が強くなることです。」 後にして思えば出鱈目に自ら呆れる。 〇「強しの字は他に読み方はありませんか。」 先生はツトムと読ませるつもりらしかった。然し之も後の祭り。 「自強と読めます。」 〇「すると、勤励、不息、自強と同じ意味の字で、三つも並んで居ますが、古の聖賢はそれをやるのですか、やらぬのですか。」 「やるのです。」 小学生の如し、苦しい答。 〇「そうすると…」 「古の聖賢はまだかつて…自強せずんばあらず。」 やっと正しく読む。 〇「宴安の気とは何ですか。」 「楽しみ安んずる事です。」 総じて私の答は学問的でなく、余りに常識的であることに気がつく。 〇「何かの本で見ましたか。」 「わかりません。」 〇「きっと読んだ筈ですよ。」 「わかりません。」 〇「左伝にあるのですね。以志帥気とはどんな意味ですか。」 「自分のやろうとする心で、安逸の気を戒めるのです。」 〇「こんな言葉を何かの本で見ましたか。」 「孟子にありました。」 〇「どんな言葉でしたか。」 「………」 〇「それ志は。」 「それ志は気の帥なりです。」 〇「支那の論語の註にどんなのがありますか。」 余りの意外な問にはっとして、 「鄭玄…」 〇「鄭玄のもありましたが滅びましたね。その他は。」 「何晏。」 私は此の際、此の言葉が出たのを全く天佑だと思っている。まぐれ当りだった。 〇「そう、何晏の本の名は。」 「わかりません。」 〇「論語集解ですね。日本の徳川時代の学者では。」 「伊藤仁斎。」 〇「何と言う本を書きましたか。」 「………」 〇「もう一人。」 「荻生徂徠が居ります。」 〇「本の名は。」 ウッカリして、 「大学解。」 〇「それは大学でしょう。論語では。」 上っているのに気がついて苦笑。 「論語徴。」 〇「仁斎は別号を何といいました。」 「………」 〇「古学先生ですね、だから。」 「………」 〇「論語古義ですね。此の註(机の問題を指す)は集註から取ったのですが、これは誰が書いたのですか。」 「南宋の朱熹です。」 〇「朱子の本とそれ以前の本と別つ時に何と呼びますか。」 「新註と古註といいます。」 〇「そうですね。あなたは読む力は可成りよく出来ていますが、(愚考するに、此のお言葉が真実だと己惚れさして頂くならば、それは筆記の訓点がよかった意味であろうか。口述では前記の如く深い痛手を負っている。)まだ広く本を読んでいない様ですから、今後は益々広く読まれるように進まれたらよいでしょう。よろしゅう御座います。」(約十五分) 朱註は昨年出ましたので、今年はまさかと思いましたので、下読の時ギクリと来ました。大系本でも少くとも四書位はみっしりやって置くとどんなに力強いだろうと思いました。今顧みればよくまあこんな成績で合格したものだったと自分乍ら不思議な感じがします。(大和 瑞穂氏) 〇 二十一日。昨日来の雨名残りなく霽(は)れて、年晩の陽はうらうらと大東京の街々を恵み深く照らしている。 我等の身の上にも幸あれ。 八時までに今日の受験者二十三名が全部高師東館階上の控室に集った。若い人も老いた人も、誰もが一様に一様の緊張と不安との中に漂うている。 やがて時間が来た。例の如く受験上の諸注意があってから、願書類を還付されて、いよいよ抽籤。 かくて銘々の順番になるまでは、思い出したようにストウブの傍に寄り寄り、試験上の雑談が始まるが、それもしばらくして、何時止むとなくヒッソリとなる。受験の重苦しい空気が偲ばれる。 一番二番が呼び出された。又一しきり問題の予想で花が咲いたが、まもなく元の様に皆は四書に集註本に眼が吸い取られて終う。十八史略本を持って来た自分には、不安でたまらない。幸にも同郷のYさんの所持本を拾読みさせて戴く。 十一時近く、いよいよ自分の順番が来た。最後の審判だ。一種悲壮な感がする。下調室に入る。どんな問題だろう。 机上の問題紙を見る。意外!!意外!!又しても孟子離婁章からである。 孟子曰。人之所以異於禽獣者幾希。庶民去之。君子存之。 幾希少也。庶衆也。人物之生。同得天地之理以為性。同得天地之気以為形。其不同者。独人於其間得形気之正。而能有以全其性。為少異耳。雖曰少異。然人物之所以分。実在於此。衆人不知此而去之。則名雖為人。而実無以異於禽獣。君子知此而存之。是以戦兢惕厲。而卒能有以全其所受之理也。 時間は二十分。下調には充分であるが、疑問の解釈は出来る筈がない。疑問は疑問として、室外に出て廊下で待つ事凡そ二十分位。 前番者の帰って来るのに入り代って試験委員室に赴く。 ドアーを開けて入ると、其処に委員の先生お二人が腰を掛けて居られた。一礼をして書類を差出し、前の机に腰を掛ける。 机の上には下調室同様の印刷した問題紙が載せられてある。 委「それを読んで御覧なさい。」 私「孟子曰く、人の禽獣に異なる所以の者は少し。庶民は之を去り、君子は之を存す。幾希は少なり。庶は衆なり。人物の生るるや、同じく天地の理を得て以て性と為し、同じく天地の気を得て以て形と為す。其の同じからざる者は、独り人の其の問に於いて刑気の正を得、而して能く以て其の性を完うし、少異を為す有るのみ。少異と曰うと雖も、然も人物の分る、所以、実に此にあり。衆人は此を知らずして之を去る。則ち名人為すと雖も、而れども実は以て禽獣に異なる無し。君子は此を知りて之を存す。ここを以て戦兢惕厲、而して卒に能く以て其の受くる所の理を全うする有るなり。」 下調の時、幾希は殆(ほと)んど希(まれ)なりと読むのではないかと、大分迷ったのだが自身がつかなかったので、註に従って読んで終った。 次に而能有以全其性、為少異耳のところを而能有㆔以全㆓其性㆒、為㆓少異㆒耳とするか四五回も繰り返したのだが、前の通り読んで終った。 委「中学生に教える積りで、其の語の所を解釈して御覧なさい。」 私は極めて卑怯な態度であったが、出来るだけ万全策を取るつもりで、字面を辿り辿り表面的な解釈をして行った。自分としても情けなくもあり、不満足に堪えなかったが、漸くにして渋り渋り為し終った時、実際冷汗の背を湿らすを禁ぜざるを得なかった。 委「第×行目のところ(而能有以全其性の項)何と読むかね。」 前に読んだのが悪かったのだなと感じたが、下調に迷った事を言って、両方を読んで見た。そうすると「どちらがよいと思うか」と仰言られたので、後者に決めた。又、 委「其の性を全うする有ってかね。」 と念を押されたので、 私「其の性を全うする有り、と致します。」 委「そうだね。その方が口調も良くて宜しい。」 委「人物とは何かね。」 私「人間以外この世に生存する生物をいいます。」 委「では樹木などをもいうのか。」 私「イーエ、漢文に禽獣などとありますから、主として禽獣を指しているものと思います。」 委「天地の理を得て以て性を為すとあるが、其の天地の理とは何をいうのか。」 是には私も内心困ったなと思った。下調の時も、天地の理や天地の気を質問されたら、どう答えようかと全く見当がつかずに終ったのであったから、最早絶体絶命の至り、仕方がない。 私「此の天地間に一環する道理だと思います。」 委「一貫する道理とは何か。」 私「孟子でいう本然の性ともいう可きものでありますまいか。」 だんだんと脱線して行く。 委「本然の性とは何か。」 どこまでも追究される。 私「すべての道義の根本となる誠などそうだろうと思います。」 委「イヤ、もっと哲学的に説明して欲しいのだ。」 私「どうも判然と分りかねます。」 到頭兜を脱ぐ。 委「じゃ、性とは何か。」 私「性質と言う様なものです。」 委「性質とはどういうものか。」 私「宋代の学問でいった性理学などでの道心人心を指していうのでありますまいか。」 薄氷を踏む気持―いや全くもう淵に陥込んでいるのかも知れぬ。 委「質とはどういう事か。」 私「本然の性に対して、外界の事情、境遇に依って左右され動揺させられる人心の如きものの、由って来る所のものだと思います。」 自分でも何が何やらさっぱりわからぬ。 委「本然の性の對して、他の之に対するものは。」 私「気稟の性。」 委「イーヤ、考え出せぬかナ………気質の性じゃ。」 委「これらについては、もっとよく調べる必要があるね。」 全く四分五裂、答弁の形をなして居ない。此の頃尚追究を重ねられた様に思うが、記憶が明瞭でないので省略する。 委「衆人不知此而去之の之は何か。」 私「少異だと思います。」 委「君子知此而存之の之は何か。」 私「同じく、人と禽獣との異なる点、少異だろうと思います。」 委「戦兢の意義は?」 私「戦々兢々の意味です。」 委「其の意味は。」 私「戦々兢々薄氷を踏む如しなど言いますから、小心翼々、よく注意深く慎重の態度を取る事と思います。」 委「戦の意味は―兢―の意味は―其の出典は。」 続々と質問される。 委「惕厲の意味はどうかね。」 私「よくわかりません。惕は怵惕の惕ですから、慈しむでないか知らと思いますし、厲は励と同じだと思います。それで、めぐみ励むの意と思います。」 委「怵惕という意は。」 私「怵惕惻隠の心など云いますから、矢張りメグムと思います。」 委「委怵も惕と同じ意味かなァ。」 委「孟子は何で調べたか。」 私「大体漢文大系を中心としました。」 委「それじゃ、是は分る筈だがね。しかしここでは之が一番むずかしい語だな。易経から出た語じゃ。」 委「それじゃよろしい。」 是で漸々にして口述が終って、外に出たが、全く以てお話にもならぬ。 ホッと息はついたものの、自分の心の中には、黒雲のような苦しいわだかまりが、次から次へと拡大されて行く。 歳の幕の午下りの陽は、暖に何のくったくも無さそうに煦々と輝いている。往来の人の顔ものどかに見える。けれど自分の胸に―ああ遠く此処まで来て、そして最後のどたん場で、総てを水泡に帰せしめられるのかと思うと、自然に目頭の熱くなるのを感ぜずには居られなかった。唯自分として口述については、筆答試験を受ける以上に実力の涵養は肝要だと、此度という此度は泌々と体験したのであった。(扇濱生) 【一〇】 断想 「資格取っても就職口が無い」 と心配して遊んで居る隙に一頁でもよいから参考書を読め。資格が取れたなら活路は自ずから開ける。 遅疑逡巡して居る人は一生敗者として世を渡る人だ。 □ 朗らかな心でありたい。生き甲斐を感じて生活したい。酔生夢死に近い生活は自己への冒涜だ。 □ 朝顔が美しい花を咲かせて居る。蝉は朝早くからセッセと鳴いている。ー凡てが自己拡張に懸命の努力だ。朝寝と昼寝に過ごしてよかろうか。 □ 寸言を拾録する。 ×怠らず行かば千里の外も見ん牛のよし遅くとも。 ×努力なくんば安楽なく休息なし。 ×自ら労せずして獲る所の者は一も貴ぶに足るものなし。 ×才は天より受くと雖も之を完成するは自修の功に由るなり。天分を惜しまずして人力を尽すべきなり。 ×如何に弱き人と雖も其の全力を単一の目的に集注すれば必ずその事を成し得べし。点滴も絶えず墜つれば巌をもうがつ。 ×人生は労力を費やさざる人には一物をも与えず。 ×懶惰(らんだ)の頭脳は悪魔の工場なり。 ×起てる農夫は坐せる紳士よりも高し。 ×明日為すべき事は今日之を成せ。 ×天は万物を人に与えずして働きに与うるものなり。 ×仕事をば追うて仕事に追わるるな。 ×唯進みて誤り倒るるも起き上がりて更に進め。 ×男らしき仕事とは汝のなし能う事を全力を尽して為す事である。 ×憂き事の尚此の上に積もれかし限ある身の力ためさん。 ×気根強きものは勝ち弱きは敗けるべし。 ×勤勉の人は万物を化して黄金となす術あり光陰と雖も亦之を黄金に化すべし。 × 物に退屈するな。 × 努力の手は成功をつかむ。 × 努力は天才に勝つ。 □ 初めて文検に取り掛かる人は、雲梯に登る位に過大視する。通過して安易なのに驚いてからは常識程度だと思う様になる。只自己の力を信ずべきだ。 誰しも己惚れない人は無い。それで居て文検は到底取れぬと始めから諦めて見向きもせぬ人がある。矛盾も甚だしいでないか。 骨折って苦労して永年かかっても合格せぬ位なら始めから手をつけぬ方が得だ・・・と言う。一体その損得は何を標準に言うのだろうか。 □ 学校騒動があって十三名一度に馘首されることになった。退職すべき理由が出ないからと言って頑張ったのがたった一人だけ。其他は威嚇されて早速退職願を出して終った。「二級飛ばしてやるから」「何とか就職の方も考えてやるから」と言ったのは其の時だけであった。経済的に窮乏でビクビクした連中は退職後四ヶ月の今日、まだ退職給与金に有りつかず、今更腰の弱かった事を後悔もし憤慨もして居る。 正しい理論を主張し得るのも結局金があってのことだ。これが無くては何時も御無理御尤で終らねば ならぬ。 □ 卒業早々貯金しようなどと思う者には研究心が起らぬ。新刊の書物を欲しいが金が惜しいと思う位では研究も何も出来そうなことはない。そんな人には昇級も遅く結局金の出来るのが遅い。世の中は面白いものだ。「急がば回れ」は瀬田の唐橋だけではない。 研究心の旺盛なものは新刊書を買うにも金は入る事は入るが、よい地位にどんどん昇って結局は寿命も永く、研究せぬ者が僅かの小銭を貯えて首になる頃には大校長で収まって居られる。 □ 一日の業務を終えて床に就く時、今日一日ほんとに緊張した心持で過し得たかと考えた時、満足して安らかな眠りにつける人は幾んど有るまい。 やろうと思えば未だ未だやれたのに怠けて遊んで終ったり、或は全く無為に過して居たことに気付くことだろう。 緊張した生活、はち切れそうな充実した一日一日の集積ーそれがその人一生の功績事業となるのだ。 ともすれば逃げて行く時を十分活用せなければならぬ。「秒に鞭うて!!」は慥に至言だ。 □ 就蓐(就寝)する時、一日の働きを反省して満足してニッコリとして眠れる人は幸福である。無反省に寝入って終う人は向上なき人である。反省した結果焦慮する人は向上しつつある人である。 大不満家であれ!!大野心家であれ!!大空想家であれ。若い者でありながら、小じんまりとまとまった様なものは恐るるに足らぬ。一生を平凡に過す人間だ。 【一一】 受験者談話室 ―受験記― はしがき 勉強に倦んだ時、勉強に嫌気がさした時、受験などにこの青春を浪費(?)して終ってたまるものかと思われた時、二度目でも三度目でもよいから此の辺を繙(ひもと)いて見られたい。「これではならぬ。やろう!!」ときっと奮起されるであろうから。 此処へは「文検世界」や「文検受験生」などへ掲載された血の記録、熱血の迸(ほとばし)りを転載することにする。筆者諸君も後輩への刺激発奮剤となる点に於いて無断転載を諒とされたい。最初の私の述懐から始める。 1 過ぎ行くもの 「小さき足跡」 至って平凡に小さい足跡を残して来たに過ぎない私であるが、有りのままに過去を語り、現代を話し、更に未来をも考えて見たいと思う。 私は大正六年和歌山県師範学校を卒業した。そして海辺の一小村に教鞭を執る身となったが、其の一ヶ年の生活は先ず無自覚の一星霜であった。始めて教え児に接し我が担任の一学級を思いのままに活動せしめることに依って生ずる歓喜に心を打ち顫(ふる)わしめて夢の如き一歳の日子を過した。他を顧みる余裕も無く、只児童と一緒になって楽しい月日を費やした。 翌年家兄の死に依って私は家庭の関係上故郷の山村に奉職することになった。旧友の多い故山に入っては、全くの村人と化して終って囲碁や将棋やさては浄瑠璃などに熱中して、真の教育者からは稍縁遠いものになって行った。これには種々の原因もあったのだが、一つは家庭の鉄鎖に縛られて故山に蟄居せねばならぬ運命づけられたことに起因して居たのである。 斯くして貴かるべき二三年は過ぎ、新刊の書は読むでなく、徒らに新聞小説を唯一の読物として退歩廃頽の日を送って居た。けれどもこの頃何とはなしに生活に興味が無く緊張の無い其の日暮しで、何日も何日も心が満たされなかった。 忘れもせぬ大正十二年末の冬休みの時であった。 雪の日に炉辺で黙然として居る処へ、校友会誌が投げ込まれた。封切る隙ももどかしく同級生の動静を見た。―××が師範の訓導に、〇〇が中学校の教諭に、△△が女学校の教師に、それぞれに行く可き道を見出して邁進して居た。 その時に「これではならぬ!」と思わず叫んだ。卒業後の四年間に或る者は文検に合格し、或る者は研究を積んで附属に入って居る。それに自分は何たる事だ。無意義にも等しい無自覚な日を過して何の向上も無く、何の希望も無く漫然としてその日その日を糊塗して居る。何たる惨めさだ!!。これではならぬと躍り上がったのである。 早速三里ばかりの川下に友を訪ねた。じっとして居られなかったからである。友は喜んで迎えて呉れた。私は此処でも更に「これではならぬ」と叫ばざるを得なかった。と言うのは新聞の連載小説以外に読書もしなかった自分の眼を、彼の書棚から、哲学、宗教、其の他新刊の教育関係図書が金色燦然としてずらり行列して驚かしたからである。 私は有りのままに自分の考を話した。向上したい。よりよき緊張の生活に入りたい。生き甲斐のある生活がしたい。それには如何なる努力をしたらよいであろうかと相談した。友は言った。「附属の訓導に行くか。文検取るかだ。この二つ以外に進む道は先ず無いよ。」 二人で久しい間語り合って別れる時、私は文検を受けることに決心すると告げて別れた。 〔悲しい哉。薄志弱行の我〕 教育を受けようか、修身にしようか、それとも数学にしようか、国語にしようかなどと考え迷った。何れも皆自身の無いものばかりであるが、国語は何となしに深くやったら面白そうな気がした。迷い迷いつつも早速、早稲田の講義録を注文した。毎月二冊宛送られた。始めの中は待ち受けて居て読破した。三ヶ月目四ヶ月目になると、先の分をまだ一頁も読んで居ないのに後の分が来ると言う始末で、見るのさえ厭になって来た。 ―会誌を見た時に起った興奮は早や醒めて終ったのである。― けれどもポケットへは毎時講義を入れて置いた。読む為では無く、虚栄からである。これ位の物は読んで居るぞと広告する為にである。隙の時にはそれでも思い出して一頁二頁と拾読みをした。 斯くして一年は文検受検を覚悟しながら、中止の形で過ぎて終った。四月が来た。同級生はどんどんと昇級した。けれども怠けて居る私は矢張り本の黙阿弥であった。而も分教場へ左遷せられた。 如何に薄志弱行の私も奮起せざるを得ぬことになった。朝から晩まで一人教員室に呆然と座って居るだけでは堪えきれなくなった。 新刊書の濫読となり、講義録の精読となり夜も昼も読書した。柳子厚の墓誌銘などを読んで柳州の名声を博したのは永州に左遷せられたことに起因して居ると云う様な所に至ると、恰も子厚にでもなったつもりで大いに共鳴したものである。 十二年郡教育会に「読方研究会」があって会員研究発表があったが、其の際に日頃濫読したところを以て「読むの本質」と題して研究発表をした。その為と言うのでもあるまいが、同級生などの推薦もあって翌年附属訓導として抜かれた。 国語主任としての傍、受験準備をして翌十四年に予試本試ともに合格した。 〔現代の生活〕 文検に合格すると同時に、「官報で見たが自分の学校へ来て呉れないか」と五箇所ばかりから手紙を貰った。今ならば就職難であろうが、十四年の私の時などは何処へでも行けた。しかし私は中学校へ出る考は毛頭なかった。文検を目指した理由は中等教員になるに非ずして、多少認められるには文検を取るか附属訓導になるか、何れかを選ばなければならなかったからである。その上八年余りもやって来た初等教育界に対しては十二分の未練執着があったので、惜しい気がしたが、友人達の勧告もあり、国語そのものの面白さも稍々分って来た時なので、愈々決心して中等教員の末班を汚すに至った。 かくて十四年秋T中学校教諭拝命。昭和二年漢文科合格。翌三年初夏現在校Y中学校に転任。そして現代に及んで居る。未だに国漢科の末席を汚すの光栄に浴して居る。 〔勉強の傍ら著書] 師範在学中から詩に興味を持って居たので、唐詩選の平易な講義を思い付いて着手した。 而し浅学非才の事とて意の如くならず、諸先輩の説を自己の脳力で咀嚼出来るだけして、それを最も了解し易く書いて行った。殊に早稲田の講義録に出たものは、そのままそっくり之に倣ったものなどもある。斯くて一学期中に纏め上げて昭和二年の秋出したが、一ヶ月足らずで三版を出し、三年で九版を出し非常な好評を得た。勿論宇野博士の序文のお陰であると思うが、又内容が繁簡その要を得て居ることにもよるだろうと自惚れている。「唐詩選詳解」と題する本で大同館から出した。 私は毎時、少しなりとも自分の力で出来るだけの事をして、独学者の好伴侶となり、よき道連れとなり、慰安者となりたいと心がけて居る。今の処私としては最も平易にして能率を挙げ得る参考書を書くことだけが与えられた仕事の様に思うので勉強の傍ら書き纏めて居る。 漢文科を受験した時に、史記・八家・左伝のよい選択のないのにはほとほと閉口した。漢文大系に依っても漢籍国字解本によっても、少年漢文叢書によっても、時間さえかけたら十分勉強は出来るのであるが、何がさて短時間で最も能率の多いやりかたをしようとするのであるから、あの全釈では手間取って仕方が無い。左伝をやるにさえ二三年の日子を費やして終う。殊に印刷其の物の体裁が頗る読みづらく出来ているので、内容は非常に親切に説かれて居るけれども読むのに倦怠を生じて仕方がない。それ等を思って「唐宋八家文詳解」「左伝詳解」を出した。左伝は今春二月に出したばかりであり八家文の方は既に再販を出した。両書ともに精髄を抜いてあの大冊の講義を見なくとも、此の一冊で十分事足りる様に仕上げた。 そんな理由から「十八史略詳解」も啓文社から発行した。大いに実力を涵養し独学者の倦まず撓まず勉強出来る様に工夫した。今後とも著述を続けて行き度いと思って居る。 [これから?] 目下私は第三次計画に取り掛かって居る。(第一次は国語、第二次は漢文、第三次は高等教員。)何時の日に成功を見得るであろうか。私如き駑馬は如何に鞭うてどもかの峻峰を攀(よ)じ得ぬかも知れない。けれども孜々として勤め、汲々としていそしんだら、やがては高嶺に立って玲瓏たる月光を仰ぐことが出来るものと信ずる。それを楽しみとして零細の時間をコツコツとして机に向って居る。 年若い人々の合格談を聞かされる度毎に、本気になって勉強に取り掛かることの遅かった事を悔いつつ、遅れ走せながら進みたいと努力して居る。 2 本試験征服記 〔卒業早々受験〕 大正十二年岡山師範二部卒業後少々無謀とは思いましたが、翌十三年国漢科を受験した。僥倖にも予試に合格しました。本試は無論失敗に終りました。翌十四年四月から現在のA中学に職を奉ずることになりまして、勉学上にも何かと便宜を得同年夏の本試に国語科に合格しました。 併しそれと同時に少し健康を損ねましたので、漢文をやりたいと思いながらも、はかばかしい勉強は出来ませんでした。殊に少々酒を飲むことなんか覚えて来まして、十五年の暮から昭和二年一ぱいは全然駄目でした。 愈々本気になって、漢文科の準備にとりかかったのは昭和三年一月からでした。大体のプランを立てて同年十二月まで文字通り専念にやりました。好きな庭球や散歩なんかも殆んど中止の形で必勝を期して読みました。併し十二月の本試はまだまだ時文の研究が不十分であった為と漢作文が稍々出鱈目であった為失敗しました。 翌四年は今まで郷里へ帰して置いた妻子を引き寄せて再び庭球生活を始めるやら、五月には足部の腫物のため病院通いをするやら、夏には母の重病続いて父の死等で随分ゴタゴタしましたので、可なり苦しい勉強をしなければなりませんでした。取り分け父の死に際会した時なんかは落胆も手伝って今年はとても落ちついた気持で準備なんか出来ない。一層のこと受験を中止しようかとまで思ったのでした。併し九月半ば頃その方もどうやら一段落ついたものですから又思い直して準備にとりかかりました。 十二月十日上京するまで可なり真面目に読みました。こんな有様で五十一回の本試に幸にも合格する事が出来た訳なんです。漢文科を稍々真面目にやり出してから二ケ月かかった訳です。半ヶ年か一ヶ年少々の準備で合格せられます人々のことを思って誠におはずかしい次第です。以上大体私の通って来た道を述べましたから次に貧弱ながら私の準備法を述べさしていただきます。 読みもしない本を羅列することは而後受験せらるる人々に対して親切でないと思いますから、ここには私の実際参考に供した書籍につき、ありのままに申述べることにいたします。これっぱかしの本を読んでパスするのかと読者の皆様が不思議にお思いになる位しか読んでいない私です。無論多くのものを読むと言うことは結構な事と存じますが、併しここにあげましたものだけを精読すれば合格する程度の実力は十分に養えることと信じます。 (一)解釈方面 A 左伝 〇共益商社 高等漢文読本七 〇鹽谷博士 左伝新鈔 〇瀧澤良芳 左伝選釈 〇少年叢書 春秋左氏伝講義 右の内高等漢文を中心にやります。これは白文ですから(もっとも白文ともうしましても句読点だけはわりますが)始は少し骨が折れますが最初からこれで練って行きました。少年叢書を参考にしながら難解な処は余白へドンドン書き込むのです。 併し返点送仮名は絶対につけません。少くも試験前これを見れば九分通りは了解出来るまで反復練習するのです。そしてこの本以外で大事な個所がありますからそれを新鈔と選釈で補います。大系本を一読したいとは思いましたが、何分時間の余裕もなし、それにこれでウンと白文練習をやって置けば左伝は大凡そ読みこなすことが出来ると考えましたので止しました。 B 韓非子 〇共益商社 高等漢文読本八 〇吉波彦作 韓非子詳解 吉波氏のものは実にいいと思います。これを中心にやりました。二三回精読すれば大体理解出来ます。高等漢文は少し量が少いので最後に復習的に見ました。併し左伝と同じく白文ですから実力を試すには手頃のいい本です。 C 史記 〇共益商社 高等漢文読本四 〇漢文大系 史記列伝 〇二大漢籍 史記列伝及項羽本紀 高等漢文を中心にやりました。やはり白文ですからウンと力がつきます。分らない文を大系本や国字解本で見る程度にするのです。項羽本紀は無論入れてありますし、列伝全部はありませんけれ共これだけのものを理解して居れば他は十中八九分通り読解出来ます。 D 四書 四書の必要なことは予備本試共通です。四書は必ず予備のものなど独り合点することは甚だ無謀なことです。徹頭徹尾やりました。 〇宇野博士 四書講義大学 〇宇野博士 四書講義中庸 〇簡野道明 論語解義 〇簡野道明 孟子通解 右のものを先ず精読してから左記のものをやりました。これは朱註によったものですから口述の準備として甚だ必要です。 〇簡野道明 補註学庸章句 〇簡野道明 補註論語集註 〇簡野道明 孟子集註 尚復文漢作文の準備にもなると思いまして大学論語孟子の前半を白文として筆写しました。 E 時文 〇田井嘉藤治 最近支那時文実鑑 〇吉波彦作 漢文 白文訓読復文作文 研究要訣 吉波氏の時文篇は全部精読し、時文実鑑は三分の二位まで研究しました。この外に昨夏広島県教育会主催の国漢講習会で斯波教授の講習を受けました。 F 八家文 最近八家文の読方が殆んど毎回本試に出されます。併し試験に出される程度のものでしたら以上AからFまでのものを精読していれば別にやらなくとも大体は読解出来ます。私は本試受験に際しては八家文として大部なものは読みませんでした。只 塚本哲三 漢文解釈法 の中の八家文の部を白文について見ただけです。予備の時読んだ記憶も多少はあったかも分りませんが本試には二度とも八家文の読方には苦しみませんでした。併し余裕があれば次の本位は見ておくといいと思います。 〇鹽谷博士 唐宋八大家文鈔 (二)設問方面 A 文学史 〇児島博士 支那文学史綱 〇西澤道寛 支那文学概説 〇橘文七 支那文学史要 〇石川誠 漢文科研究者の為に 児島博士の著を精読し、次いで西澤氏のものを一読しました。試験前になってから橘氏のものと石川氏のものを中心に只管暗記につとめました。この二書はノート代用として誠にいいと思います。合格するだけの力をつける点から考えますと後の二著を精読するのみで十分と思います。 B 哲学史 〇宇野博士 支那哲学史講話 哲学史はこれ一冊を精読しただけでした。これだけで十分と思います。併し性理学の研究なんかには、朱子の近思録を読んで置くと口述の場合なんかに非常に役に立つことを感じました。お恥かしい次第ですが、私はこれを読んで居なかった為、口述の時まごつきました。委員の先生もこれを読む様に親切にお教え下さいました。 今後の受験を希望される皆様は通読だけでもなさいます様切にお勧めいたします。 C 文法 〇児島博士 漢文典 〇佐々木藤之助 漢文典 児島博士の著を中心として佐々木氏の著を一読しました。尚吉波彦作氏の「漢文研究要訣」中の白文訓読篇は大いに参考になります。精読すべきだと思います。 D 其の他 〇鹽谷博士 支那文学概論講話 〇石川誠 漢文科研究者の為に 鹽谷博士の著は大変分り易く書かれていますので、一読するだけで大抵理解出来ます。石川氏の著の中で第一巻の汎論と第二巻の漢文学概論亦一読を要します。作詩法としては次のものを一読しました。 〇森槐南 作詩法講話 (三)漢作文 〇吉波彦作 漢文研究要訣 まとまったものとして見たのはこれ一冊です。併し真面目にこれを研究すれば大いに見る所があります。何を言っても作文は自ら作ることです。既往の題をとらえて一つでも多く作る努力を惜しんではならないと思います。私は約三十題ばかり作って見ました。作ったら唯我独尊をきめこまずにその道の人に必ず見ていただくことが何よりも肝要と思います。前述の佐々木氏の漢文典中には漢作文上の要領を可なり親切に述べてあります。 尚私は半分位読んだだけでしたが次の書に就いて漢作文の要領を会得すべきだと思います。 〇高於菟三 漢作文作法要義 (四)問題集其他 〇霜島勇気男 高等漢文漢語詳解 〇瀧澤良芳 国語漢文科問題詳解 〇中等学校漢文教科書 三・四・五の巻 右は必ず一読すべきです。殊に漢文科教科書は徹底的に研究すべきです。私は富山房の服部博士のものによりました。 以上大体私の準備法に就いて申述べました。月並的な方法で別にこれというべきものはございません。併し多少でも受験の皆様に参考になることが出来ますれば嬉しく存じます。 合格したにつけても父にこのよろこびを分つことが出来ない事を非常に悲しく思います(岡山、岩佐氏) 3 漢文科受験準備時代を語る ◇神の試練 今年失敗すればもう受験は放擲(ほうてき)しようと思っていた予試であった。それが国語の方は可成り出来て、最も得意であるべき筈の漢文が思いがけぬ不成績に終ってしまった。もう駄目だと思った。 受験最後の日、恩顧を受けている人に私は手紙を出した。 「私の将来を決定する受験は全然失敗になって終ったらしい」と。それからの懊悩は友人達が心配して呉れる程に甚だしいものだった。少年時代からの逆境は随分苦しいものであったけれども、併し努力に相応して漸次光明の域に近づいて居る様に思って居た私は、「失敗は幸福の基」と言うよりも「私に失敗なる語無し、世人の所謂失敗なるものは、幸福の一部分なり」とも考えて居た。私の堅く心に銘じて居た信念でもあった。 故に如何なる苦境の立っても決して失望はしなかった。苦しいとも思われなかった。不平や噴怨もなかった。一昨年昨年本試に二回落ちても落胆しなかった。努力すれば運命の神は決して自分を見捨てはしない。失敗があってもそれは神はより大いなる幸福を与えて呉れる為の一の試練に過ぎないのだ。かくて私は一切を運命の手に任せてしまっていた楽天的運命論者だったのだ。 それが昨年三月のある機縁から信仰の団体と交渉を持つ様になり、宗教から見て運命論の極めて幼稚なものであることを知った。運命の神といった程度のところに安住して居る自分をつまらなく思って一文字に宗教へ走った。 併し小さい理知と懐疑は遂に徹底した信仰を私に許さなかった。為に安心する境地を全然失って終った訳だ。恰度(ちょうど)その頃の予試の不成績だった。暗い将来を思って泣いた。過去の逆境を呪って身をたぎらせた。 勿論本試の準備には少しも手をつけない。私は只管何も考えまいと務めた。殆んど馬鹿になり切って日がたった。所が思いがけなく予試の合格である。本試までに後二十日程しかない。短い時日だ。 併し私のからだには力が漲(みなぎ)って来た。やるのだ。 ◇祝賀会 それから懸命の準備に取りかかった。国漢兩科を出題していたが、国語に二分の力をさき、残りの力を漢文に注いで、悪戦苦闘の日をつづけて行った。 一身の興廃此の一戦に在りの緊張、今度こそ必ず合格してみせるの意気を以ての奮戦であった。筆答試験の日が来た。八分通りの安心を抱いて即日三島の震災の地に走り恩人の許に労力を捧げて数日過ぎた。帰京して口述をうけ、幾分の不安があったが、大して悲観もせず、発表の日を待ち、遂に合格の吉報に接することが出来た。此の日天気晴朗とでも言いたい気分だった。友人達が集って祝賀会を開いて呉れた席上私は私の通って来た十五年間の受験生活を回想した。波高しの苦しい過去であった。併し今はその波瀾重畳の過去に却って懐かしさを感ずるのだった。 ◇受験生活十五箇年 小学を出る時、当時の私の村が専門学校出一人、中学校数名位のものであった為に、別に中学入試の熱望もなく、又貧の為のあきらめも手伝って何の苦しみも不平もなく当然の事として高等科へ進んだ。その時恩師は私の為に中学講義録を取って下さった。 それが私の受験生活の発端だった。 専検へ、専検へ、これを目標にして高等科を卒業して神社の小使になった。それから神戸へ出て歯科医の書生にそれから郵便局の事務員、外国商館の給仕へと、食う為の職業に転々して行った。 その内に私は私の頭脳を余り信じ過ぎて居たことを知った。全くの独学に英語はリーダー四で、代数は級数、幾何は立体で行きづまらせてしまった。私自身に愛想をつかせて専検を放棄してしまった。 十八の秋会社員にでもなるのだと考えて、三ヵ月の準備で商業会議所の試験を受けて一科だけ合格した。先ずこれからと思っていたその翌年の二月、父の死にあって帰郷し、兎も角一人して食う道を見つけなければならなかった時、幸に恩師の厚情によって一ルンベンは小学校の代用教員に採用されて、十九の四月初めて教壇に立った。 その五月尋淮を受けて合格したが、師範出ではない為の苦痛を味わいつつ又その為に一層の努力をしながら、先生で満足しきれない寂しい日を続けて、教師生活五年の日は過ぎた。その間に尋正の受験に二回行ったが、一回はその地の図書館で小説に読み耽り、一回は一燈園へ走って、勿論合格することは出来なかった。 あせっている中、某専門学校の入学試験を受けて見る気になった。十日間を山奥の家へと閉じこもって準備した程度の力で、それでも汽車賃を工面して上京した。課目は国漢だけであるが、日本外史と徒然草を読まなかった私には難問揃いであった。併し幸にビリの方から近い成績で入学することが出来た。先輩の好意で金は某会から借りることに話がついた。 順風に帆をあげる幸運にめぐまれて意気揚々、学校生活に一歩を入れた。小学校教員免許状を有する者は卒業後漢文科高等教員の無試験検定の特典を受ける資格ありとの規則書を信じて入学後の私は幸運であった。六年後の輝かしい生活を想像して居た。私を尋淮である故に軽蔑していた小学校時代の同輩に対しての事も思った。光明にからだを包まれて一年は過ぎた。 一年過ぎて幸福から絶望の谷間へ私はつき落されなければならなかった。規則書の小学校教員免許状のうちに尋淮免許状は入って居なかったのである。為に卒業後の特典は全然私には与えられない。怒って見てもどうにもならないのだ。今までの時間と金との空費、併し退学すれば借金一時払いの義務がある。といって此の先在学して何の効果があるのだ。進退に迷ったが結局在学することに定めて終った。在学中に中等教員の資格をとれば卒業後の特典をうけることが出来るかも知れぬとの頼りないことを便りとして文検への進路を辿ることに決意した。 又これから受験生活がつづくのだ。やれ!元気よくやれ。学生であり独学生である私の生活が、それから慌ただしく続いて行った。入学した翌年千葉県へ小准を受けに行って体操で味噌をつけて帰った。その秋山梨へ行って時間に遅れて逃げ帰った。 その翌年東京府の小准をうけ、長躯して奈良三重に転戦した。いずれも筆答にパスしたが、東京府の体操実地にだけ出席して合格し、二県のは棄権して終った。 その四月皇典研究所の神職試験をうけて筆答にパスしたのは、私の受験史の道草だった。七月末東京府の発表があって、愈々予備試験へ取りかかる。本もない金もない。数冊の本のみによって予試を受け、僥倖にも合格、本試筆答も通過、破竹の勢いで口述に突進して功を一簣に欠いてしまった。これでいい。落胆もしない。失望もするな。 翌年二回目の本試筆答は切り抜けた。今年こそはは決死の覚悟で、口述へ進んだ。結果は多少楽観して居たにも拘らず、万事休すの悲運に遭遇せなければならなかった。 愈々翌年二回目の受験だ。今度合格しなければ、もう私の受験生活におさらばを告げてしまうのだ。この意気で昨年の一月を迎えていながら準備に手をつけないで七月まで過ぎて了った。 八月の夏休を知己の家の留守番に組まれたを幸、毎日五時間を準備の時間にあて、克明に勉強して行った。予試を受けて後からの事は初に記した通り、再言する必要はない。 ◇無試験制度 小学校教員時代に私の編輯して居た文集に、「卒業生諸君に」と題して「学校は時間と金との浪費所である」と書いたことがある。現代学生生活をやって居ることから考えると独学時代のこの言葉は、全く当って居るとも言えないが、誤って居るとも言えぬ。独学によって受験する人々は、学校に入ることを羨望せないで、真の自己の力によって免許状を獲得すべきだ。無試験の特典ある学校にいてこんなこと言うのも変であるが、学校卒業生に与えられる無試験検定制度も全廃するのが至当だと私は思っている。 学校出の智識は広い。けれども浅い。又狭くて浅いのも多い。私の知人にも無資格で入って無試験の特典が与えられぬ男がいる。その男より以下の成績の多くの者が卒業の時には得々として免許状を持って行くことなど、どう考えても不合理な話だ。 ◇参考書 準備と受験の実際を記すことは、私が一方学校生活をやって居る為、一般独学者諸氏の参考にはなるまいと思う。ただ受験に用いた書名だけをつらねて置くことにする。 予備試験(国語は除く) 四書 少年叢書四書講義 宇野博士著大学・中庸、四書集註(上海本) 十八史略 漢籍国字解、箋註十八史略、少年叢書 唐詩選 漢文大系 八家文 漢文大系 設問 支那文学史綱、支那哲学史講話、漢文捷径、漢文科研究者のために 本試験 左伝 少年叢書、春秋左氏伝校本、春秋左伝(上海本) 史記 少年叢書、史記評林 韓非子 韓非子集解(上海本)、韓非子講義、韓非子詳解 時文 支那時文教程 設問 予試と同じ 口述 四書大全、東洋通史 最後に私は明治三十六年生れ、兵庫県宍粟郡は私の郷里である。同郡は文検熱の盛んなところ、若し同郡の人で本誌の読者があれば健闘と成功を祈って止まない。(黒郎生) 4 恵まれざるの記 〔一将成功万骨枯〕若し断章主義を以てすれば自分は万卒の仲間に当たる、失敗者成功之母也の西諺から言えば、失敗何んぞ敢えて悲しむに足りない。然しながら功を誇るは易く恥を露すを好まぬが人情だ。漢書に覆車之戒あり、詩に曰わずや他山之石可以攻玉と。 予備試験を終った其の夜、私は士気を鼓舞するために、安井息軒先生の三熟記を読んだ。そうして本試準備のプランを立てた。十二月二十五日まで七十八日。この間に史記、八家文、左傳、韓非子を読まねばならぬ。設問作文もやらねばならぬ。思えば多忙の事なる哉と嘆息せざるを得なかった。過にして九月までは渾身の勇気が凡て是れ予試に注がれてあったからだ。 〔本試への準備〕この七十八日を三期に分けて見た。 第一期 読解 第二期 時文 作文 第三期 設問 既出問題研究 読解で骨を折ったのは左傳だった。尤も私は先輩からの注意で、「予試と本試との間に期間が短いから予備の準備前に必らず本試の参考書の一つだけは後で見なくともよいという程度に実力を附けて置け」と言われたので、昨年十月から本年一月まで四月刊間、左傳を抄録し、且つ先輩から白文課題で採点して頂いて居たが、恥しい事には韓非子はまだ一度も目を通して居ない。八家文と史記とは中学の四五年の漢文を受け持った事があるので、どうやら一通りは見ている訳だった。 漢作文には一番苦しんだ。山下賎夫氏の復文の系統的練習と、吉波彦作氏の漢文研究要訣をやって、高於菟三氏の漢文作法要義を一通り見て、皆川淇園の習文録を少し許りやった。 韓非子は吉波氏の韓非子詳解を読んで菁萃録韓非子で整理した。 十一月十二日、官報は本試験の日割を示して呉れた。見ると漢文筆答試験は十二月十四日である。俄然、私の計画に驚異と齟齬とを来した。それはプログラムよりも十日間も短縮されたからであった。だから大車輪大急行でやらねばならなかった。越えて十六日の官報は漢文予備試験の合格者の名を発表し、辛じて驥尾に附することができた。 十二月九日、私は指導を受けた先輩に、匏有苦葉、済有深渉、深則広浅則掲の賦を送って非常の決心を示し、自ら背水の陣を布き、東都を指して勇ましくも進軍の門出に上ったのである。 郊外の親戚の家は閑静で、勉強には此の上もなく好かった。私は先輩の意見を聞いて、一室に雑居させられる様な旅館生活には足を入れずに只一人静かに読書に耽って、暁燈燭只管参考書に親しむことができた。 〔本試験筆答の日〕愈々明日に迫った。いつもよりは早く床に入ったが、夜半夢破られて眠れなかった。八家文や韓非子の既出問題に一通り目を通して試験場に向った。電車の中では、共益社の高等漢文読本巻之七の左傳を見て居た。試験場についた頃は未だ開始の時間に間があったので受験者は余り集って居なかった。定刻近くなると、試験監督からの訓示があって、薄暗い場内にパッと点いた時、思わず私は胸のときめくを覚えた。 私は場内を一瞥して見た。白髪禿頭の老翁もあれば美髯紅顔の士もあり彩とりどりの裡に、万緑叢中紅二点を発見し有髪紳士を後に瞠著たらしめた。これでは緊褌一番せねばならぬと考えた。見ると其の一人は今春或女学校で確かにお目に懸った方。あの時ストーブの傍で韓非子詳解を見て居られた方だった。顔見知りと言っては外にも一人美しいカイゼル髪の有る中学校の退役大尉、この人は去年も受けられたそうで、彼と同僚の私の先輩からその時の本試の問題を知らして戴いた事があったが、不幸にして尊名を知らなかった。 受験者凡て百三十五名、机を見ると鹿子斑の欠席はあるが、満堂是一騎当千の闘士かと思うて貧弱な自分の力を顧みた時一種の戦慄を感ぜざるを得なかった。 やがて答案用紙と問題とが配られる。一渡り目を通す。孟子、左傳、八家文、時文設問、作文、都合六題。 第一に意外々々。出ると思った韓非子は意地悪く出ないで、出ないと思った(予試の復文に出て居たから)孟子の離婁が出た。先ず句読訓点をつける。次に解釈、最初の規矩方円之至也、聖人人倫之至也の至を至宝と解した。これは註の至極也に気がつかなかった誤りだ。それから欲レ為レ君尽二君道一、欲レ為レ臣尽二臣道一の欲の管到を間違えて、 欲三為レ君尽二君道一、欲三為レ臣尽二臣道一 と書いて終った。これは文法を思い出さぬ失敗だった。我ながらルーズの感がする。実際を言うと、孟子の出題は実に意外だった。それは四書は予備の時に見ただけだったから。これで見ても四書は徹底的にやらねばならぬ。 第二が左傳、宣公十五年楚子園宋之條、支那の鳥居強右衛門たる解揚の処だ。霧島勇気男氏の「高等漢文漢語詳解」で確かに見た事がある既出問題だし、漢文講座に飯島忠夫氏の訳があったことを想出す。先ず読方から始めて句読点をつける。ヤマが三つ四つある。最後の、下臣護考(ママ)。死又何求。楚子舎之以帰。に至ってトント詰って了った。考の字がどうしても訓めない、仕方がない。「下臣死を獲考(ママ)せり、又何ぞ求めん。楚子之を舎るして以て帰らしむ」と無理に訓んだ。思えば是れが致命傷だった。後になって註をよく読んでいなかったことを悔いた。考成也以率也とある。ああしまった。註なくば漢文なしだ。漢文はどうしても原書に親しんで註をよく読まなくてはならぬ。 第三は八家文、欧陽脩の送除無党南帰序だ。是は昨日既出問題集で読んだ所だ。これで見ても機尾出問題は忽にしてはならぬ。何となれば既出問題は大抵参考書中の名文のエキスであるからだ。 第四は時文、これは只管漢文講座の内田復氏の時文と吉波彦作氏の漢文研究要訣を読んだ丈けで、先輩から借りた山田岳陽氏の支那時文釈義は只拾い読みをしたばかりで大なる自信がなかったが、ヤマは人名の係り工合と、弁公処接洽一功…だけだったので辛うじて仮名交り文に直した。以上一通り読方を終えて解釈を書き終った時は、もう二時間半を費やして了っていた。 第五は設問、(一)董仲舒(二)初唐四傑 (二)は既出問題だ。既出問題の設問は全部答案用紙に抄録していたので直ぐに書けた。児島氏の支那文学史綱と宮崎来城の作詩術に負う処が多かった。 (一)の問題には全く面喰った。時代を前漢の武帝のことを後漢の武帝の時代などと間違って書いたり、賢良対策などはテンデ思い出せなかったりしたが、宇野博士の支那哲学概論と早大プリントの牧野氏の支那経学史とによって儒道二教の融和を計った人だったことだけを記したが、著書の春秋繁露はどうしても思出せなかった。陸賈の新語と間違えて書いたりもした。凡そ三行許り。自分ながら何と貧弱な答案だろうと思った。 第六、最後に漢作文だ。題は見利思義説だ。一寸手が出ない、時間を見ると余す処一時間この時自分は文章軌範巻五の小序にあった、場屋中日晷有限、巧遅者不如拙速を想出さずには居られなかった。構想凡そ二十分、勇を揮って筆を呵す。 見利思義議 天下誰有不謂利者哉。利也者厚生也。利而無義不可以称利也。余嘗読論語。至子罕言利与命与仁。慨然嘆息矣。方今世人。汲々栖々営利之務。不日不索利。故見利敏而喩義迂焉。是以将相之尊、受縲絏之辱。如斯者見利而為有勇。見義而為無勇。昔日顔子在陋巷不改其楽。孔子曰不義富且貴、於我如浮雲。可以為箴矣。 やっとの事で書き上げた時、与えられた四時間半の時間は遠慮もなく去って「起立」の声が鋭く耳に響いた。ああ運命は遂に決したのだ。読み返す時間さえない。況んや熟慮推敲の時をやだ。 〔万事窮矣〕斯くして不安の数日は過ぎた。私は答案の模様を先輩のY氏とS氏とに送って合否如何を待った。Y氏からは「大丈夫」と書いてあった。S氏からは「神ならぬ身にて到底判断を下し得ぬ処に候も多分合格すべしと愚考仕候」とあったが心配して居た漢作文だけは両氏とも褒めてくれた。 十九日午後四時は成績発表の時刻だったので、雨の文部省前には受験者が黒山の様だった。悲喜交至のシーンが展開されていた。自分は静かな足取で掲示板に近づいた。不幸にして口述受験中に自分の番号を見出すことが出来なかった。万事窮矣。 然し私は徒らに悲観しなかった。帰りの電車の中では徐ろに袖珍本の四書集註を繙くことが出来た程我ながら不思議な位ゆとりがあった。 老詩人からは私の失敗を弔せずして却って祝して来た。友人からは鼓舞激励の手紙が着いた。私は涙を以て此等に感謝した。 やがて自分の寓居に戻った時、書斎は雪で包まれて居た。私は寂しく独り此の詩を吟んだ。 関レ戸且忘名利心。四隣人定夜沈沈 草堂埋雪年将レ暮。独対二寒燈思古今一。 来るべき庚午の歳yお。 我は捲土重来の意気と鎧袖一触の勇気とを以て、無駄なく、無理なく怠らず、本試の鉄壁に邁進せんとして居る。 最後に言いたい事は、受験後の友人の談話によると、漢文科の授点法は総点三百点読解二百四十点、作文設問六十点だそうであることである。(五一回失敗生) 5 半ヶ年合格 〔はしがき〕私は昭和三年度に国語科を合格し、昭和四年又僥倖にも漢文科を合格した訳でありますが、その実白状しますと其の間四年度第一次に柄にもない習字科の受験をしましたから―但し失敗でした。努力と時間は国語の二三倍は使って居ますが―漢文科の準備はその予試後から着手したので正味半ヶ年の準備しか出来なかった訳です。でもその半ヶ年は随分心身共酷使無理をしたものですが、とにかく普通の頭と健康の持主ならば半ヶ年でどうか準備が出来ることを体験上で信ずるものであります。 然かるに国語科有資格者にして運の悪い方になると三四度も遠い国から多大の経費と日子を費して上京なさり失敗の恨を繰り返されている方のあるのは衷心同情に耐えないと共に、其処には屹度何等か準備上について欠陥のあることを思わされるのであります。ついては此処に私の体験上気づいたことや又準備の実際を赤裸々に告白し、受験生活に対して幾分の参考の資ともなればと思って敢えて誌上を汚す次第であります。 〔参考書の選定〕誰も言う常套句ですが、それだけ又動かすことの出来ない真理があると思います。書物あさりや濫読はやめて良書を精読することです。選定については雑誌を通じたり又本人についたりして経験者の指導を受けるのがよいと思います。但し試験合格を標準として。 〔研究の順序〕暗記的である設問はなるべく受験近くに、而して読解物を先にし、又同じ解釈物にしても思想の基礎をなす四書を先とし、左傳、韓非、八家、時文という順序がよいと思います。八家文は大部なものですが、其れ迄の書物が十分に咀嚼出来実力さえついて居れば、大系本によって恰も小説でも読んで行く様にさっさと渉るものであります。時文も同様です。古文によって白文が可なりにこなせるだけに実力がついて居れば、あとは二三の書物によって時文としての、特殊の用字熟語を一二千当って置けばよい様です。 〔作戦三分に実力七分〕作戦倒れは禁物、大体に於いて実力主義をとるのがよいと思います。と云って例えば左傳に於て二三行で終っている断片や又随処に出て来る易的の解や甚しきは経の部までも一々繰り返し読んで居てはまた受験としては迂なものだと思います。其処には三分の作戦が肝要。之を解釈物について具体的に申しますと、 1過去の問題により出題傾向を呑み込むこと。 2第一回は全部を丁寧に読んで行き、其の際出題されそうな処を片端から符号をつけて置き、二回目からはその個所のみを繰り返し読むこと。かくする時は頁数に於いて左傳は約四分の一、韓非は二分の一弱に整理することが出来ます。 〔設問〕に於いても 1出題傾向に就いて研究 2合格程度の深さに於いて確実に 3哲学史、文学史、文学概論、書籍解題等各別々に問題化した一覧表によって整理すること 等の様にやるのが得策です。 〔一気呵成〕誰の頭でも既得のことをぐんぐん忘れて行って居るものです。而して忘れる量が日月と正比例するものです。故に一気呵成にやることです。試験間近く頑張りがどんなに価値大なるかを小生一流の算式で表わしますと 平常時の収得量を10とす(大体時間4時間の勉強として) 試験間近の収得量を20と仮定す(毎日8時間の勉強として) 毎日の忘れる量を5と仮定す(実際1年も前にやったら此位である) 試験に於ける価値―平常時=10-5=5 ―試験時=20-0=20 価値上の此値=20÷5=4 即ち試験間近の一日は一年も前にやる四日分にも相当することになるのである。私はもっと無理して日に十時間から十二時間位までやりましたから一日分がこの算式で行くと或は五六日に相当したようなことも少くなかったかと思います。之が合格の秘訣とも言えるかと思います。 〔解釈物の重視〕之さえしっかりやって置けば、設問が少々しくじっても大した問題でない様です。殊に四書と左傳は最も重要視すべき様です。四書は朱註の白文によりて註まで自由自在にこなしておくことが肝要です。近年口述にはずっと朱註が出題されます。序に参考書としては博文館の漢文叢書中の四書(三冊)がよいです。之は朱註に又毛利貞齋が註をしたもので日本訳です。特におすすめします。 〔半ヶ年戦跡一覧表〕以上の考と作戦計画のもとに私が半ヶ年奮戦した実際を一覧表にして示して見ます。 第一回読破日 書名 頁数 読破回数 備考 自五、一七 漢文學び方の研究(西脇) 二四〇 二 至五、二一 復文の系統的練習(山下) 一七六 二 自五、二二 大學(宇野本) 二八二 三 中庸(宇野本) 二五二 三 論語(三島本) 四三八 三 孟子(簡野本) 一〇二五 三 自七、二七 四書朱註(白文) 三七五 一 自七、二八 至八、二〇 韓非子(国字解本) 二四四三 五 大系本参照して 自一〇、五 八家文(笠松本) 六七八 一 韓欧三蘇のみ 至一〇、二〇 八家文(大系本) 一三一七 一 自九、二一 時文(早大講義録) 一三〇 一 時文(吉波氏本) 一三〇 二 時文のところのみ 時文(時文実鑑) 三九七 一 自一〇、二一 至一一、二八 左傳、韓非子、四書時文の復習 自一一、二九 支那哲學史(宇野本) 三三九 一 至一〇、四 四書研究(教育學術會本) 四一二 一 参考までに 至一二、二 支那哲學概論(宇野本) 二三九 一 自一二、三 支那文學史(児島本) 三八一 一 至一二。六 漢文研究者のために 四九六 一 文學概論書籍解題として 自一二、七 至一二、一三 解釈物の総復習 自一二、一一 至一二、一三 設問の総復習 自一二、一五 至一二、二一 四書朱註(博文館本) 二八八三 一 孟子は時間がなくて出来なかった 附記 1十二月六日上京、旅館での一週間の勉強は最も価値大であった。 2作文は文法さえ徹底して四書がこなれていたら大したことはない様です。私は試験前日四五時間を費やして吉波本の白文時文云々の作文十四五篇をよみ、自分で三文作ってみたのみであった。 3文法設問の各項は国語科予試の際整理したノートがあったので大助かり。 4七月末から八月末までは大阪府下の能勢妙見山に避暑(毎日最高二十三四度)し専念左傳研究に没頭大体こんな次第であります。何分皆様の健康と御成功を祈って筆を擱くことにします(大谷氏)。 6 六十三歳にて合格 (一)受験前の経歴及境遇 余は山陰道の一部市に生れたものなるが、父は維新の改革の為に潘録に離れ、余の小学校に入りし頃は其の生活もまだ甚しく逼迫せざりしも、四ヶ年の小学課程を卒えて県の師範の附属校中等科に入る頃より漸時左前となりたれば、学校に行きて何でも勉強して偉いものにならねばならぬと思いながらも春さきになると、武者紙鳶を揚げることが至って大好きなる故に、通学せずして野原にて人の紙鳶をかりて揚げ、無我夢中になりて喜んで居りしが、一度より二度、二度より三度と度重なるに従い遂に学校行きは嫌になり、雨天の際には人通の少い家の檐下(のきした)にて落つる雨滴にて、真黒になりし草紙を無茶に濡らして持ち帰りしが、或時祖母より手習草紙を出せと言わるるにより、「何するものか」と怪しみながら、祖母のなす処を見れば、指先を濡し草子の上を擦りしに、水のみ着きしのみなれば大いに叱られしことを今以て記憶せり。之を以て大いに恐れ明日は進まぬ足を強いて前に出して、努めて学校に行きしに、悪太郎の生徒数人、余を見るや否や、「あのバカめが、何を思い出したか来やがった」と、こんな調子なるを以て、二三時間たったかたたぬに帰りて遊びたりき。かかる怠惰放縦の結果は、学年試験に落第となり、受持教員の申渡しによりて退校させらるることになりたり。是余が十一歳の時なりき。 父は余の退校を命ぜられしを以て大いに怒り勘当すべしと言って青筋を立て頭上より湯気を立てて怒鳴りしも、余を熱愛せる伯母は之を気の毒に思い、幸に伯母の家に道春點の論語近藤圭造氏(?)の十八史略、唐詩選などがありしを以て、誰に問う人もなく、画字引と首っ引して、苦心惨憺して精進せり。かくの如き独学にても、勉強すれば、大なり小なりの本の意味も分って来るにより「漢文は面白いものだ」という念生じ来れり。諺に曰く「好きこそ物の上手なれ」と、好ければそれに親しむし、親しめば種々とより多く分って来る。そうなると愈々面白くなるといった調子になりき。 (二)受験の動機 かくの如くして徐々に漢文を研究する中に、十七歳の時に小学校授業生の試験を受けて幸に首席にパスせしを以て、愈々学問することに興味を覚え、殊に漢文は余の学問の中心となり、恰も蝸牛の歩みを続くる如く徐々に研究を続くる中に文検制度発布せられしを以て一つ是非やっつけようと決心せり。 (三)準備期間と準備法 何分に授業生の初任給は四円五十銭にて、当今とは違って其の当時は昇給など二三年に一回といった位で、両親を養って行かねばならず、研究すべき本代などは残る筈なく、よしそれが有りしとても、当時は本屋に思わしき本もなく、例の外史や四書などを幾回も幾回も復習して、読書百遍意自通の独学的苦行を続けて、忘れぬようにし、又読書癖をつけようとせしものなりき。殊に現今と違って文検受験生向きの雑誌とて一冊もなき時代なれば僅に供覧せる本を独学にて辿り行くと言った調子なりき。故に準備法と言った如きもの先ず無しといって可なり。 明治三十二年島根県師範学校第二種講習所に入りて十ケ月講習を修了して初めて尋正の資格を得しが、文検に没頭すれば、何処の学校へ行きても、腰掛教員として、多大の圧迫を受け、その為に、学校の勤務時間には絶対に研究書を読まざる事になし、宿或は学校の宿直室に於いて密に研究せむとすれば来客ありと言った風にて、実に弱らされたり。 殊に兵庫県に大正五年度に入りしより、一層この圧迫を感ずること甚しかりき。 而して大正十二年十月を以て小学校教員の職を退きし以後は、其境遇は全く波瀾重畳真に私自身生きた小説と思う位なり。 東京に出でしは大正十四年の四月と思うが或は新聞配達となり或は筆生となり、或は外交員となり、あらゆる苦心刻骨の境遇にぷつかっても一心未だ嘗て一日たりとも文検一件を忘れず。唯だ最初文検決意の時より一回にて国漢ともに合格せむと望みしが、国漢二科を出願して国語は予試だけパスせしも、本試に落ちしは、所謂流星光底長蛇を逸すのそれよりも尚残念なりき。 その文検決志の年より合格せし期間を通算すれば、驚く勿れ三十七八年の星霜を経過せしものなり。而して準備法は別に記述すべきことなく、唯だ漢文の指定必読書を中心として、精深に研究せりというに尽く。 (四)参考書と其の読破要領 参考書は各文献雑誌にて教えられし良書を選んで、講読し、尚足らずと思う点は、図書館に行きて適当と思わるる書物をあさりて補足したりき。読破要領と云うものは無し。何分青年時代より精深に研究する癖つきしを以て甚しき遅読性なれば、指定書の研究に多大の日時を費やして所謂要領のよい受験勉強などせむとすること能わざりき。 (五)受験直前の準備法 国語科も漢文科とともに、東華堂発行の文部省教員検定受験案内(国語及漢文科)によりて、出題せられし書目の統計をとりで(予試本試とも此の方法による)その最高点のもの程、注意して徹底的に読解することにせり。併かくすれば時間を非常に取るを以て、最初の一回は精深に研究して不審の所、記憶し易からざる所は、しるしをつけ置き、二回目の復習にも其の個所を解釈して見、解釈がつけば、そのしるしを消して更に他のかかる個所に進みて同一方法にて研究するが良法なりと思う。更に委しく言えば余は参考書の註釈を本文の傍に書いて記憶することにせしが、かくすれば覚ゆることはよく覚ゆるが、それでも時間が立てば忘却すること少なからず、寧ろ二回三回四回と前記の方法にて多読することが得策なりとするものなり(老儒生)。 結び 奮闘の血涙史を読んで血を湧き立たせない者は酔生夢死の徒だ。我々は一分一秒も軽忽にしてはならない。 「やればきっと誰にでも出来る。」この信念で飽くまでも戦って欲しい。 もう一息と言う処まで進んで置きながら絶望して断念する様な人々の多いことを衷心から遺憾に思う。 やろう! やろう! 人生は死ぬまで奮闘してこそ価値がある。無意義な灰色の生活などは呪われてあれ。 https //web.archive.org/web/20160324130551/http //www.geocities.jp/shou_ryuu_dou/bunken_kanbunka_hyoudai.htm
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CE74、5月メサイア戦が終了し、時の議長ギルバート=デュランダルがメサイヤにて死亡。 同日プラントにてクライン派がクーデターを起こし、プラントを掌握する。 そして、オーブ連合首長国代表首長カガリ=ユラ=アスハ、メサイア戦の勝利とプラント併合宣言を出す。通称「併合演説」と呼ばれるものである。 地球では、東ユーラシア地域(ガルナハン地域を含む)が一斉蜂起し東ユーラシア共和国樹立を宣言。 ユーラシア連邦は内戦が深刻化していった。また、赤道連合内部でも、権力争い、強制労働に借り出された住民の決起等内乱が起きていた。 CE74、6月プラントはオーブの直轄地として組み込まれる。またザフト兵として軍務にいたものは一旦、軍属を解除され、ある者は先の大戦で被害をうけたコロニーの復旧に向かい、ある者はプラントの為再び戦うこともあるかもしれないと一時の休息をとり、ある者はラクスの元で戦うことを選び、そして、ある者は野に下った。 同月、オーブ連合首長国より新たな国際組織「統一連合」の枠組みが提唱され、それに合わせ、統一安全保障条約機構を作成。賛同国を募る。 元々親オーブのスカンジナビア王国、親プラント派だった大洋州連合、北アフリカ共同体などが加盟する。プラントが併合されたことで、月中立都市郡も参加を表明。 ジャンク屋組合は、表立った表明は見せなかったが、もともとラクスとのパイプは強く、協力を惜しまなかった。 ユーラシア連邦、赤道連合は内戦中でそれどころではなく、大西洋連合は参加表明せず。一時期世界の中心であった大西洋連邦は、統一連合、ひいてはオーブに対して不満を募らせる。 独立国家となっていたアメノミハシラ、独立心の高いムスリム共同体や東アジア共和国、南アフリカ統一機構などは静観の構え。 CE74、8月中旬、大西洋連邦、オーブに対して宣戦布告。理由は先の対戦中、幾度無く戦時中に現れ、テロ活動をおこなってきたAAを自軍に取り込んだオーブはテロ支援国家であり、世界の平和を乱す原因であるというものだった。 裏には、オーブの復興が終わっていないこと、プラントを併合したとはいえザフト軍はオーブ体制に今だ組み込まれていなく、その数は多くないこと。 メサイヤ戦で活躍したMSは脅威だが、その支援装備は地球上では使えないこと、また宇宙の艦隊は壊滅状態にあったが、地上の大西洋連合軍は十分にそろっており、今この時に叩いておかないと、世界の覇権がオーブに移動してしまうのを恐れたことを考慮したものだった。 9月最初の週、南大西洋海戦で大西洋連邦のオーブ侵攻軍壊滅。 オーブの軍は確かに疲弊していたが、ラクスたちの率いる軍を過小評価したことが原因だった。 9月中旬、ハワイ沖会戦でも大西洋連邦軍は破れる。 9月下旬、かろうじて残っていた大西洋連邦宇宙軍をプラントへ向けて奇襲を行うが、オーブ・ザフト軍に撃退される。 10月初旬~中旬、オーブ・大西洋連邦の戦いは地上へと動き、宇宙では大西洋連邦宇宙艦隊を降伏へと追いやっていた。この時点で大西洋連邦は制宙権を完全に失った。 10月下旬、大西洋連邦政府内部でエターナリストによるクーデター勃発。臨時政府が樹立。 11月初旬、大西洋連邦臨時政府とオーブ間にて講和成立。支配圏は以前のまま。 12月初旬、南アメリカ合衆国、東アジア共和国、統一連合への参加を表明。 CE75、1月オーブ軍の一部、特にオーブ独立艦隊がNGO組織として独自の行動を起こすこととなる。名称は「ピース・ガーディアン」 指揮するのはラクス=クライン。統一連合内部に議席・発言権を持ちながらそれらは行使せず、世界平和のために行動してゆく。 1月下旬、態度を明らかにしていなかった南アフリカ統一機構、統一連合へと参加を表明。 CE75、2月ムスリム共同体、統一連合への参加は表明する。が、あくまで世界情勢を見ていただけで、積極的なものではなかった。 CE75、3月PGは赤道連合の内戦地域で活動していた。非戦闘地域を回り人々の楽しみになればとコンサートを開き、また内乱自体に介入はしないものの非戦闘員に危害が加えられそうになれば、PGを使い内乱軍を叩き返した。 各地の人々は、救難活動を行いながら、慰安コンサートを開き、危害を加えるものは排除するラクスに、平和の歌姫としての信仰を集めてゆく。 また、そうしたラクスの行動にあわせて、内乱は鎮圧化していき、3月下旬内乱が終了し、統一連合への参加を赤道連合は表明する。 CE75、4月、旧ヘリオポリスを改修したコロニー「イザナギ」が、アメノミハシラの手によって完成する。また同時に統一連合への参加を表明する。 CE75、5月PGは内乱中のユーラシア連邦地域でその姿を見ることができた。 東ユーラシア共和国、統一連合への参加を表明。それにあわせオーブ軍が内乱へと介入してゆく。PG、統一連合に参加したことで応援にかけつけたオーブ軍との連携もあり、最終的にはユーラシア連邦は、東西に分かれることとなった。また同月末、西ユーラシア連邦政府に対しクーデターがおき、政府は打倒される。西ユーラシア暫定政府樹立。 CE75、6月世界情勢に合わせるように、大西洋連邦で、統一連合加盟に対して選挙が実施される。結果は僅差で加盟賛成が上回り、加盟にむけて動き出す。 CE75、7月、西ユーラシア新政府、大西洋連合が統一連合へと加盟。 この時をもって、世界のすべての国々が統一連合へと加盟したのである。またこの時点をもって、会議にて「統一地球圏連合」へと名称を変化させる。 CE75、8月統一地球圏連合となっての、第一回総会が開催される。その中でラクス=クラインが主席に選出されるが、彼女はこれを固辞。代わってカガリ=ユラ=アスハがその任につくこととなった。 CE75、9月初旬、ラクスに何とか報いたいとするカガリと、そのカリスマ性を取り逃がしてはならないとする、各国の思惑で統一地球圏連合特別顧問の案が発表され、ラクス=クラインが就任することとなる。また、それに合わせNGO組織であったPGは、特別顧問「平和の使者」直属の近衛軍として再編される。 CE75、9月下旬、組織が形作られていく中で、新たに地球上に統一国家を作ろうという動きがでてくる。統一地球圏連合政府樹立。ようやくなった世界的平和の土壌。これを恒久的なものにしようとするものであった。率先してその礎になろうとオーブという国は統一地球圏連合政府下における国となる。 だがこれは、各国の主権返上を含む案であったために、議会は加熱する。特に、やっと独立を勝ち取った西ユーラシア新政府の反応は過激であった。 各国の代表者は、賛成派もいれば反対派もいた。反対派は、激発した 西ユーラシア新政府の結果をみて行動をしようと静観の立場だった。 CE75、10月、議会、もしくは私的な懇談会で西ユーラシア代表と議論を重ねるが、西ユーラシアは態度を硬化させ、ラクスが今、平和へと世界が変わろうとしている中で、なぜそれに参加できないのかと問うも議論は平行線のまま、ラクスが何度も話し合いの場を持つものの、西ユーラシアの統一世界連合への脱退が避けられないところまできていた。 また、その中で自国の混乱から立ち直れない赤道連合は、最初に主権返上を申し入れ受理されていた。 10月下旬、最後の西ユーラシア新代表とラクスとの会談。 「どうして、世界が平和へと向かうこの時に、そのような態度をとられるのです」 「我々は独立を旨として行動してきた。この上主権返上などといったふざけた案は参加しかねる」 「確かに改めるべき事は多いかもしれません。 ですが世界が平和へと動こうという今、何故そんなに態度を頑なにされますか?」 「平和は我々も望むところ。だが、地球規模の統一国家などいう絵空事には付き合いきれない」 「それが世界の平和を生み出すための最善の道ではありませんか?先の大戦を見てください。各国が勝手な理屈で動く限り平和はなりませんわ」 「ラクス=クライン、あなたの理想は立派だが、それでは国は動かん」 「私はもう人と人の憎しみの連鎖を見たくありません。 だから私は戦うと決めたのです。なぜ、平和への道を躓かせるようなことをおっしゃるのです」 「若きラクス嬢とは、これ以上の会談は無意味だ」 「なぜ、そんなことをおっしゃいます。そのような行動は、世界の平和を乱すこととなることがどうして分かっていただけませんか?」 「我々は我々の理想で行動してきた。誰かにきめてもらう必要はない」 「私は世界の平和を願っています」 「…我々もだ」 「では何故!?」 「これ以上の議論は不要だろう。お互いの正義にのっとって行動すればいい」 「…貴方がたの行動は世界を再び戦乱へと向かわせる一歩となりかねないのに どうして。世界がやっと一つになろうとしているのにどうして」 「…(分からないのだな、彼女には)」 「戦場で会おう」 CE75、11月、西ユーラシア新政府は、世界平和への道を乱すものとして打倒され、その地域は、統一地球圏連合政府の直轄地となる。 またこの頃、統一地球圏連合政府の諸組織は完成を見る。 西ユーラシア地域の状況をみて、反対派は表立った行動を控える。 CE75、12月、BCや旧ロゴスに連なるものが次々に逮捕、弾圧され、その中心的役割を担ったのが、後の治安警察省長官ゲイハルト=ライヒだった。 (時期的には12月~5月くらいまで) CE76、1月、正式に統一連合軍が発足し、地上軍司令にレドニル=キサカ大将、宇宙軍司令にムゥ=ラ=フラガ中将(このあと大将に昇進)が就く。 CE76、2月、戦乱を起こさないための抑止力として、統一連合軍、PGの軍備拡張が進められていく。 CE76、10月、総会がパリにて開催される。首都オロファト(ヤラファス島)以外では初の総会。 旧西ユーラシア連邦ビル、現在は統一地球圏連合政府パリ政府ビルにて爆破テロ発生。 死者153名、負傷者1200名あまりの大惨事となる。テロの翌日「ローゼンクロイツ」と名乗る組織より犯行声明が出される。 ユーラシア地域全域に影響を持つ組織であり、どうやら西ユーラシア新政府の残党が多数含まれるようであるという噂が囁かれ、75年11月の強制直轄地編入のことを思い出す者もいた。 CE76、10月下旬、パリ総会の中で、テロ打倒を訴え、治安警察省の設置予算請求をなどを含めた補正予算案が提出される。 CE76,11月中旬、補正予算案可決。治安警察省発足。長官はゲイハルト=ライヒとなる。 11月下旬、スカンジナビア王国のリンデマン外相、ペテルブルグにて爆弾テロの犠牲となる。「バルト独立同盟」より犯行声明。 CE77、1月頃、各国代表が平和への利権を求め、国内政治に目を向けない態度に南米、中東、北アフリカなど各地でレジスタンスが決起していく。 CE77、2月、治安警察省から、独自の軍部隊を持てるようにとの提案がある。これに関して、統一連合軍、国防省から軍の組織の礎をそこなうとの意見が噴出するが、最終的に治安警察省に軍部隊を持つことが承認される。ここに統一連合軍と治安警察省との間に亀裂が生まれることとなる。 CE77、3月、南アメリカの対テロ特殊部隊隊長エドワード=ハレルソン少佐、部下十数名を連れレジスタンスに身を投じる。 CE77、4月開発中であったGWE-X001Aエターナルフリーダムがロールアウト。 その力は凄まじく、初戦で最大クラスのレジスタンスであったバルト独立同盟の戦闘部隊を3日で完全に殲滅。これ以降しばらくレジスタンスは完全に沈黙し地下に潜ることとなる。 CE77、5月南半球が記録的な大干ばつによる食糧危機に陥る。統一世界連合は北半球の全国家に備蓄穀物の放出を要求。それとあわせて食料プラントをフル稼働させ、どうにか餓死者は出さずに解決する。 CE77、6月大洋州連合、大西洋連邦にて主権返上の意向を表明する。 両国家とも世論が真っ二つに割れ、大洋州連合は3ヶ月後に国民投票で決まることになり、大西洋連邦は、大統領選挙を待つこととなった。 CE77、7月、スカンジナビア王国、主権返上する意向を示し。国民は歓喜と熱狂でこれを支持。 CE77、9月、大洋州連合にて主権返上の是非を問う国民投票実施、結果は主権返上が58%となり主権返上へと向けて動き出すこととなる。 CE77、10月、今度は北半球が記録的な冷夏となり、またも食糧危機に陥る。再び食料プラントをフル稼働させ乗り切ろうとしたが、追いつかずに多数の餓死者が出る。特に東ユーラシア地域が深刻で、ここだけで飢え、感染症などで100万人以上が死亡。北半球全体で200万人以上が死亡したとされる(統一政府推計。後の史家の計算によると500万人が死亡したとも)。 これにより、統一地球圏連合政府に各国の人々に表立って、また裏で、軍備拡張に予算を費やし、生活福祉に予算の投入が足りなかったことに対する不満がでる。 CE77、11月大洋州連合の78年からの統一世界地球圏政府の編入が正式に決定される。 CE78、1月シドニーにて、爆弾テロ発生。「オセアニア解放軍」より犯行声明。 1月下旬、プラント駐留の宇宙第二艦隊の一部が叛乱。統一連合軍宇宙軍との交戦状態に陥る。 CE78、2月初旬、反乱軍、宇宙第二艦隊撃破。 また地上では東ユーラシア最大のレジスタンス組織ローゼンクロイツが再び各地で決起。 周辺の組織を吸収合併しながら進軍を開始。ローゼンクロイツ、キエフ、ワルシャワ、モスクワ占領。 2月中旬、反乱軍、宇宙軍第一艦隊、第三艦隊との決戦に敗れ全滅。 ローゼンクロイツ、ベルリン、ペテルブルグ占領。東ユーラシア政府高官はパリに亡命し臨時政府を立てる。 2月下旬、東ユーラシアへ統一連合軍地上部隊の精鋭が集結。東ユーラシア反攻作戦開始。 CE78、3月初旬、南米解放同盟、武装闘争を再開。統一連合軍はベルリン奪還。 中旬、ワルシャワ奪還。東ユーラシア政府高官帰国。 下旬、キエフ奪還。ローゼンクロイツ、占領地を手放し再び地下に潜る。 CE78、4月、ローゼンクロイツの構成員、幹部、スポンサーが次々逮捕され、壊滅的な打撃を受ける。 また4月中旬、南米解放同盟、武力闘争を再び停止する旨の声明を出す。 CE78、5月、ラクス=クラインの演説(通称:平和の演説)。テロリストに対してテロ活動の停止を、各国には統一国家樹立への協力を訴える。 CE78、6月、イラン高原で赤い三日月が独立闘争開始。 CE78、7月、大西洋連邦大統領選挙でイギリス・カナダ閥のレノン(エターナリスト)がアメリカ閥のジョンソン(穏健派反エターナリスト)に敗北。 CE78、8月北アフリカでサハラ解放の虎、再び独立闘争開始。 CE78、9月オノゴロにて統一地球圏連合政府樹立3周年記念式典。 同時に戦勝記念館も開館。 連合政府首席カガリ・ユラ・アスハ暗殺未遂事件発生。(第1話) そして、Revivalの世界へ・・・ (この時点で主権返上国は、オーブ首長国連邦、赤道連合、西ユーラシア新政府(強制返上)、スカンジナビア王国、大洋州連合。また主権返上していない国はアメノミハシラ、東ユーラシア共和国、北アフリカ共同体、南アフリカ統一機構、大西洋連邦、南アメリカ合衆国、ムスリム共同体、東アジア共和国) 年表 年号 月 出来事 CE74 5月 メサイア攻防戦終結。併合演説。東ユーラシア共和国樹立 6月 プラント併合実施。統一連合枠組み提唱。統一安全保障条約機構樹立 8月 大西洋連合、オーブに宣戦布告 9月 大西洋連合オーブ侵攻、ハワイ沖会戦、プラント侵攻全てに敗北 10月 大西洋連合エターナリストによるクーデター勃発。臨時政府発足 11月 大西洋連合臨時政府とオーブで講和成立 12月 南アメリカ合衆国、東アジア共和国、統一連合へ参加 CE75 1月 ピースガーディアン発足。南アフリカ統一機構、統一連合へと参加 2月 ムスリム共同体、統一連合への参加 3月 内戦の沈静化に伴い、赤道連合が統一連合に参加 4月 ヘリオポリスにイザナギ完成。統一連合参加 5月 東ユーラシア共和国、統一連合に参加。同時にレジスタンスに対する圧力激化 西ユーラシア暫定政府樹立 7月 大西洋連合、西ユーラシア新政府、統一連合参加 統一連合、名称を「統一地球圏連合」に改称 9月 ピースガーディアン、近衛兵化 オーブ主権返上 10月 赤道連合主権返上 西ユーラシア代表とラクスの会談決裂 11月 西ユーラシアに対する武力行使により西ユーラシアが統一連合直轄地になる 12月 旧ロゴス弾圧。ライヒ活躍 CE76 1月 統一連合軍発足 10月 統一連合総会パリにて実施。「ローゼンクロイツ」による爆破テロ 11月 治安警察省設立 ペテルブルグで「バルト独立同盟」がテロ CE77 2月 治安警察省、独自に軍備開始 4月 「バルト独立同盟」壊滅。エターナルフリーダムによる武力解決 5月 南半球の飢饉に対応するため北半球の各政府に備蓄食料調達要求 6月 大洋州連合、大西洋連邦にて主権返上に対する国民投票実施 7月 スカンジナビア王国主権返上 9月 大西洋連邦にて主権返上 10月 ユーラシアで歴史的飢饉発生。餓死者500万人 CE78 1月 大洋州連合、統一地球圏連合参加 シドニー爆破テロ。「オセアニア解放軍」 プラントで宇宙第二艦隊の反乱 2月 反乱軍鎮圧 ローゼンクロイツ、ベルリン、ペテルブルグ占領 東ユーラシア政府高官はパリに亡命し臨時政府樹立 3月 南米解放同盟、武装闘争を再開 統一連合軍がベルリン、ワルシャワ、キエフ奪還。東ユーラシア政府高官帰国 4月 ローゼンクロイツ壊滅的打撃。南米解放同盟活動停止 5月 「平和の演説」がラクスにより実施 6月 イラン高原で赤い三日月が独立闘争開始 8月 北アフリカでサハラ解放の虎、再び独立闘争開始 9月 9月オノゴロにて統一地球圏連合政府樹立3周年記念式典 連合政府首席カガリ・ユラ・アスハ暗殺未遂事件発生。(第1話)
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CE74、5月メサイア戦が終了し、時の議長ギルバート=デュランダルがメサイアにて死亡。 同日プラントにてクライン派がクーデターを起こし、プラントを掌握する。 そして、オーブ連合首長国代表首長カガリ=ユラ=アスハ、メサイア戦の勝利とプラント併合宣言を出す。通称「併合演説」と呼ばれるものである。 地球では、東ユーラシア地域(ガルナハン地域を含む)が一斉蜂起し東ユーラシア共和国樹立を宣言。 ユーラシア連邦は内戦が深刻化していった。また、赤道連合内部でも、権力争い、強制労働に借り出された住民の決起等内乱が起きていた。 CE74、6月プラントはオーブの直轄地として組み込まれる。またザフト兵として軍務にいたものは一旦、軍属を解除され、ある者は先の大戦で被害をうけたコロニーの復旧に向かい、ある者はプラントの為再び戦うこともあるかもしれないと一時の休息をとり、ある者はラクスの元で戦うことを選び、そして、ある者は野に下った。 同月、オーブ連合首長国より新たな国際組織「統一連合」の枠組みが提唱され、それに合わせ、統一安全保障条約機構を作成。賛同国を募る。 元々親オーブのスカンジナビア王国、親プラント派だった大洋州連合、北アフリカ共同体などが加盟する。プラントが併合されたことで、月中立都市郡も参加を表明。 ジャンク屋組合は、表立った表明は見せなかったが、もともとラクスとのパイプは強く、協力を惜しまなかった。 ユーラシア連邦、赤道連合は内戦中でそれどころではなく、大西洋連合は参加表明せず。一時期世界の中心であった大西洋連邦は、統一連合、ひいてはオーブに対して不満を募らせる。 独立国家となっていたアメノミハシラ、独立心の高いムスリム共同体や東アジア共和国、南アフリカ統一機構などは静観の構え。 CE74、8月中旬、大西洋連邦、オーブに対して宣戦布告。理由は先の対戦中、幾度無く戦時中に現れ、テロ活動をおこなってきたAAを自軍に取り込んだオーブはテロ支援国家であり、世界の平和を乱す原因であるというものだった。 裏には、オーブの復興が終わっていないこと、プラントを併合したとはいえザフト軍はオーブ体制に今だ組み込まれていなく、その数は多くないこと。 メサイヤ戦で活躍したMSは脅威だが、その支援装備は地球上では使えないこと、また宇宙の艦隊は壊滅状態にあったが、地上の大西洋連合軍は十分にそろっており、今この時に叩いておかないと、世界の覇権がオーブに移動してしまうのを恐れたことを考慮したものだった。 9月最初の週、南大西洋海戦で大西洋連邦のオーブ侵攻軍壊滅。 オーブの軍は確かに疲弊していたが、ラクスたちの率いる軍を過小評価したことが原因だった。 9月中旬、ハワイ沖会戦でも大西洋連邦軍は破れる。 9月下旬、かろうじて残っていた大西洋連邦宇宙軍をプラントへ向けて奇襲を行うが、オーブ・ザフト軍に撃退される。 10月初旬~中旬、オーブ・大西洋連邦の戦いは地上へと動き、宇宙では大西洋連邦宇宙艦隊を降伏へと追いやっていた。この時点で大西洋連邦は制宙権を完全に失った。 10月下旬、大西洋連邦政府内部でエターナリストによるクーデター勃発。臨時政府が樹立。 11月初旬、大西洋連邦臨時政府とオーブ間にて講和成立。支配圏は以前のまま。 12月初旬、南アメリカ合衆国、東アジア共和国、統一連合への参加を表明。 CE75、1月オーブ軍の一部、特にオーブ独立艦隊がNGO組織として独自の行動を起こすこととなる。名称は「ピース・ガーディアン」 指揮するのはラクス=クライン。統一連合内部に議席・発言権を持ちながらそれらは行使せず、世界平和のために行動してゆく。 1月下旬、態度を明らかにしていなかった南アフリカ統一機構、統一連合へと参加を表明。 CE75、2月ムスリム共同体、統一連合への参加は表明する。が、あくまで世界情勢を見ていただけで、積極的なものではなかった。 CE75、3月PGは赤道連合の内戦地域で活動していた。非戦闘地域を回り人々の楽しみになればとコンサートを開き、また内乱自体に介入はしないものの非戦闘員に危害が加えられそうになれば、PGを使い内乱軍を叩き返した。 各地の人々は、救難活動を行いながら、慰安コンサートを開き、危害を加えるものは排除するラクスに、平和の歌姫としての信仰を集めてゆく。 また、そうしたラクスの行動にあわせて、内乱は鎮圧化していき、3月下旬内乱が終了し、統一連合への参加を赤道連合は表明する。 CE75、4月、旧ヘリオポリスを改修したコロニー「イザナギ」が、アメノミハシラの手によって完成する。また同時に統一連合への参加を表明する。 CE75、5月PGは内乱中のユーラシア連邦地域でその姿を見ることができた。 東ユーラシア共和国、統一連合への参加を表明。それにあわせオーブ軍が内乱へと介入してゆく。PG、統一連合に参加したことで応援にかけつけたオーブ軍との連携もあり、最終的にはユーラシア連邦は、東西に分かれることとなった。また同月末、西ユーラシア連邦政府に対しクーデターがおき、政府は打倒される。西ユーラシア暫定政府樹立。 CE75、6月世界情勢に合わせるように、大西洋連邦で、統一連合加盟に対して選挙が実施される。結果は僅差で加盟賛成が上回り、加盟にむけて動き出す。 CE75、7月、西ユーラシア新政府、大西洋連合が統一連合へと加盟。 この時をもって、世界のすべての国々が統一連合へと加盟したのである。またこの時点をもって、会議にて「統一地球圏連合」へと名称を変化させる。 CE75、8月統一地球圏連合となっての、第一回総会が開催される。その中でラクス=クラインが主席に選出されるが、彼女はこれを固辞。代わってカガリ=ユラ=アスハがその任につくこととなった。 CE75、9月初旬、ラクスに何とか報いたいとするカガリと、そのカリスマ性を取り逃がしてはならないとする、各国の思惑で統一地球圏連合特別顧問の案が発表され、ラクス=クラインが就任することとなる。また、それに合わせNGO組織であったPGは、特別顧問「平和の使者」直属の近衛軍として再編される。 CE75、9月下旬、組織が形作られていく中で、新たに地球上に統一国家を作ろうという動きがでてくる。統一地球圏連合政府樹立。ようやくなった世界的平和の土壌。これを恒久的なものにしようとするものであった。率先してその礎になろうとオーブという国は統一地球圏連合政府下における国となる。 だがこれは、各国の主権返上を含む案であったために、議会は加熱する。特に、やっと独立を勝ち取った西ユーラシア新政府の反応は過激であった。 各国の代表者は、賛成派もいれば反対派もいた。反対派は、激発した 西ユーラシア新政府の結果をみて行動をしようと静観の立場だった。 CE75、10月、議会、もしくは私的な懇談会で西ユーラシア代表と議論を重ねるが、西ユーラシアは態度を硬化させ、ラクスが今、平和へと世界が変わろうとしている中で、なぜそれに参加できないのかと問うも議論は平行線のまま、ラクスが何度も話し合いの場を持つものの、西ユーラシアの統一世界連合への脱退が避けられないところまできていた。 また、その中で自国の混乱から立ち直れない赤道連合は、最初に主権返上を申し入れ受理されていた。 10月下旬、最後の西ユーラシア新代表とラクスとの会談。 「どうして、世界が平和へと向かうこの時に、そのような態度をとられるのです」 「我々は独立を旨として行動してきた。この上主権返上などといったふざけた案は参加しかねる」 「確かに改めるべき事は多いかもしれません。 ですが世界が平和へと動こうという今、何故そんなに態度を頑なにされますか?」 「平和は我々も望むところ。だが、地球規模の統一国家などいう絵空事には付き合いきれない」 「それが世界の平和を生み出すための最善の道ではありませんか?先の大戦を見てください。各国が勝手な理屈で動く限り平和はなりませんわ」 「ラクス=クライン、あなたの理想は立派だが、それでは国は動かん」 「私はもう人と人の憎しみの連鎖を見たくありません。 だから私は戦うと決めたのです。なぜ、平和への道を躓かせるようなことをおっしゃるのです」 「若きラクス嬢とは、これ以上の会談は無意味だ」 「なぜ、そんなことをおっしゃいます。そのような行動は、世界の平和を乱すこととなることがどうして分かっていただけませんか?」 「我々は我々の理想で行動してきた。誰かにきめてもらう必要はない」 「私は世界の平和を願っています」 「…我々もだ」 「では何故!?」 「これ以上の議論は不要だろう。お互いの正義にのっとって行動すればいい」 「…貴方がたの行動は世界を再び戦乱へと向かわせる一歩となりかねないのに どうして。世界がやっと一つになろうとしているのにどうして」 「…(分からないのだな、彼女には)」 「戦場で会おう」 CE75、11月、西ユーラシア新政府は、世界平和への道を乱すものとして打倒され、その地域は、統一地球圏連合政府の直轄地となる。 またこの頃、統一地球圏連合政府の諸組織は完成を見る。 西ユーラシア地域の状況をみて、反対派は表立った行動を控える。 CE75、12月、BCや旧ロゴスに連なるものが次々に逮捕、弾圧され、その中心的役割を担ったのが、後の治安警察省長官ゲイハルト=ライヒだった。 (時期的には12月~5月くらいまで) CE76、1月、正式に統一連合軍が発足し、地上軍司令にレドニル=キサカ大将、宇宙軍司令にムゥ=ラ=フラガ中将(このあと大将に昇進)が就く。 CE76、2月、戦乱を起こさないための抑止力として、統一連合軍、PGの軍備拡張が進められていく。 CE76、10月、総会がパリにて開催される。首都オロファト(ヤラファス島)以外では初の総会。 旧西ユーラシア連邦ビル、現在は統一地球圏連合政府パリ政府ビルにて爆破テロ発生。 死者153名、負傷者1200名あまりの大惨事となる。テロの翌日「ローゼンクロイツ」と名乗る組織より犯行声明が出される。 ユーラシア地域全域に影響を持つ組織であり、どうやら西ユーラシア新政府の残党が多数含まれるようであるという噂が囁かれ、75年11月の強制直轄地編入のことを思い出す者もいた。 CE76、10月下旬、パリ総会の中で、テロ打倒を訴え、治安警察省の設置予算請求をなどを含めた補正予算案が提出される。 CE76,11月中旬、補正予算案可決。治安警察省発足。長官はゲイハルト=ライヒとなる。 11月下旬、スカンジナビア王国のリンデマン外相、ペテルブルグにて爆弾テロの犠牲となる。「バルト独立同盟」より犯行声明。 CE77、1月頃、各国代表が平和への利権を求め、国内政治に目を向けない態度に南米、中東、北アフリカなど各地でレジスタンスが決起していく。 CE77、2月、治安警察省から、独自の軍部隊を持てるようにとの提案がある。これに関して、統一連合軍、国防省から軍の組織の礎をそこなうとの意見が噴出するが、最終的に治安警察省に軍部隊を持つことが承認される。ここに統一連合軍と治安警察省との間に亀裂が生まれることとなる。 CE77、3月、南アメリカの対テロ特殊部隊隊長エドワード=ハレルソン少佐、部下十数名を連れレジスタンスに身を投じる。 CE77、4月開発中であったGWE-X001Aエターナルフリーダムがロールアウト。 その力は凄まじく、初戦で最大クラスのレジスタンスであったバルト独立同盟の戦闘部隊を3日で完全に殲滅。これ以降しばらくレジスタンスは完全に沈黙し地下に潜ることとなる。 CE77、5月南半球が記録的な大干ばつによる食糧危機に陥る。統一世界連合は北半球の全国家に備蓄穀物の放出を要求。それとあわせて食料プラントをフル稼働させ、どうにか餓死者は出さずに解決する。 CE77、6月大洋州連合、大西洋連邦にて主権返上の意向を表明する。 両国家とも世論が真っ二つに割れ、大洋州連合は3ヶ月後に国民投票で決まることになり、大西洋連邦は、大統領選挙を待つこととなった。 CE77、7月、スカンジナビア王国、主権返上する意向を示し。国民は歓喜と熱狂でこれを支持。 CE77、9月、大洋州連合にて主権返上の是非を問う国民投票実施、結果は主権返上が58%となり主権返上へと向けて動き出すこととなる。 CE77、10月、今度は北半球が記録的な冷夏となり、またも食糧危機に陥る。再び食料プラントをフル稼働させ乗り切ろうとしたが、追いつかずに多数の餓死者が出る。特に東ユーラシア地域が深刻で、ここだけで飢え、感染症などで100万人以上が死亡。北半球全体で200万人以上が死亡したとされる(統一政府推計。後の史家の計算によると500万人が死亡したとも)。 これにより、統一地球圏連合政府に各国の人々に表立って、また裏で、軍備拡張に予算を費やし、生活福祉に予算の投入が足りなかったことに対する不満がでる。 CE77、11月大洋州連合の78年からの統一世界地球圏政府の編入が正式に決定される。 CE78、1月シドニーにて、爆弾テロ発生。「オセアニア解放軍」より犯行声明。 1月下旬、プラント駐留の宇宙第二艦隊の一部が叛乱。統一連合軍宇宙軍との交戦状態に陥る。 CE78、2月初旬、反乱軍、宇宙第二艦隊撃破。 また地上では東ユーラシア最大のレジスタンス組織ローゼンクロイツが再び各地で決起。 周辺の組織を吸収合併しながら進軍を開始。ローゼンクロイツ、キエフ、ワルシャワ、モスクワ占領。 2月中旬、反乱軍、宇宙軍第一艦隊、第三艦隊との決戦に敗れ全滅。 ローゼンクロイツ、ベルリン、ペテルブルグ占領。東ユーラシア政府高官はパリに亡命し臨時政府を立てる。 2月下旬、東ユーラシアへ統一連合軍地上部隊の精鋭が集結。東ユーラシア反攻作戦開始。 CE78、3月初旬、南米解放同盟、武装闘争を再開。統一連合軍はベルリン奪還。 中旬、ワルシャワ奪還。東ユーラシア政府高官帰国。 下旬、キエフ奪還。ローゼンクロイツ、占領地を手放し再び地下に潜る。 CE78、4月、ローゼンクロイツの構成員、幹部、スポンサーが次々逮捕され、壊滅的な打撃を受ける。 また4月中旬、南米解放同盟、武力闘争を再び停止する旨の声明を出す。 CE78、5月、ラクス=クラインの演説(通称:平和の演説)。テロリストに対してテロ活動の停止を、各国には統一国家樹立への協力を訴える。 CE78、6月、イラン高原で赤い三日月が独立闘争開始。 CE78、7月、大西洋連邦大統領選挙でイギリス・カナダ閥のレノン(エターナリスト)がアメリカ閥のジョンソン(穏健派反エターナリスト)に敗北。 CE78、8月北アフリカでサハラ解放の虎、再び独立闘争開始。 CE78、9月オノゴロにて統一地球圏連合政府樹立3周年記念式典。 同時に戦勝記念館も開館。 連合政府首席カガリ・ユラ・アスハ暗殺未遂事件発生。(第1話) そして、Revivalの世界へ・・・ (この時点で主権返上国は、オーブ首長国連邦、赤道連合、西ユーラシア新政府(強制返上)、スカンジナビア王国、大洋州連合。また主権返上していない国はアメノミハシラ、東ユーラシア共和国、北アフリカ共同体、南アフリカ統一機構、大西洋連邦、南アメリカ合衆国、ムスリム共同体、東アジア共和国) 年表 年号 月 出来事 CE74 5月 メサイア攻防戦終結。併合演説。東ユーラシア共和国樹立 6月 プラント併合実施。統一連合枠組み提唱。統一安全保障条約機構樹立 8月 大西洋連合、オーブに宣戦布告 9月 大西洋連合オーブ侵攻、ハワイ沖会戦、プラント侵攻全てに敗北 10月 大西洋連合エターナリストによるクーデター勃発。臨時政府発足 11月 大西洋連合臨時政府とオーブで講和成立 12月 南アメリカ合衆国、東アジア共和国、統一連合へ参加 CE75 1月 ピースガーディアン発足。南アフリカ統一機構、統一連合へと参加 2月 ムスリム共同体、統一連合への参加 3月 内戦の沈静化に伴い、赤道連合が統一連合に参加 4月 ヘリオポリスにイザナギ完成。統一連合参加 5月 東ユーラシア共和国、統一連合に参加。同時にレジスタンスに対する圧力激化 西ユーラシア暫定政府樹立 7月 大西洋連合、西ユーラシア新政府、統一連合参加 統一連合、名称を「統一地球圏連合」に改称 9月 ピースガーディアン、近衛兵化 オーブ主権返上 10月 赤道連合主権返上 西ユーラシア代表とラクスの会談決裂 11月 西ユーラシアに対する武力行使により西ユーラシアが統一連合直轄地になる 12月 旧ロゴス弾圧。ライヒ活躍 CE76 1月 統一連合軍発足 10月 統一連合総会パリにて実施。「ローゼンクロイツ」による爆破テロ 11月 治安警察省設立 ペテルブルグで「バルト独立同盟」がテロ CE77 2月 治安警察省、独自に軍備開始 4月 「バルト独立同盟」壊滅。エターナルフリーダムによる武力解決 5月 南半球の飢饉に対応するため北半球の各政府に備蓄食料調達要求 6月 大洋州連合、大西洋連邦にて主権返上に対する国民投票実施 7月 スカンジナビア王国主権返上 9月 大西洋連邦にて主権返上 10月 ユーラシアで歴史的飢饉発生。餓死者500万人 CE78 1月 大洋州連合、統一地球圏連合参加 シドニー爆破テロ。「オセアニア解放軍」 プラントで宇宙第二艦隊の反乱 2月 反乱軍鎮圧 ローゼンクロイツ、ベルリン、ペテルブルグ占領 東ユーラシア政府高官はパリに亡命し臨時政府樹立 3月 南米解放同盟、武装闘争を再開 統一連合軍がベルリン、ワルシャワ、キエフ奪還。東ユーラシア政府高官帰国 4月 ローゼンクロイツ壊滅的打撃。南米解放同盟活動停止 5月 「平和の演説」がラクスにより実施 6月 イラン高原で赤い三日月が独立闘争開始 8月 北アフリカでサハラ解放の虎、再び独立闘争開始 9月 9月オノゴロにて統一地球圏連合政府樹立3周年記念式典 連合政府首席カガリ・ユラ・アスハ暗殺未遂事件発生。(第1話)