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“陸軍としては海軍の意見に反対である” ということで陸軍の戦術史について徒然なるままに書き連ねていく。尚、エリアはヨーロッパである。 古代ギリシア 戦術というものがヨーロッパで見られるようになるのは古代ギリシアの頃からである。「都市国家」という国家単位の小ささ故に繰り出される兵は数百~数千といったところ(註1)である。軍隊の構成要員が選挙権を持つ市民であるため、ビッテンフェルト(註2)のような戦い方では国家機能が停滞する上、アジアの君主制国家という化け物を相手にする上でも戦術の必要性は明らかである。 軍の兵種は重装歩兵(槍兵)、軽装歩兵(散兵・投石兵・弓兵)、軽騎兵、重騎兵である。ギリシア世界以前においては弓兵が主体であったが金属技術の発展により重装歩兵がその座を奪っている。その重装歩兵が密集することで正面からの攻防に特化したのが「ファランクス(φάλαγξ)」である。そのため、ギリシア世界の戦術は「如何にしてファランクス陣形を崩させないまま敵陣にぶつけるか」に焦点を当てているといえよう。ファランクスは正面以外、特に右側面が脆く(註3)、密集隊形のため移動速度が遅い。 註 1:ただし、以下の2国は除く: ①スパルタはプロイセン以上の軍隊国家なので単体で1~2万の兵力を有する ②アテネはギリシア世界最大の都市国家であるため、1万ほど 2:彼の言葉が自身の戦術を如実に表している「こちらは両艦隊あわせて三万隻。敵軍をことごとく葬って、なお一万隻はあまるではないか」 3:重装歩兵は右手に槍、左手に丸盾を持っているため、右半身が晒されている 目下執筆中 古代ローマ 帝政ローマ末期(蛮族の侵入) 中世 近世 三十年戦争 ナポレオン戦争
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平盛18年1月20日、日本人民軍がついに結成された。 そしてその翌日から、早速訓練が始まった。 「では、本日より日本人民軍第1期兵の訓練を開始する。」 100人いる上官はみな元自衛官である。言わばこの組織は半ば自衛隊の残党のようなものである。しばらく話が続いた後 「4000メートル走り込み!」 と、上官は言うと、1000人の新兵は5組に分かれ、それぞれ別々にスタートしていく。 日本人民軍は、ガロイン陸軍の基地を一部借りている。元々はガロイン陸軍最大の基地だったが、一部の編隊はガルトナーから他の基地へと移転してしまい、余剰となってしまい、ガロイン陸軍総司令部のご厚意により、借りてもらうことができたのである。 この基地の敷地を利用して4000メートル走るというのである。ユーラシア北部の極寒のせいか、最初の組が2000メートル走り終えると、しだいにペースを落とす者が出て来た。そういう者は上官により一喝、もしくは精神注入棒で臀部を殴られる。そのような兵士が出てくる中、島田真北は平然と走り続けた。彼にとっては朝飯前のことだ。 やがて全員が走り終わると、次は射撃訓練である。体を伏せて普通の的を撃ち抜くごく普通の射撃訓練だが、素人はなかなか命中させられない。特に見当違いのところに弾を飛ばした者はこれまた精神注入棒で叩かれた。 これが終わると次は綱渡りである。最初は手すり付きの綱を立って渡る。しかし寄せ集めの素人はなかなか前進できない。10秒も立ち止まれば上官に威嚇射撃を喰らう。しかし真北は手すりに掴まることなく駆け足で進む。他に彼と同じようなことをした者が3人ほどいた。 その後も、サンドバッグでパンチ力を鍛え、極寒の水中を泳ぎ、ひたすら体力を鍛えた。 翌日以降も、同じような訓練が続いた。寄せ集めの素人たちは徐々に訓練になれていくと、訓練はさらにレベルアップしていった。 それから時は過ぎて2月1日の夜、兵営の真北のいる部屋で真北を含めて5人の兵士達が会話をしていた。 「なあ、デインを倒したら何をする」と、1人の兵士は訊く。 「俺だったら恋人と再開し、結婚してやる」と、もう1人の兵士は答える。 「お前、それ言ったら死ぬぞ」と、別の1人が言うと、笑い声が轟く。 「ところで島田は」 「俺は、日本列島に日の丸が翻ればそれでいいさ、」と、真北は答えた。 すると部屋のスピーカーのスイッチが入り。 「重大事項、すぐに全員講堂に来るように」 と言うと、5人はすぐに服装を整え、講堂へと走っていった。 兵、上官、全員が講堂へと集まり、整列した。 壇上に天知が登ると、一同は敬礼。すると天知は壇上のマイクで話す。 「これより、重大事項を発表する。ガロイン時間本日21時、国際連合はデイン軍への武力制裁を承諾した。これにより、ロシア、中国をはじめとする20カ国が新たにデイン帝国に参戦を表明。アメリカも本土からデイン領へと派兵することを決定した。しかし、これら国連軍でデイン帝国軍に太刀打ちできるかどうかはわからない。我が軍は国連軍の戦況に着目しつつ、早期に訓練を完了させ、加勢し、何としても味方を優勢に持っていかなければならない。明日からはより一層心して訓練に取りかかるように。これにて重大事項発表を終わる。」 「敬礼!」と、上官が指図すると、1000人の兵は一斉に額の前に出し、講堂を去った。 2月4日、ロシア陸軍と中国陸軍がデインの領土に入った。 極東の白い平原にロシアと中国の戦車と歩兵を乗せた装甲車が走っていく。ほどなくしてデイン軍が迎え撃つ。銃弾や砲弾が飛び交う、戦争としては当たり前の光景がひたすら続いていく。火器の熱が平原の雪を溶かしていく。国連軍の機動部隊とデイン軍の野戦砲部隊が激しく火花を散らしている。 やがてロシア側から航空戦力が現れた。ロシア軍の攻撃機はデインの野戦砲部隊に次々と機銃掃射。負けじとデイン軍もSAM(地対空ミサイル)で攻撃機を撃ち落としていく。 もはや寝られない、それどころか今すぐそこから立ち去りたいくらいの騒音、砲火、そして兵士の屍、心臓の弱い者なら10分その場に居ればPTSDになること間違いなしの残酷な風景。 その後デイン軍はじわりじわりと後退。しかし、日本、韓国を追われたアメリカ軍がデイン領とその周辺に到達するにはあと1ヶ月ほどかかる。 そのころの日本人民軍、兵士全員が真剣に過酷な訓練をこなしていった。思いはただ一つ、祖国解放の4文字。 その日の訓練を終えた真北たち、食堂での会話。 「ロシアと中国がなんとかデインを少しずつ追い詰めていってるぞ」 「おお、これはよい」 「東からアメリカが来れば一気にガタつくぜ」 3月、アメリカ軍がついに日本近海に到達。いよいよ九州、沖縄に上陸する。 日本人民軍の兵士たちは、ついに一流の兵士になりつつあった。 がんばれ、国連軍、そして日本人民軍 続く
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エルシャラーユ-Ⅱ主力戦車はザーティエラ王国陸軍の2代目主力戦車である。 1,概要 エルシャラーユシリーズ二代目となるザーティエラ王国の主力戦車。開発は車体をレナダル重工業、滑走砲はリヴァ重工業(他国の企業)、デザインはビトロン設計局が担った。本車の最大の特徴は他国に比べて小型であることである。本車の全長は車体が21b,全幅9bとなっており、平均25~29bである他国の戦車と比べても小型でまるで軽戦車のようなサイズである。しかし、小型化のお陰で集中的かつ効率的な防御を行うことが無理なく行え、山がちな地形の多いザーティエラ本土での戦闘や揚陸艦からの離島強襲などにも使いやすい便利な戦車となっている。 2,開発への経緯 この戦車の配備以前にもザーティエラ王国には旧ツァーラント政府軍の保有していたTPZシリーズ戦車や新規に開発されたエルシャラーユ-Ⅰ主力戦車など多数の戦車が配備されていた。しかし、TPZシリーズは約1年前の旧式戦車の改造品であり、エルシャラーユ-Ⅰは火力の為に防御を犠牲にしていた。(エルシャラーユ-Ⅰは箱形の大柄な砲塔を採用していた為、全覆水流装甲を持っていなかった。)いずれも戦闘時に役に立つのか疑問視されており、かつての大国の陸軍とは思えない廃れ様であった。実際、この時期の戦車はヒトラント軍やリビア軍の戦車に後半ほぼ役に立たなかった。これに危機感を覚えた陸軍首脳部は旧式のTPZシリーズを退役させ、代わりに新たな戦車を配備することを決定した。 3,防御 エルシャラーユ-Ⅱ主力戦車は東側戦車の様な御椀型砲塔が採用されている。これにより本車は全覆水流装甲を取得し、硫酸弾での攻撃にある程度耐えることが出来る。また、更に全覆水流装甲を強力なものにする為に金床装甲が全体に張り巡らされている。内部にも3重の複合装甲が作られ、更に車体下部に水流を展開出来るようにもなっている。前方にはNavyEagle氏開発の跳弾防止装甲が搭載されている。これにより、アブソープションと同等の防御能力を付与することに成功した。 4,攻撃 エルシャラーユ-Ⅱ主力戦車には主力戦車の名に恥じない火力を付与することに成功している。我が国のキャノン技術ではここまで小型のキャノンを開発することが難しかったが、リヴァ重工業の強力を得て、290弾頭の多用途滑走砲を搭載することに成功した。
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登録日:2009/08/22(土) 16 26 04 更新日:2024/05/01 Wed 04 30 06NEW! 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 おばさん いえまだお若いです! サクラ大戦 副司令 変身 姉 帝国華撃団 折笠愛 殺女 藤枝あやめ 降魔 サクラ大戦シリーズの登場人物。 CV.折笠愛 帝国華撃団花やしき支部長にして帝国華撃団副指令兼司令長官秘書。 帝撃の表の顔たる大帝国劇場では団員のマネージメントや相談役をこなす才女であり、みんなに慕われる帝国華撃団のお姉さん役である。 かつて米田一基率いる「陸軍対降魔部隊」に16才にして特務少尉として所属していたが、米田と同じく部隊解散後霊力は失ったものと思われる。 なお、副指令時階級は帝国陸軍中尉。 射撃と合気道の達人でありながら生け花は免許皆伝、日本舞踊も嗜む。 副指令という立場でありながら非常時には轟雷号や翔鯨丸の指揮・操縦もこなす他、独自で裏からの政府や軍部への根回しを行うこともある。 また花組の初期メンバー(マリア、カンナ、紅蘭、アイリス、すみれ)を自らスカウトしてきた人物。 語学にも明るく、OVA「桜華絢爛」第1話にてマリアや紅蘭、アイリスをスカウトした場面から少なくとも英語、中国語、仏語を話すことができるようである。 愛刀は「神剣白羽鳥」。後に妹の藤枝かえでに受け継がれた。 【以降ネタバレ】 陸軍対降魔部隊に所属していた折、同隊員であった山崎慎之介(後の葵叉丹)とは恋仲であり、失踪するまでの間に山崎から「降魔の種」を植え付けられていた。 後に帝撃に隠されていた魔神器を欲した葵叉丹によってその種が発芽。 あやめは降魔・殺女となり帝国華撃団を離脱。 降魔となった後もあやめだった頃の記憶があり、聖魔城で大神と戦った際には降魔としての自分とあやめとしての自分がせめぎ合う節も見せ、 最期は大神に敗れた後トドメに躊躇する大神を叉丹から庇い死亡した。 大神達が叉丹と倒すと叉丹の中に封じられていた魔王・サタンが覚醒。 強大な新たな敵に為す術もない大神を同じくあやめに封じられていた大天使・ミカエルが覚醒、これを助け帝国華撃団の勝利に大きく貢献したが、 戦いを見届けたミカエルは天界に帰っていき、以降シリーズでは故人扱いになっている。 ちなみにこの戦いの結末は2つあり、セガサターン版ではサタンは滅び、移植されたPS2版ではサタンが改心。魂となったサタンをミカエルが天界に連れて行った。 こいこい大戦では最後の対戦相手として殺女が登場。 その理不尽すぎる文の差に何人もの隊長が散った。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] TV版では人間のままで生きていけるのがいい。 -- 名無しさん (2014-05-29 09 03 20) 躊躇ったら大神をかばって死ぬのか…。約束通り即射殺したから知らなかった。 -- 名無しさん (2015-12-07 01 01 04) 彼女の死は大神の中でもかなりのトラウマになっている。2や3では犠牲を前提とした勝利には断固として反対し、かえでと会った時を描いた外伝では泣きながら土下座し彼女に諭されている -- 名無しさん (2015-12-08 00 18 09) 名前 コメント
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_..- ―-- 、 _..-''゙゙´ ヽ / \ / , --、 .,.-- 、 ヽ / /´ `ヽ /´ `ヽ ヽ ,′( -―- l l -―- ) ! ; ヽ_ ノ ヽ _ノ | { ''"⌒( i )'⌒"' } ', ` ─'^ー - ´ / ヽ、 / ,> __ _ _ _ _ < 【入速出やる夫】 第1独立戦術機中隊第2小隊長を務める帝国陸軍中尉。 西独で育ち、ダンケルク撤退戦後にアメリカに滞在していた経歴を持つが、生粋の日本人である。 小太りな体型だが、衛士として理想的な肉体構造をしており本人の能力も折り紙つき。 特に日本では前例のない『前衛砲兵』というポジションを確立した射撃のプロフェッショナルだが、 その分帝国軍や斯衛軍が確立してきた戦術機運用思想とは相容れない部分がある。 所持スキル: 格 初太刀 1 最初の1回、近接武器による反動ダメージを無効にする 格 格闘術 1 格闘値を+0.5し、反動を-1 射 前衛砲兵 - 近距離戦闘で射撃武器使用可能 射 精密射撃 4 射撃攻撃時ダメージ1.5倍、他属種越しに光線属種を攻撃可能 射 引き撃ち 2 射撃攻撃後の回避判定達成値を+8 射 弾数管理 1 小隊の保有弾数を+10 回 機体制御 3 機体回避値+12、格闘値+0.2、射撃値+0.1 回 死線 1 回避行動時達成値+8 指 冷静な指揮 4 射撃・格闘・回避・補助スキル有効化、有効化スキルのデメリット無効 指 圧倒的な指揮 3 全スキルを有効化、環境によるデメリット無効、30%の確率で再行動 特 不屈の魂 2 自部隊の死亡判定を30%で無効化し、交戦する敵に即死ダメージを与える 特 スキマ抜け - 回避判定失敗時、成功率50%で再度回避判定を行う 特 撤退上手 - 撤退戦において回避判定を2回行ってどちらか好きな値を選択できる 特 同調 - フェイズに一回、味方部隊とスキルを共有。ただし、関係が親密以上の相手限定(関係が親密:親密度が3以上) 特 先見の明 - BETAの動向を安価によって予測する 特 無名のエース - 自分を含めた味方部隊の回避値を+10 特 踏みつけ - 自部隊の攻撃によって相手の耐久が5以下となった時、相手に即死ダメージを与える スキルの編集はココ 戻る
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カンタルシア帝国へようこそ! 我々は貴方を歓迎いたします これまでに来られた紳士淑女の方々 - 人 今日来られた紳士淑女の方々 - 人 昨日来られた紳士淑女の方々 - 人 現在の国内緊張度はペリコロ です カンタルシア帝国とは 中部地方、関東地方北部、近畿地方東部を支配する帝国。 建国以来伊豆諸島や佐渡島、小笠原諸島の領有権を主張しているが、多数の国から認められていない。 農業や鉱業、重化学工業が盛ん。特に米は世界でも屈指の生産量を誇る。現在は伊那宮兼治陛下が国家元首である。 我が国はその武勇から「信濃の麒麟」と謳われている 特に、真紅の軍服を纏った真紅騎兵団は世界屈指の強さを誇る。 地図 冠帝国新報 + ... 反転攻勢 6/17 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 西国方面から引き抜いた戦力を加えた陸軍は、日ノ出に占領されている地域の奪還へと乗り出した。山岳地帯を知り尽くした我が軍は地の利を生かした作戦を展開、見事越後や上野などの北部から日ノ出の軍勢を追い払うことに成功し、日ノ出の国境地帯周辺まで進出した。しかし、旧カンタルシアの軍勢による妨害などにより相当の時間を稼がれ、それ以上の進出は失敗。現在戦線は膠着し、終戦の機運が高まっている。 但馬の退き戦 6/16 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 東国で日ノ出との激しい戦をしている間に、長岡は徐々に体勢を立て直し反撃へと動き出した。兵庫に上陸している我が将兵を救うべく、日本海艦隊と陸軍近畿方面軍は合同で撤退戦を実行。両軍の優れた連携と中華の援軍は、長岡の追手を退け多くの兵を救出することに成功した。 冠日艦隊決戦 6/15 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 我らは日ノ出後方に上陸し、東国の戦況を打開する乾坤一擲の策を立案、揚陸艦隊を太平洋へ向かわせた。しかし、我が精鋭なる海軍と同等の実力を保有する日ノ出海軍は強敵であり、絶え間ないミサイル攻撃と沿岸の飛行場からの航空支援によって劣勢になった冠帝艦隊はやむなく撤退に追い込まれた。 信州大防衛戦 6/14 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 兵数に勝る敵軍は我らの抵抗を退け、陛下のおわす松本まで南下するという脅威の電撃侵攻を遂げた。これに対し我が軍は忠義に篤い騎兵隊の将兵を先頭として応戦、味方が側面から反撃するまでの時間を稼いだ。その結果敵方を北部まで後退せしめることに成功したものの、彼らは依然として十分な力を温存している。東国方面の戦闘終結の目処は立っていない。 奥州起つ 6/13 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 先日の日本海における快勝以来、我らは破竹の勢いで進軍。兵庫の広域を制圧するまでに至った。しかしその一方、奥州の強敵である日ノ出が我が国に対して宣戦布告し、戦況は揺らぎ始めている。精鋭の関東方面の軍勢と中華の援軍により耐え凌いでいるものの、強力な陸軍を誇る日ノ出の猛攻にはかなり手を焼いているようだ。 日本海艦隊奮戦す 6/12 先日、兵庫の浜へ上陸作戦を仕掛けようとした我らが日本海艦隊とそれを撃滅せんとする長岡艦隊との間で大規模な海戦が発生した。長らく港湾に引きこもっていた敵艦隊の準備は万全であり、一筋縄ではゆかぬ強敵であった。しかし、百戦錬磨の我が日本海艦隊はこれを退け、見事上陸作戦を成功させたという。我らの優勢は当分揺らぐことはないだろう。 長岡京を挟撃せよ 6/11 征討の先陣を切った近畿方面軍は、国境地帯で敵軍の強固な陣地に行く手を阻まれた。重厚に入り組んだ敵地を突破するのは容易なことではない。我らは軍勢を二手に分け、日本海方面と近畿方面の二方向から攻略することとした。我らが精鋭日本海艦隊は、長岡艦隊と雌雄を決すべく準備を整えている。 帝国軍西上開始 6/10 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 我が軍は長岡京を征討すべく、西上を開始した。先日、我が帝国の善良なる国民たちが長岡領海付近で漁を行っていたところ、突如長岡海軍の艦艇が出現、漁船に対して発砲したのである。これにより此方の船舶は大破、船員も重軽傷を負ったという。罪を認めない彼の国は、此方の船舶が先に銃口を向けたと主張しているが、これは卑劣なる虚言だ。平和を乱す者にカンタルシアは容赦しない。山城に冠軍旗が掲げられる日は近いだろう。 日本情勢急変す 4/26 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 クーデターを起こした朝倉景治は先日、松本へ入城し政権を奪取した。冠領琉球などの地域でもこれに呼応して反乱が発生、ほとんどの地域は反乱軍の支配下に入ったという。敗走したカンタルシア正規軍は現在群馬へと撤退、日ノ出の支援を要請している。 越前謀反 4/25 仙台で会談が行われた本日、本国でクーデターが発生した。近畿方面軍5万騎を率いる第2皇太子・朝倉景治は我が国に反旗を翻したのである。勇猛果敢な我が軍勢はこのクーデターを阻止しようと奮戦しているが、戦況はあまり芳しくない。真偽不明であるが、中華もこの賊軍に味方しているという噂も流れている。 皇太子と日ノ出公女のご結婚が決定、日冠関係の強化が狙いか 4/23 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 外務省は先日、カンタルシア皇太子の伊那宮利治殿下と、日ノ出公女がご結婚なされることを発表した。世界情勢が混迷を極める今、日冠の結びつけを強めていこうとする狙いがあると考えられている。皇太子殿下と公女殿、及び陛下と日ノ出公との会談も間もなく行われることが決定している。日本が一つになるときは近い。 講和 3/30 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 日本陣営と極東陣営は、トンガ帝国の仲介の元講和条約を締結し、長年に渡る戦争に終止符が打たれた。本戦争で領有問題の発生した浦塩は、OFC諸国が共同統治することが決定したという。 東シナ海・日本海における空海戦 3/28 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 釜山防衛に勢いづいた敵陣営は、我らの優勢を覆さんと大規模な艦隊や航空兵力を率い日本海へと攻め入った。これに我が軍は苦戦を強いられたものの、K1をはじめとした味方の活躍により日本海海上・及び上空の優勢を保持することに成功した。陛下はこの結果にお喜びである。 釜山攻防戦 1/18 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 沿海州制圧を狙う我が軍は、大艦隊と無数の将兵を率い朝鮮の要衝たる釜山へ一挙攻め入ったものの極東軍沿岸部隊の激しい抵抗により上陸はあえなく失敗に終わった。浦塩に続き極東は動きを盛り返しており、またクラフタリアが対冠参戦に向け動きだしたとの情報も入ってきている。日本勢はより一層団結し、彼の国らを迎え撃つ必要があるだろう。 極東軍の蛮行世界に知れ渡る 12/29 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 本日、ウラジオストクの爆撃跡からウラジオに住むエルトシア国籍の一般人の遺体が「発見」された。極東が軍事施設に留まらず、民衆に危害を及ぼす国であるというニュースは世界全土へ広まった。これにより、北欧のアルシングが我が陣営側で参戦を表明したという。 ウラジオストク爆撃 12/27 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 先日のウラジオストク陥落を受け、極東は同国空軍爆撃隊を浦塩に向かわせた。ウラジオストクの軍事施設は悉く爆撃の被害に遭い、連合軍は予想以上の大打撃を食らう結果に終わった。 連合軍、浦塩に上陸 12/26 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 連合軍は極東の支配下にあるウラジオストクを強襲、現地の極東軍の激しい抵抗にあい少なくない損失を被ったもののこれを破りウラジオストクに連合軍こ旗を掲げた。 デモクラシー追撃戦 12/2 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 積丹岬で敗れた敵艦隊を逃さじと我らは追撃戦を開始。一時は敵艦隊を見失うトラブルもあったが、日ノ出のミサイル艇部隊が決死の偵察活動を行い撤退する伊艦隊を発見し、敵艦隊に追撃を加えることに成功した。陛下は日ノ出ミサイル艇部隊の勇敢な活躍を「この行動は後世に語り継ぐべき英雄的功績である。」と讃えられたという。 積丹岬沖海戦 12/1 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 我が艦隊の後詰めとして謙信ら主力の後ろを航行していた後詰めの部隊は積丹岬にて伊艦隊を捕捉、艦隊は宗谷岬の仇とばかりに奮い立ち敵艦隊に猛攻。大艦隊に臆さず果敢に戦い、相手が疲弊していたこともあり我らは勝利を収めた。 宗谷岬沖海戦 11/30 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 アリューシャンを通過し、日本海入りが目前に迫った伊艦隊を追い返すべく我らは超戦艦である信玄型の2番艦・謙信を宗谷岬沖に向かわせ迎撃を図ったものの、激しい撃ち合いの末に謙信は大破に追い込まれ惜しくもデモクラシーを通してしまった。これにより、我が陣営の日本海における絶対的な制海権は崩壊した。何としてでも、奴らを再び北極海へと追い返さなくてはならない… アリューシャン沖海戦 11/29 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 突如として参戦を表明したイットリカン民主主義国の艦隊は、我らと艦隊決戦を交え日本海をその手中に収めんと北日本海に向けて航行を開始した。これを防ぐべく、我らも艦隊をアリューシャン沖に差し向けたものの、イットリカンの超戦艦たるデモクラシーの前には歯が立たず敗走を余儀なくされたという。 友邦の参戦 11/28 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 我らが友邦・蝦夷共和国は我が国からの対極東参戦要請を受諾、日本海戦争への参戦を表明した。これにより我が陣営は数的有利を手にした。我ら列島の海洋国が手を組めば、勝利は目前であろう。 下関沖海戦 11/27 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 日本海の制海権を手にすべく一路三河より若狭へと航行していた我が艦隊は突如として長岡京艦隊の攻撃に見舞われた。序盤は敵艦隊が事を有利に運んでいたものの、我らは攻撃を耐え凌ぎ若狭湾へ逃げ込むことに成功した。とはいえ、各艦の損傷は激しく前線へ送り込むにはやや時間を要するであろう。 三河鎮守府強襲 11/26 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 極東連邦のウラジオ占領から、日本海に陸海空軍を集結させ圧力をかけていた我が国に対して遂に極東連邦は牙を向いた。我が海軍の多くの艦艇が停泊する三河鎮守府に航空攻撃を仕掛けてきたのである。極東連邦の航空隊の攻撃により、我が艦艇は次々に海の藻屑と化した。天をも恐れぬこの暴虐を黙って見過ごすわけにはいかない。我が国は極東連邦に対し宣戦布告する! ウラジオ巡り極東と対立か 11/25 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 先日、極東連邦は日本海の要衝であるウラジオストクに、残留していたエルトシア人の保護という名目で軍を派遣した。山県総理は「極東軍が同地を本格的な支配下に置く日もそう遠くはないだろう。そうなれば日本海の均衡が崩壊するのは目に見えている。我らは日本海の安全のため、然るべき対応を取らせてもらう」と語った。 羅国君主主義勢力と国交回復 10/05 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 本日、帝国外務省はラティアンスの君主主義勢力たる黒洋・白峰重工と国交を回復し、また羅冠同盟を再締結したことを発表した。琉球戦争や仏伊戦争にて争ってきた国家同士、関係はもはや改善不可能と見られていたために此度の発表は非常に衝撃的なものである。ともあれ、一部国交回復を果たしたことにより国際関係は向上し、日本海進出に力を入れられるようになるだろう。 朝日皇国と同盟締結 08/07 本日、我が帝国の港に、同盟締結の調印の為に朝日皇国から派遣された皇太子一行の艦隊が到着した。陛下は朝日皇国皇太子の御召艦に乗艦、同盟の文書に調印された。兼治陛下は報道陣に対し、「環太平洋の実質的盟主たる朝日皇国と同盟を締結したことは大変喜ばしいことである。今後は皇族同士の交流などを通し、より一層親密な関係を築いていきたい。」と語られた。 日本勢の快進撃 7/29 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 日本勢は、劣勢を盛り返し、各地で連合軍軍勢に反抗を仕掛け見事連合軍共を列島から一掃した。我々が事前に行っていた機雷除去作業により、我が艦隊の主力である戦艦たちが通れる回廊が形成されていたため、海上封鎖をくぐり抜け津軽海峡にて敵艦隊主力の撃破に成功。さらに敵航空隊の駐屯する入間航空基地にも勇敢に攻撃を敢行。我らが誇る最精鋭のパイロット24名はこの攻撃を見事に成功させた。 信州防衛戦 7/27 敵軍は破竹の勢いで進軍、我が帝国の都信州まで攻め込んできた。これに対し我らは、実治殿下率いる帝都防衛軍と、亜国国境に展開していた氏治殿下が麾下の関東方面軍で連合を組み対抗。多大な犠牲を払いながらも、敵の進撃を食い止めることに成功した。 日本勢の劣勢 7/26 日ノ出の反乱鎮圧部隊は既に連合軍の大軍勢によってほぼ壊滅状態にあり、形成は連合軍に傾きつつある。兵力の随時投入という愚策を避け、旧亜国領での戦闘を極力せず、国境線で大兵力を持って迎撃するべく冠帝陸軍関東方面軍はアルファリア国境に集結の準備を始めた。しかし連合軍の怒涛の進撃は我々が予想する以上に素早く、あれよあれよと言う間にアルファリアの主要地域は陥落。このままでは我らが集結し終える前に連合軍が旧亜国領を占領し、帝国領や日ノ出領に手を伸ばし始めてしまう…南無法性諏訪南宮上下大明神、我らに加護を与え給え… 独立の決起 7/25 前々から懸念されていた、アルファリア残党の反乱がついに起こった。残党と共通の敵を持つサハリンやCELTO諸国もこれに与し、兵を上陸させたという。旧アルファリア領は我が帝国や日ノ出など日本の有力国に面する重要な地域、彼らはここに友好的な政権を樹立することで日本勢を駆逐する足がかりを手にしようとする算段であろう。日ノ出は、既に反乱鎮圧部隊を派遣したという。我々も無関係ではいられない。準備が整い次第、関東方面軍を差し向けるぞ!彼奴らに大和魂の意地を見せてやれ! 東国で不穏な動き 07/24 琉球を平定し、束の間の平和が訪れたかのように見えた日本列島であるが、天は我らに休息を与えないようだ。近頃の旧アルファリア領では、日ノ出の統治下から独立しようとする者共が密かに蠢いているという。裏にはサハリンが関わっているというが…どうなのであろうか。 講和 7/19 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 ついに、この戦争に終止符が打たれた。首里にて講和会議が開催され、琉球本島は日本勢側の保護統治下に入ることが決定した。そして、我ら帝国は本島中部の統治権を手にしたという。南洋に我らの旗が打ち立てられたことは非常に素晴らしいことだ! 全軍、攻勢に転じよ! 7/18 ラティアンスへ派遣された戦艦部隊の旗艦・虎盛 敷島作戦で成功を収めた我らは防勢から攻勢に大転換、一気呵成に南下を開始した。強襲揚陸艦を用い本島南部、先島諸島に上陸。CELTO諸国軍を琉球から蹴散らした。またその上で戦艦部隊をラティアンス本土に派遣し、艦砲射撃を実施…しようとしたものの、これはラティアンス空軍の頑強な抵抗に遭い失敗に終わった。しかし、状況は大きく変わった。今のうちに講和しておくのが得策であろう… 敷島作戦 7/17 将兵よ喜べ、これまで中立の立場にいた蒼星が我らに味方し、我ら連合軍は数的優位を手にした。機雷除去作業も終わり、主力艦隊も出せるようになったため、我らは琉球列島における戦局打開を狙った乾坤一擲の策「敷島作戦」を発動。連合軍各国の航空母艦が連合艦隊を形成、その圧倒的な航空兵力を以てして連合軍航空兵力を破り、九州沖及び琉球列島の制海権・制空権を手にした。 本島南部防衛戦 7/16 CELTO諸国の進撃の勢いは先島諸島を制圧してもなお止まらず、その魔の手は本島南部まで及んでいた。ここで活躍したのが日ノ出から派遣された将兵であった。彼らは巧みな戦術によりCELTO諸国軍を阻み、自身も多大な損害を追ったもののCELTO諸国軍の主力にかなりの損害を出すことに成功、司令部周辺に強固な防衛陣地を構築する時間稼ぎに大いに貢献した。これにより、幾らか我が軍にも余裕ができたことであろう。しかし、劣勢に変わりはない。どうにかして打開策を見つけねば… 先島諸島陥落 7/15 賊軍共の軍勢は止まることを知らないようだ…先島諸島を狙いに定めた彼らは上陸を計画。CELTO随一の陸軍国家であるイットリカンの上陸部隊は、ラティアンスの戦艦による苛烈な艦砲射撃の後に先島へ乗り込んできた。こちらの守備隊も果敢に抵抗したものの多勢に無勢、惜しくも破れほとんどが戦死したようである。 吹き荒れる向かい風 7/14 ラティアンスは、連合軍の琉球列島上陸を受け、補給路を遮断するべく爆撃隊と戦闘隊を九州沖及び連合軍構成国の主要軍港に差し向けた。我らも奮戦したものの、九州沖の制空権はラティアンスの手にわたり、また主要港は機雷封鎖されてしまった…。結果として、琉球列島に送られた先遣隊はラティアンスに包囲される形となってしまった。将兵の命は一兵たりとも無駄にはしない。一刻も早くこの状況を打開しなくては… 南風に翻る武田菱 7/13 勇猛果敢な先遣の将兵たちは早くも琉球へ上陸した。疾風の如き進軍に敵は総崩れ、連合軍は瞬く間に列島全域を制圧した。南洋人らがラティアンスの支配から開放される日は我々が思うより早いようであろう。 琉球出兵 7/12 独立派は我らに、ラティアンス追放のために琉球への派兵を求めてきた。琉球は列島とラティアンスの中間に位置する土地、ここ全域がラティアンスの傘下に入れば列島での大規模な本土戦は避けられないだろう。我らは蛮行を止めさせ、これ以上の領土拡大を防ぐためラティアンスに宣戦布告する。御旗楯無もご照覧あれ! 野蛮なる逆賊共の艦隊を撃滅 7/11 我が国や北伊諸侯連合国をはじめとした連合国軍は、北大西洋のアイルランドに撤退したエルトシア人たちを保護するべく連合艦隊を編成した。同艦隊はインド洋クリスマス島沖にて、アイスランドのエルトシア人を殲滅せんとやってきた反乱軍艦隊をその圧倒的火力を以って返り討ちに。高らかな勝鬨を轟かせた。 業火に包まれる那覇 7/11 独立運動の中心地である那覇ヘ、ラティアンスは爆撃を仕掛けてきた。まともな兵器を持たない独立派たちは為すすべもなく、爆撃隊は悠々と任務を遂行の後本国飛行場へと帰投していったという。無差別爆撃を躊躇せず実行するとは、天をも恐れぬ悪行よ… エルトシア領内における苦戦 7/10 北方において、エルトシア正規軍は苦戦しているようだ。中央部の駐屯軍は小規模であったため、奮戦したものの反乱軍に惜しくも敗北。その後も正規軍は連戦連敗、首脳陣は全土を放棄して撤退を開始したようだ。 琉球に垂れ込める暗雲 7/10 近頃、ラティアンス領の琉球が騒がしい。どうやらかの国は、民を奴隷の如くに扱い酷使しているという。これに対し、一部の者は独立運動を行っているというが…軍事大国であるラティアンスのこと、この状態が続けばラティアンスは軍事行動を起こす。大乱の勃発が目と鼻の先まで迫っている… 大乱起こる 7/8 エルトシア政府と軍部の対立は抑えきれないものとなり、中央部に駐屯するいくつかの陸軍部隊は一斉に蜂起した。これを受け、エルトシア政府は迅速な反乱の制圧を命じたものの、情報伝達が上手く行っておらず国内は大混乱しているという。我々はこの反乱を一刻も早く鎮圧するため、冠瑞同盟に基づきエルトシア政府への援軍を派兵する。 大陸北部で武力衝突か 7/7 先日、エルトシアとラグナの国境で小規模な武力衝突が起こった。これを受け、エルトシアの血気盛んな軍部は、直ちに報復措置をとるべきとしたものの政府はこれを却下。軍部と政府は徐々に対立していっている…エルトシア国内で万が一のことがあらば、我らは冠瑞同盟に基づいて惜しみなく政府の支援をするであろう。 OFC首脳会談 7/7 先日、我が冠帝国の所属するOFCは、加盟国エジプトにて首脳会談を実施した。会議では各機構に対する外交方針及び近年悪化の兆しを見せる南米情勢について話し合われた。会議の結果、OFCは対CELTO、対仏連の策として環太平洋及びBUとの友好関係構築を目指すこと、万が一のために舞羅に我が国とトンガ、ラエリアの軍を駐屯させることが決定したという。今回の会議で、OFC諸国はより一層結束した。この機構の未来は明るいであろう。OFCに栄光あれ! 桜田確保・戦後処理 06/02 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 桜田は秩父の山中に隠れていたところを連合軍の軍勢に見つかり捕縛された。彼は再起するつもりだったという…さすがは一国の政務を執りたる将である。敵ながら天晴!そして、旧アルファリア帝国領は全域が今回の征伐で連合軍の指揮を執った功績のある日ノ出に編入された。ちなみに我が国も北武蔵東部の割譲を求めたものの、かつて大日本を支配していた頃の『ありもしない』蛮行を咎められ、その要求は却下されたという… 埼玉包囲戦 06/01 imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 体制を立て直したカンタルシア・大日本の連合軍は埼玉の東側を、日ノ出や蒼星、エルトシアの軍勢は埼玉の西側を包囲した。これを受け、桜田は全市民を動員して守備を固めようとしたものの、桜田の暴政に愛想を尽かした市民は既に連合軍側につく意を固めており、桜田の命令には応じず、既に連合軍と内通していた。もはやこれまでと悟った桜田は軍勢の手薄な東側へ百数十人の将兵を連れて突撃、敵中突破に成功。しかし、引き連れた将兵の殆どは戦死している。桜田もそう遠くまでは逃げられまい… 戦場に翻る武田菱 05/31 信玄型の砲声が高らかに茨城の浜に響いた。信玄はその快速を以てして敵艦隊に急接近、近接戦闘に持ち込んだ上で空母を主力とする敵を86cm砲の大火力で打ち払った。戦闘継続が不可能になりかけたラティアンス艦隊は本国へ撤退を始めたが、我々も小笠原海戦で大打撃を被っていたため追撃は不可能であった…今回は討ち洩らしたものの、カンタルシアの宿敵であるかの国とはいずれ決着を付けねばならないだろう。 茨城、焦土と化す 05/30 ラティアンスの北洋艦隊は大きな打撃を被ることもなく茨城に到着。連合軍の海岸守備隊も万全の守りを固めていたものの、ラティアンスはそれを打ち破る最強の矛を用いてきた…金剛型重砲艦だ。「浜の地形が変わる」ほどの圧殺力を持った艦砲射撃は連合軍を消し飛ばしたという。かくして浜はラティアンス兵の足で踏みつけられた。我々はラティアンス・アルファリアの連合軍挟撃を食いとどめねばならない… 小笠原沖海戦 05/29 ラティアンスの北洋艦隊はやはり茨城に向けて進み始めた。我々も通しはせじと道を阻んだものの大日本独立戦争で疲弊していた海軍は頼みの綱である信玄型も出せず、空母を多数保有しているラティアンス艦隊に押し負けた。一方、千島の沖では蒼日連合艦隊がサハリンの艦隊と衝突。初戦では連合艦隊が勝ちを制し、サハリンの茨城上陸を阻止することに見事成功したものの、とどめを刺そうと深追いして少なからぬ打撃を被ったという。 樺太とラティアンスが参戦か? 05/28 大きな番狂わせだ。樺太とラティアンスがアルファリアに与し、我々に宣戦布告した。おそらく彼らは茨城の浜に上陸でもして、埼玉へ進む我らの主力部隊の背後を衝く気であろう。連合軍は上陸戦に備え、既に海岸の守備隊を編成し終えたというが…嫌な予感がしてならない。 土浦に響く勝鬨 05/27 我々が軍勢の立て直しに躍起になっている間に北ルートから侵攻している日ノ出・エルトシア・蒼星連合軍は快進撃を続けていた。茨城の要衝に聳える巨大な東の防衛拠点・土浦要塞にも果敢に総攻撃を敢行、かの要塞が工事途中で一部の守りが手薄だったこともありこの総攻撃は成功したという。アルファリアの西の守りは落ちた。このままの勢いで敵の心臓部である埼玉まで勝ち進められれば良いが… 佐久サリン事件 05/26 アルファリアの動きは我々の予想以上に速かった。東側から侵攻する我々カンタルシアと大日本の連合軍の拠点となっていた東信の佐久基地にアルファリアはサリンを散布。多数の将兵がこれによる被害を訴え、東ルートからの侵攻の足は大打撃を受けた。陛下の領地である佐久に毒ガスを散布するとは天をも恐れぬ愚か者よ。この報復は必ず遂げる! 第二次対亜包囲網結成 05/25 アルファリア征伐の機運は徐々に高まりつつある。日ノ出の宗主国である蒼星を始め、同盟国のエルトシアや大日本がアルファリア征伐に参戦する声明を出している。包囲網は結成された。しかし相手は先の極亜細亜で冠日龍を相手取って互角に戦ったアルファリア、容易く討ち取れるなどと侮ってはいけないだろう… いわき基地襲撃、東日本の秩序はまたも崩れたか 05/24 大日本の独立以来小康状態を保ってきた日本列島だったが、その安寧は破られた。アルファリアの老獪なる陸軍大臣・桜田は摂政の権限を乱用して新皇帝を傀儡とし、先代の皇帝・信松院景徳の思想である列島征服論を唱え、その手始めとして日ノ出のいわき基地を襲撃した。いわき基地の善良なる日ノ出国防陸軍の将兵は悉くアルファリア兵に虐殺されたという。これを許してはいけない、我が帝国も日ノ出の友邦としてこの日亜戦に参戦し今度こそ東夷の息の根を止めるのだ。御旗楯無もご照覧あれ! アルファリア情勢の急変 05/23 カンタルシアの宿敵である信松院景徳は崩御し、代わりに彼の娘である信松院湖幡が皇帝の座に即位した。彼女はおそらく列島征服の考えなど持ってはいないだろう……だが彼女はまだ幼いため、陸軍大臣の桜田康午が摂政として国の実権を握っているという。彼は列島征服論を唱えた前皇帝の息のかかった者だ。陛下は、「今後もアルファリアとその周辺各国の情勢に目を光らせていかねばなるまい。緊迫の際は…考えたくもないな」と語っておられた。 講和 05/11 エルトシアの仲介によりこの戦争は終結した。外務省によると、大日本共和国とは今後同盟を締結するのだとか。一部の国民からは神聖なる帝国本土に核を落とした国と友好関係を築くなど言語道断、という意見も出ているが…過去のことは水に流し、列島の平和を第一に考えねばならないだろう。 瀬戸内海攻防戦 05/10 信玄型を先頭に我らは日本海へと「転進」を始めた。囮の揚陸艦で敵を釣り、そこに敵が食いついている間に即座に関門海峡を通過して日本海へと出たのである。この戦争をこれ以上続けていても無意味だ。賊軍の要求を呑むことにはなるが、四国及び九州を放棄して講和に応じる他ないであろう。 四国での決戦 05/9 ラエリアやアラビアそして日ノ出とカンタルシアが再び復活させた「正規」大日本王国軍は四国へと上陸したクラフタリアやイットリカンの空挺部隊と果敢に交戦、CELTOの超大国2国を相手取り互角に立ち回ったものの、血迷った大日本王国軍は賊軍の味方に付いた。これにより我が方の軍は混乱をきたし一転劣勢に、四国からの撤退を余儀なくされた。しかしまだ戦が終わったわけではない。真の決戦は瀬戸内海である。信玄型や武田二十四将級戦艦を始めとした大艦隊で賊軍を打ち破り、手痛い敗北を食らわせてやるのだ! 四国での激闘 05/8 四国へ戻った帝国軍を待ち受けていたのは潜伏していたゲリラ共であった。これを征討するべく帝国軍及びラエリア・アラビア、日ノ出等の軍は四国へ大部隊を派遣したもののこれを受けて蒼星等のCELTO加盟国が参戦。状況は一進一退である。ここから盛り返すことが出来ればよいが… 騎馬隊壊滅 05/7 掛川に続き、またもや悲劇である。我が国が誇る騎馬隊は九州各所において賊軍相手に善戦したものの、大日本の海軍特戦隊の対騎馬隊戦術の元には惜しくも力及ばず、奮戦の末壮烈な討死を遂げた。これ以上九州に留まっても勝ちは望めまい。これより四国への撤退を開始する。 掛川の悲劇 05/6 賊軍は愚かにも掛川に向けて核を用いた攻撃を行った。無辜の民は瞬く間に焼き尽くされ、朝比奈泰能公より続く歴史ある街は核の炎によって消し飛んだ。この蛮行を帝国は忘れない。信玄公、勝頼公もご覧あれ、帝国軍はこの復讐を必ずやり遂げる! 北九州攻防戦 05/5 北九州の山岳地帯で我が陸軍は怒涛の攻勢を見せている。山国の信濃や美濃、飛騨で育った益荒男たちは賊軍を瞬く間に一掃、僅か一週間の間に200kmもの進撃を成功させた。また、共和国軍の3分の1を包囲することにも成功。流石は甲斐武田軍の血を引く者、帝国陸軍は列島最強である! 蛮族国家の介入 05/4 悪しきCELTOの魔の手が列島へと伸び始めた。蒼星やネストニア、イットリカンやクラフタリア等の蛮族国家は四国や九州の周辺へと集結。対艦ミサイルで我が方の艦艇に挑んできた。こちらも信玄型を始めとした戦艦やその他艦艇で対抗したものの、防空能力の高くない海軍は惜しくも敗北し、支援物資を載せた輸送船を通してしまった…このままではまずい、一刻も早く決着をつけなければならない。 木城町での一戦、赤備え部隊奮戦す 05/3 怒涛の勢いで進撃する我が軍は耳川の防衛ラインに差し掛かった。我らは戦力の薄い木城町を制圧して突破を狙い、白兵戦最強と謳われる赤備え部隊に攻撃を命じ一度は木城町を制圧したが、これを知った敵軍は各地に配置していた軍勢をここに集結させた。赤備え部隊も奮戦したものの、数で勝っており地の利に秀でた敵軍には一歩及ばず結果的に木城町を手放すこととなってしまった。我が方が九州の大半を制圧したにも関わらず、この戦争は泥沼化し始めている…如何にすべきか。 侵掠すること火の如し 05/2 三河軍港を出でし南洋艦隊は共和国海軍を打ち破りほぼ無傷で制海権を確保。この後、延岡北の上陸地点に信玄型を始めとした大量の戦艦で艦砲射撃を実施し沿岸の防衛施設を破壊し尽くした。上陸後は共和国守備隊の激しい攻撃に苦戦したもののそれも一瞬のこと、精強無比の陸軍はこれを蹴散らし、火の如き勢いで延岡のみならず日向まで陥落させたという。CELTOやFAMOT共が襲来し泥沼化する前に決着をつけ、再び南九州に武田菱を打ち立てるのだ! 土地の名称について・特色 + ... 新潟県 越後州 国内有数の米所 豪雪地帯で、冬には雪祭りが開かれる 富山県 越中州 ホタルイカが名物 ダムも有名 石川県 北部 能登州 南部 加賀州 金がザクザク 仏教が国内で最も盛ん 福井県 東部:越前州 西部:若狭州 化石とか 滋賀県 近江州 琵琶湖とか信楽焼とか 岐阜県 北部:飛騨州 南部:美濃州 飛騨牛美味しい 木曽川や揖斐川、長良川周辺は商業が発達している 長野県 信濃州 古城や山の絶景が良い。松本市は我が国の首都 群馬県 上野州 草津の湯が有名 上野の絹は海外でも高値で売れる 愛知県 西部 尾張州 東部 三河州 国内でトップクラスの工業力を誇る 静岡県 西部:遠江州 中央部:駿河州 東部:伊豆州 富士山や伊豆の海は観光地として人気 我が国はどの国の観光客や難民も受け入れます。 国旗 赤は戦争で流された英雄たちの血、白は国の花であるスズラン、緑は冠の豊かな木々や山々、青は澄み渡った海や川、空を表している。 情報 国名 カンタルシア帝国国旗 国章 略号 冠・CAN 皇帝 伊那宮兼治 政治体制 立憲君主制 公用語 日本語 宗教 仏教・神道 首都 信州松本 人口 約6900万人 通貨 円 人種 黄色人種 国花 鈴蘭 国歌 冠に福あれ 目標 戦艦二十四種建造 国歌「冠に福あれ」 作曲 武田 廉正 作詞 高遠 宗頼 + ... わがカンタルシアは島国の大和信州にありて 連なりそびゆる山々あれば あらゆる国より美し景色 武者の血を引く我が君主 古今無双の勇士にあれば 天の御神の御加護を受けて 御国は永遠(とわ)に栄えたる 民は帝の加護求め 帝は民の力を求む 民と帝が力を合わせ 怨敵を討つ剣とならば 必ず勝利は来たりける あぁ冠に福あらんことを 民の力と帝の力 それらを支える幸あらんことを 本日の変更点 07/08 ニュース追加 国内緊張レベル 緊張度 説明 ショルテン 平常 パウロ やや危険 小規模なテロや他国との小競り合い 陸軍憲兵隊を動員できる ペリコロ 戦争・内戦又は大規模なテロ 各軍が戦闘態勢に入る デンジャー 戦争で劣勢な状態 一般人の徴兵が可能に モールゼム 敗戦 全軍戦地から撤退 軍備とか 陸軍 + ... 軍旗 説明 カンタルシアの代名詞ともいえる騎馬隊を保有する軍。昔は強かった…らしい。近年、国境を接する敵国・アルファリア帝国の台頭により再び重要性が高まってきている。 陸軍元帥大将 武田 兼信 (たけだ かねのぶ) 45歳という若さで陸軍元帥大将に上り詰めた実力派。冠仏戦争では自らも出陣し、陣頭指揮を執った。カンタルシアの皇族とは遠い血縁関係にあるとか… 戦車 + ... 重戦車(400両) HT-1 モンキー 100両 アルファリアという陸軍大国に対抗するためにカンタルシア陸軍が直江自動車に発注して作らせた重戦車。この戦車の開発を皮切りにカンタルシアは陸上戦力の充実を計画、国家予算に占める陸軍予算の割合は大幅に増加した。 HT-2 オセロット 150両 対アルファリア戦車の2番手として直江自動車が開発した。モンキー重戦車より小型となり速度に秀でている。モンキー重戦車の改良版である。 HT-3 エレファント 150両 直江自動車の最高傑作。カンタルシア最強の重戦車だ。 主力戦車(600両) M-1 タイゴン 200両 M-2 ライガー 200両 M-3 ドアルクー 200両 水陸両用。 中戦車(200両) MT-1 ビートル 200両 軽戦車(200両) LT-1 アント 200両 兵員輸送車 + ... PC-1 プテラ 150両 なんの変哲もない兵員輸送車 対地ミサイル + ... 対地ミサイル ? 火砲 + ... 125㎜榴弾砲 50門 野砲 70門 山砲 門 その他車両等 + ... 毒ガス噴霧車 100両 某新興宗教のアレ バイク ? 憲兵隊用 野外手術システム ? なんの変哲もない野外手術システム 野外炊具一号 ? 野外炊具。二号は永遠にできないことでしょう 対砲兵レーダー ? 砲兵に力を入れているらしいサハリン対策に開発した一品 海軍 + ... 海軍 軍旗 説明 我が国が最も予算をつぎ込んでいる。720mと日本最大を誇る信玄型を初め大量の艦艇を保有しており、特に戦艦の保有数は大東方帝國に次いで日本勢2位を誇る。 海軍階級 階級 兵科 憲兵 元帥 海軍元帥大将 大将 海軍大将 中将 海軍中将 少将 海軍少将 大佐 海軍大佐 海軍憲兵隊大佐 中佐 海軍中佐 海軍憲兵隊中佐 少佐 海軍少佐 海軍憲兵隊少佐 大尉 海軍大尉 海軍憲兵隊大尉 中尉 海軍中尉 海軍憲兵隊中尉 少尉 海軍少尉 海軍憲兵隊少尉 准尉 海軍准尉 海軍憲兵隊准尉 曹長 海軍曹長 海軍憲兵隊曹長 軍曹 海軍軍曹 海軍憲兵隊軍曹 伍長 海軍伍長 海軍憲兵隊伍長 兵長 海軍兵長 海軍憲兵隊兵長 上等兵 海軍上等兵 海軍憲兵隊上等兵 一等兵 海軍一等兵 海軍憲兵隊一等兵 二等兵 海軍二等兵 海軍憲兵隊二等兵 練習兵 海軍練習兵(15歳から) 少年兵 海軍少年水兵(14歳から) ※海軍憲兵隊は平時にはないが、戦時中、海軍の占拠地における軍の警察活動のため設置される。 海軍元帥大将 向井 正繁 (むかい まさしげ) 歴戦の老将。数多の海戦をくぐりぬけてきたベテランとして海軍の全将兵から尊敬されている。 戦艦(68隻) + ... 尼厳型戦艦 画像 全長等 説明 ?m 軍事部に入部して初めて作った軍艦。まもなく退役することが決定している。 艦番号 艦名 BB-01 尼厳 BB-02 海津 BB-03 興国寺 信濃型戦艦 画像 全長 説明 310m 冠北戦争までカンタルシア海軍総旗艦を務めた戦艦。画像左に見えるのは掃海艇「利島」である 艦番号 艦名 BB-04 信濃 BB-05 大隅 BB-06 日向 BB-07 越後 BB-08 肥前 BB-09 薩摩 雪富士型戦艦 画像 全長 説明 280m 冠東近畿戦争末期に大東方の戦艦たちに対抗して建造された戦艦。 艦番号 艦名 BB-10 雪富士 BB-11 朝富士 BB-12 白富士 BB-13 駿河富士 BB-14 相模富士 BB-15 甲斐富士 武田菱型戦艦 画像 全長 説明 320m 信濃型に代わる新たな大型戦艦として建造された。冠北戦争序盤から太平洋大戦末期までカンタルシア海軍の総旗艦を務めた戦艦である。 艦番号 艦名 BB-16 武田菱 BB-17 六連銭 BB-18 水桔梗 新雨飾型戦艦 画像 全長 説明 280m 軍事部トップクラスにダサい尼厳型戦艦を救済するべく建造された戦艦。艦橋は相変わらずダサい。 艦番号 艦名 BB-19 葛尾 BB-20 志賀 BB-21 水内 信玄型戦艦 画像 全長 説明 720m 現在カンタルシア海軍総旗艦を務めている超大型戦艦。86cm三連装砲塔などを搭載した、日本勢唯一の超大型戦艦である。武田信玄公生誕500年を祝して建造された。 艦番号 艦名 BB-22 信玄 BB-23 謙信 BB-24 宗麟 穴山型戦艦 画像 全長 説明 290m アルファリア、華北、大日本、ミズガルズなどの敵国の艦隊に打ち勝つには大量の戦艦が必要と考えた海軍は武田二十四将の名を冠する24種類の戦艦の建造を計画。この計画の一番手として建造されたのがこの戦艦、穴山型である。 艦番号 艦名 BB-25 穴山 BB-26 信君 昌盛型戦艦 画像 全長 説明 290m 武田二十四将計画の2番手として建造された戦艦。後方の武装が貧弱なのが難点である。 艦番号 艦名 BB-27 昌盛 BB-28 國晴 信綱型戦艦 画像 全長 説明 290m 武田二十四将計画の3番手として建造された戦艦。昌盛型より副砲などがマシマシしている。 艦番号 艦名 BB-29 信綱 BB-30 小県 晴幸型戦艦 画像 全長 説明 290m 武田二十四将計画の4番手として建造された戦艦。49cm主砲9門3基が前方に集中配置された異形の戦艦である。アンバランスな主砲配置により凌波性が悪いが、集中防御を徹底しているため生残性が高いという評価を受け遠距離砲戦を想定して運用されている。 艦番号 艦名 BB-31 晴幸 BB-32 光幸 守友型戦艦 画像 全長 説明 310m 武田二十四将計画の5番手として建造された戦艦。310mの巨体を誇る。 艦番号 艦名 BB-33 守友 BB-34 昌貞 BB-35 三枝 虎泰型戦艦 画像 全長 説明 132m 武田二十四将計画の6番手として建造された戦艦。132mの超小型戦艦だ。武装は30cm2連装砲塔3基6門、15cm2連装砲塔4基8門など。 艦番号 艦名 BB-36 虎泰 BB-37 信益 BB-38 備前 BB-39 巨摩 信龍型戦艦 画像 全長 説明 210m 41cm三連装砲塔3基9門、30cm二連装砲塔10基20門、14cm砲48門、8cm砲16門と重武装を誇る小さな巨人。 艦番号 艦名 BB-40 信龍 BB-41 一条 BB-42 市川 信廉型航空戦艦 画像 全長 説明 227m 洋上航空戦力の不足するカンタルシア海軍が建造した航空戦艦。信龍型の改造版である 艦番号 艦名 BBV-01 信廉 BBV-02 逍遥 虎繁型イージス戦艦 画像 全長 説明 270m カンタルシア海軍と日ノ出海軍が共同開発した戦艦。「日本勢の技術の結晶」というべき戦艦であろう。 艦番号 艦名 BB-43 虎繁 BB-44 晴近 BB-45 岩村 BB-46 信康 小山田型対地特化戦艦 画像 全長 説明 270m 大小さまざまなミサイルと艦砲射撃!相手は死ぬ。ネタ戦艦ですね、ハイ。艦橋がない戦艦なんてあってよいのだろうか… 艦番号 艦名 BB-47 小山田 BB-48 郡内 昌胤型巡洋戦艦 画像 全長 説明 200m カンタルシア帝国海軍初の巡洋戦艦。かなり小さいよ 艦番号 艦名 BBC-01 昌胤 BB-02 昌俊 信方型航空戦艦 画像 全長 説明 210m 蒼星連邦国の深山級戦艦を航空戦艦へと改造した戦艦。主砲には信龍型のものが使われている。 艦番号 艦名 BBV-03 信方 BBV-04 信憲 高松型巡洋戦艦 画像 全長 説明 200m 対空戦闘に特化した戦艦。無数の機銃が目をひく。 艦番号 艦名 BBC-03 高松 BBC-04 康景 満頼型航空戦艦 画像 全長 説明 200m 小さめの航空戦艦。 艦番号 艦名 BBV-05 満頼 BBV-06 昌澄 虎胤型巡洋戦艦 画像 全長 説明 210m 超火力紙装甲の巡洋戦艦。 艦番号 艦名 BBC-05 虎胤 BBC-06 信知 虎昌型巡洋戦艦 画像 全長 説明 130m 安価で量産性のある巡洋戦艦。モデルはみんな大好き敷島型。 艦番号 艦名 BBC-07 虎昌 BBC-08 義信 虎盛型巡洋戦艦 画像 全長 説明 250m 装甲・火力・速力三拍子揃った高速戦艦。 艦番号 艦名 BBC-09 虎盛 BBC-10 景憲 昌続型航空戦艦 画像 全長 説明 250m 大日本王国内乱で航空機運用能力を持った軍艦の優位性を確認した帝国海軍が建造した航空戦艦。艦爆等を20機運用可能 艦番号 艦名 BBV-07 昌続 BBV-08 昌恒 昌秀型戦艦 画像 全長 説明 314m ミサイル等近代的装備を多数搭載した大型ミサイル戦艦。 艦番号 艦名 BB-49 昌秀 BB-50 昌豊 空母(20隻) + ... 松本型航空母艦 画像 全長 説明 290m カンタルシア帝国初の空母。同型艦5隻 艦番号 艦名 CV-1 松本 CV-2 伊那 CV-3 佐久 CV-4 善光寺 CV-5 上田 草津型軽空母 画像 全長 説明 230m カンタルシアの白い軽空母。同型艦7隻 艦番号 艦名 CVL-1 草津 CVL-2 津軽 CVL-3 沼津 CVL-4 焼津 CVL-5 木更津 CVL-6 津 CVL-7 大津 長野型軽空母 画像 全長 説明 200m 老朽化した草津型の代艦として建造された。 艦番号 艦名 CVL-08 長野 CVL-09 塩尻 CVL-10 伊那 CVL-11 佐久 薩摩型航空母艦 画像 全長 説明 260m カンタルシアの最新鋭空母。艦攻、艦爆、艦戦で敵艦隊を蹂躙!砲撃も出来ちゃうスグレモノ。 艦番号 艦名 CV-06 薩摩 CV-07 安芸 CV-08 河内 CV-09 摂津 駆逐艦(50隻) + ... 三増型駆逐艦 画像 全長 説明 128m カンタルシアの駆逐艦。同型艦7隻 同型艦 艦番号 艦名 DD-1 三増 DD-2 三方 DD-3 言坂 DD-4 戸石 DD-5 岩櫃 DD-6 川中島 DD-7 桑原 仁科型駆逐艦 画像 全長 説明 128m カンタルシアの駆逐艦。同型艦6隻 6隻が建造されている 同型艦 DD-08 仁科 DD-09 保科 DD-10 更科 DD-11 埴科 DD-12 蓼科 DD-13 立科 鈴風型駆逐艦 画像 全長 説明 120m カンタルシアの駆逐艦。同型艦8隻 6隻が建造されている 同型艦 DD-14 鈴風 DD-15 浜風 DD-16 海風 DD-17 秋風 DD-18 山風 DD-19 春風 DD-20 夏風 DD-21 冬風 白雪型航空駆逐艦 画像 全長 説明 128m 航空駆逐艦。同型艦8隻 同型艦 DDV-14 白雪 DDV-15 初雪 DDV-16 吹雪 DDV-17 深雪 DDV-18 雨雪 DDV-19 霜雪 DDV-20 風雪 DDV-21 広雪 朝汐型駆逐艦 画像 全長 説明 120m 一般的な駆逐艦。同型艦8隻 同型艦 DD-23 朝潮 DD-24 夕潮 DD-25 黒潮 DD-26 白潮 DD-27 赤潮 DD-28 浜潮 DD-29 灘潮 DD-30 渦潮 初霜型防空駆逐艦 画像 全長 説明 150m 戦艦・空母の対空護衛を主任務とする駆逐艦。 同型艦 DD-31 初霜 DD-32 水霜 DD-33 清霜 DD-34 朝霜 DD-35 夕霜 DD-36 秋霜 DD-37 冬霜 DD-38 風霜 狭霧型駆逐艦 画像 全長 説明 150m 初霜型の後部兵装を撤去しヘリポートを設置したことで、より多様な任務に従事できるようになった。 同型艦 DD-39 狭霧 DD-40 天霧 DD-41 朝霧 DD-42 夕霧 DD-43 山霧 巡洋艦(14隻) + ... 蜈蚣型巡洋艦 画像 全長 説明 170m カンタルシア帝国海軍初の巡洋艦。かなり小さいよ 艦番号 艦名 CA-1 蜈蚣 CA-2 蜻蛉 CA-3 揚羽 CA-4 田亀 CA-5 蟷螂 白鷹型航空巡洋艦 画像 全長 説明 200m 航空巡洋艦という分類では初。同型艦5隻 艦番号 艦名 CF-01 白鷹 CF-02 黒鷹 CF-03 蒼鷹 CF-04 木鷹 CF-05 紫鷹 高千穂型航空巡洋艦 画像 全長 説明 165m 老朽化の進む白鷹型の代艦として建造された。小柄ながら艦首は重巡洋艦に分類されている。 艦番号 艦名 CF-06 高千穂 CF-07 冨麓 CF-08 皆神 CF-09 武尊 掃海艇(3隻) + ... 利島型掃海艇 画像 全長 説明 70m 同型艦3隻 MSC-1 利島 MSC-2 大島 MSC-3 能登島 潜水艦(16隻) + ... 諏訪型潜水艦 画像 全長 説明 160m 同型艦5隻 艦番号 艦名 SS-1 諏訪 SS-2 犀 SS-3 四万十 SS-4 利根 SS-5 伊豆 千曲型潜水艦 画像 全長 説明 70m 同型艦5隻 艦番号 艦名 SS-6 千曲 SS-7 天竜 SS-8 揖斐 SS-9 長良 SS-10 庄内 飛鯨型航空潜水艦 画像 全長 説明 140m 艦載機による敵基地の奇襲を主戦法とする。 艦番号 艦名 SS-11 飛鯨Ⅰ SS-12 飛鯨Ⅱ SS-13 飛鯨Ⅲ SS-14 飛鯨Ⅳ SS-15 飛鯨Ⅴ SS-16 飛鯨Ⅵ フリゲート・コルベット(10隻) + ... 蘭型フリゲート 画像 全長 説明 130m 同型艦7隻 艦番号 艦名 FF-01 蘭 FF-02 水仙 FF-03 葵 FF-04 竜胆 FF-05 桜花 林檎型コルベット 画像 全長 説明 130m 同型艦7隻 艦番号 艦名 PG-01 林檎 PG-02 檸檬 PG-03 朱火 PG-04 李 PG-05 杏 輸入艦(11隻) + ... 天鵞絨級駆逐艦 兵装 RST127mm砲 VLS CIWS-Px2 (赤石テック様より輸入) 猩々型防衛巡洋艦 兵装 RST127mm砲 VLS CIWS-Px2 (赤石テック様より輸入) 浅葱型航空母艦 兵装 CIWS-Px6 固定翼50機 回転翼機7機 (赤石テック様より輸入) イージス艦阿弖流為 (日ノ出国様より輸入) イージス艦白神 (日ノ出国様より輸入) 空軍 + ... 軍旗 説明 世界最弱と呼ばれている。とにかく弱い。もう、弱い。 戦闘機 + ... F-1 黒雲 80機 カンタルシア初めての国産戦闘機。 F-2 栄雲 80機 カンタルシア二番目の国産戦闘機。航空母艦はそれなりにあるくせして航空機が皆無という悲惨な状況が問題視された結果、ついに開発されたよ。 攻撃機 + ... A-1 瑞龍 300機 なんの変哲もない攻撃機。 A-2 祥龍 300機 なんの変哲もない攻撃機。 A-3 緑龍 300機 COIN機。国内のゲリラ拠点破壊のため開発されたという。 爆撃機 + ... B-1 岳雷 55機 略爆。 B-2 青雷 270機 艦爆。航空戦艦や空母に搭載される。 偵察機 + ... E-1 蒼鶴 280機 なんの変哲もない水上偵察機。 E-2 白鶴 250機 なんの変哲もない無人偵察機。 攻撃ヘリコプター + ... AH-01 蓮雀 280機 なんの変哲もない攻撃ヘリ。 練習機 + ... T-01 赤兎 280機 なんの変哲もない練習機。 航宙艦(七隻) + ... 若笹型航宙駆逐艦 7隻 蒼星連邦国から輸入した「アドリオン級航宙駆逐艦」を改造したもの。 同型艦 艦名 FDD-01 若笹 FDD-02 雪笹 FDD-03 熊笹 FDD-04 玉笹 FDD-05 根笹 FDD-06 東笹 FDD-07 天笹 海兵隊 + ... 戦車(200両) + ... M-4 マンティス 200両 政府・地方行政 + ... 総理大臣 山県 昌則(やまがた まさのり) 副総理 真田 信鶴(さなだ のぶつる) 官房長官 山本 晴松(やまもと はるまつ) 防衛大臣 内藤 秀史(ないとう ひでふみ) 法務大臣 甘利 満泰(あまり みつやす) 外務大臣 馬場 信正(ばば のぶまさ) 文部大臣 高坂 宏信(こうさか ひろのぶ) 財務大臣 小幡 盛憲(おばた もりのり) 厚生労働大臣 一条 道龍(いちじょう みちたつ) 国土交通大臣 三枝 永清(さいぐさ ながきよ) 農林水産大臣 板垣 信司(いたがき しんじ) 環境大臣 土屋 ガーネット(つちや がーねっと) 陸軍大臣 仁科 信成(にしな のぶなり) 海軍大臣 諏訪 頼信(すわ よりのぶ) 航空大臣 海野 昌親(うんの まさちか) 宮内庁長官 原 直胤(はら なおたね) 信濃州長官 春日 信綱(かすが のぶつな) 上野州長官 金井 景昌(かない かげまさ) 越後州長官 長坂 虎広(ながさか とらひろ) 越中州長官 小宮山 信秀(こみややま のぶひで) 加賀州長官 今福 昌清(いまふく まさきよ) 能登州長官 望月 景友(もちづき かげとも) 越前州長官 駒井 幸政(こまい ゆきまさ) 若狭州長官 武田 信崇(たけだ のぶたか) 近江州長官 小山田 信重(おやまだ のぶしげ) 尾張州長官 岡部 勝信(おかべ かつのぶ) 三河州長官 奥平 昌貞(おくだいら まささだ) 遠江州長官 小笠原 時幸(おがさわら ときゆき) 駿河州長官 庵原 信胤(いはら のぶたね) 伊豆州長官 諸角 景近(もろずみ かげちか) 美濃州長官 秋山 虎幸(あきやま とらゆき) 飛騨州長官 飯富 昌彦(おぶ まさひこ) 佐渡州長官 朝比奈 信景(あさひな のぶかげ) みんなゴリゴリの武家出身です。 政党の割合 歴史 海駆時代(統一歴?~?) + ... わしこそ信濃の王である (信濃を平定した後、松本に家臣を集めて放った言葉) 100年前、初代カンタルシア帝・巳武宮 克治陛下は信州松本を支配する領主で、その頃は 松本 克治と名乗っていた。その頃の信州は幾つかの豪族が各郡を支配し、信州の覇権を巡って戦乱の絶えない国であり、何度も信州統一を目指す者が現れたが皆、消えていった。しかし、克治陛下はその類稀なる知略により、信州を5年で平定なされた。克治陛下が神君と呼ばれる理由である。 その後は大陸との貿易拠点獲得のため主に東海に軍を進め、各地の領主を従わせることに成功。現在の尾・三・遠・駿・豆の東海五州を獲得された。この頃に陛下はカンタルシア帝国を建国し、各宮家を創設。自身は松本から巳武宮に姓を変更する。 陛下は北方の諸国との貿易も狙い、次は北陸 と北陸に進撃するも(北上作戦)、その途中で病魔に冒される。北上作戦は中止となり、陛下は75歳で崩御された。克治さまの人生はまさに海を目指して駆け抜けたものであらせられたため、この時代は我が国において海駆時代と呼ばれる。 ↓海駆時代の最大領土 海駆時代年表 + ... ? 克治陛下、松本家の家督を継ぐ 北信の村上氏、甲斐の武田氏、南信の諏訪氏の松本討伐連合軍に大敗北を喫する 同年 軍団の再編成を行う 松本まで侵攻してきた諏訪氏の軍を迎え撃ち、大勝利を収める ? 木曽氏で家督争いが起こる。この争いにより衰退した木曽氏を滅ぼす(木州征討) 同年 隣国の小笠原氏討伐に乗り出す 小笠原氏は降伏し、松本氏は中信平定を成し遂げた ? 武田氏と連合軍を組み、諏訪氏を滅ぼす(南信征討) 松本氏と武田氏は諏訪旧領を分割し、同盟を結ぶ 同年 武田・松本連合軍で北信の村上氏と争う(犀川戦争) 村上氏は弱体化し、同年に家臣らが謀反を起こし村上氏滅亡。克治陛下は武勇に秀でる旧村上家臣を大量に召し抱え、北信平定を成功させた。 ? 東信の小領主たちは松本家の武威に恐れをなし皆降伏。東信平定成功。 ? 武田氏を南信から追い出し(上原・桑原の戦い)信濃統一完了。 ? 南下し、東海の今川氏と戦う。(東海征伐) ? 三州長篠にて大敗北。重臣を数多く失った。勢いに乗った今川氏は遠江から松本軍を追い出す。 ? 軍の再編成を行う。領国に攻め寄せてきた今川氏と激戦を繰り広げる(飯田の戦い)。大金を今川氏に送り、和睦を結ぶ。 同年 戸隠にて反乱が起こる。 同年 今川氏が和睦を破り、松本氏の領国に攻め寄せる。松本家は前後の敵に同時に対処しなければならず苦戦 ? 反乱鎮圧 同年 今川氏の軍を破る。 ? 新生松本軍第二次東海平定開始 ? 今川氏が降伏。今川氏を傘下に組み込み、駿遠三の平定を完了 ? 尾州の斯波氏を滅ぼす 尾州平定完了 ? 豆州の北条氏を滅ぼす 豆州平定完了 ? カンタルシア帝国建国 巳武宮、伊那宮、勝田宮、諏訪宮家を創設 ? 威治陛下御誕生 ? 兼治陛下御誕生 ? 北上作戦開始 ? 克治陛下崩御 建国時代(統一歴?~151年) + ... 父上!北陸獲得の夢、この威治が果たして見せましょうぞ! (克治さまの崩御から三年経ち、家臣に北陸出兵を宣言する際放った一言) 克治さまの意志を継がれた30歳の若き王・巳武宮 威治陛下(巳武宮二世)は前陛下の崩御から3年が経つと北陸に向けて進撃。鬼神のような戦いぶりにより、8年で北陸4国や上州、美州、飛州、近州を平定。現在のカンタルシアを築き上げた。その後は外交に尽力されたが、道半ばで持病の心臓の病が悪化。60歳で崩御された。この時代は建国時代と呼ばれる。 晩年には環太平洋君主国同盟に加盟。 ↓建国時代の最大領土 建国時代年表 + ... ? 威治陛下即位 ? 第二次北上作戦開始 ? 越後長尾氏を滅ぼす(春日山攻め) 越後平定完了 ? 越中佐々氏を傘下に組み込む 越中平定完了 ? 能登・加賀を支配していた一向勢力を撃破 能登・加賀平定完了 ? 越前・若狭を支配していた朝倉氏と近江を支配していた浅井氏の連合軍を破り、これを滅ぼす 越前・若狭・近江平定完了 第二次北上作戦終了 146 Minecraft軍事部に国家承認される 151? 威治陛下崩御 現代(統一歴151年~) + ... 武運を祈る! (淡路島へ赴く将兵を激励した一言) 伊那宮 兼治陛下(伊那宮一世)の時代。環太平洋君主同盟・ユーラシア新興諸国連合に加盟し、カンタルシアを更に発展させられた。(その後脱退) 153年にはEUECの後継組織大北亜共栄圏に加盟した。 また、大東方帝國との間で冠東近畿戦争も勃発した。 153年にはスイヴェールヌイ諸島共和国との間で冠北戦争が起こる。(154年に終戦。) 領土は建国時代と同じ。 現代年表 151? 兼治陛下即位 151 冠東近畿戦争開戦 152 冠東近畿戦争終戦 153 冠北戦争開戦 154 冠北戦争終戦 記念日 2/7 建国記念日 5/27 信濃統一記念日 8/24 冠東近畿戦争終戦記念日 12/1 皇帝誕生日 皇室 宮家について・皇位継承について 現在、我が国には巳武宮家、伊那宮家、勝田宮家、諏訪宮家の四つの宮家が存在している。 我が国では皇室と一般人の結婚が可能である。 女性の皇帝即位は原則認められていない(男性の皇室が一人もいない場合のみ即位が可能)。だが最近では、少しずつではあるが女性皇帝の存在が認められつつある。 宮家は、当主を除いて男性の皇室が二人以上いる他の宮家から養子をとることができる。二つ以上の宮家が同時に同じ人物を養子にとることを希望した場合、当主の年齢が高い宮家の方が優先して養子をとることができる。 生まれた男子は名前に「治」を、女子には「姫」を必ず つけなければならない。(カンタルシア皇室の通字) 家紋 カンタルシア皇室は甲斐源氏・新羅三郎義光の末裔を名乗っており、家紋は武田氏と同じ武田菱である。 皇帝自ら出陣される際は武田菱の旗を掲げることが決まっている。 皇室の方々 + ... 巳武宮 克治 (みたけのみや かつはる) 陛下の父。我が国を中信州の小国から信、尾、三、遠、駿、豆州を治める大国にした偉大なる初代皇帝陛下である。稀代の策士であらせられた。故人。75歳で崩御。 巳武宮 威治 (みたけのみや たけはる) 陛下の兄上。近畿や北陸、関東方面に軍を進め、現在のカンタルシアを築き上げた。死後も国民から熱烈な支持を寄せられている。故人。80歳で崩御。 巳武宮 レイカ どこかの亡国の王女らしい。上皇后。年齢不詳。旧姓不詳。 巳武宮 実治 (みたけのみや さねはる) 皇后さまの実子ではなく、20年前まで越前の一部を支配していた領主の娘との間にできた子供。 国内、いや世界最高峰の大学・国際信州学院大学を卒業した高学歴男子だが、近頃は良からぬ噂も立っているため国民からの信頼は薄い。前皇帝が崩御した後、次の皇帝に指名されたが、即座に皇位継承権の放棄を表明、すぐに伊那宮兼治さまに皇位を譲られた。現在の巳武宮家当主。25歳。趣味は城巡り。 信濃駐屯軍司令官。 巳武宮 駒姫 (みたけのみや こまひめ) 前皇帝の長女。皇姪。年齢不詳。趣味は弓道。 大東方帝國総統 アルス・スカーレットの妻でもある。 九条 綾姫 (みたけのみや あやひめ) 前皇帝の次女。皇姪。年齢不詳。趣味は焼肉。 第二長岡京 九条 兼征の妻でもある。 巳武宮 凪姫 (みたけのみや なぎひめ) 前皇帝の三女。皇姪。年齢不詳。趣味は川釣り。 伊那宮 兼治 (いなのみや かねはる) 皇帝陛下。前皇帝の弟宮にあたる。20代の頃は自ら軍を率い、冠建国のため奮戦した。54歳。 趣味は鷹狩り。 伊那宮 万葉 (いなのみや かずは) 皇后さま。美しさは冠の国一。年齢不詳。 伊那宮 利治(いなのみや としはる) 皇太子殿下。21歳。陸軍中将を務められている。好物は高級白沢牛ステーキ。 遊撃軍司令官。 伊那宮 松姫 (いなのみや まつひめ) 陛下の第一女子。年齢不詳。 朝倉 景治 (あさくら かげはる) 陛下の第二皇男子。建国時代に一度滅びた越前の名門・朝倉家を継いだ。 若狭守備軍の司令官。 帝国の守りを司る冠国四天王の一角。 趣味は陶芸。 陸軍中将をを務めている。 長尾 虎治 (ながお とらはる) 陛下の第三皇男子。海駆時代に一度滅びた越後の名門・長尾家を継いだ。 越後守備軍の司令官。 陸軍中将を務めている。 趣味は園芸。 斯波 統治 (しば むねはる) 陛下の第四皇男子。海駆時代に一度滅びた尾張の名門・斯波家を継いだ。 尾張守備軍の司令官。 海軍中将を務めている。 趣味は流鏑馬。 北条 氏治 (ほうじょう うじはる) 陛下の第五皇男子。海駆時代に一度滅びた伊豆の名門・北条氏を継いだ。 帝国の守りを司る冠国四天王の一角。 伊豆守備軍の司令官。 陸軍中将を務めている。 趣味はドジョウの観察。 伊那宮 妙治(いなのみや たえはる) 陛下の第六皇男子。現在は諸国を経巡り戦術を学んでいる。 勝田宮 継治(かつたのみや つぐはる) 皇叔父。初代皇帝の弟宮。勝田宮家創設者であり、前当主。外交術に長けており、カンタルシア建国に大きく貢献している。故人。73歳で薨去。 勝田宮 暁姫 (かつたのみや あきひめ) 皇義叔母。初代皇帝の弟宮・勝田宮 継治さまが前当主であったが、6年前に薨去。男子が家に不在のため、妻の暁姫殿下が勝田宮家当主を務めている。年齢不詳。 勝田宮 朝姫 (かつたのみや あさひめ) 皇従兄弟。年齢不詳。 諏訪宮 茂治 (すわのみや しげはる) 皇叔父。巳武宮一世の弟宮。武勇に秀でており、剣術で殿下に敵うものはいないと言われている。諏訪宮家当主。69歳。趣味は野鳥観察。 諏訪宮 リンリン (すわのみや リンリン) 皇義叔母。茂治殿下のお妃。年齢不詳。大食漢で、体重は100㎏以上。 諏訪宮 宗治 (すわのみや むねはる) 皇甥。茂治殿下の御子。 用語辞典 + ... 冠国四天王 越前、越後、尾張、伊豆の守りを司る者のこと。 企業 運送業 + ... ・一色ホールディングス 宅配便シェアNo.1の一色運輸などを傘下に持つ一色グループの持株会社。 代表取締役兼社長 一色 直博 (いっしき なおひろ) ・一色運輸 カンタルシア帝国の宅配事業を行う一色ホールディングスの中核事業会社。宅配便シェアNo.1の企業。 CEO 小笠原 康法 (おがさわら やすのり) 一色グローバルエキスプレス 一色ホールディングス傘下の物流企業。 CEO 河嶋 松朗 (かわしま まつろう) 冠国鉄道(CR) カンタルシア国営の鉄道会社。冠越後鉄道、冠越中鉄道、冠越前鉄道、冠若狭鉄道、冠能登鉄道、冠加賀鉄道、冠近江鉄道、冠飛騨鉄道、冠美濃鉄道、冠信濃鉄道、冠上野鉄道、冠遠江鉄道、冠駿河鉄道、冠伊豆鉄道、冠尾張鉄道、冠三河鉄道を中心とした企業群の総称である。 製造業 + ... 越後自動車 越後州に本社を置く自動車メーカー。 社長 直江 正史 (なおえ まさふみ) 貿易品目 + ... ・輸出上位十品目 01 米 19.7% 02 針葉樹 17.2% 03 自動車 8.4% 04 牛肉 3.9% 05 精密機器 3.6% 06 自動車の部分品 3.5% 07 金鉱石 2.9% 08 プラスチック製品 2.6% 09 原動機 2.3% 10 ゴム製品 2.1% 輸入品上位十品目 01 原油・粗油 17.2% 02 液化天然ガス 10.1% 03 鉄鉱石 9.3% 04 医薬品 8.8% 05 有機化合物 8.6% 07 科学工学機器 5.1% 08 貴金属 3.9% 09 医薬品 2.7% 10 ワイン酒 2.1% 所属・締結同盟 条約 冠・HND平和友好条約 冠・Car友好条約 冠龍帝国軍事協定 環太平洋君主同盟 四條畷条約 冠東軍事協定 冠仮軍事同盟 ヤ冠軍事同盟 大北亜共栄圏 蘿冠軍事同盟 カ帝間軍事同盟 ウラル軍事条約 敦賀軍事条約 同盟国・友好国 友好国 国名 代表者 説明 日ノ出国 sakvra様 東北の國。すごい仲がいい。 カーライル連合王国 Dr.L様 九州・中国を治める王国。最初に国交を樹立した国。 第二長岡京 blueice様 近畿・中国を治める国。 最も高貴な共和国モレラ fishman様 世界トップクラスの海軍力を誇る地中海の強国。共にCELTOの駆逐という大願を成し遂げたい… 同盟国 国名 代表者 説明 ドラコニック帝国 harumaki様 関東を治める帝国。最初に同盟を締結した国。 大東方帝國 iowa2002様 近畿の一部を支配する国。世界屈指の海軍力を誇る。一度は冠東近畿戦争で死闘を繰り広げたが、今は仲良くしてるよ。 仮国家(仮) potetoonan1様 欧羅巴丁州の陸軍大国。戦車などを頂いている Yaholinsk yaho様 北極海の王国。戦車などを頂いている ラティアンス共和国 reichdan様 東南アジアの島国。太平洋の島国同士仲良くしたいね アラビア連合帝国 morsan331様 中東の帝国。石油とか欲しいなー 大エンダー社会主義共和国 様 世界最大かつ最強の宇宙艦隊を持つ欧州の社会主義国家。 蝦夷共和国 ねころじい様 北海道を支配する共和制国家。かなりの軍事力を持ってるので敵に回したくないですね… 安勢国 anzenavy様 大西洋の戦艦大国。太平洋のカンタルシア、大西洋の安勢で手を組みCELTOに対抗していくぞ!! ハウィクルタフ第三十二王朝 musasi634様 OFCの主要国。アフリカ大陸屈指の軍事力を誇る強国なので強固な友好関係の構築をしていきたいものです。 エルトシア諸国及びエントルテ連邦 amanomiyayura217様 日本海を挟んで対岸に位置する国。共同してサハリンに対抗していきたい。 大日本共和国 hirotaisa様 西日本に位置する共和国。共同で日本情勢の安定に努め、周囲の有力敵国に対抗していきたいね。 スラヴ民主主義合衆国 kiriman627様 地中海に面する国としては唯一の同盟国。海軍力の発達が著しく、政府や軍部はいつか共同で戦艦を開発したいと思っている。 仮想敵国 国名 代表者 説明 アルファリア帝国 banana様 東で国境を接する帝国。 同盟国・友好国募集中! コメント 同盟などはこちらからお願いします。 同盟について少しお話したいのですが、Discord等はやっておられますか? -- harumaki (2021-04-04 20 48 19) 返信が遅れてすみません。Discordはもうすぐやりはじめる予定ですので、もう少しお待ちください🙏 -- 2525kamakiri (2021-06-02 08 51 11) カーライル連合王国のDr.Lです。返答遅くなってしまい大変申し訳ありません、同盟についてですが、まずは友好条約から結ばせていただきたいです。詳細はDiscordでのやり取りでよろしいでしょうか? -- Dr.L (2021-06-05 22 50 32) はい、それでお願いします。 -- 2525kamakiri (2021-06-07 20 23 44) harumaki様、Discord始めました。詳細はどこで話し合いますか? -- 2525kamakiri (2021-06-09 20 25 40) 我々、日ノ出国はカンタルシア帝国と友好的関係を築きたいと考えております。宜しければ同盟を結びませんか? -- sakvra (2021-06-09 21 54 54) 日ノ出国様、同盟の件承知致しました。詳細はDiscordでの話し合いでよろしいでしょうか? -- 2525kamakiri (2021-06-10 20 20 02) 申し訳ありません現在D -- sakvra (2021-06-10 20 50 27) すいません途中で送ってしまいました現在Discordはやっていないためもし宜しければ日ノ出国のコメント欄にて詳細の話し合いをしませんか? -- sakvra (2021-06-10 20 53 33) わかりました。 -- 2525kamakiri (2021-06-11 09 10 32) 本日よりDiscordを始めました。 -- sakvra (2021-07-04 20 11 01) おおっ!よろしくお願いしますー -- 2525kamakiri (2021-07-04 21 42 48) おさかな帝國の者です。もしよかったら同盟を組んでくれませんか? -- おさかな帝國元首ふぐ/hugu(yukkurihugu) (2022-01-04 14 10 19) おさかな帝國の者です。二回目ですが、もしよかったら同盟を組んでくれませんか?貴国が敵国の同盟国と同盟はくめないと言っていましたが、我が国は貴国と平和交渉をしたいと考えており、一切敵視はしておりません。詳細はDiscordでお願いします。ユーザー名はyukkurihugu#7833です。長文失礼しました。 -- おさかな帝國元首ふぐ/hugu(yukkurihugu) (2022-01-05 14 13 26) 大日本共和国よりカンタルシア帝国へ属国から同盟国に格上げして欲しいです。 -- Hiro大佐 (2022-06-20 10 18 43) 名前 コメント
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日本バドリオ事件顛末(入力途中) 殖田俊吉 第一部 昭和軍閥に対する私の見解 私は、田中内閣の時大蔵書記官で総理大臣秘書官を兼任して居たが、昭和三年五月張作霖の爆死事件というものが起つた。これは日本の関東軍の陰謀……大きく言えば日本陸軍の陰謀であつた。然るに陸軍は是に対して何等責任を負わないのみならず、恰も責任が田中大将にあるかの如くに盛んに宣伝して、到頭田中内閣を潰して了つた。その時の遣り方が実に陰険であつたので、私は陸軍というものを信用しないのみならず、之を唾棄し批判するに至つた。日本の陸軍が真に日本の国防を托するに足るものであるや否や、非常に疑惑を以て見るようになつたのである。 その後昭和六年三月には三月事件と云うものがあつた。これは未発に終つたけれども、矢張り陸軍の陰謀である、これを陸軍はひた隠しに隠していたが、やがて我々の耳にも入つて来た。続いて満洲事変、十月革命、所謂錦旗革命事件、陰謀の続発だ。更にこれは直接陸軍の計画ではなかつたかも知れないが、血盟団とか、或は五・一五事件、神兵隊事件、みんな陸軍と関係の深い連中が遣つた仕業だ。二・二六は多少類を異にするものではあるが、矢張り陸軍の陰謀だ。又小さい事件では、昭和十年夏の真崎追い出し事件や士官学校事件があつた。永田鉄山事件は陰謀ではないが、その一連の中に入つて来る。これ等を仔細に研究してゆけばゆく程、陸軍の性格が甚だ信用すべからざるものであることが看取されるのである。 私はこの陸軍の性格に関して、日華事変が現れる以前に、一応の結論を得て居つた。そうして早晩中国に於て事を起すであろうと想像して居る時、果して日華事変が発生した。これも決して突如として起つたものではない。既に私共の頭の中に想定されていたことであつて、予て抱いていた陸軍に対する批判の結論が、この日華事変によつて実証されたようなものである。 陸軍には予てから政治を自分の手に掌握したいという考が潜んでいた。陸軍が政権を掌握するためには非常事態の発生を必要とする。何かのチャンスで非常事態を惹起して、 (以上42頁) それによつて政権を握ることが出来たなら、今度はその政権を維持するため、次の非常事態を必要とする。政権を継続せしめるために更に新たなる非常事態を必要とする。斯の如くにして、非常時は益々拡大し延長される結果となる。 一番初めの張作霖事件からして、その意味を以て行われたものだと思われる。張作霖事件なるものは、満洲事変の伏線ではなくて、満洲事変の予行演習であつた。若しあの事件が計画通りに進行して居つたならば、当然満洲事変になるべかりしものである。それを中途で不発に終らしめたのは、全く田中義一さんの力であつた。もし田中さんが圧力を加えて軍を抑えなかつたならば、あの時あれが即ち満洲事変に発展したものと考えて宜い。 それでは張作霖事件でも、又満洲事変でも、単なる陸軍の帝国主義の発露であるかと云うと、左様に見えて実はそうでない。陸軍は古くから所謂大陸政策なるものを持つて居る。これは陸軍の北進政策、即ち満蒙に発展し、日本海をほんとうに日本の領土を以て囲まれた海にしよう、斯う云う考え方が昔からあるので、張作霖事件などは、その実行であるかの如く見えるけれども、之を仔細に検討すれば、決してそうではない。 第一次世界大戦後、日本も世界的な風潮に感染して、陸軍というものが非常に社会主義的になつた。所謂社会革命というようなものに、非常に興味を持つに至つた。この社会主義的社会革命を革新政策と云う名で呼んでいた。陸軍の中には色々な種類と色々な段階とがある、極く通常の形は国家社会主義である、それ迄に至らない人は復古主義である、併し更に進んだ人は遥に左傾をして居つた。そこで社会革命所謂革新政策を自分達の手によつて実行して行く、それを実行するためには自分たちが政治力を持たなければならない。其政治力を獲得するには則ち非常時が必要になつて来る。これを人為的に作ろうとしたのが三月事件、これは直接政権を獲得しようとしたのだが、直接でなく間接な形で遣ろうとしたのが満洲事変、之れと表裏をなすものが即ち十月革命、即ち錦旗革命事件であろう。 三月事件に関連して、宇垣さんの諒解或は黙契があつたとか無かつたとか色々な見方もあるが、兎に角あの時に擬音爆弾三百個を陸軍から大日本正義団に渡した事実がある。これは陸軍大臣のサインがなければ渡せないもので、其時の陸軍大臣は宇垣さんである。併しこつちの品物をあつちへ動かすというような事は大臣がそんなに詳しく知らないでも、「大臣、これにサインして下さい」と言われれば「うんそうか」とサインするのが常識である。だからそれにサインされたからといつて、あの計画に参加して居たかどうかは判るもので無い。宇垣さんは、自分はそうでなかつたと弁明をしているのだ。兎に角あの計画は実行しないで中止された。それは主として小畑敏四郎大佐、真崎甚三郎中将の反対があつたためだ。宇垣さんは計画の内容を御存知かどうか知らぬが之が実行を中止するのに不賛成な道理はあるまい。然るにその結果は如何なるわけか宇垣自らこの計画を裏切つたんだという印象を若い統制派の連中に与えたものの如く彼等はそれならば今後宇垣内閣の成立を妨碍するという考えになつたというのだ。此辺の経緯は相当複雑に考えなければならぬ。世間では宇垣内閣の妨碍は軍縮問題が原因だと想像しておるが、併しそれは実際に即して居らぬ。三月事件を裏切つたから宇垣内閣を妨碍するといつたのでは世間が承知しない。第一、三月事件は有耶無耶にして仕舞つたのだから、世間に判り易い軍縮問題を理由にしたのである。そこに陸軍の連中の如何にも奸智に長けた処を見るのである。 満洲事変にしてもあれは昭和六年の九月十 (以上43頁) 八日に突発したものではない。既に予定計画があつて、満洲で事を挙げると同時に十月革命を行つて、国内に非常時を現出して、陸軍の政治力を伸そうという計画であつたのだ。 満洲事変後の満州を観ると、決して帝国主義的な単なる大陸政策ではない。満洲に陸軍の支配に属する独立国家を作る、而してその独立の国家たるや、普通には帝国主義は資本主義の発展したものだと解釈されており、それが満蒙政策となり、満洲国が出来たのだと理解されて居るけれども、出来上つた満洲国は決して左様では無い。日本の資本主義が製造する物資を満洲に販売し、満洲の産出する天然資源を日本の工業原料にする、という形式は余り考えていない。 満洲を満洲自身完全なる独立国家としての機能を営ませる、日本と相関関係に置くのではない、という構想の下に作られておる。例えば満洲重工業株式会社と云うのは、非常に高度の重工業で、飛行機も造り、自動車も作る、こんな重工業は帝国主義が殖民地に興すことなど考えられるものではない。満洲国を原料国にするなら、単に大豆を作り、石炭を掘り、或は鉄鉱石を掘るというに止る、満洲に近代的な工業を興そうとするものがあれば、それを止めこそすれ、進める必要は何処にも無い。満洲という完全な独立国家を作つて、日本人という仮面を被つて居り乍ら、実は日本人で無い、即ち日本の陸軍軍人の支配する国にしよう、更に進んではこの満洲国を以て日本をリードして行こう、別言すれば満洲をテストプラントにして一応熟練して、日本もそれに持つて行こうと云うのが一つ。それから満洲という大きな背景を以て日本における勢力をそれに依つて維持し発展せしめよう。故に始終日本から掣肘されない独立の領地を有つて居たかつた、斯う考えることが一番合理的なように思われる。 そこで日本の陸軍は社会革命を描いた、それを実行する為に政権が必要である。政権を獲得し維持する為に非常事態を必要とする。これが段々大きくなつて行けば対外戦争になる外は無い。こういう構想が出て来る訳だ。 然らば満洲事変後、彼等の構想が果してスムースに実現したかどうか。満洲国は出来た、種々な事業は緒に就いた、併し満洲国の建設、満洲国内の開発は時日の経過に伴つて、次第に非常時的性格を喪失して来た、多くの日本人は非常時とは感じなくなつた、同時に陸軍の政治上の声望威力は漸次下り坂に向つていつた、陸軍に遣つてもらわなくたつて、我々でもやれるのではないかと一般の政治家が考えるようになつた。斯うなつては今一遍非常時を拡大しなければならなくなつて、陸軍の人達は、未だ非常時は終つて居ないのだ、これからが真の非常時だと声を大にして唱えたが、併し掛け声だけで、一般国民の心理状態は、既に非常時は終つた、平静に戻つたと考えて居た。そこで陸軍としては、国内か国外か何処でも宜いから何かしら異変状態の生起する[#「生起する」は底本では「起生する」]ことが必要になつて来る。それ自身については各々目的や動機もあろうが、血盟団、五・一五、神兵隊、これらは非常事態を連続せしめるという一つの大きな構想が作用しているに違いなかつた。 従つて我々は、陸軍は今に満洲から手を返して支那大陸で何か始めはしないかという予感があつた処へかの二・二六が起つたのである。二・二六を実行した人達は、それ迄陸軍をリードして来たし、又その後、太平洋戦争の終る迄陸軍をリードして居つた幹部に対する反抗であつた。ところがこの反抗を巧みに活用して自分等の利益にして了つた。是は彼等が非常に悧巧であつたからだ。二・二六は若い人達が冷静な判断を喪つて、気紛れと云つては悪いが血気に逸つて起した事件である。それならばその若い人達が、それ迄のリーダー達と真正面から反対したのかという (以上44頁) と、そうではない。二・二六に蹶起した若い将校達は、所謂皇道派であつたかのように言われて居るが、実は皇道派でも無く統制派でも無い、どちらかと云えば気分は皇道派に近かつたかも判らないが、抱いている考え方は統制派に近いものであつた。唯統制派は何時でも幕僚を主流とする団体であり、二・二六の若い人達は第一線の即ち幕僚でない将校であつた。皇道派というものは、言われている程有力なものではなかつたと思うが、これも革新派ではあつた。その意味において通ずるものがあるけれども、事実は革新派の中の最もプリミテイブな復古主義者であつた。尤も全部がそうだと云うのではなく、皇道派と言われる人達の中には非常にリベラルな進歩的な人達もあつた。これは表現の仕方は色々あつただろうが、一面リベラリストでありながら、然も最も古い陸軍の伝統を多分に持ち続けて居た人達、好い意味の大陸論者であつた。それで幹部派即ち統制派が大川周明に近かつたとするならば、二・二六の若い将校達は、北一輝に非常に近かつた。或人は是を北と大川の喧嘩だと言つたくらいだ。併し統制派は必ずしも大川にリードされて居たとは思わない、もつと進んだ……科学的社会主義の理論にまで進んだものであつた。例えば満洲国の遣り方を視ても、皆トラストで行ると[#「行ると」は原文ママ]云うように、ナチスに近いが、より多くソヴエットに近い考えを持つて居た。満洲国にアメリカの資本を入れようとしたのは鮎川義介君たちだが、併し満洲の陸軍の人達の考えたのはアメリカの資本と同時に資本主義の這入つて来ることは反対である。若し日本の資本家が満洲の開発に協力しないならば日本の資本家は一切締出していつそソヴエットの援助を仰ごうかと考えたものもあつた程である。 陸軍の中にもアメリカ資本説を持つた人もあつたけれども、それはカムフラージュであつたような気がする。踊つてる人達は一生懸命踊つて居るのだが、後ろに居て踊らせてる人としては必ずしも本気じやなかつたように思われる。 満洲国の性格がソ聯的であることは、協和会などを見てもよく判る。 日本の陸軍が全体主義であると考えておる人が多かつたが、その全体主義は必ずしもナチ的ファッショ的なものではなかつた。それは彼等がナチ的であるかの如く装つて居ただけのことで、実は純粋のナチ的では無い、ナチ的より更に進んだものなのだ。多くの人はナチスとソヴエットを全然異るもののように考えておるけれども、若しナチスのものをソヴエットといい、ソヴエットのものをナチスといつて日本人に教えたとしても、多くの人は矢張りそうかと思う。その一般の人の頭の盲点が巧みに利用されて居たのだ。そういう巧妙で且つ高度な精神的な指導は、軍のどういう処がやつたかというと、それは勿論統制派の幹部である。士官学校、陸大を優秀な成績で出て、欧洲あたりも視て来ているから、相当のインテリジェンスがあるのは当然だ。 日華事変というものが起つて来た。不拡大不拡大と言いながら、拡大しつゝある。不拡大を唱える人は、陸軍大臣とか参謀総長とか表面陸軍をリードするが実権を有たない人々で、実権を有つて居る人達は黙々として拡大一方に進んで居る。若し本当に不拡大で行くならば、或はあの事変を勝利を以て片附けようと思つたならば、容易に片附け得た筈である。それは飛行機を製造する工場もなし、自動車も造れず、大砲や鉄砲も碌な物を有たない当時の中国兵と、最も近代的な装備を持つ日本の軍隊が本気で戦つたら、勝つも勝たぬも無い、日本が勝たないのは嘘である。勝とうとしなかつたのだ。何となれば戦争を止めたくないからだ。しかも中国と戦争をしていることが一番ラクなんだ。何時も自分がイニ (以上45頁) シヤティヴを持つていて、止めようと思えばいつだつて止められる、敗けないんだから[#「敗けないんだから」は原文ママ]何時までだつてやつて居られる、これ程都合の宜い戦争は無い。併も[#「併も」は原文ママ]これで非常時、自分は傷つく心配の無い非常時の大規模な展開、まさに思う壺ではないか。それでいて、いや支那は広いんだとか、やれ地形がどうだとか弁解しているが、そんなことを言うなら、秦の始皇帝や漢の高祖時代の戦争と同じではないか。当時の日本はどういう軍隊を持つていたか、どういう装備を有つていたか、そんなことは、問題にならぬでは無いか。全力を尽す尽さぬの沙汰ではない、まるで近代的の装備など、対中国戦争では用いては居ない。そつくり満洲に取つてある。それを偶々使つたことがある、板垣征四郎が台児荘で敗けた[#「敗けた」は原文ママ]時のことだ。敗けては[#「敗けては」は原文ママ]ならぬから取つときの機械化部隊を持つて行つたら直ぐ片が付いた。それをストックして居るのである。ストックしている武器なり装備なりが不充分ならば、誰に遠慮することも無い、直ちに支那の地形なり状況に適合するものを造り得る筈だ、それを造る努力もして居ない、飛行機だつて充分には使つていないのである。 これに対して何等の批評をし得なかつたことは日本人の重大な責任だ、軍の為すが儘に委せて、彼等の宣伝をそのまま聴従して居た、こんな馬鹿なことはない、若し実際中国のあの旧式な軍隊を対手にして引摺り廻されて[#「廻されて」の「廻」は底本では「廴+囘」]ノンベンダラリとしていたというならば、どうして最も近代的な英米を向うに廻して戦さが出来るか、最も高度の近代工業を有つている、従つて最も進歩した武器と装備を携え得る英米を相手にして戦うというのだから、それは相当の自信がなければならぬ、大した自信はないにしても或程度の自信はあつたであろう。つまり日華事変は対英米戦争に日本を捲込む一つの基盤をなしたものと見得るのである。若しこの日華事変がなかつたならば、或は対英米戦争を起す口実が見出し得なかつたかもしれない。 それでは何故対英米戦争をやる気になつたか。あの頃頻りに反英の空気を煽つて、反英的理論を宣伝したものだが、それはソヴエットにおいて、カール・ラデックが世界に向つてしきりに論陣を張つていた反英理論とそつくりなものである。ラデックは独逸系の猶太人で、後に粛清されて、後で寛大な処置を与えられた男であるが、その当時はソヴエットの有力なるスピーカーであつた。そのスピーカーの主張通りの主張が日本に於て頻りに行われたのである。反英的空気はあつてもソヴエットと争うという考は微塵も無かつた。陸軍の中には対ソ論者が沢山居たけれども、その人達はリーダーの地位から皆追われて了つた。皇道派は二・二六を契機としてみんな退けられてしまつた。石原莞爾なども初めは対ソ論者だつたが、後には考が変つて「東亜連盟論」を書いたりした。これは東洋に於てソヴエットを作ると云うことなのだ。ある人は彼はコムミユニストであるとはつきり云つて居る。成程今の左翼の人々は、陸軍とは仲良くなかつたであろう。併し又陸軍と仲良かつた左翼も沢山居つたのである。三月事件前後から陸軍は左翼と非常に密接な関係をもつて居つた。如何なる人々がそうであつたか此処では差控えるが石原はあの当時の統制派の代表者だつたから、この連中と特に親しくしていたようだ。然し其の他の連中にしても左翼の人達に対しては頗る敬意を払つて居つたようだ。 そこで陸軍はソヴエットと争うことは絶対に避けた。張鼓峰、ノモンハン、あれは日本の陸軍がハッキリ敗けた。それでも黙つて引き退つた。ノモンハンでは一箇師団の兵隊を失つている。それでも黙つて引き下つた。あの戦争に参加した関東軍の幹部は全部罰を喰つている。北京郊外蘆溝橋の銃声一発が日本 (以下46頁) の軍隊を侮辱したといつて、あれほどの戦を始めたくらいなら、一箇師団の兵隊を失つて何で黙つて引退る理由があるか。当時は日華事変をやつてい居つたから、両方に敵を迎えることは出来なかつた、殊に新鋭の武器を持つたソヴエットの軍隊を向うに廻すことは到底出来得ないことだつた、と云う説がある。然らば日華事変のあの大泥沼に足を突込んでヘトヘトになつている日本の軍隊が、何故英米と戦つたのか。日本の陸軍は何十年来伝統的に大陸政策即ち北進政策を主張して来た。支那本部に事を構え、更に南方に向つて日本の権益を拡張するなんぞということは、日本の陸軍の夢にも考えざるところである。海軍は平和的南進論を夢みて居つたが、陸軍はこれを軽蔑していた。それが突如として南に向つて、大東亜共栄圏ということになつた。独逸のナチみたいな汎独主義のようなものが最初から強調され、その実現に向つて進んでいつたというなら南進論も判るけれども、日本の陸軍はそんなものを持つてはいない。日華事変の後で南進を実行するに迨んででつち上げたものが大東亜共栄圏だ。そこに日本の陸軍が昔の陸軍と大変な相違のあることが看取出来るのである。 彼等はそれからブロック経済論を唱えた。ブロック経済というのは大陸政策であつて、南洋のような海上に散在する島々は、ブロックに出来るものでは無い。大英帝国の崩壊を嗤つたのは誰だ。大英帝国は本当のブロックでない、海の上の島々を単に頭の上で連結したに過ぎないから弱いのだ、世界の政治の上から消えるのだ、こう言つて批評していた日本が、何を好んで海の上にブロックを考えるのか、論理上の矛盾撞着も甚しいではないか。 加之日本の陸軍は世界中に優秀なる情報網を持つて、ふだんから戦略を研究しているし、戦力の基礎をなす経済力とか政治の情況を知悉してる筈だ。そのデータを精細に集めて研究しているならば、英米と戦争して勝てるなどと考えるわけは無い。そんな馬鹿な参謀達ではあるまい。或はナチの赫々たる戦果に眩惑されて、自分自身には大した用意もなし自信も無いけれども、独逸の戦勝に便乗しようと安価なことを考えたのではないか、と論ずる人もある。併し私はそれも採るに足らぬ説だと思う。ダンケルクで英吉利を追い落した当時の事ならいざ知らず、日本が世界戦争に入つたのは、あれから二年も後のことだ。併も独逸がソヴエットに対して戦争を開始していた時のことだ。戦史を知つてる者ならば誰でも判る。独逸という国は、二正面作戦、而も長期戦争で勝つた例しが無い国だ。 それが分らぬ陸軍ではない。 彼等は今まで詳述したように、戦さをするために戦さをする。国家の利益とか、国民の福祉とかは、真剣に考えたことはない。彼等は敗け戦さを承知の上で、戦争の相手を次々と変え、拡大して行く。これほど危険なことがあろうか――これが私の一貫した持論であつた。 私は日華事変の始まつた当時から、陸軍にこの国家が委して置かれるか、何としてでも政権を早く陸軍から奪い還すことが最大の時務であることを痛感して居た。そこで国を憂える人々に対して、先ず日華事変を早く止めなければならないと説いて居た。 そこで当面する問題は、陸軍を政治から追つ払うこと、これが解決されれば、あとは自然に解決される、困難は外にも色々あるけれども、それは大した問題で無い、と云うのが我々の考え方であつた。だから三国同盟については、戦争に捲き込まれる危険を恐れて、私は常に反対しておつた。 陸軍が日華事変を止めたくなかつたことは、独逸大使トラウトマンの仲裁に応じなかつたのを見ても判るし、「蒋介石を相手とせ (以上47頁) ず」もそうだ。尤も平和交渉に応ずるというゼスチユアだけはする。これを見て陸軍が良くなつた、平和論になつたと思つて、一生懸命努力して見ると、最後の土壇場へ行けば必ず引繰り返る、何時でもそうだ、これは近衛さんが切実に経験されたところである。 その三国同盟の頃、吉田茂さんが英吉利から帰つて来られたから、私は吉田さんと旧交を温めた。段々と提携を密にして行くようになつて、吉田さんを中心に、我々後輩が集まつて運動を続けたわけである。 茲で吉田さんと私との関係を簡単に述べると、無論吉田さんは私よりずつと先輩で、昭和二年田中内閣の時、田中外務大臣の下で外務次官になられた。田中さんは殆ど毎日のように外務省に来て事務をとつて居つた。私は総理大臣秘書官で、外務大臣秘書官を兼ねてはいなかつたけれども、事実上は外務大臣秘書官の仕事もしていたわけで、次官、局長あたりとは密接な関係があつた。吉田さんの前の次官は出淵勝次で、これは私の親戚であつた。吉田さんはその頃から、極くいい意味の政治家の風を具えて居られた。吉田さんは一つの政治的識見を持つて居られて、外交を政治の一環として、進めて行こうという、ハッキリそれを意識して、外交事務ではなしに政治をやる意味で外交をやつて居られたのだと思う。それで私は親類である出淵よりも吉田さんの方が親しみをもつて接することが出来た。というのは、吉田さんは最も忠実に田中首相を輔けて、田中と一心同体に働いて居られた。出淵次官はいつまでも次官で残つてはいない、遠からず米国大使になつて出て行くと言うことが決つて居つたから、腰掛の次官と言うところがあつたが、吉田さんになつて本腰を据えた次官という感じであつた。―― 我々同志の最大の問題は、陸軍を政治から追つ払うこと、それには陸軍大臣にその人を得て陸軍を粛正する外は無い。その陸軍大臣に誰を充てるか。私共は真崎甚三郎大将を考えた。ところが、真崎さんに対しては当時非常な誤解がある。統制派が非常な努力をして真崎さんに対する誤伝を世上に流布したものだが、この真崎さんを囲む一団の人々がある、その最も有力であつたのが小畑敏四郎、或は松浦、山岡、又柳川などもそうであつた。その中で、真崎、小畑が最も信用の出来る人だ。陸軍の実情を認識して、陸軍の粛正を実行し得る人は、この二人殊に真崎さんを措いて他に人は無い。真崎が大臣ならば小畑は次官になるであろう。ところが二人とも予備だ、予備の而も非常に誤解されて居る真崎さんを陸軍大臣に起用する政府を作らなければならない。それを身を以て実行する決心をした人を総理大臣に択ばねばならぬ。これが我々の建前であつた。 真崎、小畑の二人と我々との結び付きに就て言えば、我々の盟友の一人である岩淵辰雄君がこの二人と非常に親しかつた。私もこの二人とは親しかつた。そうして私も岩淵君も吉田さんとは頗る親しい、こういう関係で結合するに至つたが、後に近衛さんが第三次近衛内閣を投出して陸軍に振棄てられてから、その全部と親しい我々と一緒になるようになつたのである。然しそれは近衛さんだけで之が為めに従前近衛さんを取巻いて居つた人々と密接な関係を生ずることは無かつた。勿論至つて少数の例外はある。 そうやつて我々が非常に憂えているうちに、遂に三国同盟が出来、翼賛会が出来、日米交渉という場面になつた。日米交渉というものは非常に矛盾したものである。けれども近衛さんは真面目に考えた、ああいう矛盾したコースが近衛さんにとつてはナチュラルであつたのだろう。近衛さんはあの交渉の成功せんことを切に祈つた。私は駄目だと思つ (以上48頁) た、吉田さんも矢張り駄目だと思いながらも、非常に親しかつたグルー氏やクレーギー氏あたりに向つて熱心に努力されたものである。既にその頃は憲兵が我々を追つ駆けて居た。吉田さんの平河町の邸は憲兵に取囲まれて居た、私共はそれを承知していたけれども、そんな事は構わない、平気で出入しておつた。 そこへ松岡がソヴエットから帰つて来て、真先に日米交渉をぶち壊しに懸つた。南仏印進駐をやつた。これは日米和平の退路を絶つたようなものだ、それでも亜米利加も非常な努力をした。若し日本が誠意を以て平和的妥結に持つて行こうとするならば、それは立派に出来て居たと思う、それを軍が壊そうという建前だから出来つこ無い、遂に不成功に終つた。 そこで我々は、この日本の政治の真相を、先ず重臣に認識してもらわなければならないと考えたので、吉田さんと私が、手を替え品を替えて重臣の間を説いて歩いた。若槻を説き、牧野さんを説き、岡田にも、平沼にも、幣原にも、池田成彬にも説き、私は町田忠治にも話した。 宇垣さんにも話した。そうして居るうちに、遂に太平洋戦争に突入してしまつて、それから近衛さんの反省と煩悶が始まつたわけだ。 或る冬の寒い日、私は小畑敏四郎君と一緒に湯河原の近衛さんの別邸に往つて、私の見解を数時間に亘つて述べた、それを近衛さんは熱心に聴いてくれた。近衛という人は聴き上手だそうだから瞞されてはいけないと思つたけれども、そうではなかつた。 「殖田さん、私は三遍組閣をして、その間相当長い年月も経つているし、あらゆる人と密接な交渉もあつた。いろんな場面にも会つている、その体験からいうと、あなたのお話は思い当る事ばかりです。何故私にもつと早く話しをして呉れなかつたか」、之に対して私は、「敵の重囲の中に居られるあなたに話をすることは出来ませんでした、話をして、私も重囲の中に陥つて殺されることは厭はないが、私が殺されたら、志を継ぐ人が無い、自惚れとは思つたけれども、そう考えたから危うきに近寄らなかつたのだ」という話をした。 第二部 我々は如何に闘つたか 昭和二十年四月十五日の未明、まだみんな寝て居つたところへ玄関のベルが鳴つた。女中も居なかつたから、家内が玄関へ出る。そして陸軍法務官の某という名刺を持つて私の所へ来て、「大勢来ましたよ」と言う。 ははあ、来たなと思つて私は飛び起きた。その時にすぐ気がついたのは、私の持つている上奏文の原稿をどうするかということであつた。 その上奏文というのは、その前年東条内閣の当時、われわれの同志、吉田さん、岩淵君、近衛さん、真崎大将、小畑中将、真崎勝次少将、森岡二朗[#「森岡二朗」は底本では「森岡次郎」]こう言つた人々の間で、小林躋造海軍大将を出して東条内閣に取つて替らせよう、こういうことを考えて居つた。その小林内閣では真崎大将か小畑中将をもつて陸軍大臣にしよう、海軍大臣は小林さん自身に当らせたらどうか、こういう案を考えて居つた。政治を軍部の手から離して、完全に新しい内閣の手に握ろう。そして腐敗しきつている軍の粛正をやつて戦争を早くやめ、平和に持つてゆく。そのためには真崎とか小畑とかいう人を軍政に当らせる必要がある。ところがそれらの人は予備役だ。予備役の人を軍部大臣にすることは、当時はもう出来なかつた。現役の人の中からは、軍の粛正をする人を望んでも、これは思いもよらぬ。況んや、平和への転換などということは考えられぬ。どうしても予備役のそれも少数の限られた人の中から後任の軍部大臣を選ばなければならない。もし、われ/\の希望する如く、小林さんに大命が降下したとしても、組閣の一番の (以上49頁) 難関は、陸軍大臣を現役から採らずに予備の将軍から任用する点だ。これをやるためには、陛下が充分にその必要を認識されて、小林さんの意見を採用されることが必要なわけである。それには、何故そうするかということを、一応は申上げるだろうが、その複雑な事情を陛下が直ちに呑込まれるかどうか判らぬ。そこでその理由を詳しく判るように書いて、その時の役に立てる必要があるということになつた。その時の小林さんの考えでは、陛下がそれを御採用にならぬ時は組閣は不可能だから御辞退する。しかし、なぜかようなことを必要とするかはこれに書いてございますから、よく御覧を願います。と言つて御手許に残して来る。その用意に持つてゆこうというので書いたのがその上奏文なのである。大命が降下した時に陛下の御前でそれを読んで御承認を得ようというよりも、御承認がない時にそれを陛下の所へ残してお考えを願うことに役立てるために書いたものである。それによつて、新しい内閣を作る事は不成功に終つても、日本の政治の実情はこういうものだ、日本の陸海軍の真相はこういうものだ、この戦争はこういう段階にあるということを、ハッキリ陛下が認識される一つの機会にはなる。それだけでもよいのだ。恐らく陛下は何も真相を御承知ない。こう考えて長文のハッキリしたものを書こうということになつた。そして私に書けということになつて私が書いたのである。そういう意図のものであるから、簡単なものでなくて、ゆつくり読んでいただくような長いものになつた。その原稿が出来て、小畑君が見て筆を入れて居つた。近衛さんには、簡単に見て貰つたがその外の人達には未だ見せてなかつた。われ/\同志の仲では内容を一々見る必要はない、話は決つているのだから。しかし軍事との問題があるから、小畑君には特に相談したわけだ。 ところが間もなく東条内閣が倒れた。けれども小林のコの字も後継内閣の噂に出て来ない。若槻さんもわれ/\の考えを知つているシンパであつたけれども、重臣会議の席上では宇垣さんを推したらしい。近衛さんも小林ということは、とうとう言われずに終つた。小林さんはわれ/\の間で考えただけで、具体的な問題にはならなかつた。従つて、折角私が書いたけれども、それを小林さんが持つて宮中に出る機会はなかつた。恐らく小林さんは私がそれを書いていることも御承知なかつたかも知れない。――小磯内閣が出来上つた。事は破れたわけである。その原稿は焼棄てればよいのであつたが、われ/\はそのために大きな目的を棄てず、また次の機会を狙おうということになつた。なにも小林さんと限つたことはない。誰でもわれ/\の同志が出て行つて組閣をするという問題にぶつかれば、この上奏文は必ず必要になる。のみならず、政変、組閣の際でなくとも、近衛さんでも拝謁が出来て陛下にお話を申上げるという時には、それは有力な参考資料になると考えて居つたものだから、私はそれをそのまゝ取つておいたのである。 とにかく人に見られたら大変なものであるからどこかへ蔵い込んで、いざという時に始末が出来ないようなことでは困ると思つて、私はこの上奏文を、普段、すぐ枕もとの小抽斗に入れておいたのであつた。ところが、さて憲兵が十人も来て家を囲まれて見ると、その平素の用意が何にもならない。どう処分のしようもない。すぐ寝床から下りて寝巻を着替えながら、まつすぐに飛付いたのがその抽斗である。大きなレタア・ペーパーに五十枚くらい、こまかく書いてある。そうして畳んで封筒に入れてある。それを懐中に入れてみたけれども、どうも具合が悪い。茶の間の外が中庭になつておる。その向うには物置もあるし、隣家もある、そこへいつて見たらば何とかなるかもしれぬと思い、茶の間の雨戸を (以上50頁) あけて見たら、中庭にカーキ―服を着てチャンと立つている。急いで雨戸を締めてまた引返した。丁度その時に家内が寝巻をモンペに着替えて居つた。ハッと思いついて「お前、これをモンペの下に入れてくれないか」と言つたら、「それじや便所へ持つてゆきましようか」「いや、便所は駄目だよ。中廊下にも見張りがいるし、便所なんかへ入れても必ず覗かれるだろう。何かあるなと思つて拾い上げて見られたらおしまいだからそれは駄目だ。それよりモンペの下へ入れといてくれないか。まさか女を裸にもしないだろう。」私としては裸にして取られたら、それはその時のことだと思つて頼んだのだが、結局それが成功したのである。しかし、この上奏文は、後に焼き棄てられている。 一方引つぱつて行かれた私にすれば、この一文が取られたのか取られてないのか、判らない。 底本・初出:『文芸春秋』第27巻第12号、文芸春秋新社、1949(昭和24)年12月
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安仁屋政昭氏陳述書2007年7月12日 http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/chinzyutu2.html 安仁屋政昭氏陳述書2007年7月12日1 経歴 2 沖縄戦における住民の被害 3 合囲地境における「集団死」 4 富山真順氏の証言 陳 述 書 2007年7月12日 大阪地方裁判所第9民事部合議2係 御 中 安仁屋 政 昭 1 経歴 私の経歴は、乙11号証170頁以下に記載されたとおりであり、2006年3月まで沖縄国際大学教授として歴史学を教えていました。現職は、沖縄国際大学名誉教授です。 また2007年現在、委嘱を受けている地域史の編集委員等として、沖縄県史・沖縄市史・嘉手納町史・宜野湾市史・北中城村史・糸満市史があります。 2 沖縄戦における住民の被害 沖縄戦における住民の被害については、私は第三次家永教科書訴訟において、意見書を提出し、証人として1988年2月10日那覇地方裁判所の法廷で証言しました。意見書は乙11号証125頁以下であり、証言の内容は乙11号証23頁以下にあるとおりです(乙11号証3頁以下及び乙11号証23頁以下の上段の説明部分も私が書いたものです)。 乙11号証により、沖縄戦における住民の被害について理解していただけると思いますが、本陳述書では、「集団自決」について補足して述べます。 3 合囲地境における「集団死」 「集団自決」については、前記意見書にも「4『集団自決』の真相」として記載し(乙11号証153頁以下)、敷衍して証言もしています(乙11号証49頁以下)。 「日本の敗戦は必至」という認識のもとに戦われた沖縄戦は、太平洋戦争における日米最後の地上戦でした。日本帝国政府にとっては、国体護持が第一義であり、本土決戦準備・終戦交渉の時間をかせぐことが重要な課題でした。 「国体護持のための捨て石にされた沖縄」という説明が一般になされていますが、沖縄守備軍(第32軍)は、沖縄県民に対して「軍官民共生共死の一体化」を指示し、「一木一草トイヘドモ戦力化スベシ」と言って、根こそぎ戦場動員しました。 そして沖縄戦の住民の被害を考えるとき、最も特異な事例として「集団自決」があげられます。 そこで、まず、「集団自決」という言葉の内実を明確にしなければなりません。 「自決」という場合には、「死をえらぶ人の自発性・任意性」が前提となります。乳幼児が自決をすることはありえませんし、肉親を自発的に殺す者もいません。 「親が幼子を殺し、子が年老いた親を殺し、兄が弟妹を殺し、夫が妻を殺す」といった親族殺しあいは、天皇の軍隊と住民が混在した戦場で起きています。戦闘に即して言うと、米軍が上陸してきても、そこに日本軍がいなかった地域では起きていません。皇軍の圧倒的な力による押しつけと誘導がなければ起きることがらではありません。防衛庁の記録に「戦闘員の煩累を絶つための犠牲的精神によって集団自決をとげ、皇国に殉じた」(「沖縄方面陸軍作戦」252頁)とありますが、事実に反しています。戦場の住民は、自主的に死を選択したのではありません。 幾多の複合要因があるとは言うものの、基本的には皇軍の強制と誘導によって、肉親同士の殺しあいを強いられたのです。肉親同士の殺しあいを強制するということは、皇軍による住民殺害と同質同根です。ですから言葉の本来の意味において、沖縄戦では「集団自決」はなかったのです。住民の「集団的な死」は自発的な意思によるものではなく、この実態を「集団自決」と表現することは不適切であり、真相を正しく伝えることを妨げるものです。 沖縄戦のとき、南西諸島全域は、空も海も米軍によって制圧され、包囲されていました。九州や台湾との往来は遮断されていたのです。 沖縄守備軍は、県や市町村の所管事項に対しても、指示・命令を出し「軍官民共生共死の一体化」を強制しました。県民の行動は、すべて軍命によって規制され、ここには民政はなかったのです。このような戦場を、軍事用語では「合囲(ごうい)合囲(ごうい)地境(ちきょう)地境(ちきょう)」と言います(注)。合囲地境は、敵の合囲(包囲)または攻撃があったとき、警戒すべき区域として「戒厳令」によって区画したところです。 合囲地境においては、駐屯部隊の上級者が全権を握って憲法を停止し、立法・行政・司法の全部または一部を軍の統制化に置くことになっていました。 沖縄戦のとき、「戒厳令」は宣告されなかったものの、奄美から先島諸島にかけて南西諸島全域は、事実上の「合囲地境」であったのです。 沖縄県知事や市長村長の行政権限が無視され、現地部隊の意のままに処理されたのは、このような事情によるものでした。地域住民への指示・命令は、たとえ市町村の役場職員や地域の指導者が伝えたとしても、すべて「軍命」と受け取られました。 渡嘉敷島においては赤松嘉次大尉が、座間味島においては梅澤裕少佐が全権限を握っており、渡嘉敷村及び座間味村の行政は軍の統制下におかれ、民政はなかったと考えるべきです。 日本国民は、軍の命令は「天皇の命令」と教えられてきました。捕虜になるよりも「死を選ぶこと」が「臣民の道」と信じていた一面もあります。皇軍と地域の指導者たちの教導に従って、「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」という「戦陣訓」を実践させられたのです。(注) 戒厳令(明治15年8月5日太政官布告第36号) 第一条 戒厳令ハ戦時若クハ事変ニ際シ兵備ヲ以テ全国若クハ一地方ヲ警戒スルノ法トス 第二条 戒厳ハ臨戦地境ト合囲地境トノ二種ニ分ツ 第一 臨戦地境ハ戦時若クハ事変に際シ警戒ス可キ地方ヲ区画シテ臨戦ノ区域ト為ス者ナリ 第二 合囲地境ハ敵ノ合囲若クハ攻撃其ノ他ノ事変ニ際シ警戒スベキ地方ヲ区画シテ合囲ノ区域ト為ス者ナリ 第三条 戒厳ハ時機ニ応シ其ノ要ス可キ地境ヲ区画シテ之ヲ布告ス 第四条~第八条(略) 第九条 臨戦地境内ニ於テハ地方行政事務及ヒ司法事務ノ軍事ニ関係アル事件ヲ限リ其ノ地ノ司令官ニ管掌ノ権ヲ委スル者トス(以下略) 第十条 合囲地境内ニ於テハ地方行政事務及司法事務ノ全部管掌ノ権ヲ其ノ地ノ司令官ニ委ス者トス(以下略) 『軍制学教程』〔昭和17年改訂版・陸軍士官学校の教科書〕第2篇第9章第6節「戒厳」は、戒厳令を説明したうえで、「戦時ニ際シ兵営、官衙、要塞、海軍港、鎮守府、海軍造船所等遽カニ合囲若クハ攻撃ヲ受クル時ハ其ノ地ノ司令官臨時戒厳ヲ宣言スルコトヲ得又戦略上臨機ノ処分ヲ要スル時ハ出征軍ノ司令官之ヲ宣スルヲ得」との説明がある。 4 富山真順氏の証言 さらに渡嘉敷島については、具体的な軍命令があった証拠があります。 住民と軍との関係を知る最も重要な立場にいたのは徴兵事務を扱う専任の役場職員の兵事主任です。私は、渡嘉敷村の兵事主任であった富山真順氏に会って渡嘉敷島の村民の「集団自決」について、詳しく聞くことができました。私は、1968年4月から「沖縄県史」と「渡嘉敷村史」の聞き取り調査と編集に従事してきましたが、渡嘉敷島には、手元に記録等があるだけでも、1971年、1973年、1977年、1981年、1984年、1987年8月、10月、1988年1月の8回出かけ(実際は10回以上行っています。富山真順氏だけではなく、多くの村民から話しを聞くためです)、この間に、私は富山真順氏の証言を幾度も確認しました。 富山真順氏の証言は、つぎのとおりです。 1945年3月20日、赤松隊から伝令が来て兵事主任の富山氏に対し、渡嘉敷部落の住民を役場に集めるように命令した(非常呼集)。富山氏は、軍の指示に従って「17歳未満の少年と役場職員」を役場の前庭に集めた。 そのとき、兵器軍曹と呼ばれていた下士官が部下に手榴弾を2箱持ってこさせた。兵器軍曹は集まった20数名の者に手榴弾を二個ずつ配り、「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら一発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、残りの一発で自決せよ」と訓示をした。 3月27日(米軍が渡嘉敷島に上陸した日)、兵事主任の富山氏に対して軍の命令が伝えられた。その内容は「住民を軍の西山陣地近くに集結させよ」というものであった。駐在の安里喜順巡査も集結命令を住民に伝えてまわった。 3月28日、恩納河原の上流フィジガーで住民の「集団死」事件が起きた。このとき防衛隊員が手榴弾を持ちこみ、住民の「自殺」を促した。 私は、このことを前記意見書(乙11号証-158頁)に記載し、証言もしました(乙11号証-54頁、69頁)。 そして沖縄の出張尋問が終わった後の1988年3月30日、富山氏は、私に「玉砕場のことは何度も話してきた。曽野綾子氏が渡嘉敷島の取材にきた1969年にも、島で唯一の旅館であった『なぎさ旅館』で、数時間も取材に応じ事実を証言した。あの玉砕が、軍の命令でも強制でもなかったなどと、今になって言われるとは夢にも思わなかった。事実がゆがめられていることに驚いている。法廷のみなさんに真実を訴えるためにも、わたしの証言を再確認する次第である」と語っています(乙11号証-70頁上段)。 また富山氏の証言は1988年6月16日の朝日新聞(乙12号証)にも掲載されています。 手榴弾は軍の厳重な管理のもとに置かれた武器です。その武器が、住民の手に渡るということは、本来ありえないことです。しかも、住民をスパイの疑いできびしく監視しているなかで、軍が手榴弾を住民に渡すということは尋常ではありません。住民が密集している場所で、手榴弾が実際に爆発し、多くの死者が出たことは冷厳な事実であり、これこそ、「自決強要」の物的証拠というべきです。 以 上
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■性能緒元 重量 53.2t 全長 9.71m 車体長 7.47m 全幅 3.59m 全高 2.25m エンジン MTU MB871Ka-501 液冷ディーゼル 1,200hp 最高速度 65km/h 航続距離 437km 武装 KM256 44口径120mm滑腔砲×1(32発) 12.7mm重機関銃×1(2,000発) 7.62mm機関銃×2(8,600発) 装甲 複合装甲(車体前面及び砲塔前面) 乗員 4名(車長、砲手、装填手、操縦手) K1A1はK1戦車をベースに105mmライフル砲を120mm滑腔砲へと換装した改良型戦車。2001年に初めて公開された。装甲も空間装甲(スペースド・アーマー)から複合装甲に換えられたというが詳細は不明。国内開発された複合装甲とも、イギリスからの技術援助を受けて開発した複合装甲だともいわれる(アメリカから劣化ウラン装甲の供与を受けたという噂もあるが、まずあり得ないだろう)。元々小型であったK1に大口径の120mm滑腔砲を搭載したため、機動性が悪化し砲弾搭載数減るなど、各所に無理が生じている。K1からK1A1に乗り換えた乗員の不満は、砲塔内部の空間が著しく狭くなり居住性が悪化した事と、整備がし辛くなった事だという。改良は主砲や装甲の強化だけではなく、FCS(Fire Control System:火器管制装置)や外部視察装置も改良されている。2006年11月、イスラエルのエルビット・システム社はK1A1向けに砲手用サイトに取り付ける熱線映像システムを1,900万ドルで受注したと発表した。納品するのはエルビット・システム社傘下のELOP社で、車輌への装備は三星タレス社が行う。ELOP社は偵察衛星「アリラン2号」用のカメラも納品している。 K1A1は120mm砲の搭載そのものにも問題があり、1号車は1996年4月に完成したにも関わらず本格的量産は2000年にまでずれこんだ。生産数も300輌強で終了するようだ(484輌の説もあり)。K1A1の発注は1999年から行われ、2001年までに第1次生産分として16輌、2004年までに第2次生産分として96輌が生産された。第3次生産分として2003年に164輌が発注され、2007年までに納品される予定。発注は第4次生産分で終了するといわれている。世界各国が主力戦車に120mm砲を採用している時期に、あえて韓国独自の理由からK1を105mm砲装備戦車として開発したにもかかわらず、なぜ無理に120mm砲を装備するK1A1の開発を行ったのかは分からない。韓国軍としてはK1A1はあくまで「繋ぎ」の急造改良型戦車であり、本命はより新型のK2という事なのだろう。 K1A1は韓国陸軍の最強戦車として最精鋭である第7軍団の第20機械化歩兵師団に集中配備されており、各戦車大隊と機甲捜索大隊など師団内の全戦車装備部隊にK1A1が配備されている。2006年秋から首都機械化歩兵師団(猛虎師団)の戦車大隊にも配備が始まった。第20機械化歩兵師団は韓国陸軍が最も頼りにする機動打撃・決戦師団であり、北朝鮮への反撃の要だ。また首都師団は第20機械化歩兵師団と同じ機動打撃部隊であると同時に、海外派兵が必要になった時に真っ先に派遣される戦略部隊でもある(ベトナム戦争時にも派遣された)。この二つの部隊に韓国最新鋭の戦車であるK1A1が配備されているのは至極当然と言えるだろう。 ▼第20機械化歩兵師団戦車大隊のK1A1戦車 ▼射撃訓練を行うK1A1戦車 ▼120mm砲弾を補給する戦車兵達。小柄な韓国人にとって120mm砲弾を扱う事は体格的に厳しい。 ▼K1A1戦車の後部 ▼油気圧サスペンションで前傾姿勢をとるK1A1戦車 ▼防盾部分のアップ ▼砲塔前部の下面部分 ▼装填手用ハッチ ▼車長用サイト ▼第20機械化歩兵師団のK1A1の射撃訓練 ▼K1A1の停止射撃訓練 ▼K1A1の製造工程、砲塔内部、走行試験など 【参考資料】 Jグランド(イカロス出版) 軍事研究(株ジャパン・ミリタリー・レビュー) 戦車研究室 Global Security PowerCorea kojii.net Defense-Aerospace 【関連項目】 K1戦車 K1ARV装甲回収車 K1AVLB戦車橋 K1戦車の派生型 韓国陸軍 2009-03-15 12 29 27 (Sun)
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カテゴリー『正規軍』 【正規軍陸軍】 陸軍 ,-‐'´ ̄ヽ / ヽ ヽ ヽ ヽ ),-―-、 ヽ ノ/_'-'´三彡 `、 ///,――、`l /\/ /, |;;;;;;;;;;;;;;;|'´ |/~l |/|=| |;;;;;;;;;;;;;;;| ( O((X) ',=', /,ニニ,;;;;;| }-'\___//@/ ノ |,-、,、__/`―' `l /~ く ( | ,ニニニ、 _/ ,-、ヽ/ \| | /` / /ヾ',-'´ ノ | / /´),-,'´ ( '/ ̄_ ヽ / ⊂,_)--――'´ ヽヽ|!| | | | ゞ /‐´ 〉‐-、___ノ |!| |_| | / /ミ ゝ _|!| | | | | /ミ |  ̄|∥ ̄ ,|!| |_| | / /ミ / |∥ '|!| | | | メインは歩兵部隊、基本数で押せ押せな軍隊 歩兵部隊 名称 移動力 防空能力 補正 旅団規模以上 兵器性能 連隊規模以下 兵器性能 歩兵部隊 10 無し 士気+10 練度+5 組織性+5 α2型・APC 2+2で対応、装甲兵員輸送車 α2型・陸軍用SAW 2+2で対応、分隊支援火器 説明 機甲部隊 陸軍 移動力 防空能力 補正 旅団規模以上 兵器性能 連隊規模以下 兵器性能 機甲部隊 20 無し 士気+20 組織性+15 α2型・IFV 2+2で対応、歩兵戦闘車両 α2型・SC 2+2で対応、偵察車両 説明 敵が歩兵部隊であれば、兵力単位が1段階上がった戦闘力を発揮敵が機甲部隊で、敗北した場合、問答無用で壊滅する。が、それは相手も同様敵機甲部隊は機甲部隊との戦闘で敗北した時点で殲滅されるさらに言えば、敵機甲部隊との戦闘時、奇襲に成功すると士気+45 砲兵部隊 陸軍 移動力 防空能力 補正 旅団規模以上 兵器性能 連隊規模以下 兵器性能 砲兵部隊 20 有り 士気+20 練度+15 α2型・装輪無反動砲 +2で対応、装輪式の無反動砲車両 α2型・牽引式重迫撃砲 2+2で対応、牽引式の重迫撃砲。 説明 特科ほどではないが、遠距離攻撃能力アリ。5マス範囲内砲兵……と言うより高射特科(対空砲兵)としての部隊存在 空挺部隊 陸軍 移動力 防空能力 補正 旅団規模以上 兵器性能 連隊規模以下 兵器性能 空挺部隊 35 無し 説明 混成旅団以上の兵力単位で編成できない。防空能力無し。なお、特殊部隊としての運用を望む。以上。 補給部隊 システム変更により工兵隊に 陸軍 移動力 防空能力 補正 旅団規模以上 兵器性能 連隊規模以下 兵器性能 補給部隊 5 説明 戦闘能力なし。損害を回復するための部隊。損害が回復されれば自動的に最寄りの補給所あるいは中央に戻る。