約 32,349 件
https://w.atwiki.jp/higurashi/pages/13.html
4年前 ダム工事の現場の人たちで喧嘩があり、被害者を殺害。 発覚を恐れた6人は遺体を6分割して、それぞれが管理。 最後まで反対していた人が、喧嘩のときにできた怪我を見てもらうため秒意へ行ったとき 自白し、事件が明るみに出た。 リーダー格の現場監督が右腕を持ったまま行方不明。 3年前 北条(養父)が崖から落ち転落死。ダム誘致派だったため恨みを買っていた。 公式見解では台風のため地盤が緩み、柵も老朽化していた。 北条(実母)は死体上がらず(行方不明扱い)台風のため捜査は難航した。 2年前 神主(古手父)が謎の奇病で死亡。公式見解では、不調を訴え病院で手当てを受け一時は回復したが、深夜容態が急変、死亡 した。 その後、後を追うように古手母も入水自殺(死体上がらず行方不明扱い)遺書で自殺をほのめかした鬼ヶ淵沼は底なし沼と知られており難航。 1年前 北条(叔母)が殴り殺される。新聞に掲載されなかった(この辺りから内部調査になる?) 公式見解では麻薬中毒者の通り魔的犯行。犯人は先割れスプーンを喉につまらせ死亡。 北条悟史が家出(行方不明)する。
https://w.atwiki.jp/harukaze_lab/pages/356.html
湖畔の人々 山本周五郎 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)外村重太夫《とのむらしげだゆう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)坂|蔵屋敷《くらやしき》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定] (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56] [#5字下げ]一[#「一」は中見出し] こお 氷る朝 その一 すいせのかみけ さいきひょうご なっ しなの 」 いでゆまち ならぬ堪忍 諏訪伊勢守家の江戸屋敷年寄役を勤める斉木兵庫は、妻の那津と家士両名、下僕と下婢三名をつれて信濃ノ国高島(今の諏訪)へ帰国した。しかし保養という名目なので、城下にあるおのれの屋敷にははいらず、そのまま湖畔の温泉街へ乗物を着け、ぼたん屋という宿に旅装を解いた。 座敷へ通ると、兵庫は直ぐに宿の隠居を呼んだ、隠居茂兵衛は急いでやって来たが、客の顔を見るなり、あっと云って、廊下へ白髪頭をすりつけながら平伏した。「ほう、まだ生きていたか」 兵庫は笑いながら、「多分もう墓の下であろうと思って来たが、まだ業が尽きぬとみえるな」「十年ぶりのお眼通りに、いきなりお毒口でございますか」長兵等にお笑いをしながらそうて、兵重夫に丁重に書くこ。 しらがあたま) ごう めどお いちって つようしゆうちやく つかまつ かしこま」 湖畔の人々 「したが、いつ御帰国あそにしましたが、少しもなじませんので御装技にまかりませず、まことに不調法を仕りました」「いや、いま此処へ着いたばかりだ」、「此処へいまお着きで……」「こんどは保養の帰国でな、この通り女房づれの全くの忍びだ、当地の役人共にも知らせてはないし、当分はのんびりと手足を伸ばしたい、だから儂が当家 ら農が当家に居ることは内密にして置いて呉れぬといかん」「畏りました、左様なれば一同に固く申付けて置きまする」 兵庫は頷きながら、金包と思えるものを無雑作に投げゃった。「土産代りだ、取って置け。晩には久方ぶりで伊那節でも聞こうかの」の部そして特徴のある、息を吸うような笑い方でくくと笑った。灯の入る頃から十人ほどの芸妓が来て、広間で賑かな酒宴が始った。……兵庫は上座に寛いで、若い妓の一人に酌をさせながら、彦四や式部が妓たちと遊ぶのをいた。派手な遊びが好きで、常に賑かな座敷を設けながら、自分はその雰囲気とは別に、独りで酒を楽しむのが兵庫の癖だった。そして、それが彼の性格を最もよく表わしていた。 うなず にぎや ころ いぎ」 くつろ おんな しゃく 335?________________ ちゆうすう もちろん ならぬ堪忍 兵庫は諏訪家の国老の子として此土地に生れ、十九歳で亡父の名跡を継いでから、間もなく国家老の職に就き、高島城代としてめざましく働いた。そして四十八歳のとき江戸表へ転じて長老の席に居り、一藩の重しとして、六十三歳の今日までがっしりと藩政の中枢を押して来たのである。 四十余年にわたる彼の活躍は、高島藩に大きな功績を残した。彼でなければ為し得ない多くの仕事が実を結んだ、その点ではたしかに「名家老」だったに違いない、然しその半面には不評の種もかなりあった。……それは兵庫の性格が自己中心で、他の意見を受け容れようとせず、とかく圧制的に事を行うところに原因がある。勿論それだからこそ思うような仕事も出来たのだが、同時にそれが大きな弱点となることも免れなかった。-兵庫は若年の頃から、人間は子を持つと美田を遺したくなるものだ、自分は藩のために一身を捧げて しようがい働くつもりである、だから生涯子は持たぬ。 そういう老成した考をもっていた。それで湖畔の花街では派手に遊ぶが、縁談には一切耳を藉さなかった。……然し四十一歳になったとき、母の磯女の強硬な主張で、現在の妻を娶ったのである。 まぬが のこ ささ」 いそじょ- 湖畔の人々 那津は同意の老職ので、いちど内田助左衛門という物頭の家へ嫁したが、良人に死なれて実家へ戻っていた、つまり俗にいう出戻りであった。けれど磯女は那津に和歌を教えたことがあり、その気質を高く買っていたので、周囲の反対を押し切って兵庫の妻に選んだのであった。……-那津は二十一歳の秋、斉木家へ嫁いで来た。予想された通り彼女はよき妻であった。ずばぬけた政治的手腕で、「名家老」と呼ばれる一方、諸事思切って派手好きな兵庫の生活は、絶えず家計を窮迫せしめていたが、那津はその苦しい家計の切り盛りに身をうちこんだ、それは困難な、終ることのない仕事であった。 かっしど然も、夫婦とは名ばかりで、嫁して以来、兵庫とは曾て臥所を共にしたことがなかったのである。| これらのことはみな、兵庫の自己中心の気質から来ているものだった。政治を行うにも自分の意志をずばずば実行する、誰にも容隊することを許さない、……妻と飲所を共にしないのも、妻を嫌っていたのではなく、「生涯子は持たぬ」という自分の意見を固持する表われである。……ちょうどその酒の飲みぶりと同じように、毎も多くの人々に取囲まれていながら、常に自分の孤独を守り通していたのである。……こん にもと別ど妻を同伴して来たのも、実は或る重要な目的をもった帰国なので、それを国許の役 ようかい YOK?________________ 人たちに感付かれないための手段に過ぎなかったのだ。 その二 じつとくえりまき、そうしようずきん かつこうつえ。 ほとんひる。 ならぬ堪忍 酒宴が終ったのは十時過ぎだった。『旅の疲れと、快い酒の酔とで、熟睡した兵庫は、その明る朝早く、まだほの暗い時刻に起きた。そして十徳に衿巻、宗匠頭巾という妙な恰好で、杖を手にふらっと宿を独りで出て行った。 何処へなにをしに行ったのか、戻ったのは殆ど午ちかい時である。……そして夜になるとまた、妓たちを呼んで酒宴だった。 三日めも、四日めも、未明に出て、午ちかく帰るのと、夜の派手な遊びとは同じように繰返された。……そのあいだ妻の那津も、従者たちも、そのことにはまるで無関心な態度で黙っていた。……それから二日ほど雪が降ったので、朝の外出は中止されたが、雪があがると待兼ねたように、それも例よりもよほど早く起きて出掛けた。 和蘭陀羅紗の衿巻を、深く鼻のあたりまで巻きつけ、杖を片手に、温泉街の裏を東へ向った兵庫は、風のない未明の道を、凍てた雪を踏みながら、少し前嶋みになって、し大段のたしかな足どりで歩いて行った。 オランダらしや まえかが おおまた かけす そば まな ちの一 まござえも 湖畔の人々 「普門寺の村へかかると、野づらに質を架けて、寒天の夜干しをしているのがちらほらと見えはじめた。……その作業場へ来るたびに、兵庫は架簀の側へ近寄って、干しあがった寒天の出来具合を見て廻った。……簀の間で働いている人々のなかには、兵庫の姿を見るとにこにこ笑いながら挨拶をする者もあった。「お早うございます江戸の御隠居さん」「ああお早う、精が出るな」(兵庫も機嫌よく答えながら、更に次ぎ次ぎと見て行った。 茅野へかかる少し手前まで行くと、川の流に沿った段丘の上に、新しい寒天干し場が広く幾段にも架簀を列ねていた、……そこは塚原の豪農坂本孫左衛門の作業場であった。 他では大抵まだ農家の副業で、片手間にやっているものが多かったが、孫左衛門は高島藩の勘定奉行所と連絡をとり、本腰を入れて寒天製造の大きな作業場を造ったのである。……原料の石花菜や藻花菜を貯える倉、洗い場、搗き場、釜場などの建物に、働く者たちの長屋の物置、厩などまで新しく建てた。そして二条の堀には、遠く山か じゅんたくら引いて来る清冽な水が、溢れるような勢で絶えず潤沢に流れていた、この水こそ、作業のためには欠くべからざるものだったのである。人生 ら一 かまば てんぐさひらくさたくわ うまや- ふたすじほり せいれつ 339?________________ cm ほほえみ なじみ % 7 ならぬ堪忍 兵庫が干し場へ入って行ったとき、架寶の間から一人の美しい娘が、「お早うございます」 と元気な声で呼びかけた。兵庫が微笑で答えながら近寄ると、娘のうしろから、この作業場の持主である孫左衛門も出て来た。……娘は孫左衛門の子でお雪という、兵庫はこの親娘とも五六日来の馴染だった。「どうじゃな、出来具合は」「相変らずでございます」「是はもうあがったのかな」の の-兵庫は簀の上から寒天を一つ手に取った。……薄透明に少し濁った拍子木型の寒天は、表面に朝の色を映して雲母のような光を放っていた。「やはり色がうまくないのう」「それでございますよ」 孫左衛門もその一つを取りあげた、、、「もうひとつというところで、どうしても澄んだあがりが出来ないのです。ずいぶん苦心してこれまでにしたのですがな」 米 軍「なにか工夫をしている人がいるそうだが」 きらら はぎわら 湖畔の人々 ひいき 「左様です、御家中の或る高い御身分のお方で、非常に御熱心に色々と工夫をなすって下さる方がいまして、……いまもあれ、向うの作業場においでになっているのですが、……どうも思わしくないようでございます」「でも萩原さまはきっと御成功なさいますわ」娘が側から確信ありげに云った、 の「あんなに御熱心なのですもの、見ていてもお気の毒になるほど御苦心をあそばしているのですもの、もう直ぐきっと立派なものをお作りになると思いますわ」です「ほう、そんなに萩原という方は御熱心なのかな」「いや娘は萩原さまのこととなると、理非にかかわらずもう御贔負ですから」「まあ、お父さま」なごやかな笑いが、静かな朝の空気を震わせて行った。「したが」「孫左衛門はふと眼をあげて、「江戸のお客さまもこの御商売でございますか」 「いやそうではないが」cm「毎朝のように斯うしてお見廻りにおいでなさるので、実は買い付けにでもおいでに?________________ なったのかと思っていましたが」 萩原作之進 その一 ならぬ堪忍 わずか 「いや商売ではないがな」兵庫はちょっと眼を外らした。 画「御当地で寒天作りを始めてから、僅な年数のあいだに、たいそう大坂方面へ出廻るという話を聞いたものだから、……保養に来たついでに見せて貰っている訳ですよ」「数だけはずいぶんあがるのですがね」 に孫左衛門は手をあげて、「御覧の通り見える限りの干し場ですから、積出す数は年々殖える一方ですが、なにしろ大坂には本場の丹後物が根を張っているので、あがりの悪い此方の品はどうしても二番物三番物にされてしまいます」「この色さえ、もうひといったうのう こちら いなばのかみちゅうせい 湖畔の人々 「そうなったら高島の天下でこざいますよ」おのおのの手に持った寒天を置きながら、期せずして二人は同時に太息をもらした。高島藩の寒天製造は、藩主因幡守忠誠が西遊の折、丹後地方からその製法を伝えて来たもので、当時は創業してまだ間がなかったにもかかわらず、季候や風土が適していたのと、藩の熱心な指導と、そして農民たちの撓まぬ努力とが一致して、非常な熱で発展し、すでに大坂の市場へ多額な出荷をみるようになっていた。……然し技術的にまだ不足な点があって、その製品の仕上りがうまくゆかず、丹波、丹後地方で製するものに比べて、かなり品の格が落ちるため、出荷数の多い割に利益は思うほどでなかった。 幕府政体の末期的な現象の一として、一般諸藩と同じように、高島藩も当時は財政困難に直面していた。殊にその地勢の関係で、古くから食糧物資の移入国であるため、領内の産業開発は欠くべからざる問題であった。……だからいま、寒天製造が成功するかしないかは、それに従事している農民たちよりも、寧ろ高島藩にとって重大な懸案だったのである。「やれやれ、たいそう邪魔をしました」そう云って兵庫が立去ろうとした時である、?________________ 344 めのこ たんこ cm「あれお父さま」 と娘が振返って叫んだ、「萩原さまが馳けていらっしゃいますわ」「おお、ひどくまたお急ぎのようだな」 綿入れ布子に短袴、丸腰の若い武士が一人、両手に干しあげた寒天を持って走って来た。「坂本どの、出来ました出来ました」「ええ?出来たとは」 「御覧なさいみごとなあがりだ、それ、この通り氷のように澄んでいる、是も、是も、なみんな同じようにあがっているでしょう」 「おおほんに、是はまあすばらしい出来だ」「わたくしにもお見せ下さいまし」 お雪も父の手から寒天の一つを取ったが、あくまで澄んだすばらしい出来を見ると、ぱっと讃仰の色に眼を輝かせながら男を見上げた。「まあ……萩原さま」「立派でしょうお雪さん、これで苦心の甲斐がありましたよ」 ならぬ堪忍 さんぎよう たくま くちもと一 みずさら 湖畔の人々 若い武士もまた喜びに溢れる眼で、眠と嬢の顔を見下ろした。 ――これがいま話に出た人物だな。(兵庫はそう思いながら、気付かれぬように若者の容子を見やっていた。……年はまだ若い、骨太のみごとな体で、顔も浅黒く逞しいが、清純な眼と唇許になんとも云えぬ温かみが溢れていた。「それでは新しい御工夫がついたのでございますか」「負った子を捜していたようなものだ、工夫というのも恥しい、ただ搗いた後の水晒しをこれまでの三倍にすればいいのです」。「水晒しを多くするだけでございますか」「丹後製法では一刻半ということだが、それを三倍延ばし、晒せば澄んでみる。実地にやってみせましょう、どうか直ぐ、みんなに触れを廻して集めて下さい」「承知しました。お雪、おまえ行って嘉右衛門を呼んでおいで」「はい」 お雪は走って行こうとして、「あら、あの江戸のお客さまは」と振返った。……兵庫はそのとき、すでに干し場の段丘を下って去りつつあった。 いつときはん かえもん?________________ 346 「……誰です、あの老人は」。 萩原は兵庫の後姿へ眼を光らせた。「誰ですかよくは存じませぬが、この五六日ずっと毎朝のように寒天作りの模様を見に来るのです」「なんのために、……」 「自分では隠していますが、私の考えでは江戸から買い付けに来た商人ではないかと忍思います」「……江戸から来た?」若者の眼はいつまでも、去って行く兵庫の後姿に吸い着いていた。 ならぬ堪忍 その二」 121102224 にぎや その宵のことであった。例に依って芸者を呼び、賑かな酒宴が開かれていたとき、宿の隠居茂兵衛があわただしく入って来た。そして兵庫の側へすり寄って、「御前、お城からお客来でござります」とだるさるった。 なるしま かりや 「 こ 」 おんな 湖畔の人々 このまま 兵庫の眼はもう酔っていた。「固く申付けて置いたに、もらしたな」「否え滅相もない、実は夕刻まえにお目附役がおみえなさいまして、色々と」「云い訳はよせ、みつかったものなら仕様がないから会う、誰がまいった」「成島さま、苅屋さまにございます」「よしよし、此処へ通してやれ」「はい。此処で宜しゅうござりましょうか、妓どもは帰しまして……」「いや此儘でよい」 茂兵衛は走るように去ったが、間もなく二人の武士を案内して来た。……成島仁太夫、苅屋角八、いずれも老職格の者だった。「いや此方へ此方へ」 兵庫は自分の側へ二人の座を明けてやった。「このたびは久々の御帰国、御健勝にてなにより祝着に存じ上げまする。御帰国のおもむき些かも知らず、御挨拶にも出ませいで失態仕りました」洲「お手を上げ、お手を上げ」 かくはち一 しゆうちゃく つかまって ごあいさつ| いささ ECOM?________________ ていちよう さえぎ」 むね 二人の丁重な挨拶を兵庫は気軽に遮って、「女房伴れの保養でな、宿へもその旨を申し、家中へ知れざるよう隠れて居ったのじゃ。したがって見らるる通りの座敷、固苦しいことは抜きにして、さ……一盞まいろ いつさん ずいぎ一 おおー ひざ ながうた ならぬ堪忍 さかずき 「は、然し今宵は御挨拶を申上げるために」 かみしもつけ「無用無用、芸妓どもの居る前でそう裃を着ては笑草じゃ、さ、まいろう苅屋どの」「では仰せに甘えまして」、「成島さんも膝をお崩しなされ、久方ぶりで江戸仕込みの長唄でもお聴かせしようから。……妓どもも固くなることはないぞ、騒げ騒げ」。盃が廻り、再び三味線が鳴りだした。……すると間もなく、また三名の客がやって来た、貝塚久兵衛、栗田、本野。これも上席老職の人々である、……これらの人々が、続々とこんな場所へまで挨拶に来るほど、兵庫の権威は圧倒的だったのである。俄に客が殖えて、座敷は花が咲いたように賑かになった。それから更に半刻あまり経って一人の若い武士が、案内もなくすっと座敷へ入って来た。……然し賑かに酔の発している一座はそれに気付く者もなく、彼は隅の方に坐って、高三でに、たまま、合や、会長と兵事項をこうていた、って、 きゅうべえ にわか すみ すわ いつせい とお 「育木会場に有意を得ます」と声を張上げて呼びかけた。よく徹る声だった。三味線も、唄もぴたりとやみ、談笑していた人々も一斉に振返った。……兵庫は酔眼を向けながら、 い「誰じゃ、其処では分らぬ、此方へまいれ」「……御免」 若者は会釈をすると、座のまん中を進んで兵庫の前に端座した。……そして作法通り、切口上で帰国の祝着を述べた。「ああ沢山沢山、固苦しい挨拶はもう沢山じゃ」 兵庫は盃を取って差出しながら、、、「見る通りみんな袴を脱いだ気楽な席、老職も平侍もない無礼講じゃ、一盞まいろ えしゃく 湖畔の人々 はかま) 「いや頂きませぬ」「そう肩を張るなと申すに」「酒は不調法です」にべもない言葉だった。……兵庫は思わず眼を瞠いて相手を見たが、その半白の眉 まゆ みひら 郷?________________ しばら 蜘が急にぴくりと波を打った。 |茅野で見た男ではないか。その通りだった。茅野の孫左衛門の作業場で、新しい工夫に成功したと云って喜んでいた、あの萩原という若者であった。「そうか、酒は……飲まぬか」「それよりも御老職に申上げたいことがございます、妓どもを暫くお遠ざけ下さい」「なんの用か知らぬが、いまこの通り酒宴なかばじゃ、また改めて」「相成りません」 若者は冷やかに遮った、な「是非とも今宵、申上げなければならぬことでございます。……妓ども、退って居れ」-声を励まして叫んだ。 妓たちは吃驚して、直ぐに立って座敷から出て行った。……若者はそれを見澄して、吃と容を正しながら、「勘定奉行、萩原作之進お伺い申します」と、てきぱきした調子で言った。 ならぬ堪忍 さが びっくり うたた いかが こうべ 湖畔の人々 「御老職このたびの街帰国は、かねてお沙法のありました年貢割り増しに最て、その御吟味のためと存じまするが如何でございますか」「それは違う、それは違うぞ」 兵庫は頭を振って、「儂はほんの身保養のために帰ったのじゃ、女房連れの気楽な帰国じゃ、左様なことは夢にも知らんぞ」「……いずれにもせよ」。 と作之進は強く肉薄した。「先般来再三お沙汰のありました、年貢割り増しの件に就きまして、御帰国を幸い、是非とも国許の事情をお耳に入れたいと存じます。明日にも御登城のうえお寄合せを願います」-「それは、国許役人合議の申分か」「役向一統よりのお願いでございます、確とお耳に入れます」作之進は返辞を待とうともせず、別辞を述べ、列席の老職たちに会釈して立った。 やくむき しか 351?________________ 352 若き人々 その一 つぶや ならぬ堪忍 「じんもん) 「……萩原作之進」兵庫はその名を幾度か呟いてみては、 い合す。――若輩者が。大、 中と眉をひそめた。六十歳を越す今日まで、そのような態度で自分に当面した者はなかった。兵庫の盃を拒み、許しも得ず妓を遠ざけ、帰国の目的までずばずば訊問する。……若年の頃から高島一藩を押えて来た兵庫にとっては、曾て経験したことのない屈辱的な応対であった。 尤も兵庫が屈辱を感じたのは、作之進が彼の帰国の目的を看破したところに、その原因があったのだ。年責割り増し。 もつと一 ばくだい。 わずか そろ それは去年からの懸案で、その条文は兵庫の手に成ったものであるが、国許ではなかなか承服しないのである、二度、三度、国許と江戸屋敷とのあいだに折衝があった。然し案外に国許の意見が強硬で、そのまま捨て置いては増税は否決されるかに見えた。 何者がそんな横車を押すか。兵庫は苛々して来た。 ――寒天製造もよほど発展し、大坂への積出しも莫大にのぼっているのに、僅ばかりの割り増しが出来ぬとは腰抜け揃いな。パイ そう思うと我慢ならず、保養の暇を取って帰国したのである。……問題は寒天だっ た。城下へ着いて以来、彼は身分を隠して諸方の作業場を見て廻った。考えていたよ湖りも製品の質は良くなかった。それで少しがっかりしたが、然し孫左衛門の作業場で、 いよいよ最上の品が作れるという事実を惨めることが出来、帰国した甲斐があったと喜んでいたのである。「まだおやすみあそばしませぬか」 隣室から妻の声がした。「うん、うとうとして居る」 学ぶ。始「おにばなでもお淹れ申しましょうか」 湖畔の人々 まわ たしか?________________ 354 vrouts ならぬ堪忍 脚「それには及ばぬ」 兵庫はそう云いながらふと、夜中そうやって隣室から妻の声を聞くのは、結婚して以来はじめてのことではなかったかと考えた。……すると有明行灯の仄暗い光のなかに、ひっそりと寝ている妻の姿が見えるように思えた。「おまえも眠れないのか」 「はい、……わたくしはもう、これが昔からの癖でございますから」忍「…そうか」-兵庫は眼を閉じた。隣室もそのまま元のように森閑となった、遠い浴室で湯の溢れ 微かな囁きが聞えている。その音のために、却って滅入るような深夜の静けさのななかに、ときおり、湖水の方から、張詰めた氷のしみ割れる響が伝わって来た。 翌朝、もう出掛ける必要のなくなった兵庫は例になく起床が遅かった。昨夜の出来事がまだ頭に残っているのであろう。顔色も冴えず、朝食を済ませると直ぐ手紙を認め、国家老清水逸之右衛門の許へ持たせてやった。……年貢割り増しの件に就いて寄合せをするから、係り役人に支度をさせて置けという意味の書面だった。「兵庫が登城したのは十時だった。国老はじめ係り役人たちはすでに小書院で待っていた。兵軍はそう人々の中に、荻原之進のしい姿をみつけた。 ささや かえ めい したた しみずいつの、えもん ごと くにもと、 おぼしめ おい 辞儀の応酬が終ると直ぐ たっちし「先般お沙汰書を以て達のあった年貢割り増しに就て、江戸表の事情を先ず簡単にお耳に入れる」 と兵庫はよく徹る声で始めた。「かねて条文にある如く、近年お物入り続きにて江戸表お台所向きは御窮乏にあらせ られるが、国許領民の困難を思召されて、出来る限りお手許を切詰め、御政治表も節々倹第一として今日までまいった。然るに、……このたび上屋敷?御本殿の改築、中屋 敷御修造、お上に於て老中お役付きのための御入費、これら差迫っての御用にて、歇むなく割り増しの儀を仰せ出された次第でござる」湖「江戸表役人中に於ても」 兵庫は流れるような調子で続ける。「国許の様子はつくづく見合せて居るが、近年は格別年貢増しのお沙汰もなく、一面には寒天製造の業も大いに進み、この程度の割り増しくらいは仔細なくお受け出来るものと存ぜられる。また、たとえ多少の困難はありとも、このたびの御入用は差迫っ てぬきさしならぬ儀なれば、国許に於てもその旨をよくよく相含み、取急いで御達の納如く決定されるべきだと存ぜられる」。 湖畔の人々 しさい おたっ 355?________________ 兵庫は云い終って列座の人々を見廻した。みんな固く膝に手を置いたまま、眼をあげる者もなかった。「御城代の御意見は如何じゃ」『威圧するように、兵庫が清水逸之右衛門へ眼をやったとき、 国「勘定奉行より申上げます」、と萩原作之進が面をあげた。 おもて 、その二 ならぬ堪忍、 ぬのこ たんこ かつこう みなぎ ただいま いず 綿入れ布子に短袴を着けた恰好も逞しかったが、麻裃に威儀を正した姿は一層逞しく、また全身に烈々たる意気の漲っている感じだった。「唯今御説明のありました始終は、かねてお沙汰書を以てよく承わり、国許役人中にてしばしば合議のうえ、その都度、精しく江戸表までお答え申上げてございます……いま斉木御老職のお言葉に、国許の様子もつくづく見合せ、という仰せがございましたが、若しそれが事実であるなれば、毎々お答え申上げました通り、このたびの年貢割り増しの儀は、お取止めを願えるものと固信仕ります。改めて御覧に入れるま きま きり 湖畔の人々 作之進は一冊の帳簿を抜いて、ずっと座をすすめながら兵庫の前へ差出した。「これに弘化四年度よりの御蔵入り、出費の統計を書き上げてございます。お眼通しのうえ、この内より差繰り配分が出来るという思召しがありましたら格別、唯今のところ領内物成りからは一厘半毛の割り増しも不可能でございます」「だがこの御蔵入りには寒天仕切は入って居らぬ筈だな」 「仰せの如く、新産業御奨励のため、寒天仕切は別勘定になって居ります」々「それを繰入れたらよいであろう」 「まだ到底そこまでまいって居りません」「だが大坂への出廻りも莫大であるし、上質の製品も出来ると定った以上、限もなく別勘定で捨てて置くには及ぶまい」「上質の製品、……」と云いかけて、作之進は急に口を喋んだ。 モー――あっ、あの老人だ!彼は眼が覚めたように、茅野の作業場で見かけた老人の姿を、いま対座している兵庫のうえにみいだしたのである。……あのとき孫左衛門は、江戸から寒天を買付けにきた商人だと云ったが、それは兵庫だったのだ。?________________ 358 ならぬ堪忍 「如何にも、……」 作之進はくっと眼をあげた。「領民共の苦心に依りまして、ようやく丹後物に劣らぬ上質品が出来るように相成りました。尤もそれは見込みが立ちましただけで、実際の収益は今年冬の期を待たねばなりませぬ。……然し、若し既にその収益があると致しましても、別勘定という点は 当分のあいだ動かすことは相成りません」忍「なぜだ、どうして動かすことが出来ぬ」 「寒天製造はまだ産業の緒についたばかりです。領分の季候風土はこの事業に最も適し、順調に発達しますれば領民の福祉となるは素より、藩家のためにも重要な財源の一となること確実です。なれど、……それには製造事業を充分に発達させなければなりません。設備もまだ不完全です、技術も未熟です。材料買上げの手も拡げなければなりません。つまらぬ譬えを申すようではございますが」 と作之進は声を改めて云った。「果樹を一本育てますにも、充分に樹の成長を待って、はじめてその果実を収穫いたします。若し若木のうちより実生りを急げば、その樹を弱らせ根を枯らしてしまいます。それと同藤こ、……寒天製造が重要な事業であればあるほど、当面なにを措いて もと一 たと も是を完全に育て、出来るだけ発達させることが大切です。年貢割当てなどはまだまだ先のこと、唯今はもっともっと資金と助力を与えてやらねばならぬ時期でございま こも 湖畔の人々 「そのように一々理屈を申していたのでは限がない。別勘定の繰入れがならぬとすればどうせよと云うんだ」「年貢割り増しのお沙汰をお取止めに願いたいのです」作之進は屹と兵庫の眼を見上げ、静かではあるが力の籠った声で云った。「江戸上屋敷御本殿の御改築は御延期を願います。中屋敷の御修造も同様、またお上に於かせられましても、多額の御出費がなければ老中お役付きに相成らぬと致しますれば、これまたお役付き御遠慮に願います」。「黙れ作之進、老中お役付きはお上にとっての御出世、それを御遠慮に願うとは出過ぎた申条だぞ」「恐れながらお言葉を返します」 昂然として作之進は眉をあげた。「斉木御老職にも、当時天下の事情は御存じでござりましょう。内には倒幕を叫ぶ浪S士の動きあり、外には異国船の来り窺うこと繁く、江戸御公儀にとっては正に一歩も こうぜん きたうかがしげ?________________ おんため ゆるがせならぬ重大な時でございます。かかる折には老中諸奉行とも、最も才能秀抜の人材を揃えて事に当るが公儀の御為、たとえ一役たりとも、金品縁故の力で私すべきではないと存じます」 当時はまだ諸侯たちが、賄賂を遣ったり縁故に縋ったりして、老中諸奉行の役に就こうと争ったものである、したがって幕府閣僚の多くは無為無能、ただ役名を持っているというだけで、いてもいなくても差支えのない人物が沢山あったのだ。敵 わいろ 老いたる花連 ならぬ堪忍 ひきつ ごひぼう 兵庫の眉はぴくぴくと痙攣った。「なに、金品縁故の力で一役たりとも老中を私すべきでないと申すか。作之進、それはお上を御誹謗し申すことになるが承知か」「お上に対しては申上げませぬ、お上御側近の方々に申すのです、公儀に於てお上の御人物に曝さるるところあれば、多額の御出費を撤かずとも老中御任命のお沙汰があ げいぎ」 よごと はばか 湖畔の人々 る筈。藩政御窮乏をもかえりみず斯ることのあるは、お上の御意志ではなく、側近の方々の無分別から出たことだと思います」( ま「過言、……過言だぞ作之進」「過言でございましょうか」作之進はびくともせず、ひたと兵庫を睨めあげたまま突込んだ。「例えば御老職、こなたさまのこのたびの御帰国に当り、城下お屋敷にはお入りあそばさず、多人数にて宿へ泊り、芸妓を集めて夜毎の御酒宴はなんのことでございます。こなたさまの金をこなたさまが遣う、誰に迷惑もかけぬと思召すかも知れませんが、 扶持は天から降りも地から湧きも致しませんぞ。……憚りながら無分別と申上げたは此処のことでございます。御殿の御改築も、お役付きの入費も、差迫ってぬきさしならぬものとは考えられません。領民はいま藩家百年のために粉骨砕身しているのです。勘定奉行の役目を以て申上げますが、年貢割り増しの儀は固くお取止めを願います」 火桶へかざしている兵庫の手が、眼に見えるほどぶるぶると震えていた。彼は作之進の言葉が終るや否や、如「…儂は退席する」 UF こ ひおけ?________________ 362 おたにひこしろう すさま んが 忍 そうぼうふんぬ むししゅくさつ ならぬ堪忍 わめと喚くように云って立った。「私行の論まで持出すようでは、もはやなにを申すも無駄であろう。儂の意見は改めて申し伝える、今日は是まで」。-国老清水逸之右衛門が引留めるのを、振り払うようにして退座した。 廊下に雄谷彦四郎が待っていた。……兵庫はその彦四郎の顔が凄じくひき歪んでいるのをちらと見、廊下を蹴って下城した。兵庫の念は大きかった。 その念がどんなに烈しいものだったかは、かれの相貌が念怒の色でなく、寧ろ粛殺たる寂しさを湛えていたことで分るだろう。……実のところ彼自身にも、いま自分の心を去来する感情が、果して骨を噛む念怒なのか、また荒涼たる寂しさであるのか分らなかったのだ。 彼は宿へ帰り着くまでなにも云わなかった。然しその太い眉だけが、彼の心を表白するように、時々ぴくりと痙攣っていた。……そして宿へ帰ると直ぐ酒を命じ、珍しく妻に酌をさせながら飲みはじめた。「お顔色がすぐれませぬ、御城中でなにか御不快なことでもございましたか」「うん?……なに、別になにもない」 たた まゆ まぶ おっと一 ふすま」 湖畔の人々 「では御気分でもお悪いのではございませぬか」「そのように見えるか」 振向いた良人の眼を、那津は押し包むような眼で受け止めた。……兵庫は直ぐ、しそうに眼を外らせた。「案ずるには及ばぬ、御用の件で少し気になることがあるのだ。……酒がぬるい」「それは相済みませぬ、お代え致しましょう」-那津が立つのを待っていたように、襖を明けて彦四郎が現われた。……彼は敷居越しに平伏しながら、「申上げます」 と決意の色の表われた顔で云った。「なんだ」「唯今限り、お暇を頂きとう存じます」「……暇を呉れと?」「はい」 兵庫はぎろりと彦四郎を見た。……彦四郎は押えつけたような声で、S「主、辱めらるるときは臣、死すと申します。まして御政道の邪魔となる勘定奉行、 いとま はずかし?________________ にささ ちゆうちょ 恐れながら彦四郎めに、……」 知識、そう云って喰いつくように見上げる眼と、兵庫の眼とがひたと結びついた。十秒あまり沈黙が続いた。 彦四郎の眼光は不動の決意に燃えていた。兵庫はそれを明白に読んだ。沈黙は些かの躊躇を語ったに過ぎない。「… 兵庫は頷いた。そして、立って、手文庫から金を取り出して包むと、「旅費じゃ」 とそれへ押しやった、「落着いたら便をよこせ」、「……はっ」彦四郎はにっと微笑しながら平伏した。 ならぬ堪忍 たより 「その二 「遅うなりまして」、那津が入って来た。……恐らく主従の話を耳にして、彦四郎の去るのを待っていた しばら一 おのの のであろう、静かに元の座へ坐ったが、その顔色には暗い不安の色が漲っていた。「唯今ちらと耳にいたしましたが、彦四郎に暇をお遣わしあそばしたのですか」「うん、暫く戻らぬかも知れぬ」「それはあの、……若しゃ、……」 那津は恐れていることを口にする者の戦きに、おろおろと吃りながら去った。「若しや、誰ぞを御成敗あそばすためではございませぬか」「左様なことに口出しはならぬぞ」「よう存じて居りますけれど、……彦四郎の口振りでは階に誰ぞ御成敗になる様子、若しもそれが、……それがあの、昨夜御酒宴の席を騒がしました萩原作之進でしたな たしか 湖畔の人々 だんな」 こうむ 「どうした。若しそれが作之進であったとしたらどうした」「旦那さま!」 那津はさっと色を変え、総身を震わせながら声を絞って云った。「お願いでございます。那津が一生のお願いでございます。如何なる御不興を蒙りましたかは存じませぬが、御成敗だけは赦してやって下さいまし、どうぞそれだけは御納勘弁あそばして」、?________________ 編「どうしたのだ那津、なにをそのように震えるのだ」 「あれを助けてやって頂きたいのです。作之進の命を助けて頂きたいのです。旦那さま、あれはわたくしの生んだ子でございます」「……兵庫は殴りつけられたように半身を起した。 「なに、あれがおまえの子だと?」忍「亡き姑上さまからお聞及びでございましょう。わたくし斉木家へまいります前、? 田助左衛門方へ嫁しました。半年足らずで良人に死別、いろいろな事情から離縁になって実家へ帰りましたが、間もなく生んだのが作之進でございます」 ははうえ ならぬ堪忍 さと 「こなたさまへ嫁ぎましたのはそれから二年め、申訳のないことながら、それ以来あれのことは片時も忘れることが出来ませんでした。五つの年に実家から萩原へ養子にまいったことも、作之進と名乗って無事に成長し、去年の春には御勘定奉行に出世したということも、みんな存じて居りました……若しも」 那津は履びあげながら、「若しもわたくしが、こなたさまのお子をお生み申すことが出来ていましたら、こん かせ ぼうぜん たぎ ありあり 湖畔の人々 なに作之進のことを考えはしなかったでございましょう」そう云って崩れるように泣き伏した。情然として、妻の波うつ肩を見ているうちに、兵庫の胸には熱い湯のようなものが沸って来た。ふしぎな感情だった。彼は初めて、そこに泣き伏している妻に烈しい愛情を感じだしたのである。 ――那津に子がある、那津は子を生んでいたのだ。 それは自分の子ではなかった。けれど兵庫には無関係なことだ。彼はただ、那津に,子があるということから、その子を生んだときの、那津の若い姿が歴々と見えるように思えた。 娶って以来いちども臥所を共にしなかったのは、兵庫の偏った考えから出たものだ。臥所を共にしなければ子の生れる訳もない、夫妻は名ばかりで年々と互いに老いて来た。誇張して云えば、もはや二人のあいだには性別さえも感じられなくなっていた。……それがいま、那津に子があったという一言で、妻のうえにあった若き姿がまざまざと眼に見えて来た。年老いた妻のなかに、はじめて匂高き「女性」をみいだしたのである。、、、兵庫の胸は温いものに溢れた。……六十余歳にしてはじめて、そんなにも身近に妻 めと かたよ。 ふしど におい?________________ 16NO ひゃくしようぐら。 を感ずることの歓びがあろうとは知らなかった。「……待って居れ、作之進は大丈夫だ」兵庫はそう云って立った。宿の者に馬を曳かせた。百姓鞍であったがそのまま騎って出た。侍屋敷への道はひと筋、枯れた葦のうえに午後の薄日がさしていた。湖水へ注ぐ川の手前で、兵庫は雄谷彦四郎に追いついた。 大「彦四郎、待て」 ならぬ堪忍 しさい そなた 「もう行くには及ばぬ」 馬を彦四郎の側で停めながら云った。「仔細はあとで聞かす、其方はこのまま江戸へまいれ、分ったか」「このまま江戸へ」「そうだ、宿へも寄るには及ばんぞ」に 大事に。そう云うと共に、再び馬を駆って、侍屋敷の方へ疾駆して行った。、、、 乗りつけたのは国家老清水逸之右衛門の屋敷だった。主人の逸之右衛門は兵庫の来訪と聞いて、直ぐに支度を改めて客間へ出た。……城中であんな事のあった後である。 あるじ ころ わし 2013 湖畔の人々 どのような烈しい怒に触れるかと思ったが、兵庫は機嫌よく笑って会釈した。「なにごとの御入来でございます」「……隠居しようと思ってな」 意外な言葉に、之右衛門はちょっと返辞が出来なかった。……兵庫はさばさばと笑いながら、 「儂もずいぶん憎まれ役を勤めてきた、もう隠退すべき頃だと思う。時世も変ったし、々若い者のなかにもなかなか骨のあるやつが出て来た。今日のようにやられては優もか/たなしじゃ」 「あの元気には敵しません、なにしろ拙者どもの若い頃とはまるで考が違います」湖「あれでいいのだ、あの元気があれば任せてもよい、それで儂も隠居をする気になっ た。どうか江戸表へ手続をとって頂きたい」「然し、……早急でございますな」 資「気の短いは老人の癖じゃ。そう決心したら一時も早く肩の荷を下ろしたくなって、百姓馬を飛ばしてやってまいったよ。やれやれ、これでどうやら身が軽くなった」 もう用はないというように、兵庫はすぐ立って玄関へ出たが、ふと思出して、始「それからあの勘定奉行だがな」?________________ そこもと もら と振返った。「あれはまだ独身か、それとも妻帯して居るのか」「まだ独身でござりますが」「では儂が嫁の世話をしてやる。斯う云っただけでは其許には分るまいが、実はいい嫁の心当りがあるのだ。……会ったらそう伝えて貰いたい、いずれ話にまいると」逸之右衛門は笑いながら頷いていた。 馬の足も軽く帰途についた兵庫は、茅野で知った孫左衛門の娘お雪の顔と、作之進理の逞しい姿とを並べて想像しながら、自然と湧いて来る微笑と共に呟いた。「……今年はゆっくり花が見られるな、妻を伴れて、何処の花をさぐろうか」 (『現代作家傑作文庫の」昭和十七年六月)、 底本:「ならぬ堪忍」新潮文庫、新潮社 1996(平成8)年4月1日発行 2005(平成17)年10月10日二十一刷改版 底本の親本:「現代作家傑作文庫2」 1942(昭和17)年6月 初出:「現代作家傑作文庫2」 1942(昭和17)年6月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
https://w.atwiki.jp/hisoukaiji/pages/76.html
,. -───-- 、_ rー-、,.'" `ヽ、. _」 i _ゝへ__rへ__ ノ__ `l く `i / ゝ-'‐' ̄ ̄`ヽ、_ト-、__rイ、 \ ゝイ/__,,!ヘ ハ ト,_ `ヽ7ヽ___ r'´ ィ"レ'ノ‐! ヽ ! レ ヽ-ト、ハ〉、_ソ ヽ/ ハ .-‐ ―-。/| ハ 。 ハ !" ___ "/ / |〈 とてもじゃないが .ふぁぁ oノ| レ>.、.ヽ _)_,,..ィ / ハ ヽへ 手が回らない・・・・ 。 ハレヘ!-'"7-!-rく|/レ'ヽハヘノ \ だれか作ってくれないかな / |、 i `'§'" 〈 ',/ ', とりあえず置換して / 'ー,L__§____'r'-イ ! ○とかを-にして名前を追加しなくちゃ | | ,.L_________」 | ,へ | 専ブラだとずれてないから ヽ/⌒| / ! ノ ト、へ/⌒ ヽ 完成したら画像にして張っておこうっと \|ぶ|有|咲|操|書|妖|吸|幽|紫|萃|兎|文|町|雷|天|早|氷|中|空|蛙| 基準値.ぶ|--|〆|●|▲|△|〆|△|×|▲|〆|▲|△|〆|△|△|●|○|▲|●|○| ぶっぱレミィ~☆有|◎|--|●|△|△|△|▲|×|●|▲|△|△|▲|△|▲|△|○|△|▲|○| 有頂天咲|▲|●|--|△|〆|×|▲|×|▲|×|●|△|▲|△|△|●|○|▲|×|○| 十六夜 咲夜操|〆|△|△|--|△|〆|〆|×|〆|〆|×|△|×|×|×|●|△|▲|▲|○| アリス・マーガトロイド書|△|△|▲|△|--|△|○|△|×|●|△|△|●|△|×|○|○|▲|○|○| パチュリー・ノーレッジ妖|△|○|○|○|△|--|△|×|○|×|△|○|△|△|△|○|○|△|○|○| 魂魄 妖夢吸|△|●|●|▲|×|△|--|×|▲|×|○|△|×|△|△|△|○|△|×|○| レミリア・スカーレット幽|○|○|○|○|△|○|○|--|●|○|○|○|○|○|○|○|○|○|○|○| 西行寺幽々子紫|〆|●|●|▲|○|×|〆|▲|--|▲|○|×|×|△|△|○|○|〆|○|○| 八雲 紫萃|▲|●|○|▲|▲|〆|○|×|〆|--|▲|○|〆|〆|▲|○|○|△|●|○| 伊吹 萃香兎|〆|△|●|○|△|△|×|×|×|〆|--|×|△|△|△|○|○|▲|×|○| 鈴仙・優曇華院・イナバ文|△|△|△|△|△|△|△|×|○|×|○|--|△|?|△|○|○|△|△|○|※射命丸 文町|▲|●|●|○|▲|△|○|×|○|▲|△|△|--|○|△|○|○|▲|○|○| 小野塚 小町雷|△|△|△|○|△|△|△|×|△|〆|△|?|×|--|×|○|○|△|△|○|※永江 衣玖天|△|●|△|○|○|△|△|×|△|×|△|△|△|○|--|○|○|▲|●|○| 比那名居 天子早|▲|△|▲|●|×|△|△|×|×|×|×|×|×|×|×|--|△|●|▲|○| 東風谷 早苗氷|×|×|×|△|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|△|--|〆|△|○| チルノ中|〆|△|●|●|〆|△|△|×|▲|△|〆|△|〆|△|〆|▲|▲|--|△|○| 紅美鈴空|●|●|○|●|×|△|○|×|×|▲|○|△|×|×|▲|●|△|△|--|○| 霊烏路 空蛙|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|×|--| 洩矢 諏訪子◎=3-0(サンタテ)○=2-1×=1-2〆=0-3 ,ヘへ-──- 、 l | . ン.-‐==-イ. Y´ ノノ,∩ノハノ∩ i ハ )// |.リ / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ((ヘ//∀ノル/ < そうだ!参加者に各ブロックの結果を書いてもらえばいいんだ~~♪ /へ(~~) 8 ヾ )ヽ. \________ ,' / ヽ ,l | |/ヘハノ〔〉~~ヾ/ヽi / ヽ ヽ、___ ノ /ー/-/ (__)__)
https://w.atwiki.jp/harukaze_lab/pages/345.html
牡丹悲曲 山本周五郎 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)外村重太夫《とのむらしげだゆう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)坂|蔵屋敷《くらやしき》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定] (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56] [#5字下げ]一[#「一」は中見出し] 396 真昼の則の のびあが とりっ こふさ ぴかり!眼をいる光だった。 「おや、――」と手綱を絞って馬足を緩め、伸上ってみると、左手の草丘で四五人首の荒武者が、一人の若侍を中に取詰めている。 「あ、危い!」と思うと小房は馬首を回らせ、あの「いけませぬ、お嬢さま」 十間ほど後れて駆ってきた源兵衛が、驚いて声をかけた時は、既に馬を草丘の上へ煽りあげていた。 ここは伊達陸奥守の領内、阿武隈川の北岸にある岩沼の町はずれである。――六月の輝かしい陽を浴びて馬を駆るのは岩沼の豪家黒上家の一人娘で小房というまだ十六の蕾ながら「牡丹の姫」といえば近郷きって、知らぬ者なき乙女であった。黒上家の広大な屋敷内には、千余株の見事な牡丹畑があって、毎年眼もあやに咲き誇るが、その程与の美しさと小野とを合せて「手の超」という名ができたのであ 臆病一番首 げんべ だてむっのかみ あぶくまがわ くろがみけ つぼみぼたん とあわ なぎなた、こだち ろうかふむらた- ふけんざん けいこ すさま こわき しかし、 ひきょう) さっ 「郷士の娘だけあって姿の美しさに似ず、小房は薙刀、小太刀をよく遣い、馬術に 凡ならぬ腕をもっていた。――今日しも家扶村田源兵衛を供に、普賢山まで遠乗りにでた帰り、ここまで来るとこの事件に出あったのである。何時も手から放さぬ稽古用の樫の薙刀を小脇に、馬を煽ってきた小房は、凄じい合いの中へ、「五人掛りで一人を囲むとは卑怯!」(職に と叫びざま颯と乗入れた。|五人の荒武者たちは不意を喰って左右へひらいた丹が、相手が楚々たる乙女なので、牡「えい何をする、退きおれ!」「小女郎の分際で危い」。 織本家書い料金「邪魔すると汝も共に斬捨てるぞ」 口々に喚きながら血相変えて詰よった。小房はに笑をうかべ、若侍を背に庇うと、「慮外ながら御助勢!」大人 の上といいさま薙刀を執直し、今しも打込んできた一人の大剣を憂とばかりにはねあ 牡丹悲曲 そそ こめろう え ? 「つめ」 片 頓樓 とりなお| かっ?________________ よこめん かしらぶん おおひげ でばな」 すき さし はげげる、同時に左右の二人の横面と肩へ、一撃ずつ烈しい打ちを入れていた。――意外な早業に、驚きと怒りを爆発させたらしい、頭分と見える大髭の武士が、「うぬ、動くな、かーッ」 絶叫と共に踏込む、出端を、ひらり探しておいて、ぴしりッ!右腕の附根へ火のでるような一撃をくれた。 「うわっ!」と剣を取落して横さまに倒れる、隙、―小房は若侍に片手を差だし首て、 「早くこれへお乗り遊ばせ」と馬上へ掻き乗せるや、ようやく追いついてきた老家扶源兵衛に、 い、しんがり「爺や、殿をお仕!」といい捨てて馬腹を蹴った。ばていくさはら 馬蹄に草原を蹴散らしながら、疾風のように丘を下ると道へはでずにそのまま南へ二十丁あまり駆る。やがて黒上家の裏手から屋敷内へ乗入れた、―馬を停めたのは、まさに蕾のほころび初めた牡丹畑の中である。小房は先に下りて若侍を援け下すと、にっこり笑いながらいった。内 田「ここはわたくしの家でございます、どうぞ安心してお寛ぎ遊ばせ」「う、一者等は堅く観て「死こいところ、幸いこ免れることができた。 臆病一番首 みらいいんじゃないかない。 しっぷう つぼみ」 たす おろ、 うち くつろ あやう」 あき ま さつ そうぼう」 みっ ON すか 小房は呆れて相手を見た。命を助けてやったのに「過分に思うぞ」とは横柄な挨拶である。――見ると相手は十九か二十くらい、色白で眉の涼しい、眼に深い寂しさを湛えた美青年で、犯し難い高貴な相貌をしていた。小房は相手の覚める眼に気 付くと、思わず全身の鎖えるような羞しさを覚え、頬を染めながら眼を伏せて了曲た。悲「そなた、名はなんと云う」 との「はい、黒上の小房と申しまする」 へ、牡「小房……良い名じゃな」 若者は落着いた声でいった、「―あでやかな、美しい、美しい花だ。これはみんな牡丹か」「――はい」「そなたの丹精か」が はは「はい、お恥しゅう存じます」 のたちのた若侍は一瞬まえの怖ろしい事件を忘れたように、小房と牡丹とを静かに見比べて 牡丹一悲曲 はずか おそ 399?________________ %いた。|不思議な人だ……と小房が思った時、裏手から源兵衛を案内にして十五六騎の立派な武士たちが馬を乗入れてきた。「あれ、また誰か追って参りました」 小房が驚いて叫ぶと、若者は振返って武士たちを見たが「いや心配には及ばぬ、それより、――そなたの手で牡丹を一枝折ってくれぬか」といった。 寂しき面影 一番首 「たてまっ しゅうちゃく れんせんあし げっしゅんめ| 小房が牡丹の花を一枝切ってきた時、裏から入ってきた十五六人の武士たちは、若侍を中に取囲んで口々に、「御馬に後れ奉り――」とか、「御安泰の態を拝し何より祝着――」とか、口早にいいながら、曳いて来た連銭蘆毛の駿馬に若侍を援け乗せているところだった。小房は進むに進めず、武士たちの後に佇んでいると、馬上から若侍が招いて、マの日の、はず。「小房、構わんぞ、その花をこれへ」と声をかけた。銀思 部「おお過分じゃ、美しいな」小房の捧げる牡丹を手に取って、「今日のこと、この たたず ささ こんにち かな やしきそとたち そば どな」 きょうごきんじゅう くせもの一 牡丹悲曲 つなむら 「月が変ったらまた会おうな……」小房の顔を眺と覚めながらいった。哀しげな声、寂しげな眼であった。『騎馬武者たちに護られて、屋敷外へ立さる姿を、いつまでも見送っていた小房は、やがて傍にいる源兵衛に気付いた。の って、「爺や、あのお方は何誰様なの?」「仙台の御領主さまでござりまする」源兵衛は声をひそめていった、「今日御近習衆と遠乗りにでられた途中、独り駆けぬけられたところをあの曲者共に……」展「あれが、あれが綱村侯か」-小房は愕然と眼を瞠った。――常様の人ではないと思ったが、まさか六十余万石の大守とは知らなかった。 寛文年間、天下の耳目を驚かした「伊達騒動」は小房も知っていた。――原田甲斐とその一味が、幼君亀千代を毒殺し、伊達兵部の子息を守立てようとした事件で、伊達安芸という老臣がこれを幕府へ訴えた結果、原田一味は死罪に処せられて落着した。表面は落着したが、余はまだ消えていない、国許の老臣たちのあいだにも多くの原田党がいて、亀千代、即ち綱村侯を快く思わぬ空気がかなり濃く漂ってい がくぜん みま つねよう たいしゅ はらだから かめちょ だてひょうぶ だてあき じん くにもと すなわ?________________ うわさ たくら られていて、180日くなるおかや つぶや おもかげ| おも る。――そういう噂を小房は度々耳にしていた。今日の曲者たちも恐らく、そうした人たちの企みに違いない。「あの騒動の時には、原田一味のために随分とお苦しみになったのに、まだその御苦労がぬけないのだ。それであんなに寂しそうなお顔をしているのかしら」 小房はそっと呟いた。「わたくしを御覧になった眼は、まるで孤児が母を慕っているような哀しい、頼りないお眼つきだった、お可哀そうな綱村さま」 感じ易い乙女の心は、その時以来綱村のが忘れられなくなっていた。「い「どうしておいで遊ばすかしら」ふとすればそれを念う。人の 「差上げた牡丹はもう散ったろうか、――小房のことなどはお忘れ遊ばしたかも知疲れない。けれど、月が変ったらまた会おう……と仰せられたわ。でも綱村さまは六 十余万石の大守とても―とてもお眼にかかることなどできる訳がないのねえ」 馬に乗る日も少くなった。小太刀や薙刀の稽古も手につかなかった。――そして、せっせと牡丹の世話をしていた。「今度もまたお運びになったら、お褒めを頂くような美しい花を仕立てよう」と思ったのである。 一番首 おお HO ききおぼ にえ」 ちん」 てつべえ」 月がきまったある日のことで きない」という会長の手入れをしていた。すると何処かすぐ近くで頻りに「――やるのだ、思いきって」とか「お家のために断行する」とかいう声が聞えてきた。そのひとつに聞覚えがあるので、そっと伸上って見ると、牡丹畑のはずれにある亭の中で、四五人の男がなにか話している。――小房は何となく胸騒ぎを感じたので、そっと近よっていった。 男たちは五名、その中には小房の叔父で岩沼の本陣、黒上銕兵衛もいるし、更に曲驚いたことは、いつか綱村を襲ったあの大髭の武士もいた。言い、本、悲「―黒上氏」丹とその大髭の男が叔父に云った。牡「貴公の家は先祖以来伊達家恩顧の郷士であろう。改めて申すまでもないが、亀千代即ち綱村は伊達家の血筋ではない、先君綱宗公の御子ではない、実は将軍家綱の子なのだ。亡き原田甲斐の苦衷はそこにある。綱村を立てたのでは伊達家の血統は絶えるゆえ兵部宗勝の子息を以て世継にしようと計ったのだ、我等は……故甲斐殿の遺志を継いで、この際ひと思いに綱村を刺殺し、改めて伊達家の正統を立てようとするにすぎない」◇「それは手前も存じておりまする」 ひょうぶむねかつ もっよつぎ さしころ?________________ 編「では承知なのだな!」 404 陰謀! さんきんしゅっぷ 臆病一番首 ともがしら」 おおやけ 小房は慄然とした。――噂には聞いたが現在そこに綱村暗殺を企てる人たちがいる。然もその中には叔父さえも加わっているのだ。密語は尚もつづく、|「では刺殺を断行するとして、場所は?」《春際、順で 軍「参観出府の行列は迫っている、途中を狙うがよかろう」車で走りき「供が邪魔だな」「いや、供頭も原田党の者だ」「しかし行列を襲っては事が公になる、どうせ当日の泊りは岩沼の本陣だから、銕兵衛殿、手引を待って寝所を狙うがよい」の本戦1「それなら手前が必ずお手引致しましょう」 C M錬兵衛がきっぱりと答えた。「小房は総身を慄わしながら聞いていたが、みつけられては大変と、足音を忍ばせてそこを立退いた。――いま彼等の語っていた、「すまで言って全く星家の子である、達家の面では、 たちの MIO] りみ いぎゃく なさけ 村の入国を悦ばない人たちがあるというのも、そのために相違ないのだ。――しかしそれが事実であるかどうか、誰に知ることができよう。幕府の大評定で原田甲斐一味が罰せられ、事件が全く落着している以上、その裏のまた裏を探って陰謀を企むなど、それこそ伊達家の破滅を招く暴挙でないか。 言 い場主、「――もしまた、それが本当だとしても、あのお優しい、哀しげな、寂しそうな綱曲村さまになんの罪があるのだ」悲小房の胸は怒りに顧えた。「――綱村さまは原田甲斐のために、もうさんざんお・苦しみになった、それをこの上また紙逆しようとは、なんという情を知らぬ人たちであろう。否え、殺させはしない、小房が殺させはしない」 狂おしく呟くと、―そのまま厩へいって愛馬を曳出した。「小房は馬に鞭して北へ駆った。(バ「月が変ったらまた会おうな」「そういったのは、参勤の途中本陣に泊るからという意味だったのだ。そしてその 本陣こそ綱村の命の陥穽である。一時も早くこの陰謀を告げようと、馬を煽って急?いだ。 うまや ひきだ utlet はし おとしあな一 とき 「あお」 405?________________ はんみちなとりがわ 406 焦語 で しかし遅かった。仙台へ半道、名取川まで行くと、向うから参勤のために江戸へ出府する綱村の行列が進んでくるのが見えた。 意「ああいけない、御出府は今日だったのか、仕方がない御行列へ訴えて……」と思ったが――ふと一味の者が、 ―供頭は原田党である。といった事に気付いた。「駄目だ、訴えても恐らく捕えられるだけだろう、ああどうしよう」身を揉ん首る、そのあいだに行列はずんずん近寄ってきた。*「そうだ!」|子ある 人小房はやがて頷いた。「その他に手段はない。綱村さまの御為だ、あのお寂しそうな綱村さまのために、――やろう!」何事か心に決した小房は馬を回して岩沼へと引返した。 1 時既に黄昏近い岩沼の本陣、黒上錬兵衛の家では、今宵お泊りになる領主のために、支度万端を調えて待っていた。 しかし、その奥座敷では、銕兵衛を始め大髭の沢村軍造、石岡剣五郎たち七八名の者が、原田甲斐の遺児原田大学を中心にして、今宵――綱村を討取るべき手筈を うなず てだて おため かえ」 たそがれ| こょい さわむらぐんぞうのいしおかけんごろう はらだだいが、 はず」 「原田大学がいった、「石岡剣五郎は近習の備えに当って貰う、――合図は供部屋 へ火をかけるから、一同が騒ぎたった隙に決行するとしよう、万一邪魔が入った時は狙撃するとして、銕兵衛殿は庭の植込の中から、鉄砲で狙っていて貰いた そげき うめ どう せつな びょうぶ 「承知致しました」 「それで、討取った後はすぐ……」は、商品画悲といいかけて、原田大学はふと口を喋み、低く呻きながら不意に控と前のめ丹りに倒れた。一座の者が呆れて見ると、頸の根から血しぶきを吹いている。 「やっ、こ、これは…「と仰天する刹那、後の屏風が倒れて、黒装束に覆面をした怪漢が一人、手に薙刀を持って現われた。「それ曲者だッ」 夢から醒めたようにわっと総立ちになる、とたんに踏込んだ怪漢の手に、薙刀が光を放つと見るや、立ちかかった二人が血煙をあげてのめり、大剣を執ろうとした≫石岡剣五郎は真向を割られて悲鳴と共に仰反っていた。――正に神技ともいうべき ふみこ まっこう のけぞ しんぎ?________________ とっさ なられる、 というの つるぎかっ ~早業である。髭の沢村軍造は咄嗟に跳退いていたが、用事が多く、法「うぬ、その薙刀覚えがあるぞ!」、 と叫ぶや、抜討ちにだっと斬りつけた、怪漢は体を捻って躱し、流れる剣を憂!とはねあげるや、|「イえ!やあっ!」 と胴を逆袈裟に薙払った。然し沢村は聞えた剣客だけに胴を深く斬られながら脇差を抜きざま、さっと一刀怪漢の脾腹へ入れていた。 さかげさなぎはら けんかく ざし ひばら 臆病一番首 別れ牡丹 then あやう きっさき あざむ 「えんれい 「あっ、―」といってよろめく怪漢、躍りかかった一人が真向へ一刀、危く避けたが切尖で覆面を切られたからばらり落ちる。――現われたのは花を欺く美少女、小房の艶麗な顔だった。「あっ、そなたは小房!」 、中 、イン仰天して錬兵衛が叫ぶ、同時に重傷の体を飜えした小房は、いま自分に斬りつけた男を肩から胸まで斬下げ、左にいた一人の太腿を水もたまらず薙放した。「小縣、小房、そなたは こ ひるが ふともも なぎはな つるぎ」 おわ な、さしころ 牡丹悲曲 小房は薙刀を杖に屹とたって、苦しげな息をつきながら、 小「し、祇逆を、秋逆を罰する、天の、剣でございます」『いう、長ぶ「そなたそれを知っていたのか」「はい、――お上が伊達家の御血統でないという、あの評判も聞いておりました、けれど叔父さま、最早御公儀の御評定も先年きまり、御世継として相違なく在するのを、今更なんに刺殺し参らせる要がありましょう。……もし御血統の噂が本当だとしても、お上の罪ではないではありませんか、―あのお寂しそうなお顔、六十余万石の大守ともあるお方が、あんなに哀しそうな眼をしておいで遊ばす、……おきのどく、気毒な綱村さまをどうしてお殺し申すことができましょう、―叔父さま、どうぞ御改心なすって下さいませ、それが伊達家万代の道でございます」このパー 喘ぎ喘ぎそこまでいうと、小房は力尽きたか捏と、銕兵衛の手に倒れかかった。――原田大学はじめ沢村、石岡、頭立った者七名を討たれて、残った者たちは茫然と立竦むばかりだった。最 ばんだい あえ かしらだ。 ぼうぜん たちすく おんみつうち 409 らあめんど幸い供頭渡辺蔵人が旧い原田党の者だったので、この騒動は隠密の裡に処置され?________________ けが うち一 きゅうきょ」 ン くつろ なつか mた。――しかし血で汚れた家へお泊め申す訳にはゆかぬので、本陣は急遽黒上の本 家、即ち牡丹屋敷へ移され、綱村はその夜を小房の家に過したのであった。「何も知らぬ綱村は奥座敷に寛ぐと、「この附近に牡丹を作る家があろう」と訊いた。近習の者が、、皆さ「恐れながら当家にござります」から選無良識の年き「そうか、本陣を変えたと聞いたが、――この家がそれか」綱村は懐しげに見やって、コンラ ーメ「では小房と申す娘がおろう」あい るクで「――は」は、もう1人の家では、「それに、茶を一杯持てといえ」要です。前面 近習は畏って退ったが、間もなく戻ってくると、平伏しながら、「娘は所労で飲っているから――」と伝えた。最後 のドアの走綱村は寂しそうに襖の彼方を覚めていた。明る朝、行列の支度ができて、綱村が玄関へでる、近習に護られて駕へ身を入れた時、その脇手の方から、老家扶源兵衛に抱かれるようにしながら、小房が御 臆病一番首 かしこまさが。 かなた」 かご ごしゅったつ。 わずか おんたい」 屋」に思わず声をあげた。小房に街震の前へ膝をつき、紙のように蒼白めた面をあげながら、「……御無事で御出立、祝着に存じあげまする、―」「所労と聞いたがどうじゃ」「は、はい……最早」小房は苦痛を隠して僅に頬笑み、持ってきた牡丹の一枝を差出した。 いいので、さて。「これは、春雪と申しまして、わたくしが丹精こめました花……どうぞ、御旅の悲―お慰めに……」。同 園小、了。丹「過分じゃ」綱村は手に取って「美しいな、雪のように清浄な、春のようなたおや牡かな、春雪とはよう名付けた―覚えて置こうぞ」「うれしゅう……存じまする」職 、会議の無い者溢れる涙をこらえながら見上げる小房の眼を、寂しげに深いなつかしさの籠るまなざしで眺と覚めながら、「国入りの時にはまた会おうな」「は、はい……」 等の交換の際、m2「それまで健固でおれよ」、「職(婚発送で 、郷笑――『?________________ たまもの さえぎ そういって綱村は、かすかに頻へ微笑をうかべた。ああその微笑――その頬笑みこそ小房には何よりの賜物。明日をも待たで死ぬ身には何物にも代え難い賜物であった。「さらばじゃ」が あるのか、「どうぞ……御武運長久に―」小難しい(JC議 駕の戸は、二人の熱い視線を遮って閉まった。乙女の命を籠めた牡丹「春雪」を首持って綱村は江戸へ、―小房は力衰えた眼で、いつまでもいつまでも行列の後を見送っていた。 コ イ「岩沼の牡丹屋敷」と、今も尚仙南に名を伝える名園には小房の哀しい魂を伝える慮かの如く、春毎に美しい花をつけて人を呼んでいる。小房はその夜死んだ――その翌年の帰国に、綱村はどんな気持でその家の牡丹を見たことであろう。 底本:「周五郎少年文庫 臆病一番首 時代小説集」新潮文庫、新潮社 2019(令和1)年10月1日発行 底本の親本:「少年少女譚海」 1937(昭和12)年6月号 初出:「少年少女譚海」 1937(昭和12)年6月号 ※表題は底本では、「牡丹《ぼたん》悲曲」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
https://w.atwiki.jp/nisyudenko/pages/27.html
257 名前:名無し検定1級さん[] 投稿日:2013/04/10(水) 21 19 06.80 普通に考えれば腰袋提げた職人に電験は必要ないだろ 先々ビルメンにでも転職する気があるなら話は別だが 258 名前:名無し検定1級さん[sage] 投稿日:2013/04/10(水) 21 21 55.68 ナイフ職人は迷惑なだけだからもう来なくて良いよ 259 名前:名無し検定1級さん[] 投稿日:2013/04/10(水) 21 23 19.77 257 どこの誰のどの発言に言ってるのかはわからないけど、 電験は工事の監督もするよ。セコカン取った人が次に目指すのが電験。
https://w.atwiki.jp/harukaze_lab/pages/349.html
輝く武士道 山本周五郎 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)市之助《いちのすけ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|疋《ぴき》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定] (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56] [#3字下げ]兄思い弟思い[#「兄思い弟思い」は中見出し] 市之助《いちのすけ》は息を詰めて、静かに静かに手を伸ばした。もう二寸――後で見ている与四郎《よしろう》も思わず手に汗を握った。呼吸を計って、市之助が、つ! と手をやる、とた首んに、じじじじと鳴いて、蝉《せみ》はぱっと飛ぶ。 「しまった」与四郎は小癪《こしゃく》にも拳《こぶし》を叩《たた》いて叫んだ。市之助は残念そうに、右の袖口《そでぐち》で顔を拭《ふ》きながら振返る。 「どうしたのです、兄上」 「うん」市之助は苦笑しながら、 「蝉に小便をかけられたのだ」 「畜生!」与四郎は利《き》かぬ気らしい唇をきゅっと歪《ゆが》めると、ふところから紙袋を取出し、中から一|疋《ぴき》のみんみん蝉を摘《つま》みだして、どうするつもりか自分の顔の上へ押つける。 「与四郎、どうするのだ」 たつき検査76 たつき完成76 「兄上が小便をかけられたのですもの、与医師だって小便をかけられるのが当り前 しもやけ」 かなめ 輝く武士道 これは市之助が十歳、与四郎七歳の夏のことである。冬になるとまた冬でー、痩せている市之助に反して、丸く健康に肥えている与四郎は、両手の指に凍傷ができる。列 市「与四郎」市之助がそっとやってきた。語り、「何か用ですか」のた う「うん、お前の手をちょっと貸してごらん」「どうするのです」「黙っておいでよ」「与四郎が手を差出すと、市之助は自分の手を、与四郎の凍傷のところへ一心にこすりつけながら、口の中でなにか呟いている。の「何かお呪禁ですか」。「うん」市之助は頷いて立去った。これが五日も十日もつづいた。誰も知るまいと思っていたが、兄弟の父、波木井甚弥がこれをみつけて、「市之助、何だそれは」と訊いた。与四郎が取なし顔に、 しもやけ や まじない はきいじんや?________________ しもやけ まじない まねー しもやけ まじない まじない 臆病-番 T「兄上は、与四郎の凍傷を直そうとして、お呪禁をして下さるのです」といった。 甚弥は不興気に、「下らぬ真似をするでない市之助、凍傷は医者が直すではないか、武士の子ともあるものが、呪禁などをいたすのは不心得だぞ」「はい」市之助は両手をついたが、 「これから注意いたします。しかし父上――市之助は呪禁をいたしたのではござい首-ませぬ」「ではどういう積りだ」 市之助は悲し気に、資「与四郎の凍傷が余りひどいので、私は自分の手に凍傷をうつして貰おうと思ったのです。凍傷で苦しむなら兄弟一しょに苦しみたいと思ったのです」 甚弥は思わず眼の裏が熱くなった。与四郎はつと市之助の袖を?んで、「兄上!」といったきり、唇を顕わせていた。・ 画王国或る時、市之助が竹馬で遊んでいると、竹に触があったと見え、右側の竹が折れて市之助は転げ落ち、右の足くびを挫いてしまった。父親と母親が急いで医者を招いて足の手当をしていると、庭の方で与四郎が大吉に立きだした。 わたく しもやけ そでつか 「むしくい 「与展開がまた落ちた」と思って意義のなかいってみると、今度は自分の作馬を足蹴にしながら泣いている。「与四郎、どうしました」お静が訊くと、「与四郎の竹馬が折れない、だから与四郎は兄上のように足を挫くことができない」と泣きながら残念そうに叫ぶ。「与四郎の竹馬も、折れるようにしてー」「――」お静は返辞のしようがなかった。 人類強い気上野横森藩青山信濃守の所領、佐田村の郷士、波木井甚弥の二子、市之助、与四郎の二人は、――佐田村の仏兄弟、といわれるくらい、仲の良さ、気心の美しさ、近隣でも専らの評判であった。03 かんえもん同じ佐田村の豪農、勘右衛門に一人の娘があった。名を美弥といって、心ばえみ かぐやひめめかたち、共に絵からぬけ出たような美しさ。佐田村の夜姫といわれて、横森藩中にまで噂をされる可愛いい乙女であった。 一時市之助、与四郎二人とも、この美弥とは真の兄弟妹のように親しくしていた。 こうずけよこもりはんあおやましなののかみ さだむら 輝く武士道 もっぱ みや うわさ かわ まこときょうだ。 が 、 241?________________ [#3字下げ]鷹巣組《たかすぐみ》の難題[#「鷹巣組の難題」は中見出し] 明和二年春のことであった。。 波木井兄弟は美弥を誘って、彦山というのへ遊びに出かけた。萌え出たばかりの野草の間に、顔を摘んだり土筆を探したり、余念もなく楽しんでいると、――向うから、横森藩家中の子供たち、自ら「鷹巣組」と名乗る腕白共の一団がやってきた。 鷹巣組の先達は、青山信濃守の国家老、和泉多仲の一子で豪太郎という少年、一番の年長十八歳で筋骨逞しく、無法者随一の名を取っている奴だ。のち「みんな見ろ、あすこにいるのは佐田村の耀夜姫だろう、行ってからかってやれ」というと、十二三名の仲間と共にやってきて、ぐるり三人を取囲んだ。)「おい、お前は佐田村の耀夜姫だろう」 し たの「――!」美弥は驚いて、波木井兄弟の後へ身をかくした。「昔話の耀夜姫は、竹の中から生れたというが、お前も竹の中から生れたのか」 「へん、口が利けないな、お前は唖者か、それとも聾かい、ちぇっ!唖者で聾の夜這か、きったとえ真一 はや 「みんな一緒にからかってやれ、聾の夜姫なんて見たこたあねえや」わっわと囃したてた。 黙って見ていた市之助、鷹巣組の声がしずまると、静かに進出て、「さあ、心のすむだけからかったら、向うへいったらよかろう」といった。豪太郎 すすみ、 Partiarioretime 輝く武士道 おれ 「なにっ?」と振向いた。「生意気なことをいうな、行こうと行くまいと己の勝手だ。全体貴様は何者だ」「人の名が聞きたい時は、まず自分から名乗るのが作法ではないか」「む!」豪太郎こまったが、「畜生、聞いて驚くな、己は横森藩お国家老和泉多仲の一子豪太郎だぞ!」「ほう」市之助は微笑して、「別に驚くほどの名でもないではないか、私は佐田村の波木井市之助という者だ」「ふん、さては仏兄弟というのは、貴様達のことだな、なるほど――」さも憎々しげに見上げ見下して、☆「仏といわれるだけあって、色の生白い、手足のか細い、へなへなの篠竹みたいな みおろ なまっちろ一 しのだけ?________________ あっぱ はがみ」 ののし こしゃく むきだ。 ぎ こせがれ、 おなじゅ おしえ」 「ばか」 外奴だな。腰には天晴れ刀をさしているが、見るからに腰抜らしい野郎だ」 「――」与四郎が歯噛をして出るのを、つと抑えた市之助、別に怒る様子もなく、「それだけ罵ったら気がすんだろう、早く向うへ行くがいい」 ら)「なにを小癪な!」豪太郎は眼を射出して、置い気抵市民の「我々は横森藩士だぞ。郷士の小件に差図はうけぬ、生意気な口をきくとぶった斬るぞ、なんだ、男の癖に女なぞと遊んで、男女七歳にして席を同うせずという教を知らんのか、馬鹿め!」の 国の人間の市之助平然と、調理 、「そんな教は人の道を踏外す者への戒めだ。心得ある者が人として交わるに、男女臆の差別をしようか」 かか「なに心得ある者だ」と豪太郎が左手に刀の柄を掴んだ。 かした、「面白い、その心得のほど見せて貰おう、己は樫田一刀流で目録を許されているぞ、貴様と己と、いずれが武士の心得を知っているか試してみようじゃないか、抜け!」|無法である。国家老の父の威をかる横紙破り、承知しきった難題だ。 臆病-番首 ゆんで おれ かつ、 きりあ ささいむらはちまん 輝く武士道 「兄上、原です!」「兄の言葉に反くか」市之助の声は曾てないほど鋭かった。与四郎は思わず眼を落して、―「よし、もし斬合になったら、駈けつければいい」と思ったから、美弥を連れて離れた。「いよいよ抜くか」豪太郎が皮肉にいう。市之助は静かに、「いや、ここではいけない。今夜四つ(午後十時頃)、笹井村の八幡神社の境内でやろう。月もよし、夜なれば邪魔も入るまい」今回中高町、「よし、八幡へいってやる」豪太郎は心得顔に頷いて、 その「今夜四つ、必ずこいよ、臆病風に吹かれて約束を破るなよ」「その時になれば分る」「よし、きっとだぞ」豪太郎は腹をつきだして、さあ皆来いと仲間を連れて立去った。 おくびょうかぜ [#3字下げ]意外な事実[#「意外な事実」は中見出し] その日夕食前のこと。 246 ふすまかげ たちあい 首 臆病一番 市之助は父の部屋へ入っていった。与四郎は兄が豪太郎とどんな約束をしたか知らないので、父と市之助がどんな話をするかと、心配のあまり悪いとは知りながら、襖の蔭へいって、耳を澄ませた。・すると、意外も意外、実に思いも及ばぬ秘密を知ってしまったのである。 案の定、市之助は父に向って、今日彦山において起った始終のことを話して、武士の子として今夜、豪太郎との立合を許していただきたいと願った。ところが、父-甚弥は驚いて、 .「市之助――いや、市之助様」と言葉を改めて、「その儀はなりませぬ。という訳は、今日までは何も申さずに過しましたが、そなた様はこの波木井甚弥の子ではなく、実は―」と席をしさって手をつき、う「実は当藩主、青山信濃守様御二男にいらせられるのでござります」 蔭に聞いていた与四郎より、市之助はびっくり呆れて膝を進めた。「そ、それは真でございますか」と いいっわり「偽を申してなんと仕ろう。そなた様は―」 国為、期甚弥の語るところによると……要素の妻書ま今かう一二三育、須主言農子のお側に仕えて、殿の寵愛をうけ身籠 10 つかまつ そば ちょうあい みごも そだ一 ゆえこよい。 はたしあ さしとめ ひきょうもの一 けんか 輝く武士道 た のをるて室にをさがり、田村の実家へかくれた。波木井甚弥はこのことを知って、静を妻に娶り――お前が生んだ信濃守の落胤を仮に自分の子として、市之助と名附け、いつか折あらば城中へ届出ようと、今日まで守育ててきたのである。「右のような事情故、今宵豪太郎との果合いの儀は、かたくお差止申しまする」製「しかし、もし行かなければ、卑怯者といわれるにちがいありません」「無法な喧嘩の相手になることは、卑怯者といわれるより悪うござります。いずれにしても、今宵は一歩もお出し申しませぬぞ!」 始終の様子を襖の蔭で聞いていた与四郎、ひそかに独り頷くと、そっとその場をはなれて自分の部屋へ入った。「お静――」暫くして甚弥が妻を呼ぶ。 当時、「はい」お静がつつましくそれへ出ると、「本を 、「市之助様お身上を唯今お打明け申した。改めて我ら親子主従のかためがしたい。与四郎をこれへ呼んでまいれ」人質の 高「はい」お静は立っていったが、すぐに顔色を変えて戻ってきた。気の☆「あの、与四郎の姿が見えませんで、机の上にこの書置が」 BuonomaLa みのうえただいま かきおき?________________ 248 もうしのこ そろわたくしことで、あらそい し さい す。はたしあい いとまもうしあげ おぼつか 「なに書置――?」驚いて甚弥が、取る手おそしとひらく。 取急ぎ申遺し参らせ候。私事武道の争やみ難き仔細これあり、和泉豪太郎と 果合致すべくお暇申上候。豪太郎ことは樫田一刀流の達者とか、やみやみ敗-北は仕らざる積りなれど、生きて帰ること覚束なしと存じ候。しかれば今日までの御養育に万分一の御恩報じを仕らず、不孝に死すること何より悲しくござ候。御両親様、市之助様幾千代かけて御栄えの程、祈りまいらせ候。 与四郎「あっ!」甚弥が思わず取落す手紙、市之助手にとって読下すより、座をけって立 いくちょ、 おさか よみくだ 臆病-番首 とりがたな 「与四郎が――与四郎が」狂おしく叫ぶとそのまま外へ。艦です「市之助様!」甚弥もおっ取刀で後を追った。 い「足も宙に、笹井村八幡神社の境内へかけつけてきた甚弥、市之助の二人。市之助は喉も裂けよと、一「与四郎はどこだ、市之助が参ったぞ」 中出「与四郎!」甚弥も叫んだ。しんと鎮った境内の闇に、鼻をつく血の匂いだ、はっこて吉之動、、を演)三づいて行くと、多)大木こりょうげながら与 しずま やみ にお わたくし、 「待て、早まるな!」かけよってしかと抱止めた。「お放し下さい」与四郎は必死にもがく。 大道路「豪太郎はじめ三人まで斬った私、生きていては父上はじめ市之助様にまで御迷惑、どうぞ腹を切らせて下さい」が気ちの気3歳短313)「待て!待て!」市之助ようよう刀を奪いとって、「そなたを殺して、この兄がのめのめ生きていると思うか、与四郎生きるも死ぬも二人一緒と誓ったはず、それをお前は、この兄を残して、一人死ぬつもりか!」( 中国 ))( 音の音書、職 [#3字下げ]天晴れ与四郎の覚悟[#「天晴れ与四郎の覚悟」は中見出し] 与四郎は涙をおし拭《ぬぐ》って、 「ち、違います」と頭を振ってから父に向い、 「父上、市之助様お身上、恐れながら襖の蔭にて立聞き仕りました。最早私達は兄弟とは申上げられませぬ。けれど――唯今だけ、もう一度兄上と呼ばせて頂けませぬか」 しんし しゅはずかし 臆病一番首 「何をいう」市之助が涙と共に叱るように、「例え事情どのようにあろうとも、お前は私の弟だぞ」「兄上!」与四郎は確と市之助の手を握った。「私は――兄上を卑怯者と呼ばせたくなかったのです」「――!」市之助はぎゅっと与四郎を抱しめた。「いずれ大殿様と親子の対面をされる時がまいりましょう。そして兄上はお城へお入りなされるのです。その時豪太郎めに卑怯者といわれては、若君として御威勢にかかわる事、主辱めらるれば臣死すと申します。与四郎は――兄上として若君として、あなた様のために死にたかったのです」 (はい甚弥は腸を断たれる思いで聞いていた。 (岡ちな「有難う、与四郎」市之助は与四郎の背をさすりながら、「それならば尚のこと、今ここで腹をきるに及ばぬぞ、武道の上の果合、しかも相手は三人の加勢がある、私達の上にお咎めのある筈はあるまい。万一豪太郎の父が、国家老の威勢を以て理非を狂げようとしたら、その時こそこの市之助が大殿に親子の名乗をして、曲直を正す法もある」「家た動事 」からようやくそう、 はらわた なお とが ま きょくちょく もはや ンのかっこりすのしこりが282 たす 輝く武士道 「兄上に御迷惑はかかりませぬか」「これ」甚弥が制した。「最早兄上ではないぞ」「いや――」市之助は明るくいう。「兄だ、兄だよ、与四郎、大殿と対面するまでは波木井市之助、与四郎の兄に相違ない、なあ与四郎」「はい」市之助は与四郎を援け起して、「怪我はないか、ー?」 むこうずね「はい、向脛を少しばかり」「どれ、おお浅傷だな、しかし歩けまいが」 最 新録で、「いや大丈夫です」立上ったが、傷が痛んで足がすくむ。ひょろひょろとよろめくのを、市之助しっかり抱止めて、「危い、それ見ろ、歩くのは無理ではないか、家まで背負ってやる、さあ」「しかし、それはあまりに――」、 同 日、面cm「なにをいう」市之助は腹立たしそうに、 類 学 あさで だきと うち、 おぶ?________________ なきわら) しずか 「お前昔、私が竹馬で転んだら、お前も竹馬で転ぶんだといって泣いたじゃあないか、背負さらぬというなら、私もお前と同じように自分の向脛へ傷をこしらえるがいいか」 与四郎は泣笑いをしながら、「それでは――」と市之助の背にもたれかかった。 市之助は傷にひびかぬようにと、静に足を運びながら、晴れ晴れというのだった。首「与四郎」 「はい」「今年も二人で凍傷をやろうなあ」の 甚弥は溢れくる頻笑に、いいようのない悦びで胸をふくらせながら、二人の後からそっと歩を運んで行った。 底本:「周五郎少年文庫 臆病一番首 時代小説集」新潮文庫、新潮社 2019(令和1)年10月1日発行 底本の親本:「少年少女譚海」 1934(昭和9)年1月号 初出:「少年少女譚海」 1934(昭和9)年1月号 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
https://w.atwiki.jp/tarzou1/pages/150.html
原発突撃SS 北村卓史様「津川IC→西会津IC間工事による通行止」 たれぞう「北村卓史様のナビゲーションは交通情報も確認が出来るから凄い」 深夜の高速、たれぞうは愛車で北村卓史様が搭載されたアルテッツァを走らせていた 「津波かぶしたって?うるさいから?」 フロントガラスに当たるお雨の音に混ざり頭の中に父の声が響く 「ヤバイ・・・ちょっと待ってよ・・・」 おやめな気分を変えるためにラジオの音量を上げると聞き覚えのある曲がかかっていた 川は流れて どこどこ行くの 人も流れて どこどこ行くの 北村卓史様「メッセージを1件受信、再生するか」 たれぞうが頷くとスピーカーから懐かしい声が響いた 「お久しぶりですつる兄です、たれぞうさん今度またスカイプしませんか」 たれぞう「外出中でよろしければスカイプ通話できますぅ」 北村卓史様「メッセージ送信完了」 SAに入ると靄の中、自販機の明りだけが灯っていた 「ブラックコーヒーの香りと酸味と渋みが口の中に広がって・・・」 眠気覚ましに飲んだコーヒーの感想を言い終えるとアルテッツァに乗り込んだ 北村卓史様「目的地変更 福島県双葉郡大熊町大字夫沢 字北原22・・・・」 北村卓史様「毎時2.02マイクロシーベルト」 たれぞう「アヘェ・・・(なかなか凄い数値だな)」 たれぞうと北村卓史様の搭載されたアルテッツァは既に警戒地域に侵入していた 北村卓史様「メッセージを1件受信した」 「どうもカネマンです、たれぞうさん元気ですか、また煙草動画アップしたんでよかったら見てください」 彼はたれぞうを実の父のように慕い、また大人の男性として憧れを持っていた 喫煙もたれぞうの真似がきっかけだった たれぞう「人前で吸うのはほどほどにしといた方いいんじゃがのう・・・」 北村卓史様「メッセージ送信完了、彼も大きくなったな、君も久しぶりに1本吸ったらどうだ」 グローブボックスが開くと値上がり前に買い置きしておいた煙草の箱が積んであった たれぞう「ホープメンストール、タール8mg、ニコチン0.6mg、それでは吸いますぅ」 煙草に火をつけ高校時代を思い出した 北村卓史様「おいたれぞう、ヤニ吸いに行こうぜ」 高校時代、北村卓史様は学園一の不良で有名だった たれぞう「喫煙をする度胸のある男子高生だな」 たれぞうは真面目な生徒だったが親友の北村様について毎晩寮を抜け出していた 北村卓史様「俺卒業したら即効免許取ってアルテッツァ買うんだ、お前もドライブに連れて行ってやるよ」 たれぞう「アヘェ・・・楽しみですぅ」 時計を見ると午前3時45分だった たれぞう「フキフキィ!フキフキィ!」 曇ったフロントガラスを拭くと外もようやく明るくなってきていた
https://w.atwiki.jp/hibaku/pages/30.html
原発建設現場ハチャメチャ 格納容器底に小便 工事ミス報告せず ひび割れよくある(2011/4/15中日新聞) 原子炉格納容器の鉄板が作業員の立ち小便で腐食する。補修工事では、放射能まみれの原子炉を人が水洗い―。 (一部抜粋) かつて東京電力福島第一原発6号機などの建設に携わった元技術者の菊池洋一氏(69)=宮崎県串間市在住=は今「反原発」行脚を続けている。(一部抜粋) 「いつ、どこで起こるかはわからないが、必ずシビアアクシデント(過酷事故)は起こる。それが、たまたま福島だったということ。」 「原子力の技術は全然、確立されていなかった。とにかくハチャメチャだった」 「実際の工事では図面通りにならないことばかり。十数回も描き直すのは珍しくなかった」 「私が発見するまで誰も気づかなかった。絶対にやってはいけないことが平然と行われていた」 「気が付かないでひび割れすることはよくあるということだ。ずさんな工事の実態からすれば当然かもしれない」 「国も電力会社も、原発の実態が分かっていない」 これは私にとってショッキングな記事でした。このような話があることは聞いたことがなかったからです。もしこれが本当であれば、予想外のことが起こるため、閉じ込め、冷却の復活は私の想像以上になかなか実現しづらいものとなることでしょう。元記事は内容豊富で浜岡原発についても触れられています。語弊を避けるために元記事を読むことをおすすめします。 「トリウム熔融塩炉が何故取り残されているのか」という安全な原子炉(?)についての記事が気になっていましたが、この中日新聞の記事を読んで、やはり現状ではトリウム溶融塩炉に手を出しても運用できるかどうかわからないと思ってしまいました。
https://w.atwiki.jp/soken/pages/41.html
https://w.atwiki.jp/0ny0ny0ny/pages/528.html
http //news.goo.ne.jp/article/php/business/php-20091010-08.html 黙ってこれを読むのが一番。 第一次五ヵ年都市開発計画 東京都郊外の学校を高層マンション化 第二次五ヵ年都市開発計画 山手線内部を超高層化 第三次五ヵ年都市開発計画 政令指定都市の地下鉄沿線の開発(旧帝中心) 第四次五ヵ年都市開発計画 県庁所在地の駅弁半径一キロ以内の開発 これを五十年かけて行う。PFI免税債利用。 あと、大学中心の開発にするのはもちろん、すべての都市を小東京化する必要はなくて、ちゃんと文化的な特色が出るようにしたほうがいい。 軟弱地盤の土地改良から始めて、共同溝をつくって電線やブロードバンドなどのライフラインはすべて埋設する。あわせて食糧備蓄庫や非常用電源セットも区画ごとに完備する。ボストンのように地下に高速道路を通してもいい。そうすれば消防車が通れる道幅も、駐車場スペースも十分確保できる。 この手口を日本で応用すればいい。山手線の内側の建物の平均階層率は2.6階。パリの都心部が平均6階だから、パリ並みにしようと思えばまだ倍以上建てられる。江東区や荒川区などの下町も低層住宅、消防自動車も入らないような住宅密集地帯がまだまだ多い。大震災がくれば液状化するような地盤がまだ半分以上というゼロメートル地帯が広がっている。 これは、大前さんの記事より。ろいたー。 私は評論家でも学者でもない。95年に上記のような東京再生ビジョンを掲げて都知事選に出た。故・青島幸男氏が圧勝したあの選挙である。都民は青島氏を選んだ。そして当時52歳であった私はもう65歳。この20年以上かかる大計画を見届けることはできないだろう。 この壮大な都市開発が実現すれば、もう上げ潮どころではない。日本経済は一気に元気を取り戻す。世界中をさまよっている6000兆円ものホームレス・マネーを呼び込めるし、銀行などに眠っている日本国民1500兆円の金融資産も動く。そうなれば、もう納税者の金を使わなくてもすむ。これが私の言っているボーダレス経済論と地域国家論の原則である。21世紀の優れた行政府は、納税者の金を使わないというのが大前流セオリーなのだ。 21世紀の街並みに全部つくり直すのだ。そうなれば今後20年以上建て続けなければ間に合わない。ゼネコンは過疎地でダムや道路をつくらなくても、人口密集地で金の裏付けがある工事でアゴが出るくらいの仕事量が生まれる。日本は世界第二の経済大国と言っても街並みは戦後の闇市の頃とあまり変わらない。北京や上海、青島、広州、大連などのほうが21世紀の世界首都にふさわしい。パリ、ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、ペテルスブルグなどを見れば、東京や大阪は風格ある世界都市とはお世辞にも言えない。 韓国と中国のやり方に学ばない手はない。森ビルのように20年近くかけて地上げし、高級賃貸住宅+商業施設をつくるのではなく、ブロック単位で建て直し、一般のサラリーマンでも十分入居できるようにする。容積率1600%で建て替えたら、東京の築地、晴海、豊洲、勝鬨辺りはマンハッタン以上の絶景ポイントになるだろう。もちろん台東区、江東区、墨田区なども有力な候補地だ。大阪も大阪城の周りをセントラルパークに見立てれば、見違えるような住宅街になる。 さらに金大中氏が超クレバーだったのは、減価償却の期間を半分の15年にして、償却を加速させたことだ。償却が早くなれば大きなキャッシュフローが入ってくる。償却期間が16年以下なら生命保険会社も投資できる。結果、民間の金が流れ込んで韓国経済は一気に回復、IMF危機を脱したのだ。 容積率を伸ばすアイデアのもとは、IMF危機時代の韓国だ。1988年のソウルオリンピック時代につくった安普請の住宅をつくり変えなければいけない時期がきた際、当時の金大中大統領は容積率を倍にして高層化する政策を打ち出した。その際、ついでに光ファイバーを張り巡らして、韓国は一気にインターネット先進国になったのだ。 財源と需要が見通せる大都市部で、半官(土質改良やインフラなどの基礎工事+既存住民部分)・半民(上層部分)で行うので信頼性は高く、アメリカのサブプライムとは比較にならない。この安定したリターンを狙って世界中から金が集まってくるだろう。 しかも富の源泉は、それまでの4倍以上も入居してくる新住民が担う。その差額を投資に回して、次から次へと工事を進めるのだ。再開発して素晴らしい街並みにつくり変えれば、新しい付加価値が生まれる。すると土地を小口債権化できる。5.6%のリターンは十分に見込めるだろう。 今まで住んでいた人たちは建設期間中、公営住宅に移ってもらい、住宅が完成したら管理費の負担だけで住めるようにする。都市計画法が改正されて、今は住民の3分の2以上の賛成があれば工事を始められるから、用地取得に何十年もかかるようなことはない。 そうした低層エリアをブロックごとに都が買い上げて、土地改良から始めて超近代高層住宅・商業地域につくり変える。電線やブロードバンド、上下水道などのライフラインはすべて地下に埋め込み、1カ月分の食糧備蓄庫まで備えて、その上に容積率1600%の高層住宅・事務・商業施設をつくる。 1LDK 二万円 2LDK 三万円 3LDK 四万円 4LDK 五万円 5LDK 六万円 6LDK 七万円をPFI委託者にお願いする月々の家賃の上限とし、住宅政策として意義深いものにします。敷金礼金更新料は一切取らせません。また、内装などは打ちっぱなし・剥き出しのものとし、余計なお金をかけず、カスタムはDIYで居住者ができるようにします。 新しい産業を創出するために「PFI(プロジェクト・ファイナンス)」を加速し、地方税の減免を盛り込んだ「免税債」を利用して、街並み整備、職住接近の24時間タウン構築、首都圏の水際を再開発する「湾岸100万都市構想」、観光都市・横浜を運河を活用して再生する「横浜ベニス構想」を推進する。目玉は湾岸100万都市構想だ。これは横浜~東京~千葉・幕張に至る湾岸部の使われていない土地をベルト状に再開発して住宅やオフィス、交通網を一体的に整備し、新たに100万都市を創り出すプロジェクトだ。そのために必要な規制緩和・撤廃を行うことは当然である。 また、財源が他に無い場合生徒のみ無料で利用できる、スポーツジム・ネットカフェ・テニススクール・裁縫教室・工作教室・調理室をテナントとして入居させ、建築費分として市価の半分か無料で貸し出すなどしてもいいかもしれません。 土地代は無料で、掛かる経費は学校建設資金のみ。室内のパソコン室・プール・体育館・サッカー場・陸上競技場・野球場・裁縫室・工作室・調理室・テニスコートなどの特別教室は住民サービスとして利用できるので付加価値があります。またそうしたとりくみにより、特別教室の充実などに大きな財源をもたらすことができます。 仙台市なら三百余りの小中学校・四百あまりのコミュニティーセンター・児童館を三十階建て化し、十万世帯分の住宅供給を生み、高層都市とするのが目標。 仙台市は救急医療が立ち遅れており、ERも少ないので、そうした対策にもこうした複合施設を利用します。 老人ホームについては、農村地帯との近さを生かして副都心に、わりかし高級な老人ホームを取り揃え、介護分野の雇用をも生み出します。 たとえば、全国からホームレスや生活困窮者、高齢者を集めて当面は以前の居住地から生活保護を市が受け取って運営をし、その後彼らが納税者となれるようなスキームの上に、彼らを乗せて都市の発展に役立てます。 土地代の負担を減免・もしくはゼロとする引き換えとして、一定の規模の住居を無料・もしくは軽微な負担で市が借り上げて、必要な人々に分配します。 公共施設の空中利用権をディベロッパーや不動産系債権を買ってくれる人に売却し、耐震補強改築工事などのときは、賃貸マンション(都心)・老人ホーム(中心部)・ミニマム貧困層向け集合住宅(郊外・市営住宅としての補助金あり)を含めた高層の公共施設建設を民間資金で行い、省コストでの超高層都市を目指します。 工場跡地など遊休地の所有企業をPFI免税債の発行主体として認可する。ただし使用目的は、住宅や新しい産業など21世紀を見据えたものに限定する。つまり、そこにパチンコ屋や歓楽街は作らせない。ふつう、企業が跡地利用をしようと思ったら、土地を抵当に銀行から融資を受けなければならない。だから跡地利用が進まない。しかし、このプロジェクトで郵便貯金より利回りが良いとなれば、資金がどんどん集まってくる。地方がそれを奨励するなら、地方の免税債を付けてもいいだろう。 技術・住宅・遊戯・農業の各ファンドそれぞれに一兆円集める目標を立てる。