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www.segagaga.com/sggg_topix/shinjya/index_vip_mail04.html (観覧不可、Internet Archiveで観覧可能) 4回にわたりお送りしてきた『俺とセガガガ』も 「セガガガ」が無事?発売された今週が最終回。 とりは、もちろんこの人ゾルゲール哲氏 というか、やはりいろんな意味で(笑)この人じゃなきゃ 「セガガガ」は創れなかったな~とか思う。 [VIP 004] セガガガ開発大首領 ゾルゲール哲 セガガガ開発大首領 ゾルゲール哲 92年セガに入社。旧第3AM研究開発部に所属。ディレクターとして、集英社と制作したアーケードゲーム「ドラゴンボールV.R.V.S」を制作。赤外線センサーを採用し、体動かしてかめはめ波とかを出すという何か凄いゲーム。)でも、会社に莫大な損害を与える(涙)。その後も色々アーケード作ったり~(略)~2年前より「セガガガ」の開発に着手。笑いだけとってお金がもらえなかったプレゼンに始まり~(やっぱ略)~そんな苦労を重ねてとうとう完成させた!そして今!「セガガガ」にて大リベンジを狙う!!ちなみに覆面開発者は漫画もうまい。まあいいや。それではゾルゲさんどーぞ。 えー、とうとう何を間違ったのか、製作者であるこのゾルゲール自身が最後にしゃしゃり出る羽目になったわけであるが、こんにちは。 製作者としての「俺とセガガガ」を語れというわけだ。 まあ、これはこれで、なかなかない機会と思われるので、その機会を与えてくれた笹原君と山田君に感謝しつつ(ありがとう)、これまであまり語ってこなかった部分をちょっと書いてみようと思う。 なお、言いようが不遜なのは、あくまで演出上、「仮面の製作者ゾルゲール」としての体面を保ちつつ書く必要があるためなのでヨロシク。 このセガガガというゲーム、一応の目的は、皆様ご想像のとおり、「ゲームの中で、落ち目のセガを業界ナンバー1にしよう!」というものである。 しかし、これもだいたい皆様ご想像のとおり、作っていてこれほど胸が痛い内容のゲームもない。 なにしろ現在のセガの有様ときたら、あえて書くまでもない。 「そんな夢を見てるヒマがあったら、マジメに現実のゲームを作って、現実のシェアを何とかしろ!」と、物を投げられそうな状態である。 舞台となるゲーム業界の様子にしても、現場を知る一人としては、どうしても「避けて描かないわけにはいかない」みたいな部分があるわけで、するとこれが必然的に、自虐的な内容に傾かざるを得ないのである。 「こうじゃないだろ!業界ってのは、もっとこう・・・」とか言って、上がってきた脚本をより痛々しく修正しながら、「・・・じゃ、なんでオレって、こんな所で仕事してるんだろう?」と、さらに痛い自問をすることしきりである。 「セガガガ」はそもそもメタフィクション的な内容であるが、製作者の側にとっても、現実と虚構は次第に渾然一体となって、気軽に楽しくゲームを作っているはずが、いつしか「ゲーム製作者としての自分自身のありようとは・・・」みたいな、えらくシリアスで深遠な問題に向かい合わざるを得なくなってしまうのである。 実際われわれは、なぜゲームなんぞを作っているのだろう? 人それぞれには違いないが、あるいは趣味と実益、あるいは生活の糧、あるいは野心や打算、あるいは理想と情熱、あるいは成り行き、そしてあるいは、それら全てが、歪んで奇妙に混ざり合った、創作への衝動のためにか? こうやって書いているといかにもカッコいいが、なにしろゲーム内容は、ひたすらバカ一直線なパロディ路線なだけに頭が痛いのである。 結局、ゲームが完成してしまった今となっても、この問題に答えが出せたとは思えない。(出てたら今ごろこんな文章書かずに、インドあたりで悟りを開いてるしな。) ただ、ゲーム中に何度か聞くことになると思う「ゲーム屋の心意気」というキーワードと、その周辺の物語に、少しでもその煩悶の跡を、そして20世紀の最後の10数年を、ゲームというものに捧げた、様々な人間達の「想い」のようなものを、これからプレイされる皆さんが感じてくれれば、ゾルゲール、これ以上の喜びはない。 なお、こうやって書いていると、まるで最後にニッコリ笑って自殺でもしそうな文章になってきたが(しないよ)、2年近く苦楽をともにした製作スタッフのみなさん、ディレクター・プランナーの鈴木さん、プログラマーの新井さん、岡橋君、宮脇君、壬生君、嶋崎君、デザイナーの小林君、成沢さん、神林君、平井君、斎藤君、サウンドの金子さん、シナリオのウブさん、岡安君そして、米田さん、香川さん、内藤さん。 この場を借りて改めてお礼を言わせて欲しい。 本当にありがとう。
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未来日記らしいよ http //www.zolge.com/graphic/diarya.html1999/09/03 1999/09/19 1999/09/26 1999/11/12 1999/11/24 2000/09/07 2001/05/03 2002/11/16 2002/11/19 2002/12/01 2002/12/09 2002/12/20 2003/03/14 2003/03/19 2003/04/14 2003/05/26 2004/01/03 2004/01/06 2004/01/08 2004/01/16 2004/01/22 2004/02/27 2004/04/18 2004/05/22 2004/06/07 2004/06/24 2004/08/20 2004/08/24 2004/11/07 2004/11/08 2004/11/20 2005/0x/xx(その1) 2005/0x/xx(その2) 2005/08/05 2006/01/16 2006/01/20 2006/02/23 2006/02/24 2006/08/25 2006/11/25 2006/12/18 2006/12/20 http //www.zolge.com/graphic/diarya.html (観覧不可、Internet Archiveで観覧可能) 1999/09/03 ところで久々に悪口など。オレは「なっちゃん」とか「ごめんね」とかのCMを見ていると、企画したアホウとそれに乗ったバカ企業、恥も知らずに出演している女性タレントをまとめて絞め殺したくなる。いや、絞め殺したくなるCMタレントというと「桃の天然水、ひゅーひゅー」とか舌ったらずに言ってる奴(死んでしまえ)とかもそうなんだけど、あれは単なるバカだからまだ罪が軽い。 いったい世の中で、商品として扱ってはいけないもの、扱うべきでないものがあるとしたら、それは人の純粋な「想い」そのものではなかろうか。青臭いことを言うつもりはない。実際、広告なんて人の目についてナンボだから、「おふくろの味・インスタントみそ汁」の昔から、「想い」が商品になっていること自体を否定はしない。問題なのは、そういったものを「商品」として扱うにあたっての、作り手の姿勢だ。 たとえどんなに胡散臭い見せかけであっても、それが誰かの胸に、母親への思慕を喚起するかも知れない、といった意味において「おふくろの味」という表現は許されるだろう。それは母親への思慕という「想い」それ自体の純粋性に、なんら卑しさを加えるものではないのだから。「インスタントのどこがおふくろやねん」というのは、その通りではあるけども、また別の部分の話である。 対して「なっちゃん」や「ごめんね」の薄汚さはどうだ。これらは一見、「おふくろの味」よりよほど美しく純粋に見える。少女の向上心や純朴性といったものを、真摯に抽出して商品にまとめましたとでも言いたげだ。しかしその実際は、これまで胡散臭いインスタント食品でさえも、一応の敬意を払って直には触れなかった「想い」それ自体を、薄汚れた手でこねまわし、嫌らしい体裁にゆがめて切り売りしているのである。虫酸が走るとはこのことだ。世界のどこに立って何を作っているのか、自分でわかっているのか。恥を知れバカども。 1999/09/19 なぜだか自分でもわかりませんが、最近「タツジン」にハマってます。 タイトー時代の東亜プランが出した発狂シューティングね。部屋のキュート筐体にぶちこんである基盤をはじめとして、エミュのメガドラ版、PCエンジン版と、それぞれやり狂ってます。ああ最高。 私は昔から「昔のゲームで描かれるところのSF的世界観」というものにメロメロに弱くて、古くは「ギャラガ」とか、「グラディウス」とか、マイナーなところで「4Dウォリアーズ」とか、古拙なデジタルならではの、冷たく無機的な感じが好きで好きでたまらんのですよはあはあ。 特にシューティングの場合、そのストイックなシステムと相まって、面が進むごとに味わえる、「もはや生きては帰れない遠いところ」に来てしまったなあという一種独特の悲壮感たるや堪りませんわ。 それにしてもドグラバってどうしても死なないんですけど・・・・。 1999/09/26 エミュで「達人王」をゲット!プレイ!即死!なんだこの難易度! 思えばこのころすでにシューティングの蜜月は終わって、基盤売りのビデオゲームはみんな、ストⅡを基準にしたプレイタイムとインカムで商売しなきゃなんなかったんだよなあ。 1999/11/12 仕事の帰りに秋庭に寄ると、ラオックスホビー館というのがオープンしている。なんとサターンソフト在庫処分1本500円より。冷静に考えたら500円でも遊ばないようなソフトばかりだが、これがそろそろサターンの最期と考えて買いまくり。 15本7500円。「ブレインデッド13」とか「シェルショック」とかの、リリースされたのも知らなかった洋ゲーが主。おおサターンよ、オレが保護してやるけんね。と遊び狂ってたら、なんとなんと本体がイカれる。 修理にも出せるし、今は新品でも3980円だからいいだろうって?オレのサターンは、わざわざ香港で買ってきた怪しいバージョンなのだよ!よく壊れるらしいプレステは、ちゃんと7500番台などを予備としてストックしてあったのだが、まさかサターンのほうが先に逝ってしまうとは思わなかったので途方にくれる。(稼働時間の差から考えたら当たり前だ) 畜生!せめて3ヶ月前に壊れていたら策を立てられたのに・・・というわけで、ここしばらくはサターン買いなおし月間に指定します。 とりあえず慶応活劇編と太郎丸、グランディアあたりはマストだな 1999/11/24 ゲーラボの大野君に説教する。柄にもないことだが、一応学校の後輩にあたるのでな。 最近けっこう多いのだが、書き手にきちんと筋を通すことができない編集さんがいる。 本人に悪気がない場合がほとんどだが、なにげない電話口の対応の一つで、書き手に致命的な悪印象を与えてしまうに気づかないのだ。 私も経験がないわけじゃないからわかるけど、編集にとって一番重要なのは、企画力よりも、どれだけ能力のある書き手を、自分の名前でひっぱってこれるかという、いわゆるコネの能力につきる。コネというのは、お互いがプロとして筋を通して、初めて結ばれるものだ。それを思えば、相手がどんなヘチャムクレな野郎であっても、仕事を頼んでいる最中に怒らせて、それで自分が得をしないことは判るだろう。 ほとんどの作家が才能に枯渇し、やがては消えていくのに対して、編集は多くの作家とのコネを持つことで、常に時代に応じた新陳代謝を繰り返し、はるかに長い時間モノ作りの現場に携わることができる。これは編集者の特権だが、逆に言えばコネのない編集なんてのは、もうコンビニのバイトと同じくらいの半端仕事に、人生を浪費しているのだということを、すこしは覚えておいた方がいい。 筋を通すなんて簡単なことだ。相手を惚れた女だと思って行動するだけでいいんだから。まちがっても人がわざわざ早めに仕上げた原稿に「忙しいからまた今度」なんて言っちゃいけねえぜ。 どうしても手が放せない時があることくらいはこっちだって承知。そういう時は「うれしいわダーリン、でも、本当にごめんなさい。私、今日はどうしても行けないの。許してね。そのかわり今度・・・ウフフフ」くらいは言ってやるんだよ。言ってることは同じでも、たったそんだけで丸く収まるだろ? 2000/09/07 最近スマップがガッチャマンやってるNTTのCMがありますな。わたしゃは別にスマップにもNTTにも恨みはありませんし、そんなにガッチャマンのファンでもありませんが、あれ最低。 「最新のSFX技術で生まれ変わったガッチャマン」とでも言いたいんだろうけど、何をトチ狂ったのかバットマンのパチモノみたいに仕上げられた科学忍者隊を見てると本当に情けなくなります。いや、デキ自体はいいんだよ。バットマンのパチモノにしてはさ。でもなんで、ガッチャマンの名前を使ってまで、わざわざああいうことやるかね? ガッチャマンったらアレだよ。マジンガーに放映時期がカブってるから、いまいち評価されてないけど、ジャパニメーションの一つの古典だよ。クリエイターならそれこそヨダレが出そうな、オリジナリティの宝庫だよ。黒いマントはためかして夜のビル街を飛び回る以外に、もっと見せるべきものがあるだろう。 懐ロボのプロポーションをガンダムかエヴァみたいにして喜んだり、ハカイダーをスポーンみたいに描いて得意になってたり、オリジナルの本来持っていた、優れた部分とその意味を全く無視して、単なる流行のアレンジを加えるだけのリメイクがカッコイイと思ってるバカを見てると、わたしゃその志の低さにブッ殺したくなってしまいます 趣味でやってるならともかく、プロとしてやってるんならハッキリ言いますが仕事の規模もデキも関係ない。あんたら、恥ずかしいぜ。 2001/05/03 一部で話題らしかったスパイク・ジョーンズ(だっけか)監督の「マルコヴィッチの穴」を借りて来て見る。たしか劇場公開当時はそれどころじゃなかったのだ。 見て仰天。とにかく脚本がスゴイ。こんなエンターテイメントと両立したデタラメ話はちょっと見たことがない。(たいていデタラメのためのデタラメになってしまうのだ)全く意味不明なのに、ぐいぐい引き込まれるストーリー展開にはスナオに感心。 こういったやり方が商売としてアリということになれば、けっこうアメリカ映画も変わりそうな気もする。そっちに気を取られすぎて、肝心の監督の手腕の方は正直よくわからんかったのだが、いずれまあ凡庸なものではなかろう。どっちかというとカメラのほうが印象に残ったけどね。 しかし、脚本といい監督といい、こいつらみんな俺らと同年代、悪くすると年下なんだよなあ。そこらのマスコミに吹いて持ち上げられてるクリエイター様が何歳だろうと全く気にならないが、奇想なら誰にも負けないと密かに自負していたりするワタシとしては、こういうのを見ると、こりゃウカウカしておれんわ(何が)、とか思うのであった。 2002/11/16 真魂斗羅をやって一言。 「ゴメン、オレこの絵ダメだわ」 2002/11/19 メカデザインとオリジナリティについて雑感。 日本のメカデザインというのは一種独特で、キャラクターデザインの一部が、いつのまにやらとんでもない方向性へ複雑化を遂げていて、その有様がいかにも薄気味悪く思う。「宇宙空間での運用性」がどうとか「関節強度」がどうとか、擬似インダストリアルデザインみたいなことを本気で語ってる人を見ると唖然とする。 最近では大河原邦男のオリジナルなガンダムは「リアルでないから」人気がないそうな。 最新の技術で「リファイン」されるんだそうな。 バカじゃなかろか。曲線一本で実際に性能が変わる自動車や飛行機ならいい。四半世紀も前のオモチャ用デザインを、いい大人がうれしそうにこねくりまわして何をやってるのだ。 「ガンダム」や「マクロス」がいまだに商売になるというのはご同慶の至りだが、要は逆に、それ以降もうメカデザインというものが、新たな金を稼いでこなかったというだけの話だ。そんな場所でメシを食ってる人間は、自分を恥じろとまでは言わないが、ちょっとは足元を見た方がよろしかろう。こないだくたばった成田亨の無念が、ちょっとだけよくわかる。 人は、まったく見たことのないものよりは、ありものに具合よくトゲや羽根を付けた方を喜ぶ。 だから一番評価されるのは、一番カッコよくトゲや羽根をつけた人間かもしれない。でもそれは、決して「モノを作る」ということにはならない。 オリジナリティというのは、実際のところ世間で言われるほど評価されない。うっかりするとマイナスに取られることの方が多かったりもするのだが、もしも「自分はモノを作ってメシ食ってます」と胸を張って世間に言いたかったらトゲや羽根でなく、自分のオリジナリティで勝負していくしかないのではなかろうか。義務として。 いや、オレもまだ到底言えてないんだけどさ。 2002/12/01 最近のポリゴンがポリポリしたゲームを遊んでいると、メガドラとかスーファミ時代の「ジャギー感」がたまらなく恋しくなってきます。特にスーファミは、ファミコンよりもさらに解像度が粗い分、露骨な「ジャギー感」があって、いい感じでした。ジャギー! 実は私はOBJの拡大縮小がジャギジャギしたのも大好きで、「もっとガクガクさせて!」とか言って、プログラマからはイヤな顔をされてました。ジャギー! この「ジャギー感」というのは、ゲームが発達していく過程において、とにかく排除されるものとされて今日に至るわけですが、結局それが、キレイなだけで主張のない、フォトリアルもどきに終始している今日を考えると、今こそゲーム独自の表現様式として、「ジャギー感」の復権を考えるべきではないでしょうか。ジャギー! 俺様の名を言ってみろ! 2002/12/09 「ベルセルク」が好きになれない。 アクション漫画としてはなるほど面白いのだが、作者がタマになんかそれ以上の、思索的というか哲学的なことを語ろうとして、それがいかにも底が浅くて辟易とさせられる。 この作者、実に丹精込めて、一生懸命ヨーロッパ的な悪魔を描くのに、そういう世界であれば対極の位置に厳然としてあるはずの「神」の方は、もうおっそろしいくらいにイメージ貧困で、適当で薄っぺらい書き割りなのな。 神がちゃんといるからこそ悪魔もちゃんといるわけで、好きな一方だけを描いて済まそうという横着は、「北斗の拳」みたいな活劇の舞台なら許されるけど、それ以上の何かを語るつもりならあまりにも根っこが弱すぎるだろう。 バケモノや甲冑の細かいディティールを細かく描いてるヒマがあったら、ヘルメスの杖なんかで逃げてないで、ちゃんと十字架を描けと言いたい。多分キリスト教系団体から抗議されると思うけど、本来それくらいの覚悟なしに、日本人が面白がって踏み込んじゃいけない世界だと思うぞ。 2002/12/20 なんかNHKで「SFホイップクリーム」とかいう邦画の紹介をやってて、これがもう最悪にダメダメな感じ。「不思議惑星キン・ザ・ザ」へのオマージュとか言ってるけど、こんなの単に粗悪なパクリだろう。 なんかサブカルっぽく気取ってるのが余計にハラが立つ。定義の範囲をよく知らないが、オレはこういう、いわゆる「サブカル」みたいなのがキライだ。多分近親憎悪に他ならないんだろうけど、自分の偏った嗜好なり知識なりを、恥ずかしげもなく「それって逆にカッコいい」とか思い込んでる連中を見ると、「スカしてんじゃねえ!」とガケ下に突き落としたくなる衝動をどうすることもできない。ちょっと世間とは離れた道を進む風をして、その実、こっそり世間に擦り寄って認めてもらおうとする卑しさみたいなところがもう最悪。 行くなら黙って無人の野を歩め!小難しい理屈を並べて自分のバカを正当化しようとすんな!というわけで近所のガケ下には、数知れぬサブカル人の骨が20人ほど埋まっているので、掘り返さないように。 2003/03/14 引き続きゲームの話を。 最近(でもないか)よく「今のゲームはつまらん。昔のゲームのほうが面白かった」というのを聞きますが、なんででしょうかね。私なりにちょっと分析してみました。 やっぱり一番大きいのは「昔はよかった」と同じ類のノスタルジーでしょうかね。ただ、ちょっと書いておきたいのは、昔のゲームというのは「面白くする以外に作りようがなかった。」という部分です。 アタリVCSとか、カセットビジョンとかを見れば納得がいくと思いますが、昔のゲームって、とにかくもう表現力が低くて、絵にしろ音にしろ、何にもやれることがなかったのね。 そうすると開発者の労力のベクトルも、中身にしか向けようがないわけで、それが初期のゲームに特有のシンプルで確固とした面白さを形作っていたように思われるのです。 つまりゲームはそもそも、足りない表現力を補完する形で、むしろ「しょうがなく」面白くなっていたという。 表現力が向上していけば、そっちに労力を割かざるを得ないわけだから、その分面白さが減っていくのはこりゃ当然…というわけです。 マクドナルドとかで、売り上げに大した差が出るわけでもあるまいに何か妙にうまい店というのがありますが、いまどき「面白いゲーム」とは多分そんな感じで、単にもう現場のスタッフが意地になってやってるのではないかと。 2003/03/19 私がなにげに気に入っている「グラディウス・ジェネレーション」。 なんかあんまりいい評判は聞きませんが、MSX版グラの新作を遊ぶような独特の味があって好きです。特に評判のよくない音楽に関しても、例の「ぴきぴっぴきぴき」とか以外、特に1、2面などではなかなか意欲的なことをやってて悪くないと思ってました。 つい先日、偶然にもネット上で音楽担当の方を見つけまして、お話を聞いてみると、やっぱり担当が複数おられ、その方は1、2、4、5、面。後は別の方だそうです。本来はPSG三音用に書かれた曲で、なんかメロディとかみあってないPCMドラムも、実は後から別に加えられたものだとか。なるほど納得!インターネットって便利だなあ。 こんなとこに書いても意味ないかと思いますが、このソフトを持ってる人は、だまされたと思って、1、2面のPSGメロディだけ聞いてみ。私の大嫌いなグラIVや外伝なんかより、よっぽど「きちんと新しいグラディウス」だから。 ホムペも発見しましたが、荒らされたりしたらヤだから書きません。 2003/04/14 「世界観」について よく「このゲームの世界観は…」とかゲーム雑誌に書いてあるけど、 ゲーム業界ほど「世界観」という言葉をやたら好んで使ってる場所はないそうな。 これはゲームというのが、小説や映画のような、決められた時間軸にただ流されていく「物語」とは異なり、曲がりなりにもプログラムによって自律している「状況そのもの」を描けるということと無縁ではないだろうけど、ぶっちゃけそんなカッコいい話ではない。ゲームの世界における「世界観」というのは、単に「商品価値のある美術設定」という意味でしかないのがポイントである。 さらにぶっちゃけると「人の目を引く奇抜な見た目」ということだ。なにしろ商売だから、そうした割り切りが必ずしも悪いとは言わないが、そうした薄っぺらい内実にまったく無自覚なまま、「世界観」などという言葉を恥ずかしげもなく使ってしまうというのは、たしかにゲーム業界のある面を象徴しているのかもしれない。 わかりやすい例で言えば、一番「世界観」について言われるファンタジーRPGに登場する人間たちは、いかにも趣向を凝らした奇抜な衣装を身にまとって、風変わりな舞台で活躍しているが、彼らがどうしてその場所でそんな格好をするに至って、それでどんな生活を送って、どんな望みや悩みを持っているのかといった部分は果てしなくナゾである。 要は宝塚のようなもので、出てくるものすべては無責任で薄っぺらい書き割りに過ぎない。もちろん宝塚は確信犯的にそうした無責任で薄っぺらい書き割りを描いており、それはそれできちんと一つの表現足りうるのだが、よりにもよってそうしたものに「世界観」という言葉をうれしそうに使ってしまうところが、すなわちゲーム業界の浅薄さというものではあるまいか。 「世界観」というのは、文字通り世界を見つめる「視点」のことであって、たとえ画面に映る物が一足の古靴であっても、それを内包する世界そのものを暗示させる視点によって、たとえその場に写っていない関係性を観客に提示することだと思う 世界観とは奇抜な衣装を考えることでなくて、そんな奇抜な衣装を着ている人間が登場するためには、彼の周囲の状況が恐ろしいほど欠落していることが多い。まったく想像できないし、たぶん制作者も考えたこともない 本来「世界」というものであれば当然示されるはずの関係性といったものは そういったことは一切 そうしたその関係性は一切 ビジュアルでまったくフォローまったく想像もできない。 もっともらしいビジュアルで毎回描かれているけれども、ビジュアルに関係ないもの商品価値のないものは世界観として呼ばれない。よくある「文明が崩壊して千年」とか絵的な見た目以外と さらに言えばなんかファンタジックな異世界を一番よく使われる 2003/05/26 BSマンガ夜話で999をやってる。 うーむむ。マンガってこれだけ一大産業を成したのに、きちんと語ることがホントにできてないなあ。マンガに限った話じゃないかもしんないけど。結局才能のある人は語る側じゃなくて作る側に行っちゃうからなんだろうなあ。 2004/01/03 2ちゃんナショナリズム。 また2ちゃんねるの話。 2ちゃんで大人気の安ーいナショナリズムを見るに付け、なんだか暗澹とした気分にさせられる。ナショナリズムには、本来それなりの意義や必要性もあると思うのだが、こと人の口の端に登るや、なぜにこうも安ーい方向にしか利用されないのだろうか。 それこそナショナリズムの本質なのかもしれないが。 さらに言えばそんなことオレに言われたかないと思うが。 2004/01/06 以下覚え書きですが、私はゲームのビジュアルとは常々「絵」よりも「図」に近くあるべきだという信条を持っております。つまり「何がどうなっていて、何をすべきか、誰でも一目でわかること」こそが第一義であって、迫力とかリアリティとかは、あくまでもそれを飾る一要素に留めるべき、ということですね。 ゲームは、寝てても最後まで進む映画とは違って、とにかくプレイヤーに、積極的に関与し続けてもらわないと一歩も先に進みません。ということは、その関与の方法が常に明示されない、つまり「何をやったらいいのかよくわかんない」というのはそれがどれだけビジュアルとして優れた表現であっても、ゲームとしては、もうダメダメになってしまうのです。 もちろん、図というのはわかりやすい反面、表現としては退屈なので、そこでプレイヤーを飽きさせないための、あらゆる手段、演出というものがが必要とされるわけですが。 悲しいことにプレイヤーというのはワガママで、どうしても見た目の派手な部分にまず目を向けてしまいますので、作り手としてはそこで手段と目的が入れ替わったりしないよう注意が必要です。 最近では、ハードの性能がハネ上がったので、昔はやりたくてもできなかった迫力満点の凝った演出がいくらでも実現可能ですがことゲームのビジュアルに限っては、普通とは逆に「いかにウカツな演出に振り回されず、全体を『図』に留めるか、」という、引き算のセンスなり努力が大事のように思いますね。 2004/01/08 ゲーム売り場のデモで「七人の侍・20XX」を見て暗澹たる気持ちに。 これは一体誰が望んだリメイクなんだろう。作り手に、オリジナルへの理解も敬意もカケラも見られない。「こんなん別に興味ないけど、回ってきた仕事だからな~」という気配がアリアリ。 なまじ結構力が入っている作りだけに…あーあ…。 2004/01/16 平林久和が写った瞬間見るのをやめてた「ファミコンのビデオ」を一応最後まで見る。 オレが悪かった。他のメンツはもっとアレだわ。 本当にこの業界、もうロクな人間残ってないのな(オレ含む)。今だにゲームにしがみついているのは、他に能のないバカか、ただのサラリーマンか、安いサギ師だけだ。こんなソツないだけの、安っぽいくくりで終わるメディアって無残だな。 いいモチベーション向上になった。 2004/01/22 今度の仮面ライダー、頭にGペンくっつけたみたいでヘンなの。ディティールにもいちいちセンスがなくて、えらくカッコ悪いんだけど、なんかデザインが石森プロの人みたい。 こういうのって「宮崎駿が死んだ後のジブリ」みたいなもんで、純粋なリメイクとかならともかく、いまさらわざわざ新規に発注する意味なんかないんじゃあるまいか。それとも、何か権利がらみの綱引きでもあるんだろうか。 放映は見てないんだけど、デンセンマンみたいな「龍騎」とか、踏み切りの信号みたいな「555」とか、ヒット作なのにデザイン的な冒険を恐れない姿勢には結構シンパシーを感じていただけに残念。 戦隊ものもなんだか最近急にダサくなったし、ゴジラのどうしようもなさは言うまでもないし、(毎回モスラかメカゴジラかキングギドラを出せって横槍入れてるバカは死ね!)ああいうのはたいてい、上の人間がいらんことを言ってるんだろうなあ。 2004/02/27 ジャッジメントシルバーソードが再販されるそうで、まずはメデタイ。 こんなとこ見てないと思いますが、どうせならぜひ今度は「スーパーイージー」を追加してください。いやマジで。インカムをかっぱぐ必要があるアーケードならともかく、コンシューマーで、しかも携帯機だというのに「この難易度を楽しめるヤツだけがプレイすればいい」みたいなのはやめたほうがいいと思いますよ。 いつまでたっても26面が越せない逆恨みじゃないよ。ホント、信じて! 2004/04/18 先日、魔境4の取材で元データイーストの堀口さんと出井さんにお会いした。 ファミ通「あんたっちゃぶる」に登場したこともある、デコの誇る超絶ピンボーラーの方ね。 私はこれまであんまりピンボールに詳しくなかったのだけど(同席いただいた栗原さんと八木さんにはお世話になりました)お話をうかがって痛切に思ったのは、日本のピンボールって、こういう人たちに恵まれてなんて幸運だったのかいうこと。 啓蒙や普及活動の数々、まさにマニアの鑑。 オレの大好きなシューティングゲームは、一握りのバカでワガママなユーザーを残して、とうとうこういった文化を残さずに消えてしまったなあ…。 しかしネタのほうは死ぬほど集まったけど、これをどうやってまとめればいいんだ! 2004/05/22 メモ いまのところさっぱりアテはないのだけど、いつか物語の中できちんと神を描きたい。 よくある薄っぺらいキリスト教的ゴッドのパロディや書き割りでない神を。 適当なイメージをツギハギした「僕が考えた神」でない神を みなが好き好んで描くデーモンの反語でない神を。 チャビンのランソン像のように、人間を一顧だにせず、ただ蹂躙するおそるべき神。 いつぞや電車で乗り合わせた、●●教にハマった善良なおばあちゃんの、どうしようもない真摯な祈りのその先にいる神。 近代によって殺され、カルトによって辱められ、それでもしっかり人間にへばりついて離れない、つーか人間のほうで離れたくないらしい、そんな21世紀の神の姿を、ニヒリズム以外の視点からちゃんと描きたい。 昔アニメが何かと「愛とは」「平和とは」とかやってたみたいに、こういうバカげた試みは若者文化(つーかジャリ相手の商売の担い手)としては、一種の義務だと思うので。 オレ米食ってる日本人だから、いろいろ悩んだあげくにフタを開けたらあっさり仏を描いてるだけになるかもしれないがナムナム。 2004/06/07 PS2の「ウルトラマン」を買った。 ゲームとしては単調になりがちで、底が浅い気がするけど、オリジナルの再現度がかなりのものなので、単なる「ウルトラマンごっこツール」と割り切るとこれもアリかなあと。難易度を「キッズ」にして、風呂上りにビール飲みながら怪獣ボコボコにするのは楽しいです。 ハードの表現力が(比例して開発コストも)上がってくると、版権ものはみなこっちの方向に流れるかもな。絵的な再現度に力を注ぎ込んで、ゲームはそのオマケ程度というのは、すっかりヌルくなってしまった一般ユーザーも望んでいるところなのかも。 ペスターやグビラ相手にゴリゴリの対戦格闘をやらされても困るだろうし。 2004/06/24 オレはタバコを吸わないし、人がメシ食ってるところでタバコ吹かす奴は無条件に絞め殺したくなるのだけど、今日の話。 いつもの店でメシ食ってたら、となりのいけすかない夫婦が。お給仕のお姉ちゃんを呼びつけて、「この店は禁煙なの?タバコは毒なのよ!こんな狭い店で毒をばらまくヤツがいたらどうするの!店の怠慢よ!客の迷惑よ!すぐに禁煙にするのよ!するのよ!この近所でももう、このリスト(懐から取り出すんだよ!勧進帳みたいなリストを!)にある店はもう完全禁煙なのよ!この店も完全禁煙にしたらリストに掲載してあげてもいいわ!」…とまくしたてる。まさに世間の良識とやらをカサにきた傲慢。 てめえがお姉ちゃんを呼び止めてるあいだに、オレのところに来るはずのスプマンテがどんどんヌルくなってるほうがよっぽど客の迷惑なんだがな。オレこういう手合いが一番嫌いだ。戦争中は同じ調子で「非国民よ!」とかやってたに違いない。言ってる内容にはまったく賛成なんだけど、なんか発作的に絞め殺したくなっちゃったよ。 2004/08/20 最近よく考えること。 ゲームはだいたい5000円くらいするんだけど、5000円あったら相当いい本が買えるし、いい映画だって見られる。我々の仕事は、つまりそうした機会を子供から奪ってるわけだ。 自分の表現したいものを作ったり、それが子供たちに喜んでもらえて100万本売れたりするのも、ゲームを作る動機としてもちろんアリアリだと思うけど、みんなそろそろもちょっと考えてみないか? もちろんそれが単なる説教の押し売りとかになったりしては意味がないんだけど、ゲーム屋の意気地としてさ、「この5000円、多分もっとマシな使いみちはあるんだろうけど、でも決しておまえさんの人生の損にはさせねえぜ!」と言い切れるくらい、内容に責任を持つべきではなかろうか。そういう自覚を持たないまま、面白おかしくフラフラと性根の座らないモノばっか作ってると、いつまでも世間にナメられっぱなしのような気がする。 実は、こないだ作ったゲームは、甥っ子に遊んでもらおうと思って作ってたのな。甥っ子の家は、ふだんゲーム禁止なんだよ。もちろんオレに直に言うわけじゃないけど、親の方はゲームを嫌ってる気配アリアリ。でも、オレもそれに面と向かって反論できないのな。オレだって自分のガキがいたら、今のゲームをわざわざ薦める気にならないもん。金を稼ぐことしか考えてない内容ゼロの遊びだし、目悪くなるし、外にも出ないし。こんな悔しいことってないぞ。 長くはない人生と多くはない才能を浪費して、ほとんど泣きわめきながら作ってるものが、世の親に嫌がられるような害毒でしかないってのはどういうことよ。手塚や藤子が、そっから歯を食いしばって見せた意気地が、なんでオレたちにはないのよ。 だからオレ、こないだの仕事は商売だからとか一切抜きで、一人の大人として、甥っ子に真正面から向き合うつもりで作ったのよ。「まだ小さいから、よくわからんところもあるかもしんないけど、これやってみてくれ。おまえさんに遊んでほしいんだ。」胸を張ってそう言えるように。 したら「ごめんさいねー。せっかくいただいたのに、ウチはゲーム、週末にしか遊ばせないからポケモンばっかりやってるんですよー」 …道は険しい。 2004/08/24 グラディウスVやってます。集中力が続かないので一日1チャレンジ。 #内さん、あのバスクリン面なんとかなりませんかムキー! グレフが協力したというテクスチャに、クオリティのバラつきがあるのもちょと気になる(十分許容範囲だけど)。 私でよければ、よかったら今度声かけてください。 2004/11/07 こんど出るドラゴンボールのGBA版がいいデキみたいですね。大変スキのない作りで頭が下がります。 2004/11/08 一方、ネオ魂斗羅イマイチですね。 あんまりこういうこと書きたくないんだけど、魂斗羅大好きなのでちょっと書いておきたい。魂斗羅の一番の売りは、細かいことは気にしない力押しの豪快さにあると思うんだけど、その点なんだか遊びがチマチマしてる上に、絵はメタルギアみたいなスカシ気味なのが逆効果で、妙にススぼけた感じー。ムービーのバカバカしさ以外に見るべきところがなくなってしまっている感じー。とっても一生懸命作ってるのはわかるんだけど、コンセプトの部分で、もっと魂斗羅のどこを活かすかをキッチリ押し出した方がよかったんじゃないかな。あるいは営業とかプロデューサーが余計なチャチャを入れてきたのかしら。 いまどきなかなかこういうゲームを作るのも難しいと思うんで、どうかがんばってください。 2004/11/20 2005/0x/xx(その1) 日本人のファンタジー観 最近は洋風だけじゃなくて、オリエンタルなファンタジーもずいぶん親しまれてるけど、不思議なのは、そこになぜか仏教的な要素がほとんど見られないこと。神道や道教的な要素はむしろ好まれているので、意識的に排除されているような気配すらある。やはりファンタジーというのは「ここではないどこか」を舞台とするだけに、自分の血肉に近いものからは離れたいのだろうか。 本家洋風ファンタジーも、考えてみればキリスト教的要素をできるだけ廃して、セルティックなものに近づきたがる気配があるが、あんなものなのかも。仏教的ファンタジーの代表みたいな西遊記の場合も、あれが書かれた時代の仏教は、儒教や道教の中に埋没して、むしろ中国人の日常からは遠いものだったろうから、逆に憧れの対象になりえたのかもね。 2005/0x/xx(その2) よくSFとかを読んでいて違和感を覚えるのが「人間」あるいは「生命」についての認識。 なにしろ我々は人間なので、人間というのは特別なもので、人間と他の生物の間には決定的な差があって、人間こそが勝ち組つーか万物の霊長みたいな勝手な思い込みがあるけど、多分そうじゃあるまい。 さらに言えば、なにしろ我々は生命体なので、生命というのは特別なもので、生命と非生命というのはなにか決定的な差があって、生命こそが勝ち組つーか究極みたいな勝手な思い込みもあるけど、これまた多分そうじゃあるまい。普通に考えたら、そんなのが宇宙規模での決定的な差であるわけはなくて、まあもっと上には上があると考えた方が自然だろう。それがどんな「上」で、具体的にどんなヤツなのか見当もつかないが、そいつらを前にしたら、ひょっとして我々は知性を認められないどころか、「こんなものは生命ですらない」と一蹴されるだけかもしれない。 ちょうど我々が結晶とか対流といったものを眼前にして、なんら共感を覚えないように。 2005/08/05 アーミートーフー テレビで新シルクロードをやってる。 敦煌あたりは阿弥陀信仰なのな。西方の兜率浄土なのな。金ピカの阿弥陀如来のなんたる俗っぽさ。現世利益そのもの。でも彼らにとって、これこそ仏なのだ。景教のフィルターをかました、いわば仏教の最終形態だ。(もう一個、ミロク信仰もあるな) こんなこと仏陀は一言も言ってない。だが仏陀が何を言ったか、そんなことはちっとも仏教の本質ではないのだ。イエスの言葉が、ちっともキリスト教の本質でないように。ただ茫漠たる地平が、そしてその上に、静かに積み重ねられる歴史があるだけだ。 もう沢山だ。オレは西方にも天上にも行かない。 2006/01/16 PCでゲーム といっても最新グラボでFPSとかじゃないよ。 8リビングに仕込む-16ビットのエミュ用、レトロ系オシャレマシン。 いろいろ試したが、結局ASUSのPUNDIT(黒)にセレのトロめ、(静かで熱くない奴) サウンドがタコなので、USBオーディオ、もしくは安めのサウンドボードを一枚かます。 コントローラはスマートジョイパッド3にロジテックのPS2用ワイヤレスを挿すのが一番カッチョよかったなりよ。無線だからPC自体は隠せるのもナイス。レスポンス、操作感では一歩劣るが、そんなときは実機引っ張り出せばいいんだよ! 2006/01/20 ジューシィなゲームたち。 8~16ビット期のゲームが、今もオレの心をとらえて離さないのは、光り輝くドットやピコピコしたサウンドが生み出す、えもいわれぬ「ジューシィ」さのせいだ。この世ならぬ電子の果実にかぶりつくような、刺激的で爽やかな味わいのせいだ。無限に流れるデジタル8色の星々を、金属的なFM音源の響きを、なんて美しいんだろうと思った。東亜プラン「達人王」の、官能的なまでに濃厚なドット絵を見ると、今も舌なめずりが出てくる。 イマドキのゲームにあまり食指が動かなくなったのは、隙がないだけでどこにも華のない、そのガサガサしたビジュアルに、「ジューシィ」さが感じられないからかもしれない。 2006/02/23 「サイレン2」買いました。怖くて遊べません。 なんで金払ってこんな怖い思いをしなきゃならんのでしょうか。 バグチェックやらされた奴は大丈夫なんだろうか。 2006/02/24 「ゲド戦記」予告見ました。 なんか思ってたよりいいですな。「バルテュス・豪華版」みたいな感じで。「アリーテ姫」みたいな、ムダな独自性を発揮しようとか妙な気負いがなく、堂々とパチモノ作ってるところに一種の清清しさがあります。どう見てもパチモノでしかないところも、かえって安心して見ていられる感じです。 こいつらを皆殺しにするのがこれからの仕事だな。 2006/08/25 ここだけの話ですが、スクリューブレイカーの大金庫が1年ぶりにクリアできました。 謎解きのヒントはもらってたのですが、ゲーム屋のサガが災いしたのか、まさか言われたとおりのことを本当にやらせるつもりだとは思わなかったのです。桃太郎伝説の「いなずまの術」を思い出しました。 ゲームフリークのゲームって、とってもゲームが好きなことはわかるけど、プレイヤーのことがあんまり好きじゃないよなあ。今エジプト面です。 2006/11/25 久々にギャラリー更新しましたのでよかったらどうぞ。「カルドセプト・サーガ」みんなもよかったら買ってね!サンプルまだ届かないけど気にしないさ! あと、最近は「オレIN1」編集にハマってます。無人島に持っていくとしたらこれ一本で事足りるようなオレの、オレだけのマルチロムを!ちなみに断然GBミクロ用。DSはいまいち常時携帯には美しくないザマス。 今は断然オーバーホライズンさー! 2006/12/18 次回のゲームサイドは「8bit年代記」 久々にコピー不使用のマジメなマンガなので、よかったらどうぞ。 疲れたらまた桃老人が出てくる予定だけど。 2006/12/20 DSのマジコンが流行ってるんだが、正直あんまり食指が動かない。 マジコン使ってまで遊びたいハードじゃないというか。 どっちかというとGBAミクロの方がよほど熱い。多分あれがサイズ、スペック的に携帯機の最終形態だろう。ギリギリキーチェーンに繋げるし。もうちょっとPCエンジンやスーファミが実用的速度で動いてくれたら文句ないんだが。 どうもmixiでも日記を書いていたらしいが……見つからない。
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http //www.zolge.com/graphic/nhist.html (観覧不可、Internet Archiveで観覧可能) 全面改訂にともない、当サイトの来歴について新たに記します。 「東洋バフォメット評議会」とは、忘れ去られたオールドゲームや、誰も知らないカルトなオタク情報について、なじかは知らねど深く熱く追求する、よくわからない団体です。 よく団体名について語源を聞かれますが、これはまったくその場の思い付きです。テンプル騎士団とかとの関係など一切ございませんのでご了承ください。本当だよウヒヒヒ。 1996年冬、ゲーム関係の同人誌とかを適当に作って、コミケにサークル参加し、それを隠れ蓑にして並ばずにエロ本を買おうという、果てしなくロウな志のもとに結成されました。 当サイトは、「東洋バフォメット評議会」の活動拠点として1998年に設立され、2002年に独自ドメインを取得しております。 代表は当サイトの製作者であるところの私「ゾルゲ市蔵」。これまたものすごく適当に付けたペンネーム(*1)がなんか定着して大後悔。 隠れ蓑のはずの同人活動が、出版者様のご好意で本にまとまるなどして、予想もしない形で今日に続いております。 というわけで、このサイトは、私「ゾルゲ市蔵」と、サークル「東洋バフォメット評議会」の情報がいっしょに記載されており、その他、興味の赴くままに、トンカツや隕石など、まるで関係ない情報もごっちゃになって混乱すること甚だしいとも思いますが、これも人生のスパイスだと思って気にしないでください。
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第7回 脱出(2) 0犬の群れは、もう悠長な陣形を組むのをやめ、一列になってハルカを追ってきている。 ハルカの走ってきた道筋に沿って、上空を数珠つなぎに並んでいる様子は、まるで連凧のように見えた。 目の前には、ようやくたどり着いた多摩川の河川敷があった。野球場やテニスコートが広がっている。この多摩川さえ越えれば東京都に、家に戻れるのだ。しかしそのためには、なんとかこの先のガス橋までたどり着かねばならない。 この土手を、あと1キロほど逃げ切る必要があった。 こんなに走ったのは学校のマラソン大会走以来だろうか。 脇腹が、ふくらはぎが痛み始めた。 土手の上は、ここも意外なほどに残像が濃い。走る手足がそれに触れ、即席の防護服がさらに破けた。 ただ、周囲の様子はよく見える。待ち伏せを警戒する必要だけはなくなった。 はるか川崎方向のかなたに、例の塔がまた見えた。結局あれは何なのだろう。その謎を解ける時がくるだろうか。今は、この状況から脱出できるかどうかもわからなかった。 土手の上に0犬の行列を従えて、ハルカはさらに走った。 突然に、背後の0犬が音を立てた。声というべきなのかも知れない。 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ 金属同士をぶつけるような鋭い音で、3秒ほどの間隔で連続して起こった。小さな音だったが、ほとんど静寂に包まれたメギ曜日の中では、それはいかにも遠くまでよく響いた。 それに反応するようにして、数珠つなぎの0犬が一斉に騒ぎだした。 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ カチッ、カチッ、カチッ、カチッ 突然の事態にハルカは当惑した。 しかしその意味はすぐにわかった。 どこか遠くから、かすかだが同じ音が聞こえてきたのだ。 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ いやな予感がした。 その予感を裏付けるように、多摩川の対岸、東京都側の上空に、ゴマ粒ほどの小さな茶色い点がいくつか浮かびあがってきた。 連絡を取り合っていたのだ。 5つほどの点が、急速にガス橋の方に向かっていた。まるでハルカの狙いがわかっているかのように。 橋の上で挟み撃ちだ。 0犬は、群で協力して獲物を追いつめる、完全な狩人だった。 目の前にガス橋が迫ってきた。 だがどうすればいいのか。 この橋を今渡らなくては、もう絶対に家までは間に合わない! そのとき、何かが猛然と迫ってくるのが見えた。 川崎方向から、自転車だ。 ハルカは、一瞬ポカンと口を開けた。 残像ではない。ハルカのように普通に動いていた。 自転車も、乗っている人間も、すべて黄色一色だった。 それは、ハルカがメギ曜日ではじめて見た、生きて動く他の誰かであり、その奇妙な姿にもかかわらず、まるで白馬の騎士のように見えた。 黄色の騎士 近づいて見ると、それはまったく気違いじみた騎士だった。 自転車は、アルミの太いフレームに、サスペンションがいくつも仕込まれたマウンテンバイクだ。大掛かりな改造が施されているようで、なんに使うのか見当もつかない様々な道具類が、びっしりとフレームに装着されていた。 タイヤやブレーキといった動作部分以外は全て、黄色いビニールテープが隙間なく巻かれている。 乗っている人間のいでたちも、また気違いじみていた。 ヘルメットにフェイスガード、ジャンパー、ブーツ、グローブ。 そのすべてが真黄色に塗り潰されていた。 服の繋ぎ目すら、黄色いビニールテープで厳重に巻かれている。そのためか全身が濡れたように光って見えた。 さながらモトクロス選手と宇宙飛行士の合いの子といったところだ。 黄色の騎士は、駆け寄るハルカに目もくれずに、目の前で急停車すると、フレームに装着された道具の一つを、素早く外して手に取った。 ビニールテープを隙間なく巻きつけた棒状のものだ。 フェイスガードの隙間にその先端を差込み、トロンボーンのように構えると、ほとんど同時に小さな黒い針のようなものが0犬に飛んだ。吹き矢だった。 「蠣蛎蜘蜘蜘蜘蜘!」 空気を切り裂くすさまじい声がした。 背後に迫っていた先頭の一匹に命中したのだ。 その名状しがたい異様な声と、かん高い響きの鋭さに、腰が抜けそうになった。 0犬は結晶となった。 あのぼんやりとした繊維質の体が、一瞬で凍結したように、立体のモザイクとなって固まった。 続けざまに針が飛んだ。 「蠣蛎蜘蜘蜘蜘蜘!」 「蠣蛎蜘蜘蜘蜘蜘!」 一発はさらに背後の一匹、もう一発は橋の方から迫る先頭の一匹を、正確に狙い撃ちしていた。 見事な腕だった。 三匹の0犬が、固まったまま、ゆっくりと地上に墜落して、そのまま自重で砕け散る姿を、ハルカは幻を見るように眺めていた。 「どこから来た!」 黄色の騎士は、はじめてハルカの方に向き直ると、フェイスガードを跳ね上げて、鋭く叫んだ。 顔が見えた。やはり少年だ。 おそらくハルカより二つは年下だろう。頬を紅潮させ、目には当惑と、焦りの表情を浮かべている。 「もう終わるぞ!どこから来たんだ!」 その声の激しさ、ハルカは我に返った。 「ひ、東矢口」 声がうわずってしまうのが、自分でも情けなかった。 「バカ!来い!」 少年は、いきなりハルカの手をひっつかむと、土手を駆け下りた。川に向かって。 自転車は、吹き矢と共にもう一方の手で担いだままだ。速い。ハルカは土手の坂道を転げ落ちるようにして、必死で後を追った。 0犬が、再び動き出した。吹き矢の射程距離を警戒するように、遠巻きの円陣を組んで迫りつつあった。 野球場を越え、テニスコートも越えた。少年は橋の方には目もくれず、ひたすらに川を目指していた。 泳いで渡ろうとでも言うのだろうか。 岸までたどりつくと、少年はいきなり自転車を水面めがけて放り出した。 ハルカは思わず息を呑んだ。 しかし、自転車は沈まない。つかんだままの片手のハンドルさばきで、そのまま水上に立ち上がった。川の水が粘土のように固体化しているのだ。 「乗れ!とばすぞ!」 自分も水面に降り立つと、少年は断固として言った。 多摩川の上を ハルカと少年は、多摩川の水面を自転車で疾走した。 それは、とほうもない体験だった。 水面は、青灰色に輝く寒天の原野のようだ。物質としての水ではない。絶え間なく流れる川の残像、膨大なその運動エネルギーの上に乗っているのだった。 ものすごいスピードで多摩川大橋が近づいてくる。 自転車にサドルは一つしかない。ハルカは、後輪の軸から突き出した棒状の突起の上に立っていた。手は少年の肩にしがみついている。 車輪から直に伝わる激しい振動に、ハルカは振り落とされないよう必死だった。 足元を見ると、二つのタイヤが、わずかに水中へと沈み込んでいるのがわかる。 不思議な寒天のぬかるみだ。わずかな轍が波紋となって、後に美しい尾を引いていた。 止まれば、おそらくゆっくりと沈んでしまうのだろう。それにしても、なんと深く美しい青なのだろうか。 ハルカの様子に気付いた少年は、背中を向けたまま怒鳴った。 「下を見るな!」 驚くハルカに向かって、少年は早口でまくしたてた。 「アオウオだ!やつに見られたら0犬もやられちまう。だから見るな!」 (なぜこの少年が、『0犬』の名を知っているのだろう!) (『アオウオ』ってなんだろう?) ハルカの脳裏に小さな疑問が浮かんだ。 しかし次の瞬間、それとはまったく別の考えが、唐突に頭の中に膨れ上がり、そんな疑問を押しつぶしてしまった。 それは、強烈で異常な思考だった。 (0犬なんかどうでもいい。) (0犬なんかより、水だ。) (水の中が見たい。) (水の中が見たい。) (水の中が見たい。こんな男は信用ならない。) (水の中が見たい。そうだ、こんな男は最初から信用ならないと、自分は知っていたのだ。) 何の脈絡もない断片的な思考が、後から後からハルカの頭の中に溢れ出し、脳を中から焼いて焦がすように果てしなく反響した。 (水の中が見たい。) (水の中が見たい。) (水の中が見たい。水の中さえ見ればすべてはうまくいくのだ。) (水の中を見るのだ。) そしてハルカは、水の中を見た。 水の中でこちらを見つめるなにかと目が合った。 それは目だった。 眼球のような生物的器官としての目ではない。むしろ描かれた絵のように、平面的でうつろに見えた。 それは、人間の脳の奥底に、本能的な恐怖として焼きこまれた、「目」のイメージそのものだった。 暗い水の底には、そのような目が、一瞬無数に折り重なって見えた。 頭の中に、冷たく青いものがどっと進入してきた。 ハルカは、絶叫した。 あと500 自転車が水上で激しく転倒した。 少年が何か大声でわめきながら、引きずるようにして、自分と自転車を岸に引き上げようとしているのを、ぼんやりと感じていた。 まるでテレビの中継を見るように、すべてが遠く、他人事のように思えた。 なんということをするんだ。とハルカは思った。 (もっと水の中を見なければならないのだ。) (もっとあの冷たく青い感覚様を味わうのだ。) (もっとあの冷たく青い感覚様を味わうのだ。) ハルカは信用のならないこの男から逃げるため、必死で抵抗した。 なにか鈍い音がした。それが自分の骨が鳴る音だと気付くのにしばらくかかった。 少年がハルカの顔面を殴り飛ばしていた。平手打ちなどではない。手加減なしの本気だ。 二発、三発、四発。上唇になにかぬるぬるとした温かいものが伝い落ち、その不快な温もりが、ハルカから青い感覚様を奪った。舌の上に鉄と塩の味が乗った。血だ。 鼻血が噴き出している。 「起きろ!来るぞ!」 そこは多摩川大橋の橋脚だった。東京側の岸だ。 視界の端に小さく0犬が見えた。川から上がったハルカたちを、再び追ってきている。 あれが、0犬がまたやってくる。 一気に自分の思考が戻ってきた。 ハルカは、少年を突き飛ばすようにして跳ね起きた。 唇を伝う血がぬるぬると温かく、周囲の風景がぐるぐる回っていた。 少年は一瞬だけハルカの目をのぞきこんで、正気を確かめるようにすると、また腕をひっつかんで、土手を目指し駆け出した。なんとかハルカもそれに続いた。 走りながら一瞬、川の方を振り返ると、ハルカたちの転んだあたりで、何か水面が青白く光ったような気がした。 ようやく土手の上まで登りきって、少年はハルカの耳元で叫んだ。鼓膜が破れるほどの大声だ。 「走れ!あと500もしたら終わりだ!死にたくなかったら家まで走れ!眠るな!」 「500?」 ハルカの問いかけに答えず、少年は自転車に素早くまたがると、土手の上を矢のように走り出した。再びガス橋の方向、0犬が迫る真っ只中だ。 「御(おん)ショウタ様!」 奇妙なときの声をあげ、少年は0犬の群れに突っ込んでいった。 その姿がみるみる小さくなっていくのを、ハルカは呆然として見守っていた。 突然に、静寂の中に一人とり残された自分に気付いた。 (そうだ、) (急がなけ) (れば。) 鼻血を手で拭った。手の甲にへばりついた、固まりかけの赤黒い血の色。 気が遠くなりそうだった。 まだぐらぐらする頭でしばらく考えて、橋の下をくぐり抜けた。こうすれば、横断の危険を冒さずに、もと来た下り車線側の歩道にたどり着ける。 また走った。走りながら無意識に数を数えていた。 あと500、という少年の言葉が耳に残っていた。 国道一号線は、来たときと同様に静まりかえって、動くものは何もなかった。少年が注意をひきつけてくれたからなのだろうか。だがハルカには、あらゆる物陰にまだ0犬が潜んでいるような気がしてならなかった。曲がり角や大きな看板には特に注意しつつ、先を急いだ。 142、143、144、145 できるだけ普通に、遅くも早くもならぬようにハルカは数を数えつづけた。少年がいない今、不安を紛らすにはこれしかなかった。空が次第に暗くなってきた。メギ曜日の終わりがいよいよ迫ってきているのだろう。 223、224、225、226 カー用品店の前を過ぎ、コンビニの前を過ぎ、ラーメン屋の前を過ぎた。 しだいにあの特徴的な睡魔が、少しづつ自分を襲い始めたことに気付いた。 ハルカは脂汗を流しながら、さらに足を速めた。 350、351、352、353 ファミコンショップの前を過ぎ、またラーメン屋の前を過ぎた。蒲田陸橋が見えた。 眠気が急速に増してきた。ずきずきと頭痛が始まり、眼球が勝手に動き出して視線が定まらなくなった。空はがらんとして暗い。一歩進むごとにその振動が頭に響いた。 411、412、413、414、 ようやく蒲田陸橋にたどり着いた。 眠い、ただ眠い。空はもはや黒い空洞のようで、黄色い火花が自分の周りをぐるぐると回っているよう感じられた。 自分が何をやっているのかすら、わからなくなっていた。 あと86しかない、いや96だったろうか。 夢遊病者のように、足を引きずりながらハルカは進みつづけた。 483、484、 角を曲がった。家が見える。ああ、しかしもうだめだ。 その瞬間。メギ曜日が終わった。 薄れ行く意識の中で、自分の体がもといた場所に、マンションの四階まで吸い寄せられるような感覚をハルカは感じた。 そして月曜日 ベッドで意識を取り戻したハルカは、まさに悲惨なありさまだった。 火傷のような赤い腫れが、露出していた肌の全てに及んでいた。 手足のそこらじゅうは擦り傷だらけ、肘や膝は特にひどく、大きなかさぶたとなってズキズキと痛んだ。 少年に遠慮なしに殴られたせいで、顔は青黒く腫れ上がり、足腰の筋肉は鉛のようにこり固まっていた。 何よりひどかったのは、まるで交通事故にあったような全身の痛みだ。皮膚や筋肉だけでなく、骨や内蔵の細胞一つ一つに至るまで、激しい衝撃に、きしみ、悲鳴を上げていた。メギ曜日が終わるまでに、もといた場所にたどりつけなかったためのダメージに違いなかった。 今が夏休みでよかったと本当に感謝した。 だが、娘のおそるべき姿に驚愕した両親を、寝ぼけて転び、顔を机にぶつけた、と言いくるめるのは、かなり大変だった。 ビニールの切りくずと成り果てた、「シミズデンキ」の黄色い袋が部屋中に散乱していたためもある。両親が、それぞれの出勤の支度に追われていなかったら、いろいろ詰問されずには済まなかったろう。 一人ベッドに残ったハルカは、ろくに寝返りもできず、苦痛にあえぎながら、あわれな一日を過ごした。 外は上天気で、窓の外には、大きく発達した入道雲の上端が見えた。 どこからか、テープに録音された竿竹屋の声が、近づいては遠ざかっていく。いかにも平和な夏の一日だった。 「竿屋、竿竹、20年前のお値段です。」 ハルカはぼんやりと天井の蛍光灯を眺めながら、考えていた。 ちょっとした遠出のはずが、とんでもない冒険行になってしまった。 思い返してみると、生きて帰れたことすら不思議だ。自分の幸運と、あの不思議な少年に感謝せねばならなかった。 それにしても、あれは結局何者だったのだろう。走り去った方角からすると、世田谷方面の子だろうか、下丸子か、久が原あたりかもしれない。 少年の、決然とした眼差しと、紅潮した頬とをハルカは思い出した。 奇妙ないでたちと、見事な吹き矢の腕を思い出した。 たった一人で、0犬の群れに突っ込んでいった後姿を思い出した。 あれは、ちょっと格好よかったな、とハルカは思った。 湿布を貼った頬にそっと触れてみた。ものすごく痛かった。 ・・・本気でなぐりやがって。 感傷はどこかに吹き飛んだ。歯がグラグラだ。女の子になんと言うことをするのだろう。 唸り声を上げながら、ハルカはベッドの中で一日を終えた。 とにかく、もう外に出るのはやめよう。いや、こんな遊びそのものを、だ。 エビも、雲母粉も、後藤伸吉も、メギ曜日も、もうおしまいだ。 ハルカは固くそう決心した。 しかし事態は、もはやハルカの決心くらいでは収まらなかったのである。 第8回へ続く(7月10日公開予定)
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BATLLE INTERVIEW ゾルゲールに問うお前、本当に作(や)れんのか! 「サンダーフォース」シリーズを応援してきた本誌だけに、ハンパな気持ちで続編を作られてしまっては泣くに泣けない。だったら直接ナシつけたると、開発者の本音に迫る超絶インタビューを敢行。突破せよ! ―まず聞きたいのは、なぜセガから、しかもゾルゲール・作で「サンダーフォース」なのかという点なのですが。 ゾルゲール:オレはシューティングが好きだ。お前らも好きだろう。 つまりは、そういうことだ。 ―煙に巻くような発言はやめてください。どういう意味なんですか? ゾルゲール:……では解説しよう。オレはシューティングが好きだ。当然これからも続いてほしいと思っている。そのために、オレの立場で出来ることは“シューティングを継続した商売にできる”可能性を探ることだ。その方法を考えているうちに、シューティングというジャンルのレーベル化を思いついた。1本で作っても単発の打ち上げ花火にしかなっていないのだったら、“ジャンルとしてのシューティング”を擁立して、「みんなが好きなあのゲームをどんどん作るよ」ってな。 とはいえ、現状では絵に描いた餅でしかないので、まずは1本作ってみろ、という会社の答えが「サンダーフォースⅥ」なワケだ。このプロジェクトが軌道に乗れば、セガだけでなく、今は眠っている著名なタイトルの復活だってできるかもしれない。 ―なるほど、ちょっとはいいこと考えているんですね。で、作り始めてから、少しは苦労しているんですか? ゾルゲール:シューティングゲームは、作るのが難しいジャンルだ。上手く作れば金も時間もかからずに作れるのだが、ゲームデザイナーのセンスに拠るところが大きい。一流のシェフなら10分で作れる料理も、下っ端では数年かかるだろう? 正直自分でも開発を進めていて、“もっとできるハズだ”という気持ちに苛まれることもあるし、センスの重要さを思い知らされている。この記事で掲載してるスクリーンショットにしても、100%納得しているワケではない。かといってセンスに走りすぎてもワケのわからんことになるので、そのへんのバランス感覚も大事だろう。 もちろん、スケジュールの許す限り作り込んでいくがな。 ―……所信表明なら誰でもできますからね。次の質問です。従来のシリーズ作に関わっていたスタッフは、本作の開発に参加しているんですか? ゾルゲール:これは完全新規スタッフだ。だが言えることは、全員がしっかり「サンダーフォース」マニアであるということ。あえて名は伏せるが、開発担当は、シューティングゲーム作りに定評のあるところだ。 正直なところ、予算もあまりかけられないから、手弁当覚悟の二人三脚で、喧々諤々しながら作っているぞ。ゲーム開発は多くの人間が関わるので、意識のすり合わせをすることも重要だしな。 念のために言っておくが、正式な権利者から、正式な許諾を受けて作っているからな。 ―となると、ゲームデザインを担当しているのは、あなたなのですか? ゾルゲール:そうだ。なぜなら「オレが考えたサンダーフォース」になるのを避けたかったからだ。しっかり舵を取らず、気づいたら弾幕シューティングになっていた、なんてことはイヤだからな。だから、企画書レベルでステージ構成や敵のデザインまで、詳細に用意した。 開発の軸は、「みんながほしがっているものを素直に作ろう」。それから、初代~「Ⅳ」までの路線と「Ⅴ」の路線、どっちを取っても客は怒るだろうと。だったら混ぜようと。なので、「新作なのか?」と問われたら、基本オマージュだと答える。歴史には敬意を払うのでな。トータルで見たときに全体のパッケージングにオリジナリティを感じてくれればいい。 ただ、「Ⅴ」のようなサプライズ要素を盛り込むのも「サンダーフォース」には不可欠と思うので、オリジナル要素も加えてみたぞ。TAMAYOサウンドもそういう意味だ。“モドキ”を作ってもしょうがないから、それに負けないメンツを揃えてみたぜ! ―じ、じゃあプレイフィールや演出は、「TFⅤ」を踏襲したものになる? ゾルゲール:プレイフィールや演出は基本「Ⅴ」寄りだが、「Ⅳ」風味も出してある。一部の地形に当たり判定があるとかな。これは「サンダーフォース」ファンが「Ⅳ」路線、「Ⅴ」路線で二極化されているからだ。若いファンからは「Ⅴ」を求める人が多いだろうが、オレは「Ⅲ」や「Ⅳ」も好きだからな。 それに、見たことないヘンなメカが出てくるんだったら、口から火を噴くメカ怪獣が見たいだろう?デザインや色使いも、あえて洗練されすぎていないようにしている。それも「サンダーフォース」だと思うからだ。 ―(ちょっと興奮気味に)ストーリーはどうなっているんだよ。オーン帝国との戦い(Ⅳまで)とガーディアンの反逆(Ⅴ)をつなぐストーリーとのことだが、無理はないのか? ゾルゲール:たしかに「Ⅴ」の超展開は異端児だがな。「Ⅴ」だけ地球の話だし、ハードSFしているしな。だが新作を出すからには、SFとしては隙のある「Ⅴ」以前の物語と繋がないと意味はなかろう。その鍵が「ファウスト」の存在だ。 ―……(放心状態で)。では、読者の代表としてあえて聞きます。ゾルゲール哲が考える「サンダーフォース」の“あり方”とは? ゾルゲール:大味上等のド派手な演出、ガンガン撃ってガンガン進む爽快系。チマチマ弾幕や惰弱な萌えとは無縁の、ハードSF路線。いろいろあったが、やるだけやってみたぜ!……というのが本音だ。 そもそも「サンダーフォース」とは、アーケードの方法論とはまったく異なるコンシューマーオリジナルシューティングの古典的傑作。100円で“お試し”ができるアーケードゲームと違って、最初に高いお金を出して買ってもらうコンシューマーゲームなんだから、多くの人に気持ちよく楽しんでもらいたい。デフォルトの難易度は、相当簡単にするつもりだ。 ―(突然席を立って)わかる、わかるぞその気持ち!シューティングゲームっていうものは、短時間のプレイで濃密なドラマが体験できる稀有なジャンルなんだよ。自分の体験が物語になる。そうして迎えたエンディングの達成感ときたらもう! ゾルゲール:そうか、わかってくれるか!横スクロールシューティングっていうのは、“ロマン”なんだよ。ガイジンはみんな3Dにしちゃうし、我々日本人だってX軸とY軸が合っている縦シューのほうが遊びやすいだろう。そんな中、なんで戦闘機を横から見ないといけないかというと「カッコイイから」につきるだろ!(クワッ) ―よくぞ言ってくれた。あンた漢だよ。シューティングファンの旗頭として頑張ってくれ。オレたちも応援しているぜ!(ガッチリ握手をしながら)
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http //www.zolge.com/graphic/game.html (観覧不可、Internet Archiveで観覧可能) グラディウスジェネレーション(GBA) そんなに気に入ってるわけじゃないんだが、評判よくないのも知ってるんだが、本家シリーズがもうダメダメなのを見ていると、こんなものでも愛しく見えてくるから世の中ってフシギ。 もうこの際グラディウスだから許す。3面のヘッポコBGMも、発狂しそうなチャレンジBの難易度も許す!なんかわざとやってるのかと思ったら処理の都合らしいPSG&PCMドラムという妙ちきりんなBGMも慣れれば平気。ちょっとコード進行がジャズっぽくて都会的だと思ったり。いや、ジャズのコード進行ってどんなものかよく知らないけどさ。 the京浜急行(PS2) 通勤などで馴染み深い路線のゲーム化。鉄な山田君が「蒲田駅で売り切れ!もうダメダメっすよ!」とかいうからあわててゲットしに走ったが、よく考えたらオレ全然鉄道に興味ないのよ。 したがってお気に入りでもなんでもないんだが、結局川崎駅でついゲットしちまったので。オープニング見て電源オフ。そのうち遊ぶだろうか。 大旋風(基盤) 面白すぎる!これ大好きなんだよ!難易度ほどほどなところが特に! タツジン(基盤) 面白すぎる!これ大好きなんだよ!なんでこの基盤もっと高値がつかないのかなあ。 4Dウォリアーズ(基盤) 筐体を縦画面専用にしてしまったのでもっぱらエミュでプレイしてるのだが、実は一番欲しかった基盤。こ、この異様な世界がたまらん! ギャラクシアン(コピー基盤) なんとハーネスつき5000円だったのだが、気をつけないとしょっちゅう落ちる。うまく動作している数秒間になんとかプレイするという本来とはまったく違ったゲーム性が生じている。 ダーウィン4078(基盤) この基盤は宝物。音楽流してるだけでシアワセ。 達人王(基盤) た、頼む。絵も音楽も最高だから難易度だけなんとかしてくれ。 スターソルジャー(ファミコン) わが青春の一本。こないだとうとうクリアしました。16年かかった。 グラディウス(ファミコン) 新宿さくらやで970円。はじめて買ったファミコンソフト。忘れられない。都合何周したろうか。 フィールドコンバット(ファミコン) ぜんぜん面白くないと思うが、家になぜか最初からあったので。 ドルアーガの塔(ファミコン) なんとクリアした。5時間かかった。当時いかにヒマだったかわかる。 ドラゴンクエスト2(ファミコン) 人生を変えた一本。王様が、自分の名を勇者として呼んでくれたときの衝撃は忘れられない。 実に単純な仕掛けなのだが、ゲームのインタラクティビティが「物語」と結合するのを見た一瞬だったのだ。 エンデの「はてしない物語」の比ではなかった。あれは結局、『ただの本』だ、これは違う。 「ここには『自分』が存在している!今までのどんなファンタジー小説より凄い、新しい世界の誕生だ!」・・・と、かつて宮崎駿に言ってみたところ 「そんな脆弱なものが世界かなあ」と切って捨てられた。そろそろ死んでいいぞジジイ。 しかし、RPGが結局このエモーションを超えられてないのもまた事実。
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アーカイブ @wikiのwikiモードでは #archive_log() と入力することで、特定のウェブページを保存しておくことができます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/25_171_ja.html たとえば、#archive_log()と入力すると以下のように表示されます。 保存したいURLとサイト名を入力して"アーカイブログ"をクリックしてみよう サイト名 URL
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http //www.yk.rim.or.jp/~okano/graphic/yokozuna.html (観覧不可、Internet Archiveで観覧可能) 連載の経緯 もとはと言えば、今は昔、筆者が大学五年生の時描いた「吉田松陰」というバカ漫画が91年春の講談社モーニング四季賞の準入選に引っかかって、「こりゃもうこれからはオレ漫画家でうひょー」とか浮かれてたのだった。しかしその頃の筆者の作風というのは、そりゃもう今以上に発狂しまくってたので、とても「島耕作」と同じ雑誌に載せられるわけもなし。縄文時代のシャーマンが現代に蘇って凶悪犯人を次々呪殺しまくるバイオレンス刑事もの「縄文刑事」など、今考えても自分の正気を疑わざるを得ないネームを次々と没られてはしばらく鬱々と日々を暮らしていたのだ。 ところで、当時の講談社というのは大変に面倒見のよい出版社で、筆者のようなヒヨッコにもちゃんと担当編集さん(東さんお元気でしょうか)が、温情でステカットなどの仕事を回してくれており、筆者のところにも当時大人気だった相撲漫画「ああ播磨灘」の、「播磨大人気御礼・読者プレゼント企画漫画」みたいなのが回ってきたのね。 これは読者プレゼント記事を漫画で楽しく説明するという内容で、漫画そのものは割とどうでもいいんだけど、筆者はなにしろ、その頃いろいろ滾ってたので、必要以上の気迫を込めて描いたのだ。すると面白がった編集さんが、「あんな感じで短編を一本描いてみないか」と声をかけてくれたのだった。つまり題材が相撲なのはまったくの成り行きで、筆者は別に相撲が好きでもなんでもなく、回ってきたのが「テニスグッズプレゼント」だったら、テニス漫画になってたかもしれない。 「播磨灘みたいに豪快な社長、『横綱社長』ってどう?」と、モーニング表紙の播磨の顔にメガネをラクガキした最初のアイディアを持ってきたのも実は編集さんのほうである。筆者はこれに語感のおさまりがいいように「大」をくっつけて、16ページのネームを考え、収集がつかないので最後に「次回に続く!」とか書いて渡したら、そのまま連載になったというのが経緯である。 しかし、そんな一発ネタで話が続くわけがないから、以後ストーリーはどんどん暴走を始めてますます収集がつかなくなり、最後まで誰にも先が読めないカサンドラクロスみたいな漫画となった。 当時は学校のほうでも、ちょうど教育実習が始まって(教育学部だったのだ)、これをクリアしないと卒業できないという事態に陥ったために、昼は小学生に「正しい大人になりましょうね」とか言いつつ、夜は「ここで電脳世界に横綱ダイブうけけけけ」みたいな狂った漫画を描いてたのだからムチャな話である。みんな正しい大人になってくれたであろうか。 結局、一回の休載をはさんで、大学卒業までに単行本一冊分(全9回、144P)をなんとか描ききったのだが、最終回に仕込んだ、とっておきのネタが、あまりにとっておき過ぎて問題になり(掲載時に相当の修正が加えられてます。)当時筆者は若気の至りもあって編集さんと大ゲンカ、そのまま喧嘩別れのような形となって、筆者の漫画デビュー作は哀れにも単行本化もされずに今日に至っているのであった。南無南無。 (070610追記)と思ったらめでたく単行本化されたのであった。よかったら買ってね。
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あの…一つ聞きたいんですけど…チーフって、あの…バルクスタッフなんですか・・・? なんだ、一丁前にもうそんな言葉まで覚えやがったのか。ああ・・・その通りさ。だが、格言う俺も、バルクスタッフなんだよ。 そんな…だって皆さん、立派にゲームを作ってるじゃないですか。 立派にか…どうかな、本当に立派なスタッフってのはなんだと思う?昔の話だ…俺とチーフは、ある大型マシンの開発にかかりきりだった。デキは最高だったが、時間とカネがかかりすぎた。一ヶ月以内に完成させなければ、プロジェクトを打ち切ると宣告されたのさ。そこで、プログラマーとデザイナーが対立した。あくまで完璧を目指して粘ろうとする俺たちと、限られた中で、ベストを尽くそうとする奴ら。どっちも間違っちゃいない。だがスケジュールは迫る。結局、上司とデザイナーに押し切られる形で、チーフが折れた。だが、それが…一番まずい方向に転んじまったのさ。公開テストの時、事故が起こった。プログラムのバグが原因だった。吊るし上げを食ったよ。理想にこだわるあまり、足元のミスを見落とした…そんなことを言う奴もいた。チーフは弁解しなかった。一言も。おれもそれに従った。後に残ったのは、プロジェクトの永久凍結。そして…バルクスタッフっていうありがたい呼び名だけだ。 そんなのって…。何もあなたたちだけの、せいじゃないでしょう! そうじゃない。いいか、よく聞きなルーキー。ゲームを本当に作ってるのは、会社でも上の連中でもない。俺たちなんだ。上がどんな無茶を言ってこようと、それを言い訳に、客につまらねえものを出しちまったら、そこでオレ達の負けなんだよ。…オレ達は、しがないゲーム屋さ。だが、ゲーム屋にはゲーム屋の意地がある。それがオレ達の心意気なんだ!…いつかお前にもわかる。
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