約 27,070 件
https://w.atwiki.jp/yabou/pages/29.html
オプショナルツアー決行のお知らせ はじめに イベント概要@jmGREE 公式ページ 集合集合時の主な交通手段 日程 雨天時のオプショナルツアー 参加状況(ほぼ参加表明順) 参加表明 オプショナルツアー決行のお知らせ 前日10/22時点では、天気は晴れのち曇りとの予報です。 従いまして、オプショナルツアー(天王山登山)から決行します。 11時に、阪急長岡天神駅の改札付近にお集まり下さい。 よろしくお願いいたします。 はじめに 秋試験終了後の打ち上げに、シングルモルトウイスキーはいかがですか? イベント概要@jmGREE http //gree.jp/?mode=community act=event_view event_id=203311 (参考情報:昨年の見学オフ) 公式ページ http //www.suntory.co.jp/factory/yamazaki/ 集合 11 00 阪急長岡天神駅(オプショナルツアー参加者) 14 30 JR山崎駅(全員) 集合時の主な交通手段 阪急梅田駅10 30発の特急(長岡天神駅10 59着) JR大阪駅13 56発の普通(山崎駅14 27着) 日程 11 00 阪急長岡天神駅(オプショナルツアー参加者集合) 13 00頃 天王山山頂着、昼食 13 30頃 天王山山頂発 14 10頃 山崎着 14 30 JR山崎駅(全員集合) 15 00 蒸溜所見学ツアー開始(12名で予約済み@2009/08/31) 16 00 蒸溜所見学ツアー終了 適宜移動し、夕食会(阪急梅田駅周辺) 雨天時のオプショナルツアー 前日時点で雨が十分予想される場合 → 中止(蒸溜所見学のみ催行、JR山崎駅14 30集合) 当日、雨になった場合 → 山崎に移動し、アサヒビール大山崎山荘美術館見学 参考情報:島本町の天気予報@Yahoo!天気 参加状況(ほぼ参加表明順) ハンドル名 OPツアー 蒸溜所見学 特記事項 速星 ○ ○ 幹事 風合瀬 × ○ 速星友人 森本さん ○ ○ 速星知人@近畿青年技術士懇談会 寒冷地さん ○ ○ kazuさん × ○ なうしかさん ○ ○ なうしかさんご友人1 ○ ○ なうしかさんご友人2 ○ ○ 参加表明 jmGREEのイベントページにてお願いします。 GREE未参加の方は、速星(tetrahedraneあっとyahoo.co.jp)までご連絡下さい。 なお参加表明者が12名を越えた場合には、先着順とさせていただく可能性もあります(おそらく増員可能だとは思いますが……)。
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/14.html
自伝 君性は山崎、名は今朝彌。明治十年逆賊西郷隆盛の兵を西南に挙ぐるや、君之に応じて直ちに信州諏訪に生る。明科を距る僅に八里、実に清和源氏第百八代の孫なり。幼にして既に神童、餓鬼大将より腕白太政大臣に累進し、大に世に憚らる。人民と伍して芋を掘り。車を押し、辛酸嘗め尽す。傍ら経済の学を明治大学に修め、大に得る処あり。天下嘱望す。不幸、中途試験に合格し官吏となる。久しく海外に遊び、ベースメント・ユニバシチーを出で、欧米各国色々博士に任じ、特に米国伯爵を授けらる。誠に稀代の豪傑たり。明治四十年春二月、勢ひに乗じて錦衣帰朝、一躍直ちに天下の平弁護士となる。君資性豪放細心、頗る理財に富み、財産合計百萬弗と号す。即ち業を東京に興し、忽ち田舎に逃亡し、転戦三年、甲信を徇へ、各地を荒し、再び東京に凱旋し、爾来頻りに振はず、天下泰平会、帝国言訳商会、私立天理裁判所、軽便代議士顧問所、各種演説引受所等は皆君の発明経営する所たり。 英独仏羅典語に通ず 法学博士 医学博士 哲学博士 其他色々 未婚者 米国伯爵 山崎今朝彌 未婚者 財産合計百萬弗有り <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
https://w.atwiki.jp/tbc-win/pages/17.html
第1問 売上高対人件費率 12.02% ----5----10----15----20 競合チェーンの進出に対してアルバイトを増 やし、接客等サービス強化を企図したが、売 上増を果たせず人件費率が上昇した点である。 商品回転率 17.23回 ----5----10----15----20 顧客が店舗毎に異なり、ニーズも異なるにも 関わらず、画一的な品揃えを行い、死筋商品 が増加し、資産効率が悪化した点である。 当座比率 65.96% ----5----10----15----20 競合チェーンが増える中、商品在庫を増加さ せ、赤字が継続することで、当座の支払能力 が下がり、安全性が低下した点である。 第2問設問2 ----5----10----15----20 良くはない。環境変化に対応できず、営業活 動CFを悪化させたが、固定資産の売却と短 期借入金の借入によって賄えていない。 第3問設問2 ----5----10----15----20 店舗タイプごとの貢献利益額に着目し、共通 固定費を按分した上で、回収できるかという 視点で結論を出すべきである。 【阪本】@8/12午後9時半 原価系の話しはとりわけ苦手なので、教えてください。 共通固定費の按分をするとして、どういう基準でするん でしょうか。 一次知識としても必要な方もいると思うので、よろしく 教えてください。
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/13.html
凡例 1.本ページは、山崎今朝彌氏の著書、『辯護士大安賣』(聚英閣刊)をデータ化したものである。 2.底本には、山崎今朝彌著『辯護士大安賣』(聚英閣、1921年)を用いた。 3.原文は縦書きである。仮名遣いは旧仮名遣いのままとした(踊り字のみ修正した。)。旧漢字は適宜新漢字に変更した。Web環境の問題から漢字を片仮名に直した箇所がある。句読点を一部補正した。また明らかな誤植・誤字は訂正した。目次の見出しが本文の見出しと対応していない箇所は本文の見出しに合わせた。判読不能の文字は□とした。 4.上記作業については、山崎今朝弥著、森長英三郎編『地震・憲兵・火事・巡査』(岩波文庫)を参考にさせて頂いた。 5.歴史上著名な人物、政治家、公務員は実名としたが、一部私人については仮名・仮地名とし、[ ]内に記した。治安法制の被告人は、現在では非犯罪であるから名誉を毀損しないと考え原文のままとした。入力者のコメントは< >内に記載した。 6.本文には、差別用語とみられる用語が用いられているが、著者が故人であること、歴史上の文献であること、また差別の意図で用いられたものではないこと、から原文のとおりとした。 7.本書の著作者は山崎今朝彌氏(1954年没)と一部につき堺利彦氏(1933年没)、吉田三市郎氏(1953年没)、澤田薫氏(1927年没)である。その他の人物により執筆された箇所は、著作権の存否が不明なので公開しないこととした。なお、入力者の入力・編集・訂正・校注等にかかる一切の権利はこれを放棄します(知的作業を伴わないものであるので)。 8.本書で展開されている法律解釈は、本書が出版された当時におけるものであるから、現時点において必ずしも妥当するものではないことに留意されたい。
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/89.html
日米交渉不敬犯保釈願 拙者事、大正四年九月中北米合衆国ワシントン州シヤトル市に於て高橋領事に捕へられ、日本汽船に積み込まれ、牛馬犬鶏荷物と同時に安着し、不敬犯被告として当所に送られ候以来既に一年余、別して為す事も、御調べ受くる事もなく、只時々御法廷に於て手習相受け候のみ、手紙接見は勿論、名を呼び札を掛ける事すら禁ぜられ、只『四十号』として特別の御待遇相受け、日夜神仏に祈願をこめ只管冥福を祈り候折柄、昨年十二月二十六日幸ひ予審免訴と相成、青天白日愈々出獄旧所へ送還の日を夢み、自殺も思ひ止まり候も束の間、直ちに検事に抗告され、何の御取調もなく今日に至り尚此上何年かかり、如何なる事に成り行くかと恐懼措く所を知らず、夜の目も碌々合ひ申さず、身体は痩せ、目方は減り、只死期を待つのみの状態に之有候へば、特別の御憐愍を垂れ、何卒保釈御許可の御決定相願度、懐中に一物もなく、腕に羽翼も生へ不申候へば、逃げも匿くれも出来不申、知りもせぬ事にて、米国の事に有之候へば証拠の煙滅も出来不申、何卒此処の道理を聞き分けて御許可成し下さる様幾重にも嘆願仕り候、御許可の上は山崎弁護士の同情に甘へ同氏宅に謹慎罷在り御呼出の節は必ず即刻出頭仕るべく、記録の所在する貴院に此段及嘆願候 大正六年三月十日 在横浜監獄人 [甲野太郎] 拇印 東京市芝区新桜田町十九番地 弁護士 保証人 山崎今朝彌 印 東京控訴院第三刑事部 御中 <[ ]内仮名> <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/339.html
【山崎の論文等備忘録】 この項では、未入力の山崎の論文等を記録しておくこととする。 山田富太郎著『文官高等判事検事登用弁護士試驗及第者答案集』(博文館・1902年)に収録(未確認)・・・国立国会図書館が運営する国立国会図書館サーチで「山崎今朝弥」で検索すると、本書がヒットする(ただし、館内限定公開)。同サーチの詳細情報によると、本書には山崎の「判検事登用試験」の再現答案(筆記試験:憲法、行政法、商法、民法、民事訴訟法、刑事訴訟法、国際私法)、「弁護士試験」の再現答案(筆記試験:憲法、行政法、民法、民事訴訟法、商法、刑法、刑事訴訟法、国際公法、国際私法)が掲載されているようである。これらは山崎の最初期の公刊文である(なお、山崎による最古の公刊文は、学生時代に雑誌『筆戦場』の「論説と陣幕」欄に掲載された(号数等不明)「節倹と吝嗇」なる投稿文と思われる(森長英三郎著『山崎今朝弥』(紀伊国屋書店)33頁)。 「弁護士の品位」『へちまの花』(売文社)第10号3頁(大正3年(1914年)11月1日発行)・・・東京法律事務所『月報』第2号4頁(大正3年(1914年)10月20日号)に掲載の同題論文と同一。弁護士の品位 「北里博士告発状(書式文例三)」『東京法律』(東京法律事務所)25号6頁(大正5年(1916年)11月1日発行)に収録。・・・『弁護士大安売』に転載。北里博士告発状 「弁護士改正論(一)」「弁護士改正論(二)」『東京法律』(東京法律事務所)25号1頁(大正5年(1916年)11月1日発行)、同26号3頁(同年12月1日発行)に収録。・・・著作権(翻案権)の所在が不明なため未公表。論文『弁護士改正論』参照。 「弁護士改正論」『新社会』(由分社)3巻5号40頁(大正6年(1917年)1月1日発行)に収録。・・・著作権(翻案権)の所在が不明なため未公表。論文『弁護士改正論』参照。 「奇人変人ソラツンボ並に変死記事取消請求広告書」『中外』(中外社)2巻11 号235頁(大正7年(1918年)10月1日発行)に収録。・・・『弁護士大安売』に転載。奇人変人ソラツンボ並に変死記事取消請求書(山崎今朝彌) 「米国伯爵平民弁護士山崎今朝彌君」『法律新聞』(法律新聞社)1485号(大正7年(1918年)12月13日発行)に収録・・・山崎のインタビュー記事。 「珍品事件上告状」『中外』(中外社)4巻1号202頁(大正10年(1921年)6月1日発行)に収録。・・・『弁護士大安売』に転載。珍品事件上告状 「保釈歎願書」「保釈願」「告訴状」大杉栄著『悪戯』(アルス)(大正10年(1921年)3月1日発行)に収録。・・・弁護士大安売に転載。尾行事件の保釈願、正力事件の告訴状 「労働争議の「工場管理」は法律上正当の「事務管理」なり」『労働』(友愛会本部)10巻8号6頁(大正10年(1921年)8月1日発行)に収録。・・・『弁護士大安売』に転載。労働争議の「工場管理」は法律上正当の「事務管理」なり 「剽軽文句の不罹災通告」宮武外骨著『震災画報』(半狂堂)第3冊(大正12年(1923年)11月5日発行)・・・山崎が宮武外骨に出した関東大震災の不罹災通告の印刷葉書の全文が掲載されている。宮武は山崎を「当代の奇人、米国伯爵と自称す不逞漢」と称している。ちくま学芸文庫版『震災画報』114頁にて確認。 「四つの解決策」『新人』(新人社)25巻5号27頁(1924年6月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 「馬鹿野郞及其他―(時評)」『事業之日本』(事業之日本社)5巻10号44頁(1926年10月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 「私の現在に於ける、一 最大の欲望、二 最大の満足、三 最大の不満、四 最大の好物、五 最大の嫌な物(アンケート)」『事業之日本』(事業之日本社)6巻1号60頁(1927年1月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 「セン・カタヤマの帰国問題」『号外』(東京記者連盟)1巻3号25頁(1927年9月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 「年頭所感 商買気は永遠的に」『日本医事新報』(日本医事新報社)282号51頁(1928年1月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 「批論家より」『全人・教育問題研究』(成城学園)28号63頁(1928年11月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 「大正十五年度出版界所感」国際思潮研究会・編『出版年鑑1927』(国際思潮研究会・1929年)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 「発売禁止に就て」国際思潮研究会・編『出版年鑑1929』(国際思潮研究会・1929年)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 「裁判廷に於ける煙突男」『サラリーマン』(サラリーマン社)3巻12号36頁(1930年12月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 茂木実臣編著『高畠素之先生の思想と人物-急進愛国主義の理論的根拠』(津久井書店・1930年)に収録?(未確認)・・・国立国会図書館運営の近代デジタルライブラリーの検索による。おそらく高畠素之の回顧録と思われる。 「犬養内閣に何を望むか(百名士回答)」『政界往来-Political jounral』(政界往来社)3巻2号42頁(1932年2月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 「日本のメーデー」『政界往来-Political jounral』(政界往来社)3巻5号32頁(1932年5月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。 「片山潜君の思ひ出」『人物評論』(人物評論社)1年10号23頁(昭和8年(1933年)12月号)に収録。・・・著者名義は山崎となっているが、文末に「文責在記者」とあるので未公表。 「立禁判例集(?)」「借家事件の大審院指定判例集」「小作問題判例集」いずれも『無産者法律』(号数不明)に収録(未確認)・・・「明治・大正・昭和前期雑誌記事索引集成」による。 「発刊に際して」『借地借家新聞』(全国借地借家人同盟)1号1頁(昭和22年(1947年)4月11日発行)に収録。・・・全国借地借家人同盟の機関紙への発刊挨拶の会長寄稿文。全借同の性格として、この団体は政治団体ではなく経済団体であること、特定の政党を支持するものではなく政党の指示不支持参加不参加は絶対に自由であるべきであること、裁判事件は弁護士に一任し事件屋集団に転落すべきではないこと、無理な不当要求はとりあげないことの意見を述べている。会長就任の挨拶として「一旦其の任に当つた以上条件のロボツトを信条として、衆ぎに之れ服し敢て異をたてず私をもうけず、只管同盟の隆興発展ボスと鴨と顔との発展防止に身を捧げ、萬一不明朗や不ゆ快の事で厭気がさし到底辛棒しきれずと見極めたら最後、任期に構はずサツサと身をひく」と書いている。(注1) 「免災全国家屋の解放論」『全国借地借家新聞』(全国借地借家人同盟)2号2頁(昭和22年(1947年)4月21日発行)に収録。・・・毎日新聞への投稿文(免災財産共用(免災財産を収用せよ))の転載。(注1) 「広告」『全国借地借家新聞』(全国借地借家人同盟)3号1頁(昭和22年(1947年)5月1日発行)に収録。・・・近況報告及び新しく開設した法律事務所の移転広告。(注1) 「第二回全国大会に直面して」『借地借家新聞』(全国借地借家人同盟)5号1頁(昭和22年(1947年)10月1日発行)に収録。・・・全国借地借家人同盟の機関紙への全借同一周年記念の会長寄稿文。近況として毎日阿佐ヶ谷から新橋まで通っていること、同盟の活動として県支部約二十、新橋に事務所も設けることができたこと、及び罹災都市借地借家臨時処理法一年延期その他の改正運動に成功したことを同盟及び会員諸君に感謝すること、同盟のこれからの活動は若い活動的の人々によって政治的に遂行されなければならないため規約の一部改正を提案すること、同盟の拡大強化が必要であること、国民大衆への宣伝教育が必要であること、借地借家調停の委員は三分の二以上も借地借家人の代表者から選出すべきであるとの声は民主主義法律後の各種委員選出方法と比べてみても道理であること、自身の「広告」として、大会前日に古稀祝賀演芸会をやる筈であったが会場の都合がつかず中止になったこと、盟友の杉並区長新居格の好意で「杉並区法律顧問嘱託」として杉並区区長公舎に転入したこと、毎週日曜日は同自宅で区民のため人事法律無料相談をしていること、を書いている。(注1) 「朴烈事件の真相(その一)-実説大逆事件三代記(第四回)-」(1947年)・・・雑誌『真相』(人民社)12号に掲載される予定であったが、GHQの検閲(もしくは検閲による自粛)により掲載されることのなかった幻の連載である。大逆事件の一つである朴烈事件を題材とし、被告人朴烈、金子ふみ子の書翰、供述調書の概要、判決書などを掲載している。(注2)(注3) 「公私の愉快話」『日米ガイド』(日米ガイド社)13号5頁(昭和23年(1948年)1月1日発行)に収録。・・・新年あいさつ。全国借地借家人同盟の当局への働きかけにより借地借家人側からも調停委員に多数就任することになったこと、「全国同盟主催片山首相、松岡議長、近藤総長外約三百名の年少友人の発起」で、「私の人生生活満七十年、法律生活満五十年、社会運動並に弁護士生活満四十年の古希祝賀大演芸会」を明治大学記念講堂で12月27日に開催してもらえることになったこと、を公私の愉快話としてあげている。(注2)(注4) 「訪問記・第42回・山崎今朝彌氏」『自由と正義』4巻6号29頁(昭和28年(1953年)6月1日発行)に収録。・・・山崎に対するインタビュー記事。 「身辺雑記」『東京弁護士会報』(昭和28年(1953年)12月号)に収録(未確認) (注1)本情報については、国立国会図書館憲政資料室の所管資料プランゲ文庫収録の『借地借家新聞』(資料番号:VH3-Sha16)を参照させて頂いた。 (注2)本情報については、占領期メディア データベース化 プロジェクト委員会(代表・山本武利)作成「占領期新聞・雑誌記事情報データベース」を参照させて頂いた。 (注3)本情報については、国立国会図書館憲政資料室の所管資料プランゲ文庫収録の『真相』(資料番号:VH1-S1719 )を参照させて頂いた。 (注4)本情報については、国立国会図書館憲政資料室の所管資料プランゲ文庫収録の『日米ガイド』(資料番号:VH1-N216 )を参照させて頂いた。
https://w.atwiki.jp/vipery/pages/39.html
山崎ブログで消されたコメントの記録 2009-04-26 ■宇野弘蔵の「恐慌論」と「労働力商品化論」の哲学的意味について。 のコメント欄から消されたコメント。 tokumeikiboudesu 2009/04/26 17 28 宇野弘蔵の「恐慌論」と「労働力商品化論」の哲学的意味について。 『西部邁氏は、保守派に転向して以後も、学生時代を振り返って、ことあるごとに反日共系左翼組織、「ブント」の指導者の一人だったことを、要するにその輝ける左翼過激派体験を声高に吹聴するが、それによって、俺は左翼思想やマルクス主義哲学にも精通しているのだぞ、と読者や保守仲間を、なかば脅迫し恫喝しているつもりのようだが、しかし、彼が左翼思想やマルクス主義哲学に、本格的に言及したものはきわめて少ない。というよりも、僕の目にした範囲では、まったくゼロと言っていい。』 西部氏が「左翼過激派体験を声高に吹聴する」ことによって「左翼思想やマルクス主義哲学にも精通しているのだぞ、と読者や保守仲間を、なかば脅迫し恫喝しているつもり」のようだ・・・と客観的に評価できる文献があれば、ぜひ教えてください。 私は西部氏のことをよく知りません。西部氏が「今でこそ保守派の論客に括られているけれども、実は学生時代に60年安保闘争に参加した左翼過激派だったんです。」と半ば自嘲気味に告白しているような文章を過去に呼んだ記憶がありますが、それを以って読者や保守仲間を半ば脅迫し、恫喝しているとは感じられませんでした。 むしろ、保守仲間が「西部さんは若い頃やんちゃだったんだよな!」と冗談交じりに言っているだけだと思いますが。 『同じくブントの指導者の一人だった「姫岡怜治(青木昌彦)」は、吉本隆明の「戦後思想の荒廃」という画期的な論文で、その左翼過激派時代のマルクス主義を理論的根拠にした状況分析の論文が紹介され、僕なども目にしたことがあり、また転向して以後も、近代経済学の分野で、日米を股にかけて活躍する経済理論家として知られているが、西部邁に関しては、左翼過激派時代のマルクス主義関係の「論文」なるものを見たことがないし、また転向以後にも、『ソシオ・エコノミクス』等、二、三の経済学関連の著書はあるものの、本格的な経済分析の論文を読んだことがない。』 「論文」なるものを発表しないと、語ってはいけないのですか? だとしたら、あなたは一体何を語ることが出来ると言うのでしょうか? 『日米安保条約をめぐって闘わされた「60年安保闘争」といわれる学生運動なるものが終焉し、多くの学生たちが、それぞれ大学や日常に帰って行ったとき、西部邁もまた、裁判を抱えながらも、大学に戻り、大学院に進学、そして、「マルクス経済学」ではなく、なんと「近代経済学」、あるいは「理論経済学」なるものを専攻し、見事に体制側、権力側に寝返ったわけだが、その転向過程が、内面的に、いかなる思想的意味を持つのかを知ることはできない。学生時代は左翼過激派の指導者、卒業すれば体制・権力側を代弁・擁護する保守思想家…。それが西部邁氏の素顔であって、それ以外の何者でもない。まことに、機を見るに敏な、あるいは何処が日の当たる場所かを動物的勘で察知するかのような、うまい身の処し方というか、遊泳術である。大いに見習いたいところだが、僕はそういう調子のいい、世渡りのうまい人間を、昔から、尊敬することはできない。』 思想というとのは「延々と考え続けること」。イデオロギーではありません。誤解の無いようにお願いします。 経験と共に学び、その上で考え続けることによって、ある事柄を否定する時期もあるでしょうし、過去に否定した事柄を見直し再考することによって新たな発見をすることもあります。ある意味での温故知新です。 人間関係も同じです。過去に論敵であったとしても、時と共に互いの真意が理解できるようになってくることもありますし、その逆も然りです。 ただしその前提条件として、論ずる、もしくは批判する相手と共通のテーマに対して、自分自身が論考して意見を述べることが必要であり、マナーでしょう。あなたのように、それをせず、ただただ誹謗・中傷を行うのは卑劣です。多くの人から相手にされないのも当然の帰結です。 『さて、僕は、西部邁氏が、マルクスやマルクス主義、あるいはマルクス経済学の東大教授・宇野弘蔵について本格的に言及した文献を知らないが、少なくとも、今回の「中央公論」における柄谷行人との対談「恐慌、国家、資本主義」で、「西部邁とマルクス経済学」、あるいは「西部邁と宇野経済学」という問題点の一端を知ることが出来る。というわけで、西部氏が、マルクス経済学としての「宇野経済学」に関して語っているところを見ておくのも、今後のために無駄ではあるまい。』 随分と大上段から物を言いますね。マルクス及び、マルクスの資本論や宇野弘蔵について、あなた自身の論考は述べないくせに。 『西部邁氏は、労働力商品についてそれ以上の分析や言及を避けて、そのまますぐに日本的な(?)「組織論」や「共同体」論という問題に論点を移動していく。』 しつこいようですが、対談のタイトルは『徹底討議 ファンダメンタルな危機への処方箋 恐慌・国家・資本主義』、ついでに書くと、テーマは『特集・人間の顔をした資本主義はどこにある』です。 マルクスと宇野弘蔵についての対談・討議ではありませんので、努々お忘れなく。 『そして西部邁氏は、~中略~ マルクスの『資本論』や宇野経済学の純粋な経済理論、あるいは現実離れした純粋な資本主義論や市場論、あるいは自由交換論、商品論と決別して行くわけだ。僕は、このことからも、西部邁氏が、それほど深くマルクス経済学や宇野経済学のことを考えていないことは明らかだと思う。では、何故、ここで西部邁氏が、マルクスや宇野弘蔵に言及したかと言うと、それはマルクスや宇野弘蔵のテキストを深く読み込み、それらを思考の原点に置いている柄谷行人氏の話に触発されたからであり、したがって西部邁氏に深いマルクスや宇野弘蔵に関する考察があるとは思えない。』 だから、対談の切り口として両氏共に読んだことのある『マルクスの「資本論」』を持ってきただけのこと。それ以上でもそれ以下でもない。ちなみに「宇野弘蔵」を持ち出したのは柄谷氏。 『というわけで、二人の話は、特に西部邁氏の話は、早々と、純粋資本主義論としてのマルクス経済学や宇野経済学という原理論思考から遠く離れて、資本主義の危機・恐慌への対応策としての相互扶助組織である「協同組合」や日本的な「共同体」へ話題は移っていくのだが、やはりそれから先の共同体論や組織論の話は、誰でも画簡単に思いつきそうな話であって、僕には物足りない。』 もしかして「自分が柄谷氏と対談すればもっと面白くなったのに!」とか思ってますか?「自分なら誰にも思いつかないような話ができる!」とでも? 念のため書いておきますけど、あなたが対談相手だったら柄谷氏に一方的に迎合するか、持論を「どんな評価を受けるだろう・・・」と恐る恐る小声で言ってみる程度が限界でしょう。そもそも話の内容が中央公論の特集テーマから脱線してしまいそうですし、ミスキャストですよ。そんなの。 『そこで、それから先の「労働力商品」に関する分析や考察は柄谷行人氏に頼らざるを得ないというわけだ。では、「労働力商品」とは何か。資本主義経済システムにおいては、労働力としての人間労働(労働者)が、商品として扱われると言うことである。』 ブログ読者の皆様。誤解の無いように”念のため”書いておきますが、「労働力としての人間労働(労働者)が、商品として扱われる」・・・この「商品」というのは決して「奴隷」や「農奴」のことではなく、「プロレタリア(賃労働者)=労働者であると同時に消費者」のことだと柄谷氏は発言しているので、決して差別的発言ではありませんよ! まったく・・・書かなくていいことについては無駄に文字数を費やすのに、省いたら誤解されてしまうことについては書かないのだから呆れます。 『ご承知のように、マルクスの『資本論』は、商品論から始まっているわけだが、その商品論なるものが複雑怪奇で、それ故に出鼻から難解だということで、多くの読者が『資本論』の読解作業を、この段階であきらめることが多いわけだが、しかし、ここにマルクス経済哲学の真髄があることは言うまでもない。』 終わり? なるほど。続きは「中央公論」5月号を購入して読んでください!ってことですね! http //d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090426/1240696798 魚拓 http //s01.megalodon.jp/2009-0426-1728-57/d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090426/1240696798 文藝評論家★山崎行太郎★毒蛇日記part 10 http //love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1239674618/l50 削除されたコメント コメント削除して承認制に 削除コメント20090424 削除コメント20090425 削除コメント20090426 削除コメント20090427 削除コメント20090427(2) 削除コメント20090428
https://w.atwiki.jp/kof2002um/pages/823.html
B蛇使い対策 対空サドマゾ対策 悪夢…対策 屈D対策 02UMしたらばキャラ対策スレからの転載Q.蛇待ちの山崎対策お願いします。こちらが飛び道具持ちじゃなければ何をしたらいいか分かりません。 Q.山崎の共通的なキャラ対策を知りたいです。 B蛇使い対策 まず、B蛇使いはGC前転すれば反撃可能。 一部キャラはガードした後にも反撃可能。具体的には、K のミニッツスパイクなど。 屈みの高さが庵以下のキャラ中間距離で屈みガードすることで空振りさせられる。空振りさせて反撃できる技を探すといい。 GC前転を狙う場合、意識して立ちガードにする必要あり。 屈みガードで空振りさせられないキャラの対策おとなしくガード 読みで前転 立ちガードでも屈ガードでもGC前転できるので、GC前転からの反撃が狙いやすい。 対空サドマゾ対策 低い位置でJ攻撃を出していれば確定しないので、着地して緊急回避で避けられる。 悪夢…対策 ガード不能で見てから回避できない。 端で食らった場合、反撃できるキャラもいる。 起き上がりに重ねてくる場合(基本)悪夢を緊急回避で回避しても仕込んでいたコマンド投げやD投げを食らってしまう。リバサ大Jも空中でヒットしてしまう。 起き上がりに重ねてくる場合(例外):端での悪夢→悪夢の連係についてまず、最初の悪夢に対して反撃できるキャラがいる。 そして、反撃できないキャラも中央にリバサ大Jすることで2回目の悪夢を回避できるキャラも多い。 屈D対策 屈Dの先端当てに対し、GC前転で反撃可能なキャラがいる(要確認) 02UMしたらばキャラ対策スレからの転載 ※以下、KOF2002UMBBS2ndのキャラ対策スレからの転載です。 ※編集大歓迎です。おかしいと感じた部分があればどんどんお願いします。 Q.蛇待ちの山崎対策お願いします。こちらが飛び道具持ちじゃなければ何をしたらいいか分かりません。 使用キャラはKアテナ香澄クーラ雛子ジョンあたりです。 特にこちらが香澄だとキツく、一発通して火力差で勝つしかできてない状況です。 Q.山崎の共通的なキャラ対策を知りたいです。 このキャラが出てくると、今までどんなに押していてもそのまま3タテされてしまいます。 蛇使い撃たれてるだけで、何していいかわかりません。 けん制は届かないし、飛び道具も駄目だし、飛び込みも落とされるし… 使用キャラは京、庵、K’紅丸などです。 自分で思いついた対策は、 蛇使いにGC前転する、 遠距離で飛び道具撃ちまくる、 しゃがんですかして強葵花で反確取る、 昇竜をぶっぱなす、ぐらいのものです。 初心者向けの対策から上級者向けまで、 細かい対策教えてくれると助かります。 よろしくお願いします。 A.蛇を読んでグラサン放り投げ A.蛇に幻影ハリケーンを合わせるのはやった? 一度見せると、そこまで気軽に蛇を出させないし、蛇だましで止めるのも誘えるかと。 A.幻影合わせるくらいならガーキャンしろよ女子高生 A.蛇に幻影ってまさか発生9Fを見てから幻影出せって事じゃないよな? ガードしてから確定って事? A.K だと中蛇ガードで大ミニッツ確定するからボーナスゲー状態 A.蛇が当たらないギリギリの位置で幻影仕込みながら、シャーの声に合わせるんじゃね? これで当たらないギリギリの位置くらいの蛇は出させないように出来るかな。 自分は山崎使っててやられた事あるし。 自分が下手なだけかもしれないが。
https://w.atwiki.jp/watashianime/pages/643.html
女性声優・ヤ行 所属:ホリプロ 2014年 世界征服~謀略のズヴィズダー~(ロボ子) 2015年 レーカン!(小川真琴)
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/84.html
立小便事件 言渡書 東京市芝区新桜田町拾壱番地 士族 弁護士 山崎今朝彌 明治十年十月十日生 右大正九年十二月十一日午後十時三十分頃麹町区元園町一丁目十四番地先街路に於て放尿したる所為は警察犯処罰令第三条第三号に該当するを以て同条に依り科料金五円に処す 本刑確定後十日以内に完納せざるときは刑法第十八条第二項に依り五日間労役場に留置す 此言渡に付き正式裁判を請求することを得るは言渡書送達ありたる後五日内とす 大正九年十二月十一日 麹町麹町警察署長代理 警視庁警部補 若林岩松 説諭願 別紙添付の正式裁判請求申立書記載の如き事情に付き何卒当該警察官至急御呼出の上右受付けべきものなる旨懇々御説諭相成度此段及御願候 大正九年十二月廿一日 山崎今朝彌 警視庁当該係官 御中 追て申立期間は本日限りと存候 正式裁判請求申立書 一、科料金五円也 但立小便代 右は大正九年十二月十一日付を以て実は十五日頃言渡されたる麹町警察署の違警罪処罰即決裁判に有之、申立人は小便こそは病気のため本邦開闢以来のレコードたる五円は愚か五銭が程も放れ申さざる理由にて即時之に対する正式裁判の申立を為し候所、警察署はやれ書式が違ふの印が違ふの、期間がまだ十日もあるの、日付が違ふの示談にしろ取下くれの、と言を左右に託して使者を再三追ひ返し申立書を更に受取り呉れ不申候に付、止むなく茲に書留送達郵便を以て警察を経て再び正式裁判申立候。追て警察にて尚之を妨害して受付けざる時は直ちに為めに生じたる損害賠償の請求訴訟を提起致すべく候 大正九年十二月廿日 請求人 山崎今朝彌 東京区裁判所 御中 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>