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李幼卿 ?-? 中唐の官人。滁州刺史。大暦六年(771)、法琛が瑯耶山に建立した寺院の絵図を朝廷に進上した。蕭穎士と親しかった。 列伝・史料 『新唐書』巻二百二 列伝第一百二十七 文芸中 蕭穎士 『仏祖統紀』巻第四十一 法運通塞志第十七之八 代宗 大暦六年条
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茅彙 ?-? 中唐の官人。金吾兵曹参軍。武昭・李渉と親しく、李逢吉の与党となった。宝暦元年(826)武昭が罪に伏すると、連座によって崖州に流された 列伝 『新唐書』巻一百七十四 列伝第九十九 李逢吉 『新唐書』巻二百七 列伝第一百三十二 宦者上 吐突承璀
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李鰅 りぎょう ?-? 中唐の宗室・官人。李涵の子。貞元年間(785-805)初頭に饒州別駕となった。妾の高氏を宮中に入れ、李鰅はそこで御医の許泳と通謀したため、誅殺された。『新唐書』に極めて短い伝がある。 列伝 『新唐書』巻七十八 列伝第三 宗室 永安王孝基 涵
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李懐儼 ?-? 初唐の官人。李襲志の甥。文才によって名を顕し、蘭台侍郎となり、命を受けて四部の書写を監督して進上したが、書に汚れがあったことから、郢州刺史に左遷された。後に礼部侍郎で終わった。『旧唐書』に伝がある。 列伝 『旧唐書』巻五十九 列伝第九 李襲志 兄子懐儼
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凝碧池 洛陽の禁苑である神都苑内の東にあった大きな苑地。東西五里(2645m)、南北三里(1587m)、周囲8.5km及んだ。安禄山がここで捕らえた官人・楽人・舞人をつかって大宴会を開いた。 参考文献 徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
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崔沢 ?-? 晩唐の官人。長安県の尉となり、広明元年(880)に河東節度観察府支使となった。乾寧三年(896)正月、尚書右丞から鳳州刺史となった。 列伝 『新唐書』巻一百六十五 列伝第九十 鄭余慶 従讜 『旧唐書』巻二十上 本紀第二十上 昭宗 乾寧三年正月癸丑朔条
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辛怡諌 しんいかん ?-? 盛唐の官人。隴西の人。辛玄慶の子。寿州刺史。職方郎中であったとき、鼨鼠のようなものを献上したが、盧若虚に別物とされた。 表・列伝 『新唐書』巻七十三上 表第十三上 宰相世系三上 辛氏 『新唐書』巻一百二十三 列伝第四十八 盧蔵用 若虚
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杜鵬挙 とほうきょ ?-? 盛唐の官人。杜慎行の子。杜義寛の孫。杜暹の従兄弟。盧蔵用と白鹿山に隠遁し、母の病のため、崔沔ととも医術を蕭亮に学んだ。右拾遺に任命され、安州刺史で終わった。子に代宗の宰相杜鴻漸がいる。 列伝 『新唐書』巻一百二十六 列伝第五十一 杜暹 鴻漸
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張遜 ?-895 唐末の官人。山陰令。董昌が叛くと、董昌は張遜に御史台を司らせようとしたが、張遜はこれを固辞して憎まれ、捕らえられて殺害された。 列伝 『新唐書』巻一百九十三 列伝第一百一十八 忠義下 黄碣 『新唐書』巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 董昌
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豆盧籍 ?-? 晩唐の官人。諌議大夫。大中年間(847-860)に宰相令狐綯によって夔王李滋の侍読に任じられた。左司郎中兼侍御史、知雑事。 表・列伝 『新唐書』巻七十四下 表第十四下 宰相世系四下 豆盧氏 『新唐書』巻一百六十六 列伝第九十一 令狐楚 滈