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呂洞 ?-? 中唐の官人。王仲舒・韋成季・劉伯芻・裴茝・常仲孺とかつて郎官で同官であったため親しく、日々集まって酒を酌み交わした仲であった。 列伝 『新唐書』巻一百六十九 列伝第九十四 李藩 『新唐書』巻一百六十八 列伝第九十三 韋執誼
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李幼卿 ?-? 中唐の官人。滁州刺史。大暦六年(771)、法琛が瑯耶山に建立した寺院の絵図を朝廷に進上した。蕭穎士と親しかった。 列伝・史料 『新唐書』巻二百二 列伝第一百二十七 文芸中 蕭穎士 『仏祖統紀』巻第四十一 法運通塞志第十七之八 代宗 大暦六年条
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茅彙 ?-? 中唐の官人。金吾兵曹参軍。武昭・李渉と親しく、李逢吉の与党となった。宝暦元年(826)武昭が罪に伏すると、連座によって崖州に流された 列伝 『新唐書』巻一百七十四 列伝第九十九 李逢吉 『新唐書』巻二百七 列伝第一百三十二 宦者上 吐突承璀
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牛循 ?-? 末唐の官人。牛蔚の子、牛徽の兄。牛僧孺の孫。字は晦之。官は給事中に到った。子に牛希逸がいる。 表・列伝 『新唐書』巻七十五上 表第十五上 宰相世系五上 牛氏 安定牛氏 『新唐書』巻一百七十四 列伝第九十九 牛徽
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李懐儼 ?-? 初唐の官人。李襲志の甥。文才によって名を顕し、蘭台侍郎となり、命を受けて四部の書写を監督して進上したが、書に汚れがあったことから、郢州刺史に左遷された。後に礼部侍郎で終わった。『旧唐書』に伝がある。 列伝 『旧唐書』巻五十九 列伝第九 李襲志 兄子懐儼
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凝碧池 洛陽の禁苑である神都苑内の東にあった大きな苑地。東西五里(2645m)、南北三里(1587m)、周囲8.5km及んだ。安禄山がここで捕らえた官人・楽人・舞人をつかって大宴会を開いた。 参考文献 徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
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李鰅 りぎょう ?-? 中唐の宗室・官人。李涵の子。貞元年間(785-805)初頭に饒州別駕となった。妾の高氏を宮中に入れ、李鰅はそこで御医の許泳と通謀したため、誅殺された。『新唐書』に極めて短い伝がある。 列伝 『新唐書』巻七十八 列伝第三 宗室 永安王孝基 涵
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李続 ?-? 中唐の官人。名は続之とも。李逢吉の配下で、拾遺となって「八関十六子」に数えられ、恐れられた。李逢吉が山南東道節度使に任じられると副使に推薦された。後に涪州刺史に左遷された。 列伝 『新唐書』巻一百七十四 列伝第九十九 李逢吉
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辛怡諌 しんいかん ?-? 盛唐の官人。隴西の人。辛玄慶の子。寿州刺史。職方郎中であったとき、鼨鼠のようなものを献上したが、盧若虚に別物とされた。 表・列伝 『新唐書』巻七十三上 表第十三上 宰相世系三上 辛氏 『新唐書』巻一百二十三 列伝第四十八 盧蔵用 若虚
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杜鵬挙 とほうきょ ?-? 盛唐の官人。杜慎行の子。杜義寛の孫。杜暹の従兄弟。盧蔵用と白鹿山に隠遁し、母の病のため、崔沔ととも医術を蕭亮に学んだ。右拾遺に任命され、安州刺史で終わった。子に代宗の宰相杜鴻漸がいる。 列伝 『新唐書』巻一百二十六 列伝第五十一 杜暹 鴻漸