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メダル オブ オナー ライジングサン2 - Medal of Honor Rising Sun 2 ゲームの大まかな内容 対応機種 PS2 / Xbox / GC 日本語版発売日 - 北米版発売日 - 主人公 ドニー・グリフィン一等兵 舞台 太平洋戦線 シングルプレイ ステージ数 - マルチプレイタイプ - マルチプレイ ルール数 - マルチプレイ ステージ数 - ライジングサン発売前に非公式で発表されたものだが、現在どうなっているかはまったく不明。 個人的に開発は既に中止されてパシフィックアサルトに移行したと思う。 設定ではライジングサンの主人公の弟ドニー・グリフィン一等兵からの視点のもうひとつの「ライジングサン」だったらしい。 沖縄戦が描かれている、という噂もあったが、情報が無いので不明。 以下2003年7月18日にNintendo INSIDEで掲載されたニュースの引用 今年秋に発売が予定されている人気FPSの最新作『メダルオブオナー ライジングサン』ですが既にその続編の開発もスタートしているそうです。エレクトロニックアーツのプロデューサーのTarni Williams氏がGamesRaderに対して明らかにしました。 同氏によれば前編では『ライジングサン』の主人公のCorporal Joseph Griffinを操作しますが、続編ではその弟のNolan Griffinを操作するそうです。どうやら同じストーリーを別の側面から見るような形になるようです。しかし、同氏は「確かなのは(開発が)進んでいる事だけ」としてあまり多くのことは明らかにしなかったそうです。 情報ソース(Nintendo INSIDE) Nolan Griffinはドニーの初期設定の名前?
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太平洋戦争時に日本軍に騎兵はまだ存在していたのでしょうか? WW2で同盟国のドイツが使ってたパンッァーファウストみたいなのを日本軍が使わなかったのはなぜなんでしょう? 日本陸軍はM3軽戦車を大戦初期に 具体的に何両くらい鹵獲して運用したのでしょうか? 大戦末期、戦車兵の技量が一番高いのは日本の戦車兵だと思うのですが、どうでしょうか? 日本軍は高射砲や野砲で米英軍の戦車を撃破した事実はあるのでしょうか? 二次大戦中、何処かに島自体が砲台になっている島があって、そこを日本軍が攻略、占拠したが、連合軍に取り囲まれて篭城。 第二次世界大戦の、ビアク島攻防戦末期詳しい方、いらっしゃいませんか? 日本は島国なんですが、陸軍が主戦場にしていた大陸では装輪装甲車による強行偵察とか、半装軌兵員輸送車による急襲とか有効だったと思うんですけど レイテ島の戦いで、日本軍、米軍、フィリピンゲリラが使っていた主な銃が、連発式か単発式かを教えてください! 日本陸軍の師団を4単位制から3単位制に変更したときに生まれた「歩兵団」という組織は、実際に活躍したのでしょうか? 太平洋戦争のときの旧日本陸軍がすごかった戦いってあるんですか? インパール作戦の時、日本はチハ等の戦車を持っていきましたが、アラカン山系を越える道の幅はどの程度だったのですか? 第二次大戦の映画とかフィギアを見ても、ドイツ軍歩兵はマシンガンを携行して 第二十六師団の独立歩兵第十二連隊は、昭和十七年ぐらいから昭和十九年十一月にレイテに上陸するまでに、 日本軍の戦車が大戦果を上げたのはやっぱり、初期のみですか? 事前に察知し,準備を整えていた場合,関東軍はソ連軍にどのくらい抵抗できたか? ソ連の日本侵攻ですが,なぜ北海道ではなく北方領土から攻め始めたんですか? 帝国陸軍が満州に遺棄した化学兵器だそうですが,200万発という数が出ております.あまり使わない化学兵器をそんなに生産する余力が,日本にあったんでしょうかね? 日本陸軍には各分隊に短機関銃,軽機関銃の装備はあったのだろうか? 旧帝国陸軍は,ドイツ軍の小火器をライセンス生産しようとはしなかったのでしょうか? 太平洋戦争時に米軍は,火炎放射器を有効に用いて,洞穴にいる日本兵や民間人をいぶりだしましたが,日本軍は火炎放射器の攻撃に対する対策を取らなかったんでしょうか? 旧日本陸軍の小隊~中隊規模の砲兵隊の編制や装備って、どんなもんなんでしょう? 日本軍は戦争初期には火炎放射器を多用しましたが、後期に使用しなかったのはどうしてなんでしょうか? 日本兵は米戦車をどうやって倒したんですか? 対戦車地雷ですか? 日本陸軍の戦車が弱いのは限られた予算を航空戦力の充実に回したとのことですが、戦車よりも航空機優先なのはどういう意図なのですか? アメリカは東南アジアの港湾設備など、兵站上の制約をどのように解消したのでしょうか? 太平洋戦争に入っても突撃ラッパが使われることはあったんでしょうか? 帝国陸軍にはゲリラ戦、市街戦を想定した今でいう特殊作戦群、米国だとグリーンベレーのような部隊ってあったのでしょうか? ガダルカナル島で最初に飛行場を作っていて米軍の上陸で山林に逃げ込んだ日本軍の設営隊と若干の守備隊ってその後どうなったんですか? 旧陸軍は関東軍特殊演習の名目で対ソ戦を計画していましたが、兵站関係はどう考えていたのでしょうか。 南雲中将は海軍出身ですが、陸戦となったサイパン防衛戦の指揮はきちんと、執れていたんでしょうか? ペリリュー島は堀栄三が指導して水際防御を止めたのいうのは事実? 沖縄戦の直前に沖縄から精鋭の第9師団を引き抜かれたため、沖縄防衛が不可能になったというのを読んだのですが、 火力の低い大戦期の日本軍は、トーチカやバンカーの攻略にかなり苦労したのでしょうか? 日本兵って戦車に対して弱すぎね? 大戦末期に種子島か屋久島で守備部隊として駐屯していた部隊があるらしいのですが 沖縄戦で、まともな医療行為は行われたのですか? 沖縄戦で日本軍はなぜ5月に反抗作戦を行ったのでしょうか? 戦車第二師団がアメリカに対して勝利、圧倒した事例はありますか? 山下軍司令官はたしか訪独団で独ソ戦開戦間際に慌てて帰国したと記憶してるのですが、かの地ではやはり機甲戦術を学んでいたのでしょうか? フィンランド兵はろくな対戦車兵器もなく、モロトフカクテルで大量のソ連戦車を破壊できたのに、なんで日本兵は、サイダー火炎瓶でアメリカの戦車を破壊できなかったの? 「最後のナイチンゲール」を見て思ったのですが、沖縄戦での赤ん坊殺害や方言を使っただけでの処刑って何件あったんですか? 引き抜かれる前には沖縄の最強師団といわれた第9師団、またその代替として予定されていた第84師団の戦力と実力はどんなものだったのでしょうか? 日本の対戦車攻撃って肉弾攻撃が主ですか? 日本軍が捕獲したM3軽戦車って全部で何輌なんでしょうか? 日本軍の対戦車戦法はどんなものだったのですか? 米軍の中隊や大隊の火砲は迫撃砲のみですが、日本軍との戦闘で大隊砲や連隊砲に苦戦したなどという話はあるのでしょうか? 坂邦康編著「比島戦とその戦争裁判」(東潮社,1967/5/25)という本に,「建武集団虐殺疑惑」が述べられているのですが, 戦時中、活躍した日本軍の戦車師団を教えてください。 太平洋戦争時に日本軍に騎兵はまだ存在していたのでしょうか? 騎兵はいました。うちの祖父が近衛騎兵連隊にいましたから(w(本土勤務) で、確か終戦直前に中国で日本騎兵部隊による作戦があって、勝ったとか。 それが今のところ、史上最後の大規模な騎兵作戦になっていると聞いたことがある。 騎兵部隊は、戦車部隊に改編されたものもありますし 最後まで騎兵として戦い続けたものもあります 騎兵として戦った部隊は主に中国・東南アジアで戦ったようです 終戦時の騎兵部隊の数は、騎兵1個旅団、騎兵15個連隊、捜索22個連隊ありました。 (27 48,50) WW2で同盟国のドイツが使ってたパンッァーファウストみたいなのを日本軍が使わなかったのはなぜなんでしょう? そもそも成型炸薬弾からしてドイツからの技術導入だからねぇ。 ちなみに一応対戦車兵器のようなものはあったようです。 一つは「タテ器」と呼ばれる対戦車小銃てき弾(ドイツのシースベッヒャーのパチモン) もう一つは九十七式20㍉自動砲に装着する「ジテ弾」地雷てき弾です。 いずれも実戦では活躍できませんでした。 (27 名無し軍曹) 日本陸軍はM3軽戦車を大戦初期に 具体的に何両くらい鹵獲して運用したのでしょうか? M3軽戦車自体は有名なエピソードなので、 誰も回答しないのは、やはり冒頭の「具体的台数」がネックになっているのでしょうか。 で、台数に関しては自分も聞いた事はありません。 ただ、ビルマではM3のみで小隊を編成した所もあるそうで、かなりの数を入手したようです。 捕獲場所はビルマ(from英)とフィリピン(from米)で、使用目的は実弾標的が多かった様ですが、 前述の通り部隊運用もあり、その重装甲(日本車に比して)もさることながら、 自動車としての運転のし易さから、非常に好評だったと言われています。 ビルマでは進撃して来る英M3部隊に、日M3部隊が迎撃に出たことがありますが、 この時は日本側が地雷で全滅してしまい、戦車戦は行われませんでした。 米軍によるフィリピン奪還時に、再捕獲された日本軍迷彩M3の写真がありますので、 運用された車両は、最後まで使われたものと思われます。 (32 753) 大戦末期、戦車兵の技量が一番高いのは日本の戦車兵だと思うのですが、どうでしょうか? 最高、はともかくかなりイイ線いってたようです。 終戦間際まで消耗がなかったためベテラン揃いだったとか。 (59 ゆうか ◆9a1boPv5wk) 日本軍は高射砲や野砲で米英軍の戦車を撃破した事実はあるのでしょうか? あるよ。 沖縄戦で75mm高射砲や機動90式野砲がシャーマンを撃破している。 高射砲でも信管を遅く切れば近距離ならばなんとか撃破できる場合がある。 (59 702) 戦車に対する高射砲の水平射撃はノモンハンからやっていたそうです。 しかしこの時の高射砲は水平射撃が出来るように設計されてなかったため 1発発射しただけで壊れてしまったそうです。 (59 708) 撃破記録はあるけど。 (俺初質スレ435 142) 二次大戦中、何処かに島自体が砲台になっている島があって、そこを日本軍が攻略、占拠したが、連合軍に取り囲まれて篭城。 業を煮やした連合軍側が通気孔やらなんやらから、ガソリンやTNTを流し込んで 島ごと爆破した、という話を昔読んだ記憶があるのですが、何と言う名前の島だったのかを思い出せません。 恐らく、マニラ湾のコレヒドール要塞の一環をなすエル・フライレ島の事では? 米軍は要塞内にガソリンを流し込んで放火し、守備隊(武蔵の生存者)は全滅。 島ごと吹っ飛んではいません。今は観光地になっています。 (64 225) 第二次世界大戦の、ビアク島攻防戦末期詳しい方、いらっしゃいませんか? 伯父が戦死しました。雪兵団所属の兵士です。 うーん。第2次世界大戦でも特に悲惨な戦いの一つですし、書物はいくつか 出ておりますが。ちょっとこの程度のスペースで全容を語るのは無理です。 伯父様が所属されていたという「雪」兵団というのは、第36師団のこと。 ビアク島にいたのならば、歩兵第222連隊を基幹とする葛目支隊でしょう。 1944年5月27日、米陸軍第41師団がビアク島に上陸開始。 当初は守備隊側が優勢だったのですが、米軍の圧倒的な火力の前に、 次第に劣勢となっていきます。 日本海軍は、ビアク島守備隊救援のため、「渾」作戦を立案。 しかし第1次「渾」作戦は、米機動部隊の出現(後に誤報と判明)のため中止、 その後の作戦も失敗に終わり、結局米軍のマリアナ侵攻に伴い、 ビアク島は見捨てられた格好になります。 8月22日、ビアク島守備隊は最後の通信を送り、組織的な抵抗を終えました。 追記。 ビアク島には陸軍部隊の他に、第28特別根拠地隊を中心とする海軍部隊も 展開しており、守備隊は陸海軍合計で約1万3千人でした。 そのうち、生きて日本の土を踏めたのは、520人だけだったそうです。 (93 159,161) 日本は島国なんですが、陸軍が主戦場にしていた大陸では装輪装甲車による強行偵察とか、半装軌兵員輸送車による急襲とか有効だったと思うんですけど マトモな道が無いので役に立ちません。 半装軌兵員輸送車による急襲とか ドイツ軍でも定数で戦車連隊1に対して1個擲弾兵大隊分しか配備してません。 他の種類のハーフトラックは重砲の牽引車なんですが、日本軍では重砲の牽引車は最初から装軌車でした。 (95 771) レイテ島の戦いで、日本軍、米軍、フィリピンゲリラが使っていた主な銃が、連発式か単発式かを教えてください! 日本はボルトアクション式、アメリカはセミオート式。 どちらもフルオートでパラタタタ・・・とは撃てない。 (99 512) 当時単発式の銃を使っていたところなどない。 単発式の猟銃などを使っていたゲリラがいたかもしれないが、 ごく少数。 日本軍の小銃だって、手動連発式。 (99 521) もちろん機関銃はフルオートだったさ、日米とも。 (99 563) 日本…三八式、九九式=ボルトアクションライフル アメリカ…M1ライフル、M1カービン=セミオートライフル …BAR=フルオート …M3A1グリースガン、M1A1トミーガン=フルオート(短機関銃) 歩兵の銃としては大体こんな所。 (99 565) 日本陸軍の師団を4単位制から3単位制に変更したときに生まれた「歩兵団」という組織は、実際に活躍したのでしょうか? 戦場ではたとえ戦車や装甲車を有さない歩兵師団といえども、諸兵科連合編成で作戦を行います。 日本陸軍の場合は、歩兵連隊を基幹に工兵や砲兵を連係させた、小規模の編合部隊を用いていました。 歩兵団は師団の主力となるこのような編合部隊をまとめるのに都合のよい司令部だったようです。 たとえばインパール作戦(1944年3月~7月)では、歩兵第31師団の宮崎少将率いる歩兵団が、 要衝コヒマでの戦闘を指揮しました。 欧州の陸軍では、このような編合部隊の指揮は、その部隊に配属された連隊司令部が行っていたようです。 (100 616) 太平洋戦争のときの旧日本陸軍がすごかった戦いってあるんですか? 陸軍の戦いが無いと思っているのか? 半年で東南アジアを制圧しんたんだぞ? (104 429) インパール作戦の時、日本はチハ等の戦車を持っていきましたが、アラカン山系を越える道の幅はどの程度だったのですか? 第14戦車連隊を有する山本支隊の進撃路となったタム=パレル道路の幅を示す史料が手元になかったのですが、 ビルマ最大のラングーン=マンダレー=ラシオを結ぶ街道が幅員7~9メートルであることを考えると、 ビルマ=インド電信線の保線道路だったタム=パレル街道はそれよりも狭かったと思われます。 陸戦史集では「小道」と表現されています。 (104 668) 第二次大戦の映画とかフィギアを見ても、ドイツ軍歩兵はマシンガンを携行して バリバリ撃ってる印象がありますが、日本軍にはライフルを撃ってる印象しかありません。 これは両軍の機械化への「意識」の問題ですか、それとも「工業力」の問題ですか? ドイツの歩兵も普通はライフルです。 機械化などではなく戦後の人間の知識とイメージの都合に過ぎません。 (112 195) それは戦争映画でのシュマイザーを構えたドイツ兵のイメージが強いからでしょう。 もっともこの手のサブマシンガンを最も多用したのはバラライカを使ってたソ連だと思いますが。 (112 196) そして、弾をばら撒くような小銃ではないから、 白兵突撃に移るまでの基本は「よく狙って撃て」になる。 訓練が十分に行き届いた太平洋戦争中盤までの日本軍歩兵なら、 けっこうな命中率になったはず。 そうなると専門の狙撃兵の活躍は埋没しちゃうわな。 (112 191) 小銃って基本的に弾バラ撒くもんじゃないでしょ。 セミオートのM1ガーランドですらそういう撃ち方はあんまりしなかったと思うが・・・ (112 192) 第二十六師団の独立歩兵第十二連隊は、昭和十七年ぐらいから昭和十九年十一月にレイテに上陸するまでに、 どのような作戦や、任についたのでしょうか? 第二十六師団はレイテに派遣されるまではずっと、駐蒙軍(兵団)の基幹師団でした。 だから任務と云えば治安作戦でしょう。 (113 878) 日本軍の戦車が大戦果を上げたのはやっぱり、初期のみですか? 一応要望に添えそうなのを上げておきます 占守島の戦車第11連隊あたりはどうでしょう? (114 941) 事前に察知し,準備を整えていた場合,関東軍はソ連軍にどのくらい抵抗できたか? 1.関東軍の精鋭部隊,装備の優れた部隊は,南方戦線に増援として送られたり本土決戦に備えて日本本土に引き上げられたりして,関東軍は全体的に戦力,装備が低下していた. 2.既に日本が負けかけてることは関東軍の将兵も察していたので,戦意が極端に低く,ソビエト軍の侵攻開始と共に総崩れになった. 3.なにより軍首脳部が一番に逃亡してしまい,指揮系統が崩壊した為,マトモな作戦指揮がなされず,各個撃破された. 4.ソビエト軍の兵力,装備は圧倒的で,戦う前から勝負がついてる状態. といったところ. 正直,精鋭部隊が充分な装備で事前にソビエト軍の侵攻を察知し防戦を準備していても,装備(特に戦車の性能差が圧倒的),兵力(特に砲兵の兵力差が壮絶だった)で勝り,ドイツとの戦闘で経験豊富なソビエト軍に対しては鎧袖一触だっただろう. ただ,在満邦人を避難させる時間を稼ぐことぐらいはできたかもしれない. 一応,徹底的に抵抗しソビエト軍を足止めした部隊も存在はした(虎城要塞,で検索するべし) 関東軍 24個師団,1個旅団,9個独立混成旅団,2個戦車旅団 航空機230機 兵力約75万人(実質8個師団程度の戦力) ソヴィエト 80個師団,40個戦車,機械化旅団,(戦車5250両) 32個飛行師団航空機5171機 総兵力約157万人, 関東軍からは以下の部隊が抽出された(昭和19年10月以降 昭和19年 10月第23師団(ルソン),12月第12師団(台湾), 昭和20年 1月第71師団(台湾),3月第11師団(四国)第25,57師団(九州) 戦車第1師団(本土),第111,112師団(南朝鮮) 穴埋めの為に20年初頭から121~128師団までの8個師団と4個旅団を編成. 5月には中国戦線より軍司令部1個,4個師団を編入. 更に在郷軍人25万人を動員. 全般に装備が貧弱で,関特演時の1/2~1/3程度の火力しかなかったようだ. (軍事板) ソ連の日本侵攻ですが,なぜ北海道ではなく北方領土から攻め始めたんですか? 北海道のほうが面積広いから,守備隊の密度も低くて攻め易いと思うんですけど. 北海道本島に関してはアメリカの承認(つーか黙認)が得られてなかったから. また,現実問題として1945年8月の時点では,満州と南樺太に加えて北海道本島を制圧できるに充分な兵力は用意し切れなかったというのがある. もし戦争が8月以降も続いて「日本本土決戦」が行われていたら,北海道本島にもソビエト軍が上陸してきただろう. (軍事板) 帝国陸軍が満州に遺棄した化学兵器だそうですが,200万発という数が出ております.あまり使わない化学兵器をそんなに生産する余力が,日本にあったんでしょうかね? 化学兵器の生産技術を一度確立すると,多量生産はさほど費用もかからず,簡単だそうです.でないと,殺虫剤がえらい高いものになってしまう. ただ,中共の化学兵器には旧日本軍が遺棄したものの他に,敗戦で武装解除時に人民軍に引き渡したもの,中共が生産,購入したものも含まれてしまっています. 日本が「化学兵器禁止条約」に則って,処理しなくては成らないものは日本軍が遺棄したものだけであるはずなのですが. (剣恒光 ◆YR1Hskt.M. ) 日本陸軍には各分隊に短機関銃,軽機関銃の装備はあったのだろうか? 日本陸軍の歩兵分隊には分隊あたり一丁の軽機関銃が配備されてましたです. 短機関銃は一般の歩兵部隊には配備されず,空挺隊のような特別な部隊で使用された例が殆どでした. 例えば,昭和20年の義烈空挺隊は,総勢120名中,4分の1に当たる30名が100式短機関銃を装備していました. (名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 旧帝国陸軍は,ドイツ軍の小火器をライセンス生産しようとはしなかったのでしょうか? 自主開発に拘らず,MP40とかMG34なんかをライセンスした方が良かったんじゃないかと思うのですが. モーゼル・スタンダード・モデル24式とチェコ製の同型銃を1938年に,準制式小銃として試験.結果,8,000挺を輸入しています. 但し,大陸戦線で使用する場合は,防塵対策が不十分,安全性にイマイチ不安な点があることを挙げています. ついでに,License生産をするというのは,それなりにLicense費用が上乗せされ,数を揃えるのには不利になります. そのLicenseeがどれくらいかかるか判らないですし…. ならば,機構だけ模倣して,独自に生産した方が安上がりだったりしますわな. (眠い人 ◆gQikaJHtf2) 太平洋戦争時に米軍は,火炎放射器を有効に用いて,洞穴にいる日本兵や民間人をいぶりだしましたが,日本軍は火炎放射器の攻撃に対する対策を取らなかったんでしょうか? 狙撃兵に米軍の火炎放射器兵の燃料タンクを狙撃させる事を徹底させる等の対策は,日本軍には無理だったんでしょうか? まず,あれは「隠れてるものを燻り出す」為に行っているのではありません. 物陰に潜んでいるであろう兵員,ゲリラを問答無用で「撃破」する為です. 物陰,藪,洞窟等,人間が隠れていそうなところには片っ端から,実際に人間が隠れているかどうかの確認などはせずに,徹底的に行われていました. 尚,火炎放射器と言うと「焼き殺される」イメージですしそういう映像が多いですが,ほとんどの人は,強力な火焔の燃焼に伴う局所的酸欠(洞窟に行われた場合は殆どこれ)や,周囲の物が燃える事による煙の吸引で死亡しました. で,アメリカ軍のマニュアルでは, 「火炎放射器使用時は,最低1名の自動火器を持った者が援護に当たる事」 等,火炎放射器を前線で対人掃討任務に使う際の規約を定めています. 仮に日本軍が狙撃等で対抗しようとしても,逆撃に遭うのがオチだったでしょう. ただし日本軍は,敵将校や指揮官,通信兵等への狙撃は積極的に行い,米軍を相当に悩ませています. 南方や沖縄では米軍には, 「将校は階級章を付けない事」 や 「指揮官はマップケースを携行してはならない」 等の狙撃対策指示が出ていました. それでもかなりの数の米軍将校が,狙撃で死傷しています. 旧日本陸軍の小隊~中隊規模の砲兵隊の編制や装備って、どんなもんなんでしょう? 日本軍の砲兵連隊の編成 http //sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/artillery/organization_jpn.htm (356 92) 日本軍は戦争初期には火炎放射器を多用しましたが、後期に使用しなかったのはどうしてなんでしょうか? 大戦後期の日本軍も使用している。 もともと火炎放射器は陣地攻撃用の兵器なので、 日本側が陣地に篭る大戦後期では、多少活躍の頻度は下がったかもしれないが、 主に対戦車兵器として工兵隊などが使用している。 例えば、独立混成第58旅団工兵隊は、火炎放射器15器を装備しており、 ルソン島防衛戦初期に、爆薬とあわせて米軍戦車隊を迎撃して、戦果を報じている。 http //www.geocities.jp/bane2161/dokukon58ryodan.htm 同じくルソン島では、戦車第2師団工兵隊の装甲作業機も、火炎放射器をつんでる。 (508 931) 日本兵は米戦車をどうやって倒したんですか? 対戦車地雷ですか? 地雷の場合は,精々擱坐させる位しか威力がありません.余程の軽戦車(タンケッテ)程度でないと,引っ繰り返すのは無理. Caterpillar切っても,回収して修理すれば前線に出せますし. 分隊一個を潰して擱坐させた戦車が,あっと言う間に戦場から回収され,再び修理されるケースがImphalでは多く見られました. 日本がM4などを相手にする場合は,思いっきり近くから37mm対戦車砲を側面か背面から打ち込むか,陣地に引き込んで榴弾砲などの野戦砲の直射くらいと,後,火炎瓶くらいです. 火炎瓶で,火災を起こさせ,乗員が慌てて出てきたところで上に乗った兵が中に手榴弾を投げ込み,戦車を乗っ取って,敵に発砲すると言う戦術も採られています(当然最後は撃破される訳ですが). (眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板) 地面に埋められた航空機用爆弾を転用した仕掛け爆弾とか,道端に隠されて戦車の側面からHEAT弾を撃ち込む対戦車地雷とか,いろいろあります. けど,基本的に対戦車地雷はキャタピラを切る程度の奴が多く,地雷原は対人地雷と混ぜて敷設されたり,地面の上に直接置かれたり,撒かれたりする. (軍事板) 日本陸軍の戦車が弱いのは限られた予算を航空戦力の充実に回したとのことですが、戦車よりも航空機優先なのはどういう意図なのですか? ていうか、航空と機甲兵力の整備は陸軍の整備計画の中では共に優先されてますよ。 それが非常に遅れたものになっていったのは、欧州の戦車が日本の予想を超える 恐竜的進化を遂げたのと、日本の軍需工業の規模が大型戦車の開発・整備を許さなかったことです。 また、昭和18年以降米軍により輸送船が多数沈められたために、輸入が減った限りある資源を 航空機と船舶の整備に振り向けたという事情もあります。 (362 512 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) アメリカは東南アジアの港湾設備など、兵站上の制約をどのように解消したのでしょうか? 大日本帝國陸軍は東南アジアの港湾設備及びクレーンの制約から、戦車は15t以下の制約を設けざるを得なかった という話をよく聞きますが、アメリカは同じ戦場に大量のシャーマンを始め重火器を揚陸しています。 こういう艦を使った。 http //yuuki9999.k-server.org/Ejis/oosumi/721px-LST-21-unloads-tanks.jpg (514 593) 太平洋戦争に入っても突撃ラッパが使われることはあったんでしょうか? 太平洋戦争時にも普通に使用されました。 わりと有名な例としては、ブラウン環礁の万歳突撃、サイパン島での夜襲時に吹いたものなど。 通常の戦闘ではないですが、カウラ捕虜収容所の反乱事件のときも吹いてます。 (525 950,◆yoOjLET6cE) 帝国陸軍にはゲリラ戦、市街戦を想定した今でいう特殊作戦群、米国だとグリーンベレーのような部隊ってあったのでしょうか? ごく少数があった。 太平洋戦争前は対ソ連戦を中心に想定していたので、 シベリア鉄道の爆破工作なんかをねらった部隊が、関東軍に若干。 ただ、中野学校出身者を幹部に亡命ロシア人なんかを使ったので、 精鋭部隊という感じはあまり無い。 太平洋戦争が始まると、いくらか増える。 ジャングルでのゲリラ戦闘専門部隊として、 中野学校出身者を幹部に台湾の山岳民族出身者を主力とした「遊撃中隊」がいくつか創設。 ニューギニア方面でのゲリラ戦や、レイテ島への空挺攻撃なんかに使われた。 対ソ連用としては「機動旅団」(数個機動連隊からなる)が編成され、 少人数でのゲリラ戦を行うはずだった。個人用気球を使った潜入訓練なんかやってたらしい。 これが、日本陸軍では現代の特殊作戦群に一番近いと思う。 (528 630) ガダルカナル島で最初に飛行場を作っていて米軍の上陸で山林に逃げ込んだ日本軍の設営隊と若干の守備隊ってその後どうなったんですか? なんとか再集結して連絡も取り、駆逐艦で陸戦隊1個中隊の増援を受ける。 飛行場の運用状況や、別地点に上陸した一木支隊の壊滅を報告するなどの貢献。 米軍と交戦して徐々に圧迫されるが、川口支隊の上陸まで持ちこたえ、合流。 その後、増援部隊の到着と入れ替えに駆逐艦などで収容され撤退する。 (542 346) 旧陸軍は関東軍特殊演習の名目で対ソ戦を計画していましたが、兵站関係はどう考えていたのでしょうか。 あんまり真面目には考えていない。 その辺は日本陸軍の体質。 ただ仮に「関特演」を実行したとしても、主攻略目標はウラジオストクと ハバロフスクを中心としたアムール川東岸地域で、第2目標がバイカル湖と オホーツク海を結ぶ線だったので、そんな苦労はしないと思っていたようだ。 そうなの? というツッコミはまぁ・・・ね。 元々「ドイツが西から攻撃して兵力を引きぬいた隙に背後から攻撃しよう」と いう火事場泥棒計画なので、兵站が問題になるまで戦争が長引くとは最初から 考えていないというのが実情。 (348 579) 南雲中将は海軍出身ですが、陸戦となったサイパン防衛戦の指揮はきちんと、執れていたんでしょうか? サイパン島の防衛責任者は第31軍の北部マリアナ地区集団長(第43師団長)である斉藤義次陸軍中将。 南雲中将は中部太平洋方面陸海軍部隊の最高指揮官だったが、サイパン防衛戦を直接指揮した訳ではない。 大本営発表(昭和19年7月18日17時) 一 「サイパン」島の我が部隊は七月七日早暁より全力を挙げて最後の突撃を敢行所在の敵を 蹂躙し其の一部は「タポチョー」山附近迄突進し勇戦敢闘敵に多大の損害を与え十六日迄に 全員壮烈なる戦死を遂げたるものと認む 同島の陸軍部隊最高指揮官は陸軍中将斉藤義次、海軍部隊最高指揮官は海軍少将辻村武久 にして、同方面の最高指揮官海軍中将南雲忠一亦同島に於て戦史せり 二 「サイパン」島の在留邦人は終始軍に協力し、凡そ戦い得るものは敢然戦闘に参加し概ね 将兵と運命を共にせるものの如し (557 563) ペリリュー島は堀栄三が指導して水際防御を止めたのいうのは事実? 霞ヶ浦の住人氏が以下のような書き込みをしてますが サイパン、グアム、テニアン島守備隊は、愚かにも水際防御をやって、そこで戦訓を得ました。 大本営参謀の堀 栄三が、水際防御を止めて、内陸に深く穴を掘り、潜むことを指導しました。 ペリリュー島や硫黄島の防御は、その指導に沿って行われました。 堀参謀が指導したかどうかは知らんが、少なくともペリリュー島は「水際防御」ですよ。 サイパン戦の戦訓により『主陣地は海岸から適宜後退して選定する』と定めた「島嶼守備要領」が大陸指示第2130号で 示達されたのが昭和19年8月19日、 ペリリュー島に米軍が上陸したのが昭和19年9月15日 常識的に考えて、4月末からサイパンと同様に水際防御で陣地構築されていたペリリュー島が、1か月程度で陣地配備を 変更できるとは思えない。 (557 648) 堀参謀が指導したのは、水際玉砕を禁止し、抵抗力のある陣地構築についてです。 ですから水際陣地か内陸陣地かは二の次です。 戦艦は2個重砲連隊 重巡洋艦は1個重砲連隊相当以上の火力があり したがって上陸に備えた米国艦隊の艦砲射撃は戦艦1隻につき2個師団 重巡洋艦は1個師団に敵対すると考えよ、 とはじめて陸軍が理解できる言葉で作戦要領をつくりました。 さらに、戦艦級の40cm砲については陣地は最低1m以上の 鉄筋コンクリート構造にすべきとの指導が初めて行われたのです。 (それまでは遠距離からの24cm級榴散弾に対する 防御から40cm程度とされていました。) ぺリリューもタラワも内陸と呼べるほど奥行きはありませんから陣地は 水際になりますが、いずれも米軍をかなり苦しめたのは事実で 堀参謀のガイドライがも大きく貢献していると思っています。 (558 陸軍入門者) 沖縄戦の直前に沖縄から精鋭の第9師団を引き抜かれたため、沖縄防衛が不可能になったというのを読んだのですが、 第9師団が沖縄に留まり、5月に反転攻勢をせずに長期持久戦を続ければ 沖縄にいた第32軍は昭和20年の8月15日まで持ちこたえることができたのでしょうか? もともと第9師団があるうちは、持久ではなく積極水際防御作戦をとっており、 その場合、史実より早く沖縄が陥落する可能性が高い。また史実どおり持久作戦をとっても 史実の沖縄戦の流れからすると、大本営とか、参謀長が攻勢論を主張して無駄に兵力を失うと いうのが目に見えてるから、2個師団半で2ヵ月半持ったところを見ると1個師団多いわけだから、 よくもって7月半ばが限界だろ。 (587 172) 火力の低い大戦期の日本軍は、トーチカやバンカーの攻略にかなり苦労したのでしょうか? 支那事変の開戦劈頭、上海決戦において、トーチカやバンカーで固められたゼクートライン相手に、 名古屋第三師団が多大な犠牲者を出しています。 その為、師団に所属していた第三十四聯隊の静岡市内は軒並み葬式で 朝に兵を送り夕に遺骨を迎えると言う有様でした。 もっとも、これは初期の補給不足(「火器に頼らずもっぱら銃剣によるべし」と言う恐るべき通達が出ていた)や、 上海周辺の兵要地誌の「上海付近の地形は、野砲以上の大砲が使用できない」と言う誤記が原因です。 後で慌てて重砲を届けた後はコンクリート陣地を木っ端微塵に粉砕しています。 後は太平洋戦争の開戦劈頭の要塞化されたバターン半島・コレヒドールでもかなりの苦戦をしてます。 (326 ue ◆WomMV0C2P.) 日本兵って戦車に対して弱すぎね? ろくなというか、まともなと言うべきか、まあ必要な対戦車装備が不十分で(装備が無くて) 対戦車戦闘能力のある戦車もしくは火砲の支援も不十分な場合の歩兵なんて どこの国であろうと、戦車に対して脆弱すぎるというか一方的に圧倒されるしか無いよ 同じ装備と同じ状況だったら現代のアメリカ海兵隊でもWW2世代戦車に負ける 逆に、旧日本軍でも対戦車装備が充実してる場合は普通に戦車を撃破できてたりする戦例はある それは遮蔽物のない平野での遭遇戦が多い独ソ戦やアフリカ戦線の話だったりする。 防御陣地を構築していたり、地形が複雑では双方の交戦距離が至近になり、 戦車の進撃路が限られたりするから歩兵でも効果的な攻撃を加えることが可能になる。 例えばエル・アラメインでのイタリアのフォルゴーレ空挺師団は 戦車比70分の1、歩兵の対戦車兵器は火炎瓶と地雷のみという状況下にもかかわらず 陣地に篭って防戦できたため英軍機械化師団の大攻勢を二度に渡って撃退している。 ノモンハンでソ連機甲戦力の中核だった第11戦車旅団は 日本歩兵師団との戦いで装備戦車のほぼ全て、170両を完全喪失している。 (604 160-164) 大戦末期に種子島か屋久島で守備部隊として駐屯していた部隊があるらしいのですが 第一三五七三部隊の正式な名称がわかりませんが、種子島なら独立混成第109旅団(剣閃兵団)でしょうね。 屋久島にいたのは特設警備第207中隊と特設警備第208中隊だけですから。 独立混成第109旅団の編合と人員装備(定数?)は次の通りです。 旅団司令部(37名・馬5頭) 独立歩兵第678~680大隊(各 590名・馬3頭)【大隊本部・中隊3・機関銃中隊】 ※ 中隊に軽機関銃9?・重擲弾筒9?、機関銃中隊に重機関銃4? 独立歩兵第681~684大隊(各 705名・馬21頭・軽機関銃12・重擲弾筒12)【大隊本部・中隊4】 ※ 中隊に軽機関銃3?・重擲弾筒3?、大隊には重機関銃なし? 特設警備第203大隊(420名、軽機関銃12・重擲弾筒12) 特設第55機関砲隊(85名、96式基筒単装25粍機関砲12) ※ 海軍から供与された96式25粍単装機銃を装備 独立野砲兵第26大隊(492名・馬55頭、指揮車7・自動貨車51・38式野砲12【大隊本部・中隊3・大隊段列】 旅団工兵隊(188名・馬1頭) 旅団通信隊(162名、電話機30・3号甲無線機1・3号丙無線機2) 旅団衛生隊(70名) 昭和20年8月1日現在における旅団の主要兵器現在数 小銃4656、軽機関銃149、重機関銃13、10年式擲弾筒1、重擲弾筒122、速射砲4、41式山砲4、野砲12、噴進砲50、高射機関砲3、乗用車3、自動貨車35 独立混成第109旅団の兵員の出身地については明確な資料が手元にありませんが、 1 旅団の補充担任が熊本師管区(もと留守第6師団)であること 2 旅団の母体となった独立混成第23聯隊(昭和19年7月12日臨時動員)の動員管理官が留守第6師団長であること 3 独立混成第23聯隊が鹿児島の歩兵第45聯隊補充隊で編成完結していること 4 独立野砲兵第26大隊の母体となった種子島臨時砲兵隊は留守第6師団(熊本)と留守第56師団(久留米)の人員で編成されたこと から南九州(特に鹿児島・宮崎)を主体とした九州一円の可能性が高いと思います。 ※熊本師管区 :熊本県、大分県の大部分、宮崎県、鹿児島県、沖縄県) ※久留米師管区:福岡県、長崎県、佐賀県、大分県日田郡、山口県下関市・豊浦郡 以上 戦史叢書 本土決戦準備 2 九州の防衛から引用 (337 826,827) 沖縄戦で、まともな医療行為は行われたのですか? 物資が欠乏してきてもできる限りにおいて医療行為はする。 「手術用手袋とエプロンのストックが尽きたので手術はもうやれない」 なんてことは言わない。つーか言えないだろ。 沖縄戦の末期になるともう「消毒用アルコールがないので度数の高い 酒で代用、それすらも欠乏したので消毒なしでも手足を切るときは切る」 という悲惨な状況になっていたりした。 勿論麻酔薬やモルヒネなんぞはとうに尽きているのは言うまでもない。 沖縄戦のエピソードとして動員されて看護婦になり、末期には看護婦の仕事は 「外科壕」という名のただの洞窟にろくな敷物もせずにただ寝かせているだけの 重傷者の替えがないため汚れ切ってる包帯の隙間から染み出してくる膿を取って やったり、傷口に湧く蛆を取ってやることくらいしか出来ることがなくなって しまった、というものがあったりする。 沖縄南部の有名な戦跡である「ひめゆりの塔」の近くに今でもこの 「外科壕」(という名のただの洞窟に)が残っているので、沖縄に行く機会が あったら足を運んでみるといい。 覗くとなんつーかこうやりきれない気分になるぞ。 「軍医の武器、それは注射器とメスだ。 戦闘が始まった後の軍医の武器は骨切り鋸とモルヒネだ。 軍医の最後の武器は拳銃だ。 ・・・ただし敵に向かっては撃たないが」 という言葉があったり。 (325 705) 沖縄戦で日本軍はなぜ5月に反抗作戦を行ったのでしょうか? 第32軍の参謀たちは戦力の消耗度から 組織的抵抗が可能な期間は5月15日までが限度と判断していて それまでに攻勢をとるべきという判断から反攻作戦が立案された。 攻勢をとる理由は、将兵の心理状態に拠るものが大きい。 5月の反攻が計画された時点では すでに米軍の上陸から1月以上がたっていて 湿度が高く換気も悪い壕内の衛生状態は最悪で、 疫病が蔓延しほとんどの将兵が下痢に苦しみ、 将兵の士気の低下は著しかった。 もともと受身の戦術は士気の維持が難しい。 そこまで厳しい生活環境の中で、 絶望的な戦況のもと何の希望もなく、 いつまでも頑強に戦い抜くなんて 人間にとってそう簡単にできるものではない。 死ぬまで受身でいることと比べ、 攻勢は心理的に僅かでも希望がもてるため前線部隊から支持され、 消沈しきっている士気を高める効果があった。 (608 242) 戦車第二師団がアメリカに対して勝利、圧倒した事例はありますか? 戦車第二師団は昭和20年1月9日の米軍のルソン島上陸開始後懸命の遅退戦闘を繰り広げますが、 第23師団に配属された重見支隊(戦車第七連隊基幹)は28日までに玉砕、師団主力 (戦車第六連隊・戦車第十連隊)も2月初旬にはほぼ戦闘能力を喪失して2月6日の軍命令により 山岳地帯に後退しています。 師団の装備も、対戦車能力を期待できた独立自走砲大隊は海没、97式中戦車(改)ですら 台数がそろわない状況では、米軍を圧倒などとても出来ない相談でした。 (322 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 山下軍司令官はたしか訪独団で独ソ戦開戦間際に慌てて帰国したと記憶してるのですが、かの地ではやはり機甲戦術を学んでいたのでしょうか? 歴史群像のマレー電撃戦の特集見てて疑問に思ったのですが、 その研究の帰結としてあのような無謀とも思える電撃戦を行ったのでしょうか? 訪独中、グデーリアンらドイツの将軍からの講義を受けている。 もちろん、1939、40年の戦役について研究だってしていただろうから、 マレーでの電撃戦のイメージを、頭の中でキチンとイメージできるようになったとちゃうんかな。 たとえ座学であっても、当事者の話を直に聞けるってのは、非常にためになるもんです。 戦場から鑑みればユーゴあたりの地形(無論気象等は全く異なりますが) が近いのではでしょうか。 ヒトラーは対米戦は論外で日本に対しシンガポールを攻めよと言っていた らしいですが、マレー半島の侵攻作戦を参謀本部レベルで研究。 山下大将にも助言を与えていた可能性は高そうですね。確証は得られるはずも ありませんが・・ 訪独団は4月に帰国してるから、バルカン作戦の前後に帰国している。 現地で研究例にするには時間的に無理だろ。 参謀本部の一般業務として、想定されうるあらゆる戦争計画を平時から立案することはあるが、 さすがに、距離的に隔絶していたマレー半島の進行作戦を、独参謀本部が研究立案するいわれはないわな。 ドイツと日本は同盟関係にあったけど、絶望的に政戦略の擦り合わせはやってないし。 多分、訪独団へのグデーリアンの講演も、電撃戦の一般論的なエッセンスに留まったんと違うかな。 ただし、ポーランド、フランス戦までの事例を踏まえれば、強い説得力を持つし、 日本で無手勝流に自動車化部隊の研究をやるよりも、 当事者の意見や経験を取り入れるというだけでも、随分と違ってくるはずだけどね。 そもそも、マレー戦て、辻~んが、戦前、調査したデータを元に作戦案が立てられた物だから。 (617 312-315) フィンランド兵はろくな対戦車兵器もなく、モロトフカクテルで大量のソ連戦車を破壊できたのに、なんで日本兵は、サイダー火炎瓶でアメリカの戦車を破壊できなかったの? アメリカの戦車は歩兵支援が主任務。つまり周囲に歩兵がわんさかいるので、 火炎瓶もって近づけなかった。 http //www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02u2.htm モトロフカクテル火炎瓶の効果... 日本軍では、スペイン内戦での火炎瓶の効果を聞いて実験したのですが。 ディーゼルエンジンの戦車でしかも止まっている状態で実験したため効果 が出ず...火炎瓶は役に立たないと言うことになっていました。 (308 543,544) 「最後のナイチンゲール」を見て思ったのですが、沖縄戦での赤ん坊殺害や方言を使っただけでの処刑って何件あったんですか? 地元の人間だ。 客観的なことだけを言わせてもらう。 沖縄戦で一般人何人死んだか、現在でもわかっていない。 日米共に、それが民間人であると知りながら殺したという証言は多数存在する。 米兵が一般市民とわかって殺した事例は、殺害数こそ少ないが公式資料として存在する。 一般人を殺した数は、米軍の方が多いだろう。砲弾消費量を調べれば判る。 市民の犠牲の多くは、首里戦線が突破され、日本軍の指揮系統が混乱した後に生じている。 従って、正確な数は知る由もない。 赤ん坊を絞め殺したという話はあるけど、俺が探した限りでは証言などの一次資料としては確認できなかった。 方言に関しては、以下のような命令が20年4月9日付けで出されている。 「爾今 軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ 沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」 終戦後に、壕の中に隠れている日本兵に降伏勧告に行った一般人を殺した事例は存在する。 ちなみに、降伏勧告に行った(事前に捕虜になっていた)日本兵を殺した事例もまた存在する。 (「沖縄県民斯ク戦エリ」講談社 参照のこと) ここからは私見だが、沖縄戦は非常に混乱したその悲惨な状況から、当時の状況を正確につかむのは不可能である (証言と言う不正確な手段しか残されていない。最近ではそれすら困難になってる) そのせいで、左向きの人や活動家や、この手の事でメシ食ってる連中が、日本軍のことを悪く言う証言「だけ」を抜き出して、 日本軍を貶している感がある。 (ひめゆりの塔の平和祈念館なんかその典型。見に行って腹が立った) でもって、それを真に受けたやつがお涙頂戴のドラマを作って、みんながそれを信じちゃう、と。嫌な世の中になったもんだ。 実際には、日本軍について良い感情を抱いている証言も多い。 (300 225) 引き抜かれる前には沖縄の最強師団といわれた第9師団、またその代替として予定されていた第84師団の戦力と実力はどんなものだったのでしょうか? 第9師団は日露戦争で拡充した俗に言う常設師団で、伝統もあり、常に一線級の兵力が与えられていました。 また、装備、訓練も充実しており、常に定数を維持しています。 大体、歩兵聯隊3、師団捜索隊、山砲兵、工兵、輜重兵聯隊各1くらいでしょうか。 一方の第84師団は、1944年~1945年2月の内地兵備強化の為に編成された師団で、歩兵聯隊3、速射砲、野砲 (なければ山砲)、工兵、輜重兵聯隊各1の編成になっています。 砲兵が三八式になっているなど、装備的には些か劣ったものですが、末期の貼り付け師団よりは遙かにマシです。 但し、人員的には留守第54師団基幹で編成されたものですから、予備役兵主体で、平均年齢は上と言う形であり、 万一に沖縄に転用されても、兵力として数えるのは若干疑問があります。 (296 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本の対戦車攻撃って肉弾攻撃が主ですか? 日本も対戦車戦闘は速射砲(対戦車砲)がメインです。 次に野砲や連隊砲等で、対戦車壕や地雷等も利用します。 ノモンハンでも戦果の80%程度は速射砲で、肉薄攻撃による戦果は5%程度です。 (俺初質スレ432 161) 日本軍が捕獲したM3軽戦車って全部で何輌なんでしょうか? Philippinesでは米軍は108輛のM3を持っていましたが、31輛が鹵獲されました。 Burmaでは、2個連隊のM3を投入していますが、その戦いが終わったときに残って いたM3は1輛だけだったそうです。 恐らく、日本に鹵獲されたM3は概ね数輛程度ではないかと思います。 後に修理・回収されることでもう少し増えた可能性はあるかもしれませんが。 M3中戦車とM4中戦車ですが、鹵獲したもののそのまま破壊というケースが多かったみたい です。 (265 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本軍の対戦車戦法はどんなものだったのですか? 日本陸軍では対戦車防衛に「弾性防禦」の表現を使っており、正にその通りの弾力的な防禦策を展開している。 このため、第一線の戦車攻撃に対する抵抗は、それほど激しいものではない。 第一線では歩兵装備の重火器のうち、戦車に向けられるものは20%以下と見て良い。 戦車が接近すると一個小隊のうち一個分隊を残して、後はひとまず800~1500ヤード後方に退く。 第一線に踏みとどまった一個分隊は、直ちに煙幕を張って散開し、煙幕の中から戦車が姿を現すと、焼夷擲弾をもって 肉迫攻撃を加えるのである。 こうして初戦に於いて、先ず敵戦車の隊列を崩してコントロールを乱れさせ、被害を与えるというのが、その戦術的な狙いだ。 こうして第一戦の攻防戦が展開されている間に、師団砲兵が直接照準の出来る位置まで前進する。 もし、歩兵の主要火力で攻撃を阻止できなければ、歩兵主力部隊は煙幕や焼夷擲弾を使用しながら肉迫攻撃を掛け、これを 突破した敵戦車に対しては、直射陣地に前進していた砲列が集中砲火を浴びせると言った作戦である。 この作戦の特色は、一旦攻撃が停頓すると、攻撃側が忽ちピンチに陥ることだ。 立ち往生した戦車に対しては、手榴弾その他の手持ちの兵器でも功を奏することがあるし、散開したとは言え、敵戦車部隊の 後続歩兵部隊を阻止できる。 ●対戦車攻撃法 1. 場所の選択 対戦車攻撃要員が活動するのは、主として戦車の前進速度が鈍るところで、対戦車砲による攻撃の邪魔にならぬところとなる。 2. 特別要員 各歩兵中隊(機関銃中隊に適用されることもある)毎に対戦車肉攻班が設けられ、要員は特殊装備の元に訓練を受けている。 各要員の武装は、対戦車地雷と発煙手榴弾。 3. 攻撃方法 攻撃方法には次の三つがある。 (1) 援護射撃の元に肉攻班員は戦車に向かって匍匐前進を行い、相手の死角に入る。 次に戦車の前方15ftの地点に、長い紐を付けた地雷を放り投げて、この紐を引きながら、戦車の真下に誘導する。 (2) 援護射撃の元に肉攻班員は突進して数個の地雷を戦車の進行方向にばらまき、そのいずれかを必ず接触させるようにする。 (3) 全長150ftのコードに、1ft間隔で地雷を結びつけ、これを戦車の通路に置き、両端の肉攻班員各1名と共に偽装隠蔽し、戦車を 待ち伏せする。 このほか、肉攻班員は、通常後方から戦車に跳び乗り、ピック(小型鶴嘴)で戦車の武器又は砲塔の回転装置を破壊するよう訓練 されている。 時には戦車の開口部から乗員めがけてピストルを発射することもある。 また、砲塔に掩蔽物を被せたり、開口部を泥土で目つぶししたり、開口部を利用して燻りだしを図ることもある。 勿論、こうした作戦を行う場合、その前に戦車部隊と行を共にする歩兵部隊は、別働隊によって除去される。 更に戦車は、3インチの丸太材または1乃至1.5インチの棒材を車輪のスポークに突っ込まれてスローダウンさせられ、遂には停車 に追い込まれることもある。 当然ながら、磁気徹甲地雷が使用されることもある。 米軍の対日本陸軍戦闘マニュアルより抜粋。 (233 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 米軍の中隊や大隊の火砲は迫撃砲のみですが、日本軍との戦闘で大隊砲や連隊砲に苦戦したなどという話はあるのでしょうか? 自分たちの砲火力に不足が有れば、師団砲兵を呼び出したり、航空支援、戦車、或いは艦砲の支援を仰いだりしています。 苦戦という件については、日本軍が十分な戦備を整えていた、緒戦の段階や余り練度の高くない中国軍相手 であれば被害甚大と言うケースがありましたし、上陸反抗戦の局面でも、砲配置が適正で奇襲となれば米軍 の被害が或程度はありました。 しかし、例えば、第17師団の西部ニューブリテンでの上陸防禦の場合、水際撃滅のために全火砲を持って 行こうとしていましたが、兵力が足りず弾薬が持てないということで、装備火砲を各口径1門ずつとし、弾薬も 5発ずつを何十人かで持つと言う状況でしたので、有効な打撃が行えませんでした。 また、ガダルカナルでは、大攻勢を掛けたものの、迫撃砲のFPFのため、全て撃退されています。 更に砲弾が少なく、砲の門数も少ない状況では、何をしても無駄だと言う諦観もあったみたいで…。 歩兵学校が作成した対米戦闘法は、大砲は撃つと叩かれるから撃つなと言うものだったりします。 ついでに、ジャングル戦では、樹木が生い茂っているために平射をしても効果が少なく(後の陣地構築が 充実した状況は別)、樹木越しの見越し射撃が多用されました。 また、下が泥濘状態になっていれば、機動力に劣る牽引砲は不利で、迫撃砲の方が効果があります。 ジャングル戦では、寧ろ大隊砲、連隊砲より、重擲弾筒の方が敵に被害を与えています。 (199 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 坂邦康編著「比島戦とその戦争裁判」(東潮社,1967/5/25)という本に,「建武集団虐殺疑惑」が述べられているのですが, 2万数千名の日本軍部隊が,あの拡大な地域で一兵も残さず戦死したとはどうしても考えられない. 南サンフェルナンド(中部ルソン)で投降した日本兵に対しゲリラによる虐殺があったのではないか?というものなのですが. 無いことの証明は悪魔の証明だとは思いますが…。 例えば、1945年2月のマニラ市街戦では、日本軍の戦死者は兵力2万人のうち、1.2万人でした。 この殆どは米軍の砲火によって生じたもので、マニラ市内に逃げないで居た現地人は70万人中、 約10万人が犠牲となっています。 このうち、米軍の砲火による被害は過半数との見方があります。 確かにゲリラについては、フィリピン上陸戦以後活発となっています。 例えば、パナイ島に展開していたゲリラ勢力は、ビサヤ地区で最も規模の大きなものでしたが、これが 兵力2~3万人でした。 この地域を警備していた守備隊の兵力は、2,300名余、パナイ島に上陸した米軍は7,000名で、米軍との 戦闘で、戦死者850名を出していますが、生存者は1,560名でした。 ゲリラの兵力であれば、その全滅は赤子の手を捻るようなものでしたでしょうが、実際には米軍が戦闘 をしているだけです。 中部ルソンでのゲリラの規模や指導者は不明ですが、職業軍人でなければ、それだけのことは出来ない のではないか、と思います(ちなみに、パナイ島のゲリラ指導者は、米比軍出身のマカリオ・ペラルタ大佐 という職業軍人でしたけど、それでも、積極的に戦闘に加わったのは1942~43年頃の一時期だけで、以後 は上陸までは積極的な戦闘を控えるよう、豪州から命令が来ており、戦闘は低調となりました)。 ルソン島北部山岳地帯なら、Lamuet川の氾濫で、橋が流失して動けない在留邦人に対し、米軍機と戦車 が集中攻撃を行い、1000名以上が亡くなったケースはありますが、これとて、米軍というのがファクターに なっているのですから、ゲリラ主体でそれだけのことを成し遂げるのは無理ではないかと、愚考します。 (205 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦時中、活躍した日本軍の戦車師団を教えてください。 実戦に参加し、しかも勝利を収めたことのある日本軍の戦車師団といったら戦車第3師団しかないな (俺初質スレ2050 239)
https://w.atwiki.jp/nekotoinu/pages/125.html
南太平洋 無印で登場した旧ステージ。 対戦でランダムセレクトをするとたまに登場する。 ステージは全体的に暗く、筺体の設定次第では画面が全く見えなくなることも。 レジェンド相手にこのステージが出たらキツイ物がある。 要は地雷ステージ。
https://w.atwiki.jp/tipaza/pages/9.html
No. 書名 購入 No. 書名 購入 vol.01 奇襲 ハワイ作戦 ○ vol.02 大捷 マレー沖海戦 ○ vol.03 勇進 インド洋作戦 _ vol.04 ミッドウェー海戦 _ vol.05 ソロモン海戦 _ vol.06 死闘 ガタルカナル _ vol.07 ラバウル航空戦 _ vol.08 マリアナ沖海戦 _ vol.09 レイテ沖海戦 _ vol.10 連合艦隊の最期 _ vol.11 大和型戦艦 _ vol.12 零式艦上戦闘機 _ vol.13 翔鶴型空母 _ vol.14 空母機動部隊 _ vol.15 長門型戦艦 _ vol.16 高雄型重巡 _ vol.17 伊号潜水艦 _ vol.18 特型駆逐艦 _ vol.19 陽炎型駆逐艦 _ vol.20 大和型戦艦2 _ vol.21 金剛型戦艦 _ vol.22 空母大鳳・信濃 _ vol.23 秋月型駆逐艦 _ vol.24 局地戦闘機 紫電改 _ vol.25 陸軍機甲部隊 _ vol.26 伊勢型戦艦 _ vol.27 妙高型重巡 _ vol.28 日vs.米陸海軍基地 _ vol.29 局地戦闘機 雷電 _ vol.30 扶桑型戦艦 _ vol.31 陸海軍試作戦闘機 _ vol.32 軽巡球磨・長良・川内型 _ vol.33 零式艦上戦闘機2 _ vol.34 帝国陸軍戦車と砲戦車 _ vol.35 甲標的と蚊龍 _ vol.36 海龍と回天 _ vol.37 帝国陸海軍補助艦艇 _ vol.38 最上型重巡 _ vol.39 帝国陸軍戦場の衣食住 _ vol.40 烈風と烈風改 _ vol.41 世界の戦艦 _ vol.42 帝国海軍一式陸攻 _ vol.43 松型駆逐艦 _ vol.44 重巡古鷹・青葉型 _ vol.45 帝国海軍真実の艦艇史 _ vol.46 四式戦闘機疾風 _ vol.47 利根型重巡 _ vol.48 日本軍艦発達史 _ vol.49 沖縄決戦 _ vol.50 戦艦大和 _ vol.51 帝国海軍真実の艦艇史2 _ vol.52 一式戦闘機隼 _ vol.53 アメリカの空母 _ vol.54 戦艦大和・武蔵 _ vol.55 日米空母決戦ミッドウェー _ vol.56 _ _ vol.57 _ _ vol.58 _ _
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太平洋男P(たいへいようおとこ) 千早とBGMにこだわってみたP。 最新作 代表作 ニコ動一覧 タグ-太平洋男P タグ一覧:P名 P名_た デビュー2007.3下旬
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太平洋証券 【商号履歴】 太平洋証券株式会社(1985年4月1日~2000年4月ユニバーサル証券株式会社に合併) 小柳証券株式会社(1944年~1985年4月1日) 【株式上場履歴】 <東証1部>1990年9月3日~2000年3月28日(ユニバーサル証券株式会社に合併) <大証1部>1990年9月3日~2000年3月28日(ユニバーサル証券株式会社に合併) <東証2部>1988年5月6日~1990年9月2日(1部指定) <大証2部>1988年5月6日~1990年9月2日(1部指定) 【合併履歴】 1985年 月 日 大福証券株式会社 1985年 月 日 山一証券投資信託販売株式会社
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ライトニング P-38H 戦闘攻撃機 移動力 14 索敵範囲 4 燃料 78 索敵海中 1 生産資金 2500 搭載 不可 防御力 対空 65 対地 20 対艦 40 搭載武器 武器名称 対司 対空 対装 対非 対艦 対潜 射程 優先 1 2 3 4 20mm機関砲 10 80 20 50 0 0 1 12 5 5 5 9 454kg爆弾 25 0 70 100 30 0 1 1 3 - - - ロケット弾 15 0 40 60 20 0 1 12 - 4 - - タンク - - - - - - - - - - 2 - ロッキード社が開発し、1939年にアメリカ陸軍に正式採用された戦闘機。 爆撃機迎撃のため高度性能と速力を重視した設計の結果双胴双発となり、 副次的に頑丈な構造と高い搭載力、長い航続距離を有した。 日本軍の山本五十六長官を暗殺したのも本機だが、長大な航続距離が なければ襲撃自体が成し得えるものではなかった。 双発なだけに機動性に劣り、日本軍からは「メザシ」だの「ペロハチ (容易に撃墜でき、ペロリと食えるに由来)」だのと蔑まれたが、戦法を 速力を生かした一撃離脱型に切り替えてからはキルレシオが逆転。 「双胴の悪魔」と呼ばれるように。 米軍エース・パイロットの第1位と第2位のスコアはP-38&太平洋戦線で 稼いだものである。もっともヨーロッパ戦線のドイツ単発機相手では 機動力は勿論速力でも劣り、マスタングが登場すると爆撃機護衛から 退場。搭載力を生かした戦闘攻撃機として運用された。 北ニューギニア上陸作戦以降配備される新型攻撃機。 同時期のサンダーボルトより爆弾搭載量が1多く、ロケット弾の 攻撃力が低い。サンダーボルトが実質生産不可能なこともあり、代役や 不足分の補充を務めることになる。 とはいえ航続力・防御力が高く、使い勝手は十分。 経験を積めばライトニング(L)へ進化できる。
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ライトニング P-38H 戦闘攻撃機 移動力 14 索敵範囲 4 燃料 78 索敵海中 1 生産資金 2500 搭載 不可 防御力 対空 65 対地 20 対艦 40 搭載武器 武器名称 対司 対空 対装 対非 対艦 対潜 射程 優先 1 2 3 4 20mm機関砲 10 80 20 50 0 0 1 12 5 5 5 9 454kg爆弾 25 0 70 100 30 0 1 1 3 - - - ロケット弾 15 0 40 60 20 0 1 12 - 4 - - タンク - - - - - - - - - - 2 - ロッキード社が開発し、1939年にアメリカ陸軍に正式採用された戦闘機。 爆撃機迎撃のため高度性能と速力を重視した設計の結果双胴双発となり、 副次的に頑丈な構造と高い搭載力、長い航続距離を有した。 日本軍の山本五十六長官を暗殺したのも本機だが、長大な航続距離が なければ襲撃自体が成し得えるものではなかった。 双発なだけに機動性に劣り、日本軍からは「メザシ」だの「ペロハチ (容易に撃墜でき、ペロリと食えるに由来)」だのと蔑まれたが、戦法を 速力を生かした一撃離脱型に切り替えてからはキルレシオが逆転。 「双胴の悪魔」と呼ばれるように。 米軍エース・パイロットの第1位と第2位のスコアはP-38&太平洋戦線で 稼いだものである。もっともヨーロッパ戦線のドイツ単発機相手では 機動力は勿論速力でも劣り、マスタングが登場すると爆撃機護衛から 退場。搭載力を生かした戦闘攻撃機として運用された。 北ニューギニア上陸作戦以降配備される新型攻撃機。 同時期のサンダーボルトより爆弾搭載量が1多く、ロケット弾の 攻撃力が低い。サンダーボルトが実質生産不可能なこともあり、代役や 不足分の補充を務めることになる。 とはいえ航続力・防御力が高く、使い勝手は十分。 経験を積めばライトニング(L)へ進化できる。
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前のゲーム | 次のゲーム クリア条件:EDを見る(シナリオ、勢力、難易度は問わない) 開始時間:2017/10/15(日) 14 13 42.42 終了時間:2017/10/15(日) 16 49 04.62 参加人数:1 光栄の名作SLG。 第二次世界大戦の太平洋戦線を再現したゲームで、洋上を舞台に 枢軸国(日本)と連合国(主にアメリカ)の戦いをシミュレートする。 後にシリーズ化された。 後続シリーズと比べると、ルールがゲーム向きに簡略化されているため WW2シミュレーターとしては物足りない部分も多いが、 ゲームとしてのバランスはむしろ整っており、シリーズ最高傑作との声も大きい。 開始年代の違うシナリオが9つ。 これらのうち最初の1つだけがメインシナリオで、残りの8つは全てショートシナリオとなっている。 メインシナリオの目標は敵基地の全制圧もしくは敵艦隊の殲滅。 ショートシナリオにはそれぞれクリア条件が設定されており、それらを達成すればクリアとなる。 (引き続きメインシナリオとしてプレイ可能) やることが多く、とっつきにくさは光栄SLG随一だと思われ。 ただ、連合国を選んで難易度最低にすればクリア自体は余裕かと。 史実どおり、日本を選ぶだけで難易度が鬼のように上がります。 その中でも最後のショートシナリオ「大和特攻」はランペルールのエルバ島脱出と並んで 光栄の二大難関シナリオと言われているそうな。 音楽は宇宙戦艦ヤマトのテーマソングを手がけた宮川泰先生。 昭和初期を思わせる渋いBGMをご堪能ください。 1主 ミッドウェイ海鮮を選択。なかなか空母部隊が見つからなかったけれど、何とか空母三隻を発見して撃破。 ショートシナリオだからさくさくと終了。
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第230話 火消し人、太平洋へ 1485年(1945年)3月3日 午前11時 マオンド共和国首都クリンジェ この日のクリンジェは、2週間以上も続いた雨がやっと晴れ上がったせいか、町中を行く人が普段よりも多く見受けられた。 市場には人で溢れ返り、活気の良い掛け声が辺りに響き渡っていた。 主要な道路には、住民が使用する馬車が往来して行く。 その流れを、ほんの少し前までは全く見受けられなかった物が、鮮やかにコントロールしている。 広い通りの中央には、MPの2文字が入ったアメリカ兵が、マオンド住民達が使う馬車の流れを、手信号と口に加えた笛を使って止まれや、 進めという合図を交互に伝えている。 程無くして、馬車の背後から、いかつい駆動音を鳴らしながら黒い影が迫って来る。 馬車を操る御者が、慌てて道の端に移動させる。道の沿道を歩いていた住民達は、郊外から現れたと思しき米軍車両の隊列に、一様に目を向けて行く。 アメリカ軍車両は、最初は小さなジープが走り抜けて行き、次に、歩兵を満載したトラックが通過する。 その後は、M3ハーフトラックとM8グレイハウンド装甲車といった装甲車両が後に続いて行く。 総勢30台以上もの車両部隊は、周囲にエンジンの騒音をまき散らしながら、首都クリンジェの街道を突っ切って行った。 米軍の車列が通り過ぎた後、通行人の何人かは、首都の中心部にある臨時政府庁舎を見つめ、ため息を吐きながら、再び歩みを始める。 マオンド共和国臨時政府庁舎……旧マオンド共和国宮殿の天辺に掲げられた星条旗は、マオンド共和国の民達に、自分達の祖国が敗戦国であり、 アメリカの占領下に甘んじているという事実を、嫌が応にも痛感させていた。 アメリカ陸軍第15軍司令官であるヴァルター・モーデル中将は、公用車の窓の中から、占領下である首都クリンジェの様子を見つめていた。 「……閣下。あと5分ほどで、司令部に到着いたします。」 「うむ。」 モーデルは、窓の外から視線を外さぬまま、運転手に一言返す。 「曹長。私が見る限り、クリンジェは、以前と比べて賑やかになったかと思うのだが。」 「やはり閣下もそう思われますか。」 モーデルと顔見知りである運転役の曹長は、弾んだ声でそう返した。 「2か月前、ここに来た時は人通りが少なかったからな。それが、今では市場はおろか、沿道にも人が多数見受けられる。これはやはり……」 「ええ。1月に発足した、臨時政府の復興政策のお陰でしょうな。」 曹長は思い出したかのようにそう言った。 「マオンド共和国は、昨年に国王が退位した後、新しい首脳部が集められて臨時政府が発足しましたからな。その臨時政府は、1にも2にも、 戦火で荒れた祖国を復興する事が先であるとして、わざわざ、マッカーサー閣下に援助をお願いしてまで復興政策を推し進めてます。自分としては、 まだ敗戦後の混乱が残っているこの時期に、早々と復興を行うのは無理があるのではないかと思っていましたが……」 「私も、そう思っていたよ。2月中旬までは、各地で混乱も続き、私も臨時政府の政策はまずく、マッカーサー閣下の判断も時期尚早過ぎたと ぼやいた物だが……一応、落ち着きを取り戻しつつあるようだな、この国は。」 「はい。今となっては、町の市場には人で溢れ返っております。本国政府は、マオンドが単独で、満足に政権を運営できるまで復興するには、 最低でも10年は掛かるだろうと言っておられたようですが……マッカーサー閣下の考えではそれよりも、もっと短い内にマオンドは独立できる だろうと言っておるようです。」 「ほほう……マッカーサー閣下が。」 モーデルは、脳裏に、このレーフェイル派遣軍の総司令官であるマッカーサー元帥の顔を思い浮かべた。 常に尊大そうな態度を取るマッカーサーは、時折、大胆な発言をする時もある。 モーデルは、このマッカーサーの下で働き始めて早1年以上経っていたが、彼の自信がどこから湧いてくるのか、未だに分からなかった。 (あの人は、一体何を見て判断しているのだろうか。) 彼は、複雑な表情を浮かべながら、公用車がレーフェイル派遣軍総司令部の置かれた5階建ての石造りの建物に到達するのを待った。 それから5分後、モーデルを乗せた公用車は、臨時政府の置かれた共和国宮殿の反対側にある5階建ての建物の前で止まった。 「閣下、到着いたしました。」 「うむ。御苦労だった。」 モーデルは、運転役の曹長に軽くねぎらいの言葉を送りながら、小包を小脇に抱えて公用車から出た。 石造りの荘厳な建物は、臨時政府の置かれた共和国宮殿の前にある。 その入り口の両側には2名のMPが立っており、モーデルの姿を見るや、見事な敬礼で彼を出迎えた。 彼は、MPに答礼しながら、レーフェイル派遣軍司令部の置かれた建物の中に入って行った。 内部に入ると、事前に待機していた士官がマッカーサーの執務室まで案内してくれた。 モーデルは、士官に3階の執務室の前まで連れて来られた時、ふと、執務室の場所が前回と同じでは無い事に気付いた。 (3階か……2か月前の派遣軍の会議に来た時は2階だった筈だが……どうした物かな。) と、心中で呟いている時、案内役の士官が執務室のドアを2度ノックしてから開いた。 「司令官。モーデル閣下がお見えになりました。」 士官はマッカーサーから手振りで合図を送るのを見た後、モーデルに振りかえる。 「どうぞ。」 「うむ、ありがとう。」 モーデルは頷きながら礼を言った後、執務室内に入る。 「良く来たな、ミスター・モーデル。」 執務机に座っていたレーフェイル派遣軍司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、顔に笑みを浮かべながらモーデルを出迎えた。 「お久しぶりであります、司令官閣下。」 「こちらこそ。まぁ、そこのソファーにでも座りたまえ。」 マッカーサーは、モーデルにソファーに座るように促しつつ、彼も席を立って、部屋の端に置かれたソファーにどっかりと腰を下ろした。 モーデルは、部屋を見回しながら、マッカーサーが座っているソファーとはの反対側の位置に置かれているソファーに座った。 そこに、従兵がコーヒーをトレイに乗せて入室して来た。 従兵はコーヒーを、2つのソファーに挟まれるように設置されてあるテーブルに置き、穏やかな足取りで退出していった。 「閣下。執務室を移動されたようですな。」 「ああ。少しばかり、気分転換も兼ねて移動したのだよ。元々、ここは向かい側の宮殿に努めていた使用人達の宿舎だったようだから、 どこもかしこも質素な作りだ。ここも広いだけで、大して変わらん。」 マッカーサーは、コーヒーを一口すすった後、コーンパイプを取り出しながら部屋を見回した。 「今は、部屋の周囲に明るい色の張り紙を張っているが、ここに移動した時は、壁も床も真っ白だったぞ。余りにも寂し過ぎる物だから、 私は適当に模様替えをさせたよ。」 「しかし、2階の執務室の方が、ここよりは少し広いように感じられましたが。」 モーデルがそう言うや、マッカーサーは苦笑しつつ、右手をひらひらと振った。 「いくら広くても、周りに窓が全く無いというのは落ち着かないな。私は、万が一の場合に備えて、最初は窓が無い部屋でも良いと思ったが…… 狙撃の脅威が無い以上は別に必要無いと思ってここに移動したのだ。それに、ここの窓からは……」 マッカーサーはソファーから立ちあがり、窓辺に歩み寄った。 「臨時政府の置かれた共和国宮殿を眺め見る事が出来る。建物の規模としてはあちらが大きく、見下されているようにも見えるが、私はそうは思わん。」 マッカーサーはモーデルに顔を向けた。 「逆に、私は、彼らにアメリカは常に監視をしている、というメッセージを送れていると思っている。」 彼はそう言うと、ゆっくりとソファーまで歩み寄り、腰を下ろした。 「我々は、マオンドに対する先生でいなければならない。彼らが、自分達で国を運営できるようになるまでは、合衆国はここを拠点に、マオンドの 占領政策を続けて行くべきだ。」 「閣下の言われる通りですな。」 モーデルは頷きながら言う。 「おっと、話がずれてしまったな。さて、道を元に戻すとして……第15軍の移動準備は着々と進んでいるようだね。」 「はい。先月の24日頃から、各師団共に重機材の積め込みや人員の移動を行っており、3日後には第1陣が出港できるでしょう。 15軍の最後の船団は、4日後に出港する予定です。」 「第15軍には本当に苦労を掛けてしまうな。君達はこれから、太平洋戦線に出向く事になるのだから。私としては、対マオンド戦に貢献した君達を、 一度は本国に返したいと思っていたのだが……」 「致し方ない事だと思います。レスタン戦線での我が軍の損害はかなりの物ですからな。」 マーケット・ガーデン作戦と名付けられたレスタン領進行作戦は、2月28日に、最後のシホールアンル軍が撤退した事で連合軍の勝利に終わった。 1ヵ月余にも渡る地上戦で、連合軍部隊は推定80万程のシホールアンル軍のうち、およそ40万名以上に損害を与え、多数の石甲部隊を壊滅させると 言う戦果をあげた。 その一方で、連合軍側も20万もの死傷者を出した他、レーミア海岸上陸部隊の援護に当たった太平洋艦隊も、主力の高速空母部隊や戦艦部隊に喪失艦が 続出すると言う大損害を被っている。 この作戦期間中、シホールアンル軍と連合軍の損害比率は約2:1であり、連合軍側が優勢と言えたが、連合軍部隊は、レスタン領の解放と言う2次目標は 達成できたものの、最優先目標であった、レスタン領駐留のシホールアンル野戦軍主力の撃滅は遂に果たせなかったため、作戦自体は完全に成功とは 言い難く、軍部の一部には、作戦は7割方成功で、3割方失敗であると公言する者も居た。 とはいえ、レスタン領の奪還は、連合軍部隊の新たな勝利を刻む事となり、属国をまた1つ失ったシホールアンル帝国の威信は、更に落ち込んだと言われている。 だが、それに伴う代償は大きく、アメリカ軍だけでも、死傷者88400人を出し、多くの部隊が後方で再編成を余儀なくされる程の損害を被っている。 ワシントンの統合参謀本部では、レスタン戦での損害を補充するため、作戦には参加していなかった予備の軍を前線に回すと同時に、平穏を取り戻した 大西洋戦線から2個軍を段階的に太平洋戦線に転用する事を決定。 その第1陣となったのが、モーデルの率いる第15軍であった。 「しかし、この方面の戦争が終わって早3ヶ月か。あっという間だったな。」 「司令官閣下は、占領軍司令官に就任されて以来多忙と聞いています。良く見ると、少しばかり、顔が……」 「やはり、君もそう思うかね?」 マッカーサーは、再び苦笑しながらモーデルに言う。 「少し、顔がやつれてしまったよ。ここ3カ月は、マオンド臨時政府の首脳陣のみならず、トハルケリ連邦やクナリカ民公国とも定期的に会談を 行っているからな。君も新聞で知っていると思うが、先週はクナリカ民公国を訪問して閣僚と会談を行っている。マオンド占領軍司令官とは 聞こえがいいが、実際は東奔西走の激務ばかりだな。」 マッカーサーは自嘲気味にそう言い放つ。 先週の金曜日。マッカーサーはクナリカ民公国に赴き、現地のオーク族出身のイベガ・クリグボグ臨時防衛大臣と、獣人族出身のクリフ・ルゥインスゥ外交大臣と 会談を行い、アメリカはクナリカ民公国に対してある程度の技術、物資援助を行う事で合意している。 その際の風景が、現地に同行したワシントンポスト社のカメラマンに撮影され、2日後の新聞には、クリグボグ防衛大臣とルゥインスゥ外交大臣と 握手を交わすマッカーサーの姿が掲載された。 その3日前には、トハルケリ連邦にも専用機で赴いており、マッカーサーはそこでも、現地のイロノグ・スレンラド主席と2時間に渡って会談を行っている。 このように、マッカーサーは各地を飛び回り、現地のアメリカ軍最高司令官としての任務に励んでいたのだが、流石の彼も、顔に疲労を濃く滲ませていた。 「そういえば、今月の中頃には、ルーズベルト大統領がこのレーフェイル大陸の指導者を集めて首脳会談を行うと聞いておりますが。」 「大統領閣下は、自分の口からアメリカの今後の方針を伝え、レーフェイル大陸各国がどのように道を歩んでいこうと考えているのかを聞きたいと言って おられるようだ。一応、先月の20日にトルーマン副大統領がヘルベスタン共和国に赴き、ソルト首相と会談しているが。」 マッカーサーはそこまで言ってからコーンパイプを取り出し、中に葉を入れ始める。 「やはり、このレーフェイル大陸の情勢は安定したとは言い辛いからな。今の所、戦争が再発する危険は全く無いが、各国ともマオンドの支配下にあった せいで経済はガタガタだ。復興に失敗しては元も子もないから、ひとまず、アメリカも交えた上で経済をどう回復すれば良いのかを、大統領閣下も交えて 話し合うつもりだろう。」 彼はそう言った後、コーヒーを半分程まで飲み、パイプの中の葉に火を付けた。 「とはいえ、今後しばらくは、各国を飛び回る事も無いだろうから、私も少しは落ち着ける。マオンド戦犯の逮捕や、戦争犯罪の証拠探しも順調に進んで いるからな。」 マッカーサーは頷きながらモーデルに言った。 「戦犯の捜索や証拠探しも、最初はなかなかに大変だったようだ。ある時は、我が軍の部隊が現地住民と衝突寸前の所まで行ったからな。」 「ヴィド・マオコヴァ事件の事ですな。」 「ああ。クナリカ民公国の寒村で起きた事件だったが……あれが流血の事態に発展していたら、今頃、わたしはクビになっていたかもしれん。」 マッカーサーは自嘲気味に話した。 ヴィド・マオコヴァ事件とは、クナリカ民公国……元はマオンド共和国クナリカ領で発生した事件である。 当時、クナリカ領に進駐したアメリカ陸軍第17軍所属の第16軍団は、同地方の治安維持を行うと同時に、所属していた一部の部隊を用いて戦犯の捜索や 戦争犯罪の情報収集に従事していた。 1月17日午前8時、クナリカ民公国北部にあるヴィド・マオコヴァと呼ばれる村落で、戦犯と思しき男女3名が村人に拘束されたと、同地で情報収集に 当たっていた現地の協力者から連絡が入った。 アメリカ軍は、至急、部隊を派遣させて3名の戦犯と思しき人物を確保させる事にし、戦車1個小隊を含む機械化歩兵1個中隊を現地に急行させた。 出発から2時間後、部隊の指揮官であったヴァンド・ウィッグス少佐は、自ら先頭のジープに乗り組み、戦犯と思われる3人の人物が拘束されている村落に入ったが、 そこで彼が目にした物は恐るべきものであった。 そこでは、村人に拘束されたと思しき戦犯が、まるで、中世の魔女狩り裁判のように磔にされた上、火あぶりに処されていた。 耳障りな悲鳴が村中に響き渡り、それを見つめていた住民達は、陰惨な笑みを顔に張り付かせながら口々に罵声を放っていた。 火刑に処されている人物の隣には、集団でリンチを受けて息も絶え絶えになっている4名の男女が転がされており、うち1名は新たに十字架を背中にくくりつけられ ようとしていた。 住民の1人が、進入して来たウィッグス少佐のジープを見つけるや、村の広場に居た500名の住民達は、一斉に“解放軍”である彼らを歓迎し始めた。 だが、歓迎されたウィッグス少佐の心境は、村の住民達が考えているような物では無かった。 ヴィド・マオコヴァの村は、マオンド占領時代には、現地に駐留していたナルファトス教関係者や軍部隊によって陰惨な迫害を受け、最盛期には1000名を 数えた村の住民達は、今や700名に減っていた。 獣人達の住む村でもあるこの村落は、亜人種という事だけで言われの無い迫害を受け、連れ去られた住人は、誰1人として返って来なかった。 マオンド共和国が降伏した後、住民達は直前になって、慌てて撤退していったマオンド兵に、復讐する機会を逃したとして悔しがったが、最近になって、この村に マオンド側の戦犯とその協力者が潜んでいるらしいとの情報が入り、村人たちは協力して、戦犯探しに努めた。 やがて、別の地方から来たアメリカ軍協力者の援助の甲斐あって、戦犯3名と、それに協力した“裏切者”2名を拘束する事に成功。 その後は、皆がよってたかって乱暴を加えた。 興奮しきった住民達は、今までの復讐として5名全員を処刑する事に決めた。 これに反対したのがアメリカ軍協力者であった。 「ちょっと待ってくれ!こいつらの証言は後の裁判で重要な証拠になる!ここで殺してしまっては、裁判を開けなくなるぞ!ここはひとまず耐え、こいつらを、 今、ここに向かいつつあるアメリカ軍に引き渡すべきだ!」 と、アメリカ軍協力者は住民を説得しようとしたが。 「何を言うんだ!こいつらは今までに何をやったか分かるか?俺の親父はな、酔ったナルファトス教関係者にぶつかっただけで邪教徒呼ばわりされた挙句、 その場で切り殺されたんだぞ!裁判すら行わずに仲間を殺しまくった連中に、裁判を受ける資格は無い!」 住民達は協力者の言葉など耳を貸さず、そのまま1人目を火刑にしてしまった。 「やったぞ!マオンドの外道が焼けて行くぜ!」 彼らは、猛烈な炎に包まれて、炭化していく元ナルファトス教関係者の姿を見ながら、凄惨な光景を愉しげに見つめていた。 そんな時に現れたアメリカ軍は、彼らにとって自分達の“戦果”を見せびらかす機会ともなった。 「兵隊さん!見てくれ、あいつは俺達がやっつけてやったんだ!」 「どうだ!いい焚火だろう。あそこで燃えているのはマオンド女だが、生意気にも魔法で姿を変えてやがったんだ!だが、これで元通りさ!」 「連中の処理は俺達に任せてくれ!あんたらにもいい見世物になるぞ!」 ウィッグス少佐を取り囲んだ住民達は、興奮した様子で口々にそう言っていたが、次第に、彼らの口調もしりすぼみとなっていった。 彼らとしては、ジープのアメリカ兵達は自分達が上げた“戦果”を褒め称えてくれるだろうと考えていた。 長い間、復讐に燃えていた彼らとしては、それはある意味、当然の考えと言える。 だが、アメリカ兵達は……特に、指揮官と思しき将校の顔は、喜びを見せる所か、全くの無表情だった。 それどころか、次第に怒りの表情を露わにして来た。 「……君達は、戦犯を焼き殺したのかね?」 「……へ、へぇ。そうですが……」 「ほう……戦犯を……後の裁判で必要な貴重な“情報源”を殺した……と言うのだね?」 「……あ、アメリカの旦那さん。どうかされたんですか?」 村の若者がウィッグス少佐に話し掛けた。その時、若者は恐怖で凍りついた。 「どうかされた?ああ、どうかされているよ……貴様らが証拠隠滅を図った事にな!!!」 ウィッグス少佐は、怒りの余り大音声で喚いた。 ウィッグス少佐の怒りには訳があった。 彼の部隊は、これまでに4度ほど、戦犯の逮捕、拘束に関わって来たか、そのうち2件が、確保直前に何かしらの不審死を遂げていた。 現地の協力者は、裏で戦争犯罪の証拠を消そうとしている勢力が動いているとアメリカ軍司令部に伝えており、この2件も、それらの勢力による 物だとほぼ断定されている。 ウィッグス少佐は、心中で証拠隠滅を図る謎の勢力に憎悪の念を抱いていた。 そこに、今回の珍事が舞い込んで来たのである。 普通に考えれば、今回の騒動は、現地民の突発的な行動が起こした事件である事は分かった筈であった。 だが、現場の指揮官は、相次ぐ戦犯の証拠隠滅という事件に頭に来ていた。 彼は、コソコソと動く卑怯な勢力に鉄槌を下してやりたいと思っていた。そこに、今回の騒動が起こったのである。 タイミングとしては、まさに最悪と言えた。 「お前達を戦犯の証拠隠滅罪で拘束する!全員、この村から離れるな!!!」 目の前で起きた、“3件目の証拠隠滅”に激怒したウィッグス少佐は、声高にそう叫んだ後、指揮下の部隊に指示を下し、この村を包囲させた。 住民達は仰天してしまった。 彼らとしては、当然の事をしたまでの筈だったが、目の前のアメリカ軍指揮官はこれに激怒し、あっという間に見慣れない鉄の車や兵隊が村を包囲してしまい、 ごつい重機関銃、小銃の筒先は村人達に向けられた。 村の出入り口には、噂にしか聞いていなかった戦車までもが現れ、アメリカ兵達の殺気が村落に向けられている事に驚愕した。 「た、隊長さん!これはどういう事ですか!?」 村の村長が、慌てた口調でウィッグス少佐に問い掛けた。 「わしらはただ、復讐を成し遂げようとしたまでです!決して、悪い事はしていません!」 「村長さんよ、言っておくが、俺達にとっては、それが悪い事なんだ。正直に言う、あなた方の中には、マオンド派の連中が潜んでこの騒動を引き起こしたか…… あるいは、この村自体が、マオンド派の巣窟という可能性がある。いや、こう、堂々と証拠隠滅を図ったからには、後者の方の可能性が高いだろうな。」 「!?」 「恐らく、お前達は何か強力な兵器を持って、俺達をだまし討ちにしようと考えているのだろう。だが……そうはいかんぞ!そんな卑怯者は、圧倒的な鉄と火力 を叩き付けて跡形もなく吹き飛ばしてやる!」 ウィッグスは完全に頭に血が上っていた。 村長たちは、自分達はマオンド派では無いと言い続けた。確かに、村長たちはマオンド派では無かった。 彼らはむしろ、反マオンドの立場である。 だが、村長たちは説得を行う際に、幾度もミスを重ねていた。 彼らはあろうことか、自分達で戦犯を処理させて欲しいと言い続けたのである。 ここで、すぐに戦犯を引き渡すと付け加えていれば、米軍側の誤解もすぐに解けたのだが、頭に血が上っていたのは、ウィッグスのみならず、村長たちも同様であった。 交渉が始まって1時間経っても、事態は進展しなかった。 最後の所で一向に譲らない村長に対して、ウィッグスは遂に、軽爆隊による航空支援を要請し、それから30分後には、なんと12機のA-26インベーダーが爆弾、 ロケット弾を満載した状態で村の上空に現れ、2度、超低空を通過した後、村の上空を旋回し続けた。 これで完全に肝を潰した村長は、遂に戦犯の引き渡しに応じ、生き残った4人をアメリカ軍側に渡したが、米軍側は完全に、この村がマオンド派の巣窟と決め付けて いたため、それから1時間に渡って、戦車と装甲車両を含めた、1個中隊規模の完全武装の部隊で包囲を続けた。 結局、村に居た現地協力者の証言の甲斐あって、ウィッグス少佐は自分が誤解していた事に気付き、ようやく村の包囲は解かれ、上空に飛来した12機のA-26も 基地に帰還していった。 この日の出来事は後にヴィド・マオコヴァ事件と名付けられる事になったが、クナリカの住民達は、この事件で、解放軍である米軍に対して、こう印象付ける事になった。 あるクナリカ人曰く…… 「アメリカ軍は、例え敵であっても戦意の無い捕虜の処刑はしないし、させようともしない。現に、ヴィド・マオコヴァ事件ではそうだった。もし、 自分達の村や町に、あの戦争の戦犯が紛れ込んできたら、なるべく、捕まえるだけにした方がいい。それ以上の事をしたら、アメリカ軍は激怒して、 多数の戦車と飛空挺を持ち出して来るだろう。それ以前に、こちらがどうしようもないと思ったらアメリカ軍に頼めばいい。彼らなら、圧倒的な 火力で、たちまち事件を解決するだろう。」 それから月日が経ち、クナリカ民公国では全域に、戦犯は確実にアメリカ軍かクナリカ軍に引き渡し、戦犯の殺害や暴行は厳罰に処すとの報せが伝わった。 当然、反マオンド感情の高いクナリカ人の中には、これを不満に思う者も居たが、復讐行為を、圧倒的な軍事力で持って文字通り抑えつけた米軍が相手と あっては、その不満も堂々と言えなかった。 その後、クナリカ領のみならず、マオンド本土全土では、お尋ねものになった旧ナルファトス教関係者やマオンド軍戦犯の引き渡しが相次いだ。 ヴィド・マオコヴァ事件は、米軍に対して、多分に間違った印象も持たれることにも繋がったが、捕虜を虐待すれば米軍が激怒すると言う話は、多分に効果的であり、 結果としては戦犯の逮捕や証拠の収集をやり易くすると言う嬉しい結果にも繋がっていた。 とはいえ、一歩間違えれば、ヴィド・マオコヴァ村では流血の惨事が起こった事は確実であり、マッカーサーの地位が危うい状況にあった事は、明確であった。 「あの事件は、一歩間違えればこちらが悪者になっていましたな。」 「まぁ、何はともあれ、流血の事態に至らなかった事は幸いだった。あの後、中隊の指揮官は、休養を名目にアラスカ送りにされたが、あれがきっかけで 戦犯の拘束と調査、証拠集めも順調に行き始めた。結果としてはいい方向に流れたと、私は思う。」 マッカーサーは口から紫煙を吐きだしながら言う。 「ただ、どうも……武力で住人を脅してしまった事は、少し、残念であったと思う。本当なら、もっと穏便に行きたかった物だがな。」 「同感ですな。いくら頭に血が上ったとは言え、戦車や航空機を投入して威嚇した事には変わりないですからね。」 「ひとまず、証拠集めは順調に行き始めている。あとは、いつまでに裁判を開く事が出来るか、だな。滅茶苦茶な裁判を開いて戦犯を裁く事も出来んから、 しっかりと考えなければならん。」 「滅茶苦茶な裁判ですか。」 「そうだ。特に、被占領国側の人間から判事を選ぶのは、極力避けた方が良いかも知れん。彼らは感情的になって判決を下す恐れがある。また、我々が逮捕した 戦犯の中には、冤罪で逮捕したと思しき者も混じっている可能性があるからな。そのような物を処刑しては、合衆国は世界に恥を晒す事になる。また、問題は それだけではない、この国の住民をどうやって育て上げ、どのような国にしていくかも考えなければならん。我々がかつての旧世界に居た、名だたる支配者の 国の多くが衰亡した理由の1つは、占領した国と、住民を育てるばかりか、逆に虐げてしまったからだ。かの国々のように、我が合衆国もまた、このマオンドを 支配している。」 マッカーサーは、コーンパイプを口にくわえて、煙を吸う。 「マオンドを支配すると言う事は、この国に対して、責任を負わねばなら行けないと言う事だ。かつての大帝国は、その責任を“放棄”したも同然の事を したばかりに、悉く衰え、滅んでいる。我々合衆国は、それらの反省を踏まえた上で、この国を立て直さなければいけないだろう。」 「なるほど……しかし、そう上手く行く物ですかな?」 モーデルは、コーヒーをすすりながらマッカーサーに聞いた。 「……前例が無い訳ではないぞ。」 マッカーサーは自信ありげに答えた。 「かつての旧世界にあった日本は、国力が決して大きいとは言えないながらも、併合した朝鮮と台湾を発展させ続けていた。私は以前、朝鮮の写真を見せて貰ったが、 その発展ぶりには私も感嘆したものだ。やり方さえ違え無ければ、国力の小さな日本でも、併合した地域を発展させられるのだ。我が合衆国は、日本よりも国力は大きい。 朝鮮や台湾のように、この国を発展させられる事も出来る筈だ。」 「アメリカだから……ですか。」 モーデルは、小声で呟いた。 「とはいえ、戦後はいささか苦しくなるだろうから、この国に行う支援も多くは出来んだろう。だが、私はこの国を任された以上、マオンドを良い 方向に生まれ変わらせるつもりだ。それが、私に与えられた任務なのだからな。」 「……なかなかに辛そうな道のりが待っていそうですが。」 「ハハハ。ミスター・モーデル、元々軍人と言う物は、それ自体が辛い道のりを歩まなければならん。何しろ、人を殺す事を前提に仕事をしなければ ならんのだから。」 マッカーサーは微笑をたたえながらモーデルに言う。 「だが、今回の任務は、国を再生する事だ。この国を、昔とは違って良い方向にな。私は、この仕事はむしろ、やり応えがあると感じているぞ。」 彼は意味ありげな笑みを浮かべた後、再びコーンパイプを吹かした。 「こんな時に、君がここから立ち去るのは寂しい物だが……太平洋戦線が戦力を必要としている以上、仕方ない。」 「北大陸戦線では、シホールアンル軍も相当に近代化されていると聞きますからな。我々も上手くやれるかどうか、少し不安な所です。」 「なに。あそこにはアイゼンハワーがいる。彼は私の下で働いて来た副官の中では優秀な男だった。彼の下で働けるのならば心配はあるまい。それに……」 マッカーサーは、体をずいと前に寄せた。 「君は我が軍きっての“火消し人”だ。北大陸でもうんと暴れて、この戦争の火消しに携わると良い。」 「はっ、そのように出来るよう、努力いたします。」 モーデルは、軽く頭を下げながらそう答えた。 「閣下。これは、私からのプレゼントです。」 モーデルは、側に置いていた小包を手に取り、マッカーサーに渡した。 「ん?これは何かな。」 マッカーサーは小包を開けてみた。 小包の中からは、枯れた葉らしき物が現れた。 「トハスタで取れたタバコ葉です。現地でも希少なキベリクという花を使った葉で、なかなか良い味わいが楽しめるようです。」 「ほほう、これはありがたい。」 マッカーサーは満面の笑みを浮かべて礼を言った。 「実を言うと、私からも贈り物がある。」 マッカーサーはそう言うと、ソファーから立ち上がり、執務机の後ろのロッカーからビンを取り出した。 「これは、私からの餞別だ。トハスタ産の果実酒だ。」 「これはまた……ありがとうございます。」 モーデルは微笑みながら、マッカーサーに礼を返した。 「トハルケリの防衛大臣から贈られた物だ。ちょうど、1本だけ余っていたから君に渡そうと思ってな。」 「いやはや……しかし、高そうな果実酒ですな。これは、ゆっくりと味わいながら飲まなければ。」 「機会があれば是非飲んでくれ、なかなかの逸品だぞ。」 マッカーサーは自慢するかのようにモーデルに勧めた。 「おっと。もうこんな時間だったか。」 マッカーサーは自分の腕時計を見るなり、幾分、慌てた口調で言った。 「申し訳ない。これから司令部内で会議があるのだ。すまないが、今日はこれまでのようだな。」 「いえ、私にはお構いなく。」 モーデルはそう言うと、ソファーから立ち上がった。 「では、私はこれで。」 「太平洋戦線でも頑張ってくれたまえ。」 マッカーサーは右手を差し出した。 「……ハッ。微力を尽くします。」 「微力じゃなく、派手に暴れ回って来ます、と言った方が良かったな。」 マッカーサーの陽気な口調に、モーデルは笑いながらも、固い握手を交わしたのであった。