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【元ネタ】大越史記全書 【CLASS】セイバー 【マスター】 【真名】黎奉暁 【性別】男性 【身長・体重】210cm・120kg 【属性】秩序・中庸 【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B 魔力E 幸運B 宝具C 【クラス別スキル】 対魔力:C 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。 騎乗:C 騎乗の才能。大抵の乗り物、動物なら人並み以上に乗りこなせるが、 野獣ランクの獣は乗りこなせない。 【固有スキル】 忠士の相:B マスターに忠誠を誓い、同時にマスターからも信頼を寄せられる。 自らの主君に忠義を尽くし、主君からも信を置かれた英雄に与えられるスキル。 主従関係の構築に優れ、良好な関係ならば高いパフォーマンスを発揮する。 【宝具】 『拔劍直至敵』 ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1~2 最大捕捉:1人 王の叛逆者を斬った剣。 銅鼓山神の加護によって王は叛逆を察知し、 そして反乱鎮圧を実行したのはセイバーである。 主と認めた者の敵対者の敵意や気配を察知して指し示し、 神の加護とセイバーの忠義心を斬撃力として具現する。 叛逆者、暗殺者としての逸話を持つ者に対しての特攻効果を有する。 【解説】 『大越史記全書本紀』に記される宮廷内の武臣。 1028年、李朝ベトナムの太祖が崩御し、皇太子の仏瑪が太宗として即位した。 しかし李太宗の即位直後に、太宗の三兄弟が起こした「三王の乱」の鎮圧に功があった。 弟たちが城内に伏兵し、攻撃をしかけてきたことを察知した太宗は奉暁に抗戦を命じた。 奉暁は剣を抜いて進み、叛逆者たちに怒鳴りつけると、三人の内の1人の武徳を斬り捨て、 他の二人は退散し、叛逆兵たちも遁走した。こうして大功あった奉暁は太宗から褒美を授かった。 また後のチャンパ遠征にも参加し、功績は甚だしかったという。 ただし、『大越史略』ではその名は見えず、内侍の李仁義が鎮圧の実行者ということになっている。 【コメント】 日本語資料が殆どないので情報不足。 因みに三兄弟の内の1人の翊聖王は20万の雲南からの侵攻軍を撃破したことがあるらしい。 絶対に盛ってるけど。適正クラスはセイバーのみ。
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255.李建成・李元吉の子が処刑されたこと 謀反した者の一族を処刑するのは、秦・漢・六朝以来、みなこの法を用いた(崔仁師伝に見える)。太宗(李世民)が秦王のとき、李建成・李元吉を殺したのは、兄弟の間でたがいに殺し合ったにすぎず、そのとき太宗がまだなお皇帝とならなかったといっても、反論とすることはできない。このとき李建成の子の安陸王李承道・河東王李承徳・武安王李承訓・汝南王李承明・鉅鹿王李承義と、李元吉の子の梁郡王李承業・漁陽王李承鸞・普安王李承獎・江夏王李承裕・義陽王李承度は、ともに連座して処刑されて、その属籍から除かれた。そのときに高祖(李淵)はまだ帝位にあったが、その孫たちが刑法に反して処刑されるのを座視して、ひとりも救うことができなかったのは、高祖もまたきわめて危険な状況にあったからである。 255.建成元吉之子被誅 謀反者族誅,秦、漢、六朝以來,皆用此法。(見崔仁師傳)太宗爲秦王時,殺建成、元吉,不過兄弟間互相屠害,其時太宗尚未爲帝,不可以反論也。乃建成子安陸王承道、河東王承德、武安王承訓、汝南王承明、鉅鹿王承義,元吉子梁郡王承業、漁陽王承鸞、普安王承獎、江夏王承裕、義陽王承度,倶坐誅,除其屬籍。是時高祖尚在帝位,而坐視其孫之以反律伏誅,而不能一救,高祖亦危極矣。
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【元ネタ】史実 【CLASS】ライダー 【マスター】 【真名】リ・ファッ・マー 【性別】男性 【身長・体重】178cm・75kg 【属性】中立・善 【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷B 魔力B 幸運C+ 宝具B+ 【クラス別スキル】 対魔力:D 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。 騎乗:A 幻獣・神獣ランクを除く全ての獣、乗り物を自在に操れる。 【固有スキル】 神性:D 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。 神の子とされる李公蘊の息子である。 召雷:E 低い確率で敵対者に雷を落とす。 『大越史略』に曰く、轟雷が叛逆者の体をバラバラに裂いたという。 鑑識眼:A 人間観察を更に狭くした技術。 対象となる人間が、将来的にどのような形で有用性を獲得するかの目利きに極めて優れている。 『大越史略』に曰く、麾下の将軍の目の動きを見て、いずれ叛逆することを見抜いたという。 【宝具】 『嘉応善感霊武大王銅鼓』 ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:20~70 最大捕捉:1000人 チャンパ軍を壊滅させた音波兵器。 “銅鼓山神”の加護を得て王座を確固たるものにしたという逸話と、 太鼓の音によって万軍を壊走させたという逸話がミックスされた宝具。 銅鼓を叩くことによって、指向性を有した破壊音波で敵軍を圧倒する。 物理ダメージ以外にも、MGI値が低い者には混乱・麻痺といった状態異常を強制付加し、 何かの加護を纏っていないMGI値C以下の者に対しては確実に成功する。 【Weapon】 『龍模軍船』 ライダーの命により造られた、幻想種を模した軍船の1つ。 ベトナム王としてはやはり龍がお気に入りで、ライダーはこれに乗っていると幸運値が上昇する。 紫雲が現れた、白魚が乗ってきた、黄龍を見たなど、乗船中の吉兆の逸話がやたらと多い。 雲に覆われて導かれた逸話により、この船はライダーにとって勝利の未来へと進む能力を宿している。 【解説】 李朝ベトナム二代目となる太宗。李仏瑪(李徳政)。1000年生誕。1054年没。在位1028-54年。 徳のある為政を敷いた父王とは一転して、数多の戦争に勝利した偉大な武人として名を残す。 即位前の1020年から将軍として功を挙げ、また即位直後に兄弟三人に反乱されたが、臣下の働きで鎮圧した。 伝承では、この二つの事績にはいずれも銅鼓山神の加護があり、太宗はこの神を祀ったという。 なおこの神は古代ベトナムの英雄と言われる士燮が神霊と崇められた存在である。 太宗はその治世において数多の内乱を体験し、その全てを鎮圧したが、特筆すべきは対外戦争である。 当時の李朝は奴婢含むあらゆる財を集めて権威を示すことが不可欠であり、 雲南地方を巡って中華・宋と紛争が起きていた。 1038年には北境地方のタイ系ヌン族が独立を宣言したので、太宗は自ら兵を率いて撃破し、敵王を捕らえた。 二年後、逃れたヌン族の王子が別の地で建国しようとしたので、またこれを倒して捕らえた。 1043年、南方のチャンパも李朝に反抗的な姿勢を見せたため、 翌年に太宗は水軍を率いてチャンパ軍を大敗させ、チャンパ王も殺した。 この時、ベトナム軍は盛大に太鼓を叩いただけでチャンパ軍は圧倒され、壊走したという。 圧倒的大勝利に勢いづいたベトナム軍はチャンパ王都へ進撃し、王妃含む5千の捕虜を得たが、 ベトナム軍が過剰にチャンパ人を殺戮したため、心を痛めた太宗は自軍の兵士を処刑したという。 内政面では租税を減らして民力をたくわえ、律令制改定などを行い、いくつかの宗教儀式も定めた。 治世27年目、55歳(54歳)で病没し、長子が王位を継いだ。 【コメント】 太鼓の音でチャンパの戦象がビビって暴れてチャンパ軍自滅という感じだったらしい。 といっても、数万の軍勢の中で戦象なんて僅かなもんだから、 太鼓以前にベトナム軍にチャンパ軍がビビっていたのも大いにあるんじゃないかな。兵数差は知らんが。 それにしても太宗さんマジで内乱起こされまくっていて、性格に問題あったんじゃないかと思ってしまいそうだ。 適正クラスはライダーのみ。
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応永十八年 重大事件 李氏朝鮮の太宗、倭寇鎮圧のために水軍を対馬に派遣(応永の外寇) →太宗(李氏朝鮮) 政権 外交 生誕 死去 宗教界 学術 文学・芸術 市井 地方 伝説など(史実かどうか疑わしいもの) その他
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名稱:寇准 伺服器及顏色:1服藍 類型:文 性別:男 生命值:待補 武力:待補 智力:待補 防禦:待補 敏捷:待補 運勢:105 敘述:出身書香門第,19歲中進士,做官做得很有原則,一次宋太宗懶得聽他講話,他就扯著皇帝的衣角到講完為止。太宗死後,遼人入侵,寇准在一片投降聲中鼓勵小皇帝親征,在澶州打敗了敵人,雙方簽定了和約。
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李霅 ?-? 唐代の貴族。李適之の子。太宗四世の孫。宰相李適之の子として、賓客を大勢招いたが、李林甫の権勢を恐れ、遂には賓客の訪問が絶えた。 表・列伝 『新唐書』巻七十下 表第十下 宗室世系下 太宗 恒山愍王房 『新唐書』巻二百二十三上 列伝第一百四十八上 姦臣上 李林甫
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広漢郡王李袨 りけん ?-? 盛唐の宗族。朗陵王李瑋の子。呉王李恪の孫。本名は李䄖。神龍年間(707-710)初頭、蜀王李愔を継承して嗣蜀王に封ぜられるも、開元十二年(724)広漢郡王に改封された。娘に南和県主がいる。『旧唐書』『新唐書』に非常に短い伝がある。 列伝 『新唐書』巻八十 列伝第五 太宗諸子 鬱林王恪 成王千里 『旧唐書』巻七十六 列伝第二十六 太宗諸子 蜀王愔
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名稱:馬周 伺服器及顏色:5服紫類型:文 性別:男 生命值:2038 武力:50 智力:63 防禦:25 敏捷:58 運勢:130 敘述:(601~648年),字賓王,博州茌平(今山東茌平)人。唐初大臣、政治家。唐太宗貞觀年間,他多次上疏指出朝廷政策的不當,言辭“機辯明銳”,深得太宗的賞識和重用。和魏征同為唐初“貞觀之治”的開明局面作出了貢獻。
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名稱:寇準 伺服器及顏色:5服紫類型:文 性別:男 生命值:3073 武力:63 智力:72 防禦:35 敏捷:54 運勢:145 敘述:出身書香門第,19歲中進士,做官做得很有原則,一次宋太宗懶得聽他講話,他就扯著皇帝的衣角到講完為止。太宗死後,遼人入侵,寇準在一片投降聲中鼓勵小皇帝親征,在澶州打敗了敵人,雙方簽定了和約。
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李岵 りこ ?-769 中唐の宗室・官人。嗣呉王李祗の子。呉王李琨の孫。呉王李恪の曾孫。太宗の玄孫。蘇州・潁州の二州刺史を勤めた。大暦四年(769)令狐彰の怒りを買って誣告され、死を賜った。 本紀・表・列伝・史料 『新唐書』巻六 本紀第六 代宗 大暦四年正月甲戌条 『新唐書』巻七十下 表第十下 宗室世系下 太宗 呉王房 『新唐書』巻一百四十八 列伝第七十三 令狐彰 『旧唐書』巻十一 本紀第十一 代宗 大暦四年正月戊子条