約 13,035 件
https://w.atwiki.jp/genkakuga9pa6/pages/14.html
天文部 星や天体を名に持つ者が多く集う部。顧問はlmre先生。 のんびりプラネタリウムを楽しむインドア派と毎週のように望遠鏡を担いで野山で天体観測をするアウトドア派が存在しており各々のスタイルに合わせて活動をしている。 部室の壁には「アレガデネブアドマイヤベガ」と鷲が歌っている謎の落書きがある。 夏には半ば巻き込まれる形でえりも送りにされてしまうが生命力のある部員ばかりなので割となんとかなっているとか。 部員 ハープスター 「ユーガ先生は言ってたわ!」 愛すべきポンコツ部長。彼女がお決まりの一言を呟けば瞬く間に一級フラグが出来上がる。 キャンプ部顧問のユーガ先生との交流があるため、夏合宿がえりも行きになってしまうのは彼女が原因ではないかと言われている。 ハープが弾けるので吹奏楽部にも出入りしてるとか。 「ユーガ先生は言ってたわ!七夕は私の主役だって!」 イクイノックス(🌗) エクレアくん 長らく帰宅部だったが、意を決して天文部に入部。 幼馴染のジオグリフが勝手に色々な部に入部届を提出した時には頭を抱えた。 巻き込まれ体質のツッコミ役かと思いきや、本質はかなりの戦闘民族なのでスイッチが入ってしまえばもう誰にも止められない。 部員内で彼のモノマネが流行っている。 次期天文部部長の予定 星が綺麗な夜によく野山で目撃されている。(たまにジオグリフもいるらしい…) 流れ星を見るのが好き。 「今日は星がよく見えるそうですよ!ジオも多分暇だと思うので連れてきます。先輩は行きます?」 スターズオンアース(🌎) 天文部なんてガラじゃない?ちょっと表出なさい。 女子力(物理)で大抵のことは彼女がなんとかしてくれる。 熊を仕留めた時のイクイノックスの顔モノマネが上手い。 22世代の学級委員長(暫定)である。 「普通すぎる…昨日の怪獣大戦争が嘘みたいに、いつもの日常だわ…」 アルクトス(⭐️7) 体も器もでかい優しい先輩。 後輩のタイトルホルダーが定期的にシュバってくるので、よく「めっ!」をしている。 部員の中ではパンサラッサとウマが合うらしい。 パンサラッサ(🍞) 天文学部の切り込み隊長であり行動力の鬼。目的の観測のためならば世界の果てまで飛び回る。 過酷な環境で行われる夏合宿の脱走常習犯であり、追いかけ回すキャンプ部に対抗するため海上を走るスキルを習得中。 最近🧶と公然カップル状態。いつもの前進気勢は何処へ行った…… 「乗った!やってやろうじゃねぇかこのやろう!」 マテンロウオリオン(🏹) 天文部部員 星の名前繋がりで天文部に入部した。同じマテンロウ冠の人達とともに星を見ていることがよくあるようだ(マテンロウレオは兼部?) ジャンタルマンタル(🔭) 24組で期待の新人天文部部員 デイリー杯勝利の場で入部の意志を熱く語ってくれました ダノンデサイル(🔮) あだ名は茶太郎、占星術ができるぞ ちょっと無理しがちなところはあるものの、周りの言葉をきちんと聞いて引く強さを持っている。 24年組の学級委員長に内定中。 ヴァイスメテオール 実は🌗のお兄さん 普段は🌗のサポートに専念しているとの事 OB ミッキーロケット ロケットの打ち上げに誘ってくれる。リュージ先生と大の仲良し。 《ベガ三連星》 アドマイヤベガ 時々合宿に望遠鏡を携えて来てくれる。落書きとの関係は不明。 部内での通称は"先生" ベガ アヤベ先輩のさらにさらに前の部長さん。 二冠取ってるし、テイオーの復活も見届けたすごい人。 運命的な何かをアヤベさんに感じてて、でした先生とも仲良し。 ホクトベガ アヤベ先輩の前の代の部長さん。各地の学校のトレセン部門とも顔が広い。nrhr先生とは恋愛とは違うがとても深い間柄である。 海外遠征勢でもあり、「帰るまでが天文部よ。」が口癖。
https://w.atwiki.jp/wiki6_piro/pages/8206.html
天文岩 てんもんいわ #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 埼玉県飯能市の奥武蔵グリーンライン沿いにある岩。 所在地 埼玉県飯能市 地図 江戸時代の天文学者、千葉歳胤が洞窟の中で独学したとされるのが名前の由来。 2016-02-21 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 関連項目 この項目のタグ 2016年2月21日 埼玉県 奇岩 自然 飯能市 タグ「飯能市」がついた項目 2011-06-26 / 2013-09-22 / 2013年9月飯能・秩父 / 2014-08-15 / 2014-08-23 / 2015-01-18 / 2016-02-21 / 2020-11-01 / 2020-11-05 / 有間ダム / 小沢峠 / お休み処やませみ / 河川広場 / 刈場坂峠 / 関八州見晴台 / 旧名栗産業組合事務所 / 旧名栗村森林組合事務所 / 旧名栗郵便局 / 顔振峠 / 埼玉県道61号 / さわらびの湯 / 正丸峠 / 四里餅 / 新島田屋 / 天文岩 / 東京都道・埼玉県道53号 / 飯能河原 / 平九郎茶屋 / 宮沢湖温泉喜楽里別邸 / 山伏峠(埼玉県) / 割岩橋 タグ「奇岩」がついた項目 鵜戸千畳敷奇岩 / 鬼岩公園 / 鬼ヶ城 / 神戸岩 / 鹿岡鼻 / 巌門 / 獅子岩 / セタカムイ岩 / 天狗岩 / 天文岩 / 寝覚ノ床 / 白山洞門 / 橋杭岩 / 機具岩 / 丸岩 / 見附島 / 妙義山 / ローソク岩
https://w.atwiki.jp/aaa333/pages/1906.html
天文台 営業時間:? 項目 レポート 1 博物館の2階にある天文台 2 星を観察したり、見つけた星を結んで星座を作ることも可能 3 自分の作った星座がWi-Fi通信を使って友達の村に広がったりします
https://w.atwiki.jp/ranobemagic/pages/224.html
天文台(化物語?) 天文台 土地 (T):あなたのマナ・プールに(1)を加える。 (1),(T):あなたのマナ・プールに好きな色1色のマナ1点を加える。 ゆらめく岩屋/Shimmering Grotto (LRW)の同型再版。 多色の多いラノベブロックにおいてマナフィルターは重要…かもしれない。
https://w.atwiki.jp/syujuu/pages/66.html
天文台 北東の山の上、雲より高い位置にある白亜の城。白い壁、紺色の屋根、金色の装飾、一部に白いレンガが使われている西洋風の城。自力で山を登って行くこともできなくはないが、街中に電話ボックスのような魔法の扉を設置しているため、基本的にはそこから出入りをしている。貴族のおじいさんが趣味で建てた別荘だが、旅好きでほぼ留守にしているため、親戚のリリーが代わりに管理している。城の一部は一般に開放しており、見学・宿泊が可能。絵画が動いたり、家具が喋ったり、画家や劇作家のゴーストがふらっと現れたりするメルへン(?)な城。 ①図書館・談話室・プラネタリウム ②廊下 ③本館・西棟(宿泊棟) ④本館・東棟 ⑤天文台 ⑥別館(居館) ⑦アトリエ ⑧中庭 ⑨庭園 ⑩ブランコ ⑪正門 ドーム(①) 四階分吹き抜けになっているドーム。毛足の長い紺色の絨毯にふかふかのソファ、ちょっとしたテーブルが置かれている落ち着いた空間。土足禁止。壁は二階分がすべて本棚になっており、壁沿いに通路がある(体育館のギャラリーを想像してね!)。様々なジャンルの本があるが、持ち主の趣味により天文学・神話・童話・芸術関係の本が特に多い。基本的には持ち出し禁止だが、リリーに直接断れば借りることもできる。 天井にはその日の夜に見える星空が星座の絵付きで映し出されている。照明を落とせばプラネタリウムとして利用することもできる。 本館(②~④) 三角屋根とアーチ窓が特徴的なコの字型の建物。②はただの廊下だが、一階と二階には喋る絵画が飾られているため賑やか。三階は窓の代わりに石の柱が等間隔で並んでいる半屋外空間で、見晴らしがいい。早朝の雲海がおすすめ。三階とも紺色の絨毯と白い大理石の壁でできており、金色のシャンデリアがかけられている。 ③は宿泊施設。教室程度の広さの部屋が三部屋×三階分ある。部屋によって少女向け、大人の男性向け、恋人同士向けなど若干の違いがある。この棟の家具は動かない。 ④は一階がキッチンと食堂、二階がフリースペースと応接室、三階が宝物庫と画廊、地下がボイラー室・大浴場・ランドリールーム。宝物庫には城主のおじいさんが旅で集めたものが置かれており、ここはさすがに鍵付き。画廊は趣味で買ったものからリリーの描いたもの、城に来た子供が描いたものまで雑多に飾られている。 天文台(⑤) レンガ造りの円塔。中に部屋はなく、全て螺旋階段。アーチ窓にはカラフルなステンドグラスがはめられている。屋上に天文台があり、天体望遠鏡をはじめとする様々な設備が整っている。 別館(⑥) リリー、シリウスの居館。本館から渡り廊下(一階建て、二階は屋上)を通って行く。一階はリビング・リリーの書斎・バスルーム。二階は二人それぞれの寝室。猫足のバスタブや天蓋付きベッドなど全体的にかわいらしい家具が多い。リビングは家具が喋るためとても賑やか。本館と違い赤茶の絨毯とクリーム色の壁でできており、暖炉が置かれているのもありあたたかい雰囲気。リリーの書斎はとんでもないとっ散らかり具合で、本、天球儀や星図、画材、彫刻、よくわからない異国のオブジェなど様々なもので溢れ返っている。 アトリエ(⑦) 青いとんがり屋根が可愛い円形の小屋。木造で、外壁は白く塗られているが、中は壁も床もそのままの木。自然光がよく入るよう南向きに窓がある。中には小さい流し台、丸椅子やイーゼル、画材・彫刻用具が置かれている。あちこち絵の具まみれ。 中庭(⑧) 芝生と生垣のある中庭。置かれているものは白いベンチだけで、ほぼ小さい子供や動物が走り回るためのスペース。ピクニックやお昼寝もできる。 庭園(⑨、⑩) 白い石畳が敷かれている薔薇園。通いの庭師さんが手入れをしている。大きな円形の噴水もある。東側に突き出たスペースにはガーデンアーチがあり、葉が生い茂っているためほどよい日陰になっている。中には背もたれつきのブランコがある。わたしならここで本読む。 正門(⑪) 本来はここが城の正面。左右に円塔のある重厚な扉で、これを潜り細い橋を渡るとドームに行ける。街にある魔法の扉を使うと直接ドームに入れるため、この門から出入りすることはほぼない。
https://w.atwiki.jp/byakumu2/pages/2215.html
天文部 主設定者 araya(アラヤ) いわゆる天体観測や宇宙研究を行っている部。 夏休みや冬休みなどになると『ほしの観察会』らしきものをやっているが マニアックな会話が多く、あまり人気はない。 その際、部員達は『ほしのおねえさん(おにいさん)』という 恐ろしいあだなを名乗らねばならない。 SRC天文台の保全やデータ収集の手伝いを行う代わりに 部で使うことを特例で認められている。 毎週土曜は定例会。 また、その活動上、治安維持組織や警察とは顔パス状態である。 主な活動場所はSRC天文台やSRCプラネタリウム館など。 部 長:ベルンハルト=ブルグント 副部長(兼会計):藍川輝美 部 員:守虎スウェン 部 員:牟礼ラウラ 部 員:アスティ=グレイル 部 員:園部熾姫 部 員:立脇葵衣 部 員:天道冬人 部 員:星井真澄 顧 問:エルンスト=ローレライ 元部長:伊藤冬彦 ご自由に加筆していってください
https://w.atwiki.jp/zsphere/pages/2054.html
太陽 月 惑星 太陽系 彗星 星 星座 こぎつね座CK 隕石 天文現象 日食
https://w.atwiki.jp/soufro/pages/1280.html
【解説】 天文学についての知識を得ます。 特技辞典/た
https://w.atwiki.jp/fwal/pages/50.html
天文台 塔アルトネリコの頂上付近にある施設。 巨大な望遠鏡を備えている。 既にこの高度では空は青でなく黒になり、 大気の薄さから天文観測には最適と思われる。 塔内のゲート通行管理を行うセキュリティプロトコルもこの区画に存在する。 そのセキュリティサービスを行っているのはメイメイ。 だが、第二紀以降導力の供給が切れ、認証時以外は大抵寝ている。 A区画への隔壁ゲートの通行認証などを行っており、 その通行記録なども蓄積されている。 またシュレリアが迷子になった際に塔内放送が使われた所をみると、 そういったアナウンス機能もあるようだ
https://w.atwiki.jp/kaiseimaru/pages/361.html
『秦山集』壬癸録,巻三 天文密奏、公武皆命レ之。予上言曰く、近代天文占書、不レ知二幾何一。占候砕細無紀極、奇中亦時有之,不中亦毎多,安倍晴明密奏,只用史記前漢之法,晋書以下不取也,今如欲用至近代之雜占,非臣之所能及,若依晴明之舊法,只用史漢,奏記大槧,則謹聞命耳,朝議聴之 以上面授 異説まちまち 一、天和の初にや、扇星といふ星出たり。要と覚しき所に、大きなる星ありて、其星より扇を開きたるごとく氣有しとなり。母は庄内にて見たりしと也。澁川助左衛門此星を見て、此分野は越後にあたりたるといひし也。程なく越後公(越後高田藩)滅家し給ふと也。 一、澁川助左衛門は碁打にて、安井算哲といひし也。貞享改暦被二仰付一て、天文者に被二召出一。それゆへ碁打の時の引付にて、寺社奉行の支配なり。 碁打の時北斗の先ンといふて、盤の中間の星へ石をおきて、是を工風してけり。妙手にてありしとなり。しかれども道策、本因坊には及ばざりしといふ。夜々天文を学ぶに、京の大佛の二階に登りて、星を伺ふ事三年也。心用出情のことなりと云。星を見習ふ者のいふ、常人の星へさすには、あれかこれかとおもふに、助左衛門の指すには、直にこなたにて見付けり、達人の妙也と。 一、(元禄十六)癸未十一月廿三日大地震の時、助左衛門御城へ訴へけるは、今夜大雷か大地震にて可レ有二御座一。御さわぎ可レ被レ遊と言上仕るよしを申上げると也。たしか成見よふなり。 一、右の夜地震の時、越後家登城の時は、皆鐵鉢をかぶりて御供せしとなり。 一、さ程の助左衛門なれど、陰陽師身の上しらずとかやにて、駿河台の屋敷にて朝の事なるに、牡丹畑へ出けるに、人喰犬出て喰付、喰倒しけるとかや。病死のことゝは是なりといふ。 隆光僧正日記 元禄八年一〇月 一四日、(中略)上意ニ、先月廿五日之明七っ以後、辰巳ノ方ニ白氣出、長サ五六間程之由、保井助左衛門書付出之、今朝出候由、善惡如何、祈禱可仕之旨也、卽日、則御祈禱開白之、 一五日之明七っ時、辰巳ノ方見之、白氣出現也、考之、躰ノ卦兌、用ノ卦艮也、兌ハ金ニ乄白也、艮ハ土也、土生金也、辰巳ノ角ハ木也、東南ノ間也、東ハ木、南ハ火也、木火和合乄金入ル二其□一、而カモ土生金卜、金增長ス、是只今金銀ニ吹改之氣也、誠ニ七寶之第一、鑄作之故顯天瑞、右之段言上之、 元禄十一年八月 一、十七日、如例登城、千手タラニ講之、素麵一器被下之、上意ニ、安井助左衛門申ハ、瑩曲星犯心星事、此廿日過ニ可有之、君主之凶事之由、祈禱可仕之旨被仰、愚申上候、廿日過之儀ニ御座候ハヾ、其前夜、大形明晚ハ可犯樣子知可申候間、前方ニ申上候樣ニ可被仰付候、其節別而執行可仕候、 一、廿六日、登城瑩曲心星ヲ守ル事、五日・七日有之時ハ凶事也、二日之間五六尺も有之時ハ不苦、一二尺ニ成て相守ハ凶事也、然處ニ廿一日ゟ雨降續、昨夜少晴候処、二星影もはや互ニ行違、間二間程有之由、安(如力)相守、行過ハ無子細也、御祈禱之印(驗)と被仰、紗綾十 元禄十三年七月 一、十日、熒惑星、心星ノ宿リヲ過クル事、今日ゟ廿日比迄也、去々年、熒惑、心星ノ宿リヲ過クルニ付大火事出來、蛍惑ハ火ヲ主ル、心星ハ君也、去々年も上野御佛殿焼失ス、君ニタヽル事アリ、御祈祷可然之旨、安井助左衛門言上、依之去ル朔日ゟ修之、一字金輪廿一座・八字文殊廿一座修之、浴油一七ヶ日、六日始之、光明院修之、愛染・千手・不動之法各廿一座、廿二日結願之、 一、十四日、被爲召登城、星之御祈禱之儀弥可出精之旨被仰付、且又、十二日御疝氣御腹痛之由、且又、明十五日月蝕皆既也、月蝕ハ后妃ニ夕ヽル、三之丸・御臺・五之丸安全之御祈禱可修之旨被仰付候、 一、十五日、熒惑星、心星敵對、又月蝕皆既也、月蝕之御祈禱愛染供修之、兩姫君樣(鶴姫・八重姫)・御臺樣・三之丸樣・五之丸樣へ御札献之、 一、十九日、二百十日、九つ時俄ニ大風吹出、熒惑之火災無心元抽丹精、風止火滅之祈禱抽丹精、大風忽ニ止ム、廿日朝迄中分之風吹、夜中雨降、 元禄十五年正月 一、十七日、紅葉山御社參被遊、如例八つ半頃登城、仁王經講之、御料理後段御雜煮、御茶御手前、次ニ綿百把・枝柿一箱。人參一包拜領之、六つ時過退出、去十日頃ゟ螢惑星経二過ス心星ノ宿リヲ、十五六日之比正ク相待之時節之旨、助左衛門言上、依之、去十二日ゟ大聖院・壽命院へ申付、八字文珠法七座・愛染法七座令修之、螢惑ハ火曜星也、五年以前八月ニ螢惑近二心星ニ一、心星ハ君也、故ニ上君慎有之也、依之、五年以前ニ大君御息災之御祈祷修之、然處ニ大火起、厳有院殿(家綱)之御霊屋焼失、是上君ニ崇ル一つ也、此節ハ二星之間五六尺有之、大君之災難無之、只火災之祈祷可然之旨、保井助左衛門言上申也、今日ハ蝋燭不出程ニ御料理・御土器迄相済也、 宝永元年七月 一、十九日、昨夜五つ時過、月と螢惑星之間相近ク二三寸斗也、依之、今日被爲召被仰出候ハ、女中・臣下之障有之由、澁川助左衛門書付差出之条、御祈禱可仕候、護國寺•進休庵江茂可申達候、尤、隱密ニ可仕候旨被仰付、 宝永二年九月 昨廿六日之夜、流星凡五十度程飛散ス、澁川助左衛門訴来、(しし座流星群) 明時館叢書四 (元禄七年) 一、今暁東方少北ニヨリ歳星ト太白ト甚近御座候二三寸程有之候廿五六日頃迄ハ弥近罷成候□□□奉存候七曜暦トモ合申候ヘハ変トハ難申候得共歳星ハ木ヲ司リ太白ハ金ヲ司リ申候故金剋木ニ而順トハ難申候併星ハ臣下之位ニ而御座候故臣之慎古来ヨリ羅申候 君之御慎ニハ罹リ不申候故御祈祷義被遊候儀ニ而決而無御座候 一、今朝者三光出見仕候目出度儀奉存候其外天象順周リ少も逆成儀ハ無御座候以上 (元禄七年)戌七月廿三日 (元禄九年) 先月廿一日より廿五日まて歳星与蛍惑之間甚近候當月朔日ニは螢惑東南之方江二尺許進候退候次第ニ遠く罷成候昨夜は四五尺許之間ニ相見候今度之星合ハ螢惑より歳星ニ觸と申者にて候天文書ニ螢惑ゟ 歳星ニ触を□吉年ニ仕候目出度御慶之儀に取申候若闘入申候得は凶ニ仕候為早為飢ニ□之候今度之星合は入之闘之と申者ニ而は無之候縦入闘候とても上津方之災ニ而は決而業御座候之奉存候(その)時持統天皇六年七月螢惑歳星之四通闘候其八月赦罪と日木紀ニ相見候其御宇太平而豊ニ候今度も木火二星皆陽之星合ニ而御座候間若者旱ニて候いんかと奉存候天文書ニ内乱とも有之候者陰之星合之事ニ多御座候陽之星合ニは稀候也其外天象順ニ周り逆成儀ハ少も無御候以上 子六月六日 保井助左衛門 元禄十二年 今朝気之立候天文書曰如レ霞非レ霞如レ雲非レ雲謂二之卿雲一又云猛兵之気トモ申候目出度儀ニ而御座候其外天象順ニ周リ少茂逆成儀は無御座候以上 卯閏九月十一日 保井助左衛門 元禄十三年 一十八日之暁月ト鎮星ト一尺許有之候天文書云或臣下ノ災或女后ノ災ト有之候嘉禎三年十一月十六日癸亥ノ子刻ニ月犯二鎮星一見二東鑑一此時何事も無之寛文十二年壬子十月十日壬子夕月犯二鎮星一月北土南一尺許此時無別条候 一頃日夕陽日之彗成事筋は立申候天文書ニ云日生レ彗ヲ五色君有二大福一人君有徳天下大豊日有二四彗 有二二彗一再赦之恩 一太白昼見経レ天ハ天文書ニ曰為レ爭為兵又大風アリ唐武徳九年六月太白昼見経天此時世民射二殺建成一之事アリ於日本者太白昼ル見へ経レ天別条無御座候近年も度々有之候得共何事茂無之例ニ而候口論ナトハ□て有之候欤 一昨十九日四ツ時ゟ九ツ過迄日笠有之候天文書ニ曰日旁有気周名曰暈赤ハ旱黒ハ雨五色有二大喜一時日之暈明□候故旱ト奉存候 一鎮星月ニ近ク太白昼見皆臣下女后ノ災ニ而決而上江懸り申事ニ而は無御座候日之彗ハ御徳盛故目出度儀仕候惣而日月の色成程能天象順周リ少度逆成儀無御座候以上 辰六月廿日 保井助左衛門 元禄十三年 辰十月廿七日之暁月と太白星はと其間一尺斗有之候月と大白と近ク御座候者臣下又ハ女中方ノ災と應シ申候同日昼四ツ半時ニハ其間弐尺餘りニ相見江申候昼太白南ノ方ニ見江申候を経レ天申候天文書ニ云下モ犯レ上ヲ應ト有レ之候ハ下ニも乖者之有之事ニ候然者螢感犯レ心ヲよりハ事ノ外軽キ儀ニ御座候廿七日廿八日両日昼見江其後は相見不申候其外天象順ニ周リ日月ノ色調敷少茂逆成儀者無御座候以上 辰十月廿七日 保井助左衛門 宝永二年 昨夜月と螢惑と其間甚近始終一二寸斗有之候併月之中へハ入不申候女中方臣下之災に応申候間女中方臣下之御祈祷被遊□レ然奉存候上々災ニは決而毛頭懸り不レ申候間尤御祈祷ニ不レ及候其外天象順ニ周リ日月之色潤敷逆成儀は少茂無御座候以上 酉四月六日 渋川助左衛門 宝永二年 一今暁太白星螢惑と其間一尺許相見申候是ハ臣と臣々之災応候間臣之災を慎之御祈祷被遊可然奉存候上之災ニハ決而毛頭懸り不申候間上之御祈祷及不申候 一螢惑星心宿ニ通候間先日申上候通来九日ゟ心宿江移リ申候五三日中移り可申候御相見江申候四五尺程北方行過可申勢相見候兼而申上候通螢惑心宿江次リ候節大災御祈祷被遊可然奉存候其外天象順周日月之色潤敷少も逆成儀は無御座候以上 酉十一月六日 宝永三年 競星希ナリ東鑑ニ有レ之候建長六年八月夜東方白虹見ト是亦東鑑ニ有レ之候此両度之節何事も無御座候末ノ天文書ニハ白虹所レ出ノ地有レ飢人散ト有レ之候へ共末書ニ候得は是慥不レ足取候附二白虹一雷地震等其外天下之障成候様成儀は決而無御座候尤上之御障ニ成候儀は決而毛頭無御座候此段下拙御請合申上候勿論御祈祷ニ及□申候以上 戌八月十九日 渋川助左衛門 宝永三年 今暁月と螢惑之其間いち近時六七寸程有之候前々申上候通女中方臣下之応にて御座候間女中方臣下之御祈祷被遊可然奉存候上之応ニ而は決而毛頭無御座候勿論御祈祷及不申候其外天象順周日月之色潤敷少も逆成儀は無御座候以上 戌十月十七日 渋川助左衛門 宝永三年 昨夜月と螢惑といち近く候は九ツ時前五分程ニ御座候月の内江決而入不申候由世忰図書と前々申上候通女中方臣下之応ニ而候間女中方御祈祷被遊可然達存候上々応ニ而は決而毛頭無御座候尤何之御祈祷ニも及不申候鎮星と月之いち近候時二尺余有之候得は是は何之応も決而無御座候尤何□之御祈祷ニも不及候其外天象順周日月之色潤敷少も逆成儀ハ無御座候以上 戌十一月十四日 宝永三年 一昨夜月と螢惑之其間近候又光物有レ之候昨夜多降又雪降候天文書三日之中雨降候得者百事解と有レ之候得は右両様共何之應も決而毛頭無二御座一候段慥ニ御請合申上候雪之儀者夫文書不見候得共是ハ雨と同前ニ御座候其外天象順周日月之色潤敷少も逆成儀は無御座候以上 戌十一月十五日 宝永五年 昨夜月と歳星と四ツ過一尺余隔少之内見申候其後八ツ半時にも見へ申候其節は一尺斗隔申候其外ハ宵ゟ明迄之内月斗見へ候事度々 有之候へ共歳星は両度なりてハ見へ不申候七ツ過ゟ雨降申候前々申上候通若一尺之内近候得者女中方臣下之應ニて有之候得共右之通一尺斗隔且又三日之内雨降候へは百事解と御座候左候得は今暁ゟ之雨ニ而弥以何之應も決而毛頭無御座候間勿論何れ之御祈祷にも決而及不申候其段急度拙者御請合申上候其外天象順周日月之色潤敷少も逆成儀は無御座候以上 (二月)月十四日 13日23時半頃に約1.4度まで接近 宝永五年 昨夜月と歳星と宵ニハ其間三尺程有レ之候月ノ入きわにいちちかくこき一尺斗有レ之候前々申上候通一尺之内ニ候得者女中方臣下之應ニ而御座候間女中方臣下之御祈祷被遊可然奉存候他之應は決而毛頭無レ之候間他之其外御祈祷ニは決而及不申候天象順周日月之色潤敷少茂逆成儀は無御座候以上 子三月十一日 渋川助左衛門 宝永五年 昨夜月と心宿との間五ツ半時分いち近二寸程隔見江申候夜ふけ候程次第ニ遠のき七ツ過ニハ二尺程隔申候是ハ前々申上候通リ上江御懸リ□女中方之応ニ而御座候然共天文書ニ三日之内雨降候ヘハ百年解と有之候今朝雨降申候ヘは何之応も決而毛頭無御座候間女中方之御祈祷ニも決而及不申候尤其外いの□の御祈祷ニも決而及不申候其段拙者急度御請合申上候其外天象順周リ日月之色潤敷少茂逆成儀は無二御座一候以上 子三月十七日 渋川助左衛門 宝永五年 昨晩七ツ半過日之彗三筋立申候私も見申候是ハ前々申上候通陽徳盛応ニ而目出度儀奉存候其外天象順周日之色潤敷少茂逆成儀は無御座候以上 子七月廿七日 渋川助左衛門 宝永五年 此頃螢惑星逆行候来月廿日頃迄ニ而候逆行之節は火災之応有之候然共星之色も薄勢も穏ニ候天川内北河星辺有之候得は火災は無之筈ニ候先頃火鎮之御祈祷故ニ風静気穏御座候間盆御静謐御座候様ニ火鎮之御祈祷被遊可然奉存候其外天象順周日月之色潤敷少茂逆成儀は無御座候以上 子十一月廿四日 中田主税「雑交苦口記 巻之三」 三田村鳶魚『未刊随筆百種 第十六』より 〔廿三〕先年北の方に彗星出たり、 有徳院様より先師西川忠次郎に御尋ありければ、忠次郎申上けるを左に記す、寛保二年正月廿八日暁始て彗星出る、此時天文師西川忠太郎へ吉凶御尋有レ之、忠次郎書付を以申上る、 〔廿四〕此間相見申候客基之儀、先月廿八日暁始て相見へ候、斗宿之度 七夕星と俗に云 河報屋の西南に居申候、其後段々北の方へ居所移り、一昨日五日の夜は織女星の北に居所移り申候、星の容子、彗星の微小なる様に相見へ候得共、實の彗星にては無二御座一候、攙槍星と申類ニ而可レ有二御座一候、去冬寒中より當春に至り、終に雪降不レ申、寒中雷有て、其以後晴天打続、先月初甚敷旆又風抔有レ之候儀、是皆燥熱之氣、天上に昇りて、右之星ニ罷成候物に御座候、正真の星ニ而は無二御座一候、地中の燥熱より生じ候て低き物に御座候故、雨降地氣湿り候へば、段々薄く罷成後には消失候ものに御座候、依て先月廿六日之夜見候人に承り候へば、甘八日に見へ候星之形より殊の外勢ひもつよく大きく御座候よし、然る處ニ廿七日之雨ニ而急に星の形減少仕候、惣じて数十日の早續風有て燥く節は必出候ものに御座候、天文書にも有レ之候、吉凶之儀は陰陽師の徒の申事ニ而、天文暦敷には無二御座一候故、吉凶相考へ候儀は存不レ申候以上、 二月七日 西川忠次郎 右之通申上候へば至極尤に思名候、吉凶は相除、星之儀考可二中上一、旨被二仰付一ければ、忠次郎重而申上けるは、斗宿に宿り、其上地中の燥熱之氣上ッて乙星と顕れ候故、水気を求め申候、夏より秋に至りて、若水出可レ申哉難レ計候旨申上畢ぬ、果して其秋八月關東大水、橋々落、人多く死す、 寛保三年の彗星 三題 「味酒神社年代記」『松山市史料集 第7巻 (近世編 6)』 一、此頃江戸ヨリ書付参ル由、去冬ヨリ出現スル珍星之事也、左之通、 一、寬保三癸亥年秋、珍星出現、かたち星之中より光を放事三四丈、依之安家へ勅問之儀、珍事也、火災ニ奇之由勅答ス、重而管家へ勅問之所、同火星之由申勅答ニ而 主上御慎甚し、然所ニ十二月十三日御車屋ニ被為置候御車燒失、宮中御安全之由、 菅家 高辻殿正三位中納言式部太夫 菅原網長占 安家 従四位下修理太夫兼陰陽頭 安部泰邦占 又一説 亥十一月中旬ゟ珍星出、依而天文方江被仰付、即時之考神武□(天平)酉年、此星出、其名好事星ト云、大吉星也、来ル子之事ゟ日輪一日ニ五尺弐寸宛長ク寒熱甚、每年豊年ニ而国土太平也、来ル子之年ゟ五万七百三十年ニ而世界破ス、 江都天文方 猪飼 豊次郎 安部御門弟 渋川 六蔵 『岩邑年代記 3』 一都野玄徳□□鞆や利右衛門・留や孫右衛門同道にて、寛保四子二月朔日療治に参り、□日に帰る。此時柳井にて写来候は、寛保三年十一月中旬より珍敷星出る。東より出、西に入□文□□仰付則時に考也。神武元辛酉右の星出る。其名好事屋と云、大吉也。神武より四百三年に成、来る子年より、一日に日輪五尺弐歩ずつ長く成る冬夏寒熱也。毎年豊年国々大平也。寛保□霜月、天文者猪飼五郎次郎・同渋川六郎右の通京都より印し参り候故、写し進じ候。一此星頃日此元は、又東え夜明方に出、きびしく光り申候。其元御気を被付候様存候。 正月十五日鞆や理右衛門様大坂米や宗右衛門、一或所より寛保三(1743)年十一月中旬頃より、珍敷星西北の方に出る。天文家被仰付勅問即時考也。勅答申上る。神武元此星出る、其名好事屋と云、来子年より日輪一日に五尺弐歩ずつ長く成、冬夏寒熱甚かるべし、毎年豊年にして国土大平也。渋川六郎考也。猪飼豊次郎一来子年より五万七百丗八年に至りて、天地減ずる山川海陸人物等悉くかはる。寛保三亥十一月日右の星の御製、子の年の春や栄へんほうき星光りをましてあらわれにけり。 「旧記扣(1) 御本陣 綿貫作右衛門」『南魚沼』 (新潟県文化財調査年報:第15) △十一月廿七日頃ゟ替りたる星出申候江戸表ニ而ハ稲星与となへ申候由京ニ而ハのし星トとなへ申候其後京都ニ而天文者渋川六蔵猪飼豊治郎両人へ被仰付候故考申上候 妓事星(からしほし)ト号ス 神武天皇辛西ノ年出現也今年迄弐千四百三年ニ成ル今年ゟ夏冬甚寒熱して天下泰平国家安全子年ゟ一日ニ五尺弐分ツツ日長ク成ルよし京都ゟ写し来ル ※ 猪飼豊次郎は寛保元年に没