約 1,638,688 件
https://w.atwiki.jp/magicman/pages/34250.html
♪正義とは何ぞや~? R 光文明 (2) 呪文 ■相手のクリーチャーを1体選び、タップする。その後相手のシールドが五枚以上あれば、GR召喚する。 作者:蜜柑丸 フレーバーテキスト ガンモスドンに本当の正義は君たちだと煽られ、反乱を決意した奇石達。 その戦術は正義の定義を問い詰め続けることで混乱させ、そのすきに倒すというものだった。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/yo-kichi/pages/99.html
変数とはなにか?
https://w.atwiki.jp/ketpic/pages/19.html
CASとは数式処理システム(Computer Algebra System)の略称です.コンピュータのソフトウエアで,ベクトル・行列・関数などの計算をすることができグラフィックによる描画がサポートされているのがふつうです.現在,KETpicはScilab,R,Maple,Mathematica,Maximaなどでサポートされています. FAQへ戻る.
https://w.atwiki.jp/vipcomiket/pages/50.html
コミケ77カタログより コミックマーケットは同人誌の即売会です。 売っているのはサークルが趣味で作っている自費出版物です。 机半分で1サークル。3日間で35000サークルが参加します。 売り切れていたり新刊が出ていなかった時は諦めましょう。 再販や次回即売会、書店委託等に期待しましょう。 人混みは当たり前です。 コミケに来て人混みや行列に文句を言うのは 北極に行って寒いと愚痴るようなものです。 「そういう所」なんですから諦めましょう。 スリや置き引きに気をつけましょう。 落し物は準備会に届けられる可能性もありますが 盗難された場合は準備会は何もできません。 この年末の忙しいときにコミケなんぞに出かけて大丈夫か よく考えましょう。 家族や同僚の目が厳しくなっても準備会は関知しません。 同人イベント板の初心者スレテンプレより転載、加筆 コミックマーケットの会場、東京ビッグサイトはこんな施設です。 施設紹介映像 (東京ビッグサイト公式HPより) http //www.bigsight.jp/general/guide/movie.html コミケの開催日には、この会場を、1日で十数万人もの人が、文字通り埋め尽くします。 【初心者の人は以下の点に注意しましょう。】 ・入場までの待ち時間が長い。 午前中に会場についた場合、数時間から最大で約5時間(始発電車で来た場合)、 会場の外で列を作って待つことになります。 初心者の人は、列に並ばなくても自由に入れるようになる、午後からの来場をお勧めします。 ・待ち時間が暑い/寒い 会場の外で待つ間、当然夏は暑く、冬は寒いです。 長時間並ぶと決めたら、それぞれの季節にあった、暑さ対策や寒さ対策が必要です。 十分な対策をしないために、体調を崩して倒れてしまう人が毎回います。気をつけてください。 ・人が多くて、身動きがきつい とにかく人が多いので、会場内で大きな荷物を持ってると邪魔になるばかりか、 相手に怪我をさせてしまう原因にもなります。 持ち歩く荷物はコンパクトにまとめましょう。 ・待ち合わせをするのが大変 コミケ会場では、携帯での通話やメールが大変つながりにくいです。 友達などと参加する人は、万が一はぐれてしまって連絡がつかないときのために 事前に集合場所を決めておくとよいです。 コミックマーケットの会場内には、各種活動を行うコミケットスタッフがいます(写真付IDカードと腕章が目印)。 スタッフから指示や注意があったら、それにしたがって行動してください。 会場内で、何かわからないことや困ったことがあったら、スタッフに声をかけてください。 【問題のある行動について】 たくさんの人が参加するようになったコミケでは、参加者のマナーの悪さ、モラルの低さが 残念ながら目立つようになってきました。初心者の方へ、特に注意すべき、問題のある行動をまとめました。 ・会場周辺での徹夜(午前4時半前に会場に行くこと) 徹夜行為はコミケでは固く禁止されているので、絶対にしないでください。 ・待機列でのゴミの処理 待機列では早朝ですからもちろん食事などをする事があるでしょう。 そこで発生したゴミは各自持ち帰るのが原則ですが、駅近くのゴミ箱へ捨てたり、 その場に放置されて待機列跡が酷い有様になる事があります。 ゴミの放置を見かけたら笑顔で「落し物ですよ」と言ってあげるようにしましょう。 ・会場内の列に並ぶときの日傘や雨傘の使用 周りの人に、傘の骨の先端をぶつけたり、雨水を垂らしてしまうことになります。 また列が傘のスペースの分余計に広がってしまいます。 日差しは帽子や長袖で防ぎ、雨や雪のときはレインコートやポンチョなどを使いましょう。 ・音楽聞きながらやゲームしながらの歩行 周りの人に気がつかずにぶつかったり転んだりする人がいます。 歩行中はやめておいたほうがよいでしょう。 ・会場内での座り込み 会場内の通路などで座り込んで本を読んでる人がいます。 これはほかの人の移動や、非常時の避難の邪魔になるのでやめましょう。 ・一般参加者のカートの使用 車輪つきのカートは、知らずに他人の足を引く、ぶつける、といったことが多いので コミケでは傘同様に嫌われるアイテムです。使用はなるべく避けたほうがよいでしょう。 ・会場外での(特に成人向け内容の)同人作品の読書や企業の紙袋の持ち歩き 家に無事に帰るまでがコミケですが、ビッグサイトの外に出たら、そこはコミケ会場ではありません。 同人作品は家に帰ってからじっくり読みましょう。交通機関や街中での読書は自重してください。 あと、企業ブースで配る紙袋も、特に絵柄がキワドイものは会場外では 一般の人から奇異の目で見られるので、折りたたんで持ち帰る等配慮を願います。 ・未成年者の参加 コミケでは、参加する年齢の目安を「義務教育終了以降」としています。 未成年者の参加はあまり歓迎されていません。もしも参加する場合は下記の注意を守って行動しましょう。 ・保護者にきちんと行き先や予定を伝える ・徹夜はしない。深夜、早朝の時間に出歩かない(東京都の条例で補導されます) ・成人向け作品を買わない 1990年・コミケ39カタログ「代表あいさつ」より コミケットの参加者は、例え外からどう見えようと、全員が大人であるという前提で行われています。 コミケットで求められている常識やモラル、マナー、それらは一般社会においても必要なものですし、 実は今社会から失われていきつつあるものでもあります。いい意味での大人になって欲しいと思うのです。 人のことを考え、自分のことに責任を持つ……ちょっとお説教じみてしまったようです。 というのも、大きくなったコミケットには少なからぬ社会的責任というものが生まれつつあるからです。 自由さは、そしてそのにぎわいはいつの時代も一部から敵視されていきます。 それから生き延びていくためにも、自ら恥じることなく、どうどうとしていたいのです。 それは参加者全ての人にも言えることだと思います。(米沢嘉
https://w.atwiki.jp/boostgraphusage/pages/16.html
グラフとは、点と線からなる図の事です。 このグラフは、点A, 点B と、それらを結ぶ線で構成されるグラフです。 グラフでは、2点を結ぶ線はどのような線でも構いません。 このグラフは、線が曲がっていますが最初に出てきたグラフと同じです。 線の形状や、長さはグラフでは問題にしません。 点A と点B が結ばれているという情報が大切です。 また、線が1つも無い場合でもグラフになります。 このような形状でもグラフになります。 逆に、線のみで点が1つも無いグラフはありません。 グラフにおいて、線は点と点を結ぶ役割を果たすため点が存在しないグラフには 線も存在しません。 グラフは、同じものを表すのに違う呼び方をされる事があります。 点(Point)は、頂点(Vertex)、結節点(Node)などと呼ばれます。 線(Line)は、辺(Edge)、リンク(Link)などと呼ばれます。 Boost Graph では、点を Vertex、線を Edge と命名しているようです。
https://w.atwiki.jp/mabinogi-gentei/pages/30.html
イメージと異なり、「オタク」は高度なコミュニケーション能力を持った存在である。 コミュニケーションの手段として特異な能力を備えていることが多い。 これは独自の分類であるが、世の中には3種類の人間がいる。 どのような種類かを簡単な理科の実験を想像しながら説明したい。 水に食塩を入れる 水に油を入れる 水にビー玉を入れる 「水」は人間の社会体制全体を表し、入れる物質は「個人」を表している。 水に食塩を入れて混ぜるとどうなるか。 ある一定の量の食塩は、水に完全に溶ける。 それ以上は溶けることができず、食塩のまま残ってしまう。 しかし温度を上げることによって溶ける量を増やせるようになる。 これが「一般的な人間」である。 つまり社会にごく自然に溶け込むことができ、過剰な分は「仲間外れ」として出てきてしまうが、 基本的にはすべてを受け入れる体制が整っている状態なのだ。 水に油を入れて混ぜるとどうなるか。 激しく混ぜると、一見、等しく混ざったかのようになる。 しばらくすると水は下、油は上にそれぞれ完全に分かれてしまう。 これが「オタク」である。 つまり普段、意識していないときは社会から隔離されているような印象だが、 「コミケ」や「新作ゲーム発売日」などで人と接する機会のあるときには それなりの態度で臨むため、社会に溶け込むことができるのだ。 「油汚れを落とす」石鹸や合成洗剤を加えると、油がそれに包み込まれ 水に分散するようになるが、これはオタクが持っている特別な能力による働きであるといえる。 たとえば絵の一部を見ただけで何のアニメの何のキャラクターであるかを言い当てたり、 声優の名前をすべて覚えているとか、そっくりな声で話すことができたり、 手本を見ずにキャラクターを自由自在に描き分けたりする能力である。 水にビー玉を入れて混ぜるとどうなるか。 どんなに混ぜても、ビー玉は水に決して溶けることがない。 激しく振り混ぜてもカチカチ不快な音を立てるだけで一向に溶けない。 混ぜるのをやめれば一瞬で底に沈んでしまう。 これが「あすさん」のようなものである。 つまり人間社会に対して一時的にすら溶け込むことはおろか、その手段さえなく、 そもそも接点をもたない存在であるため、大衆の中で必ず浮いてしまうのだ。 無理に溶け込もうとすれば激しい摩擦が生じ、トラブルになってしまう。 まさに「百害あって一利なし」というわけなのだ。
https://w.atwiki.jp/ik-ben-wakei/pages/155.html
教育は、何か教える内容をもっている。教える対象があることが前提されている。「教育学概論」でアメリカのボストン郊外にあるサドベリ・バレイ校を紹介した。*17)http //www.asahi-net.or.jp/~fl5k-oot/sud1.htm\footnote詳しくは「教育哲学」「国際教育論」で分析するが、そこでは決められたカリキュラムは一切存在しない。学ぶ内容は、生徒自身が学びたいと思った内容である。しかし、サドベリ・バレイ校のような教育は、極めて例外的である。というより、サドベリ・バレイ校だけの実践と言えよう。 世界中の「学校」は、あらかじめ決められた「内容」を効率よく教え込んでいくための組織なのである。効率よく教える必要のある一定量の知識があることを、社会が認識したときに学校が成立する。 教育内容といっても、かなり様々なレベルがある。学校教育に限定してみても、教科に関する内容と行事や部活によって取得を期待される内容もある。教科に関するもので主なものは以下のような内容がある。 国家基準(学習指導要領)、教科書、入試問題、参考書、教室での授業 日本人にとって最も普通に考える教育内容は、学習指導要領(国家基準)に基づいて検定された教科書の中身のことであろう。しかし、よく吟味すると、教科書はそのまま教えられているわけではないし、教科書以外の教材や行事、運営などが、子どもたちの学習内容を枠づけする場合も少なくないのである。国家基準にしても、戦前の日本や社会主義国家のように、国定教科書として、単一の教育内容が国家として決めている場合と、検定制度で見られるように、基準として存在している場合がある。また、検定はしなくても、補助金に関係する国家試験などの基準として存在する場合もある。国家基準の存在しなかったイギリスでは、サッチャーが初めて導入し、それを浸透させるために、補助金を利用している。 さらに国家基準だからといって、必ず浸透するわけではない。国家基準で教えられなくても子どもたちに浸透している「内容」はいくらでもある一方、国家基準で指定され、学校で教えられ、試験でも重視されているにも拘らず、人々の中に一向に浸透しない学習内容もあるだろう。「音楽」などは代表的な事例といえるだろう。「唱歌校門を出でず」と言われたが、学校で教わる音楽と、人々が受け入れる音楽とが異なることを示した言葉である。 また、中学で習った日本語の「文法」は、どれだけ身についているだろうか。 今この文章を読んでいる学生諸君は、すぐに「か行変格活用」の活用語尾を口に出して言って欲しい。言えた者は○、言えなかった者は×をつけておこう。どのくらいの人が○になったろうか。 おそらくその割合は低いと考えられる。しかし逆に、「か行変格活用」を忘れても、日本語を使用する上でなんらの不便もない。ではなぜ記憶として定着もしないし、また、役にもたたない「文化」を学校では教えているのだろうか。 Q 学校で教わらなくても浸透し、学校で教わっても浸透していない例を他に考えてみよう。 教科書も、国定教科書、検定教科書、自由な教科書、一般図書を教科書として使用するなど、さまざまな形態がある。学校では教科書を使用して勉強することは、日本では一般的であるが、教科によっては外国では必ずしも一般的ではない。 例えば、歴史の教科書は、日本では小学生、中学生、高校生用にそれぞれ用意されているが、欧米では通常の歴史の概説的な書物を使用する場合も少なくない。つまり子ども用に編集された中身の薄い書物よりも、多少難しくても大人用の書物で学習する方が、歴史の興味を喚起するには適切であるという考えるによるものであろう。 入試のあり方も教育内容を規定する。その最も大きな事例が中学入試であろう。 開成などの合格が難しい私立中学は、学習指導要領などはまったく無関係な問題を入試で出す。学習指導要領などに準拠した問題では、やさしすぎて選抜の役に立たないからである。そのため、そうした私立中学を受験する小学生たちは、学校の教科書などは多くの場合無視して、せっせと「入試問題」を勉強するのである。大都市圏では無視できないほどに、そうした学習は広まっている。そして、このような学習では、公立の学校よりも、私的な進学塾がもっぱら行っているし、受験生たちには大きな影響力を行使する。 入試が、国家的な管理で行われる場合には、一種の国家基準になる。 日本の共通テストは、公的な機関(入試センター)が実施しているから、国家基準的な色彩をもつ。以前のフランスのバカロレア試験は、国家的な統一試験であったから、国家基準的な代表的な例だったが、現在では高校単位で実施することが多くなったから、国家基準的な要素は少なくなった。 ドイツ、オランダ、フランス等の高校卒業資格試験は、部分的に国家基準的要素が入るといえる。 日本では、公立高校の入試などはもちろん、個別に行われる私立の入試も学習指導要領に準拠するので、国家基準の大きく規制されている。 Q 国家基準はあった方がよいのだろうか。その得失は何か。 Q 教科書の形態はどのような形態が望ましいと思うか。 教室での授業は、統制が難しい分野であるが、視学の監視(指導主事の参観)等による統制や、事実上のスパイ行為等で、統制することも試みられてきた。 しかし、他方で、国家基準と相当異なる授業が行われていることは事実であり、ときとして問題となることもある。 cf 伝習館訴訟、千葉県の旧字体での授業 また教育内容とは、決して教科内容だけにかかわるものではなく、行動に関わる部分もある。日本のような部活はヨーロッパには少ないし、学校行事の種類ややり方も大きく異なっている。 運動会や入学式は日本的色彩の濃い行事であり、卒業式は広く行われているが、「厳粛さ」を求めることはそれほど多くはない。 また「隠されたカリキュラム」という概念がある。教育社会学の分野で主に主張されていることであり、学校制度には、表向きのカリキュラムだけではなく、社会が要請する価値観に基づいた、制度化されないカリキュラムが存在し、それが大きな意味をもっていると考えられている。 時間通りに生活する習慣形成、目上の者に対する服従、画一的な行動の反復習慣の形成などである。これまでの学校の様式は、工業社会に適していると考えられ、工場労働者の割合が低下し、サービス業従事者が多くなった社会では、学校の隠れたカリキュラムが桎梏となる場合もあるだろう。 価値や生活習慣に関する教育内容は、より複雑な状況に直面する。 cf 排便教育 Q 学校の機能として、それぞれがどのような意味をもつか、あるいは、含むべきではない、主要なものであるべきだ、と考えられるのは、どれか、考えてみよう。
https://w.atwiki.jp/alternativemind/pages/371.html
女子会をしましょう、と誰が言い出したのかは今となっては定かではない。 そしてその女子会がなぜかパジャマパーティーのような形式になったのについても、誰が発案者なのかは定かではない。 重要なのは、ベイラム勢の女性パイロットたちが一様にスヘルデの部屋にパジャマで集合していることだった。ベッドの面積が足りないので、部屋にクッションとシーツを敷いてほぼ全面を寝床にし、そこに五人の女性が思い思いに座っている。 「……それで、こういうのって何をするの?」 なぜかパイロットスーツ持参のスカマンドロスが言った。パジャマといったのに彼女は色気のないスポーツブラにボクサーパンツ姿だった。 女子会会場になぜか選ばれたスヘルデは面食らって「パジャマは?」と聞いたのだが、彼女はさらっと「これだけど」と言ってそのまま部屋に入ってきたのだった。 曰く、スクランブルがあってもこの格好ならすぐに出撃できる、とのことだった。それを聞いていたメタウロが首肯した後に首をひねって、そのまま何も言わずにまた首肯しだしたのは見ものだった。 「な、なにをするんだろうな」 無地のピンク色の毛布持参のアードは胡坐をかきながらなぜかもじもじしながら言った。灰色のもこもこしたパーカーにズボンという出で立ちはパッと見、面白みのない恰好だが、そのパーカーのフードには熊の耳を模した飾りがついている。なんとも可愛らしい。 持参の毛布も曰く「これがないと眠れねえ」という、子供のころから使っている代物だった。それを聞いていたメタウロはすごくにこにこと生き生きしていた。 「とりあえずー、女子会といえば恋バナじゃないかしら!」 長い脚をぺたんと折りたたんで座るササンドラは、両手を合わせながら笑顔で言った。彼女は暫定的に紺色のローブのようなものを纏っているが、それはスヘルデの袖付き毛布だ。 女子会会場になぜか選ばれたスヘルデが彼女を部屋に迎え入れた時はバスローブを着ていたのだが、面子が揃った途端に脚長お嬢様はローブを脱ぎ始めたのだ。下は何も着ていなかった。メタウロが「おやまあ」と言い、アードは赤面して飛び上がり、スカマンドロスは特に反応を見せず、対面のスヘルデは袖付き毛布を反射でぶん投げた。 なので、暫定的にササンドラは袖付き毛布を着込んだ状態になっている。 「恋バナする面子なの、これ」 体育座りしながらロバの縫い包みを抱くスヘルデは唇を尖らせながら言った。彼女は女子会の趣旨に忠実な星柄のネイビーブルーのパジャマを着ている。社内売店で自分のサイズが売っていないため私物だ。 ちなみに女子会会場が彼女の部屋に決まったのは、ササンドラとメタウロの下見によって五人の中で一番女子力が高い部屋をしているからだった。第二候補はササンドラの部屋だったが、部屋の一角に鎮座するガンロッカーが女子力ポイントの減点対象となったのだ。メタウロは自分の部屋はよくないよといった通り、部屋がちぐはぐのパズルのようだったため候補から外れている。 「良いね恋バナ。でも絶賛恋進行中って人はあんまりいなさそうだから、思い切って初体験が何歳だったかとかどうかな?」 足を後ろにぺったりと座り、黒のネグリジェを着込んだメタウロがにこにこと楽しそうに言った。スヘルデよりも小柄な彼女はもちろん社内売店でサイズが売っているわけもなく、彼女のネグリジェは友人からの貰い物を自分のサイズに切り詰めたものなのだそうだ。 女子会だからと初体験が何歳だったかという話題をぶっこんだ彼女だったが、他のメンツはそれを咎めるでもなくそれぞれ「うーん」と少し考えこみ始める。 「初体験……?」 アード以外は。 「私はハイスクールの時。……それ以外は忘れた。あまり楽しくなかった」 スヘルデがあっさりと言うと、アードは目を丸くした。 「お前、したの?」 「したけど、楽しくなかった」 「えぇ……マジか。マジか」 なぜだか顔を赤くして小さくなるアードに視線が集まる。 おやおやおや、とメタウロが悪戯小僧のような顔をしてアードの肩をがしっと掴む。 「アードさぁん、僕はアードさんのお話が聞きたいなぁ」 「ば、ばば、馬鹿野郎! アタシが話すことなんてなんもねえよ!!」 「何もないってことはつまり、今も〝ある〟ってことですかぁ?」 「そういう恥ずかしいことは言っちゃだめだろうが馬鹿野郎ぉ!!」 おもちゃを見つけたガキのような顔をするメタウロにアードが怒鳴り、 「あらあら。これは初々しくて美味しい反応ね」 ササンドラはササンドラであらあらまあまあとなぜか楽しげである。 一方のスヘルデとスカマンドロスは、さらっと開陳したエピソードで二人とも喋りあっている。 「私もスヘルデとだいたい同じね。それらしい経験は積んだけど、言われてるほどあまり楽しくなかったわ」 「なんというか……私はただ疲れるだけだった。いろいろ面倒だったし」 「別のことで体を動かしてた方が発散できるわよね」 「なによりスケジュール寄せなきゃいけないのが面倒くさい」 そうして、スヘルデとスカマンドロスが喋りあっている横では、変わらずメタウロがアードに飛びき、さらに追及をはじめ、 「あらあらぁ~」 そんなカオスな状態を眺めているササンドラはなぜか楽しげである。 この第一回女子会はメタウロの追及にアードは暴れ始め、スヘルデとスカマンドロスが銃器談議に花を咲かせ、ササンドラはスヘルデの後ろに回って頭を撫でながらカオスを眺め楽しんだ。 そしていざ寝ようとするとササンドラはおもむろに紺色の袖付き毛布を脱ぎ去ろうとしたので、スヘルデが飛び掛かってそれを阻止した。 第二回女子会が開かれるのかは、定かではない―――。 関連項目 スヘルデ スカマンドロス メタウロ アード ササンドラ
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/61.html
目次 1.人類の起源 2.エデンの園の建設 3.地球的正法の誕生 4.転生輪廻と魂の構造 5.本体・分身理論の真実 1.人類の起源 正法とは、いわゆる神の心を述べ伝える教えです。そして、神の心をどのように述べ伝えるかについて、光の大指導霊たちが工夫してきた教えでもあります。歴史的には、ギリシャの時代のゼウスの教えであるとか、インドのブッダの教えであるとか、イスラエルのイエス、あるいはその前のモーゼの教えであるとか、マホメットの教えであるとか、こうしたさまざまな形で正法というのが説かれてきました。しかしながら、正法は、その時代によって、環境によって説かれる内容も変わりました。また、聞いている人びとの質によっても変わってはきました。 ただ、そのなかにある教えはいつも一つです。一つの教えが時代と環境とに合わせてさまざまな現れ方をするだけであって、神理は一つ、正法は一つ、神の教えは一つです。その一つの神の教えの現われ方が、あなた方地上にいる人間にとっては、わずか二千年、三千年の視野でしか見えないために、よくわからないでいるのです。今地上にいるあなた方は、仏教だ、キリスト教だ、その他の教えだと言って、まったく違ったもののように思えるかもしれませんが、こうした教えも長い人類の歴史というものを参考にした時に、まったく違ったものではないことがわかるのです。それは、じつに長い長い歴史であります。 人類が地上に肉体を持ったのは、今から三億六千五百万年も昔のことになります。その当時、はるかなるかなたにベー・エルダ星という星があって、ここから人類は六千万人の船団を率いて地上に渡ってきたのです。これが最初の肉体先祖でした。この時の指導者が、アール・エル・ランティーと言われる方であったことは、あなた方のうちの一部は、すでに、何かで読んでおられることでしょう。 そしてこのエル・ランティーのもとに集まってきた司令官が、私ミカエルであったり、あとガブリエル、ラファエル、ウリエル、サリエル、こうした七大天使たちであったのです。この時に、後に地獄のサタンとなってしまったルシフェルというものもおりました。この話については後ほどくわしく語ってみたいと思います。 このアール・エル・ランティーという総司令官のもとに、七人の司令官が いましたが、これが七大天使の起源なのです。 のちにルシフェルが去り、パヌエルというのが加えられることになりますが、この当時すべてエルという名はなく、その上の名前だけが使われておりました。そして、私たちは大船団に乗って今のエジプトの地、ナイルのほとりに着陸しここに約数千艘にわたる大船団を着陸させました。そして円盤のなかから、あるいは、飛行船のなかから、地球に合った植物や動物たちを数多く下ろしました。もといた母星は、その酸素量においても気圧においても、地球にひじょうによく似た環境でした。よく似た環境であったというよりは、私たちは好んで自分たちの星と同じ環境の星を探してきたと言ってもよいでしょう。十年の月日にわたっての長い旅を終え、地上に降りた私たちは、そこにいろんな動物を下ろしました。 現在の牛の原型に当たるもの、あるいは鶏の原型に当たるような鳥、豚の原型に当たるような動物、犬や猫の原型にあたるようなもの、そうした動物たちも私たちは連れてきました。その時の動物たちで、現在に生きていないものも数多くおりますが、いろんな動物を連れてきたのも事実です。 さて、当時エジプトの地に降りた私たちは、まず自分たちの生活環境をつくるところから始めてゆきました。地球にはまだ何もなく、ナイル川は当時も流れておりましたが、私たちにはそれを飲料水とすることさえできませんでした。これを飲料水とするためには、ある特殊な濾過装置をつくらなければ、私たちの飲料には適するものとはなりませんでした。また、肉類にしても植物にしても、最初はなかなか私たちの口には合わず、ずいぶん苦労をしたものです。 とりあえず、船内にあったもので間に合わせながら、次第しだいに地上でさまざまな改良を加えていったのです。当時、地上にはまだ高等な動物は棲んでいませんでしたが、すでに魚の類に当たるものたちの原型になるものは棲んでおりました。そして、現在でも、シーラカンスというような魚が生きた化石と言われているようですが、そのような大きな魚もかなり棲んでいましたし、川にもそれなりの動物たちは棲んでおりました。たとえて言えば、両生類の原型に当たるようなものがすでに棲んでいたと言ってよいでしょう。 この意味において、魚類、両生類、爬虫類の原型は、地球出身のものたちによってつくられたものであり、地球にもともといたと言ってよいでしょう。これに反して、ほ乳類の類は、私たちが母星より連れてきたのが原型であったと言ってもよいでしょうか。 これ以外にも、もちろん違った動物もつくったことはありますが、それはまた機会を改めて話すといたしましょう。 2.エデンの園の建設 3.地球的正法の誕生 4.転生輪廻と魂の構造 5.本体・分身理論の真実
https://w.atwiki.jp/youfuji/pages/12.html
地理学とは何か。 1.語源 ギリシャ語の、GeoGraphiaから英語のGeoGraphyに。 そもそもギリシャ語のGeoは大地・土地、Graphiaは描く・記述する。