約 5,620 件
https://w.atwiki.jp/tripofpipi/pages/155.html
2012年3月23日 http //hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1332417484/ 213 名前:新座市 ◆Sl25FmDWlY [] 投稿日:2012/03/23(金) 15 42 26.48 ID j5ASpOOM0 [2/11] よしいくぞう 19日 チャリにてピピさんを平林寺へご案内。総門の写真撮り忘れたorz 拝観受付にて心得を読むピピさん http //i.imgur.com/XxctM.jpg 総門をくぐり山門。 http //i.imgur.com/KZEQC.jpg http //i.imgur.com/wtqLC.jpg 続いて仏殿。 http //i.imgur.com/ZcbF8.jpg 215 名前:新座市 ◆Sl25FmDWlY [] 投稿日:2012/03/23(金) 15 51 25.98 ID j5ASpOOM0 [3/11] 鐘楼と、その後ろの桜と梅の花。まだまだ咲かない。 http //i.imgur.com/kpFjN.jpg http //i.imgur.com/btrX0.jpg 境内には大河内松平家廟所と松平信綱の墓が。 撮って良いのか分からなくて写真は撮れず、サーセン。 その付近に折れた桜の木が。こんなになっても咲くってすごい。 http //i.imgur.com/ieZhL.jpg 219 名前:新座市 ◆Sl25FmDWlY [] 投稿日:2012/03/23(金) 16 14 24.18 ID j5ASpOOM0 [4/11] 境内で樹齢500年の巨木を発見。 http //i.imgur.com/TTSKr.jpg どれだけ大きいか、なるべく分かりやすくしたのがこちら。 上の方は見上げて撮ってるので本当はもっと大きいはず! http //i.imgur.com/wQDx5.jpg 平林寺で撮った写真はこれでお終いだけど、桜が満開だったり紅葉の季節はもっと綺麗なんだそうだ。 ピピさんのお土産にポスカを買ったので気になった人は見てくれい。 http //i.imgur.com/CeJX7.jpg 228 名前:新座市 ◆Sl25FmDWlY [] 投稿日:2012/03/23(金) 16 33 11.56 ID j5ASpOOM0 [6/11] で今日23日、かの有名なラーメン屋さん「ぜんや」へ。 脱サラして人気ラーメン屋さんとかすごい。 開店一時間前にピピさんと並ぶ。 http //i.imgur.com/pxKuJ.jpg 開店! http //i.imgur.com/NMT9j.jpg 早めに並んだだけあって開店してすぐにラーメンが! ぜんやラーメン大盛りを頂きます、のピピさん。 http //i.imgur.com/w5OTD.jpg 後にもたくさん人がいらしたので長居は出来なかったけれど、本当に美味しかったです。 その後、アトムが居ると聞き役所近くの観光所へ。 いた! http //i.imgur.com/uUvXn.jpg ついでに市のイメージキャラクターとも。 そんなのが自分の市に居るなんて、おいさん知らなかったよ……。 http //i.imgur.com/i6LZi.jpg ぞうきりんwwwwww 今日までに撮った物はこれにてお終いです。 明日になったらピピさんは南部氏に引き継ぎです。ピピさんありがとう!
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/792.html
陸奥国 大沼郡 野沢組 塩坪(しほつほ)村 大日本地誌大系第33巻 169コマ目 村西4町塩田をいう所より往昔潮出し故名くという。 府城の西北に当り行程5里31町。 家数20軒、東西1町10間・南北50間。 西は揚川に臨み三方は山廻れり。 東西5町51間西羽賀・夏井両村の界に至る。西羽賀村は辰巳(南東)に当り17町30間余、夏井村は東に当り17町30間余。 西13町20間漆窪村の界に至る。その村まで15町30間。 南4町20間池原村の界に至る。その村まで13町10間余。 北24町河井村の山界に至る。その村は丑寅(北東)に当り23町40間余 端村 飱塩(くひしほ) 本村の北16町にあり。 家数3軒、東西40間・南北9間。 山麓に住し西北は揚川に望む。 山川 揚川 村西にあり。 河井村の境内より来り、西に流れ南に折れ端村飱塩の西北を経て戌亥(北西)に転じ漆窪村の界に入る。 境内を流るること1里余。 この川の岸村より9町計に遠面(とほもて)という所あり。土人相伝て昔この所に桜樹ありしが、小野小町ここを過ぎし時 陸奥のうとか(或いは尾止の)櫻と人はは會津のそとのとほもて(或いは十本)の里 と詠しけるという。その桜今はなし。 水利 堤5 一は村東3町にあり。周6町、薙野沢堤(なきのさはつつみ)という。天文23年(1554年)に築く。 一は村より丑(北北東)の方6町にあり。周1町40間、夏井堤(なついつつみ)という慶長9年(1604年)に築く。 一は村より丑(北北東)の方7町にあり。周3町20間、手前新田堤(てあへしんてんつつみ)という。正保元年(1645年)に築く。 一は端村飱塩の北5町にあり。周1町25間、上山堤(うへのやまつつみ)という。承應3年(1654年)に築く。 一は村より丑(北北東)の方7町にあり。周2町50間、覚右衛門堤という。延寶2年(1674年)に築く。 神社 若宮八幡宮 祭神 若宮八幡? 相殿 山神 2座 鬼渡神 御稷神 鎮座 不明 村南にあり。 鳥居あり。野沢本町伊藤対馬が司なり。 稲荷神社 祭神 稲荷神? 勧請 不明 端村飱塩の北1町10間にあり。 鳥居あり。伊藤対馬これを司る。 羽黒神社 祭神 羽黒神? 鎮座 不明 村より未(南南西)の方7町にあり。 鳥居あり。 別当 千手院 本山派の修験なり。夏井村に住す。 正徳3年(1713年)覚辨という者この社の別当となる。今の覚珍は5世の孫なりとぞ。 寺院 龍藏寺 村中にあり。 浄土宗鹽峯山と號す。開基詳ならず。 天正中(1573年~1593年)秀存という僧再興す。 府下徒町願成就寺の末山なり。 本尊弥陀客殿に安ず。 小野小町小野小町塚は利田村の条下を参照 Google Map喰塩地区 若宮八幡神社 龍蔵寺 西谷地神社
https://w.atwiki.jp/zsphere/pages/3192.html
イスラエル、エルサレムの東側にある山。 名前の由来は、その斜面に生息するオリーブだったとか。 『旧約聖書』において、ソロモンが異教の祭壇を築いた場所でもある。 『新約聖書』「マタイによる福音書」で、イエス・キリストがエルサレムの神殿を訪れた後ここで座り、 弟子たちに終末について語っている。 また「ルカによる福音書」によれば、エルサレムに来てその滅亡を予言した後のイエスは、 日中は神殿の境内で教え、夜はこの山で過ごしていたという。 またイスカリオテのユダの裏切りによって拘束される直前にイエスが訪れたゲッセマネもこの山の近く。 「ゲッセマネ」はオリーブから油を搾る圧搾器の意味。 「ルカによる福音書」の最後、イエスが弟子たちと別れ「天に上げられた」とされる場所、ベタニアも オリーブ山の山麓にある場所。 参考文献 『聖書 スタディ版』 聖書スタディ版 改訂版
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/703.html
陸奥国 河沼郡 坂下組 細工名(さいくな)村 大日本地誌大系第33巻 121コマ目 府城の西北に当り行程2里12町。 南北2区に住しその間2町20間余を隔つ。 南を上細工名という。東西40間・南北1町12間、家数7軒。 北を下細工名という。東西38間・南北1町40間、家数16軒。村中に越後街道あり。 共に四方田圃(たんぼ)にて東は鶴沼川に近し。 東14間・南47間、共に塚原村の界に至る。その村は南に当り4町20間余。 西3町30間下茅津村の界に至る。その村まで9町40間。 北7町7間青津組村田村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り7町余。 また 戌(西北西)の方7間海老沢村の界に至る。その村まで8町10間余。 山川 鶴沼川(つるぬまかわ)(大川(おほかわ)) 俗に大川という。下同。 下細工名より5町寅(東北東)の方にあり。 塚原村の境内より来り、7町10間余北に流れ村田村の境内に入る。 水利 富川堰 塚原村の方より来り田地に漑(そそ)ぎ海老沢村の方に注ぐ。 寺院 妙福寺 上細工名の村中にあり。 山號を本光山という。開基の年月を詳にせず。 法華宗府下大町實成寺の末寺なり。 地蔵堂 妙福寺の東にあり。 3間半四面、南向き。 地蔵木佛、長3尺3寸5分。座像なり。運慶作と言伝う。 も村北8町計にあり。慶長19年(1614年)閏2月29日この処に遷れり。 相伝ふ。嘉元の頃(1303年~1306年)實成寺の開山日尊出羽国に趣んとて耶麻郡熊倉村に至りし時、何くともなく小僧1人来て日尊に向い「吾村老若疫に染て病苦に堪ず。願わくは師の法力を假てその苦を濟(すく)わん」という。日尊やがてその請に応じければ小僧日尊が行李(こうり)を肩にし1庵の前に至り禮謝の體をなし忽(たちまち)そのゆく所をしらず。日尊怪て門に入り庵主を見てこれを問う。庵主いい「吾庵に小僧なし。ただ地蔵の霊像のみあり。彼化身なるも測難(しりがたし)」とて共に地蔵堂に詣見れば、果たして日尊が行李を肩にせり。日尊感涙を催し庵主の請に従い木像の背に題目を書し、また石面に妙法蓮華経の5字を題し攘災(じょうさい)の法を修しければ、1村の老若忽その病苦を免れしと(今も堂前に日尊が書しという題目を彫ける石碑あり)。またこの像天文5年(1536年)の洪水(*1)にに漂流して越後国に至りしに、童子多く集まり手車にのせ村送にしてこの村まで送還せしとぞ。その時の童謡もこの辺の兒戯(じぎ)に残れり。 古蹟 館跡 上細工名の村中にあり。 東西36間・南北24間。 葦名盛興の臣谷津土佐(諱を伝えず)という者住し、その後皆川次郎吉村という者住せしという。 Google Map妙福寺 細工名館(さくらとおしろ)
https://w.atwiki.jp/wiki6_piro/pages/499.html
宇佐神宮 うさじんぐう 大分県宇佐市にある神社。豊前国の一宮。 全国四万四千社と称する八幡宮の総本宮。 他の神社と違って、二拝四拍手一拝で参拝する。 所在地 大分県宇佐市大字南宇佐2859 料金 境内自由 URL http //www.usajinguu.com/ 地図 本殿 様式:八幡造 国宝 二棟の切妻平入の建物が前後に接続した、八幡造と呼ばれる形式。 手前を外院、奥を内院といい、神様が昼は手前に、夜は奥に移動すると考えられている。 三つ並んでいて、左から応神天皇を祀る一之御殿が725年、比売女大神を祀る二之御殿が733年、神功皇后を祀る三之御殿が823年にそれぞれ建てられた。 関連項目 2005年3月16日 2005年春合宿 八幡神社 名数 歴史的建造物一覧 石清水八幡宮 この項目のタグ 2005年 2005年3月 2005年3月16日 一宮 国宝 大分県 宇佐市 歴史 歴史的建造物 神社 神社建築
https://w.atwiki.jp/ramdom/pages/140.html
トップページ ●苺宗の教え イボ寺の歴史 教祖テラリオン聖人 境内のご案内 年間の行事 リンク このサイトについて †プロフィール† 名前:テラリオン【ENo.1692】 または、論破王【ENo.1145】 または、戦慄のリヴァイアス【ENo.859】 戒名:メンソレータム教祖 生年月日:イブラシル暦653年6月8日 出身地:リーブルフォート 所属団体:とりあえず寄せ集め隊 座右の銘:大同小異 現住所:パラス 358番地 ●苺宗関連リンク 臭教法人●苺宗総本山 大腸寺資料館 臭教法人●苺宗 移動寺社 開運壺寺 >このサイトについて >教祖結果へ >寄せ集め隊WIKIへ 住職:DARK KINGDOM3 ENo.859 戦慄のリヴァイアス mail terateraterarion@yahoo.co.jp メニューページで#nomenu()プラグインはご利用できません。3カラムでなく、2カラムのデザインテンプレートをご利用ください。 メニューページで#nomenu2()プラグインはご利用できません。3カラムでなく、2カラムのデザインテンプレートをご利用ください。
https://w.atwiki.jp/kyoto-database/pages/198.html
清凉寺(嵯峨釈迦堂) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 清凉寺(せいりょうじ)は、京都市右京区嵯峨にある浄土宗?の寺院。山号を五台山(ごだいさん)と称する。開基(創立者)は奝然(ちょうねん)、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。本尊は釈迦如来。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名でも知られ、中世以来融通念仏?の道場としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗?となる。 歴史 この寺の歴史には、阿弥陀如来を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と、釈迦如来を本尊とする清凉寺というふたつの寺院が関係する。この地には嵯峨天皇の皇子、左大臣源融の別荘、栖霞観(せいかかん)があった。源融の一周忌に当たる寛平8年(896)に、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号した。棲霞寺草創から数十年後、宋に渡って五台山清凉寺で修行していた奝然(ちょうねん)という東大寺出身の僧が、宋への渡航中に台州の開元寺で、現地の仏師に命じて釈迦如来像を謹刻させた。その像は、古代優塡王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、「インド~中国~日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦如来像」と呼ばれる。奝然は、永延元年(987)に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの像を安置する寺を建立しようとした。しかし、その願いを達しないまま長和5年(1016)に没したため、彼の遺志を継いだ弟子の盛算が棲霞寺の境内に建立したのが清凉寺である。享禄3年(1530)に円誉が清凉寺に入り、初めて十二時の念仏を勤修してより浄土宗?の寺となる。釈迦堂は、慶長7年(1602)に豊臣秀頼によって寄進・造営されたが、その後、嵯峨の大火によって釈迦堂以下の伽藍は焼失し、また地震の被害もあって伽藍は荒廃する。のちに徳川綱吉の母である桂昌院の発願で伽藍の復興が行われた。元禄13年(1700)より、江戸に始まる各地への本尊の出開帳が始まる。釈迦如来像は篤い信仰を集め、清凉寺は「嵯峨の釈迦堂」と呼ばれて栄えた。一方、母体であった棲霞寺は次第に衰微したが、今に残る阿弥陀堂や阿弥陀三尊像に、その名残りをとどめている。 伽藍 境内正面に釈迦堂があり、東側には阿弥陀堂と霊宝館、西側には嵯峨薬師寺がある。本堂への参道の西側には多宝塔と法隆寺夢殿を模した聖徳太子殿、狂言堂が、参道を挟んだ東側には、堂の正面に傅大士(ふだいし)父子像が安置された一切経蔵(輪蔵)と八宗論池、弁天堂がある。他に法然上人?求道青年像、源融と奝然の墓、嵯峨天皇と檀林皇后の宝塔、豊臣秀頼首塚などが点在する。 仁王門 安永6年(1777)の再建で、入母屋造、本瓦葺。上層内部には十六羅漢像を、下層の左右には金剛力士像を安置する。 釈迦堂(本堂) 単層入母屋造、本瓦葺。正面・側面ともに七間の建築で、元禄14年(1701)の再建。本尊釈迦如来立像を江戸に出開帳して再建の資金が集められた。内陣奥の須弥壇には桂昌院の寄進という宮殿厨子を置き、本尊を安置している。本尊釈迦如来は縄目状の頭髪や同心円状の衣文の形式など、一見して日本の通例の仏像と異なる様式を示す。この様式を持つ像を「清凉寺式釈迦像」と呼び、奈良・西大寺本尊像をはじめ全国に100躯近くの模像がある。また、像の体内からは、造像にまつわる資料や奝然の遺品など多くの納入品が発見され、これらも像とともに国宝に指定されている。納入品のうち「五臓六腑(絹製の内臓の模型)」は、医学史の史料としても注目される。奝然の遺品としては、生誕書付(臍の緒書き)や手形を捺した文書なども発見された。本尊は毎月8日に御開帳される。 阿弥陀堂 本堂の東側にある、棲霞寺本尊の阿弥陀三尊像を安置していた(現在は霊宝館に安置)。通例の阿弥陀堂とは逆に、本尊が西を向く形で配置されている。寛平7年(895)建立、文久3年(1863)再建。 多宝塔 元禄13年(1700)に江戸護国寺での出開帳の際に寄進され、元禄16年(1703)に建立された。内部には多宝如来が安置されている。 狂言堂 毎年4月中旬の土・日に嵯峨大念仏狂言が行われる。これは壬生寺?の円覚上人が弘安2年(1279)に融通念仏?を広めるために創始したものといわれ、狂言面と独特の衣装をつけ、素朴な楽器に合わせて念仏を唱えながら演じられる無言劇である。「土蜘蛛」「釈迦如来」「舟弁慶」などの演目が、土地の古老たちが組織する大念仏衆によって伝承されている。重要無形民俗文化財指定。 霊宝館 棲霞寺の本尊阿弥陀三尊像をはじめ、本堂釈迦如来の両脇侍である文殊菩薩騎獅像と帝釈天(伝普賢菩薩)騎象像、釈迦十大弟子像、四天王像、毘沙門天像などの平安期の像が安置されている。本尊釈迦如来像の体内に封入されていた絹製五臓六腑のレプリカも展示される(本物は本尊の体内に戻されている)。春と秋に公開。 嵯峨薬師寺 清凉寺の境内に隣接する寺。小野篁(おののたかむら)作という生六道地蔵菩薩?像は、伝説で語られる冥土からの出口の井戸があったという福正寺が明治時代に廃寺となり、明治13年(1880)に薬師寺と合併された際に移されたもの。毎年8月24日に行う地蔵盆は生六道地蔵菩薩?のお祭として行われ、この日に限り本堂が一般公開される。 文化財 国宝 木像釈迦如来立像及び像内納入品一切 木像阿弥陀如来及び両脇侍坐像 絹本著色十六羅漢像 重要文化財(建造物) なし 重要文化財(美術工芸品) 木像文殊菩薩騎獅像 木像帝釈天(伝普賢菩薩)騎象像 木像十大弟子像 木像四天王立像 木像毘沙門天立像 木像地蔵菩薩?立像 紙本著色融通念仏?縁起 紙本著色釈迦堂縁起(伝狩野元信筆) 源空・証空自筆消息 拝観情報 住所 京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46 電話番号 075-861-0343 拝観時間 9:00~16:00(4・5・10・11月は9:00~17:00) 拝観料 境内自由、本堂拝観400円(霊宝館は別途300円) アクセス 市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車徒歩2分 駐車場 駐車場あり(800円) 主な行事 その他 京都検定出題 平成16年(2004)第1回京都検定2級出題 「室町時代に融通念仏の大道場として知られ、嵯峨釈迦堂とも呼ばれている寺院はどこか。」 平成17年(2005)第2回京都検定3級出題 「大念仏狂言の中で、台詞がはいるものはどれか。 (ア)壬生大念仏狂言 (イ)嵯峨大念仏狂言 (ウ)ゑんま堂大念仏狂言 (エ)神泉苑大念仏狂言」 平成17年(2005)第2回京都検定2級出題 「清凉寺の釈迦如来立像の胎内には、絹製の五臓六腑や経典などが収められていることで知られるが、当時宋から持ち帰ったのは誰か。」 平成17年(2005)第2回京都検定1級出題 「二尊院を東に進むと通称( )といわれている清凉寺がある(後略 )。」 リンク 嵯峨薬師寺オフィシャル http //yotsuba.saiin.net/~saga/yakusiji/ 古寺巡礼京都 21 清涼寺
https://w.atwiki.jp/nanakazari/pages/103.html
木乃花(このはな)は嫁へ行く 八千武(やちのたける)という男のもとへ 彼の国は広大ではあったが、野も山も荒れ果てた大地であった 木乃花は自分の国から持ってきた一本の花を植えた 夏に芽を出し、秋に幹を太らし、冬には枝を蓄えた そして春になったら花を咲かせ、数多の花びらが彼の国を包んだ そして幾年、彼の国は花の国として知れ渡るようになった ※※※※※※ ※※※※※※ いえ、めっさ別バージョンで!!!!!!! ある企画会議での一言 ※※※※※※ ※※※※※※ 何度もくぐった巫の門である。 ボロマールはそれを見上げていた。 荷物は、ほとんどない。ただ右手に大きな布袋を下げているだけである。 ボロマールはそれを引きづりながら、巫の門をくぐった。 巫の大通りは今日も人で賑わっていた。あちこちの店から客寄せの声が上がっている。 「よう、にいちゃん。どうだい、うちで何か買ってかないか?」 ボロマールを引き止める声、それは巫一の衣服屋「高砂屋」の呼び込みだった。 どうりで、どこかで見たことのある顔だ、ボロマールの右手にほんのわずか力がこもる。 ここは初仕事の思い出の場所でもあった。 「いや、今日はやめとくよ。またの機会に」 ボロマールは力ない笑みを浮かべて、その場を立ち去った。 しばらく歩いたボロマールの前に、大きな鳥居が姿を現した。 そう言えばここも……。 ボロマールは視線を落とし、右手の布袋を見つめる。ここでの仕事は厄介だった。いや、戦争であったと言っても過言ではない、それほどの激闘だった。 懐かしい気持ちが込み上げてきたボロマールの足は、気が付くと境内へ向かって動き出していた。 祭も終わった白浜宮神社、てっきり静かな社だろうと想像していたが、境内では神祇官服にその身を包んだ人で溢れていた。境内の中央には「かつて神輿だった木材」が一カ所に集められ、小さな櫓のように積み上げられていく最中だった。 何をしているのだろう、不思議に思ったボロマールは事情を知りたくなり、誰かに聞いてみようと、辺りを見回してみた。すると見知った顔が一人、忙しそうに指揮をとっている姿が目に入った。 「信乃さん!」 ボロマールの声に反応した男、有馬信乃は、ボロマールを見て頭を下げると、側にいた神祇官に二言三言何かを言って、ボロマールの方へ近づいてきた。 「こんにちわ、ボロマールさん。何かご用でしょうか?」 「いえ、たいした用事ではないんですがね、これ、何やってるんですか?」 ボロマールは積み上げられた木材を指差して問う。 「あぁ、これですか。これは神輿供養と言いましてね、ほら、この間祭で使った神輿あるでしょ。あれを弔う儀式ですよ。神輿を燃やして灰に変え、半分はこの境内に、残り半分を神輿用木材の植林地に撒くんです」 「ほうほう、なるほどー。何でそんなことをするんです?」 「神輿の魂と言いますか、まあそんなものを次の祭や神輿に引き継いでいく、と言った感じですかね。すべてのものには神が宿り、魂が存在する、そう言った思想から来ている式ですよ」 「すべてのものに、ですかぁ」 「ええ。生物はもちろん、神輿や社、それだけじゃなく、木や草と言った自然のものにも、衣服や剣のような人のてで作ったものにも。すべての物質には魂が存在するんですよ」 「なるほどー。いや、ありがとうございます。お仕事のお邪魔してすいませんでした。では、これで」 気難しそうな顔のボロマールは、しかし時折、くもの晴れたような笑みを浮かべつつ、腕を組みながら、立ち去っていった。 その日の夜、それは月のない朔の空。真っ暗な巫の街の片隅に、一人の男がいた。 「ふふふ、何を弱気になっていたんだろうな、俺は」 腰に巻いた赤い褌を固く締めながら、彼は呟く。 「たとえ姿はなくしても、お前達には魂があったんだな」 彼は右手に持っている布袋をさすりながら笑った。 「さあ行こうか。お前達の魂を引き継ぎに!」 「有馬様! 有馬様! 大変です、赤が現れましたっ!」 草木も眠る丑三つ時、自宅で眠りこけていた信乃のもとに、大声を上げた役人が押し掛けてきた。 「赤だと! ち、こんな夜中にぃ!」 寝癖の付き始めた頭をおさえながら、信乃は役人の前に姿を見せ怒声を上げた。 「姫さまと摂政さまにすぐに連絡を。それから越前藩国に至急連絡を入れて宇宙のデータを送ってもらえ。軍には民間人の対空避難誘導を伝達。それから……」 「あ、有馬様……、オーマではなくて。……小僧の赤です」 申し訳無さそうな声で、役人が信乃の言葉を止める。 「……」 「……」 「マルフンに連絡、至急街中に警戒網を。それから、一隊は被害のあった家へ向かわせろ。僕もすぐに着替えてそちらへ向かう」 マルフン達への指示を出した信乃は小さな咳払いその場をしめて、急ぎ足で自室へ戻る。役人の目の前にあった障子が、ぴしゃりと音をたてて閉まった。 「ふははははははーっ!!!!」 奇声のような笑い声をあげながら、屋根から屋根へと飛び移る黒い影。 時折止まっては手に持った布袋から何かを掴んで空へと投げる。 粉のようなその物体は、風に乗って巫の街の至る所へと降り注いでいた。 「いたぞ! あの屋根の上だ!」 松明を持った役人が屋根を指差して仲間に報せる。 「ふははははー。お前達のような輩に捕まるものか! これでも食らって成長するが良い!」 赤は布袋から粉を掴んで役人達に浴びせる。 「うわー! げほげほっ! な、なんだこれはー!?」 「漢の魂! 勇ましき神の権化! お前達にもしっかりと注入してやるぞ!」 そして赤はまた隣の屋根へと飛び移り、布袋の粉をばら撒きながら走った。 「お、追えー! やつを逃がすなー!」 「一体やつは何をしたかったんだ?」 翌日、信乃が被害にあった家や店をすべて回った後、首を傾げながら政庁に戻ってきた。 被害にあったのはすべて過去に褌小僧の被害にあった場所の近辺であった。そして、今回、褌は一つも盗まれてはいなかったが、家屋中が灰まみれになっていた。 どうやら昨晩現れた赤は、過去自分が盗みに入ったところへ何かを燃やした後の灰を撒いただけのようである。 まったく不可思議な事件に、この後しばらくの間、信乃は頭を悩ませることとなった。 灰まみれになった男が一人、入国管理局を訪れた。 「すいませーん、この国に移住したいのですが……」 対応口の奥からキセルをひょこひょこと上下させながら役人が姿を現した。 「あいよー、っと。おいおい、あんたも昨夜の被害にあったのかい?」 「被害? 何かあったんですか?」 灰まみれの男が首を傾げる。 「いや、あんたのその灰まみれの格好さ。昨夜褌小僧が現れて街中に灰を撒いていったって話だが、あんたもそのせいでなったんだろ?」 「はははー、そんなことないですよ。この灰はね、漢の魂の継承ですよ!」 「そ、そうなのか? まあいいや、入国だったな。そこの書類適当に埋めといてくれや」 その日、巫の国民台帳に新しく「ボロマール」という名が刻まれた。 <了>
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/526.html
陸奥国 大沼郡 冑組 沼平(ぬまのたひら)村 大日本地誌大系第33巻 47コマ目 府城の西南に当り行程4里18町。 家居8軒、東西30間・南北50間。 東は山に連なり三方田圃(たんぼ)なり。 東2町30間計東尾岐組東尾岐村の山に界ふ。 西2町10間魚淵村に界ひ宮川を限りとす。その村は申(西南西)に当り5町10間余。 南3町東尾岐組大室村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り4町。 北4町30間落合村の端村森越の地に界ふ。 山川 宮川 村西3町40間余にあり。 魚淵村の境内より来り、北に流るること3町40間落合村の界に入る。 神社 若宮八幡宮 祭神 若宮八幡? 相殿 鷲神 勧請 不明 村北山麓にあり。 鳥居拝殿あり。仁王村高橋相模これを司る。 Google Map沼平地区 Goo地図八幡神社
https://w.atwiki.jp/go-syuin/pages/33.html
台東区 神社:14社拝受済 神社名称 直書 書置 スタンプ 七福神 鎮座地 拝受日 備考 浅草神社 ○ ○ 浅草2-3-1 平成30年2月11日 限定御朱印あり。 被官稲荷神社 ○ 浅草2-3-1 平成30年2月11日 *浅草神社の境内社。浅草神社で拝受可。 鳥越神社 ○ 鳥越2-4-1 平成30年5月3日 第六天榊神社 ○ ○ 蔵前1-4-3 平成30年5月13日 御朱印拝受時間は16時まで。 浅草橋須賀神社 ○ 浅草橋2-29-16 平成30年5月3日 銀杏岡八幡神社 ○ 浅草橋1-29-11 平成30年4月7日 諏訪神社 ○ 駒形1-4-15 平成30年10月18日 蔵前神社 ○ 蔵前3-14-11 平成30年10月18日 下谷神社 ○ ○ 東上野3-29-8 平成30年11月29日 隆栄稲荷神社 ○ 東上野3-29-8 平成30年11月29日 *下谷神社の境内社。下谷神社で拝受可。 上野東照宮 ○ 上野公園9-88 平成31年2月12日 五條天神社 ○ 上野公園4-17 平成31年2月12日 花園稲荷神社 ○ 上野公園4-17 平成31年2月12日 五條天神社で拝受可。 矢先稲荷神社 ○ ○ 松が谷2-14-1 平成31年2月12日 台東区 天台宗系寺院:6寺拝受済 宗教法人名 寺院名称 直書 霊場 所在地 拝受日 備考 天台宗 清水寺 ○ ○ 松が谷2-25-10 平成31年2月12日 天台宗 清水観音堂 ○ ○ 上野公園1-29 平成31年2月12日 天台宗 上野大仏 ○ 上野公園7-47 平成31年2月12日 清水観音堂で拝受可 天台宗 パゴダ薬師堂 ○ 上野公園7-47 平成31年2月12日 清水観音堂で拝受可 天台宗 不忍池 辯天堂 ○ 上野公園2-1 平成31年2月12日 聖観音宗 浅草寺 ○ ○ 浅草2-3-1 平成30年2月11日 台東区 浄土宗寺院:1寺拝受済 寺院名称 直書 所在地 拝受日 備考 榧寺 ○ 蔵前3-22-9 平成30年11月29日 台東区 真言宗系寺院:8寺拝受済 宗教法人名 寺院名称 直書 霊場 所在地 拝受日 備考 真言宗智山派 成就院 ○ ○ 東上野3-37-15 平成30年11月29日 真言宗智山派 吉祥院 ○ ○ 元浅草2-1-14 平成30年11月29日 真言宗智山派 観蔵院 ○ ○ 元浅草3-18-5 平成30年11月29日 真言宗智山派 龍福院 ○ ○ 元浅草3-17-2 平成30年11月29日 真言宗智山派 延命院 ○ ○ 元浅草4-5-2 平成30年11月29日 真言宗智山派 正福院 ○ ○ 元浅草4-7-21 平成30年11月29日 真言宗智山派 成就院 ○ ○ 元浅草4-8-12 平成30年11月29日 真言宗智山派 不動院 ○ ○ 寿2-5-2 平成30年11月29日 台東区 諸派寺院:1寺拝受済 宗教法人名 寺院名称 直書 所在地 拝受日 備考 浄土真宗東本願寺派 東本願寺 ○ 西浅草1-5-5 平成31年2月12日 台東区 日蓮宗寺院:2寺拝受済 寺院名称 直書 所在地 拝受日 備考 徳大寺 ○ 上野4-6-2 平成31年1月17日 妙経寺 ○ 元浅草2-5-13 平成31年2月12日