約 7,509 件
https://w.atwiki.jp/hengtouhou/pages/1878.html
[U] 森で垂迹した魔法地蔵『矢田寺 成美』/Yatadera Narumi (L.Slate 'h;') === Num 1313 Lev 34 Rar 1 Spd +0 Hp 1320 Ac 135 Exp 7500 (詳細説明未実装) 彼女は通常地下 34 階で出現し、普通の速さで動いている。 この人間型生物を倒すことは 50 レベルのキャラクタにとって 約4903.85 ポイントの経験となる。 彼女は空を飛んでいる。 彼女は氷に包まれている。 彼女は弾幕を放って攻撃することがある。 彼女は的確に魔法を使うことができ、治癒、救援召喚、炎の嵐、退魔3、退魔4、聖なる矢の呪文を唱えることがある(確率 1/2)。 彼女はドアを開け、ドアを打ち破ることができる。 彼女は赤外線では感知できない。 彼女は稲妻と炎と冷気と毒と破邪の耐性を持っている。 彼女は朦朧としないし、眠らされないし、テレポートされない。 彼女は侵入者を見過ごしがちであるが、 300 フィート先から侵入者に気付くことがある。 彼女は 10 個までの上質なアイテムを持っていることがある。 彼女は 6d6 のダメージで体当たりして攻撃し、触って充填魔力を吸収する。 雑感
https://w.atwiki.jp/treborsp/pages/95.html
不詳。 第69番 専念寺 木更津市桜井437 浄土宗 0438-36-5846
https://w.atwiki.jp/jizoproject/pages/23.html
■ 活動記録2002 ├ 02/00/00 ---- ├ 02/00/00 ---- └ 02/00/00 ----
https://w.atwiki.jp/jizoproject/pages/18.html
■ 活動記録2006 ├ 06/05/03 仰木まつり2006 ├ 06/05/04 千野へ行ってきました(谷本) ├ 06/00/00 ---- ├ 06/00/00 ---- └ 06/00/00 ----
https://w.atwiki.jp/jizoproject/pages/10.html
From:蔭山 歩 2002/03/19 16 17 現在、太鼓会館があるあの小さな丘は「御所(ごしょ)の山」と仰木で呼ばれています。この小さな丘は平尾の馬蹄形の棚田からも望め、集落内からも目に付くところに位置します。実はそこには多田(源)満仲が居館を構えていた・・・という伝説です。 ---------- 多田満仲の館跡 堅田から山手へ県道仰木本堅田線を走り、仰木小学校をすぎたあたり、奥比叡ドライブウェイに向う道路沿いに、地元で「御所の山」と よぶ小さい丘がある。丘の上には、元禄6年(1693)当時の領主であった賀子内親王(後水尾天皇の皇女)の発願になる、源満仲館の旧跡を示す石碑が立つ。この地には古くから、清和源氏発展の基礎をつくった平安時代中頃の武将・源満仲の居館があったところだという言い伝えがあり、江戸時代に石碑が建立される直前まで小さな祠がたち、像も安置されていたようである。 彼が仰木の地にいたという同時代の確実な史料はなく、なぜこのような伝承がのこっているのかは定かではないが、彼が仰木庄を領有したためとも、あるいは比叡山横川の恵心僧都と深いつながりがあったためともいわれている。確かに仰木は恵心僧都とのつながりで語られることが多く、満仲の九男僧源賢が恵心僧都の弟子であったことから、恵心僧都との親交が語られ、恵心僧都ゆかりの仰木の地に満仲の伝承が残るようになったのかもしれない。 地元の小椋神社に伝わる古文書などから当時の様子をふりかえってみると、満仲が摂津国多田庄から仰木に移ってきたのが天禄2年(971)。その理由は書かれていないが、京の地で政争にあけくれていた身体をいやすためであったのかもしれない。彼は当地で恵心僧都の戒師として出家、満慶と号し、居館を寺とした。おそらく人里離れた静かな仰木の里での生活は彼にとっては何ものにもかえがたいものがあったのだろう。十年余りの歳月がまたたくまに過ぎ、再び多田庄へ帰ることを決意した満仲が馬で仰木の地を去ろうとしたとき、村人たちは彼との別れを嘆き悲しみ、馬の前に立ちはだかって必死になって 引き止めたという。これが五月に行われる小椋神社の仰木祭りでの「駒止めの行事」となって残ったのだともいわれている。 満仲とのつながりを示す旧跡は他にもあり、上仰木集落のはずれにも、満仲の死後、彼の武具を埋めたところとも、あるいは源頼朝が満仲ゆかりの仰木の地に、満仲・頼光・頼信・頼義・義家の五代の塚をつくり天下泰平を祈ったとも伝える「五社の塚」とよぶ五基の石積の塚がのこる。 『大津の伝説』ふるさと大津歴史文庫5(大津市発行/1992)より抜粋
https://w.atwiki.jp/jizoproject/pages/5.html
From:蔭山 歩 2002/03/12 18 02 前述の話「里山のはじまり」のなかにある<加太夫仙人>が祭った<滝壷>は現在の仰木の氏神小椋神社(おぐらじんじゃ)の奥宮にあたるという。続いてはその<小椋神社>について。 比叡山の山麓、琵琶湖を臨む丘陵に開かれた仰木の集落の氏神小椋神社は、上仰木・辻ヶ下・平尾・下仰木四地区を氏子とする。集落の西北、奥比叡ドライブウェイ仰木料金所の手前五〇〇メートルに、鳥居と石標が立ち、これが目印となる。神社は、その北側山裾に南面して鎮座しており、境内には、天神川が流れ、三大杉をはじめとする古木が林立し、荘厳な雰囲気の鎮守の森を形作っている。 境内には本社(田所たどころ神社)をはじめ、大宮(おおみや)・若宮(わかみや)・今宮(いまみや)・新宮(しんみや)の五社が、主な社殿となっており、五社大明神(ごしゃだいみょうじん)と呼ばれた時期もあった。神輿もそれぞれあって、祭には先の四地区の他、谷を隔て隣接する雄琴地区の千野も参加し、5地区がそれぞれの神輿を担ぐ。千野が加わるのは、辻ヶ下の若宮権現を千野に分祀した縁からだといわれ、また千野は、仰木の別れだとも伝えられているからで、特別深い関係をもつ歴史があったことがうかがわれる。 当社の創建は、貞観年間(八五九〜八七六)惟喬親王(これたかしんのう)によってであると伝えられている。本社の祭神は、闇*神(くらおかみのかみ)と猿田彦とされ、このうち闇*神は、闇は谷を意味し、*は龍神を意味するとこから水を司る神の名である。小椋神社境内を流れる天神川をしばらく遡ると、八大龍王を祀るともいわれている滝壷神社跡がある。仰木から大原に抜ける仰木峠の坂道にかかる手前、右手にあたり、この小祠は小椋神社の奥宮で、社伝では、元宮のあった所とされており、以前近郷の雨乞がなされた所とも伝えられている。この地は、天神川の最上流にあたり、豊饒(ほうじょう)を司る水の神を祀るに相応しい場所といえ、小椋神社と一体となって古い信仰の姿を伝えている。小椋神社の春祭は、一名泥田祭(どろたまつり)と呼ばれ、雨が必ず降るといわれている。以前であれば、春祭の頃は田植え前に当たり、人々が最も水を求めた時期であった。水を司る祭神の恵が、泥田祭の名を生んだともいえよう。 また、本社には、仰木を開拓したと伝える加太夫仙人(田所大明神)も配祀されている。江戸時代の他誌『近江輿地志略』には、仰木を開発しようとする加太夫仙人と、老翁と化した山王権現との問答が記され、一説には、大津京の遷都に伴い加太夫仙人が大和より移り住み、大和国の丹生川上の神(闇*神)を祀ったことに始まるともいわれている。この田所神社につながる宮座は、親村(しんむら)と呼ばれ、宗徳・浄光・浄恵・真法の四株に分かれており、これは、加太夫仙人の子供の名から採ったものといわれている。祭神の伝承が、祭礼の組織の中で生きているのである。 仰木には、恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)に帰依し、仰木に移り住んだといわれる多田満仲(ただみつなか)(九一二〜九九二)の遺跡が多く、同社にも、満仲の霊を合祀している。 江戸時代、小椋神社は後水尾天皇の皇女賀子内親王の崇敬をうけ、社殿をはじめ石橋等、境内の整備に多くの寄進をうけた。 本社(田所神社)の周囲、南側と西側には、大変珍しい石造の端垣(みずがき)がならんでいる。大宮・若宮の背後にも同様の端垣が見られるが、本社のものには、正安二年(一三〇〇)の銘が刻まれており貴重なもので、重要美術品に指定されている。 また、仰木の集落内にもいくつか祠が祀られており、中でも下仰木の八坂神社は、観音堂に隣接し、広い境内に祀られている。 【あし】JR堅田駅から江若バス上仰木行き仰木小学校前下車 西へ徒歩15分 ふるさと大津歴史文庫9『大津の社』(大津市発行/1992) ※[闇*神]:*印の1文字漢字がありませんでした。詳しくは<雨冠+口を横並びに3つ+龍>です。 奈良県丹生川下神神社+クラオカミノカミについてわかります!神社を網羅したお気に入りサイトです。 ↓チェック☆ http //ucgi.genbu.net/cgi-bin/mapindex.cgi?index=5 target=place
https://w.atwiki.jp/jizoproject/pages/31.html
https://w.atwiki.jp/jizoproject/pages/6.html
From:蔭山 歩 2002/03/16 20 10 小椋神社(親村)の年中行事です。 ---------- *親村…中世の仰木庄という庄園を基盤とする宮座。仰木の鎮守である小椋神社には五社が祀られているが、その1つに仰木の開拓者と伝えられる伽太夫仙人(かだゆうせんにん)を祭神とする田所神社があり、親村はこの神社の元来の氏子といわれる。親村は宗徳、浄恵、浄光、真法の4株に分れ、名称は伽太夫仙人の子供の名と伝えられる。現在の辻が下と上仰木の地区になる。(新修大津市史より抜粋) 佛性さんが先執行(さきすぎょう)をされている時にお家に張り出されてあったのを書き留めたものです。これは小椋神社に関係する儀式のみです。たくさんの儀式がまだまだあるようです。 ●小椋神社 年中行事 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 1月 3日 神楽始め 1月 7日 年頭の挨拶 2月25日 祈年祭 3月21日 春彼岸祭 5月 3日 仰木祭(泥田祭) 例祭、古式祭 6月30日 大祓 7月18日 満仲公碑前祭 7月22日 神輿装束 虫干 (土用三日目) 7月24日 *親村古文書 虫干(土用五日目) 9月 1日 初朔湯立祭 9月23日 秋彼岸祭 11月23日 新嘗祭 12月20日 親村勘定 12月31日 大祓
https://w.atwiki.jp/jizoproject/
https://w.atwiki.jp/jizoproject/pages/12.html
From:鈴木 2002/03/29 10 31 昨日紹介した本、 「日本の神々と仏」−信仰の起源と系譜をたどる宗教民俗学− 岩井宏實(いわい ひろみ)監修 青春出版社 プレイブックスインテリジェンスシリーズ ¥667円 となっています。最後のページに参考文献が載っていたのですが、チェックしてみても良いかもしれません。 ---------- 参考までに 「暮らしの中の神さん仏さん」岩井宏實 (文化出版社) 「日本の神様辞典」川口謙二編著 (柏書房) 「神社と神々」井上順孝(実業之日本社) 「日々の神々と杜」(読売新聞社) 「宗教ものしりブック」(新人物往来社) 「仏教・キリスト教・イスラーム・神道 どこが違うか」(大法輪閣) 「神道がよく分かる本」阿部正路 (PHP研究所) 「日本宗教のすべて」(日本文芸社) 「神社・仏寺260選」下山丈三(金園社) 「日本呪術全書」豊島泰国 (原書房) 「仏教早わかり百科」ひろさちや監修 (主婦と生活社) 「日本宗教事典」村上重良 (講談社) 「名刹108の旅」ひろさちや (読売新聞社) 「仏教を知る辞典」菊村紀彦 (東京堂出版)