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登録日:2023/02/10 Fri 07 34 11 更新日:2024/05/29 Wed 08 56 20NEW! 所要時間:約 38 分で読めます ▽タグ一覧 1990年代 90年代 アニヲタ野球選手名鑑 グリーンウェル ダメ外人 ネタの宝庫 ネタキャラ ネタ外人 ネタ選手 プロ野球 プロ野球選手 ペテン師 一覧項目 何しにきた 助っ人 外人 害人 巨人 戦犯 所要時間30分以上の項目 神のお告げ 野球 阪神 本項目では、1990年から99年に掛けて入団した「ダメ外人」について解説する。 ダメ外人の定義及び他の年代のダメ外人についてはそちらの項目を参照。 【概要】 一覧ベニー・ディステファーノ(中日・1990) マーベル・ウイン(阪神・1991) オジー・カンセコ(近鉄・1991) トーマス・オマリー(阪神→ヤクルト・1991~1996) ジェシー・バーフィールド(巨人・1993) ロバート・ローズ(横浜→ロッテ・1993〜2000、2003) メル・ホール(ロッテ→中日・1993~1995) ロブ・ディアー(阪神・1994) ブライアン・トラックスラー(ダイエー・1994) ケビン・ミッチェル(ダイエー・1995) ジェフ・シュワーズ(横浜・1995) エリック・ヒルマン(ロッテ→巨人・1995~1998) クレイグ(クレイグ・ワーシントン)&ケビン・マース(阪神・1996) ジェフ・マント(巨人・1996) ジャック(ジャック・ドウティー)&スパイク(ランディ・レディ)(ロッテ・1996) アルフォンソ・ソリアーノ(広島・1996〜1997) バルビーノ・ガルベス(巨人・1996~2000) マイク・グリーンウェル(阪神・1997) ボブ・マクドナルド(阪神・1997) ルイス・デロスサントス(巨人・1997) ビル・セルビー(横浜・1997) ロバート(ボブ)・ミラッキ(近鉄・1997) マーク・キャリオン(ロッテ・1997~1998) マイケル・ディミュロ(審判・1997) ホセ・マラベ(横浜・1998) ブライアン・ウォーレン(ロッテ・1998~2000) デーブ・ハンセン(阪神・1998) デジ・ウィルソン(阪神・1998) ダレル・メイ(阪神→巨人、1998~2001) ライル・ムートン&エリック・アンソニー(ヤクルト・1998) マイク・ブロワーズ&マーク・ジョンソン(阪神・1999) アーキー・シアンフロッコ&グレッグ・ブロッサー(西武・1999) 【概要】 1990年代に入り、鮮明な試合映像が残るようになり、それに応じてダメ外人の様子も鮮明に残され、後世まで語り継がれやすくなった。 NPB助っ人の歴史において最大級の悪名を残したマイク・グリーンウェルの登場も、大きなトピックであろう。 また、80年代末期から続いた阪神タイガースの暗黒時代が更に深刻な状態へ突入。 チームの暗黒時代延長に貢献するダメ外人が次々と登場し、「タイガース=最弱」が常識の空気感と重なって他球団を圧倒する印象(の悪さ)とトラウマをファンの間に残した。 インターネットの普及に伴い、歴史の陰に埋もれていった外人選手などのデータなどもまとめる個人が出始め、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)では創設期からプロ野球板が開設。 それでも一般層の間ではまだそこまでネット文化が浸透していなかったため、ネットの世界においてダメ外人に対するネタが平然と飛び交う時代の到来は2000年代まで待つことになる。 一覧 ベニー・ディステファーノ(中日・1990) 1990年、星野仙一監督の率いる中日ドラゴンズに入団した助っ人。 同時に入団した年俸1億5000万円の大物メジャーリーガー、バンス・ロー(登録名バンスロー)の方が注目度は高かったが、バンスローはどちらかというとシュアーな打撃、ディステファーノはパワフルな打撃を期待されていた。 ……そして、確かにディステファーノはそのパワーで日本のファンに強烈な印象を残した。 とは言っても、残念ながら打撃成績ではない。その暴れぶりである。 3月15日の西武とのオープン戦(ナゴヤ球場)にて、相手投手の鹿取義隆から死球を受けて激怒し、マウンドの鹿取めがけてバットを投げる。 止めようとしたキャッチャーの大宮龍男(*1)も数十発以上にわたってタコ殴りにし、なんとオープン戦で大乱闘を繰り広げた。 そしてオープン戦では前代未聞の暴力行為による退場処分を受けたのであった。 続いて5月24日、開幕後の巨人戦(ナゴヤ球場)で再び事件は起きた。 打席に立っていたバンスローが相手投手の槙原寛己から顔面付近に投球を貰い、普段から紳士的な人格者として評判の高かった彼が珍しく激怒。 審判に「あれは危険球だろ!」と抗議する星野監督に対し、巨人の松原誠コーチが野次を飛ばした。 これに「なんや!なんやお前!」と怒った星野監督がと巨人ベンチに詰め寄り、それをきっかけに両軍入り乱れての大乱闘が勃発する。 ……しかし終わってみると、なんと退場処分を受けたのは騒動の当事者でも何でもないディステファーノただ1人だけ。 巨人の江藤省三コーチに対する暴力行為が理由である(*2)。どれだけ暴れたんだ……。 これほどの暴れぶりでインパクトを残した彼だが、肝心の成績はというと56試合に出場して打率.215・5本塁打・14打点と、助っ人としては全くダメで、当然ながら同年途中で解雇。 退団後はマイナーリーグを転々としたがMLB定着は果たせず、1993年に引退。 その後はマイナーリーグの数球団で打撃コーチを務めた。 一方、相方のバンスローは打率.313・29本塁打・78打点と助っ人として申し分ない成績を残し、セ・リーグのベストナイン(三塁手)にも選出されたが、同年限りで退団。 これは当時8歳の長女が脳腫瘍で闘病中であり、「家族との時間を優先させたい」という理由からだったが、どうやら私生活面では日本の水が合わずホームシックになってしまったらしく、退団後に「日本では金のためだけにプレーしていた。野球そのものが面白くなかった」「日本で楽しかった思い出は成績だけ」と振り返っている(*3)。 星野監督による「鉄拳制裁」と称した暴力行為に不満を持っていたとも伝えられる彼だが、「ディステファーノや家族がシーズン途中で帰国してからは1人ぼっちだった」と述べている辺り、ネガティブな面ばかりがクローズアップされるディステファーノでもバンスローからは大切な仲間と思われていた……のだろうか? ちなみに、当時の日本の練習姿勢については ディステファーノ「日本人は練習の質より量を優先する」 バンスロー「真夏に2時間も練習するなんてメジャーでは考えられない。試合での体力がなくなってしまう」(*4) と、それぞれ批判的な意見で一致していた。 マーベル・ウイン(阪神・1991) 1991年、阪神タイガースが後述のオマリーとともに獲得した助っ人。 当時阪神で打撃コーチを務めていた佐々木恭介氏の強い推薦により入団し、メジャー通算940試合に出場した経験もあって「バースの再来」としてかなりの期待を寄せられた。 しかしシーズンがいざ始まると、「凡打製造機」と揶揄されてしまうほど凡打を連発。 オマリーが日本球界に対応できるよう努力する一方でウインは全く日本の野球に馴染もうとせず、結局シーズンを通して低調な成績に終わったため、この年限りで退団となった。 後年、佐々木氏は自身が出演したラジオで「ウインには騙されました」と述べている。 オジー・カンセコ(近鉄・1991) MLBの歴史に名を残すスーパースターステロイド疑惑?なんのこったよ、ホセ・カンセコの双子の兄。 弟と同時期にMLBのドラフト指名を受けており、弟よりも指名順はずっと上だったが、残念なことに弟が才能を開花させる一方でオジーはマイナー暮らしが長かった。 そして1991年に近鉄バファローズに入団するとスーパースターの兄ということで大きく話題を呼び、何だかんだで世間から大きな関心とNPBでの開花が期待された。 ところが当時の近鉄にはジム・トレーバーやラルフ・ブライアントといった強打者がいたことから二軍暮らしが続き、二軍成績すらも助っ人としては何とも言えないものだった。 これだけなら特にネタ要素もなく、本人も二軍暮らしという苦境でも特に屈折する様子もなかったようだが、問題はその後。 球団がジェシー・リードを獲得したことで支配下枠が溢れ(*5)、任意引退公示という措置に出る。 一応球団側をフォローするとこれはクビではなく、要は「シーズン中は使う気が無いけど翌年も契約する(任意引退はシーズンオフに同一球団に現役復帰をさせられる)」という意思を示す措置でもあった。 ところがこの扱いは「引退選手なので二軍の試合にすら出られなくなる」ということも意味し、一気に態度を硬化させたオジーはシーズン中に退団した。 活躍できなかったのは事実だが、扱いに関しては球団側にも難があったことは否定できないだろう。 近鉄退団後はマイナーや独立リーグで活動していたが、オジーはトラブルメーカーとして様々なネタを残すことになる。 2001年に弟とカリフォルニア州のナイトクラブでトラブルに発展してからの暴行容疑で逮捕、2003年にステロイドの不法所持と無免許運転で逮捕。 しまいには2011年にフロリダ州で飲酒運転をして逮捕と犯罪を重ねてしまったのである。 ただ、応援歌的には(本人が全く与り知らないであろうところで)かなり貢献している。 彼の応援歌は『暴れん坊将軍』のテーマで、リードにも流用された後、しばらく経ってから好機の時に演奏され始めた。後に言う「チャンステーマ」の始まりである。 2001年の近鉄優勝の時の映像で、北川博敏が逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランを打つ前に流れてる曲が正しくそれ。 合併後は使われなくなったが、関西クラシックで近鉄のユニフォームを着て試合してる時だとたまに流れる。 なお弟の方も2001年オフに中日がマーク・マグワイア、アンドレス・ガララーガといった大物メジャーリーガーとともに獲得を検討していたが、彼らには来日の意思はなく実現はしなかった。 トーマス・オマリー(阪神→ヤクルト・1991~1996) かつて阪神とヤクルトスワローズに所属していた助っ人外国人で、2004年には阪神の駐米スカウトに就任した。 阪神では「バースの再来」とも称される好成績を残し、1995年にヤクルトへ移籍してからは1年目でリーグ優勝に貢献、オリックス・ブルーウェーブとの日本シリーズでも小林宏らとの名勝負を演じ球団を日本一へ導いた伝説的な選手だった。 ……しかし悲しきかな、スカウトとしての彼は本邦プロ野球史に残る希代のダメ外人発掘師でもあった。 現役時代に球団に紹介した選手がよりにもよってロブ・ディアーだったという時点でもう片鱗は見えていた(*6)ものの、駐米スカウト就任で本格的に才能が開花。 マイク・キンケードにルー・フォード、果てはケビン・メンチといった錚々たる面々を次々と探し出しては阪神に送り込んでくるその姿はある意味神の采配に等しかった(*7)。 普通に活躍できそうだったシェーン・スペンサーに至っては車から降り損ねて負傷という有様で、何かに呪われていたのかもしれない。 当然05年の時点でクビが内定していた……が、「忙しくてクビを宣告し忘れた」というとんでもない理由で2009年まで続投。 後任のアンディ・シーツは、最終的に獲得しなかった選手含めて当たり外人揃いという対極の超優良スカウトとして注目を集めた。 ジェシー・バーフィールド(巨人・1993) 1986年にブルージェイズでホームラン王に輝き、守備でも1986年・1987年に外野手部門でゴールドグラブ賞に輝いた大物中の大物。 開幕戦では佐々木主浩から来日初本塁打を放つなど活躍を予感させたのだが、外角スライダーが全く打てないという致命的弱点を露呈し、2ストライクと追い込んでからそこへ投げると高確率で空振り三振を喫してしまう大型扇風機だった。 その結果、26本塁打を放つも打率は両リーグ最低の.215、三振も127でセ・リーグの三振王になってしまった。当然の如くこのシーズン限りで解雇。 しかし何を血迷ったのか、当時ヤクルト監督の野村克也が強い推薦をして一旦は獲得が内定したのだが、MLBアストロズの二重契約が発覚し破談となってしまった。 ロバート・ローズ(横浜→ロッテ・1993〜2000、2003) …これを見た野球ファンは誰もが目を疑っただろう。 「え?あの言わずと知れた横浜ベイスターズ史上最強助っ人外国人の彼が、何故この項目に載っているの?!」と。 そう、彼は1993年に強肩で併殺が取れる二塁守備を期待されて横浜ベイスターズに加入すると、良い意味で期待を裏切ってとにかく打ちまくり同年は打点王を獲得、その後も1998年には横浜マシンガン打線の4番セカンドに君臨して同年の日本一に大きく貢献すると、翌1999年には打率.369、37本塁打、153打点、OPS1.093、そして当時のリーグ最多安打記録となる192安打をマークして首位打者・打点王・最多安打王のタイトルを獲得した、横浜ベイスターズ史上最強助っ人の呼び声高い二塁手。 …もう一度言おう、そんな彼が何故この項目に名が載るのか? その理由は2003年にある。 ベイスターズを去ってから2年が経った2002年12月6日、「もう一度日本で野球をやりたくなった」と千葉ロッテマリーンズに加入し、日本球界に電撃復帰を果たす。 かつての最強助っ人の加入に、当時1996年から7年連続Bクラスと低迷していたロッテファンは「来年こそはリーグ優勝あるかも!?」と期待を膨らませたのは言うまでもない。 しかしそうして迎えた翌2003年は、春季キャンプの紅白戦に3試合出場して8打数無安打と振るわなかった後、2月19日に憔悴しきった表情で記者会見を開き、「野球に対する情熱がなくなった」とロッテ在籍期間わずか2ヶ月半、来日してからわずか28日でスピード退団、そのまま現役を引退してしまった。(*8) この退団劇にロッテファンはもちろん、野球ファンは皆愕然とさせられてしまった。 ロッテがこの穴埋めとして急遽韓国球界から獲得したホセ・フェルナンデスが、打率.303、本塁打32、打点100、OPS.947という素晴らしい活躍をしたのがせめてもの救いだったとはいえ、その退団理由が理由なだけにやりきれない気持ちを解消出来たファンは少数派だっただろう。しかも、そのフェルナンデスも致命的な守備難を理由に、オフに監督に復帰したボビー・バレンタイン監督の構想外となり(*9)退団してしまい(その後、フェルナンデスは西武ライオンズに加入する。)、ロッテは翌2004年まで9年連続Bクラスと低迷する結果となった。 この退団劇から20年以上が経過した2023年11月24日、日本の熊本県の独立リーグ球団「火の国サラマンダーズ」の監督に就任する事が発表された。なお、この時にロッテ退団の理由を「3年間のブランク(*10)と衰えを実感して、私はチームのためになれないだろうなと判断した」と打ち明けている。 しかし、2024年2月15日に「家庭の都合」を理由に帰国、就任から約3ヶ月で退団する事が発表された。 一度ならずとも二度までも同じ事が繰り返された(*11)事で、ロッテだけではなく横浜のファンからも「またかよ!」という声が上がる事になってしまった。 なお、こんな形で開幕前に退団したロッテでの春季キャンプでは、熱心にウェートトレーニングに励む姿や頭脳的な打撃練習を行う姿で、チームメイトからは尊敬のまなざしを集めていたらしい。 メル・ホール(ロッテ→中日・1993~1995) 前述のバーフィールド同様、ニューヨーク・ヤンキースの4番打者として活躍を見せていた大物。事実上リー兄弟の後釜枠として千葉ロッテマリーンズに入団した。 日本国内に於いても打率・本塁打・打点・そして盗塁でチーム四冠王として君臨、間違いなく期待に違わぬ好成績を残した助っ人だったが、それが霞むほど素行に非常に問題があった。 以下、その罪状。 自分が指名打者であるのをいいことに、相手の攻撃回の時はゲームをやってゴロ寝を決め込む。 これに怒ったマックス・ベナブル(*12)に対して逆ギレ。乱闘になるも、ホール自身は反省せず。 マックスが近鉄戦で死球を受けて乱闘になった際、近鉄の捕手・山下和彦に対してマックス以上の暴行を働く。この時、マックスと山下は退場させられたが、なぜかホールは退場にはならなかった。 後にWBCオランダ代表監督、ヤンキースコーチ補佐となる後輩助っ人、ヘンスリー・ミューレンス(登録名ミューレン)に対してパシリ扱いする・ロッカーを壊すなどの嫌がらせを行う。このせいでミューレンは一時期、重度の鬱病に追い込まれてロッテを去る(*13)。八木沢荘六監督に2度も油を搾られたがやはり反省せず。 ミューレン以外の選手にも血が出るほどの抓り行為を行う。 95年に中日に移籍してからは、主にレフトとして出場。 ところが今度は3年連続首位打者をマークしたアロンゾ・パウエルに尊大な態度を取ったり、彼の使用するグラブを座布団代わりに尻に敷く始末。 さんざんいじめていたミューレンがヤクルトに移籍した後も、ヤクルト戦の時は必ずヤクルト側ベンチまでやって来て性懲りもなく彼をいじめるなど、負の武勇伝を打ち立てたが、最後は両膝を故障し1シーズン限りで退団した。 ミューレンとホールの関係は、パワポケ10主人公と悪名高き北乃政男の関係に近い(両者には「いじめっ子」「スラッガー」という共通点がある)。 そもそもメジャー時代からトラブルメーカーであり、 上述の通り守備が上手くなかったばかりか、打撃でも目立った実績を残せなかったにも関わらず、スター選手面して傲慢な態度を崩さない。 1990年にスタメンから外された際、癇癪を起してクラブハウスで暴れた挙句、監督室のドアを壊しかける。 メジャーに昇格したばかりのバーニー・ウィリアムス(*14)を格の違いから執拗にいじめる。同チームきっての人格者でもあった主将のドン・マッティングリー(*15)(*16)が庇っても懲りずに続け、最終的に当時のヤンキースGMから「いじめを止めないなら強制解雇する」と通告されてようやく沈静化。 ヤンキースの式典に参加したOB達に対し「あのジジイ共は誰だ?(訳)」と言い放って当時の監督を呆れさせる。 この人格破綻っぷりから、1992年には自己最高の成績を残したにも関わらず、ヤンキースはおろか他のメジャー球団も契約を結ぼうとしなかった。 ここからは、ホールに関する関係者のコメントを抜粋しよう。 ミューレン── 「嫌な奴だった。二度と思い出したくない」 愛甲猛── 「史上最低の野球選手」 ※ホールと同じくDH待機中テレビゲームばかりやっていたというマドロックすら、愛甲はここまで腐してはいない。 ホールの素行の悪さが窺える。 小宮山悟── 「(ロッカールームでテレビゲームをしていたことに憤慨し)こいつだけは許せないと思った」 「(そんな奴がチームの中で一番成績を残したことに)はらわたが煮えくり返った」 初芝清── 「打撃技術は素晴らしかったが、他に見習う所は何もなかった」 山崎武司── 「自身が見てきた中で一番にダメだった外国人選手」 「(大リーグでの実績を鼻に掛け、日本の野球を見下す意思をあからさまに示す態度やパウエルのグラブの件、ミューレンへの仕打ちについて)人としてそれはどうなのか」 「(後述の事件に触れて、呆れながら)俺の目は間違ってなかった。あれだけメジャーで活躍したのに残念すぎる」 引退後はバスケットボールのコーチになったものの(*17)、そこで教え子の少女2人、さらには他の少女に対し、計5回に渡る乱暴狼藉を働く。 当然逮捕され、2009年に禁錮45年の実刑判決が下された。 可能性は限りなく0に近いが、もし仮釈放されるとしても最短で約22年かかるという。 2004年に強盗殺人を犯して逮捕された元ロッテの投手・小川博(*18)ですら、彼を知る関係者が「何故あの人が」とショックを受けていた(*19)が、ホールの場合は彼を知る関係者ほぼ全員が「あぁ、やっぱりな」と落ち着いた反応を見せていたらしい。日頃の行いが祟ったのだろう。 結果的に、MLBメジャー経験者としては最低最悪のロクデナシ(*20)となってしまった。 ロッテ的にももう思い出したくない奴の筆頭格と思われるが、2022年、ロッテ千葉移転30周年の新ユニフォーム披露動画でホールがキッチリ映り込んでしまうアクシデントが起きている。 球団は“歴史は歴史”として受け入れるつもりなのだろうか? 余談だが、彼の応援曲は名前がほぼ同じということからか、喉飴「ホールズ」(*21)のCMソングだった。 ロブ・ディアー(阪神・1994) 94年のみ在籍した阪神の選手。メジャーリーグ通算226本塁打で年俸は2億7000万円。 春季キャンプでは特大ホームランを連発し、当時のキャンプ地球場であった安芸市営球場では急遽危険防止のネットを拡張したほどであり、大活躍が期待された。 しかし、メジャーでの本塁打は確かに226本だが打率は.220と頼りなく、また1991年にはMLBのシーズン規定打席到達打者史上ワースト記録の打率.179をマークしており(2018年にオリオールズのクリス・デービス(*22)が.168でワースト記録を更新してしまっている)、そして3度のシーズン最多三振王になった男でもあった。過去にはよく居た基本フルスイング系のバッターである。 そしてシーズンは70試合で76三振を喫する。近鉄のブライアントのようにその分ヒットやホームランも多ければよかったのだが、打率.151の8本塁打では……。 結局、8月に右手親指靭帯断裂で退団。この年発売のパワプロ2('94年終了データ)に登録されないという悲しみを背負った。 引退後はマイナーリーグの打撃コーチを務め、教え子達にこう言ったという── 「俺のようなスイングはするな!!」 ブライアン・トラックスラー(ダイエー・1994) またの名を「威力強」「コロコロちゃん」。 福岡ダイエーホークス(*23)は当時、南海時代からの長期間に渡る暗黒時代を抜け出せず低迷していたが、そんな中で来日したのが彼だった。 良くも悪くもプロ野球界の燕人張飛(演義版)とでも呼ぶべき人物である。良くも悪くも。 その二つ名に恥じぬパワーに加えてバットコントロールも器用であり、見事なバッティングで主に三番打者として大活躍。 後述の体型ゆえか機動力こそ壊滅的ではあったが、守備の動きも決して悪いものではなく、攻守バランスよく非常に高い実力の持ち主だった。 ファンサービスも怠らず、当時名物だったダイエーの主力選手をモチーフにした博多人形も彼のものが売り上げ1位だったり、オールスターゲームに出場した実績を持つ(*24)ことから人気も相当高かったのがわかる。 ……しかし彼の場合、最期がダメだったと言わざるを得ない。 前述の「コロコロちゃん」という愛称は、身長170半ばにして体重実に120kgという、まるまる太りきった体型に因んだもの(*25)。 主にビール好きによる不摂生が原因と思われ、「一度に1ダース飲むのは当たり前」「自分のベッドはビールケース」と豪語する凄まじさだった。 それほどまでに乱れた自己管理は当然問題視され、一度減量&ビール節制命令まで出される。 開幕戦にはどうにか100㎏まで落とし打撃も好調だったが、勝手にビールを自主解禁してリバウンド。 その後は鳴かず飛ばず(*26)となり、後述のミッチェル獲得に伴いお払い箱となった。 そして2004年、アルコール過剰摂取による急性肝硬変により、37歳という早すぎる死を迎える。 攻撃力の高さと、酒好きが祟ったその末路は、「球界の張飛」と呼ぶに相応しいものであろう。 身体が資本のスポーツ選手としても、また生物としても、節度の重要性を示してしまった例でもある。 60年代のジャクソンもそうだが、飲んだり食べたりするのが大好きな皆さんは、その大好物に殺されるなんてことがないように、ほどほどを心がけよう。 ケビン・ミッチェル(ダイエー・1995) ダイエーがトラックスラーに代わって獲得した、メジャー通算本塁打220本の超大物にして、後述のグリーンウェルに匹敵する90年代のダメ外人の最高峰である。 開幕戦の初打席で満塁本塁打という衝撃的なデビューを果たしたものの、「サンディエゴで経営しているアパートと美容院が心配になった」という衝撃的な無断帰国、再来日後の「チームがまさかこのようになっているとは思っていなかった」発言など、素行の悪さから球団と揉めてばかりのまま8月に解雇され、後年にはペピトーン同様、日本を貶すような発言まで残した。 この際、年俸の全額支払いを求めて裁判沙汰となり、同姓の作家マーガレット・ミッチェルの代表作『風と共に去りぬ』になぞらえ「金と共に去りぬ」などと揶揄されている。 ダイエーが黄金期を迎えた6年後(2001年)には従兄弟のトニー・ミッチェルが来日・入団したが、こちらは不振を極め1年限りで退団した。 ケビンと違い、トニーは球団と揉めたりはしなかったが、気性の荒さはやはりといったところで、1軍・2軍両方の試合で乱闘騒ぎを起こした。 後に博多華丸がTVで語った所によれば、ごく普通のマンションのベランダでバーベキューをして、住民から消防へ通報・注意されたら「日本では週末にバーベキューも出来ないのか」と逆ギレし、これが帰国の原因にもなったとか……。 実はメジャー時代も、「嘔吐で筋肉痛」「くしゃみで肋骨にヒビが入った」「冷凍チョコレートドーナツで歯根を痛めた」「カップケーキで口を負傷」「まぶたが攣った」と、明らかに仮病としか思えないムチャクチャな理由を挙げてたびたび欠場したり、自軍の監督と乱闘していたりした。 おまけに婦女暴行・恋人が飼っていた猫の虐待・家賃滞納を巡って父親と口論した挙句頭部を殴打するなど、犯罪も多く起こした。 元阪神のランディ・バースは「実力があるのにどこも取らなかったのは、本人に無視できない問題があるから。彼がトラブルメーカーだったのはわかりきっていたはずだ」と苦言を呈している。 ミッチェル自身にも問題はあったが、そんな奴を獲得したダイエーフロントの責任も否定できないだろう。 また『月刊ホークス』の連載コーナー「FDH助っ人列伝」には、「鳴り物入り度」「貢献度」「その選手独自の評価(*27)」を5段階で評価したグラフがあったのだが、彼の独自の評価は「困ったちゃん度」。 それも、5点を超えて7点を叩き出すという前代未聞の珍事態に発展したという。 ジェフ・シュワーズ(横浜・1995) 195cmを超える長身からの投球が特徴的なMLB経験者の外国人投手。 1995年に横浜ベイスターズに入団し、初先発初勝利を記録するなど活躍が期待されたが、イニングの倍の数にも及ぶ四球の多さという壊滅的な制球力からシーズン途中で解雇された。 1995年版のベイスターズの応援歌CDに収録された彼の個人応援歌では「振りかぶった時にはもう〜勝負はついている〜♪」と歌われていたが、戦績を見れば悪い意味に聞こえてしまうものである。 これだけだと「えっ?それだけだと確かに酷いハズレ助っ人だけどネタになる点は制球力くらいのよくいるダメ外人じゃん?」と普通は思うだろう。 しかしこの男、横浜の球団史に残る選手なのだ。 実は初先発初勝利の記録、これは前身球団の大洋ホエールズから数えてジョー・スタンカ以来29年ぶりの外国人勝利投手という珍記録(*28)なのである。 どうしてこんな奇妙な事態が起きたのかと言うと、スタンカ以来の勝ち星がなかったことに加えて、1977年に獲得した「球団史上最低の助っ人」と悪名高いブレットのトラウマから、球団が変わった1994年まで外国人投手の獲得をしなかったから。 しかも1994年、17年ぶりに獲得したダリル・スコットも特に勝ち星を挙げなかったので、シュワーズの先発での勝ち星にこのような価値が付いたのだ(*29)。 成績だけ見れば擁護不能だが、球団の負の記録更新とブレットの呪いを止めたという妙な形で貢献した、世にも珍しい助っ人である。 エリック・ヒルマン(ロッテ→巨人・1995~1998) ロッテ時代は先発の主軸として活躍したものの、1997年に金銭トレードで移籍した巨人では2年間怪我しかしないまま退団。 「肩に違和感がある」と主張して登板拒否を繰り返し、二軍落ちしても昼には帰宅していたため「ミスター違和感」「昼マン」とも言われた。 そして「左肩に小錦が乗っているようだ」という迷言で伝説に。 トレーナーが調べても特に問題が見当たらない中、その迷言は日頃温厚な長嶋監督ですら激怒させてしまい、最終的にはナベツネから「金はやるから出ていけ」と罵られた。 退団の際、マスコミに対し「俺をミッチェルやグリーンウェルと一緒にしないでくれ」と反論した上で「肩が治ったら巨人の入団テストを受けに帰ってくる」とコメントしたが…… 退団直後の診断(肩関節鏡手術)の結果、肩の違和感は事実であったことが判明。 それも左肩回旋筋腱板の全層断裂という非常に深刻な重傷であり、最終的にはこの怪我が原因で引退を余儀なくされた。 不振の結果として解雇はやむをえないが、ケガをしていながら信じてもらえず評価ばかり下げられた点については同情すべきだろう。 巨人はチームドクターの誤診が結構あるらしく、あのウォーレン・クロマティも「手首の異常を訴えたんだ。チームドクターに見せたら異常なしと言われたんだが、念のため別のドクターに自費で見せたら亀裂が入ってると言われたよ」と、後に自身の著書で明らかにしている。 この時は誤診について口止めをさせられたらしい。 クレイグ(クレイグ・ワーシントン)&ケビン・マース(阪神・1996) 96年途中に阪神に加入した助っ人野手コンビ。ワーシントンはファーストネームの「クレイグ」を登録名としていた。 前年の95年に加入した助っ人野手コンビのグレン・デービス(登録名グレン)とスコット・クールボーは、微妙だがまずまずの結果を残した(*30)ものの不振に陥り解雇、その後釜である。 ……が、2人ともグレン&クールボー以上に打てず、しかも怪我もあって即解雇という最悪の結果に。 同じ飛行機に乗って来日したため、加入時に在阪スポーツメディアに「打ってクレイグ!頼んマース!」と祈られたりしたのだが……。 1987年のバース解雇以来、阪神は1992年の「亀新フィーバー」で2位に躍進した以外は暗黒時代の真っ只中だった。 特に1995年(球団創設60周年)は地元・兵庫県が阪神・淡路大震災に襲われた中で60勝すらできず(*31)、46勝84敗で最下位(*32)。クレイグ&マースが在籍した96年も2年連続最下位に沈んだ。 一方でそんな阪神の低迷をよそに、同じく被災地・兵庫県に本拠地を置くオリックス・ブルーウェーブ(本拠地は神戸)は イチロー 星野伸之(後にFAで阪神に移籍) 野田浩司(元阪神) ら好選手を多数擁し、外国人も トロイ・ニール(*33) ダグ・ジェニンクス(登録名D・J)(*34) ウィリー・フレーザー(*35) といった好助っ人が活躍、「がんばろうKOBE」を旗印に2年連続パ・リーグ優勝を成し遂げる。 95年は惜しくも野村ヤクルト相手に日本シリーズで敗れたものの(*36)、96年は巨人を破って日本一に輝き、阪神とは対照的な2年間に終わった。 ジェフ・マント(巨人・1996) 96年の序盤のみ巨人に在籍した選手。 「彼はテンプル大学出身だから、大丈夫でしょう」という長嶋茂雄監督の意味不明な擁護を受けたが、ペナントレースが開幕して打率1割台、ヒット3本、打点1(*37)と成績不振が凄まじかった。 終いにはナベツネから「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」とあんまりな言葉で言い捨てられ、5月上旬に解雇。 2005年に在籍したダン・ミセリ(詳細は2000年代の項目を参照)が来るまで巨人最速の解雇だった。 ジャック(ジャック・ドウティー)&スパイク(ランディ・レディ)(ロッテ・1996) 96年ロッテの大外れ外人コンビ。 本名で登録すると「童貞と女」になってしまうので、それぞれ「ジャック」「スパイク」という登録名で出場していた。 36歳という高年齢に加えて、長打を期待したい願いとは裏腹に「巧打者タイプ」を売りにしており、ファンに不安を与えた。 蓋を開けたらスパイクは打率.200、ジャックに至っては打率.119と壊滅的で、揃ってすぐ退団。 経緯を説明すると、前年度(1995年)のロッテは広岡達郎GM(当時)が招聘したボビー・バレンタイン監督の采配と、新外国人フリオ・フランコの活躍などにより、それまでの9年連続Bクラス(1986年~1994年)から一気に10年ぶりのAクラスとなるリーグ2位(1985年の2位以来)まで躍進した。 ところが同年オフ、広岡は意見の相違からその功労者であるバレンタインやフランコをクビにし、他の多くの主力選手やコーチらと揉め続けた。 挙句にこんなダメ助っ人を入団させたことが決定打となり、それまで低迷していたチームをGMとして2位に押し上げたにもかかわらず広岡の評価は大暴落。 「監督としては問題点が多いながら優秀な面もあったが、GMとしてはゴミレベル」とけなされ、3年契約の予定が2年で契約打ち切りになった(*38)。 そしてロッテは再び暗黒の低迷時代(1996年~2004年まで9年連続Bクラス)を迎えることとなる。 皮肉にも、その次のAクラス浮上は95年から10年後、バレンタイン監督復帰2年目のリーグ優勝(2005年)だった(*39)。 こういった経緯で、ダメだったのは確かだが象徴的な事例となってしまったことについては不運と言える。 アルフォンソ・ソリアーノ(広島・1996〜1997) 1996年に母国ドミニカ共和国のカープアカデミーから入団。1997年に1軍デビューするも打率.118、2安打に終わる。 しかし将来性を買われ翌年も契約する予定だったが、年俸調停での提示額が不服として退団してしまう(*40)。 その後1999年にヤンキースでメジャーデビューを果たすと2001年からレギュラーに定着し、2002年には トリプルスリー達成と盗塁王のタイトル獲得 、2006年にはナショナルズにて 40本塁打40盗塁を達成 するなど大活躍し、最終的にはMLB通算2095安打、412本塁打、289盗塁をマークした。 バルビーノ・ガルベス(巨人・1996~2000) 台湾リーグを経て1996年に巨人の入団テストを経て入団した投手。 初年でいきなり16勝を挙げ、ジーン・バッキー(*41)以来2人目の最多勝利のタイトルを獲得し、同年の「メークドラマ」に貢献。 その後も巨人のエースとして台頭した他、投手でありながら満塁ホームラン含めた本塁打も通算10本放つなど、助っ人らしい活躍をする。 なお、1999年には4本のホームランを打ち、その内2本は満塁ホームラン。1シーズンで2本の満塁ホームランを打った投手はNPBで現在に至るまで彼だけである。 しかし如何せん危険球も多い上に、マウンド上では非常に気性の荒い性格であった。 一応普段は好人物で、マウンド上での気性の荒さは当時明確なドーピング禁止規定がNPBにない中で使っていた興奮剤のせいだったそうだが、以下のトラブルの数々を見ればそれ以前の問題にも見え、その評価に疑問符が付くのは否めない。 1996年5月1日の中日戦(ナゴヤ球場)では山﨑武司と珍プレーなどで頻繁に取り上げられるほどの乱闘を繰り広げる。 皮肉にもこれがきっかけで牛乳のCMに出演、「カルシウム、フソク、シテイマセンカ?」というまるっきりブーメランなセリフで有名になった。 1998年7月31日の阪神戦(甲子園)では、その時点でリーグトップの勝利数だったのに、球審の橘高淳の判定に怒りを爆発させ、ベンチへ戻る途中で審判団目掛けて思いっきりボールを投げつけ、審判達とも乱闘騒ぎを起こす。 その際止めに入ったチームメイトの吉原孝介を負傷させた挙句、4000万円の罰金及びシーズン残りの全試合出場停止の罰を喰らい、後半戦を棒に振ってしまった。なお、この事件がきっかけで責任を感じた当時監督の長嶋茂雄は頭を丸刈りにする事態にまで発展した。 2000年のシーズン終了後、巨人を退団。しかし日本国外でも度々問題を起こす。 2001年にはピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約をするも、開幕を控えた3月下旬の練習中に突然行方不明になり、(*42)復帰はしたがその直後に退団。 今度は韓国の三星ライオンズに入団するが、初勝利を挙げた後に観光ビザで投げていたことが発覚。対戦相手から提訴される寸前まで問題が発展した。 その後何とか就労ビザを取得し、シーズンでは10勝をあげてチームの勝利にも貢献し続けたが、優勝目前の8月下旬に母親が病気で倒れたのを理由に突然帰国。球団側も6回に渡って復帰要請したが、母親の看病以外にも理由をつけて度々キャンセルし、地元メディアから「オオカミ少年」と揶揄されてしまった。 しかも漸く復帰した韓国シリーズで斗山ベアーズ相手に登板した際、一応第1戦は3失点に留めチームは逆転勝ちしたものの、第4戦では三星側が2回に8点を取る中、何と彼は3イニング途中までに6被安打7失点と爆発大炎上し、最終的に11-18の馬鹿試合(*43)に発展させる原因を作ってしまった。 なおこの韓国シリーズでは、後に横浜や中日で活躍する斗山の4番打者、タイロン・ウッズに2本塁打(第1戦と第4戦で各1発)を被弾している。 マイク・グリーンウェル(阪神・1997) 歴史に残るダメ外人の象徴。 令和の現在でも語り継がれ、プロ野球を知らない人でもグリーンウェル=ダメ外人という評判を知っていることがあるほど。 低迷を続けていた阪神は、96年オフに西武からFA宣言した清原和博を巡って巨人との争奪戦に挑むが惜敗。 その代わりに命運を賭けて獲得した現役メジャーリーガーがコイツであった。 ……しかし、来日時のテンガロンハット+ウエスタンブーツという奇抜な服装で早くもネタ扱いが定着。その後も 外野手のくせに弱肩(チームメイトの久慈曰く「外野からの送球がチェンジアップ」) 「牧場の経営で忙しい」という理由で帰国する などネタ要素を提供し、ゴールデンウィークに満を持して一軍デビューしたが、数日後試合中に自打球を当て骨折して退団。 彼が最後に残した世紀の迷言「野球をやめろという神のお告げ」は伝説となった。 これだけでも相当酷いのだが、球団が用意した家賃月150万以上とも言われた超高級マンションに「狭い」とクレームを付けた、というエピソードもある。 球団は隣の部屋の壁を取り払って2倍の広さにすることで対応したが、居住期間は1ヶ月にも満たず、拡張と原状回復の二度のマンション工事の費用を球団が支払う羽目に。 また、彼を獲得するにあたって当時は6文字しか入れられなかったスコアボードを7文字に対応させるための工事も行わざるを得なかった(*44)。 そのため、阪神ファンは勿論、他球団のファンからも「史上最悪の詐欺師」「GoldenWeekにやってきたGreenWell」と揶揄された。 星野仙一によると、実は96年オフに阪神より先に中日が契約寸前までいったものの、大リーグ事情に詳しい人物から「やめておけ。アイツは日本に来てゴルフがやりたいだけだ」と忠告され、結局獲らなかったという経緯があったらしい。 彼の代理人であったジョー・スローバーという人物も、前述したミッチェルの代理人を務めたことがあった曲者だった。 実は阪神・中日の他に近鉄・西武も獲得を検討していたが、近鉄は代理人がスローバーだったことへの不信感から事故物件と判断して(*45)、西武も一時は契約寸前まで行ったが、大枚をはたいた阪神にかっさらわれる形となった。 しかし皮肉なことに、同年オフにグリーンウェル獲得を諦めた中日と近鉄は、それぞれレオ・ゴメス(中日)(*46)、フィル・クラーク(近鉄)(*47)といった当たり外人の発掘に成功。 獲得寸前でグリーンウェルを横取りされた西武も怪我の功名か、新外国人として獲得したドミンゴ・マルティネス(*48)の大活躍により、見事パ・リーグ連覇を達成した。 また同年はこの3球団以外にも、ドゥエイン・ホージー(*49)(ヤクルト)やナイジェル・ウィルソン(*50)(日本ハム)がそれぞれ来日1年目で本塁打王を獲得するなど、助っ人豊作と言える年であり、そんな年に散々な補強しかできなかった阪神と巨人の悲惨さが一層際立つ格好になってしまった。 同年の阪神の補強はというと、グリーンウェルのみならず、後述のマクドナルドやフィル・ハイアット(*51)、リード・シークリスト(*52)、ダネル・コールズ(*53)と散々なものだったが、同年は本拠地を狭いナゴヤ球場から広いナゴヤドームに移転した中日(特に打線)が新球場への適応に苦しみ、故障者続出も相まって最下位に転落した(*54)ため、阪神はかろうじて最下位だけは回避するという大躍進の5位成績でシーズンを終えることができた。 余談だが、パワプロシリーズのペナントモードは2001年シーズン(パワプロ9)から助っ人外国人の発掘をできるようになったが、「神のお告げ」を意識したのか、獲得した外国人が一身上の都合で帰国・退団するイベントがあった。 ボブ・マクドナルド(阪神・1997) グリーンウェルが来日した97年のシーズン途中に、中継ぎ左腕の強化を図って阪神が獲得。 だが蓋を開けてみればテスト時の球速は135km/h未満、ノーコン、変化球も全てしょぼいという有様で、「何処をどう見れば投手と呼べるのか」「二軍の投手の方がまだマシ」という声まで挙がる始末。 当然一軍での成績も、9試合に登板して防御率7.36という炎上ぶり。二軍でも全くダメで9月に解雇されてしまった。 一度左のワンポイントとして松井秀喜を三振に取ってみせたりもしたが、それを見た首脳陣が続投させたら、次打者の清原和博にホームランを打たれるというオチがついたことも。 もっとも緊急補強及び年俸が格安だったため、フロントからも然程期待されていなかったとは思われる。 その年俸が格安だったことに加え、名前が名前なだけに、メディアから「バリュー価格」とあだ名されるなど、関係ない所で散々ネタにされてしまった。 ルイス・デロスサントス(巨人・1997) 連覇を狙う巨人が前年活躍したシェーン・マック(*55)を追い出してまで獲得した台湾のイチロー(彼は右打者で内野手)。 台湾で毎年打率.350以上を記録した実績を持つが、実際は打てない、守れない、走れないの三拍子揃ったダメ外人で、ヒルマンと共に97年前半戦最下位に大きく貢献した。 4月の間我慢して使い続けた長嶋監督に対し、ファン・マスコミはこう訴えた。 「ルイスはルイスでもそいつはカール・ルイスじゃない!!」 巨人退団後、台湾野球に復帰するや、これまでの不調が嘘のように大活躍した。 ビル・セルビー(横浜・1997) 1993年に前述のローズとともに横浜に入団して以降主軸打者として活躍するも、96年オフに退団したグレン・ブラッグス(*56)に代わり、97年に横浜に入団した外国人内野手。 メジャーでの実績は少ないながらオープン戦で首位打者を獲得するなど期待度は高く、それこそ入団当初はブラッグスのおまけとも思われていたローズと同様に活躍を期待する声もあったが、当時の横浜は一塁に駒田徳広、二塁にローズ、遊撃手に石井琢朗、三塁手に進藤達哉と内野のレギュラーが固定されており、その打撃成績(打率.228、5本塁打、17打点)の物足りなさも相まって1年で解雇された。 これだけならよくいるハズレ外人の1人に過ぎないのだが、彼を取り上げる上で特筆すべき要素は2つある。 1つは、それまで牛込惟浩スカウト(*57)の眼力により優良助っ人を多数発掘(*58)してきた横浜の外国人スカウティングの目利きが彼を境に怪しくなってきたことである。以降の横浜は後述のマラベや2000年代の項目で触れるスティーブ・コックス(2003)など次々とダメ外人を獲得(*59)しており、特に親会社がマルハ(旧:大洋漁業)からTBSに代わった2002年以降は2年連続で本塁打王を獲得したタイロン・ウッズ(2003-2004)以外ほとんど外れと言って良い凄惨な有様で、98年の栄光は見る影もない暗黒時代へ沈んでいく事になる…。 ベイスターズファンの間では親会社がTBSになった2002年が暗黒時代の始まりと言われており、実際TBSの責任が大きいことは言うまでもないのだが、マルハ時代末期は外国人選手獲得だけでなくドラフトの結果も芳しくなく、「選手のスカウティング」という面ではある意味98年の優勝前から暗黒時代が始まっていたとも言える。 そしてもう一つは、「炎と燃えるその闘志〜」の歌い出しで始まる彼の応援歌。 この応援歌はルー・メローニ(2000)、デーブ・ドスター(2001)、ボイ・ロドリゲス(2002)、ラリー・ビグビー(2008)、ダン・ジョンソン(2009)と受け継がれたが、いずれもローズ&ブラッグスやウッズほどの功績は残せず1年で退団。親会社がDeNAに代わってから初めてこの応援歌を継承したトレイ・アンバギー(2023)も負の連鎖を断ち切ることはできず、1年でお役御免になった。 このような縁起の悪さから、ファンの間では応援歌の最後の1節の歌詞「君はニューヒーローさ」とかけて「ニューヒーローの呪い」とも揶揄されている。 ロバート(ボブ)・ミラッキ(近鉄・1997) ボルチモア・オリオールズで14勝を記録するなど、MLBで実績を残し続けた大物助っ人投手。 当時の近鉄は前年に11勝を挙げたルイス・アキーノを不可解なコメントで自由契約にするなど謎の行動を見せていた(*60)が、このルイスの穴を埋める戦力として期待されていた。 ところがいざ春季キャンプが始まるとその姿を見た周囲は困惑する。元々体格がかなり大きい選手だったとはいえ、ミラッキは明らかに太っていたのだ。 とんでもない体格と化したミラッキは野球のできる状態とは考えづらかったが案の定オープン戦でも好結果を出すことができず、開幕は二軍スタート。 6月27日の対西武戦で初の1軍先発を果たすが、初回だけで60球を費やして被安打10の10失点というNPB史上でも前代未聞の記録を叩き出した。ちなみに、この1イニングの球数の記録は2005年に吉川勝成が並んでいる。 その後の先発登板でも結果は残せなかったことから首脳陣とファンの信用を失い、シーズン終了後に戦力外となった。 マーク・キャリオン(ロッテ・1997~1998) 非常に珍しい左投右打(*61)の選手。 彼も前述のホールと同じく成績こそ優秀(*62)だったが、素行が酷過ぎた。 頻繁に体調不良で練習を早退するに留まらず、試合を無断欠場して自宅で卓球に興じたとあっては流石にフォローのしようが無い。当時の選手名鑑では「チーム一のやる気のなさ」とまで書かれていた。 ホールとの共通点としては「元はメジャーリーガーとして活躍していた」「素行は悪かったが成績自体は優れていた」「野球以外のスポーツが絡んでいる」事が挙げられる。流石に犯罪までは犯していないだけ、ホールよりは遥かにマシかもしれないが。 マイケル・ディミュロ(審判・1997) アメリカに4つ存在するMLB公認の審判学校である「ジム・エバンス審判学校(*63)」出身で、審判への不満を解決する為、セ・リーグ会長の提案で出来た「審判交流」の為に日本にやってきたAAA級マイナーリーグの審判(なおよく勘違いされるが、メジャー昇格は1999年である)。 しかし彼のストライクゾーンは日本野球のストライクゾーンとかなり違っている等、選手・監督・観客・他の審判達(*64)から不満が溜まり、5月17日の甲子園球場での阪神-ヤクルト戦では、判定に抗議した阪神の吉田義男を退場処分としていた。 セ・リーグ会長は彼を擁護して使い続けたが、6月5日の長良川球場で行われた中日-横浜戦で、明らかに大きく外れたボール球をストライクと判定した事に抗議した中日の大豊泰昭に退場処分を下す(*65)。その際当事者である大豊だけでなし、よりにもよって当時監督であった超武闘派軍団の首領星野仙一以下コーチ数名までもが一緒になって小突くという事件が起こる(*66)。 結局、この猛抗議+観客のヤジで孤立無援を体感したディミュロはショックを受け、部屋では恐怖に震えていたという。 彼自身にも問題はあったとは言え、正直よりにもよってキレたら審判団まで襲撃し、当時ジャッジされた判定が覆る事が基本無かった判定を覆させ(*67)恐れられたあの軍団を怒らせてしまった時点で相手が悪すぎたと言うかトラウマになるのも無理はない。 そして翌日には辞表を出した。セ・リーグ側は慰留を試みるものの、大リーグも事態を問題視して帰国を指示。来日してわずか3か月の事だった。 結果的にこれが最初で最後の外国人審判になってしまった。 アメリカでは日本とは違い審判に抗議した時点で退場になる程審判は絶対だった為、日本では日常茶飯事である猛抗議への耐性はゼロ。そもそも集団に囲まれて抗議されるなんて事は起こり得なかったのである。しかも止めるべきコーチまで含めてである。 本来、日本でも判定への抗議自体ルール上許されておらず、こうした猛抗議が半ばイベントとして黙認されている日本野球界の体質こそ問題という意見も出たが、あまり長続きしなかった。 これだけ見ると日本野球と大リーグにおける審判文化の違いに振り回された被害者と思われるが、帰国後に再びマイナーを経てメジャーリーグへ昇格した後も ビデオ判定で判定を覆された最初の審判となっている ビデオ確認を求めた選手を退場処分にし、しかも後に誤審が明らかに 判定に抗議したマリナーズの監督を退場処分にした事にイチローが「あの審判こそ退場すべき」「大豊さんの気持ちが分かった」と発言する 等、彼自身の能力面にかなりの疑問符がついている事も事実である。 ホセ・マラベ(横浜・1998) 1998年、横浜が38年ぶりとなるセ・リーグ優勝+日本一の栄冠を手にした記念すべき年に在籍した外国人打者。 ……と聞いて多くの人が真っ先に連想するのは、石井琢朗・波留敏夫・鈴木尚典・駒田徳広・佐伯貴弘 中根仁・谷繁元信・進藤達哉とそうそうたるメンツが並ぶ「マシンガン打線」で主軸を担った、前述のロバート・ローズのことであって、このマラベのことではあるまい。 当時を知る横浜ファンの間でも、マラベの印象は相当薄いだろう。 阪神との開幕カードで2試合連続の猛打賞と6打点を記録したが、その後は37打数3安打と不振に陥り同年限りで退団。「振った所にボールが来ない」という意味不明な発言も残した。先述の開幕3連戦を除き、マラベ自身の成績はとても優勝にまともに貢献したとは言えないものだった。 横浜退団後の1999年はメキシカンリーグとアメリカの独立リーグでプレーし、2000年に韓国の球団に入団したが、アメリカでの癖か、韓国に入国する際「身辺保護」と称し拳銃を所持して入国した為、空港で韓国の警察に逮捕され、1試合もプレーする事なく解雇された。 ブライアン・ウォーレン(ロッテ・1998~2000) あの七夕の悲劇に見舞われた1998年、暗黒期真っ只中のロッテが中継ぎのコマ不足解消のために獲得した助っ人投手。 来日初年度から24登板で防御率0.93、2勝1敗3セーブと好成績を残すと、翌年にはクローザーに定着し30セーブをあげる大活躍。最優秀救援投手、ファイアマン賞にも輝いた。 ロッテの救世主と呼ぶべき名投手ではあったが、一方で彼には他のダメ外国人選手にも見られるある困った気質があった。 それは、ともかくキレやすく、喧嘩っ早い性格。 ことの発端は2000年6月27日の西武戦。 ウォーレンが投じた球に擦り傷を見つけた西武首脳陣が「彼は不正投球をしているのではないか?」と告発(*68)。審判団も交えての抗議に発展した。 一方のウォーレンおよびロッテ・山本監督は「そんなことは絶対にない」と猛反論。 結局不正を裏付ける証拠は見つからなかったので、ここまでなら疑惑の目を向けられた彼にも同情の余地はあったのだが、問題なのはその後の行動。 29日の試合前、なんと彼はヤスリやカミソリをぶら下げたグラブを持参、その様子を報道陣に撮影させるという行動に出た。これは疑惑の目を向けた西武に対する完全な挑発行為であった。 こうなればもはや両軍は一触即発。5-4とロッテ1点リードの9回表、渦中のウォーレンが登板した際には走者との交錯が原因で乱闘寸前にまで発展してしまう。 結局試合はウォーレンが〆てロッテ勝利に終わったのだが、再三の球審によるボールチェックにイラついていた彼はなんとゲームセット直後に西武ベンチに向かって中指を突き立ててしまう。 この侮辱行為が見逃されるはずもなく、「今度やったらもうNPBではプレーさせない(意訳)」とパ・リーグから厳重注意処分を受けてしまう。結局、後日西武ベンチに謝罪に行くことで騒動は収まったものの、この一件も遠因となってか7月以降に調子を落とし、同年限りで退団した。 デーブ・ハンセン(阪神・1998) 98年のみ阪神に在籍していた左打ちの三塁手。 打率3割90打点は見込めるアベレージヒッター、という触れ込みで入団し、フルシーズン一軍でプレーするも、蓋を開けてみれば打率.253、11本塁打、55打点という主軸としては寂しい数字と、リーグ2位の17失策という拙守で1年で退団となった。 このように成績だけならばただの一ダメ外人に過ぎず、この項目に名が乗る選手ではない。 実はハンセンサイドは96年オフにも阪神に売り込んでいたが、その時に彼のプレービデオを見て「いりまへん」と断った当時の阪神監督・吉田義男が、翌97年オフにハンセンサイドが再度阪神に売り込んできた際、なんと前年に見せられたものと同じビデオを見てそうとは気付かずに「だいぶよくなりましたな」と獲得したというのである。 しかも、ハンセンは96年までロサンゼルス・ドジャースに、97年のみシカゴ・カブスに在籍していたのだが、そのユニフォームの違いにすら気付かなかった、という事になる。んなアホな。 もっとも、この話はソース不明の噂なので話半分としておいたほうが良いと思われる。 阪神退団後はドジャースに復帰し、代打の切り札として活躍。 その後も複数の球団でプレーて、2005年に引退した。 ちなみに、足はまずまず速かったらしい。 デジ・ウィルソン(阪神・1998) ハンセンと同じく98年のみ阪神に在籍した、身長204cmという非常に長身な選手。現在の日本球界での野手最高身長選手の記録保持者(*69)でもある。 高身長故にストライクゾーンが広く見えるせいで、制球難の剛速球投手にとってはとっても投げやすい打者だった……。それじゃあ活躍できませんね、ハイ。 同じウィルソンはウィルソンでも、同時期に日本ハムに在籍していたナイジェルとはエラい違いであった。 ダレル・メイ(阪神→巨人、1998~2001) 1998年開幕直後に阪神が獲得した左腕。 ローテに定着して好投するもムエンゴのせいで2年間で10勝しか挙げられず…というのはともかく、言動がとにかく酷かった。 どれだけ酷かったのかというと、 99年5月29日の巨人戦で、松井秀喜に故意に死球を与える(*70) 7月18日には審判への暴力行為で退場処分になり(*71)球団から2週間の謹慎処分を言い渡された後、その謹慎期間中に恋人と歯の治療を兼ねたグアム旅行に行っていた事が発覚 それで野村監督と対立し「あの監督は勝てば自分の手柄、負ければ選手の責任」と痛烈に野村を批判したコメントを報道陣に配布(*72)して反論 といった具合である。 このビラの件で罰金1200万円&無期限謹慎処分を言い渡された後に阪神を退団になったが、オフに3年連続でリーグ優勝を逃していた巨人が獲得。 すると2000年6月7日の古巣・阪神戦にて、3回続けて打席を外した和田豊に立腹し、彼目掛けてわざとボールを投げつけるという、この年のみ同僚だったガルベス並みの暴挙に出る始末。退場にはならなかったが10日間の出場停止と罰金が科せられた。 このため、暗黒時代をよく知る阪神ファンからは今もなお絶許認定されている。 翌年も活躍したが、オフにメジャー復帰を直訴して退団。06年に引退した後は大学野球のコーチをしていたという。 また03年の阪神優勝時には祝福のメッセージを寄せたり、藪恵壹をはじめ阪神時代のチームメイトとの仲は良かったり、2020年に野村が亡くなった時に追悼コメントを寄せたりと、問題行動のイメージに反して人柄自体は良かったようだ。 ライル・ムートン&エリック・アンソニー(ヤクルト・1998) 1998年にヤクルトに在籍した助っ人。 まず先に入団したムートンは1995年にメジャーデビューし、1997年にはホワイトソックスでクリーンナップを組んだ。 前年に38本塁打を打ち、本塁打王を獲得したドゥエイン・ホージーや古田敦也と共に、日本でも超強力クリーンナップ形成か?!と期待されたが、蓋を開けてみれば日本の変化球に対応できず、 30試合で打率.241・3本塁打12打点。とても助っ人のそれとは思えない凄惨な成績に終わり、6月に早くも解雇されてしまう。 前年途中に加入し、51試合出場で打率.309・13本塁打、そしてOPS 1.030と驚異的な成績を叩き出していたジム・テータムがムートン獲得に代わって解雇されていた事もあって、ヤクルトファンの不満は募る一方だった。もっとも当時はOPS?なにそれおいしいの?なんて時代だから仕方ない面はあるのだが。 加えて、前年は活躍していたホージーまでマークの厳しさから低迷する有様。 そんな状況を打開すべく、ムートンに代わって来日したアンソニーは44試合で12本塁打を放ち、OPSは.849とまずまずの成績を残したが、 故障がちで試合を休む事も多かった為か、オフにホージー共々自由契約になってしまった。 98年のヤクルトは先発三本柱の石井一久が241奪三振で奪三振王を獲得。川崎憲次郎は17勝で最多勝&沢村賞を獲得し、怪我がちだった伊藤智仁も1年間ローテを守って防御率2.72(リーグ3位)を記録する活躍を果たした。 この様に先発投手だけなら優勝した横浜や2位の中日ともにも引けを取らない素晴らしい成績を残したが、助っ人打者達の不振や池山隆寛の衰え等に悩まされ、4位に低迷。 同年限りで辞任した野村監督の花道を飾れないまま終わってしまったが、同年オフには若松勉新監督の下でチームを再建すべく、ホージーとアンソニーを解雇する代わりに2人の新助っ人を招聘した。 その1人がマーク・スミス(*73)、そしてもう1人があのロベルト・ペタジーニである。そのペタジーニが1年間の苦難に耐えたヤクルトファンへのご褒美と言わんばかりに獅子奮迅の活躍を果たすものだから、塞翁が馬とはまさにこの事だろう。 マイク・ブロワーズ&マーク・ジョンソン(阪神・1999) 暗黒時代脱却を図るべく、1998年オフに三顧の礼を以て迎えた野村克也監督の下で再建を図った阪神が獲得した2人の大物メジャーリーガー。ディアーやグリーンウェルの失敗で懲りなかったのか。 95年(マリナーズ時代)に23本塁打・96打点の成績を挙げたブロワーズは2年契約で年俸2億2,000万円(+「二軍に落とせない」条件付き)、95・96年(パイレーツ時代)と2年連続で13本塁打を記録したジョンソンも年俸1億3,000万円の大型契約で、その期待度の高さがうかがえる。 しかし、ブロワーズは開幕直後に諸事情で一時帰国し、4番サードで戦線復帰後も調子が上がらずスタメンを外される様になり「グリーンウェルの再来か?」とファンをやきもきさせた。 7月に入り3試合連続で決勝タイムリーを打つなどようやく本領発揮かと思われたが、オールスター前後から再び大スランプに陥ってしまい、契約条項も相まって球団と対立する様に。 そして8月1日(横浜戦)には2度のチャンスで凡退した挙句にエラーで失点した事から交代させられ(*74)、翌日の中日戦では1死満塁のチャンスで先発・藪恵壹の代打として起用されたが、中日のエース野口茂樹相手にショートゴロゲッツーに打ち取られてしまう。 2日後(8月4日)にはシーズン途中であえなく解雇となった。 阪神で73試合・打率.251・10本塁打・43打点に終わったブロワーズは退団後、古巣のマリナーズでメジャー復帰したがここでも19試合の出場に終わり、同年限りで現役を引退した。 この様にブロワーズが活躍できなかった背景には、ホームベースからかなり離れて立つバッティングフォーム(外角への変化球に弱い)(*75)に加え、後にノムさんが自身の著書で「98年オフにメジャーリーグから引退していたが、阪神フロントが無理に獲得した」(から活躍できなかった)事を示唆している。 一方のジョンソン。 外野手登録ながら実際にはほとんど一塁で出場していたが、不調のブロワーズを尻目に前半戦だけで19本塁打と大暴れ。巨人戦で田淵幸一(1973年)以来となる4試合連続本塁打を記録するなど、その活躍っぷりに虎党を「ようやく『バースの再来』が来たんや!」と歓喜させた。 …が、後半戦に突入すると相手バッテリーから研究された為かどんどんペースが落ちていく。ホームランもピタリと止まってしまい、彼もまたスタメンから外される様になってしまった。 加えて同年の後半戦は阪神移籍後、芳しい成績を残せていなかった為「ストライクゾーンが畳より大きい」と酷評されていた大豊(*76)がなぜか大爆発して好成績を残していた事もあり、ジョンソンはすっかり立場を追われる事に。 そんなジョンソンも9月26日の中日戦(ナゴヤドーム)。9回表に中日の守護神・宣銅烈からついに会心の逆転3ラン(20本目)を放つ!さぁこれで阪神勝利のヒーローだ!…と思われたその回の裏、あろうことか味方の福原忍が山﨑武司から劇的な逆転サヨナラ3ラン本塁打を被弾(*77)。結局、ジョンソンの後半戦唯一の本塁打は山﨑による逆転サヨナラ劇を演出しただけで終わってしまった。 ジョンソンのトータル成績は125試合出場・打率.253・20本塁打・66打点と、「バースの再来」とうたわれた助っ人達の中ではかなりマシな数字ではあった。 球団側も翌年に向けてのテストを兼ねてか(*78)、終盤に本来の守備位置である外野(レフト)を守らせていたが、結局は本人がメジャー復帰を望んだ事や大豊との兼ね合いもあり、シーズン最終戦をもって解雇となった。 退団後はメッツでメジャー復帰し、阪神時代に仲良くなった新庄剛志と再びクリーンナップを組んだ。引退後は金融マンとしてウォール街で働いている様だ。 結局、野村阪神はジョンソンが活躍していた前半戦こそ(一時は首位に立つなど)躍進していたが彼の不調・ブロワーズの解雇と共に沈んでいき、結局は「定位置」の最下位で終わってしまった。 また1990年代の阪神はディアー、グリーンウェル、ブロワーズと、大物メジャーリーガーの補強がことごとく失敗に終わった為か、2000年代前半は年俸が安い(*79)か、過去に国内他球団で実績を残した外国人選手(*80)を主に獲得する様になった。 アーキー・シアンフロッコ&グレッグ・ブロッサー(西武・1999) 99年西武の大外れ外人コンビ。獲得に至る経緯を説明すると…… 当時の主砲「マルちゃん」ことドミンゴ・マルティネス(*81)は鈍足で守備が苦手とされていたため指名打者(DH)(*82)専門であり、日本シリーズ含めビジター(セ・リーグ主催)の試合では使えず、それも響いてかチームは97年・98年とパ・リーグ連覇を果たしたが日本一は逃していた。 このことから西武はマルティネスとの契約を打ち切り、「日本シリーズでも守れる外国人を」とこの2人を獲得したのだ。 チーム全体が若返りを図る方針かつマルティネスも当時既に30代だったという事情もあるだろうが、それにしても「リーグ優勝は当然、日本一を目指す」という超強気の姿勢による入れ替えだった。 が、ふたを開けてみればシアンフロッコは打率.163・本塁打2・打点5、ブロッサーは打率.198・本塁打3・打点9と打撃で全く結果を残せず。 かといって守備もそんなに目を見張るものでは無く(むしろシアンフロッコは15試合で5失策)…というかこんな打撃成績では少々守備が良くても全くカバーできないという話である。結局2人ともシーズン途中で解雇となった。 同年の西武ライオンズは黄金ルーキー・松坂大輔の活躍など投手陣が好調でダイエーとの優勝争いを演じたものの、「(ライオンならぬ)白にゃんこ打線」とまで揶揄される程の深刻な貧打(*83)が響き、ダイエーに優勝を奪われる。 日本シリーズで勝つ為にマルティネスを切った結果、肝心の日本シリーズそのものに出場できなくなるという本末転倒な結末に終わってしまった。 確かに成績はダメとしか言い様がないが、こういった流れによってこの時期の西武のダメ外人代表的な立場にされてしまった事は不運だと言えるだろう。 皮肉にも解雇したマルティネスは同年途中に入団した巨人で相変わらずの好調な打棒を見せ、出場機会は少ないながら強力打線の一員として活躍。 おまけに守備範囲は確かに狭かったが(*84)、範囲内であれば無難に守備をこなしていた為、 西武ファンからは「マルちゃんの守備めちゃくちゃ酷いって訳でもないじゃん!マルちゃんカムバック!」と嘆きの声が挙がったのは言うまでも無い。 追記・修正は神のお告げを聞いてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] ガイドライン 誹謗中傷している項目です -- 名無しさん (2023-02-11 22 44 43) 名前 コメント
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東北楽天ゴールデンイーグルス 161年度野手 繋ぐ意識を持ちチャンスを活かす。 選手名(製作者) 守 選手イメージ画像 紹介 獲得タイトル カツノリ(トライアウト◎) 捕 トライアウトからの再挑戦。彼の運命やいかに? BCL出身(tosiki) 一 簡単には凡退しない粘り強さが魅力の中距離砲。高い打撃センスと安定感を見込まれ主軸を任せられる。 AS④ 首位打者① 最多安打① 最高出塁率① B9③ ASMVP① GG② 川相昌弘(いぶし銀) 二 守備力を見込まれ入団し、守備で活躍を見せる。近年長打力が少しづつ開花、HRも期待出来るようになってきた。 新人王 いちご(フルーツ) 三 今期再出発。スターへの道は長く険しいが必ず登りつめたい。 佐川(あだち) 遊 攻守に活躍が求められる楽天の遊撃手。ミスのしない守備力に加えパンチ力のある打撃を併せ持つ。 AS⑧ ASMVP① B9⑤ GG⑦ 野手MVP② カル6(まあく) 左 確かなミート技術が特徴の左翼手。長打力も付き始め、ポイントゲッターとして台頭し始めた。 最多安打① GG① B9① 金子誠(ネギ) 中 確実性のある守備が魅力の選手。初年度から守備で貢献する。 落合(ふくし) 右 父親は神主打法で有名な三冠王打者。育成選手として再入団、活躍を見せていけるか。 B9① 祇園藤次(ヴェ・デルチ) DH 0007740210.png DHに座り、ここ1番のチャンスで打てる打者。彼の活躍により得点率は大幅に上下する。 打点王② B9① 161年度投手 全員で1点を守りきる。 選手名(製作者) 役 選手イメージ画像 紹介 タイトル レベッカ(ミュー) 先 多彩な変化球を用いて打者を惑わせる投球が持ち味。確実な制球力があるからこそ、変化球が活きる。 KKK(SSS) 先 常に球に変化を付ける投球で打者の芯を外すスタイルが身上。投球に安定感が増し、若手ながら厳しい場面も投げぬける実力が付いた。 AS① 投手MVP① 沢村賞① B9① 坪井康晴(3959) 先 各能力に非凡な才能を感じさせる投手。レベッカと同期であり、2人の成長が期待される。 西城恭兵(シャウト) 先 140km後半の速球とカットボールで打者を抑える。大きな特徴をこの先付けて行きたい。 四田(mizkan) 先 大きく曲がるカーブを軸に投球を組み立てる。カーブ以外の変化球をどのタイミングで使うかが鍵となる。 AS③ ASMVP① 投手MVP③ 沢村賞④ 最優秀防御率② 最多勝利② 最高勝率① B9④ リゾナント(ガキんこまめ) 先 伝家の宝刀、カミソリシュートを完全に極めた。彼を崩すのは至難の業である。 AS⑥ 投手MVP① 沢村賞① 最優秀防御率② 最多勝利① B9① イチロー2(一浪) 中 オールスターにも選ばれた経験がある。課題は多いが、1つずつこなしていきたい。 AS① 清☆戦国大名(戦国大名) 中 トルネード投法をマスターし、非常に組み難い投球フォームを見に付けた。奪三振を積極的に狙いにいき、実行する様はドクターKと呼ばれる。 AS⑤ 最優秀中継ぎ② B9② ジーグラー(ワータル) 中 抑えとして1期頑張り、抑えの精神を見につけた。経験を活かし、今期は更に飛躍していきたい。 AS② 野茂英雄(デイデイ) 中 高卒1年目の素材型投手。将来のトルネード投法を目指すか。 坂本弥太郎(久) 中 今期は中継ぎでワンポイントリリーフ中心に担当。まずは1人ずつしっかり抑え、経験を積んでいく。 海蛍(ほたる) 抑 移籍2年目だが、中継ぎに抑えにフル回転。どの持ち場でも結果を出し、存在感を出す。 少し変えてみました。色々と問題ありましたらお知らせ下さい。修正、削除します。 名前 コメント
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ヤクルトスワローズ139年度出場登録野手 選手名(製作者) 守 紹介 性格 得意コース 鉄8世(GUN) 捕 【-】6世から7世飛ばして8世に。コーチと性格一致し、大卒一年目とは思えない守備能力を持つ。解雇にならぬよう気をつけねば。 希少 外角低め 神セカンド(理想的二塁手) 一 【-】満塁に強いバッティングでチームに貢献できるかファーストでこの捕球技術は・・・。 温和 内角低め 因幡てゐ(李) 二 【幸運を呼ぶ兎】永遠亭からやって来た兎。人間を幸運にする程度の能力を持つ。安定感引きおめでとうございます。 熱血 内角低め アナリスク10(なめクオリティ) 三 【未来の4番】鍛え上げた長打技術を武器に長打を量産得能固めの時期に入り、これから大化けすることができるか? 希少 内角低め 雫(零) 遊 【つるべ打ちマシーン】wiki更新怠ってます。すいません。 希少 外角高め 河城にとり(青狸) 左 【いぶし銀】盗塁以外何でもできる能力が魅力の選手今期から一番に座り、狙うは首位打者&最多安打 冷静 内角低め Aegis(むんむー) 中 【-】今回の目標は俊足巧打堅守だそうな。ハードルは高いが、彼ならそんな選手を作ってくれるそう期待したい。 熱血 外角低め GUY-L(タフガイ) 右 【魔将】元ネタは詳しく語るまでもない年齢も中堅に差し掛かり三冠王殿堂入りその他諸々を視野に今日もタフな体でバットを振り続ける 職人 内角高め zeke(zeke) DH 【クセ者】リーグ最高レベルのクラッチヒッターでありヤクルト不動の四番 熱血 内角高め ヤクルトスワローズ139年度登録投手 選手名(製作者) 役 紹介 性格 得意コース 氷室将介(みよりん) 先 【孤高の棋士】戦国武将の次は将棋棋士。2年目で最多勝とかどうなってんだ・・・制球コーチ投入で更なる飛躍に期待。 熱血 内角低め ユニ(アリス) 先 【-】スタミナ、タフ、回復と基礎体力はもう既にできているまたまた二十代のタイトルホルダーホント近頃の若手は・・・ 希少 外角低め 夜風の滑空者(風の子) 先 【アジアの超特急】キレのあるDカーブと快速球で相手打者をねじ伏せる入団当初は球界随一の負け運投手だったが、いつの間にか球界随一の勝ち運投手に 温和 外角低め 門倉健(カクカク) 先 【アゴ倉】お立ち台の涙の後消息不明だった彼がヤクルトに電撃入団。投球にはムラがあるがはまった時の強さはヤクルトNo.1いやリーグNo.1かもしれない 温和 内角高め ノリo´ゥ`リ(小春) 先 【-】ヤクルトに近年急速に増えたVスラ投手の一人。牛島コーチの指導で制球力ではリーグ指折り級 希少 内角高め めでぃーん(mee) 先 【ビッグキャノン】速球派故に被本数は気になるが毎年安定して結果を残す同年齢の夜風の滑空者に負けない活躍を期待。 温和 内角高め 電気鼠(ハイドラ) 中 【ピ、ピカチュウ!】MAX153kmの速球とCチェンジが武器。あれよあれよとまたたびロック選手と共に中継ぎの柱に 希少 内角高め 落田琢哉(国内選手) 中 【選手募集中】- またたびロック(光麻薄) 中 【魔術師】ヤクルト随一の制球力を持つ投手。電気鼠選手と共にヤクルト中継ぎ陣を支えていく 熱血 内角低め 高橋英二(国内選手) 中 【選手募集中】- 雷鼠(ドラグーン) 中 【-】同じくVスラを武器とする投手。次の世代のヤクルト中継ぎ陣をリードするであろう存在なので大事に育成していきたい。 職人 外角高め バルタン星人(マクドナルド) 抑 【-】回復不安も一年で解消。後は依存能力さえ上げれば大丈夫な・・・はず。 熱血 外角低め 来場者数 今日の観客数 - 昨日の観客数 - 合計観客数 -
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東北楽天ゴールデンイーグルス 163年度野手 若手が作ったチャンスをベテランがモノにする 選手名(製作者) 守 選手イメージ画像 紹介 獲得タイトル 伊志嶺忠(阿部2世) 捕 準備中 沖縄出身の阿部慎之助以来の大物捕手と呼ばれる逸材。将来が期待される。 BCL出身(tosiki) 一 簡単には凡退しない粘り強さが魅力のスラッガー。楽天自慢の長距離砲として、打ち続ける。 AS⑤ 首位打者① 最多安打① 最高出塁率① B9⑤ ASMVP① GG② 川相昌弘(いぶし銀) 二 失策をしない守備力に加え、打撃面でも意外性の枠から脱却し始めた。守備、打撃両面で魅せてくれる。 新人王 いちご(フルーツ) 三 選球眼の良さからスラッガーの素質を飼われ入団。スターへの道は長く険しいが必ず登りつめたい。 鳥谷敬(ネギ) 遊 準備中 確実性のある守備を見込まれ入団。四球を選ぶ能力に長けており、将来の上位打線候補として期待される。 () 左 藤本徹(ネギ) 中 準備中 昨年は打って守って、ベストナインに選ばれ新人王を獲得。2年目のジンクスに挑む。 AS① B9① 新人王 落合(ふくし) 右 父親は神主打法で有名な三冠王打者。育成選手として再入団、活躍を見せていけるか。 B9① 祇園藤次(ヴェ・デルチ) DH 4番として、重責を担う立場であるが期待に応えている。豪快な打撃でチームを引っ張る。 打点王② 本塁打王① B9① 163年度投手 必死に繋いで、1点を守りきる。 選手名(製作者) 役 選手イメージ画像 紹介 タイトル レベッカ(ミュー) 先 多彩な変化球を用いて打者を惑わせる投球が持ち味。確実な制球力があるからこそ、変化球が活きる。 KKK(SSS) 先 常に球に変化を付ける投球で打者の芯を外すスタイルが身上。20台の選手とは思えない投球を毎年見せ、晩年に向け更に期待がかかる。 AS① 投手MVP① 沢村賞① B9① 坪井康晴(3959) 先 快速球と制球力に大きな特徴を持つ投手打たせて取る気持だが、あまりの速球と制球力を持って三振を奪ってしまう事がしばしば。 西城恭兵(シャウト) 先 140km後半の速球とカットボールで打者を抑える。今期はフォークに挑戦、マスターし投球に幅を広げていけるか。 四田(mizkan) 先 大きく曲がるカーブを軸に投球を組み立てる。カーブ以外の変化球をどのタイミングで使うかが鍵となる。 AS④ ASMVP① 投手MVP③ 沢村賞④ 最優秀防御率③ 最多勝利② 最高勝率① B9④ リゾナント(ガキんこまめ) 先 伝家の宝刀、カミソリシュートを完全に極めた。彼を崩すのは至難の業である。 AS⑥ 投手MVP① 沢村賞① 最優秀防御率② 最多勝利① B9① イチロー2(一浪) 中 オールスターにも選ばれた経験がある。課題は多いが、1つずつこなしていきたい。 AS① 清☆戦国大名(戦国大名) 中 トルネード投法をマスターし、非常に組み難い投球フォームを見に付けた。奪三振を積極的に狙いにいき、実行する様はドクターKと呼ばれる。 AS⑥ 最優秀中継ぎ② B9② ジーグラー(ワータル) 中 非常に捕らえ難いナックルカーブが大きな特徴。連投能力が高く、苦しい場面では彼の力が必要になる。 AS② 野茂英雄(デイデイ) 中 打たせて取るフォーク、三振を取るフォークを武器に投げる。負担の少ない場面で経験を積んでいく。 AS① 海蛍(ほたる) 中 高い回復力と大崩れしない投球では非常に起用しやすい投手。苦しい台所事情を存分に支えてくれている。 B9① () 抑
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近鉄オリックスバッファローズ 628 名前:水先案名無い人 :05/02/16 10 51 59 ID Y+wcq4IN0 オリックス・バファローズ入場!! 最速男は生きていた!! 更なる研鑚を積みエースナンバーが甦った!!! 夢はでっかいチ○ポ 山口和男だァ――――!!! ナックルボールはすでに我々が完成している!! 魔球界の新星、加藤大輔だァ――――!!! 出番がある限り投げまくってやる!! 中継ぎ代表!! 歌藤達夫だァッ!!! ショート争いなら我々の歴史がものを言う!! 大阪近鉄の守備の要 阿部真宏!!! 真の外野守備を知らしめたい!! 助っ人 カリーム・ガルシアだァ!!! 三冠王なら阻止したが頭脳なら全階級オレのものだ!! 内野なら任せろ!! 相川良太だ!!! 解雇対策は完璧だ!! 吉井理人!!!! 外人投手のベスト・リードは私の中にある!! ホームベースの神様が来たッ 的山哲也!!! 清原には絶対に敗けん!! メジャーのケンカ見せたる 逆輸入 マック鈴木だ!!! 練習試合ならこいつが怖い!! 湖国の鉄腕 松村豊司だ!!! 韓国から炎の猛牛が上陸だ!! 首位打者 クリフ・ブランボー!!! 自分が求める野球がしたいから橋渡し役になったのだ!! プロのバントを見せてやる!!水口栄二!!! アメリカ土産に打撃指導とはよく言ったもの!! 達人の奥義が今 実戦でバクハツする!! 最強の助っ人 ブライアント先生だ―――!!! 最下位請負人こそが地上最強の代名詞だ!! まさかこの男がきてくれるとはッッ 塩谷和彦!!! 踊りたいからここまできたッ キャリア一切不明!!!! 播磨灘のネプチューン ネッピーだ!!! オレたちはパリーグ最強ではないNPBで最強なのだ!! ブルーウェーブ一筋 藤井康雄コーチ!!! フォークボールの本場は今や九州にある!! オレを驚かせる奴はいないのか!! 町豪将だ!!! デカカァァァァァいッ説明不要!! 1m96!!! 104kg!!! ジェレミー・パウエルだ!!! 野手は打ててナンボのモン!!! ご存知優勝弾男!! 逆転イッパツマン 北川博敏の登場だ!!! 正捕手の座はオレのもの 月間MVPもオレのもの!! 昆布の事じゃない!! 日高剛ッ!! 自分を試しにここへきたッ!! 広島の酷使王 菊池原穀!!! 変化球に更なる磨きをかけ”永遠の新人王”大久保勝信が帰ってきたァ!!! 今の自分に自由はないッッ!! 俺たちのヨシくん 谷佳知!!! メイドインドミニカの剛腕が今ベールを脱ぐ!! メッツから ホセパーラだ!!! ファンの前でならオレはいつでも全盛期だ!! 笑顔が似合う男 田中祐貴 本名で登場だ!!! 仰木マジック再来!! 名将の血 未だ絶えずッ!! 地元の女教師にマジ照れ!! 仰木監督だ!!! 特に親友はいないッ 壁当てキャッチボールは当たり前!! 阿部真にはないしょだ!!! デストロイ子! 後藤光尊がきてくれた―――!!! 北神戸で磨いた内野守備!! フィールドのクレセント・ムーン 平野恵一だ!!! バファローズにはこの人を外せない!! 期待度特A級 高木康成だ!!! 超一流外野手の超一流の守備だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ 百万石のケツアゴ!! 村松有人!!! プロ8年目にして理想のフォームも遂に完成だ!! ブルーサンダー打線の切り札!! 塩崎真!!! あの熱気が帰ってきたッ どこへ行っていたンだッ DJキムラッッ 俺達は君を待っていたッッッグリーンスタジアム神戸の登場だ――――――――ッ 関連レス 636 名前:水先案名無い人 :05/02/16 20 33 59 ID hbi90Gz20 628-630 分かる人がすごく少なそうだな… 笑ったけど コメント 名前
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東北楽天ゴールデンイーグルス 146年度野手 センターラインを中心に守備の向上を図る。 選手名(製作者) 守 評価 称号 獲得タイトル 嶋基宏(走る捕手) 捕 若手ながら守備能力が完成されている逸材。西村コーチの指導で走塁能力が開花、走れる捕手となった。 -- AS② B9③ 戯言遣い(tosiki) 一 安打製造器として、しぶとくヒットを放つ。球の見極めが非常に巧い。 -- AS① 首位打者① B9② GG① 噴火(鷹居) 二 攻走守で貢献するベテランセカンド。全てのプレーで楽天野手陣を牽引する。 パルプンテ AS② 盗塁王② B9② MVP① 岩崎小次郎(シャウト) 三 打率は安定した高い数字を残せるようになってきた。次期主砲として次に求められるのは長打力か。 -- 佐川(あだち) 遊 今期2年目の遊撃手。堅実な守備とシュアな打撃がウリ。 -- カル5(まあく) 左 ベテランスラッガー、上田丑之助との3,4番コンビは脅威。ヒットを量産する固め打ちを得意とする。 B9④ GG① 鉄平(ネギ) 中 走力に優れた中堅手。今は力を磨き数年後の活躍を目指す。 べるとらん(c) 右 走塁能力に優れた左翼手。まずは、足を活かす為にバットに当てる能力を見に付ける事か。 -- 上田丑之助(ヴェ・デルチ) DH 楽天が誇る主砲。確実性の高い彼の打撃スタイルは侍と呼ばれる。侍の修行を終え、成果を野球に活かしきる。 侍 新人 B9③ MVP① AS① 首位打者① 最高出塁率① 146年度投手 ベテランを中心に、全員が安定感ある投球をする。 選手名(製作者) 役 評価 特称 タイトル リナリー(ミュー) 先 楽天のエース。マサカリ投法から投げ下ろされる精度の高い変化球で打者を抑え込む。これ以上無いスタミナを有し、任されたマウンドは1人で投げきる。 マサカリ投法 AS④ 最多勝利② 最高勝率③ ASMVP② JJJ(SSS) 先 草魂を見せつけ、打者に威圧感を与える。闘志あふれる投球は楽天名物か。 草魂 --- C・ザンブラノ(ワータル) 先 ノビのある直球とキレの良いSFFを駆使。非常に高い能力を存分に活かしきる。 AS① パイナップル(フルーツ) 先 キレの良いフォーク、シンカー、直球をインコース高めに投げ込む。大崩れする事無く、試合を作れる投手。 四田(mizkan) 先 新人王左腕。大きく曲がるカーブが特徴。 新人王 リゾナント(ガキんこまめ) 先 非常に小柄な打たせて取る投手。四隅にサークルチェンジを確実に投げ込める制球力が特徴。 イチロー(一浪) 中 逆境を乗り越えつつある。もう少しの辛抱か。 -- 清☆戦国大名(戦国大名) 中 コンディショニングが上手く、いきなりの登板でも調子を整えられるのが大きな特徴。若手ながら、最前線で投げる。 須藤博倫(3983) 中 穴の無い能力がウリの大卒投手。クイックモーションに長けた、天性の才能を持つ。 -- GG③ ももんが(飼育係) 中 3種類の変化球を巧みに操り、奪三振を狙う。将来のリリーフエース候補。 マダックス(デイデイ) 中 5種類の変化球と2シームを持つ異色の投手。これからどう育っていくか。 MICHEL(久) 抑 ここ数年は高いレベルで安定した投球を見せる。9回はこの投手が居るという安心感を感じさせる。 -- AS① B9① [タイトル略称] MVP:野手or投手MVP 新:野手or投手新人王 沢:沢村賞 三:三冠王 CH:サイクルヒット 首:首位打者 本:本塁打王 打:打点王 盗:盗塁王 安:最多安打 出:最高出塁率 防:最優秀防御率 勝:最多勝 奪:奪三振王 率:最高勝率 救:最多セーブ(最優秀救援投手) 中:最優秀中継ぎ B9:ベストナイン GG:ゴールデングラブ AS:オールスター ASMVP:オールスターMVP 来場者数 今日の観客数 - 昨日の観客数 - 合計観客数 -
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東北楽天ゴールデンイーグルス 101年度野手 選手名(製作者) 守 評価 称号 獲得タイトル UNIQUE(ワータル) 捕 リード面でチームに貢献。若手投手の活躍は彼による部分が大きい。 パルプンテ AS② B9② GG② ちびくろサンボ(ヴェ・デルチ) 一 打撃タイトル獲得で才能開花か。1,2番が作ったチャンスを得点に結びつける重要な役割。 -- 安① AS② GG① しゃヴぁだヴぁ(にゃー) 二 101期加入の守備型選手守備能力は新人ながら◎、まずは守りで貢献。 -- -- 草野(草野) 三 楽天の4番。爆発した年こそ無いが積み重ねた貢献は安定した打撃の証 -- GG① オジースミス(けんと) 遊 どこでも守れる、打てるユーティリティープレイヤー。チーム第一の行動で信頼が厚い。 -- B9① カル2(まあく) 左 楽天クリーンナップをトリを勤めるスラッガー。体力が多く残っており、長期に渡って活躍出来るだろう。 -- B9① 新人 黒木キャプテン(あだち) 中 楽天の中堅手として定着。ブレない守備成績と打撃成績は計算できる戦力。 -- B9① 赤星憲広(ネギ) 右 楽天の攻撃の基盤。トップバッターに定着。30盗塁は最低限の目標。 -- 盗① B9① 惑う人(うぇー) DH 転生ランクDの類稀なる才能を持つ選手。彼の育成を見守りたい。 -- 新人 101年度投手 選手名(製作者) 役 評価 特称 タイトル トロンC(戸田) 先 コントロールされたパームで勝負の軟投派。今回の選手も"投げ負けない"傾向は既に出ている。 -- 新人 GGG(SSS) 先 キレのあるシュートが持ち味の1年目。将来は主軸としての働きを期待させる。 -- -- トラコ(とらっく) 先 制球、スタミナ、球速を兼ね備えた本格派。まずは2桁勝利か。 -- マネージャー(admini) 先 強い雑草魂をもっていたるーとの2代目。被本率の高さを克服するのがカギ。 -- -- まぁ(まぁ) 先 1つの目標である2桁勝利を記録。要所を抑えた育成で既に「壁」になりつつある。 -- -- 御影(mizkan) 先 大物感漂う169cmの小柄な投手。101期入団。リーダーとして能力発揮に期待。突出した能力はないが致命的に劣った能力も無い。 暇人Ⅵ(tosiki) 中 先代のⅤが転生入団を果たした。実績のある中継ぎ投手なので若手中継ぎを引っ張っていって欲しい。 -- -- 新☆戦国大名(戦国大名) 中 速球と制球に定評がある。マウンド度胸が身につけば絶対的中継ぎエースに。 -- AS① 藤林椋(まほ) 中 かつての名センターが中継ぎで楽天復帰。新人王を獲得し、今季も若手でありながら若手先発陣を大いに助ける。 -- 新人 リャマ(飼育係) 中 制球力とピンチに特化した中継ぎ投手。先発陣が残したランナーは絶対に返さない気迫を見せる。 -- -- ヨロン(???) 中 制球力重視の投手唯一の外角低め得意の中継ぎ投手なので、連投出来る回復を備えたい。 -- -- さくらんぼ(フルーツ) 抑 確実な制球力で最終回を投げぬく。まだまだ若手なのでこれから絶対的抑えとしての成長に期待。 -- GG① [タイトル略称] MVP:野手or投手MVP 新:野手or投手新人王 サ:サイヤング勝 三:三冠王 CH:サイクルヒット 首:首位打者 本:本塁打王 打:打点王 盗:盗塁王 安:最多安打 出:最高出塁率 防:最優秀防御率 勝:最多勝 奪:奪三振王 率:最高勝率 救:最多セーブ(最優秀救援投手) 中:最優秀中継ぎ B9:ベストナイン GG:ゴールデングラブ AS:オールスター ASMVP:オールスターMVP 来場者数 今日の観客数 - 昨日の観客数 - 合計観客数 -
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東北楽天ゴールデンイーグルス 144年度野手 個々が安定した力を発揮する。 選手名(製作者) 守 評価 称号 獲得タイトル 嶋基宏(走る捕手) 捕 若手ながら守備能力が完成されている逸材。西村コーチの指導で走塁能力が開花、走れる捕手となった。 -- B9① 戯言遣い(tosiki) 一 昨シーズン嬉しい初打撃タイトル。ここ最近は非常に高い打率を維持し続ける。 -- AS① 首位打者① B9② GG① 噴火(鷹居) 二 四球を選び、堅実な守備を見せる。派手さは無いが確実さはある"いぶし銀"。 パルプンテ AS① 盗塁王① 岩崎小次郎(シャウト) 三 今期は下位打線を任されるが能力は一級品。勝利の叫びを轟かせられるか。 -- 木根(あだち) 遊 今期遊撃にコンバート。対左投手に対して非常に良い相性の良さを見せる。 -- AS① B9 カル5(まあく) 左 ベテランスラッガー、上田丑之助との3,4番コンビは脅威。ヒットを量産する固め打ちを得意とする。 B9③ GG① 鉄平(ネギ) 中 走力に優れた中堅手。今は力を磨き数年後の活躍を目指す。 べるとらん(c) 右 走塁能力に優れた左翼手。まずは、足を活かす為にバットに当てる能力を見に付ける事か。 -- 上田丑之助(ヴェ・デルチ) DH 楽天が誇る主砲。確実性の高い彼の打撃スタイルは侍と呼ばれる。侍の修行を終え、成果を野球に活かしきる。 侍 新人 B9③ MVP① AS① 首位打者① 最高出塁率① 144年度投手 それぞれの立場での役割をこなし、全員で勝利に繋ぐ。 選手名(製作者) 役 評価 特称 タイトル リナリー(ミュー) 先 楽天のエース。ダイナミックなマサカリ投法から投げ下ろされる精度の高い変化球で、打者を抑え込む。 マサカリ投法 AS③ 最多勝利② 最高勝率③ ASMVP① JJJ(SSS) 先 四球でピンチを迎えるが自慢の強心臓で抑えてしまう。草魂を見せつけ、打者に威圧感を与える。 草魂 --- C・ザンブラノ(ワータル) 先 ここ数年は安定した投球を披露。頼れる投手として成長してきた。 パイナップル(フルーツ) 先 キレの良いフォーク、シンカー、直球をインコース高めに投げ込む。大崩れする事無く、試合を作れる投手。 四田(mizkan) 先 新人王左腕。大きく曲がるカーブが特徴。 新人王 リゾナント(ガキんこまめ) 先 非常に小柄な打たせて取る投手。四隅にサークルチェンジを確実に投げ込める制球力が特徴。 イチロー(一浪) 中 少々逆境に立たされる。乗り切っていけるか。 -- 清☆戦国大名(戦国大名) 中 コンディショニングが上手く、いきなりの登板でも調子を整えられるのが大きな特徴。若手ながら、最前線で投げる。 須藤博倫(3983) 中 速球がウリの大卒投手。クイックモーションに長けた、天性の才能を持つ。 -- GG③ ももんが(飼育係) 中 リゾナントと同期の若手投手。またもや黄金コンビを作り上げるか。 マダックス(デイデイ) 中 非常にバランスの良い能力振り分けの若手。将来の精密機械か。 MICHEL(久) 抑 前選手は不完全燃焼のまま終えてしまった。心機一転自慢のカーブを駆使し、再出発を図る。 -- AS① [タイトル略称] MVP:野手or投手MVP 新:野手or投手新人王 沢:沢村賞 三:三冠王 CH:サイクルヒット 首:首位打者 本:本塁打王 打:打点王 盗:盗塁王 安:最多安打 出:最高出塁率 防:最優秀防御率 勝:最多勝 奪:奪三振王 率:最高勝率 救:最多セーブ(最優秀救援投手) 中:最優秀中継ぎ B9:ベストナイン GG:ゴールデングラブ AS:オールスター ASMVP:オールスターMVP 来場者数 今日の観客数 - 昨日の観客数 - 合計観客数 -
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は行 パタパタ スタミナが非常に少ないためワンポイントとして期待された中継ぎ。 現在スタミナの増量に力を入れている。 パニーノ小林 小林JS監督と同じ名前の選手。捕手として細山田に威圧をかけていく。 口ぐせは「畜生!○○のやつ、許せねえぜ!」 6期目にしてようやく正捕手として入団が可能になり売名していくらしい。 ヒザ神 本名村上。直立不動な投球ばかり続けるのでそういうあだ名になってしまった。多分。 スタミナにはちょっとだけ自信はあるがスタミナが切れやすい。でも根性で投げきりまくる。 微分積分 極限値や導関数などを利用してインテグラルな攻撃を見せる投手。 監督が理解できないので解雇 平野佳寿 先発でもありセットアッパーでもある大回転投手。鋭く落ちるVスライダーは星も驚く。 セットアッパーの予定だったが予定が狂い先発・・・と思いきややっぱり中継ぎにされてスタミナ調整が狂い解雇されるかわいそうな奴。 プニキ とんでもない実力を持った青波の誇る最強最高質の4番打者。 流し打ちなのに200mも飛ばせるパンチ力が持ち味。 蔕蔕蔕蔕蔕蔕 投手としての素質がない選手。可哀想だが野手の空きがないから仕方ない。 紅色リトマス 特徴が無いのが特徴の外野手。平凡さを活かしてスタメンを奪取する。 細山田 抑えながらも綺麗な流し打ちで打てるレティとは違うタイプの捕手。実質こちらの方が上位に経った。 細山田教という捕手の教えがあるらしい。 ま行 マリノス 内野の要として期待されている選手。ミート力と走力で力を発揮する。 紫ピクミン DDDホークス時代で大きくブレイクした選手。残りの数年間を青波で骨を埋める。 その実力は測り知れない物であり、多くのタイトルをかっぱらっていった。史上初の三冠王でもある。 メリー 背面投げを得意とする投手。地味枠に入れられているため2P化が懸念されている。 や行 ヤナップ 中間管理職として活躍している外野手。ホークス最後の3割バッターでもある。 山田 まとも系投手その1。まともすぎて2Pっぽい気がするので留学させられている。 ユウキ 本名は田中。先発ローテの一角に名を挙げている。 ら行 わ行 藁藁藁藁藁藁 面白い投球ばかり行う選手。ファンは沸かすが監督を沸騰させることで有名。 投球フォームはとりあえず渡辺俊介、新垣渚、岩崎哲也、杉内俊哉・・・とたくさんある。 ローマ字 A-ロッド あのヤンキースの大型選手が助っ人として入団。 期間は短いが多くの本塁打を量産する。 Nエリー あのお騒がせエリーが進化して戻ってきたらしい。 少しだけ曲がる変化球と相変わらずの豪速球でとにかくごり押す。 SUUMO 各都道府県に必ず家を1個以上構えるとんでもない富豪。 選手のために家を探してくれる超お金持ち。バットやグローブなども純金製である。 LUCCA ルッカ。本当の名前はリュカだが前歴の黒歴史を払拭するためにLUCASとしたがしっくりこないためにLUCCAと変えた。人違いです。 意外と打率を残せるため作成者からの好感度が急上昇しているらしい。スノッピーなど知らん。 WRIRICA ホークスの時に入団したが不振が多くいつ切られてもおかしくない状況の中、最後に結果を出した が、チームが消えてしまったためこちらに移籍という形での入団。 やはり他先発に花があるため何か形を作りたい。 記号系列
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1 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 21 51 50.11 ID OPTJxJO9 二岡「坂本は入れない」 2 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 21 53 40.64 ID y+Dc7Wsf 二岡、モナを召集するも辞退され発狂 3 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 21 53 45.67 ID 7E1iVjat 1 2 3 4二岡6 5 6 7 8 9 4 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 21 54 23.56 ID kHcJIebZ 今岡「待たせたな」 6 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 21 57 05.90 ID Mbx23W4F 1清水 2仁志 3江藤 4二岡 7 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 21 57 55.76 ID e5Se0KuU 矢野・林「行きましょう先輩」 8 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 21 58 59.68 ID N15qussO 投手 一場 那須野 野間口 林 木佐貫 12 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 04 58.16 ID gIxbN3Aa なおWBCについては、候補に挙がったプロ野球選手(二岡除く)がすべて辞退している。 14 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 10 36.03 ID xbBuJX+z 條辺「食料班として二岡の為にベストを尽くしたい」 18 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 18 24.09 ID LMJ0fjNo 木佐貫、久保・小田嶋と悲壮感を真似する 19 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 21 40.30 ID 2B47NW2S 東出「兄さん!!」 20 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 21 52.88 ID OPTJxJO9 二岡「サムライジャパンなんか最初からいらんかったわ!」 21 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 22 16.82 ID TaWkwYPm 木佐貫に円眼鏡掛けさせたら帰還兵だよね 25 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 30 37.52 ID d1GMAzLV 西岡 片岡 二岡 今岡 森岡 鶴岡 27 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 33 24.14 ID LMJ0fjNo 二岡、吉岡にコーチ就任を要請する。 28 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 34 49.51 ID y+Dc7Wsf 25 つピッチャー松岡 29 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 35 10.58 ID Rc5OIO3Z 二岡JAPANって、不倫経験者によるチームか? 33 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 45 02.13 ID cCGRXqIt 立浪の出番と聞いて(ry 34 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 47 12.01 ID bRIQR1I5 夜の三冠王は? 37 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 51 26.83 ID QUD1bCra 1左 清水 2二 仁志 3右 谷 4遊 二岡 5三 今岡 6中 矢野(G) 7DH 鳥谷 8一 小田嶋 9捕 鶴岡 ピッチャー 藤井(F) 久保(G) 木佐貫 岡島 那須野 一場 多田野 38 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 22 53 26.13 ID c2J0Ox/8 五反田ジャパン 39 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 23 05 17.86 ID zBr+7ooZ 37 普通に強くね? 40 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 23 07 51.78 ID 4WXixqDU 不倫的に代打立波は欲しいところ 41 :どうですか解説の名無しさん:2008/12/15(月) 23 08 48.77 ID Qx17lFwz 監督はデーブで