約 4,797 件
https://w.atwiki.jp/pantagruel/pages/43.html
編集(管理者のみ)★ レビューについて yahoo映画にいくつかレビューを書いていたのだが、一度に思ったことの総てを書くことができず、どうしても追記したいことが出てくるので、ここに書くことにした。また、私の感想は、厳密にいえば感想でも評論でもなく、しいて云うならストーリー分析なのかもしれません。しかし、私の興味の対象はその辺りにあるので、これは致し方ないものとして容赦していただきたく思う。同じようなことに興味を持っている方に読んでいただければ幸いです。自分の中では映像作品はどのようなストーリーが面白いのか明確な理屈があるのですが、それについては個々のレビューの中で話していければと思います。 編集(管理者のみ) 永井均 幸福な人々 たとえば「人生の意味」や「本当の自分」を求めているように見える人々が存在する。自分の世界が自分のために準備してくれた意味や本当さが如何にしても偽物のように感じられるならば、人は別の場所に意味と本当さを求めなければならない。そんなものを求めてはならないとか、そんなものは存在しないとか語る人は、もうすでにそんなものを求める必要がないほど幸福な生を生きているにすぎない。「道徳とは復習である」永井均(河出文庫) 友だち 人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき、なによりたいせつなことなんだ。そして、友情って、本来、友達なんかいなくても生きていける人たちのあいだでしか、成り立たないものなんじゃないかな? 「子どものための哲学対話」永井均(講談社文庫) 善なる嘘 善なる嘘という概念を永井均は云っている。これが何か知りたくて、「魂に対する態度」という本を、本屋で立ち読みしてみたけれど、速攻で挫折した。知りたいことは知りたいのだが、もう無理ぽ。 編集(管理者のみ) 再生可能エネルギー促進法 再生可能エネルギー促進法に賛成する議員が何名かいるようである。政治家というのは国民のことを第一義として考えているのではなく、弱者の味方なわけでもなく、単に勝ち馬に乗りたいだけの人たちなのだと改めて感じた。民意を汲んだ方が勝ち馬に乗れると思ったときにだけ国民の方を向くのである。しかし、それもまた人間である以上仕方のないことだとも思う。政治家には大方そういう人たちがなるのであって、聖人は政治家などにはならない。それでも、全く民意が反映されないような社会よりは大分ましであろう。 菅さんが浜岡原発を止めてから急激に菅降ろしの動きが活発になった。鳩山さんも原発には反対だとばかり私は思っていたのだが、菅降ろしに加わっているようである。政界というのは矢張り私などには計り知れないほど不可解だ。菅さんは原発を問うて解散総選挙をしないのだろうか。私はそれもありだと思う。 私自身は原発そのものを批判しているというよりは、それを取り扱う東電と政府に問題があるとする立場で、必ずしも原発そのものをなくさなくてもよいのではないかと思っている。 しかし、そもそも人間は必ずミスも犯す生き物だし、さらに大半はどんなに高学歴であっても単なる俗物に過ぎないのであって他人の安全な暮らしなど差し置いてすぐ金に目が眩む生き物である、だとすればいかなる企業や政府であっても原子力発電所を問題なく取り扱える組織など存在しないのだ、だから原発には反対なのだ、そして原発事故はただの一度であっても起きてはならないのであって、放射能で死ぬ子どもは一人としていてはならないのだ、と考える国民が大半を占めるならば、民意に従って原発を廃止するしかない。それは直接国民に問うてみる他ない。 その結果、仮に電気代が上がって日本の産業が衰退しても、自分たちで選んだ道だから仕方がない。それが民主主義であろう。そんなことも分からずに反原発に票を投じる人間は愚かだとか何とか経済学者系の言論人は云っいてるが、それは自分の趣味を自分以外の人間に押しつけるパワーゲームに過ぎないと思う。 編集(管理者のみ) 功利主義と博愛主義 人が人に優しくするのも、自分にとって何らかの功利があるときのみである。 人が仲間を作ろうとするのも、その仲間が自分にとって何らかの功利をもたらすときのみである。 仲間にすれば、自分の利益が増えるときのみである。 人は博愛的な感情から、仲間を作るわけではない。 だから足を引っ張る人間を仲間にしたりはしない。 ただ隣人だからという理由で、そいつを仲間にしたりはしない。 道に倒れている人がいても、どんな奴かが分からないうちは手を差し延べたりしない。 カモれる奴からはカモり、仲間になれば互いに得になると判断すれば仲間にする。 子分になった方が利益が上がるなら、媚びへつらう。 子供の頃ならいざ知らず、大人の人間社会とはかようなものである。 ここでいう利益とは、単に金銭のみならず、喋っていて楽しい気持ちになれるということも含まれる。 異性なら容姿端麗で見ているだけで眼福を満たすとか、容姿は悪くとも冗談を言って笑わせてくれるだとか、直接の儲け話でなくとも多岐にわたる有益な話題を持っている奴とか。 人は独りでは生きていられない。どんなに人に傷ついても、それでも人を求めずにはいられない悲しい業を背負うて生きている。 生かされている。 ある寂しい者同士が、街中で出会い、先の先まで全くの他人であったのに、何の気まぐれか、どちらからともなく会話を交わし始めるとき、その人たちは互いに他者を求めている。自分を承認してくれる他者を。 このとき、金銭的なやりとりは一円もなくとも、寂しさを埋められるという点に於いては、互いに利益があるから語りかけるのだ。 本当の意味での博愛主義、世俗的な意味合いに於いては何の特にもならなくとも、 ただ、みんなが、見ず知らずの者も含めたみんなが、仲間のように振る舞う世間であった方が楽しいから、ただそれだけの理由で他人に優しくする人はこの世にはいない。 編集(管理者のみ) もしも僕の考えがルサンチマンの価値転倒に過ぎないとしても それでどうする? 僕は価値転倒したこの世界で育ったんだ。 僕に憐れみを感じるならば、僕のような人間がもう二度と生まれないようにすればいい。 けれど、どうすればいい? 価値転倒を戻すのか? そんなことできるのか? お前たちに。 戻さないのか? では僕は再び生み出される。何人も何人も。 僕の意見? そんなこと知ったことか。僕は僕の感じるままに生きるんだ。 少数の弱者のことを考える必要はあるのか? 少数の弱者の立場になってものを考えるのには意味がないとすると、私はもう何をする気も起きない。 自分にとっては無意味なことをやり続けることでしか生き延びられない不幸。 あらゆる意味において、人生とは死ぬまでの暇つぶしに過ぎないことが喝破できてしまった。そんなにいきり立ってやんなきゃならないことなんて何にもないんだよ。世界はひとえに無駄話でできている。楽しくてたくさんの人に好まれる無駄話か、深刻だけど一部の人にとってはとても重大な、だけどやはり結局のところは無駄話でしかないものか。 奴らは毛ほどの思いやりも持ち合わせていない。そう。この世に親切な人などいないのだ。そして、私は、親切な人がいない世界に生きていても、生きる意味を感じない。なぜなら、私にとって生きる意味とは、人と人との絆を意味するからだ。それは金で結ばれるような絆ではない。これはアリストテレスのいう友愛に似ている。 編集(管理者のみ) 雇用を作る方法 雇用を作る具体的な方法って何があるのだろう。公共事業。それから……。 景気がよくなれば人々が本来は必要のないものにもお金を使い始めるから、その本来必要のない需要に対応する仕事はできる。 イノベーションが起きれば、それは実際便利なものとして人々がそれを買うから、それに対応する仕事はできる。その仕事が専門的な知識や技術をあまり必要としない場合は特に雇用対策としても有効となろう。 雇用創出というよりは、需要創出という方が正しいような気もする。 しかし、需要を創出なんて政府に本当に出来るのだろうか。政府にイノベーションなんて起こせる筈がない。だからこれは却下だ。景気をよくすることで雇用対策を行うのは、本質的な解決方法ではないような違和感が昔からしているのだが、現実的にはこれで凌いでいくしか方策がないのだろうか。 編集(管理者のみ) ソーシャル・ネットワーク ネタバレ含む ソーシャル・ネットワークは何が面白いのか自分でもよく分からないのだが面白い映画。映画館に二回見に行ってしまった。映像のテンポと音楽にだいぶ誤魔化されている気はするのだが、それでも、ストーリー的にも心に残る何かがあるような気がしてしまう映画。現代の市民ケーンといわれればなるほどその通りか。しかし、私の感じるストーリー的な何かはそれとも少し違っている気がするのだけど、それを言葉で巧く表現できない。 書きながら思索してみる。何か分かるかもしれないし結局分からないかもしれないが。 ラストは、どんなに富を手に入れても、一番欲しいものは手に入れられなかった、それは初恋の人である、とよくある名作のパターン通りに受け取るべきなのだろうか。多くの人はまず初めにその解釈を頭に浮かべるだろう。私もそうだった。しかし、すぐに疑問符も浮かべるのではなかろうか。そうでないようにも思えるのだ。それについて映画内では何も言及しないところが面白い。映画内で、それほど彼女のことを痛切に恋い焦がれていたようには描かれていない。冒頭と、中盤より少し前、サイトが軌道に乗りかけ、話題になり始めた頃に彼女は登場するのみである。彼女はいわば発端である。サイト発祥の切っ掛け。 本当に欲しいものは彼女だったというよりは、本当に欲しいものは今でも何なのか分からない、といった気持ちではなかろうか。その意味では、この映画から受け取る感銘は「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」に近いかもしれない。どんなに巨大な富を手にしても、いったい何のために俺はこんなことをしているのか分からない、という感慨だ。 現在の場面は法廷以外まったく描かれないのも面白い。学生時代の人間関係を全部失ってしまった主人公だが、その一方で新たな人物関係だって築かれているはずだ。けれども、それは矢張り学生時代の友人とは質が異なるだろう。本当の意味で気心の知れた友達は皆無かもしれない。青年は誰しも、ただ大人になってしまったというだけで、何一つ悪いことなどしていなくとも、子どもの頃の純粋な友達を失う。この感情は殊更に大きな富を得た成功者だけでなく、市井の人にもあることで、「スタンド・バイ・ミー」に描かれている心情である。 ちょっと思い付くままに考えたことは以上のようなことで、結局たいした評論なり寸評は導き出せなかったけれど、「ソーシャル・ネットワーク」の印象はつまり「市民ケーン」+「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」+「スタンド・バイ・ミー」のようなものである。 編集(管理者のみ) チェイサー ネタバレを含みます。比較のため「母なる証明」と「冷たい熱帯魚」もネタバレします。 傑作。最高の面白さ。確かこの映画も劇場に二度足を運んだ。一度目などは先の展開が予測できず、まさに食い入るようにして見ていた。 語りたいことはいろいろあったのだが、見てから数年経った今、次のことを語りたい。それは、母なる証明や冷たい熱帯魚を見ても、優れた映画だと思いこそすれ、好きか嫌いかでいうと、私はこれらの映画を好きではない。しかし、チェイサーは優れている上に好みでもある。この違いは何なのか自分で考察してみた。 主人公は自分の店で働く女を殺人鬼のところに送り込み、間接的に死なせてしまったと自分を責めている。とはいえ、その罪科は見ている側からは、主人公が結末で死ななくともぎりぎり溜飲を下げられる罪業に留まっている。少なくとも私にはそう思える。ここが重要なのだ。 母なる証明に、私は溜飲を下げられない。同情に値する如何なる理由があろうとも、人道から外れた罪を為してしまった者には、必ず破滅が訪れる、という筋が私は好きなのだ。それは、例でいうと砂の器のような話だ。その意味では、母なる証明の結末は、私の興味を満たさない。あれ以降の母と息子をこそ見てみたいと思ってしまう。あのような行為をした者たちには、破滅が訪れるまで描き尽くしてくれなければ、観客として溜飲が下げられないのだ。ポン・ジュノ監督はわざと観客をちゅうぶらりんにしたまま映画を終えているのも分かるのだが、私は割と正攻法なストーリーの方が好きなのだ。 冷たい熱帯魚では、なるほど人道にもとる領域にまで踏み込んでしまった主人公は破滅する。しかし、この主人公にはそもそも、巻き込まれたのだとはいえ、同情に値するほどのこの世の不条理を喰らわされていない。だから不条理系の文脈では読めない。自分の優柔不断さが招いた破滅だと感じられる。もちろん、あのような悪魔的な主犯を前にして、そこから逃れることなど不可能であるのかもしれない。だがそれでも、自分の命と引き替えてでも正しさを貫く局面はそれまでにいくらもあったのではないかと思えるのだ。 先にも述べたが、チェイサーの主人公は一応のところ観客から見れば一線を踏み越えていない人物だ。だから、ラストで破滅を迎えなくともよい。自分のしたことで罪亡き人を殺してしまった自責の念を持ってはいるが、観客からは、最期に破滅してくれなければ溜飲を下げられないほど深い罪ではないように見える。そんな結果を巻き起こすなんて、あの時点では誰にも分からないことだった。ともすれば、私だってあなたと同じことをしたかもしれないと思える。そしてその罪を贖うべく、命の限りを尽くして奔走し、邪悪に立ち向かう。これが重要なところで、これは、私が大好きなシュタインズゲートの主人公オカリンとも似ている。 最期に、主人公は犯人にトドメを刺そうと決意したろう。しかし、まさしく映画的ジャストタイミングで立ち現れる元同僚の警官に止められる。これは主人公の本意ではなかっただろう。しかしこれも、観客からはすんでのところで救われた気持ちになる。そして、子どもの寝顔と共にこの世の寄る辺なさを示して映画は終わる。何が正しいのか正しくないのかを余韻に残して。 このように、チェイサーの人物造形は極めて優れている。これが、私がこの映画に惹かれて已まない理由なのだ。 加えると、結末で主人公が罪を犯すか犯さないかは、セブンとの対比も思い浮かぶ。ただ、セブンの主人公は厳密にはサマセット(モーガン・フリーマン)だ。この点含め、考察してみると面白いだろう。いつかしてみたい。 編集(管理者のみ) ブラックスワン ネタバレ含む。ブラックスワンは面白くなかった。話に乗れなかった。けれど、面白いと言っている人が多数いるので、もう感性の違いなのだろうと思う。私にはこのタイプの映画を楽しむ感性がないのだろう。せのちんさんはイヴの総てを想起したと言っていたが、私はミヒャエル・ハネケのピアニストを思い浮かべながら見ていた。そして私はミヒャエル・ハネケもあまり好きではない。ちなみに、レスラーは好きだった。 私は乗れないのだけど、みんなは楽しんでいるようだなあと思う部分があって、それは、最終部での幻覚。どうも私は、若い頃にミステリ小説を読んでいた影響だろうが、語りのフェアネス性が気になる質なのだ。つまり、ストーリーテラーは受け手に嘘をついてはいけないというやつだ。見えているものが幻覚かもしれないことを、みんなはそれこそをこの映画の興趣として楽しんで見れるようなのだが、私はそういう風に見れなかった。 私には、この映画は、それが幻覚であるかもしれないと、いってみれば一人称映像なのだと、映画の始め、あるいはせめて中盤から誘うようにはできていないと感じる。最後に至って肝心の部分に幻覚落ちを当てはめてしまった興ざめの映画に感じた。肝心なことを幻覚にしてしまっていいなら、もう何でもありやないか!そんなストーリーの筋に真面目に付き合ってきた私の時間を返せ!と思ってしまう。確かに中盤から幻覚描写はいくつか挟まれてはいる。だが、核心に迫ること、主人公が殺人を犯すかどうか、犯したかどうかに、妄想を持ち込むか持ち込まないかは、別のレベルの話だ。殺人を犯す人間は多かれ少なかれ心神喪失状態にあるのだ。狂っているから殺人を犯すのだ。狂っているから殺人を犯すのだという、その狂っている描写の延長に、殺人を犯した部分までもが、狂っている人の妄想だったという落ちは、だったら結局この話の筋を追ってきた意義は何だったのか、という気分にならないだろうか。少なくとも私はなる。 まして、幻覚であるとしても、自分の中の白鳥を殺すのか黒鳥を殺すのかで意味合いは百八十度異なる筈なのに、どうしてそのことに違和感を唱える人がいないのだろう。自分の中の白鳥を殺して黒鳥が目覚めるのなら意味はすんなりと分かる。しかし、自分の内にある黒鳥の幻影を殺して白鳥である自分が黒鳥に成り代わるというのは、少し捩れているというか都合のいい解釈だ。主人公の心理からストーリーを紡いだというよりは、トリッキーな話を先に思いついて後から解釈を当てたように見える。と、そんなところが私がこの映画に感じた不満なのだけれど、私と同じことを考えている人がどこかにいたらいいなあと思って、ここに記している。 編集(管理者のみ) 再び憲法二十五条 blog転載済 第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 社会が考えなければならないことは、抽象的に突きつめれば2点で、人が保持できる最大利権はどれほどのものか、と、人に保証される最低人権はどれほどのものか、である。もっと端的にいえば、強者の上限と弱者の下限の定義だ。このうち、後者を表した憲法が二十五条である。 健康で文化的な最低限度の生活とはどのようなものなのか。私は、この世に生まれてこなければ好かったと思う人が一人もいないことだと思う。もちろん、それも、ただ我が儘で、甘ったれた考えで「この世に生まれてこなければよかった」と言って、社会への軽蔑を募らせ、社会へ復讐する人がいるかもしれない。例えば、加藤智宏はどうなのか。その判断基準は難しい。そんな主観的なことを国民の合議体が明確に決められるとは思えない。それでも、それを考え続けるのが社会学者、批評家、小説家、哲学者だと思う。本来は、かような人間たちが立法府の人となるべきなのだが、なかなか現実的には難しく、実際に立候補し、当選し、政治家となる人々のメンタリティと、かような人たちのメンタリティは懸け離れている。非常に嘆かわしいことであるが、まあ、これはまた別のときに考えよう。 この世に生まれてこなければ良かった、と思わせる要因を抽象的に突き詰めると、疎外感だと私は思う。例えば貧困をとっても、貧困そのものは要因ではなく、日々目にする人たちと惨めな自分との落差からくる疎外感が、貧者を苦しめるのだ。 「善意とはルサンチマンの価値転倒にすぎない」ことと、「人間のうち善意ベースで他人を捉える人は極めて少なく、その殆どは損得ベースで他人を捉える」ことを社会は厳然たる事実として認めた上で、「生まれてこなければ良かったと思うほど疎外感を募らせる者を一人も出さないこと」これを目指すべきだ。生まれてこなければ良かったと思う人が一人でもいるならば、それは社会の欠陥である。もしもこれに否を唱える人がいるならば、憲法二十五条など破棄してしまえばいいし、封建時代、あるいは戦国時代に社会制度や社会規範を戻してしまえばいい。世を混沌に返せばいい。ホッブスやルソーのいう原初の状態へ、人類を返せばいい。近代社会など目指さなければいい。 私がここで言う「生まれてこなければ好かったと思うほど疎外感を募らせる人間を一人も作らない」は、宮台真司の云う、包摂された社会を作ることと同じかもしれない。私は、自分自身ではコミュニタリアンというよりはリバタリアンだと思っている。 しかし、包摂された社会を作ることとコミュニタリアニズムが似たものであるのならば、この一点においてはコミュニタリアンであるのかもしれない。 私は永井均「倫理とは何か」で説明される程度にしか、リバタリアニズムとコミュニタリアニズムを理解していない。だから、特にコミュニタリアニズムが何なのかは正確には分かっていない。それでも自分の意見を以下に書く。もしも、間違っているようならtwitterに連絡をくれると嬉しい。 私がコミュニタリアニズムよりもリバタリアニズムを信奉したい理由は、リバタリアニズムはコミュニタリアニズムを包含していると思うからだ。社会の最も基盤の部分をリバタリアニズムにしておけば、コミュニタリアンとして生きたい人はそうすればいいし、そうしたくない人はしなければいい。つまり選択の自由がある。社会システムの最低部をコミュニタリアニズムにしてしまったら、リバタリアンとして生きたい人は、それができない。 ただ、先に私は「生まれてこなければ好かったと思うほど疎外感を募らせる人間を一人も作らない」を社会は目指すべきと書いた。疎外感を排除することは、包摂された社会を作ることと同じかもしれない。 おそらく、疎外感を募らせる要因はコミュニティにある。これが、私がコミュニタリアニズムを本能的に懐疑する理由だ。コミュニティに属しているから疎外感が膨らむのだ。しかし、ここで私にとって難しい問題が出現する。疎外感を癒やすのもまた、コミュニティでしか有り得ない、ということだ。コミュニティというよりは他者といった方が解り良いかもしれない。「包摂された社会」とは狡い言い方で、それは善なる関係性に包まれているイメージを暗黙的に刷り込んでいる。 包摂された社会をシステムの方から作ることが出来るのかに、私は懐疑的だ。包摂された社会などと言葉では簡単に言えるが、その実態としては、一人一人の人間が、目の前にいる一人一人の他者を包摂しようと意志し行動しなければ、そんなものは出来ない。つまり、社会システムからではなく、一人一人の個人からしかそれは作られない。しかし、そのような善なる行為を人間の一人一人に期待できるだろうか。どのように民衆を啓蒙したところで無理だと私は思う。もう一度書くが、「人間のうち善意ベースで他人を捉える人は極めて少なく、その殆どは損得ベースで他人を捉える」ことを社会は厳然たる事実として認めなければいけない。その上で、どのようにして包摂された社会を作るのか、を考える。それが重要な議題ではなかろうか。単に地域の共同体を復権させるとか、そういったことだけではないような気がしてならない。コミュニタリアニズムと昔の共同体主義は異なるという言論もよく聞く。いずれはサンデルの著作なども読んでみたいのではあるが、ともかく今はその違いを私はよく知らない。そこで出てくるのが矢張り、ベーシックインカムである。人間関係による包摂などなくとも現金があれば人はこの世に包摂されるし、かつ疎外感を膨らませることもない。これが、弱者の最下限としてベーシックインカムの導入を再び考えるようになった理由だ。 編集(管理者のみ) 中島岳志 フライデースピーカーズ2011/7/1放送 「困っている人」(ポプラ社)の著者大野更紗との対話。これの50分くらいのところで、善意は制度に組み込まれた方が好い、なぜなら、周囲の人との直接的な善意にばかりに頼っていると、みんなにありがとう、ありがとうと言い続けなければいけなくなって、苦しいからだ、と云っている。 これを聴いたとき面白いと思った。面白いというか、引っ掛かった。私はまったく逆のことを考えていたからだ。 永井均「倫理とは何か」を読んでからというもの、倫理や道徳、善意などについていろいろなことを考えるが、その中の一つにこんなこともあった。善意がすべて制度に組み込まれてしまって、善意と感謝の直接的な関わりがすっかりなくなった世の中に暮らしていても、まったくもって虚しい限りなのではないか、善意は制度外でこそ為されるべきではないか、というもの。 まあ、ここで中島岳志がいう文脈は、小さなくなり過ぎた政府をもう少し大きい側に戻そうというもので、それは私も理解できる。何事も極端なのはダメなのであって、中庸が大切なのだと思う。中庸をお勧めするアリストテレスはすごいなぁ、とこんなところでも思う。 困っているひとはネット上でも読めます。 それに続いて、1時間11分くらいから、仁平典宏「「ボランティア」の誕生と終焉」(名古屋大学出版会)を取り上げて、ボランティアの話もある。こちらも興味深い。これもまた、私の考えとは逆であったからだ。善意には、制度に組み込まれた善意と、制度に組み込まれていない善意がある。後者はつまりボランティアのこと。上にも書いたように、私は制度に組み込まれた善意よりも、制度に組み込まれていない善意が世に溢れていた方が、それを受ける側か与える側かに関係なく、人はより充実感を得ながら生きていかれるように思うからだ。だから、私は、善意とは基本的に持てる者がその余裕の範囲でするものなのだと思う。善意を制度によって義務化することはないとすら思う。これは、いやいやだったらやんなくていいよ、という心理に基づいている。要するに、私はボランティア推奨派なのである。 中島岳志も仁平典宏も、なにもボランティアそのものを否定してはいないだろうが、ボランティアには、それを行う者のメンタリティ、内面の未成熟によっては、ある問題を引き起こす。その問題について書かれた本であるらしい。 これを聴いたときに私が思い浮かべたのは、永井均「子どものための哲学対話」講談社文庫、第一章の8、こまっている人を助けてはいけない? だ。 この文章は見開き2ページの短いものだけれども、引用するのはもったいないのでここに書き写さない。ぜひとも自分で本屋に行って読んでもらえたらと思う。まあ、ググればどこかに書いてあるかもしれないけどね。 しかし、ここで永井均が云うようなメンタリティを理解できる人は、人間が百人いたとして、一人いるかいないかだと思う。哀しいことだけれどもそれが現実だと思う。人間なんてそんなものだと私は思う。知識層がどれほど啓蒙しようとも、人々の意識は未来永劫に変わらないであろう。 社会学者である中島岳志は、そんなことは分かった上で、では制度をどうすればいいのかを考えているのだろうか。社会は、さまざまな矛盾を孕みながらも、そこそこ概ね問題なく、どうにかこうにか回していければ好いのだと思う。本当は偽善で自己満足にすぎない行為であっても、する方もされる方も、それを偽善と感じずにいられる社会制度が発明できたら、どんなに素晴らしいことだろう。社会契約のように、それが結ばれたら、結ばれた前の世界にはもう戻れず、結ばれる前の世界ではどんな意識下で私たちが暮らしていたのかを想像することすらできないようにする制度。そんな制度を発明するかとが可能だろうか。 こちらに中島岳志の書評があります。 ラジオではその後で、開沼博「「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社)も紹介しています。 震災は、倫理や道徳など、私が普段から考えていた問題を、分かり易い形で現出させるとつくづく思う。 編集(管理者のみ) フレデリック・ワイズマン フレデリック・ワイズマンが蓮實重彦氏と共に行った講演上で、こんなことを云ったらしい。「私は確かにマルクス主義者だ。もちろんそれはグルーチョの方だが」と。このセンス好きだなあ。 まあそれはいいとして、フレデリック・ワイズマンという名をこのところよく耳にするのは想田和弘監督の発言に依るところが大きい。 とは云うものの実は私はまだ一本も見ていない。そのうちどこかで特集上映もあろうし、これだけ話題になっていれば渋谷のTSUTAYAにもそのうちに入荷されるであろうから、時間のあるときに見てみたいとは思っている。 それで、ワイズマンのことは想田監督がラジオやニコ生に出演したときの話で朧気に知るだけだが、そのポイントは、おそらく想田監督と近いと思うので、想田監督の言葉を借りて云うと観察だ。観察と記録は違うのだろうか。想田監督の中ではこのニュアンスの違いはあるのかもしれないが、まあここでは置いておく。私がポイントにしたいのは、啓蒙ではない、ということだ。確かに想田監督が登場するまでは、ドキュメンタリーは啓蒙を目的としているものと、意識することなく頭から思い込んでいた。啓蒙しないドキュメンタリー、結末でメッセージを発していないドキュメンタリーを見たことがなかったからだ。寧ろ作者の意見が分かり易く伝わってくる作品を、優れた作品だとする尺度に当然のものとして慣らされていた。しかし、想田監督はそれを真っ向から否定した。頗る面白い数編の作品によって。 これと同じ論法で、記録小説、というものを考えた。私がここでポイントとしているのは啓蒙しない、ということである。私は小説には道徳や善悪、倫理を書くものだと思っていた。主人公の行動や成長を通して。それは云い替えるなら啓蒙である。主人公を通して読者に、あなた方もこの主人公のように立派な行動をしてくださいね、と啓蒙しているのだ。しかし、そんなもの要らないんじゃないかと想田監督からインスピレーションを受ける。そうして改めて考えてみると、ブコウスキーの小説は記録小説なのではないかと思う。「ポストオフィス」「勝手に生きろ!」「詩人と女たち」これらの作品はブコウスキーの人生の記録だ。別に結末に感動や主人公の成長があるわけでもない。ただ、人間世界の碌でもなさを描き続けているだけである。 dig倉本聰回。 http //podcast.tbsradio.jp/dig/files/dig20110826.mp3 神回だった。ここでハッとする発言があった。獨白にも書いてあるらしいのだが、キャラクターは駄目なところから考えると倉本聰は云う。私は人間の碌でもなさが描かれている作品、ブコウスキーのような作品が好きだといいながら、倉本氏が云うような、登場人物の全てに於いて駄目なところから考える、ということはあまり意識できていなかったように思う。 編集(管理者のみ) 面白さについて 面白さには三段階ある。通俗レベルの面白さ。文学レベルの面白さ。哲学レベルの面白さ。 通俗レベルの面白さとは、親切な者は報われる、というような話。 文学レベルの面白さとは、何の希望もないように思えるこの世にも、一筋の希望はあるかのように語る話。 哲学レベルの面白さとは、この世には何の希望もない。無意味である。という話。 作品名を挙げるなら。 通俗レベルの作品。「第九地区」。「永遠の仔」「虞美人草」。「シュタインズゲート」。 文学レベルの作品。「オアシス」「シークレットサンシャイン」「人生万歳」。「蛇にピアス」「赤目四十八瀧心中未遂」「越前竹人形」。 哲学レベルの作品。「ノーカントリー」「ペパーミントキャンディ」「カイロの紫の薔薇」。「行人」「毒もみの好きな署長さん」。「死をポケットに入れて」。 といったところか。ある優れた作品は必ずこの三つのどれかに分類されるというものでもなく、どれに分類するか迷うものもあるのだが、物語作品は大きく分ければこのような三つの種類に分けられると私は感じている。 「永遠の仔」などは文学レベルの面白さに近いのではないかと私自身も迷うが、別に明確な境界があるわけではないので、そこまで厳密にこだわることはない。あくまで、ここで説明するための目安である。「永遠の仔」は直木賞候補作だからというのも通俗的な部類に入れた根拠でもあるが、ならば、直木賞を受賞してしまっている「赤目四十八瀧心中未遂」が文学レベルの面白さなのはどう説明するのだと、私の中でも境界は実に曖昧なのだ。 私は別に通俗レベルの面白さは低俗だと言っているわけではない。それも大好きである。佳くできた作品であれば、大いに感動する。 哲学レベルの話は、身も蓋もない話と言い替えてもよい。だから、普通の意味での感動的なストーリー展開や結末はない。だからここでは少し置いておくとして、通俗レベルと文学レベルの面白さの中で、私が面白いと思う話には、ある形がある。 それは、本当の孤独を知っている者どうしの絆、が描かれていることだ。 「第九地区」「永遠の仔」「シュタインズゲート」「オアシス」「赤目四十八瀧心中未遂」には、本当の孤独を知っている者どうしの絆、が描かれていると思う。 そうでないのに私が好きな作品もある。「虞美人草」「シークレットサンシャイン」「人生万歳」「蛇にピアス」「越前竹人形」には、本当の孤独を知っている者どうしの絆が描かれているようには思えない。であるにもかかわらず、どうして私はこれらの作品を好きなのか。これらは、主要な登場人物二人のうち、一方だけは本当の孤独を知っている。他方は、本当の孤独を知っているかどうか、危うい。あるいは、二人とも孤独を知ってはいるのだが、その孤独の種類が異なるため、ふたりの間に結ばれる絆がとても儚いものである、といった作品群だ。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」もこうしたものが意図せずに描かれている。ジョバンニは本当の孤独が何かを確実に知っている。カムパネルラはどんなメンタリティを持っているのか、よく分からない。本当の孤独が何か知っているのか知っていないのかもよく分からないが、やはり、本当の孤独が何かを知っていなければ、結末で明らかとなるあのような犠牲的行為は取れないだろうと私は思う。 以上に述べたことは、今の私の取っての面白さであるが、すこし観点を変て、一般的な面白味についても考察してみる。 一般的には、受け手にとって半歩、あるいは一歩先を行っていると思えることが、面白味なのである。 だから、今の私はもうミステリーを面白いと思わなくなってしまっているが、ミステリーを面白いと思う人がいたってまったく構わない。私もミステリーを楽しく読んだ時期はある。そうした趣向が、自分の半歩先を行っていると思える人にとっては充分な娯楽なのであるから。大いに楽しめばいいのである。 それから、また私の好みの話に戻るが、私は絶望をユーモアで乗り切ろうとするメンタリティが好きだ。ウディ・アレン。ブコウスキー。絶望の度合いは薄いけれども、ユーモアのセンスだけを取ってみれば、ウェス・アンダーソン、イ・チャンドン、ジャック・タチ、チャップリン、なども好きだ。ユーモアと絶望と、作品では分けて書いているものの、一人の作家としてそれを併せ持つ夏目漱石も好きだ。遠藤周作も似ているかもしれない。作家ではないが、永井均にもそうしたユーモアは見られる。とりわけ、猫が登場する著作に見て取れる。 編集(管理者のみ) お金で買えないものが社会にあることの方がおかしい という考え方は私には分かる。お金で買えないものはある。友情とか。しかし、それは社会の外の話ではなかろうか。少なくとも大人社会の外。公の社会の外だ。 大人に友情はないと云いたいのではない。大人にも友情はある。少ないのは事実だが。 社会という言葉の意味にもいろいろな範囲があるけれど、ここでいう社会とは、みんなが批判したり議論したりする対象の社会だ。 別に、すべてのものを社会に持ち込まなければいけないと云っているわけでもない。お金で買えないものがこの世に存在することの方がおかしい、と云っているわけではない。友情をお金で買えないのはおかしい、と云っているわけではない。 だから、言い方を変えると、お金で買えないものが社会に入ってきていることの方がおかしい、とか、お金で買えないものの話が国会の議題に挙がっていることの方がおかしい、とかだ。 編集(管理者のみ) .
https://w.atwiki.jp/masukomi/pages/76.html
マスコミ「与謝野」を擁護 目的のためには手段を選ばず。 戦争終結のためには「原爆投下」も正当化される。与謝野馨はそう主張したいのだろうか? この24日開会された通常国会では、野党から「議席ドロボー」と野次が飛んだ。 マスコミからは、何故、糾弾の矢が激しく飛ばないのか? 崩壊寸前の菅暴走政権の延命に与する与謝野の行為は、毒性の強いインフルエンザをバラ撒く「政界渡り鳥」なのだ。与謝野は政界のコソ泥ではない。本来なら、日本社会全体を脅かす危険な存在で、政界から駆除されなければならない。 大義=「社会保障制度維持と財政健全化」のためと称して、信義・誠実=小選挙区比例で復活当選した国民と自民党への忠誠、を捨てたのだ。 誰が、与謝野に信を託すことができようか? 民主党政権誕生に大いに力を貸したマスコミは、与謝野の、民主主義の大原則である「選挙」をあざ笑う暴挙に、徹底的な批判を加えない。第三者の冷めた目で評論するだけだ。そして、与謝野が、現政権に難なく組みこまれたことを追認した。 戦後65年、マスコミは、日本国民大衆の思考と行動に大きな役割を果たしてきた。日常、経済には関心があっても、政治に無関心な過半の日本国民は、政治の現状を殆ど無批判に受け入れる。 「イザというとき日本人は一致団結する」。よく言われるわれわれ日本人の自賛の言葉だ。本当にそうなのか? マスコミに煽られているだけではないか? マスコミが大きな関心を以て臨めば、関心が高まる。関心を示さなければ、国民もまた関心を示さない。NHKの人気番組「ためしてガッテン」で取り上げた翌日には、健康増進食材や健康補助食品を買い求める客が普段より多くコンビニやスーパーに殺到するそうだ。大河ドラマのロケ地を訪ねる観光客が増加するのもその一例だ。 大マスコミは、正しく世論を導くことこそ、そのあるべき姿ではないか。 この与謝野騒動には大甘なのだ。 一方で、NHKを含む今の大マスコミは、政治や経済の場面で甚だしく外圧や左翼、中韓への偏りを示し、国民を正しく啓蒙していると言えない。偏った左翼の立ち位置で、現実の事象に流されているだけなのだ。今の話題で言えば、TPPへの参加だ。 与謝野が大義とする「社会保障制度維持と財政健全化」は、実際、日本の差し迫る切実な危機であることは、その通りだ。その国難を抱えた予算審議の前に、菅民主党政権は、突如、TPPへの参加を声高に叫び始め、6月末までに与野党で合意を目指す、と宣言した。なぜ、6月末か? 7月には、先進8カ国のサミット、首脳会議が、フランスで開かれる。菅首相は、サミットの席で日本のTPP参加を宣言し、菅首相の主張する「平成の開国」を内外に示したい欲望にかられていると推側される。この点を先読み、予測するマスコミは殆どない。マスコミの情報遮断、世論操作の現れだ。鳩山前首相が、昨年9月の国連総会で、COP25を独断的に宣言した轍をふむように、菅はTPP参加を謳いあげようとしている。COP25と異なり、日本および日本人にとって危険なことは、 TPPは、日本の製造業の海外移転、農業崩壊、あるいは、安い外国人労働者の大量入国という、国体崩壊を促す危険極まりない施策なのである。
https://w.atwiki.jp/bloac/pages/193.html
メニュー |誰でも更新できます。自由に使ってください。 メモ BA2周忌 合掌 --- ブロックブラザーズの存在を今知った(202007) ブロックアクションめっちゃハマったなあ んなぁ〜… 世界の脱魔術化は「魔術」の効用を再び認識するようになった。それは、第一の過程である「混沌から魔術へ」の歴史的意義かというと、そうではない。第二の過程、すなわち「啓蒙から魔術へ」の過程である。「価値」「権利」「尊厳」「規範」――それらは自然的実在ではない。それゆえ人間の認識の作用の対象ではない。人間の創り出したフィクションにすぎない――フィクションであるが、それらは有用なフィクションであり、その非実在性をもって排斥すべき理由とすべきではない。 ってマックの女子高生が言ってた (〒・∨・〒) ヱレコムのゲーミングヘッドセットが買って一ヶ月で折れた 私の肉体と精神の夢は法人格になることです 法人格を得る事ではありません 私の肉体と精神は自然人のそれではありません 主要な点においてヒトという種が共有する性質を私の肉体と精神は欠いています 受苦能力という観点に基づく類推によって権利義務の帰属主体たる資格を付与されるべき存在であるに過ぎません これからは知ってることでも知らなかったですすごいですねとでも言っておくか…… 確かにそれはアリだ おっさんっていうのはどうがんばってもきたない存在なんだから、せめて清潔感を重視しなければならないな 往々にして「現に清潔であること」よりも「清潔感」のが大事だからな そういうことだろう ワイはもう筆を折るだろうが達者でな 誰かの思考履歴や作品を消費して孤独と自己を忘れていた 意識が高い人と意識高い「系」が区別されるという意味において、本来違うものを同じように扱ってしまうのが正しい意味で冷笑「系」ということなのかな 宗教概念を市場原理の資源配分の効率性への信頼へと適用するとき、人間の精神作用一般への当該概念の弛緩は避けられまい。Supernatureをメルクマールとするのがよかろう。 知識を得ることは、信じることではない ゆるして ええんやで 自分の人生なのにどうして当事者意識が欠けているんですか どんなに論理的正しさを主張してもそれは対等な関係上で成立することでしか無い Wiki内を検索 検索 TOP Block Actionとは? ステージを作ろう!! 上手なステージの作り方 いろいろなウラワザ(手動編) いろいろなウラワザ(自動編) 細かな仕様 クリエイター紹介 クリエイター紹介(新ID版) 用語集 掲示板合作用掲示板 ご意見板 資料集Pick Up一覧 PickUp一覧(新ID版) BA関連史年表 Block Action事件簿 製作者DAIGO氏について 企画BAプレイヤーに100の質問。 PU (wiki版) イメージ化 一斉投稿 エイプリルフール企画 番付表 攻略Pick Up攻略 Pick Up以外の攻略 その他荒らし対策ガイド コントローラーでBlock Actionをプレイしてみよう Block Actionのプレイ動画を撮影してみよう メモ(拡張版) 更新履歴 取得中です。 リンク Block Action Block Quest Block Bros. 旧wiki BlockAction 関連掲示板 外部チャット(てすと) BA関連うpろだ ここを編集
https://w.atwiki.jp/thlabyroth2/pages/161.html
15F 命の輝きが激突する琥珀色の戦場(追加構造) 14F追加構造へ/16F追加構造へ モンスター 名前 Lv HP EXP 金 属性 備考 炎 冷 風 然 魔 霊 冥 物 溶岩の下僕 143 56666 3840 1920 ★ × - - × - - ◯ 防御高め 紅玉の剣鬼 141 68000 3550 1650 ◎ × - - × - - ◎ 防御高め 紅シャレコウベ 132 52000 2962 1262 ★ × - - - × ★ - 精神高め カエンリュウグウ 134 62600 440 98 ★ × × - - - - - 防御高め 敏捷低い レッドビートル 135 50000 3400 1400 ★ × × × - - - ◎ 防御高め マグマバレル 145 178000 3999 1599 ★ × - ◎ × - - - 高HP 炎のラセン晶 145 60000 3720 1960 ★ × ◎ × × ◎ × - 防御,敏捷高い1580以上 やはり全ての敵が冷属性弱点。どちらかというと防御が高い敵が多いので冷属性魔力攻撃で攻撃すると効率がいいだろう。 ただしほぼ全てが全体攻撃手段を持つため、撃ち漏らすと連続で全体攻撃され前衛が持たない。先制殲滅を心がけよう。 新規の敵としてマグマバレルと炎のラセン晶が出現する。 マグマバレルはHPが約18万もあり、炎のラセン晶は敏捷がかなり高いのだが、二種とも状態異常耐性に穴が多く、即死その他が効いてしまう欠点がある。文で先制し、幽々子の『西行寺無余涅槃』SLv5で数を減らしてしまうといい。 カエンリュウグウとレッドビートル以外は即死は安定して通る。 15階は14階層の中継マップといった感じで移動距離はあまり長くない。すぐ落とし穴に落ちてエンカウント率リセットされるので戦闘もあまり発生しない。対策が必要ない階層かもしれない。新規の敵はいるので図鑑登録しそこねには注意。 追加階層15階の最深部には追加階層16階へ続く階段があるが岩で塞がれている。 岩の通行条件は48人の仲間がいることなので、追加階層ではない16階層の空間の歪みイベントを進める必要がある。 空間の歪みイベントを進めるためには影ボス12体撃破が必要なので、追加階層16階に行けるのはそれらが終わってからになる。 マップ 強烈なネタバレ情報なので、マップを見たい方だけクリックしてください 表示 15F追加構造概要 ※O-11とM-8の落とし穴の先は同じエリアなので落ちるのはどちらか一方でよい。どちらかから落ちた先でスイッチを起動し、その後Q-9の落とし穴に落ちるのが進行手順。 イベント 表示 座標 内容 備考 出現条件 P-11 中継点 第十五階層追加構造 P-14 中継点 第十五階層追加構造 最深部 P-11 階段 14階(P-8)へ P-13 階段 14階(P-14)へ P-12 階段 16階(P-11)へ L-16 ワープ P-11へ P-13 岩 48人の仲間を加入していると解放 宝箱 15F追加構造宝箱 メイン 名前 備考 座標 サブ 名前 備考 座標 H.E.Vスーツ N-5 素材 名前 備考 座標 特殊 名前 備考 座標 ガリガリ勉強くんセット P-4 転生の書物 Q-6 啓蒙の書・攻撃 R-11 その他 名前 備考 座標
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/2103.html
【元ネタ】ガリヴァー旅行記 【CLASS】バーサーカー 【マスター】 【真名】レミュエル・ガリヴァー 【性別】男性 【身長・体重】169cm・62kg 【属性】中立・狂 【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷B 魔力D 幸運A 宝具A 【クラス別スキル】 狂化:C 魔力と幸運を除いたパラメーターをランクアップさせるが、 言語能力を失い、複雑な思考が出来なくなる。 【固有スキル】 外科手術:E メスを使用してマスターおよび自己の治療が可能だが 現在は狂化により使用不能。 戦闘続行:A 生還能力。 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。 【宝具】 『異邦奇譚(ネイションズ・オブ・ワールド)』 ランク:E~A 種別:対人、対軍、対国宝具 レンジ:変動 最大捕捉:1000人 7つの効果を持ち、1日おきに効果が切り替わる特殊な宝具。 1日に1度、以下の7つの効果のうちランダムに選ばれた1つがバーサーカーの宝具となる。 すなわち、 “周囲一帯のサイズを一時的に小型化させる(知的能力には影響なし)『小人奇譚(リリパット・ブレフスキュ)』” “周囲一帯のサイズを一時的に大型化させる(知的能力には影響なし)『巨人奇譚(ブロブディンナグ)』” “飛行都市ラピュータを召喚し、地上の魔力を収奪する(制御はできない)『飛島奇譚(バルニバービ)』” “24時間のみ英霊を召喚、使役する(言語翻訳、常識付与等は無いため意思疎通は困難)『幽霊奇譚(グラブダブドリッブ)』” “HPが0以下になっても死ななくなる(バステや苦痛、欠損はそのまま)『不死奇譚(ラグナグ・ストラルドブラグ)』” “「普遍的な」意味を持つ一大宗教の信仰者に対して機能する呪的地雷――踏み絵を出現させる『日本奇譚(ヤーパン)』” “人間の知的能力を大幅に低下させ、馬の知的能力を劇的に上昇させる『賢馬奇譚(フウイヌム)』” の7つである。 本来であれば1日に1度の効果の切り替えは任意で選択できるのだが、 狂化の影響により、どの効果が選ばれるかはランダムになってしまっている。 【解説】 ジョナサン・スウィフトの最も有名な著作『ガリヴァー旅行記』の主人公。 名前のガリヴァーは「愚か者」(gull)という意味を持った造語。 世界的にも有名な作品であり、最高の政治学入門書の一つともされる。 正式な題名は『船医から始まり後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーによる、世界の諸僻地への旅行記四篇』であり、 当時のイギリスを取り巻く様々な状況を暗喩した不可思議な国々を描き出す事で、当時の社会を風刺する内容となっている。 この本は「内閣評議会から子供部屋に至るまで、この本はあらゆる場所で読まれている」と言われるほどの大ヒットとなり、 鎖国されていた日本にさえ影響を与え、「朝比奈島遊び」なる浮世絵のモデルとなったという。 名前のガリヴァーは「愚か者」(gull)という意味を持った造語。 ガリヴァーはフウイヌム国で環境と人間との交友関係への希求により発狂する (ガリヴァー視点ではフウイヌム国での啓蒙の結果、人間性を捨てようと図っている)が、 その著者であるスウィフトもまた晩年に発狂したのは皮肉と言えよう。
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/203.html
「日本列島は日本人だけの所有物ではない」「これからは国境に固執する時代ではなくなり『地球市民』の時代になる」(鳩山由紀夫・前首相)という発想は一体どこから来たのでしょうか? <目次> ■1.国家解体思想って何? ■2.「世界政府・地球市民」の思想的背景、歴史的経緯◆大陸合理論とイギリス経験論 ◆設計主義的合理主義と批判的合理主義 ◆「世界政府・地球市民」は、設計主義的合理主義(大陸合理論)からの帰結 ■3.いわゆる「陰謀論」について◆でも、なぜ「陰謀論」が発生したのだろう? ◆トンデモ陰謀論・デマ話に効く書籍 ◆陰謀論こそ保守派を混乱させる陰謀である ■4.まとめ ■5.参考図書 ■6.ご意見、情報提供 ■1. 国家解体思想って何? 先日、人気ブログ「中韓を知りすぎた男」様に、 国家解体思想 という記事が上がりました。 日本やアメリカといった既存の国家を解体して、世界統一政府を作り、みんなで地球市民になるんだ・・・という思想ですね。 本ページでは、この問題について少し突っ込んだ検討を行います。 ■2.「世界政府・地球市民」の思想的背景、歴史的経緯 ◆大陸合理論とイギリス経験論 中学や高校で、「啓蒙思想」が17世紀のイギリスや18世紀のフランスで起こり、それが1789年のフランス革命に繋がっていった、という事を学ぶと思います。 ホッブズ・ロック・ルソーらの唱えた「社会契約説」がその代表とされ、ほかにデカルトやモンテスキューなどの思想も少し習いますね。 大学の教養課程レベルだと、この啓蒙思想には実は ① 大陸合理論 「コギト・エルゴ・スム(我思うゆえに我あり)」というデカルトの『方法序説』以来ドイツ・フランスなど欧州大陸で発展した理性を唯一の拠り所として世界を合理的に理解しようとする思想潮流で、理性からの演繹による思弁を絶対視するもの。 ② イギリス経験論 人間の理性は不完全であり、所詮は人間は失敗と成功という試行錯誤を繰り返しながら経験に学ぶしかない、という理性に対する懐疑を唱え、演繹ではなく帰納の大切さを強調するもので、主に18世紀のスコットランド出身者(ヒューム、アダム・スミスら)およびアイルランド出身者(エドマンド・バーク)らが①大陸合理論に対抗して唱えた。 の二つがある、ということを学ぶと思います。 もちろん西洋思想の主流は、デカルト以来の、①大陸合理論のほうで、この思想が結局フランス革命を引き起こし、さらにやがてカント・ヘーゲルらのドイツ観念論を生み、ヘーゲル左派からはマルクス主義が生まれ、ロシア革命へと繋がり、またヘーゲル右派からはナチズムが生まれたのです。なおフランスではフーリエ、サン・シモンらの(空想的)社会主義が生まれています。 ◆設計主義的合理主義と批判的合理主義 日本の学者は明治以来、①ドイツ・フランス系の大陸合理論ばかりを輸入しましたし、今の社会科教育で教えられる思想家も、やはり①大陸合理論の思想家ばかりです。 しかし、実はイギリス・アメリカでは、②イギリス経験論の伝統が強くて、フランス革命の時にはエドマンド・バークが出、また第二次世界大戦の最中にはオーストリア出身で故国がドイツに併合された際にイギリスに帰化していたF.A.ハイエクと、K.R.ポパー、さらにはラトビア出身で、やはり故国がソ連に併合された際にイギリスに帰化していたI.バーリンらが出て、フランスの革命思想や、ヘーゲルやマルクスの思想、ナチズム(国家社会主義)を含む社会主義を全体主義思想として排撃し、そうした思想が発生した根源としてデカルト以来の①大陸合理論の持つ重大な誤謬を強く批判しました。 簡単に言うと、①大陸合理論、②イギリス経験論というネーミング自体が実は、①は合理的で②は非合理的だ、という①大陸合理論の論者の側のプロパガンダであり、実際には以下の分類が相応しい、という批判です。 ① 設計主義的合理主義 (F.A.ハイエクの造語で、いわゆる大陸合理論) デカルト以来の「自らの理性のみの力で世界を解明し、人類にとって理想的な世界を再設計できる」とするリセット主義。社会主義の暴力革命論も修正社会主義といわれる議会制内での社会改革も含めて、国家や社会を改造しようとする思想で、世界統一政府や地球市民という理念もここからの帰結である。 ② 批判的合理主義 (K.R.ポパーの造語で、いわゆるイギリス経験論) 人間が自らの理性を有効に活用できるのは自由な批判を通じて間違いを検出し改善して、より真実と思われるものに一歩でも近づく限りにおいて、である。社会を根底からリセットできる、とする①は致命的な思い上がりである。 もちろん、ハイエクやポパーが正しいとしたのは ②批判的合理主義であり、これこそが真の意味での「合理主義」であって、 ①設計主義的合理主義は、結局は人間を『隷従への道』へと導く誤った思想である、というのが彼らの結論です。 漫画『隷従への道』(ハイエク著)要約 、詳しくは⇒ハイエクと自由主義へ 1980年代のイギリス・サッチャー政権は、ハイエクの思想を政策理念の主軸に据えてサッチャー改革を断行しました。またアメリカのレーガン政権はハイエクの所属したシカゴ学派の経済政策を大々的に取り入れ、政治面ではソ連との対立政策を断行して、1989-91年にかけてソ連・東欧の社会主義体制を崩壊に導きました。 ◆「世界政府・地球市民」は、設計主義的合理主義(大陸合理論)からの帰結 このように現実の世界政治の舞台では、サッチャー・レーガン政権以来、ハイエクやポパーの思想が一応の勝利を収め、社会主義は大きく後退したのですが、学者達の思想の世界では、いまだに①設計主義的合理主義が大きく蔓延っていて、とくに日本においてはその傾向が強いのです。私達は、学校教育で、ホッブズ・ロック・ルソーの社会契約説やデカルトの思想は習いますが、ハイエクやポパーの思想は、ほとんど全く習いません。 従って高度な教育を受け、官僚や政治家や司法界に入るような、あるいはマスコミ界に入るような人材は、教育で植えつけられる思想のオカシサに自分で気づかない限り、デカルト以来のリセット主義(世界を理性の力で再設計できるとする思想)になってしまいます。 要するに問題なのは、西洋思想の主流そのものです。 鳩山由紀夫首相の「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」発言も、その淵源を辿ればここからきているわけです。 ① 西洋思想の主流 設計主義的合理主義(大陸合理論) プラトン ⇒デカルト ⇒社会契約説(ホッブズ、ロック、ルソー) ⇒ドイツ観念論(カント、ヘーゲル) ⇒ヘーゲル左派 ⇒マルクス主義(マルクスetc.)・修正社会主義(フェビアン協会etc.) ⇒国家解体思想(世界政府・地球市民) ⇒フランス啓蒙思想(百科全書派・ヴォルテールetc.) ⇒ヘーゲル右派 ⇒ナチズム(国家社会主義) ② 西洋思想の傍流 批判的合理主義(イギリス経験論) ソクラテス ⇒スコットランド啓蒙派(ファーガソン、ヒューム、アダム・スミスetc.) ⇒エドマンド・バーク ⇒アクトン卿・トクヴィルetc. ⇒ハイエク、ポパー ⇒真正自由主義(歴史と伝統を重視) ■3.いわゆる「陰謀論」について +ネットで一部の人が盛んに流布させている「ユダヤ陰謀論」といった類のデマ話を信じてしまう初心者向けの解説です。 ところで、以上説明したような「世界政府・地球市民」理念(=国家解体思想)が発生した背景・歴史的経緯を知らない人達の中には、ユダヤ系の陰謀組織が存在し、あらゆる謀略活動の糸を引いている・・・という類のデマ情報を信じ込んでしまう方々がいらっしゃるようです。 ユダヤの金融資本家が「イルミナティ」という陰謀組織を結成しており、実は共産主義国家と裏で手を組んでいて「全人類奴隷化計画」を進行中だとか、2001年9月に起きた911連続テロ事件はイルミナティに乗っ取られたアメリカ政府の自作自演だ・・・などと言う人までいらっしゃいます。あるいは、全てはフリーメーソンの陰謀だ、という話もあるようです(特に一神教のアメリカ・ヨーロッパでは昔からこうしたユダヤ金融資本家の陰謀という話が広く流布されており、ナチスがユダヤ人を迫害した原因ともなりました)。 しかし、そのような安直な陰謀論に飛びつくのは、 国家解体思想が発生した思想的背景・歴史的経緯を知っている人からは、馬鹿にされるだけですし、そうでなくとも常識のある一般の人からは、思いっきり引かれるだけです。 ◆でも、なぜ「陰謀論」が発生したのだろう? デカルト以来の①大陸合理論は「理性によって世界を唯一の正しい姿にリセットできる」という一元論・決定論でした。 当然その直系である社会主義思想も「歴史の方向性は決まっており、世界は共産主義社会に向かって進歩する」という決定論です。 これをそっくりそのまま裏返すと、「イルミナティ」という陰謀組織が存在し、彼らが世界の統一を目指してあらゆる陰謀の糸を引いている、というような話になります。 つまり一元論・決定論はそのままなのです。 (※ ①唯一絶対的な神の存在 → ②理性による唯一合理的な世界の設計 → ③世界統一を目指す唯一の陰謀組織の存在 ) このような安直な考え方が、一神教の精神文化を持つ欧米諸国で発生し広まってしまったのは、仕方がない側面があるのかも知れません。 しかし、そもそも寛容な多神教的精神文化を持つ我が国の普通の人ならば、ハイエクやポパーの小難しい批判を知らなくとも、直感的にこのような話はおかしい、と気づいてもよさそうです。 ◆トンデモ陰謀論・デマ話に効く書籍 トンデモ予言者大集合 ご存知『トンデモ本の世界』シリーズの、マネッコ本。しかしパチモンの癖に実に出来がいい!その為本家「と学会」から公認を貰ったと言う。冗談じゃなくマジで出来がいい!必読! この人を見よ 現代社会が生んだ病める神秘主義者カール・グロガウアーはキリストの生涯に異常とも言える執着を持っていた。彼は、市井の科学者の手になる未完成のタイム・マシンを入手するやキリストの最後を見届けるべく、過去へと旅立った・・・。神秘思想に取り付かれた人物の内面描写がすごい!有る意味最も厳しい本。 立花隆先生、かなりヘンですよ タイトル通り立花隆氏を批判している本。だが後半で、返す刀で立花隆がハマッテいる「ニューエイジ」「ニューサイエンス」などを批判している。それが又非常に的確。オカルト(「ニューエイジ」「ニューサイエンス」等)にハマッテいる人にはぜひ1度読んで欲しいが、タイトルのせいで立花隆に興味のない人は見向きもしない。惜しい。 ◆陰謀論こそ保守派を混乱させる陰謀である こうしたユダヤ金融機関の陰謀といった類の話は元々は左翼ブログの定番テーマだったのですが、昨年の総選挙の前後からマトモな言論ではとても保守派に敵わない左翼ブロガーの一部が、保守あるいは右翼に方向転換した振りをして(あるいは本当に転向したのかも知れませんが)こうしたデマを宣伝し始めたらしく、それを信じ込み自分も宣伝に廻っている人が何人も発生している様子です。(詳しくは反日ブログリスト?、「「愛国詐欺」詐欺」に注意を参照下さい。) いずれにせよ、こうしたデマ話は相手をするだけ時間の無駄ですし、第一に論理的な辻褄も全然合っておらず、全く知的好奇心をそそるものでもありませんが、中にはどうしてもこうした類の話を本気にしてしまい、あちこちで迷惑な宣伝活動までする幼稚な?あるいはひねくれた?人が発生している様子なので、当サイトではそうした被害の防止のため注意を呼びかけています。下らない馬鹿話なんか取り上げないで欲しい…と不快に思われた方は、以上の事情をご了承願います。 ■4.まとめ 「世界政府・地球市民」という理念は、ひとつの思想ですから、それだけで一概に悪いとは言いません。 しかし、このような思想が発生した背景、また、この手の思想を信奉する人達が自分たちの理想とは裏腹に、これまで世界にどのような惨禍をもたらしてきたのか、といった歴史的経緯を確り知っておくことは非常に大切です。 また、そのような思想的背景・歴史的経緯を知ることで、いわゆる「ユダヤ陰謀論」「911自作自演説」といった集団ヒステリーのようなトンデモ話に引っかからないで済むようになるはずです。 そして、寛容な多神教文化を持つ我が国のことを有難く感じ、大切に思って、この国を守りたいと強く思えるようになることでしょう。 ■5.参考図書 『正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒 (単行本) 』(中川八洋:著) 西欧哲学の正統保守主義(真正自由主義)の系譜と、それに対立する邪悪な全体主義思想(自由を圧搾する偽りの思想)の系譜を峻別して分かり易く解説。正統の思想・邪悪な異端の思想の各々の思想家と代表的著作の一覧表が大変参考になります。<目次>第1部 総論 真正自由主義離脱の代償・ 第一章 近代がうんだ「反・近代」―全体主義の源流フランス革命・ 第二章 「進歩」という狂信・ 第三章 真正自由主義―伝統主義、保守主義)第2部 各論 隷従の政治か、自由の政治か・ 第四章 「平等教」の教祖ルソー―全体主義と大量殺戮の起源・ 第五章 フランス革命―人類の「負の遺産」・ 第六章 「大衆」―全体主義の母胎・ 第七章 「人権」という狂信―全体主義への媚薬・ 第八章 迷信の「国民主権」、反・人民の「人民主権」・ 第九章 「進歩」の宗教、「進化」の神話・ 第十章 平等主義―自由抑圧の擬似宗教・ 終章 伝統・権威と自由の原理―保守する精神文献リスト―「悪書」の過剰と「良書」の欠乏 『知の歴史―ビジュアル版哲学入門 (大型本)』(ブライアン・マギー:著) イギリスの標準的な哲学・思想解説本。左翼の強い日本では意図的に紹介されない英国保守思想の大家エドマンド・バークにも確り数ページが割かれています。著者ブライアン・マギーは、ハイエクの盟友カール・R・ポパーと深い交流のあったイギリスの代表的な哲学解説者で、イギリス左翼の代表的思想家バートランド・ラッセルとも交流のあった人物。この本で特に興味深いのは、デカルト以来の大陸合理論が、ガリレオ・ガリレイからケプラーを経てニュートンによって完成した古典力学の決定論の大きな影響を受けていること、しかし20世紀に入ってアインシュタインの相対性理論・ハイゼンベルクの不確定性原理が発見され、絶対と思われたニュートン力学が否定され、それがハイエクやポパーの合理主義批判に影響を与えていること、がポパーの解説部分の前後に述べられている点である。 【関連】 政治の基礎知識 デモクラシーの真実 リベラリズムの真実 ■6.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/kt108stars/pages/9808.html
240 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 10 40 30.91 ID pvU6XtH20 流れ切って報告。フェイクあり コンベでの知人(Aさん)が、身内でやっているという集まりに誘ってくれたので、喜んで行くことにした。 コンベでのAさんはいい人で、それなりに長い付き合いで信用していたが、色々と甘かった。 場所はメンバーの別荘らしい。車で連れて行ってくれたが少し遠く人里離れていた。 遊んでいるのはオリジナルシステムらしい。渡されたデータは、ホチキス製本3冊、A4サイズで3cmくらいあった。 俺が初めてなので初期作成で、わかりやすいキャラがいいと言うと、10枚ほどの閉じてないぶんのルールを渡された。 濃厚なデータだった。キャラ作成にダイスは使用せず運の介入するところは無し、死に能力値はたぶん少なくどれも切れない。 ダイス降る前、降ったあとなど使用タイミングが多く、どう組んでいいものやらさっぱりわからなかった。 他の人は自分のキャラに熱中。というか俺以外で熱くスキルの連携について詰めている。 途方にくれていると、手が空いていたGMが全部組んでくれた。 その間、暇なので余った時間で俺は他のルールを読んでいたが、戦闘以外のデータはない気がする。 他の人は完成した俺データも覗きながら、連携やコンボについて悩んでいた。結局時間は作成だけで4時間ほどかかった。 キャラ設定とかはない。名前もない。「戦士」「僧侶」など役割や、「Aさん」「Bさん」と実名で呼び合っていた。 俺は簡単に設定も考えていたが、言わないほうがよい空気だったので黙っていた。 せめて、と名前はつけたが、「いらないよ」と一言でないものとされた。 午前9時からやっていたので、午後1時過ぎ。「昼どうするの?」と尋ねると、時間がもったいないと却下された。 プレイスタイルはNAGOYAだった。しかし毎ターンどころか、1行動に20分30分作戦会議が入り、 ダイス降る前、降った後で全員が全員のシート覗き込んでより最適な行動を求めていた。 俺は食事を取っていないのもありクラクラしていた。 他の人はあらかじめ買い込んでいたポカリとカロリーメイトを食っていた。「ないの?駄目だよ。冒険はしっかり準備しないと」 などと言われた。代金は支払うから少し譲ってくれ。と懇願したが、「冒険途中だし無理と」言われた。 もう頭も回らず、他の人が俺の行動を全部決め、俺はサイコロを振っていた。いい目を出すと喜ばれた。 終わったら10時だった。 俺は疲れ果てていたが、他の人はやたら元気で「(今日土曜日だから)明日も休みだよね。もう1本やるよ」 と宣言されたのでいや仕事ですと言って逃げようとした。すると、 「来週もまたやるよ。来るよね?」「君、素質あるよ。」 「他のやつらは軟弱で中途で投げて逃げるんだ。1日持ったの君が初めて」 などと凄い勢いで勧誘されたので、必死で逃げ出した。 その後、連絡は絶ったのだが、マンションのポストに 「世間は温く軟弱なシステムとRPなどという虚偽が蔓延りTRPGを貶めている。 我々は環境を是正し正しいTRPGを広めるための啓蒙活動を行っている。君は選ばれたんだ」 とかいう小難しい言葉を並べた煮えた手紙(もっと長い)が入っていたためひっそりと引っ越した。 そのコンベと周辺には近寄っていない。 241 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11 05 44.57 ID P/CFI1Ad0 240 もはやストーカーじゃん。 242 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11 06 29.85 ID Jmk/w8IL0 [2/2] 240 それはTRPGやない、バトルシミュレーションや いや、ジャンルとしてはシミュレーションもアリだし、俺は好きだけど、「君は選ばれたんだ」とか勧誘の文章がすげぇ気持ち悪い 引越しまでして、おつかれさまでした 239 頑として参加を拒むPLってたまにいるんだよな うちの鳥取にも似たようなやつがいたよ 239で報告された人ほど態度は悪くないけど 247 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11 48 06.73 ID NGD/mFzI0 [3/3] 240 外からは一見 人あたりよくて分からないが中に篭れば超特化環境で思考異次元か その上引き摺り込む相手は探していて目を付けたらしつこいって 完全にカルトじゃねーか… 250 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11 52 49.44 ID 8UzAMGZm0 [1/2] 239 乙です PCにやる気がないならPLがなんとか関わる理由ひねり出さなきゃ駄目だと思うの それを怠ってPLがやる気がないような状態になると「じゃあなんで君参加したの」になっちゃうんだし もちろんPLレベルで参加意欲がゴリゴリ削られるようなシナリオだったらアカンからGMの方ものほほんとはできないけどさ 240 乙でした… 「身内の」「オリジナルシステムに」「初見で参加」 もう地雷しか見えないレベルで嫌な予感がぷんぷんする組み合わせですと思ってたら >「君、素質あるよ。」 >世間は温く軟弱なシステムとRPなどという虚偽が蔓延りTRPGを貶めている。 >他のやつらは軟弱で中途で投げて逃げるんだ。 >我々は環境を是正し正しいTRPGを広めるための啓蒙活動を行っている。 >君は選ばれたんだ 地雷どころかただのカルト集団だったという RPなどという虚偽とか言うけどその虚偽と現実すらあいまいな感じで悪い意味でのめり込んで帰ってこれてない感がひどい 251 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11 54 03.66 ID RkyaVBlG0 240 ここはTRPGの困ったちゃん報告スレで、宗教勧誘の困った奴を紹介するスレじゃないですよ …って現実逃避したくなったぜ、報告乙 車で別荘に連れて行かれて昼飯も出さずに夜10時までぶっつづけ、しかも次の日も連続とか洗脳する気マンマンじゃないですか アレだな、「友人の知り合い」は友人にあらずってことで警戒すべきなんだろうな まして車で行くような場所に連れて行かれるとかその時点でNGでいいだろうな 252 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11 57 08.65 ID gN+NzzBs0 [2/2] ヒエッ… 久しぶりにカルト宗教系困の強烈なのがきたな 253 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 12 02 13.22 ID 965kb0klO [4/4] 240 乙 ふと作成、処理の煩雑さからバトルテックを思い出した とはいえ、サンプルキャラもなければ作成サマリーもないあたりが、典型的な「身内しかできない」卓ゲ者が一度は考える“ぼくのかんがえた最強のシステム”そのものだなぁと 262 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 16 05 34.32 ID um1zHALf0 [1/2] > しかし毎ターンどころか、1行動に20分30分作戦会議が入り、 > ダイス降る前、降った後で全員が全員のシート覗き込んでより最適な行動を求めていた。 棋譜や牌譜等を見ながら、「次の手は、ああだこうだ談義」してるのとは別なんだろうなー ボドゲの片サイドを複数人で相談しながらやってるみたい PCの個がPLと連結しないんだな 263 名前:ゲーム好き名無しさん[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 16 09 20.03 ID NbZ8OssU0 [2/3] データッキーの極北みたいな蠱毒壺やなあ スレ397
https://w.atwiki.jp/eroge_politics/pages/22.html
当ウィキの方針 業界団体もメーカーも頼りにならないので ユーザーは本丸(規制派政治家、政党)を攻めることにします。 735 :無党派さん:2009/06/13(土) 15 50 31 ID RpDrKe6k ここで愚痴抜かしてるヒマがあるなら、 規制に反対してくれそうな議員の選挙の手伝いでもしやがれ クズども 俺は某候補の手紙の宛名書きの手伝いやってきたぞ ヲタは俺以外、誰もいなかったぞ こんなのじゃ議員だってヲタの事考えてくれないぞ http //society6.2ch.net/test/read.cgi/giin/1244197468/735 エロゲ・創作物をほんとうに奪われたくなければ、 ほんとうに効果のある行動を取ってください。 幸い知事選、都議選、衆議院選挙があります。意思表示のチャンスです。 そもそもの発端となった「レイプレイ問題」に始まる エロゲ業界の自主規制問題についてはこちらへどうぞ。 (本wikiでは取り扱いません) エロゲ販売規制問題まとめwiki まずはこちらをご覧ください。 STEP1:署名する STEP2:規制反対の政治家に手紙を送る STEP3:規制反対の政治家に献金する STEP4:選挙活動を応援する 規制反対派議員一覧(この人は落とすな!) 規制反対派議員:野党系 規制反対派議員:与党系 規制賛成派議員一覧(退場して頂きましょう) 規制反対派議員:野党系 規制反対派議員:与党系 選挙区情勢一覧 各党の総合的な見解(電話や手紙での問い合わせ結果など) 党としての見解:野党系 党としての見解:与党系 当ウィキ管理人の政治的スタンスに関しまして 同人エロゲ作者。社会的に存在意義を抹消されそうだと強く感じています。 自公政権が規制圧力の大元だと考えています(規制派をピンポイントで排除できればベストなのですが、実際には一括りで扱うしかない)。 民主党サポーターになりました(いざという場合、発言力があったほうがいい)。 表現規制以外の政策に関しては一切関知しません。 日本がヤバくなったら、たくさんの心ある人々が立ち上がります。 でもエロゲに関しては俺らしか立ち上がりません。 ただし、与党側の政治家にはこの問題の(本質を) そもそもご存じない方もいらっしゃると思いますので、 それらの方々に啓蒙、または説得を行うのは無駄ではないと 考えています。 よくある質問 無料で会員登録できるSNS内の@wiki助け合いコミュニティ @wiki更新情報 @wikiへのお問合せフォーム 等をご活用ください @wiki助け合いコミュニティの掲示板スレッド一覧 #atfb_bbs_list その他お勧めサービスについて 大容量1G、PHP/CGI、MySQL、FTPが使える無料ホームページは@PAGES 無料ブログ作成は@WORDをご利用ください 2ch型の無料掲示板は@chsをご利用ください フォーラム型の無料掲示板は@bbをご利用ください お絵かき掲示板は@paintをご利用ください その他の無料掲示板は@bbsをご利用ください 無料ソーシャルプロフィールサービス @flabo(アットフラボ) おすすめ機能 気になるニュースをチェック 関連するブログ一覧を表示 その他にもいろいろな機能満載!! @wikiプラグイン @wiki便利ツール @wiki構文 @wikiプラグイン一覧 まとめサイト作成支援ツール バグ・不具合を見つけたら? 要望がある場合は? お手数ですが、メールでお問い合わせください。
https://w.atwiki.jp/briah/pages/716.html
熟練者向けの妨害工作要員である短剣スカウトと、 中級者向けの敵サラ潰し要員である弓スカウトの中で、 その仕事に力をいれず専らスコアを主軸とした動き・行動をする者を 短カス弓カス(総じてカスウトと呼ぶ)といい、これらの間引きを目的とした啓蒙運動。 エル発祥後、ネツに伝播した後に爆発的な規模で各国に広まっていった。 スカはスコアを容易に出せる反面、スコア重視で動くと役立たずに陥る職であり、 氷った敵をレインで解凍 スタンした敵にピア、レイン、通常連打 もーんwwwww フルHPのKATATEにパニ など、とにかく味方の妨害や邪魔になる行動をしがちであり、 51番目の敵プレイヤーとも呼ばれる厄介な存在。 スコアが出ていないスカは味方の妨害や邪魔以前の問題である 基本的に仕事のできないor腕を磨こうとしないスカ(カス)は、 過去の流れと厄介者としての認識からして、味方からも擁護される事は無く、 当人たちはカスである自覚も無いため、費やすべき努力を反論にのみ費やす。 具体的には、自分たちカスの事を指摘されているにも関わらず、 何故か他職の人がスカをプレイすると仮定した場合の話を持ち出し話の矛先を逸らす等。 熟練のスカウトは自身の仕事の重要性を理解しているため、 必要な数の人数がきちんと仕事をすると戦場で非常に有用な存在となる。 しかし、カスと呼ばれる立場の人たちは講習会を開いても決して参加せず、 カスへの教育はまず無駄であるという認識が全鯖全国共通で強いため、 最終手段として間引きしか方法は残っておらず、自国カスウトをどれだけ間引きできるか が各国の強化の鍵であり周知の事実であり今後の課題となっている。 これらの認識や事実は、過去1年間の過程と結果を経て誰もが実感しているため、 基本的にカスを擁護するプレイヤーはゼロに近い。 カスの自己弁護Best3 1)カスカス排斥すると過疎る、一年前のカセ化する カスを放置する事によって一般層が萎えて流出する方が大きな問題である またBカセは初心者排斥をしたため、ある種子供が生まれない惑星化。事例として類似しない。 2)無エンチャ弓で20k簡単に取れたぞ(キリッ 特に弓はパワリジェにフィズアタックだけでも付ければ効率が段違い 言わせて貰えばフルエンチャしていれば25~30kは余裕に出るのである 何よりスカウトは幾らスコア出しても貢献に直結しない事を理解してない馬鹿の妄言でもある 3)どこからがカスか線引きをしろ それなりに頑張っている、仕事をしている人間は自分でその程度の判断が付く わざわざ咬みついてくる時点で軽重の分からないカスであると自分で認めているのだ 総じて、カスから脱出しようとせずにするべき努力を他に費やす人が大半であるため、 具体的にNO MORE SCOUTの機運が高まると、当人たちの書き込みが必ず沸くが、 カスを味方するのは大抵他国の人間なのでせいぜい遊び相手にされるのが関の山である。 残念ながら既にカスたちの実績は余りあるほどに痛感されているのだ。 BBSなどで必死になるよりも、自己研鑽に時間を費やすべきだろう。 それができればこんな運動も起こらぬはずなのだが…
https://w.atwiki.jp/catsteaparty/pages/247.html
多点出しとは? 複数の指で一気に兵を出す方法です。初めてこのゲームをやる方はチュートリアルで教わった通り指1本で兵を出す場合が多いと思います。でも実は指を複数使って何か所も同時に兵を出すことが出来ます。 習得すると兵出しの時間が劇的に短くなり、攻撃力の向上に繋がります。是非覚えておきましょう。 1本出しと3本出しの比較 まずはどのくらい違いがあるか見てみましょう。サンプルの動画は啓蒙時代なので兵数が少ないですが、時代が上がって兵の数が増えれば差も大きくなります。また、僅か数秒と言え短縮は勝利に大きく影響します。1秒を大切にするのがドミネーションズと言うゲームなのです。 1本出しの場合 3本出しの場合 実際のやり方 1.スマホなど画面の小さい端末の場合は画面をズームしておきましょう。タブレットなど比較的大きめな端末の場合は縮小していても大丈夫です。 2.最初に「集結コマンド」を選択しておきましょう。 理由は指を先に画面上に置きたい為です。兵士に合わせていると指が触れた瞬間に配置が開始されてしまいます。集結コマンドは兵士が出てない段階だと発動しないのでスタートに適しています。 3.兵を出したい場所に指3本を置く。 指先で見えませんが実際に画面上は下のSSの様になっています。まだ兵種を指定していないので空タップの状態です。 4.もう片方の手で兵種をタップしていく。 出したい順番で次々に兵をタップしていきましょう。この時3本指は画面に置いたままです。サンプル動画では端からやっていますが、適切な順番で出しましょう。 注意事項 兵が出せない場所をタップしていると、その個所からは兵が出ないので2点出しや1点出しになってしまいます。出撃可能な場所かしっかり確認しましょう。出撃出来ない場所はSSで言えば薄っすらと白くなっている場所です。建物がある場所も勿論出撃出来ません。 また、指の間隔を変えてしまうとピンチ操作(拡大、縮小)が作動する場合があるのでゆっくり指を置きましょう。設定で指3本の特殊操作などを設定している場合も注意。 画面のフィルムの状態などによっては上手く出来ないこともあります。保護フィルムが劣化している場合などは不都合も出るのでご自身の端末の状態を確認しましょう。慣れるまでは画面が拡大したり縮小したりすることがありますが、そう難しい操作ではありません。 理論上は3本以上も出来ますが、4本は特殊操作設定があったり、端末の性能などで認識しにくかったりで少々難易度が上がります。出し方を失敗するとかえって時間のロスをしたり、戦力の不均等な出し方になりドミの失敗にも繋がります。スピードと安定性を考えると3本がおすすめかなと思います。妖怪人間の方は無理せず3本で行きましょう。 応用 今ではあまり使われませんが、面出しという戦法があります。1方向に広く兵を出して1面を押していく戦法です。今後再び使われる機会があるか分かりませんが記録として残しておきます。 やり方 3本指を左右に動かしながら兵種をタップする。これだけです。 ただし、左右に動かす分、失敗すると拡大縮小になりやすいので要練習です。 面出し