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2005/7/24産経新聞記事 裁判の提訴日は8月5日だが、産経新聞はそれに先駆けたこの日、同時に2つの記事を掲載した。「裁判」と「教科書検定」と2つのプロモーションが密着連動していることを物語っている。 2005/7/24産経新聞記事沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き 沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り、名誉棄損 沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き 産経新聞 平成17(2005)年7月24日[日] 集団自決が軍の命令だったとされてきた“歴史”が法廷で争われることになった。沖縄戦が住民を巻き込んだ悲惨な地上戦だったことは事実だが、軍の残虐性を示す“証拠”の発端は、島の長老と生存者による遺族のための悲しい口裏合わせだったという。最初に書かれた沖縄タイムス社の『鉄の暴風』の記述は大江健三郎氏の代表作『沖縄ノート』だけでなく、故家永三郎氏の『太平洋戦争』など多くの出版物や教科書で独り歩きしている。主なものを拾った。(教科書問題取材班) ◆鉄の暴風 《恩納河原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた》 《住民には自決用として、三十二発の手榴(しゅりゅう)弾が渡されていたが、更にこのときのために、二十発増加された。手榴弾は、あちこちで爆発した。…阿鼻叫喚の光景が、くりひろげられた》 《座間味島駐屯の将兵は約一千余、…隊長は梅沢少佐…。米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ、玉砕を命じた。…村長初め役場吏員、学校教員の一部やその家族は、ほとんど各自の壕で手榴弾を抱いて自決した》 ◆沖縄ノート 《慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞(ぎまん)と他者への瞞着(まんちゃく)の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう》 《那覇空港に降りたった、旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭(ふとう)では、沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた。かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は、かれを拉致しはしなかったのである》 ◆太平洋戦争 《沖縄の慶良間列島渡嘉敷島に陣地を置いた海上挺進隊の隊長赤松嘉次は、米軍に収容された女性や少年らの沖縄県民が投降勧告に来ると、これを処刑し、また島民の戦争協力者等を命令違反と称して殺した。島民三二九名が恩納河原でカミソリ・斧(おの)・鎌などを使い凄惨(せいさん)な集団自殺をとげたのも、軍隊が至近地に駐屯していたことと無関係とは考えられない。座間味島の梅沢隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよと命令し、生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ、そむいたものは絶食か銃殺かということになり、このため三〇名が生命を失った》 ◆教科書 《日本軍にスパイ容疑で殺されたり、「集団自決」を強制されたりした人々もあった》《軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した》(日本書籍新社の中学歴史) 《日本軍によって集団自決を強いられた人々やスパイ容疑・命令不服従などを理由に殺された人々もおり…》(実教出版の高校世界史) 《犠牲者のなかには、慶良間諸島の渡嘉敷島のように、日本軍によって「集団自決」を強要された住民や虐殺された住民も含まれており…》(桐原書店の高校日本史) 《日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた》(三省堂の高校日本史) 《戦陣訓によって投降することを禁じられていた日本軍では、一般住民にも集団自決が強いられたり、スパイ容疑や戦闘の邪魔になるとの理由による住民虐殺もおこった》(東京書籍の高校日本史) 沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り、名誉棄損 産経新聞 平成17(2005)年7月24日[日] 先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった。 訴えを起こすのは、沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一氏(72)。 訴えられるのは、『沖縄ノート』(岩波新書)の著者の大江氏と、他にも故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫)、故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波新書)などを出している岩波書店。 訴状などによると、米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。 沖縄戦の集団自決をめぐっては、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた。この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。 疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。 その後も、昭和史研究所(代表・中村粲元独協大教授)や自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝拓殖大教授)が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている。
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政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4) 第4巻:http //www.awf.or.jp/pdf/0051_4.pdf 目次(第四巻) 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(4)一、国立公文書館・大英帝国戦争博物館 所蔵資料【内閣・内務省関係】4項目4点 【軍関係】10項目16点 二、厚生省関係公表資料 5項目5点 一、国立公文書館・大英帝国戦争博物館 所蔵資料 【内閣・内務省関係】4項目4点 一 渡支邦人暫定処理ニ関スル件[内務省讐保局長](昭16・8・16)(未作成) … 5 二 行政事務ノ整理簡捷化及中央官庁ノ権限ノ地方委譲等ニ関スル件[閣議決定](昭18・12・14)(未作成) … 27 三 第二次許可認可等行政事務簡捷化ニ関スル件[閣議決定](昭19・1・6)(未作成) … 33 四 朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件[閣議決定](昭19・7・12)(未作成) … 43 【軍関係】10項目16点 一 恤兵金ノ処分二関スル件〔閣譲決定](昭7・7・19)(未作成) … 133 二-(1) 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・3・21~31)(未作成) … 159 二-(2) 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・4・11~20)(未作成) … 167 二-(3) 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・4・21~30)(未作成) … 173 二-(4) 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・5・1~10)(未作成) … 183 二-(5) 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・7・1~10)(未作成) … 197 二-(6) 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・7・11~20)(未作成) … 203 二-(7) 衛生業務旬報[混成第14旅団司令部](昭8・8・11~20)(未作成) … 211 三 満州事変陸軍衛生史第四巻[陸軍省](昭10・8・1)(未作成) … 217 四 北支那並満州国視察報告[工兵第4大隊中隊長](昭9・3)(未作成) … 233 五 飛行第一二連隊長ニ与フル注意事項[関東軍司令部](昭10・7・17)(未作成) … 241 六 陸軍軍事讐察月報[北支那派遺軍憲兵隊司令部](昭20・8・4)(未作成) … 247 七 駐屯地慰安所規定[「マンダレー」駐屯地司令部](昭18・5・26)(未作成) … 281 八 第五野戦輸送司令部駐屯地業務規定[第5野戦輸送司令部](昭18・10・3)(未作成) … 295 九 「マンダレー」駐屯地業務規定[第5野戦輸送司令部〕(昭18・10・20)(未作成) … 305 一〇 「マンダレー」駐屯地動務規定[第5野戦輸送司令部](昭20・1・2)(未作成) … 321 二、厚生省関係公表資料 5項目5点 一 日本派遺南方軍最高司令官宛聯合国指令書第一号[仏領印度支那聯合国軍司令官】(昭20・9・7)(未作成) … 339 二 沖縄本島ノ状況[歩兵第22連隊附軍医大尉](昭21・1・9)(未作成) … 341 三 南部セレペス賣淫施設(慰安所)調書〔セレペス民政部第2復員班長](昭21・6・20)(未作成) … 343 四 法務部(GHQ)少佐からの記録要求の件[終戦運絡事務局連絡官](昭22・1・9)(未作成) … 361 五 「俘虜名票」に関する調査結果概要[厚生省社会・援護局](昭22・1・9)(未作成) … 363 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』へ
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昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-005 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第2 事案の概要等 2 原審の判断及び不服申立て (判決本文p5~) 2 原審の判断及び不服申立て(1) (原審の判断)* (2) (不服申立て)* (3) (請求の拡張及び減縮)* (1) (原審の判断)* 原審は, 次のように判断して, 控訴人らの各請求を棄却した。 ア 「沖縄ノート」は, 座間味島及び渡嘉敷島の守備隊長をそれぞれ控訴人梅澤及び赤松大尉であると明示していないが, 引用された文献, 新聞報道等でその同定は可能であり, 本件各書籍の各記載は, 控訴人梅澤及び赤松大尉が残忍な集団自決を命じた者であるとしているから, 控訴人梅澤及び赤松大尉の社会的評価を低下させる。 イ 「太平洋戦争」は, 太平洋戦争を評価, 研究する歴史研究書であり, 「沖縄ノート」は, 日本人とは何かを見つめ, 戦後民主主義を問い直した書籍であって, 控訴人梅澤及び赤松大尉に関する上記各記述を掲載した本件各書籍は, 公共の利害に関する事実に係り, もっぱら公益を図る目的で出版されたものと認められる。 ウ 控訴人らは, 梅澤命令説及び赤松命令説は集団自決について戦傷病者戦没者遺族等援護法(「援護法」)の適用を受けるための捏造であると主張する。 しかしながら, 複数の誤記があるとは認められるものの, 戦時下の住民の動き, 非戦闘員の動きに重点を置いた戦記として資料的価値を有する沖縄タイムス社編「鉄の暴風」, 米軍の「慶良間列島作戦報告書」などが援護法の適用が意識される以前から存在しており, 捏造に関する主張には疑問がある。控訴人らの主張に沿う照屋昇雄の発言や宮村幸延の「証言」と題する書面は採用できない。 工 [1]座間味島及び渡嘉敷島ではいずれも集団自決に手榴弾が利用されたが, 多くの体験者が日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった際の自決用に手榴弾が交付されたと語っていること, [2]沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いており, 捕虜になることを禁じ, 渡嘉敷島では防衛隊員が身重の妻等の安否を気遺い数回部隊を離れたために敵に通謀するおそれがあるとして処刑されたほか, 米軍に庇護された少年2名, 投降勧告に来た伊江島の男女6名が同様に処刑されたこと, 米軍の「慶良間列島作戦報告書」の記載も日本軍が住民が捕虜になり日本軍の情報が漏れることを懸念したことを窺わせること, [3]慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断され, 食糧や武器の補給が困難な状況のもとで, 第一, 第三戦隊の装備からして手榴弾は極めて貴重な武器であったところ, 自決にはこれが使用されていること, [4]沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯しており, 日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では集団自決が発生しなかったことなどの事実を踏まえると, 集団自決については日本軍が深く関わったものと認められる。そして, それぞれの島では控訴人梅澤及び赤松大尉を頂点とする上意下達の組織があったことからすると, それぞれの島における集団自決に控訴人梅澤及び赤松大尉が関与したことは十分に推認できる。しかしながら, 自決命令の伝達経路等が判然としないため, 本件各書籍にあるような各自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない。 オ 控訴人梅澤及び赤松大尉が集団自決に関与したものと推認できることに加え, 平成17年度までの教科書検定の対応, 集団自決に関する学説の状況, 判示した諸文献の存在とそれらに対する信用性についての認定及び判断, 家永三郎及び被控訴人大江の取材状況等を踏まえると, 控訴人梅澤及び赤松大尉が本件各書籍記載の内容の自決命令を発したことを直ちに真実であると断定できないとしても, その事実については合理的資料若しくは根拠があると評価できる。したがって, 本件各書籍の各発行時において, 家永三郎及び被控訴人らが本件各記述が真実であると信ずるについて相当の理由があろたものと認めるのが相当である。そのことは原審口頭弁論終結時(平成19年12月21日)においても径庭はない。 カ 「沖縄ノート」には赤松大尉に対するかなり強い表現が用いられているが, 沖縄ノートの主題等に照らして, 被控訴人大江が赤松大尉に対する個人攻撃をしたなど意見ないし論評の域を逸脱したものとは認められない。 キ したがって, 被控訴人らによる控訴人梅澤及び赤松大尉に対する名誉毀損は成立せず, それを前提とする損害賠償はもとより本件各書籍の出版等の差止請求も理由がない。 (2) (不服申立て)* そこで, 控訴人らは, 上記判断を不服として, 事実認定及び法律判断の誤りを主張して控訴した。 (3) (請求の拡張及び減縮)* なお, 控訴人らは, 原審では, 被控訴人岩波書店に対して, 慰謝料として各1000万円(控訴人梅澤は「太平洋戦争」の出版等によるものとして500万円, 「沖縄ノート」の出版等によるものとして500万円, 控訴人赤松は, 「沖縄問題二十年」の出版等によるものとして500万円, 「沖縄ノート」の出版等によるものとして500万円)及びこれに対する平成17年9月11日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を, 被控訴人大江に対して, 慰謝料として各500万円(「沖縄ノート」の出版等によるもの)及びこれに対する前同様の遅延損害金の支払を求めていた。 しかし, 控訴人らは, 当審において, 平成19年12月に, 軍命令が確認できないとする文部科学省の平成18年度の教科書検定意見が維持され, かつ, 梅澤命令説及び赤松命令説に真実性が認められないとした原判決が言い渡された後も, 被控訴人らが本件各書籍の出版, 販売を継続し, 特に「沖縄ノート」については増刷を重ねている(平成20年4月24日に第58刷, 同年5月7日には第59刷)として, 請求を拡張し, 新たに, 上記出版, 販売継続に係る慰謝料として, 控訴人梅澤は, 被控訴人岩波書店に対し, 1000万円(「太平洋戦争」と「沖縄ノート」の各出版, 販売継続によるもの)及びこれに対する平成20年6月25日(当審第1回口頭弁論期期日)から支払済みまで年5分の割合による損害賠償金の支払請求を, 控訴人らは, 被控訴人大江に対し, 各500万円(「沖縄ノート」の出版, 販売継続によるもの)及びこれに対する前同日から支払済みまでの遅延損害金の支払請求を付加した。 他方で, 控訴人赤松は, 原審で請求していた被控訴人岩波書店に対する「沖縄問題二十年」の出版, 販売に係る慰謝料の500万円及びこれに対する遅延損害金の請求を取り下げるとして, 同金額について被控訴人岩波書店に対する請求を減縮した。 目次 戻る 通2-005 次へ 通巻
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通063 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決訴訟裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第4 当裁判所の判断 第4・5 争点4および5(真実性及び真実相当性)について 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献) j 「沖縄県史第10巻」(昭和49年)琉球政府編集(ha) j 「沖縄県史第10巻」(昭和49年)琉球政府編集(ha)(a)(史料価値)* (b)(自決命令に関する記述)* (c)(誤記訂正の目的も)* (a)(史料価値)* 「沖縄県史第10巻」は,「沖縄県史第8巻」と同様の沖縄の公式な歴史書の一部であり,昭和49年3月31日に発行され,「沖縄戦記録2」に当たる。 沖縄県史の作成に関与した安仁屋政昭は,沖縄県史の資料価値等について 「これは,客観性のある,極めて科学性のあるものだと思います。それはどういうことかと言いますと,戦争体験者の証言を語ったとおりに記載するという,そういう手法は採っておりません。私どもは,証言の客観性を高めるために,行政記録,外交資料,軍事記録,報道記録,第三者の証言などを突き合わせて,その客観性を高める努力をし,また一つの事件についても一人から聞取りをするということだけでなくて,場合によっては関係者の座談会などを開きまして,これを四方八方から光を当ててその客観性を保証できる,そういう証言をつくってきたつもりであります。」 「で,多くの証言者―私自身について言いますと,おそらく一万人近い証言に接しております。それは私の個人の話でありまして,私のようなことをやっているのが」「百数十名,そういう努力を重ねてきている,集団討議を重ねてきている,ということです。」 と語っている(乙11・28頁) (b)(自決命令に関する記述)* 「沖縄県史第10巻」には, 「午後十時ごろ,梅沢隊長から軍命がもたらされた。『住民は男女を問わず軍の戦闘に協カし老人子供は村の忠魂碑の前に集合,玉砕すぺし』というものだった。役場の書記がこの命令を各壕をまわって伝えた。」 「ここでは部隊長から自決命令が出されたことが多くの証言からほぼ確認できるのである。」 との記述がある(乙9・698,699頁)。 (c)(誤記訂正の目的も)* 「沖縄県史第10巻」には,大城将保の記載として,初枝らの自決について,前記「沖縄戦史」及び「秘録沖縄戦史」に誤記があり,前記「鉄の暴風」にも原告梅澤の死亡についての誤記があると指摘した上で, 「このように,慶良間諸島の戦争記録のなかには,渡嘉敷島の集団自決の記述なども含めて,誤記と欠落が少なくない。本編の証言がそれらを訂正する資料ともなれば幸いである。」 とし,後記1のとおり,集団自決の体験者の体験談が記載されている。 <被告らの読みとり> <原告らの読みとり> 戻る | 次へ 第4・5(2) 集団自決に関する文献等 読める判決「集団自決」
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http //mainichi.jp/area/okinawa/news/20090927rky00m040004000c.html 歴史教科書:日本兵が「死になさい」 山城さんが証言 真実、後世に願い 文部科学省の教科書検定で、高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の日本軍強制記述が削除・修正されたのを受け、2007年に開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(同実行委主催)から約2年。民主党主導の政権誕生を機に、検定意見撤回と記述回復など当時の大会決議実現を目指し「9・29県民大会決議を実現させる県民集会」(9・29県民大会決議を実現させる会主催)が29日午後6時から県庁前広場で開かれる。「集団自決」の現場から一命を取り留めた元住民は体験を語り記述回復の願いを集会に託す。主催関係者は「運動を前進させたい」と再び闘いに挑む。 「ここで死になさいね」。山城功さん=当時(12)=の義理の伯母ヨシさんは1945年3月25日夜、座間味島の軍本部の壕(ごう)内で、少尉から手榴弾(しゅりゅうだん)を渡された。「使い方が分からないなら輪になりなさい。自分がやるから、心配ないから」とヨシさんや山城さん、姉の千代枝さん=当時(15)、功さんのいとこに指示した。「その中心に手榴弾を放るつもりだったんだろう」。しかし、猛烈に抵抗する千代枝さんの姿を見たヨシさんは、少尉に頼み込み、手榴弾を返した。「姉が必死に抵抗していなかったら、あそこで死んでいたかもしれない」。山城さん(76)は振り返り、宙を見つめる。 山城さんの妻、美枝子さん(68)は沖縄戦当時、座間味村の助役だった宮里盛秀さんの次女だ。夫婦とも同村出身だが、結婚以来、戦争当時の村の状況が話題に上ることはなかった。「あれだけの人数を巻きこんだ『集団自決』があった村の、助役だった父の立場もあり言葉が出なかった」(美枝子さん) 変わったのは、教科書検定問題を知ってからだ。 「何があったか現実をしっかり見てもらい、戦争がどういうものか考えてほしい」。思いを強くし、夫婦間で話すようになり聞き取りにも応じるようになった。 座間味・渡嘉敷両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、両島に駐留していた日本軍の戦隊長が住民に自決を命じたとの本の記述は誤りだとして、元戦隊長らが提訴した大江・岩波訴訟。原告側は、父の盛秀さんが「自決命令」を出したと主張していたが、1審でも控訴審でも訴えは棄却された。「訴訟も教科書検定問題も同じ問題だ。現実に何があったかをきちんと残さないと、同じことが繰り返されてしまう」と危機感を強くする。 「沖縄戦で何があったかを子や孫に知ってもらうためにも、教科書の記述は回復されるべきだ」。美枝子さんは29日の県民集会に思いを託した。 (当銘寿夫) (琉球新報)2009年9月27日 沖縄戦ニュース
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http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20080328-OYT1T00220.htm 沖縄ノート訴訟、集団自決「軍深く関与」…大江さんら勝訴 沖縄戦で住民に集団自決を命じたと著書で虚偽の記述をされ、名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元少佐らが作家の大江健三郎さん(73)と岩波書店(東京)に出版差し止めと2000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。 深見敏正裁判長は「集団自決には旧日本軍が深くかかわった。元少佐らの関与も推認できる」と指摘。自決命令があったかどうかは断定を避けたが、「記述には合理的な根拠があり、真実と信じる相当な理由があった」として名誉棄損の成立を否定、原告の請求をすべて棄却した。原告側は控訴する。 訴えていたのは、座間味島の守備隊長だった元少佐・梅沢裕さん(91)と、渡嘉敷島の守備隊長だった元大尉・赤松嘉次さん(故人)の弟秀一さん(75)。 問題とされた著作は、大江さんの随想記「沖縄ノート」(1970年出版、約30万部発行)と、家永三郎氏の歴史研究書「太平洋戦争」(68年出版、約18万部発行)。沖縄ノートは他の文献を引用する形で集団自決を「日本人の軍隊の命令」とし、梅沢さんと赤松さんの名前を伏せ、「事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」などと記述した。太平洋戦争は梅沢さんの実名を出し、「自決せよと命令した」と記した。 深見裁判長はまず旧日本軍の関与について検討。〈1〉軍から、自決用の手榴(しゅりゅう)弾を受け取ったとする住民らの証言が多数ある〈2〉沖縄で集団自決が発生したすべての場所に軍が駐屯し、軍のいない島では自決がなかった――などから「軍が深くかかわった」と認定。梅沢さんと赤松さんについても、「島では原告らを頂点とした上意下達の組織が築かれ、関与は推認できる」と指摘した。 しかし、原告らが命令を出したかについては、命令の伝達経路などがはっきりしないため、「命令したと認定するには躊躇(ちゅうちょ)を覚える」とした。 そのうえで、「記述は原告らの社会的評価を低下させるが、集団自決に関する学説の状況、文献の存在などを踏まえると、真実と信じる相当の理由があった」と結論づけた。 原告側は「原告らによる自決命令は住民の遺族が戦後に補償を受けるため捏造(ねつぞう)された虚構」と主張したが、深見裁判長は「捏造は認められない」と述べた。 この訴訟は、2006年度の教科書検定で「軍による強制」の記述に意見がつく理由の一つとなり、判決が注目されていた。 (2008年3月28日10時29分 読売新聞)
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http //kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20090223-OYS1T00283.htm ひめゆり学徒隊員の校章、悲劇から64年経て見つかる yomiuri 発見されたひめゆり学徒隊員の校章。中央に白い花があしらってある http //kyushu.yomiuri.co.jp/zoom/20090223-OYS9I00278.htm 太平洋戦争末期の沖縄戦で主に傷病兵の看護にあたった「ひめゆり学徒隊」の女学生の校章が、隊員が集団自決した沖縄県糸満市の荒崎海岸で発見された。犠牲となった隊員の校章が確認されたのは初めて。 白いユリをあしらった校章は64年前の隊員の悲劇を静かに物語っており、6月、同市の「ひめゆり平和祈念資料館」に展示される。 荒崎海岸は1945年6月21日、学徒隊を構成していた県立第一高等女学校(一高女)の隊員7人、教頭1人ら10人が米軍に追いつめられて手榴(しゅりゅう)弾で集団自決した場所。将来ある女学生が命を失った悲劇を象徴する地として、同校同窓生らが「学徒隊散華(さんげ)の跡」と記した慰霊碑を建てた。 校章が見つかった荒崎海岸の岩場(沖縄県糸満市束里で) 発見したのは、沖縄戦犠牲者の遺骨収集に取り組む市民団体「ガマフヤー」(那覇市)の具志堅隆松代表(54)。昨年12月31日、荒崎海岸の別の場所に遺骨収集に向かう途中、岩場の陰に落ちていたという。 校章はひし形で縦2・2センチ、横1・6センチ。中央に白いユリの花、右上に「高女」の2文字があしらわれている。具志堅代表は「最初は砲弾のかけらと思って拾った。付着していた土をこすると、『高女』の文字が出てきたので校章と気付いた」と発見時の様子を話す。その後、資料館で一高女の校章と確認。7人のうちの誰のものかは分かっていない。 元隊員で資料館証言員の宮城喜久子さん(80)によると、隊員は自決を決めた直後、未練を断ち切るために家族の写真などを入れた救急カバンを捨てたという。宮城さんは集団自決した7人とともに米軍に追い込まれたが、7人とは別の岩陰に逃げ込んで助かった。「64年もたって見つかるなんて……。ひめゆりの誇りである校章だけは最後まで肌身離さず持っていた人がいたんですね」と語った。 校章が見つかった荒崎海岸の岩場(沖縄県糸満市束里で) http //kyushu.yomiuri.co.jp/zoom/20090223-OYS9I00277.htm 戦後64年がたち、当時を知る元隊員は少なくなっている。資料館の普天間朝佳(ちょうけい)・学芸課長(49)は「戦争体験者がいなくなる時、校章は隊員の無念さを伝える何よりの資料になる」と話している。 (2009年2月23日 読売新聞) 沖縄戦ニュース
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http //teanotwar.blogtribe.org/entry-ad00ef440487f75582f35ad7b52fbdff.html フレシェット弾が使われているかも:Raed Jarrarさんウェブログより Raed Jarrarさんウェブログより,11月9日と10日の記事。抜粋です。といってもあんまり削ってませんが,全文はRaed in the Japanese Languageでお読みください。 http //raedinthejapaneselang.blogspot.com/2004_11_07_raedinthejapaneselang_archive.html 2004年11月9日(火)の記事 http //raedinthemiddle.blogspot.com/ Tuesday, November 09, 2004 米兵が36人+イラク兵が103人 あまり信頼できないメディアで,こういうことは既に何度も聞いたり読んだりしていたのだけれども ヨルダンの地元紙(アラビア語です),"Ad-Dustour"【訳注:サイトもアラビア語のみ】やいくつかの中国のサイト【訳注:リンク先は新華社英語版。今見たら「米兵35人」とありました】を読んでたら,同じニュースが掲載されていたので。 報道によると,ファルージャの中心的モスクのひとつであるFurqanモスクが,今日,ファルージャの戦士たちが米兵を36人と,それに加えてイラク兵を103人捕えたと発表した。また,モスクは米兵9人を殺害し,ヘリを2機と無人偵察機1機を撃ち落とし,戦車とAPC(装甲兵員輸送車)を2台ずつ,さらにハンヴィーを3台やった,と発表した。 米軍は今日の米軍の死者は10人ということは発表している。 これらの数字が誇張されたものなのか,本当なのかは誰にもわからない。 Posted by Raed Jarrar / 11 34 PM (47) comments translated by nofrills, 11 November 2004 ファルージャ,そしてヤサー・アラファトについて,再度 死んでる,生きてる,死んでる,生きてる,死んでる,生きてる・・・ ロイターは死亡したと言う。 AFPは生きていると言う。 死んだ,生き返った,昏睡状態だ,意識が戻った。 パレスチナ自治政府のトップ4人が今日パリへ行き,病院のアラファトを訪ねた。 ファルージャは「地獄」だ。あの小さな町の住民のひとりが今日そう言っていた。ファルージャの住民数は25万から30万。報道記事やニュースのほとんどは,およそ20万人がファルージャを離れ,ラマディやバグダード,それからハバニヤ湖の近くのテントに住んでいると言っている。ファルージャ内部にいる人の数は,5万から10万。戦士の数は推定1万5千から2万5千。ファルージャの小ささと比較すれば,実に大人数だ。 米軍はファルージャで,「ネイル・ボム」【訳注:テロリストが空き缶に釘を詰めて手作りする釘爆弾ではなく,「フレシェット弾」のこと。参考=P-navi info】や「クラスター爆弾」を使用している。テレビで昨晩の攻撃を見ていたら,A-10戦闘機が映っていたが,これは地上軍に対して空から緊密な援護をするために特別に設計された,最初の空軍機だ。これがファルージャの市街を爆弾で攻撃している。爆弾は空中で炸裂し,雨のように降り注いでいる。 占領戦争の間,イラク南部ナシリヤにネイル・ボムの攻撃があって,僕はそれを目撃したし,ネイル【訳注:フレシェット弾に入っている金属片】をいくつか保存してもいる。南部では何ヶ月か,人々にUXO(不発弾)やクラスター爆弾の不発の子爆弾の危険性について知らせる活動をした。クラスター爆弾の子爆弾をおもちゃだと思ったために怪我をした子供たちを何十人も僕は見ている。【訳注:IRAQI CIVILIAN WAR CASUALTIESのサイトを参照。】 これがイラク版のToys r US-(bombs) (「トイざラス(米国の爆弾)」) クラスター爆弾やネイル・ボムの使用は違法だが,4月のファルージャ攻撃でも使用されていた。でもまあ,この戦争に何か合法的なものがあるなんていうことはそもそもないわけで。 日本での原爆の使用は合法的だったのか? あるいはヴェトナムでのナパーム弾やエージェント・オレンジは? どんな戦争であっても,合法的なんてことがありうるのか? ああそうか,それが,エヘン,解放の戦争でない限りはね。むろん,この戦争はそうさ。 ファルージャでの戦闘についてのニュースはあまりはっきりしていない。しかし,米軍が町境の鉄道駅(この画像の45番)を押さえたことは確かだ。ほかのニュースでは,米軍が市の中心部に近付きつつあると言っている(ファルージャの中心部は,鉄道駅から1マイルのところだ)。 ロイターの報道によると,ファルージャのレジスタンスはヘリを1機撃墜した。【訳注:リンク先はシドニー・モーニング・ヘラルドで,閲覧には登録が必要】 ファルージャにいるアルアラビヤの特派員は,米軍の戦車4台が燃えていると言っていた。 他方,中部と西部の都市は全面戦争となっていて,政府はバグダードに夜間外出禁止令を出した。家族に電話をして状況がどうなっているかを確認したが,家族の話では,バグダード中で爆弾や攻撃がある,こんなにひどかったことは今までにない,ということだ。バクバやキルクークでの警察署への攻撃は止んでいない。このビデオは今日ラマディであった米軍の戦車への自爆攻撃を写したもの。AFPは,ラマディ中心部からは米軍は撤退して,レジスタンス戦士が掌握していると伝えている。 政治的にうまく立ち回る主要なスンニ派の政党,Al-Hizb Al-Eslamiは,今日,イラク「政府」から脱退した。これでまた,いわゆる「政府」の棺おけに釘が打ちこまれたことになる。 下の写真は,イラク南部の3つの都市で,1年前に撮影したもの。 Posted by Raed Jarrar / 7 05 PM (58) comments translated by nofrills, 11 November 2004 2004年11月10日(水)の記事 http //raedinthemiddle.blogspot.com/ http //raedinthemiddle.blogspot.com/2004_11_10_archive.html Wednesday, November 10, 2004 爆撃された病院,白燐榴弾,そしてファルージャ 今日はひどい頭痛がしていますが,いくつか興味深いニュースがあったので。ファルージャにおける米軍の解放の軍事行動(efforts)について,ネットならどこでも読めるというわけではない記事です。 米軍が白燐榴弾を使っているとの報道 ワシントン・ポストの報道によると,米軍は白燐榴弾を使い始めている。白燐榴弾は着火すると水で消火することができない。イラク人医師たちは,病院に運び込まれている死体の皮膚が溶けていると報告している――白燐榴弾の火傷と一致する反応である。 【訳注:ワシントン・ポストのサイトにももちろん記事があるのですが,登録しないと読めないので,登録しなくても読める記事を探してみました。→San Francisco Chronicle なお,white phosphorousは検索をして「白燐(榴弾)」という訳語を見つけたのですが,『リーダーズ英和辞典』では「黄燐」となってました。訳語の確定をしている時間的余裕がないので,こういうかたちで付記しておきます。】 報道:診療所爆撃で医療関係者20人が死亡 ファルージャの医療システムはめちゃくちゃになっている。中国の通信社,新華社通信(英語版)は,医療関係者20人を含むイラク人数十人が,昨日の米軍の診療所爆撃で殺された,と伝えている。この診療所は,月曜日に米軍に制圧された大病院の代わりとなるようにと立てられたばかりだった。医師のひとりはロイターに,「ファルージャには外科医がひとりもいなくなってしまった。救急車は米軍に撃たれるし,医者は怪我をしている。自宅にいるままの民間人負傷者が何十人もいるのに,動かすことができない。13歳の子どもが私の手の中で死んだ」と語っている。 【訳注:ロイターに答えたこの医師は,Sami al-Jumaili医師。往診に行った負傷者の家で電話で答えたとのことです。この名前は何度も見たような気がするのだけれど,情報量が多すぎてわかんなくなってしまいました。】 赤十字がファルージャでの軍事行動について警告 国際赤十字委員会が,ファルージャについて声明を出した。一部を抜粋すると,「国際赤十字委員会は,交戦当事者に対し,敵であれ味方であれ,そのようなケアを必要とするすべての人々が,医療機関にアクセスできるように確実にしておくよう,要求する。また,医療従事者と医療関係車両が,いかなる場合においても,障害なく活動できることを確実にしておくよう,要求する」。攻撃開始後数日で,米軍は病院を1軒破壊し,1軒を制圧し,さらに医療サプライ品センターを破壊し,救急診療所を爆撃した。 スンニ派指導者たちが,選挙ボイコットを呼びかけ 影響力あるスンニ派指導者たちが,火曜日に,イラク人に対し,反乱者が押さえる都市ファルージャに対する米国主導の攻撃に抗議して,数十年ぶりの民主的選挙をボイコットするよう,呼びかけた。【訳注:この文,記事は「デモクラシー・ナウ!」のものだけど,激しくBBCあるいはロイターくさい用語です。これら以外でもこういう用語法のメディアはあるかと思いますが,要するにメインストリームってことで。】 イラク・イスラム聖職者(法学者)協会(Iraq s Muslim Clerics Association)は,過去においてファルージャでの停戦の交渉を手助けしてきたが,イラクに米軍が駐留していることに対する反乱(revolt・・・revolutionじゃないのね)の最前線のスンニ派たちに呼びかけ,1月27日に予定されている選挙の信頼性を揺るがすことができるだろう。【訳注:仮定法の文。訳がぎこちないです。】 「聖職者(法学者)たちはイラクの栄誉ある人々に対し,予定されている選挙のボイコットを呼びかける。この選挙は,彼らが,ファルージャなどのイラクの都市の死者の躯や負傷者の血の上において行なおうとしているものである」と,同協会トップのハリス・アル=ダーリ師は述べた。 「(選挙は)イラクの占領当局,および彼らに協力する諸機関の目的を達するために行なわれるものである。」 Posted by Raed Jarrar / 10 11 PM translated by nofrills, 11 November 2004 コメント欄より,有益な情報: 白燐榴弾を人のいるところに投げているとは常軌を逸している。火器というよりは化学兵器になってしまう。米軍が使っているであろうM-15白燐榴弾は,爆発半径は17メートルあって,燃焼温度は5000度だ。身体に付着した破片を取り去ると,空気に触れて自然発火する。だから取り去る前に怪我をした箇所を水につけなければならない。破片はすぐに水にひたさなければならない。白燐(黄燐)は酸素の少ない水に触れるとホスフィンを出すが,これがおそろしいのガスだ。煙を吸入すれば,「phossy jaw」と呼ばれる症状が起きる。口に傷ができるがそれは治ることなく,顎の骨自体が砕けてしまうこともある。白燐(黄燐)は少量(小匙1杯未満)摂るだけで,吐き気,嘔吐,肝臓障害,心臓障害,腎臓障害,ひどい眠気をもよおすし,時には死に至ることもある。 かつては花火にごく少量入っていたけれど,あまりに多くの人がそれで怪我をしたり病気になったりしたので,花火への使用はやめなければならなかった。 M-15白燐榴弾は,こんな物質が15オンス(約425グラム)入っている。 どうかしてるよ・・・ # posted by Rei 11 30 PM 白燐榴弾使用との情報,ほかにもありました。 http //www.iht.com/slideshows/2004/11/10/africa/falluja.php # posted by Anonymous 12 28 AM http //raedinthemiddle.blogspot.com/2004_11_10_archive.html では、archiveのためコメント欄は閉鎖
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http //www.okinawatimes.co.jp/news/2008-11-12-M_1-025-1_003.html 2008年11月12日【朝刊】 社会 元戦隊長側が上告/「集団自決」訴訟 太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決(強制集団死)」を命じたとする作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、慶良間諸島の当時の戦隊長らが出版差し止めなどを求めた訴訟で、元隊長ら側は十一日、一審に続き訴えを退けた大阪高裁判決を不服として上告した。 上告について、元隊長ら側弁護団は「控訴審判決は一定評価できるものの、名誉棄損の最高裁判例を変え、人格権を著しく後退させた」と説明した。 一方、大江さんは弁護士を通じて「この訴訟が、高校教科書から『軍の強制』が削除されるきっかけとなった。最高裁判決が元に戻す力となることを信じる」とのコメントを出した。 沖縄戦ニュース
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wikipedia戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話より 戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話(せんご50しゅうねんのしゅうせんきねんびにあたってのむらやましゅしょうだんわ、英:On the occasion of the 50th anniversary of the war s end)とは、1995年8月15日の戦後50周年記念式典において、第81代内閣総理大臣村山富市が閣議決定に基づき発表した「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する声明[1]。一般に『村山談話』として知られる。日本が戦中・戦前に「侵略」や「植民地支配」を行ったとし、公式に謝罪したものである。以後の政権にも引き継がれ、日本国政府の公式の歴史的見解としてしばしばとり上げられる。 従来は「声明」といっていたものを今日日本語では「談話」と表現しているが、英語では従来通り「ステートメント = 声明」という、より明確な意思表示を表わす表現になっている。→ Statement by Prime Minister Tomiichi Murayama "On the occasion of the 50th anniversary of the war s end" (15 August 1995) 外務省Webサイト http //www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html 村山内閣総理大臣談話 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話) 平成7年8月15日 (英語版はこちら) (中国語版はこちら) (韓国語版はこちら) 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。 「偉そうな軍人さんは嘘をつく」庫