約 108,409 件
https://w.atwiki.jp/goyo/pages/31.html
白石久仁雄 中谷巌(経済学者。専門は、マクロ経済学。三菱UFJリサーチ コンサルティング理事長、多摩大学名誉学長、一橋大学名誉教授、一般社団法人不識庵理事長) 井上浩義(慶應義塾大学医学部化学教室教授) 水野良樹(ミュージシャン) 橘川武郎(一橋大学大学院商学研究科教授、日本経営史、エネルギー産業論専攻) 野依良治(理化学研究所理事長) 桜井淳(技術評論家)※高木仁三郎の弟子だったが、破門されて、2005年以降は鉄道事故評論家で食っている 泉谷しげる(歌手) ※反権力の人だが、農水省バックのイベント「ライブ マルシェ」はどうか?検査してNDの食材のみの販売?しばし様子見。 小波秀雄 (京都女子大学現代社会学部教授 専門は物理学)※放射能安全厨 水野解説員(NHK)※途中から変化。中立的に批判など言うようになる。2011/12/17、御用文化人から判断保留へ移動。 川端裕人(小説家・ノンフィクション作家)キクマコとべったり。様子見 宮里達郎(九州工業大学元学長)→記者が勝手に記事にした内容で御用判定されていたが、無実の可能性高い。内容参照のこと。 田中俊一(元日本原子力学会長)4/1に謝罪会見しているが、保身なのかどうなのか 伊藤伸彦(北里大学獣医学部教授)※わかっていることだけ言い、安全系の断言はしない人なので非御用ぽいが、防げるものを防ぐ提言もないので判断保留。 上杉隆 記者クラブ、大手メディア批判については評価できる。自ら「脱原発ではありません」と言う。立ち位置がよくわからない。 稲恭宏 原発推進、反対、いずれにも組していない。なおホルミシスに関しては、小出先生には「被曝には相違無い」と否定されている。 早川由紀夫(群馬大学教育学部教授) ※早くから各地の放射能汚染について情報を収集し、見やすく可視化し、発信していることは高く評価できる。挑発的な言葉づかいに賛否両論あり。(7/14 福島農家を糾弾し始め、「国や県は悪くない、愚かなだけ」などとおかしなことを言い始めたので、まともそう→判断保留へ) 早川由紀夫2※しかし何を言われても意に介さず、徹底的に放射能拡散を糾弾する一方、淡々とわかりやすい汚染地図を発表する氏に、しだいに賞賛の声が増え、「まともそう」への移動を検討中(10/29時点) 早川さんの農家批判問題 早川先生訓告さる 早川論 早川先生によるまとめのまとめ 斉藤誠(一橋大経済学研究科教授)※公共政策におけるリスクマネジメント 太田康広(慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授) 清水修二(福島大学副学長)※反原発だが、「福島が危険だと言うな」派。立場上仕方がないが、立場に縛られ本当のことから目をそらすのは一種の御用。 とり・みき(漫画家) 押井守 バラク・オバマ 原発国民投票(住民投票)原発国民投票2(住民投票) 東大医学部生命・医療倫理教育研究センター
https://w.atwiki.jp/movefrom09/pages/13.html
<陳情書のテンプレートのダウンロード方法> このページの一番下の【添付ファイル】から ①support set ②前川レポート(それぞれzip圧縮)をダウンロード セット内容 (1)各大学の医学部長へ提出する陳情書 (2)山形大学の取り組みを紹介する新聞記事 (3)臨床実習に関する文部科学省資料 ①平成17年参加型臨床実習のガイドライン ②平成3年の臨床実習改善検討報告(前川レポート) (4)署名用紙 0. 「全国有志医学生の会」に参加 はこちら 【使用方法】 1. テンプレートをダウンロードする。 2. 書類を記入する。 書類をあなたの大学の状況に合わせて適宜変更してください。 変更を加えたものは、責任者の名前を現在の「柴田綾子」から あなた、または適任の方に変更してください。 各大学の実情にあわせて団体名を適宜変更ください ※現在の文面をそのままお使いになる場合のみ、 柴田の名前を使用してください。 3. あなたの大学の医学部長に提出する。 可能なら署名も集めて同時に提出すると効果がアップします。 4. 結果・状況報告を「全国有志医学生の会」事務局柴田に送る。 全国での活動の様子をホームページで報告することで 各大学の活動が促進されると思います。 <プライバシーポリシー> ご署名のためにいただいたお名前等個人情報は署名以外の目的に使うことはございません。 署名提出先には、個人情報につき取り扱いに留意してくださるよう申し入れております。 個人情報を、署名提出先以外の第三者に開示・提出することはございません。 ホームページでも公開は行いません。管理は事務局で適切に行います。
https://w.atwiki.jp/kisokagaku2008/pages/38.html
3月25日の動きについて、お知らせします。 卒業式 会場 安田講堂 式次第 8:20~8:50 入場 9:00 奏楽 9:10 壇上列席者紹介 9:15 開式 学事報告 9:25 学位記授与 9:45 総長告辞 10:05 卒業生答辞 10:10 東京大学の歌合唱 10:15 閉式 10:15~10:25 退場 教養学部学位記伝達式 学部全体式 会場 900番講堂 学生証を持参すること(没収するということか?) 式次第 14:15~14:45 受付 15:00 学部長式辞 15:10 学位記伝達(各学科1名) 15:25 終了予定 学科伝達式 会場 119,129 式次第 16:20~ 開始 他学科より開始が早いので注意 祝賀会 会場 109 式次第? 17:00~ 開始
https://w.atwiki.jp/nenohitohatiue/pages/128.html
三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三 カード名 . ..: 豆知識学士 理性 [魔導]≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡ レアリティ...: E≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡ 汎用スキル...: 【エゴ】【貯蔵(1)】≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡ カードスキル : 自身がリフレを発動する度、CF終了まで[AP+1]≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡ 武装化 : -≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡ ステータス. ....: AP:00 / RP:04 / CP:03≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡ フレーバー : 小さな知識も、積み上げれば森羅に至る。――小さな学士三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三 +るう子 . / ,' { ,...、 . ≦ z _ _ _ _ _ > '´ { {〉7 `` 、 ̄ ≧ . イ', V { ,、 \ \ ヽ > . . / ヾ ! `` ヽ ヽ \_ . イ / ヾ| \ ', ヽ ヽ`. ' / ; /{ヾ.、 l ヽ } ', ', / { / ! ヾ\ ', .l ハ、 / イi / ! iヽ 二ニ=-- ', i、 ',ハ / イ/,i /、 i i マヽ ;.斗キ iム ',∧,, / ' i/,i_人_ハ .弐ヽi .、i_ ィ≦=ャ、 ', i,∧}\ .∨- ' i/ i .Y .{ ハ{ レ }`il’, i し ハ`ミ、 .', i¨ヽV }\マ/ i .! 从ハ弋,リ、_ ヾ_ 弋 ノ ´ ` ', } } }/ノ////` ', { `i ( ノ, `( ) ,. ', i 'ノ////-=∧ v .八 / 厂ィ` マ// / }_ ヽ マ 、 イ/イ // L` 、 />- ― -、 イ /イ/ // '´ { ,」/ __ ヾ く// // _ l /イ ; `ー二ヽ_「ノ,zニ二 ≦ _ -  ̄ ヽ .{ / { _ 」 } }//◎ _ - \ +エドワード ィ≦三三三三三≧ ュ≦三三三三三三三三三ミュ_ _ュ≦三三三三三三三三三三三三≧ェ、 ',三三三三三三三三三三三三三三三二| i三三三三三三三三三三三三三三三. .i i三三三三三三ニ∧三三三三三三ニニ| ',三三三三三ニ/__',三三三三三ニ i |i三=‐、 '' ヽ弋 l ェ--=三三二 | |i〃 〃\ ', lヾ|〃 /气、ヽニ | / { | {ノ }` }_{ イノ } |} }カ { (| ゞ ノ 弋ノ リ |〉 } !, lゝ _ ノ ` ゝ __ ノ l / | ̄ ̄ ̄ ̄ | -' 人 ! 人 / | .. ゝ、 ', / イ | ≧ / | ` ‐--‐ i... | ヽ | i 个 / | ', +菜々子 n / ヾr´ ==r== .. <  ̄ ̄ `> l`ヽ i/ Y , > 、 r ´ ヽ-'/ / ヽ ヽ | Y ' ヾム ハ ム l | l i l ハム ハ ', } jl l l i li ム ハ il l / l i_ l_il l il_l li li l / il li lli l`N ´ il l il | j/ /、 l ィテ千ミk 'ー-r云示ォil il lヽ / ,/i ヾ il ち心リ ちJリ ル r' l i / イ il `V ムー ' ー ' / / ' il ,' ,イ ヾ{ r-V ム'' _ ''ィ ィ // / | / ム ヾ } ヾ ム ‐- ,≦-/ィ/-‐// l l ヽ ヾX ゞ =エヽ ' ム_\ヽ ハ 弋 ヽfムム _.. ´x/ム ヽ- ' ヾ r、Vハ, `-、 ` ー- ヾk Y V ム /`ヽ 'ム,_( )ヽ- 、 () ,ノ l V l ム , " `ゝ- く ノ ム、 ,X V } l iム ヽァ'-‐  ̄l iヽ「 Tヾ、 イ { V lヾ i lム tニ三´ ゝ- '__ノ V.ム ハ ヽ Vrj__ゝ l lVム ハ `彡>´Y ハヽL j、ム / __ .ム l Vム |'´ 弋 _ノノ j `l L _ l l Vム l f j } ノ l  ̄ ̄T 'ヾ Vム iN ーr- ´ } l-- ヘ Vム k { 'r、 j - 、 { ヽ _ムム ハ l / ヽ r ⌒ ヾi r'ー--'、`>、. {i f / k l } ノ i `<ム N^⌒ヾリ l ,' / l 'ーvイ、 X l ,' / ,l ',ム il 、ム i l j / l Vム i' `ム l l ,'l w` ト、 V ム ヽ /_ l ,' l r、 / V V ハ ==ゝ
https://w.atwiki.jp/chembio2010/pages/67.html
月1 選択科目 月1 限定選択科目:化学工学2 ※ 工学部授業 08 30-10 00 ※ 理学部授業 08 30-10 00 ※ 農学部授業 09 00-10 30 (工学部・理学部の2限開始に間に合いません) コメント欄 工学部他学科授業 他学部授業 工学部他学科授業 他学部授業 ここに掲載されている授業は ・化生が履修可能である ・B3を対象としている ・理系の科目である ・本郷(弥生、浅野含む)で開講される という条件を満たす他学部科目のうち主なものとなっています。 [ ]内の数字は授業コードで、UT-mateで検索するとき使うと便利です。 地球流体力学I [0526037] 【学部学科】 理学部地球惑星物理学科 【単位】 2.0 【教室】 理学部1号館 206 【教員】 山形 俊男 【評価】 期末試験、出席点、レポート 【教科書】 なし 有機化学II(構造論) [0530063] 【学部学科 理学部化学科 【単位】 4.0 【教室】 化学本館 1302 【教員】 中村 栄一、辻 勇人 【評価】 レポート,中間試験(3回,各回2題)および最終試験(4題)により成績評価を行う. 【教科書】 【備考】 木1とセット 食品衛生学 [060310290] 【学部学科】 農学部 【単位】 1.0 【教室】 農学部7号館A棟 7A-106 【教員】 伊藤 喜久治 【評価】 試験70%、レポート30% 【教科書】 配布 食品・生物機能化学 [060310220] 【学部学科】 農学部 【単位】 2.0 【教室】 農学部2号館 化学第1講義室 【教員】 三坂 巧 【評価】 期末試験と出席点(出席点を重視した配分とする) 【教科書】 機能性食品の事典 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/820.html
旧制高等学校(きゅうせいこうとうがっこう)とは、1950年まで存在した日本の高等教育機関の1つで、2つの高等学校令(1894年および1918年)に基づき設置されたもの、を指す。1886年の中学校令により設立されていた第一~第五、山口、鹿児島の7官立高等中学校のうち、鹿児島を除く6校を、1894年高等学校に改組して始まった。当初は専門学部4年、大学予科(後に本科)3年制の2系統があったが、学部は順次廃止ないし専門学校として分離され、大学予科のみとなった。1918年の高等学校令改正後は各地で増設され、大学予科は本科に、さらに文科・理科に分かれた。後期には4年間の前置課程を含めた7年制のものもある。 Template 右? 概要 1894年の高等学校令では、専門学科の教育を行なう機関と定義され、但し書きにて帝国大学入学者のための予科教育が規定されていた。しかし、専門学科教育は主流となることはなく、後に廃止または専門学校として分離され、帝国大学入学前の高等教育機関としてのみ発展した。1918年に改正された高等学校令では、男子の国民道徳を充実させ、高等普通教育を完成する事を目的とし、また公立、私立の高等学校設置が認められるようになり、終戦後まで発展を遂げた。これら高等学校のエッセンスは帝国大学への進学保証制度であり、戦前社会のエリート層揺籃の場として機能した面があり、当時の社会制度の根底を支える機関の一つであった。類似の制度に大学予科があるが、入学資格や大学進学条件に旧制高等学校とは違いがあり、別の機関である。 その初めは、文部省が東京に作った東京大学予備門である。東京大学の初期の教官は「大臣よりも高い」俸給で雇われた欧米のお雇い外国人たちが占め、カリキュラムはヨーロッパの大学に倣い、教科書は原書、授業もノートも答案も外国語という状態であった。このため、専門教育を受けるためにはまず英語やドイツ語等の高い語学能力が不可欠であり、これを身につける予備教育機関として作られたのが大学予備門であった。 1881年の政変で大隈重信を失脚させて実権を握った伊藤博文らは、官僚機構を整備するため東京にある官立諸学校を、文部省の作った東京大学に全て併合し、唯一の総合大学である「帝国大学」と改め、ここを官吏、学者の養成学校とした。東京大学が「帝国大学」となると、その予備教育機関は全国に学区ごとに五つ置かれることになり、東京大学予備門は第一学区である関東地区の第一高等中学校となり、その後、改称により最初の高等学校となった。これが旧制高等学校である。前身の詳細については高等中学校を参照。 旧制高校の1学年の定員と帝国大学の定員とは戦前期を通じてほぼ1対1であったため、高等学校の卒業証書さえあれば、専攻を選ばない限りどこかの帝国大学には無試験で入学できた。こうした「身分保障」があったため、勉強はそこそこに学生生活を謳歌した学生たちが多い。同じ学年に3年留まると放校(退学)となるため、「計画的」に高等科3年間の修業年限を1回ずつ落第し、6年居続けた猛者も居たという。 1918年以降は高等学校は官立でなくても設立できたため、三菱財閥の岩崎家が私立の成蹊高等学校、阪神地区の財界人が同じく私立の甲南高等学校の設立をそれぞれ後押しし、そこでは、高等学校尋常科を設け、尋常科に入学すれば、そのまま高等科を経て、無試験で帝国大学まで行けるコースを作った。また、明治時代に創設された学習院は宮内省が華族の子弟の教育のために設立されたものであるが、旧制高校として制度的にまったく同等に位置づけられたのは1921年以降である。富山県立富山高等学校のように、地元の素封家が県に莫大な寄付をして設立させた例もある。こうした学校は、高等科だけではなく尋常科もある7年制の高等学校であった(学習院は8年制)。 一高をはじめとする官立の高校の多くは、当初の形態通り3年制の高等科だけが置かれた。高等学校の3年間の就業年限の内、学生は英語・ドイツ語・フランス語のどれかを専攻し、一般教養科目を併せて履修した。クラス編成としては、文科甲類(第一外国語が英語)、文科乙類(ドイツ語)、文科丙類(フランス語)、理科甲類(英語)、理科乙類(ドイツ語)が置かれ、理科乙類は医学部進学コースとなっていた。年限的に言うと、現在の大学の1・2年生に対する教養課程を縮約したものに相当するが、当時の学生の気風と地位を考慮すると、高等教育が大衆化した現代ではこのような機関が存在しないと言える。最終的に全国に39あった旧制高校の中でも、明治期に創設された第一高等学校から第八高等学校までは、政官界に卒業生を早く送り込んで後発の学校よりも優位に立ったため、他との区別で、特に「ナンバースクール」(「n高」から)と呼ばれた。このため、新制に移行した後も「ナンバースクール=エリート校」の尊称のような慣用句的な用法として残り、各自治体での旧制中学時代も含んだ主に公立高校を中心(一部では私立高校でも)に、数字の付された学校をローカルに「○○のナンバースクール」などと呼ぶことがある旧制中等学校から新制高等学校への系譜に関しては、必ずしも番号を付した学校群や番号の順番に難易度が定まっていたわけではない。実際の難易度を検証した場合、昭和10年代から一高の次に難しいのは浦和高校であったし、ほかにも東京高校、大阪高校、静岡高校などは多くのナンバースクールよりも入学困難で、必ずしもナンバースクールが地名校より優秀だったわけではない。また、真に優秀な人間は小学校から(中には5年から飛び級で)、東京高校や府立高校、浪速高校の尋常科に入り、一高はその残りかすであると豪語するこれらの学校のOBも存在する。。 第六高等学校以降では地元の誘致の熱意もその設立に大きな影響を与えた。第六高等学校の誘致には、岡山と広島がその座を争い、国会議場の外で代議士が掴み合いになった逸話も残っている。第七高等学校の場合は、松本に内定していたのが諸般の事情で急遽鹿児島に変り、また第九高等学校の設立を巡っては、新潟と松本の間で熾烈な誘致合戦が起こり中傷合戦に至る泥仕合化したが、最終的に「第九高等学校」と命名するのは避け、新潟高等学校および松本高等学校と地名を付けることで決着した。以後の設立高校の命名には、この事態を考慮し学校所在地に倣った命名になった。これらを先の「ナンバースクール」との対比・区別の意味で「地名校(スクール)」或いは「ネームスクール」と呼ぶ場合もある。 第二次世界大戦後の学制改革によって旧制高等学校は旧制大学や他の高等教育機関と統合して、その多くは新制大学の教養部や文理学部の母体となった。旧制高校在学中に学制改革によって新制大学に入学した人物には、作家の野坂昭如(新潟高等学校から新潟大学、のち早稲田大学)や高橋和巳(松江高等学校から京都大学)や開高健(大阪高等学校から大阪市立大学)や小松左京(第三高等学校から京大)、井原高忠(学習院高等科から慶大)、旧制大学を前身としない大学学部卒で初めて事務次官になった小長啓一(第六高等学校→岡山大学)らがいる。また映画監督の山田洋次は山口高等学校在学中に学制改革に遭い、新制東京都立小山台高等学校から東大に進んだ。 学制改革実施前、旧制高等学校を「ジュニアカレッジ(改革後の短期大学に相当)」として存続を模索する動きもあったが、幻に終わった。 旧制高等学校を懐かしむ卒業生は、戦後においても日本寮歌祭を開いたり、「日本の教育改革を進める会」を結成して、旧制高等学校の長所を訴えていた。しかし、あくまで国立の高等教育機関としての復活を希求していたせいか、私立でエリートに対する一般教養教育の短期大学や高等専門学校を設置する動きはなかった。ただし公立ではこういう学校が存在した。1950年に設置され、1955年に廃止された和歌山県立理科短期大学がそれである。 新制東京大学教養学部の設置は、旧制高等学校の教養主義的な伝統を残そうとした動きである。また終戦直後に国際基督教大学(ICU)教養学部の設置に携わった旧帝国大学卒の有力者たちは、そのリベラルアーツ・カレッジの理念に旧制高等学校の善さを継承させられる可能性を期待した。 入学・教育課程・卒業 入学資格は、高等科は旧制中学校4年修了時、尋常科は小学校もしくは国民学校卒業時だった。高等商業学校などの専門学校の受験資格は旧制中学卒業年次(5年)であったが、高等学校は下記のとおり7年制高校の出現により1年間の「飛び級」が認められていたため、高等科の受験資格はそれより1年早い旧制中学4年修了であった。このため4年修了で高等学校を受験するのが一般的であり、合格するものも数多くいた。 1894年の高等学校令に基づく初期の官立高等学校はすべて3年制だったが、大正7年の新高等学校令では修業年限は尋常科4年と高等科3年をあわせて7年が基本とされた。しかし、旧来の高等科のみの設置も許されたため、実際には官立の高校は新設の東京高等学校を除いて戦前最後の旅順高等学校まですべて高等科のみの3年制であり、逆に私立はすべて「飛び級」のできる7年制であった。なお、太平洋戦争が激化すると、非常時の臨時措置として1942年、43年には半年繰り上げの2年半で、また、1943年入学の学年からは法改正により正式に修業年限が2年に短縮された。ただし、終戦直後の1945年9月に再び修業年限3年に改められた為、2年の年限で卒業したのは1943年入学の学年だけである。 1940年4月入学→1942年9月卒業(正規3年・半年短縮) 1941年4月入学→1943年9月卒業(正規3年・半年短縮) 1942年4月入学→1943年11月仮卒業→1944年9月卒業(正規3年・半年短縮) 1943年4月入学→1945年3月卒業(正規2年) 1944年4月入学→1947年3月卒業(正規2年・1年延長) 1945年4月入学→1948年3月卒業(正規2年・1年延長) 1946年4月入学→1949年3月卒業(正規3年) 1947年4月入学→1950年3月卒業(正規3年) 1948年4月入学→1949年3月修了 高等科は文科と理科に分けられ、さらに英・独・仏の第一外国語別に甲・乙・丙各類に分かれていた。但し、仏語を第一外国語にする類を置いた高校は第一高等学校・第三高等学校・静岡高等学校・大阪高等学校・浦和高等学校など少数にとどまった。 帝国大学の定員は、旧制高校の卒業生とほぼ同数だったので、卒業後の専攻をえり好みしなければ、卒業後の帝国大学進学を保証された。このため地方の帝国大学や官立大学では募集学科によっては定員割れも生じ、京城帝国大学や北海道帝国大学など後発大学では独自に「予科」を設けて早くから質の良い学生を確保する手法をとった。但し、大学の定員割れは、旧制高校卒業・卒業見込者の充足が優先され、高等実業学校からの進学希望者で補充されることは稀だった。 一方、一般的に医学部や東大工学部航空学科等の東大京大の理学部・工学部の人気学科、東大法学部は志望者が多いため、倍率が2倍、3倍となることも少なくなかった。もっとも東大法学部の場合、試験範囲は英文和訳、和文英訳のみであり、今風に言えば入ゼミ試験のようなものであった。これら人気学部学科への進学においては浪人するものも少なくなく、白線浪人と呼ばれた。 旧制高等学校群に於いて初等教育機関を包含していた学校は、甲南、成城、成蹊がある。これらの諸学校では小学校に入学することで将来、東京帝国大学をはじめとする帝国大学群への進学に直結することとなり人気を集めた。なお、旧制高等学校ではないが、学習院も初等教育機関を包含していた。 スタイル 旧制高校生の典型的な身なりである、白線帽にマント、高下駄を履き、寮歌を高吟して街を練りあるく姿は、多くの中等学校生徒の憧れであった。白線は二条または三条であり、旧制高校生の象徴であった。しかし私立高校では白線帽を被らせない学校もあったので、成城高校のように、生徒がそれを不満として「白線運動」を起こしたところもあったという。一方日大予科などでは、旧制高校とそっくりな白線帽を被っていた。 ストーム 旧制高校一覧(高等学校令によって設置されたもの) (カッコ内は学制改革後) 三年制 ナンバースクール 詳細は旧学制から新学制への移行措置を参照 高等中学校 旧制高等学校 新制大学 第一高等中学校 第一高等学校 東京大学教養学部 第二高等中学校 第二高等学校 東北大学教養部 第三高等中学校 第三高等学校 京都大学教養部 第四高等中学校 第四高等学校 金沢大学法文学部・理学部・教養部 第五高等中学校 第五高等学校 熊本大学法文学部・理学部 - 第六高等学校 岡山大学法文学部・理学部・教養部 鹿児島高等中学校造士館1887年に開校するも、1896年に廃校。1901年に第七高等学校造士館として開校した際には、鹿児島高等中学校造士館の再興と看做されていた。 第七高等学校造士館第七高等学校造士館は、第二次世界大戦後に造士館の名を外し、廃校時には単に鹿児島大学第七高等学校であった。これは進駐軍の意向とも言われるが、明確な証拠は確認されていない 鹿児島大学文理学部 - 第八高等学校 名古屋大学教養部(現情報文化学部・教養教育院) ネームスクール 1918年(大正7年)、原敬内閣の下で「高等諸学校創設及拡張計画」が4450万円の莫大な追加予算を伴って帝国議会に提出され可決された。その計画では大正8年から6年計画で、官立旧制高等学校10校、官立高等工業学校6校、官立高等農林(農業)学校4校、官立高等商業学校7校、外国語学校1校、薬学専門学校1校の新設、帝国大学4学部の設置、医科大学5校の昇格、商科大学1校の昇格であり、その後この計画はほぼ実現された。この際に新潟と松本の間で「第九高等学校」の名称の奪い合いがおきたため、番号をやめて地名を用いるようになり各地にネームスクールが誕生することになった。 旧制高等学校 新制大学 山口高等中学校1886年(明治19年)11月に、第一(東京)・第三(大阪、後に京都へ移転)に次ぐ全国3番目の高等中学校として山口市亀山地区に設立され、1895年に山口高等学校と改称(通称「旧旧山高」)したが、他府県出身者が多くを占めたため1905年に山口高等商業学校に転換。 山口大学経済学部 新潟高等学校 新潟大学人文学部・理学部 松本高等学校 信州大学文理学部 山口高等学校1895年山口市亀山地区に開校した通称「旧旧山高」は1905年に山口高等商業学校に転換されていたが、これとは別に1919年山口市糸米地区に改めて開校(通称「再興山高」)して学制改革を迎えた。 山口大学文理学部 松山高等学校 愛媛大学文理学部 水戸高等学校 茨城大学文理学部 山形高等学校 山形大学文理学部 佐賀高等学校 佐賀大学文理学部 弘前高等学校 弘前大学文理学部 松江高等学校 島根大学文理学部 大阪高等学校 大阪大学一般教養部南校 浦和高等学校 埼玉大学文理学部 福岡高等学校 九州大学教養部 静岡高等学校 静岡大学文理学部 高知高等学校 高知大学文理学部 姫路高等学校 神戸大学教養部(姫路分校)新制神戸大学は神戸経済大学予科と姫路高等学校を包括したため、統合移転するまで教養部の教育は御影分校と姫路分校とに分かれて行われて、文理学部が御影分校にあった。また1953年まで数学科が教育学部の赤塚山校舎にあった 広島高等学校 広島大学教養部(現総合科学部) 旅順高等学校 (廃止) 官立富山高等学校 富山大学文理学部公立富山高等学校高等科を官立移管して、1943年に開校 学校順は、日本寮歌祭等のオーダーによった。 七年制 七年制高等学校は制度的に高等教育機関と位置づけられているものの、実質的には一つの学校で中等・高等教育機関を兼ねていた。このため学制改革に際しては、高等科は新制大学へ尋常科は新制中学校・高等学校へ、それぞれ移行したと考えるのが一般的である。 種別 旧制高校(七年制) 新制大学 新制中学校・高等学校 官立 東京高等学校 東京大学教養学部 東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校) 台湾総督府立台北高等学校 (廃止、国立台湾師範大学に転換) 公立 富山県立富山高等学校 (1946年閉校1943年に高等科を官立に移管、尋常科は募集停止の上1946年に閉校) 東京府立高等学校→東京都立高等学校 東京都立大学教養部(現首都大学東京) 東京都立大学附属高等学校(現東京都立桜修館中等教育学校) 大阪府立浪速高等学校 大阪大学一般教養部北校 (尋常科廃止) 私立 武蔵高等学校 武蔵大学 武蔵中学校・高等学校 甲南高等学校 甲南大学 甲南中学校・高等学校 成城高等学校 成城大学 成城学園中学校・高等学校 成蹊高等学校 成蹊大学 成蹊中学校・高等学校 その他 学習院の中等科・高等科(現在の学習院高等科・学習院大学) 学習院は、学習院学制に基づいて設置された官立の学校である。また、宮内省直轄という特殊な教育機関であった。当初は初等学科(6年)、中等学科(当初は6年のち5年)、補習科、高等学科、大学別科(1905年廃止)などが置かれていたが、1919年に初等科、中等科、高等科と改称され、学校教育法が施行されるまでその体制が続いた。当初の学習院学制では補習科および高等学科は中等科の卒業生を対象とした2年制の教育機関という位置づけとなっていた。明治期から大正期にかけては帝国大学への進学も完全に保証されたものではなく、高等学科の卒業生は帝国大学側に定員割れが生じた場合や院長の推薦によりのみ帝国大学への進学が許されるなど制度として一定していない。他の旧制高校高等科卒業生と全く同等の帝国大学への進学許可が制度的に保証されるようなったのは1921年の文部省令第二七号によるものである。 戦後特設高校 戦後に医学・歯学教育は大学(旧制大学)で行うこととなり、旧制医学専門学校あるいは旧制歯科医学専門学校は旧制大学に昇格したが、このうちいくつかは大学昇格の基準を満たすことができず、在校生徒救済のために旧制高等学校に改変された。これを戦後特設高校と呼ぶ(ただし官立徳島高等学校は異なる経緯で旧制高校となった)。医大の予科的な位置づけであり、一部は学制改革時新設された新制大学に包括された。 旧制医専・歯専 戦後特設高校 新制大学 秋田県立女子医学専門学校 秋田県立高等学校 (1950年閉校、設備は秋田大学へ) 東洋女子歯科医学専門学校 東洋高等学校 東洋女子短期大学→東洋学園大学 日本女子歯科医学専門学校 日本高等学校 日本女子衛生短期大学→湘南短期大学・神奈川歯科大学 山梨県立医学専門学校 山梨県立高等学校 (1950年閉校、設備は山梨大学へ) 山梨県立女子医学専門学校 徳島医学専門学校 官立徳島高等学校3・4年次のみ。1・2年次はA級判定され、徳島医科大学に昇格 徳島大学 福岡県立医学歯学専門学校医学科 福岡県立高等学校医学科のみ旧制高等学校へ転換。歯学科は福岡県立歯科医学専門学校を経て新制九州歯科大学に (1951年閉校、設備は九州歯科大学へ) 長崎医科大学付属医学専門部 官立長崎高等学校 長崎大学 大学予科 旧制高等学校に類似するものの(高等学校令に基づかないで設置されたもの)個別に連携された大学へのみ進学を前提とした高等教育機関であり、この点は旧制高等学校とは制度的に大きく異なる。 註 関連書籍 週刊朝日 『青春風土記;旧制高校物語』(全4巻) 朝日新聞社、1978年-1979年 秦郁彦 『旧制高校物語』 文春新書、2003年 ISBN 4166603558 海後宗臣(監修) 『日本近代教育史事典』 平凡社、1971年 『日本近現代史辞典』 東洋経済新報社、1978年 尾崎ムゲン作成「文部省管轄高等教育機関一覧」参照 秦郁彦(編)『日本官僚制総合事典;1868 - 2000』 東京大学出版会、2001年 「主要高等教育機関一覧」参照 『わが青春・旧制高校』(ノーベル書房、1969年) 関連項目 大学予科 旧制高等学校記念館 高等教育 帝国大学 旧官立大学 旧制大学 旧制専門学校 高等商業学校 高等中学校 師範学校 戦後特設高校 寮歌 - 学生寮 学歴 ナンバースクール エリート 旧制学校 第一高等学校 学制改革 新制大学 駅弁大学 高専柔道 外部リンク 華麗なる旧制高校巡礼 - 各校校地の現状などを紹介 『寮生OBが歌う三高寮歌をお楽しみ下さい』 - 京都大学 吉田寮 同窓会 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年3月23日 (日) 03 17。
https://w.atwiki.jp/isiyakugakubu/
医・歯・薬学部@wikiへようこそ ここは医学部・歯学部・薬学部の紹介をするwikiです。自由に編集してください。 編集時はまずはこちらをご覧ください。 @wikiの基本操作 編集モード・構文一覧表 分からないことは? @wiki ご利用ガイド よくある質問 アットウィキモードでの編集方法 文字入力 画像入力 表組み その他にもいろいろな機能満載!! @wikiプラグイン一覧 @wikiかんたんプラグイン入力サポート バグ・不具合を見つけたら? 要望がある場合は? お手数ですが、お問合せフォームからご連絡ください。
https://w.atwiki.jp/kuizu/pages/695.html
せがわしょうじ 自作 26歳の時に年齢制限により奨励会を脱退。 その後サラリーマンとして生活していたものの、 2005年11月、61年ぶりに行われた棋士編入試験に合格し プロ将棋棋士となった人物は誰でしょう? タグ:趣味 Quizwiki 索引 さ~と
https://w.atwiki.jp/waseda22/pages/23.html
あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行 基幹理工学部・・・ 早稲田大学では、『学問の独立』の教育理念のもとで、一定の高い基礎学力を持ち、かつ知的好奇心が旺盛で、本学の理念である進取の精神に富む、勉学意欲の高い学生を、わが国をはじめ世界から多数迎え入れる。 近年、科学技術の領域は飛躍的に大きな広がりを呈し、それに対応してそれぞれの領域は分化・深化してきた。大学における教育研究体制もこれに呼応した形 で発展してきた。しかしながら、専門分野の発展と同時に、新しい価値観の創造、新しい科学技術分野あるいは学問分野の開拓が強く求められる時代を迎えた。 これに伴い、地球規模で考え行動し、新しい時代を切り拓く人材を育成する教育研究の展開が求められることとなった。 基幹理工学部は、人文・社会科学系の素養の上に、科学技術の根幹となる数学をはじめとする理工系の素養を身に付け、その上で科学技術の根幹を担う数理科学、情報科学、機械科学、材料科学、電子光科学、表現工学などの基本を学習し、新しい分野に創造的に取り組む意欲と能力を備えた人材を求める。 先進理工学部・・・ 早稲田大学では、『学問の独立』の教育理念のもとで、一定の高い基礎学力を持ち、かつ知的好奇心が旺盛で、本学の理念である進取の精神に富む、勉学意欲の高い学生を、わが国をはじめ世界から多数迎え入れる。特に先進理工学部では、自然科学を基礎とした先端科学技術の向上および学際的新領域の創成を目指し、21世紀の「知」「能」「技」を主導的に展開できる人材の育成を行うため、入学者選抜においては、高校までの基礎学力を十分に身につけるとともに、論理的な思考によりその応用にも意欲的な学生を求めている。また、本学部では国際化を格段に進めており、入学者は異なる文化・教育体系で学んできた様々な学生との交流を可能とするような高い英語能力も身につけていることが望ましい。 創造理工学部・・・ 早稲田大学では、『学問の独立』の教育理念のもとで、一定の高い基礎学力を持ち、かつ知的好奇心が旺盛で、本学の理念である進取の精神に富む、勉学意欲の高い学生を、わが国をはじめ世界から多数迎え入れる。 とくに、創造理工学部では、下記のような方針で入学者を選抜する。
https://w.atwiki.jp/ipu-softy/pages/2.html
総合 トップページ たまり場 ソフトウェア情報学部の常識 ソフトウェア情報学部学生会-Softy- ソフティあるある wiki編集の仕方 講義 全学共通科目アプローチ科目 専門科目一覧(学部) 教職課程科目 M1 M2 D1 D2 D3 研究室 基盤システムコース 情報システムコース メディアシステムコース 知能システムコース 言語 C言語 scheme Perl Python Ruby Java casl R C# エディタ vi Mule (.emacs) その他 LaTeX Solaris Altix350 eclipse FMV-D5290 Git コラム Solarisへのmp3プレイヤーのインストールを通じてUNIX系OSでのアプリケーションのソースからのインストールの方法を知る カラフルなlsを使おう リンク集 使えるフリーソフト、オープンソフト 情報収集のためのサイト 文献的なもの ソフトウェアとは関係ないけど幹事のためのページ