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清算主義VSリフレ主義 近年の経済論壇で最も話題になった書物の一つは、間違いなく竹森俊平氏(慶應大学教授)の『経済論戦は甦る』(東洋経済新報社)であろう。この本は、ジョセフ・シュンペーターの「創造的破壊」という考えに代表される「清算主義」と、アービィング・フィッシャーの債務デフレ論から導き出される「リフレ主義」という対抗軸を設定することによって、1930年代の大恐慌をめぐる論争と現在の日本のデフレ不況をめぐる論争の相似性を見事に明らかにしている。 この竹森氏のいう清算主義とは、資本主義経済において不況が生じるのは不可避であり、むしろ不況という「破壊」を通じてこそ非効率な企業や雇用の淘汰が進み、新たな成長の基礎が準備されるという考えである。 それを最も典型的に体現するのは、大恐慌時のアメリカのフーバーの政権で財務長官を務めていたアンドリュー・メロンによる、「労働者、株式、農民、不動産などを清算すべきである。古い体制から腐敗を一掃すれば価格は適正になり、新しい企業家達が再建に乗り出すだろう」という発言である。 実際、フーバー政権は、大恐慌の最中に銀行や企業が次々と潰れていくのを静観するのみで、積極的な景気回復策を何もしようとはしなかった。その結果、アメリカの国内景気はさらに悪化し、失業率は遂には20%を超え、GDPは半減するまでに至ったのである。 竹森氏の上記著作は、大恐慌期に各国で行われた清算主義派とリフレ派との間の忘れ去られた論争を、現代に生き生きと甦らせている。しかし実は、忘れ去られている興味深い人々は、そのほかにも大勢いるのである。 清算主義の先駆者たち 筆者は現在、若田部昌澄氏(早稲田大学助教授)、田中秀臣氏(上武大学助教授)、中村宗悦氏(大東文化大学助教授)らとともに、日本の昭和恐慌期前後に行われた論争を再検討するプロジェクトにかかわっている。その論争は一般には、旧平価での金本位制復帰の是非をめぐる「金解禁論争」として知られている。しかし実は、それは本質において、清算主義とリフレ主義との間の論争であった。というのは、旧平価金解禁派が唱導していたのは、旧平価での金本位制復帰それ自体というよりも、そのようなデフレ政策を通じた企業の清算(当時の言葉でいう財界整理)であり、それに対抗する新平価金解禁派が問題にしていたのも、旧平価での金本位制復帰によって必然的にもたらされることになるデフレの弊害であったからである。 当時の論争を調べてみると、デフレや構造改革をめぐる現在の論争とのあまりの親近性に驚かざるを得ない。そのことは既に、やはり上記プロジェクトのメンバーの一人である安達誠司氏(クレディスイスファーストボストン証券会社経済調査部エコノミスト)の論考「蘇る70年前の経済論戦」(『日本経済ウィークリー』2003年2月7日)において明らかにされている。そこに示されているように、野口悠紀雄氏、池尾和人氏、榊原英資氏などの現代の反リフレ派経済学者たちや、首相その他の政府首脳および日銀総裁などによって語られてきた構造改革主義的=親デフレ的=反リフレ的言辞のほとんどには、昭和恐慌時の論争の中にその先駆を見出すことができるのである。 特に興味深い人物を、二人だけ紹介しておこう。一人は、上記の安達論考にも頻繁に登場する勝田貞次なる民間エコノミスト(野村證券経済調査部長から時事新報景気研究所長)である。もう一人は、慶応義塾大学教授であった堀江帰一である。両者とも、当時の代表的な旧平価金解禁論者であった。近いうちに、勝田については若田部昌澄氏による、そして堀江については田中秀臣氏による詳細な研究が明らかにされる予定である。したがってここでは、両氏の研究に依拠して、この二人がいかに典型的であったのかだけを紹介しておきたい。 堀江の清算主義者ぶりは、その論説「不景気を最極点まで徹底せしめよ」(『中央公論』1925年3月号)において最もよく明らかになる。その内容は、その表題のとおり、「我国の経済社会に不景気を徹底し、不景気をして其最極点に上らしめる」ために、旧平価金解禁を梃子に金融および財政の引き締めを実行せよとするものである。堀江のこの「政策提言」は、その約5年後に、浜口雄幸民政党内閣の蔵相・井上準之助の手によって現実化することになる。しかし、1927年に病没した堀江が、その帰趨を目の当たりにすることはなかった。 それに対して、勝田貞次は、旧平価金解禁後の昭和恐慌当時に、石橋湛山や高橋亀吉といったリフレ派と積極的に論争を行っていた人物である。その勝田は、昭和恐慌の最中の1930年に行われた「金輸出再禁止問題討論会」において、石橋や高橋らに対して、「大恐慌を大いに促進したいのです」と言い放っている。彼もまた、堀江に劣らぬ清算主義者だったのである。 清算主義の現実形態としての無作為主義 筆者は、本連載第二回「『構造』なる思考の罠」において、「構造」を強調する古今の議論は、構造は根本的かつ一挙に変革する以外にはないという「根本主義」と、構造は堪え忍ぶしかないという「我慢主義」によって特徴付けられることを指摘した。近年の構造的デフレ論は、その典型である。 私見によれば、清算主義とは、筆者のいうこの根本主義のことに他ならない。そして、清算主義の対となるような、筆者のいう我慢主義に対応する概念をここで新たに名付けるとすれば、それは「無作為主義」と表現するのが適切であろう。すなわち、清算主義=根本主義であり、無作為主義=我慢主義である。これは、一挙的変革を説く根本主義の現実的形態が、堪え忍んでその変革の機会をじっと待つ我慢主義であったのと同様に、清算主義の現実形態は無作為主義であったことを意味する。 実際、古今東西の清算主義者たちの「政策提言」の内容をつぶさに吟味してみると、結局のところ、アンドリュー・メロンの「労働者、株式、農民、不動産などを清算すべきである」、堀江帰一の「不景気を最極点まで徹底せしめよ」、そして勝田貞次の「大恐慌を大いに促進したいのです」に典型的であるように、何もせずに状況が悪くなるがままにまかせよという無作為主義の主張に帰着してしまうのである。 しかし、清算主義の清算主義たるゆえんは、むしろその先にある。それは、そのイデオロギーが常に、単に経済状況の悪化を無作為のままに放置せよとするだけではななく、経済状況を積極的に改善する目的で行われる政策=「作為」の一切を拒否するような、強い否定の意志を含んでいるということである。したがって、この局面における清算主義は、無作為主義というよりも、作為を積極的に妨害するような非・作為主義と言い表した方がより正確であろう。 そのことは、過去においてだけでなく、今現在においても確認できる。実際、現代日本の構造改革主義者たちの多くは、デフレに耐えよと無作為を説く一方で、「小手先のマクロ政策」という作為を批判することに余念がないのである。 革命=体制変革としての清算 構造改革主義を特徴付けるこのような心情は、その目指すところは正反対ではあるが、体制内での漸進主義的改革を改良主義と蔑んできた、かつての教条的マルクス主義のそれときわめて近い。マルクス主義にとっては、すべての体制内改良は、資本主義の延命をもたらすにすぎないがゆえに、すべからく反階級的=反動的な試みとみなすべきものなのであった。資本主義は、あくまでもその「再極点まで」腐朽するにまかせられなければならないのである。したがって、彼ら革命的マルクス主義者たちにとっての敵は、多くの場合において、ブルジョア階級そのものよりも、体制内改良を計ろうとする、こざかしい日和見主義者たちであった。彼らにとってみれば、ブルジョア階級はむしろ、資本主義の腐朽を押し進める「進歩的」な存在だったのである。 同様に、清算主義者たちは、それがいかに善意の試みであったとしても、経済状況の改善を目的として行われる政策のすべてに、原理的に反対せざるを得ない。というのは、それは、不況の招来を先延ばしすることで、結果として「古い体制」や「腐敗」の温存に手を貸してしまうことになるからである。彼らの考えによれば、「健全なる資本主義」は恐慌という清算=革命を通じてのみ実現されるのであるから、恐慌の発露を阻止しようとする試みは、いかなるものであれ反動そのものであり、否定の対象でしかあり得ないわけである。 このように、マルクス主義者と清算主義者の思考様式は、「体制」や「構造」の一挙的変革を指向し、漸進的問題解決への強い忌避によって特徴付けられるという点で、まったく相似的であるといってよい。そして、現実世界においても、マルクス主義者はしばしば、清算主義者として発言し、行動した。 上述の竹森俊平氏の著書『経済論戦は甦る』は、かつてのドイツにおいて、大恐慌の最中にデフレ促進的な政策を最も熱心に推進し、ドイツ国民に塗炭の苦しみを与え、結果としてナチスの登場を促したのは、最も正統的な立場のマルクス主義者たちであったことを明らかにしている。 日本の清算主義的マルクス主義者たち 実は、そのような図式は、日本においてもまったく同様に成立していた。若田部昌澄氏の論考「昭和恐慌をめぐる経済政策と政策思想:金解禁論争を中心として」によって明らかにされているように、日本の昭和恐慌期の論争においては、マルクス主義者たちの一部は、明確に清算主義の側に立って発言した。 最も典型的なのは、戦前の日本を代表する経済学者であり、同時にマルクス主義者であった河上肇(京都帝国大学教授)である。その河上は、昭和恐慌期においては、現実に行われつつあった蔵相・高橋是清によるリフレ政策を最も手厳しく批判し、リフレ派の領袖であった石橋湛山と果敢に論争を行うような、徹底した清算主義者であった。それは、マルクス主義者たる河上にとっては、不況は資本主義の必然であり、不良事業を温存するにすぎない不況対策は無意味だからである。さらに、金本位制は資本主義にとって不可欠であり、その廃止は資本主義の枠内では不可能だと考えられるからである。 河上は、1932年2月21日付の自著の追記において、同年2月9日に暗殺された井上準之助の業績を悼み、「資本主義はもはや斯かる‘正常な’療法を主張する医師を再生産しえざる程度の末期に進みつつある」と記している。河上が賛美するこの井上準之助の業績とは、いうまでもなく、日本経済を未曾有の危機=昭和恐慌に陥れた、あの旧平価金解禁のことにほかならない。 若田部氏の上記論考は、マルクス主義者の思考様式が、本質的に清算主義的であり、かつ無作為主義的であることを示す、もう一つの事例を挙げている。それは、日本の代表的マルクス経済学者であった大内兵衛(東京大学教授)によってなされた、いわゆる証券不況期(1965年)における座談会発言である。あまりにも典型的なので、以下にそのまま引用しておこう。 「もちろん、放っておけば、恐慌(クライシス)がいま起きるということはあり得る。多少の出血はある。それは原因があるのだから、起こるのはしかたがない。過剰の生産設備は恐慌によってその設備の一部を破壊すればよい。それが出血であるが、これによって旧式な、不生産的な設備がつぶれればあとはよくなる。それ以外にそれをなおす方法はない。そこで恐慌が起こるなら、いま起こしたほうがいい。それは将来起こらねばならない恐慌と比べれば、小さな恐慌で済むからだ。原因がある以上、熱は抑えない方がよい、輸血もしない方がよい。自然療法がいちばんよい」。 清算主義の「プチ清算主義」としての現実 ところで、清算主義の勇ましい掛け声とは裏腹に、その現実の末路は、情けなさに満ちているのが常である。 大恐慌が起きた当初、上記のアメリカ、日本、ドイツも含めた多くの国々は、その危機的な状況の中で、むしろ経済的収縮を増幅させるような、緊縮的なマクロ政策を発動した。1930年1月11日に実施された日本の旧平価金解禁は、その典型的な例である。それらの政策が、恐慌を押し進めることで腐敗を一掃し、資本主義の健全性を取り戻すという、清算主義的な理念を背景として行われたものであったことは、いうまでもない。 しかし、その後の経済状況の急激な悪化の中で、当初の清算主義は、企業や銀行の個別的な救済や延命に奔走する、リフレ政策なき「プチ清算主義」に堕していく。 そもそも、恐慌の最中にデフレ促進政策を行うのだから、企業の倒産や銀行の破綻が頻発するのは当然である。しかし、もし清算主義の理念を本気で貫徹しようとするのなら、それをそのまま放置しておくのが筋というものである。ところが、現実においては、そのような「純粋な清算主義」は、ほとんど実現されることはなかった。その典型は、旧平価金解禁を断行した井上準之助である。その政策は常に、建前としての清算主義と、実態としての救済主義=延命主義によって特徴付けられていた。 もちろん、いくら政府が個別の企業や銀行を救済したとしても、マクロ経済の悪化を放置したままでは、しょせんは焼け石に水にすぎない。企業や銀行の救済は、不況の結果としての倒産や破綻を取り繕う、事後措置としての「不況対策」でしかない。マクロ的な状況がそれによって改善するわけではまったくない。そして、マクロ経済が回復しない限り、政府は、企業や銀行の救済をなし崩しに続けていくしかないのである。 実は、事態のこのような推移は、われわれがごく身近に経験していることでもある。 記憶を少々さかのぼれば、政権成立当初の小泉政権が、驚くべき高い支持率を獲得するにいたったのは、「痛みに耐える構造改革」とか「米百俵の精神」といった我慢主義的スローガンをメディアに浸透させることによってであった。とりわけ、小泉ブームの頂点であった2001年7月22日に行われた「ジェノヴァ・サミット内外記者会見」での質疑応答における、「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」なる小泉発言は、この政権の清算主義的体質をきわめてよく表していた。 しかし、経済状況が刻々と悪化する中で、小泉政権の政策路線は、明らかにプチ清算主義へと移行していく。そのことを典型的に示したのが、2002年1月のダイエー救済である。これは、その直前の2001年12月に倒産した青木建設については、「構造改革が順調に進んでいる現れ」といったような、まさに清算主義そのもののコメントを小泉首相が口外していただけに、政権の路線変換を明瞭に印象付けた。 さらには、2003年5月に決定された、りそな銀行への2兆円の公的資金投入である。小泉政権は、2002年9月末に行われた小泉内閣初の内閣改造において、竹中平蔵・経済財政担当相の金融相兼任を決定した。しかしこの人選は、政府による強引な企業選別・淘汰=清算への懸念を強めたことで、いわゆる竹中ショックと呼ばれる株価の暴落を引き起こしていた。それだけに、りそな銀行の救済は、「やはり政府は大銀行を潰すことはない」という確証を市場に与えることに大いに寄与したように思われる。 このようにしてみると、小泉政権の歩みもまさに、「問題企業」の淘汰を押し進めようとする清算主義から、積極的な景気対策こそ行わないが、個別企業および銀行の救済はいとわないプチ清算主義への、なし崩しの移行であったことが分かる。そしてそれは、多くの現実の清算主義が辿ってきた道を、ほぼそのままなぞったものにほかならなかった。 清算に熱狂する人々 ところで、きわめて滑稽であると同時に悲劇的なのは、現実世界においては、清算主義の言説やスローガンは、しばしばメディアや一般大衆の側における過剰なまでの支持を取り付けがちであるということである。 その点において最も典型的だったのも、やはり浜口雄幸=井上準之助の旧平価金解禁断行コンビであった。1929年に成立した浜口雄幸内閣は、その年の8月に、金解禁と緊縮財政に対する国民の理解を得るため、1300万枚の宣伝ビラとラジオ放送を用いて、大宣教活動を行った。巷ではその後、「金の解禁立て直し、来るか時節が手を取って」という歌詞の金解禁節が流行し始めることになる。また、かねてから「旧平価による金解禁の即時断行」のキャンペーンを行っていた『大阪毎日新聞』、『大阪朝日新聞』といった当時の大手メディアも、浜口内閣による旧平価解禁を諸手を挙げて歓迎した。そして、その紙面において、さかんに政府方針支持の論陣を張った。 その旧平価金解禁を主導した井上準之助自身の考え方は、その著書『国民経済の立直しと金解禁』(千倉書房、1929年)および『金解禁—全日本に叫ぶ』(先進社、1929年)の中に端的に現れている。それは、「平価切り下げによって一時を糊塗すすれば、従来の虚偽をそのまま永続することになる」、「人々の経済再生への努力心を消失させ、解禁問題解決の目的を忘れさせる結果になる」、「結局、財政の緊縮、財界の整理という過程を一度は経ねばならない」、「いずれにしても同じ苦痛を免れないとすれば、多少の犠牲は覚悟して、旧平価による解禁という常道を選び、これに向かって邁進するのが最も賢明であり、妥当である」といった内容である。まさに、典型的な清算主義であったことが分かる。 この浜口=井上の緊縮断行路線に対し、当時の一般大衆がいかに熱狂したかについては、有名な逸話がある。井上準之助は、旧平価による金解禁の実施にあたり、日本全国を行脚し、旧平価解禁をテコとした「痛みに耐える」緊縮政策の必要性を説いてまわった。その井上の演説を聴いていた一人の老婆は、感激のあまり、井上に向かって賽銭を投げたというのである。小泉政権発足当初の、マスメディアや一般世論の「小泉フィーバー」ぶりを彷彿とさせる逸話である。 実際、小泉政権の誕生時には、メディアの多くが、あたかも政権の広報誌であるかのように、「痛みに耐える構造改革」の必要性を説いていた。とりわけ、小泉首相個人の人気はすさまじく、ブームの頂点であった2001年5月から7月にかけては、20冊以上もの「小泉本」が出版された。まさしく、「金解禁節」で人々が踊った浜口雄幸内閣の成立時に比較されるべきフィーバーぶりだったわけである。 世間知と歪んだ道徳感情の混淆 清算主義の持つこうした強烈な訴求力は、実に深刻かつ破壊的である。というのは、これまで明らかにしてきたように、清算主義はほぼ常に、無作為主義、すなわち経済状況の悪化を無為に放置することを正当化するイデオロギーとして作用し、実際にそのような役割を果たしてきたからである。もちろん、上述のように、現実における清算主義は、やがては、個別救済を伴うプチ清算主義として、幾分かは無害化されるのが常である。しかし、清算主義そのものは、人々の経済生活を破壊するような政策に積極的な意義を見出そうとするような考え方であるから、それがそのまま現実化し続けた場合の危険性は、まさに計り知れないのである。 問題は、人々はなぜここまで、破壊を説く考え方に魅せられるのかである。私見によれば、そこには二つの要素がある。一つは、「良薬は口に苦し」というような格言を安易に経済問題にあてはめてがちな、経済についての一見もっとらしい「世間知」である。そしてもう一つは、清算主義の持つ、一見すると道徳的な装いである。 竹森俊平氏の上記著作が、その問題に関する現代的研究を紹介することによって指摘しているように、「経済成長のためには不況が必要である」といった清算主義命題=シュンペーター・テーゼが現実に妥当してるような証拠はほとんどない。現代的研究が明らかにしているのは、むしろその逆であり、不況は単に資源の一時的遊休をもたらすだけでなく、経済の将来的な生産能力そのものも低下させるということである。それが、この問題についての、現時点における「専門知」である。にもかかわらず、多くの人々は、「明るい将来」のためには、現在の「苦しみ」や「痛み」が必要だと信じて疑わないのである。 確かに、経済問題の多くは、制約のもとでの選択の問題であり、その選択はトレード・オフによって特徴付けられるから、良薬は口に苦しという世間知がそのまま妥当する状況は数多くある。しかし、経済問題の中にはまた、善が善を呼び、悪が悪を呼ぶという正のフィードバックによって特徴付けられる問題も数多く存在するのである。そしてそれは、資源の遊休や不完全雇用という状況と不可分の関係にあるマクロ経済問題においては、とりわけよくあてはまる。 清算主義のもう一つの魔力は、それに常にまとわりついている「苦しみ」や「痛み」という我慢主義のスローガンが、しばしば人々の道徳的感情を呼び起こしがちだという点にある。 とはいえ、その「道徳」を額面通りに受け取るべきではない。というのは、多くの場合、その道徳的感情の実態は、自らを律するという本来の意味での道徳というよりは、「バブルに浮かれていい思いをしていた連中」に対する庶民的反感あるいは妬みといった方が正確だからである。 おそらく、この「道徳」の本質を最も鋭く見抜いていたのは、金解禁論争において「新平価解禁四人組」の一人として名をはせ、石橋湛山や高橋亀吉の朋友として活躍した山崎靖純であろう。これも、上記の若田部論文に紹介されている文章であるが、山崎は、旧平価金解禁を通じた財界整理論の背後にあるであろう感情を、以下のよう言い当てている。 「苦しむがよいのである。日本の財界は戦時以来あまりに不真面目すぎた。だから大いに苦しんで其処に始めて財界の合理化が実現されよう」。 おそらく、この山崎靖純の表現は、「戦時以来」を「バブル以来」に、そして「財界」を「銀行やゼネコン」に替えれば、現代日本にそのまま通用するのではないだろうか。 (了)
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東和薬品 本店:大阪府門真市新橋町2番11号 【商号履歴】 東和薬品株式会社(1957年4月19日~) 【株式上場履歴】 <東証1部>2005年3月1日~ <東証2部>2004年4月5日~2005年2月28日(1部に指定替え) <店頭>1994年7月29日~2004年4月4日(東証2部に上場) 【合併履歴】 1992年10月 日 平成製薬株式会社 1989年4月 日 東和薬販株式会社 1989年4月 日 阪神東和薬販株式会社 1989年4月 日 東和薬品東京販売株式会社 【沿革】 昭和32年4月 大阪市東区に、医薬原料の卸売業を目的として東和薬品株式会社(資本金100万円)を設立。 昭和32年9月 大阪市城東区に蒲生工場を建設し、一般用医薬品の製造を開始。 昭和39年1月 大阪府寝屋川市に寝屋川工場を建設。 昭和39年5月 蒲生工場を閉鎖。寝屋川工場へ統合。 昭和40年12月 保険医薬の将来性に着目し、医療用医薬品の製造販売に転換。 昭和44年10月 大阪東和薬販株式会社を設立。 昭和49年4月 大阪府門真市に新社屋を建設。本社機能を移転。 昭和49年10月 阪神東和薬販株式会社を設立。 昭和50年1月 大阪府門真市に門真工場を建設。 昭和50年10月 株式会社東幸薬品を買収。東京地区における直販会社とする。 昭和53年3月 本社敷地内に大阪工場を建設。 昭和53年6月 大阪府門真市に研究所を建設。 昭和53年8月 大阪府門真市に配送センターを建設。 昭和53年12月 寝屋川工場を閉鎖。大阪工場と門真工場へ統合。 昭和57年3月 大阪府門真市に包装専門工場として大阪第二工場を建設。 昭和57年10月 株式会社東幸薬品を東和薬品東京販売株式会社と商号変更。 昭和58年10月 岡山県勝田郡勝央町に岡山工場を建設。 昭和59年9月 合名会社別府温泉化学研究所を買収し、大分工場として注射薬の製造を開始。 昭和62年7月 門真工場を閉鎖。大阪工場及び岡山工場へ統合。 昭和63年6月 大阪東和薬販株式会社を東和薬販株式会社と商号変更。 平成元年3月 決算期を9月から3月に変更。(第33期営業年度は6か月決算となる。) 平成元年4月 東和薬販㈱、阪神東和薬販㈱、東和薬品東京販売㈱の3社を吸収合併。 平成2年2月 大分工場を分離し、平成製薬株式会社(100%出資)設立。 平成4年10月 平成製薬株式会社を吸収合併し、大分工場とする。 平成6年7月 当社株式を店頭売買銘柄として日本証券業協会に登録。 平成9年5月 本社を大阪府門真市新橋町に移転。(現在地) 平成10年5月 大阪府門真市に中央研究所を新設。(旧研究所は製剤研究所とする。) 平成10年10月 メクト株式会社東北工場を買収し、山形工場とする。 平成15年10月 ジェイドルフ㈱(現ジェイドルフ製薬㈱)の株式を100%取得し、連結子会社とする。 平成16年4月 東京証券取引所市場第二部上場。 平成17年3月 東京証券取引所市場第一部に指定。 平成18年3月 大阪府門真市に大阪新工場を建設。
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富沢駅(とみざわえき)は、宮城県仙台市太白区富沢にある塩田鉄道東北線・塩田鉄道仙都線の駅である。 駅構造(東北線) 駅構造(仙都線) 歴史 隣の駅 駅構造(東北線) 島式ホーム1面2線のホームと通過線2線を持つ高架駅である。 ■通過線 ■塩田鉄道東北線 仙台・盛岡方面 ■塩田鉄道東北線 福島・郡山方面 ■通過線 駅構造(仙都線) 島式ホーム2面4線のホームを持つ地下駅である。 ■杜の都線(塩田鉄道仙都線) 外回り待避線 ■杜の都線(塩田鉄道仙都線) 外回り ■杜の都線(塩田鉄道仙都線) 内回り・多賀城方面 ■杜の都線(塩田鉄道仙都線) 内回り待避線 歴史 1884年6月10日 仙台軽便鉄道の駅として開業。 1886年4月1日 宮城野鉄道の駅となる。 1961年12月1日 東北塩田交通の駅となる。 1986年4月1日 塩田鉄道の駅となる。 2010年4月1日 杜の都線が開業。 隣の駅 ■塩田鉄道東北線 特急・俊快速・通勤特快・特別快速 通過 快速 名取駅-富沢駅-仙台駅 普通 南仙台駅-富沢駅-長町駅 ■塩田鉄道仙都線 特別快速 六丁目駅-富沢駅-一番町駅・仙台駅 快速 太子堂駅-富沢駅-青葉山駅・太白駅 普通 太子堂駅-富沢駅-太白山田駅 塩田鉄道東北線 北浦-大洋-鉾田-涸沼東-大洗-那珂大野-勝田-東海-大甕-常陸多賀-日立-ときわ新町-鵜ノ岬-高萩-赤浜-磯原-大津港-勿来-鮫川-小名浜-湯本-いわき-石森-小川郷-川前- 夏井-小野-滝根-入水-大越-船引-三春-東郡山-郡山-新日和田-五百川-本宮-安達太良-東二本松-渋川-松川町-金谷川-黒岩-福島-御山-東福島-伊達長岡-桑折-国見- 越河-白石-深谷-大河原-船岡-槻木-岩沼-仙台空港-名取-南仙台-富沢-長町-五橋-仙台-幸町-鶴ヶ谷-七北田-利府-富谷-大和吉岡-大衡山-三本木-南古川-古川-福浦- 荒谷-高清水-蟹沢-築館-くりこま高原-沢辺-有壁-一ノ関-平泉-前沢-胆沢口-水沢-江刺-北稲瀬-北上-二子-南城-花巻-花巻空港-石鳥谷-日詰-紫波-矢幅-南盛岡-盛岡- 高松-松園-巣子-滝沢-東渋-好摩-岩手川口-沼宮内-岩手五日市-奥中山-小鳥谷-一戸-二戸-上二戸-堀野-金田一温泉-中三戸-名久井沢-苫米地-八戸-北豊崎-五戸- 南十和田-十和田市-奥入瀬-十和田湖口-蔦湯-法量-酸ヶ湯-八甲田口-萱野茶屋-モヤヒルズ-南横内-横内-問屋町-南青森-青森 塩田鉄道仙都線 一番町-大学病院-北山-桜ヶ丘-泉加茂-泉中央-八乙女東-南光台-鶴ヶ谷-小鶴新田-六丁目-若林沖野-陸前郡山-太子堂-富沢-太白山田-八木山-青葉山-一番町 青葉山-仙台-大学病院 岩沼-北目原-愛の杜-高舘-那智が丘-太白山田 泉中央-泉ヶ丘-あけの平-富谷 八木山-太白-生出-赤石-秋保温泉 太白山田-太白 太子堂-今泉-深沼-岡田-仙台港-多賀城-笠神-汐見台-七ヶ浜-代ヶ崎浜
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鶴ヶ谷駅(つるがやえき)は、宮城県仙台市宮城野区鶴ケ谷にある塩田鉄道東北線・塩田鉄道仙都線の駅である。 駅構造(東北線) 駅構造(仙都線) 歴史 隣の駅 駅構造(東北線) 島式ホーム1面2線のホームと通過線2線を持つ高架駅である。 構内にJR宮城野駅への分岐線がある。 ■通過線 ■塩田鉄道東北線 盛岡・青森方面 ■塩田鉄道東北線 仙台・福島方面 ■通過線 駅構造(仙都線) 島式ホーム2面4線のホームを持つ地下駅である。 ■杜の都線(塩田鉄道仙都線) 外回り待避線 ■杜の都線(塩田鉄道仙都線) 外回り ■杜の都線(塩田鉄道仙都線) 内回り ■杜の都線(塩田鉄道仙都線) 内回り待避線 歴史 1884年6月10日 仙台軽便鉄道の燕沢口駅として開業。 1886年4月1日 宮城野鉄道の駅となる。 1961年12月1日 東北塩田交通の駅となる。 1975年1月1日 鶴ヶ谷駅に改称。 1986年4月1日 塩田鉄道の駅となる。 2010年4月1日 杜の都線が開業。 隣の駅 ■塩田鉄道東北線 特急・俊快速・通勤特快・特別快速・快速 通過 普通 幸町駅-鶴ヶ谷駅-七北田駅 ■塩田鉄道仙都線 特別快速 泉中央駅-鶴ヶ谷駅-六丁目駅 快速 八乙女東駅-鶴ヶ谷駅-小鶴新田駅 普通 南光台駅-鶴ヶ谷駅-小鶴新田駅 塩田鉄道東北線 北浦-大洋-鉾田-涸沼東-大洗-那珂大野-勝田-東海-大甕-常陸多賀-日立-ときわ新町-鵜ノ岬-高萩-赤浜-磯原-大津港-勿来-鮫川-小名浜-湯本-いわき-石森-小川郷-川前- 夏井-小野-滝根-入水-大越-船引-三春-東郡山-郡山-新日和田-五百川-本宮-安達太良-東二本松-渋川-松川町-金谷川-黒岩-福島-御山-東福島-伊達長岡-桑折-国見- 越河-白石-深谷-大河原-船岡-槻木-岩沼-仙台空港-名取-南仙台-富沢-長町-五橋-仙台-幸町-鶴ヶ谷-七北田-利府-富谷-大和吉岡-大衡山-三本木-南古川-古川-福浦- 荒谷-高清水-蟹沢-築館-くりこま高原-沢辺-有壁-一ノ関-平泉-前沢-胆沢口-水沢-江刺-北稲瀬-北上-二子-南城-花巻-花巻空港-石鳥谷-日詰-紫波-矢幅-南盛岡-盛岡- 高松-松園-巣子-滝沢-東渋-好摩-岩手川口-沼宮内-岩手五日市-奥中山-小鳥谷-一戸-二戸-上二戸-堀野-金田一温泉-中三戸-名久井沢-苫米地-八戸-北豊崎-五戸- 南十和田-十和田市-奥入瀬-十和田湖口-蔦湯-法量-酸ヶ湯-八甲田口-萱野茶屋-モヤヒルズ-南横内-横内-問屋町-南青森-青森 塩田鉄道仙都線 一番町-大学病院-北山-桜ヶ丘-泉加茂-泉中央-八乙女東-南光台-鶴ヶ谷-小鶴新田-六丁目-若林沖野-陸前郡山-太子堂-富沢-太白山田-八木山-青葉山-一番町 青葉山-仙台-大学病院 岩沼-北目原-愛の杜-高舘-那智が丘-太白山田 泉中央-泉ヶ丘-あけの平-富谷 八木山-太白-生出-赤石-秋保温泉 太白山田-太白 太子堂-今泉-深沼-岡田-仙台港-多賀城-笠神-汐見台-七ヶ浜-代ヶ崎浜
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富谷駅(とみやえき)は、宮城県富谷市ひより台にある塩田鉄道東北線・塩田鉄道仙都線の駅である。 駅構造 歴史 隣の駅 駅構造 島式ホーム3面6線のホームと通過線2線を持つ地上駅である。 入線メロディーが特殊で、長距離列車の場合に限りメロディーが流れる。 ■通過線 ■塩田鉄道東北線 盛岡・青森方面 (入線メロディ(築館以遠を終着駅とする列車) いい日旅立ち そのほかはなし) ■塩田鉄道東北線 上下待避線 (入線メロディ なし) ■杜の都線(塩田鉄道仙都線) 泉中央・環状線方面 (入線メロディ なし) ■杜の都線(塩田鉄道仙都線) 泉中央・環状線方面 (入線メロディ なし) ■塩田鉄道東北線 上下待避線 (入線メロディ なし) ■塩田鉄道東北線 仙台・福島方面 (入線メロディ(岩沼以遠を終着駅とする列車) 線路は続くよどこまでも そのほかはなし) ■通過線 歴史 1884年12月15日 仙台軽便鉄道の駅として開業。 1886年4月1日 宮城野鉄道の駅となる。 1961年12月1日 東北塩田交通の駅となる。 1986年4月1日 塩田鉄道の駅となる。 2010年4月1日 杜の都線が開業。 隣の駅 ■塩田鉄道東北線 特急・俊快速・通勤特快 通過 特別快速 利府駅-富谷駅-三本木駅 快速・普通 利府駅-富谷駅-大和吉岡駅 ■塩田鉄道仙都線 特別快速 泉中央駅-富谷駅 快速・普通 あけの平駅-富谷駅 塩田鉄道東北線 北浦-大洋-鉾田-涸沼東-大洗-那珂大野-勝田-東海-大甕-常陸多賀-日立-ときわ新町-鵜ノ岬-高萩-赤浜-磯原-大津港-勿来-鮫川-小名浜-湯本-いわき-石森-小川郷-川前- 夏井-小野-滝根-入水-大越-船引-三春-東郡山-郡山-新日和田-五百川-本宮-安達太良-東二本松-渋川-松川町-金谷川-黒岩-福島-御山-東福島-伊達長岡-桑折-国見- 越河-白石-深谷-大河原-船岡-槻木-岩沼-仙台空港-名取-南仙台-富沢-長町-五橋-仙台-幸町-鶴ヶ谷-七北田-利府-富谷-大和吉岡-大衡山-三本木-南古川-古川-福浦- 荒谷-高清水-蟹沢-築館-くりこま高原-沢辺-有壁-一ノ関-平泉-前沢-胆沢口-水沢-江刺-北稲瀬-北上-二子-南城-花巻-花巻空港-石鳥谷-日詰-紫波-矢幅-南盛岡-盛岡- 高松-松園-巣子-滝沢-東渋-好摩-岩手川口-沼宮内-岩手五日市-奥中山-小鳥谷-一戸-二戸-上二戸-堀野-金田一温泉-中三戸-名久井沢-苫米地-八戸-北豊崎-五戸- 南十和田-十和田市-奥入瀬-十和田湖口-蔦湯-法量-酸ヶ湯-八甲田口-萱野茶屋-モヤヒルズ-南横内-横内-問屋町-南青森-青森 塩田鉄道仙都線 一番町-大学病院-北山-桜ヶ丘-泉加茂-泉中央-八乙女東-南光台-鶴ヶ谷-小鶴新田-六丁目-若林沖野-陸前郡山-太子堂-富沢-太白山田-八木山-青葉山-一番町 青葉山-仙台-大学病院 岩沼-北目原-愛の杜-高舘-那智が丘-太白山田 泉中央-泉ヶ丘-あけの平-富谷 八木山-太白-生出-赤石-秋保温泉 太白山田-太白 太子堂-今泉-深沼-岡田-仙台港-多賀城-笠神-汐見台-七ヶ浜-代ヶ崎浜
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郡山駅(こおりやまえき)は、福島県郡山市字燧田にある塩田鉄道東北線の駅である。 概要 駅構造 歴史 隣の駅 概要 郡山市の中心駅であり、塩鉄線内でも運行系統が変わる重要な駅である。この駅を境に仙台方面へは本数がかなり増える。 また、磐越西線直通列車はこの駅から磐越西線へ直通する。 仙台近郊を運行する通勤特快?は一部列車がこの駅までやってくる。 駅構造 島式ホーム2面4線を単式ホーム1面1線2本が挟む、計4面6線のホームを持つ地下駅である。 この駅を境に運行系統が変わるため、沢山の側線を有する。 とくに接続がない場合、仙台方面は2番線、いわき方面は6番線、磐越西線直通列車は1番線から発車するが、接続がある場合は2・3、4・5番線を使用する。 2009年8月以前の2~6番線は主要駅によくあるメロディーであったが、8月に1番線を会津磐梯山からAIZUその名の情熱へ、2~6番線を地元のアーティスト「GReeeeN」の楽曲に変更された。 なお発車メロディーは1番線が会津磐梯山である以外は汎用のメロディーである。 ■磐越西線直通列車 猪苗代・会津若松方面 (入線メロディ AIZUその名の情熱) ■塩田鉄道東北線 福島・仙台方面 (入線メロディ キセキ) ■塩田鉄道東北線 上下待避線 (入線メロディ 刹那) ■塩田鉄道東北線 上下待避線 (入線メロディ 遥か) ■塩田鉄道東北線 上下待避線 (入線メロディ 歩み) ■塩田鉄道東北線 いわき・日立方面 (入線メロディ 愛歌) 歴史 1884年9月1日 郡山鉄道の駅として開業。 1961年12月1日 東北塩田交通の駅となる。 1986年4月1日 塩田鉄道の駅となる。 隣の駅 ■塩田鉄道東北線 特急 通過 俊快速 いわき駅-郡山駅-東二本松駅 通勤特快 郡山駅-本宮駅 特別快速 船引駅-郡山駅-本宮駅 ときわ快速 船引駅-郡山駅 快速 三春駅-郡山駅-本宮駅 普通 東郡山駅-郡山駅-新日和田駅 塩田鉄道東北線 北浦-大洋-鉾田-涸沼東-大洗-那珂大野-勝田-東海-大甕-常陸多賀-日立-ときわ新町-鵜ノ岬-高萩-赤浜-磯原-大津港-勿来-鮫川-小名浜-湯本-いわき-石森-小川郷-川前- 夏井-小野-滝根-入水-大越-船引-三春-東郡山-郡山-新日和田-五百川-本宮-安達太良-東二本松-渋川-松川町-金谷川-黒岩-福島-御山-東福島-伊達長岡-桑折-国見- 越河-白石-深谷-大河原-船岡-槻木-岩沼-仙台空港-名取-南仙台-富沢-長町-五橋-仙台-幸町-鶴ヶ谷-七北田-利府-富谷-大和吉岡-大衡山-三本木-南古川-古川-福浦- 荒谷-高清水-蟹沢-築館-くりこま高原-沢辺-有壁-一ノ関-平泉-前沢-胆沢口-水沢-江刺-北稲瀬-北上-二子-南城-花巻-花巻空港-石鳥谷-日詰-紫波-矢幅-南盛岡-盛岡- 高松-松園-巣子-滝沢-東渋-好摩-岩手川口-沼宮内-岩手五日市-奥中山-小鳥谷-一戸-二戸-上二戸-堀野-金田一温泉-中三戸-名久井沢-苫米地-八戸-北豊崎-五戸- 南十和田-十和田市-奥入瀬-十和田湖口-蔦湯-法量-酸ヶ湯-八甲田口-萱野茶屋-モヤヒルズ-南横内-横内-問屋町-南青森-青森
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このスレに投下された作品の多くは、スレ主◆dO/kErKploによるSSであるが、それらの作品群に心を動かされたスレ住人の手による外伝やイラストもいくつか投下されている。 それらを紹介するのがこの項目の目的であるのだ。 各作品は収録順に紹介しているため、発表順とは異なっています。 外伝・仮面ライダー我鬼 外伝・仮面ライダー384 外伝・仮面ライダーディエッグ 外伝・ゲンキックンホッパーの憂鬱 イラスト・二人で一人の仮面ライダー 外伝・逆襲の910 イラスト・仮面ライダー910 ファイナルハローライド・ディエッグ!! イラスト・913の日記念 仮面ライダー910 外伝・敗残者たちの栄光 イラスト・仮面ライダーイクタ 外伝・仮面ライダーめん王 イラスト・仮面ライダーディエッグ 二態 外伝・地獄兄妹 イラスト・リナプープラットフォーム [外伝・女王のベルト 外伝・宇宙刑事ミャバン イラスト・かっちょ良い歌 イラスト・仮面ライダーパレット キューティークィーンフォーム スタッフロールのあと 外伝・仮面ライダーG3-M 「イクタとレイナ」 外伝・仮面ライダー我鬼 「仮面ライダー・イクタ」の主人公、生田衣梨奈といえば熱烈な新垣里沙ファンである。 そんな衣梨奈と里沙との師弟対決が実現したらという想像を形にした外伝。 この師弟対決は本編で異なるシチュエーションで実現している。 外伝・仮面ライダー384 生田衣梨奈が主人公ということもあって、モーニング娘。の9期は仮面ライダーの宝庫だ。 イクタは言うに及ばず、譜久村聖が変身するディエッグ、鈴木香音が変身するオーズッキ。 そんな中、本編28話終了時点でライダーに選ばれず、そのため登場頻度が少ない鞘師里保にスポットライトを当てたSS。 鞘師がライダーに選ばれなかったのは、ライダーバトルの賞品が楽曲のセンターであるということから、モーニング娘。のシングルで重用されている鞘師を作者の配慮で除外した一面もあるのかもしれない。 数少ない登場場面での不遇ぶりもおいしいといえなくはない。 外伝・仮面ライダーディエッグ ハロプロメンバーの生写真を専用の銃で射出することで実体化した映像を創り出すことが出来るディエッグ。 ディエッグの正体である譜久村聖が自分の欲望を充足さえるためにその能力を使えば…というSS。 外伝・ゲンキックンホッパーの憂鬱 仮面ライダーゲンキックン。 その名前とは裏腹に変身した自分の容姿や実力について悲観的な彼女だが、ライダーバトルに勝ち抜いて、モベキマスのセンターに抜擢されたいという夢は諦めていない。 そんな彼女にスポットライトを当てた本格的なSS。 イラスト・二人で一人の仮面ライダー ライダーバトルの商品はモベキマスのセンター。 しかしセンターはたった一つ。 二人で一人の仮面ライダーBIGWが勝ち残れば、どちらがセンターになるのか。 そんなジレンマなどアホな二人には関係ない。 二人でセンターになればいいじゃん。 底抜けに陽気で、圧倒的に強いBIGWの変身ポーズを描いたイラスト。 外伝・逆襲の910 平成の仮面ライダーシリーズの中には不特定多数の人間が変身したライダーも存在する。 その代表格、913をモデルにした910のベルトを軸に展開する本格的なSS。 イラスト・仮面ライダー910 平成の仮面ライダーシリーズが初期の仮面ライダーシリーズと異なる点は、恒常的に複数のライダーが活躍し、時に共闘し、時に激しく戦うことだろう。(クウガは除く) そんな中で悪役ライダーとして印象的な一人が「555」に登場した913だ。 主として草加雅人が変身した913をモデルにした910の変身後の姿をイラストになった。(例のポーズ付き) ファイナルハローライド・ディエッグ!! 仮面ライダーディエッグの最強フォーム、ディエッグコンプリートフォームの必殺技はファイナルハローライド・ゲキジョウバンだ。 劇場映画に主演級で出演したハロプロメンバーを一挙に召喚するこの技は、映画の傾向がホラー寄りのものが多いこともあってか、敵に与える精神的なダメージも大きい。 そんなゲキジョウバンで使用されたカードの画像が有志によって制作された。 イラスト・913の日記念 仮面ライダー910 イクタSSの中で好きなライダー、応援したいライダーは読む人間によって各々違うだろうが、最も個性的で印象を残したライダーに910を挙げる者は少なくないだろう。 そんな910の変身直前のイラストが投下された。 早貴の目が妖しく光っている。 外伝・敗残者たちの栄光 装着者の生命の安全が保証されているタチバナの仮面ライダーたちはバトルに敗退しても命を落とすことはない。 ライダーバトルで脱落し、モベキマスのセンターの夢も敗れた彼女たちにスポットライトが当たる。 イラスト・仮面ライダーイクタ ディエッグとパレットによるラストバトル真っ只中なスレに投下されたイクタ&生田衣梨奈の男前なイラスト。 外伝・仮面ライダーめん王 イクタに倒され、ライダーバトルから脱落した仮面ライダーめん王こと勝田里奈。 いつめん達との別れを受け入れられない彼女は、機能を失ったライダーベルトを腰に巻き、めん王に変身しようとしている。 イラスト・仮面ライダーディエッグ 二態 ライダーバトルを最終局面まで勝ち残ってきたディエッグの勇姿が描かれたイラスト。 勇姿というより艶姿w 外伝・地獄兄妹 熾烈を極めたライダーバトルも終わりが近づいたある日のこと。 萩原舞は自分の分身だったゲンキックンホッパーのモデル、仮面ライダーホッパーに興味を抱き、ネットで調べてみた。 そこで知った意外な真実に動転した舞は夜の街を彷徨うのだったが…。 イラスト・リナプープラットフォーム 仮面ライダーめん王は、その正体である勝田里奈が持っていない脂質を備えたハロプロの仲間たちを”いつめん”として憑依することで戦闘力をアップさせる。 では、いつめん達がついていない状態のめん王の姿はというと… [外伝・女王のベルト ライダーバトルで勝ち残ったのは譜久村聖の変身するディエッグと、鈴木愛理が変身するパレットの二体。 最終決戦の行方に思いを馳せながら、ライダーバトルを共に戦った生田衣梨奈・鈴木香音と道を歩いていた飯窪春菜は不思議な感覚に因われていた。 それは未知のライダーが戦っている気配。 バトルに敗れハウガの力を失った筈の自分に何故、それがわかるのか? 外伝・宇宙刑事ミャバン ライダーバトル決勝を争うパレットとディエッグを狙って、透明生命体の大群が押し寄せた。 神聖な戦いを守るため大群に立ち向かったNEW電王だが、数が多すぎる。 危機に陥ったNEW電王の前に現れたのは… イラスト・かっちょ良い歌 ライダーバトルの勝者は鈴木愛理が変身する仮面ライダーパレットだった。 勝者の権利として愛理がどんな要求をしたのかは神のみぞ知るところ。 だが結果としてモベキマスのセンターは愛理に委ねられた。 ライダーバトルを通して夢を持つことの大事さを知った少女たちの本来の戦場であるステージでの姿が描かれたイラスト。 SSでは端っこに追いやられた生田と譜久村が主人公補正で、センター愛理の脇を固めていいるのは、絵師からのはなむけであろうか。 イラスト・仮面ライダーパレット キューティークィーンフォーム 葛藤を乗り越え、未来を掴み取った仮面ライダーパレット。 その栄誉を讃え描かれた最強フォーム“キューティークイーンフォーム” のイラスト。 装着者である鈴木愛理の含羞んだような笑顔を共にご照覧あれ。 スタッフロールのあと 少女たちの戦いは終わった。 スタッフロールが流れ終わったあと、そこにあるものは真のエンディングか、それとも新たなる戦いへの招待状か? 外伝・仮面ライダーG3-M 仮面ライダーG3-M。 最初の13名に選ばれながら、14番目の戦士として登場した彼女の胸に秘めたものとは一体? タチバナのエージェントである青年に明かした、イクタこと生田衣梨奈への熱い思いが、いま明らかになる。 「イクタとレイナ」 アイドルという概念が存在しない世界で“センター”を目指し戦う少女たち。 人は彼女達のことを仮面ライダーと呼んだ。 その一人、生田衣梨奈を訪ねて、田中れいなという女性が訪ねてくるところから話が始まる。 イクタSS本編の作者によるパラレルワールドを舞台にしたボーナストラック。 イクタの元ネタであるイクサの登場する仮面ライダーキバの主役であるキバやサガをモチーフとするライダーたちが勇姿を披露する。
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ひらちライン (Hitachi Line)とは、千葉県千葉市中央区の千葉駅と茨城県北茨城市の大津港駅とを結ぶ、ひたち高速鉄道の鉄道路線である。 路線記号は H 。2009年3月14日にちばドリームエクスプレス(cdx)から移管された。 目次を表示 路線データ 路線概要 運行形態広域輸送 地域輸送千葉駅 – 龍ヶ崎駅間 龍ヶ崎駅 – つくば北条駅間 つくば北条駅 – 八郷小幡駅間 八郷小幡駅 – 水戸駅間 水戸駅 – ひたち太田駅間 ひたち太田駅 – 大津港駅間 車両 ラインカラー 歴史 駅一覧・接続路線千葉駅 – ひたち太田駅間 ひたち太田駅 – 大津港駅間 路線データ ひたちライン Hitachi Line 営業距離(営業キロ) 209.4 km 管轄 ひたち高速鉄道:209.4 km(全線) 軌間 1435 mm 駅数 75 駅(起終点含む、計画・建設中の駅も含む) 平均駅間距離 2.79 km 複線区間 全線ただし一部区間は下り線のみ使用 電化区間 全線(交流25kV / 50Hz) 閉塞方式 自動閉塞式 保安装置 ATS-G 運賃区分 近郊線 (水戸駅 – 大津港駅間は特定区間) 路線図 路線概要 元々は鉄道技術研究所(現:鉄道総合技術研究所)が高速鉄道の実験線として建設した路線であり、当初から交流20kV、軌間1435mmで建設された。このため、cdx時代は実質別会社の路線として扱われていた。 かつては複数の路線の総称としていたが、現在は単一路線の扱いとなっている。営業キロは209.4kmと非常に長く、これはJRを除く国内の鉄道路線では最長である。 2009年3月14日からは当初の計画通り、cdxからひたち高速鉄道へ経営移管された。なお、移管後も運賃体系はcdx時代のままとなっており、運賃計算も従来通りとなっている。 2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で、ひたち里川駅 – ひたち冨士ケ丘駅間が被災してひたち太田駅以北が長らく休止していたが、2016年4月1日にひたち太田駅 – ひたち小妻駅間が復旧。さらに4年後の2020年4月1日にひたち小妻駅 – 大津港駅間が復旧したことで、9年ぶりに全線が復旧した。 運行形態 ひたちラインは非常に長い路線であるため、地域によって運行形態が異なる。 広域輸送 地域輸送 千葉駅 – 龍ヶ崎駅間 主に千葉市内および千葉駅からJR線などで首都圏へ向かう通勤・通学客の輸送が主体である。ひたちラインでは最も需要の高い区間で、交流電車では珍しい4ドアロングシートの純然たる通勤型車両もこの地域のみ運用される。 運転間隔は、日中は1時間あたり3 – 5本、ラッシュ時は1時間あたり5 – 10本と多く、大半は6両 – 8両編成と比較的長い編成で運転する。 安食駅以南は通勤・通学需要が非常に高い一方、それ以北は地域間の輸送が主体となっている。このため、千葉方面からの下り列車は、大半が安食駅で折り返す。 龍ヶ崎駅 – つくば北条駅間 つくば方面への通勤・通学輸送が主体となっている。途中でJR常磐線やつくばエクスプレスに接続しているため、これらを利用して首都圏へ向かう利用客も多い。 運転間隔は1時間あたり3 – 4本で、区間便も多い。 つくば北条駅 – 八郷小幡駅間 八溝構造線を超える区間で、ひたちラインは長大トンネルでパスしている。 大半の列車が前後の駅で折り返してしまうため、この区間を通る列車は急行列車ばかりとなっている(深夜・早朝は普通・快速列車も設定されている)。 八郷小幡駅 – 水戸駅間 主に水戸方面への通勤・通学輸送が主体で、鉄道の無い石岡市の旧八郷町域では貴重な交通手段となっている。 運転間隔は1時間に1 – 4本で、水戸駅に近づくにつれて運転本数が多くなる。 列車は4両編成が主体だが、ラッシュ時や急行列車の間合い運用などで6 – 8両編成が運転する列車もある。 水戸駅 – ひたち太田駅間 水戸方面への通勤・通学輸送が主体で、複数の列車が走れないJR水郡線(太田支線)のバイパスの役目も果たす。 運転間隔は、日中は1時間あたり2 – 4本、ラッシュ時は1時間あたり3 – 4本で運転。 列車は大半が2 – 4両編成だが、ラッシュ時の水戸駅 – 勝田駅間は混雑が激しいため、最大8両編成で運転することもある。 ひたち太田駅 – 大津港駅間 普通列車主体の運転(水戸方面からの急行・快速列車も普通として運転)で、一部を除き2両編成のワンマン運転を行っている。 運転間隔が1 – 2時間に1本と少なく、特に小妻宿駅 – ひたち冨士ケ丘駅間は1日6本しか無い。 2009年3月現在、千葉駅発大津港駅行きの急行が1本、大津港駅発つくば駅行きの快速が2本設定されている。 ひたちラインは全線複線だが、ひたち徳田駅 – ひたち冨士ケ丘駅間は上り線が休止中となっており、実質単線区間となっている。 車両 つくば車両センター(水ツク)に所属する70系・71系・72系・73系・74系が使われている。 70系はもとJRの急行・近郊形車両で、主に水戸駅以南で使われる。一方、71系 – 74系は主につくば駅以北で使われ、2007年3月のダイヤ改正からは水戸駅 – 大津港駅間でワンマン運転を行っている。 ラインカラー ラインカラーはファイヤーレッド( )である。 歴史 1998年12月5日 – 【開業】cdxひたちラインとして 千葉駅 – つくば駅 間。 2000年3月10日 – 【延伸】 つくば駅 – 大津港駅 。 2009年3月14日 – 全線がcdxからひたち高速鉄道へ移管。 2010年3月13日 – 【駅開業】 ひたち福島駅 。 2011年3月11日 – 東日本大震災の影響で一部区間が被災(ひたち里川駅〜ひたち冨士ケ丘駅間を除き、4月半ばには復旧)。全区間運休。 2011年3月28日 – 【復旧】千葉駅 – ひたち太田駅間。 2016年4月1日 – 【復旧】ひたち太田駅 – ひたち小妻駅間。大津港駅間は災害復旧工事のため引き続き運休。 2019年3月16日 – 【駅開業】真家駅。同日、駅番号を振り直し、真家駅以北の駅番号が変更となった。(1駅手前の八郷園部駅以南は従来通り) 2020年4月1日 – 【復旧】小妻宿 – 大津港駅間。 駅一覧・接続路線 千葉駅 – ひたち太田駅間 全駅ひたち高速鉄道直轄 2021年3月13日改正 ●は停車駅、‖は通過駅 ひたちライン駅間キロ 営業キロ 駅番号 駅名 普通 快速 急行 接続路線・備考 所在地 - 0.0 H01 千葉駅 ● ● ● CA 千葉本線東日本旅客鉄道 総武本線(快速・各駅停車)・成田線・内房線・外房線京成電鉄 千葉線(京成千葉駅)千葉都市モノレール 1号線・2号線 千葉県 千葉市中央区 1.5 1.5 H02 千葉本町駅 ● ● ● 1.3 2.8 H03 都町駅 ● ‖ ‖ 1.8 4.6 H04 加曽利町駅 ● ‖ ‖ 千葉市若葉区 1.6 6.2 H05 真浄寺駅 ● ‖ ‖ 1.4 7.6 H06 千城台駅 ● ● ● 千葉都市モノレール 2号線 2.3 9.9 H07 千葉下田駅 ● ‖ ‖ 3.0 12.9 H08 佐倉坂戸駅 ● ● ‖ 佐倉市 2.0 14.9 H09 神門駅 ● ‖ ‖ 3.3 18.2 H10 佐倉和田駅 ● ‖ ‖ 1.1 19.3 H11 南酒々井駅 ● ‖ ‖ 東日本旅客鉄道:総武本線 印旛郡酒々井町 2.4 21.7 H12 酒々井中央駅 ● ● ● 0.9 22.6 H13 新酒々井駅 ● ● ● 2.7 25.3 H14 宗吾参道駅 ● ● ‖ 京成電鉄:本線 0.8 26.1 H15 宗吾駅 ● ● ● NR 成田線 成田市 3.8 29.9 H16 北須賀駅 ● ‖ ‖ 1.8 31.7 H17 大竹駅 ● ‖ ‖ 2.4 34.1 H18 酒直駅 ● ● ‖ 印旛郡栄町 1.9 36.0 H19 安食駅 ● ● ● 東日本旅客鉄道:成田線 3.1 39.1 H20 請方駅 ● ‖ ‖ 4.9 44.0 H21 羽中駅 ● ‖ ‖ 茨城県 北相馬郡利根町 2.3 46.3 H22 利根奥山駅 ● ● ● 3.1 49.4 H23 龍ケ崎駅 ● ● ● 関東鉄道:竜ヶ崎線 竜ケ崎市 2.4 51.8 H24 龍ケ崎北口駅 ● ● ‖ 2.2 54.0 H25 女化駅 ● ● ‖ 牛久市 3.9 57.9 H26 岡見駅 ● ● ● 2.3 60.2 H27 下根口駅 ● ● ‖ 1.6 61.8 H28 ひたち野うしく駅 ● ● ● 東日本旅客鉄道:常磐線 2.8 64.6 H29 北中島駅 ● ● ‖ つくば市 3.5 68.1 H30 茗渓学園駅 ● ● ● 3.5 71.6 H31 つくば駅 ● ● ● KG 古河線・ CK 筑鉾線首都圏新都市鉄道 つくばエクスプレス線 2.5 74.1 H32 つくば平塚駅 ● ● ● 1.5 75.6 H33 つくば要駅 ● ● ● 3.0 78.6 H34 筑穂駅 ● ● ● 4.3 82.9 H35 つくば北条駅 ● ● ● 8.1 91.0 H36 八郷小幡駅 ● ● ● 石岡市 4.0 95.0 H37 八郷駅 ● ● ● 5.7 100.7 H38 八郷園部駅 ● ● ● 3.1 103.8 H39 真家駅 ● ● ‖ 1.9 105.7 H40 ひたち福島駅 ● ● ‖ 笠間市 3.6 109.3 H41 押辺駅 ● ● ‖ 2.9 112.2 H42 柏井駅 ● ● ‖ 3.6 115.8 H43 倉田鯉淵駅 ● ● ‖ 水戸市 2.3 118.1 H44 弁天池公園駅 ● ● ‖ 2.0 120.1 H45 河和田駅 ● ● ● 1.7 121.8 H46 見和見川駅 ● ● ‖ 1.1 122.9 H47 常磐大学駅 ● ● ‖ 1.8 124.7 H48 偕楽園・千波湖駅 ● ● ‖ 1.8 126.5 H49 水戸駅 ● ● ● 東日本旅客鉄道 常磐線・水郡線鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線 2.5 129.0 H50 ひたち若宮駅 ● ● ‖ 2.1 131.1 H51 勝田南口駅 ● ● ‖ ひたちなか市 1.0 132.1 H52 勝田駅 ● ● ● 東日本旅客鉄道:常磐線ひたちなか海浜鉄道 湊線 3.5 135.6 H53 田彦駅 ● ● ● 2.9 138.5 H54 東菅谷駅 ● ● ● 那珂市 1.8 140.3 H55 杉駅 ● ● ● 1.8 142.1 H56 額田高岡駅 ● ● ● 3.8 145.9 H57 ひたち河合駅 ● ● ● 常陸太田市 1.6 147.5 H58 ひたち谷河原駅 ● ● ● 1.4 148.9 H59 ひたち太田駅 ● ● ● 東日本旅客鉄道:水郡線 駅間キロ 営業キロ 駅番号 駅名 普通 快速 急行 接続路線・備考 所在地 ひたち太田駅 – 大津港駅間 全駅茨城県内、ひたち高速鉄道直轄 2021年3月13日改正 ●は停車駅、‖は通過駅 ひたちライン駅間キロ 営業キロ 駅番号 駅名 普通 接続路線・備考 所在地 1.4 148.9 H59 ひたち太田駅 ● 東日本旅客鉄道:水郡線 常陸太田市 1.8 150.7 H60 ひたち栄町駅 ● 2.4 153.1 H61 ひたち里野宮駅 ● 2.9 156.0 H62 ひたち春友駅 ● 1.8 157.8 H63 ひたち河内駅 ● 3.1 160.9 H64 ひたち中里駅 ● 日立市 4.7 165.6 H65 ひたち大菅駅 ● 常陸太田市 2.8 168.4 H66 ひたち小菅駅 ● 4.5 172.9 H67 ひたち里美駅 ● 3.2 176.1 H68 ひたち小妻駅 ● 3.1 179.2 H69 ひたち徳田駅 ● 6.6 185.8 H70 ひたち里川駅 ● 12.3 198.1 H71 ひたち花園駅 ● 北茨城市 6.4 204.5 H72 ひたち冨士ケ丘駅 ● 1.4 205.9 H73 ひたち八反駅 ● 2.2 208.1 H74 ひたち福田駅 ● 1.3 209.4 H75 大津港駅 ● 東日本旅客鉄道:常磐線 駅間キロ 営業キロ 駅番号 駅名 普通 接続路線・備考 所在地 最終更新:2022-06-28ひたちライン 路線
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Top 交通 鉄道 鉄道の被害 JR東日本 気仙沼線など7路線1700カ所が津波の被害を受けている。 23駅、線路60㎞などが流失。 上記データ:読売新聞(2011年4月5日) 仙台市営地下鉄 黒松駅から泉中央駅間の高架橋の損傷及びレールのゆがみ 八乙女駅上屋の鉄骨アンカーボルト破断 上記データ:仙台市交通局記者発表資料(2011年3月13日) 構造物の崩壊や落下などは確認されず 橋脚およそ50本・橋梁の桁受部6箇所等大きく破損 上記データ:http //www.kotsu.city.sendai.jp/ 仙台空港鉄道 震災時、仙台空港駅に停車していた車両(4両) 上記データ:仙台空港鉄道記者発表資料(2011年6月16日) 仙台空港駅1階部分が津波で浸水 上記データ:Wikipedia「東日本大震災による鉄道への影響」 鹿島臨海鉄道 路盤が流失し、線路が約260mにわたって宙づりとなった(新鉾田〜北浦湖畔周辺) 盛り土と地面の境界など路盤に関わる損傷(大洗〜北浦湖畔に集中) 線路の湾曲や比較的軽微な路盤損傷(大洋〜鹿島サッカースタジアム) 港湾地区内の液状化などで全線で線路が激しく湾曲 信号機や安全設備の損傷も大きかった 復旧対象が103カ所 上記データ:茨城新聞(2011年3月26日) ページトップへ戻る 運転が見合わせられた路線と再開日 東北本線花巻 - 盛岡(3月15日再開) 〃 北上 - 花巻(3月17日再開) 〃 一関 - 北上(3月20日再開) 〃 郡山 - 本宮(3月29日再開) 〃 仙台 - 岩切(3月31日再開) 〃 安積永盛 - 郡山(4月2日再開) 〃 岩切 - 利府・松島(4月5日再開) 〃 本宮 - 福島(4月5日再開) 〃 花泉 - 一関(4月6日再開) 〃 福島 - 岩沼(4月7日再開) 〃 ————————7日深夜の余震により黒磯 - 盛岡運転見合わせ 〃 仙台 - 一関(4月21日再開) 大湊線(3月17日) 北上線北上 - ほっとゆだ(3月19日再開) 〃 全線(3月20日再開) 花輪線好摩 - 松尾八幡平(3月18日再開) 〃 全線(3月19日再開) 田沢湖線盛岡 - 赤渕(3月15日再開) 〃 全線(3月18日再開) 八戸線八戸 - 鮫(3月18日再開) 〃 鮫 - 階上(3月24日再開) 〃 階上 - 種市(8月8日再開) 山田線盛岡 - 上米内(3月18日再開) 〃 上米内 - 宮古(3月26日再開) 釜石線花巻 - 遠野(3月18日再開)代行バス運行 〃 遠野 - 釜石(4月6日再開) 奥羽本線秋田 - 青森(3月14日再開) 〃 大曲 - 秋田(3月15日再開) 〃 横堀 - 大曲(3月16日再開) 〃 院内 - 横堀(3月20日再開) 〃 新庄 - 院内(3月27日再開) 山形線米沢 - 山形(3月20日再開) 〃 山形 - 新庄(3月23日再開) 〃 全線(3月31日再開) 五能線東能代 - 岩館(3月18日再開) 〃 鰺ヶ沢 - 川部(3月18日再開) 〃 全線(3月19日再開) 米沢線坂町 - 小国(3月14日再開) 〃 全線(3月20日再開) 左沢線全線(3月28日再開) 陸羽西線全線(4月1日再開) 陸羽東線全線(4月3日再開) 石巻線小牛田 - 前谷地(4月17日再開) 〃 前谷地 - 石巻(5月19日再開) 気仙沼線前谷地 - 柳津(4月29日再開) 仙石線あおば通 - 小鶴新田(3月28日再開) 〃 ————————7日深夜の余震により運転見合わせ 〃 あおば通 - 小鶴新田(4月15日再開) 〃 小鶴新田 - 東塩釜(4月19日再開) 〃 東塩釜 - 高城町(5月28日再開) 〃 石巻 - 矢本(7月16日再開) 仙山線山寺 - 羽前千歳(4月1日再開) 〃 仙台 - 愛子(4月4日再開) 〃 ————————7日深夜の余震により運転見合わせ 〃 全線(4月23日再開) 大船渡線一関 - 気仙沼(4月1日再開) 磐越西線全線(3月26日再開) 磐越東線船引 - 郡山(3月31日再開) 〃 小野新町 - 船引(4月13日再開) 〃 全線(4月15日再開) 只見線会津若松 - 会津坂下(3月30日再開) 〃 会津坂下 - 会津川口(4月8日再開) 〃 会津川口 - 只見(4月12日再開) 〃 全線(4月14日再開) 常磐線取手 - 土浦(3月18日再開) 〃 土浦 - 勝田(3月31日再開) 〃 勝田 - 高萩(4月7日再開) 〃 高萩 - いわき(4月11日再開) 〃 岩沼 - 亘理(4月12日再開) 〃 いわき - 四ツ倉(4月17日再開) 〃 四ツ倉 - 久ノ浜(5月14日再開) 〃 久ノ浜 - 広野(10月10日再開) 水戸線全線(4月7日再開) 鹿島線佐原 - 延方(3月18日再開) 〃 全線(4月16日再開) 飯山線十日町 - 越後川口(3月22日再開) 〃 戸狩野沢温泉 - 十日町(4月29日再開) JR北海道太平洋沿岸部の路線 〃 津軽海峡線(3月15日再開) 牟岐線全線(3月12日再開) 土讃線後免 - 窪川(4月13日再開) 紀勢本線和歌山 - 新宮(3月12日再開) 日豊本線杵築 - 鹿児島(3月12日再開) 日南線全線(3月12日再開) 仙台空港鉄道名取 - 美田園(7月23日再開) 〃 全線(10月1日再開) 市営南北線富沢 - 台原(3月14日再開) 〃 全線(4月29日再開) 弘南鉄道全線(3月14日再開) 青い森鉄道青森 - 浅虫温泉(3月14日再開) 〃 浅虫温泉 - 八戸(3月16日再開) 〃 全線(3月17日再開) いわて銀河鉄道盛岡 - いわて沼宮内(3月16日再開) 〃 全線(3月17日再開) 三陸鉄道北リアス線陸中野田 - 久慈(3月16日再開) 〃 宮古 - 田老(3月20日再開) 〃 田老 - 小本(3月29日再開) 山形鉄道フラワー長井線全線(3月20日再開) 阿武隈急行保原 - 梁川(4月6日再開) 〃 梁川 - 富野(4月13日再開) 〃 瀬上 - 保原(4月18日再開) 〃 角田 - 槻木(4月18日再開) 〃 福島 - 瀬上(4月28日再開) 〃 全線(5月16日再開) 真岡鐵道真岡線真岡 - 茂木(3月23日再開) 〃 全線(4月1日再開) わたらせ渓谷鐵道相老 - 神戸(3月17日再開) 〃 桐生 - 相老(3月31日再開) 〃 全線(4月1日再開) ひたちなか海浜鉄道全線(7月23日再開) 鹿島臨海鉄道水戸 - 大洗(4月2日再開) 〃 大洋 - 鹿島サッカースタジアム(4月7日再開) 〃 大洗 - 新鉾田(4月8日再開) 〃 全線(7月12日再開) 山万ユーカリが丘線(4月1日再開) ページトップへ戻る 再開していない区間と予定 岩泉線全線・・・これは、震災によるものではなく、岩泉線列車脱線事故のため 八戸線種市 - 久慈(2012年4月再開予定) 山田線宮古 - 釜石 石巻線石巻 - 女川 気仙沼線柳津 - 気仙沼 大船渡線気仙沼 - 盛 仙石線高城町 - 矢本 常磐線広野 - 亘理原ノ町 - 相馬は2011年内に再開予定 原ノ町 - 広野は福島第一原発事故のため被害の状況も把握できていない 三陸鉄道南リアス線 三陸鉄道北リアス線小本 - 陸中野田 ページトップへ戻る
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CENTER センター対策講座 夏のセンター英語 テキストの問題でセンター対策の講義→最後にテスト を4日間やる。 冬期はテスト演習中心なので、講義を受けたいなら夏期(または冬期の竹岡先生の映像講座)を受けることになる。 配られるテキストは過去問を編集し直したもの。 霜先生、竹岡先生はたいてい締め切る。 「『竹岡はテキストを一切使わん』なんて噂がありますが、そんなことはありません。テキストの問題も一応全部解きますが、この問題だけに時間かけるつもりはありません。」 また、「このテキスト、作ったやつがシス単の著者なんだよ…。まあ、資料集は使いませんから、いい紙使ってますので是非紙飛行機にしてください」と初日に言う。 名古屋校の高3Sα及び、A2期間の名古屋での講座でマークシートにテキストの問題を解かせたものの正当率を基に解説する。「Sαの子達がこれだけしかあってないんだから全国ではもっと低いだろうな」等。 竹岡先生で取るとテスト演習は自習になり、著書のセンター本をコピーしたものを使って授業をする。 プリントは後期のセンター英語演習でも配られるものと同じ。 センターリスニングの攻略 1日完結講座。 模擬問題3題を、3コマでやりきるというただひたすら演習する講座。 CENTER 二次・私大対策講座 エクストラ英語~超難関大入試高得点を目指す英語~ 選抜制の講座。 京都駅前校と西宮北口校は鍋谷先生、上本町校は桜井先生が担当。 エクストラ英語が扱うのは読解のみで、英作文は無い。 扱う文章は、構文が難しいことは当然として、語彙力を必要とし、パラグラフ間のつながりを捉える力、さらには正確な要約能力を要求されるものばかり。 「ハイレベル英文精読なんて余裕過ぎて困る」レベルの人達の講座。 しかし、同じ「エクストラ」でも、エクストラ数学ほどレベルは高くないような気もする。 基本英解 構造から英文を読んでいくの普通の構文の授業。 前期英語構文の基礎版。 京都南校では平野先生のがたいてい締め切られる(本人が宣伝しまくるため)。 本人によると必須らしい(塾だより@平野塾を参照)が、実際のところ構造分析しかしない。 英文精読 テキスト作成者は桜井先生。 一見普通の読解講座。通年の英文読解の夏期版。 高3のハイレベル~スーパー相当で、一見簡単な英文に見えて読解・和訳でなやむ英文を扱っている。 苦手な人は基本英解の方を薦める。 この講座も、平野先生で取ると構造分析しかしない。 竹岡先生の担当が毎年E期間の朝に名古屋で1回だけある。 また表先生が独占講座以外で地味に毎年担当している。 ハイレベル英文精読 テキスト作成者は桜井先生。 英文精読の少し難しく(長い、抽象度が高いetc…)なった感じ。 高3Sα以上、スーパー英語研究以上に相当。 文章は東大京大阪大等の過去問で言い換えと対比が駆使された文章になってる 桜井先生、竹岡先生等人気講師が担当するが、前期の読解系のテキストを復習した方がよい気もする。 英文精読をとるぐらいなら、こちらの方がまだマシ。 ハイレベル英作文 テキスト作成者は丸山先生。 藤原先生や元木先生など、作文のいい先生がさりげに担当してる講座。 毎日試験演習があり、採点してもらえる。 作成者曰くテキストの難易度は、和文英訳Sと長文英文構成の中間に、しようとしたけど結局、長文英文構成とほぼ同じ難易度になってしまったそう。 ハイレベル英語総合 テキスト作成者は千賀先生。 総合問題を扱う上級講座。 最終日にはテストをする。 精読の授業ではないので構文についてはあまり扱わず読解法を中心に学んでいく。 構文はある程度分かっていて、読解力鍛えたい上級者向け。 地帝を中心に一橋や外大のハードな問題も扱う。 テーマ別英文読解 テキスト作成者は表先生。 表先生専門の講座。 大量のサブラー(表信者)が受講する。 授業の約半分以上が雑談だった。超ベテラン英語教師&多言語修得者だからこそできる思想や哲学や受験や人生や教え子の体験談などの教養講座。勉強自体に疑問を持つ生徒は受けてみてもいいかもしれない。 表先生自身、かなりクセの強い先生なので、普段から表先生の授業を受けてない人は取らない方が良いかもしれない。 英語・語法文法のルール 難易度は語法文法研究Hをやや難しくしたレベル。よほど苦手でない限りいらない。 頻出!英文法入試問題 英語・語法文法のルールよりは難しめの頻出の文法問題をあつかう。 整序・短文英作文 主に私大の整序や短文英作対策講座。 単語・熟語・発音頻出問題の攻略 単語や熟語の語法や発音問題の対策講座。 刀祢先生がよく担当している。。 英語要点完全チェック 基本的な内容を確認するための講座。 テストあり。 リスニングへのアプローチ 1日完結講座。 会話文のかしこい攻略法 1日完結講座。 元木先生がよく担当している。 超頻出!英文法語法問題 1日完結講座。 CENTER 大学別講座 東大英語1(要約・読解・総合) 東大英語2(英作文) 2日間講座。 2011年度までは2で英作文とリスニングを一括で扱っていた。 東大英語3(リスニング) 2日間講座。 2012年度より2から分離した。 京大英語1(英文解釈) テキスト作成者は桜井先生。 京大英語2(英作文) テキスト作成者は塚田先生。 一橋大英語 テキスト作成者は武富先生(東日本の先生)。 阪大英語1(英文解釈) テキスト作成者は桜井先生。 阪大英語2(英作文) テキスト作成者は桜井先生。 英作文、自由英作文をを一括で扱い、英作文を3日、自由英作文は1日行う。 基本的に3日目に英作文、4日目に自由英作文のテストがある。 神戸大英語 大阪市大・大阪府大英語 早慶英語 関関同立英語 私大英語1(基礎からの長文攻略) 関西の産近甲龍レベルまでの読解対策講座。 私大英語2(長文へのアプローチ) 産近甲龍レベルから関関同立・早慶への橋渡し的な講座。 CENTER 映像講座 スピードアップ・リーディング(鷲づかみの英文把握) 大島先生の映像講座。 夏の英文法総整理 勝田先生の映像講座。 東大英語1(要約・読解・総合) 映像は大島先生(東日本の先生)が担当。 ライブ授業で扱うものと同じ内容。 東大英語2(英作文) 2日間講座。 2011年度までは2で英作文とリスニングを一括で扱っていて、映像講座の設置はなかった。 映像は勝田先生(東日本の先生)が担当。 ライブ授業で扱うものと同じ内容。 東大英語3(リスニング) 2日間講座。 2012年度より2から分離した。 映像は斎藤資晴先生(東日本の先生)が担当。 ライブ授業で扱うものと同じ内容。 医系英語 船岡先生(東日本の先生)の映像講座。 毎年撮り直されている。冬期(同名講座)より簡単。 ★以下2つの講座は竹岡先生の映像講座。 自由英作文のエッセンス 冬期にも設置されている。自由英作文は通期の授業で扱わないので不安なら取っておくとよい。冬期にも設置されてるのは駿台の意向。竹岡先生自身は夏に受講することを強く推薦し、また夏に受講していることを想定して授業・対策する。 原則添削は受け付けないが、普段から質問・添削してもらってたら大丈夫な場合もある。 英単語特講 冬期にも設置されている。 2011年度までの英単語のエッセンスを改訂したもの。 ひたすら単語の授業。 ポイント解説&自習テスト。 本当に英単語しか扱わない。 ちなみにCDがついてくるが、その単語が使われたテキストの短文が読まれるだけで単語そのものを一つずつ読んでくれる訳ではない。