約 106,758 件
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/897.html
全体主義(ぜんたいしゅぎ、totalitarianism)とは、民衆一人一人の自由、権利を無視しても国家の利益、全体の利益が優先される政治原理、およびその原理からなされる主張のことである。歴史的には近現代において国カを全て総動員する戦間期にこうした主張があらわれたとされるが、今日でも、個人の自由や利益を制約する傾向が顕著な国家について「全体主義国家」あるいは「全体主義体制」の呼称があたえられている。個人主義や民主主義の対語として良く使われる。 背景 Template 雑多な内容の箇条書き? 「全体主義」totalitarismoの語はジョヴァンニ・アメンドラによって1923年に初めて用いられた。これを気に入ったジョヴァンニ・ジェンティーレが全体主義を称するようになる。また、ムッソリーニ体制下のイタリアが、1929年11月2日の「ロンドンポスト」によって最初に全体主義国家と評せられている。 全体主義は第一次世界大戦後、欧米諸国の自由民主主義体制に対する批判として、戦間期のドイツのナチズム、イタリアのファシズムにあらわれた。 同時期の日本でも大政翼賛会と軍部の下で全体主義体制が敷かれたとされていた。しかし、1970年代までに全体主義体制概念が整理されたTemplate 要出典?ことから、日本の政治体制が全体主義体制と呼び得るか否かが議論の対象になった。その後、この時期の日本については軍国主義とだけ形容することが増えている。Template 要出典? 当初の議論で全体主義が標的としたのは、ブルジョワ民主主義の思想や制度である。すなわち、19世紀後半から顕在化した労働問題などの各種社会問題において、当時の自由主義国家は有効な対応を立てられなかった。国家は個人の自由には立ち入らないまま、深刻さを増していく社会問題を放置しているのであり、ブルジョワ階級の取引と妥協の場と化した議会もまた、中間層以下の庶民の苦しみに目を向けようとしていない。全体主義の主張では、こうしたブルジョワ民主主義の「欠点」が批判されたのである。 全体主義がその「処方箋」として示したのは、国家が積極的に介入してこなかった社会、経済、文化の諸領域にまで干渉し、不毛な選挙や議会政治を否定して、直接的な民意形成を採用することである。こうした体制運営によって、それまで過剰に偏重されていた個人の自由を制限し、国家全体の利益を優先させることが可能になるとされたのである。 1951年にはハンナ・アーレントが『全体主義の起源』を発表し、全体主義を生み出すに至った思想史的系譜を明らかにしようと試みた。ファシズムやナチズムが、先行のマルクス・レーニン主義に影響を受けていたことが指摘された。これに触発されて両者の直接的間接的な関連性を実証する研究が始められた(近年では地域史研究で成果が出ている[1]) さらに時代を下ると政治体制の類型としてスターリニズムを「より完成度の高い全体主義」として整理する議論が優勢になった。大躍進政策・文化大革命期の中華人民共和国や、ソ連の衛星国であった東欧諸国・朝鮮民主主義人民共和国などにも全体主義的な動員と熱狂が社会を支配した時期が認められる(ただし北朝鮮については全体主義的熱狂が社会を支配している期間を明らかにすることが難しい)。 同時多発テロ以後のアメリカのブッシュ政権においても、テロ対策を理由に愛国者法など国内の個人の自由を制約する傾向が強まっており、全体主義の気配が生まれつつあるとする意見もある。 全体主義の語はさまざまな意味で用いられるが、政治・経済・文化・思想・国民等が一元化される状態を言うことが多い。ほとんどの場合なにかしらのイデオロギーに基づく一元化が目指される。歴史上登場したケースでは多くの場合、国家が公認し宣伝するイデオロギーに基づいて社会のあらゆる領域において一元化が目指されている。 概要 ユートピア的イデオロギーによって正当化されることが多い。 個人の放埓を制限し集団で力を合わせて危機を乗り切ろうという意図から産まれる。 しかし、批判勢力の口を封じるうちに、集団の中心人物・中心グループが集団を私物化して制御不能の状態に陥り、悲劇的結末を招く場合が多い。 解決策を示す事ではなく、資本家・左翼勢力(その国が資本主義国家か社会主義国家かによって異なる)・外国(人)など判り易い「国民の敵」「大衆の敵」を作って攻撃し、大衆に爽快感を味わわせる事によって支持を集める。 基本的に、善意を装って生まれる。 しばしば新時代への希望が喧伝される。 労働者階級等の貧困層、少産階級のように、政治に不満を持つ階層を取り込むポピュリズムによって生まれやすい。 貧困層が多数派の、普通選挙制度を採用する国で生まれやすい。 国民に主権者(国主)としての自覚がなく、どうすべきか考えず、公僕を指揮して問題解決するより、贔屓の英雄/独裁者の指揮下に入って助けてもらおうとして自ら奴隷に落ちる場合(自由からの逃走)に発生する。 軍事力によるクーデターだけではなく、ナチスのように政治パフォーマンスで人民の人気を得て合法的手続きを踏んで権力を掌握する場合も多い。 完全主義の人々が主導力となる。 大衆の好意を獲得しやすい。 異端を排除する度合いが、徐々にエスカレートしていく。 欠点 国家・民族など全体が個人に優先する主義であるが、最高決定権・主権を政府の中心にいる少数が占有するので、結局、一代か世襲かと言う点以外、絶対王政や貴族制と変わりなくなってしまう(寡頭制参照)。 国家の主人は国民ではなく少数権力者で国民は実質上、権力者の奴隷の状態になる。 政府の権力が、国民の人権を制限する事を許容するので、政府を批判した人間は収容所に送られたり、残虐な拷問に掛けられるのも絶対王政や貴族制と類似する。 批判者がいなくなるので権力は絶対的となり、腐敗する(ジョン・アクトンの言葉)。 権力者が清貧を貫いても、批判勢力を粛清した事により官僚制の弊害が発生する。 思想・文化等すべてをイデオロギー一色で塗りつぶしてしまうので、それらは自然的な発展が許されず、イデオロギー化のための手段として利用される。 イデオロギーに染まった人々が主導権を握るために、正当な主張を持っていたり、あるいは学術・芸術などに優秀な能力を有していても、体制に従わない者は粛清されていくため、有能な人材が居なくなる恐れがある。 国家の目指す方向が誤っていても、それを指摘する勢力は政府によって鎮圧される為に、国家の存立そのものが危うくなる事態に発展する。 個人の頭で自由に判断する能力を奪われてしまう。 政治・経済・文化・思想・国民等、すべてを国家が管理するため、国策として集約的に工業力を上げるなど効率が良い場合と、組織の硬直化を招いたり悪い場合が極端に現れる。計画経済が採用される場合が多く自由な経済活動が阻害され、市場原理が働かなくなる場合、地下経済が広がる場合が多い。 政体および政治体制としての呼称 アリストテレスは政体を君主政・共和政・民主政と分類し、その堕落形態を専政・寡頭政・衆愚政として分類した。 近代では戦間期から全体主義の語が登場し、第二次世界大戦に入ると全体主義および全体主義体制の語は民主体制への対置として用いられはじめた。 1970年代以降は、非民主的な政治体制をすべて全体主義体制として把握することを避けるため権威主義体制の概念が提唱され、政治体制をどのように規定すべきかという議論とともに全体主義体制・権威主義体制・民主主義体制という分類が定着しつつある。 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月10日 (水) 17 39。
https://w.atwiki.jp/ideology-database/pages/144.html
The New Order 連帯主義 アイコン編集 英名 Solidarism 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 父権主義 主要なイデオローグ 連帯主義は、ヴャトカを拠点とする全国連帯主義連合が推進するイデオロギーである。共産主義を激しく否定する連帯主義は、現代の問題に対処するために20世紀の基礎を提供することを目的としている。社会経済や政治問題に対する純物質主義的な対処を拒否し、階級間の連帯、兄弟愛、キリスト教的寛容、慈善を促進する。また、(ロシア君主の有無にかかわらない)政府への民主的な参加、個人主義、市民的自由の推進を主張している。その最終目標は、「右向きでも左向きでもなく、前向きな」第二の革命を起こし、ボリシェヴィキやツァーリ主義の誤りに帰すことなくロシアを再生することだ。 一方、社会のコーポラティズム組織的体質や、彼らの望む「道徳と精神の再生」をもたらすための「一時的な」独裁化の見通しに対する過度な好意が見られるなどといった批判も見られる。そのような主張をする評論家にとってみれば、連帯主義はイタリアのファシズム、サラザール主義のポルトガルやアンシュルス以前のオーストリア国で実践されてきたコーポラティズムと、驚くほど似通っているのである。 (TNO日本語化Modより引用)
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/9118.html
ナショナリズム +クチコミ検索 #bf +ブログサーチ #blogsearch +ニュースサーチ 【久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ】金正恩体制10年 恐怖と扇動で固めた血塗られた権力 - 産経ニュース 「民主主義存亡の時」「権力者が戦争宣伝」ノーベル平和賞の2氏演説(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国 米開催「民主主義サミット」批判|日テレNEWS24 - 日テレNEWS24 複眼的アプローチ認められ喜び 正論大賞「受賞の言葉」平川祐弘氏 秦郁彦氏から「お祝いの言葉」 - 産経ニュース TTP、パキスタン政府との一時停戦終了を表明 タリバンが仲介(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「韓国国民が危ない」K防疫“崩壊”の危機 中国を孤立させる民主主義サミットの効果は?【世界イッキ見】(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「民主主義サミット」、民主主義を旗印にする米国の茶番_中国網_日本語 - チャイナネット 蔡総統「民主主義コミュニティーに参加する決意変わらない」/台湾(中央社フォーカス台湾) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ソ連崩壊から30年:その時、現地では何が起こっていたのか(nippon.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 尹錫悦候補「文政権、韓米同盟を弱化…北朝鮮第一主義で安保揺るがす」 - 中央日報 自分の和訳がまさか流行語大賞に入るとは 「ぼったくり男爵」もともとは米紙(47NEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 主張/スーチー氏ら判決/民主主義を葬る弾圧許せない - しんぶん赤旗 田原総一朗「宰相の『通信簿』」 安倍元首相が残した“宿題”〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 世界史を変えた真珠湾攻撃 - アゴラ 米大統領 サミットで中国牽制 - auone.jp ドイツ新政権の「脱・親中路線」見通しで、欧州経済が迎える転換点(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 世界が注目するSX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)に、日本企業はどう立ち向かうべきか?(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 世界の報道関係者293人が獄中に 6年連続で最多更新 国際NPO(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国、WTO加盟20年 貿易総額9倍に 米では中国抜き「通商版NATO」提唱も(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米国務長官、ジャーナリズム保護の基金設立を発表 民主主義サミットで(CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 逃亡中の容疑者の「民主主義サミット」への招待は民主主義への最大の冒涜 - people.com.cn グーグル、21年検索ランキング発表 「イカゲーム」などランクイン(AFP=時事) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北朝鮮政策…「李候補は現実主義的」 「尹候補は制裁しながら経済支援」(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 令和3年12月8日 GZEROサミット2021における岸田内閣総理大臣挨拶 | 令和3年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース - 首相官邸 民主主義サミットの台湾代表「台湾の民主主義存続は利益」 - NHK NEWS WEB 「草をとってきて食べている家も」 飢餓の危機に直面するアフガニスタンの窮状、現地NGO職員に聞く〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北京五輪外交的ボイコット、韓国大統領府「検討していない」…中国「五輪ファミリーらしい風貌」(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米主催「民主主義サミット」開催前日に中国が「人権フォーラム」を開催……途上国が約100か国参加=台湾報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米呼びかけのサミットは民主主義を操り破壊するものとして歴史に残る=外交部 - 中国国際放送 バイデンの「中国一辺倒」と軍事中心主義、「トランプに類似」(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース [寄稿]太平洋戦争における米国と日本の決定的な違い(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 林外相、国際秩序維持へ連携 真珠湾攻撃から80年 - 時事通信ニュース 90年前の「中国国恥地図」、米軍が利用 「失地回復」掲げる膨張主義を警戒(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 従都国際フォーラム開幕 習近平国家主席「真の多国間主義の実行が必要」 - people.com.cn 中国には中国流の民主主義 アメリカに抗議の大キャンペーン開始(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 蔡総統「行動を起こし続ける意欲ある」 民主主義や人権への決意強調/台湾(中央社フォーカス台湾) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース AIが「人知」超える2045年が転換点に=自由資本主義より中国型体制が有利―西原元早大総長 (2021年12月4日) - エキサイトニュース ロシアやイラン、国際テロ組織と並ぶ「中国は4大脅威」MI6・ムーア長官が異例の演説 英BBCは習主席らのウイグル弾圧関与を報道 識者「現状のままでは日本は自由主義陣営から軽蔑される」(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 30年前の「統一教会」教祖の電撃訪朝から予見するローマ教皇訪朝の可能性(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「民主主義守る最前線にいる」 台湾の蔡総統、国際フォーラムで訴え - 朝日新聞デジタル 非合法な小型武器の対策には新たなグローバルアプローチが不可欠(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 仏下院、台湾の国際機関参加を支持 決議案を可決(中央社フォーカス台湾) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 台湾総統「台湾とヨーロッパ、権威主義と立ち向かい戦わねば」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース エルサルバドル:ビットコインがあればIMFは不要?【オピニオン】(CoinDesk Japan) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 企業における「学歴主義」が時代遅れと言われる理由(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 世界の「脱石炭」を主導する英保守党の野心と危うさ(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「新規感染者主義」から脱却し日本経済の成長復元を(Wedge) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ドイツ新政権、台湾の国際機関参加支持へ(中央社フォーカス台湾) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが語る、2021年に世界で起こっていたこと(HOMINIS(ホミニス)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 東工大ANNEXバークレーがコロキウム「見知らぬ者たちの音が聞こえてくる」を開催 戦前の「白豪主義オーストラリア」における日系コミュニティの音楽と舞踊を中心に - 東京工業大学 米、民主主義サミットに台湾招待 中国は反発(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米、初の民主主義「後退国」に 民主主義研究所が報告書 - 時事通信ニュース タリバン、女性出演ドラマを禁止 勧善懲悪省が初指針(共同通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「イラン核開発問題」解決を難しくする米国の強硬姿勢、その理由は?(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 行き詰まった資本主義を打開できるか? 「新しい資本主義」を考える(ananweb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【西論プラス】現実から乖離したCOP26の欧州主導「環境原理主義」 経済部長・藤原章裕 - 産経ニュース なでしこジャパン新監督は完全実力主義「若返りを図るわけではない」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース バイデン政権が目指すアフリカの「失地回復」――アキレス腱は「人権」(六辻彰二) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 骨太でユーモアあふれた国際ジャーナリスト松山幸雄さんへ“惜別の辞”(CBCテレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「イスラム国」がアフガン全土に拡大、国際社会の支援必要=国連特使(ロイター) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース メルケル後のドイツ新政権は日本を見習え(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国の怒りを買おうとも...EUの台湾への急接近は、経済的にも合理的な判断だ(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 来春激変「高校歴史」暗記だけじゃない学びの中身(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース [コラム]日本の朝鮮半島支配に一助した「桂・タフト密約」で米国が非難される理由(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 世界幸福度ランキング1位の国が生んだ美意識とは 特別展「ザ・フィンランドデザイン展」(ラジトピ ラジオ関西トピックス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 多国間主義同盟閣僚級会合への鈴木外務副大臣のビデオ・メッセージの発出 - Ministry of Foreign Affairs of Japan 岸田流の後ろ向き「新しい資本主義」ではポストコロナを生き残れない(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本で拡がらない理由を再考する コロナで変わるファクトチェック:ふたつの国際会議から(中)(奥村信幸) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「現代アートを描く映画は、アートと資本主義を語る一つの手法」 オスカーノミネート作「皮膚を売った男」監督が語る、 作品のテーマとチュニジアの映画事情(映画.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国次期大統領選候補の尹錫悦氏「米韓包括的戦略同盟を構築」…「日韓関係の新たな50年を描く」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「この映画は民主主義が機能している姿を描いている」 フレデリック・ワイズマンに訊く最新作『ボストン市庁舎』(GQ JAPAN) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 歴史決議採択、習近平はついに「現代の毛沢東」となるのか(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 発言:満州事変が伝える教訓=井上卓弥・公益財団法人安達峰一郎記念財団理事 - 毎日新聞 「9.11から20年」を伝える各国論壇の深層心理(2021年9・10月ー2):API国際政治論壇レビュー(責任編集 細谷雄一研究主幹) | API国際政治論壇レビュー - 新潮社 フォーサイト 「社会を『改良』する力」を養える大学 卒業生が語る「母校」での学生生活と私のキャリア:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 多国間主義同盟閣僚級会合への茂木外務大臣のビデオ・メッセージの発出 - Ministry of Foreign Affairs of Japan 【社説】現実離れしたバイデン氏の国連演説 - Wall Street Journal 「活気のある大学」ランキングNo.1が決定! 「同志社大学」を抑えて関西の高校生が選ぶ1位は?(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【オピニオン】米国のリーダーシップ衰退が招くもの - Wall Street Journal 「米国」への疑念深まる20年 民主主義と軍事力に過信―国際政治学者・藤原帰一氏 - 時事通信ニュース どうなる米中対立? 「関与」から「競争」へ アメリカの方針転換 佐橋亮(中央公論) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ぽきっと折れた アメリカの理想~アフガニスタン撤退で世界は? - NHK NEWS WEB 【日曜に書く】論説委員・長戸雅子 国際社会むしばむ宗族主義 - 産経ニュース 「民主主義サミット」12月開催と発表 アメリカ ホワイトハウス - NHK NEWS WEB 「民主主義」「人権」に絶対的価値は存在しない - 東洋経済オンライン 自説を「世界」「国際社会」とすり替える日本の新聞。中国の孤立という「つくられた」虚構(BUSINESS INSIDER JAPAN) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「リベラルな国際主義」はいかにして可能か。国際秩序論の大家アイケンベリーが語る『民主主義にとって安全な世界とは何か 国際主義と秩序の危機』7/20発売! - PR TIMES もはや民主主義国が少数派に転落した世界の現実 - 東洋経済オンライン 英下院の前議長、野党・労働党にくら替え入党 「オーダー」で有名に - BBCニュース なぜ世界中で「渋沢栄一」が研究されているのか - 東洋経済オンライン 「リベラルな国際秩序」を超えて――アメリカに生まれる新しい国際協調主義/三牧聖子 - シノドス バイデン外交:トランプ政権からの4つの変化と3つの継続性(前嶋和弘) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米国保守を代表する知識人「ハゾニー」は何者か - 東洋経済オンライン 【第2回】日本の超国家主義研究に役立つ優れた書 - WEDGE Infinity 始動したバイデン外交:国際主義の旗に埋め込まれた「中間層の利益」 - Nippon.com 米国の国際主義の行方とバイデン外交 - Nippon.com 新型コロナは国際協調主義の退潮を加速させるのか? - WEDGE Infinity 日本外交における国際主義の挑戦――緒方貞子氏が問うたもの - Nippon.com 社説:拓論 20 国際主義の1世紀 協調の衰退、食い止めたい - 毎日新聞 リベラリストの「偽善」――リベラル国際主義に未来はあるか?/三牧聖子 - シノドス ● 国際主義〔Wikipedia〕 ■ 「国際主義」VS「民族主義」の時代へ 「BEST YIMES(2016.7.9)」より / (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) .
https://w.atwiki.jp/sakura394/pages/700.html
概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 現象主義は、論理実証主義に代表される還元主義的な現象主義と、大森荘蔵に代表される非還元主義的な現象主義に大別される。還元主義的な立場では「感覚与件」という現象の「原子」のような存在を措定し、それらの組み合わせで知覚・観念・思惟など、全ての現象が構成されていると考える。対して非還元主義的立場では、それぞれの現象は他の何ものにも還元できない全一的な存在だと考える。 現象主義はしばしば観念論と同一視される。事実ジョージ・バークリーは現象主義者であり、観念論者でもあった。両者の違いは、現象主義とはあくまで哲学的思考の方法論であり、観念論とはその方法から出発して形而上学的な判断を行うものだということである。 現象学(英 Phenomenology)とは、基本的には現象主義を出発点として、人間の認識と思考作用の構造を考究する学であるが、学者によってその意味と内容は大いに異なっている。なお独我論とは、現象主義を出発点として、人間は〈現象〉外部の存在を知り得ない、とする認識論的立場をいうが、やはり学者によってその意味と内容は大いに異なっている。 前史 歴史的にはプラトンのイデア論に対するアリストテレスの批判から始まる。アリストテレスは、「初めに感覚の内になかったものは知性の内にない」という認識論の根本原則を主張し、これが現在にまで至る経験主義の基礎となる。中世の普遍論争においては、14世紀イギリスのスコラ学者オッカムによって、アリストテレスを経験主義の立場から解釈した唯名論が強く主張された。オッカムは人間活動の全般を〈習慣〉概念によって経験的に説明しようと試み、オッカムの剃刀によって形相のような形而上学的存在者を否定した。このオッカムの思想は近代の英国経験論、現代における道具主義、プラグマティズム、実証主義、論理実証主義といったさまざまな経験主義的理論への道を開いた。 近代の哲学者ルネ・デカルトは、方法的懐疑によって、絶対に疑えない精神(現象)の存在を出発点とし、身体・世界・神など、あらゆる存在の証明を試みた。このデカルトの方法はニコラ・ド・マルブランシェに引き継がれる。マルブランシェは、デカルトにおける精神と物質の峻別が、物質世界の認識不可能性を導いているとし、物質世界の実在性を否定できると考えた。このマルブランシェの懐疑主義は英国経験論のジョージ・バークリーに大きな影響を与えることになる。 英国経験論においては、感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され、その思想は前述のアリストテレスの原則に基づいている。ジョン・ロックは、われわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり、そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念が生じるとした。ジョージ・バークリーはロックとマルブランシェの思想を継承してラディカルに発展させ、「存在することは知覚されることである(ラテン語“Esse est percipi”エッセ・エスト・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)と主張した。これが現象主義の始まりである。デイヴィッド・ヒュームはバークリーの現象主義をさらに推し進め、自我さえも知覚の束であり、また因果関係さえも人間の習慣に依拠して規定されると考えた。そして19世紀の後半にはオーストリアのエルンスト・マッハが、経験主義的な認識論にオーギュスト・コントの実証主義を取り入れた〈感性的要素一元論〉を主張し、そしてその世界観を基に〈現象学的物理主義〉と呼ぶ自然科学の方法論を提唱した。 このような近代の経験主義の背景には、ガリレオやデカルトによってなされた科学革命に対する反動がある。アリストテレスの自然学においては、感覚や形相といったものもその範疇に含めていたが、近代の科学革命においては、感覚に与えられた対象の中で数学的に記述しうるもののみが着目され、運動における位置変化のみが記述される。ガリレオやデカルトにおいては、科学の対象とはわれわれの知覚する現象全体でなく、それらから切断された一面に過ぎなかったのである。 また現象主義は、唯物論の知覚理論に対する批判として広く受け入れられたという面もある。唯物論の知覚理論は知覚因果説であり、これは「カメラ・モデル」や「写し」と批判される。つまり人間の眼をカメラのレンズにたとえて、その眼が客観的事物の情報を受け取り、脳がその情報を処理する過程で知覚が生じるとするもので、知覚は客観的事物の「写し」というわけである。この知覚理論では、たとえば私がリンゴを見る場合、「実在のリンゴ」と「知覚像のリンゴ」という二つのものを認めており、二世界論ともいえる。しかし実在に対する主張は「物自体は認識できない」という、カントによって論証された人間の認識能力の限界を超えた形而上学的な主張を行っており、また後のデイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムとして提起したような、解決困難な心身の相互作用の問題を生じさせるものである。しかし現象主義の立場を取る限り、相互作用、心的因果、随伴現象説などの問題は生じないのである。 方法論 マッハは伝統的な物心二元論を排し、感覚要素が世界を構成する究極の単位であると考えた。そして科学的認識からいっさいの形而上学的要素を排除しようとし、実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念――因果関係や、精神や物質という概念、つまり心的・物的の区別さえも排除し、ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした(現象学的物理主義)。 マッハの思想はウィーン学団によって論理実証主義として展開され、〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。感覚与件(sense‐datum)の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し、いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。そのテーゼは「事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である」と要約され、このテーゼを忠実に展開したのがカルナップの『世界の論理的構築』である。ほかに G. E. ムーア、バートランド・ラッセル、分析哲学の流れに属する哲学者たちがこの〈言語的現象主義〉の立場を代表する。 日本では大森荘蔵が分析哲学の影響を受け、論理実証主義の還元主義的な感覚与件論は否定したものの、〈立ち現れ一元論〉を主張して現象主義の一つの到達点を示した。大森の考えでは個別の心的現象はすべて〈立ち現れ〉であり、唯物論や二元論が心的現象をもたらす原因とする物質的実在の存在については、語ることは無意味であるとする。また〈立ち現れ〉は感覚与件論のように原子的な要素に還元できず、全一的な存在だとした。 現れる意識現象そのものが世界であるとする現象主義の立場では、認識主観や認識主体というものを否定する。つまり人格の同一性問題において、「自己」や「自我」が通時的に人格の同一性を成り立たせているという考えを否定する。現象主義では、デカルトのコギトを単なる〈意識内容(コギタティオ)〉の告知とみなし、「I think, therefore I am」ではなく、「It thinks within me (ラッセル)」と言い換えようとする傾向がある。 論理実証主義 論理実証主義の思想は、現象主義の代表的な人物であるマッハの科学的世界観、感性的要素一元論と呼ばれる現代経験主義に基づいて起こった初期の科学哲学である。またラッセルとウィトゲンシュタインの論理哲学にも強く影響され、特にウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は論理実証主義者にとって聖書のような扱いを受けており、「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」(「ものの総体」とは「物自体の総体」と解釈された)、また「語りえぬものには沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの哲学は、人間が直接経験できない形而上学的なものについて語ることはナンセンスであるとする経験主義の立場を端的に表現している。 論理実証主義は、初期には感覚与件理論を採用し、「物理的事物は感覚与件からの論理的構成物である」と定義した。われわれが世界についてもつ知識は、科学的知識も含めて、究極的には全て知覚経験に還元されるというものである。この立場では、たとえば「茶色の机の上に青い本がある」という場合でも、「机」や「本」という語は一種の判断であるとし、ただ「茶色の広がりの上に青い小さな広がりがある」という、より根源的な知覚経験に還元する。この場合、「茶色」や「青い小さな広がり」とは懐疑可能な判断ではなく、懐疑するのが無意味な感覚与件であるとされる。つまり感覚与件論の目的は確実な知識と懐疑可能な知識を選別することである。なお直接に知覚できないニュートリノやクォーク、また法則や仮説などの理論は、「対応規則を通じて理論文は経験可能な観察文に翻訳できる(言語的還元)」として、科学は決して経験から乖離しないとする。 論理実証主義の思想内容はおよそ以下のようなものである。 (1)科学的世界把握 ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学(Einheitswissenschaft)〉であった。過去の多くの形而上学的世界観とは異なる経験主義的・科学的世界把握を行おうとするものである。そのために、諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。 (2)物理主義へ 論理実証主義は初期、マッハとラッセルの強い影響の下に、現象主義の立場をとった。この視点はカルナップの初期の著作『世界の論理的構成』などに明瞭に現れている。しかし、この立場に立つかぎり、科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として、オットー・ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり、そしてそれは、感覚言語ではなく、物言語(人名、物の名、場所、時刻など)によって構成されるべきであるという主張を展開し、その後の論理実証主義者の見解は、概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義(physicalism)〉と呼ばれる。 (3)論理主義 当時新しく構成された記号論理学を重視し、その発展に貢献した。さらにラッセル、ウィトゲンシュタインの影響の下に、〈論理的原子論(logical atomism)〉に近い立場をとり、現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし、やがて、数学の分野で広まった公理主義に接近し、数学のみならず、物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。 (4)形而上学の否定 論理実証主義は、形而上学を無意味な命題を論じているものとして否定した。そして命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは「命題の意味とはその検証の方法である」というものであり、これは〈検証原理〉と呼ばれる。しかしこの方法によると、形而上学の命題のみならず、多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり、哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。またこの規準によるならば、その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり、この規準はしだいに緩められ、伝統的な哲学問題の多くは復活することになる。 現代においては論理実証主義そのものは衰退し、論理実証主義への反発として発展した科学的実在論や物理主義が、科学哲学上の主流といえる考え方になっている。しかし論理実証主義の議論を通じて行われた言語の論理的分析の手法は現代にも継承され、記号論理学その他の分析哲学各分野において、必須の方法として定着することになった。 クワインは、認識論的ホーリズムを提唱し、論理実証主義の要素主義的な感覚与件論を批判した(デュエム-クワイン・テーゼ)。また理論文と観察文の翻訳の不確定性も指摘しており、クワインの批判によって論理実証主義は衰退したとも評される。 批判と補足 現象主義はマッハを現代の起点として19世紀後半から20世紀前半の哲学者たちに大きな影響を与えた。しかしドイツにゲシュタルト心理学が興り、W.ブントに代表される要素主義を批判して、われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。モーリス・メルロー=ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い、要素的経験ではなく、一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し、要素主義や連合主義を退けた。フッサールがマッハに対し、志向性の観点が欠けていると批判したのも類似の観点からである。また後期のウィトゲンシュタインは、言語分析を通じて視覚経験の中にある「~として見る(seeing as)」という解釈的契機を重視し、視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論を批判した。このように20世紀なかばの哲学においては、純粋な感覚なるものは分析の都合上抽象された仮説的存在にすぎないとし、意味をもった知覚こそがわれわれの〈経験〉であるとする考えが有力になった。また科学哲学の観点からは、物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析し尽くせないことなどが指摘されている。 ただし人間の心理は基本的な要素に還元できないとするゲシュタルト心理学は、マッハが著書『感覚の分析』において、音楽のメロディや、いわゆる〈反転図形〉にゲシュタルト質があることを指摘し、その着想に示唆されたエーレンフェルトから始まったものである。つまり現象主義といっても多様であり、批判者がイメージするような原子論的要素主義者ばかりではない。 なお唯物論を擁護するマルクス主義の立場からは、レーニンが『唯物論と経験批判論』において、マッハの現象主義を「バークリーの焼き直しの主観的観念論である」と厳しく批判している。このようなレーニンの批判は、現象主義が個人的経験を基にしているゆえ相対主義を含意しており、ヘーゲル的な世界の共通認識を前提としたマルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論と相容れない思想であること、そしてマッハの思想がロシアのマルクス主義者たちにも浸透し、マッハとマルクスの思想を調和させようとしたボグダーノフなどが現われため、マルクス主義の分裂を危惧したことが理由だと考えられる。 マッハは現象主義の立場から原子の存在を否定し、ボルツマンと対立したが、後に原子の存在が確かめられ、原子物理学の発展によって現象主義は衰退することになった。 大森荘蔵は論理実証主義の感覚与件論は否定するが、〈立ち現われ一元論〉と〈重ね描き〉のアイデアによって、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論を、「語り存在」として解釈して、現象主義的な方法を透徹した。つまりクォークなどの知覚できない理論的存在は、それを「語る」こと、つまり日常言語と繋がる科学用語で描写されることによって、存在の意味が見出されると考えた。 現代の心の哲学においては、持続的で志向的な意識と、要素的で必ずしも志向性を持つわけではないクオリアを区分するのが一般的である。そしてデイヴィッド・チャーマーズなどは汎心論的な立場から要素主義的な原意識の可能性を想定している。これらは初期の現象主義と類似点が多い。チャーマーズが原意識などを想定するのには相応の理由があり、それは意識現象の「由来」、つまり心的現象というものがどのように生成しているのかという、意識のハードプロブレムの核心問題が物理主義では説明困難だからである。従ってチャーマーズは、クオリアという心的性質を非物理的な何かに還元しようと考えたのである。また要素的な感覚を否定し、対象化されて意味をもった感覚こそが「経験」であるとするホーリズム的な立場では、動物の心の問題においてアポリアが生じるかもしれない。猫などの哺乳類は感覚を対象化できるかもしれない。しかしヘビなどの爬虫類、またバッタなどの昆虫、さらに微生物ならどうだろう。もしヘビに感覚を対象化する能力がないとしたら、ホーリズム的な立場では、ヘビが怪我をしてもがいていても、「ヘビは何も感じていない」と主張しているに等しいことになる。現代の心の哲学では、動物にも何らかの心やクオリアがあると仮定するのが一般的である。 なお、現代の科学哲学における実在論論争においては、経験主義的な傾向の哲学者は科学的実在論に対する批判として、現象主義を前提にした主張を行っている。(詳細は非実在論を参照のこと) 現象主義の最大の難点は、知覚因果説を否定するため、神経科学や物理学の成果を説明するのに困難があるという点である。そもそも知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張されたもであり、自然科学との相性は良い。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に傷害が生じることから、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと思われる。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、その情報が神経細胞を伝って脳に至り、脳が知覚を「生み出す」という、唯物論の知覚因果説は知覚の由来についての説明にある程度成功しているよう思われる。ただし「生み出す」という最後の点については大きな不合理があり、それが意識のハードプロブレムが主張される理由である。なお現象主義の立場から神経科学や物理学の成果を説明しようとした試みが、大森荘蔵の重ね描きである。 参考文献・論文 大森荘蔵『言語・知覚・世界』岩波書店 1971年 大森荘蔵『物と心』東京大学出版会 1976年 大森荘蔵『時間と存在』青土社 1994年 金子洋之『ダメットにたどりつくまで』勁草書房 2006年 木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』新書館 2002年 小林道夫『科学哲学』産業図書 1996年 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 種村完司『知覚のリアリズム』勁草書房 1994年 丹治信春『クワイン―ホーリズムの哲学』平凡社ライブラリー 2009年 戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス 2005年 神崎繁、熊野純彦、鈴木泉 編集『西洋哲学史4』講談社 2012年 ジョージ・バークリー『人知原理論』大槻春彦 訳 岩波書店 1958年 田村均「現象主義の検討」 http //repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24461/1/0907.pdf 片桐 茂博「現象主義と主観性」 http //ci.nii.ac.jp/naid/110000486933 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-1 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2
https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/124.html
概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 現象主義は、論理実証主義に代表される還元主義的な現象主義と、大森荘蔵に代表される非還元主義的な現象主義に大別される。還元主義的な立場では「感覚与件」という現象の「原子」のような存在を措定し、それらの組み合わせで知覚・観念・思惟など、全ての現象が構成されていると考える。対して非還元主義的立場では、それぞれの現象は他の何ものにも還元できない全一的な存在だと考える。 現象主義はしばしば観念論と同一視される。事実ジョージ・バークリーは現象主義者であり、観念論者でもあった。両者の違いは、現象主義とはあくまで哲学的思考の方法論であり、観念論とはその方法から出発して形而上学的な判断を行うものだということである。 現象学(英 Phenomenology)とは、基本的には現象主義を出発点として、人間の認識と思考作用の構造を考究する学であるが、学者によってその意味と内容は大いに異なっている。なお独我論とは、現象主義を出発点として、人間は〈現象〉外部の存在を知り得ない、とする認識論的立場をいうが、やはり学者によってその意味と内容は大いに異なっている。 前史 歴史的にはプラトンのイデア論に対するアリストテレスの批判から始まる。アリストテレスは、「初めに感覚の内になかったものは知性の内にない」という認識論の根本原則を主張し、これが現在にまで至る経験主義の基礎となる。中世の普遍論争においては、14世紀イギリスのスコラ学者オッカムによって、アリストテレスを経験主義の立場から解釈した唯名論が強く主張された。オッカムは人間活動の全般を〈習慣〉概念によって経験的に説明しようと試み、オッカムの剃刀によって形相のような形而上学的存在者を否定した。このオッカムの思想は近代の英国経験論、現代における道具主義、プラグマティズム、実証主義、論理実証主義といったさまざまな経験主義的理論への道を開いた。 近代の哲学者ルネ・デカルトは、方法的懐疑によって、絶対に疑えない精神(現象)の存在を出発点とし、身体・世界・神など、あらゆる存在の証明を試みた。このデカルトの方法はニコラ・ド・マルブランシェに引き継がれる。マルブランシェは、デカルトにおける精神と物質の峻別が、物質世界の認識不可能性を導いているとし、物質世界の実在性を否定できると考えた。このマルブランシェの懐疑主義は英国経験論のジョージ・バークリーに大きな影響を与えることになる。 英国経験論においては、感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され、その思想は前述のアリストテレスの原則に基づいている。ジョン・ロックは、われわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり、そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念が生じるとした。ジョージ・バークリーはロックとマルブランシェの思想を継承してラディカルに発展させ、「存在することは知覚されることである(ラテン語“Esse est percipi”エッセ・エスト・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)と主張した。これが現象主義の始まりである。デイヴィッド・ヒュームはバークリーの現象主義をさらに推し進め、自我さえも知覚の束であり、また因果関係さえも人間の習慣に依拠して規定されると考えた。そして19世紀の後半にはオーストリアのエルンスト・マッハが、経験主義的な認識論にオーギュスト・コントの実証主義を取り入れた〈感性的要素一元論〉を主張し、そしてその世界観を基に〈現象学的物理主義〉と呼ぶ自然科学の方法論を提唱した。 このような近代の経験主義の背景には、ガリレオやデカルトによってなされた科学革命に対する反動がある。アリストテレスの自然学においては、感覚や形相といったものもその範疇に含めていたが、近代の科学革命においては、感覚に与えられた対象の中で数学的に記述しうるもののみが着目され、運動における位置変化のみが記述される。ガリレオやデカルトにおいては、科学の対象とはわれわれの知覚する現象全体でなく、それらから切断された一面に過ぎなかったのである。 また現象主義は、唯物論の知覚理論に対する批判として広く受け入れられたという面もある。唯物論の知覚理論は知覚因果説であり、これは「カメラ・モデル」や「写し」と批判される。つまり人間の眼をカメラのレンズにたとえて、その眼が客観的事物の情報を受け取り、脳がその情報を処理する過程で知覚が生じるとするもので、知覚は客観的事物の「写し」というわけである。この知覚理論では、たとえば私がリンゴを見る場合、「実在のリンゴ」と「知覚像のリンゴ」という二つのものを認めており、二世界論ともいえる。しかし実在に対する主張は「物自体は認識できない」という、カントによって論証された人間の認識能力の限界を超えた形而上学的な主張を行っており、また後のデイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムとして提起したような、解決困難な心身の相互作用の問題を生じさせるものである。しかし現象主義の立場を取る限り、相互作用、心的因果、随伴現象説などの問題は生じないのである。 方法論 マッハは伝統的な物心二元論を排し、感覚要素が世界を構成する究極の単位であると考えた。そして科学的認識からいっさいの形而上学的要素を排除しようとし、実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念――因果関係や、精神や物質という概念、つまり心的・物的の区別さえも排除し、ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした(現象学的物理主義)。 マッハの思想はウィーン学団によって論理実証主義として展開され、〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。感覚与件(sense‐datum)の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し、いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。そのテーゼは「事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である」と要約され、このテーゼを忠実に展開したのがカルナップの『世界の論理的構築』である。ほかに G. E. ムーア、バートランド・ラッセル、分析哲学の流れに属する哲学者たちがこの〈言語的現象主義〉の立場を代表する。 日本では大森荘蔵が分析哲学の影響を受け、論理実証主義の還元主義的な感覚与件論は否定したものの、〈立ち現れ一元論〉を主張して現象主義の一つの到達点を示した。大森の考えでは個別の心的現象はすべて〈立ち現れ〉であり、唯物論や二元論が心的現象をもたらす原因とする物質的実在の存在については、語ることは無意味であるとする。また〈立ち現れ〉は感覚与件論のように原子的な要素に還元できず、全一的な存在だとした。 現れる意識現象そのものが世界であるとする現象主義の立場では、認識主観や認識主体というものを否定する。つまり人格の同一性問題において、「自己」や「自我」が通時的に人格の同一性を成り立たせているという考えを否定する。現象主義では、デカルトのコギトを単なる〈意識内容(コギタティオ)〉の告知とみなし、「I think, therefore I am」ではなく、「It thinks within me (ラッセル)」と言い換えようとする傾向がある。 論理実証主義 論理実証主義の思想は、現象主義の代表的な人物であるマッハの科学的世界観、感性的要素一元論と呼ばれる現代経験主義に基づいて起こった初期の科学哲学である。またラッセルとウィトゲンシュタインの論理哲学にも強く影響され、特にウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は論理実証主義者にとって聖書のような扱いを受けており、「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」(「ものの総体」とは「物自体の総体」と解釈された)、また「語りえぬものには沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの哲学は、人間が直接経験できない形而上学的なものについて語ることはナンセンスであるとする経験主義の立場を端的に表現している。 論理実証主義は、初期には感覚与件理論を採用し、「物理的事物は感覚与件からの論理的構成物である」と定義した。われわれが世界についてもつ知識は、科学的知識も含めて、究極的には全て知覚経験に還元されるというものである。この立場では、たとえば「茶色の机の上に青い本がある」という場合でも、「机」や「本」という語は一種の判断であるとし、ただ「茶色の広がりの上に青い小さな広がりがある」という、より根源的な知覚経験に還元する。この場合、「茶色」や「青い小さな広がり」とは懐疑可能な判断ではなく、懐疑するのが無意味な感覚与件であるとされる。つまり感覚与件論の目的は確実な知識と懐疑可能な知識を選別することである。なお直接に知覚できないニュートリノやクォーク、また法則や仮説などの理論は、「対応規則を通じて理論文は経験可能な観察文に翻訳できる(言語的還元)」として、科学は決して経験から乖離しないとする。 論理実証主義の思想内容はおよそ以下のようなものである。 (1)科学的世界把握 ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学(Einheitswissenschaft)〉であった。過去の多くの形而上学的世界観とは異なる経験主義的・科学的世界把握を行おうとするものである。そのために、諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。 (2)物理主義へ 論理実証主義は初期、マッハとラッセルの強い影響の下に、現象主義の立場をとった。この視点はカルナップの初期の著作『世界の論理的構成』などに明瞭に現れている。しかし、この立場に立つかぎり、科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として、オットー・ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり、そしてそれは、感覚言語ではなく、物言語(人名、物の名、場所、時刻など)によって構成されるべきであるという主張を展開し、その後の論理実証主義者の見解は、概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義(physicalism)〉と呼ばれる。 (3)論理主義 当時新しく構成された記号論理学を重視し、その発展に貢献した。さらにラッセル、ウィトゲンシュタインの影響の下に、〈論理的原子論(logical atomism)〉に近い立場をとり、現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし、やがて、数学の分野で広まった公理主義に接近し、数学のみならず、物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。 (4)形而上学の否定 論理実証主義は、形而上学を無意味な命題を論じているものとして否定した。そして命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは「命題の意味とはその検証の方法である」というものであり、これは〈検証原理〉と呼ばれる。しかしこの方法によると、形而上学の命題のみならず、多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり、哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。またこの規準によるならば、その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり、この規準はしだいに緩められ、伝統的な哲学問題の多くは復活することになる。 現代においては論理実証主義そのものは衰退し、論理実証主義への反発として発展した科学的実在論や物理主義が、科学哲学上の主流といえる考え方になっている。しかし論理実証主義の議論を通じて行われた言語の論理的分析の手法は現代にも継承され、記号論理学その他の分析哲学各分野において、必須の方法として定着することになった。 クワインは、認識論的ホーリズムを提唱し、論理実証主義の要素主義的な感覚与件論を批判した(デュエム-クワイン・テーゼ)。また理論文と観察文の翻訳の不確定性も指摘しており、クワインの批判によって論理実証主義は衰退したとも評される。 批判と補足 現象主義はマッハを現代の起点として19世紀後半から20世紀前半の哲学者たちに大きな影響を与えた。しかしドイツにゲシュタルト心理学が興り、W.ブントに代表される要素主義を批判して、われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。モーリス・メルロー=ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い、要素的経験ではなく、一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し、要素主義や連合主義を退けた。フッサールがマッハに対し、志向性の観点が欠けていると批判したのも類似の観点からである。また後期のウィトゲンシュタインは、言語分析を通じて視覚経験の中にある「~として見る(seeing as)」という解釈的契機を重視し、視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論を批判した。このように20世紀なかばの哲学においては、純粋な感覚なるものは分析の都合上抽象された仮説的存在にすぎないとし、意味をもった知覚こそがわれわれの〈経験〉であるとする考えが有力になった。また科学哲学の観点からは、物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析し尽くせないことなどが指摘されている。 ただし人間の心理は基本的な要素に還元できないとするゲシュタルト心理学は、マッハが著書『感覚の分析』において、音楽のメロディや、いわゆる〈反転図形〉にゲシュタルト質があることを指摘し、その着想に示唆されたエーレンフェルトから始まったものである。つまり現象主義といっても多様であり、批判者がイメージするような原子論的要素主義者ばかりではない。 なお唯物論を擁護するマルクス主義の立場からは、レーニンが『唯物論と経験批判論』において、マッハの現象主義を「バークリーの焼き直しの主観的観念論である」と厳しく批判している。このようなレーニンの批判は、現象主義が個人的経験を基にしているゆえ相対主義を含意しており、ヘーゲル的な世界の共通認識を前提としたマルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論と相容れない思想であること、そしてマッハの思想がロシアのマルクス主義者たちにも浸透し、マッハとマルクスの思想を調和させようとしたボグダーノフなどが現われため、マルクス主義の分裂を危惧したことが理由だと考えられる。 マッハは現象主義の立場から原子の存在を否定し、ボルツマンと対立したが、後に原子の存在が確かめられ、原子物理学の発展によって現象主義は衰退することになった。 大森荘蔵は論理実証主義の感覚与件論は否定するが、〈立ち現われ一元論〉と〈重ね描き〉のアイデアによって、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論を、「語り存在」として解釈して、現象主義的な方法を透徹した。つまりクォークなどの知覚できない理論的存在は、それを「語る」こと、つまり日常言語と繋がる科学用語で描写されることによって、存在の意味が見出されると考えた。 現代の心の哲学においては、持続的で志向的な意識と、要素的で必ずしも志向性を持つわけではないクオリアを区分するのが一般的である。そしてデイヴィッド・チャーマーズなどは汎心論的な立場から要素主義的な原意識の可能性を想定している。これらは初期の現象主義と類似点が多い。チャーマーズが原意識などを想定するのには相応の理由があり、それは意識現象の「由来」、つまり心的現象というものがどのように生成しているのかという、意識のハードプロブレムの核心問題が物理主義では説明困難だからである。従ってチャーマーズは、クオリアという心的性質を非物理的な何かに還元しようと考えたのである。また要素的な感覚を否定し、対象化されて意味をもった感覚こそが「経験」であるとするホーリズム的な立場では、動物の心の問題においてアポリアが生じるかもしれない。猫などの哺乳類は感覚を対象化できるかもしれない。しかしヘビなどの爬虫類、またバッタなどの昆虫、さらに微生物ならどうだろう。もしヘビに感覚を対象化する能力がないとしたら、ホーリズム的な立場では、ヘビが怪我をしてもがいていても、「ヘビは何も感じていない」と主張しているに等しいことになる。現代の心の哲学では、動物にも何らかの心やクオリアがあると仮定するのが一般的である。 なお、現代の科学哲学における実在論論争においては、経験主義的な傾向の哲学者は科学的実在論に対する批判として、現象主義を前提にした主張を行っている。(詳細は非実在論を参照のこと) 現象主義の最大の難点は、知覚因果説を否定するため、神経科学や物理学の成果を説明するのに困難があるという点である。そもそも知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張されたもであり、自然科学との相性は良い。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に傷害が生じることから、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと思われる。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、その情報が神経細胞を伝って脳に至り、脳が知覚を「生み出す」という、唯物論の知覚因果説は知覚の由来についての説明にある程度成功しているよう思われる。ただし「生み出す」という最後の点については大きな不合理があり、それが意識のハードプロブレムが主張される理由である。なお現象主義の立場から神経科学や物理学の成果を説明しようとした試みが、大森荘蔵の重ね描きである。 参考文献・論文 大森荘蔵『言語・知覚・世界』岩波書店 1971年 大森荘蔵『物と心』東京大学出版会 1976年 大森荘蔵『時間と存在』青土社 1994年 金子洋之『ダメットにたどりつくまで』勁草書房 2006年 木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』新書館 2002年 小林道夫『科学哲学』産業図書 1996年 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 種村完司『知覚のリアリズム』勁草書房 1994年 丹治信春『クワイン―ホーリズムの哲学』平凡社ライブラリー 2009年 戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス 2005年 神崎繁、熊野純彦、鈴木泉 編集『西洋哲学史4』講談社 2012年 ジョージ・バークリー『人知原理論』大槻春彦 訳 岩波書店 1958年 田村均「現象主義の検討」 http //repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24461/1/0907.pdf 片桐 茂博「現象主義と主観性」 http //ci.nii.ac.jp/naid/110000486933 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-1 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2
https://w.atwiki.jp/boardwalk/pages/46.html
世の中にどんな主義主張があるのか調べてみました。英語対訳つき。 順番は適当なので気にしないでください。 主義 :doctrine 民主主義:democracy 資本主義:capitalism, bourgeouis 重商主義:mercantilism, commercial system 拝金主義:mammonism 産業主義:industrialism 進歩主義:progressism 自由主義:liberalism 個人主義:individualism, privatism 無政府主義:anarchism 中立主義:neutralism 社会主義:socialism 共産主義:communism, sovietism 全体主義:totalism, totalitarianism 保守主義:conservatism 愛国主義:nationalism, patriotism 軍国主義:militarism 帝国主義:imperialism 右翼 :right wing 左翼 :left wing 官僚主義:bureaucratism 原理主義:fundamentalism 合理主義:rationalism 実用主義:pragmatism 権威主義:authoritarianism 理想主義:idealism 人道主義:humanism 人種差別主義:racialism, racism エリート主義:elitism 近代主義:modanism 現実主義:realism, acutuailism 古典主義:classicism 写実主義:realism 象徴主義:symbolism 孤立主義:isolatism, exclusivity 功利主義:utilitarianism 唯物主義:materialism 構造主義:stuructualism 実存主義:existentialism 菜食主義:vegetarianism 自然主義:naturalism 神秘主義:mysticism 敗北主義:defeatism 利己主義:egoism トップページに戻る
https://w.atwiki.jp/fysl/pages/667.html
民主主義 嘘と政治と民主主義 ―アメリカ 議会乱入事件の深層―前編“トランプの共和党”へ/後編 不信と分断の連鎖 嘘と政治と民主主義 ―アメリカ 議会乱入事件の深層―前編“トランプの共和党”へ/後編 不信と分断の連鎖 嘘と政治と民主主義 ―アメリカ 議会乱入事件の深層―前編“トランプの共和党”へ/後編 不信と分断の連鎖 「嘘(うそ)と政治と民主主義 ―アメリカ 議会乱入事件の深層―前編“トランプの共和党”へ」 - BS世界のドキュメンタリー - NHK https //www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/5RMQVQ6WP1/ 「嘘(うそ)と政治と民主主義 ―アメリカ 議会乱入事件の深層― 後編 不信と分断の連鎖」 - BS世界のドキュメンタリー - NHK https //www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/9LYXGP5G15/ NHK番組メモ NHK BS番組メモ NHKドキュメンタリーメモ NHK BSドキュメンタリーメモ 民主主義メモ 民主主義の嘘メモ 民主主義の欺瞞メモ
https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/21.html
概説 目的論的機能主義 ブラックボックス機能主義 コンピューター機能主義 機能主義に対する批判 概説 心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。 たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的状態が「痛み」であるとされる。またそのように因果作用をもたらす心的性質を機能的性質(functional property) という。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。 行動主義やタイプ同一説の問題点を踏まえた上で、それらのあとに続く考え方として、1960年代にオーストラリアの哲学者、デイヴィッド・アームストロングによって始められた。ウィトゲンシュタインの「(語の)意味とはその用法である」というアイデアに由来する。行動主義との違いは、心的な状態を行動としてでなく、行動の原因として定義する点である。 機能主義は一般的にトークン同一説を前提にし、多重実現可能性を認め、心的状態はさまざまなタイプの物理状態によって実現できるとする。心的状態を機能とみなすならば、必然的にその心的状態は多型的に実現可能であり、たとえば痛みの経験は脳のC繊維の活動だけではなく、F線維でも、人造繊維の活動でも可能である。 なお機能主義では、例えば脳から取り出されて容器に隔離されたC繊維が活動して、痛みなどのクオリアが仮にあったとしても、それは何の因果作用も持たず、何の機能もはたしていないから、そこに痛みの心的状態はないと考える。こうして機能主義はタイプ同一説の難点を克服する。 目的論的機能主義 目的論的機能主義とは、還元主義的な方法で志向性を自然化する試みの一つである。志向的な心的状態は心臓や肺などと同じく生物学的な器官の一種であり、「心臓は血液を循環させることが目的である」というように、生物学的な器官のはたらきがその特定の生物学的機能の観点から説明されるように、志向的な心的状態のもつ表象能力も、それがどうのような生物学的機能に由来するのかを明らかにすることによって説明される、とする。ルース・ミリカンらがこの立場である。 固有の機能は、その機能をもつ事物が実際に「行うこと」でなく「行うべきこと」によって説明される。たとえば多数の精子は実際に卵子と受精することはないが、それでも卵子と受精することが精子の機能である。また心臓は血液を循環させるだけでなく、その持ち主の健康状態を鼓動によって医師に知らせることができるが、それは心臓の本来の機能ではない。 目的論的機能主義のメリットの一つに、心臓などの存在や志向性が神によるデザインであるというような仮説を持ち出さずに、自然選択による進化であるというように、合理的な説明が可能であるということがある。 ※目的論的機能主義は、必ずしも機能主義の一種として考えられているわけではなく、心の哲学において機能主義とは別のカテゴリーとして位置づけられることもある。 ブラックボックス機能主義 機能主義者の多くは唯物論者であるが、機能主義は必ずしも唯物論を前提にしなくても成立する理論である。心的状態そのものを「存在記号」に置き換えることによって検証可能な文にするラムジー文(フランク・ラムジーの発案による)と呼ばれる方法がある。この方法によると、「ラムジーは知覚 a を得て、信念 g をもち、それが欲求 y を生じさせた」というように、心的状態を因果関係のみで定義する。つまり心的状態そのものは「ブラックボックス」であり、ならばそのブラックボックス内部にあるのが本質的に非物質的な精神や霊魂であってもかまわないことになる。このような立場はブラックボックス機能主義と呼ばれる。 コンピューター機能主義 近年における急速なコンピューター技術の発展の過程で、脳とコンピューターを類似のものとみなす考えが生まれてきた。すなわち脳はコンピューターのように作動し、「心」と呼ばれるものはコンピューターのプログラムに相当するものだという考えである。脳における心的表象は、構文的構造をもった記号操作、つまり計算の過程にすぎないとみなす。物質的な脳と心の関係は、コンピューターのハードとソフトの関係に等しいと考える。このような立場をダニエル・デネットは1978年にコンピューター機能主義と呼んだ。心の計算理論、計算主義ともいう。 アラン・チューリングはチューリングテストを考案した。コンピューターが十分知性的であるか否かを判定するテストである。具体的には人間の判定者が、離れた場所にいる別の人間と一機の機械に対しキーボードとディスプレイにより対話を行う。判定者が、機械と人間との確実な区別ができなかった場合、この機械は「知性」を備えていると考えた。 ジョン・サールはチューリングテストを批判し、人工知能を「弱い人工知能」と「強い人工知能」に分類した。弱い人工知能は人間の心理現象をプログラム上で模倣する機能しかない。しかし強い人工知能は人間のように「心」を持つものである。サールは中国語の部屋でコンピューターが心を持ち得ない事を論証した上で、コンピューターが心や精神を持ち得ると考える機能主義者に対する皮肉として、「強い人工知能」と呼んだのである。 なお近年のコンピューター機能主義では、ニューラルネットワークの研究成果を受けて、古典的な計算主義に対し、コネクショニズムという立場が主張されている。これは脳の表象構造は統語論的(主語、動詞、目的語などからなる)構造であるとする古典的計算主義と違い、脳の構造と見立てたニューラルネットワークによる表象は、ニューロン群全体が分散的に表象する構造であり、統語論的構造を持たないという考えである。 機能主義に対する批判 機能主義は現象的意識やクオリアを取りこぼしており、人間の意識を説明するには不十分だという批判がある。そして多くの哲学者が思考実験によって機能主義に反論している。代表的なものにジョン・サールの中国語の部屋、トマス・ネーゲルのコウモリであるとはどのようなことか、デイヴィッド・チャーマーズの逆転クオリア、ネッド・ブロックの中国人民などがある。 ジョン・サールは、主観的なクオリアを避けて説明する機能主義は、心的現象の説明に十分条件を与えていないという。そして逆転クオリアの思考実験を用い、機能主義では「私は赤を見ている」という自分の経験と、クオリアの反転した人物の「私は赤を見ている」という経験を全く同じものと考えるが、二人の内的経験は異なっているのだから機能主義は間違っている、という。心というのはクオリアから成り立っているにも関わらず、機能主義はクオリアを扱わず、それとは異なったテーマを扱っている。そして、心的なものの存在論的ステータスは客観的なものであると考えることは誤りなので、心の哲学の方法論も、それ自体客観的に観察可能なものにのみ関わるべきであると考えることも誤りである、という。 参考文献 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』2004年 S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年 ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』山本貴光・吉川浩満 訳 2006年 ジョン・R・サール『ディスカバー・マインド!』宮原勇 訳 2008年
https://w.atwiki.jp/p_ethics/pages/21.html
エピクロスの主張 功利主義 快楽主義への批判快楽主義のパラドクス 快楽機械 自然主義的誤謬 (参考文献:フリー百科事典Wikipedia、『哲学のすすめ(岩崎武雄)』『倫理とは何か-猫のアインジヒトの挑戦-(永井均)』) 『幸福』という概念についての考え方の一つ。快楽主義では、幸福を感覚的な快楽と捉え、これを産出する行為を正しい・善いとみなす。ここでは倫理的快楽主義について述べる。これはつまり、人間は快楽を産出する行為をなすべきである、という規範である。 そのなすべき行為のために考慮する快楽が自分自身のものだけであるか(利己主義)、当該行為に関わる人々すべてのものであるか(功利主義)で区別される。 エピクロスの主張 エピクロスは、幸福を人生の目的とした。これは人生の目的を徳として、幸福はその結果に過ぎないとしたストア派の反対である。 倫理に関してエピクロスは「快楽こそが善であり人生の目的だ」という考えを中心に置いた主張を行っており、彼の立場は一般的に快楽主義という名前で呼ばれている。ここで注意すべきは、彼の快楽主義は帰結主義的なそれであって、快楽のみを追い求めることが無条件に是とされるものではない点が重要である。すなわち、ある行為によって生じる快楽に比して、その後に生じる不快が大きくなる場合には、その行為は選択すべきでない、と彼は主張したのである。 より詳しく彼の主張を追うと、彼は欲求を、自然で必要な欲求(たとえば友情、健康、食事、衣服、住居を求める欲求)、自然だが不必要な欲求(たとえば大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活)、自然でもなく必要でもない欲求(たとえば名声、権力)、の三つに分類し、このうち自然で必要な欲求だけを追求し、苦痛や恐怖から自由な生活を送ることが良いと主張し、こうして生じる「平静な心(アタラクシア)」を追求することが善だと規定した。こうした理想を実現しようとして開いたのが「庭園」とよばれる共同生活の場を兼ねた学園であったが、そこでの自足的生活は一般社会との関わりを忌避することによって成立していたため、その自己充足的、閉鎖的な特性についてストア派から激しく批判されることになった。 このようにエピクロスによる快楽主義は、自然で必要な欲望のみが満たされる生活を是とする思想であったが、しばしば欲望充足のみを追求するような放埒な生活を肯定する思想だと誤解されるようになった。しかしこうした生活については、エピクロス自身によって「メノイケウス宛の手紙」の中で、放埒あるいは性的放縦な享楽的生活では快がもたらされないとして否定的な評価が与えられている。 エピクロスとエピクロス派は最も有名な古代の快楽主義者である。だが、エピクロスの快楽主義は、単に感覚的な快楽を追い求める立場ではない。単に快楽を追求したとしても、得られる快楽が一時的なものであれば、それがなくなったとき、過剰になったとき、また更に強い快楽を求めたくなったときなどに、快楽を求める自分に反するために不快を感じてしまう。そこで、一時的ではない、永続的な快楽への追及について言及する。だが、このときもまた快楽が得られなかったとき、不快が生じてくる。そこで、積極的に快楽を求めることをやめ、むしろいかなる事態においても不快を感じない平静な心をもたねばならないと主張するのだ。 功利主義 快楽主義を主張し社会の原理として提唱したのがベンサムの功利主義である。彼は、快楽を強度、持続性、確実性、遠近性など七つの尺度で計算できるとし、その総計を社会全体において最大化する(最大多数の最大幸福)行為を善悪の基準とみなした。 J.S.ミルはベンサムの快楽主義を修正し、快楽にも質の差(高卑)があり単純には計算できないとする質的快楽主義を主張した。 快楽主義への批判 快楽主義のパラドクス 行為に結果として付随するはずの快楽そのものを目的として得ようと努力すればするほどかえって快楽を得るのは難しくなる、という逆説。 例えば、スポーツで最も快い瞬間は脇目もふらずそれに打ち込んでいる時であるが、快楽を気にしすぎていてはスポーツに熱中できず、従って快楽を目指していない時のほうがかえって多量の快楽を得ることが出来る、というもの。 快楽機械 永遠に最高度の快楽を与えられ続ける機械が発明されたなら、快楽主義者は死ぬまで快楽機械を使い続けるのか、という批判。哲学者には悩ましい批判である。 自然主義的誤謬 G.E.ムーアは、善を自然物によって定義する態度を自然主義的誤謬と呼び批判した。快楽主義は「善とは快である」とする倫理学説であるので自然主義的誤謬にあたる。
https://w.atwiki.jp/ideology-database/pages/197.html
史実における反動主義 RFにおける反動主義 反動主義 アイコン編集 英名 Reactionism 別名 登場作品 Red Flood RGB値 (128,70,164) サブイデオロギー一覧 反動大衆主義 宗教原理主義 反動密教主義 貴族反動 計4種類