約 106,467 件
https://w.atwiki.jp/gionshantveed/pages/685.html
ハルゼイ=ヴァーン・ボウエ帝国(ボウエ語ハルゼイ方言:Beewe Giujkeew vam Harzej-Vaan)とはゲルデン宙圏の北部にある、竜人族のボルガード人による絶対君主制国家。首都はヴァーン。 ハルゼイ=ヴァーン・ボウエ帝国 Giujkeew wam Zuifen-Vaan Harzejren 国の標語:皇帝陛下万歳(ボウエ語ハルゼイ方言:) 国歌:皇帝陛下万歳 公用語 ボウエ語ハルゼイ方言 首都 ヴァーン 最大の都市 ヴァーン(貴族)、ミール奴隷第1都市(奴隷) 政府 ヴァーン宮廷王座 国家元首の称号 白皇帝 国家元首の名前 ボウイーヌス8世 政治体制 人口 主な宗教 なし 通貨 ドット 建国年 加盟年 領 有 母星 ボルガード 首都星 ゼウィフェン その他惑星 ミール、ボウエ・スキーヌス 領有星系 目次 国名 概要 歴史前史 敗走 ハルゼイ帝国の成立 セカンド・コンタクト ゴルギアの時代 経済戦争時代 第一次グロスクロイツ・ベリオン戦争 政治 軍事 国際関係 領土 地理 経済 交通 国民民族 言語 宗教 メディア 文化 関連項目 国名 ボウエ語ハルゼイ方言による正式国名は、Beewe Giujkeew vam Harzej-Vaan(ボウエ・ギュイケー・ヴァム・ハルゼイ=ヴァーン)、通称Giujkeew wam Harzej(ハルゼイ帝国)。 公式のE語表記は、Borgardian Empire of Harzey-Vaan、通称、Harzeyan Empire。 ニフォン語の表記は、ハルゼイ=ヴァーン・ボウエ帝国。通称、ハルゼイ。漢字表記は晴贅、白。歴史的に白い帝国との呼称も一般的である。 概要 ハルゼイ帝国は、かつてラヴェルト連合と争って敗北したボルガード連合の後継国を自称している。 歴史 前史 1424年に終結したボルガード=ラヴェルト諸国戦争に事実上敗北したボルガード連邦は、1425年に成立したエルミア帝国に全土併合された。ボルガード人は人権を著しく迫害され、民族主義者や分離主義者に限らず、一般人までもが処刑された。帝国時代後期には奴隷としての地位が確立し、ジェノサイドは収束したものの、敗戦直後に約126億人いたボルガード人は、1537年には約93億人にまでその数を減らした。 ディアスポラ状態であったボルガード人は、エルミア革命において民族的連帯をうまく示すことができず、蜂起は散発的にあったが少数で、統一指導者は遂に現れなかった。旧ボルガード領はしばらく放置されたうち、革命連合諸国によって分割統治された。諸国はボルガード人を帝政と同じように奴隷として扱った。 敗走 1628年にエルミアの科学者エルラモ・デウモルト(Yillamo Dewmolt)のテラフォーミング実験の失敗で、旧ボルガード領中立地域の居住惑星を居住不可能なまでの環境にし、数億人規模の死者・数千万人規模の餓死者を発生させた。このことに対して大宇宙連合会議は支援を拒否。 同年、このことに対して、もはや旧ボルガード領にはいられないと考えたボルガード人の一派は、スクヌス・ハルゼイを指導者として、艦隊を岩石に偽装させながら、ボルガード人が平和に暮らせる土地を求めて旅立った。速い速度を出すと宇宙船であることがバレてしまう中、ゆっくりと宇宙船は進んだ。この時旧ボルガード領に残った者の一派が、後にゴルギアを形成することとなる。 ハルゼイ帝国の成立 1635年、ハルゼイらは、大宇宙諸国が当時認識していなかった遠方地域で、ゼウィフェン人が低度の文明を形成する惑星ゼウィフェンを発見する。ハルゼイらは同文明を圧倒的な技術差でもって攻撃。 1637年には惑星内の主な勢力を掃討し、ハルゼイはスキェヒーヌス1世・イーバース(白皇帝)・ハルゼイとしてハルゼイ帝国の成立と即位宣言を行った。帝国宣言に反対した派閥は旧ボルガード領に引き返し、ゴルギアに加担した。 正式に奴隷階級となったゼウィフェン人とボルガード人の人数差が大きいことを危惧したスキェヒーヌス1世は、ゼウィフェン人の殺戮を開始した。元々エルミア帝国時代・革命連合時代で多種族を信用することができなくなっていたボルガード人は、その政策に疑うこともなく迎合した。また、いずれ革命連合がこの場所を突き止めて攻撃にしに来るとも考え、ゼウィフェンや周辺の小惑星帯から短時間で合金を大量生産し、軍備の増強を図った。 セカンド・コンタクト 1645年、ベリオン共和国が、飛来してきた宇宙船の残骸からハルゼイの領土である惑星ゼウィフェンを発見、同年には同星系の惑星ゼウィフェンに文明の存在を指摘。数回の観察によりハルゼイ側もベリオンの存在に気付き、威嚇射撃を繰り返していた。同年、互いの大艦隊が向かい合う中、ベリオンの調査船がゼウィフェンに着陸し、コンタクトに成功した。 エルミアやグロスクロイツなどといった共通敵が多く、共闘できると考えたベリオンは、その勢いのままハルゼイを大宇宙連合会議に加盟させる。初めての会議ではスキェヒーヌス1世の後に皇帝に即位したボウイーヌス1世が「我々の皇帝に叩頭せず、あまつさえ刃を向けんとするものには間違いなく皇帝の威光によって破滅は避けられないものとなる」「暴虐の限りを尽くした革命連合諸国と、彼らに迎合する秩序は全宇宙において信用に値しない」などの挑発的な発言を連発し、大きな話題になった。 ゴルギアの時代 連合会議に加入する1645年のわずか数年前の1641年には、ボルガードに残ったハルゼイ人の一味が形成したゴルギアが国家承認を拒否され、大宇宙各地でテロ行為を働いていた。ゴルギアは、ハルゼイの見解からすると「皇帝に与しなかった離反勢力」であるため、当初から極めて強い不快感を表明していた。連合会議に加入してからは、条約機構に加入することはなかったが、独自の軍隊でゴルギアを奇襲・掃討し、コンクーナ掃討戦にも独自に参加し、成果を上げた。このことから、連合会議諸国から一定の信頼を得ることになる。 経済戦争時代 しかしボウイーヌス1世はあくまで強硬姿勢を崩さず、融和・開放的な政策を積極的に展開することはなかった。1679年には銀河規模の不況であるダーケフオス危機が発生するが、ほぼ完全な閉鎖経済であったために影響は受けなかった。むしろ、極めて深刻な不況にあえぐベリオンに対して経済を一部開放し、援助した。 1680年には、ベリオンのダムラク首相がボルガード宙域の中立惑星ゾラックへの介入・経済開発を実行。この時の表向きの名目は「同地の劣悪な環境にあるボルガード人を支援する」ことであり、ハルゼイ政府公認の行動であった。また、その後、1683年に発生した、ゾラック星代表政府を打倒した8月クーデターは、ハルゼイ帝国の貴族青年将校・ぺカウニーヌス・ヴァム・エンシェルンブラウドによって主導された。 第一次グロスクロイツ・ベリオン戦争 1684年、ベリオンとグロスクロイツの亀裂はついに修復不可能なものとなり、第一次グロスクロイツ・ベリオン戦争が勃発する。ハルゼイ帝国は名目上は参戦を見送ったものの、軍政ゾラックは参戦したため、事実上の参戦となった。当時の扶政官のトラヌス・ヴァム・エンシェルンブラウドは、ぺカウニーヌスの祖父であったので、強力な支援を取り付けることが可能であった。 軍政ゾラックはベリオンと綿密な連携をとり、ボルガード人はその体の大きさや頑丈さから重宝された。ベリオン・ゾラック連合軍は電撃的にグロスクロイツを占領したが、グロスクロイツ艦隊の熾烈な抵抗に遭い、戦局は膠着。最終的に白紙講和であるブラーメル終戦協定が締結された。その際、ゾラックをそのまま割譲しようとしたがベリオンから怒られ、諦めている。 政治 国政は完全なる絶対君主制であり、皇帝のみに全ての権力があり、いかなる議会も存在しない。また、一切の強制力を持たないが、帝国扶政官という職業があり、政治などの助言を行なっている。 帝国扶政官は主に世襲エリートがなる。有力な家系としてヴァム・エンシェルンブラウド家(後に没落)、ヒュィウプスィウ家、フトェボーグル家などがある。 軍事 ハルゼイ帝国軍は全て皇帝の直属軍という名目であり、総司令官は皇帝である。陸海空宙の4軍が存在する。とりわけ宙軍は、ボルガード人による優れた技術と多量な搾取により、大規模なものとなっている。 国際関係 異星人を許容しない態度により、多くの国家との国際関係は極めて悪い。特筆すべきはエルミア共和国を筆頭とする旧革命連合諸国である。歴史的関係から、外交関係はもはや完全に分断されている。とりわけエルミア共和国のことは「ラヴェルト」と呼び、国際的な出来事が発生するとよく罵倒する。一方、ベリオン共和国などエルミアなどと敵対する国家とは、国際関係から協力しており、軍事同盟を結成している。 領土 バルスキーン星系の惑星ゼウィフェン、ミール全土と、旧大教連邦領邦領のキャン=エ星系の惑星ボウエ・スキーヌスを保有している。 地理 ゲルデン宙圏の北部に位置し、東をヴァルエルク共和国、西をモンタク宙圏連合、南をレセスティア連邦に接している。 経済 外交方針から、経済的にも国際社会からは基本的に独立している。ベリオンの製品が見られる程度である。 交通 基本的に国営・公営の交通網は存在せず、貴族たちは自分の船で移動している。 国民 人口の約3/4が奴隷と言われている。 民族 貴族はハルゼイ人がほぼ全てを占めている。対して奴隷は没落した平民や戦争で囚われた捕虜、他国から拉致された者、土着の奴隷など様々おり、民族や種族も多種多様である。 言語 貴族はボウエ語ハルゼイ方言のみを話し、行政などにもこれのみを使用する。対して奴隷はさまざまな種族がいるため、統一された言語などはない。強いて言うなら奴隷都市での同一民族コミュニティでその民族の言語が話されるなどくらいである。 宗教 旧大教連邦領邦領では大教が主に信仰されている。 メディア 国営メディアしかない。ディガイナなどによく国内の内情をリークされている。 文化 関連項目 大宇宙の国家 大宇宙の陣営
https://w.atwiki.jp/2nd-dimension/
オンラインゲーム「アラド戦記」C鯖にてだらだら活動中の ギルド「二次元至上主義」メンバー用HPです。 HP編集、再び頑張ります。 ほこり
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/244.html
阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 国家と憲法の基礎理論 第五章 立憲主義の展開 p.71以下 <目次> ■第一節 近代立憲主義の特質[76] (一)近代国家は統治権力を合法的に独占する点に特徴をもつ [77] (ニ)責任政治の原則も近代国家の特徴である [78] (三)近代立憲主義は国民の積極的政治参加に警戒的であった ■第二節 近代立憲主義の人間観・国家観[79] (一)近代立憲主義は理性的な人間像を前提にしていた [80] (二)私的領域といえども国家によって設定され保護されている [81] (三)近代立憲主義は「自己統治」を制約するものについて解答を寄せなかった [82] (四)近代合理主義哲学の礎を提供してきた「理性」は再検討を迫られてくる ■第三節 「現代立憲主義」へ[83] (一)19世紀後半以降の哲学は意思中心主義に批判的である [84] (ニ)「現代立憲主義」は個々人の置かれた地位を振り返る [85] (三)「現代立憲主義」は夜警国家観を超える [86] (四)福祉国家は「隷従への道」? [87] (五)「自由」を尊重する国家は福祉国家とはならないはずである [88] (六)「現代立憲主義」国家は司法国家化によって救われるか [89] (七)夜警国家がもっともユートピアに近いとする理論もある [90] (八)自由でかつ平等な国家を構想するJ. ロールズの国家観が注目されている [91] (九)超越論的な哲学に基づいて「社会的正義」を実現する国家を模索すべきではない [92] (十)現代国家は大量殺戮兵器と癌細胞としての軍隊の統制問題を抱え込む ■ご意見、情報提供 ■第一節 近代立憲主義の特質 [76] (一)近代国家は統治権力を合法的に独占する点に特徴をもつ 近代国家は、 (ア) 統治権力を独占し、集中的な、しかも恒常的な租税体系を基礎とし、 (イ) 中央より指導される常備的軍事力をもち、 (ウ) 行政を専門的官僚の支配という形で組織し、 (エ) 統治領域以外は、社会の自動調整システムが機能するように最小限しか干渉しない、 という特徴を示してきた。 近代立憲主義は、[74]でふれた「法の支配」思想のもとで近代国家の統治権力を形式的な合法的権威に転化させるべく、一般性・抽象性・平等普遍性を満たす立法の制定と、そのもとでの行政。司法という定式を憲法典で実現した。 そうすることによって、リヴェイアサンともなりうる国家から、自由を中心とする基本権を守ろうとした。 すなわち、近代立憲主義とは、基本権保障と権力分立という内容を、正式の法文書という形式で確認する思想をいう。 それは、先に述べた「配分原理」と「組織技術」(分立技術)とを、成文憲法典で確認することと同義である([53]参照)。 [77] (ニ)責任政治の原則も近代国家の特徴である しかし、それだけではない。 近代立憲主義国家においては、統治者が法に対する責任を負うことばかりでなく、政治的にも被治者に対して責任を負うことをも、謳われなければならない。 これを「責任政治の原則」という。 責任政治の原則を具体化するものとしては、大臣責任制、そのための弾劾制度、その後に登場した内閣不信任制度(内閣の連帯責任制)がある。 また、何よりも、選挙制度が忘れられてはならない。 もっとも、これらの責任政治のための制度が、現実の統治過程で有効に機能するとは限らない。 現代立憲国家に登場してきた政党は、責任政治を実質化するために「反応よき統治」(responsive government)を目指すのである。 [78] (三)近代立憲主義は国民の積極的政治参加に警戒的であった では、近代立憲主義は国民の政治参加についてどう見ていたか。 この点に関しては、一方で、近代立憲主義は民主主義と結びついて国民の政治参加に肯定的であったとする見解(芦部『憲法講義ノートⅠ』28頁)と、他方で、近代立憲主義は積極的な国民の政治参加に好意的ではなく、自動制御装置的政治機構を望んだとする見解がある(佐藤幸治編著『憲法Ⅰ』15頁)。 そのうちのどちらが妥当であるか。 その解答はどの国を念頭に置くか、誰の理論をモデルとするかによって、当然異なってくる。 概していえば、理念上は積極的な政治参加が説かれながらも、いざそれを現実に法制化する段になると、統治者たちは慎重な態度に出た。 その理由を理解するためには、近代立憲主義の拠って立つ理念上の人間観・国家観と、現実のそれとの乖離が解明されなければならない。 ■第二節 近代立憲主義の人間観・国家観 [79] (一)近代立憲主義は理性的な人間像を前提にしていた 市民社会は、私的所有または自由意思の主体たる個人の集合体と考えられた。 個人の私的領域の総計が社会的領域と観念されたのである(この見方が、本書の冒頭の [1] でふれた「方法論的集団主義」の典型である)。 「私的領域」とは、いかなる領域をいうか。 また、それをどう評価するか、という争点は、そこに生きる人間への見方によって変動する。 近代立憲主義は、身分制の桎梏から解放された、自由で独立した合理的・理性的個人を想定した。 それは、個々人の示す事実上の違いを捨象した抽象的な人(人格)として捉えられた。 この人間観の発生には、キリスト教、なかでも改革派の説いた、内心または道徳の内面・絶対性、法の外面・形式性という考えが大きく影響している。 中世にあっては、「神の法→自然法→人間の法」という序列が「信仰→(信仰を通して発見される)理性→(理性を具現する法による)利害関心の調整」という序列に対応していたのである。 ところが、宗教改革後、信仰の内面性または多様性が承認された段階で、その対応関係は消滅し、人間社会の利害関心の調整は「(人間に自然に備わっている)理性によって発見される自然法による統制」や「自然法による人為法の統制」という、人の内面とは別個の規準に委ねられるものと再構成された。 その際の基軸は、《人は道徳的で人格的な理性的存在だ》という、人間存在の特質に求められた。 こうした歴史的展開の影響のもとで、人間の合理的で自由な意思を信奉する近代合理主義哲学を基礎として、法学は、「私的領域」を、理性的、道徳的存在としての個人の精神的集合体であると想定してきた。 自然法、自然権思想を支える人間観は、これと無縁ではない。 国家以前の自然状態における個人は、まさにこのような存在として仮定されたのであった。 例えば、ロックの社会契約論は、理性的な決定を為し得る、没社会的な神人同型の個人を前提としていた。 [80] (二)私的領域といえども国家によって設定され保護されている 近代市民法または伝統的法学は、こうした人間観に立って、「公的領域/私的領域」の峻別を説いてきた([4]参照)。 そして、私的領域について国家の不介入や「自由放任」があたかも自明であるかのように扱ってきた。 近代立憲主義国家が消極国家である、といわれてきたのは、こうした意味あいを込めてのことである。 しかしながら、消極的国家または夜警国家のもとですら、国家は、一方で、社会・個人の一定領域を保護してきたのが現実であり(その領域に関してオフ・ハンドでいたことは決してなく)、他方で、権力組織としてその領域を浸食する主体でもあった。 その意味で、個人的領域と政治的領域との分離といわれる場合でも、その分離は、国家内に存在し、国家によって維持されるのである。 その個人的領域は、法のもとでの自由の意味であって、法の欠如でもなければ、「自由放任」でもなかった([54]参照)。 また、「公的(公権力の)領域/私的(市民社会の)領域」という二分法も、社会のある部分をときに「公的」と呼び、経済市場をときに「私的」と呼ぶに至った段階で、相互の浸潤現象を否定しさることも出来ずに、次第に通用力を失っていく。 それは、人間の本性への見方の変容を反映してもいる。 [81] (三)近代立憲主義は「自己統治」を制約するものについて解答を寄せなかった 楽観的人間観に立つ近代立憲主義、なかでも大陸のそれは、国王の権力を制限するための諸理論と手段を発見したものの、人民による「自己統治」(または国民の意思から発するとされる主権)を制約する手段を見出してはいなかった。 有効な制約手段がないために、近代立憲主義は、制憲権を国民の意思の発動とみながら、理念的な国民主権([127]でふれる正当性原理としての国民主権)を説く一方で、実際の統治に当っては、民意を遮断するための諸メカニズム(例えば、代表制、二院制、間接選挙制等)を考案したのである。 さらに、オリュー、デュギーの如く、論者によっては、主権概念自体を否定するものすらみられるのも([8]参照)、主権を統制するものを解明できなかったからである。 近代立憲主義は、人間の本性に対する楽観的な信頼の上に成立していた。 [82] (四)近代合理主義哲学の礎を提供してきた「理性」は再検討を迫られてくる 近代立憲主義を支えた啓蒙思想は、政治または権力とは異なる次元に属するところの理性(またはそれを客観的に具現する正義(イウス))のもとに、政治的利害関心や抗争を従属させ、統制しようとしてきた。 当時、理性は、自然、人、社会を律する客観的な秩序を意味していた。 理性の主体である人は、秩序づけられたこの世界にスッポリと違和感なく収まりきる存在であった。 個々人は、その事実上の違いを捨象されて、普遍的に「人格」として捉えられた。 ところが、国民国家の枠組みが顕著となるにつれて、制度的支えのない普遍的人格を語ることの限界が、G. ヘーゲルによって鋭く突かれた。 人を人格として超越論的に扱うだけでは済まなくなったのである。 この時点で、近代啓蒙思想体系は、一度、打ち砕かれることとなった。 国家と市民社会のなかで生きていく人々の本質的特徴は、行動すること、他者と共同して生活すること、労働すること、消費することにある。 人格として存在することではないのである。 そうなると、法的地位、生産能力、消費量等々、個々人はそれぞれに異なっていることに気づかれてくる。 近代立憲主義の想定する人間観は通用性を失って、再検討を迫られたのである。 こうした再検討のなかで出てくるのが「現代立憲主義」である。 近代立憲主義が中世立憲主義とは異質な様相をもって登場したと同じように、現代立憲主義は近代立憲主義を否定する中で誕生したのである。 現代の憲法理論が近代啓蒙の時代に安閑と依拠してはおれない理由は、ここにある。 ■第三節 「現代立憲主義」へ [83] (一)19世紀後半以降の哲学は意思中心主義に批判的である 19世紀後半以降のマルクス主義と労働者階級の勃興は、近代合理主義哲学が説いてきた意思中心主義、個人(主体)主義への反省を迫った。 それは具体的には、 ① 個人的意思の集積の結果、実体として出現するといわれる一般意思への批判と、それを支える社会契約論への批判(これらは階級対立を隠す)、 ② 社会に存在する中間団体の見直し、 ③ 人々の身分・利害の多様性と、法の多元性との承認 という方向として表れる。 この方向は、人間存在や法の見方のみならず、国家の見方までの変更を思想家に迫らざるを得なかった。 近代国家を法的に統制しようとして出てきた近代立憲主義は、この変容を一部取り込みながらもその根幹を維持しようとするが、様々な課題・矛盾を背負い込んで、様々な変更を余儀なくされる。 [11] でふれた「現代国家」の実相に応じて変容されてきつつある立憲主義を「現代立憲主義」という。 [84] (ニ)「現代立憲主義」は個々人の置かれた地位を振り返る 「現代立憲主義」は、理性的でもあるが、同時に、私利私欲をもった経済的に合理的な人間像を反映したものとなってくる。 この時点で、客観的な秩序を意味していた理性は、目的に対する手段の適合性を判断する主観的能力を意味するものに確実に変わった。 それは、道徳的実践理性よりも、道具的理性を優先させる人間像への転換を承認することでもあった。 中でも「現代立憲主義」は、個々人の置かれた具体的な生活の状況を考慮しながら、経済的自由市場がもたらす経済上の恐怖や脅迫から市民を「自由」にすべく、国家による非干渉経済を一部断念するのである。 国家の市場介入を容認するために、「弱肉強食」という根拠のない表現が乱発された。 [85] (三)「現代立憲主義」は夜警国家観を超える 現代国家は、人間の私利私欲から発生する弊害を予防または除去し、各人の生存に配慮するために、「公共政策」の名のもとに、財・サーヴィスの供給者、規制者、創造者(企業家)、またさらには審判者として、「社会的領域」に進出し、各人が幸福となるための条件を各人に約束し始める([11]をみよ)。 それが、「社会的法治国家」、「積極国家」または「福祉国家」と通称される国家である。 それは、既にふれたフランス啓蒙思想の影響である([54]での【N. B. 9】参照)。 現代国家は、権力組織としての顔と、実質的平等・実体的正義の実現や、さらには結果の平等までをも意識して国民の生存を配慮することなどといった高次の目的にも仕える二つの顔をもつ(現代国家の特徴については、[11]でふれた)。 こうした変化は、自由権のうちでも経済的自由権を変質させて相対化し、人権論のなかでは、象徴的(スローガン風)に、「自由権から社会権へ」といわれ、国家論のなかでは、「夜警国家から社会(福祉)国家へ」といわれる中にみられる。 なかでも、その国家における行政の特徴は、生存配慮のために為される社会保障行政に表れる。 [86] (四)福祉国家は「隷従への道」? 片や権力を独占し、片や各人に幸福を約束するという二つの顔をもつ国家の統治は、余剰権力を発生させ、パターナリズムのもとで、各人の自由領域に干渉し、ほとんど全ての領域を政治領域としそうな勢いを示している。 それは、あるいは我々が既にハイエクの最も警戒する「隷従への道」を歩んでいることを示唆しているのかも知れない。 なぜなら、不平等を是正して幸福を各人にもたらすために提唱される「分配的正義」(社会保障に代表される所得再分配)は、国家が人々の置かれる位置まで決定し監視せざるを得なくさせるからである。 そのための国家権限は、我々が自由な営為のなかで獲得した地位をパターン付き社会に適合させるべく、我々の為すべきことまで決定する権限ともなろう。 こうした危機を目前にして、ハイエクは、「法の支配は、配分的正義を排除する」といい、Th. ローウィは、明確な基準を欠く所得再分配(福祉行政)は、官僚と一定集団とが癒着する利益集団自由主義を生むといい、M. フリードマンは、財産権の侵害であるといい、R. ノージックは「道徳的に正当化され得ない国家となる」という。 この病理に対処するために、全ての行政活動に法律の留保を求める「全部留保説」が唱えられるものの、それは、かえって社会領域の政治化を呼ぶばかりでなく、無数の委任立法に拠らざるを得ないこととなろう。 配分的正義を実現するために説かれてきた「現代立憲主義」国家像は、かくて、脆弱な姿を露呈することになる(その最も強力な擁護論は、すぐ後にふれるJ. ロールズの政治哲学であるが、それとても弱点がない訳ではない)。 [87] (五)「自由」を尊重する国家は福祉国家とはならないはずである 「自由」とは、強制の加えられることのない状況下で、各人が各人の望むところを各自の知識に従って追求するチャンスを与えられていることである。 知識の程度と範囲は人によって異なり、その活用の程度もまた各人の機会が異なるために、違ってこざるを得ない。 その結果、各自の生み出すもの、獲得するものに相違が出てくるのも当然である(「生産」と「分配」は対応する)。 「自由」は、「機会の平等」とは両立するものの、生産と分配との区別を前提とする「結果の平等」とは両立しない。 となれば、「自由」を尊重することは、結果の平等を志向する福祉国家理念とは、基本的に、相容れないばかりであんく、結果を予め計画して、それへの邁進を目指す共産主義とも対立する(この点については『憲法理論Ⅱ』 [135]~[137]、『憲法理論Ⅲ』 [415]~[416] をみよ)。 自由主義のもとでは、成果を発生させる過程での各人の努力は、国家によって評価されてはならないのである。 [88] (六)「現代立憲主義」国家は司法国家化によって救われるか 代表機関としての議会に信頼を寄せた近代立憲主義に対して、「現代立憲主義」は、不断に活動する執政府に頼らざるを得なくなる。 執政府は、法令の執行に携わるだけでなく、委任立法に従事し、さらには、国家の基本政策の形成・実行・検証のみならず、社会領域における自動調整システムの機能不全に対処すべく、計画・統制へと乗り出してくる。 それは、それだけの自由裁量的権限と機構とを備える「行政国家」への変質を意味する(古典的な意味での「行政国家」とは、執政権行使が司法裁判所の統制から除外される国家を指した)。 ところが、「自らが公共善とみなすものに専ら関わる効率的な専門行政官が、自由に対する最大の脅威となる」(ハイエク)。 その脅威を最小化するために、執政府活動に対する司法的統制が期待されてくる。 「司法国家」への変質の要請である。 その際、執政府の活動も通常裁判所の判断に服するという「法の支配」理念が再び強調されることになる。 また、議会が、法律で独立行政委員会を設置するのも、執政府を統制するための対応である(後述の[405]参照)。 しかしながら、肥大する執政府を前にして、議会や司法がその統制に成功しているとは思われない。 特に補助金の交付にみられる資金助成行政は、特定目的をもって、特定人(法人を含む)を対象として為される私的・個別的契約であると理論構成されるために、一般的抽象的ルールのもとに執政府を置こうとする近代立憲主義または法の支配の思想から大きく逸脱する。 近時、ノージックのように、福祉国家観に正面から反対する自由尊重主義者が夜警国家への回帰を提唱しているのは、この点を真剣に懸念しているからである。 [89] (七)夜警国家がもっともユートピアに近いとする理論もある ノージックは、各人が「獲得、移転または匡正」という経緯を通して得た物(自らが作り出した物、他人から譲渡されて得た物、そして他人からの賠償によって得た物)は各人の物であって、各人はそれに対して正当な権原(entitlement=自然権としての資格)を有し、何人もそれを侵さないことが正義である、という(権原の正義論または経緯の正義論。巻末の人名解説をみよ)。 この正義論は、正義や人権を達成されるべき国家目標とみないで、国家権力を制約する原理(横から制約する原理)と考えている点に特徴がある。 権原の正義論は、彼のいう最小限国家、つまり警察国家だけを正当とし、彼のいう拡張国家、つまり福祉国家を道徳的に正当とはしない。 なぜなら、拡張国家は、所得再配分によって個人の「権原」を侵害するからである。 以上のようなノージックの理論は、すこぶる評判が悪い。 例えば、「大きな権原」(持てる者)と「小さな権原」(持たざる者)との差は、権力関係を反映したものとなって、自発的な獲得・移転等といわれるものを歪めるのではないか、さらには、貧富の差をさらに拡大し、いわゆる「社会的正義」に反しないか、と強い批判に晒されている。 彼の理論からすれば、自由尊重主義は、必然的に、自由経済体制(資本主義)擁護のための理論となることになろうが、巨大法人(組織)によって支配されたように見える市場システムの評価の仕方によって、その理論の是非が決定されよう(「市場/組織」の二分法がどこまで通用するか疑問である)。 その是非はともかく、ノージック理論は現代国家の実態に対して痛烈な批判となっている。 [90] (八)自由でかつ平等な国家を構想するJ. ロールズの国家観が注目されている ロールズの国家観は、最近の政治哲学のうちでも、最も強い影響力を各方面に与えてきている(巻末の人名解説をみよ)。 彼の理論は、ノージックとは正反対に、自由と平等(なかでも「結果の平等」)との調整が可能であることを説きながら、国家による所得再分配を、「公正としての正義」の名のもとで、次のような思考順序で正当とする理論である。 ① 合理的に思考し、行動できる人々であれば、個々人でいるよりも社会を形成して協働による利益を増加させるほうが善いと考えるであろう。 ② しかし、誰もがフリー・ライダー(ただ乗りする人)に成りたいと考えるに違いない。すなわち、彼らの中で利害が対立するのは、社会的協働に必要な費用の分配と、社会的協働の成果である利益をどのように分配したら良いか、という点である。 ③ そこで、各自の置かれた状況についても、選択の結果についても、誰も何も知らない「無知のヴェール」のもとに万人が置かれたと仮定しよう。そのもとでは、万人は最悪の選択が最善となる(予想される損失を最小化する maximin rule のもとで)、次の原理を選ぶであろう。 《正義の第一原理》=各人は、万人のための同様の自由の体系と両立する限りで、平等な基本的自由の最も広範な全体系に対する平等な権利を有すべきである、とする原理(最大の平等な自由の原理)。 《正義の第ニ原理》=社会的および経済的不平等は、次の二条件を満たした場合にのみ許されるとする原理。第一に、不平等は地位や役職に付随したものでなければならないこと(機会の平等)、第二に、不平等は社会構成員のうち最も恵まれない人にとって最大の利益となるべきであること(格差原理)。 以上の原理には、第一に自由を、第二に機会の平等を、第三に格差原理を、という優先順位が想定されている。 [91] (九)超越論的な哲学に基づいて「社会的正義」を実現する国家を模索すべきではない このロールズの見解に対しては、「無知のヴェール」のもとで人々が二つの正義原理を選択するという保証があるか、余りに理念的な人間像を前提としていないか(「記憶喪失の哲学」と批判される理由はそこにある)、といった疑問が残る。 彼の哲学は、非経験的な知によって人間の本性を把握しようとする超越論的哲学から離れようとしながらも、その枠内にとどまっている。 政治哲学の出発点は、現実的なありのままの人間でなければならないはずである。 ありのままの人間から法や国家をみるという視点は、スコットランドの啓蒙知の伝統にみられる。 その知によれば、共に自由に生きたいという一般の人々の願望を実現するために、一般的・抽象的ルールを提供し維持することこそ、国家の存在理由なのである([28]参照)。 確かに、現代立憲国家は、近代立憲国家における「社会」がもたらしたといわれる様々な弊害を、人為的で個別的なルールによって除去し、「社会的正義」を実現しようとして登場した。 しかしながら、社会は、一般的・抽象的ルールのもとで各人が自由に行為するよう保障した結果として自生的に登場する秩序である、と考えるのが正しい。 その秩序に対して「社会が責任を持たなければならない」と主張することはナンセンスである。 「正義」なる観念は人間の行為についてのみ問われなければならない。 社会は、個々人の自由な営為の結果として生まれ出た秩序であって《主体ではない》のである。 「社会的正義」の名のもとで、巨大な官僚の監視機構を背景にして、強制的に所得再分配をしようとする国家こそ、社会的正義を破壊しているのである。 これこそが、現代立憲主義国家の病理である。 その病理は、国家が個人の私的領域に介入する「国家の社会化」に現れるだけでなく、利益の分配を巡って利益集団が政治過程へと深く侵入する「社会の国家化」によって、さらに深刻化する。 近代立憲主義を人間の意図(設計主義)によって修正し、「社会的正義」を追求し実現しようとする「現代立憲主義」には大きな期待はかけられない。 [92] (十)現代国家は大量殺戮兵器と癌細胞としての軍隊の統制問題を抱え込む 現代国家の病理はそれだけではない。 大量殺人兵器の登場、秘密事項で武装された軍隊の存在は、国内国外の平和をいかに実現するか、「開かれた政府」をいかにして貫徹するか、という問題を「現代立憲主義」に突きつけて久しい。 これに対応すべく諸国家は、侵略戦争の放棄を憲法典上で謳い、民主的統治の理念に立って情報公開制度を実現しつつある。 なかでも、「現代立憲主義」は、20世紀になって、政治と軍隊との関係(civil-military relations=軍政関係または民軍関係)について、具体的な解決策を迫られる。 というのは、政治が、軍隊という機能集団を管理する専門技術・知識・装置を修得すべしとされて以来、法制度上、専門職業的将校団を看過するとなれば、軍隊こそ典型的な暴力機構であるだけに、国民の自由やときには民主制にとって最大の危機と成り得るからである。 専門職業的将校団を、法的に有効に統制しようとする試みが、文民の優勢の体制(civilian control=一般には「文民統制」と訳出されている)である。 もっとも、文民統制なる用語も極めて多義的である。 それは広義には、非軍人を意味する文民の政治的指導によって軍隊を効果的に管理することをいう。 その広義の文民統制のもとでは、将校団は軍事面だけの専門的知識を文民たる政治家に助言するにとどまるよう、政治的中立の枠内に閉じ込められる(「政治家が戦争目的を決定し、軍隊は戦争に勝利することを目的とする」といわれる)。 狭義の文民統制とは、軍隊の最高司令官が非軍人であることを指す(これに対して、日本国憲法にいう「文民統制」は、特異な内容と狙いを持つ。通常いわれる「文民統制」は、広義であれ、狭義であれ、軍隊または将校団の存在を所与のものとして、それをいかに有効に管理するかのやり方を示した。ところが、正規軍を持たないはずの日本国憲法にあっては、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と定められているため、その趣旨を巡って論争されることになる。この点は周知のように、文民とは、職業軍人の経歴を持たない者をいうとする説、職業軍人の経歴を有し、しかも強い軍国主義思想の持ち主である者以外をいうとする説の二説が対立していた。ところが、自衛隊が設置されて以降、文民とは現役軍人以外の者をいうとする説が登場するに至る)。 こうした努力にも係わらず、主権国家の独立性や平和の確保が最終的には武力によってもたらされる、という冷厳な国際政治の現実は、これまでと同様、不動のようにみえる。 この現実を前に、現代立憲主義が、「平和国家」や「開かれた政府」に向かいつつあるか否か、定かではない。 軍事秘密によって武装されて肥大する軍隊をみれば、夜警国家が最小国家である、とは必ずしも言い得ないのである。 現代国家の病理は国家機構の肥大に象徴的に現れるが、その病巣は政策遂行のために使用される手段にある。 それが、無数の、個別立法ともいうべき、無数の人為法の制定である。 現代立憲主義は、「社会的正義」を即効的にもたらそうと、ときに、所得の再分配のための立法、ときに、需給調整のための立法、ときに、「社会的弱者保護」のための立法等々、望ましい社会秩序実現のための法制定を「公益」の美名のもとで要請してきた。 そればかりでなく、無数の個別立法をきめ細かくし執行するための行政機関の肥大をもたらしてきた。 実は、「社会的正義」、「公益」なる抽象的概念に客観的判定基準はない。 また、現実の政治過程での最終決定因は、正義という理念ではなく、利得である。 そのために、利益集団が民主主義過程に食い込み、一般性・抽象性・平等普遍性という法の属性から自分だけ免除するよう求めてくるのである。 それは、自由経済体制がもたらす「市場の失敗」よりも、是正困難な「政策立案過程での失敗、立法の失敗、執行の失敗」をもたらさずには置かないのである。 【表7】「現代立憲主義」の課題 ① 実体的正義または「社会的正義」を実現すること ② 肥大化してきた執政府活動を司法的に統制したり、「開かれた政府」を実現すること ③ 軍隊に対する文民優位の体制を確立すること。 ■ご意見、情報提供 ※全体目次は阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)へ。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sakura1004/pages/73.html
主張支援 様より 使用させて頂いてます。
https://w.atwiki.jp/syukensya1990/pages/355.html
行政管理省所管の特殊法人。略称はHPM。公共放送事業者としてテレビやラジオ放送の他、国際放送などを行っている。 概要 所在地 〒003-0001 新都府北区中町3丁目7-11 会長 三栄 水夫 副会長 野穂 湯 新垣 則 内部組織 総務局 企画局 経理財務局 人事厚生局 開発研究局 営業サービス局 広報局 放送本局 事業本局 関連企業・団体 財団法人HPM文化振興(文化ホール管理) 学校法人平和主義国公共放送学園 財団法人HPM奨学金基金 平和主義国公共放送出版(出版事業) 平和主義国公共放送クリエイト(番組制作事業) HPMデザイン事務所(番組制作事業) HPM情報サービス(番組制作事業) HPM映像技術(番組制作事業) HPMウェブサービス(ネット放送事業) 経営状況 CM放送は一切行なわず受信料収入に収入の大半を依存しているが、近年は子会社による書籍、番組関連商品の販売などが好調なことや番組販売の拡大で受信料外の収益も増加している。ただ、近年は地上デジタル放送開始に伴う設備投資の増大で経費も増大しており経営改革が進められている。
https://w.atwiki.jp/nanohass/pages/1103.html
「なのはさんのお兄様だけあって、やっぱり格好いいですね~」 あいさつが済むと同時に、スバルは目をキラキラと輝かせ、ブリッコのポーズを取りながら言った。 「ちょ、ちょっとスバル! いきなり馴れ馴れしくするんじゃないわよ!!」 ティアナに怒鳴られるが、スバルはしゅんとした表情で人差し指同士を合わせながら反論する。 「でも、本当にそう思うんだもん」 「ははは、どうもありがとう」 恭也は笑顔で二人に言うのと同時に、店の入り口から恭也と同じ翠屋のエプロンをつけた、半袖の Yシャツに作業用ズボンと運動靴というシンプルな服装の、四十代前半の男性が出てきた。 「おい、いつまで―――おお、なのはか」 男性はなのはたちの姿を見ると、顔をほころばせる。 「あ、父さん」 「お父さん、忙しいところをごめん」 なのはの父で、翠屋の店長である高町士郎に、アリサとすずかは「今晩は」と挨拶する。 「ええと君たちは、確かなのはの教え子で…ティアナさんとスバルさんだったね」 士郎そう言って挨拶すると、スバルは「はい、そうです」と、ティアナは「覚えていただいて、恐縮 です」と言って挨拶を返す、士郎はしばらく考え込んだ後、なのはに言った。 「なのは、皆さんを家に連れてってくれ。夕食は、みんなで揃ったときにしよう」 「うん、分かった」 「あ、あの…お寛ぎのところを邪魔しては――」 ティアナがそう言いかけた時、士郎はそれをにこやかに遮った。 「いえいえ、娘の部下の方々でしたら、私の家族も同然ですよ。どうぞご遠慮なさらずに」 「あ、ありがとうございます」 ティアナは、多少緊張気味に士郎へ礼を言った。 数時間後、高町家居間の食卓には和洋様々な種類の豪華な料理が並び、部屋全体にいい香りが漂っていた。 「うわぁ~、おいしそう~」 「すごい…」 スバルとティアナは、ミッドチルダでも当たり前に食べられているものから生まれて初めて目にする料理 まで、技巧を凝らした様々なご馳走の数々に目を輝かせ、息を呑んだ。 「さぁ、召し上がれ」 士郎の左隣に座っている、幾何学模様のワンピースという服装と綺麗な顔のため、士郎と同年代とは思え ないほど若々しいなのはの母、高町桃子がにこやかにスバルたちへ言った。 「では、お言葉に甘えて…」 「いただきま~す」 ティアナは桃子に丁寧に礼を言い、スバルは、手を合わせながら快活に言って箸を取り上げた。 スバルたちがおいしそうに食べ始めたのを契機に、高町家の面々となのはの友人達も食事を始める。 しばらくの間、居間の全員は食事に集中して、会話が途切れる。 全員程よく胃が満たされ、落ち着いて来た時、桃子がスバルたちに尋ねた。 「スバルさんとティアナさんは、なのはの教え子なんですってね」 その質問に、ティアナが答える。 「はい、機動六課に所属していたとき、教導官として色々と教えていただきました」 「その時のなのはって、あなたたちから見てどう?」 「そうですね…」 ティアナは、フォークを置いて天井に頭を向けながら考えてから、答えた。 「厳しいですけど、基礎から順序立って教えてくれる、分かりやすい教導をしてくれる方…って感じです」 「あはは。ティアらしくていい答えだね」 スバルはそう言って笑いかけると、ティアナは顔を赤くして顔を伏せる。 「スバルさん、あなたはどう思った?」 桃子が尋ねると、スバルは真剣な表情で桃子を見つめながら答えた。 「私は…、初めて会った時からずっと憧れの方です」 スバルは、ここで昔を思い返すような、遠い目をしながら話を続ける。 「小さい時、私はなのはさんに助けて頂いて、その時に自分の力の無さを実感して、なのはさんみたいな 強い人になりたいって心の底から思って、それからずっと…今もなお追いかけてますけど、まだ遥か先の… 雲の上の人、そんな感じですね」 「スバル、それ持ち上げすぎ」 なのはは、顔を赤くして恥ずかしそうに言うと、桃子は微笑みながら娘を見つめた。 「あら、いいじゃないの。娘が人の尊敬を得られるほど立派になるなんて、母親としてこれほど嬉しい事 はないわ」 士郎も笑いながら頷く。 「そうだな。ちょっと前までは小さな子だと思ってたけど、それがあっという間に教官として人に尊敬される までになってるなんて、そうそうある事じゃないぞ」 「多分、我が家で一番の出世頭じゃないかしらね?」 ベージュのブリッジシャツにローライズスキニーデニムパンツという服装の、金縁の眼鏡が知的な雰囲気を 醸し出しているなのはの姉、高町美由希が箸できんぴらごぼうをつまみ取りながら言った。 「ああ、俺も美由希もそんな立場までは行ってないし、稼ぎも我が家で一番じゃないか?」 恭也が自分の境遇を憂えるように、腕を組んで難しい表情をしながら言うと、桃子は恭也の頭に手を伸ばし、 優しく撫でながら答えた。 「いえいえ、恭也も美由希も立派にがんばってますよ」 頭を撫でられている恭也は、恥ずかしそうに顔をしかめて、母親の手から逃れる。 「ちょちょっと母さん、もう子供じゃないんだから」 突然、それまで黙ってサラダを食べていたヴィヴォオが、士郎と桃子に振り向いた。 「士郎おじさんに桃子おばさんも偉いと思うよ、だって二人が居たから、ヴィヴィオはなのはママと出会えた んだもん」 「ありがとうね、ヴィヴィオ」 桃子はヴィヴィオの頭を撫で、士郎は張り切って腕まくりしながら宣言する。 「ようし、ヴィヴィオの為に今まで一番おいしいキャラメルミルクを作ってあげよう」 士郎の言葉に、ヴィヴィオも満面の笑みで返した。 「ありがとう、士郎おじさん」 「いやぁ~、実に幸せなそうな事で…」 「私たち、お邪魔だったかも…」 アリサとすずかが、気まずそうに縮こまっているのを見たなのはは、慌てて二人を宥めに入った。 「アリサちゃん・すずかちゃん、そんな事無いから」 食事が終わると、スバルは庭で恭也とシューティングアーツの手合わせを始め、ティアナは、アリサたちと ミッドチルダと地球の文化について色々話を始める。 士郎と桃子は、ヴィヴィオのキャラメルミルク作りのために台所へ行き、ヴィヴィオも二人について行く。 そしてなのはは、コーヒーの入ったカップを手に、縁側でスバルと恭也の手合わせを眺めながら、美由希と 雑談に興じていた。 「…なのはが、初めてヴィヴィオを連れてきた時は、上へ下への大騒ぎだったわね」 美由希がからかう様に言うと、なのはは苦笑しながら答え。、 「うん。管理局に入ってからの事を、総て話した時もかなりの騒ぎだったけど、あの時はそれ以上だった」 「でも、今じゃ一緒に飲み物作ったりするぐらい仲がいいんだから、良かったんじゃない?」 「うん。多分ヴィヴィオがいい子だったから、お父さんもお母さんも打ち解けられたと思う」 そう言って二人は台所の方に目を向ける。 台所からは、キャラメルミルクのいい香りと、楽しそうに話すヴィヴォオたちの声が聞こえてきた。 「で、クラナガンの方はどうなの? リンディさんから、分離主義勢力についてちょっとは話を聞いてるけど」 なのはは、顎に手を当てて考え込みながら話し始めた。 「最近、情勢が不穏になってきてる。魔術を使える人たちと、そうでない人たちの対立が段々悪化してきてて、 街中でデモが暴動になるなんて事が結構多くなってて…」 「そうなんだ」 「私も、時々暴動の鎮圧に呼ばれる事があるんだけど、正直言って気が乗らない」 そう言った時のなのはの表情に陰りが見えたのを、美由希は見逃さなかった。 「どうして?」 「それだけ今の状況を不満に思う人が沢山居るって事でもあるから」 なのははそこで一旦言葉を切って、空に目を向ける。 「ミッドチルダって、魔法以外の技術に対して本当に冷淡なの。魔術の技能を持たない人たちって選挙権がないし、 就職に関しても色々と制約があるから、彼らが怒るのも当然だって思う」 コーヒーを飲んで一息つけてから、再び話し始めた。 「暴力行為は悪い事だけど、ほとんどの人たちは自分の生活をより良いものにしたくて、間違っていると感じている 事を変えたいから、そうやって抗議している…そんな人たちの思いまで、一時の過ちとして片付けているような気が するの」 美由希は、なのはの肩に手を置いて言った。 「なのはは優しいね。昔、ユーノを拾ってきた時もそんな風に一生懸命だった」 振り向いたなのはを真正面から見つめながら、美由希は話を続ける。 「なのはがそう思うなら、同じように感じている人は他にも居ると思う。魔法の力を持たないけど、懸命に世の中の ために頑張っている人たちに正しく報われるようにしたいって思っている人が」 美由希はそこで言葉を切り、手合わせを終え、庭石に相対して座りながら話をしている、スバルと恭也の方に目を 向けながら話を再開した。 「その人たちと一緒になって、より良い方向に解決できるよう頑張るといいと思うよ。今のなのはならそれが出来る、 それはお姉ちゃんが保証する」 「そうだね。ありがとう、お姉ちゃん」 なのはは小さく微笑んで、空になったコーヒーカップを見つめる。 「ちょっと、新しいコーヒー入れてくるね」 そう言って立ち上がったなのはに、美由希は笑って手を振った。 台所で両親達と話をしながら新しいコーヒーを淹れ、居間に戻ろうと廊下に出た時、首に下げてあるレイジングハートが 点滅を始めた。 「どうしたの、レイジングハート?」 「マスター、八神はやて様から個人向け秘匿通信が入っております」 「はやてちゃんから!?」 なのはは急いで自分の部屋に行き、空間ウィンドウを開く。 「はやてちゃん、どうしたの?」 モニターに映るはやては、緊迫した表情で話を始めた。 「なのはちゃん、お休み中のところ申し訳ないんやけど、こっちでえらい事が起きてな」 「何?」 はやての話を聞いたなのはの表情が凍りつき、コーヒーカップを床に取り落としてしまう。 カップからコーヒーが溢れ、カーペットに黒い染みを作る。 「フェイトちゃんが…」 なのはは、呆然とした表情で呟いた。 前へ 目次へ 次へ
https://w.atwiki.jp/syukensya1990/pages/298.html
平和主義国最大のナショナルセンター。 旧民主労働党の最大の支持基盤であった。民主労働党解党後は、加盟する労組内で支持が分かれており、平労連全体としての選挙における推薦や支援を見合わせている。民主労働党解党直前には、会長らが仲裁役となり解党阻止に動いたが失敗している。 本部は水田区の旧水田国際産業会館を購入し本部として活用してきたが、ビルの老朽化や手狭なことから09年に水田センタービルディングに移転した。 組合員向けに金融事業を行っており、平労連労働金庫を運営している。 概要 代表者 問田 彦太(平和主義国公務員労働組合委員長) 副代表者 兵頭 頭(平和主義国電機労働組合) 設立年月日 1975年10月1日 本部所在地 〒000-0000 新都府水田区8丁目2-1 水田センタービルディング 加盟者数 支持政党 旧民主労働党、社民連合党 機関紙 平労連ネットワーク通信 機関紙 76年から07年までは労働者生活日報という名前だったが、08年に現在の名前に変更した。月5回発行しており購読料は1ヶ月1700円に設定されている。印刷は新聞社等に委託していたが80年に新都府郊外に印刷所を建設してからは自社で印刷している。配達は郵便を活用している。
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/188.html
保守主義とは、近代啓蒙の批判に外ならない。 近代自然法思想を含めた啓蒙の哲学は、社会と人間の、合理的に制御し得ること、あるいは、個体的に還元し得ることを主張して止まない。 啓蒙の哲学は、社会と人間の合理化と個体化(rationalization and individualization)を称揚する、近代進歩主義の原型なのである。 このような啓蒙の哲学が、その淵源をどこまで遡り得るかについては、様々な議論があり得よう。 しかし、ここでは、それが、17・18世紀の200年を通じて形作られて来た、ある精神の型に過ぎないことを確認しておけば、差し当たり充分である。 むしろ、ここで問題にしたいのは、その啓蒙の精神が、フランス革命、さらには産業革命と民主革命の進行に伴って、我々の文明の最も誇るべき価値であるかのように、この世界に拡散して来たという事態である。 合理化と個体化を称揚する精神は、産業化と民主化の激流に翻弄された19世紀はもとより、20世紀末の今日においても、なお我々の文明の中心に位置するかのように見受けられる。 「情報化」という名の新たな産業化と、「差異化」という名の新たな民主化は、我々の時代を画する進歩の旗印として持てはやされている。 啓蒙の精神は、社会の合理的な管理と人間の個体的な解放というスローガンを高く掲げた、近代進歩主義の運動を、このニ世紀に亘って導いて来たのである。 もちろん、このニ世紀に亘る進歩主義の運動が、極めて多様な傾向を孕んでいることは言うまでもない。 そこには、いわゆる啓蒙主義によって導かれた、自然人権と国家集権を求めるフランス革命の運動もあれば、功利主義によって導かれた、自由化あるいは社会化を目指す漸進の運動もあり、さらには、マルクス主義によって導かれた、人間解放と社会管理のための革命運動もある。 しかし、これらの運動は、社会と人間の、産業化あるいは合理化と、民主化あるいは個体化を、意図的にあるいは結果的に推進したという点において、ほとんど選ぶ処はない。 いわゆる啓蒙主義はもとより、功利主義も、さらにはマルクス主義もまた、近代啓蒙の嫡出子なのである。 保守主義は、このような近代啓蒙の一貫した批判者である。 言うまでもなく、近代保守主義は、フランス革命のもたらした、社会の、理性による専制支配と、原子的個人への平準化の危機に抗して、「自由で秩序ある社会」を擁護すべく、エドモンド・バークによって創唱されたものである。 もちろん、保守主義的な態度が、バーク以前に存在しなかった訳ではない。 未知の変化に抗して、既知の安定を擁護しようとする態度は、むしろ人類と共に古いとも考えられ得るし、啓蒙の精神が形を成して来た、17・18世紀においても、それに対抗する態度は常に存在していたのである。 通俗的に言われるよりも遥かに深く、キリスト教を始めとする中世的あるいは近世的な伝統の内に生きていた、17・18世紀においては、むしろ啓蒙の精神こそが、西欧一千年の伝統から逸脱した、その対抗思想に過ぎなかったとも言えよう。 従って、17・18世紀においては、保守主義の、敢えて名乗りを挙げる必要は、必ずしもなかったのである。 何故ならば、保守主義とは、進歩主義の侵攻が、無視し得ぬまでに拡大して始めて、それを迎撃すべく、自らの重い腰を上げる性質のものだからである。 しかし、フランス革命を境として、進歩主義の侵攻は、もはや何人によっても無視し得ぬ段階に立ち至った。 フランス革命以降、産業主義と民主主義の進行に従って、進歩主義は、貴族制度や大土地所有やキリスト教やといった、あらゆる中世的(あるいは近世的)な伝統に次々と攻撃を加え、「自由で秩序ある社会」を決定的な危機に陥れたのである。 バークの闘った闘いは、このような進歩主義との闘いの緒戦を成すものであった。 フランス革命の啓蒙主義と闘ったバークを皮切りに、進歩主義のもたらす、合理的な専制と個体的なアノミーに抗する闘いは、このニ世紀に亘って、陸続と闘い継がれて来た。 近代保守主義とは、合理化と個体化という革命運動に抗する、不断の闘いそれ自体なのである。 言い換えれば、保守主義とは、啓蒙の精神の産み落とした、合理主義と個体主義の狂気に抗して、何等かの伝統に係留された、「正気の社会」を擁護する、終わりなき闘いの中にしかあり得ないのである。 それでは、保守主義は、何故に合理主義と個体主義を拒絶するのであろうか。 あるいは、また、保守主義は、如何にして啓蒙の精神を否定するのであろうか。 さらに、保守主義は、そのような拒絶や否定を通じて、何故に伝統を擁護することに至るのであろうか。 あるいは、そもそも、保守主義にとって、その擁護すべき伝統とは何であるのか。 これらの問いに答えることが、取りも直さず、前節までの議論と保守主義とを結び付ける、《失われた環》を見い出すことに外ならないのである。 保守主義は、社会と人間の、理性によって制御し得ることを否定する。 社会と人間が存続していくためには、理性によっては認識し得ないが、行為においては服従し得る、何等かの暗黙的な知識が不可欠なのであって、社会と人間の全体を、理性によって制御することなど、自分の乗っている木枝の根元を、自分で切る類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、理性の行使をも含めて、語り得ずただ従い得るのみの知識を前提として、始めて可能となるのであって、その暗黙的な前提をも含めた、自らの総体を制御することなど、全く不可能なのである。 人間の行為の不可欠な前提である、このような暗黙的知識は、理性的な行為の対象とならないがゆえに、その正当性を合理的には根拠付け得ない。 すなわち、このような暗黙的知識は、正当化し得ない無根拠な知識であるという意味において、まさしく偏見(prejudice)に過ぎないのである。 従って、人間の行為は、自らは何の根拠も持ち得ない偏見を前提として、始めて可能であることになる。 保守主義は、人間の生きていくために、暗黙的で無根拠な偏見に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、合理主義とは、合理的に制御し得ないものを制御せんとする、言わば暴力的な試みなのである。 そのような試みを、敢えて実行しようとするならば、制御の主体は、社会に対して、自らの意志を盲目的に強制する以外の、いかなる手段も持ち得ないことになる フランス革命やロシア革命、さらにはナチス・ドイツの経験が明らかにしたように、合理主義の行き着く先は、効率的な暴力を背景とする、野蛮な専制支配の外ではあり得ないのである。 保守主義は、社会と人間の、個人へと還元し得ることを否定する。 人間の行為は、それを取り巻く社会的、文化的な状況が与えられて、始めてその意味を決定し得るのであって、人間の行為の意味を、個人の内面的な意識へと還元することなど、言葉の意味を、他の言葉の意味との対比関係から切り離して、単独に決定する類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、他者の行為との関係をも含む、全体的な状況の中に位置付けられて、始めて成立し得るのであって、その全体的な状況が、個人の行為に還元し尽くされることなど、決してあり得ないのである。 人間の行為の成立/不成立を決定する。このような全体的状況は、行為の成否を決定する根拠となる、あるいは、行為の成立を正当化する理由となる、という意味において、規範的と言い得るものである。 すなわち、このような全体的状況は、行為を根拠付け、行為を正当化し得る、という意味において、まさしく権威(authority)と呼ぶべき事態なのである。 従って、人間の行為は、その根拠として服従すべき権威を前提として、始めて成立することになる。 保守主義は、人間の生きていくために、全体的で規範的な権威に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、個体主義とは、自らの拠って立つ不可避の基盤を見失った、個体の自己過信の外ではない。 個体主義とは、個体的に還元し得ないものを還元せんとする、いわば?神的な営みなのである。 そのような営みを、敢えて遂行しようとするならば、個人は、他者の、従って自己の行為の何であるかを全く了解し得ない、アノミーの深淵に立ちすくむことになるだけではない。 19世紀には絶望とともに予感され、20世紀には希望とともに実現された、高度大衆社会の実現が明らかにしたように、個体主義の精神がもたあすものは、無神論の深淵ではなく、神でも何でも手軽に信じて気軽に忘れる、多幸症の浅薄というアノミーに外ならないのである。 このように合理主義と個体主義を拒絶する、保守主義の橋頭堡としての偏見と権威が、理性によって意図的に設定されたものでも、個人によって意識的に合意されたものでもあり得ないことは言うまでもない。 偏見と権威は、行為の持続的な遂行の累積的な帰結として、自然発生的に生成されるものなのである。 すなわち、偏見と権威は、合理的な設定によらず、個体的な合意によらず、ただ遂行的にのみ生成される、まさに伝統(tradition)と呼ばれるべき事態なのである。 偏見とは、いかなる合理的な根拠も持ち得ない、俗なる伝統に外ならず、権威とは、あらゆる個体の根拠として従うべき、聖なる伝統に外ならない。 伝統とは、自らの如何なる根拠も持ち得ずに、他の一切の根拠として従われるべき、俗にして聖となる歴史の堆積なのである。 言い換えれば、伝統とは、歴史の試練に辛くも耐えて、偏見と権威の内に記憶される、生きられた経験に外ならないのである。 従って、偏見と権威に支えられて始めて成立し得る、人間とその社会は、このような伝統に従うことを、その不可避の条件とすることになる。 保守主義は、人間と社会の生きていくことが、つまるところ、伝統に回帰する以外にはあり得ないことを、強く主張するのである。 近代啓蒙の精神は、このような伝統や偏見や権威やを、蛇蝎の如く忌み嫌う。 因習や俗信や抑圧やから、人間を救済し、理性と自我との赴くままに、世界を革新すること、これが啓蒙の企てなのである。 しかし、保守主義から見るならば、このような啓蒙の企てこそが、合理主義的な抑圧と個体主義的な俗信とをもたらす当のものに外ならない。 近代啓蒙の精神は、不断に進歩することを、まさに因習となすことによって、専制的な抑圧とアノミックな俗信とを、常に帰結せざるを得ないのである。 保守主義のこのような回帰する伝統とは、合理的に制御し得る客観的なものではあり得ず、また、個体的に還元し得る主観的なものでもあり得ない、遂行的に生成される、言わば第三のものであった。 すなわち、伝統とは、客観的な自然でもあり得ず、主観的な意識でもあり得ない、第三の領域なのである。 このような第三の領域は、日常言語において、社会、文化、あるいは制度と呼ばれる領域に外ならない。 保守主義は、伝統に回帰することによって、客観的な自然法に根拠付けられる訳でもなく、主観的な社会契約に還元される訳でもない、社会という領域を再発見したのである。 言い換えれば、保守主義は、啓蒙思想による、理性と個人の発見に幻惑されて、一度は忘却の淵に立たされた、社会という現象を、再び見い出したのである。 社会の発見は、17・18世紀思想における理性と個人の発見に鋭く対比される、19・20世紀思想の鮮やかな特徴をなしている。 もちろん、合理主義と個体主義の哲学は、20世紀末の今日においてもなお有力なのではあるが、18世紀と19世紀の境に起こった転換以来、社会の、合理主義と個体主義によっては、ついに捉え得ない、という了解もまた、我々の共有財産となっているのである。 この意味において、保守主義は、社会についての哲学を、近代において始めて可能とした思想であると言えよう。 保守主義の歴史とは、取りも直さず、近代社会哲学の歴史に外ならないのである。 保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、合理的な客観としての自然でもなく、個体的な主観としての意識でもない、慣習的な遂行としての社会を、近代において始めて発見した。 すなわち、保守主義は、社会を、自らは如何なる合理的な根拠も保持せずに、自らにあらゆる個体的な行為を従属させる、遂行的な秩序として捉えることによって、近代社会哲学を創始したのである。 保守主義のこのように発見した社会が、前節に述べた《遂行的なるもの》と、ほとんど過不足なく重なり合っていることは明らかであろう。 《遂行的なるもの》とは、あらゆる行為がその成立/不成立を依存せざるを得ない文脈であり、また、いかなる根拠付けも自己に回帰する言及となるがゆえに不能である、遂行的な秩序のことであった。 すなわち、《遂行的なるもの》とは、個体的に帰属し得ず、合理的に言及し得ない、慣習的な秩序のことである。 従って、保守主義の発見した社会は、《遂行的なるもの》と、極めて正確に一致していることになる。 すなわち、保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、取りも直さず、《遂行的なるもの》を発見していたのである。 あるいは、むしろ、ハイエクの自生的秩序、ハートのルール、オースティンの言語行為、さらにはウィトゲンシュタインの言語ゲームを通底する、《遂行的なるもの》こそが、保守主義のニ世紀に亘って護り続けて来た伝統の、現代における再発見なのであるとも言い得よう。 20世紀哲学の到達した地点は、保守主義の歴史の新たな一ページなのである。 すなわち、ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインの到達した哲学は、20世紀末における新しい保守主義に外ならないのである。 もちろん、ハイエクもハートもオースティンも、さらにはウィトゲンシュタインも、自らを保守主義者と名乗っている訳では些かもない。 従って、現代における新しい保守主義を考察するためには、彼らの哲学よりも、むしろ、現代における正統的な保守主義者、たとえばマイケル・オークショットなどの哲学を検討すべきではないのか、という指摘も尤もである。 わけてもオークショットの社会哲学は、イギリス保守主義の掉尾を飾るものとして、是非とも検討されねばならない。 しかし、現代においては、保守主義者を名乗る人々の哲学が、必ずしも保守主義の哲学であるとは限らない。 啓蒙の哲学が、あたかも正統思想であるかのように流布されている現代においては、保守主義を騙って啓蒙を喧伝する輩が、跡を絶たないのである。 保守主義とは、まず何よりも啓蒙の批判に外ならない。 従って、現代における新しい保守主義の探求とは、取りも直さず、現代における反啓蒙の哲学の検討であらねばならぬのである。 ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインが、このような現代における反啓蒙の急先鋒であることは紛れもない。 本書は、経済哲学、法哲学、言語哲学を含む社会哲学の、20世紀における大立者達の言説の内に、現代における反啓蒙の、従ってまた、現代における新しい保守主義の可能性を探って見たのである。 20世紀末の保守主義は、自生的秩序やルールや言語行為や、さらには言語ゲームの哲学の内に、その新たな表現様式を見い出しているのである。 このような20世紀末の新しい保守主義が、ニ世紀に亘る保守主義の歴史に、何か付け加えたものがあるとするならば、それは、啓蒙の運動が不可能であることの、新しい表現様式である。 新しい保守主義は、社会と人間が、自らの要素である行為の文脈依存的であるがゆえに、個体的に還元され得ず、また、自らを対象とする行為の自己言及的となるがゆえに、合理的に制御され得ないことを主張する。 すなわち、新しい保守主義は、社会と人間の個体化と合理化という、啓蒙の運動の不可能であることを、言語行為論あるいは言語ゲーム論に準拠して主張するのである。 保守主義は、その誕生以来、時代の進歩主義に対応する、様々な表現様式に身を託して、合理化と個体化の不可能であることを主張し続けて来た。 新しい保守主義の準拠する、言語行為論あるいは言語ゲーム論もまた、20世紀末の進歩主義に対応する、そのような表現様式に外ならないのである。 いずれにせよ、保守主義によれば、社会と人間の合理化と個体化は、原理的に不可能である。 社会と人間に対する、進歩主義の貫徹は、所詮出来ない相談なのである。 そのような進歩主義を、敢えて貫徹しようとするならば、社会と人間は、暴力的な専制と涜神的なアノミーとへの分解によって、破壊し尽くされざるを得ない。 進歩主義は、その建設への意志とは裏腹に、社会と人間を、ついに崩壊へと導かざるを得ないのである。 まさしく、滅びへの道は、善意によって敷き詰められている。 従って、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の生き方についての、可能な二つの道の対立などでは全くない。 進歩主義の道は、社会と人間の死滅に至る、不可能な道なのであって、社会と人間の辛くも生存し得る、唯一の可能な道は、保守主義の道なのである。 すなわち、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の存続し得るか否かを賭けた、全く抜き差しならぬ対立なのである。 この命題は、もとより、一般の社会と人間についても成立し得ると思われるが、ここでは、その近代の社会と人間についての成立が確認されねばならない。 すなわち、近代の社会と人間は、あたかも近代の正統思想であるかのように見なされている、進歩主義のみによっては、自らの存続すらをも保証し得ないのである。 言い換えれば、近代の社会と人間が、数世紀に亘って辛くも存続しているとするならば、それは、金ぢあの社会と人間が、己の意識するとしないとに拘わらず、保守主義を、事実として生きてしまっているからに外ならない。 近代の社会と人間は、あたかも反近代の異端思想であるかのように見なされている、保守主義を生きることによって始めて、自らの存続を辛くも保ち得るのである。 これは、何の逆説でもない。 社会と人間は、まさにそのようなものとして、生きられているのである。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/47177.html
登録日:2021/02/02 Tue 21 30 00 更新日:2024/06/24 Mon 18 58 22NEW! 所要時間:約 8 分で読めます ▽タグ一覧 STARWARSドロイド項目 STAR_WARS TIEファイター カトンボ スターファイター スター・ウォーズ トライファイター ドロイディカ ドロイドスターファイター ドロイド司令船 ハイエナ バトルドロイド バルチャー 分離主義勢力 反乱同盟軍 宇宙戦闘機 戦闘機 無人機 独立星系連合 通商連合 銀河共和国 「あれはドロイドファイターです! トライファイターにバルチャー、分離主義者の野獣どもです」 小説「ターキン」より、帝国軍将校 ドロイドスターファイターとは、スターウォーズ・シリーズにおける戦闘機の一種。 戦闘機がドロイドそのものというタイプ。 【概要】 【バルチャー型スターファイター】◇基本設計 ◇特性 ◇燃費 ◇劇中の活躍 【ハイエナ級ボマー】◇基本設計 ◇劇中の活躍 【トライファイター】◇基本設計 ◇作中の活躍 【TIE/Dオートメイト・スターファイター】 【概要】 スターファイターとは宇宙戦闘機のことだが、一般に「ドロイドスターファイター」と称するのは、戦闘機自体が一つのドロイド(完全自律ロボット)であるものを指す。 ドロイドが戦闘機のコックピットに乗り込み操縦を行う、という場合はドロイドスターファイターには分類されない。 人間や独立したドロイドが乗り込む操縦席を最初から持たず、戦闘機と一体化したプログラムによって起動する、いわゆる完全な無人機のことを指す。 劇中世界では「バルチャー型」と「トライファイター」の二種類が有名。 【バルチャー型スターファイター】 一般に「ドロイドスターファイター」という場合はこれといわれるぐらいの機体。 バルチャー・ドロイドファイターとは外見からくる通称で、正式名称は「可変翼自動推進式バトルドロイドMK-I」。 バルチャーとはハゲタカのことで、装飾がまったくない、つるりとした頭部に由来すると思われる。 (ちなみにウィルハフ・ターキンいわく「歩行モードはハゲタカというよりもむしろ馬」) 開発を担当したのは、惑星シ・チャーの種族シ・チャリアン。 彼らの美的センスがおおいに反映されており、まったく無駄のない、つややかで洗練されたデザインをしている。 通商連合が機動兵器として運用し、クローン戦争では独立星系連合に提供された。 ◇基本設計 円盤状の薄っぺらい胴体に、「ハゲタカ」の由来となったつるりとした頭部、全長7mの翼を二対・四枚搭載した外観が特徴的。 簡単な変形機能が組み込まれており、「飛行モード」と「歩行モード」を切り替えられる。 飛行モードでは、翼と頭部を胴体に隙なく接続し、コンパクトになった状態で高速飛行を開始。この形態での機体の全高はわずか186cmとなり、非常に小さく、小回りが利く。 歩行モードでは、頭部や翼の間に仕込まれたアームが起動し、頭部で周囲を見渡したり、翼を脚部として歩いたりができるようになる。 上述したように、翼は7m弱の大きさがあるため、歩行モードでは機体の高さもそれぐらいとなり、敵歩兵に対してかなりの高所から視認や攻撃が可能になる。 武装は上下の翼の間に仕込まれた連装式ブラスター四基、胴体前方(頭部のすぐ前)に設置されたエネルギー魚雷発射管二門。また、クローン戦争末期にはバズドロイドを満載した「ディスコードミサイル」をオプションで取り付けることもできた。 主力火器は翼の間に仕組まれたレーザー砲だが歩行モードでは使えなくなってしまうため、胴体のエネルギー魚雷を用いることとなる。 また、歩行モードでは翼(脚部)の先端に爪が飛びだすギミックがあり、このおかげで繊細な翼でもそれなりに歩けるようになる。 ◇特性 最大の特徴はドロイドファイターであること。 パイロットを載せないことが前提であり、コックピットは最初からなく、後付けの搭載も不可。 さらにハイパースペース用のハイパードライブもシールド発生機も搭載しておらず、無人機に無用な設備を徹底的に排除している。 その結果できあがったバルチャーは、とにかく小型。 翼を除いた胴体部分の大きさは、全長3.5m、全高1.85mという驚異的なコンパクトサイズとなり、そこにエンジンと最低限の武装だけが積み込まれている。 だがそこまで小型化した甲斐があって、バルチャーはとにかく機敏で小回りが利く高機動ファイターとして完成した。 戦闘機は歩兵と違い前方への推力があらゆる機動の基本となる。小型であればあるほど小回りは利き敵への優位となった。 人間のパイロットを用いないため無茶な軌道で人体にかかるGを考慮に入れなくてもよく、その意味でも驚くような動きが可能。 しかもバルチャーは特殊な燃料を使っていたため小型でありながらその推進力・飛行スピードは破格だった。 武装にしてもやや火力不足は指摘されたが戦闘機相手なら十分な威力を発揮した。 さらに、徹底的に無駄を削減したためにコストも安く、大量配備が可能であった。 そのうえ歩行モードへの変形機能のおかげで、戦闘機でありながら戦車としても運用できる。 制空権の確保・敵地への空爆だけでなく敵地の制圧までやれるというのは、間違いなく大きなメリットであると言えるだろう。 そのうえ、宇宙から重力圏でも問題なく飛べるという強みもある。 ハイパードライブもシールド発生機もなかったことは防御力の軽視となり、被弾した場合や回収され損なった場合は確実に喪失することを意味していたが、 そうなっても無人機なので人的損失は無く、安いので損失も許容範囲となるため、欠陥とはいいがたい。 むしろ有人機のくせに無人機並みの設備しかないTIEファイターはどうなってるんだと小一時間(ry バトルドロイドの場合、人間の兵士に対して思考に柔軟性がなく、攻撃が単調というのも問題であった。 バルチャーの戦闘プログラムも例外ではなく、人間に比べると駆け引きや機知には劣る。 とはいえ、戦闘機同士の戦いは歩兵同士の戦いとは違い、まず前方への強力な推進力が基本となり、左右への細かい移動は推進力を無視して発揮できず、後退はまず不可能であるなど、人間の機知や柔軟性が入り込む余地は(歩兵戦と比べて)限られていた。 そんな状況では、とにかく機敏で小回りが利くバルチャーは多少攻撃が単調であろうとも目立った欠点にはならなかった。 さらに、後述する燃費の都合で基地や母船のすぐ傍で運用したため戦闘に関しても母船から細かい指揮を受けられた。 実は母船から操縦コマンドを発信し続けての遠隔操縦も出来、この場合は攻撃に緩急をつけることまで可能。 結果、地上のB1バトルドロイドなどと違い、知能面が枷となることはあまりなかったようだ。 まあ、とんでもない達人パイロットが相手ではその限りではないが……このレベルのパイロットが相手では有人仕様でも勝てないから、しょうがないだろう。 ちなみにB1よりは高価なためか、機密保持は徹底されており、ドロイド司令船との通信が切れた場合、敵艦や敵施設に特攻・自爆するようプログラムされていた。 母艦が敗北した場合、もしくは敵母艦が形勢不利と見て逃げ出した場合、残されたバルチャーは殿軍を兼ねて敵に最後まで奮闘し、果ては特攻をかけ、あるいは自爆し、敵の痛撃を与えつつ、撤収の時間も稼ぎ、自分たちの主人の情報を隠し通すのである。 後述のハイエナ級ボマーにも同様のプログラムがなされているため、場合によってはプロトン魚雷や震盪ミサイルを搭載した爆撃機がそのまま特攻してくるという、大本営も真っ青な攻撃をすることも可能だった。無人機の強みを極限まで生かした点と言えるだろう。 (なおこの特攻プログラムはナブー危機時点では搭載されていなかったらしく、母船轟沈とともに機能停止したとのこと) また記憶メモリーはあえて簡素なものを採用しており、どこで製造されたのか 所属母艦の詳しい情報は何か といった複雑な分岐情報は最初から入力できなくなっている。 そのため、鹵獲されて解析されようとも出所の足がつかないようになっていた。 ◇燃費 とここまで行くと完璧な戦闘機といえるのだが、バルチャーには深刻な問題点があった。 それが燃費である。というか、燃料というべきだろう。 このバルチャーがこれほどの機動力を確保できたのは徹底的な無駄の削除と、それによる超小型化も大きかったがなによりも搭載している燃料に秘訣があった。 この燃料は、特殊な固形燃料を用いていたのだ。 この固形燃料は点火するとものすごい勢いで燃焼し爆発的なエネルギーを発したのだが、燃え尽きるまでのスピードもすさまじい。 そのうえ徹底的に小型化した弊害として、燃料設置スペースも小さくせざるを得なかった。 少ない燃料を一気に燃焼し尽くすため、バルチャードロイドが全力で飛べる時間は、たった30分しかなかった。 30分である。 こんな時間でどうしろってんだ。 そのため、バルチャーは必然として基地や空母の側で運用するしかなかった。 そして戦闘が始まれば、保有する部隊を複数の中隊に分け一隊が出動してしばらくしたら第二隊が出動、その間に第一隊を呼び戻して固形燃料を交換して第二隊の燃料が尽きるまでに第一隊や第三隊を出動させ……と、戦闘中にローテーションを組む必要があった。 一応固形燃料とは別にバッテリー駆動もできるようで、特に歩行モードではバッテリーにより長期間の駆動ができた。 しかしバッテリーモードでは長期間動くことはできても固形燃料を使ったような高機動はとても発揮できなかった。 とはいえ、それをも見越して小型化・低コスト化を突き詰めているのである。 ローテーションを組んでも十分相手を圧倒できるだけの数を「生産」し、かつ前線で「運用」できるように、徹底して小型化と低コスト化が為されていたため、こと迎撃任務においてはバルチャーは強力だった。 ◇劇中の活躍 EP1で初登場。 通商連合によるナブー侵略作戦では、黄土色に塗装されて登場。 映画前半では目立った活躍は無く、船内を歩行モードでうろうろしているだけだったが、映画終盤ではルクレハルク級ドロイド司令船「ヴーチュン・パーラ」を狙うナブー戦闘機部隊を迎撃するべく大挙して出撃。 目の前を埋め尽くすほどの数と、小型無人機ゆえの圧倒的な機動力を見せつけてナブー戦闘機部隊をほとんど圧倒。さらにヴーチュン・パーラの防御力と砲撃力も加わり、勝利まであと一歩にまで迫った。 しかし、飛び入り参戦していたアナキン・スカイウォーカーの、偶然敵艦に飛び込んだゆえの攻撃によって、司令船ヴーチュン・パーラが轟沈。 当時のバルチャーには自立頭脳も特攻プログラムも施されていなかったため、全機機能停止してしまった。 EP3では独立星系連合の機体が登場。独立星系連合のシンボルカラーである、青とグレーに塗り替えられている。 より小型で高性能のトライファイターとともに参戦し、多くの戦場で戦っていた。 戦後にも、破壊されなかったバルチャー(もしくは残骸を組み合わせて再生した機体)が多数残存していた。 一部の機体は反帝政武装勢力にも回収されており、帝国領への奇襲作戦に運用されている。 通信が切れた場合の特攻プログラム、分岐記録を保存しないゆえの機密性なども披露され、依然として厄介な相手であることが示された。 【ハイエナ級ボマー】 文字通り独立星系連合の爆撃機として片翼を担ったドロイド・スターファイターである。 連合の一角を担う巨大商業ギルド、テクノユニオンの傘下企業に勤めるスカコアンの技術者たちによって開発された。 ◇基本設計 ボマーとは言うものの、はっきり言ってバルチャー型のバリエーション…というより、本来はバルチャー型の後継機として開発されたドロイドファイターである。 ゆえにおおまかな外観はヴァルチャー級に酷似しており、特徴としてはTIEボマーよろしく頭部がふたつになっている点や、翼は約12m、胴体の厚さは3mと一回り大きい点が挙げられる。 この大きさを利用して左頭部にプロトン爆弾四発と震盪ミサイル六発、右頭部下面にプロトン魚雷六発を装備できる。 また、ヴァルチャー級ではエネルギー魚雷発射管が搭載されていたスペースに四基のレーザーキャノンを装備しているため戦闘機としても使用可能。大型化に伴い燃料積載スペースもマシになり、二日間は飛べたという。 右側の頭部はバルチャーと同じタイプで歩行モードでは起き上がる。さらに歩行モードでは翼部分が上下にも分割され、より柔軟に歩けるのも特徴であった。 ◇劇中の活躍 映画本編には登場せず、「クローン・ウォーズ」のみの登場。ライロスの戦いやマラステアの戦いなどでその姿が見られた。 しかしながら、ハイエナ級ボマーはバルチャー級ドロイドより生産数が少なく終戦まで代替することができなかったため、後継機としての側面があまり知られていない。そのうえ、某所では「目立った活躍は見せなかった」とまで書かれている始末である。ひでえ。 これは、大型化に伴う低速化に対しドロイドファイター特有の防御力の軽視が噛み合わなかったことにより、どうしても戦績がヴァルチャー級や後述のドロイドトライファイターに対し見劣りしていたためと見られる。有人機のくせに無人機並みの装甲しかないTIEファイターはどうなってるんだと(ry だがダソミアの戦いではナイトシスターに対し上空からの一方的な爆撃で甚大な被害を与えたほか、スキピオの戦いでは強襲により共和国のフリゲートやガンシップを一方的に破壊することに成功している。 適切な用途で使用すればちゃんとした成果が残せる点や、インターセプターとしての面も強いヴァルチャー級が後述のトライファイターと用途が若干被っているという点から鑑みて、独立星系連合は本機種に対し 「ドッグファイトにはそれに特化したトライファイターのみの運用とし、ヴァルチャー級は爆撃・強襲作戦に特化させたハイエナ級への代替を…」 というような、スターファイター運用の見直しを目論見ていたのかもしれない。 もっとも、それを確かめる前に敗戦となってしまった以上彼らの真意を確かめることなどできないが。 【トライファイター】 ドロイドトライファイター、トライドロイドファイター、とも表記される。 この名前は、砲塔を兼ねる三枚のプレートに由来する。 開発したのは、ドロイディカを開発したことで知られる昆虫種族コリコイド。 ◇基本設計 エンジンなどが集約された球体状のブロックを中心として、前方に「顔」、後部にブースターを搭載。 頭部には「目」のようなカメラアイと、「口吻」のように突き出したビーム砲がある。その顔つきは蚊のようにも見える。 そして、そうした機体胴体を包むように、三枚のプレート(サポートアーム)が上・右下・左下に、120度の間隔で設置されている。 このプレートの前半部分には溝が彫られていて、その溝をビーム砲が移動できるようになっていた。おかげで射角はかなり広い。 口吻部の砲と合わせて、ビーム砲は全部で四基となっている。 さらに、プレートの後半部分にはブースターも搭載されていて、機動力は非常に高い。 顔のような機首やプレートなどのデザインは、コリコイドの母星における捕食動物の頭蓋骨がモデルとのこと。 驚くべきはその小ささ。 全長5.4 m、全幅3.45 m、という大きさはバルチャー型(翼を含む)よりもさらにコンパクトになっており、必然として機敏性もさらに向上した。 三枚のプレートは機体から同心円状に設置されているので、全高も3.45mということになり、この「薄さ」という点だけはバルチャー型に劣るが、それでもより小型化したのは驚異的。 それでいて、ブラスターの出力はさらに向上しており、しかも砲塔の数は四基、おまけにそのうち三基は別の方向に指向できるとあって、性能はもはやバルチャー型の比ではない。 さらに、バルチャー型の問題点であった航続距離の短さを、どうやったのか完全に克服している。 さすがに無補給でいつまでも、というわけではないが、30分で息切れなどは起こさず、むしろ長期間の戦闘に耐えられるだけの航続距離を持つ。 小型ながら高出力のエネルギー発生装置を搭載しているとのことだが、この反則的な能力は、ドロイディカに高出力エネルギーシールドを起動できるだけのパワーを与えた、コリコイド技術の面目躍如といったところか。 さすがに全エネルギーをビーム砲とスラスターに集中することになり、シールドまでは搭載できなかった。 また、ハイパードライブも搭載していないが、ここは母船との共同運用が前提ということだろう。 しかしここまで強力な機体がホイホイ生産できれば苦労はない。 ドロイディカと同じく、トライファイターもハイスペックに比例してとにかく高価で、バルチャー型の比ではないレベルの資金を必要とした。 あまりに高価すぎたため、あの通商連合の金蔵が傾いたそうである。 また、バルチャー型よりもはるかに高性能ではあったが、バルチャー型の「飛行モードとは別に歩行モードを取り、戦車的な運用もできる」というような芸当はさすがに無理で、完全な航空機となっている。 それでも、ドロイドファイターとしては限りなく究極の機体といえるトライファイターは独立星系連合の精鋭として評価され、さすがに全体更新とはいかなかったが、積極的に活用された。 ◇作中の活躍 映画ではEP3のみの、「クローン・ウォーズ」では中盤よりの登場。 クローン大戦でも後半に入ってから開発・投入され、コストの関係で数こそ少なかったが、その運動性と火力と小ささで共和国軍を圧倒。 特に、ドロイドファイターよりも大型で鈍足なARC-170スターファイター(Xウイングの前身機)にとっては天敵にも近かった。 EP3冒頭のコルサントの戦いでは、コマンダーオッドボール率いるACR-170の精鋭「スクワッドセブン」が編隊を組んでアナキンやオビ=ワンとともに議長救出に向かったが、トライファイター部隊との戦闘からたったの25秒で4機が撃墜、スクワッドセブンは撤退を余儀なくされ議長が囚われている旗艦に到達できたのはジェダイ将軍二名のみであった。 そのすさまじい運動性はクローン兵はおろかジェダイですら手を焼くレベルであり、 ジェダイ騎士団でも随一の操縦技術を誇るあのサシー・ティンですら初交戦時には撃墜寸前にまで追い詰められたという。 幸いその場にいたアナキン・スカイウォーカーによって救出されたものの、ジェダイのトップエースでもヤバいというそのスペックは尋常ではない。 前方への推進力と慣性が基本となる戦闘機同士の戦いでは人間の知能や兵士の経験もフォースの先読みや駆け引きもあまり効果がないから、といえばそうなのだが、 ドロイディカと並ぶコリコイドの恐るべき技術力の証左であろう。 戦後もバルチャー型とともに、帝国への反乱勢力が運用している。 【TIE/Dオートメイト・スターファイター】 レジェンズに分類されるスピンオフコミックシリーズ「ダーク・エンパイア」で登場。 TIEファイターの一種で、完全無人機仕様となった機体。 TIEシリーズ共通の球体上のメインユニットに、凹型のソーラーパネル、そして正面の赤い窓が特徴的。 操縦席は廃され、代わりにAce-6戦闘ユニットが設置。ドロイドの判断、または母船からのコンピューターによる遠隔操作によって起動する。 武装は一般のTIEファイターと変わらない。 もともとこのタイプが設計されたのは、ヤヴィンの戦いやエンドアの戦いで帝国軍がボロボロになり、兵士の価値も高くなった結果、TIEファイターを昔のような「使い捨て」に出来なくなったためである。 せめてパイロットの人的被害だけでも少なくしたい、と考えた結果、ドロイドファイターの採用と相成ったわけだ。 しかしエンドア戦から六年後でもまだ操縦プログラムは満足いく結果を出せず、さらにドロイド司令船となった「ワールド・デヴァステーター」(*1)が轟沈したこともあって、帝国のTIEドロイドファイターの計画は頓挫した。 N64のSTG「出撃!ローグ中隊」の惑星カラマリのステージは「ダーク・エンパイア」のエピソードがモチーフになっており、その縁で「ワールド・デヴァステーター」と共に登場している。 ドロイドに詳しい方々の追記・修正をお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] TIEに無人機があったとは知らなかったけど、操縦AIが満足いく出来にならなかったって事はドロイドの戦闘AI技術が帝国体制下で失われて20年で相当退化してるんだろうね -- 名無しさん (2021-02-03 00 57 44) ドロイド産業を担ってた会社や技術情報をクローン戦争で纏めてブチ壊した上で、勝利後に新規開発を規制したわけだから技術退化は凄まじかったんだろう バトルドロイド計画もダークトルーパーとか失敗してるし -- 名無しさん (2021-02-03 13 13 20) あるいは求める基準が高すぎたとか? 例えば「ジャンゴ系クローン兵や精鋭ストームトルーパーよりも優れた判断力ができるまでは『完成』とは認められない!旧式と同レベルの戦闘プログラムでは未完成同然!」と気合を入れすぎて、いつまでも満足しなかったのかも。 -- 名無しさん (2021-02-04 13 47 20) レジェンズのシャドウドロイドとシ・ルウクのドロイドスターファイターもここに入るかも -- 名無しさん (2021-02-11 11 21 10) クローン大戦(2Dアニメ)でメイスが配線引っこ抜いて手動で操作するとか凄まじい事してた -- 名無しさん (2021-02-18 10 48 51) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/38.html
マルクス主義以外の体制論では、政治体制を、?全体主義体制、?自由民主制、?権威主義体制に3分するのが今日では一般的である。(ポパー、アレント、リンスの研究より) このうち、?全体主義体制は、 1 共産主義・社会主義体制(マルクス主義体制)と、 2 ファシズム体制、に更に2分される。(ポパー、アレント) なお、?自由民主制(liberal democracy)については、下記のように「民主主義体制」と表記されることが多いが、democracy の正確な訳語は「民主主義」ではなく「民主制」なので厳密にはこれは正しくない。 以下、日本語版ブリタニカ百科事典より引用。 政治体制political regime 一定の支配=服従関係を中心とする政治的統一形態。機能主義的概念として構築された政治システムと区別して用いられる。全体主義体制、天皇制支配体制などはその例である。R.A.ダールはポリアーキー概念により「民主主義体制」の相対化と操作化をもたらし、政治体制の比較分析、民主主義体制に至る過程研究の道を開いた。またJ.J.リンスは現実の政治体制の多くは「全体主義」と「民主主義」の二元論で把握できるものではなく、その中間にある様々なタイプの「権威主義体制」に属するとしている。現代社会において、支配階級は当の政治体制を維持するための権力装置やイデオロギーを公的権力および普遍的イデオロギーとして正当化しようとする。それに対し、被支配者側が支配階級と対抗し、変革を志向する場合、体制維持に対して反体制運動、体制イデオロギーに対して反体制イデオロギーを形成する。本来、体制という概念は社会構成体と同義であったが、それとの相関においてまたその派生体として「政治体制」という概念が成立したと考えられる。 開かれた社会とその敵The Open Society and Its Enemies 批判的合理主義の代表的思想家であるK.R.ポパーが、ファシズムとマルクス主義という2つの全体主義の思想的源泉を探求した政治哲学書。1945年刊。ポパーは呪術的でタブーに満ちた「閉じた社会」と、批判的な態度を持ち知性による非暴力的改善を目指す「開かれた社会」とを区別し、前者から後者への移行を押しとどめ閉じた社会にとどまろうする哲学的伝統こそが全体主義をもたらすと批判した。具体的には、プラトン・ヘーゲル・マルクスがこうした伝統に属する哲学者として厳しく分析されている。 全体主義の起源The Origins of Totalitarianism アメリカの政治学者H.アレントの代表的著作。初版1951年。第2次世界大戦後、最も早い時期に発表された最初の体系的な全体主義研究として知られる。第一部「反ユダヤ主義」、第二部「帝国主義」、第三部「全体主義」の3部構成。全体主義運動は階級社会の崩壊を基盤として成立したもので、一定のイデオロギー実現のために、孤立した諸個人をテロルの鉄枷で締め上げるところに、支配の本質がある、と論じ、そのような体制は厳密には?ナチズムと?スターリニズムのみであると主張する。初版では反ユダヤ主義と帝国主義とを「西洋史の伏流」と捉え、全体主義はその表面化であるとされたが、改訂版以降は、全体主義は西洋史の連続性を切断する現象とされ、前2部との統一性は必ずしも明確ではなくなっている。 全体主義totalitarianism 個人の利益よりも全体の利益が優先し、全体に尽くすことによってのみ個人の利益が増進する、という前提に基づいた政治体制で、一つのグループが絶対的な政治権力を全体、あるいは人民の名において独占するものをいう。歴史的には、ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリアなどのファシズム政治体制が挙げられるが、スターリニズムや毛沢東主義などを含むこともある。?一党独裁、?政権の不誤謬性、?議会民主主義の否定、?宣伝機関の独占、?経済統制、?軍国主義、という共通点がある。20世紀に出現した現象であり、マス・コミュニケーションと兵器の技術進歩によって、初めて可能となった。従来の専制政治と異なるのは、大義が強調され、その下に個人の生活全般にまで統制が行われる点である。 権威主義体制authoritarian regime スペイン出身の政治学者ホアン・リンスによって唱えられた概念。従来の民主主義と全体主義の二分法では捉えきれない中間形態を権威主義体制と考え、「権威主義体制とは、制限されており、しかも責任の所在が不分明な多元主義を持ち、練り上げられた指導的イデオロギーでなく、内容の上でも高度な政治的動因もなく、指導者が形式的には無制限だが、実際には完全に予測可能な範囲内で権力を行使するようなシステム」と定義した。具体的には、スペインのフランコ体制が出発点となるが、朴・全時代の韓国、マルコス時代のフィリピンなど、経済成長を目指す権威主義体制は、現代的な課題である。 権威主義体制<ラテンアメリカの> 自発的結社や個人ではなく、国家が許可した少数の主体にのみ政治の実質的関与が限定され、全体主義ほど厳しい統制はないのが最大の特徴である体制。民主主義に近いコスタリカ、コロンビア、ベネズエラと、全体主義に近いキューバを除いて、程度の差はあるが、ブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルーなど多くの国の軍政時代、及び文民政権のメキシコがこの分類に入る。経済危機や世辞的要求の高まりから、1980年代に入り、いずれも民主化の課題を抱えることになった。 ファシズムfascism 狭義には、イタリアで資本主義が全般的危機に陥った第1次世界大戦以降、労働者階級の革命運動の高揚に対抗して登場し、議会制民主主義を否定して反革命独裁を志向したムッソリーニに率いられた「ファシスト党」の運動・体制及びそのイデオロギーをいう。「ファシズム」の語は「結束」を意味するイタリア語ファッショ fascio がファシスト党の母体である戦闘集団(Fasci de Combattimento)に使用されたことに由来するが、この語はさらに、古代ローマの執政官の権標であった儀式用具ファスケス fasces (斧を中心に木の棒を束ねたもの)にまで遡るという。一般概念としては、それ以降の類似の現象を指すが、近年、多義的に用いられている。極右政党・軍部・官僚中の反動分子らによる政治独裁を目指し、自由主義・社会主義を排撃し、全体主義・軍国主義・ナショナリズムの高唱などを特色とする。具体的には、1920年代から30年代にかけて登場したドイツのヒトラー、スペインのフランコらによって指導された「権威主義体制」の運動及び体制が挙げられる。このように当初はムッソリーニの運動だけを指す固有名詞であったファシズムは、やがて30年代に入ってヨーロッパを初め各国にそれと類似する運動が勃興するに及び、これらを一般的に総称する名称に転化した。