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陸奥国 会津郡 中荒井組 館(たて)村 大日本地誌大系第31巻 47コマ目 昔この地に大なる館あり。その跡に民居を営みし故(ゆえ)名けりという。 府城の西に当り行程1里24町。 家数15軒、東西1町42間・南北46間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東1町16間・北1町13間、共に田村山村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り2町。 西2町21間宮下村の界に至る。その村は未申(南西)のに当り3町10間余。 南5町58間本多村に界ふ。 また巳(南南東)の方3町48間荒田村の界に至る。その村まで6町。 寺院 観音寺 村中にあり。 福聚山と號す。 真言宗大町一桂院の末寺なり。山號を福聚山という。 何れの頃の開基にか詳ならず。 天正3年(1575年)圓智という僧修補を加え、同16年(1588年)兵火の為に炎上し、その後再興して今に至れりという。 本尊弥陀客殿に安ず。 観音堂 境内にあり。 この堂もまた圓智が修理せし所にして、兵燹(へいせん)にかかりその後に再興せしという。 会津三十三所順禮の一なり。 北会津村誌館村 北会津の昔ばなしと伝説お腹ごもり観音 GoogleMap福聚山観音寺(舘観音堂)
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(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(liberalismの項)より全文翻訳 政治的および経済的ドクトリン(理論・信条)であり、①個人の権利・自由、②政府権力の制限の必要性、を強調するもの。 1 リベラリズムは、16世紀欧州の戦争(30年戦争)の恐怖に対する防御的リアクションとして発生した。その基本理念は、トーマス・ホッブズとジョン・ロックの著作の中で公式な表現を付与された。この両者は、至上権は究極的には被統治者の同意によって正当化され、神権ではなく仮想的な社会契約によって付与されると唱えた。経済分野では、19世紀のリベラル(自由主義者)達は、社会での経済生活に対する政府介入の撤廃を強く要求した。アダム・スミスに従って彼らは自由市場に基礎を置く経済システムは、部分的に政府にコントロールされた経済システムよりも、より効率的であり、より大きな繁栄をもたらすと論じた。 2 欧州と北米の産業革命によって発生した富の巨大な不平等その他の社会的問題への反動として、19世紀末から20世紀初めにかけてのリベラル(自由主義者)達は、市場への限定的な政府介入と、無料の公共教育や健康保険などの政府拠出による社会的サービスの創出を唱えた。アメリカ合衆国では、F.D.ルーズベルト大統領により企画されたニュー・ディール(新規まき直し)計画により、近代ないし進歩的リベラリズム(modern liberalism)は、①政府の活動領域の広範な拡張、そして、②ビジネス活動の規制の増大、として特徴づけられた。第二次世界大戦後、社会福祉の一層の拡張が、イギリス・スカンジナビア諸国・アメリカ合衆国で起こった。 3 1970年代の経済的不振(スタグネーション:不況とインフレの同時進行)は殊にイギリスとアメリカ合衆国において、自由市場を選好する古典的な自由主義の立場(classical liberal position)の再興を導いた。 4 現代リベラリズム(contemporary liberalism)は、①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革に依然関心を寄せ続けている。 (2) オックスフォード英語事典(liberalの項)より抜粋翻訳(※liberalismは派生語扱い) (政治的文脈で)個人的自由、自由交易、漸進的な政治的・社会的改革を選好する(形容詞)。 語源(ラテン語) liber(=free (man):自由(人))。原初的語感は「自由人として適格な(suitable for a free man)」 ⇒つまり「自由人=奴隷でないこと」 (3) コウビルド英語事典(liberalismの項)より全文翻訳 1 ・リベラリズム(liberalism)とは、革命ではなく、法改正によって社会的進歩を漸進的に行う、とする信条である。 2 ・リベラリズム(liberalism)とは、人々は多くの政治的そして個人的な自由を持つべきである、とする信条である。 以上の辞典による説明は、かなり内容が不明瞭であるが、まとめると「リベラリズム」という言葉は、次の4つの段階あるいは種類・区分をもってその意味内容を拡張ないし変化させてきた、ということになる。 リベラリズムの段階・種類・区分 時期 意味内容 1 古典的リベラリズム(classical liberalism) 16世紀~19世紀 ?個人の権利・自由の確保、?政府権力の制限、?自由市場を選好…消極国家(夜警国家) 2 ニュー・リベラリズム(new liberalism) 19世紀末~20世紀 経済的不平等・社会問題を緩和するため市場への政府介入を容認→次第に積極的介入へ(積極国家・福祉国家・管理された資本主義)社会主義に接近しているので社会自由主義(social liberalism)と呼ばれ、自由社会主義(liberal socialism)とも呼ばれた。 3 再興リベラリズム(neo-liberalism) 1970年代~ スタグフレーション解決のため自由市場を再度選好。 2 を個人主義から集産主義への妥協と批判し、個人の自由を取り戻すことを重視 4 現代リベラリズム(contemorary liberalism) 現代 ①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革を志向1970年代以降にJ.ロールズ『正義論』を中心にアメリカで始まったリベラリズムの基礎的原理の定式化を目指す思想潮流で、①ロールズ的な平等主義的・契約論的正義論を「(狭義の)リベラリズム」と呼び、②それに対抗したR.ノージックなど個人の自由の至上性を説く流れを「リバタリアニズム(自由至上主義)」(但し契約論的な構成をとる所はロールズと共通)、③また個人ではなく共同体の価値の重要性を説くM.サンデルらの流れを「コミュニタリアニズム(共同体主義)」という。 補足説明 2 ニュー・リベラリズム(new liberalism)と 4 再興リベラリズム(neo-liberalism)は共に「新自由主義」と訳されるので注意。もともと 1 古典的リベラリズムに対して修正を加えた新しいリベラリズム、という意味で、 2 ニュー・リベラリズム(訳すと「新自由主義」)が生まれたのだが、世界恐慌から第二次世界大戦の前後の時期に、経済政策においてケインズ主義が西側各国に大々的に採用された結果、 1 に代わって 2 がリベラリズムの代表的内容と見なされるようになり、 2 からnewの頭文字が落ちて、単に「リベラリズム」というと 2 ニュー・リベラリズムを指すようになった。ところが、1970年代に入るとインフレが昂進してケインズ主義に基づく経済政策が不況脱出の方途として効かなくなってしまい、市場の自律調整機能を重視する 1 の理念の復興を唱える 3 ネオ(=再興)・リベラリズムに基づく政策が1980年前後からイギリス・アメリカで採用されるようになった。そのため今度は、 3 を「新自由主義」と訳すようになった。 上記のうち「リベラル右派」に該当するのは、 1 古典的リベラリズム、及び 3 再興リベラリズムである(薄青色部分)。 また「リベラル左派」に該当するのは、 2 ニュー・リベラリズム、及び 4 現代リベラリズムのうちロールズ的な平等主義的・契約論的正義論である(ピンク色部分)。
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大同団結運動(だいどうだんけつうんどう)とは、1887年-1889年に発生した帝国議会開設に備えた自由民権運動各派による統一運動。 自由民権運動は政府の弾圧によって衰微し、自由党は解党、立憲改進党も休止状態にあったが、1887年にいわゆる三大事件建白運動が発生すると、かつての自由党の領袖である後藤象二郎は自由民権運動各派が再結集して来るべき第1回衆議院議員総選挙に臨み、帝国議会に議会政治の打ち立てて条約改正や地租・財政問題という難題にあたるべきだと唱え、3月に旧自由党・立憲改進党の主だった人々に呼びかけたのがきっかけである。 だが、自由党元総裁板垣退助は自分が疎外された事から運動から距離を置き、立憲改進党の大隈重信も懐疑的であった。これに対して政府は同年12月26日に保安条例を制定して活動家の弾圧を始める一方、翌1888年2月には大隈重信を第1次伊藤内閣の外務大臣として入閣させて立憲改進党を運動から離脱させた。一方、旧自由党系内部でもとりあえず選挙に備えた新党の母体となる政治結社を結成しようとする(政社系)河野広中らと立憲改進党系が離脱した以上は新党ではなく自由党再興を目指すべきで今は政治結社を考える時ではないとする(非政社系)大井憲太郎らが対立する。ところが、1889年2月には運動の盟主に擁されていた後藤象二郎が黒田内閣の逓信大臣として入閣して運動からの撤退を表明(なお、自分抜きの大同団結運動に不快感を抱いた板垣が、黒田清隆側近の時任為基高知県知事とともに後藤に入閣を勧めたとされている)、これを機に3月10日には運動は河野の大同倶楽部と大井の大同協和会に分裂して事実上崩壊した。その後も大井は自由党再興運動を起こすが実らず、翌1890年に中江兆民らとともに自由党再興を独自に宣言した。ところが、実際に帝国議会が開催されて民権派系の民党と政府の対立が激化すると、大同団結運動と距離を置いていた板垣退助を擁立する声が高まり、これを機に旧自由党系の再集結論が盛り上がり、同年暮に大井の自由党や大同倶楽部などによって板垣を擁した立憲自由党が結成された。なお、結果的に梯子を外された形となった後藤象二郎直系を中心とした集団は国民自由党を結成して吏党に転じるが、第1回総選挙で5議席しか獲得できなかったためにほとんど影響力は無かった。大同団結運動分裂時のしこりは新しい立憲自由党にも持ち込まれ、後の第1次山縣内閣による自由党土佐派の切り崩しの遠因となる。 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年1月6日 (日) 22 29。
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行願寺(革堂) 京都府京都市中京区、行願寺(革堂)の御朱印です。 毎月17日・18日のみいただける「千手観音」「大悲殿」の特別御朱印です。 毎月3日のみいただける「元三大師」の御朱印です。 毎月28日にのみいただける「不動明王」の特別御朱印です。 本尊千手観音の御朱印「革堂」です。西国三十三所第19番札所です。 西国三十三所、御詠歌の御朱印です。 西国三十三所草創1300年の記念印です。 令和4年9月17日、西国三十三所の月参り法要でいただけた御朱印です。 洛陽三十三観音第4番札所でもあります。 洛陽三十三観音、再興10周年の御朱印です。 洛陽三十三観音、再興15周年の御朱印です。 都七福神で「寿老神」を担当する寺院でもあります。 萬福寺の墨絵入りの宝印帳で御朱印をいただきました。 寿老神の特別御朱印です。 神仏霊場の御朱印です。 「愛染明王」の御朱印です。 毎月24日の縁日のみいただける「地蔵尊」の特別御朱印です。 蓮の季節の限定で授与さた「諸法実相」「蓮華宝土」です。 令和5年正月にいただけた「寿老神」の特別御朱印です。 「一隅を照らす」の御朱印です。 「寿老神」の季節御朱印です。 ★住所 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17 - 名前 コメント
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ゾル大佐 参戦時期:三十九話開始直後 登場作品 歪んでいる時間の道/それぞれの場合/NEXT STAGE/Hypothesis and reality/戦いの決断/全てを喰らう牙/牙と軍人と輝く青年 ロワ内動向 歪んでいる時間の道 【ゾル大佐@仮面ライダー(初代)】 【時間軸:不明】 状態:健康、文明による精神的ショック。指揮系統がないための動揺(軍人として)。 装備:なし 道具:基本支給品一式(特殊支給品は未確認) 基本行動方針:未定 1:橘に『ケイタイ』や『コンビニ』について教えてもらう。 ※基本支給品の携帯電話の使用方法を知りません(昭和の人ですので)。 従って、名簿は確認していません。 それぞれの場合/NEXT STAGE 【ゾル大佐@仮面ライダー(初代)】 【時間軸:三十九話開始直後】 【状態:健康、文明による精神的ショック。二時間変身不可(黄金狼男)】 【装備:なし】 【道具:基本支給品一式、特殊支給品×?】 【思考・状況】 基本行動方針:生き残ってショッカーを再興させる 1:金居を追いかける。 2:後ほど一文字と本郷を倒しに行く。 3:橘に『ケイタイ』や『コンビニ』についてもっと教えてもらう。 備考 ※基本支給品の携帯電話の使用方法を知りません(昭和の人ですので)。 ※参加者が別々の時間軸からつれて来られている事に気付きました。 ※変身制限に気付きました。 ※剣世界について大まかな知識を得ました。 Hypothesis and reality 【ゾル大佐@仮面ライダー(初代)】 【1日目 現時刻:早朝、放送直前】 【現在地:G-3エリア 民家の2階】 【時間軸:三十九話開始直後】 【状態:健康、文明による精神的ショック。】 【装備:なし】 【道具:基本支給品一式、特殊支給品×?】 【思考・状況】 基本行動方針:生き残ってショッカーを再興させる 1:放送を聞いた後、橘と今後の行動方針について相談する。 2:後ほど一文字と本郷を倒しに行く。 備考 ※基本支給品の携帯電話の使用方法を知りました。 ※参加者が別々の時間軸からつれて来られている事に気付きました。 ※変身制限に気付きました。 ※剣世界について大まかな知識を得ました。 戦いの決断 【ゾル大佐@仮面ライダー(初代)】 【1日目 現時刻:朝】 【現在地:F-4エリア中央西寄り】 【時間軸】:三十九話開始直後 【状態】:全身に疲労。胸に砲撃によるダメージ。黄金狼男に2時間変身不能。 【装備】:なし 【道具】:基本支給品一式、特殊支給品×? 【思考・状況】 基本行動方針:生き残ってショッカーを再興させる 1:とりあえず市街地から離れる。 2:橘の態度に不信感。 2:後ほど一文字と本郷を倒しに行く。 備考 ※基本支給品の携帯電話の使用方法を知りました。 ※参加者が別々の時間軸からつれて来られている事に気付きました。 ※変身制限に気付きました。 ※剣世界について大まかな知識を得ました。 ※死亡した一文字は同姓同名の別人と考えています。 全てを喰らう牙 【ゾル大佐@仮面ライダー(初代)】 【1日目 現時刻:朝】 【現在地:F-4エリア北部から移動中】 【時間軸】:三十九話開始直後 【状態】:全身に疲労。胸に砲撃によるダメージ。黄金狼男に2時間変身不能。 【装備】:なし 【道具】:基本支給品一式、特殊支給品×? 【思考・状況】 基本行動方針:生き残ってショッカーを再興させる 1:とりあえず市街地から離れる。 2:橘の態度に不信感。 2:後ほど一文字と本郷を倒しに行く。 備考 ※基本支給品の携帯電話の使用方法を知りました。 ※参加者が別々の時間軸からつれて来られている事に気付きました。 ※変身制限に気付きました。 ※剣世界について大まかな知識を得ました。 ※死亡した一文字は同姓同名の別人と考えています。 ※一文字(R)のことを未来のショッカーが新たに作ったライダーだと思っています。 牙と軍人と輝く青年 牙王から橘朔也を庇い、胴体を斬られ脱落
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空中を浮遊する円盤型の国家。創始歴9226年成立。首都はアウラ・エーペイル。 当初はバベルタワーの頂上に位置していたが、現在は高度5~12㎞で、イグニス、アクヴィ上空を浮遊している。独自の技術により農耕も行われているが、大地のない空中なだけあり、食糧問題に関しては国家成立当初からの課題であった。 ソラリス戦役とその後のディアボロス軍団により、シェバトも壊滅するが、ゼファー女王と三賢者によって再興された。 以後約500年、ゼファーが女王として統治を続けている。 政治に関しては、元老院が大きな権力を握っている。彼らは非常に野心家であり、ソラリス戦役も地上人の解放をうたっていたが、実際は地上をソラリスの代わりに支配することを狙っていた。そのためニサンの力が増大すると、ソラリスとの間に、ミァンを預かりシェバトで幽閉するかわりに、ソフィアを差し出すという密約を交わし、結果的にソフィアを死なせ、ラカン、カレルレンの人生を大きく狂わせることとなった。(ゼファー曰く「500年前の過ち」) 再興後も何度かソラリスと戦うが、決着はつかず国力は疲弊し、現在は小康状態にある。 イドとして覚醒したフェイをカーボナイト凍結する決定をしたのもこの元老院である。 世界崩壊でシェバトも雪原に落下したが、雪原アジトとして生き残ったヒトの拠点となった。
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済州島 ● 耽羅〔Wikipedia〕 ● 耽羅民族〔Wikipedia〕 作家大宅壮一の著書「炎は流れる」の朝鮮編には、「済州島民は朝鮮半島本土と違い、性格は温厚で生活様式が日本に近い」とある。 ■ 耽羅(たんら)国の再興 「国際情勢の分析と予測(2012.10.24)」より 立憲君主制の耽羅国が再興されることは日本に利益が大きい。日本の皇室(卑弥呼=天照とすると3世紀初頭が建国時期)に近い長い歴史を持つ君主制の安定した島国が日本と大陸の間に生まれて緩衝国家になることは安全保障上も、皇室の維持のためにも有益である。君主制は国民のアイデンテティーに貢献し、重要な観光資源となる。星主を君主とする耽羅国のみならず、ハーンを君主とするモンゴル帝国、皇帝を君主とする満州国、ダライラマを元首とするチベット、ハワイ王国などの君主制国家を復活させるべきである。ロシア帝国や明も王室の後継者をツァーリや皇帝にして再興できないものだろうか? ■ 済州島民・耽羅民族と朝鮮半島民・朝鮮民族 「2ch(2010.3.10~)」より 「わしらは韓国人であって韓国人じゃないのよ。 わしらはチェジュの人間よ。 今は韓国人、昔は日本人(併合時代)やったけど、チェジュの人間やで」by元チェジュ独立運動関係者 済州島の歴史 チェジュは歴史的には李氏朝鮮に完全征服されるまでは耽羅王国っていう一つの独立国 基本的にチェジュ島民は朝鮮人と比べて厳しい自然環境を克服するため協同精神が発達しており、半島民の気性の激しさとは対照的に性格も温和で純朴だと言われる。(wikiより) そして李氏朝鮮時代になると高麗時代の政府の王族貴族の流刑地となり、その後は政敵と見なされた両班や官僚が流される政治犯流刑場となっていた。 (白丁が流されたというのは誤解。正しくは流刑になった両班が白丁と同一視された。) そして、戦後に起こったのがチェジュ4・3事件 韓国政府が成立しかけた1948年頃から「チェジュ島で共産主義ゲリラが発生した」として、国軍&右翼団体&アメリカ軍が大挙介入し、現地住民を虐殺しまくった。 現地のお年寄りによると、チェジュ島が韓国領土に正式に組み込まれる前に耽羅国を再建するのだと、チェジュ独立運動派が立ち上がったらしい。(共産ゲリラは口実で実際は運動鎮圧のため) 事件の結果、10年かけて8万人ほどが虐殺され、一部が日本に逃亡した。 事件から逃れて日本に密航した済州島出身の在日韓国人は、その恐ろしい体験から「また酷い目にあわされるのではないか」と祖国へ数十年も訪れることのない人々も多かったが、韓国政府が反省の態度を示し始めたことで、60年ぶりに祖国を訪れる決心をした人物も現れ始めている(wiki) .
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ニート。嫌儲麻雀部の再興を願う鉄雑魚。
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(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(liberalismの項)より全文翻訳 政治的および経済的ドクトリン(理論・信条)であり、①個人の権利・自由、②政府権力の制限の必要性、を強調するもの。 1 リベラリズムは、16世紀欧州の戦争(30年戦争)の恐怖に対する防御的リアクションとして発生した。その基本理念は、トーマス・ホッブズとジョン・ロックの著作の中で公式な表現を付与された。この両者は、至上権は究極的には被統治者の同意によって正当化され、神権ではなく仮想的な社会契約によって付与されると唱えた。経済分野では、19世紀のリベラル(自由主義者)達は、社会での経済生活に対する政府介入の撤廃を強く要求した。アダム・スミスに従って彼らは自由市場に基礎を置く経済システムは、部分的に政府にコントロールされた経済システムよりも、より効率的であり、より大きな繁栄をもたらすと論じた。 2 欧州と北米の産業革命によって発生した富の巨大な不平等その他の社会的問題への反動として、19世紀末から20世紀初めにかけてのリベラル(自由主義者)達は、市場への限定的な政府介入と、無料の公共教育や健康保険などの政府拠出による社会的サービスの創出を唱えた。アメリカ合衆国では、F.D.ルーズベルト大統領により企画されたニュー・ディール(新規まき直し)計画により、近代ないし進歩的リベラリズム(modern liberalism)は、①政府の活動領域の広範な拡張、そして、②ビジネス活動の規制の増大、として特徴づけられた。第二次世界大戦後、社会福祉の一層の拡張が、イギリス・スカンジナビア諸国・アメリカ合衆国で起こった。 3 1970年代の経済的不振(スタグネーション:不況とインフレの同時進行)は殊にイギリスとアメリカ合衆国において、自由市場を選好する古典的な自由主義の立場(classical liberal position)の再興を導いた。 4 現代リベラリズム(contemporary liberalism)は、①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革に依然関心を寄せ続けている。 (2) オックスフォード英語事典(liberalの項)より抜粋翻訳(※liberalismは派生語扱い) (政治的文脈で)個人的自由、自由交易、漸進的な政治的・社会的改革を選好する(形容詞)。 語源(ラテン語) liber(=free (man):自由(人))。原初的語感は「自由人として適格な(suitable for a free man)」 ⇒つまり「自由人=奴隷でないこと」 (3) コウビルド英語事典(liberalismの項)より全文翻訳 1 ・リベラリズム(liberalism)とは、革命ではなく、法改正によって社会的進歩を漸進的に行う、とする信条である。 2 ・リベラリズム(liberalism)とは、人々は多くの政治的そして個人的な自由を持つべきである、とする信条である。 以上の辞典による説明は、かなり内容が不明瞭であるが、まとめると「リベラリズム」という言葉は、次の4つの段階あるいは種類・区分をもってその意味内容を拡張ないし変化させてきた、ということになる。 リベラリズムの段階・種類・区分 時期 意味内容 1 古典的リベラリズム(classical liberalism) 16世紀~19世紀 ①個人の権利・自由の確保、②政府権力の制限、③自由市場を選好…消極国家(夜警国家) 2 ニュー・リベラリズム(new liberalism) 19世紀末~20世紀 経済的不平等・社会問題を緩和するため市場への政府介入を容認→次第に積極的介入へ(積極国家・福祉国家・管理された資本主義)社会主義に接近しているので社会自由主義(social liberalism)と呼ばれ、自由社会主義(liberal socialism)とも呼ばれた。 3 再興リベラリズム(neo-liberalism) 1970年代~ スタグフレーション解決のため自由市場を再度選好。 2 を個人主義から集産主義への妥協と批判し、個人の自由を取り戻すことを重視 4 現代リベラリズム(contemorary liberalism) 現代 ①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革を志向1970年代以降にJ.ロールズ『正義論』を中心にアメリカで始まったリベラリズムの基礎的原理の定式化を目指す思想潮流で、①ロールズ的な平等主義的・契約論的正義論を「(狭義の)リベラリズム」と呼び、②それに対抗したR.ノージックなど個人の自由の至上性を説く流れを「リバタリアニズム(自由至上主義)」(但し契約論的な構成をとる所はロールズと共通)、③また個人ではなく共同体の価値の重要性を説くM.サンデルらの流れを「コミュニタリアニズム(共同体主義)」という。 補足説明 2 ニュー・リベラリズム(new liberalism)と 4 再興リベラリズム(neo-liberalism)は共に「新自由主義」と訳されるので注意。もともと 1 古典的リベラリズムに対して修正を加えた新しいリベラリズム、という意味で、 2 ニュー・リベラリズム(訳すと「新自由主義」)が生まれたのだが、世界恐慌から第二次世界大戦の前後の時期に、経済政策においてケインズ主義が西側各国に大々的に採用された結果、 1 に代わって 2 がリベラリズムの代表的内容と見なされるようになり、 2 からnewの頭文字が落ちて、単に「リベラリズム」というと 2 ニュー・リベラリズムを指すようになった。ところが、1970年代に入るとインフレが昂進してケインズ主義に基づく経済政策が不況脱出の方途として効かなくなってしまい、市場の自律調整機能を重視する 1 の理念の復興を唱える 3 ネオ(=再興)・リベラリズムに基づく政策が1980年前後からイギリス・アメリカで採用されるようになった。そのため今度は、 3 を「新自由主義」と訳すようになった。 上記のうち「リベラル右派」に該当するのは、 1 古典的リベラリズム、及び 3 再興リベラリズムである(薄青色部分)。 また「リベラル左派」に該当するのは、 2 ニュー・リベラリズム、及び 4 現代リベラリズムのうちロールズ的な平等主義的・契約論的正義論である(ピンク色部分)。
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グルーンワルズ傭兵騎士団(グルーンワルズようへいきしだん) 〈蒼狼鬼〉ガシュガル・メヒム率いる傭兵部隊。名称はガシュガルの故国、ヒゼキア神話に 伝わる復讐神から。副団長はゼナム。 当代最強格の傭兵部隊ではあるものの荒くれものばかりで略奪・暴行は当たり前、更には 雇用主が不利になったり、敵対勢力からも金を積まれればさっさと裏切るというところから 悪名の方が轟いていたが、それでも団長のガシュガルをはじめとする恐ろしいまでの高い戦闘力から 雇い入れようとする勢力は絶えなかった。 ヒゼキア公国滅亡後も抵抗を続けていたが、穏健派(というよりはことなかれ主義)の指揮官 ザゴーラ・ジャベルと方針を巡って対立、袂を判った後武力による故国再興を目指し 腕利きの部下を集める目的で傭兵騎士団を立ち上げる。 東方動乱の真っ最中という時期もあり、ガシュガルの狙ったとおり多数の腕利きの部下が 集まり、更に戦場で鍛えられることとなったが動乱は終結。当初の目的である祖国の再興は 叶わず、食い扶持に困って中原にまで進出、そこで聖華八門に雇われ〈聖都計画〉に 加担する形となったが紆余曲折の末、騎士団は団長のガシュガルを残して全滅することとなった。 関連 グルーンワルズ亡霊騎士団 グルーンワルズ神殿騎士団 人物 ガシュガル・メヒム 団長。〈蒼狼鬼〉の異名を持つ凄腕の傭兵。 ゼナム 副団長。 ハヌマン 団員。 コチャン 団員。 操兵 ガリオン・シーカ 団長機。 バリオン・シーカ 副官機。 ダイオン・シーカ 一般機。