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※硬鱗甲片1につき発光核1を使用。素材に必要な発光核は下記表に含まれます。 下記金額には元素・発光核・赤鉄鉱石の値段は含まれていません。 朱漆や薄紗を多量に使うので作り手さんの負担を考え、いらない発光核をあげましょう。 原価一覧 lv39 原価 元素など 頭 犀革精兵兜 ¥4,000 胴 犀革精兵甲 ¥10,000 腕 犀革精兵手甲 ¥3,000 足 犀革精兵脚甲 ¥3,000 TOTAL ¥20,000 lv41 頭 蛇鱗兜 ¥5,000 胴 蛇鱗甲 ¥12,000 腕 蛇鱗手甲 ¥4,000 足 蛇鱗脚甲 ¥4,000 TOTAL ¥25,000 lv41 ★命中付 頭 鮫鱗兜 ¥5,000 胴 鮫鱗甲 ¥12,000 腕 鮫鱗手甲 ¥4,000 足 鮫鱗脚甲 ¥4,000 TOTAL ¥25,000 lv43 頭 龍鱗兜 ¥6,000 緑の霊珠 1 胴 龍鱗甲 ¥16,000 緑の霊珠 1 腕 龍鱗手甲 ¥5,000 発光核 1 足 龍鱗脚甲 ¥5,000 発光核 1 TOTAL ¥32,000 lv45 頭 玄狐革兜 ¥8,000 蒼の霊珠 1 胴 玄狐革鎧 ¥20,000 蒼の霊珠 1 腕 玄狐革手甲 ¥6,000 発光核 2 足 玄狐革脚甲 ¥6,000 発光核 2 TOTAL ¥40,000 lv45 ★命中付 頭 玄鹿革兜 ¥8,000 発光核 1 大木 3 胴 玄鹿革鎧 ¥20,000 発光核 1 大木 3 腕 玄鹿革手甲 ¥6,000 発光核 1 赤鉄鉱石 2 足 玄鹿革脚甲 ¥6,000 発光核 1 赤鉄鉱石 2 TOTAL ¥40,000 lv47 頭 青羊革兜 ¥8,000 発光核 1 蒼の霊珠 1 胴 青羊革鎧 ¥24,000 発光核 1 蒼の霊珠 1 腕 青羊革手甲 ¥6,000 発光核 3 大木 2 足 青羊革脚甲 ¥6,000 発光核 3 大木 2 TOTAL ¥44,000 lv49 頭 金獅革兜 ¥10,000 蒼の霊珠 1 大木 3 胴 金獅革鎧 ¥28,000 発光核 3 大木 4 腕 金獅革手甲 ¥8,000 発光核 3 赤鉄鉱石 3 足 金獅革脚甲 ¥8,000 発光核 3 赤鉄鉱石 3 TOTAL ¥54,000 lv49 ★命中付 頭 天狗革兜 ¥10,000 発光核 4 大木 3 胴 天狗革鎧 ¥28,000 発光核 2 赤鉄鉱石 3 大木 4 腕 天狗革手甲 ¥8,000 発光核 1 赤鉄鉱石 3 蒼の霊珠 1 足 天狗革脚甲 ¥8,000 発光核 1 赤鉄鉱石 3 蒼の霊珠 1 TOTAL ¥54,000 lv50 ★足のみ命中付 頭 蓮翼兜 ¥15,000 発光核 2 纏霊甲片 2 神鉄鉱石 2 大木 4 胴 蓮翼鎧 ¥35,000 発光核 2 纏霊甲片 4 神鉄鉱石 2 大木 6 腕 蓮翼手甲 ¥12,000 纏霊甲片 2 妖虫粘糸 1 流水 4 足 蓮翼脚甲 ¥12,000 纏霊甲片 2 妖虫粘糸 1 流水 4 TOTAL ¥74,000
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登録日:2009/11/16(月) 19 43 19 更新日:2023/01/17 Tue 00 40 12NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 ブラッドクルス レッドクルス 兵器 劔冑 数打 数打はクローン人間が材料 真打 装甲悪鬼村正 鎧 『劒冑(つるぎ)』とは、ニトロプラスから発売された『装甲悪鬼村正』に登場する兵器。 装甲悪鬼村正の世界で古来より戦場を支配した最強の兵器。 読んで字の如く甲冑であるが、太刀などの武装も含んで云う。 戦となれば着用者たる仕手の身体を鎧で覆い、超常の力を行使する武者となる。 着用者たる仕手(して)の熱量(カロリー)を消費し、生身とは比べ物にならぬ剛力を発揮し、 背中に装備された合当理(がったり)という所謂ジェットエンジン(数打はプロペラ)のような物と揚力を生み出す翼である母衣(ほろ)で飛行すらも可能。 武者の飛行は『騎航』と言い劒冑の着用は『装甲』と言う。 仕手は己の技量で劒冑の力を駆使し、戦神のごとき力を発揮する。 拳銃程度の銃弾は重厚な甲冑に阻まれ、生身で接近戦を挑もうものなら肉体が反応できない速度で切り伏せられる。 生身と比較するならば蟻と戦車…比べてはならないレベルである。 劒冑を倒し得るのは同じく劒冑のみ。 作品世界での戦闘といえば劒冑同士の戦いであり、劒冑同士の空中格闘戦や剣技による一騎打ちは『装甲悪鬼村正』における醍醐味である。 また作品世界における剣術などの流派では、劒冑の扱いを主眼におかれるのが一般的なようだ。 主人公湊斗景明の湊斗家に伝わる吉野流や柳生常闇斉の新陰流六波羅派など。 製法によって大きく二通りに分けられ、旧型を『真打(しんうち)』、新型を『数打(かずうち)』と。西洋ではそれぞれ『ブラッドクルス』『レッドクルス』と呼ぶ。 また、装甲競技(アーマーレース)と呼ばれる劍冑を使ったレースに使用される『レーサークルス』も存在する。 こちらは拳銃でも損傷を負う程の軽装甲だが真打に匹敵、あるいは上回るほどの速さと運動性を備えている。 【真打劒冑/ブラッドクルス】 古来の製法によって造られた劒冑。鍛治師が自らの肉体を最後の素材として打ち込めることで完成する。 完成=製作者死亡、となるため、量産出来ない大変貴重な代物(鋳造途中に製作者が命を落としてしまうことも少なく無い)。 着用者の身体機能の強化に加え、自己修復機能を持ち、数打とは比較にならない戦闘力を持つ。 特に業物と呼ばれる逸品は超常の能力『陰義(しのぎ)』を使うことが出来る。 真打劒冑には製作者である鍛治師の人格が宿り、OSとして着用者のサポートを行う。このOSは機械的なものだが稀に生前の人間性を色濃く残しているものもある。 待機状態も個体毎に形状が異なり、中には独立行動する能力を持つものもある。 ちなみに真打の名称は実在の武具からつけられており、その能力や設定にもその武具の逸話などが盛り込まれている。 ○主な真打劒冑/ブラッドクルス ●村正 攻撃力:4 防御力:4 速度:2 運動性:3 仕手:湊斗景明 陰義:磁力制御 独立形態:蜘蛛 「鬼に逢うては鬼を斬る。仏に逢うては仏を斬る。ツルギの理ここに在り」 『善悪相殺』の呪いがかかった真紅の妖甲。正式名は三世右衛門尉村正。 陰義である磁力制御は応用力が高く、相手を吹き飛ばしたり、自らを加速させたり、バリアの役割も果たす。 必殺技は磁力の反発を利用した光速の斬撃『電磁抜刀(レールガン)』。 ●正宗 攻撃力:3 防御力:5 速度:2 運動性:3 仕手:綾弥一条 陰義:因果覿面 独立形態:カミキリムシ 「世に鬼あらば鬼を断つ。世に悪あらば悪を断つ。ツルギの理ここに在り」 藍色の劒冑。正式名は相州五郎入道正宗。 正義を体現するために造られたが、あまりに壮厳な姿から天下一名物と讃えられ、一度も使われることなく死蔵される。 陰義は、受けた陰義をそのまま相手に返す『因果覿面』。性質上、陰義を真正面から受けないといけないドM仕様。 陰義とは別に正宗七機巧と呼ばれる陰義に匹敵する武装を備えるが、これまた仕手にもダメージがいくドM仕様。 ●ウィリアム・バロウズ 攻撃力:3 防御力:3 速度:4 運動性:3 仕手:大鳥香奈枝 陰義:自在操作矢 独立形態:コントラバス 盾と一体化した石弓を装備した弓兵のブラッドクルス。弓聖ウィリアム・テルを模して造られた贋作だが、基本性能は本物と同格。 贋作弓聖の蔑称で呼ばれる所以は陰義にある。詳しくは「テルの矢は決して林檎に届かない」を参照。 他の真打は装甲時に一連の台詞を合言葉として言うが、バロウズだけは演奏することで装甲する特殊な仕様。 ●銀星号 ○六波羅 ●髭切 陰義:不明 独立形態:馬 源氏の長の証として受け継がれてきた真打劔冑。 バランスのとれた性能を持つ。 ●膝丸 陰義:不明 独立形態:馬 髭切と並び名物として源氏に伝わる兄弟騎。 色と立物以外は髭切と同じ外見であり、髭切が傷を受けると同じ場所に痣が現れるとも言われている。 身体強化等に優れ仕手の技量も相まって化け物じみた強さを発揮する。 ●銘伏 陰義:自己隠蔽 独立形態:七節 無銘の真打劔冑。 代々影働きに用いられてきたもので黒い装甲とボロ布が特徴。 ●九州肥後同田貫藤原正国 陰義:火炎放射 独立形態:陸亀 槍を主兵装とする珍しい一品で強固な装甲を持つ。ガメラ。 ●荒覇吐 陰義:熱量吸収 独立形態:‐ 竜騎兵用の強化外装。 発掘された巨大な真打劔冑をベースに六波羅の研究者が改造を施し製作された。 発振砲を始め各部に多数の武装が配され圧倒的な攻撃力と防御力を持つが、その運用には外部からの電力と仕手以外からの熱量供給が欠かせない。 ○GHQ ●アスカロンⅦ 陰義:不明 独立形態:黄金の鞘 GHQ所属のブラッドクルス。"竜殺し"の剣を模した英国王室製の業物。 ○その他 ●井上真改 陰義:液体操作 独立形態:百足 GHQに接収された劒冑の一つ。かつては天皇の蔵に置かれたこともある名甲。 ●月山従三位 陰義:霧隠れの術 独立形態:猿 GHQに接収された劒冑の一つ。現存する中でも最古の部類に入る。 ● ニッカリ 青江貞次 陰義:幻覚 独立形態:蛾 GHQに接収された劒冑の一つ。 ニヤついたような頭部を持つ、青江一門が稀に打ち出す仕手を殺人鬼に変える劔冑。 ●黒瀬童子 陰義:不明 独立形態:不明 岡田家に伝わる由緒正しい劒冑。 ●村雨 陰義:不明 独立形態:犬 瀧澤琴乃が鍛造した真打劒冑。大和劒冑、ブラッドクルス、レーサークルスなど様々な劒冑のエッセンスを含んだ世界最新の真打。 主武装は右腕に接続された大槌。 ●ウィリアム・テル 陰義:矢の自在操作 独立形態:コントラバス シュヴィーツ国宝と名高いブラッドクルス。 「放った矢が仕手の視線を追う陰義」により必中必殺の魔弾を放つ”弓聖”。 バロウズのオリジナルであり頭部の形状以外は外見上の差異は無い。 ●始祖村正 陰義:磁力制御/基素操作 独立形態:甲虫 南北朝末期に鍛造された初代村正の劒冑。 【数打劒冑/レッドクルス】 近代に入って発明された、能力の統制を機械式計算機で行うタイプの劒冑。 鍛治師の生命を消費しないので量産が可能である(とはいえ一領作るだけでも莫大な資金が掛かる)。 その能力は真打ほどではないにせよ、他のあらゆる兵器を圧倒するに充分であり、現在はこちらが軍事用劒冑の主力となっている。 規格化されたタイプが殆どだが中には製作者の頭がどうかしているとしか思えない代物もチラホラ。 本編の前後から技術進歩によってその性能は真打に追いつきつつある。 レーサークルスもこちらに属するが競技用という特性上スピードが重視されることから装甲を限界近くまで削っているため戦闘能力は軍用に遠く及ばない。 ○六波羅 ●竜騎兵甲 八八式 独立形態:単輪自動車(モノバイク) 六波羅の前世代主力騎。丸みを帯びた装甲が特徴。 既に旧式となりつつあるが一部の将校は使用を続けている。 ●竜騎兵甲 九〇式 独立形態:単輪自動車 六波羅の現行主力騎。 八八式に比べると関節部の露出は少ないが運動性を確保するため全体の装甲が薄くなっている。 ●竜騎兵甲 九四式 独立形態:単輪自動車 六波羅の新世代主力騎。 新世代の避弾経始を元に装甲を傾斜させると共に合当理の熱量圧縮効率を高めたことで装甲の厚さを保ったまま運動性も確保に成功している。 ●竜騎兵甲 零零式 独立形態:単輪自動車 六波羅の開発した最新鋭数打。 色以外の本体デザインや性能は九四式と同じだが、極低度の金打声を発振し目標を瞬時に加熱・燃焼する発振砲(ヴァイドロカノン)を装備している。 ○GHQ ●ST-05 ワーウルフ 独立形態:二輪自動車(モーターバイク) GHQで制式採用しているレッドクルス。 格闘戦を主眼に高い機動力を誇る。 ●GR-03ガルム 独立形態:軽量自動車(バギーカー) GHQで制式採用しているレッドクルス。 対地制圧を主眼に厚めの装甲を持つ。 ●GR-08 トロール 独立形態:軽量自動車 GHQが制式採用しているレッドクルス。 ガルムの進化系とされる。 ●ST-09 ユーウォーキー 独立形態:二輪自動車 GHQで制式採用されている最新式レッドクルス。 高度な隠身甲鉄能力を持つことから「ステルスドラコ」と呼称される。 基本性能が高く、部分的には真打にも匹敵する。 ●GUTS EIDER 全身に凶器を持つ狂気の産物。 ○レーサークルス ●アベンジ 田村甲業ワークスチームが製作したレーサークルス。 「逆襲」の名とレーサークルスの中でも特異で曲線的なボディを持つ。 他のレーサークルス同様装甲は紙同然だが加速性に優れる。 「フハハハハハ!こんなこともあろうかと、誰でも追記・修正が出来るようにしておいたのだ!」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 村雨の陰義は氷じゃなかったっけか。 -- 名無しさん (2014-12-18 18 02 30) 数打が分からぬ。素材を用いずにOSに機械演算を用いる必要が有るのだろうか…… -- 名無しさん (2015-10-05 20 12 35) 宇宙編だと量産型銀星号とか出てきた -- 名無しさん (2016-09-25 15 36 23) この世界で人工知能や疑似人格の研究が発展したら、より真打に近い特性を持つ数打が現れ出すようになったり、「真打と同等かそれ以上の能力を発揮できる劔冑用人工知能が現れたことを境に“ヒトの心”の定義の論争が激化する」なんてことも起こりうるかもしれないんだろうか……? -- 名無しさん (2022-01-03 20 28 28) 名前 コメント
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軍事基礎 兵隊を中心に強化 新兵指導I(訓練熟達度I) 諜報技術(スパイ活動) 歩兵武器改良(歩兵武器のアップグレード) 歩兵防具改良(歩兵甲冑のアップグレード) 重装歩兵(老練な歩兵) 歩兵身体鍛錬(歩兵の身体訓練) 精鋭歩兵 槍兵武器改良(槍兵武器のアップグレード) 槍兵防具改良(槍兵甲冑のアップグレード) 重装槍兵(老練な槍兵) 槍兵身体鍛錬(槍兵の身体訓練) 精鋭槍兵 経路探索I 弓兵武器改良I(弓兵武器のアップグレード) 弓兵防具改良I(弓兵甲冑のアップグレード) 重装弓兵(老練な弓兵) 弓兵身体鍛錬I(弓兵の身体訓練) 精鋭弓兵 騎兵武器改良(騎兵武器のアップグレード) 騎兵防具改良(騎兵甲冑のアップグレード) 重装騎兵(老練な騎兵) 騎兵身体鍛錬(騎兵の身体訓練) 精鋭騎兵 軍団武器改良I(軍隊武器のアップグレードI) 軍団防具改良I(軍隊甲冑のアップグレードI) 軍団身体訓練I(軍隊の身体訓練I) 王室歩兵(王室歩兵隊) 王室槍兵 王室弓兵 王室騎兵(王室騎兵隊) 新兵指導I(訓練熟達度I) 向上する効果 兵舎訓練速度 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 24 20% - 514 700 700 420 756 00 05 00 諜報技術(スパイ活動) 向上する効果 諜報技術(偵察で得る情報量が増えます) レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 82 NaN - 342 342 410 273 360 00 17 00 2 136 NaN - 1,138 1,138 1,365 910 2,400 00 56 00 3 244 NaN - 3,412 3,412 4,095 2,730 7,198 01 23 00 4 733 NaN Mlv7 11,373 11,373 13,647 9,098 47,986 02 29 00 5 2,199 NaN Mlv9 28,431 28,431 34,117 22,745 119,964 07 26 00 6 6,596 NaN Mlv11 56,862 56,862 68,234 45,490 239,927 22 18 00 7 19,789 NaN Mlv14 284,308 284,308 341,169 227,446 599,817 02d 18 53 00(E) 8 59,367 NaN - 568,615(E) 568,615(E) 682,338(E) 454,892(E) 1,199,633(E) 08d 08 38 00(E) 9 178,101 NaN - 1,137,229 1,137,229 1,364,675 909,783 4,798,530 25d 01 53 00 10 445,253 NaN - 2,274,458 2,274,458 2,729,349 1,819,566 10,796,691 62d 16 43 00 歩兵武器改良(歩兵武器のアップグレード) 向上する効果 歩兵攻撃力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 163 1% - 492 819 819 601 720 00 34 00 2 272 3% - 1,638 2,730 2,730 2,002 4,799 01 51 00 3 488 7% - 4,913 8,189 8,189 6,005 14,396 02 46 00 4 1,466 13% Mlv9 16,377 27,294 27,294 20,016 95,971 04 58 00 5 4,398 21% Mlv11 40,941 68,234 68,234 50,039 239,927 14 52 00 6 13,193 32% Mlv13 81,881 136,468 136,468 100,077 479,853 01d 20 36 00(E) 7 39,578 46% - 409,403 682,338 682,338 500,381 1,199,633 05d 13 46 00 8 118,734 64% +1lv7,+3lv7 818,805 1,364,675 1,364,675 1,000,762 2,399,265 16d 17 16 00 9 356,202(E) 87% - 1,637,610(E) 2,729,349(E) 2,729,349(E) 2,001,523(E) 9,597,059(E) 50d 03 46 00(E) 10 890,506 135% - 3,275,219 5,458,698 5,458,698 4,003,045 21,593,382 125d 09 25 00 歩兵防具改良(歩兵甲冑のアップグレード) 向上する効果 歩兵防御力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 245 1% - 737 1,229 1,229 901 1,080 00 50 00 2 407 3% - 2,457 4,095 4,095 3,003 7,198 02 46 00 3 733 7% Mlv8 7,370 12,283 12,283 9,007 21,594 04 08 00 4 2,199 13% Mlv10 24,565 40,941 40,941 30,023 143,956 07 26 00 5 6,596 21% Mlv12 61,411 102,351 102,351 75,058 359,890 22 18 00 6 19,789(E) 32% - 122,821(E) 204,702(E) 204,702(E) 150,115(E) 719,780(E) 02d 18 53 00(E) 7 59,367 46% - 614,104 1,023,506 1,023,506 750,571 1,799,449 08d 08 38 00 8 178,101 64% - 1,228,207 2,047,012 2,047,012 1,501,142 3,598,897 25d 01 53 00 9 534,304(E) 87% - 2,456,414(E) 4,094,023(E) 4,094,023(E) 3,002,284(E) 14,395,588(E) 75d 05 39 00(E) 10 1,335,759 135% - 4,912,828 8,188,046 8,188,046 6,004,567 32,390,072 188d 02 07 00(E) 重装歩兵(老練な歩兵) 向上する効果 重装歩兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 17,149 True Mlv9,-1lv2 76,966 128,277 128,277 94,070 207,738 02d 10 15 00 歩兵身体鍛錬(歩兵の身体訓練) 向上する効果 歩兵生命力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 245 1% - 737 1,229 1,229 901 1,080 00 50 00 2 407 3% Mlv10 2,457 4,095 4,095 3,003 7,198 02 46 00 3 733 7% Mlv11 7,370 12,283 12,283 9,007 21,594 04 08 00 4 2,199 13% Mlv12 24,565 40,941 40,941 30,023 143,956 07 26 00 5 6,596(E) 21% - 61,411(E) 102,351(E) 102,351(E) 75,058(E) 359,890(E) 22 18 00(E) 6 19,789(E) 32% - 122,821(E) 204,702(E) 204,702(E) 150,115(E) 719,780(E) 02d 18 53 00(E) 7 59,367 46% - 614,104 1,023,506 1,023,506 750,571 1,799,449 08d 08 38 00 8 178,101 64% -2lv8 1,228,207 2,047,012 2,047,012 1,501,142 3,598,897 25d 01 53 00 9 534,304 87% - 2,456,414 4,094,023 4,094,023 3,002,284 14,395,588 75d 05 39 00 10 1,335,759(E) 135% - 4,912,828(E) 8,188,046(E) 8,188,046(E) 6,004,567(E) 32,390,072(E) 188d 02 07 00(E) 精鋭歩兵 向上する効果 精鋭歩兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 77,949 True Mlv17,-1lv2 349,846 583,076 583,076 427,589 944,264 - 槍兵武器改良(槍兵武器のアップグレード) 向上する効果 槍兵攻撃力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 163 1% - 492 819 819 601 720 00 34 00 2 272 3% - 1,638 2,730 2,730 2,002 4,799 01 51 00 3 488 7% - 4,913 8,189 8,189 6,005 14,396 02 46 00 4 1,466 13% Mlv9 16,377 27,294 27,294 20,016 95,971 04 58 00 5 4,398 21% Mlv11 40,941 68,234 68,234 50,039 239,927 14 52 00 6 13,193 32% - 81,881 136,468 136,468 100,077 479,853 01d 20 36 00 7 39,578 46% - 409,403 682,338 682,338 500,381 1,199,633 05d 13 46 00 8 118,734 64% +1lv7,+3lv7 818,805 1,364,675 1,364,675 1,000,762 2,399,265 16d 17 16 00 9 356,202(E) 87% - 1,637,610(E) 2,729,349(E) 2,729,349(E) 2,001,523(E) 9,597,059(E) 50d 03 46 00(E) 10 890,506 135% - 3,275,219 5,458,698 5,458,698 4,003,045 21,593,382 125d 09 25 00 槍兵防具改良(槍兵甲冑のアップグレード) 向上する効果 槍兵防御力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 245 1% - 737 1,229 1,229 901 1,080 00 50 00 2 407 3% - 2,457 4,095 4,095 3,003 7,198 02 46 00 3 733 7% Mlv8 7,370 12,283 12,283 9,007 21,594 04 08 00 4 2,199 13% Mlv10 24,565 40,941 40,941 30,023 143,956 07 26 00 5 6,596 21% Mlv12 61,411 102,351 102,351 75,058 359,890 22 18 00(E) 6 19,789(E) 32% - 122,821(E) 204,702(E) 204,702(E) 150,115(E) 719,780(E) 02d 18 53 00(E) 7 59,367 46% - 614,104 1,023,506 1,023,506 750,571 1,799,449 08d 08 38 00 8 178,101 64% - 1,228,207 2,047,012 2,047,012 1,501,142 3,598,897 25d 01 53 00 9 534,304 87% - 2,456,414 4,094,023 4,094,023 3,002,284 14,395,588 75d 05 39 00 10 1,335,759(E) 135% - 4,912,828(E) 8,188,046(E) 8,188,046(E) 6,004,567(E) 32,390,072(E) 188d 02 07 00(E) 重装槍兵(老練な槍兵) 向上する効果 重装槍兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 15,590 True Mlv9,-1lv2 97,180 97,180 97,180 97,180 188,853 02d 04 58 00 槍兵身体鍛錬(槍兵の身体訓練) 向上する効果 槍兵生命力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 245 1% - 737 1,229 1,229 901 1,080 00 50 00 2 407 3% Mlv10 2,457 4,095 4,095 3,003 7,198 02 46 00 3 733 7% Mlv11 7,370 12,283 12,283 9,007 21,594 04 08 00 4 2,199 13% Mlv12 24,565 40,941 40,941 30,023 143,956 07 26 00 5 6,596(E) 21% - 61,411(E) 102,351(E) 102,351(E) 75,058(E) 359,890(E) 22 18 00(E) 6 19,789(E) 32% - 122,821(E) 204,702(E) 204,702(E) 150,115(E) 719,780(E) 02d 18 53 00(E) 7 59,367 46% - 614,104 1,023,506 1,023,506 750,571 1,799,449 08d 08 38 00 8 178,101 64% - 1,228,207 2,047,012 2,047,012 1,501,142 3,598,897 25d 01 53 00 9 534,304 87% - 2,456,414 4,094,023 4,094,023 3,002,284 14,395,588 75d 05 39 00 10 1,335,759(E) 135% - 4,912,828(E) 8,188,046(E) 8,188,046(E) 6,004,567(E) 32,390,072(E) 188d 02 07 00(E) 精鋭槍兵 向上する効果 精鋭槍兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 74,831 True Mlv17,-1lv2 335,852 559,753 559,753 410,485 906,493 - 経路探索I 向上する効果 行軍速度 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 82 1% - 369 615 615 451 360 00 17 00 2 136 3% - 1,229 2,048 2,048 1,502 2,400 00 56 00 3 244 6% - 3,685 6,142 6,142 4,504 7,198 01 23 00 4 733 10% Mlv7 12,283 20,471 20,471 15,012 47,986 02 29 00 5 2,199 15% Mlv9 30,706 51,176 51,176 37,529 119,964 07 26 00 6 6,596 21% Mlv11 61,411 102,351 102,351 75,058 239,927 22 18 00 7 19,789 28% Mlv14 307,052 511,753 511,753 375,286 599,817 02d 18 53 00(E) 8 59,367(E) 36% - 614,104(E) 1,023,506(E) 1,023,506(E) 750,571(E) 1,199,633(E) 08d 08 38 00(E) 9 178,101(E) 47% - 1,228,207(E) 2,047,012(E) 2,047,012(E) 1,501,142(E) 4,798,529(E) 25d 01 53 00(E) 10 445,253 70% Mlv24 2,456,414 4,094,023 4,094,023 3,002,284 10,796,691 62d 16 43 00 弓兵武器改良I(弓兵武器のアップグレード) 向上する効果 弓兵攻撃力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 163 1% - 683 683 819 546 720 00 34 00 2 272 3% - 2,275 2,275 2,730 1,820 4,799 01 51 00 3 488 7% - 6,824 6,824 8,189 5,459 14,396 02 46 00 4 1,466 13% Mlv9 22,745 22,745 27,294 18,196 95,971 04 58 00 5 4,398 21% Mlv11 56,862 56,862 68,234 45,490 239,927 14 52 00 6 13,193 32% Mlv13 113,723 113,723 136,468 90,979 479,853 01d 20 36 00(E) 7 39,578 46% - 568,615 568,615 682,338 454,892 1,199,633 05d 13 46 00 8 118,734 64% +1lv7,+3lv7 1,137,229 1,137,229 1,364,675 909,783 2,399,265 16d 17 16 00 9 356,202 87% - 2,274,458 2,274,458 2,729,349 1,819,566 9,597,059 50d 03 46 00 10 890,506(E) 135% - 4,548,915(E) 4,548,915(E) 5,458,698(E) 3,639,132(E) 21,593,382(E) 125d 09 25 00(E) 弓兵防具改良I(弓兵甲冑のアップグレード) 向上する効果 弓兵防御力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 245 1% - 819 1,638 1,024 615 1,080 00 50 00 2 407 3% - 2,730 5,459 3,412 2,048 7,198 02 46 00 3 733 7% Mlv8 8,189 16,377 10,236 6,142 21,594 04 08 00 4 2,199 13% Mlv10 27,294 54,587 34,117 20,471 143,956 07 26 00 5 6,596 21% Mlv12 68,234 136,468 85,293 51,176 359,890 22 18 00(E) 6 19,789(E) 32% - 136,468(E) 272,935(E) 170,585(E) 102,351(E) 719,780(E) 02d 18 53 00(E) 7 59,367 46% - 682,338 1,364,675 852,922 511,753 1,799,449 08d 08 38 00 8 178,101 64% - 1,364,675 2,729,349 1,705,843 1,023,506 3,598,897 25d 01 53 00 9 534,304 87% - 2,729,349 5,458,698 3,411,686 2,047,012 14,395,588 75d 05 39 00 10 1,335,759(E) 135% - 5,458,698(E) 10,917,396(E) 6,823,372(E) 4,094,023(E) 32,390,072(E) 188d 02 07 00(E) 重装弓兵(老練な弓兵) 向上する効果 重装弓兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 34,298 True Mlv9,-1lv2 153,932 256,554 256,554 188,139 415,476 04d 20 30 00 弓兵身体鍛錬I(弓兵の身体訓練) 向上する効果 弓兵生命力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 245 1% - 737 1,229 1,229 901 1,080 00 50 00 2 407 3% Mlv10 2,457 4,095 4,095 3,003 7,198 02 46 00 3 733 7% Mlv11 7,370 12,283 12,283 9,007 21,594 04 08 00 4 2,199 13% Mlv12 24,565 40,941 40,941 30,023 143,956 07 26 00 5 6,596(E) 21% - 61,411(E) 102,351(E) 102,351(E) 75,058(E) 359,890(E) 22 18 00(E) 6 19,789(E) 32% - 122,821(E) 204,702(E) 204,702(E) 150,115(E) 719,780(E) 02d 18 53 00(E) 7 59,367 46% - 614,104 1,023,506 1,023,506 750,571 1,799,449 08d 08 38 00 8 178,101 64% - 1,228,207 2,047,012 2,047,012 1,501,142 3,598,897 25d 01 53 00 9 534,304 87% - 2,456,414 4,094,023 4,094,023 3,002,284 14,395,588 75d 05 39 00 10 1,335,759(E) 135% - 4,912,828(E) 8,188,046(E) 8,188,046(E) 6,004,567(E) 32,390,072(E) 188d 02 07 00(E) 精鋭弓兵 向上する効果 精鋭弓兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 93,539 True Mlv17,-1lv2 419,815 699,691 699,691 513,107 1,133,116 - 騎兵武器改良(騎兵武器のアップグレード) 向上する効果 騎兵攻撃力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 163 1% - 492 819 819 601 720 00 34 00 2 272 3% - 1,638 2,730 2,730 2,002 4,799 01 51 00 3 488 7% - 4,913 8,189 8,189 6,005 14,396 02 46 00 4 1,466 13% Mlv9 16,377 27,294 27,294 20,016 95,971 04 58 00 5 4,398 21% Mlv11 40,941 68,234 68,234 50,039 239,927 14 52 00 6 13,193 32% Mlv13 81,881 136,468 136,468 100,077 479,853 01d 20 36 00(E) 7 39,578 46% - 409,403 682,338 682,338 500,381 1,199,633 05d 13 46 00 8 118,734 64% +1lv7,+3lv7 818,805 1,364,675 1,364,675 1,000,762 2,399,265 16d 17 16 00 9 356,202 87% +1lv8,+3lv8 1,637,610 2,729,349 2,729,349 2,001,523 9,597,059 50d 03 46 00 10 890,506(E) 135% - 3,275,219(E) 5,458,698(E) 5,458,698(E) 4,003,045(E) 21,593,382(E) 125d 09 25 00(E) 騎兵防具改良(騎兵甲冑のアップグレード) 向上する効果 騎兵防御力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 245 1% - 737 1,229 1,229 901 1,080 00 50 00 2 407 3% - 2,457 4,095 4,095 3,003 7,198 02 46 00 3 733 7% Mlv8 7,370 12,283 12,283 9,007 21,594 04 08 00 4 2,199 13% Mlv10 24,565 40,941 40,941 30,023 143,956 07 26 00 5 6,596 21% Mlv12 61,411 102,351 102,351 75,058 359,890 22 18 00(E) 6 19,789(E) 32% - 122,821(E) 204,702(E) 204,702(E) 150,115(E) 719,780(E) 02d 18 53 00(E) 7 59,367 46% - 614,104 1,023,506 1,023,506 750,571 1,799,449 08d 08 38 00 8 178,101 64% -1lv8 1,228,207 2,047,012 2,047,012 1,501,142 3,598,897 25d 01 53 00 9 534,304 87% - 2,456,414 4,094,023 4,094,023 3,002,284 14,395,588 75d 05 39 00 10 1,335,759(E) 135% - 4,912,828(E) 8,188,046(E) 8,188,046(E) 6,004,567(E) 32,390,072(E) 188d 02 07 00(E) 重装騎兵(老練な騎兵) 向上する効果 重装騎兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 17,149 True Mlv9,-1lv2 76,966 128,277 128,277 94,070 207,738 02d 10 15 00 騎兵身体鍛錬(騎兵の身体訓練) 向上する効果 騎兵生命力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 245 1% - 737 1,229 1,229 901 1,080 00 50 00 2 407 3% Mlv10 2,457 4,095 4,095 3,003 7,198 02 46 00 3 733 7% Mlv11 7,370 12,283 12,283 9,007 21,594 04 08 00 4 2,199 13% Mlv12 24,565 40,941 40,941 30,023 143,956 07 26 00 5 6,596(E) 21% - 61,411(E) 102,351(E) 102,351(E) 75,058(E) 359,890(E) 22 18 00(E) 6 19,789(E) 32% - 122,821(E) 204,702(E) 204,702(E) 150,115(E) 719,780(E) 02d 18 53 00(E) 7 59,367 46% - 614,104 1,023,506 1,023,506 750,571 1,799,449 08d 08 38 00 8 178,101 64% -2lv8 1,228,207 2,047,012 2,047,012 1,501,142 3,598,897 25d 01 53 00 9 534,304 87% - 2,456,414 4,094,023 4,094,023 3,002,284 14,395,588 75d 05 39 00 10 1,335,759(E) 135% - 4,912,828(E) 8,188,046(E) 8,188,046(E) 6,004,567(E) 32,390,072(E) 188d 02 07 00(E) 精鋭騎兵 向上する効果 精鋭騎兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 77,949 True Mlv17,-1lv2 485,897 485,897 583,076 388,717 944,264 - 軍団武器改良I(軍隊武器のアップグレードI) 向上する効果 軍団攻撃力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 815 1% -1alv1,-1blv1,-1clv1,-1dlv1 1,365 2,730 1,706 1,024 3,599 02 46 00(E) 2 1,357 3% - 4,549 9,098 5,687 3,412 23,993(E) 09 11 00 3 2,443(E) 7% - 13,647(E) 27,294(E) 17,059(E) 10,236(E) 71,978(E) 13 46 00(E) 4 7,329 13% - 45,490 90,979 56,862(E) 34,117(E) 479,853(E) 01d 00 47 00 5 21,988 21% - 113,723 227,446(E) 142,154(E) 85,293(E) 1,199,633(E) 03d 02 19 00 6 65,964 32% - 227,446(E) 454,892(E) 284,308(E) 170,585(E) 2,399,265(E) 09d 06 56 00 7 197,890 46% - 1,137,229 2,274,458 1,421,536 852,922 5,998,162 27d 20 46 00 8 593,671 64% -4alv8,-4blv8,-4clv8,-4dlv8 2,274,458 4,548,915 2,843,072 1,705,843 11,996,323 83d 14 17 00 9 1,781,012 87% -4alv9,-4blv9,-4clv9,-4dlv9 4,548,915 9,097,829 5,686,143 3,411,686 47,985,292 250d 18 49 00 10 4,452,531 135% - 9,097,829(E) 18,195,658(E) 11,372,286(E) 6,823,372(E) 107,966,907(E) 626d 23 02 00 軍団防具改良I(軍隊甲冑のアップグレードI) 向上する効果 軍団防御力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 815 1% - 1,229 2,048 2,048 1,502 3,599 02 46 00(E) 2 1,357(E) 3% - 4,095(E) 6,824(E) 6,824(E) 5,004(E) 23,993(E) 09 11 00(E) 3 2,443 7% - 12,283 20,471(E) 20,471(E) 15,012(E) 71,978 13 46 00 4 7,329 13% - 40,941 68,234 68,234(E) 50,039(E) 479,853(E) 01d 00 47 00 5 21,988 21% - 102,351 170,585 170,585(E) 125,096(E) 1,199,633(E) 03d 02 19 00 6 65,964 32% - 204,702 341,169 341,169 250,191 2,399,265 09d 06 56 00 7 197,890 46% - 1,023,506 1,705,843 1,705,843 1,250,952 5,998,162 27d 20 46 00 8 593,671 64% -1lv8,0blv8 2,047,012 3,411,686 3,411,686 2,501,903 11,996,323 83d 14 17 00 9 1,781,012 87% -1lv9,0blv9 4,094,023 6,823,372 6,823,372 5,003,806 47,985,292 250d 18 49 00 10 4,452,531 135% - 8,188,046(E) 13,646,744(E) 13,646,744(E) 10,007,612(E) 107,966,907(E) 626d 23 02 00 軍団身体訓練I(軍隊の身体訓練I) 向上する効果 軍団生命力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 815 1% - 1,229 2,048 2,048 1,502 3,599 02 46 00(E) 2 1,357 3% - 4,095 6,824 6,824 5,004 23,993(E) 09 11 00 3 2,443(E) 7% - 12,283(E) 20,471(E) 20,471(E) 15,012(E) 71,978(E) 13 46 00(E) 4 7,329 13% - 40,941 68,234 68,234(E) 50,039(E) 479,853(E) 01d 00 47 00 5 21,988 21% - 102,351 170,585 170,585 125,096 1,199,633(E) 03d 02 19 00 6 65,964 32% - 204,702 341,169 341,169 250,191 2,399,265 09d 06 56 00 7 197,890 46% - 1,023,506 1,705,843 1,705,843 1,250,952 5,998,162 27d 20 46 00 8 593,671 64% -3alv8,-3blv8,-3clv8,-3dlv8 2,047,012 3,411,686 3,411,686 2,501,903 11,996,323 83d 14 17 00 9 1,781,012 87% - 4,094,023 6,823,372 6,823,372 5,003,806 47,985,292 250d 18 49 00 10 4,452,531(E) 135% - 8,188,046(E) 13,646,744(E) 13,646,744(E) 10,007,612(E) 107,966,907(E) 626d 23 02 00(E) 王室歩兵(王室歩兵隊) 向上する効果 王室歩兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 1,247,182 True Mlv25,-1alv10 4,198,142 6,996,903 6,996,903 5,131,063 11,331,160 176d 12 21 00(E) 王室槍兵 向上する効果 王室槍兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 1,091,285 True Mlv25,-1alv10 3,778,328 6,297,213 6,297,213 4,617,956 10,198,044 154d 10 49 00(E) 王室弓兵 向上する効果 王室弓兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 1,558,978 True Mlv25,-1alv10 5,597,523 9,329,204 9,329,204 6,841,417 15,108,213 220d 15 26 00 王室騎兵(王室騎兵隊) 向上する効果 王室騎兵 を解禁する レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 1,247,182 True Mlv25,-1alv10 4,198,142 6,996,903 6,996,903 5,131,063 11,331,160 176d 12 21 00(E) //Nicm25 解禁条件が滅茶苦茶な表示になってるかも... //題名が表に収まらず、相対表示する方法を探していますorz
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唐書巻一百二十四 列伝第四十九 姚崇 奕 合 勗 宋璟 渾 姚崇字元之、陝州硤石人。父懿、字善懿、貞観中、為巂州都督、贈幽州大都督、謚文献。 崇少倜儻、尚氣節、長乃好学。仕為孝敬挽郎、舉下筆成章、授濮州司倉参軍。五遷夏官郎中、契丹擾河北、兵檄叢進、崇奏決若流、武后賢之、即拜侍郎。后嘗語左右:「往周興、來俊臣等数治詔獄、朝臣相逮引、一切承反。朕意其枉、更畀近臣臨問、皆得其手牒不冤、朕無所疑、即可其奏。自俊臣等誅、遂無反者、然則向論死得無冤邪?」崇曰:「自垂拱後、被告者類自誣。當是時、以告言為功、故天下號曰『羅織』、甚於漢之鉤黨。雖陛下使近臣覆訊、彼尚不自保、敢一搖手以悖酷吏意哉!且被問不承、則重罹其慘、如張虔勗、李安靜等皆是也。今賴天之霊、發寤陛下、凶豎殲夷、朝廷乂安、臣以一門百口保内外官無復反者。陛下以告牒置弗推、後若反有端、臣請坐知而不告。」后悅曰:「前宰相務順可、陷我為淫刑主、聞公之言、乃得朕心。」賜銀千兩。 聖暦三年、進同鳳閣鸞臺平章事。遷鳳閣侍郎、俄兼相王府長史、以母老納政歸侍、乃詔以相王府長史侍疾、月餘、復兼夏官尚書、同鳳閣鸞臺三品。崇建言:「臣事相王、而夏官本兵、臣非惜死、恐不益王。」乃詔改春官。張易之私有請於崇、崇不納、易之譖於后、降司僕卿、猶同鳳閣鸞臺三品。出為霊武道大総管。 張柬之等謀誅二張、崇適自屯所還、遂参計議。以功封梁県侯、實封二百戸。戸遷上陽宮、中宗率百官起居、王公更相慶、崇獨流涕。柬之等曰:「今豈涕泣時邪?恐公禍由此始。」崇曰:「比與討逆、不足以語功、然事天后久、違舊主而泣、人臣終節也、由此獲罪甘心焉。」俄為亳州刺史。後五王被害、而崇獨免。歴宋、常、越、許四州。睿宗立、拜兵部尚書、同中書門下三品、進中書令。 玄宗在東宮、太平公主干政、宋王成器等分典閑厩、禁兵。崇與宋璟建請主就東都、出諸王為刺史、以壹人心。帝以謂主、主怒。太子懼、上疏以崇等惎間王室、請加罪、貶為申州刺史。移徐、潞二州、遷揚州長史。政條簡肅、人為紀徳于碑。徙同州刺史。 先天二年、玄宗講武新豊。故事、天子行幸、牧守在三百里者、得詣行在。時帝亦密召崇、崇至、帝方獵渭濱、即召見、帝曰:「公知獵乎?」對曰:「少所習也。臣年二十、居広成沢、以呼鷹逐獸為樂。張憬蔵謂臣當位王佐、無自棄、故折節讀書、遂待罪将相。然少為獵師、老而猶能。」帝悅、與倶馳逐、緩速如旨、帝歡甚。既罷、乃咨天下事、不知倦。帝曰:「卿宜遂相朕。」崇知帝大度、鋭于治、乃先設事以堅帝意、即陽不謝、帝怪之。崇因跪奏:「臣願以十事聞、陛下度不可行、臣敢辭。」帝曰:「試為朕言之。」崇曰:「垂拱以來、以峻法繩下。臣願政先仁恕、可乎?朝廷覆師青海、未有牽復之悔。臣願不倖邊功、可乎?比來壬佞冒觸憲網、皆得以寵自解。臣願法行自近、可乎?后氏臨朝、喉舌之任出閹人之口。臣願宦豎不與政、可乎?戚里貢献以自媚于上、公卿方鎮寖亦為之。臣願租賦外一絶之、可乎?外戚貴主更相用事、班序荒雜。臣請戚屬不任臺省、可乎?先朝褻狎大臣、虧君臣之嚴。臣願陛下接之以礼、可乎?燕欽融、韋月将以忠被罪、自是諍臣沮折。臣願群臣皆得批逆鱗、犯忌諱、可乎?武后造福先寺、上皇造金仙、玉真二観、費鉅百万。臣請絶道佛營造、可乎?漢以禄、莽、閻、梁亂天下、国家為甚。臣願推此鑒戒為万代法、可乎?」帝曰:「朕能行之。」崇乃頓首謝。翌日、拜兵部尚書、同中書門下三品。封梁国公。遷紫微令。固辭實封、乃停舊食、賜新封百戸。 中宗時、近戚奏度僧尼、温戸彊丁因避賦役。至是、崇建言:「佛不在外、悟之于心。行事利益、使蒼生安穩、是謂佛理。烏用姦人以汨真教?」帝善之、詔天下汰僧偽濫、髮而農者餘万二千人。 崇嘗於帝前序次郎吏、帝左右顧、不主其語。崇懼、再三言之、卒不答、崇趨出。内侍高力士曰:「陛下新即位、宜與大臣裁可否。今崇亟言、陛下不應、非虚懐納誨者。」帝曰:「我任崇以政、大事吾當與決、至用郎吏、崇顧不能而重煩我邪?」崇聞乃安。由是進賢退不肖而天下治。 開元四年、山東大蝗、民祭且拜、坐視食苗不敢捕。崇奏:「詩云:『秉彼蟊賊、付畀炎火。』漢光武詔曰:『勉順時政、勸督農桑。去彼螟蜮、以及蟊賊。』此除蝗誼也。且蝗畏人易驅、又田皆有主、使自救其地、必不憚勤。請夜設火、坎其旁、且焚且瘞、蝗乃可盡。古有討除不勝者、特人不用命耳。」乃出御史為捕蝗使、分道殺蝗。汴州刺史倪若水上言:「除天災者當以徳、昔劉聰除蝗不克而害愈甚。」拒御史不應命。崇移書誚之曰:「聰偽主、徳不勝祅、今祅不勝徳。古者良守、蝗避其境、謂脩徳可免、彼将無徳致然乎?今坐視食苗、忍而不救、因以無年、刺史其謂何?」若水懼、乃縱捕、得蝗十四万石。時議者喧譁、帝疑、復以問崇、對曰:「庸儒泥文不知變。事固有違經而合道、反道而適権者。昔魏世山東蝗、小忍不除、至人相食。後秦有蝗、草木皆盡、牛馬至相噉毛。今飛蝗所在充滿、加復蕃息。且河南、河北家無宿蔵、一不穫則流離、安危繋之。且討蝗縱不能盡、不愈於養以遺患乎?」帝然之。黄門監盧懐慎曰:「凡天災安可以人力制也!且殺蟲多、必戻和氣。願公思之。」崇曰:「昔楚王吞蛭而厥疾瘳、叔敖斷福乃降。今蝗幸可驅、若縱之、穀且盡、如百姓何?殺蟲救人、禍歸於崇、不以諉公也!」蝗害訖息。 於是、帝方躬万機、朝夕詢逮、它宰相畏帝威決、皆謙憚、唯獨崇佐裁決、故得專任。崇第賒僻、因近舎客廬。會懐慎卒、崇病痁移告、凡大政事、帝必令源乾曜就咨焉。乾曜所奏善、帝則曰:「是必崇畫之。」有不合、則曰:「胡不問崇?」乾曜謝其未也、乃已。帝欲崇自近、詔徙寓四方館、日遣問食飲起居、高醫、尚食踵道。崇以館局華大、不敢居。帝使語崇曰:「恨不處禁中、此何避?」久之、紫微史趙誨受夷人賕、當死。崇素親倚、署奏營減、帝不悅。時曲赦京師、惟誨不原。崇惶懼、上還宰政、引宋璟自代、乃以開府儀同三司罷政事。 帝将幸東都、而太廟屋自壞、帝問宰相、宋璟、蘇頲同對曰:「三年之喪未終、不可以行幸。壞壓之變、天所以示教戒、陛下宜停東巡、脩徳以答至譴。」帝以問崇、對曰:「臣聞隋取苻堅故殿以營廟、而唐因之。且山有朽壤乃崩、況木積年而木自當乎。但壞與行會、不縁行而壞。且陛下以関中無年、輸餉告勞、因以幸東都、所以為人不為己也。百司已戒、供擬既具、請車駕如行期。舊廟難復完、盍奉神主舎太極殿?更作新廟、申誠奉、大孝之徳也。」帝曰:「卿言正契朕意。」賜絹二百匹、詔所司如崇言、天子遂東。因詔五日一参、入閤供奉。 八年、授太子少保、以疾不拜。明年卒、年七十二。贈揚州大都督、謚曰文献。十七年、追贈太子太保。 崇析貲産、令諸子各有定分。治令曰: 比見達宦之裔多貧困、至銖尺是競、無論曲直、均受嗤詆。田宅水磑既共有之、至相推倚以頓廢。陸賈、石苞、古達者也、亦先有定分以絶後爭。 昔楊震、趙咨、盧植、張奐咸以薄葬、知真識去身、貴速朽耳。夫厚葬之家流于俗、以奢靡為孝、令死者戮尸暴骸、可不痛哉!死者無知、自同糞土、豈煩奢葬。使其有知、神不在柩、何用破貲徇侈乎?吾亡、斂以常服、四時衣各一稱。性不喜冠衣、毋以入墓。紫衣玉帶、足便於體。 今之佛經、羅什所譯、姚興與之對翻、而興命不延、国亦隨滅。梁武帝身為寺奴、齊胡太后以六宮入道、皆亡国殄家。近孝和皇帝發使贖生、太平公主、武三思等度人造寺、身嬰夷戮、為天下笑。五帝之時、父不喪子、兄不哭弟、致仁寿、無凶短也。下逮三王、国祚延久、其臣則彭祖、老聃皆得長齢、此時無佛、豈抄經鑄像力邪?縁死喪造經像、以為追福。夫死者生之常、古所不免、彼經與像何所施為?兒曹慎不得為此! 崇尤長吏道、處決無淹思。三為宰相、常兼兵部、故屯戍斥候、士馬儲械、無不諳記。玄宗初立、賓礼大臣故老、雅尊遇崇、毎見便殿、必為之興、去輒臨軒以送、它相莫如也。時承権戚干政之後、綱紀大壞、先天末、宰相至十七人、臺省要職不可数。崇常先有司罷冗職、脩制度、擇百官各當其材、請無広釋道、無数移吏。繇是天子責成于下、而権歸于上矣。 然資権譎。如為同州、張説以素憾、諷趙彦昭劾崇。及當国、説懼、潛詣岐王申款。崇它日朝、衆趨出、崇曳踵為有疾状、帝召問之、對曰:「臣損足。」曰:「無甚痛乎?」曰:「臣心有憂、痛不在足。」問以故、曰:「岐王陛下愛弟、張説輔臣、而密乘車出入王家、恐為所誤、故憂之。」於是出説相州。魏知古、崇所引、及同列、稍輕之、出攝吏部尚書、知東都選、知古憾焉。時崇二子在洛、通賓客饋遺、憑舊請託。知古歸、悉以聞。他日、帝召崇曰:「卿子才乎、皆安在?」崇揣知帝意、曰:「臣二子分司東都、其為人多欲而寡慎、是必嘗以事干魏知古。」帝始以崇私其子、或為隠、微以言動之。及聞、乃大喜、問:「安從得之?」對曰:「知古、臣所薦也、臣子必謂其見徳而請之。」帝於是愛崇不私而薄知古、欲斥之。崇曰:「臣子無状、橈陛下法、而逐知古、外必謂陛下私臣。」乃止、然卒罷為工部尚書。 崇始名元崇、以與突厥叱剌同名、武后時以字行。至開元世、避帝號、更以今名。三子:彝、、弈、皆至卿、刺史。 弈少脩謹。始、崇欲使不越官次而習知吏道、故自右千牛進至太子舎人、皆平遷。開元中、有事五陵、有司以鷹犬從、弈曰:「非礼也。」奏罷之。請治劇、為睢陽太守、召授太僕卿。後為尚書右丞。 子閎、居右相牛仙客幕府。仙客病甚、閎彊使薦弈及盧奐為宰相、仙客妻以聞、閎坐死、弈貶永陽太守、卒。 曾孫合、勗。合、元和中進士及第、調武功尉、善詩、世號姚武功者。遷監察御史、累轉給事中。奉先、馮翊二県民訴牛羊使奪其田、詔美原主簿朱儔覆按、猥以田歸使、合劾發其私、以地還民。歴陝虢観察使、終祕書監。 勗字斯勤。長慶初擢進士第、数為使府表辟、進監察御史、佐鹽鉄使務。累遷諫議大夫、更湖、常二州刺史。為宰相李徳裕厚善。及徳裕為令狐綯等譖逐、擿索支黨、無敢通勞問。既居海上、家無資、病無湯劑、勗数饋餉候問、不傅時為厚薄。終夔王傅。自作寿蔵於万安山南原崇塋之旁、署兆曰「寂居穴」、墳曰「復真堂」、中剟土為曰「化臺」、而刻石告後世。 宋璟、邢州南和人。七世祖弁為元魏吏部尚書。璟耿介有大節、好学、工文辭、舉進士中第。調上黨尉、為監察御史、遷鳳閣舎人。居官鯁正、武后高其才。張易之誣御史大夫魏元忠有不臣語、引張説為驗、将廷辯、説惶遽、璟謂説曰:「名義至重、不可陷正人以求苟免。縁此受謫、芬香多矣。若不測者、吾且叩閤救、将與子偕死。」説感其言、以實對、元忠免死。 璟後遷左臺御史中丞、會飛書告張昌宗引相工観吉凶者、璟請窮治、后曰:「易之等已自言於朕。」璟曰:「謀反無容以首原、請下吏明国法。易之等貴寵、臣言之且有禍、然激於義、雖死不悔。」后不懌、姚遽伝詔令出、璟曰:「今親奉徳音、不煩宰相擅宣王命。」后意解、許收易之等就獄。俄詔原之、敕二張詣璟謝、璟不見、曰:「公事公言之、若私見、法無私也。」顧左右歎曰:「吾悔不先碎豎子首而令亂国經。」嘗宴朝堂、二張列卿三品、璟階六品、居下坐。易之諂事璟、虚位揖曰:「公第一人、何下坐?」璟曰:「才劣品卑、卿謂第一何邪?」是時朝廷以易之等内寵、不名其官、呼易之「五郎」、昌宗「六郎」。鄭善果謂璟曰:「公奈何謂五郎為卿?」璟曰:「以官正當為卿。君非其家奴、何郎之云?」會有喪、告滿入朝、公卿以次謁、通礼意。易之等後至、促步前、璟舉笏揖唯唯。故積怨、常欲中傷、后知之、得免。然以数忤旨、詔按獄揚州、璟奏:「按州県纔監察御史職耳。」又詔按幽州都督屈突仲翔、辭曰:「御史中丞非大事不出使。仲翔罪止贓、今使臣往、此必有危臣者。」既而詔副李嶠使隴、蜀、璟復言:「隴右無變、臣以中丞副李嶠、非朝廷故事。」終辭。易之初冀璟出則劾奏誅之、計不行、乃伺璟家婚礼、将遣客刺殺之。有告璟者、璟乘庳車舎他所、刺不得發。俄二張死、乃免。 神龍初、為吏部侍郎。中宗嘉其直、令兼諫議大夫、内供奉、仗下與言得失。遷黄門侍郎。武三思怙烝寵、数有請于璟。璟厲答曰:「今復子明辟、王宜以侯就第、安得尚干朝政、獨不見産、禄事乎?」後韋月将告三思亂宮掖、三思諷有司論大逆不道、帝詔殊死、璟請付獄按罪、帝怒、岸巾出側門、謂璟曰:「朕謂已誅矣、尚何請?」璟曰:「人言后私三思、陛下不問即斬之、臣恐有竊議者、請按而後刑。」帝愈怒。璟曰:「請先誅臣、不然、終不奉詔。」帝乃流月将嶺南。會還京師、詔璟権検校并州長史、未行、又検校貝州刺史。時河北水、歳大饑、三思使斂封租、璟拒不與、故為所擠。歴杭、相二州、政清毅、吏下無敢犯者。遷洛州長史。 睿宗立、以吏部尚書、同中書門下三品。玄宗在東宮、兼右庶子。先是崔湜、鄭愔典選、為戚近干奪、至迎用二歳闕、猶不能給、更置比冬選、流品淆并、璟與侍郎李乂、盧從愿澄革之、銓総平允。 太平公主不利東宮、嘗駐輦光範門、伺執政以諷。璟曰:「太子有大功、宗廟社稷主也、安得異議?」乃與姚崇白奏出公主、諸王於外、帝不能用。貶楚州刺史、歴兗冀魏三州、河北按察使、進幽州都督、以国子祭酒留守東都、遷雍州長史。 玄宗開元初、以雍州為京兆府、復為尹。進御史大夫、坐小累為睦州刺史、徙広州都督。広人以竹茅茨屋、多火。璟教之陶瓦築堵、列邸肆、越俗始知棟宇利而無患災。召拜刑部尚書。四年、遷吏部兼侍中。 帝幸東都、次崤谷、馳道隘、稽擁車騎、帝命黜河南尹李朝隠、知頓使王怡等官。璟曰:「陛下富春秋、今始巡守、以道不治而罪二臣、繇此相飭、後有受其敝者。」帝遽命捨之。璟謝曰:「陛下向以怒責之、以臣言免之、是過歸於上而恩在下。姑聽待罪於朝、然後詔還其職、進退得矣。」帝善之。累封広平郡公。広人為璟立遺愛頌、璟上言:「頌所以伝徳載功也。臣之治不足紀、広人以臣當国、故為溢辭、徒成諂諛者。欲釐正之、請自臣始。」有詔許停。 帝嘗命璟與蘇頲制皇子名與公主號、遂差次所封、且詔別擇一美稱及佳邑封上。璟奏言:「七子均養、詩人所稱。今若同等別封、或母寵子愛、恐傷鳲鳩之平。昔袁盎引慎夫人席、文帝納之、夫人亦不為嫌、以其得長久計也。臣不敢別封。」帝歎重其賢。 皇后父王仁皎卒、将葬、用昭成皇后家竇孝諶故事、墳高五丈一尺。璟等請如著令、帝已然可、明日、復詔如孝諶者。璟還詔曰:「儉、徳之恭。侈、惡之大也。僭礼厚葬、前世所誡、故古墓而不墳。人子於哀迷則未皇以礼自制、故聖人制齊、斬、緦、免、衣衾棺槨、各有度数。雖有賢者、斷其私懐。衆皆務奢、獨能以儉、所謂至徳要道者。中宮若謂孝諶踰制、初無非者、一切之令固不足以法。貞観時嫁長樂公主、魏徴謂不可加長公主、太宗欣納、而文徳皇后降使厚謝。韋庶人追王其父、擅作酆陵、而禍不旋踵。国家知人情無窮、故為制度、不因人以搖動、不變法以愛憎。比來人間競務靡葬、今以后父重戚、不憂乏用、高大寢、不畏無人、百事官給、一朝可就、而區區屢聞者、欲成朝廷之政、中宮之美爾。儻中宮情不可奪、請準令一品陪陵墳四丈、差合所宜。」帝曰:「朕常欲正身紀綱天下、於后容有私邪?然人所難言、公等乃能之。」即可其奏。又遣使賚綵絹四百匹。 會日食、帝素服俟變、録囚多所貸遣、賑卹災患、罷不急之務。璟曰:「陛下降徳音、卹人隠、末宥輕繋、惟流、死不免、此古所以慎赦也。恐議者直以月蝕脩刑、日蝕脩徳、或言分野之變、冀有揣合。臣以謂君子道長、小人道銷。止女謁、放讒夫、此所謂脩徳也。囹圄不擾、兵甲不瀆、官不苛治、軍不輕進、此所謂脩刑也。陛下常以為念、雖有虧食、将轉而為福、又何患乎?且君子恥言浮於行、願動天以誠、無事空文。」帝嘉納。後以開府儀同三司罷政事。 京兆人権梁山謀逆、敕河南尹王怡馳伝往按。牢械充滿、久未決、乃命璟為京留守、覆其獄。初、梁山詭稱婚集、多假貸、吏欲并坐貸人。璟曰:「婚礼借索大同、而狂謀率然、非所防億。使知而不假、是與為反。貸者弗知、何罪之云?」平縱数百人。 十二年、東巡泰山、璟復為留守。帝将發、謂曰:「卿、国元老、別方歴時、宜有嘉謀以遺朕。」璟因一二極言。手制答曰:「所進當書之坐右、出入観省、以誡終身。」賜賚優渥、進兼吏部尚書。十七年、為尚書右丞相、而張説為左丞相、源乾曜為太子少傅、同日拜。有詔太官設饌、太常奏樂、會百官尚書省東堂。帝賦三傑詩、自寫以賜。二十年、請致仕、許之、仍賜全禄。退居洛。乘輿東幸、璟謁道左。詔榮王勞問、別遣使賜藥餌。二十五年卒、年七十五、贈太尉、謚文貞。 璟風度凝遠、人莫涯其量。始、自広州入朝、帝遣内侍楊思勗驛迓之、未嘗交一言。思勗自以将軍貴幸、訴之帝、帝益嗟重。璟為宰相、務清政刑、使官人皆任職。聖暦後、突厥默啜負其彊、数窺邊、侵九姓拔曳固、負勝輕出、為其狙撃斬之、入蕃使郝霊佺伝其首京師。霊佺自謂還必厚見賞。璟顧天子方少、恐後干寵蹈利者夸威武、為国生事、故抑之、踰年、纔授右武衛郎将、霊佺恚憤不食死。張嘉貞後為相、閲堂案、見其危言切議、未嘗不失聲歎息。六子:昇、尚、渾、恕、華、衡。 昇、太僕少卿。尚、漢東太守。渾、與李林甫善、歴諫議大夫、平原太守、御史中丞、東京採訪使。在平原、暴斂求進、至重取民一年庸、租。使東畿、薛稷甥女鄭寡而美、渾使河南尉楊朝宗聘而己納之、薦朝宗為赤尉。恕、以都官郎中為劍南採訪判官、数貪縱不法、陰養刺客。天宝中、渾、恕、尚並以贓敗、渾流高要、恕流海康、尚貶臨海長史。華、衡亦皆坐貪得罪。広徳中、渾起為太子諭徳、物議穢薄之、留死江嶺。昆弟皆荒飲俳嬉、而衡最險悖、広平之風衰焉。 賛曰:姚崇以十事要説天子而後輔政、顧不偉哉、而舊史不伝。観開元初皆已施行、信不誣已。宋璟剛正又過於崇、玄宗素所尊憚、常屈意聽納。故唐史臣稱崇善應變以成天下之務、璟善守文以持天下之正。二人道不同、同歸于治、此天所以佐唐使中興也。嗚呼!崇勸天子不求邊功、璟不肯賞邊臣、而天宝之亂、卒悼其害、可謂先見矣。然唐三百年、輔弼者不為少、獨前稱房、杜、後稱姚、宋、何哉?君臣之遇合、蓋難矣夫!
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鉄の防御 壁と防御を中心に鉄壁へ強化 城壁の耐久力I トラップ堅牢性III(要塞の安定性III) トラップ殺傷性III(守備力III) トラップ耐久性III(要塞の耐久性III) 包囲攻撃対策(弱体化した攻撃) 城壁構造III(壁の設計III) 築城技術III(壁の建設III) 城壁の耐久力II 工学技術III(エンジニアリングIII) トラップ堅牢性IV(要塞の安定性IV) トラップ殺傷性IV(守備力IV) トラップ耐久性IV(要塞の耐久性IV) トラップ容量(能力) 城壁構造IV(壁の設計IV) 築城技術IV(壁の建設IV) 城壁の耐久力III 弓兵武器改良II(弓兵武器のアップグレードII) 弓兵防具改良II(弓兵甲冑のアップグレードII) 弓兵身体鍛錬II(弓兵の身体訓練II) トラップ容量II(要塞能力II) 城壁の耐久力IV 防衛拡張(拡張された防御) 城壁の耐久力I 向上する効果 城壁の耐久力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 6,023 2% Mlv25 203,406 101,704 122,044 81,361 276,144 01d 02 36 00 2 - 4% - - - - - - - 3 - 6% - - - - - - - 4 12,646 8% - 528,853 264.43K 317.31K 211.54K 717.97K 02d 14 02 24 5 - 11% - - - - - - - 6 - 15% - - - - - - - 7 - 20% - - - - - - - 8 - 30% - - - - - - - 9 - 50% - - - - - - - 10 - 100% - - - - - - - トラップ堅牢性III(要塞の安定性III) 向上する効果 トラップ防御力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 4,516 1% -1lv1 152,554 76,278 91,533 61,020 207,108 - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - トラップ殺傷性III(守備力III) 向上する効果 トラップ攻撃力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 4,516 1% -1lv1 152,554 76,278 91,533 61,020 207,108 - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - トラップ耐久性III(要塞の耐久性III) 向上する効果 トラップ耐久性 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 4,516 1% -1lv1 152,554 76,278 91,533 61,020 207,108 - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - 包囲攻撃対策(弱体化した攻撃) 向上する効果 敵軍の包囲攻撃力低下 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 13,551 0.4% -1alv3,-1blv3,-1clv3 457,663 228,834 228,834 228,834 549,198 - 2 - 0.8% - - - - - - - 3 - 1.2% - - - - - - - 4 - 1.6% - - - - - - - 5 - 2.2% - - - - - - - 6 - 3% - - - - - - - 7 - 4% - - - - - - - 8 - 6% - - - - - - - 9 - 10% - - - - - - - 10 - 20% - - - - - - - 城壁構造III(壁の設計III) 向上する効果 城壁防御力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 6,775 1% - 228,831 137.3K 114.42K 91.53K 310.66K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - 築城技術III(壁の建設III) 向上する効果 城壁修理速度 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 6,775 1% - 228.83K 114.42K 137.3K 91.53K 310.66K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - 城壁の耐久力II 向上する効果 城壁の耐久力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 6,775 2% - 228.83K 114.42K 137.3K 91.53K 310.66K - 2 - 4% - - - - - - - 3 - 6% - - - - - - - 4 - 8% - - - - - - - 5 - 11% - - - - - - - 6 - 15% - - - - - - - 7 - 20% - - - - - - - 8 - 30% - - - - - - - 9 - 50% - - - - - - - 10 - 100% - - - - - - - 工学技術III(エンジニアリングIII) 向上する効果 トラップ設置速度 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 9,034 1% - 305.11K 152.56K 183.07K 122.04K 414.22K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 6% - - - - - - - 4 - 10% - - - - - - - 5 - 15% - - - - - - - 6 - 21% - - - - - - - 7 - 29% - - - - - - - 8 - 40% - - - - - - - 9 - 55% - - - - - - - 10 - 80% - - - - - - - トラップ堅牢性IV(要塞の安定性IV) 向上する効果 トラップ防御力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 - 1% - 274.6K 137.3K 164.76K 109.84K 372.79K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - トラップ殺傷性IV(守備力IV) 向上する効果 トラップ攻撃力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 - 1% - 274.6K 137.3K 164.76K 109.84K 372.79K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - トラップ耐久性IV(要塞の耐久性IV) 向上する効果 トラップ耐久性 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 - 1% - 274.6K 137.3K 164.76K 109.84K 372.79K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - トラップ容量(能力) 向上する効果 トラップの収容量 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 25,190 1,250 - 696.1K 348.05K 348.05K 348.05K 835.33K - 2 - 3,750 - - - - - - - 3 - 7,500 - - - - - - - 4 - 12,500 - - - - - - - 5 - 18,750 - - - - - - - 6 - 26,250 - - - - - - - 7 - 35,000 - - - - - - - 8 - 45,000 - - - - - - - 9 - 65,000 - - - - - - - 10 - 125,000 - - - - - - - 城壁構造IV(壁の設計IV) 向上する効果 城壁防御力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 12,194 1% - 411.89K 205.95K 247.14K 164.75K 559.19K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - 築城技術IV(壁の建設IV) 向上する効果 城壁修理速度 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 12,194 1% - 411.89K 205.95K 247.14K 164.75K 559.19K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - 城壁の耐久力III 向上する効果 城壁の耐久力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 12,194 2% - 411.89K 205.95K 247.14K 164.75K 559.19K - 2 - 4% - - - - - - - 3 - 6% - - - - - - - 4 - 8% - - - - - - - 5 - 11% - - - - - - - 6 - 15% - - - - - - - 7 - 20% - - - - - - - 8 - 30% - - - - - - - 9 - 50% - - - - - - - 10 - 100% - - - - - - - 弓兵武器改良II(弓兵武器のアップグレードII) 向上する効果 弓兵攻撃力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 13,551 1% - 457.66K 228.83K 228.83K 228.83K 549.2K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - 弓兵防具改良II(弓兵甲冑のアップグレードII) 向上する効果 弓兵防御力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 13,551 1% - 457.66K 228.83K 228.83K 228.83K 549.2K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - 弓兵身体鍛錬II(弓兵の身体訓練II) 向上する効果 弓兵生命力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 13,551 1% - 457.66K 228.83K 228.83K 228.83K 549.2K - 2 - 3% - - - - - - - 3 - 7% - - - - - - - 4 - 13% - - - - - - - 5 - 21% - - - - - - - 6 - 32% - - - - - - - 7 - 46% - - - - - - - 8 - 64% - - - - - - - 9 - 87% - - - - - - - 10 - 135% - - - - - - - トラップ容量II(要塞能力II) 向上する効果 トラップの収容量 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 24,686 1,250 - 974.54K 487.28K 487.28K 487.28K 1.17M - 2 - 3,750 - - - - - - - 3 - 7,500 - - - - - - - 4 - 12,500 - - - - - - - 5 - 18,750 - - - - - - - 6 - 26,250 - - - - - - - 7 - 35,000 - - - - - - - 8 - 45,000 - - - - - - - 9 - 65,000 - - - - - - - 10 - 125,000 - - - - - - - 城壁の耐久力IV 向上する効果 城壁の耐久力 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 24,686 2% - 974.54K 487.28K 487.28K 487.28K 1.17M - 2 - 4% - - - - - - - 3 - 6% - - - - - - - 4 - 8% - - - - - - - 5 - 11% - - - - - - - 6 - 15% - - - - - - - 7 - 20% - - - - - - - 8 - 30% - - - - - - - 9 - 50% - - - - - - - 10 - 100% - - - - - - - 防衛拡張(拡張された防御) 向上する効果 最大防衛部隊 レベル 評価 効果 解禁条件 穀物コスト 木コスト 石コスト 鉄コスト 金コスト 調査時間 1 79,749 30K - 2,203,902 1,101,955 1,101,955 1,101,955 2,644,688 - 2 - 90K - - - - - - - 3 - 180K - - - - - - - 4 - 300K - - - - - - - 5 - 450K - - - - - - - 6 - 630K - - - - - - - 7 - 840K - - - - - - - 8 - 1,080K - - - - - - - 9 - 1,560K - - - - - - - 10 - 3,000K - - - - - - - //Nicm25 解禁条件が滅茶苦茶な表示になってるかも... //題名が表に収まらず、相対表示する方法を探していますorz
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十八史略 昭烈皇帝 2011-10-29 09 56 08 | 十八史略 昭烈皇帝諱備、字玄、漢景帝子中山靖王勝之後。有大志。少言語、喜怒不形。身長七尺五寸。垂手下膝、顧自見其耳。 蜀中傳言、曹丕簒立、帝已遇害。於是漢中王、發喪制服、諡曰孝愍皇帝。夏四月、即帝位於武擔之南、大赦、改元章武。 以諸葛亮爲丞相、許靖爲司徒。 立宗廟、袷祭高皇帝以下。 立夫人呉氏爲皇后、子禪爲皇太子。 昭烈皇帝諱(いみな)は備、字(あざな)は玄徳。漢の景帝の子の中山靖王勝の後(のち)なり。大志有り。言語少なく、喜怒形(あら)わさず。身の長(たけ)七尺五寸。手を垂るれば膝より下り、顧みれば自ら其の耳を見るという。 蜀中伝えて言う、曹丕簒立(さんりつ)して、帝已に害に遇えりと。是(ここ)に於いて漢中王、喪を発し服を制し、諡(おくりな)して孝愍皇帝(こうびんこうてい)と曰う。夏四月、帝位に武担の南に即き、大赦し、元を章武と改む。 諸葛亮を以って丞相と為し、許靖(きょせい)を司徒と為す。 宗廟を立てて、高皇帝以下を袷祭(こうさい)す。 夫人の呉氏を立てて皇后と為し、子の禅を皇太子と為す。 諱 生きているときは名といい、死んでからいみなと言う。字 男子が成人後につける別名。 諡 死後にその徳を称えて贈る称号。 簒立 帝位を奪って代り立つ。 服を制し 喪に服すこと。 武擔 武担山。袷祭 あわせ祭る、合祀。 昭烈皇帝は諱は備、字は玄徳。漢の景帝の子の中山に封ぜられた靖王勝の後裔である。大志を抱き、口数少なく、喜怒を表さなかった。身の丈七尺五寸、手を垂れると膝より下まで届き、ふり返ると自分の耳が見えたといわれる。 曹丕が帝位を奪って立ち、献帝は殺害されたとの噂が伝わった。漢中王劉備は国中に喪を発して自ら服喪して、献帝に孝愍皇帝と諡を贈った。この夏の四月、漢中王は武担山の南で帝位に即き(221年)大赦を行い、元号を章武とした。 また諸葛亮を丞相に、許靖を司徒に任命した。 宗廟を立てて、高祖以下の皇帝をあわせ祭った。 夫人の呉氏を皇后に立て、子の禅を皇太子とした。 十八史略 車載斗量あげて数うべからず。 2011-11-01 10 57 43 | 十八史略 魏主丕、姓曹氏、沛國譙人也。父操爲魏王、丕嗣位。首立九品官人之法。州郡皆置九品中正、區別人物、第其高下。丕既簒漢、自立爲帝、追尊操爲太祖武皇帝、改元黄初。 帝恥關羽之没、自將伐孫權。權求和不許。權遣使於魏。魏封權爲呉王。魏主問呉使趙咨曰、呉王頗知學乎。咨曰、呉王任賢使能、志存經略。雖有餘閑博覧書史、不效書生尋章摘句。魏主曰、呉難魏乎。咨曰、帶甲百萬、江・漢爲池。南難之有。曰、呉如大夫者幾人。咨曰、聰明特達者、八九十人。如臣之比、車載斗量不可勝數。 魏主丕、姓は曹氏、沛国(はいこく)譙(しょう)の人なり。父の操、魏王と為り、丕位を嗣(つ)ぐ。首として九品もて人を官するの法を立つ。州郡皆九品の中正を置き、人物を区別して、其の高下を第(つい)でしむ。丕既に漢を簒(うば)い、自ら立って帝と為り、操を追尊して太祖武皇帝と為し、黄初(こうしょ)と改元す。 帝、関羽の没せしを恥ぢ、自ら将として孫権を伐つ。権、和を求むれども許さず。権、使いを魏に遣わす。魏、権を封じて呉王と為す。魏主、呉の使いの趙咨(ちょうし)に問うて曰く、「呉王、頗る学を知れるか」と。咨の曰く、「呉王は賢を任じ能を使い、志経略に存す。余閑有れば博く書史を覧ると雖も、書生の章を尋ね句を摘むに效(なら)わず」と。魏主曰く、「呉は魏を難(はばか)るか」と。咨の曰く「帯甲百万、江・漢を池と為す。何の難ることか之有らん」と。曰く、「呉に大夫の如き者幾人かある」と。咨の曰く「聡明特達の者、八九十人あり。臣の如きは、車に載せ斗もて量(はか)るとも、勝(あ)げて数う可からず」と。 譙 安徽省毫県。 九品中正 官名、各地の人物を九等に評価して推挙した。 等 順序を定める、格付け。 頗る すこし、かなり。 難るか 憂え、恐れる。 帯甲 甲冑をつけた兵士。 江・漢 揚子江と漢水。 勝 ①あげる、たえる、こらえる、できる、すぎる、しのぐ、のる、あげて、ことごとく②かつ、まさる、すぐれる。 魏の国主丕、姓は曹氏、沛国譙のひとなり。父の操、魏王となり、丕が位を嗣いだ。まず手始めに官吏登用の九品官人法を定めた。それは州、郡に九品中正官を置き、人物の優劣を区別たもので、高下の順序をつけて任用することとした。丕はやがて漢の帝位を奪って、みずから皇帝となり、父の操を追尊して太祖武皇帝とし、年号を黄初(こうしょ)と改元した。(220年) 昭烈帝劉備は関羽が呉軍に討たれたことを悔み、自ら兵をひきいて孫権を伐ちに出発した。孫権は和睦を求めたが容れられず、魏に使いを遣って救いを求めた。魏はそれを受けて、孫権を呉王に封じた。このとき、曹丕は呉の使いの趙咨に問いかけた。「呉王は少しは学問をなされるかな。」咨は答えて「呉王は賢者を登用して有能の者を使い、その志すところは天下統治にありますから、余暇には歴史書を読みますが、書生が一字一句を追求するようなことはございません。」また、「呉は魏を恐れているか」「甲冑をつけた兵士が百万、揚子江・漢水が濠となっております、なにを恐れることがありましょう。」さらに、「貴公ほどの人はどのくらい居られるか」「聡明で特出した者が八、九十人おります。わたくし程度の者なら、車に積み、ますで計ってもすべて数え切れないくらいであります。」 十八史略 昭烈帝劉備崩ず 2011-11-03 17 27 59 | 十八史略 帝自巫峽至夷陵、立數十屯、與呉軍相拒累月。呉將陸遜、連破其四十餘營。帝夜遁。 魏主責呉侍子。不至。怒伐之。呉王改元黄武、臨江拒守。 三年、夏四月、帝崩。在位三年。改元者一、曰章武。諡曰昭烈皇帝。太子禪即位。封亮爲武郷侯。太子既立。是爲後皇帝。 帝、巫峽(ふきょう)より夷陵(いりょう)に数十屯を立て、呉軍と相拒(ふせ)ぐこと累月(るいげつ)、呉将陸遜、連(しき)りにその四十余営を破る。帝、夜遁(の)がる。 魏主、呉の侍子(じし)を責む。至らず。怒って之を伐つ。呉王元(げん)を黄武と改め、江に臨んで拒(ふせ)ぎ守る。 三年夏四月、帝崩ず。在位三年。元を改むる者(こと)一、章武と曰う。諡(おくりな)して昭烈皇帝と曰う。太子の禅、位に即く。亮を封じて武郷侯と為す。太子既に立つ。是を後皇帝と為す。 屯 駐屯地。 連 しきりに、つづけて。 侍子 自分の子を差し出して天子に仕えさせる一種の人質。 昭烈帝劉備は、巫峽から夷陵にかけて数十の陣営を築いて、呉軍と対峙すること幾月かにおよんだ。呉の将陸遜が続けざまに四十余りを撃ち破ったので、帝は夜にまぎれて逃げ帰った。 魏の曹丕は孫権が約束の人質を出さないのを責めたが、遂に怒って呉を攻めた。呉王孫権は元号を黄武と改め、揚子江に臨んで魏軍と対峙した。 漢の章武三年(223年)夏四月、昭烈帝が崩じた。改元は一度で章武である。諡を昭烈皇帝という。太子の禅が位を継ぎ、諸葛亮を武郷侯に封じた。太子が即位した、これが後皇帝(こうこうてい)である。 十八史略 昭烈皇帝の遺言 2011-11-05 09 16 23 | 十八史略 嗣子輔く可くんば之を輔けよ 後皇帝名禪、字公嗣、昭烈皇帝子也。年十七即位。改元建興。丞相諸葛亮受遺詔輔政。昭烈臨終謂亮曰、君才十倍曹丕。必能安國家、終定大事。嗣子可輔輔之。如其不可、君可自取。亮涕泣曰、臣敢不竭股肱之力、效忠貞之節、繼之以死。亮乃約官職、修法制、下教曰、夫參署者、集衆思、廣忠也。若遠小嫌、難相違覆、曠闕損矣。亮乃遣芝、使呉修好。芝見呉王曰、蜀有重險之固。呉有三江之阻。共爲脣齒、進可兼并天下、退可鼎足而立。呉遂絶魏專與漢和。 後皇帝、名は禅、字は公嗣(こうし)、昭烈皇帝の子なり。年十七にして位に即く。元を建興と改む。丞相の諸葛亮、遺詔を受けて政を輔(たす)く。昭烈、終りに臨んで亮に謂って曰く、「君の才は曹丕に十倍せり。必ず能く国家を安んじ、終(つい)に大事を定めん。嗣子輔く可くんば之を輔けよ。如(も)し其れ不可ならば、君、自ら取る可し」と。亮、涕泣(ていきゅう)して曰く、「臣敢えて股肱(ここう)の力を竭(つく)し、忠貞の節を效(いた)し、之に継ぐに死を以ってせざらんや、」と。亮乃ち官職を約し、法制を修め、教えを下して曰く、「夫(そ)れ参署は、衆思(しゅうし)を集め、忠益を広むるなり。若し小嫌(しょうけん)を遠ざけ、相違覆(いふく)することを難(はばか)らば、曠闕(こうけつ)して損あらん、」と。亮、乃ち芝(とうし)を遣わし、呉に使いして好(よしみ)を修めしむ。芝、呉王に見(まみ)えて曰く、「蜀に重険(じゅうけん)の固(かため)有り。呉に三江の阻(そ)有り。共に唇歯(しんし)を為さば、進んでは天下を兼并(けんぺい)す可く、退いては鼎足(ていそく)して立つ可し、」と。呉、遂に魏と絶(た)ち、専ら漢と和す。 敢不 反語、(敢えて・・せざらんや)と読む。不敢は否定(敢えて・・せず)。 股肱 ももとひじ、全身。 参署 合議制、大勢が参加してその結果に署名する。 衆思 多くの意見。 忠益 忠言の益。 小嫌 些細な気がね。 違覆 異見を述べ、繰り返し審議すること。 曠闕 曠は空しい、闕は欠けること、ないがしろになること。 三江 呉淞・銭塘・浦陽。 唇歯 親密な間柄。 兼并 併せもつ。 鼎足 三本足、蜀、呉、魏が並び立つ。 後皇帝、名は禅、字は公嗣といい、昭烈皇帝の子である。十七歳で位に即き、年号を建興と改めた。丞相の諸葛亮は昭烈皇帝の遺言を受けて政治を補佐した。昭烈帝の臨終の際、亮に「君の才能は魏の曹丕に比べて十倍にも勝る。国家を安泰にし、天下統一の大事をなすことができよう。補佐するに足る器量が禅にあるなら、援けてやって欲しい、もしその甲斐が無いようなら、君自ら天下を取ってくれ」と言った。亮は涙を流して、「私は何としても臣下として全力をもって、忠節を尽し、ついには一命をも投げ出さずにおられましょうか」と申し上げた。こうして亮はまず官職を簡素にし、法制を改め、群臣に、「そもそも参署とは衆知を集め、忠言の益を広めるためのものである。もし些細な気兼ねから異議をさしはさむことを憚り審議を繰り返すことを厭えば、天下の政務はなおざりになり、ひいては国の大損失となるであろう。」と訓示した。ついで諸葛亮は芝を使者として呉に派遣し、好(よし)みを通じさせた。芝は呉王に面会して、「わが蜀にはいく重もの天然の要害があります。貴国には呉淞・銭塘・浦陽の三江の険阻があります。共に唇と歯のような切っても切れぬ間柄となれば、進んでは天下を併せ持つことが出来ましょう。退いては鼎の足のように三国が並び立つことができます。」と言上した。呉王は魏と絶ち、もっぱら蜀漢と親しく交わった。 十八史略 猛獲七縦七禽 2011-11-08 11 04 26 | 十八史略 魏主以舟師撃呉。呉列艦于江。江水盛長。魏主臨望、歎曰、我雖有武夫千羣、無所施也。於是還師。 南夷畔漢。丞相亮往平之。有孟獲者。素爲夷漢所服。亮生致獲、使觀營陣、緃使更戰。七緃七禽、猶遺獲。獲不去曰、公天威也。南人不復反矣。 魏主又以舟師臨呉。見波濤洶湧、歎曰、嗟乎、固天所以限南北也。 魏主丕殂。僭位七年。改元者一、曰黄初。諡曰文皇帝。子叡立。是爲明帝。叡母被誅。丕嘗與叡出獵、見子母鹿。既射其母、使叡射其子。叡泣曰、陛下已殺其母。臣不忍殺其子。丕惻然。及是爲嗣即位。 處士管寧、字幼安。自東漢末、避地遼東三十七年。魏徴之。乃浮海西歸。拝官不受。 魏主舟師(しゅうし)を以って呉を撃つ。呉、艦を江に列す。江水盛長す。魏主、臨望(りんぼう)し、歎じて曰く、我、武夫(ぶふ)千群有りと雖も、施す所無きなり、と。是(ここ)に於いて師を還す。 南夷、漢に畔(そむ)く。丞相亮、往(ゆ)いて之を平らぐ。孟獲という者有り。素より夷漢(いかん)の服する所と為る。亮、獲を生致(せいち)し、営陣を観(み)しめ、縦(ゆる)して更に戦わしむ。七縦七禽(しちしょうしちきん)、猶獲を遣(や)る。獲、去らずして曰く、公は天威なり。南人復た反せず、と。 魏主、又舟師を以って呉に臨む。波濤の洶湧(きょうよう)するを見て、歎じて曰く、嗟乎(ああ)、固(まこと)に天の南北に限る所以(ゆえん)なり、と。 魏主丕、殂(そ)す。位を僭(せん)すること七年。改元する者(こと)一、黄初と曰う。諡(おくりな)して文皇帝と曰う。子の叡(えい)立つ。是を明帝と為す。叡の母、誅せらる。 丕、嘗て叡と出でて猟し、子母(しぼ)の鹿を見る。既に其の母を射(い)、叡をして其の子を射しむ。叡、泣いて曰く、陛下、已に其の母を殺せり。臣、其の子を殺すに忍びず、と。丕惻然(そくぜん)たり。是(ここ)に及んで、嗣と為り、位に即く。 処士管寧(かんねい)、字は幼安。東漢の末より、地を遼東に避くること三十七年。魏、之を徴(め)す。乃ち海に浮かんで西に帰る。官に拝すれども、受けず。 舟師 水軍、ふないくさ。 夷漢の服する所 夷も漢も共に畏服する。 生致 生け捕り。 七縦七禽 七度解き放って七度捕える。 洶湧 波が逆巻くさま。殂す 死ぬこと。 僭 身分を侵すこと、僭称。 惻然 あわれみ、心を痛めること。処士 仕官していない人。 魏主曹丕が水軍を率いて呉を攻めた。呉は軍船を揚子江に並べてこれを迎えた。折しも揚子江の水かさは増していた。曹丕はそれを見ると、「千隊ものつわものを率いているが、これではどうしようもない」と軍を帰した。 その頃、雲南の族が漢に叛いた。丞相の諸葛亮が出兵してこれを平定したが、猛獲という勇者がおり、族はもとより、漢でもその勇猛ぶりは知れ渡っていた。亮はこの猛獲を生け捕りにして、漢の陣営を見せた後、解き放って再度戦う機会を与えた。七たび解き放って七たびとらえた。なおも行かせようとすると、猛獲はこう言った「公の武威は天賦のものです。南のものは二度と叛きません」と。 その後、曹丕は再び水軍を発して呉に向かったが、又もや逆巻く波に遮られた。嘆息して「ああ、まことにこの揚子江は、天が南と北に天下を分かとうという意志のあらわれであろうか」と言った。 魏主曹丕が病死した(226年)。帝位を僭称すること七年、改元すること一度、黄初といった。文皇帝とおくりなした。子の叡が位に立った。これを明帝という。叡の母は以前に讒言にあって誅殺されていた。 曹丕はある日、叡をつれて猟にでかけ、親子づれの鹿を見つけた。丕がすかさず母鹿を射止めると叡に向かって子鹿を射るよう命じた。叡は泣いて訴えた「陛下は母鹿を殺しました。私はその子を殺すに忍びません」と。それを聞いて丕は悲痛な思いをした。こうして叡が後嗣ぎとなり、位に即いたのである。 民間の士に管寧という者がいた。字を幼安といい、東漢の末から、乱世を避けて、遼東の地に居ること三十七年もの間に及んだ。曹丕がこれを招いたところ、海路西に向かって魏に帰ってきたが、士官を固辞して受けなかった。 十八史略 出師の表 2011-11-10 14 39 17 | 十八史略 漢丞相亮、率諸軍北伐魏。臨發上疏曰、今天下三分、州疲弊。此危急存亡之秋也。宜開張聖聽、不宜塞忠諌之路。宮中・府中、倶爲一體。陟罰臧否、不宜異同。若有作姦犯科及忠善者、宜付有司論其刑賞、以昭平明之治。親賢臣遠小人、此先漢所以興隆也。親小人遠賢臣、此後漢所以傾頽也。臣本布衣、躬畊南陽、苟全性命於亂世、不求聞達於諸侯。先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於草廬之中、諮臣以當世之事。由是感激、許先帝以驅馳。先帝知臣謹慎、臨崩、寄以大事。受命以來、夙夜憂懼、恐付託不效、以傷先帝之明。故五月渡瀘、深入不毛。今南方已定、兵甲已足。當奬率三軍、北定中原。興復漢室、還于舊都、此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。遂屯漢中。 漢の丞相亮、諸軍を率いて、北のかた魏を伐つ。発するに臨んで、上疏(じょうそ)して曰く、「今、天下三分し、益州疲弊せり。此れ危急存亡の秋(とき)なり。宜しく聖聴を開帳すべく、宜しく忠諌(ちゅうかん)の路を塞ぐべからず。宮中・府中は倶(とも)に一体たり。臧否(ぞうひ)を陟罰(ちょくばつ)するに、宜しく異同あるべからず。若し、姦を作(な)し、科を犯し、及び忠善の者有らば、宜しく有司に付して、その刑賞を論じ、以って平明の治を昭(あきら)かにすべし。賢臣を親しみ、小人を遠ざくるは、此れ先漢の興隆せし所以なり。小人を親しみ、賢人を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽(けいたい)せし所以なり。臣、本(もと)布衣(ふい)、南陽に躬畊(きゅうこう)し、性命を乱世に苟全(こうぜん)して、聞達(ぶんたつ)を諸侯に求めず。先帝、臣が卑鄙(ひひ)なるを以ってせず、猥(みだ)りに自ら枉屈(おうくつ)して、臣を草廬(そうろ)の中に三顧し、臣に諮(と)うに当世の事を以ってす。是に由(よ)って感激し、先帝に許すに駆馳(くち)を以ってす。先帝、臣の謹慎なるを知り、崩ずるに臨み、寄するに大事を以ってせり。命を受けてより以来、夙夜(しゅくや)憂懼(ゆうく)し、付託の效(こう)あらずして、以って先帝の明を傷(そこな)わんことを恐る。故に五月、瀘(ろ)を渡り、深く不毛に入る。今、南方、すでに定まり、兵甲すでに足る。当(まさ)に三軍を奨率(しょうそつ)して、北のかた中原を定むべし。漢室を興復し、旧都を還(かえ)さんことは、此れ臣が先帝に報いて陛下に忠なる所以の職分なり」と。遂に漢中に屯(たむろ)す。 上疏 書をたてまつること。 聖聴を開帳 臣下の言葉をよく聴くこと。 忠諌 忠義の諫言。 宮中・府中 宮中は禁中・府中は幕府。 臧否 善悪。 陟罰 陟は登る、褒賞と罰則。 先漢 文帝・景帝の治世。 後漢 桓帝・霊帝の治世。 布衣 無官、庶人。 躬畊 みずから耕す。 苟全 とりあえず全うする。 聞達 世間に知れること。 卑鄙 身分が低いこと。 枉屈 曲げ、屈めること。 草廬 粗末ないおり。 三顧 三度訪ねる、目上の人が礼を尽くすこと。 駆馳 奔走すること。 夙夜 一日中。 憂懼 憂え恐れること。 效 効に同じ。 瀘 瀘水。 兵甲 兵は武器、甲はよろい。 奨率 奨帥、励まし率いる。 漢の丞相亮がいよいよ三軍を率いて魏を伐つことになった。出発に臨んで後皇帝に書(出師の表)を奉った。(227年) 「今、天下三分し、わが益州は最も疲弊しており、まさに危急存亡のときであります。陛下にはよく臣下の言葉をお聞きになりまして、忠義の諫言にはどうか路を閉ざされませぬようなされませ。 宮廷と政府とは一体であります。善悪の賞罰には違いがあってはなりません。もし悪事を行い罪を犯す者、あるいは忠義善良な者は、役人に命じて刑罰、褒賞を決めさせ、政治の公平正明を天下に示すべきであります。 賢臣を近づけ小人を遠ざけたことが先漢の興隆した原因でありますし、小人を近づけ賢臣を遠ざけたことこそ、後漢が衰亡した原因であります。 私はもと無官の平民で、南陽にみずから田を耕し、この乱世にただ一命を大事にと、諸侯に仕えての栄達に背を向けて参りました。先帝は私が卑しい身分であるにも拘わらず、自ら高貴な身を枉げられて、三度もむさくるしい庵を訪れられて、当世の急務について下問されました。これがために感激して先帝のために奔走することを誓ったのであります。 先帝は私がつつしみ深いことをお認めになり、ご臨終の際、私に国家の大事を託されました。ご遺命を受けてよりこのかた、日夜心を砕き、ご信任に背いて先帝の聖明を汚すようなことがないかと恐れておりました。それ故五月、瀘水を渡って、深く不毛の地に入ったのでございます。 今、南方はすでに平定され、軍備も整いました。三軍を励まして、北のかた中原の地を平定すべきと考えます。漢の王室を復興し、旧都長安にふたたび還ることこそ私が先帝の恩に報い、陛下に忠誠を尽くすためのつとめであります。」こうして漢中に兵を進めて駐屯した。 十八史略 死して後已まん 2011-11-15 09 10 49 | 十八史略 後の出師の表 明年、率大軍攻祁山。戎陣整齊、號令明肅。始魏以昭烈既崩、數歳寂然無聞、略無所備。猝聞亮出、朝野恐懼。於是天水・安定等郡、皆應亮、關中響震。魏主如長安、遣張郃拒之。亮使馬謖督諸軍戰于街亭。謖違亮節度。郃大破之。亮乃還漢中。已而復言於漢帝曰、漢賊不兩立、王業不偏安。臣鞠躬盡力、死而後已。至於成敗利鈍、非臣所能逆覩也。引兵出散關、圍陳倉。不克。 明年、大軍を率いて、祁山(きざん)を攻む。戎陣(じゅうじん)整斉、号令明肅(めいしゅく)なり。始め魏、昭烈既に崩じ、数歳寂然として聞くこと無きを以って、略(ほぼ)備うる所無し。猝(にわか)に亮の出づるを聞き、朝野恐懼(きょうく)す。是(ここ)に於いて天水・安定等の郡、皆亮に応じ、関中響震(きょうしん)す。魏主、長安に如(ゆ)き、張郃(ちょうこう)をして之を拒(ふせ)がしむ。亮、馬謖(ばしょく)をして諸軍を督(とく)し、街亭に戦わしむ。謖、亮の節度に違(たが)う。郃大いに之を破る。亮乃ち関中に還る。已(すで)にして復(また)漢帝に言(もう)して曰く、「漢と賊とは両立せず、王業は偏安(へんあん)せず。臣、鞠躬(きくきゅう)して力を尽し、死して後に已(や)まん。成敗利鈍(りどん)に至っては、臣が能く逆(あらかじ)め覩(み)る所に非ざるなり」と。兵を引いて散関より出で、陳倉を圍(かこ)む。克たず。 祁山 甘粛省西和県。 明肅 明らかでだらけないこと。 響震 驚き騒ぐこと。 天水・安定 甘粛省の一地名。 節度 指図。 偏安 辺鄙な地に安んじる。 鞠躬 身を屈め敬う、転じて一事に専念して顧みる余裕がないこと。利鈍 鋭いかなまくらか、うまくいくかいかないか。 逆覩 逆はあらかじめ、予知すること 翌年、諸葛亮は大軍を率いて魏の祁山を攻めた。漢軍の陣営は整然、号令は厳かで明らかであった。当初は魏では蜀の昭烈帝が崩御してから数年間ひっそり静まりかえっていたので、備えをしていなかった。そこに突然亮が攻め込んだという知らせに、朝廷はもとより地方でも大いに恐れおののいた。かくて天水・安定等の諸郡は、皆亮に呼応したので関中は大騒ぎになった。 魏主曹叡は長安に赴き、張郃に防禦を命じた。亮は馬謖に諸軍を指揮させて街亭で戦わせた。ところが馬謖は亮の指図に背いたので張郃のために散々に打ち破られた。亮は残兵をまとめて関中に帰った。そしてまた帝に書を奉って(後の出師の表)「漢と賊(魏)とは両立せず、王業は僻地蜀に安んじていて成るものではありません。臣亮、ただひたすら力を尽して、死して後已まんの覚悟であります。もとより勝敗成否は臣の予知するところではありません」と申し上げた。そして兵をひきいて散関(陜西省宝鶏県)から打って出て、陳倉(同)を囲んだが、勝つには至らなかった。 十八史略 木牛流馬 2011-11-17 10 36 05 | 十八史略 呉王孫權、自稱皇帝於武昌、追尊父堅、爲武烈皇帝、兄策爲長沙桓王。已而遷都建業。 蜀漢丞相亮、又伐魏圍祁山。魏遣司馬懿督諸軍拒亮。懿不肯戰。賈詡等曰、公畏蜀如虎。奈天下笑何。懿乃使張郃向亮。亮逆戰。魏兵大敗。亮以糧盡退軍。郃追之、與亮戰、中伏弩而死。亮還勸農講武、作木牛流馬、治邸閣、息民休士、三年而後用之。悉衆十萬、又由斜谷口伐魏、進軍渭南。魏大將軍司馬懿引兵拒守。 呉王孫権、自ら皇帝を武昌に称し、父堅を追尊して武烈皇帝と為し、兄策を長沙桓王(ちょうさかんおう)と為す。已(すで)にして都を建業に遷(うつ)す。 蜀漢の丞相亮、また魏を伐ち、祁山(きざん)を囲む。魏、司馬懿(しばい)をして、諸軍を督して、亮を拒(ふせ)がしむ。懿、肯(あえ)て戦わず。賈詡(かく)等曰く、「公、蜀を畏(おそる)ること虎の如し。天下の笑いを奈何(いかん)せん」と。懿、乃ち張郃(ちょうこう)をして亮に向かわしむ。亮、逆(むか)え戦う。魏の兵、大いに敗る。亮、糧の尽くるを以って軍を退く。郃、之を追い、亮と戦い、伏弩に中(あた)って死す。亮、還って農を勧め武を講じ、木牛流馬を作り、邸閣を治め、民を息(やす)め士を休め、三年にして後に之を用う。衆十万を悉(つ)くして、又斜谷口(やこくこう)より魏を伐ち、進んで渭南(いなん)に軍す。魏の大将軍司馬懿、兵を引いて拒守(きょしゅ)す。 木牛流馬 牛馬をかたどった兵糧運搬の仕掛け。 邸閣 食糧庫。 斜谷口 陜西省褒城県にある。 呉王の孫権は、武昌にて自ら皇帝を称し、父孫堅に武烈皇帝の称を追尊し、兄孫策を長沙桓王として建業に遷都した。 蜀漢の丞相亮は再び魏を伐って祁山を包囲した。魏は司馬懿を派遣し諸軍を督励して亮を防いだが敢えて戦わなかった。部将の賈詡等が「公は蜀を虎のように畏れておられるが、天下の物笑いになるのをいかがいたしますか」と責めたので張郃を遣って諸葛亮に向かわせた。亮はこれを迎え撃って魏軍を散々に破った。その後亮は糧食が尽きたので、兵を引いた。張郃はその機に乗じて亮を追撃したが伏兵の弩(いしゆみ)に射られて死んだ。 諸葛亮は蜀に還って農業を奨励し、武術を習わせ、木牛流馬と呼ぶ兵糧を運ぶ仕掛け車を作り、糧秣倉庫を造り、民と兵士を休息させて三年後に再び動員した。総勢十万をくり出し斜谷口から魏に侵攻し、渭水の南に布陣した。魏の大将軍司馬懿が兵を率いて守り防いだ。 十八史略 死せる諸葛生ける仲達を走らしむ 2011-11-19 09 29 25 | 十八史略 亮以前者數出、皆運糧不繼、使己志不伸、乃分兵屯田。耕者雜於渭濱居民之、而百姓安堵、軍無私焉。亮數挑懿戰。懿不出。乃遣以巾幗婦人之服。亮使者至懿軍。懿問其寢食及事煩簡、而不及戎事。使者曰、諸葛公夙興夜寐、罰二十以上皆親覽。所噉食、不至數升。懿告人曰、食少事煩、其能久乎。 亮病篤。有大星、赤而芒、墜亮營中。未幾亮卒。楊儀整軍還。百姓奔告懿。懿追之。姜維令儀反旗鳴鼓、若將向懿。懿不敢逼。百姓爲之諺曰、死諸葛、走生仲達。懿笑曰、吾能料生、不能料死。 亮、前者(さき)に数しば出でしが、皆、運糧継がず、己(おの)が志をして伸びざらしめしを以って、乃ち兵を分って屯田す。耕す者、渭浜(いひん)居民の間に雑(まじ)り、而も百姓(ひゃくせい)安堵し、軍に私(わたくし)無し。亮、しばしば懿に戦を挑む。懿、出でず。乃ち遣(おく)るに巾幗(きんかく)婦人の服を以ってす。亮の使者、懿の軍に至る。懿、其の寝食及び事の煩簡を問うて、戎事(じゅうじ)に及ばず。使者曰く、「諸葛公、夙(つと)に興(お)き、夜に寝(い)ね、罰二十以上は皆親(みずか)ら覧(み)る。噉食(たんしょく)するところは、数升に至らず」と。懿、人に告げて曰く、「食少なく事煩わし、其れ能(よ)く久しからんや」と。 亮、病篤(あつ)し。大星有り、赤くして芒あり、亮の営中に墜つ。未だ幾(いくばく)ならずして亮卒す。(ちょうし)楊儀、軍を整えて還る。百姓奔(はし)って懿に告ぐ。懿之を追う。姜維(きょうい)、儀をして旗を反(かえ)し鼓を鳴らし、将(まさ)に懿に向かわんとするが若(ごと)くせしむ。懿敢えて逼(せま)らず。百姓之が為に諺(ことわざ)して曰く、「死せる諸葛、生ける仲達を走らしむ」と。懿笑って曰く、「吾能(よ)く生を料(はか)れども、死を料ること能わず」と。 運糧 兵糧の運搬。 渭浜 渭水の水辺。 屯田 兵士がその土地で耕作しながら駐留すること。 巾幗 婦人の髪飾り。 戎事 軍事。 噉食 噉は食らう、食事。 数升 漢の升は合と同じで日本の勺より少し多い。 丞相の次官。 仲達 司馬懿のあざな。 諸葛亮はこれまで何回も出兵しながら、いつも食糧の補給がうまくいかず、目的を達せられなかったので、今度は兵士を手分けして屯田させることにした。耕作する兵士は渭水の水辺の住民の中に混じったが、百姓たちは安心して生活し、兵士の方にも私欲を満たそうとする者がいなかった。 亮は繰り返し戦いを挑んだが、司馬懿は討って出ようとしなかったそこで亮は婦人服と髪飾りを贈って懿を挑発した。亮の使者が魏の軍営にきたとき、懿は亮の寝食、仕事ぶりなど日常の生活について尋ね、軍事には触れなかった。使者は「公は朝早くから起き、夜更けてから寝みます。杖二十ほどの軽い罪でもご自身で裁かれます。食事は日に数升(勺)しか召し上がりません」と答えた。懿は傍らの者に言った「食が細く、多忙とあれば、そう長い命ではあるまい」 果たして亮は病に罹った。ある夜のこと、赤く大きなほうき星が亮の営中に墜ちた。その後間もなく諸葛亮は亡くなった。次官の楊儀は軍をまとめて撤退にかかった。土地の者が急いで懿に通報し、懿は追撃にかかった。蜀の陣営では姜維が楊儀に勧めて、旗の向きを変え、太鼓を打ち鳴らして魏軍に反撃するかに見せかけた。懿は追撃を止めて引き上げてしまった。土地の者は「死んだ諸葛亮孔明が生きた司馬懿仲達を退散させた」と評したのを聞いて懿は苦笑して「生きている人間なら予想はできるが、死んだ人間ではどうにもならぬ」と言った。 十八史略 泣いて馬謖を斬る 2011-11-22 12 57 23 | 十八史略 亮嘗推演兵法、作八陣圖。至是懿案行其營壘、歎曰、天下奇材也。亮爲政無私。馬謖素爲亮所知。及敗軍流涕斬之、而卹其後。李平・廖立、皆爲亮所廃廢。及聞亮之喪、皆歎息流涕、卒至發病死。史稱、亮開誠心、布公道。刑政雖峻而無怨者。眞識治之良材。而謂其材長於治國、將略非所長、則非也。初丞相亮、嘗表於帝曰、臣成都有桑八百株、薄田十五頃。子弟衣食自有餘。不別治生以長尺寸。臣死之日、不使内有餘帛、外有贏財、以負陛下。至是卒。如其言。諡忠武。 亮、嘗て兵法を推演(すいえん)して、八陣の図を作る。是(ここ)に至って、懿、其の営塁を案行(あんこう)し、歎じて曰く、「天下の奇材なり」と。 亮政を為すこと私(わたくし)無し。馬謖(ばしょく)素より亮の知る所と為る。軍を敗(やぶ)るに及び、流涕して之を斬り、而(しか)して其の後を卹(あわれ)む。李平・廖立(りょうりゅう)皆亮の廃する所と為る。亮の喪(そう)を聞くに及び、皆歎息流涕(りゅうてい)し、卒(つい)に病を発して死するに至る。史に称す、亮、誠心を開き、公道を布(し)く。刑政(けいせい)、峻(しゅん)なりと雖も而も怨む者無し。真に治(ち)を識るの良材なりと。而して其の材、国を治むるに長じて、将略は長ずる所に非ずと謂うは、則ち非なり。初め丞相亮、嘗て帝に表して曰く、「臣、成都に桑八百株、薄田(はくでん)十五頃(けい)有り。子弟の衣食自(おのずか)ら余り有り。別に生を治めて以って尺寸(せきすん)を長ぜず。臣死するの日、内に余帛(よはく)有り、外に贏財(えいざい)有って、以って陛下に負(そむ)かしめず」と。是(ここ)に至って卒(しゅっ)す。其の言の如し。忠武と諡(おくりな)す。 推演 推し広める、推理演繹。 八陣の図 八種の陣形、魚鱗・鶴翼・長蛇・偃月・鉾矢・方円・衡軛・雁行。 案行 調べてまわる。 史に称す 陳寿の三国志に言う。 薄田 痩せ地。 頃 面積の単位、畝(ほ)の百倍。 帛 絹布。 贏財 余った財産。 亮は嘗て兵法を推し広めて八陣の図をつくった。亮の死後懿はその陣営の跡を調べまわり、感歎して言った「まさに天下の奇才というべきか」と。 亮は政治を行うのに私心を差し挟まなかった。馬謖は日頃亮から厚遇を受けていたが、軍を敗戦に陥らせたときには、涙をのんでこれを斬った。そして残された遺族に手厚い保護を与えた。李平と廖立はともに亮によって罷免されたが、亮の訃報に接すると涙を流して歎き、そのために病を得て死んだほどであった。三国志で「諸葛亮は真心を尽し公平な政治を行った刑罰は厳しかったが、それを怨む者はいなかった。政治の要諦を心得た優れた人物であった」と述べている。しかしさらに「その才は国を治めるにはすぐれているが、将としての智略はいまだしである」と断じているのは不当である。以前丞相亮は後帝に、「臣は成都に桑八百株と、やせ地とはいえ十五頃の田があります。子弟を養うには十分すぎるほどでございます。別に生業を営んで多少の財を得ようとは思いません。臣の死後、家の内外に余分な絹や財産を残して、陛下の信頼を裏切るようなことはございません。」と上奏したことがあった。はたして没した後はそのとおりであった。忠武とおくり名された。 十八史略 司馬懿、曹爽を殺す。 2011-11-29 14 04 52 | 十八史略 漢自丞相亮既亡、蔣琬爲政。楊敏毀琬曰、作事憒憒、不及前人。或請推治敏。琬曰、吾實不如前人、無可推。琬卒。費褘・董允、爲政。公亮盡忠。允卒。姜維與、費褘竝爲政。 魏曹爽驕奢無度。司馬懿殺之。懿爲魏丞相、加九錫不受。爽之黨夏侯覇奔蜀。姜維問之曰、懿得政。復有征伐志否。覇曰、彼營立家門、未遑外事。有鍾士季者。雖少若管朝政、呉・蜀之憂也。 魏司馬懿卒。以其子師爲撫軍大將軍、録尚書事。 呉主殂。諡曰太皇帝。子亮立。 漢費褘、汎愛不疑。降人刺殺之。姜維用事、數出兵攻魏。 漢、丞相亮、既に滅びしより、蔣琬(しょうえん)、政を為す。楊敏、琬を毀(そし)って曰く、「事を作(な)すこと憒憒(かいかい)たり、前人に及ばず」と。或いは敏を推治(すいち)せんと請う。琬曰く、「吾実に前人に如かず、推す可き無し」と。琬卒す。費褘(ひい)・董允(とういん)政を為す。公亮(こうりょう)にして忠を尽くす。允卒す。姜維(きょうい)、費褘と竝びに政を為す。 魏の曹爽(そうそう)驕奢(きょうしゃ)にして度無し。司馬懿(しばい)、之を殺す。懿、魏の丞相と為り、九錫(きゅうしゃく)を加うれども受けず。爽の党の夏侯覇(かこうは)、蜀に奔(はし)る。姜維之に問うて曰く、「懿、政を得たり。復征伐の志有りや否や」と。覇曰く、「彼、家門を営立して、未だ外の事に遑(いとま)あらず。鍾士季(しょうしき)という者有り。少(わか)しと雖も若(も)し朝政を管せば、呉・蜀の憂いならん」と。 魏の司馬懿卒す。其の子師を以って、撫軍大将軍と為し、尚書の事を録せしむ。 呉主殂(そ)す。諡(おくりな)して太皇帝と曰う。子亮立つ。 漢の費褘、汎(ひろ)く愛して疑わず。降人之を刺し殺す。姜維、事を用い、数しば兵を出だして魏を攻む。 憒憒 こころ乱れるさま。 推治 罪を取り調べる=推問。 公亮 公平で明らかなこと。 九錫 天子から賜る九種の品や特典。輿馬、衣服、楽器、虎賁(勇者三百人)、弓矢、鈇鉞(ふえつ=殺生の権)、秬鬯(きょちょう=祭酒)、朱戸(朱塗りの門)、納陛(宮殿内の階段、取り次ぎ無しで直接天子に謁見できる権利)。 録尚書事 宮中の文書をつかさどる尚書を総括する。 事を用い 政治をおこなうこと。 漢では、丞相亮が亡くなってから、蔣琬が政治をおこなっていた。楊敏がそれを「迷ってばかりで決断が遅い、とても前の諸葛公には及ばぬ」と、漏らした。ある人が楊敏を罪に問うよう要請したところ、「私は確かに諸葛公に及ばないのだ、処罰のしようがない」と取り上げなかった。やがて琬が死ぬと、費褘と董允が政治にあたった。 魏の曹爽が驕奢限りなく、司馬懿がこれを殺した。司馬懿は魏の丞相になり、九錫を賜ったが、受けなかった。曹爽の一派の夏侯覇は蜀に逃げた。蜀の姜維が覇に尋ねて「司馬懿は実権を手にいれたようだが、他国を伐つ気はあるだろうか」と。覇は「彼は一門の繁栄に心を奪われており、他国の事にまで目を向けるまでには至って降りません。ただし鍾士季という者がおります。まだ弱年でありますが、朝政にあずかるようになると、呉や蜀にとって憂いのもとになるでしょう」と言った。 魏の司馬懿が亡くなった。その子の師を撫軍大将軍とした、併せて録尚書事に任じられた。 呉主孫権が歿した。太皇帝と諡して、子の孫亮が後を嗣いだ。 漢の費褘はひろく人を愛して疑うことがなかった。そのため魏の降人に暗殺された。そこで姜維が代って政治を行い、何回か兵を出して魏を攻めた 十八史略 司馬師、黄鉞を握る 2011-12-01 11 38 18 | 十八史略 魏李豐、數爲魏主所召。司馬師知其議己殺之。魏主不平。左右勸誅師。魏主不敢發。師廢魏主。僭位十六年。改元者二、曰正始・嘉平。師迎立高貴郷公。是爲廢帝。名髦。文帝之孫、明帝之姪。年十四即位。 揚州都督毋丘險・刺史文欽、起兵討司馬師。師撃敗之。師卒。弟昭爲大將軍、録尚書事。已而爲大都督、假黄鉞。揚州都督諸葛誕、起兵討昭。昭攻殺之。昭爲相國、封晉公。加九錫不受。 魏の李豊、数しば魏主の召す所と為る。司馬師其の己を議することを知って之を殺す。魏主平かならず。左右、師を誅せんことを勧む。魏主、敢えて発せず。師、魏主を廃す。位を僭(せん)すること十六年。改元する者(こと)二、正始・嘉平と曰う。師、高貴郷公を迎立す。是を廃帝と為す。名は髦(ぼう)。文帝の孫にして、明帝の姪(てつ)なり。年十四にして位に即く。 揚州の都督毋丘倹(ぶきゅうけん)・刺史文欽、兵を起こして司馬師を討つ。師、撃って之を敗る。師卒す。弟の昭、大将軍と為り、録尚書事と為る。已(すで)にして大都督と為り、黄鉞(こうえつ)を仮(か)る。揚州の都督諸葛誕、兵を起こして昭を討つ。昭、之を攻め殺す。昭、相国(しょうこく)と為り、晋公に封ぜらる。九錫を加うれども受けず。 高貴郷公 高貴は邑の名、郷公は王の庶子の封爵の名。 廃帝 強制されて位を退いた皇帝。 姪 おい、めい。 毋丘倹 毌丘倹(かんきゅうけん)とも。 相国 宰相。 黄鉞を仮る 黄金で飾った斧、天子の持つべきもの、それで仮るといった。 魏の李豊がしばしば国主曹芳に呼ばれるようになった。司馬師はそれが自分に対する謀議であることを知って、李豊を殺してしまった。曹芳は心中穏やかならず、左右の近臣も司馬師を誅殺するよう勧められながら、踏み切れずにいたところ、逆に師によって廃位されてしまった(254年)。帝位を僭称すること十六年、改元すること二回、正始・嘉平である。 司馬師は高貴郷公を迎えてこれを立てた。後に廃帝になった曹髦で文帝の孫、明帝の甥にあたり、十四歳で即位した。 揚州都督の毋丘倹と刺史の文欽が兵を挙げて師を討とうとした。司馬師はこれを撃破したが、病で歿した。後を託された弟の司馬昭が、大将軍、録尚書事、さらに大都督となり、天子の持つべき黄鉞を手にするに至った。揚州都督の諸葛誕が挙兵して昭を討とうとしたが、敗れて殺された。司馬昭はやがて相国となり、晋公に封ぜられ、九錫を加えられたが受けなかった 十八史略 2011-12-03 08 51 09 | 十八史略 呉主亮親政。數出中書、視太帝時舊事。嘗食生梅索蜜。蜜中有鼠矢。召藏吏問曰、黄門從爾求蜜邪。吏曰、向求不敢與。黄門不服。令破鼠矢。矢中燥。因大笑曰、若矢先在蜜中、中外倶濕。今外濕内燥。必黄門所爲也。詰之果服。左右驚慄。大將軍孫綝、以其多所難問稱疾不朝。以兵圍宮、廢亮爲會稽王、迎立瑯琊王休。休立。以綝爲丞相。綝又無禮於新君。遂被誅。 呉主亮、政(まつりごと)を親(みずか)らす。数しば中書に出でて、太帝の時の旧事を視る。嘗て生梅を食いて、蜜を求む。蜜中に鼠矢(そし)有り。蔵吏(ぞうり)を召して問うて曰く、「黄門、爾(なんじ)より蜜を求めしか」と。吏曰く、「向(さき)に求めしも敢えて與えざりき」と。黄門服せず。鼠矢を破らしむ。矢中(しちゅう)燥(かわ)く。因(よ)って大笑して曰く、「若(も)し矢、先より蜜中に在らば、中外倶(とも)に湿(うるお)わん。今外湿い内燥く。必ず黄門の為す所ならん」と。之を詰(なじ)れば、果たして服せり。左右驚き慄(おのの)く。大将軍孫綝(そんちん)、其の難問する所多きを以って、疾(やまい)と称して朝せず。兵を以って宮を圍(かこ)み、亮を廃して会稽王と為し、瑯琊王(ろうやおう)休を迎え立つ。休立つ。綝を以って丞相と為す。綝又新君に礼無し。遂に誅せらる。 鼠矢 矢は糞。 黄門 宦官。 呉主孫亮がみずから政治を行い、しばしば中書省に出向いて、太帝の時の記録を調べた。あるとき、生梅を食べたあと、蜜を持ってこさせたが、中に鼠の糞が入っていた。蔵役人を呼びつけ「宦官がこの蜜をもらいに来たことはないか」と聞くと、「さきごろ参りましたが、渡しませんでした」と答えた。だがその宦官は覚えがないと言い張る。孫亮は、その糞を二つに割らせ、その中が乾いているのを見て、大笑いして「もし糞が以前からずっと蜜に浸かっていたなら中も外も湿っているはずだ、これは外湿って中は乾いている。宦官のいやがらせに違いなかろう」問い詰めてみると、果たして罪を認めた。左右の者は、驚き恐れいった。大将軍の孫綝は、たびたび鋭く問い詰められるので、病いと称して参内しなくなった。遂には兵を率いて宮中を包囲し、孫亮を廃して会稽王にしてしまった。やがて瑯琊王の曹休を迎えて立てた。休が位に即くと孫綝を丞相に任じた。孫綝は新帝をもないがしろにしたのでやがて誅殺された。 十八史略 2011-12-06 09 28 20 | 十八史略 魏主髦見威權日去、不勝其忿。曰、司馬昭之心、路人所知也。率殿中宿衞蒼頭・官僮、鼔譟出、欲誅昭。昭之黨賈充、入與魏主戰、成濟抽戈刺魏主髦。殞于車下。追廢爲庶人。僭位七年。改元者二、曰正元・甘露。司馬昭迎立常道郷公璜。是爲魏元皇帝。常道郷公元皇帝、初名璜、燕王宇之子、操之孫也。年十五即位。改名奐。 魏主髦(ぼう)威権日に去るを見て、其の忿(いかり)に勝(た)えず。曰く、「司馬昭の心は路人も知る所なり」と。殿中の宿衛・蒼頭(そうとう)・官僮(かんどう)を率いて、鼔譟(こそう)して出で、昭を誅せんと欲す。昭の党賈充(かじゅう)、入って魏主と戦い、成濟、戈を抽(ぬ)いて魏主髦を刺す。車下に殞(お)つ。追廃(ついはい)して庶人(しょじん)と為す。僭位(せんい)七年。改元する者(こと)二、正元・甘露と曰う。司馬昭、常道郷公璜(こう)を迎え立つ。是を魏の元皇帝と為す。常道公元皇帝、初めの名は璜、燕王宇の子、操の孫なり。年十五にして即位す。名を奐(かん)と改む。 宿衛 宿直護衛の兵。 蒼頭 雑兵士卒。 官僮 給仕、召使い。 鼔譟 鼔は鼓を打つこと。 殞つ 命を落とす。 追廃 死後帝位を廃すること。 魏主曹髦は朝廷の威信が日増しに失われてゆくのを見るにつけ、怒りに耐え切れず、「司馬昭の野心は旅人までも知っていることだ」と言って殿中の護衛兵、雑兵、召使いまで駆りだした。鼓を鳴らし、喚声をあげて昭を誅殺しようとしたが、昭の党の賈充が宮中に押し入って戦い、一味の成済が戈を抜いて刺し、曹髦は車から落ちて死んだ。 死後帝位を廃され庶民とされた。帝位を僭称すること七年、改元すること二、正元・甘露という。司馬昭は常道郷公の璜を迎え立てた。これが魏の元皇帝である。(260年) 常道公元皇帝は初めの名は璜といい、燕王宇の子、曹操の孫にあたる。十五歳で即位し、名を奐と改めた。 十八史略 蜀の諸葛瞻父子討ち死にす 2011-12-08 11 52 22 | 十八史略 漢姜維屢伐魏。司馬昭患之、遣艾・鍾會、將兵入寇。會從斜谷・駱谷・子午谷、趨漢中、艾自狄道、趨甘松・沓中、以綴姜維。維聞會聞已入漢中、引兵從沓中還。艾追躡之大戰。維敗走、還守劍閣、以拒會。艾進至陰陰平、行無人之地七百里鑿山通道、造作橋閣。山高谷深。艾以氈自裹、推轉而下。將士皆攀木縁崖、魚貫而進。至江油。以書誘漢將諸葛瞻。瞻斬其使。列陣綿竹以待。敗績。漢將軍諸葛瞻死之。瞻子尚曰、父子荷國重恩。不早斬黄皓、使敗國殄民。用生何爲。策馬冒陳而死。 漢の姜維(きょうい) 屢しば魏を伐つ。司馬昭之を患(うれ)い、艾(とうがい)・鍾会をして、兵を将(ひき)いて入寇(にゅうこう)せしむ。会は斜谷(やこく)・駱谷(らくこく)・子午谷(しごこく)より、漢中に趨(おもむ)き、艾は狄道(てきどう)より、甘松・沓中(とうちゅう)に趨き、以って姜維を綴(てい)す。維、会已に漢中に入りしと聞き、兵を引いて沓中より還る。艾、之を追躡(ついしょう)して大いに戦う。維、敗走し、還って剣閣を守り、以って会を拒(ふせ)ぐ。艾、進んで陰平に至り、無人の地を行くこと七百里、山を鑿(うが)って道を通じ、橋閣を造作す。山高く谷深し。艾、氈(せん)を以って自ら裹(つつ)み、推転して下る。将士、皆木に攀(よ)じ崖に縁(よ)り、魚貫(ぎょかん)して進む。江油に至る。書を以って漢の将、諸葛瞻(しょかつせん)を誘う。瞻、其の使いを斬り、陣を綿竹に列して以って待つ。敗績す。漢の将諸葛瞻、之に死す。瞻の子尚曰く、「父子、国の重恩を荷う。早く黄皓を斬らず、国を敗(やぶ)り民を殄(てん)せしむ。用(も)って生くるも、何をかなさん」と。馬に策(むちう)ち陳(じん)を冒して死す。 遣 使役の助字。・・をして、・・せしむ。 入寇 寇はあだする。 綴 釘付けにする。 追躡 追いかける。 剣閣 蜀と魏の境界にある大剣山、小剣山、閣道(架け橋が多いことから。 氈 毛氈。 魚貫 魚の串刺し。 敗績 大敗する、功績をなくする意。 黄皓 蜀の宦官、蜀衰退の元凶といわれる。 殄 滅ぼす。 用 以と同じ。 策 鞭、むちうつ。 陳 陣に同じ。 漢の姜維が、度々魏を攻めた。司馬昭はこれを思い患い、艾と鍾会を将軍として、蜀に攻め入らせた。鍾会は斜谷・駱谷・子午谷(いずれも陜西省中部の谷の名)から、艾は狄道(甘粛省)より、甘松・沓中に侵攻して姜維の軍を釘付けにした。姜維は鍾会がすでに関中に入ったと聞くと兵を沓中からひきあげようとした。艾はこれを追撃して激しく攻め立てた。姜維の軍は敗走して剣閣にたどり着いて鍾会を防いだ。艾は進んで陰平(甘粛省と四川省の境)に達した。無人の地を行くこと七百里、山を掘って道をつけ、桟道を架け渡して進んだ。高い山と深い谷に阻まれたとき艾は自分の身に毛氈を巻きつけ、転がり下った。将兵たちも、木によじ登り、崖に取り付いて魚の串刺しのように一列になって進んだ。遂に難所を越え江油に至った。まず蜀の将諸葛瞻に書を送り、降服を迫った。諸葛瞻は使者を斬り、陣を綿竹に布いて、魏軍を待った。蜀軍は大敗して諸葛瞻は討ち死にした。瞻の子尚は「私ども父子は国の大恩を受けてきた。奸臣の黄皓を斬らなかったばかりに、国を滅亡させ、民を絶やすことになった。生き永らえて何の甲斐があろう」と、馬に鞭打って敵陣に斬り込んで討ち死にした。 十八史略 司馬炎、魏を亡ぼす 2011-12-10 09 45 46 | 十八史略 漢人不意魏兵卒至、不爲城守。乃遣使奉璽綬、詣艾降。皇子北地王怒曰、若理窮力屈、禍敗將及、便當父子君臣、背城一戰、同死社稷、以見先帝可也。奈何降乎。帝不聽。哭於昭烈之廟、先殺妻子而後自殺。艾至成都。帝出降。魏封爲安樂公。帝在位四十一年、改元者四、曰建興・延煕・景耀・炎興。右自高帝元年乙未、至後帝禪炎興癸未、凡二十六帝、通四百六十九年而漢亡。 呉主休殂。諡曰景皇帝。兄子烏程侯皓立。 魏司馬昭、先是已受九錫。已而進爵爲晉王。昭卒、子炎嗣。魏主奐僭位六年、改元二、曰景元・咸煕。炎迫魏主禪位、封爲陳留王。後卒。晉人諡之曰元。 魏自曹丕至是凡五世、四十六年而亡。 自漢亡後、又歴甲申、闕正統一年。 漢人、魏兵の卒(にわか)に至るを意(おも)わず、城守(じょうしゅ)を為さず。乃ち使いを遣わして璽綬を奉ぜしめ、艾(がい)に詣(いた)って降る。皇子(こうし)北地王(しん)怒って曰く、「若し理窮まり力屈して、禍敗(かはい)将(まさ)に及ばんとせば、便(すなわ)ち当(まさ)に父子君臣、城を背にして一戦し、同じく社稷に死し、以って先帝に見(まみ)えて可なるべし。奈何(いかん)ぞ降らん」と。帝聴かず。、昭烈の廟に哭し、先ず妻子を殺して後に自殺せり。艾、成都に至る。帝出でて降る。魏、封じて安楽公と為す。帝、位に在ること四十一年、元を改むる者(こと)四、建興・延煕(えんき)・景耀(けいよう)・炎興と曰う。右、高帝の元年乙未(いつび)より、後帝禅の炎興癸未(きび)に至るまで、凡(すべ)て二十六帝、通じて四百六十九年にして漢亡びたり。 呉主休、殂(そ)す。諡(おくりな)して景皇帝と曰う。兄の子烏程侯(うていこう)皓(こう)立つ。 魏の司馬昭、是より先、已に九錫を受く。已にして爵を進めて晋王と為る。昭卒し、子の炎嗣(つ)ぐ。魏主奐、僭位六年、改元すること二、景元・咸煕(かんき)と曰う。炎、魏主に迫って位を禅(ゆず)らしめ、封じて陳留王と為す。後卒す。晋人之に諡して元と曰う。 魏、曹丕より是(ここ)に至るまで凡て五世、四十六年にして亡ぶ。 漢亡んでより後、又甲申(こうしん)を歴(へ)て、正統を闕(か)くこと一年なり。 城守 城を守ること。 璽綬 印璽とそれを佩びる紐。 詣 至る、伺候する。 社稷 建国のときに祭った土地の神の社と五穀の神の稷で国家のこと。 乙未 きのとひつじ。 癸未 みずのとひつじ。 甲申 かのえさる。 蜀漢では魏の兵がこれほど早く攻め込んで来るとは思わず、城の守りをしていなかった。そこで帝は使者に印綬を持たせて、艾に降伏を申し入れた。これを聞いて皇子の北地王劉は大いに怒って「すじみちに行き詰まり、力もつきはてて国に災禍が迫ったならば、父子君臣城を背に存分に戦い、ともに国家のために殉じてこそ、先帝にお目見えできるというものです。どうして降伏などなさるのですか」と諌めたが帝は聴き入れなかった。は昭烈帝の廟前で哭し、まず妻子を殺し、自ら命を絶った。艾が成都に到着すると、帝は城を出て降伏した。魏は帝を安楽公に封じた(263年)。後帝劉禅は位に在ること四十一年、年号を改めること四回、建興・延煕・景耀・炎興である。前漢の高帝の元年乙未の年から後帝禅の炎興癸未の年まで、あわせて二十六代、四百六十九年で漢は滅亡した。 呉王孫休が病死した。景皇帝とおくり名された。兄の子の烏程侯孫皓が即位した。 魏の司馬昭は、これより先に九錫を受けていて、間もなく爵を進めて晋王となった。昭が亡くなり、子の炎があとを嗣いだ。 魏の曹奐は位を僭すること六年、改元すること二、景元・咸煕という。炎、魏主に迫って位を譲らせ、陳留王に封じたが後に亡くなってから晋は元とおくり名した。 魏は曹丕からここに至るまであわせて五代、四十六年で滅亡した。 漢が亡んで、さらに甲申の歳を経ており晋が興る(乙酉の歳)まで一年の間、正統の天子がいなかったことになる。 十八史略 司馬炎西晋を建国 2011-12-13 17 58 23 | 十八史略 西晉世祖武皇帝姓司馬、名炎、河内人、昭之子、懿之孫也。昭爲晉王、議立世子。議者、以炎髪立委地、手垂過膝、臣之相、遂立。已而嗣爲王、即帝位。追尊懿爲宣皇帝、師爲景皇帝、昭爲文皇帝、大封宗室。晉有滅呉之志。以羊祜都督荊州事。呉以陸抗都督諸軍。祜與抗對境、使命常通。抗遣祜酒。祜飲之不疑。抗疾。祜與之成樂。抗即服之曰、豈有酖人羊叔子哉。祜務修政、以懐呉人、毎交兵、刻日方戰、不掩襲。抗亦告其邊戍、各保分界而已、毋求細利。時呉主皓不修政、而欲兼并、使術士筮取天下。對曰、庚子歳、青蓋當入洛陽。蓋謂銜璧之事。而皓不悟。用諸將謀、數侵盗晉邊。抗諌不聽。抗卒。 西晋世祖武皇帝、姓は司馬、名は炎、河内(かだい)の人、昭の子、懿の孫なり。昭、晋王と為り、世子(せいし)を立てんことを議す。議する者、炎が髪、立てば地に委(い)し、手、垂るれば膝より過ぎ、人臣の相に非らざるを以って、遂に立つ。已にして嗣(つ)いで王と為り、帝位に即く。懿を追尊して宣皇帝と為し、師を景皇帝と為し、昭を文皇帝と為し、大いに宗室を封ず。晋、呉を滅ぼすの志有り。羊祜(ようこ)を以って荊州の事を都督せしむ。呉、陸抗(りくこう)を以って諸軍を都督せしむ。祜、抗と境を対し、使命常に通ず。抗、祜に酒を遣(おく)る。祜、之を飲んで疑わず。抗、疾(や)む。祜、之に成薬を与う。抗、即ち、之を服して曰く、「豈人を酖する羊叔子(ようしゅくし)有らんや」と。祜、務めて徳政を修め、以って呉人を懐(なづ)け、兵を交(まじ)うる毎に、日を刻して、方(まさ)に戦いて、掩襲(えんしゅう)せず。抗も亦其の辺戍(へんじゅ)に告げて、「各々分界(ぶんかい)を保つのみ、細利を求むること毋(なか)れ」と。時に、呉主皓、徳政を修めずして、兼并(けんぺい)せんと欲し、術士をして、天下を取らんことを筮(ぜい)せしむ。対(こた)えて曰く「庚子の歳、青蓋(せいがい)当(まさ)に洛陽に入るべし」と。蓋(けだ)し、璧を銜(ふく)むの事を謂うなり。而れども皓、悟らず。諸将の謀(はかりごと)を用いて、数しば晋の辺を侵盗(しんとう)す。抗、諌むれども聴かず。抗、卒す。 地に委し 地に届き。 使命 音信を通ずること。 酖する 毒殺する鴆に通ずる。 羊叔子 羊祜のあざな。 掩襲 急襲、不意討ち。 辺戍 辺境の守備軍。 分界 さかいめ、分担地域。 兼并 併せて一つにすること。 術士 方術をつかう者。 筮 占う。 青蓋 皇太子が王に降されるこき乗る青いほろの車。 璧を銜む 国王が敵に降伏するとき、後ろ手に縛られて、璧を口に銜えて捧げたので、こういった。 西晋の世祖武皇帝、姓は司馬で名は炎、河内(かだい)の人、昭の子、懿の孫なり。昭、晋王と為って、嗣子を決める評議が行われた。それに加わった者 達は炎の髪が、立っても地にたれるほど長く、手を下げると、膝の下にまで届くのは人の臣となる相ではないとして、あと嗣ぎに立てた。司馬昭を嗣いで晋王となり、やがて帝位に即いた。司馬懿を追尊して宣皇帝とし、司馬師 を景皇帝として、父昭を文皇帝として、一族をあげて王に封じた。 晋は呉を滅ぼそうとしていた。羊祜に荊州の都督を命じ、呉はそれに対して陸抗が諸軍の都督に任じた。羊祜も陸抗も国境を接していたが常に使者を行き来させていた、陸抗が酒を贈ると羊祜は疑いもせずにこれを飲み、陸抗が病気になると羊祜が薬を届けた。危ぶむ部下に陸抗は「人に毒を盛るような羊叔子ではないわ」とすぐに服用した。羊祜は徳政を布き、呉の人びとをも懐け、戦闘を交えるにも日時を決めてそれを守り、不意討ちをかけるようなことはしなかった。陸抗も国境部隊に「それぞれ受け持ち地域を守ればそれで良し、些細な手柄など考えるな」と布令ていた。 この頃、呉主の孫皓は善政を布かないばかりか、領土の併呑を求め、方術士に天下を取ることを占いさせた。「庚子の歳に、青蓋が洛陽にるであろう」との卦を示した。これは皓が天子に降伏することを意味していたが、皓は自分に都合よく解釈して、部将達の謀を用いてたびたび晋の国境を侵略した。そして陸抗の諌めを聴かず、抗もやがて亡くなった。 十八史略 外寧ければ、必ず内の憂い有り 2011-12-15 15 52 34 | 十八史略 祜請伐呉。議者多不同。祜歎曰、天下不如意事、十常七八。惟杜預・張華贊其計。祜病。求入朝面陳。晉帝欲使祜臥護諸將。祜曰、取呉不必臣行。但平呉之後、當勞聖慮耳。祜卒。以杜預爲鎭南大將軍、督荊州軍事。呉主皓淫虐日甚。預表請速征之。表至。張華適與帝棊、即推枰斂手贊其決。帝許之。山濤告人曰、自非聖人、外寧必有内憂。釋呉爲外懼、豈非算乎。時濤爲吏部尚書。 祜(こ)呉を伐たんと請う。議する者、多くは同ぜず。祜、歎じて曰く「天下、意の如くならざる事、十に常に七八」と。惟、杜預(とよ)・張華のみ其の計を賛(たす)く。祜、病む。朝に入って面(まのあた)りに陳(の)べんことを求む。晋帝、祜をして、臥しながら諸将を護せしめんと欲す。祜曰く「呉を取るは、臣の行(こう)を必せず。但(ただ)呉を平らぐるの後、当(まさ)に聖慮を労すべきのみ」と。祜卒す。杜預を以って鎮南大将軍と為し、荊州の軍事を督せしむ。呉主皓、淫虐日に甚だし。預、表して、速かに之を征せんことを請う。表至る。張華、適(たまた)ま帝と棊(き)す、即ち枰(へい)を推し、手を斂(おさ)めて、其の決を賛く。帝、之を許す。山濤、人に告げて曰く、「聖人に非ざるよりは、外(ほか)寧(やす)ければ、必ず内の憂い有り。呉を釈(ゆる)して、外(そと)の懼れと為さんこと、豈算に非ざらんや」と。時に濤、吏部尚書たり。 表 天子にたてまつる文書。 棊 囲碁。 枰 碁盤。 算 得失。吏部尚書 人事担当長官。 羊祜は呉を討伐するよう奏請した。しかし評議に加わった者の多くが反対した。羊祜は「世の中、思い通りにならないことが十中七八か」と歎いた。た だ杜預と張華だけは賛成していた。羊祜が病気になり、朝廷に出て、直接意見を述べたいと願い出た。晋帝は、羊祜に寝ながらでもよいから将軍たちの力になるよう望んだが、羊祜は「呉を取るには必ずしも私が行く必要はございません。むしろ呉を平定された後に心を致されますように」と言った。祜が亡くなった。帝は杜預を鎮南大将軍に任命し、荊州の軍事を統括させた。一方、呉主皓の暴虐は日ごとに激しくなった。そこで杜預は上奏して直ちに呉を討ちたいと申し出た。その上奏文が着いたとき、帝は張華を相手に碁を打っていたが、張華は碁盤を押しやって裁可を促がしたので帝はこれを聞き入れた。 山濤は後日人にこう語った「聖人でない限り、外患が治まれば必ず内憂が起きるものだ、ここは呉を見逃して、外患にしておくほうが晋のためではないだろうか」このとき山濤は吏部尚書であった。 十八史略 竹林の七賢 2011-12-20 10 17 35 | 十八史略 山公の啓事 濤昔在魏晉之、與嵆康・阮籍・籍兄子咸・向秀・王戎・劉伶相友。號竹林七賢。皆崇尚老莊虚無之學、輕蔑禮法、縱酒昏酣、遺落世事。士大夫皆慕效之、謂之放達。惟濤惟仍留意世事、至是典選、甄抜人物、各爲題目而奏之。時人稱之爲山啓事。 濤、昔、魏晋の間に在って、嵆康(けいこう)・阮籍(げんせき)・籍の兄の子咸(かん)・向秀(しょうしゅう)・王戎(おうじゅう)・劉伶(りゅうれい)と相友(ゆう)たり。竹林の七賢と号す。皆、老荘虚無の学を崇尚(すうしょう)し、礼法を軽蔑し、縦酒(しょうしゅ) 昏酣(こんかん)、世事を遺落(いらく)す。士大夫、皆之を慕效(ぼこう)した。之を放達(ほうたつ)と謂う。惟、濤は仍(なお)世事に留め、是(ここ)に至って、選を典(つかさど)り、人物を甄抜(けんばつ)し、各々題目を為(つく)って之を奏す。時人、之を称して山公(さんこう)の啓事と為す。 崇尚 あがめたっとぶ。 縦酒 酒をほしいままに飲む。 昏酣 泥酔すること。 遺落 なげやりにする。 慕效 慕いならう。 放達 気ままにふるまうこと。 甄抜 才能を見分けて引き立てること。 啓事 天子などに申し上げる書面。 山濤はかつて魏から晋に代る時代に嵆康・阮籍・阮籍の甥の咸・向秀・王戎・劉伶と親交があり、竹林の七賢と呼ばれていた。皆老子や荘子の虚無の学を信奉し、礼法を軽蔑して、酒をとめどなく飲んでは泥酔し、世事をないがしろにした。当時の士大夫はこの風を慕い倣って放達と称していた。ただ山濤だけは世事にも心を留めて、吏部尚書となって官吏の人選をつかさどり、才能を見分けて引き上げるために、各項目ごとに特性を奏上した。人々は「山公の啓事」と呼んだ。 十八史略 呉亡ぶ 2011-12-22 09 14 53 | 十八史略 晉大擧伐呉。杜預出江陵、王濬下巴蜀。呉人於江磧要害處、竝以鐵鎖横江截之。又作鐵錐長丈餘、暗置江中、逆拒舟艦。濬作大筏先行、遇錐輒著筏而去。又作大炬、灌以麻油、遇鎖焼之。須臾融液斷絶。於是船無所礙、遂先克上流諸郡。預遣人、率奇兵夜渡。呉將懼曰、北來諸軍、乃飛渡江也。預分兵、與濬合攻武昌降之。預謂兵威已振、譬如破竹。數節之後、迎刃而解。無復著手擧也。遂指授羣帥方略、徑造建業。濬戎卒八萬、方舟百里、擧帆直指建業、鼓譟入石頭城。呉主皓面縛輿櫬降。封歸命侯。遂符庚子入洛之讖。自大帝至是四世、稱帝者、凡五十二年而亡。遡孫策定江東以來、通八十餘年。 晋、大挙して呉を伐つ。杜預は江陵より出で、王濬(おうしゅん)は巴蜀より下る。呉人(ごひと)、江磧(こうせき)要害の処に於いて、並びに鉄鎖を以って江に横たえて、之を截(た)つ。又、鉄錐の長さ丈余なるを作り、暗に江中に置き、舟艦を逆(むか)え拒(ふせ)ぐ。濬、大筏(だいばつ)を作り、水を善(よ)くする者をして、筏を以って先行し、錐に遇(あ)えば輒(すなわ)ち筏を著(つ)けて去らしむ。又、大炬(たいきょ)を作り、灌(そそ)ぐに麻油を以ってし、鎖に遇えば之を焼く。須臾に融液して断絶す。是(ここ)に於いて、船礙(さわ)る所無く、遂に先ず上流諸郡に克つ。預、人を遣わし、奇兵を率(ひき)いて、夜、渡らしむ。呉の将懼(おそれ)て曰く「北来の諸軍、乃ち江を飛び渡るや」と。預、兵を分かち、濬と合して、武昌を攻め之を降す。預、謂(おも)えらく、「兵威(へいい)已(すで)に振るう、譬えば竹を破(わ)るが如し。数節の後は、刃(やいば)を迎えて解く。復た手を著(つ)くる処なし」と。遂に群帥(ぐんすい)に方略(ほうりゃく)を指授(しじゅ)し、径(ただ)ちに建業に造(いた)る。濬が戎卒(じゅうそつ)八万、舟を方(なら)ぶること百里、帆を挙げて直ちに建業を指し、鼓譟(こそう)して石頭城に入る。 呉主皓、面縛(めんばく)輿櫬(よしん)して降る。帰命侯に封ず。遂に「庚子洛に入る」の讖(しん)に符す。大帝より是(ここ)に至って四世、帝と称する者(こと)、凡(すべ)て五十二年にして亡ぶ。孫策が江東を定めしより以来に遡れば、通じて八十余年なり。 磧 河原。 礙 障害。 面縛 後ろ手に縛って面をさらすこと。 輿櫬 櫬は棺、棺桶を車に積んで死の覚悟を示すこと。 讖 占いの卦。 晋は大軍を派遣して呉を伐つことになった。杜預は江陵から、王濬は巴蜀から水軍を率いて下った。呉の軍は揚子江の河原の要害に鉄の鎖を張り渡してさえぎり、又一丈に余る鉄の錐を密かに水中に植え、晋の軍船を待ち受け防ごうとした。王濬は大きい筏を作り、水練に長じた兵を選りすぐって筏に乗せて先に行かせて、鉄錐を探して除いた。また大きい松明を作り、胡麻油を注いで鉄鎖に遭うと、これを焼いた。たちまち溶かし切った。こうして船団は障碍をすべて取り除いて上流の諸郡で勝ちをおさめた。一方杜預は部下に、奇兵をひきいて、夜陰にまぎれて揚子江を渡らせた。呉の将は大いに恐れて「北の晋軍は、揚子江を飛んで渡ったのか」と言った。杜預は兵を分け、王濬と合流し、武昌を攻めてこれを降した。この時点で晋軍の中には、一旦兵を収めて来年再度攻めてはどうかの意見もあったが、杜預は「今は兵の士気が上がっている。例えば刃物で竹を割るようなもので、最初に二節ほど刃を入れるだけで、あとは竹が刃を迎え入れるように難なく割れる、力など要らぬものだ」と言って進軍を決して、各部将に戦略を授けて直ちに呉の都の建業を目指させた。王濬の軍勢八万、船を連ねること百里、帆を上げて太鼓を打ち、喚声を挙げて石頭城に突入した。 呉主皓は両手を後ろ手に縛り、顔を前に差し出し、棺桶を載せた車を従えて降参して出た。晋は呉主皓を許し帰命侯に封じた。ここでまさにあの庚子の年洛陽に入るの予言に符合したわけである。太帝孫権からここに至るまで四世、帝を称すること五十二年で亡んだ。孫策が江東を平定してから八十年余りであった。 https //blog.goo.ne.jp/ta-dash-i/c/42f06b7a51abc13bbb90975593b736b8/65
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これ以前の内容は天皇参照 天皇の歴史 天皇は日本の歴史において重要な権威を有していたが、実際に君主として統治権を行使していた期間は、天皇が存在していた期間と比べ極端に短く、ほとんどが天皇以外の貴族や武家、官僚などによって統治権は行使されている。とりわけ鎌倉幕府成立以後は武家の棟梁の一族が代々世襲で征夷大将軍に就任し、少なくとも基本的に内政や外交では日本の最高権力者として君臨してきた。しかし、天皇の地位がそれらの権力者によって廃されたことはなく、時の権力者も形式上はその権威を尊重し、それを背景に地位についていたことが多い。例えば全国に支配権を敷いていた武家政権の君主である征夷大将軍への就任も形式上は天皇の宣下によって行われることになっており、その権力者は天皇の権威を利用し、その政敵を朝敵(天皇の敵)などに指定させ、その統治権を正当化することが多かった。ただし、外交において有事が発生した際、その権力者たちも朝廷に相談を持ちかけているため、幕府などの武家政権が内外とも全面的に統治権を行使する認識があったかどうかは考慮が必要である(元寇や黒船来航等)。時にとりわけ大きな力をもった権力者が天皇という地位を廃止、あるいは簒奪を画策したことがあるとされているが、現在までに成功した例はないとされている。 神代と天皇の発祥 天皇家の系図は、『古事記』・『日本書紀』を初めとする史書に基づいて作られ、その起源は紀元前660年に即位した神武天皇、さらにはその始祖であるクニノトコタチなどの神々に始まるとされている。しかし、日本書紀は天武天皇の勅命により編纂されたものであり、歴史学的に証明の難しい神話・伝説などを多く含んでいる。そのため、天皇家の祖先にまつわる伝承や事績、および初期の天皇の実在については、歴史学的にはその実在性を疑問視されることが多い。 特に欠史八代の天皇については、古代中国の革命思想(讖緯説)に則って天皇家の歴史を水増したのではないかと指摘する否定説が戦後学会では主流である(実在説もある)。 歴史学的に証明できる天皇家の起源は、ヤマト王権の支配者・治天下大王(大王)が統治していた古墳時代あたりまでである。3世紀中葉以降に見られる前方後円墳の登場は日本列島における統一的な政権の成立を示唆しており、このときに成立した王朝が天皇家の祖先だとする説や、弥生時代の近畿地方にあった場合の邪馬台国の卑弥呼の系統を天皇家の祖先とする説、天皇家祖先の王朝は4世紀に成立したとする説、など多くの説が提出されており定まっていない。 古代の天皇 倭の五王 Template main? 中国の史書における倭王の最古の記述は、南北朝時代の劉宋王朝に朝貢した「倭」の王たちである。中国の史書『宋書』夷蛮伝・倭国条(倭国伝)には、5世紀に冊封された倭の五王(讃・珍・済・興・武)についての記述が残っている。これら五王は、仁徳天皇・履中天皇から雄略天皇までの天皇に比定されており(比定には諸説ある)、天皇家の祖先をこれら五王に求める説が有力である。 これら五王は、朝貢の見返りに、中国王朝から「倭国王」に封じられており、対外的にはこの称号を名乗っていたと推定される。国内向けの王号としては、熊本県と埼玉県の古墳から出土した鉄剣・鉄刀銘文に「治天下獲加多支鹵大王」「獲加多支鹵大王」とあり(通説では獲加多支鹵大王はワカタケルで雄略天皇の和風諡号とする)、「治天下大王」または「大王」が用いられていたことが判る。 『宋書』には、次のような倭王・武の上表文「自昔祖禰躬環甲冑跋渉山川不遑寧處 東征毛人五十五國西服衆夷六十六國渡平海北九十五國王道融泰廓土遐畿 累葉朝宗不愆于歳 臣雖下愚忝胤先緒驅率所統歸崇天極道遥百濟裝治船舫 而句驪無道圖欲見呑掠抄邊隷虔劉不已 毎致稽滯以失良風雖曰進路或通或不 臣亡考濟實忿寇讎壅塞天路控弦百萬義聲感激方欲大擧奄喪父兄使垂成之功不獲一簣 居在諒闇不動兵甲 是以偃息未捷 至今欲練甲治兵申父兄之志 義士虎賁文武效功白刃交前亦所不顧 若以帝德覆載摧此彊敵克靖方難無替前功 竊自假開府義同三司其餘咸假授以勸忠節」が引用されている。 「皇帝の冊封をうけたわが国は、中国からは遠く偏って、外臣としてその藩屏となっている国であります。昔からわが祖先は、みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、安んじる日もなく、東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた海を渡って、平らげること九十五国に及び、強大な一国家を作りあげました。王道はのびのびとゆきわたり、領土は広くひろがり、中国の威ははるか遠くにも及ぶようになりました。 わが国は代々中国に使えて、朝貢の歳をあやまることがなかったのであります。自分は愚かな者でありますが、かたじけなくも先代の志をつぎ、統率する国民を駈りひきい、天下の中心である中国に帰一し、道を百済にとって朝貢すべく船をととのえました。 ところが、高句麗は無道にも百済の征服をはかり、辺境をかすめおかし、殺戮をやめません。そのために朝貢はとどこおって良風に船を進めることができず、使者は道を進めても、かならずしも目的を達しないのであります。 わが亡父の済王は、かたきの高句麗が倭の中国に通じる道を閉じふさぐのを憤り、百万の兵士はこの正義に感激して、まさに大挙して海を渡ろうとしたのであります。しかるにちょうどその時、にわかに父兄を失い、せっかくの好機をむだにしてしまいました。そして喪のために軍を動かすことができず、けっきょく、しばらくのあいだ休息して、高句麗の勢いをくじかないままであります。いまとなっては、武備をととのえ父兄の遺志を果たそうと思います。正義の勇士としていさをたてるべく、眼前に白刃をうけるとも、ひるむところではありません。 もし皇帝のめぐみをもって、この強敵高句麗の勢いをくじき、よく困難をのりきることができましたならば、父祖の功労への報いをお替えになることはないでしょう。みずから開府儀同三司の官をなのり、わが諸将にもそれぞれ称号をたまわって、忠誠をはげみたいと思います。」井上光貞 『日本の歴史〈1〉神話から歴史へ』 中央公論新社, 2005年, ISBN 978-4122045477 この頃までの代々の天皇の出自や系統については、記紀の記述通りの「万世一系」ではなく、倭国内各地の有力豪族の間での、複雑な権力移動が裏にあったのではないかという説もある。例えば、雄略天皇の子の清寧天皇には後嗣がなく、履中天皇の孫である仁賢天皇・顕宗天皇が王位を継いだとされているが、実際は王位簒奪ではなかったかとの説もある。 また、仁賢の子の武烈天皇も跡継ぎがなく、応神天皇5世の孫とされる継体天皇が王位に就いているが、これにより仁徳以降の血統が途絶えていることから、王朝交代があったとする説もある。 しかし、実際にどのような経緯があったかについては、依拠しうる史料が、後代に「万世一系」史観の立場で書かれた『日本書紀』などに限られているため、前述の各説には異論もある。当時は、一つの血統が倭国王位を継いだのではなく、複数の有力な豪族たちの間で倭国王位が継承されたとする考え(連合王権説)も見られる。 以降 不安定な基盤にのっていた王統が確立したのが継体の子である欽明天皇の頃(6世紀中期)だと言われている。欽明以後、中国の制度・文化の摂取が積極的に行われるようになっていき、7世紀初頭には冠位制度の導入など、天皇家を中心とした政府が形成され始めることとなった。 また、この時期、隋の煬帝に対して「天子」と自称した「日出處天子致書日没處天子無恙云云」 -- 『隋書』卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國と『隋書』に見える。このことから、天皇の称号の成立をこの7世紀初頭に求める意見もある。 大化の改新から院政まで 大化の改新等で7世紀中期から中国(唐)の法令体系である律令を導入することにより、天皇を中心とした政府・国家体制を構築しようとする動きが活発となっていった。それらの試みは豪族らの反発により一気に進展はしなかったが、最終的には、天武天皇及びその後継者によって完結することとなった。特に天武帝は、自らの実力で皇位についたことを背景として、絶対的な権力を行使していった。この天武が事実上の初代天皇、すなわち天武が天皇の称号を創始したとする説が有力となっている。天皇号の開始時期は、前述の7世紀初頭とこの天武期とに説が分かれ、激しい議論がくり広げられている。なお、天皇号が成立する以前の王号は、倭国王・倭王(外国向け)および治天下大王(国内向け)だったと考えられている。 律令制下で天皇は太政官組織に依拠し、実体的な権力を振るったが、この政治形態は法令に則っていたため、比較的安定したものだった。主要な政策事項の実施には、天皇の裁可が必要とされており、天皇の重要性が確保されていた。しかし、平安初期の9世紀中後期ごろから、藤原北家が天皇の行為を代理・代行する摂政・関白に就任するようになった。特に858年(天安2年)に即位した清和天皇はわずか9歳で、史上初めての幼帝であった。このような幼帝の即位は、天皇が次第に実権を失っていたことを示すもので、こうした政治体制を摂関政治という。摂関政治の成立の背景には、国内外の脅威がなくなったことに伴って政治運営が安定化し、政治の中心が儀式運営や人事などへ移行していったことにある。そのため、藤原北家(摂関家)が天皇家の統治権を請け負うことが可能となったと考えられる。また、摂関家の権力の源泉としては、摂関家が天皇家の外祖父(母方の祖父)としての地位を確保し続けたことにあるとされている。この頃、関東では桓武天皇五代の皇胤平将門が平氏一門の内紛を抑え、近隣の紛争に介入したところ、在地の国司と対立、やがて蜂起して自ら新皇(新天皇)と名乗り、朝廷の任命した国司を追い払って関東7カ国と伊豆に自分の国司を任命した。新国家の樹立とも言えるが、3か月で平定された。 平安後期の後三条天皇は、摂関家が握っていた統治権を天皇家へ取り戻すため、記録荘園券契所の設置など、さまざまな政策を展開していった。後三条は天皇譲位後も上皇として政治の運用にあたることを企図していたが、その実現の前に没した。後三条の子の白河天皇は後三条の遺志を継ぎ、上皇(院)として政務に当たるようになった。この院政の展開により、藤原氏の勢力は著しく後退した。院政を布いた上皇(院)は、自身の政庁である院庁を置き、治天の君(事実上の国王)として君臨したが、それは父権に基づくもので、外祖父として権力を握った摂関政治よりも一層強固なものであった。治天の君は、自己の軍事力として北面武士を保持し、平氏や源氏などの武士を登用したが、このことが結果的に平氏政権の誕生や源氏による鎌倉幕府の登場をもたらすこととなる。鎌倉時代には院の軍事力強化を目的とした西面武士を設置した。院政はこの後、江戸時代まで続くが、実体的な政権を構成したのは、白河院政から鎌倉時代末の後宇多上皇までの約250年間と見られている。 中世 中世の国家体制については、一般的には天皇・公家の後退と武家の伸張によって特徴付けられるが、公家と武家が両々相俟って国家を維持したとする権門体制論も提出されているなど学説も多様である。荘園制の普及にもかかわらず律令体制下の公領(国衙領)がなお根強く残されていたことから、鎌倉幕府の成立前後までは上皇がかなりの権力を振るう余地はあった。 しかし承久の乱(1221年)以降の天皇の権威の失墜は著しく、モンゴル襲来に当たっての外交的処理や唐船派遣などの外国貿易など、いずれも鎌倉幕府の主導の下に行われており、武家一元化の動向を示していた。武家の進出のため公家の家門の分裂が起こることも多くなった。天皇家でも、大覚寺統と持明院統に分裂した。鎌倉幕府の崩壊後、一時天皇親政が行われた。しかしその後の内乱を通じて南北両朝が並立し、足利方の北朝が南朝を吸収することで収拾された。 この頃は天皇の権威の低下が著しく、室町幕府三代将軍足利義満は、自分の子義嗣を皇位継承者とする皇位簒奪計画を持ったと言われるが、義満の死後、朝廷が義満に太上(だいじょう)天皇の尊号を贈ろうとした際には、室町幕府四代将軍義持がこれを固辞している(義満が自分より義嗣をかわいがっていたため、父を快く思わなかったためといわれている)ので、その真相については未だ定かではない。戦国時代末期には京都での天皇や公家の窮乏は著しく、烏帽子を逆さまにして物乞いをしたり、共同浴場に出向いたりする公家も生じるようになったが、有力戦国大名や織田政権が天皇・公家を政治的・経済的に意識的に保護したことによってその後まで制度として継続することになる。 近世 江戸時代においては、天皇は政治的実権を取得することなく、実際の石高は1万石(のち3万石)程度の経済基盤しか持たなかった。また禁中並公家諸法度により、その言動も幕府から厳しく制限された。庶民の尊敬の対象は大名や征夷大将軍(上様、将軍様)に向けられ、天皇や公家は庶民とは間接的に縁のある存在(天子様)として敬意が払われる程度であったとも考えられている。しかしながら公家は実権は失っていたものの茶道・俳諧等の文化活動においてその嫡流たる天皇の権威高揚に努め、天皇は改元にあたって元号を決定する最終的権限を持っていたこと(元号勅定の原則)を始め、将軍や大名の官位も、儀礼上全て天皇から任命されるものであり、権威の源泉として重要な意味を持つ存在であった(これに対しても幕府が元号決定や人事への介入を行い、その権威の縮小・儀礼化を図っている)。江戸時代後期には光格天皇が父親の閑院宮典仁(すけひと)親王に太上天皇の追号を送ろうとしたが、天皇に即位しなかった者への贈位は前例がないとして反対した幕府の松平定信と衝突する尊号一件と呼ばれる事件が発生した。 しかし18世紀後半から、征夷大将軍の権力は天皇から委任されたものであるから、将軍に従わなければならないとする大政委任論が学界で提唱されるようになり、将軍の権威付けとともに天皇の権威性も見直されていくようになっていった。そうした運動が幕末の尊皇攘夷運動へと繋がった。 明治維新 幕藩体制が揺ぎ始めると、江戸幕府も反幕勢力もその権威を利用しようと画策し、結果的に天皇の権威が高められていく。ペリー来航に伴う対応について、幕府は独断では処理できず、朝廷に報告を行った。このことは前例にないことであった。このことによって天皇の権威は復活したが、幕府は当初、公武合体により、反幕勢力の批判を封じ込めようとした。しかしこの画策は失敗し、薩摩・長州を主体とする反幕勢力による武力倒幕が行われようとした。幕府はその機先を制して大政奉還を行ったが、将軍は「辞官納地」(全ての官職と領地の返上)を強要され、それに不満の旧幕府軍は鳥羽・伏見で官軍と衝突し、内戦となった。その過程で北海道函館では、榎本武揚らによって一時共和制が宣言される(「蝦夷共和国」)。「蝦夷共和国」は選挙によって大統領(総裁)を選出したが、官軍に程なく平定された。 この戊辰戦争を通じて倒幕に成功した大久保利通らは、天皇を中心とする新政権を当初、京都の太政官制度によって運営した。しかし征韓論政変によって参議から下野した板垣退助らが自由民権運動を開始し、それが次第に議会開設の国民運動として発展すると、政府は大日本帝国憲法を発布し、議会と内閣制度を発足させた。これにより皇室制度は、プロイセン式の立憲君主制を採ったが、大日本帝国憲法と同時に制定された皇室典範は、内閣や国会も改廃できない「皇室の家法」とされ、皇室制度は国民統治の神権的機関として利用されるようになる。こうした皇室制度は、国民から隔絶した絶対的な権力を有する天皇制絶対主義であると規定する学者も少なくない。 ※「天皇制」とは本来コミンテルンの用語であり、それに該当する歴史的用語は「皇室制度」である。Template 要出典? 明治以降 明治31年(1898年)には、第一次大隈重信内閣の文部大臣尾崎行雄が、ある教育会の席上で藩閥勢力の拝金主義を攻撃した演説に「日本で共和制が実施されれば、三井・三菱は大統領となるだろう」とあったため問題となり、皇室制度の下にあって共和制を想定することは不敬にあたるとして辞任に追い込まれた(共和演説事件)。その背景には反大隈勢力の桂太郎派の画策があったと言われるが、後任の文相には犬養毅が任命された。明治44年(1911年)には大逆事件が生じ、時の政権から社会主義者弾圧の口実に使用され、明治天皇を暗殺しようとしたとして幸徳秋水ら12人が死刑に処された。この事件は当時の多くの文化人にも衝撃的な影響を与えた。徳富蘆花は、「謀反論」を書き、謀反を恐れてはならないとし、石川啄木は「時代閉塞の現状」への宣戦布告を行ったが、永井荷風はこれを機に社会的関心から意識的に遠ざかるようになった。その後は、政府の方針に対する世論の批判をかわす目的で天皇の存在は利用され、天皇を批判する言論は不敬罪として厳重に罰せられたこともあって、天皇批判は影を潜め、「冬の時代」とも称されるようなった。 その後、2度にわたる憲政擁護運動を経て、大正デモクラシーと言われるように言論界も活況を呈するようになる。大正デモクラシーの時期には、皇室制度を自由主義的に解釈する吉野作造の民本主義なども現れた。しかし、大正14年(1925年)には普通選挙法と同時に治安維持法が公布され、国体の変革を否定する言論や運動が禁止された。昭和10年(1935年)、美濃部達吉はそれまで学会で主流だった天皇機関説を主張したことで貴族院で排撃され、著書は発禁処分となり不敬罪で告訴され、貴族院議員の職を辞した。政府や軍の活動に対する世論の批判を抑える目的として天皇の存在は大きく利用されることとなった。 世界恐慌の後、五・一五事件、二・二六事件を踏まえ、軍部が擡頭し天皇の存在を大きく利用する。明治憲法において軍の統帥権は、政府ではなく天皇にあると定められていることを理由に、政府の方針を無視し満州事変等を引き起こした。また天皇の神聖不可侵を強調して、政府に圧力を加え軍部大臣現役武官制や統帥権干犯問題、国体明徴宣言を通じて勢力を強めていく。この頃には、津田左右吉らの日本古代史学者が、神話は歴史事実とは異なるとしただけで職を追われるようになった。その権威が頂点に達したのは太平洋戦争時であり、昭和13年(1938年)の国家総動員法が発令された頃より、軍部により現人神(あらひとがみ)と神格化され、天皇を中心とした戦時国家体制が作られた(皇国史観を参照)。この時代には、ドイツのナチス政権やイタリアの戦闘者ファッショ政権といったファシズム体制が成立し、日独伊三国同盟が結ばれたことから、この時期の日本の皇室制度は天皇制ファシズムとも呼ばれている。 第二次世界大戦終結後 thumb|300px|right|昭和天皇(右)と[[マッカーサーの会見で(1945年9月27日)。この写真を掲載した各新聞は内務省より発禁処分を受けたが、GHQの命で解除された。]]第二次世界大戦の終戦後、連合国(UN)の間では、軍国主義の一因として天皇を処罰し、皇室制度を廃止すべきだという意見が強かったが、日本政府がその維持を強く唱えたこともあり、ダグラス・マッカーサー元帥、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) は、日本の占領行政を円滑に進めるため、また共産主義に対する防波堤としても皇室制度は存続させるべきだという方向性を取った。昭和天皇の戦争責任についても追及すべきとの意見が強くあったが、アメリカの外交的策略により、占領当局は追及しないこととした。当時、民間には、天皇をめぐる各種の意見が生じたが、戦前、皇国史観のために被害を受けた津田左右吉なども天皇自体の存在は否定しないと言明した。その外、天皇の廃位を唱える見解や昭和天皇の退位と皇太子の即位により元号を改正するのが妥当とする説も、南原繁・佐々木惣一・中曽根康弘らが唱えたが、一部に止まった。昭和天皇自身は退位の意向を示したが、かえって戦争責任を認めることになるとして周囲から強い反対があり、撤回した。 この後、連合国総司令官のマッカーサー元帥と昭和天皇が並んで写っている写真(右)が新聞に掲載された。今まで現人神とされ、写真も「御真影」等と呼ばれていた天皇が、しかも肩の力を抜いた姿の元帥の隣に直立不動の姿勢で、普通に新聞に写っていることは国民の衝撃を呼んだ。さらには、1946年1月1日の詔書を発表し、このなかで“天皇は現人神ではなく人間である”といういわゆる「人間宣言」もなされた。しかしこの宣言は、戦前戦中に「修身」の教科書などで国民が意識していた“日本国民は優秀な民族であり、世界の支配者たるべき立場にある”という概念を否定する文脈にあること、詔書の冒頭において「五箇条の御誓文」を掲げていることに見られるように、かならずしも従来の天皇のありかたそのものを否定するものでは無かったとする説もあった大原康男「天皇の人間宣言とは何か」1986年10月、雑誌「諸君」。しかし、木下道雄侍従次長の『側近日誌』の公開によって、天皇が「現人神」(あらひとがみ)であることを否定するものであったことが明白になり、そのような主張をする学者はいなくなった。 昭和天皇は人間宣言をした後、日本全国各地への巡幸をはじめたが、多大な犠牲者を出した地上戦が行われ当時日本と切り離され連合軍の直接統治下におかれた沖縄は、対象とされなかった。この「巡幸」は各地で歓迎をもって迎えられたが、1947年にはその歓迎の盛り上がりぶりに、天皇の政治権力復活を危惧したGHQによって巡幸の1年間中止が決定されるなどの動きもあった(国旗の掲揚はGHQにより禁じられていたが、多数の民衆が掲揚していたため)。なお、この巡幸の目的には、新たな象徴天皇崇敬の国民の意識形成があったともいわれる。沖縄行幸は昭和天皇の悲願であったようであり、晩年の病に際しそのことに触れられている。昭和天皇#行幸に詳しい。 天皇と海外の国々 昭和天皇の大葬の礼の際には、世界の163か国の国家元首や首脳と17の国際機関の関係者が参列に訪れた。インドは3日間、ブータンでは一か月間喪に服した(日本は2日間)。また、明仁親王の天皇即位の際にも世界各国の国家元首が多く参列に訪れた。 米国のフォード大統領は、昭和天皇の前に立った時には足が震えたというエピソード(竹村健一著より)もある。 一方、昭和天皇は、第二次世界大戦での敵国関係にあったオランダ・イギリス等からは、憎悪の目でみられる事もある。昭和天皇がオランダに訪問した際に、一部の人々から抗議活動として火炎瓶等を投げつけられる事があった。 タイ、ブータンの王室とは交友が深い。 天皇と課題 皇位継承権論争 Template Main? 1965年の秋篠宮文仁親王の誕生から2006年の悠仁親王の誕生まで男性皇族が誕生していなかったため、皇位を継ぐべき男系男子が不足しており、皇室典範に定める皇位継承者が存在しなくなり、皇統が断絶する可能性が出てきた。そのため、皇室典範を改正し、女子や女系の者にも皇位継承権を与えるか、旧皇族を皇籍に復帰させるなどして男系継承を維持するかの論争が起きている。 国体論争 大日本帝国憲法では、天皇は統治権の総攬者とされていたのに対し、日本国憲法では日本国・日本国民統合の象徴とされ、かつ国民主権原理を採用したため、日本国憲法の制定により日本の国体が変わったか否かについて起きた論争。特に尾高・宮沢論争と佐々木・和辻論争が有名。 国家元首としての天皇と憲法改正に関して 自民党憲法改正試案、民主党鳩山氏憲法改正試案、民主党小沢氏憲法改正試案、6省庁を主務官庁とする中曽根元総理属する財団法人世界平和研究所憲法改正試案が、国家元首を天皇にすべしと提言している。議案提出権を有しない衆議院憲法調査会、及び議案提出権を有しない参議院憲法調査会では天皇の地位に関して現在も議論中であり、結論は出ていない。また両院憲法調査会で、そもそも天皇制を廃止すべきとの意見は出なかった。読売新聞憲法改正試案では天皇制は現状維持と述べている。 脚注・参照 Template 脚注ヘルプ? Template reflist? 関連項目 天皇の一覧 歴代天皇の一覧。 皇室の系図一覧 歴代天皇の他、天皇家を祖とする主な人物を一覧にした系図。 皇族 天皇制 皇位継承 皇居 神道 - 宮中祭祀 天皇陵 三種の神器 太上天皇 - 治天の君 ヤマト大王 御料車 皇室用客車 天皇杯 天皇賞 天皇海山群 外部リンク 宮内庁ホームページ 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年3月3日 (月) 12 01。
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唐書巻八十九 列伝第十四 屈突通 尉遅敬徳 張公謹 張大安 秦瓊 唐倹 唐憲 唐次 唐扶 唐持 唐彦謙 段志玄 段文昌 段成式 屈突通は、その祖先がおそらく昌黎徒何の人で、のちに長安に家をかまえた。隋に仕えて虎賁郎将となった。文帝命覆隴西牧簿、得隠馬二万匹、帝怒、收太僕卿慕容悉達・監牧官史千五百人、将悉殊死。通曰:「人命至重、死不復生。陛下以至仁育四海、豈容以畜産一日而戮千五百士?」帝叱之、通進頓首曰:「臣願身就戮、以挺衆死。」帝寤、曰:「朕不明、乃至是。今當免悉達等、旌爾善言。」遂皆以減論。擢左武衛将軍。官勁正、有犯法者、雖親無所回縱。其弟蓋為長安令、亦以方厳顕。時為語曰:「寧食三斗艾、不見屈突蓋。寧食三斗、不逢屈突通。」 煬帝即位、遣持詔召漢王諒。先是、文帝與諒約、若璽書召、驗視敕字加點、又與玉麟符合、則就道。及是、書無驗、諒覺変、詰通、通占對無屈、竟得歸長安。大業中、與宇文述共破楊玄感、以功遷左驍衛大将軍。秦・隴盜起、授関内討捕大使。安定人劉迦論反、衆十餘万據雕陰。通發関中兵撃之、次安定、初不與戰、軍中意其怯。通陽言旋師、而潛入上郡。賊未之覺、引而南、去通七十里舍、分兵徇地。通候其無備、夜簡精甲襲破之、斬迦論并首級万餘、築京観於上郡南山、虜老弱数万口。後隋政益乱、盜賊多、士無志、諸将多覆。通毎向必持重、雖不大克、亦不敗負。帝南幸、使鎮長安。 高祖起、代王遣通守河東、戰久不下、高祖留兵圍之、遂濟河、破其将桑顕和於飲馬泉。通大懼、乃留鷹揚郎将堯君素守蒲、将自武関趨藍田以援長安。至潼関、阻劉文静兵不得進、相持月餘。通令顕和夜襲文静、詰朝大戰、顕和縱兵破二壁、唯文静一壁獨完、然数入壁、短兵接、文静中流矢、軍垂敗、顕和以士疲、乃伝餐食、文静因得分兵実二壁。会游軍数百騎自南山還、撃其背、三壁兵大呼、奮而出、顕和遂潰、盡得其衆。通勢蹙、或説之降、曰:「吾蒙国厚恩、事二主、安可逃難?獨有死報爾!」毎自摩其頸曰:「要當為国家受人一刀!」其訓勉士卒必流涕、故力雖窮、而人尚為之感奮。帝遣其家僮往召、通趨斬之。俄聞京師平、家盡沒、乃留顕和保潼関、率兵将如洛。既行、而顕和來降。文静遣竇琮・段志玄精騎追及於稠桑、通結陣拒之。琮縱其子寿往諭使降、通大呼曰:「昔與汝父子、今則讎也!」命左右射之、顕和呼其衆曰:「京師陷、諸君皆家関西、何為復東?」衆皆捨兵。通知不免、遂下馬東南向、再拜号哭曰:「臣力屈兵敗、不負陛下。」遂被禽、送長安。帝勞曰:「何相見晩邪?」泣曰:「通不能盡人臣之節、故至此、為本朝羞。」帝曰:「忠臣也!」釋之、授兵部尚書・蔣国公、為秦王行軍元帥長史。 従平薛仁杲、時賊珍用山積、諸将爭得之、通獨無所取。帝聞、曰:「清以奉国、名定不虚。」特賚金銀六百兩・綵千段。判陝東道行臺左僕射、従討王世充。時通二子在洛、帝曰:「今以東略属公、如二子何?」通曰:「臣老矣、不足當重任。然疇昔陛下釋俘纍、加恩礼、以蒙更生、是時口與心誓、以死許国。今日之行、正當先驅、二兒死自其分、終不以私害義。」帝太息曰:「烈士徇節、吾今見之。」及竇建徳來援賊、秦王分麾下半以属通、俾與斉王圍洛。世充平、論功第一、拜陝東道大行臺右僕射、鎮東都。数歳、召為刑部尚書。自以不習文、固辞、改工部。建成之変、復検校行臺僕射、馳鎮洛。貞観初、行臺廢、為洛州都督、進左光禄大夫。卒、年七十二、贈尚書左僕射、謚曰忠。後詔配饗太宗廟廷。永徽中、贈司空。 二子寿・詮、寿襲爵。太宗幸洛、思通忠節、故詮以少子拜果毅都尉、賜粟帛卹其家、終瀛州刺史。詮子仲翔、神龍中、復守瀛州。 初、桂州都督李弘節亦以清慎顕。既歿、其家賣珠。太宗疑弘節実貪、欲追坐舉者。魏徴曰:「陛下過矣!且今号清白死不変者、屈突通・張道源。通二子來調、共一馬。道源子不能自存。審其清者不加卹、疑其濁者罪所舉、亦好善不篤矣。」帝曰:「朕未之思。」置不問。故通之清益顕云。 尉遅敬徳は名を恭といい、字をもって通称するが、朔州善陽の人である。隋の大業末年、高陽で従軍し、閲歴を積んで朝散大夫となった。劉武周が乱を起こすと、その偏将となった。宋金剛とともに南侵し、晋・澮などの州を得て、永安王李孝基を襲撃して破り、独孤懐恩らを捕らえた。武徳二年、秦王が柏壁で戦うと、宋金剛は敗れて突厥に逃れ、尉遅敬徳は余衆を合わせて介休を守った。秦王は任城王李道宗・宇文士及を派遣してかれをさとし、そこで尋相とともに地を挙げて降った。召されて右一府統軍となり、王世充への攻撃に従った。 会尋相叛、諸将疑敬徳且乱、囚之。行臺左僕射屈突通・尚書殷開山曰:「敬徳慓敢、今執之、猜貳已結、不即殺、後悔無及也。」王曰:「不然。敬徳必叛、寧肯後尋相者邪?」釋之、引見臥内、曰:「丈夫以氣相許、小嫌不足置胸中、我終不以讒害良士。」因賜之金、曰:「必欲去、以為汝資。」是日獵楡窠、会世充自将兵数万來戰、単雄信者、賊驍将也、騎直趨王、敬徳躍馬大呼橫刺、雄信墜、乃翼王出、率兵還戰、大敗之、禽其将陳智略、獲排兵六千。王顧曰:「比衆人意公必叛、我獨保無它、何相報速邪?」賜金銀一篋。 竇建徳営板渚、王命李勣等為伏、親挾弓、令敬徳執、略其壘、大呼致師。建徳兵出、乃稍引、殺数十人、衆益進。伏發、大破之。時世充兄子琬使於建徳、乘隋帝厩馬、鎧甲華整、出入軍中以夸衆。王望見、問「誰可取者?」敬徳請與高甑生・梁建方三騎馳往、禽琬、引其馬以歸、賊不敢動。従討劉黒闥、賊以奇兵襲李勣、王勒兵掩其後、俄而賊衆四面合、敬徳率壯士馳入賊、王乘陣乱乃得出。又破徐圓朗。以功授王府左二副護軍。 隠太子嘗以書招之、贈金皿一車。辞曰:「敬徳起幽賤、会天下喪乱、久陷逆地、秦王実生之、方以身徇恩。今於殿下無功、其敢當賜?若私許、則懷二心、徇利棄忠、殿下亦焉用之哉?」太子怒而止。敬徳以聞。王曰:「公之心如山岳然、雖積金至斗、豈能移之?然恐非自安計。」巣王果遣壯士刺之。敬徳開門安臥、賊至、不敢入。因譖於高祖、将殺之、王固爭、得免。 其後隠・巣計日急、敬徳與長孫忌入白曰:「大王不先決、社稷危矣!」王曰:「我惟同氣、所未忍。伺其發、而後以義討之、如何?」敬徳曰:「人情畏死、衆以死奉王、此天授也。天與不取、反得其咎。大王即不聴、請従此亡、不能交手蒙戮。」忌曰:「王不従敬徳言、敬徳亦非王有、今敗矣。」王曰:「寡人之謀、未可全棄、公更図之。」敬徳曰:「處事有疑非智、臨難不決非勇。王今自計如何?勇士八百人悉入宮控弦被甲矣、尚何辞?」後又與侯君集等懇熟勧進、計乃定。時房玄齡・杜如晦被斥在外、召不至。王怒曰:「是背我邪?」因解所佩刀授之、謂曰:「即不従、可斬其首以來。」敬徳遂往諭玄齡等、與入計議。 隠太子死、敬徳領騎七十趨玄武門、王馬逸、墜林下、元吉将奪弓窘王、敬徳馳叱之、元吉走、遂射殺之。宮・府兵屯玄武門、戰不解、敬徳持二首示之、乃去。時帝泛舟海池、王命敬徳往侍、不解甲趨行在。帝驚曰:「今日之乱為誰?爾來何邪?」對曰:「秦王以太子・斉王作乱、舉兵誅之、恐陛下不安、遣臣宿衛。」帝意悅。於是南衙・北門兵與府兵尚雜、敬徳請帝手詔諸軍聴秦王節度、内外始定。 王為皇太子、授左衛率。時坐隠・巣者百餘家、将盡沒入之。敬徳曰:「為惡者二人、今已誅、若又窮支黨、非取安之道。」由是普原。論功為第一、賜絹万匹、舉斉府金幣・什器賜焉。除右武候大将軍、封呉国公、実封千三百戸。 突厥入寇、授涇州道行軍總管。虜至涇陽、輕騎與戰、敗之。敬徳所得財、必散之士卒。然婞直、頗以功自負、又廷質大臣得失、與宰相不平。出為襄州都督。累遷同州刺史。嘗侍宴慶善宮、有班其上者、敬徳曰:「爾何功、坐我上?」任城王道宗解喩之、敬徳勃然、撃道宗目幾眇。太宗不懌、罷、召讓曰:「朕観漢史、嘗怪高祖時功臣少全者。今視卿所為、乃知韓・彭夷戮、非高祖過。国之大事、惟賞與罰、橫恩不可数得、勉自脩飭、悔可及乎!」敬徳頓首謝。後改封鄂国、歴鄜・夏二州都督。老就第、授開府儀同三司、朝朔望。 帝将討高麗、敬徳上言:「乘輿至遼、太子次定州、兩京空虚、恐有玄感之変。夷貊小国、不足枉万乘、願委之将臣、以時摧滅。」帝不納。詔以本官行太常卿、為左一馬軍總管。師還、復致仕。顕慶三年卒、年七十四。高宗詔京官五品以上及朝集使赴第臨弔、冊贈司徒・并州都督、謚曰忠武。給班劍・羽葆・鼓吹、陪葬昭陵。 敬徳晩節、謝賓客不與通。飭観・沼、奏清商楽、自奉養甚厚。又餌雲母粉、為方士術延年。其戰、善避、毎単騎入賊、雖群刺之不能傷、又能奪取賊還刺之。斉王元吉使去刃與之校、敬徳請王加刃、而獨去之、卒不能中。帝嘗問:「奪與避孰難?」對曰:「奪難。」試使與斉王戲、少選、王三失、遂大愧服。 張公謹は、字を弘慎といい、魏州繁水の人である。為王世充洧州長史、與刺史崔樞挈城歸天子、授検校鄒州別駕、遷累右武候長史、未知名。李勣・尉遅敬徳数啓秦王、乃引入府。王将討隠・巣乱、使卜人占之、公謹自外至、投龜於地曰:「凡卜以定猶豫、決嫌疑。今事無疑、何卜之為?卜而不吉、其可已乎?」王曰:「善。」隠太子死、其徒攻玄武門、鋭甚、公謹獨閉関拒之。以功授左武候将軍、封定遠郡公、実封一千戸。 貞観初、為代州都督、置屯田以省餽運。数言時政得失、太宗多所采納。後副李靖経略突厥、條可取状於帝曰:「頡利縱欲肆凶、誅害善良、昵近小人、此主昏於上、可取一也。別部同羅・僕骨・回紇・延陀之属、皆自立君長、図為反噬、此衆叛於下、可取二也。突利被疑、以輕騎免、拓設出討、衆敗無餘、欲谷喪師、無託足之地、此兵挫将敗、可取三也。北方霜旱、稟糧乏絶、可取四也。頡利疏突厥、親諸胡、胡性翻覆、大軍臨之、内必生変、可取五也。華人在北者甚衆、比聞屯聚、保據山險、王師之出、當有應者、可取六也。」帝然所謀。及破定襄、敗頡利、璽詔慰勞、進封鄒国公、改襄州都督、以惠政聞。卒官下、年四十九。帝将出次哭之、有司奏:「日在辰、不可。」帝曰:「君臣猶父子也、情感於内、安有所避!」遂哭之。詔贈左驍衛大将軍、謚曰襄。十三年、追改郯国公。永徽中、加贈荊州都督。 子大素、龍朔中、歴東臺舍人、兼脩国史、著書百餘篇、終懷州長史。 次子大安、上元中、同中書門下三品。章懷太子令與劉納言等共註范曄漢書。太子廢、故貶為普州刺史、終橫州司馬。子悱、仕玄宗時為集賢院判官、詔以其家所著魏書・説林入院、綴脩所闕、累擢知図書・括訪異書使、進国子司業、以累免官。 秦瓊は、字を叔宝といい、字でもって知られ、斉州歴城の人である。始為隋将來護兒帳内、母喪、護兒遣使襚弔之。吏怪曰:「士卒死喪、将軍未有所問、今獨弔叔宝何也?」護兒曰:「是子才而武、志節完整、豈久處卑賤邪?」 俄従通守張須陀撃賊盧明月下邳、賊衆十餘万、須陀所統纔十之一、堅壁未敢進、糧盡、欲引去。須陀曰:「賊見兵、必悉衆追我、得鋭士襲其営、且有利、誰為吾行者?」衆莫對。惟叔宝與羅士信奮行。乃分勁兵千人伏莽間、須陀委営遁、明月悉兵追躡。叔宝等馳叩賊営、門閉不得入、乃升樓拔賊旗幟、殺数十人、営中乱、即斬関納外兵、縱火焚三十餘屯。明月奔還、須陀回撃、大破之。又與孫宣雅戰海曲、先登。以前後功擢建節尉。 従須陀撃李密滎陽。須陀死、率殘兵附裴仁基。仁基降密、密得叔宝大喜、以為帳内驃騎、待之甚厚。密與宇文化及戰黎陽、中矢墮馬、濱死、追兵至、獨叔宝捍衛得免。 後歸王世充、署龍驤大将軍。與程金計曰:「世充多詐、数與下誓、乃巫嫗、非撥乱主也。」因約倶西走、策其馬謝世充曰:「自顧不能奉事、請従此辞。」賊不敢逼、於是來降。 高祖俾事秦王府、王尤獎礼。従鎮長春宮、拜馬軍總管。戰美良川、破尉遅敬徳、功多、帝賜以黄金瓶、勞曰:「卿不卹妻子而來歸我、且又立功、使朕肉可食、當割以啖爾、況子女玉帛乎!」尋授秦王右三統軍、走宋金剛於介休、拜上柱国。従討世充・建徳・黒闥三盜、未嘗不身先鋒鏖陣、前無堅對。積賜金帛以千万計、進封翼国公。毎敵有驍将鋭士震燿出入以夸衆者、秦王輒命叔宝往取之、躍馬挺槍刺於万衆中、莫不如志、以是頗自負。及平隠・巣、功拜左武衛大将軍、実封七百戸。 後稍移疾、嘗曰:「吾少長戎馬間、歴二百餘戰、数重創、出血且数斛、安得不病乎?」卒、贈徐州都督、陪葬昭陵。太宗詔有司琢石為人馬立墓前、以旌戰功。貞観十三年、改封胡国公。 後四年、詔司徒・趙国公忌、司空・河間王孝恭、司空・萊国公如晦、司空・太子太師・鄭国公徴、司空・梁国公玄齡、開府儀同三司・鄂国公敬徳、特進・衛国公靖、特進・宋国公瑀、輔国大将軍・褒国公志玄、輔国大将軍・夔国公弘基、尚書左僕射・蔣国公通、陝東道行臺右僕射・鄖国公開山、荊州都督・譙国公紹、荊州都督・邳国公順徳、洛州都督・鄖国公亮、吏部尚書・陳国公君集、左驍衛大将軍・郯国公公謹、左領軍大将軍・盧国公知節、礼部尚書・永興郡公世南、戸部尚書・渝国公政会、戸部尚書・莒国公倹、兵部尚書・英国公勣、并叔宝、並図形凌煙閣。高宗永徽六年、遣使致祭名臣図形凌煙閣者凡七人、徴・士廉・瑀・志玄・弘基・世南・叔宝、皆始終著名者也。 唐倹は、字を茂約といい、并州晋陽の人である。祖父の唐邕は、北斉の尚書左僕射であった。父の唐鑑は、隋の戎州刺史で、與高祖善、嘗偕典軍衛、故倹雅與秦王游、同在太原。倹爽邁少繩検、然事親以孝聞。見隋政寖乱、陰説秦王建大計。高祖嘗召訪之、倹曰:「公日角龍廷、姓協図讖、係天下望久矣。若外嘯豪桀、北招戎狄、右收燕・趙、濟河而南、以據秦・雍、湯・武之業也。」高祖曰:「湯・武之事豈可幾?然喪乱方剡、私當図存、公欲拯溺者、吾方為公思之。」及大将軍府開、授記室参軍・渭北道元帥司馬。従定京師、為相国府記室、晋昌郡公。 武徳初、進内史舍人、遷中書侍郎・散騎常侍。呂崇茂以夏県反、與劉武周連和、詔永安王孝基・獨孤懷恩・于筠率兵致討、倹以使適至軍。会孝基等為武周所虜、倹亦見禽。始、懷恩屯蒲州、陰與部将元君実謀反、会倶在賊中、君実私語倹曰:「獨孤尚書将舉兵図大事、猶豫不發、故及此。所謂當斷不斷而受乱者。」俄而懷恩脱歸、詔復守蒲。君実曰:「獨孤拔難歸、再戍河上、寧其王者不死乎?」倹恐必乱、密遣劉世讓歸白發其謀。会高祖幸蒲津、舟及中流而世讓至、帝驚、曰:「豈非天也!」命趨還舟、捕反者、懷恩自殺、餘黨皆誅。俄而武周敗、亡入突厥。倹封府庫・籍兵甲以待秦王。帝嘉倹身幽辱而不忘朝廷、詔復舊官、仍為并州道安撫大使、許以便宜。盡簿懷恩貲産賜倹。還為礼部尚書・天策府長史・検校黄門侍郎・莒国公。仍為遂州都督、食州六百戸。 貞観初、使突厥還、太宗謂倹曰:「卿観頡利可取乎?」對曰:「銜国威靈、庶有成功。」四年、馳伝往誘使歸款、頡利許之、兵懈弛、李靖因襲破之、倹脱身還。 歳餘、為民部尚書。従獵洛陽苑、群豕突出于林、帝射四發、輒殪四豕。一豕躍及鐙、倹投馬搏之。帝拔劍斷豕、顧笑曰:「天策長史不見上将撃賊邪、何懼之甚?」對曰:「漢祖以馬上得之、不以馬上治之。陛下神武定四方、豈復快心于一獸?」帝為罷獵。詔其子善識尚豫章公主。 倹居官不事事、與賓客縱酒為楽。坐小法、貶光禄大夫。永徽初、致仕、加特進。顕慶初卒、年七十八。贈開府儀同三司・并州都督、陪葬昭陵、謚曰襄。 少子観、為河西令、知名。 孫従心、神龍中、以其子晙娶太平公主女、擢累殿中監。晙太常少卿、坐太平黨誅。 倹弟憲。 憲字茂彝、仕隋為東宮左勳衛。太子廢、罷歸。不治細行、好馳獵、蔵亡命、所交皆博徒輕俠。高祖領太原、頗親遇之、参與大議。義師起、授正議大夫、置左右、尤所信倚。封安富県公。武徳中、進累雲麾将軍、加郡公。貞観中、終金紫光禄大夫。 裔孫次、字文編。建中初、及進士第、歴侍御史。竇参数薦之、改礼部員外郎。参貶、出為開州刺史、積十年不遷。韋皋鎮蜀、表為副使、徳宗諭皋罷之。次身在遠、久抑不得申、以為古忠臣賢士罹讒毀被放、至殺身、君且不悟者、因采獲其事、為辨謗略三篇上之。帝益怒、曰:「是乃以古昏主方我!」改夔州刺史。憲宗立、召還、授礼部郎中、知制誥、終中書舍人。憲宗雅惡朋比傾陷者、嘗覽辨謗略、善之。謂學士沈伝師曰:「凡君人者、宜所観省。然次編録未盡、卿可廣其書。」伝師乃與令狐楚・杜元穎論次、起周訖隋、增為十篇、更号元和辨謗略。 子扶、字雲翔、仕歴屯田郎中。大和五年、為山南宣撫使。内郷倉督鄧琬負度支漕米七千斛、吏責償之、繋其父子至孫凡二十八年、九人死於獄、扶奏申釋之。詔切責鹽鐵・度支二使、天下監院償逋繋三年以上者、皆原。進中書舍人、出為福州観察使。濫殺人、風績不立。会卒、奴婢爭財、有司按其貲至十餘万、時議蚩薄之。 扶弟持、字徳守、中進士第。大和中、為渭南尉、試京兆府進士。時尹杜悰欲以親故託之、持輒趨降階伏、悰語塞、乃止。累遷工部郎中、出為容州刺史。遷給事中、歴朔方・昭義節度使、卒。 子彦謙字茂業、多通技芸、尤工為詩、負才無所屈。乾符末、避乱漢南。王重榮鎮河中、辟幕府、累表為副、歴晋・絳二州刺史。重榮軍乱、彦謙貶興元参軍事。節度使楊守亮表為判官、遷副使、終閬・壁二州刺史。 段志玄は、斉州臨淄の人である。父の段偃師は、隋に仕えて太原司法書佐となった。従義師、官至郢州刺史。志玄姿質偉岸、少無賴、数犯法。大業末、従父客太原、以票果、諸惡少年畏之、為秦王所識。 高祖興、以千人従、授右領大都督府軍頭。下霍邑・絳郡、攻永豊倉、椎鋒最。歴左光禄大夫。従劉文静拒屈突通于潼関。文静為桑顕和所襲、軍且潰、志玄率壯騎馳賊、殺十餘人、中流矢、忍不言、突撃自如、賊衆乱、軍乘之、唐兵復振。通敗走、與諸将躡獲於稠桑、以多、授楽游府車騎将軍。従討王世充、深入、馬跌、為賊禽。兩騎夾持其髻、将度洛、志玄忽騰而上、二人者倶墮、於是奪其馬馳歸、尾騎数百不敢近。破竇建徳、平東都、遷秦王府右二護軍。隠太子嘗以金帛誘之、拒不納。秦王即位、累遷左驍衛大将軍、封樊国公、実封九百戸。詔率兵至青海奪吐谷渾牧馬、逗留、免。未幾復職。 文徳皇后之葬、與宇文士及勒兵衛章武門、太宗夜遣使至二将軍所、士及披戸内使、志玄拒曰:「軍門不夜開。」使者示手詔、志玄曰:「夜不能辨。」不納。比曙、帝歎曰:「真将軍、周亞夫何以加!」改封褒国公、歴鎮軍大将軍。 貞観十六年疾、帝臨視、泣顧曰:「當與卿子五品官。」頓首謝、請與母弟、乃拜志感左衛郎将。及卒、帝哭之慟。贈輔国大将軍・揚州都督、陪葬昭陵、謚曰壯肅。 三世孫文昌。 文昌字墨卿、一字景初、世客荊州。疏爽任義節、不為齷齪小行。節度使裴冑礼之。冑採古今礼要為書、数従文昌質判所疑。後依劍南節度韋皋、皋表為校書郎。宰相李吉甫才之、擢登封尉・集賢校理、再遷左補闕。憲宗数欲親用、頗為韋貫之奇詆、偃蹇不得進。貫之罷、引為翰林學士、遷中書舍人、遂為承旨。穆宗即位、屢召入思政殿顧問、率至夕乃出。俄拜中書侍郎・同中書門下平章事。未踰年、自表還政。授劍南西川節度使・同平章事。 文昌素諳蜀利病、大抵治寬静、間以威斷、不常任也、群蠻震服。長慶二年黔中蠻叛、観察使崔元略以聞、文昌使一介開曉、蠻即引還、彭濮蠻大酋蹉禄來請立石刊誓、脩貢献。入遷兵部尚書。文宗立、拜御史大夫、進封鄒平郡公。俄検校尚書右僕射・平章事、節度淮南。 大和四年、検校左僕射、徙帥荊南。州或旱、禬解必雨。或久雨、遇出游必霽。民為語曰:「旱不苦、禱而雨。雨不愁、公出游。」南詔襲南安、帝以文昌得蠻夷心、詔使下檄尉讓、即日解而去。復節度西川。九年卒、贈太尉。 文昌先墓在荊州、歳時享祠、必薦以音楽歌舞、習礼者譏其非。少羇窶、所向少諧。及居将相、享用奢侈、士議尤替。 子成式、字柯古、推蔭為校書郎。博學彊記、多奇篇祕籍。侍父于蜀、以畋獵自放、文昌遣吏自其意諫止。明日以雉兔遺幕府、人為書、因所獲儷前世事、無複用者、衆大驚。擢累尚書郎、為吉州刺史、終太常少卿。著酉陽書数十篇。子安節、乾寧中、為国子司業。善楽律、能自度曲云。 賛曰:屈突通盡節於隋、而為唐忠臣、何哉?惟其一心、故事兩君而無嫌也。敬徳之來、太宗以赤心付之、桑蔭不徙而大功立。君臣相遇、古人謂之千載、顧不諒哉!投機之会、間不容穟、公謹所以抵龜而決也。 前巻 『新唐書』 次巻 巻八十八 列伝第十三 『新唐書』巻八十九 列伝第十四 巻九十 列伝第十五
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資治通鑑巻第十九 漢紀十一 世宗孝武皇帝中之上 元朔五年(丁巳、前一二四) 1冬,十一月,乙丑,薛澤免。以公孫弘爲丞相,封平津侯。丞相封侯自弘始。 時上方興功業,弘於是開東閣以延賢人,與參謀議。毎朝覲奏事,因言國家便宜,上亦使左右文學之臣與之論難。弘嘗奏言:「十賊擴弩,百吏不敢前。請禁民毋得挾弓弩,便。」上下其議。侍中吾丘壽王對曰:「臣聞古者作五兵,非以相害,以禁暴討邪也。秦兼天下,銷甲兵,折鋒刃;其後民以櫌鉏、棰梃相撻撃,犯法滋衆,盜賊不勝,卒以亂亡。故聖王務教化而省禁防,知其不足恃也。禮曰:『男子生,桑弧、蓬矢以舉之,』明示有事也。大射之禮,自天子降及庶人。三代之道也。愚聞聖王合射以明教矣,未聞弓矢之爲禁也。且所爲禁者,爲盜賊之以攻奪也;攻奪之罪死,然而不止者,大姦之於重誅,固不避也。臣恐邪人挾之而吏不能止,良民以自備而抵法禁,是擅賊威而奪民救也。竊以爲大不便。」書奏,上以難弘,弘詘服焉。 弘性意忌,外寬内深。諸嘗與弘有隙,無近遠,雖陽與善,後竟報其過。董仲舒爲人廉直,以弘爲從諛,弘嫉之。膠西王端驕恣,數犯法,所殺傷二千石甚衆。弘乃薦仲舒爲膠西相;仲舒以病免。汲黯常毀儒,面觸弘,弘欲誅之以事,乃言上曰:「右内史界部中多貴臣、宗室,難治,非素重臣不能任,請徙黯爲右内史。」上從之。 1. 2春,大旱。 2. 3匈奴右賢王數侵擾朔方。天子令車騎將軍靑將三萬騎出高闕,衞尉蘇建爲游撃將軍,左内史李沮爲高弩將軍,太僕公孫賀爲騎將軍,代相李蔡爲輕車將軍,皆領屬車騎將軍,倶出朔方;大行李息、岸頭侯張次公爲將軍,倶出右北平;凡十餘萬人,撃匈奴。右賢王以爲漢兵遠,不能至,飲酒,醉。衞靑等兵出塞六七百里,夜至,圍右賢王。右賢王驚,夜逃,獨與壯騎數百馳,潰圍北去。得右賢裨王十餘人,衆男女萬五千餘人,畜數十百萬,於是引兵而還。 至塞,天子使使者持大將軍印,即軍中拜衞靑爲大將軍,諸將皆屬焉。夏,四月,乙未,復益封靑八千七百戸,封靑三子伉、不疑、登皆爲列侯。靑固謝曰:「臣幸得待罪行間,賴陛下神靈,軍大捷,皆諸校尉力戰之功也。陛下幸已益封臣靑;臣靑子在襁褓中,未有勤勞,上列地封爲三侯,非臣待罪行間所以勸士力戰之意也。」天子曰:「我非忘諸校尉功也。」乃封護軍都尉公孫敖爲合騎侯,都尉韓説爲龍額侯,公孫賀爲南窌侯,李察爲樂安侯,校尉李朔爲渉軹侯,趙不虞爲隨成侯,公孫戎奴爲從平侯,李沮、李息及校尉豆如意皆賜爵關内侯。 於是靑尊寵,於羣臣無二,公卿以下皆卑奉之,獨汲黯與亢禮。人或説黯曰:「自天子欲羣臣下大將軍,大將軍尊重,君不可以不拜。」黯曰:「夫以大將軍有揖客,反不重邪!」大將軍聞,愈賢黯,數請問國家朝廷所疑,遇黯加於平日。大將軍靑雖貴,有時侍中,上踞廁而視之;丞相弘燕見,上或時不冠;至如汲黯見,上不冠不見也。上嘗坐武帳中,黯前奏事,上不冠,望見黯,避帳中,使人可其奏。其見敬禮如此。 3. 4夏,六月,詔曰:「蓋聞導民以禮,風之以樂。今禮壞、樂崩,朕甚閔焉。其令禮官勸學興禮以爲天下先!」於是丞相弘等奏:「請爲博士官置弟子五十人,復其身;第其高下,以補郎中、文學、掌故;即有秀才異等,輒以名聞;其不事學若下材,輒罷之。又,吏通一藝以上者,請皆選擇以補右職。」上從之。自此公卿、大夫、士、吏彬彬多文學之士矣。 4. 5秋,匈奴萬騎入代,殺都尉朱英,略千餘人。 5. 6初,淮南王安,好讀書屬文,喜立名譽,招致賓客方術之士數千人。其羣臣、賓客,多江、淮間輕薄士,常以厲王遷死感激安。建元六年,彗星見,或説王曰:「先呉軍時,彗星出,長數尺,然尚流血千里。今彗星竟天,天下兵當大起。」王心以爲然,乃益治攻戰具,積金錢。 郎中雷被獲罪於太子遷,時有詔,欲從軍者輒詣長安,被即願奮撃匈奴。太子惡被於王,斥免之,欲以禁後。是歳,被亡之長安,上書自明。事下廷尉治,蹤跡連王,公卿請逮捕治王。太子遷謀令人衣衞士衣,持戟居王旁,漢使有非是者,即刺殺之,因發兵反。天子使中尉宏即訊王,王視中尉顏色和,遂不發。公卿奏:「安壅閼奮撃匈奴者,格明詔,當棄市。」詔削二縣。既而安自傷曰:「吾行仁義,反見削地。」恥之,於是爲反謀益甚。安與衡山王賜相責望,禮節間不相能。衡山王聞淮南王有反謀,恐爲所並,亦結賓客爲反具,以爲淮南已西,欲發兵定江、淮之間而有之。衡山王后徐來譖太子爽於王,欲廢之而立其弟孝。王囚太子而佩孝以王印,令招致賓客。賓客來者微知淮南、衡山有逆計,日夜從容勸之。王乃使孝客江都人枚赫、陳喜作輣車、鍛矢,刻天子璽、將相軍吏印。秋,衡山王當入朝,過淮南;淮南王乃昆弟語,除前隙,約束反具。衡山王即上書謝病,上賜書不朝。 6. 六年(戊午、前一二三) 1春,二月,大將軍靑出定襄,撃匈奴;以合騎侯公孫敖爲中將軍,太僕公孫賀爲左將軍,翕侯趙信爲前將軍,衞尉蘇建爲右將軍,郎中令李廣爲後將軍,左内史李沮爲強弩將軍,咸屬大將軍。斬首數千級而還,休士馬於定襄、雲中、鴈門。 1. 2赦天下。 2. 3夏,四月,衞靑復將六將軍出定襄,撃匈奴,斬首虜萬餘人。右將軍建、前將軍信並軍三千餘騎獨逢單于兵,與戰一日餘,漢兵且盡。信故胡小王,降漢,漢封爲翕侯,及敗,匈奴誘之,遂將其餘騎可八百降匈奴。建盡亡其軍,脱身亡,自歸大將軍。 議郎周霸曰:「自大將軍出,未嘗斬裨將。今建棄軍,可斬,以明將軍之威。」軍正閎、長史安曰:「不然。兵法:『小敵之堅,大敵之禽也。』今建以數千當單于數萬,力戰一日餘,士盡,不敢有二心,自歸,而斬之,是示後無反意也,不當斬。」大將軍曰:「靑幸得以肺腑待罪行間,不患無威,而霸説我以明威,甚失臣意。且使臣職雖當斬將,以臣之尊寵而不敢自擅誅於境外,而具歸天子,天子自裁之,於以見爲人臣不敢專權,不亦可乎?」軍吏皆曰:「善!」遂囚建詣行在所。 初,平陽縣吏霍仲孺給事平陽侯家,與靑姊衞少兒私通,生霍去病。去病年十八,爲侍中,善騎射,再從大將軍撃匈奴,爲票姚校尉,與輕騎勇八百,直棄大軍數百里赴利,斬捕首虜過當。於是天子曰:「票姚校尉去病,斬首虜二千餘級,得相國、當戸,斬單于大父行藉若侯産,生捕季父羅姑,比再冠軍,封去病爲冠軍侯。上谷太守郝賢四從大將軍,捕斬首虜二千餘級,封賢爲衆利侯。」 是歳,失兩將軍,亡翕侯,軍功不多,故大將軍不益封,止賜千金。右將軍建至,天子不誅,贖爲庶人。 單于既得翕侯,以爲自次王,用其姊妻之,與謀漢。信教單于益北絶幕,以誘罷漢兵,徼極而取之,無近塞。單于從其計。 是時,漢比歳發十餘萬衆撃胡,斬捕首虜之士受賜黄金二十餘萬斤,而漢軍士馬死者十餘萬,兵甲轉漕之費不與焉。於是大司農經用竭,不足以奉戰士。六月,詔令民得買爵及贖禁錮,免臧罪。置賞官,名曰武功爵,級十七萬,凡直三十餘萬金。諸買武功爵至千夫者,得先除爲吏。吏道雜而多端,官職耗廢矣。 3. 元狩元年(己未、前一二二) 1冬,十月,上行幸雍,祠五畤,獲獸,一角而足有五蹄。有司言:「陛下肅祗郊祀,上帝報享,錫一角獸,蓋麟雲。」於是以慶五畤,畤加一牛,以燎。久之,有司又言:「元宜以天瑞命,不宜以一二數,一元曰建,二元以長星曰光,今元以郊得一角獸曰狩雲。」於是濟北王以爲天子且封禪,上書獻太山及其旁邑。天子以他縣償之。 1. 2淮南王安與賓客左呉等日夜爲反謀,按輿地圖,部署兵所從入。諸使者道長安來,爲妄言,言「上無男,漢不治」,即喜;即言「漢廷治,有男」,王怒,以爲妄言,非也。 王召中郎伍被與謀反事,被曰:「王安得此亡國之言乎?臣見宮中生荊棘,露霑衣也。」王怒,繋伍被父母,囚之。三月,復召問之,被曰:「昔秦爲無道,窮奢極虐,百姓思亂者十家而六七。高皇帝起於行陳之中,立爲天子,此所謂蹈瑕候間,因秦之亡而動者也。今大王見高皇帝得天下之易也,獨不觀近世之呉、楚乎!夫呉王王四郡,國富民衆,計定謀成,舉兵而西;然破於大梁,奔走而東,身死祀絶者何?誠逆天道而不知時也。方今大王之兵,衆不能十分呉、楚之一,天下安寧,萬倍呉、楚之時,大王不從臣之計,今見大王棄千乘之君,賜絶命之書,爲羣臣先死於東宮也。」王涕泣而起。 王有孽子不害,最長,王弗愛,王后、太子皆不以爲子、兄數。不害有子建,材高有氣,常怨望太子,陰使人告太子謀殺漢中尉事,下廷尉治。 王患之,欲發,復問伍被曰:「公以爲呉興兵,是邪?非邪?」被曰:「非也。臣聞呉王悔之甚,願王無爲呉王之所悔。」王曰:「呉何知反!漢將一日過成皋者四十餘人,今我絶成皋之口,據三川之險,招山東之兵,舉事如此,左呉、趙賢、朱驕如皆以爲什事九成,公獨以爲有禍無福,何也?必如公言,不可徼幸邪?」被曰:「必不得已,被有愚計。當今諸侯無異心,百姓無怨氣,可偽爲丞相、御史請書,徙郡國豪桀高貲於朔方,益發甲卒,急其會日;又偽爲詔獄書,逮諸侯太子、幸臣。如此,則民怨,諸侯懼,即使辯士隨而説之,儻可徼幸什得一乎!」王曰:「此可也。雖然,吾不至若此。」 於是王乃作皇帝璽,丞相、御史大夫、將軍、軍吏、中二千石及旁近郡太守、都尉印,漢使節。欲使人偽得罪而西,事大將軍,一日發兵,即刺殺大將軍。且曰:「漢廷大臣,獨汲黯好直諫,守節死義,難惑以非;至如説丞相弘等,如發蒙振落耳!」 王欲發國中兵,恐其相、二千石不聽,王乃與伍被謀先殺相、二千石。又欲令人衣求盜衣,持羽檄從東方來,呼曰:「南越兵入界!」欲因以發兵。會廷尉逮捕淮南太子,淮南王聞之,與太子謀,召相、二千石,欲殺而發兵。召相,相至,内史、中尉皆不至。王念,獨殺相無益也,即罷相。王猶豫,計未決。太子即自剄,不殊。 伍被自詣吏,告與淮南王謀反蹤跡如此。吏因捕太子、王后,圍王宮,盡求捕王所與謀反賓客在國中者,索得反具,以聞。下公卿治其黨與,使宗正以符節治王。未至,十一月,淮南王安自剄。殺王后荼、太子遷,諸所與謀反者皆族。 天子以伍被雅辭多引漢之美,欲勿誅。廷尉湯曰:「被首爲王畫反計,罪不可赦。」乃誅被。侍中莊助素與淮南王相結交,私論議,王厚賂遺助;上薄其罪,欲勿誅。張湯爭,以爲:「助出入禁門,腹心之臣,而外與諸侯交私如此,不誅,後不可治。」助竟棄市。 衡山王上書,請廢太子爽,立其弟孝爲太子。爽聞,即遣所善白嬴之長安上書,言「孝作輣車、鍛矢,與王御者姦」,欲以敗孝。會有司捕所與淮南謀反者,得陳喜於衡山王子孝家,吏劾孝首匿喜。孝聞「律:先自告,除其罪」,即先自告所與謀反者枚赫、陳喜等。公卿請逮捕衡山王治之,王自剄死。王后徐來、太子爽及孝皆棄市,所與謀反者皆族。 凡淮南、衡山二獄,所連引列侯、二千石、豪傑等,死者數萬人。 2. 3夏,四月,赦天下。 3. 4丁卯,立皇子據爲太子,年七歳。 4. 5五月,乙巳晦,日有食之。 5. 6匈奴萬人入上谷,殺數百人。 6. 7初,張騫自月氏還,具爲天子言西域諸國風俗:「大宛在漢正西,可萬里。其俗土著,耕田;多善馬,馬汗血;有城郭、室屋,如中國。其東北則烏孫,東則于窴。于窴之西,則水皆西流注西海,其東,水東流注鹽澤。鹽澤潛行地下,其南則河源出焉。鹽澤去長安五千里。匈奴右方居鹽澤以東,至隴西長城,南接羌,鬲漢道焉。烏孫、康居、奄蔡、大月氏,皆行國,隨畜牧,與匈奴同俗。大夏在大宛西南,與大宛同俗。臣在大夏時,見邛竹杖、蜀布,問曰:『安得此?』大夏國人曰:『吾賈人往市之身毒。』身毒在大夏東南可數千里,其俗土著,與大夏同。以騫度之,大夏去漢萬二千里,居漢西南;今身毒國又居大夏東南數千里,有蜀物,此其去蜀不遠矣。今使大夏,從羌中,險,羌人惡之;少北,則爲匈奴所得;從蜀,宜徑,又無寇。」 天子既聞大宛及大夏、安息之屬皆大國,多奇物,土著,頗與中國同業,而兵弱,貴漢財物。其北有大月氏、康居之屬,兵強,可以賂遺設利朝也。誠得而以義屬之,則廣地萬里,重九譯,致殊俗,威德遍於四海,欣然以騫言爲然。乃令騫因蜀、犍爲發間使王然於等四道並出駹,出冉,出徙,出邛、僰,指求身毒國,各行一二千里,其北方閉氐、莋,南方閉巂、昆明。昆明之屬無君長,善寇盜,輒殺略漢使,終莫得通。於是漢以求身毒道,始通滇國。滇王當羌謂漢使者曰:「漢孰與我大?」及夜郎侯亦然。以道不通,故各自以爲一州主,不知漢廣大。使者還,因盛言滇大國,足事親附;天子注意焉,乃復事西南夷。 7. 二年(庚申、前一二一) 1冬,十月,上幸雍,祠五畤。 1. 2三月,戊寅,平津獻侯公孫弘薨。壬辰,以御史大夫樂安侯李蔡爲丞相,廷尉張湯爲御史大夫。 2. 3霍去病爲票騎將軍,將萬騎出隴西,撃匈奴,歴五王國,轉戰六日,過焉支山千餘里,殺折蘭王,斬盧侯王,執渾邪王子及相國、都尉,獲首虜八千九百餘級,收休屠王祭天金人。詔益封去病二千戸。 夏,去病復與合騎侯公孫敖將數萬騎倶出北地,異道。衞尉張騫、郎中令李廣倶出右北平,異道。廣將四千騎先行,可數百里,騫將萬騎在後。匈奴左賢王將四萬騎圍廣,廣軍士皆恐;廣乃使其子敢獨與數十騎馳貫胡騎,出其左右而還,告廣曰:「胡虜易與耳!」軍士乃安。廣爲圜陳,外向。胡急撃之,矢下如雨。漢兵死者過半,漢矢且盡。廣乃令士持滿毋發,而廣身自以大黄射其裨將,殺數人,胡虜益解。會日暮,吏士皆無人色,而廣意氣自如,益治軍,軍中皆服其勇。明日,復力戰,死者過半,所殺亦過當。會博望侯軍亦至,匈奴軍乃解去。漢軍罷,弗能追,罷歸。漢法:博望侯留遲後期,當死,贖爲庶人。廣軍功自如,無賞。而票騎將軍去病深入二千餘里,與合騎侯失,不相得。票騎將軍踰居延,過小月氏,至祁連山,得單桓、酋塗王,及相國、都尉以衆降者二千五百人,斬首虜三萬二百級,獲裨小王七十餘人。天子益封去病五千戸,封其裨將有功者鷹撃司馬趙破奴爲從票侯,校尉高不識爲宜冠侯,校尉僕多爲煇渠侯。合騎侯敖坐行留不與票騎會,當斬,贖爲庶人。 是時,諸宿將所將士、馬、兵皆不如票騎,票騎所將常選,然亦敢深入,常與壯騎先其大軍;軍亦有天幸,未嘗困絶也。而諸宿將常留落不偶,由此票騎日以親貴,比大將軍矣。 匈奴入代、鴈門,殺略數百人。 3. 4江都王建與其父易王所幸淖姫等及女弟征臣姦。建游雷陂,天大風,建使郎二人乘小船入陂中。船覆,兩郎溺,攀船,乍見乍沒。建臨觀大笑,令勿救,皆死。凡殺不辜三十五人,專爲淫虐。自知罪多,恐誅,與其後成光共使越婢下神,祝詛上。又聞淮南、衡山陰謀,建亦作兵器,刻皇帝璽,爲反具。事發覺,有司請捕誅,建自殺,後成光等皆棄市,國除。 4. 5膠東康王寄薨。 5. 6秋,匈奴渾邪王降。是時,單于怒渾邪王、休屠王居西方爲漢所殺虜數萬人,欲召誅之。渾邪王與休屠王恐,謀降漢,先遣使向邊境要遮漢人,令報天子。是時,大行李息將城河上,得渾邪王使,馳傳以聞。天子聞之,恐其以詐降而襲邊,乃令票騎將軍將兵往迎之。休屠王后悔,渾邪王殺之,並其衆。票騎既渡河,與渾邪王衆相望。渾邪王裨將見漢軍,而多不欲降者,頗遁去。票騎乃馳入,得與渾邪王相見,斬其欲亡者八千人,遂獨遣渾邪王乘傳先詣行在所,盡將其衆渡河。降者四萬餘人,號稱十萬。既至長安,天子所以賞賜者數十巨萬;封渾邪王萬戸,爲漯陰侯,封其裨王呼毒尼等四人皆爲列侯。益封票騎千七百戸。 渾邪之降也,漢發車二萬乘以迎之,縣官無錢,從民貰馬,民或匿馬,馬不具。上怒,欲斬長安令,右内史汲黯曰:「長安令無罪,獨斬臣黯,民乃肯出馬。且匈奴畔其主而降漢,漢徐以縣次傳之,何至令天下騷動,罷敝中國而以事夷狄之人乎!」上默然。及渾邪至,賈人與市者坐當死五百餘人,黯請間見高門,曰:「夫匈奴攻當路塞,絶和親,中國興兵誅之,死傷者不可勝計,而費以巨萬百數。臣愚以爲陛下得胡人,皆以爲奴婢,以賜從軍死事者家,所鹵獲,因予之,以謝天下之苦,塞百姓之心。今縱不能,渾邪率數萬之衆來降,虚府庫賞賜,發良民侍養,譬若奉驕子,愚民安知市買長安中物,而文吏繩以爲闌出財物於邊關乎!陛下縱不能得匈奴之資以謝天下,又以微文殺無知者五百餘人,是所謂庇其葉而傷其枝者也。臣竊爲陛下不取也。」上默然不許,曰:「吾久不聞汲黯之言,今又復妄發矣。」 居頃之,乃分徙降者邊五郡故塞外,而皆在河南,因其故俗爲五屬國。而金城河西,西並南山至鹽澤,空無匈奴,匈奴時有候者到而希矣。 休屠王太子日磾與母閼氏、弟倫倶沒入官,輸黄門養馬。久之,帝游宴,見馬,後宮滿側,日磾等數十人牽馬過殿下,莫不竊視,至日磾獨不敢。日磾長八尺二寸,容貌甚嚴,馬又肥好,上異而問之,具以本状對。對奇焉,即日賜湯沐、衣冠,拜爲馬監,遷侍中、駙馬都尉、光祿大夫。日磾既親近,未嘗有過失,上甚信愛之,賞賜累千金,出則驂乘,入侍左右。貴戚多竊怨曰:「陛下妄得一胡兒,反貴重之。」上聞,愈厚焉。以休屠作金人祭天主,故賜日磾姓金氏。 6. 三年(辛酉、前一二〇) 1春,有星孛于東方。 1. 2夏,五月。赦天下。 2. 3淮南王之謀反也,膠東康王寄微聞其事,私作戰守備。及吏治淮南事,辭出之。寄母王夫人,即皇太后之女弟也,於上最親,意自傷,發病而死,不敢置後。上聞而憐之,立其長子賢爲膠東王。又封其所愛少子慶爲六安王,王故衡山王地。 3. 4秋,匈奴入右北平、定襄,各數萬騎,殺略千餘人。 4. 5山東大水,民多饑乏。天子遣使者虚郡國倉廥以振貧民,猶不足,又募豪富吏民能假貸貧民者以名聞,尚不能相救。乃徙貧民於關以西及充朔方以南新秦中七十餘萬口,衣食皆仰給縣官,數歳假予産業。使者分部護之,冠蓋相望。其費以億計,不可勝數。 5. 6漢既得渾邪王地,隴西、北地、上郡益少胡寇,詔減三郡戍卒之半,以寬天下之繇。 6. 7上將討昆明,以昆明有滇池方三百里,乃作昆明池以習水戰。是時法既益嚴,吏多廢免。兵革數動,民多買復及五大夫,征發之士益鮮。於是除千夫、五大夫爲吏,不欲者出馬,以故吏弄法,皆謫令伐棘上林,穿昆明池。 7. 8是歳,得神馬於渥窪水中。上方立樂府,使司馬相如等造爲詩賦,以宦者李延年爲協律都尉,佩二千石印;弦次初詩以合八音之調。詩多爾雅之文,通一經之士不能獨知其辭,必集會五經家相與共講習讀之,乃能通知其意。及得神馬,次以爲歌。汲黯曰:「凡王者作樂,上以承祖宗,下以化兆民。今陛下得馬,詩以爲歌,協於宗廟,先帝百姓豈能知其音邪?」上默然不説。 上招延士大夫,常如不足;然性嚴峻,羣臣雖素所愛信者,或小有犯法,或欺罔,輒按誅之,無所寬假。汲黯諫曰:「陛下求賢甚勞,未盡其用,輒已殺之。以有限之士恣無已之誅,臣恐天下賢才將盡,陛下誰與共爲治乎!」黯言之甚怒,上笑而諭之曰:「何世無才,患人不能識之耳,苟能識之,何患無人!夫所謂才者,猶有用之器也,有才而不肯盡用,與無才同,不殺何施!」黯曰:「臣雖不能以言屈陛下,而心猶以爲非。願陛下自今改之,無以臣爲愚而不知理也。」上顧羣臣曰:「黯自言爲便辟則不可,自言爲愚,豈不信然乎!」 8. 四年(壬戌、前一一九) 1冬,有司言:「縣官用度太空,而富商大賈冶鑄、煮鹽,財或累萬金,不佐國家之急。請更錢造幣以贍用,而摧浮淫並兼之徒。」是時,禁苑有白鹿而少府多銀、錫,乃以白鹿皮方尺,縁以藻繢,爲皮幣,直四十萬。王侯、宗室朝覲聘享必以皮幣薦璧,然後得行。又造銀、錫爲白金三品:大者圜之,其文龍,直三千;次方之,其文馬,直五百;小者橢之,其文龜,直三百。令縣官銷半兩錢,更鑄三銖錢,盜鑄諸金錢罪皆死;而吏民之盜鑄白金者不可勝數。 於是以東郭咸陽、孔人堇爲大農丞,領鹽鐵事。桑弘羊以計算用事。咸陽,齊之大煮鹽;人堇,南陽大冶,皆致生累千金。弘羊,洛陽賈人之子,以心計,年十三侍中。三人言利,事析秋毫矣。 詔禁民敢私鑄鐵器、煮鹽者釱左趾,沒入其器物。公卿又請令諸賈人末作各以其物自佔,率緡錢二千而一算;及民有軺車若船五丈以上者,皆有算。匿不自佔,占不悉,戍邊一歳,沒入緡錢。有能告者,以其半畀之。其法大抵出張湯。湯毎朝奏事,語國家用,日晏,天子忘食。丞相充位,天下事皆決於湯。百姓騷動,不安其生,咸指怨湯。 1. 2初,河南人卜式,數請輸財縣官以助邊,天子使使問式:「欲官乎?」式曰:「臣少田牧,不習仕宦,不願也。」使者問曰:「家豈有冤,欲言事乎?」式曰:「臣生與人無分爭,邑人貧者貸之,不善者教之,所居人皆從式,式何故見冤於人!無所欲言也。」使者曰:「苟如此,子何欲而然?」式曰:「天子誅匈奴,愚以爲賢者宜死節於邊,有財者宜輸委,如此而匈奴可滅也。」上由是賢之,欲尊顯以風百姓,乃召拜式爲中郎,爵左庶長,賜田十頃,佈告下天,使明知之。未幾,又擢式爲齊太傅。 2. 3春,有星孛于東北。夏,有長星出于西北。 3. 4上與諸將議曰:「翕侯趙信爲單于畫計,常以爲漢兵不能度幕輕留,今大發士卒,其勢必得所欲。」乃粟馬十萬,令大將軍靑、票騎將軍去病各將五萬騎,私負從馬復四萬匹,歩兵轉者踵軍後又數十萬人,而敢力戰深入之士皆屬票騎。票騎始爲出定襄,當單于,捕虜言單于東,乃更令票騎出代郡,令大將軍出定襄。郎中令李廣數自請行,天子以爲老,弗許;良久,乃許之,以爲前將軍。太僕公孫賀爲左將軍,主爵都尉趙食其爲右將軍,平陽侯曹瓤爲後將軍,皆屬大將軍。趙信爲單于謀曰:「漢兵既度幕,人馬罷,匈奴可坐收虜耳。」乃悉遠北其輜重,以精兵待幕北。 大將軍既出塞,捕虜知單于所居,乃自以精兵走之,而令前將軍廣並於右將軍軍,出東道。東道回遠而水草少,廣自請曰:「臣部爲前將軍,今大將軍乃徙令臣出東道。且臣結髮而與匈奴戰,今乃一得當單于,臣願居前,先死單于。」大將軍亦陰受上誡,以爲「李廣老,數奇,毋令當單于,恐不得所欲。」而公孫敖新失侯,大將軍亦欲使敖與倶當單于,故徙前將軍廣。廣知之,固自辭於大將軍;大將軍不聽,廣不謝而起行,意甚慍怒。 大將軍出塞千餘里,度幕,見單于兵陳而待。於是大將軍令武剛車自環爲營,而縱五千騎往當匈奴。匈奴亦縱可萬騎。會日且入,大風起,砂礫撃面,兩軍不相見,漢益縱左右翼繞單于。單于視漢兵多而士馬尚強,自度戰不能如漢兵,單于遂乘六騾,壯騎可數百,直冒漢圍,西北馳去。時已昏,漢匈奴相紛拏,殺傷大當。當軍左校捕虜言,單于未昏而去,漢軍發輕騎夜追之,大將軍軍因隨其後,匈奴兵亦散走。遲明,行二百餘里,不得單于,捕斬首虜萬九千級,遂至窴顏山趙信城,得匈奴積粟食軍,留一日,悉燒其城餘粟而歸。 前將軍廣與右將軍食其軍無導,惑失道,後大將軍,不及單于戰。大將軍引還,過幕南,乃遇二將軍。大將軍使長史責問廣、食其失道状,急責廣之幕府對簿。廣曰:「諸校尉無罪,乃我自失道,吾今自上簿至莫府」。廣謂其麾下曰:「廣結髮與匈奴大小七十餘戰,今幸從大將軍出接單于兵,而大將軍徙廣部行回遠,而又迷失道,豈非天哉!且廣年六十餘矣,終不能復對刀筆之吏!」遂引刀自剄。廣爲人廉,得賞賜輒分其麾下,飲食與士共之,爲二千石四十餘年,家無餘財。猿臂,善射,度不中不發。將兵,乏絶之處見水,士卒不盡飲,廣不近水,士卒不盡食,廣不嘗食。士以此愛樂爲用。及死,一軍皆哭。百姓聞之,知與不知,無老壯皆爲垂涕。而右將軍獨下吏,當死,贖爲庶人。 單于之遁走,其兵往往與漢兵相亂而隨單于,單于久不與其大衆相得。其右谷蠡王以爲單于死,乃自立爲單于。十餘日,眞單于復得其衆,而右谷蠡王乃去其單于號。 票騎將軍騎兵車重與大將軍軍等,而無裨將,悉以李敢等爲大校,當裨將,出代、右北平二千餘里,絶大幕,直左方兵,獲屯頭王、韓王等三人,將軍、相國、當戸、都尉八十三人,封狼居胥山,禪於姑衍,登臨翰海,鹵獲七萬四百四十三級。天子以五千八百戸益封票騎將軍;又封其所部右北平太守路博德等四人列侯,從票侯破奴等二人益封,校尉敢爲關内侯,食邑;軍吏卒爲官、賞賜甚多。而大將軍不得益封,軍吏卒皆無封侯者。 兩軍之出塞,塞閲官及私馬凡十四萬匹,而復入塞者不滿三萬匹。 乃益置大司馬位,大將軍、票騎將軍皆爲大司馬,定令,令票騎將軍秩祿與大將軍等。自是之後,大將軍靑日退而票騎日益貴。大將軍故人、門下士多去事票騎,輒得官爵,唯任安不肯。 票騎將軍爲人,少言不洩,有氣敢往。天子嘗欲教之孫、呉兵法,對曰:「顧方略何如耳,不至學古兵法。」天子爲治第,令票騎視之,對曰:「匈奴未滅,無以家爲也!」由此上益重愛之。然少貴,不省士,其從軍,天子爲遣太官繼數十乘,既還,重車餘棄粱肉,而士有饑者;其在塞外,卒乏糧或不能自振,而票騎尚穿域蹋鞠,事多此類。大將軍爲人仁,喜士退讓,以和柔自媚於上。兩人志操如此。 是時,漢所殺虜匈奴合八九萬,而漢士卒物故變數萬。是後匈奴遠遁,而幕南無王庭。漢渡河自朔方以西至令居,往往通渠,置田官,吏卒五六萬人,稍蠶食匈奴以北;然亦以馬少,不復大出撃匈奴矣。 匈奴用趙信計,遣使於漢,好辭請和親。天子下其議,或言和親,或言遂臣之。丞相長史任敞曰:「匈奴新破困,宜可使爲外臣,朝請於邊。」漢使任敞於單于,單于大怒,留之不遣。是時,博士狄山議以爲和親便,上以問張湯,湯曰:「此愚儒無知。」狄山曰:「臣固愚,愚忠。若御史大夫湯,乃詐忠。」於是上作色曰:「吾使生居一郡,能無使虜入盜乎?」曰:「不能。」曰:「居一縣?」對曰:「不能。」復曰:「居一障間?」山自度辯窮且下吏,曰:「能。」於是上遣山乘障,至月餘,匈奴斬山頭而去。自是之後,羣臣震懾,無敢忤湯者。 4. 5是歳,汲黯坐法免,以定襄太守義縱爲右内史,河内太守王温舒爲中尉。 先是,寧成爲關都尉,吏民出入關者號曰:「寧見乳虎,無値寧成之怒。」及義縱爲南陽太守,至關,寧成側行送迎。至郡,遂按寧氏,破碎其家;南陽吏民重足一跡。後徙定襄太守,初至,掩定襄獄中重罪輕繋二百餘人,及賓客、昆弟私人視亦二百餘人,一捕,鞠曰「爲死罪解脱」。是日,皆報殺四百餘人。其後郡中不寒而慄。是時,趙禹、張湯以深刻爲九卿。然其治尚輔法而行;縱專以鷹撃爲治。王温舒始爲廣平都尉,擇郡中豪敢往吏十餘人,以爲爪牙,皆把其陰重罪,而縱使督盜賊。快其意所欲得,此人雖有百罪,弗法;即有避,因其事夷之,亦滅宗。以其故,齊、趙之郊盜賊不敢近廣平,廣平聲爲道不拾遺。遷河内太守,以九月至,令郡具私馬五十匹爲驛,捕郡中豪猾,相連坐千餘家。上書請,大者至族,小者乃死,家盡沒入償臧。奏行不過二三日得可,事論報,至流血十餘里,河内皆怪其奏,以爲神速。盡十二月,郡中毋聲,毋敢夜行,野無犬吠之盜。其頗不得,失之旁郡國,追求。會春,温舒頓足歎曰:「嗟乎!令冬月益展一月,足吾事矣!」 天子聞之,皆以爲能,故擢爲中二千石。 5. 6齊人少翁,以鬼神方見上。上有所幸王夫人卒,少翁以方夜致鬼,如王夫人之貌,天子自帷中望見焉。於是乃拜少翁爲文成將軍,賞賜甚多,以客禮禮之。文成又勸上作甘泉宮,中爲台室,畫天、地、太一諸鬼神而置祭具,以致天神。居歳餘,其方益衰,神不至。乃爲帛書以飯牛,佯不知,言曰:「此牛腹中有奇。」殺視,得書,書言甚怪,天子識其手書,問其人,果是偽書。於是誅文成將軍而隱之。 6.
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登録日:2012/01/24(火) 03 40 14 更新日:2022/11/07 Mon 11 21 40NEW! 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 ネタバレ項目 一ヶ尾瑞陽 悲しき女 木村あやか 装甲悪鬼村正 「力を尽くして、敗れる…………それが。 こういうものだとは、思いませんでした」 一ヶ尾瑞陽(いちがお みずひ)とは、装甲悪鬼村正の湊斗景明の過去にあたる第五編、宿星騎のメインキャラクターである。 CVは木村あやか。 もと六波羅幕軍軍属であり、登場時は山賊団の女首領。 軍において横領が発覚し、夜逃げをする形で景明の住む町に辿り着き、「志士団」として略奪行為をするようになった。 容貌は山賊の首領という立場からは意外なほど清潔としており、六波羅の軍服を着崩している。 髪型がネコ耳っぽくて可愛い。また、露出が多い割りに男に肌を見せたことがない。 武者であり、流派は六波羅新陰流。 世襲で御館(家長)となったであろう彼女だが、実力は景明以上。 六波羅新陰流宗主、柳生常闇斎が師の一人であり、国内最高峰の剣術家である常闇斎をして「天稟あり」と言わしめている。 重心の完全制御を体得しており、女性の手足の短さを、「切落」のような返し技を持つことでむしろ長所として用いる。 装甲する劔冑は九〇式竜騎兵甲(キューマルドラコ) 本編中では一度も使われなかった。 人間としては力に過信し、底意地が悪く、高慢。 人を馬鹿にするとき「おーっほっほっ」と高らかに笑う。本編中五度この笑い方が見られ、「ほっ」の字数は277字。笑い過ぎ。 余りに長いため、笑っている間は部下は世間話などを始めたりする。 性格は余り宜しくない彼女だが、身魂は武士そのもの。 人間相手に劔冑を使うことは無く、横領事件も実際には彼女は関与していない。また、山賊を最下等の、しかし武士としての生き方としており、女を攫う、奴隷売買などは程度が過ぎるとして硬く禁じていた。 (山賊行為に彼女の意思が無かったとは言い難いが) ちなみに彼女の一人称はアタシだが、特定の相手に対してだけ「私(アタクシ)」に変わる。 山賊団の退去を願い出た景明を彼女は一笑するが、勝負を持ちかけられ、態と素人臭く演技をした景明を侮り、一度敗れる。 勿論彼女が納得することは無く、弟に家督を譲るという形で略奪行為を続けた。 そして後日、彼女は二振りの刀を携え、陽も昇らぬ早暁に湊斗宅に侵入。 景明の寝首を掻こうとしたところに景明に発見され、二度目の勝負を行う。 互いに力を出し尽くし、彼女は再び負けることとなった。この闘いは実に奈良原臭い名勝負であり、一見の価値あり。 敗北後、彼女は景明によって刀傷の手当てを受け、介抱をされることとなる。彼女は敗北を受け入れ、不思議なほどに落ち着いていた。 女首領、デレ期の到来である。 包帯の取替えを景明がしてくれないことに残念な顔をし、 景明があーん、をしてくれることに嬉しそうな顔をするのである。 景明がふーふーしてくれないかなと、ちょっと期待したりするのである。 勿論相手は名だたるニトロヒロインが束になっても適わない悪鬼、湊斗景明である。 彼女の想いなど露とも気づきはしない。だが、だがしかし。 凡百のヒロインの安易なデレとは違う、奥ゆかしきデレがそこにある。 あーもう瑞陽殿は本当に武士可愛い。 彼女は敗北を認めたものの、山賊団の入植、という要求に是としなかった。 それは武士としての矜持であり、部下を思ってのことでもある。しかし彼女の根底にあるものは、景明の慈悲を受け入れることで、彼女が景明の心にとって塵芥、とるに足りないものになるのが嫌だ、という思いからだった。 世には迷惑な女がいたものだ、と考えながら、彼女は切腹を決意。しかし光の病気と景明の事情を偶然耳にしてしまい、武士を捨てることを決意する。 後日、彼女は約束を守ったものの、もともと武士であった部下たちの入植は上手く進まず、二週間足らずで部下の不満が爆発。弟に裏切られ劔冑を奪われ、敗北する。 かつての部下に強姦され、体中を膾切りにされながらも脱出。瀕死の身体で湊斗家に辿り着き、彼女は景明に部下の反乱を伝える。 流した涙は痛みでは無く、景明との約束を果たせなかった為にあった。 死の際に彼女は一つだけお願いをする。名前を呼んで、と。 景明は、彼女の名前さえ知らなかったのだ。 教えて貰った名前を呼ぶ。瑞陽殿、と。 最後に。 彼女は、それは嬉しそうに。 微笑ったのだ。 ――最後に。 本編終盤、魔王編にて再登場。 といっても、銀星号の卵に取り込まれた景明の精神の中での出会いであり、本人ではない。 自分の名前さえ思い出せない景明を、彼女はからかいながら優しく導いてくれる。 瑞陽は景明にとって、そんな存在だった。 出会いから別れまで数週間。まともに相対したのは数えるほど。 それでも、湊斗景明にとって一ヶ尾瑞陽は、塵芥などでは無かった。 「過去に逃げてはだめ。どんなに辛くても ――未来を見て、現実を歩きなさい」 「湊斗景明。あなたは私に勝った男でしょう?」 「……一ヶ尾瑞陽……」 「いってらっしゃい」 そして女は、両手で優しく、あなたの背中を押した。 ……あなたは振り返らず、山から去った。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] もし彼女と景明が結ばれたなら、一磨を殺さない→統様生存で、誰も殺さない真の「英雄」の物語、装甲英雄KAGEAKIが見られたんだろうなと、夢想してる -- 名無しさん (2013-09-03 20 36 01) ↑光がますますやばいことになりそうだな・・・ -- 名無しさん (2014-07-22 19 40 59) この人の故郷探索の時の「どうしたの?」が、すごく慈愛に満ちた感じで好きだったな。 -- 名無しさん (2016-03-30 10 29 30) 名前 コメント