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中華人民共和国政府とスメルシ合衆国政府は両国人民の利益と願望を基に、大使級外交関係開設を決定した。 両国政府は世界上の帝国主義と反動勢力との闘争に尽力することを決心する。 両国政府は主権、領土の相互尊重、不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存の基礎の上に両国間の外交、友好と協力関係を発展させることに同意する。 箱庭暦期 於モスクワ 中華人民共和国 スメルシ合衆国 駐ソ連大使 スメルシ外務省全権大使 卒長水 レオニード・D・カメーノフ (署名)
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2008年2月 水竜の月11日~ 2/29 ~〔08 57〕 眩惑のねないこ の総帥就任を ベンケイの墓議会が承認。眩惑のねないこに全指揮権委任。 地竜の月24日~ 2/17 ~〔12 40〕 はたらけ で内乱勃発 踏まれる快楽 が全権を掌握。しなばもろとも失脚。(踏まれる快楽革命) 地竜の月24日~ 2/17 ~〔12 24〕 オン撫で歓迎★説得総帥 で内乱勃発 たてすじ が全権を掌握。ゲン失脚。(たてすじ革命) 地竜の月23日~ 2/16 ~〔21 03〕 ミリ・ルー が聖服少女領域を樹立。港町アシュトンに対して独立を宣言。 地竜の月23日~ 2/16 ~〔19 56〕 しそ が納豆を樹立。OutBluesに対して独立を宣言。 地竜の月23日~ 2/16 ~〔18 32〕 Photon が月光を樹立。オン撫で歓迎★説得総帥に対して独立を宣言。 地竜の月23日~ 2/16 ~〔16 16〕 DaGama が港町アシュトンを樹立。ラダトームに対して独立を宣言。 地竜の月23日~ 2/16 ~〔15 50〕 眩惑のねないこ がベンケイの墓を樹立。ラダトームに対して独立を宣言。 地竜の月23日~ 2/16 ~〔15 44〕 ( ^ω^) 地竜の月23日~ 2/16 ~〔14 55〕 東方紫電 がシデンカイを樹立。ラダトームに対して独立を宣言。 地竜の月23日~ 2/16 ~〔14 37〕 しなばもろとも がはたらけを樹立。OutBluesに対して独立を宣言。 地竜の月23日~ 2/16 ~〔01 14〕 バブスチカがOutBluesを建国。最高指導者にバブスチカが就任。 地竜の月23日~ 2/16 ~〔01 14〕 ゲンがオン撫で歓迎★説得総帥を建国。最高指導者にゲンが就任。 地竜の月23日~ 2/16 ~〔01 13〕 地球がラダトームを建国。最高指導者に地球が就任。 ↑ここから鯖移転 地竜の月22日~ 2/15 ~〔21 28〕 ゲン がオン撫で歓迎★説得総帥を樹立。OutBluesに対して独立を宣言。 地竜の月22日~ 2/15 ~〔05 31〕 バブスチカ がOutBluesを樹立。ラダトームに対して独立を宣言。 地竜の月22日~ 2/15 ~〔04 23〕 地球 がラダトームを建国。最高指導者に地球が就任。 2/14 vana鯖公開
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Sousui 首相と大統領の上に存在するらしい正体不明の役職。 2軍の全権を保有する事と、政治には干渉しない(できない?)、ショーサと言う部下が存在する事のみが現在判明している。 内外で極端に神聖化されている節があるが、アリーナで喧しい絶叫と共に対戦相手に突っ込んでいくレイヴンや、大統領のSPその1(報道陣のカメラに向かってよくピースする)と同一人物だと言うことは知られていない。 関連設定 日の出帝國 2軍 霧島 狂助
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中華人民共和国及び神聖アルティス帝国は、 両国政府と人民の親善が極東及び世界の平和及び安定に寄与することを希望し、 両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、 平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。 中華人民共和国 外交部長 周恩来 神聖アルティス帝国 外務卿 ローデリヒ・エーデルシュタイン・フォン・ハプスブルク 第一条 1 締結国双方は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。 2 締結国双方は、前記の諸原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。 第二条 締結国双方は、そのいずれも、極東においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。 第三条 締結国双方は、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力し、一方の締結国に対して如何なる特殊権益もこれを要求しない。 第四条 1 締約国双方は、中華人民共和国政府が中国唯一の合法政府であり、東北三省が中国に包括されることを確認する。 2 中華人民共和国政府は台湾及びその付属島嶼が中国に帰属するものと主張し、神聖アルティス帝国政府はこの主張に対し理解を示す。 第五条 1 この条約は、批准されるものとし、クライスベルクで行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。 2 いずれの一方の締結国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。 以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。 一九九一年六月十八日に北京で、ひとしく正文である中国語及びアルティス語により本書二通を作成した。
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記念碑のマニュアル 国威記念碑 0 竜宮城 1 教会 2 日本城 3 国立城 4 大統領官邸左 5 大統領官邸右 6 首相官邸 7 風車 8 強制収容所 9 総合政庁 10 凱旋門 11 国立墓地 12 航空基地 13 警察署?都庁?→国連本部 14 英雄の象 15 寺院 16 軍司令部 17 放送局 18 軍港 19 警備艇 20 首都 21 制作:アイヌ国全権
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年齢:31歳誕生日:一角獣の月2日所在:ヴォスフォルスクラス:騎兵系使用武器:小剣、風術肩書き/通称:灰十字船団第4師団長 ロードリア王国の騎士。 ロードリア海軍所属。 『灰十字船団』第4師団を指揮する将軍。 ヴォスフォルスの軍港に駐留している。 物腰の静かな紳士。 --------- 1317年に、レナ自治領・アルサケスで開かれた、ロードリア連邦会議(アルサケス条約の締結)の全権大使付武官を務めた。 所有AF:
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Template 中華圏の人物? 顧維鈞(こいきん 光緒14年(1888年)1月29日-1985年11月14日)は、中華民国の国民党政府の外交官出身の政治家。字は少川(しょうせん シャウツァン Shǎochuān)、欧名はヴィ=キュイン・ウェリントン・クウ(Vi-Kyuin Wellington Koo)。外交総長、国務総理代行、各国の公使、パリ講和会議、ワシントン会議、関税会議の各中国全権代表などの要職を歴任した。 祖父は郷紳の出身で、江蘇省嘉定県(現 上海市嘉定区)の官職にあったが、太平天国の時期に暴徒によって拷問の上、殺害され、財産を奪われた。顧の誕生後、父・顧溶は官営の招商局所属の汽船の会計係となり、生活は安定した。 1899年キリスト教衛理公会経営の上海英華学院に入学、初めて英語を学習した。1900年には病気のため、実家の近くにある育才学校に転校。 1901年キリスト教聖公会経営の上海聖約翰書院に入学した。1905年コロンビア大学に入学、1908年文学士、1909年政治学修士、1912年国際法・外交博士を取得した。同大学では中国人留学生の発行する機関紙の編集にも携わり、またアメリカ国際法学会、アメリカ政治学会会員としても活躍し、後に1916年にはイェール大学より名誉法学博士の学位を授与された。袁世凱の英文秘書を経て、1912年8月国務院秘書、1914年外交部参事、1915年7~10月駐メキシコ公使、同年10月~1920年9月駐米公使兼駐キューバ公使となり、第一次世界大戦参戦決定に参与した。 1919年パリ講和会議全権代表、1920年9月~1922年5月駐英公使となり、この間、1920年国際連盟中国首席代表、1921年~1922年ワシントン会議全権代表として国際会議で不平等条約撤廃を要求し続けた。 1922年~1923年外交総長、1924年代総理(国務総理代行)兼外交総長。1924年7月ソ連代表レフ・カラハンと中ソ協定に調印、ソ連との国交樹立、大使の交換、帝政ロシア時代の不平等条約撤廃に合意した。 1926年5月顔内閣の復活により財政総長兼関税委員会主任委員、10月杜錫珪総理辞職後、代総理兼外交総長に就任、1927年6月まで務めた。 1928年国民革命軍による北京占領後、南京国民政府から逮捕命令が出されたため、フランス、カナダへ逃亡。1929年張学良の仲介によって東北に帰国し、1930年冬逮捕命令を取り消される。 1931年張学良の勢力を代表して国民政府に参加し、外交部長に任ぜられた。1932年2~8月国際連盟の派遣したリットン調査団に対し中国側代表として、日本の東北侵略の違法性を訴えた。同年国民党中央政治会議外交委員、1936年~1941年駐仏大使に昇任し、ついで1941年~1946年駐英大使に就任、そのあい不平等条約の完全撤廃に力を尽くすとともに、サンフランシスコ会議中国代表を務め、国際連合の創設に協力した。また1945年には国民党六全大会で中央執行委員に選出されている。 1946年駐米大使に転じた。1956年台湾総統府資政、その後1957年~1967年国際司法裁判所判事に任命される。1967年に引退してニューヨークに移住、コロンビア大学で回想録を口述し、死の直前まで健康であったが、1985年11月入浴中に倒れ、死去した。 最初の結婚は1908年、親から強制されての漢方医学界の長老の甥の娘とのもので、米国へ同行したが愛情がわかず、1911年に正式に別れた。2度目は、清末、民国の外交官唐紹儀の娘・唐梅と1912年に結婚したが、唐は1919年に病死した。3度目は、南洋華僑・黄奕柱の娘・黄恵蘭と1920年に結婚、30年間連れ添ったが、夫人の生活が派手なため離婚するに至っている。4度目は、ニューヨークの国連職員・厳幼韵と結婚、厳は寡婦であったが、顧の晩年を支えた。 著書 『顧維鈞回憶録』 『中国にいる外国人の地位』(外国人在中国之地位) 『門戸開放政策』 『国際連盟リットン調査委員会備忘録』 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年5月11日 (日) 02 45。
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日清通商航海条約(にっしんつうしょうこうかいじょうやく)とは、1896年7月21日に北京において日本と清の間に締結された条約。同年10月20日に批准書交換が行われて10月28日に発効した。辛亥革命後の中華民国にも継続された。日本側全権は林董。清側全権は張蔭桓。 日清戦争により、日清修好条規が破棄されたため、戦後に新たに締結された。同戦争における日本の勝利を受けて修好条規の変則的平等条約から日本に有利な不平等条約に改められた。全29条から構成され、貿易における日本への待遇を欧米と同様とする(第9条)、日本に領事裁判権を認める(第22条)、条約改訂は批准書交換より10年後にのみ提議出来、半年以内に合意が成立しなければ、自動的に10年間延長されてその期間改訂出来ない(第26条)。など、日本に有利な内容であった。 更に北清事変の際に結ばれた北京議定書に基づいて1903年10月8日に上海において、全13条からなる日清(両国間)追加通商航海条約(にっしん(りょうこくかん)ついかこうかいじょうやく)が締結され、日本人と清国人の共同経営事業(第4条)、日本人の商標・著作権保護(第5条)、清国の貨幣制度・度量衡統一義務(第6・7条)・日本の清国司法改革支援と達成後の治外法権撤廃義務(第11条)が定められた。 辛亥革命後、五・四運動を経て不平等条約破棄を求める中国国民の声が高まると、規定上の改訂期間が訪れた1926年10月に北京政府が条約改訂を日本側に打診するが、1928年7月19日、当時北京政府に代わって中国を掌握していた蒋介石の南京国民政府が一方的に破棄を通告、日本側はこれを拒否して継続を宣言したが、その後日本側からも対立悪化を懸念する声が上がり、改訂交渉が行われ、1930年5月6日に日華関税協定が結ばれて中国側の関税自主権が回復された。その後、日中戦争下で汪兆銘政権が成立すると、同政権を擁護する立場から不平等条約破棄が検討され、1940年11月30日に日華基本条約が結ばれて不平等条約は正式に破棄された(ただし、この条約で日本軍の中国国内への駐留が認められ、また満州国を事実上承認する日満華共同宣言が併せて締結されたことから、汪兆銘政権への中国国民の反感を高める結果となっている)。 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月24日 (月) 12 36。
https://w.atwiki.jp/untworld/pages/55.html
中華人民共和国政府と雄武人民共和国政府は両国の利益と願望を基に、大使外交関係の開設を決定した。 両国政府は世界上の帝国主義と反動勢力との闘争を決心する。 両国政府は主権領土を相互に尊重、不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存の基礎の上に両国間の外交、友好と協力関係を発展させることに同意する。 中華人民共和国 雄武人民共和国 駐ルゥシア大使 外交部全権委任 柴曜 明斗将柳 (署名) (署名) 箱庭暦664期 於ハバナ
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作家たちの夢束メーリングリストの管理人規定 ※ブリーフケースより転載 この文書では、作家たちの夢束メーリングリスト(以下、夢束ML)の管理人に関する規則を述べます。 目次 1. 管理人体制の概要 1.1 管理人の存在意義 1.2 構成 1.3 役割 2. 管理人体制の運用ルール 2.1 管理人の増員 2.2 WebサイトおよびWikiの管理対象 2.3 会計管理者の作業 2.4 文学フリマへの参加の管理人の関与について 3. 管理人規定の制定方法 4. 管理人規定実施日時 1. 管理人体制の概要 =========================================================================== 1.1 管理人の存在意義 夢束MLは各人の責任と自主性の下、自由闊達なコミュニケーションの場として存在しています。 夢束MLの管理人は、コミュニケーション空間を維持するための影の存在であり、 特にこのMLに方向付けをする存在ではありません。 =========================================================================== 1.2 人員構成 代表(オーナー):雨上そら 常任管理人:一色靖, 一ノ瀬裕夜, 美鈴翠, 以上 4名 =========================================================================== 1.3 役割 1) コミュニケーショントラブル防止 2) Webサイト管理 (Wikiに移行) 3) 会計管理: 美鈴翠 4)冊子「夢束」作成プロジェクト協力:美鈴翠(会計・通信販売・在庫管理) 3)および4)の(会計・通信販売・在庫管理)以外の項目は 各管理人が連帯して行うものとする。 2.管理人体制の運用ルール =========================================================================== 2. 1 管理人の増員 各管理人より推薦のあった者を、ML一般参加者と管理人総じて 反対意見の出ない場合において新しく管理人に加えることができる。 =========================================================================== 2.2 WebサイトおよびWikiの管理対象 Webサイト運営管理の管理対象は次の3つである。 1) Yahoo!Groups 夢束ページの維持 2) 夢束Wikiの維持運営および拡充 3) 冊子「夢束」作成プロジェクトのためのWiki等の提供 =========================================================================== 2.3 会計管理者の作業 会計管理者の作業は次の3つ 1) 夢束資金の現金出納 2) 夢束資金の現金出納の記録 3) 収支報告書の作成と公開 1については、会計管理者の口座で現金を出納する。 2については、「収支報告書.xls」などで管理する。 3については、毎年、文学フリマ終了後に公開する。 <冊子作成の費用について> 夢束の公的資金の用途のほとんどが冊子「夢束」製作に費やされます。 その費用には、印刷・製本代や文学フリマの参加費、販売備品の作成費、通信販売のための事務費用などがあります。 夢束の資金は、これまでに参加メンバーからカンパを募らせていただいたものです。 大切に使うために、計画段階での損益分岐点の計算や、推進段階での出納管理、 文学フリマ後の詳細な収支報告などが、会計管理担当の管理人には義務付けられます。 販売計画立案(ページ数や発行部数と売価など)の権限は、MLで公に公募された 冊子作成プロジェクトのメンバーにありますが、その決定においては、 企画責任者・工程管理者・販売計画立案者と全権代行の管理人及び会計管理担当の管理人などが中心となって議論した後、 決定します。この議論はML上で公開された状況で行います。 =========================================================================== 2.4 文学フリマへの参加の管理人の関与について 1) 文学フリマ参加/不参加の決定 (オーナー) 2) 文学フリマに向けて作成する冊子「夢束」の企画の呼びかけ (オーナー) 3) プロジェクト運営のためのWiki環境の提供 (企画参加管理人) 4) 印刷代その他の現金出納の管理 (会計管理者) 5) その他、協力できることは何でも 企画立案および運営の主体者はML全体からの希望者です。 ただし、参加/不参加の決定と最初の呼びかけ、お金に関することは管理人が行います。 上記1は文学フリマの開催が決定してから(おおよそ開催の5ヶ月前)に実施します。 3. 管理人規定の制定方法 管理人規定の修正の必要性の提起は、必要に応じて、管理人ML上で行います。 管理人規定の決定権限はオーナー及び全権代行者にあります。 管理人規定の議論は、管理人全員が参加できる状況で行われなければなりません。 オーナー及び全権代行者は管理人全員の合意を取る義務があります。 (黙秘は合意と見なす) 以上 4. 管理人規定実施日時 本規定は、2008年11月1日より適用開始とします。 ルール作成履歴 2008/11/01 管理人メンバーの入れ替わりに伴い改定(雨上)